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#三軒茶屋散歩
zucche · 2 years
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太子堂から三軒茶屋へ #三軒茶屋散歩 #fujifilmx70 #lightroom #wclx70 (太子堂八幡神社) https://www.instagram.com/p/Cp9dR5sPafn/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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rezagrats · 2 years
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#ゴリラビル #kingkong #gorilla #ウッホ #ウッホウホウホウッホッホ #ウッホウホウホ🦍 #tokyowalker #東京散歩 #太子堂 #三茶散歩 #三軒茶屋 #三軒茶屋散歩 (at K-1ジム三軒茶屋シルバーウルフ) https://www.instagram.com/p/CpuXgwIPeY9/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kankan70 · 2 years
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エコー仲見世商店街。
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hirokkie · 2 years
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Triangle zone of SANGENJAYA. #sangenjaya #sancha #三軒茶屋 #三茶 #三軒茶屋三角地帯 #trianglezone #nightwalk #walking #ウォーキング #夜の散歩 #tokyo #japan #東京散歩 #tokyowalker #夜の三軒茶屋 (Sangenjiyaya, Setagaya-ku) https://www.instagram.com/p/Ck-5hwLvvKk/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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jeenaandow · 3 months
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昨日は下北沢〜三宿〜太子堂〜三軒茶屋〜上馬〜駒沢大学駅までウォーキング
昨日は母校経由で下北沢〜三宿〜太子堂〜三軒茶屋〜上馬〜駒沢大学駅までウォーキング。 レトロと最先端が共存する、味わい深い街並みでした。 下北沢から246沿いの三宿までは坂が多く町田がある多摩丘陵を思わせますが、空襲の被害が無かったのか、細い裏道・生活道路・暗渠が残っています。 三宿から太子堂、三軒茶屋までは平地に中高級住宅が続き、幹線通り(246号)から外れれば隠れ家カフェや昭和な店、散見されるいかにも人気エリア。 高校時代に初めて「カリオストロの城」を観た名画座跡あたりを通り抜け、事前に調べておいたラーメン屋で遅い昼食。 三軒茶屋から国道246の南、上馬に移動すると、細かい坂道が目立ちます。 救急車両が通れなさそうな極狭生活道路に246以北よりボロボロの古い集合住宅……歩き者には堪らないエリア!ボロアパートが増えたのは、近くの駒澤大学学生用ですね。 送電鉄塔ファンなのです…
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ryotarox · 3 months
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16.首相官邸の建築 - 東京建築散歩
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「これは、テレビの画面から撮った写真だけど、正面だけ、非常に開放的に作られているのがよくわかるなあ」「これは、とっても不思議なデザインだと思いますが、どういう人が設計したものなんですか?」 「これは、官邸のなかに検討委員会ができて、ずいぶん時間をかけて検討した結果なんだよ。有識者会議が開かれて、丹下健三、芦原義信、鈴木博之などという人から意見を聞いたらしい」 「丹下さんまで呼ばれているんだ」 「まあ、丹下さんと芦原さんはすでにかなり高齢だったはずだから、注目したいのは歴史家の鈴木博之さんだ」「鈴木さんはとくにハイテクと和の要素を組み合わせたデザインにすべきだ、と力説したらしい」と宮武先生。 「全体はモダニズムだ。しかし、たしかに和の要素が感じられる」と東郷さん。 「どこが和なんですか?」と恵美ちゃん。 「第一に左右非対称。つぎに軒。」 「えーっ、左右非対称がどうして和なんですか?」
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「これはアメリカの大統領官邸ホワイトハウスだ。左右対称、シンメトリーなデザインが国の権威を表現するデザインとしてよくきいているだろ」 「たしかに日本の国会議事堂もシンメトリーですね。では、なぜ首相官邸は非対称なんですか」 「じつは、日本建築の特質として左右非対称ということが昔から言われているんだよ」 「昔の建築も、もとは中国から入ってきた時は、全部左右対称だったのに、日本に入ったとたんに、非対称にくずしてゆく。法隆寺からして非対称なんだ」 「えーと、法隆寺は中門を入ると、金堂と五重塔と左右に並んでいますね」 「そうだろう、中国では、金堂を中心に据えて、五重塔を左右対称に置くのが原則なんだよ」 「確かに法隆寺は非対称ですね」 「それは、桃山時代になって、茶室、数寄屋建築になるとますますはっきりする。それこそ、日本建築の特徴だといわれてきたんだ」 「でも、和のデザインという方針から、非対称のデザインへ行くのは、相当大胆な決断力ですね」 「もし、丹下さんが設計していたら、必ずシンメトリーになっただろうなあ」 「つまり、日本的なデザインと指示されて、非対称のデザインでこたえた建築家は相当なツワモノだということだ」
「ガラスの中に木の格子が見えるだろう。これも和のデザイン要素だよ」 「そうですね。あれは、町家の格子のようですね」 「国家を代表する建築としては、かなり大胆なデザインだと思うよ」 「参考意見は、分かりましたけど、設計したのはだれなんですか?」 「うーん。それがはっきりしない。公式には建設大臣官房 官庁営繕部ということになっている。つまりお役人が設計した。しかし、漏れ聞くところでは、じっさいには日建設計がやったということだ」 「そうだろうなあ、これは、相当腕のたつヤツの仕業だぜ」と東郷さん。
「モダニズムの建築でこれだけ軒が出ているのはめずらしい」 「ヨーロッパのモダニズム建築は立方体で、軒はないですからね」 「車寄せの庇から、ピアノの鍵盤のような壁面、そして軒と実にリッチなデザイン要素が重なっているぞ」 「ハイテクと和のデザイン、この建築の見せ場だな」
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moumiryo · 28 days
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意外となんとかなって驚いたもんだが、体力の大事さを思い知った日
 今日は待ちに待った同期とコラボカフェの日。台風10号も日本各地を隅々まで見たいのか、西から日本列島横断のコース取りをしたので新幹線動くやったー!と今朝自宅を出発、新幹線のホームに上がった瞬間に「雨で運転見合わせてます」アナウンス。諦めきれないので運転再開を待つことにし、丁度ホームに来ていた新幹線の自由席車両の通路で運転再開待ちすること約50分、嬉しい運転再開。コラボカフェのランチの予約に間に合うか微妙なラインだったものの、なんとか予約時間10分遅れで滑り込みに成功しました!!よかったー!!!お店の方申し訳ありません…。キャンセルにならなくてよかった…。
 元々乗り換えミスしなければランチの予約時間より50分程早く最寄り駅に着く予定の新幹線の切符買っていたし、そのスケジュールで動いていたのが功を奏しました。なんでそんな早く着くようにしてたかって?不慣れな関東の公共交通機関で迷う事を想定して余裕を持ったスケジュール組みをして成功したコラボカフェ1回目のスケジュールをそのまま使ってたからです(笑)
 ランチの後は渋谷でゲームメーカーのショップへ足を運んで同期が散財するのを見守ったり、買うか迷う背中を押してました。任天堂東京の会計時、画像の青いエコバックを腕に下げていたらレジのお姉さんに「どうぶつの森のバックですね!こちらで購入されたんですか?」って話しかけられてビックリしちゃって「あ、えっと、銀のコインで、通販で…」と挙動不審になった上に「ピクミンのも通販で購入しました…」といらん事言ったかなと思ったら「そうなんですね!ありがとうございます!!」と笑顔で対応して下さって嬉しくなったよね。コントローラーガチャガチャ楽しかった。
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 ユニコーンオーバーロード コラボカフェは、今回もランチとディナーでお邪魔してきました。ランチョンマットがランチ:コルニアとエルヘイム、ディナーも同様だったのでスタッフさんが気にかけてくださり交換して頂いてしまいました。どうも予約フォームにある自由記入欄(好きなキャラクターを教えて下さい)に書いた好きキャラをちゃんと反映して用意してくださってたみたいで…申し訳なくなりました(汗) 優しすぎる気遣いを「はいはいっ!わたしこの二人好きですっ!!」と推しの名前を並べ続けてました。加えて着ている柄シャツ以外1回目も今回の2回目も同じ装備ででランチとディナーを予約しているためスタッフさんに顔を覚えられてました(笑) 
 三軒茶屋まで行く用事は難しいけれど、BIG BEARさんは、また行きたいし人にも勧めたいと思う位とても良いお店です。
 今回コースターはグループ3と5、追加のドリンクで4を。前回と合わせて全グループ引きました!1回目でスカーレットのコースターを入手していたので、ワンチャン グループ5でノルベール引けないかな…と思ってたらお迎えできました!!並べて保管するね!…いや、スカーレットからしたら全然うれしくないだろうけれども!ごめんね!帰宅して気づいたけど、クライブ氏とモニカさんも並べられるね!!
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 クリアステッカーはグループ1が品切れだったのですが、他グループをしっかり買って散財してきました。ふふふ、もう思い残すことは無いよ。ダブりが結構増えたから、少し交換やろうかな。
 ちなみに帰りも新幹線が1時間遅れてて、ホームにたまたま来ていた新幹線の自由席に飛び乗って帰ってきました。台風というか天候に旅行の交通手段が大きく影響を受けるのは初めての筈なので、ある意味実績解除ですね!嬉しくないよっ!? まあ自然の事なのでどう仕様もないよねって気持ちと、翌日休みだし帰りの新幹線もなんとか座れたしこの後タイムリミットが有る様なヤバい案件もないから心に余裕ができた為でしょう、行きは出発予定より75分遅れの新幹線に乗って移動したり帰りは1時間遅れの新幹線に乗ったりと初めてだらけの今日の経験を面白いこともあるもんだと感じてました。 行きも帰りも静岡に雨雲が集中していて、ずっと降ってるみたいだから土砂災害が心配…。
 今回は初手の行きの新幹線が立ち乗車移動でかなり体力削られてたとはいえ、同行者と体力差が有ると歩行速度の配分や普段階段の所をエスカレーター移動等、なかなか気遣いできなかったりで反省点も有る旅路となりました。この経験から「やっぱお出掛けはひとりのが楽!」にならない様にはしたいが、多分其処に行くのが2回目とか自分の関心が程々の行き先、又は一緒に行くことそのものが目的の半分を占めるとか位じゃないと同行者有りの旅路は避けた方が自分にとって負担がない所感。
 自分の熱意が強い時は往々にして詰め込み旅行になるので、流石にひとりでしなきゃとは思う。ご飯抜いたり結構無理するからね。自由に気持ちの赴くままに見て聴いて感じたいならひとりしかないか。そりゃそうだ。そしてそれを選んで良いんだ。自分は自由だって気づいてからはフッ軽よ。 そうそう、いつか寝台列車に乗りたい目標ができました。
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indigolikeawa · 2 months
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2024年7月22日月曜日
病院の待合室にて23
くちずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?(5)
 続いて、私がTくんのバンドを見に行ったら対バンで出ていたのを見て「これは人気出そう!」と思った三大バンド、という私がよくしてしまう話をした。その三大バンドとは吉祥寺シルバーエレファントで見たandymori、相対性理論、そして吉祥寺WARPで見たきのこ帝国である。andymoriはライブの一曲目がゆったりした三人のコーラスで始まる曲で、「今こんなことをするバンドがいるんだなぁ」と思っていたら、二曲目がめっちゃ速いパンキッシュな曲で、ギャップがあってかっこよかったのを覚えている。相対性理論はどえらいポップな曲に、かわいい小さな声のボーカルが乗っていて、「これは人気出るぞー!」とはしゃいだ。『シフォン主義』のCD‐Rを物販で売っていた気がするので、『LOVEずっきゅん』とかもうやっていたと思う。そしてきのこ帝国は、声よし演奏よし出音よしで、ギターの人の佇まいがキマっていてとてもかっこよかった。この時しか吉祥寺のWARPには行ったことがないのだけど、ドラムの音がものすごく良かった印象がある。この三大バンドはどのバンドも大人気になり、やがて解散したり活動休止したりバンドの形を大きく変えたりした。何もかもが12年以上前のことであるから無理もない。ちなみに個人的な好みで言ったらホライズン山下宅配便やうずらといったバンドの方がずっと好きだった。この二つのバンドも、もう活動していないと思う。続けるということは難しい。
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 もうすぐ空港に着くというところで、私の最近の生活や病気についての話をした。普段ここに書きつけているようなことについて。私が誰かに同じような話をされたら、良かれと思って変にアドバイスしてみたり、別の視点を提供しようとしたりしてしまいそうだが、Tくんはただ「そうなんだね」と相槌を打ちながら聞いていた。
 車が空港に着き、お土産を買ったりした後で、ハンバーガー屋さんぽいカフェがあったので、そこでお茶することにした。私はアイスコーヒーを、Tくんはビールとフィッシュカツ(たしか)を注文した。
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そこでは、私たちがバンドを組んでいた時にコピーしていたくらい好きだったバンド、Weezerについての話になった。
「仲見世のすみやの近くに、海賊盤屋さんあったじゃないですか?あそこで安倍くんが買った、すごい高くて画質の悪い非公式のウィーザーのライブビデオ何���も見ましたよね。あんなのよく買いましたよ。すごい時代」
「ああー、あのフェスみたいなやつでしょ?あれ格好よかったよね!YouTubeにあるんだよ。ちょっと待ってね…あった!これでしょう?」
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「いや、もっともっと画質が荒くて、カメラがめちゃくちゃ寄っていて、リヴァースの手元とかしか映ってなくて、”Getchoo”とか演っていて、20分くらいしかなくて…」
 そんな映像全く記憶にない。Weezerのライブビデオはフェスのやつしか持ってないと思っていた。従って「えっ嘘、そんなのあったっけ?」ということになり、私がYouTubeのWeezerのライブ映像をどんどん見せては、Tくんが「違う…違う…もっと円盤みたいに近くて…」という、重要参考人の取り調べのシークエンスみたいになってしまった。あと円盤というのは東京都は高円寺にかつてあったお店のことで、夜は決して広いとはいえない店内でライブをやっていることが多く、出演者と最前列のお客さんの距離がとても近かった。ここで言っているのはその感じのことだと思われるが、そのお店では店内ライブの撮影もしており、それはレジ横に置いてあるビデオカメラで撮影していて、客席の最後列よりも後ろからの俯瞰気味のショットになるので、その喩えは微妙にややこしい。探してくうちにYouTubeにアップされた1992年から2000年までのWeezerのライブのブートレグ・ビデオのプレイリストというとんでもないものを発見したりした(ちなみにWeezerのデビューは1994年。92年てあんた)。
 しかし、映像は見つからなかったので、「そんなのもあったかー、そうかそうか」ということに話は落ち着いた。そのうちに、「我々にとってのウィーザーは、やっぱりマット・シャープのことだよね」「だよねだよね」という話になったり、人気スケーターを撮影したスケートボードのビデオがストリートで取引されていたという良い話や、実はiPhoneは我々の会話を全て聞いていて…というお伽噺にもなったりしているうちに、出発の時間となってしまった。その時にもう一度Weezerの話に戻り、「私たちはウィーザーのグリーン・アルバムにがっかりしたじゃない?アメリカのリアル・エステイトっていうバンドも同じような経験をしたってインタビューで言ってたよ」と言って、彼らの代表曲のひとつである”It’s Real”のビデオをYouTubeで再生したら、そこに「12年前」と出て、Tくんのバンドと同時期のバンドだったんかい!となった。そりゃ聞いてきたものも近いはずである。私は、Tくんのバンドに限らず、あの頃の東京にシーンのようなものがあったと仮定するなら、きっとUSインディーとの同時代性みたいなものもあったんだろう、でもそんなことはみんな忘れ去られてしまった気がする、と妙にしみじみしてしまった。あの頃のことで、私が見ることのできたものに関しては、私の中に残っているが、私が見ることができなかったものや、私の中に残っているものでさえ、私の外にそれを見つけることは、現在容易なことではないし、私の記憶だって、きっとどんどん薄れていってしまう。そのことが良いことなのか悪いことなのかは、正直私には分からない。
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 お別れの時間が来てしまった。保安検査場の前で私は「見えなくなるまで手を振ったりしてると、本当に寂しくなるから行くね。ごめんね。またね!」と言った。Tくんは笑いながら「あはは。わかったー。またね」と言った。お互いに軽く手を振って踵を返し、私は振り返らないように努め空港の出口へ向かいズンズン歩いて外に出て、そのまま車に乗って逃げるように家に帰った。
 4日後の23日の木曜日にTくんからショートメールが、何枚かの写真と共に送られてきた。写真はすべて私とTくんのツーショットだった。
「ありがとうございました!
田口さんの本が気になったので注文しました、またねー」
 そういえば、私たちは一軒目の居酒屋で、Tくんのバンドが撮った「マイリトルラバー」という映画の話をしたのだった。それは、先述の円盤というお店からT君のバンドに企画の誘いが来て、映画を撮ることになり、そのころ映画をそれなりに見ていた私は、彼らに吉祥寺のお好み焼き屋さんに呼び出され、どんな映画を撮ったらよいか、TくんとベースのHさんと企画会議を行うことになった。どういういきさつかは忘れたが、最終的には「南くんの恋人」みたいな映画を撮ろうということになり、TくんとHさんは「いやー決まって良かったー」とご満悦だったのだが、私は大丈夫かなぁ…と思っていた。そして後日仕上がった映画「マイリトルラバー」を見たら、まあまあ「南くんの恋人」でびっくりしたということがあったのだが、「その映画について、円盤の(店主であった)田口(史人)さんが『二〇一二』というご自身の著書の中で触れているよ」と酒席で伝えたのだった。そういえば、Tくんは最近読書をしていると言っていたので、ちょうど良かった。Tくんのバンドが唯一発表したフルアルバムのタイトルは『映画館』だった。どうして『映画館』というタイトルだったのだろう。まだTくんはその理由を覚えているだろうか。今度会ったら聞いてみようと思う。
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くちずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?
おわり
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ignitiongallery · 9 months
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僕のマリ+見汐麻衣『今日のわたしを確かめる言葉』
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僕のマリさんと見汐麻衣さん。お二人のトークイベントと、選書フェア「今日を確かめる言葉」をtwililightで開催します。
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読み始めたら心が震え出し、「どうして、わたしは自分のことがわからないんだろう」という言葉で涙が溢れた。僕のマリさんの心の動きが自分の心のありかを教えてくれて、カが抜けて、生きてきてよかったと思った。また生きていけると思えた。『いかれた慕情』。
考えるな、感じろというクリシェがあるけれど、考えがなければ感じることもできないと思う。見汐麻衣さんは考えているから、他人との触れ合いや季節の巡りによってさまざまなもの感受できる。過去や他人に想いを巡らせ、今の自分を新たに紡いでいく。 何かを省く時、いつか自分も省かれるんじゃないかと気持ちがざわつく。考えて、書くことは時間がかかることだけど、その時間こそ、私たちが生きている証なんだと、見汐さんの『もう一度 猫と暮らしたい』を読んで思う。
僕のマリさんと見汐麻衣さん。真摯に言葉を紡ぐことで読者の居場所を作っているお二人はどのような本に影響を受けたのでしょうか。 そしてどのように言葉を紡いでいるのでしょうか。
--- ・選書フェア 期間: 3月21日(木)〜4月8日(月) お二人が今の自分を作っている本を6冊ずつ選書し、コメントを寄せています。 --
・僕のマリ+見汐麻衣 トークイベント「今日のわたしを確かめる言葉」 日時:2024年3月22日(金) 時間:開場19:00/開演19:30(終演:21:00) 会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28- 10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分)
来店チケット:2,000円 来店&「もう一度 猫と暮らしたい」¥2000=4000円 来店&「いかれた慕情」¥1890=3890円 配信チケット:1,000円 配信&「もう一度 猫と暮らしたい」¥2000=3000円 配信&「いかれた慕情」¥1890=2890円 *すべて見逃し配信(1ヶ月間)付き
予約:https://peatix.com/event/3861630/view
-- 僕のマリ
文筆家。1992年福岡県生まれ。著書に『常識のない喫茶店』『 書きたい生活』(ともに柏書房)『いかれた慕情』(百万年書房) など。自費出版の日記集も作っている。 -- 見汐麻衣(みしお・まい)
シンガー / ソングライター 2001年、埋火(うずみび)のボーカル、 ギタリストとして活動を開始。2014年に解散後、 石原洋プロデュースによるソロプロジェクトMANNERSを始動 、その他ミュージシャンのプロジェクトに参加する一方、Mai Mishio With Goodfellasにて活動。映画、演劇、CMへの楽曲提供、 エッセイ・コラム等の執筆なども行なっている。2023年5月、 初エッセイ集『もう⼀度 猫と暮らしたい』(Lemon House Inc.)を発表。同年7,9, 11月3作連続発売となった7EPが最新作となる。 2024年1月、noteにて連載エッセイ「おはよう、荒野」 を掲載中。
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aminagumo · 7 months
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february 23, 2024
歌舞伎町一番街のアーチの前で幼い子連れの家族(海外からの観光客らしい)が自撮りをしている。私はその真横にあるセブンATMで友人がお金を下ろすのを、もうひとりの友人と待っていた。子連れ家族は5、6人の大所帯だったので自撮りするのがかなり大変そうに見えた。思わず隣にいる友人に「撮ってあげようかな」と呟いた途端、撮影終了。出る幕なし。
街の中へ進んでいくと、ホストクラブの在籍ホストの大きな顔写真看板が何枚も発光しながらタイルのように並んでいる。前を通りながら、ひとりひとりに添えられた二行くらいの文章を読む。「二億一千万」とか、「億の子」とか。軽蔑や嘲笑などではなくただ、商品なんだな、と静かに思う。右耳の方で、「ありがとねー。」と親しげに客を送り出す若い男性の声が聞こえる。
人気の少ない路地に入って私は、色んな世界があるんだな、とぽつんと呟いていた。その姿を、誰かを見るときのように自分の外側から見ていた。
目的地だった路地裏の中華料理屋に入る。久しぶりの麦酒に酔っ払って店を出て、プリ機を探し歩いているとトー横に着く。地面にはゴミが散乱していて、しゃがみ込んでいる人やプラカードを持って立っている人がたくさんいる。アウトサイダー、という単語が自然と浮かぶ。私自身アウトサイダーだとずっと思っていたけれど。この人たちの居場所はここなのだと真っ直ぐ感じ入る私はどうしたってここでは薄情なんだね。
何軒も回ってようやくプリクラコーナーがあるゲームセンターを見つける。エレベーターでそのフロアに上がる。着いてみると、ハート型の女優鏡が何枚かあってその全ての前に女の子たちが座っていた。何故だか見ていられないような気分だった。何年ぶりかのプリクラは高校生の頃を思い出して楽しかった。
またエレベーターで一階まで下りる。出入口付近のクレーンゲームに目を惹かれるけれど通り過ぎて外に出る。寒くない。
お酒の気分じゃないし場所を移してお茶でもしようか、とまたアーチの方へ戻る。
道中。あるビルの三階は一面硝子張りになっていて、通りから見上げるとミニスカートを履いた女の子たちのお尻が目に入る。何も思わない。というより色々な思考が混ざって、感情が相殺されているような感覚。こういう光景に出会うたび、いつもそんな状態になる。大変な仕事。
それから、風俗案内所の暖簾を久しぶりに見て高崎を思い出した。風俗案内所の暖簾で思い出される高崎。中央銀座通り。白馬車にまた行きたいけど、今もやってるかな。ライブハウスの帰りとか、深夜急にお茶したくなったときに重宝していた。故郷がある、というのは幸せなのだなと最近よく思う。
姪っ子とお揃いで、父に煙犬のぬいぐるみを買ってもらったことを今ふと思い出した。
取り返しがつけられることを後ろめたく思うときもある。そんなことばかりかもしれない。
報われるなんて思わないけど、手を伸ばした事実が残るように?
今朝、駅前のベンチにいつもいるホームレスのおじさんが傘をさしながらごはんを食べていたのも急に思い出した。
歌舞伎町の中華料理屋に続く細い路地で、私の足音に驚いてネズミが逃げていったのも。
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newsgorvaptica · 7 months
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杉並分室につきまして
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[杉並分室]
三ヶ月程度ごとに行われる、とても小さな個展です
いつも新作があるわけでも無い
展示のために作られた部屋というわけでも無い
とても地味な空間を始めます
そのかわり、と言えるかどうかわかりませんが、お一人、あるいはお二人だけで、お茶でもしながら、せめてのんびり過ごされてください
- - -
※ご応募が募集総数に達しましたので、今回の募集は締め切ります。6月末か7月初旬あたりで次回開催できたらと考えております。
4/19
16:00 - 18:00
19:00 - 21:00
4/20
10:00 - 12:00
13:00 - 15:00
16:00 - 18:00
19:00 - 21:00
4/21
10:00 - 12:00
13:00 - 15:00
16:00 - 18:00
19:00 - 21:00
予約制 / ひと枠二時間
杉並区某所(中央線) 詳しい所在地は予約受付の際お伝えします
来場費:無料
-
- 予約受付について -
※募集総数に達しました。ありがとうございました。
3/19の午前0時から開始します。
予約方法は、上記の時間枠をご確認の上、
1. 氏名
2. 電話番号(可能であれば)
3. 希望の枠(できれば第三希望くらいまで)
4. 人数(1名か2名)
以上を添えて下記メールアドレスへお送りください。
柴田高志 宛
先着順です。
ご希望に添えない場合ももしかしたらあるかもしれません。何卒ご了承くださいませ。
. . .
一昨年の12月、東京を離れました。
東京での暮らしは、大事に思えるものが多くあり、それらをもたらしてくれたのは、間違いなく当時居住していた部屋でした。杉並の住宅街の、奥まったところに建っている風呂の無いとても小さな一軒家で、七年間、たくさんの絵を描きました。
入居したての頃、部屋には文字通りトランク一つだけ、コップすらないので、手で水を飲みました。どうしてか、とても心が踊りました。
大して日当たりの良くなかったその部屋も、入居日、春のある日、大変暖かく、何にもないけどしみじみと、いい部屋だな、と思ったことを今でも思い出します。
そんなこの部屋もここ一年ちょっと、東京滞在時に泊まるためと、絵の置き場所としてしか使っていませんでした。オープンアトリエにする計画は転居前からありましたが、壁を作ったり照明をいじったりが大変だなと二の足を踏み、どういう風に室内を仕上げたものかと考えあぐねていました。
(自分にとってはですが)気持ちの良い部屋なのに...
ぼんやりと、内装のことを考えるでもなく考えていく間に、そんなにがんばらなくても、もともと自分が好きだった空気を保った部屋であることが一番なのかな、という、妥協することで最良と思われる納得に至り、ほんの少しだけ部屋を整え、2024年の春に予約制で公開することとしました。
部屋の名前について。以前お世話になったブックギャラリーポポタムさんでの個展の後、ちょうどコロナ禍が始まるかというくらいの時に、同じくポポタムさんが当時運営していた「ポポタム分室」という部屋で非公開個展をさせていただく機会をくださいました。
その時の個展での発見や気付きが、今回の公開につながっています。
今は無いポポタム分室に敬意と感謝を持ちつつ、東京都杉並にあるわたしの分室、ということで「杉並分室」という名を当ててお知らせしていこうと思います。
いつまで続けられるかわからない細々とした活動になりますが、お付き合いいただければ幸いです。
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- 杉並分室について -
滞在中、部屋の中にはあなただけです。わたしはいません。 折角、誰の視線も気にせず、日中は自然の光を受けた、日が沈んでからはあったかい照明の光に照らされた絵を、見るともなく見てもらえるのんびりした場所を用意しているのですから。お茶かコーヒーくらいはお出しします。置いている本も自由に読んでください。
わたしは部屋の外で本でも読んでますので、ききたいことがある、ちょっと話したい、一緒に外を散歩しましょう、などあれば、いつでも呼んでください。
部屋の中には手のひら大の小さな絵から、20号程度の絵あたりを数点展示予定です。ストックもあるので、ご希望があればお出しできるようにもしています。 もちろん絵や冊子などの購入は可能ですが、この部屋で絵をご覧いただけるだけで、わたしはとても嬉しいです。自分が一番長い時間、自分の絵を眺め、描いていた空気感そのままに、ご覧いただけることがとても嬉しいのです。
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さて、ここからは注意事項です。
1つめ
この部屋は住宅街の、入り込んだ場所にある大変小さな一軒家です。 基本的に、部屋の中ではお一人かお連れ添いお二人で過ごすことになり、希望されなければ室内にわたしは入りません。 ただ、あなたがたは知らない人の部屋に訪問することになってしまいます。 中には不安感を抱かれる方もいるかと思いますので、ご予約の前に、今一度お考えの上、ご連絡ください。
二つめ
建物はとても小さな一軒家です。二階部分が当部屋なのですが、狭めの階段がある上に、上がりきったところがまた極端に狭くなっています。脚が悪く階段を昇れない方や、特別身幅が広い方は、もしかしたら通過できないかも知れませんのでご了承ください。
三つめ
現在、向かいの家が更地になっています。もしかしたら四月ごろには何かしらの工事が行われているかも知れません。普段は大変静かな場所ですが、タイミング悪く騒音が響いてしまうことも懸念されますので、その際はどうぞ悪しからずご了承下さい。
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ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
少し先の話ですが、ほんの少しでもお気に留めてもらえれば幸いです。
柴田
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gyohkou · 2 years
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11/12/22
フラットにもだいぶ慣れてきた。家に備わっているもの、キッチン、お風呂、トイレ、ソファとテレビ、洗濯機、掃除用具などを一通り使い終えると、使い方と責任範囲がわからない不安感は払拭された。もう、わたしのものでもあるんだ。キッチンダイニングとは別に、ソファと壁掛けテレビがあるリビングルームがあって、そこへ夕飯を持ち込み、Netflixでフレンズを観たりしている。(よくわからないんだけど、以前の住人の契約がそのままになっているだかで、Netflix見放題なのだ。)リビングルームとフラットメイト1の部屋は隣接しており、その部屋の裏側の壁にテレビがかかっている形なので、「うるさくても眠れるタイプだから、いつでも観ていいよ」と言われてはいるものの、音量はちっちゃくしている。ソファで伸び切ったりできるほど慣れてはいないので、30分で終わる1話分だけ観終えると、そそくさと立ち上がって、洗い物をして自室へ引き上げる。イギリス式のキッチンは広くて気に入っている。コンロは4口、トントンスペース(三軒茶屋の不動産屋の受け売りワード)はまな板10枚分くらいあるし、レンジ、2段のオーブン、ポップアップトースターもある。ケトルはライムスケール(硬水の石灰成分が固まった白い汚れ)がひどくて、クリーナーを使ってみたけど、注ぎ口だけ綺麗にできなかったので使うのは控えている。自室も、狭いけど気に入っている。多分4畳くらいだけど、ちょうどよい大きさの机と、バルコニーへ通づる大きい窓、から差し込む光が特に良い。以前���めていた会社の同期が3畳+キッチンの賃貸に住んでいると知って、むっちゃ馬鹿にして大笑いしたことがあったけど、狭いのもけっこういいね。
学校へ向かう朝、アパートの外階段が濡れていて滑ったので用心しながら降り、バス停へ向かった。バスに乗ったらバスの床も濡れていて、走り出した時に歩いていたので、滑って思い切り転んでしまった。わたしは笑っていたけど、落とした財布とオイスターカードを広い、手を差し伸べてくれた女性は真剣に心配してくれ、運転手に向かって、なぜバスの床が濡れているのかと怒鳴りつけていた。運転手は怒ったような口調で何かを返し、わたしは I'm fine. と言いながらへらへらしていた。わたしだけが笑っていた。別におもしろくはなくて、痛くて恥ずかしくて、こういう時に怒るんだと思った。転んだことは恥ずかしかったけど、怒ることはもっと恥ずかしいことだと思った。濡れた床のバスで転んだくらいでは怒らなくてもいいけど、なんというか、怒ることも、自分に正直でいるためには大事なんじゃないかと思った。
また別日、バスを待つ間、Airpodsを耳にはめるとなぜか米津玄師のYANKEEが流れたので、そのまま聴いたら高揚して楽しかった。体が動いてしまうようなJ-popが好きだったことを思い出した。身体が楽しいことが楽しい。英語を喋る楽しさって、MAD HEAD LOVEみたいなリズムが詰め込まれた音楽でノってしまうような感じに似ているような気が(その時は)した。
精神的な苦痛を身体的なアプローチから癒すことについて。フラットへ越してきてからしばらく抑うつな気分が続いていた。落ち込みやすいのは昔からだけど、単純に身体的な刺激が足りていないだけなんじゃないかと思った。抑うつ状態であらゆる物事をネガティブに捉えてしまうのは脳のバグだとわたしは思っているのだけど、脳、というか感じ方、というか気分は、自分でも驚くほど突然、反対方向に切り替わる。死にそうになっていた5分後にはものすごい安寧に包まれていたりする。騙されやすい(?)脳にスイッチングが起こる時はいつも、身体的な刺激が伴っている気がしている。(寝転んで悩み続けている最中に晴れやかになったりはしない。)身体へはたらきかければすぐ元気になるみたいな話では全くないのだが、身体が楽しいことをなるべくたくさん散りばめることであまり悩みすぎないようにし、落ち込みの大波には飲まれないようにすることができるんじゃないかと思った。
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仕事何する?で悩み続けており、これは歌ったり踊ったり走ったりして解決されるタイプの悩みではないので、悩まないといけない。人の生活やキャリアを見て流されまくっている。いろんなものが、それぞれ良く見える。何をしている時が幸せを感じるのか、自分でちゃんとわかっておくことがこんなに大事なことだとは知らなかった。わたしは儲けるためのビジネスに全く興味が持てないのに、フラットメイト2が毎日忙しそうに働きながらビジネスの勉強のために大学へ通ってもいて、有望そうだなと妬んだりするのがめっちゃいやだ。人を羨むことは無意味だと知ってはいるけど、やめることはまだできない。でも羨望の感情って何かを始めるきっかけであることが多いから、素直に羨んで、自分もやってみて確かめるのが大切なのかもな。何をしている時に幸せかは、実際に確かめたり、時には何度も繰り返し確かめたりしないと、わからない。わかる、というより、わかりつづける、みたいな感じなのかもしれない。自分の幸せを絶対的に感じ続けることの何と難しいことよ。
なんとなく、場所を選ばず、複数種を掛け持つのが理想的な感じがしている。3つくらいをジャグリングしたり、時にはしなかったり、したい。2年間で掲げるにはあまりに大きく曖昧な理想像だから、2年後に何か一つでも手に入ったらいいよね。
いくつか求人にも応募している。時給£30(!)のマッサージ屋の求人を見つけて、未経験でもトレーニングあるよ、英語ちゃんと喋れなくてもいいよ、みたいな感じだったからapplyしてみた。二日後にメールが返ってきて、電話でヒアリングしたいというので応えたら、完全未経験者へのトレーニングはない、マッサージはそんなに難しくないし、誰かに教わってからまた連絡ちょうだい、とのことだった。どうやら英語力よりも経験のほうがよっぽど重要視されるらしい。あと、電話は意外といけるから怖がらなくていいこともわかった。
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突然、村上春樹を読みたい時の感情になって、学校帰りにFoylesという丸善みたいなでか本屋へ行って、ノルウェイの森の英訳版を買った。おもしろく読めている。ただ、日本語特有の言い回しや表現で構成された元の文章が、愚直に平坦に説明されているような感覚を覚え、少し味気ない。何度も読んでいるノルウェイの森を選んだからこそ、細かい言い回しや話の展開と照らし合わせて読むことができ、村上春樹感を味わえているが、未読のスプートニクの恋人を選んでいたらどうだったろう。海外文学を日本語で読む時のつっかかりや違和感は、異なる言語へ翻訳する過程で何かがこぼれ落ちるために生じているのだとわかった。
人と集まって食事を共にするやつをやりたい。食の傾向っていうのは、どんな料理が好きかの他に、どんな風にお酒を飲むのが好きか、そして忘れられがちなのが、どれくらいの量を食べるか、の3点に依存すると思う。わたしは結構食べる方っぽくて、アラカルトスタイルで人と食事をすると、もうおしまいなの?てなることが度々ある。定食屋とかで、女性のお客さんご飯の量減らしますか?とか聞かれるのもちょっとかなしい。たくさん品数作ったお料理を並べて、きりっと冷えた白ワインもたっぷり用意して、いい音楽かけたり話聞いたりしながら食べたり飲んだりしたいよう。来週末からスペインへ旅行するから、おいしいものいっぱい食べる。
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おぎのやの釜めしの空き釜を使って、Tescoの激安long grain rice(細くてパラっとしたお米)を炊いてみた。釜で炊くのは意外と簡単。洗い物をしていると、器の裏側に彫られた「益子焼」の文字、おぎのやの釜めしの釜は益子焼の土釜だった。急に愛着が沸いた。次は日本米を炊いてみたい。
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rezagrats · 2 years
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#三軒茶屋散歩 #若林 #街の看板 #scoopthepoop💩 #scoopthepoop #dogcantflush #thatstrue👍 (at 世田谷区三軒茶屋) https://www.instagram.com/p/Cl7L60wPyM7/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kankan70 · 2 years
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ひしめき合うエリア。
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abraxas174 · 2 years
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『戦禍のアフガニスタンを犬と歩く』ローリー・スチュワート 高月園子 訳
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「二〇〇〇年のある日、ローリー・スチュワートは故郷のスコットランドを散歩していて、ふと、このまま歩き続けたらどうだろう、と考えた。それがすべての始まりだった。その年、彼はイランを出発し、アフガニスタン、インド、パキスタンを経由しネパールまで、アジア大陸を横切る全長九六〇〇キロを踏破する旅に出た(「訳者あとがき」より)」。だが、タリバンに入国を拒否され、アフガニスタンは後回しにするしかなかった。翌年にタリバン政権が倒れると、彼は大急ぎでネパールから引き返してきたのだ。
通常アフガニスタンの西の都市ヘラートから東のカブールに行くには、ヒッピーたちが旅したように南のカンダハールを経由する。それなのに、あえて最短距離のルートを選択し、積雪三メートルに及ぶ冬の山岳地帯を抜けて歩き通した苛酷な旅の記録だ。誰からも冬季に山岳地帯を行くのは無謀だと説得されるが、南はまだタリバンの勢力下にあり、そこを通るのは危険だ。彼は一刻も早く踏破したかった。歴史学者でもある男はムガール帝国初代皇帝バーブルの日記を通して、彼が同じルートを冬に踏破したことを知っていた。
邦題には「犬と歩く」とあるが、はじめは犬は登場しない。その代わりに武器を携行した男三人が旅のお伴だ。なにしろ、タリバン政権が崩壊してたったの二週間だ。外務官僚のユズフィは言う。「きみはアフガニスタンの観光客第一号だよ。(略)護衛を連れて行きなさい。これは譲れない」。彼は市場で手ごろな木の棒を買い、鍛冶屋に行って両端に補強用の鉄を取り付けてもらう。この杖は「ダング」と呼ばれ、山道を歩くとき重宝するが、いざというときは武器にもなる。
この本のことは、ロバを連れてモロッコを旅している邦人のツイッターで知った。本の影響を受けてのロバ旅らしい。モロッコではマカダム(村長)が行く先々についてきて、次の村まで同行し、そこのマカダムに引き継ぐ。イスラム教の喜捨の精神で、旅人は大事にされるのだ。この本のなかでも、日が暮れて村に着いた旅人は一夜の宿と食事を提供され、翌日次の宿を紹介してもらって旅を続けている。一日の旅程が終わる頃には次の村で休めるようになっている。今は荒れ寂れているが、かつては通商のために人が通った道なのだ。
もっとも、当時のアフガニスタンは、まだ各地でタリバンが戦っており、宗派間、部族間の抗争も続いていた。武器を携行した男たちが同行していては、村人も投宿を拒否できまい。喜捨といえるのかどうか。食事といってもパンとお茶がやっとで、時にはパンさえ出ないときもある。どの村も貧しく自分たちが食べるのもやっとなのだ。旅はおろか、女たちは村から離れることができず隣村のあることさえ知らない。
そんななか、泊まった一軒の家で、犬を連れていけと勧められる。大型のマスティフ犬の一種で、オオカミ対策に飼われているという。ただ、餌代にも事欠く有様で、彼が貰ってくれれば餌にもありつけるだろうという。彼はためらったすえ、その犬を引き受ける。皇帝にあやかって「バーブル」と名づけられた、この犬がいい。イスラム教の国では、犬は不浄な動物とされ、ペット扱いされない。ただ使役されるだけだ。当然、犬の方も飼い主に愛着も示さなければ、遊びにつきあうこともない。だが、スコットランド人はちがう。
はじめは居場所を離れることを嫌がり、歩き出してもすぐに地べたに座り込んで動こうとしない。パンで釣ったり、紐を引っ張ったりしてやっと動き出す始末。ところが、そんなバーブルが少しずつ彼に心を開き出す。雨や雪の中を苦労して歩き、村にたどりつくと、彼は嫌がる村人に頼み込んで、犬をどこか屋根の下で寝させてくれるように頼む。それをすませるまで自分も家の中に入ろうとしない。食事に肉が出ると、犬にも分けてやる。旅が終わったら、スコットランドに連れ帰るつもりでいる。
どこを向いても厳しい自然と貧しい人々の暮らしがあるばかり。そんなある日、険しい山の中で尖塔を発見する。伝説の「ジャムのミナレット」だ。「細かい複雑な彫りの施されたテラコッタにターコイズブルーのタイルが線状にはめ込まれた細長い柱が、六〇メートルの高さにそびえている」。塔の首のあたりにはペルシアンブルーのタイルでこう綴られている。「ギヤースウッディーンはヘラートにモスクを、チスティシャリフに修道僧のドームを建て、失われた都ターコイズ・マウンテンをつくったゴール帝国のスルタンだ」
彼はその辺り一帯の司令官の家に誘われ、塔についての話を聞き、地中から掘り出したものを見せてもらう。何人もの考古学者が訪れながら、遂に発見することのできなかった、失われた都ターコイズ・マウンテンの遺跡は、盗掘者の手で掘り出され、二束三文の値で売り飛ばされていた。かつて、チンギス・ハーンに焼き尽くされた伝説の都は、ずっとイスラムの遺跡として守られてきた。しかし、タリバンが追いやられた今、僻遠の地ということもあり、新政府の目も及ばず、せっかくの文化遺産は荒らされ放題になっている。
地下に貴重な文化遺産を蔵しながら、ヤギが食べる草も生えない高地に暮らす人々は、掘り出した遺物を売って暮らすしかない。皮肉なことだ。遺跡を見る目は歴史学者のそれで���この部分は明らかに他とは筆致が異なる。だが、その後、旅は苛酷になる。赤痢に罹り、下痢で体力を奪われながら雪の山道に踏み迷う難行が待っていた。さすがの彼も凍った湖を行く途中で力尽き、もうここで旅を終えてもいい、と雪の中に倒れ込んでしまう。彼を救ったのはバーブルだった。首に吐息をかけて起きるよう促すのだが、それでも���かないでいると、歩いて行って振り返り越しに一声吠える。その姿に彼は自分を恥じ、再び立ち上がる。
バーミヤンの石仏が象徴するように、過去に偉大な文化を擁しながら、行路にはかつてを偲ぶよすがとてない。荒れ寂れて人も通わぬ道も、かつては隊商が駱駝に乗って通った道である。歴史家として彼はそこに何を見ていたのだろう。果たして人類は成長したといえるのだろうか。著者は声高に語ることはないが、書かれたものを読めば、その思いは読者の胸に迫る。淡々とした筆致で綴られた手記には、最後に物語のような思いもかけない幕切れが待っている。この旅に出ることで、彼はバーブルと出会うことができた。これを縁といわず何といえよう。原題“The Places in Between ”を『戦時のアフガニスタンを犬と歩く』とした訳者の思いがわかる気がした。
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endekashi · 3 months
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特殊支援部隊『山ん』。
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皆さん、おはるかです。暑サニ負ケズまめったくやっておりますでしょうか?
先日、能登で復興支援活動をしている人達のお手伝いに行ってきたので、その時見てきたものをシェアしようと思い、久々にPCを立ち上げてブログを書こうと思ったら久々すぎてログインするのに苦労したっていう事は内緒にしておいて、いってみましょー!
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の前にちと近況報告。春になり、とっくに屋根屋に復帰してると見せかけて、自宅の屋根の葺き替えをしてました。九年目にして遂にファイナルシーズンです。皆様のご協力のおかげもあり遂にここまできました。おしょっ様です。後ちょっと。ばんがるぞ!
しかし、そろそろ、会社も忙しそうだし、蓄えも寂しくなってきたのでこの先は仕事をしつつ直していこうかと思ったところ、その前にどうしてもやっておきたい事がありました。
それが今年の元日に起きた能登の震災のボランティアです。石川にはヨコノリ友達も、ウチに来てくれるお客さんもいるので、少しだけでもなんか手伝いたいなと前々から思っていましたが、な��なかタイミングがなく行けずにいたので、仕事に復帰する前の今しかねえ!っつー事でつっこむ事にしました。
つってもどこへ行けばいいかな〜なんて考えていたところ、ちょっと前にボランティアに行ったPOWのショータローに、どっか紹介してっていうとすぐに二つの団体を紹介してくれました。一つはしっかりとした災害救助NGO団体。そして、もう一つが金沢のヨコノリスト達がやっている特殊支援部隊『山ん』なるグループ。もう名前で山んに決めました。
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目指すは能登の先っちょ、珠洲市。ナビで調べるとなんと五時間!ウヒョー!早朝、白馬をデッパツして車をぶっ放します。
氷見辺りからブルーシートの屋根が目立ってきて、さらに進んで七尾の辺りに来るとひしゃげた家が目に入るようになってきました。
しかし、この先がもっと酷いということで既に今回の震災の被害の甚大さが窺い知れました。
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能登の道は市街地以外は比較的スピードの出し易い広い道が多いのですが油断大敵。地震で出来た亀裂を修復したところに段差ができてるのでいいスピードで突っ込むと大変なことになります。
道中パトカーを多く見かけ、車の列の先頭をゆっくり走っていましたが恐らくこういう道での事故を抑える為でしょうか。
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珠洲に入るといよいよ被害は深刻でそこら中の家が潰れていました。
半年経った今でも全然片付いている雰囲気ではありません。
教えてもらった住所はこのすぐ先なのですが、建物などは大丈夫なのでしょうか?
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程なくして特殊支援部隊山んが運営する被災者無料商店、みんなの家に到着しました。山んの代表、マコ君が出迎えてくれました。
マコ君達、山んは地震直後から全国の友人らに支援物資の提供を呼びかけ、支援の手が及びづらい孤立集落や自主避難所に向けて届けてきたそうです。
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 1月中旬に無料商店の1号店を中能登町に開設。2月下旬に珠洲市に民家を借りて2号店を開き、水や食料、洋服、生活用品、学用品などが並び、被災者が必要な物資を自由に選んで持ち帰る形です。メンバーが寝泊まりして交代で店番を務めているそうなので、こうして俺みたいのがヒョコッと顔出して店番するだけでも(店番と言っても無料商店なので基本やることはない)彼らが作業できて助かるそうです(彼らはやることが山積み)。
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行政がやると色々な手続きやら管理やらで膨大な人数で無駄に時間がかかるところを彼らは少人数でシンプルにスムースに行っているそうです。
あ、そういえばさっきまで潰れた家ばかりだったのに、このみんなの家がある小泊地区に入った途端、嘘のように無傷(実際は少しダメージは受けていますが)な家が立ち並んでいました。なんでもこの地区だけは地盤が固いらしく被害が少なく奇跡の2kmと呼ばれているとか。
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小泊では既に電気は復旧しているそうですが彼らはあえてまだオフグリッドで生活しているそうです。もし再び電気が止まるようなことになってもへっちゃらです。そんな事は起こらないことを切に願いますが。
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更に裏庭にある奇怪な建物に案内してくれました。なんすかこれ?
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中に入るとこんな感じ。どこぞの大学の先生が考案した建物らしいですが、外側のテントを膨らませて内側をウレタン(なのかな?)で吹き付けたらはい出来上がり。5.,6人は楽に寝るスペースで一度立てれば三年ほど持つそうです。ポイポイカプセルやん!
複数人で手伝いに来てくれた人に泊まってもらってるそうで。
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なんてやっていると、タートルアイランドのTシャツを着た富山からきたおねーちゃんが、普通車にパンパンの水を積み、送り届けに来てくれました。日々、こうして救援物資が送られてくるそうです。
ヨコノリだけでなく音楽の繋がりからの支援もあるみたいですね。ヤーマン。
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店番や不要材などの片付けをして、この日の任務は終了。
更に北の方の様子を見に行きましょう、ということでマコ君の相方のユージ君が案内してくれました。
今回の震災では地震だけでなく津波の被害も局所的に甚大だったようです。局所的というのは能登半島の北側ではそれほどでもなく被害は珠洲市や能登町の東側に集中したそうです。というのも、北側の方では地盤が隆起して(最大で4m!)防波堤の役割をしたそうです。
対して東側の地域では隆起はほとんどなく、且つ、富山湾沖合の水深が深くなっていて、水深が深くなると早くなる津波の性質もあり地震直後わずか1分で津波が到達し、その後何度も押し寄せてきたそうです。津波の被害のあったところは地震の壊れ方とはまた違い、ものが散乱していて津波の威力の凄まじさがわかります。
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こちらは北側の海岸のかつてビーチだった場所。後に見える白い岩盤は元々水の中だったそう。
ユージくんも地震後初めて訪れたそうで、変わり果てた姿に唖然としていました。
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ユージ君の完璧なタイムスケジュールで最後は能登の最北端、禄剛埼灯台の夕日に連れてってくれました。この灯台は朝日も夕日も拝める素敵な場所です。
この日は散々自然の脅威を感じていましたが、最後に美しい一面を見せてくれました。
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翌朝、早起きして佐渡島から昇る朝日を拝む。
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今度は南に降り、珠洲の蛸島の方の様子を見に行ってきました。こちらも家が密集したところで悲惨な状況でした。半年経ってもまだこのような状況です。
現在、公費解体を行っているのは道路からはみ出した家が優先だそうです。それ以外の家は11月から始まるそうです。11月…。一年近く経とうとしても家の解体すらも終わらないのが現状です。
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さて、山んに戻り朝の涼しいウチに草刈り作業の手伝いをしました。彼らは農地を使わせてもらえるようになったので、畑をできる状態にして小泊に新たな需要を産み出したいそうです。誰かやりたい農家さんいませんか?何年も放っておいた荒地の草はしぶてえぜ。
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自分達で食べる野菜も作っています。
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というわけで、朝採れのビーツを使った味噌汁をいただきました。うんめえ〜!!
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ご飯を食べてる間もちょこちょこと被災者の方達が物資を取りに来ていました。毎日、だいたい30~40人程の方達が来るようです。マコ君達は来る方に気さくに流暢な金沢弁(能登弁?)で話しかけていて、みんなに愛され頼りにされている感じでした。
若い人たちはインスタを見て開店時間の10時頃から来るそうですが、口コミでくるじーさん、ばーさん達は朝8時頃からバンバン来るそうです。
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今日の作業は店も見つつ、他の家の片付け。実はマコ君、みんなの家の近くの二軒の家も使えるようになったそうで、そこの家を活用して飲食店か何か、さっきの農業に話もそうですが、この地区で雇用をうむ仕組みを作りたいと考えているそうです。
そのためにやる事はいっぱい!!
でもなんかワクワクしますね!
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この日はみんなの家の隣の神社でお祭り(お祭りと言っても祝詞をあげる神事的なものだったそう)があるという事でマコ君とユージ君が行ってる間、俺は店番。
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能登の祭りといえばこのキリコ祭りというど長え灯籠で練り歩くっていうド派手な秋祭りがあるそうです。
今年の開催状況はこちらに詳しいです。
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帰ってきて腹がペコリンちょだったので、禄剛埼灯台の麓の狼煙地区の『いかなてて』という最果てのカレー屋さんに連れてってくれました!
無茶苦茶美味いカレーでした!
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更にこの店、レコード屋も併設してるというたまらん造り。俺は井上陽水の二色の独楽というドープなアルバムをゲット!
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そんなこんなで一泊二日の山ん潜入記はこれにて終了。
能登の先端、被災地最前線で必死になって生きている被災者の方々を必死になって(まあ、ヤーマンなんでゆるいところもありますが)支援している山ん。正直その姿勢は、無茶苦茶かっこ良くて心打たれました。今でこそ、ちょっと落ち着いてきたと思いますが、発生直後のこれから冬が始まるというタイミング(スノーボーダー的には一番ワクワクしている時期でもあるにも関わらず!)ですぐに被災地に潜入し活動した時の苦労や恐怖は想像に難くありません。ナフリスペクト!
ちょうど半年ということで、少しメディアにも取り上げられてましたがまだまだまだまだ復興には程遠いといった印象です。引き続き、皆さんの支援は必要だと思います。ボランティアに参加するもよし、山んに物資を送ったり(水に加えて、カップラーメンも喜ばれますよ!)手伝いに行くもよし、いかなててへ行ってカレー食って観光するもよし、支援の仕方もそれぞれでいいと思います。ただこの先も能登から目を離さずに生活していきたいなと思うのでありました。
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P.S. 今度の土曜6日は前述の禄剛埼灯台台地にて復興祈願LIVEがあるそうですよ。山んのmalichanのバックバンドで参加するそうです。いかがでしょ?
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P.S.2 マコ君にPRAY FOR NOTOのTシャツと、無茶苦茶ハイセンスなキャップをもらいました。
ヤーマン。おしょっさまでした!
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