広島足元コレクション カープファンじゃないけど カープ坊やにこころくすぐられる #この靴であちこちへ #東はニューヨーク #南はオーストラリア #今や足を踏み入れられない #エアーズロックも登った #そろそろ引退 https://www.instagram.com/p/ClSY-LDr-cuDuY_QGEa81t4fsBMC4XtC2ybgyY0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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0408(月)居酒家あきばの本日のスタイル
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本日のおすすめ‼︎
★《しめさば》
久しぶりの登場ですが、こちらも仕入れ値が…
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芋煮はついに地方都市対決に!
仙台には何に付けて負ける山形ですが、芋煮だけは勝ちたいところです♪…笑笑
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居酒家あきばのお店おすすめ‼︎ラインナップ
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好評発売中
★《鶏つくね》
ふっくら柔らか、卵黄とからまって…
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好評発売中
★《岩石麻婆豆腐》
オーストラリアの旅 ウルル•エアーズロックを検索、現れた画像を見ながら食べるのが正しい食べ方です…
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好評発売中
生まれも育ちも山形のあきばちゃん、満を持しての新発売です。
★《牛いも煮》
山形内陸地方は牛肉➕醤油味です。
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好評発売中
★《各種肉のからめ焼き》
シャキッとオニオン、香り良し!味旨し!
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好評発売中
★《玄米ひじきの和風チャーハン》
玄米ひじきの味をメインに多食材を加えた健康的な一皿です♪
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【営業時間】
16:30〜(22:00フードL.O後)軽食&ドリンクにて最終23:00まで
(祝日はL.O&閉店が30分早くなります)
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【休み】
木、日 、曜日
(注:営業曜日に祝日が重なっても休まず営業します)
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BACK TO WEST 2 - Geraskier modern AU
Chapter 2 旅の計画
ヤスキエルがこの旅を計画した当初、オーストラリアへ行こうなんて考えもしていなかった。
昔、オーストラリアの危険な野生動物を捕獲するという趣旨の娯楽番組をテレビで見て以来、オーストラリアは、���きい毛むくじゃらのタランチュラみたいな蜘蛛や、猛毒を持った恐ろしい蛇が藪の中に隠れている場所なのだという印象を持っていた。確かにカンガルーやコアラなんかの可愛らしい生き物がいる事も知っていたけれど、ヤスキエルの頭の中ではその番組に登場する危険な生物のイメージが先行していた。その娯楽番組自体は面白かったが、テレビで見る分には良くても実際にそんな危険な生き物のいる場所に行ってみたいとは思わなかった。
気が変わったのは、Skyscannerで格安航空券を探していた時スクロールしたスマートフォンの画面に現れた広告がきっかけだった。その広告に使われていた写真には、地平線の上に巨大な台形の山が超然と浮かびあがり、その横から太陽がまばゆい光の筋を何本も放ちながら昇っている様子が写っていた。青い空が下へ行くにつれてサーモンピンクから黄色へ柔らかく色を変えており、その下を散り散りに漂う雲が太陽の燃える色を反射して濃いオレンジ色になっていた。その土肌が剥き出しの大きな山も、太陽の輝きを吸うように、深く濃い朱色に染まっていた。荘厳な風景だった。
最初、山だと思ったそれは、後で調べると山じゃない事が分かった。
それはオーストラリア大陸のど真ん中に位置するエアーズロック――今はウルルと呼ばれる――巨大な、巨大な一枚岩だった。
その写真の鮮烈なイメージに、ヤスキエルは一瞬で心を奪われた。絶対にこの景色を生で見たいと思った。この目で見るまでは死ねないような気さえした。
こうしてオーストラリアは、あっさりとヤスキエルの旅の計画に含まれたのだった。
その後、最初に見つけた一番安価な航空券がパース・ロンドン間のフライトだった。すぐにチケットを予約して、そこを起点に旅のスケジュールを立てた。といっても、要所要所の航空券を事前に購入しただけで、後はその時の気分で行く場所を決めながらふらふらと旅をした。
まずはインドからスタートして内陸に進み、東南アジア、東アジアを巡ってまた東南アジアに戻り、インドネシアから長距離フライトでニュージーランドへ飛んだ。台湾でフィリピン行きの飛行機を逃したときは心底焦ったけれど、便を振替できる航空券だったので何とかなった。購入していたチケットはほとんど振替のきかないものばかりだったのに、その航空券だけはなぜかグレードアップして購入していたので振り替えてもらえたのだ。こういった強運を持っているところが、ヤスキエルにはあった。
そしてこの旅の最終目的地となるオーストラリアに、ついに昨日到着したのだった。
シドニーの空港に降り立った時、ニュージーランドに比べるとずいぶん気温が違うことにヤスキエルは驚いた。オーストラリアの方が断然、暑い。Google Mapで見てみるとオーストラリアはニュージーランドよりも北に位置しているので、それもそうかと納得した。ここは南半球なのだ。北へ行くほうが気温は高くなる。
自分の生まれたイギリスと比べると、話されている言語が同じとはいえあまりの気候の違いにびっくりしていた。なんだか太陽の明るさも違う気がした。目に入る全ての色が、鮮やかに見えた。
昨日はホステルに泊まった。今日はバスに乗って移動する予定だった。
朝になって市街地の少し外れにあるホステルを出た後、徒歩でバス停まで向かっている途中で荷物の整理をしておこうと思い立ち、足を止めた。すぐそばに緑の蓋がついた、腰の高さほどのキャスター付きのゴミ箱が三つ並んでいたので、ひとまず手に持っていたKANKENのリュックをそのうちの一つに載せ、歩きながら食べていたパンの包み紙は隣のゴミ箱へ捨てた。小ぶりのリュックとは別に、着替えや寝袋などが詰め込まれた大きいバックパックを背負っていたのでそれを地面におろし、肩から下げていたギターもその上に置いた。
ヤスキエルはこの旅にギターを持ってきていた。荷物になることは分かっていたけれど、これだけは置いていけなかった。
ヤスキエルにとって音楽は、人生になくてはならないものだった。
子供の頃ピアノを習い始めたのをきっかけにして、音を奏でることの楽しさを知った。自分の動かす指をつたって黒い木製ピアノの中から重厚感のある弾んだ音が飛び出してくるのを聴くと、とてもワクワクした。あっという間にのめり込み、毎日毎日ピアノを弾いた。
結局、ピアノだけでは飽き足らず、フルートやヴァイオリン、ギター、ベース、ドラムと一通りの楽器に手をだした。ポーランドに住む祖母がリュートを持っていたので、弾き方を少し教えてもらったこともあった。ギターと似たようなもんだろうと舐めていたら、弦の数がギターよりも多いので上手に弾くのはなかなか難しかった。でも、その音色が好きだと思った。ヤスキエルは歌うのも曲を作るのも好きだったから、中世の吟遊詩人がこのリュートを片手に物語を歌にのせて人々に伝えながら旅をしたのだと思うと、とても憧れた。
そしてヤスキエルは、ギターと一緒にこの旅に出ることを決めたのだった。吟遊詩人のような気分を味わってみたい、そう思った。自分が社会人として働き始めてしまったら、もうこんなことはできない気がした。
行く先々で自分の見たものや聞いた話をもとにして歌を作りながら、この旅を続けてきた。そこで生活する人々や建物を見て歩くと、自然と身体からメロディが溢れてくるようだった。自分はこんなにも世界を知らなかったのかと驚くことばかりで、何もかもが新鮮だった。その感動をメロディと歌詞にして、歌という形に落とし込んでいくのが楽しかった。
ニュージーランドのホステルに滞在した時、ホステル主催のバーベキューパーティでこの旅の中で作った歌を披露させてもらった。ホステルに宿泊しているのはヤスキエルと同じような若者が多く、みんなノリがよくて、口笛を鳴らす人もいれば踊りだす人もいた。ヤスキエルが歌い終わると大きな拍手と歓声があがった。みんなの興奮したような笑顔を目のあたりにして、全身に鳥肌が立った。学生時代にバンドを組んでライブハウスで演奏した時とは全く違った感動が、ヤスキエルの胸にはあふれていた。ロンドンにいたままでは絶対に味わえない体験だった。
この旅にギターを持ってきて良かったと、心から思った。
ヤスキエルは地面におろした荷物の上にギターを置くと、その場にしゃがんでバックパックの横についたポケットのジッパーを開けた。中からパスポートとロンドンへ帰るための飛行機のチケットを取り出す。チェックアウトの時間ギリギリまでホステルに居座ってしまい、荷物を慌てて準備したのでその時とりあえずここに仕舞ったのだった。その二つをリュックへ移そうと思った時、開いたままのバックパックのポケットから何かがひらりと落ちた。
五ポンド札だった。
おそらくイギリスを出るときに空港で水を買って、お釣りをそこに突っ込んだのだ。もう三ヶ月以上もこのバックパックを背負って旅をしてきたのに、今までずっとこの五ポンド札がそのポケットに入っていたことに気づかなかった。その事がなんだかおかしくて、小さく笑った。同時に、自分はあと少しでイギリスへ戻るのだという事を思いだした。不思議な気がした。
落ちた五ポンド札を拾おうと手をのばすと、それはふわりと風に持ちあげられ、ひらりと舞いながらヤスキエルの元から離れていった。慌てて追いかけると、お札はヤスキエルをからかうように楽しげにひらひらと飛び、五メートルほど行ったところで、エリザベス女王の描かれた面を上にして地面に着地した。これ以上風に飛ばされないよう急いで駆け寄り、そのエメラルドグリーン色のお札を拾いあげた。
その時だった。
ガシャンと大きな金属音がした。
振り返ると、黄色のゴミ収集車が鉄のアームを使って沿道のゴミ箱からゴミを回収しているところだった。さっき歩いている時にも見かけて感動したところだ。何回見ても面白くて、またそれをぼうっと眺めていた。
ふと、ゴミ箱の蓋の上に置いたヤスキエルのリュックが、ずり落ちそうになっているのが目に入った。思わずあっと声をあげた時、ヤスキエルのリュックは隣のゴミ箱へすべり落ちた。そのゴミ箱だけは緑の蓋があいたままになっていた。パンの包み紙を捨てた時、ヤスキエルが蓋を閉めるのを忘れたのだった。
そして止める隙もなく、鋼鉄の二股アームはその身を振動させながら、沿道のゴミ箱をがっしりと掴むと宙へ持ち上げた。逆さまになったゴミ箱からヤスキエルの鮮やかな色のリュックが飛び出し、ゴミ収集車の大きくあいた口の中へ落ちていった。
一瞬の出来事だった。
こうして、ヤスキエルの財布とスマートフォンが入ったリュックは、眩しいほど元気な黄色をしたシドニーのゴミ収集車に回収されてしまったのだった。
Next → Chapter 3 旅の始まり
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全ての始まり。初めての海外
1989年3月。”卒業旅行”が大学生の間で流行し始めて、確かHISが”秀インターナショナル”という名前の会社だった頃でした。
初めての海外、しかも個人旅行というのは、修行というか、一種のイニシエーションのような感じだったかも。😁 ただ、選んだ行き先はワーキングホリデーの日本人の人気が高く、ほぼ時差のない、英語圏のオーストラリア。
2週間の旅でシドニー、ウルル(エアーズロック)、ケアンズを訪れて、気球、ラフティング、ダイビングなど、当時の日本国内では、得難い体験ができました
今振り返ると、有名な巨石”ウルル”に登った事が、以後30年間に渡る、聖地を巡る長い旅のきっかけだったかもしれません。
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【解説】カラフル・ワールド・トラベル -つづき-
前作の「カラフル・ワールド・トラベル -はじまり-」のアイデア出しのときに出て、ボリュームの関係で入れられなかったアイデアを出したい!と思って続きを作りました。
シリーズにするなら同じコンセプトだとよくないなと思ったので、前回の「旅」をグレードアップして「世界遺産」にしました。世界遺産、いいですよね。歴史の重みと単純にビジュアルのキャッチーさが魅力的です。さすが世界規模でトップなやつらなだけあります。
アレンジの方向性は統一せずに自由な感じを目指しました。でもやっぱり世界遺産だとちょっと民族系になりますね。
1.旅のつづき
スーパーデラックスのオープニングと64のポップスターのアレンジです。
ポップスターの曲は本当に大好きで、ずっとアレンジしたかったんです。キャッチーなんだけど、ちょっと毒気も感じる、64カービィらしい曲ですよね。
あまりに好きだったので原曲の雰囲気は踏襲して、拡張するようなアレンジにしました。
最初のスーパーデラックスのオープニングの部分は物語のはじまり、再開のイメージです。何気に映画のIMAXのイントロダクションの音楽を参考にしたりしました。ちょっとサイバーで低音ドゥーン。あれすき。
この曲の最初の鉄琴とフルートは実は前作の最後の曲で使われていた音色なんですよ!(こだわり)
2.アマルフィのマフィア
スーパーデラックスのメタナイトの逆襲の甲板ですね。
何気にジャズ路線はあまりやってこなかったので今度こそやろうと思って作った曲です。
世界遺産としてはアマルフィ!大人っぽい場所ですよね。イタリアと言えば地中海。一度は行ってみたい場所です(ほんといきたい)。
イタリアと言えばマフィアでしょという偏見によりそんな曲になっています。アコースティック枠ですね。
マフィアと言えば男と過去の女、というわけでイントロのトロンボーンは男要素。フルートは女要素みたいな感じで配置しました。
昔気質なマフィアと現代的な時代の波、的な発想でソロフレーズなんかはちょっとコンテンポラリーな要素も多いです。最初はクラシカルな始まり方なんですけど、最後のテンポアップしたころなんかは現代的な銃撃戦をイメージして、ドラムがドコドコ言ってます。
ラストのフレーズにフルートはいません。結局男は一人残されてしまうんですね。
3〜5.ストーンヘンジ・ロックフェス
星のカービィ64のいせき、いせきのなか、ホロビタスターマップ、ホロビタスターのアレンジ組曲です。
ストーンヘンジも大好きな世界遺産です。イギリスに急に現れる存在感抜群の石の柱。でもなにがどうしてそこにあるかは���からない。ロマンですよね。
イギリスと言えばロックの国(個人的に)。そしてストーンヘンジのあの中でロックフェスやったらめっちゃよくない?プログレじゃない?と思ったので作りました。
64カービィの曲たちの中でもいせき周辺は好きだったので楽しかったです。
3つのバンドが順番に出演している感じですね。それぞれ個性的です。
1つめはアコースティック寄りの民族バンドみたいな感じです。石を打つような音を入れたりして、ストーンっぽい質感を出しました。だんだん盛り上がる構成にして、一番手っぽい感じを出しています。
ちなみにいせきしたバンドというのは、バンドはよく移籍するし遺跡だからです。アハハ……。
2つめは���テレツバンド枠ですね。いや、そういう枠あるんですよ。B-52's(そういうバンドがいる)みたいなイメージで作りました。ステージで好き勝手しはじめる系のバンドは面白いですよね。原曲のこの曲もすごく64っぽいというか、64を代表する曲ですよね。ポヨポヨ、ボヨンボヨンした感じ。石川さんのちょっと挑発的な作曲が光ってます。
ちなみにいせきのなかビリビリバンドというのは僕もよくわかりません。
3つめはスタンダードなハード・ロックバンド!原曲すごく好きでした。走り出すような曲だったので、原曲の勢いを残してギターでシンプルにまとめました。ギターが分厚くサブフレーズをやってる曲が好きで、そこをがんばりました。
6〜8.サンドーラのスフィンクス
カービィのエアライドのサンドーラのアレンジです。
今回の世界遺産はギザの大スフィンクス。エジプトのピラミッド群の中にあるスフィンクスの一つですね。スフィンクスと言えば謎掛け。
「朝は4本、昼は2本、夜は3本。これはなんだ?」
みなさんご存知の通り、このスフィンクスの逸話は人間自身を問うたものです。それも人間の人生そのものを。
今回この問いかけに合わせてサンドーラを3パターンでアレンジしています。
スタイルの発想自体はミュシャの絵に、朝、昼、夕、夜の連作の絵があって、そこからアイデアをもらってきた感じですね。とてもいい絵で、好きな絵です。
・朝は4本
四本足で歩くのは赤ちゃんのことですね。まっさらなイメージ。まだまだ無限に書き込める白いノート。朝目覚めて目を開けたときのまぶしさ。赤ちゃんのシンプルな意識が浮かんで消えていくような感じ。タロットカードで言うなら0番の愚者。みたいなキーワードを決めて作りました。よく聞くとサンドーラのモチーフがたまにふわっとでてきます。
・昼は2本
二本足で歩くのは青年、中年、大人ということですね。人生の一番脂が乗っている時期。順風満帆。ブレイブな感じ。自信満々。だんだん成熟していく。タロットカードで言うと1番の魔術師。みたいなキーワードで作りました。
なるべくとっつきやすいように原曲のノリは残して、前向きな感じに仕上げました。サンドーラは個人的にコーラスの音色が特徴的だったので、そこも残しました。
人生は厳しいものですから、山あり谷ありという感じでいろんな要素と展開を盛り込みました。
中間部はこの組曲の幕間のようなものとして作りました。スフィンクスの謎かけの途中であり、この先はどうなるのかな?的な語り部の部分です。
・夜は3本
杖をついて歩く人、老人のことですね。スフィンクスの問いかけは生まれてから老人になるまでのことを示していて、それはつまり時間経過のことを言っていて、人生そのもののことなんですよね。なので、誰もがそうなように、閉じていく人生のイメージで夜は作りました。ちょっと走馬灯みたいなイメージですね。太陽が巡って一巡する感じ。完成。霧のように始まったものが霧のように閉じていくような感じ。タロットカードで言うと21番の世界。みたいなキーワードで作りました。
9.宇宙がなんかヤバいのサ
スーパーデラックスの銀河にねがいをのオープニングの曲のアレンジです。
今回のCDのボス曲のVS.スタードリームの曲へのオープニング的な曲ですね。星の夢とノヴァとマルクって結構近い存在と思っていて、曲を混ぜることが多いですねそういえば。
宇宙がヤバいことになってるけど、その裏にはマルクの影が……みたいなお話を想像しながら作りました。
最初の星が流れるような音も、変質していてちょっと違いますね。後半のフレーズもVS.マルクのフレーズが入っていたり、どこか怪しい雰囲気です。マルクが言うことはだいたいロクなことじゃないです。
個人的にフルートとオーボエのフレーズがすごく綺麗にできて、気に入っています。
10.エアーズロック・ロケット発着場
64のファイナルスターのアレンジです。
僕はなぜかエアーズ・ロックの真ん中にロケット基地があったらよくない?みたいなことをずっと思っていたのでそれがかたちになってしまいました。
サイバーだけど岩々しい音が入っています。
原曲のファイナルスターはこれからいくぞおお!みたいな雰囲気と、上昇していくステージ設計だったので、そのイメージを借りました。いよいよ宇宙へ!みたいな雰囲気です。
11.M16わし星雲「創造の柱」
ロボボプラネットのVS.スタードリームのアレンジです。
M16わし星雲「創造の柱」というのは、そういう星雲の名前です。非常に神秘的な存在で、一番好きな推し星雲ですね。
曲の冒頭は原曲と同じようで全然違くて変質しています。マルクの影が垣間見えるところとして作りました。
全体的に正統派に作ったつもりです。原曲のカッコいいところを削がないように気をつけながら、四声部ベースのオーケストラとフルートとオーボエの編成で、よりクラシカルなアプローチでアレンジしました。より叙情的なアレンジという感じですね。
中間部はVS.マルクのフレーズの変奏と星雲のキラキラした様子を表現しました。感覚的でなにげに一番楽しかったレコーディングです。
組曲「街」を作っていた時期に、VS.スタードリームをアレンジしたいと思っていたんですけど、アルバムのコンセプトに合わないから見送りになっていたんですよね。やっとアレンジできました。個人的にすごく好きなので嬉しいです。
12.おもいでがいっぱい
スーパーデラックスのエンディングのアレンジです。
やっぱり前トラックのあの曲が終わったら次にはこれが来てほしいですよね。
この曲で使っている音色のほとんどは、このアルバムで登場した音色です。わりと登場順にでてくるので、チェックしてみてください。
アレンジの参考にしたのは、歌謡番組のエンディングだったりします。あの穏やかでゆったりとしたドラムの感じがぴったりだなと思って。
というわけで聴いてくれた方、ありがとうございました。
ちょっとしたお知らせ
次回冬コミC97のスペースは4日目のデジタル(ボカロとかの島です)で申し込みをしました。
万華鏡ラボ番外編として、「ドンキーコング1,2,3のアレンジCD」を出そうかなと考えております。もちろん今までのカービィのアレンジCDも頒布する予定です。興味があるかたはぜひ覗きに来てくださいね!(受かったら!)(今からアレンジがんばらねば!)
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長澤探検隊 feat. MSJ
2019年2月17日、我々長澤探検隊は小谷村山中にひっそり佇む謎のモノリスのような建造物があるという情報を入手し調査に向かった。
英語の一般名詞 monolith は、「ひとつの、または孤立した岩」という意味のギリシャ語から���生したラテン語に由来する普通名詞であり、石柱、記念碑、オベリスク等の人工物、およびウルル(エアーズロック)、ストーン・マウンテン等の巨石を指す。(wiki の記事から)
一体、そのモノリスとは誰がなんの為に作ったのだろうか!?その謎を解き明かすべく8人の勇気ある若者というには気が引けるおっさん達が立ち上がった!
予報では午前中は雲が残るが午後に向けて回復傾向にあるという事。探検日和である。しかし、中には「なるべく歩きたくない、友人に騙されて参加させられた。」と漏らす隊員もいて、隊の中に一抹の不安が走る。
先日までのトレースに獣の足跡が。この辺では人食いイノシシなども出るそうなので注意が必要だ。(冷静なツッコミはここでは野暮ってもんなので控えていただきたい)
もぐもぐタイム。天気いいね〜。そだね〜。隊員達は暫し緊張をほぐす。
隊員達の足並みは揃っていて頂上までは難なく到着。
本来なら景色を楽しみたいところだが、そうゆっくりはしていられない、先を急ぐ。
まずは隊長が斜面に飛び込む!
隊員達もそれに続く!
ウッヒョー!
が、その次の瞬間!
うおおおおおお!!
めちゃくちゃいいほうていやんけー!MSJが流石のスプレーをあげた!
それをファインダー越しに捉える渡辺写真館。
あまりの雪の良さに隊員達はマジ卍テン上げモード!
ちょマジエグいんすけど。シーズンベストなんすけど。あげぽよ〜!
とりま、飯食って先急ぎますか的な〜。
目的地はまではまだまだかかる。余韻に浸っている時間は我々には無いのだ。
お天道様は出ているが気温は低い。つまり、俗に言う最高なコンディションである。
どんな困難が待ち受けようとも我々は歩みを止めない!
しかしこの後、我々に最大の難関が立ちはだかる!
そう、スキーモードの下りである!
いてて。
あわわわ。小野塾塾生でさえも手こずる。
深いほうていは、もがけばもがくほど我々の体力を容赦なく奪っていく!
なんとか難所を切り抜けた我々探検隊。しかしまだまだ安心はできない。ここからはかなりきつい急登が待っている。
しかしそこは百戦錬磨のガイド、MSJが登り易いトレースをつけてくれた。
MSJのお陰で難なく登り切る。この時隊長は鼻をほじりながら後ろで楽をしていた事は伏せておこう。
我々は広い台地に辿りついた。まるでUFOの発着基地なのではないかというくらいの広さがある。気のせいだというご指摘は受け付けない。
ここでも頂上でゆっくりしている間は無い。確実に日は西に傾き始めているのだ。
先頭を滑った隊長が振り返る。なんてこった、最高以外の何物でも無い。
間隔も広く斜度もあり雪も安定している、最高以外の何物でも無い。
降りてきた隊員みんなが同じ顔をしている。最高以外の何物でも無い。
スノーボーダー泣かせのフラット移動は皆んなの力を合わせてトレースを伸ばしていく。
すると遥か向こうに謎の建造物が!我々が探しているモノリスと何か関係があるのだろうか?アンテナのようにも見えるが、いずれにせよ現代の技術では到底作れるようなものではなさそうだ。(冷静なツッコミはご遠慮ください。)
我々は確実に目的地に近づいている事を確信し、さらに奥地へと踏み込んでいく。
辺りには美味しそうな斜面が手招きしていたが一心不乱に目的地を目指す。
時に一歩間違えたら奈落の底まで滑落しそうな斜面のトラバースもある。
更に日当たりのいい斜面では上部からの雪崩にも注意しなければならない。
しかし屈強な隊員達はペースを落とす事なく順調に標高を上げていく。
そして遂に!我々は目的地寸前のピークにたどり着いた。
そこは逞しく育った巨木が数多く生えていて
巨木好きの隊長は興奮を抑えきれずにいた。
生命力みなぎる巨木達。
そのエネルギーを溜め込むこの森には神聖な空気が漂っている気がした。
この辺の橅の巨木達なんて特に…え?巨木はいいから早く次行けって?あ、すんません。好きなもんでつい。
そして5時間に及ぶハイクのその先に我々は見た!
ででーん!!
その建造物は確かに静かな森の中で村を見下ろすようにひっそりと佇んでいた。右上に何やらマークのようなものがあるが、我々の文明とは全く違った文明の文字のように見える。(はい、そこ、つっこまない。)
一体、このモノリスがなんの為のものかはわからないが、兎に角、我々はやった!やったのだ!何もしてはいないがなんとなく探検隊の名目にはなりそうなネタをゲットしたのだ!西日に照らされながら、達成感に浸る隊員達。
帰りにはこれまた極上な斜面が我々を待ち受けていた。
西からの斜光が入った北向きの林はデザートというより、寧ろメインディッシュと言ってもいいくらいの斜面だった。
標高も下がり雪質が悪くなっていくのを感じると共に人々の生活圏が近付いてきたことも感じてくる。
そして我々は遂に帰ってくることができた!今回は誰1人怪我もトラブルもなく無事に辿り着いた!自然と笑顔が溢れる。
里に着くと綺麗なお月さんが出ていました。あ〜ヘッドライト使う羽目にならなくて良かった〜。ご参加された隊員の皆さま最高でしたね〜。お疲れ山でした!!またこれからもMSJとのコラボ企画をしてきたいと思っているので宜しくお願いします!
続く
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ウルルは、先に述べたようにアボリジニの聖地で、
今から一万年・・・
いや、言い伝えによってはそれ以上前から
ずっとアボリジニが暮らしていました。
50年代になると、観光資源としての
ウルルが注目され
(当時は白人探検家が名付けたエアーズロックという呼び名が主流でした。)
アボリジニ(アナヌ)は追い出されました。
何前年も前から
アボリジニにはパッチ・バーニングの伝統があって、
ブッシュを移動するのため、また、
火事が起こった時に大火事にならないように
定期的に区画を野焼きするんです。
アボリジニが追い出されたことによって
その野焼きが途絶え・・・
70年代に大火事が起き
このエリアの80%の生物が死滅するという
事態になったそうです。
そういう背景もあり、
そして、長い長い法廷闘争を経て
1985年、ウルル・カタジュタ国立公園は
アボリジ二に返還されました。
その時、二つの条件がありました。
一つは返還され次第99年リースで
オーストラリア政府に貸すこと。
そしてウルルへの登山道を
維持すること。
それだけ聞くと、
何も改善されていないように
思われますが
国立公園の運営理事会には
12人の理事を���き、
アボリジニ(アナヌ)の男4人、女4人
政府4人。
これによって
アボリジニの意思が反映される
ことになりました。
そして、最初の約束事に
ウルルを訪れる人の中で
ウルルに上る人が20%以下になったら
登山道を閉じるという取り決めがあったそうで
その実現が来年10月なんだそうです。
ウルル観光は人間が自然を征服するものから
アボリジニの文化を学ぶものへと
変化したんですね。
魅惑のオーストラリア旅行 | 魅惑のここっとライフ
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GW高尾山登った〜 今おうちの裏山があるから 出かけなくても新緑さんぽできるけど たまにはいいね マチュピチュの山2つ登ったり エアーズロック登ったり 自然旅またしたいなぁ お気に入りのうさぎが血反吐を吐いてる帽子なんだけど キャップが絶望的に似合わない私にもなんとか合う形をしてる #高尾山 https://www.instagram.com/p/CPF2zLON3mW/?utm_medium=tumblr
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旅先から修羅場まで...みんなの野宿エピソードが面白すぎた
集計期間:2020年12月20日~12月22日 回答数:17115
突然ですが、皆さんは「野宿」をしたことがありますか?
筆者は遠い昔、家族が寝静まった深夜に帰宅するも鍵を紛失しており、実家の敷地内で野宿をしたことがあります…
そこで今回は「やむを得ず野宿をした経験はある?」というテーマで調査してみました。
やむを得ず野宿をした経験はある?
回答者17115名のうち、やむを得ず野宿をした経験が「ある」人は全体の約14.8%、「ない」人は約85.2%という結果でした。
ここからは、やむを得ず野宿をした皆さんから寄せられた貴重なエピソードを見ていきましょう。
<旅先で>
・北海道でのツーリング中でガス欠して。
・夏の北海道で。その日は、夜の宿を予約しておらず、まぁ、銭湯にでも行こうと思っていたのですが、とても暖かく、夜風にあたりながら、そのまま。
・野宿と言ってよいかどうかわかりませんが、50年近く前の学生時代に北海道旅行した時、金がないので札幌駅前の芝生(?)で寝たことがあります。今はどうかわかりませんが、当時は問題なく過ごせました。ただ、熱くて寝苦しかったのを覚えています。
・高校卒業旅行で弾丸で和歌山へ車で出かけて宿をとっていなく、浜辺で寝た
・学生の頃、四国へ青春18切符を利用した旅行した際、予定の目的地に間に合わず、野宿する
・学生の頃、東北三大祭りの一つ「ねぶた祭り」を見に行ったら宿に空きがまったくなく、仕方なしに公園にたまたまあった土管の中で一晩過ごしたことがある。
・高尾山付近で山小屋で新聞紙を体に巻いて一夜を過ごしました。下山後駅前での食事が美味しかった事この上ありませんでした。
・1人旅の途中に散歩がてら徒歩で山の景色を楽しんだら迷子になり宿泊先に戻れず1晩と野宿するはめになった。
・山を越えて日本海へ!と友人と車で出掛けてみたが、道に迷い途中でガス欠寸前に。ガソリンスタンドが開くまで動かずにいようと朝まで待ちました。
・無計画な旅行で、夏場だったので、公園で朝を迎えた事がありましたよ!朝陽を浴びて、とても清々しい気持ちになりました。
・宿がなければ駅に止まればいいと思い旅行に出たが駅を24時に締め出され野宿した
<グローバル野宿>
・東南アジア旅行した時に、タイやインドで駅の中で野宿した
・グアムで初日ホテルとってなくて、しょうがなく
・海外にて予約していたはずのホテルに業者のミスで予約が入っておらず、折悪く周辺ホテルも満室で止むなく教会の敷地内に野宿した。今思いだしても、あれはないわ。。。
・イギリス旅行した時に、公園のベンチで一晩過ごしました。今よりズッと治安も良かった気がします。
・オーストラリアでメルボルンからエアーズロックまで車で行こうと思ったが日本の距離感が全く会わずに砂漠で野宿しました。満点の星空に感激しました。
・フィリピンでパナツボ火山に登った時に日が暮れてしまって火山灰の上に野宿
<天災や事故で大変でした>
・大震災の次の夜、知り合いも避難であてにならず、車移動の途中で道路脇で一夜を明かした
・東日本大震災のとき、避難先の小学校の屋上で一晩過ごしました。近くのコンビナートで火災があったため、迫りくる炎の中での野宿は翌日ヘリで救助されるまで生きた心地がしませんでした。
・昔、東北の峠越えの最中に雪で脱輪落下。明るくなるまで、車内で野宿。
・大雪ので道路が通行止めになって、コンビニの駐車場で野宿した。食べ物とトイレはコンビニで済ませて助かった。
・ドカ雪が降り家まで帰るに帰れず車中ですが野宿しました寒さと恐怖で寝るに寝れなかった
・台風で道路が通行止めになり仕方なく駅で寝たことがある
・真夏の海沿いで、渋滞にハマり、帰宅までの時間が見通しつかずに、仕方なく翌日の朝に帰るようにと思い、海沿いにあった灯台の駐車場で野宿。が、真夏、海ということもあったせいか、ヤブ蚊の餌食になった。車に入ってきた、数、21匹。主人ともども、無数、刺されまくった、、、最悪だった。
<家出>
・学生時代に家出して一晩野宿しました。冬ではなかったのでなんとか……。
・高校生の頃家出をして…田舎なので国道沿いの山奥で朝まで隠れてたことがある。
・中学生の頃家出して、泊まる所がなくトラックの荷台で野宿した事がある。
・野宿と言うか、車中泊だったんだけど。社会人になって間もない若かりしある日、仕事から帰って母親の作ったご飯を食べようとした瞬間、母親が「さっさと家を出ていけ」と言ったことに対し、仕事も上手くいっていなかったせいもあってカッとなり「今すぐ出ていったるよ!」とカバンだけ持って自家用車で行く宛もなく出ていき車中泊した。
・ガキの頃親と喧嘩して、うちを飛び出したのだが行くあてもなく河原の土手で一晩過ごした!
・両親と喧嘩して、お互い頭に血が上ってて、出てけって言われたから荷物とか大量に詰めて出ていったが、携帯は持っていくなと言われ誰にも連絡つかなくてしょうがないから近所の公園で一晩過ごした。
・10代の秋頃に友達と2人で家出中、行く所が無くなり寒くて風を凌ぐためにマンションのエントランスに入って野宿した事がある
・中学生の頃に家出をして、祖父の山に野宿した。夏場だったが寒く枯れ草を集めて暖を取り、火を焚いて蚊を追い払い、夜空の星を見上げていたらこの世界で自分は何でも出来るのだと思った。2日も経たないうちに、お腹が空いて帰り怒られた。
<ライブで興奮>
・ライブ終わり興奮しすぎて高速バス乗り過ごした
・つま恋の拓郎&かぐや姫のライブに前日から行き友人とここで寝るしか無いと暗闇の中寝た。朝起きたらすぐ横を走るトラックの音で起きびっくりした。道の端で寝ていた!
・19歳で好きなバンドのツアーで初めて千葉から名古屋まで行き、金銭面でもそうだけどホテルさえ手配していなくてバンドの人達の出待ちをして、電車も終電なくなり当時は改札からホームは閉鎖していたけど改札入る前の駅自体は閉鎖されていなかったから駅構内で野宿をしました
・他県のライブに行った際、終電を逃して友達とずっと公園で話していた。
<終電よ行かないで>
・電車で最終で寝込んで終点まで行きお金なく公園で野宿した
・終電を逃した時に限ってホテル満室のため、駅の待合室で1泊した。
・列車の旅をして終電乗る過ごして野宿した
・田舎のローカル線で21時頃の終電を逃して駅前の公園のベンチで朝6時頃の始発まで野宿
・終電で寝過ごして帰れなくなったときに横浜のランドマークタワーの下でダンボールにくるまって寝た
・残業で終電がなくなったが、職場からは追い出された。始発まで公園のベンチにいた。
・終電で寝過ごし、知らない駅で降ろされ、二人先の方でタクシーが出払い、待っていてもタクシーが来ず、駅から歩き出すも方向が判らず結局、駅から1時間強くらい歩いた河川に掛かる大きな橋の下に泊まることに・・・。翌朝起きると地元ではなく、隣の新潟県でした・・・。
<酔っ払い>
・酔っていて外で寝てしまった
・若い頃結果的に酔っ払って数回した事がある。
・野宿とは意味合いが違うけど酔って建物の軒下で寝たことが何回かある
・呑みに行き、終電で帰路に就いたが開発中の終着駅にて…ショッピングモールもホテルも建造中でタクシーすら通らずで
・飲みすぎて路上で寝てしまい荷物を全てなくしてしまい一晩屋外で過ごしたことがあります。翌朝知人に会うことができ、電車賃を借り帰ることが出来ました。
・大学生の時にお酒を飲んで終電を逃した。翌日1限からだったので大学の実験棟外階段で野宿をした。朝7時に部室棟が空き部室で寝たが2限も寝坊した。
・酔っ払って財布を見たら1000円しか無く周りに何も無くしばらく歩いて会社の最寄駅まで行き(定期が使えるので)風を凌げる所のベンチで始発まで寝た酷い二日酔いだった
・ありがちなのですが、飲み会で飲みすぎて、終電逃しタクシーで最寄り駅まで着いたのは、いいのですが、歩いて5分の自宅の方へは、なぜか行かず、駅のバス亭の、ベンチへ、気がつけば朝日が昇っております。結果、一晩ベンチで野宿しました。因みに、私は、おんなです。
・飲み過ぎて今どこにいるのか分からなくなり、財布と眼鏡も盗られたのか落としたのか何処かで失くし、仕方がないので公園のベンチで朝まで寝ました。(8月で良かった)
・友達のアパートへ3人程で一晩お世話になるつもりが、酒を飲んだ後酒を飲まない自分の車でコンビニに買い物に出かけた後、締め出しにあった。本人曰く眠ってしまったらしいが…。仕方なく車の中で3人で一晩過ごした。今思うと夏だったから良かったけど、冬なら無理と思う環境だった。
<お金がない>
・大学生の時。金がなくて。仕方なく。夏だからできたし、若かったからね。おかげさまでお金のありがたみがよく分かりました。
・日雇いの仕事で一日の予定が、明日も予定が入って電車の金がないから仕方なく。
・乗り過ごし真冬に山梨県大月駅で終電で降りてホテルに泊まる金も無く、始発迄、寝たら凍死するかもと思うくらい寒い中で野宿した事が有る
・長距離バイクツーリング時に、昼食後うっかり財布を鞄ではなくポケットに入れてしまい、給油の時に財布を落としていることに気づき、やむを得ず野宿しました。
・コロナがはじまって仕事が無くなり職も住まいも無くして知人のお宅にお世話になるまでこの寒空に1週間野宿をした。こんなに困ってる国民がいるのに国は助けてくれない!もう一度給付金が出れば助かるのに…生まれ変わったら必ず国会議員になる!とつくづく思う。
・コロナで、家賃が払えなくなり、ミニミニに追い出されて野宿しました。
<鍵がない>
・帰るのが遅くなり鍵を持ってなかったので家の前で寝る羽目になった。
・家の鍵を会社のロッカーに忘れてしまった。
・家の鍵を無くし、携帯の電源が切れ、朝まで家近くをウロウロしたり、べんちに座ったり、夜が明けて実家に行きました。
・夜遅くまで飲んでいてタクシーで帰ったのですが、玄関前で鍵を家に忘れていることに気づき一緒に住んでいた彼女は寝てて起きなかった
<ガチ勢>
・寝袋はかならず持っていて何処でも寝られる体制にしている
・子供の頃はしょっちゅう。それこそ公園のベンチ、お寺の境内、コインランドーリ、夏場は、公園の噴水で体を洗ったこともある。
・しょっちゅうしてる
・昔ホームレスやったし
・寝るのは学校の階段下がいいよ
<修羅場>
・小さい頃、家のカギが閉まったままで中に入れず一晩犬小屋にいる犬にくっついて寝たことがある。父は出張、母親は違う男の人と一緒にいたみたいだった。シロがそばに居てくれた事を今も忘れない。
・母親が酒乱だった。夜中に酒を飲んで帰ってきて、寝ていた私を起こして「今すぐこの家から出ていけ」と着の身着のまま追い出された。その日は2月の氷点下まで気温が下がった午前1時半。追い出されたけど行くあてもなく(当時16才)仕方が無いから公園で夜を明かした。
・中学生のころ、父が自宅で酔っていた夜に日付が変わっても乱暴な音や暴力的な独り言が止まず怖かったので、勝手口から抜け出して明け方まで近所の公園の東屋にいました。屋根のある「家」があるありがたみをひしひしと感じました。
・家から締め出されて近くの公園で野宿しました。女です。まだ10代でした。信じられない。
・東京に上京した時に渋谷駅のハチ公前で寝ていたら寝ている間に財布を盗まれました。
・当時付き合ってた彼女に知らない場所に捨てられて真冬の中公園で野宿して死にかけた
・明け方に職務質問されました
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長さと私 ・ 物理的な移動が無くなったこともあり、間をあけず立て続けにオンラインの打ち合わせを設定されたりすることがあるので、打ち合わせの終了間際が気になります。 ・ 自分が司会だったりしたら急いでまとめに入って会議を終わらせるのですが、報告が中心の会でタイムキーパーがいないと時間を気にせず長くなりがちですね。 ・ 長いと言えば”pneumonoultramicroscopicsilicovolcanoconiosis”と言う英単語が一番長い英語らしいですね。医学用語で「塵肺症」と言う肺の病名らしいです。 ・ 日本だと藤本太郎喜左衛門将時能さんと言う奈良で建設業をしている社長さんの名前が日本一長いらしいのですが、有名の落語の中での登場人物はもっと長い名前でしたね。 ・ という訳で本日のモーニングは #じゅげむそば です。 #両国モーニング を求めて散歩していたら #特大かき揚そば 100円引きの看板が目に止まり初入店です。 ・ 頼んだのはもちろん #かき揚げそば に #生玉子 を追加しました。まずは横から #かき揚げ を愛でてみます。こんもりと盛り上がった姿はさしずめエアーズロックです。 ・ まずは #蕎麦 を頂きます。細めの #そば で食感がどこかで味わった感じ。これはカップ麺のどん兵衛!? #つゆ も少し甘味があって、いい感じです。 ・ #かきあげ は定番の玉ねぎ以外にも春菊があったりと、一つの注文で #春菊天そば としても楽しめますが、後半少し揚げ物がキツく感じました。 ・ 今までよりも長い時間 #天ぷら を楽しみたい人におすすめしたい #ソバ でした。 ・ #両国モーニング #両国ランチ #両国そば #両国立ち食いそば #麺スタグラム #とa2cg (両国じゅげむそば) https://www.instagram.com/p/CC1tnUegofD/?igshid=1459drhcfxcrx
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#伊豆大島旅行2011年冬 #三原山 上まで登ると、火口を1周するコースと火口の見学道を往復するコースがありましたが、お手軽見学道コースへ。 写真だとちょっとわかりにくいですが、なんか小さくて黒いエアーズロックのようなのもありました。 遊歩道には全然人がいません。 観光地だとは思うのですが、すれ違った人も10人いなかったような。 つづく (三原山) https://www.instagram.com/p/CBFJy3kg3Xv/?igshid=76cufyk1hcj8
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オーストラリアのエアーズロックに行った時に、その登り口には次のようなことが書かれた看板があった。
「この山に登る者は、それなりの体力と水を充分に持って行かなければならない」
山に登るのには、当然のことながら体力を要する。そしてその体力を維持する為の水分と栄養分の補給が大切だ。山というより、小さな丘のようなエアーズロックではあるが、そこに書かれた看板の文章は、端的でありながら、山に登ろうとする者の意識を啓蒙していた。
その文章を目にして以来、30年余り。山に登る時には、そこで必要なモノはすべて己の肩に担いで行くように心がけている。さすがに水だけは、テン場などで補給できればその恩恵に授かるが、食料、テント、寝袋等はなるべく持参する。小屋泊まりを避け、厳冬期でもテン泊に拘るのも、その山への意識の原点があるからだ。
昨日、一昨日の二日間、八ヶ岳の赤岳鉱泉でテン泊して、硫黄岳から横岳、赤岳を縦走してきた。麓ではカラ松の黄葉が真っ盛りで、山には前日に降った雪がたっぷりと残っていた。
出発前に赤岳鉱泉に問い合わせると、アイゼンは必要ないとの答えだったが、念のために持参して、つくづく良かったと思う。赤岳だけのピストンであれば問題なかったと思うが、アイゼンがなければ縦走は危険だったと思う、現に、赤岳で会ったアイゼンを持たない多くの登山者が、そこからの縦走を諦めていた。
食料などを含め、山で必要な装備のすべては、己の判断に委ねられる。そしてその装備の不備が、時として生命の危険を招くことも在る。
アポリジニたちが「聖なる場所」として崇拝するエアーズロックだが、そこに書かれたことは、シンプルながら山に対する崇高な精神が綴られているのである。
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オーストラリア紀行
Australia
2019年5月、ツアーに申し込んでオーストラリアへ行ってきました。一番の目的はこの年の10月で登れなくなるウルル(エアーズロック)に行くことでした。そして、選んだツアーは乗り物にも乗れるコースです。
関連投稿 > ウルル( エアーズロック )
登山が禁止になった理由は、そこが聖地であることと事故を起こしてほしくないことです。
さて、ツアーは羽田出発と関空出発の2コースがありましたが、福岡から近い関空出発を選びました。しかし出発当日、このことで大慌てをすることになりました。羽田出発を選んどけばよかったです。関空出発でも羽田出発でも福岡空港からの乗り継ぎ便が同一料金で用意されています。
関空出発コースの機材は格安ジェットスターです。そして、福岡からの乗継便もジェットスターでした。
ツアーの受付に間に合うように福岡空港に到着してロビーを歩いていると放送で、「…ジェットスター〇〇便は機材繰りの関係で結構になりました。」と聞こえてきました。乗継便の便名は覚えていませんでしたが。イヤ~な予感がしました。で、受付に着くと担当者が慌ててました。「ご自宅に電話したんですけど繋がらなくて~。」、って、その時間はもう家を出てるよ~。
悪い予感は当たりました。搭乗予定の関空行きジェットスターが欠航でした。受付担当者は「出発するかどうか意思確認ができなかったので待ってました。~(その間に)次発の関空行きは満席になってました。」と。そして、福岡空港からの関空行きは多くありません。いろいろやり取りがあって、伊丹からリムジンバスを利用しての乗り継ぎでスタートすることになりました。問題は、伊丹から関空行きリムジンに乗り換える時間が短時間しかないことです。次のリムジンでも間に合うでしょうが、万が一の交通渋滞も心配でした。担当者も伊丹便の航空会社と荷物の受け取りを一番にしてもらえないかと掛け合ってくれました(不可でした)。結局、関空でツアー会社の人がリムジンの切符を先に購入して待ち構えてくれることになりました。
それでも、伊丹便の出発は遅れ、伊丹での荷物受取もそこそこ時間がかかるし、福岡空港と違って長~い通路を急ぎ足で進みますがリムの発車時間が近づいてきます。待ち合わせ場所への出口も1か所ではありません。超焦りながらなんとか待っててくれた人と出会って、急ぎ足でリムジンのりばへ向かいました。 お礼もそこそこに乗り込んだのは、まさに発車時刻でした。切符を買って待っててくれなかったら、乗り場への行き方でもたもたしてたら、まったく間に合っていませんでした。
ちなみに伊丹までの乗継便はANAだった記憶です。この便への変更は無料ですが、リムジンの代金だけは別途料金でした。でも、代金を渡す余裕はありませんでした。後日、ツアー申込時に掛けていた旅行保険で支払われました(手続きの書類記入と返送だけでした)。話は変わりますが、福岡空港で担当者が伊丹便の支払いに使っていたのがブラックカードでした。もちろん社用でしょうが初めて目にしました。
と言うことで、ほとんど写真はありません。
[18:25] リムジンバスの車窓から ~ 泉佐野あたり?
関空での集合時間ちょい前に到着できました。いや~、出発早々貴重な体験と言うか、(間に合ったので)ある意味おもしろいスタートとなりました。
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今年の10月で登れなくなってしまうエアーズロック。天候のため登山できる確率は30%とのことでしたが、なんとか運良く登れました! でも、もっと観光地っぽく登りやすくなっていると思ったら、ガチで鎖場。しかも最初は鎖なしで登ります。四つん這いじゃないと登れないくらいの傾斜なんです。子どもは怖がって泣いてるし、私も高所は苦手なので1/3くらいで降りてきました。 エアーズロックってほんと岩なんですね〜。テレビやネットの知識はあるけど、行ってみないとわからないことはまだまだたくさんありますね。 https://ift.tt/31HzXBN
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コナ国際空港情報
今回はハワイ島西海岸の玄関口、コナ国際空港の情報です
こんにちは。Funairのyuです。
さっそくで恐縮ですが、こちらをご覧ください。
まるで、ショッピングモールや、アウトレットモールのような風景ですが
実はこちらがコナ国際空港。
赤土の荒野にぽつんと建つ、エアーズロック空港にも驚かされましたが、
コナ国際空港は見ての通り、とても開放的。さすが南国ハワイの空港です。
コナ国際空港のつくり
コナ国際空港は、その名の通り、日本からの直行便もある国際空港。
調べる限り、国際線は日本線のみでした。
(地図はオフィシャルサイトからお借りしました)
国際線は北側ターミナル1 (紫の部分)
国内線は南側ターミナル2(緑の部分)
レンタカーやバス、タクシーなど、車で空港に行く際は、
手前にターミナル2、奥にターミナル1となります。
利用して分かったこと3つ
とてもコンパクト
羽田空港や成田空港、また海外の大きな空港をイメージして行かれると、いい意味で予想を裏切ってくれます。
それゆえ、トイレや売店、チェックインカウンターなども数が多くないです=混雑することがあります。
国内線のセキュリティチェックは長蛇の列
ぼくたちはハワイ島からオアフ島へ移動することになっていたので、国内線に乗ることに。
荷物を預け、セキュリティチェックに向かうと、そこには長蛇の列が…
(ちなみにハワイアン航空の国内線預け荷物は1人2つまででした)
※最新の情報を確認ください
去年も経験していましたが、今年もか…という感じでした。
30〜40分ほど並び、やっと通過できました。
やはり出発日はかなり余裕を持って行ったほうがいいですね。
国内線出発ゲートにはトイレがひとつ
ぼくが探した限り、出発ゲートにはトイレがひとつしかありませんでした。
出発時刻などのタイミングにもよると思いますが、混んでいることもあるかと思うのでお気をつけください。
トイレはこんな感じです。
偶然か?ガラガラでした。
その他の雰囲気はこんな感じです。かなりオープンな空間で気持ちがいいです。
▲レストラン
▲売店
▲出発ゲート
▲おみやげやさん
最後まで読んでくださりありがとうございます。
FunairはYouTubeもやっています。
動画で空港内の様子を残しているので、ぜひ登録してご視聴いただけましたら嬉しいです。
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