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#2歳差育児
harukichi-0514 · 2 years
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いい天気。#子育て #姉妹 #4歳差 #田舎暮らし #イクメン目指す #育児日記 #7歳女子 #2歳女子 #休日の過ごし方 #手作りのタコ #楽しそう https://www.instagram.com/p/Cns97cePClB/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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we1jean54lafoi · 6 months
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長女ちゃんの作品〜☺️
2歳差、二人の育児が始まりましたよー
静かに寝てる新生児vs 可愛がって触りたい長女
いま寝たとこ、起こさないでぇぇぇー😱💦母w
毎日必死、毎日感謝であります🙌
Praise the Lord🌈
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neobakufu · 3 months
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ネオ幕府アキノリ党による100の政策
※内はアキノリ将軍未満による脚注。
🌾 文化・日本語
1. 『双京構想』京都を陪都に。
※ 上皇后両陛下に仙洞御所にお戻り頂く案などから上奏。
2. 文章の形式を国粋化。縦書き・漢数字を基礎に、時間や単位や数理や音楽も日本文化圏独特の書式を考案し漸次移行。
※ 漢数字に関しては画数が多く判読もしにくいため,西ローマ・アラビア数字くらい判読しやすく書きやすい数字用の文字を作ってフォントに組み込んだりを検討。
3. 日本語の電子媒体を刷新。
※ イーロン・マスク氏に会いに行ってXの東アジアの言語を全部縦書き漢数字(言語ごと)に直してもらう事を条件に,共栄圏での法人を作ってもいいと約束。ただし,その情報資産は共栄圏のものとし,資本の移動は認めない。 ※ 拡張かなを��充し電子媒体に組み込む・体制化した際に方言の言語化も視野に。
4. 都内の外国籍労働者・親族等への日本語や法制に係る教育サービスの展開。
※ それぞれの民族に寄り添った親善団体と連携 ※ 裏で世界共栄化に関わる宣伝を行い、本国に情報輸出させる足がかりとする。😈
5. 都内の宗教共同体の実態把握・公的包摂・共生都市社会の推進。
※ 体制化までの中長期的に各宗教の日本化を試みる方針。
🌾 税制・社会保障・経済
6. 税制改革や都債発行を財源に,実質賃金の上昇率の安定向上(最低でも年3%水準)まで一律で都民税半額。
7. 都営ブロックチェーンの創設・ネオ幕府トークンの発行とサーバー維持管理。
※ 全国電子通貨を想定・通貨の名前は「球」読み方は本名が「たま」,「きう」が普及版。NAMが出典。 ※ いずれ日本円にとって代わる。😈 ※ 我々が全国化した折には武蔵国の地域トークンというか藩札を創設を想定。
8. 都債発行・時限的な商品券等の給付による地域経済振興。
9. 都民や都内に通学する学生への一律奨学金免除。
10. インボイス廃止を国政に提言・特に中小零細企業の事務処理負担を軽減。
11. 濫用的な投資や無軌道な開発,オーバーツーリズム等に因る地価や宿泊施設の価格高騰を抑制。
12. 外国企業等による国土の売買規制に係るモデル条例の策定。
13. 都内の特に大企業の法人税の納税率を向上・財源構成の平等化。固定資産税の累進化。
14. 社会保障費用の逆進性緩和・累進課税の推進。
🌾 教育・学術
15. 公営学生寮の確保・増大。
※ 国際法を典拠に一定の自治権を認める
16. 大学院まで教育全面無償化+困窮世帯向けに塾代含め支援検討。
17. 専門学校等の整理統合・総合大学との連携強化・学生や職員の有益な流動化を促進。
18. 図書館民営化の見直し。知識アクセス・公共教育インフラの維持。
19. PTAの有償化や情報共有・可視化の促進。
20. 教育委員会の体質改善・責任体制の明確化。
21. 都立高校の入試改革の見直し・効果的な外国語教育に転換/無益な学習負担の軽減化。
※ どうでもいいけどほんとに外語やるならマッチング実践とかだわ
22. カルト校則の全面廃止・学生の学ぶ権利や表現の自由を守る。
23. 入学しない大学への入学金支払義務の免除・ルール撤廃を東京から実践。
24. 部活動の地域化・民営化等による教員の負担軽減を都から実践。
🌾 交通・公共施設
25. 練馬─中野─杉並─世田谷区や足立─台東─江戸川区を縦断する都営線路の開拓。
26. 東京都-近隣の港湾に���中投資・世界一の港湾大都市圏を構築。
27. 満員電車の終局的な解消・時差通勤の促進(主に企業向け)や代替手段の公的導入検討。
28. 離島との往復費用の低廉化・人材や投資交流の活発化。
※ 将来伊豆諸島は伊豆の国に, 小笠原諸島以南は小笠原国にする。
29. 16歳未満(中学生)に対しての交通インフラ料金を子供料金にする・25歳以下に対してユース料金の公共交通機関・各商業施設での導入。
🌾 防災・戦時体制を想定した防衛
30. 全国のあらゆる自然災害に対し救援・復興の為の物資や人員輸送が可能な体制の整備。
31. 都内のあらゆる公共設備の耐震化推進。
※ 災害をある程度前提とする伝統的な都市デザインの可能性も検討。
32. 核戦争を想定した核シェルター建設・地下経済圏の構築促進。
33. 災害リスクを見据えた都民や隣接県民(都内の勤労者)向けに食料等備蓄・予備的分配。
34. 官公庁・民間企業に対するサイバー攻撃の防衛体制整備。
35. 東京都の空を米軍から取り戻す・首都圏の集団安全保障体制を見直し。
36. 近隣諸国の紛争や破局的災害を想定した都民の命と経済を守る有事法制・モデル条例の策定。
37. 安全保障や軍需産業分野の研究開発支援・学界に蔓延る偏見の改善。
🌾 恋愛・婚姻等の共生生活・性的少数者支援
※ 現在はヘテロが社会の主体である事を公共に認め(右翼を安心させ), その余裕の下に性的少数者への配慮を行う政治指針を宣言化。
38. パートナーシップや相続法制等に係る性的少数者の権利保障モデル条例の策定。
※ パートナーシップに日本語の造語を与えることを目的に研究会を行う、反動保守国学者や左派リベラルの論客もネオ幕府体制の責任もとで幅広く招聘したい。
39. 専門家や当事者の意見を参考に高齢者向けの公的恋愛支援事業を実験的に開設。
40. 既存の公営マッチングアプリ・ブライダル支援等政策の見直しと再構築。
41. ユース(18-25歳を想定)以下に対してのマッチングアプリ補助制度。
🌾 医療・福祉・地域協同・家庭問題
42. 視力矯正器具や歯列矯正等への保険適用・車椅子や補聴器の価格低廉化。ゆくゆくは無償化。
※ 歯を生やせるようになればすぐ保険適用を検討
43. ひきこもり老人を訪問し地域を協同化・社会的包摂を目指す・若年層のアルバイトで高齢者を訪問しスマホ教室とネット普及・生活状況の実態調査。
44. 民間に甘んじた無料塾・こども食堂等の公営化。
※ 都から職員を派遣して実態調査し一定の基準で認可を行い、その場で謝礼。 ※ その後恒久的に経済支援, 半官半民でネットワークをくみ人的支援を拡大 ※ 定期的に児童虐待や裏社会の斡旋等の有無を潜入調査。😈
45. 実態調査のうえ, 都心や下町に関わらず包括的な訪問診療・介護サービス等を拡充。
46. 学校や社内研修に基礎的な救急救命の教育カリキュラムを導入・相互扶助の日本を再建。
47. 地域交流や文化活動を活性化すべく公立小中学校等の空きスペース活用促進。
48. 既にある公園に遊具を拡充・児童の自由と安全を保障。遊閑地の利活用推進。
※ クレーム処理等は我々ネオ幕府が請け負う。
49. 生活保護の取得要件緩和と生活再建・出口支援。給付付き税額控除の試験的導入。
50. 公共施設から迅速・全面・包括的にバリアフリーデザインを実装。
51. 乞食(路上生活者・野宿者・炎上するだろうがこの言葉を使う,いささかの差別的感情を含まない)の住宅支援事業における不合理待遇(いわゆる「タコ部屋」等)の撤廃。
52. 「禁煙」でなく「分煙」。公共喫煙所の増設と依存症支援拡充。
53. 「帰宅困難家庭」の児童のシェルター確保・拡充。
54. 親の孤立防止。財政的支援やシッター利用・保育所等インフラの拡充。
55. 麻酔科医の待遇改善・拡充による無痛分娩・不妊治療等の普及・無償化を都から実践。
56. ヤングケアラーの実態調査・迅速な支援拡充。
57. 一定期間の債務等支払義務の凍結や世間からの隔絶を許容する「隠遁」制度の試験的導入による自殺予防。
58. 共同親権制度移行後の離婚親や子の権利保証に向けたモデル条例案の策定。
59. 犯罪被害者や遺族の情報秘匿や生活再建支援事業の拡充を都から実践。
🌾 環境・公共衛生・都市デザイン
60. 『江戸東京オシャレ特区』構想・ドレスコードの厳格なサービス業種の方でも自分らしい服装等の表現を保障。
61. 炭素繊維等による東京湾浄化・老若男女が利用可能な東京湾に。
※ 一〇年単位の長期計画で研究会に予算をつけて水質浄化に関わる各方面の専門家と企業に助成を。
62. タクシーや通勤通学バスや訪問介護車両や都内を往来する長距離トラック等に向けた電気自動車等の導入支援。
63. 道路にゴミ箱を増設し収集作業も増員・雇用創出。
※ 『乞食』の方々向けに最低でも3日に1度は湯船に疲れる水準の支援体制を迅速に構築。
64. 都内の樹林伐採ストップ・地域経済や文化に無益な再開発の見直し。国土を守る。
65. 引越しや住宅確保等に係る費用分担による近隣県への移住サポート。
※ 漸次地方都市にも移住サポートしたい・全国化したときに地域を蘇らせる。
66. 主に大企業の都外への本社機能移転・人口とリスク分散を段階的に進める。
67. 排除アート・「座らせないベンチ」の全面撤去。小憩できる都市デザインの再建。
68. ユース(12-25最程度を想定)以下に対して公営美術館・芸術施設の入場料無料化。
69. 路上表現・アーティスト等に向けた道路使用許可申請等手続きの簡素化・拡充
70. 官民連携で路上ライブ・イベント等を充実させ,『解放区』の乱立。
🌾 動植物
71. 動物殺処分0の次は都から始める愛玩動物の生体販売全面禁止。
※ ペットショップの店員かわいそうだから動物病院とか生物学研究所に転職もさせてあげて。そのために予算つけよう。 ※ 日本固有種の生物種は緩和したさがある,というかその系統を維持するための研究会や国家機関創設を提唱したい。
72. 特定外来種や有毒の微生物等の実態調査・飼育手段の包括的なデータベースを策定し公開。
73. 生物学系の人材活用・医療分野との連携を強化。
74. 孤立対策に動植物との共生を促進・AI利活用で安全・安定的な飼育体制を提供。
🌾 宇宙開発
75. 軌道エレベーターや公共/民間通信衛星等を想定した宇宙産業への公共投資。
※ 東京から日本〜東南アジアをまたぐ測天衛星網(GPS)を提唱
76. 核融合発電技術への積極的公共投資。
※ 戦時を想定した燃料備蓄
🌾 食糧自給・安全保障
77. 家庭菜園や地域農産・地産地消の促進。
78. 種苗法改正の見直し・食文化の保全。
※ 戦時を想定した食料備蓄
79. 酒税法の見直し・どぶろく文化を再興。
80. 生レバーやユッケ等の規制緩和。
81. 依存症対策や飲酒強制の予防規制を条件に, 飲酒解禁を18歳に引き下げ。
🌾 労働市場制度
82. 新卒一括採用の見直し・企業や経済団体等への協力要請。
83. 官公庁や民間企業の採用基準にポスドク枠拡充。
84. 生涯学習・リカレント教育普及に向けた労働市場改革。職業訓練給付や実施企業への支援等の拡充。
85. 様々な産業分野の企業に対して有給や育休利用の促進。
🌾 汚職・職権乱用の防止
86. 地方議会における縁故的な役職(選管等)の選定過程・給与等の見直し・再編と代替的職務の用意。
87. 刑事収容施設や入管施設内での侮辱や虐待や差別的待遇の実態調査・迅速な改善。
88. 市民オンブズマン制度の創設・拡充による第三者目線の地方議会の監査強化。
89. NPO法人設立や生活保護申請・政治団体含む会計監査の厳格化・責任体制の明確化。
🌾 表���・報道の自由
90. 小池都知事が実施していた様な一部のマスコミやジャーナリスト等の排除に反対・報道と表現の自由を守る。
91. 『表現の自由』の前提として,エンタメ・出版・コンテンツ業界に投資拡充・且つアーティストの食い扶持と表現の場を守り,層の厚さを維持。
92. NHKの過剰な集金を規制・困窮世帯の債務免除・公共の利益となる基礎的なコンテンツは保障するが国民の無償・平等な『知る権利』に配慮。
🌾 スポーツ
93. 『マイナースポーツに光を』・Eスポーツ含む多様な体育会系コンテンツにも積極的に投資。
94. 身体に障害を有する方々が主役であるパラスポーツ分野に投資拡充・宣伝を強化。
🌾 その他
95. 小池都知事の財政調整基金の使途・費用対効果について徹底的に監査。
96. 小池都知事や森本首相も関わる東京オリンピックに関する利権構造や裏金・役員の不審死・作業員の過労死等の真実究明。
97. コロナ禍におけるエンタメ産業や一部の飲食業界・性産業等への差別的待遇の見直し・適切で平等な補償体制の確約。
98. コロナ禍における緊急事態宣言の手続的正当性・費用対効果を徹底再調査。
99. お気持ちベースの『自粛要請』では無く必要な法整備・責任体制を明確化。
100. 多様な業種の方々に配慮し投票所を26時まで開放・且つ開票日を平日にスライドし行政コストを軽減。
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kennak · 4 months
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イギリスで働きながら子育てしてるけど、本当にどっちもは難しいと思う。私は日本にいた時の方が働きやすかった。 まず日本みたいに保育料が安くないし、預かり時間が短い。 0-2歳児はスーパー高い。円安じゃない時代から高い。5時間預かり週5で月20万以上かかる。(収入傾斜なんてないし公立でもこれくらいする) 働いてなくてもお金と空きさえあれば入れる。 更に面倒な事に、公立小学校に入れたいなら附属の保育園に入れて席を確保するのが基本。2歳の時点で近隣の小学校見学を数軒。 しかも公立保育園の預かりは基本3時間。保育園掛け持ちか他のチャイルドケアは併用必須、子供の送迎が昼時に発生する訳よ… イギリス政府も今年から補助を拡大しているけど、公立保育園のキャパシティは簡単に増えないし、小学校のレベル差が酷いので附属保育園は��奪戦。だからフルで働けるのはそれなりに稼げる人だけです。甘くないよ…
「育休1年+時短勤務で昇進もしたい」は正気の沙汰ではない…「子持ち様VS非子持ち様」の対立が起きる根本原因(プレジデントオンライン)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
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patsatshit · 10 months
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奈良県大和郡山在住、日々、育児と楽曲制作に励むmoanyuskyこと小野裕介(以下、小野ちん)に話を聞く。いまから遡ること6年、タラウマラの前身とも言えるサイクルショップすずめにphoneheadが小野ちんの1stアルバム『scapes album』を持って来てくれたことから、僕たちふたりの幻想との舞踏/武闘は幕を開けた。盆地から虚空へと放たれた金魚を追い求めるように、moanyuskyの奏でる楽曲は現(うつつ)と幻の狭間を漂う。2023年現在、phoneheadのレーベルpiano and forestから独立した彼は、自身のレーベル、その名もprivacyを立ち上げ、あまりに独特かつ、奇妙で愛らしい個性を確立しつつある。年内には新たな刺客を世に放つとの噂もあるが真相や如何に……。
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〔土井〕小野ちん、こんにちは。今回のインタビューでprivacyの主宰である貴方のプライバシーに少しでも迫っていけたらと思うので、よろしくお願いします。仕事に子育て、楽曲製作、レーベル運営等々、多忙を極めているとは思うんやけど、プライベートは何をして過ごしているの?
〔小野〕土井さん。本当によろしくお願い致します。 光栄と言いますか(笑)。光貴さんの後でええのんと思ったりするわけですが(笑)。ここ最近は主たる仕事をメインにしています。 この形態が出来上がったのも結婚してからなので、13年前ぐらいです。 仕事は朝9時から始まって、家に帰るのは21時ぐらいです。 休憩は1時間30分。 この休憩時間が自分の製作時間です。 あとは会社と家までの通勤時間30分、計1時間。 最近は主に文章を書いています。 仕事をして、文章を書いてと言うのが日々のサイクルです。 privacyからのリリースが3作品控えていますので、その作品のライナーと初の小説のような作品を作っていて、その作品も少し加筆しています。 あと、毎日入院している息子に日記を書いて送っています。 休みの日は、朝7時に起きて、娘を学校まで送って行って、雨の日は妻が送ってくれるのですが、その後は家の家事を終わらせて、お昼までには息子が病気になってしまったので、入院している病院へ行って、夕方には娘が帰ってくるので、デイサービスみたいなところへ行っているのですが、そこからの帰りを待って、晩御飯を作って、子どもの寝かしつけをして、1日が終わります。 最近はあまりこのループは変わらないですが、息子の面会が終わったら、2時間ぐらい空く時もあるので、そのような時間を使って製作を手伝って下さっている、土井さんから紹介してもらった、マノ製作所へ行ったり、タラウマラへ行ったりしていますね。
〔土井〕晴信が入院することを最初に聞いたときはほんまにショックやってんけど、それを直接自分に伝えてくれた小野ちんは毅然としているというか、良い意味でいつもと変わらへん飄々とした口調やったから僕もギリギリ平静を保てたと思う。もちろん心中穏やかでないのは察しがつくものの、同様に息子を持つ身としては素直に感心した。小野ちんは強いなぁって。 最近は文章を書いているということやけど、僕は小野ちんの際限なく溢れる思弁的な文章に対してある種の畏怖を抱いてる。一本の幹から四方八方に枝葉が分かれていく軌跡を目の当たりにしているようで、少しでもテキストを書くという行為に身を投じたことがある人は嫉妬すると思うで。小島信夫やカフカと同じCPUが内蔵されてるんちゃうかって(笑)。こないだのインタビューで光貴くんからも指摘されたように僕は生活も文章もシークエンスありきやから。いつまでもひとつのテーマについて考え続けたり、書き続けることがほんまにできへん。自分のやってること、書いてることにすぐに飽きてしまうねん。小野ちんや光貴くんはずっと「それ」を抱え続けることで熟成させるやん。まぁ、ときには「はよ手放せよ」と思わなくもないけど(笑)。書いている本人としては、書き始めたときにはある程度のゴールを見据えてるの?それともまったくの白紙状態?
〔小野〕土井さんと晴信の関係には深いものを感じています(笑)。晴信の文章作品も土井さんの表現の場(FACETIME vol.2参照)に投下してくれたし、これまで色々漫画なんかも頂いてますし、本当に感謝してます。 晴信も土井さんのところへ行ったと日記に書くと、やきもちを焼くぐらいで(笑)。晴信は人に恵まれていて、それは自分もそうで、そこは受け継いでくれていると信じています。 変な話しやけど、病気の事があって、より息子の事がわかったんです。 晴信もこれを乗り越えれたら、安泰だと思っています。 彼の中でも全ての価値が変わりましたし、当たり前にあった事がこれほどに特別だったのかと彼が1番に身に染みていると思っています。 私は全然強くないんですね。 弱々しいけど、人に頼って助けてもらおうと若い時は何度もしましたが、まるで助からなかったんで、自分でやらなあかんなと今は思ってます。 自分の人生において実験して、これが良いのかもと思った形態を生活に落とし込んでいまやっているのですけど、それでもうまくいかない事は多いですが、でも前よりは少しだけうまく世の中で生きていけていると思う瞬間があるのですが、その瞬間を感じれると、それもまた幻想になっていって、ずっとこの連続が続いていくのだろうなと、いまは思っています。 そうは言ってもこの歳になってもやっていない事など山ほどあるのですが(笑)。自分にとって表現は、これは断言出来ますけど、「逃避」なんで、生活とは別なんですね。 だから本当の言葉でもなんでも無いと言うとまた難しいのですが、ある種、根源的な(人が生きるためにごく自然とやっている本当の事)事とは違った事でもあるし、本当の事でもあるわけです。 表現が難しいのですが。 離れれば離れるほど、幻想に近づくと言いますか、音楽となるわけです。 だからそれは自分にとって実感を感じられるのは実生活なので、音楽や表現で得ている感覚は明らかに偽物なのだけど、それは自分を投影していると思っているので、ややこしいのですが本当の事なんですね。 本当の事をやらなければならないと思いながらあれこれ「偽物」について探究しています(笑)。自分は結局のところ、好きなところも嫌いなところもずっと変わっていないのだと思います。 その執着が人より濃いのかなと。 手放すというか、自分やから、手放せない(笑)。なので、コード進行しかり、自分のやってる事は生まれてこの方変わっていませんし、同じことをやっていたとしても、その時の現状に全てを委ねれば、音なり文章なりは簡単に変貌すると思っています。 リスナーの延長上で全てやっているので、それを堪能すると言う事が1番に重要なので、それが同じ感じだったら、飽きてしまうんですけど、全然違って見えたり聴こえたりするものだから、飽きないんですね。 だから、今はこれはできないなぁとかは感覚的にですがあります。 自分達の時代や環境となってくると、どこにオリジナルがあるのかという探究がやっぱり重要で、死に物狂いで探さなあかんと思います。 やらなくて良いよとか、探さなくて良い、頑張らなくて良い、 世の中が最近言ってる事は信用なりませんからね(笑)。自分を開け渡してはならないといつも思っているので、出来るだけ、迷い込ませるようにギミックを仕掛けていきたいと考えています。 基本的に嘘ばかりですしね(笑)、得意技です。 文章を書き始めた時は全くの白紙です! ゴールも何もわからないので苦しんでます(笑)。音楽はある程度やってきているので、ここらへんで終わるとなる事がわかりますし、それが1つの音楽を決める重要な部分だと思っています。 でも文章は音楽に比べると特に本を読んでいないので、終わりが分からず、混乱と混沌の中から、いきなり終わりはやってくるんですね。 それがまた面白いのですけど。 だから普通に3年だったり5年同じ題材を書き続けてます。 今回の新作も10年前に書き始めた作品で、結局コロナ禍に入り、1年目に完結したのですが、5年ぐらいはストップしていて、また掘り返してきて、ほとんどのところを変える形で進んでいます。やっと終わりそうです。 他の人がどのように書いてるかわからないので、これでどうなのかな?といつも考えながら書いています。 しかしながら書き始めてわかったのが、出し尽くすのは5万字から10万字の間で、それが何年も経て2万字ぐらいに収まる感じです。短く終われる人に憧れますし、素直にすごいなぁと思ってしまいます。 良い音楽作品もトータルで50分も無い作品なんか多いですしね。 短く表現が出来る事が目標です。 自分の文章は思考しているところから余すところなく書いているので、多くなっているように感じます。アホなんですよ、多分(笑)。
〔土井〕アホて(笑)。いや、でもそういう感覚は確かに僕にもある。簡単に言えばコンプレックスなんやろうけど、ひとことでそう言ってしまいたくない自分もおって、だから未だに往生際悪くジタバタと文章を書き続けてる。でも読む人が読めばすぐに捲れると思う、あゝこいつ浅学菲才の輩やなって。ここで小難しい言い回しを使いたがるのもアホやからやで(笑)。だからと言って僕らは自分の人生を悔いている訳じゃないもんな。「自分なんて」と卑下する感じがいま一番いらんわ、おもろない。自分なんて、とウジウジしてる人の肩にそっと手を添えて「そのままで良いんだよ、あなたはあなたでしかないんだから、ともに歩んでいきましょう」という眼差しを向けるのがいまの世の風潮なんやろうけど、そんなん勝手にやっといてくれ、こちらを巻き込むなって本気で言いたい。それにしても10万字まで膨らませた思考の痕跡を2万字まで絞り込むという話はめちゃくちゃ興味深い。奇しくも僕も2万字という枠内で展開する物語が好きで、例えば小島信夫の「微笑」とか磯﨑憲一郎の「我が人生最悪の時」とかクライストの「チリの地震」とかカフカの「カルダ鉄道の思い出」とか、偉大な先達たちがどういう考えがあって2万字の物語を書いたのかはわからへんけど、僕の場合は最初から明確に2万字を見据えて書き始めるから。今年、自費出版した「ほんまのきもち」と「JAGUAR」も2万字。僕みたいに雑食的にとっ散らかった感じで音楽を聴いている人間にもTERRE THAEMLITZやMOODYMANNみたいなハウスミュージックのBPM120前後で刻まれる4つ打ちが一番気持ち良く感じる。それと同じように文章にも2万字の快楽というものが確実に存在する(笑)。僕は最初から2万字を意識してるけど、小野ちんの場合は始まりも終わりも定めず、ひたすらに頭の中にある考えを出し切って、更にそれらを時間で煮込んで絞り込んでいく。自称エッセイストにはなかなかできない執筆方法やで。小野ちんの自主レーベルprivacyの第一弾リリースとなった『同時再生の夢』に封入されていた訳のわからんテキストもだいぶユニークで面白かった。ところでレーベル名の由来を聞いてもいい?そもそもこのご時世にprivacyって(笑)。
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〔小野〕そうなんですね。2万字なんやぁ。それもよくわかっていなかったです、勉強になった(笑)。自分の人生めちゃ楽しいですね。 話していくと、しんどい事ばっかりですねって言われるけど、これって土井さんも世代やと思うんですが、松本人志の存在って大きいと思ってるんですね。 人生助けられたとすら思ってます。 それはダウンタウンが生み出した作品というより、世の中の松本的捉え方を刷り込んでくれたというところです。 苦しみの中で起こる不条理の中にある真の面白さを教えてもらったから、すべてそのように見てしまうんですね(笑)。これ冗談抜きで、腹立つというより、何やコイツ、みたいな(笑)。板尾もそこらへんに結構居ますしね。 そのままでいいんだよっていう、いまの感じね。 まるで生きるために使えない言葉やなぁと思います。 これは自分の考えやけど、そのままでええわけないと思います。 子供育ててたら���かりますよ。 成長してなかったら焦りますしね。 それは��養も身体的なところも、心の部分もすべてにおいて。 言葉ってたくさん当たり前のようにありますけど、その人の言葉として全然機能しない言葉が多いなあと思ったりしています。 だからこそ、そんな言葉は幻想に過ぎないので、あるべきだとは思いますが、拠り所にしたり、それを基礎に自分を構築するのは大丈夫かなと思ってしまいます。 自分の子供たちが大人になった時には何が本当なのかということは、いま以上にわからなくなってくると思ってますから、だからこそ「個」の考えを若い頃に養ってほしいというか、作る過程で得た価値というかね。そこで得た価値の方が断然大事で、作り出た物なんて実用性無いものばかりですからね(笑)。でもそういう「モノ」が現存しているというところの意味は大いにあると思っています。そこで得た経験をアイテムとして人生進んで欲しいと思うわけです。 最低限、世の中が言ってる事は全部嘘やろと思えるところまで。そのようなヒントを教えてくれる場所が文化圏であってほしいなぁと思うわけです。 なんでもそうやけど、もういらんとなってそこから外へ出るって言うのが人の始まりやと思ってますので、本を捨てて町へ出ようって昔の人たちも言ってますし。そこからは遠ざかった世の中となっているなと思います。 私は音楽から抜け出すところがまずは目標で、なかなかに抜け出せないので困ってます(笑)。40歳にもなって。『 同時再生の夢』では土井さんにお世話になりました、本当にありがとうございました。 頼んで良かったと思いました。 あの同時再生のテキストは3年ぐらいかな書いたんですけど、まだ文章を書くと言うことが浅かったので、「困惑」がそのまま文章になっているように思います。 だから、いま読んでも、思い出せない事も多くて、この前に久々読んだのですけど、よくわからんようになってて面白かったです。 じゃあ、これは誰が書いたんか?と言う事になるじゃないですか。自分やねんけど。それってほんまに?というようなループが生まれるわけで、それは音楽らしいと思うわけです。 privacyというレーベル名の由来は、子どもの名前をつけるように直感なのですが、音楽を通して、これまでの世の中を知っていく中で、やっぱり「群れ」で生きる生き物として、そこで生まれ出る大きな幻想に振り回されてきた聴衆の歴史のなかで生きてきた1人でもあった自分自身の事を考えた時に、群れとどう付き合っていくか、幻との付き合い方とはとか、距離の取り方と言うんですかね。「距離」や「尺」とかに近い位置からの言葉と言いますか。 そんな事を考えた時にこの「privacy」ってええなと思ったんですね。 あと誰も入ってこれへんやんみたいな(笑)。基本的に矛盾だらけの事だらけですが、そのなかでもこの言葉っておもろい位置にある言葉やなと思って、これや!と決めましたね。
〔土井〕ダウンタウンの影響は強烈にある。世の中は不条理で多元的なんやということを最初に教えてくれたのが松本人志やな。こないだもふたりのおばあが突然タラウマラにやってきて、僕の顔を見るなり「あらぁ、あんた立派に大きくなってからに、おばちゃんな、あんたのお父ちゃんに昔から世話になってたんや。あんたお父ちゃんの息子やなぁ?よう似てるわ。目元がそっくりやわ。お父ちゃんここでずっと自転車屋してたやろ?あんた、お父ちゃんから店を買い取ったんか?この自転車も30年前にここで買うたんやで!」とか言うてくるから全力で否定したら「タラのウマなんてけったいな名前の自転車屋がほかにあるかいな?一回聞いたら忘れへんわ。あんた、私のこと耄碌してると思うてんか?」言うてまったくこちらの話を聞き入れてくれへんかってんけど『ビジュアルバム』に収録されてたコント「診察室にて」のまんまやなぁ思うて、ひとりで笑いが止まらんかったわ。淡路という街はそんなことが頻繁に勃発するから好きやねん。自転車の空気を入れに来た半裸のオバハンがコンプレッサーのホースに絡まって「兄ちゃん、助けて」と言うてきたり(笑)。慌てて助けに行ったら首からロザリオぶら下げとって、キリストと同じ格好なっとるやんけ、みたいな(笑)。その数日後には近所のコンビニで万引きをして現行犯逮捕されていたり、とにかくめちゃくちゃやわ。やっぱり現実こそが不条理やし、不条理こそが人生やし、だからこそ面白い。松本人志という人はそれについて誰よりも意識的やった筈やのに、映画を撮るようになってからはファンタジーとしての不条理を描くようになってしまって何だかなぁという感じ。小野ちんの「幻とのつきあいかた」は傍で見ていてだいぶ面白いし、それをきちんと作品化してるのもすごいと思う。その一方で自分のことはぜんぜん客観視できてへんやん。女の子のタイプだってつい最近になってようやく把握してたもんなぁ、縄文ロリ(笑)。僕も奥さんから「自分のことが全然わかってない」って言われるけど、小野ちんも大概やで。はっきり言うて、あんたは究極の天然や(笑)!
〔小野〕土井さんの話もかなりまっちゃん的な話が多いなと思う(笑)。それをどう捉えるかというところが重要で、その目線で捉える方法論やと思っていて、松本人志は自分の町の話を題材にしてたからこそ、おもろかったんやと思うし、聴衆を意図的に動かすような事をやり出してから、どうにもこうにもやと思います。 やっぱり守るものなど無く、自分がおもろいと思うものをリミッター無くやっていた時代の松本人志が好きです。 この守るっていうのは、歳をとればある一定に守らなければならないものって出てくると思うんですけど、特に思うのが音楽界隈の人たちはあえて作って重くなっている感じがあって、なんとも鈍くなるような、群れを成すじゃないですか。 少人数でもなんでも。 あれが自分はよくわからないんですけど、基本的に自分から始まってる事やから、終わるのも自分の中で終わっていくだろうし、それは共感出来ないものだと思っています。 文化を見ていくと、大抵好きな人は1人でやっていて、良い距離を取りながら色々なところへ顔を出す人ですね。 そうそう、私は天然のようですね(笑)。それは言われるまで気がついてなかったんですよ。 だからこそ本物の天然やと思います。 女の子のタイプはそうやったんかぁという感じやったね(笑)。なんかね、みんな同じちゃうかなと思ってたんですよ。 可愛い子はみんな好きやろうと。 そこの細分化が出来てなかったんやね。 歳をとって、そこへ縄文がつきましたよね。 わかってないよなぁといつも思ってます(笑)。
〔土井〕うんうん、やっぱり人は自分のことが一番わかってないよね。『エヴァンゲリオン』だって果てしない自己探究の末に「やっぱりわからん!」とか言うて他者に手を差し出す話やもんな。でもわからんからこそ作品を生み出し続けるんやし、小野ちんが言うようにすべてが「自分から始まって自分に帰っていく」ようなものやと思う。おまけにその「自分」ってなんなん?という永遠に答えの出ない問題を脳天に突き付けられてもいる。そんな無限ループの先に『同時再生の夢』や『JAGUAR』はある。いや、どちらかと言えば「ある」というか、現在地の「標」として自分のために置いてきたという感じかな。だから共感なんて最初からないねん。エンパシーは人間に本能的に備わっているものやと言われてるから、それ自体を否定する気はないけど、共感を求めることはある種の暴力やで。そのままで良いよ、あなたのことわかるよ、の裏側に潜む「だから私のこともわかってくれるよね?」という圧力。それが更に発展すると「わからない奴は敵」という具体的な差別に発展する。元凶は紛れもなく多様性を重視する偏った博愛主義にある。初期の松本人志や漫☆画太郎は絶対に弱者に手を差し伸べない。むしろ弱者がその弱さゆえにつまずく様を見て、くすくす笑ってる。そういう底意地の悪さがこの社会を根底から支えているということを腹の底の底まできっちり落としこまないと先には進めない。これまで43年生きてきて、弱者救済を声高に叫ぶ人たちが身近な「弱さ」を黙殺したり足蹴にする様を何度も見てきたからね。「弱さ」には絶対に「煩わしさ」が伴うから、それときちんと向き合えてはじめて他者に手を差し伸べることができるんちゃうかな?僕には到底無理や。また小野ちんのprivacyの話に戻るけど、誰も入ってこれへんと言いつつも、恐らく小野ちんの頭の中には招き入れたい人物や作品があるんちゃう?そもそもレーベル所属のDJルサンチマンって誰やねん(笑)。
〔小野〕そうなんですよね。基本的身体は借り物やと思っていて、その1番最初の人がオリジナルやとしたらですよ、じゃあこの最先端の自分っていったい何者やとなるじゃないですか。 そんな膨大な時間の旅の先端同士がね、同じ共感なんか出来ないですよね。それが、なんかこれええとか、あれええよなっていう安易な共感のなかでも結びつきが強くなるじゃないですか、でもそれはやっぱり、かなりの確率のなかで交差した瞬間な訳だから、凄い事が起こってるとは思うんですよ。 出会ってる訳やからね。 それだけでも嬉しい筈で、そのような気持ちも相まって、おもいっきり、人はその流れに飲み込まれるのだと思う。 そんなところが人やなと思うんですよね。良いも悪いも純粋やと思う。 やっぱり上手いこと出来てるから、これほどに簡単だからこそ、子どもが生まれるんやろうなとも思いますよ。これは友達とよく話していたことなんですけど、挿れるのか挿れられるのか、どっちがええ?!みたいな話をしてた訳ですよ。 若いからね。真剣に考えてですよ、男同士が俺は挿れるのは暴力になると思うから、挿れるより、挿れられるかなとかね。自分の彼女には問答無用で挿れてるクセに(笑)。俺は挿れられるのは怖いから挿れるかな、とかね。 同じ音楽好きだったり、集まりのなかでも少し幻想から離れた話しを話すと正反対なんですね。それでも音楽は同じものに対して好意を持てる最善の方法な訳やけど、そりゃ無事に子どもが出来るように仕組まれているなぁと思うんですよね。 色々な欲望が出てきますからね。 それには負けたくないですよね。 この完璧な創作物を身に纏ってる訳やからね。それ自体が戦いじゃないですか。 腹立つやん。何してんねんみたいな。自分やけど、うまいこと出来てるよなぁといつも思います。 漫⭐︎画太郎もそうやし、松本人志もね。創作やからそれが可能なんですよね。 そこでの異化効果にて体験した事で、体験していないのに植え付けられて、それに悩まされるぐらいにそれは根付くんですよ。 そっちの方の惨さを知っていたのが高畑勲やと思います。 いまはそこがびっくりするぐらい混在してて、みんななんでそんなに混在してんのと思う訳ですよ。 それは多分自分で作ってないからわからなくなっているんやろうとは思うわけですね。 これ宮崎駿的名言、もののけ姫での一幕、乙事主が言葉も話せなくなったシーンあるじゃないですか。 あれは獣の毛皮をきた人の兵士が目の見えない教祖に集まってくる訳ですよ。 これ麻原やと思ってるんですけどね。 現実と幻想がわからなくなって、言葉も失ってですよ、ただ何と戦ってるのかもわからなくなって、混乱しながら、この世の中で戦っているのですよね。法廷の麻原も目が見えなくなって、うんこやらおしっこ垂らしながら裁判していたわけで、女の人の存在を感じから即座にマスターベーションしてたわけですよ。そんな状態で人としての言葉を失ってこの国で裁きを受けていたわけなのですが、そこまで取り乱している人も居ないとは思うけど、幻想と現実の狭間が分からず、今生きる場所での言葉が一体どのような言葉なのかも分からず迷っている様な、地平が無くなってしまっているような人はたくさんいるように思うのですよね。すぐに幻想に騙されて、大金とられたりする訳ですよ。 これ漫画やで、これコントやで、これ誰かもわからない文章書いてる奴の言うことやで、広大な幻想帝国を作ってきた人たちが今まさに長く生きすぎたために焦ってる訳ですよ。 こんな世界でやっぱりカウンターになる思想がこの世の中で唯一形として残る、生きていける考え方やと思いますし、それこそ、言葉やと思うんですね。 最近の本当にあった事件のリメイク的な映画たくさんあるじゃないですか、嫌いなんですよ。 ポンジュノは好きですけど。 日本人が作るそういうの嫌ですね。日本人の胸糞悪いところが存分に出てますしね。加害者、被害者の家族なんかも掘り返される可能性が高まるわけです。 真剣に宇宙人が来て、UFO乗って戦ったりするやつが無いじゃないですか。そんなんがええね。 狙ってとかじゃなくて。純粋に。 想像しただけで、その撮影現場に居合わせたら号泣すると思う。 そりゃ宮崎駿もあんな作品撮るで(笑)。「風立ちぬ」より断然良かったですけど。 DJルサンチマンね、私もよくわかってないですよ(笑)。日本に住んでるんちゃうかなと思ってるんですけど、本人が言うにはイタリアの孤島でコミューンを組んで暮らしてるらしいですけどね。 基本的に私がプロデュースする人って、音楽的な人が多いと思っていて、このルサンチマンもそうですけど、星野源九郎餅や今回リリースするMcCHICKEN NUGGETSとかも、この情報社会のなかで情報めちゃくちゃ少ないんですよね。調べてみてください。出てこないですから。疎外感幸子の方が出て来ますよ。 だからこそ、信じられないぐらいによくわからないラインに乗った作品を投下してくることがあるんですよね。 それこそ、自分達が体感した芸術や、遠くの国で行われていたムーブメントの振動を感じた時の感情やったと思うんですね。まぁ、とにかく情報が少ないんですね。 これって、インターネット世代ではない私たちが体感してきた幻想やと思ってまして。折れ曲がったというか、間違った伝説が大きくなって、人の話や雑誌語り継がれたであろう伝説の数々が、いまも音楽を聴くバイタリティになってるところあるんですよね。 ダイヤルアップですか。 インターネット接続する感じ。 繋がったとしても、5分の動画見るのに、かなり時間かかった感じ。 でも途切れながら、warpのアーティフィシャルインテリジェンスのPVを観たり、ロングコートを着ながら、ベースを弾く、トムジェキンソンとか見ていた訳ですよ。画像も荒いから、偽物でもなんでもわからない世界ですよね。ヴァイパーウェーブとか流行ってましたけど、良いところのつきはぎで、それは体感してない人がよくやってしまう、コラージュで、あれはあれで好きなんですけどね。 でも、自分はもっと違う路線のものを作れると思ったときに、作る意味がそこに出てくるんですよね。 基本的にルサンチマンの紹介で数珠繋ぎのようにいまミックスシリーズを作っていて、次はルサンチマンの彼女の作品をリリース予定です。その前にnuggetsですけどね。 変わり種としては、ライブでお世話になった滋賀のハウスクリエイターの武茶さんの作品もリリースさせて頂きます。privacyの所属アーティストのなかでもダントツで世に知られている人やと思いますよ(笑)。作品は本当に素晴らしいので、いまライナー書いてるんですけど、私待ちなんです。 あの温厚な武茶さんがまだかな?と言っているので急がないと、と思ってます。
〔土井〕出た!挿れる、挿れられる問題(笑)。これは絶対に考えておかないといけない問題で、やっぱり僕らは挿れながら挿れられる者の痛みや引き裂かれるような想い、その果ての快楽も同時に体感せなあかんねん。中折れは然るべき善意ですよ(笑)。だから精神的インポテンツを経てる奴は信用できるよね。逆にマッチョイズムを誇示する奴の暴力性は見るに堪えない。これ以上この話題に突っ込む(挿入)と、クィアについて真剣に論ずる必要が出てくるのでここまでにするけど、小野ちんの言う「何が本当なのか」ということは日頃から僕も色々と思うところがある。我が家にはかれこれ20年くらいずっとテレビがないから、息子たちにとってはモニターから流れてくる映像というものはすべて映画やアニメのフィクションやねん。だから病院の待合室なんかで初めてニュース番組を目の当たりにしたときはふたりとも固まってたわ。映画みたいに残酷な事故や事件の状況をクソ真面目に説明している記者の姿に脳内処理が追いつかない感じで(笑)。そもそも僕はニュース番組もフィクションやと思ってるから、息子たちにその差異を説明するのがややこしくて難儀した。最近で言うと、生成AIを利用して作られた岸田首相の偽動画がSNS上で拡散されて問題になってたけど、岸田首相を知らない息子たちにとっては真偽のジャッジは甚だ無意味やし、もっと言えば岸田首相だけでなく歴代首相の存在自体がAI的と言うか、身体のどこかに縫い目があって、そのなかには何千年も前から人体を渡り歩いてきた呪詛師が潜んでるような気さえするやん。そういう意味では「誰が首相になっても同じ」という政治家を揶揄する言葉は言い得て妙やな(笑)。とにかく子どもたちはそういうややこしい世の中で、それぞれがそれぞれに独自の経験を重ねて虚実の皮膜に触れていく。だからこれからも真っ直ぐな眼差しで宇宙人との戦いを描くクリエイターが出てくると僕は本気で信じてる。藤本タツキや吾峠呼世晴が実際にそうやし。この2020年代に彼らが描くのは悪魔や鬼やで、最高すぎるやろ。いま未知のものと出会える面白さは漫画が一番やな。それもサブカル、アングラ系じゃなくて、メジャーど真ん中のやつ。僕は昔からめちゃくちゃ売れてる人らが好きや、自分には絶対にできないようなことをやってる人たちが誰よりも変態やと感じるから。小野ちんのprivacyも立脚してるのは生活圏という意味でのアンダーグラウンドやけど、手法はメジャーのそれに近いよね。結局ルサンチマンが誰なのかさっぱりわからんけど(笑)。アイデアやリリースがたくさん控えてそうやし、ほんま楽しみやわ。最後にいまのお気に入りの曲を紹介してください。晴信が元気に退院したらまた一緒に奈良公園に遊びに行こう!
〔小野〕出た!出た!猫のバス!みたいな気持ちというかね。 これはトトロのセリフなんですけど、あれはおっさんが想像した少女像ですよ。 娘を持っていないおっさんの。 想像して出来上がった、メイとサツキですよ。 でもですよ、みんなあれになるために成長していってますよね。 いまでは同じ名前がつけられて、みんなあのアニメーションの動きをもとに風を感じ、そしてスピードを共有してると思います。 なので、表現物が与えている情報が人を作って言ってるんですね。多分それを作った人たちは責任なんか感じなくて良いのに、どうしようかなと本気で悩んでいる訳じゃないですか。「 君たちは��う生きるか」で出て来た老人は宮崎駿ご本人やと思うんですけど、あれはフィクションやけど、本音ですよね。 自分がやってきた事ですからね。 中折れで思い出したけど、挿れているとき、ごく稀に骨がボキッとなることがありますよね。 わからないんですけどね、多分恥骨とか、腰?が鳴っているのかわからないけど、あのとき、本気でイチモツが折れたと思って、焦りながら頭の中で折れたモノを探すんですよね(笑)。 でもちゃんと挿入ってる訳じゃないですか。女性にも聴こえていない、自分だけのボキッという巨大な音。 これね、多分、野口晴哉が言ってた、海に入った時に腰まで海に浸かっていて、雨が降って来たときに自分が一体どこにいるのかわからなくなったという状況と同じやったんじゃないかなと思う訳ですね。 誰もがわかるように棒には骨なんか入ってないのに、肉の塊ですやんか、そのときにね、挿入ってるのに、抜いて探してる自分もいるのだけど、何かの中に挿入っていきながら、抜いて確かめている自分がいて、その時にあれ何か大きな覆われた世界があるということが見えてしまったように思えたのですね。 と言っても挿入れてるからやと思うんですが、心の空洞に入ったような体験をしたんですね。 穴に挿入っている自分が折れた棒を探していた。どの時代の自分なんかわからへんねんけど、なんかよくわからないやつが居てたんですよ。 土井さんの言うAlの話、これは本当に考えてしまう話で、明らかに音楽作るのはAIに変わってしまうと思うんですよ。 だから、その準備が着々と行われているように感じます。 サブスクもそうやしね。 音楽全体がもう演歌のようになってしまうやろうし、流して聴くものにしてしまったことによって、もうそれは運命的ですよ。 まずAIを欺くことなんて、音楽聴いてきた身からして無理やと思う。 坂本龍一が好きでスタートしたら、教授のコード感で楽曲買っていることが後々わかったりする訳ですよ。 ここはこうしたいんだとマイケルジャクソンみたいに指示するだけで、楽曲ができる世の中となって、作るものという概念すらなくなるかもしれません。 そこに人を見出さないとえらいことになるというのはそのようなことで、それが今後どう繋がっていくかは未知数ですが、カウンターの精神を生かすというところにおいては必要な行為やと思います。そんなところよりも、もっとシンプルに言えば、人を感じれないのであれば、AIが作ったとしても、人が作ったとしても、その違いがわからないとなるから、別によかったらどちらでも良いとなるわけですね。 それでなくても、ヒップホップやらテクノやらでもそうやけど、同じような内容の楽曲の羅列のミックスだらけじゃないですか。 AIはRAMZA(名古屋を拠点に各地で活動する作曲家/音楽家)のようなエラーですら、それを容易に形にしてきますよ。それだったら、どうしてRAMZAがええのか?って話しになりますよね。 そこを考えさせないようにしようとしている輩がいるわけでね。 誘導されているわけですよ。 だって、金稼ぎたかったら、AIにまかせて、この100年ぐらいの文化の流れをインプットさせて、やっておけば金が生まれる訳やからね。 人が人の領域を守るために必要なのかということが自ずと見えてきますよ。「文化」の動きというのは結局のところカウンターカルチャーなのですけど、これは鶴見俊輔も言っているように、土井さんにも通ずる、這いずるということなんですよね。 今の文化の始まりはまさにそこから始まっているように私は思っていて、そこから生まれでる事、いやいや、同じのはやったらあかんねん、もっと違ったもんじゃないと、これ前やってましたやん。何回、回ってんの?!っていうところをきっちりして、よりないものを模索するということでしかない訳ですよ。 だからこそ、ネットにまだ出てきていない文化の本当にやばいエキスがあると思うんですけど、そこを誰よりも早く見つけて守るとか、そういうことが重要だと思うんですね。 そこで、ネットに流出しない世界を構築して、そこでの本当の意味でのカルチャーを育てる必要性もあるのではとも思いますね。まだこんな話、SFのなかではうじゃうじゃあるけど、現実的な恐怖を覚えていないのが昨今の人たちで、そんなところだけ、SFと現実を分けてるんですよね。 そこになんで恐怖を覚えないのかが、わからない。 もうそろそろやし、お前の存在を本当に求めてる訳ではないということ、逆説的に言えば、そこがあるからこそ音楽の人たちは幻想を売っていけていたという側面もあると思うのですが、そこもひっくり返るのももうすぐですわ。 オタク文化、70年代のインテリは現代社会において、自分の趣味を文句を言わせずに真っ当するやり方を知っていた筈なんですよね。これはカウンターカルチャーに近い考え方だけど、こういう考え方が結果的に文化を守ることに繋がると思います。 ビートルズの新作は当初、ジョンをAIにして歌わせて、生きている残りのメンバーが奏でるといったスタイルと聞いていたのだけど、出来上がった作品を聴くと、死ぬ前にレコーディングしていた音源から声だけを抽出して、残りの人たちがその声に合わせて楽曲を作ったわけですよね。 内容は本当に素晴らしくてね。 でも正直なところ、みんなAIでもええんちゃうかなと思ったのも事実ですよね。なんでこれがビートルズでないといけないのか。 声だけをカッティングするのなんて、ちょっとしたアプリで出来ますからね。 じゃあなんで、そんな後退したことをやったのかというと、ビートルズが大半生きてるからやと思うんですね。 AIが描いた世界とか話題になってるけど、気持ち悪い世界ですよね。 あんなの人でも描いてる人いるけど、そういうのがもういらないとされてしまっ……。
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junikki · 1 year
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最近白泉堂のマンガparkというアプリで「ぼくの地球を守って」を読んでる。なんかセーラームーンの元ネタになったとか聞いて前から気になってて。最初はふーん…て感じで全くハマってなかったんだけども、マンガparkでは1日に10話ぐらいまとめて読めるから、世界観にハマった。これは確かに前世を信じる戦士症候群とか生まれるわ。
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主人公のありすが植物と会話できるの羨ましいなあとか思う。マンションのベランダにたくさんの植物植えてるのも羨ましい…まあ私はあんま園芸には興味ないんだけどもね。実際憧れてこういう庭園を作ったとしても、花の世話とか多分面倒で普通に枯らせてしまうと思う。
あと前髪パッツンの中性的な錦織一成ていう子も好き。なんか最近はこういう髪型もリバイバルして多いけど、私が子供の頃に流行って憧れてたイケメンの髪型て感じで良い。よっぽど顔が良くて雰囲気のある似合う人じゃないとあかん髪型だと思うけど。
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なんかマンガの影響で毛先ぱっつんにしたくて毛先自分で切り揃えてみた。結構真っ直ぐになったと思う。切れ毛があるから定期的に自分で毛先揃えてるけど、しっかり揃えると気持ちいいね。美容院でやってもらうべきなんやろうけど、とりあえず自力でそれなりに真っ直ぐにできてよかった。毛先にブリーチ3回ぐらいしてるところはほぼ無くなったかも。胸下ぐらいの長さが乳首隠れるくらいになった。今年は日本の美容院でちゃんとカラーするつもりやからこれでしばらく放置しとこ。
アラフォーのおばちゃんになってから初見で読んでるから、90年代前半頃の世紀末感を懐かしく思い出したり、もはや歴史としてかなり冷静に分析しながら読めるけど、世間知らずの子供の頃これ読んでたらめちゃくちゃ感化されてたと思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/戦士症候群
これ読むと当時の雰囲気が垣間見れて面白い。目覚めた戦士の募集が何気にアイデア豊富。ほんまネットのなかった時代の厨二病はレベルが違うわ。現代の厨二病はそれなりに現実的というか、ちょっと大袈裟で痛い人程度で済んでて、世の中そういうこともありえるんだろうな、程度。ていうか、こんな症候群あるの自体わりと最近知ったんだよな。不思議。幼少期大好きだったセーラームーンもある意味転生ものだし、ごっこ遊びとかしてたけども、なんかこれはこれ、って感じだった。当時レイアースとかも流行ってて、どれもそれなりにハマってたから、どちらかというとマンガの登場人物みたいになりたいというより、こんなかわいい絵を描けるようになりたい!という気持ちが強かったかも。
まあ実際、戦士とか姫なんてかなりハードモードやと思う。ドイツで知り合ったロシア人の男友達(当時18歳)が兵役2回も行かされて、ロシアが大嫌いで、ロシア人であることも恥じるほどだったんよなあ。兵役でそんだけハードやから、やっぱ実際の戦士って大変。大怪我したり、死ぬのなんて当たり前の世界やし。セーラームーンとか子供の頃うさぎには泣いてないでしっかりしろよとか思ってたけど、そりゃ中学生の女の子が時間関係なく突然戦いに行かなきゃいけないなんて、泣きたくもなるわ。自分が中学の時なんてそんな心配もなく、何の力もない一般人の同級生にちょっと虐められただけでめちゃくちゃ悩んでた訳だから、今考えるとめちゃくちゃ気楽なモンやわ。セーラームーンの敵とか絵だから美化されてるけども実際見た目だけでトラウマになる化け物だらけやし、なんの害もない身体障害者を見ただけでビビってしまっていたような中学時代の私にはとても無理。
あと姫は一見イージーモードだと思うだろうけど、眞子さまとかあんなに嫌がってて今もう一般人でNYに住んでるのにあんなに写真撮られて追いかけ回されて、そりゃ一生お金には困らんやろうけど、目立ちたくなくても目立って現地の日本人に色々言われてしまうし、そこらの芸能人以上にプライベート皆無で生まれてから死ぬまでなんかやらかしたら全部報道されて、ってめちゃくちゃ大変やと思う。それならそこそこ金持ちの家で生まれてプライベート充実した人生の方がよっぽどイージーモードだわ。オタサーの姫とかもバカにされがちだけどほんとそのくらいの規模の姫が一番幸せだわ。
あとコメント欄では玉蘭が嫌われてて、紫苑に人気があるんだけども、紫苑レベルのハードモードな人生の読者がどのくらいいることやら。脱北者とか、日本に難民として亡命してきて毎日差別されてる外国人レベルじゃないと釣り合わないような。こんなマンガを読んでその世界観に浸れる余裕のある人はどちらかといえば恵まれている玉蘭側の人間ばかりなんだと思う。
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今日はデトロイト川沿いの公園でカーニバルやってた。ロバートの幼馴染のブルーノはこのカーニバルに毎年行ってるらしい。ブルーノはロバートと同じく長年独身で30代になっても40代になってもこういう子供向けのカーニバルを満喫するような人間だったらしい。ロバートによるとブルーノには子供時代がろくになかったとか。親がイタリア系移民で児童労働が悪いことだという認識はなく、スポーツして遊ぶとかめちゃくちゃ嫌がったらしい。なので子供時代は常に畑仕事の手伝い。児童労働といえば「ロミオの青い空」のイメージ。あれもイタリアが舞台だったよな。でも時代は児童労働が問題視され義務教育が始まる以前の1800年代だったと思われる。半世紀前のイタリア人にまだその価値観が残っていたのが何気に衝撃的。
移動遊園地という感じだろうけども、日本の夜店に雰囲気が似ている。景品に国の個性が出ていて面白い。ポケモンのプリンだけが何故か大量に置かれている。ピカチュウじゃないんや…とか思うけど。あとバスケのユニフォームが景品というのもスポーツ好きな人の多いカナダらしいチョイス。日本だと遊園地といえばユニバかディズニーで大人も楽しめるって感じだけども、移動遊園地は流石に大人になるとそんなに楽しめるもんでもない。簡単に解体できるから安全性が怖いし、子供が行きたい言っても危ないからと反対するかも。
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blue-aotan · 1 year
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ハロー(´ー∀ー`)2023.4.23
引越しも無事に終わり、片付けも一段落してきましたあおです。自分の生活を見直す、生活リズムの開拓だったり人生の変化としてはかなり大きなものになったと思います。
今も今からも手探りで自分に合った生活の流れみたいなものを見つけていくのだとは思いますが、一人暮らしに関しては2〜3年前くらいからずっと考えていました。
ただ漠然と「このままじゃいられない」「このままだとダメになる」と感じて決意したのですが、行動に移してからはあれよあれよと進んでいき。
様々な問題はありましたが、無事にアリスと一緒の引越しを終える事ができました。
何か人生を変えたかったのだと思います。
物価高の続く先の見えないこの世界で←
給料は一切上がらないこの世界で←
とにかく悩むよりもまずやってみる!精神で。
一歩を踏み出しました〜
一人暮らししたいなという思いと、一人になりたい…
という気持ちw
そして「生活を楽しむ」という思いがかなり強かったです。ずっと生活を楽しみたかったのです。
ようやく‼️叶ったなーーーと感じつつ、やる事山積みでも楽しいーーーってなったり。
1人きりで生活するのは初めてだし寂しさとか感じるのかなと不安になったりもありましたが、初日からそんな気持ちは微塵も感じませんでした🤣🤣🤣
もしかしたらこの先でじわじわ感じる事になるのかもしれないし、今はとにかく快適に過ごせてるので良しとします。(他の人の生活音が聞こえてくるので、人がいるという安心感があるのかもね
今は毎日ご飯と料理の事しか考えていません😂
自炊初心者が果たして節約の道を極める事ができるのか…!?楽しければ全て良し←
一人暮らしするってなって、職場への報告をした時はやっぱりババー達がやんややんや言ってきましたね←
「彼氏と同棲ーーーー!?」
「今更なんで一人暮らししようと思ったの?」
あなた達に関係あんのか?←
彼氏いない歴何年だと思ってるんだ!(知る訳があるかい
別に何歳でも一人暮らししたってよくない?
したいからする以外に何か理由があるのかい?
干渉詮索ババーは他に楽しみがないのかね。
自分磨きに時間費やしたらいかがでしょう?
他人のあれこれ気になって口出してる人は他人からもあれこれ言われてるってこと。
溜め息しかでません😇
彼氏と同棲とかそういう世界線があったとしたら自分から言いふらすわ。
「カレピとーーーぉ同棲することになってぇーーー」
(そういうキャラじゃねーだろ
彼氏とか結婚は来世の自分に頑張ってもらうので!
現世の目標は孤独死です!
(はい、ここ笑うとこですよー
とまあ、そんなことはどうでもよくてですね!
私の人生で2番目に大事な(1番はアリス姫)趣味活動の話ですよ!奥さん!
当たり前と言えば当たり前なのですが、家事洗濯諸々してたら日々の生活だけで自由時間があまりないということ。洗い物しながら映画とかドラマとか動画とか見るだけで平日が終わっちゃうってこと。
これってさ、子供を持つ主婦の方の生活サイクルとか考えたらめちゃくちゃ大変で自分の時間がない事へのストレスってすごいと思うのです。
それでさ、旦那は(田舎あるあるかもしれないけど)「働いて稼いでるから家の事、育児はしなくていい」みたいな勘違いしてる人が多いという話。
働くって当たり前の事だと私は思うのですよ。
だって働かないと生きていけないから。
そこに嫁と子供を養うってことが入ってくるのは、結婚をすると決めたのなら果たさなければならない責任があると思うのです。
(嫁はともかく子供だけでもね)
嫁単体でみたら労働力はあるから共働きという事もあるだろうし、嫁の全てを養わないといけないとは私は思いません。
(収入の差があるのは仕方ない
相手の人生を背負うという表現はちょっと言い過ぎだし重すぎる気がするけど、結婚は一生ものって考え方は人それぞれだと思う。
今はお互いの人生を大切にする為の離婚も昔ほど騒がれる事はなくなった気がするので…
ただお互い協力し合う、相手に合わせる努力をする、一方ばかりがしんどくならないように苦労を分け合うことがベストだと私は考えているけど現実はそう簡単ではないのでしょう。
働くのは疲れるしメンタルも疲弊するのはわかる。
でもその大変さと主婦業を比べて何の意味があるのだろうと思うのよ。「俺の方が頑張ってる、疲れてる、休日は好きにさせてほしい」
主婦業をなめてる旦那たちに言いたい。お前がやってみろと。
働きながら家のことも育児も全部してみろと。
家のこと・子供のことは女が担当とでも思っているのだろうか?
仕事は男、家事育児は女、それが公平とでも思っているのだろうか。
家族って何なんだろうと思うのよね。未婚の私が言うのもただの想像の幻想かもしれないけれど。
好き勝手したいのなら結婚するなと思ってしまうのよ。
で、何の話?←
働いているから偉い?いつも家族が清潔で快適な生活ができているのは家のことを頑張っている母親がいるからであって、それを当然と思っていることがまず間違いだと私は思います。
ということでかなり話が逸れたけど趣味活動の話ですよね←
ゲームほぼしていません。映画もかじる程度にしか観れていません。家事しながら見れる国内ドラマをU-NEXTで見るだけの毎日ですw
で、どうして配信活動ができないのか。
それはネットが開通していないから←
これが話すと本当に長い話になってしまうし、かなりのトラブルがあったのですよね。。。
まず遡ること入居日の数日前。ネット無料物件にも関わらず、ネット会社から22時頃にメールが突然やってきて「ネット開通が入居日に間に合わないので貸出Wi-Fiを送りたいので入居日を教えて欲しい」といった内容の連絡でした。
こんな時間にしかもそんな大事なことをメールで済まそうとするか普通?とイラっとしました。その時点でもうかなり印象が悪かったんだけども、私は開通はいつになるのか尋ねましたが返事はありませんでした。
普通さ、開通日がいつになるかが論点じゃない?そこには何も触れずに入居日を教えろだとか喧嘩売ってんのか?ってなったよね。しかも返事ないし!
そこで私はビキ💢ときていました。
そして入居日の前日21時にまたメールがきて「入居日にWi-Fiをお届けする予定が物流トラブルにより3日後発送見込みとなっております」とかふざけた内容で私はビキビキ💢💢ときました←
いやいや、発送日やなくて着日を教えんかい。そんで入居日明日やぞ?なめとんかいワレ←
そして挙げ句の果てに「開通日は未定となっております」
殴ったろか←
あまりにも酷い対応だったので、仲介の担当の人に全部相談して不満をぶちまけました。そして管理している会社に、ネット無料物件でネット使えない日があるのならその分家賃から引いてくれと言いました。
そしたらそういうことはしない、と。
いやいやおかしいよね?大体この管理している会社もネット会社が悪いのだからそっちに対応してもらえという態度だと仲介の人に教えてもらって(どいつもこいつもクソが)となりました。
結局管理会社の人が初日から貸出Wi-Fiを貸してくれてことなきを得たんだけど、それでもWi-Fiが弱すぎてめちゃくちゃ遅いのでストレスです(°田°)
度々のクルクル🌀youtubeもU-NEXTもクルクル🌀
調べものもアプリ開くのも何もかもが全て遅い。
そしてもうすぐ1ヶ月が経つというのにネット会社からは一切連絡がありません。
謝罪の連絡すらも無し。
まじクソ。
将来、個人的にネットの契約をすることがあってもこのNU○○光だけは絶対に選びません。非常識で誠意の微塵もないこんな最低な会社は初めてです。
こんな思いをする人がこの先少しでも減るように、私はこの経験を伝えたいです←
久々にこんなに怒り狂ったわ。
(割と結構色んな事で怒ってる気がする←
でもさー、私って結構こういう貧乏くじ引く体質だと自分では思っているんだけども仲介の担当の人が本当に良い人でね。
対人運悪いし大体泣き寝入りしてきた人生だったけど、この担当の人のお陰で少しだけ一矢報いることができたと思うんだよね。そこは本当に感謝しております。
色々クレーム入れたいお年頃だけど、今テレビよく「カスハラ問題」について取り上げられていて結局私もカスハラ案件にさせられて闇に葬られたり逆に訴訟なんてことになったら…と思うと本当に生きづらい時代になりつつあるなーと感じますよね。言いたいことも言えないこんな世の中なんですよね…
正義とは…
という訳で引き続き配信活動はストップしてしまいますが、何か動画とろうかなと思っております。動画なら何かできるかもしれません🙂
そんな感じで今日も生活をマイペースに楽しんでいます。
もうすぐGWがやってくる!それまでにはネット開通して欲しかったけど絶望的ですね←
せっかく配信たくさんしたかったのに残念です😢
今はもっと器用に生活が運ぶように修行を重ねたいと思いますw w
以上近況でした
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icchi-yutb · 2 years
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素晴らしい未来
男は市役所に向かっていた。速度標識が視界に入り、「40」という数字を確認した後に自分の車の速度メーターを確認する。針は40を指していた。信号機が見えてきて、男はウインカーを出して駐車場へと入って行った。
席に座ると担当の女性が机に向かいに座った。「まずは名前等とご記入ください」と差し出された紙に名前を書きながら男は言った。
「安楽死申請をしたいのですけど」
彼女は冷静だった。「はい、了解しました。過去に治療歴などあったら、紙の下の欄にご記入ください。資料があるので少しお待ちください。」席を立ったのを確認して彼は紙に記入を初めた。彼が全て書き終わる頃に彼女は帰ってきた。数冊の冊子は安楽死に関する説明をするものだった。彼女は何も躊躇いもなく淡々と説明を始めた。「安楽死制度一般申請枠は1年前から方法が変わりまして薬から機械に変わりました。以前は薬物投与だったのですが、今では酸素低下ポッドに入って終わりという形になります。」冊子を開きつつ、2ページ目の写真をペンで指す。男は(そんなことは分かっている。もうネットで何十回も調べたところだ。)と思いつつ、話を聴きながら人生を頭の中で回想し始めた。
ー貧乏な家庭だとか親が育児放棄しただとか、そういう生まれではなかった。ごく一般的な家庭に生まれ、何も隔てりもなく育ったと思っている。しかし小学生になり、他人と違う部分が垣間見え始める。それは忘れ物が多いということだ。何十回先生に怒られたことか。自分でもどうしようもなかった。何度確認しても忘れてしまう。怒られたことよりも、その現状が自分の意志でどうしようもならない事実に打ちのめされたのだ。
中学高校と進んで行くと更に自分の欠点が発現し始める。それは勉強ができないということだ。やり方が分からないだとかそういうレベルの問題ではなく、根本的に学習で物事を吸収するスピードが遅かったのだ。常に理解は周りと足並みを揃えることが出来ず、教師には怠けていると叱られた。ここでも自分でどうしようも出来ない事実に、ただ泣くしかなかった。
高校を出て、仕事を探しては辞めてを繰り返した。その中で理解したことは「仕事が向いていない」ということだ。上司から指示を受け、そして言われたとおりに動く。たったそれだけのことが難しくてたまらなかった。質問に対して答える時に言葉がすぐに出てこない。道具が上手く使えない。同じミスを繰り返す。泣きそうになった時はトイレに駆け込んで大粒の涙を流した。
そうしてやっと自分は病気なんだと気付いた。おそらく脳みそがイカれてるのだろう、と。いろんな検査を受けた結果発達障害だと分かった。治療を進めたが、やはり過去の自分がしてきた失敗がフラッシュバックする。そして心の病気も診断された。うつ病だという。しかし治療は出来なかった。発達障害は投薬治療に対して、うつ病の主な治療法は「ただ安静にして寝る。」というものだったからだ。しかもそれを一年以上続けないと治らないという。そう聞いて私は治療を諦めた。
私に仕事がないと両親がとても心配してしまう。今までどんな困難があっても、両親のおかげで何とかやってきたのだ。だからこそ心配をしてほしくなかったのだ。両親は事あるごとにアドバイスをしてくれた。自分が選べない選択肢を選んでくれたし、進むべき道も迷った時に助言してくれた。だから仕事を辞めないと治療できない趣旨の話をしたところ「仕事をしてないと今の時代心配じゃないか」と言われたのだ。たしかにそうだと思い、仕事を続けたのだ。ー
「ここでお金を支払っていただければ、後はいつでも市役所裏にある機械をご利用いただけますので。」と言って説明は終わった。男は持ってきた封筒を差し出した。中には札束が入っている。「確かに受け取りました。」と言って彼女は横に置いてあるカバンに入れた。「ご不明な点はございますか?」と言われたが、男は無いと答えた。最後に指紋の認証をして手続きは終わった。あっという間だった。
ーそうだ、こんな人生だった。小学生の時にテレビで見たロックバンドの映像は今でも覚えている。マイクを握りしめてファンが盛り上がる。人生で初めてカッコいいと思った。こんな歌が作りたいと思って、作曲家を目指した。小学生の時から図書館に通い詰めて、職業の成り方を調べた。家に帰るといろんな歌番組を見て作曲家への憧れを膨張させた。中学生になって、将来の選択を迫られた時、その夢を親に言えなかった。周りの人は皆進学校に行くと言っていた。両親も私もそのつもりだと思っていた。それもそうだ。この夢はあくまで夢で、目指そうとすると色んな人に迷惑がかかる。僕は両親の気持ちを優先して進学校を目指すことにした。
20歳を越えて普通に仕事をし始めた頃も、まだその夢が脳裏によぎっていた。高校でいい成績を収めることは出来ず、両親に音楽系の専門学校に行きたいとすら言えなかった。こんなに出来の悪い息子の我儘は両親を苦しめるだけだ、と。そう思い夢を諦めて普通に仕事をし始めたのだけれども、やはりずっと志していた物をすぐに忘れることが出来なかったのだ。稼いだお金で機材を買って、自分で独学で頑張ってやろうと思った。
ある日ふとテレビを付ける。とある作曲家の特集をやっていた。インタビューの映像が流れる。顔が若い。私より若いのではと年齢を見る。17歳...。この年でこの人は売れっ子。悔しいという気持ちより虚しさが出た。もしこれが俺だったらと思ったのだ。もし自分だったら、もう少しいい機材を買えるのではないか。もしたくさん儲けがあれば親孝行できるのではないか。自然に溢れ出たその感情は、自分を蝕んでいった。ー
自分は何も出来ないんだ。何も出来ない。そう思いながら男は市役所裏に着く。そこには庭があった。綺麗に手入れをしてあるその庭の中央にはカプセルホテルの一室をそのまま置いたような見た目をした機械が置いてある。指紋認証をすると上半分の蓋が開いた。男はゆっくり中に横たわり蓋を閉める。中にはボタンが一つ。深呼吸したあと、親指で力強くそのボタンを押した。意識が遠のいていく。彼は目を瞑った。
ステージに立っているロックバンドを男はテレビ越しに見ていた。曲のタイトルが出て、作詞作曲とテロップが出る。そこには自分の名前がある。男は用意したお酒をコップに注いだ。男の顔には笑顔があった。
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tokyomariegold · 2 years
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2022/10/22〜
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10月23日 朝はそんなに早く起きれず、ハトバスは満席で、でも朝の休日の丸の内を歩いて、ハロウィーンの飴をパパブブレで買って、ちいかわのショップに整理券を持って静かに並ぶ方々を見て、首都高をくぐって図書館へ行った。 予約していたボードリヤールの“透き通った悪”を借りて、ユリイカの長島先生の対談を読んだ。
そして今日は2回目のお散歩会。曇りの良い天気。待ち合わせた新浦安駅は大きなイオンとアトレとディズニーリゾートちっくなホテルや団地があった(百万円と苦虫女のロケ地!)。 スケールアウトした道や碁盤の目状に並ぶ郊外住宅、夢の国の安らかBGM、隠さないレプリカ感のホテルの佇まい、エイの写真の駅、海と中洲、観覧車、端に突き刺さったシンボル、西日、遠くの町並み、何かずっと生えている大きな油菜みたいな背の高い黄色い草…たくさんのものが割と全て主役級で忙しい。 おしゃべりをしながら、途中ふっと会話を抜けて写真を撮ることができるお散歩だった。 私は、またお隣さんからラインが来た話(さつまいもをいらなかいか?と言う内容)や、幼馴染の会があるらしく心がざらついた話をしてしまった。
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お散歩をした2人とは比較的よく会っているので、最近どう?とか仕事何してる?とかを話さずに、写真や映画の話、昔見ていたアニメや映画の話ができて、とっても楽しかった。 2人は今度山登りに行くらしい。ちょっと頑張れないアクティビティなので、羨ましいけれど、良いお年を!と言って別れた。
女の子と写真のことをまとめた写真集をみてもらった。改めて、30歳で消えたい、と思った。 それと、2人と私は、みんな二人姉妹の長女だったな〜と帰宅して思い出した。それだけなんだけれど、だからって共通点を見出すことはできなくて、うん全てのことがこうであれ!と思っている。
一人で街を歩くと、周りの人達をよく見てしまう。自分も周りの人も同じところにいて、大勢の中の1人であると感じることが多い。でも今日は、私達、と、その他の皆さん(違うところにいる大勢の私達)になっていた。気づかなくて良かった嫌なものも含め、周りが見えずに、でもそれはそれで楽しく過ごすことができた。
ただ、とっても疲れている!ので、なるべくゆっくり夜更かしをしよう。 (いつも早く寝ようと焦ってしまう。)
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10月23日 思ったより朝起き上がれたので午前中の予定を済ませて、先週落として失ったお花を、町のお花屋さんで購入した。ケイト、というらしい。
やっぱりまだ幼馴染の会のざらざらが残り、お部屋や水回りの掃除をたくさんした。えらい!掃除をしながら、会の主催の人(母から連絡をとるように、と、連絡先が送られてきた)は、よく思い出したら私に傷つき度の低いいじめをしてきた人だった!ぜったいにいかない!思い出したように傷ついているので!
午後、筑波山へ行った話を聞く。 写真も見せてもらった。山の入り口に大きいカエルの像と、廃墟化したデパートの屋上程度の遊園地があるらしい。 カエルとイカの解剖実験を高校生の時にしたことを思い出した。 昨日の友人達もそうだったけれど、みんな登山をしている…
最果タヒの、味方はいらない、を読みたくなる。非の打ち所がないマンのパブリックイメージに対抗するために、こんなに大きな声で鼻歌を歌って踊って帰宅しているのでは!私は!と、思ったりした。
市長選があったので投票しに行く。今日まで全く市政に興味が持てず、投票所のポスターで2人しか立候補者がいないこと、2人とも差し障りなく見えること、無所属なこと、を確認した。投票用紙記入用のペンがよく尖っていて書きやすかったので、画数の多い方の立候補者の名前を書いた。
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10月24日 昨晩食べたものが、全てあまり味がしなくて、少しずつ酸っぱさだけあって、クレイジーソルトをたくさんふりかけた。 クエン酸洗浄したポットの洗いが足りなかったのかな。また感染症を患ってしまったのかな。 ダークチョコレートも味がしなくて悲しかった。
このあと、明日からの休みの予定を上司に相談して、一先ず明日時間休を取れたら映画を見にいこうかな。
10月25日 午前休をとって8:45の回の“マイ・ブロークン・マリコ”を観て出勤した。 ショッピングモールって当たり前に映画館がついているけれど、こんなにもシアターを隠し持っていたの?と、驚いた。平日の朝一だからか、シアターには3人だけで、いつも出てくる映画館空間での不安ちゃんは引っ込んでいた。 とても漫画っぽいシーンが多い(漫画が原作らしいので当たり前か…)、と、あと、名前のわかる役者さんがいなかったので、よくストーリーに集中できた気がする。マリコ役の女優さんかわいい。
どんな映画を観ても、しばらくは自分の周りもその世界の延長ごっこをしてしまうので、午後からお仕事にしてバランスを取れた気がする。
映画を観終えてショッピングモールのテラスに出ると、駅とモールの間の広場に、保育園児4クラス分くらいのお散歩が来ていた。いろんな移り変わる広告に囲まれながら幼少期を過ごすミュータント増殖?と思った。 今日は曇天のいい天気。
一昨日教えてもらった通り、ショッピングモールの空きテナントにスープストックトーキョーが入店する知らせが張り出されていた。
そして職場で梨をもらった!今年はもう終わってしまったと思っていたので嬉しい!けれど「梨があるよ〜」と知らせてくれた上司は、明らかに私の名前だけを呼ばず、前々から接する度にギクシャクっぽさを感じていたので、うーんそうゆうことかしら…。たぶん心当たりもあるので(食事の誘いを断ったりしている。)、このことが、どうか周りの人にばれてなければいいな、とだけ思っている。
聴くことより見ること、話すことより読むこと、の方が、自意識・孤独を高めます(トゥアンの本より)。
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10月26日 寒さで体が冷えすぎて、仕事中の記憶がない!(嘘だけど。) 年々、ウルトラライトダウン的なインナーダウンは薄く、ヒートテック的な暖か肌着は厚くなっている気がする。
何かしたいのに何もできていないとき、やりたいことを整理して、諦めるものを作っても良いのか…水野しずのnoteを読んだ。何を諦めようかな、と、考えながら帰ってきたはず。
あまり良くない感じで眠すぎて、ホームの端を歩いていたら「あぶねえぞ!」と、おじさんに言われてびっくりショックだった。大きな声と汚い言い回し、こわい。
10月27日 今日は自分の段取りの悪さを謝りながら右往左往しているうちに午前中が終わり、急ぎ仕事でいろんな人に連絡しつつ、報告したりされたりして就業した。でも、その中でも、すごくこんなにもマジな感じでお話しできる社会人(新人さん)なんて…!頼もしい!と思っていた人に、それを伝えることができた(「え?それ褒めてるの?」と言われた。)。
帰宅すると、エレベーターの鏡に、生活の音とマナーについて注意が書かれた住人へのお知らせが貼ってあった。お話声や歩く音、カーテンや窓を閉める音など、生活のちょっとした音についての注意で、私はお隣さんのそれらの音にとても疲れていたので少し安心した。みんな思っているのかもしれない。私もアラームをすぐ止められるようにしたい。 と、思って窓を開けると、どこかのお部屋からきつい食事の匂い(餃子のような匂い)がして、急いでお香を炊いている。
SNSの好きな女の子は、昨日のお誕生日に東京タワーとロイホに行っていたらしい。愛。
着たい服も、撮りたいものも、行きたい展示も、食べたいものも、観たい映画も、身につけたい香りも、聴きたい音楽も、読みたい本も、会いたい人も、何も、何もない…!の気持ちになり、日曜の夜のイベントを思ってとった翌日の有給を、4回目のワクチン接種に充ててしまった。
年末調整の紙が配られてパニック!
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10月28日 「マックを食べたからちょっと匂うかも」と言われた車に乗った。確かに何かの匂いはしたけれど、それがマックの匂いかは分からない位、私はしばらくマックを認識しない生活をしている。
朝からだめで、話しかけられる度に涙目で応えていたきがする。それなのに帰宅して、とっても掃除をして、梨の皮むきを済ませて、ヘトヘトにさせてしまった。
明日からどう過ごせばいいのか、何ならこれからの夜の時間すらどうすれば良いのかわからない。 とりあえず、年末調整を出せたのでえらい!
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yotchan-blog · 14 hours
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2024/9/23 23:00:14現在のニュース
小学校の空は「100億円」? 東京・渋谷、容積率を移転 区は52億円と提示、建て替え費に充当 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/9/23 22:57:54) 米政府、中国やロシアの「つながる車」販売禁止へ プライバシー懸念 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/9/23 22:57:46) 中国の地方幹部がヘイト発言 日本人男児刺殺事件巡り | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/9/23 22:57:46) イスラエル軍のレバノン空爆で「182人死亡」 標的300カ所以上 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/9/23 22:52:18) 野田新代表、枝野氏と決選の国会議員票で接戦 「無視できぬ」票差 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/9/23 22:52:18) 保育園「大閉鎖」の波2 遠い町から園児「留学」 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/9/23 22:51:48) デジタル時代の消費者保護(3) ステルスマーケティングの問題点 立教大学准教授 早川雄一郎 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/9/23 22:51:48) デジタル時代の消費者保護(2) 事業者との間の構造的格差 立教大学准教授 早川雄一郎 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/9/23 22:51:48) 松木武彦さん死去 62歳 弥生・古墳時代の研究:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/9/23 22:49:03) リンクサイド:島田高志郎「枠組みが良いだけじゃ映えない」 フィギュア東京選手権(毎日新聞, 2024/9/23 22:46:48) 能登大雨で一時孤立した地区…スーパーに1・8mの高さまで泥水、店長「ここで再建するかどうか考えたい」([B!]読売新聞, 2024/9/23 22:46:16) 「動画見れば報酬」簡単な副業で高額請求多発 SNSで広告 相談、3年で2.8倍 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/9/23 22:45:16) 〈エビデンス不全〉国勢調査「聞き取り」怠る 大都市4割、統計法違反疑い 人手頼み曲がり角 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/9/23 22:45:16) デジタル時代の消費者保護(1) ネットで激変した消費生活 立教大学准教授 早川雄一郎 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/9/23 22:45:16) リンクサイド:優勝の佐藤駿 300点「出せなくはない」 フィギュア東京選手権(毎日新聞, 2024/9/23 22:39:42) 働く高齢者、最多の914万人 昨年、4人に1人が就業 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/9/23 22:36:12) 身近な「溝・隙間」注意 高齢者、車いす転落や脱輪 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/9/23 22:36:12) 中国外務省、「反日」投稿取り締まり求める日本側に反発「中国に仇日教育はない」([B!]産経新聞, 2024/9/23 22:33:32) 京都橘、京都両洋などが全国へ「いつも以上」関西マーチングコン高校(朝日新聞, 2024/9/23 22:31:48)
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harukichi-0514 · 2 years
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残り数時間。#子育て #姉妹 #4歳差 #田舎暮らし #イクメン目指す #育児日記 #7歳女子 #2歳女子 #ことしものこりわずか #皆さんありがとう #来年もいい年になりますように #よいお年を https://www.instagram.com/p/Cm1ArD3PaNa/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ekcnk · 11 days
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夏休みだよ7月8月
2022年8月22日
今週から学校に行き出したりいろいろ始まりますが ほぼ2ヶ月夏休みでした。 子どもたちが休みでもなんか仕事はあるのかな と思っていろんな先生に確認したんですが 「学校はない」 「先生もみんな休み」 「誰も来ない」 「学校閉まる」 と言われたのでお言葉に甘えて普通に休んでました。 (なんなら私成績処理ないから早めに休みにしてくれた説ある)
休み中は国内旅行に行ったり子ども向けのイベントを見学したりしてました。
絵本の読み聞かせ
Storytelling と英語で書かれててへー。となりました。 私が学んだとこでは読み���かせとストーリーテリングは別物だったので。あと素話とか。 『子ども文化財』の大切さみたいなことを改めて感じてます。 ちなみにアラビア語だと عرض حكايات とか عروض الحكي とかになる…?
子ども向けイベント
この写真を見てると「理解と創造は驚きにはじまる」という言葉を思い出します。 首都にあるカルチャーセンターでのイベントに行ったら受付で「子どもはいないの?あなたたちだけなの??」 と聞かれました。(このときは入れた) 後日childrens museumに行ったときも同じことを言われて しかも夜間解放のイベントで人手が足りないという理由で入場できませんでした。 (受付スタッフはとても頑張ってくれてた)
任地のカルチャーセンターにも見学に行ったりしたんですが こういうとこは絵画教室やってるし
カンディンスキーとか
パウル・クレーとか飾られてて そういう施設を経営するような人たちはアートとか児童画とかわかってるよね…? となりました。 もしかして:日本より進んでる ヨーロッパ近いしイギリスの影響受けてたしね
夏休み前から思ってたんですが 要請内容として『美術の教育普及』があるんですが、少なくとも美術の教育普及はそんな優先しなくていいかなと (美術と美術教育となると話は別)
ちなみにプログラミング教室もやってる模様
いろんな人と話してみた 偉い人の呼びかけで、この国で幼児教育、初等教育に関わっている人たちとお話しする機会がありました。 協力隊員が関わる現場レベルではなかなかわからない話が聞けて興味深かったです。 偉い人が「とはいえ日本の教育が100%良いものなのか」とおっしゃってたことが1番嬉しかったです。 あと「美術のアシスタント教員として派遣されてるけど美術の先生いないんすよ」 って言ったらみんなに同情されました。 なんならOVさんにも同情されたので、そんなもんとして片付けようとしてるの本当に某所だけ説。
あと個人的に折り紙を愛してるヨルダン人とお話ししました。 「日本だと3、4歳でできることがこの国の子ども達にはできない。」 という現状をよく認識されていたし 「まあでもشوي شوي,stap by stepだよね」 という言葉が聞けてとても嬉しかったです。 (こっちの人は基本その意識がない)
そもそもアートってなんなんでしょうね これまでも薄々感じていたことですが この国はお金さえあればいくらでも「アート」を体験できる。 けれどもお金を出して体験することだけが「アート」なのか どちらにせよ 確かに脆弱層への支援が必要なんだろうけど それは果たして外国人ボランティアがしなければできないことなのか みたいな気持ちにもなりますね。
あとものすごく個人的なことを言うと『格差と美術』て院での研究テーマど真ん中すぎてそわっとしました。
普及活動とは 周りの方が気を使ってくれて前任の方とコンタクト取ることができました といってもすでに5年くらい前に活動されてた方だしコロナもあったし昔やってたことそのままやってもね。という気持ちもあるんですが 『〇〇や××などで学校運営組織トップへの普及活動も行なっていました。』 と言われてあ、普及活動ってそっち向けのやつなんだ?となりました。
SNSどうしよう SNSの使い方をもう少し考えたいなあ。 という気持ちになってます。特にこのnote。 昔の経営陣のやらかしとか知ってるうえに なんとなくで使い続けるほどのメリットも感じてないので かといってめんどくさくてそのままかもしれんし
という感じでほぼ2ヶ月の夏休みも有意義の過ごせたのか過ごせてないのかよくわからないまま新年度です。
まずは週一回(のはず)の美術の授業をきちんと運営できるようにしたい。
いんしゃあっらー
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getrend · 28 days
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【7歳差育児の恩恵】小1・中2の兄弟の「尊すぎる通学風景」が最高だから見て…!
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kennak · 1 month
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東京都は2024年8月2日、「少子化対策の推進に向けた論点整理2024」を公表した。若年層や子育て世代の都民1万人以上を対象に実施した意識調査の結果をもとに、「出会い・結婚」から「社会気運・環境整備」まで各ライフステージの現状を分析。シームレスな支援を実現するべく、来年度(2025年度)予算に向けた政策検討における課題を整理している。  「少子化対策の推進に向けた論点整理」は、最新のデータや都民への意識調査、有識者の意見などをもとに、少子化の背景や要因を丁寧に分析し、来年度予算に向け政策検討における課題を整理したもの。2024年版では、都内在住の若年層(18~29歳)および子育て世代(30~49歳)の男女1万人を対象としたアンケートと、計60人を対象としたグループインタビューを実施し、結果を論点整理に反映している。  社会経済の存立基盤を揺るがす少子化は日本全体で急激に進行しており、東京都の2023年度の合計特殊出生率は0.99と過去最低を記録。初めて1.00を下回る事態となった。生涯未婚割合も大きく上昇しており、東京都では50歳時点で、男性の約3人に1人、女性の約4人に1人が結婚経験がない状況にある。  こうした状況を踏まえ、望む人が安心して子供を産み育てることができる社会の実現に向けて、東京都は「出会い・結婚」「妊娠・出産」「子育て期の支援」「教育・住宅」「就労環境・職場環境」「社会気運・環境整備」の6分野の現状分析調査を実施した。  未婚者(18歳~29歳)のうち、65.4%は「結婚願望あり」と回答したものの、恋人との交際を望む人の55.8%が「積極的に活動を行っていない」と回答。結婚等に向けた活動では「マッチングアプリ/サイトの利用」57.0%がもっとも多い。  妊娠・出産にあたってはさまざまな不安があり、出産費用の軽減や産後ケアの充実、不妊・不育症の検査・治療など、経済面から身体面・精神面まで幅広い支援を求める声があがっている。東京都の出産費用は全国で唯一60万円を超えており、もっとも低い熊本県との差は約24万円にものぼる。晩婚化により晩産化も緩やかに進んでおり、不妊治療など生殖補助医療についてもサポートの必要性が高まっている。  子育て期を通じた支援のうち、保育の待機児童はほぼ解消。2023年4月時点で286人まで減少している。一方、学童クラブは実際の開所時間と理想の開所時間に乖離が生じており、利便性の向上やサービスの充実が求められている。  そのほか、教育費や住居費の負担の大きさ、若年層や子育て世帯が将来展望を描ける就労・職場環境整備の必要性、子育てに関する社会の理解促進と社会全体でサポートする気運醸成の重要性などについてまとめている。  東京都では調査結果を踏まえ、少子化対策のさらなる充実に向けた、今後の政策検討課題を整理。分野ごとの現状・分析や都の特性などを踏まえ、より実効性の高い施策を構築するほか、結婚から妊娠・出産、子育てしやすい社会の実現に向けて、政策分野ごとに、支援のあるべき方向性について多角的に検討するとしている。
東京「少子化対策の論点整理」都民1万人超の調査結果を���映 | リセマム
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hegotthesun · 1 month
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『龍馬が通る!』
~明治維新と欧米化~
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■2012年6月9日 - 高知にて撮影
■坂本龍馬 - Wikipedia 1836年に坂本龍馬は、土佐藩下級武士の次男(末っ子)として生まれた。子供の頃の龍馬は泣き虫で、周りの友達によくからかわれていたそうな。
12歳の頃、龍馬は塾に通い始めたが、上士の同級生と喧嘩をして喧嘩両成敗という名目で父に塾をやめさせられた。その年に母が亡くなり龍馬は継母の伊与(いよ)に教育を受けた。
家族の中で龍馬と最も仲の良かった三歳年上の姉・乙女(とめ)と、よく二人で「ヨーロッパ」というあだ名を持つ“川島猪三郎”(いさぶろう)の家に遊びに行き、欧州の話を聞かされていたのだとか。
龍馬が姉の勧めで剣術を習い始めると、その天賦を早くも発揮し始めた。
1853(嘉永6)年に、龍馬は18歳より剣術を学ぶ為に江戸に留学。その時、偶然にもアメリカ合衆国より艦隊を率いたマシュー・ペリー提督の黒船が来航し、藩の命令で品川の警備を命じられた龍馬もそれを間近に見る機会があったのだ。
黒船のあまりの大きさに龍馬は慄きながら、同時に「日本の剣術では海外とは渡り合えない」と即座に覚り、龍馬は西洋式の技術を学ぶことを決意した。
江戸時代の町人は「江戸が最も文明の発達した国」と考えていた。しかし、この黒船来航により、西洋の文明が予想以上に進んでいると流石に気付くことになった。
ペリー提督が提出した開国の要求書は「漢文」「オランダ語」「英語」の三種類で書かれたもので、貿易で馴染みのある漢文とオランダ語に関しては解読できたが、当時の日本人にとって英語だけは見慣れない文字だったようだ。
ちなみに「オルゴール」はオランダ語(英語ではミュージック・ボックス)だが、これは鎖国時代もオランダから来る商船は受け入れていたため、江戸にオルゴールが持ち込まれた際そのままオランダ語で定着したもの。
また、鎖国の背景にはオランダが日本貿易を独占するため、スペインやポルトガル等の《カトリック教》の国が日本植民地化の意図を持っており、危険であることを徳川幕府に助言していた事情もあるようだ。
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▲「キリスト教を信仰しない異教徒は野蛮」として先住民を大量虐殺するスペイン軍
戦国時代の時点で日本はヨーロッパ全土の火縄銃を上回る数の銃を保持する残虐非道な戦闘部族という評判もあり、当時は「太陽の沈まない国」と呼ばれ、世界全土を次々に植民地支配して君臨したスペインさえも警戒して日本侵攻に至らなかったのだろう。
そうして、今の幕府では日本を護れないと考えた龍馬は「打倒、江戸幕府」を掲げ奔走することになる。
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安政元年(1854年)6月23日、龍馬は15か月の江戸修行を終えて土佐へ帰国。在郷中、日根野道場の師範代を務めながらも、絵師“河田小龍”宅を訪れて国際情勢について学び、海運の重要性について説かれて大いに感銘し、後の同志となる“近藤長次郎”や“長岡謙吉”らを紹介されている。
27歳で脱藩した後に幕臣・勝海舟を訪ね、海軍を作ってアジア諸国と連帯するという話を聞いた龍馬は、そのスケールの大きさに感激し、海舟の弟子となって神戸海軍操練所の創設の為に行動を起こした。
その後、1864年以降に何度か長崎を訪れ、慶応元年(1865年)に幕府機関である神戸海軍操練所の解散に伴い、薩摩藩や商人(長崎商人小曽根家など)の援助を得て、長崎の亀山に日本初の会社となる「亀山社中」が結成された。
ちなみに"西郷隆盛"の勧めにより日本で初めて新婚旅行をしたのは坂本龍馬だが、その時の出来事をイラストも交えて手紙に書いて姉の乙女に送り続けたらしく、連絡がマメな龍馬の手紙は実に130通以上も残っているという。いやはや、驚愕である……。
ところで1841年にアメリカ合衆国を目指して航海中だった"ジョン万次郎"は、生まれて初めて世界地図を見た時に、世界における日本の小ささに驚いたという。
このように大きく広い世界の中の「小さな自分」に気付くことは、客観的に自己認識することに直結する。世界地図による世界認識の拡大=地理教育は、人々の視野を広げ、人を積極的な思考に変える力を持つのだろう。
ちなみに坂本龍馬の逸話として、初めて世界地図を見せられた時に「日本はどれだと思う?」と問われ「これが日本じゃろう!」とアメリカ大陸を指さしたという話がある。 黒船来航の前にペリーは琉球王国と交流し、江戸幕府の情報を収集しており、それにより江戸との開国交渉に至った。当時は鎖国していた江戸と異なり、琉球王国は長崎や神戸と同様に欧米・日本・中国・韓国・東南アジア等を相手に貿易を行う東洋経済の中枢だったのだとか。
ある日、坂本龍馬は「土佐の海が世界に通じていると思うと愉快ぜよ」と語ったという。
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欧米化について
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日本の近代化、つまり西洋化は「明治維新」より本格的に始まりました。
西洋化の手始めに、まずはヨーロッパ(特にドイツとイギリス)の言語、及び学問が片っ端から翻訳されましたが、現代の日本において馴染みのある「技術水準(technical level)」「概念(concept)」「哲学(philosophy)」「芸術(art)」「愛(love)」「変態(abnormal)」等の単語は、当時の日本語に該当する語彙がなく、この翻訳過程で新たに作られた語句でありました。
夏目漱石は英語、森鴎外はドイツ語の翻訳に貢献しました。
当初の日本では病院のカルテはドイツ医学に則り、ドイツ語で書かれていたのは有名でしょう。
たとえば「技芸」や「恋」等の単語は江戸時代の日本にもあったようですが、「芸術(art)」や「愛(love)」は本来の日本語にはなかった語彙なので、上辺だけは理解したふりをできたとしても、これらの概念や価値観が日本男児にとって根深く馴染まない根本的な理由が、遺伝子と文化的な要因にあると解釈できるのではないでしょうか。
明治維新以降、日本政府は先進国(白人の国々)の技術水準に比肩したいがために西洋化を推し進めてきましたが、「アキレスと亀」という詭弁があるように、追い続けるだけではどこまで行っても追い抜くことはできないと慮る次第であります。
medicine (西洋)医学 physics 物理学 philosophy 哲学 geography 地理学 psychology 心理学 economics 経済学 politics 政治学 mathematics 数学 chemistry 化学 biology 生物学 astronomy 天文学 ethics 倫理学 archeology 考古学 linguistics 言語学
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森鴎外
"森鴎外"は、夏目漱石と並び「明治の二大文豪」と称される作家です。ドイツ語の翻訳家としても活躍し、西洋文化を感じられる作品を手掛けました。
当時の日本社会や思想を客観的に描写した物語も多くあり、見識の広い森鷗外ならではといえます。
森鴎外がドイツ留学の実体験をもとに書いた日本人留学生とドイツ人女性の非恋『舞姫』は森鷗外の代表作です。
森鷗外の作品は古文で書かれたものが多く、さらに文中にフランス語やドイツ語が織り交ぜられるなど、格調高い文体が特徴。
西洋文化を取り入れた言葉や文体は、後の多くの作家に影響を与えました。
夏目漱石『吾輩は猫である』
日本の教員・小説家・英文学者"夏目漱石"の著書「吾輩は猫である」読了後、どうしても腑に落ちなかった点があります。
それは主人公の吾輩君が最後は酩酊して水瓶に落ちて溺死することに他なりません。
『吾輩は猫である』は、明治維新以降の急速に西洋化する日本を猫の視点から描いた風刺・滑稽噺ですが、それにしてもこの終わり方は死を美化する日本文化の象徴とも言えなくもありません。
また、私が二十代の頃に読んだドストエフスキーと比較して、日本文学はロシア文学より劣っているのではないかと落胆したこともありました。
しかしながら夏目漱石が三十代の頃に国費で英国留学したものの人種差別に遭い、己の醜さから鬱になり自室に引きこもっていたら、「外に出て自転車にでも乗ったらどうだ」と勧められて自転車に乗る猛特訓をしたのに、結局は乗れなかったという訳の分からない滑稽なエピソードを読んで、どうしても夏目漱石を嫌いになれず、吾輩君の死も無駄には思えなくなりました。
きっと吾輩君は読者諸君の心の中で生き続けているのである。
それはさておき、推奨されるがままに始めた自転車の猛特訓中に"英国紳士"から「チン・チン・チャイナマン!」と侮辱された夏目漱石も、日本に居た頃は自他共に認めるほど容姿がいい部類だとされながらも英国の街を歩いた際に「背の低くて醜い奴が歩いていると思ったら、硝子窓に映った自分の姿で落胆した」とのこと。
それでも"英国淑女"からは「ハンサム・ジャップ。ご一緒にサイクリングでもいかがかしら?」と誘われたので、「怒るべきか喜ぶべきか悩んだ」と悲痛な葛藤を手記に残していたそうな。
日本の英文学者で初めて英国に渡航した上で、有色人種に対する人種差別を体験した夏目漱石ですが、江戸時代末期に生まれた上役達には、このような人権にかかわる諸問題についての理解は当然ながら及ばなかったのだと慮る次第であります。
ちなみにスマホや腕時計もない明治以前の日本人にとって、例えば「2時集合」とは「大体2時~3時までの間に集合しよう」というウチナーのような寛容なニュアンスでしたが、鉄道の運用が開始されてから新聞などで大々的に「文明社会にとって時間の厳守は重要」と宣伝され、そうして現代の「5分前集合」が浸透したようです。
「おはよう」と「さようなら」の語源
「おはよう」の語源は、「今日もお早うございます」の略なのは有名です。
海外で最も有名な日本語の「さようなら」の語源は、「左様ならば、これにて御免」というお侍さまの別れの挨拶の略です。
今もなお、お侍さまの語感が残されるとは、まさに《武士道》の本場だからだといえるでしょう。
ちなみに"I Love You"を中国語で言うと、英文法と品詞の並びが一致する"我爱你"(ウォー・アイ・ニー)になるようですが、日本語だと“私はあなたを愛してる”と非常に多くの文字数を消耗するので140文字以内に収めるのも困難かと慮る次第です。
いずれにしても、中国の"爱"には心がありませんが、日本の"愛"には友がおりません。
ステレオタイプの欧米のように、"愛と友"に恵まれないものでしょうか……?
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「です」の変遷
◆江戸時代からあった助動詞「-でござる」「-でござります」は次第に「-でございます」に変化し、さらに明治時代に「-であります」から「-である」に縮まり、そうして現代の「-です」に落ち着きました。
一人称の「吾輩」は「私」のへりくだった言い方。 明治時代から活用され始めた「-である」は「-であります」の略。
つまり「吾輩は猫である」を現代風に書くと「わたくしめは猫であります」というへりくだった言葉使いになります。
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芥川龍之介『あばばばば』
大正時代の文豪"芥川龍之介"著『あばばばば』という短編があります。この小説を読んで、情緒を感じて芥川龍之介を見直した思い出があります。
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ある日のこと、学生の保吉は行きつけの煙草屋に足を運びました。ところがいつもの店主の親父の姿はなく、代わりに若い女が店番をしていました。 不慣れなのか彼女は恥ずかし気な初々しい接客で、注文とは違う煙草を取り出して赤面してしまうほどでした。 その後いつ行っても彼女が店番でしたが、応対はつかえ、品物は間違え、時々赤い顔をされました。しかし、保吉はだんだん彼女に好意を感じたようです。といっても恋愛感情ではなく、いかにも人なれないところに気軽いなつかしみを感じたとのこと。 ところがある日から突然、彼女が姿をくらまします。わざわざ不愛想な店主の親父に行方を尋ねるわけにもいかず、その後は何事もなく過ごしました。 それからさらに歳月の流れた後、大学の授業(英語講演会)のあと煙草屋の前を通ると、両手に赤子を抱えた若い母親がいました。 「あばばばばばば、ばあ!」 現代でいうところの「いない、いない、ばあ!」の意です。 女は店の前を歩き、面白そうに赤子をあやしています。そうして保吉と目が合いました。保吉は赤面する彼女を想像しましたが、しかし彼女は澄ましたままでした。のみならず、揺り上げた赤子に目を移すと、人前も恥じずに繰り返し「あばばばば」とあやしたのです。 「女はもう『あの女』ではない。度胸の好い母の一人である。一たび子の為になつたが最後、恐ろしい『母』の一人である」
そういえば、子供の頃に常連だった個人サイトのチャットでよく「あばばばばば!」と書くお調子者がいましたが、元ネタが芥川龍之介だと気付くのに十数年ほどかかりました。
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作家を大きく分けると、毎回異なる性質の登場人物が多種多様な物語を繰り広げるシェイク・スピアタイプと、毎回同じような登場人物が同じような問題に直面して一つの題材を深く掘り下げて行くドストエフスキータイプに大別できるようです。
ドストエフスキー著  『カラマーゾフの兄弟』
『カラマーゾフの兄弟』◆あらすじ ある日の朝、修道院の見習い僧侶"アリョーシャ"(アレクセイのあだ名)のもとに、14歳の"リーズ"(リーザ)という車椅子の少女が訪れました。リーズはここ最近に病を患い車椅子に乗っていますが、修道院の長老から治療を受けて順調に快復に向かっていました。 アリョーシャは子守りとして、二年前にリーズと接したので久しぶりの再会でもありました。 再会 リーズは事実、ずっと悪戯に夢中だった。彼女はアリョーシャと顔を合わせた時から、彼が自分を見るとひどくどぎまぎし、なるべく目を合わせないようにしているのに気付いた。彼女はそれが面白くて、相手の視線をとらえようとじっと身構えていた。 するとアリョーシャは、自分にそそがれる視線に堪えきれなくなり、自分からふいにリーズにちらりと目をやると、彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、彼の方をまっすぐ視線を向けてくるのだった。 アリョーシャは、またどぎまぎして、ついにリーズからすっかり顔をそむけて修道院の長老のうしろに隠れた。しばらくして自分を見ているのか確かめると、彼女は車椅子から身を乗り出すようにして、こちらを振り返るのを一心に待ち受けているのがわかった。そうしてアリョーシャの視線をとらえるとまた大声で笑った。 それを見た長老がリーズを注意すると、彼女は顔を赤らめ、きらりと目を輝かせ、真面目な顔つきになった。そして今度は熱っぽい訴えをこめて、早口で話し始めた。 「どうしてアリョーシャはぜんぶ忘れちゃったの? 前は小さなあたしを抱っこしてくれたり、一緒に遊んでくれたりしたのに。だって、あたしに読み書きを教えてくれたのはアリョーシャよ。二年前にさようならをした時に、アリョーシャは『ぼくたちは永遠の友だちだよ。永遠の友だちだからね。ぜったいに忘れないから』って言ってくれたわ。なのにあの人、今になって急にあたしのこと怖がり出して。あたしがあなたのこと、取って食べちゃうとでも思ってるのかしら? どうしてそばに寄ってくれないの、どうしてお話してくれないの? どうしてうちに来たがらないのかしら」 リーズはこらえきれなくなって顔を手で覆うと、急にはげしく笑い出した。長老が話を聞き終えると優しさをこめて十字を切った。 すると今度は彼女がいきなり泣き崩れたのだった。 リーズの手紙 その日の夜に、アリョーシャが道中でリーズの母の使者から手渡された封筒を開くと、そこには「リーズ」と署名のある手紙が入っていた。 「アレクセイさま。誰にも内緒でこの手紙を書いています。ママにも、わたしの心に生まれたこの���持ちを告げずに、わたしもわかっているつもりです。でも、わたしの心に生まれたこの気持ちを告げずに、わたしはもう生きられないんです。このことはわたしたち二人以外は、その時期が来るまで誰にも知られてはいけません。でもわたしの気持ち、どうやってあなたにお伝えしたらいいでしょう? 便箋は赤くならないって言いますよね。でも本当を言うと、それって嘘なんです。便箋だって、わたしと本当に同じように赤くなるんです。 大好きなアリョーシャ、あなたを愛しています。小さい時から、ずっと好きでした。あなたが今とはまるで違っていたモスクワ時代から、ずっと好きでした。わたし、あなたを心の友って決めたんです。あなたと一緒になって、年を取って、一生を伴に終えると。もちろん、修道院から出ていただくことが条件ですわ。年齢のことを言うと、わたしたち、法律で許される時まで待ちましょう。それまでにわたしも必ずよくなって、ちゃんと歩けるようになるし、ダンスもできるようになります。そんなこと当然ですよね。これでわたしがずっと何を考えていたかおわかりになったでしょう。ただ一つだけ、わからないことがあります。この手紙を読んだら、あなたはわたしのことをどう思うのかしら。わたしはいつも笑ったり、ふざけてばかりいるんですもの。今朝もあなたを怒らせたでしょう。でも本当を言うと、こうしてペンを執る前に、わたし聖母さまの像にお祈りしたんです。そして今もお祈りをしながら、ほとんど泣き出しそうなんです。 わたしの秘密はもうあなたの手に握られてしまいました。明日おいでになった時、どんなふうにあなたにお目にかかったらよいか、わたしにはわかりません。アレクセイさま、わたしまた馬鹿みたいに自分が抑えられなくなって、今朝みたいにあなたを見つめるうちに、吹き出したりしたらどうしよう。だってあなたはわたしのことを、いやらしい冷やかし屋って思うでしょうし、この手紙だってまともには受け取ってくださらないでしょうから。ですからお願いがあるんです。もしこのわたしをかわいそうって思ってくださるなら、明日わたしの家にいらっしゃった時、どうかわたしの目をあまり見つめないでください。だってわたし、あなたと目が合ったらぜったいに笑い出してしまうし、おまけにあなたはあんなに長い服を着ているし……今でもそのことを考えると、体が冷たくなってしまうくらいなの。ですから家に入ってくる時は、わたしのことはしばらく見ないでくださいね。ママか窓の方を見てくださいね。 わたしとうとうラブレターを書いてしまいました。ああ、なんてことをしてしまったのかしら! アリョーシャ、どうか軽蔑しないでくださいね。何かひどく馬鹿なことをしてあなたを怒らせても、どうか許してくださいね。こうしてわたしの秘密はあなたに握られてしまったのです。わたしの評判は、もしかしたら永久に地に落ちてしまったのかもしれません。わたし、今日はずっと泣いてしまうでしょう。さようなら、次のおそろしい出会いまで。 P.S. アレクセイ、ぜったいに、ぜったいに、ぜったいに来てくださいね! リーズより」
あとがき
その後、アリョーシャとリーズがどうなったのかは、各自でドストエフスキー著『カラマーゾフの兄弟』を読むか、グーグル検索をしてご確認くださいませ。
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自己実現や己の幸の為もあれば、自己犠牲を冒してまで目的を成す為に時間・労力・生命を捧げる者も居ます。人は生まれた瞬間から死を迎えることが確定しています。どれほどの富や名声を得ても最期を迎えれば遺産相続者が居なければ「財産はすべて銀行の資産」となります。
誰もが"エジソン"並みの発明王である必要はないし、"レオナル・ド・ダヴィンチ"ほどの叡智が必要な訳でもありません。誰か一人が発見して突破口を拓けば後続が可能なのだと思います。
どこかには人々を導く為に生まれた者も居るのでしょう。
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■2012年6月9日 - 高知にて撮影
《和》の中に《個》はあるから、どちらか一方を尊重するべきか独断は出来ません。
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someones-voice-2021 · 3 months
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#06 キアラ・コマストリ
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一日の流れ
朝は8時すぎに起きます。朝ご飯を食べて支度をして、9時にベビーシッターが来て、子どもを公園か児童館に連れて行ってくれるので、その間に私も家の片付けなどをします。子どもがまだ夜中に起きてしまうことがあるので、私は朝お風呂に入ることにしているんです。そうこうしているうちに11時ぐらいになるので、数ヶ月前から借りている駅の近くのシェアオフィスに出かけて、17時くらいまで博士論文の執筆をしています。
ベビーシッターが18時までなので、スーパーで買い物をして18時には家に戻ります。18時半ぐらいに子どもをお風呂に入れて、19時に晩ごはんを食べます。ヤマ(夫)が20時くらいに帰ってくるようであれば、私はヤマを待って子どもに先にご飯を食べさせますが、ヤマの帰りが遅い日は子どもと一緒に私も��飯を食べます。
子どもは今1歳半で、ちょっと前までは私が何かやっていても一緒に遊んでほしいという感じで何もできなかったんですが、最近はひとりで遊ぶことに慣れてきたので、その間に簡単な料理はできるようになりました。晩ごはんが済んだら、大体21時半から22時に子どもを寝かせて、私もちょっと片付けをして23時ぐらいには寝ますね。ヤマは土日に自分が企画する音楽イベントが入っていることもありますが、基本は休みなので、特に予定がなければ家族でご飯を食べに行ったり近所を散歩したり、シンプルな感じで過ごしています。
ここ数年はいろんな変化があって、ルーティンが頻繁に変わったんですが、昨年11月ぐらいにベビーシッターが決まって、小さな個室ですけどオフィスを借りてからはこんな感じのルーティンに落ち着きました。保育園がなかなか見つからなかったんですが、幸い杉並区は保育園に入れなかった子でも、空きがあれば保育園と同額でベビーシッターのサービスを利用できるんです。普通は朝から晩までベビーシッターを雇うなんて経済的に無理ですが、サービスのおかげで助かりました。来月からは子どもが保育園に行くので、オフィスは解約して家で論文執筆をする予定です。子どもにとっても新しい生活になるので、大変な時期もあるかもしれませんね。
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生い立ち
私が育ったのはイタリアのボローニャというところです。イタリアの北のほうにある中世の街で、すごく良いところです。人口は60万人ぐらいで、日本の地方都市のような感じですね。母親が小児科医で、生まれたときは母の仕事の関係でボローニャから少し離れた街に住んでいましたが、小学校にあがるときに、子どもにとってもっと刺激がある場所のほうがいいんじゃないかといって、ボローニャに引っ越しました。
小学生のときに父と母が離婚をして、父とは離れて暮らすことになりました。それでも父との関係はそんなに悪くなくて、別れてからも頻繁に父が遊びに来ていたんですけど、私が10歳ぐらいのときに母に好きな人ができたんです。相手の男性には私と同い年の男の子がいて、中学に上がる頃には一緒に暮らすようになりました。父からしたら新しい家族に娘をとられたようですごく落ち込んでしまって、以前のようには会えなくなってしまいました。私自身も母をとられたという思いがあったし、父の苦しみを感じる一方で、父に捨てられたんじゃないかとも感じていました。
大人になった今はいろいろ理解できるけど、当時は子どもだったから何が自分を苦しめているのかよくわからな��て、結構大変な時期でした。自分に自信がないとか、人から嫌われないか不安に思ってしまう性格は、この頃の経験が影響しているんじゃないかなと思います。でも、相手方のおじいちゃんやおばあちゃんたちは、私たちを新たな家族として歓迎してくれたし、楽しいこともたくさんありました。高校に上がる頃には、父親との関係もだんだんと回復していって、今では、全然性格の違うお父さんが二人もいてラッキーだったなと思えます。
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日本語に魅せられて
15、16歳のときにMTVというテレビ番組で日本のアニメが放送されていて、本編はイタリア語の吹き替えなんだけど、主題歌は日本語のままなんですよ。それで初めて日本語を聴いて、響きが面白いと思いました。日本に行ったこともなければ、日本人の知り合いがいたわけでもないのに、とにかく日本という存在に惹かれたんです。母親に日本語を勉強したいからテキストを買ってくれといって『日本語入門』みたいな本を買ってもらいました。母は「もちろんいいけど、突然どうしたの?」ってびっくりしていましたね。
アニメが好きというよりも、日本語という言語にすごく興味があったので、最初はJ-POPの歌詞でひらがなや漢字を勉強しました。ひとつの漢字にいろんな読み方があるとわかったときには、さすがにこれはちょっと難しいかもと思いました。でも誰かに言われて始めたことではないし、テストがあるわけでもないし、何より楽しかったですね。学校の友だちにも「何してるの?」って不思議がられましたけど、自分の好きなこと、やりたいことがあって本当に良かったなと思います。
通っていた高校のすぐ近くに本屋があって、そこで日本語レッスンがあることをチラシを見て知りました。イタリア在住の日本人女性が教えていて、私以外の生徒はみんな社会人でした。最初は4、5人の生徒がいたんですが、みんな仕事が忙しくて最終的に私一人になってしまって(笑)。それでは本屋としても成り立たないから、プライベートで先生に習うことになりました。週末の午後、先生の家に行って日本のニュースを一緒に読んだり、ドラマを見て理解できなかったフレーズについて教えてもらったりしながら日本語を勉強していきました。
イタリアでは、ヴェネツィア大学に日本語学科があることで有名で、高校を卒業したら絶対そこに行きたいと思って進学しました。大学では、特に日本文学の授業が面白かったですね。先生は江戸時代の文学の専門家で、イタリア人の女性でしたが、私もこの人みたいになりたいと思いました。江戸時代の読本(よみほん)とか、日本の古代から現代までのいろいろな本を見せてもらいました。日本語がどのように形成されたかを学ぶのも面白かったです。ひらがなも漢字から来ていて、中国からどの時期に日本に入ってきたかで読み方が違うとか、いろんなレイヤーがあるのが魅力的でした。高校時代は早く日本語の勉強をしたいと思っていたから、やっと自分の好きなことができる、もうそれだけをやればいいんだ!って夢みたいな世界でした。
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日本で学ぶ/山代巴との出会い
日本にはじめて行ったのは高校5年の夏です。2007年だったかな。イタリアは小学校が5年、中学校が3年、高校が5年、大学が3年制なんです。高校は入学するよりも卒業するほうが難しくて、最後にある「Maturità」(日本語で「成熟」を意味する)という試験がすごく大変なんです。子供時代を終えて大人になっていくという��うな意味ですけど、今でも友だちと「あれは大変だったね」と話します。その試験が6月に終わって、高校を卒業した7月か8月に日本に行きました。家の近くの旅行代理店で日本でのスタディトラベルを紹介してもらって、1ヶ月間神奈川県藤沢市の一家にホームステイしながら、東京の日本語学校に通ったんです。
大学2年生のときにも日本に行って、その時はボローニャで日本語を習っていた日本人の先生の家に1ヶ月滞在しました。大学3年生のときには、ヴェネツィア大学と提携していた北九州の大学で日本語の研修をしました。このときは3ヶ月たっぷり日本で暮らせてすごく楽しかったですね。同級生はみんな東京に行きたがったけど、東京は逆にいつでも行ける気がして、私は東京から離れたところに行ってみたいと思って北九州の大学を選んだんです。
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大学を卒業したら日本の大学院に進学するつもりでしたが、日本の文部科学省が外国の学部生を対象にしている奨学金に応募したら運良く受かったんです。それで、ヴェネツィア大学の卒業を遅らせて、1年間広島大学に通うことにしました。そこでの経験を経て、やっぱり日本の大学院に進学したいと強く思ったんです。今度はまた別の場所に行ってみたいと思い、大阪大学の大学院に進学することにしました。
ただ、何か研究したいことがあって進学したわけではなく、日本でいろんな経験をしていろんなことを学びたいという感じだったので、研究テーマが全然決まりませんでした。何にしよう、何にしようと一生懸命本を読んでいたら、あるとき図書館でたまたま作家・山代巴(やましろともえ)の本を見つけたんです。山代巴のことは広島大学時代に知っていたんですけど、そのときまで忘れてしまっていました。
それまで自分が読んでいた太宰治や三島由紀夫はマッチョな文学というか、貴族的な都市の文学だったんですね。だけど、山代巴は田舎の農村女性の暮らしを広島の方言で描いていて、古いしきたりのある村社会の問題であるとか、辛い差別であるとか、山奥の村の悪いところを描くと同時に、自然と人間の関係といった良いところも描いているんです。その場所の記憶が保存されていて、初めてこういう日本に出会えた気がしてすごく新鮮でした。
イタリアはもともと農民の国で、戦後に高度経済成長があって、歴史的に日本と似ているところがあるんです。私のおばあちゃんたちも畑だらけのところで育っていて、いろんな話を聞いていたから、山代巴の描く女性たちと自分の祖母の姿が重なった気がしました。母方の祖母は、戦時中にファシストと闘ったパルチザンでもあって、山代巴も戦争に抵抗したことで捕まって刑務所に入れられていたから、そこも重なったんだと思います。日本語に惹かれたときと同じで、とにかく山代巴という存在に惹かれて、彼女のことを研究したいと思いました。それで、今日までずっと山代巴のことを研究しています。
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英語で研究を伝える
大阪大学で山代巴についての修士論文を書いた後、このまま大学に籍を置き続けることも考えました。でも、その頃の自分には英語が得意ではないというコンプレックスがあったんです。大学には英語圏からの留学生もいたんですけど、英語で話しかけてくる人を避けていたんですよ。私は日本語を学びたいから、日本人とだけ交流できればいいって。でも自分の研究の面白さを英語で伝えられないのは問題だと思ったんですね。
悩んだ結果、27歳のときにワーキングホリデーでオーストラリアに行きました。英語学校に通いながらレストランとかで働いたんですけど、やっぱり自分は勉強がしたいんだということを再確認したんです。それで、イギリスのオックスフォード大学でもう一度修士課程に入って、今度は英語で山代巴についての論文を書きました。その後もやっぱり阪大に戻ろうか、いや就職しようかと悩んだんですが、応募した奨学金に受かったので、オックスフォードで博士課程に進むことに決めました。それが2018年の終わりぐらいです。
英語圏では、自分の研究を大きな文脈に置いてみたらどう見えるかという視点で考えるんですよ。それは日本と決定的に違うところですね。もし日本で研究を続けていたら、「戦後日本における山代巴の文化運動」といったテーマで論文を書いていたかもしれませんが、英語圏ではそれだけでは意味が通じないというか、「語り」や「ケアの視点」、「エンパワメント」や「女性の問題」といったテーマとつなげて広い視野で語る必要があるんです。それで私が最終的にたどり着いたのが「戦後民主主義」の問題でした。博士論文では、山代巴が考えていたデモクラシーと、戦後20〜30年にわたる民主化の関係を評価しようと試みています。
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夫との出会い、COVIDの流行、結婚
博論の進み具合は、今75パーセントぐらいですかね……これは悪い意味では全然ないんですが、ヤマと出会ってなかったら今ごろ絶対に書き終わっているんですね。でも、彼との出会いによって自分の人生がまったく違う方向に進みました。出会ったのはオックスフォードの博士課程2年目のときです。アメリカで開かれた「American Asian Studies」という研究会で、たまたま同じ発表を聞いていたんです。ヤマはそのとき仕事で赴任していたブラジルから、私はイギリスから参加していました。それが2019年3月のことです。
彼との出会いは良い意味で自分にショックをもたらしてくれました。これまで出会った人とは全然違って、この人は特別だって思ったんです。出会った翌日には一緒にランチを食べに行って、一日一緒に過ごしました。でも当初はこんなに素敵な人が絶対に独身なわけがないと思っていたんですよ(笑)。それでも、お互いブラジルとイギリスに帰ったあとも連絡を取り続けていました。ヤマはその年の夏休みにイタリアに来てくれると言っていたんですが、それよりもっと早く彼のことを知りたいと思って、思い切って5月にブラジルに会いに行ったんです。ヤマとの時間はすごく楽しくて、彼のことが本当に好きだと確信しました。
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ヤマと出会って1年後の2020年3月には、先ほど言った研究会に参加するために再びアメリカに行く予定でした。当時私は京都で論文執筆のための調査をしていたんですが、その頃からCOVID(新型コロナウイルス感染症)の話が出てきますよね。イタリアではCOVIDの感染が拡大していたために、アメリカがイタリアからの入国を止めていたんです。一方で、ブラジルはまだ感染者が出ておらず、ブラジルからならアメリカに入国できる可能性がありました。ヤマも研究会に参加する予定だったので、それならヤマと一緒にブラジルから参加しようと思って、京都からイタリアには戻らず、ブラジルに行ったんです。結局その後、COVIDが世界的に流行して、研究会自体中止になりましたし、私もヤマもブラジルから出られなくなってしまいました。
イタリアにいつ帰れるのか、そもそもイタリアに帰るのがいいのか、イギリスに帰るのがいいのか、あの頃は見通しが全然立たなかったですね。でもその間ヤマと一緒にいられたのはラッキーでした。彼と暮らしたことで、研究の道を一人で歩く研究者としての自分ではない、新しい自分を発見した感じでした。COVIDのために当面はビザの心配をせずにブラジルに滞在できたのですが、その年の冬にはビザのことを考えないといけなくなり、いろいろ考えた結果、配偶者ビザを取得するのがいいだろうということで、2021年1月にヤマと結婚しました。いずれはヤマと結婚すると思っていましたが、そのタイミングで結婚を決めたのは、COVIDの流行があったからですね。
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妊娠・出産
その後、ヤマのブラジル赴任が終わるタイミングで二人で日本に帰ってきました。それが2021年の11月です。それから数カ月後の2022年2月には、私が妊娠していることがわかりました。オックスフォード大学は産休や育休の制度がしっかりしているのと、COVIDがあったおかげでより柔軟に対応してもらえるようになったので、大学に籍を置いたまま、日本で出産の準備をしながら研究を進めていました。ヤマとの子どもだから出産も二人で経験したいと思って、イタリアではなく日本で産むことにしたんです。
妊娠中も体調は良かったんですが、ひとつ問題だったのは私の母親が小児科医だったことです。母は子どものことに詳しいから「この検査をやらないの?」とか「これも診てもらいなさい」とかいろいろ言うんです。もちろんありがたい面もあるんですが、イタリアでは当たり前にやる検査を、日本ではお金を払ってわざわざ申し込まないといけなかったりすると、「大丈夫なのかな」って不安に思ってしまうこともあって。
今回出産を経験してわかったのは、いろいろ調べすぎるのは良くないということです。ネットで調べれば調べるほど悪いことばかり出てくるんですよ。私のあとに妊娠した友だちにも、不安を与えるようなことは言わないように気をつけようと思いました。不安のループに入ってしまったら最悪だし、お腹の子どもにも良くないですから。
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出産したのは2022年9月です。予定日の1週間前に産まれました。ちょうどイタリアから母親が日本に来た日の朝に陣痛が来て、その日の午後に産まれたんです。COVIDの影響で出産の立ち会いも出産後の面会もできなくて、それは少し残念でしたね。産んでから5日間ぐらいは赤ちゃんとふたりきりで過ごしました。
10月からはヤマも育児休暇に入って、父親としてすごく頑張ってくれました。だけど、私が子どもを完全に彼に任せることができなくて、自分の研究が全然進まなくなってしまいました。思いきり彼に任せてしまえばいいのに、どうしても気になってしまうんですよね。とはいえ、研究も進めないと終わらないので、それならイタリアに行って家族に育児を手伝ってもらおうと思い、2023年3月、子どもが6ヶ月の頃に家族でボローニャの実家に行きました。
実家には母親と母親のパートナーが住んでいるんですけど、友だちも頻繁に遊びに来てくれて賑やかでした。子どもも小さいうちからいろんな人に触れられたおかげで、社交的な子に育っていて、それがとても良かったですね。育児もすごく手伝ってもらって論文も進めることができました。
半年ほどボローニャで過ごして、ヤマの育休が終わるのに合わせてヤマは8月末に、私は9月末に帰国しました。帰国当初は子どもへの罪悪感がありましたね。せっかくイタリアでいろんな人に愛されて楽しく過ごしていたのにって。私自身もいろんな人が手助けしてくれる状態から、ヤマしかいない状況になって、しかもヤマは仕事復帰するので、自分一人になってしまったようで心細かったです。
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一息つける身近な場所
ブラジルから日本に帰ってきたとき、私は全然東京を知らないし、ヤマの職場に通いやすいところと思って、最初からこのあたりで家を探していました。今住んでいる家は静かな住宅街にあって、比較的広めで明るいところが気に入って、私は絶対ここがいいと思いました。子どもができた今は、高層ビルが立ち並ぶ都心より、こういう住宅街のほうがいいなって余計に思いますね。
今日歩いたあたりから家までずっと川がつながっているんですが、子どもがまだ小さかった頃、ベビーカーに乗せてこの川沿いをよく歩いたんです。活発な子どもで、寝るのがもったいないみたいな感じで、なかなかパタッと寝ないんですよね。だけど、ベビーカーだと寝るんですよ。静かでそばに水があって一息つける場所ですね。
今日はちょっと天気が悪いですけど、晴れた日は緑がキレイなんです。妊娠中も運動しないといけないから何度も行き来しましたし、歩きながら論文のことや子どものことを考えたりしましたね。昔から考えごとをしたいときは外に出て歩くんです。特別な何かがあるわけではないけど、自分にとっては身近な場所です。
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仕事と家庭の両立
博士論文の執筆は、いろんなものを読んで研究を掘り下げることによって、自分自身を掘り下げている感じで、私にとってはセラピーに近いんです。今書いている論文の最後の章では、山代巴から影響を受けて出来た広島の女性たちのグループに焦点を当てています。私自身、子どもを産んだことで彼女たちの文章がより深く理解できる気がして、出産前よりも面白く読めるようになりました。出産を経て、自分の問題意識も変わってきているかもしれないですね。
今年の10月に博士論文を提出したら、ポストドクターとして研究を続けるための奨学金に応募しようと思っています。ただ、これから研究を続けるのか、大学の世界に入るのか、それともそこから離れるのか、今はまだ迷っています。本当は子どもがもう一人ほしいんですよね。だけど、どこかで働きはじめてすぐに妊娠してしまったら大変だし、キャリアを進めようと思ったら、最初は不安定な形で働いて、ポストが空いたらそこに移動して……と、頻繁に移動を繰り返さないといけないので、なかなか難しいですね。
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ヤマも仕事をしながら自分のやりたいことを形にしているので、私はそれを応援する形でもいいかなと思うんだけど、それでもやっぱり自分も働かないといけないというプレッシャーはあります。今の時代、女性も働いて活躍するようになって、それはすごく大事なことだけど、子育てとの両立を考えると、いかに難しいかを実感します。保育園に入れたのも、私の学生という身分と結びついていて、私が大学を卒業したら子どもが保育園にいる資格がなくなってしまうんですよ。それもこれから考えないといけないですね。
論文を何度も書いては消し、消しては書き……を繰り返すのは辛いですが、自分が満足できる文章が書き上がったときに、最初は白紙だったことを考えると奇跡だなと思います。何もなかったところに何かがあって、しかもそこに自分自身が出ている。何度も書いて捨ててを繰り返してやっと形になるという意味では、彫刻に近いかもしれないですね。もともと離れて存在していたドット(点)を繋いでロジックをつくっていくのはパズルみたいだなとも感じます。今は文章という形でしか自分をアウトプットできないですが、いずれは音楽や絵といったもう少し即興的なものに触れてみたいと思っています。
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出発点としての博士論文
山代巴が使っている言葉に「民話」というのがあるんですが、当時の農村女性は名前を出して言いたいことを言うことはできなかったわけです。そこで歌とか詩とか、誰かの言葉を借りてそこに自分の思いをのせて伝える方法を山代巴は勧めました。自分の思いを表す際、必ずしも実名でなくてもいい、作り話でもいいと。
言葉が発せられない状況から、言葉が発せられる場作りをする。そのこと自体を山代巴は「民話」と捉えているんですね。戦後民主主義の時代にあって匿名や秘密は封建的で、みんなで明るく話し合うことが良しとされていましたが、農村のコミュニティでそれをやると、発言した本人にむしろ大きい被害がもたらされてしまう。世の潮流と異なる山代巴は反民主的だと言われることもありましたが、彼女はあくまで農村女性の立場に立って物事を言っていたんです。
だからこそ、山代巴の手法は現場で効果がありました。農協の婦人部の女性たちがお金を集めて山代巴の『荷車の歌』という本を映画化しているんですが、本当によくできているので、機会があればぜひ観てみてほしいです。私は山代巴が唱えた「民話」に自分なりの解説を加えて、彼女独自の民主主義を表す新たな概念として、今度の論文で提唱したいと思っています。
よく指導教官の先生が「博士論文は到達点ではなく出発点」と言うんですが、博士論文を書くことでようやく自分の立ち位置が定まるんですよね。優れた研究は「私の研究はこれです」と一言でエッセンスを説明することができます。私もその一言を見つけたいですね。もし、将来研究をするなら、戦後のイタリアの農村女性にも、山代巴たちのような運動があったのかどうか調べてみたいと思っています。
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(2024年3月28日収録)
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