Tumgik
#山内哲夫
kennak · 21 days
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1987年5月3日午後8時15分ごろ、朝日新聞阪神支局に、全身黒ずくめの男が散弾銃を構えて押し入った。  男は小尻知博記者(享年29)と犬飼兵衛(ひょうえ)記者(当時42)に対し、散弾銃を発射。小尻記者が殺害され、犬飼記者は重傷を負った。  ここから露見した一連の事件は、犯行声明に「赤報隊一同」と記されていたことから「赤報隊事件」と呼ばれ、世間を震撼させた。しかも、事件は未解決のまま、2002年に時効を迎えている。 「赤報隊事件には、統一教会の関連団体『国際勝共連合(以下、勝共連合)』を含め、信者が関係している可能性があると思っています。末端の信者の暴発がなかった、とは言い切れません」  そう証言するのは、大江益夫氏だ。現在75歳の大江氏は、1992年に統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の広報担当になり、翌年から1999年までの7年間、広報部長の要職を務めてきた人物だ。  その間に、桜田淳子氏の合同結婚式参加などがあり、大江氏は教団の “激動期” を目撃してきた。60年近く旧統一教会員として過ごし、教団の深部を知り尽くしている。  そんな大江氏を朝日新聞元記者で「襲撃事件取材班キャップ」だったジャーナリストの樋田毅氏は熱心に取材してきた。そこで、旧統一教会による事件への関与の可能性をめぐるさまざまな情報を得たという。2018年に『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(岩波書店)も出版している樋田氏が、こう話す。 「事件前に、勝共連合の名前で『アカサタンを殺すことだけが生きがい』と書かれた脅迫状が、朝日新聞社に届いていました。信者たちにとって、“サタン” は排除すべき存在。 “サタン” が文鮮明教祖(当時)の身に危害を加えるかもしれないと考えれば、朝日は抹殺すべき存在になっていたかもしれません」  2023年2月の衆議院予算委員会で、日本共産党の宮本岳志議員も「朝日ジャーナル」編集長だった筑紫哲也氏のコラムを引用する形で、この脅迫状の存在を取り上げ、当時の谷公一国家公安委員長に対して、赤報隊事件の再捜査を求めていた。事件後も兵庫県警が統一教会、勝共連合を捜査していた。  そして、大江氏もこう話す。 「統一教会には、かつてのオウム真理教のような敵対者を『ポア(殺害)する』という発想はありません。しかし、共産勢力と戦う勝共連合の “武闘派” となると、話は別です。侵略者に対しては武器を持って戦うという軍人精神的な発想があったと思います」  樋田氏はこれらの取材をまとめ、『旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録』(光文社新書)を8月20日に上梓する。  そこであらためて、本誌は大江氏を取材した――。  事件当時、すでに教団の幹部として、日韓トンネルの建設を推進する関連団体「国際ハイウェイ建設事業団(当時)」の事務局長だった大江氏は、「赤報隊事件」の犯人像について、こう話す。 「単独犯ではなく、グループだったと思います。ヒットマン以外に逃走を助ける人物、声明文を書く人物、依頼者などがいたはず。犯行を指揮した人物は、教団関係者だった可能性が高いかもしれません。  いずれにしても、犯行に関わった人物は、全員が共同正犯。罪はみな同じだと私は思っています」(以下、断わりのない発言は大江氏のもの)  朝日新聞阪神支局に押し入ったのは、全身黒ずくめのヒットマン1人だった。大江氏は “実行犯” についてふたつの可能性を感じているという。 「赤報隊事件は用意周到に準備され、犯人が見せた腰だめの撃ち方、銃身を短く切った散弾銃の使用など、プロの犯行とみられていました。  ひとつは “ヤクザ組織” が絡んでいる可能性です。当時の教団側の関係者に “闇社会” との関わりがまったくなかったとは言い切れません。また、あの残虐な事件は、そういった人間でないとできないと、思うところもあるからです。  しかし、勝共連合のなかにも “武闘派” は存在していました。これが、もうひとつの可能性です。もともとは、旧ソ連が日本に攻めてきた場合、先頭に立つのは自衛隊ですが、その後方支援という位置づけで生まれました。勝共連合が民間防衛を担うという発想でした。  この組織に属する信者たちは、実際に軍事訓練をおこなっていたのです。私自身も、何度も陸上自衛隊に体験入隊しました。ふだんから、山中で散弾銃の訓練もやっていました。こうした信者が400人ほどおり、元自衛官や元警察官もいたのです。そうした “武闘派” の信者が実行犯だったのではないかという推測も可能だと思います」  じつは今回、大江氏が『懺悔録』を世に出すという情報が、旧統一教会内に事前に広がった。教団は出版を踏みとどまらせようと、大江氏に対して執拗に圧力をかけてきた。 「京都の山里にある私の自宅に、教団の人間が突然来るのです。これまでに十数人来ました。彼らが何を危惧しているのかといえば、やはり『赤報隊』に関する記述でした。  安倍(晋三)元首相の銃撃事件があり、2023年には宗教法人法に基づき、政府が教団に対する解散命令を裁判所に請求する事態になっています。ここにきて『赤報隊事件と統一教会が関係がある』と言われたら、教団は潰れてしまうということでしょう。  でも、私は『断定的な言い方はしていない』と言って追い返しました。自宅に押しかけてきたなかには、かつての私の部下たちもいました」  そんななか、なぜ大江氏はあえて赤報隊について語る決意をしたのか。『懺悔録』でも記したように、こういう思いがあるという。 「信者の可能性がある犯人がこの世、あるいはあの世で、のうのうと生きていることが許せないのです。犯人が口をつぐんでいるのであれば、私が犯人の代わりに、小尻さんとご遺族に謝罪しなければならない。そう考えたのです。絶対に謝罪が必要です。そうでなければ、私はあの世で亡くなった小尻さんの霊と会うことができない」  だが、大江氏は赤報隊事件について語るためだけに、樋田氏の取材に応じたわけではなかった。長年、旧統一教会内部で抱いていた教団運営への違和感があったのだ。  そして、それをすべて樋田氏に打ち明けようと思ったきっかけがある。 「樋田さんと “川口君” の五十回忌の法要でばったり会ったんです。そこで、私は『これは腹を割って話さないといけないな』と思いました」  大江氏が口にする “川口君” とは、1972年、革マル派のリンチを受けて殺害された早稲田大学生・川口大三郎さん(享年20)だ。当時、早大で旧統一教会系の学生団体「原理研究会」に所属していた大江氏は、革マル派と対峙していた。  そのため、大江氏は川口さんの死を悼み、2021年秋におこなわれた五十回忌まで供養を続けてきた。  そして、五十回忌法要には、川口さんの事件に関するノンフィクション『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)を出版した樋田氏も出席していた。  その後の交流を通じて、「最後の懺悔」を受け止めてくれるのは樋田氏しかいないと思うようになったという。  大江氏は「かつての統一教会は、こんな教団ではありませんでした。私たちは、なぜ韓国の教団本部に巨額の送金をするようになり、霊感商法といわれるような悪質な行為をおこなうようになったのか」と、次のように話す。 「私は1966年、17歳のときに統一教会に入信しました。教団には『開拓伝道』という布教活動があります。学生時代には、自分で廃品回収をしてお金を作り、屋根裏部屋のような部屋を借りる。そこを足場にし、廃品回収をしながら伝道活動をおこないました。非常に清貧な暮らしでした。自分が行く教会の教会長さんを中心にして、統一教会は家庭的な教団でした」  その教団の性質が大きく変わったのは、今から49年前の1975年のことだったという。 「それまでは伝道活動が中心でしたが、1975年から経済活動が始まります。統一教会は韓国でできた教団です。伊藤博文が初代韓国統監に就任した1905年から、日本による韓国の植民地支配が始まったと統一教会はとらえています。  それが終わる1945年までの40年間について “贖罪” しなければならない。統一教会には『40年の蕩減(とうげん)復帰』という教えがあります。なので、日本の信者は韓国の本部に40年にわたって送金を続けるとして、経済活動に励むことになった。そのスタートが、1975年だったんです。  そうすると、経済活動が強化されるなかで、霊感商法が始まりました。『先祖の霊や祟りを取り除くには、霊力のある高額な壺などが必要だ』という考え方は、キリスト教にはありません。『先祖の怨(おん)を解くための献金』についても同様です。しかも、韓国への送金は40年間を過ぎた現在も続いていて、日本の信者を苦しめています。  これは『40年の蕩減復帰』の教えから外れていて、約束違反ではないか。やりすぎなんですよ。全財産を捧げるような献金をさせてはいけません。教団も受け取るべきじゃないんです」  韓国の教団本部への高額の送金が、日本の教団の性格を歪め、さまざまな問題を引き起こしてきた。 「今、教団には解散命令が出されようとしています。それを回避するには過去に遡って、高額献金を反省し、被害者に補償する必要があります。自分の家族が路頭に迷うような献金を求めるのは、公序良俗に反しています。日本の教団は、多額の送金を求め続けてきた韓国の本部から独立する必要があります。それが、解散命令を免れる唯一の道です。  なぜ、こんな単純なことがわからないのでしょうか。私は、これまでもこうした問題提起を教団内でしてきましたが、“危険分子” とみなされ、意見は通らなかった。でも、教団は間違っていたのだから、反省しなければいけないのです。力不足かもしれませんが、私自身も霊感商法を後押しする側にいた問題を含めて、懺悔したいと思います」  現在、旧統一教会への解散命令請求が東京地裁で審理されているが、大江氏は末端の “純粋な信者” たちに向けて、こう提言する。 「統一教会は全国に300の教会があります。しかし、解散命令が実施されると教会施設のほとんどはなくなり、礼拝をする場所がなくなる。これは信者にとっては大変なことです。私は、家庭が教会になればいいと思っているのです。  建物がなくても、毎日礼拝する場を家庭に作ろうということです。このままだと、絶望する信者が増えていくだけです。私は、2024年6月で教団を退会しました。それでも、家に礼拝の場があります。私は退会後も、礼拝を欠かしていません」  本誌に対する大江氏の告白は2時間に及んだ。彼が長く過ごしてきた教団が、この言葉を聞いて、悔い改めることはあるのか。
「赤報隊事件」旧統一教会・元広報部長が明かす “散弾銃訓練”と “武闘派”…教団からは「懺悔本」出版への圧力も(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
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ari0921 · 7 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)3月3日(日曜日)
  通巻第8158号  <前日発行>
TSMCが熊本に半導体工場を開設。メディアは度を超えた過熱報道
   しかし第一工場は28ナノ量産、第二工場は7ナノ半導体でしかない
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 TSMCが熊本に半導体工場を開所した。報道の過熱ぶりたるや、開所セレモニーには百台のカメラ、台湾の主要テレビもこぞって取材にやって来て、いわく。
「日本に黒船。台湾TSMC日本進軍、日台協力意義強固、帯来復興」などとお祭り騒ぎのように報じた。しかしこの工場、日本政府が4760億円を助成したのだ。
 熊本県菊陽町にTSMC工場は東京ドーム4・5個分の広さを誇り、地下4階建て。付近の道路に大渋滞が発生、台湾の技術者がすでに350名。将来は700名、また日本国内での技術者も大量に採用されたため第一に人口増加、第二にショッピングモール、レストランの台湾食材シフト、第三に住宅価格の暴騰。第四が賃金の大暴騰となった。
 2月24日の開所式に台湾からはTSMCの創設者=張忠謀(モリス・チャン。92歳)、CEOの劉徳音、CCOの魏哲家らが顔をそろえ、日本側は蒲島県知事、斉藤健・経産大臣、歴代の甘利明、萩生田光一らが馳せ参じて壇上でのテープカット。
またトヨタ、ソニー、デンソーの経営トップの顔が並び、岸田首相はオンラインで画面にあらわれ、TSMCの第二工場には7320億円の日本政府助成金を公約した。翌日の『熊本日日新聞』は一面トップ記事。ただし、TSMC第二工場は「熊本県内。東京ドームの七個分」と発表されただけで、場所の明細は伏せられたまま。
 
 開所式で注目はモリス・チャンの発言である。かれは台湾を代表してAPECにも出席する世界の顔だが、こう言ったのだ。「いまから56年前に、わたしはTI(テキサス・インスツルメント)のエンジニアとして初めて来日した。ソニーの盛田昭夫氏と半導体の将来を語り合った。その夢が、56年後に実現した。この半導体工場は『第一の波』であり、日本の『半導体ルネッサンス』になる」。
 
 正確を期すとTSMC熊本工場というのは正しくない。正式社名はJASMである。
日本と台湾TSMCの合弁企業(日本半導体製造会社)でTSMSが86%の筆頭株主だが、トヨタ(2%)、デンソー(5%)、ソニー(6%)と日本企業も株主である。
 工場は鹿島建設が請け負い、24時間の突貫工事、二年足らずで完成した。とくに半導体の生命線である地下水の配慮が入念になされている。一日の水消費は8500噸、このうち75%がリサイクルされるという。
 半導体に欠かせないウエハ、部品、半導体製造装置の維持管理など、台湾からTSMCの下請け、孫請け企業が17社。同時に熊本へ進出した。このため賃金が暴騰し、付近のレストランで求人募集しても時給1300円では人が集まらず、1500円(熊本県の最低賃金は898円)となった。
 ▼理工系のエンジニアが足りない
 人材不足は熊本に理工系大學がすくないため佐賀、福岡、長崎、大分、宮崎、鹿児島県にも人材を求める。住宅価格は戸建てが3000万円だったのに、5000万円台に跳ね上がった。賃貸マンション、アパートの家賃も棒上げとなり、通勤列車は超満員。駅からバスになるので不便なため、バイク通勤も目立つ。
 菊陽町は人口が43673人(23年末)を突破し、市制へ移行が日程に上った。
 第二工場は第一工場より規模が大きくなり、7ナノを生産するが、1700名従業員予定のうち700名は台湾から呼び寄せることになる。
台湾ではすでに「新チップスクール」を設立し、留学生に奨学金を提供し、大學の新学部・大学院の充実を急ぎ、現在、国立台湾大学(NTU)、国立成功大学(NCKU)、中山大学(NSYSU)を含む9校のチップカレッジが設立された。
 中国の電子メディア「THINK CHINA」はTSMCをして、「王冠の宝石」と書いた。
 さてぬか喜びはこのくらいにして国家安全保障問題に視点を移すと、TSMCの熊本工場は2028年頃までに全ラインが量産にうつっても28ナノから7ナノまで、EV自動車、家電、スマホ用であり、このレベルの半導体は中国でも生産している。
 ハイテクの半導体は1ナノ~2ナノである。TSMCは、台湾で2ナノ半導体を年内にも開始し、2028年には1・4ナノを生産する予定。米国アリゾナ工場では3ナノ生産を予定するが、地元労組が強く反対し、かなり遅れるだろう。
 
千歳に工場を建設中の日本のラピダスが2ナノの生産開始は2027年が目途である。日本の半導体ルネサンスはまだ遠いのである。
台湾の計画では、日本の量産はあくまでも差プラインチェーンの安定のためであり、最先端の半導体はあくまでも台湾で生産するということである。
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kani-uni · 2 months
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「あんたは、とるにたりんようなちっぽけな事をどっさり抱え込んでは、そいつらを雪だるま式に膨れあがらせて、しまいには、そいつらがあんたの心の中でどえらくだいじなことになって、そうして、あんたは全く不向きになるんだ」
「前にいるやつらがどういう連中かわかるか。悩みごとが大好きなやつらよ。マイルを計算して、今夜はどこに泊まろうかと心配して、ガソリン代や天気や目的地にどうやって着くかをせっせと考える――そんなことしなくたって、どっちみち着くっていうのによ。」
前者はサリンジャーのナインストーリーズ、後者はケルアックのオンザロードの一節。どちらも自分みたいだな~と学生の頃からぼんやり思っている一節。キリコ展で“瞑想する人”をみた時、特にナインストーリーズの雪だるま~が浮かんだ。本当は何を瞑想しているのか核を失っていそうなところがいい、核がわからないのに全部が必要そうでいい、ただ立ち上がりさえすれば全部落っこちて簡単に身軽になれることを理解していそうなとこがいい。とか、勝手なことを考えてポストカードを買って帰った。キリコの、パースよりも光源にこだわっていそうな感じがよかった。光から啓示をうけた人だなあ、と思う。キリコ展のあと、ギャラリーフェイクのキリコ回どんなやつだったかな~と思って久しぶりに読んだ。逆井麗一の回だった。教授じゃん。
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教授じゃん、から関連して…ってわけじゃないけど、水曜日に映画トノバンをやっと観てきた。フォークル、ミカバンド、加藤和彦の音楽が大好きで、「一流のものを作るには一流のものにふれなければいけない」っていう安井かずみとの夫妻関係も憧れだったし、高橋幸宏の「今なら加藤和彦について少し話せる」という声があって制作に至ったという映画に、正直正気な判断はできないんだけど、本当に良かった。どう頑張っても後追いしかできない世代だから、北山修と松山猛の京都時代のまなざし、新田和長ザリガニーズってことは猫、ガロ、高中正義に髪を染めてブーツを履いてニューウェイブをしよう、アンプの個人輸入と会社設立とか、YMO、矢野顕子が楽譜を買いに走る、吉田拓郎と松任谷正隆、竹内まりやとの邂逅、上澄みの部分だけだとしても順を追って知ることができてよかった。イムジン河騒動はネット以外の情報をやっと知れたし。ロールスロイスが欲しいって福井ミカの一言でほんとに買っちゃうとか、「おまえはポップなんだから」って泉谷しげるにレゲエ歌わせるとか、すごい人だ。
「音楽で世界は救えないなんて言ったけど、本心じゃないと思いますよ、だって救おうとしてやってたわけじゃない、楽しんでやっていた人だから」
加藤和彦の遺書はどうしてもやるせないんだけど、幸宏さんのこの言葉とか、インタビューに答える面々の言葉を聞いて、人はそれぞれ自分の哲学をもって、人の生死を受け止めるしかないんだなあと思う。トノバン見てからはずっと関連音楽を聴き漁っていた。吉田拓郎ひらがな時代めちゃくちゃいいじゃん、とか思いながら。
なんて打ちながら、今はMUNAのライブ盤を流してるし、台所でアイドルの曲聴いて踊るし、本当に自分ってやつはアイデンティティみたいなもんを確立せずにここまできたね。
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jimbuchanan · 3 months
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ジェームズ・M・ブキャナン邦訳文献まとめ
- 単著(書籍, 出版年は原書)
『財政理論 ―― 民主主義過程の財政学』(1967)
『公共財の理論 ―― 公共財の需要と供給』(1968)
『選択のコスト ―― 経済学的探究』(1969)
『財政学入門』(1970)
『自由の限界 ―― 人間と制度の経済学』(1975)
『経済学の考え方 ―― ブキャナン経済学のエッセンス』(1987)
『公と私の経済学 ―― ブキャナン経済学のエッセンス』(1987)
『コンスティテューショナル・エコノミックス ―― 極大化の論理から契約の論理へ』(1991)
『倫理の経済学』(1994)
- 共編著(書籍, 出版年は原書)
『公共選択の理論 ―― 合意の経済論理』(w/ G.タロック, 1962)
『赤字財政の政治経済学 ―― ケインズの政治的遺産』『赤字の民主主義 ―― ケインズが遺したもの』(w/ R.E.ワグナー, 1977)
『ケインズ財政の破綻』(w/ J.バートン, R.E.ワグナー, 1978)
『公共選択の租税理論 ―― 課税権の制限』(w/ G.ブレナン, 1980)
『立憲的政治経済学の方法論 ―― ルールの根拠』(w/ G.ブレナン, 1985)
『財政赤字の公共選択論』(w/ C.K.ローリー, R.D.トリソン, 1986) ⇒ 内ブキャナン著作論文《「赤字体質の政府(w/ C.K.ローリー, R.D.トリソン)」, 「リカード流の等価定理の論理(w/ G.ブレナン)」, 「ケインジアン以後の政治における予算バイアス ―― 財政規範の侵食と復権の可能性」, 「債務不履行の倫理」》
『国際化時代の自由秩序 ―― モンペルラン・ソサエティの提言』(w/ M.フリードマン他, 1991) ⇒ 内、ブキャナン報告《「自由貿易の厚生政治学」》
『行きづまる民主主義』(w/ G.タロック, 加藤寛, 1998) ⇒ 内、ブキャナン報告《「多数決民主主義の制約」》
『財政学と公共選択 ―― 国家の役割をめぐる大激論』(w/ R.A.マスグレイブ, 1999) ⇒ 内、ブキャナン報告《「生い立ち、経験、およびアイデア:回想的評価」, 「マスグレイブ「財政の役割」への応答」, 「政治的行動に対する制約」, 「マスグレイブ「財政連邦主義」への応答」, 「道徳、政治、制度改革:診断と処方箋」》
- 論文など
「はしがき(w/ G.W.ナッタ​ー)」(F.H.ナイト 著『フランク・ナイト 社会哲学を語る ―― 講義録 知性と民主的行動』所収, 1960,)
「個人主義的アプローチによる政治過程論」(D.イーストン 編『現代政治理論の構想』所収, 1971) ⇒ 「政治過程の個人主義理論」として『公と私の経済学』に再所収。
「外部性(w/ W.C.スタブルバイン)」「公共財の供給(w/ M.Z.カフォグリス)」(経済企画庁経済研究所 著『公共経済学理論の展望』, 1971) ⇒ 「外部性」は『公と私の経済学』に再所収。
「公​共財の過密​」(西村光夫,​ ​西​山​千明​ 編『​新しい​自由​社​会の​展​望:木内​信胤先​生古​稀記​念​論​文集』所収, ​1972)
「​競争的供​給における​外​部​不経済(w/ C.J.ゴーツ)」(『​高速道​路と​自​動車』vol.15​ No.1​1 所収, 197​2-11)
「​赤字に​抱かれた​民​主​主​義​ ​―― ケインズ​卿の政治的​遺​産」(『​大​蔵​省​調​査月報』vol.68​ No.1​~5 所収, 19​79-1) ⇒ 『赤字の民主主義』(『赤字財政の政治経済学』)の抄訳。
「日本はまとまりの良い国か A Governable Country?」他(『日本は「ただ乗り大国か」国際シンポジウム 日本の主張’81』所収, 1981)
「ブキャナン教授に聞く ―― 米産業界にヤル気」(『日本経済新聞』所収, 1981-3-19)
「レーガン政権の新経済政策 ―― 減税は赤字財政拡大の懸念 ―― 大幅な歳出削減は当然 規制緩和で民間を刺激」(『日本経済新聞 経済教室』所収, 1981-4-4) ⇒1981年3月28日 日本経済新聞に抄訳記事あり
「レーガン政権の新経済政策 ―― カギ握る減税案の成否 ―― 景気の足引っ張る議会との妥協」(『日本経済研究センター会報』所収, 1981-4-15) ⇒1981年3月28日 日本経済新聞に抄訳記事あり
「財政赤字の諸問題」(『ファイナンス:財務省広報誌』17(3)(187) 所収, 1981-6)
「コスロフスキー「​資本主​義の倫理」に対す​るJ.M.ブキャナンの​論評」(P.コスロフスキー 著『資本主義の倫理』所収, 1982)
「政治とおせっかい好き」(R.D.トリソン 編『喫煙と社会 ―― よりバランスのとれた評価にむけて』所収, 1986)
「​人間と​国家」(『世​界経済』vol.42 ​No.1 所収,​ 1987-​1)
「ケインジ​アンの​愚​見」(『公​共選​択の研​究』No.​10 所収, 19​87)
「​再​生した政治​の経済理​論」(『​大​蔵​省​調​査月報』vol.77 ​No.6 所収,​ 1988-​6)
「経済インタビュー ブッシュのアメリカ ―― 歳出削減進みそう 為替が赤字調節機能担う」(『読売新聞』所収, 1988-11-10)
「カ​ルテル​・​提​携および​立​憲政治:探索的分析(講​演記​録)」(『公​共選​択の研​究』No.​13 所収, 19​89)
「組織化された人間社会の潜在力と限界」他(『第1回 ノーベル経済学賞日本フォーラム ― 21世紀への創造 ― 1988年』所収, 1989) ⇒ 1988年11月10日 読売新聞に抄訳記事あり
「ポスト社会主義の経済学」(J.D.ヘイ 編『フューチャー・オブ・エコノミックス ―― 21世紀への展望』所収, 1992)
「経済学の勝利 ―― フクヤマ論文は間違っているか もしそうならそれはなぜか」(『会計検査研究』第7号 所収, 1993-3)
「《​対​談》「​分配政治」​への​絶​縁​状(w/ 西​山​千明)」(『月刊 正​論』​250号 所収, 1​993-6)
「レントシーキングと利潤追求」, 「外部不経済下でのレントシーキング」, 「レントシーキング社会における改革」(R.D.トリソン, R.D.コングレトン 編『レントシーキングの経済理論』所収, 1995)
「米のノーベル賞経済学者 ブキャナン氏に聞く ―― 財政赤字削減「米合意、意義ない」 日本の財政・金融分離 予測しやすい政策を」(『日本経済新聞』所収, 1997-9-2)
「ジェームズ・M・ブキャナン教授(ノーベル経済学賞受賞者)に聞く ―― 財政均衡化へ向け米国憲法を改正せよ」(『週刊東洋経済』1997年9月27日号 所収, 1997)
「小手先でなく抜本的改革こそ正道 ―― 日本もシステム全体の変革で「取引」の余地なくせ」(『日経ビジネス』2002年1月28日号 所収, 2002)
- その他
「欧州連邦憲法制定の好機 ―― アメリカ史からの教訓」(『世界経済 Journal of World Economy』vol.45 No.13, 1990-11) ⇒ 要約
「はだかの経済学者」(ブログ『himaginary's diary』, 2010年2月11日)⇒ 一部訳
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indigolikeawa · 19 days
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2024年9月6日金曜日
病院の待合室にて26
九月の水
朝/晴れ/パン/トラ/ミケ/CIAOちゅ〜る/身支度/ストレッチ/日焼け止め/お母さん/ミケ/お見送り/ちょっとひとりぼっち/軽自動車/高松空港/売店/山田屋のうどん/喫茶店/鶏のみぞれ唐揚げ定食/保安検査場/飛行機/飛行機から空港へのバス/羽田空港/東京モノレール/浜松町駅/大門駅/大江戸線/麻布十番駅/警察/迷子/護送車/ビジネスホテル/チェックイン/ズボンに汚れ/着替える/麻布十番駅/南北線/四ツ谷駅/中央線/よかったら座りますか?/大丈夫です/三鷹駅/折りたたみ傘/ビル/スペース/新千円札/友達/エル・デスペラードのTシャツ/烏龍茶/歌/ギター/ジャガー/コントラバス/ドラム/12弦ギター/鍵盤/本気/unrest/歌/ジャズマスター/フルート/EB/クラリネット/バスーン/ドラム/ソプラノサックス/鍵盤/二十年/DNA/アンサンブル/成立/ちょっとひとりぼっち/雨/三鷹駅/中央線/NHK-FM/アーマッド・ジャマル/四ツ谷駅/南北線/麻布十番駅/雷雨/消防車/ゴッサム・シティ/ローソン/ビジネスホテル/ネバネバそば/サラダ/シャワー/YouTuber/LGBTQ+/寛容/不寛容/差別/チャット欄/睡眠導入剤/ベッド/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
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朝/晴れ/納豆巻/サラダ/ストレッチ/身支度/麻布十番駅/南北線/四ツ谷駅/中央線/吉祥寺駅/友達/中華料理屋/味付き卵/春巻/豆苗炒め/青島ビール/ジャスミンティーみたいな味の烏龍茶/夏になると茄子を読む/吉祥寺って自転車乗ってると/パンケーキ/コーヒー/禁物/外/クィアたち/ボーイズ・テクスチャー/完成するまでの過程/短歌/フェスセット/Arcaかわいい/高速移動/免許/北海道とかにある標識とか何もない真っ直ぐな道/事故った時にヘラヘラしないこと/Aka/透明ドロップ/be master of life/300部/版元の人/権利関係をややこしくする人/探偵/トぶ人/仕事中に飲酒する人/仕事中に大麻吸う人(CBD的な合法的なやつかも)/吉祥寺駅/井の頭線/ミーのカー/どんなものでも君にかないやしない/渋谷駅/工事/利権/消費者に皺寄せ/日本すぎる/ログアウト・ボーナス/仕事辞めたひと前来て?/失恋したひと前来て?/プライベート・スーパースター/曲先?詞先?/浮いてる/代引/慣れろ、おちょくれ、踏み外せ/本屋/バッジ/生きる演技/ノット・ライク・ディス/翻訳/あなたがたに話す私はモンスター/講演/抗議/連帯/波打ちぎわのものを探しに/鍵/商品と私物のあわい/細かく話を聞いたら全然私物/アイスコーヒー/オレンジジュース/親切人間論/これってデザイン誰/祖父江慎/クッ…/元ネタ?/アイドルの部屋/アイドルヲタの部屋/天才/ヴァレリー 芸術と身体の哲学/引用/装置/どもる体/本屋の人しか開けられない下の棚/いいんですか?/……/本に写真がない/なくてもみんな分かるから/じゃがたらも?/ジョン・ケージ 著作選/ケージ - 通路 - デュシャン/誰もわかってくれない/でしょうね/ケージとキノコの写真/ケージかわいい/面白い人の誤解は面白い/つまんない人の誤解はつまんない/ナボコフ読んで蝶大丈夫になった/チェス・プロブレムはわからない/詰将棋も/どうぶつの森/気のせい/料理本を戦わせる/これがフリー素材の/鳴き声以外食べれる/ベケットは読まれていない(ゴドー以外)/お会計/ポッドキャスト/配送できますけど?/絶対お願いしたいんですけど/これも買っていいですか?/生きる演技/お支払い方法とか聞いた?/ベトナム料理屋/フォー/生春巻き/ロータスティー/今日はパクチーありません/どうして?/台風で/ショック療法/Over Drive/YUMEGIWA LAST BOY/ラズベリーB面説/後輩を集めて読書会/カラオケとか行かないと思った/どうして?/私が行かないから/犬いっぱい/月曜日お店休みかと思ったー/最近は開けてるんですよ/月曜日お店休みかと思ったー/あー最近は開けてるんですよ/谷/ビル/しゃぶったチンポの長さの合計フィート数vsエンパイア・ステート・ビル/警察近くて便利だったのに移転した/店が?/警察が/喫煙所/男根ロゴス中心主義/六本木駅/ちょっとひとりぼっち/六本木一丁目駅/南北線/麻布十番駅/ローソン/ビジネスホテル/シャワー/一番搾りロング缶/一番搾りロング缶/一番搾りロング缶/スーパーサンクス11800円/思いの丈をぶつける/ベッド/四時頃/睡眠導入剤/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
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(2日目の写真これだけ…)
朝/曇り/身支度/納豆巻/サラダ/チェックアウト/麻布十番駅/大江戸線/大門駅/浜松町駅/東京モノレール/各停/羽田空港/かけそば/ミニ天丼/東京ばな奈/ANA BAGGAGE DROP/あらゆる場所にアルコールが……/アカシアあるんや/展望デッキ/コーヒー/読書/保安検査場/空港から飛行機までのバス/三十分以上の待機/書類の不備により飛行機にご案内できません/飛行機から空港までのバス/ご案内の準備が整いました!/空港から飛行機までのバス/飛行機/予定より一時間ほど遅れての出発となりまして誠に…/高松空港/予定より��十分くらい早く着いたので結果四十分の遅延/荷物受け取りレーン/軽自動車/家/トラ/CIAOちゅ〜る/お茶漬/真鰯の焼いたん/揚げ出し豆腐/シャワー/睡眠導入剤/ベッド/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
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何もかも/記憶しておくことは/不可能だけれど/歌にしておけば/歌うたびに/思い出せるのかも/しれない/最後に一曲/作詞作曲/アントニオ・カルロス・ジョビン/歌/エリス・へジーナ/三月の水/
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gupaooooon · 1 year
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NoBarbenheimer
今回の件、原爆投下/原水爆をミーム化/ネタ化する動きの加速に対して。フェミニズムな作品であることがとても楽しみだったバービーの……“公式アカウント”が乗っかっていたという事実。そのショックについて。自分も抗議を送ったりTwitter/Tumblrでタグを使ったひとりですが、
「日本のみ」が被爆国ではないし、「日本人とされれる人々のみ」が被爆被害者ではない。
凡ゆる国と地域で被爆被害があり、凡ゆる国や地域の人々が、被害者が、世界中にいること。
“戦争被爆国”としての日本においては、戦時下で、軍国主義/差別主義の中で更に更にマイノリティとして虐げられた人々が、植民地支配/強制連行による被害者や、捕虜として収容されていた人々が、沢山、犠牲になっているし、その後も苦しみ続けている。日本/政府による迫害と差別に晒されている。その存在が、事実が、歴史が、蔑ろにされ続けている。
原爆/原水爆の犠牲者が、被害者が、いまも、世界で、さまざまな場所で、苦しみ続けていること。その歴史について。
それらを踏みにじるような言葉も、それらについて誤った認識を与える言葉も、Twitter上では多く(差別主義者/ネトウヨ/極右なども、バービーという作品そのものとそこにあるフェミニズムや多様性に対する一方的な揶揄/叩きや、韓国へのデマ/ヘイトや、他の悲惨な歴史や事件を更にミームにして茶化し出すという……醜悪な最低最悪な行いをぶち撒けながら、この抗議タグをTwitter上で利用してきていることもあり、)かなり蔓延してきてるようなので。
Twitterで今回自分がRTさせて頂いた……さまざまな方々が紹介していた記事やアーカイブ/今までTwitter上で自分がRTしてきたり引用してきたりした記事なども、自分用と兼ねて、いくつか、改めて、此方にも引用してみます。
また、再度、強調したいのですが、
日本は、今なお、戦争責任/加害の歴史に向き合おうとしない。戦争の責任と記録と歴史を忘却し、捻じ曲げようとする歴史修正主義が、まさにいま、どんどん勢いを増し続けている現状。核廃絶について背を向けるばかりか、核武装について“柔軟な議論”などとほざいて嬉々として語り出す連中が、差別主義者の糞どもが、万年与党であること。
そこを無視することこそ、恐ろしいことで、忘れてはならないこと。(これもほんと繰り返しだが、この現状だからこそ、戦争/核を軽視しないための抗議の責任があること、強調したい)
・日本だけではない、被爆国
「核兵器を開発するためには実験が必要です。1945年、アメリカのニューメキシコ州で世界で初めての核実験が行われてから、これまで2,050回以上の核実験が行われきました。
アメリカはネバダ砂漠や太平洋でロシアはカザフスタンや北極海で、イギリスはオーストラリアや太平洋の島国で、フランスはアルジェリアや南太平洋の仏領ポリネシア・タヒチで中国は新疆ウイグル自治区で実施しました。ワシントンやモスクワなどの大都市から遠く離れ、多くの場合は植民地や先住民族の暮らしている土地でした。(川崎 哲「核兵器はなくせる」、岩波ジュニア新書、2018)」
・Hiroshima and Nagasaki: A Multilingual Bibliography
「ABOUT US: The Aim of Our Project
In 2014, a year before the 70th anniversary of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, we started our survey and research into the multilingual publication of atomic bomb literature. Our goal is to make a comprehensive survey into the process of worldwide acknowledgment of Hiroshima and Nagasaki for 70 years.」
・外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦碑
「この戦争の末期、長崎では数次にわたる米軍の空襲、潜水艦攻撃��そして八月九日の原爆 によって七万余の日本人、数千の朝鮮人、中国人労働者、華僑、留学生、連合軍捕虜(イギ リス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、インドネシア等)が犠牲となった。
特に浦上刑務所のあった隣接する丘では、三十二名の中国人、十三名の朝鮮人が、日本人 受刑者とともに爆死し、また香焼や幸町の捕虜収容所では、被爆前に病気や事故などによ って数百名の連合軍兵士が死亡した」
「碑の建立に力を注いだのは、戦時中に収容所の職員だった田島治太夫さん(九九年死去)。一緒に運動した鎌田信子さん(72)は「日本人だけでなく、多くの外国人が犠牲になったことを知ってもらいたい」と語る。」(2005/07/15 掲載記事)
・被爆2世、女性として直面した複合差別 ――「韓国のヒロシマ」陜川から
「2023年2月7日、被爆者の援護を定めた法の対象外となっているのは不当だとして、被爆2世が国を訴えていた裁判の判決が広島地裁で言い渡された。「不当な差別とは評価できない」などとして、原告の訴えは棄却された。被爆2世に対しては、厚生労働省が定めた要綱に基づく健康診断が実施されているものの、がん検診はそこに含まれず、各種手当の交付なども受けられない。」
「原爆被害に加え、それ以前からの植民地支配に翻弄されてきた韓国人被爆者の次世代も、「線引きの外側」に置かれ、公的な支えを受けられずに生きてきた。」
・80歳を過ぎて語り始めた被爆体験――福島へ手渡したい思いとは
「切明さんの話は、「あの日」から始まるのではなく、軍都「廣島」の話から始まる。
「広島は今、平和を守ることや、核兵器廃絶を掲げていますが、77年前までは軍国主義の街でした」
切明さんが国民学校2年生の時、満州事変が起きる。広島城の周辺には陸軍の師団が置かれており、宇品港は中国大陸や、その後の東南アジアの国々侵略のための出発港だった。」
・「存在しない」とされた残留放射線、内部被ばくの被害を認めない政府
「こうした政府の態度の根底にあるのは、残留放射線による内部被ばくの否定だ。放射性物質を体内に取り込む危険性から目を背ける、その姿勢の源流を知るためには、日米の歴史を紐解く必要がある。
『原水爆時代〈上〉―現代史の証言』(今堀誠二)や 『核の戦後史:Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗、高橋博子)でも示されているが、原爆投下から1ヵ月後、マンハッタン計画の副責任者であるトーマス・ファーレル氏は、下記のような声明を発表したとされる。
「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬において、原爆放射能の余燼ために苦しんでいる者は皆無だ」
残留放射能が存在しないとした理由について記者からの質問を受け、ファーレル氏は「相当の高度で爆発させた」ことを挙げていた。
なぜこうした声明を出すに至ったのか。『核の戦後史』の他、『封印されたヒロシマ・ナガサキ』などの著者でもある奈良大学の高橋博子教授は、占領を円滑に進める必要がある米国側の意図を指摘する。
「声明には、原爆投下が国際法違反であることを否定し、広島を取材した連合国軍記者による報道を打ち消す狙いがあったと思われます」 」
「 「日本政府は核兵器の残酷さや非人道性を訴えるどころか、その“威力”を重視し、原爆攻撃をした米国と一緒になって、核兵器の有効性を世界に向けて訴えてきたといえます。核の“パワー”の肯定的イメージを拡散してきた、世界に対する責任は重いと思います」 」
・«さもしいといって下さいますな» 福田須磨子さんの思い 原爆を背負って(30)
「 《何も彼(か)も いやになりました 原子野に屹立(きつりつ)する巨大な平和像 それはいい それはいいけど そのお金で何とかならなかったかしら “石の像は食えぬし腹の足しにならぬ” さもしいといって下さいますな 原爆後十年をぎりぎりに生きる 被災者の偽らぬ心境です》
 1955年8月、被爆詩人・福田須磨子さん=74年に52歳で死去=が詠んだ詩「ひとりごと」です。須磨子さんは23歳のとき、爆心地から1・8キロ地点で被爆。高熱や脱毛など後遺症に苦しみ、紅斑症にもかかります。身体的、精神的苦痛と生活苦にさいなまれる日々…。3千万円の巨費を投じて造られた平和祈念像を見て、この詩を詠みました。」
・問われる空襲被害者の戦後補償
この記事は2020年放送のNHKスペシャル「忘れられた戦後補償」を下地にした2021年放送のクローズアップ現代の記事です。もとのNHKスペシャルを記事化したページは……もう削除されてしまい、この別番組の記事しか残っていない状況です。
被爆被害とは違った話なのですが、日本が戦後も、ずっと、いかに、国内外問わず、戦争責任に向き合っていない国であるか。民間人/市民を切り捨て、権力者/軍部を優遇してきたか。それがわかりやすい記事のひとつとして、引用します。
以下はNHKスペシャルの特集記事から当時引用した文面です。
「大将経験者の遺族には、戦犯であっても、兵の6.5倍の補償を実施。閣僚経験者に対しては、現在の貨幣価値で年1000万円前後が支払われていた。その一方で、旧植民地出身の将兵は、恩給の対象から外された。」
「国家が総動員体制で遂行し、破滅への道をたどった日本の戦争。犠牲となった民間人は80万人。戦後、国家補償を求めた民間被害者の訴えは一貫して退けられてきた。」
「ドイツやイタリアと違い、軍と民の格差が時代とともに拡大していった日本の戦後補償」
(しかしNHKの戦争責任を問う特集関係の読みやすいWEB記事や記録は……数年しか残さない、消されてしまうし。オンデマンド配信に全て入る訳ではないようだしで。戦争の真実シリーズの731部隊の特集の書籍化は何年も延期が続き、今年やっと……出版されそう……?である現状(何かしらの検閲を受けていないかが、不安である)、本当に不気味で、最悪だ)
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manganjiiji · 4 months
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心爆発
並行して本を何冊も読んでいるの、もしかしてあまり良くない(記憶保持の点において)んじゃないか!?と思いつつも、あれもこれもをやめられない。最近読了した本では『普通という異常 健常発達という病』が面白かった、かなり。さまざまな哲学者の理論が出てくるのだが、最終的に「デカルト的コギタチオ」という感覚の獲得について理解できるかが鍵となってきて、最終章の5章が難しくて2回読んで、なんとなくわかった気になった。せっかくなので章ごとに要約してみたい気持ちがある。〈友情の現在〉がテーマの現代思想6月号は滑り込みで買えてよかった。巻頭のふたりの対談が既に面白く、私もやっと現代思想(雑誌)を読んで面白いと思えるくらいにはものを知ったんだなあと少し感慨深くなった。ここまでくるのに結構月日はかかってしまったが、好きなことというのは続くものですね。何をどんなに諦めたり挫折したり失敗したりしても、本屋で働くことと、思想に関する書籍(歴史や経済、文化論を含む)を読み続けることはやめられなかったし、今後もこれだけはやっていくんだろうなあと思える。この2つができるなら、生きることというのは私にとってシンプルに楽しい。何者かにならなくとも、どんな業績や実績を残せなくとも、たとえいい小説が書けなかったとしても、世界を知ることは無限に楽しい。人と本を介して繋がること、協働することは何よりも好きだ。こんなことを言えるのはアルバイトの身分だからだと思う。正社員やそれに準ずる役職になったら、上からの「売上」の圧力で私は潰れて死んでしまうと思う。売上のための取り組みをやっているかどうかの報告や、数字で証明しろという圧力、そういうものに耐えて日常の業務をこなせるのかといったら謎だ。そして私には週5日フルタイムで働くことは物理的に不可能であり、ということはそもそも正社員やそれに準ずる役職にはなれない。そこで!つまり自分が店主になって店を構えるということ、新しい働き方を自分が作り実践していくということ、そういうことができたらいいのにな〜と夢想する。そのためには経営に関する勉強、さまざまな労働に付随する法律の知識が必要となると思うし、そもお金はどこから出てくるんだという話だし、それこそ体力は足りるのか?など、課題は山積しているが、絶対に不可能か?と考えると、何事にも絶対というのはない。ただ勝率の低い賭けだとは思う。私には結局死ぬまでアルバイトで週4で本屋店員を呑気にやるのが関の山というか、それでも天晴れだと思う。体力がついてこなければ死ぬまでは不可能なので、いつかは諦めなければなあと思うが…。本屋以外、やりたいことはNPOを作ることしかないしなあ…。別にやりたくないことをやって糊口を凌いでもいいのだが、前半生でこれだけ苦しんだのだから、もう本当に好きなことしかしたくない。好きなことだけで人生をいっぱいにしたい。やっぱり作るしかないのか、本屋。
きょう、大変にありがたいことに、ひじょうに尊敬している方から燐一の小説の感想をかなり丁寧にいただいてしまい、恐縮!突撃!制覇!恐縮!でありました。本当に…そんな、そんなこと書いたっけ…?!ということの万国博覧会で(書いたのが1月のため忘れている)、お返事を書くためにみずからも読み返したところ、かなり悲しくなり、というか、燐一がお互いに恋をしているというだけで私は最高潮まで悲しくくるしくつらくなってしまうので(※しあわせという意味)、胸がいっぱいになりすぎてお返事を書けず、明日にさせてくださいという気持ちになって終わった。あと誤字や設定ミスも見つけた。直さなければ、と思いつつ、頭を燐一でがんがんに殴られてしまいできなかった。(言い訳)これから書こうと思っているものは、この悲しさの57倍くらいの悲しさを持ち合わせる設定と展開なので、大丈夫か?と思った。未だに原稿に手をつけていないのも全然大丈夫じゃない。英検を受けている場合じゃない。しかも英語の勉強も捗々しくない。そんな折、5年来の友人(半年に1度くらいふらっと会うセフレ)から明日会えるかと連絡が来て、かなり久しぶりに会うことに���った。正直この友人のことは忘れかけてい��というか、「過去の人」枠になっていた。しようとしていた。私は結構友人のことが好きだが(たぶん生涯を共にするならこの人だろうなという感覚)、友人のそういう(恋愛や婚姻に関する)事情は全く聞いたことがない。そのことについてなんとなく、どうなんだ…?と、かねてより思っていたのだが、ある場所で人に話を聞いてもらったところ(この友人の話を人に真剣にするのは初めてだった)、それは是非、もう、明日にでも聞いた方がいい。と言われ、そりゃそうだよな。と思い、明日会ったら、「結婚したい相手とかいるんですか」と率直な疑問をぶつけてみようと考えている。「いる」とはっきり言われたなら私は関係を解消(?)したほうがいいし、もうその時期が来ているなとも思っている。私はどうせ生涯1人で生きていくというか、パートナーを得ないまま生きていくのだろうことを、最近はまた穏やかな気持ちで受け入れられるようになった。それにしても66kgの巨体で会いに行くのはかなり気まずいなと思っている(かなり太ったことは事前通告済み)。5年前には、「次の夢はなに?」と聞いたら「仕事は一段落したから家庭を持つことかな」と言っており、そのことがかなりずっと引っかかっている。おまえ、5年も独身のままで、あの夢はどうなったんだ…?進捗が気になっているんですが…。考え方はしっかりしている人だし、その夢は継続中なのかもしれないが、子供を作りたいなら、男も高齢にならないうちに(精子の質が落ちるため)作ったほうがいい、ということをお節介ながらも伝えたい。もし自分が子供を産めるような人間だったら、この友人や、あるいはもっと他の人とも、パートナーとなる可能性があったのだろうか。など、途轍もなく詮ないことを考えないでもない。まあしかし、不可能なことは不可能で、そこにないならないですね。が世界の真理なので、ということはこれまで何度も体感してきた。そこにないならない。力強いことばで、勇気さえ湧いてきそうである。無いなら無いで、それがなくても元気に楽しくやっていける自分を構築するほかないのである。繁殖への欲望というのはかなり根強く(おそらく本能的なもののため)、私はこの話題に関してすぐmiseryな気持ちになるのだが、周りの友人たちを見ていると、清々しいまでに自己の繁殖に興味のない人達ばかりで、人とは不思議だなと思う。私は好きな人と付き合って結婚して子供を産んで子供を育てたかったんだなあ〜と、そのことだけは忘れられずにいる。これは「安全な家庭」への幻想を多分に含む。「好きな人」と私は生きているステージが違うんだ、と気づいた時(それは16の時だった)、そこで何もかもの、人生のやる気をなくしてしまった。今まで抑えていたもの全てが決壊して、とうとう一面取り返しのつかないほどに水浸しになり、そのことでまた自責し、呪い、恨み、病んでしまったのだった。私が精神疾患の20年選手で障害年金も受給している立場なのは、やはり自業自得なのではないか、と考える時も多々ある。自業自得で社会保障に頼るなんて最低だな、という論理に陥ってしまうので、いや、悪いのは私というよりも病気だし、それが発症するきっかけになった環境を作り出した社会である、と、毎度持ち直す必要がある。今となっては、誰が悪かったのかもうわからない、とまで思うことがある。私が悪かったこともあるだろうし、父や母、兄が悪かった部分もあるだろう。誰が加害者で誰が被害者ということよりも、私は、私が家族を取りまとめられなかった責任というものを未だに感じている。
16歳の時に、私のように、誰にもばれないようにひそかに家庭内で号泣しなければいけない子供を1人でも減らしたいと心から思った。あの時の私は完全に「被害者モード」に入っていたが、そもそもの話、私がもっと強ければよかったのではないか。たとえば加害を受けても、強く生きていける人もいる。これは生まれつきの性格にも左右されるものだと思うのであまり言いたくはないし、苦しんでいる子に「君がもっと強くなるべきだ」などとは死んでも言えないが、自分に関してだけは、やはりあの時被害者ぶりすぎていたのではないか?強く立ち向かうことをさぼったのではないか?という疑念は常にある。しかし、これは断言できるのだが、「立ち向かう」ということを思いつかなかった。幼少時より、私は耐える子供だった。受け入れ、耐え、ひたすら終わるのを待つことが癖になっていた。だから、親や兄に向かって「反撃」「反論」するという発想はそもそもなかった。30歳あたりからだろうか、もしかして、事態がそこまで最悪化するまえに、私が随所随所で異を唱えていれば、親たちの考えも変わったのではないか?なぜ私は被支配に甘んじていたのか?と、弱い子供ではなくなった今の私は、そんなことをよく考えた。しかし、なかった。発想がなくて、その選択肢を私が思いつくことはなかった。そこになければないですね。残酷だが、そうやって世界はできているし、時間は戻らない。
小説を書ける「モード」に全然入れない。この数日は気圧低下と暴風雨により久しぶりにパフォーマンスが落ちた。眠りは相変わらず上手くいっていない。が、前回診察時からうつ状態(希死念慮を伴う)になることはないし、無気力状態にもなっていない。人生史上いちばん快癒の方向に向かっていると感じる。あとは体力がもっとつけば申し分ない。仕事に順調に出勤していることがかなりのよい土台になっている。週4×4時間。これが限界で、かつての私が見たら「そんなの働いてるって言えないよ!」と絶望すると思うのだが、暴働を繰り返した結果週1でさえ働けなくなった若い私にそれは言われたくない。が、無理をして1日15時間働いていたのも本当に楽しかったし、それで得られたものもあると思う。というか、そうすることでそれ以上失いたくないものがあり、その段階を踏まなければ今の私にはなれなかったのだと感じる。仕事(アルバイト)、哲学や批評の勉強、英語の勉強、歌の練習、とやりたいことが多い中、燐一の原稿を進めるのは至難の業に思えるのだが、いざとなったら仕事以外のことは1回全て止めてもいい。とにかく今しか書けないものを書きたい。二次創作は燐一(あんすた)で最後になると思う。あとは細々とでいいので、自分が「小説」だと思うものを書いていきたい。就業中にふと気になって松浦寿輝について調べたりインタビューを読んだりした。仏文学者、詩人、作家。詩人としてこういう大きな建造物を作るみたいに詩を書ける人というのは、私が憧れる姿だと思った。詩を書きたいという思いもあるし、短歌も作っていきたいと思う時は多いが、その前に先ずやることがたくさんあり、詩歌の創作は、小説のあとになるのかもしれない。少しずつ書いて貯めてはいるが、これを詩で言いたい、という情動が最近あるかというと、特にない。なにもかもが鈍っているなあと思うが、社会にはそれなりに適応している昨今なので、あまり欲張りすぎるのもどうなのか、と思う。
2024.5.29
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kanglo · 1 year
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第13回常陸の国・里山&野外ワークショップ&マインドフルネスアート合宿【初秋特別編】(2023年9月18日-19日 in 茨城県常陸太田)
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第13回常陸の国・里山&野外ワークショップ&マインドフルネスアート合宿【初秋特別編】 (2023年9月18日-19日 in 茨城県常陸太田) https://kanglohoops202309.peatix.com/view https://www.facebook.com/events/690266253005922
今年で12年目を迎えたオープン合宿。今回は、初秋特別編です。「160年の古民家荒蒔邸、300年の菊地邸などの里山古民家、1000年古神社で過ごす心鎮めるマインドフルネス、本格有機農体験、手仕事ワークショップ、深い森と滝散策リトリート、参加者との交流ダイアローグ、創業200年八幡太郎義家ゆかりの湯で心と体を癒すなど、今年もゆったりと過ごす企画にする予定です。
茨城県の常陸の国は、元は日高見国とされていた土地。7世紀に令制国として常陸国が誕生。『常陸国風土記』によれば大化の改新(645年)直後に創設されました。ここは、古い里山だけに多くの文化遺産が残っています。昨年には、NHKの朝ドラマのあの「ひよっこ」の舞台にもなりました。今回は、天候、状態にもよりますが、御岩神社への巡礼も行う予定です。
そして、160年古民家荒蒔邸を拠点に、ゆったりとマインドフルネスな時間を体験をします。地元でも秘境の深い森や滝、古神社でゆっくりと過ごします。また、就農25年目となる布施大樹さんと美木さんご夫妻の経営する有機栽培農園「木の里農園」の有機野菜と共に、夜は本物の火や囲炉裏を囲んだ談義と自分達で仕込んだ自然食を頂き下鼓を打ち、焚火の灯で温まりながら、夜の思い出を刻みます。今も住人が住み続ける300年を超える古民家「菊地邸」(ご主人の話を聴けるかな?)で安土桃山時代の空気を味わいます。
このような素晴らしい里山で2日間共に過ごす程、贅沢な時間はないでしょう。里山の人たちとの交流や自然・大地の恵みを得ながら、ライフコーチ、スピリチュアルカウンセラー、アーティストの森夕花先生と共に人生の本来の目的を思い出し、明日への道を見出したいと考えています。今回も素晴らしい機会となることを確信しています。ご参加をお待ちしております。
主催:カングロ株式会社 HOOPS!事業部 https://www.facebook.com/hoops.kanglo
■旅の案内人: ★マインドフルネス&ライフコーチング担当:森夕花(もりゆうか)先生 ●ライフコーチ/アーティスト/カングロ(株)取締役執行役員、尚美高等音楽学院ピアノ科卒業 京都芸術大学芸術学部卒業。ピアノ、声楽、シナリオ、演劇、ジャズダンス、日本舞踊などの自己表現を通して自分自身を探求する。1993年ドイツ、イタリアへの留学。その後、21世紀に入り、ハワイ、セドナ、インドのアシュラムを巡礼する。心理学、哲学、美学、手相、インド占星術、代替医療(中医学・ヒーリング)などを学び、 ヒーリングカウンセラーとして23年間、企業のライフコーチとして9年間、セッション、研修を行う。現在、「大人のためのアート思考講座」「Philoarts研究会」を主宰。趣味は、声楽、読書、人間観察、そば栽培、ヨガ、瞑想。特技、人・動物の心を読む、直観力、探求。好きな言葉は、「自由」「日日是好日」
★企画&案内人担当:藤井啓人(ちょろお) ●茨城県東海村出身。高卒後、上京し新聞配達をしながら予備校に通い筑波大学に入学。4年間、体育会硬式野球部に所属し選手と2軍監督を経験。1992年に株式会社リクルート入社。12年間、組織・人事コンサルティング事業に従事し、約2000社の企業の変革に携わる。社内表彰制度で全国MVP・部門MVPの受賞計8回。2004年に独立し、事業再生コンサルティングのマネジメントリコンストラクション社を設立。2010年5月カングロ株式会社 代表取締役に就任。独自のサステナビリティ・イノベーティブ・コンサルティング事業を開始。米国で「今最も羨望の注目を浴びる企業」とされるオンライン・リテーラーのザッポス社のハピネス経営、「社員をサーフィンに行かせよう」「レスポンシブルカンパニー」の題材となっているアウトドア用品メーカーの米パタゴニア社を研究し続け、約1000社3000名のビジネスパーソンにセミナーや勉強会等でその真髄を伝えている。2013年には西アフリ��のナイジェリア連邦共和国にて合弁会社を設立し、水問題、エネルギー問題、食糧問題、環境問題を日本のテクノロジーで解決するソーシャルビジネス事業も行う。実地の中から発信される指南は、斬新・先駆的でかつパワフルであり、魂を揺さぶるものとなっている。2013年以降、システムD研究会、自転車事故防止委員会、セブメディの会を設立。2015年より同士と共に「懐かしい未来プロジェクト(HOOPS!)」「サステナ塾」を開始し、持続可能な地域社会の実現のために人間本来の役割を思い出すためのあらゆる「体験」の場と機会を提供している。自転車のある生活をこよなく愛し、年間約1万kmを走破する。マラソンランナー、トライアスリート。趣味はゴミ拾い、俺のベランダ菜園。
★有機野菜:木の里農園 http://konosato.com/
■開催日:2023年9月18日(月)- 19日(火)1泊2日 ※下記集合場所に10時頃に集まり、翌日16時頃に現地解散予定です
■集合場所:  道の駅さとみ(茨城県常陸太田市小菅町694-3) http://www.hitachiota-michinoeki.jp/page/dir000003.html
■スケジュールイメージ: ※天候などの状況により変更となる場合があります <8月26日(土)>  *10時:集合場所(道の駅さとみ)   ※電車組は、JR常磐線東海駅からの送迎有り  *10時15分~:手打ち蕎麦ワークショップ  *12時~13時:自分の打った蕎麦で昼食&オリエンテーション  *13時15分:大中町の荒蒔邸へ移動しチェックイン   ・1000年以上前に建立された大中神社にご挨拶  *13時30分~22時頃:  ※概ね下記のメニューをゆるりと実施していきます。   ・里美の滝散策(美しい秘境の滝を巡ります)   ・300年古民家「菊地邸」訪問   ・全員で夕食準備&自然食料理での夕食&片付け   ・荒蒔邸の囲炉裏と焚火を囲んでのダイアローグ(対話)   ・横川温泉 中野屋旅館 で入浴(入湯料は個別清算)  *22時頃:自由時間  *23時頃:就寝
<8月27日(日)>  *06時:起床~朝のさんぽ(朝陽を拝むマインドフルネスウォーク)  *07時:全員で朝食準備&朝食(禅イーティング)&片付け  *09時~:森夕花先生のマインドフルネスアートセッション  *11時~:清掃・片付けをし移動  *12時~:御岩神社巡礼  *14時~:ゆっくり昼食&対話&クロージング  *16時頃:解散(電車組は近場のJR常磐線内の駅まで送迎します)
■宿泊場所: 里美 160年古民家の宿「荒蒔邸」 茨城県常陸太田市大中町1547 【地図】https://www.aramakitei.com
■当イベントの参加資格:どなたでもご参加可能です。  お気軽にお申し込みください。以下は参考です。  どなたでもご参加可能です。お気軽にお申し込みください。 ※エコビレッジ、パーマカルチャー、トラジションタウン、半農半X、  スローライフ等に関心のある方 ※マインドフルネス、スピリチュアル、メディテーション、ヨガ、  リトリート等に関心のある方 ※お子様は、小学生高学年以上が良いと思います(過去参加有)。  お子様を同伴されたい方は、事務局に事前にご相談下さい。
■参加料:お一人様 3万800円(税込)※小中大学生は1万5400円(税込) ※上記には、参加費、宿泊費、夕食のBBQ及び翌日の朝食付き代が含まれています (アルコールは最低限用意をしますが、多めに飲まれる方は持参頂いています) ※上記には、交通費、夕・朝食以外の食事、入湯料、工芸料などは含まれておりません ※小中高大生はお一人様半額となります(お子様同伴の方は、事前にご相談下さい) ※必要に応じ、領収書をご用意致します
■注意事項:※必ず目を通しておいて下さい ※コロナ対策のご準備をお願い致します ※当企画は、現地集合・現地解散企画です ※電車組は、JR常磐線「東海駅」にてピックアップ致します ※宿泊は、状況に応じ、女性専用部屋を用意します(枕、敷/掛布団あり) ※横川温泉 中野屋旅館 で入浴(入湯料は500円、個別清算となります)  http://www.satomi-nakanoya.com ※工芸ワークショップは「常陸蕎麦・本格手打ち蕎麦教室」を予定(昼食込みで一人2000円程度) ※参加者同士、車での乗り合いをお勧めしております ※参加料は、事前振込制となっております(申込後にお知らせ致します) (前日キャンセルは50%、当日100%のキャンセル料を徴収致します)
■定員:8名限定 ※先着順。定員になり次第締切ります。 ※最小携行人数は5名。参加者が5名を下回る場合、開催を見送る場合があります。 ※小学生未満同伴の場合は、事前にご相談下さい。
■当イベントの申込方法【重要】: ※ 下記をご一読いただきお申込み下さい。 ①下記URLの申込フォームにより正式エントリー 申込フォーム https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSft1YNO6SP4C-YGlgpacoHgGK-wLQ9t-NOybyJuhsVg8sNbjg/viewform
②お申込後、24時間以内に参加受付受領のe-mailを事務局よりご返信させて頂きます。 e-mail: [email protected]
③②の返信メール内にある振込み先に前日までにご入金
(現地でのお支払いも可能です)
④これにて「申込完了」となります。
■協力:木の里農園さん、地元の仲間たち ■主催:カングロ株式会社 HOOPS!事業部 https://www.kanglo.co.jp
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2023年に読んで「オォッ!」と思った本や作品……その1
『長靴をはいた猫』(シャルル・ペロー著/澁澤龍彦訳/河出文庫/Kindle版) 『台湾漫遊鉄道のふたり』(楊双子著/三浦裕子訳/装画:Naffy/装幀:田中久子/中央公論新社/Kindle版) 『聊斎志異(上下巻)』(蒲松齢作/立間祥介編訳/岩波文庫) 『灯台守の話』(ジャネット・ウィンターソン著/岸本佐知子訳/装幀:吉田浩美、吉田篤弘〔クラフト・エヴィング商會〕/白水社) 『新版 小さなトロールと大きな洪水』(ヤンソン著/冨原眞弓訳/さし絵・カバー装画:ヤンソン/講談社文庫/Kindle版) 『象の旅』(ジョゼ・サラマーゴ著/木下眞穂訳/書肆侃侃房/Kindle版) 『リリアンと燃える双子の終わらない夏』(ケヴィン・ウィルソン著/芹澤恵訳/イラストレーション:中島ミドリ/ブックデザイン:アルビレオ/集英社) 『透明人間』(ハーバート・ジョージ ウェルズ、著/海野十三訳/青空文庫/Kindle版) 『世界の終わりの天文台』(リリー・ブルックス=ダルトン著/佐田千織訳/創元SF文庫/Kindle版) 『去年を待ちながら 新訳版』(フィリップ・Kディック著/山形浩生訳/カバーデザイン:土井宏明/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『ザップガン』(フィリップ・K・ディック著/大森望訳/扉デザイン:土井宏明/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』(フィリップ・K・ディック著/浅倉久志訳/早川書房) 『火星のタイム・スリップ』(フィリップ・K・ディック著/小尾芙佐訳/扉デザイン:土井宏明/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『マーダーボット・ダイアリー 上下』(マーサ・ウェルズ著/中原尚哉訳/カバーイラスト:安倍吉俊/東京創元社/創元SF文庫/Kindle版) 『珈琲と煙草』(フェルディナント・フォン・シーラッハ著/酒寄進一訳/東京創元社/Kindle版) 『シャーロック・ホームズ シリーズ全10巻 合本版』(コナン・ドイル著/延原謙訳解説/新潮文庫/Kindle版) 『イラハイ』(佐藤哲也著/佐藤亜紀発行/Kindle版) 『シンドローム』(佐藤哲也著/森見登美彦解説/カバー装画:西村ツチカ/カバーデザイン:祖父江慎+コズフィッシュ/キノブックス文庫) 『俺の自叙伝』(大泉黒石著/四方田犬彦解説/岩波文庫) 『ブサとジェジェ』(嶽本野ばら著/『三田文學 153 春季号 2023』掲載作品) 『珈琲挽き』(小沼丹著/清水良典解説/年譜・著書目録:中村明/講談社文芸文庫) 『不機嫌な姫とブルックナー団』(高原英理著/講談社/Kindle版) 『祝福』(高原英理著/装幀:水戸部功/帯文:渡辺祐真/河出書房新社) 『若芽』(島田清次郎著/青空文庫Kindle版) 『交尾』(梶井基次郎著/青空文庫/Kindle版) 『のんきな患者』(梶井基次郎著/青空文庫/Kindle版) 『城のある町にて』(梶井基次郎著/青空文庫/Kindle版) 『風立ちぬ』(堀辰雄著/青空文庫/Kindle版) 『自分の羽根』(庄野潤三著/講談社文芸文庫/Kindle版) 『幾度目かの最期 久坂葉子作品集』(久坂葉子著/久坂部羊解説/年譜・著書目録:久米勲/デザイン:菊地信義/講談社文芸文庫) 『現代語訳 南総里見八犬伝 上下巻』(曲亭馬琴著/白井喬二訳/カバーデザイン:渡辺和雄/河出書房新社/Kindle版) 『キッチン』(吉本ばなな著/カバーデザイン:増子由美/幻冬舎文庫/Kindle版) 『かもめ食堂』(群ようこ著/装画:牧野伊三夫/カバーデザイン:井上庸子/幻冬舎文庫/Kindle版) 『ハピネス』(嶽本野ばら著/カバーイラスト:カスヤナガト/カバーデザイン:松田行正/小学館文庫/小学館eBooks/Kindle版) 『猫の木のある庭』(大濱普美子著/金井美恵子解説/装幀:大久保伸子/装画:武田史子/カバーフォーマット:佐々木暁/河出文庫) 『ハンチバック』(市川沙央著/装幀:大久保明子/装画:Title: mohohan Year: 2020 Photo: Ina Jang / Art + Commerce/文藝春秋) 『文豪たちの妙な旅』(徳田秋聲、石川啄木、林芙美子、田山花袋、室生犀星、宇野浩二、堀辰雄、中島敦、萩原朔太郎著/山前譲編/カバーデザイン:坂野公一+吉田友美(welle design)/カバー装画:樋口モエ/カバーフォーマット:佐々木暁/河出文庫) 『作家の仕事部屋』(ジャン=ルイ・ド・ランビュール編/岩崎力訳/読書猿解説/カバーイラスト:Guillaume Reynard/カバーデザイン:細野綾子/中公文庫) 『腿太郎伝説(人呼んで、腿伝)』(深掘骨著/左右社/Kindle版) 『硝子戸の中』(夏目漱石著/石原千秋解説/カバー装画:安野光雅/新潮文庫) 『思い出す事など』(夏目漱石著/青空文庫/Kindle版) 『文鳥』(夏目漱石著/青空文庫/Kindle版) 『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』(川本直著/文庫版解説:若島正/ロゴ・表紙デザイン:粟津潔/本文・カバーフォーマット:佐々木暁/カバー装幀:大島依提亜/カバー装画:宇野亞喜良/帯文:魔夜峰央/河出文庫) 『駅前旅館』(井伏鱒二著/解説:池内紀/カバー装画・文字:峰岸達/新潮文庫)『硝子戸の中』(夏目漱石著/カバー:津田青楓装幀「色鳥」より/注解:紅野敏郎/解説:荒正人/新潮文庫) 『村のエトランジェ』(小沼丹著/講談社文芸文庫/Kindle版) 『午後三時にビールを 酒場作品集』(萩原朔太郎、井伏鱒二、大岡昇平、森敦、太宰治、坂口安吾、山之口貘、檀一雄、久世光彦、小沼丹、内田百閒、池波正太郎、吉村昭、開高健、向田邦子、安西水丸、田中小実昌、石川桂郎、寺田博、中上健次、島田雅彦、戌井昭人、吉田健一、野坂昭如、倉橋由美子、松浦寿輝、山高登著/カバー画:山高登「ビヤホール」/カバーデザイン:高林昭太/中央公論新社編/中公文庫/Kindle版) 『対談 日本の文学 素顔の文豪たち』(中央公論新社編/巻末付録:全集『日本の文学』資料/中公文庫) 『40歳だけど大人になりたい』(王谷晶著/デザイン:アルビレオ/平凡社/Kindle版) 『人生ミスっても自殺しないで、旅』(諸隈元著/ブックデザイン:祖父江慎+根本匠(コズフィッシュ)/晶文社) 『ロバのスーコと旅をする』(髙田晃太郎著/装幀:大倉真一郎/地図制作:小野寺美恵/河出書房新社) 『本当の翻訳の話をしよう 増補版』(村上春樹、柴田元幸著/カバー装画:横山雄(BOOTLEG)/新潮文庫) 『書籍修繕という仕事 刻まれた記憶、思い出、物語の守り手として生きる』(ジェヨン著/牧野美加訳/装幀:藤田知子/装画:谷山彩子/原書房)
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混迷した世界の指南書 『武士道』 藤原正彦(2008) 『この国のけじめ』 文藝春秋
 新渡戸稲造『武士道』が売れているという。昨年末(二〇〇三年)公開されたアメリカ映画 「ラスト・サムライ」の影響もあるとかで、数社から合わせて百万部以上が出ているそうだ。 これを聞いて意を強くした。 『武士道』が英語で書かれたのは明治三十二(一八九九) 年であ る。百年以上前の本を現代日本人がこぞって読むのは、健全な危機感のあらわれと思うから (5)である。 庶民は知識や理屈を持っていなくともときに鋭い感覚を示す。多くが「いまの日本は何かが おかしいぞ」という素朴な実感をもっている。グローバルスタンダードを取り入れるといって、企業はリストラをする。学校では「ゆとり教育」を取り入れる。その結果、職のない中高年があふれ、地方の駅前商店街はさびれ、小学���では国語や算数の時間が減らされ、小学生から大(10) 学生に至るまでの学力低下は著しい。庶民はこうしたことに「自分たちの親や祖父が大切にしてきたものが壊されつつある」と感ずるのだろう。我々のよってたってきた価値観とは何だったのか、(1)というルーツ探しに似た感覚が『武士道』を手にとらせているのだろう。  『武士道』の著者・新渡戸稲造は幕末の南部藩(いまの岩手県)で下級武士の子として生まれ、札幌農学校(現・北海道大学)で農業を学んだ後、アメリカに留学しキリスト教クェーカー派 の影響を受けた。アメリカからドイツへ渡り、研鑽を積んだ後、札幌農学校教授、台湾総督府技師、(5)京都帝国大学教授、第一高等学校校長などを歴任、農学者および教育者として活躍するかたわら、東西思想の調和を目指し「太平洋の懸橋たらん」ことを悲願とした。東京女子大の初代学長、国際連盟事務局次長なども務めた日本の誇る国際人である。  『武士道』が書かれた明治三十二年は日清戦争と日露戦争の中間期で、清を破った新興国家日本に世界が注目しながらも警戒心を持ちはじめた時機である。新渡戸はベルギー人法学者夫妻と散歩中(10)、日本には宗教教育がないと話したところ、「宗教なし! それでどうして道徳教育を授けるのですか」と驚かれた。その後いろいろ考えた結果、自身の正邪善悪の観念を形成しているものが幼少期に身につけた武士道であることに気づいたのである。  同時代人である内村鑑三や岡倉天心にも共通するが、新渡戸には日本人の魂を西洋人に理解させたいという熱い思いがあった。そして英語で武士道を紹介することを決意する。西洋人に(15)も理解しやすいよう、ギリシアやローマの哲学、聖書、シェイクスピア、ニーチェなどと我が国の本居宣長、平重盛、頼山陽、吉田松陰らを比較しながら武士道精神の本質について説いた。  (1)『武士道』初版は一九〇〇年にアメリカで出版され、たいへんな賞讃を受けた。感激したセオドア・ルーズベルト大統領などは、何十冊も買い、他国の首脳に送ったという。その後多くの言語に訳されたが、日本語訳は明治四十一年以来、新渡戸の弟子で東大総長を務めた矢内原忠雄訳(岩波文庫)をはじめとしてさまざま出ている。 (5) 私は勤務する大学の学部一年生に対して、日本の名著を講読するゼミを担当している。こと十年近く、真っ先に学生たちに読ませるのが『武士道』である。受験戦争をくぐり抜けて大学に入学したての学生たちは、『武士道』を読んで一様に驚く。高校までに習ってきたこととあまりに違うことが書いてあるからである。とくに戸惑いを見せるのは、(10)名誉に関する部分である。 武士道では、名誉はしばしば命よりも重いとされる。「それ故に (武士は)生命よりも高価であると考えられる事が起れば、極度の平静と迅速とをもって生命を棄てたのである」(矢内原忠雄訳・以下同)という箇所を読むと、戦後民主主義の教育にどっぷりつかった学生たちは、「名誉より自分を大切にすべきだ」とか「生命は地球より重い」などと拒否反応を示す(むろん(15)新渡戸は「真の武士にとりては、死を急ぎもしくは死に媚びるは等しく卑怯であった」とも述べており、いたずらに死を賞讃しているわけではない)。  (1)学生たちのそうした批判に対して、私は「それではあなた方は一体どうやって価値判断をするのですか」と問う。すると「自分の理性で考えます」「主体的に考えています」などと答える。「すごいなあ、なぜそれほど自分の理性に自信が持てるんですか」と問うと学生は困ってしまう。人間には、理性や論理だけでなく、価値判断の基準となる倫理的な座標軸がなければならない。(5)それがない論理的思考は単なる利益追求とか自己正当化に過ぎない。座標軸の役割を果すのは、外国の場合、主に宗教だから、外国人は宗教のない人間を信用してよいものか訝る。  宗教の力がそれほど強くない我が国でその役割を果してきたのが武士道である。武士道は平安時代末期から鎌倉時代にかけて、「戦うものの掟」として生まれた。それはいわば(10)戦闘におけるフェア・プレイ精神だった。卑怯な振る舞いはしてはならない、臆病であってはならない、という観念である。  騎士道がキリスト教の影響を受けて深みを得たように、単なる戦闘の掟だった武士道にも、さまざまな「霊的素材」が注入されたと新渡戸は言う。 まず仏教、なかでも禅が「運命を任すという平静なる感覚」と「生を賤しみ死を親しむ心」(15)を武士道に与えた。 そして主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝行という他のいかなる宗教でも教えられなかった美徳が神道からもたらされた。さらに孔子と孟子の教えが、(1)君臣、父子、夫婦、長幼、ならびに朋友の間の五倫の道、また為政者の民に対する仁慈を加えた。  こう書くと外国のものが多いようだが、禅にしても孔孟の教えにしても、中国ではごく一部の階層にしか広まらなかった。これらの思想は日本人が何千年も前から土着的に持っていた(5)「日本的霊性」 とびたりと合致していたから、武士の間にまたたく間に浸透したのである。 江戸時代になると実際の戦闘はなくなった。それとともに武士というエリート階級の行動指針であった武士道は、物語や芝居を通して次第に庶民にまで行き渡り、戦いの掟から精神へと昇華し、日本人全体の道徳的基準となった。武士道精神はこうして「遂に島帝国の民族精神を表現するに至った」のだ。  (10)武士道は成文化されていない。聖書やコーランのような経典がない。武士道は「書かれざる掟、心の肉碑に録されたる律法」として親から子へ、口から口へと伝えられた。そして知識よりその実践こそが本質とみなされたのである。  私の父・新田次郎は、幼いころ父の祖父から武士道教育を受けた。父の家はもともと信州諏訪の下級武士だった。生家の二階には三畳の間があり、子供は容易なことでは入らせてもらえなかった。(15)なぜならそこは切腹の間だったのである(実際に使われたことはないらしい)。幼少の父は祖父の命で真冬でも裸足で『論語』の素読をさせられたり、わざと暗い夜に一里の山道を(1)上諏訪の町まで油を買いに行かされたりした。父は小学生の私にも武士道精神の片鱗を授けようとしたのか、「弱い者が苛められていたら、身を挺してでも助けろ」「暴力は必ずしも否定しないが、禁じ手がある。大きい者が小さい者を、大勢で一人を、そして男が女をやっつけること、また武器を手にすることなどは卑怯だ」と繰り返し言った。問答無用に私に押しつけた。  (5)義、勇、仁といった武士道の柱となる価値観はこういう教育を通じて知らず知らずに叩き込まれていったのだろう。義とは孟子が言うように「人の路」である。卑怯を憎む心である。林子平は義を「死すべき場合に死に、討つべき場合に討つこと」と言っている。勇とは孔子が「義を見てせざるは勇なきなり」と言ったように、義を実行することである。そして仁とは、「人の心」。慈悲、愛情、惻隠の情、「強きを挫き弱きを助ける」などがこれに含まれる。  (10)他にも、礼節、誠実、名誉、忠義、孝行、克己など大切な徳目があった。なかでも名誉は重要で、恥の概念と表裏をなし、 家族的自覚とも密接に結ばれていた。前述したように名誉はしばしば生命より上位にくるもので、名誉のために生命が投げ出されることもたびたびあった。  武士道精神の継承に適切な家庭教育は欠かせない。戦前に国や天皇に対する「忠義」が強調 された、という反省から戦後は日本の宝物ともいうべき武士道的価値観がまったく教えられなくなったのは不幸なことである。(15)戦後教育しか受けていない世代が親となり先生となっているから、いまでは子供にこれを教えることも叶わない。 (1)新渡戸の『武士道』は日本人の美意識にも触れている。 武士道の象徴は桜の花だと新渡戸は説く。そして桜と西洋人が好きな薔薇の花を対比して、「(桜は)その美の高雅優麗が我が国民の美的感覚に訴うること、他のいかなる花もおよぶところでない。薔薇に対するヨーロッパ人の讃美を、我々は分つことをえない」と述べ、本居宣長の歌、(5)敷島の大和心を人間はば、朝日に匂ふ山桜花、を引いている。 薔薇は花の色も香りも濃厚で、美しいけれど棘を隠している。なかなか散らず、死を嫌い恐れるかのように、茎にしがみついたまま色褪せて枯れていく。 (10)それに比べて我が桜の花は、香りは淡く人を飽きさせることなく、自然の召すまま風が吹けば潔く散る。桜の時期にはしばしば雨が降り、ときには数日で散ってしまう。自然の大きな力に逆らわず潔く散る。  「太陽東より昇ってまず絶東の島嶼を照し、桜の芳香朝の空気を匂わす時、いわばこの美しき日の気息そのものを吸い入るるにまさる清澄爽快の感覚はない」、つまりこの清澄爽快の感覚が(15)大和心の本質と新渡戸は説く。  (1)日本人は、このような美意識を持ち、いっぽうで行動原理としての武士道を守ってきた。新渡戸はまた、吉田松陰が刑死前に詠んだ、かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂、(5)を引く。吉田松陰は黒船来航以来の幕府の政策を痛烈に批判し、安政の大獄の際に死罪に処せられた。この歌は、たとえ行き着く先は刑死とわかっていても、正しいと信ずることをせずにはおれないという松陰の告白である。名誉のためには死も恐れないという態度である。  こうした「大和心」といい「大和魂」といい、武士道精神の精華といえよう。これを世界の人に知らしめた新渡戸の功績は訳者の矢内原忠雄の言うように「三軍の将に匹敵するもの」がある。(10)日清戦争後の三国干渉等で世界が日本に警戒心を強めていたときに、軍事力でなく、誇るべき民族精神によって日本を世界に伍する存在としたのである。 明治維新のころ、海外留学した多くの下級武士の子弟たちは、外国人の尊敬を集めて帰ってきた。彼らは、英語も下手で、西洋の歴史や文学もマナーもよく知らなかった。彼らの身につけていたものといえば、日本の古典と漢籍の知識、そして武士道精神だけであった。それでも彼らは尊敬された。(15)武士道精神が品格を与えていたのである。  世界は普遍的価値を生んだ国だけを尊敬する。 イギリスは議会制民主主義を、フランスは人権思想を、(1)ドイツは哲学や古典音楽を作った。自然科学のうえでもこれらの国は多大な貢献をした。現在経済的にも軍事的にもたいしたことのないこれらの国が国際舞台で主要な役割を果せるのは、彼らの創出した普遍的価値に世界が敬意を払っているからである。 私は、日本の武士道精神と美意識は、人類の普遍的価値となりうるものと思う。 (5)二十一世紀は、武士道が発生した平安時代末期の混乱と似ていないでもない。日本の魂を具現した精神的武装が急務だ。 切腹や仇討ち、軍国主義に結びつきかねない忠義などを取り除いたうえで、武士道を日本人は復活するべきである。これなくして日本の真の復活はありえない。国際的に尊敬される人とは、自国の文化、伝統、道徳、情緒などをしっかり身につけた人である。武士道精神はその来歴といい深さといい、身につけるべき恰好のものである。  (10)新渡戸は「武士道の将来」と題した最終章にこう書いている。「武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない、しかしその力は地上より滅びないであろう。(中略)その象徴とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう」 世界はいま、政治、経済、社会と全面的に荒廃が進んでいる。人も国も金銭崇拝に走り、利害得失しか考えない。 (15)義勇仁や名誉は顧みられず、損得勘定のとなり果てた。 ここ数世紀の間、世界を引っ張ってきたのは欧米である。 ルネッサンス後、理性というものを他のどこの地域より(1)早く手にした欧米は、論理と合理を原動力として産業革命をなしとげ、以後の世界をリードした。論理と合理で突っ走ってきた世界だが、危機的な現状は論理や合理だけで人間はやっていけない、ということを物語っている。それらはとても大切だが、他に何かを加える必要がある。  (5)一人一人の日本人が武士道によりかつて世界の人々を印象づけた高い品格を備え、立派な社会を作れば、それは欧米など、荒廃の真因もわからず途方に暮れている諸国の大いに学ぶところとなる。これは小手先の国際貢献と異なる、普遍的価値の創造という真の国際貢献となるであろう。この意味で、戦後忘れられかけた武士道が今日蘇るとすれば、それは世界史的な意義をもつと思われる。
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avitasashag · 2 years
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bipolar dairy 2
似乎醒来之后就给自己放一下血成了唯一的安慰剂,越割越感受不到疼痛,没有想到是这样的方式肉体上重回了青春期,碰巧联系到了我的一个认识人夸夸其谈一些让我吃点能量食品以及点评我行为相当青春期的屁话。似乎人们的认知中半公开的自残与自戕只有缺乏管教的青少年才做得出,我没有什么方法可以证明我确实没有抵抗的能力,那种每次袭来的复杂与苦痛永远占据上风,后一次都比前一次更加无法抵抗。每一次袭来时你都为依然需要去进食(尽管少量)、排泄和清洗自己、以及观看尽管无意义的东西来度过为数不多的清醒时刻感到好笑,在多年以前为了避免自己掉入卡夫卡式的深渊(那是另外一种深渊),我主动放弃了稳妥的社会身份,这当然在我的上一辈看来是无法理喻的,规则和秩序以及按部就班的生活似乎在他们的眼里可以逃离疯狂,当然“逃离”本身也是,我已经大概率确认了一个事实即是:逃离现实的我,就是他们维持与幻觉中的还在困难光荣的荆棘路上狂奔的女儿共处的可能。现实中的我则肯定他们最知道发生了什么。
朋友说,你的内心足够强大,你可以的。在卡夫卡式的悲剧中,这句话发生在每天打卡上班的同事对话中,内容不同,内核相似。我后来发现雅典泰门或圣鹿式的悲剧如何就可以自以与卡夫卡不同呢?每一次郁期都比前一次的郁期内容凶猛,无论我在燥时再尽全力构筑一些什么,郁期的第一二天就可以完全摧毁,天空中出现的那个与月亮完全匹敌的月亮,那个小星球,我一遍又一遍的在每一个复发的低谷重复播放那几部,拉斯冯提尔全部循环、兰斯莫斯全部循环、查理考夫曼全部循环、大卫林奇全部循环等等,我们这代依然是与电影相伴而生的一代, 我永远在相同的电影与语句中反复沉没。中文,尤其简体中文是喜爱提炼与传颂短句的,诗歌与词句的雕塑感将我们的审美带往骈文的并喻,但我们又热爱共鸣与喜剧,于是很多噩梦般的句子都被升华为了诗歌。为了抗拒这一点,我始终强迫自己时刻观看上下文,而这上下文让我放弃抵抗。有什么比去疾呼追问上帝的上帝之子更没落呢,今天我再次知道的一个现实就是我们的表达与我们想让表达所呈现出的样子完全相反,惯于使用和造句的能力也许正是表达的阻碍,我想要通过我的造句能力抓住一些来自具体的人的虚空的爱(爱这个字也许不应该出现于任何涉及思辨的讨论中),但我的造句正好令人们畏惧。我制造许多对自我真实需要的抵抗,我的造句成了我自己的捕兽夹。
近些年的我时常感觉在郁期不得不处理燥期的一些情感代价,我已经完全不会处理与人平稳平衡的连接了,情感是想要补完自己诸如自尊和中年危机或其他任何日常人格部分的工具,一部分人令我失望,失望的质感令自我中幼稚的部分完全疯狂,虽然我并不认为任何情况下我们可以命名一种行为模式为幼稚,但依照一个陈旧的大众规则判断,这种无法处理失望,继而将其改变为愤怒和绝望的行为模式就是幼稚。在混乱之战中,我也无法把一些纯真的喜爱与性冲动分开,混杂之后加深了绝望,继而反噬到自己身上。很多时刻后我感觉自己像声称自己悟道成功的修行人,刚刚出关下山便立刻饱受诱惑,这是一种根本性错误吗,还是说,一开始所悟的道便从来没有成功过?阅读黑塞时所遭受的冲击不同于卡夫卡,黑塞彻底让我明白一个交错混乱的荒原狼式自我,从一开始就不该责怪到卡夫卡式的套中人焦虑中去。实际上我是一个既不伟大也完全不彻底卑微的市民式闹剧人物,在一种向上的幻觉里,我难道没有幻想过贵族式的众叛亲离吗,一部分的我渴望洛特雷阿蒙描述中的秽乱与彻底的癫狂,我的心智根本没有能力迎接痛苦本身,于是痛苦的幻觉迎头而上,我在虚假的幻觉中缩手缩脚的跳舞。
但即使这样,我就不该被爱吗,我不该被一个具体的、不会离弃的、符合我想象的人所一直挚爱吗,难道就因为我是一个处于前中年危机中的女性,这个数量与可能就大大降低了吗。在某种错误的机制彼此咬牢后,主动与人交往就与莫名的自尊水火不容,为了自尊,只好织百米裹尸布把自己提前裹紧放进悬棺里去,阿玛兰塔,这个硬而绷直的意象居然一直贯穿在我的人生中,我是被强迫成为阿玛兰塔的蕾贝卡与梅梅,我鄙视与自己相似的意象,却一直被相反的意象吸引与折磨,最终我成为清晰与亭廊中死神侃侃而谈的硬壳,死神说,你没有活着,也没有完全死去,你是一棵内心自燃的树,让人离远到大河另外一边并且赞叹,好艳丽,连你的生身父母也是一样。
 我想过可行的自杀方式,在过去的许多年里,如果自我生命在大脑中的投射是具象的,那么我的生命早已死过成百上千次,幻觉和计划都非常具体,药量、药物的种类或者哪里承重足够搭上结实的围巾与绳索都被细细考量,幻想结束生命会产生些微愉悦,这种愉悦就像地下室手记中开篇所说的惰怠与惯于在自己的日常痛苦里寻找享受的心境,因为惰怠,我纵容一个虚空中的什么将自己一遍又一遍的扔进这种日常刑房,在陀氏的自问与问天中,这样的惰怠是巨大的磁铁,将生命无限吸近死亡,又因为惰怠懒得再割一刀。于是我永远令自己布满浅表性的伤口,不致命也不全很痛,至于那么痛的东西,我在发生的同时以细密的浅伤口来分解。自尽不是问题的解决方法,当然自残也不是,自尽带来的社会性遗留虽然肯定不是我能体会到的,但大致能构建出人们事后的一些集合了惋惜悔恨等等的情绪,长辈大致会说服自己这是一个自私的后代,朋友与同事恋人等等最接近我的状态则会是非常沉默的记录与哭泣,即使我是一个完全无用的人渣,估计也会有几个真心哭泣的人吧,但那样的哭泣,与目前的我有关吗。我没有看完涂尔干著名的on suicide,难道一个人在自尽与否的阴森的大桥上时的思索不足以与巨著并列吗,虽然自尽自伤都是一个人的选择,但借涂尔干粗浅的分析,仍然要归结为社会影响的结果,到今天,与自尽的每一种可能都细细谈过之后,我不幸要发出这样力道的结论,自杀是环境的结果,每一件事情既然的发生都导致了结果的可能,不存在补救,也许陪伴会延缓这一进程,但我不认为一个过于呈现表演性沉重的灵魂会吸引来什么有意义的陪伴,在地下室手记里,陀氏一直在力图将自己剥离的同时沉浸于痛苦,清教徒或苦修士式的痛苦,这是一种举世皆准的潜意识共鸣吗,疯狂绝不会导致自杀,无限接近疯狂则会,每一个我与这个沉寂密室中绝对安静的我都接近了人类史上的每个洞穴僧侣,再次走入人群则远离了思考,在这两种状态中不断切换导致了精神无限接近疯狂,至今我已对自己每次突如其来的自杀冲动安然处之,如果不得不来,那么也可以来,甚至希望这个冲动可以来得更加愚蠢一些。虽然绝不是每一个自杀者都被冲动的愚蠢左右,但成功的那些很难说到底是因为经历类我的密室思辨,还是难以控制生命对冲动的沉浸。
我不喜欢人类学,辍学除了客观的原因也有个人的原因,想要认识清楚自己与自己完全相悖的原因,去研读人类学也出于这类原始的渴求,相比较哲学而言人类学像新神的话语,我不能接受人作为肉身的新神诞生了,并且传播一些粗浅的神谕。涂尔干的自杀论非常厚,在最后一门民族志剪辑课的机房里我一边剪辑一边阅读,得到的几乎是不明所以的傲慢感受,像纳粹科学家们的冰冷第三人称语言,当然不可能有人会承认人类学的鼻祖们跟纳粹二字有什么具体联系,但具体涉及这门学科的一切给我的感受无非如此,谈起自杀,每个人类学背景都比我深厚的师生们像跟人类二字毫无关系一样嬉笑着否决了,就像如今爱用人类学的各位同行们一样,真正允许或放任自己走入绝对密室的人绝无仅有,或者这是为什么第三人称可以源源不断地产生出一升又一升的废物。但完全的第一人称就不是自恋吗,在燥期,我永远与镜中那个装备完全的自己审视不够,虽然那样包含深情的审视中依然不断隐隐涌现蔑视,我的自尊永远在蔑视着自己,各个细节都难以满足超我的需要,也许除了智识,然而智识同时是一个傲慢无比的词,是需要完全战胜冲动的自我与本能才能享用的东西,而本能同时在进行完全的否认智识,我很好奇,一个女人的智识需要进行到哪一步,才能完全黏合那些彻底的碎片?女人的碎片是不是只能裹在一个艳丽的红大衣里沉默地向前走?在无论是陀氏或埃默里或荣格对自我地狱的问责中,都忽略了性别对一个人产生的基本影响,在一个男人的一生中,到底发生什么能让他切身体会到女人被穿刺的痛,在这众多被人类注意到的男人们中间,有没有先挣扎于性别的痛苦才沉落于作为人的痛苦之中的那个?对身体本身的恨意,当然也有后天的爱恋,总之像醉后坐在疾驰的后座,依然举起酒瓶对准嘴巴,超我严厉的呵斥这一切,于是痛苦,平庸的痛苦见缝插针的钻入了,我没有美丽过一生的时间,但即便我有,这本能的自恋真的会被自我后天的教育所纠正吗,如果有一天我不再美丽了,比如现在,智识这种傲慢的东西真的会填补这种本能的绝望吗。
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kennak · 18 days
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在沖縄米兵の性的暴行事件が相次ぎ発覚した問題を受け、米軍の特権を定める日米地位協定の抜本的改定を求める集会が2日、東京都内で開かれた。沖縄の女性史を研究する識者は、戦後も伏せられながら続いてきた米軍性暴力の構造を指摘。改定なき「運用改善」には限界があるとし、地方で声を上げ、国際社会に人権問題として訴えようという動きも起きている。(中川紘希、宮畑譲) ◆「隠された事件まだある」政府へ怒り  「またか、と思った」。沖縄県で起きた米兵らの性犯罪を調べている女性史家の宮城晴美さんは、女性団体が主催した2日の集会で怒りをにじま���た。 米兵による性暴力について講演する宮城晴美さん=東京・永田町の衆院第1議員会館で(佐藤哲紀撮影)  県では6月、昨年12月に16歳未満の少女を車で誘拐し自宅に連れ込み、同意なくわいせつな行為をしたなどとされる米兵の性的暴行事件が相次ぎ2件発覚。事実を把握した県警や外務省は県に連絡せず、いずれも報道で明らかになった。  宮城さんは、警察統計の数字でしか表れない性犯罪事件があると把握していたとし、「隠されている事件はまだたくさんある」と指摘した。県議選が終わった後で事件が明るみとなったことについても、「沖縄の危機感をあおらないようにする政府の姑息(こそく)なやり方」と批判し、沖縄の「いらだち」を代弁した。 ◆米兵ら性犯罪被害、沖縄戦以降少なくとも948人  宮城さんは日本復帰前の琉��政府や米軍資料、新聞、書籍を基に沖縄の米兵の性犯罪を年表として冊子にまとめている。沖縄戦があった1945年から2021年までに、少なくとも948人が被害に遭ったと報告。冊子は13版を数える。 「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」がまとめた米兵による性犯罪の冊子  宮城さんによると、米国統治下に置かれた沖縄で、米兵たちはけが人を救助すると同時に、性暴力も重ね、病院に入院した重傷の女性を襲うなどした。ベトナム戦争が始まった1960年代には、米兵らの事件は凶悪化。ホステスの女性が裸で埋め立て地や墓地に放置されるなどの事件も相次いだという。  その背景を、宮城さんは「米軍の中に『沖縄は力で奪い取った戦利品』という意識がある。女は襲ってもいいと暗に思われていた」とみる。 ◆「落ち度論」に阻まれ、伏せられてきた被害  一方で性被害の多くは伏せられてきた。その理由の一つが、沖縄の女性への「落ち度論」だ。55年に6歳の少女が暴行を受け、殺害、遺棄された事件では「母親が1人でエイサー(伝統舞踊)に行かせたのは軽率」と批判され、被害者側に追い打ちをかけた。夫の家を重んじる沖縄の家族制度において、被害女性の側が家族や集落に責められることもあったという。  米兵3人による95年の女子小学生暴行事件で、女性団体が声を上げたことで「戦後50年たってようやく、米軍基地問題が女性の人権の視点から問われることになった」と宮城さん。事件をきっかけに、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の返還合意が動き出した。 ◆発覚遅らせる日本政府の「プライバシー保護」論  集会には、自衛隊の南西シフトが進む宮古島市の元市議、石嶺香織さんもオンラインで参加。日米一体の軍拡への不安の中で、今回の性的暴行事件が発覚したと指摘。日本政府が「プライバシー保護」を理由として県に連絡しなかったことを批判し「名前は出さなくても具体性を持たせて発信すれば、予防や注意ができるはずだ」と訴えた。 米兵による性暴力について講演する宮城晴美さん=東京・永田町の衆院第1議員会館で(佐藤哲紀撮影)  名古屋学院大の飯島滋明教授(憲法学)も集会に登壇。日米地位協定では米軍の公務中の犯罪の第1次裁判権は米国にある。「日本の刑事裁判権が著しく侵害されている」と協定の改定を訴えた。公務外の犯罪を巡っても日本政府は53年、重要な事件を除き裁判権を行使しない方針を米側に伝達。2011年に判明し「密約」と批判された。日本政府は「双方の合意はなかった」と密約説を否定したが、飯島教授は米兵の性犯罪の起訴率の低さに触れ、「密約の影響を考えないといけない」と指摘した。 ◆機能しなかった日米合意、県には今も米側から連絡なし  1995年の米兵による少女暴行事件を受け、日米両政府は97年に事件・事故を速やかに通報することで合意。しかし今回、通報が徹底されていない実態が明らかになり、日本政府は、捜査当局が公表しない事件についても「可能な範囲」で沖縄県に連絡するよう今年7月から運用を始めた。  在日米軍司令部も7月、再発防止策を発表。在日米軍幹部と県、地域住民が意見交換する「フォーラム」の新設を表明した。ただ、県基地対策課によると「外務省から『今後、調整したい』との連絡はあるが、米側から直接のコンタクトはない」というのが現状だ。 ◆県に通報、報道発表がなかった例、長崎でも  2日の集会でも「運用改善だけでは、根本的な解決にならない」と批判が上がった。さらに、在日米軍基地がある沖縄以外の地域でも近年、報道発表や県への通報がなかったことが判明し、波紋は広がっている。  米海軍の佐世保基地がある長崎県では2016年、17年に米軍関係者による性犯罪事件があり、書類送検されたが、県警は公表しなかった。この報道を受けて佐世保市の女性団体「佐世保女性ネットワーク」は先月、事件の速やかな公表や、再発防止策を市に申し入れた。  しかし、市からは県を通じ、県警に「コメントできない」と対応されたと伝えられただけという。ネットワーク役員の山崎満喜子さんは「警察は個人情報を盾にしている。全て明らかにする必要はないが、加害の実態が明らかになって、初めて再発防止策につなげられる」と憤る。 ◆国連女性差別撤廃委員会で人権状況審査へ  7月には、各地の地方議員有志でつくる会が、外務省や防衛省などに抗議。賛同者は260人超に上った。同会は、9月議会で提出する意見書の準備を進める。東京都小金井市の片山薫市議は「意見書の細かい内容は、議会ごとに出しやすいものに変えていく。ただ、沖縄のような事件やその隠蔽(いんぺい)は許されない、各自治体に知らせるべきだ、との趣旨は共通している」と話す。 外務省前で米兵の暴行事件について抗議活動をする人たち=7月2日、東京・霞が関で  さらに、世界に訴えようとする動きもある。国連の女性差別撤廃委員会が10月、スイス・ジュネーブで、日本の女性の人権状況について審査する。審査では市民団体が提出したリポートも参考に、日本政府への意見が出される。 ◆「米兵の性犯罪は沖縄だけの特殊な事例ではない」  リポートをまとめた、沖縄の大学で非常勤講師を務める親川裕子さんは「米軍から派生する性暴力を日本国内の法律、制度でどう防止していくのかを明らかにするよう訴える」と話す。10月は現地を訪れ、委員へのロビー活動を展開する。国連から勧告が出れば、今後の国会での議論につながることが期待できるとし、「最終的に偏在する沖縄の基地の整理、縮小への一助になれば」と思い描く。 宜野湾市の住宅密集地に隣接する米海兵隊普天間基地(後方)  前出の飯島教授は「自民党などが『日本を守る』というならば、改憲よりまず地位協定を変えるべきだ」と強調する。全国に広がる抗議のうねりを受け、「米兵の性犯罪を、沖縄だけの特殊な事例とみなすことはできない。誰にでも起こりうることであり、被害の苦しみはずっと続く。その感覚を持ち、地位協定の見直しを含め国に求めるべきではないか」と呼びかけた。 ◆デスクメモ  「また防げなかった」。5年前、米兵が日本人女性を殺害した事件を受け開かれた沖縄の集会は悲嘆に包まれていた。飲酒運転の米兵の車の事故で両親を亡くした女性は「戦争がなくても今も沖縄は平和と言えない」と話した。13版を重ねる宮城さんたちの冊子は軍の暴力性も物語る。(恭)
米兵の性暴力「まだ隠されている」 沖縄だけでなく他県にも 積み重なる犯罪 記録が示す被害の構造とは:東京新聞 TOKYO Web
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ari0921 · 1 year
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)4月11日(火曜日)
  通巻第7702号 <前日発行>
 鴻海精密工業が高雄にふたつの大工場建設
  郭台銘、2024台湾総統選立候補声明直後に派手な式典
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 高雄市長(鎮其邁)、副市長列席の下、鴻海精密工業(フォックスコム)からは系列「鴻海科技集団」会長の劉楊偉がひな壇に立って、高雄にふたつの大工場を建設する壮麗な着工式が行われた。
日本円換算で1000億円を投じ、EVならびに電池工場を建設、およそ2000名の雇用を見込む。中国大陸での新工場はアメリカの圧力を前にして鴻海精密工業としては、台湾に建てた方が得策と判断したのだろう。
 大工業都市となった高雄市は新設の工業団地がある。そのうちの一つ、和発産業団地ではEV電池を生産し、橋闘科学園ではEV自動車仕様のバスを年間500台製造する。2025年に生産開始を見込むとした。
 台湾メディアはこうした前向きの投資プロジェクトを大きく報じているが、主役はなんと入っても鴻海CEO郭台銘である。郭は正式に2024年台湾総統選への立候補を表明したからである。
かれの両親は山西省出身だから、外省人二世である。英語名はテリー・ゴウ(Terry Gou)。シャープ買収で日本でも名を馳せ、『フォーブス』長者番付で台湾一の富豪となった。
1974年「鴻海プラスチック企業有限公司」を設立、当時台湾の産業を支えたプラスチック製品の製造・加工を始め、創業時は白黒テレビのつまみを作る街工場だった。
「鴻海」の由来は「鴻飛千里、海納百川」(鴻(おおとり)は千里を飛び、海はすべての川を納める)。初心からスケールは大きかったのだ。
以後、躍進を続けた。85年には米国へ進出、88年には中国に富士康(フォックスコン)を立ち上げて100万人を雇用した。映画のモデルにもなった。
 ▲鴻海高雄のCEOには日本人が就く
2023年2月1日、日本電産CEOだった関潤氏が鴻海EVのCEOとして赴任と電撃的に発表された。関は日産のナンバー3のCOO(最高執行責任者)として、カルロス・ゴーンが食い逃げた後の日産立て直しに尽力していた。
或る日突然、永守重信に説得され日本電産に電撃移籍した経緯がある。
しかし業績不振を理由に22年九月に日本電産を突如解任され、永守重信会長とは袂を分かっていた。
鴻海精密工業は、日本電産の売り上げの13倍もある。
嘗て『台湾の松下幸之助』と言われたのは台湾プラスチックの王永慶で小さな材木商の丁稚小僧から世界的企業に育てた(筆者は三十年ほど前に王とインタビューのため台北の台湾プラスチック本社ビルを訪ねた��とがある。王が伝法な日本語を喋るのには驚いた)。
郭台銘もおなじく立志伝中の人物だが、放言癖とぎらぎらした野心はトランプとそっくりだという人もいる。そういえば孫正義、馬雲と並んでトランプが出席したSBGの鍬入れ式でも郭台銘が並んだ。
王永慶が不在となった後、台湾財界を率いるのはTSMC(台湾積体電路製造股fen
限公司)の創設者、張忠謀と、この郭台銘である。知名度は世界的にも抜群。
この国民的人気によって国民党予備選で党首席の朱立倫と新北市市長の候友宜を飛び越える可能性はなきにしもあらず。政治的閉塞感をうち破る勢いに台湾の庶民が期待するからだろう。
むろん、与党・民進党関係者は郭台銘が北京寄りの政治姿勢であることを警戒している。また国民党は党内秩序が乱されることを懸念し、郭台銘の電撃参入には迷惑顔だ。
ましてや次期総統選挙前哨戦の段階で、第三党「台湾民衆党」の何文哲(元台北市長)も正式に立候補を声明している。混線となると、『台湾のトランプ』が誕生する可能性はゼロとは言えなくなった。現時点では国民党予備選に勝ったわけでもないから泡沫でしかないけれども、高杉晋作が言ったように「時の勢いには勝てない」のである。
 4月9日に行われた日本の地方統一選挙が最適の見本、奈良県知事が格好の材料を提供してくれる。自民分裂で票が割れ、場違いな候補に勝利をさらわれた。二位と三位の票を足すと当選者より多いのである。したがって台湾総統選挙、何文哲が出馬すれば国民党候補が漁夫の利を得ることは明らかである。
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ymyh · 1 year
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2023.5.17に見に行った展覧会(1):「コレクションルーム春期 特集 魅惑の昭和モダン」展@京都市京セラ美術館
*出展作家:菊池芳文、丹羽阿樹子、梶原緋佐子、中村大三郎、西山英雄、菊池契月、太田聴雨、池田遙邨、橋本明治、三上知治、光安浩行、市ノ木慶治、森脇忠、南政善、飯田清毅、木下孝則、中島清一、服部喜三、若松緑、勝田哲、由里本景子、菊池隆志、秋野不矩、西綾女、中川伊作、津田信夫、豊田勝秋、沼田一雅、溝口安太郎(八代龍文堂安之介)、香取秀真、森野嘉光、黒井光珉、伊東翠壺、山脇洋二、村越道守、奥村霞城、徳力彦之助、井田宣秋、平舘酋、山崎覚太郎、堂本漆軒、番浦省吾、二代鈴木表朔
*コレクションルーム内小企画「VOCA展 30周年によせて」出展作家:東郷靖彦、岡田修二、坂井淑恵、内藤絹子、岩城直美、小柳裕、中川トラヲ、居城純子、ロバート・プラット
*コレクションルーム内小企画「進化する工芸」出展作家:細田あずみ、増田晴香、酒井沙織、石塚源太、黒川徹、木野智史
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ophelia333k · 2 years
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2023.03.09 現状報告、ばかりが眩しく
 日記。というよりも現状報告。
 そもそも、前回ここで日記を書いたのは2月5日だった。ちょうど、一か月くらい前。
 この一か月間は鬱っぽくて、あまり精神がよくなかったので、まとまった文章もあまり書いていない。昨日から、少し精神がよくなり、こうして文章を書いている。一週間くらい前、最悪な感情の日があって、「これから自分はもう何をすることもできず、何も書かず何も生み出さず、ただ摩耗して終わる」という思いに囚われたり、何も分からなくなって睡眠薬で意識レベルを下げ続けたりしていたけれど、何とかなった。もしかしたら、春になって気温が上がったことも関連しているのかもしれない。
 無理やり気力を出すために、刃頭の「野良犬」、漢a.k.a.GAMIの「紫煙」、大森靖子の「SHINPIN」を聴いている。最近のだとZORNも聴いている。ヒップホップは生き伸ばすための音楽という感じがする。大森靖子は、聴いていてときどき泣いてしまうけど、どうしてなのか分からない。
 あと、久しぶりに小説を書いている。まだ4000字程度の。いずれ賞に応募するとかそういうことを考えたこともあるけれど、たぶん数か月以内に出る同人誌に寄稿することになると思う。
 読書について言えば、ここ最近読み終わった本はブコウスキーの『パルプ』と、オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』。遠野遥の『破局』と『改良』も読んだ。意外によかったのが、高橋源一郎と柴田元幸の『小説の読み方、書き方、訳し方』という対談本で、高橋源一郎と柴田元幸のそれぞれの、海外小説30冊と日本の小説30冊がリスト化されて載っているので、(特に現代文学~ポストモダン文学)の小説を読むマップとしてはかなり参考になる。
 日比野コレコの『ビューティフルからビューティフルへ』も、感想を書いたりしたのだけど、インターネット上に公開するタイミングを逃してしまい、メモ帳の海に沈んでいる。文藝賞受賞作で言えば、安堂ホセの『ジャクソンひとり』についても書きたいことがいくらかある。
 その他、読んでいる本は以下の通り。
 
 綿矢りさ『ひらいて』
 若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』
 高橋源一郎『君が代は千代に八千代に』
 鈴木涼美『グレイスレス』
 ブコウスキー『町でいちばんの美女』
 バーセルミ『雪白姫』
 安部公房『内なる辺境/都市への回帰』
 安部公房『カンガルー・ノート』
 バクシーシ山下『セックス障害者たち』
 木村敏『分裂症と他者』
 竹井俊哉『統合失調症』
 ハンナ・アーレント『人間の条件』
 ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』
 郡司ペギオ幸夫『いきものとなまものの哲学』
 郡司ペギオ幸夫『天然知能』
 近藤和敬『ドゥルーズのガタリの『哲学とは何か』を精読��る』
 松本卓也『創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで』
 竹村和子『フェミニズム』
 チャールズ・テイラー"Politics of Recognition"
 Gille Geleuze"Présentation de Sacher-Masoch : le froid et le cruel"
 Gille deleuze"Différence et répétition"
 
 他にもあるような気はするけれど、何も分からない。どう考えても、3、4冊に絞って読んだ方がいいのに、気がついたらこういうことになっている。人生自体もいつもそんな感じかもしれない。何もかもをやろうとして、何一つとして手につかない。
 今、一時的に居住させてもらっているシェアハウスの住人が、自分が飲んでいる抗うつ薬のことを「ガイジ薬」と呼んでいて笑ってしまった。あと、ドイツ軍がフランスを攻めた際に覚醒剤を使用していたから眠ることなく進軍することができた、という話をされたときに、日本のヒロポン(メタンフェタミン)のことを紹介していたら、「ヒロポン」という名前が「ヒロヒト」から取られたと考えたらしくて、「ヒロヒトか?」と言っていた。
 
 ここ一か月くらいの記憶がほとんどないけれど、雪が降って積もっていたあの日ばかりが眩しい。
 自分自身の躁と鬱ということに関して言うと、鬱っぽいときは「すべてが終了した地点」みたいなところから、すべてをどうにもならない過去として眺めているような身体感覚があって、躁っぽいときには、「いまこの現在」だけがそこに存在しているというような時間の感覚があるような気がする。
 飲むヨーグルトが腐らないように、冷蔵庫の中の飲むヨーグルトを飲む。
 ヨーグルトが腐っているところを想像したくはないから。
 
 最近は、不可思議wonderboysおよび相対性理論「バーモント・キス」で歌われる意味での「世界征服」をやめないことと、穂村弘の言う「非在のものへの憧れ」としての愛の希求と、アンドレ・ブルトンの「痙攣的なもの」としての美について、のその自分の中でのゆるやかな接続について考えながらずっと清掃のバイトをしている。浴槽を拭く、浴槽を拭く、ベッドについた誰かの経血は観念よりも具体的なものとして。夏の果てについて想像する。そして、バイトが終わった時にはすべて忘れている。忘れていることも忘れていく。
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hummingintherain · 2 years
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12月11日(日)|200.96 letter
 まだまったく陽の気配がない、夜のような朝に起き上がった。夜明け前が一番暗いとは、そういえば手垢にまみれた言葉があった。自分から発される言葉は、ほぼ手癖100%なので手垢にまみれているどころか手垢で構成されているように思う。要は上手ではない。書きたいことを書きたいように書いているだけで、寝起きに書いた文は深夜の文の次に信用ならない。書いていくうちに徐々に覚醒していく。つよく冷え込んでいて、暖房をかけるとどこかから流れこんでくる冷気のほうを敏感に察知する。
 昨日を思い出す。早いうちに畑に行って大根を収穫しおえた。土は水分を保ったままでやわらかかったが、この寒さでは先週蒔いた種が土から顔を出しているはずもなかった。ただ昨日は陽射しがずいぶん暖かかった。畑仕事を終えた後で倚子に腰掛けてしばらくぼんやりとしていると陽のあたる部分が明確に熱をおびた。暖かい日は体調が向上しやすい。そういえば思い出したけれども昨日は朝から頭が痛くて、気圧のせいかと思ったら夜から朝にかけての気圧グラフを確認したところまったく関係なさそうで残念がりながら鎮痛剤を飲んだのだった。だから朝から体調は不安だったのだけれど、薬で充分に治まったし、早々に畑に行けたのだから悪くはなかった。そんなわけで体調が普通くらいで安定してくれることを期待して帰宅したら少し休んで絵を描いた。午後に小説を書くかふたたびスラムダンクを観に行くか迷ってどちらも選べるように家から出ようかとぼやぼや検討しながらTwitterを何気なくひらいたら、フォロワーさんがリツイートしていた中日新聞の記事を発見した。防衛省がAIを活用し、ビッグデータとインフルエンサーを利用して、SNSなどを通じて防衛省にとって有利となる世論を人々の間に拡散させ、情報操作し、特定国への敵対心を高め、反戦・厭戦機運の払拭をはかろうしているとの報道だった。こんな重要な情報は本来機密事項として水面下でこっそり行われてナンボではないかとも思ったけれども、これが事実であれば、戦争がいつ起きてもいいように大衆を管理していこうという魂胆があまりに透いてみえる。マイナンバーをはじめ、つくづく行政は、デジタル技術を市民の生活向上ではなく都合よく市民を管理するほうへと使いたいらしい。もうこんなにも見えやすいところまで腐ってしまったのか。あまりに今更な実感だった。そして私が最近強く嫌っている国家権力や極端なナショナリズムが、入り込んできてほしくはない内側の領域にまでどんどん浸蝕を試みていると恐怖した。いや、無意識のうちに侵襲されているのかもしれない。私の心は、生活は、本能は、生理的な流動は、ほんとうに私のものだろうか。誰かが意図的に操作したものではないだろうか。なぜなら私は容易に影響を受ける。疑り深いようで、その実ころりと信用する。権威に噛み付けるほど元気でもない。私は私の見ているTwitterのフォロワーを信頼しているけれども、惰性でトレンドをスクロールするのも嫌いじゃないので、過激な思想に交通事故のようにぶつかってしまって勝手に弱ることはまあまあある。
 無意識下に流されていってしまう可能性や、意図的に権力側が心までも支配しようとしている状態に震えた。それは小説を書いたついでに映画を観るかどうかで迷っていた脳天気さを簡単に破壊するような攻撃だった。それはそれとして目の前を楽しむと割り切るだけの強さが私にはなかった。だからしばらく記事を前にして動けなくなり、SNS全体も、国家も恐ろしくなっていく。難民についての本や映画を思い出す。私はその気になったら、日本を飛び出せるだろうか。たとえば今、飛び出せるだろうか。飛び出せるとしたら、どこにいくのだろうか。安直に検索にかけてみる。ワーキングホリデーや留学、なんだかとても心地の良いものとしてデザインされたサイトが並ぶ。アメリカ、カナダ、オーストラリア、イギリス、フランス、……どれも全くぴんとこなかった。家族について、考える。仕事について、考える。目の前の本棚に並んでいる大量の本について、考える。実際、今、すぐには飛ぶのはリスクと天秤にかけて難しい。
 戦争には反対だ。戦争に繋がりうるところから、正反対のほうへと歩いていきたい。それは別段特殊な考えでもなんでもないのだけれど、どうやら本流はそうとは限らないらしい。
 こんな腐りつくしてカビまみれの出がらしのような環境をすぐにどうこうできるわけもなく、個人が影響を与えられるはずもない。他者を変えるのは難しい。私ができるのは逃げるだけ。
 恐怖に支配されること自体が、もはや防衛省そして政治家の意図ではないか。恐怖でたやすく人を管理できるのは、既にあまたの犯罪が証明してきた。事実、恐怖し、思考は止まった。調子がよく続きを書くのが楽しみな小説も、強く心をゆさぶられた映画も、恐怖の前には停止した。このままではいけないと、ひとまず身体を動かせと、胃を満たせと、理性が声をかけてきて、ポメラを持って家を出た。歩きながら、大事なものは本の中にたくさんあるし、なにもSNSの反射的な情報が欠けていてもぜんぜん生きていける、と思った。それでニュースレターを作ろうと思った。植本一子さんが、Twitterを凍結されてもニュースレターがあったことで現在地をしらせていて、あれはとてもいいなと思っていた。そういったものをやりたいとは考えていたが、正直なところ有料化での発信を検討していて、ただ、お金について考えて足踏みしていた。またお金だ。お金は好きだが、お金のことを多く考えているということはお金に支配されている状態であり、そしてそのお金の悩みで堰き止められている状況が自分事ながらかなりばかばかしくなった。
 外で生姜焼き定食を食べ、スターバックスに入ってコーヒーを飲み、Twitterからどんどんずれていくための算段をポメラで打鍵した。ビジネス、価値、お金儲け、サブスクリプション、税金、文明社会コッテコテの、お金をまきあげて作り上げていこうとする経済の流れに疲れた(サブスクが苦手なのはいつのまにか払っている税金みたいだからかもしれない、と今ふと思った)。誰かを疎外して成り立っている豊かさモドキにも疲れた。そして管理しようとしてくる存在にも疲れた。そんなことより私は安心して制作したい。書きたい。とはいえ完全に社会から離れることはできない。だからちょっとずつずれたい。自分を守るために切実にサバイブしたい。自分の感受性くらい、と茨木のり子の声がする。自分で守れ、ばかものよ。そうだ、私はばかものだ。しかし国家もどうしようもないばかたれだ。世界中のばかたれのせいで、経済はめちゃくちゃだし命は危機に晒されるし、深刻に病んでいる。全体的に病気にかかっている。だから元気がないのも当然だ。元気がないままでも、安心したい。どんどんおかしくなりたい。おかしくなって、国家を指差して爆笑したい。しかしぶっちゃけそんなことはどうでもいいので、そっぽを向いて私は書き続けたい。作り続けたい。リアルなてざわりを求めたい。
 Twitterからちょっとずつずれていく算段を、文章化することですこしばかり安心して、なんとか多少は小説をすすめようと思ってファイルを開いて執筆した。その後月と六ペンスに向かって、こんな時は坂口恭平だなと思って先日買った『継続するコツ』を読み、なんだかこの方向性は間違っていないと思って少しばかり強くなった気持ちになった。錯覚でもよかった。香山哲の『プロジェクト発酵記』を読んでいる途中で閉店五分前になってお会計した。
 帰宅したらニュースレターに着手した。最近みかける日本発ブランド「The Letter」はビジネスパーソンの雰囲気がしこたまに感じ取れて微妙だったので、日本語対応していないけれども見た目��かわいげのある「Substack」でひとまず立ち上げた。作っているうちから、「また新しいことやるの?」「また道を逸れるの?」「何度も飽きてきたのにこりないよね」「自意識過剰もたいがいにしなよ」と内側の声が乱れてとんできて、恐怖心ともまざってすっかり胃が痛くなっていた。ひとまず一晩をこえて考えようと思った。そうして一晩をこえた。書くうちに窓の外が白みだした。今日早起きしたのは、布団の中でまた記事のことを思い出して恐怖に苛まれたからでもあったけれども、自分を制御する面白みを思い出したいのと、これ以上感受性の無駄遣いするのはよそうと思ったから。
 風になればいい。自分を風だと思えば、場所をうつろうのも、ここではないどこかを常に求めるのも、同じところに居座るのが苦手なのも、なにもかも変じゃない。今日も外の風はつめたい。雲がぶあついけれども、視線を上げれば部分的にベージュの光がこぼれていて、低空は雲がいっそう薄く、オレンジの長い筋が見える。太陽が近い。
 自分をあたためたい。大丈夫だよ、失敗したって途中でやめたっていいじゃない、本当に大丈夫だ。すでに自傷も含めて味わった。あなたは自由だ。なにも問題ない。
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