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#▼アーケード筐体
loopokaki · 2 months
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一般筐体における1人プレイ用のゲームがメインだったという点において、80年代のアーケード文化ってアーケードの歴史の中でも非常に特殊なのでは。
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ura-samantha · 5 months
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気持ちはわかるけど10年以上も稼働した筐体だもん。保守も限界でしょ
むしろ2012年から12年間、よく稼働を続けたと思うよ(ポップンミュージックから目をそらしつつ)
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samantha-dan564 · 6 months
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三木商事だからミッキーか…しかし三木商事ってあの花札とか作ってた三木商事なのかな?
まあそれはそれとしてミッキーは本文にもあるように大型筐体も50円で営業してたんだけど、その代わりハードランクだったよなあそこ。『パワードリフト』が6位スタート(ノーマルランクは5位スタート)でびっくりした。まあそれでもある程度腕が立てばハードランクでもさほど苦にならんのだけどね大型筐体は
特に覚えているのは赤いVS筐体。営業マンが「対戦ゲームをどんどんリリースしますよ!」と言ったのでたくさん購入したら、ある日突然「コンシューマーを主流にするのでアーケードは作りません!」と言い出して、専用ソフトが出なくなった。こちらは期待して2階フロアすべてに赤いVS筐体を置いたのに…。
酷い話だ…けどAM業界ではよくある話。最近ではカプコンがずいぶんと不義理を働いたし
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86stagram · 6 months
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だーいぶ前のフレンド限定プロミス! 新しくフレンドになったスピカちゃんから初めてのお誘いをもらったよ🎇きらびやか🎆(´Y`)☄
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どこかしら雰囲気を似せたミックスやコーデあわせもいいけど、衣装がバラバラのプロミスも味があって好き👗👙🥻👘👚🩱
ぼくはアーケード版のパラチャンとアドパラは別の気持ちで楽しんでるところがあるよ! 筐体時代にいっぱい着たコーデもいいけど、今は新しい型紙や色違いのコーデに惹かれがち。
でもみんなが懐かしいコーデで登場してくれた時は当時の気持ちを思い出させてもらってて、別のワクワクが湧き出てくるよ🎸
こうして振り返るとみんな若いな…… (そこまでの月日は経ってないだろ´Y`).oO(いや、キャラパーツ変わったなぁ的な意味だよ) あれ、じゃあパーツ固定で全然変わってない子は不老……?
(´Y`)???
❗❓🐹ファサッ
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エンジェリックあわせ! 梅干しを一緒に乗せてくれたキッカちゃん、ぼくが遊ぶまで着替えずに待っててくれた二人に超絶感謝バタフライ🦋( i Y i )うぉーん
半目?糸目? ̄v ̄
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二人ともハートのおめめが愛らしい(♡♡) ぼくは目覚める前のピュアブラッククラシックドールスタイルで(¦[▓▓]
これを書かせてる人間はエンジェリックコーデがかなりのお気に入りで、着てる子のトモチケを優先的に集めていたのが懐かしい。 ぼくもよく着せられてたなー、普段の姿だとオレンジのが一番似合うけどイメチェンしていろんなバリエーションを楽しむのも好み。
お久しぶりなフレンドの野良を発見! 即入っちゃった💨
\(´Y`)/\(♡v♡)/\(`v´)/
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china-magic-hall · 1 year
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GYOZA WARS(ギョウザウォーズ)
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technojapan-blog · 2 years
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「インストカード収集」という楽しみ方
technojapanを更新しました。 #アーケード基板 #自宅ゲーセン #アーケードゲーム |「インストカード収集」という楽しみ方
アーケードゲームの操作説明やルールが記載された印刷物は「インストラクションカード」と言います。 「インスト」「インストカード」などと呼ばれているそれら印刷物はゲーム筐体の見やすい位置に貼られて、ゲームをする前に遊び方を把握したり格闘ゲームなら基本操作だけでなく必殺技や特殊操作のコマンドが書かれていてプレイヤーのゲームへの理解度を高める重要な情報源です。 紙質やサイズもメーカーや稼働時期によってバラバラで、チラシのような薄い紙に印刷されているだけのものから、B4~A3サイズほどの大型のもの、貼り付ける事に特化したシール状のもの、プラ材質に印刷された紙以外のものとさまざまです。 ゲームセンターの筐体に貼られていたインストが持つ”ホンモノ”感は、ゲームそのものとはまた違ったリアルで不思議な魅力を放っているように感じます。 ゲームセンターで何日~何ヶ月も掲示されたインストは、ゲームの変更時にそ…
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mari8log · 2 years
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2023/01/19
ドリコラフェスを観に行きました!🎀 ダイヤモンドハッピーを歌うプリティー陣、Make it!を歌うアイカツ陣、穏やかじゃない!✨
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パンフレットとアクスタ二種を買いました!ポーズがいい感じにシンメになっていて飾るとかわいい💕
パンフレットのプロフィール欄に書かれてある『好きな食べ物』。アイカツってなにげに『好きな食べ物』の記載って無かった気がする!ので新鮮でした。これはプリティーとのコラボの恩恵。
フレンズの二人やいちごちゃんは物語上好きな食べ物はわかりやすいですが、あかりちゃんの『ドーナッツ、みかん、カレー』ってなに……?言及どこ!?🍩🍊🍛
ドーナッツは四葉さんのだろうけどみかんとカレーは一体……???教えてアイカツのプロ! 私は忘れました!
ちなみにゆめちゃんが『お菓子』、ハナちゃんが『スイーツ』でした。好物がザ・アイドル。
プリティーの民から噂で聞いていたとおりゆめちゃんだけ羽付きドレスで、一人だけ大御所のようになっていて笑いました。 アイカツは羽やオーラを背中に背負いがちだけど今回のいちごちゃんのコーデもあかりちゃんのコーデもたまたまそれらが無い衣装だったから余計に羽が目立つなぁ…。オーラはもげても羽はもげない!
ライブもシリーズ代名詞曲と最終決戦殴り込み曲が混じっていて色んな味が味わえて楽しかった!個人的にハナちゃん単独歌唱のBloomy*スマイルがきけて嬉しかったです。プラネットは基本二人組固定だったからなぁ…🎤レア✨
あと、このコラボでダイハとメイキが全体曲として設定されたのがすごく良かった!
『昨日の敵さえ未来の仲間さ』
『オシャレなあの子真似するより自分らしさが1番でしょ』
ここ10年女児向けアイドルアーケードゲームライバルとしてしのぎを削っていたニタイトルがこの歌詞を歌うのが夢のようで「ようやくここまでたどり着いたのか!熱いな〜」と思いました。
夢は見るものじゃない、叶えるものだよ。
余談ですが、いちご〜らきちゃんまでの6人のモデリングは第二世代アーケードのものでしたが、ハナちゃんだけは第三世代のモデリングで並べるとちょっと異質感が出るので、意図せずハナちゃんのミラーインアイドルの部分が表現されちゃっていてある意味原作再現!になっていて良かった。
第三世代モデリングは最新なのでやっぱり仕草がかわいいですね。あとアイカツ第一、第二世代アーケード特有の髪の質感が第三世代からは無くなりツルリとしたデザインになったことでプリティー筐体モデリングと相性が良かったです。
あと今回でカツのモデリングが脚長に作られていることを知りました。プリティーと並べると長いわ…。長尾寧音並にみんな長かった。
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ウエストランドどころか他のお笑いコンビの動画まで漁り始めてて沼を感じる。人生最高に楽し〜〜!!!!!!✨✨💖💖 趣味がいっぱい🫶楽しいね。
超新塾って2008年頃にテレビで見ていたユニットなんですけど(たしか)、THE SECOND参戦者の中に名前が入っていてびっくり!いまだに元気に活動していると知って安心しました。ハモリが綺麗で好き。ヨネダ2000も好き。
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これはお店で見つけたオブンチョグッズ🕊。ちょっと白鳩と混合しながら作られたような顔立ち。
文鳥グッズ警察なので、安直なオシャモチーフ扱いの文鳥グッズには厳しいです。オシャだから文鳥が好きなわけではない。文鳥だから好きなんだよな。
🤷‍♀️(ウザ〜!!!!厄介〜!!!!迷惑〜!!!!)(だからオタクってキモ!🤮嫌いで〜〜〜す!😠)
観たい映画。BLUE GIANT。アイナナ映画も楽しみ!
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flicky1984 · 4 years
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harawata44 · 2 years
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・TINY ARCADE DIY KIT — ギズ屋台
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以下、一部引用
ギズ屋台に新しく入荷した「TINY ARCADE DIY KIT」。その名の通り小さなアーケード筐体を模したゲーム機で、手のひらに収まるほどのミニサイズとなっています。インテリアとしてもかわいいけれど、ちゃんと実際にゲームをプレイすることもできるんですよ。
パーツを組み立てて、レッツDIY!
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(中略)
DIY KITと書いていますが、はんだ付けのような本格的な工程はありません。ドライバーとネジで板を組み立てて、基板などのパーツ類を収めれば完成。DIYって言葉におびえる必要はありませんね。
小さなゲームセンターへようこそ
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電源ボタンは背面に。バッテリーはmicroUSBから充電します。
テトリスに似たゲーム「Tiny Brick」(中略)この他に「Flappy Birdz」「Asteroids」の、合計3種類のゲームが内蔵されていました。さらにゲームを増やすこともできまして、公式が提供しているゲームデータをmicroSDに入れて、それを「TINY ARCADE DIY KIT」で読み込めば、30種類以上のゲームが遊べます。
(中略)
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「TINY ARCADE DIY KIT」はギズ屋台にて、1万430円で販売中。
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zeomits · 3 years
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【ファミコンコントローラ風ジョイスティック】
・1996年(平成8年)に製作した、 アーケード基板用コントロールボックスのジョイスティックを、USB仕様に変更しファミコンコントローラ風に改修。
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loopokaki · 2 months
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90年代後半にアーケードの3Dゲームが興隆したけど、2000年にPS2が出たから家庭用でよくなった。という歴史認識よくあるけど、よーく思い出して欲しいんだけど、90年代後半のアーケードで最先端の3Dグラフィックスで、大型筐体でも複数人プレイゲームでも無い作品でどういうのあったか。
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spoony · 4 years
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格ゲー好きに。ニンテンドースイッチをアーケード筐体にする「スイッチ・ファイター」がクラファン中 | ギズモード・ジャパン
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uwagoto · 5 years
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ううー中央線沿いの西荻窪でスペースインベーダーのアップライト筐体とテーブル筐体置いたカフェ&アーケードっつうやりたいことをやられてしまった店舗が今日オープンというのを見つけてしまい…中央線沿いはあきらめたほうがいいかな…。どうやって風営法のアレ通したんだろう
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samantha-dan564 · 8 months
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ついに来る時が来たか
まあグルコスは遊んでないので特に言うこともないんだが、ゲーセンからあの筐体が消えるのか…といっても自分の通うゲーセンではもうグルコスは1店舗しかないわ。そしてその1店舗はオフラインになっても筐体を維持すると思う
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たのんだぜバイヨン!
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yrkhang · 5 years
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「バナナの皮ですべったことはないです」について
それ以外では日々元気にスベり倒している。
色々書いておきたい事と、書けない事と、書かなくてもいいかな、と思う事と。
日々の中に色々なことがある。
今日はバナナの皮ですべったことがない話。
『スタァライト夏休みプロジェクト!「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」再演』なんてものをやっているというのを知ったのが如何せんお盆休みでボエーっとツイッター眺めていた時だったというのがまずひどい話で。いや忙しさにかまけてちゃいけないよなあと思う。
如何せん知ったのがその辺りだったので僕の再演は第9話からとなりました。いや高速道路の合流車線じゃあないんだから…。
「バナナちゃん」こと大場ななの回、たぶん好きな方は多いんじゃないかと思う。レヴュースタァライトという作品を俯瞰して観たときに物語の大きな転換点となる話でもあるし、元々同じ舞台に立とうとする彼女たちの、それぞれの立場の違いに基づいたひとりひとりの目指す場所の違いというところに「時間軸」という第三軸を置くことで、「同じ時間を生きる人々の中に流れる普遍的な違い」を描き出そうとする話でもある。個人的にも好きな回だったりするように思う。
個人的に私がこの回を好きなのは、無論のことそういった物語の構造に基づいた話では全くない。
それは「バナナちゃん」こと彼女が、もしかしたら過去、もしかしたら未来、そして、若しかしたら現在の、自分自身で在ったかも知れない、と感じている事によるものだ。
だから、彼女の話は観ていて結構苦しく思ったりもする。
全然話が変わってしまうのだけど、なんか今年のアニサマはすごかったらしいですね。あなたはどうでしたか?行きましたか?行きませんでしたか?観たかったものは見れましたか?見れませんでしたか?それはどんな景色でしたか?良かったですか?そうでもなかったですか?
まあ分からないけれど。私はといえば、その瞬間は山奥でヤモリをつかまえてお子様たちの大ヒーローになったりしていました。いや何しとんねん。(いやそういう仕事があったんです)
流れてくる話をボエボエ眺めていて、口をつくのは「そうかー」「そうですかー…」みたいな言葉ばっかりだったのだけど、自分自身では案外その感じが嫌じゃなくて、こういうのも悪くないなと思った。そう思えることが嬉しかったりもしていたのかも知れない。
そうだなあ。何処から話をしたらいいのか途方にくれてしまうのだけど。
私がかつてアイマスのオタクだった、というか、ある意味では今もそうなのかも知れないのだけど、ということをご存知の方がここにどれだけ居るのか分からないし、意外と私はそのあたりをケアするつもりが無い雑なひとなので、訊きたい方はどっかで捕まえて訊いてください。なんか長くなるし書きたくないよなこういうの。
当時も今も、僕はたったひとりのアイドルのプロデューサー…、この言い方恥ずかしいので個人的には苦手なんだよなあ…「プレイヤー」でいいかなあ…、もとい。プレイヤーなんだろうなと思っていて。御存知の方はご存知だったりするんだろうか。そういう方には長年のご愛顧ありがとうございます。
私はアイマスについてはアーケードの終わりの頃からのプレイヤーで、あ、そういえば何か中野かどっかに筐体が復活したみたいな話聞いたんだけどアレホントなのかな。ヘボプレイヤーだったから自分でやるのはどうかなと思うけど、人がやってるところは見たいなー。アーケードは確かメイン基板がPS2のボードでもう今からしたらヘロッヘロの映像なんですよね。アレに噛り付いて必死にモグラ(この辺りで往年のプレイヤーからめちゃめちゃ怒られる)していたの、もう10年くらい経つのかあ…懐かしいなあ。
如月千早という子は、本当に本当にクソ面倒くさい子で、詳細は多分当時の攻略サイトとか掲示板とかどっかに残っていると思うので見てください、そのクソ面倒くささ故に初プレイでまともにクリアするなんてほぼ不可能な子で。ただ、店頭のデモを見ていても分かる圧倒的な歌唱力と、うーん…何というのか、どこか放っておけない感じがあって。それでうっかりユニット登録してしまったのが運の尽きだったんだよなあ…。初プレイはほんとうにひどいことになり、傷心の余りしばらくやよいで癒されプレイをしていたことまで憶えてしまっている。というかこの話たぶんどっかで書いた気がするので恥の上塗りをしている。つらくなってきたのでやめようね。
プレイヤーとしての自分の話は概ねそんな感じになるのだけれど、どうしてそこに至ったのか、というきっかけで言えば、当時全盛を極めようとしていたニコニコ動画の存在がとても大きかったように思う。
あの頃、つまりアーケードのアイマスが終わろうとしていた頃、『アイマス』というコンテンツは大きな転換期を迎えていた。それはXBOXという次世代家庭用ゲーム機への移植で、それは「次世代」という圧倒的な馬力を得たこのゲームが、映像的に、音楽的に、そして演出を含めたシステム面で、大きな変貌を遂げて私たちの前に姿を現わした頃だった。
折しも当時のニコニコ動画は、それまでに培われた国内草の根制作者達の研鑽の場になりつつあって、うーんそうだなあ、「歌ってみた」だとか、発売されたばかりのボーカロイドだとか、ありとあらゆるコンテンツの坩堝のようになっていた。コンテンツの二次利用に関しても今ほどは整備されていなかった当時は、コンテンツ制作という点においてはある種の蜜月の時間であったことは確かなことだろう。
その坩堝の中のひとつに、所謂「MAD動画」というものがあった。流石にもう知っている人も少ないのかな。<以下色々書いたけど表に出せる話じゃなかったので割愛>つまり、この分野において『アイマス』というコンテンツは革新に近い変革をもたらしていた。そこに惹かれ、興味を持った。これが、私が『アイマス』に触れる本当のきっかけだったのだと思う。
色んな子でプレイして、結構いいスコアを出したこともあるけれど、私自身は基本的にあんまりうまいプレイヤーではなかったように思う。何度Dクラスで終わったのか、もう数えることすらできない。「どうして」彼女だったのか、ということを実は私は明確に憶えていない。もしかしたらたまたまだったのかも知れない。けれど、過程の中に居る私にとって、それは最早ひとつの意地みたいなものになっていたような気がする。石に噛り付くように一歩一歩、それでも運は必ずしも味方ではなくて、何度筐体ごとひっくり返してやろうかと思ったか分からない。
ただの興味が、いつしか必死になっていた。今振り返っても、私にはそうとしか言えない。いつ放り出してもおかしくなかったのに、どうしてあんなにも必死にプレイできたのか。夢中になってしまったのか。その理由が今も私には全く分からずにいる。けれど同時に、そこにあった滑稽なほど必死だった日々が、その日々の景色の中に常にいた彼女のことを掛け替えない一人と私が思う理由の大きな部分を占めていることを理解してもいる気がする。
アイマスの話、本当に長くなるからやめようね。
ただ、今でもちょっと可笑しく感じてしまうのだけど、あの頃も、今も、どこかで「千早Pは変な連中」と思われているような節があって、結果的にそういう「変な連中」のひとりにカウントされてしまっている私は、そんなことは無い筈、とも思うのだけど、そう言われてしまう理由も心のどこかで分かっているような節がある。彼女自身が変な子だから、結果的にそういう人たちが集まってしまっているのかも知れないなあと思う。でも、それは決して彼女だけではないでしょう、とも思う。ただ私にとって、プレイヤーとして長年付き合ってくれた彼女は、あの頃も、今でも、心の何処かに居場所を空けてある、大事な人のひとりなのだ。
そうだなあ。
彼女の声を担っている方は今井麻美さんという声優さんなのだけれど。
うーん、そうだなあ。
今更当時の話をいちいちする気にもなれないのだけれど、今井さんは、コンテンツとしての『アイマス』が今ほど大きくなるよりもずっと前、アーケードの片隅で私が肩を縮こませながら延々とプレイしていた頃(今ではそうでもないのかも知れないけれど、当時はゲーセンといえば「硬派なプレイヤーたちのたまり場」みたいなところがあって、そういう場所でギャルゲーみたいなゲームをやることには肩身の狭さがあったりしていた)から、ずっとコンテンツの最前線に立って頑張ってきてくれた人のひとりだ。ラジオやイベント、それに彼女は「演者でありプレイヤー」でもある人として、当時を知る人たちの中には記憶されている事と思う。今や押しも押されもしない巨大なIPの雄に成長したアイマスだけれど、あの頃の彼女たちの頑張りが無かったら今はきっと存在していないだろうと思う。
いろんな光景を、懐かしく思い出す。
実は私が初めてラジオ番組に投稿したのも彼女がパーソナリティを務めるアイマスの番組で。あの頃のアイマスのラジオって、古参の方というか所謂「ハガキ職人」みたいな、面白くてトークも引き出せるような話を送っていた方が多くて。私は今も昔もあんまり「面白い話」みたいなのを書ける人ではないので、随分頭を悩ませたり、日々の中で色々思いついたことを書き留めたり、それから、「送信」の小さなボタンひとつを押すのがすごく怖くて書いた内容を何度も何度も読み返していた事だとかも、昨日の事のように憶えている。初めて読んでもらえた時はほんとうに嬉しかったなあ。
いろんなやり取りをしてゆく中で、今井さんの中の千早もまた、とても大きな存在なんだな、という事を知って。私が「今井さん自身」に興味を抱いたのは、結構こういうところからだったのかも知れない。
元々声優さんって私はあんまりよく知らなくて、ただ単純に一方的に、「私が大事にしているものを、それを演じてくれている人がとても大事にしてくれている」ということが、とても嬉しかったんじゃないかと、振り返れば思う。
ライブも、有難いことに今やチケットを取るのも難しいアイマスのライブだけれど、当時はそこまででもなくて、初めて見たのは4thだったか家庭用2作目の発表があった幕張で、その後もたくさん観させて貰ってきた。アイマスのライブにおける今井さんは、僕がその事をきちんと知るのはもっと後だったのだけど、普段ラジオなんかで見せる面白いお姉さんという感じでは全くなくて、「ステージに千早が居る」と、例え疑ってかかろうとしても、そう思わずに���居られない佇まいをよくされていたように思う。
ただ、ライブというのは面白いもので、演者が役者たろうとしていたとしても、ふとした拍子にそこに演者自身の素顔が垣間見えてしまったりもする。そういう時の今井さんはやっぱり、あのプレイヤーとしてはゲッソリするくらいストイックな孤高の歌姫ではなく、ワハハという笑い声の良く似合う面白いお姉さんで、私はその両方がとても好きだった。
今井さんは、歌手としても今年デビュー10周年?「?」って何だよとも思ってしまうけれど、大体そのくらい。なんか見たら記念ミニアルバムが出るんだそうな。わー嬉しいなあ。買っとこうかな。
素直にそう思えることが、すごく嬉しい。
彼女の今に至るソロアーティストとしての道は、それでもやっぱりアイマスというコンテンツがあったからなのかな、という気が個人的にはしている。歌を歌うのが好きで、歌を歌う人が好きで。そういう人が、そういう役を離れた所で、その人自身として「デビューします!」と発表したとき。嬉しかったなあ。初めてのワンマンは、今はもう無いけど昔「シネマライズ」っていう小さな映画館があったところで、個人的にその映画館にはよく通っていたので、その辺りも懐かしくて嬉しかった。今でもあの日の、アレ確か年末だか年明けだか、すごく寒い時期で、物販列に並ぶのがしんどくて近場のファミレスで友達と延々カードゲームしてた事とか(真面目に並べよ)、あのスペイン坂にずらっと並んだ人たちの最後尾に並んだ時の事とか、そうあの頃はキンブレも無くて、ほっそいペンライトをウキウキ買った事とか、確かCDか何か買ったら色々付いてきたんだよね。手持ちがあんまり無くてどうしようか散々迷ってたら後ろの人に「オイ(キレ)」と怒られ���こととか。本当に昨日の事みたいだ。シネマライズは映画館だったから客席に段差があって、多分本来は見やすい箱なんだろうけど、きっと見積もりを誤ったんだろうなあ。散々詰めてもお客さんが入りきらなくて推し蔵饅頭みたいになっていた事とか。自分でもびっくりするくらい良く憶えてしまっている。そうそう、ライブ前に発売された1stアルバムが『COLOR SANCTUARY』というのだけど、初回盤には当時としては本当に珍しかった、MV収録のBDが付いてきたんだよね。映像がめちゃめちゃ綺麗で(撮影は寒くてすごく大変だったらしい)感動したことも良く憶えてる。いいアルバムなので良かったら聴いてね。
何だっけ。コレ何の話ですか?
最近ここに書いてる話って殆ど痴呆老人の寝言みたいな書き口なので自分でも心配になっている。
そうだなあ。
私にとって、千早と今井さんは、あくまで別の人だ、という気持ちがどこかにあって。
��も、どこか似た所もあったりする二人で。
関係性としても、すごく色んなものが絡み合っている二人なので、うまく切り分けることが今も出来ずにいるところもあって。
ただ、別の人だからこそ、そういう異なるお互いを大事にしながら、心のどこかで二人三脚みたいに歩んできてくれたことが私にとってはすごく特別なことでもあったりするのかな。
今井さん、普段のライブではあんまり、というか殆ど千早の話はしないんですね。3日目でご覧になった方にはきっと伝わったんじゃないかと思うんだけど、あそこで見たまんまの人というか、面白い人で、真面目で素直なひとなんだと思う。今でもファミ通でラジオやってるから良かったら聴いてね。たぶん見たまんまだと思う。
一方の千早はと言えば、これももうずいぶん昔の話か…、アニメをご覧になった方には伝わってくれたのかな、めんどくさい子なんですよ。ホントに、プレイヤーとして言うなら、ゲッソリしてしまうくらい。ひねくれた子です。
アイマスは「中の人の個性をキャラクターに取り込んできたコンテンツ」として知られているんじゃないかと思うのだけど、そうして、その時間の中で彼女たち二人が互いに手を携えてきたことも、さんざん見てきて知ってもいる筈なのだと思うのだけど、それでもやっぱり、私には彼女たちは違う個性を持ったひとりひとりの人間で、
うーん。
私は、自身が役者ではないから、そこに在る気持ちを完全には理解できないと思うのだけど、そこに、「異なる二人」が、同じ夢を携えて歩んできたみたいな景色を観てしまっていて。それは、「違う人」だからこそ、例えば普段はワハハと笑う今井さんが「千早」としてステージに立つとき、何度それを「違う人なのだ」という当たり前の目線で疑ってかかろうとしても、そう思わずには居られないくらい、そこには圧倒的に千早としての彼女が存在していて。すごく真逆のことだと思うけれど、そういう彼女を見ていると、その佇まいの中に、今井さん自身のまなざしを、長い時間をずっと共に過ごしてきた人へのまなざしみたいなものを、感じてしまうことが度々あって。これはアイマスのステージの話だけれど、これはそのまま歌手としての今井さんのステージのも言えることで。ソロのステージって役からは離れた歌い手自身のステージだから、だからこそ感じる、「今井麻美として、彼女に負けないように」みたいな感覚というんだろうか、うーん、違うのかなあ…、
例えば、「演じる相手に誇れるひとりの歌手であるように」みたいな佇まいを、ワハハと笑いながら、千早とは全く違う自身のパフォーマンスでお客さんを楽しませてくれている姿の中に、ごく偶に見てきたような気がする。勿論、これは「気がする」というだけの話ではあるのだけど、それでも、ステージからの話には無くても、そこに在るものが「役者」ではなくあくまで「歌手」としての彼女のステージだとしても、そこに人としての違いがあるとしても、いや逆なのか、「違いがあるからこそ」、見える景色と見えない景色の間に、そのお互いがお互いを尊敬するようなまなざしを、微かに感じてしまう。
今井さん自身は、僕の知る千早では勿論ないし、恐らく僕の知る千早もまた、今井さんの中の彼女とは違う姿をしていると思う。けれども僕は、プレイヤーとしてだけではなく、ひとりの観客として、ファンとして観てきた景色を知っている。今井さんが時に役者として自らを重ねるように、時にプロデューサーとしてその姿を見守るように、彼女に接してきてくれたことを知っている。そうしてまた、そこに重ねられた彼女が、そのまなざしを鏡に映す様に、今井さんの事を見守り、支えて来てくれたことを、これは勿論僕の勝手な思い込みでしかないのだけれど、知っている。
ゲームというのは、ぐるぐると同じところを回る歯車のようだと思う。何度も何度も同じことを繰り返す。
けれど、現実の時間はそうではない。時間は、繰り返さないし、止まらないし、決して巻き戻りもしない。ただ、前だけに進む。
そういう対照的なふたつを長いこと見てきて、思うのだ。
変わらないものが、同時に何かを変えること。繰り返すことが、同時に前へと進むこと。大切な時間が、重ならないそれを重ねる度に、強い絆になってきたこと。違う事が同じこと。同じことが違うこと。
思うのだ。知らなくとも、そこに揺るぎない、絶大な信頼があること。
金曜日の夜に割と「元気?」みたいな話を貰って。いや本当に申し訳なくて。ヘラヘラしてばっかりで申し訳ない。
なんだか笑ってしまって。だって見えるのだ。観てはいなくてもありありと分かる。
そのステージがどんなものだったのか、知らなくても知ってる。僕だって伊達にプレイヤーをしていない。散々うなされて、知っているのだ。彼女が、ちゃんと歌おうと思える場所に立てたなら、それが最強無比であることを疑う事さえ無い。疑う余地が無いのだ。
そのことを知っているから心配もないし、観なくてもそれがどんなステージだったかが手に取るように分かる。ウチの子が最強じゃなかったら誰が最強なんだ。ふざけるな。でも観客としての僕はそれにちょっと興味もあったりするから、BDは買ってみてもいいかなと思う。なんというか、それを観て笑いたい。絶対笑える自信があるし、きっといい映像になっていると思う。
日曜は…そうねえ…素直に、色んな人に感謝したい、かな…。
『遠い音楽』って、千早がカバーした曲であるのと同時に、ソロアーティストとしての今井さんの中にも大きなものを残した曲のはずなんですよね。当時の話を遡ってみればその辺りは分かるんじゃないかと思うし、何より、そのステージを観た人なら、知らなくとも伝わることがあるんじゃないかと思う。ワンマンでも歌える機会はもうほぼ無いと思うので、そういう機会としてもすごく良かったんじゃないかと思う。そういう曲を置く余地を設けてもらえたことが素直に有難いと思うし、歌えてよかったな、とも思う。一応クレジットとしては「今井麻美」としての歌だということだけど、実際はどうだったのかなあ。その辺りは僕には計り知れないので、どこかで話を聞けたら嬉しいな。
そうねえ…そうねえ…
「今日はバナナの皮ですべったことがない話」を一切していなかった事に気づいたのでバナナの話でもするべか。
僕が彼女を身近に感じてしまうのは、彼女の中にすごく特別で大切な時間があって、それがすごく特別で大切だからこそ、今も彼女がそれを手放すことが出来ない、というあの感覚を、なんだか自分も知っているような気がするからなんだろうと思っている。
誰にでも、そういうものはあるんじゃないかと思っていて。
そうだなあ。
プレイヤーとしても、観客としても。長い時間過ごしてきた中で、私自身の中にも「特別なもの」「手放せない瞬間」ってやっぱりあって。振り返ってみればそれは、私個人の中の小さな拘りでしかないのだけれど、それでもやっぱり大切なものって大切で、特別なものって特別で。
現実はゲームとは違う。同じ時間を繰り返すことは二度とないし、決して巻き戻りもしない。ただ、前だけに進む。そうして、進む時間と共に何もかもが変わってゆく。これは避けようがない。
一時期、私はそのことがすごく怖かった。私の中にある、私にとって特別で、絶対に手放したくない大切なもの。それが、時間と共に変わっていってしまうみたいで、ひとりだけ取り残されてしまうみたいで、ひどく怖かった。私の大切なものが、変わることで失われてしまうんじゃないか。そんなふうに思えて、その事がひどく怖かった。『アイマス』というコンテンツで言えば、ちょうどアニメ化された頃の事だ。
正直観るのも怖くて。思っていたものと違ったら。私が大切にしてきたものと違うものだったら。アニメというのは、今はどうか分からないけれど、KADOKAWAメディアミックス時代を生きてきた私みたいな人間にとっては「コンテンツのゴール」そのものだ。たくさんの人たちが入ってくるし、その絶対多数の中では私個人の「大切」なんて吹けば飛ぶようなものでしかない。怖くて仕方なくて、頑張って笑い飛ばそうとしていたところもあったように思う。
結果から言えば、私個人にとってアニメはとても良い作品だった。いや、勿論色々あるのは知っているけれど、それでもやっぱり私は千早のプレイヤーなので。それがやっぱり一番大事だったことを告白せざるを得ない。
それは、彼女にとって「未来へ進む作品」だった。ゲームの中の彼女を織り込んで、その足を一歩先へと歩ませてくれようとしているかのような作品だった。それが嬉しかったし、変な話だと思うけれど、そうさせてくれたのが、プレイヤーではなく、繰り返すゲームの外側で、その歩みを共にしてきてくれた彼女の仲間たちだったことが一番嬉しかったようにも思う。アニメにはゲームと違ってプレイヤー視点というものが存在しない。存在しないというよりも、本作においてはそういう風に描かれていたようにも思うけれど、大事なのはそこではなくて、その場面において、千早の背中を押してくれたのが、彼女の周りにこれまでもずっと居た人たちだったという事だ。
そのストーリーはゲームの中の彼女の物語とは違っていて、何だろう。ずっと私がひとりで握りしめてきた手の中から、その外で共に生きてきた仲間たちの手を取って、一羽の鳥が巣立っていくみたいな。そういう感覚だったのかも知れないなあと思う。変だと思われるんだろうなあと思うけど、だからこそ嬉しかったんですよね。過去から来て、やっと彼女が未来へと進みだせたような感じがして。寂しさがあって、それよりもずっと大きな嬉しさがあったのかなあ。今はもう分からないけれど。
9話のばななを見ていると、私はあの頃の私を思い出してしまう。特別な瞬間があった事。かけがえのない景色があった事。すごく嬉しかったこと。だからこそ、それを手放せなかった自分が居たこと。思い出してしまうんですよね。小さな自分の理想の中に、誰かを閉じ込めようとしてしまっていたこと。恐らくだけれど、多かれ少なかれ、誰にとってもそういうものは在るんじゃないかと思う。
けれどこの物語は、「それを手放すこと」の大切さを描いている。変わってゆくことに可能性があること。同じことの繰り返しでも、そこに在る一瞬は違うものであること。そしてその先に、今そこに居る仲間達の手を取った先に、未来があること。それってすごく大切なことだと、知っている。
だから、ばななのこの話が僕は結構好きなんです。
何だっけ。もういいか。あーそうだ。
アニソンも随分長い時間を歩んできて、誰かが歌った歌を誰かが歌ったりする、みたいなことも増えてきて。
個人的にはそれでいいんじゃないかと思っていたりもする。
日曜の『遠い音楽』は、原曲はZABADAKさんで、アイマスのCDシリーズの中で千早がカバーしたそれを今井さんがリカバーするという形の歌だった(…筈)。当時ZABADAKさんは同人で音楽をやっている方達にファンの方が結構いて、そちら経由で僕はこの歌を知っていて、なのでカバーして貰えたことがすごく嬉しかったりしたけれど、結局のところそれもひとつのきっかけでしかない。ZABADAKの歌は今はもう聴くことが叶わなくて、だから今回の話の中で昔からのファンの方達が「歌ってくれて良かった」と言ってくださっていた事が僕はとても嬉しかった。でも、多分今でも、この歌の原曲を知らない人も居るんじゃないかと思う。それはそれでいいんじゃないかと思っている。
誰にでも知らないことってある筈で、それは決して悪い事じゃない。知らないことは知っていったらいいと思うし、そういう意味では「知らない人」というのは「これから知ってくれる可能性を持っている人」でしかないと思う。そういう人たちがそこに在る歌を知ってくれる、そのひとつのきっかけとして、誰かの歌をカバーすることが機能してくれるのだとしたら、私はそれはすごく良いことだと思う。
そして、だからこそ、その元となった人たちのファンが、そういう場面で頑張ることにも、単に喜んだりすることにも、意味があるんじゃないのかなと思う。
最近私は豊崎さんの歌を時々思い出すのだけど、「さあ僕らには何もない/だからこの手にはこれからなんでも出来る」っていい歌詞だよね。
満足したので寝る。
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nervespike · 6 years
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meteor_club | 組み立てて、実際に遊べる小さなアーケード筐体『Tiny Arcade』が再入荷いたしました! ¥6,912円-(税込)
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