#旗巻古戦場
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baaly-k · 9 months ago
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2024/9/18
泉図書館にてコピー作業のあと善正寺訪問
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ari0921 · 8 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和六年(2024年)10月29日(火曜日)
   通巻第8479号 <前日発行>
「トランプ当選を前にしてディープステートはパニック状態に陥った」
次にネオコンが企むのは「偽旗作戦、戒厳令、債務危機、債務不履行、戦争」
*************************
 日本ではまず報道されないだろう。独自の経済予想家としてやや『悪名』のほうが高いエコノミストにマーチン・アームストロングがいる。景気循環説で知られる彼は大學は出ておらず、十代の時からコインや記念切手のビジネスで儲けた。
独自の学問で経済理論なるものを唱えはじめ、3141日の周期があるとする景気循環説を主張し、ウォール街が注目した。97年のアジア通貨危機、98年のロシア債務門だの爆発などを予測した。
 投資家から7億ドルを掻き集め、そのなかから1500万ドルを隠したとしてFBIに逮捕され、11年間刑務所暮らし。欺された投資家のなかに日本人ファンドもあった。
 2024年10月27日に『USAウォッチドック』など複数のインタビュー番組に出演したマーチン・アームストロング(金融・地政学サイクル・アナリスト)は、トランプ当選を前にして「ディープステートの民主党はパニック状態に陥った」と分析した。
 ネオコンが企んでいるのは「偽旗作戦、戒厳令、債務危機、債務不履行、戦争、あるいはこれらすべてだ」とアームストロングは力説する。
「『彼ら』は戦争を望んでいる。そのことに疑問の余地はない。戒厳令について非常に懸念している。最高裁は『戒厳令は慣習法のようなものだ』とほのめかしている。戒厳令が敷かれ、正当化される。ネオコンたちは必死になって、選挙に向けて、偽旗作戦などあらゆることやろうとしている」
「NATOは世界を第三次世界大戦に引きずり込もうとしている。トランプ氏が当選した場合に���えてロシアとの戦争を継続できるよう1000億ドルを調達している。」
経済に関してアームストロングはこう言う。
「私たちは借金ポンジースキーム(ネズミ講)の中にあって、毎年新しい借金を発行して古い借金を返済している。米国の負債は35兆ドルだ」
「一方で中国はアメリカの債務の10%を保有している。年初に530億ドルを売却した。ここに危険が潜んでいる。中国が買わない分を引き受ける投資家がいなければ、どうなるか分かるだろう? 債務不履行になる。だから彼らは戦争を望んでいるのだ。すべてを債務不履行にするためだ、『彼ら』は戦争に駆り立て2024年の選挙は最後の選挙となるだろう。米国は3つまたは4つの地域に分裂するだろう。我々は自殺しているのである」
 かれの引用する数字は間違いが多く、NATO全体のウクライナ支援額は難民対策、福祉援助にくわえての武器支援の総額であって、これがそのままロシアとの戦争準備にあたるとするのは拡大解釈である。また米国債権の最大保有国は日本で、中国は全体の2・2%、現在の保有額は7800億ドル前後である。
 
 しかし拙著も指摘してきたように米国が内乱となる可能性は大いにあるし、米国の分裂はすでに顕著な現象、24年が『最後の選挙になるだろう』と民主主義の危機を訴えるあたりはイーロンン・マスクらの懸念に共通している。
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kennak · 7 months ago
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北朝鮮スパイの正体① TBS系日曜劇場で放送されたテレビドラマ「VIVANT(ヴィヴァン)」が高い視聴率を記録した。海外で活躍する自衛隊の秘密部隊「別班」の姿をみて、お茶の間では「別班は実在する」「しない」という話題も持ち上がった。ところが、お隣の国では随分と様子が異なる。 「韓国では大勢の北朝鮮スパイが暗躍している」。これは、韓国政府当局者らが確信を持って語る言葉だ。古くは朝鮮半島分断のどさくさに紛れて韓国に定着した。日本人や韓国人になりすまして入り込んだスパイもいる。2023年7月にソウル近郊の水原(スウォン)地裁で公判が始まった「全国民主労働組合総連盟(民主労総)」関係者によるスパイ事件は、韓国人��らが北朝鮮に共鳴してスパイに身を落としたケースだった。裁判の起訴資料を分析すると、北朝鮮スパイの様々な横顔が見えてくる。(牧野愛博) この事件の特徴は、韓国捜査当局が過去最大規模の約90件にものぼる、北朝鮮からスパイに宛てた指令文を押収したことだ。指令文には、韓国の送電網や軍事施設などの重要インフラの情報収集、スパイのリクルート、韓国の特定の政治団体への支援などが書かれていた。なかでも、私たち日本人に最も関係するのが、「日韓関係や日米韓関係の破壊指令」だった。 民主労総スパイ事件 民主労総は労組の横断組織として1995年に設立された。組合員数は100万人にも達すると言われる。李明博(イミョンバク)政権(2008~2013年)や朴槿恵(パククネ)政権(2013~2017年)では、大規模な「ロウソクの火集会」を組織し、政権打倒を呼びかけた。韓国捜査当局は2023年3月、民主労総の現・元幹部4人を逮捕したうえで、5月に国家保安法違反(スパイなどの罪)で起訴した。 2021年5月3日付の指令文は次の通りだった。 「福島(第一)原子力発電所から汚染水を放出するという日本当局の決定に関連する即時行動の方向性を提案する。 最近、米国が反共和国(北朝鮮)政策の調整を目的とした『韓米日同盟』を積極的に推進する一方、福島原発から汚染水を放出するという日本当局の決定に関し、さまざまなレベルで反日ムードが急速に高まっていることが注目される。 この機会に、韓国当局と日本両国間の対立や紛争を一層悪化させる戦術を作り、積極的に実施すれば、敵の協調の試みを粉砕するうえで効果的だ」 今年3月にやはり、北朝鮮に協力した韓国人4人が起訴された南部・昌原(チャンウォン)のスパイ事件でも、処理水の放出決定を利用し、韓国内の反日感情を高めるよう指示した指令文が押収された。 北朝鮮の指示との関係は不明だが、2021年春には韓国各地で、民主労総などが参加する処理水放出反対デモが週末を中心に繰り返された。 ソウル中心部で行われた東京電力福島第一原子力発電所の処理水放出を巡る日本政府の計画に抗議するデモ。全国民主労働組合総連盟メンバーを含む数百人が抗議した 参加者は「汚染水が安全だというのなら、お前が飲め」などと書いたプラカードを掲げた。一部はソウルの日本大使館や釜山の日本総領事館への侵入を試みた。今年8月24日の放出開始を契機に、再び同じような光景が韓国各地で起きている。 一方、北朝鮮外務省は8月24日、処理水放出について「人類に放射能の災難を強いる反人倫的犯罪行為だ」と非難する報道官談話を発表した。 朝鮮中央通信は5月10日、「日本が現実に背を向けて米国による(日米韓)三角軍事協力体制構築にしがみつくなら、東北アジア地域を不安定にし、しまいには火の海にし、その中で自ら焼け死ぬ」と警告する外務省日本研究所研究員の談話を報道した。 また、民主労総スパイ事件では2019年7月13日付の、北朝鮮による指令文の内容も明らかになった。 そこでは「日章旗の焼却、日本人追放運動、大使館や領事館に対する奇襲デモなど、過激な反日闘争が、日本国民を恐怖に陥れるために積極的に行われた。反日感情を強める活動を、実情に応じて組織的に展開してほしい」とあった。 当時は、日本政府が韓国向け半導体素材の輸出管理措置を強化し、韓国で反日感情が高まっていた。 北朝鮮の金日成(キムイルソン)主席はかつて、日米韓の関係について「日本と米国という2本のひもに支えられ、頭のうえに韓国という王冠が載っている。ひもの1本でも切ってしまえば、王冠は吹き飛んでしまう」と例えたことがあった。 北朝鮮は朝鮮戦争の際、日本が軍需物資の供給地点になるなどした歴史を教訓にしている。日韓関係や日米韓関係の悪化は、北朝鮮の利益につながると理解もしている。 北朝鮮シンパはともかく、一般の韓国市民は北朝鮮に積極的に協力したいとは考えていない。利敵行為になるし、国家保安法にも違反すると分かっているからだ。だが、北朝鮮ではなく、同じ韓国人から「日本は許せない」と言われれば、信じてしまうかもしれない。さらに、組合員100万人を抱える大組織で、労働者の福利厚生を守る団体として一定の評価も得ている民主労総の名前で、北朝鮮とは直接関係がない「反日闘争」を呼びかけられれば、心が動くこともあるだろう。 韓国の進歩勢力では1980年代、NL派(民族解放派)とPD派(人民民主派)の路線闘争があった。韓国の知人は「論争を行うと、マルクス主義を信奉するPD派がいつも勝った。より過激な主張を唱えるNL派は勢力を維持するために北朝鮮に接近した。北朝鮮を巻き込んで民族革命を起こすというのが、NL派の言い分だった」と語る。北朝鮮はそこにつけ込んだ。 朝鮮戦争では戦火が半島を2往復した。 韓国に隠れていた北朝鮮��パイは、北朝鮮軍が進軍してくると喜んで姿を現し、その後に韓国が領土を回復した後で一網打尽にされた。金正日(キムジョンイル)総書記は当初、南北軍事境界線や海路を通じて、スパイを韓国に送り込んだが、1968年1月の青瓦台襲撃未遂事件を契機に韓国内の取り締まりが厳しくなった。 金正日氏は次に在日韓国人や日本人の戸籍を手に入れるなどして韓国に潜入する「迂回侵入」を試みたが、1974年8月の在日韓国人による朴正熙(パクチョンヒ)大統領暗殺未遂事件を契機に、このやり方も行き詰まった。 民主労総の中核になっている世代は、私と同じ、「586世代(50代で1980年代に大学に入り、1960年代生まれの人々)」と言われる。もう少し、世代が変わるまで時間がかかるだろう。
韓国で暗躍する北朝鮮スパイ 押収された指令文「処理水を利用して日米韓を粉砕せよ」:朝日新聞GLOBE+
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xf-2 · 2 years ago
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自民党の谷垣禎一元総裁(78)の自宅を訪ね、岸田文雄内閣の支持率がなぜ上がらないのか、一杯やりながら率直に質問をぶつけてみた。岸田首相の外交面の成果は、知らぬ間に立ち消えになってはいませんか。
「確かにね。今回のウクライナ戦争で存在感が高まっているグローバルサウス(新興国・途上国)の取り込みなどは、日本の強みを生かしてよくやっている。彼らの一部には、西側の先進国に『あいつらは今も上から目線だ』と腹を立てている国が多い。事実上の『一強』となった米国や植民地支配の過去を抱える英仏に対し、『西側リベラリズムのおごり』と批判する国さえある。その中で、日本は独自のODA(政府開発援助)を駆使して努力を重ね、『欧州はうんざりするが、日本は違う』と評価も集めた。首相はここをうまくすくい、西側とつなぐ役割を果たしている」
ただ、今後はこの外交でも、首相にとって厳しい難局面が待つと説く。
「この戦争が終わったとき、どう新しい国際秩序を作っていくのかが焦点となる。そこでは、日本がすごく損な立場になるわけには���かない。日本は必ず、それなりの地位を占めなければならない。国内では国民生活に目配りしながら、対外的にはこの難題に挑まなければならない。岸田さんに限らず、自分が首相になりたいと狙っている人にとっても、答えを出すのは簡単ではないはずだ」
テーブルには『野菜の揚げびたし』が登場した。パプリカとカボチャ、なすを素揚げして、甘辛いマリネ液にしっかりしみこませている。香ばしい夏野菜の香りと甘さが、冷えた久保田によく会う。
谷垣さんが「水内さんは産経新聞だからこっちが好きかな」といいながら、テーブルには白い陶器に「中華民国立法院」と書かれた蒸留酒「白酒(バイジュウ)がやってきた。テーブルには、「中華人民共和国」と書かれた「貴州芽台酒」も登場。「酒に国境はありませんよ」と酒巻俊介カメラマンが笑ったが、私はなんとなく中華民国を注ぐ。
食卓には、台湾からいただいたという白酒も登場した=東京都世田谷区の自宅(酒巻俊介撮影) 食卓には、台湾からいただいたという白酒も登場した=東京都世田谷区の自宅(酒巻俊介撮影) 谷垣さんに「一気に飲み干すんですよ」と言われたが、アルコール度数は50度! しかし、独特の香ばしい匂いがさわやかだ。昨年、谷垣さんのインタビュー連載を担当し、今回同席した豊田真由美記者は「食道の位置が分かる」とむせながら飲んでいる。
「この前、フランスのマクロン大統領がNATO(北大西洋条約機構)の東京事務所開設に反対したでしょ。私は心理がよくわかるんですよ」
谷垣さんが語りだした。 「海洋国家の道を選ぶか、大陸のつながりを大切にするか。各国が個別の事情を抱えていますよね。英国は海洋国家の道を選び、EU(欧州連合)から抜けた。残った独仏を中心とするEUはどうするか。陸続きの中国に経済などの利益を全部取られては大変だ。中国とうまく付き合いつつ、必然的に、カザフスタンなど中国の周辺国とも協力する。フランスがNATO日本事務所に反応した背景は、ここまで見なければならないと思うんです」
谷垣さんも白酒をなめる。
「日本もずっと、2つの選択を迫られていたでしょう。海洋国家としてアングロサクソンと組むか、大陸につながるところと組むか。日本では明治以降、右翼を中心に、中国や韓国と組んで欧州に踏みにじられない大義の旗を立てろという議論があった。しかし、当時は日英同盟を選び、今は日米同盟。アングロサクソンと組む流れを継いでいる」
「韓国も、似たような選択を迫られてきましたよね。北朝鮮との関係強化を図った文在寅(ムン・ジェイン)前大統領は、日本でいえば、沖縄県の米軍��天間飛行場の辺野古移設にブレーキをかけた鳩山由紀夫元首相の言動に近いと思っているんですよ。韓国では『北と南の連携を強くしていこう』という訴えが国民の喝采を浴びる面もあるでしょう。ただ、今の時代に文政権みたいな道をとるとあまりに支離滅裂になる。尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が誕生したのは、日本にとっても本当によかった‥、ああ、すっかりいい気になってペラペラしゃべっているなあ」
谷垣さんが車いすを少し動かしながら話題を変えた。
「最近は新聞を読みながら、私と同世代の方の回顧録をよく読むんですよ。私たちの世代は一体何を残したか-と考えながらね」
谷垣さんは昭和20年生まれだ。
「例えば歌手の加藤登紀子さん。読売新聞で連載していたが、彼女は私の1歳年上で、東大の五月蔡でシャンソンの『赤い風船』を歌っているのを聞いたことがあります。彼女と政治的立場は大きく異なりますが、同じ時代の空気を吸ってきた。もう1人挙げれば、ピアニストの山下洋輔さん。彼は麻布高校の先輩で、文化祭でピアノを弾いていたのを覚えている。ジャズという日本でまだ珍しかったやり方に挑んでいた」
「もう1人、倉本聰さん。彼は喫茶店でアベックのすぐ横に座り、会話をじっくりと聞きながらシナリオを練ってきた。テレビをどう活用するのか、一生懸命考えてきたんですね。戦後日本の可能性を開くためさまざま頑張ってきた」
「逆にいえば、そうそうたる大会社に行き、少し前まで『半導体は日本だ』と頑張った友人がいた。しかし、今は見る影もない-。俺たちの世代は何をやってきたんだろう。私とすべてジャンルは異なるが、この年になって、じっくり考えるんですよ」
日本酒のグラスを手に語る自民党の谷垣禎一元総裁=東京都世田谷区の自宅(酒巻俊介撮影) 日本酒のグラスを手に語る自民党の谷垣禎一元総裁=東京都世田谷区の自宅(酒巻俊介撮影) 少し遠い目をする谷垣さん。自らも、政治の中枢で時代を動かしてきたじゃないですか。
「自分のやってきたことはこんな副作用を生んでいたのかと考えるものばかりですよ。自分の思った通りになったことは絶対ない。ほとんど、予期しないことが起きている。例えば難民の問題。私は議員になりたての頃、自民党法務部会の副部会長としてこの問題に取り組みました。当時は無制限に外国人を入れるととんでもないという議論があり、入国には『職業訓練』という形を取り入れたが、今から思えば、物の見方が足りなかったと自省することが多い。『こんなこと考えもしなかった』という問題が次々と起きてね」
もう一例として挙げたのが、女性の社会進出の遅れだ。
「私は昭和20年生まれだから、現行憲法の『男女同権』は素晴らしいと教わった。しかしその私が何をやってきたかといえば、政治家の傍らで、家事は全部女房に押しつけた。家事はやってみると結構大変ですよ。こんなこと言ったら、あの世の女房に怒られるかもしれないが、専業主婦じゃない人が家事に取り組むのは大変だ。今は働く女性が圧倒的に増えたでしょ。亭主と女房がどっちも働いているのに、家事は女房だというんじゃね。子育てしながら政治に携わる上川陽子外相や加藤鮎子こども担当相は相当優秀ですよ」
子供2人を育てる豊田記者が「家事をしない人と結婚できませんよ」と合いの手を入れる。
「でも、少子化対策って、政府の政策でこなせるものなんですかね」
シャッターを切っていた酒巻俊介カメラマンが尋ねた。(聞き手 水内茂幸)
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mxargent · 2 years ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視���幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望���非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑���臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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moko1590m · 9 days ago
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🧠 「セクショナリズムは、サラリーマンのリスクヘッジ」
1. ✅ 定義と背景
**セクショナリズム(部門主義)**とは: 組織内で部署ごとに縄張り意識が強く、他部門との連携よりも自己部門��利益や生存を優先する体制・心理のこと。
リスクヘッジとは: 自分の立場や責任を守り、トラブルや責任追及のリスクを最小化するための行動戦略。
2. 🔍 含意・多義的な意味
● (1)責任の分散と回避
「うちの部署の仕事じゃない」「私は知りません」 → トラブル時に責任の所在を曖昧にし、自部署に火の粉がかからないようにする。
● (2)組織内競争における自己保存戦略
「成果は部門ごとの評価」「他部署に頼ると足を引っ張られる」 → 横の連携を避け、自己部門だけで完結させることで、功績を独占し失点を回避。
● (3)情報の囲い込みによる防衛
「この情報はうちの部しか扱えない」 → 専門性や独自ノウハウを持つことで組織内での存在意義を確保し、リストラや軽視から自衛。
● (4)“忠誠”よりも“自己利益”の合理主義
「会社の全体戦略より、自分の定年・評価が大事」 → 上からの「全体最適化」より、現場の「部分最適(かつ自衛)」を優先。
3. 🏢 社会構造的含意(帝王学文脈に接続)
帝王学的観点から見ると:
上位支配層にとってのセクショナリズムは、「下層の横連帯」を断ち、管理しやすくする装置。
中間層サラリーマンにとってのセクショナリズムは、連帯を裏切ってでも生き延びる防衛手段。
→ セクショナリズムは、上から見れば統治手段、下から見ればサバイバル術。
4. 💬 応用可能な補助フレーズ
「横の連帯は、責任の巻き添えになる」
「閉じた部署は、最も安全な避難所」
「全体の最適は、個人の破滅になり得る」
「協力は理想、縄張りは現実」
5. ✨ キャッチコピー的補完(言葉のバリエーション)
セクショナリズムは、中間層の防波堤。
“うちはうち”は、“死なない”ための言い訳。
横の無関心こそ、会社員の生存戦略。
セクショナリズム=組織という戦場の個人用シェルター。
もしご希望であれば、この概念を寓話や短編ストーリー、または組織風刺漫画の脚本にする��とも可能です。
「部分最適(自己保身・リスクヘッジ)が全体崩壊を招く」タイプのことわざ的・比喩的表現
🏚 部分益の最適化で全体が喪失することを表す表現一覧
🌊 船・共同体を比喩にした表現
「リスクヘッジで船沈没」
「櫂(かい)を守って船を沈める」
「水漏れを自分の席だけで拭く」
「救命胴衣を抱えて舵を放す」
「穴あき船で自分の座席だけ磨く」
「船底が抜けても『うちは関係ない』」
「船が傾いてもオールを漕ぎ続ける」
🐓 日常のものを用いたズレた比喩
「火事で家が燃えてるのに、冷蔵庫の中を守る」
「傘の穴を縫ってる間に嵐が来る」
「井戸を守って洪水を呼ぶ」
「枝を守って幹を腐らす」
「氷が割れてるのに靴を乾かす」
「地震のときに茶碗を支える」
⚔ 分割統治・セクショナリズム的ズレを表す表現
「敵は門にあり、味方は内輪揉め」
「戦の最中に弓矢の貸し借りで揉める」
「城が攻められても門番同士で喧嘩」
「火の車で車輪を奪い合う」
「戦中に軍旗を磨く」
「同じ壕で味方を蹴落とす」
🧠 知的・制度的な表現(風刺めいた形式)
「手続きで人命を落とす」
「稟議中に社会が崩れる」
「文書は完璧、現場は地獄」
「リスク評���で世界が終わる」
「コンプライアンスで動けず全滅」
「予算執行に忙殺され、被災地が沈む」
📜 古風・ことわざ調の表現
「一藁守りて舟沈む」(創作風)
「城を救わんとして門を焼く」
「石を積みて火を招く」
「袖を濡らして舟を沈める」
「小石を拾いて黄金を失う」
🧩 抽象的で詩的な表現
「安全のために未来を壊す」
「自己防衛が共倒れを呼ぶ」
「恐れが招く崩壊」
「沈まぬように重しを積む」
「守りの美学が全体を殺す」
💡 応用のアドバイス
これらの表現は、以下の文脈で特に効果的です:
組織の縦割り批判(例:省庁、部署間)
社会的ジレンマ(例:温暖化、分断政治)
帝王学や分割統治の風刺的説明
政治・企業・教育の保身主義への批判
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victorinox-japan · 14 days ago
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「クライマー 戦国墨絵コレクション」第4弾。五大武将を描いたマルチツールが2025年6月27日(金)より日本限定発売。
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戦国の魂、墨絵で現代に甦る
ビクトリノックス ジャパン株式会社は、日本限定モデル「クライマー 戦国墨絵コレクション」の第4弾をとして、戦国武将「上杉謙信」「武田信玄」「毛利元就」「北条氏康」「島津義弘」の5名の名将を墨絵で描いたマルチツールを、2025年6月27日(金)より全国のビクトリノックス直営店舗、およびビクトリノックス公式オンラインストア(楽天市場店、Amazon店、Yahoo!ショッピング店)にて発売いたします。
本コレクションは、日本の歴史と伝統美を融合させたアート性の高いシリーズとしてご好評をいただいております。
戦国時代を代表する名将たちの力強さと気品を、墨絵の技法で表現したデザインが特徴です。実用性と芸術性を兼ね備えた逸品として、歴史ファンのみならず、幅広い層のお客様にご満足いただける仕上がりとなっております。
また、第四弾を含め、これまでに発売された戦国武将シリーズを一堂に集めた「戦国墨絵コレクションBOX」の予約も開始いたします。今回の新作を含む歴代の武将たちが勢ぞろいしており、シリーズの魅力を余すところなくご堪能いただけます。
特製ボックスは、国産桐箱を光沢のある漆黒塗料で塗り、墨絵師・御歌頭(おかず)氏により精緻に描かれた安土城を金色で再現した豪華仕様。美術品のような佇まいで、コレクションとしての価値も高く、贈答品としても最適です。
発売に先立ち、2025年6月13日(金)より、��クトリノックス直営店舗にて先行予約を開始いたします。
商品詳細
商品名:戦国墨絵コレクション 第4弾
発売日:2025年6月27日(金)
予約開始日:2025年6月13日(金)※直営店舗限定
販売形態:日本限定・数量限定販売
デザイン武将:上杉謙信、武田信玄、毛利元就、北条氏康、島津義弘
価格:13,200円(税込) 
コレクションボックス:198,000円(税込)
取扱店舗
・ビクトリノックス直営店 ・ビクトリノックス公式オンラインストア楽天市場店 ・ビクトリノックス公式オンラインストアAmazon店 ・ビクトリノックス公式オンラインストアYahoo!ショッピング店 ・その他 ビクトリノックス取扱店舗
「戦国墨絵コレクション」は、戦国時代・戦国武将をテーマに活動する企画集団「戦国魂(せんごくだま)」に所属する墨絵師・御歌頭(おかず)氏による描き下ろし作品をデザインしています。
2020年より展開している本コレクションでは、御歌頭氏が描く迫力ある墨絵を、マルチツール「クライマー」のハンドルにあしらい、唯一無二のコレクションとして展開してまいりました。
第4弾となる今回は、中央勢力と熾烈な戦いを繰り広げた5名の名将を新たにモチーフとして採用し、御歌頭氏による鬼気迫る筆致が、戦国武将たちの魂を現代に甦らせています。各作品には御歌頭氏の落款が押されており、アート作品としての完成度も高められています。
本コレクションは、歴史、美術、そして実用性が融合した、「現代に甦る戦国の魂」を体現する逸品です。
また、ビクトリノックスは140年以上にわたってスイスで高品質なナイフを製造してきた実績を誇りにしています。すべてのナイフとツールには、厳しい品質基準をクリアしたステンレススチールを使用しています。いずれの商品も材料や製造工程に起因する故障に対して修理または交換を永久保証しています。
越後の龍「上杉謙信」
~「義」を貫いた戦国武将の精神を現代に~
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上杉謙信公は、「越後の龍」と称され、戦国の世において「第一義(だいいちぎ)」すなわち「義の心」を何よりも重んじた人物です。敵であっても困窮する者には援軍を送るなど、数々の逸話が今なお語り継がれています。特に、宿敵・武田信玄との「川中島の戦い」は、5度にわたる激戦として歴史に名を刻んでいます。
また、仏門に身を置いた経歴を持つ謙信公は、毘沙門天への篤い信仰でも知られています。出陣の際には必ず祈願を行っていたと伝えられています。戦場では「毘沙門天」の「毘」の一文字を濃紺に大書した旗を掲げ、その威容は敵軍にとって大いなる脅威となりました。
本マルチツールには、表面には今にも斬りかかってきそうな鋭い眼光を放つ謙信公が描かれています。裏面には謙信公の象徴である軍旗をモチーフに、濃紺のベースに「毘」の文字、そして上杉家の家紋である「上杉笹(竹に二羽の飛び雀)」が配されています。家紋は謙信公が威圧感を与えるために用いたとされる朱色で描かれており、戦国武将としての気迫と精神性を現代に伝えるデザインとなっています。
甲斐の虎「武田信玄」
~戦国最強の「赤備え」とともに甦る、風林火山の精神~
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戦国時代を代表する名将・武田信玄公は、「風林火山」の旗印で広く知られています。この言葉は、古代中国の兵法書『孫子』に記された一節「��の疾きこと風の如く、其の徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し」に由来しています。信玄公の卓越した戦略眼と機動力を象徴する言葉として、彼の軍事的な才能を表しています。
中でも、武田軍の精鋭部隊が身にまとった「赤備え」は、全身を赤一色で統一した威容を誇り、「勇猛果敢」や「不退転の決意」の象徴として、敵軍に強烈な印象を与えました。
本マルチツールは、表面に「風林火山」と記された軍配を振るい、軍を指揮する信玄公の雄姿を描いています。裏面には「赤備え」や家紋をモチーフにしており、力強さと優美さを兼ね備えたデザインに仕上げました。
武田家の象徴である「武田菱」をはじめ、唐花模様を菱形に配した優美な「花菱」、その簡略版である「陰花菱」など、信玄公ゆかりの意匠を精緻にあしらっています。戦国最強と謳われた武将の精神と美意識を、現代に伝える逸品です。
中国地方の雄「毛利元就」
~百万一心の精神を現代に伝える、リーダーシップの象徴~
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毛利元就公は、暗殺調略・同盟戦略など多彩な戦術を駆使し、少数の兵力で大勢力を打ち破るという卓越した戦略を展開した「謀将」として知られています。その知略は「三本の矢」の逸話に象徴されるように、家族や家臣との強い結束を重視し、現代においてもリーダーシップの手本として高く評価されています。
また、毛利家の家紋である「一文字三星紋」は、格式の高さと武運長久を象徴するものであり、皇族の血筋を示すとも伝えられています。毛利家の歴史と伝統を反映し、その威厳と誇りを表しています。
本マルチツールでは、表面には、「一文字三星紋」の旗を背に采配を手に敵を睨む元就公の姿を描き、裏面には、元就公が好んだとされる金(黄)や白を基調とした配色に家紋を���しらい、威厳と品格を感じさせるデザインに仕上げました。
相模の獅子「北条氏康」
~禄寿応穏(ろくじゅおうおん)の理念に込めた、平和と威厳~
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北条氏康公は、戦場においては勇猛果敢な武将として知られ、卓越した統率力と戦略眼により「相模の獅子」と称されました。
氏康公の象徴ともいえる家紋「三つ鱗」は、江の島の弁財天に祈願した際に現れた大蛇が残した鱗に由来すると伝えられ、神秘性と守護の意味を持つとされています。
本マルチツールには、表面には馬上で鬼気迫る勢いを見せる氏康公の姿を描き、裏面には北条氏の家印として知られる「虎朱印」をデザインに採用。
「禄寿応穏(ろくじゅおうおん)」の文字の上に虎の図像を据えたこの印章は、領民の安寧と繁栄を願う政治理念と、勇猛さ・威厳を兼ね備えた氏康公の統治精神を象徴しています。
鬼島津「島津義弘」
~信念に生き、義を貫いた戦国の名将~
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戦国時代を代表する名将、島津義弘公は、その卓越した武勇と戦術眼 により、敵味方を問わず「鬼島津」として恐れられ���した。島津家に代々伝わる戦術「釣り野伏せ」を駆使し、数に勝る敵軍を翻弄。中でも、関ヶ原の戦いにおける「島津の退き口(敵中突破)」は、戦国史において類を見ない離れ業として、今なお語り継がれています。
晩年には剃髪し、「惟新斎(いしんさい)」と号して隠居。武将としての生涯を全うした後は、文化人としてもその名を残しました。
本マルチツールの表面には、刀を手に鬼神のごとき形相で突撃する義 弘公の姿を描き、裏面には、高貴さと神秘性を象徴する紫を基調とし、魔除けの意味を持つともいわれる島津家の家紋「丸に十字」をあしらいました。
機能
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ラージブレード
スモールブレード
カン切り
マイナスドライバー 3mm
せん抜き
マイナスドライバー 6mm
ワイヤーストリッパー
リーマー(穴あけ)、千枚通し
コルクせん抜き
はさみ
マルチフック
つまようじ
ピンセット
キーリング
全長:91mm 高さ:18mm 重量:82g
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墨絵師「御歌頭(おかず)」氏プロフィール
戦国魂(せんごくだま)所属の墨絵師・御歌頭(おかず)氏は、墨の濃淡を用いず、白と黒の明確なコントラストのみで表現する独自のスタイルを確立。書道を思わせる力強い筆致と、圧倒的な躍動感をもって、戦国武将や動物、自然などを“命を描く”かのように表現するその画風は、多くの支持を集めています。
代表作である「墨将画(武将)」「墨城画(城)」シリーズは、これまでに450点を超える作品が制作されており、いずれも歴史的モチーフに新たな生命を吹き込む作品として高く評価されています。
また、国内外でのライブパフォーマンスも高い人気を誇り、1枚の作品をわずか16分40秒で描き上げる圧巻のパフォーマンスは、多くの観客を魅了してきました。これまでに、イギリス、フランス、アメリカ、シンガポール、カタール、台湾、香港など、7カ国での公演を成功させ、国際的な評価も高まっています。
近年では、アニメ、映画、スポーツ、特撮など、さまざまな分野とのコラボレーションも展開しており、墨絵の新たな可能性を切り拓く存在として、ますます注目を集めています。
先行予約キャンペーン情報
期間:2025年6月13日(金)~6月26日(木)
店舗:全国のビクトリノックス直営店舗(アウトレットストアを除く)
対象:上記期間中に戦国墨絵コレクションをご予約いただいたビクトリノックス メンバーズアプリ新規ご入会会員様と既存会員様
特典:「クライマー 戦国墨絵コレクション 第四弾」をご購入のお客様には、アプリ内でご利用いただける500ポイントを進呈いたします。
コレクションボックスをご購入のお客様には、5,000ポイントを進呈いたします。
*ポイントはその場ではご利用いただけません。次回以降にご使用いただけます。
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kurano · 2 years ago
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※ 台湾有事を起こすのは平和主義を捨てた日本だ 麻生氏「戦う覚悟」発言にみえる大きな勘違い 古賀茂明
https://dot.asahi.com/articles/-/199274?page=1
*闘論席:ある中国高官に聞いた両岸関係を巡る期待と警戒 古賀茂明
https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20230829/se1/00m/020/002000c
 この人は、AERAと週刊エコノミストの巻頭コラムで、全く同じネタを使い回しているのね。執筆者としてのモラルはないのか?
 これももちろん認知戦領域の問題です。
 そら、ウ国戦争前に、ロシアの高官100人に、「侵略するの?」と聞いたら、90人は否定するでしょう。軍人だろうが政治家だろうが。ウ国は兄弟も同様だとか何とか言って。残る10人の内、9人が、「言うことを聞かないのは許せない」だの「そもそもソヴィエトとして一体だった」とか言うだろうけれど、それでも戦争は否定するでしょう。最後の一人だけが「戦争はありだ。どうせウ国は三日で白旗を揚げるだろう」と冷たい視線で言い放つ(実はそいつがプーチンだった)。
 中国に関しても同じことになる。あれだけ勇ましいことを軍は宣伝しながら、そりゃ高官たちは、それが外交筋だろうが軍人だろうが、戦争は避けるにこしたことはないと常識的、良識的な考えを持つでしょう。ロシアと違って何しろ一人っ子の軍隊。兵士たちが何万人も戦死することの影響がどれだけ深刻かも彼らは理解するだろうし。
 ただし、専制国家の独裁者たる習近平がどう考えるかは、誰にも読めない。ウ国への侵略で起こったことはそういうことです。
 われわれはまず、備えることで警告を与えるしかない。そして、それが独裁者の耳に届くようにしなければならない。
 麻生発言は、官邸とすりあわせた上での発言であることがすでに明らかになりましたが、今となっては、これは米側ともすりあわせた上での発言であった可能性が高い。
 あれは踏み込み過ぎだと私は今でも思っているけれど、その発言の意味する所は明かです。その警告が、習近平まで届くように、敢えて過激な発言となったと見て良い。
 われわれが備えていること、その思いつきは成功しないだろうことを、独裁者に伝えるのは容易なことではない。それは、ナイフの刃の上を歩くような危険な作業にならざるを得ない。
 優先することは、相手に誤読の余地のない警告を与えることであり、それはクウェート侵攻でも、ウ国への侵略でも失敗した。台湾情勢に関して、それが成功するかどうかは現状では解らない。日本は、危険なゲームのプレイヤーになっているが、逃げ場はないことを覚悟するしかない。
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nemosynth · 2 years ago
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Season 2, episode 3 - ensoniq
「エンソニックは、良きライバルとして共に大きくなる会社や。」  〜伝・梯郁太郎氏
♬     ♬     ♬
「幻のジャイアント・インパクト」
1980 年代初頭アメリカ合衆国。当時世界で最も進んでいた黎明期のパソコン業界。
そこにSound Interface Device、略してSID(シド)なる音源チップが誕生。そのSIDは最初パソコン用音源ICとして開発。なるも、ちょっと歪んだその音が凶悪な個性を帯びているという評判から、やがて後世にてチップチューンの名ICとしてレトロフューチャー的に再発見。2000 年前後にはスウェーデンはelektron社きってのイカれた卓上シンセSID Stationの音源コアとなり、その希少な在庫が枯渇して入手不可能となった後はその音をモデリングしたエミュすら登場、今や伝説のチップとして名を轟かせる。
そこまでして時空を超えてひっぱる人気の名石SID。デビュー当時「ぴー」とか「ぶー」とかしか言わんブザーみたいなPC用の音源回路ばかりの中、すでにSIDは1台のシンセサイザーをまるっと内蔵、すなわち:
・3基のデジタルオシレーター:鋸歯状波、矩形波、三角波、擬似乱数ノイズ、この3基のオシレーターを円環状にカスケードさせたハードシンクすら可能 ・1基のステートバリアブルVCF ・3基のアンプ ・3基のEG ・3基のリングモジュレーター:3基のオシレーターを円環状にカスケードさせたリング変調も可能
...をすべて内包して3音ポリを実現。リングモジュレーター3基とかハードシンク3系統とかどっちも円環状に変調できるとか何気に凄いですね。さしずめ「リング状リング変調」「リング・リングモジュレーション」「リンリンモジュ♬」てとこでしょうかね。SID Stationではウェーヴシーケンスすらできたよね!すぐバグってメモリーがぱぁぷりんに吹っ飛んだけどね!
それもそのはず、SIDを設計した開発エンジニア・チームはパソコン業界を超えて、ゆくゆくはプロ仕様シンセサイザーに採用されることすら夢見てこれを作った。彼らに言わせれば当時のパソコン向け音源ICなんて、音楽のことなどまるで分かってないやつらがでっちあげた代物。そこにミュージシャンマインドでもって音楽的新風を巻き起こさんと取り組んだ意欲作 SID。唯一彼らが心残りなのは、イラチなクライアントのせいで開発期間が短すぎて音質を充分によくできなかったこと。
いや、もうひとつ。さらにもうちょっとだけ時間があれば3音ポリどころか空前絶後の32音ポリにすらできたこと。ただでさえ当時ありえない32音ポリしかも前代未聞3オシでリンリンモジュ。 聴こえますか、このぎゅるぎゅる言うエンドレスなリンリンモジュの音が。まさにタキオン粒子加速器、エネルギー充填120%!反物質砲ファイア!!!
いやぁ、もし当時そんな怪物チップが出来上がっていたら6音ポリしかなかったJUNOはおろかPolysixやJX-3Pはひとたまりもなく吹っ飛び、最大でも8音ポリだったJupiterやTRIDENTはもちろん名機prophetもOBもSynthexも大打撃、挙句DX7をもってしても16音ポリとあっては戦略やり直しとなったのであろうか。
大陸を一撃で殲滅しえた恐るべきオ���パーツの如き破局、そのコアたりえた一個の種、秘石SID。
このICを誕生せしめた若きエンジニア・チームは、彼らの偉業にちゃんちゃら無理解なパソコン業界に嫌気がさして見切りをつけ、いっそ電子楽器メーカーにならんと進路変更。 その社名を新規に考えるべく、まずは出発点として「音に関するもの」を意味するsonic(ソニック)、おふらんせ〜ふうに洒落てみるべく最後1文字「c」を「q」に変更してsoniq、さらに「包み込む」というような意味の接頭語 in- をくっつけて insoniq としたいところを敢えてそうせず、その接頭語 in- を古語 en- へとひねることで洒落てみて ensoniq。英語で「エンソニック」と発音するときは「ソ」にアクセント。なんならついでに「エンソニック」と「インサニック」の中間みたいな発音で。その名のとおり理想の音でくるむように、包み込むようなイメージでどうぞ。
やがて目からウロコの次世代シンセメーカーとしてめきめきと頭角を現すばかりか、海外シンセメーカーたちが安価で高性能なメイド・イン・ジャパン・シンセたちとの競争に敗北し軒並みばたばたと倒産する中、唯一、並みいる日本企業たちを相手にその好敵手として大立ち回り、デジタル・エイジにて大活躍、創造性の国アメリカならではのとらわれない発想と国産機の痛いところを突いた名機の数々でもって全地球のシンセヲタどもをぐぬぬと唸らせることになるこの会社。 これまでこの連載で紹介した電子楽器メーカーはすべて 70 年代前半までに設立され、ヴィンテアナログシンセ時代から続いてきた古参企業ばかり。YAMAHA や KAWAI に至っては戦前から存在する老舗。だが、ここについに新しい生粋のデジタル世代が登場。黄金の80sにふさわしくちゃきちゃきのとんがったデジタル野郎たちが大暴れするそんな彼らが旗揚げしたのは、時に1983年、MIDIが公式に誕生しDX7が電子楽器の金字塔として堰を切ったように怒涛の快進撃で世界へあふれだしていたころであった。
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「ファーストインパクト:Mirage」
ensoniq社が最初に出したのは実はパーカッションパッドであったが、ほとんど無名。いい音がするらしい。そして創業2年後の1985年、急速に成熟しつつある電子楽器マーケットにおいて全くの無名だった彼らはMirage(ミラージュ)という名の価格破壊サンプリングキーボードをだしぬけに投入。 お歴々はご存じであろう、当時サンプラーといえば最高1億円したシンクラヴィアか、1,200 万円もした���ェアライトCMI、はたまたイーミュレーターやカーツウェルK250 といった300万円はくだらない電子楽器のロールスロイスみたいなやつばかり。そんなところへやにわに1,599米ドルというアゴ外れんばかりにありえない破格でガチ道場破りしてきたのがMirageであった。
SIDチップをベースに自社開発した音源IC「DOC(ドック: Digital Oscillator Chip)」、コードネーム「Q-Chip」。これはSIDで開発期間が短すぎて具現化できず無念の涙を飲んだ32ボイス仕様を実現した夢のチップ。だがすでにDX7が出てきた今、Mirageではこれをあえて戦略的に8ボイスに制限し、その代わり1ボイスあたり2オシレーター最大4波形を重ねてトリガーできる仕様とした。8ボイス✕4波形で32音、うまいっ! しかも強力な自社開発デジタルオシレーターチップに加えてカーティス社のVCFでもってデジアナハイブリッドな音の加工も可能という、自力でIC設計できるensoniq面目躍如。
その一方で7セグ2桁LEDが唯一の表示、しかもテンキーだけでパラメーターを打ち込むという、しかもそれは16進数という、無慈悲なカスタマーエクスペリエンス。そもそもあまりの音質のひどさにMirageはサンプラーではなく原音をとどめないシンセであるとまでジョークにされて叩かれるも、そんな噂どこ吹く風。フェアライトが登場して6年、みんなアート・オヴ・ノイズの真似したくてしたくて「んもぉぅ辛抱たまらん」うずうずしてたところへ欧米ではDX7よりも安いサンプラーが放り込まれたのだから猛獣の檻に生肉を放り込むようなもの。
しかもシンセまるっと入った音源チップを自社開発できることがensoniqのコア・コンピタンスだったわけだが、彼らの強みはそれだけではない。 記憶メディアだって業界初の3.5インチ・フロッピーディスク。当時、他のサンプラーが採用していたストレージはほんとうに「フロッピィ」だったぺらっぺらの5インチ。耐久性ヤワすぎて折れ曲がる上に薄いプラが劣化するやつ。なので硬質な樹脂カートリッジに守られていた3.5インチはハンドリングも楽でガシガシとスタジオでもライヴでも現場でミュージシャンがタフに使える頼もしい相棒。一層お安い価格破壊MIDI音源モジュール版までちゃんと用意。上級者にはオプションでMASOS(メイゾス:Mirage Advanced Sampler Operation System)という黎明期のエディターソフトすら完備する全方位っぷり。PC業界からスピンナウトしただけあって、なおかつミュージシャン・マインドなだけあって「分かってらっしゃる!」
一方、Mirageには妙なところもあった。ビット深度��8bitだったのは時代だとしても、量子化の目が粗すぎてループ時に波形ゼロクロス・ポイント同士が出会わないことがあり、そのときはサンプルをディチューンさせることで波長を無理くり変えてゼロクロス・ポイント同士をつなげてループさせたのだという!!! 野蛮!!!
Mirageの雄叫びを純正ライブラリーサウンドで聴いていただきたい:
Ensoniq Mirage Sound Demo
youtube
いいねぇ、粗さがインダストリアル♬ っていうか粗いくせに不思議にリアルというか、音楽的ですらある、圧倒的じゃないか...!
これですよこれ! 音楽的であればそれでいい。だってみんなこれがしたかったんでしょ? それにPC業界出身だからチップ設計はもちろん、ストレージメディア選択とかも時流を読んでばっちし的確。 デジタルに熟知した彼らはサンプラー市場にぽっかり空いたブルーオーシャンな窓を目ざとく見つけ、そこにピンポイントでMirageをぶちこんだのであった。そこまで狙い済ませたモデルが人気炸裂しないはずがない。それまでやれ音のクォリティだトータルな楽曲制作環境だとくそまじめに気にしていたやつらを尻目にMirageはパンクなまでに軽快なスペックでもってバカ売れ。この痛快さは、だがむしろ歴史の必然ですらあった。まさしく製造業界のパンク野郎ensoniqは、だがミュージシャンにとって大切なものが何かをよく分かっており、しかもそれをパソコンという外様の発想で具現化するヒーロー、旧弊であり様式美であった楽器業界���打破する新進気鋭の疾風怒濤であった。かっこいい!
同じ1985年、AKAI初代サンプラーしかもすでに12bitのS612やSequential Prophet-2000といったサンプラーが続出、CASIOからは庶民の味方SK-1 Sampletoneを見た。翌1986年には業界標準機となるAKAI S900、KORG DSS-1、Roland S-50/S-10などと個性派サンプラーが続々登場、世界はアナログとFMとサンプラーというサウンドが支配。それはまだPCMシンセが台頭する前のことであり、よってKORGもRolandもシンセメーカーでありながらフラッグシップはサンプラーというちょっとだけ不思議な時代でもあった。
え? 当時PCMシンセってまだだっけか? 当時のPCMシンセって400万円したKurzweil K250だけ?
じつはMirageローンチの翌年、PCMワークステーションシンセの草分けensoniq ESQ-1リリース。Roland D-50の前年、KORG M1に先立つこと2年、ensoniqはすでに次の一手を打っていた。
♬     ♬     ♬
「セカンドインパクト:ESQ-1」
ESQ-1は実はMirageのアーキテクチャーを概ね引き継いでいる。同じ音源チップをあえて8音ポリに制限するところまで同じ。ただそれを3オシレーターとして見せており、
・3基のPCMオシレーター ・1基のVCF ・1基のVCA ・ハードシンクならびにリングモジュレーション可能
って、ちょっとSIDみたいな先祖返り的な構成。
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とはいえ32の音源波形はPCMではあったがサンプルまるごとではなく1波のみ切り出してループさせたもの。それでも流石ミュージシャン・マインドを持った彼らだけのことあり、サンプル1波ループとはいえ切り出し方が天才的にうまくてリアルに聴こえ、それをフィルターやEGで加工すれば表情ゆたかなPCMシンセサウンドになった。すなわちKORG DW-8000やKAWAI K3にも近いがサイン波倍音加算合成でもなく一応はPCMだったのであり、音のリアルさや��色バリエーションの豊富さにおいてもこれらを凌駕するものであった。なによりも音が音楽的。これまたスペックや数値ばっか気にする当時の真面目人間からは出てこない「使えるサウンド」であった。
加えて最大2万4千ノートの8トラックシーケンサーも搭載。これは2年後のKORG M1が最大でも7千ノートでベースライン2〜3曲分でしかなかったことを思えばその3倍以上、楽曲制作に充分であった。電源をオフってもバックアップ・バッテリーでシーケンスデータは保持。8ボイス8パートマルチティンバー音源はそのまま8トラックに対応し、じつはKORG M1よりも前に史上初の本格的こんにち的ワークステーションシンセとしてデビューしていたのであった。この質実剛健なつくりを見るといかにM1がマーケティングの勝利だったかって分かるよね。
パソコン業界ゆずりは音源やシーケンサーだけではない。初めてファンクションキーを導入した操作性も流石PC。アバウトだがLCDよりも視野角が広いFL管を採用、今ならそのエモい表示がレトロフューチャー・コンピューター感。そしてensoniqはファンクションキーのことを「ソフト・キー」と呼び、画面によって機能が変わるから、すなわちソフトウェアに依存して規定されるからだと説明。このクールなネーミングセンスもPCならでは。なのだが、どういうわけかその説明が欠落したまま日本に伝わり「押した感じが柔らかい」と紹介されてしまう。 この操作性を活用し、1画面内に10音色を一気にならべて表示、ファンクションキーでよりどりみどり思いつきで音色選択できるすぐれた操作性もお初。40年くらいたってからKORG KRONOSにてSetlistという名前でふたたび採用。
そしてトドメのプライス1,395米ドル。日本価格はDX7や後のD-50、M1を上回る29万8千円であり事実上無名であったが、海外ではぐっと親しみやすい価格設定。おかげで5万台も売れたらしく、特に北米ではESQ-1と一緒にATARI STやCommodore AMIGA など黎明期のパソコンが綺羅星の如くならび、ESQ-1は海外コンピューターミュージック用キーボードとしても市民権を得た。そして日本のミュージ郎よりも先にゆくその普及率に、じつはその航跡を追うかの如くもうひとつの知られざるビジネスが勃興していたのであった。サードパーティ音色ライブラリーである。
ESQ-1が売れるところ、雨後のたけのこの如くあまたの音色ライブラリーメーカーが登場。中には不幸にして自宅を失って友人の土地に長さ6mのトレーラーハウスを停めて暮らし、膝の上にESQ-1のっけてそのローンに苦しみながら夜な夜な午前3時まで一心不乱に���創りするあぶね〜野郎まで登場。その彼が作ったESQ-1音色カートリッジは半透明のエポキシ樹脂にくるまれて生産され、それゆえにVoice Crystalシリーズと名付けられた。そう、Eye & I社Voice Crystalシリーズ。のちに大ヒットし、特にRoland D-50用のライプラリーはK社エンドースを受けていたキースさんまでを虜にしてクリスマス・アルバムまるまる一枚を制作せしめロゴをバミって隠したD-50とともににやけて雑誌宣伝広告写真にまで映ってしまったあのシリーズである。
同じ1986年、Apple社から初期のパソコンApple II GSが発売。GS とは Graphic and Soundの略であり当時盛んに言われていたマルチメディアへの対応を謳ったモデル。そしてここにも搭載されたのがまさにensoniqのDOC音源チップであった。Apple II GSは、これをそのまんま32ボイスのシンセ音源チップとしてフル活用、さらに15ボイスに達するステレオ波形再生も実現、Macintoshが登場するまで古典的時代の牽引役として輝ける看板機種となった。
一方、本業においてシンセとサンプラー、すなわちESQ-1とMirageというペアでもって時代を先取りしたensoniq。だが北米では絶好調でも日本では販売価格がむやみに高かったせいかあんまし認知されていない。そうこうしているうちにDX、CZ、FZ、S900、D-50、そして最後の大物KORG M1が「ワークステーションシンセ」というキャッチーなタームを繰り出してESQ-1のお株をさらってしまった。 そんなデジタル群雄割拠の中、ensoniqは音源チップDOCを進化させた DOC IIを開発。これをコアとしてESQ-1の後継機種SQ-80 と、Mirageの後継機種EPSことEnsoniq Performance Sanplerとを開発。中でもEPSはのちの電子楽器業界を大きく変えるコンセプトをはらんだ胎動となったのである。
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「サードインパクト:EPS, SQ-80」
EPSは、パンキッシュだったMirageから一転、ただまじめに音が良いサンプラーになっただけではない。
確かにシンセと違ってサンプラーには写実主義という出自があった。勝手気ままに理想の音を追究してもゆるされる自由奔放天真爛漫なシンセとは違い、当時のサンプラーに几帳面でくそまじめなイメージがつきまとうのは、その命題が写実主義だったからに他ならない。原音忠実、ハイファイ再生、だからビット数もサンプリング周波数も内蔵メモリー容量もどんどん数値はうなぎのぼり。高音質それだけのために恐竜のように肥大化してゆく一途。 でもなんかそれって袋小路。
だからこそ、そこに異を唱えたのがEPSであった。不毛な量的拡大ではなく質的転換、鍵はアーティキュレーションにあった。
生楽器にはアーティキュレーションがある。具体的に言うとさまざまな奏法がある。例えばヴァイオリンであれば、 ・��を押し引きするアルコ ・弦をはじくピッツィカート ・短く跳ねるように弓で弦をこするスタッカート ...などなどあるわけで、既存の日本製サンプラーでは各奏法を別々のプログラムに収録してライブラリーが作成されていた。つまりプログラムごとに高度に専門化された内容でライブラリーが制作されており、現場では奏法ごとに異なるプログラムを逐一サンプラーにロードして演奏する。すなわち...
・アルコ用プログラム ・ピッツィカート用プログラム ・スタッカート用プログラム ...などなどなど。
だがEPSでは必要な奏法をすべて収録したプログラムを1つ作成し、それをロードしさえすれば主要なアーティキュレーションすべてが自在に演奏できるようにした。プログラムの中にレイヤーを設け、そこに各奏法を収録したのである。
・ヴァイオリン用プログラム  - アルコ用レイヤー  - ピッツィカート用レイヤー  - スタッカート用レイヤー ...などなどなど。
各レイヤーは単一奏法をサンプリングしたマルチサンプルで構成され、最大8レイヤーで1プログラムを構成する。 しかも奏法=レイヤーの切替は鍵盤左横の2連パッチセレクトボタンで行う。このパッチセレクトボタンがじつはensoniqならではの秀逸な発明であり、鈍重なプログラムチェンジを行うことなく、すばやく音色を切替えられる。プログラムを構成するレイヤーのみを切替えているからだ。だからタイミングよく反射神経で、それこそ演奏中その場の思いつきだけでぱっぱとアーティキュレーションを切替えられる。
なんならアーティキュレーションにとらわれず、まったく異なる音色を各レイヤーにもたせて切替えてもいいね。 なおこのパッチセレクトボタンは基本アンラッチ(モーメンタリー)だがラッチ設定にもできる上に、フットスイッチでも可能。
アーティキュレーションごとに個別プログラムを用意するのではなく、必要なアーティキュレーションをすべて網羅したプログラムをつくる。つまり楽器まるっと1つ、あるいは楽曲まるっと1つ収録したプログラムを制作する。そしてそれを最大限にぶん回せる構造にサンプラーを設計する。
ひょっとしたらライブラリーを先に規定し、あとからそれに合わせ込むようにしてハードを設計したのかもしれないサンプラー。それがEPSであった。 これは実に理にかなっていて、つまりコンテンツを最重要視した設計ということである。サンプラーたるものコンテンツありきなわけで、それが見抜けなかった当時の日本メーカーはやっぱハードしか念頭にない古典的ものづくり企業だったのであり、そもそもハードをなんのために使うのかがイマイチ分かっていなかったと言わざるを得ない。いや、それはE-muやKurzweil、Fairlightといった海外企業でも同じか。いかにensoniqがうがったものの見方をしていたかが分かろうというもの。
サンプリングはもう当たり前。次につくるべきは肥大化するあまりただのレコーダーへ堕ちようとしていたサンプリングマシンではなく、役立つ楽器としてのサンプラーであった。
もっと正せば、なぜサンプラーを使うのか?シンセがあるのになぜサンプラーなのか?サンプラーにしかできない事はなにか?と考えたとき、写実、というテーマがあるのであり、それを単に原音忠実としか捉えなかった既存メーカーと、アーティキュレーションという次元まで踏み込んで「写実」というテーマを考え抜いたensoniq���の違いであった。
そういやEPSではプログラムチェンジで切替えられる音色単位を「プログラム」とか「パッチ」とかって言わずに「インストゥルメント(楽器)」って呼んでたね。 歴史の浅いサンプラーがゆえに名称が固定化していない、そんな時代ならではの自由度の高さとはいえ、やっぱ示唆に富んでます。
もちろん当時これは目からウロコであった。今どきの大容量ソフトウェア音源には奏法の違いを切り替えるべく、最下1オクターヴをスイッチ代わりに打鍵させる機種があるよね。言わばその発想をすでに1988年に先取りしていたのがエンソ、偉い! 史上初めてアーティキュレーションに着目しアーティキュレーションを切り替えながらリアルタイム演奏できたサンプラーだからEnsoniq PERFORMANCE SamplerイコールEPSだったわけ。
13bitといういささか中途半端な解像度だったEPSは、12bitの2倍も音が良いというだけでなく、サンプラーのパラダイムシフトを宣言するものであった。
他にもEPSには自動ループ作成機能があり、いろんなアルゴリズムが選べたばかりかSynthesized Loopという究極アルゴリズムに至っては波形そのものを書き換えてしまうことで若干音が変わろうがおかまいなし、無理くりでもループをとる。え、サンプラーって原音忠実が至上命題と違ごたっけ? でも結果が音楽的でありさえすればそれでいいでしょ? 持続音がほしかったんじゃないの? やろうと思えばオケヒからでもループとってじゃ〜〜〜〜〜ってサスティン効かせて流せるのよ。おかげでensoniqはループがとれない音はない!と断言しきっていた。もはや蛮勇。
演奏中に別の音色フロッピーを読み込ませることができるLoad while playもまた目からウロコ。ロード中は他になにもできないのが当たり前と思っていた私たちは、マルチタスクというものを知らん原始人だったわけだ。 おまけにポリフォニック・アフタータッチも装備。世が世ならばMPEとともに大注目されていたはず! オプションでFlash Memory Bank、今で言うSSDも先駆的に搭載され、特にディスクベースだったOSをストアしておくと起動が早くて便利。なんて80年代には早すぎて誰も知らなかったよ。
最初は、単に安くておもしろいサンプラーでありさえすれば良かったMirage。 その次に、すぐれたサンプリング「楽器」たらんとしたEPS。
この成長は、E-muですら成し得なかったものであった。E-mu社がEmulator IIの開発に難儀したのは「単なるサンプラーを超えてサンプリング楽器とはなんぞや?」という問いに対し有効解を見つけるのに苦心したからにほかならない。それをensoniqはやってのけたのであり、無から有を、ゼロから1を、理想解を具現化しえた唯一のメーカーであった。ぐぬぬと唸らされたのは全世界。
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他メーカーにはない自由な発想の数々、そしてそれを惜しみなくつぎ込んだ豊かな果実EPS。当時メイド・イン・ジャパンを始めとする安価で高性能で高音質の機種が台頭していたときに、まったく違う発想のサンプラーが登場。それはそもそも何故サンプラーなのよ?サンプラーって何よ?という本質から考え直してゼロから起こした自由の国アメリカならではの機種のはずだった。
はずだった?
SQ-80とEPSはユニークな発想が光り他社の弱点を突いた問題作でありプロからの評判も上々だったが、銀行屋がもっと売上をと言い出した。欧米の銀行は日本以上に短期的成果を要求してくる。それゆえensoniqはすみやかに次世代機種を出す必要があった。そんなアクロバットを実現するためには今までと同じことを繰り返すわけにいかない。 果たしてensoniqはSQ-80にとってかわる次世代シンセを開発。そのために下した英断とは:
・音源チップDOC、DOC IIを廃番とし、さらなる新音源チップDOC IIIコードネームOTISを開発、かつ、これを初めて投入 ・ESQ-1、SQ-80と続けてきたシンセのアーキテクチャーも敢えて棄てる ・サンプラーEPSをベースに、なおかつそれにひねりを加えた次世代シンセ音源をつくる ・次世代シンセは初めてCDと同じくサンプリング深度16bitを実現 ・更にエフェクト用に優秀なDSPを新規開発。これによる新型24bitマルチエフェクトを内蔵させる ・すべてをかつてなく短期間で商品化する
時に西暦1989年、名機VFXが誕生する。
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「フォースインパクト:VFX」
世の中ワークステーションシンセだらけ、もうすっかりワーステ・ブーム。かつてESQ-1がその草分け的存在だったのに、マーケティングの勝利M1にお株を奪われたわけで。 しかしその流行に乗って百花繚乱に咲き乱れるワークステーションシンセたちの真っ只中にあって、VFXは真逆にワーステを捨て、ただただ音のキャラと表現力のみにこだわった素のシンセとしてまさかの逆張りデビュー。内蔵シーケンサーはおろか、フロッピーディスクドライヴがあったはずのところには意味不明の穴ぼこがぼこっと口を開けている始末。こんな後始末もろくにしないとは、よっぽど開発を急いでいたのであろうか。とにかく、ただただ個性的な新音源と強力エフェクトあるのみ。 その一方でCPUには名門モトローラM68000! これ当時Macやフェアライトに採用されていたガチなやつですよ。ちなみにAKAI S900のCPUはNEC PC-98と同じV30。prophet-5はZ80だったよね。そしてVFXの音源ICには前述のとおり第三世代チップensoniq謹製OTISを、内蔵エフェクトには最新DSPを投入。音源チップのほうは90年代に入ると通信カラオケやアーケードゲームの数々にも搭載されることになる。
驚愕したのは音、音、音、壮大な音。映画館のような重低音が出る出る満ちる、エピックなサントラなど朝飯前。低域にコンプかかってんじゃね〜か?って思うくらい。しかもとにかく太い、押しが強い、いやそんなもんじゃない、もう我が強い、腕っぷしが強い、サウンドの力こぶ筋骨隆々、そこのけそこのけ強強すぎてミックスの中でいくら音量を下げても俺が俺がと出てくる出てくる。ごりごりのシンベ。のしあがるオーケストラ。つんざくリード。自己主張はげしすぎてそこんじょらのシンセはもちろんメタルのディストーションギターの音の壁ですらもろともせず抜けて聴こえるシンセブラス。どやかましいロックなアンサンブル全体をたった1音で深々とせき止め、がっぷり四つに組んでガッツリ支える、ヘラクレス級に腕力を誇るストリングス。重低音重低音。もはやVFXは音世界を支える巨人アトラス。あんなランボーなやつ、ちょっといない。他機種の音色は皆さん荷物まとめて帰って行きよりましたわ。
プリセット音色がまた秀逸、単体で聴くと「え?」と思う音色でもアンサンブルに混ぜると絶妙に良い音色になる。なんというミュージシャンだましいな耳でもって開発されたのか。 単に推しが強いメリケン・サウンドだけではなく、自分で音をつくるとそれはそれはもう深い深い幽玄なるたましいの深淵をのぞきこむ底なし沼にディープな音もつくれる。なんだか日本ではコムテツが多用したSYMPHONYというプリセット音色でばっか知られているようだが、なんともったいない! あんなもんオケヒ・ループにペットのサンプルをレイヤーしただけで自作できる。さらに工夫して作り込めばほんとうに深い味わいある音が、プリセットとはまるで違う音のパノラマが展開する名機。
・なんせPCM波形が実物以上に壮大な音がする ・その上に、PPGウェーヴテーブル音源の発想を取り入れた新開発TransWave波形もいろいろ搭載。楽しい! ・Oberheimにしかなかったモジュレーション・マトリクスも初めて採用 ・6系統の減算方式レイヤーによる重層的音創り ・強力エフェクトのおかげで何をやってもバルビエリ御用達どよよんサウンド ・そしてEPSゆずりのパッチセレクトボタンのおかげで、どぎまぎしながら音色選択ボタンを押すタイミングを狙いすます苦行さいなら
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VFXはすぐれて他社の弱点や欠点をうまく突いた名機であり、ensoniqが他社シンセをよく研究していることの現れであった。というよりそれ以前に、そもそもシンセとは何か?どうあるべきか?と鋭く問うシンセ史上たぐいまれな名作であった。ひとことで言えば思いつきに即答えてくれる、難しい仕込み不要、そんな直感的デジタルシンセであった。
そしてこの広大かつフレキシブルに音が変化するアーキテクチャーを、ensoniq はDynamic Component Synthesis(各ブロックが動的に他ブロックに働きかける音源)と呼んだが、さすが英語が母語だけあってうまくその売りとなる特徴をとらえている。
にもかかわらずVFXは不運なシンセとなった。 銀行屋が圧力をかけるゆえensoniqはVFXを手っ取り早くつくるはめに陥ってしまい、いい加減なつくりのまま量産してしまい基板や機構に不備が続出、バグも多くてクレーム続出。ついにアメリカにて「No more Ensoniq!」と言い出す楽器店まで現れた。それも最大手チェーンGuitar Center。 それでもなお音がいいのはなんでか?というと、これもやはりいい加減なつくりだったから! すなわちデジタルに強すぎてアナログ回路にむとんちゃくだった彼らがテキトーな最終段アンプをでっちあげてしまい、それが逆に奏功して良い音になったのだという!!!
度重なる蛮勇にクレーム殺到、それでもなおその音にこの上もなく恋い焦がれたユーザーたちアーティストたち。まさに「蛮勇引力の法則」ここに極まれりensoniq。
これゆえ不良撲滅すべく改良を重ねたあげく、半年後にワークステーションシンセVFX-SD投入。VFX「-SD」は機能追加されたSequencer + Disk driveの略。それでもまだ故障が多々あり、VFX-SDのFL管ディスプレイの直下をぐいっと押すとてきめんにエラーが出る笑 のちにアコピ波形に重点を置いたVFX-SD II、さらにはSD1、そしてついにSD1 32 Voiceと世代交代を重ねるにいたりようやく不具合沈静化。VFX-SDをSD1仕様にまでアップグレードしてもらえる基板交換サーヴィスもあったが、ただでさえ十万円もした上にエンソニック・ジャパン社まで送り返さねばならず諦めてしまったは一生の不覚。いやそもそも最初からVFX-SDをじっくり開発して出すつもりが焦って先にVFXというカタチで半年くらい先にフライイングで出しちまったんじゃねーの?とすら勘ぐってしまうね笑
そのVFX-SDというワークステーションシンセが誇るは音源だけではない。
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こちらもすぐれた最大24トラック内蔵シーケンサー。いにしえのOpcode 社 VISIONと同じく長大なパターンシーケンサーで構造的に作品が作れる。思いつきで断片的なシーケンスを12トラックでたくさん作り上げ、それがたまってきたら適当につないでソングにしてみたり順列組合せを変えてみたりと試し放題、思いつくままに発散しまくるアイディアを作品へと収斂させ昇華させてくれるクリエイティヴ・ツールとして最高! しかも12トラックのシーケンスをつなげてソングをつくると、ソング全体にわたりさらに12トラックのリニアトラックが追加。個々のシーケンスをまたぐオブリとか録音できる。
Undo / Redoも「オーディション機能」と変名された上で初搭載、シーケンストラックを再生しながらこれまた思いつきでbefore / afterを切り替えつつ比較試聴できるミュージシャンマインドな便利機能。当たり前ですがイベントエディットも充実しているばかりか、最後にオーディション機能で締めくくられるからホンマにエディットして良かったのかどうかbefore / afterで比較検証させてくれて気に入らなければもとに戻れるって、いかれぽんちな思いつきだけのクリエイターにとって至れり尽くせりじゃないですか。
デモ演奏も音楽的でセンスあふれる、もう立派な「いい曲」。 日本のワークステーションシンセのデモ曲といえば、マルチティンバー能力の限界に挑戦すべくアクロバティックなまでに各パートをぶん回した非現実的な曲芸「こんなことまでできます!ドヤ顔」みたいなもんばっかで聴いてるだけで目ぇ回ったが、ensoniqのデモ曲はちゃんと楽曲として成立しうるばかりか、落ち着きあってセンス良くてまとめ方もうまくて大人でかっこよくてデモだけでアルバム出来そう♬
ついでに機種名もロゴもアーティステイックでかっこいいね!
ミュージシャンマインドで設計された機械がミュージシャンを支援してくれる、理想のensoniqシンセ。 EPS 16 Plusという16bit化された新型サンプラーも発売、これにはVFXゆずりのグレイトなマルチエフェクトも搭載され、楽器としてだけでなくサンプル加工にも抜群に使えるようになった。EPS 16 PlusはVFX-SDとともに双璧をなし、その下にSQ-1(61鍵)、SQ-2(76鍵)、という廉価版ワークステーションシンセを配し、SQ-Rという1Uのコンパクトながらに実力派の音源モジュールも誕生、2Uの強力エフェクトアウトボードDP/4もスピンオフ、ensoniqは黄金時代を迎える。そればかりか音楽のたのしみを広げようと、補聴器まで試作していたというSDGsアクセシビリティ先取り!
その音は世界中で玄人ウケし、安いコモディティと化しつつあった日本製の機種とは一線を画す。そしてその高いプロファイルでもってensoniqは並みいる既存メーカーに対する異議申し立てとなり、それらの好敵手となった。
そしてついにensoniqは、EPS系の最終進化形ASRことAdvanced Sampling Recorderシリーズを経て、VFX以来5年かけて開発を重ねてきた夢のシンセを世に送り出すことになる。 同社最後の大輪、音源コアDOC IVコードネームOTTO、それを心臓として建造された双頭のフラッグシップシンセTS10とTS12。1994年のことである。
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「ファイナルインパクト:TS12」
Ensoniq TSシリーズ、それはそれは空前絶後に壮大な音がするシンセであった。構造はSD1をさらに発展させた完成形であり、音源波形も新規であるために既存機種との互換性は無い。比較して聴けばSD1もまだまだ粗削りだったのだと分かる。ド太い重低音はもちろん、澄みきった濁りのない深い音色もする。映画館「みたいな」ではなく今度こそまんま映画館そのものな音がした。
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TS10は61鍵シンセタッチ鍵盤、お家芸ポリフォニックアフタータッチ完備。TS12は76鍵ハンマーアクション鍵盤搭載。このタッチはかなり独特なものでアコピとは似て非なるもの。Flying Action Weighted Mechanismという大仰な名前がついた。88鍵ではなく76鍵でハンマーアクションを採用したのはステージピアノとしてクルマに載せられるサイズを考えてのこと、つまり車社会アメリカならではの機動力を考えてのことであろう。
16波形を数珠つなぎにしてウェーヴシーケンスをつくれたので、KORGよりも波形ステップ数は少ないものの音色ごとに個別設定できる点では実はKORGを凌駕する長所があった。デイヴ・スミス対ensoniq、ここでもアメリカ人同士の対決! KORGも気にしたのか最近のwavestateではウェーヴシーケンスを1,000もメモリーできるという、とてつもない上限値でもって事実上問題ないレベルにまで回避している。
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ASRシリーズのサンプルライブラリを読み込めたのもポイント、読み込むデータによって自動的にTSになったりASRになったりと二つの顔をもつ双頭シンセとなった。両者はアーキテクチャーが違うため、つまりこれはソフトを自動的に入替えることで機能が変わるパソコンのようなキャラをシンセでも具現化したことになる。
なによりも、とかく日本のデジタルシンセが冷たく痩せた音がするのに対し、あたたかく骨太で豊かでスケールの大きな音がする。これは4年後の1998年にあたかも打倒ProToolsと言わんばかりに出てきた同社DAWシステムPARISことProfessional Audio Recording Integrated Systemにも言えた。事実PARISは「あたたかい音がするDAW」としてハリウッド映画音楽業界でも話題であった。お得意の高性能DSPを6基も搭載したPCIカードを開発、これにより非力なパソコンでも高度な処理が可能となって文字通りレコーディング業界への福音のごときシステムだったPARIS。 そして巨大な体躯というか威容を誇る重厚長大なフラッグシップTSシリーズは、説得力あふれるビッグな音はもちろん、広大な仕様・性能を満載しているがゆえにensoniq最高傑作との呼び声も未だに高い。
だが、ensoniqは自分たちの理想郷を追い求めすぎた。
TSシリーズは業界最強な独自アーキテクチャーを貫きすぎたのか、SMFやGM、wavファイルといった互換性に欠ける孤高の存在であった。90年代ともなるとDTMが進展しユーザーが増大して市場の裾野が広がり、さほどパワーユーザーではないライトユーザーも参加した結果、今まで以上に簡単に音色やシーケンスデータをシェアできるよう互換性が求められるようになった。だからこそMIDI規格にもSMFやGMといったより細かいルールが制定されたのであり、MIDIと対をなすオーディオにおいてもwav/AIFF互換が必須となった。すべてはデータの再現性を担保するため。流通しやすく、誰でも同じような結果になるよう再現できるため。個性よりも普遍。普遍による流通とシェア文化。シェアラブルであること。
かつてPCからスピンナウトして誕生したensoniq、だが今ふたたびPCの軍門に下るときがきた。
このあとTSシリーズの中核を成していたVLSI音源チップDOC IVことOTTOはensoniq社製オーディオボードSoundscapeにも搭載され、そのままensoniqはPC系へと軸足をシフト。そして巨艦TSシリーズ亡き後、ensoniqから出てきたシンセは音はわるくないものの限定的なフィーチャーを帯びたモデルばかりとなった。
薄暮の迷路にさまよいこんだかにも見えたensoniq。 その中、唯一例外的に輝いていた変態シンセは第二世代TransWave音源を搭載したシンセFIZMO(フィズモ)。これはensoniqが物理モデリング音源を開発するも実現できず、「物理モデリング=physical modeling」略して「phys mo」そのつづりをストリート文化っぽく変えて「FIZMO」という機種名だけが残ってしまった機種である。今ならヴィジュアル系な外観はもちろん、ウェーヴテーブル音源として光る個性が注目されたやも。 さらには北米でいち早く台頭してきたhiphopサンプラー文化に着目、AKAI MPC対抗機種としてASR X を投入、卓越したサンプラーに強力無比なエフェクトを組合せた力作。音も太くてよかったよね、でもちょっとむずかしかったか。
やがてensoniqはSoundBlasterをつくっていたシンガポールのメーカー Creative 社の傘下に入り、そこでE-muと合併してEmu-Ensoniqとなり、そのままフェードアウト。
ちなみにKORG 01/Wは相当にVFX/SD1を参考にしたようで、VFXのモジュレーションマトリクスはKORGのAMS(Alternative Modulation Source)機能となり、アコピの音に重点的にPCM容量をあてがう戦術、内蔵マルチエフェクトのつくりや効き具合などなど、エンジニアをヘッドハントしたフシもある。ワーステ本舗のプライドとしては、ensoniqを無視できなかったのであろう。
そもそもなにがミュージシャンにとって一番うれしいのか、アーティストがやりたいことは何なのか?その本質「why?」をなによりも第一に見抜いてソリューションを提供していたensoniqの自由な着想と回答、それらはソフトウェアとコンテンツの天国アメリカならではのパラダイムに基づくものであったことを、お歴々はもうお気づきのことであろう。彼らが世に送り出した名機たちは、つねに物事の本質はどこかを探し、本質を問うところからはじまる斜め上をゆく自由さがあり、その外様ならではのすぐれた問題意識にはじまる思考と思索の旅路、その帰結であり果実であったに過ぎない。そして冒頭にかかげた都市伝説に語られるとおり彼らは日本メーカーと共に成長すべき良きライバルであったのだが、それだけに歴史の波に消えてしまったのはつくづく惜しいと言わざるを得ない。天才E-muですら思いつかなかった自由な発想、斬新な解、そして楽器業界の多様性、ロスト。
楽器進化論、その樹形図におけるミッシングリンクとなったensoniq。楽器というビジネスは、PCの前に消え去るしかないのであろうか? 当時SteinbergがVST規格を提唱し、初のプラグインシンセneonがぽよよんと出るに至り、さとい先取の精神の持ち主たちは異口同音にハードウェア退場論を盛んにぶちあげていたものである。そのあとも度々、特にpropellerheads社Reasonの宣伝などは「いつまでハードウェアを使ってるんだ? さっさと棄てて僕たちソフトの世界で完結しちまいなよ」という主旨の、ややもすると苛立ちすらこもったものであった。
だが、苛立つということはそれだけ彼らの足元がヤワであることの証左でもある。
次はPC時代になろうがネット時代になろうが、それどころかなんべん倒産しようが不死鳥の如く奇跡の復活を繰り返してきた未来志向メーカー、その輪廻転生を見ていきたい。舞台はアメリカから大西洋を渡ってドイツへと移る。
(2022年8月13日同人誌にて初出)
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dolcissimamiavita · 3 years ago
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2021年に読んだ本から印象に残ったものを何冊か
ピエール・クラストル 『国家をもたぬよう社会は努めてきた』
ノブレス・オブリージュという言葉の本当の意味は、首長が民に対して負債をもつということなのかもしれない。民が首長に負債を持ち貢納を納める国家において、支配と服従の関係が前提されるのとは反対に、国家を持たぬ社会では、民の代弁者でもある首長が、民に気前よく与え民を飢えさせないことが彼の義務で、その義務を果たさない首長は直ちに引きずりおろされる。そこで首長が命令せず、権力を持たないのは、それによって社会に分断を生じさせないためだった。アマゾンの部族のフィールドワークに基づく視点は革命的なまでに刺激に富む。
 
アーザル・ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』
ロリータの本名ドロレスがスペイン語で苦痛を意味することの重い意味、ロリータの視点から小説を読む意味、それは、この書物を禁書にしておきながら、法定結婚年齢を18歳から9歳に引き下げ、少女との結婚になんの躊躇もないイスラム共和国で、ミサイルとミサイルの間にジェイムズを読み、アメリカに死をという喚声を聞きながらグレイトギャツビーを読む彼女たちこそ、切実に理解できるのだろう。文学が役に立たないなどと誰が言ったのか。彼女たちにとって文学こそがが生きるための糧、想像力という名の武器をもつ手段だったのではないだろうか。
ナディア・エル・ブガ『私はイスラム教徒でフェミニスト』
こういう本を待っていたかもし���ない。差別されているといわれるにもかかわらず、モロッコ出身でフランスで性科学者として活躍する著者の生の声は力強く知性にあふれ、真の意味で宗教的。なぜスカーフをかぶるかの問に、他者の視線から身を守るためではなく、神と直に接するためだと言う著者は、大事にするように神から託された肉体なのだから、自分の体も他人の体もいとおしむ、そこが性的関係の出発点だという。男性本位の解釈で歪められてきたコーランの著者による再解釈は目からうろこ。イスラム化される以前のモロッコのベルベル人の自由な発想がそのような再解釈を可能にしたのかもしれない。
高橋たか子『装いせよ、わが魂よ』
肩書も職業も住処も捨てて赤裸になる、それが神の前で装うということだろうか。言葉のよく通じない異国の地で、住むべき場所を求め、ふと街角で耳にした旋律を求める波子の道程は垂直的で、あるときは教会の地下の暗闇の奥のオルガンに、あるときは雪に覆われた山の上の修道院に。だが、ひとりひとりの人間にキリストが内在するのならば、自らの内部にもまた存在するはずで、それなら住む場所さえ必要ないのかもしれない。最後のページで、野営地から野営地に、ふいと風に吹かれるようにしてうつろってゆく後ろ姿には、なにか霊的な輝きがさしていた。
 
高橋和巳『邪宗門』
国家権力にすり寄る既成宗教とは逆に、信仰を貫き汚濁の世を変えるために、負けるとわかっていてもあえて国家権力に翻す叛旗のもとに、死を肯定し死に急ぐ信徒たちの群像、泥水に浸かった城の破壊は、さながら中世フランスのカタリ派のモンセギュール落城を想起させる。ともすれば気味の悪い自己満足に陥りがちな新興宗教の内面を、千葉潔という、心に底知れぬ空洞をもった漂泊者の視点から冷ややかに描くことで、逆説的にその深さを剔抉した本書は、戦中戦後を描く汗牛充棟の書物のなかでも宗教と国家の確執を描き切った点で類を見ない作品と言える。
 
カトリーン・マルサル『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か』
たしかに、黙っていても夕食が出てくるのが当然と思っている人の思想など子どもの遊びのようなもので、思想の名に値しないだろう。自立して合理的で客観的な判断のできる個人を前提にした経済学が退屈なのは、それが男による男のための学問でしかなく、たとえば夕食係が夕食づくりをボイコットするだけで、たちまち崩れ去る脆い楼閣にすぎないからだ。たがいにケアしあい依存しあう、ときには気まぐれで非合理的な判断を下すこともある人間のための、「恐れや欲を食い物にするのではなく、それを克服するため」の新しい経済学が今必要とされている。
『ピエール・ルヴェルディ詩集』
シュルレアリスムの旗手という紋切り型で語られる詩人だが、通読後の印象は、むしろ孤高の神秘主義とでも形容したくなる。中年になってからカトリックの洗礼を受けて後半生を修道院で送り、エリュアールら盟友が政治的に参加する詩を書く大戦中も、世の中から隔絶して創作した彼の詩は、宗教的観念があからさまに表現されることはないものの、異質なイマージュの結合を通じて、超越的な何かを幻視する試みのように思える。特に「奇跡」「言葉が降りる」。前者はベタニアのラザロ、後者は聖霊降臨を連想した私の読みは間違っているだろうか。
チャールズ・ローゼン『古典派音楽の様式』
ブーレーズによるウェーベルン全集(一回目)でピアノを務めたことでも知られる著者の本を読むのはこれで4冊目だが、いつも思い出させてくれるのは音楽の知的な理解と感性的な聴取が両立すること、前者が後者の質をさらに高めてくれること。譜例を引用しての楽曲分析は専門用語も多いのに、退屈などころか、そ��曲を一層深く聴きたい気にさせてくれる。ベートーヴェンのハンマークラヴィアソナタでの、三度音程が全楽章にわたってどれほど重要な役割を果たしているかのくだりは、推理小説のような面白さ。ハイドンのピアノトリオやモーツァルトの弦楽五重奏曲の分析も。曲名索引が充実しているので座右において事典的に使いたい。
匹田剛『これならわかる ロシア語文法』
良く書かれた文法書は一つの町あるいは一つの世界に似ていて、見知らぬ町に迷いこんだ私の手をとってやさしく導いてくれる、通りや店や人々の場所や名前を少しずつ覚えるにつれて、その町の輪郭が徐々に明らかになってゆく喜びは何ものにも代えがたい。同じ著者の初級者向けのを買ったが物足りず、上級までカバーした本書ではじめていくつもの疑問が氷解した。語学書に読了��ありえず、無料アプリのDuolingoでの毎日の勉強で生じた疑問を辞典的に調べるだけなのだが、この本に出会えて心から感謝している。
川上未映子『ウィステリアと三人の女たち』
四つの物語のなかで表題作がいちばん好き。解体の途中の隣家に夜中に忍び込んで、真っ暗闇のなかでかつての住人であった死者を想像するうちに、彼女と語り手の間にながれだすひそやかな魂の交流、いないはずなのにすぐそばにいるような感覚。孤独に不妊に悩む語り手と同じように、隣家の住人も、女友達との間に子どもを産みたいという不可能な希望とともに生きて死んでいったのだった。彼女たちの体にまとわりつく藤の花びらとベートーヴェンの32番のソナタの第二楽章は此岸と彼岸の架け橋かのように思える。静かに流れる水のような透明で静かな文体。
金石範『火山島 第三巻』
植民地時代の小学生のときに奉安殿に小便をひっかけて逮捕されたことのある李芳根は、今では資産家の跡継ぎの無為徒食、革命への参加を促されても腰は重い。かといって、反共勢力による革命の弾圧にも憤る。どちらにも肩入れしない曖昧な態度のままに、自宅の書斎で酒を飲むばかりの彼の視点から見た4・3蜂起は、双方の立場の限界と機能不全を明らかにした。日本による統治は終っても、その負の遺産はあちこちにくすぶり、差別された島の怨恨は鬱積し、和解への摸索も頓挫する。数年後には朝鮮全土をまきこむことになる戦争の予兆。
川野芽生『Lilith』
藤棚が解体されると知らずに巣を作っている鳩のようなものなのかもしれない、私は。私を構成していたはずのものは消え失せ、ネジを巻こうとしても手首のどこにも竜頭がみつからない。ここは私の居場所ではない、ここではないどこかへ、しかしどこへ?ゆきどころはみつからない。世界という異郷では、人が人を恋するというのも奇習にしか思われない。油絵のほうがもしかして実在で、私はその絵を覆うガラスにつかのまうつる影あるいは夢のようなものだろうか。人ではなくて馬に生まれ変われば、蹄にかけたいものもいくつかはあるのだが。「みづからの竜頭みつからず 透きとほる爪にてつねりつづくる手頸」
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baaly-k · 2 years ago
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2023年8月27日(日)
旗巻古戦場に行ってきた
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ari0921 · 4 months ago
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『カッサンドラの日記』21 黒船はなぜ現れたのか?―クリミア戦争と太平洋 (※長文注意)
橋本由美子
2024.04.05
クリミア戦争
 クリミア戦争と聞いて、日本人はすぐにナイチンゲールを連想するが、それ以外に何を思い浮かべるだろうか? ウクライナ戦争勃発以後、「クリミア」についての情報は豊富になった。しかし、日本では以前にはあまり話題にならない地域だったと思う。クリミア戦争は、当時のヨーロッパから中東にかけての大きな異変であり、この国際関係の大波乱の余波は日本にも及んだ。ペリーを招いたのはクリミア戦争だったとさえ言えるかもしれない。
 クリミア戦争(1854-56)の背景には、オスマン・トルコ帝国の衰退が引き起こしたヨーロッパ諸国の動きがある。巨大な帝国が衰退期に入ると、帝国内の諸民族の独立意識やそれに伴う宗教宗派の対立が顕在化する。当時のトルコ帝国は、バルカン半島からシリア、エジプトに至る広大な領土を持っていたが、モンテネグロ、ボスニア、ヘルツェゴビナ、アルバニアなどの地域で、キリスト教徒・イスラム教徒・ロシア正教徒などの対立が起こり、周辺のヨーロッパ各国を巻き込んで複雑で不穏な情勢になっていた。ナポレオン3世が聖地エルサレムの管理権を認めさせるというスタンドプレーもあって、ロシアは、トルコ帝国内のスラブ系の住民の安全と財産の保護を口実にドナウ河畔に軍隊を進める(いつも同じ口実ですね)。セバストポリの黒海艦隊が戦闘準備態勢に入り、ドナウ河畔で対峙していたロシア軍とトルコ軍が互いに宣戦布告して、ついに開戦となったのは1853年の11月である。
 1854年、英仏がロシアの進出を阻むためにこの紛争に介入し、クリミア戦争が始まった。戦闘はクリミアだけでなく、バルカン半島やバルト海でも他国を巻き込みながら行われ、スウェーデンやオーストリア、プロイセンの思惑も絡んで欧州が対ロシアで動き出す。ロシア軍は英仏艦隊からセバストポリを護るために黒海艦隊を自沈させて海上を封鎖し、陸上では塹壕を掘って要塞化した。塹壕戦はまるで第一次大戦のリハーサルのようで、クリミアでの戦闘は長期化した。双方の戦死者は数十万と言われ、イギリス軍の負傷兵のためにナイチンゲールが戦地に赴くことになる。
 トルコ帝国内や中東地域の民族対立も複雑なら、どの時代も「欧州の天地は複雑怪奇」である。しかし、個々の複雑な様相を俯瞰的長期的に眺めれば、結局のところ、この戦いは、スエズ運河開通前の中央アジアを見据えた「黒海と地中海の制海権争い」だったと言える。南下するロシアに対して、それを阻止しようとする英仏の対決であり、特にイギリスは植民地インドとの連絡線をロシアによって断たれるわけにはいかなかった。トルコ周辺の海域は、ロシアにとっては南下政策の、英仏にとってはアジアの植民地に至る重要拠点だった。広い意味でのシーパワーとランドパワーの対立構図の延長にあり、第二次大戦後のトルコ帝国分割の際の支配権を巡って暗躍したのもこの国々である。
北太平洋
 ロシア軍と英仏軍の戦闘は、太平洋にも及んでいる。太平洋は、18世紀にジェームズ・クックやベーリングの航海でかなり地理的解明が進んでいた。高緯度の海域は気象条件の悪さでなかなか詳細がわからなかったが、ベーリングの航海により、ユーラシア大陸とアラスカが地続きではないとわかってからは、ロシアはカムチャッカからベーリング海峡を北へ進んで大西洋に抜ける航路を見つけようとしていた(北東航路)。イギリスも、喜望峰を回る長距離ルートではなく、アメリカ大陸の北岸から太平洋に出られる航路がないかを探していた(北西航路)。実際には北極海の氷に阻まれて航行は不可能だったが、此処を太平洋への出口とする現在の北極海航路の構想は古くからあった。
 英仏艦隊はカムチャッカの要塞を包囲して、3度にわたってロシアとの砲撃戦が繰り広げられた。特に19世紀になってからは、対馬をめぐる英露のシーレーン構想の対立があり、日本の近海にロシア船やイギリス船が頻繁に現れ、日本を取り込むために遭難の救助や薪炭の補給や開港を迫るようになっていて、幕府が異国船打払令を出すなど、この海域は騒々しくなっている。この頃の清は太平天国の動乱で揺れていた(1851-64)。イギリスは、アヘン戦争終結の南京条約で香港割譲とともに得た上海の権益をこの戦乱から守る必要もあって、イギリス中国艦隊の活動は制限されていた。何よりも、英露双方ともにクリミア戦争への対応で、太平洋に割ける余力は少なかったのだろう。
 しかし、ヨーロッパでは中国市場を含む東アジア地域と、そのルートである太平洋そのものへの関心は高まっていた。フランスも太平洋に進出していて、ポリネシア群島を植民地化して、ゴーギャンがタヒチに住むようになるのはこの世紀の終わりである。この頃の海軍力はイギリスを筆頭にフランス、ロシアが続いていた。ヨーロッパの海軍国がクリミア戦争に集中していたこのときが、アメリカにとっては、太平洋に進出する「絶好のチャンス」だった。アメリカの海軍力は、まだ彼らに及ばないものだったのである。後にペリーが長官となるアメリカの東インド派遣艦隊は、広東やインドシナ半島やフィリピンなどで商業活動をしていたアメリカ人が、アヘン問題で不穏な情勢下のこの海域でのアメリカ海軍の保護を要請したことで常設された。その任務は、いまの第七艦隊の担当海域に近い範囲をカバーするものだったらしい。
メキシコ戦争とカリフォルニア
 それより少し前、アメリカはメキシコとの戦争(1846-48)でアリゾナやニューメキシコやカリフォルニアを含む広大な領土を手に入れた。カリフォルニアには、サンフランシスコやサンディエゴという軍港として使える良港がある。17世紀からカリフォルニア沿岸はヨーロッパに知られていたが、港湾の価値がわかるのは船乗りだけで、西部開拓に東部から押し寄せる人々ではなかった。軍艦の建造に欠かせないオーク���が豊富な地域(オークランド)を背後に抱えるサンフランシスコ湾に目を付けた政治家は、アンドリュー・ジャクソン大統領(在1829-37)である。彼は、此処に捕鯨産業の基地を作るために、なんとしてもカリフォルニアをメキシコから獲得しなければならないと考えていた。当時、鯨を追いかけ回していたのはアングロサクソン系の人々である。鯨の脂肪は鯨油として精製され、機械の潤滑剤として欠かせない材料になり、抹香鯨の頭蓋から取れる脂肪は軟膏になった。油の搾り粕の鯨蝋からは上質の蝋燭が作られた。骨は女性のファッション用コルセットの材料になった。鯨油は1860年代に石油に取って替わられるまで重要な資源で、捕鯨業は主要産業のひとつであった。
 ペリーは、メキシコ戦争にミシシッピ号艦長兼メキシコ湾艦隊副司令官として参戦し、現地で総指揮官としての責任を引き継いでいる。クリッパー(快速帆船)全盛期の時代に、ミシシッピ号という蒸気推進艦の艦長になったことは、蒸気船を実践で使用する貴重な機会を得たことになる。また、メキシコ戦争終結後に造船監督官となったことは、英仏に後れを取っていた蒸気艦船についての知識や今後の海軍計画に有益だった。日本来航のときの旗艦サスケハナ号は蒸気外輪帆船で、風力と蒸気機関という複数の動力機構を持つハイブリット艦である。帆走によって長��航海での石炭の節約が可能で、且つ、スピードが必要な場合には蒸気機関に頼ることができた。
アメリカの意図  
 ポルトガルやオランダの情報から、日本が高度な文明を持つ国だということは各国の共通認識になっていて、どのような方法で開国させるかが課題になっていた。当時の日本近海の騒々しさは、なんとかこの国をこじ開けて貿易港を獲得し、シーレーンを獲得したいという英露の競い合いによるものであった。
 ペリー来航の目的は、捕鯨船の避難や補給のための寄港地と貿易のための開港を要求することだったと言われている。実際、捕鯨業界からの強い要求があり、当面の重要課題であったことは確かだろう。しかし、アメリカの意図は、捕鯨問題というよりも、もっと広大なものではなかったのか。日本派遣に際してペリーに与えられた権限は、殆ど白紙委任状と言えるほどの強大なものだった。アメリカ史上これだけ多くの権限を与えられた指揮官は、他にはダグラス・マッカーサーだけだったと言われている。そのために、航路や航海上の出来事や対日交渉が、どこまでが国家としての意思で、どこまでがペリーの個人的な裁量なのかはよくわからない。彼はホイッグ党のフィルモア大統領の親書を携えていたが、ペリー出発直前に大統領選挙の結果が判明して、次期大統領は民主党に代わることがわかっていた。ペリーは民主党支持者であった。大統領交代で反古になるような親書は、ペリーが作文したという見解もあるらしい。
 幕府の役人に、かつて経験のない「大統領からの親書」の真贋や隠された意図が、英語からオランダ語に翻訳されるという手数をかけて、どこまで正確に判断できたのか疑問を持つ研究者もいる。しかし、オランダからクリミア戦争の情報を得ていた幕府は、ペリーとの条約締結後、1854年10月にイギリスと、翌55年にはロシアとも条約を結んで、英露との間でバランスを取ろうとしたことからも、世界情勢をかなり理解していたと思われる。オランダは、日本との独占的な交易の継続が難しくなった状況を把握し、日英米にそれぞれ恩を売って、自国の権利を確保しようと動いていた。
 ペリーはノーフォークを出航してから、大西洋を横切り喜望峰を経由してアジアに入っている。途中、食糧や石炭の補給に寄港したのは、ケープタウンやコロンボ、シンガポール、香港などイギリス海軍の拠点やイギリスの勢力下にある諸港であった。イギリスが張り巡らせたシーレーンは海運業界を護るための軍港を兼ねている。ロシアと対立するイギリスは、アメリカを味方につけるために協力した。ロシアも、イギリスとの対抗上、アメリカと友好関係を結んでいた。両者がアメリカの日本来航を阻止しなかったのは、クリミアでの英露対立のためで、成り行きを観察していたと言える。
 その頃の東アジアにおけるイギリスの勢力範囲は上海までであった。アメリカはそこからカリフォルニアに至る太平洋の覇権を狙っていたと言えるのではないか。ただ、ユーラシア大陸に沿った海域とは異なり、太平洋は茫漠とした海原に島々が点在しているだけである。帆船から蒸気船への過渡期にあって、今後の石炭の補給港の確保は優先的な課題であったはずだ。広大な太平洋を航行するのに必要な石炭を満載すると、それだけで船倉に余地がなくなる。航海日数を減らすための大円航路は北寄りになって、補給港がない。まだハワイ併合以前のアメリカにとって、日本の港かその周辺の拠点は必須だった。太平洋に進出するには、競争相手になるイギリスとロシアがクリミア戦争で手が回らなくなっているこの時期が絶好の機会であった。
日本列島の地政学的価値と沖縄 
 ペリーは、日本遠征の発令があってから、実に周到な準備と研究をしている。彼はシーボルトが国禁を冒して入手した詳細で正確な日本地図を持っていた。『ペリー提督日本遠征記』の2割が出航前の日本研究であり、全体の約半分が江戸湾到着以前に関する記述である。とくに異常なまでの関心を持っていたのが琉球と小笠原諸島で、これらに関する記述が全体の3割を占める。アメリカに、中国市場や東アジアの海域でイギリスやロシアに先んじて自国の地位を確保しようという狙いがなかったはずはない。『ペリー提督日本遠征記』の原題が『Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan』であることからも、この航海が東アジアの海域全体を念頭に置いたものだったということがわかる。
 本国に送った書簡では、イギリスがボルネオ、シンガポール、香港の拠点を設けたことで他国が西から接近するのを完全に制圧できたことを挙げて、琉球に海軍基地を設けることでイギリスの極東勢力に拮抗できると報告している。1952年8月のペリーから海軍長官に宛てた機密文書には「琉球は米軍艦隊や商船の避難基地としたい。そのために自分は琉球をアメリカの影響下に置き、アメリカのために貯炭所を確保した」という報告がある。また、国務長官から海軍長官宛ての書簡には、日本列島のいずれかに貯炭所を新設することや、それが不可能な場合には、日本の近辺の「無人島」でもよいということが書かれている。敢えて無人島を持ち出しているのは、所有者のない島の「先占」の権利を意識したもので、この海域にアメリカの国益に叶う拠点を是が非でも設けたいという強い意志が窺われる。
 ペリーは、琉球の帰属についても観察していて、清に朝貢していても、民族・言語・文化習慣・道徳などは日本に属するものだと結論付けていたようだ。しかし、清に帰属しているか、日本に属しているか、独立国家なのかを問わず、この島に自国の拠点を設けようという意思は固かったようである。帰属を調査したのは獲得のための作戦上のことであって、帰属の如何に拘らず、此処に何らかの形で自国に有利な軍事拠点を設けることは、来航する以前からの決定事項であったようだ。1853年7月、浦賀で日本側に大統領の書簡を渡した後、ペリーは幕府に与えた猶予期間を沖縄周辺海域の測量に当てている。さらに上陸して島内をくまなく巡って調査し、那覇港はとくに気に入ったようだ。翌1854年3月に再び日本を訪れたペリーは、神奈川条約(日米和親条約)に署名したのち、下田、函館の視察を経て、最後にまた沖縄に戻り7月まで滞在している。
近代戦への転機としてのクリミア戦争
 クリミア戦争によって、戦争の近代化が始まった。戦艦としての帆船はこれ以後使われなくなり、小回りが利いて機動力のある蒸気船の時代になる。機雷はクリミア戦争でロシアによる使用が最初である。実際には使われなかったが、毒ガス兵器も誕生した。銃の製造過程も変化した。フランスで起こった互換技術がアメリカの企業で産業化され、互換性のある部品が銃の製造に使われて量産の道を開いた。
 特筆すべきは通信技術である。サミュエル・モールスが電信線による長距離通信を可能にしたのは1844年で、通信網が敷設された地域での情報がほとんどリアルタイムで伝えられるようになっていた(モールス信号)。これを利用した『タイムズ(The Times)』の従軍記者が戦況を本国に発信し、クリミアでの兵士の悲惨な状況がその日のうちにロンドンに伝わり、市民は戦場を肌で感じるようになった。『タイムズ』の紙面に載った負傷兵の惨状が、ナイチンゲールに戦地へ向かう決意を抱かせたという。通信の発達とメディアの参加により、戦闘の情報が国民感情を大きく動かすようになった。その後、1891年には、ニコラ・テスラによって無線通信が発明され、日本海海戦では、イギリスがシーレーン上に設けた諸港からバルチック艦隊の航行情況を刻々と日本に伝えた。クリミア戦争は、軍事技術や工業生産力、通信やマスコミが、戦略・戦術を左右する近代戦の始まりであった。
ペリーを引き継いだマッカーサー
 ペリーは、日本人がほとんどあらゆる分野で教養度の高い知的に優れた民族だと見ていて、特にその潜在的な工業力が将来自分たちの競争相手になると予想している。その一方で、日本との条約締結について、「この強大な帝国を国際社会の一員にし、さらにその上これをわれわれの宗教の恩恵下におく事業は、まだ始まったばかりである」とも言っている。いかにもアングロサクソン的な目線である。約90年後に、その「事業」を引き継いだのがダグラス・マッカーサーだった。まるでペリーの青写真をトレースしたかのように、日本列島全体がアメリカ海軍の前線として基地化された。ペリーは、自らがアメリカ軍の拠点を置くことにあれほど執着した琉球に大規模な軍事基地が存在している現状を見たら、どのような感想を持つだろうか。
 南シナ海は古くからヨーロッパの植民地経済圏と華僑商業圏の接点であり、西太平洋は英露を始めとする列強諸国のシーレーン確立の対立の場であった。アメリカにとって、太平洋はカリフォルニアのフロンティアの延長上にある。フィリピン諸島から日本列島に至るラインは、ペリーにとっては中国をめぐるイギリス経済圏とのフロントであった。アングロサクソンにとって中国市場���権益がどれだけ大きなものであったのか、ペリーの壮大な青写真が語っているように思われる。日米戦争や現代の米中関係も、ペリーの時代からの一貫した流れの上にある。西太平洋にアングロサクソンの利益圏の前線が置かれたことは、アメリカの太平洋覇権のグランドデザインが日本列島の地政学上のロケーションに立脚しているということである。ペリーの遠征記録の邦題から、原題にある「the China Seas」を削ってしまったことで、ペリーの(あるいは、アメリカの)真の目的が曖昧になってしまっているが、既にこの時代の日本の「魅力」は、嘗ての金や銀の神話で語られた日本そのものではなく、その地政学上に占める「位置」にあった。
 『アメリカのデモクラシー』で、トクヴィルは次のように書いている(第2部第10章 /1835 年)。 ( )内は筆者注。
「今日、地球上に、異なる点から出発しながら同じゴールを目指して進んでいるように見える二大国民がある。それはロシア人とイギリス系アメリア人(アングロアメリカン)である。どちらも人の知らぬ間に大きくなった。人の目が他に注がれているうちに、突如として第一級の国家の列に加わり、世界はほぼ同じ時期に両者の誕生と大きさを認識した」
「アメリカ人は自然がおいた障害(荒野)と闘い、ロシア人は人間(民族)と闘う。一方は荒野と野蛮に挑み、他方はあらゆる武器を備えた文明と争う。それゆえ、アメリカ人の征服は農夫の鋤でなされ、ロシア人のそれは兵士の剣で行われる」
「一方の主な行動手段は自由であり、他方のそれは隷従である」
「両者の出発点は異なり、たどる道筋も分かれる。にもかかわらず、どちらも神の隠された計画に召されて、いつの日か世界の半分の運命を手中に収めることになるように思われる」 
 アメリカもロシアも拡張する��である。アメリカの征服は、極端に人口の少ない新大陸の原野であり、ロシアが征服しようとした旧大陸には他の民族の営みがあった。「神の隠された計画」によって、日本列島は、アングロサクソンの経済利益圏とロシアの領土拡張対象圏という脅威が重なる運命的な位置に置かれた。そこには古くから中華秩序の勢力圏も存在する。その中華圏は、アングロサクソンの経済利益圏から見れば、ロシアに対抗するためにも取り込むべき領域である。もし、クリミア戦争がなかったら、日本の運命は全く異なるものだったかもしれない。当時の情勢下では、日本列島は、クリミアのようにイギリスとロシアの戦場になるか、分割されるか、あるいはどちらかの勢力下に置かれるということもあり得たのではないか。当時、まだ新興国だったアメリカによって開国したことで、日本にとって「最悪な」事態を避けられたと言えるだろう。
 ロシアとアングロサクソンの対立は、その度ごとに他国を巻き込みながら、まだまだ続きそうである。万が一、東シナ海が中国の海になっても太平洋にアクセスできる千島列島をロシアが手放す意思を持つわけがない。対馬や千島列島は、嘗て、駐日大使のオールコックやパークスによって進出を阻まれた海域である。ロシアがウクライナやNATOの背後にアングロサクソン勢力を見るように、日本を見る目には背後のアメリカが映っているはずだ。ウクライナ戦争が何らかの形で決着すれば、次の対立の舞台は米中露の思惑が絡む東アジアになる可能性は十分にある。ウクライナ戦争やイスラエル・ハマスの戦闘を通して世界中の国々が思い知らされたように、正義や善悪やローカルな固有の歴史や庶民の権利、そして法すらも、Great Power Gameの前では簡単に無視されるものだと覚悟しておかなくてはならない。
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kennak · 1 year ago
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(注意: つらい内容が含まれます) ヨギタ・リマエ、BBCニュース 丘の上、木々の合間に、ミャンマー軍キャンプの廃墟がある。眼下に、特徴的なハートの形で地元で有名な、絵のように美しい湖が見える。足元には、地雷の薬筒や使用済みの弾丸が散乱している。兵舎があった場所では、散らばるトタン屋根の隙間から、黄色い花をつけた野草が顔を出している。キャンプの一角には、急いで掘られた塹壕(ざんごう)がある。 赤、白、青の横じまの中央にサイチョウという鳥が描かれた旗が、曇り空の下で風になびいている。ミャンマーの西部チン州で同国の軍事政権と戦う、民族武装組織「チン民族軍(CNA)」の旗だ。 CNAは7カ月前、地元の武装住民グループとともに、インドとの国境貿易の町リクホーダルにあるこのキャンプと、チン州の他の地域からミャンマー軍を追い出した。チン州の武装勢力は、2021年のクーデターでミャンマーのぜい弱な民主主義を粉砕した軍事独裁政権と戦ってきた。その彼らにとって、前例のない成果だった。 国軍がこの地域で支配権を失ったのは初めてだ。BBCは今回、同国西部で反政権勢力の躍進を目にするという、めったにない機会を得た。 リクホーダルでの勝利は、決して簡単ではなかった。武装勢力は1年以上にわたり、何度も攻勢をかけた。一部の家族は、耐え難い犠牲を払った。 画像説明,武装抵抗運動に加わったラルヌンプイさん ラルヌンプイさんはダンスが大好きな17歳だった。彼女のソーシャルメディアのアカウントは、人気映像のダンスをまねる彼女の動画でいっぱいだった。 「彼女はいつも自信たっぷりに踊っていた。でも、着飾ることには興味がなかった。兵士に憧れ、国のために命を捧げた兵士についての歌を一日中聴いていた。勇敢で強く、怖いもの知らずだった」。ラルヌンプイさんの母ラルサントルアンギさんは、そう話す。 クーデターが起こると、ラルヌンプイさんは両親を説得し、家族が暮らすハイムアル村で武装住民運動に加わった。その理由を、学校で手書きした英作文の中で、次のように説明していた。 「ミャンマーはいま、壊れている。(中略)ビルマ兵は私にとって敵だ。情けがないからだ。(中略)私の将来は国民防衛隊にあって、私はそれが好きだ」 2022年8月、彼女の村の武装住民らは他のグループとともに、リクホーダルの軍キャンプに攻撃を仕掛けた。 「私たちは13日間連続で、相手側にドローン(無人機)の雨を降らせた。爆弾のほとんどは私が作った。私が部隊で一番の溶接工だったので」と、ラルヌンプイさんの父ラルジディンガさんは言う。彼はクーデター前はトラック運転手だったが、ハイムアルで何人かと国民防衛隊を組織するようになった。 この時の攻撃では、軍キャンプを奪うことはできなかった。双方に犠牲者が出た。 ミャンマーの地図 2022年8月14日、ミャンマー軍は報復攻撃としてハイムアル村を急襲した。住民の話では、民家十数軒に火が放たれた。私たち取材班は、そのような家屋の残骸をたくさん目にした。ミャンマー軍は、北部と西部で抵抗勢力を抑え込むため、何万軒もの民家を焼き払ったと非難されている。 この報復攻撃で、17人が軍に人質に取られた。ラルヌンプイさんと、弟のラルルアトマウィアさん(15)も含まれていた。その後、この2人を除いて全員が解放された。2人の父親に軍が仕返しをしたのだと、家族は考えている。 2日後、ハイムアルの外れにある森の浅い墓の中に2人の遺体があるのを、村人たちが発見した。 どちらも残忍な拷問を受け、銃床で殴り殺されていた。ラルヌンプイさんはレイプされていた。弟の胸、腕、性器には熱湯によるやけどの跡があった。BBCは、遺体の詳細な写真と検死報告書を確認している。 BBCはこの件でミャンマー軍に質問を送っているが、まだ回答はない。 ラルヌンプイさんの弟ラルルアトマウィアさんはまだ15歳だった 「子どもたちに何が起こったのか、考える勇気がない」。父ラルジディンガさんはしばらく黙った後、言葉を探すように言った。「子どもたちは殉死者だ。私よりずっと立派だった」。 少しの間を置いて、彼は続けた。子どもたちのことを愛情をこめて語る、誇らしい父親の姿だった。「息子は私より5センチ背が高くなっていた。話し好きで、家の手伝いを何でもいやがらずにやった」、「2人は切っても切れない仲だった。人が集まっているところに娘が行けば、みんな楽しく笑顔になった」。 母ラルサントルアンギさんは、涙を拭いながら末娘のハダシちゃん(4)を抱きしめ、こう話した。 「夫には、子どもたちの死で落ち込まないように言っている。これは私たちだけの問題ではない。将来の世代も自由は必要だ。何の権利もなく、軍の言いなりになるような、そんな状態で暮らすのは正しくない。命をかける価値がある戦いだ。私は自分の子どもたちを誇りに思っている」 私たちはミャンマー滞在中、戦闘服に身を包んだ人たちに会った。半自動小銃などの銃器を携えている人もいた。ただ、職業軍人ではない。野蛮な紛争に直面し、見事なまでに意を決している農民、学生、一般住民たちだ。 国民防衛隊のヴァラ司令官は、ハイムアルの眼下に広がる緑豊かな谷を指さしながら、ミャンマー軍はこの全域から撤退し、最も近い基地でも直線距離で50キロ以上離れていると笑顔で説明した。現地の墓地では、ピンクと白の造花で覆われた新しい墓へと私たちを案内した。 「軍事政権と戦って死んだ人たちのものだ」と、ヴァラ司令官は義理のきょうだいの墓のそばに倒れている花束を戻しながら言った。私たちは、ラルヌンプイさんとラルルアトマウィアさんの墓も見つけた。 私たちが会った住民らのほとんどは、ハイムアルの南にあるチン民族軍のヴィクトリア基地で訓練を受けていた。私たちは、緑深い森と山間部を通る、曲がりくねったでこぼこ道を進み、同基地を訪ねた。 そこでは、制服を着た何百人もの若者が新兵となって、広々とした平原を行進していた。 行進が終わると若者たちは、「私たちの祖国、愛する土地、私たちは血と命をかけてそれを守る」と歌う。 そして、武器の訓練へと続く。銃声が響く。 全員18歳以上だと説明されたが、もっと若く見える人も多い。2011年のミャンマーの民政移管で、大勢が自由を味わった。それだけに、もはや軍事政権は受け入れられないと考える10代の若者たちが、それぞれの夢を捨てて、抵抗運動に加わったのだ。 サン・ダール・リンさん(19)は教師を目指していた。 「クーデター後の最初の1年は、それほど悪くなかった。けれども、やがて軍が私たちの村を砲撃し始めた。私たちの家は壊されて、村に入って来た兵士は家を燃やし、人や動物まで殺した。私たちはジャングルに逃げた。かなりの人数がいたので、ジャングルがそのまま村になった」 「おじは無残に射殺された。私は軍が大嫌い。自分の国と国民を守るため、CNAに加わった」 私たちは行く先々で、ミャンマーの若者たちが革命の波に巻き込まれているのを目にした。 ビルマ国家のために働いていた何千人もの人たちもまた、支持する対象を変えた。 ヴァンラルペクタラさん(22)はかつて警官だった。 母親のモリー・キアンさんは、息子が警察で訓練を受けていたころの古い写真を3枚差し出すと、「彼はそこそこの月給をもらっていた。私たちは幸せで満足していた。そうしたらクーデターで政府が倒され、彼は抵抗運動に参加することを決めた」と説明した。 モリーさん自身は青春時代を軍事政権下で過ごした。「当時は楽しい日なんて1日もなかった。軍がとても怖かった。だから私は息子の決断を支持した」。 息子ヴァンラルペクタラさんは2022年3月に抵抗運動に参加。その6日後に殺害された。 モリーさんは胸と首を指さしながら、「息子はこことここを刺された」と言った。「残忍に襲われた。片足は切り落とされていた」。さらに話を続けようとしたが泣き崩れた。「この話をするのはつらい」。 ヴァンラルペクタラさんが死んだ時、彼の妻は妊娠していた。もうすぐ1歳半になる男の子は現在、遠く離れた難民キャンプで暮らしている。 軍が村から追い出されたときの気持ちを尋ねると、モリーさんは拳を突き上げた。「とてもうれしい。でも完全な勝利が見たい」。 彼女の次男も国民防衛隊の一員となっている。 国軍に比べれば弱い複数の反政権勢力が、この紛争の流れを変え、はるかに強力で装備の整ったミャンマー軍を守勢に立たせた。それができたのは、一般国民の幅広い支持があるからだ。 「最初は軍が勝っているように見えた。しかし、戦争であれ政治であれ、国民の支持がなければ誰も勝てない。軍は武器では優位かもしれないが、民衆を味方につけられていない」。チン州の反政権グループが設立した並行政権の「首相」に指名されている政治家、パ・サンさんはこう話す。彼はアウンサンスーチーさんが率いる国民民主連盟(NLD)のメンバーでもある。 並行政権は、チン州全域の80%近くを掌握していると主張する。しかしミャンマー軍は、州都を含め戦略的に重要な町のほとんどを今も支配している。 それでも、反政権勢力には勢いがある。今週初めにはトンザンという町を奪った。 チン民族軍のフテト・ニー広報官画像提供,AAKRITI THAPAR/BBC 画像説明,チン民族軍のフテト・ニー広報官 「ここは私たちの土地だ。ビルマ軍の土地ではない。私たちは勝利を収めつつある。この土地の隅々までよく知っているからだ」。チン民族軍のフテト・ニー広報官はそう言う。 民族軍側が戦果を挙げている理由は、ほかにもある。国内各地の反政権勢力が協調し、軍が力の入れどころを選ばなくてはならない状況を作っているのだ。チン民族軍によると、自分たちはカチン独立軍やカレン民族解放軍、カレンニー軍と協力関係にあるという。 反政権勢力が直面する最大の課題は、グループ同士の内紛だ。チン州だけでも数多くの派閥が活動しており、その多くは従来から敵対している。 前出の政治家パ・サンさんは、結束を維持するのは可能だと主張。クーデター後に軍によって投獄されたアウンサンスーチーさんが率いる、選挙で選ばれた文民政府を代表する国民統一政府(NUG)の下で活動することに向けて、将来的な計画があると話す。 「私たちは鋭意、法律と憲法を作成している。NUGの一員として、チン州から大臣2人と副大臣1人を出す予定だ。ミャンマー軍が敗北を認めるときに向けて、あらゆる準備をしている」 私たちが会った人たちには、明らかな共通点があった。自分たちは勝てると、全員信じているのだ。 「もう、それほど長くはかからない」とパ・サンさんは言う。「こういう予測をするのは良くないが、私たちがあと2〜3年以上戦うような、そんなことにはならない。そう信じている」。 (追加取材:アアクリティ・サパル、サンジェイ・ガングリー) (英語記事 The devastating cost of fighting Myanmar's military dictatorship)
【ルポ】 ミャンマー軍事独裁政権と戦う人たち その途方もない犠牲 - BBCニュース
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liliyaolenyeva666 · 4 years ago
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📛 1379 「空手バカ一代」 #1, 2, 3。
いきなりテレビの中で 「空手バカ一代」 がはじまりました。映像がとても綺麗ですので おそらく HDリマスター版か何かかなって思います。さてさて 今回は 「焼けあとに 空手は唸った (第1話)」 というお話です。日の丸の旗が揺らめく中、昭和20年8月。実写の映像とともに アメリカ軍の艦隊に向けて特攻隊が次々と発進していく中 “米英撃滅” なハチマキをキュっと巻いて 基地から離陸した途端に故障、出撃を中止されて悔しがる ひとりの兵隊がいました。場面は変わり、日本は敗戦。どこかへ向かう ぎゅうぎゅう詰めな汽車に ふんぞり返って乗り込む軍人どもがいます。泣き叫ぶ赤ん坊を連れた母親に汽車から降りろと怒鳴る軍人に向かって 「降りる必要は無い」 と 突然に 主役の声がします。「戦争はもう終わったよ 戦争もクソも無い」 と主役。「キサマのやうな奴がいたから 日本は負けたんだ」 と 格好良さ気なセリフを連発する主役は 不意に回想をし始めるのですけれど、何と回想場面は実写映像です。そんなリアルな回想場面を終えてから、日本刀を振り翳して襲いかかってくる危なっかしい軍人どもを バッタバッタとなぎ倒します。そんな強い主役は 昭和20年秋。池袋に辿り着きます。瓦礫だらけの街を歩くと “ゾウスイ 1杯 5円” や “ピーナッツ 1袋 3円” などの出店が並んでいますけれど、そんな中、こどもがカキを盗んで逃げ出します。「カキ泥棒ーっ!」 と 行き止まりに戸惑うこどもを捕まえ、顔を何度も叩くカキ屋の主人。とそこへ 「やめろよ。殴るのを止めろって言ったんだ」 と主役。渋々帰るカキ屋の主人の次に現るるは 女性を連れた米兵ふうの男です。「おい、日本の娘に向かって何をするんだ!」 とフラストレーション溜まりまくりな主役は やるせない怒りを 側にあったドラム缶に叩きつけます。ドラム缶を凹ませるくらいに浴びせかける拳。という訳で お腹が空いたのか、屋台のゾウスイを食す主役ですけれど、お椀の中から煙草の吸い殻がふわっと浮き出てきます。煙草の吸い殻が入ったとんでもないゾウスイをこの店は出すのか!と店主に問い詰めると、アメリカの残飯で作ったゾウスイだからさぁと 妙にあっさりしている店主。さらに 主役の怒りがこみ上げます。そんな主役の苛立ちに気づいたのかどうなのか チンピラなタツ兄いは 仲間にならないかと主役を誘いますけれど、主役は迷いもせずに断ります。タツ兄いの子分が折角の兄いの誘いを断るのかよ!っとイキガリますけれど、それでも主役は断ります。そんなころ、酔っ払った進駐軍の兵隊が、カキ屋の商品を暴れてめちゃくちゃにします。やめろっ!と店主が兵隊を止めに入りますけれど、あっさり 返り討ちに遭ってしまいます。ボッコボコにされる店主。と、そこへ 主役がふらりと現れて 店主を助けます。「Hey Jap C'mon!」 何て言いながら 3人掛かりで主役に襲い掛かる卑怯な軍人たち。相手の拳や飛び蹴りをサッと避け、カウンターを浴びせる主役。と、途端に 木の板を割る実写映像がながれます。実写が明けると、乱暴された店主は いつの間にか頭に包帯を巻いていたりします。それなりの時が過ぎたのでせうか。バッタバッタと 3人の米兵を倒した主役は、店主の娘さん?から お礼にカキを貰って喜びます。空手を14の時からずっとやっていたらしい主役は、こどもの頃の自分を回想しながら 熱い稽古をしている実写映像をも回想します。少し長めです。瓦割りや 4枚重ねな木の板割りをする実写映像を ホワワワワンと回想しながらカキを齧る主役に 「アハハハ 手を噛まないでね」 なんて娘さんに言われて いっしょになって笑う主役。娘さんと別れ、ひとりになった主役は 突然に 「俺には空手があったんだ これでいきていくぞ!オレは空手でいきてくぞ!」 と、声が漏れていますけれど 心に誓います。と、そんな青春まっしぐらな主役に向かって 先ほどのアメリカ兵がジープに乗って わざわざ仕返しにやって来ました。ジープで体当たりを仕掛けて来る米兵。サッと躱しながらも 追い詰められる主役。「しまった川だ!」 と崖っぷちで危機一髪な主役に 「このままでは 轢き殺される!」 というハラハラドキドキなナレーションが流れてきます。
つづいて
テレビの中で 「空手バカ一代」 がはじまりました。今回は 「悲しい用心棒 (第2話)」 というお話です。前回、第1話を観ていて、主役の名前が分からなかったりした わたしでしたけれど、今回はじめて ナレーションのお陰で 主役の名前が “アスカケン” ということがわかりました。さてさて、前回、得意の空手で 3人のアメリカ兵を叩きのめしたアスカケンは “hey hey jap!!” なんて 笑いながらジープに乗って来た 逆恨み3人組に 轢き殺されそうになっています。逃げ惑うなかで 行き止まりにぶつかったアスカケンは 飛び蹴りでジープよりも高く舞い上がり、アメちゃんをぶちのめします。そんな光景を少しだけ離れた場所で まじまじと見ていた一行のひとりが 「あの空手は本物だって」 なんて 兄貴ふうの男と話しています。アメちゃんを倒して ほくそ笑むアスカケン。「我ながらなかなかやるじゃないか」 と自画自賛するアスカケン。「俺には空手が残っていた そうか空手��!」 と 空手バカっぷりが絶好調なアスカケンは 瓦を割る実写映像を ホワワワワンっと生み出すなか 「先生!」 と声を掛けられます。「俺のことかい?」 と 満更ではないアスカケン。「いったい何だいお前たちは?」 とアスカケン。声をかけたチンピラふうな男は 前回も登場した タツ兄いでした。「どうぞ」 と 空襲に遭わなかった奇跡的な場所、焼け残った料理屋 (料亭) を案内されるアスカケン。ロクな食べ物がない世の中で 料理屋があることを不思議がるアスカケンは お座敷に並んだ料理を見て思わず 「あっ!」 と驚きます。「盛大にやっていただきましょうかね、先生」 とタツ兄い。「世の中すべてに裏あり」 とタツ兄い。飲みっぷりのいい先生は タツ兄いから 用心棒になって欲しいと ざっくばらんにお願いされます。「想像はついていた」 と 想像力豊かな先生。「お前たちよりも強い相手なら」 用心棒になってもいいかな、なんて思っている先生は 「うーん」 と悩みながらも 「よぉし!」 と 暴れに暴れてやるらしく 用心棒を引き受けます。翌る日か それ以降の日、早速 11対1の無茶なケンカに挑むアスカケン先生。ドスや割れたビール瓶を持った相手にも怯まず、あっさりぶちのめす先生を見て 「天下無敵の大先生がついているんだ、ふっふーんだ」 と 調子に乗るタツ兄い。べつの日かどうかは分かりませんけれど、ガード下でも チンピラどもを ぶっ潰す大先生の姿が。強すぎる大先生。場面は変わり、ビリヤードを楽しんでいる 青いスーツ姿の大先生とタツ兄いに 突然に襲いかかる魔の手がっ!けれども、襲ってきたチンピラを あっさりキューで撃退するアスカケン先生。後ろにも目をつけていないと気軽にビリヤードも出来ない世の中です。そんな アスカケン大先生の大活躍により 「縄張りも近頃は騒ぎが少なくなった」 なんて言っていた タツ兄いの目の前で シマ荒らしが現れます。「ヤクザなんてどいつもこいつも大嫌いだ」 なんて言うシマ荒らし。寄ってたかって引っ叩かれたりしているシマ荒らしに 「待てっ!」 とアスカケン先生。「こいつはオレが預かろう」 とアスカケン先生。訳ありな小僧を引き取ります。「ふんっ オマエになんか感謝してないぜ!」 と 恩を仇で返すシマ荒らし小僧。やれやれと 先生は 前回、吸い殻が入っていて ひどくショックを受けた “1杯5円の ゾウスイ屋” で ゾウスイを小僧にご馳走します。小僧の名は シンイチというさうです。お代わりをしたシンイチを家に送る先生ですけれど、と、家を破壊せんと大きな木槌で 壁を叩くチンピラたちの姿とシンイチのお母さんの姿が。立ち退きを 「待ってやっていた」 らしいチンピラらは 大きな木槌で壁を壊したり、やめて!と縋るシンイチのかあちゃんを突き飛ばしたり、シンイチを殴ったりと暴れまくっていますけれど、壁を壊す男の手を チョップで叩いた大先生は 「まあまあ今日のところは黙って帰って貰おうか」 と 格好良さげな台詞とともに ゴタゴタに自ら飛び込みます。「舐めた真似を!やっちまえ!」 と ピッケルや大きな木槌で 先生に襲いかかるチンピラたちですけれど、その後の結果は一目瞭然。「覚えてやがれ!」 と ダッシュでトラックに乗り込んで逃げ出します。とりあえず チンピラの親玉のいる会社に赴く大先生は シンイチが暮らす土地に ビルを建てる計画があることや、シンイチのところに 立退料を支払っていることを知ります。親玉な社長から 御車代を受け取ったものの、悔しさのあまり 親玉な社長の “東新商事” の看板をパンチで叩き割ります。シンイチの元に戻ってみると、社長と話をしている間に シンイチの家は 跡形も無くなっていました。呆然とする先生。シンイチに 受け取ったばかりの 御車代を渡すと シンイチは それを地面に叩きつけ、踏みにじります。何も言えない大先生。両手の拳を睨みつけ 「この手でいったい何が救えると言うんだ!」 と叫びます。場面は変わり、タツ兄いと 先ほどの社長に挟まれながら キャバレーで涙しながら アスカケンは お酒を ぐいぐいっと飲んでいます。そんな中 “キザクラ会” という会に属しているっぽい ガラの悪いチンピラらが店内で暴れ捲ります。止めるタツ兄い。止まらないキザクラ会。とそこへ 「消えろ!ドタバタ騒ぎは飽き飽きしてるんだ!」 なんて言いながら アスカケン先生が登場しますけれど 「ハジキっ!」 と キザクラ会のひとりが拳銃を取り出したことに タツ兄いが慌てます。後ろを向いて 両手を上げるタツ兄とアスカケンと社長。隙を見せた キザクラ会に チャンスを最大限に活かすアスカケンは 対空時間が長めな 空中二段蹴りなどを駆使して キザクラ会を こぼれ桜に変えます。実写映像の 木の板三枚割りを披露したあと 「命に別状はないが病院に連れて行け」 と ひとの命は奪わずに ダイナミックなアクションを決める先生は シンイチのことばが 胸にぐさりと突き刺さります。リフレインする 「ヤクザの用心棒に何ができる!」 と言うシンイチのことばに 「やめろーーーっ!」 と テーブルの上で頭を抱えるアスカケンは、ただ酔い潰れているだけなのかもしれませんけれど、思春期の若者のやうに 悩みごとで頭がいっぱいです。
つづけて
テレビの中で 「空手バカ一代」 がはじまりました。今回は 「正義と力の空手道 (第3話)」 というお話です。キザクラ会を必殺の技で倒したアスカケンですけれど、どうやら気持ちが収まらないやうで、ビールを浴びるやうに ぐびぐびと飲んで、白いワイシャツをビールまみれにしています。タツ兄いに他の店で飲み直さうと誘われ、外に出たアスカケンは 「ん?」 と後ろを振り返ります。けれども、気のせいだったらしく 歩き始めます。でも 気のせいではなく、跡をつけられています。タツ兄いから 重要な話があると言われ、何者かに跡をつけられながらも タツ兄いと べつのお店に向かったアスカケンは 「こんなところに!」 立派で小洒落たお店があることに驚きます。タツ兄いから 「先生が思っているほど東京は焼け跡ばかりではない」 なんて言われたアスカケンは お酒を飲みながら 「どうせ進駐軍のお下がりだらう」 なんてことを さらりと言います。「さすが先生だ!」 と 何がさすがなのか よく分からないタツ兄い。そんなころ、キザクラ会の兄貴は 「あの野郎のトドメは俺が刺す」 と アスカケンを倒すことしか考えていません。そんなキザクラ会の企みなんて露知らず、お酒をがばがば飲みながら 「道、道か」 と笑い出す空手先生。「俺たちはな、日本は、いや俺は 道を誤った外道だぜ」 と その道を極めてしまったアスカケンは “外道の道” ということばを少しだけ気に入ります。タツ兄いから 空手の力と商売上手と金の力でビルヂングを作る計画を誘われて 「重役?」 と聞き返すアスカケン。と、そこへ ナンブの旦那が現れます。前回登場した社長さんです。「トリオでワッと外道ばかり」 と外道ということばが すっかり気に入ってしまったアスカケンは 「日本も俺も落ちるとこまで落ちたんだ」 と 酔いが回ってしまったのか自暴自棄な台詞ばかりを口にします。と、そこへ タツ兄いの子分がお店に ワッと飛び込んできます。「何っ、とうとう来やがったか」 とタツ兄い。機関銃を手にしたキザクラ会の面々が お店の入り口前で銃を乱射しています。50連発のすごい奴な機関銃が火を吹いて、タツ兄いの子分らしきチンピラを血の海に変えています。「酒だ!おい、酒をくれ!」 とアスカ先生。「弱い!もっと強いのはないのか!強い酒だ!」 とアスカ先生。「おい、いちばん強い酒はどれなんだ!」 と なかなか先生の思いが伝わらない中で、酒瓶を棚から手に取ったアスカケンは、その瓶を 投げる、燃える、燃え過ぎる、と言った具合で 店内を火の海に変えます。「今だっ!」 と窓から脱出を図る 外道トリオ。逃げる中で左腕を撃たれたアスカケン。車で逃走を図るも 撃たれた腕を痛がるアスカケン。走り出した車内で 十字砲火から身を守る方法は 酒瓶しか無かったと お店を駄目にしたことを詫びるアスカケンに 惚れ直したナンブ社長とタツ兄い。「三途の川の入り口か、ワッハッハッハ」 と ナンブが笑ったりしている中、車は停車します。痛がるアスカケン。停めた先で やくざ嫌いで貧乏人から金は取らない腕の良いヤブ医者が現れ、アスカケンとタツ兄いらを “人間のクズのやうなウジ虫” 呼ばわりします。そして、口に含んだ酒をブーっと アスカケンの腕に浴びせて さっとメスを掴んで 腕を傷つけ弾を穿り出す先生。「さあ済んだぞ」 とアスカケンの腕を包帯で ぐるぐる巻きにします。土管の上で酒を浴びながら 「くそっ!道って何だ!道って何々だよ!」 と、酒飲み先生に言われたことが引っ掛かるアスカケンは タツ兄いにも “道” って何なのかを尋ねます。何を聞かれているのかよく分からないタツ兄いは いつの間にかキザクラ会から 命を狙われていたりする アスカケンを隠れ家へ案内します。「お世話になります」 とアスカケン。そこは古本屋のやうです。山積みになった本の中で ごろ寝をするアスカケン。「寝つかれやしないや、くそーっ!」 と 今週もフラストレーションでいっぱいなアスカケン。「ん?」 とアスカケン。アスカケンから銃弾を取り除いた 先生がやって来ます。 「どれどれ」 と傷口を診る先生。「まさしくおまえの言う通りすごい回復力だ」 と先生。空手の他に回復力も物凄かったアスカケンに 「正義がない、正義がないんだよ!」 と 空手バカに やくざの下で働くことを辞めさせます。いつの間にか座布団の上で正座をして話を聞いていたアスカケンは 先生が帰ったあと、ひとり頭を抱えて 「わからん!この俺には何もかもが分からなくなった!」 と 戸惑います。そんな悩み多き先生のことを 「最後の力を振り絞って切り込みだ!」 と、アスカケンの行方を追う 諦めの悪い キザクラ会の兄貴。そんなころ、古本屋の売り物の古本の中から “宮本武蔵” を読み始めるアスカケン。最初は寝転びながら読んでいたのに 正座して読み始めるアスカケン。第六巻まで ただひたすら読み耽るアスカケン。そんな中、先生の家の入り口を破壊して 先生にビンタを浴びせ、部屋の奥にどんと突き飛ばす キザクラ会の兄貴の姿がありました。「先生、先生大変だよ!」 とタツ兄い。「出て来い!空手野郎!」 とタイミングの良いキザクラ会。古本屋から出て来たアスカケンに ドスや日本刀で襲いかかるキザクラ会のチンピラ共は 意気込みだけは凄かったものの、あっという間にアスカケンに打ちのめされます。こっそりピストルで命を狙おうとした輩も アスカケンに見破られ、あっさり撃退されます。「死にたくなかったら、とっとと消え失せろ!」 と格好良くキメるアスカケン。もうアスカケンを襲ったりしないと誓って とっとと消え去るキザクラ会。一体誰がアスカ先生の居場所をバラしたんだらうと不思議がるタツ兄いの前に 「アスカ、許してくれ!」 と アスカの腕を治した先生が 傷だらけのボロンボロンな姿で現れます。自分という人間に負けたと先生。ベッドに運ばれ横たわる先生との会話の中で “力なき正義、正義なき力” とはどういうことかを思い、噛み締めるアスカケン。突然の池袋駅の前で 「俺は生きてやる、宮本武蔵のやうに」 と 読みたての本の影響をストレートに受けながら 「そうだ、正義ある力を!」 と タツ兄いの説得も虚しく、手ぶらで改札に向かうアスカケンは 列車に乗り込みます。何線に乗ったのか “安房小湊駅"で降りたっぽいアスカケンの後ろで "アスカの山籠りの第一歩が始まったのである” と、ナレーションの声が聞こえてきました。
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rosaliaolenyeva · 4 years ago
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📛 003 「空手バカ一代」 #1。
いきなりテレビの中で 「空手バカ一代」 がはじまりました。映像がとても綺麗ですので おそらく HDリマスター版か何かかなって思います。さてさて 今回は 「焼けあとに 空手は唸った (第1話)」 というお話です。日の丸の旗が揺らめく中、昭和20年8月。実写の映像とともに アメリカ軍の艦隊に向けて特攻隊が次々と発進していく中 "米英撃滅" なハチマキをキュっと巻いて 基地から離陸した途端に故障、出撃を中止されて悔しがる ひとりの兵隊がいました。場面は変わり、日本は敗戦。どこかへ向かう ぎゅうぎゅう詰めな汽車に ふんぞり返って乗り込む軍人どもがいます。泣き叫ぶ赤ん坊を連れた母親に汽車から降りろと怒鳴る軍人に向かって 「降りる必要は無い」 と 突然に 主役の声がします。「戦争はもう終わったよ 戦争もクソも無い」 と主役。「キサマのやうな奴がいたから 日本は負けたんだ」 と 格好良さ気なセリフを連発する主役は 不意に回想をし始めるのですけれど、何と回想場面は実写映像です。そんなリアルな回想場面を終えてから、日本刀を振り翳して襲いかかってくる危なっかしい軍人どもを バッタバッタとなぎ倒します。そんな強い主役は 昭和20年秋。池袋に辿り着きます。瓦礫だらけの街を歩くと "ゾウスイ 1杯 5円" や "ピーナッツ 1袋 3円" などの出店が並んでいますけれど、そんな中、こどもがカキを盗んで逃げ出します。「カキ泥棒ーっ!」 と 行き止まりに戸惑うこどもを捕まえ、顔を何度も叩くカキ屋の主人。とそこへ 「やめろよ。殴るのを止めろって言ったんだ」 と主役。渋々帰るカキ屋の主人の次に現るるは 女性を連れた米兵ふうの男です。「おい、日本の娘に向かって何をするんだ!」 とフラストレーション溜まりまくりな主役は やるせない怒りを 側にあったドラム缶に叩きつけます。ドラム缶を凹ませるくらいに浴びせかける拳。という訳で お腹が空いたのか、屋台のゾウスイを食す主役ですけれど、お椀の中から煙草の吸い殻がふわっと浮き出てきます。煙草の吸い殻が入ったとんでもないゾウスイをこの店は出すのか!と店主に問い詰めると、アメリカの残飯で作ったゾウスイだからさぁと 妙にあっさりしている店主。さらに 主役の怒りがこみ上げます。そんな主役の苛立ちに気づいたのかどうなのか チンピラなタツ兄いは 仲間にならないかと主役を誘いますけれど、主役は迷いもせずに断ります。タツ兄いの子分が折角の兄いの誘いを断るのかよ!っとイキガリますけれど、それでも主役は断ります。そんなころ、酔っ払った進駐軍の兵隊が、カキ屋の商品を暴れてめちゃくちゃにします。やめろっ!と店主が兵隊を止めに入りますけれど、あっさり 返り討ちに遭ってしまいます。ボッコボコにされる店主。と、そこへ 主役がふらりと現れて 店主を助けます。「Hey Jap C'mon!」 何て言いながら 3人掛かりで主役に襲い掛かる卑怯な軍人たち。相手の拳や飛び蹴りをサッと避け、カウンターを浴びせる主役。と、途端に 木の板を割る実写映像がながれます。実写が明けると、乱暴された店主は いつの間にか頭に包帯を巻いていたりします。それなりの時が過ぎたのでせうか。バッタバッタと 3人の米兵を倒した主役は、店主の娘さん?から お礼にカキを貰って喜びます。空手を14の時からずっとやっていたらしい主役は、こどもの頃の自分を回想しながら 熱い稽古をしている実写映像をも回想します。少し長めです。瓦割りや 4枚重ねな木の板割りをする実写映像を ホワワワワンと回想しながらカキを齧る主役に 「アハハハ 手を噛まないでね」 なんて娘さんに言われて いっしょになって笑う主役。娘さんと別れ、ひとりになった主役は 突然に 「俺には空手があったんだ これでいきていくぞ!オレは空手でいきてくぞ!」 と、声が漏れていますけれど 心に誓います。と、そんな青春まっしぐらな主役に向かって 先ほどのアメリカ兵がジープに乗って わざわざ仕返しにやって来ました。ジープで体当たりを仕掛けて来る米兵。サッと躱しながらも 追い詰められる主役。「しまった川だ!」 と崖っぷちで危機一髪な主役に 「このままでは 轢き殺される!」 というハラハラドキドキなナレーションが流れてきます。つづく。
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xf-2 · 6 years ago
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全国各地の議会で通用する方法ゆえ、全力で拡散をお願いしたい。 あいちトリエンナーレの芸術監督という「実績」をもって、今後、津田氏は全国の自治体に講演を行っていく。お仕事なのだから有償なのは当然だけれども、自治体が主催する場合は、「税金から津田氏の給与」が払われることになる。つまり、貴方の街で開かれれば、貴方のお財布から津田氏の給与を払う。
まずもって議員という立場である以上、「払ってよくない」とは言わない。だが、この文章をお読みの方が「え??私は、昭和天皇の御真影を焼く映像を展示させた芸術監督を呼ぶために、私の納めた税金を使われたくない!」と思ったとすれば、それはそれで【民意】である。 私は民意に応える立場であるため、地元の市議にどのような動きをとってもらえば良いか、方法を記しておく。
この動きは、神戸市議会に属する上畠のりひろ議員(自民)の実績だ。および共に動いた外海議員(維新)の動きによるものである。
最大のポイントになる。 市議として行動するにあたり、実は「中止せよ」とは言っていない。むしろ「推進して頂きたい」という論法を用いている。内心がどうであったかは想像に任せるが、議員として地元の市行政と相対するにおいて「反対してない」「中止を求めていない」のは、実は最大のポイントだ。
何を求めたのかと言えば、「公平性の担保」である。 例えば津田氏の動画を見せた上で、極めて特定の政治色が強いことを提示し、その上で開催を要望したようだが「公平性の担保の為、有本香氏」の登壇を要請している。 また、行政とは公正明大であることが求められるゆえ「①昭和天皇の御真影を焼く映像の存在」や「②日の丸や星条旗を侮辱するような展示物(馬鹿な日本人の墓)」の存在も、神戸市のシンポでは隠さず触れるように求めた。
一部には「政治の圧力だ!」とか「弾圧だ!」という声が聴こえてきそうなので、先に書いておくが、市議らが行政や実行委員会に求めたのは中止ではない。公平性の担保であり、その意味ではむしろ開催を支援し要望する形式での動きである。 公平性を求めたところ、神戸新聞の元役員が実行委員長として中止を決定したのが経緯である。
流石だなと感じたのは、これは実行委員長名において文書で回答を得ている。 かつ、ネットにも公開しており、この手法は全国に横展開できる形となっている。
うえはたのりひろ神戸市議の動き以下、Twitterに投稿された上畠市議の発言を掲載する。
(一文にまとめて紹介するため、改行などをBlog用に修正。また”続く”不要個所のみ削除。)
維新の外海議員と共に古川専務理事と面談。津田大介氏の人選は実行委員会で企画時は各地芸術祭の責任者を呼んでシンポジウムをしようというもので、他にも瀬戸内国際芸術祭にも声をかけたりしたそうです。津田大介氏だから敢えて呼びたいとか、政治的意図は全くないとのこと。
古川専務理事と担当係長には高須先生の助言も踏まえて津田氏の宣伝となるような中止とは言わないが、行政イベントの公平性担保を確保を求め、シンポジウムには一辺倒の主張でなく、立場を異にする有本香さんをお呼びしたり、天皇陛下の写真を燃やす映像を確信的に行った発言を紹介して神戸市民にジャッジできる機会を作り、せっかくの神戸の芸術祭が津田氏のプロパガンダにならないよう申し入れました。又、動画を見せて津田氏が自身への批判者をリスト化し殺すリストを作り犯罪を示唆する人物であり、不穏当で神戸市民が殺される対象になりかねない危惧を伝えました。
古川専務理事は①〜③の外海議員と私の懸念を理解され、速やかに実行委員長の理事長に報告するとの事。これから市長とも面談するようです。週末には結論を出すとの事で再度報告頂きます。出展作品は素晴らしいものが沢山あり、芸術祭が津田氏によりケチがつかないよう成功させたいとのことです。
①維新の外海議員@sotomikaizoと共に古川専務理事と面談。津田大介氏の人選は実行委員会で企画時は各地芸術祭の責任者を呼んでシンポジウムをしようというもので、他にも瀬戸内国際芸術祭にも声をかけたりしたそうです。津田大介氏だから敢えて呼びたいとか、政治的意図は全くないとのこと。続く⇒ https://twitter.com/NorihiroUehata/status/1159036155230224384 …
愛知で確信的に昭和天皇の写真を燃やした如き映像や慰安婦像を展示させた津田大介氏を神戸市主催アートプロジェクトKOBE2019行事のシンポジウムに呼ぶとのこと。断固反対。公金によって津田氏を断じて呼んではならないと考えます。この考えの下、神戸市会議員として動きます。http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2019/07/20190719073003.html …
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②続き⇒古川専務理事と担当係長には高須先生の助言も踏まえて津田氏の宣伝となるような中止とは言わないが、行政イベントの公平性担保を確保を求め、シンポジウムには一辺倒の主張でなく、立場を異にする有本香さんをお呼びしたり、天皇陛下の写真を燃やす映像を確信的に行った発言を紹介して 続く⇒
③続き⇒神戸市民にジャッジできる機会を作り、せっかくの神戸の芸術祭が津田氏のプロパガンダにならないよう申し入れました。又、動画を見せて津田氏が自身への批判者をリスト化し殺すリストを作り犯罪を示唆する人物であり、不穏当で神戸市民が殺される対象になりかねない危惧を伝えました。続く⇒
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③続き⇒神戸市民にジャッジできる機会を作り、せっかくの神戸の芸術祭が津田氏のプロパガンダにならないよう申し入れました。又、動画を見せて津田氏が自身への批判者をリスト化し殺すリストを作り犯罪を示唆する人物であり、不穏当で神戸市民が殺される対象になりかねない危惧を伝えました。続く⇒
④⇒古川専務理事は①〜③の外海議員と私の懸念を理解され、速やかに実行委員長の理事長に報告するとの事。これから市長とも面談するようです。週末には結論を出すとの事で再度報告頂きます。出展作品は素晴らしいものが沢山あり、芸術祭が津田氏によりケチがつかないよう成功させたいとのことです。
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維新の外海開三・神戸市議
昨日上畠議員@NorihiroUehata と共に面談させていただいた「アート・プロジェクト KOBE 2019 :TRANS-シンポジウム」の開催中止がさきほど発表されました。関係各局ならびに実行委員会事務局においては苦渋の決断であったと思いますが支持させていただいたます。
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非常に、うまい部分
各地方議会において、現場を戦う議員からすると「お!」という部分が何か所かある。
例えば、綾瀬市の笠間昇市議とも本件について話したのだけれど、話の通し方については絶賛していた。私も同じ感想である。
この部分を少し大きくクローズアップしておきたいのは、ネットの反応がよくわからない部分もあって、援護したいという思いもあったため。 恐らくネット保守論壇からすると「中止を求めてくれ!」とか「反対だ!!」って言って欲しいという部分はあると思う。
けれど、それを正面からやりにくいルールの下で議員は活動している。 気持ちよく言って、言うだけ言って終わりならば、それでもいい。 だが、きっちり成果をあげようと思うと、ちゃんとルールの下で動く必要がある。
実は、上畠議員は『KOBE2019行事のシンポジウムに呼ぶとのこと。断固反対。公金によって津田氏を断じて呼んではならないと考えます。この考えの下、神戸市会議員として動きます。』と、事前に投稿してはいる。
けれども、市議として市行政と相対するに、「事業の中止は求めていない」のがポイントだ。議員個人の思惑は”呼んではならない”であってとしても、実際の活動はそうはなっていない。 ここに上手さがある。
また、中止の決定は行政側の責任で実施されており、 かつ文書でとっている点も上手い。
愛知で確信的に昭和天皇の写真を燃やした如き映像や慰安婦像を展示させた津田大介氏を神戸市主催アートプロジェクトKOBE2019行事のシンポジウムに呼ぶとのこと。断固反対。公金によって津田氏を断じて呼んではならないと考えます。この考えの下、神戸市会議員として動きます。http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2019/07/20190719073003.html …
神戸市:シンポジウム「2019年‐2020年、アートは異物を受け入れるのか」開催のご案内
今秋、神戸市の新開地エリア、兵庫港エリア、新長田エリアを中心に開催されるアート・プロジェクトKOBE
9,737人がこの話題について話しています
まずお伝えしたいのは、市議個人には中止する権限はない。 議員とは立法分野に属しており、三権分立のうち立法・行政・司法という区分けのうち、この権限を持つのは行政である。議員ではない。
行政のトップは市長である。 では議員が何をするかと言えば、市長が提案してきた予算案に対し、賛成・反対を議会の議決と言う形で承認を与え、もしくは否決する権限を持つ。 認定された事業を(議会に報告した通りに)執行するのが行政の役割なのだが、その事業を執行する・中止するかは、行政側の判断にかかってくる。
ならば、議員はどう動くのか。 「中止だ!」と声高に叫べばいいのか? それも一つの手法だけれども、単純にそれが答えとは思わない。
私たち議員が、「事業の中止を!」と声高に叫んだとしよう。 そして中止になった場合、どうなるか。 それこそ「政治による弾圧だ!」とか、「検閲だ」等の論拠を与える糸口になる。
だからこそ、中止を願っていたとしても(そのために行動したとしても)中止自体は求めていない。 この部分はメディアの方もしっかりと確認したほうがいい。「市議として何を申し入れたか」が全てだ。
最大の部分は、公平性の担保。
立場を異にする有本香さんを呼ぶことを提案。 また、行政イベントゆえの透明性の確保からだろう、「天皇陛下の写真を燃やす映像を確信的に行った発言を紹介」を提案。 その論拠として、神戸市民にジャッジできる機会を与えることを提案。
行間に滲み出るのは、「神戸市議として」、「神戸芸術祭」に対する愛である。津田氏個人の政治活動というか、プロパガンダにならないよう、という部分。
これは、誰も否定できない。
かつ、維新の外海議員と同席で行っている点も上手い。 笠間議員ともこの部分を高く評価した。上畠議員は自民党の党籍を有するが、自民のみの手柄としているわけではなく、維新とも共闘歩調をとる。
この部分は(自民・維新がセットという部分)ネット保守も批判すべきではないと思っており、私は維新と距離のある立場だけれども、高く評価する。
神戸市議会の議会構成は以下。 定数69に対し、自民は19議席のみ。 市政与党は41議席。公明(12)や市民連合(8)、共創・国民民主(2)と与党を組む。
野党陣営は、維新(10)、共産党(9)、つなぐ(5)。 他、無所属が4という構成。
この申し入れが自民党を代表したものかはわからないが、自民・維新がセットで動いた場合、市長サイドには極めて厳しい数字が待ち受ける。 仮に「まったく未対応」となった場合、自民がブチ切れて市長と敵対関係になったと仮定する。
その場合は、市政与党41から自民19を引いて22議席に減少。 自民・維新がタッグを組んだ場合には、自民19と維新10を合算して、29議席になる。 こうなった場合、市長は安定した議会運営ができない。
ゆえに、この申し入れについて、市は真剣に考える必要がある。 正直、議会の数の力を背景にした政治力学の話であり、過��数を絶対に維持せねばならない市行政サイドとの「高度な交渉」の一つ。 具体的に、中止は申し入れてはないけれど、市は検討せねばならない。津田大介氏個人のために、神戸市が停止するような政治闘争に発展してしまっては、たまったものではないからだ。
けれども、そこは前面には出さない。 これが議員の戦い方だ。
維新と一緒に出す。 中止の決定がなされた最大の理由だとは思う。
書くのは簡単だし、説明されれば納得だろうが、関西圏において「さぁ、一緒に行きましょう」といってスムーズに行ったのかというのは疑問もある。手を取り合うことを思いついたこと、実行に移したことは、実は凄い政治才覚だと思う。
外海議員は極めて保守色が強く、上畠議員は絶賛していたけれども、上畠議員とは同じ選挙区。つまりライバルにあたる。自分にとってもライバルの存在に対し、さらっとこういうことができるのは凄いと思う。本当に。
お気づきでしょうか、投稿においては「外海議員の名前を冒頭」に持ってきております。書き出しは”私、上畠のりひろは~”で始まるのではなく、徹底的に外海議員を立てて書いている。 このあたりは、本人の性格が良いのか、それとも大企業の管理職であった経験から鍛えられた部分なのかはわからないけれども、外部から見ていて気持ちのよい部分です。
呼んだらどうか?と提案されていた、有本さんも以下のように投稿している。 これは見ていて、非常に気持ちのよい流れ。
うえはた先生、お疲れ様です。今回の件ではぜひとも、自民・維新という党派の違いを超えて、心ある議員方が連携していたたげればと存じます。津田さん個人の問題というより、今回の件で問われているのは、行政はいかなる良識をもって文化向上のための助成にあたるか、ということだと思います。 https://twitter.com/NorihiroUehata/status/1159342965384368128 …
@arimoto_kaori 有本さん、ありがとうございました。本日、維新の外海議員と津田大介氏を招くシンポジウムの件で専務理事と面談しました。まとめておりますのでご高覧下さい。https://twitter.com/NorihiroUehata/status/1159278681052737536?s=19 …
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繰り返しになるが、議員は「中止を求めていない」点は強く書いておく。 それは政治事実ではない。
あくまで公平性の担保であり、根底には神戸の芸術祭への愛がある。 そこに共通の理解が生じたゆえに、中止の決定を実行委員会(広義の行政サイド)が下したのだ。
議員によって中止に追い込まれたイベントなどではない。
※ 余談になるが、川崎の事例などで私たちが介入しずらかった理由も察して頂きたい。こういう動きが次回以降とれなくなるからだ。かと言って、ガンガンやる人を全否定もしない。ただ、一緒にはやりにくい状況になる場合があることもわかって欲しい。
行政が中止に至るまで。実行委員会方式でやっておりますが、これは広義での行政サイドとして扱います。
今回、中止の決定を下したのは行政側の判断です。
神戸市議の上畠のりひろ氏に伺ったところによると「実行委員長は、元神戸新聞の常務であるため、表現の自由にも最大限に配慮して判断して頂けると思う」と当該実行委員会事務局の財団専務理事(神戸市外郭団体)から回答を得ているとのこと。神戸市から出向している担当局長からの回答であり、議員間で得た情報ゆえ公式のものとして取り扱います。
つまり、実行委員長である神戸新聞の元役員が「表現の自由に最大限に配慮した結果」が中止であったということは触れておきたい。 これが議会側が公正性の担保を求めた際の、行政側や実行委員会側の判断であったという事実が浮き彫りとなった。
求めたのは中止ではなく、公平性の担保であり、 「市民にジャッジの機会を与える」など建設的な提案であった。
言い換えれば、改善を受け入れて頂き、「むしろ推進」というスタンスである。 議員本人の内心は別にあったとしても、政治事実としては「有本さんも登壇して頂き、是非、やりましょう!」という動きである。
議員側は「やりましょう」と言っているのに、行政が中止した、と。 それが政治事実である。
【正式発表:神戸市主催 津田大介氏参加シンポジウムは中止】維新 外海議員・私上畠とシンポジウムの公平性の担保を求めていた件について続報です。既に報じられていますが津田大介氏参加のシンポジウムは、実行委員会(委員長 元神戸新聞常務取締役 服部孝司)の判断により中止となりました。
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組織的な援護体制
上畠議員には、脅迫犯まがいの投稿がなされた。 速攻で警察に行く。そして、議会はそれを守る。
メディアも集中砲火をかけようとする。 まさに神戸新聞が動き始める。 上畠議員は、記者名を公開して牽制を試みる。 どこかで見た手法だと感じないだろうか。
後述するが、上畠議員は赤旗撲滅作戦で共に行動した同志。 超初期メンバーで、一部からは赤旗一期生と呼ばれる。党本部通達が出たり、禁止の風潮が出る前に身体を張って戦った議員たち。 私の爆破予告の一見や、それ以降、行橋市議会が刻まれた「テロに屈したバカ議会」という動きも把握していると想定される。 (他、関西圏だと伊丹市の佐藤議員、いまは議長。綾瀬市の笠間昇議員も赤旗一期生。)
党本部も含め、ちょっと特殊な扱いを受ける存在であり、初期段階での議員個人のリスクが高すぎたため、援護を受けている。詳しくは書かない。 初期に赤旗を取り上げた議員は、皆それぞれに痛い目にもあっており、戦闘ノウハウが豊富。経験値が桁違いと言ってもいい。
関連
市役所爆破予告、言論弾圧の前例となった行橋市議会に対しての各会からのコメント【もはや議会の名に値しない】
【テロに屈した行橋市議会?】「模倣犯が続出する危険」「地方議会がテロにより言論弾圧」「悪しき前例、全国へ波及の恐れ」各界から続々批判表明!
では、動きを見てみよう。
上畠議員が警察に。
@Misaka9830 しばくとは、殴る・蹴るなど暴力をふるう言葉ですね。(http://zokugo-dict.com/12si/sibaku.htm )。ましてや議員をできんくなるレベルにしばきあげるとまで宣言。私も妻子がいる身です。明日、身辺の安全の為にも東灘警察署に行ってきます。 https://twitter.com/Misaka9830/status/1159818097940807680 …
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@Misaka9830 こちらの件で東灘警察署に参りました。 https://twitter.com/NorihiroUehata/status/1159822673049837569 …
@Misaka9830 しばくとは、殴る・蹴るなど暴力をふるう言葉ですね。(http://zokugo-dict.com/12si/sibaku.htm )。ましてや議員をできんくなるレベルにしばきあげるとまで宣言。私も妻子がいる身です。明日、身辺の安全の為にも東灘警察署に行ってきます。 https://twitter.com/Misaka9830/status/1159818097940807680 …
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同じ神戸市議会の岡田ゆうじ市議が援護のtweet。
#津田大介 の「殺すリスト」といい、#津田の取り巻き の「しばき上げ宣言」といい、 政治家として筋を通すことは本当に大変という実例。 どうか御身ご大事に。 https://twitter.com/NorihiroUehata/status/1160086964952977408 …
@Misaka9830 こちらの件で東灘警察署に参りました。 https://twitter.com/NorihiroUehata/status/1159822673049837569 …
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かつ、明確にスタンスを示す。 これは心強いだろう。
怖い怖い 上畠議員にSPを付ける必要があるのでは… 批判者「殺すリスト」なんかを作ってる人物を 文化事業の総責任者に据えるとは、 愛知県の人選はどうなっているんでしょう… 神戸市では絶対に通らないと思います 我々がいますから https://twitter.com/NorihiroUehata/status/1160002507625549824 …
「殺すリスト」作成と批判 上畠市議、津田氏を https://www.sankei.com/life/news/190809/lif1908090048-n1.html … @Sankei_newsから
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メディアへの牽制。
私が「牽制」と感じただけで、上畠議員が牽制を意図したものかはわからない。だが、実際その効果はあるだろう。
神戸新聞 #上杉順子 記者は記事中で私と外海議員が財団側に「8日に登壇者の見直しなどを直接要請していた。」と書き、まるで津田氏の差し替えを求めているように読めますがそれは違います。津田氏と立場を異にする登壇者も追加して意見の多様性と公平性担保を求めたのです。 https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201908/sp/0012594237.shtml …
「アートは異物を受け入れるのか」テーマだった 津田大介氏出席シンポ中止
 「表現の自由」を問う企画展が中止された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」(愛知県で開催中)の芸術監督・津田大介さんを招き、神戸市内で18日に予定
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事実として、上記の神戸新聞の記事は「歪んでいる」との評価を受けるような状況にある。 上畠議員らが申し入れたのは、中止ではない点は、焦点からはずしている。 結論部分には、以下のように記される。
「登壇すると愛知の件ばかり注目される」津田大介氏出席シンポ中止
(前略)
藤野一夫・神戸大教授(文化政策)は、シンポジウム中止の決定について「このようなドミノ現象を恐れていたが実際に起きてしまった。全国に波及し、自己検閲や自粛が相次げば、居心地の悪い、息苦しい社会となってしまうだろう。市議による政治的圧力の影響があったとすれば、憲法違反であり、大変遺憾なことだ」と話した。
(後略)
www.kobe-np.co.jp神戸新聞NEXT
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201908/0012594237.html
どうにかこうにか、メディア側の論調で「津田は悪くない!神戸市議会がおかしい!」と持っていきたいようだ。 政治弾圧などがあり、その被害者に仕立てたいのだろう。
私が言いたいのは、ドミノ現象が起きるのはこれからだ、という点。 なぜならば神戸の事例を、他の自治体も踏襲するだろうし、そのノウハウを私がまとめ、読者がそれを地元の市議らに配布するからだ。
自己検閲が行われたわけでもない。
岡田議員の主張は、地方議員としての当然の職責について言及したものである。
「政治家は黙っておれ 公費は俺達『芸術ムラ』の人間が好きなように使う 口をはさむなら 『検閲』『憲法違反』『表現の自由の弾圧』として お前の政治生命を消し去るぞ」 という芸術ムラ、御用マスコミ、暇なプロ市民の 三大スクラムに 絶 対 に 負 け ま せ ん か ら 
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【所見】公共事業を批判・検証するのが民主政の大前提。 その中で、なぜ芸術事業だけが無批判、無謬となるのか。 「芸術無罪」「芸術無謬」は民主政に対する挑戦。その方が憲法違反。 あらゆる公費の使途を厳密に審査する義務が政治家にはあり、一方私費の芸術祭に我々は何の影響力も持たない。
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公費が適切か否かを議論するべきは、議会である。議決をもって税は支出されるものであり、それを決めるのはメディアでも芸術家でもない。
表現であろうと、道路工事であろうと、それが何であろうと税の支出は議会を通す。それが三権分立であり、民主主義。
この動きに過敏に反応している者たちは、根本的な部分で履き違えている。
これは税の執行と議会の話であって、表現の自由とかそういう次元の話ではない。 そっちはそっちで話せばいいが、税が絡む以上は、こちらはこちらのルールがある。
私個人の意見として、彼らに言いたいことは、「(そっちのルールとか)知らんがな」である。
ようは、税金つかって、公共の看板つかって、 好きなようにプロパガンダやって、公金でウマウマして、議会とかから指摘は受けたくないよーん!が、”彼らの言う表現の自由”なのだとしたらだが、
そんなの知ったこっちゃないが、こちらはこちらで税の使途をしっかり調査するという、普通の職責を果たすだけと答えるよりない。根本的な部分でズレている。
神戸市が守ったもの、それは芸術
あいちトリエンナーレの炎上は、まだ収束していない。
県知事の動きも謎であ��し、例えば津田大介氏が芸術監督を降りるなどの引責もない。 県議会の動きも、良いとは思えない。地域を代表する企業の動きも緩慢だ。
ゆえに、愛知については批判的な書き方となることはご了承いただきたい。
自由民主党 参議院議員の加田裕乃先生の投稿。 これは心強いだろう。地方議員出身の先生です。
人を貶めて「表現」や「アート」をはき違えて語る津田大介氏に、アートプロジェクトを語る資格は無い絶対反対です https://twitter.com/norihirouehata/status/1159036155230224384 …
愛知で確信的に昭和天皇の写真を燃やした如き映像や慰安婦像を展示させた津田大介氏を神戸市主催アートプロジェクトKOBE2019行事のシンポジウムに呼ぶとのこと。断固反対。公金によって津田氏を断じて呼んではならないと考えます。この考えの下、神戸市会議員として動きます。http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2019/07/20190719073003.html …
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さて、神戸市が守ったものが何か、です。
ここは私が上畠議員と話していて感じたものでありますが、「神戸芸術祭を守りたい」という一点です。 神戸には芸術を専門とする学校があり、芸術祭に対して本当に熱心に活動しているそうです。
ここで津田大介氏を呼び、彼らに悲しい思いをさせたくなかった、 それが中止の判断を下した行政と、上畠議員らとの共通の思いです。
愛知の場合。
あいトリのボランティアをしているけど、予めこの作品を展示する事を知らされていたら、携わるか否かすごく考えたと思う。同じボランティアの友達みんなも同様に言ってる。#あいちトリエンナーレ#表現の不自由展
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あいトリのボランティアをしているけど、予めこの作品を展示する事を知らされていたら、携わるか否かすごく考えたと思う。同じボランティアの友達みんなも同様に言ってる。#あいちトリエンナーレ#表現の不自由展
作品と津田さんに関する調べが浅かった責任は私達にもあるけど、「あの作品の展示を予め知った上でこの活動に参加しているんだね。反日感情があるの?」と勘違いされることが多々あって、本当に心苦しい。#あいちトリエンナーレ#表現の不自由展
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作品と津田さんに関する調べが浅かった責任は私達にもあるけど、「あの作品の展示を予め知った上でこの活動に参加しているんだね。反日感情があるの?」と勘違いされることが多々あって、本当に心苦しい。#あいちトリエンナーレ#表現の不自由展
1200人もが研修期間を経て運営や団体向けのガイドツアーなどに無償奉仕しているのに、あまりに無責任すぎない?今回の作品に関して、事前に伝える義務があったはずと思う。#あいちトリエンナーレ#表現の不自由展
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あいちトリエンナーレは、あの展示により「ただの政治プロパガンダ」になりさがった。 それをプロパガンダと判断するかどうかは個々人の判断だが、色がついたことで悲しんでいる者もいる。
神戸市の動きは、愛知県と対比すべきもの。
兵庫県の国会議員も、神戸市の市議たちも、党派を超えて守ったんだ。 市行政も率先して動き、それぞれの立場で守ったんだ。
これが明確な差であり、はっきり言えば愛知の政治は、今回は大失態だ。 官房長官まで巻き込み、大臣が出てきて、地元企業には迷惑をかけ、 下手すれば日米関係の経済問題で「失点」として取り上げられるようなことがあり、
それでも「臭いものにふた」とばかりに、なかったことにしようとする。 そういう及び腰な姿勢が、実際に芸術に希望を持った学生を傷つけているではないか。 私はその一点において、あいちトリエンナーレを強く批判する。
神戸市が何を守ったのか、なぜ中止と言う決定を行政が下したのか。 それは極論すれば、市議が動いたからではなくて、神戸芸術祭を守りたかったからだ。 もっと言えば、芸術祭の参加を守りたかったからだ。
その共通理解のもと、勇気を出した政治家が先鞭をつけ、 議会や国会議員という地域の政治組織も呼応したからこそ、こういう結果につながったんだ。
そのことを絶対に忘れてはならない。
全国で使える前例
津田大介氏は、「あいちトリエンナーレ」の芸術監督という肩書を活かし、地方行政での講演活動などを狙っていたのだろう。 それが事実かどうかは知らないが、以下のような投稿はしている。
神戸の件、僕は出演するつもりだったんですが、昨日の夜突然聞かされて僕も驚いてる(これが全国ニュースになるのか……)ところです。
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神戸の件、僕は出演するつもりだったんですが、昨日の夜突然聞かされて僕も驚いてる(これが全国ニュースになるのか……)ところです。
まず、現場の混乱を招いたことを申し訳なく思います。他方で、行政が行う文化事業のあり方が危機に瀕しており、このような時期だからこそオープンな場で表現の自由や芸術イベントのあり方について話したかったとも思います。安全・円滑な管理という点での現場の判断は支持しますが、中止は遺憾です。
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津田氏に関わらず、行政の文化事業において「そっち系の人」が登用される事例は多々ある。 例えば共産党の支持母体と言っても過言ではない団体が、行政に名義後援を打診し、公共性を看板にプロパガンダをやる等はどこの自治体でも見受けられる行為。
また、文化振興公社(図書館などを運営する自治体の三セクの一般的な名称)などで主催する事業で、色の強い人を呼ぶ等。ちなみに、原資は税金であるが三セクを経由されると、議会にはそのままはあがってこない。
三セクに対する全体の予算のみが計上される場合があり、個別の事業が明確化されないからだ。議員サイドがよっぽど注意していない限り、意図せずに通過する場合もある。これは市の公務員も把握が漏れるときがあり、三セクの担当職員クラスのみで決まっていることもあるようだ。
神戸の前例は、このあたりにも一石を投じる前例。
仮に津田大介氏の登壇を、「税金で」求めた場合だけれども、 それが貴方の住む街の事業だとすれば、貴方のお財布から津田氏の給料を支払う形になる。
それが嫌だなと思ったならば、このBlogでもいいし、上畠議員のTwitterなどでもいい。地元の市区町村議に送って欲しい。
地元の議員は、察するだろう。 「是非、開催してください。ただし、公平性の担保はお願いします。例えば有本香さんも同席させたり、百田尚樹さんや高須院長もいいですね。」と、そんな主張をするだろう。
結果は、たぶん津田氏を登壇させることを中止すると思う。 それが行政の決定になるはずだ。別に私費でやるのは構わないのだけれども、税を使う以上は地方議員は議論すべきだ。市民も、ガンガン声をあげていい。
実際、開いてしまってもいいんじゃないかな。
有本香さんと津田大介氏が、同じ壇上で共に討論する。 お金を払っても私は見たいけどな。呼んでくれるなら、私も登壇しましょうか?
テーマの中で「昭和天皇の御真影を焼く映像を展示した芸術監督として、どう思っているの?」とか聴かれるかもしれないが、それはちゃんと答えて頂きたい。
神戸市議達は、神戸の芸術祭を守った。
真剣に取り組んできた芸術家たちの努力を守るために
神戸は戦った。
その上で得られた前例だ。
今回、神戸市が作った前例とは、
「貴方の街で、貴方のお財布から津田氏の講演料を支出しなくて済む方策」
としても活用できるように思う。
貴方がすることは簡単だ。
神戸市の活躍をネットで拡散して欲しいのが一点と
地元の市区町村議に「開催しないで欲しい」と
「是非、神戸の動きを念頭に、前例のある中止だ」というのを
貴方の住む街の行政に活かすべく、地元議員に連絡をすること。
この手法とロジックが伝わっていくと
税を原資とした文化事業に「巣食う者たち」は、非常に困るように思う。
だから私たちはやらねばならない。
前例が得られた以上、なすべきことは、
そんなに高いハードルではない。
あとは、やるかやらないかだ。
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