【山形県】立石寺 . 少し前まで立石寺(りっしゃくじ)のことを 「たていしでら」と思ってました . 宮城県に「愛子」ってとこがあって ここも普通に「あいこ」かと思ってたら 「あやし」でした . 宮城、山形の写真はこれにて終了です . ありがとうございました . (2022/11/09撮影) . #立石寺 #りっしゃくじ #山寺 #五大堂 #五大堂からの眺め #山寺立石寺 #絶景 #山形山寺 #山形観光 #山形旅行 (立石寺) https://www.instagram.com/p/Ck8ZOPHPgTm/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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山間僻地五、六歳の頃のF爺F坊やは、山奥の寒村に住んでいました。村には、当時の秋田県では普通のことでしたが、電気も水道もありませんでした。F坊やは、そこで生まれたのではありません。その村は、貧しいよそ者一家の一時的な滞在地でした。山奥ですから、魚は干物か佃煮か塩漬けの物しか無く、肉屋なんてどこにもありませんでした。鶏や兎を飼ってはいましたが、自分の家の田畑が無いため食料は生き延びるのにぎりぎりの量しか手に入りませんでした。敗戦から数年後、一家の財政状態の最も厳しい時期だったようです。食べ物の好き嫌いなど言っていられませんでした。「ご飯と味噌汁と沢庵漬けと炒めたキャベツ」があれば「御馳走」のうちだったのです。人参は、嫌いでしたが、「空腹が少しは収まる」と考えて、無理に呑み込んでいました。草を刈って来て兎の餌にするのと蝗(いなご)や蟋蟀(こおろぎ)を生きたまま捕まえて来ては鶏(にわとり)の餌にするのが日課でした。鶏が大喜びでついばむのを眺め、一羽一羽に「明日も卵を産んでちょうだいね」と口に出して頼むのが習慣になっていました。卵かけご飯が「大」の字の付く御馳走だったのです。F坊やの日課がもう一つありました。灯油ランプの火屋(ほや)の内側を磨いて煤(すす)を取り除く仕事です。幼児の小さな手と細い腕でないと、火屋には入らないのです。大人になってから、アフリカなどで夜毎にテントを張る長旅をしていて電気も水道も無い生活が苦にならなかったのは、この時期の生活体験が身に着いているお蔭です。お米が配給だった時代です。この村に住んでいた頃「満ち足りるまでご飯を食べた」記憶がありません。お櫃(ひつ)が空(から)になり食卓を片付ける頃になっても、空腹は収まりませんでした。白湯を呑んで胃袋を満たして、仮初めの充足感を得るのです。親には「お腹を壊すから食べちゃいけない」と言われていましたが、裏山に行って食べられそうな野生の木の実や草の実や芋を探しては口に入れていました。野葡萄(のぶどう)や茱萸(ぐみ)の実は、幼児の舌には酸っぱくてほろ苦く渋いものなのでしたが、五臓六腑に沁み渡るような美味と感じていました。きっと、ビタミンCやミネラルなど、足りない栄養分を補ってくれたのでしょう。木の実の汁で唇や歯がいろいろな色に染まりますから、必ずバレて叱られるものでした。母は、あれから何十年経っても、キャベツ(*)を刻む度(たび)に、こう言うのが常でした。「○○村に住んでいた頃は、キャベツ(**)をこうやって炒めると素晴らしい御馳走に見えたのよね。あの乏しい食生活で、よくもまあ子供が育ったものだわ」(*)(**) 追記 2020年8月16日母が口にした元の言葉は「玉菜(たまな)」です。日本中を覆うカタカナかぶれ・西洋かぶれの波に呑まれて殆ど消えてしまった言葉ですが、残念なことです。「玉菜」は、同音異義語が無く、発音も漢字も簡単で一度見たら忘れない言葉です。復活させるべきだとF爺は確信しています。賛同なさる方が多数出現するでしょうか。 フランスに移住1968年にF爺が到着した頃のフランスの平均的な食生活は、当時の日本とは比べ物にならないほど豊かでした。キャンパスの学生食堂でさえ、ステーキなどは「普通の物」だったのです。親しくなった学生に誘われるままに自宅を訪問してご両親とも話をし、夕食に招待していただくときなど、学生食堂とは二ランクも三ランクも違う料理が出るのに感激しました。その際に殆ど必ず、事前に「何か食べられない物はありますか」と訊かれました。「ありません」と答えると、不思議そうな顔をされました。誰しも食べ物の好みはあるもので一つか二つぐらいは食べられない物のあるのが当たり前、という認識のようでした。それでも、幼児の頃からずうっと「食べ物の好き嫌いは、いけないこと」と教え込まれていたF爺は、日本での長年の習慣を引き摺って、嫌いな物でも我慢して食べ続けました。ところが、ある日、我慢の限界が来て、人参を一切れ口にした途端に気分が悪くなり、トイレに駆け込んで胃袋の中身を全部吐いてしまうということがあったのです。「嫌いなものを無理に食べると顔に出てしまうから却って失礼に当たる」こと、そして吐いてしまうのは、その場にいる人全員に不快な思いをさせるから、非常に失礼なことなのだと、ようやく、分かりました。価値観の転換です。「食べ物が極度に不足している場では正当なこと」が「食べ物が恒常的に有り余っている所では不当なこと」であり得るのです。この時から、人参を無理に食べるのはきっぱりやめました。
野葡萄と茱萸(ぐみ)の味 - F爺・小島剛一のブログ
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元旦色々
今年は凄く凄く久しぶりに瑞巌寺へ除夜の鐘をつきに行きました。
私が学生の頃は、もう凄い行列でワイワイ並んで鐘をついていたけれど、年々少なくなっていたようですね。
でも久々に鐘をついて、音を全身で受けるとなんだかやっぱりじ〜んとしました。
あとはそのまま夜の松島を散歩しながら初日の出を眺めていました。
寒かったけど、空や海がどんどん黄金に染まっていくのは、やっぱりとても綺麗で良かったです。
思わず拝んでしまうのは日本人としての性ですかね笑
去年はマンションの通路から見ていたんだなぁと思うと、凄い贅沢!
こちらは人が沢山いました☺️☺️
後は大晦日の実家にて。
いや、もう、こういう普通のお正月、本当に久しぶりだったので…。
画像は夜散歩時の五大堂にて祖父の名前を見つけたもの。
それと、料理の取り皿に甥っ子姪っ子ちゃんが私の名前と顔を書いてくれたもの☺️✨ 嬉しい!
甥っ子ちゃん、なんとLCにハマってくれたらしく、この日も朝にシオンのコスプレ(?)をしてからきてくれたらしいです。額に麻呂眉をつけたり、肩に角的なものをつけたりしていたよう…。
後は暫くずっと甥っ子ちゃんにLC絵の千本ノックをさせられていました笑
(この間はポケモン千本ノックでした…。)
後は獅子舞に頭を齧られる妹。
私も齧ってもらいました☺️☺️ 良い年になると良いな!
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おはようございます。
大阪南港フェリーターミナルは、曇り空です。
昨日は福岡県東区の福岡アイランドシティフォーラムにて、全国くらしの器フェアin福岡の最終日でした。
昨日は最終日でしたが、月曜日でしたのでお客様方のご来場も少なかったのですが、お昼前に前日ご来店を頂きました新規のお客様が、昨日見て触れて行かれた、秋田杉のお重箱を気に入って下さり、最来店をして頂きお持ち帰り頂きました。
前日に色々とお話しをさせて頂き、一晩考えられて、気に入って頂けた様でした。
有難うございました。
そして展示会も無事⁉︎に終わり、搬出作業もテタパタと終え、去年は一泊してからの翌日のフェリーにて帰省でさしたが、今回はその日の二便での、少し強行的な帰省…
間に合うかどうか不安でしたが、何とか二便に間に合い、一っ風呂浴びてから、デッキでビールで喉を潤し、食堂でご飯を頂きながら晩酌後は、いつも通りに知らないうちにZzz
そして今朝は、明石海峡大橋を眺めながら朝風呂を頂き、朝ご飯もしっかり頂き、間も無く大阪南港フェリーターミナルへ到着です。
川連まで安全運転で、今日も頑張ります。
そして皆様にとって今日も、良い一日と成ります様に。
https://jujiro.base.ec
#秋田県 #湯沢市 #川連漆器 #川連塗 #川連 #国指定伝統的工芸品 #伝統的工芸品 #伝統工芸 #秋田工芸 #秋田の物作り #秋田の物つくり #髹漆 #寿次郎 #展示会最終日 #展示会最終日の様子 #出張帰省 #出張車帰省移動 #出張車帰省二日目 #六月一日から五日まで開催 #福岡アイランドシティ #福岡アイランドシティフォーラム #全国くらしの器フェアin福岡2023 #kawatsura #japanlaquer #JapanTraditionalCrafts #KawatsuraLacquerwareTraditionalCrafts #jujiro
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三輪と嵐山さんと迅の小説(二次創作)
ザ ランドスケープ
ビロウ ザ ボックス
彼を見つけたければ、屋上に行くといい。たいてい、決まった場所に座って、眼下を眺めている。そこに広がるのは、廃墟の街だけなのだが。彼は、この街の住人たる死者の守護者なのだ。
「弱い子は嫌いよ。早くいなくなればいいのに」
いとこの小南桐絵の言い分は冷たかったが、的は得ていた。
この場所には強くないといられないのだ。強くなければ、街を守ることはできない。本来ならば、彼は守られるべき市民のひとりであった。
嵐山准は、先日ボーダーに入隊した。三門市を襲った災厄から半年以上経ったあとのことだ。市民からの志願入隊第一号とのことだったが、小南からの推薦が大きかったように思う。同期入隊を果たした柿崎国治は選別を勝ち抜いただけあって、運動神経もよく、また頭脳も性格も申し分ない少年だった。
メディア対策開発室長の根付栄蔵から依頼があったのは入隊して少し経ってからのことだった。
「記者会見ですか?」
「俺たちふたりで?」
できたばかりの本部建物の公開と併せて、新入隊員の記者会見を開くのだという。
柿崎と戸惑う視線が交差した。彼らは、まだ十五才であった。
「もちろん、進行は私達で行うよ。君たちはメディアの前で挨拶をして、これからの抱負を語ればいい」
根付はなんでもないことのように言う。
「月見さんや沢村さんもですか?」
同時入隊と言えば、月見蓮や沢村響子がいる。
「月見くんは太刀川くんの推薦、沢村くんは東くんの推薦だからね、ちょっと違うんだよ」
だから、同席しないのだと言う。
「俺も桐絵の推薦じゃあ」
「それは違うよ。自信を持って会見に臨むといい」
それに柿崎くんひとりでは可哀想だろうと続ける根付に嵐山はもう一つ疑問を投げた。
「じゃあ、あの子は?」
「あの子?」
「時々、太刀川さんや迅くんと訓練してる…」
「ああ、三輪くん?」
ガランとした巨大な箱のような真新しい建物のなかを子どもがフラフラとしているのを時折見かける。
年の離れた弟妹よりも少し上だろうか。
「あの子は一緒に出ないんですか? 同期と聞いたんですが…」
小南は最近入ってきたばかりと言っていた。
意表をつかれたように、根付は眼をぐるりとさせて上を見た。考えもしなかったようだ。
「うーん、彼は君たちみたいに選抜されたわけではないから」
年齢も低いしとつけ加えたあと、言った。
「それに…もうすぐ、いなくなるかもしれないしね」
彼とは話したことはない。よく屋上にいて、ひとりで鍛錬していると思えば、時折、昏い目で下の景色を見渡していた。そこからは、彼の失った街を眺めることができるのだ。
近界民侵攻の遺族だと聞いた。どういった事情で、ここにいるのかと思ったが、入隊志願者だという。嵐山や柿崎と違うのは、手順を踏んでいないだけでなく、他に行くあてもないらしい。
「あの子? 迅にひどい態度をとるんだもの。助けてもらったのに!」
先輩であるはずの小南の、彼に対する悪印象の理由はこれにつきた。小南は仲間を大切にする。
迅悠一は災厄の日以前からのボーダー隊員である。嵐山と同い年で同じ高校に入学しているはずだが、会うのはいつもボーダー本部の建物の中だった。飄々としていて、大人びた少年だ。模擬戦をすれば、驚くほど強い。戦闘経験の豊富さをうかがわせた。
一方で、従兄妹である小南とは本部では会えない。来れないのだ。近界民侵攻からあと、小南の両親はボーダーから距離を置かせたいようだった。それが原因で娘とぶつかっている姿をしばしば見かけた。
あたしは大丈夫、強いからと小南は言う。両親は引き下がらない。だって、桐絵。あの子もあの人も、もういないじゃないの。
「三輪くんがいなくなるかもしれないって聞いたんだけど」
迅に聞いてみると、え、なんで?と彼は不思議そうな顔をした。
「うーん、それを言ったの、根付さんあたり?」
「うん」
「そんなことにはならないよ」
「そうなんだ」
「人は増やさなきゃいけないだろう? 経験のあるものだけ集めても限度がある。何のためにこんなデカい箱を作ったんだ。これからは、隊員を育てて行かないと」
大人びた考えに素直に感心する。
「すごく色々考えているんだね」
「師匠の受け売りかな」
迅は照れくさそうにへらりと笑った。
この、師弟の関係もよくわからない。根付はそういうのはもう見つけなくて良いシステムにすると言っている。そのためか、嵐山と柿崎は講師を順繰りにトリオン体での戦い方を学んでいる。おかげで、ボーダーの様々な人と接することができるメリットがあった。
「師匠って忍田さん?」
確か太刀川の師匠が忍田本部長のはずだ。迅は気障っぽく方目をつぶった。
「ハズレ」
柿崎が食堂で、三輪とふた言み言、言葉を交わしている。遠くに座って眺めている嵐山はいまだに彼と会話をしたことがなかった。
「柿崎、お前、何を話してたんだ?」
「え? 食器の返し方がわからなくて聞いてたんだ」
納豆パックどうすんのかわかんなくてさという。
「お前、すごいな」
「へ? なんで? 今度、手合わせしてもらう約束もしたよ?」
「ほんとにすごいな」
嵐山には彼はいつも刺々しい雰囲気をまとっていて何もかも拒んでいるように見える。
訓練室の前である。
「秀次、ここを追い出されないように強くならないと」
口調は軽いが、重いことを迅が三輪に告げていた。
「……」
三輪は黙ったまま、迅を睨むと、何も言い返さずに、消えていく。いつもそうだ。三輪は迅をひどく嫌っているようだった。
思わず、声をかけた
「この前、大丈夫って言ってたじゃないか?」
「強くなるチャンスは逃さないほうがいいからね」
迅の言葉はいつも正しいように思える。
「それも君のお師匠さんの言葉なのかい?」
「ハハ、バレた?」
にこにこしながら、頬をかく。その笑顔から師を深く慕っている様子が伝わってきて、つられて微笑んでしまう。
「君のお師匠さんに会ってみたいな」
迅は笑みはそのままに一度目を閉じたあと、視線を遠くにうつした。
「うん、ぜひ。そのうちにね」
遠い場所で暮らしているのだろうか。嵐山はそう思った。
屋上に出ると果たして彼はそこにいた。
「いつもここにいるんだね」
「……」
三輪は返事をせず、嫌そうに視線を寄越した。何か嫌われるようなことをしたかと思うほどだ。
いや、したのかもしれない。彼を見ていると、家族を失った自分を考えてしまう。自分を失った家族を考えてしまう。小南を失った自分を考えてしまう。自分を失った小南を考えてしまう。
想像の話だ。
嵐山はまだ何も失っていない。三輪は失っている。もう失うものなどない。根付は三輪はもうすぐいなくなるかもと言った。そうかもしれない。守るものなどなくて、彼はなぜここにいるのだろう。
「きみが追い出されることはないそうだよ。迅が言ってた。安心していい」
「そんなの、信用できない」
「俺は迅を信じるよ」
「あんたは、信じればいい。俺は、信じない。話はそれだけか?」
三輪は振り向いて、嵐山をにらんだ。
「ほっといてくれ」
「君はどうして迅にそんな態��をとるんだ?」
「は? なんで、あんたにそんなこと…」
三輪の言葉が途切れた。嵐山の背後を見る。いっそう、視線が鋭くなった。
「迅」
三輪が不愉快そうに屋上から去ってしまったあと、ふたりはすっかり黙ってしまって、眼下の荒涼とした景色を眺めている。見えるのは、廃墟の街だ。不意に嵐山は三輪が守っているものがわかった気がした。
迅が嵐山に向き直った。
「記者会見、明日だろう?」
忘れていた。
「そうだった。やばい。進行表をもう一度、確認しないと」
「君ならできるよ」
「どうしてそう言えるんだい?」
迅は得意気に笑った。
「俺のサイドエフェクトがそう言ってる」
嵐山は何も失わない。これからも失うつもりはない。最後まで、彼は何も失わないつもりだ。
終わり
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立山シャッフォー。
ちょめっす!えんでかしでやんす!!
20,21でヤングガンズと、立ヤーマンしてきたってハナシ!!
今回のメンバー。シャッフルという大学生のスノーボードサークルの創始者241マガジンでもお馴染みの241君率いるメンバー達。(ほぼOB)
ほとんどのメンバーが初立山ということで連れていき甲斐があります。
果たしてこんなキャピキャピした若手の中でおいさんはやっていけるのだろうか!?
えんでかしのアイドルも久々に登場。無数のポージングを使い分けポートレイト撮影してました。
室堂で五竜のラーメン屋、高橋家のキョーヘイに遭遇。彼も初立山なんだって。へ〜意外。
ところで皆さん、立山の霊獣、『くたべ』をご存知でしょうか?
姿を見れば疫病の難を逃れるとな。
その姿がこちら。
疫病の前にショックでどうにかなりそうです。
天気は快晴!!前回は二日間ともガスガスだったのでこの時点で、もうとってもハッピー!!
こんないい天気だとなかなか雷鳥さんには会えないかもね〜。
なんて話してたけど普通にいるし。
今日も人だかりあるとこに雷鳥あり。グワァ〜〜〜。
雷鳥荘に荷物を預け、早速行ってみよー!!
朝は程よく緩んだ走る雪で快適です!
さーて、登るゼー!!
えっさほいさ。
麓は30度に迫る夏日。そんな日の必需品、山中厄除手拭いの新色、早速売れました。
毎度あり〜。
ハイクはきちーけど素晴らしい景色が忘れさせてくれます。え?そうでもない?きついもんはきつい?
…ガンバで〜す。
ようやく小屋に到着。稜線付近は結構風があり涼しいっつーか寒いくらいでした。
もうちょい奥まで行きましょう。
なかなかスリリングな道のりです。
剱さんにワッサップ。この奥の斜面が大きく雪崩てるっていう前情報は入っていましたが、それでもどっかいいとこねえかな〜と突っ込んでみることにしました。
出だしは気持ちよくパーティーラン。
おお。確かしにこりゃでかい。つーか広い。
でも途中の緩いところでデブリは止まっていて、その下は綺麗そうだったんで特攻することにしました。
イェ〜〜〜〜イ!!
流石、若者。豪快にデカいターンをかましてくれます。
photo by 241
見ていて気持ちいいね〜。
続いての彼は、
photo by 241
飛んだー!!イキがいいね〜!!
photo by 241
基本、みんなうめえっす。
アイドルも大きい斜面を楽しんでいる模様。
みんな!薄々感づいていたかな?降りた分登らなきゃなんねーってこと!
登っていく途中から雲がどんどん押し寄せてきてあっつー間に白い闇の中。え〜またかよ〜!!
一歩先の地形がわからなかった前回に比べればまだましですが。
はぐれるとやばいんで、みんなまとまってなんとか登り切りました。
早速奴さんの登場です。グワァ〜〜〜!!
なかなか抜けなそうなんで仕方なくワラワラ、ゆっくりみんなで降りることに。ちょっと下がれば視界も回復するでしょう〜。
なんて思ってたけど全然良くならない、更に雪は悶絶ストップスノーに。
ボトム手前でやっと抜けてきました。しかしペタジーニ!!
ボトムに着くとサンセットの定番斜面だけは晴れている。
このまま終わるのもね〜。夕焼けするかわかんないけどワンチャン狙ってみる?
みんな結構疲れてた雰囲気だったけど、それでも夕陽ライドはしてみたいって事で野郎どもだけで狙う事に。そうこなくっちゃ。
ガンバでーす。後から聞いたハナシ、どんどん遠くなる雷鳥荘を見て、辛すぎていつ引き返そうか考えていたメンバーもいたそうで。
それでもなんとか全員登り切りました!
あとは抜けるのを祈るのみ!!
どうなんだ〜!?
しかし我々の祈りは届かず、これ以上待つと暗くなるという事で、断腸の思いでドロップイン。
くー!!
切ね〜〜〜!!
宿に着いた時はご覧の通り。
消化不良に終わってしまいましたが、美味い飯と温泉で復活!!
明日に期待して屁こいて寝ましょう!
二日目!!今日も快晴!!温泉でHPも全回復!!張り切って行ってみよー!!
朝一から東面はすでに結構緩んでいて、いい滑り心地。
朝のうちはまだそんなに暑くはなく快適ハイク。
峠でローカルボンドのボス、ハルさんら、横ノリおじさまグループに遭遇!!三日間天気も当たり相当楽しんでるご様子。
「ゆうちゃ〜ん。」強面とは裏腹に優しく声をかけてきたのは、元カラーで同僚だったコトリウムの中林さん。癒し系ヤクザ面コラボしますか。
天気良くてサイコー!!
(この写真は先日のものです。)
休憩しながらこれから滑る斜面を眺める。あのピークの右の肩んとこから滑りますよ〜。
あーびっくりした〜。あのピークからのラインはジェレミージョーンズの世界ですよね〜なんて話てました。
雪の無いところもある尾根道を登り、
登りきったとこで絶景を楽しみます。
綺麗ですね〜。
壮大ですね〜。
さて、そろそろ滑りましょうか。え?近くに来たら案外滑れそうだから例のピークからのラインに行きたい?241君ともう一人の若手が言ってきました。え〜。絶対硬いし普通に降りた方が気持ちいいと思うよ〜?でも彼ら引きません。ったく〜ワガママなゲストだぜ。でも嫌いじゃねえぜ。
ピークまでちょっと岩登り。
見た目は綺麗だけど硬かったらやだな〜、つーか多分硬いだろうな〜。
恐る恐るまず俺がドロップ。出だしはそれ程でも無いけど風が当たってる場所は案の定硬い。上の二人は恐らく音でわかってくれたでしょう。
続いて若手がドロップ!どうみても硬そうなとこを、いいスピードで突っ込んでガリガリガリガリー!とすげえ音出して滑り降りてきました!!
ねえ俺のさっきの滑り見てた?
転けずに降りてきたけど、ガイドとしてはヒヤヒヤしまくりです。
実は彼、今回リモート会議があっただかでバックパックの中には20万オーバーのノートパソコンが入ってるんです。おいおいおい、若いって色々すげえな。
続いて241君がドロップ。実は彼は今年のFWQアライのチャンピオン。
さっきの若手よりは安心して見ていられました。
(ここからデジカメ持って転んでレンズに汚れがついてる事をお詫び申し上げます。ごめんくさい。)
他のメンバーとも合流。普通に滑れば雪も走るし快適なラインです。
みんな無事で何より!!
さーて続きはパーティーだ!!
ヒュ〜!!!
そのまま緊張感のあるトラバース。
峠で一休み。
雷鳥荘の弁当、美味そうですねえ〜。
今の時代、どこでも仕事できますからね。
っていう捏造写真を一生懸命撮ってました。この子達、学はあるのにアホやわ〜。
嫌いじゃ無いけど。
実際Wi-Fiがないと、ただのでかいモバイルバッテリーです。
メインの斜面はペタージーニ&縦溝で、ろくなもんじゃございませんでした。
最後の斜面は楽しみたいのでマジックワックス塗りたくってドロップ!!
ヒュ〜〜〜。
下に着いた頃にモクモクとガスが。あぶね〜。ギリギリセーフ!!
てなわけで、第一回シャッフル立山ツアー。山あり、谷ありで楽しいツアーになりました!!まだまだ違うルートもあるんでまた行きましょ〜!!
若手の彼は、次回はでかい綿のパーカーはやめようぜ😉!
ほんじゃあお疲れ山でした!!&おしょっ様でしたー!!
P.S. 「黒部の太陽」で有名な破砕帯のおいしい「湧水」です。
おいしいが消されてのには何か意味があるのでしょうか。
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2023年2月11日朝6:30、コーク市内のフラットを出る。約2時間半、電車を乗り継ぎ、キルデア州キルデア(Kildare, Country Kildare)を目指す。
朝8時17分、乗り換えのサーリス(Thurles)駅プラットフォーム。日照時間がまだまだ短く、朝8時過ぎでも明け方の気配が残る
雨上がりの生臭い都市のにおいと、町外れから風にのって運ばれてくる野原のわずかなにおいが混ざりあって、日の出前の暗闇がつつむ冷たい空気に溶けている。
サマータイムのはじまりまで残り一ヶ月半、日中の陽が短く、曇天と雨の日ばかりが続くアイルランドの冬の厳しさは、南米や南ヨーロッパ出身の友人たちのメンタルを目に見えて明らかにすり減らしていた。
霜が降りたフィッツジェラルドズパーク(Fitzgerald's Park, Cork)、リー川(River Lee)沿いのキンポウゲの葉
「あなたは日本でも北の方の出身だから、こういう冬の気候に慣れているんでしょ?」と、げっそりした表情の移民の友人たちが訊ねてくるたびに「アイルランドにおける英語の『冬』と、日本語の『冬』は、その言葉に含まれているバックグラウンドが違う、このふたつは完全に違う季節だと思う」と答えた。
彼らが「冬」と呼ぶ、11月初旬から3月後半あたりまで、わたしたちのイメージする冬らしい冬の日もあるにはあったけれど、それはせいぜい1ヶ月半くらい。あとのおおよそ4ヶ月間は、気温一桁台から二桁台前半あたりをうろうろする。メキシコ湾からアイルランドとイギリスに届く暖流の影響で、振り続ける雨は雪になること無く、その影響で湿度が下がらない。体感は寒いのに、大気は霧と湿度に包まれてなんとなくじめじめしている。
要するに、冬の厳しさの質が全く違う。
東北の冬が、雪という抗いようのない大きな重量を持った物体に対して、歯を食いしばりぐっと耐え忍ぶようなイメージなら、アイルランドの冬は、浴室に生えるカビのように毎日少しずつ心の中のしんどさの領土を広げていく。
コーク郊外、冬はよく町が霧に包まれる
春が来る。
2月1日はケルトの暦の春分の日、ゲール語でインボルク(Imbolc)。
暦の上での春と、体感としての春におおよそ1ヶ月の時間が空く��と、そしてその到来がそこに住む人々にとって他の季節のどれよりも特別であることは東北と同じだ。
前回記事のハグ・オブ・ベアラ(Hag of Beara)に��いての文献を調べていたときに何度も目にしたブリジッド(Brigid)の名前は、ケルト神話に登場する存在だった。
なので当然、2月1日の聖ブリジッドの日(St. Brigid’s Day)の日や、その名前を冠して2023年から公式にアイルランドの祝日になった2月の第一月曜日も、それに関連する日だと思い込んでいたがどうやら違うらしかった。
聖ブリジッド(St. Brigid)は現在の北アイルランドとの国境近く、ラウス州フォアハート(Faughart, Country Louth)に生まれ、5世紀から6世紀にかけて実在していたとされるアイルランド人の修道女だ。
幼い頃から貧しい人々に施しを与え、アイルランドの守護聖人である聖パトリックによって洗礼を受けたあと、各地で教会や修道院、アートスクールまで設立したと言われている。
1902年から続く雑誌 Ireland’s Own の表���の聖ブリジッド、手には彼女の信仰の象徴の十字架の藁細工
彼女に関して興味深い点がふたつある。
ひとつは、彼女が実在したことを確実に証明できる文献が残っていないこと。
そしてふたつめは、前述の通り全く同じ名前のケルト神話の女神が存在することだ。
日本に五穀豊穣や学業成就を祈るためのモチーフとしての神々があるように、キリスト教圏の聖人にもその多くに守護の対象がある。聖ブリジッドの守護対象は家畜、詩、歌、鍛冶、病気からの回復など、周知されているものだけでも非常に手広い。
そしてそれらの守護は、女神ブリジッドの守護するものと同じだ。
普遍的な祈りである「病気からの回復」は、アイルランドにおいて井戸や湧き水と関連付けられることが多い。古くはドルイドの信仰の対象であり、地下から湧き上がる水は癒しや命の源とみなされ、アイルランド国内に約3000ある「聖なる井戸」の内の少なくとも10の井戸がブリジッドと紐付いて周知されている。
聖ブリジッドの泉の井戸、井戸の水自体は正直あまり綺麗な水質には見えなかった
彼女が修道院と教会を建てたあとそこに没したとされる町、キルデアの町外れには、それらを巡礼する人々のために用意された聖ブリジッドの泉(St Brigids Garden Well)がある。
もともとの小川の曲線に沿って整備されたと思われるその小さな公園には、聖キルデアの銅像が経ち、彼女に対する崇拝の象徴であるイグサや藁で編まれた十字架のモチーフが散見される。
聖ブリジッド像、聖ブリジッドの日から5日後だったこともあり供えてあった花はすべて瑞々しい
外壁に刻まれた聖ブリジッドの十字架(St.Brigid’s Crosses)モチーフの彫刻。2月1日にこの十字架を玄関に飾るとブリジッドの守護が受けられるという信仰がアイルランドにおいて広く分布する
その周囲や周りの木々、公園の奥に位置する井戸の近辺には多くの供え物が並ぶ。供え物の多くは治癒を望む体のパーツにまつわるものであるらしく、パンデミック後ということもあってかマスク(文脈を知らず一見すると捨てられたマスクのゴミに見える)が目立った。
ストッキング、マスク、靴紐、靴下、スカーフ、ネックレス、供え物は様々。木から供物が落ちると祈った箇所が加護を受け、病気や外傷が治癒すると信じられている
町外れに位置するにも関わらず、絶えず入れ替わり数名の人が訪れる。
録音レコーダーをまわしながら、来訪者が途切れたタイミングで公園の全景を眺める。澄んだ小川が風を運び、もとの地形にも配慮されデザインされたと思われる、心地の良い公園である。にも関わらず、なんだか妙な感じがした。
公園の奥にある井戸と、入り口付近を流れる小川が繋がっていないのだ。地下で繋がっているのかもしれないと思い小川の上流を視線でたどっても、井戸とは90度逆の方向だ。上流は茂みの奥へと続き、その先は見えなかった。
公園全景。撮影地点の背後に井戸がある。小川は写真左奥の茂みの方から水が流れて来ている
録音を終えると、キルデアの中心部に向かう。
中心部といっても、人口9000人に満たない小さな町だ。もとは数えられるほどのパブとカフェ、そして聖ブリジッドが設立したといわれる中規模の教会がある比較的静かな町だったが、2007年にオープンした大型アウトレットモールには隣県である首都ダブリンからも大型バスが乗り入れる。
土曜日の昼下がりに町を歩くほとんどの人が、有名ブランドのショップバッグを持ち、駅の方角へと歩いていく。
中心部にやって来たのは聖ブリジッド大聖堂(St Brigid’s Cathedral)に行くためだった。だが、この日に限ってメンテナンスのために敷地全体が閉鎖されていた。
聖ブリジッド大聖堂、閉じられたメインエントランスのフェンスに手をつっこんで撮った写真……
アイリッシュ・ナショナル・スタッド&ガーデンズ(Irish National Stud & Gardens)に向かった。
時間が余ったらついでに行けたらいいかな、と思っていた場所だ。
競走馬の繁殖とトレーニングの場として20世紀初頭に設立され、今では市民に親しまれる広域公園としても機能するこの場所には日本庭園がある。
1906年、ロンドンで日本趣味の骨董品店を経営し、自身も骨董商だった Tassa Eida (日本名: 飯田三郎)は、日本庭園をつくるためにキルデアに派遣され、その後の4年間を彼の息子 Minoru と共に造園に従事する。
(彼らの詳細については こちら と こちら の記事が詳しい、どちらも素晴らしくリサーチされたポスト)
手入れの行き届いた枯山水
19世紀後半から20世紀初頭にかけてジャポニズム、つまり「日本っぽいもの」がヨーロッパで流行ると、貴族たちはこぞって「日本っぽい建築」や「日本っぽい庭園」を作りたがった。
ただし、やはりそれは「日本っぽいもの」の域を出ないものが多く、日本で生まれ育った人間が見ると、形容し難い、ちょっとした居心地の悪さのようなものを覚えるようなものが多い。
そういう類のものだろうとあまり期待せずに訪れると、良い意味でその期待を裏切られる。
庭園の動線、ちょうどまんなかあたりにある洞窟?からの景色。右にあるのは藤棚で春にはきれいに藤の花が咲くらしい
清らかな水が美しい動線で引かれ、人が生まれてから死ぬまでを表現したその庭園は、当時イギリスで流行したエドワード様式建築の影響を受けて少しだけ華美ではあるものの、正真正銘の日本庭園だった。
庭園の石灯籠によじ登っていた鬼。庭園にある多くの植物やオブジェクトが日本から輸入したものだが、たまにこういう西のものとも東のものとも分からないモチーフも見かけて興味深かった
町の中心部に戻ると、帰路の電車の出発まで1時間弱の時間があった。
少し散策したあと、聖ブリジッド大聖堂に戻ってくる。
地域の人だけが使う入り口とかあってそこから入れたりしないかな……などと不届きなことを考えて外壁の周りをうろついたが、それらしきものは見つからなかった。
入り口を探っているときに外壁から見えたラウンドタワー、実際に登れるものとしてはアイルランド国内でいちばん高いらしい
しかたなくキルデア駅に向かう。
プラットフォームの椅子に座って電車を待っていると知らない女性に、どこから来たのか、と声をかけられた。
薄暗いプラットフォームで目をこらすと、大聖堂に戻る前に一瞬だけ立ち寄った、メインストリートから少し外れた場所にあった雑貨屋の店員だった。
日本から来たこと、リサーチに関すること、井戸とスタッドガーデンの方には行って、教会にどうにか入れないか模索したが結局入れなかったことを拙い英語で説明する。
すると「どっちの井戸に行ったの?」と訊ねられた。
聞き間違いかと思い、どういう意味ですか?と返すと、彼女が説明してくれた内容はこうだった。
ブリジッドの井戸はふたつあって、ひとつはおそらくあなたが行った聖ブリジッドの泉、 聖人の方のブリジッドを祀ってるところ。地元民にとってはずっと特別な場所だったけど、パンデミック中にきれいに整備されて、観光客が来たり滞在したりが以前よりも更に容易になった。
もうひとつあるのが、Wayside Well(日本語直訳: 道端の井戸)と呼ばれている場所。こっちがキリスト教伝来前のドルイド(ケルト人たちの信仰における祭司)のブリジッドを祀っていると言われている。スタッドガーデンの駐車場からすぐそばの、とても素朴な井戸で、観光客はまず行かない。
そして、聖ブリジッドの泉の公園を流れる水は、Wayside Wellが源泉。
そう、この話を初めて聞いたとき、わたしもとてもおもしろいと思った。
地味で、ほぼ地元民しか知らない、古代ブリジッドの方から湧き出た水が、キリスト教のブリジッドの方に流れていって、そしてその公園の方が立派に整備されていて、人がたくさん来る。歴史が辿ったストーリーと水の流れが同じなんて、ちょっとロマンチックだよね。
そして、あなたの旅のことも同じようにロマンチックに感じる。
日本庭園に行ったんだよね?
あそこを流れる小川の水も、同じWayside Wellから引いた水だよ。
スタッドガーデンの日本庭園に流れる小川
水の情報記憶に関する文章を読んだことがある。
スプーン1杯の水が1TB分の情報を記録できる、という科学研究だ。
信仰が人々の普遍的な祈りを運ぶ船だと考えたとき、わたしたちは船を替えても、変わらず同じ水の上に浮かぶ。
あれこれ考えて右往左往するよりも、もっと単純に、すべては最初から土地とそこを流れる水にメモリーされていて、わたしたちはきっと、そのぼんやりとした断片にただ触れることだけができるのかもしれない。
聖ブリジッドの泉公園を流れる小川。水がとても綺麗でクレソン?が群生していた
ふたつの井戸の話にあまりにも驚いて「そんな情報、どこにも書いてなくて全然知らなかった、道端の井戸(Wayside Well)の方にも行くべきだった」とわたしが言うと、彼女は微笑みながらこう言った。
「また来ればいいよ、水が止まることはきっとないからね」
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『犬王』舞台巡り【山陽道編】
友魚の旅路/平家都落ちルートも巡りたいよね、という記録です。関西在住・北部九州出身なのでこの経路なんてもう数え切れんほど往復しているが視点を変えるだけでこんなにも新鮮な旅ができるってすごいなあと思う。
行った場所:腕塚(腕塚堂・腕塚神社)/草戸千軒町遺跡/厳島神社/花岡八幡宮/壇ノ浦古戦場・赤間神宮ほか
腕塚(兵庫県神戸市・明石市)
腕を埋めて腕塚。一の谷の戦いに破れ西へと落ちゆく途中で非業の死をとげた平忠度の腕を埋めたと伝えられる"腕塚"は神戸市長田区駒ヶ林と明石市天文町の2箇所にある。え どゆことじゃ?と思ったけど知りたいこと全部書いてある論文ありました(大坪舞2008「祭祀される忠度の腕ー伝承を引き寄せる場をめぐってー」『論究日本文学』88)。こちらを参考にすると、そもそも忠度死地は『平家物語』でも史実でも絞り込めない。両地の忠度伝承は、駒ヶ林は17世紀後半(腕塚そのものは19世紀)、明石は17世紀初頭(腕塚は17世紀後半)までは遡れそう、とのこと。
駒ヶ林の腕塚は一の谷からちょっと東に位置。地下鉄海岸線駒ヶ林駅が最寄り。長田港に面する民家に囲まれて"腕塚堂"がある。細い路地に入っていくけど看板や標石があるので迷いはしないと思う。ガレージみたいなお堂。北西に忠度胴塚もある(こっちは看板少なくてわかりにくかった。伍魚福さんの隣)。
明石の腕塚は一の谷から西へ10kmほど離れる。山陽電鉄人丸前駅下りてすぐの"腕塚神社"。神社といってもお堂はごく小さい。木製の腕は地元の彫刻家の方が奉納されたもので、これで患部を撫でるとよくなるとか(境内においてあった「腕塚神社縁起」より)。東南に忠度塚と忠度公園もある。駅をはさんで北の丘陵にある人丸神社は柿本人麻呂を祀るが、境内に"盲杖桜"があり目の見えない人とのゆかりが深い。このへんからは明石海峡と行き交う船たちがよく見えます。
当たり前ですが京都とは全然景色が違っている。南が海、北が山。海を眺めていると友魚としてはこのへんまでは始めて来た場所であっても(見えなくても)"知ってる景色"なんだろうし逆に平家の人びとにとっては都を落ちて流浪の身になってしまったことを思い知らされる景色なんだろうなと思う。
どちらの腕塚も、いまも地元の人に愛されているのが伝わってくるたたずまい。腕塚が複数箇所にあるの、後世の人たちが"物語"を求めた結果だと思うのでそんな人間の営みが愛おしくなります。
草戸千軒町遺跡(広島県福山市)
直接の舞台ではないのですが、湯浅監督がふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立博物館)の街並み復元模型に言及されていたので。博物館では中世の人々の生活に関連する出土品を沢山見られる。本編で町の人たちが持ってて印象的な曲物の容器もいっぱい並んでる。
草戸千軒町遺跡は当時の海岸線で芦田川の河口付近にあった中世の港町。友魚と谷一さんも寄ったかな?と思っていたのですが、拠点的な大都市というわけではないようなのと、どうやら14世紀後半は一時的に町が衰退していたようなので寄ってないかもしれません。友魚が魚をほぐしているシーンはまだ広島らしいので(オーコメより。広島を2年もまったり旅していたのはちょっと謎)、このあたりかなと思っていたのですが、お金持ちがの人がいるのは尾道とか鞆とかかな。
遺跡現地は博物館から西南約2kmに位置。調査後に掘削されあとかたもありませんが、法音寺橋に説明板が設置されている。橋を渡って芦田川の右岸には草戸稲荷神社と明王院(常福寺)がある。明王院は本堂が1321年、五重塔が1348年に建てられたものなので、友魚たちが見たかもしれない建物がそのまま残っていることになる。明王院入り口付近の石垣にはひょうたん形の石が組み込まれている箇所があり(現地に説明板あり)、犬王ポイント高いように思います。
厳島神社(広島県廿日市市)
あれに見えるは厳島(ここでお社は映さないの超好き)。斎き島=神様をお祀りする島 として古くから信仰されてきた。1151年に安芸守となった平清盛は厳島神主家の佐伯氏と関係を深め、12世紀後半に海上の社を造営。その後何度か建て替えられているが、主要な建物の配置は基本的には変わっていないらしい。特に印象的な回廊は、現在のものは永禄~慶長年間(1558~1615)の再建。作中の回廊は、1241年に再建され、1537年に焼けたものにあたる。
干潮のタイミングで訪問したので、社殿が建ってるベースとの距離感がわかってよかった。友魚が落ちちゃっても自力で這い上がれそうな深さで安心(海の子なので心配には及ばないんだろうけど)。社殿が海に浮かんでいる姿が見られなかったのがかなり残念だけど、昼に干潮だと夜に満潮になる、という関係が理解できた。
大鳥居は改修中だったので足場が組んであり近くまで行けず。でも社殿の柱にもフジツボいっぱい付いてるのが確認できました。大鳥居も何回か建て替えられていて、現在のものは明治期の再建。1325年に2代目が倒壊してから1371年に3代目が建てられるまで空白期間があるので、友魚訪問時(1360年代後半くらい?)、実際には建ってなかったぽい。
しゃもじって琵琶みたいな形だな~と思いながらお土産見てたのですが、弁財天の琵琶っぽい工芸品としてつくられるようになったんですね。知らなかった。
花岡八幡宮(山口県下松市)
境内に友魚が雨宿りしてた塔(閼伽井坊��宝塔)がある。多宝塔の建てられた時期、立て看板では「室町中期」となっているのですが、ガイドブックやウェブ上で「室町末期」説も見るのでど~いうこっちゃと思っていたのですが、建築様式からみて室町中~後期、解体修理で見つかった木片に永禄3年(1560)の墨書あり、ということのようです(下松市HPより)。また、お宮そのものも創建当初の鎮座地から1489年頃に現在地に動いているらしい。作中で描かれているのは実際よりも少し下った時期の姿になるのかなと思います。
多宝塔の実物は思っていたより小さい印象を受ける。というか、ここに友魚があの感じで座っているのを想像すると、まだだいぶこどもだな...?!と感じました。
旧山陽道に面した丘陵上に位置し、高いところにあるのでめちゃくちゃ石段を登る。現代人にとっては雨宿りにちょっと寄るレベルを越えてるので、参道入り口あたりでお寺の人が友魚に声をかけたのかもとか想像します。
壇ノ浦古戦場・赤間神宮ほか(山口県下関市)
鴨の河原と同様、壇ノ浦も始まりの場所であり終わりの場所。
壇ノ浦古戦場跡は関門大橋の下関側のふもとに「みもすそ川公園」として整備されている。ちょうどこのあたりに友魚の暮らしていた集落があったのかなと想像できる景色。作中では霧に包まれて対岸は描かれていないけど、九州側の門司がかなり近くに見える。この土地も"境界"ですね。
赤間神宮は壇ノ浦古戦場跡から南西1kmに位置。壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇を祀る。江戸時代までは阿弥陀寺で、明治の神仏分離により天皇社赤間宮へ。1940年に赤間神宮に改称。1958年につくられた水天門は「波の下にも都がございます」の竜宮城を地上に造りだす意図でデザインされている。
耳なし芳一の舞台でもあり、境内の片隅に芳一堂あり。宝物館ではいろんな種類の琵琶も見られる。境内に平家蟹の標本も置いてる。
生きてる平家蟹は市立しものせき水族館海響館で見られる。海響館ができるまえの旧下関市立水族館は長府にあったのだけど、敷地内に"鯨館"という鯨形の建物があった。現在は中には入れないけど外観は見られます。小さい頃訪れたことがあって、でっかい鯨!のイメージだったけど今回再訪したら思っていたより小さいな...となりました。場所は関見台公園。下関は近代捕鯨発祥の地とされ、鯨とゆかりが深い。たまたまかもしれませんがモチーフの重なりが面白いです。
旅してこの文章を書くことで、山陽道、というか瀬戸内の海辺が友魚の旅路であり作中作(腕塚、鯨、竜中将)の舞台でもあるという重なりをはっきり認識できたのでよかった。この作品の重層的につくられているところが大好きです。
文献(本文中で言及したものを除く)
小川國治編 2001『長州と萩街道』街道の日本史43 吉川弘文館
県立広島大学宮島学センター2020「宮島 大鳥居のひみつ」
広島県歴史散歩編集委員会編2009『広島県の歴史散歩』山川出版社
ふくやま草戸千軒ミュージアム2020『瀬戸内の交流 まちのにぎわい 人のつながり』
峰岸隆2015『日本の回廊、西洋の回廊』鹿島出版会
山口県歴史散歩編集委員会編2006『山口県の歴史散歩』山川出版社
山口佳巳2008「仁治度厳島神社廻廊の復元的研究」『国立歴史民俗博物館研究報告』第148集
頼祺一編 2006『広島・福山と山陽道』街道の日本史41 吉川弘文館
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体の病気になってから、
以前からうっすらあった第六感がはっきりしちゃった💧
博物学の勉強してて、学者方面を目指してるから、事実確認できない事は苦手で、霊感って言い方にも慣れないから、うちでは第六感って書きます。
前からちゃんと心療内科の医者にも相談済みです(爆)。
因みに凄い人が居るそうです、私よりも凄い人が(爆)。
不眠症で長い付き合いの主治医なので、私にはいろいろオフレコしちゃう主治医💧
私「解離性障害じゃないんですか?」
主治医「…ちゃうねん…。居るねん、恐山のイタコさんみたいな人…。」
と、当時は、主治医が見た中では、「レベル5ぐらい」と言われたので(爆)
レベル1の人、怖い…💧
うわっ、レベル上がっちゃった。
でも、まあ、慣れるしかないかなと思っている。
因みにその主治医とは「五感の延長線上かもしれない」と言う解釈で行ってます。
私も今でも基本的にはそう思う。
脳のどこかまだ解明されてない部分の感覚とかね。
現代医学なんかまだ解明出来てないですよ、人体の全て、脳は特に。
クローン動物作れる時代なのにね、まあ、劣化するみたいだけど、クローン遺伝子は。
人間でやっても環境要因で人格は変わるわ、SF映画みたいに上手く行かんよ。
キューブリック原作の「A.I」はよく出来た話だったけどね。普通に面白い。
私は「攻殻機動隊」の素子みたいになりたいなー、SFなら。
いや、素子状態もめんどくさそうだわ、魂が消えずにずっと情報の中を彷徨ってるなんて。
お亡くなりになったら、普通に綺麗に消えたいわ。
押井守版が好きだから、押井守版の素子がかっこいいだけだわ(爆)。
球体関節人形好きだから「イノセンス」の方が好きだし。
ハダリのモデルが吉田良さんの人形で、キムのモデルが四谷シモンさんの人形。
「イノセンス展」行きました、あれ良かったー。
香川は割と近いから四谷シモン館(淡翁荘)、また行きたい!
てか、住める、あの美術館(爆)、洋館だし。
寝るとことお風呂あったら、お手洗いはあるし。
あそこから仕事行って帰宅したらシモンドール眺めながら、普通に生活出来ちゃうなー。
インテリアはモロに好みだし。
(他の人が来場出来んわ(爆)
展示スペースは開けとかんと、ミュージアムは💧
第六感は慣れるしかないですね💧
前はもっと分かる人に見て貰った方が良いかな?
とか、
修行とかした方が良いのかな?
とか思ったりもしたけど。
因みに基本的に、神様とか良え存在にしか繋がりません。
ラジオのチャンネルみたい。
その辺のコントロールは、ついてくれてる神様のお稲荷さん曰く、私は自然と出来てるらしいので、
強まっちゃったけど、余計な修行とかしなくて良くて後は慣れたら良いだけって💧
私もそれで占い師とかしたくはないから、自分が分かる分に慣れて普通に生活するので良いわ(爆)。
あんな商売絶対嫌やわ、もし自分に分からん事あっても分かってるフリしてる人居ると思うもん(爆)。
「それは私には分かりません」って正直に言っちゃったら、一応客商売やしお客さん来なくなるもん(仕事にした以上は仕事には貴賤なし)。
恐山のイタコさんとか、8割演技やろうなって子供の頃から思ってたし(爆)。
ケーブルテレビで見た韓国のムーダンって言う巫女さんは、トランス状態になって、やたらとお金請求する!(爆)
うーん、あれは殆どが普通にトランス状態なだけだわと思った、と言うかお金請求がマジで凄い(爆)。
後、今、生前に会って話した事がある方が、側にいらっしゃるー。
その方の訃報を知って、普通にご冥福を祈ってたんだけど、
生前から、やたらリアルなその方と会う夢見てて(ユング論の世界だなあ)。
んー、簡単に言うと天国みたいなところにはちゃんと行ったけど、そこで普通は消えるらしいのだけど、
その人は起きちゃって、誰にも会わないし何にも無いから、ちょっと念じれば、生きてる人の世界に行けて夢とかに出たりしちゃえるらしい。
もうそう言うところを管理してる神様とかもしょうがないと好きにさせてるらしい💧
悪い事は何もしないで、今は所謂守護霊さんみたいな感じで居てくれている。
もっと交流深かった人の所に行っても、見えないから夢に出るのが精一杯らしくて、…出まくってるらしい。
で、何となく覚えてたらしい私が、見えるので今のところ側に居てくれている。
ご本人も亡くなった自覚とかもあるから驚いてらっしゃる。
私についてくれているお稲荷さん曰く、
「この人魂が特殊。」
「神様みたいな存在になっちゃってる。」
「こうなったら神様になるしかないんじゃないの。なっちゃっても良えわ。」
などなど特殊事例らしい。
ご本人も驚いてらっしゃるけど、お互い慣れるしかないです。
まあ、楽しそうにしてくれているので良かった。
もっと交流深かった方々のところにも出て分かって貰えると良いですね。
「分霊?ってどうやるの?」
とかお稲荷さんに聞いてらっしゃるけど。
お稲荷さんもそれは感覚的なものだから修行してくださいと。
まあ、所謂「汎神論」を身に付ける事らしい。
「草を分けても私はそこに居る、石を退けても私はそこに居る。」
と言う「トマスの福音書」の感覚を身につけると、普通に分霊とか分御霊とかが出来る様になるらしい。
お稲荷さんが、
「よう知らんけど外国の神様はそれが下手じゃ!
あ、神様が下手なんやなくて信じとる人の組織が否定しとるんか。
頭硬い言うか勿体無いのう。
せっかく教会とかにも居る時あるのにな。
てか個人にちゃんと現れとるのにな。」
と言っている💧
はいー、私、いろいろあって棄教しましたが、以前まで未洗礼のクリスチャンで教会の御ミサや勉強会とか行ってました。
で、聖堂に居らっしゃる時と、居ない時と何となく分かりました💧
流石に御ミサの時は居らっしゃいます。
でもその後は聖堂開いてても居はる時と居らっしゃらない時と何となく。
まあ、聖堂は静かで美しいので、お祈り出来れば良いんです。
祈りはちゃんと届いてるので凄い。
キリスト教を信仰してたのも幼少期にヴィジョンを見ちゃって。
それ言うと関係者の方「呼ばれてる!」とびっくりしはるんやけど。
私、ちゃんと呼ばれたシスターに会った事あるので大丈夫ですよー。
本当に聖霊に満たされてる方はマジで居ますし、お祈りもちゃんと神様に通じてますー。
私が棄教したのは、
「原罪」って言う考え方が合わなくて、
ロザリオでお祈りの途中に余計な罪悪感とかがフラッシュバックしちゃって。
棄教する!って本気で決めたら、背中からガターン!と大きな十字架が外れた感覚があって。
うわー、未洗礼でも背負ってたのか…💧と、
…背中軽くなった(爆)。
でもまあ、良い経験したなあ。
芸大の美術学科卒で西洋美術専攻(銅版画ゼミだったからそっちに力入れて学んだ)だったから…
宗教画見るのしんどくなったのが嫌だけど(爆)。
好きな画家の絵が見れんわ!(爆)
山田五郎さんのYouTubeが見にくいわ!
十字架モチーフのゴルチエのアクセサリーはゴルチエ好きだから開き直った(爆)。
と。
みうらじゅんさんゲスト回とか、今まで知らなかった日本画家とかの回なら見れるかな。
と言うか宗教画系の西洋美術は卒業後もやり過ぎて普通に見飽きてるのあるから良いや。
でもパリはまた行きたいなー、一人で行くの治安悪くて怖いけど💧
以前は中世フランス史の学者の叔母と行ったし、叔母もまだ行ける年齢だったので。
パリ、マジで危ないですよ。
兄がロマ(ジプシー)の人達にスマホ盗られました。
裏にギャングついてます。
ヴィクトル・ユゴー「ノートルダムドパリ」の移民の方々の裏社会はまだ続いてます。
ディズニー版のクロパン好きだけど。
ちゃんと中東系で、SISTEM OF A DOWNのギタリストのダロン・マラキアンに似てるわ(爆)。
クロパンかっこいいわ。
アンソニー・クインの映画のクロパンもかっこいいわ。
あれ澁澤龍彦さんが絶賛してたけど、私も好きだなぁ、ああ言う「キレキャラ」。
と、夜遅くなってしまった点滴が終わった。
日記機���が使いにくくなったので、一区切り。
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2023/09/17
一日だけ京都にいた。京都国立近代美術館の展示を見たいと思ったからだった、あまり深いことは考えずに、なんとなくでも興味が湧いたら、それを単なる錯覚だとか抑えずに、とりあえず軽い気持ちで見に行ってみようというモードにあり、それを実行したかった。職場にコロナに感染した人がいて、自分のデスクに近い人だし備品を共用してた人だったので、最近の体調不良からして自分はグレーだと思われるし、今までにあまりない感じの深刻な頭痛がきていつもの薬が効かないということでいよいよこれは、と暗い気分になって仕事を早退した日の夜、22時くらいの夜行バスで向かった。どうもお腹の調子が悪い。でもバスに乗ったら平時の感覚が戻ってきた、たっぷりある移動中に山本精一の本を読もうと思って、財布とかと一緒にリュックに入れた。途中の鮎沢SAは涼しくていい匂いがした、自分の知っている少し昔の夏休みの匂いに近く、下界とは違ってさわやかだった。人の気配がなく、私にはまだ逃げ場があると思える、曇っていて星は見えないけど、この場所は多分自分の味方であり続けてくれるはずだ。途中で酔わない程度に本を読む、やっぱりこの人は頭がおかしい。お腹の調子が悪いしこんな寝不足じゃ、小学生の頃なら吐いていただろう、あんまり眠れないまま5時半に京都駅前に着き、時間的にまだ真っ暗だったら嫌だなと思っていたが思いの外明るくなっていて安心した。国道1号を北へすすみ、日がのぼる頃の鴨川を見たいということでどんどん歩いていった、くるりの「ロックンロール」を聴きながら歩くと歩くスピードと合ってて、人も全然いないし人の匂いも全然なく、空気はすずしく、なんとなく自由って感じがあり気分が良かった。高瀬川を渡り、左にカーブするコンクリートの橋を渡る、急に開けて広い川が見える、東側の山の稜線が朝靄と朝日でぼんやり霞んでいる、いいなあと思う、だんだんお腹が空いてきたけどそのままお寺とか神社に行くのがいいかもと、近くにあった豊国神社を参拝した。そのまま川の東側の小道を北へ進むと良さそうな和菓子屋さんがあったけど朝早すぎてやっていない。五条まで来て、川縁に降りてたもとを歩いていった。白鷺とかゴイサギとかカモとかカラスとかがいる、朝の方が川の水もきれいに見えて断然良い。とにかく朝が早すぎて落ち着けるところがそんなになく、疲れない程度に歩くしかなかった。8時半くらいまでぶらぶらして、期待外れだった朝ご飯のお粥をお腹に押し込み、地下鉄に乗って蹴上まで行き、今度こそ「インクライン」を見るんだと思っていたのに、結局やっぱり「インクライン」がどこにあるかわからず、以前来たのと同じルートで南禅寺に行き、水道橋と、本堂の龍の天井画を見た。もうこの辺りで気温が上がってしぶとい暑さに疲れ始めていた。やっぱり同じルートでそのまま平安神宮の方に琵琶湖疎水の脇を歩いて、美術館についたが微妙に開館まで時間があったので、その辺を一周してから入館。朝早いのに若者が結構きていて京都ヤングの文化程度の高さを感じた。眠すぎて時々急に電池が切れたように意識がブラックアウトする。工芸品が所々ケースなどに入れず直に展示されているので万が一そっち側に倒れ込んじゃったりしたら非常に危ない。何度か前や後ろに倒れそうになりながら、そのため監視員にうっすらマークされながら一個一個見たんだけど、やっぱり時代が新しくなるにつれてつまんないというか、何をこいつらはしたかったんだろう、みたいな気持ちが湧いてきて飽きてしまった。60年代までは工芸品とオブジェの境界に迷うような姿勢が見えて、それが作品に直結してる感じがして良かったけれど。最後の部屋まで来てやっと意識が安定してきたので、また最初の方の部屋に戻って展示のストーリーを確認しながら見た、まあ話は分かったがなんかやっぱりつまらないので、単純にいいと思った展示物だけを見て終了し、コレクション展の階に行くと、やっぱりいい絵があったので、安心した。山崎隆の屏風絵《神仙》、《歴史》、村山知義のリノカット、伊藤久三郎の《人々》。これらを見られただけでも収穫だということにする。広くて明るくて客もあんまりいない、すいすいと自分のペースで回って、気分がいい。正常な空腹を感じたので、ああ自分は元気になったんだと安心し、東山からまた地下鉄で二条城前まで行き、頑張って微妙に体力を消耗する暑さの中を歩いていったのに、ちょっと一人で入るのに勇気が必要なカフェでは、狭い待合スペースにイケイケの若者、いや、文化に明るそうな高踏そうな?若者たちが鮨詰め状態なのが見え、すぐに心が閉じてしまって踵を返した、東西の太い道路を横切って、写真のギャラリーに行って、展示を見て、川崎祐という人の写真集を買った、東京で今個展開催中らしい(知らんかった)。最後にまた鴨川を見たかったけれど東海道新幹線の遅延の報を知り、しょうがないのでもう駅に向かう。やたら店内の暗いコンビニで適当に買ったアイスを食べながら日陰を歩く、どこもめちゃくちゃ混んでいて全ての人を黙らせたい衝動が起こったがナチュラルな関西弁は聞いていてそこまで気分が悪くない。京都駅で家にお土産を買って、結局定刻通りに運行しているらしい「ひかり」に乗る、名古屋まで30分くらい、忙しなさすぎてあんまり感傷?に浸ることもなく、でも夕方の車窓はやっぱり美しく、斜め後ろの座席の家族連れがうるさいな~ってことすら流せるくらい順調、定刻通り名古屋について颯爽と下車したら名古屋はまた死ぬほど人がいて、面食らった。改札近くのトイレも駅ビルのトイレもどこも全然空いてなくて、夕ご飯を買いたかった売店も観光客らしい人たちで大混雑していて、たかが名古屋のくせにと軽くイラついた。やっとのことで名古屋屈指の古い地下街の、そのまた地下(地下駐車場の)のお手洗いで用を足し、普通にバスにも間に合った、隣席は発車時刻ギリギリで乗り込んだ黒人の若いお兄さんだった。一瞬、バスジャックされたりしたらやだなとほんの一瞬思ってしまった(彼は終始、携帯などには一度も触れることなく、黒いリュックを抱えて多分寝ていた)。窓がでかいバスで、サッサカ暮れていく空と、高速の防音壁と、一瞬だけ帰ってきた名古屋の街とをゆったりした気分で眺めた、高速に乗る、というのはどこか、挑むみたいな気持ちになる。これからのとてつもない長い距離と時間に、後ろに去っていく風景に、空の色に、それがすごい好きだった。とてつもなく長い距離、というのが私にとっては重要なのです。とてつもない距離とそれが抱えている時間に次第に倦んでいく感覚さえ自分にとっては。こんなにも離れていたということ。これから離れていくということ、小さくなっていくことの寂しさと安心。夕方の名古屋高速はいい。伊勢湾岸道に入り、羅針盤のアルバムを聴きながらうとうとしていると、早々に「足柄から大井松田まで渋滞25キロ通過60分」の表示を見かけた。終電には間に合うかなと思って途中のSAで悠長にソフトクリーム(静岡茶味)を食べてたら、どんどん渋滞が伸びて40キロとかになっていた。横浜から首都高の入り口までも渋滞が始まってるということで地獄が待ってるらしかった。終電に間に合わなかったら交通費をいっぱいにケチった旅行が丸潰れになる~とか焦り始めていると、いざとなったらなんと父が東京駅まで出動してくれるという連絡が。ありがて〜けどそれもまた問題だよと思う。こんな年齢になった娘などもうどこで痛い目にあっていようがのたれ死んでようが放っておけばいいのにと思う。バスの運転手さんは非常に優秀な人と見えて、比較的空いている道ではちゃんとそれなりのスピードで走っていく。特に工事で端っこの車線が慢性的に通行止めの道でも、ガンガン右車線で飛ばしていき、どんどん後ろへ車が抜かされていくのが面白かった。この快調なスピードの上にいないとわからない音楽ってあるよね、ということで、くるりやスピッツやフジファブリックや奥田民生を聴いた。絶対そうなのだ。おなじみの足柄SAにたどり着くと、またものすごい数の車が集まっていて駐車場はごった返していて交通整理をする警備員さんが怒号ともつかない叫びで駐車できずあぶれた車、というかドライバーをさばいていた。御殿場を過ぎて雨が降ってきたけど、いつの間にか雲が切れて止んでいて、夜空はすごく澄んでいて星がいくつも見えた。こういう経験も、夏休みとか冬休み特有のものだった。渋滞でノロノロ進む車内でまた例の本を開く。人や動物に簡単にすぐ殺意を抱いたりしていて忙しそうで笑える。そもそも自分はこういう文体ににハマるたちだし、かなり真理らしいことを言ってたり考え方の極端さには共感すらしてしまうが、憤りとかマイナス?の力が増大した時の思考の飛躍と行動・言動が怖すぎて(ときどき時代錯誤感もあるし)、この人が父親でなくて本当によかった。歌声がいい、歌詞もいい、ギターもすっごいカッコいい、しかし。で、そんなこんなで終電に間に合うか、間に合わないか本当に微妙な時間になってきていたが、運転手さんの的確でメリハリある優秀な運転のおかげで遅れは1時間弱だった。心身ともにきついこともめちゃ多い仕事とは思うがやっぱり運転がうまい人はかっこいい。あと夜行バスは疲れている時はもちろん基本的には交通手段の選択肢から外すべきだ。どうせ眠れないから。ふらっとどこかへ消えたいと思った時、忙しない旅程を組むと感動する余裕も大して持てず帰ってきたときに何も変わっていない自分にただ、ただただ絶望する。0時前の混んでいる中央線快速、火でもつけたい気持ちに駆られつつ、急に疲労が襲ってきてまた意識がガンガン途切れて忘れたはずの吐き気も出てきて、薄めた地獄みたいだった。
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100 底名無し沼さん (アウアウウー Sa45-rrmb) 2023/08/19(土) 07:48:26.85 ID:MGPPPT21a
長野県にある千疊敷カールで写真を撮りたいです
こちらは登山経験ゼロで運動不足気味です
ロープウェイで山頂付近まで行けて初心者でも簡単な山だと聞きました
でも、ロープウェイで一気に行けるため、高山病になりやすいとも聞きました
高山病って実際のところどのくらいの頻度で起き、起こったらどうなるのですか?
登るとしたら1人で行くので余計に心配です
101 底名無し沼さん (アウアウウー Sa45-uf5U) 2023/08/19(土) 07:56:30.63 ID:WrUmzxxqa
>>100
カールの写真撮るだけならロープウェイ降りてすぐなので体力不要です。
カールの上まで行くなら少しは体力つけないとしんどいです。
高山病はなる人はなるかもしれませんが体調変化があってもロープウェイですぐ帰れるので問題ないです。
120 底名無し沼さん (アウアウウー Sa45-rrmb) 2023/08/19(土) 14:04:38.97 ID:xffHqzBDa
>>101
カールの上の方も、行けそうだったら行ってみたいです
でも無理せずに、ロープウェイ周辺でも写真が撮れたら満足できます
1人で行くので得体の知れない高山病が怖かったけど、もし罹ってもロープウェイ使って降りるくらいの元気はありそうで少し安心しました
ありがとうございます
124 底名無し沼さん (ブーイモ MMfd-Xf9P) 2023/08/19(土) 15:22:30.50 ID:pdyDyvM/M
>>120
高山病は本人が行かないと分からないけど、ともかく
上に着いたらすぐに動き出さないで30分とか、しばらく景色でも眺めながらそのまま様子見。
吐き気とかはもちろん、頭痛が出たなら「既に酸欠」なので、居座れば居座るほど悪化するから、迷わず次の便でさっさと下る。
様子見で大丈夫そうでも、最初はことさらにゆっくり歩く。
あと、喉は乾いてなくても意識して水気をチョビチョビ飲んで血行の悪化を予防する。
125 底名無し沼さん (ワッチョイ 2b57-17EC) 2023/08/19(土) 16:03:07.11 ID:mnJawZn20
一日に移動する標高差を小さくする
前日はよく寝る
伊那あたりの標高高いとこで前泊してぐっすり寝たうえで、ロープウェイつかえばよいんでないの
126 底名無し沼さん (ブーイモ MMfd-Xf9P) 2023/08/19(土) 17:33:24.40 ID:pdyDyvM/M
>>125
低過ぎる高度では慣らしにならないから。
人によって問題が出る高度がだいたい決まっていて、大丈夫な人はいきなり富士山頂まで難なく行けるけど、たとえば富士五合や室堂とかで問題が出る人や、特に弱い場合は何と1000m台の高原で既にちょっと頭が痛いなんて言い出す。
問題が出たらすかさず高度をより下げて、問題が出ない限度辺りで慣らすのが合理的。
それとはちょっと別に、長距離夜行とかで寝不足のほうが不利ではあるから、慣れないならなるべく余裕を見て近く泊まりで行くというのは正しい。
127 底名無し沼さん (ワッチョイ 2b57-17EC) 2023/08/19(土) 18:19:02.22 ID:mnJawZn20
>>126
うむ
128 底名無し沼さん (ワッチョイ 93b8-greZ) 2023/08/19(土) 18:41:21.43 ID:zzlZWSOa0
富士山八合目の診療所で酸素濃度を測ったことがあるが、
おれは77%、連れ合いは92%だった。もちろん俺はヘロヘロだったが、
連れ合いは何ともなさそうにしていた。
129 底名無し沼さん (ワッチョイ 21e2-hPrW) 2023/08/19(土) 20:25:03.46 ID:jS6gZqPz0
>>100
自分もその体質で
乗鞍岳をバスで上がっただけで ん。。なんか気分が・・となる
当時の写真見ると自分だけ能面みたいな顔しててワロエル・・
対策だが呼吸法を覚えるとか寝不足は避けるとかどのくらいししか・・
こんな自分だけどぜいぜいいいながら燕岳くらいは上ったぞよ
富士さんは9号半が限界だったけど
130 底名無し沼さん (ワッチョイ 5b85-AkbC) 2023/08/19(土) 21:03:34.45 ID:w7q1gzXn0
俺も山歩きする前にケーブルカーで木曽駒ヶ岳行ったが気持ち悪くて帰りの駐車場で1時間、その後パーキングエリアまで気持ち悪くて相方がユンケル飲んだら?って事でユンケル飲んだら一気に治った
132 底名無し沼さん (ワッチョイ 4137-uf5U) 2023/08/19(土) 21:26:40.86 ID:IPfxS8Jy0
>>129
酸素を多く取り込むなら
深呼吸で限界まで吐き切ると一気に入ってくるよ
初めて木曽駒行ったときは深呼吸しながら八丁坂登ったわ
138 底名無し沼さん (ブーイモ MMfd-Xf9P) 2023/08/19(土) 22:40:48.20 ID:pdyDyvM/M
>>128
あ、そうか、今はスマートバンド類でそれの簡易版も付いてるのがあるからチェックすれば良いのか
139 底名無し沼さん (ブーイモ MMfd-Xf9P) 2023/08/19(土) 22:45:10.67 ID:pdyDyvM/M
>>129
こっちは夕方に東京を出て突っ走って深夜に乗鞍の上について酒飲んで寝たけど特に何でもなかったな。
富士では3500mくらいで息苦しい感じになって、山頂泊まりだとちょっと頭が痛くて寝苦しかった。
完全に体質の問題なのね。
>>132
気にしすぎて過呼吸という例もあるそうなので注意。
140 底名無し沼さん (ササクッテロ Sp0d-VAz0) 2023/08/19(土) 23:43:07.03 ID:q+oKKuEDp
心配なら酸素ボンベ1本持ってけばよろし
千畳敷程度ならそれで間に合うだろう
145 底名無し沼さん (ワッチョイ 4137-uf5U) 2023/08/20(日) 02:24:59.04 ID:Uv2dI7Ru0
>>139
3000だとかなり酸素濃度薄いから過呼吸にはならないよw
むしろそうやって深く取り込まないと酸素飽和度が上がらない
191 底名無し沼さん (ブーイモ MMfd-Xf9P) 2023/08/20(日) 21:17:14.77 ID:iZZCpfTkM
>>145
嘘はいかん。
高山で意識して深呼吸するのが良いなんてこたーないし、高山病が深呼吸で予防できるなんてもんじゃないぞ。
室堂の何たらセンターであったとか言うから「余計なことをしない」のが正しい。
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08/10/2019 - #1
ヒューストンから早朝の飛行機でユタ州ソルトレイクシティに向かう。子供は4か月になっている。飛行機の中ではうまい具合に寝てくれたため余裕をもって着陸。大量の荷物のほとんどはストローラー・着替え・ミルク用各種器具などほとんどが乳児用のもの。今回はオムツを現地調達するために少なくしてきた。
飛行機の窓からとんでもない規模の採掘場が見える。しばらくするとソルトレイクの名にふさわしい塩湖がいくつも見えてくる。その間の道を豆粒のような自動車が走っていく。
ユタ州は通称モルモン教と呼ばれている人達がイチから作った州だ。キリスト教から異端とされて全国をさまよった結果、この地を開拓して定住した。モルモン教徒は今では全国各地に強大なコミュニティを築いている。って、会社の同僚のモルモン教徒に教えてもらった。勤めている会社でもモルモン教どうしの結束で人事が決まっているような場面や、逆にしがらみがややこしくなっているような場面に遭遇した。
2017年にハリケーンがテキサス州を襲った時には、モルモン教の同僚にお願いして、破壊された家々を訪ねてゴミ整理、清掃、片付けするボランティア活動に何回か参加させてもらった。地区ごとにチームを組んで動くが老若男女関係なく出動。教会の力およびアメリカのキリスト教系の敬虔な人たちの行動規範というものをすごく感じた出来事だった。
午前10時前には着陸。レンタカーを取りに行く前、空港の構内で宿泊先の施設から妻に電話がかかってくる。それによると妻が宿泊予定を1日間違えて伝えており、明日のお泊まりは予定通りですか?と。いや、今日に泊まります…でも今日は予約が取れていないという。急遽予約をやり直してもらいなんとか事なきを得る。
ワイオミング州にあるイエローストーン国立公園の入り口を目指してひたすら走る。アメリカの国立公園はだいたいが1870代ぐらいに各地探検しすばらしい場所を発見した白人がこの自然を守るべき、ということで国立公園化を推進したものが多い。他には、広大な鉱物の採掘場だったものを残したり。ヨセミテのトレイル名にもなっているジョン・ミューアはその第一人者だ。
ワイオミング州まではアイダホ州を通っていかなければならない。国立公園の周りに空港を建てて良いわけもなく、最寄り空港を選ぶと今回の形になる。距離は350マイル以上。時間は7時間となる。前回サンアントニオで練習はしてみたが、はたして4か月児と行うこの片道500kmの長距離ドライブは成功するのだろうか。
ガソリンスタンドの休憩以外は走り続ける。とにかく「Idaho」と書いたグラスやマグカップ マグネットしか売っていないお土産コーナー。いま思えば買っておけば良かったのだろうか。
17時半ごろ、イエローストーン国立公園内の宿泊施設オールドフェイスフルイン(Old Faithful Inn)に到着する。1904年に建てられたこの公園のランドマークとなる施設だ。
結局無事に走り切れてしまったのだった。子供をベッドに解き放った後は施設のバルコニーから見える間欠泉を見学。もう夜になって来て子どもを寝かす時間だ。大人用ベッドは高すぎて落ちたら危ないと思い、部屋にクリブを用意してもらったのでそこに寝かせる。ところが夜中に泣いて起きてしまった。寒すぎたようだ。
夏でも夜は寒い。南国のヒューストンに暮らしているとついその辺がおろそかになる。なんとか1つのベッドの真ん中に寝かせて大人が挟む形で対応する。その夜どんな夕食を食べたかは忘れてしまった。
次の朝は施設内の食堂で遅めの朝ごはんを食べる。スクランブルエッグ・ベーコン・ソーセージ・ポテト・パンケーキ・メロン(緑とオレンジのメロンがどこでも基本となる)といったごく普通の食事。
レストランの受付で使っているシステムが自分の勤めている会社のERPシステムと同じMAPICSだったのが記憶に残る。こんな古くさいシステムがアメリカの各企業で依然として使われてるのか。
バッファローが集団で暮らしているエリアまで車で移動する。広大な草原にたくさんいるのを遠めに眺める。
次はGrand Canyon of Yellowstone という大きな谷になってる所の北側North Rimを走る。Upper Fallという巨大な滝を見るためにトレイルヘッドから降りていく。天気も最高で虹が出ている。駐車場まで登り返すときに妻がかなり疲労していたので少し歩いては休みながら帰る。���セミテの時はかなりのハイキングをこなしていた事を考えると、出産というのはこんなに女性の体力���奪ったりするとんでもない作業。
次はNorris Geyser Basinというエリアに移動。鉱物を含んだ熱湯が沸いてる池が点在するのでBasinていうのか。ウッドデッキの遊歩道が整備されてそこから見物しつつ歩く形。乾燥してて暑い。日本の各地にある「地獄」とは比較にならない広さ。
今日はこのぐらいで終わりにして宿泊施設に帰る。夜も朝と同じようなアメリカン食事。その後外に出ると夕焼け。今日の夜は子供もベッドに乗せて寝て寒さ対策。
翌朝は片方が乳児の世話をしている間にOld Faithful Innの前に点在している熱湯の池を交代で見学。コイン投げ込むと泉質が変わってしまうから投げ込み禁止の表示。限られた時間なのでランニングを兼ねて走って見学。
朝食もまた同じ食堂で同じ食事。コテージを超巨大にしたような建築物であるOld Faithful Innを改めて見学。その後 Black Sand Basinというエリアに移動する。まずは遊歩道で間近でみるエリア。眩しい光のなかもうもうと湯気を発している中を赤や水色の池を見てまわる。つぎに小高い丘から全体を眺められる場所を目指して少しハイキングする。4ヶ月児に日差しが当たらないようにしているけど、そんなに長くはいられない感じ。
Emerald Poolという有名な池が見渡せる場所まで来た。日本では福島県に五色沼という同様のところがあって子供の頃に行ったことがあるが、それとは規模が違いすぎる。とにかくでかい。帰りの駐車場に人を恐れる様子のない大きなカラスがいた。 カラスは北米大陸ではネイティブアメリカンによって神聖なものとして扱われたというストーリーをいつも思い出す。
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剱岳、別山尾根テント泊
3回目のアルプスは、春からの目標だった剱岳へ!天候の関係で2泊3日の予定が1泊2日に、それが私の体力面の問題で結局2泊3日で終わるという、ややこしい展開でした…。
新幹線、電鉄富山、ケーブルカー、バスを乗り継ぎ室堂入り。
富山名物の白エビかき揚げの載った立山そばで腹拵え。
外へ出ると雨だったのでレインウェアを着込むも、降ったり止んだりで蒸し暑い…。
みくりが池。
ここの温泉は日本一標高が高いと聞いて、帰りに入ろう!と話していたのですが…。
山ガスがシューシューと音を立て、硫黄の臭いが立ち込めています…。
右奥に見えるのが雷鳥荘ですね。
池塘。少し紅葉が始まっている感じ。
今回は泊まれないから…と、記念に撮っておいた1枚。結局泊まったんだけど。
雷鳥沢キャンプ場が見えて来ました。空も晴れて来た!
清く澄んだ川を渡ります。帰りはバテ過ぎて、ここに飛び込みたい衝動に駆られました…。
またガスって来ました。
この辺までは、まだカメラに向かって笑う余裕があったんですが…。
雨の中、登りの途中でバテてしまい、せっかく軽量化して来た同行メンバーに荷物を手分けして運ばせてしまう事態に…大変申し訳ございません。
その後はバテていたので途中をだいぶ端折りましたが、剱御前小屋の先から見えた雪渓です。
剱御前小屋の前で少しだけ休んで、写真を撮る余裕も出て来ました。
剱御前小屋から劔沢キャンプ場までは下り基調で幾らか回復。
今夜の野営地、劔沢キャンプ場が見えた!
テントはサクッと設営するも、雨で冷えたのか今回も低体温症気味。
しかもマットを持参し忘れ、殆ど眠れず…夜中に静かな星空と満月は堪能したものの、完全に寝不足。
夕飯時は雨だったので、テント内で各自自炊。
シーフードカレーメシにウィンナーとチーズをプラスして、コーンポタージュと共に頂きました。
4人で来てるのに、孤独な夕飯…。
朝もテント内で一人。
尾西の五目ご飯、アマノフーズのナスの味噌汁、紀文の切れてる玉子焼き。
こんな時間(2:45)に、食べ過ぎで満腹です。
身支度を整え、未明に出発。
ちょこちょこルートを間違えながら、気付けば既に2番目の鎖。
この先も鎖場には番号の付いたプレートがあるのですが、多いので割愛します。
お、東の空が白んで来た!
「���際少し明かりて ようよう白くなりゆく」ってヤツですね。
春じゃなくて秋だけど。
明るくなって、さっきまでいたテント場も見えるようになりました。
真っ暗で距離感が分からなかったけれど、結構歩いて来たんだな〜。
鎖場も本格化して来ます。
雲海が綺麗!
よそ見してると滑落しそうになるけど、この夜明けの空も見ずにはいられない…
いよいよご来光タイム!
前剱に到着です!
何と、前剱の山頂からは初めて見るブロッケン現象が!しかも二重!
自分の影が映ってる〜!
その後もブロッケンがクッキリと!
今度は鎖場を下ります。楽しい!やっぱり鎖場大好き♬
ブロッケンの興奮冷めやらぬ中、いよいよ噂の鉄の橋へ。
朝日に照らされ、鎖場を移動する皆さん。セピア写真みたいになってます。
渋滞してるな〜。
アレ?何か思ったより怖くなさそう???
思っていたより幅があるし、短いし。
でも、この写真では分かりづらいですが両側が切れ落ちてるんですよね。
でもまぁ何があるか分からないし、ここからはセルフビレイシステムを活用します。
まだ動作にイマイチ慣れない私…。
ハーネスに掛けたカラビナを外すのにマゴマゴしてます。
上から撮ってもらった写真。
カラビナを鎖に掛けることに夢中だったけど、結構切り立っていたんですね。
さっきの橋の下も、切れ落ちてるのが良く分かる。
でもこの時はとにかく登ることに夢中で周りは見えていませんでした。
振り返ると、さっきまでいた前剱岳が。神々しい…。
今度は岩肌にもブロッケン!こんなに乱発されると、もう祭りだ、祭り!
見えますか?クッキリ二重です◎
ブロッケン現象にも若干見飽きたところで、山頂へ向かいます。
平蔵の頭の始まり。
こういう杭のような足場は初めて。慎重に登ります。
平蔵の頭を越えたら、また鎖で下ります。
同じく鎖場のアップダウンの連続だった、両神山の八丁尾根のようでした。
いや、こっちの方がスケールが大きいんですけどね。
尾根の反対側はガスってますね〜
平蔵のコルから見た平蔵の頭。ところで平蔵って誰?
あの尾根を歩いて来たのか〜。良い景色!頑張ろう!
平蔵のコルの始まり。だから、平蔵って誰?
こうして写真で見ると凄い所にいるなぁ…。
高さはあんまり気になってなかったカリメロ。
9番鎖場、カニのタテバイ、始まり始まり〜!また杭だ!
タテバイの鎖にカラビナを通しているところ。作業に夢中なカリメロ。
緊張はしていたけれど、思っていたほど怖くはありませんでした。
山頂まではあと少し!疲れてるけど、頑張れ私!
ヘロヘロになりながらも、何とか登頂!
もちろんメチャクチャ笑っております♬
万年低山専門ハイカーだった私が、まさかの剱岳に登れる日が来るなんて…。
あちら側は、一般登山者は進入禁止!
山頂からの眺望は無かったけれど、湧き立つ雲が綺麗でした。
さぁ、下山します。ここが本日のメインイベントなのかな?
先ずは右足から降ろすんだよね…と予習して来た事を確認しつつ。
ヨコバイでも、もちろん笑顔。
スマホを出して後ろにいるCLを撮影し返す余裕もありました♬
セルフビレイのお陰で安心感があったのが大きいかも。
長い梯子を降りるCL。
コレ、上で体の向きを変える瞬間がちょっとドキドキしました。
タテバイ&ヨコバイよりも、梯子の後のここの鎖場の方が、手こずったかも…
上から見るとこんな感じ。
短足のカリメロには、足場が微妙でした。
13番、前剱の門。ここへ来て、また登り。
青空も出て来ました!テント場も見えてますね。
歩いて来た稜線を振り返る。
チングルマが風に揺れていました。
白くて可憐な花が、何でこうなっちゃうんだろう?不思議。
劔沢小屋の前から見た剱岳。雄大です。
テント場からこの小屋まで片道10分はあるのに、メンバーのうち二人はビールを買いに昨夜もここまで歩いたそうです。
雨に濡れて寒くても、ビールは飲みたくなるものなのね〜。
テント撤収後、室堂へ急ぎます。
バスターミナル(ホテル立山)が見えて来ました。
あそこまで、結構な距離だけど…マズイ、もうあと2時間も無い!
バスの最終便に間に合うよう頑張ったものの、荷物の重さでスピードが出ず、登頂の疲れで脚がプルプル…。 結局、雷鳥荘前でタイムアウト。
まさに「体力の限界!」で、仕方なく当初の計画通りにもう一泊して翌朝帰宅することになりました。
雷鳥沢に戻ってのテント泊も考えたけれど、疲労困憊でそんな気力も残っておらず…。第一、食糧も残ってないし!
雷鳥荘に空���があって本当に良かったです(涙
お世話になった雷鳥荘。
ご飯も温泉も楽しめる、とっても良いお宿でした。
当初の計画では体力があったら3日目に立山三山を回る予定でしたが、恐らく私はグッタリで無理だったでしょうね…。
立山三山は来年のお楽しみにとっておくことにして、その時は大日岳にも登りたい!
だけど雷鳥沢キャンプ場から室堂までの「万里の長城」みたいなあの石段は、もう当分歩きたくないというのが本音。
それとも、小屋泊でなら頑張れるのかな〜?
大日岳。宿の展望温泉からも見えました。来年はきっと登るからね!
帰りの新幹線では、富山駅のデパ地下で買った秋の味覚弁当で舌鼓。
満腹で夕飯は食べられず。
そして今回も雷鳥さんには出会え〜ず。
今年最後の望みは来月の南アルプス!今度こそ会えると良いな〜♬
(会えなくて悔しかったので、今回はホテル立山で雷鳥手拭いを購入)
当面の課題は体力強化と荷物の軽量化。あとは、どんな環境でもグッスリ眠れる図太さを身に付けなくちゃ!
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2022年春に京都行ったこと
2022年4月1日~3日に聖地巡礼?で京都に一人旅行に行った。別に目的は明確じゃないけど。仕事辞めた無職期間に行ったので傷心旅行かもしれない
半年以上前のことなので覚えてる限りだけど書き残したい
次の仕事は決まっていて、4月4日から仕事始めだった。3月いっぱいは有給消化してたけど漠然と京都行きたいなとは思っていた。まあ行動に移せない類の人間なのでダラダラしてた
4月1日の朝方4時ごろにやっぱり行きたいなとなり新幹線とホテルのパック予約した。計6万程。あほか?でも売ってる方も悪くない?
で、10時か11時頃の新幹線に乗って京都駅に14時ごろ到着。荷物が邪魔だったのでまずはホテルに直行した。駅前すぐのところにあって助かった。
身軽になったものの、中学の修学旅行以来の京都。土地勘もないし何も決めてなかったからグーグルマップで最寄りの観光地を探した。歩ける範囲に三十三間堂と清水寺があったからそこを目指すことにした。
途中で渡った橋が鴨川だった。桜が満開の時期に行ったから本当にいつどこでも桜と京都の町並みが綺麗だった。
グーグルマップの案内で迷わず三十三間堂についた。館内は撮影禁止なので外観の写真しかないけど、千体の等身大の仏像が並ぶ様は圧巻だった。30分くらいかけてじっくり仏像を眺めながら廊下を歩いた。
修学旅行で行った記憶が無かったので恐らく初めて行ったのかな。流石にあの圧を受けたら忘れないと思う。中学生の頃の自分なんて仏像に欠片も興味が無かったから本当に忘れてるのかもしれないけど。
2021年位からよく頭痛に悩まされていたので土産物屋で頭痛守を買った。三十三間堂を建立した後白河法皇が頭痛も悩まされていたらしい。効果は実感できていない。
三十三間堂を出て清水寺に向った。五条坂前に大谷本廟という寺があったから由来も知らないのにフラフラ入った。丁度閉館の17時になり入れなかった。
寺の前の池の名前がすごく風流だった気がするけど忘れてしまった。公式サイトにも載ってない。
脱線したけど途中五条坂にあるすみっコぐらし堂ですみっコぐらし好きの友人にお土産を買ったりして清水寺についた。ついた頃には日も傾きかけていた
100円で胎内巡りに一人で入った。暗闇を壁にある数珠を象ったスロープを頼りに進まされた。くねくねしていて壁に盛大に足をぶつけた。終わりかけに暗闇に梵字が浮かび上がっていたが、だからなんだよと少し思った。
私が入ったときは閑古鳥だったが、私が出ると同時に団体客が胎内巡りに入って行った。
流石に中学の修学旅行で清水の舞台に来たことは覚えていた。
更に奥に行って清水の舞台も一望出来るところから見れた日の入りが綺麗だった。人がいっぱい居たけどみんな夕日に夢中だった。
坂を下りて清水の舞台を下から見上げた。ライトアップされていた。
日も落ちると冷え込んできて、寒さに負けてお菓子と抹茶を飲んだ。800円した。
ライトアップされた桜が水面に映る姿が清水寺で一番綺麗だった。
1人で夜の京都に居ても仕方ないのでさっさと帰ることにした。なんだかんだ歩いたのでバスで帰ることにしたが、バス亭が鬼のように混んでいて30分くらい立って待たされた。寒かった。
観光地の飲食店におひとり様する勇気もないのでホテル下のコンビニで適当に買って部屋で食べた。持ってきたアイパッドでアニメ平家物語の最終回を見た。
二日目朝は京都駅から電車に乗って琵琶湖疏水へ行った。
水路閣が見たかったのだが南禅寺境内にあることは知らなかった。煌びやかなお坊さん達がグルグル回って読経していた。
琵琶湖疎水から川沿いに歩くと平安神宮に着いた。
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