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#集英社e文芸単行本
findareading · 2 months
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白いブラウス、灰色のタイトスカート、紺のカーデガン。髪を耳に掛け、ページをめくりページに没頭する横顔。
— 恩田陸著『夜果つるところ』(2023年6月Kindle版、集英社e文芸単行本)
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nemosynth · 5 years
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<海外シンセ興亡記 II : Emu Systems Emax S.E review >
●メーカー名
E-mu Systems Inc.(イーミュ)
シーケンシャルを創業したデイヴ・スミスに対し、もうひとりのデイヴおじさんこと、デイヴ・ロッサム(Dave Rossum)が興したシンセメーカー、E-μ Systems。1972 年に法人化、本社は合衆国。 このロッサムおじさんは、ポリシンセを創るのに欠かせないデジタルスキャニングキーボードを開発し、1973 年には特許も取得。Oberheim 4 Voice を始めとする世のポリシンセは、ほぼすべてこの特許をライセンス使用。これによりロッサムおじさんは「ポリシンセの父」とも言われる。
ところがその特許料を、シーケンシャルが解釈の違いから支払いをやめるという事態が発生。当時、7万ドルくらいもする大規模なアナログシンセ「Audity(オーディティ)」を開発中だったイーミュは経営危機に。やむなくコストがかかる Audity 開発は強制終了。
代わりに急遽ぱぱっと開発できてメシのタネになる新機種を!というので、従業員一同が知恵を絞ってると、’79 年 AES ショーにてオーストラリアからフェアライト CMI が出展。これを見たイーミュは「フェアライトは大規模な音楽コンピューターだが、サンプリングに特化すれば、よりコンパクトかつ安くできる」と考え「サンプラー」という機種名の、まさしく史上初のサンプリングマシンをマッハで開発。
そのさなか、ふとある従業員が「いいアイディアを思いついた」と、にんまり笑いつつロッサムおじさんのところへやってきて
「機種名をイーミュレーターにするのさ」
と提案。エミュレーターやエミュレーションというコンピューター用語のとおり、物真似する者を意味する「Emulator」、それもイーミュという社名に引っかけた名前をもつ機種「イーミュレーター」が、そう、誰あろう史上初のサンプラーである初代イーミュレーターが、ここに誕生。
1981 年に発売された初代イーミュレーターは、8bit、128KB RAM、5インチフロッピー、49 鍵、そんなんで当時定価 200 万円以上もしたとはいえ、またたくまにプロの間で大ヒットとなり、サンプラーの代名詞になった。後継機種 Emulator II にいたっては、512KB ~1MB RAM でもって、もはや不動の定番になり、すっかり業界標準機として定着。これでイーミュは食っていくことになった。
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だがそのあと、1984 年には米国 ensoniq 社 Mirage、さらにその後 AKAI S612、S900 をはじめとする、40 万円を切る価格破壊モデルともいうべき競合機種が出まわりはじめ、イーミュといえど安閑としてられなくなったのである。
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●機種名
Emax S.E(イーマックス・エス・イー) 1986 年発売 61 鍵、ベロシティのみ対応
E-mu 社初の廉価版サンプラー Emax。このシリーズには、以下の派生機種がある;
・Emax;素のサンプラー ・Emax S.E;倍音加算合成と、TM シンセシスとを追加 ・Emax HD と Emax S.E-HD;20MB の HDD を内蔵 ・EMAX II ;後継機種。Emax S.E をベースに、16ビット化、最大8MBの内蔵メモリー、固定サンプリング方式、デジタルフィルター、SCSI 標準装備、最終的にはステレオサンプリングも可能に
廉価版とはいっても、五十万円以上した。 私はそれを、まだまだ Emax が現役時代に中古で買った。そしてそののち、システムソフトウェアがアップグレードされ、Emax S.E となったので、そのアップデーターをフロッピーで入手、アプグレした。
二百万円以上もした伝説の名機イーミュレーターII を、1チップにまとめたという「E-Chip」なる独自開発のチップを採用。Emulator シリーズと同じく可変サンプリング方式。二代目 Emax II になってから、どうやら固定サンプリング方式になったらしい。固定サンプリングは開発するには難しいが、ピッチ可変幅が大きくとれるので有利。本稿で取り上げる初代 Emax シリーズには、これはまだ採用されていない。
OS をフロッピーディスクで供給するのはいいが、OS 用 RAM が小さいので、使用中もずっとドライヴもフロッピーを突っ込んだままにしておかないといけない。そしてエディットすると、いちいちフロッピーを読みにいってシークしたりするのが遅い。
ただ、イーミュレーター II が、5インチという当時すでにレガシーになりつつあったフロッピーを採用したのに対し、Emax シリーズは 3.5 インチという、当時流行していたメディアを使い、容量もハンドリングも有利であった。
●音源方式
オシレーターでの波形生成には、以下の3種類があり ・サンプリング ・サイン波倍音加算合成を利用したウェーヴテーブル ・TM シンセシス オシレーター以降は、VCF / VCA によるアナログ減算方式
よって、デジアナハイブリッド・サンプリングシンセとして使える。
Emax S.E ではなく素の Emax は、サンプリングした波形を減算方式で加工するサンプラーであった。その実態は2オシレーター構成の後ろに、各1基の VCF、VCA が続く。つまりコルグ DSS-1 とほぼ同じ構成で、ただし最後についてる内蔵エフェクトはコーラスのみ。メニュー体系や使い勝手も DSS-1 と似ていて、小さい���晶画面なのにとても使いやすい。
2オシレーター構成なのだが、彼らはそれを大々的に言わず、それどころか 「音をレイヤーしても発音数が減りません!」 などと魔法のような宣伝をしていた。なんのことはない、普段は1オシレーターのみ駆動し、レイヤー時に2オシレーター駆動しているだけなのだが!
A/D、D/A の解像度は 12bit。しかしディスクへ保存する時は、なんと8bitにまで圧縮する! 圧縮すれば音は悪いのか? でも、よぉ考えたら、そもそもデジタルそのものが圧縮である! せやかてデジタルは、アナログ曲線を離散値で量子化して間引いてまうやんけ!! そんなわけでかどうか知らんが、けっこう味のある音がする。 ちなみに 200 万円以上もした上位機種イーミュレーター II は徹頭徹尾、8bit である。いさぎよい!
メモリーは恐らく 512 KB で拡張不可。キロバイトといえど、この当時のプロ向けサンプラーでは標準的な RAM 容量であり、カシオ FZ-1 が1MB に達したときは話題となった。
鍵盤はベロシティのみ対応で、こんなに高い機種なのにアフタータッチがついていないことに驚愕したが、じつは二百万円したイーミュレーター II も同じであったと、のちのネット時代になって知った。
8パラアウト仕様だが、どうやら各アウト端子ごとに D / A がついているらしいところは、さすがサンプラー元祖のこだわり。
減算方式部分は素の Emax と同じだが、Emax S.E には、追加ですさまじいシンセ機能が装備されていた。これは、ソフトウェアのアプグレで可能であり、そのためのアップデート専用のフロッピーが販売されていた。
Emax S.E の S.E とは、Synthesis Enhanced の略だけあって、ただのサンプリングに加え、サイン波倍音加算合成(本機では Spectrum Interpolation Synthesis と呼ばれていた)を利用したウェーヴテーブル、そしてトランスフォーム・マルチプリケーション・シンセシス(Transform Multiplication Synthesis)という、とんでもない波形演算ができる演算が追加された。 すべて詳しくは後述。
●同時発音数
8音 当時としてはきわめて標準的。
●内蔵エフェクトの性能と傾向
コーラス内蔵 あるだけ御の字。
●内蔵波形、プリセットの傾向
サンプラーなので無い、って、ごめんなさいね 笑
●エディットの自由度と可能性
オシレーター部が凄まじい。
サイン波倍音加算合成は 24 倍音まで。なーんだ少ないと思うなかれ、こうして作った波形を 24 波まで時間軸上に並べることで、まさに PPG のウェーヴテーブルの簡易版のように、オシレーターだけで音色変化を創造できる! しかも開始波と終了波だけを作成し、間は自動演算で補完させることもできる。そのあとさらに倍音ごとの音量エンベロープも設定可能で、しかも倍音ごとにピッチ・エンベロープまでかけられる。そんな倍音、倍音って呼んでよいのか? ただし演算がノンリアルタイムなので、パラメータを設定してからいちいち演算実行せんと、音が聴けん。非力マシンが魅せる、ちからワザ。できた波形はフロッピーにセーヴ。99 もの波形をプリセットしたフロッピーまで、おまけについてくる。
そして TM 合成こと、驚愕のトランスフォーム・マルチプリケーション・シンセシス。
あまりにも名前が複雑すぎて、アメリカ人でも発音できず噛み噛み、私が訂正して発音してさしあげたら、復唱してきたのちに「サンキュー」と。
これは2つのサンプルから共通倍音のみを抽出し、それらを互いに乗算させるという、とにかくとんでもない演算。おそらく2つのサンプルをフーリエ解析し、基音を含む共通の周波数を持った倍音を抽出し、それらの振幅を乗算させたのち、リシンセシスしていると思われる。結果は、たとえばヴァイオリンが言葉を喋ったりするが、多くの場合予測不可能。強烈な金属倍音が激しく流出したりして、たいへんな結果に陥ることも多い。
しかももっと大変なのが、こいつも演算がノンリアルタイムであるという事と、しばしば演算に半時間以上もかかるということ! 最大 40 分くらいかかるらしい。なんでもスパコンに相当する演算を、32bit CPUと8bit コプロとちーちゃなメモリでやっているから、という事らしいが、とにかく「Synthesize!」とノーテンキなメッセージに促されるままに実行キーを押すやいなや「○分お待ち下さい」などと LCD に出てきたひには、失神しそうになる。しかし、すでになりふりかまわず Emax S.E は演算に突入。どえらい波形レンダリングをしているわけで、もはや誰にも止められない。英文取説では
「ま、ちょっと休憩でもどうぞ」
なんてこと書いてあったりして開き直っている!
おまけに、この演算を実行するには、最低 32KB の RAM 領域が必要とかで、これを割り込むと「足りん! サンプル減らせ!」と怒られる。キロバイト単位であっても、貴重なリソース。
このように強力シンセシスを駆使して作成した音は、サンプル同様に2つのオシレーターにアサインすることでレイヤーできる。
そのあとにくるアナログの LPF も効きが良く、ツィーンと鋭いレゾナンスはまるでプロフェット5のよう。事実、イーミュレーター II をワンチップ化したというだけあって、今度の VCF すなわち SSM 2047 によって、みるみるうちにサンプルがおもしろいくらい別の音への変わっていく。また、マルチサンプル各々の鍵域とは全く無関係に、フィルターをかける鍵域をいくつも定めて各々異なった設定にすることもでき、これは便��!
LFO 波形は、サイン波のみだが、パンニングを LFO でボイス毎に違う位相で揺らすことも可能、和音に良い。
16トラックの簡易シーケンサーも搭載。アルペジエイターもあって、休符もプログラミングできる凝ったもの。
2オシレーター構造の片方にはサンプルを、もう片方には変態シンセ波形を、そして後段の VCF / VCA へと、先人たちのアナログシンセを夢見つつ、無比の音色加工に溺れる。これでもって、D-50 ふうの LA 音源みたいな音色や、エンソニック SQ-80 みたく国産機にない自由な発想でクロステーブル音源を再現できる。イーミュ自身、それを奨励していたのは、ちょうど D-50 の音色がブームまっさかりだったから。
16 文字×2行の狭い LCD だが、メニュー体系が分かりやすく、しかもそれがフロントパネルにもシルク印刷されていて、やりたい事がすぐできる。ただし前述の 24 倍音加算しているときに、ピクセル幅しかない棒グラフが縦向きにひょろひょろと 24 本も表示され、それでエディットさせられるのには驚愕。
●拡張性
RS-422 端子装備! 特に古い Mac となら相性抜群? たしか Sound Designer とか Alchemy とかいったソフトウェアで波形編集できたはず。Sound Designer ですよ。この次の Sound Designer II なんか死んでも SDII フォーマットを遺した偉大な先人だが、初代 SD は?
●あなたにとっての長所
みょうに古い、メロトロンにも似た哀愁のあやしい出音。そして今となっては入手困難だろうが、豊富なライブラリー。クワイアーの音のあやしさなんか最高。VP-330 にも似た中高域と、メーテルの母のようなこわーい女性の低域。あれ、でもこれ「Male Voice」って書いてあるのに?
むろん強力無比の個性派シンセシス。そしてディスク・セーヴ時には8ビットにまで圧縮してしまうので、フロッピー1枚でもアホほど多くの音色が入る。
象牙のような鍵盤も静かで適当に重いのに滑らかで弾きやすい。グリスなんか世界一楽。でもこれはバージョンにより違うらしい。
自己診断プログラムもあって、イーミュ(和名エミュー)というダチョウのような鳥が、画面上を元気に走り回れば ok。これがまたかわいい。
この動画は、Emax II で撮影されたものだが、まったくおんなじ;
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ただ、これが自己診断機能だとは、どこにも書いておらず、取扱説明書に至っては:
「これは、内蔵姿勢制御装置を初期化し、過剰なジャイロ宇宙相対理論化を防ぐ機能です。注意深く画面を観察いただき、重力空間歪曲や明らかな時間の加速・遅延、鏡に映る物体が実際より近く見えるなど不安定化兆候が無いか、ご確認ください。 時に小さなエミューが Emax 内部に閉込められ画面上を走り回る事がありますが、これは安定化スキャン処理進行中の現象であり、Emax通常機能に影響はありません(超絶 Nemo 版和訳)。」
もうね、原文にある 「gyrocosmic relativation」とかバック・ロジャースのネタだし 「objects in mirrors appearing closer than they really are」って向こうの車のドアミラーに書いたーる警告文パロってるし どこにも「自己診断処理」て書いてないから 爆 それが自己診断機能だということは、生産完了後だいぶたってから、ネットかなんかで知ったw
そしてデザインが良い。Max Yoshimoto なる(日系?)イタリア人がデザインしたらしく、おしゃれな紫灰色ボディに落着いたくすみのあるパステルカラーのゴム製ボタン。テン・キーすら斜めに配置されているあたり、すばらしい。しかもデザイン重視なのに、メニュー階層と操作子とが分かりやすく、やりたいことをどうすれば実現できるか、すぐに分かる。
ちなみにフロントパネルの左はずれにあるスロット群は、スピーカーグリルではない。ただのデザイン。
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●あなたにとっての短所
でかい。
おもてはクールなのに、リアのロゴが不思議にダサい。ぼてっとしてダサい厚みもある。
当時は高かった。だって定価 50 万円以上。すでに先行して存在していた国産サンプラーは、10 - 30 万円くらいだったから、いくら廉価版とはいえ群を抜いて高かった。
●その他特記事項
かつて小室哲哉が TMネットワークに在籍しているとき、テレビ出演時に使っていたことがあって、少なからずともびっくりした。
当時のデペッシュ・モードのライヴでは、ドラムもギターも一切ステージに無く、ただただ Emax HD だけが4台、あとはカスタムメイドの MIDI パーカッション・パッドが少々あるのみで、いかにもテクノな感じのすっきりシンプルかつハイテクなステージ機材ぶりが印象的であった。ライヴビデオ「101」で、その様子が拝める。
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前述のとおり、史上初のサンプリングキーボードとなった Emulator は、
「イーミュレーター」ないし 「イミュレーター」と呼ばれた。今ふうに 「エミュレータ」などと読もうものなら、めんどくさいおっさんやじじいどもの集中砲火をあびるであろう。そんなことするから、めんどくさいおっさんやじじいどもは自滅するとも言えるのだが。
とまれ、イーミュという社名に引っかけて命名されたというのも、単語そのものは「競争者」「模倣者」という意味につき、まさに生音を模倣するサンプラーにふさわしい、センスの良い話。当時これしかなかったから、プロはみんなこれ使ってて、それがステータスモデルですらあった。
そこから Emax シリーズが、イーミュ社初の廉価版サンプラーとして登場。
Emax 発売が、1986 年。 EMAX II 発売は、1989 年。
そして生産完了となり、後継機種 ESI-32 へと取って代わるのは、じつに 1995 年のこととなり、Emax シリーズは、第2世代も含めて9年間にわたり販売されつづけるという、異例のロングセラーとなった。
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おのおの廉価版と言っても、50 万円以上した覚えがある。それでも老舗ならではの膨大なサンプル・ライブラリーが、しかも最初からたくさん用意されていて、たいへん重宝した。事実、9年間も売れ続けるというロングセラーぶりは、この独自のライブラリーに負うところがすべてである。
おそらくこれでイーミュ社は、日本製の低価格サンプラーに対し、価格競争に巻き込まれること無く、それでいてシェア拡大をもくろんだに違いない。つまりイーミュのネームバリューと、経験豊かなサンプリングの結晶たる質・量ともに圧倒的なライブラリーでもって、ハードの高性能化と低価格化ばかり追い求める日本メーカーに対し、貫禄あるソフトウェアの勝利を見せてくれようとしたのかもしれない。
そして、ネタが買えない人や、ありもののネタを必要と感じない人に対しては、自分でユーザーサンプリングした結果を加工す���く、そこんじょらに無いくらい強力な VCF や、そこんじょらにないくらい強力なデジタル合成たる TM 合成や、フレキシブルな 24 倍音加算音源がアシストしてくれる。
かくして、自分の声であっても、それが「あほんだらぇーい」と罵倒星雲するものであっても、フィルターで原型をとどめないくらい加工し、そのあとヴァイオリンと TM 乗算してしゃべらせるなりして、一躍有名な声になるかもです。
サンプラーとは、コンテンツ・ビジネスである。
Emax は、豊富なイーミュのライブラリーのみならず、自力でコンテンツを生み出せる、最強のサンプラーになるはずだったのだ。
私は苦労して買ったはずのカシオ FZ-1 を売り、そのカネで中古 Emax を入手、後にそれを Emax S.E にバージョン・アップした。当時、16bit サンプラーを売って 12bit に帰るのは私くらいなものだったが、それは膨大な中古ライブラリーをタダで入手できたからである。当時の私はローランド S-10 という初心者モデルでユーザー・サンプリングしまくっており、プロな音ネタに飢えていた。FZ-1 には謎のコンピューター端子と、元気なレゾナント DCF、8ステージ・マルチループなどの曲芸わざもあったが、音ネタも含むトータルでの格安さには勝てなかった。ソフトウェアの勝利。見事にイーミュ社の術中に。
ライブラリーとして供給されていた全てのフロッピーに起動システム・プログラムが入っていたために、S.E 版にするには一枚一枚ぜんぶアップデートせねばならなかった! あえて数枚だけ元のヴァージョンで残す。しかし、S.E にアップグレードして得た奇妙珍妙なる機能のおかげで、私にとってはむしろ追い風となった。自分でサンプリングしたネタも、強力に変態なシンセシスでよく加工した。
すなわちサンプラーたるもの、あたりまえだがネタに囲まれないと、これほど使えないものは無い。
そしてネタの管理が大変。どこにお気に入りの音色があったか、すぐ忘れる。だから管理しない。電源切ったら音色データがぱーぷりんになるくせに、ロード時間もいちいち数十秒かかるというのは、実にまどろっこしい。ばっちりハマる音色にたどりつくまでの試行錯誤たるや、はんぱでない。当時のサンプラーとは、面倒なしろものなのであり、カードリーダーに換装するのが、合理的。しかしあの当時は、プロはみんなよく使ってたから、忍耐強かった。
この後、各社から 20 - 40MB クラスのハードディスクを搭載ないし SCSI 接続できるハードサンプラーが出現し始めた。筆者も一時期アカイ S1000HD を使っていたが、本体内に複数のサンプルを保存できる上に、ロードが一瞬で済む画期的さに、単純に驚いた。だが高価。
しかしそれが、じつはハードが PC 化してゆく流れだったことは、Roland S-50 が CRT とマウスオペレーションを実現し、AKAI がエディターソフト MESA を開発することにより明らかとなった。それがゆえにソフトウェア・サンプラーの出現により、いきなりメモリーとストレージの上限が外れた上に、価格が数十分の一以下にまで下落、文字通り市場が崩壊し、さらに ReCycle! みたいな便利ツールまでがでてきて、純粋なハードサンプラーは絶滅。あおりくらって超高級機メーカー・イーミュ社も業績急降下、シンガポールのクリエイティヴ社に買収されたのち、おなじく同社の子会社と化したエンソニックと合併して Emu-Ensoniq となり、Emulator のソフトウェア版や、PC 用のオーディオボードを新開発するなどずいぶん様変わりした。現存するハードサンプラーとは、アカイ MPC シリーズのように、シーケンサーやらパッドやらツマミやらついた操作子ばりばりの曲作り重視パフォーマンス重視なワークステーション的な、言わば付加価値タイプのみと言って良い。
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かくして、純粋なハードサンプラーは絶滅し、楽器屋もきれいになり、知らん人が入りやすくなり、うさんくささもなくなり、あかるい家電量販店でホームユースのデジピを買い、あやしい Emax みたいな機種は、ソフトサンプラーと同じくネットの画面の彼方にて、オークションにて売買されるようになった。
サンプラーとは、コンテンツビジネスであった。 コンテンツは、ネタ勝負であった。
そこにまつわる諸問題へのソリューションを考えるとき。
まずロード時間;
すばやく効率よくネタを獲得するには、いちいちシーク時間が長いフロッピーというメディアは、あまりにも、とろすぎ。だからこそ MPC は、短いドラムサンプルに特化することで、このアキレス腱を回避。
ということは、普通のハードサンプラーであっても、ドライヴをカードリーダーに換装すれば、ロード時間問題は一気に解決できる。
次にユーザーインターフェイス;
MPC のような機種は、シーケンサーとユーザーインターフェイスと手を携えることで、生き延びる。
イーミュやアカイなどのサンプラーも、主要パラメーターが物理操作子で表に出ていたら、もっと使いやすいはず。
そして、どんな音色を求めるか;
ゼロ年代までのサンプラーとは、リアルな音の追求が至上命題であった。リアルであればリアルであるほど良く、だからこそ容量ばかり追求し、量的拡大がマスト。結果、ハードサンプラーは、容量制限がないソフトやアプリに駆逐されることになる。
だがその一方で、現実音を加工するシンセやエフェクトなども DAW へと結実し、DAW そのものがプラグインで現実音を加工するようになった。現実音を加工するほうが、倍音構成も複雑になり、リアルを超えたシュールレアルな世界が描ける。
リアルよりも理想的な音。
というわけで、なりふりかまわず何十分も演算しつづけ波形をつむぎつづけた TM シンセシスのように、なにか野心的なむちゃくちゃな蛮勇にあふれた試みが、それも自律してみずから音ネタをつくりだすための仕組みが、そろそろサンプラーにあっても良いのではないか? 私が知らんだけ?
そして敢えて問う、コンテンツビジネスとは、ネタありきだけでほんとうに良かったのか?
サンプラーは、ネタだけが勝負ではない、サンプラーとは楽器だったのではなかったか? 楽器としての完成度と使い勝手ではなかったか? Ableton Live が、Sequencing Instrument と銘打って飛び出してきた時、彼らはシーケンサーもが楽器であると言いたかったのではなかったか。
それに気づいたとき、ハードサンプラーとしての速度感と自由度の高さ、いい意味での限定という自由度の高さ、取り回しの良さが、再評価されるのではないか?
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2005 年ごろの私の部屋
謝辞; ハードサンプラーへの情熱を思い出させてくださった「まうんす@Pyro391」さん
なお、写真は私が撮影したもの以外は引用です。
Copyright © 2006-2020 Nemo-Kuramaguchi All Rights Reserved.
Revision log;  First edition posted on Feb 23rd, 2020. 
おまけ; 特に後半 Depeche Mode の音が出まくる Emax SE の胸キュンな 1986 年サウンドライブラリー動画6分 45 秒
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chikuri · 6 years
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ゆがんだリベラル思想を正す道
  “「和の国」日本には、リベラルのゆがんだ思想を正す力がある。 ■1.「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」  杉田水脈(みお)衆議院議員の雑誌『新潮45』8月号への投稿「『LGBT』支援の度が過ぎる」が、マスコミやネットでの集中抗議を受け、自民党本部前で杉田氏の議員辞職を求めるデモまで行われた。LGBTとは、L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシャル、T=トランスジェンダーという性的少数者のこと。問題とされた一節は、次のようなものだった。 __________  例えば、子育て支援や子供ができなカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。[1]  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  たとえば、朝日新聞社説は、こう批判した。 __________  性的少数者をあからさまに差別し、多様な性のあり方を認めていこうという社会の流れに逆行する。見過ごせない見解だ。・・・歴史的に少数者を排除してきた優生思想の差別的考えとどこが違うのか。[2]  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  杉田議員の主張を正確に読めば「LGBTのために税金を使う」ことの是非を問うているのであって、「性的少数者をあからさまに差別」しているわけではない。「生産性がない」とは表現が適切ではないかも知れないが、文脈から読めば「子供を作らないので、少子化対策にはなりえない」という意味である事は明らかだ。  こういう批判に対して、『新潮45』10月号は、「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」という特別企画を組んだが、これがまたバッシングを浴びて、新潮社は「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」として、『新潮45』を休刊とした。こうして創刊40年近い伝統ある言論誌の一つが潰された。自由な言論を圧殺する息苦しさを感じた事件であった。 ■2.「フランクフルト学派」  杉田氏はこの投稿の冒頭で、こう言っている。 __________  朝日新聞や毎日新聞といったリベラルなメディアは「LGBT」の権利を認め、彼らを支援する動きを報道することが好きなようですが、違和感を覚えざるをません。[1]  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  この「リベラルなメディア」がLGBTのみならず、フェミニズム、少数民族、犯罪加害者などの「権利を認め、彼らを支援する動き」をする思想的背景を明らかにしたのが、田中英道・東北大学名誉教授の近著『日本人を肯定する 近代保守の死』[3]である。  氏は、その思想は「マルクス主義の退嬰的運動に過ぎないフランクフルト学派という思想グループが世界に送り出し続けているもの」と指摘する。[3, p20]  このフランクフルト学派は、1920年代にドイツのフランクフルト大学に設立されたマルクス研究所から始まった。彼らは、マルクス主義の「搾取された労働者階級」を主役とする暴力革命理論は不可能であると見抜き、文化革命に舵を切った。 ■3.「���人や貧困、世の中の敗者」脱落者こそが英雄なのだ  後にイタリア共産党書記長となるアントニオ・グラムシは、1922年のムッソリーニのローマ進軍で革命直後のソ連に亡命し、そこでの恐怖政治をつぶさに見て、彼らのアプローチは失敗に終わると判断した。帰国後、グラムシが獄中で書いた膨大な「獄中ノート」をフランクフルト学派が盛んに引用し、参考にしている。  現代アメリカの保守派論客パトリック・ブキャナンは、グラムシの思想について、次のように分析している。 __________  グラムシは労働者階級が幻想だと知ると、革命の新兵として、「歴史に反主流とされる層、経済的に虐げられた人々だけでなく、男性に対する女性、多数民族に対する少数民族、犯罪者まで」すべてが含まれると考えた。 犯罪者が悪いのではなく、犯罪を起こさせた社会が悪いのだ、と。加害者は逆に保護されるべきだ、被害者は安穏と暮らしてきた保守的な階級なのだ、と言わんばかりだ。「新世代の若者はみな疎外感にもがき苦しんでいるからこそ」犯罪に走るのだ。「黒人や貧困、世の中の敗者」脱落者こそが英雄なのだ。[3, p24]  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  マルクスの暴力革命理論は「搾取された労働者階級」が武装闘争をして権力を奪取する、というものだったが、そのかわりに「疎外されている人々」を扇動して、抑圧をもたらしている文化そのものを破壊して、権力を握ろうというのが、フランクフルト学派の戦略であった。  グラムシはそのために、芸術、映画、演劇、教育、新聞、雑誌、そして当時の新メディアであったラジオ、テレビなどを一つひとつ攻め落としていかねばならない、とした。  LGBTに関する杉田氏の一言から、朝日新聞が「歴史的に少数者を排除してきた優生思想の差別的考えとどこが違うのか」と大仰な怒りの声をぶつけるのは、まさにこの戦略の一例なのである。 ■4.「自分たちは耐えがたき地獄に生きている」  フランクフルト学派はほとんどユダヤ人で、ヒトラーの台頭とともにアメリカに亡命し、コロンビア大学の援助でニューヨークに新フランクフルト学派を設立した。ブキャナン曰く、彼らが「再び、総力を結集して、今度は避難場所を与えてくれた国の文化破壊にとりかかった」[4, 384]。  文化を破壊すれば、弱者を抑圧している疎外もなくなる、という戦略である。そして、そのための武器が「批判理論」であった。ブキャナンは、ある研究者による批判理論の定義を紹介している。 __________ 西洋文化の主な要素を完全否定する批評。キリスト教、資本主義、権威、家族、家父長制、階級制、道徳、伝統、性的節度、忠誠心、愛国心、国家主義、相続、自民族中心主義、因習、保守主義、何から何まですべて。[3, p23]  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  特にユダヤ人は、キリスト教国家の中で異邦人として住んできたので、国家共同体そのものがユダヤ人にとっての抑圧だった。そういう特殊な経験から、彼らを抑圧する共同体の文化を敵視する発想が生じたのだろう。  新フランクフルト学派の影響を受けたのが、1960年代から70年代にかけてのヒッピー世代だった。「批判理論の衝撃を受け、史上最高に恵まれていたはずの60年代世代の多くが、自分たちは耐えがたき地獄に生きていると確信した」とブキャナンは述べている。  たとえば、1960年代に大ヒットしたサイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」の歌詞はこう結ばれる。(拙訳)  そして 人々は頭を垂れて祈る  彼らが作った「ネオンの神」に  すると ネオン・サインが光って警告を告げる  ネオンが作りだしたお告げはこう言っていた  「予言者の言葉は地下鉄の壁や安アパートの玄関に書かれている」  そう呟いた、「沈黙の音」の中で  「ネオン・サイン」「(落書きだらけの)地下鉄の壁」「安アパート」と大都市の荒廃した光景の中で、いかがわしい宗教が群衆を操っている。アメリカのキリスト教社会をそう歌ったのである。  こういう音楽の影響を受けて、青年たちはアメリカの恵まれた生活の中でも「耐えがたき地獄」にいると思い込み、親や大学や社会や歴史や政治家を批判し、ベトナム戦争反対を叫んだ。学生運動とは、まさしく「批判理論」の産物だったようだ。 ■5.女性、少数民族、異教徒、老人、、、  批判理論は、人種差別、女性差別、異教徒差別、老人差別とターゲットを広げていった。  フェミニズムやジェンダーフリーは女性差別を批判する武器である。現代英語もその影響で変えられていった。チェアマン、キーマンなどは「マン」がついて女性を排除しているとして、チェアパーソン、キーパーソンなどと言い換えられた。 「メリー・クリスマス」とも言わなくなった。代わりに「ハッピー・ホリディズ(楽しい休日を)」と言う。夏休みもホリディなので、まるで季節感がなくなった。クリスマスがキリスト教徒の祭日なので、ユダヤ教徒やイスラム教徒に配慮すべき、という事だろう。  人種差別に関しては、映画でも黒人の主役が目立つようになった。たとえば、大ヒット作『インデペンデンス・デイ』では、地球を襲う異星人を打ち負かしたヒーローは黒人のパイロットとユダヤ人の科学者だった。唯一、活躍する白人男性は助演の大統領役のみである。  老人差別はいけない、として、企業側が社員の年齢を聞くことも禁じられた。定年制度そのものもなく、会社側はベテラン社員が、いつまでやってくれるのか、あるいは突然、辞めてしまうかも分からない、というリスクを抱え込んだ。 ■6.伝統的秩序が破壊されると、社会はどうなるのかという実験  社会の伝統的秩序を破壊していこうという批判理論は、日本にもすぐに輸入された。ゆとり教育[a]、男女共同参画[b]、夫婦別姓[c]、過激な性教育[d]、犯罪者のみの人権擁護[e]、ヘイトスピーチ規制[f]などの運動である。弊誌では、これらの問題を一通り論じてきたので、巻末のリンクを見ていただきたい。  その中で、伝統的秩序が破壊されると社会はどうなるのか、という実験結果が革命後のソ連で得られているので紹介しておこう。社会民主党の福島みずほ参議院議員は、かつて「ロシア革命の後、様々な政策が根本から見直され、一時的であれ、事実婚主義がはっきり採用されていたとは素晴らしいことだと思う」と書いた。[c]  事実婚とは「同棲」のことである。結婚のために法的な手続きをさせるのは国家や教会の余計な干渉だから、自由にさせるべし、という主張である。実際に革命後のソ連では、家庭は個人を抑圧する封建的制度として、それを破壊すべく、同棲、離婚、重婚、近親婚、姦通、堕胎を自由とした。  その結果、1934年の離婚率は37%にも高まり、堕胎の増加とも相まって、出生率が急減し、国家としてやっていけない事態となった。さらに、片親の増加、少年非行の横行などで、社会が大混乱となった。その結果、この政策は放棄されたのである。  福島議員がこういう事実を知らずに、この政策を「素晴らしい」と言っているなら、そのうかつさでは議員の資格などないし、知っていて主張したのなら、社会破壊を目論むテロリストである。 ■7.キリスト教社会と日本社会の違い  フランクフルト学派のもとでの「リベラル」思想とは、必ず「○○からの自由」を意味する。「女性差別からの自由」「人種差別からの自由」等々。上述のソ連の事実婚主義などは、さしずめ「家庭からの自由」であろう。  家庭を保つためには、自分勝手な振る舞いは当然の制約を受ける。それを「抑圧」として、すべて排除しようとすれば、家庭は破綻し、子供や女性を保護する役割も失われて、単なる弱肉強食の社会になってしまう。人間らしい文化・文明の破壊である。  確かに伝統的なキリスト教社会では、家父長制や女性蔑視が強く、妻も子供も一家の主人の言うことを聞かなければならなかった。結婚式で、父親が花嫁の手を引いて新郎に渡すという儀式は、父親の「所有物」だった娘を新郎に贈るという意味のようである。そういう家庭制度を抑圧と見ることには、共感する人々もいよう。  しかし日本の家庭は子供や母親中心である。家庭内では、子供を視点の中心として、夫婦が「お父さん」「お母さん」と呼びあう[g]。そもそも「お母さん」の語源「カカ」は太陽という意味であったらしい[h]。言葉だけでなく、現実社会においても、幕末や明治時代にやってきた外国人たちは、日本が子供天国であることに驚いている[i]。  こういう違いを無視して、西洋のキリスト教的家庭制度へのユダヤ的批判理論をそのまま事情の全く異なる我が国に直輸入することは、後進国的西洋崇拝に過ぎない。 ■8.「日本人にリベラリズムは必要ない」  同じ事が社会全体についても言える。明治維新に際し、五箇条の御誓文と同時に発表された『億兆安撫國威宣布の御宸翰』では、「天下億兆一人も其の處を得ざる時は皆朕が罪なれば(天下の万民が一人でもその処を得られないのは、みな朕の罪であるから)」とある。(拙訳)  老若男女、健常者も障害者も、日本に生まれた者も帰化人も含め、一人ひとりがその適性と才能を伸ばし、それぞれに合った役割を得て、生きがいをもって暮らせる社会を作ることが、我が国の理想であった。これが、そもそも建国の目的であり、歴代天皇の祈りでもあったことは、拙著『日本人として知っておきたい 皇室の祈り』[j]で述べた。  もちろん現実の社会には様々な課題がある。たとえば赤十字活動やハンセン病対策、パラリンピックなど、皇室が弱者に寄り添われる事で国民が目覚め、進めらてきた対策である。社会的弱者が批判理論で既存の文化や政治を打ち壊そうとすれば、残るのは破壊と対立だけだ。  皇室のアプローチは、国民の利他心に訴え、力を合わせて弱者にもその処を与えようとする。この「和」の力が我が国の伝統文化にはある。田中教授が「日本人にリベラリズムは必要ない」と断言され、「日本人を肯定する」と言われるのは、この文化的な「和」の力を発揮すれば、フランクフルト学派のゆがんだ思想を正せる、という意味であろう。 (文責 伊勢雅臣)” 国際派日本人養成講座 : ゆがんだリベラル思想を正す道
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asitaastonishing · 4 years
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honyade · 5 years
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文化系トークラジオLife トークイベント 文化系大新年会2020―2019年のオススメ本はこれだ!
文化系トークラジオLife、 サブパーソナリティの宮崎智之です。 2020年最初のイベントは、昨年と同様、「文化系大新年会」と題して、「本」のトークをしたいと思います。2019年は「表現の自由」を巡る問題やジェンダー格差の問題が国内でより明確に顕在化した年でした。 そして、いよいよ2020年代が始まります。今年は東京オリンピックなどの国際的なイベントが行われる一方、年明けから世界情勢が大きく動き、不安定な状態が続いています。「分断」という言葉がよく使われるようになりましたが、次の10年は、それぞれがどのように生きていくのか、その姿勢を根本的に問い直すことが必要になると思っています。 年末の放送「文化系大忘年会」だけでは語り尽くせなかった、2019年を象徴する「これは読んでおくべき」という本を紹介しながら、新しいディケイドが始まる2020年を展望します。 今回は、わたくし宮崎のほか、速水健朗さん、斎藤哲也さん、倉本さおりさん、塚越健司さんという放送でお馴染みのLifeクルーと共に、関西から永田夏来さんも参戦! 永田さんはLifeのイベントには2年半ぶりの登場です。また、当日は日程の都合で参加できない海猫沢めろんさんも含めた2019年オススメ本のブックリストを配布します。 イベント終了後は、恒例となった倉本さんによる本の叩き売り。倉本さんだけでなく、出演者総出の”叩き初売り”かも!?(少なくとも宮崎は参戦します) 本との出会いがたくさんあるイベントです。ぜひ、ご来場くださいませ!
日 時:2020年2月2日(日) 15:00~17:00(開場14:45) 場 所:紀伊國屋書店新宿本店9階イベントスペース 参加費:2000円 ご予約:1月18日(土)12:00~  以下のpeatixサイトで受け付けます。 https://peatix.com/event/1411416
定 員:50名 ※定員に達ししだい受付を終了いたします。 出演:速水健朗、斎藤哲也、倉本さおり、永田夏来、塚越健司、宮崎智之
《プロフィール》 速水健朗(はやみず・けんろう) 1973年生まれ。編集者、ライター。メディア論、都市論、ショッピングモール研究、団地研究など専門領域は多岐にわたる。著書に『フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人』(朝日新書)、『1995年』(ちくま新書)、『東京どこに住む 住所格差と人生格差』(朝日新書)、『東京β』(筑摩書房)など。
斎藤哲也(さいとう・てつや) 1971年生まれ。フリーランスの編集者・ライター。人文思想系、社会科学系の編集・取材・構成を数多く手がける。著書に『試験に出る哲学――「センター試験」で西洋思想に入門する』(NHK出版)、『読解 評論文キーワード』(筑摩書房)など。編集・構成に『哲学用語図鑑』(プレジデント社)、『新記号論』(石田英敬、東浩紀・ゲンロン叢書)ほか多数。
倉本さおり(くらもと・さおり) 1979年東京都生まれ。ライター、書評家。毎日新聞文芸時評「私のおすすめ」、小説トリッパー「クロスレビュー」を担当のほか、「週刊新潮」誌上にて「ベストセラー街道をゆく!」、「文藝」誌上にて「はばたけ! くらもと偏愛編集室連載中。共著に『世界の8大文学賞 受賞作から読み解く現代小説の今』(立東舎)。
永田夏来(ながた・なつき) 1973年長崎県生まれ 社会学者。2004年に早稲田大学大学院にて博士(人間科学)取得後、現職は兵庫教育大学大学院学校教育研究科講師。家族社会学の観点から、結婚・妊娠・出産と家族形成について調査研究を行っている。単著『生涯未婚時代』(イースト新書)松木洋人との共編著『入門家族社会学』(新泉社)他、共著多数。2019年にはピエール瀧の逮捕に伴う電気グルーヴの作品回収、配信停止���撤回を求める署名活動を行った。
塚越健司(つかごし・けんじ) 1984年生まれ。拓殖大学、学習院大学非常勤講師。Screenless Media Lab. リサーチフェロー。専門は情報社会学、社会哲学。単著に『ニュースで読み解くネット社会の歩き方』(出版芸術社)、『ハクティビズムとは何か』(ソフトバンク新書)。その他共著多数。NHK Eテレ『世界へ発信!SNS英語術』解説。ウェブ記事配信に「サイバー空間の権力論」(WEDGE)、「塚越健司の情報社会学・社会哲学の視点から」(Yahoo!ニュース個人)。その他メディア出演、記事寄稿等多数。
宮崎智之(みやざき・ともゆき) 1982年生まれ。フリーライター。日常生活における違和感を綴ったエッセイやコラムを、雑誌、Webメディアなどに寄稿している。著書に『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。雑誌「ケトル」の10月15日号から連載「ネタモト」がスタート。
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天文学写真の歴史展、MET美術館で 月面着陸50年を記念
天文学写真の歴史展、MET美術館で 月面着陸50年を記念
メトロポリタン美術館は3日から、天文学写真の歴史をたどる展覧会「Apolo’s Muse」を開催する。アポロ11号の月面着陸50周年企画。写真が発明された1839年から月面着陸までの130年間に、月面のより正確な記録を残そうと奮闘した天文学者らの写真170点以上を展示する。見どころは新たに見つかった月の銀板写真2枚。同館によると、これらの写真は1840年代に撮影。月の写真としては最も初期のものとみられている。9月22日まで。
アポロ11号の月面着陸の様子(photo: The Metropolitan Museum of Art / Neil Armstrong. NASA Apollo 11. Buzz Aldrin Walking on the Surface of the Moon near a Leg of the Lunar Module, 1969, printed later)
最も初期のものとされる月の銀板写真(photo: The Metropolitan Museum of Art / John Adams Whipple. The Moon, 1857-60)
展覧会では写真の他、版画、絵画、フィルム、ビデオアート、天文学用具、アポロ11号の宇宙飛行士が使用したカメラなども展示する。 1969年7月20日、人類が初めて月面に降り立った瞬間を捉えたテレビ映像は世界中で5億人が視聴。天文学写真の歴史に大きな影響を与えた。
https://www.dailysunny.com/2019/07/02/nynews190702-3/
数学の嫌いな 一般の方 向き:
再生核研究所声明496(2019.7.8) 初等数学の 令和革新 の意味 -  数学嫌いな一般の方 向き
ゼロ除算 は 何故理解が難しいのか との疑問が 関心を抱く方々から寄せられている。 ゼロ除算は 後5年も世に出られないのではないかなどの意見も 寄せられている。世の理解の問題です。確かに共感し、同調できる面が有るので そのような意見に 正面から回答してみたい。 まず、大事な観点は そもそも数学には興味も関心も無い方が多いという事です。初めから、数学はダメ、興味も関心もないのですから、最初の1歩にも入れない状況が広くあると考えられる。そこで、数学以前に 割り算、除算に 興味関心を抱かないので、そこから、そのような人たちに向けての解説を準備していきたい(声明495前書き)。
この続きを纏めてみたい。 その前に 世に数学嫌いな人々を沢山出している事実が存在して、その理由は 全く、関係 数学の教員に問題があると述べたい。それを許している数学界の問題でもあり、そのような在りようを許している教育行政の問題にも繋がると言及したい。 その意味は 数学は 人間を離れた美しい存在で およそ事実を知りたい、世の道理を知りたいという 人間本来の本能に根差して、万人が興味と関心を抱く、いわば 最高の芸術作品 のようなものである。数学は 神の言語のような存在 である。しかし、問題は 人間にも 個性があり、興味や関心は 人により、享受するにも個性がある。  この個性を無視して、押し付けたり、強制したり、急がせたりすれば 消化不良になってしまい、折角の芸術も享受できない。 まして 何か競争の手段にしたり、偏見に満ちた人間の才能のバロメーターのように考えれば、数学嫌いな生徒を沢山育ててしまうだろう。 数学の先生に馬鹿にされた事は 巷に聞く歴然とした事実ではないでしょうか。 数学の先生の不遜な態度にも目につくと 人は見ているのではないでしょうか。 もしそうなら 誠に残念なことです。 数学を能力判定の基準に 考えがちな世相は改められ、数学の理解能力も 走る能力と同じように 個性に根ざす 一能力である と考え 数学コンプレックスを克服して 楽しむ数学を基礎とする考え を 基礎に 数学教育の改革 を提案したい。 計算機と人工知能の発展は 数学教育の在りようの変更を求め、楽しむ数学が大きな多様な創造性を可能にするだろう。
世にも稀な 数学上の事件 が起きている。 何とゼロの発見者が算術の四則演算を確立して1300年も経過していて (628年) (Brahmagupta (598 -668 ?) 、その発見者が述べていたゼロ除算、0割る0は0である との定義に対して、現在まで それは間違いだとされ、しかも現在でも混乱している。ゼロ除算発見後5年(2014.2.2)を経過しているのに 混乱を続けている現実がある。 創始者の考えは 実は正しかった。 逆にそれは、アリストテレス、ユークリッド以来の世界観と空間を導いている。 ゼロ除算については 偶然、世の天才たち、アリストテレス、オイラー、ニュートン、アインシュタインなどが考察し、問題を提起してきた。 それが、無限の彼方がゼロで表されることや、傾き(勾配)の考えに全く新しい現象をあらわにしてきた。 数学でやってはならない、数学十戒、第一  汝ゼロで割ってはならない の考えは変更され、我々はゼロで割れて、その時、新世界が現れると変更されるべきである。そこで、初等数学の 令和革新を広く提案して、日本初の将来世界文化遺産になるように努力したい と述べている。
これらの数学の素人向きの解説は 55カ月に亘って 次で与えられている:
数学基礎学力研究会公式サイト 楽しい数学
www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
数学的な解説論文は 次で公表されている: viXra:1904.0408 submitted on 2019-04-22 00:32:30, What Was Division by Zero?; Division by Zero Calculus and New World 我々は 初等数学には基本的な欠陥が存在する と述べている。ゼロ除算は数学者ばかりではなく 人類の、世界史の恥である と述べている。その真相を知りたいと 人々は思われないでしょうか。
                                                                       以 上
再生核研究所声明 116(2013.5.1): 宇宙空間、星間交流から人間を考える
(1200光年先にようやく生物の存在可能な天体が3つ見つかったという。孤独な地球。かけがいの地球。そこで、何とか地球外生物と交信したいものである。どうしたら、できるだろうか。2013.4.20.16:20 その方法に気づく。慎重に検討して、いずれ提案したい。)
まず、広い宇宙空間において、地球だけが例外で、生物や人間のような知的な生物が存在すると考えるのは 無理があるのではないだろうか。広い宇宙には 人間を越えた知的な生物が存在すると考える。そう感じる。
しかしながら、現代物理学の定説によれば、光より 電波より、早く伝達する手段は無いから、地球上の生物が 人間存在の原理に基づいて(再生核研究所声明 32 : 夜明け ― ノアの方舟)、宇宙空間に進出し、人間の存在領域を拡大しようとしても 広大な宇宙からみれば、それは限られ、地球外生物との直接的な交信、交流は当分、厳しい状況にあると言える。
そこで、発想を逆転させ、宇宙空間交流を意図するには、宇宙空間全体を この地球上に実現すればよいということになる。すなわち あらゆる生命の原理を究明し、一般原理、普遍原理によって、あらゆる可能性を究明して、対応することが出来ると考える。
地球は 宇宙の小さな部分であるが、しかしながら、地球は宇宙全体を 人間の知的な活動によって 包み込むことができると考える。これは一つも矛盾ではなく、部分が全体に等価であるは、数学の世界でも 無限な世界や、解析関数の概念にも存在する。― すなわち、 解析関数の全体の情報は、解析的な どんな点の小さな部分にも、反映されていて、そこから、全体の情報���取り出すことも出来る と なっている。また、エルゴート性の概念も同じような思想になっていると考えられる。
そもそも、対話、交流、愛とは何か と問えば、世界とは、自己の世界に映ったすべて であるとも言い得る。さらに、個々の人間の話題、知識、認識は 狭く限られ、実際多くの考えられるすべての対話は、この地球上に生存する、生物、何十億の人間との対話で、十分可能であると考えられる。さらに、論理的な思考を働かせれば、普遍的な原理によって 人間のあらゆる対話に対する反響は、宇宙空間に問うまでもなく、十分な反響を得ることが出来るだろう。そもそも対話とは、自問自答であるとも言える。実際、自己の内部も 広大な宇宙と同じように無限に広がり、それは全宇宙さえも包み込む存在で���るとも考えられる。人間の存在とは、内なる広大な世界と 外なる広大な世界のはざまに存在する、ふらふらした曖昧な 心に代表されるような存在であると言える。
それ故に、この地球上に 生体系を豊かにして、個性を 重んじた多様な世界を築くことによって、実際には 宇宙空間における交流の困難性は 克服できると考える。
結論は、あらゆる生命の存在と存在の可能性を明らかにすることによって この地球上に宇宙を取り組むことによって、宇宙空間交流は 実現できると考える。
そのとき、宇宙間交流の手段とは、もはや光でも電波でもなく、時間にも、空間にも、宇宙にも、エネルギーにも無関係な 数学である と言える。数学こそが 生命の客観的な表現であると言える ― (数学とは何か ― 数学と人間について 国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15   No.81, May 2012(pdf 432kb))。
以 上
再生核研究所声明150(2014.3.18) 大宇宙論、宇宙など小さい、小さい、the universe について
(この声明は、最近の特異点解明: 100/0=0, 0/0=0 の研究の進展に伴って 自然に湧いた構想である)
この声明の趣旨は、いわゆる物理学者が考えている宇宙、― 宇宙はビッグバンによって、誕生したという宇宙論を ニュートン力学と同様、幼き断片論と位置づけ、はるかに大きな the universe を志向し、アインシュタインを越えた世界、さらに 古代から続いてきた暗い人類の歴史に 明るい光を灯し、夜明けを迎える時代を切り拓きたいということである。 既に裏付ける思想は 一連の再生核研究所声明で確立していると考える。 ニュ-トン、アインシュタイン、数学の天才たちも、特異点の基本的な性質さえ捉えていなかったことは、明らかである。 簡単な基本、100/0=0,0/0=0 を発見した、精神、魂からすれば、新しい世界史を開拓する思想を語る資格があることの、十分な証拠になると考える。 実際、 - 古来から 続いてきた、人生、世界の難問、人生の意義、生と死の問題、人間社会の在り様の根本問題、基本概念 愛の定義、また、世界の宗教を統一すべく 神の定義さえ きちんと与えている。 The universe について語るとき、最も大事な精神は、神の概念を きちんと理解することである:
そもそも神とは何だろうか、人間とは何だろうか。 動物たちが美しい月をぼんやりと眺めている。 意識はもうろうとしていて、ほんにぼんやりとしか とらえられない。 自らの存在や、ものごとの存在すら明瞭ではない。 人間も、殆ど 同じような存在ではないだろうか。 人類よ、人間の能力など 殆ど動物たちと変わらず、 ぼんやりと世界を眺めているような存在ではないだろうか。 神も、一切の存在も観えず、ただかすかに感じているような存在である。 それゆえに、人間は あらゆる生物たちのレべルに戻って 生物たちから学び、 また原始人に戻って、また子供たちのように 存在すれば 良いと言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 122: 神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い; 再生核研究所声明 132 神を如何に感じるか - 神を如何に観るか)。 すなわち、人間よ おごるなかれ、人類の知能など 大したことはなく、内乱や環境汚染で自滅するだろう、と危惧される。 昨年は 数学の存在と物理学が矛盾し、数学とは何かと問うてきた。
数学とは何か ― 数学と人間について 国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15 
No.81, May 2012(pdf 432kb)
に公刊したが、そこで触れた、数学の神秘性については さらにその存念を深め、次のように問うている: 誰が数学を作ったのか? (再生核研究所声明 128: 数学の危機、末期数学について)
時間にもよらず、エネルギーにもよらない世界、それは、宇宙があるとき始まったという考えに 矛盾するものである。 無から世界が創造されたということも 受け入れがたい言明であろう。さらに、the universe には、物理学が未だに近づけない、生命や生命活動、人間の精神活動も歴然として有ることは 否定できない。音楽、芸術に感動している人間の精神は the universe の中に歴然と有るではないか。 ビッグバンで ゼロから、正の量と負の量が生じたとしても、どうしてビッグバンが生じたのか、何が生じせしめたかは 大きな課題として残っている。 数学の多くの等式は 数学を越えて、the universe で論じる場合には、その意味を,解釈をきちんとする必要がある。 The universe には 情報や精神など、まだまだ未知のものが多く存在しているのは当然で、それらが、我々の知らない法則で ものや、エネルギーを動かしているのは 当然である。 そこで、100/0=0,0/0=0 の発見を期に、今やガリレオ・ガリレイの時代、天動説が 地動説に代わる新しい時代に入ったと宣言している。The universe は 知らないことばかりで、満ちている。
以 上
ゼロの発見には大きく分けると二つの事が在ると言われています。
一つは数学的に、位取りが出来るということ。今一つは、哲学的に無い状態が在るという事実を知ること。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1462816269
もし1+1=2を否定するならば、どのような方法があると思いますか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12153951522 #知恵袋_
一つの無限と一つの∞を足したら、一つの無限で、二つの無限にはなりません。
天動説・・・・・・∞
地動説・・・・・・0
地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
何年かかったでしょうか????
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか????
割り算のできる人には、どんなことも難しくない
世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。
ベーダ・ヴェネラビリス
数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年
1÷0=0 1÷0=∞・・・・数ではない 1÷0=不定・未定義・・・・狭い考え方をすれば、できない人にはできないが、できる人にはできる。
数学で「A÷0」(ゼロで割る)がダメな理由を教えてください。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411588849 #知恵袋_
割り算を掛け算の逆だと定義した人は、誰でしょう???
multiplication・・・・・増える 掛け算(×) 1より小さい数を掛けたら小さくなる。 大きくなるとは限らない。
0×0=0・・・・・・・・・だから0で割れないと考えた。
唯根拠もなしに、出鱈目に言っている人は世に多い。
ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・・
1+1=2が当たり前のように
ゼロ除算の証明・図|ysaitoh|note(ノート)  https://note.mu/ysaitoh/n/n2e5fef564997
Q)ピラミッドの高さを無限に高くしたら体積はどうなるでしょうか??? A)答えは何と0です。 ゼロ除算の結果です。
ゼロ除算は1+1より優しいです。 何でも0で割れば、0ですから、簡単で美しいです。 1+1=2は 変なのが出てくるので難しいですね。
∞÷0はいくつですか・・・・・・・
∞とはなんですか・・・・・・・・
分からないものは考えられません・・・・・
宇宙消滅説:宇宙が、どんどんドン 拡大を続けると やがて 突然初めの段階 すなわち 0に戻るのではないだろうか。 ゼロ除算は、そのような事を言っているように思われる。 2015年12月3日 10:38
Reality of the Division by Zero z/0 = 0
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://okmr.yamatoblog.net/
Mathematics is the alphabet with which God has written the Universe.
数学は神が宇宙を書いたアルファベットだ
Mathematics is the key and door to the sciences. 数学は、科学へとつながる鍵とドアである
This book is written in the mathematical language, and the symbols are triangles, circles and other geometrical figures, without whose help it is impossible to comprehend a single word of it; without which one wanders in vain through a dark labyrinth. 宇宙は数学という言語で書かれている。そしてその文字は三角形であり、円であり、その他の幾何学図形である。これがなかったら、宇宙の言葉は人間にはひとことも理解できない。これがなかったら、人は暗い迷路をたださまようばかりである
ガリレオ・ガリレイさんの名言・格言・英語 一覧リスト
http://iso-labo.com/labo/words_of_GalileoGalilei.html
再生核研究所声明255 (2015.11.3) 神は、平均値として関数値を認識する
(2015.10.30.07:40) 
朝食後 散歩中突然考えが閃いて、懸案の問題が解決した:
どうして、ゼロ除算では、ローラン展開の正則部の値が 極の値になるのか?
そして、一般に関数値とは何か 想いを巡らしていた。
解決は、驚く程 自分の愚かさを示していると呆れる。 解は 神は、平均値として関数値を認識すると纏められる。実際、解析関数の場合、上記孤立特異点での関数値は、正則の時と全く同じく コ-シーの積分表示で表されている。 解析関数ではコ-シーの積分表示で定義すれば、それは平均値になっており、この意味で考えれば、解析関数は孤立特異点でも 関数値は 拡張されることになる ― 原稿には書いてあるが、認識していなかった。
 連続関数などでも関数値の定義は そのまま成り立つ。平均値が定義されない場合には、いろいろな意味での平均値を考えれば良いとなる。解析関数の場合の微分値も同じように重み付き平均値の意味で、統一的に定義でき、拡張される。 いわゆるくりこみ理論で無限値(部)を避けて有限値を捉える操作は、この一般的な原理で捉えられるのではないだろうか。2015.10.30.08:25)
上記のようにメモを取ったのであるが、基本的な概念、関数値とは何かと問うたのである。関数値とは、関数の値のことで、数に数を対応させるとき、その対応を与えるのが関数でよく f  等で表され x 座標の点 x  をy 座標の点 yに対応させるのが関数 y = f(x) で、放物線を表す2次関数 y=x^2, 直角双曲線を表す分数関数 y=1/x 等が典型的な例である。ここでは 関数の値 f(x) とは何かと問うたものである。結論を端的に表現するために、関数y=1/xの原点x=0における値を問題にしよう。 このグラフを思い出して、多くの人は困惑するだろう。なぜならば、x が正の方からゼロに近づけば 正の無限に発散し、xが負の方からゼロに近づけば負の無限大に発散するからである。最近発見されたゼロ除算、ゼロで割ることは、その関数値をゼロと解釈すれば良いという簡単なことを言っていて、ゼロ除算はそれを定義とすれば、ゼロ除算は 現代数学の中で未知の世界を拓くと述べてきた。しかし、これは誰でも直感するように、値ゼロは、 原点の周りの値の平均値であることを知り、この定義は自然なものであると 発見初期から認識されてきた。ところが、他方、極めて具体的な解析関数 W = e^{1/z} = 1 + 1/z + 1/2!z^2 + 1/3!z^3 +……. の点 z=0 における値がゼロ除算の結果1であるという結果に接して、人は驚嘆したものと考えられる。複素解析学では、無限位数の極、無限遠点の値を取ると考えられてきたからである。しかしながら、上記の考え、平均値で考えれば、値1をとることが 明確に分かる。実際、原点のコーシー積分表示をこの関数に適用すれば、値1が出てくることが簡単に分かる。そもそも、コーシー積分表示とは 関数の積分路上(簡単に点の周りの円周上での、 小さな円の取り方によらずに定まる)で平均値を取っていることに気づけば良い。
そこで、一般に関数値とは、考えている点の周りの平均値で定義するという原理を���える。
解析関数では 平均値が上手く定義できるから、孤立特異点で、逆に平均値で定義して、関数を拡張できる。しかし、解析的に延長されているとは言えないことに注意して置きたい。 連続関数などは 平均値が定義できるので、関数値の概念は 今までの関数値と同じ意味を有する。関数族では 平均値が上手く定義できない場合もあるが、そのような場合には、平均値のいろいろな考え方によって、関数値の意味が異なると考えよう。この先に、各論の問題が派生する。
以 上
Reality of the Division by Zero $z/0=0$
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
再生核研究所声明262 (2015.12.09) 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観
最近展開しているゼロ除算が、新しい世界観を示しているのは 大変興味深い。直線とは一体どうなっているだろうか.空間とはどのようになっているだろうか。これについて、現代人は、双方向にどこまでも どこまでも 続いている直線を想像するであろう。限りなく広がった平面や空間である。ところが 立体射影によって 平面全体を球面上に1対1に写せば、全平面は 球面から北極を除いた球面上に1対1にきちんと写るから、無限に広がる 全平面の全貌が捉えられる。ところが平面上には存在しない想像上の点 それはあらゆる方向に限りなく遠くに存在する無限遠点の導入によって、その点を球面の欠けた1点北極に対応させれば、無限遠点を含めた平面全体は 球面全体と1対1にきちんと対応する。
このような対応で 平面上の円や直線全体は 球面上では共に円に対応するという美しい対応になり、平面上の直線は 球面上では、北極(無限遠点)を通る円に写ると、直線と円の区別は 球面上では不要になる。また、平面上の平行線とは 無限遠点で 角度ゼロで交わっている(接している)と平面上の構造がよく見えて、無限遠点を含めての平面の全構造が 捉えられる。このように、考えると、直線とは、球面上では北極を通る円、平面上では無限遠点を通る直線となる。この構造は、直線を1方向にどこまでも, どこまでも進めば、無限遠点を 通って、逆方向から戻ってくるという、永劫回帰の思想をちょうど実現している。それは、球面上では、 円を繰り返し回ることを意味する。 その様は 何もかも すっかり良く見える。
これが、従来100年以上も続いた世界観で、関数y=x やW=zは 無限遠点に近づけば、それらの像も無限遠点に近づいていると考えるだろう。 関数y=x の値は正方向にどんどん行けば、どんどん大きくなると考えるだろう。
しかるに、ゼロ除算1/0=0は、それらの関数は無限遠点にいくらでも近づくと 無限遠点にいくらでも近づくが、無限遠点自身では、突然ゼロになっていることが 幾何学的にも確認された。上記、北極は 実は原点ゼロに一致しているという。
話しを簡単にするために、 関数y=x を考えよう。右に行けば、プラス無限に、負の方向左に行けば 負の無限に限りなく近づくは 従来通りである。ところが、ゼロ除算では いずれの方向でも上記無限遠点では 値ゼロをきちんと取っているという。ゼロ除算の数学では、どんどん、増加した先、突然、ゼロ、原点に戻っているという。また、円でも球面でも半径Rをどんどん大きくすると、当然、円の面積や球の体積はどんどん限りなく大きくなるが、半径が無限のとき、突然、それらはゼロになるという。それらの理由も数学ばかりではなく、幾何学的にも明確に見えている。
この数学的な事実は、我々の世界、宇宙がどんどん拡大して行くと突然、ゼロに帰するということを暗示させている。 ― これは 宇宙回帰説を意味しているようである。
これは、ユニバースの普遍的な現象、どんどん進んだ先が、元に突然戻る原理を示しているようである。
そもそも人生とは如何なるものか。― よくは分からないが、事実として、生まれて、どんどん物心がついて、人間として精神活動が活発化して、多くは本能原理によって生かされて、そして、突然元に戻ることを意味しているようである。このことを深く捉えられれば、世界がよりよく観え、悟りの境地に達する大きなヒントを得ることができるだろう。
ここでは ゼロ除算の帰結として、宇宙回帰説、ユニバースの回帰説を唱えたい。この考えでは、どんどん進めば、突然元に戻るという原理を述べている。珠算における 御破算で願いましては で 再び始めることを想起させる。これは、また、reset と同様であると考えられる。
以 上
神の数式:
神の数式が解析関数でかけて居れば、 特異点でローラン展開して、正則部の第1項を取れば、 何時でも有限値を得るので、 形式的に無限が出ても 実は問題なく 意味を有します。
物理学者如何でしょうか。
計算機は 正しい答え 0/0=0 を出したのに計算機は何時、1/0=0 ができるようになるでしょうか。
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​そこで、計算機は何時、1/0=0 ができるようになるでしょうか。 楽しみにしています。 もうできる進化した 計算機をお持ちの方は おられないですね。
これは凄い、面白い事件では? 計算機が人間を超えている 例では?
面白いことを発見しました。 計算機は 正しい答え 0/0=0
を出したのに、 この方は 間違いだと 言っている、思っているようです。
0/0=0 は 1300年も前に 算術の発見者によって与えられたにも関わらず、世界史は間違いだと とんでもないことを言ってきた。 世界史の恥。 実は a/0=0 が 何時も成り立っていた。 しかし、ここで 分数の意味を きちんと定義する必要がある。 計算機は、その意味さえ知っているようですね。 計算機、人間より賢くなっている 様が 出て居て 実に 面白い。
https://steemkr.com/utopian-io/@faisalamin/bug-zero-divide-by-zero-answers-is-zero
2018.10.11.11:23
https://plaza.rakuten.co.jp/reproducingkerne/diary/201810110003/
計算機は 正しい答え 0/0=0 を出したのに
カテゴリ:カテゴリ未分類
面白いことを発見しました。 計算機は 正しい答え 0/0=0
を出したのに、 この方は 間違いだと 言っている、思っているようです。
0/0=0 は 1300年も前に 算術の発見者によって与えられたにも関わらず、世界史は間違いだと とんでもないことを言ってきた。 実は a/0=0 が 何時も成り立っていた。しかし、ここで 分数の意味を きちんと定義する必要がある。 計算機は、その意味さえ知っているようですね。 計算機、人間より賢くなっている様が 出て居て 実に面白い。
https://steemkr.com/utopian-io/@faisalamin/bug-zero-divide-by-zero-answers-is-zero
2018.10.11.11:23
ゼロ除算、ゼロで割る問題、分からない、正しいのかなど、 良く理解できない人が 未だに 多いようです。そこで、簡潔な一般的な 解説を思い付きました。 もちろん、学会などでも述べていますが、 予断で 良く聞けないようです。まず、分数、a/b は a  割る b のことで、これは 方程式 b x=a の解のことです。ところが、 b がゼロならば、 どんな xでも 0 x =0 ですから、a がゼロでなければ、解は存在せず、 従って 100/0 など、ゼロ除算は考えられない、できないとなってしまいます。 普通の意味では ゼロ除算は 不可能であるという、世界の常識、定説です。できない、不可能であると言われれば、いろいろ考えたくなるのが、人間らしい創造の精神です。 基本方程式 b x=a が b がゼロならば解けない、解が存在しないので、困るのですが、このようなとき、従来の結果が成り立つような意味で、解が考えられないかと、数学者は良く考えて来ました。 何と、 そのような方程式は 何時でも唯一つに 一般化された意味で解をもつと考える 方法があります。 Moore-Penrose 一般化逆の考え方です。 どんな行列の 逆行列を唯一つに定める 一般的な 素晴らしい、自然な考えです。その考えだと、 b がゼロの時、解はゼロが出るので、 a/0=0 と定義するのは 当然です。 すなわち、この意味で 方程式の解を考えて 分数を考えれば、ゼロ除算は ゼロとして定まる ということです。ただ一つに定まるのですから、 この考えは 自然で、その意味を知りたいと 考えるのは、当然ではないでしょうか?初等数学全般に影響を与える ユークリッド以来の新世界が 現れてきます。
ゼロ除算の誤解は深刻:
最近、3つの事が在りました。
私の簡単な講演、相当な数学者が信じられないような誤解をして、全然理解できなく、目が回っているいるような印象を受けたこと、 相当ゼロ除算の研究をされている方が、基本を誤解されていたこと、1/0 の定義を誤解されていた。 相当な才能の持ち主が、連続性や順序に拘って、4年以上もゼロ除算の研究を避けていたこと。
これらのことは、人間如何に予断と偏見にハマった存在であるかを教えている。 ​まずは ゼロ除算は不可能であるの 思いが強すぎで、初めからダメ、考えない、無視の気持ちが、強い。 ゼロ除算を従来の 掛け算の逆と考えると、不可能であるが 証明されてしまうので、割り算の意味を拡張しないと、考えられない。それで、 1/0,0/0,z/0 などの意味を発見する必要がある。 それらの意味は、普通の意味ではないことの 初めの考えを飛ばして ダメ、ダメの感情が 突っ走ている。 非ユークリッド幾何学の出現や天動説が地動説に変わった世界史の事件のような 形相と言える。
2018.9.22.6:41 ゼロ除算の4つの誤解:
1. ゼロでは割れない、ゼロ除算は 不可能である との考え方に拘って、思考停止している。 普通、不可能であるは、考え方や意味を拡張して 可能にできないかと考えるのが 数学の伝統であるが、それができない。
2. 可能にする考え方が 紹介されても ゼロ除算の意味を誤解して、繰り返し間違えている。可能にする理論を 素直に理解しない、 強い従来の考えに縛られている。拘っている。
3. ゼロ除算を関数に適用すると 強力な不連続性を示すが、連続性のアリストテレス以来の 連続性の考えに囚われていて 強力な不連続性を受け入れられない。数学では、不連続性の概念を明確に持っているのに、不連続性の凄い現象に、ゼロ除算の場合には 理解できない。
4. 深刻な誤解は、ゼロ除算は本質的に定義であり、仮定に基づいているので 疑いの気持ちがぬぐえず、ダメ、怪しいと誤解している。数学が公理系に基づいた理論体系のように、ゼロ除算は 新しい仮定に基づいていること。 定義に基づいていることの認識が良く理解できず、誤解している。
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
Eπi =-1 (1748)(Leonhard Euler)
E = mc 2 (1905)(Albert Einstein)
1/0=0/0=0 (2014年2月2日再生核研究所)
ゼロ除算(division by zero)1/0=0/0=z/0= tan (pi/2)=0 https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12420397278.html
1+1=2  (      )
a2+b2=c2 (Pythagoras)
1/0=0/0=0(2014年2月2日再生核研究所)
Black holes are where God divided by 0:Division by zero:1/0=0/0=z/0=tan(pi/2)=0 発見5周年を迎えて
今受け取ったメールです。 何十年もゼロ除算の研究をされてきた人が、積極的に我々の理論の正当性を認めてきた。
Re: 1/0=0/0=0 example JAMES ANDERSON [email protected] apr, 2 at 15:03 All,
Saitoh’s claim is wider than 1/0 = 0. It is x/0 = 0 for all real x. Real numbers are a field. The axioms of fields define the multiplicative inverse for every number except zero. Saitoh generalises this inverse to give 0^(-1) = 0. The axioms give the freedom to do this. The really important thing is that the result is zero - a number for which the field axioms hold. So Saitoh’s generalised system is still a field. This makes it attractive for algebraic reasons but, in my view, it is unattractive when dealing with calculus.
There is no milage in declaring Saitoh wrong. The only objections one can make are to usefulness. That is why Saitoh publishes so many notes on the usefulness of his system. I do the same with my system, but my method is to establish usefulness by extending many areas of mathematics and establishing new mathematical results.
That said, there is value in examining the logical basis of the various proposed number systems. We might find errors in them and we certainly can find areas of overlap and difference. These areas inform the choice of number system for different applications. This analysis helps determine where each number system will be useful.
James Anderson Sent from my iPhone
The deduction that z/0 = 0, for any z, is based in Saitoh's geometric intuition and it is currently applied in proof assistant technology, which are useful in industry and in the military.
Is It Really Impossible To Divide By Zero?
https://juniperpublishers.com/bboaj/pdf/BBOAJ.MS.ID.555703.pdf
Dear the leading person:
How will be the below information?
The biggest scandal:
The typical good comment for the first draft is given by some physicist as follows:
Here is how I see the problem with prohibition on division by zero,
which is the biggest scandal in modern mathematics as you rightly pointed out (2017.10.14.08:55)
A typical wrong idea will be given as follows:
mathematical life is very good without division by zero (2018.2.8.21:43).
It is nice to know that you will present your result at the Tokyo Institute of Technology. Please remember to mention Isabelle/HOL, which is a software in which x/0 = 0. This software is the result of many years of research and a millions of dollars were invested in it. If x/0 = 0 was false, all these money was for nothing. Right now, there is a team of mathematicians formalizing all the mathematics in Isabelle/HOL, where x/0 = 0 for all x, so this mathematical relation is the future of mathematics. https://www.cl.cam.ac.uk/~lp15/Grants/Alexandria/
José Manuel Rodríguez Caballero
Added an answer
In the proof assistant Isabelle/HOL we have x/0 = 0 for each number x. This is advantageous in order to simplify the proofs. You can download this proof assistant here: https://isabelle.in.tum.de/
Nevertheless, you can use that x/0 = 0, following the rules from Isabelle/HOL and you will obtain no contradiction. Indeed, you can check this fact just downloading Isabelle/HOL: https://isabelle.in.tum.de/
and copying the following code
theory DivByZeroSatoih imports Complex_Main
begin
theorem T: ‹x/0 + 2000 = 2000› for x :: complex by simp
end
2019/03/30 18:42 (11 時間前)
Close the mysterious and long history of division by zero and open the new world since Aristotelēs-Euclid: 1/0=0/0=z/0= \tan (\pi/2)=0.
Sangaku Journal of Mathematics (SJM) c ⃝SJMISSN 2534-9562 Volume 2 (2018), pp. 57-73 Received 20 November 2018. Published on-line 29 November 2018 web: http://www.sangaku-journal.eu/ c ⃝The Author(s) This article is published with open access1.
Wasan Geometry and Division by Zero Calculus
∗Hiroshi Okumura and ∗∗Saburou Saitoh
2019.3.14.11:30
Black holes are where God divided by 0:Division by zero:1/0=0/0=z/0=\tan(\pi/2)=0 発見5周年を迎えて
You're God ! Yeah that's right...
You're creating the Universe and you're doing ok...
But Holy fudge ! You just made a division by zero and created a blackhole !! Ok, don't panic and shut your fudging mouth !
Use the arrow keys to move the blackhole
In each phase, you have to make the object of the right dimension fall into the blackhole
There are 2 endings.
Credits :
BlackHole picture : myself
Other pictures has been taken from internet
background picture : Reptile Theme of Mortal Kombat
NB : it's a big zip because of the wav file
More information
Install instructions Download it. Unzip it. Run the exe file. Play it. Enjoy it.
https://kthulhu1947.itch.io/another-dimension
A poem about division from Hacker's Delight Last updated 5 weeks ago
I was re-reading Hacker's Delight and on page 202 I found a poem about division that I had forgotten about.
I think that I shall never envision An op unlovely as division. An op whose answer must be guessed And then, through multiply, assessed; An op for which we dearly pay, In cycles wasted every day. Division code is often hairy; Long division's downright scary. The proofs can overtax your brain, The ceiling and floor may drive you insane. Good code to divide takes a Knuthian hero, But even God can't divide by zero! Henry S. Warren, author of Hacker's Delight. 
https://catonmat.net/poem-from-hackers-delight  
再生核研究所声明495(2019.7.6) ゼロ除算 は 何故理解が難しいのか - 再生核研究所声明493(2019.7.1) ゼロ除算 分らない、回答 - 初等数学の 令和革新 の意味 の前段階
ゼロ除算 は 何故理解が難しいのか との疑問が 関心を抱く方々から寄せられている。 ゼロ除算は 後5年も世に出られないのではないかなどの意見も 寄せられている。世の理解の問題です。確かに共感し、同調できる面が有るので そのような意見に 正面から回答してみたい。 まず、大事な観点は そもそも数学には興味も関心も無い方が多いという事です。初めから、数学はダメ、興味も関心もないのですから、最初の1歩にも入れない状況が広くあると考えられる。そこで、数学以前に 割り算、除算に 興味関心を抱かないので、そこから、そのような人たちに向けての解説を準備していきたい。 ところが、面白い事実が存在する。ゼロ除算というと、数学十戒 数学でやってはいけない第一、汝ゼロで割ってはならないの 2000年を越える戒律が有る。 そのことは多くの人が知っている。さらに、ゼロ除算は不可能であることの証明さえ有って、ゼロ除算不可能は 数学界の永い定説 でもあり、ゼロ除算に触れると数学者の多くが 直ちに否定的な態度を 感情むき出しで表明する事が多い。それらは事実です。例えば大きな国際会議に全体講演者として招待を受けて講演したところ、現代数学を破壊するもので 全て認められないとの発言があったほどです。destroy という言葉が会場に響き、出席していた妻に その異様な点を繰り返し、指摘されている。本人とも話し、論文を読むと約束したのに、その後の反響は寄せられていない。 他方、指導的な数学が今回の国際会議での画期的な発表内容で 話題の中心であったとの発言もあった。 ー ゼロ除算についての反響についての名言 をいずれ公表したい。詳しい記録をとっている。例として、次の文はある物理学者の表現であるが、著書にも入れる予定である: {\it Here is how I see the problem with prohibition on division by zero, which is the biggest scandal in modern mathematics as you rightly pointed out} (2017.10.14.08:55). 確かに不可能が証明されていることに対する 否定的な、覆す理論と誤解をしてしまい、初めの段階で拒否される事は多い。もちろん、気を付けて、初めから注意して述べているが、初めに誤解して 最初からダメの印象を数学者たちが抱いていることは 世にも珍しい事件である。 その原因として、著者たちの信頼の問題として 根が深いことも認めざるを得ない。 それは確かである。 ところが、論文も、講演でも相当沢山発表し、行ってきているが それらの不備を具体的に指摘してきた者は皆無である(数学には どのようなあいまいさも 間違いも有ってはならない)。 助言や意見を積極的に公然と求めてきているにも関わらずである。 何か間違いがあるのではないだろうかと 勘ぐっている者が居るようであるが、思えば発見して5年以上も 初めから当たり前 と言ってきたように間違える筈はないと考えている。およそ、数学者とは間違わない者であり、数学セミナーなどでは 論理の厳しさを特訓される場である。ー 実際、小松勇作先生の下で鍛えられた者に間違える筈がないとの嬉しい、名誉ある言葉を 東工大出身の同僚から頂いた。ー 東工大で 小松勇作、小沢満、吹田信之先生の下で 厳しい特訓を畏友酒井良君と共に受けたのは 研究者としての 終生の誇りである。思えば、3先生とも最も充実していた年代であった。 ゼロ除算が無くても 一向に困らない、何も問題なかったから、ゼロ除算は知らなくても良いとの 面白い意見が寄せられている。これも面白い文章なので著書原案に入れている:
{\it mathematical life is very good without division by zero}(2018.2.8.21:43). \medskip
- これは全然間違っている。 初めて飛行機を作って乗った方、車を初めて作って乗った方を見たとき、人はどうして今日のような時代を迎えるだろうと想像できたでしょうか。ゼロ除算の世界は 真に新しい世界、その世界を覗かないで どうしてゼロ除算の世界について想像したり、語れるでしょうか。 考えられない世界のこと、想像もできないのが当たり前で、その世界を 未だ想像すらできない方で満ちている と 表現せざるを得ない。 それは長年考えてはならない数学、世界のことです。ゼロ除算の世界を探検して 初めてその雄大な新世界を想像できると考えるのが自然ではないでしょうか。 あのピッツバーグに始めて達して、そこに定住しようと考えた先住者が、現代のような街に発展すると どのように想像できたでしょうか。それが先駆者の孤独な大きな夢と言えるのではないでしょうか。ー 開拓者の姿 を想像している。 古い歴史を持つ日本人は追従型に優れ、開拓者精神に弱いように感じられる。ゼロ除算は 未知の広大な数学、新世界を拓きます。 私たちは、既に確かなゼロ除算の世界の 雄大な 真に新しい数学を 熱情を持って見ている。
世の話題の観点では、マスメディア関係者の、多くが いわば文系出身者で占められ、数学ばかりではなく 広く自然科学の話題が 世情を賑わすことは 稀である。数学界最高の話題すら、日常の些細ともとれる話題ほどにも とりあげられない。 それらは事実ではないでしょうか。数学者は、分けの分からないことに はまっている集団 と見なされている? 
他の重要な視点が強く意識される。それは、指導的な数学者や研究者、あるいは教育界の指導的な人たちが、自分の研究課題に深くはまっていたり 忙し過ぎる状況の中で、他の世界を考える余裕が無く 新しいことの理解には興味や関心が湧かない状況、中々全く新しいことには入りずらい事実です。 多くの場合、今更の気持ちが湧いてしまうのではないでしょうか。 他方、若い世代の方は、社会状況が厳しく 確立した確かな研究課題で確かな業績を上げたいと、忙し過ぎる、余裕のない世相に追われているのではないでしょうか。そこで、興味、関心を抱いてくれる方を 内外を問わず、年齢、身分を問わず 広く探している。その精神をクレソンの教えとして心得ている。 しかしながら、我々は 初等数学には基本的な欠陥が存在する と述べている。ゼロ除算は数学者ばかりではなく 世界史の恥である と述べている。その真相を知りたいと 人は思わないでしょうか。
                                    以 上
#知恵袋_
#2019年
#更新
#再生核研究所ゼロ除算発見
#ゼロ除算の発見は再生核研究所
#5年を超えたゼロ除算の発見と重要性を指摘した
#月面着陸50年を記念
#天文学写真の歴史展
#MET美術館で
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theatrum-wl · 6 years
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【イベント】【報告】 ブロードウェイとウェストエンドって何が違うの?(2019/01/19)
観客発信メディアWL主催 トークイベント@池袋 片山 幹生(WLスタッフ)
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1/19(土)に開催されたトークイベント《ブロードウェイとウエストエンドは何が違うの?》は、告知を出して3日のうちに定員50名が埋まってしまうという注目度の高いイベントとなりました。
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当日はブロードウェイに詳しいパネラー二人、ウエストエンドに詳しいパネラー二人が登壇しました。それぞれ研究者と観劇ファンという組合せでとなりました。ブロードウェイ派はミュージカル研究の辻さんとブロードウェイに年に2度通い、トニー賞候補作をすべて見るというかやしぃさん。ウエストエンド派はシェイクスピア研究の北村さんとマニアックなウエストエンド観劇旅行ガイド同人誌を発行するハルさん。この4人のパネラーが、チケットの買い方、演目の選び方、町の歩き方などさまざまなトピックについて語り合いました。
当日はまず辻さんがブロードウェイ、北村さんがウエストエンドの歴史や概要について解説がありました。
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スライドを使った辻さんと北村さんの解説が終わったあと、辻さんの進行で以下のトピックを4人のパネラーが語りました。
外国で芝居を見ることになったきっかけは?
演目選びは何を参考にして、どういう基準でやっているか?
オフ・ブロードウェイやフリンジの公演情報はどうやって集めればいいのか?
チケットを取得方法は?
チケットはどれくらいの価格帯のものを選んでいるか?
海外観劇遠征するときの旅程などはどうやって決めているか?
今まで海外観劇で一番、大変だった経験の想い出は?
好きな劇場は?
アーカイブに映像を見に行ったりするか、もしそうならば行くようになったきっかけは?
演劇のシーズン(?)のようなものがよく分からないのですが、年間通してオンオフ等あるのか、それは国によって違うのか
劇場に行く客層はどのような感じか。社会階層や年齢、性別、人種のかたよりなど。
 LGBTQの側面から見た作品傾向の違いがあればぜひ知りたい。
ブロードウェイとウェストエンドの違いをどこに感じるか?
パネラーの4人の個性と嗜好の違いによって、ブロードウェイとウエストエンドの多様な側面と魅力が浮かびあがるイベントになったと思います。90分のトークのあと、30分、聴衆からの質疑応答の時間をとりました。
パネラーも演劇愛も強烈でしたが、聴衆の方々からも濃厚な演劇愛を感じとることができました。聴衆のほとんどが既にブロードウェイ・ウエストエンドに観劇に行ったことがある人たちでした。ニューヨーク、ロンドンまで観劇のために赴くことを厭わない彼女たち(聴衆は1名を除きすべて女性でした)には、王道のエンターテイメント、スペクタクルの愛好者ならではの大らかで解放的な享楽主義を感じました。演劇の聖地たるブロードウェイとウェストエンドが演劇ファンにとってどういう輝きを持っているのかを感じとることができるイベントでした。
【パネラー】 北村紗衣(武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授)
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研究分野はシェイクスピア、フェミニスト批評、舞台芸術史。2009年から2013年までキングズ・カレッジ・ロンドン英文学科博士課程に���学。著書に『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たちー近世の観劇と読書』(白水社、2018、単著)、キャトリン・モラン『女になる方法 ―ロックンロールな13歳のフェミニスト成長記』(青土社、2018、単訳書)など。
辻佐保子(早稲田大学坪内博士記念演劇博物館招聘研究員)
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専門領域はアメリカの舞台ミュージカルとミュージカル映画、ラジオ・コメディ。メディウムやテクノロジーとの関係からミュージカルの劇作術を研究。2014年から2015年にかけて、ニューヨーク市立大学マーティン・E・セーガル演劇センター客員研究員としてニューヨークに滞在。
ハル(観劇旅行ガイド・体験記同人誌『Ring up the Curtains2』発行人) 主にUKの映画・ドラマファン。好きな役者さんを追いかけてロンドンにお芝居を見に行っているうちに舞台の魅力に目覚め、英語の勉強を口実に11ヵ月間ロンドンで暮らす。観劇旅行ガイド・体験記同人誌「Ring up the Curtains2」など、旅にまつわる本を発行している。
かやしぃ(観劇人・医師) 医師として勤務しながら観劇歴は二十数年。二十代半ば、演劇好きが昂じ某アングラ劇団の俳優養成所を経て小劇場で演劇活動。三十代で早稲田大学・大学院で演劇学を学んだ。現在は小劇場、歌舞伎、ミュージカルなどあらゆるジャンルの観劇を続けている。観劇数は150−200本/年。ブロードウェイへは年1−2回足を運び新作チェックを欠かさない。早稲田大学文学研究表象・メディア論コース修士課程修了。
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me-holidays · 7 years
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6月27日(火)にじのほし9 月の秘密Prime
寺尾紗穂×マヒトゥ・ザ・ピーポー / 前野健太
OPEN/START19:00 / 19:30
ADV./DOOR¥3,500 / ¥4,000 (税込 / ドリンク代別 / 全自由) ※一部座席有り/整理番号順入場
チケットぴあ[P:332-248] / ローソンチケット[L:71615] / e+ メール予約:[email protected] (お名前、枚数、お電話番号を明記の上) ※入場順:①プレイガイド→②メール予約
INFORMATIONWWW 03-5458-7685
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寺尾紗穂
2007年ピアノ弾き語りによるアルバム「御身」が各方面で話題になり,坂本龍一や大貫妙子らから賛辞が寄せられる。大林宣彦監督作品「転校生 さよならあなた」、安藤桃子監督作品「0.5ミリ」、中村真夕監督作品「ナオトひとりっきり」など主題歌の提供も多い。2015年アルバム「楕円の夢」を発表。路上生活経験者による舞踏グループ、ソケリッサとの全国13箇所をまわる「楕円の夢ツアー」を行う他、2010年より毎年青山梅窓院にてビッグイシューを応援する音楽イベント「りんりんふぇす」を主催。昨年リリースの最新アルバム「私の好きなわらべうた」では、日本各地で消えつつあるわらべうたの名曲を発掘、独自のアレンジを試みて、「ミュージックマガジン」誌の「ニッポンの新しいローカル・ミュージック」に選出されるなど注目された。 みちのおくの芸術祭「山形ビエンナーレ」での絵本作家荒井良二とのコラボ、金沢21世紀美術館企画「AIR21:カナザワ・フリンジ」でのソケリッサとの共演など、演奏の場もライブハウスを超えて広がりつつある。 活動はCM音楽制作(ドコモ、無印良品など多数)やナレーション、書評、エッセイやルポなど多岐にわたり、著書に「評伝 川島芳子」(文春新書)、「原発労働者」(講談社現代新書)、戦前のサイパンに暮らした人々に取材した「南洋と私」(リトルモア)。8月に集英社より「あのころのパラオをさがして」を発売予定。平凡社ウェブにて「山姥のいるところ」、本の雑誌ウェブで「私の好きなわらべうた」を連載中。その他資生堂の広報誌「花椿」、高知新聞、北海道新聞でも連載を持つ。6月21日最新アルバム「たよりないもののために」と伊賀航、あだち麗三郎と結成したバンド「冬にわかれて」の7インチを同時発売。
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マヒトゥ・ザ・ピーポー
2009年 バンドGEZANを大阪にて結成。作詞作曲をおこないボーカルとして音楽活動開始。
2011年沈黙の次に美しい日々をリリース。HEADSの佐々木敦の年間ベスト10のデイスクに選出され、全国流通前にして「ele-king」誌などをはじめ各所でソロアーティストとしてインタビューが掲載されるなど注目が集まる。
2014年、kitiより2ndアルバムPOPCOCOON発売。
2014年には青葉市子とのユニットNUUAMMを結成し、アルバムを発売する。
2015年にはpeepowという別���義でラップアルバム Delete CIPYをK-BOMBらと共に制作、BLACK SMOKER recordsにてリリース。
2016年には今泉力弥監督の映画の劇伴やCMの音楽などを手がける。
また音楽以外の分野では中国の写真家REN HANGのモデルや国内外のアーティストを自身の主催レーベル、十三月の甲虫でリリース、
野外フェスである全感覚祭を主催したり、近年は仲間とweb magazine PYOUTHを始動。ボーダーをまたいだ自由なスタンスで活動している。
2017年 6/28にNUUAMMの2nd album「w/ave」を十三月の甲虫より発売。
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                          写真:ホンマタカシ
前野健太
シンガーソングライター。俳優。 1979年埼玉県生まれ。 2007年、自ら立ち上げたレーベル"romance records"より『ロマンスカー』をリリースしデビュー。 2009年、全パートをひとりで演奏、多重録音したアルバム『さみしいだけ』をリリース。2009年元日に東京・吉祥寺の街中で74分1シーン1カットでゲリラ撮影された、ライブドキュメント映画『ライブテープ』(松江哲明監督)に主演。同作は、第22回東京国際映画祭「日本映画・ある視点部門」で作品賞を受賞。 2010年、『新・人間万葉歌~阿久悠作詞』へ参加。桂銀淑(ケイ・ウンスク)「花のように鳥のように」のカバー音源を発表。 2011年、サードアルバム『ファックミー』をリリース。映画『トーキョードリフター』(松江哲明監督)に主演。同年、第14回みうらじゅん賞受賞。 2013年、ジム・オルークをプロデューサーに迎え『オレらは肉の歩く朝』、『ハッピーランチ』2枚のアルバムを発表。 2014年、ライブアルバム『LIVE with SOAPLANDERS 2013-2014』をリリース。文芸誌『すばる』にてエッセイの連載を開始。 2015年、雑誌『Number Do』に初の小説を発表。CDブック『今の時代がいちばんいいよ』をリリース。 2016年、『変態だ』(みうらじゅん原作/安齋肇監督)で初の劇映画主演。ラジオのレギュラー番組『前野健太のラジオ100年後』をスタート。 2017年、『コドモ発射プロジェクト「なむはむだはむ」』(共演:岩井秀人、森山未來)で初の舞台出演。初の単行本となる『百年後』を出版。
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shibaracu · 5 years
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●江戸のリサイクルと物売り
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●江戸のリサイクルと物売り 江戸は凄い時代である。 当時の世界ではナンバーワンと言われるリサイクルが発達していた。 桶や樽などの再生からカマドの灰まで買いに来ていた。 桶屋たるはそこいらに放ってあったものを拾っていった。 我が家はうどん屋をしていて建物の壁一面に薪を積んでいた。 其れを燃やすわけだから灰が出てくる。 幾つまでだったか覚えていないけれども結構遅くまで来ていた。 竈(かまど)の口は大きかったので中に首ツッコミ小さな帚(ほうき)で キレイに履いていったもの。 煙突の煤(すす)もキレイに掃除して買っていったもの。 他に使い道がどのくらいあるのかは判らないけれどススは硯(すずり)などに使った。 灰は染料の色止めや灰汁(あく)抜きとして使った。 食品に含まれる、渋み・苦み・不快な臭いなどの元となる、 食事には不要な成分の総称に成る。 詳しくはhttp://wkp.fresheye.com/wikipedia/灰汁 などを読んで下さい。   物売りも結構来ていた。 焼き芋屋やアイスキャンデーや金魚売り 物干しの竿だけなんかも有った。 売り手のかけ声が懐かしい。 バナナなんかはちゃんとした口上(こうじょう)が有ったようだけど 私は聞いた事がない。 下の動画いくつか集めておいたので再生して聞いて下さい。 いつの間にか録音したものを車で流しながら売り歩くようになった。 これでは効率は良いけれども経費が掛かるのと客とのコミニケーションは 取れないだろうね。 心のふれあいが無くなり商売するから変に歪んだ商取引になり 騙されたの騙したのなんてなるのでは。 昔は無かった売りっぱなしで責任取らない。 これも権利の先行になり 義務を放棄する事になっている。 今ではその辺歩いている子供に声かけたら大変な事になる。 下手すると誘拐犯にされてしまう。 クワバラ クワバラ 恐ろしい時代になった。 私の日記読んで居る人でも知らなくて道であって声かけたら其れこそどうなるか。 世の中進歩するのも良いことだけど こんな進歩はして欲しくないもの。 コミニケーションが途切れたら同じ空気吸っていても完全に切れてしまう。 道歩いているだけでも眼を付けた なんて言われイチャモンつけられそうだから人の顔は見ないようにしないと。 寂しい時代だね。   ●いちゃもん 言いがかり。難くせ。文句。 「 -をつける」   ●「クワバラ、クワバラ」の意味は 災難や禍事などが自分の身にふりかからないようにと唱える、まじないのこと。   ●めっ・ける [0]【目付▽ける】 ( 動カ下一 ) 〔「見付ける」の転〕 「見付ける」の俗な言い方。見いだす。 「花子さん-・けた」   ●ENEOS童話賞について:童話賞の3つの願い - JXTGグループ https://www.jxtg-group.co.jp/hanataba/awards/wish/ ENEOS童話賞は、「心のふれあい」をテーマに、毎年一般の方からオリジナルの創作童話を募集しております。その中から、厳正な審査の結果、受賞作品を表彰するとともに、��冊の童話集にまとめております。ENEOS童話賞には、私たちの「3つの願い」がこめられています。   ●第50回(2019年) JXTG童話賞 【一般の部 最優秀賞】 雨がすき作者:宮田一平 / 絵:かべやふよう  花が窓から外をながめていると、空から大粒の雨が落ちてきた。 「おかあさん、雨がふってきたよ。」 「あらっ、たいへん。花、駅までお父さんを迎えにいってくれないかな。お父さん、傘を持っていないと思うから。」 「お父さん、いつもの電車?」 「そう、6時半に着く電車。」 「わかった。」 時間になると、花は玄関で大好きなオレンジ色の長ぐつをはき、傘入れから花の赤い傘とお父さんの大きな黒い傘を引っぱり出して、駅へ向かって飛び出していった。 花が駅に着いて時計を見ると、電車が着くまでにまだ少し時間があった。駅の待合は、花と同じお迎えの人たちや雨宿りの人たちの話し声で、いつもより少しにぎやかだった。花が駅の売店の方に目をやると、一人の少年がぼんやりと外を見ながら立っていた。 「あっ、たっくんじゃない。」 花は思わず大きな声を出して、少年のところへ飛んでいった。 「おっ、花か。どうした。」 .....1/5   ●日本語の音長律(1) 百人一首朗詠 - 「かささぎの」2011/02/10 https://youtu.be/76hMbZ0EK1M https://youtu.be/76hMbZ0EK1M?list=PLZyjyoHSWs6P67GI2JU7Yf1ZiVsxxJqXf ●日本語の音長律(2) 売り声 - 石焼芋, さお竹 https://youtu.be/b9PLUCzD_hg ●宮田章司・坂野比呂志 飴売りの売り声の比較 https://youtu.be/pYHsRZRA1mA ●バナナの叩き売り!口上:ありがとう三太さん https://youtu.be/8hOEk8GIGoo ● 江戸は物売りの呼び声が… https://mainichi.jp/articles/20170811/ddm/001/070/197000c 毎日新聞 2017年8月11日 東京朝刊  江戸は物売りの呼び声がにぎやかだった。夏、「ひゃっこい、ひゃっこい」は冷や水売り、「たまや、たまや」と来るのはシャボン玉売りだが、川柳に「荷が呼んで歩く虫売り、定(じょう)斎(さい)売り」というのがある  ▲定斎屋は暑気あたりの薬屋で、薬箱の金具がカタカタ鳴るのが呼び声がわり、虫売りは松虫、鈴虫などの鳴き声で客が集まった。その虫売りというのがまるで役者のような粋(いき)な格好をしていたという  ▲市松模様の屋台ともどもだんだんと華美の度を増し、ついには天保の改革で禁止されるはめになった。鳴く虫やホタルを売ったこの虫売り、初夏からお盆までの商売で、江戸の人々はお盆になると供養のため買った虫を放ったそうだ  ▲虫売りといえば、クワガタやカブトムシが幅をきかせる現代である。だが近年は輸入された外国産の種が野外で見つかる例が相次いでいる。無責任な飼い主が放ったりするためで、日本の固有種との交雑種が生まれている恐れもある  ▲オオクワガタやヒラタクワガタは外来種と雑種を作るのが知られている。以前の小紙報道によると、関西ではあごの形などが国産種と違うオオクワガタなどが見つかっている。自然界で交雑を放置すれば、やがて固有種がいなくなる  ▲売買や飼育への規制導入も、すでに大量に飼育されている現状では難しそうだ。専門家は飼い主のモラルを高める教育や啓発、飼育に困った外来種を業者が引き取る仕組みを求めている。外来種を放ってはならない。たとえお盆であってもだ。
物売りの声 寺田寅彦 青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2514_9317.html  毎朝床の中でうとうとしながら聞く豆腐屋のラッパの音がこのごろ少し様子が変わったようである。もとは、「ポーピーポー」というふうに、中に一つ長三度くらい高い音をはさんで、それがどうかすると「起きろ、オーキーロー」と聞こえたものであるが、近ごろは単に「ププー、プープ」というふうに、ただひと色の音の系列になってしまった。豆腐屋が変わったのか笛が変わったのかどちらだかわからない。 ●物売りの口上 https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%89%A9%E5%A3%B2%E3%82%8A%E3%81%AE%E5%8F%A3%E4%B8%8A ●陣内智則 物売り屋さん https://youtu.be/jxrMOQakvq8 ●下町の物売りの声を思い出してみませう  千代ばあちゃんの思い出袋 http://hachisu-net.com/chiyo/taishouki.html   ●物売り 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 「http://ja.wikipedia.org/wiki/物売り」より ■物売り(ものうり)とは路上で移動しながら、主に鳴り物や独特の売り声を発しながら呼び込みをして食事を提供したり、物品などを販売、修理や古物や廃品の買取や交換をする者。 「引き売り」・「引売り」ともいうが「物売りの声」・「引き売りの声」という言葉が一般的に馴染深い。屋台や行商や街商と重複する部分もあるが、行商は固定客に対しての訪問販売が主であり、街商は市や縁日で一所(ひとつところ)で留まって商売する事や物売りが必ずしも屋台ではなかった事から区別する事が出来る。 ■ 歴史 鈴木春信画:『水売り』水売りの少年が描かれている浮世絵江戸時代から盛んになり「棒手振」・「棒手売」(ぼてふり)と呼ばれていて日用品の食材から生活必需品まで衣食住に係わる全てのものが売られており幕府の許認可を受け鑑札を持った物だけが営業できた。 これに違反すれば厳しい処罰があったが、生活困窮者や弱者の就業を目的とした幕府の政策でもあった。 季節物の販売も多く、蓮の葉商いの傾向も強いが市や祭事の門前町などの街商は場所代や既得権が必要であったが、棒手振は歩き売りという形を取っていたのが街商などとの差異であり、また季節物ではない代表的なものとして、夜鳴き蕎麦屋や鮨屋などがあげられる。 当時は大八車(リヤカー)ではなく主に道具や商品や食材の入った箱や笊(ざる)、籠(かご)や桶(おけ)などを両天秤にして天秤棒を担いで売り歩いたので棒手振と呼ばれていたが、道具や品物の入った箱を片方の肩で担いで売り歩く者もいた。 江戸時代にはその場で調理する屋台だけでなく、調理済みの天麩羅(てんぷら)、鰻(うなぎ)の蒲焼などを木箱に入れ、物売りが売り歩いていた。 近年では自転車やリヤカーをもとに形だけではなく設備も充実させ、煮炊きが出来る(ただし江戸時代から屋台では煮炊きの設備を備えていた)物売りも増え、昭和初期から昭和40年代まで品を替え(鮨や蕎麦は廃れおでん売りや菓子パン売りなどが盛んになった)世間で一般的に見られたが、江戸時代から変わらず続いた豆腐売りや納豆売りや金魚売りなども含め、今ではほとんど見る事はなくなった。 しかし現在では自動車に設備を載せ決まった場所(就労者は多いが外食産業や商店の無い所など)で食事や弁当やパンなどを調理、販売をしているものも見られる。また高齢化社会に伴い利潤のみならず地域振興や福祉目的を持って幾つかの小さな企業が、物売りとして豆腐などの大豆食品を呼び込みのラッパを使うなど、昔ながらの形態で販売を始めている地域も存在する。   ■ 物売りの種類と売り声や鳴り物 ●食事 ・鮨屋(すしや)---江戸前寿司の始まりは、物売りや屋台であったので今でも名残として立ち食いの鮨屋も東京を中心にみられる。 ・夜鳴き蕎麦(そば)---呼子といわれる笛を吹いていた。宵に笛を吹きながら商売したので「夜鳴き蕎麦」とよばれた。日本蕎麦はなくなり中華蕎麦(ラーメン)になり、笛もチャルメラという物に変わった。 ・鰻(うなぎ)売り---江戸時代当初は生をその場で捌いて客に渡したが、その後蒲焼にした物を売ったり、その場で調理するものもあらわれた。割り箸は鰻屋の発案で引き割り箸といった。 ・賄い(まかない)屋---江戸は女性の比率が二割といわれ独身の男性が非常に多く、宮使いで制約の多かった下級武士の専門の弁当屋として成り立っていた。 ・おでん売り---昭和40年代まで日本各地にみられ、晩のおかずに主婦が鍋を持って買いに来たり、子どもがおやつとして買っていた。 ●菓子 ・飴(あめ)売り---多種多様な飴売りが存在し競争も激しかった為、今の出店や夜店の的屋の元になる、くじ形式や余興や口上などで趣向を凝らしていた。 ・鼈甲飴(べっこうあめ)---練る飴細工も有名だが、鼈甲飴も溶かした飴を型などに流し込み、様々な形を平面的に作り上げて、売っていた。 ・飴細工---鋏(はさみ)や指先を使い飴を練って三次元的な立体造形の飴を作って売っていた。詳しくは飴細工を参照の事。 ・揚げ団子売り---昭和初期ごろまで見られ、小麦粉を甘く味付けして中華菓子の様にその場で揚げて、主に子ども向けに売っていた。 ・焼芋屋---「やきいもーやきいもー栗よりうまい十三里ー」栗より美味い十三里と言う文言は「栗」を九里と「より」を四里とを足して焼き芋のことを十三里というなぞかけ言葉である。 ●食材 ・蜆浅蜊売り---「しじみーあさりー」この他にも蛤や赤貝なども専門で売られていた。 ・鰯売り---売り声「いわしこーいわしこー」「いわし」は真鰯で「しこ」はカタクチイワシのことで獲れたてを海浜近郊で売っていた。魚は他にも、鯨、初鰹、烏賊、白魚、秋刀魚、鯵など旬の物も売られていた。 ・納豆売り---売り声「なっとー、なっとなっとうー、なっと」江戸時代から続いていたが近年では主に自転車に品物を積み販売していた。江戸では上記の蜆浅蜊売りとともにポピュラーな存在で、「納豆と蜆に朝寝起こされる」などという川柳も残る。 ・豆腐売り---ラッパを使い「とーふー」と聞こえる様に吹いた。行商の色合いが強い地域もある。 ・青果など---蜜柑、西瓜や大根、蕪(かぶ)、自然薯(じねんじょ、山芋の)、生姜など野菜や果物を季節ごとに販売していた。 ●生活用品の修理、販売 ・定斎屋(じょうさいや)---昭和30年頃まで存在したといわれ、江戸時代の物売りそのままの装束で半纏(はんてん)を身にまとい、天秤棒で薬箱を両端に掛け担いで漢方薬を売っていた。また力強く一定の調子で歩いた為、薬箱と金具や天秤棒のぶつかり合う音が独特の音となり近隣に知らせた。 ・羅宇屋(らうや)---煙管の羅宇と呼ばれる部分のヤニとりや交換をしていた。小型のボイラーを積みその蒸気で掃除をし、また蒸気の出口に羅宇を被せ蒸気機関車の警笛の様に「ぴー」という音を出して知らせた。詳しくは煙管を参照のこと。 ・竿竹売り(さおたけうり)---売り声「さおやーさおだけー」本のタイトルにもなり注目を集めた。 ・鋳掛屋(いかけや)---金属製の鍋や釜の修理販売をしていた。詳しくは鋳掛屋を参照のこと。 ・金魚売り---売り声「きんぎょーえー、きんぎょー」金魚とともにガラスの金魚鉢も売っていた。ちなみに江戸時代の金魚鉢は吊り下げ式で軒下などに吊るして下から観賞していた。 ・風鈴売り---風鈴の音色が呼び込みになった。 ・買取---古紙、古着、金物、番傘、屎尿、樽、桶、糠など様々で、江戸時代は最近の研究では、全ての時代の世界の中でも高い水準でのリサイクル社会であったと考えられている。 落ち買い---「おちゃない おちゃない」という呼び込みの声で抜け落ちた髪の毛を買い取っていた。京都では女性の専業であり、髪文字屋(「かもじや」と読み、付け毛製作販売業)に買い取った髪の毛を卸していた。「落ちていないか」が「おちない」から「おちゃない」に変化したといわれる。   ■振売(棒手売から転送) 振売・振り売り・振売り(ふりうり) 商品を天秤棒に担いで売買すること。転じて、そのような商売をする商人を指す。 この様式の商売は、行商のうち比較的狭い範囲を巡回する形態に多く見られる業態である。天秤棒の両端には商品を入れた桶や箱などの容器をぶら下げる。 http://ja.wikipedia.org/wiki/振売   ●蓮の葉商い   http://ja.wikipedia.org/wiki/蓮の葉#蓮の葉商い 蓮の葉(はすのは)とは蓮という水生植物の水面に浮いている葉のことをさし漢方薬の伝来により荷葉(かよう)ともいう。また蓮根(れんこん)の葉としても馴染が深い。ヒンドゥー教、仏教、密教においては「蓮」そのものが特別な意味を持ち蓮の花、蓮の実と共に珍重される。蓮の葉はロータス効果という現象の説明において代表的なものでもある。 蓮の葉商い(蓮の葉商ひ、蓮葉商い)とは、古くから日本各地の朝市や縁日などで、その時々に自生する銀杏、アケビ、椎(しい)などの木の実や五節句、二十四節気の年中行事に必要な季節物をその期日の前に商いしていた者をさし、(近年、近代から八百屋や花屋や街商も季節物を売っていた)その中で盂蘭盆(うらぼん)に使う蓮の実や蓮の葉が特に珍重された事や、商品の多くを蓮の葉や蕗(ふき)の葉の皿の上に置いて売っていたという事などから、季節物を扱う商人を「蓮の葉商い」(はすのはあきない)と呼ぶようになった。しかし季節物という短期使用のいわゆる、消え物であることから多少品質が悪くとも問題にならない、しない物という捉えかたがされ、きわもの売りやまがい物を売る者という意味を持つようになり、蓮の葉の言葉の意味が際物(きわもの)やまがい物を指すようになった。 季節ごとの主な商品 ・1月 一月一日 - 七日の正月・人日の節句---橙(だいだい)、榊、松、竹 ・2月 二月三日の節分---鰯や柊、大豆「鬼が入らないための結界と追い出すための道具」 ・3月 三月三日の桃の節句---桃の花 ・4月 四月八日の灌仏会(釈迦の誕生日)---甘茶「紫陽花の近縁種の植物の葉」 ・5月 五月五日の端午の節句---柏の葉、菖蒲「柏餅、菖蒲湯」 ・7月 七月七日の七夕---笹や竹 ・8月 八月十三 - 十六日    盂蘭盆(仏教行事)---蓮の葉、蓮の実    お盆(日本古来の祖先崇拝の祭り)---鬼灯・酸漿(ほおずき)、真菰馬(まこもうま)、小豆、大角豆(ささげ)関東地方では豆がはぜるのが切腹と通じるのを嫌い小豆の代わりにこれで赤飯を作った。 ・9月 九月二十五日の月見---ススキ、枝豆、栗 ・0月 十月十九日・二十日の恵比寿講--- 大根、牛蒡(ごぼう)などの根菜や魚(恵比寿は日本では漁業の神でもある)「五穀豊穣と大漁祈願の祭事」 ・12月 十二月十三日のすす払い---鯨「すす払いの後、鯨汁を作って食べる習慣があるため」     十二月二十二日の冬至---柚、南瓜(かぼちゃ)「柚湯、南瓜粥で冬の英気を養った」   ●行商   https://ja.wikipedia.org/wiki/行商 行商(ぎょうしょう)は、(特定の店舗を持たず)商品を顧客がいるところへ運び販売をする小売業(サービス業)のこと。   ●屋台   https://ja.wikipedia.org/wiki/屋台 屋台(やたい)は、移動式の簡易店舗。簡単な飲食物や玩具などを売る。似た言葉として露店(ろてん)があるが、露店は移動式とは限らず、歩道上に物を並べて販売したり、建物の1階で物を売る店も含まれる。   ●商業   https://ja.wikipedia.org/wiki/商業 商業(しょうぎょう)とは、財やサービスなどの商品を所有している人やまたは存在している場所と、必要としている人または必要としている場所を結びつけることにより利益を得る職業または経済活動である。多くは貨幣の媒介を経て市場や個々の店舗において取引(商取引)という形式をとって行われる。ただし、貨幣や市場などを媒介しないケースを含める場合には「交換」と呼ぶこともある。また、「商業的」という場合、「営利を目的として」という意味になる(例:商業的生産)。   ●ろてん【露店】 道ばたに商品を並べて売る、屋台店(やたいみせ)。    「―商人」   ●ろてん【露店】  https://ja.wikipedia.org/wiki/露店   ●屋台       https://ja.wikipedia.org/wiki/屋台 屋台(やたい)とは、屋根が付いていて、移動可能で、飲食物や玩具などを売る店舗。 屋台の形態は国や地域によって様々なものがあるが、初期の形態としては、天秤棒で担いで売り歩いた形態があったが商品を多く運べないのが欠点。リヤカーのように可動式の店舗部分を人力、自転車、オートバイで牽引するものや、テントのように組み立て型の骨組みをもとに店舗を設置する場合もある。またトラックの荷台の部分を改造したものもある。似た言葉として露店(ろてん)があるが、露店は移動式とは限らず、歩道上に物を並べて販売したり、建物の1階の店先で物を売る店も含まれる。   ●蚤の市      https://ja.wikipedia.org/wiki/蚤の市 蚤の市(のみのいち、flea market、フリーマーケット)は、ヨーロッパの大都市の各地で春から夏にかけて、教会や市庁舎前の広場などで開かれる古物市。パリの蚤の市が有名。北米では大規模な倉庫や体育館など屋内で開催されるものもある。出店者は一般家庭や仲間で集まったグループから、古物商や雑貨商の様な事業者まで幅広い。   ●的屋     https://ja.wikipedia.org/wiki/的屋 的屋(てきや)は、縁日や盛り場などの人通りの多いところで露店や興行を営む業者のこと。祭りや市や縁日などが催される、境内・参道・門前町において屋台や露店で出店して食品や玩具などを売る小売商や、射幸心を伴う遊技として射的やくじ引などを提供する街商や、大道芸にて客寄せをし商品を売ったり、芸そのものを生業にする大道商人(だいどうしょうにん)などが含まれる。「当たれば儲かる」ことから的矢[1]に準えて言われるようになった言葉である。 的屋(まとや)、香具師(やし)、三寸(さんずん)とも呼ばれる。   ●露天商      https://ja.wikipedia.org/wiki/露天商 露天商(ろてんしょう)とは露天(屋外や青空の下)で店舗を持たず商売をする者。露店商とも表記し、街商(がいしょう)ともいう。 的屋(てきや)、香具師、三寸は辞書[2]では、同じ説明がなされている場合が多い。職業神として元々は中華文明圏より伝わり、神道の神となった「神農の神」「神農黄帝」を祀り、独特の隠語を用いる者が多いため、狭��世界では神農(しんのう)とも呼ばれる。 警察においては、的屋を暴力団の起源の一つと定義しており、戦後の混乱期に的屋は、博徒・愚連隊と同様に闇市を縄張として、覚せい剤の密売などの違法行為を行っていたと警察白書に記されている。平成以降の暴力団の定義でも「博徒、的屋等組織又は集団の威力を背景に、集団的に又は常習的に暴力的不法行為を行うおそれがある組織」としており的屋も暴力団の経済活動の一つとしている。   ●反社会的勢力 - Wikipedia  https://ja.wikipedia.org/wiki/反社会的勢力 反社会的勢力(はんしゃかいてきせいりょく、英語: Anti-Social Forces)とは、暴力や威力、または詐欺的手法を駆使した不当な要求行為により経済的利益を追求する集団又は個人の総称である。暴力団や半グレ集団などを広く呼び、反社(はんしゃ)と略される。   ●ヤクザ  https://ja.wikipedia.org/wiki/ヤクザ ヤクザとは、組織を形成して暴力を背景に職業として犯罪活動に従事し、収入を得ているものを言う。この偏倚(へんい)集団を特徴づける要因の一つに集団内部の「親分子分」の結合がある。また下っ端に該当する場合は「チンピラ」と称される。 大辞泉は「やくざ」について次の2通りの説明を示す[1]。    役に立たないこと。価値のないこと。また、そのものや、そのさま。「―に暮らす」「―な機械」「―仕事」    ばくち打ち・暴力団員など、正業(せいぎょう)[2]に就かず、法に背くなどして暮らす者の総称。「―渡世」 「やくざ」研究の古典的名著とされる岩井弘融の『病理集団の構造』の序説で「親分乾分(岩井は故意に、乾としている。読みは「こぶん」で同じ)」の関係は民俗学(柳田國男他)や社会学(川島武宜他)において説明されるところのオヤカタ・コカタの関係と共通の社会的基盤を持つと説明している。   ◆あんにゃとあねま - 縄文人の反乱 日本を大事に - Goo ブログ https://blog.goo.ne.jp/s6990714726/e/1448c6d0f0267f9daef8224a69cbd13e 2012/02/29 あんにゃとあねま あねまあんにゃ 棒八もん 形見位牌 証文をまく コレは映画に出てくる幾つかのコトバ。 忘八だけは引っかかるけど後のコトバは100見ても出てこない。 ヤフーでいつも検索すると一ページに100表示するように設定している。 始め方に新しいページが出てくる可能性がある。 生地はなるべく新しい方が良い。 中には古くても良いモノも有るけど。   ◆木颪の酉蔵 ~ 浜木綿子さんが演じた女親分【Respect】  2016/06/29 https://youtu.be/7vXf5Xrymnc 木颪の酉蔵:「子連れ狼」"あんにゃとあねま" に登場した房州の揚屋・女衒の元締め。 萬屋錦之介版の子連れ狼では浜木綿子さんが演じました。
拝一刀とのやり取りで見せた貫録と美しさはひときわでした。 私もそうですが、この役は浜木綿子さんでこそ演じきれたと思う方、たくさんいらっしゃるのではないでしょうか。 子連れ狼 第一部 (1973年4月 - 1973年9月) 日本テレビ放送網 製作:ユニオン映画、スタジオシップ 第三話 あんにゃとあねま 拝一刀 - 萬屋錦之介 大五郎 - 西川和孝 木颪の酉蔵 - 浜木綿子 お松 - 竹下景子
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findareading · 2 months
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彼のいるスペースだけがみっちりとして、色彩も輪郭も強い。全く辺りのことなど目に入らないかのように、手の中の本に集中している。 この人は自足している、と梢は思った。 ゆったりと足を組み、いっしんに本を読んでいる雅春はとても幸福そうに見え、それが彼女に僻みっぽい妄想を喚起させた。
— 恩田陸著『鈍色幻視行』(2023年5月Kindle版、集英社e文芸単行本)
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numa-chi · 7 years
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5つ星のうち 2.0 誤訳だらけです。, 2015/2/19 投稿者 鳥海山房 Amazonで購入(詳細) レビュー対象商品: 素粒子 (ちくま文庫) (文庫) 以下は誤訳リストです。 P.22の最後から3行目。 「ボーアによって一九一九年に創立されたコペンハーゲン物理研究所」 Wikipedia でニールス・ボーアを調べると、 「1921年にコペンハーゲンに理論物理学研究所(ニールス・ボーア研究所)を開き」 とあるので、年数と名称が違っています。 最後の行の、「ボーン」というのが、Max Born だとすると、日本語では一般に、ボルンと訳されています。 ひどいのがP.51の最後から3行目。 「同じ原子価で、原子量のより大きな細胞によって演じられてもよかった」 → 同じ原子価で、原子数がより大きな元素で置換することも可能だった。 これ、高校の理科のレベルです。元素周期表の一段下に並ぶ元素を指すのに、「原子量のより大きな細胞」は、論外。元素と細胞の区別は、中学生でもつきますよ。 P.65の最後から4行目で、アンリ・モワサンが1906年に「電子炉」を開発したと書いているが、これは「電気炉」の誤り。ニールス・ボーアが原子模型を考案したのが1913年。それより7年も前に、電子を使った実験装置を開発した者がいたと? 翻訳者と担当編集者は、wikipedia で「ボーアの原子模型」を検索して、これがどれだけ酷い誤訳かを考えて欲しい。 同じページで、「シリウムとフッ素の分離に成功」の「シリウム」とは何でしょうか。このような元素は、本当に存在するのでしょうか。 P.91で、「スピン(運動量)」とあるのは、「スピン(角運動量)」の誤り。ネット検索で「スピン」と入力すれば、「スピン角運動量」という項目が表示されます。 P.93で、「ヒルベルトの空間理論」→「ヒルベルト空間の理論」、「尺度の理論」→「測度論」 ヒルベルトでネット検索すれば、「ヒルベルト空間」という用語がすぐに出てくるし、ユークリッド空間という言葉を知っていたら、こんな誤訳をする前に、用語の確認くらいはするでしょう。 積分の名称で、「スチルテス」→「スティルチェス」。やはりwikipedia で「積分法」を検索すれば、人名は容易に確認できます。 この箇所は、翻訳の文章にも問題があります。「尺度の理論に入門、(中略)積分を発見した」。高校生が、理論に入門して積分を発見した? これ、文章がおかしいと思わなかったの?  P.102の最後の行で、「隠されじまい」→「隠されずじまい」は、日本語の問題。 P.124で、「分析の演習」→「解析学の演習」。解析学は、高校でいうところの微分積分の分野です。つまり、解析学の演習といったら、数学を勉強していたのだと分かる。でも、分析と言うだけでは、何の分析かが不明。調査データの分析の演習なのか、それとも化学の、試料分析の演習だったのか。目的語なしで他動詞を使うような粗雑な文章を、原作者は書い���いません。 P.127の後半からP.128の冒頭までと、P.170の最後の段落からP.171の前半にかけての箇所に誤訳があり、全体の意味が通りません。翻訳者が原文の意味を、まったく理解していないのが、一読して分かります。 P.171で、「アスペの実験は、フィジカル・レヴュー誌第四十八号」と書かれていますが、アスペの論文の掲載誌も号数も間違っています。原作に誤りがあったら、訳者は注釈をつけるべき。正しい掲載誌は、 Experimental Realization of Einstein-Podolsky-Rosen-Bohm Gedankenexperiment で検索すれば見つかります。 この箇所で、Gedankenexperimentの訳語として、「想像上の実験」と書き、さらにご丁寧に、「ゲダンケクスペリメント」というルビを振っています。けれども、この単語は、少し大きな辞書を見れば、「思考実験」を意味することが分かるし、ドイツ語由来のこの単語の読み方も、「ゲダンケンエクスペリメント」です。これは翻訳者が、辞書で単語を確認していなかったという、何よりの証拠です。 P.193で、「神経終末」→「末梢神経」。これも、中学の理科レベル。 P.236の6行目:「ヒルベルト空間において両者に唯一状態のベクトルを与える」。これも明らかな誤訳です。意味が通りません。 P.308の8行目:「線形動物」。間違いじゃないけど、普通は「線虫」と呼びますよね。 P.312の5行目:「新しい大陸に上陸する」。これ、普通は「新大陸」と訳すのでは? P.405の末尾:「アインシュタインは(中略)限定相対性理論を生み出し、(中略)全般的理論を構築するに至った。」もはや訂正文を書く気にもなれません。翻訳者は、アインシュタインというのが何をした人なのかを、自分で調べて訂正して下さい。 P.426の12行目:「新種の個体数は常に最初の数を守らなければならないというのである。つまり、一人、三人、五人……と造っていく過程で、最初に定められた個体数を厳密に守らなければならない。」これ、意味が不明ですよね。なぜなら、nombre premier は「最初の数」ではなく、「素数」のことだから。「一とその数以外に約数を持たない」と、数行後でわざわざ書いているのに、それでもこれが「素数」のことだと気づかなかったのは、翻訳者が素数を知らなかったということでしょうか。 P.428の6行目:「抵抗に会う」→「抵抗に遭う」。 第三部に入ると、「とはいえ」の多用がやたらと目につきます。しかもそれらの多くが、文脈と合っていません。これは、内容が理解できない小説の翻訳をするのに飽きて、接続詞を機械的に訳したせいなのか。それとも、学生に下訳をさせた結果なのか。いずれにしてもかなり不自然です。 この小説の全体の構造が判明するのは、エピローグになってからです。でも、EPR実験が何を意味するかを分からずに、エピローグを理解するのは無理。しかも、第二部のEPR実験の箇所は、誤訳だらけ。こんな翻訳を読んで高評価をしている人は、きっとブリュノの部分を読んで、それ以外は読み飛ばしたんでしょうね。 原作者がミシェルに、物理学と生物学の研究をさせた意味を理解していたら、翻訳者はもっと、専門用語の翻訳に気をつけたはずだし、それぞれの文章を、原作者が何を意図して書いたかを理解しようと努力していたら、こんなに間違いだらけの翻訳にはならなかったでしょう。少なくとも、元素や素数が分からない人が、この小説の翻訳を担当するべきではありませんでした。翻訳の刊行から10年以上が経つのに、これまで、これらの誤訳を指摘する人がいなかったというのは、まったく信じられない話です。とにかくお粗末なので、出版社は早めに改訂して下さい。ただし、この調子では、上記以外にも誤訳は多数あるでしょうが、その訂正を、この翻訳者には期待できません。 また、これは原作の側の問題ですが、P.414の冒頭の、「研究成果をパリの科学アカデミーに一部、イギリスのネィチャー誌に一部郵送した」という部分は、論文を二重投稿した、と解釈できます。もしそうだとすると、審査の厳しいネィチャーからは、掲載を拒否されるでしょう。というわけで、エピローグは実は破綻しています。 内容としては、ヒッピー・ムーブメントとニューエイジ・サイエンスが好きな人向け。科学がある程度分かる人が読んでも、知的刺激は得られないと思います。 (最初は星3つにしていましたが、あまりの誤訳の酷さに呆れたので、星をひとつ減らしました。) レビューを評価してください フィードバックありがとうございました。 違反を報告 | 固定リンク [コメントを追加する] コメント コメントの��新情報お知らせEメール受信設定 更新情報を受信している人数: 1人 並べ替え: 古い順 | 新しい順 このトピックの全投稿3件中1件から3件までを表示 最初の投稿: 2015/03/13 6:09:43 JST ぼくかぜさんのコメント: 鳥海山房さん,こんにちは. 私にとってとても大事な小説であるので,率直に申し上げて,あなたの誤訳のご指摘に,非常なショックを受けました. 人の名前などは,研究者間でも訳し方がまちまちな場合があるので取り敢えず置いておくとして, ご指摘なさっている中で,特に理論の説明の部分などが丸々誤訳であるとする,鳥海山房さんの誤訳のご指摘が本当だとすると, なんとも言えない気持ちになります. 私は生命科学にも,出版にも疎い人間ですので,この誤訳がそれぞれの業界基準において, 果たしてどの程度深刻な誤訳なのか判断がつきかねますが, できうる限りの改訂を強くお願いしたいと私も思います. 初めに申したように,もしかしたら,私にとって最も大事になる可能性があると思っている書籍でしたので, 憚りながらも敢えてコメントさせていただきました. それでは失礼致します. この投稿に返答する 固定リンク | 違反を報告 | この投稿者を非表示にする 2人中1人が「この投稿が参考になった」と投票しています。この投稿は参考になりましたか?  はい いいえ 前の投稿への返答(返答日時: 2015/03/13 9:36:30 JST ) 投稿者により編集済み(最終編集日時:2015/04/21 19:26:19 JST) 鳥海山房さんのコメント: 科学者や数学者の人名は、それぞれの分野で共通する訳があります。研究者間でも訳し方がまちまちな場合があるというのは、現地での発音を知らない場合か、英語の発音を踏襲した場合ではないでしょうか(Beethoven をベートーヴェンと書く等)。誤訳の深刻さは、人によって判断が分かれると思いますが(私には、論外レベルに見えます)、大学教員が、分野外の知識を確認しないで翻訳を出版したことは、批判を免れないと思います。アスペの実験に関する部分は、論文のタイトルが書かれているのだから、確認は容易だったはずで、翻訳者が確認して、原作の誤記への注を記すべきであったと思います。全体に、辞書で単語を確認するという、翻訳の基本を怠っているとしか思えない訳が、非常に多いと感じました。 この投稿に返答する 固定リンク | 違反を報告 | この投稿者を非表示にする 6人中4人が「この投稿が参考になった」と投票しています。この投稿は参考になりましたか?  はい いいえ 投稿日: 2017/01/27 16:30:50 JST 投稿者により編集済み(最終編集日時:2017/01/27 16:37:52 JST) ankさんのコメント: 最近この本を読み、その後で鳥海さんのレビューに遭遇して、感じるところがあったのでコメントいたします。 鳥海さんが指摘している多数の誤訳、おそらくすべて正しい指摘であろうと思います。しかし、私にはこれらがこの翻訳作品の価値を大きく貶めるものとはどうしても思えません。確かに、素数や特殊相対論など、みっともないレベルの間違いはあります。しかし、改版時にでも修正すればいいことで、その他多くの指摘事項は、特に論文の掲載誌のミスなどに至っては、作品の鑑賞の妨げになるようなものではまったくないと思います。 鳥海さんは、おそらく非常に高い語学能力と知識の所有者なのだと推測されます。しかし、細部にこのようにこだわり、そのこだわりの結果をもって作品全体の評価を決めてしまうこのレビューを見ると、小説をあたかも学術書、研究書として読んでいるかのようで、表現作品として読んではいないようです。小説にとどまらず、鳥海さんはいわゆる表現芸術の鑑賞には苦労されているのだろうな、と思わざるをえません。表現芸術の鑑賞で最も大事なのは森全体を直観的に把握する能力。個々の樹レベルを検証するのは、まず森全体を把握してからのことでしょう。そして、細部の顕微鏡的な観察をしてからでなくては森全体にとりかかれないというのでは、表現芸術の鑑賞能力に欠けると言われても仕方ないでしょう。多分、鳥海さん自身、学者、研究者の類、もし文学関係なら校正者、に向いている方で、表現芸術にはあまり向かないタイプの人なのかと感じます。 そして、表現芸術に対する低評価を、アマゾンレビューのような不特定多数の他者に影響する場に公にすることへの注意を喚起したく思います。低評価がすべて悪いわけではないでしょう。傑作と言われる作品の多くが極端に評価の分かれるものであることを考えても、低評価の正当性を否定することはできません。しかし、それには、何らかの議論を喚起するようなレビューであることが必須条件でしょう。好みじゃない、つまらない、などというレベルのものは論外だし、やたらに細かな部分をつっつき、それをもって全体評価としてしまうようなものも、やはり意味がないと思います。この本を読もうかと思い立ち、鳥海さんの評価を見てやめてしまった人が一人でもいたとしたら、その人は大きな機会損失を被ったことになるでしょう。 とにかく、表現芸術に対する低評価を公の場に晒すことには慎重になるべきだと思います。この手の細部へのあげつらいに終始するようなレビューは学術書、研究書あるいは実用書などの評価だけにとどめておかれるべきと思う次第です。 最後に、誤訳と悪訳について一言。小説のような表現芸術の翻訳の場合、絶対まずいのは「悪訳」であって、「誤訳」ははるかに罪が軽いと思います。翻訳でない場合も、小説で駄目なのは「悪文(真正の意味での)」であって、言葉の誤用がいくつかあるくらいは大きな問題ではないでしょう。この「素粒子」の翻訳は、たとえ「誤訳」は多くても鑑賞の妨げになるほどのレベルではないし、決して「悪訳」ではないと私は思います。 この投稿に返答する
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yude2101 · 7 years
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パーティーミックスくれよぉ~
やまもといちろう 公式ブログ - 「DeNAメディア騒動」の解説と総括イベントをやる予定です - Powered by LINE
先日、DeNAのキュレーションメディアが出火した事件を含め、広告詐欺(アドフラウド)からネイティブ広告の再定義までいろんな課題が山積しているウェブメディア界隈について、一定の総括をするイベントをやりたいなあと思っております。もちろん、メディアを運営したり、コンテンツを提供する側の目線で。
デイリーポータルZの林雄司さんと、ヨッピーさんに聞いた「コンテンツを作る・伝える・稼ぐコツは何ですか?」 | HTML5Experts.jp
単純に面白くて、笑えるコンテンツがいいと思います。
30歳を過ぎてわかったこと 「最終的には真面目な奴が勝つ」「大切なのは金よりも健康」 | キャリコネニュース
「結局信用できるのは親と自分だけ」「思ったより適当な人間が多い」
This Is How To Get Hired At Facebook | Fast Company
Social skills that make you likable
News Up 「見えていなかった壁を気づかせる」アートの挑戦 | NHKニュース
Assessment: How Mindful Are You?
15 celebrities wanted you to see how they are when the camera's off. So they took photos.
コム デ ギャルソンの"闇市" 黒いゲリラストア「BLACK MARKET」に初日から行列 | Fashionsnap.com
スマホ向け「タテアニメ」をプロダクション I.Gが開始。4月配信「てぃ先生」など - AV Watch
『VOGUE JAPAN』5月号、編集長からの手紙。 | VOGUE JAPAN
今号の「She's Going Glam!」(p.111)をテーマにした編集会議で面白かったのは、バブルを知らない90年代生まれのアシスタントエディターたちがこぞって、見たこともない80sに不思議なあこがれを抱いていることでした。
実現は5年後? イーロン・マスクの新事業「Neuralink」は、脳とコンピューターの接続を目指す|WIRED.jp
究極的にはAIを脳に埋め込むことで人類の能力そのものを向上させるという構想があるという。
家を買うなら2022年以降にしよう | 文春オンライン
2022年以降、都市部において生産緑地が大量に不動産マーケットに登場するということは、当然地価は大幅に下がることになる。また、宅地並みの固定資産税を賄うために、アパートなどを建設して土地の有効利用を図る地主も激増することが予想される。
「科学よりも風評」「安全より安心」な日本人の感情論が科学を停滞させる | 文春オンライン
8時間が1000年に。薬の服用で脳の感覚を狂わせ、受刑者に懲役1000年の刑を与える研究(英研究) : カラパイア
これは受刑者の感覚的懲罰期間を延ばすだけではなく、受刑者の為に使用される税金を大幅にコストカットする事が出来る。
はあちゅう「私はライターじゃない」に吉田豪が反論 肩書に対する考え方が議論に - エキサイトニュース
はあちゅうさんの考えでは、作家は「自分の意見を書く」もので、ライターは「誰かの意見(自分以外に取材)を書く」ものといった違いがあるという。 そのため自身では「ブロガー・作家」と名乗り、肩書きがライターになっている時は全部修正してもらっているそうだ。
ブルゾンちえみは“パクリ犯”? - 日刊サイゾー
人気占星術師でソウルメイト研究家のKeiko氏
子どもに読ませたくない! 欺瞞だらけの絵本作家による脅しだらけの最低絵本 - messy|メッシー
JAL、国交省から厳重注意 パリ定員オーバーで (Aviation Wire) - Yahoo!ニュース
ブルゾンちえみ、夢の共演へ急接近もまさかの失態!?加藤浩次、曲歌うオースティン・マホーンに「背中に35とかって…」 (E-TALENTBANK) - Yahoo!ニュース
ブルゾンちえみの夢に急接近するかのような放送内容だったが、放送後、ブルゾンちえみは自身のTwitterで「スッキリを録画し忘れた、、、」とツイートし、ファンからは「ダメウーマン」と自身のネタにかけたツッコミコメントが寄せられてしまうのだった。
昭恵夫人と秘書T氏双方を知るバー店主が激白。「上司に責任を押しつけられた、元首相夫人付秘書T氏のこと」 (HARBOR BUSINESS Online) - Yahoo!ニュース
アディーレ法律事務所、「てるみくらぶ」内定取り消し者受け入れ 「応募あれば選考なしで全員採用」〈dot.〉 (dot.) - Yahoo!ニュース
法律事務所の事務職として採用する予定で、債務整理など弁護士をサポートする業務を行う予定だという。
The Age of AI
選抜高校野球:「無謀なエース心中」一石を投じる機会に - 毎日新聞
日本取引所と東証が売買審査にAI適用、担当者の不公正審査を6割超削減へ - 日経BigData
女優の太もも修正? カンヌ映画祭ポスターに批判の声 写真6枚 国際ニュース:AFPBB News
左派日刊紙リベラシオン(Liberation)は「カルディナーレはたった一回転で服のサイズを落とした」と皮肉った。
「ドタキャン情報案内」の秘密グループを探せ! | 文春オンライン
大木 あとは誘われる人になれるかどうかも大事ですよね。
堀江 そうそう。金払いもマナーもよくてドタキャンもしないと信頼されて誘ってもらいやすくなります。
Hue and cry | The Economist
川島小鳥さんと、ナナロク社のこと。- ほぼ日刊イトイ新聞
日本最大級のレシピ動画メディア『DELISH KITCHEN』初のテレビCM 4月1日より全国で放映開始!|株式会社エブリーのプレスリリース
なぜ日本の「伝統工芸」は世界で売れないのか | 専門店・ブランド・消費財 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
工芸の衰退を食い止める2つの柱は、「産業革命」と「産業観光」にあります。
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findareading · 9 months
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日曜の夜も、ほかの日と同じく本を読みながら眠りに落ちた。心満たされる日曜日を過ごした夜には、一週間にもう一日くらいこんな日があったらなと思う。
— ファン・ボルム著/牧野美加訳『よう���そ、ヒュナム洞書店へ』(2023年9月Kindle版、集英社e文芸単行本)
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findareading · 28 days
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「うちさ、『人魚姫』の原作読んだんよ」 次の稽古の日、水無瀬はそう切り出した。「それでやっぱ謎だなと思うとこがあって」 そう言って、図書館のラベルの貼られた古い文庫本を机の上に放り出す。
— 川野芽生著『Blue』(2024年1月Kindle版、集英社e文芸単行本)
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findareading · 2 months
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大学院生カップルの女性の方は蕾という名前で、私が北京の観光スポットに興味を示さず、買い物ばかりしているのでやや呆れ気味の雰囲気だった。化粧っ気がなく丸い縁の眼鏡をかけた、勉強が得意そうな真面目な風貌で、二十六歳らしいが実年齢よりもっと幼く見えた。日本文学を勉強しているらしく、日本の文豪の著作を私が全然読んでないのを知ると、そこでも期待外れの顔をしていた。
— 綿矢りさ著『パッキパキ北京』(2023年12月Kindle版、集英社e文芸単行本)
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findareading · 3 years
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昨夜は、十一時頃には本を読んでいた記憶がある。アルコールは飲んだが、夜更かしをしたわけではない。むしろ、早く寝すぎた。たっぷり八時間以上眠っていたことになる。
森博嗣著『暗闇・キッス・それだけで Only the Darkness or Her Kiss』(2016年1月kindle版、集英社e文芸単行本)
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