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#就労支援いい・かげん
ari0921 · 16 days
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和六年(2024年)9月9日(月曜日)
  通巻第8401号  <前日発行>
 カマラの経済政策はカマラノミックスというが共産主義と変わらない
 カミュイズムはバイデノクスより左翼的政策のオンパレード
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 11月選挙、終盤戦に入ったが、上院議員選挙で共和党が51議席を獲て過半数を制する状況になってきた。
 激戦が伝えられるオハイオ州でトランプの支援を受けたバーニー・モレノ候補が猛追を示しており、ここが共和党となれば51議席確保となる。モレノはシールズ出身の軍歴に輝く。
 米上院は二年ごとに三分の一が改選される。2024年は民主党の改選議員が23,共和党が11議席だ。
 モンタナ州は共和党のティム・シーヒーが56% v 民主党候補41%で優勢にあり、ここにはリバタリアン党が2%、緑の党が1%を得票するだろうと予測されている。
 ウェスト・バージニア州はジム・ジャステス(共和党)が圧倒的なリードを奪っている。
 思いつきで次々と減税とかなんとかの「改革」を公約に掲げる民主党大統領候補のカマラ・ハリスだが、その経済政策を「カマラノミックス」というらしい。ところが内容を吟味すると共産主義と変わらない。
「労働者および低所得層に広く住宅を供給し、子供手当を手厚くし、生活に必要な食料雑貨品は誰もが買える価格に統制し、政府がさまざまな補助金を出して国民生活をサポートする」など、ついでに国民皆保険、大学まで教育費タダも言いかねない。つまり価格統制を含む社会主義、共産主義である。
だからコミュニズムならぬ、「カミュイズム」(カマラ主義)。
フランクリンミント・プレシャス・メタルCEOのアンディ・シェクトマンは「カマラノミクス」を徹底的に批判し「未実現利益への課税は、これまで聞いた中で最も『馬鹿げた反米的な行為』だ。多額の投資をしている人々に保有資産の売却を強いることになり、市場暴落を引き起こす可能性がある。どんな市場であろうと、市場は崩壊する」と警告した。
さて副大統領候補のティム・ウォルズ一家だが、知事選はウォルズに入れたけれど「大統領はトランプに入れる」由である。なんだかブラックジョーク?
 ▼ウクライナ戦争を一日で終わらせることは不可能だ
ウクライナ戦争に関してトランプは「ホワイトハウスに入ったら1日で終わらせる」と公言してきたし、いまもこの発言は撤回せず、自信に満ちている。
いや「就任前に」戦争を終わらせるとまで豪語しているが、そうなると就任前に二つのホワイトハウスが存在することになり非論理的である。
一日で停戦にいたるシナリオは実現性が薄い。しかし水面下では『平和計画』のプランがトランプ周辺でできあがっているようだ。それは「トランプ前大統領の国家安全保障会議で首席補佐官を務めた」人物たちが執筆し、ポンペオ前国務長官の計画とは異なるものだと専門筋がいう。
計画を考えたのはレーガン政権のときの安全保障スタッフだったヘイリー・バーガーとエド・ロジャーズが1991年に設立したBGRではないかと言われた。
その後、バーガーがミシシッピー州知事になったためBGRの陣容が変わり、ロシアの外国代理人も引き受けた。
戦争が始まり制裁が課されたためにBGRは2022年にロシアのロビィ活動を休業している。ロシア人大富豪のピーター・アヴェンとミハイル・フリードマンが米国の制裁対象となったからで、BGRはワシントンにおけるロシアのロビー活動を中断した。
BGRは23年にはサウジアラビア政府とのロビィ契約も終了。以後、香港政府の代理人をつとめる。一時期、ブルームバーグが「トップクラスのロィビィスト」と評価したこともあったが、このロビィストが平和計画を練りあげたという情報は真偽が疑わしい。
ウクライナ早期停戦のトランプ計画は、次期安全保障担当補佐官が確実といわれるポッテンガーらの名前も挙がっているが、詳細は不明。 
そもそもトランプは「制裁は好ましくない政治的手段だ」としており、げんに在任中にはロシアの新興財閥オレグ・デリパスカへの制裁を軽減したことがあった。
下記サイトの一分目あたりに、その写真がある。
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triflingdoodle · 21 days
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在日をやってると100
 最近、文章やスピーチをお願いされることがチラホラとあって、内心、「僕なんかに依頼して大丈夫なのか」と戸惑いながらもせっかくだしと引き受けては後になって後悔するというのを繰り返している。
 自分で読み返すと、語彙力も無いしなんて程度の低い感想文なんだろうと思うし、後になってあれも書けなかったこれも書けなかったと気が付いて反省することが多い。
 このブログでもシェアしたけれど、関東大震災の朝鮮人・中国人虐殺から99年目の2022年の9月1日にはGQ JAPANに「関東大震災朝鮮人虐殺事件から99年目──僕たちは差別を止める側、弱者を助ける側に回れるのか?(https://www.gqjapan.jp/culture/article/20220901-great-kanto-earthquake-massacre)」というコラムを書かせてもらった。2年経ったいまは在日クルド人をターゲットにしたヘイトスピーチがかなり危険ところまできていて社会はなかなか良い方向に進まないなと暗い気持ちになってしまう。  過去も現在も未来も、あの問題もこの問題も繋がっているというのがわかるようなのが書きたいなと思いながらなんとか書き上げて掲載してもらえたけれど、読み返すと、あのこともこのことも書けなかったし書くべきだったなと密かに反省していた。特に虐殺された中国人や社会主義者のこと。虐殺された社会主義者のことは僕の記事では完全に抜け落ちてしまっているし...。まとめて語られがちだけれど、数の多い朝鮮人の話がメインで語られる傾向があるけれど、そうなることでみえなくなっていることがある。虐殺された中国人ついてはぜひ @fukuyoken3daime さんのツイートの連投を読んでみてほしい。 (https://x.com/fukuyoken3daime/status/1830043385396342866)
 今年はいまのところ、2つのコラムを書かせてもらっている。一つは8月6日に発売された、広島から平和を希求するマガジン「TO FUTURE ZINE 2024 -ISSUE 18-」で、2023年と2024年の入管法改悪についての文章を書かせてもらった。もう一つは、先日開催された「スナック社会科横浜映画祭#2 特集:飯山由貴」の配布資料に掲載される文章。
   TO FUTURE ZINEの方はネット(https://online.recordshop-misery.com/items/88231992)で購入可能です。「スナック社会科横浜映画祭#2 特集:飯山由貴」の方ですが、公開して良いとのことなのでせっかくなので掲載しておこうと思います。作品をすでに観た人もまだ観たことない人も少しだけ違う視点をで作品を観れる文章が書けたらいいなと思いながら書いたけれど、読み返すとやっぱり上手く書けていないなと思ってしまって、あちこち手直ししたい気持ちになってしまう。でもいまそれをする時間の余裕もないのでそのままにしておきます。 
無題(スナック社会科横浜映画祭#2 特集: 飯山由貴映画祭 によせて) 
初めて飯山由貴さんの作品を観たのは、2022年10月15日、16日と京都の龍谷大学響都ホールでの「オールドロングステイ」の上映会に実行委員会の一人として参加させてもらった時だった。 
ヘイトスピーチデモのカウンター行動で知り合った友人が、 僕が入管収容の問題に関心を持ち 大阪入管に収容されている人たちや一時的に収容から解放された仮放免の状態で生活してい る人たちの支援をしていることを知っていて映画に興味があるのではと声をかけてくれた。 
入管の��収容者や仮放免者を支援するようになって、 難民、 犯罪等で在留資格を取り消され た人、 技能実習先から逃げ出すなどさまざまな理由で非正規滞在となりそれが発覚し収容され た人、ほんとうにいろいろな人と出会ってきた。 いつも支援をしながら 「特別永住」という在留 資格で生活する自分の状況と彼ら彼女らの状況を照らし合わせて考えてしまう。 
支援を始めてすぐの頃、「永住者」 が犯罪で在留資格を取り消され退去を迫られている現実に 衝撃を受けた。「日本にしか生活基盤がない人に帰れってどういうこと?」 という僕の素朴な疑 問は世間一般の日本人にはなかなか理解してもらえない。 
難民が入管に強制的に収容されているというのも衝撃だった。 「特別永住」の在日朝鮮人の 中には戦後、政治的な迫害(済州島四・三事件など)から逃れるために「密航」してきた人たちも いる。 元技能実習生の面会では彼らが戦前戦後の朝鮮人労働者の状況と重なった。 
特別永住の資格ができる狭間で在留資格を得られなかった��国人の老夫婦の帰国の支援を したことがある。 最初は「密航」で日本に来日し、親戚を頼って生活していたが、あるとき摘発さ れて大村収容所に収容され強制送還となってしまった。 「特別永住」の資格ができたあとに観光 で来日し、在留期限が過ぎた後もオーバーステイのまま滞在しずっと大阪でひっそりと生きてた という。 僕と出会った時の夫婦の年齢は80歳前後。 病気で倒れるまで現場作業でバリバリ働 いていたけれど、 非正規滞在のため健康保険も非加入で公的支援も何も受けられず、どうにも ならないと帰国することになってしまった。 1度目の強制送還がなければもしかしたら 「特別永 住」を取得する道もあったんじゃないだろうか。 僕よりも長く (最初の来日から数えると50年 以上)、ただ働いて生きてきただけなのになぜ医療も生活保護も受けられず日本から追い出さ れないといけないのかいまだに理解ができずにいる。 
日本人と外国人の間に引かれた線、 特別永住の外国人とそれ以外の外国人の間に引かれた 線、 永住の外国人とそれ以外の外国人の間に引かれた線、 あちこちに引かれた見えない線がほ んとうに正しいのか社会に問いかけるにはどうしたらいいのか。 そういうことを日々考えてい たときにたまたま観ることになった「オールドロングステイ」は大きなヒントをくれたように感じている。  外国人登録令による日本国籍喪失とその後の参政権や社会保障からの排除、 民族教育を否定 する通達、日本国憲法の制定過程など植民地主義を根にするさまざまな問題、ハンセン病療養 施設における朝鮮人差別と格差是正運動、 帰化制度における差別、 在日朝鮮人の中の障害者差別など、 在日であり障害者であることで受ける差別の背景に広く深く迫ることで引かれた線を次々に可視化しているのが良かったし、普段はなかなか可視化されない声なき声を描くのに、安易にわかりやすくして伝えない、受け手の本気度が試されるような表現の仕方もおもしろいと思った。  その後に観たのは、戦前に都内の私立精神病院に入院していた2人の朝鮮人患者の診療日 誌のことばをモチーフに、ラッパー・詩人の FUNI の声と身体で映像化した作品「In-Mates」。 この作品は東京都の指定管理施設「東京都人権プラザ」で開催された企画展「飯山由貴 あな たの本当の家を探しにいく」 (2022年8月30日~11月30日) において上映が禁止とさ れて大きな話題となった。 (詳細は記事を参照→東京都人権部による飯山由貴 《In-Mates》上 映不許可事件は、何を問うのか https://t.co/7fk561FzCn )
上映禁止について語られることが多いこの作品。 自分自身が在日朝鮮人であり、さらには父 親がアルコール依存症で精神科病棟に強制入院となってその中で死亡していること、そして、今 現在、入管の収容施設に強制収容されている人たちや、仮放免という身分で一時的には外に出 られたものの、 就労も、 健康保険加入も、移動の自由も制限され、ほとんど何もできない生活を 強いられている人たちの支援をしていることもあって、 強く心を打つ作品となった。 患者 A、患 者Bの生きてきた環境やそれによって形成されたアイデンティティを想像すると言葉にならな い感情が湧いてきた。 
入管の被収容者や仮放免者の支援をするようになって”自由”に対する感覚が随分とかわっ た。 アクリル板の向こう側、 握手すらできないところで何ヶ月も何年も小さな部屋に閉じ込めら れている人との会話。 仮放免された瞬間の表情としばらくして就労もできず結局は自由がない 生活に苦しんでいる表情。 
「In-Mates」のエンディング、ニーナ・シモンの「I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free」は支援で出会った人たちの表情を思い出してしまいとても重かった。 
無いことにされてしまっている声、 叫びに気付き可視化していく飯山由貴さんの作品。 この先も追いかけたい。
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extracts-sheep · 7 months
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倉本圭造@新刊発売中です!
@keizokuramoto
川口市のクルド人問題に興味があってもSNSには「ガチ右翼さん向けに煽りまくった情報」しか見つけづらくてよくわからない、という人向けに客観的な現状のまとめと落とし所の提案を書きます。この問題は背景情報をよく知らずに脊髄反射すると、川口市の担当者や埼玉県警が過剰に排外主義的に”見えちゃう”ところに問題があり、例えば先日放映されたアベマプライムの番組などは、よく調べずにテキトーな印象論をぶつけあうだけに終わった結果、本来わかりあえるべき部分でも過剰に対立が演出されてしまい出演された川口市議の荻野さんの印象が物凄く悪くなってしまっていたのが可哀想でした。
・ 1●クルド人特有の背景を知った上で議論しないと無意味 まず、川口市のクルド人問題は、他の在留外国人の問題とはかなり違う背景があることをまず理解する事が重要なんですね。 というのは、あえて批判的な言い方をすると、査証免除措置(トルコ国籍者は観光ビザも不要)で来日したあと、そのまま勝手に居着いてしまって既成事実化し、「難民申請」をすることで「申請中」の宙ぶらりんの状態で長期間滞在して子供も産んで…という形になっているクルド人が多いってことなんですね。 クルド人問題について議論する時に、「この部分の話」を無視したままだと、例えば川口市長だったり川口市の議員さんだったりが言っていることが物凄く排外主義的に見えちゃうのが注意が必要で。 「正規の在留資格」じゃないから、就労許可がない人もかなりいるし、健康保険への加入も不可になってしまっている人も多く、実態として「制度の谷間」にいる人が沢山いる状態なんですね。 そこには他の外国人とは全然違う難しさがあって、そもそも正規の在留許可がなければ「住民票登録」もしてないからいったい何百人、何千人いるかも正確にはわからないし住民税も払っていない状態が続いている。 それでも市内で子供が生まれたら面倒を見なくちゃいけないし、公教育でも受け入れなくちゃいけないし、”無保険者”がかなりの数でいると考えられる中で病院でのトラブルも解決しないといけない川口市の担当者から見たら切実な問題なんですよ。 こういう”制度の谷間問題”に対して、川口市自体は完璧とは言えないまでも自分たちのできる範囲でかなり頑張って小中学校で差別なく受け入れようと取り組んできた事実があると思います。 スマホ片手に「クルド人の人たち可哀想ぉ〜日本のレイシストどもなんか●ねばいいのに!」とかSNSで発言して、10分後にすっぱり忘れちゃえる人たちの目線で解決できる問題ではない。 ・ 2●素人論でなく「専門家の知見」ベースでの解決の模索が必要 一方で、2月初頭にNHKでこの問題が取り上げられた時には、世界の移民問題の専門家である一橋大学の橋本直子先生がかなり事前に番組スタッフさんにレクチャーを繰り返し、単に「クルドの人たちが可哀想だ、なんで助けてあげないんだ!」というメッセージだけでは終わらない深堀りがなされていました。
もちろん、制度の狭間に落ち込んでしまって困窮しているクルド人に対して何らかの対処が必要な事はリベラル側から見ると言うまでもありません。 ただしその「対処」の実現は、単に ・実際に共生している川口市民の懸念を「このレイシストめ!」と叩き切るだけ ・欧米の国家でも当然に行われている出入国管理実務上に必要な制度的問題を全部無視して「人権の大事さを理解しない日本政府が悪い」と断罪するだけ …では実現できないということです。 NHKの番組放映後橋本先生はSNSの右翼さん(のうち一番ヤバい層)から 「このハシモトって奴はお花畑の多文化共生論者だぞ!こいつは日本をぶっ壊すスパイだな!実は中国人に違いない!」 …とか言われまくってましたが(なぜ中国人ってことになるんだw)、むしろリベラル側から「あの位置に旗を立てに行く」ってことがどれだけ明確な問題意識と勇気が必要な振る舞いなのか、理解が必要だと思います。 SNSの右翼さんに言いたいのは、「日本は日本人のための国です!出てってください!」みたいな、アメリカ的文脈に直接翻訳したらガチ問題視されるような発言をそのまま主張しまくったって先進国日本で実現するわけないってことです。 一方で、橋本先生が旗を立てていこうとしている「受けて立つリベラル」みたいな路線をキチンと国際社会的に説明可能なロジックを通して実現していけば、 公正で人道的で、かつ「厳格な」出入国管理政策 …を実現し、制度の谷間に落ち込んでヒドイ目にあう人を減らしつつ、かつ右翼さん側の懸念もある程度満足させられる着地点が見えてくるでしょう。 また、この問題について興味があるリベラル側の意見を持った人は、単に「レイシストどもめ!」というふうに斬って捨てに行くと、「実際色々困ってる川口市民」が丸ごと排外主義に飲み込まれていく事に注意するべきだ��思います。 むしろリベラル側の人は、実際に川口市の担当者や埼玉県警が現場レベルの共生策を実行しようとかなり頑張っているプロセスを否定せず迎えに行って、そこにどういう支援が足りないのかを政策的・世論的にサポートするような役割を果たすべきです。 アベマの番組に出ていた荻野市議なども含め、川口市や埼玉県警は、SNSの「ガチ排外主義」の人に比べたら遥かにマイルドでリベラル寄りの感性を持った上で現実的な落とし所を模索しており、その「現実を見た対策」を丸ごと「リベラルの敵」として断罪していたらこの問題は解決できません。 ・ 3●リベラル側が目指すべきざっくりした「落とし所」はこのあたりでは?という提案 ざっくりした結論として、橋本先生の言う「公正で人道的でかつ厳格な」政策という意味でこのクルド人問題の落とし所を考えるとするなら、以下画像のようなところになるのだと思います。
アベマの番組にクルド人当事者として出演されていたユージャル・マヒルジャンさんが、2022年のトルコ地震後1500人ぐらい一気に川口にやってきて、彼らは日本の風習にも馴染めていないから問題を起こす人もいる…みたいな話をシレッとしてたんですが、いやいやちょっと待ってくれと(笑) いまいる人口を、どうやって「馴染んでもらうか」という話をしている時に、そんなダダ崩れに次々と入ってこられても困りますという話がありますよね。 主権国家として「どこかで線を引かなくてはいけない」としたら、そこに引くのはリベラル側としても大枠は理解可能なことなのではないでしょうか。 そういう方向で「際限なく開いている国境をキチンと管理するようにする」ことと引き換えに「正規の滞在許可」を出していくことは、多くの場合すでに滞在しているクルド人側にとっても望むところでしょうし、結果として川口市に住民税も入るようになりますし、健康保険に若い労働者が沢山入る事は日本の財政的にも望ましいことでしょう。 ・ 4●「実態と建前」が乖離しまくっていた状況の解消が始まっている 私の経営コンサル業のクライアントの建築会社の社長いわく、既に日本の「現業」的な職場は外国人なしには成り立っていないとよく言います。 「SNSの愛国者さま」がいかにSNSで排外主義を叫ぼうとも、実際そういう人が汗水流して現場作業についてくれるわけじゃないんだからしょうがないじゃん、という側面は明らかにある。 今の日本はその「理想と現実」の間で物凄くナアナアな抜け穴だらけの制度を運用してきて、制度の狭間で様々な不幸を生んできてしまっています。 今後それを「責任を持って正常化」していく流れは既に起きつつある。 SNSの右翼さんは単に「ガイジンどもを叩き出せ!」的な事を吠えるだけでなく、出入国管理実務をできるだけ「シンガポール型」の厳格なものに近づける事を目指すべきなのだと思います。 一方でリベラル側は、単に実際に起きている不幸を全部「レイシストの日本人ども」「人権を理解しない悪辣な日本政府」のせいにして終わりにするのではなく、「受けて立つリベラル」として徹底した文化統合策を細部まで後押しし、 「実際に困ってる川口市民の懸念にちゃんと応えられるのは右翼さんより自分たちなのだ」という事を具体的に示していくことが求められている …といえるでしょう。 ・ 5●「米国のリベラルの公式見解」は「非英語圏」の実情と合っていない強者の論理にすぎず、無責任な放置を助長してしまう 「素人の印象論」的に終わってしまったアベマの番組と、「移民問題のプロ」が監修したNHKの番組との違いを眺めると、要するに 本当にリベラル的な良識を現場に即して実現しようと思えば、その対策には「アメリカのリベラルの極端な原則論」からすれば問題があるように「見える」ものが含まれる が、 むしろそこにちゃんと踏み込んで行く事が「今の時代の責任感あるリベラルの���勢」なのだ …という本質論が眠っているように思います。 例えば「日本で暮らしたいなら日本社会に馴染んでください」という右翼さんの求めに対して、「アメリカやカナダのリベラルの公式見解」をぶつけて終わりにしてしまうリベラル側の「よくある態度」というのは、移民問題のプロの中では問題があるという認識が浸透しつつあるそうです。 なぜならアメリカでそういう「公式見解」が成立するのは「英語とアメリカ文化のデファクトパワー」が圧倒的だからこそ成立する強者の論理に過ぎないからです。 逆にスウェーデンなどは、「スウェーデン語や風習を強制してはいけないのでは?」というような原則論的な理想主義を最初は掲げていたけど、それは逆にその層が社会から分離してゲットー化し、余計に排外主義的問題が高まる元凶になってしまったらしい。 だからこそ、非英語圏においてはアメリカにおいてのリベラルの原則よりも「明確に一歩踏み込んだおせっかい」をしていくことが、むしろリベラル的な良識を実現するために絶対的に必要だという事は、移民問題の専門家の間で徐々にコンセンサスになってきているらしい。 「今そこにある問題」に対して「現実的対処を求める層」を、「アメリカのリベラルの公式見解」から断罪して切り捨てるだけの簡単なお仕事しかリベラル側がしないなら、SNSで吹き荒れる排外主義を止めることなど決してできないでしょう。 トランプムーブメントが止められないアメリカ、ガチ極右政党が躍進していない国などほとんどない欧州の実情を考えれば、そういう「リベラルの公式見解で断罪しまくるだけ」でこの問題が解決できない事は明らかです。 ・ 6●「欧米の失敗」が明らかになってきたからこそ、一周遅れの日本はちゃんと対策ができる道が開けつつある NHKの番組後、橋本先生に直接感想を伺ったところ、 「ああいう発言をすればリベラルから袋叩きにされるかと思っていたが、案外クルド人の人たち御本人や、リベラル層からは好評価が多くて意外だった。おそらく、欧州の極右政権が問題になったり、米国のバイデン政権ですら何らか国境線をフルオープンにはできない事情が明らかになってくる中で、現実的な対処をすること自体を否定していてはいけないのだ、という風潮がリベラル側にも出てきているのだと思う」 …という話をされていたのが印象的でした。 このように、一周前の欧米の移民政策が明らかに問題を抱えている事が明白になってきたからこそ、「今までなら合意できなかったことが合意できる」流れを作り出せるはずです。 その先で「日本ならではの徹底した文化統合策」をいかに後押ししていけるかが問われています。 右翼さんは右翼さんなりにできる限りシンガポール型の着地を目指す一方で、リベラル側はどういう「包摂」を目指せばいいのか?については、リプ欄に貼ってある記事で詳説したのでぜひお読みいただければと思います。 リプ欄の記事では他にも、 ・実際に川口市でどの程度の問題が起きているのかを犯罪統計などから定量的に分析する ・実際に川口市で行われている共生を目指す政策の実例や、その路線をさらにサポートしていくのに何が必要なのか? …といった多様な論点を詳しくまとめてありますので、この問題に興味がある方はぜひ記事本文をお読みいただければと思います!
午前6:25 · 2024年3月2日
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kennak · 2 months
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伯父夫妻の息子である従兄弟とは、特に仲が良いという訳では無かったが親類が集まった時には 話したりする程度には交流があった。兄は自分より歳が近かったからもう少し付き合いはあったらしい。 従兄弟は中堅以上の私大を卒業後、ある市役所の職員になった。 安定した公務員になれた事を伯父夫妻はよく自慢していた。 しかし運の悪い事に配属された部署の上司が所謂ブラック上司だったらしく 従兄弟はかなりキツいパワハラ・セクハラ・モラハラを受け続けたらしく、精神を病み退職した。 一度だけ兄・父と一緒に様子を見に行った事はあるが、どちらかと言えば生真面目でしっかりした性格だった筈の従兄弟が ここまで生気がなく虚ろな表情を浮かべる人間になってしまったのかと、正直ぞっとしたのを覚えている。 後で聞く所によると、鬱病・適応障害の診断が出ていた様だった。 退職してからの従兄弟は、伯父夫妻曰く「引きこもり」。 しかし実際の所は、週1~2程度は単発バイトをしたり在宅で出来る仕事で少額を稼ぎつつ(伯父夫妻に冷蔵庫の使用禁止を言い渡され、 貯金から小さい冷蔵庫を買って部屋に置いていたらしい)働いていた時の貯金を削りながら生活していたそうだ。 また、たまに学生時代の同級生や、ネットのオフ会等には顔を出していたらしく、完全な引きこもりでは無かった。 だが生憎と伯父夫妻は共に「うつ病なんて甘え」「心の風邪とか言うんなら寝てたら治るんじゃないの?」「怠けている、努力が足りない」 という、年代を考えても心の病や現代社会の挫折にはまるで理解の無い類の人達だった。 父もその点を心配して会った時には色々言ってはいたそうだが、まるで響かず聞く耳を持たない様子だったとか。 また母も伯父妻とはたまに会う程度には交流があったものの、ウチの子はまだ働かず家でサボってばかりで困る…といった 愚痴をよく聞かされていたそうだ。 私も知っている人ではあるので多少は心配していたが、正直「引きこもりの従兄弟(と聞かされていた)」と どう向き合って接して良いか分からず、付き合いが疎遠になった事もあり、特に口を出したり また従兄弟自身と交流を積極的に持とうとした事は無かった。今ではそれを後悔している。 従兄弟が30歳近くになった頃、母が伯父妻経由で「◯◯君(従兄弟)は社会復帰に向けて色々頑張っている」と聞いた。 何でも、今まで従兄弟の引きこもりに困りつつも特に相談らしい相談をしてこなかった伯父夫���がようやく重い腰を上げ 知人から紹介されたというニート・引きこもりの支援団体に相談し、その団体の人達の協力で適切な支援の元、社会復帰に向けて動いているという。 従兄弟の状況が改善に向かっている(らしい)と知った時は、素直に驚きと喜びがあった。 本格的に社会復帰に成功したら一度顔を出しに行こうかと両親や兄とも話していたが、既に親元を離れ就職し それぞれの生活があったので、実現する事は無かった。 それから一年程して、遂に従兄弟が引きこもりを脱し、伯父家を離れ別の場所で支援団体の人達から紹介された 住み込みの仕事をしながら社会復帰に向かっていると母経由で聞いた。 今どき住み込みの仕事、という点に引っかかりを覚えたが、支援団体がやっているのであれば 引きこもり用の簡単な仕事(作業所の様なイメージ)をやらせているのだろうと解釈した。 当時はまだ、支援団体全般に「あまりお金にならない、人の役に立つ仕事をしている人達なのだろう」というイメージを抱いていた。 人間の善性を素直に信じていたといえる。 それから数ヶ月後、仕事中に実家の母からいきなり連絡がきた。 一体何事かと思ったら、「◯◯君の事で警察から連絡がきた!」と言う。 最初は詐欺?かと思ったけど、父が警察と対応しており、話を聞く限りは本物だという。 警察は従兄弟の身元引受人として連絡をしてきたと。 何故両親に…と思ったが、父はとりあえず従兄弟を迎えに警察に行った。 落ち着いたらまた連絡するから、と母に言われその時は終わった。 翌日、母から連絡があった。従兄弟の身元引受人となり、とりあえず父が自宅(実家)に連れ帰り、話を聞く事にした。 久々に会う従兄弟は以前顔を見た時より随分やつれており、精神的にもかなり不安定に見えたという。 結論から言えば、伯父妻から母が聞いていたという話は殆ど嘘だった。 伯父夫妻が知人から紹介された支援団体に相談に行ったのは本当だが、「適切な支援」なんてのは真っ赤な嘘だった。 従兄弟によると、実際は無理矢理部屋に入って来て威圧されたり怒鳴られながらの長時間の「コミュニケーション」。 それがストレスでバイトを増やして家にいない様にしたら態度が反抗的と見なされ、余計に対応は悪化するばかり。 また、数万円を渡され家を追い出され、当然お金が尽きて路上生活を余儀なくされたり(最終的には警察に保護されて家に戻されたという) 共同生活体験と称して、タコ部屋みたいな所に住まわされ重労働をさせられ、食事もまともに貰えない奴隷の様な「合宿」をさせられたという。 ますます精神状態が悪化した従兄弟は、余計に部屋に引きこもり両親との会話を拒絶する様になり(それまでは最低限の両親との会話はあったらしい) 家から逃げ出そう、しかしお金も無く(僅かな蓄えは従兄弟が「合宿」中にいつの間にか伯父管理になっていたとか…)派遣のバイトすらも 精神状態の悪化で難しくなり、どうにもならなくなった挙げ句に、最終的には生活保護を受給して生活しろと 支援団体の人間の「支援」の元、半ば無理矢理手続きをされ、家から離れた家で「自立」させられる事になったという。 最初は信じられなかった。が、母の「◯◯君が嘘を言っているとも思えない」とも言われた。 話している時の様子や怯えが尋常じゃないと。 また、従兄弟が引きこもりを脱したと聞いた際、(従兄弟と)一緒にお祝いの食事でも、と伯父妻に母が言った時に 結構強めに断れられた事もあり、何故だろうと内心疑問には思っていたそうだ。 生活保護を受けて住まわされたアパートは、従兄弟曰く「野宿生活していた方がまだマシだった」という地獄の環境だったという。 文字通りタコ部屋みたいな狭い部屋に数人の人間と共に押し込まれ(元ホームレス、明らかに認知症の気がある老人、 知的障害がありそうな中年男性、明らかに薬物等をやっていたかの様な形相の中年男性、という面子だったそうだ) 生活保護費は受給者証と共に取り上げられ、ボロボロのアパートには明らかに見合わない家賃や生活管理費用、 高額な食事代(1日2、3000円程取られ、レトルトのカレーやご飯、安い菓子パンにペットボトル1本、といった内容だったという)を 差し引いた金額を渡され、手元に残る自由なお金は残り僅か。 それすらも色々な名目で「罰金」を取られ更に減らされたり、同室の人間に盗まれたり、 それで少しでも不満を言うと支援団体の人間に暴力を振るわれ、更に罰金や食事を減らされたりするという、まさに地獄の様な環境だった。 話を聞いた両親は「刑務所の方がマシなぐらいの酷い生活」だと思ったという。 仲良くしようとも思えない不潔で異常な性質の人達との不潔で不便な共同生活、従兄弟はその中では比較的まともだった為、 最初は何とか生活を改善しようとしたが、それすらも生活を管理する支援団体の目についたらしく、些細な事で怒鳴られ暴力を振るわれ 罰金の名目で金を取られ食事すら満足に取れない日々に、さすがに耐えられなくなったので、手持ちの小銭をかき集め、遂に脱走を決意したらしい。 しかし、このまま自宅に帰っても、支援団体の言われるがままだった両親の元に戻った所でまた連れ返されるだけだと思い どうしたものかと考えた挙げ句、何度か行った事があり、最寄り駅や何となくの住所も分かり、そして何よりも「話をちゃんと聞いて、助けれくれそうな」 親類…つまりウチの両親(従兄弟からすれば叔父夫妻)の事を思い出し、向かう事にしたと。 しかし途中で交通費は無くなって数駅手前で下車。 そこからは歩いて叔父宅(実家)まで向かっていた所、不審者として通報を受けた警察に捕まり、事情聴取の際に 身元引受人として叔父(父)を指定したという。両親に連絡したらまた地獄に戻される!と思い、必死にお願いしたそうだ。 で、警察から叔父(父)に連絡がきて、今に至る…と。 正直、驚いたし怒りも湧いた。 嘘をついた伯父夫妻にもだが、怪しい支援団体にも腹が立った。 何でそんなおかしな、ヤクザや反社みたいな人間がやっている様な団体を頼ってしまったのだと。 話を聞いた両親は、伯父に連絡はしたものの、話を聞いてしまった以上しばらくは返せない、支援団体とは手を切って欲しいと言った所 伯父には激怒され、もう金を支払っているのだから(具体的な金額は知らないが、10万20万じゃきかないと思う)それは困る。 アイツには自立して貰わなければいけない、これ以上面倒なんて見きれないから全部(支援団体の)言う通りにしなければならない、と まるで聞き耳を持たない強行的な態度だったそうだ。 母にも伯父妻から連絡が来たが、同様の態度で全く悪びれた様子も無く、「これでは治るものも治らない」と母は思ったそうだ。 週末に実家に足を運んだ。同様に実家に来た兄と共に、両親と今後の事を話し合った。 伯父にも既に父が連絡をしていたが、結果的に嘘を吐いていた事をロクに謝罪しないばかりか あちら(団体)は勝手に脱走した事を非常に怒っている、早く返さなと信頼関係が無くなる、勝手な事をするな! といった事を繰り返すばかりで、話にならなかったらしい。 家族で話し合い、従兄弟から聞いた話があまりに酷かったのもあり、団体の元に返すのは難しいよね、という話になった。 もちろん伯父家の所にも。彼らが引きこもりやうつ病に理解がある人間で無い事は完全に分かったし、おかしな支援団体に というかぶっちゃけ反社かヤクザみたいな団体の所には返せないという事になった(HPを見る限りはちゃんとした団体に見えたけど)。 やはり、従兄弟が嘘を吐いて逃げようとしているとは思えなかったし、兄が以前聞いた事があるという「貧困ビジネス」の話と 一致する所が多くあり、伯父達は騙されたり付け込まれてしまったんじゃないかと。 伯父は元々思い込みが激しく一度決めたらこう!だと動かない性格だと父も言っていたので、今の状態では家にも ましてや団体が用意したというタコ部屋みたいな所にも戻せないと。 じゃあこれから従兄弟の処遇をどうしたら、という話になった。 従兄弟自身は、お金は後で必ず返すからしばらく漫画喫茶で寝泊まりする、といったのだが 両親はそれでは不便も多いだろうと、当面の間は従兄弟を家に寝泊まりさせる事になった。 これには私・兄も反対しなかった。この決断は後に正解でもあり不正解でもあった事を痛感させられた。 受給者証も取り上げられていたので、最寄りの福祉事務所等にも両親は相談に行っていた様なのだが、 これが仇となったのか、従兄弟が実家で暮らす様になって半月も経たない内に、団体のメンバーという人間が実家に乗り込んできた。 団体メンバーは初手から弁護士と主に来襲し、あなた達の行為は何ら解決にもならない、また従兄弟の意に反し(本当に言った) 従兄弟を家に軟禁する行為(これも本当に言った)は誘拐罪に当たると。 とりあえず従兄弟さんを引き取らせろ、それからは弁護士を通して話し合ってくれ、といって強引に連れ帰ろうとしたので、 文字通り押し問答になったという。団体職員を名乗った人間も弁護士も、外見は普通で口調も乱暴では無かったものの 言ってる事やってる事は完全にヤ◯ザかチンピラのそれだったと。どう考えてもまともな輩では無いと、両親は言っていた。 それは、その対応で疲弊した両親の代わりにこちら側の弁護士同席で対応した私・兄も同意見だった。 しかし調べる限り団体の人達に反社の陰は無く、公的な機関や他の支援団体などとも関わりがある様な「ちゃんとした」団体であり 表面上は「まともな人達」「弱者支援をしている正しい人達」だった為、それだけに人を人とも思わない様な彼ら・彼女らの言動が余計不気味に思えた。 団体側の意見は、自分達のやっている事は全て正しく(従兄弟の様な)弱者を助ける為にやっている事であり、 そんな我々を信用せずに悪質な団体だと思い込むあなた達はどう考えてもまともじゃない、おかしいとまで言われた。 あまりにも「自分達が正しくあなた達(一家)が異常である」という様な事を言うので、逆に自分達の常識がおかしいんじゃないかとすら疑った。 団体とは揉めに揉めて、弁護士も挟み何とか受給者証の返却には応じてくれたものの、管理名目で取り上げられていた 従兄弟の私物の大半は返って来ず(従兄弟も「もうあの人達とは一切関わりたく無い」と泣き寝入り)、これでやっと終わるかと思いきや 今度は私達がターゲットとなり、謎の嫌がらせが始まった。 どこで調べたのか、父の勤務先や母の仕事先に「(父は)長年不正を働いている」「立場を利用して便宜を図っているらしい」 「(母は)職場から少額の横領を繰り返している」「顧客として利用したが(母に)悪口を言われた」等の 嫌がらせ電話がどこからともなくかかってきた。もちろん根も葉も無い事実で、完全に嫌がらせだった。 さすがに皆が真に受けた訳では無いだろうが、嫌がらせをされる様なトラブルを抱えた人間と積極的に関わりたがる人間はいない。 父は定年後も嘱託職員として務める予定だったが、変な噂が立って居辛くなったと、定年まで数ヶ月を残して早期退職。 母も神経を病んでしまい、長年勤めていた仕事を辞める羽目になってしまった。 当時勤務していた職場にも、嫌がらせ電話やメールがきた。 内容を確認した上司によると「(私が)職務上の立場を利用して不正を働いている」「意図的に顧客の情報を漏らしている」 という旨の密告の電話・メールがあったという。当然強く否定した。そんな事をする訳が無いと。 しかし、信用を大事にする業種・職務・職場だった事もあり、結局私はそれまでの業務を取り上げられ、畑違いの別部署に異動が決定した。 その頃にはどこで漏れたか噂も出回っていた様で、疑念半分、でも皆大人だから直接口に出して疑いはしない、でも強く疑われているという空気は感じる。 そんな空気圧に耐えられなくなり、あっという間に神経を病んで仕事を続けられなくなってしまった。 兄の方にも嫌がらせの電話やメールはきていたらしい。 しかし、ITの特定派遣の正社員というやや特殊な仕事、「正社員だけど派遣、派遣だけど自社(と呼ばれる会社)には所属しているので正社員」という立場だった事もあり 「(自社の業務に)関わった事も無い、そもそも開発業務なんて殆どやっていないだろうに、どうやって業務の秘密事項を漏らすんですか?」 「退職しても良いけど、今の派遣先にはチームとして来ているので、TLの自分が辞めたら契約切られますよ?」と強めに主張して、仕事を辞める事にはならなかったらしい。 しかし後になってから兄は「嫌がらせされているという事実や、(自社の上層部に)変な目で見られる様になったのは辛かった」と零していた。 全て、従兄弟を追い詰めた、あの支援団体と揉めた後に起こった事だった。 当然支援団体を疑ったが、明確な証拠も無く、団体に直接問い合わせもしたが、無視か 「そんな事は知らない」「変な事を言いふらす様なら名誉毀損で訴える」と居直られた。 警察にも相談したが、そもそも犯人が誰だか分からないし、私達が主張する例の団体が犯人という証拠や根拠も無い、 よって捜査をするのは難しいし、噂を真に受けて被害を被ったのであればともかく、最終的には「自分で仕事を辞めたんでしょ?」と、 それを「被害」と認定するのは難しいとも言われた。 「不満があるのであればお互い話し合って…」と、被害届けすら受け付けて貰えなかった。 弁護士にも相談したが、仮に嫌がらせの電話が事実でも犯人を特定し団体の関与を認定する事すら難しいと言われ、徒労に終わった。 私達一家は、謎の嫌がらせ犯人に多大な被害を受けながらも、泣き寝入りするしか無かった。 結果的に、従兄弟を助けた事で私達一家の生活は滅茶苦茶になった。 伯父と揉めに揉めて絶縁状態になった事もあり、また地元にも変な噂が出回ってしまった事もあり、両親は長年住み慣れた土地を追われる様に離れ 慣れない土地で慣れない仕事をする生活を送る羽目になった。 定年後は、父は嘱託職員でゆるく働きながら、二人でゆったりとした老後を過ごしたいと言っていたが、 今は慣れない土地で慣れない仕事に追われ、二人とも年齢以上に老けて見えるのが悲しい。 自分は仕事を続けられなくなり、適応障害と診断され、当時交際していた相手とも関係が破綻してしまった。 今は何とか別の会社に再就職したものの、人生プランはかなり狂ってしまったし、今の仕事で嫌な事があったり 年収を計算する度に「前の会社にいたらこんな事には…」と思ってしまう。この後悔は一生消えないだろう。
引きこもりの従兄弟を助けたら生活が崩壊した
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warehouse-staff-blog · 4 months
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こんにちは 名古屋店 コジャです。
久しぶりにカバーオールの新作が届いてますよ。
WAREHOUSE & CO. Lot 2216 NEW DEAL PROGRAMS DENIM COVERALL \35.200-(with tax) ※ONE WASHは\1.100- UP
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《WPA》 WPAとはWorks Progress Administration(雇用促進局)の略で、アメリカの大恐慌時代に設立��れたニューディールの機関である。 1935年から1943年まで運営され、何百万人もの失業者を雇用して公共事業を実施した。
ニューディール政策のもうひとつのプログラムであるWPAのワークウエアたち。
フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領は、世界恐慌後1930年代初頭の深刻な経済問題に対処するため、市民保全隊(CCC)や事業進捗局(WPA)といった緊急救済機関を創設した。
1933年3月4日に就任したルーズベルトは、25パーセントの失業率に苦しむ国民に向かって宣言した 「われわれの最大の主要任務は人々を働かせることである」。「CCC」と「WPA」は、資格のある失業者に仕事を与えるだけでなく、国の環境、農業、社会問題を緩和するために結成された。「CCC」についてはこれまでにふれたとおり、18歳から25歳までの失業した青少年のためのプログラムで「Tree Army」の異名のとおり、これらは軍隊への自然な関心としての一環も兼ねていた。これに対して「WPA」は「雇用促進局」であり、対象となった労働者の平均年齢は40歳であった。彼らは新しい校舎を建設し、新しい病院を建て,雨水排水管と下水管を敷設し、新しい橋を架け、新しい飛行場を建設し、道路を舗装または修理し、ダストボウル中の表土の損失を軽減するために2,400万本の木を植えた。
1941 年 12 月の真珠湾攻撃の後、多くのアメリカ人が第二次世界大戦に派遣されたり、武器の製造や祖国での戦争支援を求められた。この需要とWPA のおかげで、失業率は 0% に近づき,その結果 1942年12月、ルーズベルトはWPAはもはや必要ではないと述べ、WPAの廃止を要求した。
この大規模なプログラムのなかでは、主に女性を中心に、労働に従事するブルーカラーのワークウェアが製造された。それは「SEWING ROOM」と呼ばれる縫製室であり、その衣料には「Made by W.P.A SEWING ROOMS ,NOT TO BE SOLD」(雇用促進局縫製室製品、売り物に非ず)と記載されたタグが付けられた。ソーイングルームのあったテキサス州では、裁縫師たちは自分の仕事に大きな誇りを持っていて、イニシャル「W.P.A 」は「We Patch Anything」(なんでも縫う)の略であると宣言した。彼女たちは古着を修理し、新しい衣服を作り、困窮している人々や「WPA」の労働者、つまり彼女たち自身が着用した。
「WPA」の衣料には興味深い特徴が二つある。それはデザインと縫製仕様だ。デザインについてはユニークともいえるくらい多様であるが、ベースがCCCで着用されたようなミリタリーワークウェアがベースとなっているが、スペックに基づいた厳しいルールを感じない。「W.P.A 」の衣料たちはユニークで多くのアレンジが施されているのだ。そしてもうひとつの縫製仕様については、当時は既にワークウェアの縫製では主流となっていた「還縫い」が無いのである。これは縫製工場の環境が大規模なものではなかったことが想像され、「工業ミシン」ではなく「本縫い」のみで作り上げる仕様で工程を踏んでいたためである。
このような理由から、ユニークなデニムのワークウェアが存在し、アメリカではCCCを凌ぐ勢いでコレクターが増えているWPA、その一着には激動の時代に産み落とされたアメリカーナの不屈の精神が宿る。
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と、世界史のお勉強となりましたが習ったはずなのに記憶が曖昧。。。 こんな風に好きな衣類と紐付け出来ていれば5点くらいは点数上がっていたかもしれませんね笑
歴史的背景を知って物欲を刺激されたのは置いておいてライトオンスにより気温が高まりつつある今時期でも朝晩の若干肌寒い温度差に丁度良いカバーオール。
元にしたVinatgeを載せたBlog(by Press 藤木)があるので是非そちらも御覧になって下さいね。
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【WPA DENIM CHORE JACKET】
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福岡店 隠塚もINSTAGRAMにて着用画像など載せてましたので、 こちらでも載せておきますね。
169cm,70kg SIZE:42(ONE WASH)
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〈ジャケット、シャツ、パンツ〉の3商品をリリース予定の"NEW DEAL PROGRAMS"ですが、先駆けてジャケットが入荷してまいりました〜 〈CCC(市民保全部隊)〉やら〈WPA(公共事業促進局)〉やらと、あまり聞き馴染みのない単語が出てきますが、、、ともかく、カッコいいカバーオールですよっ‼︎ ミリタリーウェア由来のシンプルなディテールやより古い年代のワークウェアを彷彿とさせるシングルステッチによる縫製などなど、派手さはないものの、"いぶし銀"的な魅力を放っています。 襟の形状や開き具合などは、どこかステンカラーを感じさせるのも面白いですね〜(コートの裾をぶった斬ったような印象です🧥) マニア心をくすぐる1着だと思います。是非。
by ONZUKA
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髙木にも着てもらいましょう。
173cm,60kg SIZE:40(ONE WASH)
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もう少し羽織り物で遊びたい方も多く、 こちらの新作デニムカバーオールもSold Out目前と差し迫ってきましたよ~。
間もなく夏到来の為、 あと少し堪能してから暫くは休息期間に入りますが、 シャツのようなアイテムは使う幅が広いので持っておいて損は無しっ!
是非御検討下さい。では失礼いたします。
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fuminaga · 2 years
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家庭がまともに機能していない場合、就労以前に生きていくのすら厳しくなってしまう場合もある。 そのような場合に、「お前には就労意欲がない」と言われても「最低限の衣食住もない状態で就労意欲を求められても、それより当座生かしてくれ」とならざるをえない。 働けば生きてけるんだから!!と説教すれば就労意欲が湧くのなら苦労はいらない。 もちろん、役所といえど未来永劫養ってあげなさいと言うわけにはいかない。 しかし、当座の生活に見通しも立たない状態で、就労意欲を先行して発生させろと言うのはあまりにも非現実的な意見であり、「当座の生活の上で、就労意欲は後から湧かせればよい」と言う対応をしていくしかない。
「実家が地獄」という若者たちの「見えないホームレス化」 公的支援にたどり着けないワケは?(弁護士ドットコムニュース)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
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wr16 · 1 year
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23-4-3
「自分は何をやりたいのだろう」と問いかけてみる。
具体的な答えが直ぐには何も浮かばなかったことにとても戸惑った。「健康になりたい」という願いにしても、それそのものが目的ではない。「詩を書き続けたい」ということは、そうであれたら幸せだと思う、一方で、それだけが目的と化したのであれば、そうして書かれたものに、私は価値を見いだせるのだろうか? それでは、今までどうして詩を書いていたのだろう、そして、どうしてそれをまとめ、詩集をつくり、販売する、等という営みをするのだろう? 「表現者になって有名になりたい? 」あわよくばという欲は無いわけではない、けれど、どうせ実現しないだろうと諦めはついている。
「ゆるがないしあわせが ただ ほしいのです」とくるりの歌詞を引いてみると、しっくりとくるような気がする。
その、揺るがない幸せのなかには、お互いの意思によって一緒にいることを選んだ人と家族になること、一緒に支えあって暮らすこと、詩を書き続けること、美しいものに触れること、この社会において���さやかであったとしても確かな生活から生み出された一個人達の切実な表現に触れること、微力であったとしてもその営みの一員であるという自覚をもつこと、その営みをどうすれば支える・援助することができるのか考えること、実際に行動すること、様々な過去や葛藤、憎しみに近いような感情があったとしても何かあったときには肉親を援助する事、などが含まれていて、そのどれが欠けたとしても、それは私にとっての幸せではないのだろう。
先日、就労移行のスタッフの口から出た「今、無理をすれば働けるかもしれないが、そうしていない、そうできないのは、○さんらしい働き方、生活の仕方をしたいという意志が強いからだと思います」 という、その時にはしっくりと来なかった言葉が、こうして自らの望み、願望を書き出して行った時に少し腑におちたように感じる。
なんにしても、生きていく為の生業は必要であって、それでいて生きるために稼ぐことで私の持つ力をすべて使いきってしまうとすればそれは私にとっては生きているとは言えない生活であって。
諸々の金銭的な事や、自らの弱さ、いたらなさを見つめるとき、肩の上に乗っている荷の重さにひしゃげてしまうような感想にいたるが、それは果たして大きすぎる望み、なのだろうか。
この、インターネット上に公開されてある、この日記帳と名づけただけの投稿に、こうして生活のこと、家族のこと、働くこと、病気のこと、諸々を書き連ねてしまうのは、それら全てが創作、詩を書くということと密接に関わっている事であるからだ。書かなくて良いことを書いていてしまうのかも知れないという自覚はある。いつまでモラトリアムを続けているのかと糾弾する声がする。
「無かったことにされたくない」と思っていて、自分なりに書くことをはじめた。それがいつしか、詩と呼ばれるものに近づいて、自らそう呼ぶことになっていった。詩集なのか小説なのかわからなかった冊子を作って、ようやく「詩集です」と差し出すことができるような詩集を作ることができた。尊敬していた絵描きのかたに依頼して表紙を描いて貰った。
the novembersのソングライターでボーカルである小林祐介がベストアルバムのタイミングでそれまでの自らの作品を振り返って書いた文章がとても印象に残っている。その時の切実な叫びが、哲学が、強迫観念が、痛みが、怒りが、欲望が、そのままの形として曲として残っていること、それを書いた主体もそれを受けとるリスナーもその時を追体験できること、そして、「小林祐介」というひとりの個人の考え方、生との向き合いかた、「あなた」との向き合いかた、社会との向き合いかたの変化(成長と言って良いのかも知れない)が、累積していくこと。
藤原基央に、小林祐介に、志磨遼平に、ジョン・レノンに、カートコバーンに、ロックスターに、どうしようもなく憧れながら、僕はそうはなれないだろう事を知っている。けれど、少なくとも僕自身のために、あるいは僕のことを知って、少なからず愛している人のために、こうして残しておく詩が、何かの意味を持つだろう希望に、魔法のような希望を、手放すことはまだできない。
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b-hiyori · 1 year
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こんにちは(๑′௰‵๑)
就労継続支援B型事業所 ひよりの
森下です○
暑い日が続きますが
みなさま体調など大丈夫でしょうか?
利用者様も皆さん暑い中
頑張ってこられています○
メダカの稚魚たちも
スクスク元気に育っています(๑′௰‵๑)
見ていると涼しげで癒されますね(✿´ ꒳ ` )♡
せっかくなら可愛い水槽の方がいいな。
とサクサク制作✨
いかがでしょうか(´-`)?
これからまたベビーラッシュが始まるので
しっかり準備してお子様に備えます💪
無理なく笑える毎日は
少し遠い希望かもしれませんが
ここにきている間だけでも
安心して笑っていられるよう
しっかりサポートさせていただきます○
見学、体験などいつでも
お待ちしています○
ではまた(๑′௰‵๑)
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manganjiiji · 8 months
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内省ましまし
ずと楽しみにしていたイベント(す〜ぱ〜コミックシティ)に行くことができなかったが、さもありなん。という感じだった。ここのところ全然、起きて出かけたり、用意をしたり、生活をしたりすることができない。でも冬だし、仕方がないし、できないときはできないものだと思って、自堕落に暮らしている。シティには行って即帰るくらいの気持ちでいたので、まあ行かなくても、というか、私が行かないことで誰も損しないんだから全然行かなくてもよかった、と思えて、よかったな〜となった(日本語崩壊)。もし私が行かなければならない場に私が行けないとなると、落ち込みが激しいが、そうではないので、別に落ち込む必要はないか、と思えた。2ヶ月前くらいから楽しみにしていたが、疲労から立ち直れなかった。物理的に無理なことは無理。私の体には明確な限界があるのだった。
午後の、友人との映画、劇団ドラマティカの「カラ降るワンダフル!」には無事行けた。友人とも久々の再会となりとても嬉しかった。これはあんスタのキャラクター達のなかの演劇部のメンバーを中心として、キャラクターが演劇をするという舞台。カーテンコールでは、役を演じたキャラクター達が出てきて、最後のカーテンコールで、キャラクターを演じた俳優たちがやっとコメントをするというマトリョシカのような構造で、カーテンコールが面白かった。劇中ではコメディだったので恐ろしいほどの数のアドリブ(ミニコント的なもの)が成されており、そのアドリブはキャラクターがやっているていでやらなければおかしいと思うのだが、どう考えても俳優の「地」が出ていて、そこはやはり賛否両論あったらしい。私は劇団ドラマティカおよびあんスタ関係の2.5次元には全く触れたことがなかったし、最近はもう2.5にそこまでの思い入れがないので、役者たちが楽しそうだなあと思って普通に楽しめた。そして2.5でもなんでも、板の上の世界ってやはりいいなあと思った。映画館で見たので、カメラがここを見ろと映してくれ、視点で迷うことなく物語に没入できたのも楽だった。とにかく衣装とウィッグがかなりレベルが高く、金のあるコンテンツってこういうところがめちゃくちゃいいんだよな、と思った。全員顔が良かったし、ウィッグがとにかく良かった。
そんな舞台を見たあと、最近全然動けてなくてまずいという話を友人と最後にし、別れた。帰路、ドラマティカを見て元気を貰ったのもあって、これからは少し頑張れそうだと思った。もしも病気がなく、私の精神が健全で、人間としてもう少しまとも(つまり年相応)だったなら、私も36歳ならばなんらかの管理職か何かに就くか、家庭でなんらかの役割をこなすかしていたかもしれない。子供がいればそろそろ小学生だったり、そういう年齢だ。しかしそうはならなかった。そのような未来および過去は存在せず、どうすることもできない現実の現在だけがある。どうすることもできない。もしもりっぱな36歳だったら、働くことも逃げることもできず虐待の呪縛から解放されないまま苦しんでいる友人の面倒を見るというか、居候くらいさせることができたかもしれない。しかし、そうはならなかった。そもそも、私が病気になっていないのであれば、私は健全な家庭でそれなりに真面目に育ったはずで、そうなると、被虐待者の友人たちと出会わなかった可能性が高い。また、私が彼女達の状況や感情を理解できなかった可能性が高い。それを思うと、私は加害され、病気になり、36でも未だにアルバイトしかできないこの体と、実年齢マイナス10歳くらいの精神しか持ちえないこの状態で、全然良かったと思う。苦しんでいる人の痛みを理解できないままに、ただ自分の幸福だけを追う、ただの勝ち組になるよりは、私は、弱者としてでもいいから、弱者とよばれる人たちの支援のために駆けずり回る人生でよかった。うつ状態や希死念慮がどんなものか、親(養育者)に迫害されるとはどういうことか、トラウマを乗り越えるにはどのような困難があるか、そういったことを十分に想像できるこれらの経験があり、本当によかったと思う。もし恵まれた側に生まれていたら、私の頭の悪さでは、頭の悪い方向にひたすら突っ走って、いわゆる弱者を切り捨てることになんの躊躇ももたない人間になっていたと思う。こんなに(当社比)こころやさしい人間になれたのは、やはり辛酸を舐めたからだと思う。そういう意味では親に感謝したほうがいい。最悪な子育てをどうもありがとう。あなた達がクソみたいな人間だったおかげで、私は人間性を獲得しました。これは本当に、もし良い親に育てられていたら私の人間性はここまで担保されなかったと思うので、よかった。まともな親でも子供がやばい場合は多々あるし、まともじゃない親に育てられたからといって、まともな子供になれるという訳でもない。世の中にはさまざまなパターンがある。私はたまたま親にも生まれにも恵まれて、そこそこまともな思考を持つことができた。自分ではまともだと思っているけれど(全くまともではない自覚を持っていることも含めて)、いやお前は邪悪だよ、と言われてしまったらそれはごめん、という感じだけど、私としては真剣に何が正しいのかということを常に考えているつもりです。私はずっと正しさなんてないと思っていたが、長く生きていくうちに、どうやらほんとうに「正しい」ことはあって、それを実践するのが人生のようだ、ということに気づいた。正しさとは相対的なものではなく、絶対的なものだ。これに関して、ひとつ今でも覚えている例は「産まれたばかりの赤ん坊を、窓から放り投げるのは正しいか」という問いだ。これは正しくない。これは明確に正しくない。どんな状況だったとしても正しくない。もし、この赤ん坊が育ったとしても、結局は口減らしのために殺されるとか、何か壮絶な困難が待ち受けているとしても、成長した赤ん坊が「あの時殺してくれていれば」と思うとしても、やはり、産まれたばかりの赤ん坊を窓から放り投げるのは正しくない。理由はさまざまにあるのだが(考えればわかることなので省略する)、とにかく正しくなくて、我々は、産まれたばかりの赤ん坊を窓から放り投げる人がいる社会を、どうにか生み出さないようにしないといけない。正しさがあるから社会は変わっていく、時代は進んでいく。人間が生きることは正しくて、死ぬことも正しいが、その死が正しくなければ、それは悲しい。おおむねそういう考え方で、人間は社会というものを運営している気がする。
生きることや生まれることは無条件に正しいのか。という当然の問いが生まれる。その問いに関しては、私は正しいと思う。思わざるを得ない。今私は生きているし、生きている期間以外の記憶が無いから比較できず、判断のしようがないため、ともかく生きていることを正しいと考えることが、現時点で不可避である。産まれないことや、死ぬことは今のところ未知なので、正しいのか正しくないのかそちらはわからない。ただ、私は生きているので、私以外の誰かが産まれないことや死んでしまうことにたいして悲しさを感じる。だから、私にとっては今のところ、生きることは正しい。全ての正しさの根本は結局のところ生きることになっている、というか、生きて、悲しくない暮らしをすること、ということになっている。「生きて悲しくない暮らしをすること」だけが、今のところこの世界の人々の多数派の「幸せ」の考え方で、私も多数派に属するのでそう思う。もちろんこの多数派に属さない人もいて、とくにうつ状態というわけでもなく、死ぬほうが自分にとって自然だからという理由で自死する人もいる。そういう人にとっては、産まれたばかりの赤ん坊を窓から放り投げる行為はもしかしたら正しいかもしれない。が、やはり、死ぬことを決めるのは自分であるほうがよいのではないか、と私は思う。そうすると、正しさというのは、自分のことを自分で決められることになるのだろうか。自分が生きるか死ぬか、悲しく暮らすか、悲しくなく暮らすかは、自分で決める。決めて実行する。それが正しさなのかもしれない。正しさ。やはり相対的なものなのだろうか。でも、この時代、この場所での「正しさ」というものはかなりの精度まで絞れると思う。絞ったとしても、例外がある限り相対的ではあるが、人ひとりが生きていくための関わりの中(たとえば、私にとっては、80年間くらいの、地球上の関わり)で共有される正しさというのは、注釈付きで絶対的と言ってもいいのではないかと思われる。
まあともかく正しさがあ���て、あると仮定して、みんな生きているから、こんなに毎日議論は紛糾しているんだなあということが、いつだか忘れたが唐突にわかった。無抵抗の市民を空爆して殺すことは正しくない。このことを「正しい」と考える人達がいるから実際に攻撃は止まっていないわけだが、私は地球上の全員が「正しくない」と考えることを願う。そして、正しくないことをやめる権利を全員がもつことを願う。人を殺すのは基本的に正しくない。ただ、お互いが殺し合うことを合意していて、フェアな状況であれば、人を殺すのもやむなし、という事もある(戦争)。それでも正しくはないと思うが。人は、たとえ何か不快なこと、人、ものがあっても、その不快を自分の世界に容認して、共存していく力がある。殺さなくても、生きていけるならば、殺さないほうがいい。ここでもまた無根拠な、生きていることが正しいという感覚が出てくる。なぜか。人は死に対して恐怖を抱くことが多いから。死にたくない、と思うことが多いから。死にたくない、と思う相手を殺すことは、相手の意志を無視しているから。となると、死にたい、死ぬことはとくに自分にとって不利益ではないと感じている人(うつ状態や希死念慮、精神疾患によりそう思っている人を除く)を殺すのは、正しいということになる。すくなくとも、正しくないとは言えない。こうやって考えていくと、正しいこと、正しくないことの線引きが明らかになっていく。産まれたばかりの赤ん坊は、生きたいと思っているか生きたくないと思っているか、それがわからないため、窓から放り投げて殺すのは、正しくない。その赤ん坊が明確に「生きたくない。死にたい。」と考えていると分かるならば、窓から放り投げるのは正しいかもしれないが、今のところその意志を確認しようがないため、正しくないとされている。やはり、本人の「意志」が重要なのだ。人が自分の意思で何かをしたいと思った時に、基本的にはそれが成されるのが正しい。ただし、そこで他人の意志を阻害しないのが条件。なぜなら他人もまたその人の意志を達成しようとしていて、それは正しいから。ということで、意志と意志が共存できない時、コンフリクトが起こる。その時に、どちらの意志のほうが正しいのか。「生きたい」と仮に思っている赤ん坊のほうが正しいのか、何らかの理由で赤ん坊を窓から放り投げたいと思っている人の方が正しいのか、私達は考えなければならない。このとき、また繰り返しで申し訳ないが、やはり「生きること」のほうが優先される。ひとりが生きてひとりが死ぬことよりも、2人ともが生きることの方が優先される。それが基本的には正しいとされる。可能性。1人しか生きないより、2人が生きたほうが、可能性が大きくなるから。何の?繁殖の。という、結局動物としての答えも出るには出てしまうが、それでも私は「意志説」を押したい。殺したいという意志よりも、生きたいという意志のほうが尊重される。殺すことは何度もできるが、生きることは一度しかできない(と私たちは感じている)。結局、この世界では人間はこの生きている間のことしかわからないから、生きることをとりあえず正しいこととして暮らしている。産まれる前や、死後のことも含む世界では、正しさのあり方もまた違うだろう。
2024.1.28
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ken1ymd · 2 years
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村木厚子さん
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助成の公募について
社会的養護のもとに育った子ども・若者たちの多様な自立を支援する伴走者を対象に、「若者おうえん基金」から助成金の給付をおこないます。 伴走型支援の経費補助を目的とした「伴走支援枠(上限150万円)」と、より広範な支援事業の補助を目的とした「先駆的実践枠(上限300万円)」の2つの助成枠を設けています。
応募要項をダウンロードのうえ、エントリーフォームよりご応募ください。
※現在、当団体の活動を他地域に広げる中間支援の担い手を募集する、「地域若者サポートネットワーク設立事業」の公募をユニバーサル志縁センターにて実施しています。 【休眠預金活用助成事業】 (2022年12月25日正午締め切り)
首都圏若者サポートネットワークとは
子ども・若者に対して、一対一で継続的な支援(=伴走型支援)をおこなう「伴走者」
支援に携わるさまざまな団体・個人、協同組合、学識者などが連携
①基金造成 ②助成金給付 ③就労・キャリア支援 ④調査研究・政策提言の4つの事業
発起人
村木厚子 首都圏若者サポートネットワーク運営委員会顧問 (元厚生労働事務次官)
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https://twitter.com/cyokuri/status/1612748787134660608?s=20&t=pvTfKxT2MmuKdGm90vM0Zw
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akikohatase · 1 year
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レポート 親子で参加!農業体験ミステリーバスツアー
夏休み企画の「農業体験ミステリーバスツアー」があり、8月6日(日)に息子と参加しました。
到着まで目的地は秘密。「農業」といっても、米も野菜も畜産もありますから、どこに向かうのかドキドキ。
結果から申し上げると、今回は、オーガニックの卵を生産する養鶏所と、最先端の植物工場、を見学したあと、農産物加工品のお買い物を楽しんで、最後に地元食材をたっぷり使ったスペシャルランチを食べました。詳細は下記からどうぞ!
一ヵ所目「ファーム アグリコラ」
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ファーム アグリコラは、札幌の隣町「当別町」にある養鶏所です。代表の水野さんが、アグリコラの特徴や、大切にしていることを話してくださいました。
アグリコラのこだわり01「飼料も国産オーガニック」
日本の飼料はほとんどが輸入。輸入飼料の大豆やトウモロコシは一般的に、遺伝子組み換えが使われています。アグリコラの特徴は、輸入飼料ではなく、国産飼料を使っていること。近隣の有機栽培をしている生産者と連携しているそうです。
また、人間と同じくニワトリも、腸内環境を良くすることが重要だそうで、サツマイモを発酵させた餌も食べさせています。
見た目ウケのために黄身の色を濃くしないので、飼料に着色料を混ぜたりもしていません。
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水野さんのこだわり02「平飼い、放牧」
アグリコラでは、人も家畜も心身ともに健康であることを大切にしています。そのため、平飼い&放牧スタイルをとっているそうですが、おかげで鳥インフルなどかかることもなく健康なんだそうです。
キッズの質問「平飼いと放牧って何が違うの?」
「鶏舎の中で放し飼いの状態で飼育するのが平飼いで、屋外でニワトリたちが外で自由に走り回れる状態の飼育が放牧です。」と水野さん。
一般的な養鶏の「ゲージ式」は、一羽あたりiPad一台分程度の広さのゲージの中で過ごし、鶏舎には窓がないそうです。
アグリコラのニワトリは、土を掘ってみたり、草をついばんだりする姿がほほえましく、みんな元気いっぱい。ずっと見ていられるくらいかわいかったです。
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水野さんが大切にしていること03「農福連携」
「アグリコラは、障害のある方が活躍できる農福連携の取り組みを行っています。」と水野さん。
就労継続支援A型事業所、つまり障害のある方も「仕事として」農業に従事できるということです。
「持続可能な農業」は、言葉にすると短いですが、ここに至るまでの相当なご苦労があったはず。人とニワトリの健康、食べ物としての品質、環境、きれいごとではなく全部大切にしながら、商売としても成立させていく。本当にすごいなぁと思いました。
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キッズからの質問タイム
Q. ニワトリは一日に卵を何個生むの?
水野さん「1日一個生めばいい感じです。ニワトリは25時間ごとに一個生みます。なので、毎日ちょっとずつ生む時間が少しずつずれて、午後3時くらいになったらその日は生むのをお休みします。なので、10日間で8~9個生みます。」
Q. このニワトリの卵からはヒヨコは生まれるの?
水野さん「ここにはメスのニワトリしかいません。メスのニワトリだけで卵を生むのだけど、人間と同じく、赤ちゃんが生まれるためにはオスのニワトリの精子が必要です(受精)。この卵は受精していないため、卵は孵らないのです。」
Q. ニワトリは何年くらい生きているの?
水野さん「ニワトリにも寿命があります。ただ、人間のおばあちゃんが赤ちゃんを生まないように、ニワトリも齢をとると卵を生めない身体になるの。私たちはニワトリからもらった卵を売ってお金にしています。ニワトリから卵がもらえなくなってしまうと、お金にすることもできません。なので、ニワトリには申し訳ないけれど、役目を終えてお肉になるということをしています。ちょっと悲しいけれどね。」
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二カ所目 現代式トマト栽培!?「Jファーム」の植物工場
夏は野菜がたくさん収穫できる季節ですが、北海道の冬は雪が積もります。当たり前ですが、冬は野菜の露地栽培ができません。一年中安定して栽培するために、巨大なハウスの中でトマトを栽培するJファームの「植物工場」を見せていただきました。場所は、札幌市東区。
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苗の見た目にビックリ!
中に入ってまず驚いたのが、ミニトマトの苗の背の高さ!全長はなんと7メートルくらいあり、長~いトマトの苗を天井から紐を使って吊るるように支えて、光の当たりやすい高さに調整しています。家庭菜園だと、1.7メートルくらいの苗を支柱で支えているので、その違いに驚きました。そして7メートルもあるのに、茎の太さは親指程度しかなく、思ったよりも太くないことに驚きました。
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トマトの生育環境に合わせて徹底管理
ハウスの中に入ると、モワッとした熱気が立ち込めるのかと思いきや、意外と過ごしやすい温度帯。この日がたまたま涼しい日だったというのもありますが、トマトが生育しやすい環境に温度管理は徹底しているのだとか。「水は肥料分を溶かしたものをチューブを使って与えています。時間帯や量を管理し、あえて根元が乾く時間帯を設けています」と工場長。
トマトの原産はアンデス山脈の乾いた高山地帯ですから、「暑すぎない」「乾いている」という環境をハウス内で作り出しているということですね。
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収穫量は一日4トン!
今回見学させてもらった品種は、「ダルダリー」というオランダ産のミニトマト。苗が長持ちするため、長期間の収穫にむいている品種ということで、今年から取り扱いを始めたそうです。
収穫量は現在、多い日で一日4トン程度。さらに最終目標は、その3倍以上の収穫量を設定しているそうです。
キッズの質問「もっといっぱい収穫するには、栄養の量を増やせばいいの?」
工場長「重量を上げるには、栄養も関係するけれど、二酸化炭素の量も大切です。光合成に必要なのは二酸化炭素。だから天井の窓を開けてハウスの中に外気を取り入れる調整が欠かせないのです。窓はコンピューターで自動制御しています」
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ちなみに、工場というイメージから収穫作業は機械なのかと思いきや、昇降機にのって人が手摘みしているそうです!
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車内では「野菜○×クイズ大会」
移動車の中では、○×クイズ大会。大人でも迷うくらいの絶妙な問題で、大盛り上がり。
司会の“みっちゃん”がさらに盛りあげてくれて、目的地まであっという間に到着する楽しい時間を過ごしました。
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思春期に突入した息子。周りよりも少しお兄さんだったため、最初は遠慮がちでしたが…しっかり楽しんでいるし(笑)
お待ちかねのランチタイム!
「サッポロさとらんど」に戻り、調理室でランチタイムの準備開始!部屋に入るとスパイスの匂いが…お、お腹が空いちゃったよ~!
サラダ作りプチ講座
子どもたちは、各家庭分のサラダづくりにチャレンジ!レタス類もフリルやベビーリーフなど何種類かあって、少しずつ形が違うだけで、玉レタス一種類だけで作る時と比べて見栄えが良くなることもわかりました。そして、野菜ソムリエプロの大澄さんが、サラダを美味しく作るコツを教えてくれました。
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美味しくなるポイント01「レタスのちぎりかた」
大澄さん「コツは、横にちぎるのではなくて、葉の繊維にそって縦にちぎると美味しくなります」。「ちょっとしたこと」なんだけど、試してみると本当に歯ざわりが違ってくるから、不思議!
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美味しくなるポイント02「ドレッシングの和え方」
ドレッシング…上からかけていませんか?「レストランではドレッシングは上からかけていないけれど、美味しいですよね?」と大澄さん。たしかに、ドレッシングが一ヵ所だけ集中してかかっているとしょっぱいですが、全体に均一に味がついている方が美味しいです。(なので、この見出しも「和える」という表現にしました)
均一に味を付けるコツは、ビニール袋に野菜とドレッシングをスプーン二杯入れて……フリフリ~!このやり方ならば、子どもでも楽しくお手伝いできそう!
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そして、まんべんなくドレッシングが行き渡ることで、ドレッシングの油分が野菜をよりツヤツヤに魅せてくれます。
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完成した、スペシャルランチはこちら!
食材は、ほぼ北海道産です!
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手前のミニトマトは、先ほど見学した「Jファーム」のトマト。 ピカピカで宝石みたいです!
プレートの中央にあるカボチャは、札幌市手稲山口の特産「大浜みやこかぼちゃ」、そして今が旬のトウモロコシ。
写真奥のカレーは、トマトと牛肉の夏カレー。牛肉は道内産で「キタウシリ」というホルスタイン種の肥育牛がたっぷり入っています。
そして、アグリコラの卵も「玉子サラダ」になっていました。 見てください、このクリーム色の黄身を! ”見た目ウケのために飼料に着色料を混ぜたりしない“とは言ってましたが、着色しないと黄身がこんなに色が薄いことを知りませんでした。
そして、黄身の色が薄くても、味はしっかり。それでいて全く臭みを感じない、澄んだ味でした。
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まとめ
近郊農場をめぐり、生産者さんの話を聞いて、最後は採れたて野菜や地元の食材たっぷりのランチで締める!農場見学もランチも大満足!頭も心もお腹も満たされる一日でした。
主催 農業魅力再発信プロジェクト推進協議会 運営・企画 HERB & COOKING KINA
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ari0921 · 5 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)5月8日(水曜日)
   通巻第8244号
 
北京から雄安新区へ新幹線が繋がった
  新都心プロジェクトに9兆円を投下して、現在『空っぽ』状態
*************************
 2017年はまだ中国夢想状態だった。 
 習近平の鶴の一声、河北省の農村地帯に新経済特区建設がきまり、第一段階は100平方キロの敷地、国際会議場、豪華ホテル、官庁街が突貫工事で進められ、2023年までに邦貨換算で9兆1500億円が投下された(ちなみにコロナ対策は7兆円余)。
 国家級の新区をめざし、上海の浦東、広東の深セン、重慶と並ぶ方針が決められた。当初の責任者は張高麗(当時=政治局常務委員第七位)だった。引退後、高麗は有名な女性テニス選手とのスキャンダルがでても、なにほどのお咎めもなかった。
 ブルームバーグは23年1月10日付けで「新都心は空っぽ」と報じた。
 強制移転組の役所があり、公務員の一部が在住しているだけで、無人コンビニに客が無人。高速道路はダンプカー、生コン、建設資材を運ぶ大型トラックの列が出来たが、コロナ禍以後はクレーンもとまった現場が多い。
 雄安都市がモデルとしたのは日本の「つくば学園都市」だった。つくばは構想から五十年、人口50万都市という大計画だった。現在ようやく23万人である。
 雄安新区は将来、2000平方キロの敷地面積となり、深センを越えるというグランドデザインだった。天津と北京と保定の三方からの風水線から選定されたため、「いまどき風水か」と批判も多かった。
 5月5日、北京西駅から雄安の白洋淀駅まで新幹線が繋がった。所要50分。2022
年12月に北京西駅と雄安駅とは新幹線が繋がっていた。都心部への延長路線で完成したのだが、写真を見る限り、乗客は少ない。
 「中国衰退」はもはや動かせない事実で、不動産バブルの瓦解、輸出不振、EV企業の倒産、若者の就労難など、コロナ禍の心理ストレスにくわえて、経済見通しの暗さは、あのタフな中国人にメンタルヘルスにや悩む人々を激増させているという(サウスチャイナ・モーニングポスト、5月7日)。
 ▼習近平は五年ぶりの欧州訪問でEU各個撃破の旅
 フランスを訪問しマクロン仏大統領と会談して歓待された習近平は、5月7日セルビアの首都ベオグラードへ入った。
 マクロンはウクライナの状況次第では『フランス外人部隊』の派遣を口にしたらしいが、ロシアの『プラウダ』(5月2日号)は「マクロンはナポレオン気取りか」と揶揄した。
旧ユーゴスラビア連邦の宗主国も、その後、七つに分裂し、セルビアに忠実なモンテネグロにも独立されたばかりか、コソボをもぎ取られた。そればかりではないミロセビッチ、カラジッチと歴代大統領が国際法廷で裁かれ、嘗ての民族の英雄は戦争犯罪人とされた。
 爾来、セルビアは中国に接近した。
 習近平がわざわざ5月7日をセルビア訪問日と選んだのは意図がある。
 25年前、何が起きたか?
米国はユーゴスラビアの中国大使館を『誤爆』し、三名が死亡した。近くに軍需工場があるので「ミステークだった」と言いつくろった。中国は怒り心頭、北京の米国大使館は襲撃され大使は命からがら逃げ出した。
 その三年後だった。筆者も現地を訪れてみた。旧中国大使館跡は芝生の更地となって犠牲者の追悼碑があった。そのとなりが、日本大使館である。セルビアとして国家編成以後、中国大使館はベオグラード旧市内へ移転した。
 セルビアにとって中国からの投資が最大となった。またEU諸国を除けばセルビアと中国の貿易は二番目に大きい。中国はコソボを承認していない。
 習近平はセルビア訪問を済ませると、5月8日にハンガリーを訪問する。
反ウクライナ、親中国のハンガリーはNATOの問題児、オルバンは『ハンガリーのトランプ』と言われる。
かくして習近平のフランス、セルビア、ハンガリー三ケ国訪問は、欧州の反ロシア、ウクライナ支援の協力体制に楔を打ち込もうとする外交の一環である。
 首脳会談で習の右隣が李希、左隣が王毅である。序列七位の李希がべったり張り付いている。これが中国の現在の『権力状況』を象徴している。
 秦剛外相更迭後、国務委員でもある王毅は若手に外相を譲っても良いはずなのに、世界中を『中国の顔』としてとび回り、習の覚えめでたしである。
外交方面とは無縁のポストにある李希は何者なのか?
かれは田舎で燻っていた地方官僚でしかなかった。李希が甘粛省延安市党書記の時にツキが回った。
文革で延安の隣村の洞窟に下放されていたのが習近平だった。その記念の建物などを建てて、李希は徹底して習近平に胡麻をすった。
下放時代に感傷的だった習近平は李希をいたく気に入り、その結果、地方官吏から政治局員となり、さらに上海市党書記に大抜擢され、トップセブン入りした。
李のポストは規律検査担当部署なのに、このところは場違いの外交について回っている。 嘗て中国外交に辣腕を発揮した楊潔チには出番がまったくなくなった。
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triflingdoodle · 7 months
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在日をやってると99
 社会学者の岸政彦さんが監修の「大阪の生活史」に聞き手として参加しました(昨年12月発売)。語り手は在日朝鮮人2世の母です。
 母からの聞き取りは、ずっと前からやらなきゃやらなきゃと思っていたのになんだかんで後回しになっていたので、とても良い機会になりました。
 本に載るとなると、母の承諾を得ないといけない。「嫌がるかもしれないなぁ」と思いながら本人に相談してみたところ、
僕「本に載るから母さんの人生聞かせて欲しいねん」
母「何それ?」
僕「岸政彦って学者さんの呼びかけで、大阪に関わりのある人150人の生活史をまとめて本にするっていう企画があるねん。東京バージョンがでてるねんけど、めちゃくちゃ売れてるらしいで。」
母「私の話なんか聞いて何になるん?お母さんの人生なんか聞いても何にもおもしろいことないやんか。」
僕「そんなわけないやろ。笑。まあ、それはそれでええねん。そういう企画やし、読む人が判断することやろ。」
母「うーん。まあ、別にええよ。」
とこんな感じで、意外とあっさりとOKに。
 そして、やっと実現した聞き取り。これまでほんとうに何も聞いてこなかったので、知らないことばっかり。ほんとうにおもしろかった。
 何回も大阪を離れて、その度に大阪に戻ってくるので、本のタイトル「大阪の生活史」にめっちゃ合っているやんと思いつつ、家族・コミュニティに振り回されながらも、なんだかんだで家族・コミュニティから離れられない人生だなと感じた。
 (カットした部分も含めて)母の話からでてくる男性は、僕の父や祖父、伯父、etcとダメな人ばっかりだった。当時は就職差別なんかもあっただろうし、簡単に仕事も見つからなかったりしたんだろうなとか、在留資格の無い外国籍住民の支援をしていることもあってか、将来に希望を持てずにダメになってしまったりする感じみたいなのは想像できてしまう。そして、その分の、負担が女性にのしかかる。(知ってはいたけど)母も祖母もほんとうにほんとうに苦労してきたんだなと、今回の聞き取りであらためて思った。
 関西人だからなのか、どんなに大変な話もオチがついて笑いに転換してしまう。聞き手である僕がついそういう流れを作ってしまったところもある。聞き取りが終わって文字起こしをするのに録音を聞き返していると、その場では気が付かなかった母の声のトーンに気がついた。大笑いしているようで、ものすごく辛そうに話している、笑っているシーンがちらほらと。全然感じを読み取れてなかったなぁと大反省しつつ、「笑わなやってられへんよな」とも。
 在日の話が取り上げられる時、今の時代でも、男性の話が取り上げられることがまだまだ多いように感じる。学校にも通わせてもらえずに、文字の読み書きや簡単な計算すらできずに育ったり、家事や育児、時には仕事も何もかも押し付けられて、自分の人生をあきらるしかなかったり、そんな在日女性たちの声が埋もれていっているなと感じる。
 そういう意味でも、今回、母の生活史が書籍になったことで、いろんな人に読まれているのは参加できて良かったかもしれない。個人的には、子どものためだけに生きてきたのに、酔っ払うと口癖のように「あんたには苦労をかけてほんとうに情けないし、ほんとうに申し訳ない」という言葉がでてくる母が、自分の人生をちょっとだけでも肯定できるきっかけになってくれたらと思う。(「大きい本屋に平積みやで」と伝えたら少し嬉しそうだった。笑)
 まあ、興味のある人は読んでみてください。
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jaguarmen99 · 1 year
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民主党政権で制度が改悪され、難民申請さえ出せば就労許可にもなり、審査で却下されてもすぐまた別の理由で難民申請を出すというのを繰り返せば、どう考えても難民扱いにはできない就労目的の不法滞在者がたとえ凶悪犯罪者であろうと強制送還を免れて居座り続けられる制度にされました。 これを悪用する連中がどどっと増え、悪用を支援する団体が偉そうに活動し、本当に救いの手が必要な本物の難民の審査が妨害される。 民主党のやったことは本当に人道的なのでしょうか?東京新聞などの反日メディアは偽難民が難民申請を何度も何度も繰り返す事を防ぐための今回の入管法改正について犯罪者を犯罪者ではないような物言いで持ち上げてまで改正反対の記事を書いています。 【入管法改正案は「無実の人に死刑執行ボタンを間接的に押すこと」 難民申請を繰り返さざるを得ない切実な事情】 外国人の収容・送還に関するルールを見直す入管難民法改正案の国会の衆院審議がヤマ場を迎えている。法案の柱は、難民認定を求める人の申請回数を原則2回に制限し、3回目以降は申請中でも強制送還できるようにする新ルールの導入。外国人支援団体などは「本来救済されるべき人が命の危険にさらされる」と危機感を強めている。(池尾伸一) 現行法では外国人が難民申請中は強制送還できない。出入国在留管理庁(入管庁)は、迫害された事実がないのに日本に住み続けるために申請を繰り返している疑いもあると主張。上限設定で送還を促進する考えだ。 ただ、入管庁が昨年に難民認定した202人の中にも「3回目以降」の人は3人いた。全国難民弁護団連絡会議によると、入管庁では不認定だったが裁判で判断が覆り、難民認定された例も過去25年間で約50件に上る。 難民認定ではないが、人道上の理由などで特別に日本滞在を認める「在留特別許可」を与えられたケースもある。2006年、ミャンマーから逃れた少数民族ロヒンギャのミョーチョーチョーさん(37)もそうだ。デモに参加して警察に繰り返し逮捕され暴行された。家族にも危険が及んだことから日本に逃げてきた。~以下省略~(2023/4/26 東京新聞)
偽難民の発生源となる制度も改めるべき | パチンコ屋の倒産を応援するブログ
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kennak · 2 months
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7月7日の都知事選に向け、都政の課題についてお伝えする「シリーズ都知事選」。今回は、中高年単身女性の困窮対策について。今年3月、都が策定した「困難女性支援基本計画」からも「すっぽりと抜け落ちている」という指摘があります。 ��性が訪れた民間の「相談会」。ミカンや飴をテーブルに置いたカフェが併設されていた=横浜市 東大院卒、非常勤講師41年 襲った生活苦 大学の非常勤講師として1983年からのべ9つの大学で、掛け持ちで歴史とドイツ語を教えてきた東京都区部に住む女性(74)が3月、首都圏大学非常勤講師組合の組合員とともに、横浜市で開かれていた「女性による女性のための相談会」を訪れた。 「生活が苦しいんです。生活保護を受けたい」 女性は1949年生まれ、東京大の大学院を出た後、1983年から都内の複数の私立大学で、非常勤講師として一般教養科目の「歴史」「ドイツ語」を教え始めた。 次々とやってくる「定年」 月収3万3900円 最初の逆風は1991年。大学設置基準の改訂で一般教養科目等の科目区分がなくなり、第2外国語が必修ではなくなった。多くの私立大で、ドイツ語やフランス語の講師が雇い止めにあった。女性も17年間勤めた私立大学を、整理解雇された。その後は、国公立も含む複数の大学で、かけもちで教え続けた。ピーク時は週に計12〜15コマを受け持ち、年収は330万円程度。ひとり親として子どもを育て、楽ではなかったが、なんとか暮らしは成り立っていた。 最近20年間で、昇給などにより1コマあたりの単価は上がった。しかし、担当するコマ数が減っていった。69歳の時は4大学で計8コマを教え、年収は50歳のころと変わらず330万円ほど。70歳で2大学、72歳で1大学の定年を迎え、74歳の現在は1大学で1コマを教えるのみとなった。現在の月収は3万3900円。この大学も今年で定年となる。 区の生活相談で女性が受け取った「生活保護のしおり」と都営住宅入居者募集案内=東京都内 「1大学で週20時間以上」満たせず、国民年金のみに 女性の年金は、長く働いてきたにもかかわらず、月6万円弱の国民年金のみ。介護保険料を引かれると手取りは5万円を切る。 女性が働き始める3年前の1980年、厚生労働省と社会保険庁が、全国の都道府県の年金課あてに通知を出し、厚生年金の被保険者を「正社員の4分の3以上の就労時間があるもの」と定めた。長時間働くパート労働者の社会保険加入を後押しする狙いの通知だったが、女性のようにいくつもの大学で細切れ、掛け持ちで働く非常勤講師は、私学共済の対象外に追いやられた。 「1つの大学で、週20時間以上教えないと厚生年金に入れない。非常勤講師の働き方と年金制度が見合っていないんです」 UR(都市再生機構)の賃貸住宅に住んでいる。家賃は月8万円。それだけで毎月赤字だ。70歳を過ぎてからは預金を取り崩して生活してきた。その残高もとうとう50万円になった。子どもも研究者として不安定な働き方をしており、頼れない。 高齢者向け都営住宅 100倍近い例も 2月に区の生活相談を訪れた。窮状を訴え、「生活保護を申請したい」というと、窓口の職員は「大学の先生から生活保護の受給相談を受けたのは初めてだ」と言った。通帳の預金残高を確認し、「生活保護の申請は、これ(残高)が減ってからじゃないと」と告げられた。 「家賃がネックになっている」と指摘され、高齢者向けの都営住宅(シルバーピア)を勧められた。しかし、近隣区ではどんなに条件が悪い物件でも11倍、最も高いところだと99倍の倍率だった。申し込んだとてすぐに抽選に当たるとは思えない。 高齢単身者向けの都営住宅の倍率は92〜99倍と、記されていた=東京都内 手渡された区の生活保護のしおりの表紙には「生活保護は憲法第25条の定めにもとづいて、病気やけが、高齢などで収入が少なく最低限度の生活が出来ないときに、その不足分を補い、生活できるように援助していくことを目的とした制度です」とあった。憲法の条文から「健康で文化的な」という言葉が抜け落ちていた。 女性には研究をアップデートし続けたいという思いもある。先日、ドイツ語の原書をインターネットで購入したら、円安もあいまって、請求額が1万円を超えた。生涯学び続けることも、「贅沢」なのだろうか、とため息が漏れた。 5月下旬、区の福祉事務所に生活保護を申請したが、却下された。通帳の残額が、生活保護の基準額(12万8000円)より多いという理由だった。 「日本女性の平均寿命が87.9歳。長い『定年後』を生きるのに、国民年金だけではどうしようもない。非正規で働き続けた人の老後について、国も地方自治体も全く設計できていないんです」 65歳以上の一人暮らし女性の相対的貧困率44.1% 厚生労働省の国民生活基礎調査(2021年分)をもとに、東京都立大の阿部彩教授が今年3月に発表した65歳以上の一人暮らしの女性の相対的貧困率は、44.1%。同年代の一人暮らし男性より14.1ポイント高い。 女性の中でも未婚者の貧困率は43.1%、離別は43.6%で、既婚の13.5%に比べ、有意に高い。女性は非正規雇用の割合が高く、結婚・出産による離職や休職期間もある。未婚であっても男性より給与所得が少なく、年金額も少ない。女性は結婚の傘の下にいないと食べていくことができない社会保障の制度設計がいまだ、続いているといえる。 女性による女性のための相談会では食料や生理用品、化粧品の配布もあった=横浜市(写真は準備風景) 「非正規で働いてきた中高年女性に目を向けた政策がない」 中高年単身女性でつくる「わくわくシニアシングルズ」の大矢さよ子さんは「東京都の40代〜50代の独身女性は47万人。死別女性の3万人、離別女性の17万人を足した数の2倍以上です。地方から東京に出てきて、ずっと非正規で働いてきた人も多い。なのに、ここに目を向けた施策がない」とみる。 東京都は今年4月に施行された困難女性支援法に基づき、基本計画を策定した。DV被害、性暴力被害、若年女性、ひとり親家庭の支援は盛り込まれたが、中高年単身女性については具体的な支援策が見当たらない。大矢さんは都のパブリックコメントに「せめて行政主導で中高年単身女性の居場所作りを」と書いたが、取り入れられなかった。 都営住宅の新増設はなく、単身者が応募できる枠は少ない。東京では民間賃貸住宅の家賃は、国民年金では払えない。「住民税非課税世帯に家賃補助を」という公約を掲げる候補もいるが、単身者が非課税になる所得限度額は年収100万円で、とても生活できない。 大矢さんは「中高年単身女性の貧困に対応する施策がすっぽり抜けている。都の女性支援策はほとんどが民間団体に丸投げだが、中高年単身女性は丸投げできる支援団体がないからです。ここは行政が主導するしかない」と話した。 東京都困難女性支援基本計画では小池百合子知事が「年齢や家族の有無、国籍などにかかわらず」困難な女性を支援すると述べている 都営住宅の新築 2000年以降ゼロ 東京都によると、都営住宅の新築は2000年を最後に止まっている。「今後の人口減を見越した住宅ストックの有効活用をすべきだから」という理由だ。 単身者用の都営住宅の倍率は平均30倍。介護が必要な高齢者向けのシルバーピアの倍率はさらに高くなる。 増加する単身高齢者の住宅については、民間賃貸住宅の床面積の基準を切り下げ、入居を断らない「セーフティネット住宅」を増やす方針だという。
シリーズ都知事選「小池都政チェック」 抜け落ちた中高年単身女性の困窮対策 大学の非常勤講師として41年 社会保険に入れず年金は月5万円弱 | 生活ニュースコモンズ
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fortuneecsfacility · 1 year
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就労継続支援A型事業所フォーチュン、🌸お花見に行ってきました😊
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天気には🌤恵まれたのですが、風が強く吹いていて、動画では会話を ひろう事が大変困難でした😓💦 しかしながら、美味しいものをたくさんいただき、「🍗食べて・🍹飲んで」 で大変盛り上がる事ができました😊 「この🌸お花見」で「より一層フォーチュンの絆を深めること」ができました👍 どうぞ、「🌸お花見」の雰囲気を動画と画像でお楽しみ下さいませ😊
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