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#ぎふアジア映画祭
iktsarpok · 2 years
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この間、自転車で数時間かけて、でかけたアジア映画祭🎞
作品に対する情報も思い入れもほとんどないままだけど、どんな映画にも必ず『何か』あると思ってるし、
映画は小さな旅だと思ってるので、どんな出会いがあるのか、わくわくして、席につく。
その日観た2本のうちの一本は、台湾の映画。
さて。
**************
『1秒先の彼女』        台湾
郵便局で働くシャオチーは、彼氏なし、せっかち(ワンテンポ早い)な30才。
一人暮らしの部屋でラジオを聴きながら夕ごはん。特に趣味もないような、
そんな感じ。
だけど、通りかかった公園でのダンス教室の先生にアプローチされて、バレンタインデートの約束まで。
が、バレンタインの朝、目が覚めて約束の場所に行っても約束した彼は現れず、バレンタインは昨日だったという。丸々1日が消えてしまってる。
消えた1日はどこにいったのか?
偶然見つけた写真を手がかりにシャオチーは消えた1日を探すことに
なんともかわいらしい映画だった。
たぶん映画を観ている時の私の表情は、初めから終わりまで、緩んでたと思う
それは、
シャオチーの性格に陰がなくて、せっかちな彼女の動作がコミカルでかわいかったこと
会話のある場面、私の耳には、台湾の人たちの言葉がポンポンと気持ちよく聞こえたこと
ちょこちょこ入ってくるデコ的演出が、ふふと笑わせてくれたこと
ちょっとつじつま合わないんじゃないかなー
という部分があっても、全然OK
とにかく、ほっこりと楽しく観ることができた映画だった
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shintani22 · 2 years
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2022年12月6日
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FIFAワールドカップ カタール2022 ラウンド16 日本代表 1(1 PK 3)1 クロアチア代表@アルジャノブスタジアム(Al Janoub Stadium)アル=ワクラ市 42523人/43分 前田 大然、55分 イバン ペリシッチ
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Japan manager Hajime Moriyasu bows to the fans to thank them for their support
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浅野拓磨
クロアチアに敗れた日本代表の選手たちが一夜明けて取材に応じました。 森保一監督のコメントです。
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【W杯】海外では「DEATH NOTE」恐怖の的…「森保特製ノート」コクヨが作製検討(日刊スポーツ)
「森保特製ノート」ができる。日本代表の森保一監督(54)が、試合中に愛用する大手文具メーカーのコクヨ株式会社(本社・大阪市東成区)のノートに注目が集まる中、同社が森保監督用のオリジナルノート作製を検討している。惜しくも史上初のベスト8進出はならなかったが、1次リーグでドイツ、スペインといった強豪国を破って決勝トーナメントに進出したことへの感謝を込めた。2つのパターンを構想しており、森保監督が続投すれば、4年間にわたり贈る計画もある。
森保監督に、ビッグなサプライズだ。文具メーカーのコクヨが、同社のノートを愛用する指揮官に感謝のプレゼントを届ける意向を示した。「死の組」を首位通過した活躍に、オリジナルノートの作製が持ち上がった。
担当者は「自社のノートを使って世界で戦っている森保監督の姿には、とても誇らしい気持ちになりました」と感謝する。2種類のパターンを構想しており、本人の意向を考慮して、世界に1つだけのノートを贈るプランだ。
デザイン案は<1>日本代表エンブレムの八咫烏(やたがらす)<2>サムライブルーのユニホームをベースにする。日本代表を象徴する図柄をモチーフにする考え。贈る期間については「(続投すれば、その在任)年数に応じてですが、ぜひ4年は贈らせてください」と約束した。森保監督とは直接的な接点はないが今後、コンタクトできる道を探っていく。
森保監督も愛用するキャンパスノートは、1975年から手掛ける同社のロングセラー商品。直近の年間販売冊数は約1億冊に上り、使いやすさや耐久性を売りに親しまれてきた。「森保監督のように折り返して使っている方でも、紙が全くバラけることがないのも特徴です」と話す。
指揮官が試合中に何度もメモを取る様子が国際映像で映し出され、今や世界から注目を浴びる森保ノート。スペイン、ドイツとW杯優勝国を倒したこともあり、海外では「DEATH NOTE(デスノート)」と呼ばれるほど恐れられている。各国の反応の大きさについて、コクヨ社の担当者も「日用品にこんなにスポットライトが当たるなんて」と驚きを隠さない。
SNS上でも話題に上り、同社は「森保監督が使っているから、と購入した人の投稿を見る機会も少なくないです」という。4年に1度のサッカーの祭典がもたらしたインパクトは計り知れない。ノートに対する注目度が上がることを喜びつつ、指揮官が手にする自社製品が、今後も日本の活躍にひと役買うことを願っていた。【平山連】
◆森保監督とノート 収穫と課題を書き残すため、コクヨ社のキャンパスノートを愛用している。複数色のボールペンを使い分け、試合中はポジティブ要素を青、課題などは赤で記す。代表監督就任から現在までに使ったノートは5冊ほど。カタールでは、サムライブルーをほうふつとする鮮やかな青を使用している。
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W杯クロアチア戦 世帯視聴率34・6% 瞬間最高は延長突入の場面で38・3%!深夜に熱狂、高視聴率(スポニチ)
サッカー日本代表がクロアチア代表と対戦したFIFAワールドカップ(W杯)決勝トーナメント1回戦を生中継したフジテレビ(5日午後11時40分~6日午前2時10分)の平均世帯視聴率が34・6%(ビデオリサーチ調べ、日報データ、関東地区)だったことが6日、分かった。個人全体視聴率は20・2%。6日午前2時10分~3時までの世帯視聴率は30・5%で、個人は17・5%。瞬間最高の世帯視聴率は6日午前1時48分と51分、後半アディショナルタイムに突入した直後と、後半が終了し延長戦が決まった場面で38・3%だった。23時以降スタートの番組としては同局歴代最高の数字となった。
1次リーグE組を1位で突破した日本は5日、初の8強入りを懸けて決勝トーナメント1回戦でF組2位通過のクロアチアと対戦した。前半43分、FW前田大然(25=セルティック)の大会初ゴールで今大会4試合目で初めて先制したものの、後半10分に追いつかれ、延長戦でも決着がつかずにPK戦に突入。1―3でクロアチアに敗れ、アジア勢として3チーム目となる8強入りはならなかった。
11月23日にNHK総合が生中継した1次リーグ初戦のドイツ戦は平均世帯視聴率35・3%で、平均個人視聴率は22・1%。27日にテレビ朝日が生中継した第2戦、コスタリカ戦の平均世帯視聴率は42・9%で、今年放送した番組の最高をマークした。平均個人視聴率は30・6%。瞬間最高の世帯視聴率は27日午後8時53分、後半のアディショナルタイムが過ぎた試合終了の場面で53・8%だった。今月2日のフジテレビが生中継した第3戦のスペイン戦は早朝も世帯視聴率22・4%、平均個人視聴率は11・8%と高い数値をマークした。
日本代表戦の視聴率で過去最高は02年日韓大会のロシア戦(フジテレビ系)で記録した66・1%(02年6月9日午後8時)。
【今大会前のサッカーW杯関連の高世帯視聴率】(関東地区 ビデオリサーチ調べ)
66.1% 日韓大会・日本×ロシア(02年6月9日午後8時放送開始 フジ)
65.6% 日韓大会・ドイツ×ブラジル(02年6月30日午後8時57分 NHK)
60.9%��フランス大会・日本×クロアチア(98年6月20日午後9時22分 NHK)
60.5% フランス大会・日本×アルゼンチン(98年6月14日午後9時22分 NHK)
58.8% 日韓大会・日本×ベルギー(02年6月4日午後6時53分 NHK)
57.3% 南アフリカ大会・日本×パラグアイ(10年6月29日午後10時40分 TBS)
52.7% ドイツ大会・日本×クロアチア(06年6月18日午後9時35分 テレ朝)
52.3% フランス大会・日本×ジャマイカ(98年6月26日午後10時52分 NHK)
49.0% ドイツ大会・日本×オーストラリア(06年6月12日午後9時50分 NHK)
48.7% ロシア大会・日本×コロンビア(18年6月19日午後9時53分 NHK)
サッカーW杯クロアチア戦、日本はPKで敗北 ABEMA視聴者数は2300万人超え(ITmedia NEWS)
試合を配信していた動画サービス「ABEMA」の視聴数は、試合終了直後の午前2時46分時点で約2343万まで増加。2日のスペイン戦で記録した1700万人を大きく上回った。
日本は前半に得点。前田大然選手がシュートを決めたものの、後半に1点を返された。ABEMAでは、日本が先制点を決めた直後にアクセス制限を実施。その後しばらく、一部のユーザーがアクセスできない状況が続いていた。
W杯、日本は賞金17億8千万円 16強で前回より増額(共同通信)
【ドーハ共同】サッカーのワールドカップ(W杯)カタール大会で5日の決勝トーナメント1回戦で敗退した日本は、賞金1300万ドル(約17億8100万円)を受け取る。同じくベスト16だった前回ロシア大会の1200万ドルから100万ドル増となった。参加費の150万ドルは変わらない。
今大会の賞金総額は4億4千万ドルで、優勝は前回より400万ドル増の4200万ドル。準優勝は3千万ドル、ベスト8は1700万ドルで、1次リーグで敗退したチームには900万ドルが与えられる。
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【本日(12/6)の広島県内の感染状況】(広島県)
新型コロナ 県内で4571人感染 4人死亡(NHKニュース)
広島県では6日、新たに4571人が新型コロナウイルスに感染したことが確認され、4人が亡くなったと発表されました。 1日の感染確認が4000人を超えるのは9月2日以来、およそ3か月ぶりです。
感染が確認されたのは▼広島市で1830人、▼福山市で855人、▼呉市で303人、▼東広島市で296人、▼三原市で234人、▼尾道市で226人、▼廿日市市で173人、▼庄原市で130人、▼三次市で74人、▼府中町で62人、▼安芸高田市で51人、▼府中市で48人、▼海田町で45人、▼世羅町で36人、▼熊野町で31人、▼大竹市で30人、▼江田島市と竹原市でそれぞれ27人、▼神石高原町で23人、▼北広島町で21人、▼大崎上島町で20人、▼坂町と安芸太田町でそれぞれ14人、それに、▼島根県から訪れた1人のあわせて4571人です。 4000人を超えるのは9月2日以来およそ3か月ぶりです。 また、1週間前の火曜日を708人上回りました。 これで県内での感染確認はのべ55万4208人となりました。 また、県内では患者4人が亡くなったと発表されました。県内で新型コロナウイルスに感染し、その後、死亡した人は891人となりました。
新型コロナ 県内の病床使用率 47.2%(5日)(NHKニュース)
県内の医療体制です。5日時点で病床の使用率は47.2%です。(確保病床数776床、入院患者366人)。
このうち重症患者用の病床使用率は12.0%です。 (確保重症病床50床、重症の入院患者6人)。 軽症の人や症状がない人が入る宿泊療養施設は1240室を確保し、314人が過ごしています。(利用率25.3%)。 直近1週間の人口10万人あたりの新規感染者数は715.90人です。 県は、国が新たな対応方針の運用を始めたことを受けて、保健医療体制の負荷の状況などをもとに、感染レベルの分類をこれまでの0から4の5段階から1から4の4段階に変更しました。現在、広島県の感染レベルは、発熱外来を受診する患者が増えるなど、保健医療の体制への負荷が高まり始めていることを示す「レベル2」です。
【新型コロナ 厚労省まとめ】147人死亡 13万7193人感染 (6日)
厚生労働省によりますと、6日発表した国内の新たな感染者は空港の検疫などを含め13万7193人となっています。また国内で亡くなった人は147人で、累計5万608人となっています。
東京都 新型コロナ 19人死亡 1万5501人感染確認 前週比821人増(NHKニュース)
大阪府 新型コロナ 新たに7956人感染確認(NHKニュース)大阪府内の感染者の累計は232万352人となりました。府内で感染して亡くなった人は合わせて6783人です。
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ari0921 · 4 years
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日本解放第二期工作要綱
中国共産党
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中央学院大学の西内雅教授(故人)が昭和47年にアジア諸国を歴訪した際、偶然、入手した秘密文書。
 内容は中国共産党が革命工作員に指示した陰謀で、当時から現在に至る迄、中国の対日謀略は秘密文書の通りに続いているとみられる。
 同年8月、国民新聞社は特集記事を掲載し、更��小冊子を発行したが、重要と思われるのでここに再録する。
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日本解放第二期工作要綱
中国共産党
 中央学院大学の西内雅教授(故人)が昭和47年にアジア諸国を歴訪した際、偶然、入手した秘密文書。
 内容は中国共産党が革命工作員に指示した陰謀で、当時から現在に至る迄、中国の対日謀略は秘密文書の通りに続いているとみられる。
 同年8月、国民新聞社は特集記事を掲載し、更に小冊子を発行したが、重要と思われるのでここに再録する。
A.基本戦略・任務・手段
A-1.基本戦略
 我が党は日本解放の当面の基本戦略は、日本が現在保有している国力の全てを、我が党の支配下に置き、我が党の世界解放戦に奉仕せしめることにある。
A-2.解放工作組の任務
 日本の平和解放は、下の3段階を経て達成する。
 イ.我が国との国交正常化(第一期工作の目標)
 口.民主連合政府の形成(第二期工作の目標)
 ハ.日本人民民主共和国の樹立 ・・天皇を戦犯の首魁として処刑(第三期工作の目標)
 田中内閣の成立以降の日本解放第二期工作組の任務��、上の第口項、即ち「民主連合政府の形成」の準備工作を完成することにある。
A-3.任務達成の手段
 本工作組の任務は、工作員が個別に対象者に接触して、所定の言動を、その対象者に行わしめることによって達成される。即ち、工作者は最終行動者ではなく、隠れた使喉者、見えざる指揮者であらねばならない。以下に示す要領は、全て対象者になさしめる言動の原則を示すものである。
本工作の成否は、終始、秘密を保持しうるかどうかに懸かっている。よって、工作員全員の日本入国身分の偽装、並びに工作上の秘密保持方法については、別途に細則を以て指示する。
B.工作主点の行動要領
第1.群衆掌握の心理戦
 駐日大使館開設と同時になされなければならないのは、全日本人に中国への好感、親近感を抱かせるという、群衆掌握の心理戦である。好感、親近感を抱かせる目的は、我が党、我が国への警戒心を無意識の内に捨て去らせることにある。
 これは日本解放工作成功の絶好の温床となると共に、一部の日本人反動極右分子が発する
 「中共を警戒せよ!日本支配の謀略をやっている」
 との呼び掛けを一笑に付し、反動極右はますます孤立するという、二重の効果を生むものである。
 この為に、以下の各項を速やかに、且つ継続的に実施する。
1-1.展覧会・演劇・スポーツ
 中国の書画、美術品、民芸品等の展覧会、舞劇団、民族舞踊団、民謡団、雑技団、京劇団の公演、各種スポーツ選手団の派遣を行う。
 第一歩は、日本人大衆が中国大陸に対し、今なお持っている「輝かしい伝統文化を持っている国」「日本文化の来源」「文を重んじ、平和を愛する民族の国」というイメージを掻き立て、更に高まらせることである。
 我が国の社会主義改造の誇るべき成果についての宣伝は、初期においては少ない方がよく、全然触れなくても構わない。
 スポーツ選手団の派遣は、ピンポンの如く、試合に勝ちうるものに限定してはならず、技術的に劣っている分野の選手団をも数多く派遣し、日本選手に学ぶという率直な態度を示して、好感を勝ち取るべきである。
1-2.教育面での奉仕
A.中国語学習センターの開設。
 全国都道府県の主要都市の全てに中国語学習センターを開設し、教師を無報酬で派遣する。
 教師は、1名派遣の場合は女性教師、複数の場合は男、女半々とし、全て20歳代の工作員を派遣する。受講者資格は、もとより無制限とし、学費は無料又は極めて小額とする。
B.大学への中国人中国語教師派遣の申し入れ。
 中国語学習センターを開設し、日本人青年層に中国語学習熱が高まったところで、私立、公立の大学には個別に、国立大学については日本政府文部省へ中国人中国語教師の派遣を申し入れる。
 申し入れを婉曲に拒否した場合は、「我が国の純然たる好意、奉仕の精神に対する非礼」を責めれば、日本のマスコミも大衆も、学生も許さないであろう。
 しかし、第1回で全勝を求める必要は無く全国大学の過半数が受け入れればそれで良い。後は自然に受け入れ校は増加していくものである。
C.委員会開設。
 「中日文化交流協会」を拡充し、中日民間人の組織する「日中文化教育体育交流委員会」を開設して実施せしめ、我が大使館は、これを正式に支援する方式をとる。
 尚、本綱の全ての項目は、初期においては、純然たる奉仕に終始し、いささかも政治工作、思想工作、宣伝工作、組織工作を行ってはならない。
第2.マスコミ工作
大衆の中から自然発生的に沸き上がってきた声を世論と読んだのは、遠い昔のことである。次の時代には、新聞、雑誌が世論を作った。今日では、新聞、雑誌を含め所謂「マスコミ」は、世論造成の不可欠の道具に過ぎない。マスコミを支配する集団の意思が世論を作り上げるのである。
 偉大なる毛主席は
 「およそ政権を転覆しようとするものは、必ずまず世論を作り上げ、先ずイデオロギー面の活動を行う」
 と教えている。
 田中内閣成立までの日本解放(第一期)工作組は、事実でこの教えの正しさを証明した。日本の保守反動政府を幾重にも包囲して、我が国との国交正常化への道へと追い込んだのは日本のマスコミではない。日本のマスコミを支配下に置いた我が党の鉄の意志とたゆまざる不断の工作とが、これを生んだのである。
 日本の保守反動の元凶たちに、彼等自身を埋葬する墓穴を、彼等自らの手で掘らせたのは、第一期工作組員である。田中内閣成立以降の工作組の組員もまた、この輝かしい成果を継承して、更にこれを拡大して、日本解放の勝利を勝ち取らねばならない。
2-1.新聞・雑誌
A.接触線の拡大。
 新聞については、第一期工作組が設定した「三大紙」に重点を置く接触線を堅持強化すると共に、残余の中央紙及び地方紙と接触線を拡大する。
 雑誌、特に週刊誌については、過去の工作は極めて不十分であったことを反省し、十分な人員、経費を投入して掌握下に置かねばならない。接触対象の選定は「10人の記者よりは、1人の編集責任者を獲得せよ」との原則を守り、編集を主対象とする。
B.「民主連合政府」について。
 「民主連合政府」樹立を大衆が許容する温床を作り上げること、このための世論造成、これが本工作を担当する者の任務である。
 「民主連合政府」反対の論調を挙げさせてはならぬ。しかし、いかなる方式かを問わず、マスコミ自体に「民主連合政府」樹立の主張をなさしめてはならない。これは、敵の警戒心を呼び覚ます自殺行為に等しい。
 「民主連合政府」に関連ある事項を全く報道せず、大衆はこの問題について無知、無関心であることが最も望ましい状態である。
 本工作組の工作の進展につれて、日本の反動極右分子が何等の根拠も掴み得ないまま焦慮に耐え得ず、「中共の支配する日本左派勢力は、日本赤化の第一歩として、連合政府樹立の陰謀を進めている」と絶叫するであろう。
 これは否定すべきであるか? もとより否定しなければならない。しかし、否定は真正面から大々的に行ってはならず、計画的な慎重な間接的な否定でなければならない。
 「極右の悪質なデマで、取り上げるにも値しない」という形の否定が望ましい。
C.強調せしむべき論調の方向
① 大衆の親中感情を全機能を挙げて更に高め、蒋介石一派との関係は完全に断つ方向へ向かわせる。
② 朝鮮民主主義人民共和国並びにベトナム民主共和国との国交樹立を、社説はもとより全紙面で取り上げて、強力な世論の圧力を形成し、政府にその実行を迫る。
③ 政府の内外政策には常に攻撃を加えて反対し、在野諸党の反政府活動を一貫して支持する。特に在野党の反政府共闘には無条件で賛意を表明し、その成果を高く評価して鼓舞すべきである。  大衆が異なる政党の共闘を怪しまず、これに馴染むことは、在野諸党の連合政府樹立を許容する最大の温床となることを銘記し、共闘賛美を強力になさしめるべきである。
④ 人間の尊重、自由、民主、平和、独立の強調
ここに言う「人間の尊重」とは、個の尊重、全の否定を言う。
「自由」とは、旧道徳からの解放、本能の開放を言う。
「民主」とは、国家権力の排除を言う。
「平和」とは、反戦、不戦、思想の定着促進を言う。
「独立」とは、米帝との提携の排除、社帝ソ連への接近阻止をいう。
2-2.テレビとラジオ
A.これらは、資本主義国においては「娯楽」であって、政府の人民に対する意志伝達の媒介体ではない。この点に特に留意し、「娯楽」として利用することを主点とすべきである。
 具体的な方向を示せば、「性の解放」を高らかに謳い上げる劇又は映画、本能を剌激する音楽、歌謡等は望ましい反面、スポーツに名を借りた「根性もの」と称される劇、映画、動画、または歴史劇、映画、歌謡並びに「ふるさとの歌祭り」等の郷土愛、民族一体感を呼び醒ますものは好ましくない。
 前者をより多く、後者をより少なく取り上げさせるよう誘導せねばならない。
B.テレビのニュース速報、実況報道の利用価値は極めて高い。画面は真実を伝えるものではなく、作るものである。目的意識を持って画面を構成せねばならない。
C.時事解説・教養番組等については、新聞について述べた諸点がそのまま適用されるが、これは極めて徐々に、少しずつ注意深くなされねばならない。
2-3.出版(単行本)
A.我が国への好感、親近感を抱かせるものを、第一に取り上げさせる。風物写真集、随筆、家庭の主婦が興味を抱く料理、育児所の紹介など、受け入れられ易いものを多面に亘って出版せしめる。
B.社会主義、毛沢東思想などに関する理論的著作も好ましい。しかし、我が国の社会主義建設の成果、現況については、極右分子の誹謗を困難ならしめるよう配慮させねばならない。
C.マスコミの主流から締め出された反動極右の反中国の言動は、単行本に出路を求めているが、これは手段を尽くして粉砕せねばならない。
 特に、社会主義建設の途上で生じる、止むを得ない若干の歪み、欠点について、真実を伝えると称してなされる暴露報道を絶対に放置してはならない。これらについては、誹謗、デマで両国関係を破壊するものであるとして、日本政府に厳重に抗議すると共に、出版社主、編集責任者、著者を告訴して根絶を期すべきである。
D.一般娯楽面の出版については「デンマークの進歩を見習え」として、出版界における「性の解放」を大々的に主張せしむべきで、春画、春本の氾濫は望ましい。
E.単行本の出版についての今一つの利用法は「中間層文筆業者」の獲得である。「中間層」とは思想的に純正左派、または右派に属しない、中間の動揺分子を言い、「文筆業者」とは、凡そ文筆を以て世論作りにいささかでも影響を与え得る者全てを言う。
 彼等に対しては或いは原稿料を与え、或いは出版の支援をなして接近し、まず「政治的・思想的立場の明快さを欠く」中間的著作をなさしめ、徐々に我が陣営へと誘導する。
2-4.本工作にマスコミ部を設けて、諸工作を統轄する
第3.政党工作
3-1.連合政府は手段
 日本の内閣総理は、衆参両院の本会議で首班指名選挙を行って選出される。両院で議員総数の過半を掌握すれば、人民の意志とは関係なく、任意の者を総理となし得るのである。
 1972年7月の現況で言えば、自民党の両院議員中、衆議院では約60名、参議院では10余名を獲得して、在野党と同一行動を取らせるならば、野党連合政府は容易に実現する。
 しかし、この方式を取るならば、社会党、公明党の発言権を益するに留まり、且つ最大の単独多数党は依然として自民党であり、この2点は純正左派による「日本人民共和国」成立へと進む阻因となることは明らかである。
 自民党のみではなく、社会党、公明党、民主社会党もまた、無産階級の政党ではなく、最終的には打倒されるべき階級の敵の政党であることを忘れてはならない。
 本工作組に与える「民主連合政府の樹立」という任務は、日本解放の第二期における工作目標に過ぎず、その実現は第三期の「日本人民民主共和国」樹立の為の手段に過ぎない。
 共和国樹立へ直結した、一貫的計画の元に行われる連合政府工作でなければ、行う意義は全くない。
3-2.議員を個別に掌握
 下記により国会議員を個別に掌握して、秘密裏に本工作員の支配下に置く。
A.第一期工作組がすでに獲得したものを除き、残余の議員全員に対し接触線を最少4線設定する。
B.上の他、各党の役職者及び党内派閥の首長、有力者については、その秘書、家族、強い影響力を持つ者の3者に、個別に接触線を最少2線設定する。
C.上の接触線設定後、各線を経て知り得る全情報を整理して、「議員身上調査書」の拡充を期し、公私生活の全貌を細大漏さず了解���る。
D.右により各党毎の議員を「掌握すべき者」と「打倒排除すべき者」に区別し、「掌握すべき者」については「連合政府の樹立にのみ利用しうる者」「連合政府樹立より共和国成立に至る過渡期においても利用し得る者」とに区別する。 ここに言う「打倒・排除」とは、その議員の党内における勢力を削ぎ、発言権を低下せしめ、孤立に向かわせることを言う。
E.「掌握」又は「打倒」は調査によって明らかとなったその議員の弱点を利用する。
 金銭、権力、名声等、欲するものを与え、又は約束し、必要があれば中傷、離間、脅迫、秘している私事の暴露等、いかなる手段を使用してもよい。
 敵国の無血占領が、この一事に懸っていることを思い、いかなる困難、醜悪なる手段も厭うてはならず、神聖なる任務の遂行として、やり抜かねばならない。
3-3.招待旅行
 上の接触線設置工作と並行して議員及び秘書を対象とする、我が国への招待旅行を下の如く行う。
A.各党別の旅行団。団体の人数は固定せず、実情に応じて定める。
 但し、団体構成の基準を、「党内派閥」「序列」「年齢」「地域別」「その他」そのいずれかにおくかは慎重に検討を加え、工作員の主導の元に、我が方に有利になる方法を採らしむるよう、工作せねばならない。
B.党派を超えた議員旅行団。議員の職業、当選回数、選挙区、選挙基盤団体、出身校を子細に考慮し、多種多様の旅行団を組織せしめる。
C.駐日大使館開設後1年以内に、全議員を最低1回、我が国へ旅行せしめねばならない。
 自民党議員中の反動極右分子で招待旅行への参加を拒む者に対しては、費用自弁の個人旅行、議員旅行団以外の各種団体旅行への参加等、形式の如何を問わず、我が国へ一度旅行せしめるよう工作せねばならない。
D.旅行で入国した議員、秘書の内、必要なる者に対して、国内で「C・H・工作」を秘密裏に行う。
3-4.対自民党工作
A.基本方針
 自民党を解体し、多数の小党に分裂せしめる。
 自民党より、衆議院では60名前後、参議院では10余名を脱党せしめて、連合政府を樹立するというが如き、小策を取ってはならないことは先に述べた所であるが、右派、左派の二党に分裂せしめることも好ましくない。
 これは、一握りの反動右翼分子が民族派戦線結成の拠点として、右派自民党を利用する可能性が強いからである。
 従って、多数の小党に分裂する如く工作を進めねばならず、又表面的には思想、政策の不一致を口実としつつも、実質的には権力欲、利害による分裂であることが望ましく、少なくとも大衆の目にはそう見られるよう工作すべきである。
B.手段
 自民党内派閥の対立を激化せしめる。
① 自民党総裁選挙時における派閥の権力闘争は常に見られる現象で通常は総選挙を経て若干緩和され、一つの党として受けて曲りなりにも保持していく。
 今回はそれを許してならない。田中派と福田派の対立の継続と激化、田中派と大平派、三木派、三派の離間、中間五派の不満感の扇動等を主点として、第一期工作組は工作を展開中である。総選挙後、若干の変動があっても、派閥の対立を激化せしむるという工作の原則は変わらない。
② 派閥対立を激化せしめる最も有効な方法は、党内の非主流派となって政治活動資金の調達に困難を生じている各派に個別に十分な政治資金を与えることである。
 政治献金は合法であり、これを拒む政治家はいない。問題は方法のみであり、工作員からAへ、AからBへ、BからCへ、CからDへ、Dから���員又は団体という如く間接的に行うのは言う迄もない。
③ 先に述べた議員個人の掌握は、それ自体が連合政府樹立の有効な手段となるが、派閥対立激化についても活用するのはもとよりである。
3-5.対社会・公明・民杜各党工作
A.基本方針
① 各党内の派閥闘争を激化せしめ、工作による操縦を容易ならしめる。派閥というに足る派閥なき場合は、派閥を形成せしめる工作を行う。但し、党を分裂せしめる必要はなく、分裂工作は行わない。
② 日本共産党を含めた野党共闘を促進する。
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haruhara-san · 3 years
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9/21(火)、9/22(水)サン・セバスチャン
出発の1時間前に起床。槻舘さんがコーヒーを淹れてくれて朝食。パンとヨーグルト。急いで荷造りと片付け。また後日戻ってくるのでパリで買ったお土産などは置いていって大丈夫と槻舘さんが言ってくれる。
スペインへの特急電車が出るモンパルナス駅まで乗り換えが1回。パリの地下鉄はバリアフリーが進んでなくて階段が多い。トランクを何度も持ち上げて移動する。乗り換え駅はホームが混んでて入ってくる電車も満員。山手線みたいなペースで電車がくるので2本やり過ごして乗車した。モンパルナス駅に到着したところで、昼食のテイクアウトを買うのにどんな店があるかを槻舘さんが調べてきてくれる。パン、サンドイッチ、寿司があるけどどれがいいかと訊かれて荒木さんが寿司と答える。トランクを引いてお店に向かう途中で衛生パスのチェックをしてる係りの人に声をかける。まだ私には衛生パスが届かないので紙の証明書を見せる。すぐに認めてくれて左腕にチェック済みの印になるリストバンドを付けてくれる。さらに進むとYo Sushi! という看板が見えてくる。寿司の大きな1パックを買って荒木さんと槻舘さんは分けることに。私はその隣の店でサンドイッチとエクレアを購入。荒木さんも食べたくなるかもと思いエクレアは2つ。改札を無事に通って乗車。
7月にマルセイユに向かった時の特急電車より車内が豪華。リクライニングが電動でテーブルは2種類で荷物置き場は安全な作り。荒木さんも私も感動してる。国境を越える特急だから違うのだろうとのこと。出発。サン・セバスチャン国際映画祭のチケットは朝7時から次の日の分のチケットを予約できるため、槻舘さんの指示を受けながらサイトを開いてトライするけれど希望のチケットを取るのがむずかしい。そのうち荒木さんが静かになってる。画面を見すぎて酔ったとのこと。荒木さんのiPhoneも借りて両手でチケット予約を進める。休憩。国境付近の乗り換えまでしばらくあるので日記を書こうとしたけれどなかなか進まない。前回もそうだった。移動中は文章が書けないのかもしれない。槻舘さんは記事の執筆などをいつも移動中に済ませてしまうとのこと。尊敬。昼食。荒木さんにエクレアも食べるか聞いてみた。二つとも自分で食べた。別の車両にカフェスペースもあると知ってドリンクを買ってくることに。映画ではよく見てきたけれど、実際に利用したのは初めてかもしれない。カウンターに並んだ。荒木さんに炭酸水、槻舘さんにラテ・マキアート、自分にアメリカーノを購入して戻る。終点の駅に到着。そこから別の電車に乗り継いでサン・セバスチャンに移動するのだけれど、事前に手元に届いた電子チケットを見てもその先のことがよくわからない。槻舘さんが窓口の人に聞いてくれて、これは普通に券売機で買えばいいのではということがわかり、3人分のチケットを購入。そこからは普通の路線電車。車窓から見える街並みの雰囲気が変わっていく。iPhoneの電波が一度無効になり、ほら国境越えたと槻舘さんが教えてくれる。ローミングをし直した。パスポートの提示も必要のない国境の移動は初めてだった。無事にスペインに入国。
サン・セバスチャン駅に映画祭の車両が迎えに来てくれることになってて、槻舘さん曰く途中のアマロという駅で降りて10分くらい歩いた方が早いとのことで、下車。少し歩いただけで街が穏やかなのがわかる。ずっと雨模様と聞いてたけれど晴れてて気持ちいい。サン・セバスチャン駅に到着。迎えの車がどこにいるのかをしばらく探す。向こうが見つけてくれて無事に合流。最新の車で、サイドミラーがミラーじゃなくてカメラと液晶画面だった。海沿いの道を走って中心街から離れたところのホテルに到着。槻舘さんが笑いながら陸の孤島に飛ばされたと言ってる。スペインでの配給会社も付いてないアジアのインディペンデント作品の扱いはこんなものだと教えてくれる。確かに遠い。チェックインをしたら映画祭のエコバッグを渡される。中身をざっと見たけれど、その後どうすればいいのかなどがわからない。大きい映画祭。あとは自分たちで何とかしろということなんじゃないかということで、ひとまず30分後にロビーで待ち合わせることに。エレベーターに乗りながら、もしバスタブがなかったらごめんねとお風呂好きの荒木さんに伝える。自分の部屋に入ってまず確認。バスタブがあった。ほっとした。広いテラスもあった。いい景色。遠くに海が見える。wi-fiについてどこにも書いてなかったので受付に電話した。パスワードを口頭で伝えてくれる。喋りが早いし文字数が多くて聞き取れないので直接行くことに。年配の受付の人がパスワードの書かれた紙を渡してくれる。朝食について尋ねたら色々答えてくれるけれど早くてうまく聞き取れない。時間を指定するとよさそうだったので7時でお願いした。部屋に戻ってメールを開くと映画祭のスタッフからの連絡。今からIDパスなどを持って挨拶に行くとのこと。放ってかれてるわけじゃなかった。槻舘さんと荒木さんに伝える。ロビーに降りたところですぐにスタッフの人が到着。IDをそれぞれ受け取りつつCovid-19についての誓約書にサイン。不織布のマスクを必ず付けること、鼻を出さないことなどが細かく書かれてる。映画祭の会場になる映画館が集まる中心街までは路線バスで移動するしかないみたいだった。槻舘さんがいてくれるおかげで一つ一つの判断が早くて本当に助けられてる。ホテルの近くのバス停から乗車。料金はクレジットカードを当てて支払うシステムだったのでスムーズに済んだ。中心街に到着。会場の映画館の場所を確認しておくために一つ一つ巡りつつ散策。槻舘さんが案内してくれる。気になるお店があったら教えてくださいねと言ってくれる。荒木さんがアヒルのオモチャだけが並んでるお店に入っていった。必要なメール連絡を終えて私も中へ。お土産に2つ購入。どの道も建物もすてきで、やってるお店はどこも賑わってて、元気のある街。途中、国際広報のグロリアさんから槻舘さんにメッセージ。この日は夜10時に濱口竜介さんと待ち合わせてみんなでご飯を食べることになってた。その前から会って軽く飲まないかとのこと。指定されたお店に行くとグロリアさんが先に着いててみんなで挨拶のハグ。ピンチョスが食べられるレストラン。賑わってるし、店の外まで人が並んでる。店頭で好きなピンチョスを選んだ。どれもおいしそうだけ���ど、まだ夕食の前だから2つに抑えておく。グロリアさんがイベリコ豚のハムをご馳走してくれた。輝いてた。荒木さんがグロリアさんにカードをプレゼントする。表にグロリアさんの名前のカタカナ、裏に東直子さんの歌集『春原さんのリコーダー』からグロリアさんのために選んだマヨネーズの一首が書かれてる。感激してた。短歌を訳してほしいと言われて槻舘さんがフランス語にして伝えたら戸惑いながら笑ってた。ピンチョスもハムも本当においしくてすぐに食べ終える。荒木さんもうれしそう。仲良しの槻舘さんとグロリアさんの掛け合いを見てるだけでたのしい。途中、グロリアさんが『春原さんのうた』についての思いを丁寧に伝えてくれた。それを聞いてたら泣いてしまいそうになった。槻舘さんとグロリアさんの友人で映画批評家のセドリックさんも合流。やっぱりやさしくてすてきな方。主にフランス語だけれど槻舘さんが要所要所で日本語に訳して何を話してるかを教えてくれる。荒木さんが眠そうに見えたから眠っても大丈夫だよと伝えたら、すっと眠った。
夕食を予定してるレストランに移動することに。外は土砂降り。びしょ濡れになりながらしばらく歩く。ミシュランの星が付いててすごくおいしいのに安くてしかも混んでないというセドリックさんお勧めのレストラン。サン・セバスチャンの名物のトルティーヤや牛肉をトマトで煮たものや名前のわからない様々な料理。信じられないくらいどれもおいしかった。なにこれとずっと言ってしまう。途中、セドリックさんと二人で外で話す時間があって、生まれ育った街がマルセイユであることなど教えてくれた。ブイヤベースが本当においしかったことを伝えたら、ああ食べたいと言ってた。今はイタリアに住んでて、次のクリスマスは母親と過ごすために帰るとのことだった。
前の予定から抜けられそうにないらしく、合流できないかもしれないと濱口さんからグロリアに連絡。次の朝にはイタリアに発ってしまうため、会えずに残念。ニューヨークでは同じ日程で滞在予定だから、そこで会えますように。EU圏の人はアメリカへの入国が制限されてるためグロリアはニューヨークには行けず、やっぱり残念そうにしてる。
旅の疲れとお酒をたくさん飲んだのとご飯をいっぱい食べたのとで、またもや限界に。いつの間にか眠ってしまってた。目が覚めた頃に閉店時間。レストランを出てセドリックさんと別れる。グロリアさんはタクシーを見つけるまで付き合ってくれることに。荒木さんとグロリアさんが肩を組んで歩いてる。途中の道で盛大に転んだらみんながびっくりして笑いながら心配してくれた。私もびっくりした。痛かったけど痛くないふりをした。しばらく歩いたところで、たまたま通りかかった女性2人がタクシーの乗り場はあっちにあるよと教えてくれる。たどり着くと長蛇の列。近くにホテルのあるグロリアさんとはそこでお別れ。タクシーがなかなか来ない。こういうときでも槻舘さんは盛り上げてくれる。次の乗客が一人だけだと列も進まないからちゃんとがっかりする。たくさん乗る人がいるとよしよしいいぞーとうれしそうに拳を上げる。並んでる間に後ろにもどんどん人が並んでいく。1時間くらい経ってようやく乗車。ホテルに戻って解散。雨で濡れて体が冷えてたので、朦朧としながらもすぐにシャワーを浴びて温める。就寝。
22日。ハイライトで。
ホテルの朝食はシンプルだった。卵とベーコンはやっぱりおいしい。
映画祭のチケットを取るのにまたも苦戦。でも少しだけ取れた。
火曜日から大川景子さんが代わりに受け持ってくれてる女子美術大学でのオンライン集中授業に少しだけ参加。
槻舘さんが大好きな、ステーキがメインのおじさんが一人でやってるというバルに行ってランチ。お肉すごかった。肉汁たっぷり。トマトもししとうも何でこんなにおいしいのかと思う。荒木さんはちゃんと骨肉にもかぶりついて、店員のお兄さんにナイスと言われてた。グロリアさんも合流。
歩いてたら『偶然と想像』の演出部の高野徹さんと遭遇。槻舘さんのお知り合いみたい。バナナとスナック菓子を持って歩いてた。高野さんは前日まで濱口さんがいたことを知らなかった。
名誉賞の授与式があるこの日は近くにジョニー・デップがいるはずで、きっと彼も歩いただろうレッドカーペットを歩いて記念写真。
サン・セバスチャンの一番豪華なホテルの一階でグロリアさんが仕込んでくれた各媒体からのインタビューを一気に受ける。映画祭発行の新聞のために写真も撮影するとのことで、荒木さんと二人でポーズを取ったりもした。セドリックさんもインタビューしてくれてうれしかった。この日もおしゃれなセドリックさん。昔はモデルの仕事をしてたみたい。インタビューを終えてそのままカフェでケーキとコーヒー。荒木さんと槻舘さんは映画祭記念のケーキを食べてた。
移動中に通りかかった大型モニターにジョニー・デップの記者会見の様子が映ってた。荒木さんに立ってもらって2ショット写真の撮影。
海沿いにある一番大きい劇場でメイン部門の作品を鑑賞。コンサートホールみたい。3階席でもスクリーンがちゃんと見えた。上映前に観客が手拍子を鳴らして盛り上げたり。元気。終えて外に出たら夕焼けがきれい。同じ監督の前作がとてもよかったらしく、槻舘さんとグロリアさんががっかりしてる。
バルに移動して夕食。ピンチョス、トルティーヤ、トマト料理などを食べる。高野さんも合流した。
グロリアさんと高野さんと別れて駅前のタバカレラホールへ。『春原さんのうた』の最初の上映が同じホールになるので下見も兼ねて、同じ部門の別の作品を鑑賞。おもしろく見てたのにいつの間にか寝てた。
駅前でタクシーを待とうとしたら、前に並んでたお兄さんがタクシー会社に電話して私たちの分も呼んでくれた。待ってるだけでは来ない乗り場だったらしい。やさしい。
すぐにタクシーが来て、これまでで一番丁寧な運転手の人だった。無事にホテルに戻って就寝。
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jinsei-pika-pika · 4 years
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思いをかたちにするスタイリスト、北村道子インタビュー portraits jan 14, 2019 7:10 pm
michiko kitamura
photographer & interviewer: chikashi suzuki writer: tomoko ogawa
portraits/
北村道子さんが手がける衣裳や彼女の言葉に触れると見えてくるのは、北村道子という生きる哲学のかっこよさだ。その哲学が、服になり、仕事になり、彼女そのものを形づくっている。唯一無二の個性を持ちながら、約40年、一切の妥協をすることなく、今目の前にある人物とその人が着る服と対峙してきた。そんな彼女が、前著『衣裳術』から10年ぶりに、俳優34人、写真家6人との10年にわたるコラボレーションを記録した『衣裳術2』をリリースした。2000年代初頭に角田純氏がアートディレクションを手がけていた雑誌『X-Knowledge HOME』にて、北村さんを撮影したことをきっかけに出会い、以降、コラボレーションを続けるフォトグラファーの鈴木親氏を聞き手に迎え、型破りで刺激的な北村道子さんの仕事術について語ってもらった。
portraits
jan 14, 2019 7:10 pm
北村道子さんが手がける衣裳や彼女の言葉に触れると見えてくるのは、北村道子という生きる哲学のかっこよさだ。その哲学が、服になり、仕事になり、彼女そのものを形づくっている。唯一無二の個性を持ちながら、約40年、一切の妥協をすることなく、今目の前にある人物とその人が着る服と対峙してきた。そんな彼女が、前著『衣裳術』から10年ぶりに、俳優34人、写真家6人との10年にわたるコラボレーションを記録した『衣裳術2』をリリースした。2000年代初頭に角田純氏がアートディレクションを手がけていた雑誌『X-Knowledge HOME』にて、北村さんを撮影したことをきっかけに出会い、以降、コラボレーションを続けるフォトグラファーの鈴木親氏を聞き手に迎え、型破りで刺激的な北村道子さんの仕事術について語ってもらった。
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Photo by Chikashi Suzuki
鈴木親(以下、鈴木):僕が、北村道子さんという存在を初めて意識したのは、大学のときに観た映画、『幻の光』(95)なんですよね。北村さんの衣裳って、何という印象もなく普通に映画としてスーっと入ってくる。でも、もう1回観るときって、ディテールをよく見るじゃないですか。そうすると、衣裳がすごく綺麗だなと思う。変なリアルさもないんだけど、ファンタジーが入っていて。何%の嘘と何%の真実みたいなものの割合を、映画ごとに全部変えているというか。
北村道子(以下、北村):それは、いつも私が思ってる思いだよね。さすが親くん、大学で先生してるだけあるなぁ!
鈴木:映画の雰囲気に合うようにスタイリングしているから、絶対作品の邪魔はしないんです。『バットマン』(05-12)シリーズの衣裳と同じ方向性ですよね。Christopher Nolan (クリストファー・ノーラン)作品と一緒で、現実だと嘘っぽいけど完全に嘘にはならない。でも、映画の中ではちゃんと映えている。逆に、ガチガチにリアルにスタイリングをしちゃうと、たぶん映画としては全く面白くない。ノーランとかがやって「エポックメイキングだ!」と言われていたようなことを、偉ぶることもなく、普通にスッとやっていたというのが、北村さんなんですよ。
北村:でも、日本では叩かれているんですよ。
鈴木:『幻の光』が?
北村:そう。まず、私の関わった映画はみんな、日本の映画監督にも叩かれているんですよ。『幻の光』に関しては、誰が送ってくれたのかはわからないけど、フランスの『Figaro』をはじめ、ドイツ、イタリアのみんながメディアで取り上げてくれたんです。あまりに取り上げてくれるから評価されるようになってきて、ヴェネチア国際映画祭で賞を取って、逆輸入的に話題になったんです。当時、主役の江角マキコさんは、基本的にモデルだったじゃないですか。モデルが「自分のために何かやりたい」という雰囲気を出してくると、私、拒否感が出てくるの。だって、江角のためにやる映画というのは、おかしいじゃないですか。それまでに、10回くらい断ったんですよ。それで、引き受ける条件として、葛西薫と藤井保を突っ込んだんです。
鈴木:それで、あの本、『ESUMI』(リトルモア )ができた?
北村:そう。その二人を入れるならと、映画を受けたんですよ。衣裳合わせも自分で5トン車借りて、是枝さんと私でやったんですよ。
鈴木:是枝さんの中でも、『幻の光』は良かったですけどね。リアルさがあるんだけど、何となく違う。現実にいないけどいそうな人物という感じがすごくして。だから、正直に言うと、ストーリーというよりは、映像が綺麗だったという印象が残ってる。
北村:どの映画でも、私は孤独で独りぼっちなんです。黒澤明監督もドローイングや着色をやっていたのと同じように、洋服を作っている。それが当然だと思うのよね。自分の中でそういうものが映画だと思うじゃない。映画というものを私はミケランジェロ・アントニオーニから出発していて、女優で一番好きなのは、モニカ・ヴィッティなんです。だから、映画を観ていて、彼女は裸足で道を歩いているという表現から、シナリオがわかるじゃないですか。全部通して観たあとは、たとえば、あそこであの椅子がどうして出てくるのか、そこをもう1回観ることを何度もしていく。そういうふうに、自分で映画の洋服の表現力というものをマスターしていったんですよ。
鈴木:それが正しい見方ですよね。
北村:それから自分で衣裳をやるようになって、「監督が描いたドローイングはないの?」と聞くと、「え?」と返ってくる。しょうがないから、それを私がやっていく。役者には絵コンテがあったほうが、わかりやすいじゃないですか。それを元にみんなやっていくようになってきたの。『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』(08)もそうだった。それはもう、孤独になっていくよね。
鈴木:北村さんが人物像をほとんど作っているんだと思ったのは、『メゾン・ド・ヒミコ』(05)の裏話を聞いたとき。採用されなかった設定なんだけど、主演の柴咲コウはゲイのための老人ホームにいて、白いシャツに薄く赤い下着が透けている。それが、「女性の性の部分をグッと抑えているけど、残っているという表現だ」と言われたとき、もう台詞は要らないなと思った。その服だけで人物像が成り立つじゃないですか。ビジュアルで表現することって、ビジュアルだけで一気に全てが入ってくることがあるから、言葉も超えてしまうことってあって。
北村:それ、正解です。小津安二郎監督がやっていた、原節子の二の腕から見えるブラジャーに私は辿り着いたんですよ。あの時代にそういうふうにやっていたなぁって。そうやって脚本を読み込んでで、ドローイングしていくタイプなんですよ。だから、プロデューサー側から「こういう普通の長袖で綿のシャツでこういうのにしてくれ」と言われるようになったときに、「じゃあ、どっち側をあなたたちは取るんですか?」という話になった。私は、そこから衣裳合わせに行かなくなったの。
鈴木:(笑)。
北村:アクセサリーも同じで、全く合わないアクセサリーや時計をみんな持ってくるのよ。美術の小道具さんがダンボール箱で持ってくる。そういう儀式なんですよ。「ここから選んで」と言われるんだけど、私は「え、なぜこれを使わなきゃいけないの?」って。長年ダンボールに入ってて、カビ臭いもん。それで喧嘩になって、「私は降ります」ということになる。思いをかたちにして表現するときに、役者側の意見が強いんだったら、監督は要らないんじゃないのと思っちゃうのよ。
鈴木:それじゃ、映画にならないですもんね。
北村:そう。『幻の光』も、その衣裳に対する思いみたいなものがあるわけ。石川県・能登で育った自分の子どもの時代の冬というのは、やっぱりモノトーンで世界が見えてた。私がアイスランドに行ったときに、能登と同じだなと思った。それを作品の中にフィードバックしたの。私、監督って、もし日本の作品だったら、あらかじめ役者を想定しながらシナリオを書いていると私は思っていたんです。ところが、私が衣裳をやるというとき、役者は誰も決まっていないんですよ。だから、想定してやってなきゃいけない。
鈴木:だいたいの当て書き、みたいな感じで進めますよね。
北村:うん。「例えばどういう人ですか? その人、私が交渉しますよ。あなたたちがしないんだったら」という話になってくるわけですよ。
鈴木:でも、以前は衣裳部の人がやるのが衣裳だったけど、北村さん以降、衣裳という考え方で映画にスタッフとして入る人たちが出てきた。伊賀(大介)くんとか三田(真一)くんとかは、北村さんのメソッドみたいなものがあったから、その後にスッと入れたんだと思う。
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Photo by Chikashi Suzuki
北村:はじまりの話をすると、私は若い頃に、ものすごい広告業界に入って、300人を前にして恥をかいたんですよ。それは、メンズウェアが何たるかを知らなかったからです。イギリスの大物の撮影で恥をかいたから、そのギャランティをいただいて、「私、1年間この国に残ります」と言って、サビルロウのリージェントストリートとボンドストリートをくまなく調べたんです。洋服について全くわかってないお姉ちゃんがイギリスに行って、ボンドストリートを歩いていくと、ここでは全部揃うんだということがまずわかったの。
鈴木:シャツ屋も靴屋も帽子屋も時計屋も全部ありますもんね。
北村:そう。とにかく、メンズをマスターすればTPOがわかる。なぜって、メンズの人たちが、女の人たちをエスコートしていくわけじゃない。
鈴木:本当にそうなんですよね。CHANELの服も、基本的にニットは男性の下着だったり、ツイードは男性のスポーツウェアだったり、男性の生活に合わせて女性はどうするかということを考えて作られていたし。
北村:そうなんですよ。勉強してから日本に帰ると、飛行機でみんなロングホースの靴下を誰も履いていないんです。みんなカジュアルな靴下を履いて、モチャモチャしてて。こんなにひどい国なんだってわかって、そういうことを良しとしている自分がいたんだと。それが日本がアマチュアリズムなんじゃないかと私が言っているところなんですよ。普通は、何も知らないことを恥ずかしいと思わなきゃいけないじゃない。私がそれだったんです。そこからですね。
鈴木:コートもチェスターやステンカラーとチェスターの間みたいなローデンコートってのがあるんだけど、そういうタイプを着ているとあの人は貴族系なんだなとわかる。日本は、そういう習慣が一切ないですもんね。
北村:そうだよね。海軍にしても、デッキシューズを履いてないじゃないですか。そういう意味で、やっぱり、衣服にステートメントがないんですよ。
鈴木:日本人だと、良くも悪くもTPOにとらわれ過ぎて、コスプレ化しちゃう人はいますよね。生活の中で着ることは普通のことなのに、儀式になっちゃってる。それに関して、北村さんの上手さが際立っていたのが、『バベル』(06)のときにカンヌのレッドカーペットで菊地凛子ちゃんに CHANEL を着せたことです。ハリウッドに行って、ハリウッド俳優に囲まれているアジア人は目立たないことが多いけど、どんだけ目立ったかっていう(笑)。でも、悪目立ちだとブーイングものじゃないですか。賛否両論がちゃんとあるように、上手く北村さんはやってるんですよ。それは、どういうふうに着せるべきかをわかっているからですよね。あの後すぐですからね、Karl Lagerfeld(カール・ラガーフェルド)が凛子ちゃんをピックアップしたの。
北村:身も心も凛子ちゃんに尽くしました。カンヌに行くときに、まず1個だけココ・シャネルのバッグを持って行ったほうがいいと。それから、Karl LagerfeldのFENDIのバッグにドレスを詰めて、2カ月分のサングラスから靴までも全部トランクに入れて渡したんですよ。そうじゃないと、ランチやディナーのときに困るから。それで、カンヌを歩くときはこの中から着なさいって。全部、返してもらってないな(笑)。
鈴木:イブニングと昼間のドレスって全然違うけれど、日本ってそういう生活習慣はないじゃない。そのTPOは守られているのにアバンギャルドっていうのが格好いいんだけど、北村さんはそれを全部やってて。例えば、カンヌで浅野(忠信)さんが着ていたスーツ、どれだけサイズが合ってるのっていうくらい合ってた。でも、それだけじゃなくて、男性は目立ち過ぎちゃいけないんだけど、ちゃんと目につく。絶対に俳優さんに恥をかかせないんだけれど、映画と一緒で、ちょっとした違和感を出す。ネクタイだったりチーフだったりで一部だけ異物感を出してるんですよね。本当に上手い。俺が言うのも何だけど(笑)。たぶん、その人の個性をきちんと見抜いてるからできる。
北村:もう、その通り!
鈴木:それって、本当にわかってる人じゃないと絶対にスタイリングできないから。単純にTPOがわかればいいってことでもなくて、本人が着ている感じにプラスアルファで違和感を出していて。普通に見たらスッとはしてるんだけど、「なんか気になる」みたいな要素を探って、ズラしているというか。でも、他が完璧だから何も言えない。凛子ちゃんも未だにずっと CHANEL のファミリーだけど、アジア人でヨーロッパのいわゆる上流階級にいきなり入れるわけがないから、最初のインパクトがたぶんあったんだと思う。
北村:私、1回彼女を映画で降板させたことがあるんです。まだ菊地百合子でやっていたとき。そしたら、当時所属していた事務所の社長が凛子ちゃんを連れて、その理由を問いただしに来たんです、渋谷の私の事務所に。ちょうどそのときに、別の用事でカメラマンの小林響が偶然いたのよ。響は関係ないんだけど、あえて第三者がいたほうがいいやって思っていてもらったの。第三者によって今まで思ってなかった言葉が出てくることがあるのよ。それで、私は凛子ちゃんに、「今に絶対違う映画がやってくるから、そのオーディションを受けたほうがいい。そのために、名前はRで発音ができたほうがいい。外国では発音しやすいから」と言ったの。ハッタリだけど(笑)。「じゃあ、凛とした凛子にしよう」って。そうしたら、彼女が「私、変えます」って言ったのよ。それで社長が、「お前いい加減すぎる。この人、嘘ばっかり言ってる女なんだから」って。
鈴木:それで、菊地凛子が誕生したと。
北村:そう。彼女、その後、本当に『バベル』(06)が決まったのよ。オーディションに行くとき、「私が女優だったら、裸で行くよ!」って言ったら、「わかった! コートの下は裸にする」って言って、本当にそうしたかどうかはわからないけど、監督が「わかった、君の役を作るから」となったらしいのよね。意味あったよね、ちょっとした嘘も博打も。響がいなかったら、凛子という名前は出てこないのよ。あいつクソみたいな男だけど、よくいてくれたよ。
鈴木:写真家としてはワールドワイドなのに(笑)。
北村:凛子ちゃんって、どんな取材でも応じるよね。飛行機に乗って自分で行くんですよ。本当に少しのスペースしか露出がなくても、「大丈夫、行く!」って行くんだって。あれは見習うべき姿勢だと思うよ、女優たち。
鈴木:それは、北村さんが教育したからですよ。
北村:私はさ、親くんから洋服を学んでるよね。
鈴木:いやいや。
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『衣装術2』(リトルモア)
北村:私の中で、渋谷の雑踏とか公園の隅っこで撮るというアイディアは全くないもん! もともと、『衣裳術2』(リトルモア )でまとめた雑誌『T.』の連載企画を持ってきたのは、親くんと門間雄介くんだったし。
鈴木:『T.』でもこの連載だけ、テンションが違いましたよね。でも、今なら特にそうだけど、雑誌を買ってもらうのに特別なコンテンツが絶対ほしいじゃない。昔から日本の雑誌で多いのは、だいたいプロモーション取材のタイミングで同じ顔の表紙がバーっと並んでて、独自のチョイスがない。アートディレクターの大橋 修さんはすごく抵抗して、独自のチョイスを作らないと意味がないって、北村さんという異物をページの中に放り込んだという(笑)。
北村:でも、二人とも先に辞めちゃって。そうしたら、大橋くんが「北村さん、俺は続けたいから、毎回カメラマンを変えていくというのはどう?」っていう話になって。
鈴木:北村さんは、「こういうふうにしよう」と強引には、自分から言わないタイプだからね。
北村:そう、言わないです。大橋くんから、「続けてほしい」と言われたときに、「ほかの記事もファッションにはならないの?」って聞いたの。映画雑誌だから、そこは変えられないということで、「じゃあこれが最終的に書籍になるんだったら、目的がある」ということで続けて、それでリトルモアに頼み込んだのよ。
鈴木:北村さんが撮影しているシリーズも面白かったです。『衣裳術2』の表紙になった写真とか。
北村:そのときは、カメラマンが誰もいなかったんですよ。タカムラダイスケと言われても、その人の写真知らないじゃない。そしたらタカムラくんが、「北村さん俺のこと知らないから、俺がアシスタントやります」って言って。それで、凛子ちゃんの旦那の染谷将太くんを最初に撮ったんですよ。この連載で、私は親くんとのゲリラ撮影を、ものすごく覚えてるんですよ。親くんとやった新井浩文くんの撮影が、私、相当ショックだったのよ。後ろに警察官が写ってるの知ってる? あれ5分後だったら、「君、何してるんだ!」って来るやつでしょう? もう笑っちゃうよね。あれは計算して撮ってるんでしょう?
鈴木:一般の人は基本的に肖像権があるじゃないですか。警官は、公務員だからないんですよ。
北村:すごいよね、実際に来るんだから。
鈴木:そういうのが好きなんですよ。
北村:やっぱりね。だから目立ったところで撮影するんだ。
鈴木:そう。
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『衣装術2』(リトルモア)
鈴木:撮影時間をコンパクトにやるということは、考えてはいて。撮影って、下手に長時間やることが多いでしょう? でも、テンションってそんなに持たないじゃないですか。北村さんは瞬発力が半端ないから。持続力よりは瞬発力に北村さんのすごさがあるから、それは狭い範囲でぎゅっと終わるほうが、逆に良く出るというか。新井くんの撮影は、目黒の駅の線路を挟んで前後だけだから、実質半径300mとかの移動で終わったし。
北村:ああいう撮影をするのは、親くんだけですよ。まず皇居で撮るでしょ。渋谷は交差点で撮るじゃない。あとは御苑とかね。「こんなの平気で撮ってるの?」って思って。でも、ついていくと面白いんだよね。隅っこにいて、オロオロしてるのは私だけでさ。安藤政信くんの撮影なんて、ホームレスのいる隣に連れていくのよ。
鈴木:中央公園ですかね(笑)。
北村:あれカシミアのスーツよ?本当に場所を見つけるのが、上手いのよ。「こんなところあるの?」って感じで。
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『衣装術2』(リトルモア)
鈴木:でも真面目な話、違和感を北村さんが入れてくれるから、街中でも成立するんですよ。ただ、普通に街で撮ったら、ただのストリート・フォトになっちゃう。北村さんとの撮影だから、普通のロケーションがちょうどいいんです。一瞬普通に見えるけど、よく見ると違和感があるのは、たぶん普通の服じゃないというのが一番大きい理由だから。北村さんと『Purple』を初めてやったときに、凛子ちゃんがモデルだったんだけど、普通のスタイリストなら100%絶対ダメって言うくらいの台風が来て。だって、80万円くらいするコートだし、濡れるに決まってるし。でも、北村さんが言ったことで忘れられないのは、「全部濡れちゃえばわからない」っていう(笑)。
北村:だから、親くんの手口で嵐の中の池松壮亮くんの撮影もやったのよ。
鈴木:俺、すげぇなと思って。ラッキーと。北村さんは、乱暴に扱うけど、最高に丁寧にも扱うというか。普通だったら濡らして買取だけど、ちゃんとカシミアの質をわかっているから。
北村:あれが日本の洋服ならびちゃびちゃですよ。池松くんの撮影のときも台風が来て、じゃあTOM FORDを借りてこようかって。そしたら、大森克己さんはiPhoneで撮ってたらしいの。
鈴木:iPhoneは雨でも大丈夫なんですよ。フィルムのカメラはダメだけど。
北村:親くんは、フィルムで撮ってたじゃない!
鈴木:そう。正直に言うと、カメラは別に壊れても買い換えられるじゃない。でもこの台風は過ぎ去ったらもう撮れないから。
北村:でもね、Balenciaga、濡らした写真を『Purple』で使ってくれたんだよね。決められたルック通りじゃなかったのに。
鈴木:しかもそのときってNicolas Ghesquiere (ニコラ・ジェスキエール)がデザインを始めたばかりだったから、崩すのはダメだった。洋服の着方も全部指定で、「確実にやってくれ」と言われていて。しかも、広告は『Vogue』と『Purple』にしか打っていない時期で。
北村:そういや、『Purple』で押井守もやったじゃない。日本テレビまで行ってさ。
鈴木:押井守さんがまだアニメ好きだけの支持を受けていた頃、今みたいな存在じゃなくて。ちょうど、日本のモデルで誰か面白いのがいないかと話していて、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊2.0』(08)を観てたから、北村さんに話したら、北村さんも押井さんが大好きで。『ブレードランナー』(82)の影響を受けてはいるけど、逆にハリウッドにも影響を与えたような人だから、立場上、凛子ちゃんと同じようなものだって。海外の評価が異常に高いから、これは北村さんがやるしかないでしょうと思って。
北村:会話が止まらなかったよね、二人で。『ブレードランナー』の話になって。Ridley Scott(リドリー・スコット)のことをようやく会話できる奴がいたって感じで。
鈴木:映画のプロデューサーからは、一切ファッションの要素はない人だと聞いていて、「着るかどうかはわからないですよ」と言われていて。事前に、スタッフの書かれたシートを渡しておいたら、たぶん北村さんの名前を見て押井さんはすぐわかったんだと思う。ボサボサの髪を期待してたら、髪の毛をきれいに切って待っててくれて(笑)。北村さんの用意したライダースを「これどこの?」とか言って、着る気満々で嬉しそうにしてましたよね。
北村:その後、同じのを買いに行ったんだよね。懐かしい。
鈴木:Maison MargielaのニットにMarc Jacobsのジャケットを着せたんだけど、本人が着てる感じを残すために、今だったらおしゃれなダッドスニーカーだけど、そのときは全然だった本人のスニーカーを履かせてた。
北村:私物みたいだったよね。
鈴木:北��さんって、本当にその場に生きている人だから。例えば、通常の撮影だと、俳優さんや女優さんが初めて仕事する人だったりすると、服をいっぱい持ってくるんです。逆に、僕が「これを外して」と言っても、外させなかったりする。それだけあったら、被写体本人が選びたいとなっちゃうじゃない。親切にしたら、その後の仕事に繋がる可能性があるじゃないですか。たぶん、そこまで考えてやっている。
北村:頭いいね。
鈴木:このシューティングというよりは、次の指名とかコマーシャルとかも考えてる。ビジネスとしてやってたらそれは正論なんだけど、カメラマンからすると、目の前の撮影が上手くいけばいいだけで、もしその後に被写体に嫌われようがかまわないと僕は考えてるタイプ。北村さんは俺よりもっとハードコアで、撮影で4コーディネートを使うと言ったら、4半くらいしか持ってこない。サイズが合わなかったときとか、場所によってちょっと変えるとかくらいですよね。
北村:だって重いし。
鈴木:それは、目の前のシューティングが上手くいくことをすごく考えてるから。カメラマンからすると本当に、正直に言うと超やりやすいんです。俳優さんに服について説明するのも、カメラマンがするよりも、北村さんがこれはこうだからいいって言ってくれたら、それで通っちゃう。
北村:上げるもんね。親くんはヘアメイクのAMANOくんをいびっているだけでさ。ロケバスの中、人の悪口ばっかりだからね、私たち。
鈴木:(笑)。人って、その場に生きることっていうのが、大人になればなるほどできない。子どもは単純に言うと、その一瞬を生きてるじゃない。だから、若い頃ってすごく瑞々しさもあって、大人になればなるほどその瑞々しさに憧れる。北村さんは、みんなよりも先輩なのに誰よりもその場に生きてて、その一瞬が良ければいいという考えですよね。
北村:そう思わない?
鈴木:本来、人生ってそういうものというか、その一瞬が積み重なっていくと良くなるし、すごく先のことを心配しても本当はしょうがないんだけど、それができる人っていうのは、立場ができればできるほど少なくなってくる。でも北村さんは、映画でも全部それをやってるから。
北村:ライブなんです。
鈴木:そう、その場を生きてる。好奇心と共に。
北村:好奇心がなくなったら、やることないんじゃないの? と思ってる。
鈴木:哲学もそうだし、最近の量子力学や物理学もそうなんだけど、結局人の思いみたいなものが全部の形を変えるとなってる。人の意思が介在したときに、実際の物が動くというのが最新の物理学の考えらしいの。北村さんって、たぶん、そういう意思が明確だから。
北村:私はけっこう若いときから三木成夫を読んでるじゃない。だから、生命って、水と油という相反するものが、実は心と体、脳と体として、そこにあるってことを最初から読んでるから、何というか、波動がどうやっても上手くいかないなというときは、「水と油だからしょうがないんじゃない?」という感じだし、素数を大事にしてるから。3とか5を。4になったら、どっかで乱したくなってくるんだよね。
鈴木:哲学と物理学が、今はほぼ一緒みたいになっている。北村さんの時代は哲学を学んで、その哲学が服になってる。実際、北村さんの思いみたいなものが衣裳に入るということは物理学が証明している。その場に強い意思がちゃんと介在している、観察者という人だからね、やっぱり。
北村:本当に先生だねぇ、親くん。
鈴木:「気持ちは伝わらない」ってよく言うけど、物理学上、今の量子学では本当に伝わっているとされていて、北村さんの撮影を見ていると、たとえ他の人と同じものを持ってきたとしても、何かが違く見える。その何かっていうのは、もしかしたら強い思いなのかもというのはすごくある。
北村:親くんと『GQ』の15年周年でTOM FORDのルックを撮影して、TOM FORDから絶賛のメールが来たんですよ。
鈴木:ヒップホップの男の子で、IOくんって子なんだけど、まぁ、きっとTOM FORDは着ないでしょ。それをポコっと着せて。普通の人が来たら、演歌歌手みたいになるのを。
北村:北島三郎だよね。TOM FORD側としては、ものすごくいいカシミアの服を用意していたんですよ。でも、私は行ったときに、「これしかないの?」って言って、ヘビメタみたいなのを使っちゃったのよ。
鈴木:やっぱり、着丈とか、スラックスの裾をブーツに入れるとか、そのバランスみたいなのが絶妙に上手い。もちろんサビルロウとかの着方がわかってるからなんだけど。本人が履いてきたブーツにそのまま入れちゃって、バッと出てきたみたいな格好良さがあって。
北村:またさ、ウィンドウにベースが並んでる、みたいな楽器屋にロケに行くんだもんね。あれは、トムちゃんが「Nice!」って言ったのわかる。
鈴木:さっき話した、同じ服でも北村さんが持ってくると違く見えるというその差って、もちろん北村さんって細かく見てるところもあるんだけど、コンセプトを全部を通して綺麗に見た後に、現場はライブにする。そこがすごく上手くて。たぶん、撮影の前までは全部緻密に考えてる。その準備がハード。写真や映像って、その場の偶然性みたいなものが入らなければ、広告になっていっちゃう。その偶然性が入ることで、エディトリアルとして一番美味しいところが撮れる。コマーシャルだったら絶対決めていくけど、北村さんはそこでも無茶苦茶するっていうのはよく聞いてるから(笑)。撮ってる側からすると、そこの要素っていうのが一番強いところ。ハプニングだけを入れるのはできるし、緻密にやれと言われたらできる人はいるけど、その両方は矛盾するじゃないですか。さっきの水と油じゃないけど、矛盾するものを両方入れられる。しかも自然に。そこが、北村さんにしかできないところですよね。
北村:ありがとうございます。
鈴木:例えばファッションって、1年か2年過ぎるとすごく古く見えちゃうところがある。30年とか過ぎるとまた新しく見えるけど、10年だとしょぼく見えやすい。でも北村さんのスタイリングって、わかりやすい表現をすると、強度があるんだよね。本人に合ってるとか、写真に合ってるとか、映画に合ってるスタイリングだから、もちろん時代性はちゃんと入ってるんだけど、いつの時代に見てもよく見えるというか。だから、10年前のものを今見ても、一切古く見えない。それがすごいなあと。
北村:それ、けっこう褒めてるよね?
鈴木:褒めてますよ。例えば、Joe McKenna(ジョー・マッケナ)というスタイリストも、北村さんと同じようなメソッドでやっている。海外でもそういう人って少ない。彼は、分厚いハードカバーの本とか出すような人だから。北村さんはヨーロッパで生まれていたら、ハードカバーの本をもう5冊くらい出してると思う。
北村:一応、2冊は出してるんだけどね(笑)。
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<プロフィール> 北村道子(きたむら・みちこ) 1949年、石川県生まれ。サハラ砂漠やアメリカ大陸、フランスなどを放浪ののち、30歳頃から、映画、 広告、雑誌等さまざまな媒体で衣裳を務める。映画衣裳のデビューは85年、『それから』(森田芳光監督)。07年に『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』(三池崇史監督)で第62回毎日映画コンクール技術賞を受賞した。著書に『Tribe』(朝日出版社)、『COCUE』(コキュ)、『衣裳術 2』『衣裳術《新装版》』(リトルモア)がある。2019年1月21日(月) 、東京・文化学園にて、「北村道子さんトークショウ」(17:30入場/18:00開始)を開催予定。1月10日(木)より出版社・リトルモアHPで観覧予約開始。
<書籍情報> タイトル 衣裳術2 著者 北村道子 装幀 大橋修 価格 ¥2,000 判型 A5判 /192ページ 発行日 2018年12月 出版社 リトルモア HP: www.littlemore.co.jp
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michiko kitamura
思いをかたちにするスタイリスト、北村道子インタビュー
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xf-2 · 6 years
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あなたは2013年に放送されたアニメ「ステラ女学院高等科C3部(以下、ステラ)」を覚えているだろうか。萌えとサバイバルゲームをミックスさせた先駆的な題材に、ジャジーな劇伴を組み合わせたオシャレな音響演出。そして細部までこだわったエアガン描写。
 主人公は高校1年生の女の子・大和ゆら。引っ込み思案で友達のいない彼女は、高校のサバゲー部で初めての友達と出会う。ところが話が進むにつれて、彼女はゆるふわな部活動では満足できなくなり、修羅の道を歩みだしてしまう……。
 お茶でまったりしたい部員たちを「勝つための足手まとい」と怒鳴りつけ、急速に孤立を深めていくゆら。一転して最悪な空気の合宿。さらに大会本番では不正行為に手を染めるなど、主人公の転落人生は加速の一途をたどった。
 当初の萌えや癒やしを求めた視聴者は、胃痛が不可避のギスギスした展開に振り落とされ、DVD/BDの売り上げでも苦戦。収益化の方法が多様化した現在では円盤の売り上げが“計測不能”となることも珍しくなくなったが、当時ぎりぎり算出されてしまった「267枚」という数字は、一部では「1ステラ」という単位として広まったほどだ。
 あの衝撃の放送から5年が過ぎた。そして、あなたは「ステラ」のことは忘れても、あのとき味わった胃痛までは忘れていないはずだ。その「ステラ」の川尻将由監督が5年ぶりに放つ新作が、短編アニメ「ある日本の絵描き少年」である。
 同作の主人公は、漫画家を目指す少年・シンジ。本編では彼の幼少からアラサーに至るまでの成長に合わせ、登場人物のタッチが「幼児の絵」から「漫画家の絵」へと次第に変化していく。その挑戦的な手法や、監督の人生を反映したかのような生々しいストーリーは高く評価され、“第40回ぴあフィルムフェスティバル”での準グランプリをはじめ、“第10回 下北映画祭”でグランプリに輝くなど、「ステラ」ファンとしても「まさか」と思うほどの快挙を納めている。
 5年越しのこの復活劇。川尻監督は何を思い、自主制作の手法で新作アニメに挑んだのか。たっぷりと語ってもらった。
帰り道、毎日ゲロを吐いていた
――受賞おめでとうございます。いよいよ下北沢トリウッドで上映も始まりました。
川尻:いやあ、いろいろあったねえ(笑)。
――いろいろありましたか。
川尻:「ステラ」の後、「俺、ちょっともう業界で作れないな」と思って始めた自主制作だったから、「これからどうしようかな……」って気持ちは込められているよね。
――「ある日本の絵描き少年」では漫画家になるのが夢の主人公・シンジはなかなか連載の機会に恵まれません。そんなとき舞い降りてきたアニメのコミカライズ企画に飛びつくものの、連載が思い通りいかずにボロボロになっていくわけですが……。
川尻:確実に「ステラ」の経験が反映されてますよね。俺は子どものときから夢は映画監督で、ラッキーなことにチャンスにも恵まれたけど、それを自ら思いっきりふいにした。完全に力不足が原因だったけれども。
――せっかくなので「ある日本の絵描き少年」の前に、まずは「ステラ」について質問させてください。
川尻:どうぞ……。
――当時、そもそもどんな経緯で監督をすることになったのでしょうか?
川尻:実は自分でも謎なところがあるのですが、以前山賀さん※に聞いたときは、「ダンタリアンの書架」に美術で参加した際の仕事ぶりを評価してくれた、とのことでした。
※山賀博之・・・「ステラ」を制作したアニメ会社・ガイナックスの社長。山賀氏は「ダンタリアンの書架」で美術監督も務めた。
――商業作品の監督経験は無かったわけですよね?
川尻:もちろんありません。山賀さんはたまにすごい采配をするんです。「ダンタリアン」では上村泰さんも初監督でしたよね。上村さん、今では「幼女戦記」「フリクリ オルタナ」と着実にキャリアを積んでいますが。
――川尻さんにとって「ステラ」での初監督はいかがでしたか。
川尻:精神的にかなり追い込まれました。帰り道に毎日ゲロ吐いてましたね。ただ周囲は意外なほど優しかったです。当時は大学卒業から間もない25歳で、周りとは経験値に差がありすぎて、ベテランの人からは孫みたいな距離感で見られてたんじゃないかな。
――当時のインタビューでは力不足を認めつつも、主人公・ゆらが闇堕ちしていく展開は良く描けていたと自己分析されていましたね。テーマ的には「ルーザー(敗北者)の物語を描きたかった」(外部関連記事)と。
川尻:「ステラ」では前半でつまらない萌えアニメをやったけど、主人公のゆらが堕ちてヒリヒリしてくるあたりで面白くなってきた手応えはあったよね。そこがネットではめちゃくちゃ不評だったわけだけど(笑)。
――原作漫画ではもっと明るい話なので、アニメの展開には驚きました。
川尻:ゆらが堕ちていく過程は俺のネガティブ思考も反映されてると思うけど、「成長物語にしないとダメだろう」というのは、もともと原作のいこまさんの案だった。ゆらがゾンビになって※、一度とことん堕ちてから復活させようというのは当初から決めていて、ゾンビもいこまさんの案です。
※ゾンビになる・・・サバゲーでヒットしたにもかかわらず自己申告をしない不正行為。
――それは意外ですね。
川尻:実を言うと、制作中に音付けのほうが面白くなっちゃったんですよ。曲や音響をどうするかを音楽に造詣が深かったプロデューサーさんと組んで、ひたすら音にこだわってました。だから中盤以降はサポートしてくれたスタッフにお任せしてしまった部分も多く、今になって、「もっとできることがあったのでは」と反省点は多いです。それでもたまに「あれが好きだった」と言ってくれる人が現れると、ちょっと救われた気持ちになりますね。
自主制作を選んだのは、もう業界では作れないと思ったから
――そこから紆余曲折があり、自主制作をやることになったと。クレジットにある“株式会社ねこにがし”とはどういう会社なのでしょうか?
川尻:吉祥寺トロン※を退社したタイミングで起業しました。義父の印刷会社の子会社という形になっていて、大きな会社ではありません。なんとなく業界では監督をやらせてもらえないだろうなあと思ったときに、会社化すれば「製作費が経費になる」「個人よりも他のスタジオに依頼しやすいはずだ」と気付いたんです(笑)。
※吉祥寺トロン・・・ガイナックスを親会社に持つCG制作会社
――「ある日本の絵描き少年」では主人公の画力向上に合わせて、途中から商業アニメのような映像になっていきますけど、製作費はどのくらいでした?
川尻:ちゃんと計算してませんが、合計で100万~150万円くらいです。
――クレジットには「ステラ」でキャラクターデザインを担当した梅下麻奈未さんのお名前もありますね。
川尻:せっかくなので、数カットですがお願いしてご参加いただきました。参加してくれたプロのアニメーターは2人だけで、「ステラ」で作画監督をやった大村将司さんも描いてくれています。大村さんは困っていたときに「やりますよ」と引き受けてくれて本当に助かりました。漫画パートの後半部分や最後のシーンを担当しています。
――主人公の成長に合わせて、登場人物が「幼児の絵」→「小・中・高生の絵」→「美大生の絵」→「プロ漫画家の絵」……と、さまざまな絵で描かれます。このアイデアはどのように生まれたのでしょうか?
川尻:アイデア自体は大学時代からありました。子どもの成長と発達科学についての本を読んで、成長していく様子をアニメで表現してみたら面白そうだと思ったんですね。「ステラ」が終わって「この後どうしようかな」ってときに地元の友達と一緒にやろうよという話になりました。それが2014年ごろです。
――そこから完成まで結構時間がかかりましたね。
川尻:シナリオにむちゃくちゃ悩みました。それに制作開始と前後して「6才のボクが、大人になるまで。」という映画を見てショックを受けたりもした。これは制作に12年かかっている異色作で、子どもの成長や親子の関係性を描くために、1年に1回、同じ役者と共に12年間にわたり断続的に撮り続けた作品です。同時期に見た「コングレス未来会議」もアニメと実写を独創的に融合させた映画で、見たときに「やられた」と思いました。
――確かに、どちらも「ある日本の絵描き少年」と重なる部分のある作品です。
川尻:すばらしい作品を見ると、どうしても「どうせああはなれない」という気持ちが生まれます。それでも「ある日本の絵描き少年」では、主人公のシンジはそれなりに、子どもが喜ぶくらいの絵は描けてるじゃないかと示したかったんですよね。別に大した才能はなくても、そこは肯定してあげたい。
 エンドロールでいろいろな絵を使っているのも同じ理由です。絵にはヘタウマもあれば単に下手なのもある。うまい絵だけを取り上げるのではなく、世の中にはいろんな人のいろんな段階の絵があって、それが他人からの評価とは関係なく存在しているんだと。創作すること全般を礼賛したいと思ったんです。
物語の主人公になりえないような人を描きたい
――「いろいろな絵」ということでいえば、作中では障害者アートが重要な位置を占めていました。
川尻:悩んでいた時期にいろいろと取材をしていて、愛成会という福祉団体が月に1回開いている、障害のある方たちを対象にしたお絵かきイベントの存在を知りました。そこでの体験にとても刺激を受けました。
――主人公の友人に知的障害のあるマサルくんが出てきます。
川尻:マサル役は知的障害者専門の芸能事務所アヴニールさんの紹介で、俳優のあべけん太さんに演じてもらいました。マサルの母役もダウン症のお子さんを持つお母さんで、取材を進めていく内に「この人の声しかない」と思って、お願いしました。作品には取材時にヒアリングした内容も盛り込んでいます。
――マサルくんがおもむろに自分の髪をむしってしまう描写がさらりと描かれていて、キャラにすごくリアリティーを感じました。
川尻:ああいうところだよね。作るのに時間をかけてよかったなと思うのは、制作中に自分のシナリオに飽きれたところかもしれない。髪のシーンもですが、作画時にシナリオにはなかった要素を盛り込む余地ができたのは良かったですね。
――障害者アートを扱うアイデアは最初からあった?
川尻:そうですね、かなり最初のほうからあった。自分にはやはり物語の主人公になりえないような人を描きたいという思いがあるんです。最終的に成功者になるわけでもない、何者にもなれない人をテーマに描きたいといつも思っていて。あるいはクリエイター崩れの、でも絵描きのピラミッドの中では一番多い層みたいな人のことです。
 シンジとマサルはある意味対極のキャラクターとして設定しています。主人公は商業的な方向に進んでる人物にしたかったので、現代美術とかよりは漫画家。そしてその対比として障害のある子を置きたかった。主人公はマサルたちのアウトサイダー・アートに触れて、社会の評価とは関係なく描かれる、創作欲に対して純粋な人に引かれていくんです。
――それは川尻監督自身もそんな風に創作と向き合いたいから?
川尻:そうかもしれない。作りたいのに作れない人は、自分を卑下する自己破滅型の人が多いと思うんです。鬱っぽくなり、そこから抜け出せない。俺もまさにそういうタイプなんだけど。でも、例えそれが成功につながるものではなかったとしても、「絵を描く」っていうのはその人だからできたことだから。せめてそこを自己肯定できれば、取りあえず最初の「何かを作る」第一歩が踏み出せる。その応援ができるような作品を作りたかったんです。
――ところで、「シンジ」と聞くとどうしても某ロボットアニメの主人公を思い浮かべてしまうのですが……?
川尻:「『エヴァ』ですか?」とよく聞かれますが、実は「エヴァ」ではなく北野武監督の「キッズ・リターン」からいただいています。「マサル」の名前もそちらからです。「キッズ・リターン」はその名の通り、子ども時代を回想していく話。子ども時代に忘れてきたものに再び触れるというストーリーを考えたときに、それならしっくりくるのはシンジとマサルだなと。
――そっちのシンジだったとは。北野作品は昔から好きでした?
川尻:「キッズ・リターン」を見たのはそれこそ中学生のころ。全作見てるので、そういう意味では結構影響を受けてるかもしれません。北野作品はどれも好きで、一般にはそれほど評価されていない「TAKESHIS'」とかもお気に入りです。
もし「ステラ」を作り直すとしたら
――もし今「ステラ」を作り直すとしたら、どんな展開にしますか?
川尻:今だったらJKラッパーのバチバチのバトルの話にしてたね。
――最先端という感じはしますね。「ゾンビランドサガ」で見た気がする(笑)。
川尻:ま、また先にやられてしまった……。でも山賀さんにも言われたけど、当時はやはりちゃんと監督の仕事をしてなかったんだよね。たぶん「こうしたい」って言い切って、それで周囲を説得できていれば、何かもっと良い方向にはできたんだろうなと思う。
――当時はなぜ言い切れなかったのでしょう。
川尻:単純に未熟さもありますけど、実はキャラクターにあまり愛情を持てないんです。サイコパスっぽいと思われるかもしれないけど。極端にいえば、そのキャラが「別に死んでもいいじゃん」と思ってしまうし、「ステラ」のゆらにしても、年端もいかない子の暴走を引いた目線で見てしまう。そしてあそこまで堕ちちゃったら、そんな簡単に部に戻るべきじゃないよなとも思う。その気持の折り合いが当時はちゃんと付いていなかった。
――ラストで無理やり仲直りするのは嘘っぽいと感じた、ということでしょうか。
川尻:それもあるし、人生って部活に戻ることが全てじゃないよなと(笑)。これは本編ではボツになってしまったけど、ゆらの感情が爆発して、「頑張って自分なりにやろうとしたけど、もう無理ですよこんなの」って、わーっと1話の独白で見せていたような部分を初めて表に出すラストも考えていました。その案ではゆらの妄想が現実になる超常現象も起こらず。先輩・そのらが「お前そんなキャラだったんだ」って爆笑する。単にそのらがゆらの存在を受け入れてあげるという終わり方でも良いんじゃないかと。
――あー、確かにその終わり方もきれいだったかも。
川尻:もともとトラジコメディー(悲喜劇)が好きなので、悲惨な展開もちょとコメディーのつもりで描いていたところはありました。それが伝わりきらなかったというのはあるかもしれない。「ステラ」でみんなが流しそうめんを楽しんでいるのに、ゆらだけ「私がやりたいのは流しそうめんなんかじゃない、サバゲーだ」って心の中で吐き捨てる場面とか、自分ではギャグのつもりだったんだけど(笑)。
――アニメでそういう表現をやろうとすること自体、ちょっとめずらしい気がします。
川尻:90年代後半からそういう空気を持ったアメリカ映画の作品群が現れてきて、そこにとても影響を受けています。監督名でいうと、ポール・トーマス・アンダーソン、チャーリー・カウフマン、トッド・ソロンズあたり。彼らは同じシーンに哀愁と笑いが同居しているように描くんです。こういったジャンルを「クウォーキー」と呼ぶと最近知りました。それで最近は自分でも「クウォーキーアニメ映画監督」を自称するようになりました(笑)。
 あるいは90年代以前の作品だけど、「ガープの世界」(1982年公開)もとても悲惨な話なのに、演出がすごい引いた目線で笑えたりする。以前山賀さんに「そういうのをアニメでやりたいんです」と伝えたら、「いや、それ俺が昔やってたんだよ」と言われて。山賀さんいわく、「王立宇宙軍」ではまさにジョージ・ロイ・ヒルを参考にしたっていうんですね。
 「王立」のころのアニメというと、子どもに見せたい教養的なやつか、ただひたすら面白いエンタメのどちらかしかなかったと。そのどちらでもない、当時のアメリカ映画では既に表現されていたやつをアニメでやろうとしたのが「王立」だったというんです。
――「王立」は画面はエネルギッシュだけど、テーマを完遂するためあえて抑制された演出やストーリーにしてる感がありますよね。
川尻:山賀さんは「その後『AKIRA』に全部持っていかれた」と笑ってましたけどね(笑)。当時でいう“大友”の座を今も「ウル」※で狙っているのでしょうね。
※「蒼きウル」・・・「王立宇宙軍」の続編。山賀監督作品として2022年公開予定(関連記事)。
アニメは業界を出ても作れる
――「ある日本の絵描き少年」を受けて、今後はどんな作品を作っていきたいですか。
川尻:今って山賀さん、大友さん、今 敏さんみたいな、あのテイストをアニメに持ち込む人が新しい世代にはあまりいない気がしていて。いないのなら、自分が「クウォーキーアニメ映画」として、その位置に収まる作品を作りたいという気持ちがあります。
 今回アヴニールさんと密に組んでやれたので、このままもっといろいろできる気がしています。取材で障害のある方のお話を聞いていると、「自立したい」とか、「親離れ子離れ」という結構難しい問題を抱えていることが多かったんですね。
――切実で、普遍的な問題でもありますね。
川尻:親離れって、セックスと暴力の映画を見てなんとなく大人になることだと思うんです。タランティーノの映画を親は嫌悪するけど、俺は好きなんだっていう。それを経てやっと親と離れられる。そういうジャンルの映画を障害のある方と組んでやれれば、面白いものができるんじゃないかと。障害のある主人公が最初はなめられてるんだけど、実はめちゃくちゃ強い殺人マシンだったとかね(笑)。
――次回作はもう準備中?
川尻:ちょっと毛色が変わりますが、恋愛ものの長編企画を練っています。3月に香���アジア映画投資フォーラム(HAF)への参加が決まっていて、そういうところなどで出資が得られれば……という感じです。次回作ではデザインで男女の性差を表現しようとしています。
――「ある日本の絵描き少年」のようにキャラごとに絵柄が違うとか?
川尻:その発展形だね。キャラごとに別の漫画家の絵柄のようになっていて、その違いに惹かれ合う。いろいろな絵柄が同居する画面になると思います。でもそれって今月公開される……
――「スパイダーバース」みたいですね(笑)。
川尻:それは分かってるんだよ! でも「スパイダーバース」の前からアイデアはあったの!
――「スパイダーバース」はともかく、実現したら面白い作品になりそうですね。
川尻:興味を持ってくれたアニメーターやアニメーター志望の方がいましたら、ぜひご連絡ください。それから、最後にこれは言っておきたいというのがありました。ぴあフィルムフェスティバルで入選した「Good bye, Eric!」という作品がありまして。これを作った高階匠監督は元アニメ会社の制作進行だったそうなんです。受賞会場でお会いしたときに元同業者だったこともあり、「お互いいろいろありましたね」とお話させていただきました。
 それでつくづく思ったのが、アニメ業界で寝る時間もなく身動きが取れなくなっていくぐらいなら、いつか自分の作品を作りたいという気持ちさえあればアニメ業界を出ても作れるということ。俺が言うのもアレだけど。見かけにこだわらず、いろいろ作ってみたら良いんじゃないかなと。
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yu-katsumata · 6 years
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俺達の唄
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新作「私たちは、」が来月18日から沖縄県で開催される沖縄国際映画祭2019で上映されます。 沖縄国際映画祭2019 特別招待作品「私たちは、」 沖縄国際映画祭ラインナップ発表 撮影から約2年。ようやく人目に触れることができます。ありがたや。 どんな反応が返ってくるのか、、本当に楽しみであります。 というかキャストの子たちも当時中学生と高校生。 女性にとってのこの時期の2年ってものすごく大きくて、偉大で、 ある意味、一番大人への階段を登る瞬間だったりします。 きっともう大人の雰囲気を漂わせているんじゃねーかな。 この映画のテーマは「大人になんかなりたくない」 おっさんの自分が描くには、なんだかみっともない気もしますが 未だにこの想いは自分の胸の中にあります。 大人になんかなりたくねー。 なので、人に自分の年齢を話すとき、 病院の診察のチェックシートに自分の年齢を書く時、 コンビニで「20歳以上」のボタンを押す時、なんだか変な感じがします。 いやー、普通におっさんなんですけどね。 大人ってのはなんていうか、もっと毅然としてて、達観してて、勇ましいものだと思っていた。 実際はどうだ。みっともねーおっさんだぜ。毎日ぐうたらしてるよ。 最近も近所に住む某バンドマンとしこたま飲んで酔っ払って、4駅分歩いたり、 打ち合わせで行った赤坂という街で、打ち合わせのはずがこっぴどく泥酔したり、 これまた打ち合わせで行った麻布十番のイタリア料理店では、僕ら以外全員パパ活女子と金持ち親父だったり、 深夜にスニーカーを3足買って、置き場に困ったり、(もうまじで置けない)、 大雨の中、横浜家系ラーメン総本山「吉村家」に並んだり(最高にうまかった)、 マンションの組合の美化清掃をさぼったら、4時間くらい説教されたり、 暇さえあれば昼間から舞台を見に行って、帰りにラーメン食って帰るという生活。 これのどこが大人だ。いいや、なんか悪くねーなーとも思う。 自分は大人だという自覚はないけど、文字にしたら究極のダメ人間で、 こういう大人ならありかもねって思う。我ながら自由すぎるわ。 中学の頃の自分が今の自分を見たらどう思うか。 みっともねーなーって言うか。うらやましいなって言うか。 俺はとにかく自由で、自由だからこそ全部の責任を全うしてんぞ。クソガキ。 明日が見えないっていうんなら、無理やりにでも見りゃいいんだよ。 夜は絶対に明ける。黙って目つぶって眠りにつけば、嫌でも立派な明日がやってくる。 まぁ、とにかく「大人」という得体の知れない実態と向き合った撮影の日々でした。 劇場では夏くらいに公開される予定です。 ネットが主流になった昨今、久々の劇場公開。なんかデビュー作の気持ちです。
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んなわけで、最近は次回作の準備をしています。 来月くらいには情報解禁されると思います。 その前にもちょくちょく映像を作る予定です。 あと、最近やたらニュースを賑わす、飲食店バイトたちの炎上動画。 ああいうの見ると、スマホのない青春を過ごして本当によかったと思う。 みんなやってただろ、あれくらいの悪ふざけ。 それが配信されて、そこに火をつける誰かがいるってだけの違い。 よーく考えてみる。 先人たちはまさか電話で人生が狂うような奇天烈な未来が待ってるなんて思ってもいないだろうな。 結局標的なんてなんだっていい。スマホ持ってりゃそれで誰を傷つけることができる。 電話に余計なもんがつきすぎた結果。肝心の通話が力を失う時代。 声と声が文字と文字へ。愛想笑いたっぷりのスタンプ。TikTokで踊り狂う時代だぜ。 否定はしない。ただ好きじゃない。それだけだ。 スマホが原因のトラブルなんて、結局目と目を見て話せば解決することが8割だと思う。 あと全然関係ないけど、ニュース見てると、「視聴者提供」の映像ばかりになった。 報道カメラマンよりもリアルなのは、一般市民。 被写体にためらいなくカメラ(スマホ)を向けられるのは、無知という武器。 よくこんな瞬間撮ってたなとか、よくここにカメラ向けようと思ったなとか、 感心する映像ばかり。 つまり誰でも報道カメラマン。テレビ局もツイッターで映像を探す時代だぜ。まじか。 そんなことより俺はね、 今月のサッカー国際親善試合でコロンビア相手にどんなサッカーするのか、 それだけが楽しみだぜ。 あとアジアカップの決勝。 カタールにまさかの敗戦とかなってるけど、まさかでもなんでもない。 カタールのサッカーの方が何から何まで上だったろ。あれこそ完敗。 言い訳なんてする余地のない、気持ちのいい負けっぷりだ。 日本が全然弱かった。それだけ。 そんなわけでアジア予選がまた楽しみになりました。 群雄割拠のアジア、どの国と試合しても苦戦すると思う。 今日の一曲はNORIKIYO / 俺達の唄 feat.MACCHO
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ここ数年、NORIKIYOのリリースペースが尋常ないレベルで早い。 去年の夏にフルアルバム、正月にミニアルバム。で、今月にフルアルバム。 その名は「平成エクスプレス」。 凄すぎるだろ、そのバイタリティ。 攻め続けるおじさんは無敵だと思わせてくれる。 メジャーもインディーも関係なしにリリースを続ける。とにかく吐き続ける。 つまりそれこそが攻めの姿勢だ。 リード曲のこの「俺達の唄」もいいけど、 愛犬との別れを歌った「Walk Wit Me」は涙なしでは聞けない一曲。 NORIKIYO、ほんとかっこいいなー。 スマホの画面っての撫でては眺め 誰かの暮らし それを覗いても変わんねぇ Lifeって名前のさその映画の主役はお前に決まってんじゃん そりゃ明確  で、3月6日、今日は最愛の人の誕生日。 その温もりが消えたのがいまだに受け入れられず今日も祝いに行く。 呼びかければ反応するような気がする。 まだあの街のあの部屋のあの場所に、いるような気がする。 いや、いるはずなんだ。 涙とかそういうのはガラじゃないから、思い切り笑い飛ばしていくね。 NORIKIYOの言葉を借りれば、 いつか俺がそっちに行ったら聞かせてよ、俺のどこが好きだったのか。
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AVAILABLE TO STREAM/DOWNLOAD ON NOV 23th CHECK IT OUT "Spotify"
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RECORDING MEMBER 野口英律 (Hidenori Noguchi) LeftsideDrums,Keybords,Synth,Bells,Tabla etc 石原雄治 (Yuji Ishihara) RightsideDrums, Bells アライカズヒロ (Kazuhiro Arai) Nylon Gt, Mandolin 安西哲哉 (BxAxNxZxAxI) ElectricGuitar Tsubatics ElectricBass 安藤裕子 (Yuko Ando) SopranoSaxophone 遠藤里美 (Satomi Endo) AltoSaxophone 桑原渉 (Wataru Kuwabara) Trumpet 松井修司 (Sshuji Matsui) Metallophone エリヲ (Eriwo) Percussion 武田理沙 (Risa Takeda) Keybords DJ MEMAI Turntable 千代 (Chiyo) Lyric 永田健太郎 (Kentaro Nagata) Mix & Master release event 2019 / 01 / 14 @新代田FEVER MUSQIS (ORCHESTRA SET) PANICSMILE 二宮友和+MUSQIS open 17:30 / start 18:00 adv2500 / door3000 yen + DrinkOrder
COMMENT “イマジネーションのブイヨン、そしてコーダのまろみ。 エスノすぎずラップすぎずカオスすぎずポップすぎず、 オモシロ具材が沢山入ってるけど、 キチンと破綻しないポトフ。“
赤倉滋(LOOLOWNINGEN&THE FAR EAST IDIOTS)
“人間は何処から来て 人間は何者なのか。 日々模索する日々。 MUSQISという音楽があると言う事は 自分にとって共にこの時代を 共に戦う仲間が居るという事。 そんな強くて、繊細な音が 本作には詰まっています。 更に先へ行こう。“
クロダセイイチ(Genius P.J's)
"舞台はチベットの山岳。 礼装した人々が供物を載せた家畜を引き練り歩く。 人はどこから来て、どこへ行くのか、それは誰のための祈りなのか。 人類のルーツを探る一大スペクタクルここに誕生。 そんな映画みたいな作品です。かっちょいい。"
長谷部 (大塚MEETS店長/DOSTRIKE)
"1945年の敗戦以降、 アメリカによる徹底的な文化侵略に曝され続ける子供達。 舶来のロックミュージックを浴びるように聴いて育った植民地第三世代は、 己れの遺伝子と模倣子の共鳴する音楽の起源を探求する中で 現在進行形の民族音楽を発明するに至った。 普遍性と個別性が同居する矛盾、 調和と混沌の狭間に生じる時空の裂け目をじっと覗き込んでみよう。 家の裏庭で幻の超古代兵器を発掘してしまったみたいな戦慄と興奮があなたの知的好奇心を刺激するに違いない。"
原田卓馬 (WINDOWZ)
"また来る冬を越えて僕らは何を覚えているのだろう。 ツギハギの社会、情報過多、積み重ねた忘却、幼少期、脳内で反復する言葉、季節の匂い。ノイズ。 そんな記憶を呼び覚まされる楽曲。"
100take(Light Source Definitions)
"人間という言葉はヒトとヒトの間に形成されるものなので、 プログラムでもあると僕は思ってます。 美辞麗句を超えたあるべき人間の姿について詠う事と空を眺める事を同じくらい忘れそうになってました。 この音楽が今鳴らされることに頼もしさを感じます。"
tani (ギタリストのような何か/インプロヴァイザー/ Tabletop Guitars/drop the delay)
"配信リリースおめでとうございます! MUSQISというバンドは、というより野口さんという人は多分、 宇宙から来たいや、宇宙に適応しちゃいそうな人なんだと思います。 交信はもう始まってますね、多分。 適応した後に、なんか適応しちゃったとか笑ながら言うんだと思います。 宇宙とノリで適応しちゃいそうな人が作る音楽興味ありますよね? サイケデッリクでオリエンタルなMUSQIS式宇宙適応術講座です、激必聴。"
藤村JAPAN (SEMENTOS / 新宿NINE SPICES 店長)
たとえば金曜日、午後9時50分。 しばしの休息を前にした、仕事帰りの労働者であふれるセブンイレブン。 ヨレヨレのスーツを着たサラリーマン風の男が、レジ前に立っている。 30代半ばくらいだろう。 耳には、Appleの白い純正イヤフォン。 大量のカップ麺と、大量のヨーグルトと、大量の発泡酒。 週末のプライベートタイムを、 ただれた飲食に費やすのだろう。 会計を終えた店員が尋ねる。 「お箸とスプーンお付けしましょうか?」 スーツの男は下をうつむいたまま、無言だ。 ふたたび、店員がさらに尋ねる。 「お箸とスプーンお付けしましょうか?」 スーツの男は無言だ。 やや声を張り、店員がさらに尋ねる。 「お箸とスプーンお付けしましょうか?」 スーツの男は無言だ。 吐き捨てるように店員が尋ねる。 「お箸とスプーンお付けしましょうか?」 スーツの男はそれでも、無言だ。 男の背後には、会計待ちの列ができている。 殺気。 舌打ちとため息。 「お箸とスプーンお付けしましょうか?」 スーツの男は無言だ。 よく見ると、男は右手の人差し指を一定のBPMで動かしている。 心なしか、頭も左右に揺れているようだ。 とてもゆっくりと。 男はグイッと、Appleの白い純正イヤフォンを力強く、耳に挿しなおす。 もしかすると、男の唯一の意思表示なのかも知れない。 「俺は今、音楽を聴いている。このツインドラムが醸し出すDOPENESS。 このリリックが浸食するWILDERNESS。それを遮る権利は誰にもない」 あるいは、そんな脳内宣言を繰り出しているのかも知れない。 男が聴いている音楽が、 たとえば、MUSQISだとすれば。
山下哲史(ターンテーブル奏者/即興演奏者)
"JTNCに呼応するかのようなMUSQIS最新型Experimental Music!!! "
高澤 瑛 (lang / Bridge Guitars店主)
"万物を楽器と捉えることができる自然なイマジネーション。 確かに光っているものであればどんなに見えにくい光でも、 その光の魅力を感じることができる審美眼。 そして、時を経ても尚、正解のない問題を明日も新鮮な気持ちで解きあかそうとする精神。 そこに住む人々の独特な呼吸音から始まり、民族音楽は生まれたと聞く。 MUSQISの呼吸を、しっかりと感じとれる。 それはセンセーショナルでありながら、何かの否定から生まれたものではなく。 全てを包み込むような温かさを持ちながら自然の中で力強く生きていく文化が生んだ呼吸。 わいは美しいものを心で自然に美しいと感じられる尊さを感じたんや。 ほんまやで。 "
Taka-shit JPN aka 安藤 (ライブハウス北浦和KYARA店長)
"リリースおめでとうございます。 野口くんはまず人柄がとても良いのですが、 彼の音楽を聴いたりパフォーマンスを見たりすると、 この人なんなんだろうな、とわからなくて面白いです。 天然の部分とコントロールされた緻密さがすごいなと思います。 この曲も、スピリチュアルで抑制された雰囲気の中、聴くたびにいろんな音といろんな意図が発見できる曲です。"
キシノジュンヤ ( HOPI / the mornings )
"直線的イメージと、 360°包囲される感覚 出発と、エンディング どこだか分からない異国感と、 どこで感じたか分からない懐かしさ 伝達系統の中で ネットワークが意志を持って 自由に拡張と収束を繰り返す そんな行ったり来たりをしているうちに いつの間にか曲が終わってました! リリースおめでとう!!。"
まいこ (つしまみれ)
"ライブとは別物のテクスチャとバランス感覚。 でもブレない。 極端さはないが、穏やかに近づいて、穏やかに喉元まで登ってくる。"
タナカユウキ (extremeOBSN/suthpire/ZENANDS GOTS/whales)
"優れたミュージシャンたちの集まりがMUSQISだと思っていたが この音源を聴いて認識を改めた。 強烈な芸術家集団である。 油絵のように色を織りなし一個の明らかなイメージとなり、 音楽的知性とは違うところにある感性に迫ってくる。"
二宮友和(PANICSMILE、uIIIn)
"東京を離れて5年ぐらい経つと住んでいた時にぼんやり感じていたものが輪郭を持ってくるのか、 摩訶不思議な街だったんですよね、強烈で。 海外の映画に出てくる東京、 とかあと80年代の東京のニューウェーヴ/オルタナロックから感じた強烈なアジア感、みたいなキラキラ感、猥雑な感じ。 スパイスカレーが大好きな人が沢山周りにいたなあとか。 それを再認識しております。 こうして福岡でMUSQISの曲聴いていて更に明確になったというか、 とてもリアリティがあって、 正に今の「気分」の曲でした。 言葉も音も凄く面白いです。"
吉田肇(PANICSMILE)
"ノスタルジーと先進。洗練と混沌。美と醜悪。 幻想的でいつつひどく現実的。 相反するものが同居する音世界"
イワモトミサト (HELLO STRANGER)
"歴史や匂いや風景や色や建物とか、 たくさんのレイヤーが統合される寸前のギリギリを保ってそこに存在している感じ。 液体よりは個体。 ラストは都会の雑踏、 巨大なスクランブル交差点の中で長い夢から覚めた感覚。"
おのてらえみ (The Taupe)
"楽曲も音もとても好きです。 緻密でミニマル、でも人間味がありワイルドで力強く、 作戦を遂行する姿は、幻影旅団みたいだなと思いました。"
小倉直也 (MASS OF THE FERMENTING DREGS , baduerykah , SYMBOL)
"この楽曲に持ったイメージは砂漠を旅するジプシー。 MUSQISというグループはリーダーの野口氏を核として流動的に活動しているのでその辺もまたジプシー感を僕は感じています。 ただここに出てくる砂漠とはいわゆる東京砂漠。 混沌と秩序、 狂気と正気、 理性と感覚、 不安と平静、 とそんなものが同居しているようなまさに東京という砂漠を僕自身も旅している気分になりました。 リリースおめでとう!"
久恒 亮(AxSxMxUx / Transkam / studio Zot)
"部屋で一人で聴くの危険! ディープな精神世界から戻れなくなっちゃう!"
御代田悟 (K-MIX SHIZUOKA HITS ON PARADE パーソナリティ)
"哲学的な響きだ。 聴き終えて、もう一度聴く。 冒頭の砂利を踏むような音が人間が前に進む思考する音に聴こえる。 哲学的な響きだ。 緻密に構築された音が幻惑的で民族感があり、 個人差あるだろうが、これはリゼルグ酸かなんかで俺の脳内で流れていて 現実には存在しない音楽なんじゃないか? と心配になるほどサイケデリックに鳴る。 一度聴けば、ロジカルな音像に、 もう一度聴けば、ラジカルで哲学的で、 さらに一度聴けば、全て引っ括めて脳へのドープだ。 うだうだ言いましたが、とにかく素晴らしいの一言です。 作ってくれて有難うございます!!"
榮勇太 (ゆれる)
"やばいです! 音楽で地球とか作ろうとしてるんじゃないかって思いました。 (MUSQISが地球作ろうとしている前提で話しますが)あなたは音楽で地球作ろうと思ったことありますか? 俺は残念ながら思ったことがありません。。。(これから作って見ます!) 大地の鼓動や地平線のはるか向こうや生命の脈々と受け継がれし何やかんや、 そして最新のテクノロジーまでを感じたい方はぜひご一聴を。"
松本一輝 (Temple of Kahn , ravenknee , phai)
"十数年前、はじめてDCPRGを聴いたとき 「どんな生活をして、何を食べ、どんな体験をすれば、こんな音楽に辿りつくのか?!なんだこの(よい意味で)キチガイな音楽は?!」 ってなったことが記憶に蘇ってきた。 たとえば、それがMUSQISだったとしても、そのときの僕は同じ印象を持っただろうな。"
タニタカヤ ( LLRR, ex.otori )
"宇宙と無。 異国と日本。 古代と現在。 BGMと精神的音楽。 相反する要素がたっぷり詰まってて、しかも全てハマってる。 面白い。 MUSQISは10年後もMUSQISのままでいてほしいし、きっとそうであってくれると思う。"
森大地(Temple of Kahn / kilk records)
"踏みしめる足音、 旅の途中、 脳内で繰り返すギターメロディ、 雪月風花、 四分半の己との対峙、葛藤、 ただ、つま先は前を向いてる"
キドウラコウイチ (World Wide Size/kiyasu orchestra/HAIGAN)
"東京銀河音楽です。"
MORIKON (pocketlife / PAPRIKAN / Delicate Zoons )
"目標物が何も無く、薄暗い一面雪の中を真っ直ぐ、ただただ歩いている映像。 対して、遊牧民が周りを浮遊、回転しながら祝祭を行なっている様にも思え、混乱。 エネルギーの向かう方向、かつて内に向かって凝縮されるように感じていた。 CuriousSystemでは強烈に外へ。 矢印は様々な曲がり方、でもあくまで個。 音楽としての次元が上がったから?以前よりハッキリと感じる。 霧散されているわけでは無く、複数の線が世界地図を手前から奥に塗り潰す様。 混乱。 高円寺の喫茶店、お婆さんが隣の席のBボーイ、ガールカップルに声をかけオリジナルマッサージを施術中。 お婆のテンションはエスカレート、 Bボーイ彼氏の背中をハデにバシバシ、シバきはじめた。 喫茶店中が注目しているが、お婆は御構い無しにバシバシシバく。 あ、Bボーイがキレた。霧散。 昨日一昨日、酔いに任せ夢遊し何度も聴いていた。 高円寺、博多駅、呟きながら歩いた。 左右に振られたドラム、野口君のツイートを思い出しながら数えながら歩く。 MUSQISのブレイクから戻ってくるスピードが速いとこがたまらなく好き。 いまは福岡、今はどこか?いつか? ヴィジョンや言葉で表現できないこと、面白いけど、今回のムスキスはなんだか掴めそう? 掴んでいる?かも。"
じった(マクマナマン / KELP / snarekillsnation)
"8+6の変拍子が身体に落とし込まれて、 言葉が何かを訴えていく果てに破綻して広がる宇宙感覚は太い幹のようだ。 荒寥として無国籍エスニックな皿は既に僕らの背骨を貫通している。 そこに言葉が刻み込まれて解放される。 深く���く。 野口の長い髪の匂い。"
佐々木すーじん (scscs)
"僭越ながら、こうして楽曲にコメントをさせていただくのは初めての経験でして、とても嬉しく思います。 「Curious System」を聴きまして、 スピリチュアルとか虚無的といったイメージや手触りがまずあったのですが、 何度も聴いていくうちに不思議なあたたかみのようなものを感じるようになりました。 "わたしたち"や"かつてのわたしたち"がためらってしまったであろう藪を掻き分けていった先に広がる茫洋たる思索の荒野、 その果てに集った人間たちの祝賀か呪詛かそのどちらもか。 次なる荒野を目指すかのように盛大かつ粛々と奏でられる音に、 脳細胞と筋肉とぜい肉と骨が等価値で躍動させられながら "音楽のはじまり"に思いを馳せました。"
kawauchi banri (てあしくちびる)
"ラップの声に癒されます。中東な音もいい感じ"
宝生久弥 (Scaperec)
MUSQIS MAIN PAGE HERE
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choiomo-movie · 3 years
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祝!海外公開&アジア各国映画祭へ出品決定!! 切ない…?ホロ苦…?バレンタインの思い出告白
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この度、映画『ちょっと思い出しただけ』の公開を記念して2月12日(土)、東京・渋谷のヒューマントラストシネマ渋谷にて舞台挨拶が開催され、池松壮亮、伊藤沙莉、永瀬正敏、松居大悟監督が登壇。本作にも出演している屋敷裕政(ニューヨーク)がMCを務めた。なお、映画公開日の2月11日は、永瀬さんが39年前に主演し俳優デビューを飾った『ションベン・ライダー』の公開日でもあり、“俳優・永瀬正敏”の誕生���を祝い、サプライズで松居監督から永瀬さんに花束が贈呈された。コロナ禍にあって、無事に公開を迎えたことに一同ホッとした様子。本作は海外のアジア各国の映画祭への出品、および香港、台湾、シンガポール、マレーシアでの公開も決定しており、松居監督は「コロナというものは世界共通のもので、そういう中で僕らは去年、この映画を撮ったんですが、いろんなことを思い出したりしながらも前に進める――『昔はよかったけど、いまも悪くないな』という思いになってくれたらいいなと思います」と思いを口にする。池松さんと松居監督は十年来の付き合いとなるが、池松さんは「最初に会ったのが二十歳の頃で、松居さんも20代でした。毎回、新しいことを一緒に挑戦できていて、お互いにアップデートした上でやれている」と互いに“進化”しながら一緒にものづくりができる喜びを語った。 伊藤さんにとっては、初の松居組となったが「みんなですごく松居さんを支えている感じがしました。松居さんの独特の世界観をいかに実現させ、叶えるか? みんなが一生懸命、寄り添ってやっているのを感じました」と撮影をふり返る。本作は、人気バンド「クリープハイプ」の尾崎世界観が、バンド結成のきっかけにもなったというジム・ジャームッシュの映画『ナイト・オン・ザ・プラネット』に着想を得て、コロナ禍の中で書き上げた楽曲「ナイトオンザプラネット」をベースに、尾崎さんと親交のある松居監督が脚本・映画化した作品。永瀬さんは、ジャームッシュの『ミステリー・トレイン』、『パターソン』に出演した経験もあるが、松居監督は永瀬さんへの出演オファーについて「ジム・ジャームッシュの『ナイト・オン・ザ・プラネット』があって、クリープハイプの『ナイトオンザプラネット』という曲があり、それが『ちょっと思い出しただけ』という映画になるとき、ジム・ジャームッシュのDNAを引き継ぎながら作りたいと思っていて、そういう時にジャームッシュの作品に出ている永瀬さんが映画の中で生きていてくださると映画としての説得力、強さが出ると思った」と明かし た。それに対し永瀬さんは「すごく嬉しかったですね、尾崎さんが曲を作ってくれたのもすごく嬉しかったです」と喜びを口にしている。映画『ナイト・オン・ザ・プラネット』は世界5都市のタクシーで同時に起きている出来事を描いたオムニバス映画だが、永瀬さんによると同作品の製作前後に「ジムが『“東京編”を作れなかったのが残念だ』と話していた」のだとか。同じ時間の世界5都市の物語であったため、時差の関係で東京の物語を入れると、東京だけ“ナイト(夜)”ではなく、“デイ(昼間)”の話になってしまうために実現しなかったそうで、松居監督は「永瀬さんが、今回の現場で『ジムがこの映画を観たときに『ナイト・オン・ザ・プラネット』の“東京編”だと思ってくれたらいいね』と言ってくださった」と嬉しそうに明かし、永瀬さんも「尾崎さんの(この曲を作るに至った)話を聞くと、グッとくるものがあったし、仲間に入れていただいてありがとうございましたという気持ちです」としみじみと語っていた。 ちなみにMCを務めた屋敷さんは、現場で共演したのは伊藤さんのみで、池松さん、永瀬さんとはこの日が「はじめまして」。屋敷さんは「昨日からエゴサしかしてない(笑)」と自身の演技への評価が気になるようだが「いまんとこ、『屋敷がダメだった』っていうのがなくてホッとしてます」と安堵の表情。池松さんは完成した映画について「(伊藤さんと屋敷さんの)2人のシーンが良かったですよ」と称え、伊藤さんは「すごく自然でした。アドリブもガンガン来て、余裕だなぁって思ってました」と称賛を送る。これに気を良くしたのか、屋敷さんは「俺は普段のまま、“ただしゃべってるだけ”」と映画タイトルにかけてボケるが、会場は静寂に包まれる。これに屋敷さんは「映画の客はお笑いと違ってやりづれぇな!」と八つ当たり気味に毒づいていた。その様子に、池松や伊藤らからも大きな笑いが。 また、この日はバレンタインが近いということで、登壇陣が「バレンタインのちょっと思い出すエピソード」を披露。池松さんは、小学生低学年の頃にチョコをプレゼントされるも「物心がつき始めて、恥ずかし過ぎて、帰り道に空き地に投げました…(苦笑)」と告白。「親にも説明できないし、食べるのも恥ずかしいし…」と申し訳なさそうに、チョコを投げ捨ててしまった当時の心境を明かしていたが「その空き地にその後、キレイな家が建ったんですよね。茶色い家が…」としっかりオチまでつけて笑いを誘っていた。 一方、伊藤さんは「素直な性格じゃなくて、『好き』って言いたいけど、バレたくないっていう気持ちがあった」と自身の心境をふり返り、本心をカムフラージュするために「全員分のチョコを作って、本命のひとりだけ、中身を変えた」と複雑な乙女心を明かす。その本命の男子が先に帰ってしまったため、わざわざ家まで赴き「これ、みんなに渡してるから」と言いつつ、無事にプレゼントすることができたそうだが「次の日に、その子が『俺だけ中身違った?』と聞いてきたので『お前だけ残り物で作った』と言って終わった…(苦笑)」と素直になれない女子の切なすぎる思い出を明かしてくれた。 また、この舞台挨拶の前日の2月11日に本作は公開を迎えたが、39年前のちょうど同じ2月11日は、永瀬さんが俳優デビューを果たした映画『ションベン・ライダー』(相米慎二監督)が公開を迎えた日。この嬉しい偶然を祝って、松居監督からサプライズで永瀬さんに花束が贈られた。 最後の挨拶で永瀬さんは花束を手に「いろいろ、思い出しちゃって…動揺しています(笑)。39年前の情景は、あまりに緊張していて覚えていないのを思い出しました」と語り、さらにこの日、劇場に足を運んだ観客に「こうした状況の中で、みなさんに映画館に座っていただける喜びを噛みしめています。(池松さんと伊藤さんの)お2人が素晴らしいので、ぜひそれを噛みしめてください。僕にとっては監督、尾崎さんへの感謝の映画なので、その思いがひとりでも多くの人に届くといいなと思っています」と語りかけた。 伊藤さんは「いま、何気ない日常を思い出して、その大事さや愛おしさを多くの人が感じているんじゃないかと勝手に思ってるんですが、この映画は『前は良かったな』と思い出すことで、逆に前に進めたり、前を向けたりするんじゃないかと思います。希望を感じる作品だと思うので、この映画を観てみなさんが人生を前向きに捉えたり、肯定していただけたらいいなとひそかに願っています」と語る。 池松さんは「切ない映画であり、ビターで、あまり(過去を)ふり返りたくない人もいて、そういう(センチメンタルな)映画にカテゴライズされがちですが、決してそうではなく、自分たちが今、生きていること、これから生きていくことにまつわる映画です。2時間、どっぷりと浸って帰っていただけたら嬉しいです」と呼びかけた。 そして松居監督は「いま、苦しいとかイヤだって感じることが多いと思うけど、当たり前だったことが当たり前じゃなくなったことで、こうやって映画館に来れるとか、人と話せることが昔よりも嬉しく思えるようにな ったと思います。そうやって、失ったものではなくて、手に入ったものを愛しく、抱きしめられるようにこの映画を作りました。そんな些細な日常を、いまの僕らが生きているコロナ禍から遡っていって、愛おしい感覚を持っていただけたら嬉しいです」と挨拶し、会場は温かい拍手に包まれた。 最後の最後に屋敷さんは、松居監督から締めの挨拶を求められ、突然のフリに困惑しながらも「大どんでん返しに期待してください(笑)」と冗談で返し、舞台挨拶は幕を閉じた。
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roomofsdc · 3 years
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SDC映画の部屋「JSA(2001)」
20世紀末の韓国と北朝鮮の国境、板門店で深夜にある事件が勃発する。北朝鮮の下士官と兵士が韓国軍の兵士により射殺されたのだ。事件の真相をめぐり両国はお互いの言い分を譲らず、一触即発の事態となるが、国際機関の調停を受けてス��ス軍の女性将校が調査に訪れることになる。当事者である韓国軍兵士(イ・ビョンホン)、射殺された北朝鮮下士官(ソン・ガンホ)の経歴を調べるスイス軍のソフィー少佐(イ・ヨンエ)は、彼らが単なる国境の警備兵ではなく、複雑な経歴を抱えていることに気が付く。そして自らの出自もまた問われていることに混乱するソフィー。果たして事件の真相はどこにあるのか、ソフィーの下した決断は… 韓国映画が現在の隆盛を得るに至ったその礎となるのは何か。私の考える限り「シュリ(1999)」の大成功はその重要な一つであると思う。同作品はそれまでの韓国映画、いやアジアのアクション映画の概念を覆すような本格的なアクションと南北の分断という重いテーマを融合させて、作品的にも興行的にも韓国映画が世界で勝負できるレベルにあることを証明した。プライドばかり高い隣の島国が、韓国の成功を横目で見ながら変わらず的外れな感動アクション大作映画を作り続けているのに比べると、極めて戦略的で、そして結果を出し続けていることを考えれば、どちらがエンターテイメント大国であるかは一目瞭然である。その「シュリ」が大ヒットした翌年に、韓国で公開されたのがこの「JSA」で、ソウルでは「シュリ」の観客動員数を上回るヒットとなった。比較的メッセージ色の強い、ポリティカルサスペンス韓国映画として日本では公開され、疑心暗鬼で観に行った私だったが、ところがどっこい映像的にも構成的にも凝った非常に味の濃い映画だった。 板門店をまるごとセットで作って撮影したのだから、制作会社にとっては超メジャー大作であることは間違いない。本作品には、映画的にトリッキーな伏線が張り巡らせられており、監督の手腕の確かさが伺える。その一方で、月夜の芒が原とか、闇夜のフクロウとか、飛び降りを描く凝ったシーンとか、映像的フィクションをふんだんに盛り込むところなどは、自主映画出身の監督らしい一面が表れている。ただ韓国映画の常として情緒的に流れすぎる嫌いはあり、もう少し醒めた視点の役柄が絡んでいた方が良かったのでは、と思わずにいられない。シナリオも「いくら何でも!」と突っ込みたくなるような杜撰さが目立ち、ある程度のところまで来ると、これは現実的なポリティカルアクションではなく、一種のファンタジーなんだ、と自分を納得させる努力が必要なのは残念。それでも最後まで目を離せないのは演じている俳優たちの熱気と映画としての熱量によるものだと感じた。 監督のパク・チャヌクは本作がメジャーデビューと言っても良い(長編としては三作目)が、これを契機に「復讐」三部作を次々と発表し、「オールド・ボーイ(2003)」はカンヌ映画祭で世界的に注目されることになる。ソン・ガンホとイ・ビョンホンの活躍は言うまでもないが、イ・ヨンエもまた「チャング���」で国民的な大女優となることになるとは、私もこの時点では全く予想もできなかった。それでもこの映画でのイ・ヨンエの可愛らしさは、この陰鬱な映画に鮮やかな彩りを残している。彼女のファンであれば必見である。 余談だが、日本公開当時に日本版イメージソングを歌っている加藤登紀子がこの映画を「韓国版ディア・ハンター」と評していた。あれは「ヴェトナム」という過去を「ノスタルジー」に置き換えて自己憐憫に浸る映画であり、これは2000年の時点でまだ「現在」の問題だった南北の対立を、どうすることもできずに傍観する韓国の若者のための映画という点で大きく異なると感じた。そしてさらに20年経ってもまだ解決の糸口すら見つからないということにも無力感を感じずにいられない。
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iktsarpok · 2 years
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ぎふアジア映画祭
2本めに観たのは、香港、中国の映画
香港の映画を観るのは本当に、久しぶり。
若い頃、少しだけ香港の映画にハマっていたことがあったけれど、もしかしたらそれ以来かもしれない
さて、現在、香港はどんな映画が作られているのだろ?
**************
『少年の君』     香港 中国
主人公のチェンは、高考(全国統一大学入試)を控える高校生。どうやら成績は優秀なようなのに、どこか怯えているように、萎縮しているように見える
映画から伝わってくる学校生活は息苦しい。
高考試験で合格して、大学に入ることで開ける人生とそうでない人生にかなりの格差があるのだと思う。賭けているものが重すぎて、10代の彼らにのしかかるストレスは半端ないはずで…
中国だなあ、と思ったのは
校舎、校庭に溢れるほどの生徒たちや
チェンの暮す集合住宅。
建物が高くて大きくて暗くて密集していて、
人口半端ないなあ!と。
それは、どこにいても呑まれそうな圧を感じさせる
映画から伝わってきたのは、過酷さ
生きることって、こんなにしんどいのか
って思ってしまう
生まれてきた環境によっては、ってことだけど。
自分が選んだわけではない環境のもと生まれて、そこから抜け出すこともままならない。
ストリートチルドレンのシャオベイ。
あることがあり、イジメの標的になったチェンと、シャオベイは出会う。学校に行っていないシャオベイを見下していたチェン。
エスカレートしたイジメに、身の危険を感じたチェンはシャオベイに守って欲しいと頼む。
言葉少ないふたりが語り合う場面も少なくて、観ているこちらはモヤモヤ、ヒヤヒヤするのだけれど、ふたりに絆がうまれる。
が、後半。
おいおいっ
それはないでしょっ!
という残酷な出来事があって
ふたりは、ある決意をするのだけれど、
それが、まあ、切ない切ない。
お願いだから、ふたりをほっといてやってよ
と、ふたりを追い詰める大人を憎たらしく感じる。
追い詰める大人は警官で、彼の信念というか正義、は正しいのか?
って、私などは思ってしまうけれど、
でも、たぶん、
正しいのだろうな
けど、やっぱり、いろいろと
悔しいなぁ。
映画の後半、揺さぶりをかける大人とふたり。折れるな、と祈る私。緊張感と緊迫感。
さらに涙は出るわ、それに伴って鼻水は出てくるわで、映画が終わって、座席でしばらく、映画観終わった感を味わいました
うん、美しい映画だったなあ
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theatrum-wl · 6 years
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【劇評】夢幻的光景のなかで提示されるリアリズムのねじれ
リシャール・ブリュネル演出『海を見たことがなかった女もいた』(ジュリー・オオツカ『屋根裏の仏さま』より)@アヴィニョン演劇祭
片山 幹生
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〔Certaines n'avaient jamais vu la mer © Christophe Raynaud de Lage〕
1.日系アメリカ女性移民の叙事詩的文学の舞台化
日系アメリカ人女性作家のジュリー・オオツカの小説『屋根裏の仏さま』が、フランスで演劇化され、今年のアヴィニョン演劇祭で上演された。
20世紀初頭にアメリカに「写真花嫁」として移住した日本人女性たちの苦難を叙述したこの小説は、2011年にアメリカで公刊された翌年にフランス訳が出版され、フランスではフェミナ賞外国小説賞を受賞している。ちなみに日本語訳は新潮社から2016年に刊行されている。
フランス語版のタイトルは『海を見たかったことがなかった女もいた』(Certaines n'avaient jamais vu la mer)で、舞台版の翻案・演出を行ったのは南仏の都市ヴァランスの国立センター、コメディ・ド・ヴァランスの芸術監督、リシャール・ビュルネルだ。この作品はビュルネルにとっては、はじめてのアヴィニョン演劇祭の公式招聘作品(「イン」と呼ばれる)となった。
『海を見たかったことがなかった女もいた』には12人の俳優が出演するが、その中には別稿でインタビューを掲載している二人の日本人女優、外間結香と竹中香子が含まれている。日本人女優がフランスの国立劇場制作の作品のキャストに選抜され、アヴィニョン演劇祭のインの演目に出演するというのは、画期的な事件ではないだろうか。作品は修道院教会の回廊であるカルム回廊中庭で上演され、多くの現地メディアから絶賛された。
本稿では、この作品のアヴィニョン演劇祭公演について、現地評を参照しつつ、記述していきたい。
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〔Certaines n'avaient jamais vu la mer © Christophe Raynaud de Lage〕
2.コロス的演劇、流動性の高い美しい夢幻的スペクタクル
『ル・モンド』、『フィガロ』などフランスを代表する一般紙に掲載された劇評を含め、16の劇評を私は確認することができた。私が参照した16の評のうち、否定的な評は一つだけで、残りの評は概ね肯定的な評価だった。アヴィニョン演劇祭での『海を見たことがなかった女もいた』の公演は、現地の批評家、観客たちから支持されたとみていいだろう。
『海を見たことがなかった女もいた』はほぼ原作小説の構成を蹈��している。「写真花嫁」たちが経験したいくつかの主題・出来事にもとづく複数の断片的証言が「わたしたち」という主語とともに提示される。特権的な主人公はいない。多数の無名の女たちの語りは、「わたしたち」を主語とする文章で並列され、一つの総合的な語りへと集約されている。語られるのは個別的で具体的なエピソードでありながら、その一人称複数による文体の無名性と多数性ゆえに、原作小説の叙述は高い抽象性・象徴性を持つ叙事詩的次元に到達している。
まず厳しい評から紹介しよう。マルティニークの文芸批評マガジン、Mandinin'artのセリム・ランダーは、『海を見たことがなかった女もいた』の舞台は原作小説の「単なる説明の段階を超えるものではなく、原著の読書がもたらした衝撃にははるかに及ばない」、「原文に含まれる暴力も優しさも満足いくような表現に到達していない」と否定的な評価を下している。
「わたしたち」によって語られる単一性と集合性を舞台上に移し替えるために、演出のブリュネルはギリシア悲劇のコロス的手法を用いた。このコロスの用い方を高く評価する評は多かった。『ル・モンド』紙のファビエンヌ・ダルジュの評から引用しておこう。演出家のブリュネルの演出は「原作の持っていたあらゆる感情的な次元と繊細さを演劇的なかたちで見事に再構築することに成功」しており、「コロスという形式が、痛ましい響きの朗唱のなかで、女たちの声の複数性を聞かせてくれる」。
批評サイト、L'Insenséの評者アルノー・マイゼッティ は、さまざまな主題が拡散していくなかで、この舞台は「個別性を乗り越えることができるようなコロスを作り上げることで、個人的な体験から共有されうるものを立ち上げようとする意志を感じとることができる」と記している。
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〔Certaines n'avaient jamais vu la mer © Christophe Raynaud de Lage〕
舞台の視覚的美しさについては多くの評が言及し、絶賛していた。薄くて白い布のカーテンが舞台の周囲でゆらめき、そのなかには実に多くのオブジェが入れ替わり立ち替わり現れる。背景のカーテンや移動する白い「衝立」はスクリーンとなり、そこには「写真花嫁」たちのポートレートをはじめ、さまざまな感覚的な映像が映し出される。その映像表現は舞台上の女たちの不安や恐怖を敏感に映し出す。
舞台上で語られるのは断片的なエピソードだ。その断片とともに舞台上の風景が次々と変容し、移り変わっていく。滑らかな流動性が視覚に与える快感はこの舞台の特筆すべき美点の一つだ。エピソードの羅列がもたらす単調さと反復は、演者たちの優雅で舞踊的な動きと結びつくことによって、視覚的な詩を作り出していた。CULTUREBOX に掲載された評の一節を引用しておこう。
「変化する舞台装置、素晴らしい衣装、俳優たちのダンス。さまざまオブジェが舞台上を滑り移動する。経過する時代にふさわしい場面が現れ、この苛酷なドラマに豊かさをもたらしている」。『テアトラル・マガジン』は「断片的な語りで構成された形式は、Anouk Dell'Aieraによって制御された舞台美術とバレエによってダイナミックな活力を獲得していた」と評している。
フランスの文化芸術の批評サイトNONFICTIONの記述は以下の通りである。「とても美しい舞台美術は、自然主義的の要素が強い。衣装と装飾品はできるだけ考証をふまえたものが用いられていた。移民たちが働くテンサイ畑、織物工場、アメリカのブルジョワ家庭の屋内についてもそうだ。しかしこれらの自然主義的要素は、多彩な照明、古い肖像写真やビデオ映像のポートレイトが映し出されるスクリーン、裸の空間のあいだの舞台全体に散りばめられた実物の小道具の数々によって、緩和されていた」。
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〔Certaines n'avaient jamais vu la mer © Christophe Raynaud de Lage〕
「写真花嫁」の歴史と物語は20世紀初頭にはじまり、太平洋戦争開戦とともに終わる。長きにわたる苦難の連続のあとようやくアメリカ社会に居場所を確保しようとしていた日系移民たちは、日米開戦とともに生活の場を追われ、収容所に入れられてしまう。
『海を見たことがなかった女もいた』の舞台の構成は原作小説と同じく二部にはっきり分かれていて、最後の1/4の部分は日本人がいなくなった町で消えた日本人について語るアメリカ人ブルジョワ婦人の一人語りに託される。それまでは7人の女優と4人の男性俳優によってコロスのかたちで場面が展開していくのだが、最後の場面はナタリー・デセーのモノローグとなる。
デセーはその優れた歌唱力のみならず、卓越した演技力でも知られた世界的なオペラ歌手だったが、数年前にオペラ歌手を引退し、俳優として活動を始めている。『海を見たことがなかった女もいた』はデセーが俳優として本格的な舞台に出演することでも注目されていた。
集団的コロスによる舞踊的演出が行われていた前半とデセーのモノローグ劇となる後半は、どちらも「わたしたち」という一人称複数によって語られるとはいえ、表現として際だったコントラストをなしていた。この表現上の対照は、物語の内容にも対応した優れたアイディアだ。デセーはごく短い歌を一回歌うだけで、抑制された静かな芝居を行う。オペラの演出を変えてしまったと言われるぐらいオペラ歌手としてのデセーの作品解釈と演技は優れたものであるが、そのセンスのよさは今回のような語りの芝居でも発揮されていた。
私が見た7/20(金)の公演では、このデセーの出演場面が始まる頃から空に雷光がきらめき、強い風で舞台をとり囲む白い布が激しくゆれ動い��。時間が進むにつれ、ごろごろと不穏な雷鳴がとどろきはじめ、終演直前には雨が降り始めた。そしてカーテンコールのあとに、土砂降りとなった。
こうした予想外の天候の急変は、日本人が去った町の不安と空虚さを語るモノローグの内容に呼応する不穏な雰囲気を作りだし、結果的に見事な演劇的な時空を作り出した。しかし劇全体から考えると、デセーのモノローグ劇の時間は長く取られすぎてバランスが悪い。大スターであるデセーを起用する以上、それにふさわしい場を用意する必要があったのかもしれないが、この芝居ではデセーのキャスティングは中途半端で、せっかくの大スターを無駄遣いしている感があった。
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〔Certaines n'avaient jamais vu la mer © Christophe Raynaud de Lage〕
3.フランスの舞台作品で、フランス語によって日本人が演じられることへの違和感
別稿のインタビュー記事のなかで出演者の竹中香子が話していることだが、このプロダクションの画期的なところの一つは、これまでフランスの舞台ではあまり活躍の場がなかったアジア系の俳優が多数出演していることだ。移民問題は現在のヨーロッパ演劇では重要なテーマであり、フランスの演劇界でも民族多様性が問われるようなっていると言う。結果的には、日本人俳優は竹中香子と外間結香の二人で、他は中国系、ヴェトナム系、韓国系といったアジア系俳優以外に、白人の俳優もキャスティングされた混成的編成となった。
原作は英語で書かれているが、ブリュネルの舞台用翻案では台詞は当然フランス語がベースになっている。しかしフランス語だけが舞台言語として使用されているわけではない。映像には日本語が映し出されるし、劇中で歌われる歌の歌詞は日本語だ。俳優が話す台詞にも時折日本語と英語が混じる。
『海を見たことがなかった女もいた』のキャストの多民族性、舞台言語の多言語性は、フランスの批評家や観客は違和感を覚えることがなく、むしろ肯定的に捉えていた感がある。L'Insenséの評者は次のように記している。この作品で、観客は様々な出自の俳優の身体と言語を受け取る。作品は「複数の異なる言語、異なる訛り、そして異なる抑揚を聞く機会でもあった。こうした機会はフランスの舞台ではほとんどない」。
『ラ・クロワ』紙の評は、「日本人、韓国人、中国人、フランス人の女優たちはいずれもすばらしい。それぞれが自分の特性を示しながら、同時に一つに溶け合っていく。彼女たちの長台詞は、それぞれの生の複数性を伝えながら、共通の運命を描き出す」と記している。『レ・ゼコー』紙では「繊細でときおり過剰に思えるほど抑制された雰囲気のなかで、日本、韓国、中国、フランスの8人の女優たちは、共同の建造物を作るために、それぞれが持っている石を積み上げた」とあった。
竹中香子と外間結香はいずれも、この作品に参加するにあたって、自分の日本人性を特に意識することはなかったとインタビューで語っている。そして竹中が言うように、私がこの舞台を見て感じた違和感やねじれは、私が日本人観客であることに起因するものであることは間違いない。
『海を見たことがなかった女もいた』はコロス的演出、舞踊的表現の導入、そして流動性の高い舞台装置によって幻想的な舞台空間を創り出す一方、個々の俳優の表現のディテイルにはリアリズム表現へのこだわりがあった。またキャストのなかになまじ日本人女優が2名入っているから余計に、他の日本人ではない俳優の非日本人的なアクセントや動きがノイズとしてひっかかってしまったというのもあるだろう。
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〔Certaines n'avaient jamais vu la mer ©Jean-Louis Fernandez〕
原作はフィクションとはいえ、20世紀初めの現実の歴史を取材したものであり、そこではアメリカ移民女性の悲痛な体験が生々しく語られている。『蝶々夫人』ならば、そこで描き出される「日本」がどれほど異様なデフォルメをされていても、西洋のジャポニスムのなかで生成・発展したファンタジーとしての「日本」として私は受けとめることが可能だが、「写真花嫁」の悲壮な運命を叙事詩的に描くこの作品では、彼女たちの「日本人性」から離れて彼女たちと向き合うことは難しい。アジア系移民あるいは移民の象徴的存在として彼女たちを認識するには、彼女たちの歴史・物語は私にとってはあまりにも生々しく感じられ、日本人以外の俳優がフランス語で演じる日本人女性に違和感を覚えてしまったのだ。この違和感は、生身の人間が目の前で他の人間を表象するという舞台芸術の特性によって強調された。フランス語で書かれた劇評には、私が感じたこうした抵抗感について言及しているものは一つも無かった。
私が読んだもののなかでは、アメリカの媒体であるBROADWAY WORLDに掲載されたウェスリー・ドゥセットの評は、キャストの多民族性がもたらす問題について言及した唯一の劇評だった。彼は「文化的盗用」と言うわけではないが、身体の政治性、とりわけ日本人という身体の持つ政治性が問題になっているこの作品に白人俳優を入れることは、当時の社会的現実の認識を歪め、作品の持つ政治的意図を損なう危険性があるのではないかという重要な指摘をしている。ただしドゥセットも白人の俳優だけを問題にしているわけで、アジア系俳優についてはひとかたまりに同じ属性の身体を持つものと見ている点では、フランスの批評家、観客と変わりはない。
ドゥセットの指摘は私が『海を見たことがなかった女もいた』を見たときに感じた居心地の悪さの本質的理由を説明するものだ。少なくともジュリー・オオツカの原作では、彼女たちが「日本人女性である」という属性が重要である。移民が一般的に抱えうる普遍的な苦難も語られてはいるのだけれど、物語の最後で彼女たちが町から消えてしまったのは、ドゥセットの書くように、彼女たちの身体の政治性が問題になったからである。日本人俳優を含む混成的キャストでは、その特異性がぼやけてしまう。
『ル・モンド』紙の評者は、「日本人のほか、朝鮮人、中国人、フランス人がいたが、アジアとの強い絆を保持していた」と書いているが、果たしてわれわれ東アジアの人間が、ヨーロッパ人のように、あるいはアフリカ人のように、アジア人としての共通の歴史や感性を共有していると言うことはできるだろうか。東アジアを一つの文化圏としてまとめて捉えることが可能だという考え方自体が、ヨーロッパのごう慢と無知であり、粗雑なオリエンタリズムというべきものではないか。そうした西洋のナイーブなオリエンタリズムを、われわれが内面化して受け入れることは問題ではないだろうか。
日系アメリカ人によって英語で書かれた日本人女性についての物語を、フランスの劇場と演出家が取り上げ、多民族キャストがフランス語で、フランス人の観客の前で演じる。『海を見たことがなかった女もいた』公演が内包する複合的なねじれは、オリエンタリズムについて私が抱えている問題意識を刺激するものになった。
●片山 幹生(かたやま・みきお)1967年生まれ。兵庫県神戸市出身、東京都練馬区在住。WLスタッフ。フランス語教員、中世フランス文学、フランス演劇研究者。古典戯曲を読む会@東京の世話人。
公演情報:『海を見たことがなかった女もいた』Certaines n’avaient jamais vu la mer
URL :http://www.festival-avignon.com/fr/spectacles/2018/certaines-n-avaient-jamais-vu-la-mer
出演:Simon Alopé, Mélanie Bourgeois, Youjin Choi, Natalie Dessay, Yuika Hokama, Mike Nguyen, Ely Penh, Linh-Dan Pham, Chloé Réjon, Alyzée Soudet, Kyoko Takenaka, Haïni Wang
原作:Julie Otsuka, Certaines n'avaient jamais vu la mer
翻訳:Traduction Carine Chichereau
翻案・演出:Richard Brunel
ドラマトゥルク:Catherine Ailloud-Nicolas
舞台美術: Anouk Dell'Aiera
衣装:Benjamin Moreau
音響:Antoine Richard
照明:Laurent Castaingt
映像:Jérémie Scheidler
演出助手:Pauline Ringeade
上演会場:アヴィニョン、Cloître des Carmes
上演日時:2018/07/19(木)〜24(水)22時より(22は休演)
上演時間:2時間
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ari0921 · 4 years
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日本解放第二期工作要綱
中国共産党
中央学院大学の西内雅教授(故人)が昭和47年にアジア諸国を歴訪した際、偶然、入手した秘密文書。
 内容は中国共産党が革命工作員に指示した陰謀で、当時から現在に至る迄、中国の対日謀略は秘密文書の通りに続いているとみられる。
 同年8月、国民新聞社は特集記事を掲載し、更に小冊子を発行したが、重要と思われるのでここに再録する。
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日本解放第二期工作要綱
中国共産党
 中央学院大学の西内雅教授(故人)が昭和47年にアジア諸国を歴訪した際、偶然、入手した秘密文書。
 内容は中国共産党が革命工作員に指示した陰謀で、当時から現在に至る迄、中国の対日謀略は秘密文書の通りに続いているとみられる。
 同年8月、国民新聞社は特集記事を掲載し、更に小冊子を発行したが、重要と思われるのでここに再録する。
A.基本戦略・任務・手段
A-1.基本戦略
 我が党は日本解放の当面の基本戦略は、日本が現在保有している国力の全てを、我が党の支配下に置き、我が党の世界解放戦に奉仕せしめることにある。
A-2.解放工作組の任務
 日本の平和解放は、下の3段階を経て達成する。
 イ.我が国との国交正常化(第一期工作の目標)
 口.民主連合政府の形成(第二期工作の目標)
 ハ.日本人民民主共和国の樹立 ・・天皇を戦犯の首魁として処刑(第三期工作の目標)
 田中内閣の成立以降の日本解放第二期工作組の任務は、上の第口項、即ち「民主連合政府の形成」の準備工作を完成することにある。
A-3.任務達成の手段
 本工作組の任務は、工作員が個別に対象者に接触して、所定の言動を、その対象者に行わしめることによって達成される。即ち、工作者は最終行動者ではなく、隠れた使喉者、見えざる指揮者であらねばならない。以下に示す要領は、全て対象者になさしめる言動の原則を示すものである。
本工作の成否は、終始、秘密を保持しうるかどうかに懸かっている。よって、工作員全員の日本入国身分の偽装、並びに工作上の秘密保持方法については、別途に細則を以て指示する。
B.工作主点の行動要領
第1.群衆掌握の心理戦
 駐日大使館開設と同時になされなければならないのは、全日本人に中国への好感、親近感を抱かせるという、群衆掌握の心理戦である。好感、親近感を抱かせる目的は、我が党、我が国への警戒心を無意識の内に捨て去らせることにある。
 これは日本解放工作成功の絶好の温床となると共に、一部の日本人反動極右分子が発する
 「中共を警戒せよ!日本支配の謀略をやっている」
 との呼び掛けを一笑に付し、反動極右はますます孤立するという、二重の効果を生むものである。
 この為に、以下の各項を速やかに、且つ継続的に実施する。
1-1.展覧会・演劇・スポーツ
 中国の書画、美術品、民芸品等の展覧会、舞劇団、民族舞踊団、民謡団、雑技団、京劇団の公演、各種スポーツ選手団の派遣を行う。
 第一歩は、日本人大衆が中国大陸に対し、今なお持っている「輝かしい伝統文化を持っている国」「日本文化の来源」「文を重んじ、平和を愛する民族の国」というイメージを掻き立て、更に高まらせることである。
 我が国の社会主義改造の誇るべき成果についての宣伝は、初期においては少ない方がよく、全然触れなくても構わない。
 スポーツ選手団の派遣は、ピンポンの如く、試合に勝ちうるものに限定してはならず、技術的に劣っている分野の選手団をも数多く派遣し、日本選手に学ぶという率直な態度を示して、好感を勝ち取るべきである。
1-2.教育面での奉仕
A.中国語学習センターの開設。
 全国都道府県の主要都市の全てに中国語学習センターを開設し、教師を無報酬で派遣する。
 教師は、1名派遣の場合は女性教師、複数の場合は男、女半々とし、全て20歳代の工作員を派遣する。受講者資格は、もとより無制限とし、学費は無料又は極めて小額とする。
B.大学への中国人中国語教師派遣の申し入れ。
 中国語学習センターを開設し、日本人青年層に中国語学習熱が高まったところで、私立、公立の大学には個別に、国立大学については日本政府文部省へ中国人中国語教師の派遣を申し入れる。
 申し入れを婉曲に拒否した場合は、「我が国の純然たる好意、奉仕の精神に対する非礼」を責めれば、日本のマスコミも大衆も、学生も許さないであろう。
 しかし、第1回で全勝を求める必要は無く全国大学の過半数が受け入れればそれで良い。後は自然に受け入れ校は増加していくものである。
C.委員会開設。
 「中日文化交流協会」を拡充し、中日民間人の組織する「日中文化教育体育交流委員会」を開設して実施せしめ、我が大使館は、これを正式に支援する方式をとる。
 尚、本綱の全ての項目は、初期においては、純然たる奉仕に終始し、いささかも政治工作、思想工作、宣伝工作、組織工作を行ってはならない。
第2.マスコミ工作
大衆の中から自然発生的に沸き上がってきた声を世論と読んだのは、遠い昔のことである。次の時代には、新聞、雑誌が世論を作った。今日では、新聞、雑誌を含め所謂「マスコミ」は、世論造成の不可欠の道具に過ぎない。マスコミを支配する集団の意思が世論を作り上げるのである。
 偉大なる毛主席は
 「およそ政権を転覆しようとするものは、必ずまず世論を作り上げ、先ずイデオロギー面の活動を行う」
 と教えている。
 田中内閣成立までの日本解放(第一期)工作組は、事実でこの教えの正しさを証明した。日本の保守反動政府を幾重にも包囲して、我が国との国交正常化への道へと追い込んだのは日本のマスコミではない。日本のマスコミを支配下に置いた我が党の鉄の意志とたゆまざる不断の工作とが、これを生んだのである。
 日本の保守反動の元凶たちに、彼等自身を埋葬する墓穴を、彼等自らの手で掘らせたのは、第一期工作組員である。田中内閣成立以降の工作組の組員もまた、この輝かしい成果を継承して、更にこれを拡大して、日本解放の勝利を勝ち取らねばならない。
2-1.新聞・雑誌
A.接触線の拡大。
 新聞については、第一期工作組が設定した「三大紙」に重点を置く接触線を堅持強化すると共に、残余の中央紙及び地方紙と接触線を拡大する。
 雑誌、特に週刊誌については、過去の工作は極めて不十分であったことを反省し、十分な人員、経費を投入して掌握下に置かねばならない。接触対象の選定は「10人の記者よりは、1人の編集責任者を獲得せよ」との原則を守り、編集を主対象とする。
B.「民主連合政府」について。
 「民主連合政府」樹立を大衆が許容する温床を作り上げること、このための世論造成、これが本工作を担当する者の任務である。
 「民主連合政府」反対の論調を挙げさせてはならぬ。しかし、いかなる方式かを問わず、マスコミ自体に「民主連合政府」樹立の主張をなさしめてはならない。これは、敵の警戒心を呼び覚ます自殺行為に等しい。
 「民主連合政府」に関連ある事項を全く報道せず、大衆はこの問題について無知、無関心であることが最も望ましい状態である。
 本工作組の工作の進展につれて、日本の反動極右分子が何等の根拠も掴み得ないまま焦慮に耐え得ず、「中共の支配する日本左派勢力は、日本赤化の第一歩として、連合政府樹立の陰謀を進めている」と絶叫するであろう。
 これは否定すべきであるか? もとより否定しなければならない。しかし、否定は真正面から大々的に行ってはならず、計画的な慎重な間接的な否定でなければならない。
 「極右の悪質なデマで、取り上げるにも値しない」という形の否定が望ましい。
C.強調せ���むべき論調の方向
① 大衆の親中感情を全機能を挙げて更に高め、蒋介石一派との関係は完全に断つ方向へ向かわせる。
② 朝鮮民主主義人民共和国並びにベトナム民主共和国との国交樹立を、社説はもとより全紙面で取り上げて、強力な世論の圧力を形成し、政府にその実行を迫る。
③ 政府の内外政策には常に攻撃を加えて反対し、在野諸党の反政府活動を一貫して支持する。特に在野党の反政府共闘には無条件で賛意を表明し、その成果を高く評価して鼓舞すべきである。  大衆が異なる政党の共闘を怪しまず、これに馴染むことは、在野諸党の連合政府樹立を許容する最大の温床となることを銘記し、共闘賛美を強力になさしめるべきである。
④ 人間の尊重、自由、民主、平和、独立の強調
ここに言う「人間の尊重」とは、個の尊重、全の否定を言う。
「自由」とは、旧道徳からの解放、本能の開放を言う。
「民主」とは、国家権力の排除を言う。
「平和」とは、反戦、不戦、思想の定着促進を言う。
「独立」とは、米帝との提携の排除、社帝ソ連への接近阻止をいう。
2-2.テレビとラジオ
A.これらは、資本主義国においては「娯楽」であって、政府の人民に対する意志伝達の媒介体ではない。この点に特に留意し、「娯楽」として利用することを主点とすべきである。
 具体的な方向を示せば、「性の解放」を高らかに謳い上げる劇又は映画、本能を剌激する音楽、歌謡等は望ましい反面、スポーツに名を借りた「根性もの」と称される劇、映画、動画、または歴史劇、映画、歌謡並びに「ふるさとの歌祭り」等の郷土愛、民族一体感を呼び醒ますものは好ましくない。
 前者をより多く、後者をより少なく取り上げさせるよう誘導せねばならない。
B.テレビのニュース速報、実況報道の利用価値は極めて高い。画面は真実を伝えるものではなく、作るものである。目的意識を持って画面を構成せねばならない。
C.時事解説・教養番組等については、新聞について述べた諸点がそのまま適用されるが、これは極めて徐々に、少しずつ注意深くなされねばならない。
2-3.出版(単行本)
A.我が国への好感、親近感を抱かせるものを、第一に取り上げさせる。風物写真集、随筆、家庭の主婦が興味を抱く料理、育児所の紹介など、受け入れられ易いものを多面に亘って出版せしめる。
B.社会主義、毛沢東思想などに関する理論的著作も好ましい。しかし、我が国の社会主義建設の成果、現況については、極右分子の誹謗を困難ならしめるよう配慮させねばならない。
C.マスコミの主流から締め出された反動極右の反中国の言動は、単行本に出路を求めているが、これは手段を尽くして粉砕せねばならない。
 特に、社会主義建設の途上で生じる、止むを得ない若干の歪み、欠点について、真実を伝えると称してなされる暴露報道を絶対に放置してはならない。これらについては、誹謗、デマで両国関係を破壊するものであるとして、日本政府に厳重に抗議すると共に、出版社主、編集責任者、著者を告訴して根絶を期すべきである。
D.一般娯楽面の出版については「デンマークの進歩を見習え」として、出版界における「性の解放」を大々的に主張せしむべきで、春画、春本の氾濫は望ましい。
E.単行本の出版についての今一つの利用法は「中間層文筆業者」の獲得である。「中間層」とは思想的に純正左派、または右派に属しない、中間の動揺分子を言い、「文筆業者」とは、凡そ文筆を以て世論作りにいささかでも影響を与え得る者全てを言う。
 彼等に対しては或いは原稿料を与え、或いは出版の支援をなして接近し、まず「政治的・思想的立場の明快さを欠く」中間的著作をなさしめ、徐々に我が陣営へと誘導する。
2-4.本工作にマスコミ部を設けて、諸工作を統轄する
第3.政党工作
3-1.連合政府は手段
 日本の内閣総理は、衆参両院の本会議で首班指名選挙を行って選出される。両院で議員総数の過半を掌握すれば、人民の意志とは関係なく、任意の者を総理となし得るのである。
 1972年7月の現況で言えば、自民党の両院議員中、衆議院では約60名、参議院では10余名を獲得して、在野党と同一行動を取らせるならば、野党連合政府は容易に実現する。
 しかし、この方式を取るならば、社会党、公明党の発言権を益するに留まり、且つ最大の単独多数党は依然として自民党であり、この2点は純正左派による「日本人民共和国」成立��と進む阻因となることは明らかである。
 自民党のみではなく、社会党、公明党、民主社会党もまた、無産階級の政党ではなく、最終的には打倒されるべき階級の敵の政党であることを忘れてはならない。
 本工作組に与える「民主連合政府の樹立」という任務は、日本解放の第二期における工作目標に過ぎず、その実現は第三期の「日本人民民主共和国」樹立の為の手段に過ぎない。
 共和国樹立へ直結した、一貫的計画の元に行われる連合政府工作でなければ、行う意義は全くない。
3-2.議員を個別に掌握
 下記により国会議員を個別に掌握して、秘密裏に本工作員の支配下に置く。
A.第一期工作組がすでに獲得したものを除き、残余の議員全員に対し接触線を最少4線設定する。
B.上の他、各党の役職者及び党内派閥の首長、有力者については、その秘書、家族、強い影響力を持つ者の3者に、個別に接触線を最少2線設定する。
C.上の接触線設定後、各線を経て知り得る全情報を整理して、「議員身上調査書」の拡充を期し、公私生活の全貌を細大漏さず了解する。
D.右により各党毎の議員を「掌握すべき者」と「打倒排除すべき者」に区別し、「掌握すべき者」については「連合政府の樹立にのみ利用しうる者」「連合政府樹立より共和国成立に至る過渡期においても利用し得る者」とに区別する。 ここに言う「打倒・排除」とは、その議員の党内における勢力を削ぎ、発言権を低下せしめ、孤立に向かわせることを言う。
E.「掌握」又は「打倒」は調査によって明らかとなったその議員の弱点を利用する。
 金銭、権力、名声等、欲するものを与え、又は約束し、必要があれば中傷、離間、脅迫、秘している私事の暴露等、いかなる手段を使用してもよい。
 敵国の無血占領が、この一事に懸っていることを思い、いかなる困難、醜悪なる手段も厭うてはならず、神聖なる任務の遂行として、やり抜かねばならない。
3-3.招待旅行
 上の接触線設置工作と並行して議員及び秘書を対象とする、我が国への招待旅行を下の如く行う。
A.各党別の旅行団。団体の人数は固定せず、実情に応じて定める。
 但し、団体構成の基準を、「党内派閥」「序列」「年齢」「地域別」「その他」そのいずれかにおくかは慎重に検討を加え、工作員の主導の元に、我が方に有利になる方法を採らしむるよう、工作せねばならない。
B.党派を超えた議員旅行団。議員の職業、当選回数、選挙区、選挙基盤団体、出身校を子細に考慮し、多種多様の旅行団を組織せしめる。
C.駐日大使館開設後1年以内に、全議員を最低1回、我が国へ旅行せしめねばならない。
 自民党議員中の反動極右分子で招待旅行への参加を拒む者に対しては、費用自弁の個人旅行、議員旅行団以外の各種団体旅行への参加等、形式の如何を問わず、我が国へ一度旅行せしめるよう工作せねばならない。
D.旅行で入国した議員、秘書の内、必要なる者に対して、国内で「C・H・工作」を秘密裏に行う。
3-4.対自民党工作
A.基本方針
 自民党を解体し、多数の小党に分裂せしめる。
 自民党より、衆議院では60名前後、参議院では10余名を脱党せしめて、連合政府を樹立するというが如き、小策を取ってはならないことは先に述べた所であるが、右派、左派の二党に分裂せしめることも好ましくない。
 これは、一握りの反動右翼分子が民族派戦線結成の拠点として、右派自民党を利用する可能性が強いからである。
 従って、多数の小党に分裂する如く工作を進めねばならず、又表面的には思想、政策の不一致を口実としつつも、実質的には権力欲、利害による分裂であることが望ましく、少なくとも大衆の目にはそう見られるよう工作すべきである。
B.手段
 自民党内派閥の対立を激化せしめる。
① 自民党総裁選挙時における派閥の権力闘争は常に見られる現象で通常は総選挙を経て若干緩和され、一つの党として受けて曲りなりにも保持していく。
 今回はそれを許してならない。田中派と福田派の対立の継続と激化、田中派と大平派、三木派、三派の離間、中間五派の不満感の扇動等を主点として、第一期工作組は工作を展開中である。総選挙後、若干の変動があっても、派閥の対立を激化せしむるという工作の原則は変わらない。
② 派閥対立を激化せしめる最も有効な方法は、党内の非主流派となって政治活動資金の調達に困難を生じている各派に個別に十分な政治資金を与えることである。
 政治献金は合法であり、これを拒む政治家はいない。問題は方法のみであり、工作員からAへ、AからBへ、BからCへ、CからDへ、Dから議員又は団体という如く間接的に行うのは言う迄もない。
③ 先に述べた議員個人の掌握は、それ自体が連合政府樹立の有効な手段となるが、派閥対立激化についても活用するのはもとよりである。
3-5.対社会・公明・民杜各党工作
A.基本方針
① 各党内の派閥闘争を激化せしめ、工作による操縦を容易ならしめる。派閥というに足る派閥なき場合は、派閥を形成せしめる工作を行う。但し、党を分裂せしめる必要はなく、分裂工作は行わない。
② 日本共産党を含めた野党共闘を促進する。
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ronpe0524 · 4 years
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オンライン映画祭が多すぎる11月(2020年11月の日記)
■2020/11/1 日曜日。映画祭には行かず娘と遊ぶ日曜日。午前中から両親に車で迎えに来てもらい地元のみかん狩りへ。この11月1日がみかん狩り解禁日。まぁまぁみかん食べちゃう。娘はローカルテレビの取材を受けていた。みかん狩りの後は武蔵村山食堂へ。いわゆる「まいどおおきに食堂」系のお店です。なぜならキッズセットをたのむと「おしりたんてい」のグッズがもらえるから。午後は実家でのんびりと過ごす。先日、娘とどんぐり拾いに行きクヌギのかくと部分をGETできなかったわけですが、母のお姉さんがわざわざその部分を送ってきてくれたとのこと。工作で使いたがっていた娘は大喜び。母がお姉さんにその件を話して送ってきてくれたのかと思っていたんですけど、何も話してはいないとのこと。鹿島さんこれは?スピってますね。夕飯はご馳走になり帰宅。夜はU-NEXT『洗骨』を見る。BS録画『名探偵ポワロ』E28を見る。
■2020/11/2 月曜日。元々は映画祭のために午前半休を取っていたのだけどいろいろあってキャンセル。代わりに近所のMOVIX昭島にて『罪の声』鑑賞。すぐに帰宅して午後は在宅仕事。夜は日本映画監督協会第60回新人賞上映記念シンポジウムの配信を見る。Amazon Prime『自転車泥棒』を見る。これは映画祭の予習である。BS録画『名探偵ポワロ』E29を見る。
■2020/11/3 火曜日。文化の日で祝日。まぁ映画祭には行けず家で娘と過ごす、予定だったのですが急に午前中だけ自由時間に。すぐに昭島へ。MOVIX昭島にて『とんかつDJアゲ太郎』鑑賞。我慢できず昭島のモールでとんかつを食べる。午後は帰宅。娘と遊んだりしながら映画鍋の配信を見る。フィルメックス、TIFFの裏側とかそれぞれの事情がわかってとても面白い。夜は娘の寝る準備をしてからイオンシネマむさし村山へ。『ザ・グラッジ 死霊の棲む屋敷』鑑賞。TIFFトーク・サロン『アフター・ラヴ』をYouTubeで見る。Q&Aのボリューム、素晴らしい。
■2020/11/4 水曜日。休暇を取って映画祭に復帰であります。朝、娘の登校と同時に家を出る。最寄りの駅に向かっているとよく近所で見かけるお爺さんが歩いていた。そのお爺さんはいつも小型犬を連れていて、うちの娘が「ワンちゃん!」とか云って寄っていくとニコニコと笑っているのが印象的なお爺さんであった。そのお爺さんが犬を連れていない状態で歩いているのである。おそらく自分はこのお爺さんが犬なしの状態で歩いているのをはじめて見た。もしかしたらあの犬、亡くなってしまったのかな。と想像し悲しくなってしまった。がしかし、お爺さんをよく見ると、なんだか空き地の方を見てキョロキョロしている。低めのブロック塀のところを覗いたりしている。え?犬、逃げちゃんたのかな?時間なかったので声かけられなかったけど気になる。気になりつつも六本木へ。TIFFにて『チンパンジー属』、『バイク泥棒』、ノットゥルノ/夜』を鑑賞。お昼はけんす君と待ち合わせて福島屋@麻布十番でおでん定食。やはり映画祭期間にこれを食べれるのは嬉しい。去年もけんす君とここでランチしてるけど、あのときは退院から間もない時で、食事用のハサミを持ち歩いていて、おでんをチョキチョキやりながら食べてたなぁと思い出す。『バイク泥棒』終わりではmatsuさんとちょっとだけ会えて立ち話。実に3月以来となるリアルでの再会だ。リモートでは話しているけどこうやって会えるのはやはり嬉しい。帰宅してからTIFFトーク・サロン『バイク泥棒』にZoomから参加。しっかり質問もひろってもらえて内容も充実、あー楽しい。寝る前にU-NEXT『なにはなくとも全員集合!!』を見る。時間があればもっと見たいぞドリフ映画。Netflix『クイーンズ・ギャンビット』E4を見る。
■2020/11/5 木曜日。本日も六本木へ。『ファン・ガール』、『二月』、『ムクシン【4Kデジタル修復版】』を鑑賞。『二月』と『ムクシン』はチートイツさんと同回。インターバル時間にいろいろ話す。やはり映画祭はこういうのが楽しい。ランチにはきりん屋でドライカレーを食べる。最高。本日も21時前には帰宅し娘のコンタクトを入れる。今日は学校の芋掘りだったんだけど、家には大量のサツマイモが。僕はサツマイモ苦手なんすよね。。この半年以上、個人的にはコロナ以上の問題を抱えていて本当に辛いのですが、この夜少しだけ問題が良い方に向かったかもしれない。向かってほしい。風呂に入って遅く夕食を食べながらTIFFトークサロン『ファン・ガール』に参加。司会は石坂さん。監督と主演の二人が参加でとても盛り上がった。質問は日本語と英語でテキスト入力できるのだけど英語の質問が多かったらしい。おそらくフィリピンの方が多く参加してたんじゃないかな。寝ようとしたら今泉監督のインスタライブがはじまり『罪の声』の話。作品を絶賛しつつ、終盤の描写と演習についてのうまくいってない部分を指摘。さすがの内容で話が面白くまだまだ聞いていたかったけど睡眠不足になりそうなので寝る。
■2020/11/6 金曜日。今日も娘はと同じタイミングで家を出る出て映画祭へ。最寄り駅まで向かう道で3日前の日記に書いていたお爺さんを見かけた。そしてお爺さんは犬を連れていた!良かった、ワンちゃん無事だったんだね。気分良く電車に乗る。西武線が遅延したが大江戸線への乗り換えでリカバリー。なんとか遅刻することなる六本木へ。TIFF『スレート』『デリート・ヒストリー』『ノー・チョイス』『兎たちの暴走』を鑑賞。合間にまるゆさんと遭遇して映画の感想話したり。まるゆさんが『スレート』を絶賛してた(笑)。帰りの電車で小林勇貴監督が『とんかつDJアゲ太郎』を語るインスタライブがはじまり見る。本当にロジカルに映画をとらえていて勉強になります。帰宅してからTIFFトーク・サロン『スレート』と『ムクシン』にZoomから参加。『ムクシン』のやりとりは最高だったなぁ。Disney+『マンダロリアン』S2E2を見る。ペイトン・リードだ。
■2020/11/7 土曜日。娘は本日は登校日。僕は今日も六本木へ。映画祭も終盤にです。TIFF『アップル』『私は決して泣かない』『オマールの父』を鑑賞。『私は決して泣かない』はけんす君の隣の席という(笑)。帰宅してからTIFFトーク・サロン『アップル』と『オマールの父』ははしご。『アップル』Q&Aはめちゃくちゃ楽しかったな。夜はAKIRA君がまた札幌のラジオに出てたので聴いたり。BS録画『名探偵ポワロ』E30を見る。Netflix『クイーンズ・ギャンビット』E5を見る。
■2020/11/8 日曜日。映画祭はお休みです。娘が美容室に行ってる間に僕は映画へ。シネマシティで『おらおらでひとりいぐも』『羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来』鑑賞。BS録画『名探偵ポワロ』E31を見る。ABC殺人事件!僕は昔これをNHKの放送で見て、そこからクリスティにハマったんですよね。やはり素晴らしい出来。
■2020/11/9 月曜日。午前中だけ休みをもらい六本木へ。映画祭最終日。TIFF『荒れ地』を鑑賞。これだけのために六本木まで行って良かった。急いで帰宅。午後から仕事に復帰。うわー仕事がたまっている。いきなりミーティングも3つあり。しんどい。娘の夕飯の準備をしながらTIFFトーク・サロン『荒れ地』を見る。夜、最近見はじめたYouTubeラジオ「根矢涼香の屋根裏部屋」を見る。おたより出したら読まれてて嬉しい。WOWOW『ジェミニマン』を見る。去年観れなかったやつ。去年の秋ぐらいのやつは手術・入院のタイミングでたくさん観れていない。それがいまWOWOWにどんどんきている。
■2020/11/10 火曜日。すっかり仕事に復帰ですが、急ぎの仕事があり身動きが取れない。疲れてしまいよく覚えてないぐらいな感じで寝落ち。
■2020/11/11 水曜日。まだまだ急ぎの仕事、資料作成など。ふー。夜は娘の寝る準備をしてからイオンシネマむさし村山へ。『ジオラマボーイ・パノラマガール』を観る。夜遅い回があるのは本当にありがたい。BS録画『名探偵ポワロ』E11を見る。
■2020/11/12 木曜日。夕方、仕事をちょっと抜けて娘と小児科へ。肌の調子を見てもらったけどなかなか良くなってきてるとのこと。薬局で薬ももらいまた仕事に戻る。見たかった作品のオンライン試写は外れたみたいなのでWOWOW『最初の晩餐』を見る。たしかすきやばし太郎君が絶賛してたやつ。なるほど。
■2020/11/13 金曜日。午前半休で通院。血液検査など。まぁ問題はなさそう。会社にちょっと寄って書類を受け取って、お昼にラーメンなど食べてから帰宅。午後は在宅仕事。夕方、12月以降の仕事の予定について上司とMeeting。半分ぐらい業務内容が変わるらしくまた覚えることがどーんときそう。うーむ。夜は春日太一×入江悠のトーク配信を見る。オンラインの田辺・弁慶映画祭『マイライフ、ママライフ』も観る。Disney+『マンダロリアン』S2E3も見る。
■2020/11/14 土曜日。朝から娘を習い事に送る。立川のボードゲームショップですごろくやの新作を購入。これは娘がよろこぶぞ(お父さんのお小遣いから買ってるんだからな)。シネマシティで『ミッシング・リンク 英国紳士と��密の相棒』鑑賞。娘を迎えに行って帰宅。移動時間とか空き時間を使ってひたすらオンラインの田辺・弁慶映画祭を見る。『いる』『親鳥よ、静かに泣け』『愛のくだらない』を見る。同じくオンラインのうえだ城下町映画祭『SEVEN DRIVES』『部屋の片隅で、愛をつねる』を見る。若き日の入江悠監督作。貴重。
■2020/11/15 日曜日。午前中から娘の矯正歯科へ。順調とのことで何より。早く終わったので立川の図書館へ。マックでお昼を食べてから、ららぽーと立川立飛へ。新しくできたできたレゴのショップへ。娘がチョイスしたマインクラフトのレゴを買う。帰宅。娘は今度、英検の4級or3級を受けてみるとのことで4級の過去門挑戦をしていた。英検用の勉強はまだはじめたばかりなのに余裕で合格ラインを超えるハイスコアをたたき出していた。幼稚園から通い続けている英会話はやはりすごい。僕はその時間を使って田辺・弁慶映画祭の見逃し配信を。『焦げ。』『偽神』を見る。夜はDAZNでFC東京戦を見て、娘を寝かしつけ。いやな予感は的中。そのまま寝落ち。
■2020/11/16 月曜日。昨夜寝落ちしてしまって、結局朝まで寝てしまったので睡眠はたっぷり。見る映画やドラマはたまる一方。昨夜upされていた不思議ラジオ キンザザを聴く。僕のキンザザ初登場回ですよー。仕事の方は変わらず在宅ですがMeetingの連続で疲れる。BS12『Vienna Blood』S1E1とE2を見る。そしてまたも娘を寝かしつけながら寝落ち。寝落ち、二夜連続。
■2020/11/17 火曜日。また寝落ちして睡眠はたっぷり。とある用事のために午前半休。あと昨夜できなかった僕モテの情報コーナーを仕上げて送信。午後から仕事。夜はTIFF Studio、僕モテとYouTubeの生配信を連続して見る。どちらも楽しい。Netflix『彼女の告発』を見る。
■2020/11/18 水曜。朝食は抜き。健康診断のため出勤であります。オフィスは静かで仕事には集中できる。健康診断は体重などががっつり落ちていたので心配される。病気だったんですよ、去年。バリウムは今年もきつかった。あの機械でぐるぐるまわるのもきつい。終わって下剤飲んで、水をごくごく飲んで、おにぎり2個をすぐ食べたんだけど全然便意がこない。結局夕方まで出なくて帰宅。娘の寝る準備をしてからカップ麺を食べて下剤を追加投入。しかしまだまだ便意がこない。まずい。しかしまたも娘と一緒に寝てしまう。深夜2時に起きてトイレに行ってみたが普通の便が出たのみ。まずい。
■2020/11/19 木曜。目覚ましがなる前に便意があり起床。ついにバリウムが出ましたよ。良かったー。まぁ午前中は何度もトイレに行くことになりましたが。そして娘は昨夜から鼻水が出るようになっていて気になります。週末は耳鼻科か。夜、娘の寝る準備をしてからイオンシネマむさし村��へ。『シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!』鑑賞。観客は僕ひとりだったけど良い映画だった。Amazon Prime『パペット・マスター』を見る。
■2020/11/20 金曜。朝起きてすぐ娘の体温を測る。良かった平熱だ。鼻水は出てるので体育はお休みさせてください、と連絡帳に書く。午前中から長時間で規模の大きいオンラインミーティング。僕が所属している部署のアジア全体のミーティングなので何百人と見ているのだろう。ここで先日、僕が録音した5分ほどの発表も流れた。あーはずかしい。準備時間、練習時間がほぼなかったし、ただでさえ英語のスピーキングはうまくないし、去年の手術以来しゃべるのが普通に大変なのだ。スピーチが流れたあと何人かの同僚、先輩からメールやチャットがとんできた。あーはずかしい。義母が泊まりにきてくれて群馬土産のひもかわうどんで夕食。うまいよひもかわ。オンライン試写で『記憶の技法』を見る。オンラインのラテンビート映画祭で『老人スパイ』を見る。Disney+『マンダロリアン』S2E4を見る。Vimeoでかめりさ出演の短編『スピリチュアル』を見る。 フィルメックス・オンラインはプラットフォーム側の不具合で配信延期とのこと。これは困った。
■2020/11/21 土曜日。まだ鼻水が出ている娘、義母が耳鼻科に連れていってくれるとのこと。ありがたい。僕は時間をいただき新宿へ。パンケーキなど食べてから久々に新宿武蔵野館へ。実に今年2回目の武蔵野館?マジか。ジャン=ポール・ベルモンド傑作選『オー!』と『ホモ・サピエンスの涙』を鑑賞。インターバル5分のはしご。満足して映画秘宝を買ってから帰る。Amazon Prime『市民ケーン』を見る。BS録画『名探偵ポワロ』E33を見る。今日もやっぱり娘と寝落ち。なんだか心配になってくる自分。
■2020/11/22 日曜日。ジミソスタイル的早起きをしてラテンビート(オンライン)『息子の面影』を見る。評判通りの素晴らしさ。娘と実家へ。本日はお泊り。実家の庭のみかんの木でみかん狩り。狩りまくり。測ったら10キロもあった。すごい。実家は本当にゆっくりできて良い。娘もごろごろしたりおもちゃで遊んだりで楽しそうである。夕飯はおでん。最高。娘を寝かしつけてからシネマクティフ東京支部の音声配信、リモート収録。4時間近くかかってしまった。みんなお疲れさまでした。。
■2020/11/23 祝日の月曜。実家の朝食。うまい食パンが出てきて最高だ。今日も実家でのんびりだ。フィルメックス・オンラインで『平静』を見たり、昨夜録音した音源をひたすら編集。たいしていじらないんですけど量がハンパないんだな。夕飯までご馳走になってから帰宅。今夜は奇跡的に寝落ちしなかったので前野健太の無観客LIVEをアーカイブで見る。まぁ帰宅してからいろいろあって落ち込んでたんですけどマエケンの歌を聴いてちょっと元気出た。BS録画『名探偵ポワロ』E34を見る。
■2020/11/24 火曜日。出勤日。まぁ出勤してもリモートミーティングの連絡であります。お昼は会社の近くの丸亀製麺で食えるのが最高だ。いろいろ年末に向けて仕事の引継ぎがあり週に1回ぐらい出社することになりそうだ。帰宅して夜、寝る前に映画を見ようとしたが30分もしないうちに寝てしまった。落ち込む。
■2020/11/25 水曜日。ひたすら資料を作っていたがなんか集中できない。ストレスをためないようにしたいのにいろいろ悩みが絶えないんだ。なんでうまくいかないのでしょうね。娘を寝かしつけてからイオンシネマむさし村山へ。『ボルケーノ・パーク』鑑賞。こういう空っぽの映画を観て、もう寝る。
■2020/11/26 木曜日。休暇取って立川の病院へ。前の病気の検査通院。2年ぶりに骨密度の検査を受けたが数値がぜんぜん上がってなくてショック。先生曰く、悪化しないからいいじゃないか、とのこと。最近どう?とか聞かれたので先生にいろいろ悩みを愚痴ってしまった。先生のアドバイスは、もっと陽の光を浴びた方が良い、とのこと。やってみます。立川の「一福」でうどん食べてから帰宅。お昼過ぎには戻ってこれたので午後からは仕事に切り替え。ありがたいことに仕事はいっぱいある。夜、3日ぐらいかかってしまったフィルメックス・オンライン『迂闊な犯罪』を見る。さらにMCTOS『彼女の告発』回に参加。直前の参加表明だったけど映画の話をたっぷりできて、笑って、楽しかった。
■2020/11/27 金曜日。まぁまぁ集中して仕事する。ちょっと思いついたことがあってある人に連絡したら僕のアイデアにのってくれた。うまくいくと良いなぁ。義母が泊まりにきてくれて娘は楽しそう。娘はおばあちゃん大好き。僕はちょっと楽ができるので僕も大好き(笑)。夜はかなり遅くなってしまったけど「PUNPEE Presents. "Seasons Greetings'20"」のアーカイブを見る。マエケンのLIVEとは違った方向でこれも最高。楽しー。
■2020/11/28 土曜日。娘は義母がみてくれるので出かけさせていただく。午前中から立川へ。キノシネマ立川で『佐々木、イン、マイマイン』鑑賞。やよい軒でランチ。おかわりのご飯が自動で供給される、ドリンクバーみたいなご飯マシンがあった。なるほど。新宿へ。ナツノカモ・コレクション2020 - 第一部「立体モノガタリ」 @ 新宿ハイジアV-1。なんかこういうのが観れると心が豊かになる感ある。同じ回に来ていたまるゆさんとちょっと話す。まるゆさんは二部も観るとのことで、しかもその合間にケイズで1本映画を観るとのこと。欲張るなぁ、と思ったけど僕も自由に自分の時間が使えればやってるだろな、と思う。帰宅して娘の夕飯を準備して、風呂に入れたり、英語の勉強をさせたりピアノをさせたり。寝かしつけて、寝落ちしなかったことを喜びつつ映画を見る。フィルメックス・オンライン『イエローキャット』を見る。購入(配信レンタル)しておいて見てなかった京都ヒストリカ映画祭のヒストリカワールド『荒地の少女グウェン』もやっと見る。
■2020/11/29 日曜日。ゆっくりできる日曜日。娘と実家へ。両親に娘を見てもらい、僕は立川へ。シネマシティで『Mank マンク』鑑賞。これはシネマツーよりシネマワンが似合う映画だ。すぐに実家へ戻る。娘に英語の勉強をやらせたり、宿題をチェックしたり。夕飯までご馳走になり帰宅。娘を風呂に入れても時間に余裕あり。娘は寝るまでの時間に動画を見たり絵を描いたり。こうゆう時間がもっとできれば良いのだけど。今日も娘を寝かしつけながら寝落ちしなかったぞ。いろいろ見たりできるぞ。京都ヒストリカ映画祭 ヒストリカワールド『魂は屈しない』を見る。僕の心が屈しそうになる映画だった。Disney+『マンダロリアン』S2E5をやっと見る。あと本を読んだり、録画したテレビを見たり、音声配信の編集をやったり、仕事をしたり。大変有意義に26時まで過ごして寝る。
■2020/11/30 月曜日。寒くなってきて娘がなかなか起きてくれない。子供はもっとシャキっと起きるものじゃないのか。娘を学校に送り出してから今日も自宅仕事。夕方に大事なミーティングがあったのでそれが終わるまで大変だった。ふー。BS録画『名探偵ポワロ』E35を見る。夜は娘を寝かしつけながら、ちょっとだけスマホでドラマを見ていたら寝落ちしていたらしい。ぜんぜん夜にやろうと思っていたことをやらないまま寝てしまった。最近こんなんばかりである。そんなこんなで11月も終わり。
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monqu1y · 4 years
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目次
NHKの慰安婦報道 新聞など活字メディアは紙面として、あるいは朝日、読売などは縮刷版としても残りますし、図書館に行けば読むことができます。しかし、放送メディアはそうはいきません。ですから、NHKほか放送番組に対するチェックが甘くなってしまいます。 1.「強制連行」報道に血道をあげたN H K ニュース番組を見れば、トップを飾るのはいつも「従軍慰安婦」、こうした時期が長い間つづきました。大量報道の始まりは元朝鮮人慰安婦が東京地裁へ提訴した1991年末頃からだったと思います。いつまで続いたか、ハッキりしたことは分かりませんが、とにかく年単位の長さなのは間違いないと思います。わけてもNHKの大量報道、そのしつこさは異様でした。
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2コマの写真をご覧ください。1995年8月、ETV特集 「50年目の“従軍慰安婦”問題」 が2回にわたって放送され、そのタイトルを写したものです。
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1回目は 「“わかちあいの家”のハルモニたち」 で、韓国で共同生活をいとなむ元慰安婦だったという7人の韓国人の生活、その3人の「労苦と怒り」などの体験談を交えながら番組が進みました。 ・NHKが示した慰安婦の定義と人数 途中、日本軍に場面が変わり、次のように解説が加えられました。 〈第2次大戦中、中国大陸や東南アジア、太平洋諸島を侵略した日本軍は、占領地での日本軍兵士による強姦や兵士たちの性病予防などを目的に、当時植民地であった朝鮮半島を中心に若い女性を慰安婦として前線に送りました。その数は 8万人とも20万人 とも言われました。〉 2回目は 「日本はいかに償うべきか」 で、国連人権委員会のクワラスマミ・特別報告官一行が、成田空港に到着する場面から始まります。女史は韓国で慰安婦からの聞き取り調査をした後に来日したとのことでした。 放送は「従軍慰安婦」を以下のとおり定義しました。 〈従軍慰安婦とは、各地の日本軍が拘束して、脅迫のもとに、兵士たちに性的な奉仕をさせられた女性のことです〉 「強制連行」という言葉こそ使用されていませんが、内容は日本軍が「8万人~20万人」もの朝鮮人女性を「強制連行」し、兵士たちに体を売らさせたということであって、このNHK解説を、「なんて日本軍は酷いことをしたのだ。同じ日本人として恥ずかしい、申し訳ない」など、日本軍に対する一層の嫌悪感をつのらせながら、視聴者は番組の意図するところを“正しく”受け留めたことでしょう。 ・8万~20万人の出所は? この「8~20万人」の数字の出どころですが、朝日新聞が 「慰安所軍関与示す資料」 として1面トップで報じた記事〔19924年1月12日付〕の右端下、「従軍慰安婦」の用語を解説したなかに出てきます。
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〈1930年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多発したため、 反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を設けた。 元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約8割が朝鮮人女性だったといわれる。 太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を 挺身隊の名で強制連行 した。 その人数は 8万とも20万 ともいわれる。〉 朝日新聞のこの報道は「従軍慰安婦」問題がクローズアップされる一大転機となったものでした。ハッキリ「強制連行」と書いてあります。 「8~20万人」という数字は、平凡社大百科事典にも記載があるとのことです。どちらが元なのか調べていませんので確かなことはいえませんが、NHKの「8~20万人」はこの朝日報道の影響を受けたものであろうことは、容易に想像できるところです。 ・これが根拠? では、8万人~20万人の根拠はどこにあるのでしょう。それが、なんともバカバカしい話なのです。 毎日新聞記者出身の 千田夏光 が1973年、「声なき声8万人の告発」として『従軍慰安婦』という、慰安婦問題の草分けともいうべき本を出版しました。 書名の「従軍慰安婦」という言葉は「従軍看護婦」などとは違って、もともと存在しない言葉でしたから千田の「造語」ということになりますが、彼が「従軍慰安婦」を最初に使用したといわれています。 このなかで、千田は1969年のソウル新聞を紹介し、挺身隊として動員された数を「約20万人」、うち慰安婦数は「約5万人ないし7万人」としています。 千田は秦郁彦との対談で、20万人の出所について問われると、 〈出所は不明です。ただ、私も新聞記者あがりなもんですから、ちゃんとした新聞が書いた数字ですから、ほぼ信用したわけです〉 と答えています〔「論座」1999年11年9月号〕。 こんなあやふやな根拠でも、朝日という「大新聞」が書いたとたんに日本では事実と認知され、やがて世界で通用してしまうという恐ろしくも腹立たしい実例でしょう。 朝日の解説は、 挺身隊=慰安婦 とした無知な誤説で、このお粗末な解説がまた、日韓間に大きな誤解を与えてしまいました。挺身隊=慰安婦が韓国内で定着し、やがて少女の慰安婦像が韓国国内はもとより、アメリカにまで進出してしまったわけです。 2.NHKの正体見せた「問われる戦時性暴力」 もう1例、お知らせします。2001年1月29日から4回にわたって教育テレビで放送された 〈ETV2001「戦争をどう裁くか」〉 を紹介しておきましょう。 とくに問題となったのは2回目の「問われる戦時性暴力」でした。このなかで、 「女性国際戦犯法廷」 と称する模擬裁判を好意的に取り上げていたからです。
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・「女性国際戦犯法廷」ってなに? この模擬裁判の主催者は、 松井やより ・元朝日新聞記者を代表とするNGO「戦争と女性への暴力日本ネットワーク」で、〈日本軍性奴隷制を裁く「女性国際戦犯法廷」〉という旗印のもと、2000年12月、皇居に近いという理由から東京の九段会館などで裁判が行われました。 裁判の目的は、東京裁判で裁かれなかった日本軍による「性奴隷制度」、つまり慰安婦問題を裁き、日本政府と昭和天皇の責任を追及しようとするものでした。法廷の最終日12月12日、マクドナルド裁判長が、 「天皇裕仁を婦女暴行と性奴隷制についての責任で有罪とする」 と言い渡したことからも、この裁判が何を意図していたのかは容易に読み取れるでしょう。 法廷は弁護人もなく、したがって証人への反対尋問もなく、“被害者”として登場した元慰安婦たちの「証言」で、一方的に審理が進むというとんだ茶番劇でした。笑わせるのが、傍聴者はこの法廷の主旨に賛同するものだけだといい、誰もが自由に傍聴できないことでした。 ・NHK教養番組部がとりあげ このような偏向した法廷をいち早くNHK教養番組部が題材として取りあげ、 「教育番組」 として放送したのです。それも慰安婦の「強制連行」が既定の事実であるかのように制作・放送されました。いかに左がかった考えの持ち主がNHKに巣くっていて、主導権を握っているかがわかります。 昭和天皇を有罪とした下りこそカットされ放送されませんでしたが、これも放送直前、試写を見た吉岡教養番組部長が「女性国際法廷の紹介番組ではないか」「お前らにハメられた」などと怒り、大幅な修正を命じた結果とのことです。カットされたなかには中国戦犯2人の 証言 も含まれていました。 とはいえ、「女性国際戦犯法廷」を軸に番組が展開されているのは間違いないところです。ですが、放送番組を見て怒ったのが主催者のバウネット・ジャパン。早速、カットしたのはケシカランとNHKに対し抗議するやら、提訴するやらの騒ぎとなりました。 ・朝日報道から政治問題化 さらに約4年後の2005年1月12日付けの朝日新聞が、 中川昭一 経産相、 安倍晋三 内閣官房副長官が、放送の前日にNHK幹部を呼んで「偏った内容だ」などと指摘、このためNHKは番組内容を変えて放送したと一面上段で報じました。 政治家の圧力により、NHKの番組が改変されたというのです。朝日報道は「事実を歪曲」したものとNHKは猛反発、 朝日 対 NHK のゴタゴタ騒ぎとなりました。あれからまだ日も浅く、ご記憶の方も多いことでしょう。 この問題は、 NHKが偏向番組を放送したこと自体が問題の核心 であることを忘れてはいけないと思います。 3.多数の慰安婦報道 NHKはこのほかにも慰安婦に関連する番組を多数、放送してきました。下もその一例です。
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これらの放送が重なり、やがてアメリカ下院本会議で、 「慰安婦制度は日���政府による軍用の強制的な売春で、20世紀最大の人身売買の一つ」 などとする対日非難決議案が可決され、日本政府に「公式謝罪」を求めてきました。この腹立たしい出来事の責任の多くを、NHKは朝日などとともに負うべきものと思います。 ・「吉田証言」では素知らぬ顔 ところで、吉田清治証言について、NHKはどう報じたのでしょうか。今回の朝日の記事撤回に関連して、何らかの釈明があるかと思いましたが、間違った報道はなかったとして、「謝罪」はありませんでした。 おそらく、吉田証言を肯定する報道はなかったのでしょう。ですが、私が問題だと思うのは、これだけ吉田証言は「虚偽である」との指摘がでていたのにもかかわらず、NHKは吉田証言に対する検証報道をしなかったことです。 このことは、批判されなければならないでしょう。要するに、狡いのだと私は思っています。
梶井彩子 朝日謝罪から一年二カ月 朝日新聞の「誤報謝罪会見」から一年二カ月が経った。今夏にようやく産経新聞の取材を受けた植村隆氏は、相変わらず「慰安婦問題の拡大は自分や朝日のせいではない」「朝日が日韓関係をこじらせたのではない」と主張した。だが、朝日新聞がことさらに「朝鮮人慰安婦を強制連行した」との構図を強調して書き立ててきたことは論を俟たない。 新聞各社の「慰安婦報道」は縮刷版や記事データベースなどで検証可能であり、だからこそ朝日新聞は慰安婦報道に関する検証記事を発表、一部誤りを認めたのだろう。読者は忘れても、アーカイブはその足跡をすべて覚えているからだ。 では、テレビ番組はどうか。ネット普及以前に放送された番組はほとんど検証できず、稀に動画サイトに上がってもすぐに削除されてしまい、番組内容は出演者や視聴者の記憶に頼る部分が少なくなかった。 各放送局はいったい、慰安婦をどのように報じていたのか……。そこで行きあたったのが、横浜にある「放送ライブラリー」である。〈放送法の指定を受けたわが国唯一の放送番組専門のアーカイブ施設で、時代を伝えるNHK、民放局のテレビ・ラジオ番組、CMを一般に無料で公開〉している施設だ。
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テレビ番組約二万本、ラジオ番組約四千本を保存し、約一万八千本を公開。特にドキュメンタリーや歴史、文化などの教養番組、大河ドラマ、各時代の代表的なバラエティ番組などが充実している。「慰安婦」というキーワードで検索すると、以下の五つの慰安婦に関するドキュメンタリー番組が登録されている。 (1)一九八二年三月一日放送『11PM韓国から見た日本〔2〕(シリーズ・アジアと共に生きる〔4〕)』日本テレビ放送網 (2)一九九二年五月三十日放送『特別番組汚辱の証言朝鮮人従軍慰安婦の戦後』九州朝日放送 (3)一九九二年八月十四日放送『NHKスペシャル 調査報告 アジアからの訴え 問われる日本の戦後処理』NHK (4)一九九六年九月三十日放送 『NNNドキュメント96 IANFU インドネシアの場合には』中京テレビ放送 (5)一九九七年十二月八日放送 『NNNドキュメント97 声閉ざされて、そして インドネシアの「慰安婦」たち 特集・戦争の時代に』中京テレビ放送 これらをすべて視聴したうえで、主に朝鮮半島の慰安婦について扱った1・2の番組に関し、内容を検証してみたい。 まるで「啓発ビデオ」 (1)『11PM 韓国から見た日本〔2〕』 韓国・朝鮮半島とのかかわりを追った五回シリーズのうちの第四回で、従軍慰安婦のほか、樺太残留韓国人、BC級戦犯、在韓被爆者などの問題を取り上げており、その年の日本ジャーナリスト会議賞を受賞している。 結論から言ってしまえば、この番組が五本のなかで最も杜撰、かつおどろおどろしい作りになっていた。ドキュメンタリーというよりも、運転免許更新の際に見せられる「交通事故予防啓発ビデオ」に近い。「事故を起こせば人生終了」といったトーンの、あれだ。 のっけから激しいBGMとともに、〈女子挺身隊という名の慰安婦〉と大間違いのテロップが画面の真ん中にドカンと現れる。 続いて元軍医の麻生徹男氏のインタビューが挟まれているが、麻生氏が「慰安所を設けるよう意見書を提出した」と話す場面に、〈慰安婦に関する軍への意見書が朝鮮女性連行につながった〉と、ここでも意図的なテロップを表示。麻生氏の「かなりどぎつい集めかたをしていますね」のコメントとともに、視聴者に強く印象づけている。 麻生氏はたしかに意見書を提出してはいるが、内容は花柳病の蔓延に関する報告が主であり、なかでも特に強調しているのは「娼楼ではない慰安の場所」、つまり音楽や映画、スポーツなどの軍用娯楽施設の設置を求めるもので、強制連行とは何の関係もない。 麻生氏がこの番組に登場したのは、千田夏光氏の『従軍慰安婦』一九七三年の記述によるものだろう。千田氏は本のなかで、あたかも麻生氏が慰安所を考案した責任者のように書いている。ちなみに、本には「従軍慰安婦は挺身隊の名で集められた」との表現もある。 麻生氏は軍医として慰安婦らの身体検査を行っており、当時の写真や状況を『戦線女人考』にまとめている。そのなかで、「支度金千円を払って急遽集められた女性たちが慰安所に連れてこられた」と書き残している。 ところが千田氏は、『従軍慰安婦』に「レポートの結果として軍の目は当然のようにそこへ向けられていく。それは同時に、朝鮮人女性の怖るべき恐怖のはじまりでもあった。朝鮮半島が若くて健康、つまり理想的慰安婦の草刈場として、認識されていくことになるのだった」と書いたのである。 そのため、麻生氏は世間から「慰安婦強制連行の責任者」であるが如く受け取られてしまい、なかには麻生氏の娘の甘児都氏のところに「民族の恨みを晴らす」「責任者の娘としてどう思うか」などと言って押しかけて来たものもいたという。 甘児氏によれば、〈千田氏はこの件が誤りであり、今後誤解を招く記述はしないと…中略…謝罪してきましたので、三一書房と講談社に改訂を申し入れましたが、二社ともそのままで出版を続けています〉とのことだ(麻生徹男・甘児都『慰安婦と医療の係わりについて』)。 この番組のテロップも、千田氏の本に沿って「麻生氏が慰安所設置の意見書を出した」「それが強制連行につながった」とミスリードを行っている。 朝日より先だった日テレ 番組はその後、韓国放送公社制作の元慰安婦の女性を扱ったドラマ「従軍慰安婦 ポンスンの空」の映像を紹介。〈日本軍は行く先々で従軍慰安婦を連行していた。女子挺身隊という美しい名のもとに一身を捧げる。しかし、現実は兵隊たちに一日何十回となく体を提供することだった〉と説明を述べたのち、ドラマの映像がそのまま流される。
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韓国最大野党がソウル中心部に掲げた日韓合意に反発する横断幕=1月27日(共同) 場面は戦場。日本兵の上官が「慰安所に並べ」と言うや否や、若い兵隊たちが慰安所内の女性に襲いかかる場面に「ギャーッ」と女性の悲鳴。 その次の場面では、兵隊にまぎれて行軍するチマチョゴリ姿の慰安婦。疲労で倒れる慰安婦を無理やり歩かせる日本兵が描かれている。「ヘイタイサン……ヘイタイサン……」と片言の日本語で兵隊に助けを求める慰安婦の姿が痛々しい。 この���ラマは、元慰安婦のポンスンが戦後も実家に帰ることを許されず、売春観光に訪れる日本人観光客を相手に売春を強要される女性の代わりに殺人を犯し、投獄されて精神を病む……というストーリーだ。 八〇年代の日本人男性の「売春観光」と慰安婦の存在を結び付け、「今も昔も韓国人女性を蔑視する日本人」「その日本人によって精神病に追いやられたポンスン」を印象付ける。 たしかに、戦後の「売春観光」が慰安婦問題勃発の下地になっていた可能性はある。 だが、11PMのこのシリーズ自体は「ドキュメンタリー」というジャンルでありながら、内容はドラマの筋書きにすっかり乗っかっている。 さらに番組では〈しかし事実はもっと広く大きかった〉とのナレーションのあと、兵隊ではなく労働者の相手をさせられたという元慰安婦のインタビュー映像を挟む。暗い部屋に座る元慰安婦らしい女性のシルエットを映しつつ、証言が流れる。「嫁入りの口がある、と騙された」「日本人が引っ張ってきた」「虐待に耐えられず四人が自殺」「日本人は薄情」 三十四分の番組のうち慰安婦のパートは十四分程度だが、過剰なBGMや再現ドラマ、元軍医の証言と盛りだくさんの内容で、破壊力十分。だが、とても賞に値する番組とは思われない。『11PM』は深夜のワイドショー番組で、一九六五年から九〇年まで続いた長寿番組。当初は硬派な番組だったが視聴率が取れず、麻雀や酒、お色気に至るまで幅広い話題を取り上げる番組に変貌を遂げた。『韓国から見た日本』が放送されたのは「テコ入れ後」の一九八二年三月一日だが、この『韓国から見た日本』以外にも、一九七二年の沖縄の復帰を扱い、こちらも賞を受賞している。 一九八二年三月一日という放映日にも注目である。朝日新聞大阪版が吉田清治証言を初めて掲載したのは、一九八二年九月二日。日本テレビは、朝日新聞の吉田清治報道より半年も前に「従軍慰安婦の強制連行」を取り上げていたことになる。 しかも、早くもこの時点で「女子挺身隊と従軍慰安婦を混同」しており、植村隆記者の一九九二年の記事を先取りしている。 朝日新聞の「慰安婦報道」検証では、読売新聞は産経新聞に次いで「朝日批判」の色を強めていたが、ともすれば「朝日以上」の番組を系列のテレビ放送網が放映していたことを、読売関係者はご存知だろうか。 朝日ソウル支局が協力 (2)『特別番組 汚辱の証言 朝鮮人従軍慰安婦の戦後』 九州朝日放送のこの番組は、(1)に比べれば「ドキュメンタリー番組らしい」内容で、やはり「地方の時代」映像祭一九九二優秀賞受賞作だ。 主に元慰安婦の「文玉珠」を中心に描かれており、彼女が福岡の団体に招かれて来日、「戦後四十七年、ようやく重い口を開き始めた」という、まるで植村記者の金学順報道の見出しのようなトーンで彼女を追うドキュメンタリー。 番組放映日は、一九九二年五月三十日。植村記者の金学順記事は前年の八月十一日だから、この記事の影響するところは多かっただろう。九州朝日放送制作のこの番���のエンドロールにも、制作協力として「朝日新聞ソウル支局」が名を連ねている。 番組は文氏が日本で開催された慰安婦集会に登壇し、「平日は三十人から四十人、日曜には六十人から七十人の相手をさせられた」と語るシーンから始まる。 そして、すぐに韓国挺身隊問題対策協議会の尹貞玉代表が登場。尹氏は「慰安婦問題で日本は彼女たちを三度殺す」と述べ、「一、ひどいことをした。二、忘れられていた。三、謝罪がない」の三重苦を負わされていると発言。このまま謝罪がなく、日本人が日本の若者に慰安婦の事実を教えなければ「三度目の死となる」と述べる。 場面変わって、文氏の来日支援を行った慰安婦研究家の森川万智子氏。彼女は文氏の著作『文玉珠 ビルマ戦線 楯師団の「慰安婦」だった私─教科書に書かれなかった戦争』(梨の木舎、九六年。新装増補版は二〇一五年)の構成と解説を担当している。番組では、福岡で「慰安婦一一〇番」という電話相談を受ける団体の代表として登場。「市民として過去を清算したい」と述べる。 この番組で文氏は、「十八歳でビルマへ行った。食堂に行けば稼げると言われた」と話す。文氏の本によれば、もともとキーセン学校に通っていた文氏は、一度、憲兵らに連れられて慰安婦になったが故郷に戻り、次は友人から「食堂で働き口がある」と聞いて行ってみたところ、実態は慰安所だった。が、「やはりそうか」と納得したという。 「人間的な」兵士との交流 文氏は番組で、涙ながらに「夜明けまで相手をさせられて死にそうでした」と述べているが、文氏の本には意外な場面が描かれている。 それは慰安婦・文がヤマダ(仮名)という日本兵と懇意になるくだりだ。〈わたしは一生懸命ヤマダイチロウの無事を祈った。二、三カ月して、前線からヤマダイチロウの部隊も戻ってきた。ヤマダイチロウは無事だった。すぐに慰安所にきた。「ヤマダ上等兵、無事帰還いたしました」 ヤマダイチロウはわたしに向かって敬礼した。私たちは抱き合って喜んだ。そういう日はマツモト(という朝鮮人の男。慰安所の引率者)公認で、慰安所全体も大騒ぎになり、開店休業だ。さっそくわたしたち慰安婦も一円ずつ出し合って大宴会をしたのだった〉(文玉珠『「慰安婦」だった私』、補足は筆者) もちろん、過酷な記憶と楽しい記憶が共存することはありうるため、これを以て「慰安婦としての生活は悲惨ではなかった」とは必ずしも言えない。また、この本の内容は「真偽定かならぬ部分もないわけではない」(秦郁彦氏)との指摘もあるとおり、兵隊を蹴り飛ばした、刺し殺したなどの箇所もある。しかし、エピソードのすべてが創作とも思えない。 また、番組で文氏の「人間的な」兵隊との交流に全く触れていないのは不自然だ。文氏をことさら「かわいそうな被害者」としてだけ描いており、本にあるような人間性や女性としての逞しさ、明るさは番組からは全く感じられないのである。 番組では、元日本兵や軍関係者も証言者として登場する。「九州の兵隊は慰安婦がいないと元気が出ない」「慰安所は、日本にもあった特殊飲食店の一環。悪いとは思わない」「女は消耗品だから助けなくていいと言われた」 その後、さらに二人の慰安婦が登場。韓国・城南市の沈美子氏の証言。「日本地図に刺繍しろと言われ、朝顔の刺繍を入れたら『桜を入れろ』と叱られ、日本の警察に焼きゴテを当てられた。気を失っている間に連行され、気がつくと福岡にいて、その後、『七番』と番号で呼ばれる慰安婦になった。先生になりたかったが日本に踏みにじられた」 ハルモニ食堂を経営する黄錦周氏。「勤労挺身隊として紡績工場に行くのだと思ったら、樺太に着くなり服を脱げと急に言われた」 封印された記憶 そして文氏が市民グループの手引きで来日し、集会で証言をする場面が流れる。「大日本帝国国民となります、と言わされたのに、この仕打ちは酷い」 この発言には驚いた。番組制作側は、「大日本帝国=悪」だとしてこの発言を削らなかったのだろう。だが文氏の本の記述を読むと、また別の思いを感じ取る。〈戦地の軍人たちの思いと、わたしたちの思いとは同じだった。ここに来たからには、妻も子も命も捨てて天皇陛下のために働かねばならない、と。わたしはその人たちの心持ちがわかるから、一生懸命に慰めて、それらを紛らしてあげるよう話をしたものだった〉(『同』) 番組内の元軍人の証言でも、慰安婦とのこんなやりとりが語られる。「軍が引き揚げるとき、慰安婦たちは『連れて行って下さい』と言っていた。『途中でお金が必要になったら、私たちがたくさん持っています』と言って、もう三文の値打ちもない軍票を見せていた。『死ぬ時は一緒に死にます』と泣きつかれて……」 涙を拭う元軍人。 この二つの場面には胸を打たれた。軍人と慰安婦の間には、戦地特有の一体感さえも生まれていたことになる。「戦地」に置かれた女性と男性の、悲しい「同志の心」だったのだろう。だが、いまや、それは日韓双方で語られることはなくなってしまった。
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日本大使館前で慰安婦像を囲み、慰安婦問題での日韓の最終合意に抗議する元慰安婦や支持団体のメンバーら=2015年12月30日、ソウル(名村隆寛撮影) 彼女たちの真の歴史を奪ったのは挺対協だけではない。朝日新聞などが「強制連行」を強調して報じたことにより、慰安婦になった本当の経緯や、戦地で生まれていた軍人と慰安婦の関係についての真相は「反日」の幕で覆い隠されてしまった。彼女らの真の証言を、朝日新聞や挺対協が封殺したと言っていいだろう。 もはや、元慰安婦たちが「あの頃、日本の軍人さんとどのような関係にあったか」「どんな雰囲気だったか」を率直に話すことはできまい。特に韓国では、「親日売国奴」の汚名を着せられかねない。 真の和解のための“よすが”になりえた共通体験だが、可能性は潰されてしまった。そして、「戦地でたしかに存在していた慰安婦と軍人の関係」は歴史の狭間に葬り去られることになる。 「母に楽をさせたい」 その後、番組は文氏が支援者に付き添われて下関郵便局を訪れ、野戦郵便局から貯金していたお金を返してほしい、と交渉する場面が流れる。日韓協定で決着がついている以上、日本側から個人にお金を払うことはできない、と断られるが、諦められない文氏の表情が大写しになる。 慰安婦が性奴隷ではなく、「高収入の売春婦」だった証として「慰安婦の収入明細」のように紹介される「文原玉珠」名義の貯金通帳明細は、この文氏のものだ。政府の調査でこの記録が出てきたのだが、たしかに文氏は二万六千円もの貯金をしている。当時の二万円は、現在の六千万円相当とも言われる(ただし戦地のインフレ率や軍票との関係により諸説ある)。 文氏は、本にこう書いている。〈事務を仕事にしている軍人に、わたしも貯金できるか尋ねると、もちろんできる、という。兵隊たちも全員、給料を野戦郵便局で貯金していることをわたしは知っていた〉〈どんなに働いても貧しい暮らしから抜け出すことができなかったわたしに、こんな大金が貯金できるなんて信じられないことだ。千円あれば大邱に小さな家が一軒買える。母に少しは楽をさせてあげられる。晴れがましくて、本当にうれしかった。貯金通帳はわたしの宝物となった〉(『同』) 貧しさのなかにあった文氏が、こつこつ貯めた財産だ。それが戻らないのは気の毒ではある。「カネをもらっていたのだから奴隷であるはずがない」という主張はたしかにそのとおりだが、結果として「母を思いながら、春をひさいで貯めたお金が手元に残らなかった」恨み、悲しみに寄り添う必要はあろう。 だが番組内でも説明があるように、補償関係はすべて日韓協定で「解決済み」となっているのである。 個人補償よりも国家の発展を選んだのは韓国政府である。もちろん、その国家の発展の恩恵を文氏も少なからず受けてはいるだろうが、やり場のない怒りがすべて日本に向いてしまっているのは、日本にとっても文氏にとっても不幸なことである。 一生懸命働いたのに、お金が残らなかった。母に楽をさせてあげられなかった……彼女にそんな思いがあったのだろう。その思いを「運動」のために利用した人々がいる。 女性たちの思いに報いようとしたのが、アジア女性基金だった。少しでも元慰安婦たちの心に寄り添い、生活を支援しようとした動きだったが、韓国側運動団体はこれに激しく反発。元慰安婦の女性たちに受け取りを拒否するよう圧力をかけた。 いまでこそ取り組みを評価している朝日新聞も、当時は韓国側の空気を慮ってか、この取り組みを必ずしも支持しなかった。彼女たちが「恨みを残したまま死ぬ」ように仕向けたのは誰だったのか。 元慰安婦の涙 番組では、支援者が開いた文氏の誕生日パーティの模様を映し出す。「自分の誕生日も知らなかった私を祝ってくださってありがとうございます……」 文氏は涙にくれる。そして、「戦場から戻った軍人に呼ばれて同席した宴会のために覚えた」という歌を披露する。 「生れ故郷を 何で忘れてなるもんか 昨夜も夢見て しみじみ泣いた そろそろお山の 雪さえ溶けて 白いリンゴの 花がちらほら ああ 咲いたろな」(「リンゴ花咲く故郷へ」正しくは“咲くだろな”)
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故郷から遠く離れた戦地で、立場は違えど、軍人と慰安婦は、この歌を歌いながらともに故郷を思っていたのだろう。文氏が本に書いたような軍人との交流もあったからこそ、彼らが歌っていた歌を忌み嫌わず、懐かしく口にしたのではないか。 生死の行方も知れない戦争のさなか。いまよりもずっと貧しい時代だ。いまの価値観で善悪を判断することはできない。「連行されたに違いない」「軍人を恨んでいたに決まっている」とするのは、元慰安婦らの生きた足跡を、いまの価値観で全く別のものにしてしまう可能性がある。 番組終盤で再度、挺対協の尹氏が述べる。「日本がやったことは韓国人の人格を貶め、日本人自身も失った。戦後処理をしなければ絶対に忘れません」 だが、慰安婦という職業についた女性に「賤業」のレッテルを貼り、さらには「日帝のために働いた女」として社会から排斥した韓国社会にも問題はなかったか。 番組に登場する元慰安婦・沈氏も、��結婚もできなかった。友人の家族を見ると辛い」と涙を見せている。 誕生日を祝われて涙を見せる文氏にも、元慰安婦として名乗り出たあとには、「お金のためでしょ」「もう付き合いをやめる」という電話があったそうだ。 いまも運動のためにだけ駆り出され、寒空の下、あるいはカンカン照りの路上で泣き、「悲惨な体験」を語ることのみを求められ、世界各国を「ドサ回り」させられている老女たちがいる。そんな姿を見るのは本当に心苦しい。 罪を犯したのは誰か「少女の頃のことを忘れたくなかったから」とピンク色のチマチョゴリを着た理由を語る文氏。取材陣に手を振る姿を映して、番組は終わる。そこにいるのは、戦争という時代と苦労の人生を歩んだ一人の老女である。 和解は双方が目指さなければ決して成り立たない。 歴史には光も影もある。その双方を織り込み、「ありのままの体験を話すことで『和解』を果たす」道を取っていれば、日本人の多くは彼女たちとその人生に心からの深い同情を寄せられたはずだ。 だが慰安婦問題を運動に仕立て上げた人たちは、彼女らに「強制連行」の嘘をつかせ、日本人を恨ませ、生活の足しになるはずのお金を渡すことすら妨害した。そして互いの猜疑心は膨らみ、日本人からの女性たちに対する同情心さえ離反させてしまったのである。 朝日や「強制連行」派の学者、テレビ関係者、運動家は日本人の名誉を貶めただけでなく、このような元慰安婦たちから「真実の歴史」「生きた証」を奪い去った「罪」をも負っているのではないだろうか。
かじい・あやこ 1980年生まれ。中央大学卒業後、企業に勤める傍ら「特定アジアウォッチング」を開始。「若者が日本を考える」きっかけづくりを目指している。月刊誌に寄稿の他、『韓国「食品汚染」の恐怖』や『竹島と慰安婦—韓国の反日プロパガンダを撃て』など日韓関係に関する電子書籍などを無料公開中。
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ウイグル人の人権活動家として知られる女性が、乳児を含む大規模失踪事件を糾弾した6日後、彼女の妹と叔母が失踪した。
マルコ・レスピンティ(Marco Respinti)
国連人権理事会が 普遍的・定期的レビュー(Universal Periodic Review)で中国について審査した日、私は初めてジュネーブでルシャン・アッバス(Rushan Abbas)に会った。印象深かったのは、彼女が中年の ウイグル人 女性の写真のプラカードを持っており、そこには次の言葉が書かれていたことだ。「妹はどこにいるの?妹は医者なので、職業訓練は必要ありません」。新疆ウイグル自治区 で多数の人を収容する強制収容所は、実のところ、公式名称を 「教育による改心」のための強制収容所 としており、そこに収監されている人々は拷問を受けて死んでいくにもかかわらず、中国共産党 は収容者の宗教的な過激思想を治癒するための「職業訓練」を提供しているのだと主張している。
ルシャンは過激派でも何でもない。彼女はウイグル人のイスラム教徒で、現在、西側諸国に暮らし、その欠点にもかかわらず西側諸国を高く評価している。西側諸国において、ルシャンは同胞の人々の 人権 の擁護者である。祖国でもかつては人権活動家であり、米国では世界的な名声を博した。けれどもそれには、高い代償がついてしまった。
アッバスは1985年から1988年にかけて新疆大学で民主主義を推進するデモを行っていた元学生運動家で、1987年には大学で学生科学文化連合の副会長を務めた。学生連合は、現在の 世界ウイグル会議(World Uyghur Congress)の会長、ドルクン・エイサ(Dolkun Isa)によって設立された組織で、彼女はそれ以来、ずっとエイサと密接に協力してきた。米国では、アッバスはカリフォルニアに拠点を置く天山海外学生学者協会(Tengritagh Overseas Students and Scholars Association)の共同設立者である。同協会は1993年に設立された米国初のウイグル人の組織で、アッバスはその組織の初代副会長を務めた。彼女が後に草案作成に寄与した憲章と規制は、1998年にウイグル米国協会(Uyghur American Association、UAA)設立の青写真となり、重要な役割を果たした。UAAは全米民主主義基金(National Endowment for Democracy)から資金の供給を受けている。アッバスはその後2期にわたってUAAの副会長に選出された。1998年に米国議会がワシントンDCに拠点を置くラジオ・フリー・アジア(Radio Free Asia)でウイグル語サービスの資金援助を決めたとき、アッバスは最初のウイグル人レポーター兼アナウンサーを務め、毎日ウイグル地方へ向けてラジオ放送を行っていた。
2002年から2003年にかけて、アッバスはキューバのグアンタナモ湾で通訳として不朽の自由作戦(Operation Enduring Freedom)に関わった。また、米国議会のメンバーと国務省の関係者に対してウイグル人の人権状況とその歴史と文化について幾度となく説明し、議会の委員会と人権委員会(Human Rights Commissions)における証言を手配した。彼女は自分の専門知識を他の連邦・軍事当局にも提供し、2007年に当時のジョージ・W・ブッシュ大統領と、プラハ在住でウイグル人の世界的に有名な道義的指導者であるラビア・カーディル(Rebiya Kadeer)との間の会議をサポートした。その年の後半、彼女はホワイトハウスで当時のファーストレディ、ローラ・ブッシュとも会い、新疆(中国の地名だが、ウイグル人は「東トルキスタン」という名称を好む)の人権状況について説明した。
新疆の状況の悪化に伴い、アッバスはウイグル人のためのキャンペーンを起ち上げ、人権と民主的自由を推進する運動を展開している。
グアンタナモ湾という地名からは、テロと拘留を想起させます。どうやってそこに関わるようになったのですか?
キューバ沿岸の米海軍基地にある軍の刑務所であるグンタナモ湾収容所(一般的に「Gitmo」(グアンタナモ基地)として知られている)に関わるようになったのは、「グルジャ事件」の後に22人のウイグル人が、この収容所に拘禁された件とつながりがあがります。1997年2月上旬、独立を求めた30人の唱道者が処刑され、ウイグル人としてのアイデンティティが抑圧されたことがきっかけで、新疆ウイグル 自治区 の 県級市 であるグルジャ市で抗議運動が連続して発生しました。2日間にわたるデモの後、2月5日に警察はデモの参加者に暴力をふるい、発砲することで解散させました。その日に撃たれて死亡した人の数は、政府当局の公式発表では9人ですが、私たちは100人以上が殺害され、最大で167人に上るとみています。1,600人ほどが逮捕されたという説もあります。私の話と関わってくる22人のウイグル人は、中国から脱出し、国境を接する中央アジア諸国に逃れることに成功しました。
けれども、国境を越えても新たな魔の手が彼らに迫っていました。上海協力機構(Shanghai Cooperation Organization、SCO)です。2001年6月15日、中国、ロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタンの指導者たちは、中国の上海で、ユーラシアの政治的、経済的および安全保障上の同盟の創設を発表しました。その後、2002年6月にSCO協定が調印され、2003年9月19日から活動を開始しました(2017年6月8日にインドとパキスタンも参加)。その協定にはテロに協力して対峙することが含まれています。つまり、「テロ」は他の国々に押し付ける力を持つ国が定義することになるのです。基本的にこの協定があることで、中国政府がウイグル人に関して要求していることを、中央アジア諸国も常に実行することを意味します。それはつまり、ウイグル人を逮捕し、強制送還することです。
そのため、「グルジャ事件」から難を逃れた22人のウイグル人は、再び逃走しなければなりませんでした。彼らは保護を約束してくれ、さらにトルコ、カナダ、米国とは異なりビザを必要としない、パキスタンとアフガニスタンに到着しました。22人の悪夢が始まったのは9月11日の同時多発テロ事件後、米軍がアフガニスタンを急襲した時です。戦争地帯を脱出しようとしているとき、パキスタンの賞金稼ぎに囚われて、外国人戦闘員として米国当局に一人あたり5,000ドル(約55万円)で売り払われてしまったのです。けれどもそれは、(間違っていますが、)中国が彼らをテロリストと宣言したことが端緒でした。結局、22人のウイグル人は、グアンタナモ基地に収監されることになりました。その後、2002年から2003年にかけて包括的に調査をした結果、米国政府は、22人��対するテロ容疑が間違っていたこと、米国やその同盟国に何も脅威を与える者たちではないことをはっきりさせました。しかし、釈放後にどこの国に向かうのかは、新たな大問題でした。中国政府は、グアンタナモ基地から解放されたウイグル人の再定住を受け入れないよう各国に圧力をかけていたからです。その結果、潔白の22人は囚人として4年間から11年間、グアンタナモ基地にとどまることになりました。
私は米国在住のウイグル人として、アフガン戦争に関わっていた国防総省の請負業者の1社から連絡を受けました。2002年初めから12月にかけて、グアンタナモ基地で通訳として働かないか、と持ちかけられたのです。通訳の仕事を終えて基地から離れた後の2003年4月、もう2か月間戻って通訳をしてほしいと頼まれました。結局、基地には合計で11か月間、フルタイムで働いていました。2006年、収監期間が無期限に延長されたとき、私は22人のウイグル人を擁護するチームに加わり、人身保護令状の申請を行いました。弁護士と私は、オバマ政権と密接に協力して彼らが再定住できるように尽力し、最終的には、アルバニア、バミューダ、パラオ、スイス、エルサルバドル、スロヴェニアに送られることになりました。正義が勝ち、彼らは晴れて自由の身になったのです。カナダを拠点として活動する、受賞歴のあるチリの映画制作者、パトリシオ・アンリケス(Patricio Henriquez)監督は、この話を基に映画を制作しました。『Uyghurs: Prisoners of the Absurd』(仮訳:『ウイグル:不条理な囚人』)です。この映画は、2014年10月10日にモントリオールのフェスティバル・デュ・ヌーヴォー・シネマでプレミア上映されました。私も台本づくりにかかわり、その場面では、私自身も映画に出演しました。この映画は後に英国、オランダ、チェコのプラハの国際ドキュメンタリー映画祭で上映され、さらにトルコと台湾のドキュメンタリー映画祭のオープニング作品となりました。
あなたは新疆で生まれ、そこで勉学に励みましたね。ウイグル人として暮らしていた当時の思い出にはどのようなものがありますか?
私は新疆のウルムチ 市 で生まれ育ち、1989年5月に祖国を離れました。子供時代、青春時代の思い出は、豊かでカラフルな民族的なウイグル文化で彩られています。毛沢東 の 文化大革命 の暗黒時代が過ぎ去った後のことで、約10年間、とても楽しい時を過ごしました。
米国に来た理由と、そこに留まろうと思った理由は何ですか?
米国へは修士号を取得するために、1989年5月9日にやって来ました。最初に、私はワシントン州プロッサーにあるワシントン州立大学の灌漑農業研究普及センターに客員研究員として所属し、後に大学院生として植物病理学部に入学しました。米国に留まることにしたのは、米国に到着してすぐの1989年6月4日、共産党の命令が引き金となって天安門事件が起きたからです。戦車が市内を走行し、砲撃しているのをテレビで観ました。帰国しないことを決心するには十分な理由でした。
迫害を受けるウイグル人のための人権活動を始めたのはいつからですか?
ウルムチの新疆大学の学生だった頃から、人々の代表として活動していました。米国で活動を始めたのは、新疆でウイグル人の死傷者を出した暴動や事件が1990年代に頻発した頃からです。
「One Voice One Step」はアッバスさんが提唱された偉大なキャッチフレーズですが、それについてお話をお聞かせいただけますか?
2017年4月から新疆の状況は急速に悪化したのですが、国際社会、メディアや各国政府は沈黙を続けました。恐ろしい残虐行為が起こっているにもかかわらず、国際的には関心をもたれていませんでした。ウイグルアカデミー(ウイグル国家の科学と教育を推進するために2009年9月9日にイスタンブールで設立)と、私の兄である米国フィラデルフィアのドレクセル大学のリシャット・アッバス博士(Dr. Rishat Abbas)(ウイグルアカデミーの名誉会長であり、世界ウイグル会議の上級顧問を努めるとともに、在米ウイグル人協会(Uyghur American Association)と、ウイグル人権プロジェクト(Uyghur Human Rights Project)の共同設立者の1人)の助けを借りて、2017年10月に学術会議を開催しました。そこで、私はパネリストの1人として紹介されました。その目的は、今でこそ正式に「教育による改心」のための強制収容所と呼ばれる新疆の拘留所について、主要メディアの注目を集める方法を見つけ、世界中のウイグル人を導いて人権運動を巻き起こすことでした。2018年1月、私は海外のすべてのウイグル人の組織や活動家を巻き込み、世界規模で抗議活動を行うことを思いつきました。女性たちがこれらの抗議行動を率いれば、国際的なメディアの注目を集められるかもしれないと考え、私は世界中のウイグル人女性に連絡し、詳細な計画を練るために小さな諮問グループをとりまとめました。それは結局、「One Voice One Step」(OVOS)と呼ばれるWhatsAppグループに発展し、私たちの組織である「ウイグル人のためのキャンペーン」(Campaign for Uyghurs)のイニシアティブの名称になりました。「OVOS」は非常に明確なメッセージを持っていました。それは「私たちの故郷で行われている残虐行為に対して、皆の声を合わせ、海外のすべてのウイグル組織やウイグル人活動家と一緒に前に一歩踏み出すこと」です。その努力が結実して、3月15日、ニューヨークで開かれた第62回国連女性の地位委員会(UN Commission on the Status of Women in New York)の会合に合わせて、国連本部の前でデモを行い、続いて国連の中国代表団に対して抗議活動を行いました。世界中で同じ日に、オーストラリア、ベルギー、カナダ、フランス、フィンランド、ドイツ、オランダ、ノルウェー、スウェーデン、スイス、トルコ、日本、イギリスの計14か国18都市で22時間にわたって、一致団結して抗議活動を行いました。
新疆に住んでいる親戚の何人かが姿を消しましたね・・・
ホータン市に暮らす夫の親族が忽然と姿を消しました。69歳と71歳の農家を営む夫妻、その娘のうち3人と義理の娘1人、4人の娘の夫たちがいなくなってしまいました。私と夫のアブドゥルハキム・イドリス(Abdulhakim Idris)は、2017年4月以来、彼らと連絡が取れない状態が続いていて、彼らが全員、悪名高い強制収容所に連行されたのではないかと危惧しています。夫の3歳から22歳の14人の姪と甥が今日どこにいるのか、私たちには見当がつきません。中国内陸部の児童養護施設に送られたのかもしれません。夫の弟、アブドゥルヒム・イドリス(Abdurehim Idris)が20年の懲役刑を宣告されたとも聞きました。この出来事を受けて、2018年9月5日、私はワシントンD.C.で開催されたハドソン研究所(Hudson Institute)の会議にパネリストの1人として参加し、新疆で中国政府が犯している残虐行為、私の夫の親族が置かれているだろう境遇、そして強制収容所の状況を公にすることにしました。この会議から6日後の9月11日、私の叔母と妹のグルシャン・アッバスが姿を消しました。遠い親戚からは叔母が釈放されたと聞きましたが、妹とは音信不通の状態が続いています。
信教の自由と人権を支持するご自身の活動が原因で連行されたとお思いですか?
妹と叔母が標的にされたのはおかしなことです。2人は有名人ではなく、作家や詩人、教育者というわけでもありません。どちらも国外のイスラム教の国を訪れたことはなく、流暢に中国語を話します。標的にされるウイグル人は、海外渡航歴のある人(「テロ」や「外国勢力」との「共謀」の嫌疑をかけられる)や、中国語(北京語)が話せない人(話せない人は、中央政府から、無知な不具または独立主義の反乱者の兆候として見られる)であるケースが大多数だからです。妹は政府が経営する病院で医師として働いていました。妹も叔母も、いわゆる「職業訓練センター」(すなわち強制収容所)に送られる人の通常の基準もあてはまらないのです。そのため、彼女たちが拉致された理由は、「連帯責任」しか考えられないと断言できます。彼女たちは、米国で活動している私に対する共産党による報復の犠牲者です。
習近平国家主席のすべての宗教に対する戦いは非常に冷酷です。このやり方は最近始まったのでしょうか、それとも以前から行われているのでしょうか?
ウイグル人とイスラム教徒を同時に、強烈に敵視するのは、習近平 が初めてです。その根底にあるのは、世界で支配的な地位を得たいという彼の圧倒的な夢です。今日、東トルキスタンの全人口が習近平の一帯一路構想の犠牲になっています。一帯一路構想というのは、アジア、ヨーロッパ、アフリカ全体でインフラを構築し、投資を行う壮大な開発戦略で、「新シルクロード」という名称でも知られ、帝国主義的な中国の夢である「中国製造2025」(Made in China 2025)の最終解決案です。「中国製造2025」というのは、2049年までに中国を世界をリードする製造・技術強国にするという3段階計画のうち、グローバリゼーションを「中国的に」定義しなおす最初の段階です。ハドソン研究所の中国戦略センターの所長であるマイケル・ピルスベリー(Michael Pillsbury)博士は、著書『The Hundred-Year Marathon: China’s Secret Strategy to Replace America as the Global Superpower』(仮訳:百年マラソン:米国に代わり世界の超大国となる中国の秘密戦略)(ニューヨーク: St. Martin’s Griffin、2015)の中ではっきりと述べており、占領された東トルキスタンは、世界を統治する青写真の戦略的中心にあります。
1949年の毛沢東国家主席による東トルキスタンの占領以来、政府はウイグル文化と宗教を容赦なく破壊しようとしてきました。ウイグル人は「民族主義者」、「反革命者」、「分離主義者」というレッテルを貼られ、迫害されてきたのです。9・11の悲劇の後、共産党当局はその取組みを「テロとの戦い」と改名しました。新疆地域全体が、このように色塗られたのです。処罰は文化に対して、集団規模で行われています。何百万という人々が、犯罪を行った嫌疑なしに逮捕され、拘束されています。県や地区、近隣のコミュニティが、割り当てられたノルマを達成することに必死です。中国はすべての抵抗を「イスラムによるテロ」と特徴付けており、それを口実にして、DNAの収集、あらゆる場所への監視カメラの設置、顔認識ソフトウェア、車両へのGPS追跡装置搭載を基礎に監視体制を敷いています。新疆全域が、警察国家になったのです。
米国ではウイグル人に多くの同情が寄せられています。マルコ・ルビオ(Marco Rubio)上院議員が議長を務め、クリストファー・H・スミス(Christopher H. Smith)下院議員が共同議長を務める、中国問題に関する連邦議会・行政府委員会は、中国の現状をさらけ出し、迫害されている新疆のイスラム教徒の証言を聞くための公聴会をしばしば開催しています。これに何を期待しますか?
私が見るところ、米国が寄せる同情、そしてウイグル人に対する米国の政治家の支援は、本物の人権の観点から来ています。ウイグル問題に関して、米国は常に正義と正しい行いをする側についています。そのため、力強く意義深い行動を取るところを見たいと思っています。例えば、そのような恐ろしい残虐行為や人道に対する罪を犯した中国当局者に対して、グローバル・マグニツキー法に基づく制裁を発動することが挙げられます。また、2018年11月中旬に上院外交委員会の有力メンバーであるルビオ上院議員とロバート・メネンデス(Robert Menendez)上院議員、それにスミス下院議員が法案を提出した、ウイグル人権政策法に支持が集まるところを見たいと思っています。また、この地域に調査団を派遣したり、ラジオ・フリー・アジアのウイグル語サービスの放送時間を拡大したりすることも希望しています。このような行動は、ウイグル人の大規模拘束などを白日の下に晒し、世の中に伝える上で不可欠です。地域の実情を伝えることは、世論を操作する北京の共産党政権が仕組んだ情報封鎖とメディアの検閲によって妨げられているからです。
米国では多くの人がイスラム教徒と米国との間には自然と敵対的な関係があると見ているようですが、ウイグル問題の場合はその逆の反応を示していますね。
米国政府と国会議員は、前述した1998年のラジオ・フリー・アジアのウイグル語サービスへの資金拠出に始まり、22人のウイグル人をグアンタナモ基地から解放する取組みを続け、ウイグル人の民主運動をいつも力強くサポートしてくれています。これらの出来事は、安心できる関係を築くためのターニングポイントでした。私は、米国政府と米国国民が、中国共産党政権の邪悪な目的にようやく気づき始めていると思います。中国のナショナリズムは、米国を世界の超大国から引きずり落とすことだけを目指しているのではなく、世界の民主主義と自由を中国の全体主義的な哲学と体系で置き換えることを目指しています。今、新疆は前例のない危機的な状況に置かれています。世界がこのひどい状況を前にして共産主義の中国と対峙しないなら、大規模監視、抑圧と蛮行のために、世界は闇に覆われ、私たちが今日享受しているような自由な世界に終止符が打たれてしまうことでしょう。
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