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#お盆休みの過ごし方
jujirou · 1 month
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おはようございます。
秋田県湯沢市川連は快晴です。
昨日は休み…でしたが、朝から塗り仕上げた器物の乾き具合の確認と、その他の塗り仕上げた器物の風呂移動やら、漆風呂内での上下前後の器物の移動やら、湿度調整やらを行い、その後は溜まっていた事務作業やら、来月からの展示会のフェリーの予約やらその他アレコレでお昼。
お昼過ぎからは買物の運転手でアチコチと出かけ、夕方前には帰宅し、再度塗り仕上げた器物の管理やらで一日が終了。
そして昨夜のオラ家の晩ご飯は、川連漆器でカレー。
今日もアレヤコレヤと有りますが、一つ一つコツコツ頑張ります。
皆様にとって今日も、良い休日と成ります様に。
https://jujiro.base.ec
#秋田県 #湯沢市 #川連漆器 #川連塗 #川連 #国指定伝統的工芸品 #伝統的工芸品 #秋田工芸 #秋田の物作り #漆 #うるし #ウルシ #髹漆 #寿次郎 #塗り仕上げ後の管理作業 #隅切り小重 #両面盆 #修理依頼品 #オラ飯 #オラ家の晩ごはん #川連漆器でカレー #カレー #5寸大椀 #伝産法改正 #個人の未来と産地の未来 #kawatsura #japanlaquer #JapanTraditionalCrafts #KawatsuraLacquerwareTraditionalCrafts #jujiro
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europiumoon · 1 month
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昨日、盆休み明けのフル出社、こっちに来てからしっかり残業、大学同期飲み、ゲリラ豪雨、元職場飲み、恋人の風俗疑惑と色々重なりたかが外れるまで飲んでしまい、家まで帰れたは偉かったもののトイレから出れなくなってしまった。恋人も来るのもあってどんな顔で会えばいいかわからなくて、トイレの中で何回もシミュレーションを立てたり、自己嫌悪に陥って余計に胃腸が荒んだ。
疲れているからと、労わるようにスーパーで安くはない牛タンをカゴに入れ、家で焼いて喰らったものの眠れていなかったことが余計に響いたのでは、と思う。「まだ3時、4時なんだから眠りについて」と目をギュッと閉じるものの上手く眠れずYouTubeで睡眠誘導を耳元で流しながら寝たつもりでいた。
吐いたり、腸が活発に動いて、何度も目が覚めたものの隣で寝ている彼は露知らず、ずっと眠る彼を起こせるくらいまで回復した頃には13時近くになっていた。
寝起きの彼に噂を聞くとしっかり否定していた。深夜から明け方のモヤモヤも昼近くにはどうでも良くなっていて、体力の余力=健康かもなって思った。もし、行った、と言われたらどうしようかと思って別れるシミュレーションも考えたりしたけど、「彼氏、風俗」と調べると「広い心を持ちましょう」のような擁護する記事もあってイライラした。これ以上言及することもなく、ずっと外さない右手薬指のリングを横目にみて信じることにした。
私はもらったリングを御守りとしてつけ歩いている。
昼に事前に仕込んだタネを餃子にするべく皮を探しに近くのスーパーに行った。久しぶりにプッチンプリンを見かけたので2つ購入した。最近老化予防にいいと聞いたヒハツパウダーを購入し餃子のタネに仕込んだものの用量をあとで知ったので焼き上がった時に不安だったけど美味しかったし向こうも美味しく食べてくれた。(効果:血流促進と発汗)
もう少しで完成するバブーシュカの仕上げに取り掛かった。昨晩湯船チャレンジは成功したものの面倒が優ってシャンプーだけしてヘアマスクもナイトキャップもしなかったものだから髪の毛がキシキシしてメイクする気にもなれなかったので、出来上がったもののまだ試着時は撮れていない、ので明日撮る。
大事をとってピラティスもキャンセルした。来週沢山入れたものの、台風とかぶるんで今月1回しか行けないんじゃ?と不安。この前も台風で行けなく。。。
お昼ご飯を食べた彼はまた眠りについた。彼は最近、撫でられるとすぐに寝てしまう。赤ちゃんみたいだね。私も寝ようと思ったが胃腸が良くなくトイレとの行き来で眠れず、最近観ている韓ドラを小さな音にして観たり、今月分の本を読みきれていないと思って本を読んだ。3年前の感想と結局違くて、これが、大人…?!とようわからん感銘を受けた。
恋人と寝ると私は寝不足になることが多くて、理由は彼の幅。逆正三角形に近づいていっているものだからシングルベッドが狭くて、尚且つ向こうの寝相も悪いから、舌打ちしながら寝直している。久しぶりに背中からの写真を撮ってあげたら彼は自分の背中を見て惚れ惚れとしていた。出会った時から大きかったものだし、近くにいるから慣れているものの改めて他の人と比べてもデカいんだよなあ。でっかい赤ちゃん。
向こうの帰り際にカレーも食べた。逆写真詐欺でチーズナンがデカすぎて重くて半分食べてもらった。私が腹一杯になっていると笑っていてクソガキ!と思うけどなにかと手伝ってくれる。ワガママだけど。そんなカレーも載せたかったのに配置後気づいて彼の広い背中に貼った。貢献!
そんな濃い1週間が過ぎ去ってしまうとなんだか寂しくなって投げやりになりそうだったので、湯を張って疲労に効くという入浴剤を入れ、発汗しながらこれを書いている。なんだか少し元気が取り戻せた気がする。
明日は新しい作品を作るために手芸屋に行く予定。家賃も払わないと。お金もおろさないと。その前に布団を干して部屋を綺麗にしたい。いい日曜日にしていきたいね。
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takeuchiyoshihiro · 1 month
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明日から
お盆休みと名の付く期間は、皆さんにとって今日で終わりなのでしょうか   私は、お盆に関わる家族の行事も行いながら、仕事もほぼ通常通りに過ごさせていただきました。 ですので、基本的にリズムが狂ったりすることはそれほど無いのですが、長いお休みに入っていらっしゃった方は、次の日からのお仕事にも色んなお気持ちが芽生えるかもしれませんね。 「あーやだやだ、明日から会社(学校)行きたくないなー」と心情をこぼすことが調整になる方もいらっしゃいますし、前向きな言葉をあえて発して、調整される方もいらっしゃるかと思います。 逆に、いつもよりあえて準備するテンポを早めたりするのも、かえってリズムを取り戻せるかもしれません。 案ずるより産むが易しで、嫌だなと思っていても、出勤したらすぐいつものように動けれることもあるでしょう。   自身のパターンを理解して、心を整える方法を用意しておくことも良いかと思います。 …
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14-sakiii · 1 month
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8月11日(日)
一日中、実家に居た。洗面台の汚れと床にふわふわと落ちている猫の毛玉が気になり、掃除。祖母家の猫は大丈夫だけれど、実家猫に対しては何故か強くアレルギーが出てしまう。猫パワーが強過ぎるのか?目が痒いと何にもできない。朝、黒糖ロールパン1つ。昼、冷凍のドリアと赤ワイン?と梅酒が混ざってる異様に美味しい不思議なお酒(サッポロの『3種のポリフェノール赤梅酒』)夜はあったかい蕎麦を。日記を更新したり、企画を考えたりなどなど。思い返せば具体的に企画内容を決めたり、まとめたのはこの日だった。(『67号室の秘密』)実家の私の部屋は母の部屋になってしまっているけれど最近、無印良品のソファーベッドがこの部屋に導入されたことにより、昔の自分の部屋のように寝転びながら作業をすることができた。考え事をしたり、本を読んだり、文字を書くときは寝転ばないと集中できない。この部屋から全ての思考がスタートしていると言っても過言ではない。その時の感覚を思い出した。
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8月12日(月)
朝、マフィンに卵とチーズを挟んで食べた。お昼は妹が作った焼うどん。銀色夏生の『偶然』を読了。知っている詩がいくつかあった。夏生さんの詩は緩急とリズムが良い。夕方から予定があり、父に駅まで送って貰った。父の凄いところは何があっても時間をきっちり守るところだなって思う。時間潰しのためにブックオフへ行き、夜ご飯はスープストック。グリーンカレーと台湾出汁なんちゃらと少なめご飯。スープが二つだとあっさりお腹がいっぱいになる。CCさくらを観た。ミッドランドのドーナツを初めて食べて感激。ふわふわでとても美味しい。次も絶対ドーナツを食べると心に決めた。寧ろ、ドーナツを食べるために映画を観ようかとすら思う。CCさくらは言わずもがな素晴らしい作品。新たな気づきをインスタに書いた。この日辺りからSNS無理だな症候群から解放されつつあり、積極的に投稿を始めた。インスタとの和解。兎も角、自分のことを見失うことがなければ悪い物ではないはず。
8月13日(火)
ノン氏とロイホ。キノコのパスタをセットで頼んだらお会計が2,400円になってしまって焦った。全くそんなつもりではなかった。1,100円になるのかと思っていたら、それがセットの値段だった。キノコのパスタはキノコのパスタの値段だったのだ。ロイホにしてはお得すぎると嬉々として注文してしまっただけに、寝耳に水って感じでショックをショックと捉える隙がなかった。いくらのジュレ、サラダ、オニオングラタン、スイートポテト、ドリンクバーのお茶や珈琲全部美味しかった。値段をもしも知っていたら食べられなかったということになる。そう考えると幸せだったんじゃないか?と思える。新しいイベントへ向けての話し合い。話が進み早速、現地の外観の下見。9月に予定が詰まっていた為、開催日はどうしても8月中が良くて、8月31日に決まった。ここまで短い準備期間で企画を組むのは初めて。通常であれば2ヶ月ほど前から始める。異例中の異例。どうなることやら。下見を終え、一休みをするためにロイヤルへ。ロイヤルからのロイヤルとボソッとノン氏が呟いて、妙にツボに入ってしまった。バニラアイスが暑くて疲れた身体によくしみた。
8月14日(水)
お墓参り。早朝だった為眠たくて仕方なかった。その後もずっと眠たくて、無理矢理外出。図書館に行ったら入り口のところで人がずらっと並んでいて、なんで?と思ったら、まだ営業前だった。図書館に入るために並ぶということを初めて経験した。人生何が起こるかわからない。図書館へ来たものの、借りていた本を全く読み終えられていなかった為、椅子に座ってしばらく読書。その間も眠たくて、うたた寝。集中できず返却。スガキヤへ。見慣れない『ワンタンラーメン』というものがあり、え?と思いながら注文。大きめのワンタンが5つくらいわんぱくに浮かんでいた。しれっと参入していたワンタンラーメン。今後果たして愛されていくのであろうか?ワンタンラーメンの行く末を案じている間に完食。そして、先日ゲットしたクーポンを使おうと思い、お目当てのドトールキッチンへ。かぼちゃのタルトと沖縄黒糖ラテ。ケーキセットにしたら結局クーポンは使えなかった。かぼちゃのタルトは常に美味しい。ほのかにりんごの味もする。何かでSaToAのメンバーのうちのお一人がドトールではかぼちゃタルトを食べるという話をしていた気がする。その話を知ってからSaToAのこともかぼちゃタルトのこともより好きになった。沖縄黒糖ラテはドトールの最高傑作だと思っている。これを超える癒しドリンクにはまだ出会えていない。というか、地名さえ入れば大体全て美味しそうだなと思う。ドトールを出たのち、再び図書館へ。今度は初めて行った図書館だった。小さいのであまり期待していなかったけれど、小さい分本を探しやすくてよかった。大きければいいってもんでもない。そこで、くどうれいんさんの本を見つけられてラッキーだった。読んでいく内に元気が出てきた。生活をちゃんとしたいという気持ちになり、バスを使わず歩いて帰宅。お盆ということで従姉の家族が大集結していた。私の分のお寿司と揚げ物と和菓子とケーキがずらっと並んでいて「誕生日みたい!」と思わず言ってしまった。従姉とは定期的に会うようになり、会話を交わす時間が増え、価値観が似ていることがわかり、数年分の気まずさが解消されつつある。良いことだなと思う。
8月15日(木)
もうすぐ手帳を書き終えてしまう。来年の手帳はどんなものにしようかなと考える時期になってきた。心配しなくとも時間はちゃんと流れていく。前の職場の給与が振り込まれ、お金の整理をしていたら節約意識が高まった。RECによる出費がかなり大きい。無駄に使えるお金なんてない中でいかに工夫して楽しむのかが重要。お金を生み出す仕組みも考えていきたい。まずは部屋の片付けと基本を大切に生きてみよう。
8月16日(金)
会場の下見と練習日。良い場所だったなと思う。駅近でこういう自由に使えるスペースがあってよかった。隈なく探すと見つかるものなんだな。恐らく今後もこちらでお世話になる予定。理想はやっぱり自分たちの場所を作ること。それに向けて面倒だなとか思うことから目を背けずに動いていきたいなと思った。暑くてどうしようもなくて、練習後すぐに帰宅。バスを待っている間にお土産で貰った『ふところ餅』を食べた。国産米粉使用ということでとてもおいしかった。空腹感に支配されずにバスを待つことができた。好みを熟知されているということはすごく嬉しいことだ。帰宅後、説明動画の編集を開始。夜遅くに就寝。
8月17日(土)
『67号室の秘密』の発表日。朝から説明動画の編集の続き。それからフライヤーと説明画像の編集。短い期間の中でロゴ作りを担当してくれたはんどまりくんには頭が上がらない。こんな無茶振りを引き受けてくれてどうもありがとうという気持ち。見た目の可愛さだけでなく、意味もしっかりと込められていて、イメージの共有がスムーズで毎回とても助かっている。ありがたや。改めて依頼してよかったなあと思う。開催日の場所の確保のために思い切って管理者の方に電話をしたら、向こうの尊敬語が移り、変な話し方になってしまった。つくづく電話が向いていないなあと思った。それでもなんとか場所をしっかり押さえることができて、無事にイベントの発表もすることができた。インスタ投稿をするために文章を書いていたら、活動を続けていく中で自分がふわっと思ってきたことがスルスルと言語化されていって書きながら、なるほどなってなった。手を動かすって大切だ。これは人間にしかできないことだなと思う。
8月18日(日)
お盆休み最終日。あっという間だ。悲しみに支配されないようにこの日記を書こうと思った。思い返せば随分と溜め込んでしまっていた。現実をうまく掴めない時、日記は書けなくなるものだ。今という時間を自分のものにするために私は日記を書くのだと思う。今回はPCからこうして文字を打っている。スマホではやはりどうしても集中力が途切れてしまう。PCだとあれも言いたかったんだ、これも言いたかったんだと言葉がうわんうわん溢れてくる。この自由を忘れずに労働に勤しみたいなと思う。数日間の空腹感の原因が解明され、毎月のことながら、ホルモンってのは厄介だなと思う。減量開始宣言をしたけれど、今回はゆるゆる長期的にやっていこうと思う。運動と食事と睡眠に対する考え方を丁寧にしていこう。あと、自分に対して健康的に接してみようと思う。スマホを枕元に持っていくのをやめるとか、水をたくさん飲むとか。そういう良いとされていることを一つ一つやってみよう。やってみないとやる気は起きない。わかっていてもできなかった。わかっていても、いなくても、まずはやってみよう。
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jupiterxlv · 1 month
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海と山のあいだの夏
ずっと練習していたステージがようやく終わって、疲れ切っている間に晩夏。今年のお盆は顧客も休みだったので休みを取って、時間が山ほどあるぞと思っていたが、中華屋さんでエビチリを食べてからフラを踊ったら顔中に蕁麻疹が出たりして、翌日は寝て過ごしたためなんか思いのほか休みが足りない。いや休んでいるんだけど。川とか湖とか行きたかった。エビで蕁麻疹が出るのは中学の部活以来で、調べてみたら甲殻類と運動が合わさることで出現する食物依存性運動誘発アナフィラキシーというものがあるらしい。アレルギー検査でひっかかったことはないためアレルギーではないはず。ただ、もともとエビカニはあまりすきではないので生き物の体は自分に合うものがなんとなくわかるのかな、と思う。ちなみに牛肉にはちょっぴりアレルギーがあり肉の中で一番苦手。
ステージは、ほんと~うに疲れて、またやりたい!と無邪気には言えない。成長した気はしている。踊りとの向き合い方も、人との関わり方も。なんかレッスン中に泣いたりしてしまって思い出すと「なぜ我慢できなかったのか」と悔やみますが、あのときそうなってしまったことは仕方ないですね。甘えが出たんだと思う。家でもびーびー泣いてぐずぐず言ったりした���れど、ひとまず乗り越えられてよかった。オットは一日目の公演はすこし緊張していたものの、ドキュメンタリーのインタビューも受けにいったり、カメラ目線も決めたりして、笑っちゃうくらい満喫していた。
ステージの一週間後には、母と父が家に遊びに来てくれた。生まれ育った町がここだったらどれほど良いかとしみじみ思う。まいにち両親に会いたいし、ちいさいころからの友人が近くにいたら、楽しいんだろうな、と。それでもこれを選んだのは自分なんだけど。暑かったのと疲れが取れていなかったので、あまり起きていられなかったので次はもっと出かけたりしたい。母は一緒に行った丘にあるレストランを気に入っていた。今度来た時も行きたいらしい。父は家を気に入っていて、あまり出かけもせず、オットは私と父はやはり似ているのだと言っていた。
この数日でひさしぶりに自分のことを考えたりして、これから先やりたいことがまたできた!小さく始めたい。それにもうすこし家を整えたい。庭と、収納と。昨日はいっしょうけんめい部屋を掃除していたのに、掃除機を落として階段がへこんでかなしいぜ。ねこたちがつけたひっかき傷は愛おしいが掃除機は違う。これが暮らすということだ、とオットに慰められた。オットはそれよりもっと前に、つけ麺の汁を土壁にぶちまけているわけですが。丁寧に暮らそうね。
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ateliertanu · 1 month
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Floral Friday #183
 この涼しげな場所は、数年前の今頃のブルターニュ。夕刻6時頃になれば、30度近くにも達するからカフェは木陰でビールを飲むお客でいっぱいになる。半分はバカンス客、半分は早いバカンスから仕事に戻った地元の人だが、リゾート地でもない地方都市だとカフェもバカンスで閉まったりするので、混雑は避けられない。  暑くて家になんていられないよという知人は、ちょうど遅めのバカンスに出かけたところで、今頃どこにいることやら。律儀に暑くて混雑するお盆休みを過ごす日本人には、ちょっと羨ましい。やれやれ、明日から平常モードだ。
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tokyototohyo · 3 months
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■東京都知事選2024を終えて───
投票だけが政治への意思表示ではないという事は、私が今まで電子署名サイト http://change.org で署名提出の現場で撮影に入り、その後、国や行政が動いた結果を観てきました。 私達が生きている社会で無いものとされていた人々の声が数で可視化されることで、(段階的にではありますが)社会は少しずつ明るくなっていると実感しています。
今回の企画で協力して下さった皆様が述べて下さった“都知事”像は、現職に対しても各対立候補に対して普遍的に望む言葉であり、“東京”像はそうあったら良いというこの東京の新しい地図でもあります。
私達は有権者であり、いつだってどのような形でも制度や仕組みに対して不合理があれば声を上げて変えられる筈です。今までの状況が良くないと気付いた人達が #ひとり街宣 として言葉を示したり、様々な方が自分の言葉で都政のあり方を語ったように、様々な形で引き続き都政にアプローチ出来ると思います。
私の話ではありますが、私は現状に悲観できるほど若くもなく、若い人達を大丈夫だよと引っ張っていく年齢(1986年生)になっていると感じています。ならば、一緒になって憂えるのではなく、更に先を見据えて、ここまで問題点があるなら次の4年間で現状の都政が抱える問題点からどこまで改善できるかを考えて生きたいです。(近い衆議院選挙も正に)
私達がこの社会の中で、一人ひとりが持つ言葉で不合理に光を当て、それが例え微弱な光でも合わされば大きなトーチになり、少しでも社会を明るく出来ると私は思うので、これからも私達は生活を送りながらやれる形でできる事を広くやっていけたらと願います。 ※その一つの形として今回の企画を示すことが出来たと私は感じています。
企画はここで終わらないし、これからも言葉は続いていきます。
私達は一人ひとりが言葉を持って、様々な人ともっと話して分かり合えないを分かったり、分かり合えるを分かっていける筈です。
私は引き続き今回の企画にご協力いただいた皆様の言葉が、これから先のトーチになることを信じています。
※全然やってらんねーーーー!!!!オラオラオラ👊👊👊みたいな感情もしっかりあるので、今、気落ちしている人はガッツリ休んでいきましょう。セルフケア/ラブ ってめっちゃ金かかるので最悪ですが、私も同じ(全く相似ではない)気持ちなのでやってきましょう…👊👊👊
■平坦な戦場(SNS/リアル)を生き延びることについて───
都知事選を明けて混乱しているSNSを目にし、私も同じく混乱しています。 実生活の対人関係の煩わしさから離れたSNSでは、言葉が先鋭化しやすく、怒りはすぐに拡散され、悲しみは光よりも早く私達の心を撃ってきます。その時々で自分の言葉ではなく誰かの反証(とも言えるし怒りとも言える)の言葉をリポストする行為が更に分断や悲しみ、ヘイトを煽っているのではないか。そして、その行為は一人ひとりのいるコミュニティに エコーチェンバー現象※ を引き起こしていないかと私は感じるのです。
※エコーチェンバー現象:エコーチェンバー現象(エコーチャンバー現象、Echo chamber)とは、自分と同じ意見があらゆる方向から返ってくる「反響室」のような狭いコミュニティで、同じような意見を見聞きし続けることによって、自分の意見が増幅・強化されることを指す。ツイッターなどのSNSや、インターネット掲示板など「同じ趣味・思想の人とつながることができる」場で起こりやすい現象。
この社会では、分かり会えるかもしれない人間も心底分かり会えない人間も同時に存在していて、その中でどうしようもな��生きていくしかないと折り合いを付けなければならないのですが、具体的な対話がすぐに出来る状況ではないSNSで相手を理解し得ないものだと閉じてしまうのは、いささか早計なような気もします。
あれほど自分の言葉で語ろうと言ってきた私が引用するのはどうなんだとは思いますが、私が今回の企画をやるにあたり、過去大きく影響を受けた地域社会と文化の復興活動をなさっているスタディストの岸野雄一さんの言葉を借りて終わりとします。
“私は盆踊りを通しての地域振興などの講演に呼ばれてお話をすることがたまにあります。盆踊りは公園などの公共スペースを使って開催することが多いので、まず「公(おおやけ)」という文字をホワイトボードに書きます。そして「この、公という字を見て、皆さんはどんなイメージを持ちますか? 公とは、自分のことですか?それとも他人のことですか?」といった話をします。その結果、公という文字に対して持つイメージは、お上(おかみ)のもの、お上が我々に提供しているものというイメージを持たれていることが多かったです。この社会を楽しく面白く、有意義で居心地の良い場所にするのは、お上をはじめとする、誰かがやってくれる、わけではありません。それはあなたがやるしかないのです。現在、私たちには自助が強いられています。また共助しなければやっていけないような貧しさ、弱さを持っています。名付けようのない、終わりなき戦いを、それぞれの場所で続けて、本来あるべき公助を取り戻しましょう。それが本当の意味での「政(まつりごと)」です。”
※民主主義のエクササイズ 岸野雄一:
東京と投票 に参加したかった!と仰って下さった過去所属するバンドのアーティスト写真を撮影させてもらったユリアンさんのこの記事も良かったので、読んでみて下さい。
[選挙の話]あなたの意見には賛成しないが、政治的である全ての人が私の光なのです
2024/7/8 16:17 宮本七生
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ndmnemosyne · 1 year
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2023.8.17
わたしのヒースクリフ、不機嫌って本当に嫌ね。わたしも不機嫌な十代を過ごしたからわかるのだけれど、でも程度ってものがあるし、譲れないラインもある。思春期はあらゆる線をオーバーしている。他人との境界線が甘すぎるし、世界に期待をしすぎていて、危なっかしい。見ているのが辛い。わたしのようにボロ布になってほしくはないのに。
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夏休みもいよいよ終わりだから、と言うことでどこにも行けない思春期をコメダ珈琲に誘って外食をする。まだお盆休みの人もいるだろうと思っていたけれど、いつもより道が混んでいて車が連なってなかなか着かず、昼食時を避けたけれど賑わっていて、わたしは少し疲れた。わたしは田舎者でもあり、味の変化を嫌う方なので、どこでも同じものが食べられるチェーン店がすごく好き。そこに行きさえすればメニューに迷うことが減るし、味はだいたいいつも同じだから。思春期もそうかもしれない、わたしから見た感想だけれど。
昨日読んでいた『新しい絵本1000 Part2』を少し読んで、ネットプリントで折本を作りたかったからWordを立ち上げた。Wordのみで作ることはなかなかに面倒で、想定していた最初の設定がうまくいかなかったけれど、まあまあ形にはなった、と思う。でも、ネットプリントの番号は今回は公開しないことにした。別に広くお知らせすることも、わたしには一生ないのだ。昨年一年分の仕事メモから日記本を作ろうとしているけれど、なんとなく先延ばしにしている。誰が読むって、わたしが読むために作るだけだけれど。でも今年中には目処をつけたい。やってみたいことが昔よりずっと簡単に手をつけられる時代になったんだから、どんどんやっておきたい。形にしておけばわたしは思い出せる。他の誰でもないわたしだけの日記本。手書きでは上手く書けないし、キーボードで日記を書くことで、「日記を書く」ことができるようになったからだ。
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oka-akina · 1 year
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0810
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お盆は夫の実家に何日か行くことになり、新盆というものをやるそうなんだけど、いろいろ初体験なのでドキドキしている。お墓で提灯に火をつけて持ち帰るのとかジョジョのポルポじゃん…と思った(5部のスタンド使い、ライターの火を消さずに持って帰ってこいってやつ)。 提灯やきゅうりの馬やなすの牛や、そういうのをやったことがなくて、サザエさんとかに出てくる風習だと思っていた。サザエさんのようなアニメに出てくるさまざまな風習・行事はほんとにあるものなんだろうけどわたしのうちにはあんまり関係ないものであってさほど真に受けなくてよい…という認識。 子どものころ、うちはマンションだからそういうのはないよと親に言われていて、お盆もお彼岸も地域の祭りも年末年始もだいたいのことを「マンションだからうちは関係ない」で済ませていた。いま思うと無茶な理屈で可笑しいんだけど、この「真に受けなくてよい」という態度はわたしの生活のいろいろなところに根を張っている気がする。これはけっこういい意味でも。
9月の文フリ大阪に遊びに行くためのきっぷを予約。サンライズ瀬戸という寝台列車に乗りたい。ネット予約では座席指定ができないそうなのでみどりの窓口へ行くことに(せっかくなら海側の席に乗って朝日が登るのを見たい)。 予約は1ヶ月前の朝10時スタート。人気の列車や座席はすぐ売り切れてしまうそうで、そのため窓口に朝早くから並び10時ちょうどに処理してもらう「10時打ち」というのがある…と鉄道ファンのブログやyoutubeで知った。サンライズのシングル席は席数が多いのでそこまでではないそうなんだけど、どうせ窓口に行くならと10時に並んでみることにした。ただ10時打ちというのはあくまで非公式であって、駅員さんの親切でやってもらえる場合があるくらいに考えた方がよいと鉄道youtuberの人は言っていた。まあそりゃそうよな。 9時20分くらいに到着。みどりの窓口に行ってみたら本当に10時打ち専用列があったので、ほんとにある!とちょっとテンション上がった。わたしは3人目。40分近く何かに並ぶということがそうそうないので、ほんとに並ぶのかなあという気持ちとワクワクする気持ちがまざりあってなんだかすごく非日常だった。こういうことを含めて旅行なのかもと思った。 待っている間、外国人の観光客の人たちに道をきかれた。チームラボとディズニーリゾートのツアーに申し込んでいるがここはチケット引き換えの列か?、いやこれは一ヶ月後の電車を予約するスペシャルな待機列です…とわたしのたどたどしい英語で伝わったのかどうか、どうだろう。 9時50分くらい。4つある窓口を2つつぶして前2人を案内。56分くらいから時報を流してスタンバイ態勢になり、チッチッチッポーンというのがけっこう大きな音で30秒ごとに流れ、なんだかわたしもドキドキしてきた。10時打ちってこんな"ガチ"なんだ。むかしやった試験監督のバイトを思い出したけどもっとシビアな感じ。窓口の人も真剣な表情で、10時ちょうどにポーンと鳴ったあと「とれました」という声が聞こえてきてちょっと拍手しそうになった。窓口の人も最前のお客さんもよっしゃーとか叫んだりはしないんだけど、静かに健闘をたたえあっている感があってなんかよかった。 わたしの番は9時4分くらいだったかな。海側の席をお願いしますと言ったら「とりあえず空いている席をいくつか押さえますので選んでください」と言われ、とてもテキパキしていて感激した。予習してきたとおり海側で窓の大きい二階席を選択し、予約は成功。すげーー。ほんとにできちゃった。調べたことを実行して叶えるのって快感なんだな…。いつも行き当たりばったりなのですごく新鮮。 そして予約できたのもそうだけど、こういう電車のきっぷって、名前とか住所とかアカウント新規作成とか本人確認とかそういうのなんもなくできちゃうので驚いた。つまりこのきっぷを落��したら終わりってことだから気をつけよう…と思った。
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サンライズもとれたことだしちょびっと遠出しよう、お盆の前に気ままな休日をやろうと思い、横浜の元町公園のプールへ。ここは市営ですごく古いんだけど、丘の上の公園で緑に囲まれたロケーションがすごくいい。50メートルのまっすぐなプールがどーんとあるだけ。コンクリートのひな壇に囲まれていて、日焼けしたり昼寝したりみんな思い思いに過ごしている感じ。なんでかわかんないんだけどカンカン照りの日でもあんまり暑くない気がする(プールの水はそれなりにぬるい)。コロナ以降ずっと来ていなかったので久しぶりだったけど、あんまりようすは変わっていないようだった。 なんていうのかな、スポーツでもなくリゾートでもなく銭湯っぽい感じがするのかな。カップルも親子連れもいるけど、一人で来てる人も多くて、ろくに泳げないわたしが一人で水中ウォーキングっぽいことを黙々と(ヨタヨタと)やっていてもべつに浮かない。しっかり泳ぐ人も浮き輪で浮かんでいる人もセクシーなビキニの人もいて、バリバリタトゥーもOK。今日も遠目から見たらラッシュガードに見えるくらい立派なタトゥーの人が元気に泳いでいた。むかしはふんどしのおじさんとかいたけどさすがに今はだめっぽいのかなー。 このあいだ参加した夢でしかいけない街アンソロジーに書いたのは団地の小さいプールだったけど、たぶん自分のイメージにあったのはこのプールだと思う。あと横浜神戸アンソロでもちらっとこのプールを書いた(いつも同じようなことを書いている)。 昼過ぎまで二時間くらい泳いで、バイミースタンドでサンドイッチを食べて帰宅。
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renachtara0313-blog · 9 months
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2024年の抱負(やりたいこと)
既に新年始まって9日なので今更感はある。…が、ネットで文字を書いて形に残すと自分に言い聞かせる効果があると実感している。だからまとめることにした。
転職活動は続ける。後1社くらいは内定取ってみたい。蹴るかもしれないけど。
→自分の人生で勝つ経験が欲しい。社内政治のプロになることは自分の満足とはズレている。現職という狭い箱の中で認められること、それで自分は満足か?と自問自答してしまう。30代は挑戦ができる最初の機会だし、もしかすると最後の機会かもしれない。その機会を何もやらずにドブに捨てたりせず、「私、ちゃんと生きていたな」と振り返って納得できるような経験をしたい。だから、転職活動を続けることにした。既に書類選考で1社落ちているので、このままでは終われないといった気持ちが大きい事もあるけど。1−3月にやって、ここまでで決着つかなければ現職の都合上、次にトライできるのは8月中旬からだ。向こう3ヶ月一旦頑張って、後は3ヶ月の状況を振り返った上で決めたい。
真面目に勉強する。候補は簿記、プログラミング、ドイツ語と中国語。
→現職で成果出せていることを言い訳に、ダラダラと7年(今年で8年)会社で過ごし続けていた気がする。成果が出ているように見えても、後輩がつかずマネジメント経験はないし、部署異動すら経験していないので実務経験が本当に広がったのかと言えば謎だった。書類選考で落ちた会社は会計や経理関連の経歴/スペックが欲しかったらしい。
なので、いい加減簿記の勉強を真面目に続けようと思う。会社で経験できなければ、自分でさっさと身に着けなければ。
加えて、プログラミングは自分の興味分野だが、興味で終わるばかりでは意味がない。自分も会社で必要な簡単そうな効率化システムとか内製化/デザインできるようにならないと、他人と差がつかない気がする。調べたところ、Paizaなどお手軽にプログラミングの学習素材を提供しているページをいくつか確認できた。何でもいいから手を付けようと思う。自分の現職と関わりが深いものはHTML/CSS(ホームページ担当、大体業者に委託しているが)、うまく活かせば製造現場に役に立ちそうなものはPython、一番とっつきやすいのはJavaらしいと聞いている。この辺りを少しずつ触っていこうかと思う。
最後に語学。ドイツ語は高校で専攻だったけど高校時代はうつ状態?ともかくメンタル不良との戦いだったので、断片的くらいにしか残っていないと思う。その不完全さを、成人になった今だとしても、一生かけて埋めていかないとなと思う。(そうでもしないと、昔の自分の日々がトラウマとして延々と襲いかかってくる気がする)一方で中国語、特に台湾華語を学びたい気持ちが強い。台湾に詳しい人の話を聞くと、他の国以上に治安・国内の人々の性格面で住みやすい環境であるらしい。台湾の人と社会的に関わっていける力を持てば、生きる場所といった選択肢を広げられるのではと思う。ドイツ語に比べて単純に学べる機会は幅広いと思うので、ここは自分に頑張って鞭を打ちたいところ。
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(台湾観光をまともにできなかったという悔しさもある(家族全員体調崩し+思った以上に英語も日本語も通じない+乗り継ぎ待機時間が非常に微妙だった+夏は厳しい、逆に年末年始休暇の際は台湾一周が候補になる可能性あり)。中国語学習のモチベを復活させるには、このことを思い出さんとな。)
見出しに書いていなかったが、そろそろ運転免許も真摯に取得を考えないと親がキツそうである。後は、公共交通機関インフラが脆弱(申し訳ない言い方だが)な地域に住んでいる友達には、自分が車を運転して会いに行けるといいな、という将来の野望もあるので…。
趣味を増やす
→流石に「上手に生きること」を考えると、やはりアニメとゲーム好きのままでは趣味活動が厳しい。アニメとゲームを消費するための脳は、上手く生きることに繋がってこない。自分でも悲しいし心にぽっかりと穴が空いた気持ちになるが、ポケモンと刀剣乱舞も満足に追えないかもしれない。どちらも日本各地に根ざした取り組みが活発なので、旅行のついでに追いかけることは引き続き問題ない。が、今後ゲームをどれだけ消化できるかは不透明だ。刀剣乱舞はちょうど良く昨年に一番好きな刀剣男士がレベルMAXになっている。ポケモンだけが悲しいことになってしまった…がしょうがないんだ…。
旅行はお金も時間も飛んでいくが、両親も私も好きだし他の人との雑談のネタになるので何やかんや続けていくだろう。それ以外に何をするかだ。いろんな本を読むという読書趣味はあるが、それ以外にも欲しい。料理は必須になった時に、ライフであり趣味と同化してきそうな気がする。(既に最近、声優の木村良平さんの料理放送や、ゆるキャン△の外飯レシピをじっくり見てはいるが…)なので他のもので探してみた。
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(京都 東寺の川を泳ぐ野鳥)
野鳥観察。観るだけなら旅行しながらでもできるか。というか名古屋市だと、たくさんの鳥を見るためには港付近の小さな干潟公園に行くしかないような…これまでに撮ったことのある鳥さんをスケッチで描き起こしてみることも、一興ではあるかと思う。
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(相当どうでもいいが、最近は地図を自分で手描きすることが何となく楽しかったりする)
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(静岡 島田のふじのくに茶の都ミュージアム)
茶道。持ち家ではないし、そもそもの人脈上誰かを誘うこともないか…。教室に行ってじっくり学ぶ必要があり、お茶会を開けそうな環境(小道具や服装含め)がないとキツそう。ただし、茶道の知識があると、江戸時代の大名さんが持っていた茶道具の価値や、博物館の展示物コレクションへの理解が深まる。教養として学ぶことに意義があると感じた。
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(埼玉 鉄道博物館で眺めた新幹線「とき」)
東京に何度か行き来すると、鉄道/電車に愛着が湧く。しかし、鉄道も動かす仕組みや歴史を学ぶこと以外だと、基本乗り鉄マニアとして旅行の延長線になりそう。いつか青春18切符で名古屋からできる範囲で効果的に旅をする、といった目標なら考えられるか。
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(埼玉 大宮盆栽美術館。木の幹が龍の形に整えられた、最も私の印象に残った五葉松)
盆栽はとても良い趣味だとフィーリングで思ったが、調べてみた結果、植物を育てることも愛玩動物の世話をすることと同じレベルの手間や丁寧さ、こまめさが必要と分かってしまった。関心事が変わりやすかったり、ふらふら遠出したくなる自分には向かなそうである。ただ、茶道と同じく、知識を身につけることで見れるものが多くなると感じた。何気なさそうな造形から、手入れした人のイメージした世界観や風景を想像する楽しみがある点は、日本刀の観賞に似ている気がする。後植物に愛着が湧く。
ま、まああまり変わらないな。ドローン操縦も気になるが、ライセンスも必要になりそうだし、関係法令をきちんと学ぶハードルもある。何よりどんな教室に通えば学べるのだろう…。
最後の候補は藤井聡太さんで話題になっている、将棋を覚えてみるか....(?!)。
旅行経験や何かしら思い出のある県に関する、話題をまとめたブログ記事(※Wordpress)を書く
→日本国内だと47都道府県の話になるが、実際は日本以外の国も含めて記事化することを想定している。
きっかけは、スマホの旅行写真をなかなか破棄できずに困っていること。また、外付けHDDを既に所持しているは良いものの、HDDにバックアップしたところできっとその存在を忘れるだろうと思っているから。忘れないようにするためには、自分が作ったネットの媒体に写真とテキストを残すことが一番かと思う。手間もあっての記憶だろうか。加えて、プログラミングは自分で触って形にしないと身につかないだろう。HTML/CSS知識習得の手段としても、Wordpressは何とか記事作成と運営を続けるべきだ。地域の思い出に関するネタなら、無難な話を書くことができるだろう。読書感想文を投稿しても良いだろうけど。
ぐだぐだ述べてしまった。これ以外にも増えるし変更するかもしれない。いずれにせよ、自分を出し惜しみせず、後悔のない1年を過ごせるようにしよう。
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jujirou · 1 month
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おはようございます。
秋田県湯沢市川連は、雨が降っております。
昨日は朝からどんよりとした空だったので、早めに午前中に墓参りをし、母と嫁はずんだ餅作りやらアレコレと小忙しく、買物の運転手やらアレコレでお昼。
お昼過ぎからは弟の嫁さん達が久しぶりに来られ、夕方にはお盆で親戚の方々が拝みに来られたりで一日が終了。
昨日辺りからお客様⁉︎が多かったのか、ご挨拶が多かった福さんは少しお疲れ気味⁉︎
そして今日は嫁さん実家に伺う予定です。
今日もアレヤコレヤと有りますが、一つ一つコツコツ頑張ります。
皆様にとって今日も、良い一日と成ります様に。
https://jujiro.base.ec
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kennak · 11 months
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[MFDS安全で健康的な旧盆名節のヒント!食薬処がお知らせします 食中毒予防課 2023-09-27 https://www.mfds.go.kr/brd/m_99/view.do?seq=47691 (食品、調理器具のみ) 食品医薬品安全処は、国民が安全で健康的に名節を過ごせるよう、連休期間に知っておくと役立つ食医薬安全情報を提供する。 主な内容は、❶名節料理準備のための食品購入要領、❷正しい手洗いおよび調理・保管方法など食中毒予防規則、❸下痢など食中毒症状発生時の行動要領、❹エアフライヤーの安全な使用方法、❺連休期間、多頻度使用医療製品の安全使用情報などである。 ❶ 名節料理の準備のために食材を購入するときは、小麦粉や食用油のような冷蔵が必要ない食品を先に購入し、果物・野菜などの農産物、ハム・かまぼこなど冷蔵が必要な加工食品、肉類、魚介類の順に購入するのが良い。 贈り物用に健康機能食品を購入する場合は、健康機能食品表示またはマークを必ず確認し、贈り物としてやり取りした健康機能食品を中古取引サイトで販売する行為は違法*なので注意する。 * 健康機能食品を販売するには、管轄の市・郡・区役所に健康機能食品一般販売業の届出が必要 ❷ 名節料理を作る前に石鹸など手洗浄剤を利用して30秒以上流水で手をきれいに洗わなければならず、卵、生肉などに触れた後も必ず手を洗い直して調理しなければならない。 ミートボールなどの粉砕肉を調理する際は中まで完全に火を通し、ハム・ソーセージなどは中心温度75℃で1分以上、カキ・貝などの魚介類は85℃で1分以上加熱調理する。 名節の朝と夕方は肌寒いが日中は気温が上昇し、名節料理を常温で2時間以上保管する場合、食中毒菌など細菌増殖の恐れが高く、なるべく早く摂取する必要がある。 ナイフ、まな板など調理道具は交差汚染を防止するために、肉類・魚、野菜・果物など食材別に区分して使用しなければならず、肉類、卵などは調理する前まで冷蔵庫で保管し、調理した食品を保管するときは速やかに冷やしてから冷蔵保管することを勧める。 ❸ 食中毒は通常、汚染された料理を食べた後に症状が現れ、ほとんど下痢、嘔吐と腹痛を伴う。下痢と嘔吐は私たちの体から毒素を出す防御作用なので、むやみに下痢止めを飲むと毒素が出せなくなり症状を悪化させることがある。 下痢のときは水分と電解質の補充が非常に重要だが、砂糖と塩を溶かした水はカロリーと電解質を補充し、普通の水より吸収が早いのでイオン飲料を飲むほうがよい。下痢や激しい腹痛・嘔吐が続いたり、熱が下がらず、血便がみられたら、必ず病院を訪れ医師の診察を受けるようにする。 ❹ 名節料理を調理したり、残った料理を再加熱する際にエアフライヤーや電子レンジを使用する場合は、食品容器に入れて適正な温度と時間を遵守し、焦げた部分は摂取しないようにする。 食薬処の調査結果、エアフライヤーで肉や魚を調理するときには、200℃以下で焦げないように調理すると、ベンゾピレンなどの有害物質の生成量を減らすことができる。また、エアフライヤーに使うペーパーホイルやシリコン素材の食品容器100個を対象に、重金属、ホルムアルデヒド、ビスフェノールAなど有害物質20種に対する暴露量分析の結果、全て安全な水準であることが確認された。 連休中に1人世帯などで多く摂取すると予想される家庭簡便食は、ほとんど容器包装のまま電子レンジで調理できるが、一部電子レンジには使用できないアルミホイルで包装された製品もあり、必ず製品に表示されている調理法または電子レンジで調理可能かどうかを確認する必要がある。 名節を迎え、国民皆が健康的な秋夕連休を過ごすことを願い、食薬処は今後も有用な食医薬安全情報を持続的に提供し、国民が健康的で安全に生活できる環境を作るために最善を尽くす。
2023-10-17 - 食品安全情報blog2
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patsatshit · 10 months
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奈良県大和郡山在住、日々、育児と楽曲制作に励むmoanyuskyこと小野裕介(以下、小野ちん)に話を聞く。いまから遡ること6年、タラウマラの前身とも言えるサイクルショップすずめにphoneheadが小野ちんの1stアルバム『scapes album』を持って来てくれたことから、僕たちふたりの幻想との舞踏/武闘は幕を開けた。盆地から虚空へと放たれた金魚を追い求めるように、moanyuskyの奏でる楽曲は現(うつつ)と幻の狭間を漂う。2023年現在、phoneheadのレーベルpiano and forestから独立した彼は、自身のレーベル、その名もprivacyを立ち上げ、あまりに独特かつ、奇妙で愛らしい個性を確立しつつある。年内には新たな刺客を世に放つとの噂もあるが真相や如何に……。
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〔土井〕小野ちん、こんにちは。今回のインタビューでprivacyの主宰である貴方のプライバシーに少しでも迫っていけたらと思うので、よろしくお願いします。仕事に子育て、楽曲製作、レーベル運営等々、多忙を極めているとは思うんやけど、プライベートは何をして過ごしているの?
〔小野〕土井さん。本当によろしくお願い致します。 光栄と言いますか(笑)。光貴さんの後でええのんと思ったりするわけですが(笑)。ここ最近は主たる仕事をメインにしています。 この形態が出来上がったのも結婚してからなので、13年前ぐらいです。 仕事は朝9時から始まって、家に帰るのは21時ぐらいです。 休憩は1時間30分。 この休憩時間が自分の製作時間です。 あとは会社と家までの通勤時間30分、計1時間。 最近は主に文章を書いています。 仕事をして、文章を書いてと言うのが日々のサイクルです。 privacyからのリリースが3作品控えていますので、その作品のライナーと初の小説のような作品を作っていて、その作品も少し加筆しています。 あと、毎日入院している息子に日記を書いて送っています。 休みの日は、朝7時に起きて、娘を学校まで送って行って、雨の日は妻が送ってくれるのですが、その後は家の家事を終わらせて、お昼までには息子が病気になってしまったので、入院している病院へ行って、夕方には娘が帰ってくるので、デイサービスみたいなところへ行っているのですが、そこからの帰りを待って、晩御飯を作って、子どもの寝かしつけをして、1日が終わります。 最近はあまりこのループは変わらないですが、息子の面会が終わったら、2時間ぐらい空く時もあるので、そのような時間を使って製作を手伝って下さっている、土井さんから紹介してもらった、マノ製作所へ行ったり、タラウマラへ行ったりしていますね。
〔土井〕晴信が入院することを最初に聞いたときはほんまにショックやってんけど、それを直接自分に伝えてくれた小野ちんは毅然としているというか、良い意味でいつもと変わらへん飄々とした口調やったから僕もギリギリ平静を保てたと思う。もちろん心中穏やかでないのは察しがつくものの、同様に息子を持つ身としては素直に感心した。小野ちんは強いなぁって。 最近は文章を書いているということやけど、僕は小野ちんの際限なく溢れる思弁的な文章に対してある種の畏怖を抱いてる。一本の幹から四方八方に枝葉が分かれていく軌跡を目の当たりにしているようで、少しでもテキストを書くという行為に身を投じたことがある人は嫉妬すると思うで。小島信夫やカフカと同じCPUが内蔵されてるんちゃうかって(笑)。こないだのインタビューで光貴くんからも指摘されたように僕は生活も文章もシークエンスありきやから。いつまでもひとつのテーマについて考え続けたり、書き続けることがほんまにできへん。自分のやってること、書いてることにすぐに飽きてしまうねん。小野ちんや光貴くんはずっと「それ」を抱え続けることで熟成させるやん。まぁ、ときには「はよ手放せよ」と思わなくもないけど(笑)。書いている本人としては、書き始めたときにはある程度のゴールを見据えてるの?それともまったくの白紙状態?
〔小野〕土井さんと晴信の関係には深いものを感じています(笑)。晴信の文章作品も土井さんの表現の場(FACETIME vol.2参照)に投下してくれたし、これまで色々漫画なんかも頂いてますし、本当に感謝してます。 晴信も土井さんのところへ行ったと日記に書くと、やきもちを焼くぐらいで(笑)。晴信は人に恵まれていて、それは自分もそうで、そこは受け継いでくれていると信じています。 変な話しやけど、病気の事があって、より息子の事がわかったんです。 晴信もこれを乗り越えれたら、安泰だと思っています。 彼の中でも全ての価値が変わりましたし、当たり前にあった事がこれほどに特別だったのかと彼が1番に身に染みていると思っています。 私は全然強くないんですね。 弱々しいけど、人に頼って助けてもらおうと若い時は何度もしましたが、まるで助からなかったんで、自分でやらなあかんなと今は思ってます。 自分の人生において実験して、これが良いのかもと思った形態を生活に落とし込んでいまやっているのですけど、それでもうまくいかない事は多いですが、でも前よりは少しだけうまく世の中で生きていけていると思う瞬間があるのですが、その瞬間を感じれると、それもまた幻想になっていって、ずっとこの連続が続いていくのだろうなと、いまは思っています。 そうは言ってもこの歳になってもやっていない事など山ほどあるのですが(笑)。自分にとって表現は、これは断言出来ますけど、「逃避」なんで、生活とは別なんですね。 だから本当の言葉でもなんでも無いと言うとまた難しいのですが、ある種、根源的な(人が生きるためにごく自然とやっている本当の事)事とは違った事でもあるし、本当の事でもあるわけです。 表現が難しいのですが。 離れれば離れるほど、幻想に近づくと言いますか、音楽となるわけです。 だからそれは自分にとって実感を感じられるのは実生活なので、音楽や表現で得ている感覚は明らかに偽物なのだけど、それは自分を投影していると思っているので、ややこしいのですが本当の事なんですね。 本当の事をやらなければならないと思いながらあれこれ「偽物」について探究して���ます(笑)。自分は結局のところ、好きなところも嫌いなところもずっと変わっていないのだと思います。 その執着が人より濃いのかなと。 手放すというか、自分やから、手放せない(笑)。なので、コード進行しかり、自分のやってる事は生まれてこの方変わっていませんし、同じことをやっていたとしても、その時の現状に全てを委ねれば、音なり文章なりは簡単に変貌すると思っています。 リスナーの延長上で全てやっているので、それを堪能すると言う事が1番に重要なので、それが同じ感じだったら、飽きてしまうんですけど、全然違って見えたり聴こえたりするものだから、飽きないんですね。 だから、今はこれはできないなぁとかは感覚的にですがあります。 自分達の時代や環境となってくると、どこにオリジナルがあるのかという探究がやっぱり重要で、死に物狂いで探さなあかんと思います。 やらなくて良いよとか、探さなくて良い、頑張らなくて良い、 世の中が最近言ってる事は信用なりませんからね(笑)。自分を開け渡してはならないといつも思っているので、出来るだけ、迷い込ませるようにギミックを仕掛けていきたいと考えています。 基本的に嘘ばかりですしね(笑)、得意技です。 文章を書き始めた時は全くの白紙です! ゴールも何もわからないので苦しんでます(笑)。音楽はある程度やってきているので、ここらへんで終わるとなる事がわかりますし、それが1つの音楽を決める重要な部分だと思っています。 でも文章は音楽に比べると特に本を読んでいないので、終わりが分からず、混乱と混沌の中から、いきなり終わりはやってくるんですね。 それがまた面白いのですけど。 だから普通に3年だったり5年同じ題材を書き続けてます。 今回の新作も10年前に書き始めた作品で、結局コロナ禍に入り、1年目に完結したのですが、5年ぐらいはストップしていて、また掘り返してきて、ほとんどのところを変える形で進んでいます。やっと終わりそうです。 他の人がどのように書いてるかわからないので、これでどうなのかな?といつも考えながら書いています。 しかしながら書き始めてわかったのが、出し尽くすのは5万字から10万字の間で、それが何年も経て2万字ぐらいに収まる感じです。短く終われる人に憧れますし、素直にすごいなぁと思ってしまいます。 良い音楽作品もトータルで50分も無い作品なんか多いですしね。 短く表現が出来る事が目標です。 自分の文章は思考しているところから余すところなく書いているので、多くなっているように感じます。アホなんですよ、多分(笑)。
〔土井〕アホて(笑)。いや、でもそういう感覚は確かに僕にもある。簡単に言えばコンプレックスなんやろうけど、ひとことでそう言ってしまいたくない自分もおって、だから未だに往生際悪くジタバタと文章を書き続けてる。でも読む人が読めばすぐに捲れると思う、あゝこいつ浅学菲才の輩やなって。ここで小難しい言い回しを使いたがるのもアホやからやで(笑)。だからと言って僕らは自分の人生を悔いている訳じゃないもんな。「自分なんて」と卑下する感じがいま一番いらんわ、おもろない。自分なんて、とウジウジしてる人の肩にそっと手を添えて「そのままで良いんだよ、あなたはあなたでしかないんだから、ともに歩んでいきましょう」という眼差しを向けるのがいまの世の風潮なんやろうけど、そんなん勝手にやっといてくれ、こちらを巻き込むなって本気で言いたい。それにしても10万字まで膨らませた思考の痕跡を2万字まで絞り込むという話はめちゃくちゃ興味深い。奇しくも僕も2万字という枠内で展開する物語が好きで、例えば小島信夫の「微笑」とか磯﨑憲一郎の「我が人生最悪の時」とかクライストの「チリの地震」とかカフカの「カルダ鉄道の思い出」とか、偉大な先達たちがどういう考えがあって2万字の物語を書いたのかはわからへんけど、僕の場合は最初から明確に2万字を見据えて書き始めるから。今年、自費出版した「ほんまのきもち」と「JAGUAR」も2万字。僕みたいに雑食的にとっ散らかった感じで音楽を聴いている人間にもTERRE THAEMLITZやMOODYMANNみたいなハウスミュージックのBPM120前後で刻まれる4つ打ちが一番気持ち良く感じる。それと同じように文章にも2万字の快楽というものが確実に存在する(笑)。僕は最初から2万字を意識してるけど、小野ちんの場合は始まりも終わりも定めず、ひたすらに頭の中にある考えを出し切って、更にそれらを時間で煮込んで絞り込んでいく。自称エッセイストにはなかなかできない執筆方法やで。小野ちんの自主レーベルprivacyの第一弾リリースとなった『同時再生の夢』に封入されていた訳のわからんテキストもだいぶユニークで面白かった。ところでレーベル名の由来を聞いてもいい?そもそもこのご時世にprivacyって(笑)。
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〔小野〕そうなんですね。2万字なんやぁ。それもよくわかっていなかったです、勉強になった(笑)。自分の人生めちゃ楽しいですね。 話していくと、しんどい事ばっかりですねって言われるけど、これって土井さんも世代やと思うんですが、松本人志の存在って大きいと思ってるんですね。 人生助けられたとすら思ってます。 それはダウンタウンが生み出した作品というより、世の中の松本的捉え方を刷り込んでくれたというところです。 苦しみの中で起こる不条理の中にある真の面白さを教えてもらったから、すべてそのように見てしまうんですね(笑)。これ冗談抜きで、腹立つというより、何やコイツ、みたいな(笑)。板尾もそこらへんに結構居ますしね。 そのままでいいんだよっていう、いまの感じね。 まるで生きるために使えない言葉やなぁと思います。 これは自分の考えやけど、そのままでええわけないと思います。 子供育ててたらわかりますよ。 成長してなかったら焦りますしね。 それは教養も身体的なところも、心の部分もすべてにおいて。 言葉ってたくさん当たり前のようにありますけど、その人の言葉として全然機能しない言葉が多いなあと思ったりしています。 だからこそ、そんな言葉は幻想に過ぎないので、あるべきだとは思��ますが、拠り所にしたり、それを基礎に自分を構築するのは大丈夫かなと思ってしまいます。 自分の子供たちが大人になった時には何が本当なのかということは、いま以上にわからなくなってくると思ってますから、だからこそ「個」の考えを若い頃に養ってほしいというか、作る過程で得た価値というかね。そこで得た価値の方が断然大事で、作り出た物なんて実用性無いものばかりですからね(笑)。でもそういう「モノ」が現存しているというところの意味は大いにあると思っています。そこで得た経験をアイテムとして人生進んで欲しいと思うわけです。 最低限、世の中が言ってる事は全部嘘やろと思えるところまで。そのようなヒントを教えてくれる場所が文化圏であってほしいなぁと思うわけです。 なんでもそうやけど、もういらんとなってそこから外へ出るって言うのが人の始まりやと思ってますので、本を捨てて町へ出ようって昔の人たちも言ってますし。そこからは遠ざかった世の中となっているなと思います。 私は音楽から抜け出すところがまずは目標で、なかなかに抜け出せないので困ってます(笑)。40歳にもなって。『 同時再生の夢』では土井さんにお世話になりました、本当にありがとうございました。 頼んで良かったと思いました。 あの同時再生のテキストは3年ぐらいかな書いたんですけど、まだ文章を書くと言うことが浅かったので、「困惑」がそのまま文章になっているように思います。 だから、いま読んでも、思い出せない事も多くて、この前に久々読んだのですけど、よくわからんようになってて面白かったです。 じゃあ、これは誰が書いたんか?と言う事になるじゃないですか。自分やねんけど。それってほんまに?というようなループが生まれるわけで、それは音楽らしいと思うわけです。 privacyというレーベル名の由来は、子どもの名前をつけるように直感なのですが、音楽を通して、これまでの世の中を知っていく中で、やっぱり「群れ」で生きる生き物として、そこで生まれ出る大きな幻想に振り回されてきた聴衆の歴史のなかで生きてきた1人でもあった自分自身の事を考えた時に、群れとどう付き合っていくか、幻との付き合い方とはとか、距離の取り方と言うんですかね。「距離」や「尺」とかに近い位置からの言葉と言いますか。 そんな事を考えた時にこの「privacy」ってええなと思ったんですね。 あと誰も入ってこれへんやんみたいな(笑)。基本的に矛盾だらけの事だらけですが、そのなかでもこの言葉っておもろい位置にある言葉やなと思って、これや!と決めましたね。
〔土井〕ダウンタウンの影響は強烈にある。世の中は不条理で多元的なんやということを最初に教えてくれたのが松本人志やな。こないだもふたりのおばあが突然タラウマラにやってきて、僕の顔を見るなり「あらぁ、あんた立派に大きくなってからに、おばちゃんな、あんたのお父ちゃんに昔から世話になってたんや。あんたお父ちゃんの息子やなぁ?よう似てるわ。目元がそっくりやわ。お父ちゃんここでずっと自転車屋してたやろ?あんた、お父ちゃんから店を買い取ったんか?この自転車も30年前にここで買うたんやで!」とか言うてくるから全力で否定したら「タラのウマなんてけったいな名前の自転車屋がほかにあるかいな?一回聞いたら忘れへんわ。あんた、私のこと耄碌してると思うてんか?」言うてまったくこちらの話を聞き入れてくれへんかってんけど『ビジュアルバム』に収録されてたコント「診察室にて」のまんまやなぁ思うて、ひとりで笑いが止まらんかったわ。淡路という街はそんなことが頻繁に勃発するから好きやねん。自転車の空気を入れに来た半裸のオバハンがコンプレッサーのホースに絡まって「兄ちゃん、助けて」と言うてきたり(笑)。慌てて助けに行ったら首からロザリオぶら下げとって、キリストと同じ格好なっとるやんけ、みたいな(笑)。その数日後には近所のコンビニで万引きをして現行犯逮捕されていたり、とにかくめちゃくちゃやわ。やっぱり現実こそが不条理やし、不条理こそが人生やし、だからこそ面白い。松本人志という人はそれについて誰よりも意識的やった筈やのに、映画を撮るようになってからはファンタジーとしての不条理を描くようになってしまって何だかなぁという感じ。小野ちんの「幻とのつきあいかた」は傍で見ていてだいぶ面白いし、それをきちんと作品化してるのもすごいと思う。その一方で自分のことはぜんぜん客観視できてへんやん。女の子のタイプだってつい最近になってようやく把握してたもんなぁ、縄文ロリ(笑)。僕も奥さんから「自分のことが全然わかってない」って言われるけど、小野ちんも大概やで。はっきり言うて、あんたは究極の天然や(笑)!
〔小野〕土井さんの話もかなりまっちゃん的な話が多いなと思う(笑)。それをどう捉えるかというところが重要で、その目線で捉える方法論やと思っていて、松本人志は自分の町の話を題材にしてたからこそ、おもろかったんやと思うし、聴衆を意図的に動かすような事をやり出してから、どうにもこうにもやと思います。 やっぱり守るものなど無く、自分がおもろいと思うものをリミッター無くやっていた時代の松本人志が好きです。 この守るっていうのは、歳をとればある一定に守らなければならないものって出てくると思うんですけど、特に思うのが音楽界隈の人たちはあえて作って重くなっている感じがあって、なんとも鈍くなるような、群れを成すじゃないですか。 少人数でもなんでも。 あれが自分はよくわからないんですけど、基本的に自分から始まってる事やから、終わるのも自分の中で終わっていくだろうし、それは共感出来ないものだと思っています。 文化を見ていくと、大抵好きな人は1人でやっていて、良い距離を取りながら色々なところへ顔を出す人ですね。 そうそう、私は天然のようですね(笑)。それは言われるまで気がついてなかったんですよ。 だからこそ本物の天然やと思います。 女の子のタイプはそうやったんかぁという感じやったね(笑)。なんかね、みんな同じちゃうかなと思ってたんですよ。 可愛い子はみんな好きやろうと。 そこの細分化が出来てなかったんやね。 歳をとって、そこへ縄文がつきましたよね。 わかってないよなぁといつも思ってます(笑)。
〔土井〕うんうん、やっぱり人は自分のことが一番わかってないよね。『エヴァンゲリオン』だって果てしない自己探究の末に「やっぱりわからん!」とか言うて他者に手を差し出す話やもんな。でもわからんからこそ作品を生み出し続けるんやし、小野ちんが言うようにすべてが「自分から始まって自分に帰っていく」ようなものやと思う。おまけにその「自分」ってなんなん?という永遠に答えの出ない問題を脳天に突き付けられてもいる。そんな無限ループの先に『同時再生の夢』や『JAGUAR』はある。いや、どちらかと言えば「ある」というか、現在地の「標」として自分のために置いてきたという感じかな。だから共感なんて最初からないねん。エンパシーは人間に本能的に備わっているものやと言われてるから、それ自体を否定する気はないけど、共感を求めることはある種の暴力やで。そのままで良いよ、あなたのことわかるよ、の裏側に潜む「だから私のこともわかってくれるよね?」という圧力。それが更に発展すると「わからない奴は敵」という具体的な差別に発展する。元凶は紛れもなく多様性を重視する偏った博愛主義にある。初期の松本人志や漫☆画太郎は絶対に弱者に手を差し伸べない。むしろ弱者がその弱さゆえにつまずく様を見て、くすくす笑ってる。そういう底意地の悪さがこの社会を根底から支えているということを腹の底の底まできっちり落としこまないと先には進めない。これまで43年生きてきて、弱者救済を声高に叫ぶ人たちが身近な「弱さ」を黙殺したり足蹴にする様を何度も見てきたからね。「弱さ」には絶対に「煩わしさ」が伴うから、それときちんと向き合えてはじめて他者に手を差し伸べることができるんちゃうかな?僕には到底無理や。また小野ちんのprivacyの話に戻るけど、誰も入ってこれへんと言いつつも、恐らく小野ちんの頭の中には招き入れたい人物や作品があるんちゃう?そもそもレーベル所属のDJルサンチマンって誰やねん(笑)。
〔小野〕そうなんですよね。基本的身体は借り物やと思っていて、その1番最初の人がオリジナルやとしたらですよ、じゃあこの最先端の自分っていったい何者やとなるじゃないですか。 そんな膨大な時間の旅の先端同士がね、同じ共感なんか出来ないですよね。それが、なんかこれええとか、あれええよなっていう安易な共感のなかでも結びつきが強くなるじゃないですか、でもそれはやっぱり、かなりの確率のなかで交差した瞬間な訳だから、凄い事が起こってるとは思うんですよ。 出会ってる訳やからね。 それだけでも嬉しい筈で、そのような気持ちも相まって、おもいっきり、人はその流れに飲み込まれるのだと思う。 そんなところが人やなと思うんですよね。良いも悪いも純粋やと思う。 やっぱり上手いこと出来てるから、これほどに簡単だからこそ、子どもが生まれるんやろうなとも思いますよ。これは友達とよく話していたことなんですけど、挿れるのか挿れられるのか、どっちがええ?!みたいな話をしてた訳ですよ。 若いからね。真剣に考えてですよ、男同士が俺は挿れるのは暴力になると思うから、挿れるより、挿れられるかなとかね。自分の彼女には問答無用で挿れてるクセに(笑)。俺は挿れられるのは怖いから挿れるかな、とかね。 同じ音楽好きだったり、集まりのなかでも少し幻想から離れた話しを話すと正反対なんですね。それでも音楽は同じものに対して好意を持てる最善の方法な訳やけど、そりゃ無事に子どもが出来るように仕組まれているなぁと思うんですよね。 色々な欲望が出てきますからね。 それには負けたくないですよね。 この完璧な創作物を身に纏ってる訳やからね。それ自体が戦いじゃないですか。 腹立つやん。何してんねんみたいな。自分やけど、うまいこと出来てるよなぁといつも思います。 漫⭐︎画太郎もそうやし、松本人志もね。創作やからそれが可能なんですよね。 そこでの異化効果にて体験した事で、体験していないのに植え付けられて、それに悩まされるぐらいにそれは根付くんですよ。 そっちの方の惨さを知っていたのが高畑勲やと思います。 いまはそこがびっくりするぐらい混在してて、みんななんでそんなに混在してんのと思う訳ですよ。 それは多分自分で作ってないからわからなくなっているんやろうとは思うわけですね。 これ宮崎駿的名言、もののけ姫での一幕、乙事主が言葉も話せなくなったシーンあるじゃないですか。 あれは獣の毛皮をきた人の兵士が目の見えない教祖に集まってくる訳ですよ。 これ麻原やと思ってるんですけどね。 現実と幻想がわからなくなって、言葉も失ってですよ、ただ何と戦ってるのかもわからなくなって、混乱しながら、この世の中で戦っているのですよね。法廷の麻原も目が見えなくなって、うんこやらおしっこ垂らしながら裁判していたわけで、女の人の存在を感じから即座にマスターベーションしてたわけですよ。そんな状態で人としての言葉を失ってこの国で裁きを受けていたわけなのですが、そこまで取り乱している人も居ないとは思うけど、幻想と現実の狭間が分からず、今生きる場所での言葉が一体どのような言葉なのかも分からず迷っている様な、地平が無くなってしまっているような人はたくさんいるように思うのですよね。すぐに幻想に騙されて、大金とられたりする訳ですよ。 これ漫画やで、これコントやで、これ誰かもわからない文章書いてる奴の言うことやで、広大な幻想帝国を作ってきた人たちが今まさに長く生きすぎたために焦ってる訳ですよ。 こんな世界でやっぱりカウンターになる思想がこの世の中で唯一形として残る、生きていける考え方やと思いますし、それこそ、言葉やと思うんですね。 最近の本当にあった事件のリメイク的な映画たくさんあるじゃないですか、嫌いなんですよ。 ポンジュノは好きですけど。 日本人が作るそういうの嫌ですね。日本人の胸糞悪いところが存分に出てますしね。加害者、被害者の家族なんかも掘り返される可能性が高まるわけです。 真剣に宇宙人が来て、UFO乗って戦ったりするやつが無いじゃないですか。そんなんがええね。 狙ってとかじゃなくて。純粋に。 想像しただけで、その撮影現場に居合わせたら号泣すると思う。 そりゃ宮崎駿もあんな作品撮るで(笑)。「風立ちぬ」より断然良かったですけど。 DJルサンチマンね、私もよくわかってないですよ(笑)。日本に住んでるんちゃうかなと思ってるんですけど、本人が言うにはイタリアの孤島でコミューンを組んで暮らしてるらしいですけどね。 基本的に私がプロデュースする人って、音楽的な人が多いと思っていて、このルサンチマンもそうですけど、星野源九郎餅や今回リリースするMcCHICKEN NUGGETSとかも、この情報社会のなかで情報めちゃくちゃ少ないんですよね。調べてみてください。出てこないですから。疎外感幸子の方が出て来ますよ。 だからこそ、信じられないぐらいによくわからないラインに乗った作品を投下してくることがあるんですよね。 それこそ、自分達が体感した芸術や、遠くの国で行われていたムーブメントの振動を感じた時の感情やったと思うんですね。まぁ、とにかく情報が少ないんですね。 これって、インターネット世代ではない私たちが体感してきた幻想やと思ってまして。折れ曲がったというか、間違った伝説が大きくなって、人の話や雑誌語り継がれたであろう伝説の数々が、いまも音楽を聴くバイタリティになってるところあるんですよね。 ダイヤルアップですか。 インターネット接続する感じ。 繋がったとしても、5分の動画見るのに、かなり時間かかった感じ。 でも途切れながら、warpのアーティフィシャルインテリジェンスのPVを観たり、ロングコートを着ながら、ベースを弾く、トムジェキンソンとか見ていた訳ですよ。画像も荒いから、偽物でもなんでもわからない世界ですよね。ヴァイパーウェーブとか流行ってましたけど、良いところのつきはぎ��、それは体感してない人がよくやってしまう、コラージュで、あれはあれで好きなんですけどね。 でも、自分はもっと違う路線のものを作れると思ったときに、作る意味がそこに出てくるんですよね。 基本的にルサンチマンの紹介で数珠繋ぎのようにいまミックスシリーズを作っていて、次はルサンチマンの彼女の作品をリリース予定です。その前にnuggetsですけどね。 変わり種としては、ライブでお世話になった滋賀のハウスクリエイターの武茶さんの作品もリリースさせて頂きます。privacyの所属アーティストのなかでもダントツで世に知られている人やと思いますよ(笑)。作品は本当に素晴らしいので、いまライナー書いてるんですけど、私待ちなんです。 あの温厚な武茶さんがまだかな?と言っているので急がないと、と思ってます。
〔土井〕出た!挿れる、挿れられる問題(笑)。これは絶対に考えておかないといけない問題で、やっぱり僕らは挿れながら挿れられる者の痛みや引き裂かれるような想い、その果ての快楽も同時に体感せなあかんねん。中折れは然るべき善意ですよ(笑)。だから精神的インポテンツを経てる奴は信用できるよね。逆にマッチョイズムを誇示する奴の暴力性は見るに堪えない。これ以上この話題に突っ込む(挿入)と、クィアについて真剣に論ずる必要が出てくるのでここまでにするけど、小野ちんの言う「何が本当なのか」ということは日頃から僕も色々と思うところがある。我が家にはかれこれ20年くらいずっとテレビがないから、息子たちにとってはモニターから流れてくる映像というものはすべて映画やアニメのフィクションやねん。だから病院の待合室なんかで初めてニュース番組を目の当たりにしたときはふたりとも固まってたわ。映画みたいに残酷な事故や事件の状況をクソ真面目に説明している記者の姿に脳内処理が追いつかない感じで(笑)。そもそも僕はニュース番組もフィクションやと思ってるから、息子たちにその差異を説明するのがややこしくて難儀した。最近で言うと、生成AIを利用して作られた岸田首相の偽動画がSNS上で拡散されて問題になってたけど、岸田首相を知らない息子たちにとっては真偽のジャッジは甚だ無意味やし、もっと言えば岸田首相だけでなく歴代首相の存在自体がAI的と言うか、身体のどこかに縫い目があって、そのなかには何千年も前から人体を渡り歩いてきた呪詛師が潜んでるような気さえするやん。そういう意味では「誰が首相になっても同じ」という政治家を揶揄する言葉は言い得て妙やな(笑)。とにかく子どもたちはそういうややこしい世の中で、それぞれがそれぞれに独自の経験を重ねて虚実の皮膜に触れていく。だからこれからも真っ直ぐな眼差しで宇宙人との戦いを描くクリエイターが出てくると僕は本気で信じてる。藤本タツキや吾峠呼世晴が実際にそうやし。この2020年代に彼らが描くのは悪魔や鬼やで、最高すぎるやろ。いま未知のものと出会える面白さは漫画が一番やな。それもサブカル、アングラ系じゃなくて、メジャーど真ん中のやつ。僕は昔からめちゃくちゃ売れてる人らが好きや、自分には絶対にできないようなことをやってる人たちが誰よりも変態やと感じるから。小野ちんのprivacyも立脚してるのは生活圏という意味でのアンダーグラウンドやけど、手法はメジャーのそれに近いよね。結局ルサンチマンが誰なのかさっぱりわからんけど(笑)。アイデアやリリースがたくさん控えてそうやし、ほんま楽しみやわ。最後にいまのお気に入りの曲を紹介してください。晴信が元気に退院したらまた一緒に奈良公園に遊びに行こう!
〔小野〕出た!出た!猫のバス!みたいな気持ちというかね。 これはトトロのセリフなんですけど、あれはおっさんが想像した少女像ですよ。 娘を持っていないおっさんの。 想像して出来上がった、メイとサツキですよ。 でもですよ、みんなあれになるために成長していってますよね。 いまでは同じ名前がつけられて、みんなあのアニメーションの動きをもとに風を感じ、そしてスピードを共有してると思います。 なので、表現物が与えている情報が人を作って言ってるんですね。多分それを作った人たちは責任なんか感じなくて良いのに、どうしようかなと本気で悩んでいる訳じゃないですか。「 君たちはどう生きるか」で出て来た老人は宮崎駿ご本人やと思うんですけど、あれはフィクションやけど、本音ですよね。 自分がやってきた事ですからね。 中折れで思い出したけど、挿れているとき、ごく稀に骨がボキッとなることがありますよね。 わからないん���すけどね、多分恥骨とか、腰?が鳴っているのかわからないけど、あのとき、本気でイチモツが折れたと思って、焦りながら頭の中で折れたモノを探すんですよね(笑)。 でもちゃんと挿入ってる訳じゃないですか。女性にも聴こえていない、自分だけのボキッという巨大な音。 これね、多分、野口晴哉が言ってた、海に入った時に腰まで海に浸かっていて、雨が降って来たときに自分が一体どこにいるのかわからなくなったという状況と同じやったんじゃないかなと思う訳ですね。 誰もがわかるように棒には骨なんか入ってないのに、肉の塊ですやんか、そのときにね、挿入ってるのに、抜いて探してる自分もいるのだけど、何かの中に挿入っていきながら、抜いて確かめている自分がいて、その時にあれ何か大きな覆われた世界があるということが見えてしまったように思えたのですね。 と言っても挿入れてるからやと思うんですが、心の空洞に入ったような体験をしたんですね。 穴に挿入っている自分が折れた棒を探していた。どの時代の自分なんかわからへんねんけど、なんかよくわからないやつが居てたんですよ。 土井さんの言うAlの話、これは本当に考えてしまう話で、明らかに音楽作るのはAIに変わってしまうと思うんですよ。 だから、その準備が着々と行われているように感じます。 サブスクもそうやしね。 音楽全体がもう演歌のようになってしまうやろうし、流して聴くものにしてしまったことによって、もうそれは運命的ですよ。 まずAIを欺くことなんて、音楽聴いてきた身からして無理やと思う。 坂本龍一が好きでスタートしたら、教授のコード感で楽曲買っていることが後々わかったりする訳ですよ。 ここはこうしたいんだとマイケルジャクソンみたいに指示するだけで、楽曲ができる世の中となって、作るものという概念すらなくなるかもしれません。 そこに人を見出さないとえらいことになるというのはそのようなことで、それが今後どう繋がっていくかは未知数ですが、カウンターの精神を生かすというところにおいては必要な行為やと思います。そんなところよりも、もっとシンプルに言えば、人を感じれないのであれば、AIが作ったとしても、人が作ったとしても、その違いがわからないとなるから、別によかったらどちらでも良いとなるわけですね。 それでなくても、ヒップホップやらテクノやらでもそうやけど、同じような内容の楽曲の羅列のミックスだらけじゃないですか。 AIはRAMZA(名古屋を拠点に各地で活動する作曲家/音楽家)のようなエラーですら、それを容易に形にしてきますよ。それだったら、どうしてRAMZAがええのか?って話しになりますよね。 そこを考えさせないようにしようとしている輩がいるわけでね。 誘導されているわけですよ。 だって、金稼ぎたかったら、AIにまかせて、この100年ぐらいの文化の流れをインプットさせて、やっておけば金が生まれる訳やからね。 人が人の領域を守るために必要なのかということが自ずと見えてきますよ。「文化」の動きというのは結局のところカウンターカルチャーなのですけど、これは鶴見俊輔も言っているように、土井さんにも通ずる、這いずるということなんですよね。 今の文化の始まりはまさにそこから始まっているように私は思っていて、そこから生まれでる事、いやいや、同じのはやったらあかんねん、もっと違ったもんじゃないと、これ前やってましたやん。何回、回ってんの?!っていうところをきっちりして、よりないものを模索するということでしかない訳ですよ。 だからこそ、ネットにまだ出てきていない文化の本当にやばいエキスがあると思うんですけど、そこを誰よりも早く見つけて守るとか、そういうことが重要だと思うんですね。 そこで、ネットに流出しない世界を構築して、そこでの本当の意味でのカルチャーを育てる必要性もあるのではとも思いますね。まだこんな話、SFのなかではうじゃうじゃあるけど、現実的な恐怖を覚えていないのが昨今の人たちで、そんなところだけ、SFと現実を分けてるんですよね。 そこになんで恐怖を覚えないのかが、わからない。 もうそろそろやし、お前の存在を本当に求めてる訳ではないということ、逆説的に言えば、そこがあるからこそ音楽の人たちは幻想を売っていけていたという側面もあると思うのですが、そこもひっくり返るのももうすぐですわ。 オタク文化、70年代のインテリは現代社会において、自分の趣味を文句を言わせずに真っ当するやり方を知っていた筈なんですよね。これはカウンターカルチャーに近い考え方だけど、こういう考え方が結果的に文化を守ることに繋がると思います。 ビートルズの新作は当初、ジョンをAIにして歌わせて、生きている残りのメンバーが奏でるといったスタイルと聞いていたのだけど、出来上がった作品を聴くと、死ぬ前にレコーディングしていた音源から声だけを抽出して、残りの人たちがその声に合わせて楽曲を作ったわけですよね。 内容は本当に素晴らしくてね。 でも正直なところ、みんなAIでもええんちゃうかなと思ったのも事実ですよね。なんでこれがビートルズでないといけないのか。 声だけをカッティングするのなんて、ちょっとしたアプリで出来ますからね。 じゃあなんで、そんな後退したことをやったのかというと、ビートルズが大半生きてるからやと思うんですね。 AIが描いた世界とか話題になってるけど、気持ち悪い世界ですよね。 あんなの人でも描いてる人いるけど、そういうのがもういらないとされてしまっ……。
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goda-world · 1 year
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こころの声が思いっきり口から出ていたようで
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「 え? しあわせですけど? 」
アクリル絵の具、岩絵の具、シャーペン、パウダー
 
  
このお盆休みが来るのをずっと前からとっても楽しみにしていた
  
仕事なんかしていても「ったくよー早く終わんねえかなー」ってこころの声が思いっきり口から出ていたようで「声にでてますよ」って突っ込まれていた
  
お盆休みに入るのはものすごく待ち遠しかったけれど、もちろん我が家のことだから何か予定があったわけではない
 
で、
休みに突入して、ひさしぶりに家族でお出かけでもしようかと思っていたら、まさかの娘が「熱中症」になってしまいずっと寝込んでいる
 
おはようございますGoda world のゴーダです
 
熱中症って、” 我慢が美徳 ” って考えるお年寄りたちがクーラーを我慢してなってしまうものなんじゃないのか? もしくは、小さい子供がワレを忘れて遊んでるうちになってしまう、とか
 
ウチの娘、もう高3なんだけどな
クーラーは絶対につけないとダメです、もう昭和ではないのです
涼しいから大丈夫だといって自分の部屋で昼寝しているあいだに気温も湿度もあがって、熱中症になってしまいました
  
 
高熱がずっと続いているので、とりあえず病院に連れていって検査してもらい、解熱剤を処方してもらってきた
女房とふたりでずっと看病の毎日だ(ぼくはおもに、夜~朝までの担当)
 
というわけでこの連休、どこにも行けず、、(まあ予定はなかったけれど)
ご飯も、おかゆとか雑炊とか、やわらかいうどんとかのやさしいご飯しか食べれてない
まあ、それはそれでとっても美味しいからいいんだけれど
たまには攻撃力100の激辛韓国料理とか���イ料理とかで我を完膚なきまで痛めつけて、もう堪忍してください、と降伏させてやりたかった
 
しかも、我が家のみんなのくつろぎの場所『リビング』は、娘を看病する寝場所として占領されてしまっているので、ゆっくりできる場所もない
で、
夜担当のぼくは、そのリビングで娘の看病しながら、その横に自分の布団を敷いてちっちゃくなって小さいスペースで寝ている、、寝不足だ
 
正直つらい
とりあえず、まずは手足をおもいっきり伸ばして大の字で堂々と寝たい
この休みを楽しみにしていただけにめちゃツライ
けれど、高熱が下がらないしもし何か急変したりしたら大変なので、看病の合い間合い間をぬって自分なりに何とか睡眠時間を確保している
  
 
でも、
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横でみているとこんな頃を思い出すんだ
  
  
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2021年の8月15日に撮影したアトリエ(2年前)
 
この大きな絵をまだ描いている
2年も経っているのにまだ描いとる
いくらなんでも今年中には仕上げたいとは考えているが、今のところ50%くらいは進んでいるのだろうか、わからない、仕上がる気配は、まだない
 
2年も描いているのにまだ仕上がってないって、これまたどうなん?
とはいっても、途中で描きすすめていたモノを全部塗りつぶして消したりしたからしょうがないっちゃあしょうがない
 
  
もちろん、今描きすすめている絵でこのまま仕上げていくつもりなので、あとはどれだけ自分の想いをこの絵に込められるかにかかっている
これも、暗中模索しながらあーでもないこーでもないって進めてはいるのだけれど、その時は「これ最高」とか思いながらドーパミンが出まくってテンションも高いのに
次の日にあらためて冷静になって見ると、ぜんぜんダメなんだ
 
 
こういうのは、よっぽど自分の中にある強靭な確固たる微動だにしない想いが無いと、あっち行ったりこっち行ったりしてる精神状態では、どっちつかずの絵になってしまう
 
 
まあ、それでもイイ絵になるときもあるんだけどさ
 
そんなこんなを、画面に、布に、叩きつけるだけ、作品に落とし込むだけです
そんなことやって何になるのか? なんて、知らないです
  
 
知らんよ。
 
 
 
 
 
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韓国映画
そういえば久しぶりかな、韓国映画
いや、そんなことはないな、しょっちゅう観てる
っていうか、誰もこんなところ読んでないことを知っているからこんなん書くよ、  ちんちん  
僕だって他人が観た映画の感想なんてまったく興味がないから
ただの備忘録だとわりきっている
 
ちなみに今まで観た韓国映画でこれ凄いなって思ったのは、「シークレットサンシャイン」かなあ   万人向けでは無いけれど
恋愛コメディなら「猟奇的な彼女」、ドラマなら「トッケビ」は面白かった
サスペンスアクションエンタメなら「魔女The Witch」
  
今回のこの映画「君の結婚式」は一応人気がある映画で上位に入ってくるモノ
タイトルからしてもうネタバレしてるようなものなので、ずっとマイリストに入れたまま観ていなかった
だからそのまま、ほぼネタバレのつもりで書く
  
ストーリーは、高校生から社会人までの過程を描く恋愛モノ
高校生までの物語りは、やはり初恋って感じでとても好き
サブキャラ、というか友人たちも一人一人個性があって面白い
この感じは、インド映画でよくあるパターン(下ネタも)
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タイミング
タイミングって大事だよね、って思わされる映画
すべてにおいて、タイミングが悪い
大人になってからのふたりは、とくに女優さんの魅力が薄れていく気がする
見た目が幼い感じなので、ちょっと無理があったのかも
男性は魅力的に撮っているんだけれど、女性の魅力が感じられないんだよなあ(AKBの峰岸みなみって人にしか見えない)
やっぱり映画は、女優さんをもっと魅力あるように撮ってほしいと願う
 
もしかすると、それもエンディングに向けた計算のうちなのかも知れないけれど
  
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タイトルのとおり、最後はいわゆる「君の結婚式」の場面になる
  
Hello  darkness  , my old friend~
と曲が流れるあの超有名映画のように、サイモン&ガーファンクルが流れて、結婚式に飛び込んで、花嫁をかっさらって、、
 
を、どうしても観る側は期待してしまう
が、ちらちらとネタバレの映画タイトルが脳裏をかすめる
しかし、アンタッチャブル山崎のように「からの~?」って、、
なるのか、ならないのか
  
  
まあ、
こっちのほうが現実的、で、リアル
初恋、って、初恋のままだから、いいんじゃないかな
 
いや、でも、これ映画だから。
ハローダークネスマイオーフレーン~ をやって欲しかったのよ、そこは
  
  
    
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今回、この仕上げた作品の右上のガタガタしてるところは、これは手直し出来ないほど切り目が入り込んでしまっているので、しょうがないのでこのままに
  
  
  
はあ、
看病ばかりしてて、運動不足になるのも困るし、
せめて散歩とかしたいけれど、この暑さじゃ無理だよぅ
でも、娘のことをお願いします、って近所の氏神様にお参りしてきた
  
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財布にどれだけ小銭が入っているのかわからないけれど、500円玉とかあったらそれを入れよう、出来るだけ入れよう
と、思ってパンパンとお参りするところで財布を開けたら
 
7円
(5円玉1枚と1円玉2枚) 
  
  
き、金額じゃねーし、、って思いながら、『 はて? 1拍手2礼拝だっけ? いや、2礼拝1拍手だっけ? 』、、
  
ん? 知らん
 
  
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とりあえず全財産の7円を賽銭箱に入れて、自分オリジナルのお参りの仕方で娘の安全だけはこれでもかというくらいお願いをして、ぴゅーーーっと逃げるように早足でおうちに帰った
 
  
帰りに、セブンイレブンによって、auPay(電子決済ならあるのよ)でマンゴープリンやらマンゴーわらび餅やらを女房と娘に買って帰った
 
二人は、お昼寝して熟睡中だった
 
 
 【 神社もそのうち何とかPayとかになるのかな 】
神社の賽銭のQRコードは「送金」を促す行為にあたるためpaypayなど電子決済は規約違反となるらしい、そんな記事をどこかで読んだことがある
 
賽銭もauPayとかで払えるようになったら、なんかもう趣きもクソも伝統も何もないなあ、と古い考えのぼくはちょっと思ったけど
  
もう、そうなったら、わざわざ神社まで行かなくてもクーラーの効いたお家の中からpaypayとかでポチッとな、って『 あ、娘のことヨロ! 』って、神様にチャットとかで送れるんやろか
  
なんかもう、そうなったらすべてがわけわからんくて逆にPUNKでヒャッハー
  
  
   
Goda world
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chisasarasa · 1 year
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230815
お腹がすいたから、梨の皮をむく。 もう大人だから、自分の意志で、自分の行動を決められる。わたしは自由。
実家でお昼ご飯を食べる。 デザートにカヌレが何個も何個も出てくる。 誕生日のケーキということらしい。 親にとって、子が30歳になるというのはどういう心地なのだろう。感慨深いことなのだろうか。 中学生の頃と同じように畳の上でごろりと漫画を読んでいるけれど。
夜、伸びた前髪を少しだけ切る。 本当はのばしたい。たぶん、似合わない。
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230816
ねむれなかった。 エアコンをつければ寒く、エアコンをきればあつかった。 電車も建物も人が少ない。まだお盆休みなのか。 いつも通りじゃないだけで、不安になる。 夜、寝る準備をする前に寝てしまった。 ひさしぶりの仕事に疲れていたらしい。
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230818
はやく起きようと思って、昨日の夜早く寝たのに、朝、はやく起きられなかった。 最高気温37℃。だいぶ体は慣れてきたけれど、やっぱりあつくて、体力が奪われる。 絵本の修理を教えてもらって、ラーメンを食べて、帰る。 夜、みたもの、かんじたものが、するすると言葉になっていく。 陽が落ちると、過ごしやすくなるし、もう、秋になるんだ、と思う。
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230819
朝、寝たいわけではないけれど、起きたくなくて、布団の中でぐずぐずとする。 つまらない、と思う。 気持ちがわるい。 顔色が悪い。 こういうときはたいていお湯につかると回復していくと知ってきたけれど、今、この部屋には米がなくて、買いに行かなければ晩ご飯はない。 仕方がないから、ぐるぐると重たい頭をのせて、外へ出る。 空気が流れている、気持ちがいい。 そのまま帰ってしまうのがもったいないくらいで、5㎏の米を抱えたまま、川を眺めていた。 川にかかる橋の上を電車が走っていて、ズボンをたくしあげて釣りをしている人がいた。
すみれって、茎がほそくて俯き加減で、はかないけれど、雑草の強さがあるよな、と思う。 コンクリートだって割って生きてゆくだろう。
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straycatboogie · 1 year
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2023/10/04
BGM: Julia Fordham - Invisible War
実を言うと、今日・明日と休みである。なので実家に戻ることにした。といっても、隣町にある実家なので帰省なんて大げさなものでもないのだけど、お盆も過ぎ秋めいてきて季節外れの親孝行(?)ということに相成ってしまった。朝、ZOOMを立ち上げて英会話関係のサロンのオンラインミーティングに参加する。そこで英語でいろいろ参加者の方々が例文を作って楽しむというレッスンに興じる。ジャニーズ事務所が新しく命名した事務所名「Smile Up」について、あるいはぼくがかれこれ現時点で8年間続けられている断酒について話が及ぶ。ぼくが勤めている会社ではそろそろ秋の風物詩であるボジョレー・ヌーヴォーをめぐって「お酒は呑めないです。人生半分損してると思います」なんて会話が繰り広げられている。ぼくも(ぼくはグルメなんかではありえないのに)料理の味を堪能しようとワインを呑んで「うん、フルーティーだ」なんて言っていた恥ずかしい過去を思い出す。ちなみにアルコール依存症で断酒している人は甘酒も飲まないし、厳しい人はみりんも(匂いが酒を連想させるので)料理に使わないという徹底ぶりを見せる。ノンアルコールの飲料も飲まない(これも「モノホン」を連想させてしまうからだ)。ここまでして断酒を続けるその意義についてはまた別の機会に書けたらと思う。さみしい人生かもしれないが、味わい深いものでもある。
昼、実家に戻る。そして両親と栗ごはんを食べた。グループホームでの生活やジョブコーチを交えたぼくの仕事、あるいは英語を学び続けるぼくの私生活についてなど話が及ぶ。この実家にいた頃……どうやったらこの家を出て「自立」できるのかと気ばかり焦っていたのを思い出した。だから一時期、それこそ酒に溺れていた頃はこの家もこの家を建てた両親についてもぜんぜんいい思いを抱いていなかったのだった。火をつけてやろうか、なんてアホなことを考えた……その頃つき合っていた友だちからも「そんな家出ていけ」と言われたり。そんなこんなで悩んでいた頃にこの町にある「高次脳機能障害」のための古民家カフェの電話番号を見つけて、勇気を出して電話をかけてみた。電話に出た代表者の方がぼくの発達障害の話を聞いて「いや、残念だけどうちはそういう施設じゃないんだけど……」とおっしゃって、そこであきらめて……でもその後すぐに折り返し「もしもし? さっきの人?」と電話がかかってきた。そこから少しずついまの生活への足がかりが得られて、自分なりに(そんなウハウハな人生なんてまったく歩んでいないのだけれど)洗濯したりあれこれ身繕いしたりする暮らしへ移っていき、グループホーム暮らしを始められたのだった。それがいま、これを書いている時点でのこの暮らしである。
その後、グーグー思いっきり昼寝をしたあとに阿部朋美・伊藤和行『ギフテッドの光と影』を読んだ。そうしていると午前中にお世話になったサロンの主宰者の方が日本で増えている不登校についてFacebookに投稿しておられた。それを読んでタイムリーだったので自分の意見をコメントとして書き込んだ。『ギフテッドの光と影』では知能が高すぎて���校の教育になじめず、それゆえに「落ちこぼれ」「はみ出しもの」と化してしまうギフテッドの人びとの苦悩と再生が語られている。もちろん、学校教育からはみ出してしまう人が全員ギフテッドであるわけではない。だが、「学校教育になじむ・なじまない」だけが「絶対的で単一の」判断基準になるのはおかしいと思う。ぼくは子どもを育てたこともなく、子どもに何か教えたこともないのでこの件については完全な「机上の空論」しか書けない。でも、大事なのはそうした「学校教育」にとらわれない「もう1つの」あるいは「多様な」基準で子どもたちを判断することだと思う。でも、だからといってぼくは「学校教育はくだらない」「学校なんて行くな」とも思いたくない。それもまた極論に過ぎる。学校は基礎教養を体得し、集団で何かを成し遂げる達成感を身につける場としていまだに大事だろう。これについても掘り下げていくと実に深い話になると思った。
夜、ふと実家のぼくの部屋の本棚に中島義道『たまたま地上にぼくは生まれた』があるのに気づいて、懐かしく思うに過去、ぼくはこの「戦う哲学者」中島義道にずいぶんあこがれた。まさしくこの実家にいて、でも両親との仲もギスギスしていて私生活では独りぼっちで酒に溺れてばかりだった頃に酔いの回った頭で辛うじて中島義道を読み、「そうか、自分のこの生きづらさは『哲学』によって救われるのだ」と思ったりもしたのだった。いまになって、それこそ両親と仲を築き直してから読む彼の主張にはなかなか味わい深いものがある。ぼくは中島義道とは違う。彼の「両親を(精神的に)見捨てろ」という意見や「人生は本質的に不幸だ」という意見には「なぜですか」と異論をはさみたくなる。ぼくはついに中島義道ほど思考を徹底できない。その意味で哲学的なセンスに恵まれていないことを自覚し、それゆえに幾分か彼に対するヒガミさえ感じることを認める。だが、それを踏まえた上で「でも、ぼくはぼくの信じる道を歩む」「ぼくはぼくがこの仕事や私生活で体得し、血肉化させてきた『哲学』『生き方』に殉じる」と言うだろう。でももちろん、これは中島義道の哲学を全否定するわけではない。これからもぼくは折に触れて(前ほど頻繁にではないだろうにせよ)彼の本から学ぼうとすると思う。そして、そんなぼくと彼、あるいはぼくとさまざまな方との「きしみ」「ぶつかり合い」から生まれる「対話」を大事にしたいとも思った。
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