Tumgik
#1時間置き起床
k-rush · 7 months
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旅荘野毛?
数か月前、横浜への出張が決まり、わくわくしまくって、マッサージしてくださるお店を探してみる。
アーユルヴェーダ?いいかも^^なんて思い、予約してみる。
その後、期日が近まるにつれて、テンションが上がっていたけれど、結構、何か月かごとに、コースも値段も変更されてるみたい。電話番号書いてある人が優先です、とも書かれ始めたり。その度ごとに、前に予約をお願いしているものなんですけど、って、確認がてらメールをしていたら、
「何回とご連絡いただいておりますが、予約については検討させてください。
当サロンは普通のアーユルヴェーダ施術サロンです。
性的サービスを売りにした様なゲイマッサージ店でもなく、また、極端な感情を持ち込まれても施術に支障を来たすだけになります。
これまでにも、同じような方がお見えになられましたが、全員トラブルを起こしています。原因は一方的な病的なまでの感情移入です。
大変申し訳ございませんが、そちらも今一度ご検討くださいます様、お願い申し上げます。」(原文ママです)
あ、そんなふうに思われてたんだ、僕、、
ごめんなさい、そういうつもりではありませんでした、、今回はキャンセルでお願いしても大丈夫ですか?ってメールしたけど、返事は来ず。
ま、いっか。しゃあない。多分、ちゃんとキャンセルできてるでしょ、って、自分に言い聞かせて。
次、次、ってな感じで(切り替え早いんです僕^^)、気になってたお店にメールしてみる。
空いてません、とか、時間が遅いので難しいです、とか、、うーん、なんとも、、
そんな中、おひとりの方と、予約を完了^^
おっしゃ、と思っていたら、当日、新幹線に乗る前のバスに乗る前にメールが来て、コロナになってしまいました、って、、
そっか、それは仕方ないですよね、、お大事になさってください^^って、返事をしたものの、、
いやいやそうは言うけどさ、淋しいじゃん今晩、、
って、必死になって、バスに乗ったあと、再度検索。よさげなマッサージやさんをゲット^^
当日、飲み会のあとで、ちょっと待ち合わせに遅くなってしまったら、帰ります、ってメールが来てしまって、、
あ、すいません、今戻りました、って、待ち合わせの10分後くらいに送ったら、戻ってきてくださいました^^優しいマッサージ屋さんで、よかったです^^若いごつむちさんを、がっつりと、堪能^^
飲んでたのもあり、僕は完了できず、、
解散後、どうしようかな、って思ったけど、以前爆サイで検索してて見つけた、旅荘野毛ってところに、行ってみることに。(えびす温泉ってとこもあったんですけど、やっぱり、ごろんとできそうなとこがいいかなーって^^)
(あと、まあまあ近くに、みんながまぐわるとこもあったみたいなんですけど、すでに50代やし、49歳までに見えるでしょ?っていうルックスでもないし、、
入られへんやん、ってなわけで、早々にあきらめました^^)
2月の半ばの木曜日、小雨降ってましたけど、そんなに寒くなくて、小走りで、10分くらいで到着。
動物園に近づく坂のあたり?とか覚えていたので、そのあたりでごそごそしてたら、赤い看板を発見。(えらいえらい、この野生の勘^^って、言うほどでもないですけど^^)
お、いいじゃん、この感触^^このこっそり感が、素敵です^^
入ってみる。ひっそりな感じ。ご年配の方が対応してくださる。設備は古いみたいやけど、小綺麗にされてるのがすごく伝わってくるし、親切。
ちょっと、昔あった浜松喜楽や、ビジネスイン久松(遠いんですけど、行ったことあるんです、2回も^^)みたいな雰囲気なのかな。コンクリートの丈夫な建物で、床は赤いじゅうたんが敷いてあって、レトロな雰囲気。
こちらはね、暖房ついてないですけど、つけてくださっていいですよ、って。テレビの下に並んでるのは、雑誌サムソン。
わー、見たいなー、マンガ結構えろいやつあるし、、とか思ったけど、上に部屋がありますので、って教えてくださったので、上に。
おひとりいらっしゃいますよ、って言われたので、どうかなーなんて思いながら、上の部屋に行ってみると、あたたかい空間が。布団が敷き詰めてあって、シーツも清潔。
そこに、いらっしゃいました、おひとり。うーん、どうなん?
寝息をたててみえる。歳は一緒くらいなのかな。普通な感じ。
横を向いてみえるから、首筋あたりに鼻を近づけてみる。あ、少し、野郎の匂い。
もう、むらむらしてるんで、嗅ぎまくりながら、すぐさま舐めてしまう。
くうんくうん言ってる。受けなのかな?
まあいいや、浴衣の胸元あたりをまさぐる。あ、胸毛を剃ったあとの、ちくちくの感触。
あ、すっげ、この胸毛剃ったあとのちくちくたまんないです、とか、口走ってみる。
乳首は少し大きめで、感じやすそうな予感。もう、好き勝手してしまえ。
むしゃぶりついてみる。乳首にも、玉にも、竿にも。
この、ふかふかな感触がたまらない。やっぱ、歳が近い(勝手にそう思ってますけど^^)人の肌って、ぶにっていう感じがあって、好きだなあ。
あ、穴あたり、やわらかいんですね。いいかも。
まわりをねぶって、指なんか入れてみたりして。
このあたりの匂いって、なんてこんなにいい匂いがするんだろ。好き放題ねぶらせていただく。
そのうち、覆いかぶさってくださり、僕のも心地よくしてくださる。
あ、溶けそう、ほんと気持ちいい。あ、ほんとたまんないです、ちんぽ気持ちいいです、とか、口走ってしまう。
最近、まぐわってるときに、さわさわ亀頭責めされたり、じゅぼじゅぼねぶられたりすると、頭の中がものすごく気持ちよくなって、こんなこと、つい言ってしまう。
乳首もれろんれろんしてくださる。この人の舌、ものすごくエッチだ。
あ、乳首きもちいいです、たまんないです、溶けちゃいそうです、あーすげ、とか、つい言ってしまう。(でもたいした単語言ってないですね^^)
たまらなくなって、いってもいいですか?って聞いて、自ら暴発。
相手の方も、僕が下から見上げるような位置に半立ちになって、暴発してくださる。
もう、へろへろ。すんごい気持ちよかった。
書き込みでは、人がいませんとか書いてあったけど、偶然にも、まぐわってくださる方が1人おられて、僕は大満足でした。
また横浜に来られるかな。また会えるといいな。
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europiumoon · 2 months
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茹だる
うだるような暑さが続いていた。うだる、を漢字で書くと茹だるらしい。茹でられながら家と会社の往復をしている毎日だった。仕事量も徐々にだけど増えていて、前部署にはなかったような残業時間。あっという間に周りが帰っていたころとは違い、さすが本社だな、と思う。出退勤をお知らせしている社内チャットツールには、「お疲れ様でした」と22時に近い投稿時間に慄いた。起床時間は実家に居た頃と変わらない。身だしなみのほかに、弁当作りと朝ご飯、皿洗いが追加された。2日に1回は洗濯物を干している。実家に居る弟曰く「お姉ちゃんがいなくなってから洗濯物の量が減った。」と言われた。そんな弟から珍しく「電話してもいい?」と連絡があった。ただ事じゃないなと思い、返事をし、電話をかけると、『仕事をやめていたのがバレた』とのことだった。いや、そもそも辞めていたなんて私も知らないし。昨年末に辞めてたなんて、あんた詐欺師になれるよ、なんて言ったりもした。そんな弟とは月末に、気晴らしにでもなるかなと、都内で開催されるCLAMP展にお誘いしていた。なんやかんやで、弟は両親には怒られず(もう立派な大人だし)、無事共に行くことができた。美術館までの移動中に、仕事について聞くと、「自分の自由時間がしっかりとれるところに行きたい」と役所系を目指すと言っていた。私も過去に役所に行けと言われ、結局最終面接で落ちて今に至るんだけど、私は弟に「向いていないんじゃないか」とも伝えた。元々勤めていたところも準お役所系な場所で、上司からひどく扱われ、見合わない給料に嘆いていたから。それでもって、休職をしていたのだから、もう同じような場所で働いて疲弊している姿を見ていたくない。とそれとなく伝えたが、囚われている気がした。LINEでほぼ毎日連絡はしているけれど、弟がどうしたら幸せになるのか考えているばかりで。私の考えすぎで、それでもって迷惑かもしれないけどね。ただ幸せになることはこれからも祈っていくよ。
お弁当を1人暮らしになっても持って行っている。実家の時は母に詰めてもらっていたが、大学時代とかでも、きちんと自分で作っていたよ!なんだか、私にとって、コンビニの弁当とか、はじめのうちはいいんだけど、どんどん好きじゃなくなって、しんどくなる。(個人的な意見です)なので、修論書いているときは、自分で作る時間もなく、他で買った弁当も食べたくなくて、みるみる痩せていった。不正出血もした。私の弁当道にはこだわりがあって冷食をいれないこと。いや、便利なんだけど、母も入れるし嫌いでもないんだけど、なんだか自分の作る弁当には嫌で、ずっと手作り。きっと人生のステージが変わる���が来ればそんなことないんだろうけど。恋人のお弁当も手作りで、毎日ゆで卵2つと肉を要求される。肉というよりタンパク質かな。ゆで卵は味付けを変えるだけだけど、毎日同じの作るのも嫌なので肉はアレンジしている。月々5,000円。高いというけど、材料費と愛情と手間暇にケチるな。ゆで卵を作るのが嫌になってきて、とうとうゆで卵メーカーを月末に導入した。もっと早く導入すれば良かったと思うくらいのぷりんぷりんのゆで卵。おすすめ。私は2段のものを買ってブロッコリーだったり、温野菜もした。
恋人がパーマをかけたらブロッコリーになった🥦私はそれを気に入ってイラストにしてロック画面にしている。2周年に、とブロッコリーの恋人イラストTシャツを送り付けることにした。3XLって聞いたことないけど。
実はゆで卵の殻を剥くのがしんどかった時がある。それこそ恐怖のアンパンマンスライサー事件。恋人と話していて悩む部分がありながら新品のスライサーで胡瓜をスッスッとしていたら親指もスパッといってしまった。ものすごく血が出てパニックで涙が出たけど、今はもう元通り。生命力ってすごいね。それこそ暫くはアンパンマンの食べかけの顔状態になっていた。
弟との話に戻るが母が食べたいと昔ねだったおはぎを買いに行った。茹だるような暑さの中、噴き出す汗に弟から「お姉ちゃん汗やばいよ」と言われながらも手に入れた。カラフルで美味しい『タケノとおはぎ』サボリーマン甘太郎から私も虜だった。私の分と家族の分2つ予約して買った。
私は和菓子にはどことなく目がなくておはぎもそうだけど、あんみつだって、おしるこだって、羊羹だって大好き。昔から祖母が手作りで餡を作っていたが故に大好きなんだと思う。ういろうも大好き。昔恋人の故郷で、虎屋のういろを一本食べた。死ぬ思いだった。恋人にホワイトデーのお返しの品が返ってきていない!と言い続けたら靴と虎屋のういろコラボバッグをもらった。「○○はいつも不思議なバッグを持ちますね」と言われるけれど、好きに包まれてるんだからいいでしょう?
この前投稿した大雨事件は、とても近くで止まってしまった。結局遠回りしてついたけど、翌日に荷物を頼んだ。頼んだら宅配ボックスに詰められて???となったけど、受け取れて良かった。実家の米。私は米を買ったことがない。米を入れる準備をしていると母親からFacetimeで電話がかかってきた。早く開けて!と言われるので何かと思ったら桃が入っていた。1日置かれた桃は熟していたけど丁度レタスとモッツァレラと生ハムがいたのでサラダに入れた。甘い桃だった。
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髪をバッサリ切った。いつものように赤を入れてもらって。今度からは、半年とかじゃなくて定期的に来ますね、と言うと「お待ちしております半年後」と笑ってくれた。
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astk-design · 5 months
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House in Shukugawa 夙川の家 (共同設計|arbol)
ミニマルな空間と美しい曲線が生む 優しく包容力のある住まい The minimalist space and beautiful curves create a tender and inclusive home
夙川の家は兵庫県西宮市に位置し、四方を2階建ての隣家に囲まれたコンパクトな旗竿地にある。 プライバシーの観点から外に開くことが難しい敷地条件に対し、内部を周囲から切り離して住み手のための”独立した世界”をつくることを目指した。 ”中庭”と”大きな気積をもったドーム空間”により、閉じた箱の中でも窮屈さを感じることなく、美しい緑や光を愛でながら居心地良く過ごすことができる。包み込むような空間が家族の団欒を生み、暮らしを受け止める包容力のある住まいとなっています。
“House in Shukugawa” is located in Nishinomiya City, Hyogo Prefecture, on a compact flagpole-shaped lot surrounded on all sides by two-story neighboring houses. The site conditions made it difficult to open the house to the outside for privacy reasons, so we aimed to create an independent world for the client on the inside. The “courtyard” and “domed space with a large volume” allow the residents to spend a cozy time while enjoying beautiful greenery and light, without feeling cramped in a closed box. The enveloping space creates a family gathering, and the house has the tolerance to accept the people’s life.
- ⚪︎ロケーション  夙川の家は、兵庫県西宮市の豊かな自然と古くからの邸宅街が広がる夙川沿岸の閑静なエリアに位置している。この場所のように地価が比較的高いエリアでは、邸宅街と対照に土地が細分化され住宅が密集している部分も多くみられる。本邸も、四方を2階建ての隣家に囲まれたコンパクトな旗竿敷地での計画だった。 ⚪︎ご要望  クライアントから伺った理想の住環境や要望は、次��5つに整理できる。
自然とのつながり(緑、光、風、四季を感じれること)
プライバシーを確保しつつhyggeを大切にできること(hygge:デンマーク語で「居心地がいい空間」や「楽しい時間」をさす言葉)
陰翳礼讃の精神で光や陰翳を繊細に感じられること、照明計画も同様に均一な明かりではなく変化や緩急があること
全体に繋がりがあり、用途に合わせて空間ボリュームが多様に調整されていること
インテリアから建築まで飽きのこない普遍性のあるデザインであること
これらのテーマと敷地条件をもとに、建築形態を検討していった。 ⚪︎デザインコンセプト  プライバシーの観点から外に開くことが難しい敷地条件に対する解決策として、あえて周囲を隔絶し「中庭」と「ドーム空間」によって建物内部にクライアントのための“独立した世界”を構築する住まいを提案した。また共有していただいた好みのインテリアイメージには、ヨーロッパの空気感を感じるものが多く意匠にもそれらの要素を取り入れることにした。
 まずコンパクトな敷地の中で可能な限り大きく建物のフットプリントを設定し、周囲に対して閉じた箱型の木造2階建てとした。次に内部でも自然や四季を感じ取れるよう、安定した採光が確保しやすい北側の角に中庭を配置。その周りを囲むようにホールやダイニングスペース、キッチンなどのアクティブなスペースを設けた。寝室や浴室といった個人の休息スペースは、必要最小限の大きさにして2階に配置した。(1ルームの寝室は、可動式収納家具によって部屋割りを調整可能)  この住まいの最大の特徴はドーム型のホールであり、それは人々の暮らしを受け止める包容力のある空間となっている。適度な求心的プランが家族の団らんを生み、中庭の抜けとドームの大きなヴォイドが人が集まった際も居心地の良さを保証する。閉じた箱でありながら窮屈さを感じることなく、親密なスケールで家族や友人達と心地良く過ごすことができる。  またタイル張りの床、路地テラスのようなダイニングスペース、バルコニーのような踊り場、ドームとシンボリックなトップライトなどにより、1階は住宅でありながらセミパブリックな空気感を醸し出している。これがプライベートな空間である2階とのコントラストを生み、小さな家の中に多様さと奥行きをつくり出している。  採光については、単に明るいことだけではなく相対的に明るさを感じられることも重要である。ホールの開口部は最小限として基準となる照度を下げつつ、中庭に落ちる光が最も美しく感じられるよう明るさの序列を整理した。また壁天井全体を淡い赤褐色の漆喰仕上げとすることで、明るさを増幅させるとともに影になった部分からも暖かみを感じられるよう設計している。  空間操作としては、中庭外壁隅部のR加工、シームレスな左官仕上げとしたドーム天井、ドームと対照的に低く抑えた1階天井高などが距離感の錯覚を起こし、コンパクトな空間に視覚的な広がりをもたらしている。 ⚪︎構造計画  木造軸組構法の構造材には、強度が高いことで知られる高知県産の土佐材を使用。上部躯体には土佐杉、土台にはより強度や耐久性の高い土佐桧を用いた。工務店が高知県から直接仕入れるこだわりの材であり、安定した品質の確保とコスト削減につながっている。 ⚪︎造園計画  この住まいにおける重要な要素である中庭は、光や風を映し出す雑木による設え。苔やシダなどの下草から景石や中高木まで、複数のレイヤーを重ね、コンパクトでありながらも奥行きのある風景をつくり出している。またコンパクトな分植物と人との距離が近く、天候や四季の移ろいを生活の中で身近に感じ取ることができる。石畳となっているため、気候の良い時期は気軽に外へ出て軽食を取るなど、テラスのような使い方も可能。草木を愛でる豊かさを生活に取り入れてもらえることを目指した。  敷地のアプローチ部分には錆御影石を乱張りし、大胆にも室内の玄関土間まで引き込んで連続させている。隣地に挟まれた狭い通路であるため、訪れる人に奥への期待感を抱かせるような手の込んだ仕上げとした。また石敷きを採用することにより来訪者の意識が足元に向かい、ホール吹抜けの開放感を演出する一助となっている。 ⚪︎照明計画  ベース照明は、明るすぎず器具自体の存在感を極力感じさせない配置を心掛けた。特に中庭の植栽を引き立てる照明は、月明かりのように高い位置から照射することで、ガラスへの映り込みを防止しつつ、植物の自然な美しさを表現できるよう配慮している。ホールについても、空間の抽象度を損なわないために、エアコンのニッチ内にアッパーライトを仕込み、天井面に器具が露出することを避けた。  対して、人を迎え入れたり留まらせる場(玄関、ダイニング、リビング、トイレ)には、質感のある存在感をもった照明を配置し、インテリアに寄与するとともに空間のアクセントとしている。 ⚪︎室内環境  居心地のよい空間をつくるためには快適な温熱環境も不可欠である。建物全体がコンパクト且つ緩やかに繋がっているため、冬季は1階ホールとキッチンに設置した床暖房によって、効率よく建物全体を温めることができる。壁天井には全体を通して漆喰(マーブルフィール)による左官仕上げを採用し、建物自体の調湿性能を高めている。  換気設備は「第1種換気※1」を採用。温度交換効率92%の全熱交換型換気ファン(オンダレス)により、給排気の際に室内の温度と湿度を損なうことなく換気を行うことができるため、快適で冷暖房負荷の削減に繋がる。CO2濃度や湿度をセンサーにより検知し、自動で換気量を増やす仕組みも取り入れている。  また断熱材は、一般的なボードタイプよりも気密性が高く、透湿性に優れた木造用の吹き付けタイプを使用。サッシはLow-E複層ガラス+アルゴンガス充填で断熱性を高めた。 ※1「第1種換気」..給気、排気ともに機械換気装置によって行う換気方法 ⚪︎まとめ  近隣住宅が密集する環境の中で、周囲を隔てて内部空間を切り離すことで、住み手のための世界を築くことができた。仕事で毎日を忙しく過ごすクライアントだが、ここでの時間は、仕事を忘れ、好きなものに囲まれ、家族や友人たちと心から安らげる時を過ごしてほしい。心身共に癒やされるような家での日常が、日々の活力となるように。この住まいがそんな生活を支える器になることを願っている。 ⚪︎建物概要 家族構成 |夫婦 延床面積 |70.10㎡  建築面積 |42.56㎡  1階床面積|39.59㎡ 2階床面積|30.51㎡ 敷地面積 |89.35㎡ 所在地  |兵庫県西宮市 用途地域 |22条区域 構造規模 |木造2階建て 外部仕上 |外壁:小波ガルバリウム鋼板貼り、ジョリパッド吹付 内部仕上 |床:タイル貼、複合フローリング貼            壁:マーブルフィール塗装仕上             天井:マーブルフィール塗装仕上 設計期間|2022年11月~2023年7月 工事期間|2023年8月~2024年3月 基本設計・実施設計・現場監理| arbol  堤 庸策 + アシタカ建築設計室  加藤 鷹 施工  |株式会社稔工務店 造園  |荻野景観設計株式会社 照明  |大光電機株式会社  花井 架津彦 空調  |ジェイベック株式会社  高田 英克 家具制作|ダイニングテーブル、ソファ:wood work olior.      ダイニングチェア:tenon インテリアスタイリング|raum 撮影  |下村写真事務所 下村 康典 、加藤 鷹 資金計画・土地探し・住宅ローン選び|株式会社ハウス・ブリッジ テキスト|加藤 鷹
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House in Shukugawa ⚪︎Positioning the land as the background  Located in Nishinomiya City, Hyogo Prefecture, the surroundings along the Shukugawa River are quiet, with abundant nature and a long-established residential area. Due to the high value of land and the relatively high unit price per tsubo, there are many areas where land is densely subdivided into smaller lots.  The site was a compact, flagpole-shaped lot surrounded on all sides by two-story neighboring houses. These conditions were by no means good. However, the client purchased the lot because of its good surrounding environment and the fact that it was in an area that he had grown familiar with since childhood. ⚪︎Requests  The ideal living conditions and requests we recieved from the client can be organized into the following five categories.
 To be able to feel nature (greenery, light, wind) even inside the house
 To be able to value "hygge" (Danish word meaning "comfortable space" or "enjoyable time") while ensuring privacy
 To be able to feel light and shade sensitively in the spirit of " In Praise of Shadows(Yin-Ei Raisan)" and the same goes for the lighting design
 The entire space is connected and the spatial volume is adjusted in a variety of uses
 Timeless design that can be cherished for a long time
Based on these themes and the site conditions, the architectural form was studied. ⚪︎Design concept  The site conditions made it difficult to open the house to the outside for privacy reasons, so we aimed to create an independent world within the house in line with the client's preferences. Many of the interior images they shared with us had a European feel, and we decided to incorporate these elements into the design.
 First, the footprint of the building was set as large as possible in relation to the site, and it was designed to be boxy and closed to the outside. To allow the interior to experience nature and the four seasons, a courtyard was placed in the north corner, where it is relatively easy to secure lighting. The hall (living and dining room), kitchen, and other active spaces are located around the courtyard. Rooms for individual rest, such as bedrooms and bathrooms, were kept to the minimum necessary size and placed on the second floor. (The storage furniture in the bedroom is movable in order to accommodate changes in usage.)  The most distinctive feature of this project is the domed hall. It is a tolerant space that accepts people's lives. The moderate centripetal plan creates family gatherings, the courtyard and the large volume of the dome guarantee a cozy feeling even when people gather. Here, one can spend comfortable, quality time with family and close friends without feeling cramped.  In addition, the tiled floor, the alley terrace-like dining space, the balcony-like stairs, and the dome and symbolic top light give the first floor a semi-public atmosphere even though it is a house. This contrasts with the private second floor, creating variety and depth within the small house.  In terms of lighting, it is important not only to be bright, but also to have a sense of relative brightness. While minimizing the openings in the hall to lower the overall illumination level, we organized the sequence of brightness so that the light falling on the courtyard would be perceived as beautiful as possible. The walls and ceiling are finished in a uniform light reddish-brown plaster, which allows the warmth of the light to be felt while amplifying  the brightness of the space.  In terms of spatial manipulation, the soft curvature of the outer courtyard wall corners, the seamless plastered dome ceiling, and the low ceiling height of the first floor in contrast to the dome create the illusion of distance and visual expansion in a compact space. ⚪︎Interior Environment  A comfortable thermal environment is also essential for creating a cozy space. As the entire building is compact and gently connected, the volume can be efficiently heated in winter by floor heating installed in the ground-floor hall and kitchen. The walls and ceilings are plastered (with a Marble Feel) throughout to enhance the building's own humidity control.  The ventilation system is "Class 1 Ventilation*1. The ventilation system uses a total heat exchange type ventilation fan (ondaless) with a temperature exchange efficiency of 92%, which allows ventilation without compromising indoor temperature and humidity during air supply and exhaust, resulting in comfort and reduced heating and cooling loads.  The insulation is of the sprayed wooden type, which is more airtight and has better moisture permeability than ordinary board-type insulation. Low-E double-glazing glass with an argon gas filling are used to enhance thermal insulation.
*1 "Type 1 Ventilation". A ventilation method in which both air supply and exhaust are done by a mechanical ventilator. ⚪︎Structural Planning  Tosa wood from Kochi Prefecture known for its high strength, were used for the structural members of the wooden frame. Tosa cedar was used for the upper frame, and Tosa cypress was used for the foundation because of its higher strength and durability. The construction company purchased these materials directly from Kochi Prefecture, ensuring stable quality and reducing costs. ⚪︎Landscaping plan  The courtyard, an important element of the house, is designed with a mix of trees that reflect the light and wind. Multiple layers, from undergrowth such as moss and ferns to landscape stones and medium height trees, create a compact yet deep landscape. The compactness of the space also means that the plants are close to people, allowing the users to feel the weather and the changing seasons in their daily lives. The cobblestone pavement enables the use of a terrace-like space, where one can casually step outside for a light meal when the weather is nice. We aimed to bring the richness of loving plants and trees into people's lives.  The approach to the site is made up of tan-brown granite, which is boldly pulled into the entrance floor of the house to create a continuous line. Since it is a narrow passageway between neighboring properties, we created an elaborate finish to give visitors a sense of anticipation of what lies ahead. The use of stone paving also directs visitors' attention to their feet, helping to create a sense of openness in the hall atrium. ⚪︎Lighting Plan  The base lighting is not too bright, and the presence of the fixtures themselves is minimized as much as possible. In particular, the lighting that enhances the plants in the courtyard illuminates from a high position, like moonlight, to prevent reflections on the glass and to express the natural beauty of the plants. In the hall, lights were installed in the air conditioner niche avoiding the exposure of fixtures on the ceiling surface, so as not to spoil the abstractness of the space.  On the other hand, at the place where people are welcomed in or stay (entrance, dining room, living room, and restroom), lighting with a textured presence is placed to contribute to the interior design and accentuate the space. ⚪︎Summary  In an environment where neighboring houses are densely packed, we were able to build a world for the residents by separating the interior spaces from their surroundings. The client spends his busy days at work, but during his time here, he wants to forget his work, surround himself with his favorite things, and spend truly restful moments with his family and friends. We hope that daily life in a house that heals both body and soul will be a source of daily vitality. We hope that this home will be a vessel to support such a lifestyle. ⚪︎Property Information Client|Couple Total floor area|70.10m2 Building area|42.56m2 1floor area|39.59m2 2floor area|30.51m2 Site area|89.35㎡ Location|Nishinomiya-shi, Hyogo, Japan Zoning|Article 22 zone Structure|Wooden 2 stories Exterior|Galvalume steel sheet, sprayed with Jolipad Interior|Floor: Tile flooring, composite flooring           Walls: Marble Feel paint finish           Ceiling: Marble Feel paint finish Design Period|November 2022 - July 2023 Construction Period|August 2023 - March 2024 Basic Design/Execution Design/Site Supervision| Yosaku Tsutsumi, arbol  + O Kato, Ashitaka Architect Atelier Construction| Minoru Construction Company Landscaping|Ogino Landscape Design Co. Lighting|Kazuhiko Hanai, Daiko Electric Co. Air Conditioning|Hidekatsu Takada, Jbeck Co. Dining table and sofa|wood work olior. Dining chairs|tenon Interior styling|raum Photography|Yasunori Shimomura, Shimomura Photo Office (partly by O Kato) Financial planning, land search, mortgage selection|House-Bridge Co. Text | O Kato
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myonbl · 8 months
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2024年2月8日(木)
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今年初めての来客、昼間の京都を案内した。まずは<豆水楼(木屋町店)>でランチ、湯豆腐と燗酒で温まる。続いて向かったのは東山・泉涌寺の塔頭の一つ<即成院>、<京都のユニークなガチャガチャ5選>として紹介されていたところで、那須与一に縁のある寺として有名、一度訪れてみたかったのだ。上記記事に寄れば寺院のガチャガチャはいまやブームではなくすっかり定着、コロナの影響がこんな処にも出ているのかと、色々考えさせられる半日のツアーであった。
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4時30分起床。
日誌書く。
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朝食。
弁当*1。
洗濯。
プラゴミ、45L*1。
ツレアイを職場まで送る。
ごぼう茶煮る。
酢タマネギ仕込む。
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来客とは阪急河原町駅で待ち合わせ、まずは<豆水楼木屋町店>で食事、田酒(青森県)があったのが嬉しい。東山をバスで移動、泉涌寺道から坂を上ると総門手前左にあるのが<即成院>。まずは本堂にお詣り、参拝客は他に1人だけ。続いてお目当てのガチャガチャ、木の扉を開けると上下2台が設置されている。ところが、100円玉5枚を入れても反応がない、受付の女性にお願いしたが彼女も操作に慣れていない様子、結局自分の好きなものを一つとってくれとのこと。これではガチャガチャの妙味が無いなぁ。
帰宅すると2/20(火)の七本松落語会主催者からメール、会場を変更したとのこと。どうやら桂二葉さん登場とあって人気が出たのであろう、普段の会場から別棟の広い場所に変更したそうだ。
軽く午睡。
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夕飯準備、無印良品のセールで購入した新しいオーバルの器、初めて使ってみた。
息子たちの食事が終わってからツレアイ帰宅、午後の訪問者宅で小さなトラブル、寒い中ご苦労様。
録画番組視聴、今夜はポワロ。
第1話「ホロー荘の殺人」/ The Hollowシーズン 9, エピソード 1 次回放送日: 2024/03/31(日)20:20〜 田舎の別荘で週末を過ごしていたポワロは、ホロー荘のアンカテル夫妻からディナーの招待を受ける。翌日のランチの招待も受けたポワロが目にしたのは、血を流して横たわる男と、傍らで拳銃を手に立ちつくす妻の姿だった。最初、それをゲームかと思ったポワロだったが…。
片付け、入浴、体重は50g増、今日は仕方なし。
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さすがによく動いたので久しぶりの12,000歩越え、水分は1,510ml。
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kennak · 3 months
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■認知症女性に不動産契約…10倍の価格で売りつける 認知症の高齢女性に相場の約10倍の価格で不動産を売却したとして、男らが逮捕されました。 男らは約9万人分の高齢者名簿を手に入れ、認知症患者を標的にしていたとみられています。 認知症で1人暮らしの80代女性に不動産契約を結ばせて金をだまし取った疑いで、6月25日に男4人が再逮捕されました。 容疑者らはインターネット不動産販売の従業員を名乗り、80代の女性宅を約20回訪問。古いアパートの一室を約300万円で購入し、被害者に約10倍の3400万円で売り付けたということです。 認知症の人ら約50人から約1億3000万円���だまし取ったとみら���ています。 ■押収された9万人の名簿『80歳以上』の謎 認知症患者を標的にした詐欺事件が増えています。逮捕された容疑者の男らから押収されたのは、80歳以上の高齢者、約9万人分の電話番号などが入った名簿でした。 詐欺・悪徳商法ジャーナリスト 多田文明さん 「犯行グループの裏には、不正な方法で個人情報を入手する“闇の名簿屋”がいて、そこから得た情報を厳選して、80歳以上を抽出したと考えられる」詐欺・悪徳商法ジャーナリスト 多田さん 犯行グループは、“闇の名簿屋”の情報を基に何度も電話をかけて、 ●1人暮らしかどうか ●認知症かどうか ●家族との連絡頻度は ●資産はどのくらいか  など名簿に情報を加えていく。 認知症の人の年齢別の割合です。 80歳以上で急に割合が増えています。そのため、犯行グループは認知症の割合の多い80歳以上の名簿を持っていたとみられます。 認知症の高齢者が保有する資産額です。 金融資産は約142兆円、不動産資産は約68兆円、合計で約210兆円と言われています。 詐欺・悪徳商法ジャーナリスト 多田さん 「電話で話せば認知症かどうか分かる。認知症の方は辻褄が合わないことでも『はい』と返事をしてしまう」 認知症かどうかがわかる、やりとりの実例です。 犯行グループが「以前〇〇を購入しましたよね?」と聞き、 認知症の人が「はい」と答えます。 しかし、しばらくして「〇〇は購入していないですよね?」と逆の質問をしても、認知症の人は「はい」と答えるということです。 もう一つ、やりとりの実例です。 犯行グループが「ご注文ありがとうございます。以前ご注文いただきました商品を発送します」といきなり電話しても、認知症の人は「はい」と、注文していないのに受け入れてしまうということです。 ■押収されたマニュアル…チェック項目も 認知症の80代女性が騙された事件で容疑者らから押収されたのは、最初にかける営業電話用のマニュアルでした。 このマニュアルには、電話をかける際、インターネット不動産販売会社の従業員を名乗り「昔おばあちゃんが『やめずに頑張りなよ』 と言ってくれたから、頑張っている」という文言などが書かれていたということです。 さらにチェック項目として、 ●口が軽いか ●こちら側が主導できるか などの項目があったということです。 ■80代女性被害の犯行手口『被害者名義の口座開設』 逮捕された男らの犯行手口です。 80代の女性をだまし、容疑者らのスマホを使って勝手に80代女性名義の口座を開設して、容疑者らの支配下にある口座を作ります。 容疑者らは金融機関の窓口に80代女性と一緒に行き、80代女性の名義で勝手に開設した口座に振込みをさせ、その後スマホで自分たちの管理する口座に送金したということです。 詐欺・悪徳商法ジャーナリスト 多田さん 「これまでにない出金先があると銀行側に疑われるが、出金先が本人名義なら多額の送金をしても疑われない」■実録・給湯器『点検商法』高齢者は特に注意 特に高齢者が注意が必要な『給湯器の点検商法』です。 82歳の男性Aさんが被害にあったケースです。被害にあったAさんは、軽度の認知症を患っています。 息子さんによると、 「人から話しかけられたら『はい』『はい』と言って、何でも受けてしまう感じ。自分で判断することができなくなっている状態」だということです。 Aさんは一人暮らしで、息子たちやヘルパーが交代で世話しています。ある日、息子が父を訪ねると、テーブルの上に給湯器工事の契約書がありました。本人のサインもありましたが、本人は全く覚えがありませんでした。 契約書の内容は、給湯器本体と工事費で約33万円でした。 息子は「(今使っている)給湯器の状態は全く悪くなく、普通に作動していたので、だまされたのかなと」いうことでクーリング・オフをしました。 クーリング・オフ制度とは、訪問販売の場合は、契約から8日以内であれば無条件で契約を解除できる制度です。 こうした高齢者を狙う『点検商法』は、『屋根』『床下』『給湯器』などです。 多田さんによると、 「高齢者が“自分で確認できない”というのがポイント」だといいます。 特に、給湯器の点検商法に関する相談は急激に増えていて、2023年度は前年度の約3.5倍です。そして、契約当事者の7割以上が70歳以上だということです。 詐欺・悪徳商法ジャーナリスト 多田さん 「リフォーム系はこれまでにもトラブルが多く、かなり注意喚起されてきたが、給湯器はこれまで悪質業者があまり手を出していなかったので世間の警戒感が薄く、最近被害が拡大している」 80代女性Bさんのケースです。 息子と2人暮らしですが、息子が仕事で不在の時に、突然、30歳前後の女性が訪問してきました。 「ガスの点検に来ました」ということでしたが、Bさんによると「相手が名乗ったかどうかはわからない」ということです。 これまでBさんは給湯器の不調を感じたことはなかったのですが、点検に来たという女性は「給湯器の調子が悪い。古いから取り換えるしかない」と言いました。具体的な説明はありませんでした。 しかし、Bさんはその場で契約してしまい、取り換え工事費として、29万7000円を現金一括払いで請求されました。 契約書には、『10年以上点検お値引き一式』14万7600円という謎の値引き項目がありました。 多田さんによると、これは「大幅な値引き項目を作り『得だ』『安い』と思わせる手法」だということです。 Bさんが地元のガス会社に話をしたところ、「騙されているかも」と言われて、クーリング・オフできたので被害は未然に防げました。 ■悪質業者に狙われない対策…家族ができることは? 認知症の高齢者が、悪徳業者に狙われないために、家族ができることは何でしょうか? 一つめは、成年後見制度を活用することです。 成年後見制度とは、認知症などで判断力が不十分な場合に家庭裁判所が選んだ後見人が、本人に代わって財産管理などを行う仕組みです。 詐欺・悪徳商法ジャーナリスト 多田さん 「悪質業者の中には、この制度を使っているかを電話で聞き出して、使っている場合は名簿から外すこともある」 二つめは、電話を留守電にしておくことです。 また、会話を自動録音する機能や、録音していることを告げる機能がついている電話機を設置し、こまめに家族が確認します。 詐欺・悪徳商法ジャーナリスト 多田さん 「可能であれば『折り返しの電話番号を聞く』こと、『長話しない』ことも大事」 (「羽鳥慎一 モーニングショー」2024年7月3日放送分より)
流出 9万人の高齢者名簿 標的は認知症患者…手口&対策は - ライブドアニュース
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tokyomariegold · 2 months
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2024/2/6〜
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2月6日 昨日お部屋で冷やしすぎた身体を引きずって、2日連続でロキソニンを飲んでしまった。せっかくこのところ飲まない日を続けられていたのに。
朝起きると窓の外が真っ白だった。 昨晩雪の降るカーン、みたいな音と、ものすごくバキバキなる雷の音を聞きながら、冷えすぎた身体で何も味覚を感じられない状態で無味食事をした。 無味だと満たされなくて必要以上に食べ過ぎで良くない。
今住んでいる地獄だけが真っ白で、職場のある町は通常通りで拍子抜けしてしまった。 職場の方々は昨日、いつも通り帰宅できたとのこと。 今日も引き続き寒さが続いてお昼前には身体が冷えすぎて焦る以外何もできなくなってしまい、引き出しにあった賞味期限が一年切れたアマノのフリーズドライお味噌汁を飲んでしまった。 文字通りその場を凌いだだけで、後からお腹痛くなったらどうしよう。
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帰り際にムーミンクッキーをプレゼントしてくださった職員さんから「あの、LINEを交換しませんか」と話しかけてもらう。全然安売りできちゃう連絡先なので、そんなに気を遣って気持ちを込めて言われてしまって面食らってしまって「こんなこと言われたら、いいですよ、以外答えられないですよね…すみません」と言わせてしまった。
結婚祝いを贈った友人のもとに品物が届いたらしく、お礼のメッセージが来ていて、彼女の言葉やテンションを思い出す文面にとても懐かしくて嬉しくなった。毎朝、毎晩一緒に通学して、朝の「おはよう」だけで相手の機嫌がわかるくらいの仲で、何曜日かの夕方は、彼女の観たいアニメに間に合うかもしれないから、と、別れ際の立ち話はせず別れて、部活の引退の文集では“ずっと仲が良さそうな2人”ランキング第1位だった私たちだった。
今週は2回東京出張がある。今は、ある、という事実だけを受け入れるしかできなくて、ついでに都内を楽しむ予定や、へとへとに倒れるのを防ぐための心得をできずにいる。
同じフロアでいつも帰るのバスが同じ職員さんが、来週から産休に入る、と聞いてとても驚いて、多分私と一つくらいしか違わない。みんな人生している。
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2月7日 朝、窓の外が真っ白で、今日の白は雪ではなく霜。 東京出張をして、職場よりも雪景色の東京の街でたくさん雪だるまをみた。雪があるせいか、東京もそこから冷えて寒くて、今日は1日に3回くらい身体を芯から冷やしては吐き気と眩暈を起こしていた。
午前でお仕事を終えて、池袋のデパート地下の揺れるバレンタインのお菓子売り場を眺めたり、alt_mediumへ行って展示を観て、白濱さんの同級生さんたちの会話に混ざったり、関西のギャラリーや塩釜ヤングポートフォリオのことを教えてもらったりした。 平日の昼間でも行列ができているお菓子屋さんもあり、眺めるだけの身分だと、とてもわくわく光景だった。 モロゾフでナインチェのバレンタインコフレを探してみたところ「この先の催事にあります」と店員さんが丁寧に教えてくれた。映画館でアルバイトをしていた時の同僚の、女優業をされている方にとてもよく似ていた。 職場の方々へ渡せる個包装のナインチェのハッピーボックスと、缶タイプのチョコレートを買った!ナインチェへの愛!
お家に早く帰れたので、加湿器を洗って(一部壊したり)、ちょっと床を拭くだけ…と思いつつ全床拭き上げてしまったりで、すっかり身体を冷やしてへとへとにしてしまい今日もアンコントロールラブ。
友人が投稿していた素甘の写真がとても良くて、すあまって食べたくないけれど、概念として考えがいのある存在な気がして気になっている。 すごく、ハッピー度?ポップ指数?の低い存在な気がしている。
1日を通して、ずっと職場の業務内容でない、人間関係的なことが頭の中で思考のBGMのように流れ続けていた(特に悩んではいないはずなのに)。
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2月8日 大学時代の友人のお誕生日。ひとのお誕生日をお祝いして、やっと自分のお誕生日を終えることができた気がする。
すあまのことが気になり、職場の関西出身の方に聞いてみたところ「すあま?あのニッキみたいなお菓子?」と言われ、それは、すはまかも!と言いながら写真を見てもらう。 やっぱり関東に来てから知ったそう。 そして、昨日から“すあま”と検索したところ、予測に“すはま 違い”と出てきて少しに気になっていた“すはま”について調べてみる。 昔祖母が京都土産で買ってきてくれていた三色団子の形をしたお菓子が、すはま、だったことが判明!
全然美味しくないな!と思いながら、京都えりのお土産話のお供にお茶の席で出してもらっていたすはまだんご。爪楊枝の串に刺さった三色団子が三段くらいずらっと箱に並んでいて、二枚ほど硬い食べられる(多分これもすはま)紅葉が乗っていた。
自分で京都に行く様になるまでずっと、京都といえばこのお団子のお菓子だったので、今思うともっといろんなお土産があったはずなのになんですはまだったんだろう。 それに京都のお土産コーナーにすはまだんごが当たり前に並んでいる記憶がない。
久しぶりに祖母のことを思い出した。
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2月9日 都庁へ出張して、2時間半かけて職場へ移動して、一期下の方とすあまやセブンティーンアイスの話をしながら帰ってきて、とても長い1日だった。
雪が降ったり、東京出張が2回あったり、今週1週間がとても長かった。
新宿の西口の風景が様変わりしていて、何かがなくなっていたのだけれど、なんなのかがはっきりわからなくて、多分ミロードだったか小田急?京王?の建物がすっかりなくなっていた気がする。
新宿もデパートがバレンタインで見ていて楽しかった。
移動中に去年投稿したストーリーのアーカイブを眺めて、自分のことながら、よいかんじで投稿しているな、と思って、���も今は自分を満足させられる投稿を継続できる自信もなく、日記も最近更新できていなくてちょっと不安になった。
明日のフォトレビューのお知らせも来てなくて不安になっているし、そもそもレビューを通しで受けられる体力や気力もない気がしている。
一期下の方と、セブンティーンアイスのカスタードプリンがおいしかったけれど最近自販機に並んでいるのを見ないね、と話して別れた矢先、ここにはないと思っていた乗り換え駅でセブンティーンアイスの自販機を見つけ、更に右上角にカスタードプリンを見つけ、思わず写真を送ってしまった金曜日の夜。
新宿はどこの足を置いても汚物を踏んでいる気持ちになって、もういろいろ諦めてしまった。
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vivariku · 2 years
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1650年代、イギリスに初めてコーヒーが紹介された。
当時、コーヒーはイスラム圏と付き合いのあったヴェネツィアくらいしか飲まれておらず、口当たりもあまりよくなかったので悪魔の飲み物ではないかと当初思われていたものの、頭痛や痛風、皮膚病に効くとされて受け入れられる。
コーヒーハウスが初めてロンドンにできたのは1652年だった。
この頃はハイソな飲み物扱いで、大学生や銀行家、保険会社のビジネスマンなど、排他的な知的エリートの溜まり場で、普通の人は入れなかったけど、彼らはたちまちコーヒーの魅力にハマる。
「酒と違って酩酊しない! 頭がクリアになる!」
有益な効果を表す嗜好品として彼らはカフェイン中毒になっていった。
「コーヒーは身体にいいし、思考力が高まるらしい」
口コミでコーヒーへの憧れが広まる。飲んでみたい。そんなある日、大事件が起こる。
ロンドンを大火災が襲い、市街の9割が焼失した。ロンドン大火。
焼け落ちたロンドンが急ピッチで再建されていく。元々の店を失った人達は、いい機会だからコーヒーハウスでもやるかと考え、ロンドン中でコーヒーハウスが開店した。
コーヒーはありふれた飲み物となり、庶民もコーヒーハウスに通い出す。何せ席料込みでコーヒーいっぱい、たったの1ペニーだった。
元々知的エリート達の場であったコーヒーハウスは、庶民がやってきた事で多様な階層が一緒に過ごす混沌とした坩堝となった。
「旦那ぁ! 新聞を読んで下せぇ! 俺っちは字が読めねぇんでさ!」
「よし来た。昨今の政治状況はな……」
文字が読める者はそうでないものに日々のニュースを伝える。
身分階層の異なる者が、異なる知見をそれぞれ持ち込み、酩酊するでなく、逆にクリアな頭で話し合う。コーヒーには軽い覚醒効果と興奮作用があった。時には激しく議論になることもある。世界が広がる。知らない事が知れる。
楽しい。
コーヒーハウスはたちまち大人気となった。
政治、哲学、思想、文学、科学、宗教、ゴシップ、ニュース、ビジネス、ありとあらゆる事が話された。
紳士もいたし庶民もいた。悪党もいたし女衒も詐欺師もいた。ありとあらゆる話題がコーヒーハウスに溢れる。
やがてコーヒーハウスは『ペニー・ユニバーシティ(1ペニーの大学)』と呼ばれる。
余りに居心地がいいので入り浸る人が続出した。中には住み着いてしまう人すら出る始末。
コーヒーハウスは女人禁制の男の社交場で、爪弾きにされた女達はコーヒーハウスに憤慨し、コーヒー害悪論を展開する。
「ウチの夫がもう何日も家に帰ってこない! コーヒーのせいだ!」
王政府もコーヒーハウスの状況に真っ青になる。最も知的な人たちが最もわい雑な言葉で日々、喧々轟々の議論をやるし、その中にはかなりの程度政権に批判的な言葉が含まれていた。悪魔の飲み物は伊達ではない。
「反体制派の溜まり場ではないか! コーヒーハウスは禁止!」
1675年、国王チャールズ2世が禁令を出す。チャールズ2世は清教徒革命でイギリスを追い出され、命辛々、なんとか国王に復帰した人で、反体制派の怖さは身に染みて知っている。
しかし国王を以てしてもコーヒーには勝てない。
「国王横暴! 議論させろ! コーヒー飲ませろ!」
やむなく禁令は撤回される。次代のジェームズ2世の時にはせめて扇動的な出版物を置くなとやや緩めの禁令が出るも、これも敢えなく撤回。ゴシップと扇動はコーヒーハウスの華。撤去できる訳がない。
こうしてコーヒーハウスは身分秩序の強いイギリスで異例の平等な空間として栄えた。
コーヒーハウスは18世紀の中頃まで流行したものの、混沌とした空間を楽しんでいた利用者達は、やがてそれぞれの階級に相応しい方向に分化していく。高級層はクラブに、庶民はパブに。
コーヒーハウスは情報と話題の独占者であり続けるため、独自の新聞を作ろうとしたけど、それは嘲笑を買った。
また、紅茶ブームが始まるとコーヒーの人気も衰え、熱狂的だったコーヒーブームも18世紀終わり頃にはすっかりと収束する。
再度、カフェが開かれるけど、それは女性でも安心して訪れることのできる優雅な雰囲気のお店で、かつてのわい雑なコーヒーハウスとは似ても似つかなかった。
安価で、誰にでも開かれている一方、クローズドな側面も持ち、ありとあらゆる話題が集中し、過激な議論や罵り合いが身分の高低を問わず日々繰り返される。
コーヒーハウスは17世紀から18世紀のヨーロッパの思想醸成の場として機能し、革命派の温床にもなった。
いつでも、こうした場は魅力的ね。
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tabatastuff · 2 months
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Japanese Only. Emergency! My PC is almost dying…
この記事は日本語のみ。(ただの日記。余裕なし。) 学生証を描き終わるよりPCの方が先にお亡くなりになりそうだからこの汚い字と共に、私の女の趣味をぎゅっと詰め込んだ転入生を置いておきます。 上手く言語化出来ないけど・・・こういう感じの子が好き!!! (この髪型HLのプリセットに無いけど許して…。この髪型かわいいし便利なの。)
(あとこの前上げたオミの瞳のやつ、あまりにも雑すぎるので私のクソデカ感情とともにちゃんと描きたいけどPCちゃんが死にそうなのでpending…)
転入生の絵描いてたらPCちゃんがいよいよ限界を迎えたみたい。 このPCは故人の自作PCを譲り受けて使っていて、ゲーミングPCではあるんだけど 2010年くらいから色々パーツを継ぎ足して使い続けてたみたいなのでもう限界かも。
折角SteamでHL買ったのに起動するとクリティカルエラーでPCが落ちるんだよね。 最近は本当にダメで、ちょっと絵描くとファンが全力回転するし、 クリスタの大きいブラシは処理が追い付かないのかまともに塗れないし、グラデーション機能もロードが入るし…フル手描きの縛りプレイを食らってる。
ここ数日クリスタ起動中にブラックアウトするようになったのでさすがに新しいの注文した。 画像の転入生の文字描いてるときも何回かくるくるロード食らったし本当に限界かも。この前入れたPhotoshopはまともに動かないし…><フォトショのブラシ選択中にロード入るのはさすがにやばい。
新しいPCはエイリアンにした!ハイエンドじゃないけど、これで来年もMHもプレイできるはず…!!! 資料スクショ撮りまくるぞ~~~!!!!! 今7/11、新しいPCは8月頭に到着予定。 今週末~バックアップと棚卸するので絵はゆる~い落書きしか描けないかも。 (下手に描くとデータ飛びそうだし)
わたくし絵を始めてから人様の作品を見る余裕が無くなってしまったのでPC壊れたのはいい機会かも。 他の作家さんにいいね&コメントしたり、AO3の旅に出ようかな~~。 すばらしくセンシュアルな文章に溢れているはず。
絵を始めてから毎日勉強と練習を兼ねた作画で毎日4時就寝の8時半起床…(3月~5月で3回以上徹夜した) このままだとまずい気がするのでしばらくは他の作家さんの素晴らしい作品を見てにんまりしよう。 (Bodyの練習終わったから、セバ転のどセンシを描く予定だったけど新PCに持ち越し(´;ω;`))
<以下は最近読んだ漫画に対する私のクソデカ感情なのでスキップ推奨 ※うっすらネタバレ> 藤本タツキ先生のルックバック見てガチ泣きした…。
私にも、自分は絵が上手いと思っていた時がありました… 中3の時なんだけど、美術部を差し置いてなんか校内で表彰されたりして、皆からも上手いねって言ってもらえて、中学の中で絵が上手い人扱いされ、絵描くの好きだったしその流れで高校の美術部に入ったら皆私なんかよりめちゃくちゃ上手かった。 後で知ったんだけど、美術部って指導が上手い(≒上位美大出身)先生のとこの生徒はみんな上手い。そして、そういう部活はイラストNGだから美術に対するモチベ高いガチ勢しか続かないので必然と少数精鋭になりがち…。 (現役でG大に行く人も居ました…。) あの時から今に至るまで自分で上手く描けた(当社比)と思うことはあっても自分が絵が上手いと思ったことは一度も無い。楽しんで描けるものなんて無くて一つ一つ理解して勉強しないと描けるタイプじゃないんだなって実感した…。 あの辛かった日々を思い出して心にダメージが…。 (最終的にそれなりにうまくなったよ!!けどめちゃくちゃしんどかった。)
高校1年生の時に「楽しく描くイラスト」から「正しいものを正しく描く世界」にシフトしてそのまま戻ってこれない…。 そしてずっとまともに絵描いてなかったからめちゃくちゃ下手になって猛烈に焦っている…(笑)目だけはやたら肥えた描けない人、それが私…😢頭の中ではそれなりに破綻せず描けた自分のままだし正しい物のありかたも知識としてあるから今本当にしんどい~~~。 何で絵描くのやめちゃったんだろう。描き方すら忘れちゃって今色々思い出してきたところ…。大学入ってからも独学で続ければよかった~~~。目玉焼きとかゆるい模様ばっかり描いてた…。 実は人体なんて褒められたことないし一番苦手…。褒められたのは背景と植物と画面構成…。でもそれも今出来るか分からない。描き方思い出したしちゃんとやらないと…。
余談ですが、この前Youtubeで絵の成長ショートを見ていたら1年でめちゃくちゃ上手くなった人がいてすごいな~と感心してたんだけど、 コメ欄が「短期間で絵柄もこんなに変わると、ね…」「トレパク…?」とか若干荒れ気味で恐怖を感じた…。
絵ってめちゃくちゃ残酷で、4年目の人より1か月目の人の方がダントツ上手いっていうのが全然ありえる世界だからな…。 (後のG大現役ちゃんから聞いたんだけど、美大予備校で一番上手かったのは高3の7月に入ってきた初心者らしい。)
私はもう誰が何を描いてきても全く驚かないけどあんまり絵描かない人?はそう思うのか…こわ~~!!
一年で全然上手くなるよ! 正直私もいきなりうまくなったタイプなんだけど、(自分で言っちゃうけど過去実際に言われた)アナログだったらトレス出来ないから文句つけようがないけど…。デジタルだとこういう風に言ってくる人もいるのか… こわいよ~~~…。
こんな世界に誰がした><
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kinemekoudon · 2 years
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【11話】 大麻所持で起訴されたくなかったので、裁判官や刑事に黙秘しておいたときのレポ 【大麻取り締まられレポ】
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――逮捕から3日目。例によって、6時半に留置官の「起床―!」という大声で目を覚ました後、掃除やら片付けやらのルーティーンをこなし、朝食をとり、運動場で日光浴を済ますと、すぐに留置官から「5番、移送」と声がかかる。
今日は勾留質問というイベントがあることをあらかじめ伝えられていたので、手錠と腰縄をかけられると、昨日に引き続きワゴン車に乗せられ、両隣に留置官が座った。
勾留質問とは、地裁の裁判官が被疑者の言い分を聞いて、勾留の必要性があるかを検討し、勾留を認可するか却下するかを決定するというイベントなのだが、弁護士曰く、薬物事犯は確実に拘留が決定するらしいので、裁判官が“検討する”フリをして、拘留認可の通知を出すという作業に、形式上付き合わされるだけなのである。
※ちなみに、令和3年「犯罪白書」によると、大麻取締法違反の勾留決定率は約99.8%です(勾留却下率0.2%)。また、否認や黙秘をした場合、ほぼ確実に20日間(“勾留の”最長期間)拘留され、弁護士以外の全ての人と面会ができなくなるという“接見禁止”がつきます。
ワゴン車が地裁の地下駐車場に着くと、地下の入口から、50人くらいが一堂に集められた広間に連れて行かれ、地裁での規則を説明されたのち、2畳ほどの待合室に入れられる。その待合室の中は、片側に硬い木のベンチと奥に便器が剥き出しで置いてあるだけの殺風景な部屋で、必要十分な機能を備えた裁判所らしい待合室だと思った。
1人の留置官が僕と一緒に待合室に入り、もう1人は待合室の外で待機していた。最初は裁判所の規則通り静かにしていたが、10分もすると退屈に耐えきれなくなり、僕は留置官と世間話を始めた。
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その留置官は、珍しくヘラヘラとした顔つきをしている柔和な印象の男で、身の上話を聞くと、元々モデルガンを収集していたガンマニアで、モデルガン好きが高じて、拳銃を所持できるからという幼稚な動機で警察になったという馬鹿げた人間だった。
そいつは最近結婚したそうなのだが、嫁が真面目で性格が厳しいらしく、モデルガンのほとんどを捨てられたそうだが、何十万円もする高価なモデルガンだけは、同棲開始前に嫁にバレないよう押し入れに隠しておいたので捨てられずに済んだという話を得意げにしていた。
やがて、ようやく呼び出しがかかり、裁判官の待つ小部屋に連れていかれる。待機の時間は朝から夕方まで続いていたが、その留置官と雑談していたおかげで、地検の待ち時間より長かったにもかかわらず、待ち時間を短く感じることができたので幸いだった。
裁判官の待つ小部屋では、対面に机を介して阿佐ヶ谷姉妹風のおばさん裁判官、その隣に書記官が座っており、おばさん裁判官は見るからにこの業務を面倒くさく思っていそうな、やる気のない面構えをしていた。
おばさん裁判官は、黙秘権の説明と本人確認のための人定質問をしてから、勾留請求書に書かれている被疑事実を読み、「何か言いたいことはありますか?」と僕に尋ね、僕が「黙秘します」と答えると、「それでは、逃亡・証拠隠滅の恐れがあるので、10日間の拘留を認め、接見を禁じます」と告知し、僕が「はい」と応えると、勾留質問はこれにて終了となった。
僕の陳述を親身に聞くフリすらしないおばさん裁判官の無機質な対応に、僕は少し不快に思ったが、どのみち拘留になるわけだし、早く終わるに越したことはなかったので、流れ作業をしてくれてありがたいと思うことにした。
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そうして、勾留質問が終わると、再び待合室で数十分待機させられた後、駐車場に駐めてあるワゴン車に連れ戻され、同行の警官の一人が裁判所から拘留決定通知書を貰ってくるまで、1時間ほど待機させられた。
それから1時間ほどかけて署まで戻り、留置場の居室に戻る頃には、19時位になっており、夕食の時間からだいぶ遅れて食事をとることになった。
ガンマニアの留置官と喋って退屈を紛らわせていたとはいえ、長時間手錠をかけられ、座らされていることにかなりカロリーを消費していたので、弁当一つでは満足できなかった。
食後、ニューヨークの嶋佐似の留置官が「5番、これ接見禁止の通知書」と言って、一枚の紙を鉄格子越しに渡してきて、「もし抗告するなら…」と言ってきたので、食い気味に「大丈夫です」と言って紙を受け取った。
暇つぶしに接見禁止の通知書をしばらく眺めていると、裁判所のババアの顔が浮かんできて、今になって腹が立ってきたので、紙をくしゃくしゃに丸めて壁に向かって思いっきり投げ、嶋佐に怒られるまでしばらく壁当てをしていた。
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――逮捕から4日目。朝の9時半頃、朝食を食べ終え、再度寝ていると、嶋佐が「5番、取調べ」とだけ無機質に言うので、寝ぼけまなこで立ち上がり、鉄格子の前に立つ。
留置官に連れられ、留置場の出入り口前に着くと、壁に両手のシルエットマーク、その下の床に両足のシルエットマークが印された場所があり、そのマークの上に立ち、手をつくように指示をされる。
壁に手をつき、直立する僕の身体を留置官が上からまさぐり、便所サンダルを脱がされ、足の裏まで確認されると、壁を向いた状態で手錠をかけられる。未だに手錠をかけられると、警察モノの映画でも撮影しているのかと錯覚するくらい、他人事のように思えてしまう。
手錠をかけられた後、嶋佐が腰縄を巻き付けてキツく縛ってきたので、「ちょっとキツいです」と申し出ると、「キツくしないといけないんだよ」などとラチのあかないことを言ってきたので、「昨日はこんなにキツくなかったんですけど」などとゴネると、隣にいたガンマニアの留置官が「取調室に行くまでの間だけだからさ。我慢してよ」と柔和になだめてきたので、僕はガンマニアに免じて大人しく従った。
場内から出ると、廊下には前に取調べをしてきた女刑事を含む3人の刑事が立っていて、女刑事を先導に、2人の刑事が腰縄を握って、僕の後ろにつく形で階段を上る。
ひとつ上の階へ上がると、「薬物乱用やめよう」とか「ダメゼッタイ」だのと書かれているバカデカいポスターが間隔なしにびっしりと壁に貼られている廊下を進み、刑事課の横を通った先にある取調室に入る。
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取調室のパイプ椅子に座ると、手錠と腰縄を外され、外した腰縄でパイプ椅子に腰のあたりくくりつけられ、女刑事が湯飲みに入った熱い茶を持ってきて、「それじゃあ取調べ始めるね」などと優しい口調で言い、対面のパイプ椅子に腰掛ける。
女刑事は、じゃりン子チエみたいな顔をして、表面上は男勝りに気丈に振る舞っていたが、口調や表情からは女性的な献身性が感じられた。
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女刑事は、取調べの前に黙秘権について説明をしてきたので、僕はすかさず「事件については黙秘します」と言い、「雑談でしたらしてもいいですよ」と付け加える。
すると女刑事は急に真剣な眼差しになり、「どうして?」と聞いてくる。僕は、前に弁護士に「なんで黙秘するのか聞かれたら、“怖い弁護士に黙秘でいいと言われた”とでも言っておけばいい」と言われたのを思い出し、そのままその台詞を言っておく。
女刑事は「あなたの人生に関わることなんだから、弁護士のいいなりになるんじゃなくて…」うんぬんかんぬんと言ってきたが、僕は「でも黙秘しないと弁護士に怒られるので嫌です」などと幼稚な返答をして、テキトーにあしらっておいた。
刑事調べは、僕が黙秘権を行使したため、事件とは関係のない雑談をすることになった。女刑事は僕が出身した中学校の隣の中学校に通っていたらしく、色々と共通点が多かったので、割と会話が弾んだ。
昼食の時間になり、一旦休憩ということで、留置場の居室に戻される。昼食はいつも、コッペパン2本、小さい包装に入ったジャムとマーガリンに、チョコレートペーストかピーナッツバターが各1個、小さい容器に入った2口3口で食べ終わる惣菜、果物系の味の小さい紙パックジュースかカルアップなのだが、今日は日曜なので昨日購入した自弁もついてきた。
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自弁とは、自費で購入する弁当(お菓子や飲み物も含む)のことで、日曜の昼食はお菓子と飲み物を頼めることになっていたので、この日は小さい紙パックのコーヒー90円と、どら焼き150円を頼んでいた。
どら焼きは別に美味しくもなんとも思わなかったが、コーヒーはとても美味しく感じた。僕は毎日3杯はコーヒーを飲んでいたので、4日ぶりに飲むコーヒーの苦みは舌中に染み渡ったし、何よりカフェインが効いてきて、珍しく覚醒作用をしっかりと実感できた。
昼食後、玉音放送みたいなノイズ感のニュース音声がスピーカーから流れ、それから10分ほど日本の歌が流れる。この日は福山雅治の「家族になろうよ」とかいうしょうもない歌がループでかかっていた。
それからすぐに招集がかかり、例によって手錠をかけられ、取調室に連れて行かれる。女刑事は「まだ話してくれないかな?」などと物寂しそうな風を装って聞いてきたが、僕は「無理ですね。でも、留置場に戻っても退屈なので、雑談してくれると嬉しいです」と正直に応えた。
女刑事は聞き上手だったし、僕はカフェインを摂って多弁になっていたので、それから3時間半ほど、事件に無関係な戯れ言をほとんど一方的にベラベラと喋り続けた。
「ブラジルの刑務所は半年に一度女を連れ込んでSEXができるらしい」とか「ノルウェーの刑務所はスタジオがあってギターを弾けるらしい」とか、「日本の刑務所は娯楽の重要性を軽視していて人権侵害だ」みたいなことを言っていた気がする。
夕方頃、女刑事は少し疲弊した表情で「じゃあ、今日はこのへんで…」と話を切り上げて、「調書を取らなかった」と記載された調書に僕の指印を押させた。文言に問題はなさそうだったので指印を押しておいたが、別に押さなくてもよかった。
女刑事相手に一方的に喋り散らかすという行為でストレスを発散できたようで、僕は非常に愉快な気分で取調室を後にし、留置場の居室に戻っていった。
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つづく
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
#フィクション#エッセイ#大麻#大麻取り締まられレポ
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14-sakiii · 4 months
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5月2日(木)
病院へ。左側の親知らずを一泊入院で一気に抜くことに。入院とは縁のない人生を送ってきたから、そわそわとする。その日のうちに必要な検査を受けた。血液検査が一番怖かったのだけど、全く痛くなくて良かった。検査が終わり、入院の手続きをする前に時間ができたから院内のカフェ・���・クリエへ。ホットサンドとアメリカン。先生達の様子を見ながら食べた。お腹が空いているということを目の当たりにすると、みんな人間だなという気持ちになる。病院を出て、神社でお参りして、図書館で本を借りて、母の日用のお花と家族みんな用のお菓子を購入。夕方、迎えにきてもらい、そのままお寿司を食べた。7皿が丁度良い。おやつの杏仁豆腐がかっちりしてなくて、ラフな感じで美味しかった。
5月3日(金)
久しぶりの実家での起床。猫と一緒に寝ると、目覚めが良い。バナナサンドを作り、妹と庭で食べた。その後、40分歩いて足湯へ。足を湯に入れた瞬間の心地よさは半端なかった。また40分歩いて帰宅。お昼に炒飯を作ったり、余ったパンの耳できな粉ラスクを作ったり。夜は映画館へ。上映中の作品の中から見覚えのあるタイトルが目に入った。この映画が面白かったという日記を読んだから覚えていたのだった。ネタバレをしていない内容だったし、予告も観ずに鑑賞。わざわざ映画にしなくても良いけど、したら唯一無二で最高って感じ。余白が終始心地良く、場面転換の少なさが印象的だった。兎に角、会話に集中する。登場人物達の感情の機微を楽しめる。何より、夏が舞台で、具体的な記憶は浮かばないけど、こういう瞬間が確かに自分の学生生活の中にあったなという懐かしい感覚を思い出せたのが良かった。
5月4日(土)
父と母と霧ヶ峰へ。霧ヶ峰、凄すぎ。日本ですか?ってなる。夢に出てきそうな風景だった。エアコンを見る度にこの風景が頭の中で流れるようになった。営業力すごい。霧ヶ峰で食べたきのこパスタの味も忘れられない。引き算の大切さを教えてもらった気分。
5月5日(日)
祖母家へ。お墓参りとランチでハンバーグ。夜ご飯はおばあちゃん特製まぐろ漬け丼。朝から夜まで何から何まで話した。おばあちゃんの考え方、好きだからずっと話し続けられる自信がある。仲も良い。この日のおかげで将来が少しあかるくなった。
5月6日(月)
GW最終日。1日中、職調べ。頭がパンクしそうになる。生活を変えるって大変だ。夜中にワンピースを観て元気が出た。ワンピース、面白い。毎週欠かさず観るようになった。結局、アニメはワンピースしか観ていない。ワンピースって凄い。何年も何年もかけて作品を続ける体力が凄すぎて可笑しい。悪魔の実を食べているとしても不思議ではない。
5月7日(火)
連休明けだったから程々に頑張った。体調の悪さを自覚して早めに就寝した一日だった。これがかなりの英断だった。親知らずを無事に抜いてもらえるように体調管理にはしっかり気をつけなくちゃ。癖で頭痛薬を飲みがちだから更にこれは気をつけなくっちゃ。
5月8日(水)
日記を書くのが楽しい。仕事や将来の事で頭がごちゃごちゃとしてきたから、違うページにやるべきことなどを一気にずらりと書いた。スッキリ。わたしの今の職場に対するモチベの低さは異常。尊敬できる環境に身を置けるように動いていきたい。笑ってさようならできるように、我慢をしたりしないように。
5月9日(木)
一田さんの「大人の片付け」読了。最近の私は借りても読みきれずに返却をしていたから、なんだかすごく達成感に包まれた。求めていた感覚との再会って心地良い。朝一、母に将来についてLINEをしたら「色々悩んで決めたことだろうから応援します」とのことで、ようやく物事を動かす時がやって来た。よっし!となり、早速職場に辞める報告をした。帰り道、スーパーのポイントでラーメンと白バラのソフトクリームをゲットして最高になった。
5月10日(金)
華金はいつだって、嬉しい。今の仕事を辞めることが掃除好きの上司にいつの間にやら伝わっていた。すごく残念そうな顔をされ、「こんなこと言うのはあれなんだけど結構支えだった」と告げられた。どうやら、お互いにお互いをいい人間だなって思っていたみたい。それはそれで嬉しかったけれど、わたしの気持ちは変わらない。スーパーでおやつを買って、夕焼けを見た帰り道はいつもより大袈裟でドラマチックだった。
5月11日(土)
夕方からやる気が出てスーパーへ。珍しいサーターアンダギーを広島焼きを作ってるお店で購入。広島も沖縄も大好き。また行きたいな。高知にも行きたい。実はルーツ。お金を貯めなくちゃ。メルカリ活動を再開。真夜中にああ、そういえば…!となり、動画編集を開始、気づいたら朝4時。色味に対する自分のこだわりの高さにひぇ…と、なる。
5月12日(日)
目覚めの良い起床。洗濯物を干して家を出る。気になっていたユニクロ×マリメッコのコラボを実際に目で見てみる。やはり、たくさんの人と被ってしまうのはなあ…となり、諦める。併設されている雑貨屋さんで、ナリンのボディーミストを発見!これが、噂の…!北欧暮らしの道具店で度々紹介されているナリン。実際に香りを嗅いでみたら、初めて嗅ぐ香りでびっくり。好きな香りだった。いつかのご褒美はこれに決めた。帰宅後、与太郎さんの本を写経しながら読書。ゆったり、入浴。YouTubeとInstagramの更新。
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ashrhal · 6 months
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20240407
「東京の街に出てきました。相変わらずワケの、わからないこと言ってます。」というのはくるりの東京という曲の歌詞だが、20代前半に北海道から東京に戻ってきたよりも一層色濃く、この歌詞が身体に馴染んで俺はいつまでも相変わらずワケのわからないこと言っていますなんだろうなと思う。
東京での暮らしが始まって1週間が経った。歳を重ねれば重ねるほど、時間が過ぎる速度は加速していくものだが、この1週間はこれまでの北海道での一ヶ月よりも一年よりも長く感じた。その理由は二つあって、一つは家の問題と一つは仕事の問題だった。
つまらない方から書く。仕事の問題だ。俺は北海道の職場ではそれなりにブイブイ言わせて活躍することができていたが、東京の仕事を知って感じたことは無力さだった。大学で人気者だった新卒の男の子たちが一般的に感じる無力さ同様、俺は東京の仕事量や周りのスキルにきちんと圧倒され、あーばばばと宣うこととなった。
具体的に言えば、Excelでピポットテーブルを使いこなすことなぞしたこともなかったが、周りのみんなはそれを呼吸するがの如くできる。他部署や他社との電話での"お話"をすることなんて今まで俺には無く、急にやらざるを得ない状況になった時に無意味なエヘヘへ〜という不気味な笑みを電話相手に聞かせてしまい気色の悪い結果となるが、周りの人はそんなことを普通にやって��けてしまう。そんな環境であることを期待していたにも関わらず、今の周りにとって普通のことを普通にできないという事実に直面してきちんと落ち込んでいるし、まあ新卒みたいなもんだからいずれできるようになるっしょという気持ちでなんとか乗り切ろうときちんと四苦八苦している。
業務量も北海道の頃の体感比4倍で、午後になるともう頭がピヨピヨしてしまう。労働時間もこれまでは19時まで残業したら俺は今日頑張った!と思っていたが、今は朝6時に起き19時半まで働くことがデフォルト。19時半からが残業だよなあと錯覚してしまうような環境がまだ1週間も働いていないのに当たり前と化している。
「なんで東京で働きたいの?」と質問されたらどう答えよう。理由は死ぬほどある。前の日記に書いたように、若かりし頃に得た東京の暮らしへの憧憬だとか、父親が高卒ででかい会社の偉い人になったからその視点や世界を味わってみたいだとか、目標や乗り越えなくてはいけない壁のようなものがないと退屈してしまう俺の性質だとか、社会人として北海道時代の俺への評価は果たして適切だったのか知りたいというような自身の社会性への期待だとか、シンプルに金が欲しいという浅ましい気持ちだとか。
それらさまざまな理由をもって東京に来たはずだったが、現実はそう甘くはない。今はなんとか、持ち前の「全員殺すぞ」という気持ちと、「なるようにしかならない」という適当な気持ちで4月1日からの1週間を乗り越えることができたが、今後どうなっていくのかは正直わからないという気持ちもあるし、まあ俺はなんだかんだで上手いことやっていくでしょうという根拠のない自信も微かにある。アサハラ鬱病編が人生に無いことを祈りつつも自分自身に健闘を祈る。
二つ目が家の問題だ。北海道では綺麗な1LDK、浴室乾燥機付、エアコン付、札幌中心まで徒歩5分で家賃7万円程度という、こと"家"という観点では何不自由ない暮らしをしていた。東京に引っ越すとなった時に、選択肢としては自身で賃貸を借りる、社宅に住むという2択があった。今でこそ思考停止していたなと反省することではあるが、奥さんと2人で住めるような家で、俺が住みたいエリアに住む家を借りて住むとなると家賃は最低でも12万円ほど必要だった。それに比べて、社宅は家賃1万円。年間コストで言えば120万円社宅に住む方がお得だった。その120万円という暴力にあえなく屈し脳死で社宅を選んだが、これがとんでもない物件だった。
駅徒歩15分、は最悪許せる。6畳間の和室が二つあることも最悪許せる。エアコンやガス台がないことも最悪許せる。部屋の壁と床に隙間があり、そこから冷気が流れ込んでくることや、小さな蜘蛛たちがどう頑張ってもそこかしこで跳梁跋扈してることも全然許せる。なぜなら俺は元無職だから。汚い家にはそれなりに慣れているつもりだから。が、しかし社宅のそれは俺の想像を悠々と超えており、初めて家に対して生理的に無理という気持ちを抱いた。
問題は水回りにあった。まず風呂がバランス釜。バランス釜って言葉みんな聞いたことある?少なくとも俺はこの家に住むまでなかったよ。加えて風呂の床は汚い雑巾みたいな色をした石でできており、シャワーの水圧は猫のおしっこよりも弱い。キッチンは一切水を流してなくとも時折ゴポッという音を立てて、ゲロを煮詰めたような香りが定期的に部屋に供給される。洗濯機置き場という概念が部屋に存在せず、今も洗濯機はキッチンの片隅で深い寝息を立てている。形として家のていをなして入るものの、昭和末期の団地の暮らしに時間軸を移行された感触がして、住めるような努力の手段も考えたが、とても住めたものではないというのが率直な感想だった。
可哀想なのは妻だった。俺の目的で東京の正社員を辞め北海道で暮らし始め、結婚して生活が安定してきたと思ったらまた俺の目的で東京に連れ戻され、住んだ家はゴミ廃墟、在宅勤務の妻にとって家というものがどんなに重要かは計り知れないが、結果的に相当量のストレスを与えることになった。
今日4月7日はそんな現状を打破すべく、2人でヘロヘロになりながら不動産屋を駆け巡り、ようやく良さそうな家を見つけたものの、いつも通り俺のキモさのせいで妻との話し合いがうまくいかずに喧嘩になって引越しの話は宙空に霧散した。
自分の嫌なことの話、お金の話など、すったもんだの言い合いの末、妻は俺に対して「決めて欲しい」と言った。俺は「引越しをしよう」と言った。その後に俺は自分だけが責任を取るのは嫌だと思いその浅ましい気持ちを忌避するために「その上で最終決定をして欲しい」と妻に言った。それまでの流れから、最終的には2人で引越しを決めるという大円団を想定していたが、妻は少し逡巡したのちに「この家で頑張って暮らしていこう」という結論を俺に伝えた。
新しい生活には不安はつきものだ。俺は自身の自己肯定感と全能感でそんなものはお釣りがくるもんだと鷹を括っていたが、何事もそんなにうまくはいかないらしい。ひとまず明日の朝までに俺はこのゴミみたいな家で、これから暮らす覚悟をしないといけない。今日の日記は本当につまらないな。
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europiumoon · 1 year
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雷遠く海が鳴る
この数日間なんなら名古屋はとても暑くて、アスファルトからの熱気に負け、私は頭の奥底で唸る頭痛に泣かされた日々を過ごした。
8/18(金)
私は有給を取り名古屋に向かう。片道4時間近くとしっかりした移動時間で一瞬考えるのをやめたくなったけど、地元の電車に乗り向かった。東京から東海道新幹線に乗り、母親から「富士山撮ってきてね」と言われ座席をアプリで覗くものの富士山側が埋まっていた為、普通席ではなくグリーン席に乗ることにした。結果は曇りで撮れずじまいだったけどゆったり出来たため結果オーライだった。(帰りもグリーンで帰った)今回の目的も、も、とは言ったら失礼だけど、恋人を連れ戻しに来た。正しくは彼の地元に遊びに行った。名古屋に着いた後慣れた足取りで地下鉄に向かう。彼の地元に来たのは3回目。1回目はものすごい喧嘩をした後で、2回目は年始だった。彼と合流して、コメダで休憩した。コメダはメロンソーダが1番好き。その後、宿泊先に荷物を置いて夜ご飯を食べに行った。台湾ラーメン。黄身と麺と肉の絡まりに惚れ惚れとしたけど、味の濃さにやられ初日からダウンしてしまった。台湾ラーメンは台湾で名古屋ラーメンと言われているらしい。名前の擦り付け合い。
8/19(土)
名古屋駅前のホテルに荷物を置き、カフェにて本日の行くところを探す。ノリタケの森と明治村に行こうと話をしたけど、外気温38度という暑さで後者は断念した。お昼にヒッコリーのハンバーグを食べた。肉肉しいハンバーグがとても美味しくて2個ペロリと食べてしまった。その後頭痛がひどくて薬を貰った。暑さからだとわかったけどどこにも吐き出せない痛みから、些細なことでイライラしてしまった。温泉に連れてってもらった後、腹痛に悩まされて前日に引き続き泣いた。申し訳なかった。ノリタケの森では小皿を買った。運転沢山してくれてありがとう。
8/20(日)
引き続き頭痛と腹痛に悩まされながら起床して帰る準備をする。チェックアウトギリギリまで寝る彼にイライラした。出る直前彼がキャップがないというので、知らんわ、と心がなってしまっていたが、彼が苛立つ姿に、八つ当たりする姿に呆れてしまった。そんな立場じゃないのに。いろんな場所に問い合わせたけど見当たらなくて、カーシェアで借りた車についても問い合わせたら夜に返却ということで、彼の親に捜索を頼むことになった。暫くしてから、「○○からもらった帽子、無くしちゃってごめんね」と悲しい顔で謝られた時、こちらも悲しくなった。駅前で待ち合わせている最中お土産を買って頭痛薬を飲んだ。別に泣かなくてもいいのに彼の前では涙が溢れてしまって、自分が弱くなった、と思った。彼が再合流した後、新幹線の発車時刻までエキチカのお寿司屋さんでお昼を食べた。セットに含まれていた茶碗蒸しに銀杏が入っていた。とても嬉しかった。チェーン店でも最近見当たらなくて落ち込んでいたから、より一層。新幹線の中で本日泊まるホテル探しをしている最中、隣でゲームする彼に腹立たしくなって、愚痴を吐いた。端的に動く彼が嫌になって、当初向こうに頼んでいた予約も私が取り、不貞腐れた私は涙が止まらなくなりながらイヤホンを耳にさして『愛がなんだ』を観た。愛ってなんだろうね、となりながら平生に戻ろうとして無になった。感情の起伏が激しかったなって、書きながら思うわ。ホテルについてからゲームをしながら寛ぐ彼を横目に何処か行ってやろうと思って部屋を出た。「どこに行くの!」と強くいう彼を放って近くのカフェで頭を冷やそうと思った。ら。電話の嵐。結局コンビニに寄ってホテルの部屋に戻った。戻ったことを確認した彼はマンガを読み始めて、いる意味ないだろうが、と思って私も私でアニメを観た。彼から隣に来てと合図されて、嫌々ながらもベッドに入り横になった。横になると頭痛と腹痛が思い起こされたので、どうしようも無くなり、ごめんなさい、と発したと同時に涙が溢れて声を荒げて泣いてしまった。いつもなら、「泣くな、情けない」という彼も、背中をさすって「大丈夫だよ」と言ってくれたことに、より一層泣いてしまった。一緒に映画を2本観た。2本目の映画でボロ泣きする私を見て彼は笑ったが、涙をマイナスからプラスに変えてくれた気がした。結局キャップは運転席の下にあったらしい。よかった、と思うと共に「○○からもらったキャップがあってよかった」と言われた。
泣き虫な自分を包み隠さず居られる場所になったことに改めて気づいたこと。去年の旅行時にも私が張り詰めてしまった時と比べて、遠くではなく近くまできて寄り添ってくれたことに嬉しかった数日間でした。夏の空のように不安定な自分を愛し続けたいね。
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食べ物ばっかり!
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ryotarox · 1 year
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(ChatGPTの力で「片付ける気すら起きないほど荒れた部屋」が楽に綺麗になった話 | ギズモード・ジャパンから)
Model: GPT-4 d 忙しくて部屋が荒れてしまいました。 片付けたいのですが、どこから手を着けたら良いかわかりま せん。 あなたに考えてもらいたいので、どこから片づけを始めるべきかあなたが判断できるまで、 私に質問をしてください。 一度に何個質問をしてくれてもいいです。 日本語ではなく、 英語でお返 事をください。
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ChatGPT :この度は、お部屋の片付けのご相談にのっていただき、ありがとうございます。喜んでお手伝いさせていただきます。状況をよりよく理解するために、いくつかの質問をさせていただきます。
1. あなたのお部屋の大きさはどのくらいですか(小、中、大)?
2. あなたの部屋にある物の主な分類は何ですか(衣類、本、電化製品など)?
3. 他のものよりも片付けが急がれるものはありますか(例:仕事道具、腐りやすいものなど)?
4. 棚や引き出し、コンテナなど、利用できる収納手段はありますか?
5. 部屋の片付けに割ける時間はどれくらいですか?
どこから片付けを始めたらいいのか、最適なアドバイスをさせていただきますので、これらの質問には英語でお答えください。
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私 :
1. 広くないワンルームマンションです。キッチン&ユニットバスを含みます。
2. 衣類、洗濯機、電子レンジ、冷蔵庫、本がたくさん、自転車が2台
3. 机の上にごみがたくさん乗っています。床がごみで埋まってしまっています。
4. クローゼットが1つありますが、整頓が必要です。本棚もありますが、ほぼ埋まっています。それ以外にいくつか棚もあり、いくらか空きがあります(有効活用するには整理が必要そう)。
5. 今日これからだと3時間くらいです。
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ChatGPT :ここでは、ステップバイステップのプランをご紹介します。
1. 机の上を片付ける :まず、机の上のゴミを取り除くことから始めましょう。机の上のゴミを取り除くことで、ワークスペースがすっきりし、他の仕事もはかどるはずです。
2. 床を片付ける :床に落ちているゴミを拾って捨てます。床がきれいになると、他の場所への移動が楽になります。
3. 洋服の整理をする :きれいな服はクローゼットへ、汚れた服は洗濯機へ。クローゼットの整理が必要な場合は、シャツをまとめて掛け、ズボンは畳んでしまうなど、似たようなものをまとめておくとよいでしょう。
4. 本 :可能であれば、不要になった本を寄付したり売ったりして、本棚のスペースを確保しましょう。そして、残った本をカテゴリーやサイズごとに整理しましょう。
5. その他のアイテム :電子レンジや小型家電、電化製品など、空いた棚を利用して収納しましょう。同じようなものはまとめて、よく使うものはすぐ手の届くところに置くようにしましょう。
6. 自転車 :自転車を置く場所は、部屋の中か、共用の収納スペースがある場合はそちらを利用しましょう。
以上の手順で、あなたの部屋はより整理され、使いやすくなるはずです。もし、まだごちゃごちゃしていたり、もっと収納方法が必要だと感じたら、収納容器や家具を追加購入することを検討してみてください。
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私 :1にとりかかるところです。デスク全体がいろんなモノが埋まっているのですが、どこから手をつけるといいでしょう?
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ChatGPT :散らかったデスクを片付けるには、まず体系的なアプローチから始めるとよいでしょう。ここでは、いくつかのステップをご紹介します。
1. ゴミを取り除く :まず、明らかなゴミや不要なものを処分することから始めましょう。そうすることで、残ったものを見やすく、分類しやすくなります。
2. 似たようなものをまとめる :机の上にあるものを、文房具(ペン、鉛筆、ノート)、電子機器(充電器、ヘッドホン、ケーブル)、身の回り品(財布、鍵、メガネ)など、カテゴリー別に分類します。こうすることで、優先順位をつけ、それぞれのカテゴリーに最適な収納方法を決めることができます。
3. 机の上を完全に片付ける :机の上にあるものを一時的に床や他の場所に移動させます。こうすることで、机の上が真っ白になり、理想の整理整頓がイメージしやすくなります。
4. 机の上をきれいにする :机の表面を拭き、ホコリやゴミを取り除きます。この機会に、ワークスペースを徹底的にきれいにしましょう。
5. アイテムの優先順位をつける :よく使うもの、手に取りやすいものを選びましょう。使用頻度の低いものは引き出しや棚に収納し、デスク上の目立つ場所に置くとよいでしょう。
6. 整理して収納する :デスクオーガナイザーやトレイ、コンテナなどの収納用品を使い、机の上に物を戻しましょう。似たようなものをまとめて、カテゴリーごとに収納場所を決めておくとよいでしょう。
7. シンプルに :机の上に物を詰め込みすぎないようにしましょう。清潔で整理されたワークスペースは、集中力と生産性を高めるのに役立ちます。
これらのステップを踏めば、整理整頓された機能的なデスクスペースを作ることができます。また、定期的に整理整頓をし、使ったものを片付けることで、デスク周りの整理整頓を心がけましょう。
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ChatGPTは質問させるのがよさそう。 「回答の精度が上がるから」という理由だけでなく、質問されることで、人間側の意識が変わるから。壁打ちの相手として人間より優秀かも。  
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elle-p · 10 months
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P3xP4 World Analyze pages 34-35 transcription.
ニュクスへと至る異形の塔 “タルタロス”
タルタロスの誕生
月光館学園の場所で影時間にそびえ立つタルタロスは、10年前の爆発事故によってその存在が確認されることとなった。しかし、必ずしも爆発事故だけが原因というわけではない。この場所にエルゴノミクス研究所が建てられたのは、桐条鴻悦がシャドウの存在を知ってから世界各地で調査を行い、シャドウによる時空の歪みがもっとも顕著に確認された場所と同定したからであり、人工島開発計画のスタートと同時に研究所建設地に決めている。研究所がシャドウを集めて融合実験を進めたことで歪みが拡大したが、それ以前からこの場所にシャドウが集合しやすいポイントがあったのは確か。“死” のシャドウを作ることに失敗し、融合途中のシャドウが飛び散る爆発事故となったが、シャドウを集合させることですでに形作られていた時空の歪みは一帯に残り、以降影時間とタルタロスとしてこの場所に定着したものと考えられる。
シャドウの性質を考えれば、爆発事故が起こらなかったとしても、いずれは同じようなものが生まれただろう。
象徵的建造物
タルタロスの塔は、毎夜0時の “影時間” となった瞬間に造り直されるように見える。月光館学園があるはずの場所に、巨大な植物が成長する様子を早回しで見るように一気にそびえ立っていく。これは内部の構造が毎夜変化するという観測にも符合するが、影時間の間だけ月光館学園が物理的に “無くなっている” というわけではないため、実際そこに建っているものとは考えにくい。影時間は “現実” の1秒にも満たない一瞬だけが切り取られ、シャドウを構成する精神体で作られたレイヤー (層) が現実世界にかぶせられた状態。適性のない人間が “象徴化” レイヤーで覆われた状態となるのと同様に、月光館学園にはタルタロスというレイヤーが重ねられ、学園が見えなくなる。タルタロスの内部もいくつかの層で構成されており、塔が建つように見えるのは層のレイヤーが重ねられる視覚的現象と捉えることもできる。
タルタロスレイヤーで覆われた学園は、現実にそこにあったとしても影時間内からは知覚できない。
エルゴ研の名残
タルタロスの内部には、かつてその場所にあったエルゴノミクス研究所の残滓のようなものがあり、一部記録文書も発見できる。しかし、現実には月光館学園を建てる際に取り壊され、記録文書などが残っているわけはない。これは、タルタロスが基本的にはシャドウと同じ精神体によって構成されているからで、言ってみればその場所の記憶のようなものが構造に反映された結果そうなったもの。同様にタルタロス自体の内部構造も精神体からできたもので、タルタロス構造に取り込まれた精神体の記憶のようなものが反映されている。もっとも集合体が持つ混沌としたイメージなので、個人の思想などが出ているわけではない。下層は周辺に存在した精神体を材料としているせいか学園内部にも似た構造をしており、上層に行くと大型シャドウの一部が材料になっているためか異国的であったり、シュールレアリスム的なイメージが見られる。
文書の内容を見ると、強い想いはシャドウ化されていなくともタルタロスの構造に取り込まれやすいようだ。
最上階に降臨するニュクス・アバター
[守護する者たち]
“死” のシャドウ望月綾時が転じたニュクス・アバターは、タルタロス最上階に現れる。その手前には彼を守護するようにストレガが待ち受けていた。彼らも真相に肉薄していたことがわかる。
[ニュクスと同等の存在]
望月綾時はニュクスに取り込まれ、ほとんど区別のつかない状態だと自身で語っている。しかし、人間の中で生きたことで造られた綾時のパーソナリティは色濃く残っていて、綾時と変わらない声で語りかけることもできる。圧倒的な力はニュクスのものだが、最後まで綾時は綾時の意識を持ち続けたようだ。
[ニュクス・コア]
最後に発現する “世界” あるいは “宇宙” のタロットには、卵のような形のウロボロスの輪に囲まれた女性の姿が描かれている。四隅にいるワシ、雄牛、ライオン、天使の組み合わせはテトラモルフとも呼ばれる黙示録で神の玉座のそばに控える動物たち。二ュクスの中心核は、そのウロボロスの形にも似ている透明な輝く卵の姿をしていた。
タルタロスを構成する “七つの地”
第七の地 世俗の庭テベル
ユダヤにおける地獄は “ゲヘナ” と呼ばれるが、そこから発展した神秘思想では “七つの地” に細分化される。テベルは7つ目にあたる浅い層で、人間の世界にもっとも近い位置にある地獄。“七つの地” は神をシンボライズした “セフィロトの樹” と上下逆向きで対応しており、テベルは根本の基礎部分にあたる “イェンド” に相当する。
第六の地 奇顔の庭アルカ
6つ目のアルカはいわゆる “魔界” と呼ばれる地獄の主要な “大地 (アルカ)” で、一般的にはこの層を指して “ゲヘナ” と呼ぶ。この層自体も七つの部分に分けられ、聖書中で地獄を意味する “ハデス” はこの小分類のひとつ “シオウル (洞窟あるいは子宮の意)” を指していることが多い。セフィロトでは左足 “ホド” と対応している。
第五の地 無骨の庭ヤバザ
5つ目以下の層は基本的に悪魔も好まない荒れ地と言われていて、ヤバザは砂で覆われた乾燥した場所になっている。タルタロスの中ではエッシャーのだまし絵を思わせる視覚の混乱を起こさせるようなイメージとなる。セフィロトで対応する神の右足 “ネツァク” はホドと互いに補完する関係にあり、ヤバザとアルカも対の関係性がある。
第四の地 豪奢の庭ツィア
4つ目のツィアは草に覆われた乾燥地とされる。タルタロスでは名前の通り、黄金色の床に赤い絨毯が敷かれた王宮を思わせる絢爛豪華な階層となっている。セフィロトで対応する “ティフェレト” は “崇高” と訳される場所で神の心臓を象徴しており、神の頭・知性を象徴する部分に次いで重要な部分。ある意味、タルタロスの様相と符合している。
第三の地 焦土の庭ハラバ
3つ目のハラバは崖のように起伏の激しい土地で、作物が実らない不毛の地とされる。セフィロトでは神の左腕と法の裁きを象徴するゲブラ一にあたり、火星や “力” と関連付けられ “神の愛” ケセドと対になる存在。タルタロスでは間の中壁や床に七色のイルミネーションが灯るサイケデリックな空間になっている。
第二の地 憂鬱の庭アダマ
2つ目のアダマは、原初の人間アダムを作った “土” を意味する名前で、赤土ばかりの荒れ地である。セフィロトは、神の “愛” もしくは “慈愛” と右腕を象徴するケセド。タルタロスでは無数の星々が輝く白色の明るい光に包まれた場所となっており、ハラバとの対照的な関係が見て取れる。全体が混沌としたタルタロスの中では整然とした印象の空間。
第一の地 王居エレス
もっとも下に位置するエレスは潰れた廃墟のごとき場所で、逆さまのセフィロトを吊るされた人間に例えれば頭にあたる位置。セフィロトでは神の神聖を象徴するケテル、コクマー、ビナーの3つをまとめて “アティルド” と呼ぶ部分に相当する。タルタロスでは月の真下にある屋上にあたり、ニュクスが降臨するために用意された場所である。
ライプニッツの提唱する “モナド”
ゴッドフリート・ライプニッツ
『モナドロジー (単子論)」を提唱したドイツ出身の哲学者で、高名な数学者でもある (1646-1716年)。数学や科学だけでなく、哲学や経済学、神学までもひとつの体系的な学問にまとめようとしたことで知られている。後年ぺルリン科学アカデミー創設に参加して初代総裁となるが、それ以前に政治家であったことでも知られており、同時代の知識人とは精力的に交流していた。
世界を構成する真の単位
ギリシャ語で “単一の” という意味の「モノス」が由来の “根源” を意味する「モナド」という言葉は、古代ギリシャの数学者として有名なピタゴラスらが使い、ライプニッツがさまざまなものの最小単位の���念として発展させた。物質の最小単位である “アトム” を物質以外にも応用した考え方で、例えばこうした思想も、概念を可能な限り分解した最小の状態が “モナド” となる。
“深層モナド” へはタルタロスを徘徊する “刈り取る者” を倒さなければ到達することはできない。
タルタロスから繋がるもうひとつの空間として、強力なシャドウばかりが現れる “深層モナド” がある。
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myonbl · 2 days
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2024年9月19日(木)
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今日から秋のお彼岸、小さな寺(浄土真宗本願寺派)に生まれたので、この時期は心が少しざわつく。牡丹餅とお萩、彼岸と此岸、かつてはよく授業のマクラに使ったなぁ。<暑さ寒さも彼岸まで>、こんなフレーズはテレビの天気予報ぐらいしか使わなくなったのかも。しかしすごい、中日(ちゅうにち)以降、ぐっと気温が下がるようだ。やはり授業開始(23日)に合わせて、長袖を用意しよう。
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4時30分起床。
洗濯。
朝食。
弁当*1。
プラゴミ、30L*1。
ツレアイの職場経由で出勤する。
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順調に到着する。
換気、ラジオ体操第一、お茶。
来週から授業が始まるが、一週間前には教材を用意することにしている。木曜日1限は「共生社会と人権」、唯一の講義科目だ。シラバスを前提に授業を組み立て、簡単なレジュメを用意する。例年通り、<共生><社会><人権>の概念整理と、<文化>のとらえ方(cultivate → culture)など。受講生は2週過ぎねば固まらないのだが、資料だけは1週目からClassroomにアップしておく。
日曜日の名古屋遠征の新幹線チケットを予約する。
ラジオ体操第二。
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帰路も順調。
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無印良品から、注文して置いたリュックサックが届いていた。今使っているものは気に入っているが、色の剥げてきた部分があるので買物専用とし、外出用を新しくしたのだ。
明日の夕飯用に、無水地鶏カレーを仕込む。
酢タマネギ仕込む。
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コレモ西七条店で買物、うどん・煮込み揚げ・トマト・削り節パック。
汗びっしょりなので、戻ってから着替える。
キュウリのしょうゆ漬け仕込む。
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ツレアイも戻って一緒に食事、さんだかん骨付きハムのサラダ・豚バラ肉とナスの甘辛煮・キュウリのしょうゆ漬け・レタスとトマト。
録画番組視聴。
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「ほうじの茶」柳家幅丸、「天災」柳亭市馬。
睡魔到来、風呂に入らず布団の中へ。
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歩数は9,409歩、もう少し頑張らねば。
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kennak · 3 months
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(注意: つらい内容が含まれます) ヨギタ・リマエ、BBCニュース 丘の上、木々の合間に、ミャンマー軍キャンプの廃墟がある。眼下に、特徴的なハートの形で地元で有名な、絵のように美しい湖が見える。足元には、地雷の薬筒や使用済みの弾丸が散乱している。兵舎があった場所では、散らばるトタン屋根の隙間から、黄色い花をつけた野草が顔を出している。キャンプの一角には、急いで掘られた塹壕(ざんごう)がある。 赤、白、青の横じまの中央にサイチョウという鳥が描かれた旗が、曇り空の下で風になびいている。ミャンマーの西部チン州で同国の軍事政権と戦う、民族武装組織「チン民族軍(CNA)」の旗だ。 CNAは7カ月前、地元の武装住民グループとともに、インドとの国境貿易の町リクホーダルにあるこのキャンプと、チン州の他の地域からミャンマー軍を追い出した。チン州の武装勢力は、2021年のクーデターでミャンマーのぜい弱な民主主義を粉砕した軍事独裁政権と戦ってきた。その彼らにとって、前例のない成果だった。 国軍がこの地域で支配権を失ったのは初めてだ。BBCは今回、同国西部で反政権勢力の躍進を目にするという、めったにない機会を得た。 リクホーダルでの勝利は、決して簡単ではなかった。武装勢力は1年以上にわたり、何度も攻勢をかけた。一部の家族は、耐え難い犠牲を払った。 画像説明,武装抵抗運動に加わったラルヌンプイさん ラルヌンプイさんはダンスが大好きな17歳だった。彼女のソーシャルメディアのアカウントは、人気映像のダンスをまねる彼女の動画でいっぱいだった。 「彼女はいつも自信たっぷりに踊っていた。でも、着飾ることには興味がなかった。兵士に憧れ、国のために命を捧げた兵士についての歌を一日中聴いていた。勇敢で強く、怖いもの知らずだった」。ラルヌンプイさんの母ラルサントルアンギさんは、そう話す。 クーデターが起こると、ラルヌンプイさんは両親を説得し、家族が暮らすハイムアル村で武装住民運動に加わった。その理由を、学校で手書きした英作文の中で、次のように説明していた。 「ミャンマーはいま、壊れている。(中略)ビルマ兵は私にとって敵だ。情けがないからだ。(中略)私の将来は国民防衛隊にあって、私はそれが好きだ」 2022年8月、彼女の村の武装住民らは他のグループとともに、リクホーダルの軍キャンプに攻撃を仕掛けた。 「私たちは13日間連続で、相手側にドローン(無人機)の雨を降らせた。爆弾のほとんどは私が作った。私が部隊で一番の溶接工だったので」と、ラルヌンプイさんの父ラルジディンガさんは言う。彼はクーデター前はトラック運転手だったが、ハイムアルで何人かと国民防衛隊を組織するようになった。 この時の攻撃では、軍キャンプを奪うことはできなかった。双方に犠牲者が出た。 ミャンマーの地図 2022年8月14日、ミャンマー軍は報復攻撃としてハイムアル村を急襲した。住民の話では、民家十数軒に火が放たれた。私たち取材班は、そのような家屋の残骸をたくさん目にした。ミャンマー軍は、北部と西部で抵抗勢力を抑え込むため、何万軒もの民家を焼き払ったと非難されている。 この報復攻撃で、17人が軍に人質に取られた。ラルヌンプイさんと、弟のラルルアトマウィアさん(15)も含まれていた。その後、この2人を除いて全員が解放された。2人の父親に軍が仕返しをしたのだと、家族は考えている。 2日後、ハイムアルの外れにある森の浅い墓の中に2人の遺体があるのを、村人たちが発見した。 どちらも残忍な拷問を受け、銃床で殴り殺されていた。ラルヌンプイさんはレイプされていた。弟の胸、腕、性器には熱湯によるやけどの跡があった。BBCは、遺体の詳細な写真と検死報告書を確認している。 BBCはこの件でミャンマー軍に質問を送っているが、まだ回答はない。 ラルヌンプイさんの弟ラルルアトマウィアさんはまだ15歳だった 「子どもたちに何が起こったのか、考える勇気がない」。父ラルジディンガさんはしばらく黙った後、言葉を探すように言った。「子どもたちは殉死者だ。私よりずっと立派だった」。 少しの間を置いて、彼は続けた。子どもたちのことを愛情をこめて語る、誇らしい父親の姿だった。「息子は私より5センチ背が高くなっていた。話し好きで、家の手伝いを何でもいやがらずにやった」、「2人は切っても切れない仲だった。人が集まっているところに娘が行けば、みんな楽しく笑顔になった」。 母ラルサントルアンギさんは、涙を拭いながら末娘のハダシちゃん(4)を抱きしめ、こう話した。 「夫には、子どもたちの死で落ち込まないように言っている。これは私たちだけの問題ではない。将来の世代も自由は必要だ。何の権利もなく、軍の言いなりになるような、そんな状態で暮らすのは正しくない。命をかける価値がある戦いだ。私は自分の子どもたちを誇りに思っている」 私たちはミャンマー滞在中、戦闘服に身を包んだ人たちに会った。半自動小銃などの銃器を携えている人もいた。ただ、職業軍人ではない。野蛮な紛争に直面し、見事なまでに意を決している農民、学生、一般住民たちだ。 国民防衛隊のヴァラ司令官は、ハイムアルの眼下に広がる緑豊かな谷を指さしながら、ミャンマー軍はこの全域から撤退し、最も近い基地でも直線距離で50キロ以上離れていると笑顔で説明した。現地の墓地では、ピンクと白の造花で覆われた新しい墓へと私たちを案内した。 「軍事政権と戦って死んだ人たちのものだ」と、ヴァラ司令官は義理のきょうだいの墓のそばに倒れている花束を戻しながら言った。私たちは、ラルヌンプイさんとラルルアトマウィアさんの墓も見つけた。 私たちが会った住民らのほとんどは、ハイムアルの南にあるチン民族軍のヴィクトリア基地で訓練を受けていた。私たちは、緑深い森と山間部を通る、曲がりくねったでこぼこ道を進み、同基地を訪ねた。 そこでは、制服を着た何百人もの若者が新兵となって、広々とした平原を行進していた。 行進が終わると若者たちは、「私たちの祖国、愛する土地、私たちは血と命をかけてそれを守る」と歌う。 そして、武器の訓練へと続く。銃声が響く。 全員18歳以上だと説明されたが、もっと若く見える人も多い。2011年のミャンマーの民政移管で、大勢が自由を味わった。それだけに、もはや軍事政権は受け入れられないと考える10代の若者たちが、それぞれの夢を捨てて、抵抗運動に加わったのだ。 サン・ダール・リンさん(19)は教師を目指していた。 「クーデター後の最初の1年は、それほど悪くなかった。けれども、やがて軍が私たちの村を砲撃し始めた。私たちの家は壊されて、村に入って来た兵士は家を燃やし、人や動物まで殺した。私たちはジャングルに逃げた。かなりの人数がいたので、ジャングルがそのまま村になった」 「おじは無残に射殺された。私は軍が大嫌い。自分の国と国民を守るため、CNAに加わった」 私たちは行く先々で、ミャンマーの若者たちが革命の波に巻き込まれているのを目にした。 ビルマ国家のために働いていた何千人もの人たちもまた、支持する対象を変えた。 ヴァンラルペクタラさん(22)はかつて警官だった。 母親のモリー・キアンさんは、息子が警察で訓練を受けていたころの古い写真を3枚差し出すと、「彼はそこそこの月給をもらっていた。私たちは幸せで満足していた。そうしたらクーデターで政府が倒され、彼は抵抗運動に参加することを決めた」と説明した。 モリーさん自身は青春時代を軍事政権下で過ごした。「当時は楽しい日なんて1日もなかった。軍がとても怖かった。だから私は息子の決断を支持した」。 息子ヴァンラルペクタラさんは2022年3月に抵抗運動に参加。その6日後に殺害された。 モリーさんは胸と首を指さしながら、「息子はこことここを刺された」と言った。「残忍に襲われた。片足は切り落とされていた」。さらに話を続けようとしたが泣き崩れた。「この話をするのはつらい」。 ヴァンラルペクタラさんが死んだ時、彼の妻は妊娠していた。もうすぐ1歳半になる男の子は現在、遠く離れた難民キャンプで暮らしている。 軍が村から追い出されたときの気持ちを尋ねると、モリーさんは拳を突き上げた。「とてもうれしい。でも完全な勝利が見たい」。 彼女の次男も国民防衛隊の一員となっている。 国軍に比べれば弱い複数の反政権勢力が、この紛争の流れを変え、はるかに強力で装備���整ったミャンマー軍を守勢に立たせた。それができたのは、一般国民の幅広い支持があるからだ。 「最初は軍が勝っているように見えた。しかし、戦争であれ政治であれ、国民の支持がなければ誰も勝てない。軍は武器では優位かもしれないが、民衆を味方につけられていない」。チン州の反政権グループが設立した並行政権の「首相」に指名されている政治家、パ・サンさんはこう話す。彼はアウンサンスーチーさんが率いる国民民主連盟(NLD)のメンバーでもある。 並行政権は、チン州全域の80%近くを掌握していると主張する。しかしミャンマー軍は、州都を含め戦略的に重要な町のほとんどを今も支配している。 それでも、反政権勢力には勢いがある。今週初めにはトンザンという町を奪った。 チン民族軍のフテト・ニー広報官画像提供,AAKRITI THAPAR/BBC 画像説明,チン民族軍のフテト・ニー広報官 「ここは私たちの土地だ。ビルマ軍の土地ではない。私たちは勝利を収めつつある。この土地の隅々までよく知っているからだ」。チン民族軍のフテト・ニー広報官はそう言う。 民族軍側が戦果を挙げている理由は、ほかにもある。国内各地の反政権勢力が協調し、軍が力の入れどころを選ばなくてはならない状況を作っているのだ。チン民族軍によると、自分たちはカチン独立軍やカレン民族解放軍、カレンニー軍と協力関係にあるという。 反政権勢力が直面する最大の課題は、グループ同士の内紛だ。チン州だけでも数多くの派閥が活動しており、その多くは従来から敵対している。 前出の政治家パ・サンさんは、結束を維持するのは可能だと主張。クーデター後に軍によって投獄されたアウンサンスーチーさんが率いる、選挙で選ばれた文民政府を代表する国民統一政府(NUG)の下で活動することに向けて、将来的な計画があると話す。 「私たちは鋭意、法律と憲法を作成している。NUGの一員として、チン州から大臣2人と副大臣1人を出す予定だ。ミャンマー軍が敗北を認めるときに向けて、あらゆる準備をしている」 私たちが会った人たちには、明らかな共通点があった。自分たちは勝てると、全員信じているのだ。 「もう、それほど長くはかからない」とパ・サンさんは言う。「こういう予測をするのは良くないが、私たちがあと2〜3年以上戦うような、そんなことにはならない。そう信じている」。 (追加取材:アアクリティ・サパル、サンジェイ・ガングリー) (英語記事 The devastating cost of fighting Myanmar's military dictatorship)
【ルポ】 ミャンマー軍事独裁政権と戦う人たち その途方もない犠牲 - BBCニュース
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