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simamamoru · 2 months
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汚辱の日々  さぶ
  1.無残
 日夕点呼を告げるラッパが、夜のしじまを破って営庭に鳴り響いた。
「点呼! 点呼! 点呼!」
 週番下士官の張りのある声が静まりかえった廊下に流れると、各内務班から次々に点呼番号を称える力に満ちた男達の声が騒然と漠き起こった。
「敬礼ッ」
 私の内務班にも週番士官が週番下士官を従えて廻って来て、いつもの点呼が型通りに無事に終った。辻村班長は、これも毎夜の通り
「点呼終り。古兵以上解散。初年兵はそのまま、班付上等兵の教育をうけよ。」
 きまりきった台詞を、そそくさと言い棄てて、さっさと出ていってしまった。
 班付上等兵の教育とは、言い換えれば「初年兵のビンタ教育」その日の初年兵の立居振舞いのすべてが先輩達によって棚卸しされ、採点・評価されて、その総決算がまとめて行われるのである。私的制裁をやると暴行罪が成立し、禁止はされていたものの、それはあくまで表面上でのこと、古兵達は全員残って、これから始まる凄惨で、滑稽で、見るも無残なショーの開幕を、今や遅しと待ち構えているのであった。
 初年兵にとつては、一日のうちで最も嫌な時間がこれから始まる。昼間の訓練・演習の方が、まだしもつかの間の息抜きが出来た。
 戦闘教練で散開し、隣の戦友ともかなりの距離をへだてて、叢に身を伏せた時、その草いきれは、かつて、学び舎の裏の林で、青春を謳歌して共に逍遙歌を歌い、或る時は「愛」について、或る時は「人生」について、共に語り共に論じあったあの友、この友の面影を一瞬想い出させたし、また、土の温もりは、これで母なる大地、戎衣を通じて肌身にほのぼのと人間的な情感をしみ渡らせるのであった。
 だが、夜の初年兵教育の場合は、寸刻の息を抜く間も許されなかった。皓々(こうこう)とした電灯の下、前後左右、何かに飢えた野獣の狂気を想わせる古兵達の鋭い視線が十重二十重にはりめぐらされている。それだけでも、恐怖と緊張感に身も心も硬直し、小刻みにぶるぶる震えがくるのだったが、やがて、裂帛(れっぱく)の気合
怒声、罵声がいり乱れるうちに、初年兵達は立ち竦み、動転し、真ッ赤に逆上し、正常な神経が次第々に侵され擦り切れていった。
 その過程を眺めている古兵達は誰しも、婆婆のどの映画館でも劇場でも観ることの出来ない、スリルとサスペンスに満ち溢れ、怪しい雰囲気につつまれた素晴しい幻想的なドラマでも見ているような錯覚に陥るのであった。幻想ではない。ここでは現実なのだ。現実に男達の熱気が火花となって飛び交い炸裂したのである。
 なんともやりきれなかった。でも耐え難い恥辱と死につながるかもしれない肉体的苦痛を覚悟しない限り抜け出せないのである。ここを、この軍隊と云う名の檻を。それがあの頃の心身共に育った若者達に課せられた共通の宿命であった。
 この日は軍人勅諭の奉唱から始まった。
「我ガ国ノ軍隊ハ代々天皇ノ統率シ賜ウトコロニゾアル……」
 私は勅諭の奉唱を仏教の読経、丁度そんなものだと思っていた。精神が忘れ去られ、形骸だけが空しく機械的に称えられている。又虐げられた人々の怨念がこもった暗く重く澱んだ呻き、それが地鳴りのように聞こえてくるそんな風にも感じていた。
 勅諭の奉唱が一区切りついたところで、一人の古兵が教育係の上等兵に何か耳うちした。頷いた上等兵は、
「岩崎、班長殿がお呼びだ。すぐ行けッ」
 全員の目が私に集中している。少くとも私は痛い程そう感じた。身上調査のあったあの日以来、私は度々辻村机長から呼び出しをうけた。あいつ、どうなってんだろ。あいつ班長殿にうまく、ゴマすってるんじゃないか。あいつ、俺達のことを、あることないこと、班長殿の気に入るように密告してるんじゃないか。同年兵も古兵達も、皆がそんな風に思っているに違いない。私は頑なにそう思い込んでいた。
 つらかった。肩身が狭かった。
 もともと私は、同年兵達とも古兵達とも、うまくいっていなかった。自分では余り意識しないのだが、私はいつも育ちや学歴を鼻にかけているように周囲から見られていたようである。運動神経が鈍く、腕力や持久力がからっきし駄目、することなすことがヘマばかり、ドジの連続の弱兵のくせに、その態度がデカく気障(きざ)っぽく嫌味で鼻持ちがならない。そう思われているようだった。
 夏目漱石の「坊ちゃん」は親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしていたと云うが、私は生まれつき人みしりのする損なたちだった。何かの拍子にいったん好きになると、その人が善人であれ悪人であれ、とことん惚れ込んでしまうのに、イケ好かない奴と思うともう鼻も引つかけない。気軽に他人に話しかけることが出来ないし、話しかけられても、つい木で鼻をくくったような返事しかしない。こんなことではいけないと、いつも自分で自分を戒めているのだが、こうなってしまうのが常である。こんなことでは、同年兵にも古兵にも、白い眼で見られるのは至極当然内務班でも孤独の影がいつも私について廻っていた。
 あいつ、これから始まる雨霰(あめあられ)のビンタを、うまく免れよって――同年兵達は羨望のまなざしを、あいつ、班長室から戻って来たら、ただではおかないぞ、あの高慢ちきで可愛いげのないツラが変形するまで、徹底的にぶちのめしてやるから――古兵達は憎々しげなまなざしを、私の背に向って浴せかけているような気がして、私は逃げるようにその場を去り辻村班長の個室に急いだ。
 2.玩弄
 部屋の前で私は軽くノックした。普通なら「岩崎二等兵、入りますッ」と怒鳴らねばならないところだが、この前、呼び出しをうけた時に、特にノックでいいと辻村班長から申し渡されていたのである。
「おう、入れ」
 低いドスのきいた返事があった。
 扉を閉めると私はいったん直立不動の姿勢をとり、脊筋をぴんとのばしたまま、上体を前に傾け、しゃちこばった敬礼をした。
 辻村班長は寝台の上に、右手で頭を支えて寝そべりながら、じっと私を、上から下まで射すくめるように見据えていたが、立ち上がって、毛布の上に、どっかとあぐらをかき襦袢を脱ぎすてると、
「肩がこる、肩を揉め」
 傲然と私に命じた。
 私も寝台に上がり、班長の後に廻って慣れぬ手つきで揉み始めた。
 程よく日焼けして艶やかで力が漲っている肩や腕の筋肉、それに黒々とした腋の下の毛のあたりから、男の匂いがむっと噴き出てくるようだ。同じ男でありながら、私の身体では、これ程官能的で強烈な匂いは生まれてこないだろう。私のは、まだまだ乳臭く、淡く、弱く、男の匂いと云うには程遠いものであろう。肩や腕を、ぎこちない手つきで揉みながら、私はふっと鼻を彼の短い頭髪やうなじや腋に近づけ、深々とこの男の乾いた体臭を吸い込むのだった。
「おい、もう大分、慣れて来たか、軍隊に」
「……」
「つらいか?」
「いエ……はァ」
「どっちだ、言ってみろ」
「……」
「つらいと言え、つらいと。はっきり、男らしく。」
「……」
「貴様みたいな、娑婆で、ぬくぬくと育った女のくさったようなやつ、俺は徹底的に鍛えてやるからな……何だ、その手つき……もっと、力を入れて……マジメにやれ、マジメに……」
 辻村班長は、岩崎家のぼんぼんであり、最高学府を出た青白きインテリである私に、マッサージをやらせながら、ありったけの悪態雑言を浴びせることを心から楽しんでいる様子であった。
 ごろりと横になり、私に軍袴を脱がさせ、今度は毛深い足や太股を揉みほぐし、足の裏を指圧するように命じた。
 乱れた越中褌のはしから、密生した剛毛と徐々に充血し始めた雄々しい男の肉茎が覗き生臭い股間の匂いが、一段と��しく私の性感をゆさぶり高ぶらせるのであった。
 コツコツ、扉を叩く音がした。
「おお、入れ」
 私の時と同じように辻村班長は横柄に応えた。今時分、誰が。私は思わず揉む手を止めて、その方に目を向けた。
 入って来たのは――上等兵に姿かたちは変ってはいるが――あっ、辰ちゃんではないか。まぎれもなく、それは一丁目の自転車屋の辰ちゃんなのだ。
 私の家は榎町二丁目の豪邸。二丁目の南、一丁目の小さな水落自転車店、そこの息子の辰三は、私が小学校の頃、同じ学年、同じクラスだった。一丁目と二丁目の境、その四つ角に「つじむら」と云ううどん・そば・丼ぶり物の店があり、そこの息子が今の辻村班長なのである。
 私は大学に進学した関係で、徴兵検査は卒業まで猶予されたのであるが、彼―― 水落辰三は法律通り満二十才で徴兵検査をうけ、その年か翌年に入隊したのだろう。既に襟章の星の数は私より多く、軍隊の垢も、すっかり身についてしまっている様子である。
 辰ちゃんは幼い時から、私に言わせれば、のっぺりした顔だちで、私の好みではなかったが、人によっては或いは好男子と言う者もあるかもしれない。どちらかと言えば小柄で小太り、小学校の頃から既にませていて小賢しく、「小利口」と云う言葉が、そのままぴったりの感じであった。当時のガキ大将・辻村に巧みにとり入って、そのお気に入りとして幅をきかしていた。私が中学に入って、漢文で「巧言令色スクナシ仁」と云う言葉を教わった時に「最っ先に頭に想い浮かべたのはこの辰ちゃんのことだった。ずる賢い奴と云う辰ちゃんに対する最初の印象で、私は殆んどこの辰ちゃんと遊んだ記憶も、口をきいた記憶もなかったが、顔だけは、まだ頭の一隅に鮮明に残っていた。
 辻村班長は私の方に向って、顎をしゃくり上げ、辰ちゃん、いや、水落上等兵に、「誰か分かるか。」
 意味あり気に、にやっと笑いながら尋ねた
「うん」
 水落上等兵は卑しい笑みを歪めた口もとに浮かべて頷いた。
「岩崎、裸になれ。裸になって、貴様のチンポ、水落に見てもらえ。」
 頭に血が昇った。顔の赤らむのが自分でも分った。でも抵抗してみたところで、それが何になろう。それに恥ずかしさに対して私は入隊以来もうかなり不感症になっていた。部屋の片隅で、私は手早く身につけていた一切合切の衣類を脱いで、生まれたままの姿にかえった。
 他人の眼の前に裸身を晒す、そう思うだけで、私の意志に反して、私の陰茎はもう「休メ」の姿勢から「気ヲ付ケ」の姿勢に変り始めていた。
 今日は辻村班長の他に、もう一人水落上等兵が居る。最初から突っ張ったものを披露するのは、やはり如何にもきまりが悪かった。しかも水落上等兵は、私が小学校で級長をしていた時の同級生なのである。
 私の心の中の切なる願いも空しく、私のその部分は既に独白の行動を開始していた。私はどうしても私の言うことを聞かないヤンチャ坊主にほとほと手を焼いた。
 堅い木製の長椅子に、辻村班長は越中褌だけの姿で、水落上等兵は襦袢・軍袴の姿で、並んで腰をおろし、旨そうに煙草をくゆらしていた。班長の手招きで二人の前に行くまでは、私は両手で股間の突起を隠していたが、二人の真正面に立った時は、早速、隠し続ける訳にもいかず、両手を足の両側につけ、各個教練で教わった通りの直立不動の姿勢をとった。
「股を開け。両手を上げろ」
 命ぜられるままに、無様な格好にならざるを得なかった。二人の視線を避けて、私は天井の一角を空ろに眺めていたが、私の胸の中はすっかり上気して、不安と、それとは全く正反対の甘い期待とで渦巻いていた。
 二人は代る代る私の陰茎を手にとって、きつく握りしめたり、感じ易い部分を、ざらざらした掌で撫で廻したりしはじめた。
「痛ッ」
 思わず腰を後にひくと、
「動くな、じっとしとれ」
 低い威圧的な声が飛ぶ。私はその部分を前につき出し気味にして、二人の玩弄に任せると同時に、高まる快感に次第に酔いしれていった。
「廻れ右して、四つん這いになれ。ケツを高くするんだ。」
 私の双丘は水落上等兵の手で押し拡げられた。二人のぎらぎらした眼が、あの谷間に注がれていることだろう。板張りの床についた私の両手両足は、時々けいれんをおこしたように、ぴくッぴくッと引き吊った。
「顔に似合わず、案外、毛深いなアこいつ」
 水落上等兵の声だった。突然、睾丸と肛門の間や、肛門の周囲に鈍い熱気を感じた。と同時に、じりッじりッと毛が焼けて縮れるかすかな音が。そして毛の焦げる匂いが。二人は煙草の火で、私の菊花を覆っている黒い茂みを焼き払い出したに違いないのである。
「熱ッ!」
「動くな、動くとやけどするぞ」
 辻村班長の威嚇するような声であった。ああ、目に見えないあのところ、今、どうなってるんだろう。どうなってしまうのだろう。冷汗が、脂汗が、いっぱいだらだら――私の神経はくたくたになってしまった。
  3.烈情
「おい岩崎、今日はな、貴様にほんとの男ってものを見せてやっからな。よーく見とれ」
 四つん這いから起きあがった私に、辻村班長は、ぶっきらぼうにそう言った。辻村班長が水落上等兵に目くばせすると、以心伝心、水落上等兵はさっさと着ているものを脱ぎ棄てた。裸で寝台の上に横になった水落上等兵は、恥ずかしげもなく足を上げてから、腹の上にあぐらを組むように折り曲げ、辻村班長のものを受入れ易い体位になって、じっと眼を閉じた。
 彼白身のものは、指や口舌で何の刺戟も与えていないのに、既に驚くまでに凝固し若さと精力と漲る力をまぶしく輝かせていた。
「いくぞ」
 今は褌もはずし、男一匹、裸一貫となった辻村班長は、猛りに猛り、水落上等兵を押し分けていった。
「ううッ」
 顔をしかめ、引き吊らせて、水落上等兵は呻き、
「痛ッ……痛ッ……」と二言三言、小さな悲鳴をあげたが、大きく口をあけて息を吐き、全身の力を抜いた。彼の表情が平静になるのを待って、辻村班長はおもむろに動いた。大洋の巨大な波のうねりのように、大きく盛り上がっては沈み、沈んでは又大きく盛り上がる。永落上等兵の額には粒の汗が浮かんでいた。
 凄まじい光景であった。凝視する私の視線を避けるように、流石の永落上等兵も眼を閉じて、烈しい苦痛と屈辱感から逃れようとしていた。
「岩崎、ここへ来て、ここをよーく見ろ」
 言われるがままに、私はしゃがみこんで、局部に目を近づけた。
 一心同体の男達がかもし出す熱気と、激しい息づかいの迫力に圧倒されて、私はただ茫然と、その場に崩れるようにすわりこんでしまった。
 戦いは終った。戦いが烈しければ烈しい程それが終った後の空間と時間は、虚しく静かで空ろであった。
 三人の肉体も心も燃え尽き、今は荒涼として、生臭い空気だけが、生きとし生ける男達の存在を証明していた。
 男のいのちの噴火による恍惚感と、その陶酔から醒めると、私を除く二人は、急速にもとの辻村班長と水落上等兵に戻っていった。先程までのあの逞しい情欲と激動が、まるで嘘のようだった。汲(く)めども尽きぬ男のエネルギーの泉、そこでは早くも新しい精力が滾々(こんこん)と湧き出しているに達いなかった。
 「見たか、岩崎。貴様も出来るように鍛えてやる。寝台に寝ろ。」
 有無を言わせぬ強引さであった。
 あの身上調査のあった日以来、私はちょくちょく、今夜のように、辻村班長の呼び出しをうけていたが、その度に、今日、彼が水落上等兵に対して行ったような交合を私に迫ったのである。しかし、これだけは、私は何としても耐えきれなかった。頭脳に響く激痛もさることながら、襲いくる排便感に我慢出来ず私は場所柄も、初年兵と云う階級上の立場も忘れて、暴れ、喚き、絶叫してしまうので、辻村班長は、ついぞ目的を遂げ得ないままであった。
 その時のいまいましげな辻村班長の表情。何かのはずみでそれを想い出すと、それだけで、私は恐怖にわなないたのであるが、辻村班長は一向に諦めようとはせず、執念の劫火を燃やしては、その都度、無残な挫折を繰り返していたのである。
 その夜、水落上等兵の肛門を責める様を私に見せたのは、所詮、責められる者の一つの手本を私に示す為であったかもしれない。
「ぐずぐずするな。早くしろ、早く」
 ああ、今夜も。私は観念して寝台に上がり、あおむけに寝た。敷布や毛布には、先程のあの激突の余儘(よじん)が生温かく、水落上等兵の身体から滴り落ちた汗でじっとりと湿っていた。
 私の腰の下に、枕が差し込まれ、両足を高々とあげさせられた。
「水落。こいつが暴れんように、しっかり押さえつけろ。」
 合点と云わんばかりに、水落上等兵は私の顔の上に、肉づきのいい尻をおろし、足をV字形に私の胴体を挟むようにして伸ばした。股の割れ目は、まだ、水落上等兵の体内か��分泌された粘液でぬめり、私の鼻の先や口許を、ねばつかせると同時に、異様に生臭い匂いが、強烈に私の嗅覚を刺戟した。
「むむッ」
 息苦しさに顔をそむけようとしたが、水落上等兵の体重で思うにまかせない。彼は更に私の両足首を手荒く掴んで、私の奥まった洞窟がはっきり姿を見せるよう、折り曲げ、組み合わせ、私の臍の上で堅く握りしめた。
 奥深く秘められている私の窪みが、突然、眩しい裸電球の下に露呈され、その差恥感と予期される虐待に対する恐怖感で、時々びくっびくっと、その部分だけが別の生き物であるかのように動いていた。
 堅い棒状の異物が、その部分に近づいた。
 思わず息をのんだ。
 徐々に、深く、そして静かに、漠然とした不安を感じさせながら、それは潜行してくる。ああッ〃‥ああッ〃‥‥痛みはなかった。次第に力が加えられた。どうしよう……痛いような、それかと云って痛くも何ともないような、排泄を促しているような、そうでもないような、不思議な感覚が、そのあたりにいっぱい。それが、私の性感を妖しくぐすぐり、燃えたたせ、私を夢幻の境地にさそうのであった。
 突然、激痛が火となって私の背筋を突っ走った。それは、ほんのちょっとした何かのはずみであった。
「ぎゃあッ!!」
 断末魔の叫びにも似た悲鳴も、水落、上等兵の尻に押さえつけられた口からでは、単なる呻きとしか聞きとれなかったかもしれない。
 心をとろけさせるような快感を与えていた、洞窟内の異物が、突如、憤怒の形相に変わり、強烈な排便感を伴って、私を苦しめ出したのである。
「お許し下さいッ――班長殿――お許しッ ――お許しッ――ハ、ハ、班長殿ッ」  言葉にはならなくても、私は喚き叫び続けた。必死に、満身の力を振り絞って。
「あッ、汚しますッ――止めて、止めて下さいッ――班長殿ッ――ああ――お願いッ――お許しッ――おおッ――おおッ―― 」
「何だ、これくらいで。それでも、貴様、男か。馬鹿野郎ッ」
「ああッ、……痛ッ……毛布……毛布……痛ッ――汚れ――汚れますッ――班長殿ッ」
 毛布を両手でしっかりと握りしめ、焼け爛れるような痛さと、排便感の猛威と、半狂乱の状態で戦う私をしげしげと眺めて、流石の辻村班長も、呆れ果てで諦めたのか、
「よしッ……大人しくしろ。いいか、動くなッ」
「うおおおー!!!」
 最後の一瞬が、とりわけ私の骨身に壊滅的な打撃を与えた。
「馬鹿野郎。ただで抜いてくれるなんて、甘い考えおこすな。糞ったれ」
 毒づく辻村班長の声が、どこか遠くでしているようだった。
 終った、と云う安堵感も手伝って、私は、へたへたとうつ伏せになり、股間の疼きの収まるのを待った。身体じゅうの関節はばらばら全身の力が抜けてしまったように、私はいつまでも、いつまでも、起き上がろうとはしなかった。 
 班長の最後の一撃で俺も漏らしてしまったのだ。腑抜けさながら。私はここまで堕ちに堕ちてしまったのである。  瞼から涙が溢れ、男のすえた体臭がこびりついた敷布を自分の汁と血で汚していた。
 どれだけの時間が、そこで停止していたことか。
 気怠(けだる)く重い身体を、もぞもぞ動かし始めた私。
 「なんだ、良かったんじゃねぇか、手間取らせやがって」
 おれの漏らした汁を舐めながら辻村班長が言った。
 そして汚れたモノを口に突っ込んできた。
 水落上等兵は、おいうちをかけるように、俺に覆い被さり、聞こえよがしに口ずさむのであった。
 新兵サンハ可哀ソウダネ――マタ寝テカクノカヨ――
        (了)
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tutai-k · 10 months
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たどり着かなかったおおくの未来たちへ
文フリ東京だった。 土曜日開催のイベントってなんだかんだ言いながらはじめてのような気がする……労働が土日祝休めなかったころはなんでイベントは平日にやらないんだろうと思っていたし、土日が休みだったころはイベントは土曜日にしてほしいと思っていたが、日月休みになると、イベントは日曜日がいいなと思ってしまう。日月は宿泊料金がやすい。
そんな自分本位な「この日がいいな」をわたしはいくつも持っている。
文フリ東京は、土曜日の朝に出発した。車内販売がなくなってしまって、でもまあ新幹線のホームとか購買にシンカンセンスゴイカタイアイス(シンカンセンモウカタクナイアイスだという噂だが)が売っているらしいから、それを食べようと思っていた��、朝、名古屋駅で見つけることはできなかった。 しょんぼりしながら新幹線に乗る。新幹線の中ではほとんど寝ていた。
東京駅・浜松町・流通センター。いつもの乗り換えで会場に向かう。来年の12月の文フリはビッグサイトでやるらしいから、この行程で向かうのはあと一回。
会場前に八束さんのスペースで不穏なフライヤーをもらう予定だったのでもらいに行ったら、八束さんがさいたま文学館で開催中の『澁澤龍彦の文学世界』のフライヤーも一緒にくれた。 ので、スペースが出入り口の真ん前だったこともあって、これはたくさんのひとに見てもらえるんじゃないか…!ということで、出口に向けて配置した。完���である。
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そんな素敵な設営をして、開場。
遠方からきてくれたフォロワーさんに展示のフライヤーを見せ澁澤龍彦の話をし、「若い頃にわたしも全集読みました!」と言ってもらうなどしたり、痛覚の麻子さんにはえんえんと「この写真見てくださいやばくないですか?羽田に楯の会の制服を着て見送りに着た三島の帽子をかぶっておどけているときの写真でこれが二人が実際にあった最後になるんですよ……」と一生終わらないんじゃない勝手くらいの話をしつづけてしまったり、このフライヤーに気づいてくれた通行人のひと(「澁澤龍彦だ…!」という声が聞こえた)に「裏面も見てください!そしてよろしくお願いします!」とさっと差し出したり……。こんなに充実した文学フリマ東京は、2014年から参加していて初めてじゃないかと言うくらい充実していた。
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惜しむらくは、澁澤龍彦のフライヤーと一緒に不穏なフライヤーを挟んでいたにもかかわらず、だれも「澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制があるんですか?」と聞いてくれなかったこと…。澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制は果たして存在するのか……?
とまあ、こんな感じなのだが、そろそろ皆さんも不穏なフライヤーとは?と思っているところだろうと思うので、ご紹介致しますとこういうやつです。
「父親の死体を棄てに行く」アンソロジー。家父長制を棄てに行きたい方はどうぞ2024年5月の文学フリマ東京をお待ちください。
イベントが終わってからは、八束さんとヒマラヤ鍋を食べに行った。 お店の予約時間まで過ごしていたドトールで渋沢栄一の話になり、「ああ、向こうは傍家で、本家はうちなので」と話したら「いまうちって言いました?」と聞き返される。うちです。 ヒマラヤ鍋屋さんはめちゃくちゃすてきな楽隊(?)のお誕生日パレードがあったり、びっくりするような美味しい鍋を食べられたりと大満足だった。
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打ち上げを終えて、翌日のさいたま文学館に備えて埼玉に宿を取っていたので、移動をはじめたら電車がいきなり止まった! 電車の沿線で人身事故があったとのことで、近くのハブ駅みたいなところで電車を降ろされてしまう。こんなこと担ったのは初めてなのでびっくりしていると、とりあえず一時間くらいしたら電車は動くからね~とアナウンスが入り、事なきを得る。
都会ならではの体験だな…と思いながら、ホテルにたどり着いて泥のように寝た。
そしてさいたま文学館へ。
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張り切って出てきたら開館まえについてしまった…。図録を買って、老人クラブの展示があったので見せてもらったりして(ヤツガシラの俳句があってとてもよかった)、10時になる。
貸し切り状態……。
展示は、埼玉と澁澤の関係から始まっていて、浦和高校時代の写真(浦和高校同窓会が出しているものだった)があるのがとてもよかった。 限定本も展示がたくさんあり、原稿も、文学館が所蔵しているものが4、5点。 サド裁判のときに澁澤が三島に書き送った手紙に、争点が「わいせつか芸術かを超え、表現の自由/検閲への抵抗である」ことが書かれていることを指摘していたり、『高丘親王航海記』の原稿用紙、最初は「了」と書いてあったのを、推敲の段階で文字を自ら消したことを指摘していたり、「澁澤龍彦」という人物を表現との向き合いかたから見せているのが良いと思った。 面白かったのは三島の写真の使い方で、「血と薔薇」の「男の死」の三島の写真、あと、メインビジュアルが羽田に見送りにきた三島の帽子をかぶっておどける澁澤の写真だったからか、「楯の会の制服を着た三島由紀夫」の写真が展示してあったりした。
展示をひとしきり見た後は、図書室に今回の展示の関連本がまとめてあるとのことだったのでそれを身に。「作家のおやつ」「作家の食卓」といった本の紹介や、山﨑ナオコーラが文豪の墓参りにいく本に澁澤の項目があった。山﨑ナオコーラの澁澤へのまなざしにはわたしにもおぼえがある。よい本だった。そしてその本で、先月わたしが緑色のインコに夢中になっていた霊園に中島敦の墓があることを知った。敦、ごめんな……墓のことなんて全然知らなかったから、緑色のインコのことしか考えてなくて……。
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その後は文学館併設の「けやきカフェ」で澁澤龍彦コラボメニューをたべる。黒糖と胡桃のパンケーキ。澁澤が好きだった胡桃や黒糖のお菓子をイメージしてつくられていて、とてもよかった。 思い出したのは、今よりもっと貧乏だったころ、いろんなところでやっている澁澤の展示に行けなくて悔しい思いをしたことだった。いまこうしてたどり着くことができるようになったことを、なんだかとても、自分が、自分をなんとかしているように思えた。
パンケーキを食べ終えてから、「武蔵野うどん」に挑戦することにした。「伊勢うどんとは対極にあるうどんだ」という事前情報しかなかった。 桶川駅ちかくのお店はかなり人気店のようでたくさん人が並んでいて、お店に入れたのは並び始めてから一時間後くらいだった。 つけ麺(うどんのことをつけ麺というのか?)システムで、つけ汁とうどんは別々の皿に載っている。なるほどこういうやつなのか、となにも考えずにがっと箸でつかんで汁につけてすすりはじめたはいいが、うどん、めちゃくちゃかたいんですけど?!噛みちぎれない…やばい、全部すすって口の中に入れるしかない……と思ったが、これがまたすさまじく長くて……永遠にうどんがおわらない……。 こんなに硬くて長いうどんはじめてなんですけど?!おれたちは箸で持ち上げただけでへたしたらブツッといく伊勢うどんの民なんだということを再確認し、「これは風邪を引いたときに食べるうどんではなく、体力が有り余っているときに食べるうどんだな」と確信しました。きっと武蔵野のひとたちは、風邪をひいたときにはおかゆを食べるに違いない。(伊勢志摩の人間は風邪をひいたら伊勢うどんを食べます)
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二口目からは一本ずつ食べることで武蔵野うどんのおいしさを堪能し、また是非食べたい、顎の力を試したい、と思った。
武蔵野うどんを噛み砕くのに体力のほとんどを持って行かれて、疲れ果てたので、そのまま帰宅することに。 購買にシンカンセンスゴイカタイアイスを見つけたので購入し、席に着くと、隣のひともおなじシンカンセンスゴイカタイアイスを持っていた。しかもおなじチョコレート味。
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べつに示し合わせてはいないがふたり一緒に食べることになってしまい、こんなに好きなひとがいるのに、もうシンカンセンスゴイカタイアイスは車内販売されないんだな……と悲しくなる。 そして、乗車15分まえに買ったし、シンカンセンモウカタクナイアイスだった。
アイスを食べ終えてからは、記憶がない。気づいたら名古屋だった。
名古屋駅で、近鉄のホームに来たら、電車を待つ人は無秩序にホームにたたずんでいて、車両のドアとか何も気にしていなかったし、電車が着いても「先に並んでいたひと」という概念がないので、運良くドアの近くにいたひとから電車に乗りこんだ。東京とかから帰る途中、この近鉄のホームの無秩序さを目の当たりにすると、まだ名古屋から三重まで帰らないと行けないのに、「帰ってきたなあ」と思うのだった。
名古屋駅から最寄り駅までも、寝ていたのでほとんど記憶がない。
帰宅したら、夕食は焼きそばだった。焼きそばの麺は、どれだけ頬張っても簡単に噛みちぎれた。武蔵野うどんは硬かった。
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runpenparis · 2 months
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るんぺんパリ 【RunPenParis】
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【自己紹介 2024年7月14日追記 3538文字】
三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明
伊賀市で有名なのが 伊賀流忍者 伊賀牛 松尾芭蕉 俳句 上野城 2004年(平成16年)11月1���に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ
最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる
市部という地区だったと思う 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった
小学校までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ
小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森
中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ その時が一番楽しかった。
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 スレスレ生活
1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい
2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める
るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた
1973年8月1日生まれ(もうすぐ51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画
松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた
二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で
令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開
SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める
2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい
◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」
【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」
【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」
【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」
【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」
◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」
【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」
【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」
【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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renachtara0313-blog · 9 months
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2024年の抱負(やりたいこと)
既に新年始まって9日なので今更感はある。…が、ネットで文字を書いて形に残すと自分に言い聞かせる効果があると実感している。だからまとめることにした。
転職活動は続ける。後1社くらいは内定取ってみたい。蹴るかもしれないけど。
→自分の人生で勝つ経験が欲しい。社内政治のプロになることは自分の満足とはズレている。現職という狭い箱の中で認められること、��れで自分は満足か?と自問自答してしまう。30代は挑戦ができる最初の機会だし、もしかすると最後の機会かもしれない。その機会を何もやらずにドブに捨てたりせず、「私、ちゃんと生きていたな」と振り返って納得できるような経験をしたい。だから、転職活動を続けることにした。既に書類選考で1社落ちているので、このままでは終われないといった気持ちが大きい事もあるけど。1−3月にやって、ここまでで決着つかなければ現職の都合上、次にトライできるのは8月中旬からだ。向こう3ヶ月一旦頑張って、後は3ヶ月の状況を振り返った上で決めたい。
真面目に勉強する。候補は簿記、プログラミング、ドイツ語と中国語。
→現職で成果出せていることを言い訳に、ダラダラと7年(今年で8年)会社で過ごし続けていた気がする。成果が出ているように見えても、後輩がつかずマネジメント経験はないし、部署異動すら経験していないので実務経験が本当に広がったのかと言えば謎だった。書類選考で落ちた会社は会計や経理関連の経歴/スペックが欲しかったらしい。
なので、いい加減簿記の勉強を真面目に続けようと思う。会社で経験できなければ、自分でさっさと身に着けなければ。
加えて、プログラミングは自分の興味分野だが、興味で終わるばかりでは意味がない。自分も会社で必要な簡単そうな効率化システムとか内製化/デザインできるようにならないと、他人と差がつかない気がする。調べたところ、Paizaなどお手軽にプログラミングの学習素材を提供しているページをいくつか確認できた。何でもいいから手を付けようと思う。自分の現職と関わりが深いものはHTML/CSS(ホームページ担当、大体業者に委託しているが)、うまく活かせば製造現場に役に立ちそうなものはPython、一番とっつきやすいのはJavaらしいと聞いている。この辺りを少しずつ触っていこうかと思う。
最後に語学。ドイツ語は高校で専攻だったけど高校時代はうつ状態?ともかくメンタル不良との戦いだったので、断片的くらいにしか残っていないと思う。その不完全さを、成人になった今だとしても、一生かけて埋めていかないとなと思う。(そうでもしないと、昔の自分の日々がトラウマとして延々と襲いかかってくる気がする)一方で中国語、特に台湾華語を学びたい気持ちが強い。台湾に詳しい人の話を聞くと、他の国以上に治安・国内の人々の性格面で住みやすい環境であるらしい。台湾の人と社会的に関わっていける力を持てば、生きる場所といった選択肢を広げられるのではと思う。ドイツ語に比べて単純に学べる機会は幅広いと思うので、ここは自分に頑張って鞭を打ちたいところ。
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(台湾観光をまともにできなかったという悔しさもある(家族全員体調崩し+思った以上に英語も日本語も通じない+乗り継ぎ待機時間が非常に微妙だった+夏は厳しい、逆に年末年始休暇の際は台湾一周が候補になる可能性あり)。中国語学習のモチベを復活させるには、このことを思い出さんとな。)
見出しに書いていなかったが、そろそろ運転免許も真摯に取得を考えないと親がキツそうである。後は、公共交通機関インフラが脆弱(申し訳ない言い方だが)な地域に住んでいる友達には、自分が車を運転して会いに行けるといいな、という将来の野望もあるので…。
趣味を増やす
→流石に「上手に生きること」を考えると、やはりアニメとゲーム好きのままでは趣味活動が厳しい。アニメとゲームを消費するための脳は、上手く生きることに繋がってこない。自分でも悲しいし心にぽっかりと穴が空いた気持ちになるが、ポケモンと刀剣乱舞も満足に追えないかもしれない。どちらも日本各地に根ざした取り組みが活発なので、旅行のついでに追いかけることは引き続き問題ない。が、今後ゲームをどれだけ消化できるかは不透明だ。刀剣乱舞はちょうど良く昨年に一番好きな刀剣男士がレベルMAXになっている。ポケモンだけが悲しいことになってしまった…がしょうがないんだ…。
旅行はお金も時間も飛んでいくが、両親も私も好きだし他の人との雑談のネタになるので何やかんや続けていくだろう。それ以外に何をするかだ。いろんな本を読むという読書趣味はあるが、それ以外にも欲しい。料理は必須になった時に、ライフであり趣味と同化してきそうな気がする。(既に最近、声優の木村良平さんの料理放送や、ゆるキャン△の外飯レシピをじっくり見てはいるが…)なので他のもので探してみた。
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(京都 東寺の川を泳ぐ野鳥)
野鳥観察。観るだけなら旅行しながらでもできるか。というか名古屋市だと、たくさんの鳥を見るためには港付近の小さな干潟公園に行くしかないような…これまでに撮ったことのある鳥さんをスケッチで描き起こしてみることも、一興ではあるかと思う。
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(相当どうでもいいが、最近は地図を自分で手描きすることが何となく楽しかったりする)
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(静岡 島田のふじのくに茶の都ミュージアム)
茶道。持ち家ではないし、そもそもの人脈上誰かを誘うこともないか…。教室に行ってじっくり学ぶ必要があり、お茶会を開けそうな環境(小道具や服装含め)がないとキツそう。ただし、茶道の知識があると、江戸時代の大名さんが持っていた茶道具の価値や、博物館の展示物コレクションへの理解が深まる。教養として学ぶことに意義があると感じた。
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(埼玉 鉄道博物館で眺めた新幹線「とき」)
東京に何度か行き来すると、鉄道/電車に愛着が湧く。しかし、鉄道も動かす仕組みや歴史を学ぶこと以外だと、基本乗り鉄マニアとして旅行の延長線になりそう。いつか青春18切符で名古屋からできる範囲で効果的に旅をする、といった目標なら考えられるか。
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(埼玉 大宮盆栽美術館。木の幹が龍の形に整えられた、最も私の印象に残った五葉松)
盆栽はとても良い趣味だとフィーリングで思ったが、調べてみた結果、植物を育てることも愛玩動物の世話をすることと同じレベルの手間や丁寧さ、こまめさが必要と分かってしまった。関心事が変わりやすかったり、ふらふら遠出したくなる自分には向かなそうである。ただ、茶道と同じく、知識を身につけることで見れるものが多くなると感じた。何気なさそうな造形から、手入れした人のイメージした世界観や風景を想像する楽しみがある点は、日本刀の観賞に似ている気がする。後植物に愛着が湧く。
ま、まああまり変わらないな。ドローン操縦も気になるが、ライセンスも必要になりそうだし、関係法令をきちんと学ぶハードルもある。何よりどんな教室に通えば学べるのだろう…。
最後の候補は藤井聡太さんで話題になっている、将棋を覚えてみるか....(?!)。
旅行経験や何かしら思い出のある県に関する、話題をまとめたブログ記事(※Wordpress)を書く
→日本国内だと47都道府県の話になるが、実際は日本以外の国も含めて記事化することを想定している。
きっかけは、スマホの旅行写真をなかなか破棄できずに困っていること。また、外付けHDDを既に所持しているは良いものの、HDDにバックアップしたところできっとその存在を忘れるだろうと思っているから。忘れないようにするためには、自分が作ったネットの媒体に写真とテキストを残すことが一番かと思う。手間もあっての記憶だろうか。加えて、プログラミングは自分で触って形にしないと身につかないだろう。HTML/CSS知識習得の手段としても、Wordpressは何とか記事作成と運営を続けるべきだ。地域の思い出に関するネタなら、無難な話を書くことができるだろう。読書感想文を投稿しても良いだろうけど。
ぐだぐだ述べてしまった。これ以外にも増えるし変更するかもしれない。いずれにせよ、自分を出し惜しみせず、後悔のない1年を過ごせるようにしよう。
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ari0921 · 1 year
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023) 6月23日(金曜日)
    通巻第7806号
 ドイツのナショナルアイデンティティは蒸発したらしい
   ゲルマンの国は多国籍の労働構造、政治目標は雲散霧消
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 アメリカが「WASP」の国だったのはいつ頃までか?
 白人比率はかろうじて過半だが、黒人、ヒスパニック、アジア系移民が急増して、70年代後半から本格化したアファーマティブアクションが雇用関係を複雑化し、アングロサクソン優位は遠い昔話。いまでは『白人原罪論』が蔓延り、価値観は「多様化」した、というより分裂による大混乱に陥った。
 プロテスタントは十数の派閥が別れてまとまりがなく、逆に少数派だったカソリックが政治の主導権を握る。過去の歴史を否定するキャンセルカルチャーは英雄や歴代大統領の像を引き倒した。
これは戦後日本の自虐史観と酷似するものの、日本の場合はWGIPが存在して計画的陰謀的に日本人の歴史を改竄し、日本人を洗脳した。米国の場合、歴史観を改竄し、おかしな史観を植え付けたのは誰なのか。
 いろいろと考えるに源流は二段階革命を唱えるフランクフルト学派に行き着く。
 ドイツはすべてをナチスの所為だとしドイツ国民は欺されていたのだという詭弁で戦後を乗り切ったが、気がつけばナショナリズムが完全に否定されていた。
 ドイツが嘗てナチズムを生んだ国、世界を相手に闘った国だったという歴史を、現在のドイツでは認識できないことになった。ドイツ人口は8440万人、このうち外国人が1230万人となった。じつに15%が外国人!
 内訳はトルコ人が134万人(敗戦後、男子が急減し労働人口が不足したため、トルコから労働者をかき集めた。その末裔が増殖した)。
ついでウクライナ人が105万人。人道支援のため受け入れたが、宿、食糧、福祉などで支援疲れが顕著である。かれらは居候をつづけるだろう。
 三番目が88万人のシリア難民。これもトルコが西側諸国に難民支援をシェアすべきとして、難民を送り出したからだ。それでもトルコには370万人のシリア難民を抱え込む。
 嘗てドイツはものづくりに優れ工業機械、自動車で世界に冠たる製鉄技術や鉄道、鉱山技術などもあった。フォルクスワーゲンもベンツもBMWの世界のベストセラーだが、ハイブリッドでトヨタに追い越され、EVでは中国の猛追。ドイツ銀行はスキャンダル続きとなった。
 学校制度も職業訓練をうける学校へ多くが進学した。日本と同様に、この傾向は廃れた。ドイツでも猫も杓子も四年生大學へいくようになる。つまり労働者は外国人に依存しなければならなくなった。
 流入した「難民」の多くがイスラム教徒だった。キリスト教文化を相容れない異教徒が様々な摩擦を惹起し、さらには難民による凶悪犯罪が急増し、メディアは伝えなくても国民は日常生活でその脅威を実感している。
 ▼見捨つるほどのドイツはありや
 6月21日、中国の李強首相は初の外遊をドイツとして、ロボット工場などを視察し「技術協力が重要である」などと述べたが、ドイツのメディアから格別の反論はなかった。
 ドイツ政治は左派が牛耳り、現在のシュルツ政権は極左過激派の「緑の党」を含む連立であり、その政権の中枢の国防と外交を「緑の党」がしめ(国防相は途中で交代)、過去の主張を忘れて「ロシアと闘う。プーチンを退場させレジュームチェンジが実現するまでウクライナ尾徹底的に支援するのだ」と言っている。ネオコンと殆ど変わらない
 国益を問い、ドイツ第一を掲げる『ドイツのための選択肢』はドイツ保守派、穏健派にひろく支持されるものの、なかなか多数を得票できず、また左翼メディアが同党に「極右」のレッテルを貼るため、選挙での躍進は止まった。
ドイツの世論は窮屈な空間を醸し出すようになった。人工的労働構造の多民族国家として、ドイ��はこれから効率的な経済運営が可能だろう。おそらく数年以内に日本のGDPを越えるだろう。
だがゲルマンの精神は行方が知れず、グローバリズムが正義と奉(まつ)られ続ける。はたしてそれで良いのか?
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kachoushi · 26 days
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雑 詠
花鳥誌 令和6年9月号
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雑詠巻頭句
坊城俊樹主宰選 評釈
雑詠巻頭句
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結葉の社に届く応援�� 上嶋 毬子
 結葉とは古い言い方らしくて葉の茂る様子が密で結んでいるような様。深い森を想像する。これはどこかの学校がそばにあり、その試合かなにか。若い躍動は季題にあう。
佳人とは狐顔よとサングラス 上嶋 毬子
 まあ美人は狸より狐顔が多い。サングラスの主人公もまた妖艶な女性だろう。ミステリアスでグラマラスな佳人はまた別の美人なのか。
英霊か幕翩翻と大南風 上嶋 毬子
 この大南風はいやおうなく南の島で死んだ英霊からの風。太平洋戦争の末期のころの御霊たちが今の世へ。先の応援の幕なのか知らぬが、もっと深い森を思う。
白鳩の纏ふ青葉の深き息 平田 伸子
 青葉と白のコントラストに生命感を見た。これはしかし青葉の息なのだ。それらがここに来た白鳩を包み込む。生命の交流か対決か。
今生と久遠繋げる風薫る 平田 伸子
 現実と永遠との鬩ぎ合いと連携。それを風というものが吹き抜ける。これはスケールの大きな句。だが久遠とはあまりに遠い未来。
その先の開くる空へと夏山路 平田 伸子
 登山の風景。頂上にいよよ到達するのだが、まだ空は見えない。真っ青というか紺碧な空を想像する。到達点の透明感もまた。
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茅花流し古色を重ね鬼瓦 天野 かおり
 茅花流しという季題にも、鬼瓦という物にも古色がある。そして歴史的な句へ…
角打ちに自転車並ぶ南風の街 池垣 真知子
 角打ちは道ばたや居酒屋の店先で飲む酒のこと。近所の親爺たちの溜まり場。
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船いまし卯波に舵を切るらしく 馬場 省吾
 「いまし」という瞬間が魅力。舵を切る瞬間。それが波を海を切り裂ける。
余花無常人生有情なる旅路 小川 笙力
 余花にも人にも無常はあるが、人はそれに人生という有情を加えるのかもしれぬ。
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風見鶏茅花流しをやり過ごす 村山 要
 ああそうかあの風は茅花流しだったのか。そりゃあ鉄製の風見鶏はやり過ごす。
てのひらで見る全盲の花菖蒲 大和田 搏道
 これは全盲の方の光景か。掌の感触や匂い、その他諸々の感覚は気高くもの凄い。
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息深くそめいよしのの緑蔭に 加納 佑天
 「そめいよしの」と来るとそこに日本という深淵の息づきも感じる。
星砂を地上にひとつ初蛍 鈴木 月惑
 初蛍は地上に落ちて星砂となる。それは死ではなかろう。ただ無常感も。
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chilchilmischie2 · 2 months
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60
ボケクエ7の練習お題の結果が出たので記録記録。
お題
謝罪相手が最前列に座っている会見で起こったこと
62位 56票
[No.79] 4点0 3点6 2点19 ミスチルさんの作品
後ろから「あいつだけ私服で来てる」と言われながらキレ続けていた
ということで、前の記事に書いたとおり爆死した。
4票0って!
今こうして見返してみると、このネタの核となる部分は前半部分なんだけど、それを後半の文章が殺してしまっている感がある。もうちょっと違う表現があるか模索するべきだった。
実は当初のネタは「後ろの席の方から「あの人だけ私服で来てる」って言われてて恥ずかしそうだった」というもので、これを会議用CGIに出していたのだけど、謝罪会見という要素が抜けてるかなと思い、上記のネタを作った次第。
ただ、会議場で意見を聞いた際に、Nagomiさんから元の方が好きという意見を、またshamanさんからもすんなり入ってこない感があるという指摘があり、もうこの時点で危ないことに気付くべきだった。会議の意見大事。
次は穴埋めお題。
名人維新の穴埋めとなると、この悪夢をどうしても思い出してしまう。今回は絶対にこんな事にならないから!
では前回大会に続いて他の候補の紹介。
【他にこんなネタ出してました】
そうじゃないかなと思いつつ「キレてます?」って聞いたら、めちゃくちゃキレられた
止めどない非難に対して謝罪するしかなかったけど、「なんで謝ってんだよ!」に対しては首傾げるしかなかった
後ろの席の方から「あの人だけ私服で来てる」って言われてて恥ずかしそうだった
一番後ろのメガネ忘れてきた人の視線が一番怖かった
暑くて空調も効いてないのに、その人の席に置かれてる伊右衛門全然結露してなくて笑いそうになった
という事で5つ出して、メンバー内でも一番多く出していたのだけど、どれも評価がイマイチだったのでなんか恥ずかしかった。というか全体的に説明調過ぎる。なんか大喜利始めたての頃もこんな感じだった気がする。
久々の投稿だったからと言い訳したいけど、もう次からはそんな事言ってられないので、本当に大喜利の勘所を養わないといけない。
さて、あとは今回のツボ上げと、勝手ながらチームスクルトのメンバー紹介をしたい(怒られたら消す)。
(ツボ上げ)
【地下鉄を初めて見たお嬢様】
・メソッドさんの作品
これ以上進んだらやばいって思った地点がかなり手前
世慣れしてない感がすごい。
・ネオさんの作品
脱いだ靴をホームに揃えたら大騒ぎになった
周りもお嬢様も「え?え?」ってなりそう。
・まさゆめさんの作品
私が2人居たとしたら2人とも乗らない
・出雲螢さんの作品
ダイヤが乱れてると聞いて首元を見た
・おだンゴさんの作品
すれ違う顔が怖くて、帰りは手を繋ぐことにした
世慣れしてない感がすごい。(2回目)
【変態を育てる専門学校の卒業生は何をしている】
・かすとろさんの作品
短編小説をハガキに書いて、自分の住所に送ってる
変態っていうか狂気を感じた。
・てこもとさんの作品
頭を撫でながら、想像の中で脳みそを撫でている
変態っていうか狂気を感じた。(2回目)
・板野さんの作品
どうなっても知らねえからなと思うくらいには大事な仕事を任されている
・ギャルさんの作品
「痴漢、アカン」のポスターを見かけるたびに、ギッと睨む
【未来の自分から来た手紙に書いてあったこと】
・guniguniさんの作品
気を付けようがないけど、蛍光灯を丸呑みする日がある
避けられないのか...
・スカーさんの作品
今日から楽しくない勉強をしろ
・ニャン志さんの作品
親指を鍛えてフランスパンの時代に備えろ
絶対にそんな時代来ないからw
・6さんの作品
氷業者よ、夏は好きか? 夏は氷がよく売れるだろう 今年の夏は特に暑くなるからな 皆涼みを求めている、忙しくなるだろうが... お前の氷が頼りだ 夏はお前の季節だ 任せたぞ
毛虫より
・日高さんの作品
お疲れ様です!ぶっ壊れスーパーの開店でお買い物上手だった俺はただの凡人へ
【日本掃除協会が腐ってると言われる理由】
・マイマイルさんの作品
おもちゃを宝物と呼ぶ子供に驚く
・じゃーさんの作品
「街をきれいに」というポスターを倒れた自販機に貼ってる
腐っているのは協会だけなのだろうか。
・キツルさんの作品
啓発ポスターの子役は飼い犬の糞を拾ったことがない
こいつは起用にあたって汚いお金絡んでますね間違いない
【服を着ると死刑になる国】
・クロレラサイダーさんの作品
顔つきで巫女だとわかる
なんか本当に分かりそう
・Hsさんの作品
痴漢ですと叫んだら、もっと痴漢みたいな人が来た
・リトラ文庫さんの作品
「服部」が「毒島」みたいな扱いを受ける
・磯野ワイニーしようぜさんの作品
野球観戦が本当に面白い
このネタ自体おもしろいけど、このHNで野球ネタぶっこんできてることで2度笑ってしまった。
・ゆう☆ポンデさんの作品
のりピーがちょっと着てた気がする
・みくもさんの作品
高架下の柱にダウンジャケット着たカービィがスプレーで描かれている
ワルの要素にカービィというファンシーな単語を使っててめっちゃおもしろい。これすごい好き。
・ファイアードラゴンさんの作品
換気扇の掃除をしていたら舞ったホコリがおヘソに入って惜しくも死んでしまった
・生命の輝きさんの作品
出してもらったご飯に対して必ず満足できる。というか不満に思っている自分をそもそも想像できない
はい、お腹いっぱいです。
・たんじぇんとさんの作品
テレビ見てたら服着てる総理大臣が一瞬中指立てた
(番外編)
・マグレ巡洋艦さんの作品
包茎は服に含まれますか?
なんでいるんだよ!?
【ミシュラン三ツ星のメガネ屋がやってるサービス】
・照れてるてるてるさんの作品
絶対に誰にでも見える大きさのCが置いてある
・風呂つんくさんの作品
らっしゃいモード
一気に入店しやすくなった
・あやまって!さんの作品
俺が大事に持って来たコップがクソ遠くに投げられたあと、クソ遠くに投げられたことが分かった
・ホテル関本さんの作品
燻製された眼鏡は臭い
・弦之介さんの作品
とびっきりの笑顔かと思ったら裸眼で頭わいてるだけだった
・布石さんの作品
お通しです あーはい、 飲食店じゃないのにミシュラン取っちゃって
以来、とりあえずお通しでマヨネーズ出してます 間違ってたら言ってください
・未々さんの作品
こちら、ご注文のメガネみしゅ。
たまたまだけど、採点するとき一番上のネタがこれで油断した。
・美化委員さんの作品
キリスト(本人)が、スッスッ(十字架) スチャ…(メガネ)
確かに十字架作ってたけど、そんな工程聖書に載ってないぞ!
【お尻が大きい人はこんなことでも悩んでいる】
・新大さんの作品
その透明なのは何を飲んでいるのか聞かれた
タネも仕掛けもありません。
・たたかうさんの作品
工業高校の一年が初めての授業で私の椅子を作る
・きまぐれさんの作品
自分の尻を経由してゴールに入ったのに、ボール蹴った人の得点になってる
・モノカルチャーさんの作品
小さい駅で皆降りた
・クドウヒロオさんの作品
車椅子のマークを見ると泣きたくなる
・床屋みの竜レグナードさんの作品
集合写真でパノラマモードになったの見えた
・チンカス本舗さんの作品
外歩いてるとポケットに小銭入れられる
・荒瀬さんの作品
ヴィーガンなのにヴィーガンに見えない
でしょうよ。
・ひまじんのかなづちさんの作品
プリクラ撮ると加工でもっとデカくなる
【謝罪相手が最前列に座っている会見で起こったこと】
・音鳴ヨチさんの作品
全部知ってるのに一番質問してきた
・shamanさんの作品
終わろうとするたびに砂時計をひっくり返された
圧が凄い。ちなみにshamanさんのは他の候補もおもしろかった
・noodleさんの作品
本気を出せば壊せる柵が設置された
投票できてたら4点入れていた。
・泣きゾーマさんの作品
頭が真っ白になって、ハライチ岩井の結婚とかを謝ってしまった
・高浜さんの作品
相手の出すカンペを読んだ結果、予備校に通うことになった
・マドハンペさんの作品
警備がザルすぎて、ライフル向けられてる
後ろからは見えないっていうアプローチの取り方、ネタ作り中にあったけど、これがその理想形かな。(途中で考えるの諦めた)
・いさむさんの作品
俺だよ孫だよ、ともう一度だましてみる
・げらさんの作品
視線が合う度にどんどん早口になる
・さとしきさんの作品
えーこの度は世間をお騒がせしてしまい、大変申し訳ございません はい今回謝罪させていただくのは、このことについてです(謝罪相手の頭についてる赤い大きなボタンを押す)
以上。3点、4点入れたネタのご紹介でした。
多すぎ。なんだこの量は。こんなの毎回出来んぞ。
(雑なチームスクルト紹介)
せっかくチームメンバーとして一緒になったのに、後になって「どんな人たちだったっけ?」となるのは寂しいので、本当に勝手ながら紹介をさせていただく。
勝手なこと書くなって怒られたら消します。
本当はこの人のこのネタが好き!というのを幾つか紹介したいけど、ログを漁れていないので、茶屋で見かけておもしろかったものを一つだけ挙げる。
Nagomiさん
チーム結成時にいち早くtwitterに会議場をセッティングし、CGIに練習お題の準備もしてくれた。かつて初対面にもかかわらずいきなりCGIに訳の分からないお題を作ってメンバーを困惑させたバカがいたけど、そんな奴とは違ってしっかりとチームが機能するようにしてくれた。
大喜利茶屋で活動している他、どうやら生大喜利のことにも詳しいみたい。ネット大喜利と生大喜利、どっちの雰囲気も知っているというの���大きな武器になるのではないだろうか。あと短歌も嗜んでいる様子。その短歌からもおもしろさを滲ませてる。
(好きなネタ) 【第335回】夜の茶屋
このアイドル、時代に逆行しているなと思った理由
女性のADのことは女ADって呼ぶ
味しらべさん
今回の大会出場にあたりtwitterのアカウントを開設した様子。最近になってプロフィール画像の変更を覚えた模様。
主戦場は大喜利茶屋のよう。というかtwitterのプロフィールにも「やってます!」って書いてあるので間違いない。twitter始めたてだし投稿歴は浅めなのかなと最初勝手に思っていたが、茶屋で滅茶苦茶投稿してた。最近ではb!g!r!の企画に参加していたようで、もしかしたら他のサイトでも活動しているかもしれない。
会議場では「みんなどう考えてるんだろう?」と引っ込み思案な自分とは違い、ルールやネタに関して疑問に思ったことをしっかりと確認してくれる。大会規定やネタのアプローチなどの情報共有の機会にもなるので、この姿勢見習わなくちゃなと思う。
(好きなネタ)
【第425回】夜の茶屋
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(画像で一言)
所々にあるナルト面白すぎる
shamanさん
大喜利茶屋の第一線で活躍中の人。過去の投稿記録など見たらすごい好成績を残している。また、ネタボケライフでも活動中。レートが上がり調子であり、多分近いうちに自分のレート1777も越されるだろう。今大会でも既に練習お題で上位に食い込む活躍を見せており、本チームのエースとなることは間違いない。
会議中もお題とネタに対する考察は鋭く、しっかりとした意見を出してくれる。また、自身のネタ出しについても締め切りギリギリまで考え抜いていた。その結果が上位なので、本当にすごいと思う。
また、投稿・投票のタイムキーパーまでしてくれた。shamanさんに言われなかったら、投稿締め切り時間を23時と勘違いしていたので、本当に危なかった。
(好きなネタ)
【2024-04-06】日めくり
お題:萎える走馬灯
最後に「YOU LOSE」と出る
ミスチル
ネット大喜利界隈の隅っこで長年コソコソしている経歴詐欺の大喜利素人。私生活でもお笑いとは縁遠く、ヨーヨーとか絵を描くのが趣味(両方とも下手)。最近ではハイパーヨーヨーを子どもに買ってあげた上司に、ヨーヨー知識マウントをしてドン引かせた。
今回もなんとなくで参加したが、「え、名人維新終わっちゃうの!?」とか「チームサマルトリアでの雪辱を果たしたい」との理由もあって、しっかりやりたい所存。
活動歴が無駄に長いこともあるので、過去に多少まあまあな成績を残したことが多分何度かあったような気がするけど、今大会で「今が全盛期」と言えるよう、過去現在全ての経験を基に思考力・想像力を養っている最中。マジでなんとかして。
こんな感じ。
初めまして同士だけど、会議場でもみなさん優しくてワイワイやれており、このチームになれて良かったなと思う。
ここからが本番だから、チームの為に一所懸命やらなくては。
4人でガッツリ勝負して、ガッツリ勝ち上がってやるのだ!
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dazeheroganma · 5 months
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夢日記
書き溜めたやつの続き。2/2
4/20 月を小学校の先生に似た女性と一緒に追いかけた。月は思ったよりもよく動き、追いかけるのが大変だった。夢中で走っていると夜に沈んだ太陽も見えてきた。と思ったら体が浮き始めた。地球の重力圏からはみ出しそうになった。
6/25 友人と私の3人でとある目的地を目指していた。電車や新幹線を使うとお金がかかってしまうので徒歩で行った。しかし途中の中間地点の駅に向かおうとグーグルマップを活用するも砂嵐に巻き込まれたり蛇の洞窟に入ったり。息も絶え絶えに歩き続けたら元来た道に戻ってしまった。とある大きな勢力がループ構造にしたらしい。(恐らく鉄道会社を掌握しているグループだ)私はここまで散々な目に遭い結局鉄道会社に金に払う羽目になるのが嫌で目的地に行くのを諦めてしまった。
7/10 男性外国人にペットボトルか何かを投げつけられて、私はそれを蹴飛ばして歩いた。外国人はこちらを凝視しながら追跡してくる。怖くてコーヒーショップに駆け込みレジの黒人のお姉さんに「Help」と言った。レジの奥に男性が2人くらい見えた。お姉さんが無反応だったからもう一度でたらめな英語で助けを求めたが、奥の男性の1人が「分かっている」と言い追跡してきた外国人の方を見ていた。
8/7 ドアが壊れてしまった。虫がたくさん入ってしまう。途方に暮れているとある男がやってきて直すのを手伝ってくれた。この男はすらっとした体格で妖しい色気を持つ、まるで漫画の黒幕キャラのような男で、実際女性を騙しては殺していると専ら噂されている。 ドアが壊れる前、駅ビルにあるカラオケに行かないかと高校の同級生に誘われたが、それを乗り気じゃないのを用があると偽って断り、帰る準備をしていた時どこからともなくこの男が現れ優しい言葉をかけてきた。 私もいつかこの男に殺されると分かっていながら、でも心の片隅で自分は特別で殺されずに済むかもしれないという期待をしていた。
9/4 コンビニとケンタッキーと教室が一体化したような建物の部屋で泊まっていた。何かの旅行の最中だった。 机で寝て起きたら部屋の前の方にあるレジが開店の合図を出したので、喉が渇いたから爽健美茶の500mlと、レジでホットスナックを買おうと思った。他の宿泊客で混み始める。私が行ったレジはやたらカウンターが高くて大変だった。「ファフィ」なるチキンを頼む。店員と雑談をする。自動車免許を持っていないと言うと信じられないというような顔をされた。 お店を出るとそこは高架線の下にある原っぱだった。向こう側には川が見える。まだ朝だったので辺りは薄暗く霧がかかっていた。近くにバス停がある。あれに乗って次の場所に行く。私は二度と会えない人々と話をしてしまった事が少し悲しかった。
9/18 海岸沿いにある観光名所に大人しくて独特なリズムを持つ男の子と一緒に来ていた。バーやコーヒーを売っている所。ブラジルのコーヒー豆も売っていた。高級で期間限定のお店もあった。黒い外装にワインや肉が並んでいて、テラス席には大人たちがたくさん食事をしていた。屋台街を抜けると海岸で、海の向こう側の岸に廃墟のような大きな岩でできた建造物があった。2人で見ていたがふと私はここに学校をサボるために通っていたことを思い出した。
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10/10 盗賊の白人の老夫婦を車に乗せて盗みのターゲットである場所に行き敵対勢力との銃撃戦に巻き込まれた。私はただ台風を避けてさっさと家に帰ろうとしていただけだった。
10/27 火星へ人類史上初めて足を���み入れる事になった。真夜中、数人の子供と研究者らしい大人数人とロケットに乗り地球を出発した。ツイッターでその事を呟く。ロケットは3部屋に分かれていた。ロケットはすごい回転をしてあっという間に大気圏を抜けて月を通過した。月からは私は眠っていた。寒かった。 火星に到着すると私たちはロケットから降り、火星の地を踏みしめた。夜だった。荒っぽい灰色の大地にロケットが駐車場のように白い線で区切られたスペースに停まっている。船員の内の誰かが発した「地球とそんなに変わらないな」という一言をきっと誰もが心の中で思ったに違いない。 2回目の火星訪問。ガラス張りの建物の6階から続く渡り廊下を抜けた先に小部屋があり、そこがロケットの搭乗口に繋がっている。前と違う所に降りたのか、今度は人工物がたくさんあるところだった。多分研究施設か、火星移住計画が完成した暁にはターミナルになる場所。遠くにテーマパークのようなものや海まであった。写真を撮ろうとしたら建物の隙間にスマホを落としてしまった。世話好きの女の子(どうやら私は世話の焼ける子として周知されているようだった)が取って来てくれた。
9/8 潜水艦に乗っていた。水没した東京の駅近く水没する前に残された未知のものがあると地図に記されていたため、それを調査しに行く調査団に同行した。船の中は薄暗くて寒い。船の燃料が尽きそうだった。狭い隙間(地下鉄の改札へ行く地下通路だった所だろう)を通り、ようやく水面に船が顔を出した。果たして地図上に書かれていた場所には開発途中で放棄された土地があった。何かの記念館を建てる予定だったのだろう。地面に枠組みの残骸と道路の標識看板だけが転がっていた。船員達、とくに船長はがっかりしていた。私も内心肩透かしを食らっていたが、前々から噂で東京の鉄道記念館が建つ予定だった土地だと聞いた事があり、その確認ができただけ収穫はあったと言える。私は標識看板を手に記念撮影をした。発見を喜ぶフリをした。次の冒険に繋がるものがここには何も無くて、それだけがつまらなかった。
6/22 トンボの翅を学校から受け取って、トンボになりきれる能力を得た。昆虫を食べる。特にカブトムシの幼虫が美味しかった。そのままトンボの一生を終え、再び人間に戻り、次は蛇を学校から受け取って蛇になりきった。妹も入学してきて同じように蛇を貰った。黄緑色の蛇だった。いつも通りエサの昆虫を食べるとあまり美味しく感じられず、虫を見ても食欲が湧かなかった。なりきりに失敗したのかもしれない。貰った蛇に左手の親指と人差し指の間を噛まれた。
7/14 祖父の車に乗って祖父母が住んでいる土地へ向かった。妹と母も一緒だった。団地に囲われた見慣れない一軒家に入り、その裏庭に生えた白くてつるつるした裸の木の側に置いてあった椅子に座り、談笑しながらトマトやぶどう、リンゴなどを食べた。知らない男性がトマトを渡してきた。少し汚れていていかにも自家栽培とい��た風情のトマトだった。
12/12 白い犬が道路に飛び出しどこかへ行こうとしている。その犬は生霊の様に透明で、その後ろにあった一軒家から同じ見た目の生きている犬とその飼い主らしき高齢の女性が出てきた。私は生霊の犬が何か強い意志を持ってどこかへ行こうとしているように見えたので、女性に声をかけようとしたが何て言えばいいのか分からず、結局そのまま声をかけられず仕舞いとなった。
2/22 母と2人で神社のような所にいた。色々な展示物を見ながら一方通行の道を進む。母が後ろを尾けてくるモノに気付いた。水色の鳥の仮面に黒いローブを纏っていて、気付くとこちらに向かって走り出してきた。大きな鷲のような羽も生えていた気がする。こちらも羽を出して飛んで逃げる。その様子に気付いた他の参拝客達がその水色のモノを取り押さえていた。そのモノは押さえられる際刃物で刺されたようで、抵抗する力がどんどん弱まっていくのを冷めた頭で見ていた。
4/28 知らない仕事内容の事を詰められて困った。とりあえずスプレッドシートの数字を参考にしながら半紙を切る。上司は焦っていた。
5/8 油絵を2枚描く夢を見た。1枚目はデジタルで描いたような絵。青や赤を置いて後から白で上塗りして良い感じにする算段だった。2枚目は傷口の絵を一旦描いて、その上から白で塗ったり被せたりして治癒する作品。傷口の段階はグロいので周りの人々への配慮で、描いている部分以外の箇所には布を掛けて隠しながら制作した。
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sou-m-007 · 1 year
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●高校最後の秋の旅 進路
駅 改札前
券売機の上に掲げられた切符の料金表を チラっと見上げたクラズサンに気付いて 「どした?」って声かけると 「昨日読んだ本に  『券売機の一番高い駅まで行く』ってくだりがあって」               なんて応えるものだから
一瞬考えて 「行ってみるか」って始まるレフクラズサン高校最後の秋
  *  *  *
道中 見慣れない景色になってくると ポケットから出した切符を 大きな手で切符をすりすりしながら 料金表 最果ての駅名を呟きながら
「本の中ではソコには何があったんだ?」って聞くと 「再開発された生まれ故郷だよ」って応えて
げぇって顔で 「悲劇じゃねぇかよ」 「そう?栄えてたらよいだろ」
 クラズサンの本の内容はひとまず置いておいて 「料金表の最果て」って多分5千円程度 高校生や大学生でもちょっと背伸びしたら行ける距離
クラズサンの呟きから行こうぜ!って 現実的な行動にしちゃうレフ
トンネルばっかりの山間エリア(?)があったり 自販機チャレンジがあったり 遊園地の名前を関した駅があって 遠くから見える観覧車に気付いたのだけれども 着いてみたら閉園してて 「駅名だけ残ってるんだな」っていう  他人事の憂いを眺めるシーンもあるかも
海が見えたら「おお!」って声出して
揺れる心地にうとうとしてるのを見て 「寝てていいよ」って声かけたり 都市から離れてどんどん自然が多くなっていくと同時に 日も傾いてって隣でもたれかかってくる影と 自分の影が長くなっていく様子をぼんやりと 夕陽の中で眺めてる
「何処へともなく行くなんてのは      銀河鉄道の夜みたいだな」って言うレフに 「無銭乗車の話だろ」っていうクラズサン
2人共言いそう 「銀河鉄道の夜は無銭乗車。」
ジョバンニやカンパネルラと違って 自分達の持ってる切符は2人一緒の場所まで行ける
車内アナウンスの声が変わると 「車掌変わったな」て言うレフが居て (こいつ割と周りの音聞いてるんだよな)と思うクラズサン  クラズサンとは違うアンテナを持ってるレフ
切符に記された駅名が車内アナウンスで流れて 「次だな」って言い
―ここで引き絵、煽り文―      次回終点!二人の降り立つ先は――★
降り立った駅がどんな場所でも良くて 夕暮れでも夜でも 最果てまで2人で来れたって事実がトロフィー
駅の改札出る前に 「ここ出ないで折り返したら  帰りの切符買わなくても――」 「無銭乗車だろっ!」ってやりとり高校生なら許される (帰りの切符もちゃんと買います)
どこまででも行ける
起きたか起こしたか二人揃って見知らぬ土地に一歩踏み出せば 切れかかってちかちかと光る電灯 寂れた商店街と キコキコと古い音を鳴らしていく自転車 雑にガムテープで張り直されてるような時刻表が見えて 思ったままに 「俺らの故郷よりはマシだな」ってこぼすと  隣の影が吹き出したり
終点駅の自販機でジュース買って乾杯
  *  *  *
あんまり主張しないクラズサンの興味を 本人の代わりに拾ってくれてる部分もあるのかな
最果てでそっと写真を一枚撮って なんとなく待ち受けに設定して 知らない人が見ればただの寂れた駅だけど 二人にはあの時のトロフィーだって分かる
少し経った高校最後の冬の頃 自分も大学か専門学校かまた違う土地に行くことが決まって 学校やクラスメイトも なんとなく寂しい気配を纏う中でふと待ち受けが目に入って
別に進路とか聞いてないし言ってもないしそれでいい 不思議とまだ行き先は同じな気もするとも思ったりして
そしたら丁度良くどかっと目の前の席に座ってきたその人が 「今度○○(進学先の土地)に家見に行くから   お前も行こうぜ、周り何あるか見ときたいじゃん」  なんてどこで知ったんだとか ”お前も”ってどういう前提の話なんだってのよりも先に 「わかった」って答える
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yotchan-blog · 6 months
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2024/4/2 12:59:37現在のニュース
斉藤鉄夫国土交通相「静岡県とJR対話促す」 リニア令和9年断念 一日も早い開業を([B!]産経新聞, 2024/4/2 12:57:21) すし屋からラーメン店、トルコ料理の総菜屋‥近鉄・阪神「大阪難波駅」の構内は食の宝庫([B!]産経新聞, 2024/4/2 12:57:21) そごう・西武、本社部署半減 執行役員も減らしスリム化 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/2 12:57:17) 国内借入金利、15年ぶり上昇 ゼロゼロ融資の反動で - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/2 12:57:17) カーディガンとジーンズ姿の「警察官」、手帳の提示求められ逃げ出す…窃盗未遂容疑で高校生逮捕([B!]読売新聞, 2024/4/2 12:54:12) 18歳未満にわいせつ行為の教員、一律免職処分へ 神奈川県教委(毎日新聞, 2024/4/2 12:53:53) 営業利益率は4割 「再生ウエハー」首位のRSテクノ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/2 12:51:39) 廃線跡を自転車道に再生 国も転換後押し りんりんロード、旧駅舎の休憩所が好評 /茨城 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/2 12:51:34) 「幸せを呼ぶ黄色い電車」前で相鉄新入社員は記念撮影 神奈川県内で入社式や入庁式([B!]産経新聞, 2024/4/2 12:51:27) 三陸鉄道40周年、記念列車に地元住民から温かいエール 163キロを約4時間半かけて運行([B!]産経新聞, 2024/4/2 12:51:27) 40年で70億円、まいた種が大きく育った エジプト考古学者・吉村作治さん(4完) アーカイブ「わたしの失敗」([B!]産経新聞, 2024/4/2 12:51:27) 南海高野線、夜桜の歓迎 7日までライトアップ 九度山 /和歌山 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/2 12:45:38) 福岡市地下鉄、延伸1年 七隈線、増便で皮算用 混雑緩和&脱赤字 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/2 12:45:38) 東北新幹線、東京-福島間で運転再開 福島-仙台間は見合わせ続く | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/2 12:45:38) 震災乗り越え40年、三陸鉄道が記念列車 「あまちゃん」にも登場 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/2 12:45:38) 科技立国 反転の糸口(1) 研究力向上へ最後の好機 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/2 12:45:18) 上川外相、UNRWAへの拠出再開表明 テロ関与疑惑で一時停止(毎日新聞, 2024/4/2 12:39:39) JR北海道が運賃8%上げ検討 新観光列車開発も 中期計画発表 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/2 12:39:34) 道内初、積み替え施設 函館貨物駅 「24年問題」見据え /北海道 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/2 12:39:34) 三陸鉄道 震災乗り越え40周年 記念列車運行 住民らお祝い /岩手 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/2 12:39:34) 加西列車転覆事故 戦争ない地球を願い 慰霊祭に20人 /兵庫 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/2 12:39:34) https://mainichi.jp/articles/20240401/k00/00m/040/281000([B!]毎日新聞, 2024/4/2 12:39:34) 福岡空港、複合商業施設の新設や国際線路線数6割増で収益力アップ…設備投資5年で1070億円([B!]読売新聞, 2024/4/2 12:37:18) 北海道に豪華観光列車を投入へ…「ななつ星」デザイナーが手がける「赤い星」と「青い星」([B!]読売新聞, 2024/4/2 12:37:18) 勤務中の警察官、サングラスもコンビニ買い物もOK 期待する効果は(朝日新聞, 2024/4/2 12:35:10) 歌舞伎町の質屋に強盗容疑、3人逮捕 「即日お金」闇バイトに応募か(朝日新聞, 2024/4/2 12:35:10) 13歳だった同級生、あの日も隣のコートに 「今でも帰国を夢見て」(朝日新聞, 2024/4/2 12:35:10) DENZAI、浮体式洋上風力工事に参入 200億円投資 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/2 12:33:22) 長周期地震動とは 震源遠くても注意、階級4区分など分かりやすく解説 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/2 12:33:22) 鉄鋼業界「脱炭素」で鉄スクラップ不足に 相場高の足音 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/2 12:33:22) 夢の核融合発電 調達100億円超スタートアップは14社 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/2 12:33:22) 路線バス減便で高校生にタクシー券 山口・光市が実証実験(毎日新聞, 2024/4/2 12:32:26) 捏造? 護衛艦「いずも」のドローン動画が物議 防衛相「分析中」(毎日新聞, 2024/4/2 12:32:26) 松山駅高架下 14店公表([B!]読売新聞, 2024/4/2 12:30:29) コロナで経営悪化、公営地下鉄やバス支援へ…住民の交通インフラ維持([B!]読売新聞, 2024/4/2 12:30:29) 三陸鉄道が開業40周年、オリジナル記念鉄印を発売…宮古駅で記帳受け付け([B!]読売新聞, 2024/4/2 12:30:29) JR北海道が来年4月に運賃8%値上げ…年37億円増収見込み、国の支援から自立目指す([B!]読売新聞, 2024/4/2 12:30:29)
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パティースナック#インドレストランディパック #ディパック #浜松 #浜松グルメ #浜松インドカレー #浜松ランチ #浜松市 #浜松カレー #浜松カレー好き #浜松市東区小池町1579 #浜松gourmet #浜松インドレストラン #遠鉄電車 #浜松遠鉄自動車学校前 #discover遠鉄 (at インド レストラン ディパック) https://www.instagram.com/p/Cl-v8MWvZYF/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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travelfish0112 · 8 months
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すこしふしぎ
私の地元は、私が小学生低学年くらいに山鉄線と言う鉄道が廃線になった。小さい時から親と何処かに出かける時はいつも車だったからあまり馴染みがなかったけど、おばあちゃんと2人で街の百貨店に行く時だけはいつもあの1両しかない列車に乗っていた。だから、あの列車にはおばあちゃんとの思い出だけがあった。
乗りに行く時は、大抵年末。おばあちゃんがおせちを作るための食材を買いに行くため。
おばあちゃんは遠くから列車の音がするといつも「汽車が来るよ」と言った。
家の最寄駅はホームのベンチの下だけに小さな屋根がある無人駅で、時間になると古い列車がゆっくりと走ってきて、ベンチの前にギーっと大きな音を立てて止まった。
ホームから列車まで、少し大きなステップが列車から出てきていて、それをいつも「よいしょ」と言っておばあちゃんは登っていた。
私はこの買い物について行くのが好きだった。いつも百貨店で買った栗きんとんの入った袋を私が持って、そのまま最上階のレストランであんみつを食べる。おばあちゃん、ハム太郎知ってる?とか、その時見てたテレビの話をしながら。
あの思い出の列車は呆気なく廃線になった。それから街までバスが通るようになったけど、そのバスにおばあちゃんとの思い出は無い。おばあちゃんは、列車が無くなってから本当に外に出なくなり、私が中学生になる頃に亡くなった。
子供ながら私は、こんなにも呆気ないんだな、なんて当時は思っていた。
高校に上がった後、私は晴れた日は自転車、雨や雪が降った時だけバスを使っていた。乗る場所はいつもおばあちゃんと列車に乗っていたあの駅の入り口のところ。
でも、バスの思い出はあまり無い。と言うか、高校時代の事はあまり思いだしたくない。
あの時の思い出は、学校でも家でも辛い事ばかりだったから。
ある日の昼休み、私は生徒会室で本を読んでいた。教室は本を読むにはうるさすぎて、そして何より居心地が悪かった。あと、唯一の友達の奏多が生徒会長になっていたから。
奏多は私と違って運動神経も成績も良くて、クラスのカーストもトップでは無いけど、どこか一目置かれている、そんな存在だった。
対して私は全てにおいて中途半端で、気づけばどこのグループにも所属できない、そんな存在だった。今思えば大したことじゃ無いのだけど、あの時にどこのグループにも所属できないと言うのは、即ち高校生活で何もできないのと同義だった。
そんな私を見兼ねてか、奏多は昼休みに生徒会室で一緒にご飯を食べてくれた。他の子は大丈夫なの? と聞くと、「みんなどうせ彼氏の話かドラマの話しかしなくてつまらないから」と、言っていた。
奏多はその日、スマホを見つつ購買で買ったパンを食べていた。そして不意にこんな事を言った。
「夜、山鉄の駅で待ってると何処かから列車が来て、連れ去られるんだって」
「どこに?」
「……月とか?」
「……何それ」
くだんない、なんてその時は思ったけど、奏多の言葉がふと私の耳に残っていた。そして思った。
もう何処かに連れて行かれてたいな。
その日の授業終わり、私は先生が教室を出た次の瞬間には鞄を手に取ってそれに続くように外に出た。
そして自転車に跨ってそのままあの駅に向かう。駅の入り口に自転車を止めて、ホームに上がってみる。
多分10年ぶりとかに来てみたけど、ベンチもレールもそのままだった。線路のところには「せんろにはいらないで!」と書かれた古い看板がまだ残っている。駅名が書かれていた看板だけが無くて、あった場所には鉄枠だけが残っていた。
ベンチに座ってみる。ギシっと音がしたけど、そのベンチはしっかりと私の体重を支えてくれた。
イヤホンを耳につけてカバンから本を出す。有線で繋がったスマホで適当に曲を流す。音量はいつもより少し大きめ。
読み耽っていると、気づけば辺りが暗くなってきていて、文庫本を読むのが少し難しくなってきていた。
てか、私は何してんだろ。
ふと自分を顧みて呆れてしまう。あまりに自分の頭がメルヘンすぎる。
帰ろうと立ち上がると、屋根で隠れていた月が見えた。
綺麗な満月だった。
スマホのカメラを起動した瞬間、流れていた音楽が止まった。外の音が聞こえる。すると、カタンカタン、カタンカタン、と小気味の良い音が聞こえた気がした。
え? と思って、慌ててイヤホンを外す。カタンカタン、と言う音が段々と大きくなる。
あの時おばあちゃんと乗っていた1両の列車が、ギーっと音を立てて止まる。ガタン、と勢いおく扉が開く。
扉の前の席におばあちゃんが居た。
「え? なんで」
私が乗ろうとした瞬間、おばあちゃんがこっちに気づいた。
「あんた、まだ早いよ。まだ一緒に乗らんでええ」
「どう言う事?」
私が手すりを掴んでステップを登ろうとした瞬間、
「だめ!」
急に後ろから抱き寄せられた。思わず手を離した瞬間に、プシューっと空気が抜けるような音がして、また勢いよく扉が閉まった。
そして大きなモーター音を上げながら、列車が走り始めて、夜闇に消えた。
「桃佳、ダメだよ。ダメ。ダメ……」
奏多は私を抱きしめる力をさらに込めて、そう言った。泣いているような気がした。
「ごめん」
私は奏多の腕を手でなぞった。
月が綺麗だった。
本とロープ、仕舞わなきゃ。私はそんな事を考えていた。
あれから更に10年が経った。街の百貨店は今年の夏に閉店してしまうらしい。
あの駅はどうなっているんだろ。ふと思う。
おばあちゃんとあの列車に乗りながら思い出話をするのは、まだ先の話になりそうだ。
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runpenparis · 4 months
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るんぺんパリ【RunPenParis】
【自己紹介 2024年6月1日】 三重県伊賀市出身 旧名の上野市に 1976年から 1996年6月まで住んでいた
伊賀市で有名なのが 伊賀流忍者 伊賀牛 松尾芭蕉 俳句 上野城 伊賀市に変わってから上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで「新天地Otonari」となった 高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 小学校までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上もその雰囲気を変えずに残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊��� もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ その時が一番楽しかった。
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 スレスレ生活 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった
1997年から パソコンを38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説が出ていた 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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ichinichi-okure · 8 months
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2024.1.17wed_tokyo
昨晩は、わりとよく眠れた。 鼻詰まりが随分ましになったのが嬉しい。それまでは鼻をどれだけかんでも一向に空気の通り道が出来なかったのに、今では呼吸をするたびに鼻の奥に冷気を感じることができる。鼻呼吸ができないと、寝てる間にもしや呼吸困難に陥るんじゃないかと妙な心配をしてしまう。
熱を出すような風邪は4年ぶりです。 SUNNY BOY BOOKSさんでの個展を終えて、一息ついたらこれである。まあ、作家が個展のあとに調子を崩すのはよくあることかもしれない。 もしやコロナでは、と検査キットを試してみたけど幸い陰性でした。
たとえコロナでなくとも、辛いものは辛い。ふと寝起きの妻を見ると、どうやら彼女も調子が悪いらしく、今日は在宅の手続きを取ったそうだ。自分の風邪がうつったんじゃないかとヒヤヒヤする。 首から上だけプールの水に没んでるような、じんじんとした不快さを感じながら1階に降りると、柴犬のひるねは階段の下で尻尾を振って待っていた。早く散歩に行きたいのだ。風邪をひいたせいでここ数日の散歩はショートコースばかりだった。今日はノーマルコースにしよう。(ひるねのお散歩コースは、ショートコース、ノーマルコース、スペシャルコース、プラチナコースがあります)
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昨日の夕方の強風で凍える思いをしたので、念のため厚着で外に出ると、今日はそれほどでもない。ひるねも待ってましたと言わんばかりに、軽やかなステップで歩いてゆく。
体調が優れてなくとも、ひるねとの散歩は気持ちの良いものです。 僕が住んでいる町田市の玉川学園は、知る人ぞ知る坂の多い学園都市で、どこへ行くにも坂を上らなければならない。最寄りの小学校までは郵便局のある長い坂を歩いていかなければならないので、この町で健脚を鍛えた子どもたちは全国のマラソン大会でもなかなか良いところまで行くんだとかなんとか。真偽のほどはわからないけど。 とにかく、犬の散歩をするのにだって、それなりに坂を上ったり下ったりしなくちゃならないのだけど、おかげで見える景色にも変化があって楽しい。 家から南に曲がりくねった住宅地を歩いていくと、ゆっくりと標高が高くなっていく。断崖にそって左に大きくカーブしているので、そこからの見晴らしはなかなか良い。見晴らしと言っても見えるのは町田の街並みで、それは別にとくべつ美しいと言えるものではないのだけど(町田市民は怒るかもしれないけど)、「暮らし」を感じるにはこの上ない好スポットだと思う。夕暮れ時にここを通ると、ときどき中学生か高校生の女の子が、夕日を撮ろうとスマホを向けている。
犬と暮らすようになって、共に散歩をするようになると、そうでなかった頃には感じもしなかったことに気付くようになった。 たとえばポイ捨て。犬と散歩をすると自然と目は足元に行くわけで、道に転がるゴミの多さに辟易することがある。犬は食欲の権化と言っても過言ではないので(人間もそうかもしれませんが)おにぎりの包装フィルムとか、カップ麺の容器とか人が捨てたものに口を向けようとする。誤ってお菓子を包み袋ごと食べてしまった時は動物病院で吐かす処置をしなければならなかった。そういうことがあるから、散歩中にスマホなんてなかなか見れません。でもたまにいるんだよなぁ、スマホしか見ずに犬の散歩をしている人。もうなんならスマホに集中しすぎちゃって道の真ん中で直立不動になっちゃってるの。直立不動の飼い主にリードだけ繋がれちゃって、飼い主の周りをウロウロすることしかできない犬。なんですかあれは。
散歩から帰って、熱を測ると37.3分だった。これくらいの熱なんでもない筈なのに、なんなんだこの不快感は。 来週は勤め先の専門学校に必ず行かなければならないから、なんとしても治したい。学生は卒業制作の真っ只中で、その最終発表が来週なのだ。講師が風邪で不在なんて事態にするわけにはいかない。かかりつけのクリニックに予約を取ると、着込んで車で向かう。 いつも診てもらっている先生がお休みで、今日の先生は自分よりひとまわりは若そうな方だった。最近ではこういうことが増えた。今まではお世話になる人みんな自分よりも年上の方が多かったのに、気づけば同年代、今では年下の人にお世話になることが多い。アパレルの店員なんて、みんな年上のお姉さんって感じがしたけど。 若い先生は、緊張しているのか急いでいるのか、割と早口で、だけど丁寧に「まあ、風邪ですねえ」という話をしてくれた。
薬局で薬をもらうと、途中マクドナルドでテイクアウトして、家に戻った。ちょうど仕事の区切りがついた妻とまずはフライドポテトからむしゃむしゃ食べ始めた。
「マクドナルド美味しいな」つい、口に出た。マクドナルド美味しい。 「うん」妻が言う。
テレビをつけると、阪神・淡路大震災の追悼の様子を映していた。そう、今日は1月17日だ。29年前、私はまだ小学生でした。 会場の公園に設置された竹の灯籠で「ともに」の文字がかたどられている。当然、能登半島での被災者への思いを込めてのものだろう。 ここ数日は本当に寒い。北陸は凍てつく寒さだろう。避難所生活している方々を想うと本当に心が��い。自分はなんだ、ちょっと風邪をひいたくらいで。暖かい部屋でハンバーガーを2個もたいらげているじゃないか。つい、そんなことを思っていると、切り替わったニュースで、与党が資金パーティの取りやめをどうするかで3時間会合を開きました、みたいなことを言っている。 どうかしている。さっさとやめれ、そんなこと。
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フツフツとテレビに対して怒っていると気分が悪くなるので、夕方まで眠ることにした。 ボフっと枕に頭を預けて、右を見たり、左を見たり、天井を見たりする。どっちを向いても鼻がツーンとして寝心地がよくない。 それで結局スマホをいじってしまったりするのだ。これは良くない。依存してるんだろうなぁ、スマホに。 どっかの誰かが言っていた。「朝起きて、パートナーにおはようを言う前にスマホをいじっているのなら、対策を考えたほうがいい」
そんな話の後だが、数時間後にスマホのメール通知で目を覚ました。新規の仕事の依頼メールだった。 児童文庫の装画の案件で、作者は誰もが知る素晴らしい児童作家だった。私も、彼の本は大好きだ。 パタパタと階段を降りて妻に報告する。妻も喜んでくれた。
16時になる頃に、もう一度ひるねのさんぽに行く。 手付かずの朝を歩くのも気持ち良いが、この時間の玉川学園も好きだ。街が頬を染めたような色に染まる。 ちょっと遠回りしたスペシャルコースをひるねと歩いて、何人かのご近所さんに挨拶をすると、例の見晴らしの良い曲がり角に差し掛かった。夕焼けの中で小田急電鉄がだんだん細くなる線路と共に、団地や無数の住宅の間を抜けて町田の市街地へ溶け込んでいく。
夕暮れが、家に帰る合図になればいい。暗くなる前に家に帰って、好きな人と過ごすのだ。夜になってからではちょっと遅い。夕暮れを一緒に過ごすのが良い。
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-プロフィール- 本田亮 40歳 東京都町田市 イラストレーター インスタ https://www.instagram.com/ryoillust/ ツイッター https://twitter.com/ryoillust
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niwanoki · 10 months
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2023/11/27
職場で、他部署の人が意外と自分のことを気にかけてくれていたことを知る。休日は最低人数の三人ほどが出勤するが、その、人がわざわざ少ないタイミングを狙って声をかけてくれたのだ。最近はどうですか。やっぱり忙しい? この間、私が涙目になっていたのをちゃんと見ていたらしかった。だんだん方向性が決まりそうですと手を止めて笑っておいた。実際そうだから。最近、帰り道にやたら酒を買って飲み歩いていた時みたいな気持ちがあまりない。この野郎、殺してやる、みたいな気持ちがあまり来ない。その代わり、帰り道、よその家の夕ご飯やお風呂の匂い、冬の近づく空の色や風の冷たさにちゃんと感動できる、前向きな歌詞、前向きな音のする音楽を聴けて感動が持続する(相変わらずすぐ消えてしまいはするが)。出勤した昨日に関しては、なんと、「面白いことがしたいなあ」という気持ちで体が熱くなった。この職業だからこそできること、そういうわけでなくとも自分の良いと思えるものに対して、そのことを伝えて、何か面白いことを催したいような気持ちが起こった。今すぐ思いつく限りの、その手の知り合いたちに連絡したくなった。しなかったけど、近いうちに何かするかも知れない。前向きな曲、the pillowsの曲とか、高校の頃によく聴いてた曲。朝、それが聴けて、しみじみと高校の頃を思い返すことができた。そういえば私を気にかけてくれている担任だった人に返信してない。非常に失礼だから早くしないと。金曜日、仕事の終わりがけに大学の頃からの友達に夕ご飯を誘ったらふたつ返事で職場の近くまできてくれ、彼はビール、自分はチューハイとそれぞれ一杯だけお酒を飲んでご飯を普通に食べ、喋って、公園に行ってまた喋って、彼は前に辞めたと宣言していたたばこを三本くらい吸った。明日は仕事だというので早めに帰る。この人も、実はとても優しい人で、ちゃんと話が終わるまでちゃんとうなずいて聞いていてくれるタイプの人間だ。目をみて話すしえらいよね。なんだかんだずっと、途切れつつも細々と連絡をとったり、この日のように一緒にご飯食べたりしてくれている。ありがたい。やっぱり友達というか他者の声を私は求めているのだと思った。普段よりよく喋って、笑うこともできていい具合に疲れてよく眠れた気がした。そこから私の「前向きムーブ」は始まったような感触がある。土曜日は、もたもたしていて出遅れたものの東近美でコレクション展を見た。「大正のタッチ」というコーナーや河原温と野村仁が近くに展示されていた8室、女性の抽象という小テーマ展が良かった。作品はよく見られて満足したが何だか体がおかしいと思ったら急に生理がきた。これからどうしよう、帰ろうかと迷ったが、毎日新聞ビルのコンビニで生理用品を買い(無駄な出費である)ことなきを得ると、やっぱりと思い直し、皇居沿いを歩いた。日比谷線に乗りたいってことで日比谷まで歩いた。14時すぎ、もう傾いた日差しにさらされた有楽町のあたりの銀杏の木が美しい。人出が多い。みんな暖かそうな服装で、笑っている。自分が小さい頃に描いていた東京のイメージに近いとふと感じ、そういう時に頭の中で流れる曲をiPhoneで聴きながらずんずんと歩くと、やっぱりそうだ、これなんだと確信できた。昔のミスチルや、小沢健二などのあの感じ、この時、本当にそのほんの何年か後に東京の街中を、わりと慣れた足取りで歩いていることを知ったらきっと当時の自分は驚くはずだとか、本気で考えていた。着たい服をしっかり身につけて、きらきらお洒落な人たちの群れの中をちょっと遠慮がちに歩いている、今。この季節のこの時間、土曜日、冷たい日差し。学校からの帰り道にぎりぎりまで近づいては離れて、憧れたような時間。昔のドラマの再放送があった時間、母が電気カーペットの上に座布団を敷いて座りアイロン掛けしながらそれを観ている。まだあくまで明るいあの時間。それらの異なる時間は本当に繋がれていた。銀杏の木の眩しい黄色に浸された道の地下鉄への入り口を降りて、無事に地下鉄に乗り、恵比寿。今年惜しまれつつも一旦たたんでしまうという服飾ブランドの展示会に向かう。その界隈の人たちしかいなくて浮くかも知れないと思い緊張したが、意を決して行ってみた。急な坂を登ったとこにある、半地下みたいなコンクリート打ちっぱなしの、でも薄茶色の柔らかい灯りのついたスタジオに、最後の新作と、これまでの作品のサンプルなどが並んでいる。私は新作の緑色のコートと、まさにこないだの金曜日に職場の最寄り駅のデッキでまさにそれを着ている人を目撃した、そして残念ながら買いそびれたダウンコートを試着させてもらった。緑色のコートは「すとん」と一瞬で自分の体になじんで、驚いた。色も形も、重みも。ここにいていいんだなとすら思った(様々な意味で)。このまま着て帰ってしまいたかったがそれなりの値段もするし、名残惜しくも見送った。で、例のダウンコートは、前から自分が着ていたのではないかというくらい、いい意味で既視感のようなものがある着心地で、軽くてジーンと暖かく、もちろん形も感覚とぴったりで、クルクル回りながら鏡の中の自分を見た。やっぱりそうだよね、という気持ちが(錯覚か?)あって、これまた以前から知り合いだったかのようなスタッフの方とお喋りをし、自分と同じようにこのコートの色で悩んでいるお姉さん(お客さん)とも話し、結局私たちはそれぞれ別の色のそれを選び、それぞれ別れた。街中で、これを着たお互いを見つけられたら嬉しいし面白いですね、という話をした。そんなことはきっとないけど、もしあったらきっととても誇らしくなるだろう。お互いのことが。その後アトレの無印に入ったら、平出さんの本を見つけた。友人たちに送った絵葉書の写真集のようなもので、一度手にとったのに、私はなぜかそれを買うことなく、エスカレーターを降り、山手線に乗り、渋谷で乗り換えて吉祥寺に向かってしまった。それでいつもの古着屋さんを覗いて、無印で買い物して、帰った。そして昨日。日曜日、またその「すとん」がやってきた。こうなると、私が見つけたのか、君が私を見つけてくれたのかいよいよわからない。何か、服もそうだしファッションのことに限らず、物に対する思考などについて分かち合えそうな予感がしたその服屋さんは、何と今年いっぱいで都心の方に移転してしまうとのことで、ガーンである。見つけた時にはもう遅いのか、本当に自分に合っているものは(最後の最後で)必ずこちらに一瞥をくれるということなのか、仕事中、車中から、思いがけず恩師の姿を見かけたのと同じように、今の気持ちに呼応する音楽が、時間をさほど置くことなく、自分の体のすぐそばで実際に鳴らされたのと同じように。私の「前向きムーブ」はいつまで続くのかわからないが、今のうちにあれこれ進めておいたほうがいいよね。で、これはやっぱり例の薬のせいなのか?
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