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#中原中也 詩 日本文学
aya-ebina · 8 months
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2023/09/23
長谷川書店水無瀬駅前店にて、詩集の刊行記念イベント。という名で、一日中軒先に座っていた。
7時くらいに起きるつもりが、6時半くらいに起きた。あんまり早く行っても迷惑だろうし、ゆっくり支度をして、10時20分頃水無瀬駅に着く。長谷川書店水無瀬駅前店はその名の通り、水無瀬駅の改札を出てすぐの高架下にある。長谷川さんがすでに机と椅子を用意してくれていた。
挨拶してから支度をした。わたしが用意したのは机に敷いている布、机に貼っているポスター、見本誌と本立てなど。後ろの筆文字の掲示物は、お店の人とお客さんによるお祝い。なんで「おせんべい」なのかはずっとわからなかった。
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水無瀬駅のある島本町は本当にのんびりしていて、ここが大阪府とは思えないくらい。町の人は掲示やポスターを眺めて、本屋さんに来たい人は入り、入らない人はスーッと通っていく。冷たい無視ではなく、暖かい無関心というか、いい感じに気にしないでいてくれる。たぶん、長谷川書店で何かあるのは日常的な光景だから、というのもあるだろう。
のんびりしましょう、というわけでお客さんの分も椅子がある。座ってもらうとのんびりゆっくり話ができてよかった。現代詩手帖の投稿欄から読んでいるという方、好きなバンドのライブが大阪であるから来たという山口県の方(中原中也賞の贈呈式で話をしたことがあるので驚いた)、はせしょで出会った方々、などなど。
わたしは合間に本を読んだり、油淋鶏を食べに行ったり、詩を書いたり、コーヒーを飲んだりしていた。書いた詩は手直ししてから公開しようと思う。
本の代金以外にもお金を払ってもらって何かする、というのがしっくり来なくて、座っているのでおしゃべりしに来てもらう方針にした。詩集は安くないのだ。それに、トークイベントなんてできそうにもないし、朗読会にはあまり興味がない。
文学フリマでたくさんの人に来てもらったことも嬉しいし、水無瀬駅という小さな駅まで来てもらえたことも嬉しい。イベントごとに違った楽しさや喜びがある。
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ignitiongallery · 10 months
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朗読フェス ’23
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三軒茶屋にある本屋&ギャラリー&カフェ『twililight』で、 心にあそびが生まれる夏の一日を。 翻訳家、詩人、ミュージシャン、俳優、画家、モデル、作家たちの表現を、 からだで聴き、知らないあなたと分かち合える喜びを。
「朗読フェス ’23」を、8月16日に開催します。
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日程:2023年8月16日(水)
会場:twililight (世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分)
タイムテーブルと料金:
10時45分:開場
11時:柴田元幸(翻訳家)                           料金:1,500円
12時30分:水沢なお(詩人)                            料金:1,500円
14時:浮(シンガーソングライター)                      料金:2,500円
15時30分:菊池明明(俳優)+小山義人(画家)                   料金:2,500円
17時:前田エマ(モデル、作家)                        料金:1,500円
18時30分:安達茉莉子(作家)                           料金:1,500円
20時:butaji(シンガーソングライター)                      料金:2,500円
21時30分:ninoheron(イラストレーター、ミュージシャン)  料金:2,500円(キャンセル待ち)
22時15分:終演
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出演者ごとに定員18名の入れ替え制になります。
2回参加は合計金額から200円OFF、3回参加は500円OFF、4回参加は700円OFF、5回参加は1000円OFF、6回参加は1500円OFF、7回参加は2000円0FF。
一日通し券(キャンセル待ち)は3000円OFFの13,000円です。
件名を「朗読フェス’23」として、
お名前・ご予約人数・当日のご連絡先・参加ご希望の出演者名を明記の上、メールをお送りください。
複数回予約される方は、出演者それぞれのお名前をご明記ください。一日通し券をご希望の方は、一日通し券とご明記ください。
*当日無断キャンセルの方にはキャンセル料を頂戴しております。
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出演者プロフィール:
柴田元幸(しばた・もとゆき)
1954年、東京生まれ。米文学者、翻訳家。『生半可な學者』で講談社エッセイ賞、『アメリカン・ナルシス』(東京大学出版会)でサントリー学芸賞、『メイスン&ディクスン(上・下)』(トマス・ピンチョン著、新潮社)で日本翻訳文化賞、2017年には早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。文芸誌『MONKEY』の責任編集も務める。
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水沢なお(みずさわ・なお)
静岡県生まれ。詩人。2016年第54回現代詩手帖賞、2020年第1詩集『美しいからだよ』(思潮社)で中原中也賞受賞。詩集『シー』(思潮社)、小説集『うみみたい 』(河出書房新社)。
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浮(ぶい) 
米山ミサによるソロユニット。 2018年頃から「浮」としてガットギターの弾き語り、作詞曲を始める。 2019年、FABIENNEより1stAlbum"三度見る"をリリース。 2020年、白と枝、松井亜衣とユニット”ゆうれい”を結成。 2021年、藤巻鉄郎(ds)、服部将典(cb)とトリオ”浮と港”の活動を開始。 2022年11月1日、Sweet Dreams Pressより2nd Album"あかるいくらい”リリース。
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菊池明明(きくち・めいめい)
千葉県出身。和光大学在学中に演劇をはじめる。2008年ナイロン100℃劇団員オーディションに合格、2009年に劇団員となり2023年4月まで在籍。ナカゴー『黛さん、現る!』にて2012年度佐藤佐吉賞最優秀助演女優賞受賞。2021年に第一子を出産、2022年に復帰し、映画やドラマなど映像出演の機会も増えている。公開中の出演作は映画『テン・ストーリーズ』(山西竜矢監督他)、『おーい!どんちゃん』(沖田修一監督)、『家族・する』(渡邉高章監督)。近年の出演舞台はマームとジプシー『cocoon 』、東葛スポーツ『ユキコ』、ナカゴー特別劇場『もはや、もはやさん』、東京にこにこちゃん『シュガシュガ・YAYA』など。
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小山義人 Yoshito Koyama
イラストレーター、ペインター。セツ・モードセミナー卒業。 主な仕事に装画『ベルリンは晴れているか』(深緑野分 著 / 筑摩書房) 、『バグダードのフランケンシュタイン』(アフマド・サアダーウィー 著 / 集英社) 、『首相が撃たれた日に』(ウズィ・ヴァイル 著 / 河出書房) など。
HP https://www.yoshito-koyama.net Instagram https://www.instagram.com/yoshito_koyama/ Twitter https://twitter.com/koyama_13
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前田エマ(まえだ・えま)
1992年生まれ、神奈川県出身。東京造形大学卒業。オーストリア ウィーン芸術アカデミーに留学経験を持つ。現在、韓国・ソウルの語学堂に留学中。モデルを中心に、執筆やラジオパーソナリティ、ペインティングなど、幅広く活動。著書に小説集『動物になる日』(ミシマ社)。『オズマガジン』の他、ウェブサイト『ミシマガジン』『ARToVILLA』『Hanako web』でエッセイ連載中。
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安達 茉莉子 (mariko adachi)
作家・文筆家。大分県日田市出身。東京外国語大学英語専攻卒業、サセックス大学開発学研究所開発学修士課程修了。政府機関での勤務、限界集落での生活、留学など様々な組織や場所での経験を経て、言葉と絵による作品発表・執筆をおこなう。 著書に『消えそうな光を抱えて歩き続ける人へ』(ビーナイス)、『毛布 - あなたをくるんでくれるもの』(玄光社)、『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE 』(三輪舎)、『臆病者の自転車生活』(亜紀書房)、『世界に放りこまれた』(ignition gallery)など。
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butaji
東京に住むシンガーソングライター。幼少期からクラシック音楽に影響を受けて作曲を始める。コンセプト立てた楽曲制作が特徴で、生音を使ったフォーキーなものから、ソフトシンセによるエレ���トロなトラックまで幅広い楽曲制作を得意とする。2013年に自主制作したep「四季」が話題を呼び、1stアルバム「アウトサイド」、2ndアルバム「告白」を発売。2021年に3rdアルバム「RIGHT TIME」を発売し、「APPLE VINEGAR – Music Award2022」の大賞を受賞。2022年にはドラマ『エルピスー希望、あるいは災い-』主題歌「Mirage」に作詞、作曲で参加した。ライブでは弾き語りを始めバンド、デュオなどさまざまな形態で活動中。トラックメイカーの荒井優作とのユニット・butasakuとしてもライブ&リリース中。
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ninoheron(にのへろん)
東京を拠点に活動するイラストレーター/ミュージシャン。 バンドや雑誌などにアートワークを提供しつつ自身の制作活動を行う。 2022年9月、1stアルバム『Image』を自主レーベル「MADAM」より発表。 楽曲とドローイングが一冊にまとまった作品集となっている。 uri gagarnやgroup_inouのメンバーとしても活動。
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宣伝美術:ササキエイコ
企画:twililight
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patsatshit · 6 months
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「週刊少年ジャンプ」(集英社)にて2018年14号から連載中の『呪術廻戦』が面白い。人間の負の感情から生まれる化け物・呪霊を呪術を使って祓う呪術師の闘いを描いたダークファンタジー。読者の予想を裏切りまくる展開で、数多の考察系YouTuberを幾度となく地獄に叩きつける作者のイヤラシイ才能に惚れ惚れする。ストーリー、人物造形、魅力的な術式の数々、どこをとっても見どころ満載で語り始めたらそのまま夜を駆けて呪いに転じてしまいそうなんだけど、特筆すべき点をひとつ挙げるとすれば、主要なキャラクターのひとりである羂索という呪詛師の存在。他人の身体を乗っ取り、永い時を越え自らの野望を叶えるために存在する人物。この羂索が物語を牽引するから本作は特別なものになっている。どこまでも純粋に面白いことを追求する奴が真に面白いと思ったことだけを次々に実践していく訳だから、その内容が面白くならない筈がない。
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彼が目指すのは「呪力の最適化」である。 呪霊のいない世界でも牧歌的な平和でもなく、自らの生み出すもの以上の可能性を見つけること、つまりは呪術の力で新たな世界を創造しようとしている。 呪術師・呪霊・非術師、これらは彼曰く「人間という“呪力の形”の可能性の一つ」に過ぎないらしく、さらなる呪力の可能性の探求の為に、1000年もの間、様々な術師の身体を渡り歩いて暗躍を続けていた。 そして最終目標は日本全土を対象に人類への強制進化を成すため、人類と天元を同化させることである。 おまけに乗っ取った人物の身体能力、特徴だけでなく術式等の能力をもそのまま引き継ぐことができるのだが、本人の年齢及び本来の顔、性別も未だに不詳。ここまで書けば勘の鋭い方なら既にお気づきだろう。そう、これは完全にドゥルーズの生成変化である。生成変化とは他なる物事への複数の「外在的」な「関係」の付置それ自体としての、言うなれば「関係束」としての「自他」が組み変わることである。それは万象の渾然一体ではなく、互いに区別される関係束の多様な組み変わりである。ドゥルーズの動物論は、スピノザ的「生態学的倫理」として解釈されることが多い。要するに自己の「身体の能力」を開発し、他者のそれと絡み合わせ、自他が一緒に活力を増していく「強度の共同性」を拡大することである。まさに「闘争領域の拡大」というやつだ。そしてそれは数々の漫画作品からの場面引用と構図、展開等の組み合わせで『呪術廻戦』を構築する作者の意図としても汲み取ることが可能である。
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つまりは羂索≒芥見下々であると、わざわざ声を大にして僕は言いたい訳だが、これは世界とは、断片的な物事のあらわれを「想像」に於いて「連合」した「結果=効果」であり、そして世界のいたるところに、互いに分離した想像する「精神」があるというヒューム主義を独自に咀嚼した庵野秀明原作・監督によるオリジナルアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の概念を字義どおりに渡り歩いた芥見下々の巧みな筆捌きからも察することは容易い。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』で作中人物の碇ゲンドウが目論んだ「アディショナルインパクト」をゲンドウ自身の言葉で要約すると「セカンドインパクトによる海の浄化。サードによる大地の浄化。そしてフォースによる魂の浄化。エヴァインフィニティを形作るコアとは魂の物質化。人類という種の器を捨てその集合知をけがれなき楽園へといざなう最後の儀式だ」ということであるが、これは羂索の最終目標である日本全土を対象に人類への強制進化を成す為、人類と天元を同化させようとする「超重複同化」と思想的にもかなり近しいものがある。『新世紀エヴァンゲリオン』は言わずもがな、他作品へのオマージュをふんだんに散りばめる『呪術廻戦』そのものが芥見下々なりの「アディショナルインパクト」であり「超重複同化」であり「生成変化」の一端であると言い切ってしまうのは、いささか暴論に過ぎるだろうか?
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『呪術廻戦』と同じく「週刊少年ジャンプ」で連載中のギャグ漫画『僕とロボコ』の第156話「オマージュとロボコ」と題された一話にはオマージュを最大の武器としている作者・宮崎周平の意図を盛り込んだ内容で、そのあまりにも大胆かつバカバカしい試みに失笑を超えて思わず仰け反った。「パクりはもう卒業しました!」と切り出す主人公ロボコは「複数の作品の良いトコロを参考にすれば、それはオリジナルになりうる!」と豪語する。そして数え切れないほどの他作品の「良いトコロ」をつまみ食いしてオリジナル漫画を描き上げては周囲を唖然とさせるも、本人は至って冷静に「オマージュの範囲内ですね」と嘯く。そしてキャリア2年目の編集者が編集長の目を盗んで本誌掲載に踏み切り、結果、見事に大炎上するという極めてメタメタで知的な内容だった。オマージュについては『リズム・サイエンス』(青土社)という書籍にも深い洞察が垣間見える。本書はヒップホップやジャズなどのブラック・ミュージックから現代音楽、果てはメタルまでを往還する境域のミュージシャンDJスプーキーが本名ポール・D・ミラー名義で上梓した渾身の音楽論である。前述のロボコが描いたオリジナル漫画のタイトルが『ドキ♡孫・D・炭太郎の青春‼︎大秘宝‼︎』であったことを鑑みれば、宮崎周平の目論見は明確である。ミドルネームの「D」それは単なる偶然にしては出来すぎた話ではないか。近/現代思想を核に、音楽、映画、小説、詩をサンプリングしながらも、「他人の思考を自分のものにするのは発明するのと同じくらい難しい」と天を仰いだその真意とは。彼の試みは確実にイギリスの批評家マーク・フィッシャーに受け継がれ、氏の没後は言うまでもなく……。
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東京を拠点に活動するラッパー、J.COLUMBUSが長野県松本市のトラックメーカーMASS-HOLEをプロデューサーに迎え、制作したアルバム『On The Groove, In The City』は、幾つもの言葉の断片が虚実の被膜ではなく、自己/他者の被膜をねっとりと愛撫するように言葉が置かれる。しかもそれらは決して打点を刻むことなく、じわじわと地中に溶解する。もはやJ.COLUMBUSの言葉とPAUL AUSTERの言葉に差異はない、否、具体的には決して交わらない他者と自己の言葉が混ざり合うことも溶け合うことも拒絶して地表に吐き捨てられる。これはストリートの詩情などという陳腐な戯れではなく、現前する意志を��った風景を浮かび上がらせようとする稀有なる試みだ。因みに芥見下々は「パロディやオマージュの線引きは、自分の中では明確な基準がある」と明言している(コミックス16巻を参照)。ここまで記してきた僕の文章自体もWikipedia、ピクシブ百科事典、千葉雅也の論文「ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学」を渡り歩いたものに過ぎず、無論、オリジナリティは皆無である。
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sskyt · 10 months
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『「呪術」の呪縛』上巻読書ノート
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江川純一・久保田浩編『「呪術」の呪縛』(上)リトン、2015年。
 今、呪術がかつてないほど注目されている。近代西欧に成立したreligionに対して、劣位に置かれるmagic概念を所与のものとして前提とすることなく、改めて問い直し、概念史や各国の事例研究といった観点からその諸相に光を当てる書。
 以下、所収論文についての読書メモ。 江川純一・久保田浩「「呪術」概念再考に向けて:文化史・宗教史叙述のための一試論」
 全体の導入論文。日本語の「魔法」と「呪術」、学問的概念としてのmagic、西洋文化史におけるmagic、そして、本書の背景と構成が論じられる。「魔法」(1474)が室町中期に現れているのに対して、「呪術」は『続日本紀』(699)に言及がある。  とはいえ、「呪術」は近世・近代において人口に膾炙しておらず、20世紀後半にフレイザーのmagicの訳語として定着した(それ以前は「魔法」)。また、学問的概念としてのエティックな次元と日常言語としてのイーミックな次元の区別の重要性が指摘される。  学問的概念としてのmagicで要注目なのはタイラーとフレイザーであり、特に後者のmagic→religion→scienceという図式が重要。その後のmagic研究の系譜はある意味ですべてここから始まった。他方で、イーミックな次元で見れば、magicの語源は古代ペルシア語に由来するギリシア語のμάγοςに発する。  すなわち、magic概念には、そもそもペルシア由来という他者性が付与されており、つねに地理的他者(非西洋)、歴史的他者(古代)、宗教的他者(異教)という含意がある。近代的なreligionとscienceは、他者にmagicという名を与えることで、自己を正当化してきた歴史的経緯がある。 第一部 呪術概念の系譜
藤原聖子「アメリカ宗教学における「呪術」概念」
 ウェーバー以来、ピューリタンは「世界の脱魔術化」として位置づけられてきたが、1980年頃からピューリタンも呪術を実践していたとする研究が盛んになった。これらの研究を島薗進の新宗教研究(呪術と近代化は背反しない)と比較対象する論文。  アメリカにおけるピューリタンの呪術実践研究では、呪術と近代化の関係は問題とならず、呪術の感情面が重視され、信仰と理性の対立図式、すなわち、アメリカの知性主義対反知性主義というナショナル・アイデンティティの問題へと引きつけて理解されている。  たしかに考えてみれば、アメリカのホラー映画は、魔女、魔法、霊、占い、ゾンビと呪術に事欠かない。むしろ合理性の反作用としての呪術に取り憑かれているようにさえ見える。それはアメリカという国のアイデンティティに関わる問題で、非常に興味深い。  ちなみに、アメリカの呪術総決算的なホラー映画として「キャビン」おすすめです! この『呪術』論集は、「宗教」概念批判を経た後で、「宗教」周辺の重要概念をアプリオリに前提とせず、反省的にその概念の意味を問い直すという点で、『ニュクス』第5号「聖なるもの」特集と双子のような存在ですね。
竹沢尚一郎「イギリスとフランスにおける呪術研究」
 エヴァンズ=プリチャードのアザンデ研究における妖術論とグリオールのドゴン研究における占い論の検討を通じて、呪術を複雑な世界の「縮減」(ルーマン)の仕組みであるとする仮説を提唱する。
 注で触れられている、レイモン・ファースの師マリノフスキーへの問い「もしすべてがすべてに結びついているとすれば、どこで記述を終えたらよいのでしょうか」は、いかにもラトゥール的な問いのように思える。 横田理博「ウェーバーのいう「エントツァウベルンク」とは何か」
 この論文は何度読んでも面白い。ウェーバーのEntzauberung(脱呪術化、魔術からの解放)は有名な概念で、様々な論者によって援用されるにもかかわらず、ウェーバー自身はこの概念を定義しないために、その内容は実は不明確である。  著者は丁寧な読解によって、「脱呪術化」が『プロ倫』における「救いの手段としての呪術の否定」と、『職業としての学問』における「世界の意味づけの否定」という二つの意味をもつことを明らかにする。また、前者が呪術から宗教への移行であるのに対して、後者は「世俗化」を意味する。  ちなみに、私が『現代思想』のウェーバー特集に寄稿した「世界に魔法をかける」の元ネタはこの論文です。「脱呪術化」という概念でひとつ気になるのは、この語はつねにEntzauberung der Weltと「世界の/世俗の」という言葉を伴っていること。この点も「脱呪術化」を援用する論者に見落とされがちだ。
高橋原「初期の日本宗教学における呪術概念の検討」
 日本の宗教学の歴史の中でmagicの訳語としての「呪術」が定着していった過程を跡付ける。明治時代はmagicの訳語として「呪術」は用いられていなかったが、日本の宗教学の確立とともに大正時代にフレイザーの影響の下、「呪術」が定着していった。 谷内悠「呪術研究における普遍主義と相対主義、そして合理性:分析哲学と認知宗教学から」
 「呪術は合理的である」と言われるときの「合理性」について、タンバイアの普遍主義/相対主義の議論を批判的にアップデートさせることで解決しようとする。概念図式/メタ概念図式の議論はガブリエルの「意味の場」の議論を想起させる。  ただ、普遍主義と相対主義の対立をメタ概念図式によって解決するというのは、問題を一段先送りにしただけのような気もするし、最後に出てきた「生物的合理性」は素朴な自然主義のように思えて、正直なところ、肩透かしの感がある。 第二部 事例研究:アジア
鈴木正崇「スリランカの呪術とその解釈:シーニガマのデウォルを中心に」
 スリランカで最も呪力の強いとされるデウォルについての神話と実際の呪術実践から、呪術の特徴を探る。呪術は「外来」「異人」といった境界的状況に対する意味付与・統御として発生するのであり、現在のグローバル化による変動もまた呪術が力をもつ場である。  たしかにマゴスの語源的意味にしても、フェティッシュにしても、文化的・地理的・時間的な境界において、あるいは、他者との界面において、「呪術」(なるもの)は発生するように思われる。個人的には、障り、罪、穢れ、害、悪を意味するシンハラ語の「ドーサ」という概念が面白い。 木村敏明「プロテスタント宣教師の見た「呪術」と現地社会:ヨハネス・ワルネック著『福音の生命力』をめぐって」
 スマトラのバタックに宣教したヨハネス・ワルネック『福音の生命力』に基づいてキリスト教から見た呪術の意義と効用を検討する。ワルネックは、インドネシアの宗教をアニミズムとして特徴づけたが、その評価は両義的である。  著者はこれを「世界観としてのアニミズム」と「エートスとしてのアニミズム」に分類し、前者が称賛されるのに対して、後者は現世利益を追求する自己中心的な呪術実践であるがゆえに非難されるとする。しかし、ヨハネスはこうした呪術を逆手にとって宣教が可能となるとして、利用価値も認めている。 池澤優「中国における呪術に関する若干の考察:呪術という語の呪術的性格」
 面白かった。呪術を「非人格的な法則性に基づく宇宙の操作」と定義すると、人間の作為が宇宙の経営に関与するという点で、陰陽五行説のみならず、古代中国思想全般が「呪術」になってしまうが、これは概念の使い方として非生産的である、という。  古代中国宗教研究における「呪術」の用例として、『詩経』研究が取り上げられ、そこではおおむね「呪術」が素朴な宗教を指す語として用いられ、特に言霊信仰のようなものが想定されている、と指摘される。  私は特に、グラネ『中国古代の祭礼と歌謡』の解釈が面白かった。詩は個人の感情を歌ったものではなく、慣習によって定められた集団の感情を表出したものであり、慣用句は「興」という強制力をもって、自然を循環させる力をもつ、という。詩はいわば礼のような宇宙の形式なのだろう。
川瀬貴也「近代朝鮮における「宗教」ならざるもの:啓蒙と統治との関係を中心に」
 朝鮮における近代化、日本の植民地支配という観点から、「宗教」と「宗教」ならざるもの(呪術・迷信)との区別が何を意味しているかを示す論文。特に、今村鞆、村山智順による植民地下の民俗学的調査の視線が見つめる「迷信」が興味深い。  近代化・啓蒙によって退けられた「巫俗」が宣教師たちによって朝鮮宗教の本質と捉えられ、さらに、朝鮮民族のナショナリズムへと結びつき、現代韓国社会において伝統と見なされるようになった、という指摘が面白い。この辺りの話はどうしても「コクソン」を思い出さざるをえない。 第三部 事例研究:日本
井関大介「熊沢蕃山の鬼神論と礼楽論」
 近世日本儒学における鬼神の問題を、白石・徂徠・蕃山を中心に、主に「礼」の観点から検討する。蕃山にとって、祭祀儀礼の意義は、人心を無意識裡に統御し、社会を統治することにあったが、それは天人相関論によって宇宙の運行を正しく経営することでもあった。  蕃山によれば、鬼神祭祀の礼は、社会が経済的に豊かになって人心が堕落し始めたとき、富の余剰を有益無害な仕方で蕩尽させるために整備された、とのことだが、これはまんまバタイユの社会的蕩尽の理論と同じですね。 一柳廣孝「魔術は催眠術にあらず:近藤嘉三『魔術と催眠術』の言説戦略」
 明治期の催眠術ブームのベストセラー、近藤嘉三『心理応用魔術と催眠術』にしたがって、明治期の「魔術」イメージを検討する。近藤によれば、魔術とは心の中の霊気を通じて感通する手法であり、睡魔術と醒魔術に分けられ、前者は催眠術からは区別される。  魔術は、感通によって、施術者の意思が被術者へと影響を与えることであり、催眠術とは睡魔術のの導入部分にすぎず、近藤は催眠術による治療は有害であるとさえいう。ここら辺は黒沢清の「CURE」っぽい話ですね。 宮坂清「科学と呪術のあいだ:雪男学術探検隊、林寿郎がみた雪男」
 これは面白い。1959~60年の雪男学術探検隊に参加した動物学者林寿郎の記録から、雪男に関する科学的視点と呪術的視点の関係を問う。学者が探求していた「雪男」とシェルパにとっての「イエティ」が、実は同じではなかったことが判明する件がハラハラして特に面白い。  日本の雪男ブームの出発点は、今西錦司(1952年のマナスル登山隊が雪男の足跡を目撃)だったんだね。知らなかった。あと、雪男探検隊って、川口浩探検隊みたいなものかと思ってたら、ちゃんとした科学的調査隊が派遣されていたのも知らなかった。 今井信治「「魔法少女」の願い」
 1960年代の『魔法使いサリー』『ひみつのアッコちゃん』から現代の『魔法少女まどか��マギカ』まで、魔法少女アニメを時系列順にたどりながら、そこで描かれている「魔法」表象があとづけられる。  東映魔女っ子シリーズが女子の人気を博したのは、当時、女子向けのテレビ番組がなかったからで、別に魔法でなくてもよかったとの分析だが、そうはいっても「セーラームーン」の継続的な人気や、映画「マジカル・ガール」を見ると、やはり女の子にとって魔法は特別な意味をもっているようにも思われる。 堀江宗正「サブカルチャーの魔術師たち:宗教学的知識の消費と共有」
 アニメやライトノベルで人気の「魔術」を分析することを通じて、データベース消費型のサブカルチャーがその消費者にとって「宗教」よりもリアリティをもつようになった現状を明らかにする。  「魔術」関心層は20~30代の男性であることと、魔術・宗教的語彙をもったメディア作品の受容者は自分を��動的に魔的キャラクターを使役する存在(つまり魔術師)として同定しているという分析を組み合わせると、なかなかに痛い実態が見えてくるような気がする。
 魔術を扱った代表的な作品として『とある魔術の禁書目録』が挙げられているが、現在(2023年)に改めて同様の問題を扱ったら、おそらく代表的な作品は『呪術廻戦』が挙げられることだろう。また、作中では錬金術はあくまでも「科学」であって「魔法」ではないとされるが、実態としてはどう見ても「魔術」を扱っている『鋼の錬金術師』がまったく言及されないのは不思議。
追記
藤原聖子「「呪術」と「合理性」再考:前世紀転換期における〈宗教・呪術・科学〉三分法の成立」『思想』No. 934、2002年、120-141頁。
 呪術は、科学と比べて「非合理的」とされる場合(フレイザー)と、宗教と比べて「合理的」とされる場合(ウェーバー)があるが、これは両者で「合理性」の意味が異なるためである。著者によれば、さらに第三の失われた合理性概念がある。  すなわち、呪術は、理論ー合理的な科学に対して、理論ー非合理的であるが、実践(合目的的)ー非合理的な宗教に対しては、実践ー合理的である。この2種の合理性に加えて、呪術には「ゾッとさせる」という意味での「実体的非合理性」が含意されている(デュルケーム、オットー)。  奇跡論においては、古代末期か~中世末期、奇跡は「聖」に結びついていたが、19世紀末には「超自然」と結びつくようになった、という話(マリン)が面白かった。つまり、キリスト教では奇跡が聖人の業として呪術に対置されていたが、近代以降、科学と対立するがゆえに超自然と結合した、ということ。
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iseilio-blog · 1 year
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春 望
翻弄 “現代日中辭典” 的時候,在序文中看到 卞民岩,卞先生的
名字,而想到要搜尋一下,沒想到真找到了這裡。
日中2ヶ国語詩吟『春望』(卞民岩 調) | おれたち福井人 (fukuijin.jp)
卞先生是舅父的好友 ;舅父去到日本,同時考上了帝國大學(現在的
國立東京大學)與同文書院,原本選擇帝國大學,台灣友人建議他
應該選擇比較難考的同文書院。出身台灣的學生只有兩位 ;記得
日後舅父跟我笑著說 :以後是要治理中國的。
東亜同文書院大学 幻の名門校 4 - YouTube
同文書院 在日本所有的都道府県都只有一名合格。東京的人口多,
合格的也是只有一名。做為特例,台灣則在北部與南部各取一名。
以 近衞文麿首相 為校長的同文書院,由於屬於國立,學生的學費
全免。
下了決心的舅父,為了進同文書院,去到上海,然而政治情勢處於
混乱期,台灣的生活費無法寄達,為了房租與三餐,所以一面讀書,
一面兼了五處家教。因為在家父的公司打工,而認識了在中國的
商社代表的家父,意氣投合的兩人,就一起共租屋子以節省費用。
戰後家父拜訪在大稻埕開小茶廠的周家,也有蔡姓友人提起,介紹
了他的妹妹,希望他倆能夠結婚。
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赴日本考試之前,舅父已經考取台灣的醫學院,卻是友人的介紹,
成了父親在上海當醫生的舅母的家庭教師。也想當醫生的舅母在
舅父的教導之下,也考上了日本在上海的 厚生醫學大學。可是
由於戰況惡化,醫學部的女生們,都被送到激戰區每日連續進行
手術。隨著日本戰敗,醫學部的教授們都逃回日本,大學也就
關閉了。
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舅父在同文書院四年,畢業後收到日本軍的召集令( 家父也有收到,
去議論之後免除。),為了延期兵役,舅父又去考上了北京大學,
在北京大學的學生生活之間,喜歡上了京戲的舅父,偶然的就認識了
卞民岩先生,成了親交。卞先生當時參加京劇部的同好會,演京劇,
也做研究。
京剧《拾玉镯》(李静 饰 孙玉姣,朱福 饰 傅朋,吕昆山 饰 刘妈妈)来自《中国京剧像音像集萃》| CCTV戏曲 - YouTube 日本軍兵源不足,又來了入隊的通知,因此跑去依賴在天津經營
擁有一百多個房間旅館的周家親戚( 我輩外祖父的兄弟 )。
這時毛澤東陣營出賞金給告密者。有學友為了賞金,去密告了
卞民岩先生 是國民黨的特務,卞先生開始了逃亡的生活。 這時日本軍的調查部隊也進入了天津,舅父從北京移動到了上海,
與 蔣介石 同船回台,並且參加了考試,在台灣取得了當教師的
資格。這個時期,舅父與卞先生重逢,並且約定保護、安排他住在
自己家裡。卞先生抵達台灣之後,住在四樓。舅父奉派東京決定之
後,卞先生決定搬到生活費比較便宜的大阪。
在戰事嚴厲的時代,這些長輩們都培育了美好的友情。
( 以上資料參照 )
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國民黨退守台灣,卞先生也是當時來台的大陸人士,因此有幾次
見過騎著腳踏車的卞先生來找舅父。透過上面影音吟唱的這一闕
“春望”,讓第三者真切的領受到 “國破山河在” 的沉痛心情。
只是中國詩是這麼吟的嗎 ?印象中另有不同的吟法 ;不清楚。
翻找出卞先生在東京舅父寓所的舊照,緬懷故人,默禱 ! 近日翻些 岩波系列,讓人連結想起了家父書櫥中的藏書 :
厚生閣 的日本現代文章講座、一整櫃每冊厚達 3” 的日本大百科
全書,等等。 怎麼說呢 ?這可不是長他人志氣,滅自己威風 ;日本出版內容
發達,包羅萬象,不但從驚悚、劍俠、情色、醫療、現代文學、
古典文學,到人體工學、火箭升空,到漫畫,到卡通 ;品類繁多,
老少皆有之外,作者群、讀者群,數量龐大,而且職業作家著作,
超過十部以上者所在多有,分頭各擁領地,也交叉持分,手掌大小
的文庫本更是攜帶方便。
“日本” 內容多極而繽紛,一進入其書海,文化的豐富,人生百科
粲然大備,日本文化的奧秘盡在其中,實在是 海角一樂園。
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周 祖 厝 https://iseilio-blog.tumblr.com/post/697182528086343680
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2022年の読書(2022年12月28日現在)
2022年の読書(2022年12月28日現在)読了206冊
特に印象深かった本(順不同) 《文芸》 『たったひとつの冴えたやりかた』(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア著/浅倉久志訳/カバーイラスト:片山若子/ハヤカワ文庫) 『リリアン卿――黒弥撒』(ジャック・ダデルスワル=フェルサン著/大野露井訳/装丁:柳川貴代/国書刊行会) 『骸骨 ジェローム・K・ジェローム幻想奇譚』(ジェローム・K・ジェローム著/中野善夫訳/装丁:岡本洋平/国書刊行会) 『ハイ・ライズ』(J・G・バラード著/村上博基訳/創元SF文庫) 『旱魃世界』(J・G・バラード著/山田和子訳/牧眞司解説/カバーディレクション&デザイン:岩郷重力+R.F/創元SF文庫) 『ウィトゲンシュタインの愛人』(デイヴィッド・マークソン著/木原善彦訳/装幀:アルビレオ/装画:ケッソクヒデキ/国書刊行会) 『スキャナー・ダークリー』(フィリップ・K・ディック著/浅倉久志訳/扉デザイン:土井宏明(ポジトロン)/ハヤカワ文庫/Kindle版) 『耄碌寸前』(森於菟著/池内紀解説/みすず書房) 『時の子供たち 上下巻』(エイドリアン・チャイコフスキー著/内田昌之訳/竹書房文庫/Kindle版) 『クララとお日さま』(カズオ・イシグロ著/土屋政雄訳/早川書房/Kindle版) 『純潔』(嶽本野ばら著/造本:松田行正+日向麻梨子/新潮社) 『シシリエンヌ』(嶽本野ばら著/新潮社/Kindle版) 『プロジェクト・ヘイル・メアリー 上下巻』(アンディ・ウィアー著/小野田和子訳/早川書房) 『異形の愛』(キャサリン・ダン著/柳下毅一郎訳/装丁:木庭貴信+岩本萌(オクターヴ)/河出書房新社) 『葉書でドナルド・エヴァンズに』(平出隆著/三松幸雄解説著者目録/デザイン:菊地信義+水戸部功/講談社文芸文庫) 『詩歌探偵フラヌール』(高原英里著/装幀:名久井直子/装画:カワグチタクヤ/帯文:梅﨑実奈/河出書房新社) 『日々のきのこ』(高原英理著/帯文:岸本佐知子/名久井直子装丁/ヒグチユウコ装画/河出書房新社) 『幾度目かの最期』(久坂葉子著/青空文庫/Kindle版) 『ボダ子』(赤松利市著/新潮文庫/Kindle版) 『喜べ、幸いなる魂よ』(佐藤亜紀著/綿引明浩装画/國枝達也装丁/角川書店) 『どちらでもいい』(アゴタ・クリストフ著/カバーオブジェ:勝本みつる/カバーデザイン:ハヤカワ・デザイン/ハヤカワepi文庫) 『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(マーク・ハッドン著/小尾芙佐訳/装幀:服部一成/ハヤカワepi文庫) 『氷』(アンナ・カヴァン著/山田和子訳/川上弘美解説/カバーデザイン水戸部功/ちくま文庫) 『懐中時計』(小沼丹著/秋山駿解説/作家案内、著書目録:中村明/デザイン:菊地信義/講談社文芸文庫) 『後藤明生・電子書籍コレクション 行方不明』(後藤明生著/アーリーバード・ブックス/Kindle版) 『私は幽霊を見ない』(藤野可織著/朝吹真理子解説/カバー絵:Angela Deane/カバーデザイン:大原由衣/角川文庫/Kindle版) 『百鬼園戦後日記(全三巻合本)』(内田百閒著/巻末エッセイ:谷中安規、高原四郎、平山三郎、中村武志/解説:佐伯泰英/カバー画:山髙登/カバー図版:内田百閒戦後日記(岡山県郷土文化財団所蔵)/カバーデザイン:中央公論新社デザイン室/中公文庫/Kindle版) 『木になった亜沙』(今村夏子著/装画:木原未沙紀/装丁:野中深雪/文藝春秋) 『小島』(小山田浩子著/新潮社/Kindle版) 『死ぬまでに行きたい海』(岸本佐知子著/岸本佐知子写真/装幀:宮古美智代/スイッチ・パブリッシング) 『少年』(谷崎潤一郎著/青空文庫/Kindle版) 『外套』(ニコライ・ゴーゴリ著/平井肇訳/青空文庫/Kindle版) 『鳳仙花』(川崎長太郎著/講談社文芸文庫/Kindle版)
《その他》 『寄生生物の果てしなき進化』(トゥオマス・アイヴェロ著/セルボ貴子訳/倉持利明解説/草思社/Kindle版) 『「ネコひねり問題」を超一流の科学者たちが全力で考えてみた――「ネコの空中立ち直り反射」という驚くべき謎に迫る』(グレゴリー・J・グバー著/水谷淳訳/装丁:寄藤文平+古屋郁美(文平銀座)/Kindle版) 『みんなが手話で話した島』(ノーラ・エレン・グロース著/佐野正信訳/澁谷智子解説/はじめに:ジョン・W・M・ホワイティング/ハヤカワ文庫NF) 『スピルオーバー——ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』(デビッド・クアメン著/甘糟智子訳/装丁:間村俊一/明石書店) 『新・動物記4 夜のイチジクの木の上で─フルーツ好きの食肉類シベット』(中林雅著/新・動物記シリーズ編集:黒田末壽、西江仁徳/ブックデザイン・装画:森華/京都大学学術出版会) 『共立スマートセレクション5 オーストラリアの荒野によみがえる原始生命』(杉谷健一郎著/コーディネーター:掛川武/共立出版/Kindle版) 『共立スマートセレクション10 美の起源 ─アートの行動生物学』(渡辺茂著/コーディネーター:長谷川寿一/共立出版/Kindle版) 『共立スマートセレクション16 ベクションとは何だ!?』(妹尾武治著/コーディネーター:鈴木宏昭/共立出版/Kindle版) 『世界を変えた建築構造の物語』(ロマ・アグラワル著/牧尾晴喜訳/装幀者:トサカデザイン(戸倉巌、小酒保子)/草思社/Kindle版) 『宇宙創成 上下 合本版』(サイモン・シン/青木薫/新潮文庫/Kindle版) 『岩波科学ライブラリー310 食虫植物─進化の迷宮をゆく』(福島健児著/カバーイラスト・一部図版:安斉俊/岩波書店) 『銀河の死なない子供たちへ 上下巻』(施川ユウキ著/カバー・本文デザイン:セキネシンイチ制作室/電撃コミックス NEXT/KADOKAWA)
この一年間で複数の著作物を読了(著者名/冊数) 後藤明生/25 西村賢太/8 フィリップ・K・ディック/7 川崎長太郎/6 小沼丹/6 嶽本野ばら/6 藤野可織/6 今村夏子/6 橋本治/5 J・G・バラード/4 岸本佐知子/4 内田百閒/4 小山田浩子/3
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wangwill66 · 5 months
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廢知錄
H:奇怪有趣的笑話笑文,具有魔法的廢知錄。顧炎武以日知錄聞名,論語篇子夏曰:「日知其所亡,月無忘其所能,可謂好學也已矣。」好學典範。廢知錄就是在奇趣笑魔之間耍廢的記錄。只有腦袋笑起來,飛起來,靈活才會跟著奇思妙想,耍廢燒腦而不固化。資料庫,雲端,Meta,AI,星球都是空,萬丈高樓平地起,青雲有路趣為梯。趣之為導,廢之無為,持之以恆,日日記之是為廢知錄,又是騙笑鈔,也是所謂騙笑,博君一笑。20231207W4
網路字典
奇趣
妙趣。南朝齊.謝朓〈遊敬亭山〉詩:「要欲追奇趣,即此陵丹梯。」
笑魘,又稱微笑之物或暗夜巡獵者,是在後室的大部分樓層中都有分布的危險實體。唯一可以用來分辨笑魘的特徵是它們閃閃發光的眼睛和刻在臉上的巨大笑容——那是它們身上唯一能反射光線的東西。
奇思異想造句
例句與造句
她更象是個飄忽的精靈,在茅屋的地面上作過一陣奇思異想的游戲之后,使要面帶嘲笑地飛走了。
也正是那盞燈的昏光,觸發了丁梅斯代爾先生的上述奇思異想,使他綻出了微笑不,他簡直是對那想法放聲大笑之后就懷疑自己是否要發瘋了。
大概是由于珠兒正站在窗邊,附近就有總督的紅玫瑰,再加上她想起來時走過獄前見到的玫瑰叢,就受到啟示,生出了這樣一種奇思異想,
隨之,在被這些光怪陸離的奇思異想弄得十分陰森可怖的內室中,海絲特白蘭領著身穿猩紅袍服的珠兒飄然而過,那孩子伸出食指,先指指母親胸前的紅字,然后又指指牧師本人的胸膛。
反之,那孩子的服飾卻顯得別出心裁,給人一種充滿幻想勿寧說是奇思異想的印象,確實增加了那小妨娘早早就開始顯露出來的活潑動人之美,不過,做母親的給她這樣打扮,似乎還有更深的含義。
異想天開
「異想天開」是指發出奇想天門開啟,這種想法是怪異的,所以叫「異想」。異想的結果自然是不符實際、不合事理。清代無名氏〈都門紀變百詠〉中,提到為抵禦外敵入侵北京城,有人就建議找些漁戶潛水去破壞鐵甲船,也有人建議挖深護城河,並挑運河水來灌注,使它深滿以抵擋敵人。這些不符實際,不合事理的建議當然是「異想天開」的想法。
網路資料
「超廢語錄」魯蛇悲歌
當你悲慘時,會嫉妒別人的幸福。
那些殺不死我的,怎麼不再努力一點。
人在窮的時候,悲劇就會層出不窮 。為什麼好吃的東西,熱量都那麼高呢?
如果我死了,請將我的靈魂化為灰燼吧 。
買房子不切實際,不如死後燒一間給我 。
富者更富,窮者更多 。休息是為了不想走路 。
滷蛋還有人會買走,魯蛇就什麼都沒有 。滷蛋越滷越香,魯蛇只會越魯越淒涼 。
我的存在,就是在襯托那些優秀的人。
那些你討厭的人,正在過著你渴望的生活 。如果你的朋友都是魯蛇,那應該是物以類聚。 其實只要不要臉,很多人生難題都能迎刃而解 。忘記以前的不開心,因為以後會更不開心 。
我每次學到新東西,腦子裡就裝不下舊東西。 從年初的一無所有,到年終的身無分文 。
好運一定會降臨,只是會降臨在別人頭上。 出生時被死神摸過,一輩子帶衰 。
每個成功的男人背後,都會有一個吃飽了沒事做的老婆。 當你懷疑人生的時候,不要懷疑,這就是你的人生 。人只要活著就一定會有好事,發生在別人身上
搞笑語錄
1、我自横刀向天笑,笑完我就去睡觉。
2、时间太瘦,指缝太宽。
3、坐等丈母娘发货。
4、男人赚钱后想和老婆离婚,男人赚不到钱老婆想和他离婚。
5、我们的目标:向钱看,向厚赚。
6、我是你转身就忘的路人甲,凭什么陪你蹉跎年华到天涯?
7、间歇性郁闷症发作期间,生人勿扰,熟人勿找。
8、妈妈在也不用担心我的学习,一手拿着教科书,一手拿着打火机,那里不会点那里。
9、帅有个屁用!到头来还不是被卒吃掉!
10、如果你愿意一层一层一层的剥开我的心 你会发现我缺心眼。
小妮子的奇思妙想1:幸福是什麼?
Le bonheur selon Ninon
作者:奧斯卡.柏尼菲
原文作者:Oscar Brenifier
譯者: 梁若瑜
繪者: 楊宛靜
語言:繁體中文
出版社:愛米粒
出版日期:2021/10/12
目錄
不開心是常有的事!
接受現實
期望落空時
不再對別人抱持期待?
自怨自艾
簡單的幸福
天生就懂得幸福?
選擇讓自己快樂
快樂方式,人各有之
荒謬人生
擁有知識的不幸
對自己有自信
把心事說出來,讓心情好一點
思考
對什麼都沒興趣
幸福和快樂
幸福和受苦
懷念
超越苦難
什麼也不擁有
細膩敏感
愛自己
幸福快樂很不容易
難以捉摸的快樂
人生目標
抄手導讀
雙手交叉。表示施禮。
唐 張保嗣 《戲示諸妓》詩:“抄手向前咨大使,這回不敢惱兒郎。”《敦煌變文集·舜子變》:“ 舜子 抄手啟阿耶。”《水滸傳》第三回:“酒保抄手道:‘官人要甚東西,分付買來。’”
謂左右環抱。房屋建筑中,自二門起向兩旁延伸到正房的走廊,叫抄手游廊。
《兒女英雄傳》第二四回:“一座垂花二門,進去抄手游廊,五間正房,便是 安老爺 夫妻的內室。”
抄書的人。
湯用彤 《漢魏兩晉南北朝佛教史》第二分第六章:“后世傳抄者不悉 登 為人名,故改‘ 登 卒’為‘登位’。而‘ 登 位卒’者,則再后抄手依二本合寫也。”
方言。即餛飩。
韋君宜 《川行寄語老北京》:“一碗結結實實像小餃子的肉餛飩( 四川 叫抄手)才兩毛。”
百科解釋
餛飩(漢語拼音:hún tún 或者hún tun 輕聲;粵語:w?n3 t?n1,音同“云吞”;山東話:hún dùn;英文名:wonton)是中國漢族傳統面食之一,用薄面皮包餡兒,通常為煮熟后帶湯食用。源于中國北方。
近義成語
妙想天開、胡思亂想、匪夷所思、想入非非
「異想天開」及「想入非非」都有想法奇特、不切實際的意思。
「異想天開」側重於形容超乎常情、難以實現的想法;「想入非非」則側重於虛妄的想法,有時指不正當的邪思。
Blue-sky thinking 奇思妙想
EPISODE 220222 / 22 FEB 2022
当一个问题或状况未被解决时,可能需要一些新想法。表达 “blue-sky thinking(蓝天思维)” 就比喻这种 “放飞思绪、自由畅想、天马行空的思考过程”。
例句
The problem with the computer system won’t go away. We need some blue-sky thinking to fix this.
计算机系统的问题不会凭空消失。我们需要从不寻常的角度思考,从而解决这个问题。
奇思妙想的全部作品集
翁媳乱情
其他 / 排行榜 连载
我们俩夫妻非常相爱,爱对方胜过爱自己,妻子周梦莹今年二十七岁,是个博士生,在本市设计院担任总监,是设计院的公认大美女。长得非常漂亮,168的身高,如果穿上高跟鞋,足足有175的身高。高挑魔鬼般的S型身材,在女人中也是极少见的,她的性格外表传统,保守,又非常的温柔,在外人的眼中她就是一个端庄优雅,青涩贤惠的温柔女人。 一头乌黑的笔直长发披肩而下,再配着她非常漂亮秀丽的脸型,端庄优雅中又隐隐透露出一种娇艳的美。白皙稍带娴熟的秀丽面孔,细长的柳眉,高挺的琼瑶鼻子,两片性感的薄薄红唇令男人看了都有想一亲芳泽的冲动。
乱情家庭(家庭乱情)
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原文作者:奇思妙想| 突然感觉到敏感的屁股眼上被公公的手指抚摸着,浑身就忍不住的颤抖了一下,喉咙中又发出“唔唔”的声音……公公可能很兴奋,嘴里的口水也越来越多,还是不停的往王丽霞的嘴里灌!手指在她隐藏在深沟中的褶皱屁眼上不停的勾括着,同样,喉咙内也发出急促的“唔唔”声音! “嗯……浑身都难受……”王丽霞哼了一声说,感觉浑身像被无数只蚂蚁在撕咬着一样,这种摸不着、也抓不到的奇痒感觉快要使她崩溃了,她把整个赤裸裸的身体紧紧往公公的身体贴……公公也把抚摸在她后背上的手收紧了,紧紧把她雪白迷人的身体抱在了自己的怀里面!但是手指还不停的在王丽霞的肛门中捣鼓着
乡村乱情
其他 / 排行榜 连载
��书无须介绍!
乡村乱情(第十七部)
其他 / 排行榜 连载
沈白雪从王文的出租房里出来,娴熟漂亮的脸上显露出羞涩的红晕,刚才在 王文那又破又脏的床上,与自己儿子的好朋友发生了那种让人脸红的事,她心里 面又羞又感到不安,想起对不起老公小雷,趁他出去旅游,自己竟然与别的男人 偷情,她越想越羞涩,怀着紧张不安的心情匆匆离开了贫困区,在外面的马路上 拦了一辆出租车回到家。
真情乱事
其他 / 排行榜 连载
大家好,我是乡村乱情的作者,请大家多多关照。现在又发表一部真情乱事,希望大家喜欢,多多捧场,谢谢。
乡村乱情(第十八部)
其他 / 排行榜 连载
谷玉霞见张兵慌慌忙忙的回家去了,心里感到好笑,想不到这个平时在学校 里天不怕地不怕的他会这么怕他的老婆胡秀英,就从心底里很佩服自己的婆婆胡 秀英。看了看手机上的时间,才下午四点,想着反正现在也没什么事,先在床上 休息一个小时,到五点的时候再约阿静吃晚饭,随便与她聊聊天,谈谈心。晚上 再陪老厂长,也不知他会不会带五千块钱的工资给自己?
真情luan事
精品 / 排行榜 连载
大家好,我是乡村luan情的作者,请大家多多关照。现在又发表一部真情luan事,希望大家喜欢,多多捧场,谢谢。
我的极品老婆
其他 / 排行榜 连载
记住地址发布页 . 大城市的夜生活就是多精多彩,与城镇乡村根本无法相比。 夜幕降临时,大街小巷比白天还显得热闹繁华,喧嚣和车水马龙的另一端,绽放的霓虹灯编织了夜
「想入非非」是從佛經中「非想非非想處」變化而來。「非想非非想處」指佛教禪修者修習至最高的境界。語本《大佛頂首楞嚴經》卷九。後來「想入非非」轉而用來形容脫離現實的想像或念頭。
△「胡思亂想」、「異想天開」
目眩神迷
形容所見情景令人驚異。《孽海花》第一○回:「場上陳列著有錦繡的,有金銀的,五光十色,目眩神迷,頓時嚇得出神。」也作「目眩神搖」。
《日知錄》是明末清初學者顧炎武(1613年—1682年)的代表作品之一。顧炎武「稽古有得,隨時札記,久而類次成書」,在四庫全書中為子部雜家類。
《日知錄》始撰於崇禎十二年(1639年)顧炎武絕意仕途[1],並以書名取之於《論語·子張篇》。子夏曰:「日知其所亡,月無忘其所能,可謂好學也已矣」。《日知錄》的《目錄題辭》說「愚自少讀書,有所得輒記之, 其有不合,時有改定」,一開始有三項設計,即經義(新義詮釋古經)、治道(分析社會經濟情況)、博聞(一般知識)。《日知錄》內容宏富,貫通古今。三十二卷本《日知錄》有條目1019條(不包括黃侃《校記》增加的2條),臨終前仍未完成。顧炎武生前在好友的建議下,有八卷本行世,[2]稱為「符山堂本」,僅收錄140條,顧氏對此表示「三十卷已行其八,而尚未愜意」。[3]康熙二十一年(1682年)其弟子潘耒從其家取出書稿,再三校勘,刪改了犯忌的字眼,把內容大體劃為經義、史學、官方、吏治、財賦、典禮、輿地、藝文等八類,《四庫全書總目》則分作十五類,即經義、政事(卷八至十二)、世風(卷十三)、禮制、科舉(卷十六至十七)、藝文、名義、古事真妄、史法、注書、雜事、兵及外國事、天象術數、地理、雜考證。《日知錄》屬劄記性質,字數不定,如《蘇松二府田賦之重》最長,全條分八個段,有5000餘字,《召殺》只有「巧召殺,忮召殺,吝召殺」9字。
潘耒在《日知錄》原序曰:「當代文人才子甚多,然語學問者,必斂衽推顧先生」,並謂此書「惟宋、元名儒能為之,明三百年來殆未有也」。閻若璩《潛邱札記》有《日知錄補正》,補正此書50餘條,其他學者如李光地、惠棟、江永、顧棟高、戴震、莊存與、全祖望、錢大昕、王鳴盛、趙翼、邵晉涵、方苞、姚鼐等均曾為此書作注。李慈銘《越縵堂讀書記》中寫道:「嘗謂此三十二卷中,直括得一部《文獻通考》,而俱能自出於《通考》之外」。
顧炎武曾把寫這部書比作「採銅於山」,他說:「別著《日知錄》,上篇經術,中篇治道,下篇博聞,共三十餘卷。有王者起,將以見諸行事,以躋斯世於治古之隆。」。現在「採銅於山」一詞正說明歷史研究要重視第一手資料,可見其影響之深遠。
清代道光年間有黃汝成,以遂初堂三十二卷本為底本撰成《日知錄集釋》,其敘曰:「凡關家國之制,皆洞悉其所由盛衰利弊,而慨然著其化裁通變之道,詞尤切至明白」。梁啓超說:「論清學開山之祖,舍亭林沒有第二人。」《日知錄》的思想也超越了當時大多數學者,其中尤以區分「保國」與「保天下」為最。所謂「是故知保天下,然後知保其國。保國者,其君其臣,肉食者謀之;保天下者,匹夫之賤與有責焉耳矣。[4]」後世稱其「天下興亡,匹夫有責。」
《日知錄》也有明顯的失誤。例如《日知錄》卷二十九稱回回教為回紇之摩尼教。[5]
《日知錄》序
作者:潘耒 清
姊妹計劃: 數據項
  有通儒之學,有俗儒之學。學者,將以明體適用也,綜貫百家,上下千載,詳考其得失之故,而斷之於心,筆之於書,朝章國典、民風、土俗、元元本本,無不洞悉。其術足以匡時,其言足以救世,是謂通儒之學。若夫雕琢詞章,綴輯故實,或高談而不根,或勦說而無當,淺深不同,同為俗學而已矣。
  自宋迄元,人尚實學,若鄭漁仲、王伯厚、魏鶴山、馬貴與之流,著述具在,皆博極古今,通達治體,曷嘗有空疏無本之學哉!明代人才輩出,而學問遠不如古。自其少時鼓篋讀書,規模次第,已大失古人之意。名成年長,雖欲學而無及。間有豪雋之士,不安於固陋,而思嶄然自見者,又或採其華而棄其實,識其小而遺其大。若唐荊川、楊用修、王弇州、鄭端簡號稱博通者,可屈指數,然其人去古人有間矣。
  崑山顧寧人先生,生長世族,少負絕異之資。潛心古學,九經諸史,略能背誦,尤留心當世之故,實錄奏報,手自鈔節,經世要務,一一講求,當明末年,奮欲有所自樹,而迄不得試,窮約以老。然憂天憫人之志,未嘗少衰。事關民生國命者,必窮源溯本,討論其所以然。足跡半天下,所至交其賢豪長者,考其山川風俗,疾苦利病,如指諸掌。精力絕人,無他嗜好,自少至老,未嘗一日廢書。出必載書數簏自隨,旅店少休,披尋搜討,常無倦色。有一疑義,反復參考,必歸於至當。有一獨見,援古證今,必暢其說而後止。當代文人才士甚多,然語學問,必斂衽推顧先生。凡制度典禮有不能明者,必質諸先生;墜文軼事有不知者,必徵諸先生。先生手畫口誦,探原竟委,人人各得其意而去。天下無賢不肖,皆知先生為通儒也。
  先生著書不一種,此《日知錄》則其稽古有得,隨時劄記,久而類次成書者。凡經義、史學、官方、吏治、財賦、典禮、輿地、藝文之屬,一一疏通其源流,考正其謬誤。至於歎禮教之衰遲,傷風俗之頹敗,則古稱先,規切時弊,尤為深切著明。學博而識精,理到而辭達,是書也,意惟宋元名儒能為之,明三百年來,殆未有也。耒少從先生游,嘗手授是書。先生沒,復從其家求得手藁,較勘再三,繕寫成帙,與先王之甥邢部尚書徐公健庵,大學士徐公立齋謀刻之,而未果。二公繼歿,耒念是書不可以無傳,���至閩中,年友汪悔齋,贈以買山之資,舉畀建陽丞葛受箕鳩工刻之以行世。
  嗚呼!先生非一世之人,此書非一世之書也。魏司馬朗復井田之議,至易代而後行;元虞集京東水利之策,至異世而見用。立言不為一時,錄中固已言之矣。異日有整頓民物之責者,讀是書而憬然覺悟,採用其說,見諸施行,於世道人心,實非小補。如第以考據之精詳,文辭之博辨,歎服而稱述焉,則非先生所以著此書之意也。
                                              康熙乙亥仲秋 門人潘耒拜述
勸學
朝代:先秦
作者:荀子
原文:
君子曰:學不可以已。
青,取之於藍,而青於藍;冰,水爲之,而寒於水。木直中繩,輮以爲輪,其曲中規。雖有槁暴(pù),不復挺者,輮使之然也。故木受繩則直,金就礪則利,君子博學而日參省乎己,則知明而行無過矣。
故不登高山,不知天之高也;不臨深溪,不知地之厚也;不聞先王之遺言,不知學問之大也。幹、越、夷、貉之子,生而同聲,長而異俗,教使之然也。詩曰:“嗟爾君子,無恆安息。靖共爾位,好是正直。神之聽之,介爾景福。”神莫大於化道,福莫長於無禍。
吾嘗終日而思矣,不如須臾之所學也;吾嘗跂而望矣,不如登高之博見也。登高而招,臂非加長也,而見者遠;順風而呼,聲非加疾也,而聞者彰。假輿馬者,非利足也,而致千里;假舟楫者,非能水也,而絕江河。君子性非異也,善假於物也。(君子性 一作:君子生)
南方有鳥焉,名曰蒙鳩,以羽爲巢,而編之以發,系之葦苕,風至苕折,卵破子死。巢非不完也,所繫者然也。西方有木焉,名曰射干,莖長四寸,生於高山之上,而臨百仞之淵,木莖非能長也,所立者然也。蓬生麻中,不扶而直;白沙在涅,與之俱黑。蘭槐之根是爲芷,其漸之滫,君子不近,庶人不服。其質非不美也,所漸者然也。故君子居必擇鄉,遊必就士,所以防邪辟而近中正也。
物類之起,必有所始。榮辱之來,必象其德。肉腐出蟲,魚枯生蠹。怠慢忘身,禍災乃作。強自取柱,柔自取束。邪穢在身,怨之所構。施薪若一,火就燥也,平地若一,水就溼也。草木疇生,禽獸羣焉,物各從其類也。是故質的張,而弓矢至焉;林木茂,而斧斤至焉;樹成蔭,而衆鳥息焉。醯酸,而蚋聚焉。故言有招禍也,行有招辱也,君子慎其所立乎!
積土成山,風雨興焉;積水成淵,蛟龍生焉;積善成德,而神明自得,聖心備焉。故不積跬步,無以至千里;不積小流,無以成江海。騏驥一躍,不能十步;駑馬十駕,功在不捨。鍥而舍之,朽木不折;鍥而不捨,金石可鏤。蚓無爪牙之利,筋骨之強,上食埃土,下飲黃泉,用心一也。蟹六跪而二螯,非蛇鱔之穴無可寄託者,用心躁也。
是故無冥冥之志者,無昭昭之明;無惛惛之事者,無赫赫之功。行衢道者不至,事兩君者不容。目不能兩視而明,耳不能兩聽而聰。螣蛇無足而飛,鼫鼠五技而窮。《詩》曰:“尸鳩在桑,其子七兮。淑人君子,其儀一兮。其儀一兮,心如結兮!”故君子結於一也。
昔者瓠巴鼓瑟,而流魚出聽;伯牙鼓琴,而六馬仰秣。故聲無小而不聞,行無隱而不形 。玉在山而草潤,淵生珠而崖不枯。爲善不積邪?安有不聞者乎?
學惡乎始?惡乎終?曰:其數則始乎誦經,終乎讀禮;其義則始乎爲士,終乎爲聖人, 真積力久則入,學至乎沒而後止也。故學數有終,若其義則不可須臾舍也。爲之,人也;舍 之,禽獸也。故書者,政事之紀也;詩者,中聲之所止也;禮者,法之大分,類之綱紀也。 故學至乎禮而止矣。夫是之謂道德之極。禮之敬文也,樂之中和也,詩書之博也,春秋之微 也,在天地之間者畢矣。 君子之學也,入乎耳,着乎心,布乎四體,形乎動靜。端而言,蝡而動,一可以爲法則。小人之學也,入乎耳,出乎口;口耳之間,則四寸耳,曷足以美七尺之軀哉!古之學者爲己,今之學者爲人。君子之學也,以美其身;小人之學也,以爲禽犢。故不問而告謂之傲,問一而告二謂之囋。傲、非也,囋、非也;君子如向矣。
學莫便乎近其人。禮樂法而不說,詩書故而不切,春秋約而不速。方其人之習君子之說,則尊以遍矣,周於世矣。故曰:學莫便乎近其人。
學之經莫速乎好其人,隆禮次之。上不能好其人,下不能隆禮,安特將學雜識志,順詩書而已耳。則末世窮年,不免爲陋儒而已。將原先王,本仁義,則禮正其經緯蹊徑也。若挈裘領,詘五指而頓之,順者不可勝數也。不道禮憲,以詩書爲之,譬之猶以指測河也,以戈舂黍也,以錐餐壺也,不可以得之矣。故隆禮,雖未明,法士也;不隆禮,雖察辯,散儒也。
問楛者,勿告也;告楛者,勿問也;說楛者,勿聽也。有爭氣者,勿與辯也。故必由其道至,然後接之;非其道則避之。故禮恭,而後可與言道之方;辭順,而後可與言道之理;色從而後可與言道之致。故未可與言而言,謂之傲;可與言而不言,謂之隱;不觀氣色而言,謂瞽。故君子不傲、不隱、不瞽,謹順其身。詩曰:“匪交匪舒,天子所予。”此之謂也。
百發失一,不足謂善射;千里蹞步不��,不足謂善御;倫類不通,仁義不一,不足謂善學。學也者,固學一之也。一出焉,一入焉,塗巷之人也;其善者少,不善者多,桀紂盜跖也;全之盡之,然後學者也。
君子知夫不全不粹之不足以爲美也,故誦數以貫之,思索以通之,爲其人以處之,除其害者以持養之。使目非是無慾見也,使耳非是無慾聞也,使口非是無慾言也,使心非是無慾慮也。及至其致好之也,目好之五色,耳好之五聲,口好之五味,心利之有天下。是故權利不能傾也,羣衆不能移也,天下不能蕩也。生乎由是,死乎由是,夫是之謂德操。德操然後能定,能定然後能應。能定能應,夫是之謂成人。天見其明,地見其光,君子貴其全也。
當沖K線掌握套現:沒有苦逼的付出 哪有牛逼的明天 萬丈高樓平地起 輝煌只能靠自己
作者:甘戴爾
原文作者:Alee Gandel
譯者: 本出版社編輯部
語言:繁體中文
出版社:經史子集
出版日期:2019/09/30
內容簡介
  我們追求的是具體的目標,不是遙遠空虛的願望。我們的字比較大,文筆比較好,內容比較充實,故事比較精彩;光看文筆,就值得收藏;本書創作的目第,在與眾不同,目標是心靈百萬富翁(Millionaire):擺脫貧窮,邁向富有!最在意的是深層的探討,就像英國詩人波普說的~:
  A little learning is a dangerous thing. Drink deep, or taste not the Pierian spring.~~~~ Alexandre Pope, 1688-1744, British poet
  只懂得皮毛是一件危險的事;要深透暢飲,否則就別嚐那聖泉。(一知半解,危險之至。)~~~~ 亞歷山大.波普(這是經史子集出版社的工作銘)
本書特色
  清河新藏說:「魔鬼藏在細節裡頭,天使跟著口碑飛舞。」
  敲開智慧大門,直擊心富技巧,就是要價值~:
  (1).文筆深入淺出,取精用宏,實事求是,從經驗中得來。
  (2).注重口訣條列,搭配圖表解說。
  (3).判斷出最大的可能,掌握大趨勢,詳察小個案。
  (4).做對的事情,順勢加碼,具有建設性。
  (5).保留左口袋的錢,耐心的等待第二擊的機遇。
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honyakusho · 6 months
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2023年12月1日に発売予定の翻訳書
12月1日(金)には10冊の翻訳書が発売予定です。 気になる書名は『トロピカル幾何学入門』です。松岡直也を聴きたくなってしまう。
イラスト版 世界のスポーツ競技図鑑
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リャン・リーナ&ファン・ションラン/文 ヤン・モン/絵 宮坂宏美/訳
あすなろ書房
オーケストラの危機:芸術的成功と経済的課題
ロバート J. フラナガン/著 大鐘亜樹/翻訳
美学出版
あなたがいつも聴いてくださるから
サラ・ヤング/著 佐藤知津子/翻訳
いのちのことば社
The Wandering Womb 子宮の文化史 : 女性差別のルーツを探る
Lana Thompson/著 杉万俊夫/翻訳
日本橋出版
交読詩編 聖書協会共同訳
『交読詩編聖書協会共同訳』編集委員会/編集
日本キリスト教団出版局
Efficient Linuxコマンドライン : 開発と自分に磨きをかけるLinuxのテクノロジー
Daniel J. Barrett/著 大嶋真一/監修 原隆文/翻訳
オライリー・ジャパン
SDGs大きな絵本セット
メラニー・ウォルシュ/著 山本和子/翻訳
チャイルド本社
トロピカル幾何学入門
D.マクラガン/著 B.シュツルムフェルズ/著 石川剛郎/翻訳 梶原健/翻訳 小林正典/翻訳
丸善出版
スウェーデンの80代はありのまま現実的に老いを暮らす
マルガレータ・マグヌセン/著 安藤貴子/翻訳
CCCメディアハウス
中世イスラーム数学史 : エピソードでたどるアラビア数学
三浦伸夫/監修 坂田基如/翻訳 J. L. Berggren/著
丸善出版
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straycatboogie · 9 months
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2023/08/11
BGM: たま - マリンバ
今日は遅番だった。朝、いつものことではあるのだけれど鬱な気持ちになる。どうしてなのかわからず、したがって対処のしようもない。思い当たるところと言えば昨日高橋源一郎の小説を読み「この世界とは何だろう」「ぼくとは何だろう」と考えてしまったからというのがある。そのことを詩にしてしまう。空を見て、ぼんやり「あの空はほんとうに青いのだろうか」と考える(「青い」からもう一歩進んで、具体的な青さを描写する言葉を探し「紺碧」という言葉を学んだ。詩の中には結局使わなかったのだけれど)。イオンのフードコートで詩を書き、その後弁当を買って食べる。実にぜいたくな悩み・問題ということになると思うのだけれど、なんだかいろんなことが虚しく感じられる。それを突き詰めていくと「詩を書くこと」や「仕事をすること」、もっと言えば「生きていること」が虚しい……X(元Twitter)を開くと他人の意見をボロクソに言っている人がたくさんいる。ぼくもかつてはそうした罵倒を繰り広げたことを思い出す。ある目標に向かって何かを行う時に、ぼくは生きていることそれ自体にまつわる索漠とした不安を忘れられる……と書いていくとなんだか哲学じみてきた。結局サルトル『嘔吐』を読むのも頓挫したままであることを思い出した。
今日はフィリップ・フォレストというフランスの文芸評論家が書いたエッセイ的小説『さりながら』を少し読んだ。この作品では日本の偉大な俳人である小林一茶について触れられている。そこから一茶が生きた激動の時代について語られ、一茶の句にある鋭利な観察眼について分析されているのが目を引いた。実にメランコリックで美しい散文が澤田直の達意の翻訳によって綴られているのにやられる。この本は折に触れて愛読してきたつもりだったけれど、今日生まれて初めて読んだかのような実に新鮮な気持ちで読むことができた。そし��、一茶の句を読みたいと思ったのだった。池澤夏樹が編んだ『日本文学全集』の中に芭蕉などと一緒に収められているはずなので読みたい、と……そして、今はたぶんぼくは「そういう気持ち」なのだと思った。生きる意味について、生きることの価値についてあれこれ(答えなんて、逆立ちしたって出ないというのに)考え込まざるをえない。もちろんこんなこと考えたって腹が膨れるわけではない。イヤミでもなんでもなく、「考えない練習」というか「持ちこたえること」が大事なのだと思うけれどそれがぼくの性分なのだとしか言いようがないのだった。
今日はふと、仕事をしながら「たま」の曲のことを考えてしまった。「さよなら人類」や「らんちう」で一世を風靡したあのバンドのことだ。休憩時間に詩をノートに清書して、『犬の約束』の中から「夏の前日」を聴く。それで、今月末くらいにぼくが木曜日のミーティングでプレゼンテーションをする際は「ぼくの好きな詩」について語れたらと思った。ぼくは実に文学や音楽に関しては野蛮極まりない育ち方をしてきたので、詩といえば萩原朔太郎や中原中也ではなく――ましてやランボーやボードレールでもなく――佐野元春のようなミュージシャンが書いた詩が思い浮かぶ。そこからビート・ジェネレーションの詩人を知り、あるいはルー・リードやボブ・ディランの詩を知っていったのだった。「たま」の曲から言えばぼくは4人の書く詩はどれも好きなのだけれど、強いて言えば滝本晃司が書いた詩が好きだ。メロディの上で自在に広がっていく詩。そしてイメージ。それについて語りたくなってきた。高村光太郎や宮澤賢治について、あるいはルイーズ・グリュックやヴィスワヴァ・シンボルスカといった詩人について。いや、問題は「ニーズがあるか」「退屈しないかどうか」なのだけれど。
そんなわけですっかり、「詩人気取り」も板についてしまった。今日も終わってみれば金子光晴の新刊の文庫本『詩人/人間の悲劇』を買おうかどうか考えてしまい、ボーナスを実際に手に取るまで待ったほうがいいのかなと思い……過去に(親が尻拭いをしてくれていると気づかず)ポンポンと酒を買い込んでいた日々から比べるとずいぶん堅実なお金の使い方をし始めたものだなと思う。いや、広い目(?)で見ればこうして「買わない」「使わない」のは「経済を回さない」ということでもあるけれど……買えるもの・読めるものならブレイディみかこの新刊だって買って読みたいけど、「それにつけても金の欲しさよ」という懐事情もあってなかなか手が伸びない。部屋の本の片付けもして思い切って「断捨離」で本を捨てないといけないとも思った。夜、仕事が終わり帰宅後詩をブログにアップロードする。すぐにアメリカの友だちが詩を褒めてくれたのでうれしくなる。そして「ぼく自身は謎だ」とあらためて思ったのである。だって、朝うんうん唸って「憂鬱だ」「ぼくって何だろう」と考え込んでいたのだから。自分の「今の気持ち」に引きずられず、「いとしのエリー」でも歌いながらノリで生きるのも1つの「人生の達人」の生き方なのかもしれない。
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aya-ebina · 5 months
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2023年の振り返り
今年も残すところあと1日なので、できごと別に振り返りをします。概ねよい1年だったし、来年の年末にもそう思えるようにしていきたいです。
★詩のこと *詩集について 目標としていた詩集を出すことができた。七月堂から8月20日に『あかるい身体で』を出版した。といっても自費出版で、年始の文学フリマ京都7が終わってから、わたしの手元に100部で見積もりしてもらい、手が出せない金額ではなかったので製作を開始した。中身に関しては、収録作品も配列も自分で決めた。装丁は完全にお任せして、好きな色だとか詩集のイメージだとか、好きな用紙をお伝えしたところ、綺麗に作ってもらった。中身は自分で頑張るから見た目は他の人にお洒落にしてほしい、と思っていたのでそれが叶った。
謹呈はわたしからはしていなくて、七月堂が出版・マスコミ関連に送ってくださった。『現代詩手帖』10月号の詩書月評欄と12月号(現代詩年鑑)の新鋭展望欄、ガーネットVol.101で評していただいた。謹呈をしなかったのは、送っても読まれるかどうかわからないし、親しくない人に送りつけるのは気が引けて、それより買ってでも読みたいと思ってくださる方に文学フリマなどを通して届けたいと思ったから。手元には半分くらいあるので、Storesでオンラインショップを開き、来年も文学フリマ大阪には出る予定だ。 文学フリマは大阪と東京に出て、同じくらいの売り上げだった。わたしの気力・体力では大阪の規模が限界なんだなあと思ったので、しばらく東京には出ないつもり。東京が売れなかったというわけではないのだけど、人混みが凄まじくてそれに疲れてしまったし、雰囲気がより商業の場という感じがしてしまった。
詩集に関連して長谷川書店水無瀬駅前店で「おしゃべりと詩と何か」と題したイベントを行った。ただ軒先に机と椅子を置いて座っていた。おしゃべりしてくれる方も詩集を買ってくださる方もいらっしゃって、文学フリマなど人が多い場所とは違って、ゆったりのんびりできたのがよかった。着実に詩集が届いている感じがした。わたしの詩が初めて投稿欄に載ったあたりから、長谷川さんに詩を書いていることを話していて私家版詩集を置いてもらっていたので、イベントができて嬉しかった。いつ行っても、昨日も来ていたかのように迎えてくださるところも嬉しい。
それから、機械書房さんでどーんと私家版詩集を販売していただいた。岸波さんがTwitterで『きょりかん』をはじめ私家版詩集について言及してくださっているのを見ていて、本屋さんを始められるということだったので思い切って連絡して見た。そうしたら、今までにない数をまとめて仕入れてくださった。こんなに一気に納品してよいのかしら、と思いながら送った。結果、『声を差し出す』はあと1冊になっていたはず。『あかるい身体で』もたくさん置いてくださっているし、文学フリマでも「岸波さんに推されていますね」などと声をかけられて、こうして応援してもらえることは本当にありがたい。
私家版詩集と違って、丸善京都本店に並んでいるのも、12月20日に紀伊国屋書店新宿本店に行ったらまだ平積みになっていたのも嬉しかった。 中原中也賞に応募しているので、今は「二度あることは三度ある」と思って候補になることを願っている。候補になったら、「三度目の正直」と思うことに決めている。
*合評会のこと 詩の水辺と題して合評会をしている。誰も来なかったらどうしようと思っていたけれど、わたしを含めて3〜4人の参加者でこぢんまりと続けられている。あんまり多いと収拾をつけられる気がしないので、ちょうどよい。最大でも6人と思っている。
★生活のこと *映画を見る これを目標に挙げていたが、失速した。何回かは映画館に行ったのだけど、映画の上映時間は前週の木曜日くらいにならないと発表されないので、土日で予定を合わせにくかった。そこでAmazonプライムに入って、プライムビデオで見るようにした。見たいものが意外とあるのにウォッチリストに入れっぱなしにしており、月1本も見ていないと思われる。来年は月1本、年12本は見られるといいな。
*推し活 2021年1月からずっとロックミュージシャンを追いかけており、今年は5本のライブを見た。32歳にして初めてライブハウスに足を運んだ人間としては、多いなあと思う。ファンクラブ限定ライブ、ワンマン、ツーマン、イナズマロックフェス、ワンマン。2回東京まで行った。いつか飽きるのではないかと思っていたけれど、全然そんなことはなかった。ライブに参加することや懸命に活動し活躍の幅を広げている姿などが生活の励みになるので、生活に支障をきたさない範囲でこのまま楽しんでいたい。 余談だけれど、「ライブ参戦」という言い方がなんだか違うと思うようになった。あと、即売会をはじめ買い物における「戦利品」も。実際に世界で戦争が続いている中で、娯楽に対して「戦」という単語を使うことへの違和感がある。ライブは観に行くものというより自分もその空間でライブを作っているから「参加」という言い方に、買い物は「購入品」と言おう。
*仕事 海老名絢として働いているわけではないので、あまり仕事については語らないようにしようと思い始めた。転職して丸1年が過ぎ、環境も収入も好転した。わたしは事務担当なので、どうしたってルーティンワークの側面があるけれど、部署の特性上ルーティンが月次や四半期・年次で回って種類も多いので飽きない。徐々に任せてもらうことも増えた。あと、はちゃめちゃにお金を使ったのに貯金が底をつかなかったので、というか底をつかないという目算が立ったためはちゃめちゃに使えたので、収入面でも非常にありがたかった。詩集を出し(数十万の単位)、iPhone SEの調子がおかしくて思い切ってiPhone15を買い、ライブと文学フリマで東京に3回行き、ライブ等でグッズを買い、高山と富山を旅行したのだった。
★その他雑感 詩も日記も感想もとにかく1冊のノートに書くようにして、今年は4冊使った。意外と書くことがある。書いておけば安心して忘れられるし、逆に記憶にも残る。年始に書いていることを読んだら、今も思っていることもあればすっかり忘れていることもある。読み返したら、半分他人みたいで面白い。それに記録をしておくと、そこから詩が生まれるようだ。あるいは、感覚の記録が詩となる。 今年は変に気を張らずに過ごせたような気がしている。強がらずにというか、わりと自然体だった感じ。これは年齢を重ねることの利点かもしれない。自分の得手不得手・限界などが見えてきて、それで���を自分は大事にするのか、どう生きるのかを考えると無理をしている場合ではない。無理をして続けると本当に自分がダメになるので。
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ignitiongallery · 3 months
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nakaban expo “最近の手触り Recent Touches"
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3月7日から4月1日まで、画家・nakabanの個展『最近の手触り』をtwililightで開催します。3月6日にはnakaban+柴田元幸『物語の手触り』、3月7日にはnakaban+阿部海太郎+大崎清夏『描く、奏でる、ハンドルを握る』を開催します。ぜひ足をお運びください。
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「絵を描き続けていると、少しづつ以前と比べて描き方が変わっていく。 変わるというよりも、自分がどういうふうに絵を描いてきたのかということを忘れてしまっているのだ。 このように忘れてしまうことが残念なことではなく、むしろ健全なことである、と思うことにする。 頼りになるのは、手触りだけのようだ。実際に触れることのできる手触りだけではない。 この場所の空気。今という時代。季節感。降り積もり続ける記憶。期待のようなもの。
自分と対象を取り巻くものの今日の手触りはどうか。 絵を描く前後に考えているのは、だいたいこのようなことです。」
nakaban
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会期:2024年3月7日(木)〜4月1日(月) 会場:twililight(世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分) 定休日:火曜、第3水曜 営業時間:12:00〜21:00 
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nakaban(なかばん)
1974年生まれ、広島県出身・在住。 絵画、書籍の装画、文章、映像作品等を発表する。主な著作に絵本『ダーラナのひ』(偕成社)『ランベルマイユコーヒー店』(オクノ修作 / ミシマ社)『トラタのりんご』(岩波書店)など。
新潮社のとんぼの本のマークなど、数多くのロゴデザインを手掛けている。 音楽家とのライブ活動も定期的に行い、ステージでは幻燈的ドローイングを描く。
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《会期中イベント》
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1.nakaban+柴田元幸『物語の手触り』
nakabanさんの幻燈と、翻訳家・柴田元幸さんの朗読によるセッション。お二人とはスチュアート・ダイベック「ライツ」のポスターをtwililightで一緒に作りました。今回は柴田さん、nakabanさんと一緒に選んだ物語を、当日即興でセッションします。物語の手触りはどのような絵としてあらわれるのか。ぜひご体感ください。展覧会は翌日からスタートするので、いち早くnakabanさんの絵を観覧&ご購入いただけます。
日時:2024年3月6日(水)
開場:19時 開演:19時30分 終演:21時
会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28- 10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分)
料金:2500円+1ドリンクオーダー
定員:18名さま
出演:nakaban(幻燈)、柴田元幸(朗読)
件名を「nakaban+柴田元幸『物語の手触り』」として、お名前(ふりがな)・お電話番号・ご予約人数を明記の上、メールをお送りください。
*このメールアドレスが受信できるよう、受信設定のご確認をお願い致します。2日経っても返信がこない場合は、迷惑フォルダなどに入っている可能性がありますので、ご確認ください。
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2.nakaban+阿部海太郎+大崎清夏『描く、奏でる、ハンドルを握る』
nakabanさんの幻燈と、作曲家・阿部海太郎さんの演奏と、詩人・大崎清夏さんの朗読によるセッション。twililightから3月11日に刊行する大崎清夏さんの日記『私運転日記』の装画・挿画をnakabanさんに描いていただきました。その『私運転日記』には「珠洲へ」というパートがあり、阿部海太郎さんと大崎清夏さんは一緒に「奥能登国際芸術祭」に参加されています。そして、nakabanさんと阿部海太郎さんと大崎清夏さんは、これまでにセッションを2度行っています。
今回は、nakabanさんの個展のオープニングであり、大崎清夏さんの『私運転日記』先行発売記念のセッションになります。どのような時間が繰り広げられるのか。ぜひご体感ください。
日時:2024年3月7日(木)
開場:19時 開演:19時30分 終演:21時
会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28- 10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分)
料金:3500円+1ドリンクオーダー
定員:18名さま
出演:nakaban(幻燈)、阿部海太郎(音楽)、大崎清夏(朗読)
*定員に達したのでキャンセル待ちの受付になります!
件名を「nakaban+阿部海太郎+大崎清夏『描く、奏でる、ハンドルを握る』」として、お名前(ふりがな)・お電話番号・ご予約人数を明記の上、メールをお送りください。
*このメールアドレスが受信できるよう、受信設定のご確認をお願い致します。2日経っても返信がこない場合は、迷惑フォルダなどに入っている可能性がありますので、ご確認ください。
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《イベント出演者プロフィール》
・3月6日
柴田元幸(しばた・もとゆき)
1954年生まれ。翻訳家・アメリカ文学研究者。 ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、スチュアート・ダイベック、スティーヴ・エリクソン、レベッカ・ブラウン、バリー・ユアグロー、トマス・ピンチョン、マーク・トウェイン、ジャック・ロンドンなど翻訳多数。『生半可な學者』で講談社エッセイ賞、『アメリカン・ナルシス』でサントリー学芸賞、『メイスン&ディクソン』で日本翻訳文化賞、また2017年に早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。 文芸誌『MONKEY』(スイッチ・パブリッシング)責任編集。
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・3月7日
阿部海太郎(あべ・うみたろう)
作曲家。クラシック音楽など伝統的な器楽の様式に着目しながら楽器の今日的な表現を追求する。楽曲のみならずコンサートの企画やアルバム制作など、すぐれた美的感覚と知性から生まれる音楽表現が多方面で評価され、舞台、テレビ番組、映画、様々なクリエイターとの作品制作など幅広い分野で作曲活動を行う。音楽を手掛けた主な仕事に、蜷川幸雄演出のシェイクスピア作品、さいはての朗読劇『珠洲の夜の夢』『うつつ・ふる・��ず』(共に作:大崎清夏、演出:長塚圭史)、NHK『日曜美術館』テーマ曲、NHK連続テレビ小説『らんまん』など。 2023年にリリースした歌手・武田カオリとの共作によるアルバム『HOUSE』のアナログ盤が今春発売される。 umitaroabe.com
大崎清夏(おおさき・さやか)
1982 年神奈川県生まれ。2011 年「ユリイカの新人」に選ばれ、2014 年、詩集『指 差すことができない』で第 19 回中原中也賞受賞。『踊る自由』で第 29 回萩原朔太 郎賞最終候補。そのほか、著書に『目をあけてごらん、離陸するから』(リトルモア)、 『新しい住みか』(青土社)、『地面』(アナグマ社)などがある。2022 年、奥能登国際芸 術祭の一環として脚本を手がけた朗読劇「珠洲の夜の夢」がスズ・シアター・ミ ュージアムにて上演され、翌 23 年には同じく「うつつ・ふる・すず」の脚本も 手がけた。音楽家や美術家など、他ジャンルのアーティストとのコラボレーショ ンも多く、絵本の文や楽曲歌詞、ギャラリー等での詩の展示など、さまざまなか たちで活動を行う。2019 年、第 50 回ロッテルダム国際詩祭招聘。知らない町を 歩くことと、山小屋に泊まる登山が好き。
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xxxpinkyxxximpxxx · 1 year
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2021.11.09
21~25歳と、ジャニーズJr.のなかでは年長メンバーがそろう「IMPACTors」。長いキャリアのなかで苦労を分かちあい、個性やスキルを磨き続けてきた7人は、固い絆で結ばれた唯一無二のグループへと成長を続ける。結成2年目を迎えた今、その目に映る未来とは。
【写真】IMPACTorsが飾った週刊朝日の表紙はこちら
*  *  *
──IMPACTorsの名は、impact(衝撃)とactors(俳優たち)に由来するという説があります。
椿:単に「インパクトを与える人」というだけでなく、アクターの意味も含まれているのだと思います。メンバーみんな、1年の半分以上は舞台をさせてもらってて。
松井:僕たち、今年だけですごい数の公演���ってますね。
影山:去年10月に、この7人でグループを結成することになって。今年の舞台「虎者」は、初めてIMPACTorsとして全員で出演するんです。
基:1年間、一緒にいろんな公演を経験して、7人でいた時間がすごく濃かった。
松井:この1年はIMPACTorsの記憶しかないですね。
佐藤:プライベートはないけど、ほんとにありがたくって。
基:僕たち、グループを組むまでが長かったんです。ずっとバックで踊ってきて、悔しい思いもしてきた。もう無理かもしれないって、何度も思いました。デビューも、グループ組むことも。そもそも二十歳超えてグループ組むっていう例を、今までほとんど見てこなかったので。
横原:25になる年でグループ組んでなかった。1年後に同じことしてたらやめようって、毎年思ってましたね。
椿:やめたいわけじゃないけど、やめないといけないのかなって。ハンドマイクを握ったことすらないジャニーズJr.、もう無理かなーって。
佐藤:「これやればいつかは」っていうのをずっと繰り返しながら、毎公演、毎公演、やってきました。
松井:僕らみんな、そうです���。
基:(先輩グループの)Snow ManさんやSixTONESさんには「絶対くさるなよ」ってずっと言われてきたし、7人で「絶対見返してやろうな」みたいな話もしました。IMPACTorsは、やっとの思いでつかんだ最初で最後のチャンスなんです。
──今年の「虎者」でも披露されているオリジナル曲「Top Of The World」にちなんで、グループで世界一をとりたいことは?
佐藤:爆発力。みんな内側から出るものを大切にパフォーマンスしてるので。それに平均身長が高いので、迫力でもナンバーワンをとりたいですね。
基:奏くんは181センチで、ジャニーズJr.のなかでもかなり身長が高いんです。
松井:顔と身長のギャップなら世界一狙えるかもしれない。「座ってると168センチの顔」って言われるんで(笑)。
椿:あと、やっぱりグループ名のとおりインパクトのあることをしたいな。コンサートでも誰も見たことのない新しい演出をしていきたいです。
鈴木:ライブ演出の消費電力、世界一とかね(笑)。
影山:何にしても初を狙いたいですね。
椿:初詣とか?
鈴木:いやいや、それはみんな狙えるから!(笑)
影山:ライブで僕ら7人が水槽の中にいるとか。
鈴木:初、それでいいの?(笑)
──グループ結成2年目を迎え、目標は?
横原:アリーナでライブをやるのが僕らの一番近い目標。そのためには、この1年で猛スピードで駆け上がって、誰が見ても文句ないぐらいのグループになりたいですね。
基:燃え尽きるっていうのが、僕らのテーマです。
鈴木:人生かけてやろうねっていつも言ってて。
椿:すべてのステージに立つ前に、「命かけてこの機会を大切にしよう」って話を7人でするんですよ。2年目もその熱量を落とさずに、敵なしの存在になりたいですね。
 IMPACTorsにグループ結成2年目の「個人としての目標」を、四字熟語で表してもらった。アイドルとして多くの悩みや迷いにぶつかってきたが、その道のりの先に、IMPACTorsとして仲間やファンとともに歩む「今」と「未来」がある。
【前編/IMPACTors、結成2年目も命がけの決意「人生かけてやろうね」】より続く
【写真】IMPACTorsが飾った週刊朝日の表紙はこちら
*  *  *
■影山拓也「加速倍増」
 グループを組んだ1年目を超えるくらい注目していただきたいです。将来、常にトップに立っていたいということしかわからない。IMPACTorsとして一番になっていけば、おのずと個人にもつながっていくんじゃないかって。
 この仕事を続けるのはもう無理かもと思ったことがあります。いつまでもバックで、時には後輩の後ろで踊って、僕って大勢のなかの一人なんだなって。でも何事も、達成するまでは絶対やめたくないタイプなんですよね。
 ライブやってるときがすごく幸せ。でももっとファンのかたと触れ合える時間がほしい。僕、みなさんと会いたいんですよ!
■佐藤新「不撓不屈」
 思うようにいかないときはいっぱいあるけど、それでもあきらめない。事務所に入って最初の3年間はすごくつらかったんです。年に2、3回、コンサートの舞台のはじっこで踊ってはけてを繰り返すだけで。ほかの職業に目移りしたこともあったけど、心の片隅には歌って踊りたい気持ちがずっとあった。滝沢歌舞伎のオーディションのとき、先輩がいるなか、最前列に陣取って踊ったんです。いやでも目に入ってやろうって。それが今につながってます。
 剣道やってた超日本男子です。我慢強さはほかの人よりあるかな。世界一……あ、「いいところにホクロがある」ランキング1位になりたい!
■鈴木大河「進化」
「週刊朝日」にしようかな。(椿泰我「おまえ、ほんとにいいやつだな!」)あーどうしよう……進化でお願いします。あえて2文字で(笑)。
 大学受験が近くなって、将来が心配になった時期がありました。でも迷いつつも、この道を選んだ。自分が選択したことには根拠のない自信を持っていて、最終的にはうまくいくように思います。
 ライブでは(メンバーカラーの)青いペンライトを持ってる一人ひとりの顔を覚える勢いで見てます。だからライブに来たら絶対見つけるし、ファンサ(ービス)するし、楽しませます! 世界一は……太字になるようなパワーワードを言っていきたいな。
■椿泰我「単独連載」
 最近(Snow Manの向井)康二くんの影響でハマっているカメラか、ファッション関連で。お願いします!(笑)
 僕、ステージに立ってる間に、疲れたなとか感じたことがなくて。とにかく幸せで、この時間が一生続けばいいのになって。でも大学生のころ、一生この立ち位置だったらやめなきゃいけないのかなって思ったこともありました。そんなとき、NEWSのみなさんのツアーバックについて、メンバーもファンも泣きながら毎公演、一緒に歌ってる姿を見たんです。10年頑張れたんだからあきらめないで頑張れるでしょう、って思えた。いつかその感謝を(NEWSのみなさんに)伝えたいです。
■松井奏「一所懸命」
 高校時代に日本史かなんかで習って、いい言葉だな、って。IMPACTorsという自分の場所を守り抜きたい。
���いま指輪を買おうと思ってるんです。グループのファンネームが「PINKy」なので、小指にはめるピンキーリングを買おうかなって。ファンとつながってるという意味をこめて。
 仕事で疲れたり何か話したいときは、よくおばあちゃんに電話します。週1くらいのペースですね。もともとは僕の芸能活動に反対だったんです。「そろそろ本分を……」というようなカタいところがあって。けっこうケンカもしますよ。でもここ2、3年は、応援してくれてますね。
■基俊介「日進月歩」
 歩いてても走っててもどっちでもいいから、前に進み続けたい。3年ほど前、なにやってもダメな時期がありました。仕事も人間関係も空回って、やることすべてが裏目に出て。周りの人たちが、「自分が前に立つためだったらなんでもする」ように見えてしまって。そこから抜け出せたのは、(Snow Manの岩本)照くんのおかげでした。仕事の現場ですれ違ったとき、「おいどうした、大丈夫?」って言われて、ためてたものが全部出そうになって。そしたら「この場にいる間は絶対泣くな。泣いたらお前の負けだから。終わったら話聞くから」って。その言葉があったから、踏みとどまれました。
■横原悠毅「勇往邁進」
 楽しみながら、恐れることなく挑戦したい。まあ僕は基本的にビビったり緊張したりしないタイプなんですけどね。楽しくいきたいんで、不安とかネガティブになってる時間は無駄だし大っきらい。性格悪い考えなんですけど、厳しいことを言われたり、僕より何か優れている人がいたりしても、「僕のほうがかっこいいからな」って思うようにしてます(笑)。だから、人生ずっと楽しいですね。
 自信はありましたけど、ジャニーズに入ったのが遅かったこともあって、才能や努力だけじゃどうにもならないこともあるなと思ったこともあります。でも前に進むしかないと思ってたので。
(取材・構成/本誌・大谷百合絵、直木詩帆、伏見美雪)
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joyfultrashtragedy · 1 year
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「10年代アニソン大賞を決めよう!」という企画がある 参加者は10年代に放送されたアニメソング(OP・ED・挿入歌・キャラソンなんでも)から好きな5曲を選んで投票する、それぞれに5~1点が振り分けられて集計されランキングとなる 開催主体は負けヒロイン研究会という早稲田大学のサークルで個人的にはあまり良い印象を持っていない(最近流行りの低志会とかと似た匂いを感じる)のだが、企画自体は面白いのでサクッと投票することにした
……が、実際に5曲選んで投票しようとすると意外と決まらない そもそも10年代アニソンだけで一体何曲あるのか…… 手元にあるリストを確認すると、そこまで熱心にアニメを見ている方ではない私でも2010年代のアニメは167本観ている これらのOPとEDだけで334曲あるのだから、「10年代」以外にも何かしらのテーマを自分なりに定めないと決まらなさそうである とはいえあまりに企画の趣旨から外れるのもまずかろうて、とりあえず「10年代らしい・10年代を象徴している」かどうかを基準に選んでいこう
1.fhána「星をあつめて」 →劇場版SHIROBAKOの主題歌 SHIROBAKOはアニメとしての質の高さもさることながら、「アニメ制作をアニメする」というメタ構造をして、平成アニメを総括する上でのメルクマールとして見ることができる その本編の要素を丁寧に詩にあつめたこの曲は当然10年代を象徴するアニソンたりうるだろう(ここまで一息) 本当に良い曲なんです SHIROBAKOについては語っても語り切れないけどとりあえず社会に出て働き始める前に観といたほうが良いです
2.藍井エイル「サンビカ」 →キルラキルの挿入歌 何話だったっけ、戦艦で敵の繭をぶったぎる時にマコが「私だけじゃない、皆もいるよーーー!!!!」って叫ぶ回 思い出すだけで泣きそうになります この曲もこの曲が流れたキルラキル本編も素晴らしんですが、やっぱ2010年代のアニソンの一角を間違いなく占めていた藍井エイルの曲は入れたいし、自分のなかで藍井エイルといえばこの曲だし、キルラキルって10年代の真ん中に放送されたアニメだし、ということで選定
3.XX:me「真夏のセツナ」 →ダーリン・イン・ザ・フランキスの挿入歌 水着回の曲だから7話あたりか(←水着回という概念自体が今後消えていく可能性あるなとふと思った) ダリフラは10年代で常に最先端を走っていたアニメクリエイターたちによる総決算みたいな勢いと熱量でもって作られ、結果制作陣の手に負えないほどのぶっとびクオリティのアニメとして地上波に発射され、最後には爆発四散して平成ロボアイドルアニメ文化の終点に墓標をおったてたアニメでした まぁロボ×アイドルというコンセプト自体は終わってないんだろうと思うけども このふたつの鎹たる音楽要素はよりいっそうアニメ需要の根幹で強まっているのだし でも下火にはなっているし、その原因は間違いなくこのアニメだと思う いきなりこんなこと言うと信じられないかもしんないんですが、このアニメって中盤までは間違いなく平成アニメの最高点を毎話更新し続けていたんです、そのさなかの一番脂が乗ったトロの回で流れたのがこの「真夏のセツナ」です さっきも言った通りこのアニメは最終的にはエヴァライクを作り続けた平成アニメ史の一ジャンルにおけるクソデカ墓石となるわけですが、それを知った上で聴くと、こういうアニソンめっちゃ流れてた時代あったな、みたいな グッドオールドジャパンニメの情緒を感じられるわけですな バブルが弾ける直前の東京の映像みたいな雰囲気があるんです この雰囲気は10年代にしか無いでしょう そもそもが「青春を欠落したオタクのために、オタクが慣れ親しんだ形式で、オタクのための青春をもう一度」みたいなアニメなんで(出典不明)、対象層的に時代感がやや古くなるのは当然かもしれん 最近はシティーポップとか流行ってるしそういう倒錯感もいいのかも 言い忘れていましたがXX:meは作中に登場する女性キャラクターで構成された架空のアイドルユニットです XX:meは他にも質の良い楽曲を5曲くらい出してるので聴くと良いです(「トリカゴ」とかね)
4.ユナ(神田沙也加)「longing」 →劇場版SAO=オーディナル・スケールの挿入歌 初めはLiSAのcrossing fieldとかも考えてたんですが、10年代アニソンランキングとなればこの曲かな
5.佐咲紗花「Grand symphony」 →劇場版ガルパンのEDテーマ なんだかんだ言ってアニオタが映画館に足繁く通うになったのは10年代アニメシーンの象徴的な出来事だと思っていて、そのきっかけのひとつはこの作品だろうということで選曲 あとこの曲聞くと無条件に涙出るから
6.中島美嘉「KISS OF DEATH」 →ダーリン・イン・ザ・フランキスのOP 超かっこいい曲 中島美嘉とHydeがコラボしてアニソン作るとか今後そうそう無いだろということでトップ5に入れたいが、実はそうでもない気もする あと、この曲聴くとL'Arc~en~Cielの「Killing Me」が脳裏にめっちゃチラつく でもかっこよすぎる……もはやアニソンとは別枠の評価になる気がする
7.やくしまるえつこ「少年よ我に返れ」 →輪るピングドラムのOP イントロがかっこよすぎてそこだけで12000000000点くらいある 10年代アニメソングといえば!って聴いたら割とこれ出す人多そう 幾原邦彦ってアニオタが大好きだし 最終的にランキングには乗るんじゃないでしょうか
8.ClariS「コネクト」 →まどマギOP 言わずとしれた名曲 まあ他の誰かが入れてくれるでしょう(と全員が考えて誰も投票してない可能性はある)
9.Aimer「花の唄」・「I beg you」 →それぞれ劇場版Fate/staynight [Heaven's Feel]1章・2章の主題歌 この2曲でなくともこのランキングにAimerのアニソンは載るべきだし、あえて自分が選ぶならこの2曲なんだが、「10年代の」「アニソン」という基準で選ぶとなるとFate関連はちょっと選びづらいすね でも劇場版HFはマジで素晴らしいアニメ映画 Fate/SNについて何も知らない状態で観たら間違いなく置いていかれるけどその分差し引いても良い この2曲もテーマにぶっ刺さってる
10.765PRO ALLSTARS「M@STERPIECE」 →劇場版アイドルマスター主題歌(挿入曲?) めちゃめちゃ大好きな曲だが10年代アニソンというよりかは765ASの曲という感じがするので
11.花澤香菜「恋愛サーキュレーション」 →化物語OP ギリ10年代じゃなかった
12.桂ヒナギク(伊藤静)「本日、満開ワタシ色!」 →ハヤテのごとくED 全く10年代じゃなかった
13.サーニャ・エイラ「Sweet Duet」 →スト魔女挿入歌 全然10年代じゃなかった
14.Kalafina「君の銀の庭」 →劇場版まどマギ=叛逆の物語ED コネクトよりも好き 今回のランキングにKalafinaを入れたい気持ちはもちろんあるが好きな曲が多すぎて逆に選べない 俺以外のオタクがKalafinaをどれか一曲は上げてくれると信じようかな となるとMagiaかheavenly blueあたりが候補になるか どっちもランキングに入らなさそう……
15.スタァライト九九組「星のダイアローグ」・「Fly me to the star」 →それぞれ少女歌劇レヴュースタァライトOP・ED スタァライトは10年代を終わらせたアニメのひとつではあると思うけどTV版ではその片鱗しか見せていなかったと思うのでここでは選ばないでおく ブシロードIP躍進の10年という視点で挙げるならラブライブ楽曲とかのほうが適切だろうし おれはそっち詳しくないので
16��宇多田ヒカル「桜流し」 →エヴァQ主題歌 宇多田ヒカルもエヴァもめっちゃ好きだから入れたいけどエヴァQの曲をねじこむのはちょっと無理筋
こんなかんじか 色々悩んで結局1・2・3・4・5を上から選んだ 1~4は確定として5~8から一曲選ぶのが難しかった
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まあ聴いてくれや
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honyakusho · 8 months
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2023年9月26日に発売予定の翻訳書
9月26日(火)には26冊の翻訳書が発売予定です。
細部から読みとく西洋美術
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スージー・ホッジ/著 中山ゆかり/翻訳
フィルムアート社
中国の翻訳絵本と児童教育
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劉娟/著
法政大学出版局
ハントケ・コレクション 1
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ペーター・ハントケ/著 服部裕/訳 元吉瑞枝/訳
法政大学出版局
断絶
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クレール・マラン/著 鈴木智之/訳
法政大学出版局
地図でみる世界の地域格差 OECD地域指標2022年版
OECD/編著 中澤高志/監訳
明石書店
ストーリーで惹きつける科学プレゼンテーション法
Bruce Kirchoff/著 庫本高志/翻訳 Jon Wagner/イラスト
羊土社
教皇ハドリアヌス七世
コルヴォー男爵/著 大野露井/翻訳
国書刊行会
ハンティング・タイム
ジェフリー・ディーヴァー/著 池田真紀子/翻訳
文藝春秋
日本の風刺詩 川柳
R. H. ブライス/著 西原克政/翻訳
花伝社
おじいちゃんの くるみの き
アミ=ジョーン・パケット/著 フェリシタ・サラ/イラスト ひさやまたいち/翻訳
評論社
パッチワーク
マット・デ・ラ・ペーニャ/著 コリーナ・ルーケン/著 さくまゆみこ/翻訳
岩波書店
稜線の路
ガブリエル・マルセル/著 古川正樹/翻訳
幻戯書房
九番目の招待客
オーエン・デイヴィス/著 白須清美/翻訳 山口雅也/監修
国書刊行会
レジリエンスの時代 再野生化する地球で、人類が生き抜くための大転換
ジェレミー・リフキン/著 柴田裕之/翻訳
集英社
ようこそ、ヒュナム洞書店へ
ファン・ボルム/著 牧野美加/翻訳
集英社
世界秩序の変化に対処するための原則 : なぜ国家は興亡するのか
レイ・ダリオ/著 斎藤聖美/翻訳
日経BP 日本経済新聞出版
K-PUNK 夢想のメソッド──本・映画・ドラマ
マーク・フィッシャー/著 坂本麻里子/翻訳 髙橋勇人/翻訳
株式会社Pヴァイン
心に、光を。 不確実な時代を生き抜く
ミシェル・オバマ/著 山田文/翻訳
KADOKAWA
絡まり合うモノと人間 : 関係性の考古学にむけて
イアン・ホッダー/著 三木健裕/翻訳
同成社
偽装された原爆投下 : 広島・長崎原爆の物理学的・医学的エビデンスへの再検討
ミヒャエル・パルマー/著 原田輝一/翻訳
福村出版
音楽の人類史 : 発展と伝播の8億年の物語
マイケル・スピッツァー/著 竹田円/翻訳
原書房
哀れなるものたち
アラスター・グレイ/著 高橋和久/翻訳
早川書房
図説 世界の「最悪」クルマ大全 新装版
クレイグ・チータム/著 川上完/監修
原書房
The Power Law(ザ・パワー・ロー) ベンチャーキャピタルが変える世界(上)
セバスチャン・マラビー/著 村井浩紀/翻訳
日経BP 日本経済新聞出版
The Power Law(ザ・パワー・ロー) ベンチャーキャピタルが変える世界(下)
セバスチャン・マラビー/著 村井浩紀/翻訳
日経BP 日本経済新聞出版
新版 地図で見るアフリカハンドブック
ジェロー・マグラン/著 アラン・デュブレッソン/著 オリヴィエ・ニノ/著 鳥取絹子/翻訳
原書房
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straycatboogie · 9 months
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2023/08/10
BGM: 大江千里 - Gloria
今日は休み。朝、ZOOMを立ち上げてミーティングに参加する。今回は「that is why(そういうわけで)」という言葉から例文を作り、その後日本語検定3級の問題集をみんなで試しに解いてみるという趣向の回となった。問題集の方では敬語について話が盛り上がる。「廃材のリサイクルに『お取り組みになっている』御社の事業に魅力を感じました」という文について……だが、ぼくはいちおう日本語ネイティブではあるけれどこの敬語の使い方は難しく、選択肢を提示されても即答できなかった。それで答えを教わってからも「いや、どういうことなんだろう」「これを説明できるだろうか」とぼくの中で逡巡してしまう。だがそこはさすがというか、他の参加者の方の明確な意見が出てきてようやく腑に落ちた。参加者の方の中に人事採用の経験を積まれた方がいて、その方のお話からこうした敬語(特にビジネス敬語)について話に花が咲く。ぼく自身、就職活動をしていた時に使い慣れない敬語を使わなくてはならず往生したっけ。結局そういう「付け焼き刃」は見抜かれるもので面接から先に進むこともできずに苦い思いをしたことを思い出す。その意味ではほろ苦い回だった。参加者の方のお盆休みの予定などの話も面白く聞かせてもらう。
昼、イオンに行く。そして未来屋書店に行き、宮澤賢治の文庫本『銀河鉄道の夜』を買う。ぼくが買ったのは新潮文庫のヴァージョンだ。買うきっかけとなったのはたまたま本棚を見ていて高橋源一郎『銀河鉄道の彼方へ』を見つけて、読み返したくなったからというのがあった。あとはグループホームで料理をされる世話人さんがふと、なにかのきっかけでその「銀河鉄道の夜」の話をして下さったからでもある。今日の詩の中にその「銀河鉄道の夜」の記憶を取り入れ、ジョバンニとカムパネルラについて書き込んでみた。刷り込みとは恐ろしいもので、ぼくはどうしてもこのジョバンニとカムパネルラのイメージとして「彼らが猫である」という思い込みを捨てることができない。これはますむらひろしの漫画やそこから派生したアニメーションの影響によるもので、だから読む時だって細野晴臣によるアニメ版のサウンドトラックを聞いたりしないと調子が出ないのだった。ぼくの記憶を掘り下げればこのようにしてアニメや漫画といった、大塚英志の用語で言うところの「サブカルチャー」が根を下ろし��いる。もちろんそれはそれで芳��な体験を約束してくれるのだけど、たまにはそうしたアニメを離れて天沢退二郎などを読むべきかなとも思った。
午後に時間があったので、高橋源一郎のその『銀河鉄道の彼方へ』を読む。高橋源一郎の本をはじめて読んだのはいつのことか。高校時代に『文学がこんなにわかっていいかしら』を読み、もちろん当時のぼくは「文学」について「わかって」いなかった小僧でしかなかったのでずいぶん蒙を啓かれた思いがした。彼の書くものは(主に「リベラル」な思想や詩、古典から新刊まで硬軟取り混ぜた小説作品の)豊かなソースに裏打ちされたものという印象を持つ。今回の作品では宮澤賢治以外だと埴谷雄高や中原中也などの叙情的な文学や詩がサンプリングされている。実にみずみずしく、もっと言えば(悪口に響くかなとも思うけれど)「子ども」の小説だとも思った。まだ「おとな」の社会に踏み込み働いたり学んだりするところまで行かず、それ以前のところでぼんやり虚空を見つめながら「なぜぼくは生きているんだろう」「なぜぼくはぼくなんだろう」と考え込んでいる……その謎を、高橋源一郎という作家は手放さないで考え込む。その強度にやられ、実に「大作」「問題作」であるこの作品を堪能することができた。永井均の哲学が好きな人は気に入るのではないかと思う。
夜、FacebookのMessengerを立ち上げミーティングに参加する。今回は参加者の方がパラオに行かれた時の話を聞かせてもらうことができた。どのような政治的・歴史的背景があるのか。どのような人たちが住んでいるのか(住民性、というやつだ)。きれいな海について、食文化について、仕事について……ぼくは肉より魚が好きなのでパラオで捕れた魚や木に茂っているバナナを見て「おいしそうだな」と思ってしまう。日本の地方都市でソーシャルメディアをせせこましく見つめて過ごすぼくの生活と比べればその生活はのどかそうで、もちろん彼の地には彼の地の苦労や困難もあると思うのだけれど「自分の性格となじみそうだな」と思った。いいきっかけで自分の生活を見直せたと思う。その後、詩を清書してアップロードする。その詩と並行して(書ければ週に1度くらい)自分自身の詩や読書について散文を書ければと思いそれもアップロードした。自分の人生はすでに「盛夏」「白昼」をすぎたと実感しているので、姫路にある「みゆき通り」にあやかって(「みゆき」を漢字で書くと「海詩」とも書けると知ったこともあって)その散文のシリーズの題は「たそがれ時のみゆき通り」というタイトルにした。
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ebina-aya · 3 years
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2020年のまとめ
今年は新型コロナウイルス感染症抜きでは語ることができない一年になったと思います。わたしは幸いにして、一年を通して見るとさほど大きな変化がなく過ごすことができました。とは言え、春に外出自粛のために家でひとり過ごすことになり、誰ともほとんど話さない日が数日続いたときに、衣食住がそろうだけでは暮らせないのだな、と感じた年でもありました。その中で、精神面を支えるという点において、娯楽や趣味が果たす役割は大きいのだろうと思います。わたしの場合は本や詩があることが助けになっていました。読んだり書いたりする間は少し現実から離れられます。
さて、前置きはこのくらいにして、より個人的な振り返りに入ろうと思います。時系列に沿ってではなく、できごとの単位で書きます。
『声を差し出す』が第25回中原中也賞最終候補に選ばれたのが2月です。ずっと前のことのように思えます。『きょりかん』のときで一連の流れがわかっていたので、今回の選考会の日はとても緊張していました。家にひとりでいたことで気を紛らすことができず、夕��にはぐったりしました。自分にお疲れさまの気持ちで、ちゃんぽんとパフェを食べたことを覚えています。候補になった嬉しさと、選考会の日が終わったことにほっとして、悔しさは全然浮かばなかったのでした。悔しくないのはいいのか悪いのか分からないのが正直なところです。賞がもらえたら嬉しいし、読んでいただける機会が増えたらいいなとも思うのですが、そのために狙って書いているわけではないので…。
この時はまだ秋の文学フリマ大阪で『声を差し出す』を頒布するつもりでした。しかし、感染拡大を受けてイベントへの参加は見送ったため、頒布は書店への委託とオンラインショップが中心になりました。まずはBOOTHを開設し、その後利便性を考えてBASEに移転しました。
ユリイカに掲載された選評を読んで「わたしの持ち味って何?」と困惑したこともありました。一昨年に『きょりかん』が評価されたことで、ビギナーズラックだったらどうしようとか、超えていかなければならないなど、この2年ほど良くも悪くも囚われていたのだと思います。そのために、言葉の使い方や詩の展開が硬くなった部分もあった気がします。『きょりかん』で書けたものもあれば、『声を差し出す』で書くことができたものもあると思うので、自分の詩を自分で決めつけずに書き続けることで新しい扉を開けたらいいな、と考えています。今はまた楽しく書いているので、よい流れでこれまでの詩集を忘れられているような、囚われていないような感覚です。この先は、2021年の秋から2022年の春の間に詩集を出したいと思っていますが、どうなるのかは未来のわたしに任せます。
1月の文学フリマ京都が今年の最初で最後のイベント参加となりました。記憶が薄れていますが、『声を差し出す』を唯一自分で頒布できた機会でした。熱気が感じられたこと、見本誌コーナーの配置とブースの位置関係がわかりやすかったことなどを思い出しました。『声を差し出す』はもう少しイベントで頒布したい気持ちがあるので、次回の文学フリマ大阪は状況を見て参加を判断したいと考えています。
『ことばのざんきょう vol.8』も作りました。オンラインショップのみで頒布しています。今年作った本はこの小さな個人詩誌だけでした。今まで本にするのが楽しくてたくさん作っていましたが、そろそろ落ち着いてきて、もう少しじっくりと作る時期が来たのかなと思っています。
目標の達成はどうだったかというと、なかなか良かったのではないかと思います。
◎日記を続ける
これは、毎日とはいきませんが断続的ながら書き続けているので、△かな? という手ごたえです。初めはちくま文庫の文庫手帳に書いていましたが、日によって書きたい量に違いがありすぎ、iPhoneの「PenCake」というメモアプリに切り替えました。このアプリは見た目も操作性もシンプルなので書くことに集中できると感じます。メモを「物語」という単位で分類できるのも便利です。今年の春は延々と書き連ねていたので、相当このコロナ禍の環境がストレスだったんだな…としみじみし、今は良くも悪くも慣れてしまっている自分を感じます。日記が飛び飛びになり一日に書く量も減っています……。
◎詩を楽しみ、いきいきと過ごす
これは◎を付けましょう。なんだかんだで、今年も1週間に1篇くらいのペースで詩を書きました。すべてが納得のできとはいきませんが、1ヶ月半から2ヶ月に1篇くらいはよいものが書けた感触があるので、今のところわたしはこのくらいの速度で書くのがいいようです。ひとつの詩に言葉や情景などを盛り込み過ぎないようにと思うと、いくつかの詩に分けて書くことになるので、わたしは書く数が多く、1篇はさほど長くないのかななんて思います。もう少し1篇に時間をかけて、徹底して質を高めるという方法も来年は試せたらいいのかもしれません。
体調面も今年はほぼ好調でした。40℃の熱も出さず、時々頭痛はあったものの体調不良で寝込んだのはたぶん2~3日くらいだと思います。6月から始めた毎日湯船に浸かることがわたしには合っているようで、疲れを引きずって土日を眠るだけで終える日がほぼなくなったのは大きいです。二度寝や昼寝をする日はあっても、せいぜい2時間くらいなので、週末に読書や詩作がはかどったと思います。そうすると、一日を寝て過ごして無駄にしてしまった…という後悔が減るので、精神面でもよい効果でした。
精神面も好調で、5~6年飲んでいた抗不安薬のレキソタンをやめることができました。飲むのをやめても、何も問題なく過ごしています。この状態を維持していきたいものです。
ここまで長い文章をお読みいただき、ありがとうございます。
今年も大変お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
2020/12/25
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