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#ライブハウス武道館へようこそ
kristal-kassi · 2 years
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ここは農道だぜっ! *氷室京介が武道館で 「ここは東京だぜっ」 っていう感じで読んでください 😂 もう毎日毎日農道ばっか見飽きたぜっ💦 たまには栄とか大須に行きたい😤 タピオカ飲みながら大須の商店街歩きたい😂 #農道 #耕運機 #ライブハウス武道館へようこそ https://www.instagram.com/p/Ci91uvoB36D/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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mitsu-maru · 2 years
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Bleu
 記憶というのはポインタとデータで出来ている。いつからか、そのように僕は信じている。忘却とはデータの在り処を指し示すポインタを失った状態であり、データそのものは確かに残っているのだと。何らかの切っ掛けでポインタが復元された時、記憶は鮮やかに蘇る。たった今まで自分が忘れていたことにすら驚くほどに。紅茶に浸したマドレーヌは暮らしに満ちている。長く生きれば生きるほど、過去が未来よりも重くなるから。
 記憶のポインタは厳密な一対一対応ではなく、大なり小なり誤差が生じる。本来想起されるべき思い出の一部が欠落したり、少しずれた思い出が蘇ったりする。あるいは、なかった記憶が新たに生成されたりもする。これは僕が2022年11月20日の午後、「Solarfault, 空は晴れて」という本を読んだ時に生じた反応を元に生まれたテキストである。記憶というのは揮発性であるだけでなく発泡性でもあるから、1週間という時間は記憶を発酵させるに十分な時間だ。読んだ小説の感想文が新たな小説であっていけない理由はない。
 青い、作用の定かでない、おそらくはあまりよろしくない液体。小瓶。『ロスマリン』だと思った。図書館で借りたハードカバーの本だった。少年たちが夏休みに高層ビルディングを抜け出して旅立つ先は暖かい海だった。映像の中で少年と犬が白い浜辺を走っていた。オゾンホールが話題になっていた世紀末。姉はフロンが使われているという理由で旧型のエアブラシをゴミの日に捨てた。その頃、一度塗った色をCtrl+Zすることはできなかった。読み終えた本の感想をTwitterで検索することはできなかった。Amazonは夜中に切らしたPPC用紙を翌日の夕方に届けてはくれなかった。
 大学進学を機に上京し、僕は私鉄の駅から坂道を登って、サンドイッチ屋のT字路を左に曲がってどこかの企業の借り上げ社宅の側を抜けた先にある青いアパートで暮らした。とても青い家だった。九州から上京した人間には東京の日暮れは地球が丸いことを実感させるほどに早く、うどん屋のつゆはありえないほど黒かった。レンタカーで意味もなく夜の新宿を走り回って、ラーメンを食べた。殺人事件が起きそうな間取りの海辺の一軒家でペペロンチーノを作った。サークルに入って本を書いた。酔い潰れた関西人の介抱をしながら、寝言も関西弁なんだと妙に納得した。
 敷地の外れの外れに、今はないその建物はあった。自治の名の下にビラがばら撒かれ、インクの匂いが漂い、アニメソングが館内放送で流れるような建物だ。そういえばビラを配っていたあの団体も青という字を冠していた。季節を問わず週に一度僕たちは集まって、ただひたすらに話をした。それが僕たちの活動だった。生協の缶ジュースは少しだけ安かった。年齢も専門もバラバラな学生たちが、教養を無駄遣いしていた。時々真面目に小説を書いて本を作り、批評会で真剣に意見を交わしたりした。僕たちの掟はただ一つ、描き始めた物語を必ず完結させること。開いた物語は閉ざされなければならない。それさえ守れば何をやろうと自由だった。その頃茨城県でバケツで流し込まれた液体が青い光を放った。
 学園祭で小遣い稼ぎをするために部員総出で占い師の真似事をした。タロットカードから客が望む物語を紡ぎ出すのは即興小説の訓練だ、というのが建前だった。原価がただ同然の占い屋はなぜだかいつも大繁盛で、僕たちのサークルは本の印刷代には困ることがなかった。
「久しぶり」
 堤が話しかけてきたのは、夫の不倫を見て見ぬふりをしつつ、別れる決心ができないと悩んでいる女性の背中を押してしまった直後だった。
「俺のことも占ってよ」
「顔見知りのことは占わないようにしてるんだ」
 本当に占いがお望みなら、と後輩のテーブルを指差す。堤は肩を竦めて、三百円を支払った。後片付けを終えた後、二人でステーキを食べに行った。安くて硬い牛肉にニンニクと醤油でえげつなく味をつけた代物だが、その頃の僕らにはそれでよかった。紙エプロンに跳ねたステーキソースが抽象画のようだった。
「なんだ、その。元気そうだな」
「どういう意味だよ」
「別に」
「ああ、聞いたのか」
「聞いたとも。なんで教えてくれなかった」
「教えたからといって、何が変わるわけでもないだろう」
「そりゃあ、そうだけどよ」
「じゃあ、いいだろ」
 堤は煙草をくるくると回して言葉を探した。最後まで、出てこなかった。
 小さなゲーム会社でアルバイトをした。携帯電話で話をしながら深夜の住宅街を歩いた。千駄ヶ谷のモスバーガーが秘密基地だった。自分たちが作っていたゲームのことは欠片も好きになれなかったけれども、スタッフ同士で話しているのが好きだった。六本木のライブハウスには月一で通っていた。お目当てのバンドの対バン相手のファンが自分の周りで激しく踊り出して、つられて踊っていた。強い人が集まる、という噂のファミリーレストランに自転車で乗り込んでカードゲームの対戦を挑んだりした。初めて中央特快に乗って八王子まで行った。
「で、いつ?」
 帰りの電車は適度に混んでいた。冷蔵庫にマグネットで貼り付けたメモのことを思い出した。換気扇の調子が悪いから業者に連絡すること。そうメモしてから何ヶ月が経っただろう。その頃僕はもう自炊することを止めていて、冷蔵庫には赤ワインとチーズしかなかった。黒い服ばかり選んで着るようになっていた。たまたま見つけた美容院の美容師と気があって、好きなように自分の頭を作品にしてもらうことしていた。この時は確か、虎をイメージした金のメッシュの入った黒髪だったと思う。ギターなんて一度も弾いたことがないのに、スタジオを借りてエアバンドのアー写を撮った。悪ノリしてロゴも作った。
「まだ決まってない。決まっていたとしても、お前には教えない」
「そう」
 エアバンドのベースは、本当のベーシストだった。本当はギターが弾きたかったらしいが、手が小さくてコードがうまく押さえられなかったんだと笑っていた。雷と餃子で有名な街から、時々都内に遊びに来ていた。常軌を逸した方向音痴の彼にとって、乗り換えはいつだって至難の技だった。コンピュータ��ラフィックスを専攻していた彼を、八王子の某大学の教授のところまで無事に送り届けるのが今日の僕のアルバイトだった。この頃のインターネット回線はZoomで面談するほど力強くもなく、クラウド環境はGitHubで自分のポートフォリオを公開できるほどではなかったから、修士論文の指導をしてもらうために直接会いに行く必要があったのだ。
「お前がいなくなるのは嫌だなあ」
 そんなことを面と向かって言われたのは当たり前だが初めてだった。正直少しだけ心が揺らいだ。努めて僕は平静を装い、東へとひた走る列車の窓から外へと視線を移した。刻一刻と時は迫っていた。冬が始まっていた。セーターの袖を鼻に押し当てた。
「バンドはエアなんだ。ギタリストがいなくたって、やっていけるさ」
「エアじゃなかったら、よかったのにな」
「そうしたら、ツアーには必ず宇都宮を入れてやるよ」
「絶対MCでいじられるやつじゃないか」
 東武線の駅の側、一階が物販になっているライブハウスを幻視する。もちろんバンドはエアなので、歌詞も曲もない。それでもステージの上で僕たちは青いライトに照らされていた。ライブの後半で必ずやる定番のバラード曲を歌えば、正確にハモってくれるという信頼があった。電車が新宿駅について、ベーシストと一緒に湘南新宿ラインのホームまで歩いた。
「それじゃあ、またな」
「ああ。今日はありがとう」
 手を振って僕らは別れる。僕には、これが最後だと分かっていた。携帯電話が鳴る。新宿駅は人が多すぎて、誰も僕のことを気にも止めない。運命が僕を迎えに来る。もうすぐだ。こうして世界は分かたれる。
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2024年5月26日放送回
満点DAMミュージックレジェンズ
文字起こし(前半)
Opening theme♪ワタユタケ「惑星」
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MC 横田岳史(ヨコタタカシ)さん 
満点DAMミュージックレジェンズ、この番組はカラオケDAMでおなじみの第一興商の提供で札幌FMしろいしが制作し、ただいま和歌山県エフエムマザーシップ、山形県酒田ハーバーラジオ、新潟県エフエムピッカラ、秋田県ACB秋田コミュニティ放送の5局ネットでお送りしております。
てことでお聴きの皆さん、お元気ですか?番組MCエフエムしろいし“何にもせんむ(専務)”こと横田岳史です。この番組は安全地帯ギタリスト武沢侑昂レジェンドとともに心揺さぶる音楽を求めてタイムトリップしちゃう、そんな番組なんですが武沢さん元気ですかッ⁉︎
安全地帯ギタリスト 武沢侑昂さん
♪「情熱」のフレーズをギターで演奏
おはようございます!
横田さん
はい、おはようございます。 というわけで、あのー元気そうでございますというか、あのーこれはもう皆さん完璧にわかったでしょう。
武沢さん
あはは〜。これはわかる…
横田さん
これは分かんなかったらもう…うふふふふ…というわけであのま、基本的にあまりね、この放送は何日にとか言わない様にはしているんですけど、本放送がですね、ちょうど5月26日と言うことで。でまぁちょうどねその3日後の29日が田中さんの67回目の誕生日という…
武沢さん
そうですね。
横田さん
はい、まぁ今回リスナーの皆さんから田中さんのベストプレイはと言う事で、たくさんの皆さんのコメントを頂きましてね、今日は田中さんのベストパフォーマンスを聴いてみようじゃ無いかと言う事で。はい、ええ。
武沢さん
なかなかね、これはあのいわゆる、僕たちが東京へ出て、最初陽水さんのツアーやってたじゃないですか。
横田さん
はいはいはいはい。
武沢さん
で、基本的には東京に出てからの安全地帯ってなかなか田中ちゃんのソロ、っていうのがなかなか出来ない。と言うのはどういうことかって言うと、旭川時代って田中ちゃんのソロ結構あったんですよ。
横田さん
あっ、そうなんですねぇ〜。
武沢さん
そうなんですよ。結構…もう10分ぐらい演ってるんで。
横田さん
あ〜…そうか。じゃぁそれを井上陽水さんのバックでは当然出来ませんもんね。
武沢さん
出来ないし、その僕たちがツアーとか東京でライブハウスでやる時も、どっちかって言うと色んな事で、その…曲を何曲出来る、出来ないとかね。要するに与えられた時間が何分で。
横田さん
あ、時間が短いからね。
武沢さん
基本的にね。ただ、自分たちのコンサートだ〜って感じでやれる様になって漸くドラムソロも演れる。
横田さん
あー要するにワンマンライブになってから、みたいな。
武沢さん
そうですね。ワンマンライブで。ただワンマンライブをやると言っても、やっぱり曲…演奏してどんどん皆に知ってもらうって事を考えると、ライブでああいいな、と思って、基本はやっぱり歌、を聴きに来るじゃないですか。
横田さん
ああー、そうか〜。もう今はキャッチーなものを出して皆さんに知ってもらうところを考えるとドラムソロを入れてる時間が当時は無かったと言う事。
武沢さん
そう、そうですね。
横田さん
はい。
武沢さん
例えば、演奏を結構聴かせるバンドってま、日本にはあんまり居ませんけど。例えばインストゥルメンタルをやるバンドとかあるいはロック系でもインストの部分が長い人達とか、そう言う場合はドラムソロとかもやりやすいというか。やる場面がけっこう来やすいんですけど。なかなか安全地帯の曲って逆にやっぱりある程度これだ〜ってところまでいって自分達のライブを本来の自分達のスタイルで曲順とか構成とかを考えてやれる様になってから漸く田中ちゃんがソロをやったりとかする様になったと思うんですね。
横田さん
そうかそこまで、そんなにあの、最初から自分達のやりたい様に出来てたって事じゃないって事ですよね。
武沢さん
ですね。だと思うんですよ。だから今出てるCDとか探しても、80年代のライブでも、そんなに田中ちゃんのソロってなかなか出てこないんじゃないかと思いますけど、おそらく。
横田さん
あ、そうですか。
武沢さん
じゃないすか?
横田さん
うん、本日ご用意してるのはね、ちょうど1985年のね、ライブの時のやつでちょっとインストっぽいやつを、用意してますけども…
武沢さん
ああ、あの頃になって漸く出来たんじゃない。
横田さん
1985年ぐらいになって漸くって事ですか。
武沢さん
うんうん、1985年で、ある意味そのヒット曲がちゃんと見えてきて。で、自分達の構成でちゃんとしたライブが、コンサートができるようになった時初めてじゃないですか。
横田さん
そうか〜、だって1985年って言ったって、武沢さんたちが東京に出てきてからもう5年…とか経ってる頃ですよね。
武沢さん
そうですね。はい。
横田さん
まぁ逆に言えばその5年間ぐらいは自分達もっとこういう風にやりたいんだけどっていう思いはあったけどもそれはまぁ、出来なかった時代。
武沢さん
そう、ドラムソロまではなかなか、
横田さん
出来ない。
武沢さん
事が多かったので、という事でね。今日は何しろ田中ちゃんの一番いいところをね。ちょっと聴いて、もう一回聴いてみたい。
横田さん
はい。というわけで、1曲目はこちらです。
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横田さん
というわけで35周年の、ライヴという事で。 ライヴから「情熱」。
武沢さん
ね!
横田さん
いやぁ〜。もうーこれが40周年に繋がると思うと…、感激ですね。
武沢さん
そうすね。
横田さん
はい。あの少しずつですが皆さんのお言葉をちょっとご紹介させていただきたいと思います。
まりねさん「35周年=40周年に繋がる、の『情熱』でお願いします。初めて田中さんのドラムを生で聴いてとても感動したのを覚えています。最後のドラムソロでは真剣な表情で圧巻のパフォーマンス。演奏を終えて立ち上がり、スティックを握った手を高く上げ、弾ける笑顔の田中さんが本当に眩しかったです。」
あ、ランダムにいきますね。
ハチドリのひとしずくさん「田中さんのベストパフォーマンスの曲は『ダンサー』です。イントロが特に好きです。エレキと息のピッタリのドラムのリズムと迫力。そしてシンバルの音がシュッと消えるところ、何度聴いても“快感”と思います。『ダンサー』のドラムの音は他の曲と比べても乾いた音だと感じますが、何の違いでしょうか。雲ひとつない青空の様な田中さんの笑顔が大好きです。」
Rieさん「40周年の『情熱』をお願いします。ガーデンシアターの初日、田中さんが現れた瞬間の会場全体が揺れるくらいの驚きと喜びと涙が忘れられません。」
我が人生に悔いはあるさん「田中さんと言えば、1997年2月20日日本武道館、『I love youからはじめよう』の歌唱です。」
え?!歌ったの?(笑)
「玉置さんからの指名で驚きや困った様な表情、照れた様な笑顔、全力で歌う姿がすごく印象に残っています。田中さんの人柄が表れています。今は見ると涙が止まりません」
武沢さん
『情熱』に絞って、あの、一つに絞ってるんじゃなくて…
横田さん
あー、ごめんなさいね、今日なんか出来る限りたくさんご紹介したいなと思ってて色んな人の、色んな曲を紹介しつつ。まぁでも『情熱』いっぱい出てきます。『情熱』が一番多かったですから。
武沢さん
ああ、そうすか。
横田さん
まぁでも次でまず一回。
ちゃんくらさん「『ワンナイトシアター インスト#1』でお願いします。CDの方ドラムソロ、カットされていないと思うので。」
というわけで沢山の方がね、本当に田中さんのベストパフォーマンスに参加して頂いてですね、はい。
というわけでまぁ35周年の『情熱』ですけども、いかがですか?
武沢さん
そりゃもう、最高ですよ!田中ちゃんが1番いいところが全て自分でピックアップして最高のドラムソロに尽くされてるという感じ。昔からあの、さっき言った様にアマチュアの時からドラムソロやってて、何しろ…ライブでもやってたけども、永山のスタジオでね。
横田さん
はい。
武沢さん
田中ちゃんが練習してるじゃないですか。練習。田中ちゃんの練習って基本はね、色々身体を準備する体操っていうかそういうのを含めて、運動ですよ。そういうこともやりつつ、ドラムに座るとまあ色々チューニングとかそういうのもずーっとやってるんですけど。でも基本はまぁ他のメンバーもいますけど、他のメンバーいる時は曲というよりも、ドラム、ブルースセッション。
横田さん
はぁ〜、ブルースセッションをしてたんだぁ。
武沢さん
そうそうそう。カキくんと六ちゃんと、ま、僕が入ったり入んなかったり。他のメンバーが入ったり入んなかったり。まぁブルースセッションやって、次はロックンロール、まぁだいたい、3keyでまぁあの…(♪エレキギターをかき鳴らしつつ)こうですね、オーギュメント。
横田さん
あ、これがオーギュメントか。
武沢さん
そうそう。これ今歪んでますけど、これをクリアな音でやって…
横田さん
そうか!ここでオーギュメントって使えるんか!
武沢さん
ここで、使わない時もありますけど。
横田さん
ここでも使えるという事ですね。
武沢さん
で、だいたいこれをね、例えばこれを1番とすれば、2番、これの繰り返し、もっとクリアな音でね。田中ちゃんは途中でリムカット(※リムショット)っていうんですか?ドゥンカッ、ドゥ、ドゥンカッ…っててまぁこういう風にやって、で、カキくんが最初から(♪エレキでメロディを弾いて見せて)みたいな感じ。
横田さん
まぁ弾かれるわけですね。
武沢さん
で、あのまたオーギュメントの次ね。1番オモテ、(♪フレーズを弾きながら)また同じ様に…、でここで僕が(♪フレーズを弾きながら)こういうマイナー、これはAmエーマイナー、で普通(♪フレーズを弾きながら)こういうのマイナーでやるところを、(♪フレーズを弾きながら)メジャーで入ってるの。
横田さん
ああ〜…はいはいはいはい、
武沢さん
そうそうそう…(♪フレーズを弾きながら)こういう事をやりながら今度3番になると、いきなり盛り上がって。それで2番がオーギュメントで。(♪フレーズを弾いて)リズムがウラで進ませて、(♪フレーズを弾いて)で、田中ちゃんがダンッ、ダン、ダン、ダダダスッ、ダン…てもうオカズが増えていってね。
横田さん
はい、はい。
武沢さん
ほとんど後半はドラムソロみたいな感じになって、今度終わったらそのまま田中ちゃんのドラムソロ。もう何分もやってる。そんな様な練習が多かったですよ昔。
横田さん
うむー。そうかぁ〜。
武沢さん
もちろん、曲を作るアレンジしたりする練習もありましたけど、練習っつーか。こういう、田中ちゃんのドラムっていうのがとにかく、あのバンド…1番大切なところにいるんですよね。やっぱりその、テンションを保つっていうんですかね。で、基本のやっぱりブルースとロックを時々自由に演奏できる、歌無しでね。ま、ここに玉置が入ってきて、もうあの叫びまくったりとか。色々やったりするんです。
横田さん
それは楽しそうですね!
武沢さん
そうなの。だから練習が楽しくて楽しくてしょうがないっていう。もうそういう状態(笑) で、曲を挙げていってだんだんライヴを増やすんです、あ、曲のね、レパートリーを増やして。で、旭川の公会堂で、永山スタジオやりながら、公会堂で演り出した頃は、途中から田中ちゃんのドラムソロ。になったりとか、何分もやってる。
横田さん
はい〜。結構長い間やるんですか、10分とか。
武沢さん
下手すると10分…、そこまでは無かったと思うんですけど…
横田さん
まぁでも5〜6分はやってると。
武沢さん
うん、やってちょっと玉置がそこで休んでたりとか。やってた様な記憶、まぁちゃんと細かいことは僕も覚えてない。
横田さん
いやいやいや、
武沢さん
まぁその頃の方がそういうのが多かったことは確かです。
横田さん
そうかぁ〜。いやー、その頃の音源とかお持ちの方もきっと居るんでしょうね。そして今もそれを聴いて楽しんでいる方もいらっしゃるんでしょう。
武沢さん
そうですね。だから、僕も田中ちゃんのドラム聴きながら本当に素晴らしいので、そのね、その頃から。も、ドラムだけでここまでやられるんだ。…いやぁ、素晴らしい。もう…
横田さん
いや、前あのー、ドラムとかベースの打ち込みをされるっていう話をした時に、結局田中さんとか六土さんの素晴らしいプレイをずっとそばで聴いてたから、それが今自分の打ち込みにも反映されてるって。
武沢さん
ちょ、反映されてるって…いうにももちろん
横田さん
もちろん限界はありますけど。
武沢さん
だからすごい参考になるというか。基本がやっぱり分かるので。だから、どっちかっていうと僕が、特にドラムもベースもそうですけど、やっぱドラム…田中ちゃんが基本なんですよ。自分でね。その、曲を作ったりアレンジしたりする時に。
横田さん
はい。
武沢さん
だから田中ちゃんなら絶対ここでこう来るだろうとかって。田中ちゃんのあのスネアのロールワークとかハイハットとかシンバルのあのかっこよさ。タムの使い方ね。タムの回し方っていうんですか。の、やっぱりそれが基本になってるんでね、本当にそうです。
横田さん
はい。というわけで、その田中さんのドラムがフィーチャーされてると言われている「ワンナイトシアター」の中のこの『インスト#1』というのがあるということで、僕もちょっと初めて聴くんですけども。ちょっと楽しみに聴いてみたいと思います。
武沢さん
はい。
横田さん
こちらです。
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(inst#1 の演奏は22:23〜25:45あたりまで)
横田さん
というわけでOne night theater1985年横浜スタジアムのライヴから、『inst#1』ですけども、これ、まさしくフュージョンでメシ食っていける、(笑)ふっふっふっふっふ…
武沢さん
メシ食っていけるって(笑)
横田さん
いやだってこれ、完全にもうその当時のカシオペアとかね、あそこらへん、ちゃんと彼らともう全く対等の張れる…いやもちろん、素晴らしい…すね〜。
武沢さん
カシオペアさんとかもね〜、素晴らしい。これ、あの、最後のところのね生ドラム、ソロのところね。その前に聞いた『情熱』の時みたいに生ドラムだけでやってるんじゃなくて、いわゆるパッドを叩いてるんですよね、ドラムの。で、パッド、まぁ承知の方もいらっしゃいますけど、ドラムだけじゃなくて、メインの色んな楽器、要するに打楽器のサンプルが入ってる、そのサンプルを単に入れてあるだけじゃなくて、強く叩いたらちゃんと強く鳴って、弱く叩くと弱くね。ダダダダダダっとね。で、民族楽器系のも入ってるし、シンセっぽいのも入って。当時としてはちょうど流行り出したドラムの楽器として、そういうのも取り入れながら。
横田さん
はい。
武沢さん
うん、いい感じ。
横田さん
いや、イケてる音ですね。あの、皆さんのまたお言葉を頂戴したいと思いますけども。 Junkoさん「one night theater 1985年の横浜スタジアムでの『inst#1』の田中さんのドラムソロとてもかっこよかったです。初めて横浜スタジアム。遊園地みたいなセットの中で、野外なのにしっかり聴こえて、しびれました。」
えーまだ今回もちょっとランダムにいきますけれども。
ピグレットさん「『情熱』40周年のガーデンシアターの演出は涙が出ました。まさか翌月にそんな結果になるとは。田中さんのニコニコ笑顔今でも大好きです。最高の癒しです。」
はこべさん「one night theaterの『風』に投票します。田中さんの激しいドラムパフォーマンスも好きですが、この曲の様にそよそよと風がそよぐように歌や演奏を支え、寸分の狂いもなく刻まれるリズムにもううっとり。メンバーを見守る田中さんの後ろ姿にも胸が熱くなります。」
に〜さんさん「安全地帯版『田園』は結界のカップリングの方かもしれません」『田園』の田中さんのプレイが好きだということです。
はい、というわけで、本当にねあの田中さんのプレイ、というか皆さんのプレイ、本当に凄かったんだなぁとあらためてこう思いますね。
武沢さん
そうすね。だから、まあ今日みたいに派手なソロとか目立つのを取り上げるのは当然ということもありますけど。先ほどね、言っていらっしゃったあの『風』とかね、そういう時は、アコースティックサウンドの時の田中ちゃんのドラムの演奏の仕方とか、そういうのもね、あのなかなか素晴らしいんですよね、田中ちゃんね。
横田さん
本当ね〜
武沢さん
もうちゃんと曲を聴いてる。歌いながらも支えてる、みたいな。そういう、ところもありますけどね。もう言うことないです、田中ちゃん。
(後半へ続く)
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xxuab · 7 months
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2023.12.26
昨日はメリークリスマスでした🎄
恐縮ながらここ数年のクリスマスは一緒に過ごしてくれてプレゼントをくれるような人がいたので人へのプレゼントのことばかり考えていたのですが、今年はいないので自分へのプレゼントとしてコーヒードリッパーを買いました やったね‼︎
12.23は日比谷野外音楽堂でのASPのライブに行きました
自然と2023年ライブ納めだったわけですが、今年はライブ初めも日比谷野音だったな~なんて。
野音が発表された時点で運命だと思って
絶対に行こうと決めてました。
日比谷公園にいるときは、前回の記憶がほとんどなくてここで集合写真撮ったな-くらいにしか思わなかったから全然大丈夫だったのに
会場に入ってみるとなんだかずっしりした重みがあって、でも絶対泣いたりしない!と強く思いながら開演を待っていました
BGMが止まって一気に暗くなってメンバーが出てきた瞬間に泣いていましたねえ
なんでだろうね、あの日ここで見たBiSはもうないっていうのを感じちゃったからかな
そんなこと前から分かってるでしょってことで不意に泣いてしまうこと、何度かある。地雷ってやつ?
ASPは3度目の野音だったけれど私は初のASP野音だったから いつもの小さなライブハウスで顔見知りのならず者とわちゃわちゃ遊んでいるフロアしか知らないから どんな感じになるんだろって思っていたけど、リオンちゃんが言ってたように、誰1人置いていかないライブでした
後ろの方までしっかり届いてたし、本当にとっても楽しかったです。いつもは近すぎるが故に全体を見ることって少なくて固定のメンバーを目移りしながら見てることが多いんだけど、この日は全体をじっくり見ることができてこんな風にも楽しめるんだなという発見もありました
初めてASP見たよって人がいるならどうかこの現場の楽しさが伝わっているといいな
アンコール前に発表された武道館公演。
分かった瞬間、声出して泣いてしまった。
上手く言えないけど、ASPへのおめでとうの気持ちと過去への後悔が一気に来てしまった
やっぱり一緒に目指してた目標の場所だったから
なんで今目の前にいるのはあの時のBiSじゃないんだろうって思ってしまったりして
嗚咽が止まらなくて
あ~やっぱりすっごく好きだったんだなって実感しました 野外でよかった。笑
複雑な感情しか持てなかったから、誰にも会わずに直帰しました
東京にいる親友とご飯に行く予定があって本当によかった。
その子もアイドル好きなので色々話す中で、私ってなんでこんなにあの頃に執着しちゃってるんだろうっていう疑問に対しての正解に近いものを見つけまして
つまるところ、“やりきれなかったから” なんじゃないかな、と。
リキッドまでのBiSは本当に勢いがあってこのままZeppツアーして野音いって武道館に行くんだと思ってたし、そこには私もイトーさんもいるものだと信じてやまなかったのにコロナで何にもできなくなって、コロナの間、わたしはいろんな理由をつけてBiSの応援を怠っていました
仕事とか、場所とか、時間とか。
シンプルに特典会もなくてモチベがなかったのもある。
だけど本当は、そういう時期にこそ全力で応援するべきだったよなぁって
夢莉ちゃんの時もそうだったけど、手が届く目標を言ってくれてたのにそれを叶えてあげられなかったのは結局オタクの応援が足りなかったからなんじゃないかな あの時駆け上がってたBiSを止めてしまったのは、今回はもちろん情勢もあるけど それに甘えてしまったオタクにも責任があるよな…なんて考えてしまって
苦しい中でもBiSは頑張っていたのに本当にごめんなさい、というシンプルな後悔
今なら全部振り切ってでも行くのに、もうそれはできないから
人ってなんで過ぎてからしか気づけないんだろうね 後悔先に立たずっていう諺だってあるのにさ 本当に馬鹿すぎるよ
でも少しずつ前に進んでいるとは思う。
ASPのライブを見てイトーさんのことを思い出すことは今はもうないし
気晴らしじゃなくて単純にASPとならず者が好きで現場に通ってるし
もしかしたら あの時あの子達と叶えられなかったものを一つ一つクリアしていくたびに泣いてしまうのかもしれないけど
その度に強くなっていきたいな-と思っている次第です
だから、ASPのことを応援していくし
いとうさんにも会いにいきたいと思っています
わたしの中で、眞踏珈琲店で働くいとうさんはもうアイドルではないし
お店自体がすごく魅力的だから 店主さんや他の店員さんやお客さんにも嫌な思いさせるような通い方は絶対にしたくないと思っていて。
じゃあ最早行かない方がいいじゃん!と思うこともあるのだけど
やっぱりいとうさんのことが好きで
いとうさんが笑ってる空間にいれることが幸せで
いとうさんが頑張ってる、そこに居るって思うだけで頑張れることが沢山あって。
もし突然辞めてしまって、また何してるのか全く分からない世界になってしまったら耐えられないと思うから
今はこの場所に甘えて、たまに行かせてもらおうと思います
まだカレーもガトーショコラも食べてない、早く全部食べてみたいし、コーヒーも美味しすぎて本当は2杯くらい飲みたい。
ドリッパーも買ったということでこの前お豆も買いましておうち時間も幸せです
また行けるように、頑張ります。
2024.02.14 追伸
書いてたらまとまりが全くなくなってしまってただの大後悔文になってしまったから、一生下書きに入れたままボツにしようと思っていたんだけど、「STiLL BE CHiLD」という曲に心臓をぶち抜かれて急にエンジンかかってまとめられました。
あ、新曲出てるや 聴いてみよ
くらいの感覚だったのに
バギューーーーーーーーーーーーン‼️🏹🫀🩸🧟
聴いたら涙が止まらなくて 武道館発表の時くらい声出して泣いてしまった。
なんでなんだろう 涙が止まらないのは
少しだけあの時が恋しくなるからなの?
わがまま
なんでなんだろう 道はないはずなのに
探し続けちゃうのは まだまだ子供なんだな
まだまだ
明るくて可愛い曲なのに寂しくて苦しい
久々にインストを聴きたいと思える曲に出会えました。
刺さりまくってるのに、言葉にならない
この感情をどうしたらいいですか?
はやく生で聴きたいな。みんなと。
(年始の24hを全部見てから、今の6人で武道館まで行ってほしいなって思えるようになりました。応援してます。)
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2022f · 1 year
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20230420
rainybule1224:亮太君のライブ🎸行って来ました~~🎉😍💗 幸せ過ぎて💘夢のような時間でした💘😊💓 このまま時が、止まらないかな✨ って思った💗😍 亮太君、楽しいライブを、ありがとう✨ また、早く会いたい💞😊✨ #藤巻亮太 pic.twitter.com/w7xeuNu4k8 [https://twitter.com/rainybule1224/status/1649056344455155714] RyotaGoforit:弾けば弾けるVol.6 すごくすごく楽しいライブでした! はじけたー✨✨  とっても居心地がよくて幸せいっぱい。 ありがとうございました。  #宮田和弥 #佐藤タイジ #藤巻亮太 pic.twitter.com/7UmO3lsxsA [https://twitter.com/RyotaGoforit/status/1649054105149779968] tiro1717jp:一番後ろの席から観ていました。やっぱり藤巻さんの声はいいなぁ。。疲れた心に染み渡る。ヒーリング効果あり。 #藤巻亮太 #弾けば弾ける pic.twitter.com/VUlI9Og44h [https://twitter.com/tiro1717jp/status/1649049504270938114] reggae_1016:今日は仕事終わりに下北沢へ〜 久々のライブハウスで贅沢な時間でした! #弾けば弾ける #宮田和弥  #佐藤タイジ #藤巻亮太 pic.twitter.com/Bfo2www5AI [https://twitter.com/reggae_1016/status/1649046478386765825] morly_45:あの時の私は15歳。青春だった。カズヤ(さん)全然変わってない。声も。相変わらず足細い。 佐藤タイジさんの人を惹き付ける魅力には圧巻。 そして、亮太くんのフレッシュマン感がたまらなく最高でした 配信ありがとうございました!  #弾けば弾ける  #宮田和弥  #佐藤タイジ  #藤巻亮太 [https://twitter.com/morly_45/status/1649046171841863686] IgmS18dgH3o8aiz:配信してくれてありがとう🥹 めっちゃよかった✨ 宮田さんもタイジさんもカッコよくておしゃべり上手でオモロい🤣 亮太くん途中からしか見れてないからこれから見る🎵  #弾けば弾ける  #宮田和弥  #佐藤タイジ #藤巻亮太 [https://twitter.com/IgmS18dgH3o8aiz/status/1649039852682514434] akicorn1977:とっても楽しくてかっこいいライブを配信で楽しみました💃🕺 弾けば弾けるのスペシャルライブ@武道館、実現しますように😊  #弾けば弾ける  #宮田和弥 さん #佐藤タイジ さん #藤巻亮太 さん #CLUBQue pic.twitter.com/mWAKSuJZjj [https://twitter.com/akicorn1977/status/1649039473265762304] rijooki:弾けば弾けるvol.6 和弥くんと亮太さんの対バンとかもぅ夢のよう…( i _ i )大洪水♡ 曲とかplayに人柄って出るんだよな🎸タイジさんのギターめっちゃカッコ良い⚡ MC含めて最高なひと時だった✨ 配信でも参加出来て嬉しい(-人-) 1週間もオカワリ出来るなんて😇 #宮田和弥 #藤巻亮太 #佐藤タイジ twitter.com/CLUBQue/status… [https://twitter.com/rijooki/status/1649039285637779459] picoron_n:終わったー。 配信チケット買ってよかったぁあ。 良い木晩になりました🎸🌙✨ #弾けば弾ける #藤巻亮太 [https://twitter.com/picoron_n/status/1649036043922939904] FukudaCLUBQue:本日のライブ CLUB Que & 宮田和弥 pre 「弾けば弾けるVol.6」 ゲスト:藤巻亮太、佐藤タイジ 会場はソールドアウト。配信もたくさんの方が見てくれていたようです、会場はお酒を飲みながら参加できる音楽番組の公開収録のようだなと思いました。幸せです! ※アーカイブ有り eplus.jp/sf/detail/3788… pic.twitter.com/PT7mJiFCf1 [https://twitter.com/FukudaCLUBQue/status/1649035989896273921] hooori_teleso:藤巻亮太さんとくるりのオススメ教えてほしいです!! [https://twitter.com/hooori_teleso/status/1649023751839940608] remio_yui39:インスタに写真載せるたびに、最近可愛くなったジャンって言ってくる男まじお前は藤巻亮太か?上から来んなよ雑魚が [https://twitter.com/remio_yui39/status/1649019971069181953] picoron_n:途中からやったけど無事観れた! 弾き語りはギター弾いてる音や姿がダイレクトで好き🫶🏻 かっこよかったなぁ🥹🤍 #弾けば弾ける #藤巻亮太 [https://twitter.com/picoron_n/status/1649003656614907905] Momo_Fujimaki:えいむさんと🍻🎶 #弾けば弾ける Vol.6 #藤巻亮太 pic.twitter.com/uKZvNb3TTu [https://twitter.com/Momo_Fujimaki/status/1648987169124675584] Specialthankssp:藤巻亮太さん 『花びらのメロディー』 優しさ。 pic.twitter.com/QuFX9kfHfY [https://twitter.com/Specialthankssp/status/1648984588235190272] Specialthankssp:藤巻亮太さん 『日日是好日』 マウントフジマキのときの「今日は良い日だなー!」を思い出します。めちゃくちゃハッピーな気持ちになったなぁ。。。今年のマウントフジマキも楽しみです〜😊 pic.twitter.com/czIIDQPmQV [https://twitter.com/Specialthankssp/status/1648983167427297280] yagaiongakudo:5月20(土)、21(日)開催‼️ 猪苗代野外音楽堂【音開き2023】 [出演] indischord 狐火 CRYAMY -acoustic- with すずきたくま(SuU) zanpan 常磐シーサイダース 鈴木実貴子ズ 曽我部恵一 DEFROCK LOW IQ 01 渡邊忍 渡���俊美  ☀️猪苗代 THE SOLAR BUDOKAN☀️ うじきつよし 佐藤タイジ NakamuraEmi 藤巻亮太 pic.twitter.com/0aZBNDFPsJ [https://twitter.com/yagaiongakudo/status/1648971132807290883] outline1:5月20(土)、21(日)開催‼️ 猪苗代野外音楽堂【音開き2023】 [出演] indischord 狐火 CRYAMY -acoustic- with すずきたくま(SuU) zanpan 常磐シーサイダース 鈴木実貴子ズ 曽我部恵一 DEFROCK LOW IQ 01 渡邊忍 渡辺俊美  ☀️猪苗代 THE SOLAR BUDOKAN☀️ うじきつよし 佐藤タイジ NakamuraEmi 藤巻亮太 pic.twitter.com/ypuiNsz4Mn [https://twitter.com/outline1/status/1648960498657034241] shota34057981:粉雪を一緒に歌ってください✨ 重ね録りでのコラボを大募集。 元動画はアコギ一本+サビのハモリのみ。 ボーカル以外の重ね録りも大歓迎。 youtu.be/UKZCSn4pew8  #レミオロメン #藤巻亮太 #演奏してみた #コラボ募集 #粉雪 #nana [https://twitter.com/shota34057981/status/1648949954139004928] _theatrebrook_:本日!! 下北沢CLUB Que & 宮田和弥 presents 「弾けば弾けるVol.6」 佐藤タイジ 出演!!  ■4月20日(木)下北沢 CLUB Que  ■op18:15/st19:00  ■チケット ▷会場:Thank you SOLD OUT! ▷配信:¥3000 bit.ly/3VugfVY  ◾️出演 藤巻亮太/宮田和弥  ■詳細 taijinho.com/?p=9951 pic.twitter.com/GNsSHQwWRH [https://twitter.com/_theatrebrook_/status/1648944607265435648] FukudaCLUBQue:昨日に引き続き本日もソールドアウト! 恒例のシリーズもなんと6回目!! 下北沢CLUB Que & 宮田和弥 presents 「弾けば弾けるVol.6」" 宮田和弥(JUN SKY WALKER(S)) 藤巻亮太(レミオロメン) 佐藤タイジ(シアターブルック) OPEN 18:15/START 19:00 配信あり eplus.jp/sf/detail/3788… pic.twitter.com/mo5A8lg45H [https://twitter.com/FukudaCLUBQue/status/1648940428027150336] CLUBQue:【本日のCLUB Que】 4/20[THU] “下北沢CLUB Que & 宮田和弥 presents 「弾けば弾けるVol.6」”  宮田和弥|藤巻亮太|佐藤タイジ(シアターブルック)  OPEN 18:15/START 19:00  🎫観覧=SOLDOUT  📺配信¥3,000 Streaming+ [bit.ly/3VugfVY] アーカイブ:~4/26まで pic.twitter.com/5qTv0A4dS5 [https://twitter.com/CLUBQue/status/1648886153603612672] akaneteresa:綺麗な夕焼け☺️藤巻亮太さんの新曲、朝焼けの向こうにも何となく似てますね☺️藤巻さんは今日は下北沢のライブハウスでライブです。直接観には行けないけど、配信で観る予定です。 twitter.com/maedaya_olive/… [https://twitter.com/akaneteresa/status/1648832103000465408] es_relax:まさかのコレが選曲😭「答えは出ないけど〜♪」って。。。Amazonは私の心が見えるのか!?!?「春が春が見えなくても〜♪」で号泣😭😭  Amazon Musicにある藤巻 亮太の光をあつめてを紹介します music.amazon.co.jp/albums/B00ULQX… [https://twitter.com/es_relax/status/1648826904018046977]
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georgemcintosh · 1 year
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ponko-2v · 2 years
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2023年あけましておめでとうございます。もう今年入って1ヶ月が経とうとしているのにまだお正月気分。ザお正月を体感していないと逆にいつまでもお正月気分が抜けないことを学んだ2023。今年の目標が2つあって、ひとつ目はちゃんと人に会うこと、ふたつ目は感じたことを文に残していくこと、なので始めた。すぐ書くことなくなりそうだなー、毎日おんなじ繰り返しだしなー、と思いもするけど始めることが大切だと思うので。爆鬱だったときはこんなこと思えなかったので嬉しい。自己満足不定期更新。誰も読まなくていいよ。あとつい先日23歳になった。数字だけどんどん変わっていくので恐ろしい、まだまだクソガキで許されるかなー。誕生日にかこつけて暴飲暴食しまくっていたら胃袋が大きくなった気がする。どんどん食べてしまうのが恐ろしい.....元々脳の仕組みが肥満なので食べることに幸せを感じすぎてしまう。脳みそ快感に弱すぎィってどこかの誰かが歌ってたな。この人にも会いたいな。あ、今年はライブハウスにたくさん遊びに行けたらいいなとも思っている。これはひとつ目の目標に含まれているけど、やっぱ生ってすげーので。2023年1発目は愛しているバンド・ハルカミライの武道館になりそう。すげー、ほんとうに、武道館か〜。場所がどうとか関係なくいいライブするから、とか言いそうだけどやっぱこちらとしては特別に思ってしまうね。めっちゃ久しぶりに東京にも行ける。東京かわいい喫茶店多いから好き。楽しみな予定があるって最高!遠征とかもまたしたいなー、弊社へ、休みください。
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hummingintherain · 2 years
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10月9日(日)|続・ピープルライブ
 昨日。午前中はあまり記憶なし。同日終了予定のあんスタのイベントを走っていた。
 午後になって電車に乗りつぎ、阪急電車で梅田へ。なんだか慣れたもので、コロナの影響で遠出をする機会がすっかり失われていたというのに、京セラドームに行ったりと、急に何かと大阪に行く機会が増えた。せっかく行くならと事前に調べていくつかはしごしたりしたものだけれど、前回の名古屋でのツアーライブ、直前まで美術館に行って楽しかった一方でとりわけ足が疲弊した状態でライブに参戦して、やや後悔したため、今回はライブのみに絞るつもりで、名古屋で買った15周年記念のロンTを着て、外出した。電車に乗っている間に、CSが始まる。時々横浜と阪神の速報を確認しながら、西武とソフトバンクの試合を観る。序盤は一人も塁に出さない投手戦展開が続き、緊張しながら見守っていると、3回あたりから試合が動き出し、ちょうど梅田に着こうという時に柳田選手が3ランホームランを放つ。劇的すぎて息を吐く。首を負傷したという話が嘘みた��に、むしろ怪我をした後だからこそ鮮やかな活躍が目立っているような。
 イヤホンでラジオ形式で試合を流しながら、うろうろと時間を過ごすのに紀伊國屋書店梅田本店に入る。思い出す限りは一度もまともに立ったことがない野球の棚にやってくる。中年くらいの男性が西武の雑誌を立ち読みしている隣に入ってみる。レギュラーシーズンの締めらしい表紙と、ドラフト関連の表紙とがずらりと並ぶ。ぱらぱらと雑誌や本をめくる。オリックス特集を覗いてみると巨大なピンナップに何故かマスクの下で恥ずかしくなる。雑誌の傍には優勝に関してポップが出ていた。入り口にも特集雑誌は並んでいた。そういえばここは大阪だった。阪神に限らずオリックスが前面に出ているとなんだか落ち着かなかった。ライブ前で荷物を多くしたくなく、何も買わずに出た。
 阪急の中を進んで、HEPFIVEやナムコゲームセンターのある方へと抜ける。建物に沿うように斜めに入り込む道路の形状が独特だ。学生時代、大阪で遊ぶのに何度も足を運んだ場所でもあるので、懐かしさに胸の奥がじわりとぬくもる。ライブハウスのある堂山の方へ向かう。はじめは居酒屋が並び、明るいうちから人が入り活気があって、ごちゃごちゃとしたネオンライト具合も大阪感が増し増しになっていき、自分も飛び込んでお酒の一杯でも飲みたくなったが堪える。近付くにつれて、逆に人が少なくなっていき、数歩進めば無料相談所が次々と出てくる道になっていく。キャバクラも多く、既に店先に立って呼び込みをしている女性の姿も見えてくる。次々と景色変わる。きっとライブが終わって夜になったらこのあたりもまた雰囲気を変えるだろう。そして逆に明らかにピープルのライブ目的の人も増えてきて、ピープルの傾向と無料相談所はかなり正反対なので、ちぐはぐさに酔った。
 今回の整理番号は116番で、まだ到着していない人も前には多かったので三人とも見えやすい場所に立った。開演の十分前あたりまでCSを見届ける。九回に入り、あらゆる昂揚を抑え込んでスマホから顔を上げた。  名古屋と違うのは何よりも自分の体調で、身体が軽やか、曲に合わせてリズミカルに揺れる。一曲目から最高、そしてドラムスティックが跳び、苦笑いするベースの福井さんから山口さんに手渡される。序盤から波多野さんが歌いながら口角が上がっているのが見えて、それも嬉しくてどんどんテンションが上がっていく。少しだけ喉の調子が悪いのかな、と思ったのも束の間、思い切り拭い去るような命削ってるかのような歌声や掻き鳴らされる音たちに圧倒される。きっと誰もが演奏の勢いに呑み込まれながら共に乗りこなしていて、音の奔流がライブハウス全体に満ちた。とても、とてもいい空気だった。間の、ゆるっとMCも、観客側の拍手や飛び出す笑いがイイ雰囲気を更に高め、あったけえ大阪そのままに、終盤になるにつれてますます最高潮へ達していき、最後はしんみりと余韻まで誰もが聞き届けた。昂揚と、寂寞とが、同時に混ざる。そのまま保存しておきたいような凄まじい多幸感に包まれて、ライブは終わった。
 前の名古屋の時、メンバーも、周りの人たちも、自分も、どんどん年を重ねても、これからもずっとライブを続けてこの響きに何度でも浸りたいと思ったものだったけれども、その思いだけじゃなくて、かなり大阪の雰囲気が良かったので、コロナ禍の間に一度だけ行われたオンラインライブが急に脳内をよぎった。あのときは観客がいないライブハウスで、虚空に向けて演奏していたと、改めて考える。家にいながらにしてライブを聴けるというのは、コスパという面ではいいかもしれないけれども、決定的に欠けた時間でもあっただろうか。新作アルバムの曲たちを披露したオンラインライブも、それはそれでもちろん最高だったのだけれども、現地でのライブを経験して身体が沸き立つと、肌で感じられる圧と、観客も含めてライブ時間を完成させていく複合的な時間の密度には、到底かなわないと思ってしまう。
 また現地でライブに参加できるようになって、ほんとうによかった~~~~~~~~~!
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epyon2010-blog · 7 years
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ライブハウス武道館!GLAY初日〜 今日のレジェンドシリーズはなんぞや〜 #GLAY #ライブハウス武道館へようこそ (日本武道館(Nippon Budokan))
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yae-blog · 5 years
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https://youtu.be/nVjXCbCohF8
今週も始まりました 「 今日の1極 」 
このコーナーは 選びきれないほどの情報社会のなかで、 
今日ぐらいは1極に! 
をテーマに世界から選りすぐりの1曲を 
マイペース気ままにご紹介する 
BLOGコーナーです。 
記念すべき第64極目は
1981年結成、
1987年に惜しまれながら解散した
日本のロックバンド「 BOØWY 」 が
87年9月にリリースした
6枚目のアルバム「 PSYCHOPATH 」 から
「 LONGER THAN FOREVER 」 を
個人的に
チェッカーズ以降、2番目に衝撃を受けた音楽で
小4、小5頃?
兄の部屋から聴こえてきたのが
2枚目のライブアルバム「 “LAST GIGS” 」
だったような??
曖昧な記憶なのですが、、
確か 解散するか、 したかのタイミングで
まあ
どちらにしても
「 はじめまして、さようなら 」の
甘酸っぱい出会いではありました。
ジャケット下のグレーのリンクから
Fukumoto
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emilylikestennis · 4 years
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エンリケ後悔王子
※本テキストはPCでご覧頂いた場合雑誌風の縦書き表示となります。
先が見えない。行き詰まりのどん詰まりで我々は今抗ったり、受け容れたり、或いは諦めたりしている。想像した未来はもっと華やかで便利で、そうじゃないとしてもマトモだったはずなのに。
効率化を突き詰めればその先には『死』しかない。バンドは非効率の極みだ。その非効率を更に極め、自ら修羅の道を行く痴れ者たちことエミリーライクステニス。今回メンバー全員にインタヴューを敢行することにより、その哲学がヴェールを脱いだように思う。まずは唯一のオリジナルメンバーであるエンリケ後悔王子だ。
(聞き手:早瀬雅之)
友達もいないけど、いじめられるでもない。何もない。毎週ブックオフに行ってた
●まず生い立ちを訊こうかなと。
「出身は群馬の前橋っていう県庁所在地なんですけど」
●結構中心地というか栄えてる?
「いや、死んでますね(笑)。オリオン通り商店街っていうのが近所にあったんですけど、ブラックビスケッツが一体五万円の木彫りのブラビ像を売っていて、どうしても売れなかった最後の一体を買い取ったのがその商店街で。商店街の人が『この通りの名前もブラビ通り商店街にしましょう!』って言ってた(笑)。そんな街です」
●ええ…。今もその名前なの?
「多分…。僕が大学生くらいの時にその近くにモールが出来ちゃって、商店街は蹂躙されちゃったんですけど、そこに新星堂があってD☆SELDOMっていう安いオムニバスと、フリーペーパーを毎月取りに行ってた記憶が」
●ああ、出してたね。それが情報源みたいな。
「そうそう、音楽雑誌かそれ。タワレコは高崎に行かないとなかった。県庁は前橋なんですけど高崎の方が栄えているんですよね」
●何か栄えているイメージがあるよね。
「自分の思春期で結構(高崎に)持ってかれたかな。ヤマダ電機の本店とか」
●ライブハウスもclub FLEEZが高崎に移って。
「そうそう、G-freak factoryの根城でお馴染みの」
 ●家族構成はどんな感じだった?
「祖父母と両親と姉と兄と…」
●三人兄弟?
「姉貴が九個上で兄貴が二つ上ですね。だから僕が小学生のうちに大学進学で家を出ていきました」
●何か姉弟仲が良いイメージがある。
「今でも年数回会うし、兄貴も姉貴もうみのてのライブ観に行ったことがあったはず(笑)」
●その節はどうも(笑)。
「洋楽を最初に教えてくれたのが姉貴で、後は兄貴とオルタナを掘ってたかな」
●なるほど。やっぱり上に兄弟いると強いというか影響受けるし、早熟になるというか。
「そうですね。一番最初は小学生の時に、姉貴がミスチルのファンクラブに入ってたので、当時出たDISCOVERYかな。あと深海をずっとカセットで聴いてた記憶が」
●いい入りなんじゃない?
「入門編としては(その二枚は)間違っているような(笑)。あとは兄貴がビーズが好きだったから聴いてましたね」
●じゃあ結構音楽には入っていきやすい環境だったんだね。
「両親は大学の合唱団か何かで知り合ったんだっけな。あとはクラシックが好きで。音楽番組を観てると「最近のは全然わかんねーな」って機嫌が悪くなるような感じの人でした」
●タチが悪いやつだ。
「かと言ってクラシックを強要するでもなかったですけどね」
 ●学校ではどんな感じだったの?
「小学校入るまではものすごく引っ込み思案で。それが小学校入ってからすごい、何か陽キャみたいになって」
●え?そうなの?
「文集のランキングに入ってる『面白い人』とか『将来有名になりそうな人』とかあらかた名を連ねてるんですよ。今じゃ考えられないんですけど(笑)」
●何でこうなってしまったんだ、みたいな(笑)。
「いわゆるクラスの中心人物だったんですよね。アクティブな。でも小五くらいからかな、今思うと些細なことですけど、自分の家庭が新しいガジェットに対してものすごい嫌悪感を出すというか。プレステとかアドバンス買ってくれないみたいな。それで段々みんなの話題についていけなくなって、翳りが見えてきた(笑)」
●(笑)。
「結局小学生の「面白い」「つまらない」の尺度って如何に話題を共有できるかがほとんどじゃないですか」
●そうだね。特にゲームとか。
「あと漫画、昨日のテレビ、流行りの音楽くらいか…。段々それについていけずに、スクールカーストが下がっていく(笑)」
●でも野球やってたし、運動なんかは出来る方だったの?
「小学生までは自分が主人公だったから(笑)。少年野球で打率六割くらいあったし。『ヒット打つの簡単じゃないですか?』とか言って調子に乗ってた」
●ムカつくなぁ(笑)。
「シングルヒットしか打てなかったんですけど。早熟だったのかな。当時は背も小さくて痩せてて。段々みんな身体が大きくなって。中学くらいだともう置いてかれちゃったみたいな」
●今の感じに段々近づいてきたね(笑)。
「中学くらいで陰と陽が逆転して陰の者に(笑)。タウン&カントリーの黒い方になっちゃった」
●陰陽のマークね(笑)。部活はずっと野球?
「中学は野球で、高校も途中まで軟式をやってたけど「勝つぞお前ら!」みたいな顧問に代わって…。高校の軟式野球ってすごいヒエラルキーが低いんですよ」
●そうなの?
「甲子園もないし。甲子園決勝の一週間後に明石の球場で偽甲子園みたいなのをやってるけど、誰も気にしてないというか」
●硬式と軟式ってまったく別物?
「全然違う。硬式はボールがまず痛い」
●(笑)。
「練習が好きだったんですよ。でも試合は緊張するから嫌いで。それと硬式は甲子園を目指してレギュラー争いもそうだし、負けたらお終いみたいな…。野球は好きだけど、競争とかバトルしたくない、みたいな精神性でしたね」
●ああ、そうなんだ。
「こっちは楽しく野球やりたいのに、強要するなよ。って。その顧問は初心者をすごくないがしろにしていたし。それで辞めちゃった」
●勝ちたいよりも楽しみたかったんだね。高校のカーストは?
「中学で底辺で…。紅白戦でわざとデッドボール当てられたりするんですけど」
●イジメじゃん(笑)。
「『先輩、塁に出られてよかったッスね』みたいな。だからとにかく、輩とかしょうもないいじめっ子がいない進学校に行くしかないっていう強迫観念だけで勉強してました」
●その頃は頭はよかったんだ
「うん。学年で十番以内だった」
●おお、すごい。
「それで前橋高校っていう男子校の進学校に行って。そこはね、スクールカーストがなかったんですよ、何もない。いい大学行けるように自由にやれ。みたいな」
●グループがないの?
「いや、グループはあるしもちろんイケイケな奴もいましたけど、男子校なのでカーストを思い知らされる現場に遭遇しない。『あ、あいつ俺の好きな子と一緒に帰ってる…!!』みたいなシーンを見ないで済むというか。たぶん九割以上童貞だったはずですよ」
●男子校だとそういう劣等感は生まれにくいのかもね。
「そう、友達もいないけど、いじめられるでもなく。何もない。部活が終わったら自転車圏内にある三つのブックオフを毎週ローテーションするだけ。三週間後に行くと微妙にラインナップが変わってて。あとはツタヤで安い日に下北系を借りまくる日々」
●なるほど。
 ●話が戻るというか変わるけど、兄弟の影響とかありつつも、高校くらいは自分の意思で音楽を聴いてたの?
「そうですね。中学終わりくらいまで洋楽を聴いてなくて。兄貴がツェッペリンとかハードロックが好きで聴かせてきたんですけど、ハードロック伝説みたいなエピソードあるじゃないですか」
●はいはい。ありますね。
「オジーオズボーンがコウモリ食べたとか、ホテルでグルーピーと…とか。それがすごくカッコ悪く感じて」
●ああ、ロッククラシック的なエピソードが。
「『俺たち、ロックだぜ』みたいなのが嫌だったんですよ。でも中三の時に姉貴がWEEZERを『これ聴きやすいよ』って貸してくれて。それですごく衝撃を受けた。こんな冴えない人がバ���ドやってるんだ!みたいな」
●大味なロックバンドよりもうちょっとパーソナルなのが好みだった?等身大の。
「そうそう、等身大の。中学の野球部引退した後から邦楽のギターロックにハマりだしたんですよね。くるりから始まりモーサムとかシロップとか。ちょうどその頃全盛期だったんですよ。アジカン、アシッドマン、レミオロメンの御三家を筆頭に…」
●一番アツい時期だね。後に続けとたくさんのバンドが。
「あとアートスクールとバーガーナッズかな」
●UKプロジェクトとかQuipマガジン的な。下北が盛り上がってた頃だ。
「で、洋楽はWEEZERからオルタナとかシューゲイザーにハマっていった」
●今でもその辺りは好きだと思うんだけど。その時期に聴いていたものがバンドのルーツになってる?
「そうですねぇ、初めてやったバンドはNIRVANAのデモみたいな音質の、汚くて演奏が酷い感じだったような(笑)」
●ライブ初体験は?
「一番最初は中三の時に行ったゴーイングアンダーグラウンドかな」
●おお、意外。
「受験期にハートビートが出て、ずっと聴いてたんですよ。後は高校のとき、FLEEZにアートスクールとか観に行ってた。早瀬さんも行っていたとされる…」
●パラダイスロストのツアーだっけな。モーサムと。
「あと結成当初の秀吉が出ていた」
●意外と群馬はバンド大国だよね。
「当時はメロコアと青春パンクが強かったですね。で、陽キャがそういうのを聴いてるから逆張りで内省的なギターロックが好きだったのかも知れない。バンドに一切罪はなくても、銀杏とかが聴けなかった」
●ああ、自分が入っていく余地がないみたいな?
「そうですね」
●そこから大学に行くタイミングで上京?
「はい。東京じゃなくて横浜だったけど」
 橋本君に『こんなくだらないとこ、さっさと抜け出そうぜ』って言って軽音部を辞めた
●そういえば楽器っていつ始めたの?
「中学の選択授業で体育選んだのに手違いで音楽になっていて、ピアノも辞めちゃったしどうしよう。ってなって」
●ピアノやってたんだ。
「小一から小六までやったのに何も身につかなかったけど。ト音記号の場所しかわからない。コンクール用の曲をひたすら半年前から練習してやり過ごしてたと思う。で、その授業でどうしようかなと思っていたら、いとこで駅でギター弾いている子がいて、その人がギターを貸してくれて。ゆずの楽譜とともに(笑)」
●まったく(ゆずを通った)イメージない(笑)。
「それでその曲は簡単だから何となく発表も乗り切れて。でもある日家に帰ったら兄貴がギター弾いてて、既にFとか抑えられるんですよ。『俺が借りたのに!』って。すごくムカついて(笑)」
●ああ、利用されたみたいな。
「そう。それでロクに弾いてなかったけど、高校受験の直前にギターロック聴きだしたからエレキが欲しいってなって。親に受験終わったらいいよって言われたんです。そしたら兄貴が『絶対ベースを買うべき。エレキは俺の弾けばいいから。ベース弾ければ高校でバンド組むとき重宝されるぞ』って言うんですよね」
●そうかな…。
「そしたら受験真っただ中で最初に話したオリオン通りにある新星堂が潰れることになって、弾くのは受験終わってからって約束で閉店セールでベースを買ったんです。で、勉強しててこっちは弾けないのに兄貴が弾いてるんですよ(笑)」
●ズルい奴だな(笑)。
「結局自分が弾きたいから弟に買わせると」
●それで「ベースを買った方がいい」って力説してたんだ。
「そうなんですよ。で、兄貴が僕が高二のときに大学進学でエレキ持ってっちゃって。家にアコギとエレキベースだけがある状態(笑)」
●厳しいね。
「しょうがないからアートスクールのベースをずっと耳コピしてて。部屋を暗くしてコンポ爆音でヘッドフォンつないで、小さいアンプからベースを弾いてる。親からしたら心配ですよね。子供部屋から重低音だけが鳴っている」
●うちの息子は大丈夫かって(笑)。
「受験の時もそうだしいろいろと心配をかけましたね」
●大学はどうやって選んだの?
「結果論というか、もともと大学デビューしたくて関西の方の大学を目指してたんですけど、高校の先輩が行ってた大阪大学ってところを志望校にして。センター試験って会場が適当な高校に割り振られて受けるんですけど、なんと会場が自分の高校の自分のクラスだったんですよね」
●えーすごい偶然だね。
「そのホームグラウンドで何故か受験科目を間違えて(笑)」
●何で(笑)。
「一日目にロッカー開けて確認したら『あ、阪大受けられないじゃん』って。それでやる気がなくなって高校も行かずに、もうA判定のとこならどこでもいいやって思ったら国公立の前期も落ちて、たまたま後期で引っかかって、気づいたらビーズの稲葉の後輩になっていたと。進路が決まったのが三月の二十日過ぎだったと思う」
●めちゃくちゃギリギリだな。
「ロックコミューン(立命館の音楽サークル)に入りたかったですね。くるりを輩出したでお馴染みの」
●あとヨーグルトプゥね。
「そうそう(笑)」
 ●そこでエミリー結成したの?
「満を持して『バンドをやるぞ!』って軽音サークル入ったんですけど。上下関係が厳しくて。しかもみんなメタルのコピバンをやっている。学園祭になるとOBたちが集結してジューダスプリーストとかやってるみたいな(笑)」
●すごいサークルの良くない感じが出てるね。
「新入生はすぐバンドを組んで五月にお披露目ライブで一曲やらなきゃいけないんですけど、僕は何故かたまたま同じ大学に進学した高校の同級生三人とバンドを組んだんですね(笑)」
●意味ないじゃん(笑)。
「陰の者同士で(笑)。それで何かコピーしようとしたけど全員下手過ぎてコピー出来なかったんです。ドラムはドラムマニア上がりでベースとギターはほぼ初心者で。だからオリジナル曲をやることにしたんです。で、同時期に橋本君ていうサークルの同期のミクシィが炎上しちゃった子がいて。『軽音部は内輪ノリでクソ寒いカスの集まりだな』みたいなのが先輩に見つかって」
●うわ怖いなー。
「その子もお披露目ライブで頭脳警察みたいなオリジナル曲やって。すごいカッコいいんですけど、めちゃくちゃ物を投げられるんですよね。ライブ中に。その後何故か僕のバンドも物を投げられまして(笑)」
●すごい荒廃してるな(笑)。
「終わった後橋本君に『こんなくだらないとこ、さっさと抜け出そうぜ』って言って辞めましたね。で、他の音楽サークルにロバートジョンソン研究会っていうのがあったんですけど」
●なんだそりゃ(笑)。
「あんまり研究してる感じはなかったかな(笑)。まぁ、ブルースとかハードロックのコピーをする割と穏健派のサークルだったんですけど。新歓行ったら最後に名のあるOBみたいなのが袖からわらわら現れて、十人ぐらいで「いとしのレイラ」を弾いてるんですよ(笑)」
●それは、ダメだね(笑)。
「ここもダメだって(笑)。で、ある日ロック研究会っていうサークルが大学の路上でライブをやってて。JR ewingっていうノルウェーのハードコアバンドのカバー…その時はカバーって知らなかったんですけど。それを演奏してて、ドえらいカッコよかったんです。赦先輩の同級生たちだったんですけど。で、そこに入ろうと思ったら、『ここはサークルというか半年5000円でスタジオ利用権をバンド単位で買う人たちの集まりだから、まぁ好きにしなよ』みたいな」
●へー。
「当時赦先輩はすごい怖い先輩とスリーピースやってて、赦先輩も怖かったんですよね」
●ちょっとイメージと合わないね(笑)。
「そうですね。『後のバンドメンバーである』って漫画だったらナレーションがつく」
●『この時はまだ知る由もない』みたいな。
「(笑)」
  今日大学ですごい面白いことあったのに、ライブで今歌ってるの、めちゃくちゃ暗い歌詞だなぁコレ
●なかなかエミリー結成しないね…
「いや、その同級生とのバンドが大学一年の終わりくらいに解散しちゃって、遅いハードコアをやってたんですけど」
●遅いハードコア(笑)。
「で『よし、今度はシューゲイザーをやろう』ってエミリーライクステニスが結成された」
●シュー…ゲイザー?
「当初はギタボが自分で、ベースが女の子で、ドラムは残留して、あとギター兼フルートがいた」
●編成だけ聞くとそれっぽいね(笑)。
「そうなんですよ。で、新歓ライブをやったらフルートが『カッコ悪いことしたくないわ』って抜けちゃって」
●曲はオリジナル?
「全部自分が作ってましたね。で、スリーピースになっちゃって、ギター二本ないとキツいわって思って。当時僕とドラムがポストパンクにハマってたんで、じゃあそういうのをやろうってなって。それが2008年の夏くらいかなぁ」
●なるほど。バンド名はずっとエミリー?
「そう。でもその後ドラムがギャンブルにハマっちゃって」
●ああ、良くない方向に。
「どうしたんだよ、って家に行ったらスロットの筐体が置いてあって」
●もうダメだ。
「それで脱退して途方に暮れてたらバイト先にクロアチア人が入ってきて。『ドラム出来ます』って言うからあ、ちょうどいいじゃん!って。デヤンさんっていうんですけど」
●加入したの?
「うん。クロアチアン・パンク時代ですね」
●そんなのあるの?
「いや、わかんないです(笑)。で、その人がライブの前日に『もうすぐ子ども生まれるからライブ無理かも』ってメールがきて、マジかと思ってたら翌日普通にリハ来てるんですよ(笑)」
●(笑)。
「『赤ちゃん大丈夫?』って訊いたら『昨日生まれて今ガラスん中入ってるから大丈夫』って」
●ガラスん中(笑)。
「それがきっかけかわからないけど、家族の圧により2009年の春くらいに脱退して。その後ベースも辞めるってなって」
●とうとう一人に。
「そう、で、どうしようと思ったんだけど、サークルの一学年後輩に泉君っていう毎日JOJO広重のブログを読んでる子がいて」
●だいぶオルタナティブだな(笑)。
「その子にベースをやってもらって、あと二つ下の武井君って子がドラムに加入した」
●だいぶ変わったね。
「でもその頃の音楽性はポストパンクとニューウェーブみたいな感じのままですね。で、どこでライブやっていいかわからないから、横浜…中華街の近くのライブハウスに毎週出てた」
●あーあそこね。
「そう、あれは本当に時間の無駄だった」
●(笑)。
「ブッカーにすごいナメられてたんですよね。暇な大学生の穴埋めバンドって」
●学生のバンドっていうのはねぇ…。
「酷い時は『来週の水曜日出れる?』みたいな。で、『面白いイベントになりそうなんだ』って言うから出てみたらアコースティック・ナイトってイベントで(笑)」
●酷いな(笑)。ありがちですね。いや、ありがちじゃよくないんだけど。じゃあ横浜が多かったんだ?
「あと下北のいろんなところに、殊勝にもデモを送ってたんですよ。モザイクとか251とか、今思うとちょっと違うんだけど(笑)」
●カラーが違うね(笑)。でもちょっとずつ広げようとする気持ちが。
「あと当時MySpace全盛期で」
●流行ってたね。
「そこでモーションとグッドマンと…葉蔵さ���(中学生棺桶、例のKのボーカル)が働いてた頃のバベルかな。誘ってもらって。『あ、あっちから誘ってもらえることあるんだ!?』みたいな」
●『音源を聴いて連絡しました』みたいなのね。
「そうそう。まぁ、いわゆる平日の条件で今思えばアレですけど、それでも嬉しかったですよね。だからその人たちの悪口は言えない」
●(笑)。見出してくれたから。
「別にそこから鳴かず飛ばずですけど(笑)」
●(笑)。でもそこで知り合ってまだ付き合いがあるバンドがいる。
「そうそう。だから初めてモーション出たときのブッキングは今でも覚えてて、クウチュウ戦(現Koochewsen)、ギター大学、プラハデパートっていう」
●すごいメンツだな(笑)。
「すごいですよね。で、クウチュウ戦なんて年下じゃないですか。なのに上手過ぎて。『え!?東京ってこんなにレベル高いの??』。もう、幽遊白書の魔界統一トーナメントみたいなモンですよ」
●こんなすごい奴らが何の野心も持たずに…っていうやつね(笑)。
「そう、雷禅の喧嘩仲間のくだりね。で、初めてバンド友達が出来たというか。otoriとかもかな」
●音楽性的にも共鳴出来て。
「同世代だし。そんな感じでやってたんですけど、ライブやった後めちゃくちゃテンション下がるんですよね。当時の音楽性が」
●自分たちの音楽性のせいで?
「そう、お葬式みたいな気持ちになるというか。早瀬さんは四人になってからしか観てないと思うんですけど。当時は歌詞も暗いし」
●今とは全然違うね。
「うん。リフとか再利用してるのはありますけどね。普段部室で泉君とムーの話とか未解決事件の話をいつもしてて、そういう瞬間はテンション高かったり楽しかったりするのに、ずっと暗いことを歌ってなきゃいけないのはしんどいなって」
●最初の部活の話と少し繋がってくるかもね。
「うん。あと暗いバンドをやっていると暗くなきゃいけないと思っていて。打ち上げはしちゃいけない。みたいな思い込みもあり(笑)」
●イメージに縛られ過ぎてる(笑)。
「でも『死にてぇ』とか歌ってた人が打ち上げで乾杯してたら違和感あるじゃないですか。そういう強迫観念で自家中毒になってしまったというか。『今日大学ですごい面白いことあったのに、ライブで今歌ってるの、めちゃくちゃ暗い歌詞だなぁコレ』って」
●過敏だったんだね。
「センシティブだったんですよ。グッドマン出ても(ブッキングの)鹿島さんにすごいディスられてたし」
●ダメ出しが。
「で、MCだけすごい褒められる(笑)。当時三曲くらいやると僕が小噺をして(笑)」
●面白エピソードみたいなのを。
「『この間バイト先で…』みたいな。今思うとああ、平日のモーションだなぁって思うんですけど(笑)」
●そうだね(笑)。
「でも『この後もカッコいいバンドばっかり出るんで最後まで楽しんでいってください』とかは言ったことないですよ」
●『名前だけでも覚えて帰ってください』みたいな奴ね。
「(笑)。そう、それも言ったことないです。で、だんだんしんどくなってきたんで、どうしようかなと。当時の曲作りが僕がリフを持っていって、泉君がめちゃくちゃにするみたいな感じでやっていて。ドラムの武井君はすごいいい奴なんですけど、当時から曲の展開が多くて、たまに展開を忘れて、止まっちゃうんですよドラムが(笑)。ドラムの音がなくなったその瞬間僕と泉君がキレて楽器を投げつけてしまう。そういうことをしてたら『正直もうしんどいッス』って言われて、本当に申し訳なかったなと思いますけど」
●行き詰ってるね…。
「当時二学年下に獣-ビースト-とT-DRAGONがいたんですよ。僕が四年生、泉君が三年生の時です。みんなロック研究会にいたからそれなりに話してたんですけど、T-DRAGONは当時ノイカシのシグマとよくわからないバンドをやってて、あんまりパっとしなくて。獣-ビースト-はもっと謎で、時折八時間くらいスタジオ抑えてるんですけど、一人で入ってて何やってるかよくわからないんですよ」
●怖いな(笑)。
「本人曰くテクノっぽいのを作ってたらしいんですけど、結局一度も日の目を見ることなく。で、見た目がセドリック(At the Drive-Inのボーカル)っぽいじゃないですか。当時今よりもセドリックっぽかった。それでT-DRAGONに武井君の代わりに叩いてってお願いしたら、ライブとか観に来てくれてたのもあり割と快諾してくれて。で、獣-ビースト-に『At the Drive-Inみたいなバンドをやることになったから。ボーカルやって。この日スタジオいるから』ってメール送って。返事がなかったんですけどちゃんとその日スタジオに来てくれて、漸く今の編成の原型が出来たんですよ」
●やっと今の形に!
「いやー長いですね。この時点で大学卒業する直前ですね」
  仕事に好きとか興味とか求めない方がいいな。土日休みならバンド出来るから
●就職とかはどうしたの?
「大学三年の秋くらいに『どうしよっかなぁ』って出版社とか何となく受けていて。で、僕はマルチタスク機能がものすごく低いんですよ。いろんな会社を同時に受けるみたいなのが出来なくて、一社受けてそこそこのところまで行って、落ちて、また別のところにエントリーして、みたいな」
●落ちるとゼロになっちゃう。
「そう。変に真面目なところがあるんですよ。面接で絶対「弊社が第一志望ですか?」って訊かれるんだからそこ以外受けちゃダメだよな。みたいに思っていた。あと某音楽雑誌の会社も受けたんですけど圧迫面接だったんで逆ギレして帰った」
●えー圧迫面接なんだ。
「エントリーシートに物凄い熱量をぶつけたんですよね。そしたら面接官に鼻で笑われたというか。『随分音楽が好きなんですね。ハハッ』みたいな。ライターの坂本真里子が好きだったんで受けたんですけど。まぁ入る価値のない会社ですね!って」
●すごいな。
「そういう感じで疲弊してきたからとりあえずモラトリアムを伸ばそうと、大学院行こうかなぁって思ったんですよね。そしたら親もそうだけど姉がすごい説教をして。うちの姉はすごい傾き者なんですよね(以下、傾き者エピソード)。で、大学院も行かない方がいいか、と。それでもう仕事に好きとか興味とか求めない方がいいな。土日休みならバンド出来るから。って今の会社に入ったんですよ」
●就職してからバンドとの両立はどうだった?
「難しいというか、当時僕が一番年上で唯一社会人だったからノルマとかスタジオ代全部負担してたんですよね。それがキツかったかな(笑)。たぶん2014年初頭くらいまで」
●結構最近までじゃん(笑)。
「獣-ビースト-とかT-DRAGONが就職するまでは基本的にあまり負担させないようにしようと。赦先輩も当時サポートだったし。でもグッドマンとモーションは本当に良くしてもらったから。あと両立と言うか…。僕大学を卒業する時に大学の近くに引っ越したんですよ」
●卒業するときに?
「意味がわからないんですけど。入った会社が家賃補助がないということに気づいて、極限まで安いところに住まなきゃって。本当にヤバい、タックルしたら崩れるような家。後にT-DRAGONもそこに住むんですけど」
●安いってどれくらいなの?
「えっとね、18000円」
●安すぎでしょ!!
「七畳+キッチン+風呂トイレ別でそれですからね。本当は20000円だったけど入るときに『大学院生です』って言ったら安くしてくれた(笑)」
●いいなぁ。
「いや全然良くない。ボロいなんてもんじゃないですよ。木造の長屋を三分割して三部屋になってるんですけど。築は…五十年くらいかな。で、風呂が外にあるんですよ」
●共用?
「いや、共用じゃなくて、もう一つのプレハブ長屋みたいなのがあって、それが三分割されてるんですよ」
●なるほど。
「で、その外風呂が、外からしか鍵がかからない(笑)」
●閉じ込めることしか出来ない(笑)。
「そう。で、大学が近いので土日のスタジオは大学でやってたんですよね。ライブは基本土日で。平日のライブの時は誰か後輩に楽器を託して…。無理やりやってましたね」
●その頃はもう割と東京のオルタナシーンに食い込んでる感じの。
「確かうみのてと対バンしたのが2012年初頭で」
●一月だった気がする。
「グッドマンでね。あれが転機っていうと大げさですけど」
●いわゆるライブハウスに良く来る人たちに知られた感じかもね。
「その頃はやたらトリプルファイヤーと対バンしてた気がする。2012年から今でも親交がある人と一緒にやり始めた」
●まだ2012年だ。
「長いですね。とりあえず赦先輩が入るまでの話をすればいいかなって…」
●いつだろ
「2013年の春くらいかな。で、2012年の春に泉君が大学院に進学するんですけど、関西に行っちゃったんですよね。もう続けられないねって。で、サークルのかなり下に内海君ていうスキンヘッドの子がいて、見た目がいいから誘った。それが失敗だった(笑)」
●まぁいろいろ、あったね(笑)。
「うん、いろいろあった(笑)。それでバンド辞めてもらって。赦先輩はしばらく連絡もとってなかったんですけど、サポートやってもらえませんか?ってお願いして。で、なし崩し的に正規メンバーになってもらった。現在に至る」
●赦さんが入ってだいぶ音楽性に幅が。
「内海君の頃までほとんど僕が考えてたんですけど、赦先輩が入って初めてスタジオで曲を練り上げる、みたいな。バンドっぽくなってきた」
●他のメンバーのエッセンスが入ってきて
「こういうフレーズはどうかな、とかイメージを膨らませたり」
●やっとバンドらしいエピソードに(笑)。
「そこまで辿り着くのに五年くらい要してる(笑)」
●そこからは今に至る。
「メンバーは変わらないけど、音楽性はだいぶ変わったかな。ハードコアが薄れて…何というかメタ的な曲が増えた」
●そうだね、ハードコアでもプログレでもない、何とも言えない。
「何とも言えない(笑)。演劇の要素だったり、曲の中にもう一曲あったりとか」
●はいはい。
「構ダンカンバカヤロー!を観て『あ、こういうのでもやっていいんだ』とかボーダーを再確認させてもらってますね」
●アウトとセーフの線引きを。
 ●バンドの成り立ちはこれくらいにして、曲のアイデアとかどういう時に考える?
「基本のリフは今でも僕が考えるんですけど、スタジオで試して、カッコいいだけだとボツになるんですよ(笑)」
●(笑)。
「後はコンセプトをみんなで固めて。リフのパーツを無数に作っておいて、当てはめる感じ。シチュエーションとか」
●コンセプトありきでそこから曲と歌詞?
「それがないと今は逆に作りづらいですね」
●歌詞は誰が?
「今はほとんど獣-ビースト-です。Brand-new suicides(エミリーの楽曲の中に登場する架空のバンド)の曲だけ僕ですね」
●そうなんだ(笑)。ライブの時の意識は変わってきてる?
「昔はカッコよく思われたいみたいなのが多少あったと思うんですけど、今はもうとにかく面白いかどうか、みたいな。『さぁ、消費しろ!』って。最悪『何も思い出せないけどとにかく楽しかった』でいいや。って。『よくわかんなかったけど面白かった』でいい」
●それはすごくいいことだと思う。
「『よくわかんないけど凄い』という方向だと絶対勝てないじゃないですか。グランカとかルロウズとか。最高峰に。そっちは無理だから、変化球で攻めるしかない」
●ライブ中ってどういうことを考えてる?
「なるべく仕事のことを��えないようにしている(笑)」
●(笑)。
「ハンターハンターのシャルナークのオートモードみたいな。あれに近い感じになると割といいライブが出来ますね。今何を弾いてるとか一切考えずに弾けるときがあって。逆に『このフレーズ難しいんだよな』とかふと思い出すと弾けなくなっちゃう」
●邪念が入ってくるとね。
「だからなるべくオートモードで弾くようにしたい」
●展開がすごく複雑だから身体が覚えるまですごく時間がかかりそうな印象があるけど。
「でも正直、曇ヶ原(エンリケ後悔王子が過去在籍していたプログレバンド)より全然覚えやすいですよ」
●マジか(笑)。
「曇ヶ原はA→B→フォントが違うA→フォントが違うBみたいな感じで繰り返しが多いけど微妙に違ってて。でもエミリーはとにかくAからZまで覚えるだけなので(笑)」
●なるほどね。
 ●平日はどういう生活をしてる?
「仕事に行って、帰って、疲れて寝る。みたいな(笑)。『無』でしかない」
●仕事終わった後に何かするって難しいよね。
「平日何も出来ない病なんですよ。かれこれ十年」
●音楽は聴いてる?
「精神的にキツいと音楽も聴かなくなるというか、耳馴染みがいいやつしか聴けない時がある」
●新しい物を受け入れる体力もない時はあるよね。
「昔のJ―POPとか、中高のとき聴いてたのとか」
●最近はどんなのを?
「ジャンル的にはユーロビートですかね」
●ええ!?
「あれって速いんですけど、リフ的にオイシイというか。ファミレスで言うとミックスグリル定食みたいな曲ばっかなんですよ。キラーリフてんこ盛りみたいな」
●詰め込んである感じで。
「これは意外とヒントがあるなと」
●なるほど。バンド的に取り入れるぞ!って意識で聴いてるの?
「サウンドは取り入れようがないので、和音のリフとかフレーズを参考にしている感じ。あとは昔J―POPとして聴いてた、例えばglobeとかSPEEDとか、それをCDで聴き返すとめちゃくちゃ発見がある。『この曲のバンドサウンドすごいな』とか『あ、あの曲のパロディーなんだ』みたいな」
●メロディーしか覚えてなかったけど、聴き返すとアレンジがすごい、みたいなのはあるよね。
「そうそう。小さい頃はマイラバの声は『すごい声だな』って。オーバーダビングの概念がないから(笑)。みんなホーミーみたいにああいう声を出せるんだと。ミスチルとかめちゃくちゃハモれてすごいなって(笑)」
●すごい技術だ(笑)。
  記録媒体として一番長持ちするのは石か壁画なんですよ。レガシーをね、遺したい
●バンドをやってもう結構な歴があるけど、やってなかったらどうなってた?
「うーん。土日関係ない仕事をしてたかなぁ。あの…中学の時の夢が『オリックスの球団職員になること』だったんですよ」
●球団職員なんだ(笑)。
「プレイヤーとしての限界は悟ってたので(笑)」
●裏方でもいいから野球に携わるという。
「もっと前は小説家とか、マンガ家とか。いわゆるキッズが憧れるクリエイティブ職になりたかったけど。バンドやってなかったら…。ちょっと想像つかないですね」
●例えば今の生活からバンドが何らかの理由でなくなったとして、今の仕事だけ続けてくのは気持ち的にしんどい?
「しんどいですね。実際今それに近い状況になっているけど…。表裏一体というか、それでバランスとってたんだなぁって。普段はバンドと野球とハリエンタルラジオだけで生活出来たらいいなって思ってたのに(笑)」
●なるほどね。
「仕事以外のコミュニケーションが欠乏してて、ストレスが溜まっていく。バンドメンバーって十年近く、今まで少なくとも二週間に一回は会ってたのに。その人たちに一ヵ月以上会わないのは違和感がすごくて」
●フラストレーションが溜まってる感じ?
「この間スカイプでバンド会議みたいなのをして『いやぁ、楽しいなぁ』って(笑)。普段赦先輩がスタジオ遅刻するとすごく嫌な対応をみんなでしてたのに(笑)」
●失って初めてわかる大切さみたいな。
「前よりも優しくなれるかも知れない(笑)」 
●今はこういう状況ですけど、また落ち着いた頃にこうしていきたいとかバンドである?
「昔の自分みたいな、基本的に陰の者に『楽しいなぁ。バンドやってみたい』とか思われたいですよね。以前モーションで話しかけてきた男の子が、二十歳くらいなんですけど。『僕もバンド組みたいです!』って言ってて、あ、嬉しいなって思って。その後コンパクトクラブで群馬に行ったときにその子がまたいて『僕、バンド組みました!』って嬉しそうに報告してくれたんですよ」
●普通にいい話だ(笑)。エミリーは水とかうちわとかいろんな形態でリリースしてるけど、今後こういうのを出したいとかある?
「そうですね。僕が考えていたのがダウンロードコード付土地なんですけど]
●(笑)。
「10万円くらいの離島の土地を買って、そこに看板とQRコードを貼って、辿り着きさえすればフリーでダウンロード出来るみたいな(笑)」
●なるほど。
「アドベンチャー型音源」
●面白いな(笑)
「石碑でもいい��ど。記録媒体として一番長持ちするのは石か壁画なんですよね。だから最終的にはそれでリリースしたいんですよね。将来オーパーツみたいになるかも」
●遺跡として遺っていくかもね。
「レガシーをね、遺したい」
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hiruzenmegata · 5 years
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0620滝山団地にいってきたよ(3)
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「週末」っていうのはすごいですね。すっかり自分のなかで「終わって」しまっていたけれどこの団地レポートまだ締めていないのでした。
自分のための備忘記事だから尻切れトンボでも悪かないとは思うんだけど、いちおう公開してしまったからにはこのままではまずい、つまり記事が終わるかどうかではなく、ああこいつはやりっぱなしで片づけないやつなんだな、という印象を持たれかねないんで、まだ書きます。本当はこないだの日曜にみてきたトリアーの映画「ハウス・ジャック・ビルト」のおもしろさでも書き連ねたいところなんだけど。ジャックは家を建てようと頑張る。 (まるで映画館の座席にいる観客みたいに)ある同じ体勢を強いられている人たちに放つイッパツ。そのイッパツでいったい何人をノックアウトさせられるだろうか? ジャックはそれを試みる。あるいはトリアーは、ジャックにそれを試みさせる。おれもハウスをビルドしないとなあ!
あ、さて! 講談社ノンフィクション大賞受賞作「滝山コミューン1974(原武史)」の「聖地巡礼」に馳せ参じるべく、舞台となった滝山団地にやってきたわたしは、筆者の感じた「タイムスリップ」の感じに一応の納得はしつつも、勝手に抱いていた過剰なイメージがあることも思い知らされ、ながら、真夏日の昼間、巨大団地を汗だくになりながら歩き続ける。ファーストインパクトは強かった。
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本書の題材にもなった小学校を横切って歩き、折り返すようにもとのバス通り目指して歩いて行く。すると、植栽を整備するためのキット(台車に熊帚やごみ袋などがセッティングされているもの)が5台とまっている場所にでた。その一式はまったく同じキットで、ジオラマ素材のガチャポンの景品「植栽整備キット」が連続して出てる感じ。そう思えばユーモラスにもみえますが、しかし人もいないし気配もないし、ただ、さっきまでそれを使用していた人たちがいっせいに、突然、忽然と消えたにしてはきれいに整列しているのもヘンテコである。(百頭たけしみたいだ…)などと浅はかに思いながら写真を撮る。
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バス通りにでる。車道を挟んだむこう側は五丁目商店街ではない。それに似た商店街でもない。よかった。もし五丁目商店街のようなものが向こう岸にもあったら、パラレルワールドに迷い込んだ感覚がより深まっていた。よかった。
五丁目商店街のほうにむかってバス通りを歩く。
再び団地のなかにはいって、なかをぐるぐる歩いていく。小学校の下校時間がやってきたみたいでちっちゃいのがへらへら歩いている。めちゃくちゃちっちゃい。小学校って低学年だけ早めにリリースされるんだっけ? この巨大団地の小学校の子らは、いったいどんな怪談話を育むんだろうか。
植栽を整備している人にむけ、住人(というか整備してる人も住人だろうな)が、今日は暑いね、おつかれさま、ごくろうさま、などと声を掛け合っている。昔からこの団地の中で一緒に過ごしてきた人との関係性、って容易には推し量れない。途方もない。本に書いてあったようないろいろを一緒に踏み越えてきているはずなわけだし。
ときには団地のなかにはいったり、あるいは鳥をおいかけたり、それなりに遊んで南下する。地形が平たいので、団地の棟々が並んでいる壮観を一望できない。目の前の棟をぬけるとすぐ次の棟が立ちはだかる、の繰り返しがあるだけだ。
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行きのバス車窓より確認し、ここが滝山団地の中心地だろうなと注意していた「団地センター」へ。ここは五丁目商店街よりももっとしっかり商店街している。東久留米市民センターもあるし、団地全体の会議所のような役割を果たすことのできるポテンシャルっていうか、まあ、よくはわかりませんが。。。
道でおっちゃんが箱ひらげて靴売ってる景色、なかなか久しぶりにみたな。阪神淡路大震災のときに被災地でこういうの見たなあ。(連絡のつかない兵庫に住むばあちゃんのため、僕ら一家は奈良から様子を見に被災地へ顔を出しにいった)
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ここにコミュニティがあり、ここに暮らす人々のための暮らしがここでまかなわれている。
「食べる」とか「寝る」とか、どういうことなのかはなんとなくわかる。「過ごす」も「暮らす」もなんとなくならわかる。ところが「住む」というのがどういうことを指しているのかはあんまりピンとこない。なんでジャックがこだわるのは建築なのか。目指すのは家なのか。
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「住む」って、勝手に入ってもらいたくないエリアを持つ、ということなのかな。他者の侵入に過敏に反応してしまう場所を持ち、かつキープするっていう、そういうことなのかもしれません。だから家の中にいるゴキブリいやなのかな。あ、それは単にゴキブリだからか?
よく��く古本屋さんに、やばい古本屋の噂話をききました。その古本屋の店主は、長いことやってきたなかでまあいろんなことがあったんでしょう。いやなことも多かったのでしょう。変に頭にキちゃって、棚みる客を「なにしにきた!」と叱るらしい。それどころか、入場料をとる(200円)。っていうか逆にいうと、入場料をとったうえで、「なにしにきた!」と叱るわけです。
「店屋」というとひろいから、その店の扱うものや、店主の思い入れやらにより事情は変わるだろうけど、そも不特定多数にひらかれるべき形態の商売だったとしても、その場所<テリトリー>の性質が「住む」にシフトしていくってことはあるんじゃないかなあ。
しかも!ナワバリへの愛着って、侵害の実績で培われていくのじゃないだろうか。
なんていうことを考えました。
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ちなみに滝山団地だが、団地センターをみてまわり、そのなかで麦茶を買って飲みに飲んで、くらくらとバスに乗り、おとなしく駅まで戻りました。
花小金井駅から電車を乗り継いで吉祥寺までいって、ぼーっとして、下北までいって、下北の王将で冷やし中華と餃子とウーロンハイを頼んで「グレートギャツビー」を読んでからライブハウスにいって弾き語りをみてから新宿経由で帰宅した。下北はようやくニュー駅舎のつくりをマスターしたと思ってたのにまたかなり大幅に変わってしまってむつかしい。ってことで滝山団地の日の日記を終わります。「グレートギャツビー」は翌日読み終わるが、それから数日かけていろいろと考えが膨らんでいったため、なるほどどうりで名作なわけだ、と納得しました。
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(デカプリオ版のギャツビーも観た。子供っぽくみえるときのある顔立ちがとってもハマっていましたが、な~んかたま~にバカリズムっぽいんだよな~)
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buzztaro · 6 years
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2009.12/9-2019.2/17
BUZZRAPTORのtaroです。
多分Twitterでぽつぽつと呟くよりも、ブログにした方がいいと思って、せっかくなのでつくってみました。 どうせ長くなると思うので、読む人は好きなバンドのアルバムでも聴きながら読んで。 ----2009.12/9 渋谷CHELSEA HOTEL----- 「俺も絶対バンド組んで、マジで頑張っていつかシュノーケルと対バンできる様になります!」 当時シュノーケルが活動休止を発表したライブで 物販のお姉さんに俺が言った言葉。 俺がバンドを始めたきっかけは、テレビアニメ、NARUTOのOP 「波風サテライト」を聴いて、シュノーケルを知ったからでした。 楽器を始めたきっかけはまた別。 高校一年生の頃、友達っていう友達を意地張ってつくらなかった俺は 後ろの席のやつとそいつの友達を連れて、バンドをやろうっていう雰囲気をつくりながら渋谷CHELSEA HOTELにシュノーケル観に行ったんだっけなー。 ライブハウスに行くのが初めてで、ライブハウスは怖いみたいな前情報は嘘つきで、案外優しくて、「なんだ、余裕じゃん」みたいに思ってた俺。 バンドをやりたいと思わせてくれたシュノーケルに会うこと 初めて行くライブハウスという密室空間 大して仲の良いわけではないが謎に結束力ある友達 ドリンクチケットの使い方がわからない俺と友達 そんな緊張感と、芸能人に会う様な気持ちで行ったライブ その日にシュノーケルが活動中止を発表。 本当にびっくりした ってのは嘘。 なんだかわからないけど、当時、なんとなく察してた。 その日のセットリストは覚えてないけれど、今でも西村さんの黒いレスポールは覚えてる。 ライブが終わった後 いてもたってもいられなくて、とりあえず楽屋に突撃するのはいけないと察した俺は、物販のお姉さんに声をかけたんだ。
「俺も絶対バンド組んで、マジで頑張っていつかシュノーケルと対バンできる様になります!」 その日から、時が動き出したんだと、今は思ってる。 一緒にライブに行った友達とバンドを組んで 池袋のスタジオで深夜練をして 夜食でカップ麺を食べて、下手なHPをつくって、Twitterとかもつくって かっこつけて⚪︎⚪︎"所属"とかバンド名の隣に書いちゃって シュノーケルの機材調べて、似てる音出せるエフェクター買っちゃって で、よくわからない金儲けのイベンターに誘われて 周りみんなヴィジュアル系の初ライブ 当時好きだったクラスの女の子と、仲のいい保健室の先生呼んで(というか突然来てくれて) その日のセットリストはよく覚えてる 1.波風サテライト 2.パントマイム 3.エスパー 4.オリジナル曲 5.オリジナル曲 俺が初めてライブハウスで演った曲は、というか生まれて初めて演奏した曲は 初めてライブで人からお金を貰った曲は シュノーケルの「波風サテライト」だった あれから、あの約束から10年 音楽的にも人生的にも本当にたくさんのことがあった BUZZRAPTORのメンバーとの出会い じーとまさしは高校の後輩、あけみさんはインターネットでふらついてたのを拾って 吉祥寺Planet K、店長松木豪さんとの出会い 人生と音楽両方の恩師(俺が勝手に思ってる)との出会い 数多くの戦友達との出会い 婚約を決めていた女性との決別 何度もなんども立ち上がるゾンビバンドを俺は今組んでる 音楽辞めちゃった時期合わせて 結局俺は音楽が大好きでメンバーといるのが大好きで 常に目標に向かって、壁と向き合って、どう扉を開こうかいつも考えている 明日、俺がバンドを始めてから抱いた夢がひとつ叶う日 奇跡的だと思う、まだ その奇跡を俺は明日BUZZRAPTORで奇跡なんかじゃなくて 自分でつくりあげたものにする バンドに不可能な夢は多分、ない。 同じ人間が武道館でライブやってる。 俺も君も誰だって、やればできる やらないからできない 本当にそうだと思う BUZZRAPTORは周りからよく「異常的ペースで成長してる」 と言われるけど 俺らはただやらなかっただけ 俺はただ、さぼっていただけ 自分の人生に、約束に、夢に、生き方に、音楽に、メンバーを愛することに 明日、本物の男になれる様に また一歩踏み出して、10年かけて探し出した鍵を使って 扉を開けようと思う もし行こうか行かないかで悩んでる人がいたら絶対に来て欲しい 俺らを観なくていいから他のバンド観てよ! なんて俺は言わない 今のBUZZRAPTORを観て欲しい。 聴いて欲しい。 押し付けに聴こえたとして、それでライブに来てくれたとして 俺らは絶対後悔しないようなクソかっこいいライブする。 約束する。 そんなこと約束すんなよ!無責任! って思う人へ 俺らバンドマンがそれを成せずに何が本気のバンドマンだ マジでやるから だってバンドマンって、みんなそう思ってるでしょ やってやるって 来てくれた人絶対悲しませないって チケット代高えよな、、絶対それ以上のライブやろうぜって 思ってるでしょ やれよ。 俺は明日やるよ。 豪さんが言ってた 「俺らのライブのチケットはスピルバーグの映画よりも高え」 明日余裕でスピルバーグの映画越える人生でたった一瞬の時間を音楽をやる 10年かけて見つけた本当の仲間たちと、信頼するバンドたちと 10年前の俺よ、観てるかい、明日は来るのかいお前は 今俺はお前にどんな気持ちでライブしようか、考えてるよ "10年前の俺が、今の俺をみて、バンドやりてえって思ってくれるようなライブ" これだよな、やっぱり。
それじゃ、明日来てくれる人 どうか気をつけて来てください 夜は冷えるから少しの厚着でね じゃ、明日ね 誓いを果たすよ ------------------------------------------------------------------------------------------- 2/17(日)吉祥寺Planet K BUZZRAPTOR pre 【I wanted see you again】 *出演 ・BUZZRAPTOR ・シュノーケル ・ラクルイノヨルニ ・O.A PANDA HEAD 
*チケット 前売り:¥2,800 当日:¥3,500 両plus1Drink 
*時間 OPEN:18:00 START:18:30 「問」(チケット予約など) 吉祥寺Planet K 0422-21-7767 BUZZRAPTOR 21:00-
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reindeer02 · 6 years
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yui,,YUI
FLOWER FLOWERのインコのhave a nice day ツアー 2018.05.09 Zepp TokyoのLive映像を見た。
本当に、最高すぎた なんというかもう言葉が出てこないくらいに最高だった。 正直、6000円高いなとか思っていたけど、もうお金とかどうでもよくなるくらいに良かった。 まだ見ていないのであれば絶対見たほうが良い 今まで見てきたLive映像の中で間違いなく一番素晴らしいものだと思う
まず音が素晴らしい。 一応、今持てる最高の環境で視聴していて、PS4→USBサウンドカード→Sennheiser HD25-1Ⅱ で聴いていたんだけど、音の解像度が半端ない。 とにかく、爆音で聴くことを推奨します。 そして演奏が上手すぎる。 mura☆junとか、キーボードちょっと弾いてるだけだろーとか思ってたんだけど、もう、ほとんどのサウンドメイクをしていてヤバイ。カッコ良すぎた mafumafuやsacchanに関しても、安定感というか、余裕そうな感じがプロだなと感じた。 yuiの声も、ギターも。 yuiの歌っているときの姿って、なんであんなに儚く見えるのだろうか。 今にも消えてしまうんじゃないかっていう 命を擦り減らして歌っているような、その歌声を聴いているだけで涙が出そうになる。 本当に輝いてみえる
映像に関しても、めちゃめちゃ綺麗だし、yuiかわいいし。 色んなアングルで臨場感がかなり出ていた。 NagoyaのZeppでフラフラのライブは見ていて、こんな最高のLive他にないだろうって思っていたけど、TokyoのZeppに嫉妬してしまうくらい良かった。 yuiがメンバーも、スタッフも、観客も全部巻き込んで自分のペースにしてしまってて、楽しそうで。 フラフラ本当やばい、 間違いなく一つ言えることは、フラフラは、Liveで真価を発揮するバンドだということ。 CDの音源とレベルが違うんじゃないかな 熱量とか、音の力が正直全然違う気がする。
踊り→時計 のあたりで持てる感情の最高値に達していたと思う笑 アンコールのCHE.R.RYのとき、YUIはそこに居た。 紛れもなく、YUIが歌っていた。 FLOWER FLOWERの曲も、YUIの曲も、比べるものじゃないと思った。 yuiの生きている時代に生まれてyuiの曲を聴けることが本当に幸せ
なんていうか、自分でも気づいているんだけど、たぶんもうBUMPよりも何倍かYUIのことをFLOWER FLOWERのことを好きになってしまったような気がする。 それが意味するのは、もうどうしようもないくらい好きになってしまったということで。 こんな凄いLiveできるのはyuiしかないと思う。
ずっと歌い続けてほしい。 歌っている時のyuiは儚くて消えてしまいそうとは言ったけど、yuiはずっと歌い続けて、生きてきたんだよね もし、YUIを引退して音楽をやめてしまって、歌うのをやめてしまったら、今のyuiは生きていないと思う。 あんなに楽しそうに歌っていて、いきいきしていて、心から感動する音楽を届けてくれて。本当に感謝しかない。 ずっとずっと、歌い続けてほしい。聴き続けるから
そして、ぶっこみます。徹夜覚悟で、YUIのTOKYOの歌詞解説。
youtube
YUI - TOKYO
この映像、本当に好きで、コメントにもあるけど、まさにBest takeだと思っている。 ギター一本と歌だけで、こんなに心に刺さるんだもの。 さっきも2回もいったけど、曲の最後のほうとか、本当もうYUIがいなくなっちゃうじゃないの?っていう感情で泣きそうになるよ 神聖というか、無垢というか、 言葉で説明するには足らなすぎる。わかるよね。。
それで、TOKYOの歌詞解説をしたいとずっと思っていたんだけど、 その解説をする前にYUIが上京するまでの生い立ちをまとめたり、 上京してから、この2007年、武道館で歌うまでのことをまとめたいっていう欲があって、そんなことしてたらほんとに朝になりそうなんだけど。いけるかな… 行くぞ、突っ走れ。今しか書けない。 軽く見たところ、TOKYOの歌詞解説を他にしているところはなさそうだ。
生い立ち
YUI
1987年3月26日生まれ本名は吉岡 唯
出身は福岡県
小学生の頃から、歌手になりたいと思っていた。母親の影響もあって、小さい頃から歌うことが好きだったそう。
その後中学3年生の頃から、ノートに詩を書き溜める。
高校には進学したが、学費を稼ぐためのアルバイトで体調を崩してしまい入院。退院後に中退した。
その後、ストリートライブを行っていたビアンコロネと知り合い、音楽塾ヴォイスの存在を知り、そこへ通いギターと曲作りを学び始める。
自宅の布団の上であぐらをかきながらギターの練習をし、覚えたコードで曲作りを始め、初の自作曲「Why me」を制作。福岡市天神の路上などでもあぐらをかきながらギターの弾き語りを始め、知り合いのライブの前座や音楽塾関係のイベントでライブハウスにも出演するようになる。
2004年3月に塾関係者の勧めでソニー・ミュージックのオーディションに応募し、約2万人の応募者の中から10人に残り、最終審査を受ける。
この時も普段の路上ライブと同様にあぐらをかいてギター弾き語りで「Why me」と「It’s happy line」を歌ったが、どうしても聴いてもらいたいという思いからまだ歌詞のなかった「I know」を短縮で追加して披露。審査員の全員が最高点をつけた。
その後ソニー・ミュージックグループの各レーベルで争奪戦となり、デビューが決める。
「feel my soul」でデビューし、その後「Tomorrow's way」、「LIFE」を発表。
そして4thシングルとして、この「TOKYO」が発表された。
ここまでは、Wikipediaを参照。 続いてヴォイスの講師のインタビューから、 http://www.voice-tokyo.com/column/vol04/
ー初めてYUIと会ったときの印象はどのようなものでしたか? 「彼女はまだ中学生でしたが、同じ年代の普通の子とは全く違う雰囲気を持っていましたね。"絶対に音楽をやるんだ!"という強い気持ちが表れている目をしていました。」 
「まだ彼女が入塾間もない頃でギターも弾けなかった時にAvril Lavigneの『complicated』を自分のオリジナルの歌い方で歌っていた事がありました。普段歌っている声とは明らかに違う雰囲気で、自分の世界に入り込んで自分の世界を出しているその歌声に強烈に惹きつけられました。その歌声に触発されて、曲を書きたいという衝動に駆られましたし、すぐ一緒に作り始めました。同時に、声の魅力というのは作られたものではなく、素材の中に光るものだと改めて認識させられましたね。」
「歌や音楽を聞いた時に、ドキドキがとまらなかったり、泣きそうになったり、楽しくて躍りだしそうになったりとか、そういうスイッチってありますよね。僕の場合ですが、そういったスイッチを片っ端から押された時、曲の構想だったり、メロディが出てきたりします。音楽的な化学変化というのは間違いなくあると思いますね。」
「以前"癒しの声"とはどういったものかを分析するテレビ番組を見た事があります。その番組では、声を聴いた時、人間の脳の中には『α波』というのが出るらしく、その量が多い声がいわゆる"癒しの声"だという一つの分析結果を出していました。もちろん僕は自分の頭の中で『α波』がどれくらい出ているかなど測定した事はないので、なかなか説明は難しいですね。"いい声"というのは、もしかしたら自分だけがそう思い込んでいるのかも知れないですが、でもその思い込みの強さがどうあるかが僕は大事だと思っています。人から『いいでしょ』と言われても、自分の中で化学変化が起こらない時はどうやっても起こらない。とは言え、作る立場からすればリスナーの評価は大事です。非常に難しい事ですが、研ぎ澄まされた感覚を持って判断をしていくしかないですね。」
「ソニーオーディションの決勝大会は予定では2曲しか歌ってはいけなかったのですが、突然3曲目を『続きの曲です』などと言って勝手に歌い始めたんです。びっくりしましたね。まるで昨日のことのように覚えています。(笑)オーディションが始まる前に3曲目は絶対に歌ってはダメだと本人にも念を押していたんですが、ニヤッと笑っていたので『もしかしたら・・・』と心配していましたが、案の定、歌詞はでたらめのYUI語で、即興で披露していましたね。(笑)」
「はい。その後叱られると思ったので、YUIと二人逃げるように会場を去り、羽田空港に向かいました。(笑)福岡空港に着いて携帯電話を確認するとたくさんの留守電が残っていました。これはかなりまずいなと思って聞いてみたら集まって頂いた全レーベル、審査員の全員が最高点をつけたので至急連絡を下さいという、思ってもいない内容でした。そこからYUIの人生は大きく変わり、プロの道へと進む事になりました。」
「まさか、ギターを弾いて歌うシンガーソングライターのトップまで登りつめ、未だに半ばレジェンド的な存在として扱われる事になるとは、思いもよりませんでした。ただ、きっと何かを変えてくれる存在になるという確信は自分の中にはありました。デビュー前に音楽塾ヴォイス福岡校の六畳一間のレッスン室で何曲も曲を書きました。YUIという存在を目の前にし、その声の持つ世界観に圧倒され、自然にメロディが舞い降りてくる事も多かったですね。1日1~2曲という物凄いペースで制作を行っていました。ソニーのオーディションを受ける以前、一部では『こんな音楽は古い、時代と逆行している』という意見もあったのですが、普遍的な音楽はいつの時代も変わらず人の心を感動させる事ができると信じて、ブレずにやっていました。10年経っても色褪せない音楽は絶対にあると信じていました。結果は思っていた以上の反響があり、その後のYUIの音楽人生に大きく繋がっていったと思います。」
すごく、よく分かる。 理解ある、この講師の人に出会えてよかったと思います。 本当にYUIの声は、いいんだなぁ。笑 自分の中ではまさに癒やし声です。
次、TOKYOのインタビューに行きます。 http://www.hotexpress.co.jp/interview/yui_20050118/
まずYUIさんが音楽に目覚めたキッカケみたいなものを聞かせていただけますか。
YUI:小さい頃から音楽は好きで聴いていたんですけど、憶えているのは、母のカーステレオとかラジオから流れてくる音楽をよく聴いて覚えたりして歌ってたんですよね。それで自分で本格的に音楽をやろうと思ったのは、急にそう思ったというよりはどんどん気持ちが強くなっていった感じで。それで、15歳、16歳ぐらいのときに決心する時期も来て・・・。
決心する時期というのは、高校を中退すると決断したとき辺りだと思います。 中学の頃から音楽をはじめて、アルバイトや勉強に追われて体調まで崩してしまったとき、音楽の道へ進もうと決意したのではないでしょうか。
-ギターを覚えたのもその頃?
YUI:そうですね。15歳、16歳ぐらいのときに初めてストリートライブを観たんですよ。それで、そのストリートミュージシャンの方々がライブを終えた後に「本気で音楽をやりたいんですけど、どうしたらいいんですか?」的なことを聞いたんですよね。「どうにかしたいんですよ」って。そしたら地元に、福岡なんですけど、音楽塾があるってことを教えていただいて、そこに通うことにしたんです。それから音楽塾でギターと曲作りを始めました。ある程度ギターが弾けるようになってからはミシェル・ブランチさんの『グッドバイ・トゥ・ユー』を弾いて歌ったりしてたんですけど、その曲は最近でも学園祭ツアーとかで披露したりしてますね。
要所要所にコメント添えたくなってしまう。 これは先程も説明したビアンコロネから塾を進められてという部分ですね 「Good bye to you」はYUIがコピーしているのをよく聴きました。 ビアンコロネと一緒に歌ってるやつあるから、絶対見て!! https://www.youtube.com/watch?v=eXz2YIVJ3os
-音楽塾を知るまでは、音楽を本格的にやるためにどうしたらいいのか模索していた感じだったんですか?
YUI:音楽をやりたいけど出来ない時期はありましたね。学校とバイトをこなしていく中で時間が無くて、これを続けていても“この先に音楽はないんだろうな”っていう風に思っていて。そんな中、体調を崩して入院してしまって、ただそのときに考える時間が出来て、“やっぱ音楽をやりたいな”っていう想いが強くなって。そんなときに先ほどお話ししたストリートミュージシャンの方々に出逢ったっていう。
-ちなみにその福岡の音楽塾っていうのはどんなところだったんですか?
YUI:本当に塾っていう感じで、人間と人間が触れ合うようなあったかい場所というか、みんな本気で音楽をやっていて、教えてもらうっていうよりはいろんな人の姿を見ていて思うこと、感じることでいろいろ学べる場所でした。もちろん音楽的なことも学んだんですけど、やっぱり人間的なことで音楽塾のいろんな方と触れ合うことができたのが一番大きかったですね。信頼する人ができたというか。
これは先程の音楽塾ヴォイス塾長の西尾芳彦さんとかかな。
-なるほど。あと詞に関してはいつ頃から書くようになったんですか?
YUI:詞は中学三年生ぐらいからだったんですけど、歌詞というよりはポエム的なものを書いてましたね。母に聞いた話なんですけど、私は小さい頃にポエムを書いていたと聞いたんですよ。それがキッカケになって、再び書くようになって、その詞、ポエム的なものだけを書く時期がしばらくあって。で、音楽を本格的にやり始めて、それで“歌詞”というものを書くようになった感じですね。
-そうして本格的に自身の音楽を生み出せる環境ができた頃には、今の状況というか、“デビューを目指す”っていう意識は強くなっていたんですか?
YUI:良い曲を作りたい、良い詞を書きたい、納得のできるものを作りたい、そういうことばかり考えていたかもしれませんね。デビューに関しては、たくさんの方々に支えられて出来たこと、結びつけてもらったものなので、私はとにかく単純に良い音楽を、自分が納得できる音楽を作っていきたいと思っていた感じですね。
-そんなYUIさんがデビューすることになった具体的なキッカケは何だったんでしょう?
YUI:ソニーミュージックのオーディションを音楽塾の方に勧めていただいて、それを受けたのがキッカケですね。そのオーディションの最終審査で東京に初めてやって来たというか、福岡を初めて出たんですけど、オーディションの会場ではみんなスタンドマイクで歌ってたんですけど、私は「あぐらで弾いていいですか?」っていうのを聞いたりして、それを了解していただいて。で、弾き語りだったんで、本当はひとり2曲以内だったんですけど、もう一曲聴いてもらいたい曲があったのですごく短くして、結局3曲歌ってしまったっていう。
-その3曲っていうのは、今はすでにリリースされている曲?
YUI:3曲ともCDに入ってますね。インディーズでリリースしたシングルに入っている『I know』と『It's happy line』、それとデビューシングルの3曲目に入っていた『Why me』を歌いました。『I know』はまだそのとき作りかけだったのでデタラメ英語で歌ったんですけど。
-そのオーディションに受かった後はどんな動きがあったんでしょう?
YUI:合格してからは、曲作りとかレコーディングのために福岡と東京を月に2,3回、行ったり来たりするようになっていって、そのあいだにデビューシングルを制作していって、そのあと上京、こちらで生活するようになった感じなんですけど、今回リリースする『TOKYO』はその時期、2004年の9月に書いたものですね。
オーディションがあったのが、2004年3月、TOKYOを書いたのは9月。
-東京に来たばかりの頃はどんなことを考えたりしてました?
YUI:東京に来て考えるというよりは、福岡を出る前にいろいろ考えました。なので東京に来てからはもういろんなことを吸収したりとか、そういうことを意識してましたね。責任感というか、気負いした感じというのは福岡を出る前ぐらいからあったかなとは思うんですけど。今はあんまりそこについては考えすぎないように心掛けてます。
ここから、feelmysoulとかについてもいろいろ書かれていますが今回は端折ります。 もうね、カルマの時のトラウマが蘇ってますよ。
-分かりました。では、今日のインタビューのメインとなりますニューシングル『TOKYO』についてお話を聞かせていただきたいのですが、こちらはすでにライブでは歌われていた曲ですよね?
YUI:はい。【ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2005】とかでも弾いて歌っていたんですけど、ファンの方から問い合わせとかリクエストとか頂いて、今回リリースすることになりました。福岡でラジオをやっているときも番組のエンディングとかで流したりしていて、ラジオの番組宛にも「この曲何て言うんですか?」的な問い合わせをたくさんいただいて、それもあってですね。で、今回CD化させてもらったこの曲は、17歳の時、2004年の9月にレコーディングしたギターと歌をそのまま収録してるんですよ。だから歌い直しはしてないんです。
-その頃の自分の歌を改めて聴いてどんな気持ちになりました?
YUI:やっぱりどこか切羽詰まった部分だったり、気負った感じだったりっていうのが声に出てるのかなとは思うんですけど、逆に私は周りの方からの反応が気になりますね。すでにそういう声は聞かせてもらってるんですけど、やっぱり上京したときのことを思い出したりするみたいで、いろんな方が同じ気持ちだったのかなって思ったり。
-ちなみに『TOKYO』の作曲クレジットはCOZZiさんになっていますが、彼のこの曲のデモを聴いたときにやはり強く感じるものがあったんですか?
YUI:デビュー前、福岡と東京を行き来していた時期に、曲作りやレコーディングの合間とかにいろんなアーティストの方のデモを聴く機会をいただいていて、そのときに興味を引くデモはたくさんあったんですけど、その中のひとつにCOZZiさんの原曲があって、それを聴いてると、自分がノートにメモしていた上京のときの気持ちや感情がリンクしていったんですよ。それでそのCOZZiさんの曲にその場で詞を書き上げていったんですよね。そのまま曲のコードも分かりやすかったので、すぐスタジオに行ってギターの弾き語りを録りました。
-じゃあ、あの歌詞の内容は上京時のYUIさんの気持ちがそのまんま綴られているわけですね。
YUI:そうですね。
-上京するときはギターを担いで、新幹線乗って。
YUI:・・・飛行機でしたね(笑)。そのときは亀と金魚とギターとリュックみたいな感じで、上京しました。亀と金魚は飛行機大丈夫かな?と思ったんですけど・・・まぁその話はいいです(笑)。
-(笑)。この『TOKYO』っていう曲は、先ほども言っていましたが、共感する部分、胸に強く響く曲だと僕も感じたんですが、YUIさん自身の中でもすごく大切な曲になってますか?
YUI:すごく大切な曲になってますね。他の方が作曲したとか関係なく、すごくこの曲が好きだし、いろんな方の反応を聴いても良い曲になってると思いますし。
インタビューにもある通り、作曲者はCOZZiさんです。 他にも多くのYUIの曲を作曲している方です。 YUIがレコード会社と契約後、デビュー前の準備期間中に「自分の作った曲だけを歌っていては偏りが出てしまうかもしれない」というディレクターの意向で、勉強のためにと色々な作曲家のデモ音源を、東京の事務所で聞いている時にYUIの耳に強く残る曲だった。当時17歳。その日のうちに歌詞が完成した。 
 追加で、参考にしたいインタビューがあるのでそこの中から抜粋します。 http://news.livedoor.com/article/detail/1732876/?p=1 TOKYOのリリースのすぐ後のインタビューですね。
――福岡を離れ、東京で生活をする様になって、どれくらい経ちましたか?
YUI:1年5ヵ月とか。2004年9月に上京してきましたね。
YUI:「TOKYO」の歌詞にもあるんですね、「東京は怖いって言ってた」って。やっぱり、知らない街ということもあって、「そこでやっていけるかな」というか、「耐えていけるかな」みたいな、そういう気持ちや不安はありましたね。最初は慣れていないのもあり、上手く馴染めなかったかもしれないんですけども、今はもう随分変わってきていると思いますね。
  ―偶然、最初にYUIさんを知ったきっかけが映像や写真ではなく、音だったのですが、「すごくいい声してるなぁ」と。楽器と違って、声は生まれ持ったものじゃないですか。
YUI:小さい頃に「顔に合わない声をしている」みたいな感じで言われたことがあって、それがすごくコンプレックス的な。声が嫌いだったんですよね。だけど音楽はずっと好きで歌ったりしていたので、ストリートでライブをやったりして、色々な方に歌や音楽を聴いていただける状況になって、「いい声だね」とか「いい音楽ですね」と言っていただけた時に、初めて自分の声が好きになってきましたね。
―学生の頃に「バンドを組みたい」とか思った経験は。
YUI:高校1年で辞めて音楽の道に進んだので、そういうことも無かったんですけど、でも、バンドの音とかはとても好きではありましたけどね。
―気持ちいいですよね。エレキをデカイ音で鳴らしたりすると。
YUI:そうですね。今後ライブをたくさんするようになって、そういうロックな曲ももっと入れていけるようになれた時に、そういう歪んだ音とかでも入れて行きたいと思うんですけども、今はやっぱりスタイル…自分の作る音楽だったりを大切にしているので。もちろん音楽的に幅を広げていきたいし、視野も広げていきたいし、成長もしていきたいけども、今はそういう風に、アコースティックの音とかを大切にしてますね。
ネタバレになるかもしれないけど、冒頭のフラフラのDVDの中で、yuiが 「バンド楽しいよ!!、皆にもおすすめします!」 みたいなこといってたのを思い出した。 今は、バンドで、ロックな曲をやれてるよ。
―デビュー前にはストリートで歌ったり、オーディションを受けたりという時期があったかと思いますが、学校を辞めてまで音楽の道に進みたいと思った、初期衝動のようなものはありましたか?
YUI:音楽は小さい時から自然にそばにあったものだと思うんですけど、母のカーステレオやラジオから流れてくる、母が聴いていたのは大黒摩季さん、ユーミンさんだったんですけど、それを覚えて歌っていたり。その後も小学生になって「歌手になりたい」というようなことも言っていたみたいなんですけど、ずっと音楽はすごく身近にあった感じでしたね。
15~6才にな���て、バイトと学校を両立するようになって、時間がどんどん無くなっていっちゃったんですよね。自分の思うように音楽ができなくなってきて、ちょっと苛立ってしまったりしていたんですけど、その時ぼんやりと「自分のこの先に音楽の道は無いのかな」っていう風に思ったんですよね。その後に体をちょっと壊して入院してしまって、その時に考える時間ができて、「やっぱり音楽の方に進みたいな」というか、「音楽どうにかしたいな」という気持ちがすごく強くなって。学校と音楽というのは両立できることではなかったので、学校を辞めて音楽の方に進みたいなという気持ちはどんどん強くなってましたね。
その後にストリートライブに出会って、その時に生の音だったり、自分達の書き綴っている言葉で歌っているというのがすごく届いて感動したんですよね、衝撃というか。それで、そのライブが終わって話し掛けに行って、「音楽どうにかしたいんですけど」ということをお話ししたら、地元の福岡に音楽塾があるよ、って教えていただいて。それで、その音楽塾に入ってから、ギターと曲作りを始めましたね。
―自分の中にあるものを色んな人に聴いてもらいたいという、一方的な感情ではなくて、聴く側にもそれを同じように理解してもらいたいのか。それともまずは自分の中にあるものを伝えたい、それが聴く人によってどう解釈されるかは人それぞれで構わないのか、どっちなのかなと。
YUI:それはどっちというのもないと思いますね。自分の中にあるものを伝えたことで、同じ想いの人がいることに気付くと言うか。例えば「feel my soul」という曲は、上京するということで、もがきながらも前に進んで行きたいっていう気持ちを書いていて。もしかしたらそういう気持ちになったことがある方もいるかも知れないし、…っていうのは、今としては思うんですけど。「TOKYO」という曲も上京している時の気持ちをメモしていたのが曲になっているので、そういうところももしかしたら。「TOKYO」の場合は、ライブや福岡でやっていたラジオのエンディングで掛けさせていただいている時に、たくさんのお便りとか、「どんなタイトルなんですか?」というお問い合わせをいただいて、それでシングルとしてリリースすることになったんですけど。「そういう感情になったことがある方もいるのかな」という風に思いますね。
―自分はこういう風に伝えたつもりだったけど、聴く側は違うように解釈していて、それに対する苛立ちのようなものを感じたことはありますか?
YUI:それはもう逆に言えば曲を言葉で説明するよりも、「聴いてもらいたいな」という気持ちが強いですね。
カルマのところでも説明したけど、解釈どうのこうのよりも、「聴いてもらいたい」んですね。 良かった。間違ってなかった。笑 YUIも同じような感じなのかな。
YUIの音楽を一度でも耳にすれば、類稀なる彼女の才能は誰もが感じるところだろう。衝撃のデビューを果たした2005年、周囲の期待の声が大きいあまりに、YUIというアーティストの等身大の姿が見えづらい状況にあったのかもしれない。シングル「TOKYO」が、当時17才だったYUIの弾き語りに、必要最小限な音だけを加え、ノンタイアップでリリースされた裏には、そんな思いもあったのだろうか。「日々音楽」というYUIの言葉に象徴される様に、小さな体と顔に似合わずストイックで、不器用なくらいひたむきに音楽と向き合おうとする、彼女の姿が少しでも伝わればと切に願う。
痛いほど、伝わります。
どうでしょうか。 「TOKYO」を作曲した背景はわかったでしょうか。
前置きはこのくらいにして(長すぎる) ごめんなさい、もう少し前置きを延長します。 この映像(武道館でのTOKYO)について少し補足します。 この映像は、2007年11月19日、自身初となる日本武道館のライブの映像です。 3枚目のアルバムI LOVED YESTERDAYの初回限定盤のDVDに初の武道館公演(2007年11月19日)のスペシャルライブ特典映像が収録されました。  アンコールの、最後の、最後で歌った曲です。 最初の曲だった、「It's happy line」も、Youtubeにあがっているので是非。 僕が、ひとつだけLiveを遡って見れるのだとしたらこのLiveがみたいです。 なんというか、日本武道館はミュージシャンの中で重要な位置づけにあるような気がして、その初ライブ、大舞台で、出だしから路上ライブスタイルの 「It's happy line」。ギターと歌だけで武道館に立つ。最後の曲の「TOKYO」では会場の皆を号泣させた。 もう死んじゃうんじゃないの?泣 ってくらい儚くて力強い歌声に 武道館で歌う「TOKYO」 途中、涙をこらえて言葉が出なくなるシーンがある。
この映像を見てから、この曲についてまとめてみたいと思った。 友達にこの映像を見せても、反応はなし。 この記事を見せてやろうか。笑 ドン引きされること間違いなし
歌詞解説に入りましょう。
ここまでの解説で、もうわかってるよって思うかもしれないけど。 ちゃんとやります。
住みなれた この部屋を 出てゆく日が来た 新しい旅だちに まだ戸惑ってる
住み慣れたこの部屋 は、福岡の実家のことですね。 出てゆく日というのは2004年の9月。YUIは17歳。 オーディションからデビューまでが早かったということと、東京へ出るということに対する不安。そいうった感情の中から、戸惑いが生じていた
駅まで向かうバスの中 友達にメールした
朝のホームで電話もしてみた でもなんか違う気がした
ここの 「でもなんか違う気がした」 という部分。 人によって解釈が異なるのではないでしょうか。 友達にメールをして、電話もしてみた。でも、なんか違う気がした。 このメールと電話の内容は、「今から上京するよ」っていう内容なのかな? きっとそうだと思うんだけど。 一人で、駅に向かうバスの途中、ホームの電車待ち。 東京に行くことに責任感や気負っていた、不安を持っていたYUIは、気を紛らわすためにも友達と話したかったのではないだろうか。 普段、仲の良かった友達との別れ、「今から行ってくるよ、それじゃあね」 「あっちでも頑張ってね」なんてやりとりは、らしくない。
でもなんか違う気がした の「でも」の少しの違和感は、いつもと違うやりとりと、自分にある感情の少しの後ろめたさからじゃないかな 深読みしそう。全部の歌詞が真実を書いてるわけじゃないからね。笑 ここについては意見がほしい。
古いギターをひとつ持ってきた 写真は全部 置いてきた
ギターひとつで、思い出は持っていかない。 決意の表れだと思います。 もう東京にいったら、戻ってこないんだぞ っていう さっきのところだけど、友達との別れを今さら惜しむなんて、なんか違うよなって意味も含んでいるんだとすれば、福岡のことは、福岡にもう置いていこうと決意していたのかもしれない。そんなにYUIはひどい子か?笑 これは次の歌詞に続く。
何かを手放して そして手に入れる そんな繰り返しかな?
何かを手放す とは、福岡のことでしょう。 そこにいる友達や、思い出、自分の居場所。 それを手放して、新しい土地へ行く。 これからもそんな繰り返しなのかな?と少し不安に思う。 それで本当に自分は合っているのだろうか?
つよがりはいつだって 夢に続いてる 臆病になったらそこで途切れるよ
ここの歌詞、本当にYUIっぽくて好きです。 負けず嫌いで、決して弱みを人にみせようとしない。 前置きでは書いてなかったですが、高校で体調を崩し、肺炎になったとき病院で肺がんと診断され、余命宣告までされていました。 その状態で、後少ししか生きられないのなら本当にやりたいことをやろうと、ソニーのオーディションとは違うオーディションに出ています。 たぶん音楽塾に入る前の、歌だけのオーディション。映像もあります 何があっても、音楽の道を諦めない。強い意思がありました。 上京の際にも、きっと、つよがっていたんだと思います。 臆病になったら、そこで途切れるよと。
走り出した電車の中 少しだけ泣けてきた
窓の外に続いている この町は 変わらないでと願った
走り出した電車、もう後に戻ることは出来ない そこでようやく実感しはじめる。 強がってはいても、17年間も過ごした場所を離れるのは心に来るよね 窓の外を流れる景色に、思い出が蘇る 「この町は変わらないで」と願った
この町”は”っていうのが妙にひっかかって 自分は変わってしまうけど、この町は変わらずにいてほしいって意味に感じる。 自分の変化に対する不安とか、これで本当にいいのかなっていう疑問が残っている感じ。 故郷が変わらない安心感はほしいよね。その場所まで変わってしまったら、思い出までなくなってしまうんじゃないかって思う。
古いギターをあたしにくれた人 東京は怖いって言ってた
これは歌詞上のストーリー的な表現なのかな インタビューでもあった通り、YUIは東京のことを 知らない街ということもあって、「そこでやっていけるかな」というか、「耐えていけるかな」 と感じていた。 そういう不安から怖いと思っていたんだと思う。 でも、 自分の口からは怖いって言わないんだよね。 古いギターをくれたひとは大先輩みたいなもので、ギター(夢)を託すみたいな感じに解釈しても面白いけど。
答えを探すのは もうやめた 間違いだらけでいい
人生に、答えなんてない 上京するか、しないか 戸惑いや不安を感じていたYUIの結論。 きっと、上京するって答えは出てたんだろうけどね。 それがたとえ間違いだったとしても、自分のやりたいように生きていく。
赤い夕焼けがビルに途切れた 涙をこらえても
次の朝がやってくるごとに 迷うことだってあるよね?
簡単な考察だけど、朝出発して夕焼けが見える頃には、もう東京です。 赤い夕焼けがビルに途切れた って表現とても好きです。 都会ならではの切なさとか 電車に乗っていて、夕焼けがビルの間から顔を出したり、途切れたり。 電車の車内をチカチカと照らしている。 東京についてもまだ涙をこらえてる
朝がやってくるごとに迷うことだってあるよね →あります。自分は夜が来るたびにだけど。 それくらいにYUIは悩んでいたのかな レコーディングで福岡と東京を行き来していた時期があったといっていたから、東京に行くことについてたくさん考えさせられたんだろうな
正しいことばかり選べない それくらいわかってる
これ以上考えても仕方ないし、正しいことばかり選べない それくらいわかってる それでも、悩んでしまうもの
それはやっぱり、福岡を失うことに対する不安が大きかったんじゃないの?って僕は思います。 東京にいって失敗するとか、怖いとか、不安とか。 YUIならきっと、音楽の道を歩むためなら、そういうことに踏み込む勇気は持っているんだと思う。 自分の故郷を離れる不安や、後悔するんじゃないかっていう、そっちの気持ちのほうが大きいんじゃないかな? そればっかりは、きいてみないとわからないけど。 上京のことにかかわらず、そうやって悩むことはたくさんあるよね。
現在AM5:00 まとめましょう。
yui、最高です。 YUI、最高です。 FLOWER FLOWER、最高です。
おやすみなさい。 ありがとう。
(まとめだけ今度編集するかもしれません。)
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teru4454 · 3 years
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午前中の仕事が捗るように、ラウンジが急遽「ライブハウス武道館へようこそ!」になるBEAT EMOTIONな仕事生活。 RAIN IN MY HEARTなう🎵 #我が青春のBOOWY #全曲脳内で歌えてる🤩 #stockholmroasttokyo #InspiredLab #IL (Inspired.lab) https://www.instagram.com/p/CQxE-yEjLVA/?utm_medium=tumblr
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rennn216m · 3 years
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急にブログに残しておきたいなと思ったから綴る。
大好きだったジャニーズの現場に行くのを止め茶の間になると決めたのが2011年そこから、ゴロゴロと転げ落ちたのがメディアの推しよりも近い存在バンドマンでライブハウスへ行くようになる。それが2013年やっぱりジャニーズの楽曲提供関連でそのバンドを知るってのが根っからのオタク。(バンド追ってる時からジャニーズは随時メディア情報チェックしてるし深夜のドラマやバラエティも見てた…だって茶の間…笑)
そこからライブハウスへ通うようになりインディーズバンドを追いかけてたのが2016年まで。
2015年にバンドメンバー1人脱退がありメンバーに不満は無いけど(インディーズバンドが所属している事務所には不満あった)心の中で寂しさと今まで見てきたバンドの物足りなさを感じ、メジャーデビューバンドへ走りフェスなどへ行くようになる。
オーラルに出会って1年でフェスやちっちゃい箱やら行くようになるけど!!
オーラル武道館へ行きこれからどんどんチケットが取りづらくなって、必ず行ける保証は無いし大きくなることだと痛感してオーラルの現場は行くの終わりにしようって心に決めたのが2017年6月。
2年ちょっと追いかけてたけど、これから遠い存在になって次は横アリとかでライブするようになるのかメンステだけの世界って…思っちゃうとジャニーズで経験してた横アリとは違う景色に耐えられなくて。
ジャニーズの茶の間から現場へ舞い戻されたのがやっぱり17年6月(心の中で踏ん切りつけてたから次のステップへ進むのが早かったと我ながら感心茶の間だからいつ入ったのかはっきり覚えてないけどJwebに再登録したし)
あっこの世界感が好きだったんだ…ペンライトのキラキラして美しい世界と景色最高だやっぱりジャニーズ大好きなんだ…って思ったのが、2017年8月のジャム公演
そこからゴロゴロと関西沼へ落ちていき2017年秋頃WESTのFC入会→2018年1月初WEST現場。
ツアーを2年連続入ってた…舞台も遠征したしコンサートも遠征しまくってた、だがしかし。どこに沼が潜んでるかわからないのがJ事務所恐ろしや(汗)
2019年ツアー全ての参戦日が終わり燃え尽き症候群で空っぽになった私の心に強く強く入り込んできたのは、YouTube開設当時から見ているJr.チャンネル(2018年1月開設3月21日配信開始)根っからのオタクは全グループ見まくってたJr.の名前も言えるようになったYouTubeって凄いデビュー組とは違う親近感で初回から感心しまくってた。※①またこの後にも書くけど違うキッカケも強くある
1年以上YouTubeで成長見続けたJr.の子達の成長は親心でしかないし売れろ!見つかれ!!って思ってた昔から見てる知ってるメンバーも沢山居た、特にSnow Man・SixTONES(バカレアBBJはもはや懐かしい)
※①そしてビックニュースが起きる2019年1月新聞によってSnow Man新メンバー加入…えっ?今まで見てきたSnow Manに3人追加?しかもWEST直属の後輩康二…関ジュから卒業…兼任する目黒蓮って誰?ラウールって誰状態の私。滝沢歌舞伎ZEROの制作発表が1月にされた(そこでこの人が目黒蓮なんだと知る)その後RIDE ON TIMEにて関ジュの密着からのSnow Man密着もうこんなんされたらもう応援する一択しかなく無い??と強く思った。(3月25日の雪 man in the show配信ちゃっかり観てる)
その頃からSnow Manに夢中になり茶の間時代オリメンでは岩本くんが好きだったが、YouTube配信開始して見てるうち、ふっかちゃん会〜サンリオ会で渡辺くんにグッと心惹かれてた、でも密着で目黒くんの顔面の良さと負けず嫌いストイック根性あるところに惹かれてた。担当分からない状態が4月まであってカメラフォルダ見返すとわかるんだけど4月のスクショ目黒くんでいっぱい!笑
なのに担当決まらないよ!だってみんな可愛い!!って高らかに言ってた。何言ってんだよって当時の私に言ってあげたいもうスクショは目黒蓮だらけだよ!何意地張ってんだよって。笑
5月のFESの時から薄々感じてた目黒蓮にキュンキュンする事を…周りのオタクから言われてた可愛いって言ってるけど〇〇にカッコいい!!って思わせた人が担当になるよって…追い討ちをかけるように6月目黒蓮・渡辺翔太のらじらーが決定的グサっとやられた。今恵比寿から堂々と胸を張って目黒蓮担です!!と
3〜6月って振り返ると気持ちの揺れ具合半端ない(まあカメラフォルダ振り返ると決定的に薄々そうじゃん!って思うやつが何枚も自覚してないってこわーい)
そして現在に至る!(8・8やデビューなど抜いていますが)
そろそろ目黒蓮担4年目に突入しようとしております。この間にJr.に担当が1人増えましたね?久しぶりのデビューGとJr.を掛け持ちです担当が増えるって幸せですね!!!
今やWESTはどこ行ったですけど、ゆるーくオタクしてますCDは全く買���てませんので茶の間に戻った感覚に近い現場が自名義で当たれば行きます現場入る前に猛勉強します!
今はSnow Man大好きJr.の担当大好きの幸せな生活しております。滝沢歌舞伎ZERO2021がそろそろ始まりますので気持ちの整理と目黒くんを改めて大好きな気持ちを残したかったので綴りました。
Jr.の担当はまた今度にでも書いてみよっかな?
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