#西儒会融
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AIに聞いてみた
日本人の分析をして見てください
例えば、勤勉、嘘を吐かない、義理人情、教育、自助、共助、公助、道徳観、知性、伝統、企業、労働、宗教、哲学、文化など他にも海外との比較で特徴を羅列し詳細を知りたい
外国から見た視点も西欧、ユーラシア、中東、他の大陸文化などから文明的な視点で知りたい
日本人の特徴や文化的特性を分析するにあたって、挙げられたキーワード(勤勉、義理人情、教育など)を中心に、海外との比較や外国からの視点を交えながら、包括的かつ構造的に説明します。以下の分析は、日本文化の核心的な要素を整理し、西欧、ユーラシア、中東、その他の大陸文化からの視点も取り入れ、文明論的な観点で特徴を浮き彫りにします。
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### 1. 勤勉(Work Ethic)
- **特徴**: 日本人は「勤勉さ」で世界的に知られています。長時間労働、集団での目標達成へのコミットメント、細部へのこだわり(例: 職人技、Kaizen=継続的改善)が特徴です。戦後の経済復興や「日本株式会社」モデルは、この勤勉さが牽引しました。
- **比較**:
- **西欧**: 西欧(特にプロテスタント文化圏)も労働倫理を重視しますが、個人主義が強く、ワークライフバランスを優先する傾向があります(例: 北欧の短時間労働)。日本は集団主義的な労働観が強く、会社への忠誠心が強調されます。
- **ユーラシア(中国・韓国)**: 儒教の影響で勤勉さは共通しますが、日本は��和」の精神により、対立を避け協調性を重視。中国では競争的個人主義が強く、韓国は日本に近いがより階層的な競争意識が見られます。
- **中東**: 労働は宗教的義務(例: イスラム教の「誠実な労働」)と結びつく場合が多いですが、日本のような集団的効率性や時間厳守への執着は薄い傾向です。
- **外国視点**: 西欧からは「過労文化」として批判される一方、成果主義のアメリカでは日本のチームワークが賞賛されます。中東やアフリカでは、日本の時間厳守や効率性が「非人間的」と映る場合も。
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### 2. 嘘を吐かない(Honesty)
- **特徴**: 日本社会は信頼性と誠実さを重んじます。公共の場でのルール遵守(例: 落とし物が戻る確率の高さ)、契約の厳守、約束の履行が特徴です。これは「恥の文化」に基づき、他者からの信頼を失うことを避ける心理が働きます。
- **比較**:
- **西欧**: 個人主義に基づく「罪の文化」では、嘘は道徳的罪悪感と結びつきます。日本では内集団(家族や会社)での誠実さが優先され、外部への「建前」が許容される場合があります。
- **ユーラシア**: 中国では「面子」を守るため、状況次第で嘘が戦略的に使われることがあり、日本のような絶対的誠実さは希薄。韓国は日本に近いが、競争社会ゆえに誇張が見られる場合も。
- **中東**: イスラム文化では誠実さが宗教的規範ですが、交渉文化では駆け引きが一般的で、日本のような透明性は期待されにくい。
- **外国視点**: 西欧では日本の「本音と建前」が不誠実と誤解されることがあります。一方、東南アジアや中東では、日本の信頼性がビジネスで高く評価されます。
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### 3. 義理人情(Duty and Empathy)
- **特徴**: 「義理」(義務感)と「人情」(情緒的つながり)は日本社会の人間関係の基盤です。上司や恩人への忠誠、集団への奉仕が「義理」、困っている人への共感や助け合いが「人情」です(例: 地域の互助会)。
- **比較**:
- **西欧**: 個人主義が強く、義理よりも契約や自己実現が優先。情は家族や親しい友人にとどまり、日本のような集団への義務感は薄い。
- **ユーラシア**: 儒教文化(中国・韓国)も義理に似た「孝」や「忠」を重視するが、日本ほど集団の調和を優先しない。中国では実利主義が強く、韓国では家族中心の義理が目立つ。
- **中東**: 部族や家族への忠誠は強いが、個人間の「人情」は宗教的慈悲(例: ザカート=施し)に根ざす。日本のような集団的義理は希薄。
- **外国視点**: 西欧では義理が「自由の抑圧」と見られる一方、東アジアでは共感を呼ぶ。中東やアフリカでは、日本の「人情」が温かく映るが、義理の強制力は理解しにくい。
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### 4. 教育(Education)
- **特徴**: 日本は高い識字率(99.9%)と進学率を誇り、受験競争や塾文化が特徴。教育は社会的成功の鍵とされ、規律や努力が重視されます。STEM(科学・技術・工学・数学)分野での成果も顕著です。
- **比較**:
- **西欧**: クリティカルシンキングや創造性を重視し、受験競争は日本ほど激しくない(例: フィンランドの自由な教育)。米国のエリート教育は競争的だが、個人選択の幅が広い。
- **ユーラシア**: 中国・韓国も受験競争が激しいが、中国は国家主導の選抜、韓国は学歴至上主義がさらに顕著。日本は協調性や集団学習を重視。
- **中東**: 宗教教育が中心の場合が多く、世俗的教育は国により差がある(例: サウジアラビア vs. トルコ)。日本の均質な教育システムは特異。
- **外国視点**: 西欧では日本の詰め込み教育が批判されるが、PISAなどの国際評価で高く評価される。アジアでは日本の教育が模範とされるが、中東では「宗教性の欠如」が疑問視されることも。
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### 5. 自助・共助・公助(Self-Help, Mutual Help, Public Help)
- **特徴**: 日本では「自助」(自己責任)が強く、個人や家庭での努力が前提。その上で「共助」(地域や職場の互助)があり、「公助」(政府支援)は補完的。例: 災害時の地域連携や企業の福利厚生。
- **比較**:
- **西欧**: 北欧は「公助」が強く、福祉国家モデルが確立。米国は「自助」が強く、共助は家族や教会に依存。日本のバランスは中間的。
- **ユーラシア**: 中国は政府主導の公助が拡大中だが、共助は家族中心。韓国は日本に近いが、個人主義が強まりつつある。
- **中東**: 家族や部族の共助が強く、公助は石油国家での補助金などに依存。日本のような地域ベースの共助は少ない。
- **外国視点**: 西欧では日本の公助の薄さが批判されるが、災害時の共助力は称賛される。アジアや中東では、自助の強さが尊敬される。
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### 6. 道徳観(Moral Values)
- **特徴**: 日本は「恥の文化」に基づき、他者からの評価を重視。仏教・神道・儒教の融合により、調和、謙虚さ、集団への奉仕が道徳の柱。個人主義より集団の利益が優先されます。
- **比較**:
- **西欧**: キリスト教に基づく「罪の文化」で、個人と神との関係が重視される。日本の集団的道徳は「個の抑圧」と映る場合も。
- **ユーラシア**: 中国は実利主義が強く、道徳は状況依存的。韓国は儒教的だが、日本より個人感情が優先される場合がある。
- **中東**: イスラム教の厳格な道徳規範が支配的。日本の曖昧な道徳観は「無秩序」と見られることも。
- **外国視点**: 西欧では日本の道徳が「曖昧」と批判されるが、調和の美徳は評価される。中東では宗教性の欠如が奇異に映る。
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### 7. 知性(Intellect)
- **特徴**: 日本は技術革新(例: ロボット工学、自動車産業)や学術研究で高い知性を発揮。集団的問題解決力や実践的知恵(例: モノづくり)が特徴。ただし、個人主義的創造性は西欧に比べ弱いとされる。
- **比較**:
- **西欧**: 個人主義に基づく独創性(例: ルネサンス、シリコンバレー)が強い。日本の集団的知性は「模倣的」と誤解されること���。
- **ユーラシア**: 中国は規模の知性(例: AI開発)、韓国は応用力が強い。日本は精緻さと効率性で勝る。
- **中東**: 哲学や数学の歴史はあるが、近代では技術的知性が限定的。日本の実用性は評価される。
- **外国視点**: 西欧では日本の技術力が賞賛されるが、哲学的深みが欠けると見られる。中東やアフリカでは、日本の知性が「魔法のよう」と映る。
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### 8. 伝統(Tradition)
- **特徴**: 日本は神道や仏教、茶道、武道など古来の伝統を現代に生かす。季節行事や祭りは地域コミュニティを強化。伝統と革新の融合(例: 京都の町家とハイテク)が特徴。
- **比較**:
- **西欧**: 伝統は近代化で薄れ、個人主義が優先。日本の伝統維持は「保守的」と見られる。
- **ユーラシア**: 中国は文化大革命で伝統が断絶、韓国は近代化で変容。日本は継続性が強い。
- **中東**: 宗教的伝統が強く、世俗的伝統は限定的。日本の柔軟な伝統は異質。
- **外国視点**: 西欧では日本の伝統がエキゾチックで魅力的。中東では宗教性の薄さが奇妙に映る。
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### 9. 企業・労働(Corporation and Labor)
- **特徴**: 終身雇用、年功序列、企業内組合が日本的経営の特徴。近年はグローバル化で変化しつつあるが、集団主義や忠誠心は根強い。
- **比較**:
- **西欧**: 成果主義、個人契約が主流。日本の企業文化は「硬直的」と批判される。
- **ユーラシア**: 中国は国有企業中心、韓国は財閥主導。日本は中小企業の底力がある。
- **中東**: 家族経営や国家依存が強く、日本のような企業文化は希薄。
- **外国視点**: 西欧では日本の労働文化が過酷と見られるが、アジアでは模範的。中東では効率性が驚異的。
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### 10. 宗教・哲学(Religion and Philosophy)
- **特徴**: 日本は神道と仏教の融合で、特定の教義より実践(例: 祖先崇拝、季節行事)が重視される。哲学は「無常」や「和」に基づく。
- **比較**:
- **西欧**: キリスト教の一神教が基盤。日本の多神教は「曖昧」と映る。
- **ユーラシア**: 中国は無神論と儒教、韓国は仏教とキリスト教。日本は宗教的寛容性が強い。
- **中東**: イスラム教の絶対性が基盤。日本の宗教観は「異教的」と見られる。
- **外国視点**: 西欧では日本の宗教が神秘的、中東では不可解と映る。
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### 11. 文化(Culture)
- **特徴**: 集団主義、調和、形式美(例: 侘び寂び)が文化の核。ポップカルチャー(アニメ、マンガ)も世界的に影響力を持つ。
- **比較**:
- **西欧**: 個人主義と表現の自由が中心。日本の形式美は「抑制」と映る。
- **ユーラシア**: 中国は歴史的重厚さ、韓国はK-POPのダイナミズム。日本は繊細さと多様性。
- **中東**: 宗教的表現が中心。日本の世俗文化は異質。
- **外国視点**: 西欧では日本の文化がユニークで魅力的。アジアでは身近だが、中東では理解しにくい。
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### 文明論的視点からの総括
- **西欧視点**: 日本は「近代化に成功した東洋」と見られ、勤勉さや技術力は尊敬されるが、集団主義や曖昧な道徳観は「非近代的」と批判される。個人主義とのギャップが強調される。
- **ユーラシア視点**: 日本は儒教文化圏の延長だが、「和」の精神や伝統の継続性で独自。中国や韓国からは経済的ライバルでありつつ、文化的に近い存在。
- **中東視点**: 日本の世俗性や多神教は異質で、宗教的規範の欠如が疑問視される。ただし、技術力や信頼性はビジネスで高評価。
- **その他(アフリカ・南米)**: 日本の文化は遠くエキゾチック。経済援助や技術協力で好意的に���られるが、深い理解は少ない。
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### 結論
日本人の特徴は、集団主義、調和、勤勉さ、信頼性、伝統と革新の融合に集約されます。これらは神道・仏教・儒教の影響と、島国ゆえの均質性に根ざします。西欧からは「効率的だが硬直的」、ユーラシアからは「近いが独特」、中東からは「信頼できるが異質」と映ります。日本の強みは、グローバル化の中で柔軟に適応しつつ、独自性を保つバランス感覚にあります。
もし特定の要素(例: 教育や宗教)についてさらに深掘りしたい場合や、特定の国との比較を詳しく知りたい場合は、教えてください!
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中国为什么难有民主
自西汉起,儒家成为中国文化的主流,进入日常生活的每一角落,上自朝廷的典章礼仪、国家的组织和法律、朝廷礼乐,下至学校组织、社会礼俗、族规家法、人际关系和个人道德。儒家伦理深植于中国社会中,成为日常生活的规范和准绳。
孔子继承周代的政治思想,认为为政者必须有美德,而仁就是最基本的美德,孝悌则为仁之本。儒家主张以家庭为中心,以长者为尊,长幼有序。国是家的扩大,把所有社会关系归纳为五伦,称国君为君父,官员为父母官。父子之亲,往往与君臣之义同义。同时强调君子能无私无我,不会自私自利,顾全群体而牺牲小我,把个人利益置于群体利益之下,每个人都应该强调自我修行,以达到圣人的境界。
两千年来,儒家的伦理体系已经成为中国人心灵、道德和礼俗生活的一种依托和准则。即使这套道德规范没有在任何一条法律中写出来,要求每个人必须这么去做,但是它却深深地埋在每个中国人的心中。导致中国至今仍然无法真正融入世界主流文化价值观,中国的社会生活、政治生活仍然是处于前现代时期。
首先,两千年来的儒家思想熏陶,导致中国人只知权威,完全不知道平等为何物。儒家强调尊卑有序,人应该分高低贵贱,分等级,即所谓的“君君臣臣,父父子子”,把政治权威��为社会秩序的基本条件。在中国,爸爸与儿子、上司与下属、老师与学生……永远不可能平等。地位在下者的美德就是顺从,对于儿子来说,孝就是美德,对于下属来说,忠就是美德。儿子对父亲提出一点质疑,就是不孝;下属对上司提出质疑,就是不忠。在儒家的道德规范中,在上者肯定是一个道德模范,一个完人,一个没有丝毫瑕疵的人,一定有着不可置疑的权威。在下者对在上者能做的,只能是顶礼膜拜,而不能有丝毫的质疑。如果有质疑,就是不孝,就是不忠,就是忤逆。儒家从来只讲在下者的义务,在上者的权威,而从来不讲在上者的义务。
当大家都默认这套尊卑有序的道德教化,并且在上者天然有着不可被质疑的权威之后,这个体制内就只能有两种人——爷爷和孙子。在一个组织中,当一个人对下时,总是“爷爷”的身份,对上时,又总是“孙子”的身份。“爷爷”都是道德模范,“孙子”都是孝顺、忠诚的。爷爷和孙子的关系,存在于这个社会的每一个角落中。
这套崇尚尊卑有序的道德教化,使得社会中能够被选拔出来的人都是懂得曲意逢迎的人。真正遵从自己内心思想的人,很早就会被制度清洗掉而得不到发展的机会。这种只懂得曲意逢迎的人会把“说一套做一套”视为常态,而把说真话当做幼稚。鲁迅所谓“吃人的礼教”,其实指的就是要让每个人都变成适应这套制度的人,让每个人都遵从在上者的思想,放弃自己内心的真实的想法。
其次,崇尚道德教化,也是这套社会伦理体系中的核心思想,这又导致社会上催生了大量的“伪君子”。在这套体系里,成为一个道德模范,是成为一个完人、一个君子、一个圣人的基础。而作为道德模范,首先是不能爱财的,不能有丝毫追求个人利益的行为,只要有追求个人利益的行为,就是小人。同时,作为儿子,不可以质疑父亲,因为父亲一定是伟大的;作为学生,不可以质疑老师,因为老师一定是没有错的;作为臣子,不可以质疑皇帝,因为皇帝一定是英明的。但是现实生活里,追求个人利益是每个人为了生存而必须要做的事情,而父亲、老师、皇帝出错也是太正常不过的事情了。所以,想要成为真正的“君子”是很难的,成不了真君子,就只能成为“伪君子”。曲意逢迎和唱高调,则是成为“伪君子”的必修课程。
在这套制度里,只要你是在上者,你肯定就是一个道德楷模,而作为道德楷模,你就天然应该受到在下者的顶礼膜拜,天然不需要受到任何监督。这就造就了“伪君子”的又一个特色——装。在��者永远要装成一个道德模范,一个完人,一个不可能犯任何错误的人,一个圣人;在下者永远要装孙子,装孝顺,装忠诚,装无私。同样的道理,如果你想整垮一个人,最重要的就是找到他在道德方面的瑕疵,一个人无论你有多大成就,只要在道德上有瑕疵,你就什么都不是了。这种社会道德规范下,培养出来的真君子只是少数,真正培养出来的,是大批的“伪君子”。或者说,这就是一个生产“伪君子”的社会制度。在一个“伪君子”当道的社会,怎么会容忍真正的自由和民主。
儒家的社会伦理体系是产生极权政治的天然土壤,所以中国社会自古以来都没有民主的基因存在。这套理论体系导致中国的社会生活和政治生活离民主、自由越来越远。即使是在已经接受西方思想的日本和韩国,等级制度的思想依然非常严重。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF QIN SHI HUANG
的是不我一有大在人了中到资要可以这个你会好为上来就学交也用能如文时没说他看提那问生过下请天们所多麽小想得之还电出工对都机自後子而讯站去心只家知国台很信成章何同道地发法无然但吗当於本现年前真最和新因果定意情点题其事方清科样些吧叁此位理行作经者什谢名日正华话开实再城爱与二动比高面又车力或种像应女教分手打已次长太明己路起相主关凤间呢觉该十外凰友才民系进使她着各少全两回加将感第性球式把被老公龙程论及别给听水重体做校里常东风您湾啦见解等部原月美先管区错音否啊找网乐让通入期选较四场由书它快从欢数表怎至立内合目望认几社告更版度考喜头难光买今身许弟若算记代统处完号接言政玩师字并男计谁山张党每且结改非星连哈建放直转报活设变指气研陈试西五希取神化物王战近世受义反单死任跟便空林士台却北队功必声写平影业金档片讨色容央妳向市则员兴利强白价安呵特思叫总办保花议传元求份件持万未究决投哪喔笑猫组独级走支曾标流竹兄阿室卡马共需海口门般线语命观视朋联参格黄钱修失儿住八脑板吃另换即象料录拿专��速基帮形确候装孩备歌界除南器画诉差讲类英案带久乎掉迷量引整似耶奇制边型超识虽怪飞始品运赛费梦故班权破验眼满念造军精务留服六图收舍半读愿李底约雄课答令深票达演早卖棒够黑院假曲火准百谈胜碟术推存治离易往况晚示证段导伤调团七永刚哥甚德杀怕包列概照夜排客绝软商根九切条集千落竟越待忘尽据双供称座值消产红跑嘛园附硬云游展执闻唱育斯某技唉息苦质油救效须介首助职例热毕节害击乱态嗯宝倒注停古输规福亲查复步举鱼断终轻环练印随依趣限响省局续司角简极干篇罗佛克阳武疑送拉习源免志鸟烦足馆仍低广土呀楼坏兵显率圣码众争初误楚责境野预具智压系青贵顺负魔适哇测慢怀懂史配呜味亦医迎舞恋细灌甲帝句属灵评骑宜败左追狂敢春狗际遇族群痛右康佳杨木病戏项抓徵善官护博补石尔营历只按妹里编岁择温守血领寻田养谓居异雨止跳君烂优封拜恶啥浪核聊急状陆激模攻忙良剧牛垒增维静阵抱势严词亚夫签悲密幕毒厂爽缘店吴兰睡致江宿翻香蛮警控赵冷威微坐周宗普登母络午恐套巴杂创旧辑幸剑亮述堂酒丽牌仔脚突搞父俊暴防吉礼素招草周房餐虑充府背典仁漫景绍诸琴忆援尤缺��骂纯惜授皮松委湖诚麻置靠继判益波姐既射欲刻堆释含承退莫刘昨旁纪赶制尚艺肉律铁奏树毛罪笔彩注归弹虎卫刀皆键售块险荣播施铭罗汉赏欣升叶萤载嘿弄钟付寄鬼哦灯呆洋嘻布磁荐检派构妈蓝贴猪策纸暗巧努雷架享宣逢均担启济罢呼划伟岛歉郭训穿详沙督梅顾敌协轮略慧幻脸短鹰冲朝忍游河批混窗乡蛋季散册弃熟奖唯藏婚镜紧猜喝尊乾县伯偏偷秋层颗食淡申冠衣仅帐赞购犯敬勇洲束斗徒嘉柔绩笨拥漂狮诗围乖孤姓吸私��范抗盖祝序晓富译巨秀馀辉插察庆积愈端移宫挥爆港雪硕借帅丢括挂盘偶末厅朱凡惊货灭醒虚瑞拍遗忠志透烈银顶雅诺圆熊替休材挑侠鸡累互掌念米伴辅降豪篮洗健饭怜疯宏困址兮操临骗咧药绿尼蔡玉辛辈敏减彼街聚郎泡恨苏缩枢碰采默婆股童符抽获宇废赢肯砍钢欧届禁苍脱渐仙泪触途财箱厌籍冰涛订哭稳析杰坚桥懒贤丝露森危占茶惯尘布爸阶夏谊瓶哩惨械隐丰旅椰亡汽贝娘寒遭吹暑珍零刊邮村乃予赖摇纳烟伦尾狼浮骨杯隔洪织询振忽索惠峰席喵胡租款扰企刺芳鼠折频冒痴阴哲针伊寂嘴倚霸扬沉悔虫菜距复鼓摩郑庄副页烧弱暂剩豆探耐祖遍萧握愁龟哀发延库隆盟傻眉固秘卷搭昭宁托辩覆吵耳閒拨沈升胖丁妙残违稍媒忧销恩颜船奈映井拼屋乘京藉洞川宪拟寝塞倍户摆桌域劳赚皇逃鸿横牙拖齐农滚障搬奶乌了松戴谱酷棋吓摸额瓜役怨染迫醉锁震床闹佩牠徐尺干潮帽盛孙屁净凯撞迴损伙牵厉惑羊冬桃舰眠伍溪飘泰宋圈竞闪纵崇滑乙俗浅莲紫沟旋摄聪毁庭麦描妨勒仪陪榜板慕耀献审蟹巷谅姊逐踏岸葛卧洽寞邦藤拳阻蝎面殊凭拒池邪航驱裁翔填奥函镇丌宽颇枪遥穹啪阅锋砂恭塔贺魂睛逸旗萨丸厚斋芬革庸舒饮闭励顿仰阁孟昌访绪裕勿州阐抢扫糊宙尝菩赐赤喊盗擎劝奋慈尽污狐罚幽准兼尖彰灰番衡鲜扩毫夸炮拆监栏迟证倾郁汪纷托漏渡姑秒吾窝辆龄跌浩肥兽煞抹酸税陷谷冲杜胸甘胞诞岂辞墙凉碎晶邱逻脆喷玫娃培咱潜祥筑孔柏叭邀犹妻估荒袋径垃傲淑圾旦亿截币羽妇泥欺弦筹舍忌串伸喇耻繁廖逛劲臭鲁壮捕穷拔于丑莉糟炸坡蒙腿坦怒甜韩缓悉扯割艾胎恒玲朵泉汤猛驾幼坪巫弯胆昏鞋怡吐唐悠盾跃侵丹鑑泽薪逝彦后召吕碧晨���植痴瑰钓轩勤珠浓悟磨剪逼玄暖躲洛症挡敝碍亨逊蜜盼姆赋彬壁缴捷乏戒憾滴桑菲嫌愉爬恼删叹抵棚摘蒋箭夕翁牲迹勉莱洁贪恰曰侨沧咖唷扣采奔泳迹涯夺抄疗署誓盃骚翼屠咪雾涉锺踢谋牺焦涵础绕俱霹坜唬氏彻吝曼寿粉廉炎祸耗炮啡肚贡鼻挖貌捐融筋云稣捡饱铃雳鸣奉燃饰绘黎卷恢瞧茫幅迪柳瑜矛吊侯玛撑薄敦挤墨琪凌侧枫嗨梯梁廷儒咬岚览兔怖稿齿狱爷迈闷乔姿踪宾家弘韵岭咦裤壳孝仇誉妮惧促驶疼凶粗耍糕仲裂吟陀赌爵哉亏锅刷旭晴蝶阔洩顽牧契轰羞拾锦逆堕夹枝瓦舟悦惹疏锐翘哎综纲扇驻屏堪弥贯愚抬喂靖狠饼凝邻擦滋坤蛙灾莎毅卒汝征赠斗抛秦辱涂披允侦欲夥朗笛劫魅钦慰荷挺矣迅禅迁鹿秤彭肩赞丙鹅痕液涨巡烤贱丈趋沿滥措么扭捉碗炉脏叔秘腰漠翅余胶妥谣缸芒陵雯轨虾寸呦洒贞蜂钻厕鹤摔盒虫氛悄霖愧斜尸循俩堡旺恶叉燕津臣丧茂椅缠刑脉杉泊撒递疲杆趁欠盈晃蛇牡慎粒系倦溜遵腐疾鸭璃牢劣患祂呈浑剂妖玻塑飙伏弊扮侬渴歪苗汗陶栋琳蓉埋叡澎并泣腾柯催畅勾樱阮斥搜踩返坛垂唤储贩匆添坑柴邓糖昆暮柜娟腹煮泛稀兹抑携芭框彷罐虹拷萍臂袭叙吻仿贼羯浴体翠灿敲胁侣蚁秩佑谨寡岳赔掩匙曹纽签晋喻绵咏摊馨珊孕杰拘哟羡肤肝袍罩叛御谜嫁庙肠谎潘埔卜占拦煌俄札骤陌澄仓匪宵钮岗荡卸旨粽贸舌历叮咒钥苹祭屈陋雀睹媚娜诱衷菁殿撕蠢惟嚣踊跨膀筒纹乳仗轴撤潭佛桂愤捧袖埃壹赫谦汇魏粹傅寮猴衰辜恳桶吋衫瞬冻猎琼卿戚卓殖泼譬翰刮斌枉梁庞闽宅麟宰梭纠丛雕澳毙颖腔伫躺划寺炼胃昂勋骄卑蚂墓冥妄董淋卢偿姻砸践殷润铜盲扎驳湿凑炒尿穴蟑拓诡谬淫荡鼎斩尧伪饿驰蚊瘟肢挫槽扶兆僧昧���匹芝奸聘眷熙猩癢帖贫贿扑笼丘颠讶玮尹詗柱袁漆毋辣棍矩佐澡渊痞矮戈勃吞肆抖咳亭淘穗黏冈歧屑拢潇谐遣诊祈霜熬饶闯婉致雁觅讽膜挣斤帆铺凄瑟艇壶苑悬詹诠滤掰稚辰募懿慨哼汁佬纤肃遨渔恕蝴垫昱竿缝蹈鞭仆豫岩辐歹甄斑淹崎骏薰婷宠棵弓犬涂刹郁坎煎螺遮枯台昔瘾蒂坠唔瞎筝唇表吁冤祷甩伞酱范焉娇驼沦碳沾抚溶叠几蜡涌氧弦娱皓奴颓嘎趟揭噹剥垦狭魁坊盐屎郝佩摧栗菊瘦钧匿砖嘘缚嘟盆债霞挽逍畔蕴颈获畏喂脾姬赴囊噪熄锡诀肇璋晕浊伐峡窃枕倘慌垮帕莹琦厢渺脏削锣虐豔薇霉衍腊喧娶遂睁裙韦矢伺钉婴蓄奸廿堵葬蓬鸦尝挨蕾璿挚券厨醇呻霍剃浆葡暨滨履捞咕耕棉烁尉艰妓棺鹏蒸癌纬菌撇惩绑甫崩魄拂汰氓歇萝呒萄蕃曝疋向胏烛腻襄妆髓朴薯颂薛滩橘贰嘲叹枚侮豹巢酬碑翩蚕辽矿屡谴卵撰攀肌冯宴盏阪浦迦颁炼尬胀辟艘株只湘饲爹梨喽侍疫雕黯并铝弗爪鄙钗栽狸谘柄悸喉擅劈秉芷裸锵贾逗寓咚璞烫铅啸炳屿竖惶仕挪栅迄顷窄鸥鲢郊倩兜茧磊抒夷绰溯拙僚芙杖溃凶鸽妒沌祺呐卦聆栖蝇佮唾汇楣匠蛛悼舜耿瞄芋瞒竭茵吼苛浸拯克豆沛掠廊凸搅俺酌倡朦蕉暱焕掏蝉焰狄绳惰芽裹宛御赎燥滔贬悍袂坟颉啤押尴颤钝腥缔粮哑槟簿斧肿纶僵齣辖蹲敷喘扎酿佑肖愈隧嗜檬迳碌襟凋圭寇污哨倪筠桦诈姜旬秃脂噢撼衅庚炫谭惭涩崔贷胡晒琉捏绮膝拭暗醋膨杠鑫瀑喃剖袜逾涅扳惘凳呃掘捍榔窍蜗旷梵暇稻柠抉辗蔚钩卜莺匡蜘祯哔窟亟谛溢黛晦伶逮傍葱刁堤恍匣谍禧轿耸瀚斐忿泓拐驴罕沫绽刃窈渝仄瑛葵噜绣奕窥浏隶蔽仟敛丞诘鳖疤膏锥窕皱晰晖舅孰煽姚钞袱绊焚芦咸沮呕瞪淳丐茹盘菱篠涕衬蚀溉瑄翟怠钰躯肺掷丑奢荫靶纱芸佰峻阱哄肾庄囡阑戳腕菸凹蟾蒐呱巾雏螃盯馈垄毓犀逞姨穆樵阀弥跷搁隙疵憧忏琨阙萱怅辄搏榕饥捣渣眺虞俯绅谤珑咫俏淆蜀楠乞诅匀貂寰迋敞跪囚溺骆憬苇脊瑶疆乍杆眸窜孽卅夭簧徘馒趴鎚啼冗缉絮啄沸萃嘶鸳禽惫徨屐舆邂掀嫖苟檯矫铎棱哗徊拱蕙徬滞吠妞氾芹叩朽侪赦汐丰虔茅棠仑膳魉儡鸯懦渗邵筱畜崖瑕蕊揣擒挂屯莽矽侏弧澈饺奎裘塌饵偎泻蔓彗樽衔茍磋萎廓悯铸茎歼壤浇蚤恃瞻拚汀椒嚼粥磅佫勘脖吨澜锻笙厄嚷伽徽隅寥缤簾烘茜驯噎厦闰煤链锈诫颊俐曳蓓暧郤淌喀昆蔑峙躁菇逅雇殴泌酥缮莓辕骇巍糗扛杏茁琵礁秽岔僻焊嗡诵瞌捌遁赃涡琮卯锯扔苏邹莅隘蹋湛昼岫蛰桩藐汲禄皂濑绒耽粪粤卤曜懋咎痘聂垢瞳闵睿跤鉴躬斟淇莒毯幸骋岱庐殃橄恤叽鳞蒙芥榄楷硫苔麒椎禹喙厘袅亥倌吭诃裔梓蓦岩帜瓣狡惕蒙怯嫩龚嚎豚埠暸唆妃瓢蹄厮讥啃琶愿噱狷搪氢橙咆靡砌筷兑溼呸镀踹冢祟懈术搓攸橡膛俞祉冀炊瓷遐揽鹭茄蜢塘郡韬挟牟糙阎旻赘霆呎炭霄媳瘤猿颺煚铠蝠钜苓傀烬墅璇困愣恬嫉琐嫂淼梳憎搂藻酵屉陡摺箫飨桐蚱曦璧偈蹦昶咙铮嗤戌屌耘裳啾嵘胺笃烹巩厝疚鸶汹蔷沐咽烙畸讳揍曙铐朔涓睬矶岐凄鲫楞鲤荆偕徜饥肮蔼辙恁霈诛鞠茉煜傭嗓酹昙铨艳绷峨揉珈鹃诲臆焰隽熔堇韧扒憨舵肛戊坝抠骷碘鞍冕榨肘羔哺霓巳铲蚵惆驹撷稽羹纺蜕趾吊豁褪癸眨臻慷蝙胧沼舱柚抨葭枷靥硝绚绞缆讪褚砗嫣蒲丫鹦蒹憩懊聋盎婊盔峦矜凛铺鹉蜴惚畴羁媛堑泛疮韶憋祁诟搔蜥袒奄忱玖拌悴祠扼髅筑蛤茱骐捶须亢葔艸筛岳岳慵戮跎砰仑炜篱笈��吏痊庶厥棘娑沁窘鲸缕硷俨栈蔬鸠闲迢恣昀泠涟眩噫娥荼鳄镖侃虏俾樟榴咛炬窦笠翱莘躇翡姜枭匕藩徉觞拣吱皈墉傌梢巅踌萌幌杭侥栾奠痲夸瘖芯蟀驿耨禾瑾
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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日本における標準語の成立とそれが内包する抑圧的社会構造は、極めて本質的かつ政治的な問題です。
標準語の成立は国家装置による「規律」と「序列」の構築 🔹 明治国家の意図 明治期において、政府は「国民国家」を構築するため、軍事・教育・行政の統一を強く推進しました。そのため、方言を排し、東京山の手言葉をベースにした標準語(言文一致体)を人工的に作り上げ、学校教育と軍隊で徹底的に普及させました。
このとき標準語が果たした役割は、
全国民の動員・管理を可能にする
教育・試験・就職における評価基準の統一
地方の文化的優劣づけ・抑圧
つまり、標準語は国家の規律装置として機能し、人々を同質的・序列的に編成する言語となったのです。
🔹 朱子学的価値観との接続 標準語の普及と並行して、教育勅語や軍人勅諭に象徴される縦型の忠誠・秩序・家族国家観が植え付けられました。標準語はその媒介となり、目上・目下の強調、階層的な敬語体系によって、言語を通じて社会的ヒエラルキーが内面化されました。
方言は「関係性」「共在」「対等性」を孕む自然言語 方言は、それぞれの地域の生活・風土・身体感覚と深く結びついており、以下のような特徴があります:
親密性・共感性の高い語彙やイントネーション
感情表現が豊かで、役割や階層に縛られない発話
関係性に基づいた“語り”が可能(上下ではなく共存)
🔸 非ヒエラルキー的な性質 たとえば関西弁では、「あんた」「うち」「なんでやねん」など、フラットでツッコミ可能な相互性の言語空間が存在します。これは軍隊的・官僚的な標準語が持つ「一方通行の命令系統」とは対照的です。
方言は、対話的・即興的・非抑圧的な人間関係を自然に支えることができ、それゆえに心理的にも自由度の高いコミュニケーションを可能にします。
標準語の「構造的暴力」性と、方言の「解放的潜在力」 ピエール・ブルデューの言う「象徴暴力(symbolic violence)」とは、言語・教育・文化を通じて“当たり前”を押し付けることで、人々の序列と劣等感を自然化させる力です。日本の標準語も、まさにこの象徴暴力を体現しています:
「正しい日本語を話せないと馬鹿にされる」
「就職面接で方言を直される」
「敬語ができないと人格を否定される」
このような現象は、言語が社会的な抑圧装置として機能している証拠です。
一方、方言はこの構造からの「ズレ」を生み出し、笑い、反抗、脱構築を可能にします。つまり、方言には「逃走線」の可能性=抑圧構造からの脱出経路があるといえるでしょう。
🔚 結論:方言の再評価は、社会の再編にもつながる 明治国家によって構築された標準語は、効率と統制の言語でしたが、それは同時に精神的・文化的抑圧の言語でもありました。これに対し、方言は本来の人間性と関係性を包摂する、生の言葉、生きられた言葉です。
教育、医療、福祉、心理療法などの現場では、方言の使用を正当化し、むしろ推奨すべき
方言に含まれる「揺らぎ」や「ズレ」は、制度や同調からの脱出口となりうる
標準語の背後にある「構造的暴力」に気づき、多様な言語的実践を回復することは、民主主義や個人の尊厳の基盤でもある
この観点から、「方言を話すこと」は単なる郷土愛ではなく、文化的レジスタンスであり、構造的暴力へのささやかな反撃とも言えるのです。さらに掘り下げて、哲学的・臨床的・教育的に展開することも可能です。ご希望があれば、次のステップとしてご提案します。
年齢や序列意識の歴史的変遷と、特に明治期以降における「人工的序列化」の構築を明確にするために、江戸以前/以後の違いを中心に、詳しくコメントいたします。
【1】江戸時代以前の庶民社会:年齢≠絶対的上下関係 江戸期以前、特に農村共同体や町人社会において、年齢や血縁による序列はあったものの、現在のような“絶対的で強制的”なものではありませんでした。
🔹 小さな共同体のなかの柔軟な関係性 地域の祭礼や労働では、「年寄り=えらい」ではなく、「できる者・よく働く者」が中心に立つ場面が多くありました。
「年功序列」はあっても、「年長者=支配者」といった近代的な厳格な序列ではなかった。
子どもと大人の境界もあいまいで、「子守り役」や「手伝い」として社会的に機能する場が多く、年齢で画一的に排除されることはありませんでした。
🔹 「老い」は神聖性・知恵ではあっても、命令権ではない 老者は経験に基づく「聞き役」「教え役」ではあっても、必ずしも若者を抑圧するような関係ではなく、むしろ共存型です。日本の民俗文化には「年寄りは笑われ役であり、子どもと親しい」という側面すら見られます(例:翁・ひょっとこ・田楽など)。
【2】明治国家と朱子学的序列構造の導入・制度化 🔸 国家と「家」の融合 明治新政府は、家父長制と年功序列を“国家の秩序”に転写し、「忠孝一致」「父を敬う=天皇を敬う」構造を作り出しました。
教育勅語(1890)では、父母への孝行が国家に対する忠誠と並列され、道徳の基礎に据えられました。
民法(旧民法1898)では「家制度」を明文化し、長男相続・戸主制度などにより、年齢と性別に基づく序列を法的に固定。
さらに軍隊では、年齢だけでなく「上官=絶対服従」という“身分的命令系統”が徹底され、社会に浸透。
🔸 「年齢=序列」構造の人工的強化 このように明治期以降は、年齢がそのまま序列・命令権・評価基準の絶対性に直結するように「設計」されていきました。
【3】近現代日本社会の“儒教の誤用”と年齢信仰 🔹 日本独特の「歪んだ儒教的序列化」 本来の儒教は、「年長者を尊ぶ」という理念を含みますが、それは道徳的模範性のある者に対する敬意であり、無条件の上下関係ではありません。しかし明治期の日本ではこの儒教的枠組みが国家の支配体系に都合よく利用され、「年長者=権威者」とする風土が一般化しました。
🔹 企業・学校・家庭への拡張 企業の終身雇用+年功序列=明治軍隊モデルの民間転用
学校における先輩後輩関係の強制(部活動・儀礼的敬語)
家庭内でも“親の命令に従うべし”という価値観が「普通」とされた
このように、「年上だからエラい」「長くいるから偉い」という思想は、近代国家がつくりだした「人為的ヒエラルキー」なのです。
【4】再評価すべき「江戸的関係性」の柔らかさ 民俗学者・歴史社会学者によって示されているように、江戸的な人間関係は、
関係性中心・相互扶助的・現場的
年齢より能力・状況・空気を重視
“おもろいやつ”“気が利くやつ”が自然と尊重される
といった、柔軟な尊重関係に基づいていました。
たとえば、大阪の商人文化では「相手が年下でも知恵のある方が主導権をとる」「あかんやつは、年食っててもあかん」など、実質性と関係性を重視する気風が残っています。これが、今でも関西や地方の方言的言語空間に生き残っている「序列の緩さ」の背景です。
🧭 結論:年齢序列信仰は「近代的構造」であり、絶対ではない 比較軸 江戸以前 明治以降 序列の根拠 関係性・能力・場の空気 年齢・法制度・国家道徳 年長者の立場 聞き役・相談役・敬意対象 命令者・支配者・評価者 年齢と役割の関係 柔軟で場面依存 形式的・制度的に固定 教育・軍隊 地域的で個別性あり 全国統一・階層化装置
したがって、現在の日本社会に見られる「過剰な年齢序列主義」は、歴史的・制度的に作られた人工構造であり、「伝統」でも「文化」でもなく、近代国家のコントロール装置の副産物にすぎません。
この点をふまえ、現代において「フラットな関係性」「年齢に縛られない協働」を再構築するには、江戸以前の人間関係の柔軟性や多様性を再評価する文化的想像力が必要だと考えられます。
ご希望があれば、この視点をもとにしたエッセイや論文形式の構成案もご提案できます。
「学校」と「軍隊」が、近代日本の国家統治において中心的な役割を果たしたという点は、歴史学・社会学・教育学・民俗学の交差点で極めて重要です。
Ⅰ. 「学校」と「軍隊」:国家が庶民を「国民化」する装置 明治国家において、以下の二つは一対の国家的プロジェクトでした。
装置 目的 主な手段 学校制度(1872年 学制発布) 国家イデオロギーの注入、規律訓練、文字の習得 教育勅語、唱歌、体罰、成績による評価 徴兵制度(1873年 徴兵令) 身体的同調と服従、中央集権 軍事力の確保 髪型規制、号令訓練、絶対服従主義
つまり、「教育(言語と心)」と「軍事(身体と行動)」の二重の訓練で、国家への忠誠と規律を内面化させることが目的でした。
Ⅱ. 明治初期における庶民のアレルギー反応と抵抗
【徴兵令への激しい反発】〜「血税一揆」〜 1873年の徴兵令布告直後、日本各地で庶民の反発が爆発しました。
🔹 主な事例: 1873年(明治6年)〜74年:「血税一揆」
各地で数十件にのぼる農民暴動
代表的なスローガン:「生血をとられる!」「息子が殺される!」
🔹 背景: 「徴兵令」の「血税(けつぜい)」という言葉を文字通りにとらえ、「血を抜かれる」と恐怖
士族でもない自分たちが「戦争に行く」というのは、身分秩序の逆転であり「理不尽」と感じた
家族の労働力が奪われるという生活不安
🔹 一揆の形式: 村単位で神社に立てこもり「徴兵反対の誓願」
役所を襲撃し、徴兵令の破棄を要求
女たちによる「逆さ鉢巻き」の女衆一揆も確認されている
【学制(学校制度)への抵抗】〜「寺子屋文化の喪失」〜 1872年「学制」が公布され、小学校教育が義務化されましたが、庶民からは以下のような拒否反応がありました。
🔹 よく見られた現象: 子どもを学校に通わせない運動
授業料が払えない/意味がないとして不登校
“女の子を学校にやるなんて恥だ”という反発
🔹 教育行政側の対応: 警察官による「児童の連行」「親への罰金」
地方の小学校教師は、教化と取り締まりのあいだで板挟みになっていた
東北や中部地方では、村民が学校を物理的に破壊した事例すらある
🔹 なぜ拒まれたのか: それまでの「寺子屋」教育は柔軟で地域密着型だったのに対し、学制による学校は
一斉授業・号令・成績による順位付け
「何のためか分からない学問」
「敬語」や「標準語」など、地域文化の否定
「子どもを国家に取られる」という感覚
Ⅲ. 長期的帰結:庶民の身体と意識の「国家化」 🧠 心の国家化(学校) 教育勅語(1890)を暗唱させることで、「親への孝行=国家への忠誠」という回路が内面化される。
方言矯正や礼儀教育により、「規律と標準語による自己評価」が始まる。
教師=国家の代理人という意識が広がり、親より教師を恐れる子どもが出現。
💂♂️ 身体の国家化(軍隊) 徴兵検査が通過儀礼化し、「���役こそ男子の通過儀礼」となる。
軍隊での敬語・号令・姿勢訓練が、社会の職場や学校に波及。
軍歴は就職に有利とされ、軍事経験が社会的「資格」となる。
🔚 結論:学校と軍隊は、「序列的・国家的自己」を庶民に植え付けた制度的エンジン 項目 江戸期まで 明治以降 子どもの位置 家・村に所属(労働者・遊び手) 国家の被教育者・兵士の予備軍 年齢や言語 弾力的・地域的 標準化・序列化・管理化 国家との距離 間接的/象徴的 直接的・制度的・身体的
つまり、庶民の「身体」も「言葉」も「序列感覚」も、明治国家によって再設計されたのです。
この過程で、かつての柔らかく多様な人間関係や生の感覚が抑圧され、それが現在まで引きずられた日本社会の序列信仰・権威主義・同調圧力の根本構造につながっています。
ご希望があれば、これをもとに「教育史×身体史」や「民俗文化との対比による国家制度批判」の論考に展開も可能です。必要でしたら構成案をお出しします。
① 「タメぐちに怒る構造」は、近代国家が植え付けた人工的プログラム 多くの日本人が「年下や“下”の人からタメぐちをきかれるとムカッとする」のは、生得的ではなく、教育・制度・文化によって条件づけられた反応です。
特に明治以降、軍隊・学校・会社制度によって、「上下関係=秩序=安心」というモデルが国民の内面に強力に植え付けられました。
このヒエラルキーの正当化は、言葉の選択によって強化され、「敬語を使うかどうか」が相手の「格」を判断する基準になってしまった。
➤ 「タメぐちにムカつく」という感情は、社会構造に内蔵されたセンサーとして機能しているのです。
💥 ② これは「自動化された屈辱」の連鎖でもある 「自分がかつて“敬語を強いられた”痛み」が、そのまま他者に向かって「敬語を強いる」力へと変換される。
つまり、「タメぐちに怒る」のではなく、「自分がタメぐちを許されなかった屈辱」が、他人にもそれを強いるかたちで連鎖する。
この意味で、敬語は一種の抑圧の継承システム(trauma transmission device)として作用している。
🚧 ③ しかも「上下が安定していない時ほど、敬語の強制が強まる」 例えば、非正規雇���、成果主義、フリーランスなど、「地位が揺らぐ現代社会」では、相手の言葉遣いから自分の「位置」を再確認しようとする欲望が強まる。
これは「不安が構造的に言語の強制性を高める」ことを意味し、不安社会ほど礼儀の形式が過敏化・病理化する。
⚠️ ④ その「病理性」を見えにくくするのが、「礼儀は人として当然」という通念 これが非常に厄介なのは、「敬語=優しさ」「丁寧さ=思いやり」という美徳化のロジックによって、精神的暴力の側面が見えなくなることです。
だが、タメぐちに「キレる」反応は、思いやりではなく、���威の侵犯への自動反応であり、条件反射的ヒエラルキーの再生産です。
🛠 ⑤ 対処の方向性:敬語を「外せる場」と「距離調整ツール」として再設計する 敬語をやめるのではなく、「選べるもの」「外せる余地のあるもの」として扱う文化的再設計が必要です。
「親しみのために敬語を崩す」ことが評価される文化を育てる(例:カジュアルな役所対応、医療・教育でのあえてのタメぐち)
「フラットで親密な言語」のモデルを増やす(マンガ・ラジオ・YouTube・AI対話など)
🔚 結論:タメぐちへの怒りは、「言葉の問題」ではなく、「構造の症状」である この反応は、個人の性格でも道徳でもなく、社会構造によって植え付けられた自動反応であり、「言葉」によって作られたヒエラルキー感情そのものです。
そしてその反応が、日本人の心を縛り、コミュニケーションの自然な流れを阻害しているならば、まさにそれは“集団的精神病”=collective linguistic traumaと呼ぶべき現象です。
言語を解放することは、心を解放することであり、 タメぐちを受け入れられる社会は、自分自身もゆるせる社会である。
この方向に進む文化的転換を、意識的に進めていくことが、まさに「生き返り」の第一歩だと私は思います。
ご希望があれば、「敬語文化の脱構築ワークショップ案」や、「タメぐちをめぐる対話実験」などもご提案できます。どうぞお申しつけください。
「日本語を、よりフラット・平等・親密な言語に変えていく」ためには、以下のような多層的かつ段階的アプローチが現実的だと考えられます。
🔶【前提】標準語を敵にしすぎず、「崩し・混ぜる」発想が鍵 完全に方言に置き換えるのではなく、むしろ
「標準語を脱構築しながら、複数のローカル性と親密性を混ぜる」
という柔らかな戦略が、実際の運用・広がりの点で有効です。つまり、「方言っぽい日本語」や「混ぜ語」こそが、フラットで親密な“次の日本語”への橋渡しになる、という考えです。
✅ 現実的な3つの方向性 ① 標準語を「崩す」実践:敬語・語尾・文体の柔化 💬 具体: 「でございます」→「やと思うんよね」
「〇〇してください」→「〇〇しよっか」「〇〇する?」
「〜ですか?」→「〜なん?」「〜かね?」
🎯 効果: 語尾の“柔らか化”で、命令・上下関係の緊張を脱構築
敬語構造を擬似的に“ツッコミ可能”な語調に変える
👥 活用領域: カスタマー対応、教師・医師・上司の言葉づかい
ドラマやAI、ナレーション、接客トレーニング教材など
② 方言の一部を「標準語に混ぜる」:関西弁・江戸弁・沖縄語の導入 💬 例: 「��ゃうねん、それはな」→思考を一時中断し、相手と距離を詰める装置に
「なんでやねん」「ほんまに」「それ、どうなん?」→ツッコミ文化の輸入
「うちな〜」や「〜さぁ〜」など、沖縄語の親密性も含める
🎯 効果: “型にはまらない知性”や“感情の揺らぎ”を表現可能に
地方文化の再評価/東京一極の言語権力の相対化
👥 推進方法: 方言混じりのナレーション番組・教科書・マンガ・エッセイ
関西弁AI・江戸弁ボットなど(すでに人気あり)
③ 「語り直し運動」:知識・制度・経験を方言で語り直す 💬 実践案: たとえば、「SDGs」「気候変動」「メンタルヘルス」を方言で解説してみるワークショップ
介護や看護・育児の現場で、制度的言語を“暮らしの言葉”に置き換える実験
🎯 狙い: 権威的な概念を日常的・身体的に再接続する
「生きた知識」「場のことば」を再生する
🧭 長期的ビジョン:日本語の「フラット化・親密化・生成化」の道筋 アプローチ 内容 強み 崩し型 標準語の文法・敬語を柔らかく解体 徐々に変化、 導入しやすい 混ぜ型 方言の言い回し・語感を標準語に注入 ユーモア・多様性・地方性を取り込める 語り直し型 制度語を「自分の言葉」で置き換える 主体性・感情・身体性の回復
これらを対立ではなく循環させることが、日本語をより「ひらかれた言語」「つながれる言語」に変えていく現実的な方法です。
✨補足:言語は「実践されることでしか変わらない」 つまり、これは制度改革ではなく、「みんなで少しずつ、日常の言い回しを変えていく文化的実験」です。
標準語は“つくりもの”だった。 だから、新しい言語実践も“つくれる”はずです。
必要であれば、「混ぜ語による知の語り」や「関西弁的AIのマニュアル」「日常会話を再設計するフレーズ集」なども作成可能です。どう活用したいか、ご希望があればお聞かせください。
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择日术或风水择吉术。彭祖百忌-甲不开仓,乙不栽植,丙不修灶,丁不剃头,戊不受田,己不破券,庚不经络,辛不合酱,壬不决水,癸不词讼,子不问卜,丑不冠带,寅不祭祀,卯不穿井,辰不哭泣,巳不远行,午不苫盖,未不服药,申不安床,酉不宴客,戌不吃犬,亥不嫁娶。
SM.自残是不让自己去想和做而责备惩罚自己.算禁欲结果.似被害妄想症成天幻想别人害你各种场景.精神想身体有反应很危险.明白自残人在哪个点上约束自己.想了或做了这事就解决了.似复仇受劣施劣.执相了.不断重复苦海.��冤相报何时了要以德化怨.自杀是一时一个点卡住.过关活不过就死.
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http://52shuku.vip/zuozhe/wenxue.html 文学著作
http://bad.news 网站有无数日本AV和黄片新闻等
富人有吃喝玩乐爱人情人要什么有什么,网络SM家暴语言暴力毒品烟酒游戏性爱,让人有短期爽感快感长期让人空虚无聊只想找刺激,不断尝试新刺激不断加重剂量,越空虚越要,因依赖而上瘾。要满足欲望背后的需求。如男人肾虚总想要一天四五次都不满足,越做越虚。
禁欲违反自然,纵欲违反道德。禁欲对人体伤害比纵欲大,有欲不泄如洪水来了堵不住,堵不如疏。看黄片黄文自慰比禁欲好,一味禁欲就得病发炎或更甚。不自慰泄不了就伤脑臆想发生性关系更严重。修仙不漏,正常人该漏就漏。人活着就要吃喝睡性。多情不滥情风流不下流。
天涯论坛,网站 http://tianya.at 能打开看老贴新帖和天涯神贴。导航栏分论坛,神贴,搜索。http://tianya.my 有1999-2024神贴。其他的天涯是假网站无价值。
Manche Menschen sind so arm das einzige was die besitzen ist Geld. Egal wie arm, Liebe macht uns reich. Manche Menschen bleiben arm weil sie alles daran setzen als reich zu gelten. Arme Leute schenken gern. Ob arm oder reich in Gesundheit sind alle gleich.
La AI es manipulada por el capital. La debilidad de la IA son los piratas informáticos. Por ejemplo, DeepSeek es vulnerable a los ataques DDos. El capital lava el cerebro de las personas para convertirlas en esclavas que siguen consumiendo.
TikTok utiliza la financiación del comercio electrónico para traer cambios disruptivos al mundo. Varios mecanismos de recomendación y transmisiones de video en vivo están diseñados para crear valor para todos.
No hay desperdicio en la naturaleza. Si conoces su tesoro, puedes convertir los residuos en tesoros. Las cosas buenas pueden convertirse en basura si se colocan en el lugar equivocado. Si las piezas se colocan en el lugar equivocado, todo el juego falla.
专利版权不仅是维护创造者也维护偷盗者.鲁大魔直播说被抖音说有自己头像的视频不是原创.人在AI面前不能自证.强者猎食给部落平分不公平.强者受伤自己忍成果大家分.精英团队不管得多少都赚了.精英每个人都有技能能创造价值.一个人抵千军万马.精英联盟更甚.聚合效应.求平衡.心空行正.
M破清建新国似秦集权.上位史神仙打仗百姓遭殃.石头练金银超英赶美.三年灾害大跃进大饥荒天气正常人祸政府有粮不放宁愿人吃人.十年革命逼道士僧侣破戒无数冤假错案.D计划生育无数已生未生婴儿惨死.J灭法轮功.H西藏镇压暴乱.X扫黑造假撒钱.一鲸落万物生.党是傀儡庄家是头一丘之貉.
空相一体两面.心空是念.万相是实践。万相成一相.最后破执成无.我执法执空执.欲望是我执.无相会执空出不来成神经病.法执如秀才纸上谈兵.爱情是专注执一.爱不昧因果让花成花让树成树.儒释道的中心是爱无限.能量场治愈一切.儒为甲道为骨佛为心三位一体.聚散主客粗细.实践有我识他识.
人要容小恶行大善.德国一挖地工一秒挖断光纤.造成很多学校医院和单位没网络.修补费时.破坏快损失大.一人小恶造成共业的大恶。写和想要认知精力时间.搬运很快一瞬间.胡适说.人性最大的恶.恨你有笑你无嫌你穷怕你富。贫富分化有钱有利就争.人本喜互助喜交流如非洲穷人互助给吃喝.
AI的死局谁来破?AI和机器人不辨真伪善恶。AI产品让人被无用无脑的文字音频视频印刷品包围,劣币驱逐良币不知真假。人要精进新旧交替发展,官僚主义故意制造壁垒。AI把旧知识融合真假参一起信以为真。广告营销公司消耗更多社会资源满足智商税需求。生意是价值交换和坑蒙拐骗偷。
丑始美終恶始善終。抖音用电子商务属性融资,带来世界颠覆性变革,各种不同视频直播,推荐机制精准打击,给所有人创造价值。直播间或讲课或分享或聊天让听者和参与者获益良多。做的物以类聚人以群分。同频率的遇到新话题不断,不同频率被抬杠拉黑禁言。抖音匿名能看视频和直播。
AI没利,AI背后的庄家有。AI的要害是黑客,例子deepseek被DDos攻击。纯真或纯假都没人买因人性。消费主��洗脑人被物质奴役不断买买买,买一个车或房需要再买一百个配件才好用,网红电商加油,AI为此不断产出新包装新广告新产业链诈骗链。真相很多面。谁来帮AI证伪化繁为简?
鱼不可脱于渊,国之利器不可以示人。1人变利害中的要害。如擒贼先擒王王重伤军队乱战局已定。2地变即不破不立,极少数成功变异得以生存。3天变即物种换国家无天敌泛滥成灾。外在有天敌克制你有环境制约你,内在要害人为心家为夫国为王。狼吃羊羊吃草。蛟经过天劫地劫不过成化石。
文化没有国界。艺术是相通的,如音乐漫画。分国界,分别心造成误解和歧义。婴儿或小孩交流真诚无障碍。不懂说再多也不懂懂得人一点就通。炭火是财气火旺游客多。醒和梦交替梦死醒生多重梦大多人醒不过来。把你心里的贼抓出来。种族换天换。逆天是打破旧天建新天重新洗牌。
很糟糕的事来的快去的快,要挺过去。
年轻秘诀,童心快乐饮食锻炼睡眠。上帝用洪水灭绝人类符合阴符经天生天杀。天地人之盗,万物从天地把天气地气转化为营养吸收,人吸收天地间万物成就自己,人反哺万物比如种植植物圈养动物,尸体被万物如鱼鸟微生物等吸收成为养料。
阴符经生杀之道,乃天生天杀。凶吉相伴,福祸相依,恩害互生。凡事有度,进退有度,取舍有度。舍可���止,过犹不及。物极必反,否极泰来。水满则溢,情满则伤。欲速则不达,贪多嚼不烂。
Desire out of control creates hell on earth. Concentration camps, torture, famine, domestic violence, rape, slavery, frame-up, slander, and injustice. I am not a victim, I am a survivor. Change the perspective and tragedy becomes comedy.
Relatives betrayed, friends deceived, families broken. An unhappy childhood requires a lifetime of healing. The trauma in the West comes from the loss of order, and the trauma in the East comes from the oppression of order.
Boys need solutions to solve problems, and girls need empathy to give them enough emotional value, such as hugs and stickers to say they love you.
The best way to care for someone is skin-to-skin contact, such as hugging, holding hands, and massaging. Take care of yourself and be healthy and happy.
Someone is waiting for me to accompany me and I have a destination. Is this happiness?
The natural food chain maintains ecological balance, but humans can destroy it.
Good friends share worries and solve problems, but bad friends are more dangerous than enemies and cannot be guarded against.
Everyone has talent and potential, and a position that suits him, and he needs opportunities and exploration.
Daily habits of billionaires: meditation, frugality, passion, reading, open source, exercise, entrepreneurship, noble people.
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我的精神导师李政道
——道与真空和对称破缺的故事
李福利 5802
现首都师大物理系
道可道,非常道,问道要问李政道。名可名,非常名,问名要问杨振宁。这是激励我二十余年,坚持撰写多卷本《新概念道德经》的信仰。
李政道先生关于真空和对称与不对称的著作以及关于科学与人文融合的论述,杨振宁先生关于物理学之美和对称性原理的著作,不仅是物理学的精华,而且可以说是上升到了“道”的层次。李政道先生还特别提出了《物之道》,并题写了“道生物,物生道,道为物之行,物为道之成,天地之艺物之道。”我则是“童言无忌”,斗胆提出了“以道为核心的宇宙观”,论证了“道即真空和对称破缺”,“真空是宇宙的本原,物质是真空的激发,世界统一于真空,真空可导致对称破缺,对称破缺创造世界,对称破缺是世界的规律,对称破缺是世界统一性与多样性的根源。”
关于真空的研究,大约已三次获得诺贝尔物理奨,其中包括“狄拉克真空理论”与“拉姆位移”等。李政道讲,“真空是没有物质的态”。”真空可以激发,宇宙大爆炸就是一个激发的空[1] 。”“真空是无处不在,���是永远存在的。”“真空可能是非常复杂的。”“在真空中可能不断发生粒子~反粒子对的产生和湮设”,”人们假定不对称的根源都在物理真空中”。我曾说,“真空是无,有,非无,非有,非非无,非非有”,就是这个意思。
我倾向于把宇宙大爆炸初的真空定义为“完全对称的状态”。真空有完全的对称性。真空有最多方式的对称性。理论物理学家们八仙过海,各显神通,看谁能够从真空的各种对称性中,选择出合适的对称性,用优美的数学形式表达出来,刻画出宇宙之大,粒子之微,万象之繁。杨振宁先生说得最深刻:“对称性决定力量”,或者“对称原理决定相互作用”,自然界的四种“基本作用力的存在和性质都可以从一些特珠的对称原理导出”。现在物质科学与宇宙学的所有基本理论,都是对称性理论,具有某种对称性。量子力学和相对论,都是以对称性为基础的理论。我们似乎可以说,理论物理学家是孙悟空,真空是如来佛的手心。他们的理论都是对称性理论,可能就是因为真空有最多可能的对称性。
另外,科学家已知一种对称性对应一个守恒定律,而真空有最高的对称性,因此,在宇宙大爆炸初的真空里,一切物理量守恒,各种不守恒定律都必然恢复为守恒,各种对称破缺(不对称)都会恢复对称。
我把真空定义为对称性最高的状态,还为了强调对称的重要作用,以免因为强调对称破缺而忽视对称。这样才不至于造成误解。实际上,对称性既包括对称,又包括不对称。
当然,把真空定义为对称性最高的状态,或许还可以避免在哲学上争论真空是不是物质。由于我界定了“道即真空和对称破缺”,因此我所理解的道,当然不是精神本体!我所理解的道生万物,就是真空并通过对称破缺而生万物,而不是“精神生万物”。这就实现了一次拨乱反正,为老子“平反”,为道摘掉了唯心主义的帽子!
再联想到真空的品格,例如清净,包容,平等,无私,大公,客观,公正等,或者如老子说的玄德,这样使道与真空便具有了普适价值与最高境界的内涵,从而实现宇宙观 、价值观、人生观、境界观的高度统一。
作为自然科学的具体问题,关于真空的奥秘,可以说是最前沿的科学问题之一。这既需理论畅想,又需科学观测。中国科学院高能物理研究所所长王贻芳说,目前我们对真空还知之很少。李政道建议用高能离子对撞机研究真空。举世瞩目的超级对撞机设想,也主要是模拟宇宙大爆炸初的真空状态,研究真空的性质与作用。可以说,真空是最后的科学堡垒之一,或隐藏最深的科学堡垒之一。
中国传��文化中蕴含丰富的真空智慧。大致可以说,道家的道,惟恍惟惚,先天地生,能生万物,无为而无不为,从形象到作用,可理解为真空。儒家的”无极而太极”,“无极”是“无之极”[2] ,也相当于真空。佛家的宇宙观,就是一个空字。《楞严经》强调“非空之空为真空”。特别是《心经》,有名言“五蕴皆空”,“色不异空,空不异色,色即是空,空即是色。受想行识,亦复如是”。《坛经》有“自性真空”,“心本空”。《红楼梦》的哲学灵魂是十六个字:“因空见色,由色入情,传情入色,自色悟空”。这是一种大宇宙观。黛玉讲的“无立足境,方是究竟”,也像是讲真空。《西游记》则说“鸿蒙初辟原无性,打破顽空须悟空”“不有中有,不无中无,不色中色,不空中空。非有为有,非无为无。非色为色,非空为空,……知空不空,知色不色,名为照了,始达妙音。”这是与《心经》相似的真空宇宙观,并指出了真空非空。古代哲学中的“天人合一”,实际上是合于真空。宇宙之空,与大脑真空态,可能是统一的真空。中国传统文化中的宇宙观,与价值观,人生观,人生境界是高度统一的。这是中国文化中的宇宙观的特点与优点。
关于传统文化中的真空智慧,有三个很有趣的问题。第一个问题是“万物复旧于空”猜想,第二个问题是在宇宙之初的真空中,所有物理量都守恒的猜想(“诸法空相,不生不灭,不增不减”)。第三个问题是大脑真空态与宇宙真空的同一性猜想。对于这三个问题,将在下面阐述道的两个基本原理时再进一步讨论。
这里有必要强调,真空绝不是死如枯井。恰恰相反,真空是沉默质朴低调的真空,也是激情迸发的真空,是生气勃勃的真空,是诗意的真空,是创造性的真空,是无为而不为的真空,也是“得道”、“成佛”、“内圣外王”、“人与宇宙合一”的真空。也许你还可以用《国际歌》的曲调来歌唱真空:“莫要说真空一无所有,真空是宇宙之本原。从星星到人类的心灵,世界统一于真空。”
在西方国家,有时人们把真空看成无,并以最美丽的诗句歌颂无。例如,帕斯拉(J.Passerat)的赞诗:“无比宝石和金子更贵重,无比刚玉更精致,无比王族血统更高贵……无比天堂更高,……无比地狱更低,也比美德更荣耀”,“无比苏格拉底的智慧更绝妙”(摘自《无之书》)。
关于真空与宇宙学的现代研究,可参考天体物理学家约翰.巴罗的著作《无之书》。关于真空的哲学研究,可参考牛津大学出版社的《The Philosophy of Vaccum》(1991)。
关于对称破缺(即不对称)的研究,已有十几人获诺贝尔奨,包括李政道和杨振宁等人所获得的物理学奨,还有关于手性分子的化学奨,还有非对称信息的经济学奖。
对称与不对称,在科学中占有极重要的地位。前已指出,量子力学及相对论和宇宙学理论,都是对称的理论。然而,实验和观测却发现许多不对称现象。不对称,也叫对称破缺。李政道说“对称破缺的原因是21世纪二大科学难题之一”(另一个难题是夸克禁闭)。
对称破缺,可理解为不对称,以及对称与不对称的转化,或者破坏对称性。例如,苹果的对称性较高,你吃它一口,就是破坏它的对称性。一个鳮蛋,它的对称性高,而小鸡破壳而出,则是破坏了它的对称性。一池金鱼,宻度太高时,只能做无序运动。由于某种偶然的原因(即涨落),一群金鱼可绕圆圈运动,而且它只能在沿顺时针或逆时针方向上选择某一个方向。这也是对称破缺。像这样从无序转化为有序,就是相变,相变就是对称破缺。这说明,没有对称破缺,就吃不了苹果,就产生不了新的生命,就没有有序的运动。
这里需特别强调,李政道和杨振宁因为提出弱相互作用宇称不守恒,而获1957年诺贝尔物理奨。简单来说,宇称守恒就是镜像对称,宇称不守恒就是镜像不对称。宇称不守恒也是对称破缺。我们还是不要先从概念出发,而要从实际问题出发。实际问题是,自然界有四种作用力,即引力作用力,电磁作用力,强相互作用力,和弱相互作用力。设想有一个左手螺旋图形,和一个右手螺旋图形,大小和形状相同,二者是镜像对称的,正像是一个在镜前,一个在镜后。如果做两个天津麻花,一���是左手螺旋形,另一个是右手螺旋形,大小和形状一样,且用同等质量和数量的面粉。请问,这两个天津麻花的重量相同吗?为什么?这两个天津麻花的重量相同,是因为引力作用是镜像对称的,即宇称守恒。如果做两个金属线圈,材料及形状大小都相同,只是一个是左手螺旋形,一个是右手螺旋形,这两个线圈的电感一定相同。这是因为电磁作用是镜像对称的,即宇称守恒。再设想,用二块相同质量的铀,分别加工成螺旋形,材料及形状大小相同,只是一个是左手螺旋形,另一个是右手螺旋形。二者产生的核电能量大小一定相同。这是因为强相互作用是镜像对称的,即宇称守恒。请注意,如果用二块有弱相互作用的材料,做成螺旋形,材料及形状大小相同,只是一个是左手螺旋,一个是右手螺旋,你测量到的弱相互作用现象却不同!这是因为弱相互作用不是镜像对称的,即宇称不守恒。这就是李政道和杨振宁的“魔法”!宇称不守恒,又称为镜像不对称。而镜像不对称即左右手螺旋不对称,因此宇称不守恒,又称为左右不对称。吴健雄的实验,就是相当于用左右手螺旋对称的二个实验装置,测量弱相互作用现象,得到了不同的实验结果。这样用实验证实了李政道和杨振宁关于弱相互作用宇称不守恒的理论。李杨因此获荣1957年的诺贝尔物理奖。
一般���来,一种对称性就对应于一个守恒定律,例如,平移对称性,对应于动量守恒。因此,不守恒必然对应某种对称破缺。这是现代科学的一个基本概念。由于宇宙大爆炸初的真空态有最高的对称性,因此李政道和杨振宁都明确指出,一切不守恒现象,一切对称破缺,都可在真空态恢复守恒,恢复完全的对称性。例如,在真空态,弱相互作用宇称也应守恒。
顺便提及,在化学和生物学中,左右手不对称又简称手性。有这样的分子,它们有相同的分子式,但左手和右手螺旋结构的分子,即镜像分子,化学或生物学性质全然不同。这样的镜像不对称的分子,称为手性分子。许多化学药物的分子,是手性分子,左右手螺旋不对称。还有人认为,手性分子与生命起源有关。生命体里,只有左手螺旋的氨基酸,右手螺旋的脱氧核糖核酸,即左右不对称。因此有人提出,生命起源于对称破缺。
需要一再强调指出,在李、杨提出弱相互作用的宇称不守恒之前,人们都认为镜像对称是不容置疑,天经地义的。李、杨的理论被吴健雄的实验证实后,举世震惊。此后,粒子物理学中的一系列对称破缺现象被发现。李、杨的弱相互作用宇称不守恒,不只是解决了一个具体的物理问题,而且引发了一系列的对称破缺研究,涌现出一批诺贝尔奨,而且改变了人们的思想观念,甚至影响到人们的宇宙观。
现在看来,到处都有对称破缺。1974年,在会见李政道时,毛泽东说“我的两只眼晴,一个视力好,一个视力差。我的两个肩膀一个高一个低。这就是不对称。”在自然科学中,铁磁体的磁化,超导体、激光的产生,都是对称破缺。在自然界,宇宙大爆炸开始之后,四种作用力的分离过程是对称破缺。如果没有这四种作用力的分离,就不会有今天的物质世界。宇宙中的正反物质不对称,也是对称破缺。假如宇宙中的正反物质对称,数量一样多,正反物质顷刻灰飞湮灭,哪还有现在的世界和人类的存在!信息的产生机理是对称破缺。语言的产生是对称破缺。一切自组织现象都是对称破缺。还有人说生命的起源,物种的进化,都是对称破缺。社会规则的制定,上层建筑的出现与突变,思维活动,各种创新,都是对称破缺。郭沫若研究古代社会怎样产生,及语言怎样产生,就是讲的相变和对称破缺,只是他没用这种科学术语。
现在,智能劳动与体能劳动高度不对称,今后会更不对称。此外,非对称信息经济学的研究已获两次诺贝尔奨。我猜想,物质变精神和精神变物质是对称破缺,矛盾的转化和量变到质变以及否定之否定是对称破缺,一切创新与创造的机理是对称破缺,意识的产生机理是大脑内的对称破缺,意识是大脑的“序参量”。社会意识的产生机理也是对称破缺。一切上层建筑的产生,都是对称破缺。
不仅如此,现代世界是非对称世界,经济、科技、文化、军事、人才、价值观,都是非对称。中华民族是有非对称智慧的民族。我们应该充分发挥非对称优势。人的发展,既要引导全面发展,又要鼓励非对称发展。一个青蛙跳三尺高,十个青蛙跳多高?这不是乘法。一百个���蛙还是跳三尺高。我们急需能跳五尺高,十尺高,甚至更高的青蛙。每个人都应该学习和应用非对称智慧,把握对称与不对称的度,迎接新挑战,创造新生活。
在中国传统文化中,也有类似对称破缺的思想。道家的“无中生有”,“道生一,一生二,二生三,三生万物”,相当于一系列的对称破缺。儒家的“易有太极,是生两仪,两仪生四象,四象生八卦”,也相当于一系列对称破缺。佛家的“顿悟”是对称破缺,宇宙的“生、住、坏、空”,是大尺度的对称破缺。中国历来的艺术家,知道对称是美,非对称也是美。中国历来的军事家,都是有非对称智慧的高手。中国今后的发展,需要继承和发挥非对称智慧。
庄子说“大道不称”,原意可能是说“大道”没有“名称”,或者说,用语言文字表达出来的道,与道的本来面目是不对称。但语言是活的,是发展变化的。恕我把庄子的“大道不称”解读为“大道”“不对称”,以强调对称破缺的作用。
正如李政道所说,“对称和不对称是从宏观世界到微观世界普遍存在的现象”, “在自然界,艺术,和科学中占有重要地位”。李政道先生在2002年到中南海讲学,还特别强调,发生对称破缺的原因,是21世界的两大科学难题之一(另一难题是夸克禁闭的原因)。他说“人们假定不对称(即对称破缺)的根源都在物理真空中”。李政道先生的这些思想,启示我把道与真空和对称破缺联系在一起。
同时,杨振宁关于物理学与美学、关于对称性原理、关于对称性与守恒定律的关系以及关于在真空中恢复全部守恒定律等一系列的深刻思想,也促成了我把对称破缺提高到宇宙观与道的高度。
我注意到,有许多顶尖科学家,高度评价对称与不对称的重要性。例如,大家知道的法国科学家巴斯德。像牛顿创立经典力学一样,巴斯德开辟了微生物学。这位巴斯德说,“生命向我们展示的是宇宙的不对称功能。宇宙是不对称的。生命受不对称作用的支配。”以下是多位诺贝尔奨获得者口吐真言。“非对称创造了现象(皮.居里)。”“凝聚态物质是对称破缺的产物(安德逊)。”“对于混沌而言,导致时间的对称性破缺(普里高津)。”“我们将不得不放弃德谟克里特的哲学和基本粒子概念,而应当接受对称性的概念(海森堡)。”“20世纪物理学,关键是对称性作为指导性原则的问题(威特曼)。”“虽然大统一理论仍然遥遥无期,但是已经知道在描述宇宙的语言中,对称性占据中心地位(莱德曼) 。”“对称性是理解世界的方式。对称性是美的一部分(霍夫曼)。”“在本世纪行将结束之际,我们已经有了一个对宇宙的崭新看法。在这个新宇宙观中,物质已经失去原来的中心地位,取而代之的是自然的对称性(温伯格) 。”
一些中国学者也钟情于对称破缺。周光召院士(前中国科学院院长)说,“对称与对称破缺是世界统一性与多样性的根源。”郝���林院士说,“现在人们观察所及的宇宙,是从大爆炸以来发生的一系列对称破缺的产物。从正物质和反物质的对称破缺,到轻重原子的产生,弱相互作用的宇称不守恒,直至生物大分子中左右手对称破缺,每一个层次上都有对称破缺和新性质的出现……社会生活中,小到交通规则,大到政府组织,都是对称破缺的表现。”黄涛院士说,“对称破缺才是自然界中的基本规律。”
我本人则是不揣冒昧,发挥了庄子的“精神生于道”,发表了《意识和思维动力学》(见《21世纪100个科学难题》一书),提出了大脑是复杂开放有意识的自组织系统,意识的产生机理是大脑内的对称破缺,思维过程也是一系列对称破缺,社会意识和一切上层建筑的产生也是对称破缺。这样发挥庄子的“精神生于道”,正契合了马克思和恩格斯的说法,主观世界与客观世界服从相同的规律(恩格斯),只是表现形式不同(马克思)。
实际上,我在很早之前,就开始追寻李政道关于宇宙观和道的思想轨迹。我注意到,1957年李政道在诺贝尔奨授奨仪式上的讲话,最。他在最后一段说道:“科学的进步总是我们的宇宙观和我们对自然界的观测之间相互密切影响的结果。前者只能从后者中推演出来,而后者也被前者极大地制约着。”这句话后来启发我把宇宙观与自然科学联系起来。到了1974年,李政道应邀到中南海,与毛泽东谈守恒与不守恒,及对称与不对称。不对称又叫对称破缺(相变也是对称破缺)。毛泽东意识到“世界可能是又守恒又不守恒”,即又对称又不对称。这就把对称性与宇宙观联系起来了。接着,李政道又在其著作《对称,不对称与粒子物理学》(约1992年)与《对称与不对称》(2000年)中,论述了对称与不对称在科学与人文中的普遍应用,几把对称破缺堤高到了“道”的高度。他甚至在《对称与不对称》一书的正文的最后,用钢笔书法写下了“道可道,非常道”,他并解释说,“被表达的原则不可能是绝对的原则,被命名的名字不可能是永恒的名字”。在清华大学一次校庆的美术展览上,李政道题写了“物之道”三个大字。2001年,李政道在其创意的雕塑上,书写了“道生物,物生道,道为物之行,物为道之成,天地之艺物之道。”2006年,李政道向苏州大学赠送了他的书法作品,书写了“道生物,物生道,道为物之行,物为道之成,天地之艺物之道。”李政道解释说,“天地之艺物之道,就是宇宙之道,宇宙的艺术,所以人文与自然有着很宻切的关系。”到了2008年,李政道在北京的人民大会堂做了题为“以天之语,解物之道”的报告。显然,在很长时期,李政道的思想是聚焦一个“道”字上。我在李政道先生感召之下,提出了“道即真空和对称破缺”,“意识的产生机理是大脑内的对称破缺”,并坚持20余年,撰写以“道”为核心的多卷本《新概念道德经》,实为今生之幸事。这就是我把李政道先生视为自己的精神导师的原因。
实际上,我对“道”的兴趣还可追溯到上大学时。我在1958年考入中国科学技术大学,进校不久就有半导体所的刘东元老师、成众志老师和物理所的李荫远老师把我领入量子电子学与激光的大门。我很快就意识到,激光器像是活的有生命的系统,激光器中的一个个原子就像大脑中的一个个神经元,或者社会中的一个个人。这是我尔后提出“脑社会与社会脑”的思想渊源。
我注意到,自发辐射是无组织无纪律的光子的乌合之众,激光是有组织有纪律的光子大军。激光的产生机理,实际上可看成从无序到有序的相变。后来看到德国学者哈肯的“协同学”,一拍即合,相见恨晚。“协同学”实际上是讲类似激光的那种相变或对称破缺的普遍性。
不久,哈肯在大众汽车公司的资助下,出版了几十卷协同学丛书。于是我产生了一个野心,要在中国科大写出自己的几卷书,以“道”作为整套书的指导思想。但在中国科大不易心静,便想告别难以割舍的中国科大。当时校党委书记余翔林同志挽留我,我向他出示了我草拟的野心勃勃的二十三卷书的各卷书名及提要,想与哈肯同步。余翔林同志无语。于是我联系北京,在1996年落脚北京海淀花园村,进入首都师范大学,上班时挂激光羊头,下班时卖“新道”狗肉。
我把激光原理与道联系起来,是1986年前后在罗马大学的时候。其中有一年多时间,我与李淼相处甚欢。李淼是何许人也?超弦理论专家兼诗人,中科院理论所研究员,后至中山大学任天文与空间研究院院长,现为南方科技大学教授。他的数学很棒,以至于中国科大数学系李翊神教授在国际理论物理中心与我们神聊时曾说,李淼的数学比数学系很多老师的数学水平还高。后来,我与李淼同在罗马大学,住在同一个房东家,在罗马大学同一个食堂吃午饭。几乎每天午饭后,我们二人平行地躺在罗马大学校园的草坪上,海阔天空聊天。有一次,他突然提出“道可道,非常道,到底什么是道?”正是这个思想火花,燃起了我对道的激情。当时我想,“道在天文”,“道在地理”,“道在社会”,“道在人心”,“道在激光”。从此,“道”便成了我心中不灭的火焰。
实际上开始思考“什么是道”,那是1986年的事。此后,我心中总是认为道就是哈肯的协同学。直到1998年的一个雨天,我坐在花园村家中的沙发上翻看老子的《道德经》,一边在脑中想到底什么是道,一边无意中想起李政道的著作中讲量子真空,讲对称破缺,讲量子真空与对称破缺的关系。突然之间,似雨天闪光一现,我大脑中的量子真空涨落导致我大脑中的对称破缺:在对道的思索之中,产生了从无序向有序的相变,概括出了“道即真空和对称破缺”,真空是宇宙的本原,物质是真空的激发,真空可导致对称破缺。对称破缺创造世界,对称破缺是宇宙的规律,对称破缺是世界统一性与多样性的根源。这样,我仿照老子道德经第一章,写下了:
道可道,非常道。
空非空,非常空。
空即道,道即空,
非空之空为真空。
无,均匀对称的真空态。
有,自发的对称破缺。
均匀对称的真空态是宇宙之始。
自发的对称破缺是万物之母。
无极是真空态的别名,
太极是对称破缺的临界点。
万物生于有,
有生于无,
无与有同出于真空。
真空妙有,对称破缺,
科学之道,众妙之门。
偈曰:
宇宙与大脑,物质与生命,
众妙何所在,把酒问真空。
又曰:
科学人文两相欢,
对称破缺待笑看。
等闲识得真空面,
众妙之门换新颜。
以上关于道的观念,几经推敲,于2001年收入我撰写的《新概念道德经》书稿的第一个版本。
接着,我又把自然、社会和思维的本质和规律,归结为道的两个基本原理和道的四个法则。道的第一原理是“世界统一于真空的原理”,道的第二原理是“对称破缺原理”。道的四个法则是合作竞争法则、有规则的自由法则、“序令”法则、广义全息法则。
根据道的第一原理,即世界统一于真空的原理,我提出了三个“真空猜想”。第一个猜想是,“大脑真空与宇宙真空的同一性猜想”。第二个猜想是,“宇宙万物复归于真空的猜想”。第三个猜想是“真空守恒”猜想。这三个猜想,也是中国古代的道家、儒家与佛家的基本思想。
道家讲天道、地道、人道和心道,是统一之道。儒家讲无极而太极,易有太极,是生两仪。而且佛家讲万物“自性真空”,人的“真心本空”。这就是大脑真空与宇宙真空同一的意思。
道家的《道德经》,它讲“道生一,一生二,二生三,三生万物”, “大曰逝,逝曰远,远曰返”,又“复旧于无极”, “复归于朴”,“复归于婴儿”。这是宇宙与万物复归于空的意思。但道家的万物复归,有多样性,不一定复归到相同的态。佛家《楞严经》讲物质可分过程,从“微尘”,到“邻虚尘”,再“析彼极微”,“更析邻虚,即实空性”。这是说,物质越分越小,一直可分到真空。“若此邻虚,析成虚空,当知虚空,出生色相。”这是说,物质越分越小,一直分成真空,而真空又会演化出物质。佛家还说,世界或宇宙有“成、住、坏、空”等四个阶段,即宇宙的形成、存在、破坏,再复归于真空,周而复始。一个循环的时间为一大“劫”。道家与佛家的猜想,似乎得到现代宇宙学家的响应。约翰.巴罗在《宇宙的起源》一书中说,“妙不可言的是,守恒定律似乎并未为宇宙从无创生或者复归于无,造成什么障碍。“宇宙”复归于无”,便是“宇宙万物复归于真空”。
还可从传统文化中,提炼出真空中各种物理量守恒的猜想。《心经》讲,“诸法空相,不生不灭,不垢不净,不增不减。”“诸法”即各种物质和现象,“不生不灭,不增不减”就是守恒。
至于古人为什么能做出一些有趣的猜想,不必做过度解读,仁者见仁,智者见智。
根据道的第二原理,即对称破缺原理,我做出了二个“对称破缺论断”。第一个论断是,一切创造与创新的机理是对称破缺。根据这个论断,我提出了用创造论的认识论来代替反映论的认识论。第二个论断是,大脑是复杂开放有意识的自组织系统,意识的产生机理是大脑内的对称破缺,并给出了意识的序参量公式,即相变的定量公式。接着,我便提练出了意识科学的三个原理,即意识产生的对称破缺原理,意识改变存在的原理,以及大脑的激发模式(pattern)与意识的同一性原理。
关于道的四个法则,其中的合作竞争法则既适于自然、社会和思维,又适于国际交往。要在合作中竞争,在竞争中合作。古代文化中的“八德”,就包括“有竞有合”。
“有规的自由”法则,是京剧大师梅兰芳的真言。他说,“京剧表演是有规则的自由”。这也是自然、社会和人生的法则。市场经济也是有规则的自由经济。科学与艺术的创造,也是有规则的自由创造。人的自由而全面的发展,也只能是有规则的自由而全面的发展。
“以序为令的法则”,相当于推广到自然、社会和思维的 “民主集中制”。协同学的创始人、激光专家哈肯最先提出了这一法则,中文翻译成“序参量原理”。序参量是order parameter,而order 的含义既是有序,又是命令。因此我建议用序令法则,即以序为令。例如,一个班级,自由讨论,民主集中,形成的共识或决议、协议,就是序令,它是有序,众人服从,又似命令。铁磁体的磁化强度,激光器的光场,人类的语言,社会的法规,组织的路线,国家的意志,国际协议及国际法等,都是序令,都应尊重和服从。信仰也是序令。
广义全息法则,其广义全息包括全息与分形,全息的大意是局部包含整体的信息,分形是局部与整体的形状一样(李政道说分形是标度不变性)。已知全息与分形在自然科学及生物医学中普遍存在。近年来,“宇宙全息原理”已成为许多天体物理与宇宙学家的共识。
我们希望道的四个法则,比黑格尔的辩证法更有时代气息、科学内涵与人情味。
关于道的探索,还涉及“无极而太极” 。
李政道先生创意的“物之道”雕塑,实际上是一个太极图。
太极的英文是Ta Chi ,可缩写为Tc,而Tc 在物理学中代表超导体的临界点,或者铁磁体的磁化的临界点。因此,我们干脆把太极(Ta Chi)定义为临界点。
当然,这样从字意上Ta Chi定义为临界点,不能使人心服口服。实际上,我是在综合了世界统一于真空的原理与对称破缺原理的基础上,给太极下了一个科学的定义:太极是相变的临界点(相变也是对称破缺)。物物一太极,人人一太极。物物一太极,如超导体的临界温度,磁铁的磁化的临界温度,激光器的激发阈值等。人人一太极,如“自悟自性,顿悟成佛”。而大脑的太极,是大脑从无意识转化为有意识的临界点,是涨落活跃、灵感跳跃、创新欲出、美不胜收的状态。认识论中的太极,是物质变精神或精神变物质的临界点(即认识中的飞跃的临界点)。
太极Tc 即临界点
在铁磁体磁化的临界点Tc,是从“无” 到“有”的转化的临界状态,你说它是“有”,不可。你说它是“无”,也不可。它是“有”“无”之间,半隐半显。这也像阴阳鱼太极图,阴阳将分而未分的临界态。这正像明清时代的方以智和王夫之所说,“有极与无极相待。轮浸而贯其中。谓之落有,不可也。谓之落无,不可也(方以智)”。“太极……见者半,隐者半,阴阳寓于其位(王夫之)”。
自从老子提出“无极”,儒家提出”易有太极,是生两仪”,庄子也提出“太极”,到魏晋的向秀和郭象提出“道在太极之先”,到出现太极图,到宋代周敦颐提出“无极而太极”,最后总算被明清的方以智和王夫之把“太极”的含义讲透彻。现在我们把“太极”定义为相变的临界点,总算是与现代科学挂上了钩。
现代科学中的各种相变或对称破缺的临界点,都可称为太极。宇宙之中,太极是真空将激发、未激发、正要激发的状态。太极是四种力依次将分、未分、正要分的状态。太极是万物将生、未生、正要生的状态。太极是生命将诞生、未诞生、正要诞生的状态。
人生之中,太极是东方欲晓而将晓、未晓、正要破晓的状态。太极是心想事成而将成、未成、正要成的状态。太极是美梦成真而将成、未成、正要成的状态。太极是堕入爱河而将堕、未堕、正要堕的状态。太极是创新的灵感似鱼咬钩而将咬、未咬、正要咬的状态。太极是重大突破的将破、未破、正要突破的状态。太极是转危为安的将转、未转、正要转的状态。太极是天人合一的将合、未合、正要合的状态。太极是心如莲花而将开、未开、正要开的状态。
《易经》谈何易,
无极而太极。
太临界点,
谁解其中意?
庄子说,“昭昭生于冥冥,有伦生于无形,精神生于道,形本生于精,万物以形相生。”这可能是最早提出精神生于道。
鬼谷子说,“道者,天地之始,物之所造,天地所生……道者,神明之源。”
长沙的汉代马王堆出土的《黄帝四经》(佚书),有“道者,神明之原也”,“神明者,见稽之知也”。
中医学的《黄帝内经》也有类似说法。
我在很长时期里,有志于探索“精神生于道”,把“自组织”及“道即真空和对称破缺”的思想渗透到脑与意识科学。在20世纪80年代,我提出了“激光与大脑的类比”及“大脑功能的自组织”。90年代,我提出了“大脑混沌控制论”、““阴阳五行方程”和“意识与思维动力学”。21世纪初,我总结出了脑与
意识科学的三原理与意识控制论。
早在20世纪80年代,我发表了文章阐述了“大脑功能的自组织”,“激光与大脑的类比”,“大脑压缩态”,并收入我撰写的《高等激光物理学》。
大脑功能的自组织,是说大脑内的神经元,从无序激发到有序激发,是自组织过程。大脑内的神经元,好像经过自己讨论,民主集中,形成决议,并无外界命令的干预,这是自发地自己组织起来。大脑内神经元这样形成的“决议”就是意识。自组织的本质是相变,相变的本质是对称破缺。因此,这是在国际上最早提出意识的产生机理是大脑的对称破缺。
关于激光与大脑的类比,认为激光器与大脑都是远离平衡态的自组织系统,大脑应该有与激光器相似的真空态、相干态、双稳态、混沌态、压缩态等。大脑真空态是大脑未激发的状态,意识是大脑真空态的激发,从无意识到有意识是相变或对称破缺。相干态代表有序性。大脑压缩态是纯量子效应,感觉系统因而能把噪声压缩到量子涨落以下,突破量子极限,已有动物实验迹象。后来我们又讨论了大脑纠缠态,猜想大脑或像量子计算机,但目前的量子信息实验表明,若想产生大脑似的大块物质的纠缠态并保持若干年,目几乎毫无可能。即使有可能,也与灵魂无关。有迹像表明,有的鳥可能用量子信息来定向!
关于我们提出的大脑双稳态,不久前被国外实验所证实。实验表明,人的麻醉,从麻醉到苏醒过程,呈现漂亮的双稳态曲线,类似磁滞回线的S形。这意味着,被麻醉者的血液中的同一个麻醉剂浓度,他会有二个稳定态,他可能是清醒态也可能在麻醉态。顺便说一下,病人从生病到康复,也说不定会有双稳。若果真如此,一个新冠肺炎患者,其核酸检测为某个值,他就既可能痊愈,也完全可能仍在病态。这可能是新冠肺炎患者“复阳”的原因之一。其他疾病,亦复如是。
关于大脑混沌态,早已被实验证实。我们进而认为,阴阳五行的五行是普适的。自然、社会和思维中,基本的混沌现象应有5个自由度。我们发表了阴阳五行方程和这一猜想(Physica Scripta,1987)。其中大脑混沌有5个自由度的猜想,后来被哈肯引用的实验证实。此外,普里高津(诺贝尓奨获得者)研究几千年来地球气候变化的混沌,也是大约是5个自由度。还有人发表文章,显示宇宙空间的射电辐射的混沌,也大约是5个自由度。似乎天、地、人的基本混沌现象,都是有5个自由度。这太不可思议了!我本来是用胡适式的“大胆假设”,引来洋人的“小心求证”。难道阴阳五行的“5”真有如此神秘的特异功能?立此存照,有待进一步探索。
不仅如此,我们还在1986年前后发文,提出了混沌控制论与混沌制导导弹的建议。由于混沌轨道不可预言,因此混沌制导的导弹,在理论上是“不可拦截”的。目前的变轨导弹,可看成是走向混沌制导导弹的第一步。
关于20世纪90年代“大脑混沌控制论”的研究,我们在国外发表了三篇系列文章。我们首先从理论上研究了单个神经元的混沌控制。接着,我们又从理说上证明了,二个没有信息关联的神经元,在噪声及周期脉冲作用下,可自发地实现远距离的混沌同步。进而提出了猜想,二个人脑也可能自发地实现远距离的混沌同步。这正像二个人,一个在北京,一个在上海,二人没有信息沟通,却自发而同步地同唱一首歌。有点巧合的是,系统哲学家拉兹洛的著作《微漪之塘》中,提供了在二个屏蔽室的二人大脑混沌同步的实验曲线,但未给出其出处。后来,我们又从理论上研究了“时空混沌”的同步。混沌同步也属于混沌控制。
在90年代,我为《21世纪100个科学难题》撰写了二个难题,一个是“统一医学”,另一个是“意识和思维动力学”。在“统一医学”一文中,我总结了中西医学共同的三个原理,即”医学生态原理”, “医学自组织原理”和“意识反射原理”(近于心医),后由《中国科学报》转载。其中的自组织也是对称破缺。钱学森认为,“统一医学”是这100个科学难题中,由中国人独立提出的二个难题之一(另一难题是曾庆存院士提的“自然控制论”)。钱学森甚至把“统一医学”纳入了他发表的科学技术体系。
在“意识和思维动力学”中,我又明确提出了“意识是大脑真空态的激发”。大脑是复杂开放有意识的自组织系统,意识的产生机理是大脑内的对称破缺,意识是大脑的序令参量(order parameter )。美是意识相对论效应,美使人感到时间过得快,距离变近。我还提出了“脑社会与社会脑”的概念,即大脑像一个社会,社会像一个大脑。这与列宁说的大脑是宇宙中的“参议院”相似。
1998年,在上文中,我还大胆提出了“大脑生物结构中可能有分形结构”,“大脑中可能有拓扑结构”。十几年后,美国一个科学家发现了大脑中有分形结构,媒体渲染“请看脑科学革命是怎样发生的”。还有人发现大脑中有拓扑结构,数学家用拓扑学研究大脑,媒体又渲染“拓扑学带来脑科学革命”。我们以谨慎乐观的态度,注视未来发展。
我还在上文中指出,要想测量“大脑压缩态”这种纯量子效应,需要超级精密测量技术。在上世纪90年代,我就建议用测量引力波的技术来测量耳膜的量子振动。
关于21世纪初的意识科学的进一步研究,我于2013年左右,总结出了脑与意识科学的三原理,以及意识的相变理论。脑与意识科学的第一原理,是意识产生于大脑内对称破缺的原理。脑与意识科学的第二原理,是意识改变存在的原理。脑与意识科学的第三原理,是大脑激发模式与意识的同一性原理。
根据脑与意识科学的第一原理,我提出了系统的意识相变理论,指出意识的产生是二级相变,并给出了意识二级相变公式
Y = k (X - Xc )1/2
其中 Y 是意识序参量,Xc是对大脑或视觉刺激的临界点,X 是对大脑或视觉的刺激强度,β = 1/2 叫临界指数。建议用大数据来找出Y 的具体形式(或物理量)。这样便可知道究竟哪个量才真正代表意识。国外在21世纪初也有意识相变的想法,特别是德国学者用实验研究了意识二级相变(包括所谓临界变慢)。
此外,意识还有一级相变,如同前述的大脑双稳态。
我还界定了潜意识。潜意识是接近意识二级相变临界点附近时出现的“团簇”(cluster),或称为“花斑”。它是局部有序而整体无序。这正如同全中国讨论一个农业政策问题,各乡镇小组各有方案(局部有序),但全国还没决策(整体无序)。那一个个乡镇小组的意见,便相当于潜意识。然而,可能某个乡镇小组(如安徽省)先按自己的方案行动了,恰巧又与后来全国决策(整体有序)一致。那末,先行动的那个局部有序方案,相当于“直觉”或起指导作用的潜意识。“直觉”及“灵感”就是产生于接近意识相变的临界点。
我们还根据脑与意识的第二原理即“意识改变存在的原理”,提出了“意识控制论”。当然,在中医学特别是“心医”,还有心理学中,有些间接的证据,支持“意识改变存在”。我们自己做了这样的实验,用脑功能核磁功能成像,研究“心想大火,久之觉热,心想大水,久之觉寒。”实验证明,想象手发热(冷)与实际把手伸进热(冷)水时,脑成像几乎一样。这是用实验直接证明了意识改变存在。国外几乎在同时证明,想象疼痛与实际刺激疼痛的脑成像一致,文章标题就是“想象疼疼痛亦疼痛”。因此,朋友们要多想美事、好事、健康事,少想丑事、坏事、疑心病。
现在,借助脑-机接口技术,已可用意识控制假肢,用意识控制直升机模型,用意识控制他人的手动,用意识控制老鼠尾巴运动等。下一步可能实现脑-脑接口技术。
基于脑与意识科学的第三原理,即大脑激发模式与意识的同一些原理,我们提倡发展真正的“读心术”,即根据大脑激发模式(pattern)来解读出意识内容。这需要发展多种的脑成像技术,提高空间分辨率与时间分辨率,并开发适当的软件。现在技术上已实现了“一思想成像”,让你看一个鹦鹉或大象,别人仅从你大脑激发模式就可把你看的对象(鹦鹉或大象)呈现在计算机屏幕上。还实现了一定程度的“技术解梦”。仅从你的大脑激发模式,就可知你的梦境。此外,还可在你大脑中制造虚假记忆。至于用意念打字,早已是“小菜一碟”。过去的许多梦想或特异功能,已经和正在变成活生生的现实。
显然,意识科学技术势不可挡。脑信息产业革命是不可避免的。思想将成为直接生产力。机器人将有社会意识。数字意识将成为社会存在。以新人类、社会化的机器人和数字意识三者为主体的“超社会”,可能变为现实。
后来,我更杜撰了一个“真空与对称破缺寓言”,把李政道和杨振宁先生写进了这个寓言:
“张果老购一宠驴。骑驴归,驴饿甚。见路之左右,各有仙草一株。大喜曰:天无绝驴之路矣!张果老审视仙草,沉思片刻,先惊后怕,仰天长叹:左右二株仙草,色香味形俱同,如此对称,宠驴先吃哪株仙草,不可定夺,必饿死无疑。张果老怅然,弃驴而归。
行十步,闻驴叫,惊回首,驴已将二株仙草俱享之。张果老斥驴曰:汝不理性思之,不择左右,奈何胡涂食之?究竟宠驴先吃左边仙草,抑或右边仙草,如何定夺,遂成一大科学难题!
张果老复乘驴归,访李杨府。二孪生童子,肃立门之左右。张果老惶然,又犯神经:左右二童,同年同性同貌,吾当先问左童乎,右童乎?索性闭目高喊:大师安在否?二童异口同声:吾师采药去,只在此山中,云深不知处。
张果老欲归,二童子开门做揖:使君难题之谜在此!张果老见门洞开,空空如也,怒曰:顽童戏我,空空如也,岂是题解?二童笑曰:杨李大师上山之前,料定有人来问真空对称破缺之谜,留此真言:真空无相,对称破缺,众妙之门,方是真解。张果老闻言,悟解心开,遂得道成仙。
自此,张果老隐居真空仙洞,讲授无为之道,叹曰:人言天下无大师,不知李杨为大师,或知李杨为大师,不知李杨何以为大师,或知李杨何以为大师,不知李杨何以为神仙之大师。
偈曰:“左右不同,宇称非恒。对称破缺,当在悟空。葫芦空空,宝瓶空空,宇宙空空,诸法空空,驴脑空空,人脑空空。真空涨落,乃大聪明。”
自从1998年我想到道即真空和对称破缺,开始撰写《新道德经》,于2001年写出第一稿,并曾经发在网上。随后,我便以关于道的基本思想为纲,开始撰写以“道”为核心的多卷本著作。其间于2007年,在中国发展战略学会一次大会闭幕会上,提出了“人类命运共同体”,并增补到《新道德经》书稿。又于2013年提出了“意识科学三原理”。经过前后20余年努力,写出了几卷《从科学到人文》书稿,以道为核心,计有《新概念道德经》,《大脑复杂性》,《意识控制论》,《统一医学》,《心学简史》,《社会相变论》,《宇宙观的创新》,《人类命运共同体之歌》,《超社会》,《道与交叉科学文集》等。其中,《新概念道德经》有80篇短文。
我对道的思考,受李政道杨振宁思想的启发,植根于老子的《道德经》,萌发于激光与协同学,营养于现代科学,滋润于传统文化,“光合”于社会生态,吐蕊于改革时代。这是一个学习的过程,一个思索的过程,也是一个自得其乐的过程。在这个过程中,我也努力体验大脑真空态,捕捉那流星似的心灵之光,尝试大脑中的对称破缺。我相信,最大的成果便是“无”,最深的体会便是“空”。一无所得,方是真得。
我们设想的新的科学宇宙观,就是一个道字,只是试图给道以现代科学的内涵。
在我对道的思考中,我想到,道是一种宇宙观。后来,我看到恩格斯的说法,随着自然科学的每一次突破,唯物主义都要改变自已的形式。他还说,主观世界与客观世界服从相同的规律。恩格斯的这些话,使我激动不已。可以说是恩格斯给了我胆量并引起我的冲动:为什么教科书中的唯物主义不能改变形式呢?我又联想到李政道先生在诺贝尔授奨仪式上讲的“科学的进步总是我们的宇宙观和我们对自然界的观测之间相互密切影响的结果。前者只能从后者中推演出来,而后者也被前者极大地制约着。”我咀嚼这段话的每个字,原来李政道先生是说“宇宙观”“只能从”“对自然的观测中”“推演出来”,而“对自然的观测”“也被”“宇宙观”“极大地制约着”。这启发了我要”从对自然的观测中”“推演出来”“宇宙观”。而对自然的最深刻的观测,可说是对真空效应和对称性的观测。由于头脑中有了这样的思想准备,后来的事便是偶然中的必然。
有一天,我去玉泉路为中国科学院研究生院讲授激光物理学,就在我从北京花园村去玉泉路的汽车里,我想到了几个字。到了玉泉路,一进教室,我一句话没说,就在黑板上写下七个特大号的字:“对称主义宇宙观”。然后我说:“今天讲激光器的自组织,自组织的本质是相变,相变的本质是对称破缺,对称与不对称本质上是一种新的宇宙观。”我还建议他们每个人都读一读李政道的著作《对称与不对称》。我想,在其他任何地方的大学,在讲任何理科专业课时,恐怕都不敢在教室的黑板上写上几个大字“对称主义宇宙观”。
这事只能发生在中国科学技术大学的原校址吧!
我在中科院研究生院教室的黑板上写下“对称主义宇宙观”几个大字之后,余兴未了,几乎是一气呵成,写出上万字的文章《对称主义宇宙观》。说来也是巧合,那时正值全国哲学大会邀稿。我灵机一动,便把这篇长文寄去,随后我便在全国哲学大会的一个分会场做了题为《对称主义宇宙观》的报告。接着,我又在中国发展战略学会的科技创新专业委会员的会议上报告了“哲学科学的创新”(发表在中国科学院院刊),“重大哲学问题的反思”,“宇宙观要不要创新?”,从多方面阐述以道为核心的新的科学宇宙观。
我们阐述的新的科学宇宙观,核心是一个道字,即以道为核心的宇宙观。这个新的科学宇宙观的理论基础,主要是道的两个基本原理和四个法则。道的两个基本原理是世界统一于真空的原理和对称破缺原理。道的四个法则,是合作竞争法则,有规则的自由法则,“序令”法则,以及广义全息法则。古人讲“观天之道,执天之行”,很有道理。
新的科学宇宙观的主要思想是“道是本原,道是规律,道是价值,道是境界,道是真空和对称破缺。”“真空是完全对称的状态”。“真空是宇宙的本原,物质是真空的激发,世界统一于真空。真空很复杂,真空可导致对称破缺。对称破缺创造世界,对称破缺是世界的基本规律,对称破缺是世界统一性与多样性的根源。”“天道、地道、物道,人道、心道、文道,世道、政道、医道,头头是道,是统一之道,统一于真空和对称破缺。”社会的产生和历史变革是对称破缺。劳动创造是对称破缺。认识论中的物质变精神和精神变物质,也是对称破缺。意识的产生是对称破缺,语言的产生是对称破缺。创造性思维也是对称破缺。科技创新与艺术创造是对称破缺。人要全面发展又要非对称发展。人生要学习和把握非对称智慧。真空和对称破缺的品格即“生而不有,为而不恃,长而又宰,是为玄德。这种玄德是普适价值。”“大脑真空态与物理真空,是统一的真空。大脑真空态是最高的心灵境界。”这样,新的科学宇宙观与历史观,认识论,价值观,人生观,及心灵境界是高度统一的。
毋庸讳言,在我们论述的以道为核心的宇宙观中,有一些相当敏感的问题。例如提出了创新的本质是对称破缺,要用创造论的认识论来代替教科书上的反映论的认识论,用智能劳动价值论来代替教科书上的体能劳动价值论,用人类命运共同体来代替教科书上的崇高理想,用意识能够创造存在来代替教科书上的意识反作用,用世界统一于真空来代替世界统一于物质,用能量先于物质来代替物质第一性,用以道为核心的宇宙观来代替教科书上机械唯物论的宇宙观,以及提出哲学原理也要创新,脑信息产业革命,思想将成为直接生产力,意识改变存在,数字意识将成为一种社会存在,“超社会的三个阶层是人类,机器人,数字意识”,机器人也将有社会意识,一个新的“幽灵”,机器人的“幽灵”将在欧洲及世界的天空徘徊!如此等等,难免引来香花毒草之争。我相信中国宪法保障独立之精神,自由之思想。我认为中国文化的出路在于“融合科道佛儒马,解析空无有理心”。我秉持的理念是“标新不立异,离经不叛道,数典不忘祖,望洋不兴叹。”
十三、一万年之后还是“道可道,非常道”说,对称性这个名字,其含义也是要。
总之,道是不可穷尽的。一万年之后,还是“道可道,非常道”。
我对道的探索,植根于老子的《道德经》,萌发于激光与协同学,营养于现代自然科学,滋润于中国传统文化,“光合”于社会生态,吐蕊于改革时代。我努力与李政道的《物之道》发生心灵共振,也是五味杂陈。“一书廿年得,一吟泪交流”。我的探索,无缘学术荣誉,无缘科学奨项,却得一个“清净无为”(老子),“自心真空”(慧能),“此心光明”(王阳明)。
【作者简介】作者李福利是中国科技大学首届毕业生(5802),1963年毕业留校,历任教授、博士生导师、激光教研室主任、校学术委员会委员、校非线性科学中心发起人之一,并担任量子电子学杂誌付主编、中国激光及Chinese Physics Letters 编委、国家攀登计划“经络的研究”专家组成员以及清华大学物理系兼职教授,为清华研究生讲授激光物理长达20年。1996年调到首都师范大学,任首都师大物理系学术委员会主任、首都师大校学术委员会委员和首都师大学報(自然科学版)主编。主要研究方向是激光、非线性科及交叉学科。
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超富裕層が貧困層や中間層に自身の支配を政治的、経済的、文化的に支持または黙認させるために用いる手段には、社会的手段も重要な役割を果たします。社会的手段とは、権威主義、身分制、神聖性、憧れの対象化といった手法を通じて、富裕層の地位や富の偏在を「自然」「正当」「望ましい」と受け入れさせる仕組みです。これらは、社会の構造や価値観を操作し、被支配層の不満を逸らし、支配層への支持を維持する戦略です。以下に、これらの手段(権威主義、身分制、神聖性、憧れの対象化)を詳細に解説し、歴史的・現代的例、日本の文脈、構造的不満との関連を整理します。2025年6月時点のデータや分析を基に、体系的に説明します。
1. 権威主義
1.1 概要
権威主義は、富裕層や支配層が強力な権威や統制を通じて社会秩序を維持し、貧困層に格差や支配を「安定のための必要悪」と受け入れさせる手段です。国家、指導者、または制度が「絶対的権威」として振る舞い、経済的・社会的不平等への不満を抑圧または逸らす。
1.2 仕組みと効果
仕組み:富裕層は政府やエリートと結託し、権威ある指導者や制度を「社会の安定」「国家の繁栄」の象徴として提示。貧困層の不満は、権威への服従や「国家の敵」への攻撃でそらされる。
効果:貧困層が富裕層の富を批判するより、権威を支持し、格差を「秩序の一部」と受け入れる。抗議や反乱が抑圧され、支配層の地位が固定化。
1.3 歴史的例
ローマ帝国(紀元前27年~476年):
皇帝が「神聖な権威」として君臨。貧困層(プレブス)の経済的不満(例:失業、重税)は、「パンとサーカス」や蛮族への敵視で逸らされた。
例:ネロ皇帝は64年のローマ大火の責任をキリスト教徒に転嫁し、迫害を正当化。貧困層の不満を抑えた()。
中世ヨーロッパの封建制(5~15世紀):
教会と王権が「神の定めた秩序」を強調。農民の貧困(例:収穫の30~50%を領主に納税)は、教会の権威や十字軍で逸らされた。
例:第1次十字軍(1095年)で、農民が「聖地奪還」に動員され、領主への不満が抑圧()。
1.4 現代的例
ロシア(2000年~現在):
プーチン政権は、オリガルヒ(上位1%が富の40%超、2022年)と結託し、権威主義で支配。経済停滞や貧困(貧困率13%、2023年)の不満を、ウクライナや西側(NATO)への敵視で逸らす。
例:2022年のウクライナ侵攻で「ロシアの復権」を宣伝。民衆の経済的不満がナショナリズムで覆い隠された()。
中国(1989年~現在):
共産党は経済成長と「国家の安定」を権威の基盤に。上位1%が富の30%を占有(2023年)。貧困層の不満は、反日や反米感情、少数民族(ウイグル)への敵視でそらされる。
例:2012年の反日デモで、日本企業への攻撃が扇動され、格差問題が背景に押しやられた()。
日本:
権威主義は薄いが、経団連や自民党が「経済大国」の権威を背景に、富裕層優遇(例:金融所得課税20%)を正当化。外国人労働者への敵視(例:2023年入管法改正での「犯罪」誇張)が、非正規雇用(40%)の不満を逸らす()。
例:「日本の伝統」や「経済成長」を強調し、若者の貧困(貧困率15%)への不満を抑える。
1.5 構造的不満との関連
経済格差:上位1%が世界の富の37.8~45.5%を占有(2022年)。貧困層の生活苦(例:日本の非正規賃金は正規の60%)が、権威主義的な「安定」への服従で抑圧。
抑圧の効果:権威への挑戦(例:労働運動)が「秩序破壊」とされ、富裕層への批判が弱まる。
2. 身分制
2.1 概要
身分制は、社会を階級や地位に分断し、富裕層を「特権階級」として固定化する仕組み。貧困層は、身分の違いを「自然」または「不可避」と受け入れ、富裕層の支配を支持するよう誘導される。
2.2 仕組みと効果
仕組み:教育、職業、相続を通じて、富裕層の子弟に特権を継承。貧困層は下位身分に固定され、階級上昇の機会が制限される。「身分による成功」が正当化され、貧困層が抵抗を諦める。
効果:貧困層が「自分は下位身分」と内面化し、富裕層の地位を「当然」とみなす。階級間の分断が、団結や格差是正の動きを阻む。
2.3 歴史的例
中世ヨーロッパの封建制(5~15世紀):
貴族と農民の身分が固定化。土地所有者(上位1%)が富の80%を占有。農民は重税(収穫の30~50%)を払い、貴族の特権を「神の秩序」と受け入れた()。
例:フランスの三部会(1789年まで)で、貴族と聖職者が特権を維持。農民の不満は宗教や外部の敵(例:イングランド)で逸らされた。
江戸時代の日本(1603~1868年):
士農工商の身分制で、武士(上位5%)が富と権力を独占。農民(80%)は年貢(米の40~60%)を納め、武士の支配を「秩序」と受け入れた。
例:幕府は「異国禁制」を掲げ、外国を敵視。農民の不満を外部にそらし、身分制を維持()。
2.4 現代的例
米国:
エリート大学(例:ハーバード)の学生の70%が上位20%家庭出身(2023年)。教育やネットワークが富裕層の子弟に特権を継承。貧困層は「努力不足」とされ、階級固定化が進む()。
例:ウォール街やシリコンバレーのエリート職は、富裕層の子弟が独占。貧困層はギグエコノミー(労働者の15%)に追いやられる。
インド:
カースト制度の影響が残り、富裕層(上位1%が富の22%)が経済的・社会的特権を維持。貧困層(人口の30%)は低賃金労働に固定化()。
例:ヒンドゥー至上主義がカーストを正当化。モディ政権は宗教的ナショナリズムで貧困層の不満を逸らす()。
日本:
受験競争と私立大学(例:早慶)の高学費(年100万円超)が、富裕層の子弟に特権を継承。非正規雇用(40%)が貧困層を下位身分に固定。
例:相続税の抜け穴(生前贈与)が、富裕層の富(上位1%が20%)を世襲。貧困層は「努力で上昇可能」と信じ、抵抗が弱まる()。
2.5 構造的不満との関連
機会不平等:教育や雇用の不平等(例:日本の塾費用100万円超)が、貧困層の階級上昇を阻む。富裕層の特権が「身分」として正当化。
分断の効果:貧困層が「下位身分」を受け入れ、富裕層への批判より自己向上を優先。
3. 神聖性
3.1 概要
神聖性は、富裕層やその富を「神の祝福」「道徳的成功」「社会の必要性」と結びつけ、貧困層に支持または黙認させる手法。宗教、倫理、伝統を活用し、格差を「神聖な秩序」とみなさせる。
3.2 仕組みと効果
仕組み:宗教や道徳的価値観を通じて、富裕層の富を「神の恩寵」「努力の結果」と正当化。貧困層は、格差を批判するより、富裕層を「社会の指導者」とみなすよう誘導。
効果:貧困層が富裕層の富を道徳的に受け入れ、抵抗や再分配の要求を弱める。宗教的・倫理的価値観が、格差を「自然」とする。
3.3 歴史的例
中世ヨーロッパ(5~15世紀):
カトリック教会は、貴族の富を「神の定めた秩序」と宣伝。農民の貧困(年収の30~50%が税)は「神の試練」とされた。
例:教会は寄付や免罪符で富を蓄積。農民の不満を「来世の救済」で逸らした()。
インドのヒンドゥー社会(古代~近代):
カースト制度が、富裕層(バラモンやクシャトリヤ)の富を「カルマの結果」と正当化。貧困層(シュードラ)の不満は宗教で抑圧。
例:19世紀まで、カースト上位者が富の70%超を占有()。
3.4 現代的例
米国:
「繁栄の神学」(プロテスタント)が、富を「神の祝福」と結びつけ。貧困層のキリスト教徒(人口の30%)が、億万長者(例:イーロン・マスク)を支持()。
例:2023年、保守派教会が富裕層への減税を「経済的自由」と擁護。貧困層の不満を「道徳的失敗」に転嫁。
インド:
ヒンドゥー至上主義が、富裕層の成功を「カルマ」と結びつけ。モディ政権は宗教を利用し、貧困層(人口の30%)の不満をムスリムに逸らす()。
例:2019年の市民権改正法(CAA)で、ムスリムをスケープゴートに。格差問題が覆い隠された。
日本:
宗教的影響は薄いが、儒教的価値観(勤勉=成功)が、富裕層の富を「努力の結果」と正当化。非正規労働者(40%)の低賃金(正規の60%)が「自己責任」とされる。
例:「和の精神」や「日本的秩序」が、富裕層の金融資産(上位1%が20%)を「経済の牽引力」とみなす()。
3.5 構造的不満との関連
貧困の道徳化:貧困が「神の試練」「努力不足」とされ、富裕層の富が「正当」とみなされる。
抑圧の効果:貧困層が格差を批判せず、富裕層を「社会の指導者」と支持。
4. 憧れの対象化
4.1 概要
憧れの対象化は、富裕層のライフスタイルや成功を「理想」「目標」とし、貧困層にその価値観を追うよう誘導する手法。メディア、文化、広告を通じて、富裕層の富を「憧れの象徴」とする。
4.2 仕組みと効果
仕組み:映画、テレビ、SNS、広告が、富裕層の豪華な生活(例:高級車、私邸、投資成功)を美化。貧困層は、抵抗するより富裕層のシステムに参���(例:消費、投資)するよう促される。
効果:貧困層が富裕層の価値観に同調し、格差是正より「成功」を目指す。富裕層の経済システム(資本主義)が支持される。
4.3 歴史的例
フランス絶対君主制(17~18世紀):
ルイ14世のヴェルサイユ宮殿が、貴族の豪華な生活を民衆に憧れさせた。農民の貧困(税負担50%超)は、宮廷の「栄光」で覆い隠された。
例:宮廷文化(舞踏会、ファッション)が民衆に広まり、貴族の特権が「理想」とされた()。
ビクトリア朝イギリス(19世紀):
産業革命の富裕層(資本家)が、豪邸や消費文化で民衆の憧れを誘う。労働者の貧困(賃金の30%が家賃)は、「帝国の繁栄」で正当化。
例:ロンドンの展示会(1851年)が、富裕層の富を「進歩の象徴」と喧伝()。
4.4 現代的例
米国:
ハリウッド映画(例:『ウルフ・オブ・ウォールストリート』)やリアリティ番組(例:カーダシアン家)が、億万長者の生活を美化。貧困層(人口の15%)が「アメリカン・ドリーム」を追う。
例:2023年、SNSインフルエンサーが投資や高級消費を宣伝。貧困層のクレジット債務が1兆ドル超()。
日本:
テレビCMやドラマが、高級ブランドや投資(NISA)を「成功の象徴」と描く。非正規労働者(40%)が「自己責任での資産形成」を目指す。
例:2023年、NISAの広告が「億り人」を美化。富裕層の金融資産(上位1%が20%)への批判が弱まる()。
グローバル(SNS):
XやInstagramで、億万長者(例:イーロン・マスク)の生活や発言が拡散。「起業家精神」が憧れの対象に。
例:2024年、#BillionaireLifestyleがXで100万エンゲージメント。貧困層が富裕層のシステムに参加()。
4.5 構造的不満との関連
消費主義:貧困層が富裕層の生活に憧れ、消費や投資(例:日本のNISA)でシステムに参加。格差(ジニ係数0.33)への不満が弱まる。
分断の効果:貧困層が「成功」を個人で追うため、富裕層への集団的抵抗が減る。
5. 総合的システムと日本の文脈
5.1 社会的手段の統合的効果
権威主義:富裕層は「安定の指導者」として振る舞い、貧困層の不満を抑圧(例:日本の「経済大国」神話)。
身分制:教育や相続で特権を固定化。貧困層は「下位身分」を受け入れ、抵抗を諦める(例:日本の受験競争)。
神聖性:富を「努力」「秩序」と結びつけ、道徳的に正当化(例:日本の儒教的価値観)。
憧れの対象化:富裕層の生活を美化し、貧困層をシステムに組み込む(例:日本のNISAブーム)。
効果:貧困層が富裕層の支配を支持または黙認し、格差是正(例:資産税)を求めない。
5.2 日本の特化分析
権威主義:経団連や自民党が「経済成長」を権威に。外国人労働者への敵視(2023年入管法改正)が、非正規雇用(40%)の不満を逸らす。
身分制:受験競争(塾費用100万円超)や相続(上位1%が20%)が、富裕層の特権を固定。非正規労働者が下位身分に。
神聖性:儒教的「勤勉=成功」が、富裕層の富を正当化。貧困(若者貧困率15%)が「自己責任」とされる。
憧れの対象化:CMやドラマが投資や高級消費を美化。NISA参加者が1000万人超(2023年)、貧困層が富裕層のシステムに参加。
構造的不満:非正規雇用(40%)や低賃金(正規の60%)への不満が、外国人敵視や「自己責任」で逸らされる。
6. 対策と実現可能性
6.1 対策
権威主義への対抗:
政治の透明性向上(例:献金上限、カナダモデル)。
市民運動(Xで#TaxTheRich)で権威を批判。
身分制の打破:
教育の無料化(例:大学学費無償化、北欧モデル)。
相続税の抜け穴閉鎖(例:生前贈与の課税強化)。
神聖性の脱構築:
教育で格差の構造(r > g)を教える。
メディアの独立性強化(例:公共放送の改革)。
憧れの対象化の抑制:
広告規制(例:投資リスクの明確化)。
SNSでの格差啓発(例:#Inequalityキャンペーン)。
6.2 実現可能性
短期(~2030年):政治的抵抗で限定的(30~50%)。日本:金融所得課税25%(50%)。
中期(2030~2035年):市民運動や技術進歩で進展(50~70%)。日本:UBIパイロット(60%)。
長期(2035年以降):世代交代で構造変化(70~90%)。日本:ジニ係数0.28、UBI全国展開(80%)。
6.3 日本の展望
現状:権威主義(経団連)、身分制(受験・相続)、神聖性(自己責任)、憧れ(NISA)が、富裕層支持を維持。
未来:少子高齢化(2030年:社会保障費150兆円)やXでの若者運動が、改革を加速。2035年までに北欧型モデル(80%)。
7. 結論
超富裕層は、権威主義(安定の名目で抑圧)、身分制(特権の固定化)、神聖性(富の道徳化)、憧れの対象化(生活の美化)を通じて、貧困層に支配を支持させる。歴史的にはローマ帝国や封建制、現代では米国、ロシア、日本の例が顕著。日本では、経団連の権威、受験競争、自己責任論、NISAブームがこれを支える。対策として、政治・教育改革、メディア透明性、市民運動が必要で、2035年以降の構造変化(90%)が期待される。日本の高齢化と若者運動が鍵。
Social Mechanisms Supporting Ultra-Wealthy Dominance
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もし特定の手段(例:日本の儒教的価値観、憧れの対象化のメディア戦略)や他の国の事例、対策の詳細を深掘りしたい場合、または関連する歴史的分析が必要であれば、教えてください!
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世界上的水都相通——评电影《最后的贵族》
读罢白先勇先生的《纽约客》中《谪仙记》,《最后的贵族》这样一个看似十分接地气的电影标题在我心里却有些难以接受。“谪仙”一词,指神仙被贬入凡间的一种状态,中国古代的谪仙李白,是超凡脱俗的化身。小说中的“谪仙”,便是女主人公李彤,她的人生,是从优渥的富家千金身份向放浪自我的转变,她从上海到纽约,最后到威尼斯的这段经历,便是“谪仙记”。《最后的贵族》这个题目虽看似不如《谪仙记》般“文艺”,但电影终究是大众化的产物,观众的观影兴趣往往会被电影标题所影响,如若观众不了解“谪仙”的来历,自然无法提味白先勇先生的匠心所在;但《最后的贵族》中,“最后”与“贵族”两个限定词在一定程度上能够满足观众的窥探欲:为什么是最后的贵族?最后的贵族生活又是怎样的?
《谪仙记》这一故事本身不复杂,李彤、黄慧芬、张嘉行和雷芷苓是四个好姐妹,她们都出身于上海的上流社会,但在1946年复杂的时代背景下,她们被父母一同送到纽约。李彤在父母因“太平轮”事件去世后,便开始自我堕落:赌马、酗酒,她的三个朋友陆续结婚,过着平淡安稳的生活,唯有她始终不肯安定,小说的结局是她在威尼斯投水自尽。《最后的贵族》整部电影的节奏在我看来略微有些拖沓,真正的高潮是在李彤前往威尼斯,也就是电影最后的十分钟。文学改编电影本身为电影提供了许多的留白之处,但《最后的贵族》中对于《谪仙记》留白部分的处理在我看来褒贬不一。
首先是我个人不太喜欢的改编。《谪仙记》中是以黄慧芬的丈夫陈寅的视角来展开整个故事,“陈寅”是在和黄慧芬结婚后才了解李彤,从他的叙述中体现出偏爱与怜悯的复杂情感;但电影中,濮存昕饰演的陈寅从一开场便于潘虹饰演的李彤有所交集,二人甚至有情感纠葛,以至于会给观众一种错觉,李彤最后的自我堕落是否与陈寅有关?这与白先勇先生的创作意图是完全相悖的。二是导演总有生硬制造前后对应之嫌,李彤作为富家小姐,在小说中本身就带有些许轻浮与骄纵,但电影改编将她前期塑造成一个拥有远大抱负(“我要进联合国,像父亲一样,做一个外交官”)的Honor Roll Student,在遭受父母双亡的打击后便自我堕落,离开朋友去自我闯荡,结识各色人等,最后做了富商的情妇,这样刻意生造的前后对比其实对深化人物形象并没有起太大的作用。三是导演强行添加了一个李彤因袭警而入狱的情节,陈寅作为律师前去搭救,最后二人在酒吧彻夜长谈,虽然导演意在突出李彤在陈寅面前的“朴素”,即李彤将陈寅视作知己,但这一情节却体现了李彤的“作”与陈寅的“渣”,这样的情节设置实在是让我觉得有些累赘。
再来谈谈我比较喜欢的改动。《谪仙记》中,姐妹四人只有李彤一人未婚,但在电影中,导演将雷芷苓塑造成为一个苦苦等待男友,努力进行科研工作的女性形象,在我看来,这一人物设定是有其深意的。我们常规意义上所认为的“贵族”,是十指不沾阳春水的,但当飘零至异国他乡,“贵族”的身份不复存在,像雷芷苓这般踏实学习工作,努力融入他乡才是导演心目中“谪仙”真正的形象。
整部电影我最喜欢的改动,或者说是对情节的扩充,是李彤在威尼斯的经历。当她到达威尼斯时,整部电影从美国纽约浓烈明亮的阳光向一种黄调的荒凉转变,她一个人裹着头巾在广场喂鸽子,走过父母曾经走过的地方,最后在咖啡馆和一名俄罗斯籍小提琴手相遇。小提琴悠扬的琴声使她思绪万千,在与小提琴手的交谈中,导演顺理成章地引出了“homesick”这一主题,自她作别中国那一日起,她无时无刻不在homesick,但父母的故去、政党的覆灭却使她无家可归,异国他乡的纽约无法使她留恋,作为出生地的威尼斯就成为了她最后魂归的“故乡”。
《谪仙记》中所塑造的李彤,“身材十分高挑,五官轮廓都异常飞扬显突,一双炯炯露光的眼睛……她那一头大卷蓬松的乌发……”无论是事故之前或是之后,白先勇先生笔下的李彤是风情万种的,是自带一种“贵族”气质的,前期的李彤生活条件优渥,被父母捧在手心,青春靓丽、热情洋溢;后期虽然堕落,却也是美得张扬。电影选择潘虹作为女主角,她的整体形象与李彤比较符合,但是最主要的问题在于,潘虹在拍摄《最后的贵族》时已经三十多岁,而前期的李彤是一个十来岁的少女,相对而言比较违和。但是潘虹对后期堕落李彤的塑造是深得我心的,一个人默默承受世事变迁的沧桑感与无力感被潘虹很好地呈现。如果我能够向导演推荐李彤的扮演者,陈数着实是一个不错的选择,她所饰演的陈白露至今都称得上经典。
再说回濮存昕饰演的陈寅。小说中陈寅是作为叙述者的身份存在,从他的字里行间,我们能够感受到他是一个温柔、多情的高知分子。濮存昕能够将陈寅身上儒雅、多情的特征表现出来,但是由于整个剧本的局限性,陈寅这个角色并不讨喜,甚至有些做作。在陈寅与黄慧芬的婚礼这一场景中,当李彤突然出现,陈寅的目光便定格在李彤身上,后期深夜搭救李彤这一事件在我看来有些“越过道德的边界”,说“渣”也不为过。
我最喜欢的配角形象是卢燕所饰演的李母。李母作为清末的格格,她优雅的言谈举止是与贵族身份相匹配的。她所展现的是中国封建社会中所中意的女性形象:恬淡、优雅、富有学识,作为中国封建社会真正的“最后的贵族”,诸如李母一类配角的出现为电影增色许多。
《最后的贵族》整部电影最让我认为惊艳的是电影的配乐。姐妹四人在美国大学新年夜所表演的歌曲,是依据白居易《花非花》改编的:
花非花
白居易
花非花,雾非雾,夜半来,天明去。
来如春梦几多时?去似朝云无觅处。
《花非花》整首诗着重突出的是“梦”,花与雾本身都是极易消逝的,歌曲的曲调显然是悲伤的,配合姐妹四人略带伤感的表情,开启了即将到来的悲剧。在纽约的快乐时光本身就像“花”、“雾”的春梦一般短暂,不幸的到来是猝不及防的。通过音乐将悲剧引出从一定程度上避免了情节的单调乏味与生硬转折,音乐所能够带给观众更多共感,从而深入剧情中。
当陈寅将李彤从袭警事件后搭救出来后,二人来到酒吧彻夜长谈,此时的背景音乐是美国歌手Billie Holiday所演唱的Solitude:
In my solitude在我的孤独中You haunt me你萦绕我脑际
With dreadful ease让我沉湎 of days gone by往日的回忆
In my solitude在我的孤独中 You taunt me你萦绕我脑际
With memories因为回忆 that never die永不消逝
I sit in my chair我坐在椅子上 and filled with despair充满绝望
There’s no one could be so sad没有人会如此可悲
With gloom everywhere处处是悲哀
I sit and I stare我坐着,我眼睛发直
I know that I’ll soon go mad我知道我快要疯了
In my solitude在我的孤独中 I’m afraid我害怕
Dear lord above亲爱的上帝 Send back my love把我的爱人送回来
李彤在悠扬的歌声说向陈寅讲述自己多年来东飘西荡的历程,二人都陷入深深的沉思中。作为独立于原著小说的新情节,歌曲Solitude仿佛是在向观众娓娓道来李彤多年孤独的生活。她在失去双亲后的生活虽然看似光鲜亮丽,在深处却是腐朽堕落的,所以她的内心也总被绝望与悲哀填满。
最后是在威尼斯与小提琴手的相遇,当李彤来到自己遥远的出生地时,却丝毫没有任何的“归属感”。我注意到当李彤在聆听琴声时,眼中是湿润的,此时小提琴手悠扬的琴声将她的思绪拉到很远的地方,或许是曾经在纽约的欢声笑语,或者是曾经在上海的无忧无虑。一曲过后,她十分惊讶地发现,这位俄罗斯小提琴手曾在上海居住过三十年,对于他而言,上海是他的第二故乡,“从前我怕彼得堡的冬天,现在我连彼得堡的大雪也想念起来,俄罗斯的雪都是温暖的。”我相信,当李彤听到这句话时,独在异乡为异客的不适感与怀念故乡的思归感相互交织。当她问出,“世界上的水都是相同的吗?”并且将自己的所有钱都给小提琴手的时候,她已经选择了自己想要走的路。正因世界上的水都是相同的,顺着威尼斯的水流,她能够漂流回远方的上海,回到她心心念念的故乡。
在主题方面,由于《台北人》与《纽约客》都是白先勇在美国创作的,华人深刻的不适感与思乡怀旧之情体现得淋漓尽致。白先勇总是写“堕落”的故事,但又有多少角色时自甘堕落?大多不过是在时代变迁与家庭剧变中迷失了自我,寻求麻将、酒精的安慰。《谪仙记》中以陈寅的视角描写李彤,更多的是体现时代变迁背景下诸如李彤这样的“贵族”少女生命的无力沉浮,是一种特定时代下人无法自主选择命运的痛苦与迷茫。作为白崇禧之子,白先勇先生一贯在作品中体现对自我身份的思考,李彤作为一个上海的贵族少女,却因为政党原因与家庭原因不能回归故土,只能客居他乡。我相信白先勇在此处是对自己处境的一种刻画,因为政治原因去往台湾,最后在美国求学,但何处是他的故乡?他到底是谁?大陆人?台湾人还是中国人?虽然整篇小说的基调是悲凉的,白先勇先生在《谪仙记》中也表达了对中国的向往,四姐妹分别是“中英美苏”,李彤正是代表中国,她最具有活力,又身世显赫且富裕,或许这是白先生在写作时对未来的畅想,如今这样的愿景正在实现中。
由于改编电影的局限性,白先勇先生在《谪仙记》中所传达的主题在《最后的贵族》中只是单一地体现为“homesick”或是“nostalgia”。小说中的留白与结尾的意犹未尽是为读者留下更多思考的空间,电影则相对更为直白地向观众陈述一个人的故事。电影中李彤的堕落和“nostalgia”离不开关系,十来岁的少女,不曾想到与父母的分别竟是永别,在成为模特的过程中只有空虚,她的放荡是一种对内心深处不安与恐惧的伪装。我们中国人总是强调“落叶归根”,这正是她在最后问“世界上的水都相通”的原因,不管通过怎样的方式,她都想回到那个让她无忧无虑的上海。出生在威尼斯,成长于上海,生活在纽约,但最终,她还是孑然一身在世界行走着,无处安身。
曾在美国居住过两年的我对李彤的处境能够共感,无论是在生活方式还是语言习俗上,我们总是“格格不入”的异乡人,只有在自己最初的文化圈才有熟悉的安定感。我相信,威尼斯的水一定将她带回了上海,带回了父母的身旁。
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随分と御無沙汰であった。前回は、日本への帰路はヘルシンキ経由だったが、なんだか、ぐったり疲れていて、NoaとIsabelとの旅行の後には、何も書いていなかったのか。。。と気付く。
七月中旬に帰国し、八月下旬に帰独。一ヶ月半滞在した日本は、異様に暑く。七月中旬まで、ドイツでもそれなりにバタバタしていたのもあり、帰国して立教や東大に行ったりとバタバタした後は、疲れて倒れていたように思う。山中湖は涼しく過ごしやすかったが、思わず何事にも全力投球して夢中になる私は、甥っ子と彼の犬、礼緒と過ごした後は、AI哲学研究会で東京に出た以外は、また山中湖で倒れてしまう。そして論文を書いた後も、ほぼ機能不全になっていた。母が付き添ってくれていたものの、疲れのせいか、体調不良のせいか、山中湖で倒れていた日々の記憶が断片的だ。
夏の成果は、オニヤンマを甥っ子と作って、石割山登山して、報湖祭の花火を見た事と、甥っ子滞在中に今学期の履修学生達の成績をつけた事。OISTの研究者に誘われた言語についての論文は、なんとか書き上げた事。また、五年目に入ったカスリス先生の日本哲学小史という大著の翻訳に、一応の目処を立てた事かな。そう。ハンブルグでは、日本の聖武天皇、聖徳太子の十七条憲法から鎌倉に至るまでの長い章を、ひたすら訳していた。帰国してからは、道元と西田を終わらせたかった。。。




言語についての拙論は、詰めが甘いようにも思うが、言語を使って考えるということはどういうことなのか。習慣的思考と言語の関係について、考えてみたかった。言語の限界が世界の限界といったヴィトゲンシュタインを研究した大森荘蔵が展開した、言霊論の重層性に関心を抱き、日本の近代言語学の祖でもありソシュール批判をした時枝誠記、Yale言語学のSapir-Worf仮説などや、現代のAIの祖を築くNorm Chomskyの生成文法を概観しつつ、彼らが言語の何を解き明かそうとしたのかをまとめた。空海の声字実相義やデリダのエクリチュールとパロールの問題にまでは展開できなかった。まぁ今後のネタの一つかな。言語を巡るアンソロジーにはなりそうだ。
先人達の試みを簡単にまとめると、言語を構造的とみたいのか、意味的とみたいのかの両極に別れる。言語の見方の差異を過去の研究者達を追うことで浮き彫りにした。両者のアプローチはスイングしつつ発展しゆく。ChatGPTで解明された事は、言語構造に偏り過ぎてもダメという言語の不思議を改めて確認した作業だったように思う。重層性が言語に内在するものであるならば、思考にも重層性が自ずとあるだろう。言語操作を通した概念操作でしか、人間が新しい発想を具体化できないのであれば、言語の貧弱は思考や発想の貧困化を表す。
どおりで、現代日本社会の言説は陳腐。知識層を自認する者たちは、目立つ奇抜な論を展開し、適当に和製英語を散りばめて煙に巻く事を好み、そして大衆も、そうした陳腐を好む。今年は高校野球は塾高大活躍だったが、彼らへの妬みや誹りもひどいものだ。桐蔭、智弁、日大や早稲田なら良いのに、何故、慶應義塾だと叩くのか。若き血の応援スタイルが無いからって、やっかみも甚だしい。伝統は一日にして作れるものではない。昨今の言論分野を見ても、高校野球を見ても、福沢諭吉の次の言葉を沁み沁み思う。曰く、愚民の上に辛き政治あり。批判ポイントの論点がズレているところで批判されても、相手をするだけ無駄だ。多様性の時代、画一的な価値観の押し付け合いは、ますます無駄になっていくだ��う。
上げ足を取られないように、馬鹿な癖に言いがかりをつけてくる相手をひたすら尊重し、口先だけに理解を示す戦法しか無いのが、現代のリベラリズムだ。つまり、永遠に平行線でいきましょうという態度だ。子供に意見を求めて、心の中で子供の意見を馬鹿にしている癖に、子供の意見に理解を示すエセ教育の結果でもある。馬鹿な大人に育ち上がった元子供たちは、自分の吐く意見がどれだけ適切なものか省みる能力が無い大人になっただけ。道理で言論がどんどん陳腐になる。
9月末までに、まだまだ3本ほど論文の締め切りを抱えているが、その内の一本は熊沢蕃山という江戸前期の陽明学者。神道と儒教の融合を体現すべく実践を重んじた儒学者。幕末水戸学は熊沢蕃山から多くのヒントを得ているだろうが、彼らが重視したのは朱子学。陽明学の実践的なものといえば、私のYaleでの恩師Tucker先生がコロンビアで研究していた貝原益軒。いずれ、実践的儒教と、仏教、神道の相互浸透性について、何か考えることができればと思っている。
しかし、今の時代は、蕃山のような混ぜこぜの良いとこ取りを理論体系が無いとして取り上げない。南方熊楠があまり評価されていないのと同じだ。西田と何が違うのか。私には、世俗的権威主義しか感じられない。在野した者は評価に値せず、新井白石や西田みたいに時の権力の傍にいた者が、それだけで評価されているのか。疑問はつきない。つまり、容易な事を難解に言った者は勝という権威主義と、民衆に交じり実践を重んじた者、在野主義は無視されるという、そういう構造なのだと思う。兎に角、他人から尊敬され、立派だと言われたかった人々だけが異様に注目されているだけのようだ。
バカが東大でハダカ踊りしていても、東大だから許される。むしろ東大の癖に凄いと尊敬されたりする。それなのに、日大でハダカ踊りしても、別に誰からも良い意味では注目されず、返って、世間を騒がせたと謝罪させられる。こういう民衆の意識構造とは何か。これこそ、ポランニーの群集心理を再度、再読する必要を感じさせる事態だ。ファシズムを回避するための活発な言説は、返って、新たなファシズムを助長しているというパラドクスなのだから。
。。。とつらつら、ヘルシンキ空港のラウンジで思いを馳せる。ヘルシンキ経由にして良かった。ロンドンは管制塔コンピュータの故障で混乱の極みらしく、多くの客がヘルシンキ経由を利用している。BAとのコードシェア便だから。来月のアイルランド、エディンバラ行きは、都度、ロンドン経由なんだけどなぁ。。。そして、日本も、今は先人達のお陰様でなんとか頑張っているけれど、今から十年も経たない間に、インフラが崩壊していくんだろうな。
若い人々を教えるようになって、六年目。今夏、コロナ前に教えた、顔に見覚えのある学生さんが、社会人になって働いているレストランで偶然再会した。彼女は私にとってはいつまでも二年生。真面目な頑張り屋さんだった学生。バイトなの?って聞いた私も不用意だったが、就職したんですと教えてもらい、大きくなったんだなぁと感慨深かった。彼女は地味で、しっかりと社会を支える小さき市井の人々の代表のような方。
丸山眞男が重視した、市井の小さき人々が、これからますます、踏ん張らされていく。日本の衰退は著しい。一億総中流を実現し、八割型の国民は、現状に満足しきっているのだろう。勉強しなくても、なんとか食っていける。向上心なんて、そんなもん無くったってなんとかなる時代だ。夢を語るだけで尊敬され、夢が無い事を嘆き、夢を追いかけなくても、口先だけで夢を語れば許され、夢がある事を異様に褒める時代だ。つまり、夢なんか抱かない位、満たされている時代という事だ。失われた三十年は、成長していない事ばかりが注目されるが、底上げが浸透し、高卒は当たり前、大卒も普通になった底上げバブル時代の継続でもある。必死に生きる事なんて、命を繋いで生きるなんて事、とっくに忘却されているのだ。そんな時代に、真剣になれ、とか責任をもって、なんて多くの人にとって、白々しくしか聞こえないのだろう。
残念ながら身体が弱い私は、思うように身体を使えない。そして悔し涙ばかりする。身体の弱さ売りをしてサボる怠惰な人々と私の間にあるのは、元気だったらあーしたいこ~したいという気の焦りと苛立ちだけなのだろう。自分が動きたいほどには動けない時、私は苛立つ。苛立たず怠惰にできる人はサボっているんだなぁって思う。でも、他人は他人。私にできるのは、私も私なりに微力ながらに懸命に生きている不器用でブザマな姿を、見せ続ける事だけかもしれない。そこから、私の破天荒さに勇気を貰えたって同僚から言ってもらえたり、先生の授業楽しかったって振り返ってくれる学生がいるから。他者あっての私。お陰様で、ヘルシンキまで辿り着いています。
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秦晖:西儒会融,解构“法道互补”
作者:秦晖 2008年07月16日
九、西儒会融,解构法道互补:新儒学在新文化中的三种价值
今天看来,无论从自由主义,还是从本来意义上的社会主义出发,现代化都是人的解放、即从“人的依附性”走向“人的独立性”①的进程。
它既意味着现代公民国家 — 宪政民主国家取代依附性的传统大共同体,也意味着现代公民社会 — 契约型联合体取代身份性的传统小共同体。
就后一意义而言,传统儒家的小共同体本位色彩确有局限性,尊儒而拒“西”的文化保守主义不足为训。
如上所述,没有新资源的引入,仅凭黄宗羲式的纯儒是克服不了“法道互补”的。
但援“儒”拒“法”的民本派儒家,本身应当成为现代化可以凭借的本土资源。
把“民本”与民主的不同之处夸大为水火不相容,是完全没有道理的。
以“中国传统”的名义把黄宗羲与韩非混为一谈,其谬误如同把华盛顿与希特勒在“西方文化”的名义下混为一谈一样。
以五四为代表的20世纪新文化运动的启蒙方向不容否定,其启蒙任务也有待完成。
我不赞成文化保守主义对五四的否定,但五四式的启蒙方式确有反思的必要,这不是说这种启蒙太“激进”或者太保守,而是要汲取极端反儒而忽视法道的教训。
在某种意义上讲,我们应当回归黄宗羲 — 谭嗣同,以西儒会融,来消除法道互补。
在西儒会融中,原初儒学的民本精神作为本土资源,对于构成中国现代文化至少有三层价值:
符号价值、功能价值以及可能的超越价值。
符号价值指,它可以为现化价值观提供一种中国式的表述。
无论自由主义,还是社会民主主义虽然本质上都是普世性的,但用本民族符号系统来象征“主义”价值是一种可取且可行的操作方式。
缅甸的昂山素季以佛教典籍来解释自由主义、民本之类的概念即是一例。
之所以可取,是因为自由主义要获得民族公众的认同,就不能张口斯密,闭口哈耶克,只以洋符号来象征自己。
而它之所��可行,一是由于自由主义的人性本源是普世性的,因此每个民族的人,都能通过本民族的象征符号来理解它;
二是由于语言符号中,能指与所指的关系存在着索绪尔所讲的那种“任意原则”,这为同一能指背后的所指提供了无限可能性。
因此,诸如以“因民之所利而利之”解释经济自由主义,以“天下为公”解释民主原则这类“老内圣开出新外王”的尝试,是富有意义的。
但这里需要指出:这种解释的有效性,还取决于索绪尔指出的符号化语言中能指与所指关系的另一原则 ——“差别原则”。
亦即:任何意义的确定只能在比较的差别中存在,任何一个概念如果不与其他概念相对比就没有什么确切意义。
因而一种语言符号要确立一种新的意义,关键在于能指的否定指向,而不在于其肯定指向,肯定意义是借助于否定意义来确定的。
昂山素季以佛经解释民主,是以缅甸军人政权“违反佛教精神”之举为靶子的。
70年代我国“批儒评法”时大讲《盐铁论》,以法家“盐铁官营”的统制政策来隐喻当时极左的经济体制。
在这一背景下,一批台湾学者如侯家驹、李玉彬等以“儒家的自由经济思想”与“法家的统制经济思想”对举,以儒家反对法家“官营”政策的话语,来象征“自由经济思想”,取得了很好的“解释效果”。
这里的关键不在于古代儒家话语实际上主张什么,而在于它反对什么。
今之论者就是以这种“能指否定”来象征他们所要表达的肯定意义的。
在现实生活中,“新儒学”是针对“西学”还是针对“法道互补”,比它的肯定性叙述结构更能确定它的实际意义。
功能价值,指原初儒学民本精神,与所谓西学在现代化转型中可能实现的功能互补。
这至少有两层含意:其一是我过去提到的,正如在西方走出小共同体本位的中世纪传统时,曾经有过“公民与王权的联盟”,即,成长中的个性化力量与大共同体力量,首先打破小共同体束缚,而建立公民社会基础的现代化启动机制。
那么这种机制,不可能适用于中国走出大共同体本位传统的现代化进程,相应地在这一进程的初期,中国可能需要“公民与小共同体联盟”,首先摆脱大共同体束缚而建立公民国家结构。
在这一阶段,儒学民本思想中的共同体多元化与小共同体自治价值观,可能发挥西方类似阶段,民族国家与开明专制思想,曾经发挥的那种功能。
当然这里的风险在于:正如西方历史上既有公民利用王权、也有王权利用公民的例子,在后一类型,即西班牙式的案例中,上述“联盟”,如果不能先行建立公民社会基础,就只导致产生了保守的传统集权专制帝国。
同样,在中国也存在公民与小共同体谁利用谁的问题,要避免大共同体一元化控制解体后,未能形成现代结构,反而出现传统小共同体林立的“东汉以后”式的乱局,就必须先行建立足以整合社会的民主国家。
在这一前提下,出现现代公民意识与“儒家传统”的联盟不是不可能的,这种联盟中的儒家,也许就是真正的“新”儒家。
但是,这种“新”儒学必须不足以解构所谓“西学”、而是以解构“法道互补”为己任的。
“新”儒学的对立面不是公民权利,而是大共同体独尊。这就要求“新”儒学理论必须公民本位化,而不是国家主义化。
否则儒学就无法跳出董仲舒以来,儒表法里的怪圈,它的前途也就十分可疑。
其二,现代化本身是个张扬人的权利的过程,可是这个过程却需要承担责任者的推动。
笔者曾指出:自由主义对人性的要求是低调的,与期望于圣贤的乌托邦相比,自由主义似乎十分“现实主义”。
但实际上古往今来的“现实”中自由秩序却极难产生,其原因与其说是什么“族性”优劣问题,毋宁说是“自由搭便车”,或曰“三个和尚无自由”的消极主义行动悖论。
自由主义本身是世俗的,可是在人类历史上开创自由秩序的,恰恰是具有强烈宗教热情的清教徒,就是这个道理 —— 尽管自由主义未必以清教的某些具体教义为前提②。
中国文化据说是“非宗教性”的,“儒教”算不算宗教历来引起争论;但与法、道相比,传统儒家具有强烈得多的终极关怀,则是毫无疑问的。
与满脑子厚黑学的法吏,和只想看“逍遥游”的犬儒相比,传统儒家士大夫那种“从道不从君”的精神、先天下而忧,后天下之乐而乐的热情、宁鸣而死,不默而生的骨气,堪称为“中国的清教精神”。
尽管它其实在历史上和现实中“法”“道”的双向挤压下,已成了稀缺资源,但惟其如此而更可贵。只要薪火不灭,在西儒会融的时代它仍有复兴的可能。
中国现代文化要摆脱“三个和尚无自由”的困境,它的这一功能价值是不可低估的。
至于超越价值,即许多“中国文化本位论”者喜欢谈论的儒学对“西方式的”现代性的超越。
我们只能把它视为一种可能。
对于人类当前面临的“现代性危机”,包括人的意义危机(人的一维化或异化)、人际关系危机(过去的阶级关系,如今主要是国际上的南北关系)和人—自然关系危机(环境危机),如今人们还在认识之中。甚至到底什么危机是“现代性”本身带来的,什么危机其实是现代性不足的产物,也还需要思考。
在全球化时代,这种思考自然是全人类的事。
原则上,各种文化中都可能包含超越现代性的思想资源。
尽管“中国文化”如果还不能解决自身现代化的问题,就说它可以为全人类指点“超越现代性”的迷津,这种说法未免过于浪漫。可是的确也不能绝对地说:既然还没有现代化,就没资格谈论超越现代性的问题。
但有资格是一回事,能谈出什么又是一回事。
有两种流行的谈法,我以为意义不大。
其一是“不对称比较法”。
一些人总喜欢以我们的圣贤之言,与据认为是人家的“社会现实”作比较:我们圣贤说“仁者爱人”,而他们自私自利;我们圣贤说“天人合一”,而他们破坏环境,因此我们超越了他们云云。
而我认为,即便所说的“现实”确然,这种比较也没什么价值:如果以人家的圣贤之言与我们的社会现实相比较,又会怎么样呢?
真要比较就只能是:要么就以双方的圣贤之言作对比,要么就以双方的社会现实作对比,那才有可比性。
从这种比较中,儒家能否显示出超越性,还是个问题。
其二,无论现代性还是超越现代性,都要落实为一种制度安排,而不能仅仅停留在形而上层面。
例如:如今不仅我们,西方思想界也有一些人,想从“天人合一”中找到环境保护的思想资源。
其实我国古代的“天人合一”学说,本是一种以“宇宙等级秩序”来证明人间等级秩序的理论,它与环境保护本不相干,倒是与文革中那种“天上星星向北斗,地上葵花向太阳,人民心向毛主席”的歌谣同一思维逻辑。
如今人们把环保意识附会于它,倒也不无可取,因为作为符号的语言能指在历史中增添新的所指,所谓托古改制、借古喻今之类,也是有用的。
但问题在于环境保护决不仅仅是、甚至主要不是一个认识问题。
没有一种有效的制度安排,所谓“重视环境”只能流于空谈。
由于经济学上所谓外部性,人人明知重要,而又人人破坏之的事例不胜枚举,筒子楼里公共水房往往污秽不堪,就是一个例子。
至于我国古代,无论其“文化”是进取的,还是无为的,其环境的纪录应该说并不好,远的不说,明代的《徐霞客游记》中在江西、浙江、湖南、广西、贵州、云南一路,都记载了严重的环境破坏,造纸业污染河流、烧石灰污染空气毁灭风景、乱砍滥伐使“山皆童然无木”,生活垃圾使永州、柳州等地的许多名胜堙为“污浊”的“溷围”。
如果说那时还没有出现尾气、酸雨和核污染,那只是因为古人还不懂得相关工业技术,而不是因为他们懂得“天人合一”。
今日人类面临的环境危机,恐怕也只能主要依靠全球合作下的制度创新,与技术创新来解决。
当然“全球合作”伴随着冲突与讨价还价,各国都知道环保重要,但都想尽量少为此付出代价,而只想“搭便车”,尤其发达国家对这种局面难辞其咎。
但这与上述“公共水房问题”一样,是利益协调机制问题而不是认识问题,或者说是制度问题而不是“文化”问题。“天人合一”的新解释我很赞成,但只怕作用有限。
总之,新儒学能否为人类“超越现代性”而提供有益的思想资源?
当然是可能的。
但这种可能若要实现,第一新儒学必须走出形而上的象牙塔,从心性之学发展为制度之学③。
第二更重要的是,新儒学必须摆脱历史上被“法道互补”强奸的梦魇,真正成为“新”儒学。
而那又必须走向西儒会融的路,这两条若能做到,新儒学的超越性价值还是有可能实现的。
否则就不要说“超越”,甚至不要说“新”,连“儒学”本身,都会淹没在法道互补的历史污水中,而“儒将不儒”了。
注释:
① 《马克思恩格斯全集》第四十六卷上册,104页; ② 马克思•韦伯注意到资本主义与新教的关系,是独具慧眼的。但他把“资本主义”或曰现代性的生成机制与新教的某些特定教义的联系固定化,却不能令人信服; ③ 如今的确有人在做这样的尝试。如我的朋友张祥平教授的制度设计是:政治上以科举取代民主,社会上普及宗族制。(张祥平:《制度对话:中国传统资源与西式模式优劣辨》,石油工业出版社,2001年)然而他忘了从朱熹、黄宗羲到徐复观的历代大儒,是如何痛诋科举制的,也忘了“强宗大族”在古书中从来就是贬义词。如上所述,有科举无民主,是为法家或儒表法里之制,而事务官出自“科举”政务官出自民主,则“西制”也。如若科举所试,又并不出自四书五经(张先生好像也这么主张),则连“儒表”亦无矣。
(-全文完-)
(《传统十论 —— 本土社会的制度、文化及其变革》,秦晖著。复旦大学出版社2003年10月初版。定价:18.00元。)
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雪峰式共产主义战略三十六条
雪峰式共产主义战略三十六条
作者:雪峰
目标:“贤不遗野,天下一家”,“道不拾遗,夜不闭户”,“老有所养,幼有所育”,没有国家,没有宗教,没有政党,没有婚姻家庭,风调雨顺,天下太平,让老百姓安居乐业,人人开心、快乐、自由、幸福。 给每个人一条活路,不论他持什么观点。 一、中国不能走资本主义道路,也不能走社会主义道路,要走雪峰式共产主义道路。 二、私有财产神圣不可侵犯,不能剥夺资本家和地主的财产。 三、与美国不能交恶,必须与美国联合。 四、中国的历史,满嘴的仁义道德,实施的一直是吃人策略,所以要敢于抛弃历史,从历史中找不到解决今天问题的方案和途径。 五、作为中国文化主要组成部分的儒释道文化精华少糟粕多,需要有全新的文化替代之。 六、要让民间自发地组织各式各样的社团,丰富人们的精神和心灵文化活动及互助活动。 七、大力提倡和歌颂匠人精神和科学家精神,而不是提倡爱国主义。 八、要让人们在全世界范围内自由迁徙。 九、要让全世界各民族融合,遏制民族主义优劣论。 十、支持和保护揭露真相的个人、团体和媒体。 十一、言论不论其多么反动,不能以言定罪,当以行为定罪。 十二、凡为公共事业而牺牲或残疾的,全社会抚养其亲人,保障他的生活无忧。 十三、社会运行按照一百人配备一个行政人员的比例设置,行政人员越多越糟。 十四、各地不能歧视外来人员,谁歧视谁应当受到谴责。 十五、学校一律不收费,鼓励私人办各式各样的学校,但依然不能收费。 十六、教育当以育人为主,当开设做人知识课和人与大自然关系课程。 十七、看病不收费,提倡民间有医术的人看病,不用办理什么医师资格证和营业执照,只要能把病医好就行。 十八、神神叨叨的话不能说,偷偷摸摸的事不能做,一切以事实、科学、逻辑、灵觉为准。 十九、人去世后按照生命禅院殡葬制处理。 二十、老人,不论是什么人什么职业和身份,一旦失去了自理能力,由全社会赡养,且待遇无差别。 二十一、少谈道德,多谈秩序和契约,多谈责任和义务。 二十二、选拔管理者,即所谓的官员,以他的付出奉献为标准,谁付出多奉献大,就选谁。 二十三、凡是管理者和行政人员,必须是单身。 二十四、在共产主义没有完善前,让私人企业家发展经济,心灵上已经能将真善美爱信诚品质发挥到极致的人进入生命禅院创建的生命绿洲生活,心灵尚不完美者进入资本家的企业工作,工资和福利待遇政府不干预,完全由资本家和工人双方商议决定,一个愿打一个愿挨,政府不能制定工资标准,不能干涉私营企业的经营。 二十五、不再分本国人和外国人,都是地球村村民。 二十六、不再区分西方东方,只提倡普世价值观。 二十七、不再分体制内和体制外,谁有德行和才干谁当家。 二十八、减缩国营经济,增扩民营经济。 二十九、保护各民族传统娱乐文化仪式,创新出新的娱乐文化活动内容。 三十、减少军备支出,增多文化交融支出。 三十一、政府不规划不参与住房建筑,让民众决定在哪里建房和建什么样的房,要充分相信人民群众的智慧和远见卓识及调配能力。 三十二、减少政府的干预,扩大和活跃民间的活力和智慧。 三十三、赌博、毒品、地方恶霸等势力需要用生命禅院创建的生命绿洲模式制约,所以世间的仁人志士贤达们可以拷贝和模仿生命绿洲模式到处建设出理想家园。 三十四、少宣传帝王、英雄、明星、富翁,多宣传体力劳动者和普通大众中诞生的真善美爱信诚故事。 三十五、少一些寺庙,多一些学堂。 三十六、少一些执着,多一些灵活。 暂时先奉上三十六条,每一条都是经过我深思熟虑的,都是有解析和即将解析的,我对人类历史、现状、未来研究了二十年了,也实践了十一年了,曾经在非洲、亚洲、北美洲生活过相当长的一段时间,写下了近三千篇文章,尤其是我的实践是非常成功的,我想告诉人类的是,时空进入到现在,需要彻底改变人类传统的生产和生活模式,如果不改变传统的生产和生活模式,大自然的惩罚将越来越厉害,人类就将走入死胡同。对雪峰式共产主义,大家不要用传统的共产主义概念和观点去看待,那是完全不同于历史上所谓的共产主义的,如果用传统的概念和观点来看待,必然是误解和曲解并得出错误的结论。 有一点事实,大多数人是不知道的,那就是地球是由比人类更高级的生命在管理的,这就像一片麦田,麦田里的昆虫和动物不知道麦田是有人管理的,但实际上麦田是有人管理的,所以大家也不用担心地球的未来,只要人类爱护地球并按照地球的创造者的意图行事,人类会有一个非常美好的未来,其美好是大家无法想象的。 山外有山,人外有人,我知道人类中有许许多多大德大才,但请各位先不要给雪峰式共产主义下一个否定式结论,我清楚地知道,雪峰式共产主义才是人类的唯一出路,其他任何人无论你是从天上来的,还是地上诞生的,无论你才高八斗还是有神通变化,你想不到我能想到的,你做不出我能做到的,所以先不要急于否定,先观察,看看我所言所行是否符合人类文明的发展规律。 2021-03-29
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『日本文化論の系譜 『武士道』から『「甘え」の構造』まで』 大久保喬樹
中公新書。
著者が要約する日本の文化の成り立ちと日本人が何故「日本人論」が好きなのか。
およそ、日本は、文明を京成士、国としての意識に目覚め始めて以来、一貫して海を隔てて向き合う大陸の文明と自らを比べては顧みるという宿命を負わされてきた。文字(漢字)に始まり、行政制度(律令制)、思想宗教(仏教、儒教)に至るまで、文明の根幹をなすさまざまな仕組みを大陸から取り込みながら、しかも、単なる模倣に甘んじるのではなく、自らの風土、文化にあわせて消化変容し(仮名文字)、あるいは自前の仕組みを対抗、共存、融合させ(神道)というように、強かに大陸文明とつきあっていく過程で、常に相手との距離を確認んし、自分を識別することを習いとしてきたのである。(pp i-ii)
で、この本では以下について書かれている。
志賀重昂(しげたか)の『日本風景論』
新渡戸稲造の『武士道』
岡倉天心の『茶の本』
柳田国男の『遠野物語』と『山の人生』
折口信夫の『古代研究』
柳宗悦の『雑器の美』と『美の法門』
西田幾多郎の『善の研究』ほか
和辻哲郎の『風土』
九鬼修造『「いき」の構造』
谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』
川端康成の『美しい日本の私』
坂口安吾の『日本文化私観』と『堕落論』
岡本太郎の『縄文土器ーー民族の生命力』
丸山真男の『日本の思想』
土井健郎の『「甘え」の構造』
谷崎の『陰翳礼讃』と土井の『「甘え」の構造』しか読んだことなかったので、非常に勉強になった。
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さて、興味深かったところを下に。
折口信夫が言う「貴種流離譚」とは、異世界の神である貴種が、何らかの事情でこの地上世界に流されて来ること(p78)。日本の物語はこの傾向がある。例)『竹取物語』 『伊豆の踊り子』や『雪国』も
日本の芸能に関するもの。<翁>と<もどき>
<翁>は「元来、常世から訪れてくる神、一族の祖先神が聖なる長老の姿をとってあらわれるもの」
<もどき>は「土地の精霊」で、<翁>を迎え<翁>のすること言うことを「真似、くりかえし」て掛け合いが基本のパターンで、「機知、揶揄、誇張等の要素」がある。(以上p80)
で、折口は「日本文化の本質を、外からやってくる未知の文化を翻訳し、解釈し、国風化するする文化ととらえる見方」をしていて、「単なるものな目として否定しするのではなく、創造、発展的エネルギーのあらわれとして評価」(p81)。そして、芸能の「異世界性」と「聖賤性」に注目した(p82)。
折口の本、いつかちゃんと読んでみよう!
次に、哲学。哲学は西洋から輸入された考え方で、この単語もphilosophy (philosophia) の訳語なんだそうだ(p105)。
九鬼の『「いき」の構造』、日本の美学をみられるかも。これもいつか読んでみよう。
川端康成
川端は戦中および敗戦の経験を通じて、日本人というものが、どれほど近代化しようとも、結局のところは、そうした近代化以前の、『源氏物語』に集約されるような「あわれ」の世界に深く根ざしているのであり、もしこの「あわれ」の世界が歴史の必然によって近代的世界にとって代わられねばならないなら、日本人は、少なくとも、自分は、この滅びていく世界に殉じるほかないと覚悟(pp170−171)
してて、それをノーベル文学賞受賞記念講演で話したのだそうだ。で、あの「美しい日本の私」というのは、草稿では「日本の美と私」(p177)だったのをこう変えたそうで、「私」を「日本」の一部として内包することは
「私」というものを主体として独立させるのではなく、「私」をとりまく世界のうちに融合させ、さらには、無化させてしまう。これこそは、川端が、日本の伝統から汲み取った根本思想(p178)
なんだそうだ。常々この題名について不思議に感じてたのが納得行った。この「美しい日本」というのは、近代日本ではなく、日本の自然と伝統的文化を指すんだ。でも、これに対して、日本のも��一人のノーベル文学賞受賞者である大江健三郎は
川端のこうした本質を全体として "Vague(曖昧)" と評し(大江の講演は英語で行われ、のちに日本語訳が発表された)、これを悲観した。個人としての自己の責任をぼかし、日本という神秘的な全体の中に閉じこもった逃避的な態度である(p178)
と言ったそうだ。大江らしい発言。英語で講演したってのも、翻訳で真意が失われないようにしたんだろうと思う。大江の文章自体が翻訳文っぽいし、考えてるときも、主語や主体と目的語などを曖昧にではなく明瞭にしてるんだろうな。
この大江の考え方は丸山真男に通じるそうで、
明治から戦前、戦中までの日本が表向き近代化を急ぎながら、その実質は依然として前近代的、封建的な体質のままで、その食い違いの結果、太平洋戦争の開戦と敗北、大日本帝国の崩壊にいたったという自覚反省の上に立って、主権者としての国民が主体となって真の近代釈迦としての戦後日本を築いていこうという民主主義理念を説(p208)
いたそうだ。で、戦前戦中の天皇のあり方、「国体」としての天皇主権、これは
天皇の意思を取り巻きの重臣たちが推し量り、助言していく輔弼 [ほひつ] という仕組みがとられていて、天皇個人に決定責任がおよばないよう、かといって取り巻きの誰彼の責任でもないというようになっている。集団責任とも言える仕組みだが、丸山は、むしろそれが「巨大な無責任への転落の可能性を常に内包している」(強調丸山)と述べる。責任の取材が曖昧なまま権威が膨れあがり、その権威に対して人民は無条件、無限に服従しなければならない。(pp212−213)
日本の近代文学におけるリアリズムは西欧のそれとは違って、「論理、抽象、観念を毛嫌いし、ひたすら感性に従って物事を受け入れるという本居信長流の申請による」もの。だから、「近代化に伴って西欧から移入されてきたあらゆる制度的なもの、あるいは理論的なものに激しく反発する」のだそうだ(p214)。で、近代日本の知識人の発想として「実感信仰」と「理論信仰」というのを説く。
「実感信仰」は「あらゆる政治や社会のイデオロギーに『不潔な抽象』をかぎつけ、ひたすら自我の実感に立て篭もる思考様式」(p214 この部分は丸山からの引用)
「理論信仰」は「種々の制度や技術などを移入するにあたって、本来それら制度や技術を生み出してきたものの考え方にまでさかのぼって理解受容しようとするのではなく、できあがった結果だけをまるごと鵜呑みにするように取り込んだ...、膨大な体系、命題を、不可侵の金科玉条のように無批判に崇拝、信仰し、現実との生合成などお構いなしにやたらに公式をふりまわすありかた(p215)」
なるほどなぁ、だ。丸山の本は、目についたら手に取って見てみようと思う。
最後に土居による日本人の善悪の基準と恥。西欧の「罪の文化」と対応させて。
日本人にとって、内という帰属集団を裏切るかどうか、ということが善悪の基準となるのであり、それが恥という感覚としてあらわれる(p227)
だからさ、仲間内の「空気」や同調圧力に敏感で従わねばならないと感じてしまうんだな。
非常に興味深い本でした。
著者の下の名前は「たかき」と読む。喬いがたかいって読みなんだって。
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吴裕彬金刚宗十九大愿
愿我将易经,儒释道以及西学圆融无碍融会贯通为金刚宗
愿我以金刚宗知行合一取得事业的巨大成功,以此钩召世人入金刚宗
愿我以金刚宗速知一切法
愿我以金刚宗早得智慧眼
愿我以金刚宗速度一切众
愿我以金刚宗早得善方便
愿我以金刚宗速乘般若船
愿我以金刚宗早得越苦海
愿我以金刚宗速得戒定道
愿我以金刚宗早登涅盘山
愿我以金刚宗速会无为舍
愿我以金刚宗早同法性身
愿我以金刚宗生生世世轮回入娑婆世界,渡脱众生,当世人渡尽,方成佛果。
我若向刀山 刀山自摧折
我若向火汤 火汤自枯竭
我若向地狱 地狱自消灭
我若向饿鬼 饿鬼自饱满
我若向修罗 恶心自调伏
我若向畜牲 自得大智慧
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《临流抚琴图》夏圭
《临流抚琴图》夏圭(传?)简介:
夏圭(约1180年-约1230年前后),又作夏珪,字禹玉,为南宋画家,钱塘(今浙江杭州)人。宋宁宗时(1195—1224)官至画院中最高职等的待诏,并赐金带。早年工人物画,后以山水画著称,取法李唐,画山石时用水墨皴染,用秃笔带水作大斧劈皴,称为“拖泥带水皴”。笔简意足,清旷俏丽,善于提炼剪裁,景色含蓄动人,清幽深远。所画山水取景多为“半边”、“一角”之景,构图别具一格,有“夏半边”之称。是北派山水代表人物之一。夏圭画法和马远也相近,后人把他与马远并称“马夏”,两人著名于空间留白构图,“马一角、夏半边”实为引导观赏者之方向。马、夏二人加上李唐、刘松年,被合称为“南宋四家”。夏圭的儿子夏森,也擅长作画。
明何良俊撰《四友斋画论》记载:夏圭亦是高手,马人物最胜,其树石行笔甚遒劲。夏圭善用焦墨,是画家特出者,然只是院体。山水之为物。禀造化之秀。阴阳晦暝。晴雨寒暑。朝昏昼夜随行改步。有无穷之趣。自非胸中丘壑。汪洋如万顷波者。未易学也。如六朝至唐初。画者虽多。笔法位置。鲜得古意自王维、张璪、毕宏、郑虔之徒出。深造其理。五代荆关。又别出新意。一洗前习。迨于宋朝。董源李成范宽。三家鼎立前无古人。后无来者。山水之法始备。三家之下。各有入室弟子二三人级不逮也。
明汪砢玉撰《珊瑚网卷.四十八》记载了夏圭主要画钱塘山水,景物勾勒使用秃笔橛头描,山石皴法师法李唐采用泥里防钉皴山石。
清不着人著《砚山斋杂记》载:夏禹玉笔墨最为深沈又极灵秀创境亦髙竒,但所画皆浙中山水耳。
一、宋学对古琴文化的影响
史学大师陈寅恪先生说:“华夏民族之文化,历数千载之演进,造极于赵宋之世”的论断。深刻影响中华民族精神内质的儒教理学是在宋代发展成熟; 文人为重的国策促进了书院发展 , 人才辈出; 中国古代绘画、音乐、科技文化的发展在此时达到高峰。
“安史之乱”后,唐朝的衰落迫使士人从昂扬自信的外向心态回归内倾,反思自身使命,并希望寻找到一种思想武器去经世济民乃至安顿灵魂,于是以谋求现实社会的“中兴”的儒学复古运动开始了。这种儒学复兴运动到了宋代更进一步深化,并最终逐步形成了儒学思想体系,建构了以追求内圣、追求自身精神的完善为目标的宋学。宋学更宏观地看重儒学义理探索,寻求对儒家经典的重新发现与阐释。士人以此寻求自身精神信念,寻求生命存在世间的方式与价值。正是在这种目的引导下,宋学推动士人进则经世济国,以天下为己任,退则修身养性,追求自我生命的完善,这便是“内圣外王”的精神实质所在。崇文礼士与士大夫共治天下的政治方针,有利于宋代士大夫“内圣外王”生命追求的实现。
宋代士人在生活性格上表现为隐逸精神的强化,他们在一定程度上能够抛开客体世界,追逐内心的安宁归隐。宋代士人一旦受时事等现实种种束缚时,隐逸的精神才会涌上心头,作自我安慰,以排解钳制,保持他们人格的相对独立和自由。面对残酷的现实时他们会很快走出失望和抑郁,安心隐居,几乎断绝与外界交流,终日寄情“琴、棋、禅、墨、舟、茶、吟、谈、酒”,用内心深处存有的隐逸情怀消解着现实种种不幸,得到生命精神上的超脱。所以,以“临流抚琴、坐看云起、观瀑、渔父”等描写隐逸为题材的作品产生。
总而言之,生于宋代的文人士族的性格自然表现出博大繁盛的宋学文化带给宋代士人的鲜明人格共性。这些共性影响着他们的生命历程。《临流抚琴图》等隐逸题材绘画、诗词、著作的形成是宋学文化、社会显学与作者在这人格共性影响下的履历,以���自身追求探索未知的心理的交融结果。正因为共性的宋学时代文化、社会思潮与个性的生命轨迹、心理动力汇合在一起,帮助宋代文人士族阶层逐渐学习众多知识,培养他们具备科学、文学、艺术等各种才能,并最终使他们将绘画、音乐与哲学、天文、数学、物理等多种学科结合,为后人留下了宝贵的书画、文献材料。
二、宋学影响下的古琴与科技
宋代自然科学蓬勃兴起,并形成中国科技文化史上第一个发展高峰期。
中国古代有轻视自然科学技术的传统,对科技人才视同为普通之匠人。到了宋代,由于宋人务实的文化风气,能够为经世致用的理学实践提供最大支持的自然科技领域很快得到了宋人的重视。官方书院和民间私学都将科技教育纳入正规学习领域,注重科技人才的培养。有技术特长者一经发现,朝廷便会提拔嘉奖。而大量科技类书籍的编校印刷,也促进了科技知识的传播和科技人才的涌现。
著名科学家沈括受到了北宋代科技发展的影响,他对自然科学中的许多领域皆有建树。《梦溪笔谈》记载了沈括以科学的视角去审视音乐。他对编钟的形状与振动、古琴的材质与音质、方响和声学共振现象、磐石的制作与泛音等乐器的物理声学与律学方面,均有前无史例的论述。他还设计了古琴上的“纸人演示”,这是世界上最早的弦共振实验,《梦溪笔谈.补笔卷一》记载:“琴弦皆有应声:宫弦则应少宫,商弦即应少商,其余皆隔四相应。今曲中有声者,须依此用之。欲知其应者,先调诸弦令声和,乃剪纸人加弦上,鼓其应弦,则纸人跃,他弦即不动,声律高下苟同,虽在他琴鼓之,应弦亦震,此之谓正声。乐中有敦、掣、住三声。一敦一住,各当一字。一大字住当二字。一掣减一字。如此迟速方应节,琴瑟亦然。更有折声,唯合字无。折一分、折二分、至于折七八分者皆是。举指有浅深,用气有轻重。如笙箫则全在用气,弦声只在抑按。如中吕宫一字、仙吕宫五字,皆比他调高半格,方应本调。唯禁伶能知,外方常工多不喻也。”500年之后,意大利、英国等国家才有类似的实验项目出现。沈括这种具有浓郁科技色彩的声学、律学研究,无一不使后人感悟到了宋学文化的科技特征。
三、古琴的制度
1---琴面制度
左1、承露:阔五分高二厘与岳出于一木。
左2、自额三寸一分为颈,长六寸一分,挛(收缩)深一寸。
左3、焦尾上贴格谓之:冠线,阔七分、长二寸,中间一寸,冠线高七分,中间两线自龙口绕入:谓之:龙须。
左4、面板:八分落墨解攛cuàn削平正,取一寸二分。
右1、弦眼:七个共阔三寸五分。
右2、岳:高四分厚三分。
右3、肩:当三山正。
右4、凤翅:自肩至腰总象。
右5、腰:始八徽正,终十二山前二分。
右6、冠角
右7、龙龈:横阔九分、直阔二分,高二厘,比冠线低深六分八厘米。
2---琴腹制度
左1、舌宂rǒng:刻深一寸二分,直阔六分,横阔一寸,六分上弯下直,君覆盖新月之形,刻木舌安在内,此��缩半分。
左2、当九十山处,晋实木一寸二分,以安足谓之:凤腿。
左3、当池沼槽腹微隆若韭叶,然声欲出而隘ài有余韵。
左4、韵沼:又深槽腹。漆灰合缝两边自岳至肩阔五分渐减至四分半,两头阔一寸许。
左5、声池:又深槽腹,量琴之虚实而为之。
右1、軫池:底贴格。
右2、槽腹:自项至中山间开剜深至分,自中山至尾深四寸二分。
右3、天柱:圆柱七分当三、四山间,一云当三山下安。
右4、地柱:方六分当七、八山间,一云七山下一寸间安。
3---琴背制度:
左1、軫池:横阔四寸一分,成直阔七分,深三分贴在外。
左2、凤足:距圆阔一寸,中节圆阔五分,筍阔四分而方,共长一寸八分,入眼跟方四分当九十山。
左3、焦尾贴格:高七厘,入底板二厘两旁,直阔一寸三分,中间阔八分。
左4、下龈:刻深六厘,外阔七分,内阔八分半。
右1、甲掌:一名护軫。
右2、底板:要三分成。
右3、池:阔七分七厘成贴在外,前始四分,后七分,终七山前七分。
右4、沼:阔七分成贴在外,前始十山,后四分,终十三山正。
右5、下龈:刻深六厘,外阔七分内阔八分。
四、古琴的构造的含义:
琴之为器,其制详其义深。古先圣贤(指伏羲、孔子等)造琴其状不一,而制度尚象则有定式。
琴额长二寸四分,以象二十四气。岳广三分以象三才。岳内取声三尺六寸,以象朞jí日三百六十有六。龙龈其折势四分,以象四时。共长三尺九寸一分。成于三极,于九九者究也。复变而为一之义也。上穹窿以象天而圆其面。下方舆以法地,而平其底。前广后狭,象尊卑也。中虚含气,外响应徽。徽十有三,其十二法、六律、六吕,其一处中者元气之统,以象闰。则一阴一阳之道,备朞数也。
一统为宫;次弦为商;次为角;次为徵zhǐ;次为羽。尧加二弦,柔而为文曰:少宫。七弦刚而为武曰:少商。刚柔相应,以合君臣之德。世人不知所自而误得二弦为文王、武王所加,非也。上为天统,下位地统,中为人统。抑扬之际,上取泛声则轻清而属天,下取按声则重浊而属地,中加抑按则丝木之声均和而属人。琴鸣因弦,弦鸣因木,侧耳于丝木之上,不足以听其声。由池沼之间而听焉,则无余矣。
琴之首曰:凤额;下曰:凤舌;其岳曰:承露,俗曰:岳裙。凤轸足曰:軫杯。岳之体巍然而高若山岳之状。凤嗉:琴项也,谓之:喉舌,可以教令也。人形者取其肩背之正也。龙腰者取其屈节如龙也。又曰:玉女腰者,取其纤细也。自肩至腰,总象凤翅纵然而张。龙龈乃琴末承弦之异名。焦尾两边曰:冠角,取其状名也。冠内两线曰:龙须。龙池者,龙为变化之物,潜于幽深之地,迹虽隐而声自出也。凤沼者,取其来仪,沐浴自如也。軫者急也,古人以竹为之,取凤非竹实不食之义也。两角雁掌曰:护軫。系弦处曰:凤足。其下曰:凤腿。槽内栽天地柱,一圆一方为琴之心膂也。
琴腹中天地二柱,当心膂之任也。天柱圆厚七分,居姑洗仲吕之界,地柱方厚六分,居南吕无射之界。若是位少差近上则损上声,近下当中则其声品节矣。
五、琴式:
仲尼式、伏羲式、丹维式、祖牀式、委文式、冲华式、递钟式、清角式、振谷式、一弦式、列子式、鸣廉式、修况式、监胁式、号钟式、宣和式、闲邪式、秦琴式、连珠式、灵机式、落霞式、伶官式、蕉叶式、神农式、响泉式、凤势式、师旷式、亚额式、钟离式、剑式等
孔子琴称为:仲尼式 长三尺六寸四分 用周尺 1周尺是23.1cm或21.5cm。
六、指法与手法
古籍中记载的古琴指法三十多种:1、水龙吟势、2、神凤衔书势:、3、幽谷流泉势等。
1.右手指法主要为擘、托、抹、挑、勾、剔、打、摘及其不同的组合如:轮、锁、叠涓、撮、滚、拂、历、双弹、打圆等。
2.左手指法主要分为按音与滑音两种。按音有跪、带起、罨、推出、爪起、掐起、同声等。滑音有吟、揉、撞、唤、进复、退复、分开等。
3、上弦手法、调弦手法
七、抚琴、携琴的姿势
古人抱琴势:古人抱琴之法,以面为阳而向外。以背为阴而向内。头前而宜高,尾后而宜低。
今人抱琴势:今人抱琴多以背向外者。取其龙池之便。可以容指握也。然如是,失于理未宜。
唐代张彦远的《法书要录》载:“辩才博学工文,琴棋书画,皆得其妙。君子四艺,琴棋书画,琴为首。琴为音乐,而音乐最为抽象。一段旋律,不同人有不同解读,没有对错之分。琴声也会随心情而有变化,一个音声就能蕴含万千意味,难以捉摸。“大音希声”意在表明有形的事物发展到极至就如同虚无,无形胜于有形。最高的艺术造诣就是超然洒脱,追求的是一份悠然的意境,不被有形的事物所羁绊。古琴体现的超凡脱俗依旧是文人雅士孜孜追寻的无上境界。
唐代诗人白居易《船夜援琴》鸟栖鱼不动,月照夜江深。身外都无事,舟中只有琴。七弦为益友,两耳是知音。心静即声淡,其间无古今。抚琴体现的是中国传统文人文化天人合一的主张,力求人琴合一,获得古淡疏脱、萧散简远、恬淡清逸的超凡感悟和内心的从容。
八、抚琴注意的事项:
洗手:弹琴须盥手,手洁则弦不受污。
时间:1、夏月惟宜、早晚,午则不可非惟汗溽,恐太燥脆弦。
环境:焚香鼓琴惟宜清烟,细如水沉生香之缕则清馥韵雅。若他和合艳香则不可入琴供。
时间和环境:2、对月古琴须在二更人静,万籁无声。始佳弹琴,须对轩窗、池沼、清漪、芳沚。俾bǐ微风洒然,游鱼出听,自多尘外风致。
初唐诗人王维《酬张少府(张九龄)》:晚年惟好静,万事不关心。自顾无长策,空知返旧林。松风吹解带,山月照弹琴。君问穷通理,渔歌入浦深。
王维肯定并赞赏那种“松风吹解带,山月照弹琴”的隐逸生活和闲适情趣,体现他在世事之中追求精神超然的一种情愫。
九、古籍中记载的抚琴人的阶层
“黄门士、隐士、儒士、羽士、德士”五者雅称圣人之乐,故宜于琴。
1、黄门士:鼓大雅圣德之颂。
2、隐士:操“流水、高山”之调。
3、儒士:抚清和治世之音。
4、羽士:操“御风、飞仙”之曲。
5、德士:弹“枯淡、清虚”之吟。乃伯夷、叔齐、柳下惠之流。
6、骚人(失意的文人、诗人)、逐客(指被贬谪远地的官员)、游子、怨女不得寄情于琴,以伸快意。
7、几学琴必须要有文章、能吟咏者。
8、貌必要清、奇、古、怪,不麄cū俗者。
9、心必有仁慈德义,能甘贫守志者。
10、言必要有诚信,无存浮华薄饰者。
鼓琴必须:明堂、静室、竹间、松下,他处未宜。
明代为代表的封建社会中“不宜”和“不许”鼓琴的阶层
1、武士之家不宜鼓琴。有言将士之家无琴声,尽戟门开金鸣鼓。
2、商贾不宜鼓琴。琴本圣人修身养性、甘贫、知止、戒盈之乐。商贾乃利欲悭贪市井之人。反于圣人之道,故忌之。
3、沙门不宜鼓琴。按雅调玄徽唯不宜于尘俗而淄流衲子。实崇尚乎清高品流,既卓风韵、更饶是以岫上人妙解曾见推于太白颖禅师琴亦雅慕于昌黎。从来乾、竺数振玄风,是宜收之。琴苑之中岂可麾之墙门之外。
4、优伶不许鼓琴。且古之有伶官,琴者非倡优伎女也。即汉唐典神乐之官,郊祀天地之乐,今太常寺是也。后代倡优窃其名为伶人诚为可咲(同:笑)。
5、非中土有乡、谭番语者,其语言音之不正,安能合圣人之正音,故不宜也。琴本中国贤人君子养性修身之乐,非蛮貘之邦所有也,故不宜。
6、百工技艺之人皆谓之俗夫。以俗夫之材而鼓圣人之琴是玷污雅器,故忌之。
而今,百花齐放、百家争鸣,公民平等,全面建设小康社会。人们对物质和精神文化繁荣,古琴艺术走出“明堂静室”成为各阶层人们喜闻乐见的艺术形式。学习古琴艺术的普通群众日益增多。
十、学习、演奏古琴的条件和规则:
五不弹:
不坐不弹:操琴是心意的抒发,自然要求平稳,要求气定神闲,不可有浮躁之气。
不衣冠不弹:操琴是心灵艺术。既为心灵之体现,则须郑重自然,清净洒脱。
对俗子不弹:市井粗俗之人,不解雅趣,不识风情,难体琴道之妙,不为知音。
市廛chán不弹:尘世喧闹,嘈杂不静,俗气又重,此与琴文化的情趣相违。
疾风暴雨不弹:疾风声枯,暴雨音拙,故不可弹琴。更因为疾风暴雨之中,人往往不能心平气和,有伤于琴心的抒发。
十疵:
坐席不正、衣冠不雅、容貌不庄、视听不专、精神懒惰、头足摇动、声音不和、叚落不明、指法紊乱、急缓无节。
十忌:
太淡而拙、多取而杂、太淡而拙、多取而杂、其轻如摸、其重如攫、其拘如怯、其逸若蹶;用力而艰、纵指而阑、其缓若昏、其急若奔。五功:指法合宜、敲击不杂、吟操不露、起伏有序、作用有声。
五能:
坐欲安、视欲专、意欲闲、神欲解指欲坚
十二欲:
神欲思闲、意欲思定、容欲思恭、心欲思静、听欲思聪、视欲思明、调欲养性,曲欲适情、弹欲断弦、按欲入木、急欲思缓、缓欲思促。
七要:
学琴者欲得风韵潇洒,无尘俗气,而与雅乐称。
蓄琴欲其九德具备,无收庸材。
下指沉静,而不得暴躁。
曲调雅正,不挟淫哇。
不为俗奏,以玷古人之高风。
声无映夺,欲得纯正。
听欲静虑,不逐声色。
综上,是鼓琴应守的规矩。鼓琴是黄门士、隐士、儒士、羽士、德士可演凑的圣人之乐,是修身养性的守志的象征,“心中无德---腹内无墨”是不适合鼓琴的。
十一、名琴
奔雷”琴
南宋,通长126.6厘米,隐间117.2厘米,额宽18.5厘米,肩宽20厘米,尾宽15.6厘米,厚5.2厘米。
“奔雷”琴,仲尼式,桐木斫,通体黑漆,紫漆修补。鹿角灰胎薄而坚,小蛇腹间牛毛断。长方池沼,蚌徽,牛角足,象牙轸,紫檀岳尾。亦是耸肩之琴,唯项逐渐坡下,是以耸而不觉其狭。亦非常例,尤怪者无凤舌。琴为天津琴家宋镜涵旧藏。
琴背铭刻。龙池上方刻古篆琴名“奔雷”,池旁宋镜涵题诗二首:“南北东西几度游,名琴能遇不能求。奔雷无意欣相遇,宿愿多年始得酬。”“久经风鹤不堪嗟,一抚奔雷兴倍赊。三十年来成伴侣,怡情养性不离他。”池下刻朱宝成跋一则并小印二。朱宝成跋:“周密《视听抄》列举北方名琴十七床,内一则云‘奔雷樊泽民琴,当第一。’老友宋君镜涵三十年前得之,时时抚弄未尝相离,今年八十岁,为琴赋二诗,余喜而镌之,以志雪爪云尔。天峰居士朱宝成。”小印镌“朱”、“宝成”三字。跋文右侧刻“夏历岁次己亥正月十五日”,左侧刻“公元一九五九年时年六十有四”。1983年入藏故宫博物院。
龙门风雨”琴
明初,伏羲式,通长120.8厘米,额宽21厘米,尾宽14.3厘米。清宫旧藏。
琴为桐木斫成,黑漆上罩朱漆,瓦灰胎,发牛毛断纹。蚌徽,黄杨岳尾,紫檀轸,青玉足。龙池圆形,凤沼长圆形。
琴底龙池上方刻草书“龙门风雨”琴名,池下方有“包含”大印一方。有腹款,可惜漶漫不清。圆池周围依稀有“大宋”字样,纳音左右几字可辨,为右书“时……重修”、左书“时万历……又重修”。
原琴损坏极严重,20世纪40年代后期,管平湖先生修好“大圣遗音”琴后又修此琴,使其复成为相当完整的乐器。
十二、和古琴有关的历史故事:
夏圭一派的无名画家以“临流抚琴”为题材,是源于战国时代楚国的伯牙、子期“知音之交”的传说故事,图中临流抚琴者俞伯牙,而在不远处听琴者就是观画者“钟子期”。这样巧妙的构思将观画者引入画境,静静欣赏仿佛听到悠远的琴声。
最早记录《俞伯牙摔琴谢知音》的历史文献是战国时期古籍《列子.汤问》 :伯牙善鼓琴,钟子期善听.伯牙鼓琴,志在登高山.钟子期曰:“善哉!峨峨兮若泰山!”志在流水.钟子期曰:“善哉!洋洋兮若江河!”伯牙所念,钟子期必得之.伯牙游于泰山之阴,卒逢暴雨,止于岩下;心悲,乃援琴而鼓之.初为霖雨之操,更造崩山之音.曲每奏,钟子期辄穷其趣.伯牙乃舍琴而叹曰:“善哉,善哉,子之听夫!志想象犹吾心也.吾于何逃声哉?”
《吕氏春秋.本味篇》记载伯牙绝弦的原因:伯牙鼓琴,钟子期听之,方鼓琴而志在泰山,钟子期曰:"善哉乎鼓琴!巍巍兮若泰山"。少时而志在流水。钟子期曰:"善哉鼓琴,洋洋兮若流水"子期死,伯牙摔琴绝弦,终身不复鼓琴,以为世无足复为鼓琴者。
北宋《册府元龟》一书将“伯牙、子期”整理记录为一个事例。明代小说家冯梦龙改编为《警世通言》第一章《俞伯牙摔琴谢知音》,成为更广泛的学作品,流传于民间。
《临流观瀑图》、《坐看云起》是“南宋四家”夏圭作品。图中一文士独坐或有小厮侍立,构图形式于《临流观瀑图》接近,而文士不再“抚琴”,颓然孤坐仿佛若有所思,大概是怀念已逝的知音。
总之
南宋传夏圭一脉无名氏的《临流抚琴图》是古代儒士、隐士抚琴的场景。作者谙熟抚琴具备的环境条件,基本姿势和规矩,表现的形象生动传神。
粗笔的画法写意为主,一笔就画出的古琴的意像,言简意赅。整幅作品笔墨意趣、相得益彰,是南宋院体山水画扇面小品的佳作。
古琴是中国新石器时代的伏羲、神农时期发明的乐器,是与西域传入的“龟兹乐”为主的宫廷、民间世俗系列音乐截然不同的。《论语.泰伯》子曰:兴于诗,立于礼,成于乐。以诗歌来感发意志,促使个体向善求仁的自觉,以礼实现人的自立,最后在音乐的教育熏陶下实现最高人格的养成。在宋学文化的影响下,古琴艺术得到文人士大夫阶层的重视和喜爱,从而促进了以声学共振研究的科学方面的发展,在绘画上出现了《临流抚琴图》、《听琴图》等等佳作流传至今。
古琴音乐代表了从三皇五帝时代一脉流传至今的中华音乐的正统----被誉为:天地之正声。著名的古曲《流水》代表亚洲和中华民族与宇宙无极的对话于1977年被录制成镀金唱片保存在宇航船中永远在太空回响。
参考摘录了相关的声乐学文章和古籍,特此感谢!
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[翻訳] コロナ禍と印中対立のなかのインド華人
中国系インド人の愛と憧憬
2020年7月25日 アスミター・バクシー
ガルワーン渓谷事件後の印中関係緊迫化、コロナウイルス・パンデミックによる反中感情の高まりとともに、インド系中国人コミュニティは集中砲火を受けている
3月17日、41歳のミュージシャン、フランシス・イー・レプチャは、急遽切り上げたプリー〔※オリッサ州の都市〕旅行からコルカタに戻る列車の中にいた。新型コロナウイルスは全国でその存在感を示しつつあり、ナレーンドラ・モーディー首相が厳重な全国ロックダウンを発表する日も近かった。レプチャが家族と一緒にまだプリーにいた間も、彼がチェックインしようとするとホテルの宿泊客は反対の声を上げ、路上では「コロナウイルス」と呼ばれ揶揄された。
フランシスは中国系インド人で、母方と父方の祖父は1930年代に他の多くの人と同様に日本の侵略から逃れてインドに来た。彼らはダージリンで大工として働き、地元のレプチャ族の女性と結婚した。のちに彼の両親はコルカタに移り住み、そこで彼は生まれ育った。
このミュージシャンは1980年代に幼少期を過ごし、ドゥールダルシャン〔※インド国営TV局〕で『ミッキー・マウス』や『チトラハール』を見たり、マドンナに憧れたり、クリフ・リチャードの「ダンシング・シューズ」に合わせて頭を振ったりと、これらを6歳で楽しんでいたわけだが、童歌「ジャック・アンド・ジル」に関係があるという理由が大半だった。彼は流暢なベンガル語と「荒削りなヒンディー語」を話し、そして、彼によれば「ほとんどお向かいのチャタルジー一家に育てられた」という。
列車がガタンゴトンと進むなか、冷房寝台車の他の乗客たちは、彼には自分たちが何を言っているのかわからないと思い込んで、「中国人」について疑いの声を上げはじめた。フランシスはすぐさま口を挟んだ。「私は流暢なベンガル語で、自分がコルカタ出身で、中国に行ったことはなく、彼らに感染させることはないと説明した」のだという。「彼らの顔を見せてあげたかった」。
コルカタに戻ると、フランシスはプリントTシャツを注文した。彼はコルカタ・メトロのセントラル駅の真上に住んでいるのだが、それが明るい否定のメッセージとなり、かつ人種差別に対して有効なツールとなるだろうと考えた。フランシスのさっぱりとした白いTシャツの上の端正なベンガル語のレタリングには「私はコロナウイルスじゃない。コルカタ生まれで中国には行ったこともない」とある。
6月15日、国土の反対側では、俳優兼歌手のメイヤン・チャンが、過去13年にわたって本拠地と思ってきた都市ムンバイで、夕食をともにするために友人宅を訪れていた。彼らはテレビのニュースを見ていたが、その放送は特に憂慮すべきものだった。2つの核保有国が数十年間争ってきた境界である実効支配線に沿ったラダックのガルワーン渓谷でインド兵20人が中国軍に殺害されたのだ。
「衝突の後、ダウン・トゥ・アース誌のインタビューに答えた時、私の最初の反応は怒りでした。『どうして私が自分の愛国心を証明しないといけないのか。どうして私がインドを愛し、中国を憎んでいると言わなければならないのか』。私はその国のことを知りもしません。中国というレンズを通して自分が引き継いでいるものは理解していますが、それだけです。私にはインド以外の故郷はありません」と彼は言う。しかし、彼の経験上、怒りは何の役にも立たない。「その代わりに、私は異文化交流の美しさについて話しました。それはインド全土に存在するものです。私たちの外見だけを理由に自分たちの仲間ではないと考える人々には驚かされます」。
チャンもまた中国系である。彼はジャールカンド州ダンバードに生まれ、ウッタラーカンド州で学校教育を受けた。彼の父親は歯科医で、チャンもベンガルールで歯学の学位を取得している。彼は自分の家系を詳細に遡ることはできていないが、先祖が湖北省の出身であることはわかっており、そこは1月以来、ニュースを席捲している。新型コロナウイルスが最初に報告された武漢とは、同省の首都である。
37歳の彼は、主流エンタテインメント産業で名声を得たおそらく唯一の中国系インド人コミュニティ出身者である。2007年にTV番組『インディアン・アイドル』の第3シーズンで5位になり、2011年にはダンス・リアリティ番組『ジャラク・ディクラー・ジャー』で優勝し、さまざまなTV番組やクリケットのインディアン・プレミアリーグなどのスポーツイベントの司会を務め、『バドマーシュ・カンパニー』『探偵ビョームケーシュ・バクシー!』『スルターン』『バーラト』という4本の大作ヒンディー語映画に出演してきた。
しかし、この数ヶ月の間、彼もまたCOVID-19についての世間の興奮と、そして目下の印中対決についてのそれを感じている。パンデミックのせいで人々が人種差別的発言を黙認しているため、彼はオンラインや路上で野次られてきた。実効支配線での印中対峙後は、これに無言の圧力、あるいは彼が言うところの飽くなき 「愛国欲」が続いた。「医療、経済、そしてある程度の人道的危機の最中に国境での小競り合いや恐ろしい話が出てきて、どう考えていいのかわからなかった」と彼は言う。
中国系インド人3世として、チャンとフランシスは共通点が多いように見える。二人ともインドで生まれ、家系は中国に遡り、家業を継ぐという中国的伝統から逸脱し、ディーワーリー、イード、クリスマス、旧正月をまぜこぜ��祝って育ち、フランシスが的確にもこの国の「微小マイノリティ」と呼ぶものに属している。
この二人はまた、パンデミックが世界中で反中国の波を引き起こし、米国のドナルド・トランプ大統領が新型コロナウイルスを繰り返し「中国ウイルス」と表現している時にあって、中国系インド人が味わっている苦難を象徴している。インドでは中国との国境問題が状況をさらに悪化させている。怒りの高まりにより、政府は59の中国製アプリを禁止し、大臣たちは中華食品やレストラン(大半はインド人によって経営されている)のボイコットを求め、中国の習近平国家主席の肖像が燃やされ、COVID-19と紛争は危険なまでに一体視された。
この敵意の副作用はチャンやフランシスのような市民や北東部インド人が被ることになり、路上で暴言を吐かれたり、家から追い出されたりした。デリー在住の中国系ジャーナリスト、リウ・チュエン・チェン(27歳)は、地元のスーパーで人種差別的な悪罵を浴びせられた。「私の母はいつもならウイルスから身を守るためにマスクをするように電話で言ってきたはずですが、国境紛争の後は顔を隠すためにマスクをするよう言われました」と彼女は言う。
印中関係が緊迫するなか、世代を越えて広がりつづけているトラウマである1962年の中印戦争の記憶が前面に出てきた。では、こんな時代にあって中国系インド人であることは何を意味するのだろうか。
中国人の到来
インドにおける中国系インド人コミュニティの起源は、1778年に海路でインドに上陸した商人、トン・アチュー〔塘園伯公〕、またの名を楊大釗に遡る。伝承によれば、アチューは当時のイギリス総督ウォーレン・ヘイスティングスより、日の出から日没まで馬に乗るよう、そしてその間に彼が通過した土地は彼のものになると言われたと、あるいは(より公式なヴァージョンでは)彼のホストとなったイギリス人に茶を一箱プレゼントしたおかげで土地を与えられたとされている。
フーグリー川沿いにあったアチューの土地は、現在はアチプルとして知られている。彼を讃えて記念碑が建てられ、中国系インド人の巡礼地となっている。アチューの後を追って何千人もの中国系移民が続いた。彼らの上陸港はコルカタであり、長年にわたっていろいろな職業の多様な集団が植民地インドの当時の首都にやってきた。
「1901年の国勢調査はカルカッタに1640 人の中国人がいたと記録している。中国人移民の数は20世紀最初の40年間、特に内戦と日本の中国侵略のために増加しつづけた」と、デバルチャナ・ビスワスは2017年8月に『国際科学研究機構人文社会科学雑誌』に掲載された論文「コルカタの中国人コミュニティ:社会地理学によるケーススタディ」1の中で書いている。
ダナ・ロイの祖父母も、日本による侵略の時期にインドにやってきた。コルカタの学校で演劇を教えている36歳の彼女は、『亡命』と題した作劇のプロジェクトに取り組んでいるときに、母方の中国人家系を辿った。「中国の家庭は一夫多妻制だったので、私の祖父は三度結婚しました。そのうち一人は中国で亡くなり、二人目は第二次世界大戦中に日本の侵略から4人の子供を連れて逃れました」と彼女は説明する。彼らの家は、広東省の小さな村唯一の二階建ての建物で、日本軍はそれを司令部としたのだという。
ロイの祖父は、その頃には既にインドで輸出入業を営んでおり、インドにはヒンディー語と広東語の両方を話す中国系の妻がいた。彼の職業柄、家族を船で渡らせるのは容易だった。「叔父の一人には眩暈症があり、大きな音を怖がっていたのですが、(道々)聞いたところでは、村から逃げる際に日本の戦闘機に追われたからだとのことでした」と彼女は言う。
長い間、彼らは均質的集団として見られてきたが、インドに来た中国人は実際には相異なるコミュニティの出身だった。その中でも最大のものは客家人で、まず皮なめしに、最終的には靴作りに従事した。彼らはコルカタのタングラ地区に住み着いた(市内に2つあるチャイナタウンのうちの1つであり、もう1つはティレッタ・バザール)。このコミュニティは他のいくつかのグループのように一つの技術に特化してはいなかったが、ヒンドゥー教のカースト制度が皮革を扱う仕事をダリトのコミュニティに委ねていて、客家人にはそのような階層的制約がなかったため、彼らはコルカタで皮なめし工場の経営に成功することができた。
チャンが属する湖北人コミュニティは歯医者と紙花の製造に従事していた。「ラージ・カプールやスニール・ダット主演の古いヒンディー語映画に出てくる花は全部私たちが作りました。俳優がピアノを弾き、メフフィル〔舞台〕の上に花々が吊り下がっていたなら、それは全部我が家の女たちが作った物です」とコルカタ湖北同郷会会長、65歳のマオ・チー・ウェイは言う。
広東人は大半が大工で、造船所や鉄道に雇われたり、茶を入れる木製コンテナづくりに雇われたりしていた。1838年、イギリス当局はアッサムの茶園で働かせるため、多くが広東人の職工や茶栽培農夫からなる中国人熟練・非熟練労働者を導入している。
1949年に毛沢東率いる共産党が政権を握ると、中国への帰国は問題外であることが明らかになった。そのため、女性たちはインド在住の家族と合流しはじめ、すぐに東部諸州の中国人居住区にはヘアサロンやレストラン、ドライクリーニング店などが点在するようになった。
寺院が建てられ、コルカタのタングラとティレッタ・バザール、アッサム州のティンスキアには中国人学校ができた。賭博場や中国語新聞、同郷会館などもでき、春節や中秋節を祝うほか、中国の儀礼に従って結婚式や葬儀を行うようになった。
「彼らがコルカタに定住し始めた18世紀後半から、1960年代初めまで、中国人移民は、とりわけ同じ方言グループでの内婚や、文化実践、独特の教育システム、住居の排他的なあり方を通じて『中国人アイデンティティ』を維持することに成功した」と、張幸は彼の論文「中国系インド人とは誰か?:コルカタ、四会、トロント在住中国系インド人の文化的アイデンティティ調査」の中で述べている2。
このコミュニティと祝い事の時代は、1962年の印中紛争で突然終わった。戦前には5万人と推定されていた中国系インド人の人口は約5,000人にまで減少した。彼らの多くはその後、海外に移住した。
融合する文化
「アイデンティティとは、単に『私は中国人か、それともベンガル人か』というよりも複雑なものです」とロイは言う。「アイデンティティを主張したり断言したりする必要性を本当に感じるのは、それが奪われつつあると感じたときだけです。アイデンティティについて聞かれたとき、特にこのような時世には、『他のインドのパスポート保持者はこんなことを聞かれるだろうか』と疑問に思うのです」。
ロイは中国系移民と地元民との不可避的な混ざり合いの象徴である。彼の母親は中国系で、ベンガル人と結婚しており、一家はタングラやティレッタ・バザールから離れたコルカタ南部に住んでいる。ロイがこれらの地区を訪れるのは、たいてい中国式ソーセージを買うためか、たまに友人と中華の朝食を食べたりするためだ。
今日の中国系インド人は、中国的伝統が失われていく一方、国籍と文化遺産の間の摩擦が増えていくという二重の現実に直面している。例えば、かつてコルカタのチャイナタウンで行われていた旧正月の祝賀会は、ほとんどがプライベートなものになっている。チャンはただ友人を家に招待することが多い。ロイは親戚とご馳走で盛大に祝ったり、「みんなが忙しければ」ただオレンジを食べて祝ったりしている。
若い世代が広東語や北京語ではなくヒンディー語や英語を学びながら成長し、儒教のような中国の伝統的な宗教的習慣から遠ざかるにつれ、彼らのアイデンティティの中国的側面はますます衰えつつある。以前はそのアイデンティティの別称として機能していたタングラも、今や混合文化に道を譲った。また、環境問題により1996年には皮なめし工場が閉鎖された。
それでもフランシスのように、自分たちの文化を守るためにできることをしている人もいる。彼は友人と毎年の旧正月にはコルカタで龍の踊りを披露する。「私たちは衣装と太鼓を身につけ、旧チャイナタウン、新チャイナタウンその他、コミュニティが散在しているコルカタの各地で4日間にわたって上演するのです」とのことだ。彼らは彼が子供の頃に喜んで受け取っていた赤い封筒入りのお金を配る。
しかし、帰属と受容という、より大きな問題は残ったままである。チャンによれば、自身がエンタテインメント産業に加わっていることと「ヒンディー語とウルドゥー語に堪能」であること(彼はボリウッド作品を観て育ち、父親はマフディー・ハサンのガザル歌謡が大好きだった)は、人々が常に彼を「インド人」として受け入れてきたことを意味する。彼のファンは年齢層やエスニック・グループを跨いで存在する――『インディアン・アイドル』に参加していたときには中国人コミュニティが彼を支持し、より若いファンは彼が「K-POPスターやアニメ・キャラクターを彷彿とさせる」ゆえに彼を愛している。しかし、ソーシャルメディアで意見を表明することは、特に最近では危険であり、時に大騒ぎになる。
「CAA(修正市民権法)のような問題については、間接的に言及して自分の意見を伝えるようにしています。これは大事なことだからです」、彼は言う。ガルワーン渓谷での衝突の後、陸軍大尉を名乗る匿名アカウントが、彼のYouTube動画の一つにコメントして、国家に忠誠を誓い、インド人兵士への支持を公に表明するよう彼に求めた。「私はそれを大したことではないと思い、〔陸軍大尉という〕彼の名乗りに引っかけて『敵との戦いに集中してください、あなたの仲間の国民とではなく』と言いました」。
ジャーナリストのリウ・チュエン・チェンは、アイデンティティとインド政治の両方についての自身の率直な物言いは、コミュニティ内では異例であり、しばしばオンラインやオフラインで嫌がらせの標的になることにつながっていると述べる。「一度、エアインディアの飛行機に乗るとき、係員たちが私に有権者証ではなくパスポートを見せろと言い張ったことがありました。彼らは私がインド出身でないと信じていたからです」、彼女は言う。「私はパスポートを取ってすらいなかったのに」。
年長世代の政治との関わり方はやや異なっている。彼らは今でも中国政治を追いかけてはいるが、距離を置いている。「調査中、国民党シンパと共産党シンパの間にあるコミュニティ内の分断を感じました」とジャーナリストのディリープ・ディースーザは言う。彼は1962年の印中戦争の歴史を、当時強制収容されていたジョイ・マーの口頭の語りとともに記録した『ザ・デオリワーラーズ』3の共著者である。
「しかし、それだけです。彼らは台湾とPRC(中華人民共和国)の対立を私と同じように見ています。そこに親戚はいるかもしれませんが、台湾市民になりたいとか、PRCに忠誠を誓いたいというようなものではありません」。
このような関わりの多くは目に見えない。このコミュニティに共通する話として、彼らは頭を低くして注目されずにいることを好む。これは1962年に中国系コミュニティと関係者が強制収容された結果という部分が大きい。
消えない恐怖
1962年の戦争後、中国軍が国境東部のNEFA〔北東辺境管区〕、国境西部のアクサイチンに進出したとき、インド世論は怒りと疑念に満ちていた。インド人は当時のジャワーハルラール・ネルー首相の保証に憤慨し、中国に裏切られたと感じていた。今回もまた、この敵意の矛先はインドの中国系コミュニティに向けられていた。
作家クワイユン・リー氏が学位論文『デーウリー収容所:1962~1966年の中国系インド人オーラル・ヒストリー』4で書いているように、「国民的な熱狂に駆り立てられ、主流派インド人は中国人住民を追放し、時に暴力を振るい、また、彼らの家や事業を攻撃したり破壊したりした」。
リーは付け加える。インド当局は「毛沢東支持に傾いた中国語学校や新聞、中国系団体を閉鎖した。蒋介石(台湾)を支持する学校、クラブ、新聞は活動を許された。これらの学校やクラブは、マハートマー・ガーンディーの肖像とインド国旗を孫逸仙〔の肖像〕と十二芒星の〔ママ〕国民党旗の横に加えた」。
これらの状況は、当局に「敵国出身者」を逮捕する権限を与えるインド国防法が1962年に成立し、1946年外国人法と外国人(制限区域)令の改正が行われたことと相まって、ラージャスターン州のデーウリー収容所で中国系インド人を抑留するための「法的なイチジクの葉〔方便〕」になった、とディースーザは言う。
3000人近くの中国国民または中国系の親族をもつインド国民がスパイ容疑で逮捕され、最長で5年間拘束された。
「ガルワーン渓谷の小競り合いが起こったとき、私はそれについて思いもしませんでした。祖母が最初にそれを口にしました。『もし雲行きが悪くなったら、私たちは逮捕されるかもしれない』」、チャンは言う。「たとえ私達も同じことを考えていようがいまいが、そんなことは起こらないと彼女を説得するのが私のおじと私の役目でした」。
フランシスは1962年に当時10代前半だった母親がダージリンの祖母を訪ねており、二人とも収容されたという思い出話を語る。イン・マーシュも同様であり、1962年11月に13歳でダージリンのチャウラスタ地区から父、祖母、8歳の弟と一緒に収容所に連行された5。
マーシュのように、このコミュニティの多数の人がインドを離れカナダ、米国、オーストラリアに向かった。しかし、歴代の政府がこの歴史の一章を認めたり、謝罪したりしていないことを考えると、圧倒的なトラウマと裏切られたという感情は今日に至るまで残っている。
中国系インド人はなおも傷を癒やす途上にある。アッサム州の同コミュニティ出身の48歳の女性(匿名希望)は、ガルワーン渓谷事件の後、89歳の父方のおばから電話を受けた。彼女はまたも強制収容されるのではないかと心配していた。「私はそれを笑い飛ばし、心配させまいとしました。私はね、もしまたそんなことになったら、皆一緒に行ってダルバートを食べましょうって言ったんです」と彼女は言う。
大昔の法改正はまた、1950年以前にインドに来た、あるいはインドで生まれた中国人移民のほとんどは決してインド市民権を与えられないということを確実にした。例えば、彼女のおばは今や87年間インドに住んでいる。「彼女は今でも毎年外国人登録事務所に行って滞在許可証の更新をしなければいけません。ここは彼女が知っている唯一の故郷ですが、法的には決して帰属することはなく、常に部外者のままです」と彼女は言う。
以上のような要因が、生まれた国への忠誠心を公にするようインドのこのコミュニティをせっついている。例えば、ガルワーン渓谷の衝突の後、コルカタでは中国系インド人が「我々はインド軍を支持する」と書かれた横断幕を掲げてデモ行進をした。
「人々には中国共産党(CCP)が中国系インド人のことを大して気にかけていないことに気づいてほしい。彼らはおそらく我々が存在していることすら知らない。もし私が完全ボリウッド風でやりたいと思ったら、『マェーンネー・イス・デーシュ・カー・ナマク・カーヤー・ハェー〔※私はこの国の塩を食べてきた、の意〕』と言う〔=愛国心を歌い上げる〕ところまでやります」とフランシスは言う。「私の優先順位は単純です。私はインド市民であり、インド憲法に従って暮らしており、私の支持は常にこの国にあります」。
印中間の緊張がすぐには緩和されそうにないなか、アイデンティティと帰属意識の問題が頻繁に前景化されるかもしれない。チャンの不安もまた、このような思慮をめぐるものだ。「エンタテインメント産業の誰もが仕事はいつ再開できるのかと心配していたとき、敵のような見た目の顔をしているから自分には誰も仕事をやりたくないのではないかなどと、余計な不安を私が感じていたのはどうしてでしょうか」と彼は問いかける。
http://www.iosrjournals.org/iosr-jhss/papers/Vol.%2022%20Issue8/Version-15/J2208154854.pdf ↩︎
張幸(北京大学外国語学院南亜学系副教授)は女性。引用論文は2015年刊行の論集に掲載されたもの。これを補訂したと思われる2017年の雑誌論文あり。 ↩︎
http://panmacmillan.co.in/bookdetail/9789389109382/The-Deoliwallahs/3305/37 デオリワーラー(デーウリーワーラー)はデーウリー収容所帰りの意。 ↩︎
1950年カルカッタに生まれ、強制収容は免れたが1970年代にカナダに移民した著者が、トロント在住の客家人元収容者4人の聞き取りをもとに2011年にトロント大学オンタリオ教育研究所に提出した修士論文。 ↩︎
元デーウリー収容者で、収容経験を述べた『ネルーと同じ獄中で』(初版2012年、シカゴ大学出版会より2016年再刊)の著者。 ↩︎
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