「たき火会・対話編」
たき火会場所: 奈良山園(2023年4月16日)
たき火会展示: 茅スタジオ(2023年4月14日〜17日)
料理: 旅する料理人・三上奈緒
写真: 対話の風景:三上奈緒、展示風景:茶畑ゆか
企画/書手: 茶畑ゆか
告知ページ: https://www.boustudio.com/takibi
「たき火会」イベントレポート前編はこちら。
「たき火会」イベントレポート後編はこちら。
たき火会が奈良山園で行われていた裏で、茅スタジオではたき火会がなぜ三上奈緒で奈良山園なのかということをを描く展示をしていました。
三上奈緒さん、野崎林太郎さん(奈良山園)、茶畑ゆか(茅スタジオ)との対話は茅スタジオに展示されていたもののひとつです。
当初は展示会場だけでお見せする予定でしたが、展示会場で見てくださった方からこの文章をお蔵入りにするのは惜しいという声をいくつももいただき、林太郎さんと奈緒さんのご厚意で公表させていただくことになりました。
奈良山園はなぜ「循環型農園」と銘打っているのか。そこに含まれている意思や意図について、そしてそこから広がるうんこ話について、とっても面白い対話でした。こういう対話をたき火を囲みながらやれたら最高だな!と思います。
たき火会に興味を持った方はぜひ読んでみていただきたいです。文章は、展示していた際の構成そのままになっています(「さらに読む」をクリックすると読めます)。
(写真は奈緒さんが撮ってくれた、まさにこの対話をした直後の様子です。へちまをもらって喜んでいる人が私で、隣が林太郎さん。へちま、使ってます。)
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奈良山園に三上奈緒さんと下見に訪れた2023年4月5日。
一通り現場となる場を見せていただいた後で畑にもどり、よい気に満ちた奈良山園の中で自然と対話に入っていきました。テーマは、奈良山園はなぜ「循環型農園」と銘打っているのか、ということについて。当日の雰囲気を再現するため、喋っていた様子をまるっとそのままお送りします。
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【話し手】
・三上奈緒(みかみ なお)(以下:奈)/旅する料理人
・野崎林太郎(のざき りんたろう)(以下:林)/奈良山園(ならやまえん)
・茶畑ゆか(ちゃばた ゆか)(以下:茶)/茅(ぼう)スタジオ
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Q: なぜ奈��山園は「循環型農園」と銘打っているのか?
奈: 言葉にするとわかりやすいけど。有機農業とか無農薬とか。もっとそこに至るまでのストーリーというか、そこだけじゃないし、なんなら農業って人によって違うし。言語化できるほど単純ではない気がしていて。
林: ね。思考停止しちゃうじゃない。「あ、無農薬農業ね」「あ、有機農業ね」とか、聞いた人はそこで考えるのをやめちゃう。それが嫌で。でも型にハマりたくないということではなくて。
別に農薬を使うことに反対しているのが主義という訳ではないはずなのに、「無農薬農家」と言うことは「あ、無農薬農家ってことは、農薬って健康被害があって悪いからそれを使わない人なのね」っていう定義で終わっちゃうのが良くないよねと思ってて。本当に目指しているのはどこですか、っていうことだと思う。「循環型」って言えばいいのかって話でもあるんだけど。
茶: 「循環型農園」って言っているのは問題提起も含んでるっていうこと?
林: そうそう、考えますよね。「循環ってなにが循環してるのだろう?」って考えさせたら勝ちというか。
茶: なるほど…。さっき言ってた、無農薬に反対している訳ではないと言っていた辺りを、もう少し。
林: もう少し?笑
茶: うん、もう少し。笑
林: えー?笑 いや、なんかこう、本当のことを言おうとして、逆に嘘っぽくなっちゃいけないと思ってて。なんか、「現代の生活は間違ってる!」「自然にかえれ!」みたいなことを言いながら、結局、現代の技術とか恩恵を受けて生きる訳じゃないですか。そんなこと言うなら本当に一人でサバンナの真ん中で服着ないで生きていけばいいけど、そんなことやる人いないじゃない。ということはやっぱり言ってることのどこかに嘘が出ちゃう。そこは折り合いつけなければいけない所があるし。
例えば農薬に限って言った場合でも、農薬を使うことによって得ている利益とか支えられている社会とか、生産基盤とかがある訳で。それを否定するのは逆になんもわかってない、と思う。それはそれで大事だし、プラスチックはプラスチックで必要があって存在しているし、石油も必要があって存在している訳で、それを完全にいま否定する段階にはないのに、それを否定していい気になっちゃいけないということを思う。
それも含めて折り合いをつけなきゃいけないと思う。現在はそのステップだけど、そこから先を考える時にどういう方向を考えますか?ということを提示したり行動したりしている。
茶: なるほど。
林: さっきの木の話もそうだけど(注:この対話の前に、道路に葉が落ちるのが問題視され大きな木の枝を大幅に切らざるを得なくなった出来事についての話が出ました)、そこだけを反対しだしても結局折り合いつかない訳です。現代がそうじゃない仕組みで動いているから。だから、やっぱりそこももっと広い目線で一個の問題を考えてあげなきゃいけないと思っている。
茶: いや、ほんとうにそうだね。
奈: そうなんだよね。イチかゼロかだと答えが出ないところがあるよね。
林: どうしてもそうですよね。
奈: さっきも話してたんだけど、ベジタリアンも様々なんだけど、もし動物がかわいそうだからというのなら、あなた毎日歩いてたら足の裏でありんことかいっぱいつぶしてるけど、それに対してはどう思うのだ!っていうところを思う。本来生きる以上、死は無視できないと思うのだけど。こぼれおちているのではないかな。
林: そうなんですよね。ビーガンとかも全く否定しないしいいと思うんだけど、なんかどこまで本質か考えないとちょっと怖い。ファッションみたいにそれを使い倒すことが(怖い)。
茶: (奈緒さんと)同じワードが出てきている笑(注:奈緒さんと話していた時に「ファッションになってはいけないと思う」という文脈で「ファッション」という言葉が出ていました。)
林: いや、ファッションって言うのはあれだけど。笑(注:聞き手の茶畑がファッション業界に属してるので気遣って言ってくれました。)
茶: いや、ファッションは疑問だらけなんで。(そう言われても)大丈夫。
林: その疑問を考えるのも大事ですよね。
茶: うん、その渦中に身を置くんだよね。
林: そうだね笑 そんな感じ。生ぬるく。
茶: なんで「循環」って言葉を使ったんだろう?「無農薬農家」だって言葉を使ったことはないのかな?
林: いや、あえて言わないけど、でも切り口でそう切り取りたい人もいるじゃないですか。それはそれでいいと思う。その人がそこにフォーカスしてるなら。
茶: そこから「循環型農園」というところにたどり着くまでのところが気になる。
林: それは、どこに関心があるかということだと思う。「農薬を使わないこと」に関心がある人はそれがフラッグ(旗印)になるんだろうけど、自分の場合はそこにだけ関心がある訳じゃないということで、あんまり自分からそれを言う必要はないなと思ってる。(農薬を)使わない、ということは一つのやり方だけど。
「循環」という言葉を使うのは、まあ世界中でみんなが言っていることだけど「持続」を目指すのはそっちだろ、っていうのが一番大きなところかな。でもそんなに夢ばっか言っててもあれだから、現実的にできる「循環」って言うのを参照していくと、さっきの話で、自分たちがやってきた、自分自身の歴史で参照できる範囲って、さっきの木で見たような400年とかの範囲で。(注:奈良山園は400年の歴史があり、ご自宅に植わっている木は400歳を超えています。大きく、立派な欅が息づいていました。林太郎さんはご自身の歴史が辿れる地点として「400年」があり、かつてのあり方を度々参照しながら自身で取り組む農業のあり方について考えを巡らせることがあるそうです。)
その前にどうやっていたかとかはわからないけど。でも直接的に400年繋がってるということはそれはそれで価値だと思っていて。その方法論を、自分が生きた20〜30年、50年とかでないがしろにしていい訳じゃない。(人間が)そんなに頭がいい訳ないし。だから、いちおう今30〜40年生きているし、その技術は使うけど、そこから昔の連続性も参照しなきゃいけないから、取り入れるところは取り入れる。そうした時に「循環」が絶対必要だなと思ったから。そうじゃないと、循環しないってことは流れてくということで。
さっきうんちの話してましたけど、自然農法とかで動物の糞は汚いからいれないという人もいて、それはそれでどうぞどうぞなんですけど、じゃあ自分のうんち下水に流して海に流しておいて、畑はきれいにしておきたいってそれはどういうこと?って思う。
奈: わかる、それは私、めっちゃわかる。
茶: そう言う人がいるんだね。(驚)
奈・林: いるいる。
林: いるんですよ。そういう考えの農法もあるんですよ。動物性の堆肥だめっていう。というか動物性のものを入れちゃだめっていう(農法がある)。
茶: それはどういう考えでそうなるんだろう?
林: でもそれは、そういう考えに結構なると思う。だって上ばっか見てたら葉っぱと自然しかないじゃないですか。でもよく考えたら自分自身も動物だから、自分の処理でき��ないじゃんていうこともある。
茶: コンポストの作り方もビーガンコンポストというのがあって、植物性のものしか入れちゃだめって言ってる人がいるのね。肉とか入れると純度が損なわれる?からダメっていうのがあるのを見たことがある。でもなんかそれが言ってることが私にはよくわからなくて。
奈: それはね、ほんとに今言ってることで、ファッションコンポストですよ。まあやんないよりはいいけど、そこにフォーカスするのは自分のうんこを見てないから。
林: 笑 よかった、これあんまり人に言えないんだけど。
茶: たぶん私書くよ、これ。笑
林: 言えないけど、本当にそう思っちゃう。下水流して見えないふりして、なんで?本当によくわからない。だから考え浅いんじゃないのって思ってしまう。
奈: 人によっては、抗生物質投与されている家畜だったり、なにを食べて育ったのかわからない家畜の動物性堆肥を入れると野菜までも汚染されてしまうことになるから入れたくないという考えなんだと思う。まあそれはわかるよね。でも微生物の力をもってすればそういうのすらも分解し得るんじゃないかとは、想像の範囲だけど、思う。でも自分のうんこ問題は誰も解決していないっていうことは事実。
だから究極は自分のうんこを堆肥化して畑に撒いてたり、コンポストトイレのうんこを畑に使ってるって言ったら何も言えませんと思う。友達の農家さんは、お客さん用とか畑作業用で外にコンポストトイレがあって、それは地面に穴掘っただけなんだよね。で、用を足したらオガクズをかけるの。
林: バイオトイレってことだね。
奈緒: 穴はある程度溜まったら移動させるんだけど。それの溜まったうんこおしっこ堆肥は、やっぱ野菜にかけると、買う人もイメージとして抵抗があるから、果樹の下に撒いて使うみたい。
茶: 木ならいいんだ!
奈: うん。上から落ちてくるじゃん。気持ちの問題だけどね。
林: うん、でもそれは正しいと思う。だって純粋に大腸菌がつくから危ないです。得にいまサラダで食べるじゃないですか。本来、日本にサラダないのはそういうことがある。
奈: たしかにそうだね!
林: でも、現代はなんでも有機だからサラダってことになっちゃうから。そういうことになっちゃ危ないと思う。でもそれ(バイオトイレ堆肥を果樹に用いること)、いいですね。
奈: 他にも、自分たち家族のうんこおしっこを完熟堆肥にさせ、それを畑に撒いている方も知ってます。たぶん完熟まで行ったら大腸菌的なものは無くなるのかなと思う。お味噌に悪い菌がいないのと同じ原理だったりして 。笑*1
林: そうですね、ちゃんと処理すればいいけど、それは技術とか経験が必要じゃないですか。そのままやると危ない時は危ないと思う。
そういうことができてないことも含め、反省も含め、やっぱ考えましょっていう。思考停止しない方がいいよねってことを思う。新聞とかマスメディアとかが作った枠組みから、少しだけ外させてもらうということがあった方がいいかなと思って。それで循環という言葉を使うことでそうしているつもりなんですよね。
奈: いやあ、わかる。
茶: なるほど〜。
奈: うんこどうなっちゃった問題は、ほんとね。こないだもうんこ問題について話してた。やっぱうんこですよって。
林: すごい。
奈: うんこどこ行っちゃったんだ問題を皆フォーカスしていない中で、やっぱりうんこを真面目に考える必要があるんじゃないかっていう話をしていた。
茶: へー面白いね。ほんとそうだね。
林: それはきっとメタファーでもあるじゃないですか。今あえて自分の体に例えてうんこと言ってるけど、ファッションとかでもあるじゃないですか。
茶: (ファッションには)いやめっちゃうんこいっぱいあるよ。ほんとそうですよ。うんこだらけですよ。だから古布回収とか(3月に茅スタジオで開催したスーパーリユース展で)やってる。でも古布回収すらもきれいなところしか取れてないから、ほんと難しい。ファッションほんとに、よくない。
林: なんじゃこの話は。笑 たべものの話のはずが、うんこ話に。笑
奈: でもこういうのは大人のトークでやりたいね。
茶: ほんとそうだね。今回じゃないかもしれないけど、やりたいね。
奈: こういうのはトークにフォーカスした方がいいね。
茶: 「うんこの話をしましょう」みたいなね笑
奈: いいと思う。なんか、本当に汚いものには蓋をしろ文化というのが。
茶: うん、見ないようにしすぎてるもんね。あまりにもクリーンで。うん。わかった(林太郎さんの方を見ながら)。
林: わかった?笑 わかったかわからないかわからないけど。
茶: わかりましたよ。「循環型」にかける思���がわかった。
林: うん、そうか笑 かつ、生ぬるさも分かっていただければ。ゴリゴリの主義主張者じゃないところがポイントだなと自分では勝手に思ってて。笑 フェーズがあるから。
茶: いずれ(主張するように)なるんですか?
林: いずれ…なるかわからないけど、常に理想があるから現実があるし。
茶: うん、そうだね、それはそうだ。
林: 考える人がふえれば、きっと良くなるでしょう。自分だけでやってても、変な人で終わっちゃうから、それはちょっともったいないなと思う。
いやあ、おもしろい対話でした。こういうのをたき火を囲みながらやりたい。
循環型農園と聞くたびに、確かに「ん?それは無農薬も含むのか?何が言いたいのだろう?」と頭をひねって何度も林太郎さんに質問していました。循環は確かに必要だけど、それはどういう取り組みを指すのだろう、と。しかしわからないところがポイントなのだという。なるほど。
そして、うんこ話は最高でした。みんなもっとうんこの話した方がいいよ!と奈緒さんは言います。なぜうんこがどこに行くのか見えなくなっているのだろう。それはつまり、ゴミはどこに行くのだろうという話と同じなのだと思います。ここが不可視化されていて、誰かに押し付けているのに、押し付けている側は全くその意識が無いという所がポイントなんだと思います。
読んでいただきありがとうございました。あなたともうんこの話をしたいです。
書き起こし・その他文章 / 茶畑ゆか(茅スタジオ)
(参照)
*1 タケヤ味噌 みそと病原細菌
https://www.takeya-miso.co.jp/column/003.html
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「たき火会」(後編)
たき火会場所: 奈良山園(2023年4月16日)
たき火会展示: 茅スタジオ(2023年4月14日〜17日)
料理: 旅する料理人・三上奈緒
写真: 中村紋子
企画/書手: 茶畑ゆか
告知ページ: https://www.boustudio.com/takibi
「たき火会」イベントレポート前編はこちら。
徐々に料理ができあがってくるにつれて、火のまわりに人が増えてきました。(ぜんぜん料理に構わず竹切りに没頭している子もいますが、それもまたよしです)
鹿肉もいい感じに焼けてきました。
その脇で、せっせと副菜づくりをすすめます。
そして、ついに、パエリア完成ー!!
最後の仕上げに、裏で摘んできた木の芽をぱらぱらかけます。
みんなで作ったパエリア、手作りマヨネーズといろいろ果物のマリネ。
どれもほんっとうにおいしそうです。
今回使わせてもらった野菜はすべて、奈良山園をはじめとした東久留米の志あふれる農園の野菜たち。
野菜や鹿に対する感謝の気持ち、その野菜を作ってくれた人たちや鹿肉をきちんと処理してくれた人たちに対する感謝の気持ち、ごはんを作ってくれたこと、竹を切ってお皿をつくってくれてありがとうの気持ちをこめて「いただきます」をみんなで言おうねと、旅する料理人の三上奈緒さんが話してくれます。今日のごはんは正真正銘「みんなで作った食卓」だし、こどもたちが一番のはたらきものでした。
いただきます!と元気に言って、さあ、待ちに待ったごはんタイムです。
3時間かけてたき火でじっくり焼いた鹿肉はすごくパワフルで、みんなで作ったパエリアは最高においしくて、畑の果物でつくった塩とお酢だけのマリネも絶品、手づくりマヨネーズも最高!「おいしー!」とそこかしこで聞こえてきます。たき火を囲みながらおいしいご飯をもりもり食べました。
普段は野菜をほとんど食べないというお子さんももりもり野菜を食べていて驚いたと感想をくださった親御さんが何人かいらっしゃったのですが、よい土で元気に育った野菜のおいしさを感じていたのかもしれません。
おもしろいことにもつまらないことにもとっても正直なこどもたちが、筍掘りから竹細工づくり、たき火料理に食事会と、飽きている時間が一瞬もなかったように感じます。大人たちにいっぱい質問してひっぱり回し、そしてこども達同士で仲良くなって遊びまわっている風景がとてもよかったです。
暮らしの中に当たりまえにあったはずの「火」。その火を囲むことで自然と生まれる交流。そして火から遠ざかる都会で暮らすわたしたち。火がわたしたち人間の始まりにあり、火をかこむことで仲間となり文化が生まれてきたのではないか、という三上さんの問いかけは胸に迫るものがあります。
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4月16日、旅する料理人・三上奈緒(みかみ なお)さんと一緒に、茅スタジオにほど近い東久留米の奈良山園でたき火をしてきました。
発端は、なぜこんなにも私たちの暮らしは火から遠ざかっているのだろうという疑問から。東京に住んでいると火がとても遠い存在に感じられます。IHも増え、日々の暮らしに火はほとんど必要ないかのよう。でも火はかつて人々の生活の中心にあったはずです。
わたしたちの求める豊かさとは何なのか、どういう風景が豊かだと感じるのかを捉え直した��と思いながら様々な企画をしていますが、その中でも今回は「豊かな食のあり方とは何なのか」ということに焦点をあて、企画していました。栄養たっぷりなものを食べていれば「豊か」なのか、地域と繋がっていれば「豊か」なのか、コンポストがあってヴィーガンで地球環境に気をつかっていれば「豊か」なのか。
そこで見え隠れしてくるキーワードは、スローフード運動で主題となっていた「顔の見える関係性」なのかもしれません。しかしコミュニティが解体され尽くしてきた日本、得に東京においてそれを再構築するとしたら何から始めればよいのだろうと考えると、火を共に囲むことがまず必要なのではないかと感じました。なので、まずはここ、東京の西で火を囲むことから。
だれもが食事が出てくるのを待つだけの「お客様」ではなく、こどもも大人もみんなが自分にできる仕事をし、みんなで食卓をつくりながら共に火を囲む。そんな三上さんの提唱するAround the fireの精神に共鳴し、奈良山園の畑に春が訪れる中、たき火を囲んできました。
たき火会は、その後もとっても面白いです。
参加していただいた皆様から絶え間なく届く熱い感想たち。もっと深く考えてみたいと哲学対話に参加してくださる奈良山園のスタッフさん達や参加者の方々。じつはとっても参加したかったのだけど行けなかったとお話してくださる方々。後から知ったけど、本当に行きたくて残念だったとお話してくださる方々。たき火会をきっかけとして生まれたご縁がたくさんあり、それは今でも生まれつづけています。
大事に続けていきたい企画です。また冬にやりたいねと三上奈緒さんと奈良山園の野崎林太郎さんとでお話しています。
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▶︎旅する料理人 三上奈緒 https://www.naomikami.com/
東京農業大学卒。「顔の見える食卓作り」をテーマに、色を通じて全国各地の風土や生産者の魅力を繋ぐ。焚き火を囲み、自然の惠みを料理して、一つの食卓を作る喜びを。食卓から未来を想像する学び場Around the fireを主宰。Edible schoolyard japanのchef teacherをはじめ、子ども達の食教育も行う。目で見て肌で感じたものが全て。全ては自らの足で歩く。が信条。海に山に川に、料理のフィールドはどこへでも。石を組み、木でアーチを組み、焚き火で料理する、プリミティブな野外キッチンを作りあげる。
▶︎たき火会の場所について
たき火会の場をかしてくださり、当日のアクティビティでは素晴らしいスタッフさん達の連携プレーでこども達をサポートしてくださった東久留米の奈良山園。実は江戸時代から400年以上続く農園です。奈良山園が目指しているのは循環型農園。どうして「循環型農園」と銘打っているのか、については次回更新予定の対談で詳しく描かれます。
▶︎食べもの飲みものスペシャルサンクス
奈良山園 https://narayama-farm.com/
ココミニトマト 関ファーム @sekifarm.coco
ラディッシュ、さつまいも 晴の字農園 @harunojinouen
しいたけ、にんじん、かぶ 高橋農園
キウイフルーツ 大島農園 @ohshima_nouen
アスパラガス 松本農園 @jizo_yasai
お手伝い&アドバイス 柿の木園 @kakinokifarmtokyo
クラフトビール「パラダイスビアー」のセレクト ヤギサワバル @yagisawabar_official
パンの差し入れ
マウパン @mau_pan_higashimurayama
プチフール @petit_four_romi
▶︎イベントで出るゴミたち
たき火会のあと。
灰はさつまいもの肥料に。野菜くずは堆肥に。竹のお箸やお皿は乾かしてまた燃料に。かまどは庭石。椅子は切り株。道具や食器は持ち寄り。イベントがゴミの製造装置ではいけないよ、という三上さんの教え。イベントのあとはできる限り全てまた自然へ返っていきます。
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告知文
旅する料理人・三上奈緒(みかみ なお)さんと一緒に、茅スタジオにほど近い東久留米の奈良山園でたき火をします。
発端は、なぜこんなにも私たちの暮らしは火から遠ざかっているのだろうという疑問から。東京に住んでいると火がとても遠い存在に感じられます。IHも増え、日々の暮らしに火はほとんど必要ないかのよう。でも火はかつて人々の生活の中心にあったはずです。
そんなことを考えながら去年の夏に訪れた長野県中川村。そこにはAround the fireという活動を主催する、旅する料理人の三上奈緒さんがいました。三上さんと巡る中川村には、地産地消、自給自足、里山と共に生きること、顔の見える関係性、循環など、様々なキーワードが飛び交う「これから」を見据えた人びとの姿がありました。
私は中川村の人々の背中を見つめながらも、まずはここ、東京の西で火を囲むことから始めたいと思います。だれもが食事が出てくるのを待つだけの「お客様」ではなく、地元の畑で自ら野菜を採り、こどもも大人もそれぞれができる仕事をし、火を囲みながらみんなで食卓をつくっていく。そんなAround the fireの精神に共鳴しながら、奈良山園の畑に春が訪れるなか、たき火をかこみたいと思います。
東京で、共にたき火をしませんか。
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