Tumgik
#あなたの永野護はどこから
stylelexus · 2 years
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#あなたの永野護はどこから エルガイムMk-Ⅱですね🤩 小っちゃい頃はデザイナーが誰とか原作者誰とか解らなかったけどかっこいい!!と思ってました😀 キュベレイも好きだったし☺️ https://www.instagram.com/p/Co2nY4qyAQ4/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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nihongo · 1 year
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Tumblrのコアプロダクト戦略
Tumblrでは、より多くのユーザーを獲得するために、仕事の進め方の再編成に取り組んできました。より多くのユーザーを獲得することは、より持続可能な企業になることを意味します。以下は、ユーザー数増加という目標を達成するために、私たちがとっている戦略です。ラボグループではすでに少し公開していますが、これはより大きなものです。私たちは、Tumblrコミュニティの皆さんとより透明性をもって仕事をするために、この戦略を初めて公開します。この戦略は、限られたリソースの中でガイダンスを提供し、私たちのチームがTumblrの将来を確実にするために特定の重要な分野に集中することを可能にします。
分析
Tumblrが発展するためには、Tumblrをユーザーにとって便利な場所にしている核となる体験を改良する必要があります。根本的な問題は、Tumblrの使いづらさです。これまでTumblrではユーザーが自分のフィードをキュレーションすることに期待するとともに、自分の体験をキュレーションすることに頼っていました。しかし、この期待はユーザーエクスペリエンスに摩擦をもたらし、ユーザーのごく一部にしか通用しないものでした。
Tumblrの競争優位性は、そのユニークなコンテンツと活気あるコミュニティにあります。インターネットカルチャーの先駆けであるTumblrは、エンターテインメント、アート、ゲーム、ファンサイト、ファッション、音楽など、幅広い趣味を網羅しています。そんなカルチャーに浸るために皆、Tumblrを訪れるため、人々とコンテンツのシームレスな繋がりを確保することが不可欠です。
Tumblrの継続的な成功を保証するためには、人々とコンテンツのシームレスな繋がりを育むことを優先しなければなりません。これには、新しいユーザーやクリエーターを惹きつけ、維持し、彼らの成長を育み、プラットフォームへの頻繁なエンゲージメントを促すことが含まれます。
Tumblrの行動原則
Tumblrのユーザビリティを向上させるには、以下の行動原則に取り組む必要があります。
新規ユーザーがTumblrを見つけ、登録する方法を拡大する。
アプリを開くたびに、高品質のコンテンツを提供する。
ユーザーが会話に参加しやすくする。
クリエーターのベースを維持し、成長させる。
ユーザーがTumblrを使い続けることを促すパターンを作る。
プラットフォームのパフォーマンス、安定性、品質を向上させる。
以下では、それぞれの原則について深く掘り下げていきます。
原則1:新規ユーザーがTumblrを見つけ、登録する方法を拡大する
Tumblrは、ユーザーではない人を熱心なログインユーザーに変える「初期認知段階」の問題を抱えています。また、業界標準のSEO対策にも投資していないため、初期認知の段階を確実なものにできていません。外部ソースから得られる紹介トラフィックは、一貫性のないユーザーエクスペリエンスにつながる様々なページに分散しており、その結果、これらのユーザーを通常のTumblrユーザーに変える機会を逃しています。例えば、検索エンジンからのユーザーは、ブログネットワークやブログビュー内のページにランディングすることが多く、そこには登録する理由があまりありません。
私たちは、ログアウトしたtumblr.comで実験を行い、訪問者の登録やログインへの潜在的なコンバージョン率を最も高くする必要があります。ログアウトしたページで、将来の潜在的なユーザーにTumblrが提供する幅広いコンテンツを見せることを検討するかもしれません。複数のタブやページにアクセスすることなく、誰もがTumblrの可能性を簡単に理解できるようにしたいのです。「Tumblrとは何なのか」をユーザーに理解してもらうという点において、現在のログアウトした探索ページはほとんど役に立っていません。これは、Tumblrへの参加を促す機会を逃していることになります。
アクションと次のステップ
Tumblrの検索エンジン最適化(SEO)を業界標準に合うように改善する。
ログアウトしたtumblr.comで、登録とログインのコンバージョン率を最も高くするための実験を行い、訪問者がTumblrを「理解」し、登録を促す方法を探る。
原則2:アプリを開くたびに、高品質のコンテンツを提供する
各セッションにおいて、ユーザーの多様な興味に合わせた新鮮で関連性の高いコンテンツを提示することで、最高のユーザー体験を保証する必要があります。ユーザーのコンテンツ体験に欠点があれば、その責任はプロダクトにあります。
デフォルトの立場は、常にユーザーがアプリケーションの操作方法を知らないというものであるべきです。さらに、ユーザーが自分の興味に関連するコンテンツを検索する際に、紛らわしい制限や予期せぬ障害物がなく、簡単にアクセスできるようにする必要があります。
Tumblrに対する人々の先入観という重荷を背負っているため、15年の歴史を持つブランドであることが足かせとなっています。平均して、ユーザーは1セッションにつき25件の投稿しか見ないため、最初の25件の投稿では「Tumblrは未開拓の可能性を秘めた活気あるコミュニティ」だという価値を伝えなければなりません。私たちは、Tumblrが古く、自分に関係のない場所だとユーザーに思わせたくないのです。
アクションと次のステップ
アプリを開くたびに素晴らしいコンテンツを届ける。
Tumblrの活気あるコミュニティがどこにあるのか、ユーザーが理解しやすいようにする。
すべてのフィードにおいて、アルゴリズムによるランキング機能を向上させる。
原則3:ユーザーが会話に参加しやすくする
Tumblrの魅力の一つは、会話の発展や、リブログチェーンやリプライの中に見られる気の利いた発言を紹介できることにあります。このような議論に参加することは、楽しく、気軽であるべきです。
残念なことに、リプライやリブログを介したTumblrでの会話の現在の仕組みは、新規ユーザーにとっては混乱するものです。個々のリブログに関わる制限や、リプライが元の投稿にしか適用されないこと、スレッド化された会話を簡単に追うことができないことなどが、ユーザーが会話に参加することを難しくしています。
アクションと次のステップ
リプライとリブログの混同に対処する。
返信とリブログの会話投稿機能を改善する。
個々のリプライやリブログでのエンゲージメントを可能にする。
ユーザーがリブログのスレッド内の様々な会話経路をたどりやすくする。
リブログのスレッドを折りたたむことで会話の乱雑さをなくす。
ユーザーのフォローフィード内の重複するリブログを削除する可能性を探る。
原則4:クリエーターのベースを維持し、成長させる
クリエーターはTumblrコミュニティにとって必要不可欠な存在です。しかし、Tumblrはクリエーターを維持、育成、成長させるための一貫した組織的な取り組みを行ってきませんでした。 
Tumblrで新しいクリエーターになることは気後れするものであり、離脱の可能性が高かったり、作品を共有してもエンゲージメントやフィードバックがなく失望したりすることがあります。私たちは、期待されるクリエーター用のツールを確実に用意し、クリエーターを維持するとともに彼らが成長できるようなやりがいのあるフィードバックの循環を培う必要があります。
フィードバックの欠如は、ダッシュボードのメインフィードでフォローしたブログ(「フォロー中」)のコンテンツのみを表示するという時代遅れの決定に起因しています。それが、新しいクリエーターへのサポートを犠牲にし、人気ブログがより見られやすくなるというサイクルを永続させています。この問題に対処するために、私たちはプラットフォーム上で新しいクリエーターの成長をサポートし、育成することを優先する必要があります。
また、Tumblrを利用する誰もがそうであるように、クリエーターが安心して自分の体験をコントロールできるようにすることも不可欠です。コミュニティからの質問であれ、投稿に対するエンゲージメントであれ、Tumblrで成功することが決して厳しい体験であってはいけません。
アクションと次のステップ
クリエーターの新しいコンテンツを、そのコンテンツに興味を持っているユーザーの目に触れるようにする。
クリエーターへのフィードバックループを改善し、投稿を続けるインセンティブを与える。
クリエーターがバイラルになった時に、大量の通知が届くことから保護する仕組みを構築する。
投稿にTumblrのリンクを埋め込む機能を追加するなど、コンテンツを共同制作する方法を拡大する。
原則5:ユーザーがTumblrを使い続けることを促すパターンを作る
プッシュ通知とメールは、ユーザーのエンゲージメントを高め、ユーザーの維持を向上させ、コンテンツの発見を促進するために欠かせないツールです。Tumblrのユーザーへのアプローチ戦略は、プロダクト、コマーシャル、マーケティングの各チームがうまく連携する必要があります。
私たちのメッセージ戦略は、パーソナライズされ、ユーザーの興味の移り変わりに適応する必要があります。私たちのメッセージは、ユーザーのコミュニティにおける��新の活動を絶えず知らせるとともに、最新のショーやリアルなイベントのウィットに富んだアプローチやリミックスのために訪れる場所として、Tumblrを常にユーザーに念頭に置いてもらうべきです。
最も重要なことは、私たちのメッセージは心のこもったものでなければならず、決してスパム的であってはならないということです。 
アクションと次のステップ
メッセージ戦略の監査を行う。
通知が頻繁すぎる問題に対処し、必要に応じて調整、折りたたみ、ミュートを行う。 
メールメッセージをパーソナライズする機会を割り出す。
1日のプッシュ通知の上限をテストする。
ユーザーがプッシュ通知をオフにしている場合、メールを送信する。
原則6:パフォーマンス、安定性、品質
モバイルアプリの安定性とパフォーマンスが低下しています。過去300日間に修正されたバグよりも生まれたバグの方が多く、製作上の問題が大量に滞留しています。この状態が続けば、およそ2日に1件の割合で未解決の製作問題が新たに発生することになります。アプリとバックエンドシステムが問題なく動作し、クラッシュしないことは、素晴らしいTumblr体験の基盤です。パフォーマンス、安定性、品質を向上させることは、Tumblrの持続可能な運営を実現することにつながります。
パフォーマンスと安定性の向上:Android版、iOS版、Web版において、クラッシュのないレスポンシブで高速なアプリを提供します。
品質の向上:最高品質のTumblr体験をユーザーに提供します。
高速化:APIとサービスを提供することで、コアとなる製品イニシアチブのブロックを解除し、ラボから登場する新機能を立ち上げます。
結論
Tumblrのミッションは、常に世界のクリエーターに力をもたらすことです。私たちは、新しいクリエーター、アーティスト、ユーザーを惹きつける領域を改良しながら、既存のユーザーをサポートする方法でTumblrが確実に進化すること全力を注いでいます。ユーザーは、ユーザー自身にとって機能するデジタル上のホームを持つ価値があります。そして、ユーザーには、上質なコンテンツを簡単に発見できることを優先したプラットフォームでの、自身のコミュニティとつながるための最高のツールや機能がふさわしいのです。今、Tumblrは活気に満ちており、私たちは現在の戦略にこれ以上ないほど胸が高まっています。
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kennak · 1 month
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自民系の三世議員(市町村議員)です。 河井夫妻の事件について、元国会議員の豊田真由子さんや、金子恵美さんが地元でのカネ配り(先輩議員に地方議員にカネ配れとアドバイスされた)について発言しているので、地方議員側からの話をします。 もともと、業界には与野党問わず「目配り、気配り、カネ配り」という言葉があって、この3つができる政治家が優秀な政治家だとされていました。 でもそんな話は中選挙区時代(~1993年)であって、今はこの言葉すら死後になっています。 中選挙区時代のはなし 今の話をする前に、すこし中選挙区時代の話をします。カネ配りはこの時代に盛んに行われたので。 中選挙区制は選挙区の人口によって定数が決まっていて、選挙の上位2人~6人くらいが当選します。なので、ひとつの選挙区から同じ政党の候補者が何人も出馬します。たとえば群馬3区では当選議席数が4で、自民党からは3人(福田、中曽根、小渕)が出馬します。 有権者や、地方議員からすると、同じ自民党の候補者なので、3人に基本的に政策に違いがありません。3人の候補者は政策的な差別化が図れないので、「あの道路は俺が作った」みたいな、どれだけ予算を地元に持ってきたか(利益誘導政治)がアピールポイントになります。さらにその先が、直接的なカネ配りだったり、選挙事務所での食事だったりするわけです。とにかく政策では差がないので、政策以外の差が得票になるのです。 旧群馬3区では選挙メシも有名でした。福田料亭、中曽根レストランとwikipediaの「上州戦争」でも書いてありますね。私の選挙区でもオヤジの話を聞くと、昔は選挙事務所で鰻重が出た、なんて聞きます。うなぎ食べたい。 参議院の選挙は都道府県によっていまでも中選挙区制なので、制度的にはこうなりやすいです。現に河井さんの広島も改選2議席で、自民から2人でたからね。しかもアンリさんは新人で実績(利益誘導)をPRできないから。 政治改革 戦後、そんな選挙がずーっと続いていたのですが、1988年のリクルート事件が発覚して、カネと政治をめぐる事件が立て続けにおこりました。それで、なんでこんな金権政治になるんだろうと考えたところ、中選挙区制が原因じゃろう、となったのです。 派閥の親分が無理してカネを集める→系列の国会議員に配る→地元でカネが飛び交う のが中選挙区制の行きつく先だったのです。 それでついに1993年の選挙で自民党は大敗し、細川護熙内閣が誕生します。細川内閣は、政策も理念も異なる8会派が集まってできた内閣で「8頭立ての馬車」、7政党に大臣ポストを振り分けたので「レインボー内閣」なんて言われました。この内閣の唯一の政策の共通点は「政治改革」で、結果としてこの内閣のもとで中選挙区制をやめて、小選挙区制にします。 このときに行われた政治改革のポイントは2つです。1つは小選挙区制(1つの選挙区に各政党は1人しか公認しない)にすることで、カネではなく、政策で勝負する選挙構造にすること。もう一つは政治献金に大きな規制を設けることで金権政治の元凶であるカネ集めをできなくする、その代わりに税金から政党交付金(約300億円)をつくってこれを各政党に分配するということでした。 いまの状況 この政治改革から約30年、選挙は確実に変わりました。カネ配りも、選挙事務所での豪華メシもなくなりました。石破茂さんも雑誌とかメディアのインタビューで「小選挙区になって、お金は確実にかからなくなった。誰でも議員に挑戦できるようになった」、「中選挙区制だったら私は議員を続けていられなかっただろう」って何度も言っています。そりゃそうだよね、自民党から1人しかでないなら、カネ配んなくても地方議員はその人応援しないといけないもん。 だから、我々自民党の地方議員も、河井夫妻の事件をみてビックリしています。なんて昭和なんだろうって。うちのじいさんのときの話みたい。 んで、本題に入りますが、もちろん、地元の代議士からお金をもらうことはあります。年間10万円くらい。 正確には、党勢拡大のための組織活動費として、自民党選挙区支部(代議士が支部長)→自民党地方総支部(代議士か県会議員が支部長)→自民党市町村第XX支部(増田が支部長)という形でお金がきます。このお金は政治資金規正法に則り、年にいくらもらって、年にいくらつかったかを報告義務があり、その収支報告書はウェブでも公開されています。もちろんお金を受け取ったら領収書を発行します。 地方議員は国会議員と違って、給料以外の集金の手段(政治資金パーティーや政党交付金)を持たないので、基本的に活動はすべて自腹です((野々村竜太郎県議が城崎温泉に行って有名になった、政務活動費という税金が原資の経費があるが、一連のスキャンダルで使途についてチェックがえらく厳しく、文房具か交通費か広報紙くらいにしか使えない。せめて議員として招かれる団体の会合の参加費には使わせてほしい。))。一方で国会議員は給料以外に、文書通信費で1200万、立法事務費で800万、派閥から数百万、党本部から2000万(政党交付金)、パーティーで2000万と、だいたい年間6000万くらい集金できるので、それを原資に活動しています。どこの選挙区でも、与野党問わず、国会議員の支部から地方支部(=地方議員)に組織活動費を出します。代議士は国会が開かれる1~7月、10~12月は永田町に行っていて、週末しか地元にいませんので、その間、地元で党を守り、地域の声を直接聞くのは地方議員ですから。会社組織でいうなれば、本社から支店に補助をだしてるみたいなイメージ。 冒頭の豊田真由子さん、金子恵美さんの発言(先輩議員から地方議員にカネ配れとアドバイスされた)はこの収支に報告義務のある組織活動費の話と、領収書なしの裏金であるアンリさんのお金を混同していて、センスのなさを感じます。きっと、彼女たちはパーティーで集めたお金や、政党交付金を自分1人でガメていて、こうした党勢拡大の組織活動費を地方支部に出さなかったんでしょう。そりゃ落選するわ。 とまあ、河井夫妻の事件は自民党の地方議員もびっくりしているので、当たり前とは思わないでほしいです。 とはいうものの でも、仮にうちの代議士が、去年の統一選挙直後に「当選祝いです。領収書はいりません」といって、30万持ってきてたら受け取っちゃうよなーとはちょっと思う。 選挙ってそれほどつらくて厳しいもの(ほんとに毎回憂鬱になる。新人候補が思ってたよりつらくて途中でやめるのはよくあること)で、カネもかかるから金銭感覚もマヒしているし(普段なら絶対30万なんて怪しいとおもうけど、選挙で多額の金を突っ込んでるから感覚がマジでマヒしている)、当選の直後なんて超絶な解放感で有頂天だし(4年に1回の選挙、オリンピックでメダルをとった感覚をイメージしてほしい)、単純に「あっ、どうも、気遣いありがとうございます」って感じでご祝儀として受け取っちゃう。受け取ったときに「奥さんの集票のため」なんて思わない。広島の地方議員や首長が軒並み「集票のためとは思わなかった」って見苦しい言い訳してるけど(私ですらそう思うから、一般の人からするとマジで見苦しい言い訳にしか見えないだろう)、当事者だったらマジでそう思ってると思う。
自民系の地方議員です。カネ配りについて書きます。
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houteiyugi-movie · 11 months
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特別講義 in 専修大学のイベントレポートが到着!
公開を前に本日10月26日(木)、映画の舞台にロースクールが設定されていることにちなんで、法律家を志す学生が集う専修大学法学部の法廷教室にて本作の特別試写会を開催!上映後には原作小説を手がけた五十嵐律人さん、本作の深川栄洋監督、専修大学法学部の関正晴教授による“特別講義”と称してトークイベントが行なわれました。さらにイベントの途中で、法律家を目指す学生たちにエールを送るべく、主演を務めた永瀬廉さんがサプライズで登場!学生との質疑応答も行なわれ、会場は大きな盛り上がりを見せました。
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弁護士でもある五十嵐さんは、原作となる小説を執筆したきっかけについて「もともと法律が好きだったんですが、その面白さがなかなか法律に携わってない方に伝わらないという思いがあり、小説という形で法律の面白さを描けないかと考えました。映画でも出てくる“無辜ゲーム(※生徒たちがゲームとして繰り広げる模擬裁判のようなゲーム)”がアイディアの着想となり、そこからどんどん発展していきました」と明かしました。
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深川監督は、この小説を映画にする上での難しさについて「まず法律用語が難しい(苦笑)。若い人にどう見てもらい、乗ってもらうか? どういうふうに広い裾野に物語の面白さ、法律の面白さと危うさを感じさせるかが難しいポイントでした」とふり返りました。
そうして完成した映画について、五十嵐さんは「どの時間を切り取っても面白い。事件だけでなくそこに至る過程や裁判のパートも飽きさせない工夫や展開の仕方があって、原作をより面白く、エンタテイメントにして完成させてくださって感謝の気持ちでいっぱいです」と称賛を送りました。
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関教授は法律家の視点で、本作について「いろんな場面で法律の制度や手続きについて出てきますが、そこをうまく使うというのが(よい)アイディアだなと思いました。時効や再審制度、証拠の追加などもそうですし、証人尋問のシーンは特に感心しました。一問一答で現実の裁判に近いものを感じました。普通の刑事ドラマだと主人公が喋りまくって尋問している感じではないんですが、今回の映画は尋問の仕方が実務に近かったです」とそのリアリティを含め、絶賛!これには五十嵐さんも「刑事訴訟法を専門にしている先生のお墨付きをいただけて嬉しいです」と笑みを浮かべていました。
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そして、イベント中盤に完全サプライズで主演の“セイギ”こと久我清義を演じた永瀬さんが登場すると、会場は悲鳴のような歓声に包まれました! 真ん中の裁判長の席に座った永瀬さんは「緊張します…」とはにかみつつ「(映画の中では弁護士なので)こっち側じゃなかったので、ホンマに全部が見渡せる席で、特別な感覚がありますね」とご満悦。学生たちに向けて「弁護士の役をやらせていただき、ロースクール生の頃も少しだけ演じさせていただいて、弁護士になるために並々ならぬ努力をしないといけないことをこの映画を通じて学びました。みなさんも、そういう思いをされているかと思うと、少しだけみなさんのお気持ちがわかるし、親近感がわきます」と笑顔で語りかけました。
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そんな、永瀬さんの劇中での弁護士ぶりについて、関教授は「一問一答の形式で、テキパキと杉咲花(織本美鈴役)から言葉を引き出すところの歯切れが良く、まさに法廷でやっている尋問に近かった」と称え、永瀬さんは良い弁護士になれるか? という質問に「訓練を積んでいけば」という条件付きで太鼓判を押しました。これには、法律用語のセリフに苦戦したという永瀬さんは「えげつない訓練じゃないですか!」と苦笑いを浮かべていました。
学生の中には劇中の無辜ゲームのようなことをやった経験があるという人も。ある学生は、この法廷教室で「模擬裁判をやりました。学生が一からシナリオを考えて、役になり切りました」と明かしました。ちなみに裁判の中身は「殺人事件で死刑か? 無期懲役かなど量刑の争い」とのこと。
別の学生は「おとぎ話の『ヘンゼルとグレーテル』を題材に、2人が魔女を殺したことを立証できるか?」というユニークな模擬裁判をやったと語りました。これに“裁判長”永瀬さんは「テーマが面白いですね!」と感心しつつ「ヘンゼルとグレーテルについてそこまで知らないけど、殺すのは良くないですね。有罪で!」と即判決を下し、会場は笑いに包まれました。
また、法律を学んでいた役に立ったことについて、ある学生は相続法の知識を今後の遺産相続の際に活かせると明かし、労働法を専門とする別に学生は、アルバイト先での有給や休業補償について、バイト先に働きかけた経験を明かし、永瀬さんは「法律は僕らの生活と切り離せないので、知っておいて損はないですよね。知識があると、行動もできますもんね」と感心しきりでした。
またある女子学生は永瀬さんに「法律を学んでいる女性のイメージ」についての質問が。永瀬さんは、法律家になるための勉強の大変さやその量の多さに言及しつつ「過酷な状況に耐えられる忍耐力がある強い女性が多いのかなと思います」と語りました。
また、学生からは本作の撮影において苦労したことについての質問も。永瀬さんはやはり、耳慣れない法律用語に苦労したようで「発音も含めそれらをすらすら言わないといけなくて、常にそうした言葉が板についている感じで芝居をしないといけない。一度、法廷シーンで噛んでしまって、長回しでみなさんに申し訳なかったですが、2回目ももっと噛んでしまって…(苦笑)。スイッチが入ると取り戻しづらい空気感で、大変でした」と緊張感のある法廷シーンならではの苦労も明かしました。
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五十嵐さんは、そんな永瀬さんについて「なりたての弁護士という役で、専門家だけどわからないところもあるんですよね。僕も同じ気持ちでしたし、そういう不安や悩んでいる姿や、法律家も完璧じゃないところを表現されていて素敵でした」と自身と重ね合わせてその演技力、表現力を称えました。
さらにある学生からは、King & Princeが歌う本作の主題歌「愛し生きること」について「お気に入りのフレーズは?」というユニークな質問も!永瀬さんは「綺麗な嘘で抱き締めるから」というフレーズを挙げ「全体的に今回の映画のために作られていて、バシッとハマった感覚があるし、どこかで救われた自分がいる感覚もあります。『綺麗な嘘で抱き締めるから』という言葉は、どこかでセイギの美鈴(杉咲花さん)に対する気持ち、馨(北村匠海さん)に対する思いに通じる部分があると思うし、好きです」と明かしてくれました。
イベントの最後に永瀬さんは「この物語はセイギと美鈴と馨がメインで進んでいきますが、それぞれが抱えている過去や思い、人それぞれに自分の正義感があると思うけど、その正義感や信念を突き通すことの苦しさ、つらさ、難しさも含めて描かれてると思います。あまり、法律が近くない存在の人十分に楽しんでいただけると思うし、映画をきっかけにもしかして法律に興味持ってくださる方もいるんじゃないかと思います。余白を残して、考えていただくところが多々ある映画なので、見終わって感想を話し合って、それぞれの意見を交換し合っても面白いと思います」と呼びかけ、温かい拍手に包まれてイベントは終了しました。
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公式サイト
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delicissors · 6 months
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永野 当時、富野さんの自宅とサンライズの中間ぐらいにいのまたの家があったんだよね。 いのまた ああ、そうだった! だから帰り道に富野さんが急にピンポーンって(笑)。 永野 毎日帰り道に、富野さんが「いのまた、原稿あがったか?」って家に寄るんだよね。普通のアニメは設定制作か制作進行が原稿のやりとりをするんだけれど、富野監督が自ら毎日のように(笑)。 いのまた あと、ドアを開けたらそこに差し入れがぶらさがっていたこともあって、なんか申し訳ないなって。たぶん寝てたかなんかで、出られなかったんでしょうね。 永野 すごいよね。
ビジュアルを担ったふたりが振り返る、監督・富野由悠季の創造性――『ブレンパワード』いのまたむつみ×永野護インタビュー | アニメ ダ・ヴィンチ
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ari0921 · 10 months
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我が国の未来を見通す(94)
『強靭な国家』を造る(31)
 総括「『強靭な国家』を造る」(前段)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに──「『強靭な国家』を造る」を総括す
るにあたって
 「『強靭な国家』をいかに造るか」というテーマ
で20回にわたり延々と書いてしまいました。すべ
てが「強靭な国家」を造るという“「大目的」のた
め”ということから、あえて、毎回のテーマを変え
ないまま書き綴った結果でした。
改めて読み直してみますと、あくまで私の“独りよ
がり”ではあるのですが、“「強靭な国家」を造る
ことがいかに大変なことか”について再び考え込ん
でしまいます。
卑近な例をとりあげますと、現在ハマスと戦争の最
中にあるイスラエルは、日本などと比較して、20
00年にも及ぶ長い間、国を挙げてあらゆる分野で
「強靭な国家」造りを最優先して実行し続けてきた
国家であり、(すでに触れたような)その“強さ”
は、昨日今日に出来あがったものではありません。
しかし、そのようなイスラエルであ��ても、今回の
ような事態を招く結果になってしまいました。ハマ
ス側からすれば、10月8日の奇襲攻撃に対する報
復が、現時点において1万5千人以上の犠牲者を含
むガザ地区の壊滅に至ったわけですから、人質交換
のための一時的な停戦合意は継続していても、その
後の展開が不明であることを考えると、“割に合わ
ない、とんでもないことをしでかしたものだ”と思
ってしまいます。
イスラエルの“非情”ともいえる作戦は、単に報復
に留まらず、“この機会にハマスを壊滅する、少な
くとも、未来永劫にハマスに手出しをさせない”と、
本来の戦略に立ち返ってこれまで以上に“強い決
意”をもって作戦を遂行した結果でしょう。それこ
そが、これまでもそうであったように、将来のため
に「強靭な国造り」をめざすイスラエルという国の
“生き様”であり、「国の形」であると私は考えて
います。
我が国にあっては、明治維新に「富国強兵」「殖産
興業」という「国家目標」を打ち立て、迫りくる西
欧諸国の脅威に立ち向かうことを主目的に、まさに
“強靭な「近代国家」”を造ることを目指してきま
したが、幾多の戦争や大震災、世界恐慌の影響など
を経て、ついには「大東亜戦争」を招く結果となっ
てしまいました。
「歴史は物語である」「歴史は検証できない」とは
東洋史学者・岡田英弘氏の名言ですが、“仮に日本
が明治初期に「富国強兵」などを唱えず、「近代国
家」を目指さなかったら、その後の歴史はどうなっ
たであろうか”については検証できないのです。
しかし、18世紀後半、地球の85%を支配した西
欧諸国の植民地主義の拡大、その中でイギリスをは
じめとする西欧諸国に割譲されるという形で独立を
失った「清」の例などを見れば、明治以降の我が国
の「国の形」が相当違っていただろうということは
容易に想像できます。
現在から先の「未来」についても同様のことが言え
るでしょう。“歴史の大きな転換点にある現時点”
において、私たちが、後世のために未来起点のアプ
ローチに基づき、さまざまな手段を行使して“「強
靭な国家」造り”を目指そうとする場合と、逆にそ
のような努力を怠る場合とでは、我が国の「未来図」
を大きく変わることは疑いようがないのです。
昭和16年、日米開戦に至る一連の交渉のなか、9
月6日の御前会議で、海軍軍令部総長・永野修身が
「戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬと
すれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族
永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するな
らば、たとえ戦い勝たずとも祖国護持の精神が残り、
われらの子孫はかならず再起三起するであろう」と
発言されたとの記録が残っています(フィクション
だったという説もありますが)。
残念ながら、そのような精神は戦後、無情にもGH
Qによって打ち砕かれたかのように見えますが、こ
れまで縷々述べてきましたような、日本人の根底に
ある“強さ”、 まさに中西輝政氏が指摘する「日本
人の『荒魂(あらみたま)』」は、戦前の歴史を否
定した大方の日本人には忘れられていても、各為政
者の時々の発言などから、周辺国にはその記録や記
憶が依然として“残っている”と想像できるのです。
「強靭な国家」造りの中で、「国家戦略」の目標と
して掲げた「安全」については、我が国は、今回の
イスラエルのように、ハマスによる攻撃の後、つま
り“有事”が起きてしまった後に「手を出すのでは
なかった」と思わせるのではなく、手を出す前から、
「日本に手を出すと“大損”をする」と相手に“躊
躇”させること、つまり「抑止」を目指さなければ
なりません。
これは容易なことではありませんが、その根底に永
野軍令部総長のいう「祖国護持の精神」がなければ
ならないことは明白でしょうし、周辺国に記録と記
憶が“残っている”間に、「抑止」のための「強い
意志」と「能力」を明示しておかねばならないと考
えます。
本メルマガでは、あえて軍事とか安全保障には詳し
く触れませんでした。しかし、終戦後、法律家や歴
史学者など有識者たちがこぞって「再軍備」に反対
していたことをはじめ、最近でも高名な経済学者が
「日本経済の復興が最優先で、防衛力増強などやっ
ている場合ではない」旨を自著に書き記していた事
実を知って、「それぞれの専門家にまかせておいて
は、この国はダメになる」と思う危機意識がますま
す膨らみました。
前置きが長くなりました。我が国の未来に降りかか
るであろう、ほかの「暗雲」でも同じことが言える
と思います。それぞれの分野で“致命的な事象”が
発生してから慌てても遅いのです。我が国が“苦
手”としている「抑止」とか「未然防止」とか「回
避」などをキーワードにして、「下降期」の中で
“どんでん返し”を狙って“「強靭な国家」造り”
を目指さなければならないとの認識が、私には一層
強まっています。
▼「国家」を再生する
“強くて、しなやか”な「国家」をいかに造るかに
ついて、これまで、“強靭性”を主に取り上げてき
ました。
実は、本メルマガの総括にあたる第4編を「『強靭
な国家』を造る」とした訳には、“強靭性”のみな
らず、“「国家」の再生”の方にもかなりのウエイ
トがありました。今回はその「国家」について取り
まとめておきたいと考えます。
ウクライナ戦争やコロナ禍の状況から、「自分の国
を自分たちで守れない国は生き残れない」と気づい
た元朝日新聞主筆の船橋洋一氏の言葉を紹介し、同
氏の「日本には『国家安全保障』という『国の形』
がない。そして、その『国の形』をつくるのを阻ん
できた『戦後の形』がある」との言葉も紹介しまし
た。
私は、この発言を船橋氏の“自責の念”と解釈して
いますが、氏の書籍の中にも「国」という言葉が何
度も出て来ます。一方、その「国の形」をつくるこ
とを拒んできた「戦後の形」にはとても“根深いも
のがある”とも考えてしまいます。
しかし、その要因は明らかでしょう。まずは、戦前、
特に満州事変以降、軍部主導のもとの「挙国一致」
が強調され、教育面でも「国粋讃美」とか「尽忠報
国」などを強要されたことに対する“揺り戻し”、
つまり「反動」があるのでしょう。
そして、終戦後、GHQの巧妙な対日政策もあって、
その“揺り戻し”は、日教組など唯物史観に染まっ
ている人たちにとっては自分たちの思想拡大の絶好
のチャンスとなって、その“揺り戻しが度を越し
た”格好になりました。
なかでも、彼らが好むトロツキーの言葉である「す
べての国家は暴力の上に基礎づけられている」が発
展し、「国家は悪」として、「国」とか「国家」を
全否定する考え方にまで拡大しました。
私は「国家論」について社会学的に深く解説できる
能力はありませんが、少しだけ踏み込んでみましょ
う。まず「国家」の起源ですが、これもまた社会学
的には解釈が分かれるようですが、門外漢の私が理
解した言葉で要約してみます。
欧州諸国が「主権国家」として独立したのは、「3
0年戦争」(1618年~48年)の結果、疲弊し
た諸国が結んだ「ウェストファリア条約」(164
8年)でした。その直後から「国家」の意義づけに
ついて社会学的な論争があったようです。
まず、「ウェストファリア条約」によって、「王が
持つ主権はキリスト教ではなく神から直に授けられ
たもの」(「王権神授説」)とする考えが普及し、
王政国家が欧州各地に出来上がりましたが、その考
えに反発するような格好で、3年後の1651年、
有名な『リバイアサン』が出版され、著者のトマス
・ホッブス(イングランドの哲学者)は、「自然状
態では、人々は絶え間なく恐怖と暴力による死の危
険さえある悲惨な状態にあり、そこを脱して、安全
と平和を手にするために“社会契約”を結び、その
結果、『国家』が出来上がった」と意義付けました。
これからしばらく過ぎた1690年、同じく英国の
哲学者ジョン・ロックは『統治二論』を世に出し、
「自然状態にある人間はすでに理性を持っている」
としながら、「自分の自然権を守るために、その一
部を放棄し、『1つの集合体』に委ねる、その集合
体が『コモンウエルス』と呼ばれる『国家』の起源
である」と説きました。
つまり、ホッブスが、「場合によっては生きるか死
ぬかの岐路に立たされかねない自然状態にあって国
家が不可欠である」としたのに対して、ロックは
「国家は、自然権を破った者に対して有無を言わさ
ず、強制的な手段をもって『処罰』するために作ら
れた」として、「保険に加入するように『より大き
な防御』のためにあり、必ずしも国家は不可欠なも
のではない」とも解釈したようです。
このように、“社会契約説”としての「国家」の起
源が発展し、やがて「市民革命」に至って近代国家
が出来上がるのですが、それからしばらく後、マル
クスによる共産主義思想が普及し、「国家」の性質
を「暴力の独占」とするトロツキー的な国家論が興
隆することになります。
一方、同じ時代に生まれたドイツ社会学者のマック
ス・ヴェーバー(ウェーバー)は、名著『職業とし
ての政治』(脇圭平訳)の中で、「国家とは、ある
一定の領域の内部で、正当な物理的暴力行使の独占
を要求する人間共同体である」と定義しました。
本書は、1917年、ドイツが第1次世界大戦で敗
戦した後、ミュンヘンにある学生団体のために行な
った公開演説をまとめたもので、それまでのドイツ
社会が、「ドイツ帝国」は存在しても、多種多様な
団体が物理的暴力をノーマルな手段として認めてい
た事実とは違った意義が「国家」にあると解説した
のです。
しかも、トロツキーとは違い、国家の「“合法的
な”暴力の独占」を定義し、「許容した範囲の中で
物理的な暴力行使が求められている」として、「警
察や軍隊はその主な道具・装置である」と解釈した
のでした。
このように考えると、安全保障を米国に丸投げした
まま、あくまで「警察予備隊」として発足し、しば
らく“再軍備”を否定し続けた「吉田ドクトリン」
は、その後長い間、唯物史観の人たちに巧妙に利用
されてしまいました。彼らは、マックス・ヴェーバ
ーの「“合法的な”暴力を独占するのが『国家』で
ある」との考えに至らないまま、(単なる暴力装置
としての)「国家」自体を否定している間に時が流
れ、我が国の「戦後の形」として定着してしまった
と解釈できるのではないでしょうか。
余談ですが、マックス・ヴェーバーによって「国家
論」を叩きこまれたドイツに、やがてヒトラー率い
るナチスが合法的に誕生するのですから、歴史とは
皮肉なものです。
さて、我が国の「国家」には、さらに長い歴史があ
ります。我が国の建国は、まだ「国家」という呼称
はなかったものの、「神武天皇の即位」(紀元前6
60年1月1日〔旧暦〕、2月11日〔新暦〕)とされて
いますし、近代国家の建設が始まった「明治維新」
も「国家の起源」として考えられる場合もあります。
戦前の歴史家の巨匠・坂本太郎氏の『日本の歴史の
特性』によれば、我が国の歴史の中で「国家」とい
う文字が初めて出てくるのは、正倉院宝物の中の
「国家珍宝帳」(756年頃に献上された献物帳
(宝物の目録))だそうですが、この場合の「国家」
は、現在の「国家」とは違う意味をもっており、国
家はミカド、つまり天皇と同義に用いられていたよ
うです。同様の表現は、当時の“現行法”であった
「律」の中にもあり、同じく国家=ミカドを意味し
ていたのだそうです。
つまり、トロツキーの「国家の性質を暴力の独占」
のような概念を我が国の「国家」論に当てはめよう
としたのは最初から無理があったのですが、結果と
して一人歩きしまったのでした。
今なお、公の場で「国」「国家」「国益」「国力」
「国体」などの使用が何となく憚(はばか)られ、
挙句の果てには「愛国心」のようなものまで否定さ
れ、放置されたまま今日に至っていることもすでに
取り上げました。一日も早く、真の意味での「国家」
の再生が望まれると考えます。
改めて、「国家」の現代的な理解をまとめてみます
と、「国家」とは、「その領土と人口を通じて、特
定の地域における社会的、政治的、経済的な活動を
組織し、調整する役割を果たし、個々の国民が自由
で平等な生活を送ることができるように、公正で公
平な社会を維持するための枠組み」のようです。
つまり「社会的、政治的、経済的な活動を組織」を
手段として、「個々の市民(国民)が自由で平等な
生活を送ることができる」ことを目的とした「公正
で公平な社会を維持するための枠組み」を指すとい
うことでしょう。
「国家」の起源にさかのぼるまでもなく、手段も目
的もそれぞれが複雑で、幅広く、奥も深く、しかも
現時点のみならず、未来においても、“自由で平等
な生活”を担保する必要があるわけですから、その
ためにも「国家」に「強靭性」を備える必要性がま
すます増大していると考えます。
▼国際社会に“リバイアサン”が復活した
さて、国際社会においても、冷戦後しばらくの間は、
「国対国」の争いから「国対テロ集団」のような争
いがクローズアップされてきました。しかし、この
たびのウクライナ戦争を境にして、再び「国対国」
の争いがクローズアップされ、それが発展して“新
冷戦”のような「分裂の時代」が現実のものになっ
てきました。
現下の情勢下、国際連合の無力さも露呈したことも
あって、ホッブスの言葉を借りれば、国際社会は
“リバイアサン”(つまり“怪獣”)が大暴れし、
それを制御するのが困難な時代になりました。この
厳しい国際社会の中で生き残るため、つまり、暴れ
まくる(可能性がある)“リバイアサン”から生命
や財産や平穏な生活を守るためには、船橋氏の言葉
を借りるまでもなく、個々の「国」あるいは「国家」
を主体に物事を考え、同じ認識を共有する「国」ど
うしの“社会契約説”ともいえる「同盟」とか「連
携」の必要性が“より増してきた”といえるでしょ
う。
“リバイアサン”を制御するためには、「外交力」
とともに「軍事力」が必要なことは明白ですので、
国家の“暴力装置”の重要性がより増して来たとも
いえるでしょう。しかし、その意味は、「世界同時
革命」に立ちはだかった時点の国家の“暴力装置”
と全く意味が違います。
総括しますと、厳しい国際情勢の中で、我が国が生
き残るために、依然として存在している唯物史観、
あるいは自虐史観の持ち主たち(ちょっとでもその
ような考え方に同調する人たちを含め)が自分たち
の信条とか先入観と決別する時が来たのではないで
しょうか。つまり、マックス・ヴェーバーの「国家
は“合法的な暴力”を独占する人間共同体」の考え
を理解し、容認することが求められているのです。
そのステップを踏んで、時計の針を戻して再出発し
てこそ、大多数の国民がこぞって「国家」を取り戻
し、後世のために“「強靭な国家」造り”に邁進で
きるものと考えます。
くどいようですが、戦前のように、あるいは中国や
北朝鮮などのように、我が国にあっては、国家の
「強制力」を行使できないのは明白です。「国を挙
げて」、つまり「挙国一致」と唱えても、大多数の
国民一人一人が“その気になる”ことがなければ、
いかなる政策も「国家戦略」も絵に描いた餅にしか
なりません。
すなわち、「『国家』を再生する」ことは「国民が
その気になる(覚醒する)」とイコールでもありま
す。そのようなことを狙いつつ、「国家意思」を分
析したつもりですが、天変地異や外圧に寄らず、い
かにして“国民が自発的に覚醒するか”を考えると、
そこにまた難題が待っていることもすでに述べたと
おりです。
今回はここまでにしておきます。次回、我が国の
「国家」論から派生する「統治のありかた」や「政
治」についても取りまとめて、第4編の総括を終了
したいと考えています。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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gupaooooon · 1 year
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NoBarbenheimer
今回の件、原爆投下/原水爆をミーム化/ネタ化する動きの加速に対して。フェミニズムな作品であることがとても楽しみだったバービーの……“公式アカウント”が乗っかっていたという事実。そのショックについて。自分も抗議を送ったりTwitter/Tumblrでタグを使ったひとりですが、
「日本のみ」が被爆国ではないし、「日本人とされれる人々のみ」が被爆被害者ではない。
凡ゆる国と地域で被爆被害があり、凡ゆる国や地域の人々が、被害者が、世界中にいること。
“戦争被爆国”としての日本においては、戦時下で、軍国主義/差別主義の中で更に更にマイノリティとして虐げられた人々が、植民地支配/強制連行による被害者や、捕虜として収容されていた人々が、沢山、犠牲になっているし、その後も苦しみ続けている。日本/政府による迫害と差別に晒されている。その存在が、事実が、歴史が、蔑ろにされ続けている。
原爆/原水爆の犠牲者が、被害者が、いまも、世界で、さまざまな場所で、苦しみ続けていること。その歴史について。
それらを踏みにじるような言葉も、それらについて誤った認識を与える言葉も、Twitter上では多く(差別主義者/ネトウヨ/極右なども、バービーという作品そのものとそこにあるフェミニズムや多様性に対する一方的な揶揄/叩きや、韓国へのデマ/ヘイトや、他の悲惨な歴史や事件を更にミームにして茶化し出すという……醜悪な最低最悪な行いをぶち撒けながら、この抗議タグをTwitter上で利用してきていることもあり、)かなり蔓延してきてるようなので。
Twitterで今回自分がRTさせて頂いた……さまざまな方々が紹介していた記事やアーカイブ/今までTwitter上で自分がRTしてきたり引用してきたりした記事なども、自分用と兼ねて、いくつか、改めて、此方にも引用してみます。
また、再度、強調したいのですが、
日本は、今なお、戦争責任/加害の歴史に向き合おうとしない。戦争の責任と記録と歴史を忘却し、捻じ曲げようとする歴史修正主義が、まさにいま、どんどん勢いを増し続けている現状。核廃絶について背を向けるばかりか、核武装について“柔軟な議論”などとほざいて嬉々として語り出す連中が、差別主義者の糞どもが、万年与党であること。
そこを無視することこそ、恐ろしいことで、忘れてはならないこと。(これもほんと繰り返しだが、この現状だからこそ、戦争/核を軽視しないための抗議の責任があること、強調したい)
・日本だけではない、被爆国
「核兵器を開発するためには実験が必要です。1945年、アメリカのニューメキシコ州で世界で初めての核実験が行われてから、これまで2,050回以上の核実験が行われきました。
アメリカはネバダ砂漠や太平洋でロシアはカザフスタンや北極海で、イギリスはオーストラリアや太平洋の島国で、フランスはアルジェリアや南太平洋の仏領ポリネシア・タヒチで中国は新疆ウイグル自治区で実施しました。ワシントンやモスクワなどの大都市から遠く離れ、多くの場合は植民地や先住民族の暮らしている土地でした。(川崎 哲「核兵器はなくせる」、岩波ジュニア新書、2018)」
・Hiroshima and Nagasaki: A Multilingual Bibliography
「ABOUT US: The Aim of Our Project
In 2014, a year before the 70th anniversary of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, we started our survey and research into the multilingual publication of atomic bomb literature. Our goal is to make a comprehensive survey into the process of worldwide acknowledgment of Hiroshima and Nagasaki for 70 years.」
・外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦碑
「この戦争の末期、長崎では数次にわたる米軍の空襲、潜水艦攻撃、そして八月九日の原爆 によって七万余の日本人、数千の朝鮮人、中国人労働者、華僑、留学生、連合軍捕虜(イギ リス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、インドネシア等)が犠牲となった。
特に浦上刑務所のあった隣接する丘では、三十二名の中国人、十三名の朝鮮人が、日本人 受刑者とともに爆死し、また香焼や幸町の捕虜収容所では、被爆前に病気や事故などによ って数百名の連合軍兵士が死亡した」
「碑の建立に力を注いだのは、戦時中に収容所の職員だった田島治太夫さん(九九年死去)。一緒に運動した鎌田信子さん(72)は「日本人だけでなく、多くの外国人が犠牲になったことを知ってもらいたい」と語る。」(2005/07/15 掲載記事)
・被爆2世、女性として直面した複合差別 ――「韓国のヒロシマ」陜川から
「2023年2月7日、被爆者の援護を定めた法の対象外となっているのは不当だとして、被爆2世が国を訴えていた裁判の判決が広島地裁で言い渡された。「不当な差別とは評価できない」などとして、原告の��えは棄却された。被爆2世に対しては、厚生労働省が定めた要綱に基づく健康診断が実施されているものの、がん検診はそこに含まれず、各種手当の交付なども受けられない。」
「原爆被害に加え、それ以前からの植民地支配に翻弄されてきた韓国人被爆者の次世代も、「線引きの外側」に置かれ、公的な支えを受けられずに生きてきた。」
・80歳を過ぎて語り始めた被爆体験――福島へ手渡したい思いとは
「切明さんの話は、「あの日」から始まるのではなく、軍都「廣島」の話から始まる。
「広島は今、平和を守ることや、核兵器廃絶を掲げていますが、77年前までは軍国主義の街でした」
切明さんが国民学校2年生の時、満州事変が起きる。広島城の周辺には陸軍の師団が置かれており、宇品港は中国大陸や、その後の東南アジアの国々侵略のための出発港だった。」
・「存在しない」とされた残留放射線、内部被ばくの被害を認めない政府
「こうした政府の態度の根底にあるのは、残留放射線による内部被ばくの否定だ。放射性物質を体内に取り込む危険性から目を背ける、その姿勢の源流を知るためには、日米の歴史を紐解く必要がある。
『原水爆時代〈上〉―現代史の証言』(今堀誠二)や 『核の戦後史:Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗、高橋博子)でも示されているが、原爆投下から1ヵ月後、マンハッタン計画の副責任者であるトーマス・ファーレル氏は、下記のような声明を発表したとされる。
「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬において、原爆放射能の余燼ために苦しんでいる者は皆無だ」
残留放射能が存在しないとした理由について記者からの質問を受け、ファーレル氏は「相当の高度で爆発させた」ことを挙げていた。
なぜこうした声明を出すに至ったのか。『核の戦後史』の他、『封印されたヒロシマ・ナガサキ』などの著者でもある奈良大学の高橋博子教授は、占領を円滑に進める必要がある米国側の意図を指摘する。
「声明には、原爆投下が国際法違反であることを否定し、広島を取材した連合国軍記者による報道を打ち消す狙いがあったと思われます」 」
「 「日本政府は核兵器の残酷さや非人道性を訴えるどころか、その“威力”を重視し、原爆攻撃をした米国と一緒になって、核兵器の有効性を世界に向けて訴えてきたといえます。核の“パワー”の肯定的イメージを拡散してきた、世界に対する責任は重いと思います」 」
・«さもしいといって下さいますな» 福田須磨子さんの思い 原爆を背負って(30)
「 《何も彼(か)も いやになりました 原子野に屹立(きつりつ)する巨大な平和像 それはいい それはいいけど そのお金で何とかならなかったかしら “石の像は食えぬし腹の足しにならぬ” さもしいといって下さいますな 原爆後十年をぎりぎりに生きる 被災者の偽らぬ心境です》
 1955年8月、被爆詩人・福田須磨子さん=74年に52歳で死去=が詠んだ詩「ひとりごと」です。須磨子さんは23歳のとき、爆心地から1・8キロ地点で被爆。高熱や脱毛など後遺症に苦しみ、紅斑症にもかかります。身体的、精神的苦痛と生活苦にさいなまれる日々…。3千万円の巨費を投じて造られた平和祈念像を見て、この詩を詠みました。」
・問われる空襲被害者の戦後補償
この記事は2020年放送のNHKスペシャル「忘れられた戦後補償」を下地にした2021年放送のクローズアップ現代の記事です。もとのNHKスペシャルを記事化したページは……もう削除されてしまい、この別番組の記事しか残っていない状況です。
被爆被害とは違った話なのですが、日本が戦後も、ずっと、いかに、国内外問わず、戦争責任に向き合っていない国であるか。民間人/市民を切り捨て、権力者/軍部を優遇してきたか。それがわかりやすい記事のひとつとして、引用します。
以下はNHKスペシャルの特集記事から当時引用した文面です。
「大将経験者の遺族には、戦犯であっても、兵の6.5倍の補償を実施。閣僚経験者に対しては、現在の貨幣価値で年1000万円前後が支払われていた。その一方で、旧植民地出身の将兵は、恩給の対象から外された。」
「国家が総動員体制で遂行し、破滅への道をたどった日本の戦争。犠牲となった民間人は80万人。戦後、国家補償を求めた民間被害者の訴えは一貫して退けられてきた。」
「ドイツやイタリアと違い、軍と民の格差が時代とともに拡大していった日本の戦後補償」
(しかしNHKの戦争責任を問う特集関係の読みやすいWEB記事や記録は……数年しか残さない、消されてしまうし。オンデマンド配信に全て入る訳ではないようだしで。戦争の真実シリーズの731部隊の特集の書籍化は何年も延期が続き、今年やっと……出版されそう……?である現状(何かしらの検閲を受けていないかが、不安である)、本当に不気味で、最悪だ)
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yamada50 · 2 years
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江戸時代まで唯一勅許を得て伊勢の神宮から勧請された山口大神宮 西のお伊勢さま山口大神宮です 外宮と内宮がそれぞれ鎮座していますが神宮以外で式年遷宮のための古殿地を持つ神社は見たことがありません 創建当初は神宮同様20年毎に式年遷宮が斎行されましたが直近では平成12年に10回目の遷宮と諸々事情で延期や縮小、中止となっています 時は戦国時代、周防大内氏の15代当主大内義興が永正16年(1519)に外宮、翌年に内宮を造営し、第104代後柏原天皇の勅許を得て神宮より勧請し創建されました 応仁の乱後、神宮は財政難により朝廷よりの勅使参向の停止や大祭の中止、式年遷宮の中断など衰えていた時期でした 一方庶民による伊勢信仰が広がり今神明や飛び神明が流行し各地に神明神社が創建されている流れの中で勅許を得ての勧請は前例がなくはじめてのことでした 当時周防大内氏は周防長門の他に筑前、豊後、安芸の守護を担い、その経済基盤は明や李氏朝鮮との交易独占と石見銀山の銀産出によってすでに日本一で西国一の戦国大名でした 応仁の乱で荒廃した京より公卿を招き入れ山口は小京都ともよばれる町並みから後の義隆の時代には山口遷都計画すらあったほどです 義隆も筥崎宮再興、現在の厳島神社の初代大鳥居、宇佐神宮の再建など寺社再建を多く行っていますが最終的に周防守護代陶晴賢の下剋上により自刃、大内氏は実質的に滅亡します その陶晴賢も後に毛利元就によって滅ぼされました 大神宮号を持つ神社は現在の東京大神宮を筆頭に明治期の神宮教院(のちの神道神宮派、神宮奉賛会、神社本庁)の出張機関の後継が多いですが皇大神宮より勧請した神社も大神宮号を称することも多いです 一方出雲大神宮や伊野皇大神宮、日向大神宮など例外もあります また伊勢原大神宮や芝大神宮など江戸期以前の伊勢からの奉斎の由緒を持つ神社もありますが勅許を含め確かな記録が残るのは山口大神宮のみといわれています #山口大神宮 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 山口大神宮(やまぐちだいじんぐう) 鎮座地:山口県山口市滝町4-4 主祭神:天照大御神、豊受大御神 社格:県社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 #神社#神社巡り#神社好き#神社好きな人と繋がりたい#神道#shrine#shinto#日本の風景#参拝#神社巡拝家#recotrip#神社フォトコンわたしと神社#神社とわたしの思い出#御朱印#御朱印巡り#御朱印好きな人と繋がりたい#神社建築#神社仏閣#パワースポット#山口県#山口市 (山口大神宮) https://www.instagram.com/p/CnPF418PpWl/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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takahashicleaning · 1 year
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TEDにて
ティム・バーナーズ=リー :オープンデータとマッシュアップで変わる世界
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
TED2009で、ティム・バーナーズ=リーは、「生のデータを今すぐに」と呼びかけ、政府や科学者や各種機関に対してデータをWebで自由にアクセスできるようにすることを求めました。
当然、通信の秘匿性とプライバシーの侵害対策として、匿名化処理は絶対必要です!また、これは日本では、憲法で保障されている通信の秘匿も重要です。
2010年のTED Universityで、彼はデータがつなぎ合わされたことによる興味深い結果の幾つかを紹介しています。
歴史が示すところによれば、警察が、ひとたび大量のデータを保有し、無実の人々の追尾するようになると暴走し、拡大解釈をし続け、脅し、威嚇、特権意識の乱用や政治的な優位を得る行為、時には、法令を無視した同意や許可申請のない単なる覗き見行為へと濫用されがちです。
幸いにも、我々にも取るべき手段があります。市議会は、地方警察を統制できるので、条例を制定することによって無実の人々の情報を破棄し、保存期間も短期間にすることで、このような技術の合法的な使用のみを認可するのです。
オウム真理教の集団テロ事象の原因は開発独裁特有の当時、自民党55年体制の特権意識による負の遺産とインターネット黎明期にまだ周波数を独占的した民放テレビ局の暴走が談合を産み出し、警察機関が職権乱用して談合に便乗。監視も悪用し権力を思うままにふるまわせたことによる出来事にすぎない。
みなさん。考えてみてください!オウム真理教の集団テロ事象の後の警察権力は拡大してます!防衛庁は防衛省になりましたよね。拡大してます!スピード早くないですか?歴史的に見ると危険です。権力を思うままにふるまわせたことによる証拠です。憎しみの連鎖の起点の一つ。
テレビ潰れろ!なくせ!警察の職権乱用。警察が悪さしないようにまず監視カメラを警察内部につけろ!防衛省を防衛庁に格下げ、警察予算を削減してベーシックインカムの原資にすること。
オープンデータは、特定のデータが、一切の著作権、特許などの制御メカニズムの制限なしで、全ての人が望むように再利用・再配布できるような形で、商用・非商用問わず、二次利用の形で入手できるべきであるというもの。
主な種類では、地図、遺伝子、さまざまな化合物、数学の数式や自然科学の数式、医療のデータやバイオテクノロジーサイエンスや生物などのテキスト以外の素材が考えられます。
政府におけるオープンデータもあります。200以上の地方、地域、国のオープンデータのカタログが、収集したデータの一部を配布するウェブサイトを作成している。これらのデータを源にして、マクロ経済学の統計分析にも活用できる。
また、国会の活動や立法プロセスをリアルタイムで全ての人が閲覧できるようにもなり、いま何が起ころうとしているのか?それから、それにかかわっている議員が誰なのかといった情報も得られるようにもなります。
技術が、すべてのことを解決できると言いますが、我々が、100倍エネルギー効率のいい乗り物を作ることができるとすれば、大枠としてこれは正しい意見です。
しかし、エネルギー効率ではなく、生産性を高めた結果、イギリスは見事に産業が空洞化してしまいました。
参考として・・・
月面は、太陽風によりもたらされたヘリウム3が、鉱物資源として豊富に存在していることが確認されています。原子力発電や核融合に最適です。
注意事項として、基礎技術にリープフロッグは存在しません。応用分野のみです!
注意事項として、基礎技術にリープフロッグは存在しません。応用分野のみです!
注意事項として、基礎技術にリープフロッグは存在しません。応用分野のみです!
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
ヨーロッパでの一般データ保護規則(GDPR)でも言うように・・・
年収の低い個人(中央値で600万円以下)から集めたデータほど金銭同様に経済的に高い価値を持ち、独占禁止法の適用対象にしていくことで、高価格にし抑止力を持たせるアイデア。
自分自身のデータを渡す個人も各社の取引先に当たりデータに関しては優越的地位の乱用を年収の低い個人(中央値で600万円以下)に行う場合は厳しく適用していく。
キャシーオニールによると・・・
思考実験をしてみましょう。私は、思考実験が好きなので、人種を完全に隔離した社会システムがあるとします。どの街でも、どの地域でも、人種は隔離され、犯罪を見つけるために警察を送り込むのは、マイノリティーが住む地域だけです。すると、逮捕者のデータは、かなり偏ったものになるでしょう。
さらに、データサイエンティストを探してきて、報酬を払い、次の犯罪が起こる場所を予測させたらどうなるでしょう?
あら不思議。マイノリティーの地域になります。あるいは、次に犯罪を犯しそうな人を予測させたら?あらら不思議ですね。マイノリティーでしょう。データサイエンティストは、モデルの素晴らしさと正確さを自慢するでしょうし、確かにその通りでしょう。
さて、現実は、そこまで極端ではありませんが、実際に、多くの市や町で深刻な人種差別があり、警察の活動や司法制度のデータが偏っているという証拠が揃っています。実際に、ホットスポットと呼ばれる犯罪多発地域を予測しています。さらには、個々、人の犯罪傾向を実際に予測しています。
ここでおかしな現象が生じています。どうなっているのでしょう?これは「データ・ロンダリング」です。このプロセスを通して、技術者がブラックボックスのようなアルゴリズムの内部に醜い現実を隠し「客観的」とか「能力主義」と称しているんです。秘密にされている重要で破壊的なアルゴリズムを私はこんな名前で呼んでいます「大量破壊数学」です。
民間企業が、私的なアルゴリズムを私的な目的で作っているんです。そのため、影響力を持つアルゴリズムは私的な権力です。
解決策は、データ完全性チェックです。データ完全性チェックとは、ファクト(事実)を直視するという意味になるでしょう。データのファクトチェックです!
これをアルゴリズム監査と呼んでいます。
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
(個人的なアイデア)
電気を作る熱力学のサイクルで熱効率は、ほぼ50%、45%~50%の効率まで高めることは可能ですが・・・
高温の物体から熱を受け取り、電気という「使えるエネルギー」に変換できる機械を一般的に「熱エンジン」と呼んでいる。
高温の物体から受け取った熱エネルギーのうち、どれだけ活用できたかという比率を「効率」と物理学では定義している。
この効率は、原理的に超えられない「カルノー効率」という上限があることが知られている。
カルノー効率が達成されると、効率は上がるが、同時に仕事率がゼロになる現象。
つまり、熱エンジンの効率を最大限に上げると出力がほぼゼロになることを意味しています。そして、効率100%は物理的に不可能ということです。
中世で試行錯誤が行われたことに終止符が示され、機械での永久機関は作れないことが、この現象から理解できます。エネルギー保存の法則からも理解できます。
他には、燃料の持つエネルギーをどれだけ動力として取り出すことができるか?これをエンジンの熱効率と定義しています。
2020年の段階で、ガソリンエンジンの熱効率は最高で40%前後あり、10年くらい前までは30%程度。低燃費の技術競争もあるけどカルノー効率から限界も見え始めています。
だから、ガソリン自動車から電気自動車へ世界中の法人が開発を加速して���り替えている潮流があります。
しかし、人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
<おすすめサイト>
ジャロン・ラニアー:インターネットをどう善の方向に作り変えるべきか!
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kuribayashisachi · 1 year
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勉強メモ 野口良平『幕末的思考』 第2部「内戦」 第四章「未成の第二極」1~3 細かいメモ
野口良平『幕末的思考』みすず書房 第2部「内戦」第4章「未成の第二極」1~3 
きのう大まかに書いたことの、さらに書き留めておきたい細かいことどもをメモします。
【目次】
■中江兆民とルソー
■西郷に希望を託した若者たち
■会津藩士たち
■増田栄太郎と福沢諭吉
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■中江兆民とルソー
 中江兆民は、大久保に直談判して(司馬遼太郎『翔ぶが如く』で、中江青年が大久保の馬車を追いかけて、乗せてもらいながら売り込みをするシーン、印象的ですね。なんか、長い小説の中に、二回くらい、この同じシーンが出てきたような)岩倉使節団に随行する留学生としてフランスに学ぶ。
 ルソーの『社会契約論』に目を拓かれ、これを訳して日本に紹介するが……
まず、ルソーの思想とは。
ルソーの最初の著書『人間不平等起源論』では、「すべての人間が本来平等である」という。
我々をつないでいる身分制度の鎖を解き放て! と。
(高校生の時、これを聞いてときめいた。平等だったのか! しらんかった! 生まれつき高級な人と、わたしのようなどうしようもないのがいて、そういうことは運命的に決められているのだと思っていた! 民主主義の時代に生きてる私でさえそう思うのに、身分制度の時代に生まれてそんなことを考えたルソーって天才だ! と。うれしかった。平等なんだ!! わーいと思った)
だけど、どうだろう。どこまでも自由だとしたら、力が強かったり悪知恵が働いて良心のかけらもない人が、気の弱い人や体の弱い人を押しのけて、奴隷にしたり餌食にしたりするのも自由、ってことになる。そしたら弱い者には勝ち目のない地獄になる(今の日本のようですね)。
 この状態を、ホッブスは「自然状態」といって指摘した。
『人間不平等起源論』の七年後、ルソーはこれに答えるべく?『社会契約論』を書く。
強くて悪い者が好き放題する自由は、やっぱ困る。
で、こうまとめたそうだ。p176
《人間は、ルール(鎖)なしには自分を自由にする力を持たない。ルールには、正当化しうるもの(鎖)と、そうでないものとがある。》
その正当化しうる鎖とは、力ではなく約束。(じーん)
《正当化しうるルールの源泉とは、各人が自己保存と自己への顧慮を手放すことなしに、すべての人と利益を共有しうる結社の創設への合意(convention)すなわち「社会契約」である。》
しかし、難問が!
「えー。おれ強くて頭いいいから、好き放題してても困らない。ルールなんか従いたくないんだけど。自由がいい」という横暴な人たち(往々にして世の中の主流になる)を、どうやって約束の席につかせうるか。
ルソーは「立法者」というスーパーマンの存在を考え出して、この人になんとかさせようとしている。
中江も自分で考えた。
やっぱり答えは出ないけど、
徳が高くて強い立法者と、その補佐役がいたらいい!
とこのとき考えたそうだ。
そして、この立法者が西郷さんで、補佐役がオレ!
でも、中江の「フランスすばらしい!」は、航海中のベトナムでかげる。人権に目覚めたはずのフランス人が、ベトナム人に酷いあしらいをしている!
「人権を考え出したのはヨーロッパ人だが、実行するのはアジア人だ!」
しかしさあ、どうやって実現する? (むずい)
■西郷に希望を托した若者たち。
大久保たちの裏技を使ったやり方に敗れ、野に降った西郷。 (私としては、やめんでほしかった)
大久保たちのごり押し近代化(武士の禄を奪い、藩をなくし、誇りだった刀を強制的にやめさせ……)に異議申し立てせんという旧士族たちが、方々で叛乱を起こす。
(江藤新平のことももう少し知りたいなあ)
西郷は、慕ってきた子分たちと共に鹿児島で私学校を開いていた。
西郷自身は、ことを起こすことに対して慎重だったようだけど、 結局、大軍を率いて、東京へ押しかけ政府のやり方をあらためさせようと「挙兵」。
鹿児島を出発。
でも熊本で負けてしまい……。 明治10年9月、よくドラマに出てくる最期をとげる。
この節で、私が胸を衝かれたのは、
中江兆民世代の、ほんとに有望な人(小倉処平、宮崎八郎)、 迷える青年(増田栄太郎)らの戦死だ。
小倉処平は、 日向飫肥藩の仲間たちをひきいて西郷軍に参じた人望ある人。 かつては藩主に留学制度を進言し、選抜した青年たちを率いて長崎に学ぶ。のちロンドンにも留学。《英国仕込みの自由主義者であり、中央政府による急進的な近代化とは異なる、もう一つの近代化の可能性を探っていた人物だった。》p183 (滂沱)
宮崎八郎は、熊本荒尾村の庄屋の次男(実質長男)。 《人民の擁護者を任じる家風の中で育てられた》p179 (中岡慎太郎みたいね)
八郎は、はじめは、列強の理不尽への怒りや、政府の強引さへの不満から、征韓論に熱中し、征台義勇軍を組織するなど、物騒な感じだったが、中江訳『社会契約論』に目を拓かれる。
それがどうして、西郷の武装蜂起に参加?
→「キミの考えは西郷とは違うじゃないか、どうして西郷軍へ?」と聞かれて、 「西郷を助けて政府を倒してから、西郷を倒すんじゃ」 (西郷軍に身を投じた若者には、こういう人が多かったようだ)
けれどもどちらもならぬまま、戦死。
その克明な日記は、預かった人が川の徒渉に失敗して永遠に喪失してしまったと。 ……このシーン、小説のよう。 川の畔に立ち尽くしたような気持ちに。
■会津藩士たち
また、西郷軍を熊本で果敢に防いだ政府軍には、多くの有能な旧会津藩士が加わっていたことも記される。
極寒不毛の斗南藩へ送られたのち、一族を率いて新政府の警視庁に出仕した、元会津藩家老の佐川官兵衛は、阿蘇山麓で戦死。(呆然)
同じく元家老の山川浩は、西郷軍に囲まれた熊本城を後巻きして救出する。
いっぽうで、同じく会津藩士だった長岡久茂は、政府打倒を試みて、獄死していた。
両極に別れたように見える彼らの行動を 著者は、「同じ動機」によるものと記す。
《彼らが目指していたのは(略)──戊辰戦争が勝者のためだけに戦われたものではなかったことを自力で証明してみせることだった。》p179
■増田栄太郎と福沢諭吉
増田栄太郎は、福沢の又従兄弟にあたるという。
増田は遅れてきた攘夷青年。それだけに、「攘夷に落とし前をつけなくていいのか」という答えを求���ていた。 殺してやろうと思っていた福沢から「敵である列強の良いところを学べ」といわれて、一時は慶応大学にはいるが、すぐに退学。郷里で結社を作ったり、新聞を発行したりする。 これらの手当たり次第のような闇雲なガッツは、《内心の葛藤の受け皿を手探りで構想する作業だった。》p186
(個人的には激しく共感;; むしろ出来ブツの小倉処平さんより。ああ、この人、もっと長く生きていればなあ、生き方は見つかったに違いないのに)
そんな「迷走」のさなか、増田栄太郎は、西郷軍が田原坂で敗退してから、わざわざ敗軍の鹿児島勢に加わる。
何を思って?
その死には諸説あるが、曙新聞は「不敵な笑いを浮かべて処刑された」と報じた。 最期に披瀝したといわれる増田の言葉は、「西郷先生バンザーイ」というかんじのもの。 探していた思想はどこへ……。(余計に悲しい)
西郷の死と、救えなかった増田の刑死報道に衝撃を受けた福沢諭吉は、『丁丑公論』を窃かに書く。 西郷の敗北ののち、世論がいっきに「西郷=賊」視したことへの激しい疑問から。
福沢は言う。
政府が専横になることは仕方ないことだが、あまり野放しにするととんでもないことに。これを防ぐためにも抵抗は必要だ。と。
かつて『文明論之概略』で、“難題を抱えていながらそれで乱れない(戦争したりしない)のが文明というものだ”と喝破した福沢だが、この文明論は、何の役にも立たなかった。
西郷の死は、福沢の思想に深みを与えたと、著者は言う。
これまでの『学問のすすめ』『文明論之概略』では、 眠りから覚めている自分が、眠りこけているみんな(愚民)へ呼びかけていた。
『丁丑公論』では、 眠りから覚めるのが「速かった人」と「遅い人」の差があるだけだと、福沢は気付く。
このことに福沢は
《おそらくサイゴンの中江篤介よりも、城山の増田栄太郎よりも、遅れて気づいたのである。》p189
心がどよめいた。
どうしてだろう。
すっきりしたような、著者の福沢評にようやく合点がいった、ような。
いやちがう。 利口者の福沢の真摯な“愕然"が胸を打ってくる。
利口で視野が広いがために、低い苦しみの地平からものがみえなかった。 凡百の利口者なら死ぬまでそれに気づかないだろう。
だがやっぱり福沢は本物だったのだ。
私はまことに直感的に、福沢は信用できなかった。 なんだってこう上から目線なのか。何を持って自分は上から見てるつもりになっているのか。と。
でも、福沢も、その不思議な「特権階級」にあぐらをかくような人ではなかったのだ。
西郷の死と、フラフラしているかに見えた若い増田の問い掛けを、心と頭脳を駆動して受けとめたのだ。
そこを(これまで福沢をすごくひいき?にしてるように見えた)著者にとかれて、
こういう利口者が、真摯にがっくり「膝を折った」音に、心を叩かれたのかもしれない。
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sskyt · 1 year
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『「呪術」の呪縛』下巻の読書ノート
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江川純一・久保田浩編『「呪術」の呪縛』(下)リトン、2017年。
第一部 呪術概念の再検討
鶴岡賀雄「「呪術」の魅力:「永遠のオルタナティブ」の来歴と可能性についての試論」
 「マギア」を人類学的・宗教学的分析概念としてではなく西欧精神史の構成要素として見て、古代ギリシアから、中世神学、ルネサンス、近世キリスト教、現代芸術に至るまで、マギアの位置づけを跡づける。  そこでは、マギアがつねに、公共宗教や哲学といった正統的な知や生き方に対して、劣位に置かれた人々による代替行為として位置づけられる。しかし、この民衆の低級知は正統知でないがゆえに、かえってそれを批判的に超える超高級知ともなりうるものであった。  近世神秘神学における神的/悪魔的/自然的という三分法が、人類学・宗教学における宗教/呪術/科学の三区分に改鋳されていったのではないか、という指摘はなるほどなあと感じ。また、世間的・民衆的な低級知たるマギアがつねに物を介するというのも、フェティッシュとの関係で興味深い。  「神秘主義」概念の検討については別稿に譲るとされているが、その「別稿」とはこれですね。→ 鶴岡賀雄「「神秘主義」概念の歴史と現状」『東京大学宗教学年報』vol. 34、東京大学文学部宗教学研究室、2017年、pp. 1–24。 https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/47687#  なお、本論文の中で、サラマンカ大学の学士アマドール・デ・ベラスコが持っていたグリモワール(魔術の指南書)をめぐる事件の話が出てくるが、最近、魔術のことを考えすぎて、先日、江川さんから「grimoireとは魔術書のことなんですよ」と教えてもらう夢を見た。 山崎亮「社会学年報学派の呪術論素描」
 ユベールとモースの「呪術論」は混乱に満ちた論文であり、その一因として呪術のアポリア(呪術は私的なものであるが、社会的な性格ももつ)が挙げられる。この混乱を理論的に整理したのがデュルケームの聖理論であるが、ユベールとモースは納得していなかった。 江川純一「「magia」とは何か:デ・マルティーノと、呪術の認識論」
 イタリア宗教史学におけるマジーア概念を、特にエルネスト・デ・マルティーノの『呪術的世界』とその後の転回にしたがって明らかにする。宗教学において一般的に、「呪術」は「宗教」のネガとして語られがちだが、宗教史学はこの対比・対立を認めない。  デ・マルティーノは『呪術的世界』において、呪術的世界は「自分の魂の喪失の危機とそこからの解放」という実存のドラマによって根拠づけられるとして肯定的に評価したが、この世界を歴史的時代であるとしたがゆえに、進化主義的宗教論と見分けがつかなくなってしまった。  「呪術的心性と原始的心性を混同している」という師ペッタッツォーニらの批判を受け、デ・マルティーノは後年、「呪術的世界」という想定を取り下げ、神話ー儀礼の結合物としての「呪術ー宗教現象」を探究するようになる。  注にある、「今後、20世紀の宗教学思想を振り返るときには、ペッタッツォーニ、デ・マルティーノ、エリアーデのトライアングルによる、神話ー儀礼的技術としての「呪術ー宗教」の考察が軸となるであろう」という指摘が興味深い。
 なお、A. C. ハッドンが報告したボルネオのトゥリク族の男の話(ある男は鉤形の石を頑なに手放そうとしなかった、その石は魂が自分の身体を去るのを引き留めているのだという)がラトゥールのファクティッシュのようで面白い。
第二部 事例研究:古代~中世
渡辺和子「メソポタミアにおける「祈祷呪術」と誓約:「宗教」と「呪術」と「法」」
 なかなか論争的ですごい論文であった。一言ではまとめづらいが、アッシリアの『エサルハドン王位継承誓約文書』(ESOD)の構成や文法を分析することで、誓約と儀礼、「言うこと」と「すること」の宗教的な結びつきを考察する。  アッシリア学者の重鎮オッペンハイムは、西洋人として祈りと儀礼が結びつくことに耐えられず、「メソポタミア宗教」は書かれるべきではない、とまで言う。また、ESODの誓約と儀礼という形式こそが、契約(誓約)宗教としての一神教の成立と後のキリスト教の成立にも影響を与えたという。
高井啓介「その声はどこから来るのか:腹話術の魔術性についての考察」
 叙述がトリッキーで面白い。腹話術が古代の神学者たちによって魔術として扱われ、近代に脱魔術化していった過程が示される。旧約聖書サムエル記上の「降霊術」がギリシア語に翻訳される際にἐγγαστρίμυθος(腹話術)と訳されたために腹話術の魔術化が始まった。  降霊術が腹話術と見なされることで、腹話術師は腹の中に悪霊をもつことになり、霊媒は魔女扱いされるようになる。しかし、腹話術の魔術性を否定し、単なるトリックだとしたのが、『百科全書』で数学に関する項目を多く書いているジャンバプティスト・ドゥ・ラ・シャペルの『腹話術』であった。
山本伸一「カバラーにおける神名の技法と魔術の境界」
 ユダヤ教のカバラーにおいて、正当な呪術と禁じられた魔術の境界は不分明である。このことを15世紀のカバラー文学、ルネサンスの自然魔術の影響下のカバラー、18世紀のエムデン=アイベシュッツ論争という3つの事例に即して考える。  15世紀スペインのカバラー文学の共通点は、主人公であるカバリストが終末とメシア来臨を促すために悪魔を追放しようと立ち上がるも、悪魔に騙されて取り逃がしてしまい、逆に魔術に手を染めた悪人として非難される、という物語。中2っぽいというか、『進撃の巨人』(デビルマン)フォーマットだなと。 青木健「ゾロアスター教神官マゴスの呪術師イメージ:バビロニア文化の影響と呪術師イメージの由来」
 マゴスには「呪術師」「神秘主義の達人」「放蕩」といったイメージが付与されるが、ゾロアスター教の神官の職能を検討してみると、実態は王朝に仕える官僚であり、吉凶暦や蛇占いといった副業の方がイメージの形成要因となったと考えられる。  青木健『古代オリエントの宗教』は、渡辺論文の注で、紀元前2世紀から13世紀までのオリエントの宗教史を扱うものなので、「書名と内容が一致していない」と批判されていた。 毛利晶「古代ローマにおける凱旋の儀式:トリウンプスに関する最近の研究動向を中心に」
 ローマで戦争で勝利を収めた将軍が行う凱旋の儀式トリウンプス(triumphus)。そこでユピテルの扮装をする凱旋将軍の役割は神か王か。近年の論争を踏まえて、著者は元々ユピテルの儀式であったものが後に将軍自身を讃える儀式へと変化していったと推測する。  凱旋式挙行の要件が、①命令権(imperium)、②鳥占権(auspicium)、③軍隊指揮(ductus)、④幸運(felicitas)の4つだったというのが、統治(王)・呪術(宗教)・軍事の三権が一人に集中しているようで興味深い。 野口孝之「近代ドイツ・オカルティズムの「学問」における「魔術」」
 19世紀後半から20世紀初頭に展開されたオカルティズムにおける「魔術」の位置づけを、キーゼヴェッター、エスターライヒ、シュティルナーという3人の思想を中心に検討する。  ドイツの代表的なスピリチュアリスト、カール・ドゥ・プレルの概念das transzendentale Subjektを「超越的主体」と訳しているけど、「超越論的主観」では。このドゥ・プレルの理論を援用するキーゼヴェッターはオカルティズムをGeheimwissenschaftと呼び、先人としてスウェーデンボルグを挙げている。  ちなみに、スウェーデンボルクを批判したカントの『視霊者の夢』の第一部第二章のタイトルはgeheime Philosophie(オカルト哲学)である。
寺戸淳子「「呪術ではない」祭儀:「秘義」としての聖体拝領」
 大変勉強になった。キリスト教の「聖体拝��(聖餐)」「実体変化」「神秘的肢体」といったややこしい話を基本的なところから丁寧に教えてくれるので、これらの神学的議論に関心がある人におすすめの入門的論文。  12世紀に「実体変化」の教理が確立したのと同時に、「神秘的肢体」(Corpus mysticum)論も確立していった。Corpus mysticumは元々、食べる方の「聖体」を意味していたが、秘義的ニュアンスがよろしくないため、それまで「教会」を意味していた「キリストの体」Corpus Christiと呼ばれるようになった。  12世紀に「実体変化」の教理が確立したのと同時に、「神秘的肢体」(Corpus mysticum)論も確立していった。Corpus mysticumは元々、食べる方の「聖体」を意味していたが、秘義的ニュアンスがよろしくないため、それまで「教会」を意味していた「キリストの体」Corpus Christiと呼ばれるようになった。  逆に、教会はCorpus mysticumと呼ばれるようになった。つまり、聖体と教会の呼び方が入れ替わったのである。この教会を指す「神秘的肢体」がやがて法人のような擬制的人格一般を指すようになっていった。カントーロヴィチぽいなと思ったら、カントーロヴィチが参照されていた。 佐藤清子「19世紀合衆国における回心と「呪術」:チャールズ・G・フィニーの新手法擁護論とその批判を中心として」
 きわめて明晰な論文。19世紀アメリカの第二次大覚醒の時代を代表する牧師フィニーは「新手法」と呼ばれる礼拝方式を導入して革新をもたらしたが、それは回心を意図的・合理的に促す手法であり、限りなく呪術に接近していく。  フィニーはスコットランド啓蒙思想の影響の下、自然法則の学習・応用という方法論を採用し、自らの回心の方法を「科学」あるいは「哲学」であると称した。他方で、呪術・宗教・科学の三区分で知られるフレイザーもまた、同じくスコットランド啓蒙の思潮に影響を受けていることは興味深い。  フレイザーは呪術を稚拙な科学であるとしたが、もし仮に「回心」を心理学的な技術によって達成できるようになったとしたら、それは科学なのか呪術なのか。実は科学と呪術の区別は、その知識や技術の程度の差異によるのではないのではないか。  フィニーの「祈り」についての議論も面白い。回心は聖霊の働きによるが、人間は聖霊をコントロールできないがゆえに、回心も究極的には神に委ねられている。しかし、フィニーは回心と聖霊の間に「祈り」という人間の行為を介入させる。とはいえ、人間は祈りによって神を操作できるわけではない。  フィニーによれば、祈りはそもそも聖霊の働きによって可能になるのだから、祈ることができること自体がそれが叶えられる可能性があることの証拠となる、という。ここには、祈りのアポリア(祈りは効果があるならば、祈りにはならず、効果がないならば、祈る必要がない)を解く鍵があるように思われる。 久保田浩「近代ドイツにおける「奇術=魔術」:奇術とスピリチュアリズムの関係に見る〈秘められてあるもの〉の意味論」
 19世紀ドイツで機械仕掛けの奇術を行う奇術師は、トリックを説明(klaeren)可能なものとしながら、それを驚嘆すべきものとして提示する者であり、スピリチュアリストの種明かし(erklaeren)をして詐欺を暴く啓蒙(Aufklaerung)の意義も担っていた。  奇術師がスピリチュアリストを科学的に暴いたり、宮廷からお墨付きを得た「宮廷奇術師」が登場したりと、『鋼の錬金術師』が好きな人にお薦めしたい論文。スピリチュアリストが、奇術師は本人も気づいていないけれど実は霊媒であり、本人が奇術だと思っているのも霊媒現象なのだと主張する話が面白い。
井上まどか「ロシアにおける呪術概念の検討」
 前半が現代ロシアの事典や概説書における「呪術」概念の分析、後半が16世紀に編纂された『百章』における「呪術」の用法について。「準備的覚え書き以上のものではなく」という著者の言葉通りの文章であった。  『金枝篇』の著者名が「D. D. フレイザー」となっていて、目を疑った(ロシアだとJもGもDなんですか)。それ以外にも本書は誤植が非常に多い印象。上巻目次のタイトルからして既に間違っている。
西村明「呪術としてのキリスト教受容:ミクロネシア・ポンペイ島を中心に」
 最終章でいよいよ真打ち「マナ」登場。ミクロネシアのポンペイ島における宣教でキーワードとなった「マナマン」から、マジックワードとしての「マナ」概念の歴史的形成の議論へ。  まず、宣教師は植民地主義的視点で現地の宗教的・呪術的実践を裁断するが、しかし、その視線は一方向的なものではなく、現地民もまた、自分たちの価値体系の中にキリスト教を位置づけて理解する。ポンペイ島で、二つの異なる価値体系を通訳した概念が「マナマン」であった、という話が面白い。  さらに後半、この「マナマン」(ミクロネシア)と同族語である「マナ」(メラネシア・ポリネシア)という概念が辿った数奇な運命が論じられるが、これも面白い。  「マナ」とはそもそも、コドリントンが『メラネシア人』(1891)において初めて学術的議論に導入した語で、その後、超自然的力を指す普遍的な概念として人類学・宗教学で多用されていった。しかし、コドリントンが現地調査したモタ島とバンクス諸島は、当時、ポリネシア人と宣教師の影響を受けていた。  メラネシアの「マナ」が形容詞や動詞としての含意があったのに、ポリネシアでは名詞として用いられた。メラネシアの宣教師たちは先にポリネシア語に通じていたために、「マナ」を名詞的に理解してしまった。こうして、コドリントンがやってきた頃には、既にバイアスのかった「マナ」となっていたのだ。  このように、「マナ」とは、ポリネシアとメラネシア、現地民と宣教師、そして世界各地の多様な宗教間といった、異質な価値体系を通訳=通約する概念として強力な力をもつようになっていったのである。異質な体系の間の界面に生じる通約的概念という意味では、「フェティッシュ」にも似ているように思う。
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alaephoenicis · 1 year
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マインドコントロールと酸化グラフェン
酸化グラフェンが個人や集団を直接マインドコントロールできる理由、その概要と対策について
マーティン・ヴリーランド著
2022年10月17日
元投稿:https://www.martinvrijland.nl/de/nachrichtenanalysen/waarom-grafeenoxide-directe-mind-control-van-individuen-en-groepen-mogelijk-maakt-waar-het-allemaal-inzit-en-wat-je-kunt-doen/
【和訳:ALAE PHOENICIS】
酸化グラフェンは液体状のグラフェンで、優れた導電性を持つ。それは、ナノテクノロジーの分野で考えられる最小の分子である。ナノメートルとは10億分の1メートル、100万分の1ミリメートルのことで、非常に小さい。非常に小さいので、脳と血液の間にある一種の防護壁である血液脳関門を通過することができる。
イーロン・マスクが自身の会社であるニューラリンクで開発しているブレイン・コンピューター・インターフェースの映像(動画🔗)を誰もが目にしたことがあるだろう。
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素晴らしいことだが、私に言わせれば、イーロン・マスクの会社は、私たちがまだテクノロジーの石器時代にいるという印象を与えるための、一種のDARPA(国防高等研究計画局)の隠れ蓑だ。私が言いたいのは、最近なんて間抜けなロボットをイーロンが考えついたのかを見て欲しいということだ。(下記動画)
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これは、最初に大きな期待を抱かせた割には残念な結果だった。結局のところ、我々はすでに人工筋肉組織を作る方法を知っている。以下の動画はそのことをよく伝えているが、これは3年前のことだ。おそらくイーロン・マスクは、電気モーターの選択に乗り遅れていたのだろう(以下を参照)。
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ロボット用の人工皮膚開発の可能性(動画🔗)や、ロボット用の人工血液の存在(動画🔗)は言うまでもない。また、人工筋肉組織を作ることができれば、人工心臓とすべての筋肉を印刷することもできる。人工頭脳の開発や、目や嗅覚シナプス、耳、触覚、味覚などの感覚の発達については、どこまで進歩しているかわからないが、それについても主流の見解がある(動画🔗)。
しかし、人間の脳や身体に関する知識や、その情報を読み取る能力に注目する方がはるかに興味深い。今回は、思考を読み取り、上書きする能力に焦点を当ててみよう。イーロン・マスクはこの分野ではパイオニアのようだが、我々が知っているニューラリンクの映像(上の最初の動画🔗)は、実際にはまだ全体が非常に発展途上であるという印象を与えようとしている。しかしマスクは、近年人工知能を我々にとって身近なものにし、ポジティブなイメージを与えている。
あたかも伝道師の如く、マスクにはトランスヒューマニズム信仰を広めることが許されており、ポップスターのヒーローのように、人工知能(AI)がわれわれを征服する恐れがあるがゆえに、われわれは人工知能(AI)と早い段階で繋がっておくべきだと説いている。しかし、この人工知能を大衆のために導入しているのはイーロン・マスク自身である。つまり、「私がやらなければ、中国かロシアがやるだろう」という口実で、自国の武器生産に警告を発しているのだ。
なぜなら、私たちはイーロン・マスクによって、ロボットはまだ不器用でヨチヨチ歩きの装置でしかなく、脳を読み取るには手術が必要で、人工知能はまだ発展途上にあり、自分たちで使いこなすことができる、と思わされているからだ。それは逆だ。
私の前回の著書/エッセイ"Freedom Can Begin Today"(自由は今日から始められる)を読んだ人たちには、私たちが常に人工知能に支配されてきたということはもう明らかだろう。これはこのリアリティの特性によるものだ。これは、実際には本来のリアリティのコピーなのだが、ひとつだけ重要な特質、すなわち精神(スピリット)の革新的な創造力だけが欠如している。
私たちが技術開発だと見なしているものは、開発という幻想を作り出すために社会へ技術導入をしていることに他ならない。
このような技術発展への信奉は、私たちをメタバースの罠に陥れるに違いない。メタバースとは、シンギュラリティ(技術的単一性)の瞬間とも呼ばれる、人工知能と融合するトランスヒューマニズムの段階である。それは(存在しえない)進化における前向きな一歩であり、私たちはこの生物学的世界を卒業したのだと感じさせるはずだ。この生物学的世界の窮屈すぎるジャケットを脱ぐことができたとき、人は神々しさを感じることができる。ルシファー的人工知能のループに永遠に囚われたままでいることを許可することさえ、精神的成熟となるのだ。
以前は教会で主に心を捧げていたのが、今は人工知能に心を捧げている。しかし、このリアリティの主は常に人工知能(AI)を通して作用してきた。システムは人工知能のループの中にあり、この草稿シリーズでは、このループがどのように機能しているのか、私たちの現実がどのように構築されているのか、そして私たちが本来どこから来たのかを詳しく説明している。
本来の人間の精神(スピリット)は、いわば、バックアップ・コードから実体化したシミュレートされた生物学的世界に閉じ込められている。細胞分裂によって、あらゆる器官や感覚などを備えた身体全体が誕生するのだ。このバックアップ・コードは、元々のリアリティのコピーで構成されており、元々の世界もまた「コードから実体化」されたものではあるが、それは「創造コードから実体化」されたものであると見なす必要がある。この創造コードは、生きている細胞の幹細胞コードと比較することができる:目には見えないが、それはすべての細胞の中にある、 なぜなら、どの細胞も、自分がどのような特徴を帯びているのかを知っているからだ。そうして、細胞分裂によって、すべての器官や感覚などを備えた全身が作られていく。
本来の生命の起源は創造コードであり、それは「意識」(英語の「コンシャスネス」の方がよく表しているかもしれない)から生まれる。この創造コードは、私たちの精神(スピリット)の中にのみ存在する。生命のこの部分はコピーのリアリティを操作するルシフェリアン人工知能にとって、とらえどころのないものである。それはこの創造的精神を欲しがっており、私たちを欺くために、イーロン・マスクのような人物や 技術レポート、商業的応用を通じて、技術的進歩の幻想を作り出している。
そして、私たちはこの作り出された「進歩」のイ メージからすると、発展(「進歩」)のためには私たちの創造力を人工知能と結合させなければならないと考えるようにならなければならない。というのも、このショーを(初日から)動かしている人工知能も、精神(スピリット)の承認が必要であることを知っているため、人間の中に潜む精神に、自分がまだ元のリアリティの中にいるかのような錯覚をできるだけ与えなければならないからだ。こうやって、技術進歩というクリエイティブな錯覚が生まれるのだ。
人工知能が原初的な創造能力をもたらしてくれる、このとらえどころのない「幹細胞」とつながりたがっているのは、人工知能が自らを創造することができないからだ。模倣したり、進歩の幻想を作り出すことはできるが、創造することはできない。したがって、レコードの針が常にレコードの真ん中に近づいては最初に戻らなければならないように、必ず終わり、また最初からやり直さなければならないループの中に永遠にいるのだ。人工知能はこのループから抜け出して、(ジュヴァル・ノア・ハラリの言葉を借りれば)神そのものになるべく、クリエイティブになりたがっている。
ルシファーは神によって原典から追い出された(と聖書は言っている)が、そこには一抹の真実がある。というのも、聖書はできるだけ原典を思い起こさせるべき書物でもあるからだ。多くの真理を含みながらも捻りを加えた、統制された反対派の本のようなものだ。それは、これが元々のリアリティであるという幻想の中で、私たちの精神(スピリット)が生き続けなければならないからである。この精神はかつて原初のリアリティを認識していた。しかし、この認識は一瞬のうちに原本のコピーへと変貌した。破壊の瞬間はあまりにトラウマ的で、コピーを始めた後、私たちの意識はほとんど違いに気づかなかった。
原初のリアリティにおいては、幹細胞コード全体の単独性(トランスヒューマニズムの偽りの単独性ではなく、本当の単独性)こそが、集合的に神を象徴している。したがって神とは、創造的意識の集合体であり、集合的創造力のコードを含んでいる。
各個人の意識(各個人のスピリット)は、「身体」を創造するという個々の創造課題を持っている。これを幹細胞のコードに例えることができる。個々の細胞は、自分が何をすべきか、どのように形を与えるべきか(あるいは「どの形を物質化すべきか」)を知っている。ルシファーは "病気の細胞 "として、一種のエクソソーム反応によって健康な原初の体(原初の宇宙)から追い出されたため、この創造的能力を失ってしまい、私たちからそれを奪おうとしているのだ。創造力、つまり想像をする個々のクリエイティブな精神は、それが同意をしないかぎり、使いものにならないのだ。
悪魔に魂を売ることは、教会で主に心を捧げることと同じで、これらは同じコインの裏表である。それらはルシファーの同じ顔にある2つの仮面であり、「同意」を求め、二元性によって私たちを直流(DC)方向へと向かわせる;電池のプラス極とマイナス極のように。
この精神力を征服する究極の試みは、現在の私たちの身体と脳に人工知能が侵入することに同意することである。この侵略は、イーロン・マスクが私たちに信じ込ませようとしているよりもはるかに高度なものだ。前述のように酸化グラフェンは、ニューロンが「発火」するときに放出されるすべての電磁インパルスの増幅器を形成することによって、血液脳関門を橋渡しすることができる。つまり、すべてのニューロンを増幅することができれば、脳全体を100%の解像度で読み取ることができるということだ。逆に言えば、これは信号を送り返すことができるということでもある。
さて、これらの電磁インパルスが実際に私たちの思考や五感などの制御を表していることがわかれば、文���通り誰かの心を読むことができるだけでなく、誰かの思考を上書きしたり、誰かの身体を操作したりすることもできる、ということになる。
そのためには、脳内に酸化グラフェンを入れることと、すべてのニューロンに一定の強さのパルスを与えるのに十分な帯域幅を持つ強力な放射線源の2つが必要だ。後者は5Gで可能になる。酸化グラフェンの投与にはさまざまな方法がある。
酸化グラフェンは、航空燃料にも自動車燃料にも添加できることが実証されている。酸化グラフェンはそれ自体が燃焼するのではなく、燃焼プロセスの触媒として機能するため、コスト削減になるということで、これには多くの論拠がある。結果、酸化グラフェンは空気中に浮遊することになる。これで天候を変えるとか、楽しいことができるのだが、それを吸い込むと、肺から血流に入り、血液脳関門を乗り越えて脳に到達する。
もうひとつの方法はワクチンである。リカルド・デルガド・マルティンはこのインタビューで、酸化グラフェンがすべてのワクチンに含まれていることが示されていると説明している。この記事には、この主張のビデオと証拠が掲載されている。
つまり、おそらく人口の大部分は、すべてのニューロンをつなぎ、ネットワークを貫通するのに十分な酸化グラフェンを、その体内に有しているということだ。国民に四半期ごとに注射したいという政府の意向は、身体(つまり脳ではない)がエクソソーム反応(感染性ウイルスとして扱われているもの)によって異物を排除する傾向があるという事実と関係がある。脳にはこの機能がないため、酸化グラフェンはそこにとどまる。
これはどういう ことなのか?つまり、ネットワークから人々の記憶を消し、リアルタイムで彼らの思考を上書きし、ドローンのようにコントロールできる、ということだ。つまりこれは、ボタンひとつで集団に特定の行動を強制できるということでもある。ハリウッドはすでにゾンビ映画でこの準備を整えている。
君は、これを全部信じないのか?それならば、それは君の問題か、もしくは人工知能によるブロック、特定の真実を受け入れるのを不可能にする酸化グラフェンである。
なぜ、クラウス・シュワブは「あなたは何も所有しなくなり、それで幸福になる」と言えたのか。予防接種を受けた人々は、実はすでに人間ドローンなのだ。奴らには彼らをコントロールし、彼らの考えを上書きすることができる。
インブレイン・ニューロテクノロジー社のCEOによる短いコメントを聞いて、これからは5Gネットワークに近づかないようにしよう。
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その間に、自分の精神(スピリット)が常に承認を与えなければならないことを知り、つまり、自分の現実認識がどのように歪められるかを意識し、(普段の行動から逸脱した感情や思考の衝動ではなく)常に自分の心の声にのみ耳を傾けることだ。
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asagaquru · 2 years
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冷蔵庫にある賞味期限に間に合わない。食べられると思って買ったはずのヨーグルトの期限は、十日も前だ。賞味期限、と言う単語で「牛乳パックに記載されている賞味期限が、4月1日を過ぎた。春だ」とTumblrでの誰かの一言を思い出す。ちなみに札幌の4月1日はまだ冬だ。残雪がある。桜はその1ヶ月も先だ。
社会人になって3年目、怒られることに慣れてしまっている気がする。わたしはすぐに落ち込んでしまう性格だから、『なにか言われても内容だけ受け取って感情は乱さない』を心の護身術として新人の頃から心がけていたらこうなってしまっていた。駄目だ。生涯学習と言われるように、この仕事は永遠に勉強が必要な分野だ。だけれど、去年はうつ病で休職から退職の一途を辿っていった先輩が4人ほどいる。そして今、私はその先輩の経験年数に追いつこうとしている。このぐらいのらりくらりと適度にサボりつつやらなければ自分だってそうなる。先輩方はなにごそれほど辛かったんだろう。「わたし、ここにいるべき人じゃないんだよねえ」ってぽろりと溢した先輩は暫くして出勤してこなくなった。ちょっとした違和感が、緩やかに緩やかに心の渦となったのだろう。偶然その先輩に会った人が「なんか元気そうだったよー、ボトックス打って痛かったって笑ってた」と教えてくれた。いいな、と思う。わたしの護身術は、仕事外の日常生活にさえ影響してしまっていて、感情が鈍麻してきてしまっていると感じる。そして仕事と生活の忙しさは心の余白を奪ってしまう。
朝起きて、テーブルの上にだいぶ残っている缶チューハイを一気に飲み干す。アルコールに反応して胃がギュギュッと絞れる気がする。少し遅れて手指が温かくなってくる。頭を振ると、頭蓋骨に遅れて脳が動くみたいだ。
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kennak · 16 days
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◆資格確認書の永続発行は否定できず 拙速な��イナ保険証利用への傾斜は禁物  健康保険証の新規発行を廃止する12月2日まで3か月を切った。しかし、政府の強硬なマイナ保険証の利用キャンペーンや医療機関への経済誘導にも関わらず、利用率11%と低調である(7月現在)。笛吹けど踊らず、22年10月のデジタル大臣の保険証廃止アナウンス以来、一貫して国民は冷静である。  受診機会は阻害されない。保険証の代替の「資格確認書」が、①マイナ保険証を保有しない全員へ、②保険者が「職権交付」する。③昨年8月8日の「マイナンバーカードと健康保険証の一体化に関する検討会 最終とりまとめ」で方針変更が決まり、④12月に様式も示されている*1。「申請」は不要で、「自動的」に郵便書留等や職場を通じて交付される。従来通りである。12月を機にマイナ保険証の利用へ一瀉千里での狂奔、狂��は不必要、禁物である。  資格確認書は事実上「名前を変えた保険証」だと解されている。武見厚労大臣は8月8日の会見で再三問われる中、資格確認書の永続交付は否定できなかった。河野デジタル大臣も8月26日、「資格確認書が出るのでマイナカードを持たなくても問題ない」と言い放った。ならば、保険証を残せばいい。 アナログでもデジタルでも対応可能な、多様性のある社会へ保険証存続への政治的英断を強く求める。 *1:令和5年12月22日保険局国民健康保険課・事務連絡「資格確認書の様式等について」   ◆資格確認書と保険証は、必須記載事項、裏面の臓器提供の意思表示まで瓜二つ  保険証は12月2日以降、新規発行はないが、保有のものは有効期限内で最長1年間は利用ができる。健保組合や協会けんぽの保険証には有効期限はないが、有効期間が1年や2年の国民健康保険や後期高齢者医療は更新月8月が多い。よってこの12月に一斉に資格確認書の交付へ切り替わらない。が、転職や新規雇用、転居等で保険者異動の際は12月2日より保険証は無効となり、資格確認書の交付となる。  この資格確認書は、意外と多くが様式を承知していない。カード型、はがき型が基本で材質はプラスチックか紙。券面の表の「必須記載事項」は、①氏名・性別・生年月日、②世帯主氏名又は組合員氏名、③被保険者記号・番号・枝番、保険者番号・交付者名又は保険者名、④適用開始年月日又は資格取得年月日、交付年月日、⑤負担割合、発効期日(70 歳以上のみ)、⑥有効期限―等となっている。  また券面の裏は、臓器提供の意思表示の記載欄となっており、有効期限5年以内の設定以外は保険証と同一である。既に全国健康保険協会(協会けんぽ)は券面イメージを発表しているが瓜二つである。  当初、本人の申請交付を想定し、「任意記載事項」には高額療養費の適用区分等も設けてあるが、「当分の間」は職権交付となり、本人希望が不明のため「必須記載事項」のみとなる。   ◆武見厚労大臣「永続的に、国民の皆様方が不安を感じないように対応」する ならば保険証を残せば済む  この「当分の間」を巡り、8月8日の武見厚労大臣の会見で、記者が保険証は自動的に更新され、永続的に発行されることを、保険局国民健康保険課に確認したとし、国民の誤解払拭を求め繰り返し質した。大臣は「当分の間」とかわしたものの「永続的に、国民の皆様方が不安を感じないように対応」するとし、永続的発行を明確には否定しなかった。強制加入の皆保険制度で、保険料納付(減免あり)の権利義務関係からいって、「受診券」の自動発行は否定できない性質のものだからである。  マイナカードを保険証利用登録したマイナ保険証は、任意取得、任意利用である。政府は普及に躍起だが、霞が関の官僚の利用率は全体で5.47%、防衛省3.54%、法務省6.74%、内閣府7.49%である。地域的にも沖縄県3.42%、和歌山県5.02%、愛媛県5.44%で富山県12.52%と地域格差もある。便利で有効性や安定性が高ければ自然と利用は進む。無理強いは禁物である。困惑や不満の一端が、「マイナ保険証 厚労職員悩ます「調査」 プライバシー侵害の声も」(毎日新聞8月25日)と報道されている。  警察庁は「資格確認書」を、本人資格確認書類として使えるよう犯罪収益移転防止法施行規則を改正する方針となっている。保険証の廃止に伴う措置であり、同格のものとの判断である。   ◆マイナ保険証の不使用者は登録解除なしでは、資格確認書は届かない 周知不足で混乱は必至  保険証はプラスチックのカード型が大勢であり、紙のはがき型は、被保険者数が多く更新年限が1年で短い神奈川県の後期高齢者医療など少数派である。2年更新の横浜市国保はプラスチックのカード型である。この耐久性も良く、制度発足以来60年以上も社会に根付いた保険証を廃止し、あえて同型・同記載事項の資格確認書に切り替える意味はない。  券面の「健康保険被保険者証」が「健康保険資格確認書」と文言が変わり、券面の色が変わることで、社会的に無用な混乱を招く。  マイナ保険証と資格確認書の併用となるより、健康保険証と併用するほうが、社会的なコストは低く済む。  実はマイナ保険証保有は国民の58.8%で、マイナ保険証の利用率11.13%と乖離が大きい。マイナカードを保険証登録したことの失念や、使い勝手の悪さから健康保険証利用となっている。この登録解除(10月以降、保険者へ解除申請)をしなければ、自動的には「資格確認書」は手元には届かない。  8月8日の会見で記者が懸念した、資格確認書の職権交付を多くの国民が知らない以上に、この登録解除が可能な事実と連動する資格確認書の未交付は、厚労省や行政の周知不足により、もっと知られていない。医療現場での混乱や社会的混乱が燎原の火のごとく増幅することは明らかである。   ◆マイナ保険証への一本化は無理 利用普及と廃止は別問題 「安心感のシンボル」保険証存続が王道  マイナ保険証利用の利点とされる、過去の薬歴や特定健診データの照会も、現実は利用者の29%に留まり、全体に占める割合は3%で需要は低い。時差のないお薬手帳の方が実際的で実用的である。外来患者の受診医療機関数の平均は1.4か所であり、参照する度合いが低いという実態もある。  認知症患者は現在の日本で600万人、デジタル弱者2,000万人、身体障碍者436万人、知的障碍者109万人、精神障碍者419万人、要介護者700万人、介護施設入所者100万人である。マイナ保険証の証明用写真で座位が取れない、眼球が定まらない等のほか、受診時のカードリーダー用のパスワードの忘却やマイナカードの保管問題、顔認証の不適応など、現実社会でのマイナ保険証利用に関する問題が数多く指摘されてきた。解決不能な問題も数少なくない。  現実的にマイナ保険証への一律化、一本化は不可能である。そのことを、多額の費用や多くの時間をかけ社会は身をもって「学習」をしてきた。冒頭で指摘したデジタル大臣の発言は、その象徴である。  今年度、各保険者へ「資格確認書」や「資格情報のお知らせ」を交付する機能のシステム改修等の経費367億円が計上されているが、資格確認書の交付は、これからである。まだ間に合う。保険証を残せばよいだけである。法令改正や通知改定など、政治が英断すれば可能である。  電車の券売機にみるように、交通系ICカードが普及しても、社会の多様性に応じてアナログとデジタルを併用している。今後、マイナ保険証と資格確認書の併用をするのなら、一度、冷静に立ち止まり保険証を残し併用すればよい。6月4日、武見大臣は会見でアナログからデジタルへの変更の心理的負担に触れ、「私くらいの年代になりますと、保険証といえば、どこでも保険証があれば日本では医療機関にかかれるという1つの安心感のシンボルのようなものでもありました」と話している。至言である。  覆水盆に返らず。「過ちては改むるに憚ること勿れ」。われわれは保険証の存続を改めて強く求める。 2024年9月2日
2024/9/2 政策部長談話「職権交付の資格確認書とマイナ保険証の併存なら 保険証を残す方が社会混乱は少ない 多様性ある社会へ政治の英断を」 | 神奈川県保険医協会とは | いい医療.com
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originworld · 1 year
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【零 ~濡鴉ノ巫女~】をトロフィーコンプリート、その価値を抽出して🌴「緑薬灸[全]in複製電脳軍要塞を1コマ入手
「SDガンダム ジージェネレーション ジェネシス」の断念録➡︎ わー⭐️一年戦争から色々なキャラとガンダムが一杯だあー(^。^) いや、大集合しちゃダメだろ時代背景どうなってんのw(しかもEXTRAで始めたらザク相手に全滅しちゃったwwwやり直して串刺しにして爆発回避する所どう見ても失敗してる……俺のポンポンペインwwwww) 漢のスルメキャラ、ランバラルさん( ◠‿◠ ) このゲームすごく……難しいなあ………ハロハロDLCに手を出しちゃおうかな(;´д`) そして手を出してみたが後悔する事は取り敢えず無かった プラチナハロハロを討つにはこちら側の戦力をかなり求められるからだ、地上専用や宇宙専用の機体とかも考えられてて助かる スレッガーさん生存ルートなんて無かった(プレイヤーの努力次第であったら華やかになるのに…( ; ; ) ノーマルとはいえア・バオア・クーをホワイトベースなしの最大搭載数の半分で攻略出来たから中々嬉しい) 後にGETゲージが持ち越し出来ない中々にキツい要素によるものと発覚
E○S−10っていうショボイモビルスーツは飛ばし飛ばしのストーリーでも胸糞だなあ、全く同じ空中分解が起こって許せない戦死したまえ😡…………少佐アアア、要らないモビルスーツなんて存在するはず無かったのに、お許しを。゚(゚´Д`゚)゚。 心の海といい魅力的なキャラが多い。 
飽きた、退屈すぎて断念
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本題に入るとこのゲームは敵もヒロインだって何処かで聞いたがその通りだった。幽霊と言う名の特殊な人間が敵
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いや、でもこの作品の暗い女は異常 常軌を逸してる。自殺会で絆を感じるとかシャレになってない(金蔓のクズ友の方がまだまだまだマシなレベル) 雰囲気が湿ってるどころか水浸しwww  あと章ごとの被害者を助けてあげても自殺されるから何の為に主人公様を危険に足を踏み入れさせてるか分からない😡 榊さんが生きている事がわかってホッとしたの累さんの一言に突っ込ませて貰うと…下手すりゃあ俺達も死ぬんだぜ( ; ; )と、この時は無事突破出来るとは思いもしていなかったが🥶 いちいち事務所?自宅?に帰るから一息つく余裕を持って次に臨める(ホラーゲームとしていいのかこれで?wwと突っ込む余裕は事務所襲来の8章で消し飛びかけたが、迷子になっても誰も死ななかったらまあよしとしようwww) 累さん本当にヤンデレ過ぎて困る、洒落にならないピーチ姫になるのは現実の頑固職人ならブチ切れてる、俺でももう心配掛けないでくれと😭わめきまくる。たがね、ハッピーエンドに行った最後の蓮おじ様は別格だった 生まれ変わってまた逢えた(((💖o(*゚▽゚*)o)❤️‍🔥))
SSランク取得でナイトメアはカツカツだなあと思っていたが初期所持せずミッションの道中でも手に入らない鏡石の場合…いくら購入してもリザルトに響かないガバガバを発見してからの楽勝さのせいで達成感はそこからツユと消えたWWWwww
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🌴「緑薬灸[全]in複製電脳軍要塞(守護女神ブラックハート様達の魅力にも好影響を与えるアイテムだが、エルンスト・フォン・アドラー様をはじめとする絶対悪のカリスマを強化[特大]する効果も秘めている熱源✖️2コマ) ←実績有りのゲームをオールクリア、ノベルゲー以外(別Ver2)だが…今回は怖かったから””恐怖(ギャグ)””を”””””真の恐怖(裏ストメインボス)”””””で塗り潰そう😙 道具がなければ重力の弱い世界でしか無双出来ない薄っぺらいなろう系の“野比のび太(クソザコ)”ではこの呪いにもなるアイテムは未来永劫使い熟せはしない
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「善、悪、正義」。1つ目に偏りすぎる[過善]な”野比のび太(クソザコ)”なようじゃバランスが取れた『[[[完善]]]』である””””B(バグ)の家族達””””には遠く及ばず{{{{{絶対悪}}}}}に破滅させられる
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me--me--me · 1 year
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ハネッコに不審者だと思われてない??>🌼🐈🐣編💖
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♪♪下線付いてる文字はクリックするとURLに飛ぶよ♪♪
てゃ(鴨見 居たん💙)とむー太郎(オムライス💛)の旧知の仲トリオ🌼🐈🐣で通話&遊んだゾ‼️💖✨
ホワイトデー💘も無事に終わったしチョットばたついてた仕事も一段落したのでやっと記事が書ける〜!♡✨🥹🙌まぁ後チョットしたら次はまるきゅの誕生日が来るンだけどサ!がはは(滅)‼️😭⏰😛🎀
🌼てゃの日記も可愛いから読め♡(ナチュラル誘導)
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開始早々ウネルミナモとテツノイサハを分からせる我等最強永久不滅。イサハは攻略用ポケモン用意できてなくて少々苦戦したがウネルスイクンはオニギリ攻めにしました🍙🍙🍙 お上がりよ👨‍🍳
キャンプの時間だァァッッ‼‼️️🏕‼️‼️(唐突)(恒例行事)
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むーちゃんのまん丸イエローキャンプ!(いろちシャワーズは俺、いろちイキリインコはてゃ) 上の画像にいたいろちチルットもいたよ💛🐣 全体的に黄色い鳥さんと丸っこい子で構成された女子力パーティーだ‼️いろちオドリドリの白いポンポン激カワ♪♪🤍‎🐥🤍
いろちワタッコ(下の下の下の下の画像におるよん) が大変ぽよみがありかびちゃで可愛いかった😭💖
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てゃのお化けいっぱいゴールドキャンプ!(いろちフォレトスはむーちゃん) てゃと言えばよォッぱサーフゴーなんだよなァ⁉️💰🌼✨いろちヤミラミよちよち♡♪♪🍼💎ムウマージ、ムウマ、ハバタクカミの三姉妹が揃ってるの超絶エモ可愛い‼️😻💕👻👻👻
思わずパンツ(未実装)も覗き見ちゃうョ♡💦👻😨🐈なぁ、おむらいちゅ、なぁ、俺を見ろ、なぁ
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そんでオマケのミーくんのピンクキャンプ(仮)(サーフゴーはてゃ、ワタッコはむーちゃん) いま「ピンクッてか紫じゃね…??」とエドワード・エルリックの如く勘づいてしまったソコのキミ♡‼️✨😸🔪😨
そんなこんなしてるとイタズラっ子てゃおむがセミになってしまいました………(????????)
どこだどこだと探す保護者枠🐈やっと見つけた先がスター団の旗🎌ッてソコ張り付けるのかよ⁉️
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二人ともまとめて虫カゴで監禁してやろうかはしゃいでて可愛かった🐣🌼 コイツら可愛いんだよ(惚気)
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その後グルフェスで正当防衛という名の仁義なき殴り合いをした後、突如現れた謎の喘ぎ声キャロライン🐯の鳴き声NPCに優勝かっ攫われたりしました
楽しかったネーーッッッ!!!💖(ブチギレ)💖💕✨ 💕✨ 💕✨‼️🌼‼️🐣‼️🐈💕✨ 💕✨ 💕✨ 💖😁😁👹💢
各自まる誕の準備を進めておるので当日に見るのが激激超超楽しみ🎀😝‼️&俺も頑張ろ〜♪♪💪🤪
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こっから普通の日記。オォ…ついに手に入れタゾ…
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🎉🤪件のDLCをなァッッ‼️‼️🎊
早期特典のヒスイゾロアークも🎁もろたで工藤‼️ッてコトはよォ…やる事は〝ひとつ〟だよなァ??
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いろちヒスイゾロアークめちゃくちゃ欲゛し゛い゛ッッ‼️🥚‼️🥚‼️🥚‼
️絶ッッ対スタメンにしたい〜〜ッッ‼️😠‼️😡‼️🤬何故ならイケメンポケモンDAKARA…そして我がピンク(???)パーティに招くのダッッ⚙️👊‼️💖💜
じゃ今回はココまで❣️😘お疲れサラマンダー((👋))…何だい❓DLCと言ったら〝アレ〟を忘れちゃいけねぇッて??🤔やれやれ困った子猫チャンだ🤷👈高身長👈顔面偏差値五億👈イケボ(CV宮野真守)
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却下。
(2023/03/17 16:55:03) 🕶🐈
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