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BUT WHO AM I ?
2022年9月の記事から2年3ヶ月が経った。久しぶりにここで文章を書いている。
だいぶ職場は変化した。あの記事を書いた1ヶ月後には頼ってきた先輩は退職、私と経験豊富の先輩2名だけで稼働する時もあれば派遣や中途/新卒が入ってきてくれて現在4名で稼働している。そして上司も変わり、会社の場所も変わり様々な変化があった。そしてまた変化が起きる。この経験豊富な先輩が異動することになるのだ。これは私にとってかなり大きい変化であり、肩書きのない私が唯一、社歴が一番長��、業務経験豊富な人間になるのだ。しんどい、肩書きはないけど周りのイメージが勝手についた責任とどうにか3人でうまく回すために動かなければならないと思うとあまりいいものでない。はっきり言えば、私はいつまでここにいるんだろうとさえ思う。ヘラヘラしてどうにか業務をこなし、うまく回せるように動き、なんだかんだ自分が一番業務が多いのを2年こなしてきた。上司は特にそんな自分のことを気にしない、そりゃそうだ自分で苦しいと言わない限りそんなことを気づいてくれる上司でも会社でもないのだ。気持ちのいい部署でもない、給料も高くない、同じ性別が集まったらよくあるあの閉鎖的な空気感、何も面白味のない会社で過ごしていることに意識高い人なら一言で「仕事変えなよ」と言ってくるような状況なんだろうな。30歳手前にして何も面白くも無い今に、もはや私はこの年で死ぬことが運命なんじゃ無いかと思った。
やりたい目標もないまま今の会社に勤め、叶えたいこともなく、結婚もしたくない(いや結婚相手になるような人がそもそもいない)、数少ない友達は次のステップに進む準備をしていて私が入る隙もない、家族とはうまく行ってないしむしろ悪化している。何度目の魂なのか知らないけど、短い人生のタームだったのではないかと強く思う。そして私はそれで良いと思っている。長く生きていきたくない。この”今の私”でおばあさんになっていることが想像もできないし、幸せになる姿が想像できない。長生きしてもあまり徳のない人生なので親が生きている間に正直サクッと死にたい。3度試したけど失敗しているので死にたくても死にきれない。悲しいよね、死にたい奴が死ねないのが一番しんどいですよ。死に損ないと感じながらここまで生きてきた2年、あまりにも楽しさがどんどん減っていってる。というか昨日も本気で死んでやろうかなと思っていたけど失敗したこととかいろんなことが頭の中でぐちゃぐちゃになって死ねない苦しさがこんなにも付き纏ってくるのかとゲンナリした。あの時成功してればよかったのにね。こんなことを書いているけど自分のことを悲劇なヒロインだと思っていないし、思ったことは1度もない。こんな自分にならないように学生時代うまいようにやってこなかった自分が悪い。
街ですれ違う人や身近な人を見て本当に思う。 「なんでみんな長生きすることが当たり前なんだろう」って。
長生きすることを考えてる周りの人間がキラキラしている。自分にはないものを少なからず持っていて長生きすることにもはや幸せを感じているようにも見える。羨ましい。長生きしてもいいことないことはこの家族の下に育ってきていて思う。家族だってその方が嬉しいはずなのだ。金もかからないし、娘1人消えたら自由になるものが増える。そうだよな、かわいそうなことしてるな。 趣味はあるけどここ最近、あまりそこに熱量がいかない。なんでだろう、映画も音楽も推しも好きだけど推しについてはいろんなことがあったのでその時点で離れる可能性を危惧していたけどまんまとその状態が訪れている感じがする。推しと言うより推しグループに興味なくなっているような感覚。面白みを感じない。そこをきっかけに他のグループにも興味がなくなっている感覚を感じる。その反面、映画に対しては興味がなくなっている感覚はまだない。面白そうだなと思うものは観にいきたいと思っているし、特定のジャンルの映画を観たいなと言う気持ちはあるのでまだ平気。音楽は変わらず。こんなタイミングで一番観たかったミュージカル作品を舞台で観たもんだから変にm燃え尽き症候群観たいな感覚で何にも興味がないのかもしれないなとも思ってる。好きなものに興味がなくなったら終わりだなと感じてはいたけどどうなんだろうね。
ここ最近の私は文字を読むのがぐったりするのでXも普段よりは閲覧具合は減って、インスタもそこまでおわず、ただひたすラランドのラジオとか映像ばかり見ちゃう。疲れない、元気になる、ほんとそれだけの理由で。こんな今の自分を本当に自分がなりたくなかったつまらない人間になっている感じがしてしょげる。悲しい。人と会話してても思う。つまらない人間すぎる。やっぱり私は今の年が最後なのかもしれないな。晴れて27clubの仲間入りかな〜
課内が変わり、転職できやすくはなるけど私はやりたいことがない上に今の人たちを身勝手に置いていくことはできないのでどうすればいいか考えなくちゃいけないなかにこんないろんなことを考えなきゃいけないと思うと本当に生きるのめんどくさすぎる。
葬式とか誰にもきてもらえわなくていいから、本当に早く死にたいかも。今目の前に、「何も痛みを感じず死ぬことができる薬」があれば飲むのにな。
課内の人数問題で辛かった時の自分の方が自分らしさを守る努力と意識が強くて涙が出そうになった。今になってあの時開けた鼻ピアスの意味がわかった気がするよ。何者にもなれなかった自分になりたかった自分の要素を足し、守り続けてきただけ。この世界に順応するために自分らしさを消すのではなく、自分を守った上で生きたかっただけ。私は何がしたいんだろう、私ってなんだろうね。
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Be Myself
転職して今月で1年。
こんなにも状況が変わるなんて想像してなかったし、仕事に慣れてきていろんなことに対して対応することができて割と定時に帰る日が多くて今辞めてしまった先輩、上司と仕事してるのかと思った。
まさか今の所属している課内で一番業務に対しての知識があって、今の課にいるのが長い社員に私がなるなんて思って思わなかった。
見えない肩書きがあるのかと思う位の責任や業務を押し付けてくる社歴は短く、年齢は上の先輩。社歴も社会経験も長い、けど業務の知識や経験は短い年上の先輩。この2人と今一緒に仕事している。いろんな業務に対してそれぞれ出来うる限りの中で対応してもらっていて感謝しかないけど、この2人自体はすごく馬が合わなく、もはや仕事上での最低限のコミュニケーションが取れないまでになってしまっている。
正直すごく辛い。私自身も経験が少ないのに年数と経験があるからといって私にいろんなことを聞いてくる他課の人たち。プライドが高いからこそ強めに言ってきて、少しミスをすると言い訳をするよにどうにか逃げようとしてくる反面、やっぱり社会経��が長いからちゃんとしたアドバイスをくれる経験豊富の先輩、仲違いしているが故に私に頼りまくっていて、私の業務量を気にせず頼ってくるもう1人の先輩。その間にいながら仕事をどうにかこなすことしかできないし、自分で言うのはアレだけど私、この課の中のリーダーのようにまとめてる。無駄な責任感と今の仕事がとかではなく仕事をこなさなきゃと言う一心で。
こんなに仕事に対して向き合えるなら、この働いてる時間を好きなものを扱う仕事にしたらもっと有意義になるのでは?と思ってじわじわ転職をまた考えているけど、特にしたいことがなかった。探しても何も出てこなくて、だからと言ってまた先を見ずに辞めてしまったら自分で自分を苦しめることをわかってるからそんなことできなくて。何かしたいことが見つからない限り、次の行動である転職活動へ動けない。
いろんなことを考えすぎて、ストレスはどんどん溜まる。しかもそれは仕事のことだけでなく、私生活のことでも。こないだそれが爆発した。
今年の1月にノストリル(片鼻ピアス)をピアッサーで開けたんだけど、会社的にも社内の雰囲気的にも自分が開けてることを露呈しすぎるのは違うかと思い絆創膏とかで隠してた(マスクが必須な世の中なのにね)。まあ、安定してない時に傷穴を密閉するようなことをしたから膿んでしまい穴がひどいことになってしまったので一度塞いだ。仕方がなく穴を塞いだ後も絶対に仕事をやめるか又は鼻ピ自体が許される仕事に就いたらまた開けるんんだと思っていた私はノストリルを開けたことで何か自分の中で変わっていたことにも気づけた。自分のなりたい姿になったのに、自分でそれを隠してしまっていたことに塞いだ後もすごく悔しいというか、なんでそういうふうにしなければならなかったんだろうと思った。
だからかわからないけど、そのストレスが爆発した時、私はノストリルをまた自分で開けた。初めて開けた時は緊張でドキドキしてピアッサーを動かすことができず30分以上動かして穴を開けるのにかかっていたのに、その時は5分で開けれた。あれは正真正銘、なりたい自分になった瞬間だったんだと思う。
そっからの私の気持ちの晴れようは仕事から生まれるストレスは溜まるけど、少しでもありのままの自分でいるということで気持ちが楽になっていた。
そこでハッとしたのは隠さずに私らしくいることがこんなにも自分にとって大事だったこと、そして「社会人としていなきゃ」と思う自分の身なりや態度は自分自身を知らず知らずに殺していて、息苦しかったということ。もちろん一般的な常識、日本特有の年功序列の縦社会に則った態度で望まなきゃいけないことは重々承知でがあるのでもし注意されたら注意されただなと思うし、見た目で判断されて「この人仕事全然できないじゃん」と思われたらそれまでだと思う。見た目を人と違うようにすることで生まれる「見た目で能力を判断されてしまう」のは日本では当たり前だし、それを少なからず自分が望んでなくても生活していてどこかこの日本特有の雰囲気から得てしまうから仕方ないとは思うし、本当に注意された時は転職するタイミングなのかなと思った。海外では肌の色での差別はあるにしても、ピアスやタトゥー、服装でのそういった見た目で仕事の能力や人間性を判断しないところが羨ましい。私もその自由が欲しいし、日本もそうなればいいのにと思う。そしたらそう言ったことでストレスを感じてる人が救われるし、仕事はうまくいくのにな。
私は私らしくいるのが一番幸せであり、自分の好きなものに触れた時に生まれる幸せを感じることで幸せを感じる。自分らしくいたい。
この気持ちって、小学校高学年からいじめられた中学生の時に芽生えて今に至るんだと思う。じゃなければクラスの中で孤独にいることを耐えて過ごさない。まだ自分のことは嫌いだけど、自分が望む姿でいることはとても好き。
今、生きている私の世界でで唯一人の常識やつまらない仕事に抵抗できる術がありのままの自分でいることでありますように���
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My brother
いつも以上にこのタイトルの文で書かなければならないと思い、パソコンを開きハイボールを飲みながら書いている。
なぜ、このタイトルで文章を書いているかというと昨日の夜の出来事をきっかけに私の記憶が正しければ人生で初めて20分以上の電話をした。
その出来事というのは、母親と喧嘩してもう一緒の空気も吸いたくないしここにいても私が辛いだけだと思い、脅し文句と同時に家を飛び出したのだ。
25歳の私が家を出てもそこまで大きい問題にならないかと思ったら、まさかの父親、実家を出ている兄、そしてその兄と暮らしている3〜4コ下の兄の彼女からとんでもない量の連絡が来ていた。
でも私は誰とも連絡したくなかったし、充電がギリギリだったため電源を切っていたからその夜中に誰とも連絡を取らず私は夜を酔っ払いながらどうにか過ごしていた。結果朝の3時くらいには家に着き、家の鍵をある場所に隠されてることを知らずに開けてもらうまで家の前まで半袖で寝た。もういい加減風邪を引きそうだと思ったタイミングでインターホンを押し、鍵の場所を教えてもらい家に入ることができた。今日はテレワークでよかった。始業時間ギリギリまで寝てどうにか仕事は行うことができた。
そしてさっき、兄から電話がかかってきて、からかって私の昨日の話を言って来るのかなと思ったらまさかの兄ならではの目線でのアドバイスと共に、しっかり”心配した”、”お前がそうしたいならお前の援護射撃はするから”と自分の予想を上回る反応が返ってきた。兄から私のことを心配したなんて嘘でも出て来るなんて本当に思わなかった。びっくりしたし、その一言で少し涙出そうになった。
なぜ私が兄が自分のことを心配しないと思うのか。
それは、兄と私は10歳離れている。歳の差があるからこそ喧嘩も一度もしたことないし、世の中の兄妹のような2人でお出かけしたり、なんでも言い合える関係性ではないから。しかも昭和と平成の間の年代に生まれ、キラキラした平成初期に過ごし、親から厳しく、自分の意思とは反したような教育方針の下で生きてきた兄と一家の”長女”として、妹として、少し両親的に方向性が変わった私への教育方針や育て方の違いがすごく見える私の生き方の差があった。それがあったからかお互いの気持ちを持ってちゃんと話すようになったのは20歳を超えてお酒が飲めるようになり話す内容に私が追いつけてきてから。
今でもだし、私が兄と話す内容に追いつく年齢になるまで互いで干渉しない関係性だった。ただ、お酒を飲みながらいろんな話ができるようになって、主に映画や音楽というお互いの好きなものに関して、同じような見方、感想、好きなジャンルやアーティストでお互いバイトから帰ってきた11時くらいから朝の3時くらいまで話をして、なぜ同い年でこういう男友達がいないんだろうと思うくらい楽しくなった。だからと言って、互いの問題に関して干渉しないし頼まれたらどうにか助けるみたいな関係性だった。
過去にも、親と喧嘩して家を飛び出し誰とも連絡を取らずどうにか過ごしてきた夜はあった。だから、私自身ここまで大きい問題になると思わなかった。そしたら昨日の夜、25歳にして両親、兄、兄の彼女からの怒涛の着信、どこにいるんだというような内容の鬼のライン。そして今日の兄からの電話。本当にびっくりした。
「どうしたの、何をしてたの、心配したんだよ」と、兄から言われる日が来るとは本当に思わなかった。今までは干渉してこなかったのに、特に互いのパーソナルな話に深入りしない関係性だったのに私の答えを聞くために電話をかけてくれた。30分くらい話した電話は切り方もぎこちなく、変な感じだったけど兄目線で出してくれるアドバイス、家に来るなり頼ってくれるなりしてくれてもいいんだよというような言葉。こんな改めてちゃんと「ありがとう」と言ったのは何年振りなんだろうと思うような気持ち。いろんなことを考えながら電話した30分だった。
この喧嘩以前に、私は心が風邪をひいていた。
ひいてたけど病院に行ったら自分が診断の結果、「インフル」だと診断され逆に気持ちが沈んだり、診断さえてからの私が悪い方に動いてしまう気がして病院には行けなかった。(かといって、人が精神科に行くことに対して悪いことなんて何も思わないしそれで救われる人がいるならみんな行くべきだと思っているけど私自身で行くか行かないかとなった時には私がとんでもない動きをする想像ができたので病院には行けなかった、診断されたくなかった)
朝が起きれない、気持ち悪くなる、鬱屈した状態が続き、ほぼ毎日「死にたい」気持ちが生まれる、ともはや鬱の初期症状が出ているけどお医者さんにその病気ですと言われるのと、自分が調べて自分が今その状態だと思う時の気持ちのカロリーは全然違う。
こう言った兄の行動で私は驚きと共に、自分の気持ちの落ち方とかもわかってくれてるかのような発言と話聞いてくれる感じ。嬉しかった。
兄もいろんなことがありながら自分の考えと想いとともに人生を歩んで行って、その中に私という妹の存在が彼の人生設計にあることにも驚いた。
やっぱり、私の兄は人よりやさしく温かい人。
ただ、衝動的で暴力的だから難しい。
私は兄が私の兄として存在してくれてることは嬉しかった。
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loneliness
投稿が久しぶりになってしまった。
去年の12月以来ということで、内容的にきっと恋愛とか諸々で悩んでいた様子。
今、私は会社を辞めて転職活動中。要はニート、無所属の状態でいる。
そこには特に悔いはない。前職の会社でやりたいことがなく、私自身の仕事に対しての向き合い方が見えてきた時点で前職は合ってなかった。得意先等の私たちに対する態度も嫌だった。ストレスだった。それまでして続けることによって得るメリットは「新卒から入った会社を3年続けました」という職歴とある程度の業種内の経験。だいぶ強い履歴に書けるワードなんだけどね。ただ、私自身、会社内で麻痺している社員への扱い方や社員自身のコマ扱いでいいやというような意識に私自身嫌気がさして退職を希望した。でも、そのコマ扱いでいいと言ってる社員やしっかり仕事した分に見合った給料が出るからこそ続けているって言ってる人が過半数だった。確かに、そういう考えの方だってもちろんいる。
仕事してそれに見合ったお金がしっかり入るなら残業も突然の休日出勤も意負わない人、プライベートの時間が減ってもそれは仕方がないよねで済む人。私自身は仕事は仕事、プライベートはプライベートだと思ってるので自分のミスや今日やらなきゃ間に合わない等の残業・事前にわかっている休日出勤はわかるししっかり働くがそれ以外の無駄な残業や突然の休日出勤は私の中では許せなかった。でも、それに気づいたのもここ最近。私自身が仕事で邁進するよりも私生活と仕事が安定していることがベストなんだと気づけた。そして自分が先導的に立って人をサポートし何かの力になるような仕事でいいのだというように気づいた。今上げたこれらの前職で出てきた自分の仕事に対しての不満を解消するような会社と仕事ができればいいな、また自分の深く見てこなかった世界で仕事が見つかればなと思いながら転職活動をしている。
別に大手じゃなくてもいいし、協力会社や得意先等が有名じゃなくてもいい。ただ自分の持つ力を活かして仕事さえできればいいなと思ってる。
そんな無所属な状態、生きてる年数の間に彼氏ができたことがない私はここ最近ひどく寂しさ、孤独感、虚無感、無気力と戦っている。
ここまで自分が孤独を感じたことがなかった。 自分がここまで一人でいることを苦しく感じるなんて考えもしなかった。 中学3年間はクラス外では友達はいたけどクラスではずっとハブられていていじめられていてどうにか1人でいき残ることしか考えてこず、高校に上がったら割と精神年齢が同級生が上がり私も生きやすい方法を見つけたのでどうにか生きることができた。大学ではすごろくの”最初のマスに戻る”かのようにまた友達ができない半年を過ごした。この5年以上続いた学生生活の経験を経ると1人での行動に対して��手意識を持たないし、自分の目の前にある欲求を満たすために全然一人で行動できる。あと、私昔から一人遊びが得意だった。親も共働きで避難訓練の親が迎えに来るやつなんて決められている時間内に迎えにこなかった子供たちは集団で先生と帰るんだけど小学2年生くらいからそれが普通だったし。児童館行って少し年上のお兄ちゃんお姉ちゃん、先生に自分から声かけて一人遊びを解消することも普通だった。ご飯だって、夜は父親と2人でご飯食べるかひとり食べることが多くて家族で食べるなって正月とかクリスマス?くらいだったし、家族同士でいることに重きを持たずに生きてしまってる。 生きてる間に「一人」でいることってだいぶ普通で。っていうか、世の中の人誰しも一人でいることを苦手に思ってる人が多いとも思わないけど。
そんな中、社会人2年目。無所属でいることにまず不安に感じ、家族入るにしても一人で生きていくことが当たり前なのだということを改めて知る。 彼氏のようなパートナーができないのも私自身が人に対して弱みも見せず、頼れずただ”友達”として生きてしまうし、なんなら人の幸せの方が見ていて自分が幸せになることが原因なのもわかるし、なんなら自分が好きになった人たいて相手いるし、相手がいたという状況で奪いに行かないし。めちゃくちゃめんどくさい人間だなとは思うけど彼氏や旦那さんなんてできないんだよね。きっと。孤独はずっと続く。恋愛はしたくても結婚はしたくないのでどうにもならないし。空想で生きてたい人なのかな私。そういうセクシャリティもあるとしりだいぶ当てはまっていたので私は実際そうなのかなと思ったりしたけどまだわからないし。でも、夜になると孤独感はやってくる。虚無感はやってくる。すごく辛い。勝手に辛い。部屋の中にいて自分の好きなことして紛らわしたとしてもすごく辛い。どうしようもないこの気持ちをどうしたらいいかわからなくてすごく最近悩んでいる。本当に苦しい。
以前働いていたバイト先の方で「周りが何かしらに所属している中無所属でいるのって楽しようで辛いことだと思う」って言ってる方がいてまさに今の私だと思い返した時本当にどうにもならないなと思ってしまった。
孤独感を払拭する方法がない。 でもこれに私自身は勝たなければならない。 難しいけどね。自分の機嫌は自分の機嫌でとり、自分の一番の味方は自分でいなければならない。
そんなことを自分に改めて刻みたくて長々と書いてしまった。
さっさと終わりにしたいね。
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love me? or hate me?
自分を愛してくれる人と共にいる人生。
または、誰かを愛する人生。
私の人生の中でこの度合いが5:5になる時来るのかな。
愛するまで行かなくても、好きという気持ちのバランスが保てる���な。
人から愛される人生に憧れて、死ぬ気がする。
今回はうまくいくと思ったし、今回はうまく行かなくとも次の経験につながる"感情"を持てると思ったのにな。
早くこの気持ち忘れて、平凡な生活取り戻そう。
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what's your important things
世界がものすごい勢いで変わりつつある
映画で見たような光景が広がっていて5歳の自分が思い描いてた大人になった時の日本はこんな感じだったのかなあ、こんなことになるなんて思ってもなかった
私はこのコロナの影響で入社が延期になった。
会社は冷静な判断をしたなと思った。
日本の党首たちの判断が遅かったり、日本人の危機管理のなさに多くの国が注目している。
日本は日頃いろんなことに取り組んだり、文化が発展してることに注目されることもまあまあなのに、この危機管理の低さで大注目を浴びるとは。
注目というより多くの国は自分の国も大事だが日本も心配してくれてるのだと思うと私たちは何をしてるんだろう。
be calm, stay home.
落ち着いて、家にいること。
私は家族がみんな歳が離れているためそれぞれの生活になってしまい年末年始以外家族と一緒にいる時間がなくこのコロナを収束することに力を合わせるため自主隔離の判断を取った。
そのおかげで国連がびっくりするくらいの家族会議、一家で一つのポットの紅茶を分け合ってケーキを食べる、くだらないことして笑い、それぞれの時間を過ごす。私はこの家族の団欒を久しぶりに過ごした。今考えて文字にするとなんだか涙が出そうだった。
ありふれた日常に見えるかもしれないが私はあまりこの時間を過ごして来なかったからある意味この自主隔離でいろんなことがまた新たに見えた。
多くの人が自分と同じ考えや同じ生活を過ごしてるなんて一ミリも思わないがこのコロナを収束させるために力を合わせるべきだと思う。
気づけるものもたくさんあるしね。
こういうギリギリの事態になると多くの人が何かのせいにしたくなるし、何かを責めたくなり自分の境遇を顧みずただ不満を言う。
若者が危機管理ないから!若者が外に出るから!!!
と若者だけに攻める姿勢をするのではなく
お互いがお互いのため、老若男女が自分のため、未来のために自主隔離をするべきなのではないのか。
まあここまでだらだらと書いて��たけどあくまでも私の意見、そして私が俯瞰的に見た今の自分の周りの事態。
この混沌した事態をどう打破するのか、日本のニュースだけでなく世界のニュースにも目を向けなきゃだな
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ordinary
映画を見ていて思い出したことがあって、書きたくなって書く。
小学1年生の時。1年間しか通わなかった小学校の頃の思い出。
当時私は、(というか今でもなんだけど)人見知りをしない対応なので海外の人にも日本人にも誰にでも声をかけて仲良くするタイプだった。
その時、3人の友達がいてすごく仲良くしていた。
それとは別に私にはたまにしか学校に来れなくて少し不登校気味の男の子とも仲良くしていた。彼との出会いは忘れたけど多分私から声をかけて仲良くなったのだと思う。さらに、みんなが近いのに声をかけづらいということで連絡帳を届ける役割をみんなが避けていたので私の家も近所だからと私が自主的に連絡帳を届けることをしていてその流れで顔見知りになったこともあった。
彼は病気(多分喘息)を患っていて、さらに全身にアトピーがあった。彼にもそういうことでいろいろあったのか性格が少し難しいところもあった。それで同級生は近寄りづらくなっていた。でも、話すととても明るくて面白い子だった。お母さんもとっても良い人で連絡帳を届けた流れで自宅に受け入れてくれて自宅で遊んだこともあった。
とっても私と仲良くなってくれてから学校に行く頻度が上がり、連絡帳を届けるだけでなく自宅に呼んでくれて遊びに行くようになって、すごく仲良くしていた。それは自分だけでなく仲良くなるようになったのは同じクラスメイトの友達たちもだった。
しかし、私が転校するタイミングで偶然彼も転校することになりそっから連絡が取れなくなってしまった。
たまに小学生が主人公の映画を見るとこの彼にすごく会いたくなる。
彼は難しい性格であったり、いろんなことを抱えたとしても結局私と同い年の小学生なので遊べばすぐ打ち解けるし楽しくなる。その彼が今何をしてるのかがすごく気になる。
自分のことを褒めるわけでもなんでもないが、私は小さい頃からその人を人の噂や印象で決めつけ仲良くしないってことがなかったからいろんな人と関われる性格を持てたと思うと親が置いてくれた環境や育て方に感謝だな。彼が元気にやってると良いな。
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realized.
結果。
友達のが早く帰り3日ほど1人でいた。
その生活は本当に本当に嫌ではなく自分は1人が好きなんだなあと改めて気づいたんだけどそれと同時に
私ってまじで自分のパーソナルスペースのある場所が大事なんだなとわかった。
友達が悪かったんじゃない、その生活の周りが酷かったんじゃない、ただ私が本当に実家の自分のスペースと言われる場所が大好きで居心地がよかったの。これが例えば実家ではなく自分が一人暮らししてたら多分そのスペースが大事ですごく大好きな場所なんだなと気付かされた。
実家帰って本当に思ったわ〜〜〜なんならこの実家の私の家のスペースと寮の自分のスペース足して二で割ったら私の理想的な暮らし。
でもなんやかんや二週間と濃い生活を過ごしてくれた大好きな友達との生活も懐かしくなってしまっているから、きっと楽しかったんだろうし苦しすぎずにいれたんだとは思う。
はあ、こじらせ女すぎるなあ、でもそんな自分を愛おしく思えてしまってるからきっと私は自分のことを嫌いすぎてはないとは思う。
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私の技術不足で1人になってしまったけど
1人楽だなあ〜〜〜と思ってる時点で
ルームシェアも家族で暮らすのも向いてないか��(笑)
1人まじ快適、自由だあああ!
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合宿が一週間たった。
やはり仲良いとしても不満があったり、何か思っていたりすることがあった。(私は何にも生まれなかった)
好きなものを話しすぎると相手より色々知ってるという意味でマウントを取るような形になってしまったり、人を不快にさせてしまう。
私はみんなをそれで不満にさせてるみたい。
"話すぎてしまうこと"、"余計なことを言ってしまうこと"直したいなあ。
"好きなものを好きでいる"
"ダイエットすること"
この二つは全て自己満足だと思えたし、確信した。
人間県警で難しいなあ、つらい泣きそうになった
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今月末から親しい友達と三週間の合宿に行く。
親しい友達とはいえ“礼儀"をちゃんとしたいと思ったらやっぱり気を張ってしまうのでその前に気を張らずグータラしようと言う期間を作って三日間本当に好きなことして好きなものを食べて気を使わずに過ごした。
その三日間、それだけに使わずにsnsデトックス(socialdetox)をする期間にもしてみた。結果、効果はものすごく、ものすごくあった。(自分なりの方法なので正しい方法よりもイージーかもしれない)
自分なりの方法というのは1日二回ほどしかsnsを見ないという自分なりのルールを付け加えてそれ以外は一般的な方法でやった。
結果
・必要な情報しか入れないので快適
・あまり自分の中で必要としていないことに気づけた
・snsを見る時間別のことに使えることを再確認
こういった結果が出た。最近、自分自身という人間性を変えようと少しずつ考えを変えようとしていてその流れで"snsとの付き合い方"も考えなければならないことだなと思い、ある時一度snsを消したこともある。でもそれだとあまりにも冷静な判断ではなく究極すぎると思ってうまく付き合うのが良いと思って再ダウンロードした(笑)
でもこのsnsデトックスで気づいたことが"snsの付き合い方"を考えられたのでとっても良い期間だった!
話を戻すとその好きなことをする内容としては本当にお酒飲んで映画を見るって内容だったんだけどまさかの映画を10作近く見た(笑)楽しかった〜〜〜(笑)
合宿頑張ろう〜
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all things can change by my self
本を読んでいて、いかに自分の人生を人のせいにしたり、自分の性格や生活”ライフスタイル”を変えることを怖がっていたかをすごい気づかされた。特に私は嫌なこの人生をを両親やこの家族のもとにいることのせいだと思っていた、でもそれは違くて。自分を変えたり、自分の人生をよくすることを怖がって変わることを怖がっていたから人のせいにしていた。
他人に嫌われることが怖くて誰にでも優しくて、自分の気持ちに正直に入れなかったり嫌われたくないから人の問題に自己中心的な気持ちで首を突っ込んでいた。それが優しさにならない時もあることに気づかなかった。これに気づいた時本当にショックだった。人に"なんでも言ってね、相談してね"ということがある意味では自己満で、人のことを気にしてなかったことを考えさせられた。あと、人がやってくれないから自分がやるというのはその人の成長を妨げてるということも気づいた、あー本当に今まで気付けなかった自分がかわいそう。
あと、怒りはコントロールができるということも気付けなかった。他人からの影響や煽りによって怒りが生まれるのではなくてその人に圧をかけたくて怒鳴ったりするものだということも理解した。
本ってこんなに面白いんだとこの歳に気づけてよかったな、自分の人生を胃くるのは自分だし、自分を変えられるのも自分。意識して行こう
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こないだ the regettes のライブ行ってきた。
めちゃめちゃかっこよくて自由に楽しんで���ーカルはもちろん、ギターベースドラムみんなうまいし見せ方が上手だった。
お客さんもみーーーんな楽しんでもう自由で。ああいうライブが本当に参加していて楽しい。
あの歌声になってガールズバンド組んでみたくなった〜〜まじでかっこかわいい。
見れてよかった、最後サインも貰えて少し会話もできてほんと楽しい夜だった。
I went to live of the regrettes last week.
this band is fucking cool. I seems like enjoyed,free by themself. Of course,vocal,guitar,drum and base has good skills and how to good show by themself.
All audience be free,be fun when they are here.
me too. I'm good to be here for then.
when I see it, I wanna be her voice and make my band lol. this band really really fucking cool and cute band.
I'm good to see show.
after the show, they held meet&greet. I joined it.
all member gave me their signature and lilbit conbersation.
this night soooo amazing.
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最後に好きにだった人とのラインを見てみたら、めちゃめちゃ電話してた。猫も被ってて私もしっかり"女の子"してたんだなあと思ってとてもエモくなってしまった〜〜〜そんな彼と出会った場所を出る日が刻々と迫ってる。
昨日はしっかり本を読んでから、sex educationを最終回まで見て、本を読んで、友達の卒制を見て飲みに行った〜すごく充実してた。
その次の日に長時間のバイトは体が疲れてしまった〜〜😫
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好きなものは映画、音楽、舞台(メインはミュージカル)。
海外のことに触れたくて英語を勉強してます。なので時々英語での投稿をしてます、
好きなことはお酒飲むこととカラオケと映画鑑賞、音楽鑑賞。
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as simple as possible
前から自分のことを変えたいと思っていたけど実行に移してみたいと思う。良い意味で"適当"にこの1年を過ごしてみたい。もっと自由に、もっとシンプルに。そんな気持ちと行動を残してみたくてはじめた。今年の目標は、適当に生きること、自分を好きになること、本を読むこと。
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