Tumgik
#藤原京跡
parakavka · 7 months
Photo
Tumblr media
こむこむ on X: "曽爾高原の帰りに藤原京跡のコスモスも見に行ったわん 今年は台風の影響でいつもより花が少ないわん🥲 #柴犬 #柴犬を崇めよ https://t.co/x5jquvYxCB" / X
59 notes · View notes
hachikenyakaiwai · 6 months
Text
Tumblr media
【かいわいの時】宝暦十四年(1764)四月六日:対馬藩通詞鈴木伝蔵、大坂に滞在中の朝鮮通信使節随員を殺害し出奔(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
(事件のあらまし) 朝鮮の上々官名ハとううんとうと申を、対州の家中通詞役鈴木伝蔵といふ者、右上々官を鑓の穂先壱尺斗残し是を以て咽を突通し自害の体をしつらいさし殺しけり。右上々官ハ日本にて大目附役の人なるよし其趣を聞に、西国にて人参を荷打せしと偽りて金銀を私欲したる事ありて此役人に伝蔵より返済せねばならぬ金子有しを毎々催促しける、大坂にて相渡べき約束なりしをいまだ相渡さず、よって厳しく催促致しける故、何とやら私欲の義も露顕に及ぶべきやうになりしゆへ止事を得ず、右のごとく害しける由也(『明和雑記』)。
(犯行現場および時刻) 西本願寺津村別院棕櫚の間(朝鮮人来朝大坂旅館西本願寺座割兼小屋掛絵図)。初七日戊子陰寒(『趙済谷海槎日記』)。コメント欄に写真 ▼朝鮮人来朝大坂旅館西本願寺座割兼小屋掛絵図 조선인래조대판려관서본원사좌할겸소옥괘회도 京都国際学園「関西に残された朝鮮通信使の足跡」より。
(殺害方法および凶器) 寝所へ忍入、鑓の穂先壱尺斗残し是を以て咽を突通し、自害の体をしつらいさし殺しけり(『明和雑記』)。関の兼永の槍(『通航一覧』)長さ4寸ほど(『差上記』)。
(事件の目撃者) このとき賊は、三房格軍(水夫)の姜右文の足を誤って踏み、驚いて目を覚ました姜によって目撃されている(『日東荘遊歌』訳注)。
(指名手配) 一 行年廿六歳 一 背ノ高サ五尺三寸中肉にて顏の色白ク眼は少シ大キク張強シ人体骨柄賤からず 一 其節之着類黒羽二重之袷下には群内大嶋の襦袢 右体之者見付次第訴出候ハゝ御褒美被下候間可遂吟味者也 四月九日(「鈴木伝蔵人相書」)。
(犯行の動機) 崔天悰は高麗人参の密貿易に絡んで鈴木伝蔵を叱責した。事の露見を恐れた伝蔵が崔を殺害した(『明和雑記』『摂陽奇観』)。伝蔵の自白によると、人参の取引がもとで殺したというが、真相は到底わからず(『日東荘遊歌』)。
(事件の背景) 朝鮮と対馬の通詞が手を組んで密貿易(積荷の横領)を繰り返していた(『扶桑録』『東槎日記』「海遊録』)。舞台は主に大坂であり、一行はできるだけ長く大坂にとどまろうとした(『扶桑録』)。「裨将の言うままに放っておいたら《略》崔天悰事件のようなこと必ずやまた起こるでありましょう」(金仁謙)。※鈴木伝蔵は通信使が絡んだ密貿易の一味。崔天悰もそうであったかは不明。
(事件の余波) この一件を初めに歌舞伎化したのは並木正三で、67年(明和4)2月大坂嵐雛助座(角の芝居)で《世話料理鱸庖丁(すずきぼうちよう)》を上演。史実に近かったため2日間で中止を命ぜられ、ただちに奥州藤原の世界に改めた《今織蝦夷錦》を上演した。『世界大百科事典(旧版)』【韓人漢文手管始】より。
(写真)「世話料理鰭庖丁 絵番付」1467(『摂陽奇観』所収)
(浜松歌国は)鈴木傳藏の朝鮮信使殺害事件を詳記し、次に其の事件があってから四年目、この事件が角の芝居嵐雛助座に於て、並木正三により新狂言に取組まれたことを書き加へたのみでなく、當時板行の繪番附を其のまゝに貼りつけてゐます。この鈴木傳藏事件が上演されたは、歌國が生れる十年前のことで、その當時の繪番附を手に入れることは容易ではなかつたらうと思はれます(校訂者識)。『浪華叢書 第四』より=写真も。
8 notes · View notes
kennak · 15 days
Quote
1985年の日航ジャンボ機墜落事故から8月12日で39年になる。 当時、機体の残骸が散乱する現場で描かれた“3つのイラスト”がある。公式の事故調査報告書には記載されていない、非公式な資料のひとつで、アメリカの当局者が名刺の裏に描き、日本側に渡したものだ。 このイラストは、のちに事故原因の“核心”となるボーイング社の「修理ミス」を示唆するものだった。乗客乗員524人を乗せたジャンボ機が墜落した原因はどこにあるのか、日本の当局が特定できずにいた調査初期のころにイラストは描かれた。 藤原氏がアメリカ側から受け取ったイラスト(原本のコピー) 事故の“核心”伝えたアメリカ人 アメリカ側からイラストを受け取ったのは、当時 運輸省航空事故調査委員会の事故調査官だった藤原洋氏だ。 筆者は、藤原氏への取材の中で、名刺の裏に描かれたイラストの「原本」を見せてもらった。藤原氏は日本側の現地調査を仕切る立場にあった。機体後部の「圧力隔壁」が壊れたことに注目していたが、なぜそうなったのかまだわからない段階だった。墜落事故から10日ほど経ったある日、現場でひとりのアメリカ人に呼び止められたという。 1985年8月の事故現場 パノラマ撮影が出来ず連続写真で現場を撮影(藤原氏資料) 藤原洋・元事故調査官 「ちょっと、ちょっとという、こういう感じ。今、隔壁を一生懸命やっているけれどもこうなっているのを疑っている、と彼が言い出した」 藤原洋氏(2005年撮影) 藤原氏に声を掛けたのは、米大統領直轄の組織 NTSB=国家運輸安全委員会の調査官、ロン・シュリード氏だった。���時、アメリカはNTSB、FAA(米連邦航空局)、ボーイング社で構成する合同調査団を日本に派遣していた。 航空機の製造国であるアメリカは、ひとたび事故が起これば、今でも世界各地にこうしたチームを派遣している。シュリード氏は、その一員として御巣鷹の現場にいたのだった。 しりもち事故と“お椀型の壁”修理 墜落したボーイング747型機は、事故の7年前に大阪空港で機体後部を地面に打ち付ける「しりもち事故」を起こしていた。この時、機体後部の「圧力隔壁」が損傷し、ボーイング社の作業チームが来日して修理を行っていた。 航空機は気圧が低く酸素が薄い高度を飛ぶため、客室内は地上と同じレベルまで気圧を上げている。「圧力隔壁」は気圧が低い場所から客室を守る“お椀型の壁”のことを指す。ボーイング社による修理は、壊れた隔壁の下半分を新品と交換するものだった。 ボーイング社の修理指示書には、上と下の隔壁の間に1枚の「継ぎ板」をはさみ、2列のリベット(鋲=びょう)を打ってつなぐことが記されていた。しかし、実際には「継ぎ板」が途中で2枚にカットされていた。これによりリベットは1列しか効かず、強度は不足。金属疲労が進み隔壁破壊に至ったとされている。 シュリード氏が描いた3つのイラストは、隔壁の断面を簡潔に示していた。1枚目は「正常な隔壁」2枚目は「正しく修理された場合の隔壁」そして3枚目に、事故機の隔壁の「継ぎ板」が途中で切れていることを“点線”で表現していた。 シュリード氏が藤原氏に渡した3つのイラスト(原本のコピー) アメリカ側が修理ミスを示唆したイラスト(説明字幕を除く) 説明を聞いた藤原氏は… 藤原洋・元事故調査官 「(隔壁を)外からみていてもわからない。なんでそんなことまで知っているの?」 翌日から藤原氏は、昼食時も「隔壁」のそばに座り、残骸を眺めていたという。しかしシュリード氏が描いた「修理ミス」の痕跡はわからなかった。継ぎ目にシールが施されるなどしていたためだ。 藤原洋・元事故調査官 「我々の知らない情報を(アメリカは)持ってるんじゃないかなという感じは持ちましたがそれ以上、深くは考えなかった」 「名刺しか乾いた紙がなかった」イラスト描いた本人 筆者は、藤原氏からイラストの原本を借りアメリカへ向かった。御巣鷹の現場でイラストを描いたシュリード氏に会うためだ。シュリード氏は自身が描いたイラストと久しぶりに“再会”し、開口一番こう述べた。 シュリード・元NTSB調査官 「藤原氏にこの図を描いたことは、よく覚えています」 取材に応じたシュリード氏 2005年撮影 炎天下の事故現場、名刺の裏に描いたのには、訳があったという。 シュリード・元NTSB調査官 「あの時、名刺しか乾いた紙がなかったんです。汗でバックパックも、その中にしまっておいたノートも湿ってしまったのです。ですから、財布の中から名刺を取り出し、藤原氏の前でこの絵を描き、アメリカ調査チームが発見した内容を彼に説明したのです」 シュリード氏は、当時のアメリカ側の資料をもとに、名刺の裏に描いたイラストの根拠を説明した。 シュリード・元NTSB調査官 「チームに、金属疲労の専門家がいました。彼は、どうなれば圧力隔壁が壊れるかを試算したんです」 調査にあたってアメリカ側は、ひとつの「仮説」を打ち立てたという。7年前の「圧力隔壁」の修理が適切でなければどうなるのか。例えばリベットが1列しか効いていない場合、隔壁は何回の飛行まで耐えられるのか? シュリード氏が保存している内部資料によると、試算の結果、隔壁破壊までの推定飛行回数は「1万3000回」。この数字が当該機の修理から事故までの飛行回数と極めて近かった。この仮説をもとに、アメリカは隔壁の修理ミスを突き止めたという。 涙を流したボーイングの技術者 シュリード・元NTSB調査官 「私たちは、事故原因を特定した際に関係者全員を集め、アメリカ大使館で会議を開きました。ボーイングの技術者たちは、かなり落胆していました。実際、何が起きたかを悟った時、彼らは涙を流していました」 ひとつの「仮説」が、アメリカの結論となった。 シュリード・元NTSB調査官 「事故は、墜落した一機だけの問題で、747型機共通の問題ではありません。これを日本が公開しないことに私たちは、いらだっていました」 事故当時747型機は、全世界で600機以上運航していた。日本での墜落事故は、アメリカの象徴ともいえる航空機産業の行く末を大きく左右する問題だった。 日本側はアメリカから隔壁破壊のメカニズムを伝えられたが、それを公表するまでには至らなかった。並行して警察が捜査中だったことも影響していたとみる関係者もいる。 “トカゲの尻尾切り” 情報を公開しない日本に、苛立つアメリカ。その情報は事故から25日後、思わぬ形で表面化した。米ニューヨークタイムズは「ボーイングの修理ミスが原因か」との見出しでスクープ記事を掲載。まさにアメリカ側が日本に公表を迫った内容だった。 藤原氏はこの一報を、御巣鷹の現場で聞き、直感的にこう思ったという。 藤原洋・元事故調査官 「やったなという印象です。その意味は“トカゲの尻尾切り”と同じで、ボーイング社にしてみれば、ジャンボの747の隔壁が弱い、ウィークポイントという評価がくだり、そうすると世界中飛んでいる747を止めなければならない。こうなったら大変な事態なんで、この飛行機だけなんだよと、あとは大丈夫なんだよ、ということを言おうとしたのでは…」 747型機の構造に問題はなかったのか、事故調査官として調査途中の公表には違和感があった。ニューヨークタイムズの記事が掲載された直後、ボーイング社は「しりもち事故」の修理ミスを認める声明を出した。 氷点下196度「修理ミス」を確認 その後、日本の事故調査委員会は、機体の残骸を東京・調布飛行場の格納庫に運んで調査を続けた。藤原氏が保存している写真の中に、残骸をつなぎあわせて再現した「圧力隔壁」がある。修理ミスにより壊れた部分は、跳ね上がるようにめくれあがっていた。 1985年東京・調布飛行場で再現された圧力隔壁(藤原氏資料) 「修理ミス」を特定するためには、隔壁のシールで覆われた部分を確認する必要があった。ある調査官によると、液体窒素を隔壁にかけ氷点下196度の状態で接着剤を剥がしたという。こうして「継ぎ板」がカットされた部分を確認。残骸の精密な検査の末、日本もあのイラストが示す「修理ミス」を特定したのだった。 氷点下196度で確認された「継ぎ板」の切れ目(関係者撮影) 「事故調査」を語り継ぐ 記事に登場した藤原洋氏は、去年この世を去った。筆者が藤原氏を初めて取材したのは、日航機墜落事故から20年の2005年。その後も折に触れて、航空関係の解説をお願いしアドバイスもいただいた。後年、藤原氏は日航機事故を担当した調査官OBらとともにNPOを設立し、航空事故調査の伝承・調査官の育成などに尽力した。 1985年8月 事故調査の様子(藤原氏資料) 犠牲者520人…8月12日に起きた悲劇は、今も単独機としては世界最悪の事故だ。遺族の高齢化と同様に、あの壮絶な現場で事故調査に挑んだ元調査官たちにも高齢化の波が押し寄せている。「空の安全」を願う彼らは、日本の航空史の“語り部”でもある。 TBSテレビ報道局 松田崇裕 社会部・国土交通省記者クラブ時代に日航機事故の慰霊登山などを担当。事故から20年(2005年)と30年(2015年)には特別報道番組の制作に携わり日米の事故調査官を取材。ニューヨーク支局では「ハドソン川の奇跡」で不時着機に搭乗し救出された日本人らを取材。
日航機墜落 “事故の核心” 御巣鷹で描かれた3つのイラスト アメリカが突き止めた圧力隔壁の「修理ミス」 | TBS NEWS DIG (1ページ)
3 notes · View notes
hangorin · 1 year
Text
東京五輪から2年 湾岸はいま
Tumblr media
悪夢のようなTOKYO2020大会から2年が経った。 五輪のために姿を変えられたあの場所は、巨額の資金を費やして建てられた会場は、白いフェンスに閉ざされていた公園は、いま一体どうなっているのか。 湾岸エリアを中心に、フィールドワークを行った。
①築地市場
築地本願寺から場外市場に向かう。日曜日。外国人観光客、親子連れ、カップル。賑わいは築地市場があった頃と変わらないように見えた。どの店にも、昼食を目当てに沢山の人が並んでいる。
Tumblr media
立体駐車場の最上階から市場のあった方を見下ろす。縦横に走るターレ、魚の並ぶケース、積み上げられたトロ箱、林立する仲卸の看板――それらが全て消え去り、でこぼこの、剥き出しのコンクリートだけが灼熱の太陽に焼かれていた。その一部は駐車スペースに。数台の自家用車。物悲しくなるぐらいしょぼい。
駐車場のわきに、築地市場の仲卸とおぼしき店名のプレートを付けたターレが放置されていた。よく見ると、ナンバープレートを外した痕がくっきりと残っている。
Tumblr media
石原元都知事が主導した2016年五輪招致当時、築地市場を潰してメディアセンターを作るという話が出ていた。2020東京大会ではそれが「駐車場」にかわり、市場は2018年10月に東京都によって閉鎖された。選手村から競技場への輸送のために新たに作られた環状2号の全面開通は、五輪閉幕から1年以上も過ぎた2022年12月。五輪招致が、都民の台所を打ち出の小づちのように利権を生み出す空虚な「一等地」に変えてしまった。
築地を舞台にしたある連載漫画の中で、目利き一筋の主人公は何故か移転に何の葛藤もないまま「豊洲で頑張っていこう」と仲間に呼びかけていた。築地市場83年の歴史は、急速に「なかったもの」にされようとしている。
②月島
東京では五輪の前から、競技会場と直接関係のない場所でも各地で再開発が起こっていた。晴海にも程近い、湾岸エリアに位置する月島もまたその1つ。もんじゃストリートで有名なこの町は、一本裏道に入ると古い木造家屋が軒を連ねる下町らしさが残っている。私たちが2017年に訪問した際は、月島1丁目西仲通り地区再開発計画のためにもんじゃストリートの店舗が軒並み閉店していた。
Tumblr media
そして今回訪ねてみると、MID TOWER GRANDなる地上32階、高さ121mの超高層マンションが建ち(2020年10月竣工)、その1階にもんじゃ屋などの店舗が入っていた。 月島ではさらに地上48階、高さ178.00mのタワマンを建てる月島三丁目南地区第一種市街地再開発事業、地上58階、高さ199mのタワマンを建てる月島三丁目北地区第一種市街地再開発事業が控えている。フィールドワークの後で知ったことだが、この月島三丁目再開発計画には反対運動や行政訴訟も起こっているとのこと。長年暮らしてきた人々の息吹が聞こえるような町並みが、大手開発業者によって姿を変えられようとしていることには胸が痛む。
Tumblr media Tumblr media
③晴海選手村
Tumblr media
カンカン照りの選手村跡地。ここはHARUMI FLAGなる高層マンション群として開発され、完成すれば5,632戸12,000人が暮らす街になるという。未だ工事中で通行できるのはメインストリートの車道のみ。焼けつくような暑さの中、誰もいないコンクリートだらけの空間は殺伐とした雰囲気が漂っていた。
Tumblr media
選手村をめぐっては、東京都が適正価格の10分の1という不当な安さで都有地を三井不動産ら11社のデベロッパーに売却したとして住民訴訟が起きている。五輪という祝賀的なイベントが作り出す例外状態によって、公共財産が民間資本に吸い上げられた象徴的な場所だ。
Tumblr media
街の中心に近づくと、左手には、大会中、大量の食材廃棄が問題となった食堂の跡地が、中央区立の小中学校(2024年度開校予定)として整備されていた。
Tumblr media
右手には三井不動産の商業施設「ららテラス」。その1階には「東京五輪を振り返りスポーツの力を発信する施設」として「TEAM JAPAN 2020 VILLAGE」が設置されるらしい。五輪と三井不動産のどこまでも続く蜜月がうかがえる。
Tumblr media
その先では道路を挟んで左右両方の街区で50階建ての2棟の超高層タワーマンションが目下建設中だった。
Tumblr media
選手村を訪れるとき、2018年、建設工事中に2人の労働者が亡くなったことを思わずにはいられない。その街区は、労働者の死という痛ましい現実を塗り固めるようにSUN VILLAGE(太陽の村)という輝かしい名前で分譲されている。 この街区だけではない。この街全体が、五輪によって引き起こされた問題などまるで何もなかったかのように成り立っている。この街ではとても生きていけない、生きた心地がしない。生気を抜かれたようにその場を後にした。
④潮風公園、お台場海浜公園
Tumblr media
ビーチバレーボールの会場設営のため何年もフェンス封鎖されていた潮風公園。わたしたちは初めて公園内に入った。こんなに広かったのか!無観客のくせに、この公園全体を占拠していたなんて、ほんとうに厚かましい。
Tumblr media
東京湾の対岸の埠頭にはコンテナが並んでいる。海をみてみると、うっ!海水は泥沼のような色。しかし、なぜか匂いはせず、潮の匂いさえもしない。ファブリーズでもしているのか?
Tumblr media
わたしたちは、野宿の人たちが寝ていた場所を探して公園内を歩いた(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織員会による追い出し→https://x.gd/ZJP4d)。木がたくさんあってなかなか住み心地よさそうだと思っていたら、屋根のある排除ベンチにたどり着いた。なんて醜いデザインなのだろう。
Tumblr media
次に「トイレのようなニオイ」と話題になったお台場海浜公園のビーチへ、匂いを確認しに行った。「遊泳禁止」の看板があり、スクリーニングのためと記してあったが、やはり汚染が懸念されているのだろろう。このビーチの海水も濁っていて、潮の匂いさえもしない。怪しい水質だ。
Tumblr media
しかし、暑すぎる。灼熱の日差しの下で、ビーチバレーボールや、トライアスロンをやって、汚い海に飛び込んでいたのか。 知れば知るほど、オリンピック・パラリンピックは地獄だ。
⑤有明
Tumblr media
有明の旧会場エリアへ。グーグルマップで見ると、どうやらこの一帯は「有明オリンピック・パラリンピックパーク」と名付けられたらしい。いまや地に落ちた電通がオリンピックでちゃっかりゲットした、唯一黒字と言われる有明アリーナへ。SNSではステージが見えない席があると不評を買っていたが、「ディズニーオンアイス」をやってるらしく、猛暑の折、駅から会場まで大勢の人だかり。
Tumblr media
有明体操競技場はこの5月に「有明ジメックス」と名を変え、株式会社東京ビックサイトが運営する展示場としてオープンしたらしい。第一印象は「・・・神社?」世界的ウッドショックの最中に木材を山のように使って、10年程度で取り壊される予定とのこと。こんなに立派にする必要あったのか?
Tumblr media
そこからゆりかもめの駅を越えると、フェンスで囲われた草ぼうぼうのワイルドな一角が。有明BMX会場跡地だ。グーグルマップには「有明アーバンスポーツパーク(2024年4月開業)」とあるが、いまのところ影も形もない。スポーツ施設より原っぱ公園の方が需要あるのでは?
Tumblr media
有明テニスの森公園は工事パネルが外されて、開放感に溢れていた。こんな素敵な場所を何年もオリンピックのために囲って、市民を排除してきたかと思うとあらためて腹が立つ。
Tumblr media
真夏の炎天下に火を燃やし続けた聖火台があった夢の大橋にも立ち寄った。観覧車が無くなっていた。東京都はこの夢の大橋を含むシンボルプロムナード公園の一角に、新たに聖火台置き場をつくって飾っている。東京都はいつまでオリパラの亡霊にすがる気か。。
⑥辰巳・東京アクアティクスセンター
Tumblr media
アクアティクスセンター
「威圧」を形にしたような巨大建造物。
建物の周りには木陰がなく、取ってつけたような弱々しい植栽が施されている。
Tumblr media
正面外の、広すぎる階段は、車いす利用者でなくても、大げさすぎてびっくりする。コンクリートが日射で熱い。ゴミ一つ落ちていないのは、人が寄り付かないからだろう。
その下にたたずんで私は、ピラミッド建設のために労働を強いられている人のような気持ちがした。
ここは、公園の一部であった。近くに団地もある。誰でも入って、海からの風を感じながらくつろぎ、出会う場所だったはずだ。
5年前に訪れた時は、工事中で巨大な支柱がそびえたっていた。三内丸山遺跡にインスパイアされたのかと思ったが、出来上がったのは帝国主義の終点のようなしろものだった。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
「お前たちが来るところではない。」という声がどこからか聴こえる気がした。
知ってる。だから入ってみた。静かだ。人っ子一人いない、空調が効いて冷え切っている。だだっ広いロビーの小さな一角に、TOKYO2020オリパラのポスターたちがいまだに展示されていた。
Tumblr media
競争をあおり、序列化し、勝者に過剰な価値を与え、「感動」を動員するスペクタクルがここで続けられるのだ。
Tumblr media
生きていくのに必要な潤いをもたらす公園に、このような醜悪なものが君臨しているのを私は許せない。
Tumblr media
炎天下の湾岸エリアを丸1日かけて回った。TOKYO2020跡地は、廃墟になっていると思いきや、むしろ多くの場所でまだまだ開発が続いていた。開発への飽くなき欲望と「レガシー」への執着、五輪災害は閉幕後も延々と残り続けている。 この日撮影した映像を使って「オリンピックって何?東京からパリ五輪1年前によせて」という動画を作成し、1年後に五輪開幕が迫るパリでの反五輪の闘いに連帯を示すメッセージとした。 From Tokyo To PARIS, NOlympicsAnywhere
youtube
21 notes · View notes
ari0921 · 9 months
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
    通巻第8070号
 AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
  文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
 わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
 「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
 このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
 『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
 皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
 しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
 生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
 きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
 文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
 紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
 ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
 「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
 額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
 「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
 ▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
 『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
 『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
 古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
 江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
 井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
 上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
 近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
 描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
 谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
 「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
 ▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
 「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
 「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
 「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
 サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
 わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
 こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
9 notes · View notes
happy-pix-jpn · 7 months
Text
Tumblr media
【お知らせ】
祈りの回廊2024年春・夏号の表紙写真に採用いただきました。 藤原宮跡の蓮です。
今日、主要各地に配布されたそうで 探しに行かなくっちゃ♪
【掲載内容】
■特集1 祈りの足跡ー壬申の乱から藤原京の時代ー 日本初の寺院、飛鳥寺(法興寺)が飛鳥に誕生し、その後、飛鳥京や藤原京にいくつかの寺院 が建立されました。その後、平城遷都とともに移転した寺院もあれば、同地で存続した寺院も あり、寺院によっては、別の寺として存続したり、史跡となった場所もあります。これらは世界遺産「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成資産候補です。また平城遷都後も信仰を守り続けている寺院などもご紹介します。
■特集2 次代を担う二人の仏師 仏師を目指したきっかけから現在の活動、今後の目標などを奈良在住の若手仏師にお話を うかがいました。
■特集3 道長も来た道 吉野・大峯 今年の大河ドラマの主要人物である藤原道長。栄華を極めた道長ですが、まだ政界の頂点を極 める前に奈良県吉野郡にある金峯山を詣でています。なぜ当時の天皇や貴族が金峯山を参詣し たのかを紐解きます。
■特別講話 飛鳥坐神社、金峯山寺への特別インタビュー
■特別開帳情報 2024年3月~9月の秘宝・秘仏特別開帳情報をエリア別に紹介
遠方の方はPDFファイルでどうぞ https://yamatoji.nara-kankou.or.jp/015guidebook_indivudual/3hjn4yzfvj/
5 notes · View notes
sskyt · 1 year
Text
『「呪術」の呪縛』下巻の読書ノート
Tumblr media
江川純一・久保田浩編『「呪術」の呪縛』(下)リトン、2017年。
第一部 呪術概念の再検討
鶴岡賀雄「「呪術」の魅力:「永遠のオルタナティブ」の来歴と可能性についての試論」
 「マギア」を人類学的・宗教学的分析概念としてではなく西欧精神史の構成要素として見て、古代ギリシアから、中世神学、ルネサンス、近世キリスト教、現代芸術に至るまで、マギアの位置づけを跡づける。  そこでは、マギアがつねに、公共宗教や哲学といった正統的な知や生き方に対して、劣位に置かれた人々による代替行為として位置づけられる。しかし、この民衆の低級知は正統知でないがゆえに、かえってそれを批判的に超える超高級知ともなりうるものであった。  近世神秘神学における神的/悪魔的/自然的という三分法が、人類学・宗教学における宗教/呪術/科学の三区分に改鋳されていったのではないか、という指摘はなるほどなあと感じ。また、世間的・民衆的な低級知たるマギアがつねに物を介するというのも、フェティッシュとの関係で興味深い。  「神秘主義」概念の検討については別稿に譲るとされているが、その「別稿」とはこれですね。→ 鶴岡賀雄「「神秘主義」概念の歴史と現状」『東京大学宗教学年報』vol. 34、東京大学文学部宗教学研究室、2017年、pp. 1–24。 https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/47687#  なお、本論文の中で、サラマンカ大学の学士アマドール・デ・ベラスコが持っていたグリモワール(魔術の指南書)をめぐる事件の話が出てくるが、最近、魔術のことを考えすぎて、先日、江川さんから「grimoireとは魔術書のことなんですよ」と教えてもらう夢を見た。 山崎亮「社会学年報学派の呪術論素描」
 ユベールとモースの「呪術論」は混乱に満ちた論文であり、その一因として呪術のアポリア(呪術は私的なものであるが、社会的な性格ももつ)が挙げられる。この混乱を理論的に整理したのがデュルケームの聖理論であるが、ユベールとモースは納得していなかった。 江川純一「「magia」とは何か:デ・マルティーノと、呪術の認識論」
 イタリア宗教史学におけるマジーア概念を、特にエルネスト・デ・マルティーノの『呪術的世界』とその後の転回にしたがって明らかにする。宗教学において一般的に、「呪術」は「宗教」のネガとして語られがちだが、宗教史学はこの対比・対立を認めない。  デ・マルティーノは『呪術的世界』において、呪術的世界は「自分の魂の喪失の危機とそこからの解放」という実存のドラマによって根拠づけられるとして肯定的に評価したが、この世界を歴史的時代であるとしたがゆえに、進化主義的宗教論と見分けがつかなくなってしまった。  「呪術的心性と原始的心性を混同している」という師ペッタッツォーニらの批判を受け、デ・マルティーノは後年、「呪術的世界」という想定を取り下げ、神話ー儀礼の結合物としての「呪術ー宗教現象」を探究するようになる。  注にある、「今後、20世紀の宗教学思想を振り返るときには、ペッタッツォーニ、デ・マルティーノ、エリアーデのトライアングルによる、神話ー儀礼的技術としての「呪術ー宗教」の考察が軸となるであろう」という指摘が興味深い。
 なお、A. C. ハッドンが報告したボルネオのトゥリク族の男の話(ある男は鉤形の石を頑なに手放そうとしなかった、その石は魂が自分の身体を去るのを引き留めているのだという)がラトゥールのファクティッシュのようで面白い。
第二部 事例研究:古代~中世
渡辺和子「メソポタミアにおける「祈祷呪術」と誓約:「宗教」と「呪術」と「法」」
 なかなか論争的ですごい論文であった。一言ではまとめづらいが、アッシリアの『エサルハドン王位継承誓約文書』(ESOD)の構成や文法を分析することで、誓約と儀礼、「言うこと」と「すること」の宗教的な結びつきを考察する。  アッシリア学者の重鎮オッペンハイムは、西洋人として祈りと儀礼が結びつくことに耐えられず、「メソポタミア宗教」は書かれるべきではない、とまで言う。また、ESODの誓約と儀礼という形式こそが、契約(誓約)宗教としての一神教の成立と後のキリスト教の成立にも影響を与えたという。
高井啓介「その声はどこから来るのか:腹話術の魔術性についての考察」
 叙述がトリッキーで面白い。腹話術が古代の神学者たちによって魔術として扱われ、近代に脱魔術化していった過程が示される。旧約聖書サムエル記上の「降霊術」がギリシア語に翻訳される際にἐγγαστρίμυθος(腹話術)と訳されたために腹話術の魔術化が始まった。  降霊術が腹話術と見なされることで、腹話術師は腹の中に悪霊をもつことになり、霊媒は魔女扱いされるようになる。しかし、腹話術の魔術性を否定し、単なるトリックだとしたのが、『百科全書』で数学に関する項目を多く書いているジャンバプティスト・ドゥ・ラ・シャペルの『腹話術』であった。
山本伸一「カバラーにおける神名の技法と魔術の境界」
 ユダヤ教のカバラーにおいて、正当な呪術と禁じられた魔術の境界は不分明である。このことを15世紀のカバラー文学、ルネサンスの自然魔術の影響下のカバラー、18世紀のエムデン=アイベシュッツ論争という3つの事例に即して考える。  15世紀スペインのカバラー文学の共通点は、主人公であるカバリストが終末とメシア来臨を促すために悪魔を追放しようと立ち上がるも、悪魔に騙されて取り逃がしてしまい、逆に魔術に手を染めた悪人として非難される、という物語。中2っぽいというか、『進撃の巨人』(デビルマン)フォーマットだなと。 青木健「ゾロアスター教神官マゴスの呪術師イメージ:バビロニア文化の影響と呪術師イメージの由来」
 マゴスには「呪術師」「神秘主義の達人」「放蕩」といったイメージが付与されるが、ゾロアスター教の神官の職能を検討してみると、実態は王朝に仕える官僚であり、吉凶暦や蛇占いといった副業の方がイメージの形成要因となったと考えられる。  青木健『古代オリエントの宗教』は、渡辺論文の注で、紀元前2世紀から13世紀までのオリエントの宗教史を扱うものなので、「書名と内容が一致していない」と批判されていた。 毛利晶「古代ローマにおける凱旋の儀式:トリウンプスに関する最近の研究動向を中心に」
 ローマで戦争で勝利を収めた将軍が行う凱旋の儀式トリウンプス(triumphus)。そこでユピテルの扮装をする凱旋将軍の役割は神か王か。近年の論争を踏まえて、著者は元々ユピテルの儀式であったものが後に将軍自身を讃える儀式へと変化していったと推測する。  凱旋式挙行の要件が、①命令権(imperium)、②鳥占権(auspicium)、③軍隊指揮(ductus)、④幸運(felicitas)の4つだったというのが、統治(王)・呪術(宗教)・軍事の三権が一人に集中しているようで興味深い。 野口孝之「近代ドイツ・オカルティズムの「学問」における「魔術」」
 19世紀後半から20世紀初頭に展開されたオカルティズムにおける「魔術」の位置づけを、キーゼヴェッター、エスターライヒ、シュティルナーという3人の思想を中心に検討する。  ドイツの代表的なスピリチュアリスト、カール・ドゥ・プレルの概念das transzendentale Subjektを「超越的主体」と訳しているけど、「超越論的主観」では。このドゥ・プレルの理論を援用するキーゼヴェッターはオカルティズムをGeheimwissenschaftと呼び、先人としてスウェーデンボルグを挙げている。  ちなみに、スウェーデンボルクを批判したカントの『視霊者の夢』の第一部第二章のタイトルはgeheime Philosophie(オカルト哲学)である。
寺戸淳子「「呪術ではない」祭儀:「秘義」としての聖体拝領」
 大変勉強になった。キリスト教の「聖体拝領(聖餐)」「実体変化」「神秘的肢体」といったややこしい話を基本的なところから丁寧に教えてくれるので、これらの神学的議論に関心がある人におすすめの入門的論文。  12世紀に「実体変化」の教理が確立したのと同時に、「神秘的肢体」(Corpus mysticum)論も確立していった。Corpus mysticumは元々、食べる方の「聖体」を意味していたが、秘義的ニュアンスがよろしくないため、それまで「教会」を意味していた「キリストの体」Corpus Christiと呼ばれるようになった。  12世紀に「実体変化」の教理が確立したのと同時に、「神秘的肢体」(Corpus mysticum)論も確立していった。Corpus mysticumは元々、食べる方の「聖体」を意味していたが、秘義的ニュアンスがよろしくないため、それまで「教会」を意味していた「キリストの体」Corpus Christiと呼ばれるようになった。  逆に、教会はCorpus mysticumと呼ばれるようになった。つまり、聖体と教会の呼び方が入れ替わったのである。この教会を指す「神秘的肢体」がやがて法人のような擬制的人格一般を指すようになっていった。カントーロヴィチぽいなと思ったら、カントーロヴィチが参照されていた。 佐藤清子「19世紀合衆国における回心と「呪術」:チャールズ・G・フィニーの新手法擁護論とその批判を中心として」
 きわめて明晰な論文。19世紀アメリカの第二次大覚醒の時代を代表する牧師フィニーは「新手法」と呼ばれる礼拝方式を導入して革新をもたらしたが、それは回心を意図的・合理的に促す手法であり、限りなく呪術に接近していく。  フィニーはスコットランド啓蒙思想の影響の下、自然法則の学習・応用という方法論を採用し、自らの回心の方法を「科学」あるいは「哲学」であると称した。他方で、呪術・宗教・科学の三区分で知られるフレイザーもまた、同じくスコットランド啓蒙の思潮に影響を受けていることは興味深い。  フレイザーは呪術を稚拙な科学であるとしたが、もし仮に「回心」を心理学的な技術によって達成できるようになったとしたら、それは科学なのか呪術なのか。実は科学と呪術の区別は、その知識や技術の程度の差異によるのではないのではないか。  フィニーの「祈り」についての議論も面白い。回心は聖霊の働きによるが、人間は聖霊をコントロールできないがゆえに、回心も究極的には神に委ねられている。しかし、フィニーは回心と聖霊の間に「祈り」という人間の行為を介入させる。とはいえ、人間は祈りによって神を操作できるわけではない。  フィニーによれば、祈りはそもそも聖霊の働きによって可能になるのだから、祈ることができること自体がそれが叶えられる可能性があることの証拠となる、という。ここには、祈りのアポリア(祈りは効果があるならば、祈りにはならず、効果がないならば、祈る必要がない)を解く鍵があるように思われる。 久保田浩「近代ドイツにおける「奇術=魔術」:奇術とスピリチュアリズムの関係に見る〈秘められてあるもの〉の意味論」
 19世紀ドイツで機械仕掛けの奇術を行う奇術師は、トリックを説明(klaeren)可能なものとしながら、それを驚嘆すべきものとして提示する者であり、スピリチュアリストの種明かし(erklaeren)をして詐欺を暴く啓蒙(Aufklaerung)の意義も担っていた。  奇術師がスピリチュアリストを科学的に暴いたり、宮廷からお墨付きを得た「宮廷奇術師」が登場したりと、『鋼の錬金術師』が好きな人にお薦めしたい論文。スピリチュアリストが、奇術師は本人も気づいていないけれど実は霊媒であり、本人が奇術だと思っているのも霊媒現象なのだと主張する話が面白い。
井上まどか「ロシアにおける呪術概念の検討」
 前半が現代ロシアの事典や概説書における「呪術」概念の分析、後半が16世紀に編纂された『百章』における「呪術」の用法について。「準備的覚え書き以上のものではなく」という著者の言葉通りの文章であった。  『金枝篇』の著者名が「D. D. フレイザー」となっていて、目を疑った(ロシアだとJもGもDなんですか)。それ以外にも本書は誤植が非常に多い印象。上巻目次のタイトルからして既に間違っている。
西村明「呪術としてのキリスト教受容:ミクロネシア・ポンペイ島を中心に」
 最終章で���よいよ真打ち「マナ」登場。ミクロネシアのポンペイ島における宣教でキーワードとなった「マナマン」から、マジックワードとしての「マナ」概念の歴史的形成の議論へ。  まず、宣教師は植民地主義的視点で現地の宗教的・呪術的実践を裁断するが、しかし、その視線は一方向的なものではなく、現地民もまた、自分たちの価値体系の中にキリスト教を位置づけて理解する。ポンペイ島で、二つの異なる価値体系を通訳した概念が「マナマン」であった、という話が面白い。  さらに後半、この「マナマン」(ミクロネシア)と同族語である「マナ」(メラネシア・ポリネシア)という概念が辿った数奇な運命が論じられるが、これも面白い。  「マナ」とはそもそも、コドリントンが『メラネシア人』(1891)において初めて学術的議論に導入した語で、その後、超自然的力を指す普遍的な概念として人類学・宗教学で多用されていった。しかし、コドリントンが現地調査したモタ島とバンクス諸島は、当時、ポリネシア人と宣教師の影響を受けていた。  メラネシアの「マナ」が形容詞や動詞としての含意があったのに、ポリネシアでは名詞として用いられた。メラネシアの宣教師たちは先にポリネシア語に通じていたために、「マナ」を名詞的に理解してしまった。こうして、コドリントンがやってきた頃には、既にバイアスのかった「マナ」となっていたのだ。  このように、「マナ」とは、ポリネシアとメラネシア、現地民と宣教師、そして世界各地の多様な宗教間といった、異質な価値体系を通訳=通約する概念として強力な力をもつようになっていったのである。異質な体系の間の界面に生じる通約的概念という意味では、「フェティッシュ」にも似ているように思う。
3 notes · View notes
kanglo · 2 years
Text
「なぜ、ビジネスにアート思考が必要なのか?/世界の見方を変えるアート思考」第16回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ講演者:森夕花氏 〔2022年12月9日(金)20時~〕
Tumblr media
「なぜ、ビジネスにアート思考が必要なのか?/世界の見方を変えるアート思考」第16回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ講演者:森夕花氏 〔2022年12月9日(金)20時~〕 チケット:https://scic20221209.peatix.com/view https://www.facebook.com/events/576877384242593 ■日時:2022年12月9日(金)20時~22時(オンライン開催) ■講演概要:アーティストは見えないものを見るようにする役割を担い、その時代や社会の中で、「問い」を私たちに問いかけながら常識を揺さぶり、今までにない価値や意味を提示してきました。近年、ビジネスの舵取りは非常に難しくなってきています。企業は従来の古い価値観、世界観から抜け出し、直観的、感性的な創造性が求められ、ますます「アート思考」の必要性が高まっています。 アートには「唯一正しい答え」はありません。観察者が自由に解釈することが可能であるため、考えたことを、それぞれの独創的視点で物語化し、語り合うことで、互いの深い部分で共感がおこり、創造的無意識が自然に開かれていきます。このプロセスを通じて、新しい価値や未来が創造される「安心安全な創造の場」が作られ、クリエイティブな組織へと発展を遂げることが可能となるのです。 ■講師:森夕花(もりゆうか)氏 プロフィール: カングロ株式会社 取締役 執行役員COO/マスターライフコーチ・PXファシリテイタ・フィロアーツ研究会主宰 ●神奈川県横浜市出身。音楽学校のピアノ科卒業後、銀行系信販会社に入社。三井住友カードに転職した後、ドイツのフライブルクに留学。フライブルグ市の行政と市民による持続可能な世界を目指す社会システムと、ユーゴスラビア紛争で、ドイツに逃れた難民の方々との出会いを通じて、平和で精神的な豊かさを基本とした「サステナブルな社会作り」に興味を抱く。帰国後、三井住友カードに再び戻り、お客様対応や、クレジット決済端末機の管理システム“TACシステム”の開発に携わる。 ●帰国して5年が過ぎたころ、戦争や内乱に巻き込まれ傷ついた子供達を救済するためのNGOドイツ国際平和村の存在を知り、世界の平和と心の癒しに携わることが自分自身の使命と感じ、ヒーリングセンターアルケミストでカウンセラー、セラピスト、講師を務め、2008年に独立。2015年1月、カングロ株式会社 執行役員に就任。現役ライフコーチとして、ベンチャーから大手企業の多くのビジネスリーダーを受け持ち、個々の潜在意識にアプローチし、ビジネス ・プライベート両面における、変化、成長をサポートしている。 ●2021年より京都芸術大学芸術学部芸術教養学科に在籍。創造的思考によって「モノの見方、感じ方」を変え、仕事と暮らしをより良く変化させる「アート思考講座」を開催している。 ●自らの内面の探求のため、インドに十数回訪れ、心理学、禅、認知行動学、ジョーティッシュ(インド占星術)、手相、メディカルハーブ、中医学(中医食療士)などにも深い知識がある。 ●趣味は声楽(オペラ)・読書・映画鑑賞・美術鑑賞・ぶらり旅・歴史探訪・日記を書くこと。最近はウェルビーイングを軸とした、地域コミュニティー・組織つくりに関心をもつ。 ■Zoomオンライン:URLは、Peatix経由によるチケット購入者に自動送信されます ■タイムスケジュール:基調講演(約90分 Q&A含)後に、講師を囲み、対話を行います。 ■オープン・ダイアログ参加対象: ※どなたもご参加頂けます ・SCIC正会員 ・SCBC修了生&SCBC受講生 ※SCIC未会員 ・一般参加(社会人) ※SCIC非会員 ・特別ご優待枠 ・学生(中学~大学院生) ■参加料: 一般参加者(社会人)※SCIC非会員\5,000 SCBC修了生&受講生 ※SCIC非会員\3,000 SCIC正会員 無料 特別ご優待枠 \3,000 学生(中学~大学院生)\1,000 ■SCICとは: SCIC(Shock Coherent Innovation Club)は、ショック・コヒーレント基礎講座(SCBC)修了生をベースとした会員制クラブです(ご入会頂くためには、SCBCを受講し修了証明が必要となります)。 https://scic2023.peatix.com/view ●目的:SCBC修了生同士の交流と創発の加速。私たち自身が動き、世界に奇跡を起こす ●概要:  ①月例会の開催  ②会員同士のコラボ醸成   ③SCC訪問視察ツアーの企画   ④会員の生業のサポート  ⑤その他創発事 ※いずれも参加できる時に参加  ⑥基礎講座の復習フォロー(基礎講座への復習参加は原則全回無料)↓  https://scbc2023r.peatix.com/view ●SCICに関する問合せ: [email protected] -------------------------------- ■『Shock Coherent(ショック・コヒーレント)』とは: 現代社会は今、破壊的な人間活動によって、エントロピー(無秩序・乱雑さの度合い)を加速度的に増大させています。故に、地球環境の悪化による気候変動や自然災害、絶え間ない疫病の発生、人心荒廃による貧富の格差拡大、資源収奪、世界各地で紛争や戦争が頻発化し、世界の指導者たちが核兵器の使用をほのめかす事態となり、もはや地球生命全体の未曾有の危機に陥っています。これを人々は、VUCAワールドと呼び、行先不透明な生き難い時代の合言葉となってしまっています。 このような時代において、「私は、これからどう生きれば良いのか?」と、多くの人々が、自問自答を繰り返し、五里霧中の状態に陥っています。このままでは、時代に翻弄され、本来あるべき使命を全うすることなく人生を終えてしまうことになるやも知れません。そうならないために、私たちに何が出来るのか。当講座は、そうした社会の強い要請により、30年に及ぶ研究の集大成により創発的に完成した稀有なプログラムです。 当講座では、様々な立場の仲間と共に、自分自身の「存在意義(パーパス)」を見つける5ヵ月間の不思議な旅に出て頂くこととなります。即ち、この「存在意義(パーパス)」が、自己変革への道標となるのです。そして、感性を刺激し、心を揺さぶる独自のアプローチフレームを活用し、固定観念の融解を起こし、事例や課題から自己変革へのヒントを得、仲間やファシリテイタとの多くの対話や繋がりから閃きをもらい、自身でも予期せぬ“創発”を起こしていきます。 このワークショップは、個人が真の意識変革を興すことを目的として、カングロ株式会社によって開発されたプログラムです。私たちは、この講座を多くの方々にお届けすることを使命とし、日々事業を営んでおります。そのことを通じて、真の道を啓く方が増え、社会そのものの変革を成し遂げられたら本望であります。ぜひ、講座で会いましょう。 (プログラム開発者:藤井啓人) ■ショック・コヒーレント基礎講��� 第5期生絶賛募集中! ■第5期『ショック・コヒーレント基礎講座』VUCA世界を突き破り、己の道を啓け~パーパス(存在意義)によるシン変革ワークショップ:2022年9月13日~2023年1月24日全10回講座 チケット: https://scbc05r.peatix.com/view https://www.facebook.com/events/323129486509872 ■第1~5期「ショック・コヒーレント基礎講座」全アーカイブ・オンデマンド映像集(有料コンテンツ) https://vimeo.com/ondemand/shockcoherent ----------------- ★特別提供映像: 【ダイジェスト版動画⑮】「VUCAワールドに効く個人と組織の視点の再構築~自己や地者、そして世界への認識の見直し」第15回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/講演者:楠徳生氏 (2022年11月11日) https://youtu.be/-wIwXLX4ZUQ 【ダイジェスト版動画⑭】「破壊と創造~壊れると、新しく生まれる/コロナ禍で悪者だった飲食店はどう変化していくのか」第14回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープンダイアログ/講演者:福本浩幸氏(2022年10月7日) https://youtu.be/ygxXywmvQ1w 【ダイジェスト版動画⑬】大企業病への挑戦 第2章~認知科学の実践における人間性と抽象度の壁/自分を変え、常識を変え、世界を変えていく/第13回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/講演者:内藤礼志氏 〔2022年9月9日) https://youtu.be/qBNlFTor9hw 【ダイジェスト版動画⑫】新しい『構造』がうつ病から復活させ組織も前進させる~うつ病経験者が語る、ストレスとつき合い未来をつくる方法/第12回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープンダイアログ/講演者:堀北祐司氏(2022年8月5日) https://youtu.be/HudMdpphjEI 【ダイジェスト版動画⑪】The 事業承継~当社流、バトンの受け方、渡し方/第11回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/講演者:大島右京氏/2022年7月8日【ダイジェスト版】 https://youtu.be/dWnOtXQAmqw 【ダイジェスト版動画⑩】心理的安全性のリーダーシップを身に付ける方法~組織パフォーマンス最大化の処方箋/第10回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/講演者:倉持茂通氏(2022年6月8日)https://youtu.be/DuUvRzcqJD0 【ダイジェスト版動画⑨】100年企業研究から見えてきた、コロナ禍だからこそ変えなければならないこと、変えてはいけないこと/第9回Shock Coherent Innovation Clubオープンダイアログ/講演者:小山貴子氏(2022年5月13日) https://youtu.be/0juftCrZ1mQ 【ダイジェスト版動画⑧】人事制度のミライを探求する~ノーレイティングを超え給与を自己申告する人事制度への挑戦/第8回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープンダイアログ/講演者:福留幸輔氏(2022年4月15日) https://youtu.be/XEm-OdMYwMY 【ダイジェスト版動画⑦】「パーパスと共に生きる時代/パーパスとはいったい何なのか?宇宙の営みから壮大なタペストリーを読み解く」第7回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/講演者:森夕花氏(2022年3月11日) https://youtu.be/vNaK4qH94fA 【ダイジェスト版動画⑥】「部署なし管理無し評価無し、VUCA時代に挑む選択できる組織作りへの挑戦」第6回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/金光広樹氏(2022年2月18日) https://youtu.be/33DyPirlM7c 【ダイジェスト版動画⑤】「新規事業における企業の在り方」第5回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/長島壮洋氏(2022年1月13日) https://youtu.be/eM3sRZDo0Ng 【ダイジェスト版動画④】「ティール組織の作り方“レシピ”」第4回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/嶋田崇孝氏(2021年12月10日) https://youtu.be/JDp0srEGxGE 【ダイジェスト版動画③】「こころの病との上手な付き合い方~仕組みがわかれば予防ができる」第3回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/中田健士氏(2021年11月5日) https://youtu.be/_OW88883t7o 【ダイジェスト版動画②】「混ざると、新しい事業価値が生まれる。」第2回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/星野良太氏(2021年10月8日) https://youtu.be/fZJWaFmhAD4 【ダイジェスト版動画①】「大企業病への挑戦~認知科学の理論と実践」第1回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/内藤礼志氏(2021年9月3日) https://youtu.be/aV8ux6Ha-9M ■「Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ」アーカイブ・全オンデマンド映像集(有料コンテンツ) https://vimeo.com/ondemand/scic ■主催:カングロ株式会社 https://www.kanglo.co.jp 協力:サステナ塾/SDGs超実践者委員会/イノベーションサロンZ/システムD研究会/フィロアーツ研究会
5 notes · View notes
oniwastagram · 2 years
Photo
Tumblr media
📸拾翠亭・九条邸跡庭園(九條池) Shusuitei / Kujo-tei Ruins Garden, Kyoto ——京都御苑の最南に残る江戸時代の庭園。栄華をほこった藤原氏の流れを汲む貴族/公家・九条家が残した茶室/数寄屋建築と池泉回遊式庭園“九條池”。 ———————— ▼交通アクセス🚇 京都市営地下鉄 丸太町駅より徒歩4分 京阪本線 神宮丸太町駅より徒歩12分 最寄りバス停は「烏丸丸太町」バス停下車 徒歩3分 ———————— ▼住所📍 〒602-0881 京都府京都市上京区京都御苑3 ———————— 「拾翠亭」(しゅうすいてい)は『京都御苑』の最南端にある和風建築。 平安時代に栄華を誇った藤原氏をルーツに持ち、代々朝廷で摂政・関白をつとめた“五摂家”の一つ・九条家(九條家)の江戸時代の御屋敷の一部で、建物前に広がる“九條池”もかつて九条邸の���園の遺構。 2023年1月の雪の日の写真を追加して紹介!☃️ ▼他の写真や解説のつづきは @oniwastagram のプロフURLかこのURLから。 For more photos and commentary, please visit @oniwastagram 's profile URL or this URL. https://oniwa.garden/kujotei-shusuitei-kyoto/ ———————— #japanesegarden #japanesegardens #japanesearchitecture #japanarchitecture #kyotogarden #kyotoarchitecture #zengarden #landscapedesign #beautifuljapan #beautifulkyoto #japanarchitect #japandesign #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #kyototrip #kyototravel #庭院 #庭园 #庭園 #日本庭園 #京都庭園 #京都雪 #京都雪景色 #雪の京都 #京都旅行 #京都観光 #おにわさん (拾翠亭) https://www.instagram.com/p/CpEgj97Pgnf/?igshid=NGJjMDIxMWI=
2 notes · View notes
shintani24 · 12 hours
Text
2024年9月25日
Tumblr media
「保険証廃止」一体誰がどう決めたのか 「記録はない」と判明…首相報告や閣僚間のやりとり 経緯は闇の中へ(東京新聞 シリーズ「検証マイナ保険証」)2024年9月25日
現行の健康保険証の廃止がどのように決まったのか、その決定経緯が分かる記録を政府が残していなかったことが、東京新聞の情報公開請求や関係者への取材で分かった。
事実上のマイナンバーカード取得義務化にも等しい大きな政策転換だったにもかかわらず、政府内でどのような議論があったのかブラックボックスになっている。(マイナ保険証取材班・戎野文菜)
◆4カ月で「選択制」から一転…
政府が現行保険証の廃止の方針を示したのは、2022年10月13日。河野太郎デジタル相が記者会見で、「2024年度秋に現在の健康保険証の廃止を目指す」と表明した。後に政府は2024年12月廃止と決定した。
それまで政府は「原則廃止」としながらも、「強制���しない」と現行保険証の選択の余地も残していた。
東京新聞は今年6月、厚生労働省とデジタル庁に、「完全廃止」を決める��での政策決定のプロセスが分かる文書の開示を求めた。
◆開示された文書は既に公表済みの資料ばかり
2カ月後、両省庁から開示されたのは、2022年6月に政府が原則廃止を決めた「骨太の方針」、22年9月29日と10月12日に開かれた「マイナンバーカードの普及・利用の推進に関する関係省庁連絡会議」の議事概要や資料、廃止を表明した関係大臣の会見概要だけ。
ほとんどはホームページで公表済みだった。
連絡会議の議事概要は、2回分を合わせて7枚。厚生労働省は「連絡会議も決定経緯を示す一部」と説明するが、いずれの会議も記されていたのは河野氏の発言だけだった。
◆会議中の発言、河野太郎デジタル相だけ
河野氏は会議で、マイナ保険証をカード普及の「切り札」と述べ、「各種カードとの一体化はどんどん前倒しでやらせていただきたい」と意欲を示していた。
保険証廃止の経緯が分かる記録として開示された連絡会議の議事概要。河野氏以外の発言はなく、関係府省庁からの意見は「なし」と書かれている
議事概要では、関係省庁からの意見が「なし」と記され、保険証廃止を議論した形跡はうかがえない。「2024年度秋」とする廃止時期の言及もなかった。
両省庁は、東京新聞の取材に連絡会議とは別に大臣間でも協議していたことを認めたものの、「大臣間の協議の記録はない」とした。
◆総理に報告していても「記録はない」
河野氏は廃止を表明した2022年10月13日の会見直前、厚労、総務の2大臣とともに岸田文雄首相に保険証の廃止方針を報告している。
だが、両省庁から開示された文書の中には、首相報告時の記録もなかった。
内閣官房や総務省にも、首相報告時のやりとりや廃止の経緯を記した文書がないかを尋ねたが、いずれも「記録はない」とした。
内閣官房の担当者は「デジタル庁が事務局となっている連絡会議に基づいての報告。(記録を取るとすれば)デジタル庁ではないか。内閣官房が関与しているものではない」とした。
総務省の担当者も「基本的に現行の保険証廃止の決定に至る調整は、厚労省とデジタル庁の間でなされている。総務省は主体的に政策決定に関わる立場ではないので、議事録も我々の方で作成するものでははない」と説明した。
◆公文書管理法は文書作成を義務付けるが…
公文書管理法では、「閣議、関係行政機関の長で構成される会議又は省議(これらに準ずるものを含む)の決定又は了解及びその経緯」も作成すべき文書の一つに定めている。
公文書管理法 公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と定義。軽微な場合を除き、行政の意思決定過程や事業実績を検証することができるよう、文書の作成を義務付けている。閣議や閣僚らで構成される会議の決定のほか、法令の制定や改廃、その経緯などが対象となっている。
デジタル庁の担当者は「公文書管理法に定める意思決定に至る過程として、連絡会議の議事録を作成し、開示している」と説明。「大臣間の協議は適時・適切に行われており、記録はない。総理への報告は、連絡会議の報告をしたものであり、特段の記録はない」と答えた。
厚労省の担当者は「首相への報告はあくまで報告なので記録はない。大臣間で協議や報告、確認の作業はしていると思うが、我々が保有しているものは開示請求で示した通り」と話した。
◆内閣府は「個別の判断は各省庁任せ」
公文書管理法を所管する内閣府公文書管理課の担当者の話
「合理的な跡付けや検証にどのような文書が必要かは、公文書管理法や行政文書に関するガイドライン等に則って規定がある。規定では、大臣間のやりとりであっても、事務事業の実績で残すべきものや、必要な意思決定過程は文書にしなければならない。ただし、個別具体の判断は各省庁に任せている」
◆河野デジタル相「関係省庁で議論の上、決定」
東京新聞は、現行保険証の廃止決定に関わった当時の3大臣に、どのような協議があったのかを尋ねた。
河野氏は8月末の閣議後会見で、「マイナ保険証のメリットを早期に多くの方に体験してもらうため、政府内、関係省庁で議論の上、決定した」と述べた。
当時厚労相だった加藤勝信氏は、自民党総裁選への出馬を理由に「今は回答が難しい」。総務相だった寺田稔氏は「お答えできない」とのことだった。
◆専門家「国民への説明責任果たさず」
公文書管理に詳しい山口宣恭弁護士の話
「保険証廃止はマイナンバー法や医療保険各法の運用に関わるものであり、大臣間や省庁間の協議は公文書管理法の趣旨に照らして文書作成の義務がある。ましてや保険証廃止の影響は、国民皆保険制度の下で国民全体に波及するもので、その決定過程を残すのは重要だ。政府が国民への説明責任を果たしているとは言えない」
<シリーズ「検証マイナ保険証」>
現行の健康保険証の廃止には、いまだに不安や疑問の声が聞こえます。本紙は「検証マイナ保険証」と題して、マイナ保険証一本化への課題や利用者の声を伝えていきます。
マイナ保険証に関するご意見や情報をお寄せください。メールはtdigital@chunichi.co.jp、郵便は〒100 8505(住所不要)東京新聞デジタル編集部「マイナ保険証取材班」へ。
Tumblr media
その昔、地球にも輪っかがあった説、浮上中(ギズモード・ジャパン)
輪っかがあった頃の地球、どんな姿だったんだろう?
私たちの惑星、地球にかつて輪っかが存在したという研究結果が出てきました。提唱しているのはオーストラリアのモナシュ大学の地球科学者チーム。『Earth and Planetary Science Letters』誌に掲載された新しい研究で、チームは世界中にある約5億年前の隕石衝突クレーターを分析。そして異星の物体が小惑星帯から来たとは考えにくいと結論付けました。代わりに、地球にはかつて輪っかがあり、その破片が大気を通過して地球に降り注いだと考えているとのこと。この発見は、地球の気候の進化についての考え方を根本的に変える可能性さえあります。
太陽系の惑星には結構輪っかあり
地球に輪っかがあったなんて、嘘でしょ?と感じる方も多いかもしれませんが、実は突飛な話ではありません。輪っかと言えば土星のイメージですが、太陽系の大きな惑星にはすべて輪っかがあり、その組成は様々です。火星もかつて独自の輪があったという証拠もあります。なので、逆に地球には輪っかがないことが異例なのです。
今回研究チームが調査した衝突は、オルドビス紀の地質時代にあったもの。オルドビス紀は4億8500万年前に始まり、約4200万年続きました。この期間、地球に突如ものすごく多くの隕石が衝突していて、そのうち21個が今回の研究で調査されました。研究チームはクレーターの化学組成を調べると、Lコンドライト隕石によく見られる物質が異常に多いことを発見しました。これは、単一の小惑星が破壊されて生じた隕石由来の物質であることを示しています。
隕石が落ちたのは赤道付近ばかり
チームはまた、クレーターの位置も調査。隕石は普通、ランダムに落下しますが、オルドビス紀の衝突の大部分が赤道から30度以内に集中していました。地球の地殻の70%がこの赤道外にあるので、なぜこの時期に突如隕石が増え、さらには赤道付近に集中していたのか、これを偶然と説明するのは難がありそうです。チームはオルドビス紀の衝突がランダムである可能性は2500万分の1という非常に小さなものだと結論付けています。地球の真ん中にぐるりと輪があり、それが粉々になったと考えるのが自然ですね。
そもそも輪っかがどのように形成されたかですが、4億6600万年前に非常に大きな小惑星が地球に接近したことが原因だとのこと。その小惑星が地球にあまりにも近づきすぎたため重力によって崩壊し、その惑星の破片が地球の重力に引き寄せられたまま、軌道運動をし始めたのです。それが輪っかとなった、というわけですね。
何百万年もの間に、この輪から物質が徐々に地球に落下し、地質学的記録に見られる隕石衝突の急増を引き起こしました。また、この時期の堆積岩の層には、異常な量の隕石の破片が含まれていることもわかっています。
と、この研究を主導したモナシュ大学の地球・大気・環境学部のアンディ・トムキンス教授はプレスリリースで述べています。
輪っかで地球は寒冷化した?
もし地球の周りに輪があったとしたら、当時の気候に大きな影響を与えていたはずです。冬半球を覆い、夏半球に向けて光を反射させ、冬半球は冷却が進み、夏半休は若干の温暖化が進んだと予想されます。隕石が地球に落下する際に発生した塵も、冷却をうながした可能性が大きいです。すべてが大気の化学組成(CO2レベルを含む)に大きな変化をもたらしていたはずです。
輪系が地球の気温に影響を与えたという考えは、地球外の出来事が地球の気候をどのように形成したかについての我々の理解に新たな複雑さのレイヤーを増やすことになります。とトムキンス教授は述べています。
当時の地球には、生命体がいたとしてもかなり少数だと考えられています。当時の地球上の生命は主に水棲で、原始的な魚類、頭足類、サンゴ、初期の脊椎動物などでした。陸地はほとんど不毛で、コケのような単純な植物が出現し始めたばかりの頃です。
トムキンス教授のチームは自分たちの理論について説得力のある説明をしていますが、彼ら自身も認めているように、まだ解決すべき問題がいくつかあります。年代測定技術によると、研究されたクレーターはほとんどが2つの別々の時代に分かれているそうです。なぜほぼ同時期に落下しなかったのかという理由としてチームは、一部の破片がミニムーンを形成し、それもまた最終的に地球の重力の力で崩壊した可能性があると説明しています。また、その仮説を検証するには、赤道付近の堆積岩の地質についてさらなる研究が必要だと認めています。
Tumblr media
【蹴トピ】町田 参入で急増 保持率度外視のロングスロー(スポニチ)2024年9月25日
Tumblr media
今季チーム別ロングスロー
今季J1でロングスローが急速に浸透している。初参入で優勝を争う町田を筆頭に、半数以上のチームが取り入れている。話題を集める“新戦術”にまつわる数字と傾向をまとめた。(記録課・矢吹 大祐)
Jリーグ公認データ「J STATS」はロングスローを「相手陣ペナルティーエリア内、ゴールエリアの幅を延長したおよそ正方形のエリアにノーバウンドで届いたスローイン」と定義する。自陣から大きく陣地回復を狙うものなどは含まず、ゴールを狙うスローに限定される。
特殊な戦術のため使うチームは限られ、リーグ全体での回数はシーズンによってばらつきがある。ここ2年は100回以下だったが、今季はすでに229回。J1の20チームのうち13チームが記録している。チーム別では最多の町田が約半分にあたる114回。大きく開いて柏の27回、神戸の25回と続く。
ロングスローを多用するチームには共通点がある。上位9チームの今季ボール保持率は全て50%以下。堅実につなぎゴールを目指す選択肢もある中で、保持にこだわらないチームほどゴール前で一気に勝負をかける。ロングスローの成功率(味方が最初に触る確率)はわずか21%程度。それでもCKなどと比べ勢いがなくはね返しづらい、こぼれ球から2次攻撃が続く、相手攻撃選手を守備に引かせられるなどメリットは多い。
選手別では町田のサイドバックDF林が71回で断トツ。自身の逆サイドも含め、何度でも果敢に投げ続ける。2位以下は同じ町田のDF鈴木、神戸DF初瀬らが続く。昨季所属した町田でJ2最多99回を投げた東京VのMF翁長も、今季10回で7位にランクイン。チームの決まりごととは別に、投げられる選手がいればオプションとして使うという考え方もありそうだ。
町田は今月も14日の福岡戦で、ロングスローから先制点を奪い勝利につなげた。セットプレーから得点20はリーグ2位タイ、スローインから得点8は2位鳥栖の4の倍に上る。ロングスローと見せて、近くの選手からつなぎゴールを陥れたパターンもある���今節は首位広島と同勝ち点の天王山。ロングスローを一切使わない広島に“伝家の宝刀”がさく裂するか。
0 notes
honyakusho · 1 day
Text
2024年9月25日に発売予定の翻訳書
9月25日(水)には22点の翻訳書が発売予定です。
うえをみて!
Tumblr media
チョンジンホ/著 斎藤真理子/翻訳
ハッピーオウル社
リスのきょうそう
レイチェル・ブライト/著 安藤サクラ/翻訳
トゥーヴァージンズ
ビーチャムの生涯
ジョージ・メレディス/著 菊池勝也/翻訳
松柏社
一人一台で授業をパワーアップ! : 教育の質を飛躍的に向上させるICT活用実践ガイド
ダイアナニービー/著 ジェンロバーツ/著 齊藤勝/翻訳 白鳥信義/翻訳 吉田新一郎/翻訳
学文社
人としてのセラピスト養成モデル : 「私自身」をセラピーに生かすためのトレーニング
ハリー・J・アポンテ/著・編集 カーニ・キシル/著・編集 小笠原知子/翻訳 大森美湖/翻訳 辻井弘美/翻訳 福井里江/監修・翻訳
星和書店
救出の距離
サマンタ・シュウェブリン/著 宮﨑真紀/翻訳
国書刊行会
障害から考える人間の問い
ダン・グッドリー/著 石島健太郎/翻訳
現代書館
招かれざる客〔小説版〕
アガサ・クリスティー/著 羽田詩津子/翻訳
早川書房
マリンス有機化学(下) : 学び手の視点から
R.Mullins/著 磯部寛之/翻訳 北村充/翻訳 草間博之/翻訳 山下誠/翻訳 吉戒直彦/翻訳
東京化学同人
古代ギリシア・ローマの魔術のある日常
フィリップ・マティザック/著 上京恵/翻訳 藤村シシン/解説
原書房
山田洋次が見てきた日本
クロード・ルブラン/著 大野博人/翻訳 大野朗子/翻訳
大月書店
となりのきょうだい 理科でミラクル あつまれ!生き物編
となりのきょうだい/企画・原案 アン・チヒョン/著 ユ・ナニ/イラスト イ・ジョンモ/監修 となりのきょうだいカンパニー/監修 となりのしまい/翻訳
東洋経済新報社
ウクライナへ行ったある義勇兵
シャリーフ・アミン/著 神原里枝/翻訳
原書房
FBI爆発物科学捜査班 : テロリストとの30年戦争
カーク・イェーガー/著 セリーン・イェーガー/著 露久保由美子/翻訳 木内さと子/翻訳
原書房
アレクサンドロス以後
アンゲロス・ハニオティス/著 藤井崇/訳
名古屋大学出版会
[ヴィジュアル版]バクテリアの神秘の世界 : 人間と共存する細菌
タル・ダニノ/著 野口正雄/翻訳
原書房
英国王室のティーパーティー : 12の宮殿と王室シェフの50のレシピ
キャロライン・ロブ/著 上原ゆうこ/翻訳
原書房
ゾーンを使った情動・行動調節  自分の行動と心をコントロールする力を育むカリキュラム
森由美子/翻訳 リア・M・カイパース/著
クリエイツかもがわ
新訳 続・蜂の寓話
バーナード・マンデヴィル/著 鈴木信雄/翻訳
日本経済評論社
ゲリラガーデニング : 境界なき庭づくりのためのハンドブック
リチャード・レイノルズ/著 甘糟智子/翻訳
現代書館
地球の科学大図鑑
DK社/編集 梅田智世/翻訳
河出書房新社
史上最強の投資家 ウォーレン・バフェット : 資産1260億ドルへの軌跡
トッド・A・フィンクル/著 鈴木立哉/翻訳
実務教育出版
0 notes
msgmzh · 6 days
Text
受講メモ:さいたま市民大学 文学Ⅰコース
〔講座名〕さいたま市民大学 文学Ⅰコース 風景と創造力―景観・地理と日本文学 〔講師〕竹中朗氏
〔日時〕6月18日・8月20日 14時00分~16時00分
〔会場〕さいたま市立大宮西部図書館
第1回:古代から近世へ 第2回:近代的風景概念と日本文学
・万葉集 国見(望国)の歌 春の初めに高いところに登って国土自然を見渡して、讃える歌を謡う。天の香具山、藤原京
・古事記 ヤマトタケルノミコト望郷の歌 能褒野墓
・万葉集 庶民の歌 防人の歌 多摩の横山 歌碑
・伊勢物語 歌枕としての三芳野 想像の風景 三芳野神社 東山道武蔵路があり知られていた
・源氏物語 五島美術館
・俳諧 芭蕉稲荷神社(深川芭蕉庵跡) 蛙には山吹という定型
・江戸漢詩 高野蘭亭 三叉口(参考)失明の心象風景
・大田南畝(蜀山人)「調布日記」 多摩川治水視察 江戸名所図会
・志賀重昴「日本風景論」 風景ナショナリズム 日本人の景観意識に現代も影響
・夏目漱石「草枕」実際の旅程 ありのままの風景描写
・武蔵野「欺かざるの記」 国木田独歩 境山野緑地
・正岡子規 俳句の革新者 中村不折(中村屋の字の人)ら西洋画の影響、闘病の人
・歌川広重「東海道五十三次 由井 薩埵嶺」と、浮世絵光線画の小林清親「薩た之富士」 作られた構図から見たままの風景へ
・石川啄木「雲は天才である」校歌による地域再発見 長野の県歌
・徳冨蘆花 「自然と人生」独自のキリスト教的感性による自然文学、反ナショナリズム。蘆花恒春園 兄はナショナリズム。徳富蘇峰旧居 住居も対照的
・島崎藤村「破戒」山岳の風景美 差別の現実
・柳田國男「遠野物語」身近にある異界の風景
・和辻哲郎「古寺巡礼」ナショナリズム対反ナショナリズムの落ち着き
・太宰治「津軽」心象を作り上げていく風景
・中上健次「風景の向こうへ」「路地」の風景
0 notes
kennak · 2 months
Quote
ある中小企業が突然、不正輸出のぬれぎぬを着せられました。  捜査した公安警察の手法に疑念が持たれています。  その内幕を明らかにしようと、記者は追跡を続けました。  約1年にわたる取材録をつづります。 語り出した捜査員  今日も取材を断られるだろうか。そんな暗い予感が頭をよぎる。  少し肌寒くなり始めた2023年10月のある夜、とある住宅街。私(記者)はある人物の自宅インターホンを押した。  私は、警視庁公安部が主導した捜査にあやまちがあったのではないかと考え、取材をしていた。  その捜査とは、軍事転用可能な装置を��正輸出したと疑われた化学機械メーカー「大川原化工機」を襲った冤罪(えんざい)事件に関するものだ。 大川原化工機の大川原正明社長(中央)。起訴取り消し後、国と東京都に国家賠償を求める訴訟を起こし、1審で勝利する。裁判は2審に舞台を移し、現在も続いている=東京都千代田区で2023年12月27日午後2時29分、前田梨里子撮影  社長らが起訴された後、捜査機関が自ら起訴を取り消す異例の経過をたどっている。  この日、訪問したのは、この事件の内幕を知る立場の捜査員。  在宅しており、くつろいでいたのか部屋着姿だった。  それでも建物の外に出て、突然の私の訪問に対応してくれた。  以前も自宅を訪ねていた。その際は、相手が言葉を発することはほとんどなく、空振りに終わった。  だが、この日は違った。予想に反して会話が続く。  「捜査をおかしいと思った人はいっぱいいた。めちゃくちゃです」  捜査員が語り出した言葉は、怒りで満ちていた。  屋外で立ち話を始めて5分ほどがたっただろうか。  「今日はいける」。私は手応えを感じた。 衝撃の「捏造」発言、取材スタート 途中で担当が代わるまで、記者は大川原化工機の裁判を毎回傍聴していた=東京都千代田区の東京地裁で2020年2月26日、丸山博撮影  話は4カ月ほど前の6月30日にさかのぼる。  私は当時、東京・霞が関の司法記者クラブで裁判の取材を担当していた。  クラブ内の毎日新聞のブースで仕事をしていると、東京地裁で裁判を傍聴していた後輩の記者がノート片手に慌てた様子で戻ってきた。  「(警察官が)『捏造(ねつぞう)』って言ったんですけど」  後輩が傍聴していたのは、大川原化工機の捜査に携わった公安部の現職警察官4人の証人尋問。  大川原化工機側が公安部と東京地検による捜査の違法性を訴え、東京都と国に国家賠償を求めた訴訟で行われたものだ。 「まあ、捏造ですね」。証言台の前に立った警部補から衝撃的な一言が飛び出した=東京都千代田区の東京地裁で2020年2月26日、丸山博撮影  証言台の前に立った4人のうち警部補2人が公然と捜査批判を繰り返し、このうち1人が捜査について「まあ、捏造ですね」と衝撃的な発言をしたのだ。  後輩の報告を聞き、記者を束ねるキャップが驚いた顔で「本当にそんなこと言ったの? マジで?」と確認する。  後輩は「確かに捏造と言いました」と断言した。  国際テロ組織や過激派などによる事件を担当する公安部は、秘密を外に漏らさないよう保秘の徹底をたたき込まれているとされる。  捜査の内情は「秘中の秘」のはずだ。  公開の法廷で捜査に疑問を呈するのは異例中の異例だろう。  後輩とキャップのやり取りを横で聞いていた私は「捏造」という言葉にインパクトを感じたものの、それが真に意味するものがつかめていなかった。  公安部で何が起きていたのか。真相を探る取材が始まった。 つかんだ突破口 警視庁の本部庁舎=東京都千代田区霞が関2で2018年12月1日、本橋和夫撮影  しかし、取材は一筋縄ではいかない。  多くの警察は、記者が個別に捜査員を取材することを禁じている。記者が接触してきた場合は上司に報告を求める「通報制度」も敷く。  実際、私が大川原化工機の事件で捜査関係者を訪ねても「守秘義務がある」「組織に連絡しないといけない」と断られることがあった。  関係が築けていない相手から話を引き出すことも簡単ではない。  相手がしゃべらなければ一方的に話し掛け、何とか会話の糸口を探る。逆に話に乗ってくれるようなら相づちを打ちながら話を広げる。  相手の表情や仕草、言葉の抑揚、すべてに気を配らなければならない。  こうした取材を続けるなかで、冒頭の捜査員に出会った。公安捜査の経験者で、今回の事件にも詳しいという。  立ち話に応じた捜査員は、しゃべっている間も横目で周囲の状況をちらちらと確認する。  会話中、ヘッドライトをつけた乗用車が低速で近付いてきた。  一瞬、会話が止まる。車が通り過ぎるのを見届けると、捜査員は静かに語り出した。  「法律の解釈をねじ曲げてやろうと思った。これがすべての始まりと聞いています」 大川原化工機の事件について、記者が保有している資料。ファイル5冊分に上っている=東京都内で2024年6月11日、遠藤浩二撮影  その後も話は続いた。捜査員は表情を変えないものの口調は熱を帯びていった。  立ち話が始まってから30分ほど。薄着だった捜査員は、体をさする仕草をした。  「もう、このくらいで」の合図だろう。会話を切り上げようとした。  すると、捜査員は最後にこう付け加えた。  「あまりにも組織が変わらない。また同じようなことをやりますよ」  私は頭を下げ、最寄り駅に向かって歩き出した。興奮冷めやらぬまま、同僚にメールを送る。  「捏造の構図が分かった」 【遠藤浩二】  (警察官の肩書は原則、当時のものを使います)
追跡公安捜査:「公安は同じことやる」大川原化工機事件、捜査員が私に語った警告 | 毎日新聞
2 notes · View notes
yotchan-blog · 11 days
Text
2024/9/15 8:00:11現在のニュース
関東大震災直後に朝鮮人虐殺 「藤岡事件」17人の犠牲者悼む 慰霊祭に110人(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/9/15 7:56:04) 10回目「麺-1グランプリin館林」 21、22日に開催 各ジャンルで味競う(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/9/15 7:56:04) 四万、塩原など名湯紹介 古書や絵巻13点 足利学校で企画展(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/9/15 7:56:04) <水戸芸術館発 クラシックへの旅>(35)革命前夜のオペラ論争(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/9/15 7:56:04) ひたちなかの干しいも クボジュンがPR役に 市が委嘱(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/9/15 7:56:04) <大江戸残照トリップ 田中優子さんと歩く>(9)大島愛宕神社(江東区) 風流を枕に一茶の世界(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/9/15 7:56:04) コメ指数先物、新米流通で価格下落 大阪・堂島取引所上場から1カ月 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/9/15 7:48:32) ハルモニたちの苦難と今 在日朝鮮人女性追った作品、浦和で25日上映(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/9/15 7:48:13) 2代目王者はどの子かな? 狭山の動物園 29日までモルモット総選挙(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/9/15 7:48:13) <各駅停車>大人の学習権(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/9/15 7:48:13) <ぷらっと千葉 でこぼこ探訪>飛ノ台史跡公園博物館 縄文時代の貝塚を見学できる場所(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/9/15 7:40:05) 環境DNAを児童が調査 君津・清和小、特別授業で体験 小糸川の水をろ過「結果が楽しみ」(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/9/15 7:40:05) <書評>『西郷従道(じゅうどう) 維新革命を追求した最強の「弟」』小川原(おがわら)正道 著:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/9/15 7:39:36) ダイヤより硬かった千田穴熊 A級順位戦観戦記(毎日新聞, 2024/9/15 7:36:54) 「これが僕の道」 いじめ、うつ病経験の男性、人を助ける画家になる(毎日新聞, 2024/9/15 7:36:54) 白井貴子さんが応援団長に就任 27年国際園芸博覧会PR(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/9/15 7:32:23) <記者だより>空欄の開廷表(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/9/15 7:32:23)
0 notes
tabilist · 1 month
Text
【アナザースカイ】堂本剛さんが奈良で訪れた場所
【アナザースカイ】 #堂本剛 がありのままの自分で居られる故郷・奈良へ 訪れた場所リスト 2024/8/24放送 〒630-8012 奈良県奈良市二条大路南3丁目5−番1号 #アナザースカイ #今田耕司 #八木莉可子 詳しく見る↓
アナザースカイ 2024/8/24放送 堂本剛さんが奈良で訪れた場所 平城宮跡歴史公園 710年に藤原京から遷都された平城京の中心であり、古代日本の政治・文化の中心地として栄えた壮大な宮殿跡 東西約1.3km、南北約1kmという広大な敷地には、かつて天武天皇や聖武天皇など数々の天皇が政治を行った大極殿をはじめ、朱雀門、朝堂院など、当時の栄華を偲ばせる遺構が点在している。 住所 〒630-8012…
0 notes
hegotthesun · 1 month
Text
源平藤橘
■源平藤橘を5分でおさらい。あなたの名字は何氏の流れ?
源平藤橘(げんぺいとうきつ)とは「源氏」「平氏」「藤原氏」「橘氏」を纏めた四大姓とされます。
公家では苗字とは別に、朝廷の天皇から下賜された「氏」を持っており、それが苗字とは異なる公式な本姓とされます。
◆氏(うじ):氏は親族・血筋を表す。天皇に賜ったものの他、地名や職業に由来。
◆姓(かばね):姓は朝廷が各氏族や個人に与えた位を表すもの。序列を表すために「八色の姓」が制定されたが、奈良時代にほぼ全てが第2位の「朝臣(あそみ・あそん)」となったため無意味になった。
◆苗字(名字):苗字は、同じ氏を名乗るものが各地に増え、区別するために領地の地名などを取って名乗るようになったもの。なお、現代では「氏・姓・苗字」の区別はない。
源平藤橘の「四姓」という呼称は、もともと中国で有力な四氏族を「四姓」と呼んだことに由来され、その日本版「四姓」が源平藤橘だと考えられています。
◇源氏:中国の古書『魏書』より「源を同じくする」より引用 ◇平氏:平安京の「平」に由来 ◇藤原氏:大和国藤原(現:奈良県橿原市)が起源 ◇橘氏:杯に浮かんだ橘にちなむ
橘氏を下賜されたのは、県犬養三千代(あがた の いぬかい の みちよ)という女官。藤原不比等に嫁ぎ、律令体制への改革を影で支えた女性。第43代の女性天皇"元明天皇"より、杯に浮かぶ橘になぞらえ、三千代に橘氏を下賜されました。橘氏は女帝から女官に賜姓され、また歌人や学者を多く輩出した点が特徴です。また、橘氏は織田信長で有名な織田家を輩出しました。
「日本人の90%以上は農民の子孫」とよく言われますが、日本人の祖先を辿ると「源平藤橘」のいずれかに辿り着くとされます。
たとえば「佐藤」「斎藤」「加藤」など藤のつく苗字は藤原氏の子孫にあたるようです。
「勝俣」は、静岡西部の東江や長野県(信濃)、または藤原南家工藤氏流がルーツ。
「渡邊」は嵯峨源氏、源融四世や渡辺綱の子孫とされ、摂津国西成郡渡辺(「大阪淀川の渡し辺り」が語源)が起源。
「錦織」は現・滋賀県の近江国錦織庄がルーツ。清和天皇の子孫。
「林(はやし=リン)」「森(もり=シン)」「王(おう=ワン)」などの漢字一文字の苗字は単姓という中国発祥の苗字。
「木下」は「朴(パク)」、「金子」は「金(キム)」の帰化した苗字。
「山田」は平城天皇の山田皇子や、藤原氏の子孫とされ、家紋は巴・藤・剣かたばみ・五七桐・茶の実・丸に八の字などがあり、語源は、「山の中の田んぼ」とされます。
ちなみに幕府が戸籍を作るにあたり、武家以外の全国民に苗字を交付したのは江戸中期からのようです。
youtube
現代日本人とは、三万年以上前にユーラシア大陸から樺太を通り北海道に渡来したか、あるいは南下して朝鮮半島か沖縄周辺を経由して九州に渡来した“縄文人”と、二千年ほど前に同じく大陸から朝鮮半島を経由して九州に渡来した“渡来系弥生人”の混血だとDNA解析で判明しました。
日本における貴族の公家は、かつて朝鮮半島南部に在った百済国の皇族出身である“武寧王”(ぶねいおう)の子孫だと『古事記』『日本書紀』に記されており、その他にもブリヤート人(ロシア連邦やモンゴル国、中華人民共和国に住むモンゴル系民族)、飛鳥時代に《仏教》伝来とともに百済や新羅から来た渡来人。さらには遺伝子解析の結果、三国志の「呉」から戦乱を免れて日本列島に辿り着いた集団も弥生人には含まれるとされます。弥生遺跡で発掘された稲のDNAを解析したところ中国南部産だと判明しています。
「呉服(和服・織物の総称)」「呉竹(くれたけ)」は読んで字の如く呉から渡来したもの。また、漢字の音読みには「漢」と「呉」の二種類があります。 「男(訓読み:おとこ)」の音読み=「だん(漢)」「なん(呉)」
Tumblr media
▲国産米「あきたこまち」
奥州藤原氏
古代の東北地方における奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)とは、1087年から源頼朝に滅される1189年までの間、陸奥国(むつのくに。奥州)を中心として東北地方に勢力を持った藤原北家支流の豪族。
奥州とは、陸奥国(福島、宮城、岩手、青森と秋田の一部)と、出羽国(でわのくに。山形、秋田)の両国の総称に用いる場合もあり、この場合は奥羽(おうう)を用いる。最大都市は宮城県の仙台市である。
奥州藤原氏の始祖である藤原清衡は、朝廷に献上品や貢物を欠かさず、そのため朝廷は奥州藤原氏を信頼し、彼らの奥州支配を容認したとのこと。
当時の朝廷内では源氏と平氏の間で政争が起きたために、奥州にかまっている余裕がなかったという事情もあったのだとか。
奥州藤原氏は中央政権から派遣される国司を受け入れ、協力の姿勢を最後までつらぬき通した。
そうして奥州は源氏と平家の政争とは無縁な土地になり、奥州藤原氏は強大な武力と政治的な中立を背景に「源平合戦」の最中でも、穏やかに独自の政権と文化を確立することになった。
youtube
また、縄文時代の東北地方は、気候が温暖化していたと考えられる。
当時の採集・狩猟・漁猟を中心とした生活では、西日本よりも東日本の方が生活に適しており、関東地方は縄文時代の遺跡が高密度で多く分布した。
縄文時代に最も人口密度が高かった関東では、当時は最も人口の少なかった関西や四国と比較すると、その30倍の人口があり、東北も5~10倍もの人口があったとされる。
縄文時代の末期に、大陸から九州北部や畿内に水田稲作が伝来し、弥生文化が発達した。東北においても比較的早くに、この弥生文化が伝播したものとされる。
古墳時代には東北でも、宮城・山形などの東北南部で古墳が造られ始めた。奈良盆地にあった前方後円墳もその頃に造られており、大和王権との交流がその頃より始まったと考察される。
Tumblr media
一方その頃、毛野国(けのくに。群馬)が形成され、これを上下に分かち、上毛野国(かみつけぬのくに)とし、のちに上野国(こうずけのくに。かみつけぬのくに。かみつけののくに。かみつけのくに)となりました。
現在の群馬県域は、この上野国と一致し、今でも異称として上州(じょうしゅう)、上毛(じょうもう。かみつけ)を用いられます。
郷土の風物や人物を詠んだ「上毛かるた」は広く群馬県民に親しまれ、この上毛かるたでは毛野国を「しのぶ毛の国 二子塚(ふたごづか)」と詠んでおり、数多くの古墳が築かれた古代毛野地域は、東国における有力な《群馬文化圏》を形成したと考えられています。
また、全国の〝こんにゃく芋〟の90%以上は群馬県で生産され、その生産量は年間約5〜6万tにも及びます。
日本で最も〝こんにゃく芋〟の消費が多いのは山形県で、この山形における〝こんにゃく〟の歴史は古く、平安時代からすでに〝こんにゃく〟を食べる《食文化》があったとされます。この〝こんにゃく〟のカロリーは100gあたり5kcalと、非常に低カロリーでダイエットに効果抜群とされます。
今もなお山形県の〝こんにゃく〟消費量は、じつに東京の約2.4倍と言い伝えられています。
youtube
0 notes