#北関東へ倉庫移転
Explore tagged Tumblr posts
generalwonderlandpeace · 4 months ago
Text
Tumblr media Tumblr media
0 notes
mxargent · 2 years ago
Text
"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際���勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等��執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 ��� 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
200K notes · View notes
yotchan-blog · 7 months ago
Text
2024/11/17 15:00:09現在のニュース
【写真まとめ】神戸マラソンに2万人 今年も咲いた感謝のヒマワリ(朝日新聞, 2024/11/17 14:58:41) 酒に酔い終電で居眠りの男性客を5時間閉じ込め 名古屋市営地下鉄が謝罪、健康に問題なし([B!]産経新聞, 2024/11/17 14:57:18) JR京浜東北線、午後4時半ごろまで蒲田―品川間が運休、JR東は振り替え輸送を呼びかけ([B!]産経新聞, 2024/11/17 14:57:18) 運動は薄毛に影響するの? 頭髪気にせず、秋の気候を味わいながら体を動かそう きょうからへア活([B!]産経新聞, 2024/11/17 14:57:18) JR中央線の東京ー神田駅間 最大6.6メートル異例の高架橋大移動作戦 あの日の鉄道風景([B!]産経新聞, 2024/11/17 14:57:18) WEB CARTOP:関西の路線バスの左後輪に「初代インサイト」みたいなカバーがついてる! 乗用車とは異なるタイヤカバーの目的とは? | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/17 14:54:13) 「日本一長い商店街」が誕生する…台東区・国際通り沿い 全長約3km、大阪の天神橋筋商店街を上回る:東京新聞デジタル([B!]東京新聞, 2024/11/17 14:48:51) 「近代化の象徴」解体始まる 阪神・尼崎車庫レンガ倉庫 /兵庫 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/17 14:48:22) カード使い分け面倒/昔に戻る感じ 全国IC廃止、乗客戸惑い 熊本の交通5社 /熊本 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/17 14:48:22) 前回��者の桐蔭学園が花園へ 全国高校ラグビー神奈川県予選(毎日新聞, 2024/11/17 14:43:35) 光泉カトリックが6大会連続で花園へ 全国高校ラグビー滋賀県予選(毎日新聞, 2024/11/17 14:43:35) 酒に酔った居眠り客、始発まで5時間閉じこめ 名古屋市営地下鉄(毎日新聞, 2024/11/17 14:43:35) 酒に酔った居眠り客、始発まで5時間閉じこめ 名古屋市営地下鉄 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/17 14:42:55) わたしのふるさと便:お国トリビア 和歌山県 ゆるり広告塔「日本一短いローカル私鉄」 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/17 14:42:55) 日米韓、トランプ政権前に枠組み固定 協力にもろさ残る - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/11/17 14:42:29) 熊本市電が赤信号で交差点進入、未点灯を「故障した」と運転士が誤認…トラブルは今年14件目([B!]読売新聞, 2024/11/17 14:36:55) 熊本の路線バス・鉄道5社、SuicaなどICカード決済から全国初の離脱…更新費12億円が重荷([B!]読売新聞, 2024/11/17 14:36:55) 前十字靱帯の損傷を牛の組織で再建 早稲田大学など治験開始 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/11/17 14:36:20) 私の万博考:万博は「オワコン」か 70年万博知る研究者が語る開催の意義 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/17 14:36:10)
0 notes
komagome-soko · 3 years ago
Text
(((((,
Tumblr media
この度駒込倉庫では、アーティスト久保田智広、キュレーター原田美緒との共同キュレーション展「(((((,」を開催いたします。様々なバックグラウンドを持つ新進気鋭のアーティスト6名による、「あたりまえ」を軽やかな形で分��する試みです。是非ご高覧ください。
企画、キュレーション:久保田智広、原田美緒 参加作家 :アリウェン、うらあやか、大橋鉄郎、倉敷安耶、パク・サンヒョン、檜皮一彦 会期 :2022年2月26日(土)〜3月20日(日) 〔17日間〕 休館日 :月, 火曜日 開館時間 :13:00〜19:00 会場 :駒込倉庫 Komagome SOKO 協力 :駒込倉庫、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、エブリチャンス合同会社
「(((((,」は〈かっことじない〉と便宜的に読む。この造語は、「開かれた」「結論を出さない」という意味を持つ。整然と並ぶ「かっこ」に、一旦「読点」が打たれているこのタイトルは、立ち止まって観客と一緒に「あたりまえ」を考えてみる本展示の振る舞いそのものと言ってもよい。
 様々なバックグラウンドを持つアーティスト6名は、「あたりまえ」とされる社会規範を捉え直すことを試みる。韓国出身のパク・サンヒョンは、異邦人でありクィア当事者である彼自身の置かれた状況を、内容と形式の両側面から彫刻的アプローチで考察する。北海道在住の大橋鉄郎は現代における情報との関わりを考察する作風で知られているが、その作品群の一部には作家自身の性に対する嫌悪が動機として潜在している。檜皮一彦は「破壊と創造」と「不自由」というテーマで新作インスタレーションを制作する。「不自由な鑑賞体験」を課すことと、「破壊と創造」の理不尽さの両輪で、鑑賞者に鮮烈な体験をもたらすだろう。チリ出身のアリウェンは、トランス女性として生きていく中で関わることになった、ある家族をめぐる詩的な写真を朗読と組み合わせたインスタレーションで提示する。自身と他者の融合の欲求を制作にて昇華する倉敷安耶は、人類のもつどうしようもない差異を一つのものに取り込む展望の一端を提示する。うらあやかは、観客との協働によって成立させる作品を多く手がけてきた。時として非合理的な彼女の振る舞いは、効率的で合理性を強要する現代社会への避難所にもなりうる。
 ここに参加する各作家は、ジェンダー、セクシュアリティ、国籍、身体、そして自らが参画している現代アートそれ自体にもアプローチする。自身にも、他人にも押し付けている「あたりまえ」を分解した先には何があるのだろうか? 【企画、キュレーション】 久保田智広 Tomohiro Kubota  https://tomohirokubota.myportfolio.com アーティスト、美術修士(MFA)2020年に東京藝術大学大学院美術研究科版画専攻を修了後、現在は東京都、神奈川県を中心に活動を行う。インスタレーションやパフォーマンスなど複数のメディアを横断しながら、物事の価値基準や選別基準にまつわる制作を行う。近年の制作では、久保田は主にモノを「捨てる」という日常的な行為を通して、個人的な状況や実際にあった出来事をベースに作品を展開する。代表作に、東京大学の食堂に飾られていた宇佐美圭司の絵画が生協により無断で破棄された事件を題材にした《Decision in the Hospice》(2020) がある。 原田美緒 Mio Harada  1995 年東京都生まれ。同地で活動。東京藝術大学大学院修士課程修了見込み(国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻キュレーション領域長谷川祐子研究室)。東京大学文学部思想文化学科美学芸術学専修課程卒業(学士:文学)。ロンドン大学東洋アフリカ学院(SOAS)交換留学生(2017-2018年)。専門は、身体、フェミニズム、及びパフォーミング・アーツのキュレーション。パフォーマーとしての活動も行う。出版の分野では、展覧会カタログの編集を多く行う一方で、自身でもzineを制作している。キュレーターとしての主な展示に「Alter-narratives―ありえたかもしれない物語―」 (2020 年、オンラインで開催)、パフォーマーとしての主な参加作品に『孵化器・ドアの翅』(2020 年、ゲーテ・インスティトゥート)がある。 【展示作家】 アリウェン aliwen 1993年生まれ、チリ出身。ノンバイナリーのトランス女性であり、活動家、アーティスト、キュレーター、研究者、作家として活動している。彼女は「芸術的実践」「アナーキーな自律性」「日常の脱植民地化」「性と性の分岐」の間を行き来し、これらを流動的に交差させる芸術的、記録的研究のさまざまなプロセスを活性化させる実践を行う。また、チリ大学、パラシオ・ラ・モネダ文化センター(サンティアゴ)、ポストナチュラル研究所(マドリッド)などの教育機関で、批評理論、ソーシャル・エンゲージメント・アート、パフォーマンスに関する���義を担当する一方で、A*Desk(バルセロナ)、Artishock(サンチアゴ)、Caja Negra(ブエノスアイレス)など、さまざまなアート専門媒体に寄稿を行う。彼女の最初の著書”Barricade Criticism. Body, Writing and Visuality in Contemporary Chile”は、2021年11月にブルックリンとサンティアゴを拠点とする編集社Sangría Editoraから刊行された。
うらあやか Ayaka Ura  https://urayaka.jimdofree.com 1992 年神奈川県生まれ。2015 年武蔵野美術大学油絵学科卒業。相反する物事を反転若しくは攪拌する装置としての作品を目指す。観客との協働によって成立させる参加型のパフォーマンスおよびそのデザインを主なメディアとして制作を行う。近年は自殺以外の方法によって思弁的に自分の生に触るワークショップ「おどる墓石」の連作に取り組む。また、都賀めぐみと共に female artists meeting を行う。主な個展に 2019 年「私はそれをダンスの素子と名付ける」(広島芸術センター、広島)。主なグループ展に 2019年「TERATOTERA2019 -選択の不自由 -」(東京)など。2019 年より CSLAB 管理人。 大橋鉄郎 Tetsuro Ohashi  https://tetsuro-ohashi.com/ 1994年北海道札幌市生まれ。open-air_classroom (https://open-air-classroom.org) のメンバーとして活動。出来事や物事、知識や事件に対して表層を撫でるように見ているような現在のイメージの受け取り方に着目し作品を制作している。近年では、写真に写っている物を紙を用いて立体化する作品「3Dモデル」や、ピースをしている女性を描く「ピースシリーズ」を制作している。主な展覧会に、2020 年「第 8 回札幌 500m 美術館賞 入選展」(500m 美術館 / 札幌)、2019 年「いえい、頑張っていこうよ」(salon cojica/札幌)、2019年「あれを見た、それを聞いた。そして触れた。」(ギャラリー門馬 / 札幌)、2018 年「アートプラネッツ 2018」(プラニスホール / 札幌)。 倉敷安耶 Aya Kurashiki  http://aya-kurashiki.com/ 1993 年兵庫県生まれ。2018 年京都造形芸術大学大学院修了。 2020 年東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。公益財団法人佐藤国際文化育英財団 第26期奨学生。公益財団法人クマ財団 第3期奨学生。現在は東京を拠点に活動。 平面作品、パフォーマンス、インスタレーションなど複数のメディアを取り扱い、外部との繋がりを軸に他者との密���なコミュニケーションや共存の模索、またあるいは融合などを試みる。主な活動に2020年入選「シェル美術賞」国立新美術館(東京)、2021年 個展「3rd Mural A~ya Kurashiki Solo exhibition」BnA_WALL(東京)、2021年 個展「そこに詩はない。それは詩ではない。」myheirloom(東京)2021年グランプリ受賞「WATOWA ART AWARD」elephant STUDIO(東京)など。 パクサンヒョン Sanghyun Park  https://sanghyunpark.studio.site/6 1991年韓国ソウル生まれ。個人の歴史と、社会や土地との相即不離な関係を一つの風景として捉え、形ある「モノ」に移す取り組みを行っている。彫刻、映像、インスタレーション、ドローイングなど、多様なメディアを用いることでより素早く身軽な表現の可能性を目指し、都度その風景を新たに構成することを試みる。主な展示に​​"人間臭さを勝ち取るための実践" - Alt_Medium (新宿)2021, "Nomadic Commitment" - New Space PA (原宿)2021, "Home Sweet Home" - Gallery_ooojh (ソウル, 韓国)2021,  "Alter-narratives" (オンライン)2020などがある。 檜皮一彦 Kazuhiko Hiwa 大阪府生まれ。京都造形芸術大学大学院芸術研究科芸術専攻修了。《hiwadrome》なるコアコンセプトのもとに、自身も使用する車椅子や身体性をテーマとしたインスタレーション作品を手掛ける。また、パブリックへの介入「play」を行い、様々な境界や関係性を問い直すムーブメント、映像作品などの制作も行う。近年の展覧会に「第 22 回岡本太郎現代芸術賞展 ( 川崎市岡本太郎美術館 / 2019)」「TOKYO2021 un/real engine ―― 慰霊のエンジニアリング (TODA BUILDING / 2019)」「Kanon:檜皮 一彦 + 檜皮 しよ子 ( 岡本太郎記念館 / 2020)」などがある。主な受賞歴に、2018 年 Art Award Tokyo Marunouchi 2018 グランプリ、2019 年第 22 回岡本太郎現代芸術賞、2020 年 POCORART Vol.9 中村政人賞がある。
3 notes · View notes
petapeta · 5 years ago
Quote
 大正12年、相模湾北西部を震源地とするマグニチュード7.9の関東大震災では、東京の小菅(現・東京拘置所の前身)、市谷(旧・東京拘置所の前身)、巣鴨(旧・東京拘置所と現・府中刑務所の前身)、豊玉(旧中野刑務所)の4刑務所と横浜、浦和(黒羽刑務所の前身)、小田原少年刑務所(現・拘置支所)、千葉の各刑務所は大破し、甲府、静岡の刑務所も災害に遭いました。    この日、小菅刑務所には、懲役10年以上の長期受刑者が約1300人おりましたが、外塀、工場、倉庫などは全壊し、建物の倒壊で受刑者3人が圧死した外、10数人が重軽傷を負う災害を受けました。    その時の小菅刑務所の典獄(刑務所長)は有馬四郎助(59歳)でした。 彼は、警察官から転職し、明治10年代に北海道集治監(当時の国立刑務所)の看守長を振り出しに、網走監獄の長になり、山縣有朋内務卿の懲戒主義に従って、監獄内の暴徒を鎮圧し、規律の乱れを正した功労者でした。    彼は、北海道でいくつかの集治監を勤めていた間、キリスト教の留岡幸助教誨師との出会を機に、次第に、力の行刑から愛の行刑へと転向し、小菅刑務所では、クリスチャン典獄と呼ばれていました。     当時、行刑局では、受刑者には威嚇と苦痛を与え、罪業の重さを感じさせ、法と良心の前に平伏させるべきであるという意見が支配的でしたが、彼はこの方針を批判し、厳しさは同情に根ざしたものであるべきだと主張しました。 この考えに沿って、刑務官が長剣を帯びるのに反対し、規律違反者への減食罰を禁止し、行状の良い受刑者には所内で独歩を認めたほか、横浜刑務所と小菅刑務所の近くに不良少年少女のための感化院を開くなど、彼の進歩的な行動はしばしば刑務所長の権限を越えるものとして、行刑局内では顰蹙を買いました。    こうした彼の方針が試されたのが関東大震災でした。 受刑者たちは、突然、自分たちを閉じ込めていた外塀が全壊したのをまのあたりにしました。 しかし、愛の典獄と慕われていた有馬典獄の恩に報いようと、受刑者たちはこぞって、逃亡しようとする者を引き止め、怪我人を助け、破壊された建物を整理し、広場に建てたテントで数日間生活をしながら、収容しきれない受刑者向けのバラックを��造するなど励みました。 広場には 「典獄」 と墨書したムシロを立て、所長の所在を示し、1日3回、半紙1枚に謄写印刷した教誨文書を配布するなどして心情安定を図りました。    翌日には陸軍工兵隊が駆けつけ、11月半ばまで軍の救援を受けたほか、食料、建築資材を他の刑務所から調達しながら受刑者たちは刑務所の敷地内で生活しました。 その一方で、受刑者500人を他の刑務所へ順次移送しましたが、それまでの間、一人の逃走者も出ませんでした。 この奇跡のような出来事は海外にも伝わり、高く評価されました。    関東大震災で最も大きな被害を受けたのは、横浜でした。 「神奈川県震災誌」 によりますと、当時、横浜市には、約10万世帯、44万人が住んでいましたが、全世帯の95%が罹災(63%が焼失)し、死傷者は,市の人口の7.6%に達しました。 横浜刑務所には受刑者が約1100人いましたが、そのうち死者は48人、重傷者は50人、一方、職員の死者は3人、重傷者は幹部2人、看守そのた16人を出しました。 地震の最初の一撃で居房、倉庫、女子拘置区の一部が倒壊し、それに続く余震でレンガ造りの外塀、工場、舎房、官舎が全壊し、隣接の民家からの出火が構内に燃え移り、受刑者たちも加わっての消火にもかかわらず、断水で夕方までに刑務所はほぼ全焼しました。    構内も付近の学校、寺院など大きな建物も破壊され、受刑者を収容する場所がなく、このため午後6時過ぎ、椎名通蔵所長は監獄法第22条により、傷病者を除いて受刑者821人を集め、解放を宣言し、傷病者は急造のバラックに収容しました。 この時点まで、逃走者は一人も出ませんでした。 食糧の調達は、海軍の協力で無線電信を使い横浜市から米の配給を受けました。 監獄法では、解放した受刑者は24時間以内に刑務所か警察署に出頭することになっていましたが、解放期間を9月8日の午前6時までとし、それまでの間に、565人が自発的に戻り、その後もさみだれ式に戻って来た者もいました。    当時、横浜刑務所は根岸(現在の磯子区)にありましたが、9月8日と9日の両日、営繕工事に必要な受刑者を除いて、430人を磯子海岸からボートに乗せ、巡洋艦夕張で名古屋刑務所へ移送しました。 刑務所の復興計画は直ちに始まり、昭和2年に現在地(港南区)へ移転したのです。    関東大震災では、死刑囚、受刑者、被告人など約千人を収容していた���谷刑務所のほか、巣鴨刑務所、豊玉刑務所でも外塀、建物が倒壊するなど甚大な被害を受けましたが、いずれの施設でも逃走者は出ませんでした。    関東大震災以後の震災では、昭和53年6月の宮城県沖のマグニチュード7.5の地震で、宮城刑務所と隣接する仙台拘置支所の外塀、総延長約2千メートルのうちほぼ半分が倒壊したほか、木造の舎房、工場、などが倒壊し、断水、停電の被害を受けましたが、暴動、逃走事件は起こりませんでした。 また、平成7年1月のマグニチュード7.3の阪神・淡路大震災では、神戸刑務所は深刻な被害は免れましたが、暴動、逃走、その他の保安事故はここでも起こりませんでした。    このような災害時の建物、外塀の倒壊、混乱した生活の中で、何故、日本の受刑者たちは逃走を企てないのでしょうか、これはまだ、科学的に解明されていない問題です。(
災害! そのとき刑務所は : 断想
53 notes · View notes
tadasi-takeuji · 5 years ago
Text
隅田川清洲橋から深川、木場へ向かう
1)清洲橋、清澄庭園、佐賀、福住
江東区深川、木場のmap ☞ 
https://www.google.co.jp/maps/place/〒135-0033+東京都江東区深川/@35.6775692,139.7946479,16z/data=!4m5!3m4!1s0x601889140dbbf4ad:0xad42c5120ad5f8af!8m2!3d35.6763054!4d139.7978028?hl=ja
小名木川万年橋から見た清洲橋
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
広重「名所江戸百景」の「深川州崎十万坪」の鳥瞰図
Tumblr media
広重 名所江戸百景の内「深川州崎十万坪」 雪景色の州崎鳥瞰図
Tumblr media
google erth3Dで観た清洲橋から深川方面。広重の絵が安政4年だから、凡そ230年が経っている。
Tumblr media
下関・久世家の大名屋敷跡の庭園
Tumblr media
永井荷風が嫌った浅野セメント深川工場
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
いったい故人:正はどこまで行くのだろう…..
-----------------------------------------------------------------------------------------
広重の「深川洲崎十万坪」という絵があって江戸幕府終末期の埋立地を鳥瞰する構図になっている。Google earth 3Dでこの辺りを同じように俯瞰してみると隅田川に架かる橋と隅田川東南の洲崎と呼ばれていた湿地帯の様子が分かる。凡そ230年の隔たりのある景観となる。その間の都市の変容は目まぐるしい。
江戸時代初期ころ、海難事故の多かった江戸湊に加えて江戸城に運搬船を通すための水路として、小名木川などの水路を造り、その河口付近の湿地帯を整備した事に始まる。深川木場に紀州から呼ばれた奈良屋、紀伊国屋など材木商が住み着き、江戸の度重なる大火で府内35ヶ所にあった材木商は永代島(現:佐賀)に移転させられた。大火により材木問屋は豪商に成長する。深川木場は岡場所になり職人、町人達の集まる遊興空間として栄えて行く。
荷風の「深川散歩」に清州橋から眺めた隅田川の周辺の描写がある。
「……河の流れが丁度この橋のかかっているあたりを中心にして、ゆるやかに西南の方へと曲っているところから、橋の中ほどに佇立むと、南の方には永代橋、北の方には新大橋の横わっている川筋の眺望が、一目に見渡される………清洲橋をわたった南側には、浅野セメントの製造場が依然として震災の後もむかしに変らず、かの恐しい建物と煙突とを聳かしているが、これとは反対の方向に歩みを運ぶと、窓のない平い倉庫の立ちつづく間に、一条の小道が曲り込んでいて……」
凡そ100年前、大正12年の関東大震災後の清州橋から砂町に至る焼失した空虚な景観を描いている。(宏和:記)
1 note · View note
shunsukessk · 5 years ago
Text
あるいは永遠の未来都市(東雲キャナルコートCODAN生活記)
 都市について語るのは難しい。同様に、自宅や仕事場について語るのも難しい。それを語ることができるのは、おそらく、その中にいながら常にはじき出されている人間か、実際にそこから出てしまった人間だけだろう。わたしにはできるだろうか?  まず、自宅から徒歩三秒のアトリエに移動しよう。北側のカーテンを開けて、掃き出し窓と鉄格子の向こうに団地とタワーマンション、彼方の青空に聳える東京スカイツリーの姿を認める。次に東側の白い引き戸を一枚、二枚とスライドしていき、団地とタワーマンションの窓が反射した陽光がテラスとアトリエを優しく温めるのをじっくりと待つ。その間、テラスに置かれた黒竹がかすかに揺れているのを眺める。外から共用廊下に向かって、つまり左から右へさらさらと葉が靡く。一枚の枯れ��葉が宙に舞う。お前、とわたしは念じる。お前、お隣さんには行くんじゃないぞ。このテラスは、腰よりも低いフェンスによってお隣さんのテラスと接しているのだ。それだけでなく、共用廊下とも接している。エレベーターへと急ぐ人の背中が見える。枯れ葉はテラスと共用廊下との境目に設置されたベンチの上に落ちた。わたしは今日の風の強さを知る。アトリエはまだ温まらない。  徒歩三秒の自宅に戻ろう。リビング・ダイニングのカーテンを開けると、北に向いた壁の一面に「田」の形をしたアルミ製のフレームが現れる。窓はわたしの背より高く、広げた両手より大きかった。真下にはウッドデッキを設えた人工地盤の中庭があって、それを取り囲むように高層の住棟が建ち並び、さらにその外周にタワーマンションが林立している。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。そのちょうど境目に、まるで空に落書きをしようとする鉛筆のように東京スカイツリーが伸びている。  ここから望む風景の中にわたしは何かしらを発見する。たとえば、斜め向かいの部屋の窓に無数の小さな写真が踊っている。その下の鉄格子つきのベランダに男が出てきて、パジャマ姿のままたばこを吸い始める。最上階の渡り廊下では若い男が三脚を据えて西側の風景を撮影している。今日は富士山とレインボーブリッジが綺麗に見えるに違いない。その二つ下の渡り廊下を右から左に、つまり一二号棟から一一号棟に向かって黒いコートの男が横切り、さらに一つ下の渡り廊下を、今度は左から右に向かって若い母親と黄色い帽子の息子が横切っていく。タワーマンションの間を抜けてきた陽光が数百の窓に当たって輝く。たばこを吸っていた男がいつの間にか部屋に戻ってワイシャツにネクタイ姿になっている。六階部分にある共用のテラスでは赤いダウンジャケットの男が外を眺めながら電話をかけている。地上ではフォーマルな洋服に身を包んだ人々が左から右に向かって流れていて、ウッドデッキの上では老婦が杖をついて……いくらでも観察と発見は可能だ。けれども、それを書き留めることはしない。ただ新しい出来事が無数に生成していることを確認するだけだ。世界は死んでいないし、今日の都市は昨日の都市とは異なる何ものかに変化しつつあると認識する。こうして仕事をする準備が整う。
Tumblr media
 東雲キャナルコートCODAN一一号棟に越してきたのは今から四年前だった。内陸部より体感温度が二度ほど低いな、というのが東雲に来て初めに思ったことだ。この土地は海と運河と高速道路に囲まれていて、物流倉庫とバスの車庫とオートバックスがひしめく都市のバックヤードだった。東雲キャナルコートと呼ばれるエリアはその名のとおり運河沿いにある。ただし、東雲運河に沿っているのではなく、辰巳運河に沿っているのだった。かつては三菱製鋼の工場だったと聞いたが、今ではその名残はない。東雲キャナルコートが擁するのは、三千戸の賃貸住宅と三千戸の分譲住宅、大型のイオン、児童・高齢者施設、警察庁などが入る合同庁舎、辰巳運河沿いの区立公園で、エリアの中央部分に都市基盤整備公団(現・都市再生機構/UR)が計画した高層板状の集合住宅群が並ぶ。中央部分は六街区に分けられ、それぞれ著名な建築家が設計者として割り当てられた。そのうち、もっとも南側に位置する一街区は山本理顕による設計で、L字型に連なる一一号棟と一二号棟が中庭を囲むようにして建ち、やや小ぶりの一三号棟が島のように浮かんでいる。この一街区は二〇〇三年七月に竣工した。それから一三年後の二〇一六年五月一四日、わたしと妻は二人で一一号棟の一三階に越してきた。四年の歳月が流れてその部屋を出ることになったとき、わたしはあの限りない循環について思い出していた。
Tumblr media
 アトリエに戻るとそこは既に温まっている。さあ、仕事を始めよう。ものを書くのがわたしの仕事だった。だからまずMacを立ち上げ、テキストエディタかワードを開く。さっきリビング・ダイニングで行った準備運動によって既に意識は覚醒している。ただし、その日の頭とからだのコンディションによってはすぐに書き始められないこともある。そういった場合はアトリエの東側に面したテラスに一時的に避難してもよい。  掃き出し窓を開けてサンダルを履く。黒竹の鉢に水を入れてやる。近くの部屋の原状回復工事に来たと思しき作業服姿の男がこんちは、と挨拶をしてくる。挨拶を返す。お隣さんのテラスにはベビーカーとキックボード、それに傘が四本置かれている。テラスに面した三枚の引き戸はぴったりと閉められている。緑色のボーダー柄があしらわれた、目隠しと防犯を兼ねた白い戸。この戸が開かれることはほとんどなかった。わたしのアトリエや共用廊下から部屋の中が丸見えになってしまうからだ。こちらも条件は同じだが、わたしはアトリエとして使っているので開けているわけだ。とはいえ、お隣さんが戸を開けたときにあまり中を見てしまうと気まずいので、二年前に豊洲のホームセンターで見つけた黒竹を置いた。共用廊下から外側に向かって風が吹いていて、葉が光を食らうように靡いている。この住棟にはところどころに大穴が空いているのでこういうことが起きる。つまり、風向きが反転するのだった。  通風と採光のために設けられた空洞、それがこのテラスだった。ここから東雲キャナルコートCODANのほぼ全体が見渡せる。だが、もう特に集中して観察したりしない。隈研吾が設計した三街区の住棟に陽光が当たっていて、ベランダで父子が日光浴をしていようが、島のような一三号棟の屋上に設置されたソーラーパネルが紺碧に輝いていて、その傍の芝生に二羽の鳩が舞い降りてこようが、伊東豊雄が設計した二街区の住棟で影がゆらめいて、テラスに出てきた老爺が異様にうまいフラフープを披露しようが、気に留めない。アトリエに戻ってどういうふうに書くか、それだけを考える。だから、目の前のすべてはバックグラウンド・ス��ープと化す。ただし、ここに広がるのは上質なそれだった。たとえば、ここにはさまざまな匂いが漂ってきた。雨が降った次の日には海の匂いがした。東京湾の匂いだが、それはいつも微妙に違っていた。同じ匂いはない。生成される現実に呼応して新しい文字の組み合わせが発生する。アトリエに戻ろう。
Tumblr media
 わたしはここで、広島の中心部に建つ巨大な公営住宅、横川という街に形成された魅力的な高架下商店街、シンガポールのベイサイドに屹立するリトル・タイランド、ソウルの中心部を一キロメートルにわたって貫く線状の建築物などについて書いてきた。既に世に出たものもあるし、今から出るものもあるし、たぶん永遠にMacの中に封じ込められると思われるものもある。いずれにせよ、考えてきたことのコアはひとつで、なぜ人は集まって生きるのか、ということだった。  人間の高密度な集合体、つまり都市は、なぜ人類にとって必要なのか?  そしてこの先、都市と人類はいかなる進化を遂げるのか?  あるいは都市は既に死んだ?  人類はかつて都市だった廃墟の上をさまよい続ける?  このアトリエはそういうことを考えるのに最適だった。この一街区そのものが新しい都市をつくるように設計されていたからだ。  実際、ここに来てから、思考のプロセスが根本的に変わった。ここに来るまでの朝の日課といえば、とにかく怒りの炎を燃やすことだった。閉じられた小さなワンルームの中で、自分が外側から遮断され、都市の中にいるにもかかわらず隔離状態にあることに怒り、その怒りを炎上させることで思考を開いた。穴蔵から出ようともがくように。息苦しくて、ひとりで部屋の中で暴れたし、壁や床に穴を開けようと試みることもあった。客観的に見るとかなりやばい奴だったに違いない。けれども、こうした循環は一生続くのだと、当時���わたしは信じて疑わなかった。都市はそもそも息苦しい場所なのだと、そう信じていたのだ。だが、ここに来てからは息苦しさを感じることはなくなった。怒りの炎を燃やす朝の日課は、カーテンを開け、その向こうを観察するあの循環へと置き換えられた。では、怒りは消滅したのか?
Tumblr media
 白く光沢のあるアトリエの床タイルに青空が輝いている。ここにはこの街の上半分がリアルタイムで描き出される。床の隅にはプロジェクトごとに振り分けられた資料の箱が積まれていて、剥き出しの灰色の柱に沿って山積みの本と額に入ったいくつかの写真や絵が並んでいる。デスクは東向きの掃き出し窓の傍に置かれていて、ここからテラスの半分と共用廊下、それに斜向かいの部屋の玄関が見える。このアトリエは空中につくられた庭と道に面しているのだった。斜向かいの玄関ドアには透明のガラスが使用されていて、中の様子が透けて見える。靴を履く住人の姿がガラス越しに浮かんでいる。視線をアトリエ内に戻そう。このアトリエは専用の玄関を有していた。玄関ドアは斜向かいの部屋のそれと異なり、全面が白く塗装された鉄扉だった。玄関の脇にある木製のドアを開けると、そこは既に徒歩三秒の自宅だ。まずキッチンがあって、奥にリビング・ダイニングがあり、その先に自宅用の玄関ドアがあった。だから、このアトリエは自宅と繋がってもいるが、独立してもいた。  午後になると仕事仲間や友人がこのアトリエを訪ねてくることがある。アトリエの玄関から入ってもらってもいいし、共用廊下からテラス経由でアトリエに招き入れてもよい。いずれにせよ、共用廊下からすぐに仕事場に入ることができるので効率的だ。打ち合わせをする場合にはテーブルと椅子をセッティングする。ここでの打ち合わせはいつも妙に捗った。自宅と都市の両方に隣接し、同時に独立してもいるこのアトリエの雰囲気は、最小のものと最大のものとを同時に掴み取るための刺激に満ちている。いくつかの重要なアイデアがここで産み落とされた。議論が白熱し、日が暮れると、徒歩三秒の自宅��妻が用意してくれた料理を囲んだり、東雲の鉄鋼団地に出かけて闇の中にぼうっと浮かぶ屋台で打ち上げを敢行したりした。  こうしてあの循環は完成したかに見えた。わたしはこうして都市への怒りを反転させ都市とともに歩み始めた、と結論づけられそうだった。お前はついに穴蔵から出たのだ、と。本当にそうだろうか?  都市の穴蔵とはそんなに浅いものだったのか?
Tumblr media
 いやぁ、  未来都市ですね、
 ある編集者がこのアトリエでそう言ったことを思い出す。それは決して消えない残響のようにアトリエの中にこだまする。ある濃密な打ち合わせが一段落したあと、おそらくはほとんど無意識に発された言葉だった。  未来都市?  だってこんなの、見たことないですよ。  ああ、そうかもね、とわたしが返して、その会話は流れた。だが、わたしはどこか引っかかっていた。若く鋭い編集者が発した言葉だったから、余計に。未来都市?  ここは現在なのに?  ちょうどそのころ、続けて示唆的な出来事があった。地上に降り、一三号棟の脇の通路を歩いていたときのことだ。団地内の案内図を兼ねたスツールの上に、ピーテル・ブリューゲルの画集が広げられていたのだった。なぜブリューゲルとわかったかといえば、開かれていたページが「バベルの塔」だったからだ。ウィーンの美術史美術館所蔵のものではなく、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵の作品で、天に昇る茶褐色の塔がアクリル製のスツールの上で異様なオーラを放っていた。その画集はしばらくそこにあって、ある日ふいになくなったかと思うと、数日後にまた同じように置かれていた。まるで「もっとよく見ろ」と言わんばかりに。
 おい、お前。このあいだは軽くスルーしただろう。もっとよく見ろ。
 わたしは近寄ってその絵を見た。新しい地面を積み重ねるようにして伸びていく塔。その上には無数の人々の蠢きがあった。塔の建設に従事する労働者たちだった。既に雲の高さに届いた塔はさらに先へと工事が進んでいて、先端部分は焼きたての新しい煉瓦で真っ赤に染まっている。未来都市だな、これは、と思う。それは天地が創造され、原初の人類が文明を築きつつある時代のことだった。その地では人々はひとつの民で、同じ言葉を話していた。だが、人々が天に届くほどの塔をつくろうとしていたそのとき、神は全地の言葉を乱し、人を全地に散らされたのだった。ただし、塔は破壊されたわけではなかった。少なくとも『創世記』にはそのような記述はない。だから、バベルの塔は今なお未来都市であり続けている。決して完成することがないから未来都市なのだ。世界は変わったが、バベルは永遠の未来都市として存在し続ける。
Tumblr media
 ようやく気づいたか。  ああ。  それで?  おれは永遠の未来都市をさまよう亡霊だと?  どうかな、  本当は都市なんか存在しないのか?  どうかな、  すべては幻想だった?  そうだな、  どっちなんだ。  まあ結論を急ぐなよ。  おれはさっさと結論を出して原稿を書かなきゃならないんだよ。  知ってる、だから急ぐなと言ったんだ。  あんたは誰なんだ。  まあ息抜きに歩いてこいよ。  息抜き?  いつもやっているだろう。あの循環だよ。  ああ、わかった……。いや、ちょっと待ってくれ。先に腹ごしらえだ。
 もう昼を過ぎて久しいんだな、と鉄格子越しの風景を一瞥して気づく。陽光は人工地盤上の芝生と一本木を通過して一三号棟の廊下を照らし始めていた。タワーマンションをかすめて赤色のヘリコプターが東へと飛んでいき、青空に白線を引きながら飛行機が西へと進む。もちろん、時間を忘れて書くのは悪いことではない。だが、無理をしすぎるとあとになって深刻な不調に見舞われることになる。だから徒歩三秒の自宅に移動しよう。  キッチンの明かりをつける。ここには陽光が入ってこない。窓側に風呂場とトイレがあるからだ。キッチンの背後に洗面所へと続くドアがある。それを開けると陽光が降り注ぐ。風呂場に入った光が透明なドアを通過して洗面所へと至るのだった。洗面台で手を洗い、鏡に目を向けると、風呂場と窓のサッシと鉄格子と団地とスカイツリーが万華鏡のように複雑な模様を見せる。手を拭いたら、キッチンに戻って冷蔵庫を開け、中を眺める。食材は豊富だった。そのうちの九五パーセントはここから徒歩五分のイオンで仕入れた。で、遅めの昼食はどうする?  豚バラとキャベツで回鍋肉にしてもいいが、飯を炊くのに時間がかかる。そうだな……、カルボナーラでいこう。鍋に湯を沸かして塩を入れ、パスタを茹でる。ベーコンと玉葱、にんにくを刻んでオリーブオイルで炒める。それをボウルに入れ、パルメザンチーズと生卵も加え、茹で上がったパスタを投入する。オリーブオイルとたっぷりの黒胡椒とともにすべてを混ぜ合わせれば、カルボナーラは完成する。もっとも手順の少ない料理のひとつだった。文字の世界に没頭しているときは簡単な料理のほうがいい。逆に、どうにも集中できない日は、複雑な料理に取り組んで思考回路を開くとよい。まあ、何をやっても駄目な日もあるのだが。  リビング・ダイニングの窓際に置かれたテーブルでカルボナーラを食べながら、散歩の計画を練る。籠もって原稿を書く日はできるだけ歩く時間を取るようにしていた。あまり動かないと頭も指先も鈍るからだ。走ってもいいのだが、そこそこ気合いを入れなければならないし、何よりも風景がよく見えない。だから、平均して一時間、長いときで二時間程度の散歩をするのが午後の日課になっていた。たとえば、辰巳運河沿いを南下しながら首都高の高架と森と物流倉庫群を眺めてもいいし、辰巳運河を越えて辰巳団地の中を通り、辰巳の森海浜公園まで行ってもよい。あるいは有明から東雲運河を越えて豊洲市場あたりに出てもいいし、そこからさらに晴海運河を越えて晴海第一公園まで足を伸ばし、日本住宅公団が手がけた最初の高層アパートの跡地に巡礼する手もある。だが、わたしにとってもっとも重要なのは、この東雲キャナルコートCODAN一街区をめぐるルートだった。つまり、空中に張りめぐらされた道を歩いて、東京湾岸のタブラ・ラサに立ち上がった新都市を内側から体感するのだ。  と、このように書くと、何か劇的な旅が想像されるかもしれない。アトリエや事務所、さらにはギャラリーのようなものが住棟内に点在していて、まさに都市を立体化したような人々の躍動が見られると思うかもしれない。生活と仕事が混在した活動が積み重なり、文化と言えるようなものすら発生しつつあるかもしれないと、期待を抱くかもしれない。少なくともわたしはそうだった。実際にここに来るまでは。さて、靴を履いてアトリエの玄関ドアを開けよう。
Tumblr media
 それは二つの世界をめぐる旅だ。一方にここに埋め込まれたはずの思想があり、他方には生成する現実があった。二つの世界は常に並行して存在する。だが、実際に見えているのは現実のほうだけだし、歴史は二つの世界の存在を許さない。とはいえ、わたしが最初に遭遇したのは見えない世界のほうだった。その世界では、実際に都市がひとつの建築として立ち上がっていた。ただ家が集積されただけでなく、その中に住みながら働いたり、ショールームやギャラリーを開設したりすることができて、さまざまな形で人と人とが接続されていた。全体の半数近くを占める透明な玄関ドアの向こうに談笑する人の姿が見え、共用廊下に向かって開かれたテラスで人々は語り合っていた。テラスに向かって設けられた大きな掃き出し窓には、子どもたちが遊ぶ姿や、趣味のコレクション、打ち合わせをする人と人、ア��リエと作品群などが浮かんでいた。それはもはや集合住宅ではなかった。都市で発生する多様で複雑な活動をそのまま受け入れる文化保全地区だった。ゾーニングによって分断された都市の攪拌装置であり、過剰な接続の果てに衰退期を迎えた人類の新・進化論でもあった。  なあ、そうだろう?  応答はない。静かな空中の散歩道だけがある。わたしのアトリエに隣接するテラスとお隣さんのテラスを通り過ぎると、やや薄暗い内廊下のゾーンに入る。日が暮れるまでは照明が半分しか点灯しないので光がいくらか不足するのだった。透明な玄関ドアがあり、その傍の壁に廣村正彰によってデザインされたボーダー柄と部屋番号の表示がある。ボーダー柄は階ごとに色が異なっていて、この一三階は緑だった。少し歩くと右側にエレベーターホールが現れる。外との境界線上にはめ込まれたパンチングメタルから風が吹き込んできて、ぴゅうぴゅうと騒ぐ。普段はここでエレベーターに乗り込むのだが、今日は通り過ぎよう。廊下の両側に玄関と緑色のボーダー柄が点々と続いている。左右に四つの透明な玄関ドアが連なったあと、二つの白く塗装された鉄扉がある。透明な玄関ドアの向こうは見えない。カーテンやブラインドや黒いフィルムによって塞がれているからだ。でも陰鬱な気分になる必要はない。間もなく左右に光が満ちてくる。  コモンテラスと名づけられた空洞のひとつに出た。二階分の大穴が南側と北側に空いていて、共用廊下とテラスとを仕切るフェンスはなく、住民に開放されていた。コモンテラスは住棟内にいくつか存在するが、ここはその中でも最大だ。一四階の高さが通常の一・五倍ほどあるので、一三階と合わせて計二・五階分の空洞になっているのだ。それはさながら、天空の劇場だった。南側には巨大な長方形によって縁取られた東京湾の風景がある。左右と真ん中に計三棟のタワーマンションが陣取り、そのあいだで辰巳運河の水が東京湾に注ぎ、東京ゲートブリッジの橋脚と出会って、「海の森」と名づけられた人工島の縁でしぶきを上げる様が見える。天気のいい日には対岸に広がる千葉の工業地帯とその先の山々まで望むことができた。海から来た風がこのコモンテラスを通過し、東京の内側へと抜けていく。北側にその風景が広がる。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。タワーマンションの陰に隠れて東京スカイツリーは確認できないが、豊洲のビル群が団地の上から頭を覗かせている。眼下にはこの団地を南北に貫くS字アベニューが伸び、一街区と二街区の人工地盤を繋ぐブリッジが横切っていて、長谷川浩己率いるオンサイト計画設計事務所によるランドスケープ・デザインの骨格が見て取れる。  さあ、公演が始まる。コモンテラスの中心に灰色の巨大な柱が伸びている。一三階の共用廊下の上に一四階の共用廊下が浮かんでいる。ガラス製のパネルには「CODAN  Shinonome」の文字が刻まれている。この空間の両側に、六つの部屋が立体的に配置されている。半分は一三階に属し、残りの半分は一四階に属しているのだった。したがって、壁にあしらわれたボーダー柄は緑から青へと遷移する。その色は、掃き出し窓の向こうに設えられた目隠しと防犯を兼ねた引き戸にも連続している。そう、六つの部屋はこのコモンテラスに向かって大きく開くことができた。少なくとも設計上は。引き戸を全開にすれば、六つの部屋の中身がすべて露わになる。それらの部屋の住人たちは観客なのではない。この劇場で物語を紡ぎ出す主役たちなのだった。両サイドに見える美しい風景もここではただの背景にすぎない。近田玲子によって計画された照明がこの空間そのものを照らすように上向きに取り付けられている。ただし、今はまだ点灯していない。わたしはたったひとりで幕が上がるのを待っている。だが、動きはない。戸は厳重に閉じられるか、採光のために数センチだけ開いているかだ。ひとつだけ開かれている戸があるが、レースカーテンで視界が完全に遮られ、窓際にはいくつかの段ボールと紙袋が無造作に積まれていた。風がこのコモンテラスを素通りしていく。
Tumblr media
 ほら、  幕は上がらないだろう、  お前はわかっていたはずだ、ここでは人と出会うことがないと。横浜のことを思い出してみろ。お前はかつて横浜の湾岸に住んでいた。住宅と事務所と店舗が街の中に混在し、近所の雑居ビルやカフェスペースで毎日のように文化的なイベントが催されていて、お前はよくそういうところにふらっと行っていた。で、いくつかの重要な出会いを経験した。つけ加えるなら、そのあたりは山本理顕設計工場の所在地でもあった。だから、東雲に移るとき、お前はそういうものが垂直に立ち上がる様を思い描いていただろう。だが、どうだ?  あのアトリエと自宅は東京の空中にぽつんと浮かんでいるのではないか?  それも悪くない、とお前は言うかもしれない。物書きには都市の孤独な拠点が必要だったのだ、と。多くの人に会って濃密な取材をこなしたあと、ふと自分自身に戻ることができるアトリエを欲していたのだ、と。所詮自分は穴蔵の住人だし、たまに訪ねてくる仕事仲間や友人もいなくはない、と。実際、お前はここではマイノリティだった。ここの住民の大半は幼い子どもを連れた核家族だったし、大人たちのほとんどはこの住棟の外に職場があった。もちろん、二階のウッドデッキ沿いを中心にいくつかの仕事場は存在した。不動産屋、建築家や写真家のアトリエ、ネットショップのオフィス、アメリカのコンサルティング会社の連絡事務所、いくつかの謎の会社、秘かに行われている英会話教室や料理教室、かつては違法民泊らしきものもあった。だが、それもかすかな蠢きにすぎなかった。ほとんどの住民の仕事はどこか別の場所で行われていて、この一街区には活動が積み重ねられず、したがって文化は育たなかったのだ。周囲の住人は頻繁に入れ替わって、コミュニケーションも生まれなかった。お前のアトリエと自宅のまわりにある五軒のうち四軒の住人が、この四年間で入れ替わったのだった。隣人が去ったことにしばらく気づかないことすらあった。何週間か経って新しい住人が入り、透明な玄関ドアが黒い布で塞がれ、テラスに向いた戸が閉じられていくのを、お前は満足して見ていたか?  胸を抉られるような気持ちだったはずだ。  そうした状況にもかかわらず、お前はこの一街区を愛した。家というものにこれほどの帰属意識を持ったことはこれまでになかったはずだ。遠くの街から戻り、暗闇に浮かぶ格子状の光を見たとき、心底ほっとしたし、帰ってきたんだな、と感じただろう。なぜお前はこの一街区を愛したのか?  もちろん、第一には妻との生活が充実したものだったことが挙げられる。そもそも、ここに住むことを提案したのは妻のほうだった。四年前の春だ。「家で仕事をするんだったらここがいいんじゃない?」とお前の妻はあの奇妙な間取りが載った図面を示した。だから、お前が恵まれた環境にいたことは指摘されなければならない。だが、第二に挙げるべきはお前の本性だ。つまり、お前は現実のみに生きているのではない。お前の頭の中には常に想像の世界がある。そのレイヤーを現実に重ねることでようやく生きている。だから、お前はあのアトリエから見える現実に落胆しながら、この都市のような構造体の可能性を想像し続けた。簡単に言えば、この一街区はお前の想像力を搔き立てたのだ。  では、お前は想像の世界に満足したか?  そうではなかった。想像すればするほどに現実との溝は大きく深くなっていった。しばらく想像の世界にいたお前は、どこまでが現実だったのか見失いつつあるだろう。それはとても危険なことだ。だから確認しよう。お前が住む東雲キャナルコートCODAN一街区には四二〇戸の住宅があるが、それはかつて日本住宅公団であり、住宅・都市整備公団であり、都市基盤整備公団であって、今の独立行政法人都市再生機構、つまりURが供給してきた一五〇万戸以上の住宅の中でも特異なものだった。お前が言うようにそれは都市を構築することが目指された。ところが、そこには公団の亡霊としか言い表しようのない矛盾が内包されていた。たとえば、当時の都市基盤整備公団は四二〇戸のうちの三七八戸を一般の住宅にしようとした。だが、設計者の山本理顕は表面上はそれに応じながら、実際には大半の住戸にアトリエや事務所やギャラリーを実装できる仕掛けを忍ばせたのだ。玄関や壁は透明で、仕事場にできる開放的なスペースが用意された。間取りはありとあらゆる活動を受け入れるべく多種多様で、メゾネットやアネックスつきの部屋も存在した。で、実際にそれは東雲の地に建った。それは現実のものとなったのだった。だが、実はここで世界が分岐した。公団およびのちのURは、例の三七八戸を結局、一般の住宅として貸し出した。したがって大半の住戸では、アトリエはまだしも、事務所やギャラリーは現実的に不可だった。ほかに「在宅ワーク型住宅」と呼ばれる部屋が三二戸あるが、不特定多数が出入りしたり、従業員を雇って行ったりする業務は不可とされたし、そもそも、家で仕事をしない人が普通に借りることも��きた。残るは「SOHO住宅」だ。これは確かに事務所やギャラリーとして使うことができる部屋だが、ウッドデッキ沿いの一〇戸にすぎなかった。  結果、この一街区は集合住宅へと回帰した。これがお前の立っている現実だ。都市として運営されていないのだから、都市にならないのは当然の帰結だ。もちろん、ゲリラ的に別の使い方をすることは可能だろう。ここにはそういう人間たちも確かにいる。お前も含めて。だが、お前はもうすぐここから去るのだろう?  こうしてまたひとり、都市を望む者が消えていく。二つの世界はさらに乖離する。まあ、ここではよくあることだ。ブリューゲルの「バベルの塔」、あの絵の中にお前の姿を認めることはできなくなる。  とはいえ、心配は無用だ。誰もそのことに気づかないから。おれだけがそれを知っている。おれは別の場所からそれを見ている。ここでは、永遠の未来都市は循環を脱して都市へと移行した。いずれにせよ、お前が立つ現実とは別世界の話だがな。
Tumblr media
 実際、人には出会わなかった。一四階から二階へ、階段を使ってすべてのフロアを歩いたが、誰とも顔を合わせることはなかった。その間、ずっとあの声が頭の中に響いていた。うるさいな、せっかくひとりで静かに散歩しているのに、と文句を言おうかとも考えたが、やめた。あの声の正体はわからない。どのようにして聞こえているのかもはっきりしない。ただ、ふと何かを諦めようとしたとき、周波数が突然合うような感じで、周囲の雑音が消え、かわりにあの声が聞こえてくる。こちらが応答すれば会話ができるが、黙っていると勝手に喋って、勝手に切り上げてしまう。あまり考えたくなかったことを矢継ぎ早に投げかけてくるので、面倒なときもあるが、重要なヒントをくれもするのだ。  あの声が聞こえていることを除くと、いつもの散歩道だった。まず一三階のコモンテラスの脇にある階段で一四階に上り、一一号棟の共用廊下を東から西へ一直線に歩き、右折して一〇メートルほどの渡り廊下を辿り、一二号棟に到達する。南から北へ一二号棟を踏破すると、���レベーターホールの脇にある階段で一三階に下り、あらためて一三階の共用廊下を歩く。以下同様に、二階まで辿っていく。その間、各階の壁にあしらわれたボーダー柄は青、緑、黄緑、黄、橙、赤、紫、青、緑、黄緑、黄、橙、赤と遷移する。二階に到達したら、人工地盤上のウッドデッキをめぐりながら島のように浮かぶ一三号棟へと移動する。その際、人工地盤に空いた長方形の穴から、地上レベルの駐車場や学童クラブ、子ども写真館の様子が目に入る。一三号棟は一〇階建てで共用廊下も短いので踏破するのにそれほど時間はかからない。二階には集会所があり、住宅は三階から始まる。橙、黄、黄緑、緑、青、紫、赤、橙。  この旅では風景がさまざまに変化する。フロアごとにあしらわれた色については既に述べた。ほかにも、二〇〇もの透明な玄関ドアが住人の個性を露わにする。たとえば、入ってすぐのところに大きなテーブルが置かれた部屋。子どもがつくったと思しき切り絵と人気ユーチューバーのステッカーが浮かぶ部屋。玄関に置かれた飾り棚に仏像や陶器が並べられた部屋。家の一部が透けて見える。とはいえ、透明な玄関ドアの四割近くは完全に閉じられている。ただし、そのやり方にも個性は現れる。たとえば、白い紙で雑に塞がれた玄関ドア。一面が英字新聞で覆われた玄関ドア。鏡面シートが一分の隙もなく貼りつけられた玄関ドア。そうした玄関ドアが共用廊下の両側に現れては消えていく。ときどき、外に向かって開かれた空洞に出会う。この一街区には東西南北に合わせて三六の空洞がある。そのうち、隣接する住戸が占有する空洞はプライベートテラスと呼ばれる。わたしのアトリエに面したテラスがそれだ。部屋からテラスに向かって戸を開くことができるが、ほとんどの戸は閉じられたうえ、テラスは物置になっている。たとえば、山のような箱。不要になった椅子やテーブル。何かを覆う青いビニールシート。その先に広がるこの団地の風景はどこか殺伐としている。一方、共用廊下の両側に広がる空洞、つまりコモンテラスには物が置かれることはないが、テラスに面したほとんどの戸はやはり、閉じられている。ただし、閉じられたボーダー柄の戸とガラスとの間に、その部屋の個性を示すものが置かれることがある。たとえば、黄緑色のボーダー柄を背景としたいくつかの油絵。黄色のボーダー柄の海を漂う古代の船の模型。橙色のボーダー柄と調和する黄色いサーフボードと高波を警告する看板のレプリカ。何かが始まりそうな予感はある。今にも幕が上がりそうな。だが、コモンテラスはいつも無言だった。ある柱の側面にこう書かれている。「コモンテラスで騒ぐこと禁止」と。なるほど、無言でいなければならないわけか。都市として運営されていない、とあの声は言った。  長いあいだ、わたしはこの一街区をさまよっていた。街区の外には出なかった。そろそろアトリエに戻らないとな、と思いながら歩き続けた。その距離と時間は日課の域をとうに超えていて、あの循環を逸脱しつつあった。アトリエに戻ったら、わたしはこのことについて書くだろう。今や、すべての風景は書き留められる。見過ごされてきたものの言語化が行われる。そうしたものが、気の遠くなるほど長いあいだ、連綿と積み重ねられなければ、文化は発生しない。ほら、見えるだろう?  一一号棟と一二号棟とを繋ぐ渡り廊下の上から、東京都心の風景が確認できる。東雲運河の向こうに豊洲市場とレインボーブリッジがあり、遥か遠くに真っ赤に染まった富士山があって、そのあいだの土地に超高層ビルがびっしりと生えている。都市は、瀕死だった。炎は上がっていないが、息も絶え絶えだった。密集すればするほど人々は分断されるのだ。
Tumblr media
 まあいい。そろそろ帰ろう。陽光は地平線の彼方へと姿を消し、かわりに闇が、濃紺から黒へと変化を遂げながらこの街に降りた。もうじき妻が都心の職場から戻るだろう。今日は有楽町のもつ鍋屋で持ち帰りのセットを買ってきてくれるはずだ。有楽町線の有楽町駅から辰巳駅まで地下鉄で移動し、辰巳桜橋を渡ってここまでたどり着く。それまでに締めに投入する飯を炊いておきたい。  わたしは一二号棟一二階のコモンテラスにいる。ここから右斜め先に一一号棟の北側の面が見える。コンクリートで縁取られた四角形が規則正しく並び、ところどころに色とりどりの空洞が光を放っている。緑と青に光る空洞がわたしのアトリエの左隣にあり、黄と黄緑に光る空洞がわたしの自宅のリビング・ダイニングおよびベッドルームの真下にある。家々の窓がひとつ、ひとつと、琥珀色に輝き始めた。そのときだ。わたしのアトリエの明かりが点灯した。妻ではなかった。まだ妻が戻る時間ではないし、そもそも妻は自宅用の玄関ドアから戻る。闇の中に、机とそこに座る人の姿が浮かんでいる。鉄格子とガラス越しだからはっきりしないが、たぶん……男だ。男は机に向かって何かを書いているらしい。テラスから身を乗り出してそれを見る。それは、わたしだった。いつものアトリエで文章を書くわたしだ。だが、何かが違っている。男の手元にはMacがなかった。机の上にあるのは原稿用紙だった。男はそこに万年筆で文字を書き入れ、原稿の束が次々と積み上げられていく。それでわたしは悟った。
 あんたは、もうひとつの世界にいるんだな。  どうかな、  で、さまざまに見逃されてきたものを書き連ねてきたんだろう?  そうだな。
 もうひとりのわたしは立ち上がって、掃き出し窓の近くに寄り、コモンテラスの縁にいるこのわたしに向かって右手を振ってみせた。こっちへ来いよ、と言っているのか、もう行けよ、と言っているのか、どちらとも取れるような、妙に間の抜けた仕草で。
Tumblr media
3 notes · View notes
poddyshobbies · 5 years ago
Text
2019年の連休はJRに乗って(2)竹下→博多、大回り
Holidays in May 2019 ~ (2) Roundabout by JR tains in Fukuoka, the 3rd.
午前中に桂川駅で特急かいおう5号の撮影をした後、竹下駅にやってきて近くでお昼を食べました。大気中の水分が多いのか白っぽい空の色でしたが、気温は上がって5月初旬らしい天候でした。ということで、大回りを敢行することにしました。大回りこそしないものの、同じような人をちらほら見かけた大型連休でした。
YouTube >
原田線上り(車窓から)28分57秒 
日田彦山線上り(後藤寺→西小倉、車窓から)35分18秒
鹿児島本線下り(戸畑駅入線・陣原→遠賀川あたり、車窓から)7分4秒
香椎線下り(香椎→長者原、前面車窓)9分29秒
Tumblr media
竹下駅
Tumblr media
[13:25] 下り電車で原田へ
Tumblr media
(午前に続いて)2度目の原田駅
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
[13:50]
Tumblr media Tumblr media
運転手さんが方向幕を確認して運転席を移動します。
Tumblr media Tumblr media
[13:53] 午前中に通ってきた路線を戻ります。(後方展望)
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
筑前山家
Tumblr media
冷水トンネルを抜けて~筑前内野
Tumblr media
上りの桂川方面へ向かう場合は右手に広がるレンゲ畑
Tumblr media
[14:24] 桂川
Tumblr media Tumblr media
列車は再び折り返して原田へ。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
福北ゆたか線で新飯塚へ
[14:45] 新飯塚
Tumblr media
後藤寺線へ乗り換え~接続は悪くない。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
(今回は後藤寺線の動画はなし。)
[15:11] 田川後藤寺~小学校までの故里
Tumblr media
乗ってきた列車は折り返して新飯塚へ。
Tumblr media
平成筑豊鉄道
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
停車中の日田彦山線の上り列車
Tumblr media
奥に見えるのは留置線の車両。かつては後藤寺機関区があった場所。
昔は跨線橋は無かった記憶あり。先に機関車庫や転車台があった。
Tumblr media
上り方向を見る。平筑の停まっている線路は通過線でずっと続いてた。(今は花壇に。)
Tumblr media Tumblr media
国鉄時代の糸田線や後藤寺線ではキハ35などが走ってました。
下:下り日田彦山線の列車が入線。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
数日前にも見た風景でした。
Tumblr media Tumblr media
[15:20] 下り列車が出発しました。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
上りも出発です。
Tumblr media
[15:22]
Tumblr media
丘の上の右手が今は無きタイル工場、左が鉱石置き場。鉱石置き場でよく遊んでました。鉱石を積んできた無蓋車のトキが道路横に停まってて、触るだけでなく乗ったりしたこともあります。あわや機関車がやってきて連結、そのまま引っ張って行かれそうになったことも。(慌てておりましたが。)
Tumblr media
手前の住宅が建っている場所もかつては線路があった場所。飽きずに貨物の入れ替え作業を見てました。自宅があったのはすぐ近くです。
Tumblr media
赤い跨線橋を渡って小学校へ通ってました。
Tumblr media
下:西日本新聞社「九州鉄道の記憶Ⅳ」加地一雄編より
線路図の左端が上の写真の赤い跨線橋あたりです。
Tumblr media
下:伊田の手前の踏切(上の赤い橋からつながる道路)を越えて。
大きなバイパスができるまでは国道でした。
Tumblr media
保存された炭鉱施設~炭坑節に出てくる煙突
Tumblr media
竪坑櫓
Tumblr media
[15:27] 田川伊田
Tumblr media
下:伊田駅を出た列車はすぐに彦山川を渡ります。写真の右下の小さな建物にはお地蔵様(水難身替り)が祀られてます。
Tumblr media
[15:33] 削られた香春岳(一の岳)
Tumblr media
[15:40] 採銅所
Tumblr media Tumblr media
[15:46] 呼野
Tumblr media
[16:05] 城野
Tumblr media
[16:09]
Tumblr media
[16:13]
Tumblr media
[16:14]
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
日豊本線の電車
Tumblr media Tumblr media
[16:33] 鹿児島本線を下る~若戸大橋
Tumblr media
ホームのモニュメントに目を引かれて下車~戸畑
Tumblr media
[16:40]
Tumblr media
[16:43] 官営八幡製鉄所(東田第一高炉)の史跡~スペースワールド駅
Tumblr media
[16:52] 折尾
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
[17:35] 香椎駅~香椎線下り列車に乗り換え
ディーゼルからデンチャに置き換え完了。
Tumblr media
小さな町のローカル線の風情が続きます。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
[17:50] 長者原~福北ゆたか線と立体交差
Tumblr media Tumblr media
階段を下りて福北ゆたか線に乗り換えです。
福岡県内JR一筆書き乗車の最長コースでした。乗り継ぎ待ち時間のロスがなく4時間半から5時間で回ってこれました。
3 notes · View notes
2ttf · 13 years ago
Text
iFontMaker - Supported Glyphs
Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖרÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱���帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号//  ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
see also How to Edit a Glyph that is not listed on iFontMaker
9 notes · View notes
oniwastagram · 3 years ago
Photo
Tumblr media
📸東福寺 正覚庵庭園 / Tofukuji Shogakuan Temple Garden, Kyoto ——12月11日(日)まで特別公開中! 京都の紅葉の名所『東福寺』🍁の国宝三門から南へすぐ。伊達政依・伊達綱村など鎌倉時代からの伊達家ゆかりの寺院の枯山水庭園“拝茟園”と、白洲次郎の父・白洲文平が築いた近代和風建築“旧白洲屋敷”。 京都・東福寺 正覚庵庭園の紹介は☟ https://oniwa.garden/tofukuji-shogakuan-temple/ ...... 「正覚庵」は京都を代表する寺院の一つ『東福寺』の塔頭寺院。通常非公開ですが、毎年11月23日に“筆供養”🖌が行われ一般公開される“筆の寺”として知られます。 . またここ数年は前述の11月23日以外にも『京都非公開文化財特別公開』でほぼ毎年特別公開。 過去に訪れた京都非公開文化財特別公開では境内撮影不可でしたが今回の11月下旬〜12月の特別公開は(主催が異なることもあって)撮影可でした。客殿の前に広がる庭園を中心に紹介! . 創建は鎌倉時代の1290年と東福寺の塔頭寺院の中でも比較的古い歴史があり、東福寺の5世住持・山叟慧雲(佛智禅師)を開山として鎌倉幕府の御家人・伊達政依(奥州伊達氏の4代目で伊達政宗にとっての先祖)により建立されました。 . 仙台には「京都五山」や「鎌倉五山」⛰を模した「北山五山」(伊達五山)という寺町がありますが、それを設けたのがこの伊達政依なのだとか。 . 関ヶ原の戦いの後の1601年に戦国武将で豊臣秀吉の“五奉行”のひとり・前田玄以の追善のためにその家臣・尾池清左衛門により再興。その際には伏見桃山城の遺構(血天井🩸)が用いられたとか。 . 江戸時代は再び伊達家に信仰され、大名茶人でもあった仙台藩4代目藩主・伊達綱村は堂宇(の部材?)を寄進。 . 明治時代(1883年)に元々現在地にあった『正統院』を統合する形で移転。 1973年(昭和48年)に現在の本堂(旧白洲屋敷)、1986年に書院・庫裡が新築/改築され現在へと至ります。(なので現在見られる庭園も比較的新しい年代のもの) . 一方で庫裡の前にある“筆塚”は正統院だった時代の江戸時代後期から残るもので、“筆の寺”にふさわしく近代〜昭和には日本画家・西山翠嶂、西山英雄、書家・川浪青漣、俳人・川端茅舎など文人墨客が集いました🎨 . まずは書院に面した主庭園“拝茟園”。張り巡らされた苔の中に飛び石や石灯籠が配された枯山水庭園で、今回の特別拝観では頭上の紅葉も美しかった!(写真は一週間ほど前のもの)🍁 書院の中では現代の作家による襖絵も鑑賞できます🖼 続く。 . 京都・東福寺 正覚庵庭園の紹介は☟ https://oniwa.garden/tofukuji-shogakuan-temple/ ------ #庭園 #日本庭園 #京都庭園 #京都紅葉 #建築デザイン #ランドスケープ #京都観光 #京都旅行 #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #beautifulkyoto #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #landscapedesign #kyototemple #庭院 #庭园 #特別拝観 #特別公開 #京都特別拝観 #京都特別公開 #京都穴場 #おにわさん (正覚庵) https://www.instagram.com/p/ClyFGjXvLMB/?igshid=NGJjMDIxMWI=
1 note · View note
generalwonderlandpeace · 5 months ago
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
0 notes
unicodesign · 3 years ago
Text
信濃 追分散策。
連休中、中山道六十九次、二十番目の宿場である追分へ。
昨年の、坂本宿経由碓氷峠越えに続く、中山道宿場シリーズ第二弾、今回は軽井沢から自転車でのぼる。
Tumblr media
まず追分郷土資料館へ。
Tumblr media
軽井沢は、鳥獣や果実・球根類が豊富で縄文時代から高原一帯に広く人が住んでいた、とか、街道としての歴史は古く飛鳥〜平安時代に整備された、関東内陸から北に抜ける東山道から始まっている、とか、どこぞのお殿様に出したお膳の献立とか、色々な『へえ〜』に出会えます。
すぐ隣には、浅間神社。
Tumblr media
宿場の東の入り口には、江戸時代から残る常夜灯。
Tumblr media
まだ残っている桜と遠くには中央アルプスが見える。
Tumblr media
堀辰雄記念館の入り口は、かつての本陣の門が移設されたもの。
Tumblr media
徳川家康が制定した宿駅伝馬制度によって、中山道の宿場となった追分は、北国街道との分岐点として、大変栄えたそうです。
こちら、脇本陣だった油屋。10年前に『信濃追分文化磁場油や』としてアート・クラフト・古本などの展示会場、イベント会場として生まれ変わりました。
Tumblr media
明治17年に碓氷新道(現在の国道旧18号線)が開通し、明治21年に軽井沢〜直江津が開通すると中山道の宿場町は廃れていきましたが、明治末期から堀辰雄や立原道造など文人が数多く逗留したそうです。
Tumblr media
中に入る。
Tumblr media
旅館のころの趣のまま、ギャラリーや店舗が並ぶ。
Tumblr media
2階は宿泊できます。
Tumblr media
かわいいキノコグッズがあったのでマスキングテープを選んで、お会計をお願いしたら『以前はきのこ祭りがあって、きのこ汁をふるまったりしていたのですけど、2011年の震災後、ここがホットスポットなので、町ではきのこは食べないようになって・・・』とお話をしてくださいました。
詳しい方だったら、と思い、この建物の経緯を質問すると、いろいろ詳しく教えてくださって『私は隣の本屋が本拠地なんですが・・・』とおっしゃるので『追分コロニーの?もしかして斎藤さんですか?』とたずねると『そうです』と。雑誌やネットで拝見していた追分再生の発起人である斎藤夫妻の奥様ご本人でした。
油やは、15年前までは旅館として営業していましたが、おかみが体調を崩して他界されたあとしばらくして売りにでていた、なんとか建物を残したいという思いもあったし、最初はこんなに人が来るとも思わなかったので、本の倉庫にしようと思っていた。それが、周囲からの声もあって、協力者があらわれ、ギャラリーや店舗として貸す形になり、営業していない期間に少しずつ手を加えて10年目を迎えているとのこと。当初、建物の状態は悪く、新館と旧館のつなぎ目の雨漏りや、浅間山麓の伏流水が流れる地盤のため下からの湿気もあり、修繕は大変だったとのことですが、古い趣を残しながら、素敵に再生していました。
(201��年に「NPO油やプロジェクト」が設立され、「油屋旅館」建物の保全と有効活用を行いつつ「文化磁場油や」として、本とアートによる町おこしを行なっています)
Tumblr media
12時になって、斎藤さんの本拠地の追分コロニーもオープンしたので、そちらへ。
Tumblr media Tumblr media
中に入ると、いろいろなジャンルの本がびっしりと並んでいました。油やのほうにも本がたくさん並んでいましたが、読みたい本を探しながら楽しめます。
さらに宿場街道を進む。こちらの蔦屋さんは、追分に江戸時代から残る3軒のうちの1軒だそう。
Tumblr media
その先に泉洞寺。
Tumblr media
「堀辰雄が愛した石仏」で、「樹下」という作品にも登場する、歯痛の仏様だそう。
Tumblr media
そして、宿場の西の端までくる。江戸時代から残る3軒のうちの一軒、つがるや。
Tumblr media
徳川家光の時代から実施された参勤交代で大勢の人が泊まるため、本陣、脇本陣というものが設置され、警備のために宿場の入口には枡形の道と土手を築いたそう。(直角の道で見通しがきかず容易に攻め込めない)
その道沿いにあったため、枡形の茶屋と呼ばれる。
Tumblr media
その先に、中山道と北国街道の分かれ道の道しるべとなった「追分の分去れ」
右が左が中山道、右が北国街道。
Tumblr media
来た道を引き返しながら、追分公民館。
Tumblr media
追分にいってみようと思い立ったきっかけの立原道造。軽井沢で名をきく立原道造をずっと詩人だと思っていました。卒業設計の「追分の芸術家コロニー」のことを雑誌で目にして、建築家だったということを知った次第。
立原道三は、24歳の若さで亡くなりますが、縁のあった人たちの思いを受けて、立原道造と同僚であった建築家の武基雄が設計して建てられたもの。
Tumblr media Tumblr media
帰りの18号沿いに一里塚。江戸へ39里、京都へ91里14町の地点。
Tumblr media
軽井沢までだいぶくだって浅間山、綺麗でした。
Tumblr media
また行ってみたい追分、こんどは石尊山に登ってみようと思います。
1 note · View note
yotchan-blog · 8 months ago
Text
2024/10/20 14:00:29現在のニュース
フィギュア・樋口新葉 GP出場14回目で初優勝 クレバーさ光る(毎日新聞, 2024/10/20 13:55:30) 三菱UFJ、auカブコムを完全子会社化 来年1月末にも ネット証券「2強」追う - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/20 13:54:27) 「経団連と共産が同じこと言うなんて…」夫婦別姓めぐり共産・小池氏(朝日新聞, 2024/10/20 13:54:02) 容疑者の車にポリタンク20個、中身はガソリン 首相官邸襲撃(毎日新聞, 2024/10/20 13:48:24) 夫の食事だけ作らない妻、風俗に走る夫 死を招いた壮絶な「家庭内別居」 法廷から([B!]産経新聞, 2024/10/20 13:48:09) スト続くボーイング、「35%の賃上げ」提案 23日に組合員投票へ(朝日新聞, 2024/10/20 13:46:33) 汽車土瓶や倉庫跡が出土 北九州・門司駅遺構の追加発掘調査、最後の説明会([B!]産経新聞, 2024/10/20 13:43:14) 東京メトロが23日株式上場 高���益・利回りに注目集まる - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/20 13:42:46) 首都圏の大動脈、成長戦略は 東京メトロが株式上場 NewsForecast - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/20 13:42:46) ソニー・ホンダ、AIで自動運転の精度向上 年1~2回更新 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/20 13:42:46) 容疑者「闇バイトに応募」 札幌の強盗致傷 金に困り関東から移住か(朝日新聞, 2024/10/20 13:39:31) GPアメリカ 女子・樋口新葉が逆転で悲願のGP初勝利 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/10/20 13:36:22) eye:空気の次に大切なものだった森林鉄道 未来へ残すために | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/10/20 13:36:22) リンクサイド:渡辺倫果 「今はプライドを捨てて…」 スケートアメリカ(毎日新聞, 2024/10/20 13:34:13)
0 notes
shintani22 · 3 years ago
Text
2022年4月17日
Tumblr media
2022 明治安田生命J1リーグ 第9節 ジュビロ磐田 2-2 サンフレッチェ広島@ヤマハスタジアム 7393人/39分 鈴木雄斗、46分 満田誠 → 松本泰志のクロスから磐田オウンゴール、61分 満田誠、89分 ファビアン ゴンザレス
Tumblr media
広島4連勝ならず…磐田、途中出場のF・ゴンザレスが値千金の同点弾(サッカーキング)
5戦未勝利の磐田と3連勝中の広島が激突。磐田のMF遠藤保仁は、前人未到のJ1通算650試合出場を達成した。
試合は22分、磐田にアクシデントが発生する。GK三浦龍輝が筋肉系トラブルでプレー続行不可能となり、アレクセイ・コシェレフとの交代を余儀なくされた。コシェレフは磐田でのリーグ戦初出場となった。
試合の均衡が破れたのは39分、磐田が先制する。左サイドから切り込んだ大森晃太郎のドリブルは途中でカットされるが、こぼれ球はリカルド・グラッサに当たってペナルティエリア手前に流れる。これを回収した鈴木雄斗は、相手の寄せをブロックしながら右足一閃。ゴール右上に突き刺した。
ビハインドで折り返した広島は、後半開始早々に試合を振り出しに戻す。スルーパスに抜け出した松本泰志がペナルティエリア左から折り返すと、グラッサに当たってコースが変わり、ゴールに吸い込まれた。
後半に入ってから攻撃の迫力が増した広島は、61分に逆転する。佐々木翔が左サイドのスペースにロングパスを送り、反応した柏好文はワンタッチでペナルティエリア左の森島司につなげる。森島もダイレクトでグラウンダークロスを送り、ゴール前に飛び込んだ満田誠が合わせてネットを揺らした。
追いかける展開となった磐田は84分に決定機を迎える。83分に投入されたばかりのファビアン・ゴンザレスが左コーナーキックに頭で合わせたが、惜しくも右ポストに阻まれた。
89分、磐田が試合を振り出しに戻す。右サイドを突破した吉長真優がグラウンダークロスを送ると、相手DFはクリアに失敗。ゴール前でルーズボールに反応したF・ゴンザレスが押し込み、J1初ゴールを記録した。
試合はこのまま終了し、勝ち点1を拾った磐田は3試合連続ドローとなった。広島のリーグ戦連勝は3で止まり、J1通算400勝達成はお預けとなった。
次戦は23日に行われるJリーグYBCルヴァンカップ・グループステージ第5節となり、磐田はホームでFC東京、広島はホームで徳島ヴォルティスと対戦する。
Tumblr media
動画:ウクライナ侵攻で核シェルターに再注目 スイス(AFPBB News)
【AFP】ロシアのウクライナ侵攻を受け、スイスでは冷戦(Cold War)時代に造られた核シェルターへの関心が再び高まっている。
1960年代以降、スイスの全自治体には住民のための核シェルター建設が義務付けられている。また一定規模以上の戸建てや集合住宅を建てる場合にも、同様に核シェルターを設置しなければならない。スイスの総人口860万人に対し、確保されているスペースは約900万人分。官民合わせて36万5000か所にシェルターがある。
核シェルターは、チョコレートや銀行、高級時計と並ぶスイスのトレードマークの一つで、これまでは倉庫やワインセラーとして使われてきた。ところが、ロシアがウクライナに侵攻した2月24日以降、本来の役割を見直す動きが起きている。
ロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領は侵攻開始から数日後、核抑止力部隊を厳戒態勢に移行するよう命令し、世界に警戒感が広がった。
さらに、1986年に史上最悪の原発事故を起こしたチョルノービリ(チェルノブイリ、Chernobyl)原発付近をはじめ、ウクライナの原発周辺における激しい戦闘によって、永世中立国のスイスでもウクライナ侵攻の影響を受けるのではないかとの懸念が高まっている。
ジュネーブの国防・市民防衛当局トップ、ニコラ・スキラッチ(Nicola Squillaci)氏は同市郊外メイラン(Meyrin)で、新築集合住宅の地下シェルターを案内しながら、「衝撃波や空気中の放射性物質から」住民を守るのに役立つとAFPに語った。
約150人用のシェルターは普段は倉庫になっているが、排せつ物を微生物によって分解・処理するバイオトイレや、組み立て式簡易ベッド、外気ろ過システムなどが備わっている。「非常口とメイン出口にエアロックがあり、カプセルのようになっています」とスキラッチ氏。「建物が崩壊しても、シェルターには影響はありません」
これまでスイスで核シェルターへの避難命令が実際に出されたことは一度もない。専門家は、シェルター使用の必要性が最も高いのは、国内で原発事故が起きた場合だと指摘している。
しかし、ウクライナ侵攻を受け、「市民からはシェルターに関する質問が数多く寄せられている」とスキラッチ氏は言う。
専門家は、実際の核兵器攻撃に対するシェルターの保護レベルは、攻撃の強度と攻撃地点からの距離に大きく左右されると警告している。
スイス国防省の報道官はAFPに対し、「核シェルターあれば、市民を放射性物質から一時的にはある程度守れる」が、「大規模な核戦争となれば大惨事となり、どの国もその影響を免れることはできないだろう」と述べた。映像は3月25、28日撮影。
Tumblr media
ロシア産木材、ウクライナショックで高騰 マイホーム価格に波及か(朝日新聞)
ロシアによるウクライナ侵攻の影響で、国内の木造住宅で重宝されるロシア産木材の輸入が難しくなっている。「ウッドショック」に続く「ウクライナショック」で、木材価格は最高水準に達した。急激な円安やアルミなどの高騰も重なり、建築コストは膨らむばかり。マイホームの夢はさらに遠のいてしまうのか――。
千葉県鎌ケ谷市にある丸宇木材市売の京葉市場には、ロシア産のアカマツがまだ積まれていた。「垂木(たるき)」と呼ばれる3センチ×4センチ角の棒状で、戸建ての屋根などによく使われるものだ。
「今あるのはこれだけ。次はいつ入るかわかんないよ」
3月31日の市で、残り少ない在庫分が競りにかかると、あっという間に買い付けが入った。同社が扱う輸入材の半分はロシア産で、この日で在庫はすべてが予約済みとなった。
市場長の中島英夫さんが話す。
「先々のストック分も確保しようと、いつもの倍の量を買っていくお客さんが多い。ロシアから次にいつ届くかは見通せない」
直近の取引価格は1立方メートルあたり十数万円で、1年前のほぼ倍。同じ形状の国産スギより2割ほど高い。
競りに参加した材木店の社長が言う。
「消費者にはあまり知られていないが、戸建てにはロシア産が意外によく使われている。大工が好むんだ。釘が抜けにくくて国産より使いやすいんだと言ってね」
世界の森林の2割を国土に持つロシア。日本の木材輸入量では、合板の材料となる単板で8割強、製材で2割弱をロシアが占める。
日本木材輸入協会によると、ロシアからの輸入はカラマツの単板と、製材の一種であるアカマツの垂木が中心だ。木の節が小さく丈夫なのが特徴だという。(藤田知也)
ロシア産ウオッカ輸入禁止 木材・自動車部品38品目(FNNプライムオンライン 4月12日)
ロシア産のウオッカなど、38品目が初の輸入禁止。
ウクライナ侵攻の追加制裁措置として、4月19日から輸入禁止になるのは、ウオッカなどのアルコール類、チップなどの木材、自動車部品などの機械類で、あわせて38品目にのぼる。
経済産業省によると、ロシアからの輸入総額は、2021年の1年間でおよそ1兆5,000億円で、対象品目の輸入額は、そのおよそ1.1%にあたるという。
経産省は、日本の市場全体を見ると、ロシア産の割合は小さく、日本経済への影響は大きくないとしている。
石炭や木材「ロシア産禁輸」で福井県内の企業に打撃 合板価格は2倍…住宅新築にも影響の可能性(福井新聞 4月12日)
政府がウクライナに侵攻したロシアへの追加の経済制裁策として石炭の輸入を禁止する方針を示し、製造工程や工場電力の燃料などにロシア産石炭を利用する福井県内企業が輸入先変更などの代替策を迫られている。追加制裁策には一部木材の禁輸も盛り込まれ、県内の木造住宅新築にも影響が出そうだ。
敦賀セメント(本社敦賀市)は、セメントの焼成工程で使う石炭を全てロシアから輸入している。3月に石炭を搬入したため、今後4カ月ほどのセメント生産に影響はないが、政府の禁輸方針を受け、その後の石炭確保が不透明になっているという。
同社は「他国からの調達を検討しているが、世界的に他の生産国への買い付けが集中し確保が難しくなっており、石炭価格も高騰している」と話す。他国産への切り替えに伴うコスト増などの影響も大きく、「非常に厳しい状況」とした。
また、福井港を管理する県によると、同港を利用してロシア産石炭を輸入し工場電力の燃料などに使っていた嶺北の製造業が、インドネシア産に切り替え、今月中に専用船が入港するという。ウクライナ情勢を受けて輸入先を変更したとみられ、関係者は「海上輸送費が増すなど、企業にとってはコスト負担が重くなっている」とした。
北陸電力は、石炭火力の燃料の一部にロシア産を使用し、敦賀火力発電所も敦賀港で搬入している。2020年度の発電量に占める石炭火力の割合は41%。燃料調達はリスク分散のため、以前から豪州やインドネシア、北米からも輸入しているという。
政府の禁輸方針を受け「豪州やインドネシアの別ルートのほか、アメリカ、カナダなどからの調達に向けて情報収集している」とコメント。石炭価格などの燃料高の影響で電気料金引き上げが懸念されるが、「まずは経営効率化などを図り、現時点で値上げは考えていない」とした。
一方、政府の追加制裁策にはロシア産の一部木材の禁輸も盛り込まれた。木造建築資材卸でプレカット加工を担うクラシス(鯖江市)によると、同国産のアカマツなどが北欧で構造材に製品化されて日本国内で流通しているが、森林認証を行う国際機関がロシア材を「紛争木材」として認証を停止したため、流通も止まっているという。
担当者は「北欧からの住宅建材の輸入量が例年の4~5割減となっており、国内の合板価格も今年に入って2倍近くに高騰している」と話す。米国産や国内材の調達で対応しているが、木材価格の上昇はしばらく続くとみている。
農畜産業で資材高騰 ウクライナ情勢波及―生産者に負担(時事通信 4月18日)
深刻化するウクライナ情勢を背景に、穀物や肥料など農業や畜産業に必要な生産資材の価格高騰が続いている。特に穀物はロシアとウクライナ両国からの輸出減少で価格が大きく上昇。穀物を原材料に含む配合飼料も値上がりし、生産者の負担がかさむ。ただ、販売価格への転嫁は難しく、経営の先行きが見通しにくい状況だ。
「(生産資材の)高騰にもかかわらず、価格に転嫁できない」。全国農業協同組合中央会(JA全中)の中家徹会長は7日の定例記者会見で、生産調整がしにくい野菜など生鮮食品の販売価格は需給動向で決まることが多いと指摘。資材価格の高騰が農家の所得減少に直結すると強調した。
穀物価格は、干ばつによる不作などが原因で高止まり。さらに、ロシアがウクライナに侵攻したことで供給不安に陥り、小麦の先物価格はシカゴ市場で14年ぶりに最高値を更新、穀物相場の影響を受ける飼料価格も急上昇した。政府は価格安定制度の基金を積み増したが、「この先枯渇しかねない」(自民党議員)と懸念する声がある。
肥料も原料価格高騰の影響を受けている。農産物の生育に必要な肥料の原料の一つ、リンは約9割を中国に依存するが、同国の輸出規制を受けて価格が急上昇。カリウムも全体の4分の1をロシアとベラルーシから輸入しており、調達先の変更は必至だ。
全国農業協同組合連合会(全農)は、リンの調達先をモロッコに切り替えるなど、対応に追われる。全農はこの先も肥料原料の国際価格が高値で推移するとみており、今年秋に使用する肥料の価格改定でも値上がりを見込む。
施設園芸の被覆素材や暖房用として使われる原油の価格高騰や、円安による輸入物価押し上げも重なり、生産者は「三重苦だ」と嘆く。政府は4月末までに取りまとめる「総合緊急対策」で、食料の安定供給に向けた支援策を盛り込む予定。ただ、「価格高騰の要因となったウクライナ情勢は見通せず、財源がない中で十分な支援ができるのか」(別の自民党議員)との指摘が出ている。
Tumblr media
【本日 (4/17)の広島県内の感染状況】(広島県)
【国内感染】新型コロナ 26人死亡 3万9291人感染(17日18:15)(NHKニュース)
東京都 新型コロナ 5220人感染確認 先週日曜日より2806人減(NHKニュース)
大阪府 新型コロナ 5人死亡 新たに2707人感染確認(NHKニュース)
Tumblr media
マイナンバーカード「持っている」6割にとどまる 発行しない理由は?(ITmedia)
保険マンモス(東京都港区)は、男女500人を対象にマイナンバーカードについてアンケートを実施した。現在マイナンバーカードを持っていない人は37%に上った。発行しない理由は「メリットがないから」などが挙がった。
保険相談サービスを提供する保険マンモス(東京都港区)は、男女500人を対象にマイナンバーカードについてアンケートを実施した。現在マイナンバーカードを持っていない人は37%に上った。発行しない理由は「メリットがないから」などが挙がった。
マイナンバーカードの取得状況を見てみると、「持っている」と回答した人は63%。制度の開始から6年が経過するが、取得率が高いとは言えない状況だ。
マイナンバーカードを作った人に「なぜ発行したのか」を尋ねると、「ポイントがもらえるから」と回答した人が182人で最多となった。次いで「顔写真付身分証明書、本人確認書類になるから」(140人)、「住民票や印鑑証明書など各種証明書をコンビニで取得できるから」(95人)となった。
マイナンバーカードの発行時期について聞くと、「覚えていない」という答え以外で多かったのが「2021年1月~6月」だった。
総務省によるマイナンバーカードを活用したキャッシュレス還元事業「マイナポイント第1弾」は20年9月にスタートし、当初は21年3月に終了する予定だったが、21年12月末まで延長。同事業が終了する間際に申請した人が多かったとみられる。
マイナポイントは、クレジットカードやQRコード決済などのキャッシュレスサービスを利用して買い物をすると、利用金額の25%のポイントがもらえる。そこで、どの決済サービスを登録したか尋ねてみると、「楽天カード」(66人)と「PayPay」(64人)が上位を占めた。
現在マイナンバーカードを持っていない人に今後発行したいか尋ねると「発行したくない」と回答した人がおよそ6割に達した。「必要性を感じないから」「個人情報の紐づけが嫌」「手続きが面倒そうだから」などの理由が挙がった。ほかにも「個人情報と紐づけられることの安全性が信頼できない」や「作っても更新しなくてはいけないため面倒」なども理由として挙がった。
調査は男女500人を対象に3月30日にインターネットで実施した。
Tumblr media
スマホにマイナンバーカード機能、22年度末までに 推進団体は「日本が世界のデジタル革命を先導する」(ITmedia)
2022年度末までに、スマートフォンへのマイナンバーカード機能が実装される。同機能の官民での利用を推進する、デジタルアイデンティティ推進コンソーシアムの松田学代表理事は「日本が世界のデジタル革命を先導する」と活動への意気込みを話す。
2021年にデジタル改革関連法が成立し、22年度末までに、スマートフォンにマイナンバーカード機能が実装されることが決まった。これにより、マイナカードを使った個人認証機能がスマホで行えるようになるという。
同機能の官民での利用を推進する、デジタルアイデンティティ推進コンソーシアム(DIPC)の松田学代表理事は「(この機能を通して)日本が世界のデジタル革命を先導する」と活動への意気込みを語る。
DIPCは、21年5月に設立した一般社団法人。日本発の認証基盤として、スマホ上での公的認証基盤の利用を民間や地方自治体とともに検討、促進していくことを目的にしている。松田政策研究所の代表で、元衆議院議員の松田学氏が代表理事を務め、情報セキュリティ大学院大学の客員准教授を務める、辻秀則氏ら4人が理事に就いている。
個人認証機能では、マイナンバーの「公的個人認証サービス」をスマホで実現する。この機能を利用する際に個人番号は使わず、マイナカードとは別に、スマホ用の2種類の電子証明書を使う。
スマホをタッチする度に、新しい電子証明書を発行し、本人認証を行う。辻理事は「電子証明書は、スマホのICチップに格納される。そのため、情報が漏れることはないし不正利用はできない」と安全性を説明する。
また辻理事は「億人単位の人口の国で、これだけ大規模な国民IDの電子化を進めるのは、世界に先駆けた事例だ」と話す。「情報格納するのは、ソニーの『FeliCa』を使ったICチップになる。この技術とセキュリティモデルを組み合わせて安全性を担保するのは、日本発ならでは」(辻理事)と日本の独自性をアピールした。
現状では、公的個人認証サービスを事業者が利用するには、認定事業者として登録する必要がある。今後DIPCでは、マイナカードの機能のスマホ搭載に向けて、民間事業者の利用率向上のため、安全性を失わないように登録制度の見直しを行うなど、利用促進のための活動を続けていくとしている。
0 notes
herbiemikeadamski · 3 years ago
Photo
Tumblr media
. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 1月17日(日) #仏滅(乙丑) 旧暦 12/5 冬土用入 月齢 3.9 年始から17日目に当たり、年末まであと348日(閏年では349日)です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . さて4週目の1月も折り返しです。 昨日はドライブ🚘久々に四つ輪 乗りましたけど😅💦高速道路も 久々で高速料金が跳ね上がってる のには驚きました‼️こんなに高く て良いんですかって⤵️私なんか 月給が30年も変わらんのに⤵️⤵️ しかし、四つ輪は楽ですね🤚って かヌクヌクで眠くなりヤバイですよね🤚 いつも二輪だから極寒に慣らされ てるから🤣😂🤣🥶🥶🥶🥶 . 今日一日どなた様も💁‍お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋‍ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマシ���ウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #ウェーク島占拠. 1899(明治32)年1月17日(火)に軍事政策の一環で基地構築の為にアメリカ合衆国が領有宣言した。  第一次世界大戦が起こる15年余りの前の事であるが、アメリカ軍は41年後の1940(昭和15)年には  アメリカ合衆国陸軍と海軍の拠点が設置される事になる。  これは、日本の中心部の東京までの距離が3,198kmの地点にある為、日本国を占拠しようと  計画を企てて居たのでしょう。  しかし、太平洋戦争が開戦と同時の1941(昭和16)12月8日(月)に大日本帝国海軍は攻撃開始。  日本はこの島を占領し、直轄地として「大鳥島」と命名したうえで統治を行った(アメ弱っ💦)。 .  その後も日本による占領・統治が続いたが、連合軍(ABCD同盟陣)が日本の拡大政策を牽制  するという名目の元に二発の原子爆弾や軍人以外への一般平民に武力行使を行い多くの犠牲  を出す事になった為、日本国は降伏せざるを得ない境地まで追いやられました。  その後は連合国の1国であるアメリカ軍による統治に戻ったのである。  そもそも、このウェーク島にはアメリカ本土やハワイ島に居た先住民など無視し占拠するという事には  変わらないのである💢生粋のテロリスト軍団であるのではないかとψ(`∇´)ψケッ!   大の戦争犯罪者はアメリカであると私は言いたいW(=0=)W ガオォー!! .  #大明日(ダイミョウニチ). 民間暦でいう吉日の一つ。  この日は、建築・旅行・婚姻・移転などすべてのことに大吉であって、他の凶日と重なっても忌む必要がないともいう。 . #神吉日(カミヨシニチ). 「かみよしび」ともいい、神社への参拝や、祭礼、先祖を祀るなどの祭事にいいとされています。 . #母倉日(ボソウニチ).  暦で、母が子を育てるように、天が人間をいつくしむという日。 . #月徳日(ゲツトクビ).  家の建築やリフォーム、土を動かすことが良いとされる吉日です。 . #三隣亡. 九星の俗信の一つ。 建築関係において大凶日。 . #第二次オイルショック(#Oilcrisis). 1979年に第二次オイルショック。 . #阪神淡路大震災記念日.  1995(平成7)年1月17日午前5時46分、淡路島北端を震源とする兵庫県南部地震が発生しました。 . #防災とボランティアの日.  1995(平成7)年12月の閣議で制定されました。 . #おむすびの日.  阪神大震災ではボランティアの炊き出しで被災者が励まされたことから、いつまでもこの善意を忘れない為、1月17日を記念日としました。 . #湾岸戦争開戦記念日.  1991(平成3)年、アメリカ軍を主力とする多国籍軍が、イラクとクウェートのイラク軍拠点に攻撃を開始し、湾岸戦争が勃発しました。 . #三十路の日(一月第三日曜日).  神奈川県横浜市の「MISOJI MATSURI 実行委員会」が制定。  20歳の「成人の日」から10年、それぞれの人が積み重ねた経験を元に新たなチャレンジをしていくきっかけの日としてもらうのが目的。 . #尾崎紅葉祭(#静岡県熱海市). . #ひょうご安全の日(兵庫県) . . #国産なす消費拡大の日(毎月17日). . #いなりの日(毎月17日). . #減塩の日(毎月17日). . . ■今日のつぶやき■. #言うは易く行うは難し(イウハヤスクオコナウハカタシ) 【解説】 口で言うだけならどんなことでも簡単だが、実行となると口で言うほど簡単ではないという教え。 . . 1986(昭和61)年1月17日(金) #長谷部優 (#はせべゆう) 【女優/dream、DRMの元メンバー】 〔岐阜県〕 . . (浅草駅) https://www.instagram.com/p/CYznhkUhT1wVEY1R-yWCmnHxz_B1rYMfrQFALM0/?utm_medium=tumblr
0 notes
xf-2 · 7 years ago
Link
 ご家族の高齢化もあり(ということは被害者も高齢化していくということで)、ここしばらく、救出運動の中で「もう待てない」という言葉が何度も語られてきました。
 しかし、今回の米朝首脳会談を基礎にして拉致問題の今後の対応を進めるなら「いつまでかかるか分からないが、まだ待て」ということになります。ストックホルム合意の二の舞です。日朝でやるといっても米国が体制を保証し、米韓合同軍事演習も中止して、場合によっては在韓米軍も撤退させるというのでは北朝鮮の最大の脅威はなくなったわけで、真面目に交渉に応じるはずはないからです。
 日本がカネを出さないといっても、トランプ大統領が「非核化のカネは日本と韓国が出す」と言ったのは安倍総理も何らかの言質を与えたからでしょう。「そのうちうまいこといくからさあ、今は我慢して出しといてよ」と言われても、米国頼みでやってきたのですから断ることはできないでしょう。やり方はどうするのか知りませんが、国民が止めなければ結局その方向に向かうはずです。
 トランプ大統領が米韓合同軍事演習を「挑発的な戦争ゲーム」とし、「カネがかかるからやめる」と言ったのは米国の中でも驚きをもって受け入れられているようです。予測不能な大統領ですからこれからも何をするか分かりません。本当に「もう待てない」なら、今回の米国頼み戦略(?)は失敗だったという認識の上に新たな戦略を立てるべきです。そうしなければミッドウェーの後の帝国海軍のような結果になるのではないでしょうか。
北朝鮮船・船体の一部・遺体の着岸漂流一覧(平成30年6月1日現在確認分) 《平成28年(2016)以前》------------------------------------------------- ※確認出来たものを逐次入れていますが、あくまで氷山の一��です。実際には遥かに多くの事件が起きています 昭和62年(1987) 1月20日 福井沖 漁業資源監視船「ズ・ダン9082号」(約50トン・鉄鋼船)が男女11人を乗せて亡命。(620201読売東京) 平成2年(1990) 10月28日 福井県美浜町久々子海岸 ベニヤ板製の工作子船と思われる船(長さ8.3m幅2.5m 船底からビニール袋に密封された乱数表2枚と換字表1枚、日本製とみられる白紙の手帳)(021030読売東京) 11月2日・11日 美浜町沖合や海岸 遺体2体(20代~40代) 平成10年(1998) 12月2日 島根県隠岐郡西ノ島町 遺体1体(男性) 12月16日 島根県浜田市 遺体1体(女性) 12月16日 島根県隠岐郡五箇村(現隠岐の島町) 遺体1体(北朝鮮軍兵士)(110127読売大阪夕刊) 12月21日 石川県河北郡七塚町(現かほく市)遠塚海岸 遺体1体(女性兵士・労働党候補党員証を身に着けていた)。 12月25日 福井県大飯郡高浜町和田海岸 丸太組みのいかだとロープでつながれた男性遺体3体(軍服姿、腐乱し一部白骨化、死後1~3カ月 30~50代、身長1m60~70センチ 胴体と足に直径約20センチの球形ブイ数個が付いていた)。(101225読売大阪夕刊) 平成11年(1999) 1月14日 福井県三方郡三方町(現三方上中郡若狭町) 遺体1体(北朝鮮軍上佐とみられる。「私たちの船は朝鮮人民軍26局4地区副業船、船籍は元山市」「昨年11月に兵士ら15人が乗船して出港したが機関故障で冠水、漂流した」と書かれたメモや航行に関する書類)(110127読売大阪夕刊) 1月22日 鳥取県鳥取市浜坂鳥取砂丘 遺体1体(北朝鮮軍兵士)(110127読売大阪夕刊) 平成13年(2001) 12月16日 遺体1体(男性・30~60歳 一部白骨化 紺のランニングシャツと緑色のパンツ 死後2~3カ月 数百m離れた場所に男性の北朝鮮公民証)(131231��売東京) 12月 新潟県佐渡市鷲崎海岸 木造船(ハングルで洪原と記載)・遺体1体(赤十字の照会で「1955年生まれで昨年10月8日漁に出たまま行方不明になった」とのこと)(140129読売新潟北版) 平成14年(2002) 1月4日 石川県能美郡根上町(現能美市)山口町グリーンビーチ 木造船(長さ約6m)(140108読売石川版) 1月5日 石川県羽咋市一ノ宮海岸 木造船(長さ約6m 前方にハングルと数字)(140108読売石川版) 1月9日 石川県河北郡宇ノ気町(現かほく市)大崎海岸 木造船(長さ約3m、幅約1.5m 後方にハングルと数字)(140110読売石川版) 1月11日 石川県羽咋市大川町釜屋海岸5日の木造船漂着地の南500m 鉄製船(長さ約5.9m幅約1.5m船首に文字らしきもの) 3月19日 石川県輪島市小池町海岸 木造船(長さ6.5m幅2.5m 後部に発動機。船首部分内側にハングルが書かれたプレート)(140320読売石川版) 4月11日 北海道爾志郡熊石町(現二海郡八雲町)見日海岸 木造船(長さ約6m70センチ幅約1m50センチ 船尾にスクリューがあったがさびて動かずエンジンも付いていなかった)(140411読売札幌版夕刊) 12月28日 石川県河北郡内灘町宮様海岸 遺体1体(身長約1m62、20~50歳、死後1~6カ月、金日成バッジ) 平成15年(2003) 1月10日 新潟県岩船郡粟島浦村釜谷の消波ブロック 遺体1体(頭部白骨化、身長約1m70、黒の長袖シャツと黒の靴下)・木造船(長さ約9m幅約2m船首部分に漁網) 3月5日 新潟県柏崎市海岸 遺体1体(男性・20~40歳 下半身のみ 165㎝  茶色作業ズボン、青色ももひき、黒色半ズボン、北朝鮮紙幣死後半年前後) 平成16年(2004) 12月2日 新潟県佐渡市 遺体1体(男性 40~60歳 152.5㎝ B型カーキ色軍服様長袖、カーキ色軍服様長袖シャツ、グレーハイネックセーター、青色長袖シャツ、茶色ベルト) 平成18年(2006) 1月4日 京都府舞鶴海上保安部管内 木造船(180131読売大阪朝刊) 1月 鳥取県内に4隻の木造船が漂着(180126読売大阪朝刊) 1月24日 鳥取県西伯郡大山町 木造船(180126読売大阪朝刊) 1月25日 鳥取県鳥取市伏野海岸 木造船(長さ5.65m幅1.4m)(180126読売大阪朝刊) 1月30日 京都府京丹後市久美浜町箱石海岸 木造船(180131読売大阪朝刊) 平成19年(2007) 6月 青森県西津軽郡深浦町 木造船・生存者4人 (191227読売東京夕刊記事)11月中旬以降北朝鮮からの木造船16隻が漂着、新潟と石川の海岸が大部分。 平成20年(2008) 1月10日 福井県福井市西二ツ屋町海岸 木造船(長さ約6m幅約1.5m 船尾に船外機、船首にハングルが彫られていた)(200112読売大阪朝刊) 3月26日 秋田県男鹿市北浦入道崎海岸 木造船(長さ約5.8m幅約1.4m 側面や船尾にハングル)(200326読売秋田版) 平成23年(2011) 9月 輪島市沖合で木造船に乗った脱北者9人を救助(後に韓国に移送) 9月26日福井県三方郡美浜町関電美浜原発敷地内の岩場 木造船の一部(230927読売大阪朝刊) 平成24年(2012) 1月6日 島根県隠岐郡隠岐の島町那久岬沖 木造船・生存者3人(9日に北に引き渡し)・遺体1体(241224読売島根版) 1月19日 島根県隠岐郡隠岐の島町 木造船(241224読売島根版) 2月22日 島根県隠岐郡隠岐の島町 木造船(241224読売島根版) 2月27日 島根県隠岐郡海士町 木造船(241224読売島根版) 4月4日 島根県隠岐郡隠岐の島町 木造船(241224読売島根版) 11月28日 新潟県佐渡市大小海岸 木造船(長さ約12.8m幅約3.4m エンジン 船首にハングル 捕った魚を保管するスペース)・遺体5体(成人男性 雨具とみられるビニール製のズボンを履き、船内に長靴 死後2~3カ月 一部白骨化 長時間海水に漬かっていた形跡があり、船が一度沈没した可能性 1体は推定年齢30~40歳代前後、身長約170cm、長袖灰色シャツ、紫色ハイネックセーター、赤色半袖Tシャツ、 下衣は紺色ナイロン製ズボン、灰色ズボン、水色スウェットズボン、 黒色ボクサーパンツ、黒色靴下ほか紳士用黒色デジタル腕時計着用)(241129読売新潟版他) 12月1日 新潟県佐渡市赤泊杉野浦の海上 木造船(長さ約10m 船内からイカ釣り用の針)・遺体1体(年齢40~50歳前後の男性 死後1~2カ月 胃の中に食べ物なし 遺体は屍蝋化 身長約167cm、 着衣は緑色ニット帽、紺色フード付長袖ジャンパー、黒色長袖作業着、紺色ベスト、 胸に鷲マーク入り紺色長袖トレーナー、紺色ランニングシャツ、 下衣は灰色防寒ズボン、ホック式ベルト、紺色ビニール製ズボン、こげ茶色股引、 緑色ブリーフパンツ、両足に白色と小豆色の格子柄靴下、 ゴム製長靴(サイズ25.0cm、上部中央ハングル)着用) 12月1日 新潟県佐渡市北鵜島の海岸 木造船の一部(右舷部分とみられる長さ約4メートルの木片 船首付近にハングルと数字) 上記の者は、平成24年12月1日午後0時13分頃、佐渡市において、 転覆した木造船内にて遺体で発見され死後1~2カ月経過していると推定されます。 遺体は火葬に付し、遺骨は当市の真楽寺にて保管)。12月12日 石川県輪島市 木造船(長さ約11m幅約3.5m 船首両横にハングル、漁網や釣り針)内から遺体1体(一部白骨化) (270110読売記事では「輪島市沖合で木造船の漂着や漂流が相次ぎ、漂流した船体の近くで3遺体が見つかる」) 平成25年(2013) 11月15日 新潟県佐渡市沖の海、姫津沖約5.5キロ、木造船(船尾水没 操舵室上部に赤い塗料でハングル、ジャンパーのような衣類) 12月18日 新潟県岩船郡粟島浦村 木造船(長さ約12m・幅約3.5m 船首にハングル 船内からイカ釣り漁の針や「朝鮮平壌」と書かれた箸)・遺体1体(身長約1m75センチ、防寒ジャンパー着用・死後数週間)(251218読売東京朝刊) 12月25日 秋田県男鹿市北浦湯本 木造船(長さ約12m幅約3.5m船内に漁網など)・遺体3体(251225読売秋田版)※300512時点でも現存 12月28日 新潟県長岡市寺泊野積海岸 木造船(長さ8.25m幅2m 船首に数字やハングル)(251229読売新潟南版) 12月29日 新潟県柏崎市西山町石地海岸 木造船(長さ6.6m幅1.7m 船首に数字やハングル)(251230読売新潟南版) 平成26年(2014) 8月 石川県珠洲市沖合で北朝鮮船の乗組員4人救助(後に大連経由で帰国) 平成27年(2015) 1月9日 石川県羽咋郡志賀町安部屋漁港北400m 木造船・生存者1人(服などが入っている透明ビニール袋を所持 61歳 後に帰国) 7月23日 青森県下北郡佐井村矢越漁港 木造船1隻(271209読売) 10月27日 青森県下北郡佐井村福浦漁港 木造船1隻・遺体1体(271209読売) 11月1日 秋田県山本郡三種町沖 木造船(271209読売) 11月2日 秋田県男鹿市 木造船(271209読売) 11月14日 新潟県佐渡市岩首漁港沖 木造船(長さ約13m幅約3m 黒ずんだ船体にハングル リュックサックに金正日バッジ)・遺体1体(上下黒の衣服)荒天のため12月2日に海保が引き揚げ発表 11月 石川県輪島市沖木造船3隻・遺体10体(産経ニュース・ TBS動画ニュースサイト・毎日新聞11月28日) 11月6日 北海道松前町沖 木造船・遺体2体(271107読売東京朝刊) 11月14日 新潟県佐渡市沖 木造船・遺体1体(271209読売) 11月19日 秋田県能代市沖 木造船・遺体2体(271209読売) 11月20日 石川県輪島市沖 木造船3隻・遺体10体(271209読売) 11月22日 福井県越前町沖 木造船・最低でも7人とみられる遺体・遺骨(271209読売) 11月22日 新潟県佐渡市沖 木造船(271209読売) 11月23日 石川県輪島市沖 木造船の一部(271209読売) 12月2日 青森県下北郡佐井村長後牛滝漁港 木造船(船内にハングルの書かれた救命胴衣)・遺体4体(海保の司法解剖結果で死後1~6カ月経過���靴にハングル)(271207・1209読売東京朝刊) 12月2日 兵庫県美方郡新温泉町沖 木造船の一部(271209読売) 12月7日 石川県金沢市沖 木造船(271209読売) 平成28年(2016) 5月20日 青森県下北郡風間浦村易国間桑畑漁港近く 木造船(長さ約6.7m幅約1.5m 左舷船首部分にハングル)(280522読売青森版) 6月5日 青森県むつ市大畑町大畠漁港沖 木造船(全長約9m幅約2.3m 船体に海藻が付着 右舷船首部分にハングル)(280607読売青森版) 10月17日 青森県西津軽郡深浦町沖(十二湖駅近くの岸壁に引航) 木造船(281018読売青森版) 10月18日 青森県下北郡佐井村沖 木造船(長さ12m ズック、手袋、靴下など)(281029読売青森版他) 10月29日 青森県下北郡佐井村牛滝漁港 木造船(長さ6.2m幅2.53m)(281029読売青森版) 10月30日 青森県つがる市七里長浜 木造船(長さ16.2m幅4m 船首に赤色数字 船内にロープや網)(281101読売青森版) 12月5日 京都府舞鶴市 木造船(北朝鮮5000ウォン紙幣2枚、漁具など)・遺体9体(一部白骨化)(TBSあさチャン) 《平成29年(2017)以降》--------------------------------------------------- ※出典については逐次書き加えています。石川関連のほとんどが北國新聞、新潟関連の大半は新潟日報の記事です。 平成29年(2017) 1月1日 新潟県糸魚川市筒石 木造船の一部 1月6日 新潟県上越市柿崎区 木造船 1月6日 福井県三方郡美浜町菅浜弁天崎南1キロ 木造船(船体にハングルのような文字 船内にエンジンの一部とドラム缶)(290106読売大阪朝刊) 1月7日 福井県小浜市犬熊 木造船 2月7日 島根県隠岐郡隠岐の島町神尾 木造船 2月11日 石川県金沢市 木造船 2月15日 京都府京丹後市間人 木造船 2月15日 京都府舞鶴市瀬崎海岸 木造船 3月8日 島根県隠岐郡隠岐の島町油井 木造船 3月14日 石川県輪島市門前町 木造船の一部 3月18日 石川県羽咋郡宝達志水町 木造船(長さ約5m幅約1.5m 船尾の白い板にハングル)(271209読売) 3月22日 石川県羽咋市寺家町 木造船 3月28日 京都府京丹後市 木造船 4月28日 秋田県男鹿市入道崎灯台西300m 木造船(長さ約10m幅約5m)・遺体1体 5月1日 北海道函館市函館港 木造船の一部 5月2日 新潟県佐渡市石名地区 木造船 6月1日 新潟県佐渡市鷲崎地内 木造船 6月26日 兵庫県香住町余部海沖 木造船(「0제16749」と記載 男性遺体1体身長約168センチ) 7月31日 島根県隠岐郡隠岐の島町福浦 木造船の一部 8月9日 島根県隠岐郡西ノ島町三度埼 木造船 9月6日 青森県西津軽郡深浦町大間越 木造船 9月25日 北海道室蘭市東町 木造船の一部 11月7日 新潟県佐渡市羽茂三瀬地区 木造船(長さ13.7m幅3.7m 「888-88879」の数字記載) 11月15日 秋田県西400キロ沖(大和堆北方EEZ外)転覆した木造船 3名救助 11月16日 秋田県西沖(大和堆)木造船 遺体4体 11月16日 秋田県にかほ市 木造船 11月19日 青森県北津軽郡中泊町小泊 木造船(長さ8.7m) 船体にハングル表記 11月20日 青森県西津軽郡深浦町大間越 木造船(長さ12.6m 「913185」の数字記載。スクリューやエンジンが残っていた)周辺で救命胴衣6個発見 11月21日 山形県鶴岡市暮坪海岸 木造船(長さ7m) 船体にハングルや「89829」の数字が記載(庄内ブルーリボンの会資料には全長10mとの記載あり) 11月23日 新潟県佐渡市南片辺 木造船(長さ約10m幅約2m 船体にハングルと数字が記載 エンジン 周辺から漁網やイカ釣り針、防寒具など) 11月23日 秋田県由利本荘市マリーナ 木造船(長さ20m) プレートにハングルで「チョンジン」と記載。生存者8名 内2名が近くの民家に行ってインターフォンを鳴らしたことで上陸が分かる(従って検疫を受けずに上陸した9。証拠品である船はマリーナに係留していたが県警が見失い、後に破片の一部を回収。 11月24日 秋田県男鹿市宮沢 木造船(長さ約14m幅約3.2m 船首付近に「556-60756」と記載)・遺体8体(白骨化)・北朝鮮製たばこ等 11月25日 新潟県佐渡市藻浦崎 木造船の一部(「88737」の記載)・遺体1体 11月26日 新潟県佐渡市石花 遺体1体 11月26日 北海道松前郡松前町小浜 木造船の一部(船首部分長さ4m 黒く塗られ数字のようなもの記載) 11月26ないし27日 青森県西津軽郡深浦町艫作(へなし)椿山展望台西200m 木造船(船首部分に「2093」の数字が記載) 11月27日 石川県羽咋郡志賀町西海 木造船の一部 11月27日 石川県羽咋市 木造船 11月27日 石川県珠洲市三崎町小泊沖 漂流船(長さ12m幅2.5m 船内に「264軍部隊 軍船」と記載された紙片) 11月27日 青森県下北郡佐井村 木造船(長さ12.3m幅3.6m 船首に115489 エンジン付き 後部は一部破損するも櫓はほぼ原型) サイズ24センチ男物革靴(ヒールの高いシークレットブーツ様のもの)と英文の書かれたジャケット(要確認) 11月28日 北海道松前郡松前町松前小島 木造船(長さ約10m 「朝鮮人民軍第854部隊」との記載)・生存者10名 11月28日 山形県鶴岡市鼠ヶ関沖 木造船・遺体3体(うち2体の衣服に金日成バッジ) 12月2日鶴岡市温見漂着、12月4日遺体漂着 11月28日 石川県輪島市舳倉島沖 漂流船2隻 11月30日乗組員21名が北朝鮮僚船に救助される。 11月30日 新潟県佐渡市藻浦崎 遺体1体(地元で聞いた話では遺体はなかったとのこと) 12月1日 青森県西津軽郡深浦町森山海岸 木造船(長さ約10m幅約2.4m) 12月1日 新潟県佐渡市両津湾 木造船 12月1日 山形県鶴岡市鼠ヶ関マリーナ 木造船の一部 12月2日 新潟県佐渡市小木江積海岸 木造船(長さ約9.8m幅約2.3m)・遺体2体 12月2日 秋田県山本郡八峰町八森岩館付近海岸 木造船(ハングルの書かれたバケツ)・遺体1体 12月2日 山形県鶴岡市米子漁港 木造船(長さ10m弱)遺体3体(4日に漂着 庄内ブルーリボンの会) 12月4日 新潟県柏崎市西山町石地付近 木造船の一部 12月4日 新潟県長岡市寺泊大和田 木造船 12月4日 新潟県新潟市西蒲区角田浜沖 木造船 12月4日 秋田県にかほ市海水浴場 木造船の一部(ハングルの書かれたバケツ、缶詰)・遺体1体 12月4日 青森県西津軽郡深浦町北金ヶ沢 木造船(12日に遺体→別記) 12月5日 新潟県佐渡市高千漁港 木造船(幅約3.1m) 12月5日 新潟県新潟市 木造船漂流(ブロックに衝突し大破)・遺体2体 12月5日 山形県鶴岡市マリーンパーク鼠ヶ関 木造船の一部(庄内ブルーリボンの会) 12月6日 青森県西津軽郡深浦町入良川河口付近 木造船(「915430」と記載) 12月7日 秋田県男鹿市五里合漁港北100m砂浜 木造船(「913300」と記載)・遺体2体 12月7日 秋田県山本郡三種町 木造船1隻(ハングル表記のライフジャケット) 12月7日 新潟県佐渡市北狄(きたえびす)地区海岸 木造船・遺体1体 12月7日 新潟県佐渡市和木沖 木造船・遺体1体 12月7日 福井県坂井市三国町サンセットビーチ 木造船の一部 12月7日 山形県鶴岡市マリーンパーク鼠ヶ関 木造船の一部(庄内ブルーリボンの会) 12月8日 新潟県佐渡市水津漁港 木造船の一部(幅約2.8m)・後に男性の遺体1体発見 12月8日 石川県珠洲市長橋町 木造船の一部(後に流出し2月22日珠洲市大谷町海岸に漂着) 12月9日 石川県珠洲市笹波町 遺体1体(一部白骨化し性別不明 死語数か月 セーター、シャツ着用 12月9日 新潟県村上市府屋海岸 木造船 12月9日 新潟県佐渡市岩谷口海岸 遺体1体 12月9日 新潟県佐渡市姫崎沖 遺体1体 12月10日 山形県鶴岡市堅苔沢海岸 遺体1体(上半身のみ) 12月10日 新潟県佐渡市石名沖 木造船(幅約3m) 12月12日 新潟県柏崎市荒浜 木造船・遺体2体遺体は白骨化しており、服や身の回りの物も無かった。船はその後産業廃棄物として処理。白骨化した遺体は火葬後、無縁仏として埋葬。 12月12日 新潟県村上市沖 木造船 12月12日 青森県西津軽郡深浦町十二湖海浜公園 木造船(「912358」と記載) 12月12日 新潟県佐渡市宿根木 木造船の一部 12月12日 青森県西津軽郡深浦町北金ヶ沢千畳敷橋付近海上 遺体3体(12月4日の漂着船が岩にぶつかって破損し中から流れ出たものと思われる) 12月12日~13日 石川県羽咋市 木造船の一部 12月13日 山形県遊佐町吹浦西浜海岸周辺 遺体1体 12月13日 山形県鶴岡市鼠ヶ関マリーナ 木造船の一部 12月13日 秋田県潟上市出戸浜海水浴場付近 木造船・遺体2体 12月13日 秋田県男鹿市北浦入道崎灯台南約2km 木造船(長さ7m幅1.9m) 12月13日 秋田県秋田市浜田 遺体1体 12月13日 新潟県村上市瀬波温泉海岸 木造船(「632-90452」と記載) 12月13日 新潟県胎内市松浜海岸 木造船 12月14日 秋田県秋田市雄物川河口近く 木造船2隻・遺体6体 12月14日 青森県西津軽郡深浦町白神浜 遺体1体 木造船の一部 12月14日 新潟県長岡市寺泊郷本海岸 木造船・人骨5本 12月14日 新潟県佐渡市鵜ノ瀬鼻沖 木造船(全長約13.5m幅約3m) 12月14日~15日 石川県羽咋市志賀町 木造船の一部 12月15日 石川県金沢市金沢港沖 木造船 12月15日 新潟県佐渡市下相川 木造船(長さ約13m幅約3m 岩場で大破したがそれ以前はイカを干すヤグラや集魚灯の一部も残っていた) 12月15日 青森県下北郡佐井村津鼻崎南 木造船(船首に「567-66341」)1週間前の漂流時には船全体の形があったがその後時化で崩壊し海岸に各部分が海岸に漂着) 12月15日 山形県鶴岡市五十川海岸 遺体1体 12月16日 石川県羽咋市千里浜インター付近 木造船の一部 12月16日 青森県深浦町田野沢 木造船(「547-66205」と記載) 12月17日 石川県珠洲市 木造船の一部  12月18日 新潟県佐渡市鷲崎沖 木造船 12月18日 山形県鶴岡市湯野浜海岸 木造船(長さ10m弱) 12月19日 秋田県にかほ市飛字餅田海岸 木造船・遺体2体 12月19日 石川県羽咋郡志賀町 漂流船(海保は発見できず) 12月20日 石川県羽咋郡志賀町 富来漁港(西海漁港) 漂着船 12月21日 新潟県佐渡市関岬 木造船(長さ11.6m幅2.75m 船首にハングル表示) 12月21日 新潟東港沖18キロ 木造船 12月21日 新潟県岩船郡粟島浦村釜谷 木造船の一部(縦1.5m横1.2m) 12月21日 青森県下北郡佐井村沖 木造船(転覆した状態で網にひっかかっていた 船尾に「0-세・98180단천」)・遺体4体(佐井村資料には記載なし)佐井村資料には女性もののようなビニールと思われるバッグ、ライフジャケットなどが写っている。バッグの中身はタバコ、タオル、歯ブラシ、書類らしきものなど) 12月23日 石川県羽咋郡志賀町 木造船(長さ約8.4m幅約2.2m 15日に金沢港沖を漂流していた船と同じ番号が船体に記載) 12月24日 新潟県新潟市 新潟港沖12キロ 木造船(21日のものと同じ可能性あり) 12月24日 山形県鶴岡市油戸漁港付近 木造船の一部・周辺に遺体4体 12月24日 山形県酒田市浜中海水浴場周辺 遺体1体(星型マークがバックルに付いた布製ベルト) 12月25日 新潟県佐渡市羽茂大橋 木造船(長さ約10m、幅約2.2m) 12月29日 鳥取県鳥取市気高町奥沢見海岸 遺体1体(ハングルが書かれたタグのついた黒い長袖ジャージと長袖Tシャツ、ズボン下着用。身長約170センチ、頭部はほぼ白骨化) 12月29日 新潟県新潟市西蒲区越前浜海岸 木造船の一部(長さ3m幅1.6m高さ1.43m 煙突あり) 平成30年(2018) 1月2日 新潟県村上市馬下(まおろし)地先海岸 木造船(長さ10.5m幅3.0m) 1月4日 秋田県山本郡三種町釜谷浜海水浴場 木造船の一部(長さ約8.1m幅約2m 船底及びスクリュー) 1月4日 新潟県佐渡市北田野浦 木造船の一部 1月4日 新潟県柏崎市西山町大崎地先海岸 木造船の一部(船尾部分長さ1.9m幅1.9m) 1月4日 秋田県山本郡三種町釜屋浜海水浴場南側���木造船の一部(船底部分長さ8.1m幅2.0m) 1月4日 石川県羽咋郡志賀町 遺体1体(推定年齢30~50歳・身長約164センチ・黒色系のジャンパーやシャツ、ズボン着用。ハングルが書かれたタバコ、腕時計、電池、紙束などを所持。 1月5日 新潟県佐渡市相川鹿伏 木造船の一部 1月5日 石川県白山市沖 木造船(長さ約13m幅約3.5m 船首にハングル) その後不明 1月6日 秋田県由利本荘市松ヶ崎漁港 木造船の一部(長さ4m幅約2m 白地に赤の数字) 1月7日 京都府京丹後市網野町 木造船(長さ約10m幅約3m ハングルのような文字の書かれた板が付近に漂着) 1月7日 新潟県佐渡市入桑漁港 木造船の一部 1月8日 新潟県新潟市西蒲区間瀬海岸 木造船(長さ約5m幅約1.5m) 1月8日 秋田県男鹿市野石申川海岸若美漁港南1km砂浜 木造船の一部(長さ約7.7m幅約1.9m船底とエンジン) 1月10日 金沢市下安原町安原海岸 遺体1体(年齢不詳顔などの一部が白骨化。黒色のジャンパーと青色のズボンを着用。身元や国籍の分かるものは身に着けていなかった) 木造船(遺体から15mの距離 長さ16m幅高さともに3m 船尾にプロペラ 船体にハングルや数字などの標記見つからず 船内から16日7遺体発見 船首付近に4人、真ん中あたりに3人が折り重なるように倒れていた。セーターやトレーナーを着ており目立った外傷はなかった。 金日成と金正日の並んだバッジ1個) 1月21日 新潟県粟島八幡神社から200mの海岸 木造船の一部(船尾 長さ1.2m幅1.3mのコの字型 赤字でハングル2文字が書かれていた) 1月24日 石川県羽咋郡志賀町西海千ノ浦海岸 木造船(長さ8.15m幅1.9m高さ1m平底型 船体に白く614という番号記載 コールタールのようなもので塗装、傷み激しく長期間漂流したものと推定 近くに「10465료대」と書いた木片あり) 1月24日 山形県鶴岡市湯野浜海岸 木造船(長さ5.45m幅1.5m) 1月28日 石川県羽咋市新保町(志雄パーキングエリアの北約400m)木造船(長さ5.871m、幅1.87m 船体に黒い塗料。目立った損傷なし ハングルと「9-964」の記載) 1月30日 石川県羽咋郡志賀町大津、上野の境界近くの海岸 木造船の一部。不鮮明だが「3682370」と白い文字で船体に記載。 1月31日 山形県鶴岡市マリンパーク鼠ヶ関 木造船の一部 2月2日 石川県金沢港北西約64キロ沖 木造船。船体に文字や数字とみられる表記。 2月2日 秋田県由利本荘市出戸字浜山の海岸(西目漁港北東1キロ) 木造船の一部(長さ4.5m幅約2.7m 船体に赤い字で「556-60269」と記載 2月4日 秋田県由利本荘市親川河口付近 木造船の一部(長さ約5.4m幅約1.9m 赤い数字のような文字が記載) 2月7日 石川県輪島市名舟町海岸 木造船(長さ約5m幅約2m 「760-75200」と船体に記載)  2月9日 石川県かほく市白尾海岸 木造船(船体に番号表記) 2月10日 石川県羽咋郡志賀町 木造船2隻(1隻は海士崎灯台北500m、長さ約12m幅約2m 船首部分に「505-64271」の番号記載があり1日に金沢港沖で発見された漂流船と思われる。もう1隻同灯台北約200m、長さ約5.4m幅1.5m 船尾破損 文字番号等記載なし) 2月11日 石川県加賀市美崎町漁協加賀支所から400m海岸 木造船(長さ約18m幅約5m 船首右舷に「504-66272」と記載)(300212北國) 2月13日 石川県羽咋市一ノ宮町一ノ宮海岸 木造船(長さ約7m幅約1.85m)(300214北國) 2月13日 石川県輪島市門前町池田海岸 木造船(長さ約4.35m幅約1.08m 船体にハングルと番号表記)(300214北國) 2月13日 石川県羽咋郡志賀町西海千ノ浦海士崎灯台近くの海岸 木造船(長さ約5.6m幅約1.4m 船首と船尾にハングルと番号表記)(300214北國) 2月13日 秋田県男鹿市野石字五明光海岸三種町との境から南約1.3キロ 木造船(長さ約10.1m幅約2.1m 船内にエンジンと漁網を巻き上げる機械 船体に「29488」とハングルの記載) 2月15日 石川県羽咋郡志賀町百浦海岸 木造船(長さ9.7m幅約2.19m スクリューとエンジンあり) 2月20日 石川県金沢市金沢港北西20キロ沖 木造船(長さ約6m幅約1.5m 船首に「4233」の記載) 2月21日 石川県輪島市塚田長塚田橋付近の岩場 木造船(長さ5.75m幅1.83m 無動力船)(300222北国) 2月21日 石川県輪島市門前町鹿磯漁港付近砂浜 木造船の一部(平底部長さ3.81m幅1.83m左舷側一部が残る プロペラ軸受け部金属を確認。(300222北国新聞) 2月22日 石川県輪島市深見町海岸 木造船(全長10m幅2.65m 船尾にスクリュー)(300223北國) 2月24日 秋田県能代市浅内字砂山海岸能代ロケット実験場南西約5キロ 遺体(北朝鮮との関連不明、一部白骨化した男性、身長約165センチ、着衣や履き物はなかった)(300225秋田魁) 3月6日 石川県輪島市名舟海岸 木造船の一部(全長4.5m幅2.2m遺留品は見つからず)(300307北國) 3月10日 石川県羽咋郡志賀町大島(おしま)漁港南側約180m海岸 木造船の一部(最大長5.2m 赤い数字「5129-61247」 船首に日本製ゴムタイヤを使った緩衝材)(300311北國) 3月12日 石川県羽咋郡志賀町安部屋海岸 ハングルと数字の書かれた木製標識・人民軍軍帽・究明浮輪(300313北國) 3月13日 石川県金沢市内灘海岸 木造船の一部(船首部分 長さ2.1m コールタールのような塗料・範読できない文字が表記)(300314北國) 4月17日 石川県珠洲市能登町布浦(ぬのうら)海岸 木造船(長さ6.1m、幅1.7m、深さ0.8m 船体にハングルや数字が記載)。 5月16日 北海道爾志郡乙部町 木造船の一部 5月31日 青森県中泊町小泊漁港付近 木造船
3 notes · View notes