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#ボンジュール
hiromusicarts-blog · 1 year
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ボンジュールの味噌カツ定食
ボンジュールは、伏見にある、割と老舗な喫茶店。
で、人気なのは「小倉トースト」だったり「プリン」だったりするのだが、お昼時だったので、定食を。
味噌カツ定食も定番のやつで、甘味の強い味噌ソースが嬉しい(味噌だれは本当、どこも番う感じ)カツが好きなタイプで、シュニッツェルのような、薄切り肉で、衣と同じくらいの厚さ。肉厚のトンカツも良いと思うし、他の調理であればむしろ後者を選ぶのだが、殊、味噌カツとなるとシュニッツェルタイプのカツの方が合っているような気がする。
実は、これ、食すのは10度目くらい。リピしてます。
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keroushi · 6 months
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2024/03 門街広場
ボンジュールさいたま 2回目
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hachi-8log · 1 year
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20230505
ワシントンホテル ボンジュールにて
ランチビュッフェ
メインはメバルのソテーを選択
アイスが美味しいです💖✨👍
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horikawa-exs · 2 years
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ドラァグクイーンによる絵本の読み聞かせ
“ドラァグクイーン・ストーリー・アワー in 堀川Exchanges”
「男の子らしさ、女の子らしさってなんだろう?」ドラァグクイーン・ストーリー・アワー(Drag Story Hour)は、アメリカで始まったドラァグクイーンによる子どものための絵本読み聞かせプログラム。アメリカ各都市のほか世界の国々・地域に広がり、約50都市で開催されています。ど派手なドレスとメイクでおしゃれした、「自分らしさ」全開☆のドラァグクイーンと出会い、絵本や工作、歌や遊びなどを通じて、誰もが自分らしくあることの大切さを体験できる時間を提供します。親子で一緒に楽しんじゃおう!
本イベントは令和5年3月中旬から店舗・住戸「住まい手」募集が始まる、”アートと交流”の堀川団地にて開催される「堀川Exchanges」の一環として実施致します。
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アーティスト:マダム ボンジュール・ジャンジ/ドラァグクイーン, パフォーマー
・日時:1月22日(日)午後1時30分〜
・参加条件:3~8歳の子どもと保護者 ※大人だけの参加はできません。
・定員:親子10組(先着)
・工作材料費:子ども1人 500円
・場所:堀川団地 出水第三棟 317号(元 horikawa AC Lab) [ Google Map ]
・主催:京都府住宅供給公社, NPO ANEWAL Gallery
・共催:ドラァグクイーン・ストーリー・アワー東京, Coil,inc
[参加申込フォーム] https://forms.gle/FMC1ZbJWECMrvrLG7
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<アーティストプロフィール>
マダム ボンジュール・ジャンジ
あらゆる境界線を超えたキラキラした世界を願い「YES!Future」と謳い続けるアーティスト。1997年より交歓のAll Mix Party「ジューシィー!」を主宰するなど、個人の違いを超えてデアウ「時空間」を創造し続けている。新宿2丁目の「コミュニティセンターakta」を拠点に、HIV・セクシュアルヘルスの情報提供や支援活動にも従事。2022年には国連「UN in Action」シリーズ『Beyond Boundaries: Drag Queen of Tokyo』(『境界を超えてー東京のドラァグクイーン』)に取り上げられ、世界に向けて配信された動画が注目を集めている。
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ドラァグクイーン・ストーリー・アワー東京 公式HP https://dragqueenstoryhour.tokyo/
国連『Beyond Boundaries: Drag Queen of Tokyo』(『境界を超えてー東京のドラァグクイーン』)
https://youtu.be/7L27Mbd12kE
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[参加申込フォーム] https://forms.gle/FMC1ZbJWECMrvrLG7
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uchuta · 2 years
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葉山ボンジュールのマリトッツォ、超うまい(๑´ڡ`๑) #葉山ボンジュール #Maritozzo #マリトッツォ (さがみ野駅) https://www.instagram.com/p/CkjvqHyS8vY/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ryotarox · 1 month
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細雪 (1983年の映画) - Wikipedia
撮影に当たり、戦前の昭和10年代の船場の旧家の生活を再現するために、当時の着物が関西からレンタルされたが数が足りず、着物メーカーの『三松』の社長である斉藤寛の協力の元、数億円分の衣装がメーカー負担で制作提供された。 高井は監督のこだわりをまともに受け入れていたら、制作費はいくらつぎ込んでも足らないと判断し[3]、『三松』の斉藤寛社長に衣装監修としてスタッフに入ってもらったと話している[3]。 実際に1から新たに制作したのは、斉藤社長の命を受けた着物デザイナーの寺坂勝子で[3]、四姉妹の普段着から街着や訪問着、それぞれの着物に合わせた帯、小物など総合して160点に及んだ[3]。寺坂が用意した着物を市川が実際の撮影では「ちょっと違うなー。もうちょっと明るい方がいいな」などと何度もダメ出しし、その都度作り変えた[3]。
監督 市川崑 原作 谷崎潤一郎
出演者 吉永小百合 佐久間良子 古手川祐子 伊丹十三 石坂浩二 岸恵子
細雪のきもの Kimono in Makioka Sisters | ボンジュールきもの
細雪は、これまで3度映画化され、市川崑監督作品が80年代に制作されたのが最後です。その当時ですら、大正の頃の関西におけるきものを再現することは大変にハードルが高い作業であり、100を超えるきもの衣装をほぼ白生地から制作するという、聞いただけでも気が遠くなりそうな衣装制作について、まとめられた本が、この「細雪のきもの」です。 実際、作品の中で四姉妹が着た着物に加え、制作の参考にされたという、谷崎夫人の松子さん所蔵のきものなども含まれ、なんとも見ごたえのある一冊です。 個人的には、松子夫人が谷崎から「お前は紬や江戸小紋を着ないでくれ、似合わん」と言われたというエピソードが好きでした(笑)。谷崎はとにかく友禅をはじめとする京都のきもの文化を愛していて、東京の地味な色合いのきものは、船場育ちの松子夫人には似合わない、と。当時西の方々は大島紬を寝巻にしていたんですってw
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kennak · 2 months
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スイスのある施設のベッドに横たわったその男性は、40年にわたる生涯を自ら閉じ、旅立とうとしていた。枕元のスマートフォンからは、自身が最期に選んだ曲「ラ・リベルテ(自由を)」が流れている。医師は点滴に致死薬を投入し、その準備を終えた。 医師:「この病院に来た理由は何ですか」 男性:「安楽死するためです」 医師:「点滴を開けたら、何が起こるか理解していますか」 男性:「静かに眠りに入り、数分後に心臓が止まります」 医師:「そうです。あなたの心臓は止まって死にます」 男性:「はい」 四肢麻痺の男性は、鼻で点滴のストッパーを開けた。致死薬が体内に徐々に投入されていく。やがて、彼は永遠の眠りについた。つい先ほどまで、私に笑顔を見せて話してくれた男性が、わずか数分後に眠るようにして亡くなってしまう現実。目の前で展開された「死」を、私は現実として実感することができなかった。(TBSテレビ 西村匡史) ■交通事故後の耐え難い痛み 「生きるのを諦めた」 「ボンジュール。ジュリアンです。初めまして、よろしく」。2022年6月、フランス南部ペルピニャンの病院に入院していたジュリアン・クレイさんは、初めて訪ねた私を笑顔で迎え入れてくれた。 市役所の職員として森林を管理する仕事をしていたクレイさんは、32歳の時に交通事故で脊髄を損傷し、首から下の自由を失った。慢性的な痛みに悩まされ、軽減するための手術を複数回受けたが、効果はない。膀胱を除去した手術後はさらなる痛みに襲われた。 「刺すような、燃えるような、電気ショックを受けているような痛みです。2,3日間続けて眠れずに一晩中、泣くこともあり、気が狂いそうになります」 同居する両親に何度も「殺してくれ」と頼んできたという。 「医者は痛みをとると約束したのに、できませんでした。私は生きることを諦めたのです」 ■安楽死のためスイスへ 移動後も激しい痛み 2022年7月、クレイさんは共にリハビリを続けてきた仲間たちに付き添われて、車でスイスに向かっていた。フランスでは安楽死が認められていないため、海外からの希望者も受け入れているスイスの団体を探し続けた。そして、2か月前にスイスのある団体がクレイさんの受け入れを決めたのだ。 ペルピニャンを発って11時間後、一行はスイスのバーゼルに到着した。 一夜明けてクレイさんの体調が急変した。長時間での移動に伴う疲労から高熱が出て、吐き気を催し、息も絶え絶えになっていく。呼吸不全が起きたため、看護師が腹部を突き上げ、気道を拡げる応急処置を行った。苦痛で顔を歪めたその表情は、痛みを背負いながら生きてきた9年の歳月の重さを私に感じさせた。 ■安楽死へ厳格な審査 団体が定める4条件 翌日、体調を少し持ち直したクレイさんのもとに、安楽死団体「ライフサークル」の代表、エリカ・プライシック医師がやってきた。ライフサークルは、2011年に設立されたスイスの団体の1つで、海外からの希望者も受け入れている(現在は新規会員の受け入れを終了)。ここに会員登録しているクレイさんは、医師による審査の結果、許可が下り��ば安楽死することができる。 ライフサークルが定めている安楽死の要件は「耐え難い苦痛」、「回復の見込みがない」、「治療の代替手段がない」、「明確な意思表示」の4つだ。「耐え難い苦痛」は肉体的な痛みである必要はなく、精神的な痛みも含まれる。プライシック医師は、クレイさんとの対面での審査や別の医師の意見も踏まえて、4つの要件を満たしていると判断し、安楽死を許可した。 「本当は安楽死よりも治してあげたいのだけど、治療の方法がありません」 そう話すプライシック医師に対し、クレイさんはこう答えた。 「私を死なせてくれるのが治療なのです」 ■両親への心残り 声を上げて泣いた妹 安楽死の選択に迷いはないが、クレイさんは9年間、献身的に介護してくれた両親を残して旅立つことだけが心残りだった。父は高齢で末期がん、母は父の看病があるため、スイスまで来ることができない。2人は「フランスに安楽死法があれば、息子を看取ることができたのに」と悔やんでいたという。 クレイさんの胸には、両親と、4人兄妹の中でも最も可愛がっていた末妹の名前がタトゥーとして彫られている。その名前の下には「どんなに感謝しても感謝しきれない」というメッセージが入っていた。「一緒に旅立ちたいという思いから、タトゥーを入れました」 末妹のブランディーヌさんは、兄の反対を押し切り、家族の中で唯一人スイスまでやってきた。当初は兄の決断を「自分たちを捨てて旅立つ」と感じ、受け入れることができなかったが、次第に「利己的なのは自分であり、兄の決断を尊重しなければならない」と考えるようになったという。 ブランディーヌさんは平静を保とうと努めていたが、安楽死の許可が下りると堪えきれずに、椅子から立ち上がった。兄の方に向かっていき、抱きしめ、その胸に顔をうずめて声を上げて泣いた。 ■安楽死当日 両親に告げた「愛している」 安楽死当日の朝を迎えた。前日は雹が降るほどの荒れた天気だったが、この日は嘘のように空が晴れ渡っていた。 誓約書への署名を終え、安楽死の準備が整う。ベッドに横たわったクレイさんは、共にリハビリをして励まし合ってきた仲間たち一人一人に対して、最後の別れの言葉を告げた。 フランスに残してきた両親とは、スマートフォンで最後のテレビ電話をつないだ。重い病気と高齢のために、スイスで息子を看取ることができなかった両親の無念さを、クレイさんは十分にわかっていた クレイさん:「もしもし。今、準備しているところ」 父:「そうか」 クレイさん:「さよならだね」 父:「うん」 最後の別れを前に、父は言葉を返すことが精一杯のようだった。 クレイさん:「二人を本当に愛している」 父:「うん。俺たちもだ」 クレイさん:「さよなら」 父:「さよなら」 クレイさん:「本当に愛している」 母:「私たちもよ」 クレイさんは投げキッスを送り、両親に別れを告げた。 ■安楽死の瞬間 目を閉じ、口ずさむ「自由を」 致死薬が点滴に投入された。スイスでは医師が患者に薬物を投与して、死に至らせる行為は禁止されているため、処方された致死薬を、患者本人が体内に取り込む必要がある。四肢麻痺のクレイさんは点滴のストッパーを自身の鼻で開けて安楽死することになる。 妹との別れの時が近づいていた。「大好きだよ。気をつけるんだよ」と、妹の行く末を心配する兄の涙が頬を伝う。クレイさんは妹にトラウマを残さないため、最後の瞬間だけは立ち合わないよう伝えていた。「愛しい妹よ。そろそろ逝かなければ。音楽を聴けるように準備してくれ。音楽を聴きながら死ねるように」 ブランディーヌさんがスマートフォンで音楽をかけて枕元に置く。流れたのは「ラ・リベルテ(自由を)」。クレイさんが苦しい闘病中に何度も聞いていた曲だ。兄妹は別れのキスを交わし、ブランディーヌさんは、振り返ることなく部屋を立ち去った。 ライフサークルのスタッフが、警察に提出するためのビデオを撮影する。プライシック医師によるクレイさんへの最後の質問が行われた。 プライシック医師:「あなたの名前は」 クレイさん:「ジュリアン・クレイ」 プライシック医師:「この病院に来た理由は何ですか」 クレイさん:「安楽死するためです」 プライシック医師:「それがあなたの最後の願いならば、点滴のストッパーを開けてもいいですよ」 クレイさんはそっと目を閉じ、「ラ・リベルテ」を噛みしめるようにして口ずさむ。そして、鼻でストッパーを開けた。致死薬が体内に投入されていく。2分後、「眠くなってきた」と呟き、小さないびきをかいた後、息を引き取った。 ■「妹よ、強く生きろ」 安楽死した男性が残した生きる意味 安楽死を遂げてから1年。クレイさんの死は、スイスで看取った人たちに何を残したのか。2023年7月、私は再びフランスを訪ねた。 全身の筋肉が徐々に衰えていくALS患者のマリンさんは、闘病中のクレイさんと安楽死について、夜を徹して何度も語り合った。 最後の別れの際、クレイさんは「あきらめるな、生き続けろ、強くあれ。ここで人生が終わるわけではないのだから」という言葉を残してくれたという。マリンさんは「彼のアドバイスを聞き、私は最善を尽くして生きようと思っています」と話す。 事故で腰から下の自由を失い、生きることに絶望していたキリアンさん。クレイさんは「絵が上手なお前の才能を活かせ」と、タトゥー彫り師になる道を勧めてくれた。兄貴分のクレイさんに贈ってもらった道具を大切そうに手に取り、私に見せてくれた。 「私が彫り師になって生きがいを持てるように、彼は自分の身体まで実験台として提供してくれました。『頭から足の先、全ての皮膚をお前のために使ってくれ』と。彼が亡くなった時に、自分はもっと頑張って生きなければと勇気づけられた気がします」 クレイさんの末妹、ブランディーヌさんの自宅には、兄の写真立てが置かれ、花が添えられていた。私が訪ねたこの日の前日は、クレイさんが亡くなってからちょうど1年だった。 「兄の安楽死を受け入れることは難しいことでしたが、彼に残された唯一の選択肢だったと、1年経ってやっと思えるようになりました。そう思えるようになってから、四肢麻痺だった兄が元気に歩いている夢を見ることができたのです。私の心が少し落ち着きました。兄は私が強く生きて、幸せになることを、心から願っていました。幸せな人生を謳歌できるよう、私を見守ってほしい。私は兄と二人分、生きていくからです」 ■取材を終えて 「自分のような1人の人間の死でも、日本人に安楽死を考えてもらえるきっかけになるのは嬉しいんだ。命が活かされることになるのだから。あんたに会えてよかった。しっかり伝えてくれよ」 最後の晩餐で、私に託してくれたクレイさんの思い。その時の彼の温かな眼差しは、今も私の心を捉えて離さないでいる。 私がクレイさんと共に過ごしたのはわずか5日間にすぎない。だが、フランスからスイスまでの車中を含め、非常に濃密な時間だった。彼は自身が生きた40年の命を精一杯、伝えようとしていたし、私もその命の輝きを一瞬たりとも逃すまい、と目を凝らし、耳を傾けた。いつしか、5歳年下の彼に対して、友情のような気持ちすら芽生えていたことを覚えている。「明日が彼との永遠の別れになるのか」。胸が張り裂ける思いをしながら、二人でピザを食べたことを思い出す。 クレイさんは幼い頃から、家の外を駆け回って遊ぶ元気な子どもだった。近所の家の郵便物を一か月間、全て抜き取って隠したり、カエルをテープに巻き付けて太陽にかざして眉間に皴が寄るかを実験したりするなど、いたずら好きの面もあり、その度に両親からこっぴどく叱られたという。森林を管理する仕事を選んだのも、山中を駆け巡って猟をできるのが楽しかったからだ。そんな彼が交通事故で四肢麻痺になり、自由を制限される生活を余儀なくされた苦しさは察するに余りある。 事故後は、なんとか生きる道を模索して懸命に努力してきた。立ちはだかったのは「痛み」という壁である。夜、眠ることができないのは、彼にとって「逃げる場がない」ことを意味した。 誤解なきように記しておきたいが、彼は「生きる」ことの尊さを信じていた。安易に安楽死を賛美することには加担しなくない、という思いが強くあった。その一方で、安楽死を選択せざるを得ないほどの痛みや苦しみを抱えた人がいるのに、自分事として捉えずに見て見ぬふりして法制化やそれに至る議論さえしない国や社会に憤りを感じていた。 「自分は痛みから安楽死を選択せざるを得なかったけど、お前たちには頑張って生きる道を模索してほしい」。それが愛する妹や友人へ残した最後のメッセージだった。 * * * * * 西村匡史 TBSテレビ「報道特集」記者。2003年入社以来「いのち」をテーマに追い続ける。社会部、NEWS23を経てロンドン特派員として安楽死を取材。著書に「悲しみを抱きしめて 御巣鷹・日航機墜落事故の30年」(講談社)、映画監督として「"死刑囚"に会い続ける男」、「さっちゃん最後のメッセージ 地下鉄サリン被害者家族の25年」を制作。TBS NEWS DIGの特集記事「安楽死を考える スイスで最期を迎えた日本人 生きる道を選んだ難病患者」で、LINEジャーナリズム賞(24年2月~4月���)を受賞 ※この記事は、TBS テレビと Yahoo!ニュースによる共同連携企画です
私は生きることを諦めた―― “安楽死”を選択した男性、耐え難い激痛の日々 声をあげて泣く妹へ「強く生きて」(TBS NEWS DIG Powered by JNN) - Yahoo!ニュース
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leomacgivena · 9 months
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インド人、酷い人だと「ボンジュール」って言えるだけで「フランス語できます」ってCVに書くからな。
野瀬大樹さんのツイート
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kou-f · 1 year
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ベークショップ ボンジュール
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iffdwrandomizer · 1 year
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hiromusicarts-blog · 2 years
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地下鉄「伏見駅」近くにある老舗喫茶のボンジュール。
そこの定食もの。今回はベタに味噌カツ定食を。
ミソダレは色ほど濃くないが味醂甘い。トンカツは、やや薄めで、噛み切る食感が懐かしい、昔ながらのロースカツ。
味噌汁も赤だしなんだが、かぶっているような。でも全品美味しくいただきました。スパの添え物も、懐かしいわね。
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keroushi · 6 months
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2024/03 ボンジュールさいたま
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hachi-8log · 1 year
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20230423
いわきワシントンホテルバンジュールにて
ランチビュッフェ
メインを選べる
今回、ポークコートレツトを選択し1600円
ビュッフェはサラダ、パスタ、アジフライ、キーマカレー、パン、フルーツ、アイスクリーム、チョコファウンテンなど
ビュッフェの品数とか少なめだけどメインの料理がしっかりしてて、安くて美味しいと思うけど、、、
とても空いていて心配
儲からなさそう
続いてほしいけど大丈夫だろうか?
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doctormaki · 5 days
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フランスである。ワシのおフランスデビューは小学生のおこちゃまの時。ワシ、子供の頃は可愛かったので、一人で、レストランのおトワレに行って、そこでパリジェンヌのきれいなオネェさんにボンジュールとニコニコ言われて、ドギマギる。そして、道に落ちているウンコを、たかし君に踏まないように、なんて言いながら、自分は犬のウンコこそ踏まなかったものの、当時はワンサカいたこすっからいジプシーの子供たちに狙われて恐ろしい目に合う。おパリ、それはルーブル周辺のルンペンに怯えながらオルセーに行き、シテ島のノートルダムの上までパパと一緒に登り、パリを見下ろし、ベルサイユとシャルトルに行った思い出。
そして、学部卒業旅行と称してパリ入りでスペイン、南仏、イタリアを回ったっけ。おパリでは、物価が高くて高くて、泣きそうになりつつ、スペインでは物価が安くなったことに驚いたっけ。あの当時はまだEUでは無いので、各国通貨は違うし、電車でも国境検査していた。今は、昔と比べると、国境なんてないし、いちいち通貨も変えなくて良い。便利なのか、個性が無くなったのか、よう分からん。
さて、ワシ気付く。おフランス好きの女子って、おフランス好き〜って言っている自分が好きらしい。フランス語もたどたどしいし、英語も分かっていないらしいのだけど、兎に角、おフランスやおパリにいるっていう自分や状況に惚れとるらしい。おめでたい方々だ。そして、みんな、ガイドブックをバイブルのように持って、いつも肩バッグに入れては、熱心な信者のように、ガイドブックに従って行動し、ガイドブックの情報こそが真実それを良くそらんじている事が、他者との優位性の象徴らしい。ザ日本。ガイドブックの、どこどこのマカロンとそこそこのマカロンを比べて、やっぱりここのマカロンが良いとか、そういう事で満足している。おもしろー。パリ好き女子生態。ワシ、そんなん窮屈すぎて死ぬわ。
今回は、昔は怖くて昼間しか近寄れなかったモンマルトルの丘の徒歩圏内にホテルを取った。小さなホテル。モンマルトルまで散歩前に腹ごしらえ。ホテル近くの評判良いお店でplat de jourを頼む。ガラス張りのキッチンの向こうでは、ワシ位の年齢のシェフが、年若い5名のシェフを従えてバンバン料理している。頼もしい。懸命に働いている姿は、どんな人でも美しい。ドイツでは働いている人を見かけない。ダラダラ、働いているフリをして文句言っている人だらけ。日本は、半々くらいかな。懸命な人は、我を忘れてその場に没頭している。だから、美しい。メインは白身魚のポワレ。Poissonとしか言わへんから、何の白身魚か分からんが、深海魚かタンザニアの淡水魚あたりか。オオアジの部類の白身魚で、魚の繊細さはない。そこに、ひよこ豆ベースのネットリしたソース、右に見えるくるみとピーナッツ、ヘビィクリームを混ぜたと思われる絞りソース。その上に、旬のいんげん豆、その上から泡立てた軽いムッターユのソース。ムッターユって、えーと、日本語でカラシ。その上に、ベビーリーフ。まぁまぁのでき。パンが美味かった。フランスはドイツより小麦粉が美味しい。
デセールは、カシスのソルベ、その周りに散らしてあるのは、赤紫蘇の赤ちゃん。これが意外とおいしい。赤紫蘇とカシス。香りが意外と喧嘩しない。ラングドシャの下には生クリームとフレッシュチーズを混ぜたクリームと黒キイチゴ、カシスのコンポートに、砕いたアマン、アーモンドね、が散らしてあった。うーむ。絶妙なバランス。ラングドシャにも赤紫蘇の赤ちゃんが入っているが、赤紫蘇は乾燥させないとダメよ、香り的に。。それにコーヒー。締めて、58ユーロ。うーむ。このレベルなら、仕方なき。しかし、研究所の昼食、40ユーロ取るなら、もう少しどうにかしてほしかったなぁ。
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モンマルトルは、二十五年くらい前は、まだまだ絵描きが住む街で、近くには伯父が大好きな、ムーラン・ルージュもあるし。まぁシテでも、貧しい場所だったと思う。今はパリも外にどんどん拡大し、今や、モンマルトルも立派に高級住宅街。観光客だらけで焦った。昔は、ポツンポツンとしていたし、貧しい絵描きが競うように、絵を売っていたっけ。ベレー帽をみると、ワシは彼らが体臭を放ちながら被っていたボロボロの、貧しい労働者階級を表す象徴としてのベレー帽を思い出してしまい、ベレー帽だけは、このお帽子好きのワシでさえ買えない。オサレなつもりで日本人の若いねーちゃんがおパリで被っているの見ると、全身タトゥーの次くらいに笑える。無知とは素晴らしい。
普段は朝と夕方にしかやらないおミサが、特別に行われるというので、ワシは久しぶりにおミサに与る。フランス語でのミサは、一昨年のウィーンであずかったドイツ語のミサより、なんとなく落ち着く。一時間あまりのおミサ。観光客が見守る中のおミサだが、入れる場所が異なるので、おミサに与りながら、神と向き合えたように思う。ミサが終わった後、回りの人々も、心が和らぎ、目つきが優しくなったように思う。聖体拝領のパンは、少し固く、しばらくすると優しい甘さになった。
ホテルに戻り、午後七時からの、コリーヌの小さな出版記念講演会へ。フランス語、わかる。というか、コリーヌの話すフランス語は、標準フラ語でわかり易い。
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夕食は、買ってあったバゲットとfromagerieのfromage selection de saison.とエクレア。バゲットは、何度か大会で優勝しているらしく、美味しい。エクレアは、生地をしっかりと作っている。古典的レシピのエクレア。ワシはケフィアを丸一本飲み干し、お腹の調子は、多分、バッチリざます。
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goldenorchd · 6 months
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French☆Jet Indonesian translation [KAN/ROM/IDN]
song by: France (va: Masaya Onosaka)
「あぁ~もう! お兄さんのロケットのデザイン
最先端すぎて眩しい…
一緒に…乗らないかい?」
“Aa~ mou! Oniisan no roketto no dezain
Saisentan sugite mabushii…
Issho ni… noranai kai?”
"Oh~ astaga! Desain roket Abang
Sangat canggih, menyilaukan...
Apa kau ingin... menaikinya bersamaku?"
せいいっぱいの声で ボンジュール!お兄さんだよ
地球(ほし)を飛び越え フレンチ☆ジェット
せいいっぱいおどろう ヴァズィー!ヴァズィー!
今日はどんな出会いがあるかな ヘタリア
Seiippai no koe de bonjuuru! Oniisan dayo
Hoshi wo tobikoe Furenchi☆jetto
Seiippai odorou vazii! Vazii!
Kyou wa donna deai ga aru kana Hetalia
Dengan suara terkeras BONJOUR! Ini Abang
Terbang melintasi langit FRENCH☆JET
Mari menari dengan sekuat tenaga VAS-Y! VAS-Y!
Aku penasaran siapa yang akan kita temui hari ini Hetalia
煌めいた星たちの
声を聴きながら
とびっきり大胆に
愛を語ろう
Kirameita hoshi tachi no
Koe wo kikinagara
Tobikkiri daitan ni
Ai wo katarou
Saat kita mendengarkan suara
Dari bintang-bintang yang berkelap-kelip
Dengan berani dan bersemangat
Mari bicara tentang cinta
新しいであいは ファンタスティック!ファンタスティック!
セカイはひとつ ザ ワールド ティンクル ヘタリア
Atarashii deai wa fantasutikku! Fantasutikku!
Sekai wa hitotsu za waarudo tinkuru Hetalia
Ke pertemuan baru FANTASTIQUE!  FANTASTIQUE!
Dunia menjadi satu THE WORLD TWINKLE HETALIA
ロマンチックな旅さ ボンジュール!お兄さんだよ
溜息でるほど フレンチ☆ジェット
ピエールも一緒に オニヴァー!オニヴァー!
愛をふりまき進むのさ ヘタリア
Romanchikku na tabi sa bonjuuru! Oniisan dayo
Tameiki deru hodo Furenchi☆jetto
Pieeru mo issho ni onivaa! Onivaa!
Ai wo furimakisusumu no sa Hetalia
Ini perjalanan romantis BONJOUR! Ini Abang
Begitu indahnya sampai membuatmu menghela napas FRENCH☆JET
Pierre juga bersama kita, ON Y VA! ON Y VA!
Mari kita hujani dunia dengan cinta Hetalia
宇宙船と遭遇だぁ!!
美人の宇宙人なら
お兄さん喜んで
降参しちゃうよ
Uchuusen to souguu da!!
Bijin no uchuujin nara
Oniisan yorokonde
Kousan shichau yo
Kita telah menemukan pesawat ruang angkasa!!
Jika alien itu wujudnya indah
Abang akan dengan senang hati
Menyerahkan dirinya
「君の家のベッドにたどり着くにはどうすればいい?」
“Kimi no ie no beddo ni tadoritsuku ni wa dousureba ii?”
"Apa yang harus kulakukan untuk mengantarmu ke tempat tidur?"
言葉がちがっても セ・プル・ヴ セ・プル・ヴ
セカイはひとつ ザ ワールド ティンクル ヘタリア
Kotoba ga chigatte mo se puru vu! Se puru vu!
Sekai wa hitotsu za waarudo tinkuru Hetalia
Meski kita bicara bahasa yang berbeda C'EST POUR VOUS! C'EST POUR VOUS!
Dunia menjadi satu THE WORLD TWINKLE HETALIA
「肌が触れることによって
生まれるテレパシー…感じないかい?」
“Hada ga fureru koto ni yotte
Umareru terepashii… kanjinai kai?”
"Telepati itu lahir dari sentuhan kulit... bisakah kau merasakannya?"
こんなときめきは歌にして
気持ち高めたら
ほら 素晴らしいのさ♡
Konna tokimeki wa uta ni shite
Kimochi takametara
Hora subarashii no sa♡
Jika kuubah perasaan berdebar-debar ini menjadi sebuah lagu
Dan meningkatkan semangat
Lihat? Sungguh menakjubkan ♡
「準備はいいかい?せ~の♪」
“Junbi wa ii kai? Se~no♪”
"Kalian siap? Tu wa♪"
Do ré mi fa sol la si do ré
声をあわせて ボンジュール!お兄さんだよ
地球(ほし)に近づく フレンチ☆ジェット
旅は終わらない ヴァズィー!ヴァズィー!
どんなロマンスがまっているかな ヘタリア
Koe wo awasete bonjuuru! Oniisan dayo
Hoshi ni chikaduku Furenchi☆jetto
Tabi wa owaranai vazii! Vazii!
Donna romansu ga matteiru kana Hetalia
Mari berkumpul bersama BONJOUR! Ini Abang
Bumi semakin dekat FRENCH☆JET
Perjalanan tiada akhir VAS-Y!  VAS-Y!
Aku ingin tahu romansa apa yang menanti kita Hetalia
みんながいる場所を
たくさん周って
とびきりゴージャスな
出会いがあった
Minna ga iru basho wo
Takusan mawatte
Tobikiri goojasu na
Deai ga atta
Aku bepergian ke banyak tempat
Di mana semua orang hadir
Dengan pertemuan
Yang paling indah dan terbaik
「地球のみんながお兄さんがいなくて
寂しがってるころだね」
“Chikyuu no minna ga oniisan ga inakute
Sabishigatteru koro dane”
“Saat ini semua orang di dunia merasa kesepian
Karena ketidakhadiranku.”
手と手を繋いで ファンタスティック!ファンタスティック!
セカイはひとつ ザ ワールド ティンクル ヘタリア
Te to te wo tsunaide fantasutikku! Fantasutikku!
Sekai wa hitotsu za waarudo tinkuru Hetalia
Mari berpegangan tangan FANTASTIQUE! FANTASTIQUE!
Dunia menjadi satu THE WORLD TWINKLE HETALIA
Note:
Bonjour: Halo
Vas-y: Lanjutkan
Fantastique: Fantastis
On y va: Ayo pergi
C'est pour vous: untukmu
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niconoomohides2 · 7 months
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ねるちゃんと。
ナワバリ、ホコ、ヤグラでした!
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相手がすごい前線詰めてきてて勝ってる風醸し出してたのにこっちの勝ちで思わず2人とも「だっさ!」「勝ちの感じで来てたのに全然自陣塗ってないじゃん!」って強気に出たり、ne「40?」ni「ボンジュール!」ってふざけてたら敵にボンジュールされてやられたり、ヴァリアブルローラーフォイルの事マルフォイって呼んだり。今回適当に喋りすぎな一宮と、それをひたすら笑ってくれるねるちゃんでした!
マッチが始まった時にどんな名前の人がいるのか見て、同じところに目を付けてるのが相変わらずすぎたし出る言葉も同じだったりしてもしかして脳内一緒なのかも知れない…。間あいちゃったけど楽しかったね!!ありがとうー!!
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