2024/8/24 15:00:10現在のニュース
焼き肉店に逆風…コロナ禍の出店増から一転、輸入牛肉の価格高騰で倒産が過去最多ペース([B!]読売新聞, 2024/8/24 14:57:56)
日本初開催:イーサリアム開発カンファレンス“EDCON 2024”のキーノートスピーカーに、本田圭佑氏が登壇決定([B!]産経新聞, 2024/8/24 14:54:20)
記者の目:英総選挙で14年ぶり労働党政権 「失政を罰する」有権者の力=篠田航一(ロンドン支局) | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/8/24 14:54:20)
外事大事:ガラパゴス中国の生存戦略=坂東賢治 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/8/24 14:54:20)
クローズアップ:パリ五輪開幕 空虚に響く「平和の祭典」 二つの戦争、なお続く | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/8/24 14:54:20)
石破氏、首相になったら「早期解散」の考え 選択的夫婦別姓に前向き | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/8/24 14:54:20)
知床観光船沈没、乗客の所持品か 地元住民が海岸でデジカメ発見 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/8/24 14:48:12)
AIの王者エヌビディア、テック大手が勝てない理由(WSJ日本版) | ウォール・ストリート・ジャーナル日本版から | ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 | 毎日新聞「経済プレミア」([B!]毎日新聞, 2024/8/24 14:48:12)
「泳ぎたくなる諏訪湖」へ 長野知事が初遊泳、環境改善PR(毎日新聞, 2024/8/24 14:47:56)
日本代表辞退のパラ選手、控訴取り下げ 「軽率な投稿で傷つけた」(毎日新聞, 2024/8/24 14:40:44)
日本電産、シーゲートを米地裁に提訴 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:40:11)
羽田空港アクセス線、29年度開業 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:40:11)
東証市場再編 こう変わる(1)ガバナンス基準、厳格に 流通時価総額、区分に反映 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:40:11)
市場と企業 縮まる距離(下)ESG、4年越しの成果 主要指数がリコーに好評価、情報開示「物足りぬ」の声も - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:40:11)
減る中国産野菜、商社・卸に寒風 外食用不振 昨年1割減、10年間で最少 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:40:11)
異形棒鋼メーカー苦境 原料高騰、転嫁進めても…安値契約残り「数カ月赤字」 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:40:11)
半導体はなぜ不足するのか アジアの製造拠点に過剰発注続く - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:40:11)
ソフトバンクG「後光」に陰り 英フィナンシャル・タイムズ前編集長 ライオネル・バーバー氏 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:40:11)
バイデン政権100日の幸運 論説委員長 藤井彰夫 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:40:11)
小売り・外食の会員登録 交通系ICで手軽 ショップフォースが開発 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:40:11)
契約書の内容 AIがチェック - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:40:11)
「物流版ウーバー」 法がブレーキ 配送マッチングサービス、マイカー使いづらく - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:40:11)
課題は事故の責任負担 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:40:11)
会社法改正で「株式交付」制度導入 資金なくてもM&A推進 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:40:11)
専門性、社外取締役に依存? 「スキルマトリックス」公開 4社に1社どまり - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:30:17)
育成で英米先行、治療効果向上も - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:30:17)
EV充電器、初の減少 昨年度末 利用少なく撤去進む - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:30:17)
医療的ケア児の胃ろう製品、既存品存続を国に要望 家族ら、国際規格に変更受け - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:30:17)
長期ビジョン 前法政大学総長 田中優子 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:30:17)
ネット広告の情報開示、巨大ITに義務化 政府方針 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:30:17)
太平洋セメント工場 爆発 埼玉、車1台全焼 けが人なし - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:30:17)
企業、再生エネ調達安く 梶山経産相に聞く 電気代へ上乗せ「10分の1に」 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:30:17)
大規模接種に自衛隊を投入 東京会場、来月24日から3カ月 国主導、普及遅れ危機感 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:30:17)
がん10年生存率59% 国立がんセンター、大規模データで初算出 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:30:17)
企業監査、なれ合い防ぐ 会計士協会が新ルール 1社で収入15%超なら契約5年まで 決算書の信頼向上へ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:30:17)
土地利用計画の再構築を 一般財団法人・日本開発構想研究所研究主幹 梅田勝也 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:30:17)
ハリス氏、共和党圧力で国境訪問 不法移民対策「後手」 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:30:17)
米、代替フロン削減へ新規制 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:30:17)
FRB、資産急落に警鐘 米「高圧経済」にひずみ 市場の過熱抑制、難題 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:30:17)
米、金融監視強化にカジ 「リスク取引の開示拡充」 SEC委員長、アルケゴス問題で - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:30:17)
中国「電池王」、車載外販にカジ EV大手BYD、第一汽車に最新型 車販売減、収益確保狙う - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:30:17)
丸広百貨店 最終赤字21億円に 前期単独、臨時休業響く - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:30:17)
新興国 進むドル離れ 外貨準備のシェア、25年ぶり低水準 金やユーロ・円に分散 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:30:17)
米欧 進む人権法整備 企業の侵害リスク調査が義務に 日本は指針策定止まり - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:30:17)
ブランディング 前法政大学総長 田中優子 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:30:17)
東南アの大手銀、デジタルで躍進 シンガポールDBSなど、利益・時価総額、邦銀並み - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:30:17)
講談社など、書籍流通参入 出版業界、生き残りへDX推進 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:30:17)
燃料電池車の二重検査、来年にも解消 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:30:17)
コロナ下、雇用のミスマッチ拡大 総務省調査、失業者の30%「望む仕事ない」 円滑移動に壁 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:30:17)
モデルナ製ワクチンの有効性、ファイザーと遜色なく 大規模接種で使用 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/8/24 14:30:17)
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2024年3月24日
アストラム延伸部分 全区間のイメージ動画を地元住民に公開 己斐地区には新しい道路も 広島市(RCCニュース 3月25日)2024年3月24日に追記
広島市を走るアストラムラインの延伸計画について、地元で住民説明会がはじまり、詳しい予定ルートなどが初めて示されました。
アストラムラインは、広島市安佐南区の広域公園前駅から、西広島駅まで延伸する計画です。計画ルートの住民に向けた説明会は、きのうから始まりました。説明会では、新たに設置される6つの駅の詳しい位置や構造が初めて明らかにされたほか、延伸区間のイメージ映像が公開されました。
延伸ルートは、現在の広域公園前駅から高架や地上を走って佐伯区の五月が丘団地に入ります。そして、”ジ・アウトレット広島”がある石内東地区へ向かい、そこからはトンネルになります。
己斐峠の地下を通って己斐上に出ると、再び高架を走って西広島駅へと向かいます。西広島駅では、南側広場の上にアストラムラインの駅ができる予定です。
また、歩道がなかったり道幅が��かったりする場所の多い己斐地区では、新たに片側1車線の車道と、幅が4メートルの歩道を設置する新しい市道”己斐中央線”を整備し、その上をアストラムラインが走る計画です。
松井一実市長(2015年)「広域公園前駅からJR西広島駅までの延伸を、事業化することといたしました」
延伸計画は、2030年前後の開業を目標にしていましたが、コロナ禍の影響もあって需要予測が遅れ、先月、広島市は2036年ごろの全線開業を目指すめざす方針を固めました。総額760億円の巨大事業。今の街並みが大きく変わる可能性があります。
五月が丘団地の住民 「便利になるかなーと、でも12年後なんですよね? なんかかなり先だなーというのが」
「立ち退きになるかならないのかっていうのが早く知りたい。もしなったときに、引っ越すんなら早めに引っ越したいとかありますし」
石内東の住民 「トンネルの部分の説明がきょうすごく聞きたくて、振動とか騒音とかが心配なんで、何m下とか、どのぐらいのところに通すかとかが知りたかったんですけど」
◆スタジオ解説
改めてルートを見ておきます。現在の発着駅である広域公園前駅から、西広島駅までおよそ7キロを延伸するという計画です。計画ルートの周辺には、己斐や五月が丘という大きな住宅地もありますし、広域公園前駅周辺には大学もあります。周辺へのアクセス向上などが整備を進める理由となっています。また、現在はマイカーやバスが主なアクセスとなっている”ジ・アウトレット広島”の敷地の北東に仮の名前ですが”石内東駅”ができる予定です。
大きく変わりそうなのが、ジ・アウトレット広島からトンネルを抜けた先にある己斐地区です。
学生時代を己斐地区で過ごした田村友里アナウンサー 「己斐エリアは、住宅が多くて道幅が狭かったです。主な移動手段はバスで、結構道が混んだりもしていたので、アストラムラインができると便利になるのかなと思います」
己斐地区は、現在のバス通りとは違うルートに、広い新しい道路”己斐中央線”をつくって、その上を高架でアストラムラインを走らせようという計画です。”己斐上駅”と”己斐中駅”という2つの駅をつくる予定です。
開業も2030年前後だったのが2036年に遅れたり、いろいろ心配されている市民も多いのですが、広島市は「丁寧に説明して、理解をいただけるよう努めていきたい」としています。
アストラムライン延伸計画で住民説明会はじまる 広島市 開業は2036年度ごろの見込み(広島テレビ)2024年3月24日
広島市はアストラムラインの延伸計画を巡り、24日から地元住民への説明会を始めました。
延伸区間の、広島市佐伯区で開かれた説明会にはおよそ320人が参加しました。
アストラムラインは、「広域公園前」駅から「JR西広島」駅までを延伸する計画です。開業は、新型コロナの影響などで当初より遅れ、2036年度ごろの見込みです。広島市は、再開発が進む西広島駅へアクセスしやすくなることなどを説明しました。
住民 「アストラムラインが延伸することを前提に家を購入したので、できてもらわないと困る。」
広島市は、沿線の3つの会場で来月にかけて24日を含め5回、説明会を開く予定です。
尊富士が110年ぶり新入幕Vの快挙!右足負傷を乗り越え歴史的賜杯、所要10場所の“史上最速V”で三賞も総なめ(TBS NEWS DIG)
尊富士 強行出場で110年ぶり新入幕V!記録ずくめの初賜杯、所要10場所は史上最速 やったぞ!大拍手(スポニチアネックス)
尊富士の母は感涙 優勝の瞬間は「会場の近くでスマホで」「震え止まらず」心配で急遽大阪入りも館内入れず(スポニチアネックス)
大相撲春場所千秋楽の取組が24日、エディオンアリーナ大阪で行われ、東前頭17枚目の尊富士(24=伊勢ケ浜部屋)が西前頭6枚目の豪ノ山(25=武隈部屋)を押し倒しで破り13勝2敗で初優勝を決めた。前日の朝乃山戦で右足首を負傷し、出場も危ぶまれた中での強行出場で気迫の一番を見せた。新入幕優勝は1914年(大正3年)夏場所の両国以来110年ぶりの快挙。初土俵から所要10場所目での優勝は両国の11場所目を抜く史上最速となった。
取組後は土俵上で少し表情を崩し万感の表情。場内から「凄いぞ~!」「良くやった!」「尊富士!」「バンザ~イ!」の大歓声と、割れんばかりの大拍手を浴びながら花道を引き揚げた。花道では関係者が涙する中、笑顔で握手や熱い抱擁を交わしていた。
館内に歓声がこだました。勝てば歴史的初賜杯となる豪ノ山との大一番。右足首の負傷を感じさせない五分の立ち合い。そこから豪ノ山の圧力に屈することなく前へ出続けた尊富士は、徐々にペースを握り、最後はこん身の押し倒しで110年ぶりの快挙を手繰り寄せた。
強行出場する息子を心配し、いてもたってもいられなかった。尊富士の母・石岡桃子さん(47)は「心配で急遽来ました。勝ってほしいのと、足が心配なのと…複雑でした。大丈夫かな?という気持ちで見てました。急遽でチケットが取れなかったので、会場の近くにはいたけど、スマホで見てました」とドタバタだった千秋楽の大阪入りを明かした。「今朝9時の飛行機で来ました。顔を見て安心したかったので。(学生時代)毎回いいところまでいった時にケガしてきてたので、それがちょっとよみがえってしまって…。初めての日本一がこの形でって震えが止まらなかった」。これまでを思い返し、言葉を絞り出すと感極まり涙がこぼれ落ちた。
その後、支度部屋で無事対面。偉業を成し遂げた息子と抱擁を交わし再び涙した。
優勝力士インタビューでは24歳の孝行息子が「おかげさんで、僕もそんなに体は大きくないですけど、こうやってしっかり幕内の土俵で勝てるように育ててくれて、感謝しても感謝しきれないです」と母への感謝の思いを照れ笑いを浮かべながら口にした。
年6場所制となった1958年以降、幕下付け出しも含めた初優勝の最速記録は1972年夏場所に初土俵から15場所目で賜杯を手にした輪島だった。尊富士は日大の大先輩でもある偉大な横綱の記録も塗り替えた。
最速新入幕を果たした尊富士は今場所、初日から11連勝。9日目には三役初挑戦で小結・阿炎を下すと、10日目には大の里との新鋭対決を押し出しで制した。11日目には大関・琴ノ若を寄り切りで破り、1960年初場所の大鵬に並ぶ歴代1位タイとなる新入幕初日からの11連勝を達成。出世が早過ぎて大銀杏の結えないちょんまげの24歳があの大横綱がつくった記録に並んだ。
12日目には99年度生まれの同学年の大関・豊昇龍に土俵下まで投げ飛ばされて初黒星を喫したが、「何も考えずに自分を信じてやるしかない」と切り替え。13日目は関脇・若元春を圧倒し、歴史的な新入幕優勝に王手を懸けた。しかし、14日目の朝乃山戦で右足首を負傷。花道を自力で歩けず車椅子で医務室に直行し、ギプスで固定した状態で救急搬送されていた。
尊富士はこの日、午後2時17分、エディオンアリーナ大阪に到着した。14日目の朝乃山戦で右足首を負傷。この日はゆっくりとした足どりで、右足を少し引きずっているようにも見えた。1差で追う大の里(24=二所ノ関部屋)は午後1時25分に会場入りしており、尊富士は通常よりかなり遅めの到着だった。そして、負傷した右足首にサポーターを装着も、しっかりとした足取りで土俵入り。大歓声にも表情を崩さず、鋭い眼光で前を見据えていた。
青森県五所川原市出身で鳥取城北高、日大と強豪校を歩んだ。22年秋場所で初土俵を踏むと序ノ口、序二段、三段目は1場所で通過。今年初場所に新十両に昇進すると13勝を挙げて新十両優勝を果たし、部屋の横綱・照ノ富士とアベック優勝でパレードでは旗手を務めた。
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2024.01 木曽駒ヶ岳
今年初の雪山は、去年も厳冬期に訪れ、登頂はしたものの天気予報に騙されてとんでもない天候だった木曽駒ヶ岳。今回は最高のコンディション!
お昼すぎに新���発の高速バスに乗って駒ヶ根へ向かい、駒ヶ根プレモントホテルで前泊。このホテルだと最寄りのバス停が「文化センター北」となり、ホテルからだと徒歩10分くらい。素泊まりのため夕食は近くのお蕎麦屋さんへ。
翌朝は快晴、これから登る木曽駒ヶ岳は奥にあって見えないが、その手前にある宝剣岳などは見える。始発バスが0800発なので朝はゆっくりできる。
駒ヶ根駅始発のバスは自分含めて6名しか乗せずに菅の台駐車場へ到着、ここでチェーン巻いたバスに乗り換える。駅組が乗り換えた後にマイカー組が乗車して出発するというシステムになっており、マイカー組は約70人ほどと、こっちが大多数。終点のしらび平からRWに乗り換えて一気に標高2600mへ。
RW駅直結のホテル千畳敷から外へ出ると、白銀の千畳敷カールが眼前に広がり圧巻。雪のカーテンのよう。アリのように小さく見える先行者が列をなしてカールを登っている最中。
【コースタイム】ホテル千畳敷(0940)→乗越浄土(1020-1025)→中岳(1040)→木曽駒ヶ岳(1055-1120)→中岳(1135)→乗越浄土(1145)→ホテル千畳敷(1205)
背中に日差しが差し、しかもカール内は無風のため、途端に非常に暑い。振り返れば麓に伊那市、奥には南アルプスの峰々と、その更に先に富士山が頭を少しのぞかせている。
傾斜は強く疲れるが、去年来たときは視界がかなり悪い中苦労して登ったのに対し、今回はゴールが見えているためだいぶラクに・・・こんな距離しか無かったんだ。
カール上部の岩がイカツクてとてもカッコいい(左に登山者)
どんどん抜かし、後ろは渋滞気味。抜かせてよかった。左にホテル千畳敷が見えるが、やはり去年天候悪かったときと比べ断然と近く感じる。
乗越浄土直下が最も危険。傾斜が非常に強いため蛇行して登るが、道幅が20cmあるかどうか。アイゼンの爪を効かし、ピッケルも雪に深く刺して注意深く通過する。
40分で乗越浄土へ到着、ここまで登ればあとはかなりラクな道に。去年の悪天候時と比べ15分の短縮となった。この稜線上から先は偏西風が非常に強く吹きすさぶため、防風対策を万全に。素肌を見せた部分は寒さに耐えられなくなるため、顔も全て覆う。
左手には朝麓から見えていた宝剣岳。あそこも登ろうとしたけど、もともと危険な道だし、風強いため今回はパスで。登るとしたら夏季にだな。
いくつも山荘が並ぶ。左の宝剣山荘はこの日開いていた。中には入らなかったが、発電しているような音も聞こえたし、宿泊もやっていたのだろうか?冬季は不定休らしい(基本閉まっていると思うが)。
宝剣岳への登り。かなり岩が露出している。登っている人もチラホラ見える。
カールを登りきり次に向かうのは中岳(2925m)乗越浄土からすぐ近くであっという間に到着するが、とにかく風が強すぎて吹き飛ばされそう。標高もだいぶ高いので通常よりも1.5倍くらいは疲れる。
乗越浄土から15分で中岳到着。
振り返ってみてもほんの300mくらいしか移動してないように見える。右が宝剣岳。
眼の前にはゴールの木曽駒ヶ岳が見える。ここの直下は岩が露出していて(風強すぎて雪が積もらない)、アイゼンの爪を引っ掛けて転ばないように注意は必要。アップダウンはそんなに大きくない。途中に見えるのが頂上山荘。
中岳から15分、ホテル千畳敷からは75分で木曽駒ヶ岳に到着。半分以上はカールを登り切るための時間だった。奥に御嶽山。
正面が少し冠雪した八ヶ岳連峰、麓に伊那市~箕輪市。
北アルプス山脈。
駒ヶ嶽神社。威厳がある。
日差しがあって温かいが、たまに爆風が吹いてこんなかんじ
右に見えるのが三沢岳?左奥が空木岳と思われる。駒ヶ岳から空木岳へは縦走してみたいと前々から思っていた。空木岳への非常に大きなアップダウンがとてもキツイんだとか。
南アルプス連邦が並ぶ。富士山も頭だけ見える。
帰りのバスは予約していないからいつ下山してもいいのだが、翌日は仕事もあるので30分くらいして下山する。
中岳へのアップダウン。
カールを下る。やはり危険なのは非常に急角度な乗越浄土直下。とはいえアイゼンとピッケルを駆使すれば大きな問題はない。
乗越浄土からカールの下りはわずか20分(登りは40分)。傾斜が急なだけに下るスピードも早い。休憩含めわずか2時間強の行動時間だった。短時間とはいえ、雪山の道具に慣れてないと要所要所危ないし、偏西風の影響もあるため装備は特に大事。
駅に着いたときには次発RWまで時間的余裕があったので(RWは1時間毎)、ホテル千畳敷にて昼食。カレー1800円とお高いが、まぁ山の上だし。レトルト感は無くけっこう美味しい。
RWを下ってしらび平駅に着き、来たときと同様そこからバスを乗り換え駒ヶ根駅方面へ。去年もそうだったが、新宿行きの高速バスへの接続が1~2分差とわずかに合わず、今回も目の前で高速バスが行ってしまう。高速バスは1時間毎に出ているのでそこまで長時間待たないが、やはりどうにかしてほしいところ。そんなわけで時間つぶしのクラフトビールのお店が行きつけになりそう。駒ヶ根の地酒で、ぶどうを使ったビールが美味しかった。
他にも、昨日の夕食に入ったお蕎麦屋も美味しかったし(けっこうそばの量が多い)、そこで出された日本酒もとても美味しかった。信濃鶴という地酒で、ちょうどこの時期新酒が出るため、酒屋で1本買って帰るほど。毎年この時期、このお蕎麦屋さんに、このクラフトビールのお店に、お土産の日本酒のローテーションでいいかもしれない。
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929:底名無し沼さん (ワッチョイ c136-+xaX):2023/10/14(土) 19:24:25.34 ID:2pv6IIOF0
熊が怖いので、ソロでは正直登りたくない
けど、趣味なので、もう七年くらいソロハイキングしてる
どうやってみんなは山友を作ってますか?
リアル友達は少ない上に山に興味がない
誘っても渋い顔をされる
彼女は今はいないが、居たときも誘っても最初は付き合いで合わせてくれるが、トイレと虫問題で来なくなる
結果、山友は運任せではなく、強制的に作ろうとしないと出来ないと分かった
山岳会に入るか?と思ったけどどうも気後れしてる
ヤマレコやヤマップもなぁ
SNSが苦手だし
みんなはどうやって山友を作ってますか?
934:底名無し沼さん (ブーイモ MM33-6cdm):2023/10/14(土) 21:12:16.61 ID:yHSsN0e9M
>>929
諦めて地域の登山サークルとか探すしかないんじゃない?
手近にあるならだけど。
936:底名無し沼さん (ワッチョイ c136-+xaX):2023/10/14(土) 21:48:56.06 ID:2pv6IIOF0
>>934
やっぱり山岳会とかサークルですかねぇ
以前、頂上でどこぞの山岳会の団体さんと出会ったことがあるんだけど、その団体さん、みんながお揃いのジャンバーを着てたんだよね
うーん、気後れするなぁ
まぁ、仲間になるというのはそういうことなんだよね?
942:底名無し沼さん (ワッチョイ 1940-6c1a):[Sage]:2023/10/15(日) 09:10:48.77 ID:TAw1Aoee0
>>936
ちょっと違うね。
会は会の成果として登頂するんであって個人じゃないし
分担作業はしてもらわないと困るしゲストでは居られない。
乗せてって連れてならサークルだよ。
ただ同類が多いので烏合の集であり当てにはならない
それでもリーダーに嫌がられるとは思うがw
だからガイドに金払うしかないです。
959:底名無し沼さん (ブーイモ MM33-6cdm):2023/10/15(日) 17:35:12.99 ID:kQAw1RpOM
>>936
そりゃサークルによって全く違うから。
団体で行動する山岳部山岳会系統の乗りのところもあるんだろう。
東海在住の親戚でサークルに入ってる人の場合は、誰かが自分の都合が良いコース&日時を企画して参加を募集する形で、回数は少ないけど何十人参加の遠距離ツアーもあるものの、普段は単なる「マイカー利用の近場ハイキングの同乗者募集」という具合だって。
そういう具合だからお揃いとかは無縁。
東海はそういうサークル活動がかなり活発とかいうけど、地域の関係が強いから、そもそもサークルがほとんどないところもあるかも。
962:底名無し沼さん (ワッチョイ 1940-6c1a):[Sage]:2023/10/15(日) 17:56:00.10 ID:0MnKKBcj0
>>959
読みが浅いよ
見栄で突っ張るけど都合のいい人がタダで助けてくれないかという話
居ませんそんな人はw
973:底名無し沼さん (ブーイモ MM33-6cdm):2023/10/15(日) 19:57:48.66 ID:kQAw1RpOM
>>962
あいにくと世の中はお互い様とか助け合いとかもあるんだよ。
ま、「自分にとって利益になることしか頭にない自己中君」ならではの情けない発想が丸出しになっていると気づくことも出来ないタイプなら何を言っても無駄だろうがね。
977:底名無し沼さん (ワッチョイ 39c9-CKDc):[sage]:2023/10/16(月) 00:18:12.38 ID:nPQNPZy90
>>962
ぶっちゃけ、俺の本心はまんまコレだった
求める山友とはベテランが親友感覚で俺に合わせてタダで導いて色々教えてくれという一方的なワガママだった
居らんわけだ
930:底名無し沼さん (ワッチョイ d140-6c1a):[Sage]:2023/10/14(土) 19:28:43.43 ID:7URH+IZw0
そのネガと自己中で集団行動は無理とストレスでしかない
そのままでいい。
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中国都市ではバスも便利な移動ツール
中国の都市内の移動は、地下鉄が最も便利だが、意外にバスも使える。バスは地下鉄よりも駅の間隔が短く、目的地のすぐそばに止まってくれる。市街地の1ブロックのサイズが大きい中国では、どこに行くのにも歩く距離が長くなりがちで、バスは非常に便利な乗り物だ。本数も主要路線では地下鉄なみか、それ以上に多く走っている。
路線が複雑であるため、以前はその都市の暮らしに慣れていないと利用が難しかったが、今では地図アプリがあるために、簡単に利用することができる。
また、バスは渋滞の影響を受けやすい欠点があるが、北京市では1997年にバス専用レーンが導入され、主要路線は渋滞の影響を受けずに済む。
▲本線は渋滞をしているが、バス専用レーンはがらがらというのはよくある光景。マイカー利用者からは不満の声もあがっている。
マイカー利用者からは不評なバス専用レーン
バス専用レーンは、7時から9時、17時から19時のピーク時のみというのが一般的で、北京市の設置道路は、合計で839kmに達している。しかし、マイカーのドライバーからは、評判が悪かった。バス専用レーンはがらがらなのに、通常の車線は渋滞でぴくりとも動かないという光景がよく見られるからだ。
特に週末になると、ショッピンモールの駐車場に入る車、出る車が渋滞の原因となることもあり、せめて休日だけでもバス専用レーンを解除してくれないかという声が多かった。
メリットを享受する人数で考えるとバス専用レーンは不要
もちろん、マイカーの人はバス専用レーンをよく思わず、バスを使う人はバス専用レーンをありがたく感じる。問題は、社会の視点でどちらのメリットが大きいかだ。
次の写真は、土曜日の15時、天壇東路を南方向に進む道だ。この先の交差点の信号待ちで、多くの車が行列をしている。一方、右端のバス専用レーンはがらがらだ。
一般車を数えてみると、60台から70台がいる。一方、バスは20分の間に異なる路線のバスが6台通行した。つまり、1回の信号待ちが3分とすると、この60台の車の利用者数と1台のバスの利用者のどちらが多いかを考えればいいことになる。1台の車に平均2人が乗っていると考えると、約120人の人が信号待ちをしていることになる。これは1台のバスの乗客数よりも明らかに多い。
バス専用レーンを一般車が使ってもよくなれば4車線となり、80台の車が並ぶことができる。すると、40人増えて、160人が利用できる。つまり、バスに40人以下の乗客しか乗っていないのであれば、バスに専用レーンを利用させるよりも、開放をしてしまった方が合理的なのだ。
これがバス専用レーンを主張する人たちの理屈だ。
バス専用レーンの運用をめぐって揺れる北京市。上海市や海外ではユニークな試みも - 中華IT最新事情
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【57の温暖化対策「見える化」してみた】 - NHKニュース : https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210907/k10013238301000.html : https://archive.is/eEpPd
2021年9月7日 19時14分
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マイカーを電気自動車に
電球をLEDに替えよう
温暖化対策は数あれど、実際にどれくらいの効果があるのか、疑問に感じたことはありませんか?
最新の研究では、効果が数値化され、比較できるようになっています。
あなたの取り組みについて、確かめてみてください。
(社会部・岡本基良/国際部・田村銀河/ネットワーク報道部・藤島新也)
■《どれくらい効果あるの? 》
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「地球温暖化で極端な熱波や豪雨などが増加するおそれがある」
先日、温暖化を研究する世界中の専門家がまとめた報告書について、ニュースで報じました。しかし、ネット上では、
「大変なのは分かったけど、どうすれば良いの?」
「自分1人だけ頑張っても…」
といった声が。
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ふだんから地球温暖化について取材している私(岡本)は、自宅の電球をLEDに替えるなど温暖化対策を心がけていますが、確かに、どれだけ効果があるのか、よくわかっていないことに気づきました。
■《「数値化」された効果》
そんな中で発表されたのが、国立環境研究所などによる研究。
住宅や移動、食などに関する57の対策について、温室効果ガスをどのくらい減らす効果があるか、具体的な数値で示されています。
このうち、効果の大きい対策、上位20を並べたのが次のグラフです。
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※57の行動と効果の詳しい説明は記事の最後にあります
※数値は、その行動を日本人1人が1年間続けた場合に、平均的に削減できる温室効果ガスの排出量(二酸化炭素換算)
※ピンク=住宅 / 青=移動 / 緑=食 / グレー=その他 の対策
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これを見ると、最も効果が大きいのはエネルギーを効率よく使える住宅への建て替え。
最大で2.1トンの温室効果ガスを減らす効果があります。
次いで、移動に関する対策が並び、「マイカーを電気自動車に(再生可能エネルギーで充電)」が0.47トン、電気自動車の充電を通常の電力で行う場合は約半分の0.24トンとなります。
また、肉類に代わって野菜などを中心にした食生活をする「ヴィーガン」「ベジタリアン」という対策も入っています。
■《記者の対策、調べてみた》
では、一体、私(岡本)はどれだけ温暖化対策ができているのか。
最近取り組んでいるものをこの中から選んでみました。
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コロナ禍の影響もあって、自宅でテレワークする機会が増えました。
通勤はもっぱら電車。
近場の移動は自転車を使います。
自宅の電力は、(家族に相談した上で)再生可能エネルギー由来に切り替えました。
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電球はLEDに替えていて、本は電子書籍を読んでいます。
こうした対策を選んで、単純に数字を足し上げると…結果は3.4トン。
これは十分なのでしょうか?
★★記事の最後にある57の対策の解説を参考に、みなさんも選んでみてください!★★
■《目標は1人3.9トン!》
研究を主導した国立環境研究所の小出瑠研究員に聞いてみると、日本人が生活の中で出す温室効果ガスの量は、1年間に1人あたり平均で7.1トンにのぼるそうです。
今、世界では、温暖化による気温の上昇を、19世紀後半と比べて1.5℃に抑えることが共通の目標になっています。
これを達成できないと、「最高気温50度近く」「スーパー台風」など私たちの命を脅かすような極端な現象が頻繁に起きるリスクが高まるからです。
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ただ、この目標を達成するには、9年後の2030年までに1年間に1人あたり3.9トン(!)を減らす必要があるということです。
ですから、今の私の対策では目標に届きません。
小出さんによると、それぞれの行動が影響しあうことで、実際には、各行動の削減量を単純に足し合わせるより効果が低くなることもあるそうです。
「目標を達成するのは簡単ではないな」というのが正直な感想です。
{{ 図版 (省略) }}
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国立環境研究所・小出瑠 研究員
「個人の努力だけで温暖化を食い止めるのは、簡単ではありません。ただ、さまざまな対策から、自分の生活スタイルに合うものを取り入れていくことで、温暖化対策の商品やサービスの需要が広がり、社会全体が変わっていくことにもつながります」
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「効果は大きいもののお金がかかるなどして簡単には選びにくい対策もありますが、今後、行政が補助したり、企業が商品やサービスを拡充したりすることで、消費者が選びやすい社会になっていくことが大切です」
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■《「必要以上に買わないで」 》
{{ 図版 (省略) }}
57の対策の中で、気軽に始められて効果も高いと感じたのが、「衣類を長く着る(0.19トン削減)」です。
実は、服は素材に石油由来のものが使われていることも多く、焼却処分した際に温室効果ガスが出ることが問題となっています。
私(田村)が取材で訪れたのは東京・渋谷にあるアメリカのアウトドア用品大手「パタゴニア」の店舗。
店に入ると真っ先に目に入ったのは「必要ないモノは買わないで」というパネルです。
{{ 図版 3 : 必要ないモノは買わないで。 }}
ずいぶん思い切ったキャッチコピーですが、この店の1階部分に並んでいるのは古着。
会社のスタッフから買い取ったおよそ1000着が並び、定価の半額程度で販売されていました。
パタゴニアは、これまでも環境対策に力を入れてきた企業ですが、8月から期間限定でこの店舗で古着の販売を始めています。
並んだ古着を見ると、元の持ち主からのメッセージが添えられていました。
{{ 図版 (省略) }}
例えば、ある登山用のパンツには「白馬の天狗山荘でおいしい山小屋ゴハンを食べた時にはいてたなー!」という手書きの思い出が。
1着1着に愛着を持ってもらい、廃棄処分される服を減らすのが狙いで、私が訪れたのは平日でしたが多くのお客さんが来ていました。
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パタゴニア PR担当 ロジャース通子さん
「私が今着ているのも20年前に入社した時に買ったアロハシャツですよ(笑)日本でも環境のことを考えて、新しい暮らし方を考え始めている人が増えていると感じます。これまで新品しか買わなかったような人も、ここで商品を手に取って、中古品も良いと思ってもらえれば嬉しいです」
≪============
■《服、30回着てますか?》
服を長く着る取り組みは、世界のファッションの中心地といわれるイタリアでも「Wear Me 30 Times(私を30回着て)」というキャンペーンとして広がり始めています。
{{ 図版 4 : Wear Me 30 Times }}
服の購入者がタグにプリントされたQRコードから専用のサイトにアクセス。
服を着るたびに自撮り写真をアップロードします。
着た回数が30回に達すると、クーポン券などがもらえる仕組みです。
現在、この取り組みにはヨーロッパを中心に50以上のファッションブランドが参加し、アジアからもインドやインドネシアのブランドが加わっているということです。
■《電気自動車、きょうから乗れます》
「衣類を長く着る(0.19トン削減)」以上に、効果の高い対策が車に関するもの。
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「マイカーを電気自動車に(再エネで充電)」…0.47トン削減
「カーシェアの利用」…0.21トン削減
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マイカーを持っている人が電気自動車に買い替えるのは、コスト面でハードルが高いように思えますが、気軽に始められる「電気自動車のカーシェア」が広がりつつあります。
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神奈川県小田原市の市役所の駐車場に止まっている2台の車。
実はこれ電気自動車です。
ベンチャー企業などが設置した電気自動車のステーションの1つで、平日の日中は市が公用車として使いますが、平日の夜と土日は市民も使うことができます。
こうしたステーションが、小田原市や周辺の箱根町などにはあわせて27か所あり、全部で47台の電気自動車が配置されています。
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乗りたい人は、会員登録をして、スマートフォンのアプリから予約すれば、15分あたり200~300円程度で乗ることができます。
充電に使われる電力の約7割は再生可能エネルギーで賄われ、それぞれの車の充電率や走行可能距離もアプリで事前に確認できます。
このサービスを利用している小田原市の会社員の男性に話を聞きました。
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カーシェアを利用する 望月学さん
「娘が高校を卒業して送迎の必要がなくなると、たまに買い物で使う程度だったので、思い切ってマイカーを売りました。月に2万円ほどだった車の維持費がなくなり、利用料は数千円程度です。自然豊かな箱根の観光業界で仕事をしているので、環境にも優しいということで満足しています」
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この事業を行っているベンチャー企業によると、カーシェアを利用した人たちの間で、電気自動車への関心が高まっているといいます。
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REXEV 藤井崇史取締役
「マイカーを買い替える際に電気自動車を選んだという話をカーシェアの利用者から何度も聞きました。電気自動車の良さを気軽にもらえていると感じます」
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■《温暖化対策は社会全体で》
今回取材した57の行動についての研究は、温暖化という地球規模の大きな課題を、私たち1人1人の生活に落とし込んで考える上で画期的だと思います。
「温暖化対策」というと、「我慢が必要」と思われがちですが、服を長く使うことで愛着が増し、身近な自然環境への関心が高まるなど、新たな価値にも気づきながら対策に取り組むことができると感じました。
しかし、中には住宅の建て替えなど大きなコストがかかったり、テレワークなど個人の判断だけでは選びにくかったりする行動もあります。
温暖化対策は個人の努力だけではなく、行政や企業などの行動とあわせて社会全体で考えていく必要があると思います。
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■《★★57の対策と効果★★》
57の「対策」と「削減効果」を詳しく紹介します。
画面をスクロールしながら、自分の生活に取り入れられる対策を選んで、その効果を確認してみましょう。
■《「住宅」の温室効果ガス削減量(15) 》
{{ 図版 5 }}
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▼自宅を「ライフサイクルカーボンマイナス住宅」に 2.1 トン
自宅を、屋根の太陽光発電と高い省エネ性能によって、日常的なエネルギー消費を実質ゼロにし、建物の建設やメンテナンスによる温室効果ガスの排出量も打ち消す「ライフサイクルカーボンマイナス住宅」に移行した場合。
▼自宅を「ゼロエネルギー住宅」に 1.8 トン
自宅を、屋根の太陽光発電と高い省エネ性能によって、日常的なエネルギー消費を実質ゼロにする「ゼロエネルギー住宅」に移行した場合。
▼自宅を「準ゼロエネルギー住宅」に 1.4 トン
自宅を、屋根の太陽光発電と高い省エネ性能によって、日常的な外部からの電力供給を25%に抑える「準ゼロエネルギー住宅」に移行した場合。
▼太陽光パネルを導入(調理器をIHに) 1.4 トン
自宅の屋根に太陽光パネルを設置して消費電力と同じ量を発電し、調理器をIHにして調理用のガスの消費量をゼロにした場合。
▼太陽光パネルを導入 1.3 トン
自宅の屋根に太陽光パネルを設置して消費電力と同じ量を発電した場合。
▼自宅の電力を再エネに 1.2 トン
自宅の電力を再生可能エネルギー由来100%に切り替えた場合。
▼自宅をコンパクトに 0.24 トン
自宅の床面積を集合住宅の平均水準(約30平方メートル)までコンパクトにした場合。
▼太陽熱温水器を導入 0.18 トン
自宅に太陽熱温水器を導入してガスボイラーと併用し、給湯に必要なエネルギーの半分近くを太陽熱で賄って、給湯用のガスや灯油の消費量を削減した場合。
▼断熱リフォームを行う 0.14 トン
自宅をリフォームして「断熱等性能等級4」相当にした場合。
▼ヒートポンプ給湯器を導入 0.12 トン
自宅にヒートポンプ給湯��を導入して電力で給湯を行い、給湯用のガスや灯油の消費量をゼロにした場合。
▼自宅の暖房をエアコンだけに 0.12 トン
暖房にガスストーブや石油ストーブを使わず、代わりにエアコンを使った場合。
▼自宅でウォームビズ・クールビズ 0.11 トン
「断熱等性能等級2」相当以下の住宅で、ウォームビズやクールビズの服装をすることで、冷暖房のエネルギーを減らした場合。
▼自宅の電球をLEDに 0.09 トン
自宅の電球をすべてLEDに置き換えた場合。
▼ナッジによる省エネ 0.06 トン
行動経済学の観点から自発的に行動を変えてもらう「ナッジ」によって省エネが行われ、自宅でのエネルギー消費を3%削減した場合。
▼自宅の窓を二重窓に 0.05 トン
自宅の窓を断熱性能の高い二重窓に替えた場合。
≪============
■《「移動」の温室効果ガス削減量(22) 》
{{ 図版 6 }}
{{ 図版 7 }}
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▼ライドシェアの利用 0.51 トン
マイカーやタクシーに4人が乗り合わせて移動する場合。
▼マイカーを電気自動車に(再エネで充電) 0.47 トン
マイカーを電気自動車に買い替え、充電を再生可能エネルギー由来の電力で行った場合。
▼市内移動を公共交通機関で 0.41 トン
通勤・通学以外の目的で市内を移動する際に、マイカーを使わず、代わりにバス・電車・自転車を同じくらい利用した場合。
▼マイカーをPHEVに(再エネで充電) 0.38 トン
マイカーをプラグインハイブリッド車(PHEV)に買い替え、充電を再生可能エネルギー由来の電力で行った場合。
▼テレワークの実施 0.28 トン
完全テレワークを実施し、通勤をゼロにした場合。
▼自宅と職場・学校の距離を近く 0.26 トン
通勤・通学の時間を1日あたり平均30分に短縮した場合。
▼マイカーをPHEVに 0.25 トン
マイカーをプラグインハイブリッド車(PHEV)に買い替えた場合。
▼通勤・通学を公共交通機関で 0.24 トン
通勤・通学目的で移動する際に、マイカーを使わず、代わりにバス・電車・自転車を同じくらい利用した場合。
▼マイカーを電気自動車に 0.24 トン
マイカーを電気自動車に買い替えた場合。
▼カーシェアの利用 0.21 トン
マイカーを購入せずにカーシェアを利用した場合。
▼長距離移動を公共交通機関で 0.19 トン
県境をまたぐような長距離移動でマイカーを使わず、代わりにバス・電車を利用した場合。
▼コンパクトな街に住む 0.19 トン
買い物・通院・余暇活動などの移動時間が、1日あたり平均10分になるコンパクトな街に住んだ場合。
▼マイカーをハイブリッド車に 0.19 トン
マイカーをハイブリッド車(プラグインハイブリッド車を除く)に買い替えた場合。
▼帰省をオンラインで 0.17 トン
帰省をオンラインで行い、家族を訪問するための移動距離をゼロにした場合。
▼休暇を近場で過ごす 0.15 トン
宿泊旅行の移動距離を90キロ以内にとどめ、旅行目的での飛行機の利用がなくなり、マイカーや公共交通機関などの移動距離も短くなった場合。
▼エコドライブを行う 0.15 トン
マイカー(ガソリン車・ディーゼル車・ハイブリッド車)の燃費が20%向上するように運転した場合。
▼まとめ買いをする 0.15 トン
買い物に行く頻度を1週間あたり
1回に減らした場合。
▼マイカーを軽自動車に 0.13 トン
マイカーを軽自動車に買い替えた場合。
▼休暇を国内で過ごす 0.10 トン
海外旅行の代わりに行う宿泊旅行の移動距離を、国内線の飛行機の移動距離の平均まで短くした場合。
▼週末を地元で過ごす 0.06 トン
週末を近場で過ごし、レジャー目的で列車・バス・マイカーを利用する距離を、自転車による移動距離の平均まで短くした場合。
▼国内線の飛行機移動を列車に 0.04 トン
国内線の飛行機を利用せず、代わりに長距離列車を利用した場合。
▼タクシー移動をバス・自転車に 0.02 トン
タクシーを利用せず、代わりにバス・自転車を同じくらい利用した場合。
≪============
■《「食」の温室効果ガス削減量(10) 》
{{ 図版 8 }}
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▼食事を完全菜食(ヴィーガン)に 0.34トン
肉・魚・乳製品・卵を食べず、代わりに豆類・穀物・野菜などを食べる生活をした場合。
▼食事を菜食(ベジタリアン)に 0.22トン
肉・魚を食べず、代わりに乳製品・卵・豆類・穀物・野菜などを食べる生活をした場合。
▼食事の肉類を代替肉に 0.19トン
肉を食べず、代わりに大豆ミートなど豆類やその加工品を食べる生活をした場合。
▼菓子・アルコール・ジュースを減らす 0.13トン
菓子・スナック類・アルコール・清涼飲料水の消費量を、国が推奨する「食事バランスガイド」に基づいた健康的な食生活の水準まで減らした場合。
▼バランスの取れた食事に 0.12トン
食事全体を、国が推奨する「食事バランスガイド」に基づいた健康的な食生活のバランスに整えた場合。
▼食事の肉類を魚類に 0.07トン
肉を食べず、代わりに魚を食べる生活をした場合。
▼食事の肉類を鶏肉のみに 0.07トン
牛肉や豚肉などを食べず、代わりに鶏肉を食べる生活をした場合。
▼食品ロスをゼロに 0.05トン
食品ロスをなくし、その分だけ食料の購入量を減らした場合。
▼旬の野菜や果物を食べる 0.04トン
旬の野菜や果物を食べて、農業用ハウスで栽培されるものを食べない生活をした場合。
▼地元で採れた野菜や果物を食べる 0.01トン
地元で採れた野菜や果物だけを食べる生活をした場合。
≪============
■《「その他」の温室効果ガス削減量(10) 》
{{ 図版 9 }}
============≫
▼レジャーをアウトドアや地域で 0.25 トン
エネルギー消費が多い娯楽施設(遊園地・映画館など)でレジャーを行う代わりに、アウトドアやスポーツ、地域での文化活動などで過ごす場合。
▼衣類を長く着る 0.19 トン
服を長く着たり、古着を活用したりすることで、1年あたりの衣類の購入量を4分の1程度まで削減した場合。
▼アルコールとたばこを控える 0.16 トン
アルコールとタバコの消費量をゼロにし、タバコが原因となる医療サービスが不要になった場合。
▼娯楽用品を長く使う 0.11 トン
エンターテインメント・スポーツ・ガーデニングなど娯楽に関する製品を長く使うことで、1年あたりの購入量を4分の1まで削減した場合。
▼旅行サービスをエコに 0.09 トン
旅行先で、エネルギー消費の多い宿泊施設などを利用せず、代わりにアウトドア・キャンプなどで過ごした場合。
▼消耗品を節約する 0.09 トン
消耗品(化粧品・衛生用品・台所用品・文房具)を節約し、1年あたりの購入量を半分余り削減した場合。
▼小型家電を長く使う 0.05 トン
小型家電を長く使うことで、1年あたりの購入量を4分の1まで削減した場合。
▼装飾品を長く使う 0.03 トン
バッグ・ジュエリーを長く使うことで、1年あたりの購入量を4分の1程度まで削減した場合。
▼家具を長く使う 0.03 トン
家具を長く使うことで、1年あたりの購入量を5分の1近くまで削減した場合。
▼電子書籍の利用 0.02 トン
印刷された本や雑誌を利用せず、代わりに電子書籍を利用した場合。
≪============
出典: Koide et al (2021) Exploring Carbon Footprint Reduction Pathways through Urban Lifestyle Changes:A Practical Approach Applied to Japanese Cities. Environmental Research Letters. 16 084001
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15年ぶりに自転車に乗り出して改めて”自転車に乗っていて腹が立つ事”まとめてみました!!
今回の自分は完全に”激おこモード!!”
”おこ”って言葉も死語ですかね・・・(^^;
結構好きな響きだったんだけどな~
どうでも良い話はさておいて
自分はですね自動車運転免許を取得してからも
しばらくペーパードライバーでした
初めて車を購入したのは20代の半ばでした
だからそれまでは毎日の様に自転車に乗っていたのですが
でもねやっぱりマイカーを手に入れると
全く自転車には乗らなくなりました・・・
それから15年ほど自転車に乗る機会はほとんど無かったのですが
3年前に趣味で始めたロードバイクを気に
再び自転車に乗る機会が増えたのです
今回は15年ぶりに自転車に乗り始めた
この3年間で感じた”腹が立った事”をいくつか書いていこうと思います!!
15年ぶりに自転車に乗り始めて腹が立った事!!
スマホのながら運転!!
ながら運転に関しては正直
…
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かつては「ネットカフェ」今は「道の駅の駐車場」 Nスペ「車中の人々」が示した“貧困難民”の滞留場所 衝撃的だった「車中の人々」 久しぶりに現在の日本社会の「貧困」の断面に切り込んだドキュメンタリーを見た。2月15日(土)に放送されたNHKスペシャル「車中の人々〜駐車場の片隅で〜」。 以下、番組の流れをふり返りながら、この番組が伝えた衝撃を見ていこう。 冒頭、氷点下の「道の駅」で情報を受けた取材班が雪の降り積もった駐車場で車を探す場面から始まる。「駐車場で暮らす親子がいる」。灯りを消した黒いワンボックスカーには「おばさんが運転席。後ろの座席におばあちゃんが乗っている」と目撃者が証言する。車中生活は3年になるという。 取材のきっかけは、2019年8月21日に上毛新聞に掲載された92歳の女性が車中で死亡したという事件だったという。記事は「3世代1年車上生活か」という見出しで家族3人が1年間も駐車場で生活していた実態の断片を伝えた。 こうした人々が他にもいるのではないかとNHKは全国の道の駅1160すべてを取材。事情があって長期間、車で生活する人たちが相当数に上ることがわかってきた。年齢層もバラバラで切実な声を拾っていた。 若い女性 「事情があって(会社の寮を)出なきゃいけなくて家がない」 20代の男性 「友だちゼロで彼女もいない。人間関係は難しい」 60代男性 「布団で死にたいね。やっぱ最後は・・・」 生きる場所が車しかない、と口々に語る人々。駐車場の片隅で起きている現実を追った。 道の駅の駐車場は24時間無料で開放されている。トイレ、売店などもあり、長期で滞在が可能な環境が整っている。日中は家族連れのマイカーやトラック運転手などで賑わう道の駅の駐車場だが、夜間になると車の台数は減っていく。ある道の駅を取材してみると、夜間でも10台ほどの「動かないで駐車したまま」の車が見てとれた。その大半が目張りなどをしてあって「異様な感じ」だったという。道の駅の職員によると、1年近く駐車場にいる車もあった。その中にいた男性はまさに典型的な人だった。 典型といえる「車中の人」、66歳の男性 7年前に妻に先立たれていた。トラック運転手として働いたが、再就職できずに行きづまったという。アパートの支払いが滞るようになり、��じゃあ、出るか」と車中泊を決意した。男性はカボチャやインゲンなどと一つひとつの支払いを細かく記録。車中生活で自らゼリーをつくるなどの倹約ぶりを示す。顔の部分にボカシが入っているものの几帳面な生活が伝わってきた。収入は年金が月10万円。アパート生活だと家賃(4万円)や光熱費(1.5万円)で支払い総額が月14万円になってしまい完全に赤字になるという。車中生活なら家賃と光熱費はかからないものの冷蔵庫がないために食費がかさんでいく。それで収支トントンでギリギリの生活を維持していた。番組では男性がつけた記録を元に具体的な数字で男性の収支状況を示していた。 NHKは放送内容の一部を「NEWS WEB」で公開している。上記の66歳の男性については車中の画像も見ることができる。 興味のある人はそちらで確認してもらいたい。 取材を始めておよそ2週間、群馬県内のある「道の駅」で66歳の男性に出会いました。軽乗用車の中で1年近く生活を続けているといいます。最初は取材を断られましたが、2週間通い、ようやく取材に応じてくれました。男性は、車の中を見せてくれました。 出典:NHK NEWS WEB 特集 ”車上生活”漂うわけは 頼ることができない生活保護 こうした差し迫った状態で日本社会に用意されている最終手段が「生活保護」という制度だ。「最後のセーフティーネット(安全網)」とも呼ばれる救済手段として機能するはずだ。ところがこの66歳の男性は生活保護も可能性を探ったものの断念した。以下のように証言する。 「知らない人は生活保護でも受ければいい」と簡単に言うけども、一回市役所に行って聞いたら「車を持っているんでしょ?それならだめですね」とぱっと切られて終わり。 私自身生活保護について何度か取材した経験でいえば、いかにもありがちな行政側の対応だ。乗用車はどんなに長期間乗ったものでボロボロであっても「金銭に替えうるもの」と見なされてしまう。そうした所有財産を売却して、それでも困窮した状態が続いていないと生活保護の申請行為さえ認めてもらえないケースが実際には少なくない。弁護士などの支援者が同行して本人の窮状を伝えることで認めてもらえるケースも例外としてはあるが、むしろほとんどの場合で「車を所有しているなら生活保護はだめ」という画一的で機械的な対応をする自治体が圧倒的に多いのが実態だ。 この番組では「車を手放したとしても、すぐに生活保護を受けられる保障はない」というナレーションが続く。生活保護行政の対応としては実態を反映した正確な説明だといえる。車を失うと明日寝る場所もなくなってしまうのではないか。そう考えて男性は車中生活を続けざるをえなかったという。 文字通り“さまよう”人 圧巻の場面がこの後に登場する。ある日の深夜。男性が「ガス欠だから」と燃料を買いに出かける。この日は2ヶ月に1度の年金支給日。近くのコンビニまで歩いて、そのATMの前で午前0時の年金の振り込みを待っていた。 手にした現金で5リットルのガソリンを購入。赤い容器に入れたガソリンを持って、1時間歩いて男性は車へと戻った。 久しぶりのエンジン音を聞いた男性は「ここには戻らないでどこかよそに行く。いくらなんでもずっと止まったままじゃ相当目立っていると思う」と、迷惑はかけたくないと車を発進させて道の駅を去り、夜の闇に消えていった。 何気ないシーンだが、ドキュメンタリー制作という観点でいうと非常にすぐれた映像だ。 こうした「車中の人たち」が「さまよい」「漂流する」姿をカメラで押さえている。人目を避けて移動を繰り返す車中生活者のリアリティーを冷静な形で映像として可視化させている。 全国にどのくらいいる? こうして各地を転々とする「車中の人」は全国にどのくらいいるのか。NHKの調査で「やむをえない事情を抱えて車中生活をする人」が過去5年間に目撃された道の駅は全国1160カ所のうち29%に上ったという。 単身の男性が多い。だが中には女性、あるいは高齢の女性を抱える娘などもいる。夫婦や子ども連れもいた。 その中には単なる経済的な貧困だけでなく、社会問題が背景になったケースも目立つという。 認知症が背景も? 認知症の夫とともに車中生活を続けていた女性が夫の死後も車内で暮らしているケースも紹介された。アパート生活をしていたものの認知症だった夫の火の不始末が心配になって車中生活になった。介護施設などの選択肢はなかったのだという。 幼い子どもを抱えるケースも? 幼い子どもを連れて車中生活していた30代の女性。所持金も少なく当時1歳の子どもを抱えていたが、子どもが夜泣きするため、ネットカフェでの宿泊は断念したという。冬に駐車場の寒空で夜泣きする子どもをあやす日々だった。 自ら選択? 職場の問題? 人間関係のわずらわしさを逃れるために車中生活を選んだという人も番組には登場する。 熊本の駐車場にいた50代の元看護師の岡山さん夫婦のケース。理由を一言で説明するなら職場の人間関係という言葉になるのかもしれない。7歳年上の夫は職場である病院で比較的ベテランになっても仕事でなかなか結果を出せないことで精神的に追い詰められていった。妻によると夫は職場で次第に精神を病んでいったという。その末に人と深く関わらずに生きていける場所をと車中生活を選んだのだという。 かつては看護師長として部下からも信頼されていたのに、人員削減などで職場を追われ、病院を転々とする中で精神を病んでいったというから、この人の問題は本人ばかりを責められないケースだ。根っこに「職場」や「働き方」の問題が存在する事例とも考えられる。夫は次第にいろいろな職場で「お荷物」になっていることを自覚するようになっていった。今の生活を「人間関係がほとんどないのが一番気に入っている」と夫は話す。持病の糖尿病が年々悪化するなか「死ぬときは最終的には車の中で見つかってもそれもいいかな」と言う。どこか自暴自棄な言葉だ。 NPOなどでホームレスらの支援活動をする人たちも、こうした「車中の人々」の存在に戸惑いを隠せない。当の本人がどこまで支援を求めているのか、どこまで支援すべきなのかがわからないケースも多いからだ。 親の虐待も? 父親による虐待から逃れるために、車中生活を続けてきた若い男性が「食べるものがない」としてNPOに助けを求めてきた。痩せ細っていて死んでもおかしくない、とNPOでは感じたという。NHKが全国の警察に取材したところ、この5年間で全国では車中生活者の死亡が12件、確認されたという。 NPO側も支援を拒む人たちもいるので、そのまま亡くなってしまうケースも避けられない。 ドキュメンタリーの終盤で、車中生活を続ける佐藤叙之さんという81歳の男性が静岡県で見つかった。NPO側が粘り強く関わりを続けるなかで、高度成長期の時代に東京の高級ホテルで働いた経験もある人だとわかってきた。年齢を重ねると周囲との交流も途絶えがちになる。NPOや行政の力を借りて車中生活を止めて、半年ぶりに畳の上での生活を再開させることになった。 「私たちが出会った車中の人々。孤立、貧困、無関心・・・。車の中には社会が積み残してきたものが溜まり込んでいた。」 そんなナレーションでドキュメンタリーのラストシーンが始まった後で何人かの「車中の人」の声が続く。 60代女性 「リストラで家を失ったり仕事を失ったりして車があることでなんとか生活できる」 50代男性 「一日一日さまよっていた。次の日はどうなるか分からない。どこかでのたれ死ぬかもしれない」 30代男性 「どこにも行けないし、誰にも相談できなかった。正直、自分の気持ちもよくわからない。生きたいのか、生きたくないのか」 その後で番組を締めくくるナレーションは以下の言葉だった。 「今夜も駐車場の片隅で、人知れず、生きる人たちがいる。」 見ていて時折鳥肌が立つほど「これでもか」というほど現在の日本社会の現実が示されていた。 久しぶりにNHKが社会派のドキュメンタリーとして渾身の一球を放り込んだという実感がある。かつて2000年代以降にNHKが放送した「ワーキングプア」や「無縁社会」のシリーズにも匹敵するほどの大がかりなドキュメンタリーだった。 日本社会の「貧困」という社会問題をこれほど力が込めて取材した作品は本当に久しぶりだと思う。 以下、十数年前に私自身がかかわって放送した日本テレビ系の「ネットカフェ難民」とも比較しつつ、NHKの「車中の人々」についてその意義と可能性について論評したい。 「ネットカフェ難民」との類似性 今回の取材対象になったのは「行き場を失った」「漂流する」「家をもたない人々」である。2006年〜9年頃にはそうした人々はネットカフェに滞留するようになっていた。時間制で料金を取られるネットカフェは「お泊まり料金」等の割引き価格もあって、シャワー室が付いている施設も増えたことで若干窮屈さはあるもののビジネスホテルの半分以下の価格で一晩を過ごすことができるようになった。そこに貧困層が寝泊まりするようになった。2006年の朝日新聞の報道や2007年の日本テレビのドキュメンタリー番組の報道でその実態が少しずつ明るみになった。 私自身もドキュメンタリー番組のタイトルとして「ネットカフェ難民」と名付け、貧困層の人たちの中で一定の人たちがこうした「経済的な貧困」「不安定な仕事」「親からの虐待」「身寄りやコミュニティとの縁が切れた社会からの孤立」「生活保護にも頼れないセーフティーネットからの漏れ」「自暴自棄」「精神的な病気」などの状況が「折り重なって」いることを取材で実感した。 一定の貧困層が「ネットカフェ」に滞在することは社会の共通認識となり、「ネットカフェ難民」という造語も新語流行語大賞のトップ10にも選ばれて一般的に通用する言葉になった。今回の「車中の人々」も新たな貧困状態の現れ方として同様の広がりがあるものだと感じる。 他方で、「ネットカフェ難民」の放送後には当時ホームレスの支援活動をしている人々から言われた言葉がある。 「『ネットカフェ難民』が急に生まれて出てきたわけではない。行き場を失った人々は昔からいる。路上や公園での野宿の人たちがそうした人たちだ。ネットカフェという現代風の施設を使っているだけでホームレスであることに変わりない。それは形を変えたホームレスなのだ」 客観的に見れば確かにそういう面もある。メディアで人々に注目してもらうためには「これは新しい現象だ」と強調する必要があるからだ。 本質的には大きく変わっていない点も実は多い。今回の「車上の人々」も、経済的な貧困、福祉制度の脆弱さや利用の困難さ、あるいは虐待やDVなどによる家族からの支援を受けられないなど、「ワーキングプア」「無縁社会」「ネットカフェ難民」などのキャンペーン報道で指摘された問題も背景としては見え隠れしている。道の駅の施設の全国的な整備が進んだことで、そうした場所の駐車場が、貧困層や行き場を失った人たちの「滞留場所」になっている面がある。 ただ、中身の酒は同じようなものであっても酒袋を一新させて「貧困」「無縁」など社会に根深い問題について放送を続けていくことはジャーナリズムとしての意味はすごく大きい。今回の「車中の人々」は車社会が進んだ現代日本にとっては象徴的な切り口だ。NHKのスタッフがそれまで社会が気がつかなかったいいところに着眼した好企画だと感じる。 「ワーキングプア」「無縁社会」の中核メンバーも こうした骨太の調査報道型のドキュメンタリーを「チーム」で取材してまとめることができるのがNHKという組織のすごさだと思う。 番組のエンドクレジットを見ると、制作統括の最後に板倉弘政という名前がある。かつて「ワーキングプア」「無縁社会」の取材で活躍した社会部の記者である。そうした人がかかわることでこうしたテーマが若い世代に引き継がれていくことがNHKの強みなのだろう。 続編が見たい、そして映画にも ぜひ続編を見せてほしい。そう思うし、おそらく制作側もすでに計画していることだろう。 たが、それだけでない。これは映画のテーマにもなりうるのではないか。 たとえば、カンヌ映画祭やアカデミー賞など主な賞を総なめした「パラサイト〜半地下の家族〜」。韓国社会において「半地下」に住む貧困層の実態を映し出して格差や貧困をモチーフにした映画をつくった。「車中の人々」も日本社会が積み残したものがたまりこんだ現状なのだとすれば、これをテーマにする映画が出来てもおかしくはない。 「パラサイト」や「万引き家族」に限らないが、いい映画は深刻な社会問題への深い考察や取材の末に出来上がることも少なくない。 今回の「車中の人々」からそんなリアリティーある映画まで夢想するのは考えすぎだろうか。 (2020年02月16日ヤフー個人より転載) かつては「ネットカフェ」今は「道の駅の駐車場」 Nスペ「車中の人々」が示した“貧困難民”の滞留場所 かつては「ネットカフェ」今は「道の駅の駐車場」 Nスペ「車中の人々」が示した“貧困難民”の滞留場所 {$excerpt:n}
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2024.01 塔ノ岳(ヤビツ峠より)
新年初めての登山は富士山の眺めが良い丹沢の塔ノ岳。以前に2回登ったことあるし、大倉尾根(いわゆるバカ尾根)のピストンだと退屈するため、長距離だがヤビツ峠から塔ノ岳を目指して縦走し、その後バカ尾根を下るという計画で登ってみる。
秦野駅0824発のバスに乗るが、自分が着いた頃にはすでに60人くらいの列ができてる。さらに後ろにもたくさん並び、トータル100人以上か。当然バス1台では乗り切れず、待機していた2台目に乗車し運良く座れた、ヤビツまでは40分くらいかかるから助かる。
ちなみにヤビツ峠は駐車場もあるみたいだし、マイカーの人もアクセスし易いと思うが、そうすると当然車を回収するためヤビツ峠まで戻ってこなければならず、時間的に塔ノ岳への縦走ピストンはかなりキビシイ。今回はバス使用ならではのルートである。
バスはグングン高度を上げていき、ヤビツ峠到着時はだいぶ上からのスタートとなる(標高761m)。大倉(290m)から塔ノ岳(1491m)登るよりも標高差が小さいが、途中アップダウンは多い。ヤビツ峠には公衆トイレも仮設トイレも用意されている。一気に100人くらい降り立ったので大混雑。このとき気温は3℃くらいか?
【コースタイム】ヤビツ峠(0910)→表尾根登山口(0930)→二ノ塔(1000)→三ノ塔(1010)→鳥尾山(1030)→行者ヶ岳(1045)→新大日(1115)→塔ノ岳(1140-1155)→大倉バス停(1320)
ヤビツ峠からは皆すぐ近くのピークである岳ノ台へ登り始めるが、自分はそこへは登らず、20分ほど車道を歩いて表尾根登山口まで巻く。混雑を避けて更にショートカットし、隣の二ノ塔・三ノ塔から登り始めて静かな登山としたい。
斜度は常に普通でかなり整備されている。ピークへ通ずる道も基本的に階段設置されている。
登山道に入ってから30分で二ノ塔に到着。やや広めの広場でベンチも設けられている。
特に朝のうちは富士山の景色がかなり良かった。丹沢だから距離的に近く、さすが大きく見える。
お隣の三ノ塔へ。遠くに見えそうで案外10分くらいで着いてしまった。
三ノ塔はかなり広い広場で周囲360°見渡せ開放的。
本日のゴールの塔ノ岳が中央に(一番高いピーク)。距離的に4km先らしい。三ノ塔で本日のほとんどの標高を稼いだため、アップダウンはあるが以降はハイキングのような道が多い。
これから通るルートを確認。三ノ塔からは一度下り、そしてダラダラと塔ノ岳へ標高を上げていく。左に見えている広場がこれから通過する鳥尾山で、その中央にぽつんと建っているのが鳥尾山荘。
三ノ塔から20分で鳥尾山に到着。
どのピークからでも富士山の眺めが良い。ただしどんどんと雲に隠されていく。
更に先へ
広大な関東平野も見えてきた。非常に景色が良い。
この次の行者ヶ岳という小さなピーク前後が本日最も危ない。10mくらいの崖登りとなる。
塔ノ岳側はこんな感じ。鎖は設置されているが垂直に感じるほど。
そこからしばらくは荒々しい感じの道が少しだけ続く。
左奥が今日は巻いてきた岳ノ台か?右奥は三ノ塔で大きな休憩所もここから目視できる。
新大日。ピークごとに休憩のためベンチが設置されている。
途中で通過した生ノ又小屋がおしゃれ。広いテラスを作る工事していた。
あと残すは塔ノ岳のみ。ずっと木道が設置されている。
尊仏山荘が見えた!
ヤビツ峠から2時間半で塔ノ岳到着。天気もいいし人は多い(いつもこんな感じだけど)。富士山は雲が隠してしまった。その右には冠雪した南アルプスがきれいに並んでいる。
湘南
江ノ島が見える。
丹沢山系ではよく見かける歩荷。荷物40kgくらいだろうか。
ここから下山までがまた長い。最初の方は空中散歩のような気持ちの良い道。
ハイペースで下ってもバス停まで80分くらいかかった。行動時間としては4時間15分と普通だが、距離は14.7kmと長め。ヤビツ峠からのスタートなので登りの標高差が小さく、登山というよりも、ハイキングにしてはアップダウンが激しいルート、という感じで疲労は少なくて済む方。
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関東各県では公共交通や高規格道路等が放射線状に整備されていることが多く,東京へのルートは確保されていても県内の円滑な移動手段が確保されていない例が珍しくありません。特に公共交通は貧弱で,閑散運転のローカル線があれば上等という事例も少なくありません。県内でもっとも人口の多い高崎市と県東の拠点である館林市とを結ぶ群馬県のBRT導入案はそれを是正しようとするもので,とても興味深いと思います。
この記事を読んで僕も「館林市から高崎市に公共交通で向かう際にはどう行くのかな」と乗換案内で調べてみたのですが「伊勢崎まで東武線,その先は両毛線」というルートが紹介されるとは限らず「羽生まで東武線,秩父鉄道に乗り換えて熊谷まで,そこから上越新幹線」などという意外なルートが紹介されることもありました。運転本数が少なかったり,異常な大回りを強いられたりする中,バイパス道路を活用して高規格のバスサービスであるBRTを,それも毎時4本という頻繁運転で提供するというのは東京一極集中への果敢な対策であり,県内の一体化を推し進め県央の求心力を高めるためのかなり野心的な取り組みと言えるでしょう。
この取組は成功するでしょうか。勿論,究極的には高崎市の求心力がものを言うわけですが,成功のためには需要を確実に取り込んでいくことが不可欠だろうと思われます。
このBRT案では停留所は0.9~6.6キロ間隔での設置になる予定です(「上毛新聞」令和元年6月5日)。高速性の確保のために通常のバスよりも停留所が少なくなるのは当然のことですし,それには全く異論はありません。しかしそれは反面「途中の需要を取りこぼしかねない」ということであり,その弊害を避けるためには他の鉄道やバスとの接続等に意を配る必要があります。途中の「BUSターミナルおおた」や境町駅での接続に最大限の配慮が必要になるでしょう。「BUSターミナルおおた」には多数の路線バスが乗り入れており,その中には太田駅と熊谷駅とを結ぶ「シャトル500」のような比較的運行頻度の高い路線もありますが,大泉町・千代田町と太田市とを結ぶ広域公共バス「あおぞら」や太田市内を走る「シティーライナーおおた(尾島線)」のように運行頻度の少ないものも存在します。特に運行頻度の低い路線との接続には意を払い「この便はあおぞら(シティライナー)に乗継できる」と時刻表などで利用者に分かり易く周知すると同時に,一方が遅延してしまった場合にも絶対に見切り発車せず接続を確保することで「バスで必ず目的地に行ける」という信頼性を高めることが必要と考えます。「BUSターミナルおおた」には羽田空港・成田空港・京阪神などに向かう高速バスも停車しますが,そちらとの接続についても全く同様です。
また接続のみならず,起終点の工夫も必要になると思われます。このBRT案では高崎駅東口と館林駅とを結ぶことになっていますが,高崎の市街地があるのは高崎駅の西側です。高崎行きのバスが高速性確保のためにまず東口に寄るのは当然として,高崎の街に出掛ける乗客のためにはそのまま市街地まで直通することが好ましいでしょう。高崎市街地では特に急行運転を行わず,通常のバスと同様に全ての停留所に停車して構わないと思われます。館林行きのバスについても万一の遅延に備え高崎駅東口での調整時間を確保した上で,同様に高崎市街地始発にして利便性の向上を図るのが望ましいと考えます。一方の東側についても館林駅を経由するのは当然として,起終点は館林市の東に位置する板倉東洋大前駅に置くべきではないでしょうか。板倉町と館林市とを結ぶバスは最近では充実してきましたが,それでも両市町間の行き来はあまり便利ではありません。板倉町と館林市とが15分おきのバスで接続されることで両市町間移動の利便性を大幅に向上させるのみならず,群馬県内で唯一の東武日光線の駅である板倉東洋大前駅を起終点とすることでBRTを東武日光線に接続することにもなります。館林以東の国道354号が2車線しか無いことが懸案事項ではありますが,ある程度の余裕時間を確保してでも板倉まで路線を延長する価値は十分にあるでしょう。さらに将来的には埼玉県加須市北川辺地区を経て茨城県古河市のJR宇都宮線古河駅まで路線を延長することも検討に値するでしょう。群馬県の県域を超えてしまい「県内の一体化を推し進め県央の求心力を高める」という目的を逸脱してしまうかにも見えますが,そもそも人々の移動需要とは県境で止まるようなものではありません。高崎市の都市圏を県外にまで拡大するという意味でも,古河市と板倉町・館林市という近隣都市間の流動を活発化するという意味でも,さらに当該BRTをJR宇都宮線に接続するという意味でも,加須市や古河市のみならず群馬県にとっても無意味な案ではないと言えると思われます。
それでは,上記の案を実行すればそれだけで順調な利用を見込めるでしょうか。記事でも「鉄道・バスを年間に一度も利用しない人も約6割」「根強いマイカー依存を転換できるかどうかが成否のカギ」と言及され,また群馬県議会でも「費用対効果や経済波及効果が本当にあるのか。導入前にしっかり調べるべきだ」と懸念が上がっているとされています。
この点について先に回答を述べれば「腰を据えて取り組むべきだ」という点に尽きるのではないでしょうか。世の中には「溢れんばかりの需要があり,新規路線の開設が待ち望まれていた」という場合も勿論ありますが,整備の比較的簡単なバス路線が今まで無かったということは,この区間には現状それほどの需要は無いというのが合理的な推論です。そういう路線の需要を増やし定着させるには利便性と信頼の確立,具体的に言えば「いつでも利用でき,それは将来にわたって変わらない」と人々に思ってもらうことが最重要課題です。たとえば高崎の会社に勤務する人がBRT沿線に家を買うかといえば「この路線が将来にわたって頻繁運転を続けるか否か」を真っ先に考慮する筈です。したがって当初ガラガラであっても「需要を勘案して運行本数を適正化=減便」するのではなく,将来への投資だと割り切って頻繁運転を続けながら同時に沿線への住宅や商業施設,企業等の誘致に取り組むべきでしょう。この点,私見ではありますが,鉄道の新規開業の際には「需要を増やす」という健全な方向での対策が取られやすいのに対し,廃止も簡単なバスでは需要に合わせて減便・廃止という安易な消極策が志向される傾向が稀ではないように感じられます。もし世間の人々も僕と同様に「鉄道ならぬバス路線など簡単に廃止されるのではないか」と感じていれば,BRT沿線への住宅・商業施設・企業等の誘致も簡単には進まず,当面は空気輸送を続ける可能性もあります。しかしそこで「やはり駄目だった」と安易に路線を減便し弱体化させるようでは「根強いマイカー依存を転換」など出来るはずも無く,それどころか今後別のバス路線を整備しても「前のBRTもあっさり駄目になった。今度のバス路線もどうせそのうち駄目になってしまうのだろう」という先入観を抱かれることになりかねません。そもそもBRTとはバスを活用して鉄道に近いサービスを提供する取り組みです。「今回のBRTは新しい鉄道路線を建設するのと同じ」という強い意識でこのBRTを育てていくことが必要だと考えます。 たとえ人々に定着するまでの間に赤字を出したところで,鉄道を建設した場合に比べればその赤字額など微々たるものなのですから。
この群馬県の計画が成功すれば,鉄道建設には無理があるがそれなりの需要が見込まれる,或いは需要を作り出したいという区間に安価に幹線公共交通を整備する非常に優れた前例になることでしょう。是非成功してもらいたいし,そのために上記のような方策が取られることを望んで已みません。
参考(上毛新聞令和元年6月5日記事):
https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/society/136488
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713 名前:底名無し沼さん (ワッチョイ 6dbd-n1hU) :2022/06/04(土) 20:39:04.26 ID:YnynG8Y60
ヤマノススメで低山ハイク始めたけど、あおひなイチャイチャ至上主義者なので普段はアニメスレにいる
今年は富士山にチャレンジするつもりなので、今日は長時間行動の訓練に雲取山行ってきた
体力的には富士山も日帰りで行けそうな気がするけど、高山病が心配…
714 名前:底名無し沼さん (ワッチョイ 86a6-mYVk) [sage] :2022/06/04(土) 20:42:58.18 ID:1xm9W1ht0
デブとかハゲには無理だけど
鍛えてれば富士山日帰りは簡単
ただ、富士山なんて山としては面白くもなんともないぞ?
715 名前:底名無し沼さん (ワッチョイ d9bb-fIKY) [sage] :2022/06/04(土) 20:46:49.30 ID:KzTy4yfm0
まぁ高山病はどうしようも無いもんな
せいぜい順応時間取るのと、睡眠とか寒さ対策とか呼吸とか体調管理と、最悪頭痛薬で乗り切れ~ぐらい
716 名前:底名無し沼さん (スッップ Sdea-Vbko) [sage] :2022/06/04(土) 20:47:09.64 ID:q+7e8tSsd
>>714
ハゲは関係ないだろ?
717 名前:底名無し沼さん (ワッチョイ 86a6-mYVk) [sage] :2022/06/04(土) 20:54:28.80 ID:1xm9W1ht0
>>715
上の人日帰りしたいみたいだから、順応時間もクソもないよね
718 名前:底名無し沼さん (スッップ Sdea-EXtP) [sage] :2022/06/04(土) 20:55:01.61 ID:ix4YLRjsd
>>713
低山ハイクを描いたのは功績といってよいな
それまでの山漫画は岩や氷に登っては落ちるようなものばかりだったので
719 名前:底名無し沼さん (ワッチョイ 6dbd-n1hU) :2022/06/04(土) 21:31:16.79 ID:YnynG8Y60
>>714
雲取山や標準タイム・距離・累積標高が富士山とほぼ等しかったから、訓練のつもりで登ってきた
小袖乗越駐車場から七ツ石山経由で休憩込み3.5時間で登れたので、富士山も行けるかなと…
自分は山の経験が乏しいから富士山も楽しめる気がしてる
ちなみに似てると言われる伊吹山は登ったことあるけど、とても楽しかった
>>715
やはり順応時間必要か…マイカー規制前に夜中に車で5合目行って、仮眠とってから登ろうかな
>>718
ホントそれ
楽しそう、やってみたい!と思ったし
720 名前:底名無し沼さん (ブーイモ MMde-dVPT) [sage] :2022/06/04(土) 21:31:45.76 ID:THBuceEgM
吉田口で登れば補給と緊急時対応の問題が解決するし
休憩&回復ポイントが延々と設置されてるから体力不足すらどうにでも出来てしまう
低酸素による高山病、寒さと強風に対応すれば登れる
…という、普通の登山と全然違う別ゲーが富士登山
721 名前:底名無し沼さん (ワッチョイ 062c-VupZ) [sage] :2022/06/04(土) 22:24:48.94 ID:W9pxcdZc0
半日やそこらで体が高地順応するわけではないので
いかにコンディションを整えるかですね
単純に日帰りが高山病になりやすいというわけではなく
無理な行程の影響が出ているだけだと思う
723 名前:底名無し沼さん (ワッチョイ b692-0dfa) :2022/06/05(日) 09:26:12.66 ID:fugsRGXt0
>>721
ある程度は順応するよ
下界の酸素濃度に順応した状態で登るのと、五合目の酸素濃度に順応した状態で登るのはだいぶ違う
普段から鍛えてて日帰り余裕って人は、おそらく激しい運動で低酸素に慣れてるだけ
慣れてない人が下界に順応したままの体で登ったら、当然その影響は大きくなる
アニメではコンディションが原因として描かれてるけど、原因はそれだけじゃないよ
724 名前:底名無し沼さん (スッップ Sdea-90pD) [sage] :2022/06/05(日) 09:50:59.97 ID:MzQASbJid
日帰りの方が高山病になりにくいけどな
山小屋に宿泊するから高山病で登れなくなる
特に八合目の山小屋に宿泊して睡眠まで取るとか悪手としか言いようがない
725 名前:底名無し沼さん (ワッチョイ ca21-yiPH) [sage] :2022/06/05(日) 10:45:42.74 ID:PvPDNqRW0
体質も結構関係してくるんじゃ?
726 名前:底名無し沼さん (ワッチョイ 0abd-lDGa) [sage] :2022/06/05(日) 11:13:32.17 ID:ISaN4KB90
奴隷船レベルの山小屋で仮眠するなら日帰りのほうがまし
今年から奴隷船復活しそうだし
727 名前:底名無し沼さん (アウアウウー Sa11-GG2A) [sage] :2022/06/05(日) 12:52:44.75 ID:TwQBXpSFa
無理と過信はしないことよね。
山登りはそれに尽きる。
731 名前:底名無し沼さん (ワッチョイ 86a6-mYVk) [sage] :2022/06/05(日) 18:02:20.59 ID:MY+J0j/A0
富士山はそもそも ルート、時間帯では
速いやつでも自分のペースで歩けるかすらわからんぞ 日本で一番混む山なんだから
733 名前:底名無し沼さん (ワッチョイ 15ce-yFCf) [sage] :2022/06/06(月) 03:00:13.51 ID:ynEBIB/h0
自分のペースで歩く方法はある
下山路設定されてるブル道を登るのね
実はあのブル道は登山道じゃないんだ
(登山道は管理されてるから閉鎖時に使うと罪になる)
だから山開き前でも合法的に富士登山が出来るんよ
何年か前に8~9号目の登山道が崩落して通行止めになってたの覚えてる?
あの時も閉鎖の手前まで行ってツアーはここまで、でガイド外して自己責任でブル道登らせてる所もあったんよ
734 名前:底名無し沼さん (ブーイモ MM39-X3SU) [sage] :2022/06/06(月) 11:26:17.77 ID:5JA7rd9cM
>>729
登山超初心者の小学生の長男&甥を連れて富士山登ったときは無理できないからそうした。子供は呼吸浅くて高山病になりやすいっていうし
その時の欲張り計画(二泊三日)を参考に書いとく
富士吉田ルート5合目前泊、6合目まで歩く途中でご来光、6合号目でお弁当、8合目でゆっくり昼食、15時に頂上で30分休憩、お鉢巡りを半周して頂上館にチェックイン、日の入りと影富士鑑賞、翌朝チェックアウトして山小屋の近くのピークでご来光、お鉢巡りの残り半周して空いてる時間に下山
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番組中でコメンテーターの一人が「こういう人は『穀潰し』と言って、昔からいた」と述べていた記憶もある。この時点で「働いたら負け」という言葉は、社会の一般層の間では批判的な受け止められ方がされていた。ニート男性の話題で盛り上がっていたネット空間においても、かの発言は一種のお笑いネタとして消費されていた。
なぜなら、番組の放送当時だった2004年はまだ、私たちの間で将来の安定や豊かさが共同幻想として残っていた時期だったからだ。2001年に上映されたクレヨンしんちゃんの長編映画『オトナ帝国の逆襲』でも、しんのすけのパパである野原ひろしが「俺の人生はつまらなくなんかないぞ!」と叫ぶシーンがある。
いまや信じがたい話だが、当時は年収600万円で春日部に持ち家とマイカーがあり妻と子どもと犬がいる正社員のひろしの人生が「平凡」とみなされていた時代だったのだ。そんな時代に「働いたら負け」「今の自分は勝ってる」と言っていたニート男性は、明らかにヘンなやつでしかなかった。
だが、15年前は珍発言として笑われていた「働いたら負け」は、いまや相当にシリアスな説得力を持つに至っている。もちろんニートをやっていれば食っていけず、また就業を希望したときの社会復帰も相当にしんどいはずなのだが、苦労をして働いたところで、往年の野原ひろし並みの「平凡」な幸せすら得ることは困難なのだ。
ニートの名言「働いたら負けかなと思ってる」をマジで笑えなくなった“平成の終わり”(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
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みんなのザックの中身が気になる!ハイカー14人の山旅装備を大公開
アイキャッチ画像提供:Instagram/ayaka.matsuoka
あの山に何を持っていく? みんなの装備が気になる!
撮影:takashi_aoyagi
「あの人のザック重そうだな~、何泊するんだろう」「なんで私のザックは友達よりこんなにパンパンなのかな…」
見えないからこそ気になる、他の登山者のザックの中身。みんなはいったいどんな装備で山へ出かけているのでしょうか。
そこで今回は、ハイカー14名の山旅装備を大公開! とある日の山行での主な持ち物と装備のポイントを教えてもらいました。
①0ya_ma_sam_p0さん[登山歴9年]
山行日程
双六岳~笠ヶ岳
2019年7月31日〜8月2日
(2泊3日/シェルター泊)
提供:Instagram/0ya_ma_sam_p0
主な装備
ザック、フロアレスシェルター、ヴィヴィ、マット、グランドシート、防寒着上下、レインウエア、着替え、ファーストエイドキット、ヘッドライト、予備バッテリー、トイレキット、アルコールストーブ、カトラリー、ボトル、ザックカバー、タオル、三脚、カメラバッグ、サコッシュ
装備のポイント
星が撮りたくてカメラ関係がだいぶ重くなってしまったので、それ以外の軽量化を意識しました。テントはインナーを持たず、フロアレスにして、シュラフも持たず、SOLのエスケープヴィヴィプロのみにして防寒着で調整するようにしました。
山行を終えて
提供:Instagram/0ya_ma_sam_p0
初めてのフロアレスシェルターで寒さと虫が心配でしたが、問題なく快適に過ごせました。楽しみにしてた星撮りは両日ともガスで撃沈でしたが、双六岳からの槍ヶ岳は見れたのでよかったです。次来るときは双六から槍ヶ岳を入れての星空を撮りたいです。
②tomozoさん[登山歴5年]
山行日程
立山~剱岳
2019年8月10日〜8月12日
(2泊3日/テント泊)
提供:Instagram/tomozo
主な装備
ザック、テント、シュラフ、レインウエア上下、ダウン上下、フリース、防寒具(ニット帽、ネックウォーマー)、着替え、一眼レフカメラ、ヘルメット、サンダル、調理器具(コッヘル、折りたたみカップ、固形燃料)、ファーストエイド、ライト、地図コンパス
装備のポイント
今年から軽量化を意識し始め、とにかく軽く。防寒だけは手厚く準備しました。
山行を終えて
提供:Instagram/tomozo
剱沢キャンプ場をベースにして、山の日の剱岳に登頂しました。登頂までの渋滞はあったものの、やはり山の日は賑やかで楽しかったです。防寒具多めで持参しましたが、それでも寒がりな私には丁度よいくらいでした!
③4u4_nさん[登山歴3年]
山行日程
奥穂高岳〜大キレット〜槍ヶ岳〜双六岳
2019年8月10日〜8月13日
(3泊4日/シェルター泊)
提供:Instagram/4u4_n
主な装備
ザック、サコッシュ、スリーピングパッド、シュラフ、ヘルメット、ヘッドライト、トレッキングポール、ウェア、シャツ×2、パンツ、レインウエア、ダウン、グローブ、サンダル、カメラ、調理器具、財布
装備のポイント
テン泊縦走の時の装備は極力軽いULを意識しつつ、その分食事やお酒をたんまりと持っていき、テント場の楽しみを糧に頑張ります(笑)。
山行を終えて
提供:Instagram/4u4_n
テン泊装備で長距離&難関ルート大キレット通過ということで、緊張感はありましたが、今回デビューとなった、山と道theeの機能と、初出動の嬉しさによって無事踏破できました(笑)。
サコッシュはよく使うものを入れておくと便利ですが、大キレットのような岩場では下が見にくいことがあったので、そのような場面ではカバンの中にしまっていました。
今回は自分の好きな装備を持って、4日間天候にも恵まれた最高の山行でした!
④shirogoniaさん[登山歴1年]
山行日程
硫黄岳
2019年8月12日〜8月13日
(1泊2日/テント泊)
提供:Instagram/shirogonia
主な装備
シュラフ、マットレス、ナルゲンボトル、防寒着、シェル、雨具、着替え、火器(調理器具)、ヘッドライト、ザブトン、食料(行動食)、カメラ、プラティパス
装備のポイント
初めてのテン泊ということもあり、必要品はしっかり持っていきました。用途や必要順で小分けにして、圧縮スタッフバックを使ってなるべくコンパクトにまとめました。
ザック内の防水もしっかり行い、パッキングはきれいにできたかと思います。パートナーとも荷物を分配しながら行きました。食べるの大好きなので食料(お菓子)は多めです(笑)。
山行を終えて
提供:Instagram/shirogonia
まずはじめにテン泊が最高でした。本沢温泉も朝一に入れて雲海と焼ける硫黄岳を眺められて至福のひと時でした。天候にも恵まれて、硫黄岳からの眺望も絶景でした!
登山を始めてまだ1年ほどですが、欲しかったギアを少しずつ揃えて身に纏って歩く山道がたまらないですね。今回は新たに<RawLow Mountain Works>のザックを手に入れて気分アガりまくりの山行でした!
⑤hmr_0121さん[登山歴5年]
山行日程
表銀座縦走
2019年8月12日〜8月14日
(2泊3日/小屋泊)
提供:Instagram/hmr_0121
主な装備
ヘルメット、トレッキングポール、サンダル、ダウンジャケット、カッパ、着替え(下着予備)、ファートストエイドキット、モバイルバッテリー、ナイフ、ヘッドライト、バーナー、コッヘル、コップ、スキットル、地図、コンパス、サングラス、ウェアラブルカメラ、その他小物、行動食(3日分)、プラティパス(水1〜2L)
装備のポイント
スタンレーのスキットルにつめた麦焼酎(笑)。
2泊3日の山行を、この28Lのザックで完結させることを目標にパッキングしました。ザックは約500gとかなり軽量ですが、装備自体はとくにULを意識しているわけではないので、写真の装備+行動食・水で重めです。
山行を終えて
提供:Instagram/hmr_0121
今回、行動食に力を入れました。ドライフルーツ・アミノバイタル・ナッツなどで積極的に栄養を補給。そのおかげか、最終的に脚が全く痛くならず、傷ひとつ作らないで下山できことが一番嬉しかったです。『食』の重要性を体感できた山行でした。
⑥ayaka.matsuokaさん[登山歴8年]
山行日程
九重連山 星生山〜久住山
2019年8月17日〜8月18日
(1泊2日/テント泊)
提供:Instagram/ayaka.matsuoka
主な装備
ザック、テント、寝具、火器、フィルムカメラ、食器、着替え、ヘッドライト、バッテリー類、ファーストエイドキット、食料
装備のポイント
8月で、いつも行く坊ガツルということもあり、防寒着とシュラフをあえて持っていきませんでした。
山行を終えて
提供:Instagram/ayaka.matsuoka
今回の山行は、いつも行くくじゅうでのテン泊ということもあり、寝具や着替えを控えめにして軽量を意識してのパッキング。
九州の山といえども、夜はなかなか冷え込んだので、やっぱりシュラフは必要でした。山荘の温泉のおかげで、冷えた体もポカポカ癒せてよかった〜。
⑦abenger7さん[登山歴15年]
山行日程
屋久島 宮之浦岳
2019年8月20日〜8月22日
(2泊3日/テント泊と小屋泊)
提供:Instagram/abenger7
主な装備
ウェア類(メインで使用したのはパタゴニア・キャプリーンクールとバギーズ・ショーツ)、バックパック、サンダル、マットレス、折りたたみ傘、テント、シュラフ、レインウエア、調理器具、カトラリー、浄水器、グレーポーチ(リペアキット)、グリーンポーチ(GoPro・バッテリー・ケーブル類)、イエローポーチ(常備薬・洗面用具)、パープルポーチ(食料・調味類)、オレンジポーチ(パジャマ代わりに使用するメリノウール上下と靴下)、ヘッドライト
装備のポイント
以前は比較的軽量なバックパックを使用していたのですが、フレーム剛性がしっかりしているミステリーランチのテラフレーム50に変えてから縦走が快適になりました。また、このバックパックの特長でもある3ジップデザインは、底にある荷物の取り出しも素早くできるので他の製品に戻れません。
過去に黒部下ノ廊下をハイクしたときに、サイドポケットに入れておいた水筒を岩肌のボルトに引っ掛け、水筒が谷底に吸い込まれていった経験があります。それ以来、水筒やマットレスを外に出さないようにしています。
<ゼログラム> エルチャルテン1.5P(テント)の設営は非常に簡単、また、結露がほとんどないのでオススメです。
山行を終えて
提供:Instagram/abenger7
屋久島では雨に何度も降られましたがレインウエアを使うことはなく、モンベルの超軽量な傘が大活躍しました。レインウエアは使わないことを前提として軽量なモノを選択しています。
あと、<パタゴニア>キャプリーンクールのトレイルシャツとライトウェイトシャツを併用しました、保温性があるトレイルシャツのほうが今回の山行には適していました。バギーズショーツ派は、ほとんどいませんでした(笑)。
今回屋久島にはじめて行きましたが、5月に島を襲った大雨の影響で、どのキャンプサイトも閑散としており寂しいくらいでした。紀元杉までバスで移動したのですが、僕以外は全て外国人でした。登山道は完全に修復されておりますし、屋久島にはたくさんのガイドさんがいます。ぜひ、屋久島を訪れてください。
⑧fuumi_nakaさん[登山歴8年]
山行日程
塩見岳
2019年8月25日〜8月26日
(1泊2日/テント泊)
提供:Instagram/fuumi_naka
主な装備
テント、着替え、シュラフ、エアピロー、マット、ストック、ザック、レインウエア、ゲイター、ダウン上下、アタックザック、山ごはんセット、洗面セット、便セット、救急セット、ランプ類、バッテリー、カメラ、GoPro、ショルダーポーチ、トレッキングポール
装備のポイント
マイカーでのペアピストン1泊行程なので、テン場での山ごはん(同行者との宴)は充実しつつ、それ以外は軽めの装備に。
山行を終えて
提供:Instagram/fuumi_naka
装備を軽くシンプルにしたいけど、ULは不安。楽しみや快適・安心は残しつつ、軽さとシンプルさを求めていけたらいいんですけどね。9月は同じような装備でソロ2泊縦走を試みます。
⑨ayaneco8824さん[登山歴4年]
山行日程
奥穂高岳~ジャンダルム~西穂高岳
2019年8月26日〜8月27日
(1泊2日/テント泊)
提供:Instagram/ayaneco8824
主な装備
ザック、シェラフ、シェラフカバー、マット、サコッシュ、防寒着、シューズ、クライミングギア、調理器具、カメラ、ペットボトル500ml×4、行動食(2日分)、おやつ、夕食用の野菜
装備のポイント
目指すは、初・ジャンダルム! ザックの高さが登攀の邪魔にならないよう、パッキングしました。
山行を終えて
提供:Instagram/ayaneco8824
はじめてのテン泊。夕食はステーキにすき焼きと、めっちゃお楽しみいっぱい! 山メシ分が重たいので、ウェアやザック、クライミングギアを軽いものにして、軽量化をしました。
テントは<アライテント>オニドーム2。@tetsuya_furuichi_ さんがハイクアップしてくれました。
実際には今回の山行で使わなかったものもあり、その分を除いていき、次はmyテントでチャレンジしたいです!
⑩maple_k0902さん[登山歴6年]
山行日程
奥穂高岳~前穂高岳
2019年8月27日~8月28日
(1泊2日/テント泊)
提供:Instagram/maple_k0902
主な装備
ザック、シューズ、テント、シュラフ、マット、調理器具、食料、レインウエア、ミドルレイヤー、グローブ
装備のポイント
<山と道>のスリーが肩で背負うタイプのザックだということで、普段より荷物を少なめにしました。フロントメッシュ部分は、ヘルメットがすっぽり入って感動!
<スノーピーク>のチタントレックは、袋麺一袋を調理するのにちょうど良いサイズで、私は茹でてそのままクッカーでラーメンをいただいています。ゴミやカトラリーなども少なく済ませられるのでオススメです。
同じく<スノーピーク>のフレキシブルインサレーション(中綿入りジャケット)は暖かくて撥水性もあるので、テン場についたらさっと羽織っています。とにかく着心地が良いので、そのまま寝袋に入っても快適です!
山行を終えて
提供:Instagram/maple_k0902
今回シューズを新調したのですが、靴慣らしが不十分でした…。それでも店員さんに色々と教えていただき、インソールを<シダス>にしていたので、足の疲労感はあまり感じませんでした。こんなに変わるのかと驚きです。
久々の登山だったので、なかなかハードでしたが、2日間通して天気も良く楽しい山行でした。ジャンダルムにも挑戦してみたいです!
⑪cookie_hariyamaさん[登山歴9年]
山行日程
蝶ヶ岳
2019年9月7日〜9月8日
(1泊2日/テント泊)
提供:Instagram/cookie_hariyama
主な装備
テント一式、シュラフ、エアーマット、調理器具、バッテリー、ファーストエイドキット、ウェア、着替えのTシャツ、トレッキングポール、ライト類
装備のポイント
なるべく軽く、でも、テンションが上がるようにお気に入りの物を必ず持参。自作したタイベック素材の袋に落書きをして、自分のザックとわかるようにしています。
山行を終えて
提供:Instagram/cookie_hariyama
初めてのテント泊でソロだったので、安全で時間に余裕があるところをチョイスしました。なるべく軽くしたかったので、お酒や翌日の水分は山小屋で調達。
大好きな槍ヶ岳や穂高連峰を眺めながらのビールは最高に美味かったです! 蝶ヶ岳オススメです!
とくに不足する物はありませんでしたが、時間に余裕があったので本などがあったらまた違った楽しみ方ができたかも。
⑫oka.mountainさん[登山歴3年]
山行日程
槍ヶ岳
2019年9月9日〜9月10日
(1泊2日/テント泊)
提供:Instagram/oka.mountain
主な装備
ザック、テント、シェラフ、マット、テント着上下、ダウンパンツ、シュラフカバー、レインウエア、着替え(Tシャツ×2、パンツ×1、靴下、ベースレイヤー×1)、充電器、カメラ、時計、ヘッドライト、食料(2日分・小屋食を2回利用)、サコッシュ、アタックザック、ヘルメット
装備のポイント
大好きなUL系のアイテムでまとめています! が、持って行く物が多いのでウルトラライトにはなってません(笑)。
山行を終えて
提供:Instagram/oka.mountain
物はたくさんなので重かったのですが、防寒具や着替えが充分あったので快適に過ごせました。多少余分な装備もあったので、もう少し軽くできたかもです。
目標は快適かつウルトラライトな装備なので、次回はもう少し切り詰めたいです!
⑬non.pe.non0604さん[登山歴1年半]
山行日程
蝶ヶ岳
2019年9月14日~9月15日
(1泊2日/テント泊)
提供:Instagram/non.pe.non0604
主な装備
靴 、ウェア、パンツ、サンダル、ファーストエイドキット、ヘルメット、ダウンジャケット、ダウンパンツ、ヘッドライト、トレッキングポール、ザック、シュラフ、枕、マット、調理器具
装備のポイント
基本ソロでは山へ行きませんが、山装備は山へ行くたびに増えては減らしを繰り返しています。
<アークテリクス>のダウンと<マウンテンイクイップメント>のダウンパンツはとても軽くコンパクトになるし、冷え込む朝晩にはとても重宝しています。低山でザックが小さくても必ず持っていくものです。
山行を終えて
提供:Instagram/non.pe.non0604
今回はいつも持って行くピローを使わず、ザックを枕代わりに使いました。個人的な意見ですが、これで十分に眠ることができたので、ピローを削ろうか考え中です(笑)。
⑭raychell_29さん[登山歴6年]
山行日程
燕岳〜前穂高岳
2019年9月14日~9月17日
(3泊4日/テント泊)
提供:Instagram/raychell_29
主な装備
ザック(40L)、テント、シュラフ、マット、ダウン上下、ヘルメット、食糧、調理器具、着替え、小物(化粧品など)、エマージェンシーシート、一眼レフ、三脚、赤ワイン
装備のポイント
今回は長期縦走に加え、岩稜帯でもバランスを取りやすいよう、できる限りコンパクトにパッキングしました。
山行を終えて
提供:Instagram/raychell_29
4日とも天候に恵まれ、絶景に囲まれたとても気持ちの良い稜線歩きができました。
3日目の朝は霧雨でしたが、シュラフなど濡れてはいけないものをドライパックに入れていたので、パッキングも比較的容易にできました。
岩場に備え、パッキングはコンパクトにしたのですが、4日分の物を詰め込んだこともあり、荷物は重かったので、軽量化が今後の課題です!
あなたの登山装備のポイントも教えて!
撮影:YAMA HACK編集部
「軽量化を目指すけれど、必要装備はしっかり持っていく! 」「気分をが上がるアイテムを身に着ける!」など、みんなのザックの中には、登る山や目的に合わせて考え抜かれたアイテムが詰まっていました。
そして、実際の山行で感じた装備の良かったところや反省点が、次回の山旅をより快適で安全に楽しむための道具選びに存分に生かされています。経験を重ねながら、装備をどんどんブラッシュアップしていくことも、登山の楽しみの一つですね!
みなさんのこだわりの装備をYAMA HACKのInstagram(@yama_hack)でも紹介していきますので、「#私の山道具」でぜひ投稿してみてくださいね!
Instagram|YAMA HACK
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【15thAnniversary】vol 40 ひどく暑かった日の1988年
まァ、厳密には昭和は64年まであるのですが、さすがに一週間のことなので、この際無視させてもらってね、実質的に昭和最後の年になった昭和63年、つまり1988年のことを書かせてもらおうと思いまして。
某所で調査した結果、ま、ただ検索しただけなんですが、1988年8月の大阪の平均最高気温は32.4℃だったらしい。暑い暑いと言われた2018年の同じ大阪の平均最高気温が34.6℃なので、まあまあ暑かった年ってことになりますか。いや32℃でもたいがいクソ暑いんだけどさ。
1988年と言えばちょうどアタシが20歳の時。ま、ハタチならね、クソ暑い時に出歩いても平気だったけど、さすがに30年以上経った今ではしんどくて敵わん。とにかく体力の消耗がハンパないもん。
となると夏には出かけたくなくなる。なくなるけど所用の場合は行かなきゃしょうがない。残念ながら左うちわなご身分ではありませんから。
もちろん電車の中は冷房が効いてるとはいえ駅まで、そして駅から目的地までは徒歩になるわけです。イメージとしては『A→A`→B`→B』みたいな感じ。
あの炎天下の中を駅まで歩くのか、嫌だなぁ。ああ、多少もったいないし、時間も読めないけど、今日はクルマにすっかなぁ、なんて発想になりがちになる。
たしかにクルマならほぼドアトゥードアで、冷房ガンガン状態で移動出来る。これなら『`』(←ダッシュ)を割愛して『A→B』になるもんね。
アタシは果てしなく自堕落な人間だけど、実は歩くことは嫌いじゃないんです。それでも猛暑という強敵が目の前に現れたら、最強の防衛手段であるクルマを使わない手はない。つかその場合「歩くのが好き」なんてたわけたことを言ってる場合ではないっつーか。
なんて長々どーでもいいことを書いてきましたが、アタシがクルマという素晴らしき文明の利器に目覚めたのが、今回の主題である1988年なんです。
逆に言えば20歳になるまでのアタシはクルマには何の興味もなかったってことになるわけでして。
あ、ちょっとだけ嘘を書きました。いやまったく興味がなかったのかというと、ほんのちょっと興味を持った時期もあった。
だって世代的にね、1970年代後半に巻き起こった「スーパーカーブーム」の頃に小学生だったわけで、いわばピンズドってことになるんだから。
ドハマりってほどじゃなかったけど、何かスーパーカーの撮影会みたいなのも行った記憶があるし、「対決!スーパーカークイズ」なんていう番組も毎週見てたから。今でも「♪ スゥパァカ~」なんて番組のテーマソングが口ずさめるくらいにはね。
でもスーパーカーはスーパーカーであって<クルマ>ではないんですよ。わかります?
そもそもの話ですが、アタシは乗り物に極端に弱くてね、要するにものすごく乗り物酔いをしやすい。電車でも「冬」「暖房ガンガン」「満員で座れない」の条件が満たされていたら確実に酔う。それも電車から降りて、涼しい場所に避難して、それでも軽く数分は微動だに出来ないレベルで。
そんな人間だからクルマなんて本当に興味がなかった。酔いやすいし、1960年代狂だったアタシからすれば1980年代のクルマのデザインとか果てしなくダサく思えたし、興味を持つポイントがなかったんです。
そんなアタシでしたが、大学に入ってガラッと変わることになります。
アタシが大学に入ったのは1987年だけど、この年、正確にはこの年度になるのか、はほとんど学校に行っていない。大学にも行かず、友達と会うこともなく、バイトもせず、いったい何をやってたんだと聞かれると答えに詰まる。
ま、ものすご~くかいつまんで、ざっくりと言えば「何もしてなかった」ってことになります。
アタシは家でじっとしてるのが好きじゃないので、いわゆる引きこもりとは違うんですが、ひとり暮らしを始めたのをいいことに「テレビを見て、飯を食って、散歩して、オ○ニーして、寝るだけ」みたいな生活を約一年間続けていたのです。
とにかくこの時期はゲームさえしていない。ファミコンも、高校時代に淫していたマイコンもひとり暮らしの部屋には持ってきてなかったから。
何で持って来なかったんだろ。今考えても不明です。
さすがにこれはマズい、と思い、新年度、つまり1988年の4月から本格的に大学に通うようになった。もっとも大学に行ってただけで、相変わらず授業にはほとんど出ませんでしたが。
とにもかくにも大学へ行きたくなる理由付けのためにアタシは某サークルに入った。当然サークルにはクルマの免許を持ってる人がいるし、自分専用のクルマを持ってる先輩も結構いたんです。
とか書くと、大学生の分際でマイカーとか贅沢な話だな、と思われるかもしれません。たしかにバブル期に入ったばかりで景気が良かったのはたしかだけど、それよりも立地の問題が大きかった。
アタシが行ってた大学は大阪とは名ばかりの、かなり辺鄙な場所にありました。中心部から30分以上電車に乗って、そっからさらにバスなら10分以上、歩けば軽く1時間近くかかる。
そんなところだとね、遊びに行くにもブーブー(クルマのことです念のため)がないとにっちもさっちもいかないのです。大学の周りとか本当に何にもなかったから。今は知らないけど。
もちろんアタシも先輩のクルマに乗せてもらう機会が重なる。酔う、と敬遠して最初はあまり積極的に乗りたがらなかったのですが、それでも乗らないわけにはいかないし、実際乗ってみると、こりゃあ何と便利なものよ、と心惹かれるようになっていったのです。
あれは夏の暑い日のことでした。
どこに行く途中だったかは忘れたけど、何にしろ結構遠方まで遊びに行った時なのは間違いない。その日もアタシはふたつ上の、仲良くさせてもらってた先輩のクルマの助手席に座っていました。後部座席には、記憶が曖昧だけどアタシの同級生の女の子がいた気がする。
先輩は爆風スランプのファンだった。いや本当にファンだったか、ファンだったとしてどれくらいの熱量があったのかは知らない。だけれどもその日、カーステレオから流れていたのが爆風スランプだったことはたしかです。
どれくらい走っただろう。とにかく雲行きが怪しくなったっつーか、あきらかに道がわからなくなっていました。念押ししておくけど時代は1988年。まだナビなんて便利なものは存在しません。(←余計なツッコミ不要)
夏の暑い日ってことは当然学校は夏休みです。だからその辺の心配はしなくていいんだけど、バイトがある者もいるし、さすがに帰りが夜中になるのはマズい。女性もいるしね。
何となーく不穏当な空気が流れ出した。先輩は温厚な人柄なので当たり散らすとかではないんだけど、焦ってるのは手に取るようにわかる。
日が暮れてきた。さっきまでの強い日差しが嘘のように太陽は西の空に沈みかけている。この<夕暮れ>というのも余計気持ちを不安にさせたっつーか。
そして、その間も、エンドレスで爆風スランプが流れ続けている・・・、そんな情景を30年以上経った今でも信じられないくらい鮮明に憶えています。
その時かかっていたのは爆風スランプの何というアルバムだったのか知らない。しかし便利な時代になったものでして、一曲だけはっきり憶えていたために、アルバムのタイトルもわかってしまった。
アルバムタイトルは「JUNGLE」。何故わかったかというと、このアルバムに収録されているうちの「夕焼け物語」があまりにも強いインパクトがあったからです。
♪ クゥラス会の日ィがァ ちィかづいてくるゥ
二ィ年ぶりィ君ィに 会ァえるかもしッれない〜
ま、これも後々わかったことだけど、「夕焼け物語」の舞台の季節は夏じゃない。現在進行形として春、思い出として語られているのは秋なので、本当は「夏のクソ暑いある日」の出来事のBGMにはそぐわないはずなんですよ。
それでも、あの、何とも不安な、暮れていく街並みの情景と、気恥ずかしいまでに高らかに<青春>を謳い上げた「夕焼け物語」は奇妙なほどマッチしたっつーか。
以降、アタシはまったく爆風スランプを能動的に聴いてこなかった。ま、yabuniramiJAPANなるものを読んでいただいている奇特な方なら、如何にもアタシ興味がなさそうなタイプの<音>だな、とわかってもらえると思うんだけど、この「ずっと聴いてなかった」ってのが思わぬ効力を発揮し始めたのです。
近年になって、本当に久しぶりに、いや能動的となると人生で初めて爆風スランプを聴いてみたのですが、これが凄い。あ、もちろんやっぱサウンド的な興味はまったくないんだけど、とにかく記憶掘り起こし装置として優秀すぎるのです。
爆風スランプを聴くと大学時代の光景を鮮明に思い出すことが出来る。とくに「夕焼け物語」を聴けば、先輩のクルマの助手席に乗って、どこかへ出かけて、道に迷った時の、あのクソ暑い日のことが甦る。
こんなことを書くと変なのは承知ですが、今の今まで爆風スランプを能動的に聴かなくて本当に良かったと思った。能動的に聴いてないから他の記憶とゴッチャになってない。
1988年の秋、アタシは免許を取り、この年の押し迫った頃にお下がりのクルマをもらった。だから1989年以降はこの先輩のクルマにはほとんど乗らなくなっていました。
でもそのせいで、爆風スランプ=『1988年、先輩のクルマの中の光景』に限定された。つまり爆風スランプで思い出されるのはすべて1988年限定(正確には1988年4〜11月)の出来事なんです。
そう考えると爆風スランプってのは絶妙のチョイスだわ。アタシからすれば「積極的に聴こうとは思わないけど、聴いてて苦痛まではいかない」ってのがね。だからこそずっと聴いてなかったし、今も普通に聴けるんだから。
ま、先輩もまさかそこまで計算してエンドレスで爆風スランプをかけていたわけじゃないはずだけどさ。
(初稿 2015年8月15日更新「ひどく暑かった日の爆風スランプ」、2016年11月26日更新「リトラクタブル!」、2017年4月12〜15日更新「孤独に花束を」、2018年1月13日更新「冬は暑い!」他・改稿 2019年3月25日)
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「武蔵の昔のお話」2015書き起こし
2015年8月12日 旧武蔵小学校横のお堂にて。
西義秋さんの「武蔵の昔のお話」は、西さんが村の行事で神主を務められる際、お祭りのいわれと共に昔の武蔵の風俗のお話を聞かせてくださるのがとても面白く、ぜひみなさんにも聞いていただきたいと思ってお願いしたものです。
この記事は当日の記録から、一部を抜粋しました。
聞き手:中川真さん(大阪市立大学大学院教授)
中川 みなさんこんばんは。私は中川と申します。この武蔵の集落と関わり始めましたのは34年前です。今年は35年めということになります。その間、西さんは何度もお目にかかりお話を伺っているんですけれども、今日はちょっとまとめてお話を聞けるということでとても楽しみにしております。
西 じゃ、あらためてみなさんこんばんは。私、今、先生から紹介されました西義秋と申します。えー、雑談になります。別にこれといったテーマもあるわけじゃございませんので。
あの、みなさん、テレビやラジオで聞かれたことがあると思い���すが、綾小路きみまろ、あれが私おもしろうて、自分の車の中ではよう(カセットテープを)差し込んでは、走りながら聞くんですわ。ちょうどあの話のようになると思うんですが。
中川 お生まれは昭和ですか?
西 大正15年、昭和元年。あと3ヶ月でちょうど 90歳になります。
中川 ということで、武蔵のご出身で、昭和元年から昭和と平成をほとんどここにおられた。戦争中だとかそういうときに、しばらく和歌山に行かれたけど、ずっと武蔵をご覧になってこられたので、できるかぎり古い話を伺いたいなと。第二次世界大戦の前のお話とか、もし可能でしたら盆踊りの思い出とかそういうこともありましたら。
西 はい。この武蔵という村は、私が生まれた頃からの記憶にありますと、非常に団結心の強い村であると。小学生のころには感じませんでしたけれども、だんだんだんだんと自分が成人するにしたがって、この村人の先輩、いわゆるご先祖たちは、なんとえらいなあと。
一例を申しますと、この村には、杉、ヒノキなんかが育った共有山があります。この共有山を、財産ですから、みんなが協力して育てた。必ず月に一回は下刈りといって山の木の下に生えてくる雑草、雑木ですね、それを全部、今のようなあんな機械力はありませんので、皆、下刈り鎌という鎌で朝早くからみんな手弁当で刈りました。共有山の大半はあの大森山の奥にあります。その共有山を資金として、村の、たとえば学校の修理をするとか、道路の補修をするとかの費用を全部まかなっていました。今は、みなさんもご存知のように、山の価値は、このくらい山の価値がなくなった時代はいまだかつてないというくらい低下しております。お金にしようと思ったら、ほんとに馬鹿らしいほどの値段にしかならない。ところが戦後は、だんだんだんだんと日本の経済状態が良くなっていったがために山の価値があったから、みなさんがこの下からずっと登って来ている道路も、今は村道、十津川村の管理下になっておりますけれども、武蔵の共有財産の中から資金を出して、武蔵の村の方々の汗と涙の結晶です。だから今はこの世にはおらない方々が、本当に苦心されて村を作り上げたと。さっき言いましたように、団結心のある村人であったなあということが、自分が年をとってくればくるほど感じております。
学校の先生の地域での役割
西 この武蔵には、その当時、勝山という先生がおりまして、その先生は36年と6ヶ月、ずっとここの学校へ来ておられた。学校といっても、みなさんの卒業された学校のようなのとこの辺は違います。二学級で、校長先生が一年生と五年生、六年生を受け持ち、 二、三、四年生は女の先生が受け持つ、そういう学校の状態でした。
中川 先生ふたり?
西 ふたりです。
けれどもその当時やっぱり60~70人、多いときだったら80人ぐらいこの校舎でおったわけです。で、そのときの職員住宅というのが今ここに 改造されています。あれが職員住宅です。
中川 ゲストハウス(大森の郷)ですね。
西 校長先生がこちら(東側)のほうで、部屋を二つに区切って隣のほうが女の先生。そういう職員住宅だった。
そのときに今申しました、勝山という先生が武蔵に、報徳会という会を始められた。まあ今で言えば自治会です。今のわたしらの年代、まあ、80歳以上の方、80歳ちょっと無理かなあ、もう90歳以上の方は全部、その報徳会というのに月に一回、 たいてい夜で、昼したときもあって、一戸の家庭には必ず一人は出席して、いわゆる村の山林の問題とか自治会的な会合をしていました。それが本当に根強く残っております。
私は、あの先生の力というのは大したもんだなあと。お父さんお母さんもその先生に習い、子どもまでもその先生が教えている、という形態です。
まあ、昭和の戦後の学校の様子は変わってきます。A校からB校、C校とぐるぐるぐるぐるローテーションしていくのが、わたしらが学校へ行っている当時の形態でしたわ。
その当時は ひとつの村には必ず小学校、それから昔は高等小学校というのがありまして、小学校6年間は義務教育ね。あと小学校の上に高等小学校というのが2年間、これはもう自由です。行ってもいいし行かなくてもいい。この高等小学校に行くためには授業料を払って行った訳です。
中川 はいはい、解説しますね。
この小学校は昭和45 年まで小学校として授業に使われていました。1970年ですね。ですから45年前に閉校になった。それまでのお話でした。
ひとつの村にひとつの小学校というのは、ひとつの村というのは武蔵のことで、十津川村でひとつの村ということじゃなくて それぞれ集落でそれぞれ小学校を維持していた。子どもたちもたくさんいた。
それから西さんも学校の先生をなさっていて、それはここじゃなくて?
西 ここではありません。十津川村内で。
中川 村内で学校の先生をされていたと。すいません、ちょっと話の腰を折りまして。みなさんに話の背景を説明しながら答えていただきました。
虫送り
西 それからね、古い話になりますけれども、ちょうど今頃になると、おそらくわたしらより後輩の方は知らないと思いますがね、ちょうどお盆の2日前か3日前、まあ今日12日ですか、13日か14日、この天候にも寄りますが、天候のいいときには13日がたぶんその日だったんですが、これも年に一度のね、虫送りという村の行事。農作物にいろんな害虫がつきます。その害虫をなくすための、まあ言えば神事ですな。今は人家がだいぶ少なくなっておりますけれども、この一番上の家のところから、 たぶんわたしの記憶では 三人ないし四人だったと思うんです。竹に盆踊りで使う灯篭のようなものをつけて、それをかざして、虫送りという行事をしました。そして、これをずーっと道路を下がっていって、十津川荘のところの河原で、笹についている虫を川に流す。そのときの三、四人が「ねーぇむーし、はーぁむーし、おおくるよ」この言葉を大きな声でずっと繰り返す。そして小さな太鼓とお寺なんかで叩く、ちーんちーんて鐘な、鐘。あれを叩きながら、虫送りをやりました。
中川 村の人全員?
西 当番になっておるからな、だから今年はこの家とこの家とこの家、その次はこの家とこの家とこの家、 順繰り順繰りに回っていくね。
中川 虫送りのとき、たいまつとか?
西 それはね、昼間やるんです。
中川 あ、昼間やるんですか!
西 昼間やって、ちょうどね、たぶん13日か遅くとも14日の日にはやりました。わしらが小学校3年生か4年生ごろに記憶があります。
中川 総代さんはなさってました?
総代さん たしかにそういう話は聞いて、記憶に残っているんですが…。
中川 じゃあ実際にはもうされてなかった?もう廃れていたっていうか。
川のめぐみ
西 で、虫送りはずっと行って川にね。そのときの川っていったら、今の川と様子が違います。水量もあるし、本当にきれいな水でしたわ。ほんと、とても今の川とは例えられない、ね。ウナギもおるアユもおる、非常にきれいな川でしたわ。今から考えてみたら、ほんとに夢のようなといいますか。そら、もう今の川は死んでますよ。
中川 ダムができる前の話?
西 そう。できる前。
中川 で、十津川が すごくきれいだった?いろいろウナギとか採りに行かれた?
西 あーおりました。おりました。
中川 筏とかも?
西 そうですね。
中川 ダムがなかったから。
西 そうそう。
中川 じゃ川底ももうちょっと深い?
西 水の水量がちがいますわ。今の何倍かの水量です。もう川の底まで見えるぐらいきれいで。今の川は死んでますわ。生きた川じゃないです。
四万十川とかあれほどの水量はなかったけど、そりゃあもっともっときれいな、さ。それで今、先生がおっしゃったように筏が流れると、自分たちが泳いでいる間に筏に飛び乗って、そら筏のおっさんが竿を持って「こら!」言って怒る。怒りよったらまた水の中にバーンと飛び込んだりね。そういうことをしました。
ついでに申し上げますけれどもね、ここの谷なんかでもね、魚は今は稀でしょうね。前はウナギなんかおったんですよ。で僕ら子どもの頃は、6月7月8月ごろまでは土曜日、学校終わったら、谷に釣りに行ってね。ミミズを刺して晩方谷につけておいて、朝起きて行って上げる。ほんだらもうこんな(30センチくらい)ウナギが、そう何匹もかからん、まあ3匹か4匹はね、1回すればウナギは掛かります。今はもうぜんぜんそんなんありませんけどな。
4年前の水害からはねえ、もう川がねえ、さっき言いました繰り返しですが、死んでしまっています。もう昔のような面影はありませんわ。今まであったようなせせらぎは土砂が流れてねえ。10年か15年先にはもとの姿になるか知らんけれども、もう山が崩壊しているから、ほうぼうでな。だからちょっと雨が降れば本流でもそうです、泥水がどんどん流れる。だから魚もなにも住めんです。
村のお祝い事
西 それから、この十津川村内にどのくらいそういう村があったかどうかわたしも分からないですが、伊勢講といってね。どういうことかというと、 年に一度伊勢神宮に参拝する。今のようにマイカーで行くというようなそんな時代ではありません。それがために旅費ですね、それを毎月なにがしかの一定の額を積み立てしておるんです。その積み立てをした費用で、大体一年に4戸、それが順繰りに、今年はここ、今年はここ、今年はここ、と抽選で選んでいるんです。それはまだ20年前くらいまでは続けておりました。
そのお伊勢参りの方が帰ってくる日は大体分かります。何日に帰ってくる。で帰ってくると、この向こうに行ったところにお宮さんがありますが、あのお宮さんの庭でぐるーっとござを敷いて。自分たちの食べるお酒の肴ですね、そういうものは各自の家庭が持ってくる。村から出すのはおにぎり。そのおにぎりも村の婦人会の方が作ってずっとみんなに配って。ビールはその当時はなかったと思うなあ、たぶん酒でした。で、それこそ一日がかりで神事をすませて、そしてお昼前から食べたり飲んだり歌ったり伊勢音頭を踊ったり、それが年中行事でした。今から考えたらまあほんとにあの当時はほんとに村が和やかなといいますか、平和といいますか。子供心にもそのときには白いごはんだからうれしかった。普通の家庭では麦を知ってますか、麦ごはん。普通麦ごはん。麦と米と混ぜて。ところがその伊勢講のときには白ごはんを食べれるから、まあうれしかった。
今から考えたら、テレビがあるわけでもない、ラジオがあるわけでもなし、もちろん今のような携帯電話もありません。まあ村の憩いの場だったわけですね。
それから、次にはね、今では結婚式といったら、もう自分の家で結婚式をする人は最近はほとんどおりません。みな和歌山行ったとか家から離れて結婚する。ところが私なんかの子どもの頃、あるいは私自身もそうです。わたしは昭和29年の3月26日、今でも記憶あります。わしの家内はこの上の川津というところから来たんです、風屋ダムからちょっといったところ。そうするとたんすとかそういう荷物をその当時はまだここま���車が上がらなかったと思うんです。上がったんかなあ、ちょっとそのへん定かじゃないです。で嫁さんは、今の嫁さんみたいな 立派な乗用車じゃないです。もうほんまに、かたことの車を頼んで乗せてきて、歩いて家まで。その家で三々九度をして、そして近所の人たちや親戚みんな集まって、そこで式が済んだら披露宴というやつ。今のようにそんなに豊富に食事もありません。まったくの家でつくった質素なごちそうですわ。
私の知り合いの方が西川いうところにおるんですが、そういう話をしたときに、「私のところでは夜が明けるまで酒を飲み交わして、もう早よう帰ってくれればいいのに、もう眠たいのに、もう飲んで次から次へともう参った」という話をしておりましたけどね。
盆踊り
中川 それで西さん、盆踊りに何か思い出とかありましたら、ちょっとお話いただけたらうれしいと思いますけど。
西 私らの若い頃はねえ、盆踊りっていったらほとんどここ(お堂)やって、ここばっか。外で踊りをしだしてから、20年?
客席から いやいや30、えー40年くらい。
西 40年くらいか。私らが若い19、20歳ごろの盆踊りといったらね、ほとんどここやったんです。天気であろうが雨ふりであろうが。
中川 それはたぶん踊念仏の影響というか、踊念仏はそもそもお堂の中で念仏踊りをやってたわけだからね。それがずっと続いていたんでしょうね。
西 お盆の14日の晩はね、ほとんど夜が明けるまで踊りましたわ。もう夜通し踊りました。で、わしらがその当時、青年会というのがあってね。さっきも言いましたが、飲み物っていうものは昭和初期、20年から終戦直後やな、酒なんてまあちょっとくらいあったかしらんけど、まあほとんどなかった。だからね、盆のためにどぶろくっていってね、密造ですわ。どぶろくっていうのを作ってね。ちょうど盆中にできあがるくらいに日にちを計算して。そしてそれを飲んで、それでみんなで踊った。
ここにも(お堂の鴨居のところ)こういう跡(紙を貼り付けたような)があるんですよ。そうとう古いもんなんですよ。これは何をしたかというと、祝儀をくれます、お盆のときは。今もやってます。それをここにだーっと貼ったんです。
そして、盆は各小字によって、今日はここ、明日はどこ、あさってはどこ、と順繰りにまわる、昔からのひとつのしきたりというかな。だから 隣の村が盆のときには、武蔵の若い人たちがあの焼峰という尾根を越えて踊りに行くんです。
中川 大野ですね。
西 そうそう。で今度はここが盆のときには、大野の人たちがまたこっちへ来てくれます。そういう交流をやっておりました。そういう交流の中で、青年との付き合いというか交際が始まった、そういう例もある。
中川 交際っていうのは?
西 いわゆる男女の交流がな。武蔵から行く、で大野からくる。
中川 それで結婚とかにつながるとか
西 そういう例もあります。数は少ないけどね。
だからお互いに隣の村の青年と、そしてこちらの村から行って、今でも年配の方で、武蔵の14日の晩には来てくれる人もおりますよ。大野からも。
そして14日の晩にはね、変装して踊る人もたまにはでました。男が女の���装をしたり、女が男の服装をしたり いろんな変装をして、踊りの中の雰囲気をうんと盛り上げるというか。最近はそういう人もいなくなったけどね。
中川 その盆踊りのときに、ご先祖様のことをかなり意識したりなさってたんですか?あんまりそういうことはなかったですか?
西 僕らの頃にはなあ、盆というのはご先祖の供養だっていうのは分かってはおったけど。
中川 むしろ娯楽として
西 そうそう、娯楽です。娯楽の場でしたわ。
ただただここで音頭取りの方がここで歌ってね、今のようにマイクをつかってとかね、そういう時代じゃなかったです。ほんまにね素朴なね、素朴な踊り。
中川 でもたくさん踊ったんですか?
西 ああ踊りましたよ、人数は踊りました。
で、私はもうだんだんだんだん自分が年をとってきて、この素朴な踊りの中に民俗的なよさっていうかな、そういうものが教えられた、なるほどなあと。
中川 あの、十津川の踊りは、そんなに私は素朴とは思えないんですけどね。素朴というよりものすごく洗練されてっていう踊りに見えるんですけれども。西さんから見たら素朴なんですか?
西 そういう感じがするねえ。
まあ、けど、そういう民俗的なものも、ああ言われてみればそうかなあっていう…。私ら子どもの頃は、ああ今年も同じ、また来年も同じ、っていうような、マンネリ化してしまっておってな
中川 あってあたりまえみたいな?
西 そうそうそうそう。別に新しいということは自分ではね。だいぶ歳とともに変わってきましたけどね。
灯篭もはじめてご覧になった方は、こういうものを持って踊る、それはもうきれいなもんですわな。
中川 もうびっくりしたんですよ。 私初めて30年何 前に見たとき、こんな盆踊りがあるのか、 30種類も違う踊りがあって、それで村の人はそれ当たり前のこととしてやっているわけでしょ。それでもうびっくりして。それから取り付かれてしまったんです。
西 もう先生ここにおいでになってから、 何年ぐらいになるんですか?
中川 35年。
西 はぁーー!ふーーーん!!
いやね、先生がここにこんだけのお若い人たちを連れておいでになって来ていただいてこそ、今の踊りは存続すると 私はそう思います。
中川 私たちはぜんぜんお助けしているとかそんなつもりは全然なくて、ほんとにすばらしいのでいろいろ体験させていただいて、ほんとに感謝しているんですよ。
やっぱり主体はあくまでも武蔵の方で。20何人保存会の方はおられて、この人たちだけでも立派にされますし。
けれどもちょっと若い人が少ないから、少し色、華やかさを添えるという意味で私たちが一緒にさせていただいているという。
西 そりゃ華を添えてくれるのはね、やっぱり若い人です。
中川 西さんのところにこの前お伺いしてテーブルの上を見たらね、又吉直樹さんの「火花」の本が置いてあってね。読んでるんですよ。ですから最新の小説も読まれて吸収なさってる。ま、ね、こういう方みたいにね、われわれも日々更新していかれる、そういう形ですよね。西さんもね。
西 どうぞあのみなさんね、人生には折り返し地点は ありません。マラソンなら、あるいは駅伝ならば、自分のたすきを次の人に渡せます。ところが、私たちの人生というのは一本道です。行ったらもう帰って来れません。その一本道を、さっき言いましたように、自分に納得の行く日々を送るということが私は大事だなと思います。人がどう言おうがそんなこと関係ねえ。俺の人生は自分が築いたらいいんです。そりゃ親兄弟 親戚にまで反対されてまでする必要はありません。けども、自分の人生は自分が決める、自分の並木道は自分が歩んでいくということが大事じゃないかと思います。
えらい取り留めのないことばかり申し上げました。どうぞみなさん、武蔵の盆をみなさんの力で盛り上げてください。ありがとうございました。
中川 はい、どうもありがとうございました。いろいろ私も教えられることがありました。それでは、ぼちぼち予定の時間も過ぎましたし。もう声がとにかくよくとおるというかお元気で、びっくりしました。
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2022.07 塩見岳(1日目)
夏はよく北アルプスに登っている。北アルプスは景色も派手で人気が高く人が多いのに対し、南アルプスは地味だが人が少なくのんびり落ち着いた山行ができるので自分にはピッタリだ。百名山を目指しているのならそろそろ南アルプスにも手を付けていかないとなと思っていた中、なんとなく塩見岳に登ってみることに決めた。
新宿から高速バスで4時間揺られ夜に飯田到着。登山バスは伊那大島から出るのだが、周辺には泊まるところが無く、栄えているのは飯田か駒ヶ根くらい。
翌朝6時発の電車で伊那大島駅へ。同じ塩見岳へ向かう登山者が15人くらい待機していた。この日は土曜日だが、南アルプスはやはり人は少ないという印象。
駅からは周囲よりひときわ高く頭を突き出している塩見岳がよく目立つ。
0645伊那大島駅発のバスに乗車。乗客は20人くらいだが、バスは余裕をもって2台で来るので普通は座れる、片道2540円(運賃は1700円くらいだがザックもってると子供運賃分が加算される)。
小芝ダムの左側を通るのだが、かなりの山道。2つの道の駅を経由した後はもっとすごい道になり、さらに高度もぐんぐん上げる。最終的に飯田市から見えていた南アルプス前衛の山々の山頂と同じくらいの標高まで登っていく。すれ違い困難な道で、よくこんなところ中型バス通っていくなという印象(大型バスは絶対に無理)。
1時間半くらい乗車していたか?登山者少ないと思いきや第二駐車場(通称「ゲート」、バス停名は「越路」)は満車で路駐も多い。マイカーではこの駐車場から先へは行けず登山口まで40分ほど歩かなければならないが、このバスはゲート先の登山口まで運んでくれるのでだいぶ楽。なお駐車場から登山口までこのバスに乗車していくことは可能。
塩見岳登山口に到着。登山口には簡易トイレと登山届が設置されている。ここで準備を整え出発。
【コースタイム】鳥倉林道登山口(0855)→三伏峠小屋(1025)→三伏山(1040)→本谷山(1115)→塩見小屋(1225)
はじめからやや傾斜がある。森の中という感じで、まさしく南アルプスらしい光景。ハエやアブといった虫がとにかく多い。北アルプスの荒涼とした石や岩の道とは正反対のような感じ。
なかなか年季の入った木の階段を何箇所も通過。特に濡れていると足を滑らせやすくそのまま滑落する危険性が結構高い。
1時間半で三伏峠に到着。塩見岳へテント泊で登る場合は基本的にはここが基地となるが、まだ山頂までだいぶ距離があるため、今回は山頂にもっと近い山小屋泊とした。
テント場は40張くらいか張れるか?ほとんどいっぱいだった。
峠から先は傾斜がほとんどなくなるハイキングのようなかんじ。徐々に高度を上げていく。小屋少し先に塩見岳と烏帽子岳への分岐、テント泊で早く設置が完了してしまったなら、暇つぶしに烏帽子岳まで登ることはできる。
三伏山手前は急になり、展望が開ける。
明日登る予定の塩見岳もきれいに見える。この時点で標高がすでに2600mくらいとけっこう高い。到着した直後、ガスに巻かれ始める。
次のピークの本谷山はそこまで展望はよくなかった。
標高けっこう高いのにも関わらず、未だにずっと樹林帯とはやはり南アルプスっぽいか。気温は15-18℃で微風だが、木々が日差しを遮り傾斜も緩やかなのでそこまで暑く感じない。
「小屋は、じきかやぁ いんねあと40分だに」=「小屋はもうすぐかなぁ いいやあと40分だよ」で合ってる?
塩見小屋が近くなると傾斜が急になり、途中に激励の看板も
登山口から3時間半で本日のゴール塩見小屋に到着。塩見岳が目の前に見えるはずだけど完全に曇りとなってしまった。
おもしろいことに、この小屋では携帯トイレブースしかない(南アルプスでは普通なのか?)。宿泊者は無料で携帯トイレ袋をもらえるが、通過者は200円で購入する。携帯トイレ初めて使用したが、便槽自体がないのでトイレ内は全く臭わず清潔で、意外と良かった。山小屋全部これにしてくれると嬉しいなと思ったくらい。
また小屋にはゴミ箱がなく、小屋の売店でなにかを買って出たゴミも全て持ち帰りが徹底されている。水は雨水なら無料だが、煮沸推奨。飲料水は500mlペットボトル500円、2Lペットボトル1000円で購入できる。
小屋内の様子
夕食。ホワイトソースのロールキャベツにこだわりを感じる。
2日目に続く
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