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#露天風呂付き客室旅館
43kai0 · 3 months
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友達が旅館行ってるの見てさ、すごい楽しそうで。自然とりゃんと行きたいなーって考えてた。だって絶対楽しくない?シンプルにお家デートとかだったらもちろん分かるよ、楽しいの。美味しいご飯一緒に食べて、一緒にお風呂入って、お風呂上がりにお酒飲んで、ほろ酔いになって、寝て。あと俺露天風呂付きの客室がいい。誰も見てないところで、2人で楽しい時間を過ごしたいタイプ。考えるだけで楽しいわ。ご馳走様です、俺の脳みそ。
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onsen-trip · 3 years
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2日目の夕飯、連泊したらちゃんとメニュー1日目と変えてくれる気遣いが嬉しい。しかしお酒飲み過ぎ???
福井県あわら温泉 美松
2017年10月
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歩き疲れたので早めに温泉に浸かって
明日に備える♨️(//∇//)
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nakajimaster123 · 2 years
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⁡ 今年の夏は、気持ち的に、⁡ ⁡ 時間的に余裕がないので、⁡ ⁡ リフレッシュ休暇に選んだのは、⁡ ⁡ 近場の #那須塩原市 #塩原温泉⁡ ⁡ #四季味亭 #ふじや ♨️⁡ ⁡ ⁡ チェックイン開始の3時前に到着⁡ ⁡ 早速、誰もいない大浴場に入り、⁡ ⁡ 身体を温めてから、⁡ ⁡ 全身アロマオイルマッサージで⁡ ⁡ 全身の疲れをほぐしてもらい、⁡ ⁡ ちょっと、うたた寝😪⁡ ⁡ ⁡ 夕食前に、部屋付の露天風呂でまったり♨️⁡ ⁡ 「塩原のお湯って、こんなにツルツルだっけ」⁡ ⁡ って感じで、お湯に入ったり、出たり、⁡ ⁡ 身体の芯までリラックス♨️⁡ ⁡ ⁡ 夕食は個室の食事処で、お宿自慢料理が並び、⁡ ⁡ 栃木の地酒の飲み比べもあり、⁡ ⁡ お腹一杯で大満足🥢🈵🥴⁡ ⁡ ⁡ 部屋に戻ったら、またお風呂♨️⁡ ⁡ そのまま早々にベッドで爆睡😪💣💤⁡ ⁡ 珍しく早く寝たので、午前3時に目覚め⁡ ⁡ またまた、お風呂にドボン♨️⁡ ⁡ ⁡ それから2度寝して、シャワーを浴び🚿⁡ ⁡ だめ押しのお風呂♨️に入って⁡ ⁡ 腹ペコで朝食🥢🌄⁡ ⁡ これまた食べきれない豪華な朝食、⁡ ⁡ さすが自慢の #ふかひれ茶碗蒸し は⁡ ⁡ 絶品で今日1日頑張れる一品でした😋⁡ ⁡ ⁡ 天気の悪いリフレッシュ休暇でしたが、⁡ ⁡ 良い温泉、良い宿、良い料理があれば、⁡ ⁡ かえってユックリできて、大満足でした。⁡ ⁡ 😌♨️🍶🥢🈵😍⁡ ⁡ ⁡ ⁡ #リフレッシュ #休養⁡ #温泉 # hotspring⁡ #旅館 #ホテル #オイルマッサージ⁡ #アロマオイル #露天風呂付き客室⁡ #barber #バーバー #ヘアサロン⁡ #理容 #美容 #床屋 #石岡⁡ #ダブルライセンス #ナカジマ⁡ #スキンフェード #フェード⁡ #濡れパン #お顔そりエステ⁡ #スペインカール #ツイスパ⁡ #スパイラルパーマ⁡ ⁡ ⁡ (四季味亭ふじや) https://www.instagram.com/p/ChgpwsjOd67/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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rucachihuahua · 4 years
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【ばさら邸朝ごはん】 炭職人『大前栄一』さんの炭で 炊いたご飯、めっちゃおかわり🍚 干物もかなりゴツい 👍👍 あおさ入りのだし巻きも👍👍👍 旅館の朝ごはんはめっちゃくちゃ 食べれる🐷🐷🐷 @basaratei @photogenic_iseshima #ばさら邸 #ばさら邸貸切風呂 #汀渚 ばさら邸#ばさら米 #ばさら邸は素敵 #朝ごはん は和食 #旅館の朝ごはんは食べ過ぎる #炭職人 #炭火焼 #備長炭 #伊勢志摩備長炭 #炭で炊いたご飯美味しい #英虞湾 #賢島デート #彼女と泊まりたい #彼女と過ごす刻 #賢島 #伊勢志摩 #露天風呂付き客室 #伊勢志摩旅行 #大人旅 #フォトジェニック伊勢志摩 #贅沢な時間 #露天風呂 #猫の置き物#狸の置物 #iseshimaphoto #retrip_shima #retrip_mie #retrip_nippon (伊勢志摩 賢島温泉 汀渚 ばさら邸) https://www.instagram.com/p/CFMJLHjg_mH/?igshid=1l9fxy4rawrxk
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oniwastagram · 3 years
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📸カンデオホテルズ京都烏丸六角(旧伴家住宅)[ 京都市中京区 ] ② Candeo Hotels Kyoto Karasuma Rokkaku Garden, Kyoto ーー京都市有形文化財“伴家住宅”を活用/共存した2021年開業のホテル🛌の京町家の坪庭。“サウナミシュラン”特別賞のサウナも。 ...... 続き。そんな京町家×ビジネスホテル、京町家を残しながらだと一体どんな感じになるんだろう?と思っていたけれど。京町家そのものは宿泊棟ではなく、店舗棟がエントランス、ラウンジ&ライブラリー📚、居住棟の2階を朝食スペース&バーとして活用。居住棟の奥のスペースに客室と大浴場のある10階建てのホテル棟という構造。 . 町家の奥に意外とこんな広いスペースがあったのか、書院から眺めるこじんまりしたお庭があるけどきっとここには広い庭園があったんだろうな~。 . カンデオホテルズと言えばスカイスパ。京都烏丸六角も大浴場・サウナつき…ただし最上階のスカイスパではなく、外気浴ができる外湯。露天風呂ではなく眺望無しなのは街への配慮~折り合いという感じかな…。 . そしてサウナ界のミシュラン「SAUNACHELIN(サウナシュラン)」特別賞受賞のサウナ、ここは狭め。京都の場合、各所にある銭湯・サウナを楽しむ!という選択肢も住民としては推しだけれど、サウナ付きホテルが良いという方は京町家の雰囲気含め損はしないかも。 ・・・・・・・・ 🔗おにわさん紹介記事: https://oniwa.garden/candeo-hotels-kyoto-karasuma-rokkaku/ ーーーーーーーー #日本庭園 #庭園 #京都庭園 #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #japanesearchitecture #japanarchitecture #kyotojapan #beautifulkyoto #beautifuljapan #japanarchitect #japandesign #jardinjaponais #japanischergarten #jardinjapones #jardimjapones #kyoto #kyotohotel #京都ホテル #京都旅館 #京都サウナ #建築デザイン #そうだ京都行こう #庭院 #庭园 #京町家 #坪庭 #おにわさん (カンデオホテルズ京都烏丸六角) https://www.instagram.com/p/CagbknXPuws/?utm_medium=tumblr
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xx86 · 4 years
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こんにちは。いつも楽しく投稿見ています。名古屋〜大阪あたりに旅行を計画しています。(もちろん行ける状況になってからです)xx86さんのおすすめのホテルはどこですか?以前ホテルステイが趣味と書かれていたような記憶があり、xx86さんならではのおすすめスポット、お伺いできれば嬉しいです。(初めて行きます…ワクワク!)
わあめちゃくちゃ嬉しい質問ありがとうございます…!
何が嬉しいかって大好きな宿について質問きてもらえることが嬉しいし、わたしがいいホテルに泊まることが趣味だと覚えていてくれた事も嬉しい。
ただ本当ごめんなさいが沢山ありまして……
まずわたしは愛知県に住んでいたので、愛知~大阪間はほとんど泊まったことがない。日帰りで帰ってしまうことが多くてですね……あとわたしの旅行はいい宿に泊まるためだけに行くので立地を全く考えません。で、好みが基本的にお部屋が10部屋以下の客室露天が付いているような宿なので、ホテルよりは旅館の方にかたよります。そしてそういう宿は山の中とか海の傍にある事が多いので必然的に立地がめちゃくちゃ悪いです。そしてそして中国地方とか四国とか関東の方に本当におすすめの宿があるので、名古屋〜大阪間ならというオススメと後わたしが行きたいな〜と思ってる宿の紹介になってしまうんですが何卒……
◆愛知県
・マリオットアソシアホテル
名古屋だったらもうここ一択では無いでしょうか。JR名古屋駅直通のラグジュアリーホテルです。わたしは21歳の誕生月に自腹で泊まり、自腹でシャンパンを開けケーキを頼みました。電気もテレビも付けずに一晩中夜景をみてた。最高の時間だった。朝食ビュッフェも美味しいし、名古屋らしいものも色々置いてあります。朝食付きで1泊1人2万円ちょっとぐらいからなので意外と高くない。あと名古屋の高級ホテルだと名古屋観光ホテルという歴代天皇も泊まられた老舗のホテルもあるんですが、わたしはフロントのおばちゃんとケンカして本当にいい思い出がない。
・灯屋 迎帆楼
名古屋駅から大体電車でも車でも30分ぐらいだと思います。ここは行きたい宿なので泊まったことはないです。犬山城からすぐ近くにある、和モダンな宿。犬山城下町は結構インスタ映えスポットなので旅行としても楽しめると思います。2食付きで2名7万ちょいぐらい。
◆三重
・AUBERGE YUSURA
ここは本当に本当にすごく行きたい宿。3部屋しかないんだけど全部の部屋に露天風呂がついてる。結構スタイリッシュな感じ。2食付きで2名10万弱。伊勢神宮のほど近くなので、もう観光には全く困らないと思います。ちなみにこの宿は去年のわたしのお誕生日旅行の最終候補でした。三重はヒラマツとかアマネムとか高級ホテルも意外とある。
◆岐阜
下呂とか飛騨高山とか本当に素敵でめちゃくちゃ宿紹介したいんだけど今まで泊まって良かったなあと思う宿も泊まりたいなあと思う宿もなく…誰かオススメ教えてほしい。
◆滋賀
・セトレマリーナ びわ湖
琵琶湖がみたい。そしてハンモックに乗りたいという理由だけで、2月に泊まったら寒さでハンモックどころじゃなかった思い出の宿。気の温かみを感じるホテルです。そしてハンモックがある。朝食付きで1泊2万ぐらい。ディナーも1万でコース付けれたんだけどおいしかった。あと時間帯でシャンパンやスナックが食べ放題だった気がする……朝食はお部屋にもってきてくれたんだけどこれもまたおしゃれでぜひ体験してほしい。ちなみにわたしは琵琶湖の近くをサイクリングしたかったんだけどその日-2度とかで一緒にいった人に激しく拒否されました。リベンジしたい。
大阪京都は本当に日帰りばっかで全然泊まったことがなくオススメできなくてごめんなさい……むしろここらが本命だよね……とりあえず今関西にいるのでリッツには行きました。素敵だったけどわざわざ遠くからリッツだけのために大阪行きたいかと言われたらうーん。関西にいるうちにコンラッドにも泊まろうと思���てるけど、シティホテルってどうしても旅行の醍醐味にわたしならなくて。
全然どうでもいいんだけど沖縄のリッツのスイートにたまたま運良く泊まれた事があるんだけど、テーブルの上に置いてあった支配人からの月の挨拶が載ってるような冊子が1ヶ月前の物で急激に冷めたのを覚えています。お部屋も料理ももちろん素敵だったけど。沖縄のリッツはリッツカールトンだと思ってはいけないというのを思い出した。
少しでも参考になったら幸いです。参考になるんだろうか……
いい旅になりますように!
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ikameshi · 4 years
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今回の漢のぼっち旅は、安房小湊の温泉ホテル吉夢。写真の遠目に見えるのがそれ。徒歩なら駅から30分ほどにある。駅近くにセブンイレブン、少しあるくとローソンだが、ホテルから少しあるので、あらかじめ買ってから行くのが吉かと。途中にホテル三日月がある。行ったことねーけど、ファミリーならこっちの方が楽しいかも。玄関の自動ドア前でたってたらカメラで自動検温。受付は丁寧。
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部屋からの景色。一人客は別館の洋室。階段使いの二階だけど、部屋はキレイでユニットバス付き。夕暮れの景色が一番かな。夜になるとアクアラインがライトアップして見えるように。
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料理は結構旨い。物足りない場合はステーキとかの肉を追加が良いかも。燗酒は一合650でホテル価格にしてはリーズナブル。
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温泉は9階の屋内大浴場と10階の露天風呂。男女入れ替え制で19時から30分は清掃。露天風呂は23時、屋内は24時までで、翌5時から再開。小さいサウナがある。
男性は、19時までの方は屋内大浴場から直接階段であがれるが、入れ替え後は一度出てからエレベーターで移動。そっちの脱衣場は吹きさらしなので、寒いとしんどそう。
露天は岩風呂と普通ので、岩風呂は温度低め。普通のは温度高めで、割りと深めなので、普通に座って肩まで浸かるので好み。透明で硫黄臭とかはないです。飲用不適だそうで。
設備はカラオケボックスと食事所があるが、コロナの影響でカラオケボックスのみ営業。密な気がするけど、ファミリー単位貸しなんで。
売店は21時まで。地元のビールがあった。アンバーエールとペールエール。アンバーはかなり麦の香り強めで、にがあまな味。ペールエールはアンバーより若干主張をマイルドにした感じ。麦をアピールしたいんやろね。
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全席禁煙、1~3階に喫煙所。時代やからね。wifiはあるけど、別館は電波入り辛い。期待しないように。
天候やコロナで周辺観光は断念。晴れてれば誕生寺とか生きたかったし、目を付けてた飯屋はコロナで休業。未練を残すくらいの方が次回のモチベーションに繋がるということで。コロナが落ち着いたら再訪かもね。
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shunsukessk · 4 years
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あるいは永遠の未来都市(東雲キャナルコートCODAN生活記)
 都市について語るのは難しい。同様に、自宅や仕事場について語るのも難しい。それを語ることができるのは、おそらく、その中にいながら常にはじき出されている人間か、実際にそこから出てしまった人間だけだろう。わたしにはできるだろうか?  まず、自宅から徒歩三秒のアトリエに移動しよう。北側のカーテンを開けて、掃き出し窓と鉄格子の向こうに団地とタワーマンション、彼方の青空に聳える東京スカイツリーの姿を認める。次に東側の白い引き戸を一枚、二枚とスライドしていき、団地とタワーマンションの窓が反射した陽光がテラスとアトリエを優しく温めるのをじっくりと待つ。その間、テラスに置かれた黒竹がかすかに揺れているのを眺める。外から共用廊下に向かって、つまり左から右へさらさらと葉が靡く。一枚の枯れた葉が宙に舞う。お前、とわたしは念じる。お前、お隣さんには行くんじゃないぞ。このテラスは、腰よりも低いフェンスによってお隣さんのテラスと接しているのだ。それだけでなく、共用廊下とも接している。エレベーターへと急ぐ人の背中が見える。枯れ葉はテラスと共用廊下との境目に設置されたベンチの上に落ちた。わたしは今日の風の強さを知る。アトリエはまだ温まらない。  徒歩三秒の自宅に戻ろう。リビング・ダイニングのカーテンを開けると、北に向いた壁の一面に「田」の形をしたアルミ製のフレームが現れる。窓はわたしの背より高く、広げた両手より大きかった。真下にはウッドデッキを設えた人工地盤の中庭があって、それを取り囲むように高層の住棟が建ち並び、さらにその外周にタワーマンションが林立している。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。そのちょうど境目に、まるで空に落書きをしようとする鉛筆のように東京スカイツリーが伸びている。  ここから望む風景の中にわたしは何かしらを発見する。たとえば、斜め向かいの部屋の窓に無数の小さな写真が踊っている。その下の鉄格子つきのベランダに男が出てきて、パジャマ姿のままたばこを吸い始める。最上階の渡り廊下では若い男が三脚を据えて西側の風景を撮影している。今日は富士山とレインボーブ��ッジが綺麗に見えるに違いない。その二つ下の渡り廊下を右から左に、つまり一二号棟から一一号棟���向かって黒いコートの男が横切り、さらに一つ下の渡り廊下を、今度は左から右に向かって若い母親と黄色い帽子の息子が横切っていく。タワーマンションの間を抜けてきた陽光が数百の窓に当たって輝く。たばこを吸っていた男がいつの間にか部屋に戻ってワイシャツにネクタイ姿になっている。六階部分にある共用のテラスでは赤いダウンジャケットの男が外を眺めながら電話をかけている。地上ではフォーマルな洋服に身を包んだ人々が左から右に向かって流れていて、ウッドデッキの上では老婦が杖をついて……いくらでも観察と発見は可能だ。けれども、それを書き留めることはしない。ただ新しい出来事が無数に生成していることを確認するだけだ。世界は死んでいないし、今日の都市は昨日の都市とは異なる何ものかに変化しつつあると認識する。こうして仕事をする準備が整う。
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 東雲キャナルコートCODAN一一号棟に越してきたのは今から四年前だった。内陸部より体感温度が二度ほど低いな、というのが東雲に来て初めに思ったことだ。この土地は海と運河と高速道路に囲まれていて、物流倉庫とバスの車庫とオートバックスがひしめく都市のバックヤードだった。東雲キャナルコートと呼ばれるエリアはその名のとおり運河沿いにある。ただし、東雲運河に沿っているのではなく、辰巳運河に沿っているのだった。かつては三菱製鋼の工場だったと聞いたが、今ではその名残はない。東雲キャナルコートが擁するのは、三千戸の賃貸住宅と三千戸の分譲住宅、大型のイオン、児童・高齢者施設、警察庁などが入る合同庁舎、辰巳運河沿いの区立公園で、エリアの中央部分に都市基盤整備公団(現・都市再生機構/UR)が計画した高層板状の集合住宅群が並ぶ。中央部分は六街区に分けられ、それぞれ著名な建築家が設計者として割り当てられた。そのうち、もっとも南側に位置する一街区は山本理顕による設計で、L字型に連なる一一号棟と一二号棟が中庭を囲むようにして建ち、やや小ぶりの一三号棟が島のように浮かんでいる。この一街区は二〇〇三年七月に竣工した。それから一三年後の二〇一六年五月一四日、わたしと妻は二人で一一号棟の一三階に越してきた。四年の歳月が流れてその部屋を出ることになったとき、わたしはあの限りない循環について思い出していた。
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 アトリエに戻るとそこは既に温まっている。さあ、仕事を始めよう。ものを書くのがわたしの仕事だった。だからまずMacを立ち上げ、テキストエディタかワードを開く。さっきリビング・ダイニングで行った準備運動によって既に意識は覚醒している。ただし、その日の頭とからだのコンディションによってはすぐに書き始められないこともある。そういった場合はアトリエの東側に面したテラスに一時的に避難してもよい。  掃き出し窓を開けてサンダルを履く。黒竹の鉢に水を入れてやる。近くの部屋の原状回復工事に来たと思しき作業服姿の男がこんちは、と挨拶をしてくる。挨拶を返す。お隣さんのテラスにはベビーカーとキックボード、それに傘が四本置かれている。テラスに面した三枚の引き戸はぴったりと閉められている。緑色のボーダー柄があしらわれた、目隠しと防犯を兼ねた白い戸。この戸が開かれることはほとんどなかった。わたしのアトリエや共用廊下から部屋の中が丸見えになってしまうからだ。こちらも条件は同じだが、わたしはアトリエとして使っているので開けているわけだ。とはいえ、お隣さんが戸を開けたときにあまり中を見てしまうと気まずいので、二年前に豊洲のホームセンターで見つけた黒竹を置いた。共用廊下から外側に向かって風が吹いていて、葉が光を食らうように靡いている。この住棟にはところどころに大穴が空いているのでこういうことが起きる。つまり、風向きが反転するのだった。  通風と採光のために設けられた空洞、それがこのテラスだった。ここから東雲キャナルコートCODANのほぼ全体が見渡せる。だが、もう特に集中して観察したりしない。隈研吾が設計した三街区の住棟に陽光が当たっていて、ベランダで父子が日光浴をしていようが、島のような一三号棟の屋上に設置されたソーラーパネルが紺碧に輝いていて、その傍の芝生に二羽の鳩が舞い降りてこようが、伊東豊雄が設計した二街区の住棟で影がゆらめいて、テラスに出てきた老爺が異様にうまいフラフープを披露しようが、気に留めない。アトリエに戻ってどういうふうに書くか、それだけを考える。だから、目の前のすべてはバックグラウンド・スケープと化す。ただし、ここに広がるのは上質なそれだった。たとえば、ここにはさまざまな匂いが漂ってきた。雨が降った次の日には海の匂いがした。東京湾の匂いだが、それはいつも微妙に違っていた。同じ匂いはない。生成される現実に呼応して新しい文字の組み合わせが発生する。アトリエに戻ろう。
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 わたしはここで、広島の中心部に建つ巨大な公営住宅、横川という街に形成された魅力的な高架下商店街、シンガポールのベイサイドに屹立するリトル・タイランド、ソウルの中心部を一キロメートルにわたって貫く線状の建築物などについて書いてきた。既に世に出たものもあるし、今から出るものもあるし、たぶん永遠にMacの中に封じ込められると思われるものもある。いずれにせよ、考えてきたことのコアはひとつで、なぜ人は集まって生きるのか、ということだった。  人間の高密度な集合体、つまり都市は、なぜ人類にとって必要なのか?  そしてこの先、都市と人類はいかなる進化を遂げるのか?  あるいは都市は既に死んだ?  人類はかつて都市だった廃墟の上をさまよい続ける?  このアトリエはそういうことを考えるのに最適だった。この一街区そのものが新しい都市をつくるように設計されていたからだ。  実際、ここに来てから、思考のプロセスが根本的に変わった。ここに来るまでの朝の日課といえば、とにかく怒りの炎を燃やすことだった。閉じられた小さなワンルームの中で、自分が外側から遮断され、都市の中にいるにもかかわらず隔離状態にあることに怒り、その怒りを炎上させることで思考を開いた。穴蔵から出ようともがくように。息苦しくて、ひとりで部屋の中で暴れたし、壁や床に穴を開けようと試みることもあった。客観的に見るとかなりやばい奴だったに違いない。けれども、こうした循環は一生続くのだと、当時のわたしは信じて疑わなかった。都市はそもそも息苦しい場所なのだと、そう信じていたのだ。だが、ここに来てからは息苦しさを感じることはなくなった。怒りの炎を燃やす朝の日課は、カーテンを開け、その向こうを観察するあの循環へと置き換えられた。では、怒りは消滅したのか?
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 白く光沢のあるアトリエの床タイルに青空が輝いている。ここにはこの街の上半分がリアルタイムで描き出される。床の隅にはプロジェクトごとに振り分けられた資料の箱が積まれていて、剥き出しの灰色の柱に沿って山積みの本と額に入ったいくつかの写真や絵が並んでいる。デスクは東向きの掃き出し窓の傍に置かれていて、ここからテラスの半分と共用廊下、それに斜向かいの部屋の玄関が見える。このアトリエは空中につくられた庭と道に面しているのだった。斜向かいの玄関ドアには透明のガラスが使用されていて、中の様子が透けて見える。靴を履く住人の姿がガラス越しに浮かんでいる。視線をアトリエ内に戻そう。このアトリエは専用の玄関を有していた。玄関ドアは斜向かいの部屋のそれと異なり、全面が白く塗装された鉄扉だった。玄関の脇にある木製のドアを開けると、そこは既に徒歩三秒の自宅だ。まずキッチンがあって、奥にリビング・ダイニングがあり、その先に自宅用の玄関ドアがあった。だから、このアトリエは自宅と繋がってもいるが、独立してもいた。  午後になると仕事仲間や友人がこのアトリエを訪ねてくることがある。アトリエの玄関から入ってもらってもいいし、共用廊下からテラス経由でアトリエに招き入れてもよい。いずれにせよ、共用廊下からすぐに仕事場に入ることができるので効率的だ。打ち合わせをする場合にはテーブルと椅子をセッティングする。ここでの打ち合わせはいつも妙に捗った。自宅と都市の両方に隣接し、同時に独立してもいるこのアトリエの雰囲気は、最小のものと最大のものとを同時に掴み取るための刺激に満ちている。いくつかの重要なアイデアがここで産み落とされた。議論が白熱し、日が暮れると、徒歩三秒の自宅で妻が用意してくれた料理を囲んだり、東雲の鉄鋼団地に出かけて闇の中にぼうっと浮かぶ屋台で打ち上げを敢行したりした。  こうしてあの循環は完成したかに見えた。わたしはこうして都市への怒りを反転させ都市とともに歩み始めた、と結論づけられそうだった。お前はついに穴蔵から出たのだ、と。本当にそうだろうか?  都市の穴蔵とはそんなに浅いものだったのか?
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 いやぁ、  未来都市ですね、
 ある編集者がこのアトリエでそう言ったことを思い出す。それは決して消えない残響のようにアトリエの中にこだまする。ある濃密な打ち合わせが一段落したあと、おそらくはほとんど無意識に発された言葉だった。  未来都市?  だってこんなの、見たことないですよ。  ああ、そうかもね、とわたしが返して、その会話は流れた。だが、わたしはどこか引っかかっていた。若く鋭い編集者が発した言葉だったから、余計に。未来都市?  ここは現在なのに?  ちょうどそのころ、続けて示唆的な出来事があった。地上に降り、一三号棟の脇の通路を歩いていたときのことだ。団地内の案内図を兼ねたスツールの上に、ピーテル・ブリューゲルの画集が広げられていたのだった。なぜブリューゲルとわかったかといえば、開かれていたページが「バベルの塔」だったからだ。ウィーンの美術史美術館所蔵のものではなく、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵の作品で、天に昇る茶褐色の塔がアクリル製のスツールの上で異様なオーラを放っていた。その画集はしばらくそこにあって、ある日ふいになくなったかと思うと、数日後にまた同じように置かれていた。まるで「もっとよく見ろ」と言わんばかりに。
 おい、お前。このあいだは軽くスルーしただろう。もっとよく見ろ。
 わたしは近寄ってその絵を見た。新しい地面を積み重ねるようにして伸びていく塔。その上には無数の人々の蠢きがあった。塔の建設に従事する労働者たちだった。既に雲の高さに届いた塔はさらに先へと工事が進んでいて、先端部分は焼きたての新しい煉瓦で真っ赤に染まっている。未来都市だな、これは、と思う。それは天地が創造され、原初の人類が文明を築きつつある時代のことだった。その地では人々はひとつの民で、同じ言葉を話していた。だが、人々が天に届くほどの塔をつくろうとしていたそのとき、神は全地の言葉を乱し、人を全地に散らされたのだった。ただし、塔は破壊されたわけではなかった。少なくとも『創世記』にはそのような記述はない。だから、バベルの塔は今なお未来都市であり続けている。決して完成することがないから未来都市なのだ。世界は変わったが、バベルは永遠の未来都市として存在し続ける。
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 ようやく気づいたか。  ああ。  それで?  おれは永遠の未来都市をさまよう亡霊だと?  どうかな、  本当は都市なんか存在しないのか?  どうかな、  すべては幻想だった?  そうだな、  どっちなんだ。  まあ結論を急ぐなよ。  おれはさっさと結論を出して原稿を書かなきゃならないんだよ。  知ってる、だから急ぐなと言ったんだ。  あんたは誰なんだ。  まあ息抜きに歩いてこいよ。  息抜き?  いつもやっているだろう。あの循環だよ。  ああ、わかった……。いや、ちょっと待ってくれ。先に腹ごしらえだ。
 もう昼を過ぎて久しいんだな、と鉄格子越しの風景を一瞥して気づく。陽光は人工地盤上の芝生と一本木を通過して一三号棟の廊下を照らし始めていた。タワーマンションをかすめて赤色のヘリコプターが東へと飛んでいき、青空に白線を引きながら飛行機が西へと進む。もちろん、時間を忘れて書くのは悪いことではない。だが、無理をしすぎるとあとになって深刻な不調に見舞われることになる。だから徒歩三秒の自宅に移動しよう。  キッチンの明かりをつける。ここには陽光が入ってこない。窓側に風呂場とトイレがあるからだ。キッチンの背後に洗面所へと続くドアがある。それを開けると陽光が降り注ぐ。風呂場に入った光が透明なドアを通過して洗面所へと至るのだった。洗面台で手を洗い、鏡に目を向けると、風呂場と窓のサッシと鉄格子と団地とスカイツリーが万華鏡のように複雑な模様を見せる。手を拭いたら、キッチンに戻って冷蔵庫を開け、中を眺める。食材は豊富だった。そのうちの九五パーセントはここから徒歩五分のイオンで仕入れた。で、遅めの昼食はどうする?  豚バラとキャベツで回鍋肉にしてもいいが、飯を炊くのに時間がかかる。そうだな……、カルボナーラでいこう。鍋に湯を沸かして塩を入れ、パスタを茹でる。ベーコンと玉葱、にんにくを刻んでオリーブオイルで炒める。それをボウルに入れ、パルメザンチーズと生卵も加え、茹で上がったパスタを投入する。オリーブオイルとたっぷりの黒胡椒とともにすべてを混ぜ合わせれば、カルボナーラは完成する。もっとも手順の少ない料理のひとつだった。文字の世界に没頭しているときは簡単な料理のほうがいい。逆に、どうにも集中できない日は、複雑な料理に取り組んで思考回路を開くとよい。まあ、何をやっても駄目な日もあるのだが。  リビング・ダイニングの窓際に置かれたテーブルでカルボナーラを食べながら、散歩の計画を練る。籠もって原稿を書く日はできるだけ歩く時間を取るようにしていた。あまり動かないと頭も指先も鈍るからだ。走ってもいいのだが、そこそこ気合いを入れなければならないし、何よりも風景がよく見えない。だから、平均して一時間、長いときで二時間程度の散歩をするのが午後の日課になっていた。たとえば、辰巳運河沿いを南下しながら首都高の高架と森と物流倉庫群を眺めてもいいし、辰巳運河を越えて辰巳団地の中を通り、辰巳の森海浜公園まで行ってもよい。あるいは有明から東雲運河を越えて豊洲市場あたりに出てもいいし、そこからさらに晴海運河を越えて晴海第一公園まで足を伸ばし、日本住宅公団が手がけた最初の高層アパートの跡地に巡礼する手もある。だが、わたしにとってもっとも重要なのは、この東雲キャナルコートCODAN一街区をめぐるルートだった。つまり、空中に張りめぐらされた道を歩いて、東京湾岸のタブラ・ラサに立ち上がった新都市を内側から体感するのだ。  と、このように書くと、何か劇的な旅が想像されるかもしれない。アトリエや事務所、さらにはギャラリーのようなものが住棟内に点在していて、まさに都市を立体化したような人々の躍動が見られると思うかもしれない。生活と仕事が混在した活動が積み重なり、文化と言えるようなものすら発生しつつあるかもしれないと、期待を抱くかもしれない。少なくともわたしはそうだった。実際にここに来るまでは。さて、靴を履いてアトリエの玄関ドアを開けよう。
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 それは二つの世界をめぐる旅だ。一方にここに埋め込まれたはずの思想があり、他方には生成する現実があった。二つの世界は常に並行して存在する。だが、実際に見えているのは現実のほうだけだし、歴史は二つの世界の存在を許さない。とはいえ、わたしが最初に遭遇したのは見えない世界のほうだった。その世界では、実際に都市がひとつの建築として立ち上がっていた。ただ家が集積されただけでなく、その中に住みながら働いたり、ショールームやギャラリーを開設したりすることができて、さまざまな形で人と人とが接続されていた。全体の半数近くを占める透明な玄関ドアの向こうに談笑する人の姿が見え、共用廊下に向かって開かれたテラスで人々は語り合っていた。テラスに向かって設けられた大きな掃き出し窓には、子どもたちが遊ぶ姿や、趣味のコレクション、打ち合わせをする人と人、アトリエと作品群などが浮かんでいた。それはもはや集合住宅ではなかった。都市で発生する多様で複雑な活動をそのまま受け入れる文化保全地区だった。ゾーニングによって分断された都市の攪拌装置であり、過剰な接続の果てに衰退期を迎えた人類の新・進化論でもあった。  なあ、そうだろう?  応答はない。静かな空中の散歩道だけがある。わたしのアトリエに隣接するテラスとお隣さんのテラスを通り過ぎると、やや薄暗い内廊下のゾーンに入る。日が暮れるまでは照明が半分しか点灯しないので光がいくらか不足するのだった。透明な玄関ドアがあり、その傍の壁に廣村正彰によってデザインされたボーダー柄と部屋番号の表示がある。ボーダー柄は階ごとに色が異なっていて、この一三階は緑だった。少し歩くと右側にエレベーターホールが現れる。外との境界線上にはめ込まれたパンチングメタルから風が吹き込んできて、ぴゅうぴゅうと騒ぐ。普段はここでエレベーターに乗り込むのだが、今日は通り過ぎよう。廊下の両側に玄関と緑色のボーダー柄が点々と続いている。左右に四つの透明な玄関ドアが連なったあと、二つの白く塗装された鉄扉がある。透明な玄関ドアの向こうは見えない。カーテンやブラインドや黒いフィルムによって塞がれているからだ。でも陰鬱な気分になる必要はない。間もなく左右に光が満ちてくる。  コモンテラスと名づけられた空洞のひとつに出た。二階分の大穴が南側と北側に空いていて、共用廊下とテラスとを仕切るフェンスはなく、住民に開放されていた。コモンテラスは住棟内にいくつか存在するが、ここはその中でも最大だ。一四階の高さが通常の一・五倍ほどあるので、一三階と合わせて計二・五階分の空洞になっているのだ。それはさながら、天空の劇場だった。南側には巨大な長方形によって縁取られた東京湾の風景がある。左右と真ん中に計三棟のタワーマンションが陣取り、そのあいだで辰巳運河の水が東京湾に注ぎ、東京ゲートブリッジの橋脚と出会って、「海の森」と名づけられた人工島の縁でしぶきを上げる様が見える。天気のいい日には対岸に広がる千葉の工業地帯とその先の山々まで望むことができた。海から来た風がこのコモンテラスを通過し、東京の内側へと抜けていく。北側にその風景が広がる。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。タワーマンションの陰に隠れて東京スカイツリーは確認できないが、豊洲のビル群が団地の上から頭を覗かせている。眼下にはこの団地を南北に貫くS字アベニューが伸び、一街区と二街区の人工地盤を繋ぐブリッジが横切っていて、長谷川浩己率いるオンサイト計画設計事務所によるランドスケープ・デザインの骨格が見て取れる。  さあ、公演が始まる。コモンテラスの中心に灰色の巨大な柱が伸びている。一三階の共用廊下の上に一四階の共用廊下が浮かんでいる。ガラス製のパネルには「CODAN  Shinonome」の文字が刻まれている。この空間の両側に、六つの部屋が立体的に配置されている。半分は一三階に属し、残りの半分は一四階に属しているのだった。したがって、壁にあしらわれたボーダー柄は緑から青へと遷移する。その色は、掃き出し窓の向こうに設えられた目隠しと防犯を兼ねた引き戸にも連続している。そう、六つの部屋はこのコモンテラスに向かって大きく開くことができた。少なくとも設計上は。引き戸を全開にすれば、六つの部屋の中身がすべて露わになる。それらの部屋の住人たちは観客なのではない。この劇場で物語を紡ぎ出す主役たちなのだった。両サイドに見える美しい風景もここではただの背景にすぎない。近田玲子によって計画された照明がこの空間そのものを照らすように上向きに取り付けられている。ただし、今はまだ点灯していない。わたしはたったひとりで幕が上がるのを待っている。だが、動きはない。戸は厳重に閉じられるか、採光のために数センチだけ開いているかだ。ひとつだけ開かれている戸があるが、レースカーテンで視界が完全に遮られ、窓際にはいくつかの段ボールと紙袋が無造作に積まれていた。風がこのコモンテラスを素通りしていく。
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 ほら、  幕は上がらないだろう、  お前はわかっていたはずだ、ここでは人と出会うことがないと。横浜のことを思い出してみろ。お前はかつて横浜の湾岸に住んでいた。住宅と事務所と店舗が街の中に混在し、近所の雑居ビルやカフェスペースで毎日のように文化的なイベントが催されていて、お前はよくそういうところにふらっと行っていた。で、いくつかの重要な出会いを経験した。つけ加えるなら、そのあたりは山本理顕設計工場の所在地でもあった。だから、東雲に移るとき、お前はそういうものが垂直に立ち上がる様を思い描いていただろう。だが、どうだ?  あのアトリエと自宅は東京の空中にぽつんと浮かんでいるのではないか?  それも悪くない、とお前は言うかもしれない。物書きには都市の孤独な拠点が必要だったのだ、と。多くの人に会って濃密な取材をこなしたあと、ふと自分自身に戻ることができるアトリエを欲していたのだ、と。所詮自分は穴蔵の住人だし、たまに訪ねてくる仕事仲間や友人もいなくはない、と。実際、お前はここではマイノリティだった。ここの住民の大半は幼い子どもを連れた核家族だったし、大人たちのほとんどはこの住棟の外に職場があった。もちろん、二階のウッドデッキ沿いを中心にいくつかの仕事場は存在した。不動産屋、建築家や写真家のアトリエ、ネットショップのオフィス、アメリカのコンサルティング会社の連絡事務所、いくつかの謎の会社、秘かに行われている英会話教室や料理教室、かつては違法民泊らしきものもあった。だが、それもかすかな蠢きにすぎなかった。ほとんどの住民の仕事はどこか別の場所で行われていて、この一街区には活動が積み重ねられず、したがって文化は育たなかったのだ。周囲の住人は頻繁に入れ替わって、コミュニケーションも生まれなかった。お前のアトリエと自宅のまわりにある五軒のうち四軒の住人が、この四年間で入れ替わったのだった。隣人が去ったことにしばらく気づかないことすらあった。何週間か経って新しい住人が入り、透明な玄関ドアが黒い布で塞がれ、テラスに向いた戸が閉じられていくのを、お前は満足して見ていたか?  胸を抉られるような気持ちだったはずだ。  そうした状況にもかかわらず、お前はこの一街区を愛した。家というものにこれほどの帰属意識を持ったことはこれ���でになかったはずだ。遠くの街から戻り、暗闇に浮かぶ格子状の光を見たとき、心底ほっとしたし、帰ってきたんだな、と感じただろう。なぜお前はこの一街区を愛したのか?  もちろん、第一には妻との生活が充実したものだったことが挙げられる。そもそも、ここに住むことを提案したのは妻のほうだった。四年前の春だ。「家で仕事をするんだったらここがいいんじゃない?」とお前の妻はあの奇妙な間取りが載った図面を示した。だから、お前が恵まれた環境にいたことは指摘されなければならない。だが、第二に挙げるべきはお前の本性だ。つまり、お前は現実のみに生きているのではない。お前の頭の中には常に想像の世界がある。そのレイヤーを現実に重ねることでようやく生きている。だから、お前はあのアトリエから見える現実に落胆しながら、この都市のような構造体の可能性を想像し続けた。簡単に言えば、この一街区はお前の想像力を搔き立てたのだ。  では、お前は想像の世界に満足したか?  そうではなかった。想像すればするほどに現実との溝は大きく深くなっていった。しばらく想像の世界にいたお前は、どこまでが現実だったのか見失いつつあるだろう。それはとても危険なことだ。だから確認しよう。お前が住む東雲キャナルコートCODAN一街区には四二〇戸の住宅があるが、それはかつて日本住宅公団であり、住宅・都市整備公団であり、都市基盤整備公団であって、今の独立行政法人都市再生機構、つまりURが供給してきた一五〇万戸以上の住宅の中でも特異なものだった。お前が言うようにそれは都市を構築することが目指された。ところが、そこには公団の亡霊としか言い表しようのない矛盾が内包されていた。たとえば、当時の都市基盤整備公団は四二〇戸のうちの三七八戸を一般の住宅にしようとした。だが、設計者の山本理顕は表面上はそれに応じながら、実際には大半の住戸にアトリエや事務所やギャラリーを実装できる仕掛けを忍ばせたのだ。玄関や壁は透明で、仕事場にできる開放的なスペースが用意された。間取りはありとあらゆる活動を受け入れるべく多種多様で、メゾネットやアネックスつきの部屋も存在した。で、実際にそれは東雲の地に建った。それは現実のものとなったのだった。だが、実はここで世界が分岐した。公団およびのちのURは、例の三七八戸を結局、一般の住宅として貸し出した。したがって大半の住戸では、アトリエはまだしも、事務所やギャラリーは現実的に不可だった。ほかに「在宅ワーク型住宅」と呼ばれる部屋が三二戸あるが、不特定多数が出入りしたり、従業員を雇って行ったりする業務は不可とされたし、そもそも、家で仕事をしない人が普通に借りることもできた。残るは「SOHO住宅」だ。これは確かに事務所やギャラリーとして使うことができる部屋だが、ウッドデッキ沿いの一〇戸にすぎなかった。  結果、この一街区は集合住宅へと回帰した。これがお前の立っている現実だ。都市として運営されていないのだから、都市にならないのは当然の帰結だ。もちろん、ゲリラ的に別の使い方をすることは可能だろう。ここにはそういう人間たちも確かにいる。お前も含めて。だが、お前はもうすぐここから去るのだろう?  こうしてまたひとり、都市を望む者が消えていく。二つの世界はさらに乖離する。まあ、ここではよくあることだ。ブリューゲルの「バベルの塔」、あの絵の中にお前の姿を認めることはできなくなる。  とはいえ、心配は無用だ。誰もそのことに気づかないから。おれだけがそれを知っている。おれは別の場所からそれを見ている。ここでは、永遠の未来都市は循環を脱して都市へと移行した。いずれにせよ、お前が立つ現実とは別世界の話だがな。
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 実際、人には出会わなかった。一四階から二階へ、階段を使ってすべてのフロアを歩いたが、誰とも顔を合わせることはなかった。その間、ずっとあの声が頭の中に響いていた。うるさいな、せっかくひとりで静かに散歩しているのに、と文句を言おうかとも考えたが、やめた。あの声の正体はわからない。どのようにして聞こえているのかもはっきりしない。ただ、ふと何かを諦めようとしたとき、周波数が突然合うような感じで、周囲の雑音が消え、かわりにあの声が聞こえてくる。こちらが応答すれば会話ができるが、黙っていると勝手に喋って、勝手に切り上げてしまう。あまり考えたくなかったことを矢継ぎ早に投げかけてくるので、面倒なときもあるが、重要なヒントをくれもするのだ。  あの声が聞こえていることを除くと、いつもの散歩道だった。まず一三階のコモンテラスの脇にある階段で一四階に上り、一一号棟の共用廊下を東から西へ一直線に歩き、右折して一〇メートルほどの渡り廊下を辿り、一二号棟に到達する。南から北へ一二号棟を踏破すると、エレベーターホールの脇にある階段で一三階に下り、あらためて一三階の共用廊下を歩く。以下同様に、二階まで辿っていく。その間、各階の壁にあしらわれたボーダー柄は青、緑、黄緑、黄、橙、赤、紫、青、緑、黄緑、黄、橙、赤と遷移する。二階に到達したら、人工地盤上のウッドデッキをめぐりながら島のように浮かぶ一三号棟へと移動する。その際、人工地盤に空いた長方形の穴から、地上レベルの駐車場や学童クラブ、子ども写真館の様子が目に入る。一三号棟は一〇階建てで共用廊下も短いので踏破するのにそれほど時間はかからない。二階には集会所があり、住宅は三階から始まる。橙、黄、黄緑、緑、青、紫、赤、橙。  この旅では風景がさまざまに変化する。フロアごとにあしらわれた色については既に述べた。ほかにも、二〇〇もの透明な玄関ドアが住人の個性を露わにする。たとえば、入ってすぐのところに大きなテーブルが置かれた部屋。子どもがつくったと思しき切り絵と人気ユーチューバーのステッカーが浮かぶ部屋。玄関に置かれた飾り棚に仏像や陶器が並べられた部屋。家の一部が透けて見える。とはいえ、透明な玄関ドアの四割近くは完全に閉じられている。ただし、そのやり方にも個性は現れる。たとえば、白い紙で雑に塞がれた玄関ドア。一面が英字新聞で覆われた玄関ドア。鏡面シートが一分の隙もなく貼りつけられた玄関ドア。そうした玄関ドアが共用廊下の両側に現れては消えていく。ときどき、外に向かって開かれた空洞に出会う。この一街区には東西南北に合わせて三六の空洞がある。そのうち、隣接する住戸が占有する空洞はプライベートテラスと呼ばれる。わたしのアトリエに面したテラスがそれだ。部屋からテラスに向かって戸を開くことができるが、ほとんどの戸は閉じられたうえ、テラスは物置になっている。たとえば、山のような箱。不要になった椅子やテーブル。何かを覆う青いビニールシート。その先に広がるこの団地の風景はどこか殺伐としている。一方、共用廊下の両側に広がる空洞、つまりコモンテラスには物が置かれることはないが、テラスに面したほとんどの戸はやはり、閉じられている。ただし、閉じられたボーダー柄の戸とガラスとの間に、その部屋の個性を示すものが置かれることがある。たとえば、黄緑色のボーダー柄を背景としたいくつかの油絵。黄色のボーダー柄の海を漂う古代の船の模型。橙色のボーダー柄と調和する黄色いサーフボードと高波を警告する看板のレプリカ。何かが始まりそうな予感はある。今にも幕が上がりそうな。だが、コモンテラスはいつも無言だった。ある柱の側面にこう書かれている。「コモンテラスで騒ぐこと禁止」と。なるほど、無言でいなければならないわけか。都市として運営されていない、とあの声は言った。  長いあいだ、わたしはこの一街区をさまよっていた。街区の外には出なかった。そろそろアトリエに戻らないとな、と思いながら歩き続けた。その距離と時間は日課の域をとうに超えていて、あの循環を逸脱しつつあった。アトリエに戻ったら、わたしはこのことについて書くだろう。今や、すべての風景は書き留められる。見過ごされてきたものの言語化が行われる。そうしたものが、気の遠くなるほど長いあいだ、連綿と積み重ねられなければ、文化は発生しない。ほら、見えるだろう?  一一号棟と一二号棟とを繋ぐ渡り廊下の上から、東京都心の風景が確認できる。東雲運河の向こうに豊洲市場とレインボーブリッジがあり、遥か遠くに真っ赤に染まった富士山があって、そのあいだの土地に超高層ビルがびっしりと生えている。都市は、瀕死だった。炎は上がっていないが、息も絶え絶えだった。密集すればするほど人々は分断されるのだ。
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 まあいい。そろそろ帰ろう。陽光は地平線の彼方へと姿を消し、かわりに闇が、濃紺から黒へと変化を遂げながらこの街に降りた。もうじき妻が都心の職場から戻るだろう。今日は有楽町のもつ鍋屋で持ち帰りのセットを買ってきてくれるはずだ。有楽町線の有楽町駅から辰巳駅まで地下鉄で移動し、辰巳桜橋を渡ってここまでたどり着く。それまでに締めに投入する飯を炊いておきたい。  わたしは一二号棟一二階のコモンテラスにいる。ここから右斜め先に一一号棟の北側の面が見える。コンクリートで縁取られた四角形が規則正しく並び、ところどころに色とりどりの空洞が光を放っている。緑と青に光る空洞がわたしのアトリエの左隣にあり、黄と黄緑に光る空洞がわたしの自宅のリビング・ダイニングおよびベッドルームの真下にある。家々の窓がひとつ、ひとつと、琥珀色に輝き始めた。そのときだ。わたしのアトリエの明かりが点灯した。妻ではなかった。まだ妻が戻る時間ではないし、そもそも妻は自宅用の玄関ドアから戻る。闇の中に、机とそこに座る人の姿が浮かんでいる。鉄格子とガラス越しだからはっきりしないが、たぶん……男だ。男は机に向かって何かを書いているらしい。テラスから身を乗り出してそれを見る。それは、わたしだった。いつものアトリエで文章を書くわたしだ。だが、何かが違っている。男の手元にはMacがなかった。机の上にあるのは原稿用紙だった。男はそこに万年筆で文字を書き入れ、原稿の束が次々と積み上げられていく。それでわたしは悟った。
 あんたは、もうひとつの世界にいるんだな。  どうかな、  で、さまざまに見逃されてきたものを書き連ねてきたんだろう?  そうだな。
 もうひとりのわたしは立ち上がって、掃き出し窓の近くに寄り、コモンテラスの縁にいるこのわたしに向かって右手を振ってみせた。こっちへ来いよ、と言っているのか、もう行けよ、と言っているのか、どちらとも取れるような、妙に間の抜けた仕草で。
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apricot-manager · 2 years
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箱根小涌園 三河屋旅館 招待を抽選で3組6名様にプレゼント
■ 応募サイト: 朝日マリオン.コム ■ 締切:2022年09月12日 ■ 抽選:3組6名様 箱根小涌園 三河屋旅館 招待を抽選で3組6名様にプレゼントいたします。 孫文や竹久夢二ら文人墨客が訪れた老舗。 露天風呂付きの客室で自家源泉の温泉を満喫。 四季折々の景色が楽しめる中庭も。 応募はこちら
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onsen-trip · 3 years
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夕ご飯
福井県あわら温泉 美松
2017年6月
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touristsns · 2 years
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夏の飛騨高山なら宇津江四十八滝散策、泊まりは奥座敷「八ツ三館」(やつさん)
紅葉の名所ですが夏が狙いめ。川沿いの遊歩道は予想に反してキツイです。途中で諦めて引っ返すのもありです。でも川沿いの滝と澄んだ空気が冷たくマイナスイオンとか身体も心もリフレッシュできます。穂高は行く気しないけど宇津江四十八滝ならなんとか。ここから5キロほどで飛騨古川ですから飛騨の奥座敷、老舗料亭旅館があります。「あゝ野麦峠」ゆかりの宿でもあり、建物は国の登録有形文化財でもあります。桃源郷温泉の大浴場の他にも庭園露天風呂、釜風呂、酒蔵どぶろく風呂が面白いです。露天風呂付きの客室もあります。モダンと歴史を兼ね備えた、飛騨の匠の技を感じる八ツ三(やつさん) 飛騨古川 料亭旅館 八ツ三館 宿泊予約楽天トラベル
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superkirarabbit · 2 years
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Kiyasuya stay 友達が見つけてくれた旅館。九重登山で疲れたあとには素晴らしいご褒美を用意しておきました♪ 宿の方のお気遣い、接客、美味しいものを少しずつたくさんの精神、手頃な価格は常連さんが増えるのも無理ありません。私が行った日も満室! こういう気の利いた旅館を知っていると重宝します。#大分 #九重町 #筋湯温泉 #里山 #風情 #素朴 #温泉 #源泉掛け流し #土壁 #黒塀 #露天風呂 #露天風呂付き客室 #旬 #食材 #cuisine #豊後牛 #delicious #滋味 #日本秘湯を守る会 #雑木林 #平屋 #may #japan #nature #beautiful #green #trees #relax #holiday #popular (at 山あいの宿 喜安屋( kiyasuya)) https://www.instagram.com/p/CegftdzBoGU/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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mindbet · 3 years
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[2022/3/17]長野諏訪旅行。宿泊した、上諏訪温泉しんゆ。ホテルと旅館を折衷したような施設で、非常にくつろぎ安かった。着いたのは14時時位だったかと思うが、チェックインは15時からなので、荷物を預けて、先に昼飯を食べに割烹いずみ屋へ向かった。それから遊覧船に乗って16時位にチェックイン。部屋は葵亭一般客室(12畳)【湖側】。ビジネス朝食付きプランで夕食は敢えて付けなかった。これで1万4000円で、更に貸し切り半露天風呂を利用したので、この利用料2000円がプラスされて然るべきだが、帰ってから明細を確認してみると、この利用料は入って無かった。実はチェックアウト時に若干気にかかったのだが、入湯税に含まれていると勘違いしていた。でも入湯税は僅か150円だし、元々の宿泊料金1万4000円に、入湯税を加えて1万4150円だから、やはり貸し切り露天風呂(22時から40分間)の料金が入ってない。おまけしてくれたのか忘れたのか。。。ちなみに、貸し切り露天風呂を利用したのは、大浴場の見た目のクオリティが思ったより低い(狭い&暗い)のに加え、肝心の眺望が夜中だと真っ暗で湖も何も見えないので、少しでもグレードを上げたかったから。貸し切り使って正解で、眺望は相変わらず何ともならなかったが、一人で入れるのは凄く落ち着くし、贅沢な気分を味わえた。この宿泊施設の内装のお洒落な所が好きだが、部屋のTVで流れるヒーリングアートの映像と音楽は今一つだった。立体音響で響かせるなら分かるが、TVだと大した感動が無いので、普通にニュースとかお笑い番組(プレバト)とか観た。
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