Tumgik
#ガス燈通り
yumiko-asakawa · 2 years
Text
神戸ハーバーランドガス燈通り
Tumblr media
3 notes · View notes
salmon-ryou · 2 years
Photo
Tumblr media
#神戸 #神戸ガス燈通り#神戸ハーバーランド#みなと神戸 #夜景 #景色 #風景 #travel #traveling #visiting #instatravel #InstaTagIos #instagood #trip #holiday #photooftheday #travelling #tourism #tourist #instapassport #instatraveling #mytravelgram #travelgram #travelingram #夜景阪神#夕景阪神 (神戸ガス燈通り Kobe Gas Lighting Street) https://www.instagram.com/p/CjL_m6KPKww/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
misasmemorandum · 4 years
Text
『<ホームズ>から<シャーロック>へ 偶像を作り出した人々の物語』 マティアス・ボーストレム 平山雄一(監修)
7月に読んだ本
著者はスウェーデン人で、そのためかこれまでに読んで来たホームズ及びアーサー・コナン・ドイルの評伝ものとちょっと違う点があった。それは、ドイル死後、ドイルの子ども達がどのように生活をしたかについて書いてあった点。これまでのだったら、ドイルの子ども達がドイルの作品とホームズを守った風な書き方で、こう言うのを書く人がHolmesian/Sherlockianだったりするから、ホームズとその創造主を偶像化してたりして、それが子ども達にもつながってたのだろうな。
長男のデニスは派手好きの浪費家。その使い込みでA C D遺産財団を破産寸前まで追い込み、突然死ぬ。それを挽回しようと次男のエイドリアンがパスティーシュ���書くも、これ以前にジョン・ディクスン・カーと共作したものは好評だったが、一人で書いたものは全くの駄作で不評(p238)。こんな暴挙に出るなど、エイドリアン、貧すれば鈍するなのか、元々どこか錯覚していたのか。
こう言う子ども達狂想曲以外に、著作権をどのように細かく守っていたかも書いている。金、金、金、だな。子ども達には自分の職業がなかったのだろうな。父親の遺産財団からお金は出るし、いいんだか悪いんだか。
初めてのシャーロック・ホームズ展は1951年の5月22日にロンドンにて開幕(日にちはA C Dの誕生日)。4ヶ月続いて大盛況だったそうだ。で、長男の使い込みで財団が危うくなった時に、アメリカでホームズ展を開催するんだけど、成功とは言えなかったみたい。こう言うところを客観的に書いてくれてていい本だ。
エイドリアンが著作権に関して強くなるためにした事と言うのが、ディズニーの商標の商品化に携わる男と連絡を取ったてのが素晴らしい(p241)。ミッキーマウスの著作権を得るために商標法を変えさせた会社だもの。さすが。
さて、昔に読んだウィリアム・S・ベアリング=グールドの『シャーロック・ホームズ ガス燈に浮かぶその生涯』はなんと、1962年出版だった。いつ出版されたものなのか、読んだ当時は全く気にしてなかったもんね。
そしてビリー・ワイルダーの『シャーロック・ホームズの冒険』では元々ホームズ役にはオトゥールが望まれてて、ワトソンにはピーター・セラーズだったそうだが、両者ともにスケジュールやら何やらでならなかったらしい(p163)。ちょっと見てみたかったかも。
1980年にイギリスでの著作権は切れたが、アメリカでは1907年から1930年に発表された作品に関する著作権を娘のデイム・ジーン・CDが取り戻したらしい。
著作権を守るのは、ホームズやワトソンのイメージを守る為でもあるだろうけどね。
この本は、題名の通り、BBCのシャーロックやアメリカのエレメンタリーなどにも言及されてる。でも日本のわんちゃんホームズは書かれてないんだな、これが。本の冒頭に、ゲイティスが『シャーロック』を作る前2006年1月7日にロンドン・シャーロック・ホームズ協会年次総会の晩餐会場にゲストとして行って、こんなこんな番組を作るとスピーチしたらしい。で、会場の反応た前向きだったので作っても大丈夫と思ったとあった(pp4−6)。この会にはモファット夫妻も参席。この3人を呼んだのはスティーヴン・フライ。フライがホームジアンだったとは知らなんだ。もしこの会やイギリスの他のホームジアンから賛同されてなかったら、あの番組はなかったのかも知れないと思��と、ちょっと怖かった。あって良かったです。
さてさて、翻訳は、ないとうふみこと中村久里子と言うお二方がしてて、上に名前を書いた人(日本シャーロック・ホームズ・クラブ、ベイカー・ストリート・イレギュラーズ会員)が監修したんだが、翻訳者はホームズに関してあまりよく知らない人がいたかも、って感じた。ちょっとね。
この本は2段組みで400ページほどあるのですが、知ってることも多いし、気になるところだけをスラーーっとスキャンして読んだ。
そうそう、原題は英語で "From Holmes To Sherlock  The Story of the Men and Women Who Created an Icon" なのだから、日本の副題、ちゃんと「偶像を作り出した男女の物語」にするべきだったと思う。「人々」はジェンダーニュートラルだから男性だけを指すわけでもない。しかし、原題があくまで男性と女性となっているし、また著者が人々と書きたかったのなら、peopleと言う単語を使えたのだから、やはり著者はホームズの偶像を作り守ってきたのに女性もいるんだと(娘のジーンが代表として)いうことを明確にしたくてMen and Womenとしたと思われる。それを監修者の意見なのか編集者、出版社の意見なのか分からんが、「人々」としたのは誤訳とは言わないが、愚訳だと思う。
1 note · View note
uchu-household-blue · 6 years
Text
Tumblr media
▼ ―――― ウノスケは本棚の間を駆け抜けた。影を落とすその道を、カンテラの灯を差し出しながら、ひたすら走っていった。でも頭のなかでは今も、どこか追いたいままの鳥のことを描いていた。フアもまた、自分と同じように問いかけを聴いているかもしれなかった。未だ帰らない鳥もまた、あの窓の向こうで墜落しそうにいるかもしれなかった。喉全体がかゆくなるような、よく分からない気持ちだった。
前方からドドド・・という音がした。どうやら本棚と並べられた本が倒れて崩れ出した様子だった。ウノスケはまたしても頭を手で守りつつ 走り続け、そしてすぐ目の前にも崩れ出した本があることに気がついた。薄暗さのなかでなんとか立ち止まり、カンテラで別の通りを探したが、連なるようにどこも棚で覆われていて、開けたような通路は見えて来ず、出られる場所はそこになかった。本棚は崩れ続け、とうとうウノスケの頭の上に降りかかってきた。「やばい!」するとウノスケのお腹のなかから、何かがその本たちをゴスッゴスッとはねのけた。だがウノスケにはよく見えなかった。
その時、カンテラがその灯りを強くし始めた。さっきまでの温かさが消えていくのと同時に、橙色の光が溢れ出してきた。その光がひとつの筋を作り出し、ウノスケの差し出したカンテラは彼のお腹をかすりながら、円筒のようにその通路に立っていた。ウノスケの目はその光のなかを舞うほこりの粒に包まれていった。まるで照射標のようだなと、それにしては近すぎる眩さのなかでウノスケは感じた。「何を照らし出しているっていうの」「ここだと言うの ・・魔王は ここがお前の探すべき道だぞと,見させるの・・・」ウノスケはその光のなかに飛び込んだ。自分でもびっくりした程、頭でこねまわさずに、冷静に。。。
灰色の空間がちらついていた。光と影の粒のように、今ならもう見える...とウノスケは思った。身体が無いみたい、同化してしまいそうだった。 きっと魔王は、生けるものが何かを望むとき 善悪も知らせない姿で 我々の前で立ち続けているのだ。何を失うかを知らせもしないし、得るものを名乗りもしない。きっと あの資料室や迷路のような廊下にいたまま選りすぐれるものばかりでもなかった。魔王はいつでも、境を見出すんだ・・・。 (そしてこうやって道筋にさえ、すぐそこに見える森のその姿で こっちを見ている) ウノスケはやっと森のなかに自分の輪郭を見た気がした。放り出されてなんていなかった 魔王を許すための世界を、他でもなく自分が持てた ような気がした ・・・ 答えの出し方を急かすことなどしてくれなかった、カンテラは手から形をなくしていった。ぼんやりではなく、温かい風が吹き込んで自分の外側を流れ、その重力を自分が持ち、階段のような足取りを確かめつつ歩いていった。先に彷徨った闇の境かもしれなかった。 視界の話ではなく 何かが見えてきた。「でも・・・いや、まだここも外ではないんだろうな」 ウノスケはそう思っていた。たちまち光が何かに吸い込まれて、辺りが暗くなっていった。
見出し続けるのはこの目だった。
絞られていく光線に目が眩みながら少しずつ歩いた。かすかに見えてきた場所はどうやら小さな街で、ここから観る限り、夜闇のなか窓から光がもれているらしき事が分かった。 ウノスケはその街のなかへ、ゆっくりと歩みを進めた。地面は土で とても乾いていた。
食べ物の匂いがした。湯気のような煙の影が見えた。外でも何かをかまどで煮炊きしているらしい…。 家からは声が聞こえ、話し声や笑い声で楽しそうだった。ウノスケ自身の影が、窓の外に落ちていた。 ウノスケはこっそりと、気付かれないようにして家のなかを覗いた。 玄関先や、家の庭にも飾られた果物に気がついた。家のなかには鶏肉の料理やグラスの飲み物、果物たちやパンにジャムと、上等にこしらえたものがわざわざと置かれていたし、各家々にいる大人や家族のような人たちはそれに手をつけていく様子はなく、平然と、でもどこか落ち着かない素振りで、何かを待っている様子だった。 その時、地面にも響くような歌声と楽器のような音が聞こえてきた。暗闇のなかから次第に姿を見せていた。あの世の物の様な、恐ろしい形相の仮面を被って、獣の皮を羽織ったり杖を構えた人々が、どこを見ているか分からない顔のまま行列をなして、一歩一歩の歩幅をでたらめにしながらずんずんとやってきたのだった。 ウノスケは半ば背筋が凍るような気持ちになって思わず息を潜めたが、彼らはお互いのことにさえお構いなしでそれぞれ踊ったり歌ったりしながら、庭でぞろぞろと足を止め、木の実やその家に入っていった。玄関に出た女性が抱えていた赤ん坊は、とたんにぎゃあぎゃあと泣き出した。ウノスケは声も出ずに、心配になりつつ、窓の外からこっそりと見続けた。そして、その一行によって、灯の燈る家々でご馳走が食べられていく様子を眺めた。
(お客なんだな・・・?)行列の者たちは家に入ってからは、あまり長居はせずに出て、次の家に向かった。彼らはいかにも脅かすためのような格好をして家の人々にもてなされていたが、すぐ近くにいたウノスケにはまるで気がつかないか目もくれない様子だった。赤ん坊はまだ家のなかで、一層強くぎゃあぎゃあと泣いているようだった。
ふと、窓辺に現れた魔王のことを思った・・・。魔王はもてなされる事を要求しなかったけれど・・。それでも、すぐには現れてくれなかった。俺がそこに来るまでは、と、そういう、ことなのか。
ウノスケはふと、ずっと[ここ]が、テイト邸の問いのなかである、という事を掴もうとした。見たものや感じることの普くが、自分にとって自分が反射し合う世界のような事なのだとして…。ふと考え込んでしまった。これまでだったそんな・��・。どれだけ答えの場所が分からなくなったか?! ウノスケは自分にひとつの身体があることを感じた・・。 「あらゆるものに役割や意味があると思いたい、...思っていたいものだけれど。この時をこの迷いを、自分から離すことなんて出来る世界なのだろうか?」 一瞬天を仰ぐようにしてしまったあいだも、お祭りのような熱を持って、行列はもてなされていった。その様子をウノスケもただ、ぼーっと眺めてみたくなった。-自分を構わずに進む、彼らのひとつのパーティーが、なにか無為で寂れたことのようにも感じられた。もてなした人々の思いや優しさなど、彼らには通じないのではないのかな。ウノスケは、自分は他所者のままここにいてもまた どうにも言葉の持てない人間のような気持ちになって、話し声にも自動で阻害されるような感覚になった。ずっと問われているけれど、何が答えかなど、知れないままの時も・・・。 その時、陶器のお皿が重なる音が聞こえた。
またそっと 窓から覗いた。魔の物、魔の者たちが食べて捨てていく 空っぽになったご馳走を改めて見て、ほっとした様子の家々の人たちの姿があった。
それだけだったのだけれど。―「何で・・・。」 彼らはそうやって取り戻すんだな。朝が来ないとしても、今ここにある闇を自分たちの手で、あるべき形に戻そうとしているんだな。朝を待ち望む人々の、生活なのかもれない・・。ウノスケは以前、何かの本でそういうことを読んだような気がしてきた。気持ちがそれのどこにあるのかを読み解けたことはなかった。そして、フアとその祖先を敬うためであると口にしていた仮面のことを思った。 ここにいる今、魔物の仮装をした彼らよりも自分自身が異質なもののように感じられた。 騒ぎを無意味に感じたことも、寂しくなったことも、自分の調子の良さを映すような気になっていって。ウノスケは息を小さくしながら自分の肩をぎゅっと抱いた・・。いなくなることなんて 本当には出来ないのだ・・・ここでは。
さっきまで行列が歌っていた道に出て、静かに立った。 俺の姿は、今彼らには見えない。でも心細さではなかった。「やることがあるのは、俺もだよ」気持ちとしては、まるで夜の世界に隠れたままにされた日光の存在のようなものだった。
きっと、恐怖が彼らを闇に映していく・・。だけどこれは、太陽の光だけではなく、紛れもなく 夜闇に対する畏れなのだ。それによって、彼らはやることがあるのだろうな。 ふと、木々が揺れた。 魔王というのは、ほんとうにどこにでも 放り出された世界よりも強かに、時に締め付けるようにして 見守っているのだな・・・。眩いものを忘れないままで・・・。
急にお腹がすいてきた。でもこんなにも満腹のような気持ちで。これほどに・・・ウノスケは自分の身体に不思議な温度を感じていた。
行列は、奥のほうに建てられたテント小屋のような広場の方へと向かっていった。ウノスケもそれを静かに追った。テントには松や葦で作られたようなトーチと、ガス灯が備え付けてあり、家からもれる灯よりも明るかった。入り口に木で出来た門のようなものが建てられていて、その奥のテーブルに 先の家々のものよりは質素で普段食べるような料理や果物の籠が置かれているのを見た。行列はまもなくその門へ差しかかろうとしていた。 (あの門、なんだか鳥居みたいだな・・・)ウノスケはその門のせいなのか、テントのなかまでは近づけなかった。少し遠くからそれをじっと、見ていた。 その時だった。ウノスケは鳥の姿を捉えた・・・。 光の鳥たちが鳴きながら羽ばたいて、彼らを導くかのようにして夜の上空を飛んできたのだ。とても遠くにある光のように、星たちも照らされておて、目覚しくて輝かしい光景だった。鳥たちはその群れを、空を穿つ光のなかに溶かしていくようだった。 (ここが・・・、彼らの飛ぶべき空なのか・・・?) ウノスケは動けず、瞬きも出来ずにその光景を見つめていた。 その間に、行列が門をくぐる時、すべての音が消えた。鳥たちは門の向こうへとくぐり抜けて飛び、ご馳走をついばみ、一斉に秩序をもって羽ばたいた。 その時、茂みのほうから駆けて来た何人かの子供たちが、その行列に向かって何かを叫んでいた。 ご馳走をもてなされて満腹になった彼らが、耳も持たずに眩い門を通り抜けて行く。その姿には影はなく、本当に何もなく、透き通っていくような気がした。ウノスケは、自分があの果物の柄のあしらわれた鏡をくぐったことを思い出した。「やつらはどこに行ってしまうというの・・・?」 意味とかではない、生活であっても、何も当てのない・・・。
ウノスケは気がつかなかった。街は朝になろうとしていたのだ。 テントのすぐ奥には森が拡がっていた。ウノスケは静寂に包まれた街の通りを走っていった。テントの裏側を覗いたが、何もなかった。 その時、一冊の本がウノスケの肩に落ちてきた。(文庫本のように小さくて薄いがハードカバーで出来ていた。)とても古いのか、タイトルは分からなかったし、おまけに表表紙と裏表紙だけのようだった。
その本を開いてみた。すると、ふたつの眼のような光がまじまじとウノスケを見つめ、その眼と頬を眩しく照らした。ウノスケは一瞬びっくりしたが、そらすことをしなかった。 そして今度は、自分自身に手を伸ばすようにし、小さく呟いた。「魔王に誓って」その透明な光をじいっと見た。自分の眼の奥へ、抜けるかのように。 ウノスケはその本をぎゅっと抱きしめつつ、するすると腕から消えていくような感触を覚えた。ウノスケは待ってくれといわんばかりに自分のお腹のほうを見た。すると、そこには つば付きの帽子があった。その光は顔をあげた。エスレイだった。ウノスケはエスレイの目を見て、抱きしめながら、幾ばくか、その光のなかを下ったような気がした・・。 「あぁ、エスレイ 俺はやっと今、最も近く、そして一番の外から見ようと思うんだ この家を、この森をね」 ウノスケは、光の鳥たちと行列のやるべきことを見届けたのだと思い頷いた。エスレイと初めて会ったのも、夜明けだった気がするよ。 「欲望は 自己の在り様を、自分がどのようかを 試したりはしない」 エスレイとともに街を抜けるとき、今自分がいるのは、透明に守られた、辛うじた強い光の筋だった。
(今なんじゃないかな。)何かを、何かを手にしてもウノスケはまだ不安で、でもエスレイより早く、森の茂みを小走りで駆けた。すると、光る水面が現れた。川が流れていたのだ。街まで繋がっていたに違いない。
川辺には丈の長い草たちが沢山並んで生えていた。ウノスケは鼻に入り込む冷たい空気にくしゃみをした。この空間に朝が来ていたことをやっとのことで知ったのだった。 少し歩いてみると、目の前に渡船場と言えるほどではないが、誰かが木で作った桟橋のようなものが見えた。けれどそこには船は繋がれていなかった。 そしてその浅橋の上に、いくつかの四角い包みが置かれているのを見つけた。 ウノスケは足場を確かめつつ渡り、それに近寄った。
その包みは、何かプレゼントのようだった。(ここで、誰に・・・。)あの街の人々か、あるいは訪れた人の、忘れ物なのかもしれないが・・・。よく見るとその包みには、見知らぬ並びの日付と、なにか謝る言葉が書かれていた。 あの魔物の行列のことが思い浮かんだ。渡されるべき贈り物だったのではないのか?もしかしたら誰かが満腹を知れず、あの門をくぐり損ねていたとか・・・。 ウノスケは急に、自分に向けられたものかのように、キュッとする切なさに襲われた。 エスレイはウノスケを見て、そのあと包みの言葉を見て、帽子を脱いだ���帽子のなかにその包みを載せたのだった。ウノスケはふと、船に乗る自分たちの姿が浮かんだ・・・。「この世界では運ぶべきものがどんな形でも現れるのかもしれないね・・・」
街はきっと、もう朝を取り戻しただろう。自分はもう、それを見ることが出来たのだろう。 置き去りになった包みが、今自分のための時間で、置かれたままになっている必要がなかった。 だけどここには船がなかった。 ウノスケは目の前の川を渡ることを、エスレイと顔を見合わせたあと、一呼吸して判断した。 変わり続ける姿をいつでも纏う、風さえも捉えていた。
「葦だ。この葦で船を作ろう。」 ウノスケは川辺に生えていた葦で、作り方も分からないまま、船を組みだした。自分のなかに、さっきの街で見た暗闇と、差し込む光のいくつかが、ひとつひとつ、溢れていくような気持ちだった。 思いのほか次第に集中していき、ふと背中に汗がこぼれた。葦が乾燥する時間もなにもないような気はしたけれど、――何故だかみるみると、無心のままで組むことが出来た。 すべてが今、目の前で、ここに、留まって、待ってくれているような、そんな計り知れない真っ白な気持ちだった。これほどに これほどに?・・・視界が明るくなっていった。太陽がウノスケを照らし出していた・・・。ここにいるエスレイが力をくれている気もしたし、導かれているような気がした。だけど・・。 いつも木で船を組む作業の手伝いをしていた自分が、自分のために何かを形作る瞬間が訪れていたのは確実なはたらきだった。 不思議だ・・・・・・。 (今見えているエスレイは、どうしたら[ここ]にいてくれるんだろう・・・。これほど近くに見ているのに、まるで遠いんだ。。)
ウノスケは脳裏に焼きついていた、あの鏡での自分を思い出していた。 ー光の鳥たちは街までの道を この川を 最初からちゃんと知っていたのかな・・・ 今頃フアには、なにか灯台のようなものは存在するだろうか?・・森での 生ける物のすがたはどれも不思議で、束の間なのだとどこかで思っていた・・・自分は何を永遠に出来るというのかな・・・。彼女は彼女のそれに気がついただろうか?あるいは、気がついていたことに、再び出会えただろうか?
どれくらいの時間が経ったのだろう。葦の船は編みあがり、一旦完成したように思えた。ウノスケの手や服からも、川からも、青臭い匂いがたちこめていた。初めて作ったにしてはよい出来だと思った。「やったぞ・・・!」ウノスケはその他のことの一切を置き去りに、ただ嬉しかった。 そして朝日の傾きで半時間ほどか待ってみたのち、少しだけ頼りない桟橋から、自分の手で進水式をした。慣れた掛け声をひとりで叫んだ。「この包みは祝福のようにさえ見えてきたな」 エスレイは包みを両手に持ちこぼれそうで、それを持つのを手伝った。そのまま、なにか急かすようにしてウノスケをまじまじと見た。 ウノスケはその包みを船に乗せたあと、自分の足を船につけた。そしてエスレイの身体をゆっくりと降ろした。 出発だった。 なんとか大丈夫そうかな・・・。足場に立てかけてあった竹のオールを借用することにして、朝日のほうへと漕いでいった。ふと顔をあげたとき、朝日に目が眩みながら、川と泥のような匂いの奥に、ふと海のような空気がある気がした。 両方、の予期をした。また放り出されるか、何か目印が現れるのか・・・。今は、自分自身で船を漕いでいることだけが確かだった。この船では、海には行けないかもしれない・・・ ウノスケは少し焦った。釣りだけしてればいい川じゃないのかもしれなかったし・・・。 エスレイがウノスケの前に座って、包みをしっかりと抱えていた。 エスレイがいる心のなかで、どこにもいかないその一筋の光の果てに、フアを追った。この時、なんだか沢山の声が聞こえてきた。何かが・・・自分の名前を呼ぶんだ・・・。 これ以上は ここより先はそっちへ行くな 飲み込まれるな 任せて自分を使うな あの透明な瞳は、いつまでもこの世界を 人々を見ているのだろう・・・。 これほどに魔王の声を聞いたことはこれまでなかった。光の下で・・・。  魔王に落ちる影があることを、ウノスケは思った。
進んでいる手応えがあまりなかった。いまは少しだけ怖くて、ただただ心が熱かった。
「自分がどこか遠くにある気がするのはもうあんまり嫌だな・・・」 ウノスケは、自分に言い聞かせるように言ったようにも思えた。でもそれにしては意味が分からないんだけれど・・・とも思った。 ウノスケは途切れ途切れな感情のひとつひとつが、生まれていく感覚を実感していた。机の上に散らかるままのメモを繋げられる気もした。今あの机の上だったらなぁ...。
―あの鏡のなかの自分が、『逃げていく』と口にしていたことは、何か不安や恐怖が言わせているのだと思ってた。でも・・・そうじゃない・・・。ウノスケはエスレイを見つめた。
その時、魚が何匹か川を楽しそうに跳ねた。船の下にもゴツッと当たって少し揺れた。 「エスレイ見てくれ  魚だよ、やつら、ちょうど海から来たのかも・・・」  ウノスケは自分の故郷のことを思った。造船所でいろいろと観察をしていて良かったんだな。そして、再び漕ぎ出した・・・。名前のない幸福感とともに、言いようのない心許なさがウノスケを締���付けた。自分はこのまま、大丈夫かな・・・? あの鏡のなかの自分が追っていた鳥は、自分のものではないのかもしれない。それでも頷ける道がきっとあったんだよな、あの俺には。そして今・・・。 エスレイが何かにキョロキョロし出した。ウノスケはふと我に返った。 海の、深い、つよく荒むような匂いがした。船は何かと衝突したかのように、向きを回転させ始めた。 視界に何も見えないまま、ウノスケとエスレイを乗せた船は崖のような何かに差し掛かって、川の水の流れとともに墜落していくように思えた。うそだろ!なんで・・・どうしてこのままじゃ辿り着けない? エスレイは、手に取った帽子で包みを支えながら流れに沿って落ちた。船は洪水とその水中へと叩きつけられていった。「まって・・・待ってくれ!!」ウノスケの頭は、自分が何も無くなってしまうような空白に支配された。 その時、頂上に霞をつくるほどの山々が棚をつくる、斜面が、さかさまに見えた気がした。
ずっとどこかに感じることが出来ていた 温かい何かは 今は、ウノスケを守ってはいなかった。 雲のような、水滴のつくる霧のような何かが、すべての音を飲み込んだ。その静寂は、ウノスケとエスレイを包み、どこかへ連れ去っていった。
ウノスケはエスレイを抱きしめた・・・・・。
光と水の粒が 絶え間なく反射していた まるで薄水色のレンズがつくる球のような瑞々しい大気は、ウノスケの視界のすべてを覆っていた・・・。その向こうに、あおあおとした海が拡がっている。嘘のように意味が分からなくて、ただただ、恐ろしかった。海原に、雲の陰が落ちていた・・・ ここで...今、「とても広いもののなかで何かがそこに在ること」をウノスケは捉えた。  いつの時も雲のこちら側を見ていた 見ていたはずなのに・・・ 偉大なる海に遊ばれるように・・・自分自身との距離はとても近すぎるから。こんなにも放り出されてしまうというのか・・・。 ここは、今までいられた場所や持てていた落とし所とは 全く違うのだ ともて怖いけれど、確かに。――ここにいるまま・・・。 ウノスケはふと、自分が灯台の放つ光のなかにいる事を感じた。自分がいつの日も目指していた場所とは、ここだったのではないか?その時、何か雲のようなものに包まれて漂っているような感覚だった。
エスレイは包みを抱きしめていた。
ーーーーー
▼ 心のなかがまるで何もない 空っぽのようになった気がしたのに、フアは薄明かりのなかでさらに沈んだ。フアは頭と肩で向きを変えながら、必死で。せめてもの、漂った。海底火山のようなものの連なりを、山の峰を見た。 フアはその実少しだけれど、何かが分かった気がした・・・。その山々は、自分のふるさとによく似ていると、思わせた。あの道を許す、あの街・・・。自分はここを見ないといけなかったのかな。
白い鳥のような眩しさを目にして驚き、手を伸ばしたが、溺れながら沈んでいった・・。瞬間に気が遠のいて、頭が重かった・・…. 強くギンギンと痛んだ。 まずい… 頭を抑えながら、今も頭飾りに挟んだメモとチケットがあることを確認した。(この頭の重さは もしかしたらこのメモたちの重さなのかしら)自分ではないような何かが、とても重たい 自分だけではどうにもならないような、あの廊下のようには導かれない、やるせない戸惑いが深まっていった。何か別の…自分以上のものが___沈みたがっているみたいに・・・。 (ウノスケの考えていたことや 誰かが追い求めていた事柄は 答えをこの海底に目指しているということなの・・?だとしたら この嫌な感じはどうしたらいいのだろう 私はどうしたらいいの・・・ )この、この引力は本当にこの荷物の進みたい方向なのだろうか? 引力のようなものによって直線的に沈みながら、けれどフアは自分に圧し掛かるその何かが、ここで宛てのないままの意思だとしてもそれは仕方ないのかもしれないとさえ思えた。身を任せながら、焦っていたことにさえ気付いたのだ。けれど心のなかの起こる嫌な感じは、捨て切れなかった。 景色が山々になっていき、その海底火山の連なりの隙間に谷があって、そこに平地が拡がっていることが分かった。どれだけ深く潜ったのか、遠いのか近いのかも最早分からなかった。その平地では、何かの明かりが反射し合って薄明るくぼんやりしていた。
フアは落とされるわけでもなく着地した。そこから上に広がる景色を見上げたとき、鳥たちがバサバサと飛び交っていた。そして何か布か紙のような、包みのようなものがこの平地の全体を覆っているような影を見た気がした。頭が重たくて景色もかすんで見えたが、何か濃ゆい青みの、丸いかたちのものが見えてきた。 洞窟だった。そのなかから、光がいくつも集まったり散らばったりしていた。
着地してもなおここでの歩みは難しかったが、フアは意気込んで全速力でゆっくりと、洞窟のほうへ歩いていった。するとそこから、白い鳥がフワッと、またしても一目散に飛んでいったのだった。 洞窟のなかは不思議と、上部に空気のようなものが残っていた。といってもフアの背よりも高い水位だったため、そのままゆっくりと歩いていった。長い音を立てて水面が揺れた。
その奥には、空っぽの鳥籠がいくつも大量に置かれていて、フアが動くとときどき擦れて金属音を立てていた。洞窟のなかに置き去りにされているような、かなり不自然な景色だった。さっき見た鳥たちは、ここから放たれていたというのだろうか。 (―誰かがこの場所ごと捨てていったようにしか思えないけれど、この奥にもまだ何かあるのかしら・・・それに、なぜ鳥たちは私と違ってあんなにも軽く羽ばたいていけたのかしら・・・) 幾つかの疑問が浮かんできたそのとき、フアの頭飾りに付けていたウノスケのメモとふせんたちが、ハラッと下の地面に、漂うことなく、零れ落ちた。するとたちまち、紙の端から燃えて、水のなかだというのに少し煙ったあと、小さな火に変わっていった。そして、自ら少しずつ浮かび上がったのだった。 フアは驚いて、どうしたらいいのか分からなかった。(このメモたちの意思はここにたどり着くことだったの?そうしたらもう消えて無くなってしまうってこと?)フアはやるせない思いとウノスケの顔を思い浮かべながら、頭の重さが少しずつだけど引いている感じがした。その時、ひらめくような気持ちになって、ふいに地面を蹴りつけて、空気のあるところまで顔を出してみた。だけどその時フアはとても熱く、苦しくなって、息が出来ずにむせながら再び水のなかに戻った。
フアはむせたのと訳の分からなさで少し涙目になったが、そのとき顔の前で炎が揺れた。その炎は消えてなくなりそうに思えた。「嫌!ここで置いていかないで!」フアは思わず叫んでしまった。炎は揺れ続けたが、ふと燃えていくのが緩やかになった。フアがその火を見つめていると、チケットとメモに描かれていた記号たちが炎をまとって浮かび上がった。あのチケットに描かれていた太陽か月のような円の絵を揺らしながら、泡のような膜を作り、包まれたまま丸い炎になった。まるで盾のようだった。
どこに行きたいのかも知れないその揺らめきは、フアの前で勇敢な背中のようにして動き出した。ウノスケの描いた矢印は、炎の剣のようになって、泳ぐように洞窟の入り口のほうへ向かった。→ フアは驚いて、とてもびっくりして、けれど何だかとても安心して笑ったら、なぜかさらに泣いてしまった。その涙はここでは見えなかった。 ゆっくりと歩きながらその盾と剣のほうへ向かうと、洞窟の外とはるか上空に、白々と水面に差し込む太陽のような光線が見えた。 フアはとっさに、あれが外なのね、と思った。もう一歩進もうとした瞬間、炎はシュンッと力をなくすようにして空気のなかで小さくよろめいた。矢印は地面に突き刺さるようにして落ちてしまった。
「待って!!消えないで・・・!」 フアは急いで、洞窟の外まで顔を出してみた瞬間、また頭が痛くなった。(このメモたちの重たさではなかったの・・?いえ、だからこそ、なの・・・?)フアは息を止めないように、まだ放さずに確かめるように、こらえるように、ゆっくりと重たい一歩を踏み出しながら、炎と矢印を慎重に抱き上げた。「ああ、どうか!お願いです! 私がきっと連れて行くから この手で連れて行くから  頑張って 見失わないで お願いよ・・・」
ふと、自分がいつの時も、お腹に山になるほどの荷物や洗濯物を抱えて、くたびれながら帰ったあのふるさとの道と、焚き火の焦げた匂いのするあの庭を思い出したのだった。大事なことばかりに囲まれて、――日々と不作の土地に追われながら、追いかけることで、感謝に身を置いていたわ。でも今は・・・。 ・・駄目だった。あのままでは・・・どうしようもなかったのに。
フアはまだ泣いていた・・。 洞窟の外に出てから意思を失ったかのような、炎と矢印を誘導するようにし、気持ちを集中させて、ゆっくりと開けた平地のほうへと歩いていった。「私は」 ここにいるわ。きっと私、ここにいるから。
フアの両手は炎の傷みを感じていた・・・。 谷の底で、辺りが平たくなったその時、その平らな地に映し出されていた光景はさっきとは全く別のものだった。洞窟の方向から小さな鳥がまた何羽か、水の中で羽ばたいたとたんに、泡の音を立てながら 尾ひれを作り出し、魚に変わってその両手を降ろしたのだ。その魚たちはまた一目散に、その海のなかを群れになって泳いでいったのだった・・・。
ー 私の名前はここで、私になるのだわ。私が私のために声をあげるのだわ。
フアは辺りをしっかりと、見渡した。そして広場のなかほどに来たことを感じ、ふと足を止めた。かろうじて浮かぶ炎を目前にして、光の筋をそこに留めるようにして、こみ上げてくる気持ちのまま、体を動かして、踊った。自分がいつも踊っていた、家族や祖先やきょうだいと通わせていた、あの命だった。ああ、それなのに上手く身体が動かない。 動こうとしてもがくと、さらに重たくて苦しかった。。。 訳もわからず、何も気がかりに出来ないまま、そしてふるさとの祈りの唄をうたった。 そしてその唄にはないことばを思った。 (どこか果てしないと思っていた異なる地では 雨がいつでも恵みとしては現れなかったように 私はその声を 喜びも苦しみも 慈しみとして見るでしょう・・・)  魚たちがフアの目の前を羽ばたいていった。泡が帯のように、フアをかすめていった。息が苦しかった・・・。 その時、なに不自由なく飛ぶあの鳥たちが、またこちらに一目散に向かってやってきた。。。今や、それだけのためにと言いたくなるほど忙しなく、どこか苦しそうに、フアの前で向きを変えて鳴き声をあげた。フアは鳥たちの羽ばたきに合わせて両手を動かし、応えるようにして踊った。今度はしっかりと、捕えるようにして・・・。 炎と矢印は、再び自らの意思で動き出した。そして盾と剣のようにして、フアの手をとった。 フアは両手をいっぱいに伸ばして、その燃える炎を空にかざした・・・。
私は ここにいます ふるさとよ 私はここで きっとここに あなたをさびしいものになど決してしません ここでは運び出せずに 私とともに在りますからね 大地とともに 生きますからね きっと私 ここにいるから いつのときも  どこからでも 
この声を 世界中のすべてへ 届けてくださいね・・・
その時、フアの前で景色が変わった。苦しさも頭痛もすっかり消えていた。フアのその言葉のひとつひとつに、手を繋ぐように頷くようにして、いたずらに飛んでいた鳥たちが交錯して、お互いに動きをサインし合うようにし、舞い上がっていった・・・。そして、-
ーーー知らない誰かの机から盗んできたそのチケットの形になって、風になるようにしお互いを支えあいながら、水面の向こうへと羽ばたいていったのだった。どこまでもどこまでも、視界の果てへ向かって、漂い続けていった。 フアは自分の踊りが時を止めたような気持ちになった・・ーー (私が、・・・私がこの空へ、この心を向けていたの・・・?)
「どこまでも、行きなさい」
―― 頭は元より軽くさえなった気がした。フアは髪を手ぐしで軽くまとめた。 なにか静かな・・・ゴウ、ゴウという音が聞こえる。そして遠くでも何か鳴っている・・・。笛のような、何か・・・どこか苦しそうな、繰り返される音が・・・。
布のようなものが、包んでいたように思えたその水面がゆっくりと引いていき、同時にこの海ごと乾かすような、木々の根の生える大地のようなものが見え始めた。 谷がつくる隙間の平地のなかで、棚のようになった丘が その形に強い影を落とし、そのうち水溜りにでもなってしまいそうだった。 もう夢なのかもしれない、とそれを見ながらフアは思った。何かの声に気付いたとしても 抱えきれない・・・。ここに置いていって欲しい程・・・。魔王が見せていた苦しさは、苦しさとしての意味を変えようとしていた。 フアは、次第に温かくなる空気を感じながら、今自分の手のひらで燃える盾と剣に対して祈った。 「置いて行くことはできない・・・私が 再び必要を知るまで・・・」 私が知りたいのは、この森のことよ。この空ごと、途方もないくらいにすべて。彼らの知りたいこともまた、ここの事なのよ。この掌でも、失くさないのよ。 勝利の炎は、おそらく与えられたものの形をしてはいなかったのだ フアの頬を涙が流れた・・・。
届くべきものがあるものは、その境を決して見失わないわ。連れて行かなきゃ。 信じるということをフアはこれほどに捕らえたような気持ちになったのは初めてな気がした。盾と剣は、フアの両手に支えられながら、さらさらと黒い砂になった。 「温かい記憶は 優しい記憶は、きっと発見すべきだったものを隠してもいたけれど、けして私の成長を妨げようとはしていなかった 」
フアは 黙って走り出した。笛の音の繰り返されるほうへ。もう身体は重くなかった。土に飲み込まれていく水面と、輝き出す光線は、徐徐にフアのつま先を、肩を、のどを、照らし出し乾かしていった。自分の呼吸を、軽くなった身体で聞いていた。 フアの蹴る大地は、木々のあいだを見つけては その香りを大気に跳ね上げ、太陽の光を浴びていったのだ。 ―――― 笛の音は、吸い込まれるようにして消えていった。フアは少し不安になって、ふとあたりを見回すと、とたんにズサッと転んでしまった。足元に固い地面があった。煉瓦か石のような、均された地面だった。 その肌色の地面が、視界に霧がたちこめたような白くて湿度の高い空間にただただ延びていた。 フアは、慎重に身体を起こした後、ふらつきながら、この地面を歩いてみた。自分がまるで何も持たない空っぽのような、羽の生えたような気持ちになった。
――― ―――― ――――
フアが辿りついたのは、水色の空気が漂う、反射する空間だった。 ここはどこなの・・・?水も炎も光も風もすべて、ここに閉じ込められているような気がした。 踊りの途中で溢れていったような感覚は、消え去ってはいなかった。そう・・・。このとてつもない深い悲しみは・・・。 霧が��れていくように、誰かの姿が見えた。
ウノスケとエスレイだった。  髪の青い少年の、手を振る姿が見えた。「フアだよね?」
「そうよ! (彼女は思わずふき出して) ウノスケなんでしょう?」 エスレイがフアを見つめた。エスレイは何か包みをしっかりと抱えていた。 「ウノスケ・・・。これ、は?」 「えっと・・。連れて来るほかなかった物だよ」 フアは彼が大丈夫だったことに、とても安心した。 「じゃあ…エスレイ・・・それはなに?」
その時、エスレイの抱えた包みが強烈な光を放ち、バサバサと包み紙を祓い捨てて、空高くに消えていった。エスレイはハッとしたような丸い目をして、その光線を纏いながら、それを追うように、空まで上っていった。そびえ立つ塔のように思えた。 「どうして・・・?」フアとウノスケはエスレイを目で追った。 エスレイが、何か見えない、眩いものを、捕まえようとしていた・・・。 ウノスケとフアは沈黙したあと、顔を見合わせた。「変われるよ」「変わるんだわ」 花のように移ろい、変わっていく、自分たちを受け入れる家が・・・。 彼らはいま、自分自身を見届けていた。
――――
フアはウノスケをじっと、黙りながら見た。 ウノスケは遠くを見ながら呟いた。 「良かった、本当に」 フアも頷いた。 白い霧がまた立ち込めていた。その霧を割くようにして、煙のような雲もこちらへと流れてやってきていた。 何か、ゴウ、ゴウと笛の音がするのだ。 塔のようにそこに残る残像が、影のように立ち尽くしていた・・・。
「笛の音がする・・・。 私、さっきこの音をずっと聴いていたのよ」 「これも・・・霧笛かな」 「どういうこと?」 「霧や靄で灯台の光が見えないときに、船に向かって こっちだぞと鳴らしてくれるんだ」 フアはふるさとの、狩りの笛を思い出していた。
何かが遠くに見えてきた。何かが・・・。 この、形のない言いようの無い街全体が、まるでそこに隠すものまでを照らし合うような、とても懐かしい景色だった。 雲の上でも歩くかのように、自分の重さが掴めなかった。
「不思議だわ。ここの場所だけはずっと在り続ける気がするもの」 ウノスケは静かに、深く頷いて、そのあとの沈黙の時、思わずまじまじとフアを見た。 「こんなに・・・こんなにも心が寂しくなると思わなかった」
何か、歌うような声が、とても近い場所から聞こえる・・・。
「あぁ・・・きっと応える力を求めていく、私は沢山の声を、きっと聞く」 「私はきっとことばを持つ」
それまでもてなされる予定さえなかった場所であっても、門は、ほんとうはいつの時も開かれていたのかもしれない。許されることを ここまで 待たせることもせずに―
何か今も留まるものを引き出すように、フアが囁く声で呟いた。 「パレードは・・・」
「大丈夫」 「俺は・・見たよ。彼らの命を」
フアは内側から何かを知るような、新しい風が吹くような気持ちがして、抱えていた胸を撫で下ろした。再び自分がいたことのある大地に戻ってこられたような気がした。 
人々の話し声がしてきた。人影がいくつも行き交おうとしていた。 小走りで路地を抜けながら、 「そうよね 私も受け取れたのよ 預かったのよ そこにいる私から」 --もしくは、本当にあの部屋から突然運ばれるようにして、出て行ったものから。
フアはふと遠くを見たのだった。 瑞々しい空気が漂っていた。光を捕えるような、絶えず映し合いながら伸びる光線を放つような、そんな円環した世界のように思えた。 「ここもまた、テイト邸なのかしら?」 「・・・分からないけど・・。でも君の開いた扉の場所だと思う」
笛の音が小さくなっていった。ふと立ち止まってしまったが、そんなことはないと思わせた。  ふたりは港までの、舗装された道を歩いた。 エスレイが薄い霧のなかで、影のような服を纏って、待っていた。渡船場をもうけた海岸と浜辺とが、いくつもの装飾された船を用意して、多くの人々や多くの荷物を待ち受けていた。
フアは立ち止まって黙っていた。そしておもむろに聞いた。 「ウノスケは・・何を見たの?」 ウノスケはふと止まって、フアを見た。
「魔王がいてくれたおかげだった 途方もない闇が本当はあるような気がした それを知れてしまった・・・」 ウノスケは心のなかで、太陽の影を受けた。そのなかで、エスレイの先導する船を漕ぎ続けた。 両手をゆっくりと、泳ぐようにして、掻いてみせた。 フアも手のひらを海に向け翳して、波を見ながら繰り返し後ろへ波をつくってみせた。
何かを勝ち取るということが、口にさえすることが、どれほど恐ろしい望みであり続けるか、何に背中を掴まれていくのか・・・それでも救い出すものが待っていることを、忘れてはいけなかった。その手を見紛うことを、しっかりと恐れたかったんだ。
「かならず戻ろう、帰るためにここまで来たのだから」 フアは静かに呟いた。「そうね。・・・でも、帰らないままの自分を許せたら、きっと誰かも どこかを待ち望めるわよね」 ウノスケは、彼女のなかに海が生まれたような感覚になった…。何に出会ったのかな。
「私も きっと歩きなおすわ 迷子を引き受けましょう」 なんたって優しい言葉だろうかと、ウノスケは思った。 すべてが秘密になっていくような、すべてが光に乗って知らされていくような、そんな気持ちだった。
ウノスケは 指先から 世界が生まれていくのを見送っていた。かの山を行く、あの海を行く その道で。 フアは自分を見つめるエスレイの額に触れた。
「ゴンドラに乗りたい」と、言った気がした。
1 note · View note
Text
ガスライティング(Gaslighting)
標的となる人物(ターゲット)の感覚喪失、妄想、悪評、トラブル等を捏造または演出し、ターゲットの社会的評価を失墜させ、ターゲットの自信、自尊心及び評判を破壊し、ターゲットの人生を思い通りのレベルまで破滅させ、自殺に追い込むことまで出来るにもかかわらず、ターゲット自身が自滅したかのように見せかけることの出来る数々の手口、及びその段階的な計画の総称を「ガスライティング」と呼びます。「ガスライティング」は、夫が妻を騙し、妻に妻自身が精神病だと思い込ませるストーリーの映画「ガス燈」(1944年)から命名されています。
” - AGSAS 【 用語集 】 (via kazukij) (via jinakanishi) (via gkojay) (via ibi-s) (via deli-hell-me) (via yaruo)
1 note · View note
judachigeiju · 6 years
Text
紀伊半島原付旅行記
早めの夏休みをもらったので、原付で伊勢湾フェリーを渡り紀伊半島を一周しようと思い立った。思い立って二週間後に出発した。紀伊半島とは精神の方面である。
Tumblr media
七月二日:浜松から新宮へ
排気量五十CCの原付〈一つ目家鴨〉号はキックスターターを使わないとエンジンが動かなかった。一抹の不安を抱えながら、七時半、原付に跨がった。曇空の下、国道一号線を西に進み、弁天島を回って国道四十二号線、表浜街道伝いに渥美半島を西へ進んだ。
坪井杜国の故地
赤羽根港に付属する道の駅で休んだあと和地交差点から西北に進路を変えて高田交差点で左折、高田西交差点で右折し、右手にある潮音禅寺こと潮音寺を訪れた。境内には柳原白蓮歌碑と山頭火句碑があり、空米売買で尾張徳川家の領地から追放され、渥美半島へ来た坪井杜国の墓碑がある。
Tumblr media
杜国墓碑の前に立っていると住職から 「俳句をやっているのですか?」 と声をかけられ、その日に咲き始めたという蓮を見せてもらった。蓮の初日はあまり開かないのだという。血統書付きの大賀蓮の水鉢もあった。住職は黒目高も二千匹に繁殖させたらしい。川を渡って「杜国屋敷跡」の看板のある角を左折すると畑のなかに小さな杜国公園。〈春ながら名古屋にも似ぬ空の色/杜国〉の句碑が建っており、投句箱もあった。
Tumblr media
十時を回っていたので急いで西へ向かい、二十分ほどで伊良湖岬のフェリー乗り場に着いた。標識交付証明書がなくても排気量を口頭で伝えただけで発券してくれた。合わせて三千九十円で、十円だけ人の方が高い。十時五十分発、五十五分に及ぶ伊勢湾の航海。波が荒かった。伊勢湾を渡っていると雨に降られた。船内のテレビで天皇の病態が報じられ、平成が来年五月までもたないかもしれない、と思った。鳥羽に着くと雨は止んだ。
嶋田青峰の故地
フェリーを出ると正午になろうとしていた。鳥羽フェリーターミナル二階のレストランで食事をとろうとすると係員のおっちゃんから「ここのレストランはおすすめしない。近くの錦屋がいい」と勧められ、錦屋でてこね寿司と伊勢うどんを食べた。若女将の愛想が良かった。食べているうちに梅雨晴間。志摩半島を縦断し、的矢で渡鹿野島を望もうとしたら、的矢は、ホトトギス同人から除名され新興俳句弾圧事件で逮捕された俳人嶋田青峰の郷里だった。句碑〈日輪は筏にそそぎ牡蠣育つ/嶋田青峰〉も、弟である嶋田的浦の句碑〈海うらら水平線は汽船を引く/嶋田的浦〉も夏草のなかにあった。杜国といい青峰といい不遇な俳人ゆかりの土地ばかり巡った一日だ。志摩半島の浦はどこも簡素で好きになった。尾鷲で小雨に遭い、虹を見た。ひたすら走り、いくつもの浦の潮が戻るのを見ながら走り、十九時に新宮駅近くへ投宿した。
Tumblr media
七月三日:新宮から田辺へ
目覚めるとサッカー日本代表が白耳義に惜敗していた。六時半に新宮市の「路地」を見てから霧雨の国道百六十八号を熊野本宮大社まで走った。
Tumblr media
山岳信仰とサッカー
観光客がほとんどいない大斎原や本殿を見た。熊野は大学一年生のとき以来だから十年以上ぶりだ。拝殿にサッカーワールドカップ関連の展示があったが、侍ブルーのユニフォームを着たスタッフが取り外していた。熊野の神に勝ったのだから確かに白耳義は赤い悪魔だった。
Tumblr media
八時半に給油してから山を下り、新宮市街まで戻ってから那智の滝を見た。数年ぶりに絵馬を書いたり護摩木を焚いたりした。熊野本宮よりも那智の滝を神体とする信仰の方が私にはわかりやすい。
鯨焼肉はレバーの味
十一時には那智を離れ、正午に太地町へ着いた。くじら博物館は千五百円を惜しんで入らなかったけれど鯨恵比須の鯨骨鳥居と燈明崎の山見を見て、道の駅たいじで鯨焼肉定食を食べた。血臭いのでやはり鯨肉は揚げた方がいい。
Tumblr media Tumblr media
尻ではなく太腿で乗る
国道四十二号線をひたすら西へ。里野で水泳パンツに着替えたがちょうど日が陰って寒くなり、海水浴はあきらめた。見老津のあたりで和歌山県警の軽パトカーに跡をつけられたので、先に行かせたら、また後ろに回られてスピーカーで停められた。職務質問だ。「浜松市」ナンバーを見なれないから停めたとのこと。浜松から原付で来たと説明すると「どうしてそんな気になったんですか」と訊かれた。「お尻が痛くならないんですか」とも訊かれたので「尻ではなく太腿で乗ると痛くならない」と答えた。ズボンの下は水泳パンツなので、ズボンの中まで調べられたら即逮捕だっただろう。別れ際に夜間に掛けられる光る反射タスキをもらった。それから道の駅ごとに休み、田辺を目指した。
交番へ出頭
十六時過ぎに道の駅椿はなの湯で休んだ。ベンチに座ってのんびりしていると別のベンチに座っていた老爺が「そろそろ行くか」と独り言を言い、軽トラックでどこかへ行った。老爺のベンチが日陰だったので日射を避けるべく私はその日陰のベンチに移動した。するとベンチの上に財布が落ちていた。あの老爺の財布だと思い、私は戻ってくるまで待つことにした。でも戻ってこなかった。道の駅は定休日で閉まっていた。仕方なく私はその財布を持って近くの椿駐在所まで行った。しかし駐在さんはおらず、備え付けの電話を架けると婦警が富田駐在所まで来ていただけるかと言った。住宅街のなかにある富田駐在所へ出頭し拾得物物件預り書一枚で解放された。一日に二回も警察沙汰だ。交番を出て国道四十二号線に出た途端に雨が降り出した。晴れ間をぬって沿岸を北へ進み田辺駅近くの美吉屋旅館へ投宿した。自動扉が開くと禿親父がソファに寝そべって歌謡ショーを観ていた。客かと思ったけれど主人で間違えなかった。夜風が吹いただけで骨組が唸る旅館の「菊」の部屋に泊まった。若旦那から純喫茶桂のご主人が亡くなって看板を下ろしたと聞いた。灯りが点いているのはどきどき奥さんがいるからだとのこと。
Tumblr media
七月四日:田辺から大和高田へ
北上するには二通りあった。海岸沿いに国道四十二号線を進む海ルートと高野山を経る山ルートだ。高野山は魅力だが山ルートにはガソリンスタンド問題があった。ただでさえ燃費が四十キロ前半まで落ちているのにガソリンスタンドが少ない山中を百数十キロ走るのはガス欠リスクが高い、それに近畿地方の天気予報は全域で雨なのであえて天候の見えにくい山間部を通ることもなく海ルートに決めた。
台風七号ブラピルーン
フロントに鍵を置いて五時半過ぎに出発した。みなべ町の岩代で、四つのH音のやるせなさが素晴らしい〈家有者笥尓盛飯乎草枕旅尓之有者椎之葉尓盛/有間皇子〉が詠まれたという磐代の結松と畑のなかの寺脇にある歌碑を観た。八時くらいまで台風七号はおとなしかったがトンネルを出て由良町になってから本気を出し、激しく雨が降り出した。それでも走り続けたのでジーパンはもちろん下着までぐっしょり濡れた。なぜ走っていたのかと言うと大阪は午後から曇るという予報に賭けたからだ。和歌山市まで強く雨が降っていた。大阪府に入ると小雨になり時々晴れ間も見えた。雨雲レーダーを見ると高野山はもっと強く降っていたので山ルートにしなくて本当に良かった。岸和田城の横を通り和泉市で冷えた体の血流を回復させてから東へ折れ、富田林から河南、水越トンネルをくぐって大和の葛城に出た。山はやはり雨が降っていた。
葛城一言主神社では二人の男性が階段下の祓戸神社へ参拝してから昇段し、一言主神社の拝殿へ参拝していた。一言さんは地元の信仰を集めているらしい。それと拝殿に参拝する事前準備として拝む祓戸神社というシステムは熊野本宮にもあった。祓戸神社の祭神はいずれも瀬織津姫、近畿地方の格式ある神社の様式だろうか。大和高田のネットカフェで刃牙を読んだあと大和高田駅近くの福の屋旅館の「菊」に泊まった。また菊だ。女将一家の生活スペースと部屋が廊下一つを隔てて隣りあっているので、おばあちゃん家に泊まった感があった。女将は、橿原神宮の神武天皇が奈良県を大災害から守っていると言った。そういう信仰は美しい。
Tumblr media
七月五日:大和高田から浜松へ
近鉄大和高田駅のミニストップで食事をとった。ちょうど通学時間帯で女子中生・女子高生が目に入る。それは揚羽よりも速いという女子高生に会いに吉野へ行くからだろう。
Tumblr media
三重県南部は雨時々曇りという予報を見て急ぎ八時半には宿を出た。女将から缶珈琲をもらった。桜井を経て九時半過ぎに宇陀の阿騎野へ。吉野とは飛鳥の平地から見上げるような山地のことだった。東の野にけぶりの立つ見える阿騎野は菟田吾城という古代城郭があったらしい。鎌を持った小母さんから「この地は薬草で有名」「元伊勢」と聞いた。
人間のクズが国栖に
吉野川まで南下して国栖の里を眺め十一時前には国栖奏伝習所の横を通り浄見原神社を訪れ記名した。「鯨は人間のクズだ。ちなみにクズは国栖、先住民族の名だ」と言われてからずっと気になっていた土地「国栖」に立てた。
Tumblr media Tumblr media
県道十六号で国道百六十六号線に戻り、鷲家八幡神社の桂信子句碑・前登志夫歌碑・宝蔵寺の能村登四郎句碑を見て、高見山を仰いだ。そういえば吉野で女子校生は見なかった。汗に冷えた体で高見山トンネルをくぐった。それから虹の泉のほかは伊勢までひたすらに走った。
Tumblr media
近畿地方はあちこちで豪雨らしいが、幸運にも私は雨を数粒受けただけで水泳パンツを履いた意味がなかった。猿田彦神社を参拝し十六時前には鳥羽のフェリー乗り場に着いた。十六時半発のフェリーには間に合ったがガソリンが空になりそうだった。あこや真珠と中国産の淡水真珠の違いを聞いた。
Tumblr media
雨の帰浜
フェリーは伊勢湾に出ると波に揺れた。恋路ヶ浜を見下ろしてから国道二百五十九号線を通って豊橋市を目指した。国道二十三号線からは私が「ほぼ原付専用道路」と呼んでいるバイパス横の側道を通り湖西市へ。昼夜食堂港屋本店で浅蜊汁と鯵の開きを食べた。食堂を出ると雨が降り始めた。弁天島を経て国道一号線で帰宅した。四日間の走行距離は九百三十五キロメートルだった。あとヘルメットのシールドが割れていた。
Tumblr media
2 notes · View notes
kozuemori · 3 years
Text
Tumblr media
今日の東京は雨、少し肌寒さも感じます。来週から一気に暖かくなる予報が出ていますので、寒暖差に気をつけてお過ごしください。
スプリング・フェスティバルも終わり、今週は夏学期クラス用の誘導瞑想で使うBGMをガレージバンドを使って作曲したりと、少しずつ準備をし始めています。フェスティバルでは久しぶりに、他のミディアムのお元気な様子を拝見したり、個性豊かなデモのメドレーを楽しみました。また、ミュージシャンのジミーさんの演奏もいつも通り素晴らしく、音のクオリティも良くてジックリ聴き入ってしまいました。ジミーさんの後ろにサラスヴァティの絵が飾ってあったのも印象的でした。そういえば、この日は雨模様でした…サラスヴァティが見守ってくれていたのかもしれませんね。久しぶりに一人でやる指導霊のサイキックアートにも挑戦し、お二人へのポートレートをメッセージと共にお送りする事ができました。バーチャル背景に設定すると、主要人物以外の画像が見えにくいようですので、改めてここで紹介します。この日は真言宗のお坊さんと、沖縄地方のユタ・ノロ(霊媒)の指導霊がいらっしゃっていました。先祖霊のデモやワンポイントメッセージでも、光の世界のメッセージをお届けしました。今回は参加してくださった方全員に、各ミディアムから光の世界からのメッセージをお届けできたのが嬉しかったです。
前回のブログでは『インポスター症候群』について触れましたが、関連事項として、今回は『ガスライティング』について書きたいと思います。Wikiでは以下のように説明しています。
ガスライティング(英: gaslighting)は心理的虐待の一種であり、被害者に些細な嫌がらせを行ったり、わざと誤った情報を提示し、被害者が自身の記憶、知覚、正気を疑うよう仕向ける手法。例としては、嫌がらせの事実を加害者側が否定してみせるという単純なものから、被害者を当惑させるために奇妙なハプニングを起こして見せるといったものまである。「ガスライティング」という名は、『ガス燈』という演劇(およびそれを映画化したもの)にちなんでいる。現在この用語は、臨床および学術研究論文でも使われている
誰もが人生の中で周りの人にジャッジされますが、特に社会的弱者とされる子どもや女性、部下、後輩、マイノリティの経験数が多いと言われています。私が経験した印象的なガスライティングは、上司から仕事上のミスを押し付けられた事と、医者から風邪を引いた娘の健康管理について批判された事です。けれど、前者については会議中に直接上司に抗議しましたし、後者はもうその病院には行かないと判断しました。
Wikiでは以下のようにも説明があります。
特に女性に関して言うと、ヒルデ・リンデマン(英語版)は「ガスライティングの場合、それに抵抗する能力は、自分の判断力を信頼する能力に負っている」と述べている。加害者に抵抗する「別の解釈」を打ち立てることは、「通常の自由な心の働き」を取り戻す、あるいは初めて手に入れることの助けになるかもしれない
この、ガスライティングやインポスター症候群に陥らないために必要な『自分の判断力を信頼する能力』を鍛えるためには、アイイスで行っているアウェアネス、霊性開花の学びが効果的です。「この人の言うことや行動には何かが欠けている、何か違和感がある」と感じた時、一番頼りになるのが自分の直感、自分の光に意識を向ける事です。それは、霊界からもたらされる大きな助けの手です。それは、あなた自身を心理的虐待から救おうと一生懸命メッセージを送ってくれている、指導霊の声なのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
マントラ入門 NEW!
土曜クラス:18:00~20:00 5/8、5/22、6/5、 6/19、7/3
月曜クラス:10:00~12:00 5/10、5/24、6/7、 6/21、7/5
参加資格:アイイス会員
料金:8,000円 最少催行人数:2名
このクラスでは、サンクスクリットのアルファベットの正確な発音練習から始まり、マントラやシュローカと呼ばれる祈りの詩句について学びます。
短くて覚えやすいマントラやシュローカをご紹介しながら、そこに含まれる語句や、唱えることの意味を理解し、親しんでゆきます。
第1回目のクラスではアルファベットの発音練習を行いますので、必ずご受講ください。 ※このクラスでは2回まで振替可能となっております。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
インナージャーニー 〜瞑想と内観〜 NEW!
土曜クラス:18:00~19:00 5/15、5/29、6/12、 6/26、7/10
月曜クラス:10:00~11:00 5/17、5/31、6/14、 6/28、7/12
参加資格:どなたでもご参加いただけます
料金:会員 5,000円 非会員 6,250円 最少催行人数:2名 このクラスでは、誘導瞑想や呼吸を使った瞑想など、誰にでも無理なく始められるさまざまな瞑想のメソッドや、世界の瞑想文化をご紹介します。 週の終わりと初めに瞑想を行い、心身ともにリラックスしながら本来の光を取り戻しましょう。 今のあなたにぴったりの瞑想法が見つかりますように! ※このクラスでは2回まで振替可能となっております。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Prime90 「A Night with Your Spirit Guide」
4/28(土)19:30〜21:00 
料金:2,000円(会員1,500円)
講師:森 梢
あなたの人生に於いて、深い関わりを持つ指導霊(スピリット・ガイド)への理解を深め、繋がり、サインを受け取り、あなただけの光の道を歩いてゆきましょう。
英語版Wikiでは、指導霊(スピリット・ガイド)を以下のように説明しています。
A spirit guide, in western spiritualism, is an entity that remains as a disincarnate spirit to act as a guide or protector to a living incarnated human being.
スピリット・ガイド:西洋のスピリチュアリズムに於けるスピリット・ガイドとは、肉体を持ってこの世に生きる人間に対して指南役、もしくは守護役をかって出た、肉体を持たないスピリットのことです。
主な内容
・指導霊(スピリット・ガイド)の種類と役割
・指導霊(スピリット・ガイド)とコンタクトを取るには
・指導霊(スピリット・ガイド)からのサイン
・指導霊(スピリット・ガイド)と繋がる実習
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Prime90 「シンボリック・メッセージ」
6/23(水)19:30〜21:00 
料金:2,500円(会員2,000円)
講師:森 梢
日常の生活や瞑想・夢の中で霊界からもたらされる、様々なシンボルとそのメッセージについて学びます。
主なシンボルとそのメッセージの紹介や、メッセージ・リーディングにも挑戦していただきます。
レクチャー:
・色や数字のメッセージ
・行動や出来事のメッセージ
・自然のメッセージ
・人物や生き物のメッセージ
・抽象概念のメッセージ
・スピリチュアルなメッセージ
実習:メッセージ・リーディング
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
マイ・ミディアムシップ 〜オーリック・エネルギーの目覚め〜
5月1日(土)10:00〜17:00(お昼休憩1時間含む)
料金:会員 8,000円 非会員 10,000円
講師:森  梢
参加資格:どなたでもご参加できます
主にオーラに焦点を当てながらミディアムシップを学ぶ6時間ワークです。私たち誰もが持つオーラと呼ばれるライフ・フォースを浄化し、高め、進化させていく事で、自分だけのオリジナルなミディアムシップ、アウェアネスを目指します。
オーラの色や輝き、形や大きさは皆違います。それは、各自の魂の歴史が築き上げてきた履歴書でもあり、切り株の表面にある年輪のようなものです。その宝物をさらに輝かせ、活かしていくためのレクチャーと実習をご用意いたしました。
オーラについてもっと知りたい、オーラを感じたい、オーラを活かしたい、オーラを使ったミディアムシップを体験したい方へ、楽しく学んでいただけるワークショップです。
レクチャー・実習の主な内容:
・オーラの役割と働き
・オーラの色と7つの層
・オーラの中の形とシンボル
・人間が成長する過程とオーラの変化
・オーラを浄化し、高めるには
・Sitting in the Power
・オーラを使って周りの環境・空間を認知する
・オーラを使って自然と繋がる(春〜夏編)
・オーラを使って指導霊と繋がる
・オーラを広げる・元の状態に戻す各種テクニック
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ドロップイン・ナイト
5/13、5/20、5/27、6/3、6/10、6/17、6/24、7/1、7/8
19:00~20:00 料金:1回 会員 2,000円
参加資格:アイイス会員
講師:開堂 慈寛・森 梢・中村幸一・佐幸 靜
最少催行人数:3名
最大催行人数:7名
最少催行人数に達しない場合はキャンセルになります。前日15:00までにお支払いをお済ませください。 ドロップインとは「気楽に立ち寄る」という意味です。まるでミディアムの自宅に立ち寄る気分でご参加いただけます。 ドロップイン・ナイトは、日によって「先祖霊・友人知人の霊」の霊界通信のデモンストレーションのほか、「指導霊、過去世」などの特化された霊界通信が約50分行われます(開会の祈りと閉会の祈りもあり)。
定員は7名。参加した人全員が何らかのメッセージを受け取ることができます。 ※ただし、カウンセリングとは異なりますのでご質問はご遠慮ください。
あなたの大好きなお茶などをご持参し、ご参加ください。また、それぞれのミディアムの「邸宅」(日替わりのバーチャル背景)もお楽しみください。
会員だけの特別な光の空間で癒され、励まされて、明日への英気を養ってください。
ワークショップのご案内
スピリチュアルリーディングのご案内
デモンストレーションのご案内
プロフィール
0 notes
josokkif · 4 years
Text
あなたのパートナーがもはやあなたを愛していないという8つの痛みを伴う兆候
私のお気に入りの映画の1つは、ディズニーが制作したアナスタシアという漫画です。彼女の家族が殺されたとき、アナスタシアはかろうじてそれを生き生きとさせます。その後、彼女は過去の漠然とした思い出を持って、彼女を本当の王女として描写し、祖母である女王から報酬を得たいという2つの短所を持ってパリに旅行します。
やがて、短所の1つは、アナスタシアが実際に彼らが探していた本当の長く失われた王女であることに気づきます。この時までに、彼らは恋に落ち、あらゆる困難に立ち向かうことができました。彼らは女王の祝福を受け、結婚し、その後ずっと幸せに暮らしました。
真実は、ほとんどの人がハッピーエンドを望んでいるということです、そして私も例外ではありません。映画は私たちにハッピーエンドを示しており、ほとんどの本もそうです。その結果、私たちは私たちの生活の中で幸せな結末を期待するように結ばれています—私たちの関係、私たちの研究、私たちの目標と野心。王女が王子と一緒に夕日に乗った後、彼らは時間の終わりまでエキサイティングなロマンスと至福の生活を送っていたと思います。
しかし実際には、映画のエピローグが見当たらないため、それ自体に終わりはありません。人類としての私たちにとって、本当の結末は私たちが死ぬときです。理想的には、その後は幸せにその前になるはずです。
では、パートナーと「幸せに」それを得るチャンスがあるかどうかをどのように判断しますか? メアリーと私は友情のような友情を持っています。私たちは非常に忠実であり、友人、親友、または暴言のための響きの板が必要なときは常にお互いのためにいます。
私はこの2週間、毎晩親愛なる友人と話していました。私は彼女に、可能な限り穏やかな方法で関係を築くように伝えたいと思っています。
ほら、メアリーは平均的な人よりも幸せに信じています。彼女はまた、彼女が人生で築き上げるために一生懸命働いてきた他のすべての費用に関係なく、彼女の関係が成功することを保証することは彼女の責任であると信じています。彼女はかつて私を嫉妬深い濡れた毛布と呼んでいました。彼女は彼女が恋に落ちた男を承認しないことを彼女によく望んでいません。痛い!
今日と私たちの最近の会話に早送りします。メアリーはいつもお腹が沈んでいて、相手を信用していません。発見するセクストや置き忘れた下着はありません。代わりに、彼女は苦痛に満ちた小さな手がかりを持っており、彼女がただ妄想的でしがみついているだけなのかどうか常に疑問に思っています。
彼はもう彼女に恋をしていないと思います。
あなたのパートナーがあなたを愛しなくなったことをどうやって見分けることができますか? 私は恋愛を楽しんでいます。恋愛について書くことも楽しんでいます。過去数か月に受け取った人間関係についてのプライベートメッセージの数は、私の記事が世界中の多くの人々の共感を呼んでいることに気づきました。
この特定のものを書くことは私がそこにいたので私を悲しくさせます、そしてそれは私の胃が常に結び目であり、私のすべての疑惑をどうしたらいいのかわからないというその吐き気に戻ります。この記事があなたの共感を呼ぶなら、申し訳ありません。私のアドバイスのいくつかに価値があることを願っています。
ここにあなたのパートナーがもはやあなたを愛していないといういくつかの痛い兆候と、彼らを手放す以外にあなたがそれについて何ができるかがあります。
1.彼らはあなたが彼らのテキストを見ることができなくなりました 「ほとんどの関係は、自然の原因ではなく、利己主義、怠慢、嘘、配慮の欠如、秘密によって死にます。」 —リジーナテスキー
真に愛情のある関係では、正直で明確なコミュニケーションチャネルを持つことに意図があります。誰かがあなたを愛しなくなったとき、彼らはあなたが他の人との会話、特にテキストに夢中にならないようにするために何かをします。
これは、戦略的に体をあなたから遠ざけることから、電話を使って時間を確認することで突然あなたに非常にイライラすることまで、何でもかまいません。重要なことは、これは新しい動作であり、パートナーに典型的なものではないということです。
マサチューセッツ大学アマースト校の心理学および脳科学の名誉教授であるスーザンクラウスウィットボーン博士によると、これがパートナーにとって非典型的な行動であり、プライバシーフリークだけではないという直感がある場合は、そうです。間違いなくあなたから何かを隠そうとしています。
2.彼らはあなたが一緒にいるときは彼らの電話をよく使いますが、あなたが離れているときはあなたのメッセージや電話にほとんど反応しません。 「純粋な無実の愛では、もはや現在の矛盾はありません。」 —クリスチャンゴールドムンドオーマン
私はあなたのパートナーがあなたと一緒にいるときに彼らの電話で迷子になるときはいつでも、それは彼らがもはやあなたを愛していないというサインであることを意味していません。私たちのほとんどはソーシャルメディアに夢中になっていて、個人的な時間にメールやグループチャットに追いつく必要があることを私は知っています。
ただし、パートナーの電話でパートナーの注意を引く必要があると常に感じている場合は、重大な危険信号があります。それは疑問を投げかけます—あなたが一緒にいる間ずっと彼の注意を引いているのは何(または誰)ですか?あなたが彼らにテキストメッセージを送るとき彼らが応答するのに何時間もかかるか、あなたが彼らに電話するときはいつでもあなたが常にボイスメールに流用されるならば、それは特に怪しいです。
誰かがまだあなたを愛しているときは、電話が途切れたことを謝罪するのが一般的な礼儀です。��たは、それが仕事である場合は、電話で何をしているのか��説明します。繰り返しになりますが、パートナーがコーヒーやディナーのデート中に手を握っていて、今では半分の時間を電話で過ごしている場合は、それに注意してください。
3.彼らはあなたと以前ほど多くを共有しなくなりました。 「あなたはダイヤモンドですが、ラインストーンを好む人もいます。それで大丈夫です。」 - わからない
関係にあることの最もよい部分の1つはあなたが一日中話すことができる誰かを持っていることです—高値、安値、meh、そしてその間のすべて。
ですから、もしあなたのパートナーが彼らの一日について興奮してまたは退屈に共有していました、そして彼らが彼らの感情を共有することにオープンでした、そして今突然すべてが閉じられたなら、彼らは彼らの人生のその部分を他の誰かと共有しているかもしれません。
私の友人であるメアリーにとって、彼女の悩みは、彼女のボーイフレンドが毎晩同僚と彼の日について共有することにもっと既得権を持っていることに気づいたときに始まりました。彼女がそれを指摘したとき、彼は無愛想になり、彼女がもはや歓迎のオーラを持っていないので、彼が他の誰かにベントしたのは彼女のせいだと言いました。
私はこれがガス灯の一形態であることを知っています。
4.彼らはあなたにガス灯を当てます 「真実はあなたの気持ちを傷つけるので、彼らはあなたに嘘をつきません。むしろ、真実はあなたに彼らの利益に役立たない選択をするようにあなたを刺激するかもしれません。」 —リジーナテスキー
Healthlineによると、ガス灯は虐待的な関係で見られる精神的虐待の一形態です。それは、人に自分の考え、記憶、周囲で起こっている出来事に疑問を投げかけることによって人を操作する行為です。ガス灯の犠牲者は、彼らが自分の正気を疑うほどまで押し進められる可能性があります。
「ガス燈」という用語は、「ガス燈」と呼ばれる劇とそれに続く映画に由来します。映画では、シャルル・ボワイエが演じる悪意のある夫が、イングリッド・バーグマンが演じる妻を操作して苦しめ、彼女が怒っていることを納得させます。
ガス灯は、意図的かどうかにかかわらず、操作の一形態です。ガス灯は、上司、友人、両親との関係など、さまざまな種類の関係で発生する可能性があります。しかし、ガスライティングの最も破壊的な形態の1つは、カップル間の関係で発生する場合です。
メアリーとそのパートナーの場合、彼はいつも、彼女がしたことのために疑わしい行動に訴えているように見せかけます。それは彼女を自分自身と彼女の行動に自信のない誰かに変えました。私にとって、それは彼がもはや彼女を愛していないことの明らかな兆候です。 5.彼らはあなたを愛していません。 「そして、彼女はまったく普通に感じたことはありませんでしたが、彼女はどこにも夢中になりませんでした。彼女はただ愛しすぎた。彼女の目ではなく、彼女の心を通して世界を見ることを選択しました。」 —ジェシカ・ミシェル
あなたのパートナーがもはやあなたを愛していないという最も耐え難い兆候の1つは、彼らがもはやあなたを愛していないというはっきりとした認識です。
彼らはまた、通常、あなたとのあらゆる形の親密さを開始することにまったく興味がないように見えます。あなたが親密になるとき、彼らは離れて遠くに見えます。すべてがうまくいっていれば、人々は通常、ロマンチックな関係で劇的に愛情を撤回することはありません。
メアリーは、一般的に親密さの核心的な欠如があることに気づきました—キス、手持ち、抱きしめ、または触れることの減少。これは私が無視してはならないと思う悲鳴を上げる赤い旗です。
6.あなたは感情的にだまされていると感じます 「そして、あなたは、秋が飛んでいるように感じさせる誰かに会うまで、二度とそれほど激しく落ちることはないだろうと自分自身に約束します。」 —ニキータ・ギル
不正行為は必ずしも肉体的な行為ではありません。あなたは実際に感情的な意味であなたのパートナーをだますことができます、それは通常小さいけれども親密な行動とあなたのパートナーとのそれらの行動についての透明性の欠如を通して起こります。
心理療法士であり、セックスセラピーの全国的に認められた専門家であるタミーネルソン博士によると、感情的な不正行為は、より激しい性行動につながる可能性のあるマイクロ不正行為によって特徴付けられます。
パートナー以外の誰かにあなたの関係について打ち明けたり、自由時間の大部分を実際に付き合っていない人との付き合いやテキストメッセージの送信に費やしたりすることも含まれます。
彼女は、あなたが感情的に浮気しているとき、それはすべて他の人との感情​​的なつながりについてであると言います。それは、境界線を越えて、否定的に話すことを含め、パートナーを不快にさせるものを共有することです。
あなたのパートナーがこれをしていると感じるなら、彼らはおそらくあなたをもう愛していないでしょう。カップルが自分の趣味や友情を持つことは重要で健康的ですが、あなたのパートナーがあなたをグループに連れて行ったときにあなたの人生から離れることに固執している場合は、彼らが自分自身を遠ざけていることを示している可能性があります疑わしい方法での関係。
7.彼らはいつもあなたを他の誰かと比較し続けます 「比較は喜びの泥棒です。」 —セオドア・ルーズベルト
あなたのパートナーが他の誰かに興味を持っている場合、彼らはあなたの賛否両論を彼らと比較してしまう可能性があります。これは、彼らがもはやあなたを愛していないかもしれないというサインです。
クラッシュが達成不可能なファンタジーの段階にある間、あなたが関係にあるとき、それはパートナーとしてあなたにとって非常に不公平です。あなたのパートナーが惹きつけられるこの人についての何か「光沢のある新しいオブジェクト」があります。
私の友人のメアリーにとって、彼女は彼女のパートナーが彼女を崇拝していたと言いますが、今では彼女は彼の目には何も正しくできないようです。彼はいつも彼女を他の同僚と比較しています。
あなたのパートナーがあなたを特定の人と比較し続けるとき、これは彼の側の感情的な浮気の兆候であるかもしれません、そして多分彼はもはやあなたを愛していません。
8.彼らは不必要な戦いを選びます 「不幸はもはや会社を愛していません。今日では、それを主張しています。」 —ラッセル・ウェイン・ベイカー
誰かがあなたを愛しなくなったとき、彼らは不必要な戦いを選び、あなたが別れたいと非難するかもしれません。時間が経つにつれてあなたの戦いはますますばかげていることに気付くかもしれません、そして多くの場合、あなたは彼らがどのように始まるのか分かりません。
あなたのパートナーは簡単な方法を探しているかもしれません。
彼らはあなたが不正行為をしているのか、それとも関係から抜け出したいのかを尋ねるところまで行きます。彼らはあなたが彼らと別れるのであなたがとてもうんざりしていることを望んでいます。彼らは他の誰かが好きであるか独身になりたいので、あなたを座らせてあなたのパートナーシップを終わらせるという困難で厄介な仕事を免れます。
自分でこの体験をしてきたので、今はどうして見えなかったのかと笑いました。メアリーのパートナーは、ほとんど動揺しない穏やかなテディベアから、いつでも襲い掛かって攻撃する準備ができているしゃがんでいる虎になりました
https://twitter.com/i/events/1367192693147725824 https://twitter.com/i/events/1367195181028573184 https://twitter.com/i/events/1367195868009439232 https://twitter.com/daikin_ladies/status/1367209618611400704 https://twitter.com/daikin_ladies https://qiita.com/kochupata/items/59e006a6eb9a61013d09 https://qiita.com/dhamadhora/items/25c71d47b268bc97c726 https://qiita.com/guupora/items/66a9df5ac5e9339c98b0
0 notes
salmon-ryou · 5 years
Photo
Tumblr media
#神戸 #神戸ガス燈通り#神戸ハーバーランド#みなと神戸 #夜景 #景色 #風景 #travel #traveling #visiting #instatravel #InstaTagIos #instagood #trip #holiday #photooftheday #travelling #tourism #tourist #instapassport #instatraveling #mytravelgram #travelgram #travelingram #夜景阪神#夕景阪神 https://www.instagram.com/p/B8G88FNJ-fo/?igshid=1umsj9dnjlsd0
0 notes
benediktine · 4 years
Photo
Tumblr media
【自転車のベルを巡る法令の変遷と規制の妥当性】 - perfect comes from perfect : https://perfect-comes-from-perfect.blogspot.com/2014/10/blog-post_8.html : https://archive.vn/gffwi 2014年10月8日水曜日 2020年6月10日 リンク切れ修正、一部の文の修正、改行削減
今日、自転車のベルと言えば、 ●歩道で歩行者に鳴らすのは法律違反 ●車に鳴らしてもドライバーに聞こえない(*) と言われ、存在意義のあやふやな装備品と捉えられていますが、最初からそんな無意味なアクセサリーだったわけではありません。過去120年間の関連法令の変遷を辿ってみました。
* こう言っている人が本当に実体験で「鳴らしてもドライバーに気付かれなかった」のか、単に想像で言っているのかは分かりませんが、私自身の体験では(小さい安物のベルでも)割と気付いてもらえます。
 {{ 画像 : 自転車のベル(VIVA 真鍮サウンドベル) }}
■《法令の変遷》 ◆《1900年 自転車取締規則(群馬県令)》
明治33(西暦1900)年に発行された群馬県報に、自転車に関して県が定めた条例が紹介されています。
群馬県立文書館「平成18年度 史料展示1 明治時代へタイムスリップ 公文書で見る黎明期の群馬県 ー衛生・健康・安全の確立をめざして- Ⅲ 健康・安全な暮らしのために」 {{ https://www.archives.pref.gunma.jp/storage/app/media/data/exhibition/moyooshi-18-1/moyooshi-tenji-18-1-naiyou4.htm }} ( {{ ページ移動前のURL : http://www.archives.pref.gunma.jp/deta/deta-tenji/moyooshi-18-1/moyooshi-tenji-18-1-naiyou4.htm }} )
自転車取締規則( {{ リンク先に掲載されている画像 : https://www.archives.pref.gunma.jp/storage/app/media/data/exhibition/moyooshi-18-1/moyooshi-18-1-naiyou4-160.jpg }} ( {{ ファイル移動前のURL : http://www.archives.pref.gunma.jp/deta/deta-tenji/moyooshi-18-1/moyooshi-18-1-naiyou4-160.jpg }} )をテキスト化)
============≫ 群馬縣報 第四十一號 明治三十三年九月十四日 群馬縣 // 中略 群馬縣令第七十八號 自轉車取締規則左ノ通相定ム 明治三十三年九月十四日 群馬縣知事 古荘嘉門 自轉車取締規則 第一條 號鈴又ハ號角ノ裝置ナキ自轉車ハ道路ニ於テ使用スルコトヲ得ス 第二條 自轉車ヲ使用スル者ハ左ノ各號ヲ遵守スヘシ 一 道路ニ於テ乗車ノ練習又ハ競争ヲ為スヘカラス 二 夜中燈火ナクシテ行車スヘカラス 三 出火塲又ハ雜沓ノ塲所ヘ濫リニ自轉車ヲ乗入ルヘカラス 四 街角又ハ狹隘ノ塲所若ハ交通頻繁ノ塲所ヲ行車スルトキハ號鈴又ハ號角ヲ鳴ラシ且ツ徐行スヘシ 第三條 十二歳未滿ノ者ハ道路ニ於テ自轉車ニ乗ルコトヲ得ス 第四條 本則第一條第二條ニ違背シタル者ハ三日以下ノ拘留又ハ壹圓貳拾五錢以下ノ科料ニ處ス ≪============
1900年と言えば自動車の普及はまだまだ先ですから、「交通頻繁ノ場所」というのは歩行者や荷車で混雑している場所ですね。そこを通る時にベル(号鈴)やホーン(号角)を鳴らせという事ですから、現在の道路交通法の正反対です。
この時代、自転車のベルは衝突回避の為に大音量で鳴らす警音器というよりは、歩行者に自転車の接近を知らせる為に鳴らす、 {{ プリウスの車両接近通報装置 : https://www.youtube.com/watch?v=Ei6JJY8klT0 }} に近いものだったのかもしれません。
では国レベルの交通法令はベルの使用についてどのような規則を定めてきたんでしょうか。
◆《1933年 自動車取締令》
交通法令で警音器の使用について明確な規定を示したのは、 {{ こちらのサイト : http://members.jcom.home.ne.jp/kinmokusei/jpn_law/history.html }} (閉鎖)の情報を順に辿る限りでは、昭和8(1933)年の {{ 自動車取締令 : https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2958462/1 }} ( {{ 当初のリンク : https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2958462/1 }} )が最初です。
第59条 ============≫ 2 警音器ハ交通安全ノ為必要ナル限度ヲ超エテ之ヲ使用スベカラズ ≪============
ですがこの法令は自動車を対象としたものなので、自転車には適用されません。
◆《1947年 道路交通取締令》
これは昭和22(1947)年の {{ 道路交通取締令 : https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2962801/3 }} ( {{ 当初のリンク : http://members.jcom.home.ne.jp/kinmokusei/jpn_law/dotori/rei/S22_N40.html }} )でも同じです。
============≫ 第17条 自動車の運転者は、左の事項を遵守しなければならない。 (1) 運転中喫煙しないこと。 (2) みだりに警音器を鳴らし若しくは著しい騒音を出させ、又は悪臭若しくは有害なガス又は煙を多量に発散させないこと。 ≪============
◆《1953年 道路交通取締法施行令》
ところが、昭和28(1953)年の {{ 道路交通取締法施行令 : https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/Detail_F0000000000000107456 }} ( {{ 当初のリンク : http://members.jcom.home.ne.jp/kinmokusei/jpn_law/dotori/rei/S28_S261.html }} )では、
============≫ 第17条 車馬の操縦者は、左の事項を遵守しなければならない。 (1) 安全な運転のために必要な場合を除き、警音器を鳴らさないこと。 ≪============
「自動車の運転者」が「車馬の操縦者」に変化します(コマ番号10)。なお、「車馬」はこの施行令の上位の {{ 道路交通取締法 : http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/00119471108130.htm }} ( {{ 当初のリンク : http://members.jcom.home.ne.jp/kinmokusei/jpn_law/dotori/S22_130.html }} )第2条で、
============≫ 車馬とは、牛馬及び諸車をいう。牛馬とは、交通運輸に使役する家畜をいい、諸車とは、人力、畜力その他の動力により運転する軌道車又は小児車以外の車をいう。但し、そりは、これを諸車とみなす。 ≪============
と定義されています。
ただ、この時点でも「安全な運転に必要な場合」という緩い表現に留まっていますね。「緊急時以外は禁止」というニュアンスではありません。実際、道路交通取締法施行令は、追い越し時の音による予告(警音器を含む)を義務付けています。
============≫ 第24条 前方にある車馬(以下本条中「前車」という。)を他の車馬又は無軌条電車(以下本条中「後車」という。)が追い越そうとする場合においては、やむを得ない場合の外、後車は、前車の右側を通行しなければならない。
2 前項の場合においては、後車は、警音器、掛声その他の合図をして、前車に警戒させ、交通の安全を確認した上で、追い越さなければならない。 ≪============
◆《1960年 道路交通法》
そして昭和35(1960)年の {{ 道路交通法 : http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/03419600625105.htm }} ( {{ 当初のリンク : http://members.jcom.home.ne.jp/kinmokusei/jpn_law/doko_0/S35_105.html }} )に至って、警音器の使用場面が「公安委員会が指定した場所/区間」に明確に限定されました。
============≫ 第54条 車両等(自転車以外の軽車両を除く。以下この条において同じ。)の運転者は、次の各号に掲げる場合において��、警音器を鳴らさなければならない。
(1) 左右の見とおしのきかない交差点、見とおしのきかない道路のまがりかど又は見とおしのきかない上り坂の頂上で公安委員会が指定した場所を通行しようとするとき。
(2) 山地部の道路その他曲折が多い道路について公安委員会が指定した区間における左右の見とおしのきかない交差点、見とおしのきかない道路のまがりかど又は見とおしのきかない上り坂の頂上を通行しようとするとき。
2 車両等の運転者は、法令の規定により警音器を鳴らさなければならないこととされている場合を除き、警音器を鳴らしてはならない。ただし、危険を防止するためやむを得ないときは、この限りでない。 ≪============
「安全な運転のために必要な場合」(1953年)から「危険を防止するためやむを得ないとき」(1960年)に厳格化されました。 追い越しの方法(第28条)からも警音器の記述が削除されています。
ちょうどモータリゼーションの波が押し寄せていた頃ですね。クラクションの濫用が騒音公害になっていたのかもしれません。だとすると、自転車のベルは車のクラクションと一括りにされた事で車に対する規制の厳格化に巻き込まれたという構図でしょうか。
◆《現在の道路交通法》
1960年のこの規定は、細かい表現は違うものの、基本的にそのまま現在の道路交通法まで引き継がれています。
============≫ 第五十四条  車両等(自転車以外の軽車両を除く。以下この条において同じ。)の運転者は、次の各号に掲げる場合においては、警音器を鳴らさなければならない。 一  左右の見とおしのきかない交差点、見とおしのきかない道路のまがりかど又は見とおしのきかない上り坂の頂上で道路標識等により指定された場所を通行しようとするとき。 二  山地部の道路その他曲折が多い道路について道路標識等により指定された区間における左右の見とおしのきかない交差点、見とおしのきかない道路のまがりかど又は見とおしのきかない上り坂の頂上を通行しようとするとき。 2  車両等の運転者は、法令の規定により警音器を鳴らさなければならないこととされている場合を除き、警音器を鳴らしてはならない。ただし、危険を防止するためやむを得ないときは、この限りでない。 ≪============
■《自転車ベルの使用制限は妥当か》
さて、法令の変遷は分かりましたが、問題は現在のルールが本当に妥当かどうかです。
◆《音の大きさの圧倒的な違い》
まず疑問なのが、音の大きさが全く違う車のクラクションと自転車のベルを一括りにしてしまっている点です。
国土交通省(2003)「道路運送車両の保安基準の細目を定める告示」 {{ 別添75 警音器の技術基準 : http://www.mlit.go.jp/common/000190490.pdf }}
============≫ 2.4. 警音器の周波数補正回路のA特性による加重音圧レベルの測定は、屋外のできるだけ平らな路面上に自動車を置き、車両前方7mの位置にマイクロフォンを設置して行う。
// 中略
2.8. 警音器の最大音圧レベルは、2.2.から2.7.までの条件で測定した場合において、次のとおりであること。 (a) 動力が7kW以下の二輪自動車の警音器の場合 83dB(A)以上112dB(A)以下 (b) (a)以外の自動車の警音器の場合 93dB(A)以上112dB(A)以下 ≪============
対して自転車は、 {{ JIS D9451規格 : https://kikakurui.com/d9/D9451-2007-01.html }} によれば、 ●ベルからマイクまでの距離を2 mとした場合は75 dB (A) 以上 ●1 mとした場合は81 dB (A) 以上 です。
測定条件の違いを考慮すると、(クラクション、ベルを点音源と見做した場合)距離による減衰量 (dB) が 20?Log10 (r/r0) なので( {{ 参考資料 : http://www.city.gifu.lg.jp/secure/6589/soukiso.pdf }} )、自動車と同じ測定条件では自転車のベルは64 dB (A) 以上になりますね。「電車が通っている時のガード下」と「普通の会話」くらい違います。これを同列に語るのはおかしいでしょう。
* dBの後ろに付いている (A) というのは、「A特性による加重音圧レベル」を意味します。人の耳は周波数によって感度が違うので、同じ音圧でも、例えば超低音と中高音では後者の方が大きな音に感じます。周波数ごとに聞こえやすさが違うこの聴覚特性を近似して、人が感じるうるささを機械で再現しようとする時に使うのがA特性(による重み付け)です。騒音計にはこの機能が付いています。
◆《元々の用途の否定》
最初に見た法令からは、元々自転車のベルは歩行者に自転車の接近を穏やかに知らせる為のものだったと考えられます。その本来的な用途を封じるのは流石に厳しすぎると感じます。もちろん、驚かせたり不快に感じさせたりしないように、背後から至近距離で鳴らさない、不必要に何度も鳴らさないなどの配慮は必要ですが、そういう人間的な加減を認めない一律の禁止は、穏当なベル使用に対しても過剰反応する心理を人に植え付け��いでしょうか。
◆《ベルの代わりに声があるという意見もあるが…》
マナー意識の高い人はベルを鳴らす代わりに「自転車が追い越しまーす」とか “On your right!” などと声を掛けていますね。確かにその方が望ましいんでしょうが、私は大きな声が出せないので、至近距離からでも気付いてもらえません(声帯を切除した人も代用発声法では厳しいでしょう)。口笛という手もありますが、嘲笑やナンパのニュアンスに受け取られたら嫌なので私は使っていません。声掛けだけでなくベルも選択肢として残しておいてほしいというのが正直な所です。
◆《ベル濫用の土壌となる環境の見直しは?》
幹線道路に話を限定すると、車道が危険で大半の自転車が歩道を選ぶ環境では、追い越し予告の意味でベルを1人1回鳴らすだけでも、歩行者は何台もの自転車から鳴らされることになってしまうので、規制も止む無しです。 しかし、それぞれに専用の通行空間が用意されて両者が交錯しなくなれば、ベルを一律に禁じる必要性は薄れます。
◆《車の警音器も不合理では?》
ついでに言えば、車に搭載されているクラクションが大音量で攻撃的な音の1種類だけというのもおかしな話ですね。多様な意味でクラクションを使う人間に機械が寄り添い切れていません。電車のように、単に接近を知らせる柔らかい音色の電子ホーンと、緊急時に鳴らす大音量の警笛の2段構成にした方が、路上でのコミュニケーションが不必要にギスギスしなくなるのではと思います。 (ただし、現行の {{ 道路運送車両の保安基準 : https://www.mlit.go.jp/jidosha/jidosha_fr7_000007.html }}  第43条(警音器)ではそうした装備が認められません。)
0 notes
inaguaquitaroupho · 4 years
Text
『一千一秒物語 タルホと遊ぶ』
Tumblr media
☆発行年月:2011年9月 ☆出版社:朝日クリエ ☆判型:四六判・カバー ☆収録作品:月から出た人/星をひろった話/投石事件/流星と格闘した話/ハーモニカを盗まれた話/ある夜倉庫のかげで聞いた話/月とシガレツト/お月様とけんかした話/A MEMOR/A PUZZLE/A CHILDREN’S SONG/月光鬼語/ある晩の出来事/IT’S NOTHING ELSE/SOMETHING BLACK/黒猫のしっぽを切った話/突きとばされた話/はねとばされた話/押し出された話/キスした人/霧にだまされた話/ポケットの月/なげいて帰つた者/雨を射ち止めた話/月光密造者/箒星を穫りに行った話/星を食べた話/AN INCIDENT IN THE CONCERT/TOUR DE CHAT NOIR/星?花火?/ガス燈とつかみ合いをした話/自分を落としてしまった話/星でパンをこしらへた話/星におそわれた話/はたして月へ行けたか?/水道へ突き落された話/月をあげる人/THE MOONMAN/ココアのいたずら/電燈の下をへんなものが通った話/月のサーカス/THE MOON RIDERS/煙突から投げこまれた話/A TWILIGHT EPISODE/黒猫を射ち落した話/コーモリの家/散歩前/THE BLACK COMET CLUB/友だちがお月様に変った話/見てきたようなことを云う人/AN INCIDENT AT A STREET CORNER/A HOLD UP/銀河からの手紙/THE WEDDING CEREMONY/自分によく似た人/眞夜中の訪問者/ニューヨークから帰ってきた人の話/月の客人/どうして醉よりさめたか?/A ROC ON A PAVEMENT/黒い箱/月夜のプロージット/赤鉛筆の由來/土星が三つ出來た話/お月様をたべた話/お月様が三角になった話/星と無頼漢/はたしてビールびんの中に箒星がはいっていたか?/どうして彼は喫煙家になったか?/A MOONSHINE ☆画:楠千恵子 ☆解説:舟崎克彦
<参考>帯文より
立ち逢う度、足穂先生が、「きみはこの世界で充分に遊んでいるかい」そうささやきます。 ー三島由紀夫、川端康成、佐藤春夫らを脱帽させた、芸術の華ともいうべき、天啓のごとく発せられるコトバの数かずを、画家の感性がみごとに視覚化。全70編収録。
0 notes
haaaanachan · 5 years
Text
10月31日は何の日?
こんにちは!
Haaaanaです😆🌸
ついに来ましたね✨
10月31日はなんの日でしょうか?😄🌈
正解は、、、
ガスの記念日だそうです笑笑
参照元:
今はなくてはならない資源、ガス!!
1872年10月31日に、
横浜の馬車道にガス燈が灯ったとの事です✨
これによって、日本のガス事業が始まりました😃
今日はいつも朝に入っているお風呂を
寝る前にちゃんと入ろうかなと思います😊✨
0 notes
livecam-db-blog · 6 years
Text
神戸ハーバーランドライブカメラ(兵庫県神戸市中央区)
神戸ハーバーランドライブカメラは、兵庫県神戸市中央区の神戸ハーバーランドに設置された神戸港・神戸ポートタワー・神戸ハーバーランドモザイク・神戸ハーバーランドumie・モザイク大観覧車・神戸アンパンマンこどもミュージアム&モール・神戸ガス燈通り(アンパンマンストリート)・メリケンパーク・コンチェルト・神戸メリケンパークオリエンタルホテル・ホテルオークラ神戸・神戸夜景が見えるライブカメラです。更新はリアルタイムで、YouTubeによる動画(生中継)のライブ映像配信です。
(more…)
View On WordPress
0 notes
tagchan · 4 years
Photo
Tumblr media
「ととと便り」2021年3月5日 今日は満室で17時過ぎに3組同時チェックイン。 こんなの久しぶり過ぎて少しわたわたしちゃいましたが、 2組はリピーターさんなので���ムーズに終えることができました。 ディープ八幡に出かける方あり、家族でカレーを作る方あり。 今晩は菊の湯にお風呂入りに行く方も多かったな。 金曜ロードショーの「ハン・ソロ」も見ました。 スターウォーズ、あまり興味がないのでこの映画の存在を知らなかった。 『盛岡のガス燈巡り』 以前、確か「盛岡の朝を歩こうマンデー!」の記事で 盛岡のガス燈に触れたと思いますが、 郊外の北松園のガス燈を見に行きこともできましたし、 街なかのガス燈を夜に見に行くことができたの改めて。 「岩手銀行赤レンガ館裏」 ここのガス燈は三つ又でかっこいいのですが、 この夜は妙に絵になるなあと思ったら 後ろの赤レンガ館の中の明かりが点いていたのですごく雰囲気がよかったのですね。 後日、夜に通った時には赤レンガ館の明かりが点いてなかったので、 いつも点いているわけではないのです。 「宮沢賢治が愛した大正盛岡情景」の絵葉書では、 当時は盛岡銀行だった赤レンガ館の明かりが中津川に映る様子が描かれています。 今も明かりが点いていたら中津川に映るのでしょうか? いつか見てみたいですね。 「盛岡城跡公園の中の橋側の角」 はじめは地下駐車場入り口そばの一つだけかと思ったら 実は3つあるんです。 探してみてくださいね。 「盛岡城跡公園の鶴ヶ池」 もりおか歴史文化館と櫻山神社の間。 ここもはじめは一つだけと思っていたら、 池の淵や、池を渡る道にもあり、ここも3つあります。 ここは風景に溶け込んでいるので見逃しやすい。 「(特養)北松園ハイツの道沿い」 北松園小学校を目印に行くと見つけやすいかと。 道沿いが広く公園のようになっていて、 間隔を置いて5つガス燈があります。 なぜここにあるかは謎。 というわけで、盛岡には4ヶ所12灯のガス燈があることがわかりました。 Googleマイマップにまとめたので、ぜひ巡ってみてくださいね。 「盛岡のガス燈巡り」 https://www.google.com/maps/d/u/0/edit?mid=1N-G1MA-dwmgCAKlIeoT7_NFxzMU_-yc2&usp=sharing 『盛岡の宿応援割終了まであと2日!』 残り5泊程度 盛岡の宿応援割は2021年3月7日宿泊分まで 現在の対象:岩手県、青森県、秋田県、宮城県、山形県、新潟県の県民の方 (公式HP)http://www.city.morioka.iwate.jp/kankou/kankouinfo/1032874.html (ととと関連ページ)https://bokunohosomichi.fun/moriokaaccmodiscount/ (ととと予約フォーム)https://bokunohosomichi.fun/bookingform2020b/ #ととと 盛岡の泊まれるたまり場 #ととと盛岡 #盛岡のととと #ととと便り #今日のととと #盛岡のガス燈 #盛岡のガス燈巡り #ガス燈 #岩手の冬 @takuji.onodera.morioka.iwate HPも見てね! https://bokunohosomichi.fun/ 旅のひとと地元のひとがつながる場 泊まらなくても使えるシェアリビング&キッチン 飲食物持込自由 自炊可能 街歩きが楽しい町、盛岡 #盛岡 #岩手 #morioka #iwate #もりおか 町家のあるまち並み、鉈屋町 #鉈屋町 #natayacho #なたやちょう #iiiwate #盛岡ゲストハウス #岩手ゲストハウス #盛岡観光 #岩手宿泊 #盛岡宿泊 #東北 #tohoku #北東北 #岩手旅行 #iwatehostel  #moriokahostel (岩手銀行赤レンガ館(岩手銀行旧本店本館)) https://www.instagram.com/p/CMCipb7BeKs/?igshid=1y1pj99jqxi1q
0 notes
image-weaver · 6 years
Text
23 Ostl
翌日、二人は宿場で物資を調えた後、夕刻に再びエイミリーフ広原に戻り、これにはやむにやまれぬ事情もあった。ただでさえ狭く小汚い安宿に、犬は置いておけないと拒まれてしまったのだ。マックスが立派な成犬であれば外に待たすことも出来たかもしれないが、彼もルド同様にまだ幼い。ルドは落胆し、バルナバーシュも野放図で治安が良いとはいえない宿場周辺での野宿は心休まるものではなかった。
そうしてバルナバーシュはある考えから菓子や酒といった嗜好品を買い込み、草原地帯の中ほどを目指した。悠然たる広原の風は彼らの鬱屈をたやすくさらってみせ、暮れなずむ日を透かして草は金に染まり、点在する木々や腰掛け岩の影が夜気を忍ばせながら長く、澄んだ藍色に延びている。丘の向こうを目指す二人と一匹の影も、その中で軽やかに揺れていた。やがて高い丘の上に太く、いびつに枝を伸ばした年老いた木が見え、そこまで登りきった先に見下ろしたのは厚い織布におおわれた天幕だった。一世帯を収める程度に広く敷かれ、頂きの小さな天窓からはゆるく煙が上っている。ちょうど天幕から、一人の男――ハインが外の篝かごを灯そうと外へ出てきたところだった。ルドが声を上げて手を振り、ハインめがけて走り出したマックスと共に丘を駆け下りていく。一行が天幕に着いた頃には、日は夕影を残して没し、頭上には冴えた月が上っていた。
動物との語らいは大抵、一昼夜で成るものではないらしく、とりわけ気難しい相手とは生まれ育った広原で幾日も過ごして、ようよう絆が芽生えるらしかった。その中でルドの授かった犬という種は最も相性がよく、<古代人>たちが連綿とその血に知恵を宿しているのと同じように、長い歴史をヒトと過ごしたことを遺伝として記憶している説もあるほどだ。この天幕は語らいに時間をかける際に使う無人の宿で、ハインのものではないが、よく利用し、またその為に管理もしているという。そこを頼ったバルナバーシュは宿代として嗜好品をハインに差し出したが、彼は「自分も客人に過ぎないから」といって受け取ろうとはしなかった。バルナバーシュとルドは彼に親しみを感じてほころび、かくて酒と菓子は共に火を囲んで酌み交わす一夜の楽しみと相成った。
「ところで君たちは、これからどこへ向かうつもりなんだい?」
ひとしきり酒を楽しんだ後、ハインはあぐらの上に頭を預けて眠る狼をゆったりと撫でながら二人に尋ねた。
「夜明け前に発って、オストル沼沢に向かうつもりです」 「ああバルナバーシュさん、いいよいいよ、そうかしこまらなくても。同じ酒を飲んだ仲じゃあないか」
ハインは酒気に薄く頬を染めて機嫌もずいぶんと良かったが、沼沢地帯と聞くと一瞬だけ眉をひそめてみせた。
「なるほど、パワースポットが目的なんだな」 「どういう場所か知ってるのか?」 「巡礼……俺の一族は巡礼と言ってるが、それ以外で好き好んで行くような土地じゃあないぞ」
言いながら、ハインは丈の短い装束のふところから木彫りの小さなトーテム像を取り出した。トーテム像は一見して奇妙に見えたが、とりわけて狼を模しているのか、耳や牙、毛並みなどが色鮮やかな顔料で表現されている。
「俺のフェレスさ」 「ハインさんも持っていたんだ!」
ルドが身を乗り出してトーテム像を見る。
「だが、オストルは大層危険な地域でさ。俺は引っ返して、ここで動物のことばを納得のいくまで学んでから古里に帰る道を選んだ。バルナバーシュさん、あなたもここらで諦めておくのが賢明だよ」 「それはできない。私にはどうしてもエターナルデザイアーが必要なんだ」 「ふむ……オストル沼沢の由縁は知ってるか?」 「書物においてなら」
その答えにハインはしばらく考えていたが、やおら立ち上がって備え付けの戸棚からボトルを二つほど取り上げると、バルナバーシュとルドにそれぞれ手渡した。火明かりに透かすと、粘性のある液体が琥珀から黄金へ、深く甘やかな色の変化を見せ、定まらず複雑に溶け合い、窓のくすんだ古ものの洋燈を思わせる趣があった。ルドが聞くと、ハインは「松脂だよ」とうなずいて返した。
「バルナバーシュさん、あなた剣の腕はお持ちで?」 「私は魔術師でもあるが、嗜みとして覚えはある」 「だが、肝心の得物はお持ちでないようだ。今宵の出会いにこれも」
ハインは棚に立てかけてあった鉄製の剣を鞘から抜き、刃の調子を確かめると、再び鞘に納め、両手に横たえて差し出した。バルナバーシュが片手で鞘をつかんで受け取ると、この重みを長らく味わっていなかったように思えて心奪われた。身分ある家に生まれた者の技芸として、またゲルダットの事変に際し、護身の術として彼は剣も振るっていたが、騒乱の中、イススィールへ逃げ延びる過程で最後に手にしていた剣は失い、歩みを止めてしまわぬ為にもその時のことについて今は思い出すべきではなかった。バルナバーシュは不意に湧いた焦燥を静めてから、ハインに礼を述べた。
「オストル沼沢に巣食うものはみな、火を嫌う習性にあるが、数も多い。火の魔術だけでは間に合わないこともあるだろう。囲まれたら自らの武器に松脂を塗って火を放ち、薙ぎ払うんだ。そうして俺とアセナは命びろいをした」 
アセナというのは、彼の連れる狼の名前らしい。アセナは呼ばれたと思ったのか目覚めて、ハインの膝上で彼を見上げたが、またすぐに顎を置いて目を閉じた。「ハインさん、ありがとう」 ルドも頭を下げ、心からの感謝をハインに伝えた。
「君たちにリギナロの加護と、フェレスの導きがあらんことを」
ハインの祈りの句は立ちのぼる焚火を通じて神聖さを帯び、静かな響きをもって二人の胸裡へ染みわたった。
イススィール綺譚曰く、イススィールの負の一端として名を遺した狂人フェンデロが、彼を恨む人々の手によって殺されたのがオストル沼沢の起こりであった。以来、イススィールでは罪人には致命的な傷を負わせて沼へ追いやり、また果てた死体を捨てるために使われていた。そして、フェンデロの死骸さえ陽に当たるのを良しとしない人々の祈りが――呪いとも言うべきか――太陽の光を永劫に遮り、罪人たちの血でぬかるむ泥沼は迷い込む者も引き込んで少しずつ広がり続けているという。聞くだに忌まれる場所で、引き留める者がいるのも道理であった。
沼沢地に近付くにつれ日は陰り、辺りは薄暗い湿地へと変わり、木々の肌は黒く、とげとげしく枯れて、漂う不快な臭気はいや増した。臭気は地中から噴き出しており、六腑を腐らせてなお生きる不死竜の吐息のように、得体の知れない熱気のガスを時折はらんで、触れるものの肌を腐食で爛れさせるかとも思えた。靴底が踏む土も汁気を含みはじめ、強い粘り気で二人の足取りを弄しようと常に隙を窺っている。二人は適当な木から枝を長く採って、それを一歩先を見通すための杖代わりにした。もう一方の手には松明をかかげ、さらにルドはマックスを抱え上げると、空いた麻袋に顔だけ出させて背に担いだが、マックスはヒトより五感に優れるためかすぐに袋のなかに閉じこもってしまった。ただ進むだけで全身の神経が痺れ、削がれていくようで、ハインの語りが嘘偽りではないことをバルナバーシュは改めて思い知った。
前進に大きな労苦と時間を要しながら、ついに鼻も麻痺して悪臭程度には動じなくなった頃、二人は杳たる大沼のほとりに辿り着いた。幾重にも雲が重なって奇怪にうねる黒い曇天の下、水面近くを紫色をした瘴気が流れ、沼の色は犠牲者たちの乾かぬ血を濁らせて暗く混沌としている。だが不思議なことに、臭く湿ってはいたが、ここまでの道のりに反して空気はしんと冷たく、静謐をも感じさせた。奥地は闇に隠されて何も窺い知れない。バルナバーシュはじっとりとした汗を手巾でぬぐい、辺りを見渡しながら、ここがかつての人捨て場であると考えた。我々が先ほど通った場所は、謂わば沼が己の版図を広げてい��最中で、ゆっくりと、だが確実に地を侵す道筋にあるのだ。オストル沼沢では罪人のほかに、流行り病で死んだ者も忌避と共に捨てられたという。沼に長くひたれば、毒や病をもらう危険もあるだろう。その前に正体不明のなにかが足をつかんで、汚泥へ引き摺りこんでしまうのだろうが。
奥へ渡る径を探さねばならなかった。幸い、沼地のへりは苔の生える固い表土で、二人はへりに沿って再び歩き出した。その途上でマックスを袋から出してみると、意外にも恐れる様子は無く、尾を振ってルドに懐くさまは二人の士気を大いに押し上げてくれた。間もなくして沼に浮かぶ小径を見つけたが、幅は狭く、濡れて滑りやすそうにも見える。バルナバーシュは難儀に思え、眉間に皺を寄せた。
「私が先導しよう。だが、良くないものに逃げ道を断たれ、挟み撃ちにあわないとも言い切れない。ルド、君にはしんがりを守ってほしい」
ルドは精一杯に「わかりました!」と答え、マックスも一吠えして彼に追従する。バルナバーシュは彼らを信頼し、また松明の火と煙とが、不浄の存在を遠ざけてくれることを祈った。一行は径に足をかけ、イススィールの暗部たる闇の中へと進み始めた。
0 notes
Text
第15回(2017.12.03) ヌーヴェル・ヴァーグとアメリカン・ニューシネマのおはなし。
Tumblr media
映画史上、既存の映画づくりへ最も抵抗した潮流となったアメリカン・ニューシネマとヌーヴェル・ヴァーグを今回は紹介していきます。それまでの映画づくりでは、スタジオ撮影中心の厳格な制作スタイルの中で、物語も分かりやすい結末の展開が主流でした。
そういった映画の常識を大きく覆す、荒々しいカメラワークや逆光もお構いなしに、アンチヒーローな主人公が破滅的な結末を辿るような作品を数多く生み出し、映画の可能性を大きく更新させるムーブメントへと至りました。
さらに、その潮流を準備したと言われるイタリアのネオ・レアリズモや、日本で派生した松竹ヌーベル・ヴァーグなども合わせて、この運動の革新性や影響力についても語りつくします。
Tumblr media
渡辺:今日は、今回のテーマのひとつヌーヴェル・ヴァーグを代表する監督ジャン・リュック・ゴダールの87歳の誕生日となります。アメリカのクリント・イーストウッドと同い年ですね。日本でいうと、山田洋次監督や篠田正浩監督もいますね。さらに今年は実は…、ちょうど50年前に「俺たちに明日はない」が封切られましたので、アメリカンニューシネマが誕生して50周年にあたる年になります。
このフランスのヌーヴェル・ヴァーグとアメリカンニューシネマの話を主にやっていきます。
山本:でもフランスのヌーヴェル・ヴァーグは、実はイタリアの影響を受けてるって話もあって…。
渡辺:ロベルト・ロッセリーニやヴィットリオ・デ・シーカなどに代表されるネオ・レアリズモの監督たちから、多くの影響を受けておりますね。ハリウッド女優としてのキャリアの後に、イタリア映画に参加したイングリッド・バーグマンが、当時のイタリア映画の特徴について、こんな事を語っております。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ロッセリーニは、本物の風景を求めたの。漁師役の男だって俳優ではなくて、地元のホンモノの漁師の男を起用した。演技力よりも、顔の迫真性を優先したのね。ある時「(セオリー通りに)アップは左から撮って」というと、ロッセリーニは「バカ言うな。俺の撮りたいように撮る。」って。気が楽になったわ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
山本:バーグマンは当時、世界最高の美人女優ですよね!
渡辺:そうですね。バーグマンは、それまでのアメリカで撮っていたハッピーエンドで豪華で、どんな場面であってもいつもお化粧しているような…「キレイ」な映画づくりに反発を感じて、イタリアのネオ・レアリズモの中へ入っていった訳です。
山本:「ガス燈」でアカデミー賞を受賞して、「カサブランカ」「誰がために鐘はなる」など、もう錚々たる作品に主演する名女優ですからね。
渡辺:そんな最中、イタリアに渡りロッセリーニとデキてしまうんです。
Tumblr media
渡辺:アメリカの上院議員がこの事に腹を立ててしまって、自分���トコの美人女優に手をつけられてしまっ��(元々スウェーデン出身だが)、帰国できないようにしてしまった…なんて話もありますね。イングリッドもお嬢さんや旦那さんを残してまで、イタリアにやってきている訳で。
山本:それほどまでに、イタリア映画の魅力なのか、ロッセリーニの魅力なのか…。そのどちらも、ですかね。
渡辺:ネオレアリズモの特徴といえば、まず自然光を活かしたロケ撮影。そして役者も専門の方ではなく、出来るだけ現地のイイ顔をした素人俳優を使う、という2点が挙げられます。
山本:日本の女優さんだったら、ホンモノの漁師だったら、絶対に断りますよ!
渡辺:ネオレアリズモに触発されて、ヌーヴェルヴァーグが生まれ、その最初の作品がルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』になります。主演のジャンル・モローは他にも、このヌーヴェルヴァーグで台頭した監督フランソワ・トリュフォーの映画などにも出演します。インタビューなどを振り返ると、彼女がいかに役柄と対峙し、監督と同等にその人物像を作り上げていったかがわかります。
山本:こういう女優っていうのは、なかなかいないよな。
渡辺:監督も好きなジャンヌ・モローの作品に、トリュフォーの『黒衣の花嫁』があります。婚約者を殺された花嫁が、その犯人たちに復讐を遂げる物語なのですが…。
山本:これがものスゴイんだよな〜。一人ずつ残酷に殺していくんだよ。
Tumblr media
渡辺:こういう復讐物語ですが、トリュフォーはヒッチコックが好きだったのでミステリー仕立てに描いております。 
山本:日本映画でいうと、『五瓣の椿』に近い物語だね〜。
渡辺:ま〜、窒息死あり転落死あり、殺しのバリエーションが豊富ですね。そのようなヌーヴェルヴァーグの若手監督たちですが、みんな撮影所などで育った人たちではないんですね。小生意気な批評家から出発しているんです。カイエ・デュ・シネマという雑誌において、当時の巨匠たちの映画をコキ下ろしまして、あまり評価の低かったヒッチコックなどを持ち上げながら映画製作に進出してきます。
山本:その中でも、やっぱり『勝手にしやがれ』は、こんなバカな編集があるかって思ったよな!
渡辺:本日(12.03)、87回目の誕生日を迎えるゴダールの第一回監督作品ですけども。
山本:初めて見た時は、つまんない映画だなって思いながらも、そのヘンテコな部分が何だか気になっちゃって…。それがとっても不思議でね。ただ観客を喜ばせるような、夢物語とは違うモノを作ろうとしている感じが、独特だな〜という。
Tumblr media
渡辺:それまでの映画の作りと比べて、相当ムチャクチャですよね。話の筋も理解しづらい部分があると思いますし。そんなヌーヴェルヴァーグですが、世界的な潮流に発展しまして、その余波が日本にもやって参ります。それが松竹ヌーヴェルヴァーグです。
山本:大島渚・篠田正浩・吉田喜重…、山田洋次も入るのかなぁ。
渡辺:そんな日本の「ヌーヴェルヴァーグ」の第一作と称されるのが、大島渚の『愛と希望の街』となります。最初の題名は『鳩売りの少年』だったみたいですけど、それじゃ客が入らないって言うことで…。
Tumblr media
山本:鳩って、当時は身近な存在でしたよ。伝書鳩なら売り払っても、飛んで自分のトコにちゃんと帰ってくるしね。
渡辺:サギなんですけど…(笑)。
山本:僕らが中学の時、昭和27〜28年だったかな。クラスの男の子の10人は、鳩飼ってましたよ。
渡辺:この頃から松竹では大学卒の採用始めた時で、そんな時に京都大学から首席で入ってきたのが大島渚です。で補欠で入社したのが、山田洋次という(笑)。
山本:この『愛と希望の街』もそうだけど、日本人は貧乏を描くのは上手いんだけど、金持ちを描くのが下手くそでね。
渡辺:『死刑台のエレベーター』もブルジョアの話ですし。そもそもで言えば、ヌーヴェルヴァーグが批評家による映画制作であったのに対し、松竹ヌーヴェルヴァーグはあくまでも撮影所育ちの監督たちによるモノであった、などの違いもありますし。
また今日のもう一つのテーマであります、アメリカン・ニューシネマに話題をそろそろ移していきたい所です。『俺たちに明日はない』が1作目に当たりますが。我々的には、2作目の『イージーライダー』に衝撃を受けましたね。
山本:もうね!この映画のスゴい所はね、「主人公が絶対に人と戦わない」ということなんですよ!でも、ああいう格好(ヒッピーでワイルドなスタイル)をしてると、どの街に行っても疎外されてしまうんですよ。「善良」なアメリカ市民からはね。
Tumblr media
渡辺:これまでのハリウッド映画にはない、アンハッピーエンドの物語としてそれまでの常識を覆していくのが、凄まじかった印象です。
山本:どの街でも宿に泊めてくれなくて野宿していると、その街の奴らが襲ってきて、ジャック・ニコルソンが殺されてしまうっていう…。当時、どういう風に受け止めたらいいのか、全く分からなかったな。
渡辺:1968〜70年過ぎまで、ハリウッドでは娯楽映画が鳴りを潜めて、この手の映画が席巻します。それまでは「悪」として描かれてたインディアンたちにも、その内面へフォーカスをあてたような作品などが出てきたり…。当時、私は大学生でしたけども、驚かされっぱなしでした。
山本:そのあと、また娯楽映画が盛り返してきますけど。『ゴッドファーザー』なんかがね。
渡辺:話は戻りますが、今年(2017)はアメリカンニューシネマが誕生して50周年となりまして、アカデミー賞作品賞のプレゼンターにあの二人が登場しました。ウォーレン・ビーティとフェイ・ダナウェイです。
山本:『俺たちに明日はない』の主演コンビでね。そこでやらかしちゃうんですがね(笑)。
渡辺:私も最初は演出なのかと思っておりましたが(笑)。
まさか作品賞を読み間違えるとは…。世界の15〜20億の人が生中継を観ている最中、カメラ割り等や進行もガッチリと決められた厳格なスケジュールにおいて「一体何をしてくれたんだ!」という、飛んだハプニングでしたね。
※ちなみに正しい作品賞は『ムーンライト』です。
Tumblr media
という事で、映画史における革命的な2大潮流について駆け足で紹介してまいりました。
最後のアカデミー賞の事件は、結果的にアメリカン・ニューシネマ 50周年イヤーの幕引きにふさわしい、非予定調和な結末と言えるのではないでしょうか。
次回は「ダスティン・ホフマン」を特集する予定です。お楽しみに。
0 notes