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#エディンバラ
nobythai · 2 years
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#scotland #edinburgh #tradtional #bugpinning #traditionalmusic #traditionalmusicinstrument #scotishhistory #uktravel #travelphotography #イギリス旅行 #スコットランド旅行 #エディンバラ旅行 #culturetrip #美しい音色 #美しい音色に感動 (at Edinburgh, Scotland) https://www.instagram.com/p/Cje77YhJkew/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 16 days
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「Higgsヒッグズ粒子」に名前を与え2013年にノーベル物理学賞を受賞した英国人物理学者Peter Higgsピーター・ヒッグズが、2024年4月8日に、エディンバラで亡くなりました。 Le Mondeル・モンド紙も、2024年4月11日付けで第25面に追悼記事を出しています。 業績も世界的に有名ですが、F爺の注意を惹いたことが二つあります。 [1] 1964年に、Peter Higgs (1929~2024)よりも少し早く、同じ理論をベルギー人のRobert Brout (1928~2011)とFrançois Englertも独自に打ち立てていた。従って、「ヒッグズのボース粒子」は、「Brout-Englert-Higgsのボース粒子」と名付けるべきものであった。François EnglertはPeter Higgsと同時にノーベル賞を受賞したが、Robert Broutは、その前に死去していたため、栄誉に与(あずか)ることは叶わなかった。 [2] Peter Higgsピーター・ヒッグズは、存命中、テレビを見ず、コンピューターを使わず、携帯電話も持たなかった。本人宛にメールの着信したことが分ると、手紙を書いて郵便で返信していた。 学問研究に関して偉人であるだけでなく、なかなか独特の人物だったのですね。「情報弱者」でも大科学者であり得る実例です。
物理学者Peter Higgsピーター・ヒッグズは、存命中、コンピューターを使わず、携帯電話も持たず、メールの送信もしなかった - F爺・小島剛一のブログ
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ryotarox · 6 months
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-burg ドイツ語で Burg は城砦(要塞としての機能を備えた中世の城)、避難所(保護者)を意味し、-burg は、ドイツ語・オランダ語・アフリカーンス語で城主の管区を意味する接尾辞である。英語の -burgh, -bury ・フランス語の -bourg も同様。 ハンブルク(Hamburg、ドイツ、詳細は地名の由来参照)、ヨハネスブルグ(Johanesburg、南アフリカ)、フライブルク(Freiburg、ドイツ)、ティルブルフ(Tilburg、オランダ)、サンクトペテルブルク[1](Sankt-Peterburg、ロシア)、ピッツバーグ(Pittsburgh、アメリカ合衆国ペンシルベニア州)、エディンバラ(Edinburgh、スコットランド)、カンタベリー(Canterbury、イングランド)、ストラスブール(Strasbourg、フランス)
地名接尾辞 - Wikipedia
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wwwwwwwwwwww123 · 1 year
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ヤギの人さんはTwitterを使っています: 「「裏庭の居心地が良すぎて寝てしまったキツネ」 This fox sleeping in… https://t.co/8NB16h214G 窓ガラス越しにスマホで撮影したそうだけど、絵本の挿絵みたい。スコットランドのエディンバラのお宅。キツネには居心地が良い場所らしく、こうして寝ているのを見たのはここ数週間で3度目とのこと。 https://t.co/EfL1RctIYb」 / Twitter
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doctormaki · 8 months
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学会が終了した翌日も、一日中のツアーを予約。Ring of Kellyというリアス式海岸を見に行くツアー。また午前中には1930年代にアイルランド初の国立公園に認定された保護区へ行く。国立公園では馬車に乗る。GeraldというPennStateの院生が偶然、私と同じバスツアーを予約していた。彼から学会で見かけたと、マジできれいな日本語で話しかけられて、一緒に座ろうと誘ってもらったので、喜んで一日をGeraldと共に過ごす事にする。Geraldは尾道で英語の先生もしていたらしい。西谷啓二や西田を読んでいるらしく、西田の絶対矛盾的自己同一を持参していた。
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NYのBrooklyn出身。カリブ系らしい。日本語を熱心に勉強しているようで、二年も日本に行っていないよいう割に上手な日本語で哲学について語る。私も基本英語で日本語を混ぜて話しつつ、楽しい時間を過ごさせてもらった。景色は、素晴らしいのだが、様々な緑色が延々と続き、羊がいる。美しい、ピクチャレスクな風景だった。アイルランドは英語なのが良い。何をするのも楽だし、カトリックなので御飯がとても美味しい。お魚も美味しい。っつーか、ドイツは終わっちょる。魚どころか肉も上手に料理できない。
ツアーを終えてCorkに戻ったら8時前だったので、Geraldが行って見たかったフレンチ・ビストロに行こうと誘ってくれた。彼も今週末のエディンバラの学会にも参加予定らしく、私がDublinで遊んでいる間はLondonで遊んでいるらしい。ビストロではフランス人達が料理を作っているので、garconにもフランス語で喋って喜ばれる。フランス人も大人しくなったもんだ。昔はフランス語話すのが当たり前やろ、という偉そうな態度だったが、最近のフランス人はしおらしい。Geraldは鴨のコンフィ。私はベビーバックリブ。
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今日は朝、Cork大学まで散歩し、Kasulis先生と一緒に歩いた坂道で涙する。私が大好きな先生達がお年を召していくのは悲しい。お昼の電車を予約して、Dublinまで電車で移動する。Corkは連日、半袖を着ていないといけない位、とても暑かったが、Dublinは小雨で寒い。駅からタクシーでホテルまで行く。アイルランド式のしっかりしたIrishBreakfastを食べており、お昼を食べなかったので、夜ご飯は早めに取ること��して、ホテル近くのミシュラン、ビスグルマンの店へ予約無しで行ってみる。すると6時過ぎだったから入れてくれる。オススメのステーキは全てが完璧だった。AgedBeefのfilletなのだが、ミディアム・レアの焼き加減、付け合せのサラダといい、ポテトフライといい、ソースといい、全てが完璧。
しかし。デザートはあり得ない。マジか。。。というレベルのデザート。
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レモンタルトは、クレームブリュレのように表面をバーナーで焼いてあるのだが、これが焦げているし、ブタンガスの臭いがする。ウェイトレスが即刻気づき、同じ物を持って来てくれるのだが、微妙だな。。。と思っていると、他のデザートに変えてあげると、シュークリームを持って来てくれた。でも。。。ベムちゃんが大好きだったビアード・パパのシュークリームの方が美味しいやん。。っていうレベル。ハウス持ちだと言ってくれるが、デザートを3皿作らせたので、チップをかなり弾んでおく。そんな太っ腹なことをしても、ハンブルグよりは安いように感じた。せしめて12000円程度の夕飯でした。昨晩の5600円の夜ご飯の2倍を払うとミシュランのビブグルマンで食べられるのだが、むぅ。悩む。ミシュランって、何なん?でも、明日はお目当てのミシュランスターで昼食を食べる予定。今日は定休日だったのよね。
明日はダブリン市内観光。明後日は悩んだが、ケルト文化の遺跡を見に行くツアーを予約した。明々後日は朝早い飛行機でエジンバラ飛ぶ。
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moko1590m · 8 months
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AIへの攻撃を懸念する声は昔からあるが、現在はディープラーニングアルゴリズムにわずかな、しかし知覚できない程度の変更を加えて、アルゴリズムの分析対象の誤分類につなげる方法について理解が進んでいる。  「AIシステムは1つの箱とみなすことができる。その箱に入力すると、何らかの意思決定や情報が出力される」とエディンバラ大学数学科で数値解析の教授を務めるDesmond Higham氏は語る。「攻撃の狙いは、この入力に対して小さな変更を加えて、出力に大きな変化をもたらすことだ」  たとえば、人間の認識では猫となる画像がある場合に、その画像を構成するピクセルに変更を加えることで、AI画像分類ツールを混乱させて犬だと思い込ませる。  この認識プロセスはエラーではなく、人間がアルゴリズムをだますために画像を特別に改ざんしたから起こったことである。これは「敵対的攻撃」と呼ばれる手法だ。  「これは単なるランダムかく乱ではない。つまり、この知覚できない変更内容はランダムに選ばれたわけではない。信じられないほど緻密に、考えうる最悪の結果をもたらすように選ばれたものだ」とHigham氏は警鐘を鳴らす。「世の中には、あれこれ試せる画像ピクセルが無数にある。そのように考えれば、こういったAI画像分類システムを全方向に安定させることができないのも当然だ」
(AIに迫る脅威--専門家が語る攻撃の手口と最先端の保護技術 - ZDNET Japanから) 2023-03-15 07:30
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cor-scorpii · 1 year
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jaguarmen99 · 2 years
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留学当初の英語は「ハウ・ドゥ・ユ・ドゥー(How do you do ?)」と「サンキュー・ベリー・マッチ(Thank you very much.)」しか理解できなかったが、語学学校「Godmer House School」に3ヶ月通い、コレッジに移って後は、週に一度の論文を「十あるとしたら、六が七くらいの力で」済ませ「残りは、人と付合うことに費やした」という。保証人はケズウィック家のジョン・ケズウィックであり、妻の実家である麻生家も世話を焼いた。 イギリス滞在中にはエリザベス2世に招かれバッキンガム宮殿でエディンバラ公フィリップ、チャールズ皇太子、アン王女の臨席で対面している。欧州滞在中のうち6ヶ月はスイスとオーストリアでスキーをしていた。 1970年(昭和45年)1月5日の24歳の誕生日に、ロンドンの駐英日本大使公邸において仮装パーティーを開いた。「(自身の曽祖父にもあたる)明治天皇に(容姿が)似ているから大元帥服を着ろ」と友人に促され、父(帝国陸軍騎兵将校であった)から騎兵将校の軍服を送ってもらい、これを着た。日本の一部新聞がこれを批判的に報じた。また、駐車違反の罰金の督促を受けても、これを支払わなかったため、皇族である寬仁親王に逮捕状が出された。 学位を取得せずに日本に帰国し、1970年(昭和45年)から1972年(昭和47年)には、札幌オリンピック組織委員会事務局職員として勤務し北海道札幌市に居住した。初任給は、41,700円だった。1975年(昭和50年)には、沖縄国際海洋博覧会世界海洋青少年大会事務局に勤務した。 伯父の高松宮宣仁親王の影響を受けて、早くから障害者福祉やスポーツ振興などの公務に積極的に取り組んできた。特に障害者が、スポーツへの取り組みを通じて社会参加することを促すため、自らも指導に当たり、社会福祉法人「ありのまま舎」(宮城県仙台市にあるキリスト教バプテスト系の筋ジストロフィー障害者福祉施設)の活動に見られるように、施設の運営などにも関与し、講演や著述を通じて啓発活動に取り組んだ。 イギリス留学を機に、国際親善にも強い関心を持ち、日英協会名誉総裁を始め、諸外国との交際にも意欲的に取り組んだ。 皇族としては表に出る機会が多く、東アジア反日武装戦線は、寬仁親王を暗殺者リストに入れて、行きつけの理髪店、レストラン、画廊等を調べ上げており、身辺警備が強化された。
寬仁親王 - Wikipedia
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tadanoichiro · 2 years
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233:エディンバラの魔女/Witch in Edinburgh
水曜日、晴れのち雨、所持金253UKポンド、どこかで魔法をかけられたかもしれない
Wednesday, sunny and later rainy, possession money is 253 pound sterling, I may have been worked magic somewhere.
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taketea44 · 15 days
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毎日が記念日
4月13日は…
喫茶店の日
今ではありきたりの喫茶店。
1888年4月13日、東京・上野に日本初の喫茶店
「可否茶館(かひさかん)」が開業しました。
名前の由来は、「コーヒーを飲みながら知識を吸収し、文化交流をする場」としてオープンさせたそうです。創業者は、滝沢信夫さん。
1階がビリヤード場、2階が喫茶室の2階建ての洋館。しかも、1杯2銭の牛乳よりも安い1銭5厘で運営してました。ところが…たったの5年で閉店してしまったそうです。
昔は、たまり場っぽくて、タバコの煙が充満していてって感じでした。
デートの格好の場所だった喫茶店。実は、ブラジルには、喫茶店なるもの、ほとんどと言っていいほど、ないんです。知ってましたか?
【AI-イチロウによる4月13日の出来事】
1. 1598年 - エディンバラにて、ジェームズ6世がスコットランド王として戴冠。
2. 1742年 - ジョージ・フレデリック・ヘンデルのオラトリオ「メサイア」が初演される。
3. 1919年 - ジャラン・トゥアン・アブドゥル・ラヒマンがマレーシア初の首相に就任。
4. 1945年 - 第二次世界大戦中のドイツにおいて、ソビエト軍がウィーンを占領。
5. 1964年 - シドニーにて、第18回オリンピックが開幕。
6. 1970年 - アポロ13号の乗組員が月探査船の修理に成功し、地球に帰還。
7. 2003年 - アメリカ合衆国のイラク戦争において、バグダードを占領した。
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picolin · 1 month
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Assembly Hall
by Crystal Pite and Jonathon Young
Kidd Pivot
2024年3月21日 Sadler's Wells
『Betroffenheit』『Revisor』のコンビによる新作。8月にはエディンバラ国際フェスティバルでも上演される。中世の騎士道物語のコスプレグループ(?)が寂れた公民館で来たる「Quest Fest」に向けてミーティングを行うが、会議は紛糾する。そんな中、うだつの上がらないメンバーデイヴが騎士のヘルメットを被った時から、現実と幻想の境目が曖昧になる。
セットは基本公民館のままで、背面に小さな額縁舞台とその上にバスケットボールのゴール、左右に出入り口があり小道具として椅子が効果的に使われている。特にこの背面の舞台と巧みな照明で絵画のような効果を生み出している。
録音されたセリフに合わせてダンサーがリップシンクとともに大げさに振る舞う場面は特に3DCGアニメを生身の人間が再現しているような、おかしいのだがどこか「不気味の谷」ぎりぎりの奇妙さを漂わせる。オリジナルの音楽とクラシック(チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番など)を組み合わせてコミカルさとシリアスさを行き来する演出は、その落差がかなり激しい。特に中盤にはかなり幻想的なソロやデュオが置かれ、アニメっぽさとの差は極限まで開く。絵画的な美と舞踏作品としての古典的な美、生と死をめぐる奇妙な物語が合わさった独特の味わいのある作品になっている。
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kennak · 3 months
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吉野家系列のラーメン屋がエディンバラに上陸!というニュースでなぜロンドンでなくエディンバラ?!牛丼じゃなくてラーメン?!と最初は思うけど、住んでいるとわかる。エディンバラはまだまだ圧倒的に競争相手が少ない。日本食もFusionが多い。あと当地では牛丼の知名度は高くない。ラーメン圧勝。
Xユーザーのざわさん
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toshihikokuroda · 7 months
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トーテムポール 94年ぶり故郷へ
カナダ先住民に返還 英博物館
2023年9月4日【国際】#しんぶん赤旗
 【ロンドン=時事】英北部エディンバラのスコットランド国立博物館に展示されている巨大なトーテムポールが、カナダの先住民ニスガ族に94年ぶりに返還されることになりました。8月28日には搬出を前にした儀式が執り行われました。
 英メディアによると、トーテムポールは19世紀半ばに作られ、高さ約11メートル、重さ約1トン。ニスガ族の戦士の物語を伝えるもので、人や動物、家紋が彫られています。1929年にカナダ人類学者が「購入」し、スコットランドに運ばれたといいます。一方、ニスガ族側は盗まれたものだと主張。約1年の交渉の末、昨年12月に返還が合意されました。
 ニスガ族代表団の一人は「このポールにはわれわれの祖先の魂が宿っている。約100年の時を経てついに、ニスガの地に安住させることができる」と述べました。今後、カナダ空軍が輸送し、同国西部のナス川流域まで運ばれる予定。
 英国の博物館は、アテネのパルテノン神殿から持ち去った彫刻など、かつて世界各地から集められた数々の物品の返還要求を受けています。
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inviewofkohaku · 8 months
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質問:
アジラフェルがエディンバラから帰ってきた時、彼はクロウリーに「何もなかった、おかしなことは全くなかった」と言う。けど、とても重要なおかしなこと−車内でのシャックスとの会話−があったのに、彼はなぜそれを隠したのか?
回答:
なぜあなたは彼が隠したと思うのか?
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doctormaki · 8 months
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随分と御無沙汰であった。前回は、日本への帰路はヘルシンキ経由だったが、なんだか、ぐったり疲れていて、NoaとIsabelとの旅行の後には、何も書いていなかったのか。。。と気付く。
七月中旬に帰国し、八月下旬に帰独。一ヶ月半滞在した日本は、異様に暑く。七月中旬まで、ドイツでもそれなりにバタバタしていたのもあり、帰国して立教や東大に行ったりとバタバタした後は、疲れて倒れていたように思う。山中湖は涼しく過ごしやすかったが、思わず何事にも全力投球して夢中になる私は、甥っ子と彼の犬、礼緒と過ごした後は、AI哲学研究会で東京に出た以外は、また山中湖で倒れてしまう。そして論文を書いた後も、ほぼ機能不全になっていた。母が付き添ってくれていたものの、疲れのせいか、体調不良のせいか、山中湖で倒れていた日々の記憶が断片的だ。
夏の成果は、オニヤンマを甥っ子と作って、石割山登山して、報湖祭の花火を見た事と、甥っ子滞在中に今学期の履修学生達の成績をつけた事。OISTの研究者に誘われた言語についての論文は、なんとか書き上げた事。また、五年目に入ったカスリス先生の日本哲学小史という大著の翻訳に、一応の目処を立てた事かな。そう。ハンブルグでは、日本の聖武天皇、聖徳太子の十七条憲法から鎌倉に至るまでの長い章を、ひたすら訳していた。帰国してからは、道元と西田を終わらせたかった。。。
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言語についての拙論は、詰めが甘いようにも思うが、言語を使って考えるということはどういうことなのか。習慣的思考と言語の関係について、考えてみたかった。言語の限界が世界の限界といったヴィトゲンシュタインを研究した大森荘蔵が展開した、言霊論の重層性に関心を抱き、日本の近代言語学の祖でもありソシュール批判をした時枝誠記、Yale言語学のSapir-Worf仮説などや、現代のAIの祖を築くNorm Chomskyの生成文法を概観しつつ、彼らが言語の何を解き明かそうとしたのかをまとめた。空海の声字実相義やデリダのエクリチュールとパロールの問題にまでは展開できなかった。まぁ今後のネタの一つかな。言語を巡るアンソロジーにはなりそうだ。
先人達の試みを簡単にまとめると、言語を構造的とみたいのか、意味的とみたいのかの両極に別れる。言語の見方の差異を過去の研究者達を追うことで浮き彫りにした。両者のアプローチはスイングしつつ発展しゆく。ChatGPTで解明された事は、言語構造に偏り過ぎてもダメという言語の不思議を改めて確認した作業だったように思う。重層性が言語に内在するものであるならば、思考にも重層性が自ずとあるだろう。言語操作を通した概念操作でしか、人間が新しい発想を具体化できないのであれば、言語の貧弱は思考や発想の貧困化を表す。
どおりで、現代日本社会の言説は陳腐。知識層を自認する者たちは、目立つ奇抜な論を展開し、適当に和製英語を散りばめて煙に巻く事を好み、そして大衆も、そうした陳腐を好む。今年は高校野球は塾高大活躍だったが、彼らへの妬みや誹りもひどいものだ。桐蔭、智弁、日大や早稲田なら良いのに、何故、慶應義塾だと叩くのか。若き血の応援スタイルが無いからって、やっかみも甚だしい。伝統は一日にして作れるものではない。昨今の言論分野を見ても、高校野球を見ても、福沢諭吉の次の言葉を沁み沁み思う。曰く、愚民の上に辛き政治あり。批判ポイントの論点がズレているところで批判されても、相手をするだけ無駄だ。多様性の時代、画一的な価値観の押し付け合いは、ますます無駄になっていくだろう。
上げ足を取られないように、馬鹿な癖に言いがかりをつけてくる相手をひたすら尊重し、口先だけに理解を示す戦法しか無いのが、現代のリベラリズムだ。つまり、永遠に平行線でいきましょうという態度だ。子供に意見を求めて、心の中で子供の意見を馬鹿にしている癖に、子供の意見に理解を示すエセ教育の結果でもある。馬鹿な大人に育ち上がった元子供たちは、自分の吐く意見がどれだけ適切なものか省みる能力が無い大人になっただけ。道理で言論がどんどん陳腐になる。
9月末までに、まだまだ3本ほど論文の締め切りを抱えているが、その内の一本は熊沢蕃山という江戸前期の陽明学者。神道と儒教の融合を体現すべく実践を重んじた儒学者。幕末水戸学は熊沢蕃山から多くのヒントを得ているだろうが、彼らが重視したのは朱子学。陽明学の実践的なものといえば、私のYaleでの恩師Tucker先生がコロンビアで研究していた貝原益軒。いずれ、実践的儒教と、仏教、神道の相互浸透性について、何か考えることができればと思っている。
しかし、今の時代は、蕃山のような混ぜこぜの良いとこ取りを理論体系が無いとして取り上げない。南方熊楠があまり評価されていないのと同じだ。西田と何が違うのか。私には、世俗的権威主義しか感じられない。在野した者は評価に値せず、新井白石や西田みたいに時の権力の傍にいた者が、それだけで評価されているのか。疑問はつきない。つまり、容易な事を難解に言った者は勝という権威主義と、民衆に交じり実践を重んじた者、在野主義は無視されるという、そういう構造なのだと思う。兎に角、他人から尊敬され、立派だと言われたかった人々だけが異様に注目されているだけのようだ。
バカが東大でハダカ踊りしていても、東大だから許される。むしろ東大の癖に凄いと尊敬されたりする。それなのに、日大でハダカ踊りしても、別に誰からも良い意味では注目されず、返って、世間を騒がせたと謝罪させられる。こういう民衆の意識構造とは何か。これこそ、ポランニーの群集心理を再度、再読する必要を感じさせる事態だ。ファシズムを回避するための活発な言説は、返って、新たなファシズムを助長しているというパラドクスなのだから。
。。。とつらつら、ヘルシンキ空港のラウンジで思いを馳せる。ヘルシンキ経由にして良かった。ロンドンは管制塔コンピュータの故障で混乱の極みらしく、多くの客がヘルシンキ経由を利用している。BAとのコードシェア便だから。来月のアイルランド、エディンバラ行きは、都度、ロンドン経由なんだけどなぁ。。。そして、日本も、今は先人達のお陰様でなんとか頑張っているけれど、今から十年も経たない間に、インフラが崩壊していくんだろうな。
若い人々を教えるようになって、六年目。今夏、コロナ前に教えた、顔に見覚えのある学生さんが、社会人になって働いているレストランで偶然再会した。彼女は私にとってはいつまでも二年生。真面目な頑張り屋さんだった学生。バイトなの?って聞いた私も不用意だったが、就職したんですと教えてもらい、大きくなったんだなぁと感慨深かった。彼女は地味で、しっかりと社会を支える小さき市井の人々の代表のような方。
丸山眞男が重視した、市井の小さき人々が、これからますます、踏ん張らされていく。日本の衰退は著しい。一億総中流を実現し、八割型の国民は、現状に満足しきっているのだろう。勉強しなくても、なんとか食っていける。向上心なんて、そんなもん無くったってなんとかなる時代だ。夢を語るだけで尊敬され、夢が無い事を嘆き、夢を追いかけなくても、口先だけで夢を語れば許され、夢がある事を異様に褒める時代だ。つまり、夢なんか抱かない位、満たされている時代という事だ。失われた三十年は、成長していない事ばかりが注目されるが、底上げが浸透し、高卒は当たり前、大卒も普通になった底上げバブル時代の継続でもある。必死に生きる事なんて、命を繋いで生きるなんて事、とっくに忘却されているのだ。そんな時代に、真剣になれ、とか責任をもって、なんて多くの人にとって、白々しくしか聞こえないのだろう。
残念ながら身体が弱い私は、思うように身体を使えない。そして悔し涙ばかりする。身体の弱さ売りをしてサボる怠惰な人々と私の間にあるのは、元気だったらあーしたいこ~したいという気の焦りと苛立ちだけなのだろう。自分が動きたいほどには動けない時、私は苛立つ。苛立たず怠惰にできる人はサボっているんだなぁって思う。でも、他人は他人。私にできるのは、私も私なりに微力ながらに懸命に生きている不器用でブザマな姿を、見せ続ける事だけかもしれない。そこから、私の破天荒さに勇気を貰えたって同僚から言ってもらえたり、先生の授業楽しかったって振り返ってくれる学生がいるから。他者あっての私。お陰様で、ヘルシンキまで辿り着いています。
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