Tumgik
#越後雪かき道場2017
souyodajp · 3 years
Text
2022/01/02
壽 初春大歌舞伎(ことぶき はつはるおおかぶき)
第三部 
『難有浅草開景清 岩戸の景清』
(ありがたや はながたつどう あけのかげきよ)
『義経千本桜 川連法眼館の場』
(よしつねせんぼんざくら かわつらほうげんやかたのば)
■四代目の狐忠信が帰ってきた!
あけましておめでとうございます。
とてもラッキーなことに、新年の初観劇を歌舞伎座で迎えることができた。しかも、猿之助さんの四の切で。
ずっとこの時を待っていた。歌舞伎を好きになり、猿之助さんにハマったのは2017年の冬。あの大怪我をされた直後だった。初めて猿之助さんを「猿之助さんだ」と意識して生で歌舞伎座で観たのが2018年の初春大歌舞伎。白鸚さん、幸四郎さん、染五郎さんの三代襲名披露の公演で、寺子屋の涎くり与太郎で出ていらした。それから4年の間、スーパー歌舞伎ワンピース、黒塚と、復活を象徴するかのようなマイルストーンを次々打ち立てて、それでも、四の切だけはすぐには観る事ができなかった。もうそろそろ?と思っていた頃に、世界的パンデミックが起きた。今回の公演はその意味でも特別だ。感染対策の制約が緩和され、ついに子狐が観客の頭上を飛んで古巣に帰る。桜吹雪の中白い狐が宙乗りをする姿のイメージは、いつしか、猿之助さん個人の身体的な快復の証を越えて、全観客にとっての「復活」の観念そのものになっていたように思う。
■猿之助さんも、本当は人間ではないんじゃない?
欄干の上をツツツツと走り、欄間を抜け涼しい顔で正座し、新体操の種目かと思う程の驚異的な跳躍力を見せつける。人間そんなことできるの?というケレン味的要素への驚きを、しかし、親狐を慕う子狐のドラマが超えていく。
「さてはそなたは狐じゃな」 と詰められ、さっと姿を消したかと思うと、薄紫の美しい着物から真っ白で毛足の長い狐の衣裳に変わってささささと這い出てくる、その速度。早替わりは猿之助さんの代名詞、先月の”伊達の十役”も早替わりが見どころだったが、あれは「早さを楽しむ」余裕がこちらにあった。ところが狐忠信の早替わりはエンタメ的早替わりとは違う。怪異としての早替わりだ。怪異を目にした人に許される反応は、ただただ驚愕のみである。
静御前に切られかかり「そんなことされる覚えはないですゥ!」と口を尖らせてみたり、本物の忠信さんに不信がかかってしまって申し訳ない…と反省してみたり、鼓の音に耳を傾け”ん-むむ”と首を小さくふったり、義経の前で恐縮して階段の死角に小さく座ったりと、小動物的Kawaiiを炸裂させる猿之助さん。
そして、悪僧たちと舞うあの姿!なんて楽しそうなんだろう、なんて自由で、喜びに溢れているんだろう。あの笑顔、あのウインク!胸が痛い…もっかい観たい…。
ついに宙乗りになり、鼓を胸に抱きはしゃぐ子狐。その姿を舞台上から義経と静御前が寄り添い見守る。そんな二人の姿に、子狐の両親のイメージが重なっていく美しい幕切れ。
■静御前と(狐、あるいは本物の)忠信
義経の忠臣、佐藤四郎兵衛忠信(さとうびょうえただのぶ)。
『義経千本桜』は、「忠なるかな忠、信なるかな信」という言葉から始まる。最初に言葉があり、言葉は神と共に…と言うのは完全に的外れな余談になってしまうけれど、初演から大当たりで、その後数百年にわたって上演され続けている程の大名作の冒頭の文句なのだから、当時気鋭の作者たちが魂込めて書かなかったわけがない。そうして書かれた言葉に、神や霊が宿らないはずもない。
もしかしたら、狐が化けていない”本物の忠信”という男を理解することが、『義経千本桜』が観客に何を信じさせるために書かれたのか理解する手がかりになるのではと思う。そしてまた、義経の周囲に数多くいる人物の中から佐藤忠信を子狐が化ける対象として選んだ作劇の意図を、純粋に知りたいと願う。 
モノホン忠信の居る時間は非常に短い。あんないい男なのにもったいない。なんか、スピンオフで「忠信の休日」とか、あと「忠信のお勤めルーティン」とか見たい。
源平の合戦を生き延びる程武勇に優れ、鎌倉から追われる立場に変わった義経にもブレずに忠義を尽くす信念の篤さ。そんなトップ・オブ・ザ・武士のような男に、いや、そんな男だからこそなのか、義経は自分の愛妾の護衛を言いつける。実際は狐忠信が代行したとはいえ、「兄貴は戦場で武勲を立てて死んだのに、俺は女のお守りかよ…」 なんて、モノホン忠信が不貞腐れるところを想像すると楽しい。あるいは、「兄さんみたいに人の身代わりになって死ぬのはしんどいし、こうして護衛しながらしずしず歩くのも悪くないよな。」なんて思う可能性もある。
そんなことに思いを馳せていると、自然「兄・継信が上司・義経の身代わりになったため、家族を失った忠信」 と 「両親が人間社会の行事のサクリファイスになったため、家族を失った子狐」の立場に相関関係があるのが見えてくる。このあたりが狐忠信誕生の理由のひとつかなと短絡的に考えてみたりする。
モノホン忠信を演じる猿之助さんの怜悧な眼光の鋭さ、あの眼が素敵。義経たちの会話を聞いている間の訝しがる顔つきも男前で見惚れてしまう。偽物忠信の詮議のためその場を立ち去るモノホン忠信が駿河・亀井を交互に睨み堂々と去っていく姿には、「俺は場当たりで適当な嘘は言わないからな」という男の矜持が滲み出る。ごく短い時間でこれだけの魅力、頼むからスピンオフしてくれよ。
そして雀右衛門の静御前。こめかみから頬にかけての血色感メイクがちょっと地雷メイクっぽくてバリ可愛い。
長旅を共にしてきた(と思っている)静御前は、モノホン忠信に対してとても気安くて砕けた感じだ。「途中でどこか行ったかと思ったら、私より先に来てたなんて!真面目な方、まだ世の中が戦場だと思ってるのね」とかなんとか、そういうフィーリングのことをおっしゃる(間違ってたらごめんなさい)。忠信が自分には覚えがないですと反論するも、取り合わず「チャラチャラ冗談言っちゃって~」と流す。やっとのことで再会した恋人のどフロントで何でそんな他の男といちゃつけるんだ…?と疑念が僅かながら生じるものの、その短いやり取りの中には、静御前と(狐の)忠信が道中でどんな関係を築いてきたのか、またモノホンの忠信とだったらそこまで仲良しにはならなかったろうなということを二重に思わせる要素が詰まっている。
狐忠信の正体を見破った後、おののきながらも子狐に情をかける様子、最後にはすっかり落ち着きを取り戻して義経を呼び寄せる物腰に、静御前という人の優しさ、情け深さ、知性が表れていた。
■A Little Fox in my Stomach
大舞台の前の緊張や、遠足の前の日の夜のようなソワソワ落ち着かない感じを英語で"Butterflies in my stomach”という。
猿之助さんの四の切を観て、私は殆ど何も手につかない。いつもあの子狐の姿を思い、考えてしまう。胸がきゅっと締め付けられるようで、お腹がモゾモゾする。舞台で観た子狐の精霊が体に入ってきて跳ねまわっているような。
人が皆「猿之助の四の切」を絶賛する理由が分かったような気がする。すでにおかわりチケットを購入したので、 次回はもっと予習して、忠信について考えつつ、狐の可愛さを存分に味わいたいと思う。
1 note · View note
voidplus-jp · 4 years
Photo
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
本間純「I saw a landscape」 Jun Homma 2020.6.26 (fri) - 7.22 (wed)
void+では3月27日(金)より延期しておりました『本間純 “I saw a landscape” 展』を6月26日(金)より開催いたします。日本での個展は5年ぶりとなり、昨年ベルリンでの滞在時に制作した国内未発表の作品群、及び、緊急事態宣言により開催が延期された約2ヶ月間を利用し製作した新作などを発表いたします。本間は目に見えない不可視的なものを題材に、写真、映像、彫刻など、様々なメディアを使い作品を制作してきました。そして、国内外のアーティストインレジデンスや様々な芸術際に参加し、精力的な活動をしてきましたが、2011年の震災以降、被災地を訪れ、変わり続ける風景のリサーチも定期的に行なっています。今回発表する作品群は、本間が訪れた土地の風景写真や古い絵葉書とアルミニウムを組み合わせたインスタレーションで構成されています。削り取られ磨かれた風景には、鑑賞者の姿や周りの環境が時空間を超え、見え隠れします。本間の作品はそこに写し出された風景を敢えて隠すことによって、不可視的なものに意識を向けさせ、この世界を再認識させることになるでしょう 。
-------------------------------------------------------------------------------------------
▪️作家名:本間純
▪️タイトル名:I saw a landscape
▪️期間:2020年6月26日(金)- 7月22日(水)14:00-18:00  *通常より時間を短縮して開催いたします。
▪️定休日:日、月、祝日
▪️会場:void+ 東京都港区南青山3-16-14-1F
▪️お問合せ:[email protected]
*会期中、本展カタログ販売予定をしております。 -------------------------------------------------------------------------------------------
【ご来廊時のご協力について】
*必ずマスク着用の上、受付にて手指の除菌をお願い致します。 *万が一関係者などから新型コロナウイルス感染症の発症があった場合に連絡を差し上げられるよう、ご連絡先の記入をお願い致します。 *発熱、頭痛、咳、倦怠感など体調のすぐれないお客様はご来廊をお控えいただくようお願い致します。 *展示室内の密集を避けるため、入場制限を行う場合がございます。
-------------------------------------------------------------------------------------------
<アーティストステートメント>
I saw a landscape (アイ・ソー・ア・ランドスケープ)
東京郊外の住宅街で生まれ育った私の原風景は、高度経済成長期の風景である。周りの環境が効率的で均質な方向に変化し開発されていく中で、かつての風景が見えない残像のように残っているのを見た。
そもそも世界は「不可視性」に充ちている。例えば素粒子、放射線、電磁波など科学的に解明されているもの。時間や間のような概念や意識から生じるもの。また歴史、制度、社会構造の中で表出しない力などである。しかし現代において「不可視性」に対する意識は、際限なく生み出される「可視」情報に埋没し希薄になっていく。
それゆえ私は、現代の私たちを取り巻く「不可視性」と個人、社会、歴史、環境との関係性を、視覚芸術として浮上させたい。消え、過ぎ去り、見えなくなったものへの意識を探求していきたい。
私は風景が包含する不可視性、及び風景とそれにより形成された個人のアイデンティティとの関係性に焦点を当て様々な場所を訪れ、作品を制作してきた。
例えば、福島の帰宅困難区域周辺の風景。日々の生活が繁茂する草木に覆われ、埋没していくのを見た。ベルリンのかつて壁に遮られていた場所。そこにあったはずの壁の代わりに、公園でピクニックを楽しむ人たちに出会った。強制収容所跡。かつてここから誰かが眺めていたであろう視線をなぞり、塀の外の木々や新緑を眺めた。
これらの風景を通して私の中に去来したのは「無常観」であった。過去の事象と同じように、今、目の前に広がる日常もまた時間の流れと共に変化し、やがては見えなくなっていく。何の痕跡や手がかりも見えない場所に存在した歴史や、時間事象の折り重なりを想像するのは困難に思える。私はそのような風景をさらに削り取る。出現したボイドは、想像力を発生させるというよりはむしろ、想像力を暴力的に遮断するものかもしれない。遮断され侵食された世界に映し出されるのは、私たち自身や、私たち自身がつくってきた世界である。そしてその先に、私たちはどのような風景を見るのだろうか。
Jan.2020
追記:
当初予定していた会期の間、作品は展示されたまま、結局一度もオープンすることはなかった。
新型コロナ感染症の影響による、東京都、首都圏3県の外出自粛要請、その後に発令された日本政府の緊急事態宣言と重なったためである。不可視性をテーマに作品を制作してきたが、まさに不可視な展覧会となってしまった。
ぽっかりできた時間で、この状況を反映させた新作を制作しようと思った。
東京はちょうど桜が満開の時期であった。
May. 2020. 本間純
-------------------------------------------------------------------------------------------
<作家プロフィール>
本間純 ホンマジュン
1967年 東京に生まれる 1990年  多摩美術大学 立体デザイン科卒業 1990 ~ 1992年    多摩美術大学 彫刻科 研究生
<アーティスト イン レジデンス> 2019      国際アーティストインレジデンスプログラム/ 助成 文化庁新進芸術家海外派遣制度/
GlogauAIR / ベルリン・ドイツ 2018      国際アーティストインレジデンスプログラム/ 助成 ジャパンファンデーション/
Srishti Interm シュリシュティ インタラム/ バンガロール・インド 2012      国際アーティストインレジデンスプログラム– フライオーバー・ヨコハマニラ/
助成 ポーラ ファンデーション, ジャパンファンデーション / 98B コラボレイトリー/ マニラ・フィリピン
<個展>
2019      侵食の風景 – GlogauAIR ショーケースギャラリー・ ベルリン、ドイツ 2018      浸蝕の肖像– Rangoll Metro Art Center・バンガロール/インド 2015      無名の国 – TRAUMARISU/SPACE 2010      breeze – 旅 - 横浜市庁舎 市民ホール 2009      「そして川は流れる」- 黄金町エリアマネージメントセンター/ 横浜市 2007      breeze – ギャラリーキャプション/ 岐阜県 2005      horizon – ギャラリー現/ 東京 2004      around – ラ. ガルリデ. ナカムラ/ 東京 2003      Midori – 新世代への視点・テンエレメンツ– ギャラリー現/ 東京 2001      chatterin – ギャラリー現/ 東京
<グループ展>
2019      チェンナイフォトビエンナーレ -  チェンナイ/ インド 2018      弟子屈極寒芸術祭 - 弟子屈町/ 北海道 2017      空気の正体 - 川口市立アートギャラリー・アトリア/ 埼玉 ヤングアート長岡– 長岡市街/ 新潟 2013      瀬戸内国際芸術祭 -  香川県、岡山県 2012      大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2 0 0 6  -  新潟県
Flyover YOKOHAMANILA  -  フィリピン、横浜
宜蘭パブリックアートプロジェクト -  宜蘭市/ 台湾 2010      雪アートプロジェクト/ まつだい農舞台 -  新潟県 2009      大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2006  -  新潟県
水都大阪2009  -   大阪 2008      AOBA + ART  -  横浜( 出展+ディレクション) 黄金町バザール -  横浜 2006      大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2006  -  新潟県 2004      AMUSELANDA2004/   北海道立近代美術館 2003      大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2003  -  新潟県 2001      青葉トリエンナーレ2001  -  横浜市/ 青葉区 2000      大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2000  -  新潟県 1996      Morphe ‘96  -  青山/ 東京 1992      Encounteringtheothers  -  カッセル、ハンミュンデン/ ドイツ
1 note · View note
muraoka-net · 8 years
Photo
Tumblr media
ちょっと見ずらいが↖️#屋根雪下ろす前 と↙️下ろした後 を同じアングルで...。 ↗️下ろした後を違う角度で❗️手前側の足場がボコボコしてるのが、屋根です❗️ ↘️右手前の家の屋根雪をやってきました‼️ピンチインで、拡大すりゃ、デコボコ足跡多いでしょ❓ でも、この家は、空き家です(ノД`) ・ #雪かき応援 #除雪ボランティア2017#除雪ボラ2017#越後雪かき道場2017 #中級コース #NPO法人の中越防災フロンティア主催 #新潟県#NIIGATA#越後#雪国 #ボランティア初心者にオススメ #ボランティア入門にはうってつけ ❗️ #子育て世代も参加できます。 #家族でできるボランティア #情操教育にオススメ #冬と言えばレジャーより雪かき ww #雪と言えばスキーやボードより雪かき ww 今回は#新潟県長岡市 旧#山古志村 #これが私の生きる道_社会貢献 (Yamakoshi Mura, Niigata 山古志村, 新潟県)
0 notes
theatrum-wl · 6 years
Text
【劇評】【レポート】どこにもない演劇のまち、西和賀:東北の湖畔の町で見た演劇の風景
第26回  銀河ホール地域演劇祭(2018/09/01-09/02) 片山 幹生
Tumblr media
〔西和賀町文化創造館銀河ホールの空撮。手前は錦秋湖〕
岩手県と秋田県の県境、奥羽山脈のただ中にある西和賀町は人口5000人ほどの小さな町だ。この町には客席300ほどの公営の劇場、西和賀町文化創造館  銀河ホールがある。この劇場では1993年の開館以来、毎年地域演劇祭が開催されている。第26回銀河ホール地域演劇祭は2018年9月1日(土)と2日(日)に開催され、4団体4作品が上演された。今回上演された4作品はすべて宮沢賢治の作品だった。本稿ではこの4作品の舞台評のほか、銀河ホールというユニークな地方公共劇場の活動と地域演劇祭の様子について紹介していきたい。
劇団あしぶえ『セロ弾きのゴーシュ』
Tumblr media
〔劇団あしぶえ『セロ弾きのゴーシュ』〕
銀河ホール地域演劇祭の最初の演目は、島根県松江市の公設民営劇場〈しいの実シアター〉を拠点する劇団あしぶえの『セロ弾きのゴーシュ』だった。あしぶえは2016年に創設50年を迎えた長い活動歴を持つ劇団だ。『セロ弾きのゴーシュ』はあしぶえが28年にわたって上演し続けている劇団の最重要レパートリーであり、アメリカ、カナダの演劇祭でいくつかの賞を受賞している。
『セロ弾きのゴーシュ』の筋立てはごくシンプルなものだ。しかしあしぶえの公演ではそのシンプルな物語が、ミニマルな舞台美術とストイックな演出によって、さらに研ぎ澄まされたものになっていた。徹底的に磨き抜かれた鉱物の結晶のような美しさを持つ舞台だった。張り詰めた緊張感が最初から最後まで維持され、冗長さはまったく感じられない。
自尊心を徹底的に打ち砕かれ、絶望で自暴自棄の状態に陥りそうになりながら、ぎりぎりのところでゴーシュは破滅への転落をまぬがれた。夜中にゴーシュの家にやってきた何匹かの動物の前で演奏することで、ゴーシュのセロは上達し、自尊心を回復する。次の演奏会でゴーシュはそれまで自分を罵倒していた指揮者から賞賛を受ける。彼はそれまで自分がどれほど傷ついていたことさえ気がついていなかった。演奏会が終了し、帰宅して一人になったときになってはじめて、ゴーシュは自分を絶望の淵から救い出してくれた動物たちの無償の優しさに気づく。
劇の最後で彼の口から漏れる感謝の言葉の真実に、私は強く心打たれた。
俳優の表現のあらゆるディテールにまで注意が払われていることが感じとることができた舞台だった。きびしくコントールされた俳優の演技は、ゴーシュの情念の動きを精密に、ダイナミックに描き出している。ゴーシュの絶望ともがき、いらだちが、舞台から豊かなニュアンスとともにまっすぐ観客席に伝わってくる。ゴーシュ役の俳優の演技にひきこまれ、観客の多くはゴーシュの重苦しさを共有していたに違いない。
なぜゴーシュが動物たちの出会いによって停滞から抜け出せすことができたのか、動物たちはなぜゴーシュの家にやってきたのか、そしてゴーシュが最初にやってきた猫に対して謝罪しなかったのはなぜなのか。いくつもの「なぜ?」に対する回答はあしぶえの舞台でも宙ぶらりんのまま提示されない。『セロ弾きのゴーシュ』はハッピーエンドの物語だろうか。ゴーシュに感情移入していた観客は、ゴーシュの演奏の成功にカタルシスは感じた者もいるだろう。終幕のゴーシュは確かに絶望からの解放を味わっていた。しかしその解放感は愚かで未熟な自分へのいくばくかの悔恨を伴っている。彼は喜びよりは、深い虚脱感をあのとき味わっていたのではないだろうか。そんなことを感じさせる演出だった。
物語を舞台化するにあたって、雑多な情報を持つ俳優の身体や舞台空間が、作品を過剰に説明的なものにし、そのノイズによって語りの持っていた本質的な魅力を損なってしまうことがままある。あしぶえの『セロ弾きのゴーシュ』は、これとは逆だ。俳優の存在と舞台空間の抽象性が、物語の純度をさらに高め、作品に内在する象徴性を際立たせることに成功している。ほぼ唯一の具象的美術であるチェロの存在が、この舞台ではなんと雄弁なことか。28年に渡る上演のなかでテクストと真摯に向かい合ってきたからこそ、到達することができた表現の逆説だろう。強くて美しい舞台だった。(9月1日14時開演@銀河ホール)
劇団田中直樹と仲間たち『水仙月の四日』
Tumblr media
〔劇団田中直樹と仲間たち『水仙月の四月』〕
地域演劇祭、二本目は西和賀在住の〈田中直樹と仲間たち〉による『水仙月の四日』を見た。この公演は田中ひとりよって語り、演じられる人形芝居だった。
田中直樹はもともとは地元の劇団ぶどう座に所属していたが、考え方の違いからぶどう座を離れ、ソロで公演を行っていると聞いた。会場は銀河ホールに隣接するUホール。Uホールの建物は円錐形のとんがり屋根と赤い壁の可愛らしい建物で一階は図書館になっている。二階のUホールは円形平面で、リハーサル室・会議室として利用されている場所とのこと。観客は床に座って見るが、今回の公演では後ろの壁際に何脚かパイプ椅子が用意されていた。
『水仙月の四日』は吹雪の一夜を雪原でやり過ごす少年の話だ。舞台が始まる前に田中から、タイトルの「水仙月」と作品冒頭で出てくる「カリメラ」という語についての説明がある。これらの語はいずれもは宮沢賢治の造語で、水仙月は2月から3月の雪深く寒い時期、「カリメラ」は「赤砂糖を一つまみ入れて、それからザラメを一つまみ入れる。水をたして、あとはくつくつくつと煮る」とテクストにあるので、おそらく「キャラメル」を指す。
『水仙月の四日』は日本有数の豪雪地帯であるこの付近の人々にとっては、とりわけその情景がはっきりと思い浮かぶ作品に違いない。田中直樹は赤いケット(毛布)をかぶった少年とその少年を見守る雪童子を15センチほどの小さな人形に演じさせた。これに対して吹雪のアレゴリーである雪狼は人間の顔と同じくらいの大きさの仮面、そして大吹雪のアレゴリーの雪婆は人間をすっぽり覆い尽くす大きさの紙製の面で表現していた。雪婆が登場する場面では照明が暗くなり、蛍光ライトで雪婆の巨大な顔が白く照らし出される。小さい子供たちは狭い舞台を走り回る雪狼と雪婆を怖がっていた。
少年と雪童子を小型の人形にしたことで、白くて厳しい大自然に翻弄される人間の様子が強調された。また白い美術のなかでの少年の着た鮮やかな赤のケットの色彩の対比も印象的だった。小品だが配慮のいきとどいた工夫の数々によって、大人の観客も子供の観客も異世界に誘う、優れた演出の公演だった。人形と紙製の大きなオブジェ、紙吹雪といった材料はこの作品の上演を考えると定番的な素材だが、そのスペクタクルが作り出す幻���は、宮沢賢治の物語を冗語的に説明するのではなく、その語りの美しさをより印象的に引き立てるものになっていた。(9月1日15時半開演@Uホール)
栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』
Tumblr media
〔栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』〕
銀河ホール地域演劇祭の二日目(9/2)の最初の演目は、文学座の栗田桃子によるソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』だった。
会場は銀河ホール。舞台にはいくつものキャンドルが並べられ、中央に椅子が一脚置かれている。背景には静止画の映像が映し出される。栗田はときおり、椅子を立ったり、座ったり、あるいは歩き回ったりしながら、声色で人物を演じ分けて朗読する。
動きもスマートだし、朗読も達者ではあるが、その動作や声色の変化がことごとく定型的で、テクストに書いてあることをそのまま冗語的、説明的になぞっているに過ぎない。テクストの記述に反射的に反応するような中途半端な工夫は、かえってテクストの世界を矮小化し、観客が世界に入り込むことを妨げてしまう。あれなら座ったまま普通に読んだほうがまだ聞き手の想像力を刺激することができるだろう。広い間口の舞台で栗田の芝居が空回りしていた。栗田桃子という魅力的な女優を使った朗読劇がこんなありさまなのはいかにももったいない。演出家あるいは演者の作品に対する思い入れや独自の解釈などを感じとることができない退屈な朗読劇だった。「朗読劇ってこんなものだろう」という演出家の作品に対する取り組みの甘さを感じてしまう。
演出の単調さと照明の暗さで、五分もすると猛烈な眠気の波が襲いかかってくた。私の周囲の観客にも観客も落ちていた人がかなりいた。公演後のアフタートークで宮沢賢治記念館の学芸員と演出の西本由香の話があったが、このアフタトークでも西本の話ははなはだ曖昧模糊としていて、学芸員の語る興味深いエピソードとの対比で、演出家の作品への関心の薄さが露わになっていた。(9月2日14時開演@銀河ホール)
劇団ぶどう座『植物医師』@ぶどう座稽古場
Tumblr media
〔劇団ぶどう座『植物医師』〕
銀河ホール地域演劇祭で最後に見た演目は、この地を拠点に1950年以降活動を続けているぶどう座の『植物医師』だった。これは他の上演作品のような翻案ではなく、宮沢賢治の書いた短編戯曲の上演だ。私はこの戯曲を読んだことがなかったし、上演を見たことがなかった。ぶどう座は、近年は主宰の川村光夫が高齢(現在96歳)のため実質的に引退状態で、かつてと比べると活動力が大幅に衰えているという話を聞いていたのが、この『植物医師』の公演はその衰退ぶりを感じさせない充実した内容の公演だった。
Tumblr media
〔ぶどう座稽古場〕
公演会場は1960年代に建てられたというぶどう座の稽古場である。まさに芝居小屋といった風情の公演会場に、芝居が始まる前から心が浮き立つ。稽古場は北上線の踏切のすぐそばに、踏切の番小屋のように建っている。舞台の間口は6メートルくらいか。舞台奥の壁はさまざまな色の大きな布で覆われている。客席は板間平面と三、四段の段状、詰めれば40人ぐらいは座れると思う。
芝居の始まる前に、劇のオープニングで歌われる宮沢賢治作詞の《花巻農学校精神歌》の練習があった。観客もこの歌を一緒に歌うようにうながされる。これは楽しい趣向だった。
『植物医師』は上演時間30分ほどの小篇だ。岩手のとある村に《植物医師》を名乗る人物が引っ越してきて、植物病院を開業する。しかしこの植物医師の専門家としての知識はどうもいい加減なもののようで、いかにもうさんくさい人物だ。開業した植物病院に村人たちが次々とやってきて、枯れてしまった稲の治療法を訪ねる。植物医師はでまかせのいい加減な対処法を村人たちに伝え、お金を取る。いんちき治療法で易々とお金を稼いだ植物医師だが、彼の処方では稲の被害は収まるどころか、ますます拡大していく。村人たちが医院に戻ってきて植物医師を詰問する。植物医師は口舌でなんとかそれらの非難を丸め込もうとするが、最後には言い返す言葉もなくなり、村人たちの怒りの言葉にうなだれてしまう。善良でお人好しの村人たちはうなだれた植物医師を見て、彼に同情しはじめる。そして先ほどまでの怒りを収め、植物医師を許すのだ。その許しの言葉は、植物医師にとっては怒りにまかせた批判の言葉よりもはるかに重く感じられた。植物医師はますます打ちひしがれてしまう。
Tumblr media
〔ぶどう座稽古場内部〕
村人たちが入れ替わり立ち替わり植物医師のもとを訪れ、アドバイスを求める場面では、民話によく見られる同種のやりとりの反復とそのエスカレートが、笑いの効果を作り出している。岩手弁のユーモラスな響きがさらに場面の喜劇性を高めていた。不正に対する怒りと非難よりも、不正に行った人間への大らかな優しさと許しこそが力を持つという宮沢賢治らしい倫理が結末で提示されるが、最後の場面の急転が作り出すドラマの力強さと素朴さに心打たれた。村人たちの許しのことばが発せられるたびに、かがんだ体がどんどん下がり、苦悶と戸惑いの表情が深くなっていく演出と演技は見事だった。
芝居小屋の雰囲気もこの作品の上演にいかにもふさわしいものだった。まさに岩手で岩手の人たちによって演じられることによって、この『植物医師』はいっそう味わい深い作品となっていた。この地でのぶどう座の活動の歴史が染みついた稽古場で、この作品を見られて本当によかった。
終演後には稽古場内で打ち上げがあり、私も短い時間ではあったが、出演メンバーとぶどう座の旧メンバーの方々と座を囲んだ。『植物医師』は主宰の川村光夫演出でもかつて公演をおこなったが、それは27年前のことだと言う。今回の公演の演出を担当した菊池啓二さんに「今回の上演は川村さんの演出を蹈襲したものなのですか?」と聞くと「いや、前の上演はもうだいぶ昔の話で、私も見ていないし。まあ川村風にはやりました(笑)」と仰っていた。
今回のキャストには二十歳台の青年も二名参加していた。彼らは昨年から活動を始めた銀河ホール演劇部の部員だと言う。銀河ホール演劇部は、アートコーディネイターの小堀陽平氏の主導で昨年から活動を始めたサークルだ。小堀さんは「ぶどう座の表現は、この地域の人たちの身体と言葉、感覚に根ざしたものなので、銀河ホールで演劇部を作って活動をはじめましたが、外からやってきた僕たちが作る演劇が、ぶどう座を引き継ぐものにはなり得ないように思うのです。やはりぶどう座は土地の人が継承していくものだと考えています」というようなことを言っていたが、実際に公演を見るとそれが実感できる。
地域演劇祭の締めくくりでこの公演を見、そして短い時間ながらぶどう座の人たちと交流の時間を得ることがでいたのは私にとってはとても有意義なことだった。(9月2日17時開演@ぶどう座稽古場)
地域演劇祭と西和賀町文化創造館 銀河ホールの活動
Tumblr media
〔銀河ホール(後側)とUホール(手前側)〕
西和賀町文化創造館 銀河ホールのことを私が知ったのは二年ほど前のことだ。この劇場が、年に一度の地域演劇祭のみならず、地域に根ざした様々な演劇活動を積極的に行っていること、この地を本拠とする60年以上の伝統を持つぶどう座という劇団があること、劇場の活動の軸となっているのが東京出身で日芸OBのまだ若い青年であることなどを知ったことで好奇心をかき立てられ、いつか訪ねてみたいと思っていた劇場だった。演劇は都市のものという固定観念があった私にとって、東北の山間にある小さな劇場で多彩な演劇活動が行われていることが驚くべきことのように思えたのだ。
銀河ホールはJR北上線ほっとゆだ駅から歩いて数分のところにある。ほっとゆだ駅は北上駅から50分ほど。東京駅から北上駅までは東北新幹線で2時間半から3時間かかるので、東京からだと4時間ぐらいで銀河ホールに行くことができる。地図からの印象より案外近く感じられる。
Tumblr media
〔北上線ほっとゆだ駅。駅舎に公衆温泉が附属している〕
西和賀町文化創造館は、銀河ホールのある本館とUホールの別館からなっている。約三百席の銀河ホールの客席はゆったりとしていて、舞台までの距離も遠くない。暖かみのある落ち着いた木製の内装で、芝居を楽しむには理想的な空間だ。劇場の背景に広がるダム湖、錦秋湖の風景が美しい。錦秋湖の湖畔には、野外ステージもあった。
Tumblr media
〔銀河ホールの裏手にある野外湖畔ステージ。後ろは錦秋湖〕
人口5000人程度の自治体でこんな立派な公共劇場を持っているところはそんなにないのではないだろうか。西和賀町で演劇が特権的な文化活動になっているのは、この町で60年以上活動を続ける劇団ぶどう座の存在に負うところが大きい。ぶどう座は川村光夫という優れた演劇人のもと、地域演劇の担い手として充実した活動を行い、戦後日本演劇史に重要な足跡を残した。このぶどう座の活動実績があったからこそ、銀河ホールという公共劇場の建設が可能になったのだ。
西和賀町文化創造館(当時はゆだ文化創造館)は1993年に開催された〈第8回国民文化祭いわて’93 〉の会場として建設された。この国民文化祭を兼ねたかたちで〈第1回銀河ホール地域演劇祭〉が行われ、以後、地域文化祭は毎年秋に開催されている。当時、湯田町(2005年に沢内村と合併して西和賀町となる)の役場の職員で、この劇場運営の中核だった新田満氏に話をうかがったのだが、開館から2000年代半ばまでの銀河ホールの活動は目覚ましいものがある。毎年の地域演劇祭の開催のほか、町民を対象とした演劇学校、小中学校での音楽劇制作、行政的区画を超えた高齢者による演劇公演、そしてロシアとアメリカの演劇人を招聘し三週間にわたって行われた大規模な国際的演劇交流事業など、地方の小さな町の公共劇場としては驚異的な活動を展開していく。
しかしこの初期の黄金時代は、こうした活動に熱意をもって取り組んできたキーパーソンの退職とともに終焉を迎える。地域劇団として銀河ホールの活動に大きな影響を持っていたと思われるぶどう座も、主宰の川村光夫の高齢化とともに、活動力が低下していった。おそらく湯田町が沢内村との合併で西和賀町となり、役所内の組織にも大きな改編があった2005年以降、銀河ホールの活動は停滞期に入ったように思われる。
Tumblr media
〔銀河ホール内部〕
西和賀が演劇のまちとして再活性化しはじめるのは2011年以降のことだ。きっかけは2012年以降現在まで継続的に行われている《ギンガク》という学生演劇合宿事業だ。この事業の立ち上げで中心的な役割を果たしたのが、当時、日芸の大学院生だった小堀陽平さんだ。今回の滞在では小堀さんからも彼と西和賀町との関わり、銀河ホールの活動について話を聞いた。
彼は2014年以降、地域おこし協力隊の一員として西和賀町に移住し、《ギンガク》の活動のみならず、銀河ホールを核としたさまざまな演劇事業を企画・遂行していく。地域おこし協力隊の3年の任期が終了した2017年度以降、西和賀町は「銀河ホール アートコーディネーター」という職を小堀さんに用意し、彼は西和賀の嘱託職員として採用された。町の彼に対する信頼と期待の大きさがうかがわれる。
アートコーディネイターとして彼が担当する業務は文化事業全般に関わるものだが、演劇に関わる事業としては、地域演劇祭のほか、学生演劇の合宿《ギンガク》、小中学校での公演・ワークショップ、高校演劇アワード、地域中学への演劇指導、銀河ホール「演劇部」の活動、そして貸し館業務など多岐にわたっている。今後やりたい事業としては、シニア演劇、温泉・観光と組み合わせたイベント、アーティスト・イン・レジデンスなどを挙げていた。
ほっとゆだ駅から銀河ホールにかけての道に「どこにもない演劇のまちをつくろう」と書かれたのぼりが立ち並んでいるが、町外からこの町にやってきた地域おこし協力隊の青年たちがもたらす刺激によって、西和賀は演劇のまちとして新たな一歩を踏み出そうとしている。
第26回銀河ホール地域演劇祭
2018年9月1日(土)- 9月2日(日)
会場:西和賀町文化創造館(銀河ホール・Uホール)/劇団ぶどう座稽古場
主催:銀河ホール地域演劇祭実行委員会
後援:西和賀町観光協会・西和賀町芸術文化協会・西和賀町教育委員会
総合舞台監督:内山勉
テクニカルスタッフ:アクト・ディヴァイス
宣伝美術:髙野由茉 小堀陽平
特別協力(記録撮影):森山紗莉
劇団あしぶえ/島根『セロ弾きのゴーシュ』
9月1日(土) 14:00~@銀河ホール
出演:松浦 優海、門脇 礼子、上田 郁子、有田 美由樹、伊達 生、有田 美由樹、門脇 礼子、原田 雅史、上田 郁子、川村 真美、牛尾 光希、岩田 和大
演出:園山 土筆
舞台/照明:稲田 道則、岡本 敦、門脇 礼子、長見 好高、原田 雅史
音響:福井 健吾 前村 晴奈
小道具:上田 郁子
衣装:有田 美由樹 川村 真美
制作:前村 晴奈
劇団田中直樹と仲間たち/西和賀『水仙月の四日』
9月1日(土) 15:30~  総入替え2回上演@Uホール
出演:田中 直樹、田中 宏樹
演出/美術:田中 直樹
照明:小堀 陽平(銀河ホール)
雪布操作:田中 真理子
協力:湯田ドライブイン
栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇/東京『銀河鉄道の夜』
9月2日(日)14:00〜@銀河ホール
出演:栗田 桃子(文学座)
演出:西本 由香(文学座)
照明:賀澤 礼子(文学座)
映像・音響:西本 由香(文学座)
美術:米澤 純(Jun's Light Candles)
劇団ぶどう座/西和賀『植物医師』
出演:真嶋 実、池田 慣作、菊池 啓二、高橋 節子、高橋 守、三浦 勇太
演出:菊池 啓二
舞台美術:内山 勉、新井 真紀
音響/照明:真嶋 陽
小道具:髙野 由茉
●片山 幹生(かたやま・みきお)1967年生まれ。兵庫県神戸市出身、東京都練馬区在住。WLスタッフ。フランス語教員、中世フランス文学、フランス演劇研究者。古典戯曲を読む会@東京の世話人。
3 notes · View notes
roomofsdc · 3 years
Text
SDC映画の部屋「オリエント急行殺人事件:シドニー・ルメット版(1974)」
シリアでの事件を解決した名探偵エルキュール・ポワロ(アルバート・フィニー)はイスタンブールに向かう船上で訳ありそうな男女を見かける。軍人のような姿勢の良い男性(ショーン・コネリー)に向かい、芯の強そうな英国人女性(ヴァネッサ・レッドグレーブ)が「まだ早すぎる、すべてが終わってから…もうあと少しだから」と深刻そうに話しているのを耳にして妙に気になるポワロ。やがてイスタンブールに着いたポワロに、至急イギリスへ戻ってほしいとの要請が寄せられる。休暇を返上して帰国すべく、イスタンブール発ロンドン行きの国際列車「オリエント急行」に乗ろうとするポワロだったが、シーズンオフにも関わらず何故か一等客室は満室で、旧知の鉄道会社重役ビアンキ(マーティン・バルサム)の口利きでも無理だと断られる。ビアンキの部屋を譲ってもらうことで何とか列車に乗り込むポワロだが、同じ一等客車に乗り込んだ乗客は国籍も身分も職業もバラバラの、個性豊かな男女たちだった。列車がイスタンブールを出て翌朝、ポワロは朝食の席で不躾なアメリカ人ラチェット(リチャード・ウィドマーク)から「自分は命を狙われている、いくらでも払うから護衛を引き受けてほしい」という申し出を受けるが、ポワロは言下に断る。吹雪の中立ち往生した列車の中で、次の朝、車掌とビアンキに起こされたポワロが目にしたのは、ラチェットの惨殺死体だった… あまりにも有名な、アガサ・クリスティ原作による「オリエント急行の殺人」は、国際列車という走る密室の中の殺人事件ということもあり、いかにも映像化されやすいと思われるが、登場人物が多い上にトリックが明快というわけではないことから、これまできちんと映像作品になったのは、この1974年のシドニー・ルメット版と2017年のケネス・ブラナー版、テレビドラマ「名探偵ポワロ」シリーズの1エピソード「オリエント急行の殺人(2010)」くらいだ。中でも本作品はアカデミー賞で6部門にノミネート、スウェーデン人の宣教師を演じたイングリッド・バーグマンに助演女優賞のオスカー(助演としては初)をもたらした。 多数の登場人物が同じ客車内に集い、そこには被害者と容疑者と探偵だけが乗り合わせ���いるという、小説自体が極めてトリッキーな体裁となっていることから、映画化はどの作品も苦労をしている。本作品の場合は、オープニング直後に「アームストロング事件」の実録映像や新聞記事をまとめることで、この惨劇が物語の背景にあることを予告している。推理小説であればかなりの反則技だが、ここまで人口に膾炙した原作であれば「ネタバレ」を気にする観客もいないはず、という当時の製作者の思いがあるのだろう。オープニングが、軽やかなワルツ(リチャード・ロドニー・ベネットの音楽は本当に流麗で美しい)に乗せて絵物語のページのように登場人物の名前を映し出すというスタイルも、本作品が「サスペンス」というよりは、「オールスターキャストによる豪華な舞台劇」だぞという意思表示にも思える。そう考えると、アルバート・フィニーの印象的なポワロ像も、ローレン・バコールを始めとする容疑者たちのちょっとやり過ぎの演技も、すべてこの豪華絢爛な物語の動く挿絵として、まさに狙い通りなのだろう。 小学生から中学生までにクリスティやクイーンをあらかた読み尽くし、いっぱしのミステリマニアのつもりだった私は、公開当時に劇場に行って、冒頭のネタバレで出鼻をくじかれて憤慨した思い出がある。ところが50代になって「午前十時の映画祭」で再見したときは、オープニングで往年の名俳優たちの名前が並ぶだけでワクワクするようになっていた。同じ作品を観ても、受け止め方が大きく変わっていく、それこそが時代を越える映画の素晴らしさなのかもしれない。 ちなみに三谷幸喜氏がこの原作を昭和初期の日本に舞台を移し替えて、ポワロに相当する名探偵「勝呂武尊」に野村萬斎を宛ててテレビドラマにした。三谷幸喜の脚本は大部分がこのシドニー・ルメット版にオマージュを捧げたオールスターキャストもので、野村萬斎も正にこのアルバート・フィニーのポワロに寄せて演じていた。これもまた名作故のなせる業かも。
1 note · View note
herbiemikeadamski · 4 years
Photo
Tumblr media
(^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 2月17日(水) #赤口(丙申) 旧暦 1/6 月齢 5.3 年始から48日目にあたり、年末まであと317日(閏年では318日)です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に行き💪夜を感謝に眠ろう😪💤 夜が来ない朝はありませんし、朝が来ない夜はない💦 睡眠は明日を迎える為の☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 今朝の気温は5℃でしたので寒が戻っちゃいました✋ 数日前は朝のうちに14℃もあったんだけどこの差↴↴↴ まぁ~それでも2月も後半ですし、もう少し我慢です😅 . ご存知の方も居ると思うのですが内閣府で掲げてる 政策の中に科学技術・イノベーションの中にムーンショット型研究 開発制度ってのがあって「ムーンショット目標」って恐ろし↴↴↴ . 2050年までに、人が身体、脳、時間の制約から解放され た社会の実現!誰もが多様な社会活動に参画できる基盤。 サイバテック・アバターを構築しサイバテック・アバター生活をするって事。 . 人が遠隔操作で複数のアバターやロボットを操り身体的能力や 知覚能力を上げ健常者も障碍者も老人も若者と隔たりが ない社会を作るという一見、凄い未来的な夢がありそう . に見えますが、こんな社会を望んでますかね(?_?) 脳があって人間の意識さえあればVirtual Realityの 世界では身体は存在しなくても良いって事ですよ✋ . 仮想世界の生活に移れば体が無くても意識さえあれば 生きて行けるという「VRの世界」そんな事が可能では 無いとは言えませんが、後30年ぐらいで無理でしょ↴↴↴ . 肉体が無ければ老化も病気の心配も要らなくなるので 全ての方が100歳まで不安なく人生を楽しめるVR社会 こんなの望んでる人が居るんですかね。。。_| ̄|○... . 今の騒動もそうだし、これもムーンショット研究開発費を 欲しくて、いかがわしいプロジェクトチームが詐欺まがいな 政策で国民から金をまきあげる算段だと思うなぁ~ . 今日一日どなた様も💁‍♂お体ご自愛なさって❤️ お過ごし下さいませ🙋‍♂ モウ!頑張るしか✋はない!ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #ビートル・タイプ1世界一. 1972年の今日フォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)の累計生産台数がフォード・モデルTの世界記録を塗り替える。 #フォルクスワーゲン・タイプ1  ドイツの自動車メーカーであるフォルクスワーゲン社によって製造された小型自動車。  「ビートル」(Beetle) や、「カブトムシ」の通称でも知られる。  1938年の生産開始以来、2003年まで半世紀以上も生産が続き、国際的な自動車市場で多大な成功を収めた。  四輪自動車としては世界最多の累計生産台数「2152万9464台」の記録を打ち立てた伝説的大衆車である。  これは、四輪乗用車の歴史における単一モデルの最多量産記録であり、すべての輸送用機器においてもホンダ・スーパーカブ(2017年10月時点で1億台を越えその後も生産中)に次ぐ台数。 . ドイツ本国では1978年にセダンの生産は終了しており、この時点で主力生産品の第一線からは退き、排ガス規制の強化が進んだ米国などの一部地域では車両登録不可などの不遇にも見舞われたが、現在に至るまで世界的な人気は高い。  そのため、フォルクスワーゲンは1998年にこの車のデザインをモチーフとしたスタイルを持つモデル「#ニュービートル」を発売し、2011年から後継モデル「#ザ ・ビートル」を販売していたが、こちらも2019年に生産終了し、本車種から通算して約80年の歴史に幕を下ろした。  . #天使のささやきの日. . #ツタンカーメン王墓発掘の日. . #ノアの洪水の日. . #千切り大根の日(#切り干し大根の日). . #雪の特異日. . #電子書籍の日. . #中部国際空港開港記念日. . #ガチャの日. . #国産なす消費拡大の日(毎月17日). . #いなりの日(毎月17日) . . #減塩の日(毎月17日). . #えんぶり(青森県八戸市) - 2月20日 . #コンボ独立記念日. . . ■今日のつぶやき■. #良い仲には垣をせよ(ヨイナカニハカキヲセヨ) 解説】 親しい間柄でも遠慮がなくなることは不仲のもとになるので、節度を守るべきだと云う事。 . . 1967年(昭和42年)2月17日 #岸谷香 (#きしたにかおり) 【シンガーソングライター】 〔広島県〕 《結婚前の姓名は#奥居香(#おくいかおり)》 . . (副都心線 北参道駅近辺) https://www.instagram.com/p/CLXz5AVlqRhQszCbB5ZIaFwPMWPH1Gq53giBhs0/?igshid=3jh749ifg2g
0 notes
cardamomoespeciado · 4 years
Text
北海道「100年続く路線廃線」で考える街の再生
10/23(金)
東洋経済オンライン
北海道「100年続く路線廃線」で考える街の再生
 JR北海道の厳しい経営状況を伝える報道が相次いでいる。その象徴が廃線。2015年の高波やその後の台風による土砂流出などの被害の影響で運休し、バス代行運転が行われている日高本線の鵡川ー様似間(116㌔)が来年4月に廃線になる。JR北海道と沿線7町が合意した。10月23日に覚書を締結する。
 日高本線(苫小牧ー様似)のルーツは、1927年(昭和2年)に国に買収された苫小牧軽便鉄道・日高拓殖鉄道(苫小牧ー静内)だ。その後の延伸工事で1937年に様似(様似町)まで開通した。
 日高本線は太平洋沿岸の美しい海の光景とサラブレッドが放牧されているのどかな牧場風景を眺めながら旅ができる素晴らしい路線だった。そして、地元の高校生の通学の足でもあった。だが、2015年に鵡川ー様似間が運休になって以来、ついに復活の日は訪れなかった。 
■廃線にするのは惜しい日高本線
 日高本線は、2016年にJR北海道が発表した単独維持困難路線の1つで、1日あたりの平均輸送量を示す輸送密度(1日1キロ当たりの平均人数)は年々減少の一途をたどっていた。
 鵡川ー様似間の輸送密度は、1975年(昭和50年)には1740人だったのが、1989年(平成元年)には538人に減少。高波被害直前の2014年(平成26年)には186人と、1975年の10.7%の水準にまで落ち込んでいた。
 2014年の乗車実績を駅ごとに見ると、鵡川ー様似間全25駅のうち乗車人員が1日100人を超えていたのは静内(新ひだか町)219人、鵡川(むかわ町)130人、富川(日高町)109人の3駅のみ。13駅は1桁で、「1人以下」が2駅ある。これでは高波被害がなくても存続は厳しかったかもしれない。
 しかし、廃線にしてしまうには何とも惜しい路線である。筆者は10年以上前の初秋、襟裳岬を訪れるために苫小牧ー様似間を往復したことがある。当時の車両は「昭和55年新潟鉄工所製作」のディーゼルカーだった。そのときの様子をつづった文章があったので、一部を引用したい。
 〈鵡川を過ぎたあたりから車窓の景色を楽しむ気分になってくる。ちらほらと牧場があらわれ、馬がのんびりと草を食んでいる様子を眺める。汐見という小さな駅(小屋みたいな建物がポツンとあるだけ)を過ぎると、右側に太平洋の大海原が近づいてくる。波に日差しがきらきらと反射し、きれいだ〉
 〈厚賀を過ぎると右手に海がどんどん迫ってくる。まさに波打ち際を走り続けるのである。波しぶきがかかりそうなほど近い。高波の時は大変だろうな。大狩部(おおかりべ)はホームの真ん前が海。塀があるだけだ。90年代のテレビドラマの撮影地の看板がうら寂しい〉
 〈静内では上り列車とのすれ違いのためか20分以上も停車時間がある。乗客の多くは列車を降りて駅舎で一休み。苫小牧から1時間半以上が経っていた。売店で手作りのほかほかのおにぎりを買い求める。素朴な味がいい〉
 〈静内を過ぎ、春立のあたり、原野の中の林を抜けると車窓全体に牧場の光景が広がってくる。ヒマワリを小さくしたような黄色の花が咲き乱れ鮮やかだ。サラブレッドたちがくつろぐ牧歌的な景色が浦河まで続く。苫小牧を出て3時間以上、11時過ぎに終点の様似に到着。146㌔を平均時速50キロぐらいでのんびり走ってきたことになる〉
 〈帰路。駅の前が牧場になっている絵笛駅に着く直前、突然、警笛が鳴り、列車は急停車した。何が起きたんだろう。窓から身を乗り出して前方を見ると、鹿の親子がゆっくりと線路を横切っている。その姿を追うように牧場から3頭の鹿がやって来て、これまた線路を横断。のどかな光景である〉
 〈静内で下校中の女子高生の集団が乗り込んできて、一気ににぎやかになった。彼女たちは席が空いているのに座ろうともせず、おしゃべりに夢中だ。そのうち彼女たちは携帯を取り出し、一心不乱に見入っている。都会の電車内と変わらない光景だ〉
 細かな記憶違いはあるかもしれないが、輸送密度が250人ほどあったころの日高本線の様子である。振り返れば「旅情あふれる絵になる路線」だった。
■土砂流出で線路が浮き、橋梁は崩れ落ちたまま 
 運休になってからの日高本線がどうなっているのか、被災後、2017年、2019年と現地を二度訪れた。
 昨年5月に現地を訪れると、鵡川駅に苫小牧からの2両編成の列車が到着し、20人ほどの乗客が降りてきた。列車を撮影している人もいる。駅前に待機していた代行バスに乗り込んだのは数人だった。
 車で被害の大きかった豊郷と清畠の間にある慶能舞川(けのまいがわ)橋梁に向かう。橋げたを残して橋梁は途中からなぎ倒され、枕木を下にした、ひっくり返った形で放置されている。晴れた穏やかな日だが、このあたり一帯は物凄い強風だ。被災時はもっとすごいことになっていたのだろう。
 次に向かったのは波打ち際にある大狩部駅。列車代行バスの停留所から短いトンネルをくぐって駅に向かう。コンクリートで覆われた小屋が待合室。中には代行バスの時刻表と運賃表が貼られている。
 ここは本当に海が近い。海岸から線路まで10メートルほどしかないのではないだろうか。路盤が流出し、線路が湾曲し、一部が宙に浮いた形になっている。高波被害のすさまじさを実感する光景だ。
 災害から5年以上が経ったが、被災現場は風に吹かれ、波に打ち付けられるまま。総額で86億円にも達する復旧費用を負担する財政的な余裕はJR北海道にも沿線自治体にもなく、もはや復旧の見込みはない。来年4月1日、日高本線の鵡川ー様似間はついに廃線となる運命だ。
■過酷な経営実態、営業距離は半減 
 JR北海道管内では、今年5月に札沼線(1935年開業)の北海道医療大学ー新十津川間が廃線となった。昨年3月末には石勝線夕張支線(新夕張ー夕張間 ルーツは1892年開業の北海道炭礦鉄道夕張線)が運行を終え、2016年には留萌本線(1910年開業)の留萌ー増毛間が廃止された。
 NHKの朝の連続テレビ小説『すずらん』(1999年放映)のロケ地になった恵比島駅がある留萌本線は全線廃線がささやかれている。
 さらに映画『鉄道員(ぽっぽや)』の舞台になった幾寅駅がある根室本線(1921年開業)は、幾寅駅がある新得ー東鹿越間が、2016年の台風被害による影響でバス代行運転中だ。今後も、単独維持困難線区や被災線区では廃線の可能性がちらつく。※開業年は旧国鉄以前を含む。
 利用客が少ない北海道の鉄路は大半が老朽化し、インフラの維持や工事に多額の費用がかかるうえ、冬季の保守管理が大変だ。分割民営化後もJR四国と並んで経営難が続いている。そこへコロナ禍が襲った。
 2020年度の収入はガタ減りだ。JR北海道の島田修社長は10月14日の会見で、2020年度の事業による減収が400億円に上るとの見通しを明らかにした。
 これを踏まえ、人件費などの削減のほか、2021年3月期ダイヤ改正で「減便減車」を検討するという。JR北海道の2019年度連結決算は営業利益が426億円の赤字、経常利益は過去最大の135億円の赤字となった。鉄道事業では23線区すべての収支が赤字だった。
 第4四半期のコロナ禍の影響による減収が響いた。2020年度は、それに輪をかけた影響を受けることになる。経営環境はますます厳しさを増しているのが実情だ。道内の鉄路すべてを維持していくのは容易ではない。
 一方で高速道路をはじめとする高規格幹線道路の建設は拡大の一途。JR北海道発足当時の1987年(昭和62年)にわずか167㌔だったのが、2016年(平成28年)には1093㌔に延びている。
 その結果、旧国鉄時代に4000キロあった北海道内の鉄道営業距離は、2020年5月現在、2488㌔にまで減少した。約4割の大幅減である。今後も、輸送密度の低い路線はバスに転換されていく可能性が高い。
 JR北海道の経営実態や体力を考えれば、すべての路線を維持していくのは困難だろう。しかし、明治以来100年以上も続いた鉄路をいったん廃線にしたら、もはや元には戻らない。
 厳しい冬を乗り切るために生み出されてきた耐寒、耐雪をはじめとする北の鉄道ならではの技術改革や保守点検・整備技術の蓄積は貴重な財産だ。廃線で現場から技術者が離れていくデメリットは大きいだろう。農産物や海産物、酪農品の主要輸送手段だった歴史、地域の中核的な公共交通機関だった歴史も過去のものとなってしまう。
■活用の可能性は本当にないのか
 本当に活用の可能性はないのか。北海道は日本を代表する観光資源の宝庫であり、広大な土地がある。こうした資源と鉄道を組み合わせた、鉄路再生計画は考えられないものか。今年8月には、JR北海道が東急の車両を使った豪華周遊列車「ザ・ロイヤルエクスプレス」(2人1室利用で1人68万円から)の運行を実施した。
 富裕層相手の超豪華版だけでなく、一般観光客が利用できるようなプランがあってもいいし、輸送密度の低い線区を中心に走るコースがあってもいいのではないだろうか。
 さらに言えば、廃線は鉄道事業者だけの問題だけではない。北海道や地域の自治体の問題も大きい。かつては駅が街の中心だったが、現在は駅前は廃れ、ショッピングモールや飲食店などが集まる郊外の幹線道路沿いが賑やかになっている地域が多い。
 これは全国的な傾向であり、駅周辺に魅力が乏しいために人が利用しないのだろう。鉄路を残すためには街づくりを根本的に考え直さなくてはならない。
 1つのヒントになる事例がある。2022年に、JR北海道で20年ぶりに新駅が誕生するというのである。
 新駅建設が計画されている場所は、JR札沼線の「あいの里公園ー石狩太美」間で、当別町にある菓子メーカー、ロイズコンフェクト(ロイズ)のふと美工場から300メートルほど南側に位置しているという。
 ロイズと当別町がJRに請願し、建設費を負担する「請願駅」の形式だ。札幌市内から約30分という近郊で、ロイズは工場の見学施設などを充実させて観光客を呼び込む計画で、当別町も自動運転バスの運行や周辺開発を進める、と伝えられている。
■企業や大学との連携も
 つまり、駅に人が集まる仕掛けづくりを道や地域自治体が、企業や大学などと組んで行うのだ。馬などの動物と触れ合えるノーザンホースパークのようなテーマパーク、温泉を活用したドイツのバーデンバーデンのような長期滞在型タウン、特産品を活用した新工場建設など豊かな観光資源と土地資源、特産物などを活用したアイデアを自治体サイドでも考えていく必要があるのではないだろうか。
 東京一極集中解消策のひとつの柱である移住や、企業移転の動きも大きなチャンスだ。コロナ禍が続く今はインバウンドも来ず厳しい局面だが、10年後、20年後を見据えた「再生物語」が生まれることを期���したい。
1 note · View note
abcboiler · 4 years
Text
【黒バス】no day but today/只今日已ガ或
2017/01/29 発行コピー本web再録
明日も明日も明日も来ずとも
今日と今日と今日が在ります
   明日も明日も明日も死すとも
今日と今日と今日を逝きます
         「先生、センセ、どこにいるんですか」
「もう見つけている癖にわざとらしい。さっさと来い」
 四月の頭は春の���乱。薄青い空は、桜花の気配を反射して柔らかく香る。春の季節は花よりも短い命だ。先生はこの季節が一等お好きなので、常日頃閉じこもる部屋から、この時ばかりは、あちらこちらへと、凧より不確かに、童より落ち着き無く彷徨っている。
 春。あらゆる芽生え。美しき目覚め。
「たまには、先生の方からお越し頂いても良いと思うんですけどね」
 サテ、どのようにあんな所へ登られたのかしらん、と丁寧に手入れされた庭をぐうるり見渡せば、咲き終えた桃の木の陰に梯子が立てかけられている。どれだけお誘いしても動こうとしない偏屈な男は、こんな時ばかり行動をするのでこちらとしても苦笑いを浮かべるより他に無い。初めて雪に出会った犬が、気でも違ったかのように走り回るように、初めての衝撃は人を狂わせるものだ。先生は、何年を過ぎても、春に初めて出会う獣だ。所々の釘に緑青が浮き出た屋根の上、黙ったまま遠吠えをする。
「先生、今月の原稿」
「そこにある」
 高台にある先生の屋敷の屋根からは、東京の平屋が見渡せる。えいやらこいやと屋根を登った功労者を労わることもなく、先生は眼下の街を指差した。否、指したのは、己の書斎の、黒檀の書斎机なのだろう。目を閉じるまでも無く、あの沈黙に包まれた部屋で沈黙を守る原稿が見えた。
「なんというか、これは、アレだ」
「なんだ」
「優秀過ぎてつまらないなあ」
 緑間先生が、〆切を過ぎたことは一度も無い。俺が先生附きになってから、本日まで。三度目の春を迎えても尚。
 何を馬鹿なことを、という目で先生は俺を見た。この国には珍しい、否否、恐らく唯一であろう、明るい若葉の瞳が俺を写して瞬きをする。それ以上言葉を接ぐのは億劫になったのか、先生は花に霞む橙色の街を見ながら呟いた。
 春は五月蝿いな。春ばかりは、こうも五月蝿い。
   *
「なんと言いますか、編集になったら、というか、他の輩はね、先生の原稿を追っかけ東奔西走、京都の旅館で芸妓さんと戯れてる所をとっ捕まえ、陸奥の炉利端で魚焼いてる所をとっ捕まえ、浅草で芸妓と戯れ等してるのをとっ捕まえね、必死に連れ戻しちゃあ見張って、追い立て、原稿を取り立てているんですよ」
「芸妓ばかりか」
「そうですね、真ちゃん以外はね」
 半時ほど屋根の上で黙りこくっていた先生は、突如立ち上がると俺に一言も告げずに、その大きな身体に見合わぬ機敏な動作でひょういひょいと梯子を降りて屋敷の中へ戻っていってしまった。慌てて追いかければ、台所でじいっと鉄瓶を沸かしている。思考の一つもその原動力も解らないけれど、何故だか先生の原稿だけは西洋の錬金術かと紛うばかりの不可解さでもって、〆切までに現れている。そうしてまた、尚の事不可思議を極めることに、この原稿がまた読みやすく、人の情緒に潜り込むのである。
「その呼び方はやめろと何度も言っているだろう、高尾」
「はいはい」
 実際の生活に於いて、人の心など微塵も解するつもりの無い先生は、二人分沸いた湯でもって、己の分の茶だけを点てた。矢張りその侭、俺を無視して部屋へ戻るので、こちらも此の呼び方を変えるつもりはない。というのも、元はと云えば、冬だから酔わねば為らぬ、付き合えと突如言い出した先生が、存分にしこたま酒を喰らい、湯水のように酒を煽り、泥酔の挙句、飲んだ酒の分だけ語り、笑い、己でこの愛嬌ある呼び名を漏らしたのが悪いのである。
 高尾、お前は己がまだ罪悪に目覚めていなかった頃を覚えているか。幼い頃? それは幾つだ? 五つか六つ? 馬鹿を言うものじゃない。子供など罪悪の根源なのだよ。悪辣の化身よ。それより以前だ。尤も最たる無罪は生まれた瞬間だ。その時だけが赦されている。はは、ははは、俺もその頃は、先生等という、何者でも無い呼び名など無かったが、ふん、今や名前に意味など無いな。お前もそうだろう? お前の名前は『文芸青い森』氏だろう。人など、どうせ記号と象徴に消えて逝くだけだ。足掻いてもがいて縋らなくては、己の名前など、母しか知らん物になる。何だ其の顔は。俺にも母くらい居るに決まっているだろう。お前は珠に俺を神か悪魔かと勘違いしている。母だけが俺の名前を知っている。ははは、真ちゃんとしか呼ばれなかったがな。ははははは。笑い声は母の連なりだ。はははは。
 翌日、記憶を無くさなかった真ちゃんが、悪鬼も裸足で逃げ出す形相で、昨晩は忘れろと迫ってきたのも懐かしい。
「真ちゃんは面白いなあ」
「そうか。お前は大概失礼な奴なのだよ」
 曲がりなりにも、文士と編集という関係で、そこまで砕ける奴がいるか、と、そう言いながら真ちゃんは原稿を投げて寄越す。俺の無作法を許容しているのだから、なかなかどうして、そちらも同じ穴の狢と思う。原稿の枚数だけを確認して鞄にしまいこんだ。まだ日にちは有るので、ゆっくり線を引けば良い。つくづく、人間性は置いておいて、優秀すぎる男だった。
「そもそも、文を書くため文を書き、文に殉じて文士になったのに、何故書かない? その時点で理解に苦しむな」
「学生になったからって、勉学に励む奴ばかりとは限らないでしょ?」
「ああ。確かに居るな。ふむ、懐かしい。赤司なんかは、貴方達に教わることなど無いと、教授を片端から論破して、後は圖書館に引き篭るか、どこかへ流れてばかりいたし」
「そうじゃあない。そんな飛び出した奴のことじゃない」
 赤司といえば、恐ろしく有名な華族の一派だと思うが、まさかそこの嫡子のことではないだろう。先の戦争でいち早く物流に目を付けて、いざ火薬が飛び交う頃には全ての武器から薬剤、食料、布、それらの元締めを押さえていたという恐ろしい先見の一族。緑間という苗字も相当名の知れた家であることは間違いないのだが、赤司と繋がりがあるというのなら、それは兵器と身内ということだ。その経歴から只者ではないことは知っていたが、この男は想定を簡単に超える。
「そもそも、何故、作家になぞなろうと思ったかね」
「何度も話しただろう。生きる意味だ」
「何度も聞いたけど、全く解りませんね」
「わからなくていい。お前とは考え方が違う。お前もそう思っているのなら、お前は作家になっている」
 高尾、俺はな、人として生まれたからには、何かを残さねばならないと信じているのだよ、と真ちゃんは説く。何かを生まねば、生まれてきた甲斐が無い、と。
「俺は、今しか信じない」
 此処に存在するものが全てで、此処で己が感じたものが全てで、それ以外は存在していないのだと。故にその存在を残すのが、己が役目だと彼は信じている。
「未来などなくていい。永遠に訪れないものになど興味は無い。俺は今生きていればそれでいい。今、生きているのだから、人として生きた証を残せればそれでいい。それが、俺が死んだ未来も残るというのなら面白い。それだけだ」
「そんな生き方、苦しくねえの」
「明日は死ぬかもしれないが、昨日は既に夜かもしれないが、何、どうせ生きるのは今日だけなのだよ。何を気負うことがある」
 縁側で茶をすする姿は、一見して平穏の象徴のようだ。陽射しが反射して黄金に降り注ぐ庭は赤詰草が地面を覆い尽くし、小さな丸い花を細かくつけている。桃の木の下には薄紫の碇草、垣通。黄色い鬼田平子は縁側から飛び出すように伸びているし、廂の下には烏柄杓が弦を巻いている。
 春は目覚めで、春は狂乱だ。緑に埋もれて、緑の人は、静かに目を細めている。その中身が烈火よりも尚熱いことを、どれほどが知るだろう。迂闊に触れれば火傷どころか、その覚悟の前に骨から燃やし尽くされることを。
「…………それじゃあ今回も完璧な完成原稿をありがとうございました」
「はい、お粗末さまでした」
「今、何を考えてるの?」
「春は五月蝿いなということを」
 この五月蝿さは、どうすれば伝わるのだろうな、という真ちゃんの目には、静寂ばかりが見える。
   *
「仕事を寄越せ」
「先生が仕事人すぎて俺は本当に怖い」
 一週間ぶりに真ちゃんの書斎を訪れれば、原稿用紙およそ三百枚の束を押し付けられながら、淡々とそんなことを言われるので思わず頬が引き攣るのを感じる。物量はそのまま圧力である。質量保存は精神に及ぶ。たった二枚半の書評を書くのに三ヶ月先延ばしにしている作家もいる中で、この男は一週間でこれを書き上げ、次を求める。先生の全集の編集作業だけはやりたくない。
「っていうか、そもそも俺、こんな原稿依頼してたっけ」
「自主的に書いただけだ」
「嘘だろ」
「別に載せろというつもりはない。が、一応渡しておく」
「『春について』か。まんまだね」
「己でまとめられそうに無いから三百で書いた。捨ててもいいし、どこぞの穴埋めにしても良い。使う時の許可もいらん。ただ、使うなら半分は削れ。この話に三百は無駄だ。削る場所はお前が決めていい」
「珍しいね、真ちゃんが最後を人に任せるなんて」
「まだ俺には早かったんだろうな」
 欠伸をしている所を見ると、どうやら完成したばかりらしい。人���として規則正しい生活が最も原稿を進めるのに適していると信じているこの人は、朝は必ず六時に目覚め、夜は十一時に床につく。お役所の方だって、ここまで時計に忠実には動くまいという正確さだ。ただし、どうも先生の中では、最終の区切れ目があるらしく、その一線を超えると、後は書き終えるまで一睡もしない。それが例え残り三枚であろうが、五十枚であろうが、関係なく。それはただ彼の心の中にのみ存在する線であるので、俺から調節することは不可能だ。今回は、どうやらその線を随分と早く踏み越えたようだった。
 興味本位でぱらぱらと原稿をめくるが、几帳面な文字が整然と並び、所々自身で入れている赤ですら、列を成して整っている。いつも通りの、緑間先生の完成稿である。性分とはいっても、これはあまりに厳格が過ぎる。
「真ちゃんの原稿、誤字脱字なぞは勿論あるけどさ、全部自分で赤入れてあるから、それ以外の、つまり、真ちゃんも気づいていない誤字、一度として、見つけられたことが無いんだよなあ」
「当たり前だ。読み直した時に気がつくだろう」
「普通は見落とすんだよ。普通はね」
 この、自主的に書いたという、いうなれば仕事でも何でもない手遊びの原稿だって、どうせ一文字も狂いが無いに決まっているのだった。
 とはいえど、俺の担当している文芸でこれ以上真ちゃんの頁を増やした日には、雑誌の名前を『月間緑間』に変える必要が出てしまう。一度も原稿を落とさないから、重宝されているのだ。重宝しすぎた。一人だけ、連載のように一定の頁を持っているから、完全にうちの紙面は緑間で成り立っている。成り立ちすぎて、緑間専用誌にならぬように編集長まで確認しているくらいなのだ。どこか別の所で、今月穴を開けそうな所はあったかと皮算用している俺に、真ちゃんは淡々と繰り返した。それで、仕事はないか。
「真ちゃん、うちで長期の連載もあるし、随筆も持ってるし、他誌でも連載してるし、珠に寄稿なんかもして、若手の同人の書評もしてるでしょう」
「別にそれくらいだろう」
「それのどこがそれくらいなのか教えてくれ」
 間違いなく、今、真ちゃん以上に書いている輩などいない。あまりに節操なしに手当たり次第に書くものだから、批判的な所からは「飢えたハイエナ」「そこにあるものは全て食らおうとする卑しさが見える」とか好き勝手言われているほどである。実際は超上流階級特権階級育ちの、血統でいうならこの日本でも十には入る一族の嫡男なのだが。
「書かせろ。何でもいい」
 確かにこの欲求は、そう評されても仕方が無い程過激である。というより、そんな事を適当に並べ立てる彼らの中の誰も、緑間真太郎がここまでの基地外じみた文字狂いとは思っていないだろう。文字を食らって、文字を吐いて呼吸しているような人だ。その姿勢を知っているひと握りは、こと緑間真太郎に対しては口をつぐむ。触れたくないのだ。その真摯さは、その一途すぎる情熱は、少しでもその道に足を踏み入れたことがある者からすれば恐怖の対象である。
「真ちゃんは、もう少しばかり、遊びっていうものを覚えてもいいんじゃないの?」
「遊び?」
「うーん、座敷遊びとか」
「お前、経費で行きたいだけだろう」
「そんなことありませんよ」
 本当だ。真ちゃんと一緒にそこに行って、面白いとは思えない。いいや、綺麗な人の形をした花に囲まれて、ずっと物騒な顔をしているこの男を見るのは面白いかもしれないが、それは花遊びではないのだ。どうせなら俺は花を愛でたい。日向の庭に咲く小さな明かりではなく、夜の行灯の下で賑やかに艶やかに咲く方をね。まかり間違っても、この男ではない。
 この男を見るのは楽しいが、夜の花と一緒に愛でる、ものでは、無い。
「興味が無いな。そんなことに時間を割くなら、一文字でも多く書くし、一つでも多く学ぶだけだ」
「でも、世界が広がるかもよ?」
「何だと?」
 今まで全く反応を示さなかった真ちゃんは、ぴくり、と眉をあげた。この男は、兎角、視野だとか世界だとかの広さを気にする。見えなければ書けない、俺は見たことが無いものを書く事はできない、というのが口癖だ。そもそも、俺がこの偏屈に最初に認められたのも、俺の視野の広さによるものなのだから。徹底しているといえば徹底している。
「そういった、遊びだとかに興味が無いって云うのはさ、其れ等のものに命を賭けている人や、それに関わる物事を無視してるってことだろう? 人間の命題の一つとして、堕落だって書かないといけないんじゃあないの?」
「もう堕落を題材にした話は書いたのだよ」
「そうでした」
 半年前の原稿を思い出して肩を落とす。あらゆる堕落の果てに辿りついた人生のどん底で、男が周囲を恨み妬みながら、次第にその気力すら無くしていく話。最後は真冬の酒場の前で、真っ白な雪に埋もれて息絶える。読んでいるだけで、こんな人間の屑がいるものかと呆れ果てたし、其の男と己の共通点を、読み進めるほどに見つけ出してしまって苦しくなっていった記憶。
「何で真ちゃんは或れが書けたんだ……」
「周囲に堕落している人間が多かったからな」
 見たことがあるものは書けると言っているだろう、という真ちゃんは、何を思っているのだか、暫く難しい顔で考え込んでいた。
「しかし、お前の言うことも一理ある」
「お?」
「そういった遊びも、知識として必要なのかもしれん」
「いいねいいね」
「黄瀬にでも連絡をとって」
「却下」
 突然出てきた名前に慄きながら、俺は咄嗟に真ちゃんの肩を掴んだ。不満げな顔が俺を見下ろすが、今、俺はお前の心の大事な、こう、柔らかい部分を守ろうとしているのだ。少女が一人物騒な夜道を歩こうとするのを引き止めるのと同じ理である。そんな顔をされる筋合いは無い。
「黄瀬クンは止めよう」
「何故」
「何で先生は突然そう、段階をすっとばすかな!」
「こと遊興にかけて、あいつに適う者はいないだろう」
「いないよ。いませんけどね? いきなり上級者の最高級品にいってどうするのって話」
「どうせなら最高のものを体験したほうがいいに決まっているだろう?」
「先生は本当に頭が良いのか、俺は突然わからなくなる」
 黄瀬といえば今、帝国劇場で押しも押されぬ一の役者だが、その分、女遊びも派手なことで有名だ。というより、女の方から寄っては散り、寄っては散りしているのだろう。一度だけ、真ちゃんに連れて行かれて楽屋まで行ったが、あれは他人に興味など全くない類の人種だった。というより、懐いた人間以外、全て同じに見える、という、素直すぎる男である。この世は好きか無関心。
 あらゆる人間の細かな差異に、いちいち目くじらを立て腹を立て、文句を言うような真ちゃんとは真逆に位置しているのだろう。故に、思考は合わないが相性は良い。好かれた人間にのみ構って欲しがる男と、誰にでも平等に構うが、一見ではその意味に気がつけない男。
 だからこそ、黄瀬は、誰彼構わず、請われるがままに適当に相手をし、そして何彼問わず、適当に流してあらゆるものをやってのけるのだ。そんな男に任せたら、間違いなく戻って来られないような世界に案内される。それも善意で。黄瀬にできるあらゆる接待で歓待するのだろう。
「高尾?」
「赤司といい黄瀬といい、どうして他者巻き込み破滅型の人間が真ちゃんの周りには多いんだ……? 普通作家自身がそうであるものじゃないのか……? それともやっぱり真ちゃんが実は破滅型で、類は友を呼んで……?」
「高尾、聞いているのか」
「はい、すみませんなんでしょう」
「それならお前が連れて行ってくれるのか?」
「はい?」
「お前もなかなか遊び慣れていそうではある」
「何ソレ。真ちゃん���そんな風に俺のこと思ってたの?」
「違うのか?」
「若い頃は色々やりました」
「だろうと思っていたのだよ」
 黄瀬と比べるべくもないが、しかし周りと比べれば、どうだろう、なかなか俺も堕落した人生を過ごしていたことには違いなかった。金になるならと闇まがいのこともしたし、その辺の店で得体の知れぬ使いっぱしりをしたり、野菜をかっぱらったり、適当な女の家に厄介になったり、まあ、それなりに。嗜みとして。
「俺は若い頃に何もできなかったからな」
 そう、しみじみと漏らす真ちゃんは、まるでもう寿命を終えるような口ぶりで話す。まだ二十も半ば、男の盛だというのに。まだ世間では若いと言われるような歳で、真ちゃんが振り返る過去は学生の頃のことなのだろう。
「家のことだけだ。言われるがままに言われたことをこなしただけだった。俺自身のものなど何も無い」
「それも十分立派だと思うけどね」
「そうだな。悪くない。それは決して悪いことではない。俺は赤司の生き方を否定はしない。家を守り、家に殉じ、家を遺す生き方は誠実であるだろう。だが俺は我が儘なのだよ」
「存じ上げていますけどね」
「俺が遺したかったのは緑間の家ではなく、『緑間真太郎』という存在だったからな。フン、ついぞ理解されなかったが、仕方が無い。誰も間違っていないのならば、そこにはただ違いが残るだけだ」
「しかしまあ、よく出してもらえたよな」
「というより、作家になると言ったら絶縁されたからな、なんとも気楽な自由の身なのだよ。最高だ」
「最高とか言うなよ。周囲から見たら驚きの凋落だわ」
「そうか? 誰だって自由には憧れるものだろう? 俺ほど羨ましがられる人間は他にいるまい」
「その自信も凄いけどね」
 それで、お前はどこに連れて行ってくれるんだ、と言う真ちゃんの中で、もうどこかへ遊びに連れて行かれることは確定しているらしい。何で俺が、と思わなくもないが、何せ言いだしっぺが此方なので、何とも断りにくかった。かといって、彼と花街には行きたくない。絶対に。絶対にだ。ならば残る選択肢は少なかった。
「……すき焼きでも食べに行く?」
「すき焼き」
「食べたことある? 流行りだして店も増えているけど」
「無い。うまいのか」
「まあ、うまいね。牛肉をね、こう、甘っからく煮て、そこに生卵をかけてね、白米かなんかと一緒にかっこむの」
「行く」
「先生は、案外、食に対して貪欲だよなあ」
   *
 最近は晴れてばかりの陽気だから、地面は乾いて歩きやすい。乾きすぎて土煙が上がっているくらいだ。真ちゃんは歩く時、あまり音を立てないが、そのあまりに高い上背と、緑の出で立ちは人目を引く。俺も背は高い方だけれど、真ちゃんの隣では子供のようだ。
 人目を引くから外に出たくない訳ではなく、単純に不精なだけの真ちゃんは、先程からすれ違う女生徒達の一種の欲を秘めた瞳にも全く気がつかないらしい。やれやれ。どれだけ若くても女は女。そして朴念仁は朴念仁らしかった。
「真ちゃんは、だれかとお見合いとかしないの」
「何故見合いなんだ」
「真ちゃんが自主的に自ずから恋に落ちると思えない」
「失礼だな」
「恋に落ちるの?」
「女とそんな関係になったことはないな」
 あっさりとそんなことを言ってのける、この男の作品の中には、男女間の恋愛を描いたものもそれなりにあった筈だが、当の本人はこの言い草だ。恋は目に見えない。彼にとって、堕落を知るのが周囲の人間を介してであるように、恋愛も、周囲を介して学んでいるのだろう。
 あまりにも人間としては不適当だが、それが文壇にて脚光を浴びるのだから世も末である。
「しかしまあ、見合いも無いな。家からはもう一切の連絡が来ないし、たいした関係も無い輩から持ってこられても断るだけだ。かといって、世話になった人からそういった話が来るとも思わんしな」
「何で」
「お前は、見合いの相手として俺を紹介したいと思うか」
「思わない」
「そういうことだ」
それは自分で言って悲しくなりやしませんか、と思うのだが、真ちゃんからすれば、それはただの事実、の一言らしい。客観が過ぎるのも考え物だと思う。簡単に言えば、可愛げがない。指摘されて慌てふためく姿に人は愛嬌を覚えるのであって、開き直られたのでは腹が立つだけである。彼は圧倒的に後者だった。それも、特別に質が悪い。
「真ちゃんが誰かとお見合いなんてすることになったら、真っ先に教えてくれよ」
「何故」
「真ちゃんの悪口を百個くらい言って、期待の度合いを下げておいてあげるからさ」
「迷惑極まりないな」
花の香りと砂交じりの風に巻かれながら辿り着いたのは、最近このあたりにできたばかりのすき焼き屋。幟が風にはためいて、白く抜かれた文字が裏返っている。
 俺の隣にいた真ちゃんは、「ここだよ」と指し示す俺を追い抜かすように暖簾をくぐりながら、
「そもそも俺は、女に対してそういった欲求を抱いたことがない」
「え?」
 そんな意味深長なことを言って俺を困惑させるのだった。
 暖簾は紺で、緑はとっくに女中の案内を受けている。
   *
「うまい」
「良かった」
「これは良いな。良いものが来た。良いものが現れた。これは残るぞ。これは残る」
「意外だな。真ちゃんは、こういうハイカラな物は嫌いだと思ってたけどね」
「嫌いなことがあるものか。新しいというのは、それだけで意味があることだ」
 すき焼きが出てきた瞬間、眼鏡の奥の瞳がきらめいたと思えば、そこからは一言も喋らず淡々と箸を進めるだけだったので、これは気に入ったのだろうなあと眺めていたら、締めの雑炊まで食べ終わって、真ちゃんはやっと満足げな息を漏らした。そしてこの言いざまである。どうやら相当に、お気に召したことは間違いなかった。
「あんまり、新しいものが好きっていう印象は持っていなかったけど」
「新しい文化はいつだって迫害される。迫害され、追いやられ、蹴落とされても残ったものは本物だ。ただそれを待てばいい。自ら追いかけるほど暇ではない」
 本物は残る。本物はいずれ耳に届く。お前が俺をこの店に連れてきたようにな、と続ける姿は、堂々としていていっそ小憎らしい。俺が一度ここに来ていて、ここなら出汁も効いているし、真ちゃんも好きだろうなあと、思ったことまで見透かされているようで猶更である。
「それにしても、そんなに新しいものに興味はないだろ」
「ただ、俺は新しいものに自分の調子を崩されるのが嫌いなだけなのだよ」
「それって結局嫌いなんじゃん」
「そうかもな」
 新しくなくなればいいのだから、時は偉大なのだよ、と言う、真ちゃんは手元に運ばれてきた茶碗を確認している。藤色に瑪瑙のような緑色。今までこんな色の茶碗を見たことは無かったけれど、これも西洋の文化と共に流れてきたのだろう。まるで俺の考えていることがわかるかのように、真ちゃんは呟く。新しいな。これは新しいものだ。
「新しいものがどんどん流入してくる」
「そうね」
「悪いことではない。ことここにいたって、日本の遅れは目に余る。日清で勝ったからといって、この浮かれ様はなんだろうな。皆、心の奥にある不安を、黙って見過ごすこともできず、話を恐れて、綺麗に話題を避けた結果がこれだ。戦に勝った。日本は選ばれた。馬鹿馬鹿しい。一時の盛況は未来の浪費だ。自分の意見が無いというのは、迷惑をかけないという意味ではない。むしろ真逆だ。全ての罪悪は相手由来になる。新しいものを手にしなければ時代に取り残されるが、ただ流すのでは、いずれどこかでしっぺ返しを食う。それだけのことなのだよ」
「次の話の題はそれ?」
「『古き悪しきもの、新しき良きもの、愚か者』か? 語られ尽くしたという感は強いがな」
 すき焼きの話から、また真ちゃんの好きな原稿の話になってしまった。なってしまったというか、俺がそうさせてしまった。どうもつい、俺は彼の仕事癖に呆れている反面、先生にはこうであって欲しいという気持ちがある。どうしても。書いていて欲しい。何もかも。全て。
   *
「それで真ちゃん、すき焼きで何か学べた?」
「うまかったな」
「真ちゃん結局それしか感想言ってないけど」
「何だ? あそこのすき焼きの店でエッセイでも書けと? それならばそうと言え」
「違う。何で先生にそんな大衆雑誌の穴埋めみたいなもの書かせないといけないの」
「大衆誌は偉大だろう。結局、聖書を除けば一番読まれているのは新聞なのだから。大衆こそ国で、大衆こそ世界だ。大衆向けに作られているものは強い」
 何だかんだと食後のお茶までして、真ちゃんの家へと戻る道は、もう夕暮れの終わりだった。空は赤紫と濃紺の間で、複雑に折り重なっている。太陽はいくつもの細かい線になって、折り重なり絡み合い、木々の隙間を通り抜ける。家々は、夜より一足早く、軒先に行灯を下げていた。がらがらと、手水の水を捨てる音。豆腐屋の喇叭がどこかから木霊して、小石が小さく反射している。
 あたりが丸くぼんやりと光る中を、男二人でぽちりぽちりと歩いていく。
「そういえば、官能小説のようなものには、手を出していなかったな」
「何を突然」
「お前が言ったのだろう。花街に行くのも勉強だと。お前の所に、これ以上俺の話を載せるのは、紙幅の関係上無理であろうことは分かるし、他誌にも限界がある。しかし、俺はその分野には一切手を出していないからな。参入の余地はあるだろう?」
「何でそこに参入の余地を見出したんですかね」
 まるでさも名案を思いついたと言わんばかりの顔で、密やかに頷くものだから脱力してしまう。参入の余地があっても、入るべきでない場所は沢山ある。
 貴方は麻薬の密売の人手が足りないからといって薬を売りさばくだろうか? いや、別に官能小説が麻薬と言っている訳では無いけれど。けれど似たようなものだろう。
「今日は行かなかったが、次回、行ってもいいかもしれん」
「何でいきなりそんな乗り気なんですか」
「食欲性欲睡眠欲は、人類の三大欲求だろう。人類から性欲が無くなれば、それは滅びの時だ。逆に、性欲について傑作が書ければ、それは永遠になるのではないか?」
「先生は本当に馬鹿だなあ」
「何だと」
 鼻白んだ様子で真ちゃんが俺の顔を見やった時、丁度真ちゃんは屋敷の門を開けようとしていた。夜は徐々に深まっているとはいえ、まだ宵の始まりだ。行こうと思えばこれからだって、街にもう一度繰り出せるだろう。繰り出せる。俺たちは遊興に行けるだろう。
「嫌です」
「何故。遊べと言ったのはお前だろう」
「否、そうだけど、然様ですけど、真ちゃんと行っても、楽しくなさそうだし」
「別に、お前は帰るか、別の店にでも行くかすればいいだろう。というより、同じ場所にいることは無いと思うが」
「いやいや、それでも」
 真ちゃんと一緒に行って、真ちゃんを、見るのは、面白いだろうと、思う。思うが、俺は、どうせなら花を愛でたい。日向の庭に咲く小さな明かりではなく、夜の行灯の下で賑やかに艶やかに咲く方を。まかり間違っても、此の男ではない。此の、人では、無い。
「俺、先生のこと好きなんですよ」
「そうか」
 此の人では、無いと思うのに、此の人が、女を抱いている所を想像したく無かった。それが嫉妬でなくば何だろう。
この様な形で自覚をするのは、自分としても御免被りたかったのだが、しかし己の思うままに己が動いてくれるのならば、人が過ちを犯すことなど無いのだった。
「だから、先生のこと連れて行きたくないです」
「そうか」
 俺は此の人に世界を見て欲しいと望むが、その世界に俺がいないことが耐え難い。其の我が儘な感情を、俺は知っている。恋だ。これは紛うこと無き愚かな恋だ。周囲を巻き込んで、破滅していく、はた迷惑な恋なのだ。
「……それで、何だ高尾その顔は」
「なんか、思いのほかあっさりと受け入れられてびっくりしてる顔ですね」
「何を言う。お前は俺をどんな朴念仁だと思っているのか知らんが、曲がりなりにも作家だぞ。人の気持ちが繊細なものであることはわかっている」
「真ちゃん……」
 淡々と告げる瞳に、侮蔑や嫌悪は見えない。本当に、真ちゃんは気にしていないのだろう。周囲が暗くなっていく中、まだ明かりを灯さない緑間宅の前は一層と暗い。ただ緑の光だけが、爛爛と輝いている。
「此れはあれだろう? 俺がお前からの告白を勘違いした所、『友達としてに決まっている』と言われ、恥ずかしい思いをするという」
「ちげえよ馬鹿! お前に期待したのが馬鹿だった! っていうか逆だろそれ!」
「はあ?」
 真ちゃんは突然罵倒されて意味がわからないのか、一人で首を傾げているが、俺からすればその思考がわからない。何故だ。今のは話の流れでわかるだろう。返す返すも、何故ここまで人の心が読めない男が、作家などをやっているのか理解に苦しむ。
 その作品に雷鳴を撃たれ、こうして編集にまでなって追いかけている俺だって、他所から見れば、理解に苦しむのだろうけれど。
「恋愛として! 好きだって言ってんの!」
「は?」
 これだけ直截的に伝えているにも関わらず、全く理解が追いついていない様子なので、却って此方の方が落ち着いてきてしまった。開け放たれた門を挟んで、一人と一人。
「もういっかい言います?」
「頼む」
「恋愛的に、恋愛として、性的欲求の対象として、真ちゃんが好きです。だから真ちゃんを花街に連れて行くのは嫌なのでお断りします」
 しばしの沈黙。これは間違えたかと思ったけれど、真ちゃんは体中の錆び付いた螺子をぎしぎしと動かして、掠れた声で呟いた。
「帰れ」
「え?」
「かえれ。かえれかえれかえれ」
 門が唸りをあげて、あらゆる軋みを訴えながら勢いよく閉じられる。がしゃん、という音が地球の裏まで響き渡って、俺は少しはみ出していた脚を強く打ち付ける羽目になった。脛である。人体の急所である。
「原稿は来週の水曜日には仕上げておく!」
 その叫びは、家の中へと走り込みながら発されたのであろう。俺が顔をあげた時に、後に残るは舞い上がった砂と哀れな男、則ち、俺のみであった。
「逃げ足、早すぎるだろ……」
 ああ言われてしまえば、俺は来週の水曜以降に訪れることしかできない。基本的に、困難には拳で立ち向かっていくような男だと思っていたのだけれど、流石に同性に告白されて、尚立ち向かうことは出来なかったか。
 しかしそれにしても、ハテ、「俺がお前の告白を勘違いする」というのは、どういう意味なのだろう。
 勘違いの仕様が、無いではないか。勘違いする筈が無いのである。何故って、「高尾和成が緑間真太郎のことを友情として好きである」或いは「恋愛として好きである」のどちらの解釈をしたとしても、それを「勘違い」と、真ちゃんが思う筈が無いのだ。「『高尾和成が緑間真太郎を恋愛として好きである』という『勘違い』をしてしまう」ためには、それには、つまり、真ちゃんが、俺のことを、好きでなくては、いけないじゃないか。そうでなくては成立しない。己の内に秘めた恋心に、迂闊に触れられそうになった時、「勘違いしてはいけない」と、人は己を守るのだろう。
 真ちゃんが、俺のことを好きで、好きだから、俺からの告白を「これは友情の告白なのだから勘違いしてはいけない」と解釈したの、だと、すれば。
「ええ……」
 顔が、首から段階を踏んで熱くなっていく。今すぐこの門を乗り越えて会いに行きたいのだけれど、恐らくそんなことをすればあの先生は本当に拳で殴ってくるに違いないので、此度は大人しく退散するより他に無い。
    *
「二科展に行く」
「珍しい」
「どうしても野暮用でな」
 覚悟をして出向いた水曜日、出不精である筈の男が珍しく外套などを着て、今にも発たんや、と謂わんばかりの出で立ちで門を開けてくるので、すわこれはまた逃げられるのか、と思いきや、どうやら本当に用事らしい。珍しい。
「紫原の作品が出ているらしい」
「紫原ってあの?」
「あのがどのかは知らないが、そうなんじゃないか」
 紫原といえば、これもまた古くからある名家の一つである。一つであるが、最近はそこの嫡男が、春季賞を二期連続で受賞したと新聞に載り、そちらの方が有名である。
「俺の家の茶器は全てあいつのものだぞ」
「やめてやめて知りたくありません。俺、普通に脚で押したりしていた」
「茶菓子が好きだったから、それが高じてそこまで行き着いたらしいが、詳細は知らん」
「知らないのかよ」
「黄瀬と青峰が話をしていたのを聞いただけだからな」
「今、日本国軍陸軍長官の家名が聞こえた気がするのは無視させて頂きますよ俺は」
 玄関先の立ち話で、出すような名前では無い。つくづく、目の前の男は、圧倒的な権力の知己が多過ぎる。数える程しか友人などいない癖に。
「真ちゃんの交友関係が恐ろしいのだよな、俺は」
「そうか?」
「あらゆる世界のトップと繋がっているだろう」
「腐れ縁だ」
「腐れ縁って」
「初等部の時に同じ組だった」
「恐ろしい場所だなそれは」
 別に、五歳だか六歳だかの子供に、何が出来たということも無いのだよ。肩をすくめながら、真ちゃんは奥の書斎へと消えていく。原稿は案の定仕上がっているらしい。このままここで待ちぼうけても良いのだが、何とはなしに落ち着かず、後を追いかけて書斎へ入った。途端、投げて寄越された原稿用紙の束。
「『改題、春の目覚め』?」
「以前お前に『春について』を渡しただろう。まだどこにも出していないな? あれは捨てておけ。こちらに差し替えろ。書き直した」
「あゝ、自分で削ったのか」
「そうだな、それに、少々足した」
 以前の原稿は既に下読みを終えてあるが、半分削るというのはそう簡単に出来る作業でもなく、未だどこにも出されず俺の机に眠っている。最初の数ページを読めば、出だしから既に変わっていたので、これは削ったというよりほぼ書き直しに近いのであろう。
「今回の原稿」
「何だ」
「珍しく、こう、表現が柔らかいというか、迷っているというか、これはこれで人間味があって俺は好きなんだけど、真ちゃんらしくないというか」
「五月蝿い」
「これってもしかして俺のせい?」
「五月蝿いと言っている」
 俺を無理矢理押しのけて、真ちゃんは出かけようとする。構いはしない。どうせこの家に戻ってくるのだろうし、緑間真太郎は書かずにはいられない。それを載せるのは俺の仕事だ。けれどしかしまあ、成程。知っていなければ書けないと、真ちゃんは何度も繰り返し言っていたが、他人から聞いていたものが、いざ自分のものとなると、文章はここまで変わるものだろうか。
「認めちゃいなよ。俺のこと好きでしょ、先生」
「うるさいうるさい黙れ死ね」
 春はうるさい、と真ちゃんは叫ぶ。もう既に桜は殆ど散り終えて、木には濃い紅の萼を残すばかりだ。それでも空気は柔らかく、庭の雑草は軒並み���に向かって体を伸ばしている。���。春。この世の春。
「世界も広がるんじゃないの。今までに無い恋愛体験、禁断の恋、参入の余地が」
「…………それでどういう話を書けというんだ」
「ううん、そうだなあ。お話にするなら悲恋? 考えようによってはね、相当の悲劇を演じられるとは思うけど」
「周囲に理解されず心中?」
「そうそう、そんなの」
「つまらないな。つまらない話だ。そんなもの」
「ありゃ」
 ばっさりと、切って捨てられ俺は思わず笑ってしまう。まあ、己の告白を悲恋に昇華しろというのもノンセンスな話ではあった。門を開けば、悲劇など起こりそうに無い、春の一途。
「俺はな、人間が強いという話を書きたいのだよ。どれだけ脆かろうが弱かろうが、最後には立ち上がり、己が道を掴むという話だ。俺はそれが好きだ」
「俺には好きって言ってくれない癖に」
「馬鹿だな。たった今、お前が好きだと言ったのに」
 読解力を養った方が良いんじゃないか、とおもしろそうに笑って、真ちゃんは俺を置き去りに、馬車を呼び止めて乗り込んでいってしまった。滝のような言葉に、俺はただ呆然と立ち尽くしている。春が五月蝿いと文句を言っていた男は、それこそ、その象徴のような嵐であった。
 門の内側に取り残された俺は、彼が帰ってくるまで、良い子に留守番などしていないといけないのだろう。手の中に残された原稿を、めくる。改題、春の目覚め。もともとは三百枚あった原稿は、随分と薄くなっており、俺はあっという間に半分以上読み進めてしまう。
 「……あ、誤字」
  皆が浮かれて騒ぎ立てる、春は今、目覚めたばかり。
   ―――春の陽気を長閑等と形容する者も居るが、私にはどうもそれが理解し難く感ぜられる。先ず、目を開けた瞬間の眩しさがいけない。冬などは慎ましく、夜明けは暗闇からじわじわと染み入って来るものを、春に成った途端、光は遠慮無しに襖の紙を透かして部屋の中を踊ってゐる。それではと硝子戸を開けてみれば、庭には繁縷や鬼田平子が我先にと手を延ばし、虫の羽音や近所の子供の数え歌、此方は一人だというのに、彼方からも其方からも、やれ花の香りだ絹の空気だと、全身に春を訴えて来る。之を如何に長閑と形容しよう。私は春に対し五月蝿いとしか思わない。穏やかと云う優しさは、冬にこそ已、赦される可きで或る。冷たく密やかに息づいていた心は、有無を言わさず起出され、其処ら中を跳ね回って、己が物とは思えぬ程掴み難く辟易する。口は勝手に賛美歌を歌い、足は気が付けば屋根へと登る。其れ等全て、春の成す業で或る。春の所業で或る。此れを五月蝿いと形容せず如何に成ろう。私はこの五月蝿さを、愛してゐるに違い無いのだから。
緑間真太郎著『春の目覚め』より抜粋
0 notes
Text
20200704
山行記・甲斐駒ヶ岳登拝
Tumblr media
南アルプスの名峰、甲斐駒ケ岳に登った。標高2,967mの峻険。日本三大急登と称される黒戸尾根を辿る。
Tumblr media
中央が甲斐駒ヶ岳。左はアサヨ峰。(数年前に撮ったもの。)
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
ギンリョウソウ
Tumblr media Tumblr media
裸足で登る猛者と遭遇する。自分が一番最初に登り始めたのだがあれよという間に15人程に追い越され気付けば最後尾に。何人かの女性を含め全員私より健脚者だった。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
ここを通ったのか行き帰りともにあんま記憶が無い。
Tumblr media
登り始めて約7時間、山頂へ到達。祠には草鞋が奉納されている。祭神は大貴己命(大国主神)。
Tumblr media
裸足の青年。心に壁の無い気持ちのいい人でなんだか懐かしい感じがした。他の登山者や飯を食っている私の前でいかに野糞が素晴らしいかや野糞研究家の伊沢正名について力説し、そのサイン入りTシャツを見せては皆をポカーンとさせ、裸足登山の効能について話したり他の人も裸足にさせたりしていたが彼の言っている野糞研究者がキノコ写真家の伊沢正名だということや裸足登山の話をアーシングの理屈につなげて返せるの俺だけだと思う。学生時代の友達のように屈託なく話した後お互い名前も連絡先も聞かずまたどっかの山でとだけ言って皆それぞれ下山していく後ろ姿は少し悲哀を帯びてやけに美しい。
Tumblr media
花崗岩の砂礫により麓からは真夏でも山肌に雪が被っているように見える。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
鳳凰三山。写真だと分かりにくいが地蔵岳のとんがり(オベリスク)が目立っていた。(知らんかったけどTumblrアプリだとテキスト投稿の写真でもタップすると高解像度の元画像が展開されんですね。)
Tumblr media
以前登った日向山。去年あそこで足がつって死ぬ思いをした。
数日前の梅雨の晴れ間、甲斐駒ケ岳に登った。2017年の夏の終わりに登山を始めてから3年の間気になっていた山だが自分の足に自信が持てず敬遠してきた。3年…思えばアルコールを止めるのと入れ替わりに始めた道楽である。神さまかなんかに執着してきたものを差し出すかのように手放した時新しい何かがドアを叩く。それは恐らく真理だが、招き入れるかどうかはまた別の話だ。
風呂場で頭から冷水を被って夜中の2時に家を出る。爆笑問題の深夜ラジオを聞きながら夜中に一人で遠出する感じは久々な気がした。
途中御坂峠で道路の真ん中でぼけっとしている鹿にぶつかりそうになりながら2時間程で尾白川渓谷駐車場に到着。竹宇駒ヶ岳神社で安全を祈願して4時に登拝開始。日の出前なのでヘッドランプを装着する。薮の中でカモシカの目が怪しく光っていた。
日本三大急登��呼ばれる登山道は確かにきついことはきついのだが辺りの暗さから足下を警戒したり獣の気配を探ったり一時間半置きに設定した休憩のことに気を取られている内に体感の距離が麻痺してくる。ただ登りの行程の7分目も過ぎた辺りから肩で呼吸し始め三歩足を出しては立ち止る感じに。登山日の二日前まで一月連続で月200kmペースのランニングをしていてその悪影響もあったかもしれない。
山頂辺りはずっと雲に覆われており登頂後も眺望はナシ。地獄なのは下りからで、あれこんなに長かったっけ?とかこんなきつい坂登ってきたんだなと認識した瞬間誤摩化されてた疲労がしっかりと体に戻ってくる。切り株が女の人の頭に見えたり意識が朦朧とする。登りで顔見知りになってた名古屋から来た男性と合流し色々話しながら下る。爽やかでもの静かな人。若い頃の奈良美智に似ている。
眺望の無いうんざりする程長い下りと渓谷に滞留する湿気、陰気なハルゼミの鳴き声、足先の激痛に加え飲み水も切らし本当に辛かった。なんとか16時30分に下山。4時に登り始めて12時間半の山行で、三年前に登ってたら多分リタイアしてたと思う。今回の山行は先のことやゴールに意識がいってしまい思考の中に生まれた距離が実際の距離を余計苦しく感じさせた。
山で知らん人と話すのは楽しく苦しさも紛れてありがたいのだが、山行の後に残る言語化できない「何か」や捉えた気配のようなものが消えてしまう気がしてもどかしく感じる。だが考えてみると、道を求めて山に入っていることすら忘れてしまうこと、目的を忘れることこそが老荘的「悟り」の境地である気もするわけで、求道的な態度はむしろ不純だ。あー楽しかった、人と話した、きつかったで終わり。何も残らない、それでいいのだ。
0 notes
genron-tomonokai · 7 years
Text
[友の会メール]ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校 第4期の募集を開始!
◆———◇———◆———◇———◆———◇———◆———◇———◆———◇———◆
[友の会メールvol.289] ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校 第4期の募集を開始!   (2018年1月23日配信)
◆———◇———◆———◇———◆———◇———◆———◇———◆———◇———◆
こんばんは!スタッフの堀内です。 昨日の東京は記録的な大雪でした。交通機関の乱れなどで、ご苦労をされた方も多いかと思います。また今週は厳しい冷え込みが続くとのことで、防寒対策を心がけていきたいですね。
さて先日、今年4月開講のゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校 第4期の募集を開始いたしました! 受講生によるバトルロイヤル展覧会システムを継続し、展覧会を成功させるチームワークと、その中で抜きん出る強さ、そしてなにより実力が鍛えられる充実のプログラム! もちろん超・豪華講師陣も健在です! 定員は25名、先着順での受付となり、定員に達し次第、受付を締め切らせていただきます。 どうぞお早めにご検討ください! http://school.genron.co.jp/gcls/
また5月には『ゲンロン8』(特集 ゲーム)、そして石田英敬さんの『一般文字学入門』と小松理虔さんの『浜通り通信』の単行本が刊行予定です(タイトルはすべて仮。刊行時期は予告なく変更する可能性があります)。 春からの躍進に向けて目下、奮闘中の編集部! どうぞご期待ください!
それでは以下、今週のカフェ&編集部からのお知らせです。
◆◇ ゲンロンカフェからのお知らせ  ◇———◆———◇———◆———◇———◆
◇◇ 今週・来週の放送情報 ———————————————————————————
◆1/24(水)19:30- 【生放送】佐々木敦×東浩紀 「思想(1st cycle)」【ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 第3期 #15】 【チャンネル会員限定・生放送】 http://live.nicovideo.jp/watch/lv310177778 【講評・無料生放送】 http://live.nicovideo.jp/watch/lv310177748 ※無料放送分についてはタイムシフトを公開しません。
◆1/25(木)13:00- 【再放送】井上明人×鳴海拓志×簗瀬洋平 「VRは私たちに何をもたらすのか? ——変わりゆく<現実(リアリティ)>と、その社会的インパクトについて」 (2017/4/26収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv310453977
◆1/25(木)18:00- 【再放送】佐々木敦×柴那典×輪島裕介 「ヒットの崩壊の、その先に ——日本の音楽カルチャーの『内と外』を問い直す」 (2017/3/30収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv310454009
◆1/26(金)13:00- 【再放送】平田オリザ×佐々木敦 「現代口語演劇はいかに更新されたか?」 【ニッポンの演劇 #4】 (2016/06/28収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv309796135
◆1/26(金)19:00- 【生放送】田中功起×梅津庸一×黒瀬陽平 「いま、日本現代美術に何が起こっているのか #2.5 ーー個と集団から考える現代美術(仮)」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv310176743
◆1/27(土)14:00- 【講評・無料生放送】宇川直宏 ×黒瀬陽平 「グループ展D」 【ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校 第3期 講評会 #4】 http://live.nicovideo.jp/watch/lv310179588
◆1/28(日)19:00- 【生放送】津田大介×東浩紀 「あいちトリエンナーレと芸術の現在」 【ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #3】 http://live.nicovideo.jp/watch/lv310176846
◆1/29(月)18:00- 【再放送】宮台真司×東浩紀 「2017・秋の陣」 【ニッポンの展望 #6】 (2017/11/20収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv309793288
◆1/30(火)18:00- 【再放送】津田大介×ばるぼら×さやわか 「あなたが日本のインターネット史について知っていることはすべて間違いである」 (2017/7/6収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv310477045
◆1/31(水)18:00- 【再放送】西田亮介×吉田徹 「日本で民主主義は機能したか? ——西田亮介編『民主主義』(幻冬舎新書)刊行記念イベント」 (2016/3/9収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv310477132
◆2/1(木)13:00- 【再放送】田中治久(hally)×柴那典×Saitone 「チップチューンはどこから来て、どこへ行くのか?」 (2017/10/20収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv310477272
◆2/1(木)18:00- 【再放送】大澤聡×杉田俊介×東浩紀 「批評と運動のあいだで ——ゼロ年代、ロスジェネ、非モテ」 【論壇の現在地 #3】 (2016/10/29収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv310477486
◆2/2(金)13:00- 【再放送】 夏野剛×黒瀬陽平×東浩紀 「男たちが語るアナと雪の女王 ――なぜクリストフは業者扱いなのか」 (2014/6/9収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv310477827
◆2/2(金)18:00- 【再放送】五十嵐太郎×さやわか×大澤聡 「メディア/都市/コンテンツ ——『1990年代論』から考える」 (2017/10/6収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv310477969
◇◇ 現在視聴可能なタイムシフト ———————————————————————————
◆1/24(水)23:59まで 【再放送】小松理虔×津田大介×東浩紀 「福島は思想的課題になりえたか——浜通り通信全50回完結記念トーク」 (2017/7/21収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv310135876
◆1/25(木)23:59まで 【再放送】鴻英良×危口統之×黒瀬陽平 「ラディカルな芸術とはなにか ——芸術祭におけるアーティストと観客」 (2016/4/28収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv310136035
◆1/25(木)23:59まで 【生放送】中島隆博×東浩紀 「カントと孟子が語り合う ーー『道徳を基礎づける』講談社学術文庫版刊行記念トークイベント」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv310137123
◆1/26(金)23:59まで 【再放送】さやわか×ふみふみこ×里咲りさ×西島大介 「『qtμt(キューティーミューティー)』第1巻刊行記念イベント」 (2017/3/26収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv310136232
◆1/27(土)23:59まで 【チャンネル会員限定・生放送】横山了一×西島大介×さやわか 「ネット」【ゲンロン ひらめき☆マンガ教室 #11】 http://live.nicovideo.jp/watch/lv310138989
◆1/30(火)23:59まで 【再放送】大澤聡×佐々木敦×さやわか×東浩紀 「ゼロ年代以降に批評はあったのか ——『現代日本の批評』2001-2016を収録直後の討議メンバーが語る批評の15年」 (2016/8/14収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv310136435
※ご視聴は23:59まで可能ですが、ご購入できるのは視聴終了日の18:00までです。ご注意ください。
◇◇ 今週のおすすめアーカイブ動画 ———————————————————————————
◆【vimeo】津田大介×東浩紀 「2017年徹底総括! おれたちはポピュリズムに勝てるのか ——「ポスト真実」の時代』刊行記念対談」 【ニッポンの放談 #3】 https://vimeo.com/ondemand/genron20171224 (2017/12/24収録)
◆【vimeo】さやわか×西島大介×東浩紀 「マンガを再生する——ひらめき☆マンガ教室キックオフイベント」 https://vimeo.com/ondemand/genron20170120 (2017/1/20収録)
★ゲンロンカフェ Vimeo On Demand 公開動画一覧 https://goo.gl/ycdtJe
◇◇ 発売中の会場チケット ———————————————————————————
◆1/26(金)19:00- 田中功起×梅津庸一×黒瀬陽平 「いま、日本現代美術に何が起こっているのか #2.5 ーー個と集団から考える現代美術(仮)」 https://peatix.com/event/338736
◆1/28(日)19:00- 津田大介×東浩紀 「あいちトリエンナーレと芸術の現在」 【ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #3】 https://peatix.com/event/336388
★New!★ ◆2/9(金)19:00- 佐藤大×さやわか×東浩紀 「サイバーパンク放談 #2 ーー『ブレードランナー2049』は傑作なのか、あともろもろ」 https://peatix.com/event/341001
★New!★ ◆2/20(火)19:00- 野中モモ×ばるぼら×野口春美(DIGITAL BISCUIT) 「『日本のZINEについて知ってることすべて』刊行記念トーク ーー90年代テクノ編」 http://genroncafe0220.peatix.com
★New!★ ◆2/21(水)19:00- 夏野剛×東浩紀 「2020以前/以後——東京はこれからどうすべきか」 【ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #4】 https://peatix.com/event/338982
★New!★ ◆2/23(金)19:00- 辻田真佐憲 「2018年・国威発揚の回顧と展望 ——政治的コンテンツはどこへ向かうのか?」 【愛国コンテンツの未来学 #9】 https://peatix.com/event/340658
◆◇ 五反田アトリエからのお知らせ   ◆———◇———◆———◇———◆———◇
開催中の展示
◆2018年1月20日(土)-1月28日(日) ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校 第3期生展覧会グループD 『逃げ水追い』『弔われざるもの』『ebb and flow』 ※本展では、グループDへの参加作家が、さらに3グループに分かれています。
開廊時間:平日15:00~20:00 / 土日13:00~20:00 ※但し1月27日は講評会のため、開廊時間は16:30〜20:00となります。
出展作家: 『逃げ水追い』 高木文香 / 辻野理恵 / 渡川豐也 / 中川佑梨 『弔われざるもの』 西吉利 『ebb and flow』 新井健 / 牧野亮希(cottolink) / こまんべ / 小御門早紀 / 村井智 / 吉田無能
展覧会情報はこちら→http://ebbandflow.jp/
先週末より、新芸術校第3期生による展覧会、第4弾が開催中です! 今期のカリキュラムは「サバイバル」型。 4グループに分かれて行われる展示の第4予選、 グループDは最も多い受講生が参加する展示となり、 2フロアを使った見応えのある展示となっております! 第4期受講生の募集もはじまり、今もっとも注目される美術学校のひとつとなった新芸術校。 受講生たちの作品をどうぞお見逃しなく!
(藤城嘘/カオス*ラウンジ)
◆◇ 編集部からのお知らせ   ◆———◇———◆———◇———◆———◇
★『ゲンロン7 ロシア現代思想II』発売中! https://genron.co.jp/shop/products/detail/144 →こちらから試し読みもできます https://issuu.com/genroninfo/docs/genron7issuu/34
★毎日出版文化賞受賞『ゲンロン0 観光客の哲学』発売中! https://genron.co.jp/shop/products/detail/103 →こちらから試し読みもできます https://issuu.com/genroninfo/docs/genron0issuu/36
★友の会第8期入会はこちら! https://genron-tomonokai.com/8th/
◆11/7に『現代日本の批評 1975-2001』が講談社より単行本として刊行されました。 http://amzn.to/2vdCAfC
◆「ゲンロン友の声」サイト、質問募集中です! 知られざるTumblrサイト「ゲンロン友の声」では、 友の会会員のみなさまからお寄せいただいたご意見・ご質問に対して、 東浩紀をはじめとするスタッフがお返事を差し上げております。ご要望などもお気軽に! http://genron-voices.tumblr.com/
先日は「ロブスターの権利?」というご質問に、東浩紀が答えました! https://tmblr.co/Zv9iRg2UJrK5L
◆◇ ゲンロンスクールからのお知らせ   ◆———◇———◆———◇———◆———◇
★ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校 第4期の募集を開始! 受講生によるバトルロイヤル展覧会システムを継続し、 展覧会を成功させるチームワークと、その中で抜きん出る強さ、 そしてなにより実力が鍛えられる充実のプログラムとなっています。 もちろん超・豪華講師陣も健在! http://school.genron.co.jp/gcls/
◆◇ 東浩紀 執筆・出演情報   ◆———◇———◆———◇———◆———◇———◆
◆『日本経済新聞』夕刊「プロムナード」欄に、東浩紀が毎週金曜日にエッセイを連載中です! 最新の第3回は「よそものが作る地域アート」です。 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO25680470V10C18A1KNTP00/
◆『AERA』の巻頭エッセイコーナー「eyes」に、東浩紀が隔週で連載中です! 最新の第26回は「お笑いがどこまで社会を『気にする』べきなのか」です。 https://dot.asahi.com/aera/2018012200042.html
これまでの記事は朝日新聞のウェブサイト「.dot」で全文をお読みいただけます。 https://dot.asahi.com/keyword/%E6%9D%B1%E6%B5%A9%E7%B4%80/
◆◇ その他のお知らせ  ———◆———◇———◆———◇———◆———◇———◆
◆友の会会員のみなさまへ
<クラス30以上の座席確保サービスについて> ご好評いただいております座席確保サービスですが、 お席の希望のご連絡を、当日16:00までに いただけますよう、よろしくお願いいたします。
<登録情報の変更について> お引越しなどの理由で、ご登録いただいている住所や電話番号、 メールアドレスなどに変更があった方は、 友の会サイトのフォームから申請をお願いいたします。
会員サービスページ https://genron-tomonokai.com/service/
※株式会社ゲンロンは、土曜、日曜、月曜は休業日となっております。 営業時間は、13時-21時です。 営業時間外のお問い合わせは、お返事が遅くなる場合がございます。 ご了承くださいます様、お願いいたします。
◆———◇———◆———◇———◆———◇———◆———◇———◆———◇———◆
株式会社ゲンロン 〒141-0031 東京都品川区西五反田1-16-6 イルモンドビル2F tel.03-6417-9230 / fax.03-6417-9231 http://genron.co.jp Twitter:@genroninfo
1 note · View note
muraoka-net · 8 years
Photo
Tumblr media
#越後雪かき道場2017 シーズンスタートです(^O^)/ #除雪ボランティア2017 の季節が始まりましたが、皆さんいかが(^-^;かなぁ...。 #ボランティア未経験者にオススメ な活動ですが、早々、簡単には行けるもんじゃありませんよね❗️ ・ 詳細は、パソコン💻などで、 dojo.snow-rescue.net または、 「 #越後雪かき道場 」 で検索(^-^)/ ・ んで、自分は 1/28(土)〜29(日)#新潟県#山古志村 (現在は#長岡市山古志 ) 2/4(土)〜5(日)#山��県#酒田市日向 地区 (ひゅうが) へ、#中越防災フロンティア 取りまとめの活動は、2件参加します٩( 'ω' )و ・ ※ちなみに...。上記の酒田も対象ですが、#山形県庁#やまがた除雪志隊 「じょせつしたい」w、に登録すると#交通費宿泊費 (両方か片方か、県庁の予算編成次第(⌒-⌒; ))が、50%〜100% #補助対象になる そうです🎶 ・ #来冬から越後➡︎羽後に変更しようか.. (苦笑) ・ では、夜勤4日目➡︎明日とあさって休みなんで、今朝みたく常磐線で2度も寝過ごし :(;゙゚'ω゚'):しない程度で働いてきます٩( 'ω' )و @nagashima.asako (長岡市役所 山古志支所)
0 notes
kuroda-kanbee · 7 years
Text
数年分のコピペ012
4月 28, 2017 並みの上司:答えを教える。優れた上司:質問を投げかける。部下に答えを見つけさせることのほうが、答えそのものより大切である(「仕事は楽しいかね2」)
4月 27, 2017 怖い化合物としては、ニッケルテトラカルボニルNi(CO)4、通称ニコヨンも有名でしょう。「liquid death」(死の液体)とも呼ばれ、一酸化炭素の100倍も有毒といわれます。ある有機金属化学の教科書には「この化合物の臭いは知られていない。嗅いだ者は全員死んでいるからである」という怪談めいた但し書きがついていました。 作ってはいけない : 有機化学美術館・分館(via shinoddddd)
 50 :名無しさん@1周年 [↓] :2017/04/27(木) 20:13:21.30 ID:mzGD4Ilw0 (1/6) ■安保法案に反対を表明した有名人 Shelly 高田延彦 長渕剛 久保田利伸 渡辺謙 笑福亭鶴瓶 中居正広 今井絵理子 美輪明宏 瀬戸内寂聴 高畑勲 宮崎駿 坂上忍 渡辺えり 鈴木奈々 大竹忍 大竹まこと 茂木健一郎 マツコデラックス 大江健三郎 ビートたけし 竹下景子 太田光 太田光代 樹木希林 須藤元気 ラサール石井 坂本龍一 香山リカ 古賀茂明 星田英利 津田大介 山田洋次 吉永小百合 野際陽子 倍賞千恵子 井筒和幸 山本晋也 是枝裕和 大林宣彦 周防正行 綿井健陽 小山内美江子 益川敏英 小澤征爾 赤川次郎 富野由悠季 安彦良和 三木谷浩史 落合恵子 小熊英二 アナログフィッシュ佐々木健太郎 アジアン・カンフー・ジェネレーション後藤正文 くるりギタリストの岸田繁 石田純一 仲代達也
■安保法案に中立を表明した有名人 ロンブー淳 
■安保法案に賛成を表明した有名人 百田尚樹 青山繁晴 すぎやまこういち 田母神俊雄 フィフィ コンス竹田 津川雅彦 曽野綾子 田崎史郎 森本敏 勝谷誠彦 松本人志 ホリエモン
64+1 :名無しさん@1周年 [↓] :2017/04/27(木) 20:14:22.73 ID:mzGD4Ilw0 (2/6) ●特定秘密保護法案に反対した有名人一覧(故人含む)●
◇俳優 大竹しのぶ、菅原文太、奈良岡朋子、野際陽子、倍賞千恵子、吉永小百合、利重剛、渡辺えり
◇映画監督 井筒和幸、岩井俊二、大林宣彦、神山征二郎、是枝裕和、崔洋一、周防正行、高畑勲、 降旗康男、宮崎駿、山田洋次、山本晋也、りんたろう ◇脚本家・劇作家 小山内美江子、鴻上尚史、橋本忍、平田オリザ、山田太一
◇音楽家 伊藤銀次、おおたか静流、大貫妙子、坂本龍一、高橋幸宏、なかにし礼、湯川れい子
◇作家 浅田次郎、大岡玲、角田光代、椎名誠、瀬戸内寂聴、中村うさぎ、村上龍
◇ジャーナリスト・キャスターなど 秋山豊寛、池田香代子、永六輔、江川紹子、大沢悠里、大谷昭宏、小川和久、荻原博子、 金平茂紀、鎌田慧、川村晃司、岸井成格、見城美枝子、佐高信、佐野眞一、澤地久枝、 高野孟、田勢康弘、田原総一朗、津田大介、鳥越俊太郎、ピーター・バラカン、二木啓孝、 堀潤、毛利甚八、森達也、吉岡忍、吉永みち子
◇学者 浅田彰、上野千鶴子、内田樹、大沢真理、小熊英二、加藤典洋、加藤陽子、金子勝、姜尚中、 栗原彬、小森陽一、佐和隆光、汐見稔幸、白川英樹、高橋哲哉、田中優子、中沢新一、 野田正彰、樋口陽一、益川敏英、山口二郎、鷲田清一、和田春樹
4月 14, 2017 元キャバ嬢の友人が、この仕事に染まって一番ヤバいと思ったのは、貞操観念や金銭感覚が狂うことじゃなくて、男友達と普通に飲んでる時にふと「なんでこいつタダで私と飲めてるんだろ?」と思ってしまうことだと言っていて、確かにそれはKOEEEE!!ってなった。ifさんのツイート (via gkojax)(80236から)
4月 14, 2017 オタクの本質は反体制ではなく反権威。 この違いは判りにくいようで実は結構大きい。 そして現在の教員・教授やマスコミ出身者が多くを占める左翼陣営は反体制ではあるが知名度・学閥・資産に拠った権威主義の塊。 左翼言論がオタクから嫌われる… https://t.co/m1mE2h6faF 擲弾兵さんのツイート (via auxo)(元記事: gkojax (auxoから))
4月 12, 2017 王は世界にいくらいても許されるが、皇帝は世界でひとりしか許されない そのため 人類は2000年以上、たったひとりの皇帝の正当な地位を得るために戦争を繰り返してきた 十字軍遠征、モンゴルの長征、、、、、、、、 ところが、皮肉にも、最期に勝ち残ったのは、ローマ帝国皇帝でもモンゴル帝国皇帝でもなく、日本の天皇陛下だった そう、現時点において、現存する世界で唯一かつ最古の皇帝が、天皇陛下なのだ。 これがどれだけすごいことか、外国人はわかっていても、当の日本人はまったく 知らない ローマ法王とエリザベス女王は、天皇陛下と同席するときは上座を譲る慣例になっている 世界中どこに行っても、相手の元首を呼びつけるローマ法王が、日本に来たときだけ 自ら天皇陛下のところに足を運び、日本語で挨拶と演説をされた。 eddy tumblr 昭和天皇の崩御のときに、この辺は思い知りましたよね、われわれ。 参列の順番とか、英語での表記とか。 (via reretlet) 2008-11-16 (via gkojay) (via kml) (via konishiroku)
4月 12, 2017 天保年間の「打ちこわし」 浅間山の噴火で江戸では米の値段が暴騰し、味噌等も便乗値上げ…… そんな中で起きた打ち壊しで10万軒もの商家が完全破壊されたんだけど、 ・どさくさに紛れて悪事を働かず ・人間には一切危害を加えず(死者・重傷者なし) ・米や金を盗むものがいればみなでこれを止め ・女子供を参加させず ・めざす商家以外には隣近所に迷惑をかけず ・打ち壊す前にまず火の元を消火 参加者は下層町民を中心に5000人。 途中で休憩を入れられるほど統率の取れた集団だった。 しかも、なんと首謀者なし! この現場を見て呆れた役人が書き残した言葉が 「まことに丁寧礼儀正しく狼藉つかまつり候」 天明の打ちこわしをやりとげた民族なめんなw (via drhaniwa) (元記事: 2nnlove.blog114.fc2.com (trinityworks-interestから))
4月 12, 2017 国際基準と日本基準で標準温度の設定が異なっていて、国際基準だと居住空間の快適温度は22度、日本基準だと28度なんです。なので、航空会社じゃなくて日本が高すぎ or 世界が低すぎ説がありまして。 だからアメリカのスタバも飛行機も寒いんですよ!!! (via otsune)(morisovaから)
4月 9, 2017 1. 自分の短所を、人の長所とくらべない Never compare your weaknesses to other people’s strengths.  十人十色。人それぞれ得意なものもあれば、不得意なものもある。  人のものさしで、自分を計らない。  あなたの良いところは、唯一無二。 2. 本当の人生は、安全地帯の外に広がっている Life begins where your comfort zone ends.  居心地の良い場所にいつまでもいると、何も新しいものに出会えない、得られない。  片足だけでも、未知の領域に踏みこんでみたら? 3. 完ぺき主義者の人よりも「とにかくやった人」の方が報われる The world does not reward perfectionists. It rewards those who get things done.  「まだ問題点があるから、やらない」 → 報酬ゼロ。  「問題点はあるけど、やってみる」→ 報酬あり。  「完ぺき」は、永遠に辿りつけない蜃気楼。  それよりも、走りながらフィードバックをもらって改善。 4. 喜べば、分かちあえる。嘆けば、一人ぼっち Laugh and the world laughs with you. Weep and you weep alone.  僕も、そろそろ傷ついた被害者のフリはやめて、笑おうかな。 5. 配られたカードは変えられない。どうやって手持ちのカードで楽しむか考えよう We cannot change the cards we are dealt, just how we play the hand.  そうだよな。才能もないし、金持ちでも、イケメンでも、美人でも、いい人格でもないけど、人生、がんばろっと。 6. 成功にむかう唯一の方法は、はじめにたくさん失敗すること The only way you are going to have success is to have lots of failures first.  はじめに、小さい失敗、素早い失敗、たくさんの失敗をしてしまおう。 7. 「まわり」を変えようとするよりも「自分」を変えようとするほうが賢い Yesterday I was clever, so I wanted to change the world. Today I am wise, so I am changing myself.  最もダイレクトに影響できるものだけに集中せよ。  そう、それは「自分」だ。 8. 「『だれか』あれを解決しないのかな」と思ったとき、私がその『だれか』であると気がつく I always wondered why somebody didn’t do something about that, then I realized I am somebody.  問題点、改善方法、解決方法、実現方法が「見える」のか…!?  あんたが、救世主だったのか!  そんなときは、自分から進んで取り組もう。 9. 「生活」は、得るもので成りたつ。「人生」は、与えるもので成りたつ We make a living by what we get. We make a life by what we give.  自分のことだけ考えている人生は、さみしい。 earth in us. - あなたの毎日を輝かせる9つのことば (via darylfranz) (元記事: earthinus.com (rock-the-babyから))
4月 9, 2017 神道の神の名前である神名(しんめい)は、大きく3つの部分に分けられる。例えばアメノウズメノミコトの場合 1. 「アメ」ノ 2. 「ウズメ」ノ 3. 「ミコト」 となる。 この他に、その神の神得を賛える様々な文言がつけられることがある。例えば、通常「ニニギ」と呼ばれる神の正式な神名は「アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギノミコト」である。 神名は、1.の部分を省略して呼ぶことがある。また、民俗学・神話学など学術的な場面では神号(3.の部分)を略すことが多い。 「アメ」ノ(神の属性) [編集] 1.はその神の属性を示すものである。最も多い「アメ」「アマ」(天)は天津神であること、または天・高天原に関係のあることを示す。「クニ」(国)は国津神を表すこともあるが、多くは天を表わす「アメ」のつく神と対になって地面もしくは国に関係のあることを示す。「ヨモ」(黄泉)は黄泉の国の神、「ホ」(穂)は稲穂に関係のあることを示す。この部分が神名にない神も多い。 「ウズメ」ノ(神の名前) [編集] 2.はその神の名前に当たる。これもよく見ると、末尾が同じ音である神が多くいることがわかる。例えば「チ」「ミ」「ヒ」「ムス」「ムツ」「ムチ」「ヌシ」「ウシ」「ヲ」「メ」「ヒコ」「ヒメ」などである。これらは、神神習合が起こる前の各部族での「カミ」を指す呼び名であったとも考えられる。「チ」「ミ」「ヒ」(霊)は自然神によくつけられ、精霊を表す(カグツチ、オオヤマツミなど。ツは「の」の意味)。「チ」より「ミ」の方が神格が高いとされている。「ヌシ」(主)「ウシ」(大人)は位の高い神につけられる(オオヒルメノムチ(アマテラスの別名)、大国主など。「ムス」(産)「ムツ」(親)「ムチ」(祖)は何かを産み出した祖神を表し「キ」「ヲ」(男)「シ」「コ」(子)「ヒコ」(彦・比古・毘古)は男神、「メ」(女)「ヒメ」(媛・姫・比売・毘売)は女神につけられるものである。特に「メ」のつく神は、巫女を神格化した神であるとされることが多い。「コ」は国造(ミヤツコ)小野妹子など、元は男性を表したが、藤原氏が女性名として独占し、近世までは皇后など一部の身分の高い女性しか名乗れなかった事から、現代では女性名として定着した。 「ミコト」(神号) [編集] 3.は神号(しんごう)と呼ばれる。いわば尊称である。代表的なのは「カミ」(神)と「ミコト」(命・尊)である。「ミコト」は「御事」すなわち命令のことで、何かの命令を受けた神につけられるものである。例えばイザナギ・イザナミは、現れた時の神号は「神」である。別天津神より「国を固めよ」との命令を受けてから「命」に神号が変わっている。ただし、日本書紀では全て「ミコト」で統一している。特に貴い神に「尊」、それ以外の神に「命」の字を用いている。特に貴い神には大神(おおかみ)・大御神(おおみかみ)の神号がつけられる。また、後の時代には明神(みょうじん)、権現(ごんげん)などの神号も表れた。 神 (神道) - Wikipedia (via konishiroku) (via nemoi) (via jacony) (via vmconverter) (via bardiche-side-b) (via ukihiro) (via yawarakaatama) (via the9ball) (via sytoh) (via andi-b) (via bibidebabideboo) (via lovecake) (via mcsgsym)
4月 8, 2017 当時解せなかったのは、「お菓子に毒入れた事件」をわざわざ「グリコ森永事件」と命名したこと。今なら分かる。雪印倒産させたのと同じ勢力なんだろうな。 はるさんはTwitterを使っています (via ashzashwash) ロッテ以外が被害に遭った事件 (元記事: twitter.com (eleeleeleから))
4月 8, 2017 この間、夫がカンボジアに出張に行ってきたんだが。そのとき、現地の人に聞いた話が興味深かったので、書いておく。 大虐殺が起きた後の国は、どういう風になるのか。 カンボジアは、単一民族国家。という感覚で、カンボジア人はとらえている。クメール人が人口の90%を占めるから、確かに、単一に近い国家ではある。 「何が悲劇といえば、同じ民族同士で虐殺しあい、戦い合ったことだ」 と『虐殺の現場』となった元高校、その当時は拷問&処刑場になっていた収容所を案内しながら、その人は、以下のような感じで解説してくれたそうだ。 一般的には、インテリ層や都市住民が虐殺のターゲットになったとされているが、そんな簡単ではない。 最初は、教師や医師などインテリだったが、次第に理由はどうにでも付けられるようになった。 農園で作業中に「空腹に耐えられず、きゅうりを1本食べた」という理由でも、一族揃って殺された。 身内であるポルポトの軍隊の兵士も殺され、最後は、刑務所の看守も殺された。 収容されたほとんどの人が殺されたが、生き残った人もいる。 ここでは5人が生き残った。この5人は看守だ。 「あそこに立っている白髪のおじさん、あの人は、その中のひとりだ。ここでガイドをしている」 「じゃ、あの人は、ここで虐殺に関わっていたってこと?」と夫が突っ込んだら。 「そうだ」 「それで、なんの罪にも問われていないの?」 「問われていないね」 それはなぜかと言えば、そんな人はいくらでもいるから。 カンボジア人で、家族・親族、友人を殺されていない人なんていないぐらいだ。 それと同じぐらい、虐殺に関わった人も大勢いる。 ひとつの村があれば、そこにひとりやふたりはいる。 「復讐されたりしないの?」 「いや、ないね。普通に暮らしているよ」 「周りの人は、許しているの?」 「いや、もう、考えないようにしているんだ。『戦争にならなければいい』って」 案内してくれた人は、20代なので、虐殺を直接は見聞きしていない。 上の世代、私たちと同年代の30代、40代はリアルに体験している。 そこで断絶があるようで、リアルに体験した世代が、追求を諦めているそうだ。 で、その世代が口にする 『戦争にならなければいい』 というのは、1970年代後半のクメール・ルージュの虐殺以降、延々と内戦が続くのだが、そちらの方が、ずっと、カンボジア人にはトラウマとなっているからだとか。報道はあまりされていないが、ヘン・サムリン、クメールルージュ、ソンサン、シアヌークなど諸派三つ巴の泥沼の内戦時代が、さらなる悪夢だったそうだ。 「クメール・ルージュは隠さずやったけれど、その後は、隠れてどの派閥も、反対派を次々と消していたから」 夜中にさらわれて戻ってこない。 出かけたまま、行方不明に。 陰惨さは、クメール・ルージュに負けず劣らずだったそうだ。 なので、和平協定が結ばれて、平和が維持されるようになって以降、 「戦争にならなければいい」 という一点だけで、みな、非難しあうことはないし、罪に問うこともしないことになったそうだ。 そのぐらい疲弊した末の、平和。 「同一民族内で殺し合うと言うことは、そういうことだから」 あの民族が憎い。○○教は異端だ。共産主義者は許せない。 となれば、理由ははっきりしているし、敵として憎むこともできるかもしれない。 しかし、隣人同士が殺し合った時、どうやって決着をつければいいのか。 「もう、罪には問えない。問い詰めて行ったら、また、戦争になるかもしれない」 許すとは言わなかったそうだが、見ないようにしないと、維持できないものがあるんだろうなと。 カンボジアでは、雨がちょっと多めに降ると、人の歯や骨が出てきたりするそうだ。 工事をしようと、穴を掘ると、服が出てきたり。 よくあることらしい。 そうやって、今も、虐殺の記憶と暮らしているんだよ。 余談だが、 「なぜ、ポルポトは、こんな虐殺をしようとしたの?」と夫が聞いたら、返ってきた答え。 「フランスへの留学が良くなかったと言われているね。中国共産党の思想に触れて、毛沢東がやろうとしたことを本気でやったんじゃないかと説明されている。それが、カンボジアは、単一民族だから、徹底的になったんじゃなかろうかと」 虐殺があれだけ行われたのは、単一民族という、均質な状態だってのが、怖いなぁと思ったり。 単一で、均質であること。日本もまさにそういう国だからなぁ。 追記 この話を聞いて意外だなと思ったのは、 「虐殺よりも、内戦の方が嫌だ。内戦をさせないためには、虐殺のことは考えない」 というカンボジア人の考え方で。タイトルにも付けているように、私も「大量虐殺があった国」として特別視している部分があるんだけど、彼らにして見ると、クメールルージュ虐殺は、国際的に有名だし、衝撃的な事件ではあるが、それは20年以上続いた内戦の一局面でしかないようだ。 だから、虐殺の罪を問わないことで、今の平和を守りたい。 というのは、当然のことで。 で、あの虐殺よりも、苦しい内戦ってどんな状態なんだろう。どんだけひどいものだろう。と思って、さくっと調べると、20世紀後半に起きた、いくつもの内戦とそれほど変わった展開をしたわけではない。内戦が続いていたころを知っているが、世界の中での重要問題のひとつであっても、延々と報道されるような重大問題ではなかった。 そう思うと、そんな内戦があった国なんて、いくらでもあるよね。 コンゴ、ラオス、ナイジェリア、エチオピア、ローデシア、アンゴラ、ニカラグア、エルサルバドル、レバノン、ウガンダ、アフガニスタン、グルジア、ソマリア、チェチェン、ウガンダ、ダルフール、旧ユーゴ、リビア、シリアなどなど。 クメールルージュ、というか、ポルポトの大虐殺で受けたような衝撃を、どの内戦でも感じたろうか。 大虐殺が起きた国で - 北沢かえるの働けば自由になる日記 (via petapeta)(flyingsonから)
4月 7, 2017 昔入社式の時に社長が「趣味を持って下さい。その趣味に打ち込む為にも、仕事も頑張って下さい。仕事の為に人生があるのではなく、人生の為に仕事があります。仕事で失敗した時は反省や後悔は家に持ち込まずに、行き道と帰り道でして下さい」って言ってて、心に刻んだ 大事な事を教えてもらったと思う 藤宮さんのツイート (via gkojax)(oonishinから)
4月 4, 2017 「辻元清美生コン」「辻元と仲良しの関西生コン」=通称“関生”こと「全日本建設運輸連帯労働組合近畿地方本部 関西地区生コン支部」のシンパ一覧を以下に記してみた。
このリストは、「関生」の武建一委員長が2005年に強要未遂罪などで逮捕されたことに対する、2005年4月18日時点での抗議者一覧表(11年前に筆者入手)を文字起こししたもの。この武氏は既述のように2006年9月22日、大阪拘置所刑務官に対する贈賄容疑で、関係する山口組系元組長と共に逮捕されている。
そして資料の出所は「関生」そのものである。ただしネットでは4月4日版がヒットする。↓ http://www.hige-toda.com/____1/renntai_yunionn/2005_1_13/4_5koudou/sienn.htm
全国・各界に広がる「弾圧糾弾!連帯関生支援!」の声 「緊急共同声明」賛同335個人・団体 /米兵・自衛官人権ホットライン(共同代表いいだもも・尾形憲・大野和興・小西誠事務局長)/イラク派兵違憲訴訟の会・東京(共同代表尾形憲[法政大学名誉教授]・平山基生[沖縄などから米軍基地をなくす草の根運動]・本尾良[非核・みらいをともに]・杉山隆保事務局)/立川反戦ビラ弾圧救援会/救援連絡センター/mogura(平和ネットいわて)/大畑豊(イラク派兵違憲訴訟の会・東京)/吉岡達也・中原大弐(ピースボート共同代表)/神坂玲子(小泉首相靖国参拝違憲訴訟原告)/安次富浩(ヘリ基地反対協・代表委員)/谺雄二(ハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会会長)/槙枝元文(日中技能者交流センター理事長・元総評議長)/折口晴夫(現代を問う会)/矢山有作(元衆議院議員・自衛隊イラク派兵差し止め訴訟・岡山原告団団長)/鎌田慧(ルポライター)/土本典昭(記録映画作家)/斉藤貴男(ジャーナリスト)/石川文洋(報道写真家)/長沼節夫(ジャーナリスト・日本ジャーナリスト同盟議長代行)/磯貝治良(作家・大学非常勤講師)/きさらぎやよい(編集者)/野添憲治(作家)/本多二朗(ジャーナリスト)/槌田佑司(著述業)/武藤功(雑誌『葦牙』編集長)/大峰林一(フリーライター)/菊地原博(フリーライター)/吉田敏浩(ジャーナリスト)/宗像充(ライター)/西川亨・景清(『検証内ゲバ』執筆者)/川口弘(ミニコミ手作り運動者)/熊沢誠(「職場と人権」研究会代表・甲南大学経済学部教授)/杉村昌昭(龍谷大学教授)/長田浩(大学教員)/佐野稔(和歌山大学名誉教授)/渡辺憲正(関東学院大学教員)/田口富久治(名古屋大学名誉教授)/宮下柾次(札幌学院大名誉教授)/工藤英三(前創価大学教授)/片山貴夫(吉備国際大学)/宇沢弘文(経済学者)/田畑稔(大阪経済大学教授)/池田清彦(早稲田大学教授)/橋本剛(北海学園大学名誉教授)/寺尾光身(名古屋工業大学名誉教授)/百瀬文雄(法政大学名誉教授)/北野弘久(日本大学名誉教授)/森正孝(静岡大学講師)/石川求(東京都立大学人文学部教員)/吾郷健二(西南学院大学教授)/清水雅彦(明治大学講師)/野村修身(工学博士)/前田哲男(東京国際大学教員)/田中正司(横浜市立大学名誉教授)/成澤孝人(三重短期大学講師)/針生一郎(美術評論家・丸木美術館館長)/八鍬瑞子(美術家・占領に反対する芸術家たち)/趙博(ミュージシャン)/円谷真護(文芸評論家)/青柳行信(カトリック福岡正義と平和協議会)/中沢譲(日本キリスト教団牧師)/いとう正敏(寺院住職)/佐藤玄宗(日蓮宗僧侶)/矢吹隆志(自衛官)藤尾靖之(反戦自衛官)/小多基実夫(反戦自衛官)/井上森(立川自衛隊監視テント村)/大洞俊之(立川自衛隊監視テント村・反戦ビラ弾圧被告)/渡辺修孝(米兵・自衛官人権ホットライン)/高橋峰子(イラク派兵違憲訴訟の会・東京)/前田資子(イラク派兵違憲訴訟の会)/太田武二(命どう宝ネットワーク)/斉藤美智子(自衛隊イラク派兵差止訴訟原告)/御崎勝枝(逮捕令状を考える会)/大野和興(脱WTO草の根キャンペ-ン全国実行委員会事務局長)/生田あい(名護サポ-タ-・東京事務局長)/堀世紀子(イラク派兵違憲訴訟の会東京原告)/荒木健次(自衛隊イラク派兵違憲訴訟の会・東京原告・フリーター) /和田貞夫(元衆議院議員)/植田むねのり(前衆議院議員)/小沢ふく子(大阪府議)/尾辻かな子(大阪府議)/隅田泰男(大阪府議・社民党大阪府連代表)/一村和幸(大阪府豊中市議)/八木修(大阪府能勢町議)/森田みつじ(大阪府高槻市議)/松川やすき(高槻市議)/小西ひろやす(高槻市議)/野々上愛(高槻市議)/光城敏雄(大阪府大東市議)/栗原とし子(大阪府交野市議)/松尾京子(大阪府高石市議)/中西とも子(大阪府箕面市議)/戸田ひさよし(大阪府門真市議)/三浦たけお(大阪府守口市議)/松平要(大阪府東大阪市議)/国賀祥司(大阪府泉佐野市議)/桂むつ子(大阪府茨木市議)/小山広明(大阪府泉南市議)/砂川次郎(滋賀県滋賀町議)/曽我千代子(京都府加茂町議)/酒井一(兵庫県尼崎市議)/宮城あや(尼崎市議)/中谷ひでこ(兵庫県淡路市議)/井筒たかお(兵庫県加��川市議)/井奥まさき(兵庫県高砂市議)/梶川虔二(奈良県議)/のりたけ勅仁(名古屋市議)/重松朋宏(東京・国立市議会議員)/斉藤ゆう子(東京都荒川区議)/秋山かおる(埼玉県上尾市議)/田中良太(千葉県四街道市議)/吉川ひろし(千葉県議)/吉野信次(千葉県松戸市議)/長南博邦(千葉県野田市議)/西村綾子(神奈川県相模原市議)/森一敏(金沢市議)/堂下建一(石川県富来町議)/円谷寛(福島県鏡意志町議)/中村すみ代(長崎市議)/奴間健司(福岡県古賀市議)/小川みさ子(鹿児島市議)/北上哲仁(川西市議) /西尾漢(原子力資料情報室)/遠山親雄(歴史に学ぶ旅の会)/小寺山康雄(市民政治新聞ACT編集長)/津林邦夫(地域・アソシエーション研究所長)/脇田憲一(労働運動史研究者)/布川了(渡良瀬川研究会;田中正造と鉱毒事件の研究継承)/松原博(新護憲神奈川事務局[代表])/柴山健太郎(労働運動研究所運営員)/中野徹三(社会主義研究家)/岸谷和(徳田球一記念の会会報編集者)/長尾比呂未(地球の子ども新聞)/片岡健(東京都日中友好協会副理事長)/宣保幸男(沖縄平和・民主・教育懇談会)/竹林伸幸(戦争に反対し行動する市民の会)/根本信一(部落解放同盟横浜市協議会)/山岸康男(京都草奔塾)/塩見豊久(特定非営利活動法人仙台夜まわりグループ)/増田順計(日教組組合員・とめよう戦争への道百万人署名運動奈良県連絡会会員) /白鳥良香(百万人署名運動静岡県連絡会共同代表)/山下信二(9条連事務局長)/三宮克己(有事法制に反対する府中市民の会・前府中市議)/加藤賀津子(基地はいらない!女たちの全国ネット)/金子広太郎(日中友好元軍人の会事務局長)/寺田道男(京都天皇制を問う講座実行委員会)/西山勲(とめよう戦争への道・百万人署名三多摩連絡会)/浅田義信(自主・平和・民主のための広範な国民連合・大阪代表世話人)/飯塚浩(沖縄一坪反戦地主)/増田博光(戦争被害調査会法を実現する市民会議)/二見孝一(みどりのテーブル・サポーター)/亀高照夫(国鉄労働運動研究会議) /近藤良一(市民の絆・大阪代表)/ジャミーラ高橋千代(アラブイスラーム文化協会代表)/村上らっぱ(障害者-介助者反戦)/岡崎耕史(中大生協闘争・吉田さんを支える会) /松井保(月刊文芸誌『かぶらはん』主幹)/高橋正久(越谷市民情報センター代表)/ながさき由美子(社民党大阪府連副代表)/古賀しげる(社民党尼崎支部)/田中としお(尼崎を創る会)/後藤昌次郎(弁護士)/井上二郎(弁護士)/金井塚康弘(弁護士)/中北龍太郎(弁護士)/位田浩(弁護士)/一瀬敬一郎(弁護士) /全日建運輸連帯労組近畿地方本部(執行委員長戸田ひさよし・副執行委員長川村賢一) /東京東部労働組合(執行委員長岸本町雄)/国労新潟駅連合分会(執行委員長星野文男)/郵政労働者ユニオン近畿地方本部(委員長三木鎌吾)/関西合同労働組合(執行委員長石田勝啓) /関西合同労働組合兵庫支部(執行委員長蒲牟田宏)/関西合同労働組合日本管検工業分会(分会長渡海優)/高槻医療・福祉労働組合/関西単一労働組合/北大阪合同労組/管理職ユニオン・関西 /京都―滋賀地域合同労働組合/京都―滋賀地域合同労働組合・伏見織物加工支部 /自立労働組合京都(執行委員長湯浅和清・書記長魚谷貞雄)/スクラムユニオン・ひろしま(土屋信三委員長)/広島労働組合連絡協議会(議長池上文夫)/働く者の相談室ひろしま/八尾ユニオン/広島連帯ユニオン(執行委 員長鈴木範雄)/宮崎紙業労働組合/全逓信労働組合岡山貯金支部(桐山正晴代表)/郵政倉敷労働組合(川上幸治執行委員長)/柳田真(都労連交流会・たんぽぽ舎)/安田幸弘(レイバーネット日本会員)/御地合二郎(全日農書記長)/長谷川正夫(被災地雇用と生活要求者組合)/仲村実(管理職ユニオン関西副委員長)/竹林隆(大阪教育合同労働組合書記長)/星山京子(日本基督教団労働組合執行委員長)/加藤徹夫(労働相談室ひろしま世話人)/中村祐一(郵政労働者ユニオン広島東支部支部長)/吉成勝男(APFS代表)/高平道隆(管理職ユニオン関西・明治機械ACU支部支部長)/日笠忠彦(同労組明治機械ACU支部書記長) /豊田護(京都府職労相楽支部土木事務所分会分会長)/今井誠(国労北奥羽連合分会 書記長)/「労働通信」編集委員会/釜ケ崎講座(代表渡邉充春)/市民の絆・大阪/イラク戦争に反対する市民と議員の会・事務局/ /黒滝正昭(教員)/佐藤忠幸(会社員)/岩川保久(翻訳・通訳業)/城戸典子(自由業)/萩原恭二(労組役員)/木谷公士郎(司法書士)/川島進一(労働者)/中山弘樹(労働者)/大海陽一朗(社会保険労務士) /本田都南夫(情報工房スピリトン・プロデューサー)/金靖郎(団体職員)/渡辺好庸(社会科学研究者)/大野肇(歴史憲法研究会・会員)/野村勝時(無職)/岩戸五郎(年金受給者)/久保友仁(学生) /太田啓補(会社員)/児島あや子(スポーツインストラクター・心理カウンセラー)/佐藤忠彦(病院職員) /古今亭菊千代(落語家)/岸恵子(元国家公務員)/柴尾武利(塾講師)/松下久志(自営業)/松田奈津子(無職)/才神圭司(介助者)/根本がん(市民運動家)/Kawabata Erkin(アニメ労務者)/白澤たづ子(公務員) /二見孝一(会社員)/石丸朗(会社員)/大西章寛(介助者)/山本佑希子(学生)/松下久志(自営業)/葉瀬りぼん(イラストレーター)/竹内敞夫(会社員)/村上光子(ヘルパー)/矢崎明子(福祉施設・栄養士) /横尾一(年金生活者)/横尾嘉子(年金生活者)/山川龍次(埼玉県立高校教員)/澁田三孝(無職)/乱鬼龍(川柳人)/野村普一(会社員)/栗林良吉(失業者) /長谷川修児(年金生活者)/吉水公一(教育労働者)/柳田耕一(会社役員)/遠藤むら子(自営業)/ゆきひろ(社会問題研究家)/田辺俊明(鉄道労働者)/茂野洋一(会社役員)/吉岡滋子(元小学校教員) /新井治(会社員)/矢島由里子(無職)/北阪英一(元教員)/仁平龍雄(行政書士・マンション管理士)/加藤和博(労働者)/鎌倉一夫(学校教員)/氏家真由美(フラワーコーディネーター)/古屋泰(日本語教師)/渡辺亜人(自営業)/二関知美(SOHO労働者)/角田裕育(社会運動家)/茂木恵美子(公務員) /佐藤忠幸(会社員)/林あい子(主婦)/野村原樹(会社役員)/早川繁雄(全逓OB)/内藤進夫(はけんパート関西) /野村彰/澤田春彦/柴田弘武/TAMO2/高田武/高田裕子/来栖宗孝/村井征子/小林信一/原崎敏/青木祐一/佐藤勲/佐々木孝/神田弘之/岡田良子/林伸子/三田村伸/松本麻里/梶川彩/中嶋啓明/木畑壽信/岡嵜啓子(長野市民)/杉山百合子/竹内康人(浜松市民)/柳沢君雄/石井達夫/小林伸子/石田保昭 /永井洋二郎 /長原俊郎/上村高広/古川久美/矢野剛一/岡本司/伊福達彦村上洋一/安達俊治/木村淳子/来住哲次/名城真理子/芝秀雄/永瀬ユキ
労組共同アピール32団体 全日本港湾労組関西地方大阪支部/全日本港湾労組関西地方建設支部/全日本建設運輸連帯労組近畿地方本部/大阪教育合同労組/大阪電気通信産業合同労組/全石油ゼネラル石油労組/全石油昭和シェル労組 /全国金属機械労組港合同/郵政労働者ユニオン近畿地方本部/自立労働組合連合/UNIONひごろ/ユニオンとうなん/北大阪ユニオン/管理職ユニオン関西/ゼネラルユニオン/大阪学校事務労組 /北摂地域ユニオン/桜井鉄鋼労組/野村メッキ労組/大阪食肉市場労組/昭和起重機労組/国鉄労組保線所分会/大阪京阪タクシー新労組/高槻交通労組/なかまユニオン/全労協護法労組/ユニオンおおさか /ユニオンぜんろうきょう/ラジオメーター労組/報徳学園教員組合/大阪労働者弁護団/ 激励メッセージ紹介 ★韓国・民主労総、全国建設産業労働組合連盟 韓国の全国建設産業労働組合連盟は、今回の全日建関西地区生コン支部への弾圧を強く糾弾する。関生支部の闘いは、日本の生コン産業を改革し、生コン労働者の労働条件を引き上げるための正当な闘いだ。私たち韓国の建設産業連盟は、韓日労働者の共同闘争の手本となっている韓日生コン労働者の連帯闘争の旗をさらに高く掲げて、皆さんの闘いを積極的に支持し、連帯の闘いを強めていくことだろう。 ★ピースボート共同代表:吉岡達也・中原大弐 労働者の立場から、厳しくイラク反戦、反WTO、労働者の人権問題に国際的な視野で取り組んできた連帯労組関西地区生コン支部の活動に対し、心から敬意を表します。憲法も保障する労組活動への権力による弾圧は新しい戦前の始まりであり、今このような政治状況の中で、市民・労働者の尊厳や自主性を踏みにじる行為を、私たちピースボートは絶対に許すわけにはいきません。1日も早い真相究明、不当逮捕者の釈放を求めます。 ☆激励メッセージを寄せてくれた95団体・個人 /韓国・民主労総、全国建設産業労働組合連盟/同 全国建設運送労働組合/ジャック・ヘイマン(ビジネス・エージェント;国際港湾倉庫労働組合ローカル10 サンフランシスコ、カリフォルニア/スティーブ・ゼルツァー(アメリカ)/全国金属機械・港合同 昌一金属支部執行委員会 /自立労働組合京都(ユニオン自立)/広島連帯ユニオン/全国一般労働組合全国協議会(中央執行委員長 中岡基明)/ユニオンあしや(執行委員長 旭茂雄)/国鉄千葉動力車労働組合(執行委員長 田中康宏)           /ピースボート共同代表 吉岡達也・中原大弐/報道写真家 石川文洋/記録映画作家 土本典昭/未来 生田あい/ジャーナリスト 本多二朗/ヘリ基地反対協・代表委員 安次富浩/著述業 槌田佑司/ジャーナリスト 斎藤貴男 /落語家 古今亭菊千代/日本大学名誉教授 北野弘久/社会主義研究家 中野徹三/会社役員 柳田耕一/前府中市議・有事立法に反対する府中市民の会 三宮克巳/澁田三孝/全逓OB 早川繁雄/自営業 遠藤むら子 /北海学園大学名誉教授 橋本剛/龍谷大学教授 杉村昌昭/埼玉県立高校教諭 山川龍次/渡良瀬川研究会(田中正造と鉱毒事件の研究継承)布川了/無防備地域宣言をめざす大阪市民の会事務局 前田勝幸 /ケアワーカー・非核平和都市宣言を実行する文京区民の会代表 鴇田昭裕 /泉佐野市議 国賀祥司事務所一同/社民党大阪府連合 副代表 長崎由美子/東大阪市議 さかぐち克己/高槻市政を革新する会 高槻市議・小西弘泰 同・森田充二/社民党尼崎支部園田事務所長 古賀しげる /ラジオ「遊・わーく・ウィークリー」リスナー・32歳女性/反戦自衛官 小多基実夫/福島県岩瀬郡鏡意志町町議会議員 円谷寛/鉄道労働者 田辺俊明/福岡県 坂井貴司/永瀬ユキ /新社会党大阪府本部 委員長 山下けいき/新社会党兵庫県本部 委員長 原和美 /新社会党芦屋総支部執行委員長 上野誠一/新社会党兵庫県本部高砂総支部 委員長 宮本幸弘(高砂市議会議員) /新社会党尼崎総支部 副委員長 つづき徳昭/芦屋市議会議員 前田辰一 /全日本農民組合副会長 斉藤孝一/福岡県筑紫野市議会議員 上村和男//日本労働党福岡県委員会副委員長 中村哲郎 /日本労働党大阪府委員会 委員長 秋山秀男・副委員長 吉沢章司・常任委員 石野忠生/同福岡県委員会 委員長 長岡親生 /高槻医療・福祉労働組合(執行委員長 森章代)/北大阪労組交流センター/群馬労働組合交流センター/愛知労組交流センター/みやぎ労働組合交流センター/自治労奈良市従業員労働組合(執行委員長 大橋浩治)/国労5.27臨大闘争弾 圧を許さない会/関西合同労組 成友印刷分会 /郵政労働者ユニオン近畿地方本部(委員長 三木鎌吾)/婦人民主クラブ全国協議会(代表・相模原市議・西村綾子)/婦人民主クラブ全国協議会・関西ブロック一同/関西合同労働組合泉州支部/関西合同労組 大阪東部支部 /「みんなでとめよう!教育基本法改悪/全関西の集い」実行委員会・1月15日出席者一同/鉄建公団訴訟九州原告団兵庫県国労闘争団を守る会 大串潤二/第3師団からの派兵をとめよう関西実行委員会 /とめよう戦争への道!百万人署名運動・関西連絡会/同百万人署名運動事務局次長 小田原紀雄 /部落解放同盟全国連合会中央本部/同中央青年対策部北浦裕樹久/同長野県連合会 執行委員長 小森勝重 /部落解放同盟全国連合会野崎支部 支部長 滝岡広治/同西之阪支部 支部長 大橋昌広/同奈良・古市支部/同芦原支部/部落解放同盟全国連合会 番町支部(準)/部落解放同盟全国連合会福岡県連合会・準備会 /国労5・27臨大闘争弾圧被告団・家族会、関西国労共闘/国鉄水戸動力車労働組合 執行委員長 国分勝之/関西合同労働組合副執行委員長 渡海優、同労組日本管検工業分会/京都滋賀地域合同労働組合伏見織物加工支部 /自立労働組合京都(ユニオン自立)執行委員長 湯浅和清、書記長 魚谷貞雄/沖縄平民懇 宜保幸男/「労働通信」編集委員会/元国家公務員 岸恵子/高田裕子・高田武/無職(元教員)北阪英一/岡田良子 /会社員 新井治/戦争に反対し、行動する市民の会 竹林伸幸/釜ヶ崎講座代表 渡邉充春/自主・平和・民主��ための広範な国民連合・大阪 代表世話人 浅田義信 /大阪市教組を創る会/人事交流=強制配転に反対する近畿郵政労働者の会/国労5.27弾圧家族会/関西合同労組泉州支部サンボー分会 西村美由紀/全日本鉄道労働組合総連合会(JR総連) /関西合同労働組合執行委員長 石田勝啓・兵庫支部執行委員長 蒲牟田宏/同労組日本管検工業分会/関西単一労働組合/なかまユニオン 高島与一/キリスト教事業所連帯合同労組執行委員長・日本基督教壇労働組合執行委員長 星山京子 激励メッセージ紹介   ★ジャーナリスト 斎藤貴男 警察のやりかたと、ここまでされても何も感じない世間につくづく頭に来ている。何としてもどうにかしよう。 ★龍谷大学教授 杉村昌昭 誰がどういう意図でこうした暴挙を計画し実行したのかを、広く市民に知らしめることが大事だと思います。マスコミは無視するか、あいまいな中立公正を装った報道しかしないと思いますが、それでも正確な報道をするように要求したり、できるかぎり多くのメディアを使って事件の真相を広めていく努力が必要だと思います。
4月 3, 2017 老年の上司が教えてくれた事、口癖があるんだけど 「30秒の確認と3時間の手直し、どっちがいい?」 この言葉は凄く感銘を受けているので広めたい。 ゆなさんのツイート (via gkojax)(zephyr7501から)
4月 3, 2017 電柱等の住所表示は日焼けを防ぐために北についてることが多い。 歩行者用信号の「カッコー」という音は南北に渡る横断歩道 「ピヨピヨ」という音は東西に渡る横断歩道で流れる。 アナログ時計の短針を太陽に向けたとき短針と12時のちょうど真ん中が南。 この手の方角確認は旅行なんかに行ってぶらぶらする時に便利。 (via shinjihi) BS CSのアンテナは南西方向 (kouyoujisiから)
4月 2, 2017 心ある男性の方へ 落ち着いて最後まで読んでください。 殆ど世界中の軍隊の行くところ、慰安婦は居ました。売春婦とも言います。 第二次世界大戦以前とその後ベトナム戦争などのフランス、イギリス、ドイツ、アメリカ、日本などの進軍先に居ました。 多くの国で売春は違法でなく仕事の一つでした。 今、考えると悲しい事ですが、違法ではありませんでした。 多くの国ではその軍が直接、慰安婦を募集しました。 日本は、戦時中は民間業者を監督する立場であり、強制連行などしていません。 アメリカは、日本を占領した際に日本政府に慰安婦施設を要求し、米軍はこれを利用しました。 これは、特殊慰安施設協会、あるいはRecreation and Amusement Association (RAA)と呼ばれました。 米軍の一般女性へのレイプを防ぐやむない手段だと言われています。 アメリカは、ベトナム戦争の際は韓国に慰安婦を要求し、韓国はこれに応え、米軍はこれを利用しました。 韓国軍はベトナム戦争の際、ベトナム民間人を虐殺、レイプし、数千、数万の多くの混血児が生まれました。この混血児たちは、ライダンハンと呼ばれています。 今、売春は日本などでは違法です。 韓国では、2004年からようやく違法となりました。 現在、売春が適法なのは、フランス、オランダ、イギリス、スペイン、デンマーク、スイス、ドイツ、ギリシャ、ハンガリー、チェコ、オーストリア、ニュージーランド、チリ、ブラジル、カナダ、アメリカネバダ州、タイ、インドなどです。 日本は第二次世界大戦中は強制や連行をしていなくて、民間の事業者を監督していました。 米軍は、戦争に勝った後、日本に慰安婦を用意しろと言い、利用しました。 米軍は、韓国にも同様でした。 韓国はベトナム戦争中にレイプを繰り返しました。 果たして、謝罪や反省をすべきなのはどの国なのでしょうか? 違法で無い売春を監督した日本なのか、 慰安婦を要求した米軍なのか、 今も売春が違法でない国々なのか、 ベトナム人を数千、数万人単位で勿論、違法にレイプした韓国でしょうか? しかし、これは日本の【犯罪】を相対化する試みではありません。 当時、違法なものは当時は違法です。 当時、合法なものは当時は合法です。 つまり本件に関して日本軍の【犯罪】など無かったのです。 当時に合法だった行為を、現在では違法だからと言って裁く事は民主主義社会ではやってはいけない事です。それは「事後法」などとも言われています。 なぜでしょうか? 何故なら、例えば今日、タバコが違法でない国において、来月、タバコが違法になる法律が施行されたとしても、今月、タバコを吸った人は裁けないのです。来月にタバコが違法になってからタバコを吸った人は違法行為ですので、罪となります。 その「タバコ」を「飲酒」「残業」など何でも他の単語に変えて考えてみてください。 「飲酒」「朝礼」「恋愛」なんでも結構です。 今日、違法でないことを今日、行っていて、後から、遡及してあれは違法だったから罪に問うというのは恐ろしい独裁国家のやり方であり、「法治国家」ではないのです。 日本は法治国家です。 宗教国家でも人治国家でもありません。 現在の日本では売春は違法ですので、罪に問われます。 しかし、当時の日本では売春は違法ではなかった。 日本国による強制連行も無かった。 朝鮮半島の業者による強制的な行いがあったとするとその業者は誘拐罪などと罪に問われます。 そのような事柄を「日本国による強制連行があった」という嘘と、 売春という今日では禁止されていることを人々の今日のモラルに訴えて同情と金を得よう、或いは日本を貶めようという運動が韓国朝鮮の従軍慰安婦問題の本質です。 むしろ追軍売春婦だったというのが、現在の認識です。 日本軍は強制連行していない。 民間の売春施設が売春婦を募集していた。( 当時、売春は合法だった。 つまり「追軍売春婦」である。( 他国は軍が売春施設を組織的に持っていた。/以上 最後まで読んで戴きありがとうございました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/慰安婦 (via shinjihi)(koh170420014から)
4月 2, 2017 カナダは意図的に原住民粛清してるわけだが そんなこと今ごろ分かったのか ちなみに日本人は原住民と同じ顔してるから カナダに行くと危険 とくに原住民虐殺が行われているアルバータ州には 近寄らないほうがいい というかカナダそのものに行かないほうがいい 666 :名無しさん@1周年:2016/03/15(火) 21:57:00.67 ID:9hAdI34w0 >>655 カナダ人がアルバータ州の白人がやってると言ってた 原住民虐殺を現在進行形でやってることは白人はみんな知ってるよ それで世界一住みやすい国とか宣伝するからたちが悪い 677 :名無しさん@1周年:2016/03/15(火) 22:00:01.33 ID:PDl7tzer0 >>666 カナダ人は自分の居住地区だけがカナダだとおもってるから 多数派は自分の街=カナダ最高!となるんだよな 実際には都市にも田舎にもそこかしこに巨大な闇が広がっているよ。。。 713 :名無しさん@1周年:2016/03/15(火) 22:09:56.11 ID:9hAdI34w0 ちょっと前に日本人女医 カナダで死んだけど おれはあのとき原住民と間違われて虐殺されたと思ったよ カナダ原住民って日本人と見分けつかない 717 :名無しさん@1周年:2016/03/15(火) 22:10:57.30 ID:EpzaLyjC0 白人幻想ってほんとアホらしいよな 要するに宣伝が上手いだけの詐欺師だよ白人は カナダマンセー北欧マンセーほんと妄想がたくましいわ左翼は (via shinjihi)(kouyoujisiから)
3月 31, 2017 PEAは覚醒剤として闇のルートで売られていますが、これを注射すると、女性にも男性と同様な現象が起こります。 つまり、目の前の男性を好きになり、エッチしたくなるのです。 それほどPEAの威力は絶大で、人の恋心までも操ることができる薬です。 男性はこのPEAをいろっぽい女性を見るだけで分泌させますから、誰とでもエッチが可能なのです。 好きでない人とでもエッチできるというのは正確に言うと間違いで、「特別好きでもない人でもエッチが目の前にぶらさがると、目の前の女性を瞬間的に好きになれる」と言ったほうが、科学的には正しいのです。 恋愛とは相手にどれだけPEAを出させてあげられるかの勝負ということがわかります。 三田佳子の息子が覚醒剤で逮捕されましたよね。 なぜ覚醒剤をするのかの理由はそこにあります。 家に来たモデルや女優の卵に覚醒剤を使用して、自分に惚れさせて、エッチをしまくるためです。 覚醒剤の使用方法はそれしかありません。 もちろんそのようなことは報道されませんが、覚醒剤が乱交の目的で使用されていることは常識です。 人間とはこんなに単純な生き物なのです。 しかし、その単純さを、覚醒剤で操る人間を許せないと思いませんか? 覚醒剤を用いると逮捕されるのは、人間の尊厳を守るうえで、当然のことと言えます。 アジアを代表するスーパーアイドル酒井法子さんが堕ちたシャブセックスの実態と弊害:Birth of Blues (via ftkst) (via yaruo) (via ipodstyle, ftkst-deactivated20130929) (via gkojay) (via anexile) (via plasticdreams)
3月 25, 2017 鯨肉を食べて地球を救おう-。捕鯨を支持するノルウェーの団体が、捕鯨は家畜の飼育よりも排出される温室効果ガスが少ないとする調査結果をまとめた。同団体は、捕鯨船が排出する温室効果ガスの量を計算。牛の飼育で排出される量と比較すると、肉1キロ当たりの排出量は8分の1だったという。同団体は「牛肉などほかの肉を食べるよりは鯨肉を食べた方が環境にやさしい」と指摘しているが、環境保護団体グリーンピースは調査結果に反発している。 DAY BY DAY /YCASTER 2.0:伊藤洋一公式サイト (via nakano)2008-03-18 (via gkojay) (via kashiyukalove) (via gkojax, torasshu-blog) (via rosarosa-over100notes, torasshu-blog-blog) (via rosarosa-over100notes)
3月 26, 2017 どうして変わったのかというと、幕末にペリーがやってきて、日本は開国しました。 そのとき一般に言われる「不平等条約」が結ばれました。 欧米列強の「力の外交」の前に、日本は屈せざるを得なかったのです。 その後、日本は、この不平等条約の改正のために、血の滲むような努力を重ねました。 そのなかのひとつが、黒の喪服だったのです。 欧米では、喪服は黒です。 ところが日本は白です。 そこで日本が欧米並の文明国であることを世界に誇示し、条約改正を有利にするために、まずはご皇室から、喪服を白から黒にあらためました。 それが次第に政府高官に広がり、明治11(1878)年の大久保利通の葬儀のときには、多くの関係者が黒の大礼服で葬儀に出席、のちに次第に民間でも喪服が黒に変わっていったのです。 ちなみに、日本のご皇室では、外国の賓客を招くとき、晩餐会での食事にはフランス料理を出します。 けれども世界中どこの国でも、インドならインド料理というように、その国の民族料理を出すのが国際的慣例です。 ところが日本では、日本料理ではなく、フランス料理で賓客をもてなします。 これも、喪服を白から黒に変えたのと同じで、明治の日本が不平等条約の改正のために、日本が文明国であることを証明し、すこしでも条約改正を有利にしようと努力したことが発端になっています。 ですから、いまでもご皇室が賓客をおもてなしする際は、フランス料理です。 明治の鹿鳴館は有名です。 東京日比谷にある帝国ホテルのすぐ隣の敷地に明治16(1883)年に建てられたこの鹿鳴館では、毎夜舞踏会が行われました。 これも、日本が欧米と対等な文明国であることを、すこしでも印象づけようとした当時の日本の、まさに血を吐くような努力のひとつであったものです。 外国人が日本で犯罪を犯しても、日本の官憲はこれを取り締まることができない(治外法権)。 日本に関税自主権がなく、諸外国の製品から日本の産業を守ることができない。 欧米列強の力の前に、これら条件を飲まざるを得なかったことが、幕末の激しい攘夷論となり、戊辰戦争をひき起こし、ついには江戸幕府から明治新政府への転換に到りました。 幕末の志士たちにとって、日本が欧米と対等に付き合える国になること、それがまさに夢にまで見た手の届かない坂の上の雲でした。 日本は、喪服の色を変え、宮中晩餐会の料理をフランス料理に変え、鹿鳴館をつくり、日清、日露を戦い、やっとの思いでついに不平等条約の改正を実現したのは、幕末から半世紀を経た明治44年のことでした。 おそらく、喪服の色まで変え、外国の賓客を招いた晩餐会で、外国の料理を出す国は、世界広しといえども、日本だけであろうと思います。 ちなみに、お隣の韓国では韓国料理、支那では、あたりまえのように中華料理が出ます。 世界にただ一国、自存自立と人種の平等の実現のために戦い、満身創痍となりながらもそれを実現した日本は、同時に、悲しいまでに我慢と忍耐を続けた国でもありました。 そして私たちの諸先輩が、そういう努力をしてくださったおかげで、いまの私たち日本の繁栄があります。 皆様も喪服を着る機会がありましたら、葬儀のあとの精進落しの席で、お隣に座った方に、 「実は、江戸時代までは喪服の色は白だったんだ。それが黒になったのはね・・・・」と、ちょっとお話されてみられたらいかがでしょう。 白い喪服 ねずさんの ひとりごと (via chikuri)2013-08-13 (via mmtki)(元記事: nezu621.blog7.fc2.com (sakuranoから))
3月 26, 2017 意見を求められたら、感想を言うのではなく提案をしましょう。とても単純なことなのですが、これを学校でも教わったことがないばかりに「何を答えたらいいのか分からない」と沈黙してしまう若者は非常に多いのです。 「意見を述べよ」に「感想」を答えるな - 誠 Biz.ID スキル/キャリア 最新記事一覧 (via darylfranz) (元記事: rss.rssad.jp (pcatanから))
3月 28, 2017 在日のやり方 ●日本人をレイシスト扱いし、優位に立て。 ●我々を崇拝しない日本人はレイシストと見なす。 ●不都合な言論に「ヘイトだ!」と因縁をつけろ。 ●同胞に対し自作自演のヘイトスピーチをしろ。 ●ヘイト法を拡大解釈させ、言論弾圧しろ。 ●声闘で脅せば、大抵の日本人は従順になる。 ●差別は利権という金の卵を産む。 ●弱者様の我々が「日本人を殺せ!」と叫んでもヘイトには成ら無い。 ●韓流で日本のバカ女を洗脳しろ。 ●日本の保守系に工作員を送り込め。 ●国籍条項の無い弁護士界に大量の同胞を送り込め。 ●日本の裁判官は我々の同志だ。 ●日本の有力者を性接待で手懐けろ。 ●自民議員を金と女でスパイ化させろ。 ●パチンコマネーで日本の警察を骨抜きにしろ。 ●日本の企業に因縁を付け、乗っ取れ。 ●日本の労働組合を支配しろ。 ●日本の宗教法人を乗っ取り、脱税の隠れ蓑にしろ。 ●目障りな天皇制は絶対に潰さなければならない。 ●右翼団体に成りすまし、暴力的な街宣活動をしろ。 ●日本の左翼デモを主導しろ。 ●「在日=支配階級」「日本人=奴隷労働者」の悲願を必ず実現させろ。 ●親韓派のアホ共はいい道具になる。 ●日本のマスコミ、司法、教育は親韓派が牛耳っている、日本人は諦めて服従しろ。 http://mint.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1490619600/ 【ニュース女子】「辛淑玉のようなノイジーマイノリティーが目立つ。外国人は日本で政治活動をするな」 沖縄問題、都内でシンポ[03/27]c2ch.net (via worldwalker2)(rupazoから)
3月 29, 2017 韓国による竹島侵略が ・日本に自衛隊が無く無防備だった時代の出来事だった事 ・日本人の漁師44人が虐殺され、3929人が拉致され人質とされた事 最低限これくらいは教えとけ
117 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2017/01/28(土) 20:22:33.33 ID:tRG3RMJZ.net 現状だと北朝鮮だけが 日本人を拉致したみたいに思われてるけど、 南朝鮮も日本人拉致・殺害国家 ってことをたたき込めよ。 あと、>>106の人質解放の条件が 日本の刑務所にいる在日の解放と 永住資格の付与だったってことも教えろ。 (via shinjihi)(toku-2から)
3月 29, 2017 中国国営通信社の中国新聞社は、2013年7月5日に「次の50年で6つの戦争を戦うことが明らかに」という記事を掲載。沖縄が狙われている そこに掲載されていたことは、中国は次の6つの戦争をするつもりだということです。 1.台湾統一戦争(2020-2025) 2.南シナ海諸島奪還戦争(2025-2030) 3.南チベット奪還戦争(2035-2040) 4.尖閣および沖縄奪還戦争(2040-2045) 5.外モンゴル統一戦争(2045-2050) 6.ロシア占領地奪還戦争(2055-2060) 特筆すべきは、2040年代に沖縄を侵略すると堂々と国営新聞に載せていることです。
3月 18, 2017 『幸福の黄色いハンカチ』の冒頭で、刑務所から刑期を終え出所した直後の食堂で、女性店員についでもらったグラスに入ったビールを深く味わうように飲み干した後、ラーメンとカツ丼を食べるシーンがある。 その収録で「いかにもおいしそうに飲食する」リアリティの高い演技を見せ、1テイクで山田洋次監督からOKが出た。 あまりにも見事だったので、山田が問い尋ねると「この撮影の為に2日間何も食べませんでした」と言葉少なに語り、唖然とさせた。 【伝説】高倉健が何故ヤバいのかを「あなたへ」まとめ【エピソード】 - NAVER まとめ (via mesotabi) (元記事: matome.naver.jp (another-gentlandから))
3月 18, 2017 自分のことを「丸くなった」って言うヤンキーに お前がとがった部分を削り取るために どれだけの丸が傷つけられていびつな形になったか考えろと言いたい Twitter / @penimama: 自分のことを「丸くなった」って言うヤンキーに お前が … (via jigoma) これはもう本当にそう思う。自慢するな、反省しろと言いたい。(via sabaline)(元記事: twitter.com (n2unitから))
3月 19, 2017 いきなり「自分にしかできないこと」なんて大それたことを考えても無理だということだ。ひとつ、ひとつ、ゆっくりと階段を上っていかねば「自分にしかできないこと」をつかむことはできない。今だから分かる。 真似をして、真似をして、真似をして……、どうしてもこれ以上真似ができないってところまで到達したときに、初めてその人の持味が出てくる。ゼロの状態でいきなり独創性を出そうと焦っても無理である。だから最初は真似る。 戸田智弘『働く理由 99の名言に学ぶシゴト論。』厚徳社 p117 (via toybox-word) (datteowwwから)
3月 20, 2017 中国人は実は保守的な食生活を好む。中華大好きで外国料理はあまり食べない。中国人は何でも食べる・・・全ての食材を中華料理にして食べるの意味。日本人は何でも食べる・・・全ての国の料理をそのまま、あるいはアレンジして食べる。面白い比喩だと思うわ、両国の文化の受け入れ方や発想の仕方が料理に凝縮されてる。 【Part2】中国と関わって10年だけど聞きたいことある? : 社会生活VIP (via fastnacht)(元記事: minisoku.blog97.fc2.com (impossiblemodelfactoryから))
3月 20, 2017 今も本の虫である母親が「人生は長い。嫌な事もいっぱい。私はそういう時には大きい本屋にいくんだ。すると『読んでない本が沢山ある!』と思えて、どうにか踏ん張れる。君に本を読め!と言っている訳じゃないよ。君にとってのそういうモノを見つけてほしいんだよ」と話していたのを思い出しています。 https://twitter.com/chiisanaehon/status/842698149059674113 (via nanohana0331) (gousouskmzから)
3月 20, 2017 (1)金剛組(大阪市)/木造建築工事/1431年/ (2)池坊華道会(京都市)/生花・茶道教授/1422年/ (3)西山温泉慶雲館(山梨県早川町)/旅館・ホテル/1304年/ (4)古まん(兵庫県豊岡市)/旅館・ホテル/1292年/ (5)善吾楼(石川県小松市)/旅館・ホテル/1291年/ (6)源田紙業(京都市)/袋物製造/1238年/ (7)田中伊雅(京都市)/宗教用具製造/1121年/ (8)ホテル佐勘(仙台市)/旅館・ホテル/1009年/ (9)朱宮神仏具店(甲府市)/宗教用具小売り/985年/ (10)夏油温泉(岩手県北上市)/旅館・ホテル/875年/ 100年超の長寿企業2万1000社 “最高齢”は1431歳の金剛組 - MSN産経ニュース 最古の金剛組は西暦578(敏達天皇6)年の創業 (via gkojax) (via yaruo)(via boltacs-blog)(via quote-over100notes-jp)(via kanekaise)
3月 20, 2017 「労働基準局は役立たず」なんて言うヒトがいるけど、私の場合はそんなことなかった、きちんと仕事してくれた。「あのう会社が残業代支払ってくれないんですが…」 とか言っちゃうと相手にされない。「労働基準法第35条違反の告発に来ましたので手続きしてください」みたいに言うと役人は動く(笑) Togetter - 「「ブラック企業から残業代を回収したところまでの一連ツイート」」 (via gkojax)(we-will-winから)
3月 20, 2017 元気の無い時はこのメモを見る様にしてる ・ウンコビッチ大使(ユーゴスラビア) ・アホカス大使(フィンランド) ・金玉(金正日総書記秘書) ・ニャホニャホタマクロー会長(ガーナ) ・ウコンマーンアホ代表取締役(ノキア・ジャパン) ・メガチンポ保険衛生相(プリンシペ共和国)※全て実在 Twitter / Mister_Metabo (via cknbstr)(元記事: cknbstr-blog (harukaze417から))
3月 21, 2017 世界でメートル法をつかっていない国はたったの3国 アメリカ、リベリア、ミャンマー (via gkojax) (via quote-over1000notes-jp)
3月 21, 2017 菅直人が中国や韓国の新聞にお礼の広告を出したが、台湾をスルーした時の台湾政府高官のコメント。「冠婚葬祭のお返しは他人にはするものだが、身内にはやらないものだ」 あの時台湾の大きさと、民主党(現 民進党)がどれだけ恥ずかしいものであるか改めて思ったよ。 (via shinjihi)(maenomeri1981から)
3月 21, 2017 この人生を生きているということは、これじゃない人生は切っているということ。 実は、この「あきらめている他の人生」の存在に気がつくかどうかが、人生を広げる鍵だと僕は思っている。 走りながら考える / 為末 大 (via qsfrombooks)(lidentityから)
3月 21, 2017 宮古島の尖閣丸の話。 久松五勇士(ひさまつごゆうし) 日本中が固唾を飲んでバルチック艦隊の行方を心配していた明治38(1905)年5月23日、宮古島の沖合で漁業をしていた奥浜牛という青年が、バルチック艦隊を目撃します。 奥浜牛の乗った帆かけ船の小さな漁船の近くを、バルチック艦隊が通過したのです。 バルチック艦隊も、彼の乗った船を目撃します。 しかし、たままた彼の乗った船が龍の絵柄の大漁旗を掲げ、沖縄の海人独特の長髪をしていた。 このため幸いなことに、艦隊側では彼を中国人と誤認し放置してくれたのです。 奥浜青年は、バルチック艦隊の通過を見届けると、即座に網をあげ、宮古島の漲水港(現・平良港)に、報告のために駆け込みます。 それが、5月26日の午前10時頃のことだった。 そして、漲水港の駐在所で状況を話し、すぐさま駐在所の警察官と一緒に、宮古島の役場に駆け込みます。 宮古島役場は、大騒ぎとなります。 いま、日本海軍が躍起になって探しているバルチック艦隊を発見したのです。 すぐさま日本海軍に報告しなければならない。 ところが、当時の宮古島には、通信施設がないのです。 無線も電話もない。 役場の重役たちは、島の長老達と会議をひらき、すぐさま石垣島にこの情報を知らせようと決意します。 石垣島には郵便局があり、そこからなら無線電報で日本海軍に知らせることができるのです。
しかし宮古島から石垣島までは、170キロの距離があります。 当時は、モーターボートも飛行機もヘリもありません。 あるのは、サバニと呼ばれる手漕ぎボートだけです。 サバニというのは、全長9メートル足らずの丸木舟です。 長老たちは、宮古島の島民の青年から、屈強な若者5人を選抜します。 選ばれたのは、松原村の垣花善、垣花清兄弟、与那覇松・与那覇蒲兄弟、久貝原村の与那覇蒲の5人です。 5人は、すぐに宮古島を出港します。 そしてなんと、15時間、ぶっとおしで丸木舟を漕ぎに漕ぎ、ようやく石垣島の東海岸に到着します。 ところが、せっかく石垣島に着いたのに、折からの干潮のために港に入ることができない。 やむをえず彼らは、潮が満ちるのを待って、ようやく港に船を付けます。 到着した時には、さすがに全身の骨が砕けるかと思うほど、5人ともくたくたに疲れ切っていた。 そこで港の住民に、郵便局はどこあるかと聞くと、なんと港からは険しい山を越えた反対側に局はある。 電話のある時代ではないのです。 車があるわけでもない。 5人は、疲れた体にムチ打って、30キロの山道を5時間かけて、走って峠越えをし、ようやく27日午前4時に、八重山郵便局に到着します。 局員は、5人から文書を受け取り、電信を那覇の郵便局本局へ打ちます。 電信はそこから沖縄県庁に打たれ、そこから東京の大本営へと伝えられた。 そのときの電文です。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ 五月ニ八日午前七時十分 八重山局発 五月ニ八日午前十時 本部着 発信者 宮古島司、同警察署長 受信者 海軍部 本月二十三日午前十時頃、 本島慶良間間中央ニテ軍艦四十余隻、 柱、二、三、 煙突二、三、 船色赤ニ 余ハ桑色ニテ、三列ノ体系ヲナシ、 東北ニ進航シツツアリシガ、 内一隻ハ東南ニ航行スルヲ認メシモアリ。 但シ、船旗ハ不明。右、報告ス。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ 実際には、同じく28日午前4時45分に、海軍に徴発されていた日本郵船の貨客船「信濃丸」が、「敵艦見ユ」の文句で有名な、「敵艦203地点ニ見ユ0445」を打電し、これが海軍軍令部が確認した最初のバルチック艦隊発見の報告となりました。 久松五勇士の報告が軍令部に着いたのは、午前10時なので、約4時間遅れです。 けれど、いまどきの「自分さえよければ」という考えからは、 絶対に、絶対にこんなにたいへんな久松五勇士のような行動はできないです。 彼らが15時間もかけて、荒海を手漕ぎ船で乗り越え、さらに陸にあがって5時間も駆けに駈けたのは、彼らがたとえ本土から遠く離れた島の漁師であったとしても、公に奉じるという国家意識を明確に持っていたからであると断言できます。 戦前は、彼ら久松五勇士の物語は学校の教科書に掲載され、日本本土だけでなく、満州や台湾、パラオ、フィリピン、インドネシアなど、日本が統治した諸国の教科書でも広く紹介されました。 ところが久松五勇士に関する記述は、戦後GHQによる干渉がはじまると、すぐに教科書に、真っ黒に墨を塗られ、以後、教科書から完全に姿を消してしまいます。 以下省略 2011年02月07日 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1163.html#more http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1163.html#more (via shinjihi)(hinomaru9999から)
3月 21, 2017 国民の皆さん、 私たちの祖先は、国を建て初めたときから、 道義道徳を大切にするという 大���な理想を掲げてきました。 そして全国民が、 国家と家庭のために 心を合わせて力を尽くし、 今日に至るまで美事な成果を あげてくることができたのは、 わが日本のすぐれた国柄のおかげであり、 またわが国の教育の基づくところも、 ここにあるのだと思います。 国民の皆さん、 あなたを生み育ててくださった両親に、 「お父さんお母さん、ありがとう」と感謝しましょう。 兄弟のいる人は、 「一緒にしっかりやろうよ」と、仲良く励ましあいましょう。 縁あって結ばれた夫婦は、 「二人で助けあっていこう」と、いつまでも協力しあいましょう。 学校などで交わりをもつ友達とは、 「お互い、わかってるよね」と、信じあえるようになりましょう。 また、もし間違ったことを言ったり行った時はすぐ、 「ごめんなさい、よく考えてみます」と 自ら反省して、謙虚にやりなおしましょう。 どんなことでも自分ひとりではできないのですから、 いつも思いやりの心をもって 「みんなにやさしくします」と、 博愛の輪を広げましょう。 誰でも自分の能力と人格を高めるために 学業や鍛錬をするのですから、 「進んで勉強し努力します」という意気込みで、 知徳を磨きましょう。 さらに、一人前の実力を養ったら、 それを活かせる職業に就き、 「喜んでお手伝いします」という気持ちで 公=世のため人のため働きましょう。 ふだんは国家の秩序を保つために必要な憲法や法律を尊重し、 「約束は必ず守ります」と心に誓って、ルールに従いましょう。 もし国家の平和と国民の安全が危機に陥るような非常事態に直面したら、 愛する祖国や同胞を守るために、 それぞれの立場で「勇気を出してがんばります」と覚悟を決め、カを尽くしましょう。 いま述べたようなことは、 善良な日本国民として不可欠の心得であると共に、 その実践に努めるならば、 皆さんの祖先たちが昔から守り伝えてきた 日本的な美徳を継承することにもなりましょう。 このような日本人の歩むべき道は、 わが皇室の祖先たちが守り伝えてきた教訓とも同じなのです。 かような皇室にとっても国民にとっても 「いいもの」は、日本の伝統ですから、 いつまでも「大事にしていきます」と心がけて、守り通しましょう。 この伝統的な人の道は、 昔も今も変わることのない、 また海外でも十分通用する普遍的な真理にほかなりません。 そこで、私自身も、国民の皆さんと一緒に、 これらの教えを一生大事に守って高い徳性を保ち続けるため、 ここで皆さんに「まず、自分でやってみます」と明言することにより、 その実践に努めて手本を示したいと思います。 明治二十三年(一八九〇年)十月三十日 御名(御実名「睦仁」)・御璽(御印鑑「天皇御璽」) ――――――――――――― (教育勅語の十二の徳目) ――――――――――――― 孝行(こうこう)             親に孝養をつくしましょう 友愛(ゆうあい)             兄弟・姉妹は仲良くしましょう 夫婦(ふうふ)ノ和           夫婦はいつも仲むつまじくしましょう 朋友(ほうゆう)ノ信          友だちはお互いに信じあって付き合いましょう 謙遜(けんそん)              自分の言動をつつしみましょう 博愛(はくあい)            広く全ての人に愛の手をさしのべましょう 修学(しゅうがく)習業(しゅうぎょう)   勉学に励み職業を身につけましょう 智能(ちのう)啓発(けいはつ)         知識を養い才能を伸ばしましょう 徳器(とくき)成就(じょうじゅ)    人格の向上につとめましょう 公益(こうえき)世務(せいむ)       広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう 遵法(じゅんぽう)           法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう 義勇(ぎゆう)               正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう 教育勅語はアメリカで聖書の次に売れている本 ( 東京都 ) - 浅草の風 I’m Happy! - Yahoo!ブログ (via dogedemo)
3月 22, 2017 大陸系の違法アップロードサイトにお悩みの同人作家さん方、登場人物のTシャツや背景やらに合言葉となる特定の文字列を入れておくと親切な中華人民共和国政府が無料で取り締まってくれるサービスをしていますので是非ご利用下さい。合言葉は「六四天安門」です!Twitter / FlatDefense (via katoyuu)(ctenolepismaから)
3月 22, 2017 合理的に動いていない組織に長くいると、普通に考える能力が確実に低下する。組織に順応すれば、頭が悪くなるし、組織に順応できなければ、精神を病むことになる。そして、残念なことに、中にいる人は自覚症状が持ちにくい。そして、言い訳能力、特に自己欺瞞力だけが向上していく (via bgnori) これな… (via komblog) #民進党 ですね!わかります! (komblogから)
3月 23, 2017 夏目漱石が創り出した言葉・・・ 「反射」「無意識」「価値」「電力」「肩がこる」「電光石火」「ひどい」「浪漫」「沢山」「とにかく」「価値」etc… 福沢諭吉が創り出した言葉・・・ 「自由」「経済」「演説」「討論」「競争」「健康」「楽園」「版権」「鉄道」etc… このごろ2ちゃんねる : 誰も知らないような学問知識書いてけ (via darylfranz) (元記事: blog.livedoor.jp (weekendlineから))
3月 9, 2017 第二の偉大さ(才能に対する社会的評価)に恵まれていても、第一の偉大さ(優れた人格を持つこと)を欠いている人は多いものである。人格こそが第一の偉大さであり、社会的評価はその次にくる第二の偉大さである。 完訳 7つの習慣 人格主義の回復 / スティーブン・R・コヴィー (via qsfrombooks)
3月 14, 2017 成果をあげる者は仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。時間が何にとられているかを明らかにすることからスタートする。次に時間を管理すべく、時間に対する非生産的な要求を退ける。そして最後にそうして得られた自由になる時間を大きくまとめる(ドラッカー) balance-meter:  ブレイクスルーな言葉 (@breakthrough_jp) from Twitter: http://twitter.com/breakthrough_jp
3月 4, 2017 娘「どうしてあの子は持っていて、私にはないの? 不公平よ!」 父「いいかい、他人と同じものを持つことなんて絶対にないんだ。世の中が平等なんてことは絶対にないんだよ お隣の人のお茶碗を覗いていいときは、その人が十分に足りているかを確認するときだけだ。自分が相手と同じだけ持っているかを見るために覗くんじゃないんだ」 娘「お隣の子は持ってるのに不公平よ!」→それに対して父が語った言葉:らばQ アメリカのコメディアン、ルイス・C・K氏が娘に伝えた言葉 (via capybara-is-watching)(quote-over1000notes-jpから)
3月 6, 2017 【事実】真珠湾攻撃の被害者は全員軍人で 広島、長崎、東京大空襲などの日本各都市への空襲の被害者はほとんど大半が民間人です。民間人への無差別空襲は重大な戦争犯罪です。(via shinjihi)(edieeleeから)
3月 8, 2017 死にたくなったらまず寝ろという恩師の台詞も正解だったけど、死にそうなほど退屈したら、カメラを持って街を歩け、と教えてくれた先輩の台詞も忘れられない。外の世界に対する感度を意識的にでもいいから自力で引き上げて感性を守った方がいいと教えてくれた。この感性の自衛の考え方がすごく好きだ。 Fさんのツイート (via hutaba)(元記事: twitter.com (blueskies-jpから))
3月 8, 2017 多数決はプロフェショナル殺し。全員で多数決すると、技術案件でエンジニアが少数派になり、デザイン案件でデザイナが少数派になり、お金案件でファイナンスの人が少数派になる。あらゆる専門分野で、素人のフィーリングが決定権を握り、かくしてプロジェクトはネバーランドに旅立つのである。
3月 8, 2017   交渉の為に隣国から使者が来て、もしその者が有能なら ば何一つ与えず返せ。   交渉の為に隣国から使者が来て、もしその者が無能ならば大いに与え、歓待せよ。   そうすれば、隣国では無能な 者が重用され、有能な者が失脚する。   そしてやがては滅ぶ。   ※六韜(りくとう、中国の兵法書)より
教育勅語(きょういくちょくご) 意訳 国民の皆さん・・・私たちの祖先は、国を建て初めたときから道義道徳を大切にするという大きな理想を掲げてきました。そして全国民が国家と家庭のために心を合わせて力を尽くし、今日に至るまで美事な成果をあげてくることができたのは、わが日本のすぐれた国柄のおかげであり、また、わが国の教育の基づくところも、ここにあるのだと思います。
国民の皆さん。あなたを生み育ててくださった両親に「お父さんお母さん、ありがとう」と感謝しましょう。 兄弟のいる人は「一緒にしっかりやろうよ」と、仲良く励ましあいましょう。 縁あって結ばれた夫婦は「二人で助けあっていこう」と、いつまでも協力しあいましょう。 学校などで交わりをもつ友達とは「お互い、わかってるよね」と、信じあえるようになりましょう。 また、もし間違ったことを言ったり行った時はすぐ「ごめんなさい、よく考えてみます」と 自ら反省して、謙虚にやりなおしましょう。 どんなことでも自分ひとりではできないのですから、いつも思いやりの心をもって「みんなにやさしくします」と博愛の輪を広げましょう。 誰でも自分の能力と人格を高めるために、学業や鍛錬をするのですから「進んで勉強し努力します」という意気込みで知徳を磨きましょう。 さらに、一人前の実力を養ったら、それを活かせる職業に就き「喜んでお手伝いします」という気持ちで公=世のため人のため働きましょう。 ふだんは国家の秩序を保つために必要な憲法や法律を尊重し「約束は必ず守ります」と心に誓って、ルールに従いましょう。 もしも国家の平和と、国民の安全が危機に陥るような非常事態に直面したら、愛する祖国や同胞を守るために、それぞれの立場で「勇気を出してがんばります」と覚悟を決め、カを尽くしましょう。
いま述べたようなことは、善良な日本国民として不可欠の心得であると共に、その実践に努めるならば、皆さんの祖先たちが昔から守り伝えてきた日本的な美徳を継承することにもなりましょう。 このような日本人の歩むべき道は、わが皇室の祖先たちが守り伝えてきた教訓とも同じなのです。 かような皇室にとっても国民にとっても「いいもの」は、日本の伝統ですから、いつまでも「大事にしていきます」と心がけて、守りましょう。 この伝統的な人の道は、昔も今も変わることのない、また海外でも十分通用する普遍的な真理にほかなりません。 そこで、私自身も、国民の皆さんと一緒に、これらの教えを一生大事に守って高い徳性を保ち続けるため、ここで皆さんに「まず、自分でやってみます」と明言することにより、その実践に努めて手本を示したいと思います。 明治二十三年(一八九〇年)十月三十日 御名(御実名「睦仁」)・御璽(御印鑑「天皇御璽」)
2 notes · View notes
newsletterarchive · 7 years
Text
NEWSLETTER vol.41
ニューズレターの第41号をお届けします。
気づけば前号から3か月も経ってしまいました…
今回は2017年7月10日に Art Jewelry Forum に掲載された、アーティストのカリン・ソーファーさんへのインタビューの和訳です。
彼女も、前回のインタビューで取り上げられていたカリナ・ショシュタリーさんと同様、スーザン・ビーチさんによるミッドキャリア助成金給付コンペの最終選考に残ったアーティストです。
今回のインタビューでは、このコンペに送った企画について、詳しく語っています。ザハ・ハディドの建築を糸口に探るジュエリーと建築との関係や、新シリーズのコンセプトなど、じっくりお楽しみください。
-------------------------------------
https://artjewelryforum.org/karin-seufert
07/10/2017
カリン・ソーファー
2017年スーザン・ビーチ・ミッドキャリア助成金給付コンペファイナリスト
執筆:カチャ・トポロスキー
Tumblr media
カリン・ソーファー、無題、2016、ネックレス、PVC、紐、90 x 110 x 27 mm (紐は除く)、撮影:作家
カリン・ソーファーは、オランダで学び、現在はベルリンに住むアーティストだ。その作品は国を問わず数多の展覧会やキュレーション・プロジェクト、レクチャーで紹介されてきた。彼女は長年、PVCを斬新な手法で加工して作品にしてきた。そして、その発展形ともいえるプロジェクトで、スーザン・ビーチ・ミッドキャリア助成金給付コンペのファイナリストに選出された。このインタビューではそのコンセプトを聞いた。
カチャ・トポロスキー:まずは、スーザン・ビーチ・ミッドキャリア助成金給付コンペのファイナリスト選出、おめでとうございます! 最終選考に残るにふさわしいたいへん興味深い企画でした。
まずは経歴を少しお尋ねします。あなたはドイツ出身とのことですが、ジュエリーという分野にたどり着いた経緯と、どのような教育を受けたのかをお話いただけますか?
カリン・ソーファー:ありがとうございます! カチャさんにお話を聞いていただけて、とてもうれしいです。クリスティーナ・フェリペへのインタビュー記事もすばらしかったですし、母国語が私と同じドイツ語なので、話し方のくせや間違いをわかってくださるだろうし、私の考えもくみとっていただけるのではないかと思って。
私は、1985年からオランダのスコーンホーフェンにあるMTS Vackschoolという学校で宝飾と金工を学び始めました。伝統を重視する傾向があまりに強く、アムステルダムで1年間の実習訓練を受けた時に、一生この仕事を続けても満足できないだろうと悟りました。それで、将来のことは深く考えずにリートフェルト・アカデミーを受験して、ルット・ペータース教授のもとで5年間学びました。
この5年間はとても重要な時期で、当時出会った人たちは今でもたいせつな友人です。コンテンポラリージュエリーをはじめて知った人の多くが同じように感じると思いますが、まるで新しいジュエリーの世界を発見できた気がしました。すべてが集約されていた期間です。ジュエリー観を広げ、自分の作品を振り返り、発展させる術を学びました。
Tumblr media
カリン・ソーファー、無題、2006、ブローチ、PVC、紐、銀、120 x 70 x 13 mm、撮影:作家
ジュエリーの制作技術を学んだ後は、どのようにキャリアを積みましたか?
カリン・ソーファー:リートフェルト・アカデミーを卒業して3年後にドイツに帰国してベルリンに引っ越し、今もそこに住んでいます。帰国後は、ジュエリー以外にも生活を支えるための仕事を見つけ、ゆくゆくは、今私がやっているような仕事だけで独立しようと決意しました。
最初の1年は修復家として働き、現在はベルリンの大通りであるウンター・デン・リンデンに移転されたフリードリヒ2世の銅像の修復を手がけました。その後、Niessing(ドイツのジュエリーメーカー)のベルリン第一号店に勤めました。
言うまでもなく、当時は自由な時間のほとんどを制作に充てていました。
アムステルダムでは友人とスタジオを共有していましたが、ベルリンでは自宅が作業場も兼ねています。ほとんどの時間を作品の構想や制作に費やし、最後にその成果を展示します。過去には、同業者の仲間と展覧会のキュレーションをしたこともありますよ。その時は、カタログの製作や資金の調達、各国の巡回先のギャラリーでの設営作業、レクチャーもやりました。FWQNWS (First We Quake Now We Shake)という展覧会です。現在は、2人の仲間と一緒に、KGB(コペンハーゲン、ヨーテボリ、ベルリンの頭文字)というグループ展のキュレーションを行っています。複数の国でワークショップを行ったこともありますし、教員や審査官を務めたり、今のスタジオで研修生を何人か育てたりもしました。なかでも、レクチャーや展示などの仕事の予定を旅行に盛り込むのが何より好きです。最近ではジュエリーについて文章を書くことにも興味があります。
Tumblr media
カリン・ソーファー、無題、2007、ブローチ、PVC、サンゴ(再構成)、スチール、紐、90 x 60 x 25 mm、撮影:作家
今回の企画は、ザハ・ハディドの建築物の空間を出発点に、空洞とその造形表現を考えるというもので、あなた自身がこの建物を訪れた経験をもとに「核」を成す空間の造形を創り出すという内容です。どのようなプロセスでそれを達成していくのか、聞かせていただけますか?
カリン・ソーファー: 私の案は、ザハ・ハディドの建築を実際にいくつか訪れて、中に入ったときの感覚を味わうというものです。建物の外観は、人を惹きつけ想像力をかき立てます。いっぽうで内部に足を踏み入れる行為は全身で感じる体験で、洞窟の中にいる時のように、守られている感覚と恐怖感とに同時に襲われます。私は、ザハ・ハディドの建築の中に入るとどんな感じがするのか知りたいと思いました。外観を見て抱く予想を上回るものなのだろうか、と。
現時点では情報源がかぎられていて、彼女が設計した建造物の外観が主に紹介されている本を見るよりほかありません。ザハ・ハディドを選んだのは、彼女の建築にはどこか思いがけない要素があるからです。彼女の建築は、成長した生き物や彫刻作品のような曲線美が特長で、強烈な異彩を放ちながらも、驚くほど近隣になじむという特質をかねそなえています。私は、これらの造形の一部を紙で再構築します。実物をそっくりそのまま再現するのではなく、こう見えるだろうという予測をもとに作業を進めます。これだと思えるプロポーションやおもしろい造形が出てくるまで、サンプルを大量に作らないといけないので、どんどん模型がふえてしまい、最近ではスタジオが紙の模型でできた町のようです。
その次は、紙のサンプルを核となる素材で作り直し、その上に丸くくりぬいたPVCを貼りつける作業が待っています。核にする素材は、削ったりやすりをかけたり磨いたりして紙の模型に近づけていく必要があるので、硬い素材を使います。
Tumblr media
カリン・ソーファー、無題、2008、ネックレス、PVC、合成皮革、アルミニウム、ゴム、120 x 80 x 25 mm、撮影:作家
いまお話していただいたコンセプトは、なにか別のものを生み出すために、原本ともいえる元の形を作業の過程で壊すという点が興味深いです。過去にも同じ手法で作品を制作したのでしょうか?
カリン・ソーファー:この方法は以前に思いついたものです。ジュエリーの内部をみっちりした塊で作るのはしっくりこないと思うようになった時期があり、空洞でも形が崩れない方法を考え出しました。この構造には無理があるように聞こえるかもしれませんが、この方法を発見できたからこそ石のシリーズを作り始めることができたんです。このシリーズでは、核にする素材で石を作り、それを丸くくりぬいたPVCで覆いました。その時に中の石を壊せるように小さく隙間を残しておき、くりぬいたPVCだけで構成される、殻状の軽い石が最後に残るようにしました。
今回の新作では、核を構築する作業を意識的に制作工程に盛り込むようにしました。まず紙で形をデザインします。これらの新しい造形は角ばらせてエッジをシャープに仕上げ、中を空洞にするのが新たな重要なポイントです。これによって精度の高い仕事が求められ、最終的な見え方を考えながら、新しい要素である角ばった造形を維持するよう注意しなければなりません。開口部の残し方によっては必ずしも中身を壊さなくてもよいのですが、中の針が外まで貫通しているので結局は壊します。外側も内側も同じぐらい重要で、相互に依存しています。
Tumblr media
カリン・ソーファー、無題, 2008, ネックレス、PVC、スナップ、25 x 210 mm(直径)、撮影:作家
建築とジュエリーの関係についてはどうお考えですか? どちらも立体的な造形表現で、機能上の具体的な制約があります。広い空間で体験する感覚をジュエリーの次元に置き換えるにはどうすればいいと思いますか?
カリン・ソーファー:建築もジュエリーも、あり方は違えど人間に必要なものです。建築物の役目は、シェルターとなって気候から身を守ってくれることです。また、快適さや、守られているという安心感を与え、リラックスできて人々が集う場所を提供してくれます。
ジュエリーも同じような役割を担いますが、スケールが違います。シェルター的な役目も果たしますが、雨や雪や日差しから身を守るのとは違って、自分を美化することで自分を守ったり、自分自身の何かを伝えたり、個性を強調したり、何かの会員の証にしたり、自分が置かれている状況や他者との関係を示したりするのがジュエリーの仕事です。家の一部を持ち運ぶようなものです。人はかたつむりと違って家を背負って歩けないので、家の代わりにジュエリーをつけて、自分にとって何が大事かを表明するのです。
Tumblr media
カリン・ソーファー、スフィンクス、2012、ブローチ、PVC、ポリスチレン、銀、スチール、80 x 75 x 75 mm、撮影:作家
企画書によれば、あなたは建物の外観と内部の空間の関係に興味があるとのことでした。ジュエリーにおいても似たような関係が見られると思いますか? それとも両者の差異を強調したいとお考えですか?
カリン・ソーファー:両者の違いは感じ方にあります。建造物は、中に入れることでより多彩な体験ができます。外から見て内部をあれこれ想像しても、中に入るとたいてい期待を裏切られます。建物の中に入ると完全に包囲され全感覚が総動員され、音やその反響、建物との比率から感じるスケールや自分の大きさ、空気の湿り気や乾き、外からの光やその変化などが飛び込んできます。全感覚が活性化し、建物に取りかこまれ、その一部となり内部に取り込まれます。
この距離や、自分の体が建物の一部と化す感覚は、ジュエリーとは異なる点です。
ジュエリーの場合、中身が重視されるロケットなどの一部の例外を除いては、外観に着目するものであって、中身はあまり重視されません。もちろん例外があるとはいえ、認識は限定的で、見る人は外側の存在です。
制作中の空洞をテーマにしたシリーズでは、中身と外側を並行して扱っています。私の考えのひとつは、核を取り除くことで空洞のための空間ができるということ。こうして出現した空洞は空虚で、外側の殻がこの空虚を囲っています。ほかには、空洞の造形を立体やその空間を定義する線のみで表現したり、ひとつの空間の空気感を集中して見せたりすることを考えています。
Tumblr media
カリン・ソーファー、無題、2014、ブローチ、PVC、銀、スチール、130 x 100 x 23 mm、撮影:作家
あなたが挙げるインスピレーション源には、グレゴール・シュナイダーが「ハウスウーア」プロジェクトで示した操作された内部空間や、レイチェル・ホワイトリードによるコンクリート鋳造の室内空間がありますが、ファインアートの世界を参照することはよくありますか? また、ファインアートの世界とアートジュエリーの世界との相違や類似点は何だと思われますか?
カリン・ソーファー:レイチェル・ホワイトリードのコンクリートの鋳造作品は、見えないものを固体にして可視化するという「不在」の見せ方に惹かれました。名案ですよね。空間を造形として着目し、塊のオブジェで表現するという発想が見事で、私の空洞のシリーズにも通じるものがあります。
グレゴール・シュナイダーの「ハウスウーア」には、環境の感じ方を操作することで表現される収縮や不安の感覚が示されています。その時の体験から思い起こされるような、ある空間が持つ独特の空気感を見せるというのも、また別のアプローチかもしれませんね。
ベルリンのある展覧会では、アニッシュ・カプーアの「メモリー」を見ました。この作品は内部と外部が表現されていた例でした。さまざまな角度から内部を見ることができるのに、外側がどんな形か想像がつかないというオブジェ作品です。全体像が見えないまま形を把握するというのは、対極的なアプローチです。
アートの世界からインスピレーションを受けた例は多くありますし、コンテンポラリーアートジュエリーの分野からも作品づくりのヒントをもらっています(後ほど例示します)。アートジュエリーもひとつの世界ですよね。完成品がいかに力強く、説得力があるかどうかがポイントです。
Tumblr media
カリン・ソーファー、無題、2015、ネックレス、PVC、紐、131 x 82 x 23 mm、撮影:作家
空間というテーマは、現代美術界で何十年も追及されてきましたが、ご自身はどのようにして空間に興味を持つようになったのでしょうか?
カリン・ソーファー:いくつかの体験がきっかけで空間に興味を持つようになりました。そのひとつは、ドクメンタ9を訪れた際のことで、白いコンクリートの建物の前で灼熱の中を何時間も待たされた挙句、やっと中に通されたら、地面にカーペット状に敷かれた黒い円の前に守衛が立っているだけということがありました。これには落胆も困惑もしましたが、ほとんど光の射さないその部屋にだんだん目が慣れてくると、その円が空間であることに気づきました。大きな円形の空間が黒い塗料で塗りつぶされていたのです。これはアニッシュ・カプーアの「リンボへの降下」という作品で、穴の中に吸い込まれそうな感覚に陥りました。
開館してまもないころに、ダニエル・リベスキンド設計のベルリン・ユダヤ美術館を訪れたことも空間を意識するようになったきっかけです。「空虚」が際立つ空間で、とてもよく覚えています。はてしなく悲しい虚無感が発せられていて、特異な体験でした。この頃から空間について考えるようになり、最近では自分の作品にも空間を取り入れるようになりました。
Tumblr media
カリン・ソーファー、石のブローチ、2013–2015、PVC、銀、スチール、紙、合成皮革、Gallery Marzeeでの展示風景(2015年)、15 x 15 ~ 140 x 50 mm、撮影:作家
先ほどの質問の続きです。空間や空洞というテーマは、コンテンポラリージュエリー界でも扱われてきたと思われますか? また、ご自身の作品は、ジュエリーという枠組みにおける空間の表現において、どういう位置づけにあると思われますか?
カリン・ソーファー:空間や空洞というテーマは、ジュエリーでも常々扱われてきました。身体はステージで、ジュエリーはその周囲の空間に取り込まれるわけですからね。そのスケールはさまざまで、80年代初頭のピエール・デーゲンの作品は、身に着けるというより中に入って作品を運ぶという、ジュエリーとアート、パフォーマンスの境界を曖昧化した作品でした。
もう少し小さい作品でいえば、オットー・クンツリが1984年から制作しはじめた「美女ギャラリー」があります。古いめっき加工された額縁の模造品を首にかけた女性を映した写真作品です。見せかけや肖像画、美、空間、空しさがテーマにされています。額縁の使用によってアートにも言及しており、着用時、つまり額縁の空間が人によって埋められている瞬間における身体とオブジェの関係を示しています。
もっと最近の作品で、いまお話ししたふたつの作品よりもさらに小さなもので言えば、トーレ・スベンソンが2010年から制作を始めたカラーボックスのブローチがあります。箱形をしていて、中はからっぽで色が塗られています。このブローチは、さまざまな感情を���に託して持ち運ぶための手段であるとも考えられます。ここでは、さきほどのふたつの作品とは違って、人が空間に介在することはありませんが、身体を背景に空間が表現されるという点は同じですね。
いまの作品は制作している最中なので位置づけは説明できません。いまはまだいろんな要素に興味が湧いている段階なので、もう少し時間がたてば、どういうふうになるのかはっきりしてくると思います。
Tumblr media
展示風景、温室、カリン・ソーファー、2015、Gallery Marzee、撮影:作家
PVCを使ってひとつの形の周囲に殻を構築するという工程のお話がありましたが、どんなことがきっかけでこの方法を思いついたのでしょうか? また今回のプロジェクトではこの方法にどんな変化を加えようとお考えですか?
カリン・ソーファー:何年も前に、ジュエリーを入れる袋を作るのにちょうどいい素材を探していたことがあって、その時にPVCに出会い、この素材の虜になってしまいました。この袋にはフックを固定するための穴を開ける必要があり、パンチで抜いたらきれいな真円ができたのです。そこで丸形だけを紐に沿わせて並べてチェーンを作ったものが、PVC作品の第一号となりました。
今でも紐を使っていますが、接着剤も使うので、2枚の丸を重ねると、後から中の核を取り除いても殻状の形を維持できます。空洞のプロジェクトでは、外側にくる構造を変えてみようと思いました。この第二の層を目下実験しているのです。市場に出回る製品は、色や厚み、表面の加工が日々変わるので、その時に手に入る素材で出来栄えが左右されます。私は殻を薄くして、PVCの透け感や、色の取り合わせと表面の構造の組み合わせを考えます。くり抜いた丸は、立てたり寝かせたりするだけでなく、例えば魚のウロコ状に配置することもできます。
Tumblr media
カリン・ソーファーによる「空間」シリーズのためのペーパー・モデル、2017、撮影:作家
ミッドキャリア給付金コンペのファイナリストに選ばれた結果を踏まえ、今後はどのようにこのプロジェクトを発展させていきたいですか?
カリン・ソーファー:結果的に給付金を逃してしまったとはいえ、この場を借りて私のプロジェクトについてお話させていただけるのはたいへんうれしく、感謝しています。
このプロジェクトは始まったばかりで、今のところは氷山の一角に着手したにすぎません。新しいことを始めたときの常として、深く掘り進むほどにさらに多くの道が開けていく感じがします。今後の展望については、この先も間違いなく継続していくだろう、ということぐらいしか言えません。
来年にはふたつの展覧会が控えています。ひとつはエレン・ライベンが経営するワシントンのギャラリー、Jewelers'Werk Galerieを会場に6月に行われるもの。もうひとつは、ナイメーヘンのGallery Marzeeで11月で行われるものです。いずれの展覧会も、その時点での成果を見せるつもりですが、この手の作品はかなりの長期戦になるものなので、出発点や途中経過を公開することになるのではないかと考えています。
もし旅費を調達できれば、ザハ・ハディドが設計した建築をいくつか実際に訪れ、中に入ることができるかもしれません。私としてはぜひそうしたいところです。自分の意識、ひいては作品にもプラスの作用があるはずですからね。もうひとつの展望や希望としては、自分の作品集を作ることです。
最近読んだものでインスピレーションを受けたものはありますか? AJF読者へのおすすめがあれば教えてください。
カリン・ソーファー:少し前にオーストラリア人アーティスト、フィオナ・ホールに関する記事を読みました。彼女は2015年のベネチア・ビエンナーレに「Wrong Way Time(誤って進む時間)」という作品を出品したそうです。この作品は一種の「驚異の部屋」的な空間で、人を引き込む力がありました。また、作者の素材の扱い方にも惹かれました。使う素材も作風も正反対なのに、私の手法に近いものが感じられたので。彼女が作るオブジェにはどこかジュエリー的な雰囲気があって、それがディテールへのこだわりと調和していました。
ありがとうございました!
カチャ・トポロスキー:ドイツ、フランクフルト生まれ、ワシントンD.C.郊外在住。ジュエリー作家、教授、ライター。哲学的思考を特長とした作品を制作し、原形的な物体や要素を並置することで、人間の物体に対する理解の限界を探っている。アメリカ国内外での数多の展覧会に出品し、紙媒体やウェブ媒体への作品掲載も多い。最近では「metalsmith」誌が主催する2016年度の誌上展覧会に出品。あらゆる分野の本を読み、ジュエリーについて文章を書き、そこから得たテーマを作品で探求している。
-------------------------------------
本ニューズレターの本文・画像のすべてまたは一部を無断で転載することはかたくお断りいたします。今回の記事は、スーザン・カミンス氏(Art Jewelry Forum)の寛大なる許可をいただいて翻訳しています。
1 note · View note
yoml · 7 years
Text
[翻訳] Pretend (You Do) by leekay #4-1
原文→
Pretend (You Do) by leekay
Chapter 4: A Sparkly New Coach and A Bloody Viktor Nikiforov
 「うそぶく二人」
第4章
新しいコーチと、ヴィクトル・ニキフォロフの流血 (前半)
 勇利がホテルの部屋に戻ると、ヴィクトルの荷物は当たり前のようにすべて消え去っていた。シャワールームのシャンプーも、ドアのそばに脱ぎ捨てられたスリッパも、ドレッサーに置かれた財布も、何もかも。
 ルームキーと財布をサイドテーブルの上に放り投げると、勇利はそこに一枚のメモときれいに折りたたまれた紙幣を見つけた。ひらがなでこう書かれている。「これでかえって――V」
 真っ白な紙に美しく書かれたその文字を見ると、感情がこみ上げてしまう。ヴィクトルに日本語を教えた夜のことを思い出したのだ。まどろみながら、その背中に「あいしてる」と文字をなぞった、いくつもの夜を。
 勇利はサイドテーブルの紙幣を数えた。長谷津へのフライトには十分すぎる額だ。ヴィクトルはいつもそうだった。周囲への責任感から、つねに求められる以上のものを相手に与え、自分自身を限界に追いやる。ずっと否定し続けてきた憤りが奥深くから湧きあがって、勇利は紙幣を壁に投げつけた。怒りまかせに投げられた紙幣は、だけど紙吹雪のようにひらひらと宙を舞い、ゆっくりと床に落ちていくのだった。
 勇利はメモを手に取ると、乱暴に溜息をつき、ぐしゃぐしゃに丸めてヴィクトルが使っていたベッドの方へと投げた。その動きに合わせて、手元で金の環が光る。指輪を外すと、それもメモのとなりへと投げつけた。何年間にも感じられた一連の出来事が終わり、ようやく勇利は、ベッドに倒れ込んだのだ。静まり返ったホテルの部屋で、ヴィクトルの残り香に包まれて。
***
 閉じられたバンケット会場の扉を見つめていた数秒間は、勇利の人生で最も長く感じられた時間だった。ほとんど裸の状態で、ぽかんと見つめる人や気まずそうに目をそらす人たちに囲まれ、立ちつくす勇利。時間はもう二度と、動き出さないのではないかと思えた。
 ピチットの手が勇利の腕を掴み、はっと我に返った。心配と困惑に満ちた瞳で、ピチットは言う。「勇利、追いかけないと」
 そう言われて、まるでパズルのピースがカチッとはまったみたいに、ヴィクトルに言いたかった言葉がはっきりとわかった。そして、それまで押し込めていた感情の正体も。勇利は頷くと、急いでスーツのズボンを穿き直し、人だかりをかき分けて、会場の扉を押し開け廊下へと走り出た。裸足で触れるタイルは、氷のように冷たい。
 ヴィクトルが立ち去ってから、時間はそんなに経っていない。きっと追いつける。勇利は全力でそう願った。
 駐車場へ出ると、雨粒が一気に勇利に降りかかった。あっという間にシャツがずぶ濡れになったが、気にも留めずに必死でヴィクトルの車を探す。あの銀髪を。あの青い瞳を。もうこれが、ヴィクトルと会える最後のチャンスかもしれない。直接話ができる最後のチャンスかも。急にそんな気がして、勇利はほとんどおかしくなりそうだった。どうしてこんなに見事な失敗をしてしまったんだ。
 視界の端に銀髪が見えて、勇利は慌ててそちらへ駆け寄る。ヴィクトルは車の中にいた。ハンドルに手と頭をうずめて、エンジンはかかっているけれどまだ走り出してはいない。
 だけどその丸まった背中とハンドルをきつく握る手を見た瞬間、勇利の心は粉々に砕けてしまった。こんなふうになって欲しくないと思い続けた、まさにその姿がそこにあったのだ。コンクリートの上を裸足で駆け寄る。まだ追いつけると思った。ヴィクトルが頭をもたげ、頬のように赤く腫れた目で、勇利をまっすぐに見つめ返すまでは。
 勇利は名前を呼んで大きく腕を振る。時間が止まって、二人の距離も永遠に変わらないような気がしたのも束の間、ヴィクトルは勇利から目をそらすと、まっすぐに車を出した。駐車場を出て、高速道路へと抜け、そして、勇利の人生から走り去っていったのだ。二人の別れを告げるかのように、夜の街に光るカーライト。
***
 勇利は頭を振ると、改めてホテルの部屋の静けさを見つめた。ちょうど24時間前も、勇利はまさにこの場所にいたのだ。���息を立てるヴィクトルの隣で、眠れずに横になって。グランプリファイナルの間、二人は同じ部屋に泊まっていた。互いに遠慮し合いながら、ほとんど話すことはなかった。顔を合わせていると、怒りと悲しみから喧嘩してしまいそうだったから、勇利はできる限り部屋には戻らないようにしていた。だけど夜になれば戻らざるを得なかったし、それに今、ヴィクトルの不在を前に勇利は気付いてしまったのだ。隣に眠るヴィクトルが居たことが、あんな状況でもどれだけ心を落ち着かせてくれていたかを。眠っている間の彼は、昔のヴィクトルだった。勇利のためだけにその目を輝かせてくれた、あの頃のヴィクトル。こんなのは、一番望まない結果だった。目の前で全部が吹き飛んで、そしてヴィクトルはいなくなった。もう、これっきり。
 勇利はそれ以上ヴィクトルのベッドの方を見るのを止めて、スマートフォンの通知に目を移した。バンケットに居合わせた人たちが撮った動画はインターネットを駆け巡り、すでに何千ものviewがついていた。勇利が酔っぱらい、裸で人生最大の過ちを犯すその瞬間が、何千もの目にさらされたのだ。
 胸が締め付けられて、熱くなった。胃が痛んで、昔ヴィクトルの真似をして滑った動画がネット上に広まったときのような気分がした。二人の関係は、その始まりと同じ形で、終わりを迎えたのだった。勇利が知らぬ間にひとり拡散される。だけど今回は、ヴィクトルが温泉にやって来て、全裸で君のコーチになるなんて言い出したりしない。今回は、勇利はひとりぼっちのままなのだ。
 勇利はファンからのツイートや心配した友人のメッセージ、家族からの着信履歴の通知で溢れるロック画面をスクロールした。そして見知らぬ番号から、日本語で書かれたメッセージが来ているのを見つけ、指を止めた。
「勇利。今日本に戻ってきました。そっちはバンケットの最中だと思うから、落ち着いたら電話をください。今後のことを話し合おう。上原」
「上原そうすけ」――ほとんど忘れかけていたその名前。ヴィクトルを「手放す」きっかけになったともいえる、その男。勇利の新コーチは、致命的な怪我によって若くして選手生命を断たれた元フィギュアスケーターで、チェレスティーノの紹介だった。つい最近までは、チェレスティーノを含めて4人だけが知っていたこの「新コーチ」という事実を、今ではもう世界中が知っている。
 勇利はうつぶせになると、枕に顔をうずめて泣き叫んだ。半径3メートルにあるすべてのものに、文字通りヴィクトルのにおいが残っている、その事実をかき消すように。
 実家に帰るのは怖かった。家族からの同情を受けることも、家のいたるところに染みついたヴィクトルとの思い出に触れることも、勇利は怖かった。
 確かなことは一つ。最低でもこのあと3日間、おそらく勇利は、ベッドから出られなくなる。
***
ローマ 2017年
「もうぐったり。3日くらいベッドでだらだらしていたいよ」 勇利がそう言って笑うと、黄色い街灯に照らされた白い息が冷たい空気に浮かび上がった。勇利とヴィクトルは、バーでイタリアのホッケー選手たちとおしゃべりを続ける仲間たちを置いて、二人で出てきたところだった。
 黒のタートルネックをタイトジーンズに押し込んで、黒いブーツとトレンチコートに身を包んだヴィクトルは、ひどく魅力的だった。身体をひねるたびにシルバーのバックルに光が反射し、引き締まった腰回りを強調する。寒さで少し赤らんだ頬。暖色の街灯の下で見る彼は、勇利が今まで見てきた何にもたとえようがなく、異国の石畳の通りを歩きながら家にいるようなくつろぎを感じた。
「結婚式、どうしようね」ポケットに深く手を入れたまま勇利の方を振り返り、ヴィクトルは突然話を切り出した。咄嗟に勇利は顔を赤らめる。ワインのほてりがまだ身体の中に残っている。
「まだ気が早いよ、だって金メダルだって獲っていないし」 勇利は自分のコートのポケットの中で手を揺らし、肩をすくめてみせた。
「夏に盛大にやろうよ」 ヴィクトルが大げさな身振りとともに話し始める。「あ、ビーチのそばでね! 近しい知り合いを500人ずつくらい呼んでさ」そう話ながら、ヴィクトルは石畳の上で踊り始めていた。鮮やかな妄想が目の前に描き出される。
「じゃあ、500人の知り合いにこれから電話しないとね」と勇利は笑い、ヴィクトルの隣に並んだ。狭い道の両脇に停められたバイクやべスパが不規則な列をなしていて、二人が歩くには窮屈だ。
「オーケイ、じゃあもう少し控えめに、スケートリンクウェディング。みんながスケートしながら歌うなかで、俺たちは誓いのキスをする」ヴィクトルはいたずらっぽく目を輝かせて、肩越しに視線を投げる。勇利はふっと鼻を鳴らすと、また一つベスパをかわした。
「あ! じゃあそれぞれの地元でこぢんまりやろう?」今度は現実めいた口調で、ヴィクトルが提案した。
「500人のゲストを呼ぶ“こぢんまりとした”式ってこと?」勇利はポケットへさらに深く手を突っ込んで、首を振りながらまた笑い返した。
 するとヴィクトルが急に立ち止まって振り返り、勇利は思わずその胸にぶつかった。「ねえ勇利。春に長谷津で、小さな式を挙げようよ」 ヴィクトルの手が勇利の頬を包む。長い親指が顎のラインをなぞると、足先までぞくぞくした。ヴィクトルの瞳に映るのは、春の陽光。二人の周りを雪のように舞う、桜の花びらがそこにあった。
「完璧」そうささやいて、勇利はヴィクトルに唇を重ねた。
***
※作者の方の了承を得て翻訳・掲載しています。
3 notes · View notes
sumogurishun · 7 years
Text
子どもと戯れるマイケルと海に浮かぶボス2017年8月19日〜21日
8/19 chelmicoの可愛さ(音程が気持ち良い部分が1曲に10秒ほどしかなく、カラオケでキーを合わせるのを失敗した女の子のようにラップする新しい女性たち。青鞜派)に溺れ、帽子を忘れ(傘がなく雨に濡れ君に会いに行く分には格好がつくが、真夏の砂浜で帽子がないのは死にに行くようなもんだ)、電車一本見逃す。詫びを入れるために、侘び寂びを入れるために、文芸同人誌『しんきろう』和歌浦バグースのための紹介文を書く。それがこれ。 ☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎ いきなりですが、俺たち物書きがこの海でなにができるかと言うと、書いた文章を売ること、そしてこの日を書き上げること。この結果入ったお金はあなた方に還元することはできないが、写真でも映像でも音でもなく、文字として、いや、一個人の文章として残ることは、全人類文筆家化した現代で、インターネットの海でタイムカプセル化するであろうSNSという媒体で、ではなく、紙面であなた方の体験が他人の文章で残るということはサマーウォーズでは得られない。 いま、街のこどもたちは進撃の巨人の主人公の巨人化する際に腕を噛みちぎる仕草を無我夢中で真似をしてはグロテスクなものに付き合わされている母親の潜在的自傷癖を燻らせ、親子共々リストカッターとしてカニバリズムに接近した近親相姦に励む姿が見受けられるが、あの仕草は『ときめきに死す』の沢田研二に由来しており、森田芳光監督の先見性には、とりあえず驚かされるが、この海では誰も巨人になれないし、手首の傷はもう見せていくしかない。俺たちが手首を噛みちぎって大きくできるのは股間もしくは乳首だけであり、浮き具のように股間や乳首を膨らませながら、志村けんの白鳥のように、久本雅美のレリジャスハラスメントチックな舞のように、音楽に身を任せ、俺たち文筆家は踊るしかない。みなさん一緒に楽しみましょう。 ☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎ 夏の暑さにヤられたような文章シツレイ!というような感じで、これ去年みたいに紹介する時間があるかと思ったけれど、なかったので、ボスと馬鹿でかい岩の上で大はしゃぎ(後述)している間に終わったのかもしれない。笑 ここまで書いていなかったが、しんきろう御一行は和歌山の和歌浦で『しんきろう』を売りにバグースにお邪魔した。一泊二日フゥゥ!!(めちゃくちゃデカいタヌキの腹を3発殴る) 和歌山市駅で、ボス、ゴタンダ姐御、ボビー・オロロロ姐御と合流し、詫びる。姐御の命で小指を落とし、泣きながらサングラスで傷を拭う。「川を越えてラーメンを食べよう」とボスが言い、みな「ボスは川が好きだからしょうがない」と口に出して言いながら川を渡った。川を越えた先にあるのはド・チェーン店だったことに気づいた俺はなんとか先輩たちの暑さにやられ溶けたゾンビのような行進を止めてあげるべく血眼で探し、見つけたのは大八ラーメン。中へ入ると猿かおじいさんかわからないような人と、禿げた人。「ああ、しくじった」と顏で表現するも『時効警察』並みに遅かった。看板にデカデカと「半チャーハン650円」書いてあったにも関わらず「半チャーハン今日ないよ」と言い切る猿にシャツイ(殺意)をおぼえるも、我慢し、塩バターラーメンを頼む。丼が来るまでタクシーを探していると、猿が車で駅まで送ると言ってくれ、猿もここまで優秀になったものかと感慨深く、これでラーメンがまずかったら日光へ売り飛ばしてやろうと思った矢先、丼がきた。塩ラーメンにしては珍しくこってりした色味。とんこつラーメンを頼んだボスがひとくち食べ、うまい!と言い、しょうゆラーメンを食べたボビーが、うまい!と言い、塩バターラーメンを食べた俺は笑った。味がないと笑うんだって知れてよかった。もはや何がこってりしているのかわからず、戸惑い、もうひとくち食べて笑った。不審に思ったボスはひとくち食べると「え?」と言い、笑った。味がないものを食べると人は笑う。ゴタンダ姐御も塩ラーメンを頼んで食べていたが、笑わなかった。バターの味がしたからだ。そう、バターの味はする。お湯バター。しかし、お湯バターは最悪の組み合わせであり、水バターの方がまだマシとすら思える。俺はとりあえず塩ラーメンに塩を振り食べた。そして猿を日光へ連れていき、タクシーで和歌浦へ向かった。 和歌浦に着くとボスとともに早速海に飛び込み、海に浸かった。ボスは泳いでいた。泳ぎ足りないボスと防波堤とも言える馬鹿でかい岩に降りるのが怖い高さまで登り、最悪の結果を想像しながら降りた。お湯バターが喉まで来ていたが、おのののかとの遊泳を想像し、凌ぐ。ボスはひたすら登り、まわって裏へ行き「僕は泳いで行くわ」と言って消えた。俺は素潜りと名乗りながらも泳ぐのがあまり好きではない。ボスについて行かず、来た道を戻ると、潮の流れにのって仰向きに浮かぶボスがいた。なかなかな場所に留まり浮かぶボスを見たときはさすがに「だいじょーーぶですかぁぁぁ?」と高田渡の真似で声をかけたが、ボスは遠くからでもわかるほどニヤニヤしていた。笑 その頃からずっとバグースではライヴをしており(笑)、ここにくれば何が流行っているかわかるほど、色んな人が音楽をしている。俺は砂浜でボスがくれた『創作』(作者不詳)という日記と『しんきろう』最新号を読みながら、誰が誰の日記だかわからなくなっていた。みな、日記を書き過ぎである。 『創作(1973年10月-1975年7月)』 作者不詳とあるが、栞には出版した人が色々書いている。出版した人が日記を「発見した」らしいが、あまりに作者に理解があり、あまりに肩入れしているため「おまえが書いたんじゃねえの」感が凄まじく、もし違ったとしても、もはや著者と出版人は同化しており、どうかしている。笑 この人に文学的価値を見いだすならば、もはや錆びれた日本的文学観で見た場合のみ最初の数ページ煌めくばかりで、これが本当に昭和の名も分からぬ人であることを祈るばかりである。これが誰かの創作であった時には少し辛いが、実際この本は日記なだけありスラスラ読めて面白く、笑える。まあまあ好きだが、それなら俺の日記だって出版してくれと思う。 バグースとは関係のない宿泊客の水着のお姉さんを見ながら豚バラ丼(昼飯のせいでとにかく味の濃いものを欲していた)を食べると、主催シラカワくんのバンドがはじまり、誰もかも踊り、終わった。 宿へ行き、風呂へ入るために歩いていると卓球台を見つけ、ボスとふたりで「みんなとする時のための練習」のために30分ほど汗を流した(みんなが卓球している時には卓球をしないようなふたりが)。やればやるほどふたりは上達し、互いに理解し合い、ふざけてスマッシュなんて打たないほどであった。それがふたりが共有していた価値観であって、かっこよさでもあった。ポパイ的なシティボーイとは違う、粋の話で、板前のする卓球はこんな感じかもしれない(結びはポパイ的。笑)。 去年もそうだったが、風呂に入ると、他の団体とも打ち解ける。それは人のチ☺︎子を見ると、その人のことが少しわかった気になるからで、☺︎のカッ☺︎し具合や、☺︎の☺︎び具合で、ある程度その人の美意識はわかる。 打ち上げでは、知らない人がかっこわるいことを難しく話していて、この人はダサい居酒屋に通ってこんな話ばっかりしていて、お酒を飲まないとこんなふうに話せないんだろうなあと同情した。学生時代から音楽の人がする打ち上げがとにかく苦手な俺は早く映画が観たくて仕方がなく、ボスに声をかけマイケルジャクソンの総指揮・監督作『ムーンウォーカー』を観る。 『ムーンウォーカー』 出てくる大人は悪役かダンサーで、味方は子どもだけ。後のネヴァーランドを暗示させる。ピンチになると「マイケぇぇぇぇぇる」と叫んでくれる子どもたちと、見かけただけで「マイコォォォォオォォォォ」と叫ぶファナティックな大人たちと、どっちがいいかっていえば、ペドフィリアでなくとも前者である。ちなみに俺はといえば屈折したエフェボフィリアで、つうかエフェボフィリアなんて思春期に屈折した人しかならないんだけれど、実は☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎、☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎で☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎して☺︎☺︎☺︎☺︎したことがあって、それはつまり☺︎☺︎☺︎だから☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎が☺︎☺︎☺︎で、それがもう☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎。あっはっは(全部冗談なんで気にしないでください)。パープルレインを見て嫉妬で猛り狂ったマイケルが撮ったら、狂気を宿した子ども向け映画になってしまったという、なんとも言えないヤバすぎる映画でして、子ども向けというよりも、好きな人に向けて作った映画でしょうねえ、マイケルが子どもに向けて撮ってますもんねえ。だってマイケルがああなったりこうなったりつって何もネタバレはしませんよ。ただボスとボビーと死ぬほど笑いました(敬語でゴリラと喋る)。映画を見終えると、女性が現れ「地震…」と言って、消えたので、急いでボスがシラカワくんを呼びにいき、その間ボビーは女性に事情を聞き、俺は地震について考えていた。 8/20 朝、マイケルの『ムーンウォーカー』に出てきた大量のタランチュラが、夢に現れ、うなされる。宿を出てタクシーに乗り和歌山市駅へ。コンビニで好物の雪印のコーヒー牛乳を買う。ボスと昨日のマイケルの映画について談笑しながら(ふたりはマイケルをとっても好きになっていた!笑)電車に揺られていると、腹痛が襲う。実は俺は本当におなかが弱く、☺︎ヶ月に☺︎☺︎は☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎☺︎。だから油断ならない。新今宮で降りるはずが天下茶屋で降り、ボスと☺︎☺︎の音で別れる。なんとか腹痛も収まり、それでも腹を押さえながら帰路につき、ミートソースパスタ(お湯バターのせいで味の濃い麺類が食べたくなっていた。昨夜の打ち上げでもインスタントのカモ蕎麦を食べたほど)をかきこみ、梅田へ。タワレコでものんくるのインストアライヴがあるからで、着いたらおっさんがたくさんいてゲンナリしながら開演を待った。綺麗なお姉さんがびっくりするくらい適当な司会をし、ものんくるが登場。盤での豪華な演奏陣が嘘みたいな地味な編成で期待したほど良くはなかったし、インディーズバンドがよくやる売れるための煽りでめちゃくちゃ萎える(成孔センセーあれやめさせた方がいいですよ)。ただ、ヨシダサラさんの歌声には本当に感動したっぴ。本当にすごいゅっ。帰って10時間寝る。 8/21 iPhoneで日記を書いたため、とても疲れた。chelmicoのMVで癒され「ああ、可愛いなあ。このまま永遠に動画が続けばいいのに。もうすぐ終わる。ああ、残念。もう一回見よう」と思い時間を確認するとまだ半分もいっておらず(半笑)、しまいには途中で飽きて消した。癒されるだけじゃだめなんだ。 そういえば『しんきろう』今号に素潜り旬は、LGBTQ文学と言いますか、ゲイ小説といいますか、そういった趣の詩小説『右手に雨が降る』を書いておりますので、機会があれば読んでみてください。興味がある方にはお渡ししますよ。500円です。
1 note · View note
yukikumagai · 5 years
Text
ラーメン食いてぇ!備忘録
Tumblr media
【伝説のラーメン漫画ついに映画化!】
原作はWEBを中心に話題になり、圧倒的な賞賛を得た林明輝による人気漫画。
親友の裏切りでいじめに遭いながらも祖父のラーメン店“清蘭”を継ぐことで立ち直ろうとする女子高生の茉莉絵(中村ゆりか)、茉莉絵を裏切ったことに苦悩するコジマ(葵わかな)、妻を亡くして絶望し“清蘭”をたたもうとする店主(石橋蓮司)、中央アジアのパミール高原で取材中に事故に遭い遭難した料理研究家の赤星(片桐仁)。人生の岐路に立った彼らが、一杯のラーメンに呼び寄せられて生きる力を取り戻す。
『ラーメン食いてぇ!』は、食レポ系作品とは一線を画す、熱い再生の物語だ。
【群馬にラーメンを食べに行く!】
2015年初夏、脚本執筆開始。“清蘭”のモデルになっている群馬県高崎市にある『清華軒』にシナハンという名のもとにラーメンを食べに行く。第一歩ならぬ、第一杯だ。
原作は、狭い製麺室、狭い厨房、狭い店内のシーンがとにかく多い。映画的には台詞は長いし動きも地味だ。しかしラーメンのこだわりを伝える大切な部分。何を削って何を残すか、観客を飽きさせないようにどう構成するか、が脚本化のポイントだった。あとは店内で迎える感動のラストシーンを、いかに映画的カタルシスに持って行くか。「清蘭のラーメンを一言で言えば、引き算の技だ」と言う店主(石橋蓮司)の台詞に倣って、基本的には引き算で書こうと思っていたが、時空を超える脳内イメージ映像、回想、小道具などは創作させてもらった。
執筆で苦労した点は……、作業しているとどうしてもラーメンが食べたくなってしまうことだろうか。特に夜。完全に飯テロである。何度「ラーメン食いてぇ」とつぶやいたことか。
中村ゆりか、葵わかな、片桐仁、石橋蓮司がメインキャストに決定。「なんて面白い組み合わせなんだ」とワクワクした。
Tumblr media
シナハン写真。塩ラーメン。撮影時も店主に作ってもらいリアルに再現。これは本当に美味しい
【年越しラーメン?】
2016年11月、国内パートの撮影が始まる。ロケは主に高崎市で約2週間。店のシーンはリアルに『清華軒』を借りて撮影。カメラはソニーのα7Ⅱを使いコンパクトな体制で挑む。ひたすら続く店内シーンを、アングルなど試行錯誤しながら撮影した。
メインキャストが店に集うクライマックスのシーンはスケジュールの都合で年の瀬12月30日。かなりの分量があるので「年越しラーメンになったりして」とか囁かれたり……。狭い空間だが、時間的にこの日は2カメ体制で行う。なんとか無事に日付が変わる前に撮影は終了。良いお年を、と群馬に別れを告げる。
【いざ、辺境の地へ!】
2017年6月、国外パートのロケハンでキルギスの山岳地帯に行く。飛行機3便乗り継いで、更に車で約4~5時間でベースの村に到着。遠い……が、パミール高原と言う辺境の地で遭難した赤星(片桐仁)が移動中の遊牧民に助けられる設定だから仕方ない。
3日間、山岳地帯をジープで走り回る。パンク、悪天候、雨の中スタックしたジープ押す、崩れた道を補強する、道がない、川を走る。辺境での定番トラブルを乗り越えつつ候補地を決めてゆく。標高は3、4千メートル。撮影日程にも余裕が無く、過酷な撮影になるだろうと覚悟を決める。「撮影しやすいモンゴルとかでもいいんじゃないのか?」と言う声もあったようだが、現地を見てやはりここで撮影するべきなのだ、と実感。画が圧倒的に力強くなると思った。
Tumblr media
標高4千メートルで7千メートル級のレーニン峰を背景にパチリ。これから押し寄せる数多のトラブルを知る由もなく、能天気にピースサインする
【片桐さん、手ぶらでキルギスに参上!】
そして8月、いよいよキルギス撮影開始。我々メインスタッフは先発して実景撮影を行う。撮影隊には医者とシェフが帯同しているのだが、スタッフが次々と体調を崩してしまう。そんな中、後発隊と片桐さんが現地に到着。
手ぶらで……!
空港で一行の荷物一切合切が届かないというトラブルが発生。衣装もメイク道具も。前途多難である。
旅行会社の努力で撮影日早朝に荷物が届く。こんなドタバタな感じで赤星パートの撮影初日を迎えるのだが……。
Tumblr media
自分スタンドイン。さすがにテーブルはキルギスで調達したが、テーブルクロスはリアルに群馬・清華軒から持っていく。
【山羊が****に襲われる!】
最初の撮影は、放牧地で赤星が仲良くなった山羊に語りかけるシーンだ。現地スタッフに大人しい山羊を用意してもらっている。朝、撮影現場へ行くと、
「山羊が用意できてませーん!」
「えええっ、なんで!?」
「え~、実は昨夜、山羊が……」
「山羊が……?」
「狼に襲われちゃって……」
「(絶句)……」
更に、
「片桐さんを乗せた車が山で迷子になってます!」
「(絶句)……」
鮮やかな朝日を浴びて途方に暮れた……。
片桐さんは無事現場にたどり着き、現地ドライバーが山から他の山羊を取っ捕まえてきてなんとか撮影は始まったのだが、こんな感じで毎日何事かが起こり、なんとかギリギリ乗り越えて乗り越えて撮影したのだった。(ちなみに片桐車はドライバーを代えてもなぜか迷子になってしまう)
Tumblr media
赤星の山越えシーンの準備中、8月なのに雪が降ってくる。草木にガソリンまいて火をつけて暖をとる豪快な村人たち。嵐になりそうだったので場所を変更して撮影する。山の天候を考慮してロケ場所は数パターンで考えていた。実は無謀にも予備日が無いのだ
【ついに完成にたどり着く!】
オフライン編集は基本的に自宅作業。苦労した点は……、作業しているとどうしてもラーメンが食べたくなってしまうことだろうか。何度「ラーメン食いてぇ」とつぶやいたことか。一見分からない部分だが、バレ消しや地味な合成などVFXチームの活躍が光っている。
Tumblr media
本の表紙。群馬で撮影した素材にキルギスで撮影した写真を合成する
【キルギスの村で野外上映会したいなぁ】
キルギス撮影でベースにしていた小さな村・サリモゴル。実は劇中登場する遊牧民の家族は、実際に現地で暮らす遊牧民なのだ。彼らに完成した映画を観てもらいたい。満天の星空の下、村の広場で野外上映会をしたいなぁ、と思う。
Tumblr media
レーニン峰を望む村の中央広場。ここで野外上映したい。『ニュー・シネマ・パラダイス』気分だ
※ 映画テレビ技術2018年4月号に掲載した文章を加筆修正
0 notes