#今を生きる
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newforever · 8 months ago
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https://ift.tt/L2iEJkt 羽ばたく鳥のように(Radio Edit) KURAGASHI
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giraffe-popcorn · 11 months ago
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すごく久しぶりです...1年半ぶりくらいかな
「Tumblrというものがあったな...」とふと思い出して覗いてみれば、設定欄に”中3”って書いてあってびっくりしました
もう今では高2です。なんか感慨深いですね
自分の気持ちを少しでも書き記しておきたい!って時にいつも来ている気がします//
以前は学校にも思うように行けていなかったですが、今��は毎日通えるようになりました。今年はまだ1回も休んでいません!(笑)
6月くらいに学校で面談があり、それ関連で思ったことがあったので久しぶりに来てみました。
突然ですが皆さんは「熱意」って何だと思いますか?
面談の始めに、担任の先生から言われた言葉です。
私は関東近辺の国立の医学部(あまり遠くは行きたくない…)を目指していたんですが、成績が240人中50番くらいに入らないといけないところ、190番くらいでした。
その結果、「いばらの道を進む熱意を示せ」と開口一番に言われた次第です。
熱意って何ですか。私にはよく分からなかったです。確かに人に示せるような熱意はなかった。それに気が付いてしまった。
私が医学の道に進みたいと思った理由は、それしかやりたいことが無かったからです。
約1年半前、完全不登校の時期を過ぎ、少しは学校に行けるようになっていたときです。死にたいと永遠に思っていたところから、別に死ななくてもいいかな...と思うくらいには回復していました。
けれど、生きていると大変なことが沢山あります。死にたいとは思わなくなったけれど、やりたいことも無いし生きたいとも思わないな...っていうのが実情でした。
そんな時、ふと気が付いたんです。私、医学に興味あったな、、って
別に小さいころ病気で医者に救われたとかいう大層な理由はなかったですが、小学生の時から何となくひかれていたことです。
他の人にとってはとても些細なことかもしれないけれど、私にはまだやりたいことがある...この事実が生きる意味になってくれたんです。
「まだやりたいことがある。生きる意味あるじゃん。」
だから私にとって、医学の道に進みたいっていうのはある種生きる理由になっていて、それに熱意を示せって言われても...って感じていたんだと思います。
ましてや、「今のままでは無理だ」「医者以外を考えてもいいと思う」といった言葉は、私そのものを否定されているようで、とても悲しかった。
私は途中から涙が止まらなくなり、終わるまで一言も話せませんでした。涙までは制御できなかった。
しかし先生が言っていたことは全部事実で、勉強を熱心にやっているわけでもなければ、絶対に受かる!みたいな熱意も無い。
確かに淡い憧れのようなものしか持っておらず、将来を真剣に考えていなかった。
とにかく元々他人からの否定に強くない私が、ここまで正直に「無理だ」と言われたのは初めてで、とてもショックでした。
けれどどこかで納得している自分がいて、「このまま受かった所に進学すればいいんじゃない」って思おうとした自分もいます。
ただ諦めきれない自分もいて、どうすればいいか分からなかった���
でも1か月くらいたった今日、思ったんです。合格する未来の一瞬も、落ちてしまう未来の一瞬も、色々なことから逃げている今の一瞬も、同じ重さで等しく大切で尊いものなのかなって。
自分でもよくわからないけれど、合格する未来は私にとっては目を背けたくなるくらい輝いていて、でも今この一瞬にも同じような価値があると思えば、このふわふわした毎日もあるだけで心底大切なもののような気がしたんです。
そうしたらなんかもう少し今を大切に生きようかなって少し思いました。だからって何かが変わるわけではないかもしれないけれど、若干どうでもいいと思っていた今が、物語の重要人物みたいに思えてきたんです。
人は過去をよく気にします。こうすればよかったって。未来もよく見ます。こうなれるかなって。でも、今のことはあまり考えない。今のことは放っておいちゃう。過去も未来も今も等しく大切なのに。
ここまで書いてよくわからなくなっちゃいました...(笑)
要はこの場で輝かせられるのは今だけだから、もっと素直に大切に生きようって少し思ったんだと思います。
皆さんも人に否定されたとしても自分だけは受け入れて、信じてあげられるといいのかもしれませんね。
それでは~
2024.7.28
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mao-dance-vegan · 11 months ago
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今というこの瞬間を生きる能力というものは、生活も、踊りも、両方を素晴らしくしてくれる。その純度が上がれば上がるほど、生活も素晴らしくなり、踊りも良くなるはずなので、ひたすらその能力の純度を上げたいとわたしは思う。でも本当に今という瞬間に没入出来た時は、生活でも踊りでも、そんな事を考えちゃあいないのだw本当にいま起きていることと自分が一体になっていて、今を生きるのどうのこうのと思ってさえいないwつまり一所懸命生きて、一所懸命踊ればいいのだなwひたすら一所懸命、そ���て出来るだけ喜びのあるように、力を抜いてユルユルに、生きて、踊ればいいのだな🌼
本日も舞ひ風公開稽古でした✨💕
8月18日は舞ひ風公演です。
入場無料です。
どなたさまもお待ちしてまーす♪
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kaneninarananesaki · 1 year ago
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人生、人生、つらシックパーク
199X年、浅草ROXの最上階フロアにはゲームセンターがありました。
幼年期、少年期においては親と一緒に東映、東宝映画館で映画を見た帰りに行っては千円のお小遣いで存分に楽しんだものでした。
そこにあったのは大きな筐体、ジュラシックパークのシューティングゲーム。映画ジュラシックパーク1作目を既に視聴していた姉崎少年はウキウキで100円を突っ込みました。
セガのレールチェイスの筐体を流用したそのゲームは、未就学児が遊ぶには強烈過ぎるほどにゲームに合わせて座席がドッカンドッカン揺れるもので、普通に恐怖を覚えたのでした。
それから何度か攻略に挑戦するものの、元祖レールチェイスがそうだったようにただ100円を搾取するための狂った難易度で全くクリアできず、いつの間にかROXの屋上からゲームセンターが無くなると同時に攻略の機会は失われていました。
が、令和6年現在、GiGO秋葉原3号館で動く筐体がまだ生きているということで
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やってきました。久しぶりだな、今日こそ終わらせる。
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懐かしい、あまりにも。
故障で座席はもう動かないようだ。もう直すつもりもないのだろう。それでいい、ただ間に合ってよかった。
前述の通りシューティングゲームにしてワンクレジットでクリアすることを目指すゲームではない難易度である。噂によればTASでもノーダメージは無理だとか、すんごいやりこんだ人でも3クレジットでクリア、それでもすげぇな。
姉崎少年は大人になり、テクニックではなく財力を武器に攻略に臨む。くらえ必殺2500円全部100円玉!筐体に置いたら滑って床に落として何枚か無くしたかもしんない、いけねいけね。
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いくらでもつぎ込んでとにかくエンディングを見るという風にすればこんなもんよ、多分コンテニュー10回くらい、2000円で辿り着いた。これが大人の力だ。
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こうして大きなこの世の未練を一つ浄化することができた。ありがとうGiGO秋葉原3号店レトロゲームコーナー
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moji2 · 3 days ago
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「生命」
•皺のない脳みそ •張りのない皮膚 •潤いのない眼 •ガラガラの喉 •正気のない魂
お寺の一角で、休んでいると、蚊が、腕を刺す。蚊の体が血の色で膨らんでいく。こんな汚い血で、一匹の虫の命を救ったのか。
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musicjpn · 10 months ago
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ご、、、ご飯を待つ、きび。😦
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honnakagawa · 7 days ago
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6月20日(金)open 12-19
毎日30℃を超える日々…
「この かんじ、ぜったい そうだ はじまったよ、はじまった!」
6月ですけど、これはなつだね。 今日も本が届いているので、またまたこちらに。 合田里美さんの新しい絵本『なつだね』を楽しみに開いて、まず見返し(表も裏も!)のデザインに、わぉ〜素敵〜!と感動しました。 そして合田さんの空気と水分を含んだような素晴らしい絵の表現に心がピカピカに洗われました… どちらかと言うと夏は苦手な季節だけど、この絵本は気持ちが良くて、海に駆けだしたくなりました。 海、無いんだけどね。 だからこその、憧れ… ほとんど再入荷の本ですが、新しいものは 『なつだね』 『今日は昨日のつづきどこからか言葉が』 『さみしくてごめん』 の3冊です。
『K2 naokiishikawa』 『すべてを蒸したいせいろレシピ』 『brutus』No.1032、1033 はご注文品。
最後の写真は庭に落ちている地域猫のぽんちゃん。 ぽんちゃんも「なつだね」と言ってます。
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syaruru · 16 days ago
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today i just felt so bitter at the world
i couldn't read or write or do anything really, could barely speak
but then... idk listening to SAD SONG by chanmina sung with the finalists of No No Girls really just... idk? made me fall in love with the world again? it's so easy to forget
my honest embarrassing feelings about japanese girlpower pop in the tags i just can't bear to be honest about that with myself in english right now
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rada25 · 7 months ago
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即興サウンド日記、Key in Gm, at Zama, Kanagawa
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newforever · 9 months ago
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https://ift.tt/75Elrtm 時代の中で生きる KURAGASHI
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dabihaul666 · 7 months ago
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beforedawnwitch · 9 months ago
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今週は仕事も余暇もバーチャルもやぶぁい🤗💖
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naonaokrkr · 1 year ago
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moji2 · 2 years ago
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「福岡6」
なんせ暑い、計画性がない、時間が余る。一人は食いしん坊なので、さばたろうのお腹いっぱいの状態で、別行動でグルメを求めて出掛けて行った。
残った二人は…チェックアウトギリギリの11時までホテルでダラダラ、私は頼まれた珈琲豆を買いに珈琲美美まで、んじゃ着いていきますと二人で、大濠公園まで行き、美美で、お使いの珈琲豆を買い、喫茶店は、12時からなんですねって聞いたら、いやーもうすぐ開店できますとのことで、少し待って美味しい珈琲ゼリーと、パウンドケーキを頂き、ここで、三人合流して、有り余っている時間を、残念な生き物展に行くことに、見てわかったのは、1番残念なのは、人間でした。まだまだ時間が余ってる。なんせフライトは21時なんだから、もう、これしか無いってことで、助けを求めて、映画館へ!君たちはどう生きるかを観るのでした。映画が終わり、扉を開けたら、そこは大阪であることを祈ったが、まだ、福岡でした。三人の感想は、映画館寒すぎる。と、わからん、何が伝えたいのか、わからん、でした。で、凄く体調を崩してしまった僕は、晩飯も無理だなと思い、地下の居酒屋で、皮巻き一本と、烏龍茶のみ、マジでしんどくなってきて、空港へ、奴らはラーメンを食べに行きやがった。凄い食欲、そのうちの一人は、さらにうどんを食べたとか!まじっすか、恐るべし胃袋です。ようやく21時、関空には、22時過ぎ到着、調べたら終電ギリじゃん!って帰りは頭痛が酷かった。なんとか、終電で帰宅し���翌日は、完全に風邪の症状でした。病院で検査したら、コロってはなくて、単なる鼻風邪のようでした。
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これが、旅の思い出です^ ^
お終い
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shelter-maki0 · 6 months ago
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色々あって不本意ながら二人揃って魔法界のお尋ね者になる戦後AU この話の構想メモが私のpcに残っていたわけなんだけどこのフィクションを書き切る元気があるか分からないから今のところ絵だけ描いて供養で。 ハリーが人生を棒に振ってヴォと一緒にドロップアウトするファンフィクを私は常に歓迎しています。
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rsktum · 14 days ago
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年を重ねることの一番つらいことって、何だと思う?
— なんだろう?
— 見えなくなることよ。
若いうちは、何かしらの「存在」として見られるの。
「あの感じのいい人」とか、「おしゃれなあの人」、「力強い彼」、「頭の切れるあの子」ってね。
誰かが目を留めてくれて、名前を呼んでくれる。
でもね、少しずつ変わっていくの。
やがて、「いつもひとりで歩いている白髪のおじさん」とか、「くたびれた靴を履いたおばあさん」になってしまう。
それだけ。
まるで世界の目から消えてしまったかのように。
— でも、僕は見てたよ。君が入ってきた瞬���から。すぐに気づいた。
(これは、ある有名なイギリスのドラマの台詞。でも何より、それは胸を刺す真実。)
年配の人の話になると、たいてい年齢のことしか語られない。
「もう80を超えてるらしいよ」
「そろそろ90になるらしい」
でも、こうは言われなくなる。
「昔は音楽家だった」
「何世代もの生徒に教えてきた人だよ」
「今は一人暮らしだけど、あの人にも、かつては――」
時が経つにつれ、「本当のあなた」を知っている人たちはいなくなってしまう。
友達も、少しずつ失っていく。
子どもたちは、自分たちの生活に追われている。
仕事、子育て、予定に追われて、精一杯。
たまに短い電話。ほんの少しの立ち寄り。
ご近所の顔ぶれも変わっていく。
新しい住人は、「二階のおばあさん」がどんな人だったかなんて、知らない。
お店に行っても、もう名前で呼んでくれる人はいない。
そして、気づかぬうちにぽっかりとした空白が生まれる。
静かに、けれど確実に。
見えない存在になっていく。
私たちはわからない。
なぜ母が、一日に何度も電話してきて、天気のことを聞いたり、持っていないはずの物のありかを尋ねたりするのか。
なぜ父が、同じ質問を何度も繰り返すのか。
でも、心の奥にあるのはただ一つ。
忘れられることへの恐怖。
もう誰にも見られていないのではないか、という寂しさ。
老いるというのは、ただ身体が変わっていくことではない。
透明になっていくこと。
そして、たった一人でもいいから、「自分はまだここにいる」と思わせてくれる存在を、必死に探しているのです。
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