Tumgik
#堀口捨己
palsuke · 1 month
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
建築家堀口捨己の探求 at 国立近現代建築資料館
・小出邸
・紫姻荘、双鐘居
・吉川邸
・岡田邸、大島測候所
・若狭邸
・八勝館、常滑市立陶芸研究所
0 notes
keredomo · 2 years
Text
2022
 2022年は本当に苦しいことがたく��ん起こって、笑うこともできないほど厄年然としていた。豊かな幸福と引き換えにおそろしい出来事が絶え間なく降り注ぎ、命の残機が尽き果ててさすがに死んでしまうかと思ったが、なんとか生き延びて年を越そうとしている。  朝からビールで乾杯して、「本当にお疲れ様」と、苦しい出来事のすべてに付き合ってくれた親友の女が労ってくれた。昼には、「あなたは人生の苦しみをすべてやりきったよ」と馴染みの蕎麦屋で親しい人が慈しんでくれた。
 何が起こったか、もはや掘り返して書き並べることすら心を壊しかねないので控えるが、へとへとに疲弊して自らを生かすことすらできなくなってしまった時に「生きて」と言って手を差し伸べてくれる人がいるのだと知れたことは大きな恵みであった。言葉をあつかう友人たちが「僕たちがあなたが生きることを引き受けるから」と、地に倒れ込んだ私を引き上げて、匿ってくれた。自分の力でみずからを生かすことができなくなったことを理解して彼らを頼ったとき、私はようやく大人になったのかもしれなかった。
 しみじみと思う。死ぬよりも生きるほうが遥かにたやすいのだと。人間は、生きているうちは、どうしたって生きることを選んでしまうのだと。  「私たちは、どうしたってあと50年は生きなければならないんだよ。その人生を明るいほうに向けることを考えなきゃだめだよ」と、私の生を明るい方に導こうとする美しい女に言われた。年の瀬によくあるふしぎと晴れやかな真昼の、陽光が燦々と注ぐ八丁堀のベトナム料理店でのことだった。  どうしたって、あと50年は生きなければならない。その前の週にも、昼下がりの自室で同じことを言われた。「80歳まで、一緒に生きてくださいよ」。80歳まであと50年ある。そんな途方もない年月を、「私と共に」と語り、傍にいると誓う人がいる。信じていいのだろうか、その言葉を。
 何度も何度も刻み直されて骨まで達した深い心の傷と、それがもたらした鬱、正気を保っていたくないという一心でアルコールに縋って暮らしたことで依存症状態となった日々は、社会生活が崩れる寸前にまで至っていた。  2022年、何度「死にたい」と願ったか、何度、一人の夜に包丁を持ち出して茫然と部屋を彷徨ったかわからない。それほどの思いをしても、なお、私は新しい年を生きようとしている。生に絶望し、死にたいと一心不乱に思い詰めている瞬間の自分がこの様を見たら、きっとそのぬるさに落胆するのだろう。それでも生きている。どんなに滑稽で、惨めで、醜くとも、私は生きようとしている。その事実を、もう何十年も惰性で抱えている「死にたい」という感情とのあいだで折り合わせなければならないと思った。どうしたって、あと50年は生きなければならないから。あと50年は生き延びなければならない生に、私自身がしてしまった。死ねない生に。
 死ぬことばかり考えている状態からは、人の助けを借りて抜け出した。抜け出した遠い目で、遠く虚な目で、あの傷が何によってもたらされた傷であったかを回想する。それは「言葉の裏切り」によるものだったようだ。  私は言葉を信じている。私は言葉を信じていた。「あなたを愛している」という言葉を信じた。「一生大事にする」という言葉を信じた。「君を幸せにする」という言葉を信じた。そこに身を委ねて自分を溶かした。けっして嘘ではなかった、この上なく真摯だったそれらの言葉たちは、しかし、結果的に現実と私の実存とを裏切った。夢見た永遠は叶わなかった。溶けてしまった私だけが、不毛の砂地に捨て置かれた。言葉を信じて、溶けてしまった私だけが。  溶けてしまった私の体に刻まれた無数の傷に、砂地の砂が傷口に入り込み、肉の奥をえぐって痛む。永遠を反故にされた恨みを、それとは矛盾する果てしない愛を、訴えようとするが形を取り戻して起き上がる気力がない。諦めばかりが体中を這い、気力を地に打ちつける。もういい。もう求めたくないし、与えたくない。やがて鳥が、砂地に横たわったこの屍体をついばみにくるだろうと、そうして消えて失くなることもできるだろうと待っていたが、乾いた砂地で、私をついばむ鳥はついぞ飛来しなかった。  どれほどの時間がたっただろう。百年はもうたっただろうか。日が昇り日が沈む空の色と、そこに舞い立つ砂埃だけを眺めているうちに、次第に溶けた体が形を取り戻した。砂によって膿みきって腐食していた傷は、形を取り戻してもまだ残った。二度ときれいなからだにならないことが一瞥するだけでわかった。私の体は澱んで醜かった。砂まみれの臓器が肋骨の下であらわになっていた。
 即時と永遠。人間が身体を生きている以上、その二律背反は「真」を傷つける。私は「真」しか求めておらず、しかしそれは、現実においてはおよそ可能ならざるものだと、いいかげん思い知った。ずっと信じていたのだ、愛と知と力を尽くせば「真」を生きることができるはずだと。その信念が私を輝かせていた。今は二択に立たされている。このまま信念を貫いて孤独に耐えるか、挫けて安寧に抱かれるか。
 言葉は人を縛る。言葉の本質的な役割は「呪縛」であると、周囲の誰もそれに気づいていない若かりし頃から、私だけはその恐ろしさをよくよく理解していた。それゆえ私は言葉を使役し言葉で人を縛った。言葉で人を傷つけて破壊した。言葉で人を癒し、守ってきた。私は言葉を信じていた。それしか信じるものがなかった。信じては裏切られ、また信じては裏切られ、それでもまだ言葉に縋っている。  言葉は神とは違う。わかっているはずだったが、結局は、私は言葉以外に神を持てなかった。神なる言葉は、人の力では到底届かないような一方的なものではない。私と言葉とのあいだには相互性がある。言葉も私を信じていることが感触としてわかる。だから信じるに値した。信じられているがゆえに傷つくことすら受け入れられる。私の、唯一の、神。
 実存における愚かな私が悶え苦しみながら生き抜いた2022年、理性をきちんと維持していながら情念の上ではもうほとんど気が狂ってしまっている私の結論はこうだ。  信じてよいのは、他者の言葉ではなかった。私は「言葉」の範囲を拡げすぎたのだった。言葉を信じるのは間違いではない。ただし、「私の」言葉だけが信じるに値するのだった。あるいは、私の水準で、つまり神に捧げるものとして言葉を扱っている人間の水準で言葉を営んでいる者、言葉と自己を最も深いところで接続している者の言葉だけが「真実」を示すのだと、人生を言葉に捧げている者の言葉だけが信じるに値する言葉なのだと、そう判断するべきである。それが私の2022年の反省だった。
 なんとも狭量な結論ではないか。こんな難解な札を掲げて、誰が私を愛そうとするだろう。自分がなぜ愛されるのか、誰に愛されたいのか、そして誰を愛しているのかさえも、今年の傷がゆえにとっくにわからなくなってしまった。しかし、私がわからなくなってしまっていようとも、そこに愛があることだけは確信できる。わからなくとも、愛している。愛する人が健やかな生を送ってくれさえすればそれでいい。何もわからなくなってしまった私のことはもういい。愛しい人たちが健やかに生きている、それだけでこの世は素晴らしいはずだ。
 徐々に回復している。少しずつまた、わかるようになるだろう。理知を取り戻した時、私にはもっと、もっともっともっといいものが書けるはずだ。そう信じて神との対話に日々を費やす2023年にします。正座。
6 notes · View notes
shintani24 · 29 days
Text
2024年8月27日
Tumblr media
広島市中区の八丁堀宝くじ売り場 サマージャンボ7億円当せん 46人目の億万長者(中国新聞)
億万長者カウンターを「46」に変更した「八丁堀チャンスセンター」のスタッフ
23日に抽せんがあった第1013回サマージャンボ宝くじで、広島市中区の宝くじ売り場「八丁堀チャンスセンター」から1等前後賞計7億円の当せんが出た。1982年の開店から46人目の億万長者誕生となった。
Tumblr media
言葉を消費されて 「正義」に依存し個を捨てるリベラル 星野智幸(朝日新聞)2024年8月27日
このエッセーは、朝日新聞の編集委員から、安倍晋三元首相が亡くなって2年というテーマでインタビューの依頼を受けたことから始まった。2013年に私がこの欄に寄稿した「『宗教国家』日本」をもとに、この11年間を振り返りながら考えてほしい、と。
私は返信のメールで、次のようにお断りした。
****(以下メール内容)****
(「『宗教国家』日本」を)久しぶりに読み直して、いまだに同じようなことを同じような語彙で考えているなと確認しました。
ただ、変わったこともあって、これを書いたころの自分はまだ世の中を信頼していたんだな、と懐かしくも虚しく思いました。
現在のぼくは、政治や社会を語るこういった言葉が、単に消費されるだけで、分断されていくばかりの社会において、敵か味方かを判断する材料でしかなくなっていると感じています。「敵」と見なされれば攻撃の口実にされ、「味方」と見なされれば、共感したい人たちの読みたい方向に強引に読まれるばかり。いずれにしても消費財の役割しか果たさず、分断をむしろ加速させているという、自分の目指す方向と真逆に作用している実感があります。言葉の通じなさにぶつかるたび、リベラルな言論まで含めて、この社会全体のカルト化が進んでいるように感じます。ぼくが社会や政治について言葉にしてきたのは、共感する者同士の居場所を作るためではなく、境界をなくして少しでもマシな状況へと変化させるためであったので、それが内輪の居場所のためにばかり使われていくことにすっかり失望してしまいました。
このため、数年前から、政治や社会についてダイレクトに語ることをためらうようになってきました。小説という形かそれに準ずる言語でないと、言葉を出すことをやましく感じる���うになっているというか。
****(メール内容ここまで)****
では、私のその「虚しさ」を詳しく書いてくれないだろうか、と返事があった。
私は迷った。正直に書けば、これまで好意的だった読み手から不快に思われるだろうし、それを避けようとすればまたぞろ消費されるだけの文章を書いてしまうだろう。それでも、失意を表せることが希望だと感じて引き受けた。
「日本人」という自己意識への依存 11年前の指摘
11年前に書いた「『宗教国家』日本」の要旨はこうだ。
長年の経済的停滞等で疲弊したところに、東日本大震災と原発事故が起こって自分を支えられなくなった日本のマジョリティーの人たちは、絶対に傷つかないアイデンティティーとして「日本人」という自己意識にすがるようになった。個人であることを捨て、「日本人」という集合的アイデンティティーに溶け込めば、居場所ができるから。それは依存症の一形態であるが、誰もが一斉に依存しているから自覚はない。日本社会がそうしてカルト化していく傾向を変えるためには、強権的な政権への批判だけでは不十分で、一人ひとりが自分の中にある依存性を見つめる必要がある――。
11年たって、この傾向はもはや日常化している。日本だけでなく、世界中で。私が期待した、個々人が自分は何に依存しているのかを探るという作業は、あまり進まなかった。その実例が、ほかならぬ私自身だった。
自分は「普通の人」だと思っている人たちが、ナショナリズムに寄りかかることで、誰からも非難されず、こぼれ落ちたり突き落とされたりすることのない安定を手に入れようとする。その様子は私にも見えたけれど、自分自身を含め、外から「普通」と見なされなかったり、「日本人」をアイデンティティーにすることに違和感を覚えたりする人たちが、ではどんな自我の意識で自分を支えているのかについては、曖昧なままだった。いかに自分を客観視しても、必ず見えない死角があるから。
私がそのことを次第に意識するようになったのは、18年あたりからだ。当時は、大相撲の白鵬バッシングを必死で批判したり、「新潮45」という雑誌がセクシュアルマイノリティーを差別する記事を掲載した件であちこちからコメントを求められたりと、私の言論生活の中でも社会批評的な発言が最も盛んな時期だった。そして、かなり疲れてもいた。そんな私に、ある友人がこう尋ねた。
「ずっと社会派を期待され続けて、嫌になったりしないんですか」
私の頭は真っ白になった。そんなこと、考えたこともなかったので。「自分の考えを述べているだけで、心にもないことを言ってるわけじゃないし、それはないかな」というような答え方をした。
しかし、死角から襲ってきた友人の質問は次第に頭の中を旋回し始め、脳内を占領していった。
問いの答えを探すうちにほの見えてきたのは、確かに私は自分の考えを発言しているのだけれど、それを言葉にするときには言わないようにしている部分がある、という現実だった。なぜ言わないかというと、私の発言に同調している人たちの神経を逆なでするかもしれない内容だから。自分の考えを発言用に滑らかなものとして編集することを、私は無意識のうちに行っていたので、自分でも気づかなかったのだ。
「リベラルは正義」という感覚
でも、一度気づいてしまうと、もう知らんぷりはできない。私は、自分が社会批評的なことを述べているとき、自ら世のリベラルな言説に合うように、もっといえば美味しく消費されるように盛りつけて差し出している、という嫌悪感をぬぐえなくなった。
それで理解に至ったのである。リベラルな考え方の人たちは、「正義」に依存しているのだと。
リベラルな考え方に理があるかどうか、現状に即して公正かどうかという判断と、リベラルな思想は「正義」であって絶対的に正しく否定されることはありえない、という感覚を持つことは、まったく別の問題である。自分を含めリベラル層の多くが、じつは後者を求めていると私は気づいた。
「日本人」というアイデンティティーが、「人種も生まれ育ちも日本だ」と思っている人にとっては、ごく自然で決して否定されない絶対的な真実だと感じられるように、リベラルな思想は疑う余地のない正しさを備えていて、そのような考え方をする自分には否定されない尊厳がある、とリベラル層は思いたいのだ。いずれも、普遍の感覚によって自分を保証してほしいのだ。
「日本人」依存というカルト化が進んでいることに、11年前の私は強い不安を覚えたわけだが、じつは同時に、ずっと小規模ながら「正義」依存のカルト集団もあちこちに形成されて、その依存度を深めていったわけだ。
個人を重視するはずのリベラル層もじつは、「正義」に依存するために個人であることを捨てている。「正義」依存の人同士で、自分たちが断罪されることのないコミュニティーを作り、排外主義的な暴力によって負った傷を癒やしている。私が自分の発言に無意識に制限をかけていたのは、その居場所を失って孤立することを恐れたのだろう。「正義」依存者であれ「日本人」依存者であれ、そもそもは弱って自分一人ではどうにもならない苦境から脱するために居場所を必要としたのであり、そこには理がある。問題は、その居場所が無謬化していくことだ。
無謬性掲げ攻撃しあう虚しさ
無謬とは、間違いがない、という意味である。カルトの本質は無謬性にある。教祖が掲げた教義を、信者たちは決して疑ってはいけない。無謬性に完全服従し全身を預けることで、自分も間違いのない存在だというお墨付きを得る。絶対的な真実だから、それを批判する者は排除してよい。
それぞれのカルトが、そうして無謬性の感覚をベースに否定しあい攻撃しあっているのが、この世の現状なのだろう。この状態はもはや民主的な世界ではない。
民主制とは、それぞれ考えや気分の違う者同士が、互いに耳を傾け、調整して制度を作っていく仕組みだ。政治とは、自分たちの正しさ競争ではなく、話し合いで合意するための手段である。
けれど現状は、政党が、そこに所属したり支持したりする人にアイデンティティーを与える集団へと変質しつつある。政党が居場所化し、カルトに乗っ取られようとしている。旧統一教会と自民党という例だけでなく、立憲民主党も左派の「正義」依存のコミュニティー化しかけている。だから、依存者のゆがんだ認知で現実を見てしまうし、政党の目的である対話の場をうまく作れない。作っているように見えたとしたら、それは同じ考え方の者たちが集って共感し合う居場所であり、価値観の異なる者と制度を作るための対話の場にはなっていない。
それにしても、誰もが自己を放棄し無謬性にすがりついてまで、安心できる居場所を欲している現在は、どれだけ殺伐としていることか。あらゆる発言が攻撃できるか感動できるかで消費される状態では、対話はおろか言語も成立しない。そこに呑み込まれたくなければ、文学の言葉を吐くしかない。他人に通じるかどうかも定かではない、究極の個人語だから。私はそうした発話にのみ、未来を託している。
���野智幸 1965年生まれ。新聞記者を経て、97年「最後の吐息」でデビュー。著書に「目覚めよと人魚は歌う」(三島由紀夫賞)、「俺俺」(大江健三郎賞)、「焰(ほのお)」(谷崎潤一郎賞)など。最新刊は「だまされ屋さん」。
コメントプラス
富永京子(立命館大学准教授=社会運動論)【視点】 数年前から、一度はSNS上で活動をしていたものの、オンラインでの発言・活動をやめたアクティビストの人々に聞き取りをしています。なぜハッシュタグアクティビズムやSNSでの政治的発言をやめたのかと聞くと「味方であるはずの人々から常に発言や役割を期待され、そこからはみ出たら容赦なく叩かれるのに疲れた」「社会運動というより、フォロワーの正解に合うような◯×ゲームをしている気がする」といったお答えをいただいたのが印象的でした。
その点でも、星野さんのこの寄稿に同調する人は多いのではないかと思います。自分自身、SNSでもネット番組でも「社会批評」的なコメントをすることは前より少なくなりました。オーディエンスの方々の「正義」に合わせ、顔色を伺いながら発言することに疲れてしまいましたし、彼らの中の「正義」コードから少しでもはみ出て彼らの神経を逆撫でし、「正義」を盾にしたお叱りを受けるのにも疲弊しました。
SNSをはじめとしたオンライン空間での言論は増大し可視化され、リベラルな方向に政策や人々の意識を変えることに一定程度成功したことは紛れもない事実です。ただ、だからと言って私たち一人ひとりが「自分の頭で考える」ということができたのかといえばまた別で、所与の権威からまた別の「正義」という権威に寄りかかっただけだったのかもしれません。
0 notes
uchu-household-blue · 2 months
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
本は半世紀前か。歴史が死んでいく面もおよそ含み。。推しても蹴落としても...?SNSが今後どう呼ばれるか分からんけど、コミュニケーションに向かない、虫眼鏡。ケンカと戦争のあわいをずっとグロテスクなまま帰ってこられないような、物語の閉じ方を望まれないような。先鋭化。2〜3の旅のイメージということでどういう解釈が適してるのか遠くてかなしい..ここが悲しい無駄。しかし言わば、何か'飽き'を訴え続ける同士の流れは確実にありそうで 使い捨てられるものに対してのリズムも取りにくいとか 虫眼鏡持って出かけて無意味を感じるしかない同士の旅でというかやっぱりあるかな... 悩みだけが間違ってはなかったから泣けるんだよな。中心性なんか余計に疎外されている、イメージなんだよな。何を学ぶにもすでに細かく分かれているし 狭い世界を選ばないといけないし でもそういう、何を取り戻すべきかとかすがるしかないかとか...自分の興味や発見の何かと、でかすぎる壁の意味だった事も、やっぱり分かる いややっぱり悲しいわっ!難しいって言うしかないのは道を塞がれたからだもんな。剥ぎ取られたものを見つめてしまうからまだ帰れないよ。ではもし影や願望だけがデカい状態というかそれは何を以て夢なのか?分け合えない他者としか言いようがないから潜るしねぇ、浅いレベルで言い切ったら壊れちゃうようなものなのだよねと言い張れるね。娯楽性は射的で狙う衝立みたいなスピードとラクさで語られて、捕らわれていくのにだから自己嫌悪と否定が露出していく、それが現代なのかな。私は何に平気になって耐えられるようになれるのかな、そこに分かりやすい夢も描けずにきたわけだ?と思ったがもがいた跡はこれだった(今回の今度こそここを捉えてみることにして)。どんな旅でしたか?と考えてではいまどこですか?あまりにも自分を知る旅の報酬が難しいからか、ほんとうに怖くなった。しかし今回誰かにとってもどこのアイテムなのか見えやすいテーマ幾つかあったから。よその道への拒否自体でもあったろう私は。矛盾やうねりは消えないだろうし、ほんとこんなの主語広げてもどこにもない。もしかしたら都合良く描いたらいけないほうの現実(または未知)で、畏怖と真逆を浴びるしかないからだったのかな。普通こういう光があるでしょと思いたかった(から生きてきた)ことが通用しなかったから、意識と無意識の壁はほんとに辛かった。キャンベルのモデルはジャポナイズ易しさではないから、、自分の嫌悪感に出会い続けて悩むしかなかったのをどう準えるべきか。。もし現実の合理、コスパ、排他性や外堀、囲い込みが、分け合えないものが、考えて無駄だというならそこを形にするのがという面も堂々と言っていいぽくて、だから違う日にもずっと考えるようなことだけど 何が無力に慣れることで何が抗うことですかと有識者にまるっとぶつけて教えて欲しいような 何を自分のぶんなのか、そう言ったらだめなのか 触れて温度のあるほうしかないだろうけど、なんせ暗闇だから 続くだけ。終わりはある意味ない気がしてしまうずっと。そうなのだ。消えない言葉に捕らわれながら怒りばかりが増えた、それをきっと地下世界を認めない人には届かない気がして、'私'は孤独だったかもしれない  内界の話は意識のレベルや言語のレベルと深く絡まるから、雑談にも脇道にも逸れにくい、逃走からも戻りにくいのだろう。だからこそ現実も未知も要る、行き来や境界やを考えていける人になりたかった 折口が言ったような発生の円環も思い出していた
 SNSでどう言われようとも、世の中の時流が多少変わろうとも
Tumblr media
読んでみるのも手なのに (現状はかな)読み取らなくていい、
悩んでしまう...が、いわゆるのアカウントだけではなく物語の在り方を願って..しまう  伝承といえる(される)ものは共有され得るものだけど、(その造りが全てだにはなれないね。)つまり双方向なんだものな語りが為される、伝わるということをまじまじ考える、そこに戻ってこられた 分け合わねばならない共通しなければならないものの質によっても、連帯とはも目的とはも、見えていく落とし穴も、、本当にしたいことなの?の問い通過したり
Tumblr media
自分神話や自伝についての、自分
0 notes
straycatboogie · 1 year
Text
2023/07/25
BGM: Underworld - Bruce Lee
ずいぶん自分でもアホなことを考えてしまっていると思うのだけれど、ふと今日「自分にとって『ホームベース』となりうる本」とは何だろうと考えてしまった。この1冊さえあればいい、と思えるような本。もうぼくは48歳。最新の流行を追いかけて汗をかいて新刊をせっせと買い求めたり、という体力も気力もなくなりつつある。これからの人生、ぼくと「伴走」「並走」してくれるような本……となると結局ぼくにとってはウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』『哲学探究』がそうした本となるのかもしれない。あるいは谷川俊太郎の詩集、村上春樹や沢木耕太郎のエッセイ集もそうした本の候補となるだろう。今日もぼくは仕事をこなし、仕事の合間に詩を書きながら谷川俊太郎『朝のかたち』を読み進めた。いつの間にかぼくの読書傾向は流行から外れてしまった。過去、ぼくは読書感想文をせっせと書き記し「書評ブログ」を編もうとしたりもしたのだけれど今は新刊に興味がなくなったので自分の世界をコツコツ掘り下げることに専念している。読めるなら最近話題になっている市川沙央の『ハンチバック』も読んでみたいと思っているのだけれど、ぼくも歳を取り(こんなことを書くと「カッコつけすぎ」かなとも思うのだけれど)「枯淡」「恬淡」とした境地に至りつつある。
ぼくはここ最近、ほんとうに「保守的」になり「日和見主義」になってしまった。読書に関して冒険したくなくなった、と言うべきか。それより何度も読んできたフェルナンド・ペソア『不安の書』や須賀敦子を読み返して安心したい、また「あの文章の気韻」に触れたいと思うようになってしまった。『不安の書』なんて5周くらいしたのだけれど、未だに飽きない。ペソアに関しては近々澤田直による評伝が出るということなので、この詩人の足跡を辿ってみたいとも思い始めている。とはいえぼくの人生、いったい何が起こるか「神のみぞ知る」。谷川俊太郎の詩集にイカれて自分で(酔狂にも)詩を書き始めるということ、ぜんぜんぼく自身予測してなかった。だからこれから何らかの「不意打ち」「アクシデント」が起きて夏目漱石にイカれるということだってありうるのだった。ぼくにできるのは、そうした「不意打ち」「アクシデント」に対して自分を開くということだ。ブルース・リーに倣って「考えるな、感じるんだ」の精神で小賢しい思考を捨てて外部に己を開き、そこから得られるものを体感する。そうしていると詩のアイデアだって浮かぶし人生も楽しくなると思う。
そして、ペソア『不安の書』のような散文を書いてみたいとも思い始めている。小説を書くことはぼくにはできっこない。小説は1年ほど同じテーマについて「コトコト」と考えを煮込み続けないといけないので、根気が必要とされる。発達障害者には向いていない。今日は仕事が終わった後図書館に行き、堀口大學『月下の一群』を借りた。そしてイオンのフードコートで英会話教室が始まるまでの時間、谷川俊太郎の詩を読む。彼が実に敬虔に、誠実に言葉と対峙して詩を書いているその姿勢に共感する……そしてここ最近、自分が多彩な日本語に触れていることを実感する。文語体というか、「典雅」な日本語から「俗」な日本語に至るまで。自分から生まれる日本語はそうした言葉がシェイクされて出てくるということになる。でも、ぼくは自分の中を見渡してみても「空っぽ」としか思えない。言い方を変えれば「素直」ということになるのかもしれない。ぼくはこれといってテーマを持たず、その時その時思いつくままに詩を書く。それ���いいのだろうとも思う。心の赴くままに書く。特に今はまだ「習作」「修業時代」でしかない。50代・60代もこのノリで書き続けられたら、あるいは何か傑作が書けるかもしれない。今はただ練習あるのみ。
そして夜、英会話教室に行く。このシーズンのレッスンはこれで終わりだ。お菓子を持ち寄り、ゲーム「Jeopardy」などをして過ごす。参加者の方で梅を使ったゼリーを持ってこられた方がおられて、いただいたのだけれどアルコールを使っておられたことを知り、ぼくは「ごめんなさい! アルコール依存症なので……」と話した。「甘酒も飲めないのです」と語ると相手の方が驚いておられた。ゲームに興じた後、集合写真を撮り和やかな空気の中別れる。帰宅後、詩を清書したものをアップロードする。そしてその後、また谷川俊太郎を読んだりして過ごす……飽きっぽいのに凝り性になる、というこの矛盾した特性こそ発達障害。自分でもこの矛盾を説明できず損ばかりしている。それにしても、こうして詩を書き溜めて「その後」自分はどうしたいのか。いや、詩のブログが充実すればそれでいいとも思うのだけれど……食生活に気を使い、酒を抜いてウォーキングを始めたりして体力の維持に務める。そして、身体を健康体に保つ。そうすれば心も健康に保てるはず。そんなストイック(?)な毎日からこそ、「ぼくの詩」は生まれうる……何だかこう書いていくとまさに村上春樹の生活のようだ。あるいはもうぼくは「高齢者」の生活を始めてしまっているのかもしれない。
1 note · View note
oniwastagram · 2 years
Photo
Tumblr media
📸MOA美術館“茶の庭” / MOA Museum of Art, Atami, Shizuoka ② ——観光地・熱海を代表する美術館は和の建築や庭園も推し! 堀口捨己、内田祥哉らが復元した豊臣秀吉の“黄金の茶室”、尾形光琳の京都の屋敷を再現した“光琳屋敷”…2017年に現代美術家・杉本博司率いる新素材研究所により展示室もリニューアル! ...... 続き。他にも“茶の庭”には和食が味わえる「花の茶屋」や、呈茶席のある茶室「一白庵」も。一白庵の設計はワシントンの日本大使館の茶室も手がけている #江守奈比古 さん。 . 最後に、片桐門の先にある非公開の茶室『樵亭』。幕末の岡山藩の筆頭家老&裏千家の十一代目・玄々斎に師事した茶人 #伊木忠澄 ( #伊木三猿斎 )が岡山の屋敷にもうけた約20の茶席のうちの一つ「大爐の間」を移築したもの。 . ↑こんな、お屋敷に20もの茶席があった“数寄者”ゆかりの茶室も、現存するのはこれともう一つあるか無いかぐらい。時代とともに名前が忘れ去られていく中で、伊木三猿斎の名前に価値を見出したMOA美術館のすごさ。 (なおこれまで当サイトで紹介した中では岡山の『少林寺庭園』が伊木忠澄ゆかりの寺院で氏をまつる茶堂がありました。) . ところで、ここで黄金の茶室や光琳屋敷の復元に携わった堀口捨己は三井家大磯別邸→犬山『有楽苑』へと移った国宝『如庵』の移築にも関わっている。 だとすると唐門・片桐門のこの地への移築にも関わったりしてそう… . 更に言うとこの“茶の庭”と『有楽苑』は少し雰囲気が似ている気がするので、共通の作者が関わっているのかも。いつか建築のように庭園の作者も語られることを期待して! 静岡・MOA美術館“茶の庭”の紹介は☟ https://oniwa.garden/moa-art-museum-atami/ - - - - - - #庭園 #日本庭園 #美術館 #建築デザイン #ランドスケープ #japanesegarden #japanesegardens #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #japandesign #japanmuseum #artmuseum #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #landscapedesign #庭院 #庭园 #国宝 #茶室 #茶庭 #堀口捨己 #杉本博司 #新素材研究所 #おにわさん (MOA MUSEUM OF ART) https://www.instagram.com/p/CmnwJtrPKZM/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
mass-photograph · 4 years
Photo
Tumblr media
明治大学(生田キャンパス)第2校舎 2号館 #architecture #photography #堀口捨己 #スロープ https://www.instagram.com/p/CCxWbFijrrO/?igshid=1xc2idq5pu76r
0 notes
0nibi · 4 years
Text
推し幻視芸人が骨董綺譚前半で見た幻覚
幻覚の話です。
三毛縞斑、ここで終わるつもりでいないか。
なんかもう言動の全てがヤケクソすぎて痛々しくて見てられんというかそれはズ!!に入ってからずっとそうなんだけどいくらなんでもこんなんなる?雑すぎる全てが
つい先日回したばかりのろくろ(https://0nibi.tumblr.com/post/641308640623689728/)をあまりに綺麗に回収されて正直めちゃくちゃ興奮したのでその話ばかりしてしまうんですが三毛縞おまえ本当に本当に本当に蓮巳にそっくりだな!!!いやこれは流石に完全に意図してやってると思う、あんなに毛嫌いしてた蓮巳作のドリフェス制度を素直に戦略に取り入れるわけがないんだよあの男が。相手が斎宮宗であることも含めてかつて蓮巳がやったことをそのまんま繰り返して皆にあの暗黒時代を思い起こさせようとしている?ESの台頭危惧してたしな。その上で、こはくっちとみかちゃん遠ざけて被害が及ばないようにしてんのも客入れ替えて外に情報出ないようにしてんのも、全て計算ずくで『斎宮宗に危害を加えた愚かな怪物が退治されて死ぬための物語』の筋書きにしか見えないんだわ。
いやすごいなこれ、ドリフェス制度を使って理不尽に斎宮宗をぶっ叩く方法、「天��を抑圧するための民衆統治」「実力以外のものが影響する採点式ライブ」に加えて「大事な幼馴染を標的にされる」まで、三毛縞が蓮巳にやられて腹立ったこと丸ごと全部叩きつけられるんですよ、誰にって鬼龍紅郎に。同じがあると嬉しいもんな。投げやりなようでいて流石に頭が良い、頭が良くて性格最悪で最悪すぎてびっくりした流石に なんでDFとヴァルのツアイベでここまで紅月臭がするんだよ
三毛縞、己が終わるに当たって最後の〆に鬼龍先輩に嫌われてやることで解放しようとしとらん?ついでに自分だけが嫌われるのはちょっと癪だからって蓮巳巻き込んでこっちからも解放しようとしとらん?蓮巳と同じ手法で鬼龍先輩の大事なものに手出すことで蓮巳諸共捨てて貰おうっておまえそれは 最悪だよほんと 私以外誰も喜ばない最底辺バッドエンドだよ私は喜びますが
お師さんのこと散々煽ってたけどあれも「今の宗さんならこの程度の攻撃には耐えられる」というそれでいてちゃんと攻撃が通って自分が悪者認定される範囲のギリギリを狙ってたように思う。三毛縞が言う通り本当にお師さんが全く成長してないならあの場で壊れてたはずだしそうならなかったということは三毛縞の計算ミスということなので。そんな凡ミスせんやろさすがに。
お師さんの方にもなんか碌でもないこと考えてらしくないことやってんのバレていた気がする、一応勝負には勝ったっていうのに完全に上からあしらわれてたし 今これ書きながらMの方走ってたらお師さんのセトリにMaM入ってて爆笑してしまった完全にあしらわれているやんけ お師さんは本当に最高でした強くてしなやかで美しい。なお私の中では蓮巳も「間に合わなかった男」なのでそこもかーーーいって本気で泣いた。
五奇人の中では関わり薄い方とはいえそもそも大嫌いな生徒会に討伐された自分に近い生き物として見ていたはずの人のこと、現状何も知らないわけないしあんな舐めくさって雑に喧嘩売るわけないし斎宮宗に攻撃することで鬼龍先輩のみならずせっかく取り戻したぷかの信頼も失うことになるし何より目的遂行のためなら手段を選ばず相手が強けりゃ殴っていい理論おまえが心底嫌いな蓮巳のそれと何も変わらんと、わからないわけないよな???何かそれなりに納得いく理由が用意されているよな???なあ三毛縞
ここまで考えてなんかもう全て三毛縞斑の概念自殺に遠隔操作で蓮巳が道連れにされた壮大な無理心中に見えてきたのでこのままでは私の脳内で蓮巳を掴んだ三毛縞が滝壺に飛び込んで生死不明になる。おまえが地獄に来るのかよ。斑vs敬心中本出してる場合ではないのでやめて欲しい。後半読んでぜーーーんぶ考えすぎでしたわガッハッハ!!って照れながらこの記事削除できることを心から願っています頼むぞほんと
とりあえず身内の地獄に他人様を巻き込んだ件は(かどうかは知らんが手口が普通に)最低最悪なので後半解放まで粛々と土下座の練習に勤しもうと思います。意外と良いオチだったな〜!って、言えると良いですね(棒)
------------------------------------------
02.05 追記
考えすぎどころか考えてたより大事だった。
まるで紅月の後継機のようにESの犬を忠実にやってる三毛縞、ひとりで三人分の働きをこなしており流石にパワフルですね〜、なんでやねん。私はおまえのこと変わらず好きだけど正直フォロー難しいぞ。どうした。
神崎の代わりに神を殺して鬼龍先輩の代わりに人を殺してくれる人、蓮巳の代わりに何殺してくれるんだろうなってランナーズハイ状態でワクワクしてたんですけど、『ES(という概念)』、つまり天祥院英智の夢かな……って思い至って真顔になった。
三毛縞、無理心中するなら鬼龍先輩じゃなく蓮巳とだろうなと思っていたけどES、つまり天祥院英智の夢そのものを道連れにして共倒れになり道半ばで潰すことは蓮巳の代理で生前葬を執り行うことに、イコール英智さんの夢を叶えて看取るという蓮巳の存在理由を全否定することになるわけで。大願を果たせなければ絶対蓮巳は紅月解散して鬼龍先輩と神崎解放した上で自分は出家して幼馴染の菩提を弔いながら延々無力感と罪の意識に苛まれる隠遁生活ルートに突入することになり、下手に本人と無理心中するより余程でかいダメージを与えて生き地獄に叩き落とすことが可能なわけですね。もうどこまで意図してやってんのか、というかどこまで意図できてるのかわからなくてあの愉快犯が全然楽しくなさそうに周りに振り回されてんの普通にめちゃくちゃ心配になるけど正直どう動いても蓮巳に害を為せるよう遺伝子レベルで設計されてんのは興奮する。
それはそうとお師さん、三毛縞のこと意外と気に入ってるというか『腹は立つけど嫌いじゃない』くらいの位置に落ち着けてくれたっぽいので、鬼龍先輩の幼馴染からの評価最底辺な旦那と割と高い間男の図になってしまい無性に面白いの勘弁して欲しい。蓮巳、外堀埋められてるぞ。がんばれ。
あとこはくっち、情に流されず指示された目的のためにただ機能するだけの武器であろうとする姿勢好きなんですが、そうは言っても本人割と喜怒哀楽豊かな性格だと思うので今後どう化けるのか楽しみだしそれに引っ張られて三毛縞がどうなるのかも楽しみ、だけどこっちは怖さが勝つな……。意外と絆されやすい三毛縞、弱点増やすんじゃねえぞ。神崎も本来こっち側の生き物であるべき、というか2年の終わり頃まで割とそうだったんだと思う。それが今人間に化けようとしてんの広義には三毛縞のおかげらしいので、恩を返したい想いもある。もう何やってもどうなっても私は見放さないから楽しく生きてくれ三毛縞。スタライで会おうな。
最後なんでいきなり乙女ゲーの三毛縞ルートBAD ENDみたいなの見せられたの???
4 notes · View notes
palsuke · 1 month
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
建築課堀口捨己の探求 at 国立近現代建築資料館
・「茶室おこし絵図集」に基づく原寸茶室模型
0 notes
stevenqiu6714-blog · 5 years
Text
不靈光走不快,所有人只好放棄,準備讓飛機先起飛,但這時手塚晴卻靈機一動
<p>兩個星期前,接到高雄餐旅大學旅館管理系助理教授蘇國垚來電,身為《遠見》神祕客調查12年顧問的他,主要是為了補充受訪今年調查結果分析時的觀察,掛掉電話前,他特別提及,自己正在看一齣日劇名叫《機師小姐》(Miss Pilot)(或譯作《飛行員小姐》、《機師訓練班》),「裡面有很多值得學習的服務理念,只不過其他有關情感或日本人特質的劇情可以跳過。」 </p><p>劇中由堀北真希飾演的主角手塚晴是一家居酒屋的女兒,因為性格直率不懂得說謊,就職之路困難重重,後來因錯陽差通過ANA航空的機師考試,獨當一面之前必須展開四年的機師培訓。 </p><p>每個實習機師都要歷經一年的地勤培訓、一年的飛機修護廠訓練,以及兩年美國飛行學校的學習。 </p><p>在地勤培訓時,和手塚晴同期的實習機師,不是因為臉太臭,被要求回去練習微笑,或者如何應對帶超過尺寸限制、價值一億日元的小提琴上飛機,以及行李超過10公斤卻不想付超重費的客人。 </p><p>印象最深刻的是,一位和女兒相依唯命的佐藤先生,從東京搭飛機到福岡參加女兒婚禮,但因為萬般捨不得女兒,喝了不少酒解悶,以至於登機時人卻不見蹤影,當手塚晴拚了命到處找,還闖進男廁所時,和她同期的另一位女實習機師小田叨念她,「這不在妳的職權範圍之內,」但皇天不負苦心人,她終於在機門沒關上前找到佐藤先生。 </p><p>然而,佐藤先生卻因為喝了酒不能上飛機,地勤主管告訴她,讓客人改搭距離當時最近的航班,「即使無法滿足顧客的第一願望,也要馬上提供第二方案。」手塚晴當時接受長官的說法,但心裡卻不時掛心客人,她知道如果佐藤先生趕不上女兒的婚禮,就算再好的替代方案也於事無補,「我想滿足他的需求。」 </p><p>隔天,一團老人旅行團到東京轉機,轉機時間只有短短十分鐘,沒想到地勤人員卻苦等不到飛機降落,在嚴重延遲的情況下,地勤主管決定讓轉機的乘客改搭明天的班機,「一班飛機的誤點會影響到後面的航班,擔誤好幾千名乘客的時間,造成經濟巨大的損失,」地勤主管說,更換成隔天班機是顧全大局的辦法。 </p><p>但當見到那些對旅程充滿期待的老人家,手塚晴根本無法把「為了顧全大局,只好放棄乘客」的話說出口,對她而言,旅程日期只要錯過一天,就會全部泡湯,旅遊真的沒辦法退而求其次,「當第二方案也不是最佳方案,一定要讓他們準時趕上。」 </p><p>天有不測風雲,當地勤主管勉為其難答應手塚晴的請求,其他服務人員也願意加班配合時,卻有一個老婆婆內急,非馬上進入洗手間不可,好不容易盼到她出來,卻又因為膝蓋不靈光走不快,所有人只好<a href="https://www.seo-web-marketing.com/hsinchu-marketing">新竹網路行銷</a>放棄,準備讓飛機先起飛,但這時手塚晴卻靈機一動,帶老婆婆抄捷徑從員工通道搭接駁巴士到遙遠的登機口,讓她最後一刻走進飛機客艙。 </p><p>圓滿的結果沒有讓手塚晴少了責難,但她卻始終記得,那個老婆婆一遍又一遍對她說,「謝謝!」 </p><p>這才知道,原來服務並不能止於為顧客提出第二替代方案,如果可以,一定要依據顧客需求,想盡辦法滿足他。 </p><p>經常聽到很多第一線員工的主管抱怨,新世代的服務員工難帶,尤其難以灌輸他們服務觀念,其實看日劇不啻為一個絕妙<a href="https://www.seo-web-marketing.com/hsinchu-marketing">新竹網路行銷</a>方法,讓他們在高潮迭起的劇情之中,不知不覺就把做好服務的觀念根深柢固地植入心底,久久不忘。 </p><p>兩個星期前,接到高雄餐旅大學旅館管理系助理教授蘇國垚來電,身為《遠見》神祕客調查12年顧問的他,主要是為了補充受訪<a href="https://www.seo-web-marketing.com/hsinchu-marketing">新竹網路行銷</a>今年調查結果分析時的觀察,掛掉電話前,他特別提及,自己正在看一齣日劇名叫《機師小姐》(Miss Pilot)(或譯作《飛行員小姐》、《機師訓練班》),「裡面有很多值得學習的服務理念,只不過其他有關情感或日本人特質的劇情可以跳過。」 </p><p>劇中由堀北真希飾演的主角手塚晴是一家居酒屋的女兒,因為性格直率不懂得說謊,就職之路困難重重,後來因錯陽差通過AN<a href="https://www.seo-web-marketing.com/hsinchu-marketing">新竹網路行銷</a>A航空的機師考試,獨當一面之前必須展開四年的機師培訓。 </p><p>每個實習機師都要歷經一年的地勤培訓、一年的飛機修護廠訓練,以及兩年美國飛行學校的學習。 </p><p>在地勤培訓時,和手塚晴同期的實習機師,不是<a href="https://www.seo-web-marketing.com/hsinchu-marketing">新竹網路行銷</a>因為臉太臭,被要求回去練習微笑,或者如何應對帶超過尺寸限制、價值一億日元的小提琴上飛機,以及行李超過10公斤卻不想付超重費的客人。 </p><p>印象最深刻的是,一位和女兒相依唯命的佐藤先生,從東京搭飛機到福岡參加女兒婚禮,但因為萬般捨不得女兒,喝了不少酒解悶,以至於登機時人卻不見蹤影,當手塚晴拚了命到處找,還闖進男廁所時,和她<a href="https://www.seo-web-marketing.com/hsinchu-marketing">新竹網路行銷</a>同期的另一位女實習機師小田叨念她,「這不在妳的職權範圍之內,」但皇天不負苦心人,她終於在機門沒關上前找到佐藤先生。 </p><p>然而,佐藤先生卻因為喝了酒不能上飛機<a href="https://www.seo-web-marketing.com/hsinchu-marketing">新竹網路行銷</a>,地勤主管告訴她,讓客人改搭距離當時最近的航班,「即使無法滿足顧客的第一願望,也要馬上提供第二方案。」手塚晴當時接受長官的說法,但心裡卻不時掛心客人,她知道如果佐藤先生趕不上女兒的婚禮,就算再好的替代方案也於<a href="https://www.seo-web-marketing.com/hsinchu-marketing">新竹網路行銷</a>事無補,「我想滿足他的需求。」 </p><p>隔天,一團老人旅行團到東京轉機,轉機時間只有短短十分鐘,沒想到地勤人員卻苦等不到飛機降落,在嚴重延遲的情況下,地勤主管決定讓轉機的乘客改搭明天的班機,「一班飛機的誤點會影響到後面的<a href="https://www.seo-web-marketing.com/hsinchu-marketing">新竹網路行銷</a>航班,擔誤好幾千名乘客的時間,造成經濟巨大的損失,」地勤主管說,更換成隔天班機是顧全大局的辦法。 </p><p>但當見到那些對旅程充滿期待的老人家,手塚晴根本無法把「為了顧全大局,只好放棄乘客」的話說出口,對她而言,旅程日期只要錯過一天,就會全部泡湯,旅遊真��沒辦法退而求其次,「當第二方案<a href="https://www.seo-web-marketing.com/hsinchu-marketing">新竹網路行銷</a>也不是最佳方案,一定要讓他們準時趕上。」 </p><p>天有不測風雲,當地勤主管勉為其難答應手塚晴的請求,其他服務人員也願意加班配合時,卻有一個老婆婆內急,非馬上進入洗手間不可,好不容易盼到她出來,卻又因為膝蓋不靈光走不快,所有人只好放<a href="https://www.seo-web-marketing.com/hsinchu-marketing">新竹網路行銷</a>棄,準備讓飛機先起飛,但這時手塚晴卻靈機一動,帶老婆婆抄捷徑從員工通道搭接駁巴士到遙遠的登機口,讓她最後一刻走進飛機客艙。 </p><p>圓滿的結果沒有讓手塚晴少了責難,但她卻始終記得,那個老婆婆一遍又一遍對她說,「謝謝!」 </p><p>這才知道,原來服務並不能止於為<a href="https://www.seo-web-marketing.com/hsinchu-marketing">新竹網路行銷</a>顧客提出第二替代方案,如果可以,一定要依據顧客需求,想盡辦法滿足他。 </p><p>經常聽到很多第一線員工的主管抱怨,新世代的服務員工難帶,尤其難以灌輸他們服務觀念,其實看日劇不啻為一個絕妙方法,讓他們在高潮迭起的劇情之中,不知不覺就把做好服務的觀念根深柢固地<a href="https://www.seo-web-marketing.com/hsinchu-marketing">新竹網路行銷</a>植入心底,久久不忘。 </p><p>兩個星期前,接到高雄餐旅大學旅館管理系助理教授蘇國垚來電,身為《遠見》神祕客調查12年顧問的他,主要是為了補充受訪今年調查結果分析時的觀察,掛掉電話前,他特別提及,自己正在看一齣日劇名叫《機師小姐》(Miss Pilot)(或譯作《飛行員小姐》、《機師訓練班》),「裡面有很多值得學習的服務理念,只不過其他有關情感或日本人特質的<a href="https://www.seo-web-marketing.com/hsinchu-marketing">新竹網路行銷</a>劇情可以跳過。」 </p><p>劇中由堀北真希飾演的主角手塚晴是一家居酒屋的女兒,因為性格直率不懂得說謊,就職之路困難重重,後來因錯陽差通過ANA航空的機師考試,獨當一面之前必須展開四年的機師培訓。<a href="https://www.seo-web-marketing.com/hsinchu-marketing">新竹網路行銷</a></p><p>每個實習機師都要歷經一年的地勤培訓、一年的飛機修護廠訓練,以及兩年美國飛行學校的學習。 </p><p>在地勤培訓時,和手塚晴同期的實習機師,不是因為臉太臭,被要求回去練習微笑,或者如何應對帶超過尺寸限制、價值一<a href="https://www.seo-web-marketing.com/hsinchu-marketing">新竹網路行銷</a>億日元的小提琴上飛機,以及行李超過10公斤卻不想付超重費的客人。 </p><p>印象最深刻的是,一位和女兒相依唯命的佐藤先生,從東京搭飛機到福岡參加女兒婚禮,但因為萬般捨不得女兒,喝了不少酒解悶,以至於登機時人卻不見蹤影,當手塚晴拚了命到處找,還闖進男廁所時,和她同期的另一位女實習機師小田叨念她,「這不在妳的職權範圍之內,」但皇<a href="https://www.seo-web-marketing.com/hsinchu-marketing">新竹網路行銷</a>天不負苦心人,她終於在機門沒關上前找到佐藤先生。 </p><p>然而,佐藤先生卻因為喝了酒不能上飛機,地勤主管告訴她,讓客人改搭距離當時最近的航班,「即使無法滿足顧客的第一願望,也要馬上提供第二方案。」手塚晴當時接受長官的說法,但心裡卻不時掛<a href="https://www.seo-web-marketing.com/hsinchu-marketing">新竹網路行銷</a>心客人,她知道如果佐藤先生趕不上女兒的婚禮,就算再好的替代方案也於事無補,「我想滿足他的需求。」 </p><p>隔天,一團老人旅行團到東京轉機,轉機時間只有短短十分鐘,沒想到地勤人員卻苦等不到飛機降落,在嚴重延遲的情況下,地勤主管決定讓轉機的乘客改搭明天的班機,「一班飛機的誤點會影響到後面的<a href="https://www.seo-web-marketing.com/hsinchu-marketing">新竹網路行銷</a>航班,擔誤好幾千名乘客的時間,造成經濟巨大的損失,」地勤主管說,更換成隔天班機是顧全大局的辦法。 </p><p>但當見到那些對旅程充滿期待的老人家,手塚晴根本無法把「為了顧全大局,只好放棄乘客」的話說出口,對她而言,旅程<a href="https://www.seo-web-marketing.com/hsinchu-marketing">新竹網路行銷</a>日期只要錯過一天,就會全部泡湯,旅遊真的沒辦法退而求其次,「當第二方案也不是最佳方案,一定要讓他們準時趕上。」 </p><p><a href="https://www.seo-web-marketing.com/hsinchu-marketing">新竹網路行銷</a>天有不測風雲,當地勤主管勉為其難答應手塚晴的請求,其他服務人員也願意加班配合時,卻有一個老婆婆內急,非馬上進入洗手間不可,好不容易盼到她出來,卻又因為膝蓋不靈光走不快,所有人只好放棄,準備讓飛機先起飛,但這時手塚晴卻靈機一動,帶老婆婆抄捷徑從員工<a href="https://www.seo-web-marketing.com/hsinchu-marketing">新竹網路行銷</a>通道搭接駁巴士到遙遠的登機口,讓她最後一刻走進飛機客艙。 </p><p>圓滿的結果沒有讓手塚晴少了責難,但她卻始終記得,那個老婆婆一遍又一遍對她說,「謝謝!」 </p><p>這才知道,原來服務並不能止於為<a href="https://www.seo-web-marketing.com/hsinchu-marketing">新竹網路行銷</a>顧客提出第二替代方案,如果可以,一定要依據顧客需求,想盡辦法滿足他。 </p><p>經常聽到很多第一線員工的主管<a href="http://www.elegant-translation.com.tw/page/service-taipei.htm"><a href="https://www.seo-web-marketing.com/hsinchu-marketing">新竹網路行銷</a></a>抱怨,新世代的服務員工難帶,尤其難以灌輸他們服務觀念,其實看日劇不啻為一個絕妙方法,讓他們在高潮迭起的劇情之中,不知不覺就把做好服務的觀念根深柢固地植入心底,久久不忘。</p>
1 note · View note
kiitatakita · 5 years
Text
聴講メモ 堀部政男情報法研究会・森田朗行政学研究会共同シンポジウム ~個人情報保護法の見直しと医療・防災における個人情報の利活用~
聴講時に入力したメモです。断片。配布資料等からのメモも引用符はありません。 聞き取り間違い等、あります。おかしな部分は記録者のせいです。
開催案内:https://horibe-morita20190820.peatix.com/ 日 時:2019年8月20日(火)10:00〜17:30 会 場:津田塾大千駄ヶ谷キャンパス 主 催:堀部政男情報法研究会・森田朗行政学研究会 共 催:一般社団法人日本ユーザビリティ医療情報化推進協議会(JUMP)     一般財団法人情報法制研究所(JILIS) 後 援:個人情報保護委員会     国立研究開発法人科学技術振興機構 社会技術研究開発センター      理化学研究所AIP(依頼中)     情報法制学会(ALIS)     情報ネットワーク法学会     一般財団法人日本情報経済社会推進協会     一般財団法人日本データ通信協会     株式会社KDDI総合研究所
(以下、敬称略)
※午前は聴講できず。メモ無し。
総合司会:高野一彦 関西大学教授・堀部情報法研究会理事
開会 10:00 開会の挨拶 堀部 政男 堀部情報法研究会 会長
第1部:我が国における個人情報保護法制のこれから
10:05〜10:35(30分) 1.基調講演「個人情報保護委員会の設置と役割」   堀部 政男 一橋大学名誉教授、前個人情報保護委員会 委員長、KDDI総合研究所 招聘研究員 10:35〜10:55(20分) 2.個人情報保護法三年ごと見直し(法改正)に向けて(ビデオ)  宍戸 常寿  東京大学教授 10:55〜12:30(95分) 3.パネルディスカッション 「個人情報保護法の見直し:中間整理とパブコメ」 司会:高野 一彦  関西大学教授 小向 太郎  日本大学教授 佐脇 紀代志 個人情報保護委員会事務局 鈴木 正朝  新潟大学教授・理研AIP・JILIS理事長 山本 龍彦  慶應義塾大学教授
12:30〜13:30 昼食(60分)
第2部:我が国における医療情報の利活用 13:30〜14:00(30分) 4.基調講演「個人情報が命を救う! 〜 医療と防災における個人情報の活用と保護のバランス〜」  森田 朗  森田行政学研究会 会長、津田塾大学教授・東京大学名誉教授、一般社団法人日本ユーザビリティ医療情報化推進協議会(JUMP)理事長
医療情報を活用する、日本の医療、世界の医療の発展のために活用すべき。JUMPで活動。
IT推進本部デジタルガバメント分科会会長。
デジタル化がもたらすもの 先進諸国のめざす方向 マイナンバーの活用推進
『第3の波』でも指摘されているが、IT技術をもっと活用すべき。 個人情報の活用、IT技術の活用にはリスクもある。リスクをコントロール、最小化し、ベネフィットを最大にする。
給付、サービスの最適化 一定の基準で平等、公正に。正確に、早くするために個人IDの活用
民間企業が利益のために活用することによる問題
今日の議論における欠落  比較衡量の視点の必要性  リスクを最小化しつつ、メリットを最大化する リスク”ゼロ”は非現実的  私的企業活動と公共的利用  通常時の制限と非常時の活用 利用制限と収集制限   収集しても利用を制限する方法もある  制度整備の促進を 被害者の救済策と被害拡大の抑制   ある程度のリスクが発現した場合に、どうやって被害を最小化するか
現代の医療  疾病構造の変化 高齢化と生活習慣病  医療技術の発展 個別化医療 希少疾病  医療政策の転換 治療から予防へ これらを実現するためには、全国民についての生涯にわたる健康情報の蓄積が必要 PHR
医療分野における情報活用 1.個々の患者に対する最適な医療の提供 2.生涯にわたる国民の健康管理 3.医学及び医薬品・医療機器等のイノベーション 4.医療資源の最適配分 5.医療保険財政の持続可能性
国民IDと情報の結合  全国民に付番されたIDに基づいて、各所に保存されている健康情報を紐づけられることが必要  →個人情報保護との調整が必要  現状:レセプト(NDB)、DPC、がん登録、特定健診等の既存のDBの結合が課題  医療分野におけるIDの活用は決定済。ただし、マイナンバーは使用しない。被保険者番号を使用し、識別子を使って過去の被保険者情報と結合  ①研究・開発のために匿名化されたビッグデータの活用  ②個別患者の治療において、過去の診療情報の活用を可能に    機微性の高い情報にどうやってアクセスするか
医療等情報の連結推進に向けた被保険者番号活用の仕組みに関する検討会 https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_05744.html
災害時の個人情報活用  災害時   多数の被災者と限られた救済資源   効率的な安否確認、家族等の安否・所在確認の必要性   医薬品等の必要物資の調達とデリバリー   避難所での生活支援  海外   ID(カード)の活用による情報の結合と共有   非常時における本人確認と救済支援活動の効率化   日常的な個人情報システムの整備   個人情報保護の仕組みと有効かつ効率的システムの構築 リスク評価を含む費用対効果の分析
非常時に使うためには平時に情報の蓄積が必要だが、リスクを無視していいというものではない。 比較評価をして、便益、リスクを取捨選択しなければならない
システムを作るときのコストは産出されるが、長期的なベネフィットは試算されていない
14:00〜14:30(30分) 5.「個人情報保護と医療・医学研究 憲法の観点から」  曽我部 真裕 京都大学教授
基本権同士の調整の問題 情報法の問題であるとともにその背景にある憲法の問題でもある
多くの憲法学者は、憲法で保障されるプライバシー権には自己情報コントロール権が含まれ、個人情報保護制度はそれを具体化したものであるとする。
憲法学説の主流:自己情報コントロール権説  憲法13条で保障 プライバシー権理解は私人間にも通用
佐藤説 道徳的自律存在としての個人
自己決定の観念  実定法上、どの程度貫徹されているか  そもそもなぜ自己決定が必要なのか?
個人情報保護法において同意が果たす役割は限定的  行政機関個人情報保護法では更に余地は限られている。
GDPRではもっと同意のプレゼンスは大きいが、限られている。
それ自体が人格的自律に深くかかわるようなものとは異なり、プライバシーの文脈での情報自己決定は、ごく一部のセンシティブ情報を除けば、それ自体が人格的自律に関わるものでは必ずしもなく、手段的なものだと理解される。
社会通念上不当な取り扱い及びそれに起因する不利益を防止するのが目的で、自己紹介・同意の要素は基本的はそのための手段
「同意」は本当に有効か
医療の発展による社会全体の便益 学問の自由 介入制限 研究者共同体の自律
個人情報保護法76条1項3号の趣旨は? 実体法的? 権限分配的?
2000個問題 研究倫理指針
規制の統一性
論究ジュリスト24号
14:30〜15:00(30分) 6.「医療分野におけるAIの活用と法的課題」  新保 史生  慶應義塾大学教授
汎用型AIの開発は途上 薔薇色の夢から現実的な用途へ
AI利用への信頼は?
AIによる読影 医師の診断と異なる場合は?
インフォームドコンセントが意志の責任軽減の手段になってしまう?
希少疾患は患者が分かってしまう確率が高い。通常の疾患でも6割程度は特定可能
過剰反応と過小評価
カルテ等の診療情報の活用に関する検討会報告書
診療録の作成・保存は義務
責任の所在が問題
東京地判平成7年7月28日  承諾が必要
自己決定を由来としてインフォームドコンセント
説明すればいいのか?
自己情報の開示請求権の行使という考え方もできる
21st Century Cures Act
第3部:我が国における防災情報の課題 15:15〜15:45(30分) 7.「防災と名簿」  加藤 尚徳  KDDI総合研究所・理化学研究所AIP
防災と2000個問題 南海トラフ地震 要配慮者名簿の取扱
医療トレーサビリティ推進協議会
真備地区の水害と個人情報の問題  避難所により避難者情報の取扱いに違い  体育館に紙の名簿を張り出すところもあった  受付票の電子化を住民が申し出たが、個人情報への配慮から行われず  別の小学校では住民の個人のPCで入力し、出力したものを張り出した
協力機関に受付票は開示されなかった
被災者 「何回も何回も、同じことを聞かれた」
発災する前に必要な情報は取得する必要がある
倉敷市連合医師会  個人情報保護の観点から情報が共有できない  どこに誰がいるのかさえ分からない   昼間、作業している人に晩御飯がない…  必要な支援に繋げられない   在宅被災者の問題 自宅から動けない人と医療
指定避難所に逃げられない 名簿の重複とメンテナンス
災害に関連した3つの名簿  要支援者名簿…事前に名簿化   共有前提 要支援者の定義にばらつき 手上げ方式  避難所名簿   複数作られる 管理者不明・不在の名簿 名簿の拡散  被災者台帳…行政(基礎自治体)が作成 住基台帳とリンク   罹災証明の発行に使われることも 物が中心
3つの名簿は相互関係がないので、紐付けできない
基礎自治体ごとに作られるので、リンクしない 非住民は捕捉できない
単一ID(国内)を使った紐付け+お薬手帳、レセプト、銀行口座、センシングデータ 等々
IDの悉皆性を担保できるか 異同を捕捉できるか 時間軸の中でシームレスに繋げられるか 他の情報追加できるか
レセプトデータ(GS-1コード)
第4部:総 括 15:45〜17:20(95分) 8. パネルディスカッション 「防災、医療と個人情報の利活用」  司会 森田 朗 津田塾大学教授/JUMP理事長  鈴木 正朝  新潟大学教授・理研AIP・JILIS理事長  山本 龍彦  慶應義塾大学教授  加藤 尚徳  KDDI総合研究所・理研AIP
す 3・11で問題が浮上。もう1つの問題は老々介護。医療・防災についてはみんなが考えてくれる。具体的な利活用の問題はシンパシーを得やすい。共通、具体的な問題から考えていく。
や 医療IDを用いた連携については監視国家論からの批判があるが、自分は肯定的である。自由の促進の面もある。システムを作り、どういう場面でファイアウォールを引き抜くのか?医療情報の利用目的は多様。「公共の福祉」の濫用は不信感を招く。製薬会社がどれくらい責任を持つのか?AI関係ではデータの偏りの問題がある。少数派の診断の品質。 スマホを持っていない人の情報は取りこぼされる。
か 防災の場合は、FWを引っこ抜く時期は明白だが、事前の情報収集をどう進めるか。IDがないが故のFW無し状態。バックグラウンドで動くIDは不可欠ではないか。
も 行政の現場で、どういうときに何が必要なのか。認知症で独居の高齢者をどうやって助けるのか。その人達に同意を取るということは?
す 日本の戸籍制度は世代間を貫いて情報が整理されている。一方で、新たなDBは腫れもの扱いされている。 平時の有事に備えた名簿整備は生存権に関わる。法制度が父権主義的に立ち入ることについて提示し、反応を見てもいいのではないか。理論を緻密に積み上げ、やっていいこと、やってはいけないことを考える。
や 同意至上主義、同意絶対主義というのは、どこの地域、どこの国でも取っていない。リスクを防ぐための保護を先に考える必要がある。リスクを踏まえた制度作りが必要。集合的同意の調達と制度 地域包括ケアにおける同意の弊害については、平時のFWであり、発災時の利用をどうするか、正当に使うことをどうやって担保するか。
か 「同意」といった場合、誰に対する同意なのかで違ってくるのではないか。対国家と私人間では違うのではないか。p2pかc2pか2gか。主体をベースに考えられていた同意が、目的に依ってくるのではないか。 データ活用における財政目的をどう考えるのか。
や 保険医療制度の維持と密接に関係している。パブリックなインタレストとガバメントのインタレストが混同されることがある。財政はパブリックというよりもガバメントの利益。ガバメントの利益であることを正面から言って、説明を尽くす。ナッジの議論、健康ファシズムの問題。ナッジが効きすぎると強制になってしまう。
も 財政上に必要なのはアグリゲートされたデータ。個票ベースのデータは必要だが、必要なのは蓄積と数量。エビデンスベースドポリシーメイキング 基礎データを集めておくことは国民にとってプラスになるが、何の為に、誰に使わせるかは注意が必要。 データを資源としてどのように評価するか。
す 金の切れ目が命の切れ目になるのが社会保障制度の問題。国内の分断が共感ベースでの社会保障を切断しかねない。憲法がどこまで支えてくれるのか。 DBの便益を最大化し、リスクを最小化するために、憲法が防波堤になるように、今のうちに検討すべきではないか。大きな弊害の前哨戦として。 最低限をどこに設定するか、価値観の確認をしたい時期。
や 憲法が要請している福祉国家の在り方自体を再検討すべき時期であるということには同意する。どこが民主主義に委ねることができない部分か。救貧の部分はそれであるが、防貧と混同されている。生活保護制度は救貧である。
か 組織的なボランティアは情報もきれいに使う。海外での支援の経験があり、費用についても計画的。精神論で乗り切るのは勘弁してほしい。根性論で社会設計して、根性論で乗り切れというのはあんまりだ。データを蓄積して分析していくことが必要。防貧の面でお金を削っても生きていけるだろうというのは根性論。データを積み上げ、緻密に見ていくべきではないか。
す エビデンスベースで政府を小さくしていくというのが大局であろうが、様々なデータで支えていくしかないだろう。濫用を規制し、どのようなデータを集めるかはパターナリスティックに政府が進めるしかない。この分野に注力するというのを決める。濫用抑止の為に透明性を高めて欲しい。資格の確認、直罰規定などで確認ができるように、権力側の動きを可視化できるように、制度を作ったうえで、プログラムによる社会へ。愚行権と全体に関わる部分の切り分けが必要
や ボランティアに税制的な優遇措置やポイント付与というやり方もあるし、スコアと結びつけるやり方もあるが、それも問題が出てくるのではないか。
か 仕組みがないと情報が使えない、情報が保護できないというところがある。情報管理の仕組み、資格を作って、災害時の情報管理を行うということはどうだろうか。防災の局面では必須ではないか。
も 情報をどうするかということを考えるときに、自由権が重要ではあると思う。 20世紀の後半からは受給権が重要になってきた。「健康で文化的な最低限度の生活」をエビデンスに基づいて決めるためにはきめ細かいデータが必要ではないか。
や どれくらいのお金が必要で、どのようなアーキテクチャが必要なのか、エビデンスに基づいて国民の同意を得ることが必要。データを出すために、どれくらいの特定性が必要なのかは重要。マイナス面をきちんと言っておくのは必要。
も 民主的に政治で決めると言った時に、1票の価値を厳密に同じにするということはどれくらい重要か。
や 最高裁は1対1を憲法は厳密に要請してはいないとしている。
も 都市部の利益が反映されやすい。政治的なバイアスが出てくるのではないか。選挙制度のもたらすバイアスをどうやって是正するか。 世代ごとに代表権を変えるという議論もある。少なくともそういう事実があるということをデータとして出していく、その為のデータ収集は必要。
す エビデンスの一定割合は個々人のデータになり得る。ルールメイキングをする場所をある程度、収斂していく必要があるだろう。人口減少で地方自治が全うできないという段階に至った時に、地方の仕事と中央の仕事を仕分けていくときに、個人情報の扱いを寄せていく必要があるのではないか。 広域災害時のルールはどうなるのか。法治国家の空白ができてしまうのか。テロの時はどうなるのか。先送りはできない。今回の改正でどうなるのか。
も AIが入って来た時にどうなるのか。
や 医療、防災とAIではデータの偏りが気になる。どういうデータを使ったのかが重要になる。マイノリティを弾いてしまうということがあり得る。アルゴリズムの適正さ、データの公正さをチェックする機関が必要になるのではないか、検証可能な仕組みも必要では。
か AIとデータの処理という観点から考えると、偏りによる差別をどう防止するか。処理の禁止、処理に付されない権利の保障、処理に対して異議申し立てをできる権利が考えられるが、最後のものが重要ではないか。 探索の為に解析する段階では広範なデータが必要になる。防災のように万人の命が懸かっているものについては、対象からの除外ではなく、結果に対する異議申し立てが最適ではないか。
す 防災においてはAIによる意思決定支援が初動段階ではあっていいのではないか。 日本はAIでも劣後するのではないか。ゴミデータではなく、構造化され、クレンジングされたデータがでてきた時に初めてAIを使えるのではないか。 やってはならないことをピン止めする。
も AIを入れなかった場合、なんでやるのか。開業医の高齢化が進んでいる。支援をさせる仕組みを入れる方が良いのではないか。高齢者の運転事故の問題もある。災害の場合、非日常の判断を求められる。判断の支援を積極的に考えて良いのではないか。
閉会 17:20〜17:30 閉会のことば  森田 朗   森田行政学研究会 会長
何の為に法制度があるのか。日本社会が変わりつつある今、維持するために、何をすべきか。 基本的なデータを集め、利用については厳しいチェックを入れる。FWを具体的にどのようにしていくのか議論すべき。
2 notes · View notes
2ttf · 12 years
Text
iFontMaker - Supported Glyphs
Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖ×ØÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号//  ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥ��ҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
see also How to Edit a Glyph that is not listed on iFontMaker
6 notes · View notes
xf-2 · 6 years
Link
嘘つき新聞の朝日新聞によるお得意の事実の改竄記事から。 【「いつ同じ目に」消えぬ解雇不安 年越し派遣村10年】  2008年の暮れ、東京・日比谷公園に現れた「年越し派遣村」。リーマン・ショックで仕事だけでなく住まいまでも失った非正規の労働者らが多く集まり、脆弱(ぜいじゃく)な働き方が広がっている実態を社会に知らしめた。それから10年。安定した働き方は増えたのか。 「御手洗さん、僕たちから仕事も住まいも奪わ… ~以下、有料会員専用記事のため省略~ (2018/12/29 朝日新聞) この年越し派遣村は派遣切りされた人達が 自発的に集まったものではなく 共産党がバスで運んできたものだったりします。 その後、年越し派遣村を政権批判の材料に利用した マスゴミと共産党、社民党、民主党は 東京都にこのかき集めた年越し派遣村の連中を押しつけますが、 元々が浮浪者の集まりで派遣切りとは関係なかった人達です。 で、この年越し派遣村を仕切っていたのが NPO法人自立生活サポートセンター「もやい」の代表だった 湯浅誠でした。 この湯浅誠はのちに菅直人が総理になると内閣参与にしました。 派遣切りと全く関係無い浮浪者の生活保護や住宅確保を支援する NPO法人の代表がなぜ派遣村を企画して仕切っていたのか? かつてリプラスという会社がありました。 連帯保証人不要サービスを業務とする企業でした。 「もやい」が浮浪者の連帯保証人となり、生活保護などを斡旋。 家賃保証を「リプラス」が行うということを2006年から開始しました。 リプラスからはもやいに寄付という形でお金が支出されていました。 これでそれまで業務をボランティアで賄っていた もやいが一気に収入を得ることになりました。 それまで伸びてはいたものの数百万円だった もやいの収入(寄付を基本とする)は 2006年には1600万円を超え、 2007年には2800万円を超えるなど大きく黒字化しました。 浮浪者への生活保護の斡旋と賃貸住居の確保。 これで寄付のキックバックをしてもらったり、 一般人にも寄付を募るビジネスモデルが 大きく黒字化することになり、 一気に規模拡大となっていくわけです。 ところが2008年秋、リーマンショックとともに このビジネスモデルが大きく崩れました。 今でもこちらにニュースリリースが残っています。 【「リプラスの連帯保証人不要システム」に関しまして】 「リプラスの連帯保証人不要システム」に関しまして 平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。 さて、去る9月24日に株式会社リプラスが破産手続開始決定されたことに伴いまして、弊社ホームページ上の一部の物件でご案内しております「リプラスの連帯保証人不要システム」がご利用頂けなくなりました。 他の保証会社の連帯保証人不要システムのご利用可否等につきましては、物件毎に異なりますので、詳細に関しましてはお手数ですが、都度弊社営業担当までご確認下さいますようよろしくお願い申し上げます。 2008年9月30日 レジデントファースト株式会社 「もやい」が浮浪者への住居と生活保護斡旋を行い、 「リプラス」がその浮浪者達の名義を使って手数料ビジネス。 この構図がリーマンショックでリプラスが破綻することで崩壊しました。 松山大学に「もやい」を研究した論文があります。 ----- 生活困窮者支援団体の設立と展開 ―― 認定 NPO 法人自立生活サポートセンター・もやいの事例研究 ―― (松山大学論集 2015年12月発行)----- この論文から一部抜粋します。 リーマンショックでリプラスが 9月24日に破産手続き開始の申し立てを行った事を取り上げ こう続けています。 ----- 団体(※ブログ主注:もやいのこと)は資金協力の引上げという大きな危機を迎えることとなった。 この危機に対して,団体では10月1日よりインターネットを中心に「緊急カンパキャンペーン」を開始した。「このキャンペーンを多くの方々がブログやメールなどを通して告知してくださり,東京・中日新聞,毎日新聞などが記事で紹介してくれたこともあり,開始からわずか1ケ月半の間に〈もやい〉の年間予算を超える3,865万1,324円(11月18日現在)というお金が集まりました。」と報告されている。30) 加えて,年末年始の「年越し派遣村」の実施である。 2009年春号『おもやい通信』の中で稲葉は,「年末年始に労働組合と法律家などが中心となり,日比谷公園で開催された『年越し派遣村』には大きな社会的反響がありました。」と記している。事務局長の湯浅が「村長」を務めていたが,団体としては参加していなかった。しかし,「派遣村」の実施を機に団体の活動は広く知られることになった。31) 2008年度は,大口の寄付先の破綻という危機と派遣村の実施を経て,寄付金が1億円に達し,団体として最大の寄付金を受けた年となった。 ----- 年越し派遣村で湯浅誠ともやいをマスゴミが 積極的に宣伝したことで寄付金が膨れて1億を超えました。 年越し派遣村では派遣切りをされた人はほとんどおらず、 浮浪者の集団というのが実態でした。 これがために派遣村に集まった500人に ハローワーク職員が4000件以上の求人を持っていっても 125人しか申請せず、 生活保護を申請したものが大半という状況でした。 また、新党日本代表として現地に手伝いに行った田中康夫は 「テントを張っている人々は突如企業からクビを切られたような人では無く、日々飯場のような仕事をしている人であり、「日比谷公園に行けばメシが食えるらしいぞ」と聞きつけてやってきた人が多かった。」 「(共に運動をしている)日教組や連合、共産党系の組合などは、いくつもある自分達の組織の施設を開放するなど、やるべきことがあるのではないか」 とぶっちゃけています。 派遣村を作って政府批判に利用した 共産党、社民党、民主党の連中は この派遣村から誰一人雇うことはしませんでした。 そして政府と東京都に最後まで面倒を見ろと押しつけたのです。 さて、「もやい」の湯浅誠としては リプラスと組んで拡大してきたビジネスモデルが崩壊した直後に この「年越し派遣村」を企画して大当たり、 派遣切りの被害者ということにしてまんまと大量の浮浪者を 都と厚生労働省に押しつけることに成功したと言えるでしょう。 おまけに多額の寄付金が集まったわけです。 すぐに東京都と厚生労働省に集めた浮浪者を押しつける事に成功し、 数日のうちに派遣村は解散となりました。 これについて当時追跡取材をした記事が産経にありました。 以下。 ----- http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090113/trd0901132102017-n1.htm 【Re:社会部】「派遣村」の何だかなぁ…】  東京・日比谷公園の「年越し派遣村」。総務省の坂本哲志政務官が放った「本当にまじめに働こうとしている人たちか」という発言が猛反発を受けています。 村全体を見れば、坂本政務官の発言は「不適切」と言わざるをえません。 しかし、「何だかなぁ」と思うシーンが取材中にいくつかあったのも確かです。 1つは「厚生労働省の講堂の開放、勝ち取る!」という学生運動ばりの用語。勝ち負けの問題でしょうか。 http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090713/trd0907130833006-n2.htm でも、アンケートには「無断欠勤したら解雇された」「役所の担当者がいじわる」「何もしたくない状態が続いている」といった声も。そんな記述を読むと、やっぱり「何だかなぁ。派遣村」と、思わずにいられない。自己責任が貧困を招くケースもあるのだ。 年末年始の格好のニュースとなったこともあり、派遣村に寄せられた寄付は5千万円に達したという。 実行委の1人は当初、「あまりに大きすぎる額。2月にもインターネットで中間報告したい」と言っていた。 しかし、公表されることなく解散してしまった。最後まで「何だかなぁ。派遣村」である。(副編集長 赤堀正卓) ----- 集まった5000万円の寄付金の使途は結局明かされなかったこと。 学生運動のような扇動が行われたいたこと。 など、問題があったことを明らかにしています。 ユニオンだのの幟が大量に並び、 9条守れだの政権批判だのの幟まで堂々と並んでいたら 普通の人はおかしいと思うはずですけどね。 都から出された支度金を受け取った派遣村の少なくない人数が 酒やたばこ、はては遊興費に使ったりと、 酒に使い切って泥酔が続いて派遣村から追い出されるのまで出るなど 呆れる事態も発生していました。 支度金を受け取ったら姿を消した者も大量に出たりと、 派遣村の内容たるや散々なものでした。 ここまで書けばはっきりとわかると思いますが、 マスゴミや一部の人達は年越し派遣村を 「派遣切りをされて住むところも失った可哀想な人達」 という設定にしていますが、 実態は全く違うものだったということははっきりさせないといけません。 だからといってこれからの派遣切りにはまた別の角度から 考えておく必要があります。 財務省の消費税増税による不況維持拡大政策で 大きく冷え込んだ国内景気に対応する為に 人件費調整場面において 経団連と連合の労使馴れ合いによる 「全てのツケを若者に押しつけて誤魔化した」 いわゆる就職氷河期世代、ロスジェネの問題があります。 いまだ少なくない人達が非正規の というよりも荒稼ぎしてきた派遣会社の主力が この氷河期世代だったと言っていいと思います。 その氷河期世代も40を超えるようになり、 派遣会社としてはもてあまし始めているところもあるでしょう。 派遣会社はただ仕事を斡旋してマージンを取っているだけなので 斡旋する先が無くなれば勝手に契約が切れるわけです。 病気等になったらすぐに契約解除できるように 契約に書いてあったりと 社会的責任もなにも取らないで済むビジネスモデルで、 派遣のピンハネ率の規制すらないのです。 派遣切りや非正規雇用の低賃金ぶりを批判するのなら 派遣会社も批判するのが筋ですが、 マスゴミ各社が自前の派遣会社を作って 自社グループに派遣する形を取って 実質的に二重取りしているんですから、 派遣会社の問題の方に触れないのは 彼らにとって当然なのでしょう。 特にキー局のそれぞれの看板ニュースバラエティには 日本一非正規が多い事で知られるイオンがスポンサー なんてところも多いですしね。 経団連としては年を取ってきて使いにくくなったロスジェネを もっと若い使い捨て労働者に切り替えたい。 そこで外国人労働者を拡大させろとやってきただけだと言っていいでしょう。 そこに相変わらず連合が結託している構図。 野田佳彦や財務官僚の悲願である 景気にとどめを刺して再び不景気に引き戻す という目的を含んだ消費税10%への増税というものが こうまで強く進められている状況にあっては 企業は再び景気後退に備えることになるでしょう。 そして派遣が真っ先に切り捨てされる。 大晦日に書きましたが、 不景気を維持することによって増税スパイラルへもっていこうという 財務省のやり方は 安全保障という観点においても 日本国民の敵と断言できるレベルの物です。 財務省は現在に至っても消費税を上げても景気は悪くな���ない と言い張っています。 ならなんでいま必死に不景気にならないように 消費税増税分をすべて景気対策に回すなんて事を 安倍政権が言っているのか? 財務官僚は国民から審査を受けることが無いので 「どうせ批判と不満が強すぎたら政権が倒れるだけ、俺達は関係無い」 というスタンスです。 ロスジェネを生み出し、切り捨て、 新たなロスジェネを生み出そうという財務省の方針、 そして財務省の官僚どもからお目こぼしをもらえると 空手形を鵜呑みにするなどして消費税増税をしろと主張する 経団連、経済同友会、連合、マスゴミ各社。 日本の将来を考えるのなら 消費税増税は必要ありません。 そんなものはインフレが加速しすぎてからやればいいだけの話。 日本はといえばまだはっきりとデフレ脱却したと言えないレベルなのです。 2%のインフレ目標すら達成できていないんですから。 まずは「財務省による官制不況」という病気が完治するまで 増税は禁止すべきなんです。
4 notes · View notes
oniwastagram · 2 years
Photo
Tumblr media
📸MOA美術館“茶の庭” / MOA Museum of Art, Atami, Shizuoka ——観光地・熱海を代表する美術館は和の建築や庭園も推し! 堀口捨己、内田祥哉らが復元した豊臣秀吉の“黄金の茶室”、尾形光琳の京都の屋敷を再現した“光琳屋敷”…2017年に現代美術家・杉本博司率いる新素材研究所により展示室もリニューアル! 静岡・MOA美術館“茶の庭”の紹介は☟ https://oniwa.garden/moa-art-museum-atami/ ...... 2022年秋に超久々に訪れました。以前初めて訪れた頃は美術館目的で“茶の庭”をあまり庭園として捉えてなかったけど…今となってみると和の建築家や茶人、旧三井財閥ゆかりの和風建築が点在している…!🏡 . その歴史について。新宗教団体・世界救世教の創始者で、東洋古美術のコレクターでもあった #岡田茂吉 の構想を下に1957年(昭和32年)に開館した『熱海美術館』がその前身。 同じく岡田茂吉が蒐集した美術品を展示する『箱根美術館』(国指定名勝庭園『神仙郷』)とは姉妹館的な関係。 . その後1982年に現在の『MOA美術館』が開館。尾形光琳『紅白梅図屏風』🖼をはじめ国宝3点・国指定重要文化財は約70点所蔵。 . コレクションはもちろんすごいのだけど、美術館の建つ高台からの相模灘・初島・伊豆大島のロケーションが絶景…🌊 というのも相まって観光地・熱海の代表的な観光スポットの一つ(テーマパーク的な存在)で、日本の古美術を扱う私設美術館としては珍しい若いお客さんもすごく多い。 . 熱海駅側から訪れるとひたすら長いエスカレーターが続く、まるで神殿のような広大な美術館…🏛ここでは庭園を中心に紹介したいので本館の見所はサクッと。 . まず2017年に新素材研究所によりリニューアルされた展示スペース。美術品を守るガラスには最先端の低反射高透過のガラスが採用され、「遮るものがまるで無いような」状態でアート鑑賞ができる。 美術館にもたくさん足を運んできたけど、ここまで存在感のない(顔をぶつけそうになる)ガラスは初めて。すごい。ロビーにも新素研デザインのソファや杉本博司の『海景』などが展示されています。 . そして金箔の輝く『黄金の茶室』。桃山時代、豊臣秀吉が『京都御所』に運び込んで正親町天皇に茶を献じたのをはじめ、「北野大茶会」や九州・名護屋の陣屋、最後に大坂城内に運び組み立てたとされる茶室🍵 . 大坂夏の陣の際に焼失してしまった幻の茶室を、当時の大名や茶人らが残した文献を下に、堀口捨己監修 / #早川正夫 設計 / 内田祥哉・稲垣栄三両教授の協力の下で復元したもの。 . そしてモミジや笹類で青々とした“茶の庭”へ。 迎えてくれる「唐門」とその先にある「片桐門」は神奈川・大磯に近代に造営された三井財閥の別邸(旧三井家別邸城山荘、現『大磯城山公園』)より移築されたもの。 . 印象的なデザインの「片桐門」。その名が示す通り、武将・片桐且元ゆかりの門で、三井家の手に渡る以前は奈良の国指定名勝『慈光院』にあったとか。 . この空間のメインの建築は江戸時代の画家で“琳派”の代表的なアーティスト #尾形光琳 🎨が過ごした京都の屋敷を、光琳自筆の図面などの史料に基づいて1985年に復元した『光琳屋敷』。 お屋敷と茶室の前には露地風の庭園が広がります。 続く。 - - - - - - #庭園 #日本庭園 #美術館 #建築デザイン #ランドスケープ #japanesegarden #japanesegardens #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #japandesign #japanmuseum #artmuseum #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #landscapedesign #atami #庭院 #庭园 #国宝 #茶室 #堀口捨己 #露地 #茶庭 #おにわさん (MOA MUSEUM OF ART) https://www.instagram.com/p/CmmEIqoPkA9/?igshid=NGJjMDIxMWI=
1 note · View note
kshogaki · 7 years
Photo
Tumblr media
床の前が点前座。#元庵 #弘庵 #有楽苑 #犬山 #愛知 #日本 #japan #茶道 #chado #茶の湯 #chanoyu #抹茶 #matcha #緑茶 #greentea #日本茶 #japanesetea #茶室 #tearoom #織田有楽斎 #有楽 #堀口捨己 #nofilter (有楽苑)
2 notes · View notes
poetry-for-absence · 2 years
Text
桂離宮、アイゼンマン、和歌_20220507
この前、桂離宮の平面構成とピーター・アイゼンマンが何故か重なって見えた。
アイゼンマンは、チョムスキーの変形文法のことなどから脱構築といわれる造形を成したのだろうけれど、それは、英語の文法構造の、S,V,Oを順番通りに並べていくという規則・規範からの脱構築であり。
つまり、何が言いたいかと言えば、S,V,Oの交換が融通の効く日本語の文法構造に支持体をもつ感受性とは、はじめから”脱構築”されていた、のではないか。という仮説。
言語というものは、感受性の支持体なのだと言えそう。だから、言語的感受性はデザインや造形の感覚にとって大切になってくる。(このことは、石山修武さんも『生きのびるための建築』において述べていた。)(さらに付言すれば、言語は「具体の体験」と往還していて、螺旋を描いて転回してゆく。)
つまり、母語である日本語において考えて構造化していきたく思う、ということです。(日本語はクレオール語的ゆえにおもしろさがある。)
...
建築の造形から離れて、純粋に言葉の造形について思うときに、駄洒落や小咄などでの、同音異議語からくるマルチ・ミーニングについてが楽しく思うし、重要な思考の素材となる。レーモン・ルーセル、というフランスの詩人は、フランス語での多義を構成していて。そのことをミシェル・フーコーも論じていたりするが、母語がフランス語ではない私にはその深みは(まだ)読み取れない。だから、古い日本の和歌におおく触れて��たいと思っている。
建築家の堀口捨己は、歌人でもあり、歌会始めにも出席したと聞いている。氏の歌の一つを、夭折の詩人・建築家である立原道造は取り上げていた。(烏口に雪の寒さが沁み透る、というような歌)
詩歌というのは、秀でてクオリア模型であり、その作者の感じたことや周りの環境のことなどが結晶しているという点が感応を誘う。その点から、私の今現在の感じていること・感じ・クオリアと響きあい得る資料ともなりうる。そして、そこからの感受性がまた世界に響いてゆくということ。世界は「感じ」の交響から成り立つ。
建築の造形としては、素朴に澄んだものを想いたい。また、モノの、無名の水位において物を感じてやっていっていけたらいいな。
0 notes