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#展示会三日目の様子
jujirou · 2 years
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おはようございます。 愛知県名古屋市は、雨が降っております。 昨日は週末と言う事もあってか、開場後から多くのお客様方がご来場しておりましたが、全くお客様とお話が出来ず、気付いたらお昼過ぎに… やばいなぁ…今日は全く駄目かな…と思っていたら、いつもお世話になっている輪島のお兄さん⁉︎が、お客様を連れて来てくれて、こんなのはどうですかね…とお客様をご紹介をしてくれましたが、お客様の気に入った感じでは無かった様で、又の機会に… 再度困ったなぁ…と思っていたら、先程のお客様が戻られ、やっぱり戻って来ました…との事で、お目当てのお品物の他、アレも良いわね…コレも良いわね…と、アレコレと気に入って頂き、このお客様とお兄さん⁉︎には感謝でした… 17日から23日までの七日間、ドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)にて、やきものワールド2022が行われております。 名古屋では一年に一度の展示会ですので、この機会に是非見て触れて頂き、川連漆器の優しい手触りをご確認頂けましたら幸いです。 会場ブースNo. E-13 秋田・川連塗 寿次郎 やきものワールド2022も、いよいよ展示会期間の折り返し中日と成りました。 今回の展示会でも、良いご縁が有ります様に。 そして皆様にとって今日も、良い休日と成ります様に。 https://jujiro.base.ec #秋田県 #湯沢市 #川連漆器 #川連塗 #国指定伝統的工芸品 #伝統的工芸品 #伝統工芸 #秋田工芸 #秋田クラフト #秋田の物作り #秋田の物つくり #髹漆 #寿次郎 #やきものワールド #やきものワールド2022 #E13秋田川連塗寿次郎 #11月17日から23日まで開催 #展示会三日目の様子 #展示会四日目 #展示会中日 #kougeiexpo #kougeiexpo2022 #11月は伝統的工芸品月間 #さっそく明日から一生使うね #kawatsura #Japan #japanlaquer #JapanTraditionalCrafts #KawatsuraLacquerwareTraditionalCrafts #jujiro (ドルフィンズアリーナ) https://www.instagram.com/p/ClKJ8dAhR6I/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 26 days
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東京都千代田区永田町2-2-1 衆議院議員会館1号館 1212号室 衆議院議員 安 倍 晋 三 先生 山口県下関市上田中町2-16-11 衆議院議員 安 倍 晋 三 先生      全国霊感商法対策弁護士連絡会      代表世話人 弁護士 平岩 敬一(横浜)      代表世話人  同 郷路 征記(札幌)      代表世話人  同 中村 周而(新潟)      代表世話人  同 河田 英正(岡山)      代表世話人  同 山口 広 (東京)      事務局長   同 川井 康雄(東京)      連絡先:東京共同法律事務所      新宿区新宿一丁目15番9号さわだビル5階      電 話:03-3341-3133      FAX:03-3355-0445 1  私たち、全国霊感商法対策弁護士連絡会は、世界平和統一家庭連合(略称「家庭連合」、旧世界基督教統一神霊協会、以下「統一教会」といいます。)による霊感商法被害の救済と根絶のために、1987年5月、全国の弁護士約300名により結成された弁護士の連絡会です。 2  昨今、国会議員や地方議員の方々が統一教会やそのフロント組織の集会・式典などに出席し祝辞を述べ、祝電を打つという行為が目立っています。これらの議員の方々の行為は、統一教会により、自分達の活動が社会的に承認されており、問題のない団体であるという「お墨付き」として利用されます。 3  家庭連合は、統一教会と名乗っていた頃から、信者の人権を抑圧し、霊感商法による金銭的搾取と家庭の破壊等の深刻な被害をもたらしてきた反社会的な団体であり、家庭連合に名前を変えてからもその体質は変わっていません。かつての霊感商法、合同結婚式に関する多くの批判的報道から時間が経過したことで統一教会の実態を知る国民が減っている中で、政治家によるお墨付きは、統一教会による反社会的な活動を容易にし、また、その反社会的活動の是正を困難にするものとして悪用されます。これは、政治家にとって、決して本意ではない筈です。  そんなことから当連絡会はかねてより政治家の皆様が統一教会(家庭連合)と連携することがどのような社会的弊害をもたらすか考えて慎重な対応をされるようお願いしてきました。2019年9月27日には、全国会議員に向けた要望書を発出しているところです。要望の趣旨のみ、以下に改めて記します。 (1) 本年(注:2019年)10月6日、愛知県国際展示場で開催される「2019孝情文化祝福フェスティバル中部大会」は旧統一教会が勢力を誇示し、政界への浸透策を推進するためのものです。この会に参加したり、賛同メッセージを送るなどしないで下さい。 (2) 旧統一教会やその正体を隠した各種イベントに参加したり、賛同メッセージを送らないで下さい。 (3) 各種の公職選挙法で定める選挙に旧統一教会信者らの支援を受けないで下さい。結果として信者らの反社会的行動をあおることになります。 4  ところが、本年9月12日、韓国の統一教会施設から全世界に配信された統一教会のフロント組織である天宙平和連合(UPF)主催の「神統一韓国のためのTHINK TANK2022希望前進大会」と称するWEB集会において、安倍晋三前内閣総理大臣の基調演説が発信される事態が生じました。これを統一教会が広く宣伝に使うことは必至です。上記要望書の要望を全く無視し���ものというほかなく、当連絡会としては深く失望し、今後の被害の拡大に強く憂慮しております。  安倍先生が、日本国内で多くの市民に深刻な被害をもたらし、家庭崩壊、人生破壊を生じさせてきた統一教会の現教祖である韓鶴子総裁(文鮮明前教祖の未亡人)を始めとしてUPFつまり統一教会の幹部・関係者に対し、「敬意を表します」と述べたことが、今後日本社会に深刻な悪影響をもたらすことを是非ご認識いただきたいと存じます。 5  安倍先生が今後も政治家として活動される上で、統一教会やそのフロント組織と連携し、このようなイベントに協力、賛助することは決して得策ではありません。是非とも今回のような行動を繰り返されることのないよう、安倍先生の名誉のためにも慎重にお考えいただきますよう強く申し入れます。また、事の重大性に鑑み、公開抗議文として送付するとともに抗議文を公開させていただく次第です。  あわせて、今回のUPFのWEB集会の基調演説のビデオメッセージを提供された経緯について明確なご説明をいただきますようお願いします。  本書面に対する回答は、下記にお願い致します。 記 連絡先:東京都新宿区新宿1丁目15番9号 さわだビル5階 東京共同法律事務所 弁護士 山 口  広 TEL 03-3341-3133 FAX 03-3355-0445
公開抗議文 衆議院議員 安倍晋三 先生へ 統一教会 家庭連合
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ari0921 · 2 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024年)8月2日(金曜日)
   通巻第8351号 <前日発行>
 ハニヤ暗殺の謎は深まるばかり。イスラエルの関与はあったのか
  イスラエルの目的はハニヤの政敵=シンワール殺害だ
*************************
 2024年7月31日、ハマスの最高指導者ハニヤがテヘランの「居宅」でボディガードとともに暗殺された。すわ、イスラエルの仕業かと誰しもが反応しただろう。ところが、真犯人はわかっていない。
過激派内部の内ゲバの可能性も否定できないことは前号でもみた。
 イランの最高指導者ハメネイ師は「イスラエルへ直接報復をせよ」と呼号した。ハメネイ師は「イスラム共和国の国境内で起きたこの悲惨で悲劇的な事件を受けて、復讐するのは我々の義務だ」と述べた。
「犯罪者でテロリストのシオニスト政権は、我が国の親愛なる客人を殉教させ、我々を悲嘆させたが、自らに対する厳しい処罰の土壌も整えたのだ」と主張した。
イランのマスード・ペゼシュキアン大統領は「イラン・イスラム共和国の領土保全、名誉、尊厳を守り、テロリスト占領者に卑怯な行為を後悔させる」と誓った。
 イラン革命防衛隊(IRGC)も、イランとその同盟国による「厳しく痛みを伴う対応」でのぞむとした。「ハニヤ暗殺はシオニストの犯罪者、殺人者、テロリスト集団が、国際ルールや規制を一切考慮せず、ガザでの9か月に及ぶ戦争の恥ずべき失敗を隠蔽するために、いかなる犯罪行為も躊躇しないこと」を示していると述べた。
 またイランの国連大使は「暗殺は米国とイスラエルの連携のうえで行われた」と批判した。
モスクワはこうして危険な趨勢に警告し、報復がつづけば中東全域を巻き込む戦闘となり、世界大戦に発展する危険性があるとした。
かくして暗殺関与を名指しされたイスラエルだが、ネタニヤフ首相は7月31日、テレビ演説し、パレスチナのイスラム組織ハマスやレバノンの民兵組織ヒズボラなどの親イラン勢力に「壊滅的な打撃を与えた」と強調したもののハニヤ暗殺に関しては言及しなかった。
ネタニヤフ首相は国民に対し「困難な日々が待ち受けているが、あらゆるシナリオに備えている。いかなる脅威にも断固として対応する」と呼びかけた。
 ▼中国の和平仲介努力は水泡に帰した
 ハニヤ暗殺の一週間まえ(7月23日)、中国の王毅外相はパレスチナ自治区で反目し合うハマスと自治政府主流派のファタハの代表、他に12のパレスチナ過激派の代表を北京に招いた。
中国の仲介で「ガザ地におけるイスラエルとの戦争の終結後、占領下のヨルダン川西岸とガザ地区に暫定的な『国民和解政府』を樹立する」という提案に対して各派が同意した。 
この会議は北京で3日間にわたって開かれた、パレスチナの過激派、14グループが参加したことは画期的であり、中国の外交力の表れだとも言えるだろう。
しかし率直に言って、各派は、中国の顔を立てて、何回も反古にしてきた紙切れに署名しなおしたに過ぎない。
実際には同じ合意が2017年10月にエジプトの仲介によってカイロでなされたが、その後の進展は何もなかった。
王毅としては「中国の外交成果だ」と宣伝したいところだろう。中国はイランとサウジアラビアの関係修復を仲介した『実績』もある。
中国外務省の毛寧報道官は「中国とパレスチナは信頼できる兄弟であり、良きパートナーだ」とし、中国はパレスチナの結束と和解に向けて「すべての関係者と不断の努力をする」と述べた。
2007年にハマスがガザ地区からファタハを追放して以来、両グループは対立を解消できていない。
ハマスは30日になって声明をだし「各派閥の和解に向けた中国の取り組みや、これまでの「パレスチナの大義に対する賛同姿勢、大量虐殺の阻止」を称賛した。
しかし北京の和平会談では停戦達成に向けた取り組みや、イスラエルの攻撃によって引き起こされた「悲惨な人道状況」、中国によるガザへの人道支援の強化などが議題になっただけだった。
中国のパレスチナ支援は、毛沢東時代からである。「民族解放」運動を支援するため、パレスチナ人に武器を送った。ガザをめぐって中国政府高官や習近平国家主席までが、パレスチナの独立国家の必要性を強調してきた。北京でアルール(ファタハ代表)は、中国によるパレスチナの大義への支援に感謝した。
ハマス政治部門幹部はイランの首都テヘランで記者会見し、ハニヤ暗殺を受け、パレスチナ自治区ガザでの戦闘を巡るイスラエルとの停戦交渉に意味がなくなったと訴えた。
 北京の『努力』にかかわらず中東の安定にはほど遠い。
 第一にガザを支配するハマスとヨルダン川西岸を統治するパレスチナ政府とは、口もきかないほどに反目している
第二にアッバスに対しての批判はパレスチナ全体に根強い。
第三にハマスの内部はセクトに分かれ、お互いが対立しており、とくにイスラエル撲滅を叫ぶ強硬派と人質解放を和平の交渉手段としたハニヤとは先鋭的な対立関係にあった。ハニヤはカタールを拠点とし、人質交換などの交渉をイスラエル側と展開してきた。カタール政府もハニヤを支援してきたのだ。つまりイスラエルにとってはハニヤ殺害の動機はあっても、現時点ではメリットが薄いのである。
 
▼だれがハニヤのテヘランの隠れ家を知っていたのか?
 さてハマス指導者の暗殺である。
 7月31日、ハマスは「最高幹部イスマイル・ハニヤ氏が殺害された」と発表した。同日早朝にイランの首都テヘランにあるハニヤの滞在先が「そらからの飛翔体」(ドローン?)で攻撃され、警護の1人も殺害された。ハニヤはガザ地区にはおらずカタールの首都ドーハを拠点としており、イランのマスード・ペゼシュキアン新大統領宣誓式のためテヘラン入りしたのだ。
 ハニヤはガザ地区のシャティ難民キャンプの難民の家庭に生まれた。イスラム大学在学中から政治活動に携わり、ハマスに関与した。1980年代後半にイスラエルで数回逮捕され、投獄された。ハマスの創設者兼精神的指導者シェイク・アハメド・ヤシン師につかえ、ヤシンが暗殺されると、2006年にパレスチナの「首相」に選出された。
2007年にハマスがクーデターでガザ地区を制圧し、ハニヤが事実上のガザ支配者となった。2017年にハマスの政治指導者となってカタールに移住した。ガザ地区のハマス軍司令官であるシンワールとハニヤの間には個人的な対立があった。
 ハニヤはハマス指導部内で穏健派とみなされ、イスラエルとの長期フドナ(停戦)を支持し、1967年の国境内にパレスチナ国家を樹立するという解決策に同意するとさえ述べていた。同時にハニヤはテヘランに接近することを選び、それが「パレスチナ人の戦略的奥深さ」であると説明し自らの立場を固めた。
 
1993年の「オスロ合意」以後、ガザ地区が拠点の「ハマス」と「パレスチナ・イスラミック・ジハード」活動し、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区はファタハが統治するという色分けが出来た。
PLO主流派「ファタハ」傘下の「アル・アクサ殉教者旅団」はイスラエルで自爆テロを相次いで実行した。「ハマス」以外にも、「パレスチナ解放人民戦線総司令部派」(PFLP-GC)、「エルサレム周辺のムジャヒディン・シューラ評議会」(MSC)なる謎の組織がガザ地区に出現した。MSCはハマスの分派とみられる。
ヨルダン川西岸地区では「獅子の巣窟」と自称する新たな組織が出現するなどした。
 このほか、「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)、ISILを支持する「エルサレムのイスラム国支持者」など謎めいる組織が出現した。過激派セクトの相互不信と対立も、見落としがちな視点である。
▼ガザのハマス軍事指導者シンワールがイスラエルの暗殺目標だ
 
 ハニヤはガザ地区指導者とは異なった外交アプローチをしていた。
 たとえば2024年5月23日、アフガニスタンのタリバン代表団がテヘランを訪れ、カタールの首長と同時にハマスのハニヤと、このイランの首都で会談しているのだ。
タイミング的にはライシ大統領(当時)がヘリコプター事故で死亡した直後だった。
専門筋は、ハマスはイランとタリバンとの関わりを可能な限り最小限に抑えようとしているとし、逆にテヘランはハマスとの絆をより強めようとしていた。ガザの軍事的なハマス指導者シンワールの考え方では、たとえ銃撃戦で夥しいガザ住民が犠牲になろうとも、イスラエルとの戦争をできるだけ長く続けることにある。この点でハニヤとは対立しており、またイランはハニヤの扱いに苦渋の様相だった。
イスラエルのガザ攻撃によってハマスが外交上の得点をあげたのは事実である。アイルランド、スペイン、デンマークなどが「パレスチナ国家を承認する」と決定したが、米国内でもパレスチナ支援が急激に増えていた。ハマスはむしろハニヤによって国際的孤立か抜けだそうとしていた。つまりハニヤが鬱陶しい存在となったのがガザの軍事指導部シンワールと、イランである。
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foucault · 9 months
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今日は店は休みです。久しぶりに奈良に来ています。本籍を奈良に置く身としては、故郷へ戻る嬉しさです。仕事があるとはいえ、合間に興福寺で八部衆の御顔でも拝めるとなおなお嬉しいところですが。
そういえば、本日2023年12月12日はちょうど小津生誕120年、没後60年。小津で奈良、といえば『麦秋』の最後、ふっと差し込まれる麦畑の中をゆく嫁入り風景のシーンですが、あれ、どこなんでしょうか。後ろに耳成山のような山が見えるので、橿原のどこかかな。
ついでの話。このごろ書きものの仕事が多くて、頼まれもの��外の文章なぞつらつら書いている場合ではないのですが、小津についてふと気になってしまったことがあり、書いておかないと本来の仕事ができなさそうなので、合間合間に記していた雑文をここに置いておきます。長いですし、結論はないし、ほとんどの方が興味のない内容かと思いますが…。
ちょっとした調べものがあって雑誌『みすず』2001年12月号を読んでいたら、木村伊兵衛が小津安二郎を撮影した写真と文章「上海で小津安二郎氏をうつす」が掲載されていた。時期は1938年1月なので第二次上海事変の翌年。小津は1937年9月に出征して中国に渡り、事変の直後12月から上海にいたようで、その時に偶然木村と出会っている(その後小津は南京・漢口と転戦する)。写っている小津が携えているカメラは、木村の稿に続いて掲載されている田中眞澄氏の文章「ライカという”近代”」によればライカA型。小津関係の文章を読むと、小津は「ご愛用のライカ」をいつも手にしていたと多くの人が書いているので(同文によると山中貞雄はコンタックスだったらしい)さもありなんと思うのだけれど、田中氏の文章を読んでいくなかで、ちょっとしたことが気になるようになった。
小津は1942年から軍の依頼で記録映画撮影のためにシンガポールに滞在し、ただまあ映画製作などできる状況でもないため、自国内では上映が禁止されていたアメリカ映画をひたすら見続け、敗戦を当地で迎えている。そしてそのまま捕虜となり、抑留生活を終え1946年1月に帰国する際に小津はライカを手放しており、「彼が再びライカを所有するのは一九五四年のことである」とある。買った件の典拠はどこにあるんだっけ、と思いつつ近所の図書館に置いてある『全日記 小津安二郎』を紐解くと、なるほど1954年3月22日の項に、
> 「出京 サンにてライカを買ふ 135.000 アメリカン フアマシー 明治屋(燻製)によつて帰る」
とある。と、ここで急に話は脇道に逸れるのだが、ちなみに隣のページ、同年4月8日の項には、
> 「駒場の東大教養学部 民芸館 青山の花屋 それから 車にて銀座に出て なごやかに夕餐を喫す 野田夫妻と江原氏同道」
と日本民藝館に行った旨の記載がある。他にも、1951年11月10日に
> 「宿酔 森昌子さん達と 陶哉 たくみに寄って大船に帰る」
や、1955年5月17日には
> 「駅にて野田氏と待合せ 上野松坂屋の民芸展にゆく」
とも。ほか、パッと目を通しただけでも1952年4月8日、同年6月15日、1953年2月9日、1961年2月2日に銀座たくみに行った記載があるし、志賀直哉や里見弴についての言及は多すぎるので略す。こういうものを読むとつくづく民藝誌において特集「小津と工藝」を組みたいなと思う。白樺派との関係や小津の映画における「巧藝品考撰」について取り上げる特集。『秋日和』で原節子の後ろにかかっている暖簾は芹沢銈介だろうか、『秋刀魚の味』で中村伸郎の後ろに置かれたやちむん?はたくみで求めたものなのだろうか、やちむんであれば誰の仕事だろうか。佐田啓二と吉田輝雄がとんかつ屋で食事をするシーンには確かに芹沢カレンダーが掛かってるな、などといつも気になるので。松竹から写真借りるといくらぐらいかかるかな…。
それはさておき。この時購入したライカが、前掲日記の1961年3月23日の項に「夕方会社帰りの秀行くる ライカ借(貸)してやる」とある通り、のちに小津の甥が譲り受け、現在は茅野駅前「小津安二郎・野田高梧コーナー」に寄贈展示されているライカIIIfとズマリット5cmF1.5なのだろう。と、ここまで長々と記して、まだ前提です。
そこでふと思い出したのが厚田雄春・蓮實重彦著『小津安二郎物語』(筑摩書房・リュミエール叢書)の冒頭。ここには小津が『東京物語』と『早春』のロケハンをしている写真が2葉掲載されているのだけれど、どちらにおいても小津はバルナック型のカメラを携え、光学ファインダーをのぞいたりしている。沈胴レンズにフードをつけている様子から、あれはライカなんだろう、レンズは厚田雄春が『父ありき』において75mmを一場面で使った以外はすべて50mmだったと言っているぐらいだから同径のエルマーやズマール、ズミタールとかかな、などとうっかり思い過ごしていた。むろん『早春』については、製作年やロケハンの写真に記載されている「1955.7.20」という日付からするとまったく問題はない。しかし『東京物語』は1953年製作公開だから「再びライカを所有した」1954年では間に合わない。そう気がついて見直すと、小津が構えているカメラは、ライカIII型に似ているがファインダーの位置が違うし、そもそも1954年にあわせて手に入れたと思しきズマリットは沈胴レンズではない。
妙なことに気がついてしまったと思いつつも、ひとまずは日記記載の「サン」を手始めに調べてみようとしたが、何の会社かわからない。名取洋之助が企画編集した「週刊サンニュース」と関係はあるのだろうか。対外宣伝誌の専門家であり、銀座に店を構える森岡さんに聞いたらわかるだろうか。いずれにせよ1949年以降の小津の日記に「サン」が登場するのは、「1951年1月17日・3月21日・4月24日・11月10日、1952年4月17日、1953年6月16日、1954年3月22日(前述のライカを買った日)・10月14日、1955年4月6日、1960年7月14日、1961年2月2日(”たくみ サンに寄って三越”)」。1953年6月16日は、ちょうど『東京物語』ロケの最中だったことが気に掛かる。ほか、関係しそうな記載としては1953年3月30日に「アサヒカメラ座談会」、1954年11月5日の「シュミットに寄ってから」(当時ライカの総代理店だったシュミット商会か)、1955年2月15日「昼寝をしてゐると小尾がくる ニッコールの85m(ママ)のレンズを頼む 四万五千円を預ける」、同年3月11日「小尾に会ひ105mmのレンズを見る」、同年6月27日「小尾から電話ライカピッド(ママ。入手したライカがIIIfであれば、ライカビット SYOOMか)を頼む」ぐらいか。この「小尾」という人は何者なんだろう。
次に小津が構えているカメラの形状から何かわからないかと思い、あらためて細部を見れば、写っているカメラは戦後キヤノンが作っていたコピーライカ��あることがわかる。決め手はファインダーの位置。同時期の国産コピーライカであるニッカやレオタックスはライカそっくりに作っているのだが、キヤノンは誠実と言っていいのか「打倒ライカとコンタックス」の心意気の現れか、多少スタイルが違う。なお、小津が用いている機種については、この時期のレンジファインダー機は輸出用に作っていたせいか勢いがあり、すぐ新型が出るうえに、外観がどれも似すぎていて小さな写真では区別がつかない。時期を考えれば、1946年発売のSIIから1952年のIVSbの間のいずれかで、III型以降のように見受けられる。レンズもやはり形状から判断するとズマールに似ているので、1949年発売開始のキヤノン Serenar 50mmF1.9か。そう気づいて改めて調べると、「カメラ毎日」1954年6月号に掲載されている座談会「カラーは天どん 白黒はお茶漬の味」ではカメラの話がもっぱらで、その時に手にしているのはキヤノンである。このキヤノンのカメラとレンズ、そして外付けのファインダー、この時期どういう経緯で小津は使っていたのだろう。いずれにせよ、1953年の『早春』はともかく、なぜ1955年に「ご愛用のライカ」ではなく、キヤノンを用いているのか。
ついでに言うと、小津が鏡の前でカメラを向けて撮っているセルフポートレートに用いているカメラはコンタックス。日記をざっと読んだ限りではわからないけれど、これもいつ手に入れたのだろう。レンズはゾナーの5cmF1.5。明るいレンズがお好みと見える。こちらは姪が譲り受けたとのことで、今は先のライカと同じく茅野駅前にある。
長々と書いてきましたが、つまりはこれらが今回生じた疑問です。小津に詳しい人、どうか教えてください。
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tokyomariegold · 2 months
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2024/2/3
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2月3日 昨晩はいちごを9個食べながら「あの子は貴族」を観た。久しぶりに映画を観た。女優さんや俳優さんって美しくて、役所はどうあれ、絵になる姿ばかりだった。門脇麦ちゃんが美しくて、ずっと、誰?と思って、検索するのは野暮な気がして観終えてから検索した。
朝、何度も起きられなくても絶望せずにその後を取り戻せたので、コントロールラブな私。 会期末のホンマタカシを観に六本木へ行きたかった。その前に丸の内のおしゃれトモズに寄ったり、チョコレートの催事やグッドデザイン賞の展示やお花屋さんに吸い込まれたりした。 チューリップを2本買って色々満たされてしまい、洋服の取置きはまた今度受け取りに行くことにした。 交通会館の三省堂は1階しか営業しておらず、最果タヒの新刊を見つけられなかった。
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TARONASUでホンマタカシのtokyo suburbiaを鑑賞。私がずっと観たい!と勝手に思っていたホンマタカシだった。中目黒のモッコウバラの写真もあった。 文喫に寄ってみても最果タヒの新刊はなく、でも面白そうな本や雑誌を見つけることができて、久しぶりに本屋さんでわくわくした気持ちになった。 調子に乗って文庫本を1冊買って、待ち合わせの蔵前までの移動中に読んだ。面白かったけれど、今、今読みたいだけの本な気がして、もう読み進めることはないかも?と思ってもいる。
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ちーちゃんと14時に蔵前で会う予定が、2人とも30分遅刻。蔵前に着くと“なぜか清澄白河へ向かってました…”と、ちーちゃんからメッセージが入っていた。改札で待っていたけれど不安になり電話をしてみる。“今浅草につきました!”とのことで、歩いてもすぐの距離なので地上で会うことにして、浅草方向へ向かう。エポック社やバンダイがあった。 もう一度電話をしたところ“今…目の前にタワー…日本橋タワーと髙島屋があります…”と言われ、“それは浅草ではなくて日本橋だと思う”と告げる。
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ちーちゃんが蔵前に着くまでの間、また少し散歩して先週気になった蔵前神社の豆まきをのぞいてみた。小さい神社なので30人くらいの人が集まっていっぱいになっている。みんな松坂屋やマークスアンドウェブの紙袋を持って待っていた。近くの消防署の人と警察犬も来ていた。 豆まきが始まった時、何かとっても楽しい気持ちになって少しはしゃいで手で豆をキャッチしようとしてしまった(全然とれない)。 一通り豆まきが終わった時にちーちゃんと合流。境内では落ちた大豆が踏み潰されてきな粉になり香ばしい香り。 ちーちゃんの地元では落花生を投げていたとのこと。昔、新潟の旅館で豆まきをした時も落花生を殻ごと投げていて、室内で豆まきをするときはこっちの方が掃除が楽でいいね、と母が言っていた。
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2人で蔵前から浅草方面を1時間くらいお散歩して、本当それだけのために会って、大変な道のりを乗り越えて空いに来てくれてありがたかった。 ちーちゃんの優しさを悪用する様な私みたいな人が彼女の周りに少ないといいな、と思っている。
いろいろ話したけれど、わかる様でわからないことが多くて、私は半分くらいは浅草の街の様子に気を取られていた。 ちーちゃんもミスドが好き、ということはわかった。ちーちゃんはダブルチョコレートが好き。
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お誕生日に、とチューリップをいただいた! 自分で買ったのはオレンジと黄色。ちーちゃんからはピンクと赤。帰りながら自分で買った分をちーちゃんにあげれば良かったかな、と思った。 昔は、待ち合わせに遅刻してきた彼女がお詫びに…と、お花を渡してくれたときは「なんで遅刻して人を待たしておきながら花なんて買えるんだ?!」と思っていたのに、今日はとっても嬉しく受け取れた。
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また会えるといいな、と、それくらいの感じでちーちゃんと別れた。帰りの電車で向かいの人が551とりくろーおじさんと風月堂の紙袋を持っていて、大阪へ行く予定を立てたくなる。
スーパーのお客様の声の掲示板が更新されていたけれど私の声はなかった。 あと道のうさぎちゃんもいなくなっていた。
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tajimahiroe · 5 months
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「page」
最後のページ---あしたはどんな日?------とてもよく晴れた日に✴︎🌞
最終日も、DMをご覧くださって
遠方より遥々お越しくださったり、とても有り難いことが続いて
楽しい時間を過ごさせて頂きました✨
ご試着されたお姿も色々拝見できて、まだまだ発見沢山の最終日でもありました💡
三村さんのお洋服は、展示終了後通常オープンの日には
ゆっくりご試着できますので
ぜひ気になっているものがありましたら、足をお運びくださいませ🙋‍♀️
今日もめいちゃんしっかり接客😆♡
案の定、お客様のハートを鷲掴みにしていました❤️オツカレサマデシタ‼︎
@mimurayohojo.no さんのとても丁寧で唯一無二の手仕事を目撃したり、
@citronbookssanzo さんセレクトの素敵な本たちに出会えたり、
@tanzawacooboo さんの美味しい品々と共に初めて実現したコラボサブレを堪能したり、、
豪華な空間を、皆様と楽しませて頂いた会期でした🙌
ありがとうございました✨!
📖
PAGE:
〜ささやかだけど特別な1ページを〜
会場 三村養蜂場のアトリエ内
参加作家
三村養蜂場の(服とはちみつ)
丹沢講房(お菓子)
シトロンブックス(本)
たじまひろえ(絵)
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helloharuo-diary-2023 · 7 months
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茶畑庵→新松戸→水道橋→Motown→蒲田
Saturday 1 March 2014
今日坐禅会は、禅寺の都合でお休み。真観は、始発バスに乗って東京へ向かった。バスが新宿に着きその後山手線に乗り日暮里駅へ。常磐線に乗り換えて新松戸駅へ。余裕で到着したのでマクドナルドで暫し休憩。今日は撮影日。撮影は身体障害者の方だった。中々いい表情が撮れなかったが一瞬の笑顔を逃さず撮影出来た真観。その笑顔の写真を最後に撮影は終了。
スタッフと別れ1人東京のオフィスに戻る真観。帰りは、日暮里駅から秋葉原駅に移動し総武線で水道橋駅まで。オフィスに着くとUさんはまだ来ていなかった。機材をオフィスに起きてランチを食べに餃子の王将へ。餃子とミニ天津飯を食べる。531円也。Uさんといつも水道橋で食事をするがUさんは餃子の王将はガヤガヤとうるさいから好まない。真観は、1983年の上京以来お世話になっている。
オフィスに戻るとまもなくUさん登場。そしてOさんも登場。この3人でおしゃべりすることがオフィスでよくある。話題の一つは、Oさんが撮った真観のポートレイト写真。その写真を真観がFBにプロフィール写真として公開すると結構な数の「いいね!」を頂いた。そのお礼をOさんにしながら真観は。自分の考えたことを2人に伝えた。
今日3月1日は、坐禅会に参加して1周年になる日。 昨年の3月から7月までの4ヶ月FBを休止し再開するに当たってすべての友人のフォローを一旦止め真観の投稿記事に対して反応をしてくれた友人からやり取りを始めた。その後、自分からフォローする友人も少しずつ増やして行った。これはSNSのコミュニケーションから振り回されることに対しての苦肉の策だった。そして今日の朝、晴れて真観はFB上の友人(610人ほど)すべてをフォローすることに決めそれを実行した。これは坐禅の経験から得た回答だった。
夕方になりUさんと2人で新宿で開催されている真観の生徒の写真展に赴いた。この週末又雪が降るのではないかと懸念されていたが小雨止まりであった。水道橋駅から四谷駅、四谷駅から四谷三丁目駅に電車で移動。その後は写真展まで小雨の中歩いた。真観はよっぽどの大降りでないと傘は使わない。写真展は、「Motown』と題され愛知県の豊田市をテーマにしていた。真観のクラスの生徒なので作品内容は知っていたが改めて展示された写真たちは展示用に再プリントされまた違う顔を見せていた。写真は、4x5ネガフィルムで撮影されていて生徒自身でプリントしていたが印画紙が以前と変えた様でコントラストがあり見栄えが良い写真になっていた。Uさんも一通り写真を見て生徒に感想として展示レイアウトについて助言した。このテーマを今後彼が続けて行くかどうかは分らないが1年続け2年続け10年続いた後に同じギャラリーで同じ枚数の写真を展示すれば印象は当然変わって来る。この生徒に対して学校の先生方の期待は大きい。でも期待など全く意味がない。これも坐禅をして得た回答の一つ。ただやる気があるならこのテーマ続けるがよろしい。それだけだ。
写真展を後にしてまた小雨の中歩くのもなんだとタクシーを拾うことして信濃町駅に移動。今夜は、Uさん宅にお泊まりするので蒲田駅までさらに電車で移動。Uさん宅はこれで2回目の訪問となる。蒲田駅に着いてから駅ビルのレストラン街で麦とろ定食を食べる。近くのテーブルで酒を飲みその勢いで声の大きい2人組がいたがやや不快だった。仕方ない公衆の場だ。でも食事は美味しく頂き麦飯をご飯茶碗に2杯食べた。食事の後Uさん宅まで歩く。途中Uさんは酒屋でワインを1本と干しホタルイカを購入。
Uさん宅に着くと家猫のニーチェがいるのだが今夜は真観を���戒して顔を見せない。初めて訪れた時は膝の上に乗ったんだがなぁ。ニーチェにとってはいい迷惑かもしれない。だとしたらごめんよ。でもそれも分らない。分らないなら放っておけばいい。
Uさんとの語らいは、まるで先生と生徒の様。Uさんは惜しみなく真観の疑問から様々なキーワードを与える。真観は、メモを書き込むためペンとノートを用意した。
苦海浄土石牟礼道子>森崎和江全共闘運動のスローガン「連帯を求めて孤立を恐れず」谷川雁キリスト教原罪塩狩峠三浦綾子氷点内藤洋子ビッグバンライプニッツウィトゲンシュタインヒットラー血盟団事件唐牛健太郎60年安保の全学連委員長吉本隆明田中清玄児玉誉士夫渡辺芳則組長・・・
2人でワイン1本飲み干したら深夜1時になっていた。楽しい夜になった。真観は、1月に亡くなったUさんのお母さんが使っていた部屋で寝た。
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ignitiongallery · 7 months
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nakaban expo “最近の手触り Recent Touches"
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3月7日から4月1日まで、画家・nakabanの個展『最近の手触り』をtwililightで開催します。3月6日にはnakaban+柴田元幸『物語の手触り』、3月7日にはnakaban+阿部海太郎+大崎清夏『描く、奏でる、ハンドルを握る』を開催します。ぜひ足をお運びください。
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「絵を描き続けていると、少しづつ以前と比べて描き方が変わっていく。 変わるというよりも、自分がどういうふうに絵を描いてきたのかということを忘れてしまっているのだ。 このように忘れてしまうことが残念なことではなく、むしろ健全なことである、と思うことにする。 頼りになるのは、手触りだけのようだ。実際に触れることのできる手触りだけではない。 この場所の空気。今という時代。季節感。降り積もり続ける記憶。期待のようなもの。
自分と対象を取り巻くものの今日の手触りはどうか。 絵を描く前後に考えているのは、だいたいこのようなことです。」
nakaban
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会期:2024年3月7日(木)〜4月1日(月) 会場:twililight(世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分) 定休日:火曜、第3水曜 営業時間:12:00〜21:00 
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nakaban(なかばん)
1974年生まれ、広島県出身・在住。 絵画、書籍の装画、文章、映像作品等を発表する。主な著作に絵本『ダーラナのひ』(偕成社)『ランベルマイユコーヒー店』(オクノ修作 / ミシマ社)『トラタのりんご』(岩波書店)など。
新潮社のとんぼの本のマークなど、数多くのロゴデザインを手掛けている。 音楽家とのライブ活動も定期的に行い、ステージでは幻燈的ドローイングを描く。
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《会期中イベント》
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1.nakaban+柴田元幸『物語の手触り』
nakabanさんの幻燈と、翻訳家・柴田元幸さんの朗読によるセッション。お二人とはスチュアート・ダイベック「ライツ」のポスターをtwililightで一緒に作りました。今回は柴田さん、nakabanさんと一緒に選んだ物語を、当日即興でセッションします。物語の手触りはどのような絵としてあらわれるのか。ぜひご体感ください。展覧会は翌日からスタートするので、いち早くnakabanさんの絵を観覧&ご購入いただけます。
日時:2024年3月6日(水)
開場:19時 開演:19時30分 終演:21時
会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28- 10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分)
料金:2500円+1ドリンクオーダー
定員:18名さま
出演:nakaban(幻燈)、柴田元幸(朗読)
件名を「nakaban+柴田元幸『物語の手触り』」として、お名前(ふりがな)・お電話番号・ご予約人数を明記の上、メールをお送りください。
*このメールアドレスが受信できるよう、受信設定のご確認をお願い致します。2日経っても返信がこない場合は、迷惑フォルダなどに入っている可能性がありますので、ご確認ください。
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2.nakaban+阿部海太郎+大崎清夏『描く、奏でる、ハンドルを握る』
nakabanさんの幻燈と、作曲家・阿部海太郎さんの演奏と、詩人・大崎清夏さんの朗読によるセッション。twililightから3月11日に刊行する大崎清夏さんの日記『私運転日記』の装画・挿画をnakabanさんに描いていただきました。その『私運転日記』には「珠洲へ」というパートがあり、阿部海太郎さんと大崎清夏さんは一緒に「奥能登国際芸術祭」に参加されています。そして、nakabanさんと阿部海太郎さんと大崎清夏さんは、これまでにセッションを2度行っています。
今回は、nakabanさんの個展のオープニングであり、大崎清夏さんの『私運転日記』先行発売記念のセッションになります。どのような時間が繰り広げられるのか。ぜひご体感ください。
日時:2024年3月7日(木)
開場:19時 開演:19時30分 終演:21時
会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28- 10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分)
料金:3500円+1ドリンクオーダー
定員:18名さま
出演:nakaban(幻燈)、阿部海太郎(音楽)、大崎清夏(朗読)
*定員に達したのでキャンセル待ちの受付になります!
件名を「nakaban+阿部海太郎+大崎清夏『描く、奏でる、ハンドルを握る』」として、お名前(ふりがな)・お電話番号・ご予約人数を明記の上、メールをお送りください。
*このメールアドレスが受信できるよう、受信設定のご確認をお願い致します。2日経っても返信がこない場合は、迷惑フォルダなどに入っている可能性がありますので、ご確認ください。
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《イベント出演者プロフィール》
・3月6日
柴田元幸(しばた・もとゆき)
1954年生まれ。翻訳家・アメリカ文学研究者。 ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、スチュアート・ダイベック、スティーヴ・エリクソン、レベッカ・ブラウン、バリー・ユアグロー、トマス・ピンチョン、マーク・トウェイン、ジャック・ロンドンなど翻訳多数。『生半可な學者』で講談社エッセイ賞、『アメリカン・ナルシス』でサントリー学芸賞、『メイスン&ディクソン』で日本翻訳文化賞、また2017年に早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。 文芸誌『MONKEY』(スイッチ・パブリッシング)責任編集。
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・3月7日
阿部海太郎(あべ・うみたろう)
作曲家。クラシック音楽など伝統的な器楽の様式に着目しながら楽器の今日的な表現を追求する。楽曲のみならずコンサートの企画やアルバム制作など、すぐれた美的感覚と知性から生まれる音楽表現が多方面で評価され、舞台、テレビ番組、映画、様々なクリエイターとの作品制作など幅広い分野で作曲活動を行う。音楽を手掛けた主な仕事に、蜷川幸雄演出のシェイクスピア作品、さいはての朗読劇『珠洲の夜の夢』『うつつ・ふる・すず』(共に作:大崎清夏、演出:長塚圭史)、NHK『日曜美術館』テーマ曲、NHK連続テレビ小説『らんまん』など。 2023年���リリースした歌手・武田カオリとの共作によるアルバム『HOUSE』のアナログ盤が今春発売される。 umitaroabe.com
大崎清夏(おおさき・さやか)
1982 年神奈川県生まれ。2011 年「ユリイカの新人」に選ばれ、2014 年、詩集『指 差すことができない』で第 19 回中原中也賞受賞。『踊る自由』で第 29 回萩原朔太 郎賞最終候補。そのほか、著書に『目をあけてごらん、離陸するから』(リトルモア)、 『新しい住みか』(青土社)、『地面』(アナグマ社)などがある。2022 年、奥能登国際芸 術祭の一環として脚本を手がけた朗読劇「珠洲の夜の夢」がスズ・シアター・ミ ュージアムにて上演され、翌 23 年には同じく「うつつ・ふる・すず」の脚本も 手がけた。音楽家や美術家など、他ジャンルのアーティストとのコラボレーショ ンも多く、絵本の文や楽曲歌詞、ギャラリー等での詩の展示など、さまざまなか たちで活動を行う。2019 年、第 50 回ロッテルダム国際詩祭招聘。知らない町を 歩くことと、山小屋に泊まる登山が好き。
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【有志演奏会 in 気仙沼 DAY2】団員レポート
気仙沼有志演奏企画、2日目のレポートになります!
最初にご紹介するのは、いよいよ本番を迎えて、緊張の面持ち…?の後発部隊の皆さまです。
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2日目の目的地は「気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館」です。
階上地区にそびえるこの施設は、震災発生時に津波被害を受けた気仙沼向洋高校を、そのまま遺構として改修した施設で、教室や敷地内の様子を当時のまま保存しています。
参加者がついに全員集結したところで、当時の記憶を語ってくださる語り部の方々と共に施設見学へと向かいました。今回アテンドしてくださったのは、三浦秋男さんと近藤公人さんのお二人です。同級生コンビで案内していただきました。
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冷たい風が吹きすさぶ中、集中して展示を見学します。
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左は校舎三階に飛び込んできた自動車、右は校舎4階にぶつかった倉庫がつけたへこみです。津波襲来時に、周辺にあった冷蔵倉庫が校舎に向かって流されてきましたが、偶然校舎の端にぶつかったことで、屋上に避難した方々は助かったそうです。想像もできない状況ですね…
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見学を終えた一行は、、、腹ごしらえです!
今回昼食のご用意をしてくださったのは、企画発案者でもある奏者のPerc.三浦瑞穂さんのご家族です!2種のおこわ、つみれ汁、芋の子汁、特製のお漬物などなど、地元のものを使ったご馳走をいただきました!LAFFOOの方、伝承館の皆さんと一緒に、いただきます!
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お昼の後は、いよいよ本番にむけてリハーサルスタートです。
実は、今回の会場は有志演奏会としてはかなり大きい規模なんです!真っ黒な衣装に着替えて、いざ練習へ。会場にはOBの狩野さんも応援にいらっしゃいました!
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いよいよ開演が迫ってきました。
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演奏が始まりました。1曲目は「ラストエンペラー」、指揮はHr.菊野奏良くんです。超満員のお客さんの前で、威風堂々の演奏を見せてくれました。
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2曲目はHr三重奏で「6つのホルンのための三重奏曲」です。優しく、華やかに会場全体を包みます。3曲目は木弦アンサンブルで「海の見える街」。強く時には恐ろしく、それでいて美しい気仙沼の海を思い浮かべながら演奏します。
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4曲目は坂本龍一監督作品「litany」のTrp三重奏。過去にも有志演奏会で演奏したこの曲をぜひ届けたいということで、演奏させていただきました。続いて弦楽アンサンブルで「aqua」。優しいメロディが特徴的なこの曲は、団員達も大好きな一曲です。
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最後は「ふるさと」。みんなの心に響く美しい音を響かせました。
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なんとなんと、その後は万雷の拍手をいただくことができ、アンコールとして「ラストエンペラー」を演奏しました!聞いていた皆さんの笑顔を見ることができ、団員達もうれしい気持ちでいっぱいです。
今回の有志演奏会は、大成功で幕を閉じました。
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もちろん、”おうちに帰るまでが有志演奏”ですよ!
というわけで、最後に大谷海岸にもう一度寄って、お土産購入&もう一度記念撮影!
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ここで各方面に解散となりまして、今回の企画は終了です!
聞きに来てくださった方々、伝承館やLAFFOO関西支部の皆さまをはじめご協力をいただいた皆さま、ありがとうございました!
そして何より、参加者の皆さんお疲れ様でした!3月の演奏会に向けても頑張っていきましょう
今回の企画は、東北ユースの有志演奏活動でも過去最大規模のものになりました。最大級の震災被害を受けた気仙沼を訪問することで、私たちが「東北」ユースオーケストラである意味、音楽で発信する意味など、様々な思いを今回の活動で確かめられたではないかなと思います。
能登半島地震をはじめとした自然災害に社会が向き合っていくために、東北ユースオーケストラが何を発信していけるのか。常に自問しながら、これからも有志演奏活動を続けていきたいです。
東北ユースオーケストラ有志演奏係 Tb.福澄茉音
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isotomo · 1 year
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離れ離れの街を♩繋ぐ列車は行ってしまったね〜♩
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【神戸旅行まとめ】
5月の中頃、神戸と姫路に行ってまいりました。友達のきまちゃんに会いつつ、関西の中でもまだ行ったことのないエリアに足を伸ばそうと思ったのがきっかけ……。1日目はあいにくご覧の通りの曇天か〜ら〜の雨☔️でしたけど、まずまず楽しみました!この日に買い物めっちゃした!ツマガリのクッキー買った!
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▲お、おとなりいいすか……?ハヘ……
【アオバクランツェルをさがせ!!】ジブリは千と千尋が一番好きー。ジブリパークの展示に行き当たりばったりで潜入。天気のせいかちょっと頭痛くて解説の文字があんま頭入ってこなかった。文量が多いので頭がスッキリしているときに行くのをおすすめします。
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▲夜は神戸っぽい街中スポットでパシャリ。今回の旅行にはアンジュぬいとアオバぬいを連れてきています🎀🟢(きまちゃんがアンジュを好きって言ってくれてるから)。実際アオバがアンジュをお守りするミッションはありそうですよね。
▼何やら写真写りに文句があるご様子
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▲ホテルの部屋に戻った後、人に撮らせた自分の盛れてる観光写真をロッツに送って返信返ってくるのずっと待ってたみたいですね!どうして旅先ってすきな人に連絡したくなっちゃうんでしょう。なかなか返事が返ってこなさそうなのを見てアオバが心配しています。イライラではなくハラハラです。何故カナとかなを混ぜた……?最終的に着信があってご機嫌を取り戻したみたい。
【2日目】
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異人館にきたぞぎゃおー!きまちゃんの晴れ女パワーで快晴☀️(曇って見えるけど)。2人とも地図が読めないので神戸の坂を余分に上がったり下がったりしました⛰️そしてこれが有名なうろこの家です。やっぱ塔が張り出してる建物ってコテコテの洋館らしくっていいな。
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▲アンジュさんも心なしかうれしほこらしげです。
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▲2人で、「「概念〜〜!!」」てはしゃいだやつ。その場で「誰の」とは言わなかったのがいわずとしれた共通認識みたいでじんわり嬉しかったですね!
その後は神戸のおしゃれショップ群や港の雰囲気を満喫し、夜はしみじみと別れの蕎麦を啜り、さようなら。朝から晩まで一緒に遊んでもらいました。歩数計見たら2万歩超えてたからね。健康になってしまったね。きまちゃん丸一日ありがとね。
【3日目】
残念ながらtumblerは1投稿につき写真10枚まで!あと2枠しかない!私が選ぶ3日目の写真はこれだ!
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「アオバ・クランツェルは海とか行ったことある?」
「あんまり多くはないけど、あるよー。アンジュちゃんは?」
「アンも<たしょう>あるよ」
「多少かあ〜〜(難しい言葉使いたかったのかな?)」
なんて会話が聞こえてきそうな、我ながらちょっとエモい感じのする写真です。姫路🏯に向かう途中の電車だね。
さてさてそんな感じで2泊3日、大きなトラブルなく終了しました。最後はきまちゃんからいただいた素敵イラストで締めたい!
刮目してよね!!
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ンマ🤭二泊三日の旅行を経てなんか距離感の縮まった2人!あの短期間でしっかり上下関係ができてら。このケースはですね、今回本当にこれぐらいの小さい透明ケースに2人を押し込んで連れ回したそれの再現ですね。図々しかわいいアンジュと、とりあえず尻に敷かれがちアオバ、2人の役ピッタリでサイコゥー🙌🙌
これにて神戸旅行編は終了!
きまちゃんに大いなる感謝を!また遊ぼうね
ここまで見てくれてありがとうございました!!
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jujirou · 2 years
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おはようございます。 愛知県名古屋市は晴れております。 昨日も同じ様に、少し早めに会場入りをし、実演準備やら開店準備をアレコレすませ、やきものワールドの二日目が始まりました。 昨日も初日と同じく開店後、お箸を研いでいたら一年ぶりのお客様にお声掛けを頂き、見て触れてお話をさせて頂き、又別のお客様方と同じ様な感じで次々とお話をさせて頂き、気付いたらお昼過ぎに… お昼過ぎからも新規のお客様方が再来店をして頂き、アレコレと気に入って頂き有難うございました。 初日、二日目と、開店後からお昼過ぎにかけて、多くのお客様方のご来場が有りますので、開場後からお昼前と、三時以降が比較的にゆっくり見られる感じです。 17日から23日までの七日間、ドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)にて、やきものワールド2022が行われております。 名古屋では一年に一度の展示会ですので、���の機会に是非見て触れて頂き、川連漆器の優しい手触りをご確認頂けましたら幸いです。 会場ブースNo. E-13 秋田・川連塗 寿次郎 どうでも良い事では有りますが、昨年と同じ宿に宿泊をさせて頂き、去年見つけた近くの金比羅神社に、搬入後と搬出後に、お参りとお礼参りをさせて頂き、何でも三年は続けたいと思っております。 今回の展示会でも、良いご縁が有ります様に。 そして皆様にとって今日も、良い週末と成ります様に。 https://jujiro.base.ec #秋田県 #湯沢市 #川連漆器 #川連塗 #国指定伝統的工芸品 #伝統的工芸品 #伝統工芸 #秋田工芸 #秋田クラフト #秋田の物作り #秋田の物つくり #髹漆 #寿次郎 #やきものワールド #やきものワールド2022 #E13秋田川連塗寿次郎 #11月17日から23日まで開催 #展示会二日目の様子 #展示会三日目 #金比羅神社 #kougeiexpo #kougeiexpo2022 #11月は伝統的工芸品月間 #さっそく明日から一生使うね #kawatsura #Japan #japanlaquer #JapanTraditionalCrafts #KawatsuraLacquerwareTraditionalCrafts #jujiro (ドルフィンズアリーナ) https://www.instagram.com/p/ClHfkAYhPgE/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 7 months
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多くの人たちと同じように、ずっと、悲しんでうろたえて、ときどき泣きながら、日々を過ごしていますたくさんの漫画家さんや関係者や漫画を好きな人が、悲しんだり怒ったりしている慎重に誠実に言葉を選んで自分の考えを綴っている人もたくさんいるでも当たり前なんだけど、どんな人の言葉にも過不足がある 今回はなおさらその過不足が大きい自分の場合もひどかった、こんな目に遭った私は別にイヤな目には遭わなかった、みんないい人だったみたいな好悪りょうほうの事例が乱立していっても、この出来事への何かの足しになるのかどうかもわからない芦原さんに家族近親者がいるとして、今後、この業界全体の改善が進まなければ遺された人は傷付き続けるだろうけど、救いがないのは、今後改善が進んだとしても遺された人はきっとまた同じように傷付くだろうことです改善されていけば、「ならば、どうして、彼女が命を絶つ前にそういう改善がなされなかったのか」という思いがつのるばかりだと思うのでなので、 自分なぞがここに何か言い足したりしても、さらに同様の過不足というか、なんなら「お前は黙ってろ」くらいに思われるかもしれないでもこれは自分自身のために書くだから不愉快を感じた人は何も言わず静かに黙って外して済ませてください、今回はとくにここから、長いです多くの作家さんがどうにか言葉を発しようとしているのは、誰もが「自分にも同じ問題が起きた、起きたかもしれない」「自分のことのようによくわかる」からで、多分にもれず、自分にも覚えのある種類の問題ですそして自分が現役の時に(リアルタイムでの漫画連載時に)今回みたいに、同業の作家さんがこんなことで命を絶つなんて出来事があったら、とても平常心を保てないことが想像できるだから、今、現役で連載の執筆をしている作家さんは、自分なんかとはケタが違う動揺に見舞われ続けていると思いますでも言及したくないな、という思いも強いです言及すると、このことは自分の手の中からうしろに放って、もう言及したので済んだこと、にしてしまう心が伴うんですよねそれがイヤで、言及したくない、言及できない語るのもつらい、でも語らないのもつらい、という心もちは、多くの人の言葉や沈黙からも察することができて、「どうしたってこの出来事も遅かれ早かれ“後景”になっていってしまう」ということがわかっていて、そのことも含めて、皆が、うろたえて悲しんでいるのではないかと思いますでも1週間以上経って、当事者である大きな企業2社の現在の態度もあわせ考えて、このままだと、事態がどんどん良くない方向にしか動かない、というか何も変わらない、のではないかというおそれも、今、ものすごく大きいです何から書き綴る?また名前を持ち出して申し訳ないのだけど、庵野さんがそれまでに見たことないほど激怒したのを見たことがあります怒られた相手は、“美大生”だったか“クリエイター志望”みたいな子だったのかなあ… シチュがめんどくさいんだけど、『沈没』連載の頃に、大西信之さんの個展に僕と僕のスタッフさんが噛んだことがあって、その時に庵野さんと樋口さんが一緒に遊びに来てくれたのね その流れで、大西さんが引っ張ってきた会場のギャラリー含めて飲み会みたいな流れになって、メインの大西さんが早々に酔い潰れて離脱、なんか知らんけど2次会にまで庵野さんは流れてくれて、僕と僕のスタッフ、庵野さん、あとギャラリーに居た知らん人が何人か、みたいなわけのわからんメンツで飲んでいたときに、多分、庵野さんの前に座ることになった「“美大生”だったか“クリエイター志望”みたいな子」が、「何か創りたいと思うんですけど、創って世に出したらそれで評価が定まっちゃうし、自分の可能性を限定するみたいになっちゃうんで、なかなか作れないんすよね」みたいなことを、庵野さんに“相談”したんだと思うんですよね いくら酒の席でも、相手と話題を選びなさいよ、と思うんですけどね庵野さん、みるみるうちに、会って以来見たこともないようなおっかない口調になって来て、「そんなの、創って、恥をかいて、地獄を一度見ればわかります! 地獄見てください!」「地獄を味わったこともないくせに、何も作らないままグダグタ言ってても何も始まりませんよ!」というようなことを話していましたあのとき怒られていたあの彼は、どうしているだろう?かつて居た場所贔屓、かつてしていた仕事贔屓になってしまうけど、多くのクリエイションの中でも、やっぱりとりわけ漫画は、特別…という言葉を選ばないでおくなら、特殊な表現手段なんだと思います「作家個人ひとりに負うところ」が異常に多すぎる表現媒体なんじゃないかと思います漫画家を含めて、作家としての個人の名前が前面に出る仕事(そこには、だから、庵野さんみたいな人の仕事と名前も入るのはわかるでしょう)、そういう仕事は、やっぱりちょっと、特別、もとい、特殊なんです日本語でそれを括るなら、それが、“原作”“原作者”ということになるのかもしれませんその中でも日本の漫画はちょっと特殊すぎます作家個人が、ひとりだけで、ストーリーを考え、絵を描き、俳優を演じ、効果音を当て、お金の管理もして、ひとりで物語を構築する もちろんアシスタントスタッフは存在しますが、決定権というか決定の責任は漫画家個人にものすごく集中しています映画に例えるなら、監督、脚本、カメラ、美術、俳優全員、衣装、音響、編集、予算配分とスケジュール管理と会計処理と税務、すべてをひとりでこなして毎週映画を作り上げて納品するようなものです 狂気の沙汰ですよ映画の作業で残っているのは、そのフィルムに、オープニングタイトルとエンドクレジットを付け、宣伝し、配給し、チケットをもぎり、上映し、パンフとコーラとポップコーンを売ること それらは“プロデューサー”“配給会社”が担うことなのだと思うし、漫画に例えるならそれは主に出版社と編集者が担ってくれていますでも本当は、漫画の編集者は、多くの場合、作家が物語を創る作業に、もっと深いレベルで関わってくれているんですけどね そこがまた複雑でわかってもらい難い出版社と編集者の話はまたあとで“原作者”は、物語を構築するときに、それぞれの、自分だけが潜れる地下に潜って、自分だけがすすれる泥水をすすりながら、そこで手にした意味不明なんだけど意味あるものを地上に持ち帰って、地上の人にわかる言葉に翻訳して綴って、披露目る、そういう作業を繰り返していますそういう作業の最前線に自分もいた感触は、今でも残っています作家それぞれにもちろん技量や実績の差はあって、日本人なら多くの人が作品名や名前を知っているレベルの一騎当千の猛者もいれば、自分みたいに「はい、あの、なんとか銃は撃つくらいはできます…」みたいなヘッポコまでいるわけだけど、それでも、「商業漫画の連載」ってやっぱり別格の世界で、個別に、エゴのレベルで、あの人やあの人の創るモノとは気が合う合わない好き嫌いみたいなことはあるにしても、みんなが互いに、“最前線で戦っている同士”だっていう共感は持っているように、僕は、思います今もそうだよね?だから、みんなが今、人ごとと思えなくて、悲しんで、うろたえて、怒っているんだと思います“原作者”が自分の体と心を使って何をしているかというと、自分と外界の境界線を最大限にぼやかして自我をゼロに限りなく近付けて、なおかつ、「自分」が信じるものを出していかないとならないので、それは細胞の集合体である生き物の生存の定義に反する作業、「死」に触れる作業なんですよね自他境界を緩めると自我が世界に溶けちゃうんですよこのおそろしさは、もしかしたら、作家のもっとも親しい人にも理解してもらえないことなのではないかと思いますだからものすごい孤独を伴う何度も引き合いに出してすみませんが、庵野さんが死ななかったのは本当にたまたまだった…という話は、本人も何度もしていますみんな、そうなんですよ自分とて「あれはたまたま死ななかっただけなんだな」と思い返す出来事はひとつきりじゃあない生きている人は、「たまたま死ななかっただけ」なんですそういうエッジの上を進み続けることになるんですそして、作家が、地下に、海に、深く潜る際には命綱が絶対に必要で、多くの場合はそれは“編集者”“プロデューサー”が担っているのね船の上、陸の上で、命綱を握っているその安心感があるから、作家は“潜って”いけるんです漫画家にとっても、編集者の存在ってものすごく重要ですでも編集者は漫画家にはなれない 逆も同じです 多くの場合それは互いにじゅうぶんわかっていて、その中で信頼関係と仕事のしかたが構築されながら、作品は創られる編集者って必要なんですよ、ほとんどの場合佐藤さんはたしか「自分は編集者は要らない」と言い切っていたと思うんだけど、そんな強者はひと握りで、多くの場合は漫画家は編集者と二人三脚ですそれでも、ときに、しばしば、行き違いやコンフリクトは生じてしまう作家が、出版社への異議を唱えたり意見を述べると、それを出版社に属する人が「自分への攻撃だ」と認識することが多いのかもしれませんそうではなくて、個人である作家は、「あなたが属しているシステムの構造に異議を唱えているのだ」と言い続けているのだけど、その平行線がずっと続くことが多いですもう10年以上も前に、佐藤さんや雷句さんが、それぞれの考えと���りかたで、出版社や漫画業界のあり方に疑問を投じて、それは大きな波紋を起こしましたワタクシごとなんだけど、雷句さんのアクションの際に僕も僕の考えを書き述べたら、少年サンデーの編集者から「部外者が好き勝手にものを言わないでもらいたい」というメッセージをもらいました 当時の自分の文章を読み返すと、下手な文章だなと思うので「文章が下手だ!」と言われるならわかるんですが、的外れなことも誹謗中傷も書いておらず、何がそんなに相手を不愉快がらせたのかは今もよくわかりませんあれからもう15年以上も経っていて驚きます当時から知っている何人もの有能な編集者が、そのあいだ、作家や作品をないがしろにして仕事をしていたわけがないことはじゅうぶんに知っていますでも漫画家も多忙だけど編集者だって忙しい余計なことに煩わされる余裕なんて��いんですよ編集者はかなり強く担当作家と二人三脚を組んでくれるし、愛する作家を愛するけれど、いっぽうで、関わりのない作家に冷たい面がある(会社の人間として振る舞う傾向がある)それは当たり前なんですけどねでも、編集者がおおぜいになった時に、作家もそこにいるというのに、作家の前で他の作家の悪口や噂話をするのはやめてほしかったああこの人たちは、自分の居ない場所では自分の悪口を言って笑っているんだろうな、という想像ができてしまう何かのおりに、いったん、作家と編集者(出版社)の対立が外部にあらわになると、漫画家は多くの場合に、「組織/おおぜい/システムvs個」の、“個”の側にたったひとりで立たされることになる二人三脚していた相手、個人だったはずの編集者が引っ込んでしまって、代わりに、組織である出版社が出てきてしまう芦原さんが言い残した「攻撃したかったわけではない」という言葉は、誰か個人を攻撃したかったのではなく、「組織vs個人」になってしまい、個人として困っている、ということを述べたかったはずです「パーソナルとマスの問題」なんだけど、マスの中で(組織の中で)個人(パーソナル)として、その理解で組織と個人の問題を捉えて、そして言語化できている人は多くない大きく括れば、これはハラスメントの問題に属しますパワハラは、立ち位置の不均衡を素地にして起こるこちらは個人、向こうは組織その不均衡を、多くの場合、組織(強者)に属する人は理解しきることができないヒトが2人以上存在する限り、どちらかが強い、あるいはどちらかが組織に属している度合いが強いので、パワハラが存在する可能性があって、同時にその不均衡の構造は、なかなかすべては語られ得ないのだと思います日本には、作家にエージェントが存在しない作家と編集者(出版社)の間にエージェントが居れば、また話は違うのかもしれないんですが、多くの場合はエージェントの役割を編集者が兼ねているんですよね何かあると二人三脚していた相手だと思っていた編集者が組織の中に引っ込んでしまうので、作家はひとりぼっちになってしまう取り残されてしまうんです今回の問題の実際のディテイルは、原作の改変ですけど、でも重要なのは改変の良し悪しじゃない改変の度合いに関与できないことが問題なのであって、改変がいけないわけじゃない「良い改変」とか「悪い改変」とかがたくさん例示されても意味がない良い改変だとしても原作者が納得しているか、もしかしたら逆に不本意な気持ちになるか、それはまったく別の問題だから「改変する」「改変しない」じゃなくて、原作者個人が取り残さないようにすること、追い詰められて孤立しないでいられることです取り残され追い詰められるのは個人なので組織を背負っている、全体に繋がっている、ほうの人は個人よりは孤立しない仕組みになっているのだから組織のエラーと、個人のエラーをごっちゃにして峻別出来なくなってしまっている今回生じているのは組織のエラーです 個人のエラーはそれに付随して起きたことでしかないそうすると、得をするのは時に応じて組織に溶け込める人間で、損をするのは“個人のまま”の人間、組織と個人を別々のものだと考え続けている、組織に溶けることなど知らない個人、なんです漫画家はそのほとんどすべてが後者です生前の芦原さんの対応には、見聞きできることを見聞きする限り、ひとかけらの瑕疵もない死を選ばずに済んだ道があったはずだそのことが余計に悲しくて悔しい相対することになってしまった脚本の人の心身の安全は守ってあげなきゃならないけど、死なないで良いんで「死ぬしかなかった苦しみ」「作家が味わった地獄」に関しては、芦原さんが味わったのと同様に味わってもらえないものだろうか、「地獄を見たらわかります」、とは思いますもちろんそのとき重要で必要なことは、プロデューサーやテレビ局は、それでも脚本のひと個人の命をちゃんと守りきることなんだよそこを怠ってはならない大きな話として、私たちの社会が、弱者をすくいあげる、ハラスメントに対応する、そういうことがもう出来なくなっているのでは、という視座が要るように見える“個”への、唯一無二への敬意が欠ける場合が多いというか、“原作”を構築するのは個人で、でも現代は“解説動画”とか“読み解き”とかをアピールする環境が大きく整っていて、そういうジャンルに足を踏み込む人はとても多い何かを楽しもう消費しようとする人々にとっては、原作も、読み解き動画も、面白ければ別にどっちでも良いと思って楽しむことも多いんじゃないかと思う“原作“は希少なのだ…という認識を分かち合い続けるのはとても難しい現代の世界は、余計に、“原作”の稀少さがないがしろにされていく素地があるんじゃないだろうか明日から全てが改善される改革なんてあるわけがないし、できるわけがないだろうだから少しずつでも良くならないといけないわけなのだけど、それはかなり強固な意志で重いハネ車を動かし始めなければならないことなので、今、やらないなら、やっぱりやらないのだろうこれ以上の解決や改善を試みないということは、「今のままでヨシとする」という意思表示と合意を意味するわけだからこれ以上は未解決のままでも、漫画の文化はたいして変わりなく続いていくでしょう 今でもまだ豊潤だから今までどおり、声にならないところで、誰かが割りを喰って、不満や悲しみを抱えながら、時々誰かが死んでしまったりしながら、続いていくのだと思いますでもやはり、どうか、少しずつ、少しでも、状況がマシになってくれまいかもし改善がなされないのだったら、物語を創りたい、商業漫画を描きたい、と考えるひとは、「この世界はこういうものなのだ」と心して近付く、あるいは近付かない、それを「自己責任」で判断して生きていってもらうしかないもうひとつもうひとつ、自分が抱えているジレンマは、じゃあ距離を置いた漫画の世界の話には言い及ぶクセに、今お前が属している飲食業の暴力にはダンマリかよ、という自問自答があります卑怯なんですよね、これ今、自分が属している業界に関しても、言葉を綴るべきなんだと思います 今回とても思いましただからこそ、多くの現役の作家さんが、言いたいことすべてを言えるわけはなくて、なのに、多くの人が考えに考えて、自分の言えること、言うべきことを発しようとしていることも含めて、何もかも、痛いくらいにわかりますこのへんで幕引きみたいになって、またここから15年くらい、何も変えられないようになってしまうよりは、もう少し、言葉にして、言葉がまとまって、何かが少しでも変わったほうが良いのにな、と思います
芦原妃名子さん 2024年1月29日 - 一色登希彦/ブログ 
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ari0921 · 10 months
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我が国の未来を見通す(94)
『強靭な国家』を造る(31)
 総括「『強靭な国家』を造る」(前段)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに──「『強靭な国家』を造る」を総括す
るにあたって
 「『強靭な国家』をいかに造るか」というテーマ
で20回にわたり延々と書いてしまいました。すべ
てが「強靭な国家」を造るという“「大目的」のた
め”ということから、あえて、毎回のテーマを変え
ないまま書き綴った結果でした。
改めて読み直してみますと、あくまで私の“独りよ
がり”ではあるのですが、“「強靭な国家」を造る
ことがいかに大変なことか”について再び考え込ん
でしまいます。
卑近な例をとりあげますと、現在ハマスと戦争の最
中にあるイスラエルは、日本などと比較して、20
00年にも及ぶ長い間、国を挙げてあらゆる分野で
「強靭な国家」造りを最優先して実行し続けてきた
国家であり、(すでに触れたような)その“強さ”
は、昨日今日に出来あがったものではありません。
しかし、そのようなイスラエルであっても、今回の
ような事態を招く結果になってしまいました。ハマ
ス側からすれば、10月8日の奇襲攻撃に対する報
復が、現時点において1万5千人以上の犠牲者を含
むガザ地区の壊滅に至ったわけですから、人質交換
のための一時的な停戦合意は継続していても、その
後の展開が不明であることを考えると、“割に合わ
ない、とんでもないことをしでかしたものだ”と思
ってしまいます。
イスラエルの“非情”ともいえる作戦は、単に報復
に留まらず、“この機会にハマスを壊滅する、少な
くとも、未来永劫にハマスに手出しをさせない”と、
本来の戦略に立ち返ってこれまで以上に“強い決
意”をもって作戦を遂行した結果でしょう。それこ
そが、これまでもそうであったように、将来のため
に「強靭な国造り」をめざすイスラエルという国の
“生き様”であり、���国の形」であると私は考えて
います。
我が国にあっては、明治維新に「富国強兵」「殖産
興業」という「国家目標」を打ち立て、迫りくる西
欧諸国の脅威に立ち向かうことを主目的に、まさに
“強靭な「近代国家」”を造ることを目指してきま
したが、幾多の戦争や大震災、世界恐慌の影響など
を経て、ついには「大東亜戦争」を招く結果となっ
てしまいました。
「歴史は物語である」「歴史は検証できない」とは
東洋史学者・岡田英弘氏の名言ですが、“仮に日本
が明治初期に「富国強兵」などを唱えず、「近代国
家」を目指さなかったら、その後の歴史はどうなっ
たであろうか”については検証できないのです。
しかし、18世紀後半、地球の85%を支配した西
欧諸国の植民地主義の拡大、その中でイギリスをは
じめとする西欧諸国に割譲されるという形で独立を
失った「清」の例などを見れば、明治以降の我が国
の「国の形」が相当違っていただろうということは
容易に想像できます。
現在から先の「未来」についても同様のことが言え
るでしょう。“歴史の大きな転換点にある現時点”
において、私たちが、後世のために未来起点のアプ
ローチに基づき、さまざまな手段を行使して“「強
靭な国家」造り”を目指そうとする場合と、逆にそ
のような努力を怠る場合とでは、我が国の「未来図」
を大きく変わることは疑いようがないのです。
昭和16年、日米開戦に至る一連の交渉のなか、9
月6日の御前会議で、海軍軍令部総長・永野修身が
「戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬと
すれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族
永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するな
らば、たとえ戦い勝たずとも祖国護持の精神が残り、
われらの子孫はかならず再起三起するであろう」と
発言されたとの記録が残っています(フィクション
だったという説もありますが)。
残念ながら、そのような精神は戦後、無情にもGH
Qによって打ち砕かれたかのように見えますが、こ
れまで縷々述べてきましたような、日本人の根底に
ある“強さ”、 まさに中西輝政氏が指摘する「日本
人の『荒魂(あらみたま)』」は、戦前の歴史を否
定した大方の日本人には忘れられていても、各為政
者の時々の発言などから、周辺国にはその記録や記
憶が依然として“残っている”と想像できるのです。
「強靭な国家」造りの中で、「国家戦略」の目標と
して掲げた「安全」については、我が国は、今回の
イスラエルのように、ハマスによる攻撃の後、つま
り“有事”が起きてしまった後に「手を出すのでは
なかった」と思わせるのではなく、手を出す前から、
「日本に手を出すと“大損”をする」と相手に“躊
躇”させること、つまり「抑止」を目指さなければ
なりません。
これは容易なことではありませんが、その根底に永
野軍令部総長のいう「祖国護持の精神」がなければ
ならないことは明白でしょうし、周辺国に記録と記
憶が“残っている”間に、「抑止」のための「強い
意志」と「能力」を明示しておかねばならないと考
えます。
本メルマガでは、あえて軍事とか安全保障には詳し
く触れませんでした。しかし、終戦後、法律家や歴
史学者など有識者たちがこぞって「再軍備」に反対
していたことをはじめ、最近でも高名な経済学者が
「日本経済の復興が最優先で、防衛力増強などやっ
ている場合ではない」旨を自著に書き記していた事
実を知って、「それぞれの専門家にまかせておいて
は、この国はダメになる」と思う危機意識がますま
す膨らみました。
前置きが長くなりました。我が国の未来に降りかか
るであろう、ほかの「暗雲」でも同じことが言える
と思います。それぞれの分野で“致命的な事象”が
発生してから慌てても遅いのです。我が国が“苦
手”としている「抑止」とか「未然防止」とか「回
避」などをキーワードにして、「下降期」の中で
“どんでん返し”を狙って“「強靭な国家」造り”
を目指さなければならないとの認識が、私には一層
強まっています。
▼「国家」を再生する
“強くて、しなやか”な「国家」をいかに造るかに
ついて、これまで、“強靭性”を主に取り上げてき
ました。
実は、本メルマガの総括にあたる第4編を「『強靭
な国家』を造る」とした訳には、“強靭性”のみな
らず、“「国家」の再生”の方にもかなりのウエイ
トがありました。今回はその「国家」について取り
まとめておきたいと考えます。
ウクライナ戦争やコロナ禍の状況から、「自分の国
を自分たちで守れない国は生き残れない」と気づい
た元朝日新聞主筆の船橋洋一氏の言葉を紹介し、同
氏の「日本には『国家安全保障』という『国の形』
がない。そして、その『国の形』をつくるのを阻ん
できた『戦後の形』がある」との言葉も紹介しまし
た。
私は、この発言を船橋氏の“自責の念”と解釈して
いますが、氏の書籍の中にも「国」という言葉が何
度も出て来ます。一方、その「国の形」をつくるこ
とを拒んできた「戦後の形」にはとても“根深いも
のがある”とも考えてしまいます。
しかし、その要因は明らかでしょう。まずは、戦前、
特に満州事変以降、軍部主導のもとの「挙国一致」
が強調され、教育面でも「国粋讃美」とか「尽忠報
国」などを強要されたことに対する“揺り戻し”、
つまり「反動」があるのでしょう。
そして、終戦後、GHQの巧妙な対日政策もあって、
その“揺り戻し”は、日教組など唯物史観に染まっ
ている人たちにとっては自分たちの思想拡大の絶好
のチャンスとなって、その“揺り戻しが度を越し
た”格好になりました。
なかで���、彼らが好むトロツキーの言葉である「す
べての国家は暴力の上に基礎づけられている」が発
展し、「国家は悪」として、「国」とか「国家」を
全否定する考え方にまで拡大しました。
私は「国家論」について社会学的に深く解説できる
能力はありませんが、少しだけ踏み込んでみましょ
う。まず「国家」の起源ですが、これもまた社会学
的には解釈が分かれるようですが、門外漢の私が理
解した言葉で要約してみます。
欧州諸国が「主権国家」として独立したのは、「3
0年戦争」(1618年~48年)の結果、疲弊し
た諸国が結んだ「ウェストファリア条約」(164
8年)でした。その直後から「国家」の意義づけに
ついて社会学的な論争があったようです。
まず、「ウェストファリア条約」によって、「王が
持つ主権はキリスト教ではなく神から直に授けられ
たもの」(「王権神授説」)とする考えが普及し、
王政国家が欧州各地に出来上がりましたが、その考
えに反発するような格好で、3年後の1651年、
有名な『リバイアサン』が出版され、著者のトマス
・ホッブス(イングランドの哲学者)は、「自然状
態では、人々は絶え間なく恐怖と暴力による死の危
険さえある悲惨な状態にあり、そこを脱して、安全
と平和を手にするために“社会契約”を結び、その
結果、『国家』が出来上がった」と意義付けました。
これからしばらく過ぎた1690年、同じく英国の
哲学者ジョン・ロックは『統治二論』を世に出し、
「自然状態にある人間はすでに理性を持っている」
としながら、「自分の自然権を守るために、その一
部を放棄し、『1つの集合体』に委ねる、その集合
体が『コモンウエルス』と呼ばれる『国家』の起源
である」と説きました。
つまり、ホッブスが、「場合によっては生きるか死
ぬかの岐路に立たされかねない自然状態にあって国
家が不可欠である」としたのに対して、ロックは
「国家は、自然権を破った者に対して有無を言わさ
ず、強制的な手段をもって『処罰』するために作ら
れた」として、「保険に加入するように『より大き
な防御』のためにあり、必ずしも国家は不可欠なも
のではない」とも解釈したようです。
このように、“社会契約説”としての「国家」の起
源が発展し、やがて「市民革命」に至って近代国家
が出来上がるのですが、それからしばらく後、マル
クスによる共産主義思想が普及し、「国家」の性質
を「暴力の独占」とするトロツキー的な国家論が興
隆することになります。
一方、同じ時代に生まれたドイツ社会学者のマック
ス・ヴェーバー(ウェーバー)は、名著『職業とし
ての政治』(脇圭平訳)の中で、「国家とは、ある
一定の領域の内部で、正当な物理的暴力行使の独占
を要求する人間共同体である」と定義しました。
本書は、1917年、ドイツが第1次世界大戦で敗
戦した後、ミュンヘンにある学生団体のために行な
った公開演説をまとめたもので、それまでのドイツ
社会が、「ドイツ帝国」は存在しても、多種多様な
団体が物理的暴力をノーマルな手段として認めてい
た事実とは違った意義が「国家」にあると解説した
のです。
しかも、トロツキーとは違い、国家の「“合法的
な”暴力の独占」を定義し、「許容した範囲の中で
物理的な暴力行使が求められている」として、「警
察や軍隊はその主な道具・装置である」と解釈した
のでした。
このように考えると、安全保障を米国に丸投げした
まま、あくまで「警察予備隊」として発足し、しば
らく“再軍備”を否定し続けた「吉田ドクトリン」
は、その後長い間、唯物史観の人たちに巧妙に利用
されてしまいました。彼らは、マックス・ヴェーバ
ーの「“合法的な”暴力を独占するのが『国家』で
ある」との考えに至らないまま、(単なる暴力装置
としての)「国家」自体を否定している間に時が流
れ、我が国の「戦後の形」として定着してしまった
と解釈できるのではないでしょうか。
余談ですが、マックス・ヴェーバーによって「国家
論」を叩きこまれたドイツに、やがてヒトラー率い
るナチスが合法的に誕生するのですから、歴史とは
皮肉なものです。
さて、我が国の「国家」には、さらに長い歴史があ
ります。我が国の建国は、まだ「国家」という呼称
はなかったものの、「神武天皇の即位」(紀元前6
60年1月1日〔旧暦〕、2月11日〔新暦〕)とされて
いますし、近代国家の建設が始まった「明治維新」
も「国家の起源」として考えられる場合もあります。
戦前の歴史家の巨匠・坂本太郎氏の『日本の歴史の
特性』によれば、我が国の歴史の中で「国家」とい
う文字が初めて出てくるのは、正倉院宝物の中の
「国家珍宝帳」(756年頃に献上された献物帳
(宝物の目録))だそうですが、この場合の「国家」
は、現在の「国家」とは違う意味をもっており、国
家はミカド、つまり天皇と同義に用いられていたよ
うです。同様の表現は、当時の“現行法”であった
「律」の中にもあり、同じく国家=ミカドを意味し
ていたのだそうです。
つまり、トロツキーの「国家の性質を暴力の独占」
のような概念を我が国の「国家」論に当てはめよう
としたのは最初から無理があったのですが、結果と
して一人歩きしまったのでした。
今なお、公の場で「国」「国家」「国益」「国力」
「国体」などの使用が何となく憚(はばか)られ、
挙句の果てには「愛国心」のようなものまで否定さ
れ、放置されたまま今日に至っていることもすでに
取り上げました。一日も早く、真の意味での「国家」
の再生が望まれると考えます。
改めて、「国家」の現代的な理解をまとめてみます
と、「国家」とは、「その領土と人口を通じて、特
定の地域における社会的、政治的、経済的な活動を
組織し、調整する役割を果たし、個々の国民が自由
で平等な生活を送ることができるように、公正で公
平な社会を維持するための枠組み」のようです。
つまり「社会的、政治的、経済的な活動を組織」を
手段として、「個々の市民(国民)が自由で平等な
生活を送ることができる」ことを目的とした「公正
で公平な社会を維持するための枠組み」を指すとい
うことでしょう。
「国家」の起源にさかのぼるまでもなく、手段も目
的もそれぞれが複雑で、幅広く、奥も深く、しかも
現時点のみならず、未来においても、“自由で平等
な生活”を担保する必要があるわけですから、その
ためにも「国家」に「強靭性」を備える必要性がま
すます増大していると考えます。
▼国際社会に“リバイアサン”が復活した
さて、国際社会においても、冷戦後しばらくの間は、
「国対国」の争いから「国対テロ集団」のような争
いがクローズアップされてきました。しかし、この
たびのウクライナ戦争を境にして、再び「国対国」
の争いがクローズアップされ、それが発展して“新
冷戦”のような「分裂の時代」が現実のものになっ
てきました。
現下の情勢下、国際連合の無力さも露呈したことも
あって、ホッブスの言葉を借りれば、国際社会は
“リバイアサン”(つまり“怪獣”)が大暴れし、
それを制御するのが困難な時代になりました。この
厳しい国際社会の中で生き残るため、つまり、暴れ
まくる(可能性がある)“リバイアサン”から生命
や財産や平穏な生活を守るためには、船橋氏の言葉
を借りるまでもなく、個々の「国」あるいは「国家」
を主体に物事を考え、同じ認識を共有する「国」ど
うしの“社会契約説”ともいえる「同盟」とか「連
携」の必要性が“より増してきた”といえるでしょ
う。
“リバイアサン”を制御するためには、「外交力」
とともに「軍事力」が必要なことは明白ですので、
国家の“暴力装置”の重要性がより増して来たとも
いえるでしょう。しかし、その意味は、「世界同時
革命」に立ちはだかった時点の国家の“暴力装置”
と全く意味が違います。
総括しますと、厳しい国際情勢の中で、我が国が生
き残るために、依然として存在している唯物史観、
あるいは自虐史観の持ち主たち(ちょっとでもその
ような考え方に同調する人たちを含め)が自分たち
の信条とか先入観と決別する時が来たのではないで
しょうか。つまり、マックス・ヴェーバーの「国家
は“合法的な暴力”を独占する人間共同体」の考え
を理解し、容認することが求められているのです。
そのステップを踏んで、時計の針を戻して再出発し
てこそ、大多数の国民がこぞって「国家」を取り戻
し、後世のために“「強靭な国家」造り”に邁進で
きるものと考えます。
くどいようですが、戦前のように、あるいは中国や
北朝鮮などのように、我が国にあっては、国家の
「強制力」を行使できないのは明白です。「国を挙
げて」、つまり「挙国一致」と唱えても、大多数の
国民一人一人が“その気になる”ことがなければ、
いかなる政策も「国家戦略」も絵に描いた餅にしか
なりません。
すなわち、「『国家』を再生する」ことは「国民が
その気になる(覚醒する)」とイコールでもありま
す。そのようなことを狙いつつ、「国家意思」を分
析したつもりですが、天変地異や外圧に寄らず、い
かにして“国民が自発的に覚醒するか”を考えると、
そこにまた難題が待っていることもすでに述べたと
おりです。
今回はここまでにしておきます。次回、我が国の
「国家」論から派生する「統治のありかた」や「政
治」についても取りまとめて、第4編の総括を終了
したいと考えています。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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tanakadntt · 1 year
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三輪秀次の小説(二次創作)
【2】
ニ 五月 米屋陽介(と出水公平)
 そして、入学式が始まる前の教室である。クラス分けの発表があったばかりだ。
 期待と緊張が入り交じり、ざわめく教室の中で三輪は誰にも声をかけられずにいた。そもそも誰がボーダーかもわからない。提携校なのだから石を投げれば当たるほどいると聞いていたが、皆が皆違うように思えた。本部で会っている者もいるはずだが、人の顔を覚えるのも三輪の苦手な分野だった。
 クラスの中でボーダー隊員であるとわかっているのは、一人だけだ。
 入学式当日に、すでに友人らしき人物と楽しげに話している陽キャを見つめた。
 出水公平である。
 三輪にとって彼は、太刀川隊の天才シューターである。ボーダー隊員のなかでもずば抜けたセンスと圧倒的なトリオン量を誇る。合成弾の開発者でもある。これにより、東隊のA級一位の立場も最後のシーズンにはひっくり返された。悔しい。その後、先輩二宮が頭を下げて教えを請うた人物だ。
 それだけではない。人なつこく明るい性格で、コミュニケーション能力が高い。
 こういう人物が隊長向きではないだろうか。三輪は我が身を省みた。月見の指摘が思い返される。
 出水の横にいる友人とおぼしき人物は、入学式というのにカチューシャで長い前髪をあげていて、やはりコミュ強者という風格だった。
 米屋陽介である。
「出水、何ビビってんの?」
 米屋陽介がちらりと三輪に視線をやった。
「しぃぃっ、視線あわすと噛みつかれるぞ」
「なにそれ」
 一方の出水は三輪の強い視線を受けて、内心戦慄していた。
 彼にとっての三輪は、東隊の狂犬アタッカーである。最近は銃も使う。その鉛弾が叩き込まれると厄介だ。容赦はない。弧月でぶった切られるときの鋭い目つきに明確な殺意を感じる。格上にも平気で挑み、勝てば当然といいたげな涼しい顔、負ければギリギリと歯ぎしりしそうな様子で悔しがっている。よく太刀川に噛みついている。迅、嵐山と誰もが好感しかいだかないであろう人物にも恐ろしいほどに攻撃的だ。何、怖い、この子。
 なんでそこまでと思うが、誰も気にしていないので、出水も空気を読んでそっとしておくことにしていた。そういえば、同い年だったなという認識だ。同じクラスになったのか。
「めっちゃ、お前のこと見てんじゃん。あいつ、知ってる。解散した東隊だった奴だろ」
 米屋とはボーダー本部のブースで知り合った。目が合うなり、いきなり個人戦に挑まれたが、それからよくつるんでいる。ノリが合うのだ。入隊は最近らしいが個人戦を重ねてあっという間にB級にあがった。とはいえ、上昇志向とは無縁で単に戦うのが好きという戦闘狂だ。米屋は無理やり思い出すようにこめかみに指を当てた。
「…確か隊員を募集してたな」
 知らなかった。
「へえ、あいつも隊を作んのか」
「『も』?」
「ああ」
 三輪は狂犬だったが、優秀な猟師にしつけられた猟犬でもあった。指揮官が描いた盤面を猟犬たちが静かに展開し、敵を次々と屠っていく様は見事なもの��った。彼らの追い詰める獲物とは自分たちのことであったが、毎回、テキストをすすめるように替わる戦術と戦局を楽しみにしていたのだ。
 二宮、加古に続き、三輪までも隊を立ち上げようと動いている。
「これは面白いぜ、きっと」
「あ」
 本部である。
 三輪は現在隊に所属していないので、防衛は混成チームに参加して当たっている。誰かスカウトできないか目を光らせておけと優秀オペレーターの厳命に従い、なるべく参加しているが、彼と一緒になったのは初めてであった。
「米屋」
 カチューシャの彼はニヤリと笑った。同じクラスで、出水の友達だ。クラスの中でもとてもニュートラルな人間である。というのが、人間観察術を身につけようと努力する三輪の見立てである。誰に対しても偏見がない。無愛想で距離を置かれがちな三輪にも気軽に接してくれる人物でもある。
「米屋はボーダーだったのか」
「なんだよ。知らなかったのかよ」
 みんな知ってるぜと米屋はあきれた顔をした。
 すでに五月も中旬である。クラスでのスカウト活動は進展していない。積極的でないのもある。この一ヶ月近くは、月見に戦術をスパルタでたたき込まれている。人間観察はその修行の一端だ。鉈でざくざくと自信が削りとられていくような厳しさに、すでに三輪のライフはゼロに近い。目の下には隈が出来ている。いまだに隊員の応募もない。
 米屋はネイバーの口元にある急所にスコーピオンを叩き込んだ。
「いっちょ、あがりっと」
 軽口だがやっていることはすごい。
 防衛任務を共にこなして、三輪は米屋の強さに驚いている。二人一組で哨戒に当たっているところに門が開いたのだ。
 強い。トリオン量が少ないと言っていたが、それを補う高い技量を持っている。スコーピオンの使い方も独特で彼のセンスを伺わせた。これほど強いのなら、どんどん結成されている新しい隊に声をかけられているのではないだろうか。
 その疑問を口にすると、米屋は直接答えず、逆に問うた。
「うーん、三輪はさあ、どうしてボーダーになったんだよ」
 ボーダーではよく聞かれる質問だ。
 三輪の答えによどみはない。誰にどんな場面で聞かれても、こう答えてきた。
「近界民に殺された姉さんの仇をとりたいんだ」
「へえ」
 米屋は片眉をあげて三輪を見た。珍獣に出くわした表情だ。それもそうだろう。ボーダーに志願する者で近界民侵攻の遺族は不思議なほど少ない。逆にアンチ・ボーダーに傾く者が多かった。いまやボーダーは街を守る存在として憧れの存在だ。失ったものが多い人間には眩しすぎるのかもしれなかった。
 米屋はシンプルな感想を口にした。
「しんどくね?」
「わかってる」
 三輪は何の感慨もなく、うなづいた。よくわかっている。
「近界民をこの世から抹殺する。それが俺の目標だ」
 そのために強くなりたい、こう言うと、大抵の隊員はひきつった顔をする。憧れの隊員は誰? 好きなランク戦動画は?などという話の流れを一気に破壊する迷惑な代物であることはわかっている。だから、三輪は必要以上に隊員と交わらない。現在、隊員を募集するうえでそれが裏目に出ているわけだ。
 しかし、米屋はひるまなかった。かわりに、ははっと笑った。
「おっも」
「ああ」
「三輪って真面目そうって思ってたけど、ほんと重いのな、いつも? いつもそうなの?」
「ああ。うん、いや」
 三輪は首をひねって口ごもった。改めて聞かれると少し違う。
「なんだよ」
「いつもってわけじゃない…かもしれない。それじゃ、勝てないから」
 冷徹な戦局に復讐心は不似合いだ。邪魔になる場面は何度もあった。
「普通に強くないと勝てない…かな」
「普通ってなんだよ」
「普通は普通だ。…米屋はどうなんだ? ボーダーに入った理由。お前、強いじゃないか」
「俺?」
んん、と唸って、米屋は顎をグーでこすった。
「俺は楽しければそれでいいかな。強い奴と戦えればそれで」
「近界民でもか?」
「近界民でもさ」
 これ普通ってこと?と米屋が笑った。
「そうか」
 しばらく沈黙が落ちる。
「ふざけてるって、怒んねえの」
「お前が普通だって言うなら普通だ。そうだな、お前が、俺が重いって怒ったら怒ることにする」
「まあ、俺は楽しければ何でもいいからな」
「……前を向けって言われるのが一番こたえる」
 侵攻で生き残った者に対するケアを専門にするカウンセラーには何度も言われたことだ。前をむきなさい。このままだと悲しみに殺されるよ。それがお姉さんののぞむこと? 復讐なんて考えないで。
「しんどくね?」
 米屋はもう一度言った。
 そこに、
『門が開きました』
 このタイミングで、本部オペレーターからの指示が飛ぶ。
「んじゃ、『抹殺』しに行きますか?」
「そうだな」
 応えると、唐突に米屋が話を変えた。
「俺、応募してもいいぜ」
「は?」
「お前の隊に。募集してんだろ。本部で見たぜ」
「本当か」
 どうしてこういう流れになったかわからない
「嘘言ってどうするよ」
 三輪は弧月を抜いた。ぶうんと不吉な音をたてて、白い大きな怪物が現れる。
「詳しい話はこいつらを片付けてからだ」
「マジ? 三輪んとこ入るの?」
 本部のロビーである。
 月見との顔合わせで、米屋と待っているところを出水に声をかけられた。
「お、おお、そうなんだ。米屋をよろしく頼むぜ」
 三輪を向いて、手をあげる出水は少々テンパっている。米屋はひひひと笑った。
「こいつ、三輪が怖いからビビってんだぜ」
「おま、ここでそれを言う?」
 三輪は瞠目した。知らなかった。
「あー、何度もぶった切られてるからさ」
「…それは悪かったな。でも、俺は出水のほうが怖いと思う」
「な、なんで」
「強いから」
 思わぬタイミングでやってくる圧倒的な光の束を目の前にした絶望感がどれほどのものか出水は知らないのか。
 出水はびっくりした顔をしたあと、にへへと顔を崩した。
「早くA級にあがってこいよ」
 もちろんだと請け負う。
「すぐに追いついて、太刀川隊をボコボコにするつもりだ」
「三輪、おもしれえ」
「いやいや、三輪、これ本気でしょ」
「もちろん、本気だ」
 冗談でいうことではない。東隊最後のランク戦の恨みも忘れていない。
 出水は気が抜けてため息をついた。
「やっぱ、怖いわ」
【3】に続く
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tokyomariegold · 2 months
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2024/1/29〜
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1月29日 やっぱりできるだけ日記を紙に書きたい!と思うほどの余裕があったのは、少し暖かい日だったから? 昨日道で見つけたjerry catの大きなうさぎちゃんを朝は確認し忘れてしまった。 職場でムーミンビスケットをお誕生日にくれた方とお話をして、彼女がいつも牛乳を飲んでいるのは低血糖を防ぐため、と教えてもらう。私は全く低血糖を予防できずに過ごす日々8年目の人なので、えらいな〜と思った。
そろそろ関西での展示計画へ動き出そう、と、ギャラリーへの応募に必要なものを確認した。企画書を作らないと。目星に入れているギャラリーの1つ、恵文社で購入したというポストカードに書かれたお便りが届いた。年賀状のお返事!
帰り道、まだうさぎちゃんが道にいるのを確認して、スーパーで「こんなの誰が書くの?」と、思っていたお客様の声を書いてみた。 (取り扱いが終わってしまった商品があり困っている事と新鮮な商品を取り扱って欲しい事を書いた。) 今日は調子に乗っている。
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1月30日 昨日は調子に乗ったせいで夜寝るのが遅くなってしまい、まだ火曜日なのに寝不足だったので今日はもうノートに日記を書けていない。
昨日スーパーにリクエストした畑うまれのまろやかソイはどうやら販売が終了してしまったようでインターネットにもなかった。
昨日届いたBluetoothイヤホンをしてみる。 頭と首に自由ができた感じ!
職場のお誕生日が同じ方とやっと今日「お誕生日おめでございました」を交わすことができた。 今日、娘さんがお誕生日だという職員さんは、お誕生日なのに昨日調理し損ねたぶりが夕食になってしまった、と言っていた。娘さんにそれを伝えたところ「照り焼きでなくて味噌煮がいい!」とリクエストがあったそう。 ぶりの調理方法の違いで好みをリクエストできる小学生なんているんだな〜と、私はいつもスーパーのぶりの切り身を、レンジ調理できるのかな?と眺めている。
ギャラリーの応募要項を、見れば見るほどますます企画書を作らなくては!という状況で、気持ちは追いつかない。 もう早々に関西へ行って現地をまず見るのが良いのかな。
2ヶ月くらい前に買った腕時計が、最近よく結露して読みづらいな〜と思っていたら、文字盤がサビだらけ。腕時計にこだわりがあまりなく、でもなるべく良いものをお金をかけずに身につけたい気持ちでセールのオフ率が高い順に品定めをしてしまう。 さすがにサビだらけは気持ち悪いので新しいのを探さないと。
日毎に陽が長くなっていく気がするし、今日もまた少し暖かさを感じられる時があって、でもまだ1月なんてお正月がはるか昔に感じられる。
今週末の通院の予定を先延ばしにしてしまった。
帰りスーパーのお客様の声コーナーには牛脂が置いてあった。
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1月31日 たぶん実質グランプリ落ちの連絡が来ていて少し落ち込んでいる、というか、何がしたかったんだろう?結局承認しされたいだけだったの?と貧しい気持ちになってしまった。
日記の更新とかをした方が良い。
昨日の夜届いた黄色のカラーマスカラを、楽しみに今朝つけてみたけれどお仕事をするにはポップ過ぎて上から黒いマスカラを重ねつけた。
今日でサブスク解約になるNHK+で、昨晩ちょっと流し続けられそうなドラマを見つけてしまい再契約をしようか迷い中。橋本愛ちゃん主演の研究熱心な大学生のドラマ。
職場の方にラムとマトンの違いを教えてもらう。 どちらが子羊でどちらかが大人の羊とのこと。 どっちだっけ。
今日はまた一段暖かくなって梅がまたさらに咲いていた。 昨日の帰り見かけたけれど声をかけず、また明日会えるからいいか、と思っていた一期下の方が今日はお休みの様でなんだか寂しかった。
珍しく定刻通りに来たバスにちゃんと乗り遅れて、でも暖かくて気持ちには少し余裕がある。
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2月1日 色んなお仕事を並行して片付ける様に忙しかったけれど、なんの充実感もなくて、少しへとへとで、こうゆう時に無理やりお部屋の掃除を始めてしまいかねないので気を付けないと。
出産を終えて育休中の上司が提出物を持って職場に来ていた。いろんな職員さんに囲まれながら写真をみせたり出産のエピソードをお話しされたりしていて、遠くで声を聞きながらお仕事を続けてしまった。お元気そうで、とてもとてと嬉しかったけれど、遠くでそっと存在を確認するしかできず、上司と部下の関係ってなぞ。変に親しげに挨拶をするのも違うしな〜と思ってしまう。
重い荷物を両手に持っていたら、2期下の方が「持ちますよ!気が利かずにすみません」と片方持ってくれて、とてもとてもありがたい気持ちだった。 最近は身体的理由で自分では頑張れないことが多くて、やっぱり重いものは持って欲しい。 その方は最近ベースを始めて、フジファブリックの虹を弾ける様になったとお話ししてくれた。 この職場の方々とバンドを組んだとのことで、今週末はボーカルを決めるカラオケ大会をするらしい。 職場の関係でこうゆう世界線があったんだ…と思った。
今週の初めに投稿したお客様の声はまだ届いておらず、昨日も未だ2尾入りでしか販売してくれていない鮭の西京漬を買って、なんと!1尾はラップに包んでジップロックに入れて冷凍保存したよ!えらい! ちゃんと解凍して食べる、までできるかはわからないけれど。少しずつ生活に慣れていきたい。
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2月2日 雪が降りそうな真冬の気候に戻って、朝目眩がするな〜と気を抜いたら倒れてしまう?!と気を付けながら通勤した。
そんな感じだったのと、今日が金曜日だったので、程々に職場の方々と雑談を交わしながら過ごした日だった。 ご自身で設計した自邸が完成して引っ越し中の話や、フランスはライトにカモ料理を食べられるしとても美味しいという話。せり鍋というせりと熊肉が入った鍋料理を愛媛で食べた話。
お昼休みに一期下の方から三角のハーブティーをプレゼントにいただいた! 渡してもらいながら「あ、でもお家に紙コップ��かないんでしたっけ…?」と言われ、透明の耐熱コップは愛用している話をする。
これを思えたのは今日が金曜日だからなんだと思うけれど、いろんなひとに生かされているな〜と思った日だった。
3月から中之島美術館で最果タヒの関わる展示の情報を得て、とても嬉しくなった。展示が開催されるのももちろん、自分の展示計画のため(頑張らないといけない!)だけの理由で関西へ行かなくてもいい!素直に関西に行きたいから行ける!
水野しずのコントロールラブな概念としての30代女性を読み直して、なぜかオズマガジンとHanakoを読み間違えていたことが判明。そして今は関西に住むこと以外を(コントロールラブな状況において)全てやりにいく、みたいな感じでいよう、とまた自分のスタンスばかりを考えてしまう。
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patsatshit · 1 year
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現代に蔓延する上っ面の多様性の背後には、互いに認め合い、尊重するためにはそれぞれがそれぞれに誰かの役に立たなければならないという暗黙の目配せがそこかしこに溢れている。取ってつけたような「弱者救済」というポーズの背後に、どれだけの排他精神が蠢いていることか。高齢者、子ども、障がい者、生活困窮者、クィアをある種の符号に落とし込んでマーケティングに利用するのは、いつだって政治的悪辣の最たるものである。本来は音楽という鐘楼に集いし落伍者たちの解放区として機能していたクラブやライブハウスに於いてさえ、いつしか高い倫理観が求められるようになり、暗黙のドレスコードにより、世にも奇妙な選民思想が根付き始めている。互いに認め合い、互いを支え合うことを前提とした空間に、自分のような人間の居場所がなくなりつつあると感じることが少なくない。音楽が爆音で鳴り響く暗闇のなかには聖職者もいれば犯罪者もいる、心優しき英雄もいれば屑のような悪党もいる、互いの胸のうちに共通するものは何もなく、もちろん自発的な歩み寄りもない。鳴り響く猥雑な音楽だけが両者を辛うじて暗闇の内側にとどめ、足もとの溝を埋めていく。いまの時代、そういう多元的な現場や空間はもはや存在しないのかもしれない。
(『僕のヒーローアカデミア』233話より)
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前置きが長くなってしまったが、タラウマラには日々、様々な事情を抱えた「世の人」たちが入れ替わり立ち替わり訪れる。それは決して居心地の良いものではないし、少なくとも当店にとって、彼らは何の役にも立たない。どちらかと言えばこちらのストレスになるだけだ。それでも彼らはやって来る。そういう人たちをこの社会から見えにくくしているのが無自覚なダイバーシティが夢想するユートピアであり、権力者たちが吹聴する「美しい国」の実態なのだと思う。
(世の人①:東淀川を代表するファッショニスタ)
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まず最初に紹介したい人物が、自他とも認める東淀川のNo.1ファッショニスタ、清水氏だ。氏の特徴を挙げるとすれば、とにかくオシャレ、ひたすらオシャレ、無慈悲にオシャレ。この人がひとたび領域を展開したら、その術式から逃れる術はなく、世の中で最も役に立たないゴミのような服飾情報を一方的に脳内に流し込まれ、結果、見事に誰もが骨抜きにされる。かつて偶然にもその場に居合わせたWD sounds のオーナーLIL MERCY氏さえも凍りつかせた脅威の人物だ。自身の首元を指して「これは希少なFENDIのネクタイだ」と豪語するので、恐る恐るネクタイ裏のタグを確認すると、なんとブランドロゴではなく素材を示すflannelの文字。どつくぞ。そんな清水氏の母親が昨年亡くなったのだが、ある日、沈鬱な表情でタラウマラを訪れた氏が朴訥と胸中を吐露し始めた(聞いてもいないのに)。ずっと母の介護に身を捧げてきた自分としては、親の死を簡単に受け入れることができず、いまは食事も喉を通らない。母が使っていたベッドの上で呆然と天を仰いで、そのまま朝を迎えることも珍しくない、日に日に自身の身体が痩せ細ってきたことを自覚しており、周囲の者からも心配されている、というような内容をエモーショナルに語る。さすがに気の毒だと思い、親身になって耳を傾けていたのだが、次の瞬間、この男の口から耳を疑うようなセリフが飛び出した。「俺はもともとスタイルが良いのに、これ以上痩せたらモデルと間違えられるんちゃうやろか。ほんでこのベルトもかっこええやろ?」。恐ろしいことに、またしても僕は氏の領域に引きずり込まれていたのだ。その後もお決まりのファッション自慢を嫌というほど聞かされ、全身から血の気が引いていくのを感じた。最愛の母親の死さえも、己のファッショントークの「振り」に使う正真正銘のク◯である。しかも亡くなって間もない、死にたての状況で。
(世の人②:東淀川のジャコメッティ)
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次に紹介したいのは、東淀川のジャコメッティ。ある日の営業日、下駄履きのおっさんがタラウマラに訪れ、店内の書棚を一瞥して咆哮した。「ここの本ぜんぶキミらが読んでるんか?やとしたら相当わかってるな!」。僕たちは当店取り扱い書籍はすべて自分たちで読んで、仕入れ、仕入れて、読んでいることを伝えた。するとおっさんの眼は鋭く輝き「キミらは大阪の文化を1ミリ底上げしとるな。大阪で1ミリってことは世界で1ミリってことや!気に入った!儂の家にある本を全部キミらにあげよう、今夜でも我が家に取りに来なさい」と快活に言い放った。その後もジャコメッティやカフカ、折口信夫について興味深い話を聞かせてくれた。おっさんの名は矢嶋博士、淀川とともに生きる彫刻家であり歌人であった。博士から自宅住所と電話番号を書いたメモを受け取り、タラウマラ閉店後にお伺いすることを約束した。博士は帰り際に「もし良かったら、儂の家にある本ぜんぶとキミらのジャコメッティを交換しよう」と言った。僕は何となく話題を逸らして、夜を待った。タラウマラ閉店後に近所のキンキーガールりんちゃんを誘って矢嶋宅へと向かった。ゲトーなアパートのゲトーな階段を上がりゲトーな玄関を開けると、果たしてそこは博士のアトリエ兼寝床であった。三畳一間に所狭しと並べられた謎の彫刻と珍奇植物、藁と見紛う敷布団とヘドロ化したホルモン、呑みさしの酒瓶、そしてあっち系のアダルトコンテンツが視界を過ったことは記憶に留めておこうと思った。博士は「何を突っ立っとんねん、腰おろして寛ぎなさい」と着座することを薦めてくれたので、僕は「どこに?」という言葉をかろうじて飲み込んで、藁のような敷布団に腰を下ろした。ぴったり寄り添うようにりんちゃんの背中がある。博士は1,000冊つくって50冊しか売れていないという自著『淀川。よ』(幻冬舎)を僕たちに1冊ずつプレゼントしてくれた。「芸術家なんて世間様に認められたら負けや。儂はいまの生活で十分幸せやから、死ぬまで作品を作っていくだけや。売れたいなんて思ったことない」という博士の言葉に負け惜しみや諦念は微塵も感じられず、寧ろ清々しい。りんちゃんの興奮が伝わってきた。僕たちは小一時間ほど色んな話をして、席を立った。「階段の上に本を置いてるから全部持っていきや!頑張れよ、若者たち」と言って博士は扉を閉めた。ゲトーなアパートのゲトーな階段の上に大量の書籍が置かれていたが、なんとその8割程度が司馬遼太郎の著作だった。ジャコメッティを交換条件として差し出さなかった自分を心から讃えた。僕たちは自転車のカゴに大量の司馬を積み込んで帰路に着き、その足ですべて「本の森」に寄贈した。
(世の人③:ラッパーの母)
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最後はタラウマラの元スタッフであるマリヲ君の実母を紹介する。この方は初来店時に食パンの差入れを持ってきてくれて、淡路商店街で食パンと言えば、当時の人気店「熟成純生 食パン専門店|本多」(2022年9月に閉店)のものに違いないと早合点し「そんな高級なやつ頂いて良い��ですか?」と言うと「え?そこのイズミヤで買ったやつよ、え?こっちの方が良かった?」とテヘペロ。なんと僕には廉価食パンを差し出し、ご自身用に高級品を隠し持っていたのだ。2度目の来店時は前回購入してくれたAFTERのTシャツ(画像参照)のコーディネートを見せに来てくれたのだが、タイミング悪くパンク修理の最中だった僕は、店内で少しお待ち頂きたい旨を伝えて作業に注力した。ところがパンク修理を終えて顔を上げると、マリヲ母は嘘のように店内から姿を消していた。それから何度かタラウマラにやって来ては、僕の目を気にしてか、まるでプッシャーマンのような所作で袖の下からマリヲくんに小遣いを渡していたり、連日おばあちゃんの就寝時の写真を送ってきて、マリヲくんが「ばあちゃん元気そうで良かった」と返信すると「おばあちゃんじゃなくて、おばあちゃんが着てるパジャマを見て欲しかった」と返す刀がぴこぴこハンマー。よく見るとパジャマの花柄はすべて微妙に違っていた。そうかと思えば「おばあちゃん、明日あたり死にそうです」と唐突に不安を煽るメッセージを送りつけてきたりもする(因みにおばあちゃんはいまも元気にご存命)。或いは道頓堀川で殺人事件が起きた際には被害者の男性が我が子でないかと執拗に心配していた。報道で被害者はベトナム人男性だと報じられているにも関わらず、だ。
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そして、日々の寂寥感を紛らわせるようにSiriというバーチャルアシスタントと夜毎ピロートークを繰り広げていたある時期のマリヲくんが、酔った勢いでSiriに「好きだ!」と告白した瞬間、マリヲ母から「私も!」とLINEメッセージが届いたとき(別の文脈でのやり取りをしていたらしいが、偶然タイミングが重なったようだ)には膝から崩れ落ちた。やはり異能の子は異能、この親にしてこの子あり、ということだろう。
(マリヲ母については息子の著書に詳しい)
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