#フェミニストを許すな
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momokyubus · 10 months ago
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信じられない形をした「八王子凹型のアパート」が実在するらしい...【都市伝説】
地図・空中写真閲覧サービスで確認したと2005年頃の同じ地点にまるで真ん中の無いような建物が有りました。
 動画の後半にある通り話を盛り凹型と心霊を組み合わせた可能性が有ります。 ただ、近年でも滝山病院での虐待の放置が取り上げられても改善する気も無いようなこの街には 多数の心霊話は有るし、今後も増えるばかりで、霊魂も報われることはないと思います。 土地の使われ方考え方も残酷処刑場跡地に結婚式場(すでに取り壊し済み) 近くの橋の焼夷弾跡のガラスブロックを橋の耐震強化時に無くす話もあった(猛反対が有り残った)
会議録で「滝山病院」、「発達障害」、「知的障害」、「精神障害」、「虐待」 、「戦争被害」 とよくあり気味のワード「女性」、「シルバー人材センター」、「スポーツ」で温度差を調べようそして怒りをぶつけよう。
八王子市議会市議会録
https://www.city.hachioji.tokyo.dbsr.jp/index.php/
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straycatboogie · 4 months ago
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2025/02/23 BGM: George Michael - I Want Your Sex - Pts. 1 & 2
それはそれは昔むかし、いまからさかのぼること35年以上前のぼくがまだ10代の若造だったころ。そのころ、ぼくはとある中学校の吹奏楽部に所属していた。書けば長くなるが、子どもの頃ピアノを習っていたことがあったのでその縁で楽譜を読むことができたぼくは、それをどこかから聞きつけた音楽の先生(その部の顧問だった)にスカウトされたのだった。その部で思い出せることと言えば、構成部員のほんとうにほとんどというかそれこそぜんたいの9割ほどが女性の生徒たちばかりだったことで、だから実に陳腐で反動的きわまりない表現になるがなんだかここは「花園」に迷い込んだのかといった感じの空���に満ちていた。つまり、言い方を変えるならば男の生徒たちというのはそこにおいて必然的に少数派(マイノリティあるいは「異端」)にならざるをえなかったのだ。それに加えて、ぼくはいまもそうだがコテコテの発達障害者であり、醜いあばた面で身なりにも気を遣わずほっつき歩く生徒だったのでそのせいでその女生徒たちのあいだでこっぴどく嫌われたのだった。それこそ「蛇蝎のごとく」というべきか……だからいまでも、あのころのことはできる限り思い出したくない。悪い夢のような時期だった。
でも、そんな感じで嫌われたりのけ者にされたりしていたぼくが、そんな彼女たちの「嫌い」「帰れ」といった嫌悪の感情にたいしていったいどう向き合ったらよかったんだろう。言えるのは、ぼくにとってあのころはっきり言って「人間らしさを求める権利(縮めて『人権』)」なんて持ちえなかったということだ。どんな言い訳も許されず、それどころか口を利くことさえ許されず、だからただ怒りも悲しみも溜め込むしかなかったことを思い出す。仮にぼくがなにか言い訳をしようと口を開いたならば、そんな奴隷同然のキモい(きしょい)生徒が人間様(つまり彼女たち)にたてついたとまたしても憎悪を煮えたぎらせたり、もしかしたらそれに加えてもっとぼくを攻め立てたりなじったりしたかもしれない。だからできたことと言えば、けっきょくは冷静になって(もっと言えばもう「馬鹿になれ」と自分に言い聞かせて)、彼女たちに対してキレたりしないようにつとめることだった。だって、暴力を振るうわけにもいかないし言葉で言い返したりしたらまた彼女たちが陰湿にぼくをなじるのが関の山だったからだ。
いま、ぼくはそんなトラウマまみれの記憶をいまのこのぼくの実存から切り離すことがそこそこできていると自負する。すくなくとも、ぼくがいま親しくさせてもらい信頼も置かせていただいている女性陣たちはそうした女性たちとはちがうと、こんなぼくであってもそれなりに「理知的」「理性的」に判断できていると思う(ただ、でも実を言えばぼくはこれまで自分がフェミニストだと思ったことなんて一度たりともない。男女のあいだには性差があるとも思う。ただ、もちろんその性差がもたらす帰結としていちじるしく女性がそれでおしなべて不条理を感じざるをえないというのであれば、それはなんとかせねばならないしぼくなりにじっさいになんとかしているつもりだ)。
そして、時代は移り変わり……いまはまさに多様性の時代。人は他人を性のちがいや脳の特性のちがいを乗り越えて理解せんと試行錯誤を繰り広げている。でも……悲しいことを言えば���いまだにぼくは「フェミニズム」や「男女の性をめぐる問題」にかんして実に「冷めた」というか文字どおり冷笑をかましてしまうところがある。たぶんそれはぼくの中にすりこまれたというか���き込まれてしまった価値観として「女性は(なんだか、もちろんいけないことだとしてもつい『オンナは』と書いてしまいそうにもなるが)男とは異なった思考システムを持つ性の持ち主であり、もっと言えば彼女たちは『女性脳』の所有者なのではないか?」とついついそんな妄想にひたってしまうからだ。いや、実に恥ずかしいことなのはわかっている。「男性脳」「女性脳」については生噛りの知識とそこから生まれる偏見丸出しの差別意識に落ち着くのではなくもっと勉強せねばならないし、それに脳特性がそんな感じで仮に違ったとしてもそれは脳多様性(ニューロダイバーシティ)に裏打ちされた価値観を以てなんとか認めねばならない。いや、今日はむずかしい話になってしまった。
もし今日の記録を期待されていたならば、ほんとうに申し訳ないとしか言いようがない。今日は休みで、朝起きてZoomミーティングで英会話に精を出した後にグループホームの本家に行きそこで管理者の方にお会いして、生活費の使いみちをどう工夫して節約していくか話し合った。その後、自部屋で平出隆『猫の客』をしばしめくって過ごす。そうこうした後に木曜日のZoomミーティングで発表する資料をつくり、そしてふとTwitterを見たらまだ赤いきつねのコマーシャルについてフェミニストたちとあとはリュウジ・戸谷洋志といった論客(?)たちが「性的だ」とかなんとか小競り合いをしているのを見て、それでそれについてあれこれ書く前にこんなぼくのような人間もいるということをまずはお伝えしたく、あらいざらい吐き出してしまいたかったのだった(まだ書き足りないが)。そうしていると、この日記ももうスペースがなくなってしまった……。
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kennak · 7 months ago
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歴史修正主義を許すな。歴史を直視せよ。真摯な反省と誠実な謝罪が必要だ。反省がなければ同じ過ちを繰り返す。…これがリベラルだったはずなのに。
[B! フェミニスト] 「"フェミが草津に誹謗中傷"という物語だけ流布され具体例が出てこない」「著名なフェミニストほど草津はノータッチ」
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quotejungle · 8 months ago
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私たちは、男性を憎んでいるから家父長制について語るのではなく、男性を愛しているから家父長制について語るという現実を受け入れなければなりません。 「私は男性に成功してほしい。私が思い描いているのは、男性が人間の感情をすべて経験することが許される世界、泣いたり弱みを見せたりしても恥じられない世界、身体的に背が高くなかったり、強くなかったり、裕福でなかったりしても恥じられない世界…男性同士が本当の感情的なつながりを持てて、落ち込んだときに励ましたり助けてくれる人たちとの本当のサポート体制がある世界、男らしさとは人生の試練を一人で経験することだと男性が思い込んでいない世界だ」 男であることは難しい。とても難しい。 家父長制がなければ、ずっと楽になるでしょう。
私はフェミニストですが、女性よりも男性でいるほうが難しいと思います。
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oy4z · 1 year ago
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俺だけ入れる隠しダンジョン:隠れざる地雷臭
2024年もはや2ヶ月経った中、このブログでは筆者が愛するオススメの作品の紹介をやってきた気がする
なんだけども今回の作品に限ってはオススメしません というか見ないで済むなら見ないことを推奨します よくあるエロ系ソシャゲの広告みたいになってしまったが、そのくらい地雷作品だったのでここで一つ共有しておこうかと
あらすじ
本筋の流れとしては、いわゆるなろう系のテンプレみたいなもので
RPG的な剣と魔法にて冒険者と呼ばれる役職が存在する世界観
主人公ノルがタイトル通り隠しダンジョンを見つけ、そこで出会った女���にもしもボックス的なチート能力を授かる
スキルの発動条件には性欲を満たす必要があるので、複数ヒロインとエロ展開に転がる
正直、本筋についてはこれ以上語ることも無く、ひたすらに俺TUEEEかつハーレム展開を見るといった感じ
リスクの一切ない展開
前提として、なんでいきなり都合よく隠しダンジョンがあるの?とかチート能力もらえるの?ヒロインが理由なく主人公に惚れるの?とかはなろう系なのでと飲み込んだのでそこは突っ込まないようにしておこうか...
ただ、設定上許せないポイントが、主人公がリスクを一切取らない点である
一例としては、 隠しダンジョンに潜ったところ次の分岐路に立つ主人公、それぞれの道には看板が
1人用: やや険しい危険の伴う洞窟
2人用: 1人用よりは安全
主人公「今は1人だしなあ、よし一度引き返してヒロインを呼んでこよう」
は?
フィクションのアニメ作品を見に来てるのであって、ゲーム実況見てるんじゃねえんだぞと思ってしまった...
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1人用の危険な道(らしい)、鉄骨渡りの500倍は優しいだろ
また、本作にはチートスキルの発動コストとしてLP(ライフポイント)の概念があり、自身の生命力(笑)が数値化される
この値が0になると死に至るという設定があるにも関わ��ず、死と隣合わせのLPがギリギリの戦い的なものは一切存在しない
仮にもバトル展開があるならハラハラさせる場面がほしいところだが本作にはそうした場面は取り揃えられていないらしい...ナニモク...?
不快になるモブ下げ
こうした作品ではメインキャラが優れていることを示す場面がたびたび存在する
(よくあるラブコメだとモブがやたらヒロインのことを褒めるガヤを入れるなど)
しかし、スマホ太郎といいなろう系にありがちな展開で、モブキャラを下げることで相対的にメインキャラを上に立たせるという(間違った)手法が存在する
当然この作品も例外ではなく、主人公のハーレムが優れていることをモブ下げにより示すという展開があった
それが第5話の「ハーレム自慢大会」 大量の観衆のもとハーレムを評価するという、何を食ってここから面白い展開が産めると考えたのか訳の分からない大会である (この大会に参加する経緯も面白くないので割愛)
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モブのハーレム
主人公の前座として出てきたモブのハーレムに対して観衆が投げかけた言葉をセリフそのまま下に連ねていく
「おえっ、吐きそう」
「鼻っwそのブタっ鼻どうにかしてくださいよw」
「クソブス!異世界転生してやり直せば~?」
「きれいなのは髪だけ、ほかは全部汚くて笑った」
etc...
...スゴイな、このご時世に流したと思うとある種アッパレな気もする
ちなみにこの大会が展開上必要化��言われるとそうでもないのでばっさりカットしてもまあ問題ないと思う...なぜこれにGOサイン出したんだ...
当然この後出てくる主人公一行は観衆からベタ褒めされ、相対的にヒロインが可愛いことを示した、がここまでモブ下げが過ぎると悪印象ではあった
筆者は特別フェミニストでも何でもないが、これを見た際には流石に不快になった 制作側が意図していない胸糞展開は本当に悪だと思う...
じゃあお前なんでこの作品見たの?
はい、そうですそんな不快になるくらいならハナから見なければいいじゃないという話じゃん
でもこの作品を見ることによるメリットを筆者は確実に享受した
それは、この作品の次に見る作品がとてつもなく面白く感じるってこと
以前の記事にもB級アニメについて書いたが、それと見た理由は同じである
ただこの作品は、作品の質を知らないB級ではなく、パッと見ですでに(自分にとって)面白くないことが確定している、いわば地雷作品であり
通常のアニメ作品との質の差が一般的なB級とは比にならないので、見たあとに今まで見てきた作品に感謝できるようになる
おわり
なろう系がそもそも自分に合わないので、これを選択する前からこんな感想になることはわかってたよ...
サウナのあとに水風呂に入ると整うと言うだろう、 つまりはあれを求めたが、いかんせんサウナで火傷したといったところだ
ただ地雷を踏みに行くのは筆者のような呼吸をするように次の作品を求めるヲタクにとって、定期的に必要な儀式なんだよ...
皆々様はこんなdアニメストアゾンビにならないよう程々の距離感でね...
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jinsei-pika-pika · 1 year ago
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「芸術新潮」2月号 特集「会田誠が考える新しい美術の教科書」
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現代美術家・会田誠。自身の作品《MONUMENT FOR NOTHING - にほんのまつり》(部分)の前で。 Courtesy of Mizuma Art Gallery
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――「芸術新潮」の編集部から、「新しい美術の教科書をつくりませんか?」というオファーを受けた時はどう思われましたか?
会田 おもしろい企画だと思いました。迷うことなく、「やります」と返事をしました。でも落ち着いて考えると、これはなかなか難しいお題だな、とも思いましたね。僕には息子がいて、最近の美術の教科書は実際に見ていたのですが、僕らの時代の教科書と比べると、ずっと良い方向へ進化していると思っていました。僕が何か提案しても、それはもう今の教科書に出ていますけど、ということになりそうで……。
――それで、どのように内容を構想していったのでしょうか?
会田 結果的には、ずばり言ってしまえば、「ドクメンタ」的現代美術の紹介が中心になりました。ドクメンタは、ドイツの田舎町カッセルで4~5年に一度開催されている芸術祭です。つまりは「社会派アート」というようなことになるわけですが、日本の一般社会から、あるいは美術の世界からも比較的無視されがちなジャンルかなと思って、そのあたりを多く紹介することになりました。とはいえ、僕個人が社会派アートが大好き!というわけではありません。ドクメンタには、2002年に1回行ったことがあるだけです。ナイジェリアのキュレーター、オクウィ・エンヴェゾーが欧州人以外で初めて芸術監督をつとめた時でしたが、すべての作品が社会正義を��えるような、ドクメンタとしてもちょっと極端な回だったようです。「これが芸術? 社会科の発表会じゃないんだから」と、僕はその時は反発しました。しかし僕の作品も、もともとは絵画中心だったものがそうではない形式の作品も増えていって、この20年ほどで、ドクメンタ的な美術もやはりいいなと思うようになりました。第一印象で嫌いだった人がだんだん好きになっていくような感じでしょうか。美術の教科書であれば、まずは「形」と「色」、というのが当然のことだし、僕もそう思っているのですが、今回の教科書では、あえて「形」と「色」については何も語っていません。そして「絵画」と「彫刻」についても、それ自体をテーマとしてはほとんど扱わずに、ドクメンタ的な、社会に拡張してゆく美術を中心に紹介することになりました。
――教科書の「1時間目」のテーマは、「美術に政治を持ち込もう!」ですね。
会田 いちばん最初に出てくる図版が、酒井抱一の《四季花鳥図屏風》です。我ながら節操がなくて笑ってしまいますが、僕はまるで日本絵画大好き人間のような感じで、「死ぬまでにこの目で見たい日本の絵100」という「BRUTUS」の特集を監修していたりするのに、いきなり否定材料として抱一の絵を出しています。日本美術の特徴のひとつに「花鳥風月」があって、それにはいい面もありますが、裏返すと悪い点も抱えている。また、それに続いて、フランス革命と並走して近代芸術が生まれていった、という話になりますが、それも若い頃には、反発して、「オレたちは西洋と同じようにしなくていいんだぜ」と心の中で吠えるために調べていたことでした。立ち位置ひとつで全否定から全肯定に変わったり、出だしから、僕自身の矛盾した姿をそのままさらけ出すことになりました。
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――会田さんが教科書すべてを執筆するのではなく、ゲストの執筆者も何人か招いています。フェミニスト・アートについては岡田裕子さんが執筆したり、課外授業として、卯城竜太さん(Chim↑Pom from Smappa!group)と松田修さんの対談があったり、他の美術家の方々にも登場してもらっています。
会田 僕がすべて書くのでは読者もおもしろくないだろうし、僕が不得意なジャンルもありますから。ゲスト執筆者を招待したのはうまくいったと思います。
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――掲載作品は、どのように選んでいったのでしょうか?
会田 ほとんどは僕の頭の中から、つまり記憶にあるものから引っ張り出してきています。ただ、「美術から性のいろいろを学ぼう!」というパートでは、X(旧ツイッター)で呼びかけて教えてもらいました。性にはややこしい側面があって、男女が恋愛して結婚して子供を産む、というだけではない部分がある。それを考えるのに、最初に僕の頭に浮かんだのは男性作家の作品が多かったので、なるべく男女半々にしたいと思って、「現代美術で、女性アーティストで、みずからの性を題材にしている人は誰でしょうか」とXで質問を投げかけました。そこで教えてもらった名前を検索して、作品を見たりしましたね。ただ、この教科書全体で言うと、使いたかった図版で使えなかったものがいくつかあったのは残念でした。使用許諾や使用料の問題などで……。
――「3時間目」の「美術でバカ♡万歳!」というパートがとても楽しいです。
会田 乱暴なカテゴリーで、冗談で許していただけたら、というコーナーです(笑)。アブラモビッチみたいに命がけでバカをやっている人と、泉太郎さんや僕のような、ちょっとひねくれた白けた笑いのものを、「バカ♡」のひとことでまとめるのもひどいなと思いつつ(笑)。
――これについては、詳しくは誌面をご覧いただくことにしましょう。今回の教科書は、今私たちが生きている、この時代のアートとはどういうものなのか、��れを知るための最高のガイドブックになったと思います。
会田 現代美術のとっつきにくい部分の入口づくりとしては、これ以上やさしくはならないだろう、というぐらい、やさしいものになったと思います。僕はそういう語りは割合得意なほうで、でも一方で、あまりオタク性がないというか、知識の奥の細道に分け入っていくような癖がないんですよね。作家ならではの偏ったこだわりさえも、あんまりないのかもしれない。
――会田さんの作品に通底しているのは、「アートとは何か?」という問いかけが常にあることだと思います。今回の「芸術新潮」の「新しい美術の教科書」特集も、「アートとは?」と考えていくための恰好のテキストになりました。美術部で今��ッサンのトレーニングに励んでいるような生徒たちに、ぜひ読んでもらいたいです。
会田 そうなんですよね。仕方がないのかもしれないけれど、日本の美術大学へ入るための勉強は、やはり「実技」が中心です。日本の美大は、入ってからも、「作品をつくることが社会に対するアピールなんだ!」と熱く語って教える先生は少ないのではないかと思います。だから、そういう作家になる人は、海外留学を経験してから、というパターンが実際に多いです。深いところで言うと、そもそも日本語がそういうものに向いていない抒情的な言葉なのかもしれず、だから美大の教授が悪いのだとか、そんな単純な問題ではないのかもしれません。この教科書には、そういうものを補えるような読物になってくれたらいいな、という思いも込めています。
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lastscenecom · 1 year ago
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私の母が、父の会社のために、妊娠のために、父の海外赴任のために、何度も転職しキャリアを諦めたように、「結婚し、母になること」というのは、他人に人生の全てを振り回すことを許さなければいけないのだ。そう思っていたからこそ、ショートヘアの高校生の私はこう言い続けていたのだ。 「結婚なんて、死んでもするものか」
自由が好きなフェミニストが、結婚したくなった | elabo
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kijitora3 · 2 years ago
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フェミ界隈の汚さ、アタマの悪さ、マスゴミの悪辣さ、特に外国メディアの偏狭さとそれを裏打ちする差別感情を証明する格好の事例だ
あいつら、意図的に人を攻撃して自分たちの偏った考えを宣伝する それが明らかに虚偽だと証明されても決して認めず謝罪も賠償もしない
こういう連中を相手にする時には、相手の予想を超える強力な反撃を圧倒的質量で浴びせて圧倒して潰すこと 相手がこちらに加えている痛苦をむこうがそれ以上に被るという恐怖心を与えること
そうしない限り、向こうは反撃してこないと高をくくっていつまでも虚偽の攻撃を遊び半分で続けるのがフェミサヨク界隈だ
福島に対する風評加害行為を続けるサヨク政党や、男性そのものを攻撃対象とするフェミ界隈とか、自衛隊員の家族まで侮辱するサヨク政党とか、色々いるが、それ以上の攻撃が自分にも向けられ破滅させられると、加害者が恐怖するレベルを超えて反撃することが必要だ
サヨク界隈は嘘や捏造で社会を不安定化し、その不安定が政府の責任だと刷り込んで体制を転覆させようとするので、その行動は国民一般の生活の安心、安全を害する 沖縄でのサヨクの行動が地元沖縄県民の生活を破壊している現状から明らかだろう
そして知能の足りない芸人や現実感皆無の学者崩れがそれを無責任に煽る
日本国民の生活の安心と安全を守るためにはサヨク界隈の捏造に徹底的に反撃することだけが、肝心だ
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foreknowledge0916 · 3 days ago
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不特定多数に向けた「性的な女性表象」を考えるための枠組み
不特定多数に向けられた「性的な女性表象」は、広告、メディア、エンターテイメントなど、社会のあらゆる場面でみられます。このテーマは、個人の価値観や文化的な背景によって捉え方が大きく異なるため、単純な「良い/悪い」の二元論で語ることは困難です。
ここでは、この複雑な問題を多角的に分析し、建設的な議論を行うための「考え方の枠組み」を提示します。
枠組みの全体像
この問題を考える上で、以下の4つのステップで思考を整理することが有効です。
基本的な概念の整理: 何を議論しているのかを明確にする。
主要な論点と対立軸の理解: なぜ問題になるのか、どのような意見があるのかを把握する。
具体的な表象を分析するための視点: 個別のケースを評価するための道具を持つ。
議論の進め方と社会のあり方: どうすればより良い社会を目指せるかを考える。
1. 基本的な概念の整理
まず、議論の土台となる言葉の意味を共有します。
性的表象 (Sexual Representation):
人物(この場合は女性)を、その性的側面(身体的魅力、セクシ��アリティなど)を強調して表現すること。必ずしもネガティブな意味だけを含むわけではなく、人間の自然な側面としての性を描くことも含みます。
性的客体化 (Sexual Objectification):
これが多くの議論の中心です。 人物を、人格や主体性を持つ一人の人間としてではなく、単なる「性的欲求の対象(モノ)」として扱うことです。その人の感情、知性、能力などが無視され、身体的パーツや性的魅力だけが切り取られて消費される状態を指します。
男性のまなざし (The Male Gaze):
フェミニスト映画批評家のローラ・マルヴィが提唱した概念。メディアや文化における表象が、無意識のうちに「異性愛者の男性の視点」から描かれ、女性が「見られる客体」として配置されがちである、という分析です。
これらの概念を区別することで、「単に性的な表現であること」と「人格を無視した客体化であること」を分けて考えることができます。
2. 主要な論点と対立軸の理解
この問題を巡る議論は、主に以下の2つの視点の対立として整理できます。
A) 批判的な視点(問題視する立場)
人格の否定と非人間化:
女性を「モノ」として扱うことで、その人の尊厳や人格を傷つけ、社会全体で女性を軽視する風潮を助長する。
ジェンダー・ステレオタイプの強化:
「女性は若く美しく、受動的な存在であるべきだ」といった画一的な美の基準や役割意識を社会に植え付け、女性の可能性を狭める。
女性や少女への悪影響:
非現実的な身体イメージを内面化させ、自己肯定感の低下、摂食障害、容姿への過度な執着などを引き起こす可能性がある。自身の価値を「性的魅力」に限定してしまうことにも繋がる。
性暴力の容認に繋がる可能性:
女性を性的欲求を満たすための「モノ」として見る文化は、性的な加害行為への心理的ハードルを下げ、暴力を容認する土壌となりうる、という指摘。
B) 擁護・対抗的な視点(許容または肯定する立場)
表現の自由:
芸術、商業、個人の創作活動において、何をどう表現するかは基本的に自由であるべきだという原則。安易な規制は検閲につながり、文化の多様性を損なう。
エンパワーメントとしての性の肯定:
女性が自らの意志でセクシュアリティを表現することは、抑圧からの解放であり、自己肯定やエンパワーメントの一環であるとする考え方。身体の自己決定権の主張でもある。
文脈の重要性:
同じヌードでも、芸術作品とポルノでは意味が全く異なる。表象がどのような文脈(目的、場所、受け手)で提示されているかを無視して、一律に批判することはできない。
受け手の解釈の多様性:
表現の受け取り方は人それぞれであり、ある人が不快に感じても、別の人が美しい、あるいは力強いと感じることもある。作り手の意図と受け手の解釈は必ずしも一致しない。
3. 具体的な表象を分析するための視点
目の前にある特定の表現(広告、イラスト、映像など)について考える際に、以下の問いを立ててみましょう。これにより、二元論を越えた多角的な分析が可能になります。
【文脈】それはどこで、何のために表現されているか?
美術館か、駅の広告か、成人向け雑誌か、個人のSNSか。芸術目的か、商品販売目的か、問題提起か。
【主体性】描かれている女性に主体性(Agency)はあるか?
彼女は誰かの視線に従属しているだけか? それとも、自らの意志で何かを表現し、鑑賞者に視線を投げ返しているか? 物語の中で能動的な役割を担っているか?
【視点】それは「誰の視点」を前提としているか?
典型的な「男性のまなざし」か? それとも女性や他のジェンダーの視点からも共感や魅力を感じうるものか?
【人間性】その表現は、女性の身体の一部だけを切り取っているか? それとも人格や背景を感じさせるか?
顔や表情が描かれず、胸や脚だけが強調されている場合、「客体化」の度合いは強いと言える。
【影響】その表現は、社会や個人(特に子どもや若者)にどのような影響を与えうるか?
特定のステレオタイプを強化していないか? 非現実的な美の基準を押し付けていないか?
4. 議論の進め方と社会のあり方
この問題に社会としてどう向き合うか。目指すべきは「規制か自由か」の対立ではなく、より建設的なアプローチです。
メディア・リテラシー教育の推進:
作り手や受け手が、表象に潜む意図や影響を批判的に読み解く能力を養う。特に若年層への教育が重要。
作り手の多様性の確保:
女性を含む多様なバックグラウンドを持つ人々がクリエイターとなることで、画一的でない、多様な視点からの表象が生まれる土壌を作る。
対話の場の設定:
感情的な非難の応酬ではなく、異なる意見を持つ人々が冷静に対話できる場を設ける。なぜ不快に感じるのか、なぜその表現が必要なのかを相互に理解しようと努める。
企業の社会的責任(CSR):
広告などを通じて大きな影響力を持つ企業は、その表現が社会に与える影響を自覚し、倫理的な配慮を行うことが求められる。
まとめ
「不特定多数に向けた性的な女性表象」は、単一の正解がない複雑なテーマです。
重要なのは、「表現の自由」を尊重しつつも、それが「性的客体化」を通じて他者の尊厳を傷つけたり、社会に有害なステレオタイプを再生��したりしていないかを、常に問い続ける姿勢です。
この枠組みが、表象を批判的に分析し、より豊かで公正な表現文化を築くための一助となれば幸いです。
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akechi-shion · 24 days ago
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2025年6月3日
●今日(2025年6月3日)の日記。昨夜、早めに睡眠薬を飲んでから寝たら、午前1時台に起きてしまった。さすがに、もう一度睡眠薬を飲んで無理やり寝ようとするのはもったいないので、やむを得ず、しばらく起きていた。そして、朝食として焼きそばを作って食べてから、��び寝た。
●子供や若者に対して求められる「読書感想文」の最大の難点とは、大人が書く「書評」のような自由度が認められない点である。子供や若者に対して「優等生」的な姿勢を求める教育方針こそが、読書嫌いや文章嫌いの子供や若者を増やしているのだ。子供や若者に対して安易に「子供らしさ」や「若者らしさ」を押しつけるべきではないのだ。「素直ファシズム」こそが、子供や若者をダメにするものだと、私は思うのだ。
●『ウマ娘』には何人かのメガネ女子キャラクターがいるが、ハーツクライのウマ娘化は、玉井雪雄氏の漫画『オメガトライブ』シリーズの梶の女性版みたいなキャラクターにしてもらいたい。ああいうキャラクターの「メガネ女子」って、なかなか見かけないからね。
●『ドラえもん』ののび太は、一般的・平均的なメガネ男子キャラクターのアンチテーゼだと、私は思う。一般的・平均的なメガネ男子キャラクターは、少なくとも過去は「ガリ勉」キャラクターが多かったが、のび太の近視は「勉強のし過ぎ」や「漫画以外の本の読み過ぎ」のせいではない。そして、のび太とは全く違う方向性で「一般的・平均的なメガネ男子」のアンチテーゼなのが、前述の『オメガトライブ』の梶なのだ。「メガネ」と「ヤンキー」「暴走族」の組み合わせには意外性があるし。
●『オメガトライブ』シリーズの梶は、途中から実質的な2代目主人公になっていた強力なキャラクターである。そして、日本国内で唯一ディープインパクトに勝ったハーツクライのウマ娘化は、そんな梶の女性版であってほしい。ディープの兄ブラックタイドを「メガネ女子」にするのはくどいから(すでに「三冠ウマ娘の姉」としてのメガネ女子が二人もいる)、代わりにハーツクライを「メガネ女子」にしてほしい。なんなら、シリウスシンボリを「メガネ女子」にしても良かったと、私は思う。現在『ウマ娘』に登場する「メガネ女子」で、意外性があるのは、ロイスアンドロイスくらいしかいないが、しかし彼女は不良キャラクターではない。
●もし仮に東京03が全員メガネ男子だったら、ちょっとくどくなる。一人メガネなしなのが良いのだ。そして、三冠ウマ娘の姉が全員メガネ女子である必然性は全くない。
●芸能界には、いわゆる「同性愛疑惑」などという噂がある人たちがいるが、私はそのような噂は、実は「同性いじめ」の噂を隠蔽するための工作として流されたガセネタではないかと邪推している。試しに「中谷美紀 同性いじめ疑惑」並びに「平井堅 同性いじめ疑惑」でGoogle検索してみたが、しかしそのような記事はなかった。結局、この二人には「同性いじめ疑惑」などという噂は、一応はないらしい。しかし、同性愛者やフェミニスト女性の「同性いじめ」は、少なくとも「理論的にはあり得る」のだ。
●ある「自称トランスゲイ」の人物は「レズビアンが他の同性を嫌うはずがない」などと決めつけていたが、実際には「異性嫌いの異性愛者」は吐いて捨てるほどいるので、それと同様に「同性嫌いの同性愛者」も「理論的にはあり得る」のだ。それに、「新宿二丁目に捨てるゴミなし」などという言葉だって、基本的に「机上の空論」だと見なした方が現実的である。「弱者男性」や「弱者女性」がモテないのは、決して異性愛の専売特許ではないのだ。
●異性愛だろうが、同性愛だろうが、男だろうが、女だろうが、その他(ノンバイナリーや性分化疾患)だろうが、あえて「悪条件」の相手を選ぶのは、正史『三国志』の公孫瓚の「名士嫌い」と似たようなものだと思う。「弱者」だろうが、「非弱者」だろうが、安易に恋愛や結婚やセックスに対して希望を見いだしては行けない。「信じる者はすぐ食われる」のだから。
●キリスト教の代名詞として「信じる者は救われる」という言葉があるが、実際にはそれ以前に「信じる者はすぐ食われる」という言葉があったのかもしれない。性善説論者のふりをする性悪説論者は多分、少なからずいるだろうし、逆もまた然り。
●「人間」として受肉した神は「ホモ・サピエンス」と呼べるのだろうか? 『ファイブスター物語』のアマテラスのミカドは受肉した神だが、彼は「ホモ・サピエンス」なのか? ましてや、FSSのジョーカー人やタイカ人に独自の学名があるかどうか不明だし、さらに、騎士とそれ以外の人間にそれぞれ(地球人とは別の)独自の学名があるかどうか不明だ。ましてや、ファティマたちに学名があるかも不明である。多分、「Homo sapiens fatimae」がふさわしい。
●FSSの世界観とは別の問題として、神に「学名」はあるのかという問題がある。一神教の神は「肉体性」を持たないので、学名は「ない」のかもしれないが、多神教の神々はどうなのか? 何らかの生物の姿で表される神々は、果たして「生物」なのだろうか? そもそも、霊魂に「学名」はあるのか?
●学名は生物以外の存在には適用されないという。ならば、「生物」ではない存在には「学名はない」事になる。生物として受肉していない霊的存在には「学名」はない。すなわち、人間として受肉したイエス・キリストは「ホモ・サピエンスである」が、神としてのイエス・キリストは「ホモ・サピエンスではない」事になる。しかし、それでも多神教の神々と「生物」との関連性がややこしい事には変わりない。多神教では、神々の死は珍しくない。GoogleAI曰く「神に学名はありません」。
●無神論者や唯物論者も、人間として存在する限りは「ホモ・サピエンス」である(トートロジー)。
●仮眠前に朝食の焼きそばを食べた。仮眠から覚めたら、午前8時半過ぎ。YouTubeのコモさん(子守康範氏)の生配信は、すでに2時間前に始まっていた。今日もコモさんの生配信では兵庫県知事問題を扱うが、私がこれから自身のメインブログで斎藤知事問題を扱うかは、未定。
●長嶋茂雄氏、肺炎で亡くなる。89歳。いわゆる「ミスター」と言えば、長嶋氏か鈴井貴之氏のお二方なんだよな。
●「平成の米騒動」も十分問題だったが、現在の「令和の米騒動」はシャレにならない事態である。やはり、減反政策は間違っている。これはマスメディアの「農業=ダサい」というプロパガンダのせいもあるだろうが、農業という産業自体は決してダサくない。本当に「ダサい」のは、農業などの第一次産業の基盤となる「田舎」の「保守的な価値観」である。
●競走馬は種族単位で、実質的に「世襲制の職業」だが、人間社会で世襲制である必然性のある立場や職業は、実質的に「ない」。しかし、ある共産党員の方は「日本は天皇制を廃止してはいけない。なぜなら、ドナルド・トランプみたいな権力者が大統領になってしまうと危険だからだ」と言っていた。要するに、共産党員並びに共産党支持者が、必ずしも天皇制廃止論者だとは限らないのだ。
●「学名」は生物に対して使われるが、鉱物には「鉱物学名」がある。
●ChatGPT先生曰く。
🔬「生物の学名」と「鉱物の学名」の違い
 どちらも「世界共通の正式名称」ですが、体系や命名ルールに明確な違いがあります。
🧬 生物の学名(例:Homo sapiens)
✰構成:二名法。属名(大文字)+ 種小名(小文字)で構成。
✰命名法:カール・リンネが提唱した体系に基づく。
✰命名規約:
🐱動物:ICZN(国際動物命名規約)
🌸植物・菌類・藻類:ICN(国際藻類・菌類・植物命名規約)
✰使用例:
🐈ネコ → Felis catus
🌾イネ → Oryza sativa
※種の下に「亜種(subspecies)」がある場合は三名法をとることもあります。
🪨 鉱物の学名(例:オリビン olivine / ダイヤモンド diamond)
✰構成:基本的に単名(属や種の階層なし)
✰命名規則:IMA(国際鉱物学連合)が承認
 構造・化学組成・物性が決定要素。命名には厳格な審査と論文提出が必要。
✰名前の由来:
 色や性質に由来(例:olivine=オリーブ色)
 地名や人物名に由来(例:smithsonite=スミソン石)
🔍 主な違いのまとめ(ポイント)
 生物学名は分類体系に基づく階層構造(属・種)が明確。鉱物学名は構造と組成に基づく分類で、名前も階層がなくシンプル。命名の背景として、生物は「進化」、鉱物は「物質特性(物理・化学)」を重視している点が本質的な違いです。
●ラッキーライラックの弟の名前シリンガバルガリスは、ライラックの学名だが、綴りは「Syringa vulgaris」。「シリンガ」で区切るのだ。そういえば、誰かがキアヌ・リーヴスの名前を「キア・ヌリーヴス」だと勘違いしていたらしい。キアヌという名前はハワイ語で「山からの涼風」もしくは「絶えず神の意識に集中する者���という意味を持ち、叔父のヘンリー・キアヌ・リーブスにちなんで付けられたそうだ。
●オルフェーヴル産駒のラッキーライラックならぬ「ライラック」号。せめて「ゴールドライラック」という名前の方が良かった(ちなみに「ライラックゴールド」というお馬さんなら、昔いたらしい)。ゴールドシップ産駒の「ゴージャス」号だって、「ゴージャスアイリン」だったら良かった。
●予言と呪いと陰謀論は紙一重。
●『ウマ娘』のトレセン学園は事実上の女子校だが、表向きにはトランス男性の「ウマ男子」はいない(ボーイッシュなウマ娘ならいるが)。しかし、牡馬がモデルのウマ娘たちは、ある意味トランスジェンダーに近い立場だと言える。アグネスデジタルとアグネスタキオンは「アグネス」という冠名を持つ「牡馬がモデルのウマ娘」だが、彼女たちはある意味、よしながふみ氏の『大奥』の和宮に似ている。和宮は史実通りの「女性」として描かれた。二人の「アグネス」たちは、女性としての擬人化により、名前と身体の性別が一致した。
●イーロン・マスク氏の「一応実子」、ヴィヴィアン・ジェナ・ウィルソン氏はトランスジェンダー女性だが、彼女の名前「ヴィヴィアン」は男女兼用の名前であり、性別移行の際に改名したものである(苗字は母親のもの)。彼女は体外受精で生まれたそうだが、そういえば『マルドゥック』シリーズのバロットも体外受精で生まれた子だったらしいな。バロットの実の父親は誰なのか? それを言うなら、ヴィヴィアンさんが本当にマスク氏の実子かどうかも怪しいが。実際にマスク「元親子」が元々「赤の他人同士」である可能性は、もしかすると皆無ではないのかもしれない。
●普通の生殖ですら、いわゆる「托卵」が疑われるのだから、体外受精ならばなおさら取り違えられる可能性がある。赤ちゃんが生まれた後でも取り違えがあるのだし。それに、日本社会が宦官制度を導入しなかったという定説も、色々な意味で怪しい。あってもなくても、怪しい。『源氏物語』は、その辺の盲点をついている。
●イーロン・マスク氏は「元息子」の娘ヴィヴィアンさんに対して、色々な意味でひどい態度をとった。「息子を得る」のが目的で、体外受精でヴィヴィアンさんをもうけた。ヴィヴィアンさんに対して「ザビエル」という一種の傲慢不遜な命名をした。そして、ヴィヴィアンさん自身も含むトランスジェンダー当事者たちを差別している。ハッキリ言って、毒親であり、「毒富裕層」である。
●「ザビエル」という名前は「救世主」を意味する。イーロン・マスクは自分の「息子」に対して「救世主」を求めたのかもしれないが、「娘」ヴィヴィアンさんは「等身大の人間」として生きるのを選んだ。
●ある人曰く「なれるなら なりたい 買い物依存症」。あんたがなりたいのは、「買い物依存症」ではなく「金持ち」だろうが! さらに、私が学生時代にいた某女子クラスメイトは「アタシ、アニメって嫌い」と言っていた。こちらは「アニメ」そのものよりも、むしろ「アニメオタク」が嫌いなだけだったのかもしれない。昔は、思春期以降の年齢のアニメファンは肩身が狭かったのだ。
●これはあくまでも、私が芥川龍之介の『羅生門』などの平安時代短編小説を読んだ印象なのだが、平安時代の庶民界って、ズバリ「リアル『北斗の拳』」だよな。そういえば、旧ツイッターには「平安京マッド・マックス」というネタがあったのね。平���時代の「平安」要素はズバリ、いわゆる「上級国民」限定だと思う。まあ、皇族も含めた上流階級にもそれなりに苦労があったのだろうが、庶民はさらにつらい。
●私の実家では、「ビーフシチュー」のルーで「ポークシチュー」を作っていた。無論、カレーやすき焼きに使う肉は豚肉だった。
●最近の私は「宇宙銀行」なる概念を知ったが、即物的な欲を「スピリチュアル」で満たすのは、何となくおかしい。結局は「資本主義」だよね。とりあえず、大槻義彦氏のオカルト批判にはもどかしさがある。大槻氏はオカルトに対して全面否定出来ても、資本主義に対しては全面否定出来ないだろう。
●元グラビアアイドルのインリン氏は資本主義を批判していたが、彼女は自分自身の「矛盾」に対して自覚的だったのだろう。
●仮にウマ娘に学名を付けるなら、多分「Homo sapiens equus」もしくは「Homo sapiens caballus」だろう。
●経済学者の安冨歩氏の造語「立場主義」について。私という人間は「私という立場」にあるので、安冨氏が定義する「立場主義」から抜け出すのは、実質的に不可能である(それこそ、脱資本主義よりも難しい)。まあ、安冨氏が定義する「立場主義」は、基本的に「集団主義」を想定しているのだろうが、「個人主義」もまた、人それぞれの「立場」があるのだ。
●今の私は、実質的にTumblrを旧ツイッターやThreadsの代わりにしている。その方が、私自身の思考や価値観を打ち出しやすい。
●芥川龍之介の平安時代小説だけに限らず言える事だが、平安時代は決して「平安な時代」ではない。しかし、平安時代だけではない。人間社会自体が常に「乱世」である。
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misasmemorandum · 4 months ago
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『メアリ・シェリー 『フランケンシュタイン』から<共感の共同体>へ』 シャーロット・ゴードン 小川公代 訳
原題は "Mary Shelley A Very Short Introduction" 著者さんはアメリカ生まれの女子、ボストンでPhDを取り、作家でもある。この本は本国で2022年に出版されたもの。
メアリ・シェリーの両親と彼女の人生、そして作品に関して書かれている。メアリのお母さんはフェミニストってかこの当時の考え方としては、女性は幼くは父親に嫁いでは夫に夫の死後は息子の保護のもとにいきなければなかったのを、人間として自立しようとし、この時代には御法度だった婚外子を持った女性。メアリの父親とは婚外子をもうけた男性との別離の後に結婚した。メアリはこのお母さんの考え方を受け継いだかたちになる。メアリの作品は女性の自立と、また、自立しようとする被支配対象者(女性やモンスターや)と、この人々を当たり前のように支配しコントロールする男性と社会を描いていたそうだ。ああ、私は『フランケンシュタイン』の何を読んでいたのか、、、。いつかじっくり再読します。
軽い気持ちで図書館から借りて読んだので、作品分析などはちゃんと読んでいないです。でも、真実のメアリ・シェリーを垣間見ることができたかなと思う。というのも、この本によると、メアリ・シェリーは女性だから作品を出版するにも夫か父親の許可が必要だったし、また、パーシー・シェリーと略奪婚だったから社会的な評判が悪かったし、また、産んだ子どものほとんどを病気などで失ってしまってたりする。社会的な評判が悪かったのを挽回するために、メアリの死後に関係者がメアリの人生の改竄してその時代の理想的/一般的女性像に修正してしまったそうで、そのためにメアリの作品が忘れ去られてしまったそうだ。一般的な女性は平等主義的な作品を次から次へと書いたりしないから。
というように、メアリに関しては、後世にま研究が進んで、本当の姿がもっと明らかになるかなと思う。だからこの本の原題が、ほんの短いイントロダクションなんだなと思った。
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eternitycomenevermore · 1 year ago
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2024-04-17
■ひとりの弱者男性としてオタク趣味を楽しむ若者が憎い
大人がアニメを見たり漫画を読んだりするのは、かつて命がけの行為だった。
世間にオタク趣味がバレるということは社会的な死を意味していた。
これは誇張でもなんでもない。
俺のオタクの友人のひとりは、勤め先でオタク趣味であることがバラされて会社に居づらくなり転職を余儀なくされた。
当時は転職市場もそれほど育っておらず、待遇を下げに下げて何とか新たな勤務先に就職することができていた。
俺自身、オタク趣味を持つことで数多の苦しみを味わった。
「自分の好きな趣味を他人と分かち合う」なんてごく当然の喜びをほとんど一切経験できないまま孤独に過ごしてきた。
年に1度か2度あるかないかの、僅かなオタクの友人たちとの交流の時だけが自分の人生の喜びだった。
オタク趣味はひっそり隠れてやるべきことだった。
それが今ではどうだ?
新海誠の映画が100億以上も売れる。進撃の巨人なんてグロ漫画が国民的傑作ともてはやされる。
一体なんなんだこれは?
かつて俺達が隠れながらなんとかひっそり楽しんでいたサブカルチャーをいまの若者は当然のような顔をして楽しんでいる。
先日、職場に入ってきた新卒が自己紹介で「私は漫画やアニメが好きです」と言っていた。
課内の全員に向かってだ。
「流石に職場の自己紹介でそれを言うのはどうなんだ」と後で説教してやろうと思っていたら、別の新人も「私も実はオタクで漫画やアニメが好きです。もし好きな人いたら一緒に語りましょう」なんて言いやがった。
その新卒どもは昼休みに集まって飯を食いながら葬送のフリーレンやチェンソーマンの話をしてやがる。
許せない。許せない許せない許せない。
かつて世間のみんなは言ったじゃないか。いい歳してアニメを観たり漫画を読んだりするのは恥ずかしいことだと。
オタクは犯罪者予備軍だと。
日本はいつのまにか若者の大半が犯罪者予備軍になっちまった。
露骨なエロ描写やグロ描写のある漫画やアニメが日本文化の代表ヅラしてやがる。
オタク趣味は恥ずかしいことだともっと宣伝して���りたい。
何なら俺は最近のフェミニストにも賛成だ。
萌え絵のポスターは法律で禁止にしろ。
美少女フィギュアなんて公然と売るような代物じゃないだろ。
なぁ、日本はいつからこんな狂った国になったんだ?
アニメや漫画を楽しむ連中をもっともっと弾圧しろよ。
ひとりの狂った大人として最近の若者に敵意を抱いている。
オタク趣味は世間から爪弾きにされた俺達狂った人間だけのものだったはずだ。
Permalink | 記事への反応(3) | 14:59
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記事への反応 -
anond:20240417145927
まあ60点かな。
anond:20240417145927
電○のオッサンが時代遅れなこと言ってるな
anond:20240417150205
電○のオッサン 「ヴ ヴ ヴ ヴ ヴ ヴ ヴ ヴ ヴ 」
anond:20240417150340
ついに無機物に転生したのかな?
anond:20240417145927
少年誌の部数は年々減ってるから昔のほうが読者多かったんやで
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straycatboogie · 4 months ago
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2025/02/24 BGM: The Jon Spencer Blues Explosion - Lovin' Machine
今日は遅番だった。今朝、英会話関係のZoomミーティングにいそしむ。今日の話題はペットを買うことがどのようにして肉体的な健康のみならず精神面の健康にも「効く」かという話で、それぞれのメンバーが犬や猫のみならずメダカやはたまたAIBOにいたるまでおのおののペットをめぐるエピソードを持ち寄られて、いつもながら学び多い会になった。その後は朝食を摂った後、グループホームの本家にお邪魔させてもらった。今日は副管理者の女性がおられて、その方とすこしばかり話してスペースを借りて自習させてもらう。今日持ち込んだ本は、なんとなく部屋の片隅にあったので持ってきた『村上春樹雑文集』だった。題のとおり村上春樹がさまざまな機会に記した硬軟取り混ぜた文章たちがおさめられており、内容もスティーブン・キングからジャズから超短編まで多岐にわたる。おもしろく読ませてもらった。
本の中で村上春樹が、彼自身が文学の修業あるいは作家としてのキャリア形成にあたって「師」「師匠」と呼べる人を持たなかったことを吐露していたのが目を引く。そして、なんかここがぼくのスットコドッコイなところなんかなあとも思うが、ふと「『このぼく』ははたして『師匠』『メンター』と呼べる人なんか持ったことあるかなあ」とも思ったりしたのだった。いや、もちろん春樹はぼくが逆立ちしたってかないっこない稀代のストーリーテラー(つまり「嘘つき」)。彼がどのように事実というか彼個人のエピソードを誇張したり加工したりしているか、気をつけないといけない(彼のファンを30年ほどやっていると、いかにこのぼくが悪名高き発達障害者であるといってもそうした彼の「手癖」もそれなりに読めたりするのだった)。でも、あながち春樹がそんな「一匹オオカミ」「ロンリーウルフ」として生きてきたとみずからを形容することがまったくの嘘っぱち・デタラメとも思えない。たしかに、どこかのギルド(職能団体)なんかに属する生き方というのが性に合わないからあんな作風・生き方になるんだろうなとも思う。それで、村上龍(さいきんこの人の『限りなく透明に近いブルー』を読みあらためてすごいと唸ら��れた)や柴田元幸といった少数の気を許せるライバル以外の人をのぞいて、ベタベタした人間関係を嫌うのかなとかあ……とかなんとか。
話が脱線してしまったが、いまでも迷いなく・ためらわず言えることとしてぼくにとっては春樹さんが「メンター」「精神的支え」となってくれた1人であり、もっと言えば象徴的な意味で「兄貴」「父親」ですらあった。いろいろなことをこの人から教わったし、春樹さんがいなければぼくはその後ポール・オースターを読むこともなかったし、あまつさえ早稲田の英文科を物見遊山で受験するきっかけにもならなかっただろう(彼が早稲田出身であることが頭のバックサイドにあったから早稲田を受けてみたとも言えたのかもしれない)。彼の明晰に理知的な文体、ユーモアの趣味やセンス、とても几帳面で堅苦しくさえあるライフスタイルに影響を受けたりもしたのだった(これはもちろん「下衆の勘繰り」のきわみで実に恥ずべきこととあらかじめ自己批判するが、でももしかしたらそんな几帳面さって春樹さんの中にも発達障害の特性があるってことじゃないかなとも思ってしまう。いやもちろん、「診断を受けろ」という話ではないです)。彼が聖人君子や生き神というわけではないだろう。間違いだってするし、ぼくから見れば具体的な作品名は挙げないがひどい愚作を発表したことだってある。でも、そうした間違いやそそっかしさもふくめて信頼できるし、良かれ悪しかれぼくの人生と伴走している作家と言える。
昨日はなんだかこの日記でとんでもない腐ったトラウマまみれの記憶を書きなぐってしまった。女生徒たちにずいぶん嫌われて、そのせいでぼくの中にいまだ残る「ミソジニー(女性嫌いあるいは女性蔑視)」な性格ができたことだった……メンターや師匠について言えば、思えばこのフェミニズム(男女問題というか、男女がどう平等・公平に権利を享受するか)について言えばいったい誰からこの問題を考えるべく学ばないといけないのかわからず、したがって師匠も先生もガイドもいなかったっけ。入門書すら読めなかった。もちろん当時、その気になって探せば数々のフェミニストはいたはずで献身的に・懸命に論陣を張っていたそうした方々の言葉を読めたはずだが、だがまだぼくが若すぎたのと自分の中で女性たちにこっぴどく「気持ち悪い」といじめられたことでオトコであることそのものにまで罪悪感を持ってしまっていて、そのせいでそんなフェミニズムについて自信を持って・間違いを認めつつ責任ある自論を語れる主体としては対峙できなかった。だからさいきんになって、やっと虚心坦懐にぼくなりに上野千鶴子をめくったりできるようになったのだった。そして、ぼくなりにこのロートルの古くさいオトコとしての意見を鶴見俊輔語るところの「マチガイ主義」にのっと��、恐れずにぶつけられるようにもなったのかもしれない。そこから「インタラクティブ(相互)」のコミュニケーションが成り立つことを願う。
その後、1時から仕事に入る。休憩時間に、またしても村上春樹のくだんの本から派生していつだってぼくの人生において参照枠というか「北極星」となってくれた本ってなんだっただろうかと思う。どんなときも、とりわけぼくが道に迷ってしまい混乱した時に心のよりどころになってくれた本。そんな本はやっぱり(もちろん、この世にはほかにも数多ともっとすぐれた大傑作があることを踏まえても)ぼくにとっては春樹さんの『ノルウェイの森』であったりポール・オースター『ムーン・パレス』だったりするのかなと思う。10年後もたぶん、コーネリアスとかブラーとか聴いたりしながらそんな本を折に触れて繙いて暮らすのかなあ、とも。
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kennak · 2 years ago
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現代のブラジャーの成り立ち  私たちが知っているブラジャーは、発明家と服飾改革者が胸の形を整えて支える新しい方法を提示したときに生まれた。ただし、現代のブラジャーを誰が発明したか、この点は意見が割れている。  コルセットを半分に切り、「スーティエン・ゴルジュ(喉サポート)」として販売した1880年代のフランスでランジェリーショップを創業したエルミニー・カドルか? それとも、1873年、コルセットの代用品として「フリント・ウエスト」の米国特許を取得した仕立物師のオリビア・フリントか? あるいは、1914年、透ける素材や背中を出したファッションに対応する「コルセレット」の特許を取得したキャレス・クロスビーだろうか?(クロスビーはこの特許を米ワーナー・ブラザーズ・コルセット社に売却、ブラジャーブランドは今も存在する)。(参考記事:「フォトギャラリー:時代を映す衣装19点」)  1930年代までに、ブラジャーはコルセットに取って代わり、不可欠な衣服になっていくなか、標準化されたカップサイズと調節可能なストラップが導入された。  1968年、米ニュージャージー州アトランティックシティで開催されたミス・アメリカ・コンテストにフェミニストたちが抗議する際に、その象徴としてごみ箱に捨てたほど、胸の形を整えるブラジャーは普及し、女性の性や美の基準と密接に結び付けられた(この出来事をきっかけに、「ブラジャーを燃やす人」は過激なフェミニストの代名詞になったが、抗議行動で実際にブラジャーが燃やされることはなかった。抗議活動の主催者であるキャロル・ハニッシュ氏は2008年、米公共ラジオ放送NPRのインタビューで、「[アトランティックシティの遊歩道でブラジャーが入ったごみ箱を]燃やすつもりでしたが、警察は……燃やすことを許しませんでした」と振り返っている)。(参考記事:「男性はビキニの女性を“対象”とみなす」)
あなたが思っているよりも実は長い、ブラジャーの歴史 | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト
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quotejungle · 8 months ago
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「仮面をかぶることを学ぶことは、少年が学ぶ家父長制の男らしさの最初のレッスンです。彼は、性差別が男性として定義する許容できる行動に従わなければ、自分の核となる感情を表現することはできないことを学びます。家父長制の理想を実現するために本当の自分を放棄するように求められ、少年は早い段階で自己裏切りを学び、魂を殺す行為に対して報いを受けます」 - ベル・フックス『変化への意志』
私はフェミニストですが、女性よりも男性でいるほうが難しいと思います。
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apoandbangpo · 2 years ago
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大英博物館が無断使用、翻訳者に支払い合意(CNN 翻訳)
CNN Jessie Yeung 2023年8月9日(水)午前3時7分掲載
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大英博物館に無断で作品を使用された翻訳者が今週、同館と和解を成立させ勝利を収めた。K-POP界のスーパースター、BTSのファンの後押しもあり、2カ月にわたる交渉とネット上でのキャンペーンが実った。
同博物館は6月「China's hidden century」展のために、フェミニストで革命家であった秋瑾の19世紀の詩を作家のワン・イーリン氏が翻訳したものを使用したと報道され、非難を浴びた。
同博物館は、バンクーバーを拠点に活動するワン氏に連絡を取っておらず、翻訳に対する報酬の支払いも申し出ていないうえ、展覧会に彼女の名前をクレジットしていなかった。
その後、「不注意で、これらの手順を省略してしまった」ことを認め、謝罪し、翻訳と原詩を展示から取り除いた。このような行為に多くの人々が憤慨し、博物館は来館者に詩を読めなくするのではなく、代わりに翻訳料を支払うよう申し出るべきだったと主張した。
先週金曜日にワン氏と博物館が交わした示談により、詩と翻訳が復活し、適切なクレジットと対価が支払われることになったとワン氏はCNNの電話インタビューで答えた。そして、これは翻訳者のしばしば目に見えない複雑な仕事を認識するための重要な一歩だと語った。
「疲れましたが、ほっとしています」と彼女は言った。「望んでいたことがすべて叶ったので、かなり満足していますが、これだけ時間がかかったことに不満もあります。対処してもらうために、ここまでする必要がなければよかったのですが」
6月にネット上で大炎上した後、ワン氏は博物館の対応に満足せず、弁護費用を捻出するためにオンライン募金を開始した。彼女が属するLGBTQコミュニティーから、学術団体、同業者である翻訳家や作家、さらにはARMY(Adorable Representative M.C. for Youth)として知られるBTSの熱狂的ファンまで、ネット上のさまざまなところから支援の声が殺到した。
BTSの公式本を共同翻訳したことからアントン・ハー、クレア・リチャーズ、チョン・スリンは、BTSコミュニティーでよく知られた存在になった。そのコミュニティーは、BTSに敬意を表して植樹した���「Black Lives Matter」のような運動に寄付したりと、団結して支援活動を行ってきた長い歴史がある。
3人は彼女が募金を募っていることを広めた。そして、ARMYもそれに応えた。ファンたちが「募金キャンペーンを展開し、ソーシャルメディア上で協力して盛り上げてくれました」とワン氏は語った。「本当に翻訳者のことを大切に思ってくれていて、とても感謝しています」
「コミュニティーが一体となって組織に責任を求めるという、集団の力を私に見せてくれました」と彼女は付け加えた。
この募金活動により、彼女は弁護士を雇うことができた。その後すぐに、大英博物館のハートウィグ・フィッシャー館長から連絡があったという。彼女は、フィッシャー館長からのメッセージは謝罪の意を表すものであったと説明し、最終的な示談に至るまで、さらに1ヶ月の交渉が続いたと言う。
CNNは一部が黒塗りにされた示談書のコピーを閲覧したが、それによると博物館は今週末までに、ワン氏の翻訳にクレジットをつけて展示に戻し、対価を支払うという。また、博物館のウェブサイトに秋瑾の詩を取り上げたページを設け、漢詩の翻訳者を支援するためにライセンス料と同額の追加寄付を行う。
そして、おそらく最も重要なことは、年内に翻訳の許可プロセスを設けることに同意したことだ。これまで同博物館にはなかったことだとワン氏は言う��
「これは、他の博物館や同様の施設にも明確なポリシーを設け、翻訳者に適切な報酬を支払い、クレジットするよう促すという点で前向きな一歩です」と彼女は語った。
今週初めのプレスリリースで、大英博物館は「見落とし」だったとしてワン氏に再度謝罪した。
「大英博物館には現在、翻訳の許可に関する特別なポリシーがありません。今後、見直しの一環として、翻訳の許可に関するポリシーを明確にし、翻訳者が適切にクレジットされるようにします」と、同博物館は述べている。
「大英博物館は著作権の許可を重要視しており、翻訳者の役割の重要性とその仕事の価値を認識しています。多くの場合、その仕事は博物館の研究を前進させ、展示を通じて一般へのアクセスを広げる助けになっています」と付け加えた。
ワン氏は、この勝利の意義の一つは、より多くの人々に秋瑾と彼女の詩について知ってもらうことだと話した。
「クィア・フェミニストの詩人である彼女の作品は、翻訳において見過ごされてきました」とワン氏は言う。「彼女の作品はとても時代に合っていると感じ、より多くの人に読んでもらいたいと思い、翻訳し始めました。そして、彼女の作品に値する敬意を持って扱われることを望んでいます」
ワン・イーリンさんのツイート コミュニティーが協力した結果、このような解決に至ったことを話す機会を与えてくれたCNNの@/jessieyeungに感謝します。@/AntonHur、@/clarehannahmary、Slin Jung、そしてARMYからもらった助けについて詳しく書いてくれて嬉しいです。
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アントン・ハーさんのツイート 翻訳者として、Yilinの仕事に対する正当な評価を求める戦いに協力してくれたすべての人に感謝します💜 このCNNの記事で大きく取り上げられている#BTSARMYも含めて!なんて素晴らしいファンダムなんだろう! アイデアを出し、企画してくれたkook00sanに心から感謝します💜
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