リフレクト
Reflect
鏡の中の醜いキミ
You, the ugly one in the mirror
キミはいつだって嫌がった
I've always hated you
独りにはもう慣れたと 繋がりを遠ざけた
So used to being alone, you kept everyone at arm's length
.
鏡の中の醜いキミ
You, the ugly one in the mirror
キミはいつだって嫌がった
I've always hated you
幸せはいらないと 権利を放棄した
Deciding you didn't need happiness, you gave up your rights
鏡の中の醜いキミ
You, the ugly one in the mirror
キミはいつだって嫌がった
I've always hated you
死ぬ勇気���ないからと 義務を受け入れた
Since you haven't the courage to die, you resigned to duty
.
死にたいとほざきながらも
You prattle on about wanting to die
今もこうして生きている
Yet even now you're still living on this way
キミが生きてることで誰かが傷つくんだよ
And in living, you're hurting someone
誰にも愛されないキミは
You can't be loved by anyone
誰にも求められないキミは
You aren't sought out by anyone
そう 独りだよ
Yes, you're alone
.
大きなコエで叫んでさ
You screamed as loud as you could
キミは鼓動の音をかき消しただろ
And so drowned out the sound of your heartbeat
それでも誰の耳にも入らない
And yet still no one heard you
大きくため息をついてさ
You heaved a heavy sigh
キミは呼吸の仕方を忘れただろ
And so forgot how to breathe normally
それでも誰の耳にも入らないよ
And yet still no one heard you
.
鏡の中の醜いキミ
You, the ugly one in the mirror
キミはいつだって嫌がった
I've always hated you
嫌われたくないからと 自分を放棄した
You don't want people to dislike you, so you gave up on yourself
鏡の中の醜いキミ
You, the ugly one in the mirror
キミはいつだって嫌がった
I've always hated you
愛されはしないと 自分を受け入れた
You won't ever be loved, so you resigned to yourself
.
誰もいらないと強がり
You pretend not to need anyone,
今も向こうで泣いている
Yet even now you're crying on the inside
キミが生きてることは誰も気づかないんだよ
No one even notices that you're alive
誰も愛せないキミは
You can't love anyone
誰にも求めないキミは
You can't seek out anyone
そう 独りだよ
Yes, you're alone
.
眩しい光に眩んでさ
You were blinded by a dazzling light
キミは自分の輪郭を忘れただろ
And so forgot your own silhouette
それでも誰の目にも留まらない
And yet it didn't catch anyone's eye
汚れた鏡を打ち割って
You broke that dirtied mirror
キミはボクと会うのを嫌がったろ
Because you didn't want to see me
それでも誰の目にも留まらないよ
And yet it didn't catch anyone's eye
.
いつものように雨降りの夜
It was drizzling rain that night like always
ボクは傘も差さずに歩いた
I walked along without putting up an umbrella
周りの家から漏れるあたたかい光の数におびえながら
While I shrank back from the warm lights spilling out from the houses around me
無機明かりの街灯の下
Beneath the glow of a cold streetlamp
光を反射する水たまり
There was a puddle that bounced back the light
そこに映るのは紛れもなく
And reflected back in there was none other than
キミだった
You
ボクだった
Me
そう ボクは独りだ
Yes, I'm alone
.
聞こえない耳をふさいでさ
I cleared out my ears so I could finally hear
ボクは鼓動の音を確かめた
And I knew the sound of my heartbeat
なるほど誰の耳にも届かない
I see now, the sound hadn't reached anyone
大袈裟に息をとめてさ
I stopped my overblown sighs
ボクは呼吸をしてたことに気づいた
And realized that I had been breathing
なるほど誰の耳にも届かないな
I see now, the sound hadn't reached anyone
.
眩んだ瞳をあければ
When I opened my blinded eyes
醜いボクの姿が見えたんだ
I could see my own ugly form
なるほど誰の目にも映らない
I see now, no one else could see it
割れた破片を集めて
I gathered up the broken pieces
ボクはキミとはじめて向き合った
And I faced you for the first time
なるほど誰の目にも映らないな
I see now, no one else could see it
.
なるほど僕はひとりだった
I see now, I had been alone
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#00005:
この間の日曜日。
午後14時ごろ、2週間前に受けていた性病検査の結果を、彼氏と一緒に取りに行った。
結果は、すべて陰性。彼氏も同じだった。
その後は、おやつなど、食料品を買いにスーパーに寄ってから彼の部屋に戻った。
おやつを食べたりくつろいだりした後、眠くなってきたから布団に入った(眠くなることを踏んで、彼氏が自分のために、帰宅後すぐ布団の準備を整えてくれていた)。しばらくすると、(自分を寝かしつける、という名目で)彼氏も隣に潜り込んできた。すると、彼氏のほうもだんだんと、眠りにおちていった。
⋆⋆⋆
1時間半後。思っていたよりも早く目が覚めた。すると彼氏のほうも起きて、しばらくしてから一緒に夕飯の準備が始まった。
この日は、鶏むね肉・なす・ピーマンを味噌ベースのたれと炒めたものを作った。今回は、彼氏が野菜のカットと味付け関連の作業をやって、それ以外は自分が担当。彼氏曰く、彼がひとりで作った料理よりも、自分と一緒に作った料理のほうがおいしいらしい。単純に、自分のほうが丁寧に食材を炒めるから......というところもあるようだけど、それだけじゃない、作った人の気持ちがあらわれている......ということを彼はよく話している。不思議だけど確かに、自分も、彼と一緒に作った料理はおいしいと思う。それにしても、彼の、おいしいものを食べたときの悶絶具合はやばい。料理のおいしさを噛みしめていまにもとろけそうな、「おいしぃ......🫠😖🥹」と言わんばかりの顔をしている。そういうときは大体、顔が少し赤くなっていて、かわいい。興奮が頂点に達すると、その顔のまま「いやぁ......作ってくれてありがとうございます!!」と、握手をしてくる。彼は、これまでアプリ経由で出会った人の中で一番(といっても、余裕で片手で数えられる程度の人数だけど)、反応が分かりやすいというか、クールに努めようとしても、気持ちが溢れ出てしまっている感じがする。自分はそれがすごい好きだし、ぜひ、これからもそのままでいってください......という感じだ。
そうそう、この日は、21時からYUKIのニューアルバム『SLITS』のリリース記念スタジオライブ配信の再公開があった。それを観たりしながら、食後は再びくつろぎタイムに。そんなこんなで、お風呂に入ったのは23時過ぎになってしまった。
彼氏と出会ってから1か月半、一緒にお風呂場に入ったとしてもシャワーで済ませてしまうことがほとんどだった。けれど今回は、ふたりで賃貸の狭い湯船にぎゅうぎゅうになりながらお湯に浸かった。こうしてバスタイムを過ごしたのは、初めて彼の家に泊まった時以来のような気がする。あのときは、のぼせそうになってもそのまま一緒に浸かっていて、お風呂から出たあとはふたりしてぐったりしてしまったような......笑。この日も、すぐに身体があつくなってしまった(さすがにのぼせる前に湯船から出たけど...)。お風呂から出たあとは髪を乾かしたりお茶を飲んだり、涼んだりしながら、またまただら~っと過ごした。
⋆⋆⋆
そうしてる間に、1時。ここから、イチャイチャタイムに突入。検査の結果がわかり、これで満を持してがっつりセックスができる...! というような感じで、彼氏の夢である「好きな人と"合体"(※彼の表現)すること」を、実行に移した。自分はほとんどセックスの経験がないから、自分がタチだかウケだか分からない状態だった(タチウケの意味が分からない人はググって)。そんな自分に対し、彼氏はこの1か月半の間に自分のタチ的要素を嗅ぎ取り、ここでも当たり前のように自分がタチをすることになった。これが自分のタチデビュー......と言いたいところだけど、実は1週間前にフライングで挿入していて......(自分は3か月くらいセックスをしてないし、彼氏は1年くらいご無沙汰だということで、検査結果は出ていないけれど大丈夫だろう......ということでヤる流れになった。勝手がつかめなくて射精することはできなかったけど、彼はとても気持ちよさそうに、うれしそうにしていた。結果を待たずしてヤるのは、ほかの人にはおすすめできないことだけど......ヤるとしたら、双方の同意のもと、それなりの覚悟を持ってヤる必要があると思う)。だから、2回目のタチだった。この時点で、自分の経験の割合は
タチ:ウケ=2:1
になったわけだから、言うなればタチ寄りリバ(意味が分からない人はググってその②)......ということになるのかもしれない。自分はそれほどアナルセックスに対する執着はないし(少なくとも忌避感はない)、タチウケのこだわりもあまりないような気がするから、たぶんリバなんだろう。挿入中、彼に抱きついていると、ただでさえおねむな時間帯なのに、余計におやすみモードになってしまって......腰を動かしたいのに上手く動かなくて、結局今回も射精には至らなかった。このとき彼は「(また)勝手に自分だけ盛り上がっちゃった」と案じていたけど、実際のところ、彼の体温が心地良くて、自分は眠気を誘われてしまった......というだけだった。自分は完全に睡眠モードに入ろうとしていたから、この温度差を心配する彼を慰めたりはできなかったけど......。
そんな具合で、眠気に呑まれそうになりながら再度身体を���い、就寝。
⋆⋆⋆
月曜(22日)、朝8時ごろ。彼と自分は同じくらいに目覚めて、しばらくイチャイチャしていた。その流れで、また、「合体」することに。(自分から希望した。なんだか、今度は射精できそうな感じがしたから......。)
合体中は......やっぱり、彼はものすごく「僕は...僕は、これを渇望していました」と言わんばかりの瞳の輝きを持って、幸せそうな顔をしながら悶絶していた。挿れただけでこの顔になるんだから、本当に、彼はこれを望んでいたんだろうな、と思う。そして、腰を動かしてみる。最初は、彼の負担にならないように......ということばかり考えていたけれど、自分が気持ちいいと思えるようにヤることを考え始めたら、割とすぐ、気持ちいいポイントが見つかった。そして、しばらく腰を動かしていくと、やっぱり......自分の予感は間違っておらず、イケそうな感触がしてきた。そうして、間にキスを挟んだりしつつ、さらに腰を動かして......やっぱり、なんか、気持ちいい。そして.........射精。
自分は、静かに、じわじわと......うれしかった。彼氏のほうはというと......もう、とろけまくっている様子だった。自分はそれを見て、もっとうれしくなった。彼からは、「変かもしれないけど......結婚して!って感じ😣」と言われてしまった。
そうしてシャワーを浴びた後、鏡に写った自分の顔は、心なしかさわやかで、凛としていた気がした。
⋆⋆⋆
この日はバイトがあった。ということで、(少々慌ただしかったものの)自分は彼に準備してもらった朝食を食べてから、一旦自宅へ帰り、バイトへ向かう支度をした。彼の住むアパートの門を出ると、まさに真夏!という感じの強い日差し、鬱陶しい空気に包まれて......それからは汗をダラダラと流しながら帰宅したはずなのに、しばらくずっと、自分の背中に軽やかな羽根がついたみたいな、すぐにでも飛び立てるような感覚が身体から離れなかった。
ここから、自分たちはどうなっていくんだろう。
[2024_07_24]
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火炎がはじけて
我慢できない、あなたに触れたい
欲しくて、喉が渇いて、息が切れる。
あなたに触れる。そんな夢を見る。何度も。あなたと恋に落ちる夢を見る。
きっと叶わないんだ。それでも求めて、飢えて、潤いに包まれたいと願う。
果肉みたいに咬みつきたい。シロップのように舐めたい。香り立つその肌の熱を、俺の熱でめちゃくちゃにしたい。
「にーちゃん、俺、今日もゆったんのとこだからなっ」
牛乳をぶっかけたコーンフレークをがつがつ食らいながら、弟の光斗はそう言った。制服に着替えながら歯を磨き、さらに光斗が食べこぼしをやらないか見張る俺は、歯ブラシを含むまま「またかよ」と答える。
「いいだろー。にーちゃん待ってるだけなの、つまんないもん」
俺は肩をすくめて、「勝手にしろ」と光斗に背を向ける。
だって、やばい。顔が笑ってしまうのをこらえられない。
単にそれだけだったのに、「にーちゃん、怒ったの?」と光斗は急に不安そうな声を出す。だから俺は、何だかんだ弟に甘い。「怒ってねえよ」と歯ブラシを吐き出してきちんと言うと、「よかった!」と光斗はすぐ笑顔になり、コーンフレークにラストスパートをかける。
こないだ連休が過ぎて、高校生になった春は終わりかけている。早くも熱中症アラートが出る初夏だ。窓からの朝陽は、レーザーみたいに視覚を焼く。
光斗は、俺が小六のときに生まれた弟だ。妊娠を聞かされたとき、性教育済みの俺は「え? とうさんとかあさん、今もやってんの?」と真っ先に思った。そんな複雑な吐き気も覚える中、光斗は誕生して、二歳になるまでは育休を取ったかあさんが面倒を見ていた。
しかし、仕事というものは無情なものだ。これ以上育休するならいったん退職してくださいと、かあさんにお達しが来た。俺の親ものんきなタイプではないので、元から保活はしていたのだが、これがなかなか決まらない。
光斗は人見知りなところがある。勇気を出して、同じ組の子に��しかける努力はするのだが、あとから「俺、もしかしてうざかったかもしれない」とか盛大に反省会を始める。「うざかったら一緒に遊ばないだろう」ととうさんが言っても、「みんな我慢してたかもしんないじゃん!」と泣き出すこじらせっぷりだ。
だから、今の保育園に体験入園して、「ゆったん」こと早田勇多くんと光斗が見事に打ち解けられたときは、家族総出で喜んで入園希望を申し込んだ。空きがまわってきたのがこの春で、やっと光斗は楽しげに保育園に通うようになった。
俺は俺で高校に進学したところだったが、それは二の次だった。両親は朝六時半には家を出て、電車で長距離通勤をしている。だから、光斗を起こし、食わせ、支度を手伝い、ちゃんと保育園の送迎バスに乗せるまでは、暗黙の了解で俺の仕事だった。
高校に着くのは遅刻寸前だ。弟の面倒を見ていると言っても、生活指導の先公はいい顔をしない。どこから聞きつけるのか、俺のその弁解を知って、女子には「言い訳がブラコンだよねー」とか言われている。分かってくれるのは、男友達だけだ。
でも、いいんだ。同クラの女子連中なんか、俺も興味はない。俺には好きな人がいる。
保育園は十五時で終わるが、家庭の都合がある子供たちは、夜まで預かってもらえる。最初、光斗には保育園に残ってもらい、俺が放課後に連れ帰る予定だった。ところが、光斗愛しのゆったんは、十五時にゆったんママが迎えに来て帰ってしまうのだ。
ゆったんが去ったあとの光斗は、真っ白な灰らしい。「にーちゃん、学校辞めて迎えに来いよ!」と光斗は家で半泣きになって、わがままを言い出しはじめていた。
そのことを保育士さんに聞いたゆったんママが、「光斗くんのご家族さえよければ」と俺の放課後まで光斗を預かることを申し出た。もちろん恐縮すぎる話で、両親は気持ちには感謝して断ろうとしたが、「勇多も光斗くんを置いて帰るのが心配そうなので」とゆったんママは言い添えてくれた。
かくして、光斗はほぼ毎日ゆったん宅にお邪魔して、やっと機嫌を直した。ゆったんの家が都合悪いときは、遠慮なく光斗を置いていってくださいとは伝えてある。だから、たまに保育園に迎えにいくこともあるが、基本的には俺はゆったんの家に光斗を迎えにいっていた。
ゆったんママと初めて顔を合わせたときは、地味だな、と思った。目を引く美人ではない。長い髪は黒く、眼鏡もかけている。高校生の俺にとっては、子持ちの時点で若さすら感じない。
俺が迎えに来ても、光斗はおとなしく帰るわけではない。ゆったんと長々遊び、そのあいだ、俺は一軒家の玄関先でゆったんママと世間話をしている。いい加減遅いと、俺は家に上がらせてもらって、子供部屋から光斗を強制連行する。
その日も、光斗はなかなか子供部屋から出てこなかった。夕陽が射してくるのを合図に、「遅いっすね」と俺が言うと、ゆったんママは苦笑して「連れてきてあげてください」と俺を家に通す。俺はスニーカーを脱いで、二階の子供部屋に向かった。
ため息をついて、少し茶色を入れた髪をかきむしり、今日はどう言って引っ張るかな、とドアの前で思案した。そのとき、不意に「みっちゃん」とゆったんが光斗に話しかける声が聞こえてきた。
「みっちゃんは、自分でおまた触ったりする?」
俺は動きを止め、板張りのドアを見た。
「んー、ちんちん触るってこと?」
「分かんないけど……」
「にーちゃんは触ってるときがあるな」
何この弟、ちょい待て、それ以上言わんでくれ。
「ほんと?」
何で食いつくんだよゆったん、もうやめてくれ。
「やっぱり、大人は自分のおまた触るのかなあ」
「ゆったん触るの?」
「僕は触んない……だって、おしっこするとこだもん」
「俺もそう思うからあんまり触らない。洗うだけ」
「そうだよね。でもね、ママは自分のおまた触ってるの。眠ってるパパの隣で──」
俺は目を開き、とっさに、その先を聞く前に、「おい、光斗っ」と俺はドアに向かって声をあげた。
「帰るぞっ。その……もう、暗いしっ」
「えー……」とか言う光斗の声が聞こえたが、「早くしろっ」と俺は乱暴に言う。
やばい。やばいやばいやばい。
頭の中が暴れるみたいにそう思っていると、ちょっと不安そうな顔になった光斗が顔を出した。
「にーちゃん──」
「お、怒ってねえよっ。腹減ったしさ。遅いと、かあさんが先に帰ってくるかもしんねえし。あ、ゆったん、今日もありがとな」
細身で背の高いゆったんはこくんとして、「見送るね」と立ち上がった。ゆったんが隣に来ると、「行こっ」と光斗ははしゃいだ顔になって、ふたりは一階に降りていく。
ふーっと息をついて、ばくばくと腫れ上がる心臓を抑え、俺も一階に降りた。子供たちが靴を履いている玄関に、足を向ける。
「あ、克斗くん。ごめんなさい、今日も遅くしちゃって」
ゆったんママが普通に話しかけてくる。俺は顔をあげられないけど、「え……っ」とぎこちない声は出す。
「あ、『暗いし』って言ってるの、ここまで聞こえて」
「……あ、いや。すみません」
「ううん、本当に暗くなっちゃったもんね。よかったら、私が車で送ろうか」
「そんな……ぜんぜん、大丈夫っす」
今まで何とも思わず、聞き流していたゆったんママの声が、急に艶やかな大人の女性の声だと気づく。視線の先が定まらない。せわしなくまばたきをしてしまう。「克斗くん?」とゆったんママの声が近づいて、俺はびくんと顔をあげてしまう。
「どうしたの?」
あ……けっこう、肌、綺麗じゃん。すっぴんでその肌なら、化粧を覚えてきた女子連中より、ずっといいかも。黒髪も腰がありそうだから、指ですくったらさらさらしてんのかな。唇だけさっと色が乗せられて、桃色がうるうるしている。そして、吸いこんでしまいそうな黒い瞳は、無垢なくらいに澄んでいる、のに──
……この人、自分でしてるんだ。
「あ……の、」
「うん?」
「名前……」
「え?」
「あ、いや、そういや俺、ゆったんママって呼んでて、名前知らないなって」
「ああ、そんな……ゆったんママでいいですよ」
「でも」
すがりつくみたいに、彼女を見てしまう。俺のそんな瞳を受けて、彼女の瞳も揺れる。ややとまどったのち、「咲花です」と彼女ははにかんで答えてくれた。
「咲花……さん」
「呼びにくいでしょう? ゆったんママでいいですから」
そう言って咲花さんが微笑んだとき、「靴履いたよっ」と光斗の声が割って入った。「僕も!」とゆったんも言い、「勇多は履かなくていいでしょー」と咲花さんはあきれたように咲う。
「にーちゃん、帰ろっ。俺も腹減った!」
「お……おう。そうだな」
俺は動作がぎすぎすしないように、スニーカーを履く。「明日もおいでね」と咲花さんが光斗の頭を撫ででいる。
白いすらりとした指。あー、どんな味がするんだろ。
無意識にそう思って、俺は慌てて目をそらした。「じゃあ、失礼します」と頭を下げて、咲花さんの眼鏡の奥まで直視できないまま、俺はゆったん宅をあとにした。
──その夜、俺は咲花さんを想って、した。何度も。口元から咲花さんの名前がこぼれた。返事なんかない。それでも、誰かの──求める相手の名前を口にしながらすると、手の中に吐く瞬間、たまらなく気持ちよかった。
ダメだ。バカみてえ。ガキの話を盗み聞きしたのが切っかけとかマジでアホか。
でも、俺は一気にあの人が欲しくなった。自分でしなくても、俺がなぐさめるのにとか思ってしまう。あの人と恋に落ちれば叶うなら、すべてから奪って、俺の腕の中にさらいたくなる。
そして、自分のシーツに���い吐息をこすりつけて、俺はまた���分の右手でなぐさめる。
咲花さんに報われぬ恋をするまま、梅雨は過ぎて夏が来た。夏休みは自由登園になる。「おにーちゃんとおうちで過ごせるね」とかあさんが言うと、光斗はびっくりした顔をして、「俺、ゆったんと遊ぶから保育園行くよ!」と当然のように答えた。「振られたな」ととうさんが笑って、「うっせ」と俺は吐き捨てつつ、じゃあ夏休みも咲花さんに会えるんだ、と内心浮かれた。
が、よく考えたら、俺は夏休みにはもちろん学校を休むので、十五時に光斗を迎えにいけるのだった。咲花さんとは、保育園で立ち話ぐらいはするが、ロミジュリみたいに光斗とゆったんを引き離すのが主な仕事だった。
二学期が始まり、ようやく元通りの毎日になった。俺はもう咲花さんの前でぎこちなくなったりはしなかったけど、つい照れて目を伏せたり、優しい言葉に頬が染まったり、こめかみに響くほど鼓動が脈打ったりしてしまう。どんどん咲花さんのことが好きになっていく。その手に手を伸ばして、指を絡めたくなる。
ゆっくり、日が短くなっていく。夕暮れが早くなる。もっと咲花さんといたいのに。俺は焦がれて苦しい胸に息を吐きながら、光斗と家に帰る。
「──克斗、明日どうしても仕事で残らなきゃいけなくてね。おとうさんも遅いだろうし、好きな出前でも取ってくれる?」
九月が終わりかけた夜、風呂上がりの俺をつかまえて、かあさんが申し訳なさそうにそう言った。俺は握らされた紙幣を見て、「んー、了解」と深く考えずにうなずいた。翌朝、光斗にそれを言うと、「ピザ食いたい!」とのリクエストも承った。ピザは確かに悪くない、とか俺も思っていたのたけど──
「それなら、うちで食べていきなよ」
例によってゆったん宅に光斗を迎えにいき、世間話の中で今夜は出前だというと、咲花さんは当たり前のように言った。
「え、でも」
「今からでも、買い足し行けば間に合うから」
「いや、けど、かあさんに金もらっちゃったし──」
「気になるなら返せばいいし、何なら、克斗くんがもらっちゃってもいいんじゃないかな」
悪戯っぽく咲花さんが咲って、「そ、そうなのかな」と俺も現金ながら揺らいでしまう。そんな俺に、「もらっちゃえ」と咲花さんが少し俺の耳元に近づいてささやいた。
「私、ちゃんと秘密にするから」
俺は咲花さんを見た。咲花さんはすぐ身を離し、「じゃあ、急いで買い物行かないと」と言った。
「俺、せめて荷物持ちますよ」
「ありがとう。でも、子供たちがいるから。家にいてくれると安心かな」
「あ、そっか。そうっすね……」
別に寂しそうに言ったつもりはないのだが、咲花さんにはそう見えたのだろうか。少し考えたのち、「じゃあ、みんなで買い物行こうか」と咲花さんは提案してくれた。俺はぱっと顔をあげて、つい笑んでしまいながらうなずく。すると咲花さんもおっとり微笑してくれて、また、俺の中がちりちりと焦がされる。
そんなわけで、俺と咲花さん、光斗とゆったんで近所のスーパーに行った。光斗とゆったんは、一緒にお菓子を選べるのがそうとう嬉しかったようで、はしゃいでいた。そんな子供たちを、咲花さんは愛おしそうに見つめている。
子供たちのリクエストで、夕食はチーズハンバーグに切り替わり、結局買い足しでなく一から食材を買った。帰り道、俺は宣言通り荷物を持たせてもらった。咲花さんは遠慮しようとしたけど、ちょっと強引に俺がエコバッグを奪うと、「ごめんね」と言いつつ任せてくれた。
秋の夕暮れが景色を染めていた。一軒家が並ぶ住宅街に、茜色が透けて映っている。空は高く、沈みゆく太陽が滲ませるオレンジにしっとり彩られて、明日も晴天のようだった。
道端で遊んでいた小学生は、夕飯の匂いや灯った明かりに気づいて、手を振りあって家に帰っていく。すうっと抜けていく風は、すっかり涼しい。
俺は隣を歩く咲花さんをちらちら見た。眼鏡のレンズに触���そうな長い睫毛、柔らかそうな頬やしなやかな首。高校生の俺には若くないなんて前は思っていたけど、やっぱり子供ひとり生んだだけだから、まだ腰も綺麗にくびれている。
俺の視線に気づいたのかどうか、咲花さんはこちらを見て微笑む。夕陽に蕩けそうな、優しい笑顔だ。俺は切ないくらいにぱちぱち灯る心に、つい照れたような笑みになってしまう。
家に到着すると、咲花さんはすぐキッチンに立った。「手伝いましょうか」と料理ができるわけでもないのに言ったら、「大丈夫、子供たちを見てて」と咲花さんは俺にリビングにうながした。
光斗とゆったんは、DVDでアニメの劇場版を観始めていた。俺も幼い頃は夢中になったアニメだ。そんなふうにきらきらした目でこのアニメを観ていたのに、いつから観なくなったっけ。
じゅーっというハンバーグの焼ける音と、そのおいしそうな匂いがただよってくる。さすがに俺も盛りつけくらいは手伝えるので、キッチンに立った。チーズハンバーグ、ほかほかのライス、マカロニサラダとコーンスープ。子供たちはちょうどアニメを観終わり、歓声を上げてダイニングのテーブルで待機に入った。
テーブルに並べた料理は、俺と光斗とゆったん、三人で食べはじめた。「咲花さんはいいんですか?」と気になって問うと、「旦那と食べるから」と返され、俺の心にはちくりと影が射した。
いや、でも、好きな人の手料理を食えるのは幸せなことだよな。そう思って、とろりとハンバーグからあふれるチーズをフォークですくっていると、玄関のほうで物音がした。咲花さんはすぐそちらに行き、もしや、と俺が緊張すると、現れたのはビジネススーツの男──「パパ」とゆったんがその男を呼んだ。ということは、やっぱり咲花さんの旦那か。
旦那は真っ先に俺を見た。俺は頭を下げ、「すみません、お邪魔してます」と月並みに言い、「ゆったんパパに挨拶しろ」と光斗にも「こんばんは!」と言わせた。「勇多のお友達と、そのおにいさんなの」と咲花さんが言うと、旦那はそちらには「そうか」とそっけなかったが、「ゆっくりしていってね」と俺と光斗には笑顔で言って、ゆったんの頭も撫でた。
「あなたも勇多たちと食べる?」
「いや、食ってきたから」
「えっ、……ごめんなさい、夕飯いらないって連絡もらってたかな」
「あー……どうだったかな。ばたばたして、してなかったかもしれない」
「……そう。じゃあ、私、この子たちと食べようかな」
「ああ、そうしろ。俺は風呂に入ってくる」
ビジネスバッグを置いた旦那は、ネクタイを緩めながらリビングを立ち去っていった。元気に振る舞っていた咲花さんが、一瞬、哀しそうに視線を伏せる。
ああ、あいつが好きなんだ。そうだよな。気持ちが冷めてたら、そんな顔はしない。ましてや、寝てる隣でみずからなぐさめるなんて──
よく分かっていても、それ以来、俺は光斗を迎えにいったとき、世間話の中で積極的に咲花さんを褒めたり励ましたりした。咲花さんが、そういう言葉を言ってほしい相手は俺じゃない。知っていたけど、俺は咲花さんをせめて言葉で癒やしたいと思った。
玄関に橙色が映り、夕陽が射す。相変わらず、それがお別れの合図だ。咲花さんとゆったんに手を振り、俺と光斗は家路につく。
俺に手を引かれながら、「何か、帰る時間早いよ」と光斗はむくれる。「これから日が短くなるからなー」と俺は雑に説明する。俺だって咲花さんと話す時間が減るの寂しいんだよ、とは言わない。
「ねー、にーちゃん」
「んー?」
「ゆったんのパパとママ、昨日喧嘩してたんだって」
「えっ」
「おっきい声が怖くて、ゆったん部屋で泣いてたんだって。そしたらパパが来て、『今度、違うママに会わないか』って言われたって」
「は……?」
「ゆったん、意味が分からなくて泣いてて、そしたらママが来てまた喧嘩してたって」
「……そう、か」
「ゆったんのママは、ゆったんのママしかいないよね? 『違うママ』って何? 俺、分かんなくて。にーちゃんには訊いてもいいよって、ゆったん言ってたから」
俺は口をつぐむしかなかった。月が浮かぶ夜道に、ふたりぶんの足音だけ残る。「にーちゃん」と答えをせがまれたが、「俺も分かんねえよ」と言うと、光斗はただ不安そうな表情になった。
……あの男、ほかに女いるのか。ぼんやりそう思って、とっさに瞳に怒りが揺らめいた。が、それはすぐに鎮まった。
だったら、俺が咲花さんを奪えばいい。咲花さんの孤独の隙間に入って、そこにひそみ、あの熟した唇を奪うのだ。
そうしたら、あの唇はどんな味がするのだろう。そう思っただけで、妄想がはちきれそうになる。欲しい。どうしても欲しい。ぱちぱちと弱く灯っていった欲望が、ばちばちと強い火炎になっていく。
咲花さんが欲しくて気がふれそうになる。抱きしめたい。キスしたい。つらぬいて俺のものにしたい。
だが、どんな事実があっても、俺と咲花さんの距離は一向に縮まらなかった。俺は見ているだけだった。不意に苦しそうにうつむく咲花さんを、見ているだけ。
やっと残暑が身をひそめた十月半ば、その日も俺は、玄関先で咲花さんととりとめなく世間話をしていた。今日も今日とて、光斗が二階から降りてくるのは遅い。
ふと会話が沈黙になり、俺は咲花さんを見た。
「なあに?」
何事もないみたいに、咲花さんは笑みを作る。俺には、そんな無理はしなくていいのに。
「何でも……ないっす」
少し声がかすれた俺を、咲花さんは見つめる。
抱きしめたい。咬みつきたい。奥まで突き上げたい。俺があなたを満たしたい。そして、その心をあんな旦那からさらってやるんだ。
バターみたいに柔らかそうな肌と、蕩けるほどに肌を重ねたい。水蜜のように瑞々しい肌に歯を立て、俺の痕跡を残したい。
食べたいんだ、俺はあなたを食べてしまいたい。
想いがどんどん強い火炎になって、意識も心情も視界も焦がされてしまう。
「……光斗、遅いっすね」
かすかなため息と刹那のまばたきで、気だるくなりそうなめまいをはらうと、俺はそう言った。
「そう、だね」
「ちょっと、呼んできます」
「うん」
「失礼します」と断って家に上がった。咲花さんと、顔を合わせられない。こんな、泣きそうに恋に愁えた目。そのまま階段を向かうと、不意に、咲花さんが俺の名前を呼んだ。
俺は足を止め、咲花さんを振り返る。
「まだ、待って」
「えっ?」
「まだなの」
俺はきょとんとした。けれど、咲花さんの瞳に宿るものに気づいて、はっと息を飲む。
──俺と同じ、恋に愁えた潤み。
思わず、玄関に駆け戻っていた。腕を伸ばす。咲花さんの腰をつかまえる。強く引き寄せ、ひと息にキス。
果実を貪るようなキス。壁に抑えつけ、立ったまま行為に至ってしまいそうなキス。
でも、咲花さんはそうなる前に俺と軆を離した。
「まだよ」
頭の中が、甘い発熱にくらくらする。まだ? まだってことは、いつか俺は許されるのか? その皮膚をちぎるみたいに咬んで、彼女に深く深く届けることができるのか?
引き攣った息がこぼれる。「我慢できない」と口走っていた。自分でも驚く、低い男の声だった。でも咲花さんは、「まだ見ていて」と意地悪を言う。
「今は、ダメ」
ああもう。そんな優しい声で言わないでくれよ。俺は言うことを聞くしかないじゃないか。
そのときだった。階段を駆け下りてくる足音に、「にーちゃん、帰ろーっ」と光斗の声が重なった。我に返った俺は、はたとそちらを見て「お、おう」と何とか自然を取りつくろう。
「え、と……じゃあ、失礼しました」
スニーカーを履き直した俺が言うと、何もなかったみたいに咲花さんは笑顔を作る。「また明日ね」と言ったゆったんに、「うんっ」と光斗は笑顔で答えている。
緩やかに暗くなる夕暮れの中で、咲花さんは微笑んでいた。ちゃんと言うこと聞けるかな、と思った。我慢なんて、本当にできるのか? だって、火炎がはじけて止まらないんだよ。
あなたと恋に落ちたい。獣みたいに皮膚に歯を立てて、果汁を飲み干して潤いたい。俺はからからだ。飢えて、渇いて、おかしくなりそうだ。
あなたもそうなんだって分かった。だったら、俺たちのやることはひとつじゃないか。
夕陽が射しこむ部屋で、熟れたあなたはオレンジ色で。俺はきつく抱きしめて、俺はその果肉を食べる。誰よりも味わって食べるよ。この火炎をぶつけて、焦がれるような想いを思い知らせ、あなたの濃い蜜をこくんと飲みこむ。
まだ待って──そう言うなら、ぎりぎりまでこらえるけど、待つほど俺が獣になるのは分かるよな? だから、あんまり待たせないでくれ。焦らさないでくれよ。俺はあなたの心を、軆を、優しく奪いたい。
あるいは、あなたは獣になった俺にめちゃくちゃにされたいのだろうか。だとしたら、俺は──
「にーちゃん」
光斗が、歩きながら何も言わない俺を手を引っ張る。心配性な弟に、「怒ってねえから」と俺は苦笑していつも通り言う。
マンションの群衆に入り、もうすぐ家に着く。吐息が疼く。呼吸ができないほど。
熟れきった心と軆を交わし、恋に落ちていく。ずっと夢に見ていた。あなたと恋に落ちる夢を見ていた。いつのまにか馨しい夢は目の前にあり、俺の理性は、爆発して壊れてしまいそうだ。
欲望の火炎がはじける。あなたを求めるその熱に、俺の頭はもう狂ってしまう。
立ち並ぶマンションの合間に月の光を見つけた。その輪郭は、燃えているみたいに、あるいは潮騒みたいに、ざわめいて見えた。
FIN
【SPECIAL THANKS】
メロウ/杉野淳子
『成長痛』収録
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