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#あさひ歯科クリニック
asahidc · 1 year
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2月25日土曜日、午後の診察を遅らさせて頂き、あさひ歯科クリニック及びゆずの木歯科クリニック合同の勉強会を行いました。 今回はボトックスを使った歯科医療について、ゆずの木歯科クリニックの荒船院長先生の御講演でした。 マウスピースや一時的な投薬以外の歯ぎしり等への治療法の一つとしての有用性や、ガーミースマウルへの対応などご教授いただけました。 #ボトックス #歯ぎしり #ガーミースマイル #美容歯科 #医療法人社団喜英会 #あさひ歯科クリニック #ゆずの木歯科クリニック (あさひ歯科クリニック) https://www.instagram.com/p/CpL0XdnSiC4/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ari0921 · 2 years
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和四年(2022)9月30日(金曜日)
     通巻第7480号
 カラチで中国人を狙って銃で襲撃、3名が死傷
   親中のパキスタンでも「反中感情」が燃えている
************************
 9月28日午後、パキスタンの商都カラチで、中国人三名が襲撃され、ひとりが死亡、ふたりが病院に搬送された。現場は、40年以上も開業してきた歯科医師クリニック。中国からの移民でパキスタン国籍も所有する。
 犯人は患者を装って待合室から治療室へ入り、9ミリ拳銃で三人に発射した。犯行後、付近で待機していた仲間のバイクに飛び乗って逃走した。
 パキスタンにおける中国人へのテロは数多く、グアダールでは豪華ホテルが襲撃され、また昨年六月にはダム工事現場へむかうバスが狙われ、中国人エンジニア九名を含む13名がテロの被害にあった。
 年初には中国人女性教師が、四月にはカラチ大學の孔子学院前で女性の自爆テロ、中国人三名が殺害された。
バロチスタン州の州都=クエッタでは、たまたま訪問中だった中国大使の宿泊先ホテルが爆破され三名が殺害された。偶然、中国大使は外出中で無事だった。
 パキスタンの西部はバロチスタン州。かれらはパキスタンに所属しているという認識はなく、パロチスタン独立を目指している。西南部突端のグアダール港を軍港兼コンテナターミナル、付近には工業団地、大學と謳った「CPEC」の目玉プロジェクトは度重なるテロのため、中断され、グアダール港の代替はカラチと決まった。
一連のテロ行為と歯科医殺害は、これまでの一連の中国人襲撃テロと関連があるか、どうかパキスタン警察と内務省が本格捜査に乗り出した。
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nyantria · 2 years
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これはフェイスの物語である。
私の名前はフェイス、16歳で、もうすぐ17歳になります。私のことはジェラール・レニックやチャンネル7のニュースなどですでにご存知のことと思いますが、私は6ヶ月前に起こったコビッドの副作用で最初に公表された被害者の一人です。
この事件が起こる前、私は学校に通い、パートタイムの仕事をし、車の運転を学び、参加したほとんどのことにおいて成功していたのです。私は健康で、身体的にも健康で、精神的にも安定した幸せな女の子でした。副作用の話も聞いたことがなかったし、私の仕事は薬局だったので、副作用の話を聞くたびに、これはいい考えだと思いました。 結局、タスマニア州政府は、この薬がいかに安全で効果的かをしつこく宣伝していました。私は同年代の中ではいち早くロンセストンで取得しました。もっと調べておけばよかったと思います。
2021年7月24日、初めてファイザー社のCOVIDワクチンを接種しました。 私はいつものように腕が痒かったのですが、それ以外はすべて順調でした。私は2021年8月7日に2回目のファイザーCOVIDワクチンを接種しました。最初の24時間は腕の痛み以外何も感じませんでしたが、3日後に胸郭の下に10段階中9.5の刺すような痛みがあり、吐き気がして嘔吐したくなり、目が覚めてしまいました。その日のうちにかかりつけの病院に行くと、医師は盲腸の疑いがあると言い、病院に直行する必要があると言いました。
病院に着くと、血液検査、超音波検査、レントゲン検査、そして待合室で点滴を打たれ、6~7時間待たされましたが、これは違法だとわかりました。その後、鎮痛剤を大量に飲まされ、胃の病気だからもう大丈夫だと言われ、家に帰されました。私は24時間家にいて、鎮痛剤はかなり効きましたが、まだ気分が良くなかったので、母が私を病院に連れて行ってくれました。病院に着くと、前の晩に行ったことを告げ、事情を説明すると、外科医の一人が来て、私を見てくれました。そして6時間後、私のビタミンDが低いことを告げ、ビタミンDの点滴をし、ロンセストン総合病院の小児病棟に入院させました。そして、盲腸に異常がないかを調べるために、予防的に盲腸の顕微鏡手術を行うと言われました。
翌日からずっと手術を待ち、24時間水なしで絶食させられました。その夜、私は手術に入った。手術の1時間後に激痛で目を覚ますと、盲腸を切除することになり、翌日まで小児病棟に寝かされました。翌朝になると、手術は成功し、すべてが順調で、そのおかげで早く退院できたと言われました。
家に帰り、それから2週間はずっと休んでいましたが、相変わらず胸郭の下に鋭い刺すような痛みがあり、食欲もなく、あまり眠れず、手術が終わったばかりだったので、回復しているのだろうとばかり思っていました。
2週間後、手術後の検診のためにかかりつけの病院に戻りました。医師は私がポルフィリン症に苦しんでいるのではないかと心配し、血液専門医の診断を仰ぎましたが、すべて異常なしとのことでした。ループス、肥満細胞症、甲状腺など、思いつく限りの検査をしましたが、すべて異常なしでした。
その時、盲腸にも異常がないことを告げられました。虫垂炎はないと書いてあったのです。ただ、「本当は必要ない」ので取ったと言われました。
母が初めてファイザーワクチンの話をしたら、外科医が笑いながら、そんなバカなことを言うなと言った。
どうしたらいいかわからず、鎮痛剤をもらって家に帰りました。
翌日、私は全く調子が良くなかったので、母はテレヘルスに電話をかけ、起こったことをすべて説明し、そのまま病院に戻るようにと言われました。病院到着後、鎮痛剤と吐き気止めの錠剤を渡され、婦人科と小児科の医師が来てくれました。その後、2晩入院し、痛みと吐き気の治療を受け、せめて少しは休めるようにと、最終的には自宅でも発症する可能性があると言われ、家に帰されました。
それから1週間、私はまだたくさんの痛みに耐えながら薬を飲み、水分補給をし、できるだけ安静にしていましたが、痛みは治まりませんでした。そして、免疫学の教授と小児科医を紹介されました。
免疫学の教授に会ったとき、母はコビド・ワクチンのせいかと尋ねました。しかし、書面ではファイザー製薬のワクチンによるものだと断り、その代わりに、ウイルス感染後の症状だと書きました。私たちは、レニック議員と同じように病院に公式に苦情を申し立てました。教授は手紙を書き直し、報告書を訂正して、これはファイザー・ワクチンによる遅発性副作用であると言いました。
それから1週間後、痛みはもうどうにもならないところまで来ていたので、また病院へ行きました...。小児科の医師が来るまで4時間半ほどそこにいましたが、すぐに小児病棟に入院し、睡眠薬を処方されました。その日の午前2時、私は初めて経験するチックで目を覚ましました。看護師は私の母に、この映像が必要だと言って、カメラを出して撮影を始めるよう伝えました。登録医が呼ばれ、彼女は恐怖の表情を浮かべ、こんなことは見たことがないと言い、どうしたらいいかわからないと泣いていました。その間も私は激しいチック症状を起こしていました。医師は私にバリウムを投与することにしました。
翌日、目が覚めると、10kmのマラソンを終えたような気分で、そこから日中チックが始まりました。
その後、薬が変更され、3日間入院しましたが、薬以外は何も飲まずに家に帰され、依然としてチックが続いています。彼らはチックについて全く気にしていないようでした。現在もチックは止まらず、さらに悪化して毎晩起こり、1回のエピソードが4時間も続き、非常に苦痛です。
10段階中10の筋肉痛のような痛みで、体中の筋肉が引っ張られて痙攣しているような、痙攣のような、自分ではコントロールできない、やればやるほど痛くなる、だから自分を解放するしかない。12月初旬、事態が悪化したため、再び病院に戻ることになりました。トリアージの看護師は、「COVIDにならなくて本当によかった、もっとひどくなって死んでいたかもしれないからね」と言いました。
私はママと一緒に4時間待ち、パナドールを頼んだのですが、それさえももらえませんでした。その後、歯医者のような椅子のある小さな部屋に通されました。そこには上級小児科医と登録医が2人いて、そのうちの1人が私の試練を知っていました。彼は、なぜか私たちの車がどこにあるのか何度も尋ね、それから私のママを指差して「フェイスにしっかりしなさい」「これはすべて画面の見過ぎが原因なんだ」と言い続けました。その時、ママは腹が立って、私たちはそれを最終的なものとして受け入れず、うんざりして帰ってしまいました。
3週間前、ひどい痛みと吐き気に襲われ、再び病院に戻るよう言われました。輸液が必要だと言われ、行きたくなかったのですが行きました。医師は何が起こっているのかわからず、点滴はできないと言い、鎮痛剤も出すつもりはないと言われました。担当医は急用ができたので、その場を離れました。戻ってきた先生は、私を病院の奥の部屋に連れて行き、EDの私に鍼を打ってくれました痛みに耐えながら呼吸をするようにと、恩着せがましいことを言われ、文字通り痛みに泣きながら耐えるしかないのです。結局、家に帰されました。私は3日間、水さえも飲まず、何も喉を通らず、いつ吐いてしまうかわからない状態でした。氷柱で無理やり水分を補給するのが精一杯でした。それ以来、病院には行っていませんし、行きたくもありません。
10月末にメルボルン小児病院の思春期クリニックを紹介され、キャンセル待ちをしたところ、紹介状が受理されました。しかし、私の病状は雪だるま式に悪化しているため、紹介状を更新するためにGPに戻りました。雪だるま式に病状が悪化し、毎週大変なことになっています。
2022年1月28日、これまで問題にならなかった地域外であることを理由に却下されたことがわかりました。コードブラウンのせいなのかどうかはわかりませんが、GPと小児科医はこの15年間、問題なく紹介をしてくれています。今、私たちはどこか他の病院を探しています。
現在、ガラス製のコップやマグカップは、誤って投げて壊してしまわないか心配で、使うことができません。
もう運転はできないし、仕事もできないけど、良くなったら復帰できると言われたし、キャリアも積めないし、学校にも半年間行っていません。私は光と音に極端に敏感でいたりいなかったりします。一日平均20錠の薬と飲み薬、物忘れ、集中力低下、最近では突然足が崩れて担がれるようになりました。
Faith Ranson - 16歳、Pfizer COVIDワクチンによる重篤な副反応について
ディープル翻訳
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この時期の楽しみ。シャクヤクの花です。僕も妻も大好きで毎年飾っています。僕の手のひらより大きなお花が咲きます。綺麗過ぎます!大きくなり過ぎたものは自重で茎が折れます(笑)。折れた茎はいつも割り箸とテープで添え木しています。花が散る時もバサっと一気に落ちます。花の迫力と裏腹に数日で散る桜のような儚さがたまりません。何万本とある愛媛のシャクヤク園に行ってみたいな〜。
枚方市長尾北町ソライロ歯科クリニック
-すべての人に優しい歯科医療を、一人の患者に幸せを-
www.solairo-dentalclinic.com
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hidekazustom · 8 months
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骨粗鬆症の薬と歯科治療①②
【院内広報キトキト第21・22号】
 (注意)こちらは、2019年11月および12月発行の、院内広報キトキト第21・22号の記事の一部です。
 こんにちは。11月になりました。
 今回は、口腔粘膜から離れますが、大事なテーマで、
骨粗鬆症(こつそしょうしょう)と歯科の治療についてです。
 ある患者様から、このようなお話をいただきました。
「骨粗鬆症に対して、飲み薬と、半年に1回の注射薬を受けているが、治療(抜歯かもしれません、と)が必要な歯があります。受診中の歯科の先生からは『骨の治り方に影響が出るので、お薬を中止してもらってください』と言われました。それを薬の処方医の先生に言ったら、『中止はできない。そんな歯医者はやめなさい』と言われてしまい、板挟みになってしまっています。」
というお話でした。
 骨粗鬆症やその薬については割愛しますが、この患者様のお話でそれぞれの先生が懸念していることを推測すると、
*歯科の先生「抜歯や歯の治療後に、骨粗鬆症の薬の影響で、顎の骨が壊死してしまうかもしれない」
*処方医の先生「薬を中止して、骨密度が低下して骨折するかもしれない」
と、どちらの先生も、患者様のことを考えてのお話であることは間違いないと想像されます。
 2016年に、医科・歯科の専門家の先生が集まり、「骨吸収抑制薬関連顎骨壊死の病態と管理:顎骨壊死検討委員会ポジションペーパー2016」が作成されており、先生方の指標になるかと考えます。  お話の続きは次号以降にいたします。
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以下、その次号です。
 こんにちは。12月になりました。
 今回は、前回の続きになります。骨粗鬆症の薬を使用する予定、あるいは使用している患者さんと歯科治療における注意事項の一例をまとめました。
①骨粗鬆症の飲み薬・注射薬を始める前に
 歯科医師の先生には、骨粗鬆症の薬が始まる前、そのことをお伝えください。そして、歯の治療がある場合は、薬の処方医の先生にそのことをお伝えください。
(処方医師と歯科医師とが連携をとることが一番理想です)
 歯の治療がある場合は、薬が始まる2週間前には終了しておくのが望ましいです。ただし、薬の適応の病状が深刻な場合は、やむを得ず骨粗鬆症の治療を優先する形にならざるを得ないこともあるかもしれません。
 口の中に痛みなどがなくても、定期的に歯や歯ぐきのチェックを歯科で受けてください。
②骨粗鬆症の飲み薬・注射薬をすでに始めている場合
 病状、お薬の種類、服用期間等によりますが、歯科治療(特に抜歯など、顎の骨に侵襲が加わる処置)に制限が出る可能性があります。処方医の先生と歯科医師の先生、そして患者の皆様とで、どこまでの治療を目標とするかを打ち合わせすることが理想です。そして、必ず定期的に歯科で歯や歯ぐきのチェックを受けてください。
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最後までご覧いただきありがとうございました。
ひでかず歯科口腔外科クリニック 院長 佐藤英和
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hara323 · 1 year
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はらまち歯科クリニック
はらまち歯科クリニックは、北九州市小倉北区にある、マウスピース型矯正装置「インビザライン」を用いた治療を行っている歯医者です。診療においては診査・診断を重視し、一人ひとりの患者様に合った、より確実で、よりご安心いただける治療のご提案に努めています。
北九州市小倉北区で矯正治療の歯医者をお探しなら はらまち歯科クリニックの技術力にお任せください
はらまち歯科クリニック 〒803-0815 福岡県北九州市小倉北区原町2丁目6−14 2F 093-583-3770
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assy1210 · 1 year
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「セブンイレブンが立ってたところに  新しく歯医者さんができるそうだよ  金魚すくいを無料でさせてくれるよ」 そんな情報に釣られて 娘が土曜の朝から出て行った 私が幼い頃なら建前(上棟式)の 餅まき前といったところか クラスの話題はそれでもちきりだ 出掛けてしばらくすると、 娘が友だちを連れてピンポン押してきた どうやら大人連れじゃないと スーパーボールすくいはさせてくれないらしい ※っていうか、金魚じゃないのか… …なるほど 日頃の睡眠不足を少しでも解消しようと 遅寝をしていたところを叩き起こされ 着替えてその新しい歯医者へ 軒先には「クリニック見学会」と銘打ってある 確かにこれは大人同行が必要であろう どれもこれも新品の設備 いずれも若い歯科医とスタッフ 子どもが飽きない工夫 予約来院してもダラダラ待たされない オペレーション インプラントも対応できる院長 永久歯になってからいちども 虫歯になったことがない私でも ちょっと興味が湧いてしまう さて、帰り掛け、歯ブラシと 大きめのアヒル隊長と引き換えに 簡単なアンケートということで 小さな用紙にレ点チェックする 確かに簡単なアンケートだなあと 最後の質問まで埋めていくと すかさずスタッフが用紙を裏返す こんどは、 ・いつ予約? ・(歯の図面とともに)悪い歯は? といいったこんどはホンキの質問 マニュアルがあるのだろうが、 ずいぶんと商魂逞しい まあ、せっかくだからという意味も込めて 本人に訊くと娘は治療してない虫歯があるそうで 私も同行するならクリーニングくらい してもらおうかと、来週月曜日 営業スタート日の予約をする #ひばりが丘吉田歯科 #商魂込めて #スーパーボールすくい #バルーンアート #ガチャガチャ https://www.instagram.com/p/Cp6zywCPo_u/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ekodatakahashishika · 2 years
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江古田たかはし歯科クリニックでは、「すべての患者さまにご納得いただける歯科医療を提供したい」という思いのもと、日々治療を行っています。 同じ症状を治療する場合でも、一人ひとり、状況や事情が異なります。事前に状況をしっかりと把握し、より良い治療が提供できるよう、事前の問診や治療方針のご説明には特に力を入れています。気になることがあれば、どんな些細なことでも構いませんので、お気軽にご相談ください。 患者さまとよく相談しながら治療やメンテナンスなどを行っていきたいと思います。 皆さまのお口の健康を末長く守っていけるよう、精一杯のサポートをさせていただきます。どうぞ宜しくお願い致します。
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omisesan · 2 years
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伊勢崎で歯科をお探しなら 佐藤歯科クリニック
​伊勢崎で歯科をお探しなら 佐藤歯科クリニック​
〒372-0051 群馬県伊勢崎市八幡町32−1
0270-75-6762
​伊勢崎で歯科をお探しなら 佐藤歯科クリニック​
伊勢崎で歯科をお探しの際はご相談ください
群馬県伊勢崎市八幡町
【佐藤歯科クリニック による説明】
"伊勢崎市で義歯制作や小児歯科をお探しなら、佐藤歯科クリニックへお越しください。 一般歯科・義歯制作・小児歯科・審美歯科・インプラントやホワイトニング等幅広い治療が可能な歯医者です。 伊勢崎駅より車で10分の場所にあり、駐車場は13台分ご用意しております。 佐藤歯科クリニックでは、気持ちよく治療を受けていただけるように患者様一人ひとりとのコミュニケーションを大事にしており画像を用いてていねいに分かりやすく治療のご説明をさせていただいております。 また、できるだけ痛みの少ない治療を行っております。最新設備を使用して治療時間を短縮し、患者様に負担がかからないように心がけております。 初めてお越しの方はWEBにてご予約が可能です。お口のことについてお悩みの方は是非当院へお越しください。"
【クチコミ】
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"受付の対応も良く、先生も感じが良くて、ここなら任せられると思いました。"
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"説明もわかりやすくこんなに好印象を受けた歯医者は初めてでした!"
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asahidc · 1 year
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春分の日、休日診療中です 隣の公園はもう少しで花が咲きそうです #日高市 #飯能市 #鶴ヶ島市 #坂戸市 #狭山市 #笠幡 #休日診療 #祝日診療 #歯痛 #親知らず #救急 #急患 #往診 #ベイシア #小児歯科 #矯正歯科 #夜間診療 (あさひ歯科クリニック) https://www.instagram.com/p/CqB_gTzyVL4/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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gohan-morimori · 3 years
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アジャラカモクレンニセンニジュウイチネンイチガツニジュウゴニチカラサンジュウイチニチマデノニッキ
1月25日(月)
 大前粟生『私と鰐と妹の部屋』読み終える。この本はたしか去年の2月だったか3月だったか(たしか2月)の本屋博で、toi booksのブースで買ったものだ。特典の『全身が青春』を読む。読んでいたら、やっぱり日記なんじゃないか、という気分になる。日記、いいな、となる。やったほうがきっといい。っていうかやりたい。という気分がどんどん高まっていって、でももうわたしは笹塚には住んでいないからタイトルを笹塚日記からなにか違うものに変えたほうがきっといい。変えないとテンションが上がらない。ということで、ぐるぐる考えて、アジャラカモクレンにしようと思った。3年前だったか4年前だったか(たしか3年前)(いや4年前か、もう)、そのころはまだ京都に住んでいて、でも東京へ行くことがほぼほぼ決まっている段階で、そういう状態で日々を過ごしている中で、なにか書きたい、小説ではないなにか、というようなことを思って、Tumblrでブログっぽい文章をいくつか書いていた時期があった。そのTumblrの名前をアジャラカモクレンにしていた。死神っぽいなにがしかから身を守りたかったのか。それが、そのTumblrがまだ残っていて、それも使おう、と思った。noteを使っていく上で、noteとかcakesとかに対するモヤッとした感情を解決するための策として、すこし前から、ショート・スパン・コールの更新/公開はnoteとg.o.a.tとTumblr(と、時間差でInstagram)を並行して使う、ということをしていた。「noteを使う」から「noteも使う」にすることで、自分の中でのnoteの重要性というか、一箇所性(一箇所性?)というか、ここだけ感というか、そういう価値を下げて、均す。わたしの文章を読む(読みたい)人に対しては「読みたい場所、モヤッとしない場所を選んで読んでね」という態度でいることができるし、ひとつの文章を更新/公開する場所を増やすことで、予期せぬ出会い、みたいな可能性も増やせたら、みたいな。いまのところそれはなんだかうまくいっているような気がしていて、というかわたしはとても気が楽で、こりゃいいやと思っている。しばらくはこの方法でいくのだと思う。そもそもいままで、なんで一箇所でしか更新/公開していなかったのだろう。なにはともあれそれでアジャラカモクレンのロゴを作った。なにはともあれまずはロゴ、ということで、バージョンの古いイラレを嬉々としていじり、ロゴを作った。アジャラカモクレンこれは日記です。アジャラカモクレンコレハニッキデス。死神よ消えろ!
1月26日(火)
 休日。去年の12月からは職場のシフトを固定にしてもらっていて、だから毎週火水はおやすみ。確定申告とか、皮膚科とか、耳鼻科とか(もう花粉が暴れだしている)、新宿の某クリニック(ホルモン注射)とか、やったほうがいいこと、やらなきゃいけないこと、行かなきゃいけないとこ、行ったほうがいいとこ、が溜まっているのだけど最近の火水はなんだかんだでずっと家に居てしまう。ショート・スパン・コールをぐんぐん書く。佳境、というか、自分の中でここは特に大事に慎重に書きたい、みたいなところにもうすこしで差し掛かりそうで、どきどきしている。なんだかんだで100篇はゆうゆう越えるもんだな、とも思っている。本読んで、書いて、トイレ行って、コーヒー飲んで、ビタミン剤飲んで、本読んで、書いて、トイレ行って、部屋うろうろして、コーヒー飲んで、煙草吸って吸って吸って本読んで書いて、みたいな感じで夜になってゲラ2本チェック。それぞれに戻す。
1月27日(水)
 休日。昨日から、というか一昨日の夜からずっと同じ寝間着を着ている。着替えていない。火水はこうなる。読んで書いて書いて読んでコーヒー煙草トイレコーヒー煙草スパゲッティ読んで書いてコーヒー煙草煙草煙草吸い過ぎだなコーヒートイレ煙草読んで書いて書いて書いて部屋うろうろ。リディア・デイヴィス『ほとんど記憶のない女』読み終える。高木美佑『きっと誰も好きじゃない』読み終える。リディア・デイヴィスの本を読むと勇気と恐怖が同時にやってくる。ここまでやってくれている人が既にいる、という勇気と、それと同じだけの恐怖(ここまでやってくれている人が既にいる……)。先週だったか、toi booksのYouTube配信で、大滝瓶太×滝口悠生のトークを聴いていたら、滝口さんが「連載って大変」みたいなことを言っていて、わたしは『灯台より』で自分が連載している小説「どこに行ってもたどり着く場所」のことを思いながら、勇気と恐怖が同時にやってきたのを思い出す。滝口さんでもそんなこと思うんだな、という勇気と、滝口さんでもそんなこと思うんだな、という恐怖。もしかしたらわたしはまだ到底持ち上げられない重さのダンベルに手をかけている状態なんじゃないか、みたいな。それを本屋Lighthouseの関口さんにSkypeで話して、そのSkypeは関口さんによるアナログなのかハイテクなのかわからない手法でライブ配信されていて、ほぼ機材チェックみたいな謎の時間を視聴者には提供していたこととは思うが、なんだか久々に、自分の生活圏外の人(関口さん)と交流、というか井戸端会議っぽい駄弁りができた感じがして、いい息抜きになった気がしている。関口さんとのSkypeを切ってから阿久津さんのZOOMにアクセスして、会議、というかこれもまた駄弁りのような、わちゃわちゃした会話をしていたら野口さんもZOOMに入ってきて、それで3人でわちゃわちゃと話してなんだか楽しかった。仕事と遊びがまぜこぜになる感じ。いまだにわりと新鮮に「オトナだ」となる。今年で29歳なんだから、オトナだろうよ。阿久津さんと野口さんはスタバの話でずいぶんとハッスルしていて、スタバになんのメモリアルもないわたしは途中からスマホをいじったりぼや〜っとZOOMの画面を眺めたりしていた。通話終わり。ゲラに関するメールを打って送る。なんだかどっと眠たくなって、歯を磨いて寝る。
1月28日(木)
 11時過ぎだか12時過ぎだかに起きる。14時には下北沢に着いていないといけない、というのを、忘れていたわけではないのだけれど「それってつまり」と考えることができなくて部屋をうろうろしたりぼやぼやしたりしているうちに��ゃんとしたご飯を食べる時間がなくなっていて着替えてざっくり化粧をしてチキンラーメンを啜って家を出る。小雨。聞いてないなあ、知らないよ、雨、と思いながら自転車に乗った。雨粒がぽろぽろとマスカラに当たるのを感じていたけれど雨が降るなんて知らなかったから知らなかった。雨なんて無視無視。下北沢についた。阿久津さんと話す。話している間、雨が雪に変わっていくのが阿久津さんの後ろ、ガラス戸越しに見えて、話している途中で、あ、雪、と言った。言ったらわたしの斜め前、阿久津さんの横に座っていた桜木さんが反応して、あ、雪、となって、よかった。いい瞬間だった。雪。穂村弘の〈体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ〉という短歌を思い出したり、いしいしんじ『よはひ』の「二歳五ヶ月のピッピ」を思い出したり。職場で働く。静かな日。なにかチームで動くとき、チームに所属するとき、その中に居るとき、わたしはわりと「元気印」みたいなレッテル(レッテル?)を貼られたり、ムードメーカー的な立ち回りを演じたり(演じたり?)、ピエロっぽい役割を割り当てられたり、それらを自覚的に(あるいは無自覚的に)率先して引き受けたり、結果的にそういう立場になっていたり、することがあるのだけど、そしてそれはたぶんわたし自身が望んでそうなっている側面もあるのだろうけれど。いつだって元気なわけではないし、人一倍暗い瞬間だってきっとあるし、汚く醜い感情でひたひたになっている期間だってあるし。そういうとき。元気印が元気じゃないとき。いったい誰がわたしを元気にしてくれるのだろう。みたいな、行き場のないモヤモヤ、憤り、やるせなさ、みたいなものを感じることがちょいちょいあって、いままでは、そういうときはそのモヤモヤや憤りややるせなさに任せて、誰かに怒られたりするまで奔放に破壊的な行動をしてきたのだけど、いまは、いまの職場では、というかいまの自分は、そういうときも、そういうときであっても、仮面であっても演技であってもポーズであってもいいから、「元気」を全うしようという気持ちでいる。すきな人たち、信頼している人たち、素敵な人たちを自分の不調や不機嫌や元気のなさによっていたずらに不安にさせたり傷つけたりしたくない。それもきっと仕事のうちだ、と、思いはじめている。それがいつだってできるわけではまだないし、じゃあわたしの元気がないときは誰がわたしを元気にすんだい、みたいな気持ちへの落とし前はぜんぜんつけられないけれど(そしてその問いへの答えは結局「自分自身」でしかないのだけど)、でも、死ぬまで独り身で生きていくかもしれない現実に向き合って覚悟を決めて朗らかに独り身を生き抜くリズムを作るために去年の10月から一人暮らしをはじめたのだから、だから……なんだっけ?閉店時間になって、帰り支度をして、吉野靫『誰かの理想を生きられはしない -とり残された者のためのトランスジェンダー史』を読んで、帰って、コーヒーを淹れて煙草を吸ってこの日記を一昨日昨日の分まで書いて洗濯ものを干して(めちゃくちゃさむい)、湯たんぽをあっためてパソコンデスクの下に置いて足を乗っけてあったまりながら今日の分を書いて、ピラカンサのシュトーレンを切って食べて(しみしみになっていておいしい)、これからお風呂に入る。湯船に浸かりながら吉野靫『誰かの理想を生きられはしない -とり残された者のためのトランスジェンダー史』の続きを読む。いろいろ重ねて読んでしまうからしんどい本だけど読んでおきたい本でもある。気圧ひくい。頭いたい。かなしい気持ちになっている。奔放に、抱きしめられたいな〜、人に。最後にだれかと手をつないだのっていったいいつだ。
1月29日(金)
 寒い。晴れている。出勤。せわしなく働く。閉店後、
https://soundcloud.com/yunovation/virtual-luv20190314-1
を一曲リピートで延々流しながら、吉野靫『誰かの理想を生きられはしない -とり残された者のためのトランスジェンダー史』を読む。読み終える。終わりの文章でちょっと泣きそうになる。死にたくないな。生きなきゃな。とか思う。家に帰る途中で西友に寄って牛乳とオレンジジュースと豚バラとキムチを買って帰る。中橋さんに電話してだらだらしゃべる。途中からGoogle Mapで京都のあちこちを見回るのがやめられなくなって、電話を切ってからもだらだらと地図上で京都のあれこれを見ていた。それからなぜかYouTubeで予備校講師の動画を見漁りはじめて、止まらなくなって空が明るくなってから危機感に襲われて入浴。湯船に浸かりながらオーレ・トシュテンセン『あるノルウェーの大工の日記』を読み始める。去年はこの時期に佐伯一麦『ノルゲ』を読み始めた気がする。2月だったかな。同じ時期にノルウェーの本を読んでいるのがなんだか不思議とうれしいきもちになる。眠る。
1月30日(土)
 起きたり寝たり起きたりを行ったり来たりして13時50分くらいに起きる。慌てて準備をして出勤。煙草を忘れたことに家を出てしばらくしてから気がついて途方に暮れる。働く。せわしなく働く。いそがしいそがし、あわあわあわあわ、としているうちに閉店の時間になって身体がやたら重たくて怖くなった。ごはんを食べながらiPhoneで呪術廻戦の最新話を観る。ほんとTikTokみたいなアニメ/漫画だなと思う(いいとかわるいとかではなく)。ハンターハンター、ソウルイーター、BLEACHの気配をむんむん感じる。そのまましばらく身体が重くて動けなくなって、お腹が痛くなってきて、こわいこわい、と思いながら身体を椅子からひっぺがして帰り支度をして職場を出た。家に帰って可燃ごみをゴミステーションにぶちこんで今日一本目の煙草を吸って、腹痛に耐えかねてトイレに籠もってお腹をさすりながら『京都町中華倶楽部』創刊号を読む。おもしろい。この本を面白がれるのはわたしがいま京都にいないからなのかもな、と思う。キッチンとトイレを何度か往復しているうちにだんだん腹痛がおさまってきて、ビールを飲みながらまた煙草を吸う。京都。京都にいつか戻りたい。「戻る」という言葉がやはりしっくりくるな、と思う。戻りたいな、と思う。いつか。それがいつなのかはわからないけれど、いつかほどほどに自由に居住地を選べるような身分になったら、また京都に住みたい。でも東京が嫌だとか嫌いだとか、ここにいたくないとか自分の居場所はここじゃないとか思っているわけではなくてむしろ逆で、東京は東京で好きだし、ここは自分のいまの居場所だと思っている。でも、これは去年の4月ごろ、緊急事態宣言で家に籠もりっきりになって、あちこちの団体やお店なんかでクラウドファンディングが立ち上がったりしていたころ気づいたことなのだけど、わたしがこういう状況下で「助けたい」とか「助かって欲しい���とか「生き延びてほしい」とか「なくならないでほしい」とか思うような場所、モノ、人、コトのほとんどは京都のあれこれで、京都の書店で京都の映画館で京都のライブハウスで京都の酒場で、それはわたしが東京に住み始めてからまだ2年半ほどしか経っていないのもあるし、東京に来てから1年以上は手術費を稼ぐために娯楽的なあれこれを極端に切り詰めてきたからで、そもそもわたしはまだ自分が住んでいる土地のことをぜんぜん知らない。知らない土地に対して「助けたい」と思うのはむずかしい。というか、まずは京都が助かって欲しい。話はそれからだ、感がある。ここ半年ほどは、本を買うときは大抵京都もしくは大阪の書店のオンラインストアで注文しているし、たぶんこれからもそうしていくだろう。みたいなことを考えたり昨夜に引き続き予備校講師の動画を見漁っていたら日付が変わっている。今日こそは早く寝たい。喉に違和感がある気がする。こわ〜。
 自分にとって京都ってなんだったんだろう。みたいなことをよく考える。考えるというか、ぼやぼやと思ったりする。カンタンに最強になれる場所だったな。カンタンに、井の中の蛙になれる。よく晴れた日に、紫明通を自転車で走っているとき、ここが世界だと思っていたフシはあった。井の中の蛙は大海を知らないが、大海の鯨は井の中を知らない。井の中でしか存在し得ない世界を知らない。
1月31日(日)
 とか書いたけど嫌なことも悲しいこともむかつくことも、孤独も寂しさもどこにも行けないもどかしさも、京都にいた約7年間で味わい尽くしたはずで、だからわたしの京都観には著しい美化が伴っていて、それをちゃんと自覚しておかないといけない、たぶん。トランスジェンダー、という自分のいち側面だけを考えると明らかに京都より東京のほうが日常で被るストレスや暴力、差別や排除はすくなくて、すくない気がいまは気がしていて、それはやっぱり人間の多さに依るところが大きいし、京都の狭さ、人の(土着的な人の)少なさはやっぱりトランスジェンダーといういち側面において無視できないしんどさをわたしの日々に与えていたはずで、出ていきたい、ここを出ていきたい、という気持ちと、出ていけない、一生この場所で時給労働に従事し尽くした結果疲れてすり減って独りで何も成し遂げられないまま手術も満足にできないまま貧困状態のまま死んでいくんだ、クソが、みたいな気持ちで粉微塵になりそうだったはずで。そこから愉快な奇跡が重なっていまわたしは東京にいる。11時なのか12時なのか、みたいな時間に起きた。起きたけど起き上がることはできなくて、貪欲を抱きしめたり貪欲と添い寝みたいな格好になりながら、『京都町中華倶楽部』創刊号を貪欲の顔に乗っけて布団にくるまりながら読んでいった。龍門なつかしいな。行きたいな。知らない店がたくさんある。とか思っているうちに13時前になって慌てて布団を出てお風呂に入れない。家を出る。買い出しをして出勤。忙しくて慌ただしくてちょくちょく恐慌状態になったりしながら踏ん張って働く。忙しい。疲れた。ごはんを食べてビールを飲んで煙草を吸って身体が動かない。動かす。職場を出て、家へ。帰宅。「どこへ行ってもたどり着く場所」連載第3回の原稿について考えたり、『ショート・スパン・コール』94篇目〜103篇目あたりまでの展開や構想を練ったりしながら自転車を漕いでいると自分がどこにいるのかわからなくなりそうで怖い。いつか事故りそう。やっぱり日記を書きはじめるとそれ以外が書けなくなる。不器用。わたしはむずかしいことをしていて、それはひとりごとの言えなさに似ている。2冊目の歌集を出したい。というか出す。モノはあるから、自費でやろうか、BASEで、みたいな気持ちにかなり傾いていて、今年の上半期中に組版をやって見積もりをしよう。「どこへ行ってもたどり着く場所」も、『ショート・スパン・コール』も、大切に書きたい。疲れた。疲れた。今日こそお風呂に入ろう。2月は「どこに行ってもたどり着く場所」の原稿を書く前に読まないといけない(と、自分に言い聞かせている)本が何冊もあるから、ヘビーな月になりそう。がんば〜〜りまっしょ〜〜。タフネスを俺にくれ!!!!!!!!!
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生きている
突然の病気発覚から、1か月ちょっと経って、山ほど検査をして山ほど体に管を入れられ、管が一つずつ減って行って、退院した。
コロナのご時世に何病気になっとんねん空気読め、ということも思ったりもするが、こういう面で人間が空気を読めて行動できるのなら、生老病死のうちの4/3は克服できてしまうわけで、まぁ空気を読めないことをどうこう言っても仕方がない。
本当は、症状が気になりだした秋の早めに病院に行っていれば、私も主治医の先生も楽だったかもしれないしコロナ的にもタイミングが多少マシだったかもしれないが。秋はもうあまり覚えてはいないがひどく仕事が忙しくて大変だったので、無理だった。要するに何となく一段落ついたタイミング、色んな仕事で架けた橋がまぁ流れ出したな、というタイミングだったので、嫌な予感しかしない病院にとぼとぼと行ったわけだ。
左足がどうも思い通りに動かない、と自覚がしたのは、多分7月ぐらいだったと思う。コロナ流行による移動自粛期間に毎朝散歩をしてた時にはむしろ超快調で、このまままだと日光街道を通って日光に行っちゃうんじゃなかろうかと心配になるぐらい歩いていた。
自宅から四方八方に向かって、あまり人がいなくて面白そうな道を探して歩きつぶしてどうしようかな…でももう夏になるから歩いたら死ぬんじゃ、と思ったのと、何か足の動きが変だなと思うタイミングがだいたい同じだったように思う。で短い散歩習慣が終わった。
何か歩きづらいな…とは思うが、日常生活に支障が具体的に出てきていたわけではないので、足を引きずって歩いて「どうしたの?」と言われたり。人から見て気になるレベルなのはやっぱりこちらとしてもナーバスになる。更にどんどん、靴が履けなくなった。バレエシューズやパンプスなどの足の甲を覆わないタイプの靴を履くと、靴をばーんと飛ばしちゃう感じになる。今思うと左足に出ていた神経麻痺が原因だとすごく理解できるのだが、当時の私にそんなもの分かるわけがなく、漠然とした不安が積みあがるだけの毎日で、まぁ全然歩けないわけでもないしなーと、忙しい日々に取り紛らせてやり過ごしていたのだ。コロナなのも良くなかった。家から出歩かなくても何とかなることが増えていた。
ただ、パソコンでガシガシと原稿を書いたりしてる時に左手のキータッチのミスが増えていたり、左手の肘が机から何時の間にかズリっとずり落ちたりする時があった。あとは左肩に背負わせているかばんを、何かの拍子に突然「ぼたっ」と床に落としたりしていた。普段から鍛えてないくたびれた中年のオバハンなのでそういうアホなことは全然、老化の想定内、という感じだったのだ。
とはいえ、ある日、打合せで伺った映像作家さんの事務所で脱いだスニーカーを履くのにすごく手間取ってもざもざとしたのを、恐らく気付いてたけど善意でスルーされたのに気づいて、その週末に脳神経外科のクリニックに行ったのだ。そのぐらい日常生活からは逸脱した状態になっていたということだから。
行った脳神経外科のクリニックの割と感じの悪いオッサンの医者から「まぁCT撮んなきゃわかんないからね、診察は来週水曜ね~」と言われ別の検査専門クリニックで土・日とCT&MRTを取った日曜の夜に、クリニックから「もし可能なら明日でも良いから来てほしいんですが」という電話がかかってきた。
ええ、なに?わたし死ぬの?
脳外科のクリニックに行ったのは、Googleで検索すると、足のしびれが続く人は脳外科です、という検索とともに、くも膜下出血だの脳出血だの怖い病名が並ぶ。なので脳外科クリニックに行ったのだが、でも。
すぐに来いということはもう死ぬの…?
まぁでも死ぬなら病院で死なないと面倒らしいしなぁくも膜下出血とか一人暮らしの私が部屋で起こしたら事故物件になっちゃうしな、ぐらいのテンションで恐る恐る行ったら、ひどく感じの悪いオッサン医者じゃなく、すごく感じの良いミドルエイジの女医さんが現れて、ああよかった、来てくださって、と仰った。で、腫瘍ができています、と。
腫瘍。はぁ。私、そんなドラマチックな病気になるタイプじゃないのになぁ…と思ったのだ。
でも、幸い?なことに脳腫瘍のなかでは格段に地味というかよくあるタイプの脳腫瘍で、恐らく悪性でもないだろうと、もちろん調べないと分からないけれど、と。
手術をして取ることになります。脳を開きます。病院なんですが、ご希望はありますか?と言われた。希望の病院なんて分かるわけがないが、一��診察券を持っている大きな病院を2件上げてみたが、うーん。となった。
お医者様は、もしお嫌ではなければ私の母校の大学病院ではダメでしょうか、と言う。聞けば東京医科歯科大なので否を言うことは何一つない(信用に足るという意味で)。その場ですぐに担当医(先生の先輩先生)に連絡をしてくれて、もう翌日の午後に診察予約を入れてくれた、打合せ2件やった後に。
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hidekazustom · 8 months
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唇が腫れる病気
~接触性口唇炎~
【院内広報キトキト第19号】
 (注意)こちらは、2019年9月発行の、院内広報キトキト第19号の記事の一部です。
 こんにちは。9月となりました。まだまだ暑い日が続きそうですが、体調にお気をつけください。
 
 当院に、唇が荒れる、腫れるという症状で来院される方は少なくありません。
 今回は唇が腫れる病気のひとつ、「接触性口唇炎」についてです。
【接触性口唇炎】
 【症状】
 唇のかゆみ、ひりひり感などの自覚症状を伴います。唇の腫れ、赤み、乾燥、かさぶた、むくみ、亀裂などを生じます。
 【原因】
 リップクリーム、口紅、サンスクリーンなどの化粧品、歯磨剤、マンゴーなどの食物が考えられています。
 ご自身で唇をなめる刺激で生じる口唇炎(剥離性口唇炎)も鑑別に挙がります。
 【治療】
 何が原因と考えられるかを十分に問診します。
 その上で、疑われる製品の使用を控えることが原則です。
 口唇炎に対しては、ステロイドを含む外用薬の使用を検討します。
 また、乾燥を伴う場合はワセリンなどでの保湿も検討します。
 必要に応じ、皮膚科やアレルギー科の先生への診察依頼も検討いたします。
  参考:口腔内科学 永末書店
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最後までご覧いただきありがとうございました。
ひでかず歯科口腔外科クリニック 院長 佐藤英和
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2020zaji · 4 years
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#リハビリ|119への道(2)
 2016年は最悪の年だった。その年、桜の季節に、わたしは親友を亡くした。両親ともに健在なわたしにとって、彼女の死は、いままで生きてきたなかで最も身近な、具体的な「死」だった。なにか面白いものを見つけるたび、なにか美味しいものを食べるたび、「教えてあげよう」「次は一緒に食べに来よう」と。つい思ってしまう。もう彼女はいないのに。もう、彼女は、いない。
 なぜ、いないのだろう。その理不尽さに、悲しみというより、怒りが、涙と共にこみ上げる。あまりの苦しさに、心臓のあたりで、血液がゴボゴボ渦巻くような気がしていた。なんだかおかしい。これは気のせいではないかも。
 家から最も近く、毎年人間ドックに行くかかりつけのクリニックで、年明けの2017年1月に検査を受けると、たしかに不整脈が出ているという。24時間心電図をとることになった。結果は「心配のないタイプの不整脈」とのことだった。なんだ、そうか。
 翌月くらいから、今度は首と肩がひどく強張るようになった。もともと歯を食いしばる癖のせいで、十年以上もの間、朝起きると顎から首にかけて首が回らないほど強張る症状に悩まされたことがあった。だが、数年がかりの噛み合わせ治療で、この1〜2年はようやくその悩みから解放されていたはず。それなのに、また? いったいどうしたんだろう。 
 そうは言っても、肩こり腰痛は職業病のようなところもある。不整脈を心配して検査した結果、心配ないといわれたこともあった。年度末の忙しさもあった。あらためて医者に行ったのは脳出血で倒れる数週間前のことだ。
 2017年6月6日、救急車で運ばれた。それも、実はかかりつけクリニックに行って帰宅した数時間後のことだった。その日クリニックに持参した「頭痛の推移」と題されたメモがいまも手元に残っている。なるべく正確に、かつ手短に症状を説明しようと準備したものだ。以下、そのメモを引用してみる。[ ]内は、いま振り返って思い出したことを追加した内容。
5月22日(月)首と肩の凝りがあったところに、昼間「寝違え」のような状態が起きて、首が回らなくなる。
5月23日(火)仕事の途中、目に止まった15分ヘッドマッサージをして悪化。
5月24日(水)激痛でクリニックへ。痛み止め薬をもらう。
[5月26日−28日は地方出張]
5月29日(月)朝、顔の左半分のみ腫れていた。左側頭部を中心とした頭痛。
5月30日(火)朝、顔の左半分のみ腫れていた。左側頭部を中心とした頭痛。クリニックへ。痛み止め薬をもらう。念のため頭部MRI検査を受ける。
6月2日(金)大学で[高校の先生がたを前に学科説明をしている最中]前例のないほどの激しい頭痛(両目の奥から頭頂部を引き絞られるよう。血管が切れそうにズキンズキンと痛む)→医務室で血圧を測ったが88−127で異常なし[低血圧のため例年の健康診断では60−85程度なので、いま思えば普段よりはかなり高かった]→頭痛薬を飲んで帰宅。
6月3日(土)朝、いったん痛みはおさまっていたが、薬を控えたら昼食中に痛みが再開。痛み止めを飲む。
6月5日(月)痛みは弱くなっていたので薬を飲まずにいたら、授業中に6月2日と同様の激しい痛み(立っていられないほど)で授業を中断(15時40分頃)→医務室で血圧を測ったが異常なし[上記6月2日と同様。学生と面談の約束があり、頭痛薬を飲んで学生を待ち、面談後に帰宅]。帰宅時に左足の感覚が変だった気がする[帰路、駅のエスカレーターで左足の先がひっかかった。家の上がり框、バスルームの入り口でも、左足の先がひっかかった]。夜も痛みが続き、痛みでよく眠れないほど。
6月6日(火)朝起きても強い痛みが続いている。
 ということで、6日にクリニックへ行くと、5月30日に撮影したMRIの結果が出ていた。正常範囲とのことだった。医師からは「偏頭痛でも人によっては頭が割れるほど痛む」と���う説明を受け、痛み止めの薬をもらって帰宅した(件のメモには医師の手書きで「偏頭痛」と書き込みが残されている)。何も出来る状態ではなく、薬を飲んで横になった。
 ふと気がつくと、部屋は暗くなっていた。夕方かな? 夜かな? などと、ぼんやり思った後、徐々に異変に気がついた。変な格好で寝ていて身体の一部がしびれたようになることはある。だが、どうも様子が違う。右手で触ると、左側が氷のように冷たかった。過去に読んだあれこれの情報がよぎる。「あ、これは完全に脳に問題が起きている。救急車を呼ばないと。このままでは死ぬことになる」。
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oekata · 6 years
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第9回川崎つながろ会
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10/28日に行われました、川崎市在住の難病患者の方々や、その家族、医療関係者や介護関係者さんたちに至るまで、なるべく多くの方々が集まって情報交換をする「第9回つながろ会」の模様です。
参加者 高野さん(つながろ会発起人、ALS患者)夫妻、中村さん(高野さん自薦ヘルパー)、小出さん(ALS協会)、川本さん(高野さん友人)、安達さん(多系統萎縮症患者)夫妻、もりたさん夫妻(初参加:脊髄小脳変性症患者、妻ひさえさん)、植木さん(もりたさん言語聴覚士・のぞみ訪問看護リハビリステーションチーム登戸)、佐藤さん(もりたさんケアマネジャー・居宅支援事業所ゆうゆう)、綾部さん(高野さん杉田さん重度訪問・土屋訪問介護事業所)、山岸さん(杉田さんヘルパー・土屋訪問、GH勤務、ホスピタルクラウン)、佐々木さん(杉田さん訪問歯科・あい歯科クリニック)内田かずこさん(ALS患者・発症4年・初参加)小田切さん(ALS患者)夫妻、娘みかちゃん(7か月) 《オンライン参加》杉田さん(つながろ会発起人・ALS患者)夫妻
てくの川崎で行われました「第9回つながろ会」は、いまだ車椅子移動が困難な杉田さんがオンライン参加という初めての試みではじまりました。 (ちなみに私は、最初に杉田家に行って冒頭の写真を撮影し、その後車で10分ほどの所にあるてくの川崎に行って撮影するという感じでした〜)
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今回は久しぶりにALS患者の小田切さんが、奥さんと生まれたばかりの娘のみかちゃんと一緒に来てくれました!みかちゃんは生まれてまだ7ヶ月!
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最初は多系統萎縮症の安達さんの生い立ちを、奥様が話してくださいました。 病気になって引きこもっていた時期もあったらしいですが、奥さんが無理にでも外出させたことがきっかけで、今では積極的に外出もし、社会とつながることで自分だけではなく家族も楽しむことができるようになったんだとか!
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次は高野さんが、先日行った鎌倉へ行こうプロジェクト!の報告を。今後もつながろ会企画のイベントを増やしていきたいとのことでした。
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皆さん素敵な笑顔!
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手だけがALSを発症して動かない内田さんが、どれだけ生活に不便なのかという話や、脊髄小脳変性症のもりたさんは、介護制度のしくみが非常にわかり辛いという不満が爆発していました。 高野さんも、川崎市に障碍(しょうがい)に強い事業所を公表するように訴えているようですが、いまだ良い返事はいただけていないようです....
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最後に恒例の集合写真。 今回はオンライン参加の杉田さんもスクリーン越しに一緒に写りました! 次回の第10回川崎つながろ会は11月25日を予定しております!
2018.10.28 PHOTO+文 : コサカシンタロウ
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istut · 2 years
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2022.01.18
今日はクリニックの受診日です。
一昨年の11月。
それまでにないレベルまで、
心の状態が悪くなってしまい、
今までの病院から、
今の病院に思い切って変えてみました。
その選択が本当に良かったんです。
今のクリニックの先生に出会えていなければ、
今の私はいなかったかもしれません。
その位に、あの時から今日まで、
先生に助けていただいています。
先生には、
実にたくさんの患者さんがいらっしゃるのに、
お店にお弁当のテイクアウトに来てくださったり、
コーヒー豆を買って下さったり、
フェアウェルバッグも買って下さったり。
お店の経営の相談に、
乗ってくださったこともありました。
そうやって、
患者ひとりひとりに寄り添って、
話をしっかりと聞いてくださって、
しかも友人のように接して下さる先生には、
なかなか出会えません。
長野への引っ越しが近づいてきて、
今の先生に診ていただけるのも、
あと少しとなりました。
引っ越し先で、
新しい通院先を探さないといけません。
これって、とっても不安が大きくて、
今からとても心配です。
内科のかかりつけ医や歯医者さんなど、
信頼関係がお互いに持てるかどうか、
とても大切だなあって思うんです。
まして、メンタルクリニックとなると、
信頼関係が最重要になるので、
ズバリ、相性が全てです。
これは、病院に限らず、
美容師さんも同じだと思います。
腕の良さはもちろん重要だけれど、
自分の身体の一部をお任せする事に、
信頼関係や快適さもとても大切ですよね。
「この美容師さんなら大丈夫」
って思える人に出会えたら、
ずーっと美容師さんを変えない人って、
結構多いのでは?
私自身、
今の美容師さんは今後もお願いしたいので、
東京に来る時に予約をして、
この先もずっとお願いしようと思っています。
予約のタイミングが合わない期間は、
ずーっと伸ばし続けま~す(笑)!
ただ、メンタルクリニックになると、
受診頻度や症状も含めて、
東京に通うことは難しく、
やはり、来月で今の先生とはお別れになります。
多分、最後の受診日は号泣するなあ。
今、これを書いていても涙が出ちゃうし。
あ。
どうしよう。
これから先生に会うというのに。
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