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今日待(kyomachi )
88 posts
政治とか、外交とか、国際情勢とかいった事とか書いてみたいです。
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gotainmino · 10 days ago
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懐かしい名前
ボクに、かつて一緒に旅行に行ったこともある職場の友人がいました。その人は「ほかにやりたいことがある!」という夢と信念のもと、職場を辞めていきました。
退職後もしばらくは連絡があり、何度か会って話をしたこともあります。でも、次第に疎遠になり、連絡は途絶えていきました。
ボクがLINEを始めたのは、わりと遅い方です。「仕事上の連絡に使うから作ってほしい」と会社の人に言われて、しぶしぶ登録したのがきっかけでした。
ある日、そのLINEの「知り合いかも?」という通知の中に、なんとその人の名前があったんです。
……実は、その人と疎遠になったのには、ちょっとした事情がありました。そのことが未解決のままだったので、気まずさもあって、通知を開くことも、返事をすることもできませんでした。
ひとえにボクの不徳の致すところです。
でも、懐かしい名前を見たとたん、「いま、どうしてるんだろう」と気になってしまって。「名前だけでヒットするわけないよな」と思いつつ、ダメもとで検索してみたんです。
……出てきました。その人がやっているお店のブログが。
辞めるときに目指していた職業とは、まったく違うジャンルでした。でも、自分で決めた道に向かってまっすぐ進んでいる姿が、そこにはありました。
なんだか、それだけで嬉しくなって。
その人のこれからの活躍を、心から祈っています。
がんばれ、その人。 がんばれ、かつての職場の友
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gotainmino · 24 days ago
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横文字屋号の飲食店
隣町に「*ent’s」という名の飲食店があります(※伏字にしてます)。そのお店の前を通るたびに、僕はずっと「◯ンツ」と読むものだと思ってました。自然にそう読んでいたし、特に疑問もなかったんです。
ところが、ある日ふ���飲食店紹介サイトを見てみたら──なんと「◯ントス」だというのです。
えっ、◯ントス?いやいや、ちょっと待ってくださいよ、と。 英語で[t]が語尾に来たとき、日本語カタカナでは「ト」って読むのが定番です。で、そのあとに複数形とか所有格の[-s]がついて[-ts]となれば、「ツ」になりますよね? なのに「◯ントス」って。
たぶんお店の方は、「tとsの間に[‘](アポストロフィ)入れとけば、“◯ントス”って読んでもらえるやろ」って思ってるんじゃないかと。
うーん、それでホントに大丈夫なんかな?
もしかするとですね、店主さんには特別な思い入れがあるのかもしれません。語尾に[-s]がついてない状態の「*ent」──これに強いこだわりがあって、「どうしても『*ent’s』で“◯ントス”や!」という気持ちなのかもしれません。
まぁ、名前に込めた思いというのは、最終的には本人の自由ですからね。 こっちはあくまで通りすがりの外野ですし、とやかく言う筋合いもないんですが。
それに、紹介サイトを見る限りでは繁盛してるみたいですし、ここは素直に──
ご健闘と、さらなるご発展をお祈り申し上げます。
ご注意:最後の一文に出てくる「ご健闘」と屋号には、一切の含みもダブルミーニングもございません。──ホントですってば。
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gotainmino · 1 month ago
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ケーブルテレビ,加入してますか?
ケーブルテレビ(以下、CATV)に加入しています。既存のテレビ局の番組はもちろん、いくつかの有料チャンネルも基本料金で観られます。ナショジオとか、そういうの。
最初はそれがすごく面白くて夢中だったんですが、だんだんと飽き…いや、志向が一段落して、今は落ち着いて楽しんでます。
CATV局の主な収入源は加入料金。企業をスポンサーに取り込む民放とは違って、彼らの営業は地元密着。サービスエリア内を一軒一軒回って「CATVいかがですか〜? いろんな番組が観られますよ〜! お得な料金プランもあります〜!」と、ドブ板営業です。
そんなCATV局の営業部門が、最近ちょっと面白いサービスを始めました。
それはなんと、「営業担当者による包丁研ぎ」!
どうやら、サービスエリア内にある刃物の産地のメーカーさんで研修を受けてきたらしく、自主制作番組でも熱心にPRしています。
なかなかユニークな発想ですよね。着眼点もセンスも、個人的にはとても面白いと思っています。
……ただ、そこそこにしといた方がいいかも、という気もします。
そのうち、 ・玄関先にできたハチの巣を取るサービス ・DVダンナを退治するサービス ・あるいは、就職したお子さんがまかりまちがってブラック企業に入ってしまった場合、代わりに「会社辞めます」の手続きをしてくれるサービス
……とか始まったら、どうしましょw
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gotainmino · 2 months ago
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黄砂に吹かれて
今年もようやく落ち着きましたが黄砂の飛来。あれって大変ですよね。洗濯物が汚れるとか、向こうの方の空がかすむだけならまだしも、体調を崩す人もいるそうです。ホントに大変ですよね。
まぁ、季節風が起こす春の椿事ですから、そんなに風上国を悪くいう訳にもいけません。(ここ、強調しますが)それが砂漠の砂と季節風だけであったらですけど。
1960年代後半って、確か風上国がドカドカ核実験やってませんでしたか。そう、ゴビ砂漠のロプノールあたりで。そんな地域から、毎年黄砂がいらっしゃるんですよ。反核団体さんとか、反戦平和草の根活動市民団体さんが、春先に抗議しないのが不思議でたまりません。
さらにこの黄砂、1960年代後半に風上国が挙行した核実験によって放射能汚染されてませんか?確か、東日本大震災、フクイチ禍の時に「その時にばら撒かれた放射能なんて簡単に消える訳ないじゃないか。半減期は何十年何百年くらいなんだぞ。」「福島大学の荒木田准教授は『福島は取り返しのつかないくらいくらいまでに汚染された』(スピリッツの美味しんぼ)と言ってるんだぞ。」と主張してましたよね。
1960年代後半の核実験ならば今年でようやく60年ですか。まだまだ半減期に至りませんよね。という事は、今年の黄砂は絶賛汚染しまくりの放射能テンコ盛りって事ですか。メーデー前の前哨戦で抗議行動やらんといけませんよね。
でも静かでした。今年のみならず例年通り。
まさか巷の一部の口さがない人々が言うように
・風上国の放射能はいい放射能 ・フクイチの放射能は悪い放射能
みたいに考えてらっしゃるんじゃないのでしょうか。
でもボクは(このブログの冒頭にも記しましたように)春先に一部の人が体調を崩すのも放射能のせいかな?って勘ぐっちゃいますし、陰謀論的に見るならば花粉症だって日本人の体質の変化がそうさせたのでは?って仮説にも何らかの根拠があると思うんです。 この季節のお鼻グシュグシュ禍も大昔にはなかったみたいですし、ロプノール以降に増えてきたのでは?って思うんですよ。「戦後日本の林野政策の失敗で~」が花粉症の大方の原因とされていますが、かと言ってロプノール説を完全否定する根拠もありません。
こんな事を考えながら、今年の花粉症は注射一本とお薬の処方一回で済んでよかったと思います。
念のために最後に付け加えますが、この文章って科学的にまったく根拠のない事ですからw
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gotainmino · 2 months ago
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3年前のウクライナ戦争
今から3年ほど前、野暮用先で近所のオバハンと世間話をしてまして、オバハン言う���は「やっぱりプーチンはアカン!幼稚園を攻撃したら!」でした。やはり、攻撃対象とすべきは軍事施設のみでありまして学校や医療施設はいけません。 
これを思ったのは2022年の3月、ウクライナ戦争がまだ序盤戦だった頃でした。そして2025年の5月、再度、ボクがこの頃の思いに向き合った時、この命題に対して何らかの回答を求められた時に、あの頃の口調で、あの頃の言葉で語れるであろうかというとまったく自信がありません。時の流れがこれ程までにボクに対して再考を突き付けるなんて。 
米軍が旧ユーゴでピンポイント爆撃に徹したように、ロシアにも同等の精密攻撃能力はあったはず。にもかかわらず民間施設を容赦なく狙うというのは、単なる誤爆ではなく、明確な戦略——恐怖心による屈服の強要だったのではと今にして思います。そして今振り返ると、この“民間攻撃”こそが、ゼレンスキー政権に「中立化」「非武装化」を迫るための心理戦の始まりだった。あの時点で、もう地政学の舞台ではプーチン vs ゼレンスキー vs トランプの三つ巴構図の種が撒かれていたのかもしれません。
 
あの頃、学校や医療施設を攻撃したロシアに対して「それは間違っている、だからいずれ敗れるはずだ」と、どこかで思っていた気がします。でも、それは「正しさが勝利を導く」という、どこか教科書的な信仰だったのかもしれません。現実はそんなに単純じゃなかった。戦争が長期化するほど、正しさは無力になり、強さと結びついた相棒の存在がすべてになっていく。
 
正しくても、勝てなければ意味がない。そんな冷たい現実の中に、私たちは引きずり込まれています。オバハンが怒っていた「プーチンはアカン!」という感情、それを共有した私。あのとき、まだ“正しさ”を信じていた。でも、戦争が「今」続いている限り、その信仰は現実の前で少しずつ溶けていく。 
かつては終わった戦争に客観性を持てたのに。今、���の前の戦争には、まだそれが持てないままです。 
ウクライナは正しいから勝つはず  
ロシアは正しくないから負けるはず  
と思ってしまったかもしれません。 
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gotainmino · 2 months ago
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日本人なら日本語使え〜
最近さ、「サステナブル」ってやたら聞かない?
あれ、英語の "sustain"(持続する)の派生語で、"sustainable"──つまり「持続可能な」って意味らしい。「持続可能な社会」とか、なんか今っぽい言い回しだよね。
ここまで流行っちゃうと、さすがに覚えちゃいそうだけど、正直、"sustain"って高校のとき全然ピンとこなくて、覚えるのめっちゃ苦労した記憶あるんだよね。
それで思い出したけど、"routine"も当時めっちゃ憶えにくかったなぁ。今じゃプログラミング界隈で普通に飛び交ってるけど、昔は「日常の決まりきった仕事」とかって、なんか疲れる日本語訳と一緒に覚えさせられてたっけ。
んで、話は変わるけど、映画『マトリックス/リローデッド』観たときの話。ネオがさ、モニターだらけの部屋に入っていったら── そこにいたのが、偉そうにふんぞり返ってるヒゲもじゃのオッサン。
ネオ「おまえ誰だ?」 オッサン「アーキテクトだ。」
……いや "architect" って、お前かい!って思ったよね。 これも高校のとき覚えるの苦戦した単語だったし。最初の頃、[chi]の部分を「キ」じゃなくて「チ」って読んでたしさ。
で、派生語の "architecture" は、PCが流行り始めた頃にチラホラ聞くようになって──OSとかソフトの設計思想とか、そんなカッコいい意味で使われてた気がする。
そんな単語に、まさか映画館で再会するとはね……ってな感じで、妙に印象に残ってるw
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gotainmino · 2 months ago
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ウクライナにリットン調査団は来なかった orz
昨今の国際情勢を見るにつけ、今さらこんなこと書いても無駄だとは思いますけど(なんだか振り返りたくなって)当時書いた文章が出てきましたので(少し手を加えて)載せます。
□□□□□□□□□□
デンマークとウクライナは国境を接していません。にもかかわらず、デンマーク政府は国民が義勇兵に志願することを容認しました。これは戦闘行為の可能性も含めた、対ロシア強硬姿勢の発動を意味しています。
「ウクライナ義勇軍参加容認 デンマーク:時事ドットコム 【コペンハーゲンAFP時事】デンマークのフレデリクセン首相は27日、記者会見し、デンマーク国民がウクライナへ行き、ロシア軍と戦うための『国際義勇軍』に参加することについて『一見すると、これを妨げる法的な問題はない』と語り、容認する姿勢を示した。ウクライナのゼレンスキー大統領はこれに先立ち、ロシアの侵略と戦うための支援を世界に呼び掛け、各国のウクライナ大使館へ行き『国際義勇軍』に参加登録してほしいと訴えていた。」(今はないけど時事の記事)
ヨーロッパ諸国がこのような連帯行動を取る背景には、「ヨーロッパはひとつ」という理念があります。単に地理的に陸続きであるだけでなく、キリスト教的価値観を共有し、文化や歴史に共通点を持つ人々が、多くの困難を乗り越えてきた経験がある。その中で育まれた「他国の危機は我が事」という強い連帯感が、こうした対応の土台にあるのでしょう。
バチカンもまた調停に積極的でした。当時、ローマ教皇庁がウクライナでの戦闘停止に向けた調停支援に乗り出していたことも報道されています。ローマ教皇自身も、ウクライナに理がある形での即時停戦を望んでいたのです。
「バチカン、調停に意欲 ウクライナ問題:時事ドットコム 【ローマAFP時事】バチカン(ローマ教皇庁)が、ウクライナでの戦闘停止に向けた調停支援に名乗りを上げている。パロリン国務長官がイタリア各紙とのインタビューに応じ、内容が2月28日、公開された。」(今はないけど時事の記事)
ウクライナがもし陥落すれば、その影響は隣接国を経由してさらに広がり、やがてデンマーク近辺にも及びかねません。戦争は直線的ではなく、連鎖的に拡大します。だからこそ、「国境で食い止めては遅すぎる」のです。本当に必要なのは、国境のはるか向こうでの防衛であり、そこでの抑止こそが、平和の維持に直結するのです。
専守防衛の原則は、平時には有効でも、有事においては「敵基地への先制的な抑止行動」が必要な局面もある。ガチの有事には、ガチの現実対応が不可欠ということを、われわれは冷静に受け止めなければなりません。
ここまでの話をふまえると、ボクは改めてこ��思います。 「ウクライナへリットン調査団を」。 それは単なる皮肉ではありません。
1930年代、満州に派遣されたリットン調査団は国際連盟による唯一の現地調査団でした。今も似たような状況にあって、本来、国際連合のような機関こそが中立的な立場で動くべきなのです。しかし当時もそうだったように、現代においても調停や仲裁は各国に委ねられ、国際機関は「旗を振るだけ」にとどまってしまっている。この構造的な無力さを、私たちはどこかで直視せざるを得ません。
歴史は繰り返されると言いますが、繰り返させてはならないものもあるのです。
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gotainmino · 3 months ago
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いまでは懐かしおうち時間
隣県にある名古屋市に仕事でよく行くんですけど、岐阜市と違う事のひとつにUber Eats(以下、ウーバー)が定着しているって事です。
ファーストフードのお店の前にいると、お馴染みのおかもちバイクを見ます。ボクが住んでる街にもウーバーは進出してんですけど、ほとんど見ません。まぁ、最近はおうち時間が多いからかもしれませんけど。やはり政令指定都市は違います。
こういう流行りを見るにつけボクが懸念する事といえば、これをネタによからぬ方向に模倣をするという傾向があります。
もしもウーバーのシステムを、まぁ、なんと申しますか、WHO族関係のお店が、そこで取り扱ってる商品をバイクとかでデリバリーして、その仕組みを「Uber おねーちゃん」とか命名された日にゃ、一体この日本はどうなってしまうんでしょうか?とても心配です。 (「そんな発想をするオマエの方がよほど心配だw」とか言わない。)
もしもそうなった場合、そのようなご婦人をデリバリーする際にスクーターや50cc未満の自動二輪を利用したら道交法違反になりますよね。そっちも心配なんです。
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gotainmino · 3 months ago
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大衆食堂のお昼定食。こうでなきゃね。
お味噌汁,煮魚,大根おろし,あんかけチャンポン,オムレツ
これで600円。
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gotainmino · 3 months ago
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おさんどんを考える
自炊を続けていると、何が大変かって(朝昼は外食ですが)やっぱり夕飯のメニューを考えることです。 
 そんな時に重宝するのが、あらかじめ味付けが決まっているシーズニング。裏書の指示どおり火を入れ、頃合いを見てサッと振りかければ完成! こういう手軽さは本当にありがたいですね。(手抜きとは言わせません) 
 先日、まとめ買いした味覚の中にはジャーマンポテトとバジリコ。ぼくが大好きな味傾向です。 
 ん? ちょっと待てよ?もう一度よく見てください。 
ジャーマンポテト(ドイツ)とバジリコ(イタリア)。 これを日本人の僕が調理しているということは、日本 - ドイツ - イタリア。 
まさに、調理界の枢軸ではありませんか! 偶然とはいえ、出来過ぎた話ですよね。 
まぁ、どうでもいい事を書いちゃったんですけど、もっとどうでもいい事を書くならば、たとえ日本がジャーマンポテトとバジリコとタッグを組んだとしても、満漢全席が参戦したら勝ち目はなかったという事でしょうか。
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gotainmino · 4 months ago
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判りやすい指示を望む
直行直帰で現地で上司と会うことになりました。
前もって上司からLINEでその指示と集合場所のGoogleマップスクショが送付されてきましたが、あまりにもズームしまくりのスクショなのでどの道を経由していいか分かりません。電話で聞いても目印のラーメン屋さんやディーラーが全然見つからず…。
なんとかたどり着いたけど、車中で冷静に考えてみると上司の自宅はボクが住んでる街から南に16km、双方が通る道も集合場所直前まで全く違うんです。これではいくら目立つランドマークがあっても分かりません。
帰りは上司が指定した道を通りましたが、くだんのラーメン屋さんは交差点角にしっかりと威風堂々と存在してましたw
現地集合の打ち合わせで思い違いがあった。今後、双方がそうならないようにSOHOで仕事しては…
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gotainmino · 4 months ago
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ブロッコリーは全部食べられる。
昨日、スーパーに行った際にブロッコリー🥦が安かったので購入しました。ところが店内で多くの人が茎から伸びる枝の部分をもぎ取り、いわゆる「不要枝箱」に捨てている光景を目にしました。 
ボクは茎までゆでて食べる派なので、当然のことながら枝の部分もおいしくいただきます。ブロッコリーの頭部分なんてそんなに量があるわけではないのだから、すべて食べればいいのに…と思いつつ、捨てられていく枝を見て何とも言えない気持ちになりました。 
戦争中はみんな苦労をした!  
今の若いもんはたるんどる!  
ぜいたくは敵だ! 欲しがりません、勝つまでは!  
ガソリンの一滴は血の一滴! 
そんな言葉が頭をよぎりました。 ボク、戦後生まれですけどw 
さて、先日と同じスーパーに今日も行ったところ、相変わらず捨てられているブロッコリーの枝を発見。もったいない精神が発動し、「これ、少しもらってもいいですか?」とレジのオバチャンに声をかけてみました。 
すると「ああ、いいよ。」と快諾。 
ついでに「ボクが食べるんですよ。飼ってるウサギにあげるんじゃなくてね。」と補足たら、オバチャンは笑っていました。 
結局、先日買ったブロッコリーと一緒に、いただいた枝もすべてゆでておいしく食べました。枝まで食べると、ブロッコリーの味わいがより楽しめるんですよね。 
捨ててしまうのは簡単だけど、工夫すればおいしく食べられるものは意外と多い。そんなことを改めて感じた出来事でした。 
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gotainmino · 4 months ago
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うまくいった時に 褒めてくれる人はたくさんいますが うまくいかない時に 支えてくれる人はめったにいません もしいたら誰よりも大切にしてください
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gotainmino · 4 months ago
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北京五輪のアイスホッケーの試合なんてみんな覚えてないかな…
「国としてメダルを獲りたい。」
スロバキアの選手がそう言ったとき、その言葉の奥にある重みを、どれだけの人が感じ取れただろうか。
オリンピックの舞台で、「試合を楽しみたい」「自分のベストを尽くしたい」と語る選手は多い。特に米国や日本のような主要国では、勝敗を超えたスポーツマンシップが尊ばれることが増えている。しかし、スロバキアの彼は違った。「国としてメダルを獲りたい」と、迷いなく口にしたのだ。
スロバキア——かつてチェコスロバキアの一部だった国。冷戦が終わり、独立を果たしてからも、世界の舞台でその存在を知られることは決して容易ではなかった。国の名が刻まれる機会は多くなく、ましてやスポーツの世界で国の誇りを示せる場面など限られている。だからこそ、彼らにとってオリンピックは単なる競技の祭典ではない。「楽しむ」余裕よりも、「証明する」使命感が勝る。
この言葉は、彼個人の思いではない。スロバキアという国そのものの叫びなのだ。
「国としてメダルを獲りたい。」
それは、小国が世界に示す存在証明であり、彼らの歴史が生んだ純粋な愛国心の表れでもある。そして、私はその言葉に心を揺さぶられた。
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gotainmino · 4 months ago
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スキーアスロン
冬といえば、やっぱり冬季競技! ということで、CATVで男子50kmクロスカントリーを観戦中です。少し前までは「距離」と呼ばれていた、いわば雪上スタコラ競争。
このクロスカントリーには3種類の滑り方があるそうで、
・クラシカル(昔ながらの歩くような滑り方) ・フリー(スケーティングのような滑り方) ・スキーアスロン(前半はクラシカル、後半はフリー)
と、なかなかバリエーション豊か。
それにしても、「スキーアスロン」なんて名前を初めて聞いたときは、「どんな競技や?」と思いましたよ。だって、トライアスロンを連想しません? 泳いで、自転車こいで、フルマラソンを走るあの過酷な競技。
いっそのこと、スキーアスロンもこう進化させてみてはどうでしょう?
クラシカルで滑って、フリーで滑って、最後は海パン一丁になり、氷の張った池を泳ぐ……!
これぞ真の冬季競技(凍タヒ不可避)
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gotainmino · 4 months ago
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私の人生に意味を与えくれた日本人に感謝
ロッタです。
日本を好きになった理由とは、沢山ありますが、一番好きなのは、日本人の平和的な考え方です。
なぜ、日本人はそんなに我慢強いのか?
どうやって自分の個人的な憎しみを我慢して、みんなの為に頑張れますか?
何でそんなに仲間意識が強いの?
昔から仲間や友達を大切にしてきた私がフィンランドで沢山馬鹿にされました。
『友達より、もっと自分の事を大切にしなさい。』
『自分の仕事を完成出来ないほど、仲間を助けるのはいけないこと!』
『仲間の為に動いているロッタは、優し過ぎるから、必ず周りの人に利用され、騙され、傷つけられ、悲しい人生を送るのでしょう。』
沢山の人に、私の生き方、仲間想い、友達思い、家族想い、周りの人の役に立ちたい気持ちがいけないことだと、言われました。
だから、絶望しました。
身勝手な事を出来ない私には何の価値もないと。
自分の為に物を作れない、絵かけない、勉強出来ない私には、私が生きている事に意味がないと。
私がやること全てがみんなのためでした。
家族の為、友達の為、仲間の為、、、
でも、アメリカや、フィンランドでは、そんな考え方は甘いと考えられる。
人の為に動く人は弱いと考えられる。
自分のためじゃないと、自分の事を守れない、誰か強い人がそんな弱い私を守らないと、世間に潰されちゃう。
自分の事を弱い人として思ってないのに、周りから弱いと言われる。
『早くロッタを守ってくれる彼氏、旦那さんを作りなさい。』
でも、別に守ってくれる彼氏とか、男に守られる事に全然興味なかった。
別に男なんかいらなかった。欲しくなかった。
友達が一緒に居てくれたら、それで十分だと思いました。
でも、みんながその私の考え方が理解できなかった。
お母さんから離れたくない、ずっとお母さんの事を守りたい私の気持ちがいけないことだと。
早く彼氏作って、家出て、お母さんを見殺しにしなきゃいけない。
『私の子供たちさえ社会人になって、自分の事を守られる人になったら、私はもう死んでも良い。私のこの世の役目はそれで果たしたから。』
そんな事を言うお母さんが心配でした。
そんなお母さんを見殺しにしたくなかった。
一人にしたくなかった。
でも、日本人は、私の気持ちを分かってくれた。
日本では、私の頑張りが認められた。
私の家族想いが偉いこととして褒められた。
勉強熱心も、馬鹿にされるより、褒めてもらえました。
私の努力は日本人に認められた。
平和を望む私の心、 戦争を辞めたい私の心、 日本語や日本の文化や歴史を学びたい私の心、
日本人はその私の人生に意味を与えてくれました。
私は、 こんな私でも、 死ななくても良い。
自殺しなくても良い。 自信を持っても良い。
こんな私も、生きても良い。
そんな私の人生に意味を与えてくれた、 将来の希望を与えてくれた日本人には、
死ぬまで感謝します。
本当にありがとうございます。
これからも沢山お世話になります。
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gotainmino · 4 months ago
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去年のMLBの話題、9月22日のトピックとなればさすがに鮮度は大幅に落ちてる状態ですが、それでもネタに活かせるか?との事で書いてみます。せっかく奥の方に仕舞っておいたURLですもん。
デラクルーズ選手といえば攻守走三拍子そろったシンシナティ・レッズの遊撃手、大谷選手の記録に並び称される数字を達成し名選手の名を欲しいままにしています。
そしてそのデラクルーズ選手が「(大谷選手に対する挑戦を)私はやりたい。」と発言しています。まさ実力者同士がお互いを意識して尊敬して力を試してみたい、両雄のみが共有する心境を吐露しています。
であるならば、日本のスポーツメディアがデラクルーズ選手の発言を和訳する際、一人称が「私」では弱すぎるのではないでは、と思うんです。彼はまだ22歳、大谷選手よりも若いです。その怖いもの知らずの若さを表現しうる一人称が「私」では何となく弱すぎる感じがします。
デラクルーズ選手につきましては、ここはひとつ、「ボク」を使っていただきまして、自身の若さと可能性をアピールしてもらいたいですね。
ボクはやってみたいんだ!
みたいに。
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