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#かわいい魔女ジニー
showamagicalgirls · 1 year
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I recently found out that the US sitcom I Dream of Jeannie, which was rebroadcast in Japan as Cute Witch Genie (かわいい魔女ジニー) and had a influence on the magical girl genre, was inspired by a 1964 US film called The Brass Bottle. This flick also featured Barbara Eden who would go on to star in Jeannie, but, in this version, she plays a mortal woman. Obviously I had to watch it immediately and the following is my review:
I decided to watch this knowing that it was an inspiration for I Dream of Jeannie, but I did not realize that Barbara Eden was actually in it. That was a very fun surprise, particularly to see her so young after watching the Jeannie made-for-TV sequel films and thus getting to see her across such a range of ages. As a movie, itself, I definitely enjoyed it. It didn't take itself too seriously and I enjoyed the way they played the fantasy elements. I can totally see how it inspired a lighthearted TV comedy like Jeannie. I guess my two criticisms are, simply, the pacing of the plot and the obvious but totally necessary-to-mention orientalism. Speaking of which, there is apparently a Tamil remake of this film. The idea of seeing the '60s orientalized US vision of Middle East-North African tropes filtered through an additional cultural point-of-view certainly interests me.I'm glad for the leap to television, they figured out that the genie ought to be a woman.
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shelter-maki0 · 5 months
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折角なので「律動する悪夢」https://www.tumblr.com/shelter-maki0/737410451936296960/i-drew-a-comics-of-tomarrymort-it-is-posted-on-an?source=shareの後書きのようなものを少し書いてみようと思います。私用の覚書のようなものなので、日本語で残します。
その過程で私がcursed childについて思っている事にも少し触れようと思います。真面目に書くつもりはありませんが前半に後書き、後半に呪いの子について書いていきます:P
まず私が書いた小話の後書きですが、「律動する悪夢」はロマンス作品を想定して描いたわけではありません。私はハリーとヴォルデモートの間にある、”互いにとって不都合な絆”に魅力を感じています。とても暴力的な絆で、その絆は二人を傷つけ互いに破滅へと向かわせました。ヴォルデモートは文字通り破滅し、ハリーは人生を丸ごと台無しにされました。 ハリーが闇の帝王を倒した後でもヴォルデモートがハリーに与えた影響は彼の人生を蝕み続け、ポッター家を機能不全家族にしました。私はハリーが決して彼の呪縛から逃れられないこの状況に、ホラー映画のエンディングのエッセンスを感じました。それはまるで、主人公が脅威を退けた後、エンドクレジットの前に倒した筈の敵の気配を感じて暗転するあの瞬間のような後味の悪さです。
避けられない脅威に追われ続け、その脅威は怪物を倒したあとも主人公を決して休ませない。私はホラー作品のその様式美が好きです。なのでこの作品はそういった逃れられない脅威と決して断ち切ることのできない繋がりについて考えながら描きました。 特に深いメッセージ性は無く、少し気持ち悪さを感じるような作品を残したかっただけですが、もし楽しんで貰えたなら幸いですD
次に呪いの子についてですが、呪いの子が不人気な事は把握しています。(余談ですが、私の国では呪いの子に対してそこまで否定的な意見は多くありません。私の国のオタクは公式が出した作品を無かった事にする傾向が殆どなく、公式から出たものが気に入らなければジャンルを去るか、受け入れるかのどちらかを選ぶ人が多いです。なので二次創作の傾向も逆行や転生、Canonの隙間時間を埋めるような作品が多く、AUはあまり流行らない傾向があります。私は呪いの子の設定の全てを受け入れているわけではありませんが、美味しいところは食べています。)
呪いの子の世界観は、ハリーが魔法界の戦争を通して経験した事を白紙に戻したような世界をしています。
デスイーターは裁かれましたが、彼らの抱える根本的な問題は解決しておらず、彼らの親族に降りかかる偏見すらも魔法省は野放しにしています。里親に育てられた孤児のデルフィーニはホグワーツに通うことすらできませんでした。アモルテンシアなど危険な魔法薬は一切規制されておらず、ロンが親友の息子の誕生日プレゼントに贈るほど倫理観も法律も成長していません。
呪いの子の魔法界は、”臭いものに蓋をする”が続いた世界です。ヴォルデモートとの戦いの経験を持つハリー達が、その世界の中枢で要職につきながらも多くの問題を無視し続けているというのは現実的ではありません。ヴォルデモートが後継者を得る為に子供を作っていた事も彼の性格からを考えると不自然です。
舞台の脚本を書くために彼女はそうしたのだろう、とメタ的な意見も出せますが、呪いの子の世界がHPシリーズの正式な後日談として出されている以上咀嚼しないわけにはいきません。私はそういうオタクです。
正直、私はそんな魔法界に再び混乱が訪れるのが見たいです。それらのツケを払わされる瞬間を見たいです。彼らの怠慢と無関心が再び闇の帝王を呼び戻す瞬間が見たいです。
大切な書類をデスクに山積みにし、ゴシップを放置し、息子に対して失言し、母親のように振る舞うジニーに慰められるハリー。空元気のように振る舞い問題を無視するハリーの様子は私を不安にさせます。しかし私はそんな彼が再び引き裂かれるのが見たいです。そしてその相手は絶対的にヴォルデモートなのです。
呪いの子の終盤で、ハリーは闇の帝王の影響から未だに逃れられていないという自覚を息子に語っています。結局のところハリーとヴォルデモートの絆は永遠です。それはあたゆる形になってハリーを蝕み続け、彼の人生からは絶対に切り離す事ができません。呪いの子ではその事が証明されています。死すら二人を分てないのです。
私が呪いの子の時間軸のハリーについてよく考える理由はそこにあります。呪いのような永遠の絆がそこにあるなら、続きを想像したくなってしまいます。あらゆる魔術を探求した闇の帝王の魂はまだリンボにあり、彼を連れ戻したくて仕方がないような勢力は殆どそのまま魔法界に残っています。私は中年のハリーの目の前にある日突然ヴォルデモートが現れても驚かないでしょう。素材は十分です。
そしてヴォルデモートに再びハリーの人生をめちゃくちゃにして欲しいです。彼のキャリアを崩壊させ、家庭を脅かし、彼をもう一度台無しにして全てを奪い去って欲しい。そしてハリーには、崩れた人生の瓦礫の中で最後に彼に触れ、かつて同じであった鼓動を感じて欲しい。結局のところ彼はハリーの運命の相手でハリーの人生を司っているのだと。
「彼を壊したい」と「彼を幸せにしたい」が両立する不思議なダイナミックがtomarrymortの醍醐味の一つであると思いますが、怒りと苦痛の先にある小さな慰めのカタルシスの心地よさが私を追い立てているのかもしれません。
とまあ、話は多少ズレましたし呪いの子の不満点や考えについてまだ話せる事は沢山ありますが、今回はこの辺にしておこうかと思います。また気分が向いたら何か書くかもしれません。
とにかく私個人としては呪いの子の時間軸のハリーの作品がもっと増えたらいいなと感じています。ハリーが台無しになる作品が好きなので、掛け金の高いCCの時間軸は私にとって魅力的です。
もしこの投稿を読んだ人がいたのなら、この中身のない文章を最後まで読んでくれてありがとう!
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ykwathced · 2 years
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lewonald · 2 years
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Miss Barbara Edenのモノラル盤のジャケットは、ステレオのジャケットをずらして貼ってたのね😶裏ジャケ上の折り返し部分にチラッとSTEREO見えてます。 (stereo盤はreal goneの再発) #かわいい魔女ジニー #idreamofjeannie #barbaraeden #popfreak宇都宮 https://www.instagram.com/p/CWbKrEUPFax/?utm_medium=tumblr
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grossherzigkeit · 4 years
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ディズニーの「差別映画」に見た「幻想の南部」の誕生 ――映画『南部の唄』をみる
 ディズニー社が運営するテーマパークのアトラクション、「スプラッシュマウンテン」の題材が変更されるというニュースが流れています。
(参考)
米ディズニーがスプラッシュマウンテンの題材を「南部の唄」から変更
https://news.yahoo.co.jp/articles/360bcd7f93a0e3bf6a37503772ceb96c0a1a5dba
 ディズニー映画『南部の唄』は長年にわたって「黒人差別を容認する作品ではないか」という批判にさらされてきた作品で、現状のBlack Lives Matter運動に揺れるアメリカにおいて、仕方のない、決断せざるをえなかったことなのかもしれません。
 筆者はかつて、自身が所属する「全日本南北戦争フォーラム」の会報にこの『南部の唄』に関しての雑文を掲載したことがあり、掲載よりずいぶん日が経っており、かつ自身の文責になるものでもありますので、参考までに自分のブログに今、若干の修正を加えて掲載するものです。
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ディズニーの「差別映画」に見た「幻想の南部」の誕生 ――映画『南部の唄』をみる
 2018年9月1日、東京都千代田区で開催されましたNPO法人江東映像文化振興事業団様主催、映画『南部の唄』上映会に、本会・全日本南北戦争フォーラムとして参加しました。江東映像文化振興事業団では、本会報にも特別寄稿をいただいている評論家・三浦小太郎氏が役員を務めておられ、その御縁で参加させていただいた次第です。
 上映作品だった『南部の唄』は1946年に公開された、ウォルト・ディズニー製作の映画です。いわゆる「ディズニー映画」ですが、人間の俳優で構成される実写で描かれたパートと、アニメで表現される動物劇が巧みに組み合わされた映像作品で、まだCGなどというものが影も形もない時代であるにもかかわらず、俳優とアニメの動物が実に自然な形で「共演」しているなど、映画史の中でも特筆すべき表現技法を見せた作品として語り継がれているものです。
 しかしながら、この21世紀において本作『南部の唄』が好事家の話題にのぼるとき、筆頭に挙げられる事項はそうした映像表現の話ではありません。本作に現在ついてまわっている第一の「レッテル」は、「人種差別的な映画だ」というものです。実際、世界中でこの作品は現在、「タブー作品」のようになってしまっており、DVDのような形で簡単に購入し、鑑賞することもできません。そして本作が内包するとされている「人種差別」とは、『南部の唄』というタイトルが示すように、アメリカ南部にある(あった)黒人差別のことを指します。
 本作のあらすじを、簡単に紹介しましょう。時は南北戦争後、そうもたってもいないころの話。アメリカ南部ジョージア州の大都市アトランタで両親とともに暮らしてきた白人の少年・ジョニーは、家庭の事情で母親の実家である田舎の農村に引っ越します。母親の実家は富裕な農園主で、いまも多くの黒人労働者(元奴隷)を抱え、綿花プランテーションを経営している一族でした。都会っ子であるジョニーはなかなかその農村になじめず、また大好きな父が仕事の関係でアトランタに戻ってしまい、寂しさからふさぎ込むようになります。しかし農園で働く老黒人、アンクル・リーマスの語る民話に引き込まれていくうち、ジョニーは次第に周囲に心を開いていく――という筋書きです。
 この映画は、一部の例外はありますものの、基本的に「いい人」しか出てこない作品です。主人公もその一員である白人の綿花農園主一族は、慈悲深い「お殿様」のような人々で、彼らに仕える黒人労働者は、白人の慈愛を感謝とともに受け取りながら、何の不満もなく、南部での人生を謳歌しているという設定です。白人と黒人は、確かに雇い主と使用人という関係ではありますが、差別のようなものはまったく描写されず、実に親しげに語りあい、交流しています。これは何かの皮肉としてそのような戯画化が行われているというのではなく、本当に本作では、南部の農園はホンワカとした、何かの理想郷であるかのごとく描かれています。
 アメリカの有力な黒人団体であるNAACP(全米黒人地位向上協会)は公開直後からこの『南部の唄』に対して、「実際のアメリカにあった激しい人種差別を隠蔽し、南部社会を美化したロクでもない映画だ」との批判を発しており、ゆえに現在、この作品は再上映される機会もなければ、前述したようにDVDなども発売されていません。今回の上映会は、かつて一時期のみ販売されていたVHSを上映したものであるそうで、貴重な機会を与えていただいた三浦さん、および江東映像文化振興事業団様に感謝します。
 NAACPが本作に寄せた批判は、おおむね妥当なものであるとは思います。アメリカ南部に苛烈な黒人差別があったことは事実であるにも関わらず、『南部の唄』は前述のように、南部をそんなものがまるでない、牧歌的な理想郷であるかのごとく描写しています。NAACPは、本作が「間違った南部像」を社会に流布することによって、南部に厳然とあった「差別の歴史」が修正されるのではないか、と危惧し、また怒ったわけです。
 ただ、本作は本当に(一部の例外を除き)「悪人」というものが出てこない、ホンワカとした物語で、暴力的なシーンも原則としてありません。「この作品が歴史的事実とそぐわないのは事実かもしれないが、そもそもフィクションなんだし、またこの映画を見ることで黒人への暴力、差別が煽動されるようにも見えない」といったNAACPの批判への懐疑が、一部に存在することも事実です。けれども私は「南北野郎」として本作を今回初めて鑑賞させていただいたうえで、「これはとんでもない映画だなあ」と、心底思わされたのです。NAACPが怒るのも無理はない、なぜならばこの映画は、匂い立つほどに南部的、CSA(アメリカ南部連合国)的な色彩をまとっているように感じられたからです。
 私はディズニー・アニメの専門家でも何でもありませんが、ややステロタイプながら、以下のように感じています。ディズニー映画の真骨頂とは「階級の移動」です。みじめな下女だったシンデレラは王子様と結婚し、単なるデク人形だったキノピオは人間になります。哀れな子象ダンボは興行界のスターとなり、また『美女と野獣』や『ライオン・キング』は一種の貴種流離譚で、これぞ主人公の所属階級が目まぐるしく変わる物語です。そして俗にいう「アメリカン・ドリーム」の神話がそうであるように、下の階級から歯を食いしばって成り上がっていく挑戦者たちを称賛する精神風土こそが「アメリカという国」の土壌で、そこからディズニー映画が生まれたのは、ひとつの必然ですらあります。
 しかしながらこの『南部の唄』ではその上映時間の93分中、登場人物たちの所属階級がまったく移動しないのです。貧しい少女ジニーは主人公のパーティーに招かれますが結局行くことがなく、農園を去ることを決意するアンクル・リーマスも最後には戻ってきます。主人公が飼おうとする哀れな子犬も、結局飼うことが許されません。また主人公一族に仕える黒人労働者は自らの待遇をまったく不満に思っておらず、彼らが毎朝の出勤時に合唱する「私はとどまる、なじんだ家へ」という歌詞の歌は、何か象徴的です。劇中でアンクル・リーマスが語る民話は本作の見どころの一つですが、その劇中劇の主人公、「ウサ君」が最大のピンチを迎えるのは、「人に必要のない干渉をしたからだ」と、具体的に何をしたのかが語られぬまま説明されます。個々のエピソードを見ていくと「本当にそれでよかったのか」「作劇上、ちょっと乱暴すぎるんじゃないのか」と思わされるケースもありますが、ラストのミュージカル調のエンディングは、そうした疑問に何も答えぬまま、すべてをどこかへ流し去っていきます。
 ただし本会会員にはもう説明不要でしょうが、これこそが北部流の成り上がり思想、アメリカン・ドリームに対して南部社会が打ち立てていた、CSA的な思想でした。人のことには干渉しない。自分には自分の生き方がある。そして、人は生まれ持った環境の中で暮らしていくことが、最も幸せなのである――。これこそがアメリカ南部の主張で、「奴隷解放」や「産業革命に沿った社会の近代化改革」を訴えた北部へのアンチテーゼでした。もちろん、そういう思想の根底にあったのは、南部の上流階級の「この、自分たちに都合のいい階級社会、奴隷制社会を維持したい」という利己的な思想で、それゆえに南部は南北戦争に敗れるわけです。しかし、この「誰にも干渉せず、またされない、そういう意味での『自由社会』の維持」とは、南北戦争時にCSAが明確に掲げた大義で、そして『南部の唄』の社会は、まさにその「CSAの大義に沿った楽園」なのです。この画面に横溢するCSA的な空気、これにNAACPが言いようのない不快感を覚えた側面はあったのではないかと思いますし、そうであるのならば、一見暴力的ではないこの映画を、彼らが口を極めて罵った理由も、何となく分かるような気がするのです。
 繰り返しますように、『南部の唄』に描かれる社会は、間違いなくCSAの大義を反映した理想郷です。ただ、理想郷はあくまで理想郷であるわけであって、現実の南部とは偏った人種差別思想に基づいた、どうしようもなく遅れた農本主義社会に過ぎませんでした。だからこそ南北戦争に敗れてしまったのです。以降、南部はアメリカの経済発展に取り残され、KKKの誕生や公民権運動の混乱などに揺れる、「アメリカの中の恥ずべき地域」などと呼ばれて現在に至ります。しかし、いわばCSAナショナリストとでも呼べる一群は、「かつての南部にはきちんとした理想社会があったのに、北部がそれを壊した。今の貧困と混乱は北部のせいだ」と叫び、現実世界にはどこにもなかった「理想の南部」を形成し、「南北戦争前に帰ろう」といった虚構的主張を展開していきます。『南部の唄』は、そういう「幻想の南部」が形成されていく途上、およびその一つの到達点を示す作品であるとも感じられ、その意味において私には非常に興味深いものでした。
 また、もう一つ注目したいのが、本作における珍しい例外的悪役、フェーバー兄弟です。主人公の家のそばに住んでいる貧乏白人の子供で、服装や態度から見るに、その経済状況、教養程度は黒人以下です。実際、一般の白人には従順なアンクル・リーマスも、この兄弟には露骨に悪態をつくほどです。彼らは何かにつけて主人公やその仲間をいじめ、鑑賞者の義侠心を刺激しますが、しかしちょっと考えてみてください。少女ジニーが主人公のパーティーに行くのを妨害する、子犬が主人公にもらわれるのを邪魔するなどといった彼らの行為は、実は「誰もが階級を移動しない」というこの世界の中における秩序の保持者なのです。
 さきほど、南北戦争後の南部には「全部北部が悪い」といったような、夜郎自大で卑屈な歴史観が生まれたことを紹介しました。しかしその主な担い手は、結局生活に余裕のある旧奴隷農園主ら上層階級というよりも、南軍の末端を担ったプア・ホワイトという貧乏白人集団でした。彼らは貧しいゆえに「既得権益」などというものとは無縁でしたが、それでも南北戦争を戦わされ、何も得ることのない中で、そういう夜郎自大な歴史観を持つに至ります。しかし、その「卑屈」の力を巨大なエネルギーと変え、いま実現させたのがトランプ政権だったりもするのです。そういう流れからも、実に面白い物語の構図でした。
※全日本南北戦争フォーラム会報 Vol.11 2018年冬季号所載
http://nanboku-sensou.blogspot.com/2018/12/12319511.html
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moai084 · 3 years
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ハリーポッターと暇な人間の記録 -2021.10.31
ハリーは、全編通して何点減点されているのか気になって数えてみたことがある。
それが今年のゴールデンウィークの話で、この前久しぶりにスマホのメモを見返して、こんなくだらないことを記録している私、暇すぎるやろと悲しくなった。
ハリーポッターシリーズといえば、ダンブルドアが大盤振る舞いしてグリフィンドールが逆転勝利するくだりに物申す人間が必ずいる。マニアの私からしても、あの展開はやっぱり子ども騙しだし、ラストまでの細やかな描写やワクワクするような推理展開とのギャップが激しいなと思う。ていうか最下位になってしまったハッフルパフ生のことを思うと胸が痛い。
でも、だからと言ってこの点数方式が大事な設定であることに変わりないし、何より教授陣の人格描写をいっそう豊かにしてくれる。スネイプ先生が出てきたらハリー達と一緒に私もヒヤヒヤするし、アンブリッジ先生の理不尽な校則に立ち向かう生徒達には思わずスカッとする。ホグワーツの先生はどんな生徒をどんな理由で減点するのか、知りたいと思う同志のために、私はこの日記を書く。
以下、巻ごとにまとめたハリーロンハーマイオニーの得点の記録である。ネビルやマルフォイの減点理由もかなり面白いけど、書き込んでいたらあまりにも長くて自分でも引いてしまったので省略した。それでも過去最高に長い記録になってしまったが、面白がれる人だけ読んでくれればそれでいい。ゴールデンウィークの連休中、暇でアバダケダブラしそうだった女の読書録を、ここで昇華する。
ハリーポッターと賢者の石
◆ハリー
・魔法薬学にて、スネイプの質問に答えられず-1点。その後ネビルが薬の調合に失敗したことについて、ハリーが正しい超合法を教えなかったという理由でさらに-1点
・ハロウィーンの夜、ロンと共にトロールを退治してハーマイオニーを救う。+10点
・図書館の本を校外に持ち出していることをスネイプに咎められる。-5点
・ドラゴンのノーバートをチャーリーに引き渡した後マクゴナガルに見つかる。-50点と罰則
・賢者の石を救い、ヴォルデモートと闘う。+60点
◆ロン
・ハロウィーンの夜、ハリーと共にトロールを退治してハーマイオニーを救う。+10点
・マルフォイに家が貧乏なことをからかわれ、胸ぐらを掴んでいるところをスネイプに目撃される。-5点
・賢者の石を救うためにすばらしいチェスゲームをする。+50点
◆ハーマイオニー
・ハロウィーンの夜、トロールが城に侵入し襲われる。駆けつけたマクゴナガル先生に「トロールをひとりでやっつけられると思った」と嘘をつき-5点
・ドラゴンのノーバートをチャーリーに引き渡した後マクゴナガルに見つかる。-50点と罰則
・賢者の石を救うため、スネイプが用意した論理パズルを解く。+50点
*****
1巻目ということもあり、点数基準が曖昧で個人差が大きい。はじめての魔法薬学でたった2点ぽっち減点されたくらいで落ち込んでるハリーが愛おしい。寮対抗杯はグリフィンドールの優勝。
ハリーポッターと秘密の部屋
◆ロン
・女子トイレにいるところをパーシーに見つかり口答え。-5点(監督生には減点権限がある)
◆ハーマイオニー
・薬草学にて、マンドレイクの特徴を答える。+20点
・闇の魔術に対する防衛術にて、ロックハートクイズ全問正解。+10点
◆ハリー&ロン
・ホグワーツへ行くために車を飛ばして罰則。ハリーはロックハートの手伝い、ロンはトロフィー磨き。
・秘密の部屋の謎を解きジニーを救う。+200 点とホグワーツ特別功労賞
*****
ハリーもロンも新学期早々に車を飛ばして退学スレスレまで行ったのでその後の減点描写がほぼない。先生たちも生徒が石にされて減点どころではない。寮対抗杯はグリフィンドールの優勝。 賢者の石を救った時はひとり50点だったのに、秘密の部屋の謎を暴いたらひとり200点なのは流石にバグってる。
ハリーポッターとアズカバンの囚人
◆ハリー
・闇の魔術に対する防衛術にてボガートの特徴を回答。+5点
・闇の魔術に対する防衛術に遅刻(スネイプによる代理授業)-10点。その後「座れ」と言われてすぐ座らなかったのでさらに-5点
◆ロン
・闇の魔術に対する防衛術のスネイプ代理授業中、ハーマイオニーへの減点に対してスネイプに意見する。処罰として、医務室のおまる磨き
・魔法薬学の授業にて、マルフォイがディメンターの真似をしているところにワニの心臓を投げつけたため-50点
◆ハーマイオニー
・魔法薬学にて、ネビルの縮み薬作りを手伝ったことを咎められる。-10点
・闇の魔術に対する防衛術にてボガートの特徴を回答。+5点
・闇の魔術に対する防衛術のスネイプ代理授業中、人狼に関する質問に勝手に回答。「鼻持ちならない知ったかぶり」で-5点。日本ならPTAに訴えられる。
*****
ワニの心臓を投げつけて-50点されるロン。寮対抗杯はグリフィンドールの優勝。ちなみにグリフィンドールはこの年クィディッチも優勝した。
ハリーポッターと炎のゴブレット
◆ハリー&ロン
・魔法薬学の授業前、マルフォイがハーマイオニーを「穢れた血」呼ばわりしたことで喧嘩。ハーマイオニーにマルフォイの「歯呪い」が当たるが、スネイプは「いつもと変わりない」と言ったので、ハリーとロンがスネイプに向かって同時に罵詈雑言を浴びせる。-50点と居残り罰
◆ハーマイオニー
・魔法薬の授業中、「週刊魔女」に掲載されたリータ・スキーターの記事について話していたところを注意され-10点。さらにその授業中、リータの記事を読んでいたので-10点。その後スネイプ教授が記事を音読。
*****
ハリーはホグワーツ代表に選ばれるので寮対抗杯どころではない。あとセドリックが死んじゃったので、寮対抗杯どころではない。
ハリーポッターと不死鳥の騎士団
◆ハリー
・闇の魔術に対する防衛術にて、ヴォルデモートの名前を口にしたので-10点
・闇の魔術に対する防衛術にて、ヴォルデモートが戻ってきたという話は嘘だと述べるアンブリッジに反抗して罰則。手の甲に「僕は嘘をついてはいけない」と切り刻まれる(1週間、毎晩)
・闇の魔術に対する防衛術にて、例年に比べるとクィレル先生はマシな先生だったと述べるアンブリッジに対し「ヴォルデモート卿が後頭部から飛び出していた」と発言。1週間の罰則。
・ハリーがまたアンブリッジから罰則をくらったと聞いたマクゴナガル先生が怒る。-5点
・魔法生物飼育学の査察に来ていたアンブリッジに対し、マルフォイがヒッポグリフ事件について大袈裟に告げ口しているところを目撃し反論。アンブリッジにより+1日の罰則
・ザ・クィブラーにインタビュー記事が掲載されたことがアンブリッジにバレる。-50点と1週間の罰則
・スプラウト先生に水遣りのジョウロを手渡す。+20点(ザ・クィブラーの記事を読み、ハリーへの気持ちを表して)ちなみにフリットウィックはお菓子をくれる。
・クィディッチのスリザリン戦終了後、マルフォイの挑発に怒りジョージと2人で殴りかかる。マクゴナガル先生により1週間の罰則が下るが、アンブリッジによって罰則は取り消しになり、クィディッチ終身禁止の刑となる。ちなみにフレッドはチェイサーの3人に取り押さえられていたため殴らなかったが、押さえられていなければ殴っていただろうという理由でフレッドもクィディッチ終身禁止。アンブリッジ絶頂期。
・マルフォイの挑発に乗ろうとしたところをスネイプに見つかり-10点
◆ハーマイオニー
・変身術のクラスで消失呪文をマスターし、カタツムリを消すことに成功し+10点
・魔法生物飼育学にてボウトラックルの名前と特徴を回答し+5点。さらにボウトラックルの餌(ワラジムシ)を回答し+5点
・闇の魔術に対する防衛術にて、教科書の著者スリングハードの逆呪いに関する論に反論。アンブリッジはこの反論を授業妨害と捉え-5点
・魔法生物飼育学の授業でセストラルを見ることができる人の条件(死を見たことがある者)を回答し+10点
◆ハリー&ロン
・魔法薬の授業前、マルフォイの挑発(聖マンゴ病院に入院する人の模写)に怒ったネビルをハリーとロンで止めるが、スネイプは喧嘩だと判断し-10点
◆尋問官親衛隊となったマルフォイによる減点
・マルフォイが尋問官親衛隊となり減点の権限を得る。ハリー、気に食わないので-5点。ロン、シャツがはみ出しているので-5点。ハーマイオニー、アンブリッジ新校長を侮蔑したため-5点。さらに穢れた血なので-10点。
◆魔法省突入組の6人
・マクゴナガル先生が聖マンゴから帰還。スネイプがハリーから減点しようとしたところに通りかかる。『例のあの人』の復活を警告したことに対して、ひとり+50点
*****
アンブリッジの登場により、ハリー厳罰の嵐。全編通していちばん減点描写が多い。穢れた血を理由に10点減点するマルフォイ。寮対抗杯については、シリウスが死んじゃってハリーは宴会に参加しなかったので描写されない。
ハリーポッターと謎のプリンス
◆ハリー
・マルフォイのたくらみを暴こうと透明マントでコンパートメントに忍び込むもマルフォイに見つかる。トンクスに助けられるが、迎えに来たスネイプに遅刻を咎められ-50点。そしてローブに着替えていないので-20点。
・闇の魔術に対する防衛術にてスネイプに生意気な態度を取り罰則。
・魔法薬学にて解毒剤を調合するのに失敗し、ベゾアール石を提出。ベゾアール石はたいていの毒に対する解毒剤になり、スラグホーン先生はハリーの機転に笑う。+10点
・闇の魔術に対する防衛術の授業に遅れる。-10点
・マルフォイがトイレで泣いているところを目撃し、決闘になる。セクタムセンプラの呪文を使ったことでマルフォイが傷ついたところをスネイプに見つかる。毎週土曜日の朝、罰則。クィディッチ最後の試合に出られなくなる。
◆ロン
・闇の魔術に対する防衛術にて、ハリーが述べたゴーストと亡者の違いをスネイプが茶化したことに反論。-10点
◆ハーマイオニー
・魔法薬学にて4つの薬の名称と特徴を回答+30点
・魔法薬学にて「ゴルパロットの第三の法則」を暗唱。+10点
*****
箸が落ちても点をくれるスラグホーンと、遅刻しただけで-70点のスネイプの攻防戦。ラストはダンブルドアが死んじゃったので、誰も寮対抗杯どころじゃない。
総括
ハリーは6年間で292点減点されていた。多いのか少ないのかよく分からないが、ホグワーツの一生徒としてはぜったい多いと思う。
寮対抗杯の結果がラストを演出するのはアズカバンまでで、それ以降は死者が出るので祝える気分じゃなくなる���でも、7巻のホグワーツ戦争終焉後、4つのテーブルに誰もが寮関係なく座って笑いあう場面は、夜明けを感じさせる良い演出だと思う。ハロウィンの夜、トロールに襲われたハーマイオニーがマクゴナガル先生に嘘をつく場面が好き。それをきっかけに3人は友達になる。
ここまで読んでくれた人に200点と特別功労賞を与えます。お付き合いいただきありがとうございました。
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tomemi · 5 years
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マリテ&ジニー(設定)
あらまし→みんな大好きpicrewの「魔法学校入学手続き」で心の赴くまま作った子達から妄想をしたふ〜んわり設定。書く予定はしばらくない。
・舞台は魔法学校。男女共学。寮生活。基本一人ひと部屋だが、主人公達はふたりでひと部屋。
・色んな種族がいる世界。戦争や種族差別などリアタイで起こってると思う。
もしくはモシェット・アニミエ内での話。「箱入りお銀の見聞録」は和笛国(我々の世界の「日本」にあたる国)での話だけど、この物語はユロハ国(あの世界では、我々の世界のヨーロッパ諸国全域にあたる地域には「ユロハ」という一大国家が形成されているというイメージがある)のどこかの地域の物語、と考えてもいいかもしれない。そこを細かく考えだすと名称いじらないといけないからあくまで可能性もある、というだけだが。
・シリアスなこともたまにあるけど、基本的には主人公マリテが親友ジニーをはじめとする学友たちの起こす問題に巻き込まれるドタバタコメディ。
・魔法学校で少女コンビというのはたしか、ツイッタのプロモーションで流れてきた「きみが死ぬまで恋をしたい」という漫画からインスピレーション受けたんだったと思う。余談だけどこの作品で初めて百合漫画に興味抱いた。
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マリー=トルテ・ナハトシュリット(マリテ)
主人公。黒猫族の女の子。
黒猫族は潜在魔力が豊富で古来より魔法使い・魔法使い補佐(使い魔)を多く輩出してきた種族だが、マリテの魔力は一般平均よりも少なく、平和主義的な性格もあり郷里では落ちこぼれと言われていた。魔力が少ないため魔法が苦手だが、仕組みを理解すること自体は得意(というか、解明する過程が好き)で、薬の調合や料理やお菓子作り、パソコン(異界遺物)の扱いが上手い。
学校入学を機に心機一転、新天地で友情や恋愛を楽しむぞ! と意気込んでいたが、ジニーに気に入られたせいで教師にお目付役として同室生活を強要され、同級生たちは遠のき、最初の頃は不遇の日々を過ごす。後々友達は増えるが、変な奴ばっかりである。
ジニーが技能を身につけようとしだしたあたりから改めて自分の進路について考えるようになり、魔道具の職人か、魔法の全く関係ないお菓子屋やカフェの経営もいいな〜などと思っている。
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ジーニアス・ダイヤグローリエ(ジニー)
人間の少女。潜在魔力が爆高。
アルビノで日光に弱い。加えて身体もあまり丈夫ではない。しかし好奇心旺盛、外で走り回ることや魔力をぶっ放すのが大好きなお転婆で、しょっちゅう体調不良でバテている。
一発の威力は凄まじいが座学が苦手で、潜在魔力の量に頼った衝撃波や爆発、もしくはパルプンテ的な魔法(氷が出るか炎が出るか予想がつかない、みたいな)しか使えなかった。「力はないが技はある」マリテと組むことで魔力を有効に放出できる。しかしマリテは攻撃魔法をあまり使いたがらないので、話が進むにつれ自分で力をコントロールできるようになりたいと思うようになり、眠気と頭痛と戦いながらではあるが真面目に勉強に取り組むようになる。
入学前から魔法使い界隈では問題児として有名だった。入学3日後に起こった森の番獣暴走事件を解決した縁でマリテを気に入り、勝手に親友の座に収まる。
猫耳の黒い帽子は親友(ジニーの中では)であるマリテとお揃いしたくて被るようになった。
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showamagicalgirls · 1 year
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In my quest to understand the nuances of I Dream of Jeannie and thus its influence on the Japanese magical girl genre, I ended up watching the 1966 Tamil language remake of the 1964 The Brass Bottle, which itself was the basis for the US sitcom. It’s titled Pattanathil Bootham (பட்டணத்தில் பூதம்), which means ‘Monster in the City,’ and my review is below…
After watching the 1964 version of the Brass Bottle, I was excited to realize that it had been remade in Tamil in 1967 as ‘Ghost in the City.’ I’ve long loved Tamil Nadu and have always intended to watch more Tamil cinema, and this gave me a good opportunity, even though I could only find it without subtitles. Luckily, the basic plot was the same. Even though the subtitles would have been helpful for understanding the nuances of things like where the genie came from. I thought I heard the names of places in the Middle East-North Africa region still like Egypt so I think that’s the answer to that one, but I’m not totally sure. The main difference between this and the 1964 version, to me, would seem to be the runtime. This film was almost twice the length of the US version, which gives space for way more characters and even a vehicle chase scene with both boats and helicopters. In fact, the genie doesn’t even appear until a third of the way through the flick, which reveals just how differently paced this entire affair was.
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showamagicalgirls · 1 year
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Last week I listened to the audiobook for The Brass Bottle by F. Anstey, the 1900 British novel that kicked off a chain of adaptations ultimately leading to I Dream of Jeannie (かわいい魔女ジニー), which I classify as a ‘related series’ in the world of Showa era magical girls. This week, I’m going to listen to Heidi by Johanna Spyri, the 1880 Swiss novel that ultimately lead to the 1974 animated TV show, Heidi, Girl of the Alps (アルプスの少女ハイジ), which I also classify as a ‘related series.’ So far, I’m much happier with the Heidi narrator than the last one.
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showamagicalgirls · 1 year
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This is my first attempt to visualize the development of the stories related to I Dream of Jeannie, which, as indicated, aired in Japan as Cute Witch Jeannie (かわいい魔女ジニー), which influenced the figure of the Showa magical girl. There are a few things here I would do differently in a second draft, but I’m still excited by it.
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showamagicalgirls · 1 year
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I Dream of Jeannie Sequel Films
There are two live-action TV shows from the US that I include as "related series" in my magical girl timeline -- Bewitched (奥さまは魔女) and I Dream of Jeannie (かわいい魔女ジニー). To my knowledge, none of the sequel material ever aired on Japanese television -- I don't even think the later seasons of the I Dream of Jeannie itself show did -- but I have still wanted to watch all of it in order to deepen my knowledge of their corresponding flagship series. So I recently watched the two I Dream of Jeannie made-for-TV post-series films. Here's what I jotted down about them after watching each...
I Dream of Jeannie... Fifteen Years Later (1985)
I’ve been diving into the I Dream of Jeannie sequels lately, in order to deepen my understanding of the original TV series that ended up being a big influence on the Japanese trope of the ‘magical girl.’ I have an inexplicable soft spot for a classic post-series made-for-TV movie and this one delivered many of the things I like. First of all, I enjoyed seeing the theme of gender politics from the series updated to 1985, even though, obviously, their take is still way off from my queer 2023 point-of-view. I also really enjoyed seeing Jeannie come out to her son as not being human. Now onward to I Still Dream of Jeannie!
I Still Dream of Jeannie (1991)
As with I Dream of Jeannie…Fifteen Years Later, this made-for-TV movie is very much up my alley, but I think I preferred the 1985 update to this 1991 version. Still, it was interesting to hear references to BDSM vis-a-vis the genie master thing for the first time, and it continued to be interesting to see Jeannie’s interactions with her son. I would’ve watched an entire sequel series based on either of these flicks.
Since I want to keep the central scope of the project of this blog ever in view, I will note that the first of these films occurred during the Showa Era and the second did not.
On Race...
I want to mention here that watching these today reveals so much about the racist conceptions of people from the Middle East-North Africa region that dominated US thought at the time. Both of these films contained a few Farsi language lines that bring that so clearly to the fore.
There is a part of me that, watching this from after 9/11, finds this kind of anti-MENA racism almost quaint compared to what we've seen more recently. But, of course, you can't have what we have now if the kinds of ideas about these parts of the world didn't come first.
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showamagicalgirls · 1 year
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There are two US shows that I’m currently including on my magical girl timeline as related series — Bewitched (奥さまは魔女) and I Dream of Jeannie (かわいい魔女ジニー) — but I have been trying to figure out if their spin-offs ever aired on Japanese television because that would determine whether I also include those.
I think I’ve come to a conclusion on one of these, though, the only spinoff of Bewitched, which focuses on the main characters’ daughter. Tabitha, which I think would have been titled 「タバサ」, consisted of eleven episodes and ran for the first time in the US from September 10, 1977 to January 14, 1978. It was also preceded by two different pilots, the first of which aired on April 24, 1976 and on May 7, 1977.
I watched all of it in 2020 in order to deepen my knowledge of Bewitched, and, I have to say, I loved it. I particularly loved the first pilot, which was quite different from how the series ended up and I really wish they’d stayed closer to those original concepts.
I’m fairly surprised that Tabitha never came to Japan. Bewitched ran from 1964 to 1972 and was enormously popular. It’s influence is visible in so many ways from the works of Mitsuteru Yokoyama (横山 光輝), like Princess Comet (コメットさん) and Sally The Witch (魔法使いサリー), to the Japanese live-action remake, My Wife is a Witch (奥さまは魔女) from 2004.
And, of course, I’m still not 100% certain that Tabitha has never come to Japan in any way, but the fact that there’s no indication anywhere on the internet that it did has led me to believe that for a while, and then, recently, my friend did find a comment on a Japanese blog post corroborating that.
Now I just have to find out more about the I Dream of Jeannie spin-offs in Japan, but my initial poking around suggests that not even the entire original Jeannie series ran there so I suspect the animated Jeannie and the two made-for-TV movies didn’t either.
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ykwathced · 2 years
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lewonald · 3 years
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買い逃してた💖かわいい魔女ジニーのレコード、やっとこ入手😍 45rpmですよ💓 音大出てるんで歌メチャ上手いです😋エデンの園です💞 サイコーです👍👍👍👍👍 #barbaraeden #popfreak宇都宮 https://www.instagram.com/p/CQs8lXmsy3M/?utm_medium=tumblr
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