9月16日(土)open 12-19
暑い土曜日。
日差しは夏です。
どうぞ皆さまお気をつけて、楽しい週末を。
三連休は18日 月曜日まで営業いたします。
信濃毎日新聞をご購読の皆さま、本日のMGプレスにて伊藤ミサさんの展示の取材記事を掲載していただきましたので、是非ご覧くださいませ!
雑誌『岳人』の連載の挿絵作品は、展示してあるものと、ファイリングされているもの、ミサさんがたくさん持ってきてくれています。
今日の写真は、ファイルの中から、万さん(牧野富太郎)を。
昨日も、燕から常念を縦走して下りてきました、というお客さまが温泉上がりのピカピカの笑顔で展示をじっくりと楽しんでくださいました。
お山帰りに松本の温泉へいらっしゃる皆さま、是非お立ち寄りくださいね⛰️
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マジで地元の関わってた人たち、吉幾三にめちゃくちゃ感謝してるだろうな。まだ何も変わってないのかもしれんけど。
[B! パワハラ] 「厚労省の『過労死ライン』を優に超えている…」吉幾三が告発した“機内横柄男”長谷川岳参議院議員(53)の“要求”対応で札幌市職員の残業が月100時間超!《市側は取材に残業を認める》 | 文春オンライン
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ただのアタマ悪いパワハラ男だ こういうのは国会議員に最もしてはいけない だが、パワハラタイプの人間は自分だけ特別扱いしてほしくて他人に威張れるかどうかが最重要ポイントなので、国会議員を頂点として議員になりたがるのが多い
このアタマ悪いは人間として破綻している、という意味で学業成績とは関係ない 東大の学生はかつては国家公務員試験を受けて官僚になるのが多かったが、このうちの多数は、「他人��威張れて若いうちからチヤホヤされるから」がその志望動機だ つまりパワハラ君が自分に居心地いい状態にたどり着くため努力して東大出て官僚になったパターンが多い
現在の日本政府が日本という国家、日本人の利益のために活動しているのか疑わしいのはこういう点にも原因があると思う
もちろん、東大にも他の大学にも真に優秀な学生もいて、日本の未来のために理想をもって国家公務員になるのがいる だた、このタイプは出世に拘泥する割合がパワハラくんより弱いので出世競争に後れをとり、その時上司にいるパワハラ君にパワハラを受け、「こんな阿呆に嫌がらせされる職場にいられるかよ!」ってことで外資系コンサルとか外資系証券などに転職していく あるいは大学の教員になるのもいる
その結果最後まで役所に残って局長級以上になる人は、多数のパワハラ系と極めて少数の真に優秀な人たちって形になっている
一方その他のパワハラくん官僚は、知事、国会議員など政治屋に転身することが多い それこそ他人に対して好き放題威張り散らせる理想の地位だからだ 周りの人にとっては災難でしかない
この長谷川の経歴は典型的学歴エリートのパワハラ君とは違うルートで国会議員になったが、それだからこそより激しくパワハラに邁進する 国会での自分の劣等感をアタマ悪いパワハラ君が勝手に下に見下している地方自治体公務員にぶつけるのだ 周りの人にとっては最悪の事態だ
これが、長谷川がアタマ悪いパワハラ男といった理由 このようにもう固まった個人のパーソナリティに直結した行動がパワハラなので、これは治るものではない そういう異常者だとして対処するしかない
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✿ 南部せんべい | 青森、岩手県
・小麦粉を原料にした煎餅の一種。八戸南部氏が藩主家だった旧八戸藩地域に伝承の焼成煎餅である。
・名前の由来については諸説あるようですが、「長慶天皇創始説」では、「南北朝時代の長慶天皇が、名久井岳の麓、長谷寺を訪れた際に、家臣がそば粉と胡麻を鉄兜で焼いてお出しした食べ物」が始まりとする説があり、南部町名川地区が起源となっているようです。
・南部とは江戸時代の南部氏が統治していた地域で、岩手県北部と青森県南部地方がその領域です。青森県の南側のイメージがありますが、南部氏ゆかりの地域を意味しています。青森県の西側地域は津軽藩ゆかりであるため津軽地方となります。
・南部せんべいは、昔から食べられていましたが、戦後、煎餅を焼くための鋳型が八戸市の鉄工場などから大量に供給されるようになり、普及していったようです。この鋳型を用いて焼く際に、縁からはみ出た「みみ」と呼ばれる部分が生じ、いまでは、その「みみ」も商品化され人気となっています
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警察は24日、北海道福島町・大千軒岳で死んでいたクマの胃の内容物について、DNA鑑定した結果、遺体で見つかった男子大学生(22)のDNAと一致したと発表しました。函館市の北海道大学水産学部の屋名池奏人さん22歳は11月2日、登山をしていた大千軒岳の6合目から60メートルほど離れた川の近くで遺体で発見されました。遺体の周りには土がかぶせられていて、数十メートル離れたところでクマの死骸が見つかりました。
屋名池さんは全身が激しく損傷している状態で、司法解剖やDNA鑑定の結果、死因は出血性ショックだったことが判明しています。
【速報】ヒグマの体内から遺体の一部 死亡した大学生と特定 登山中にクマ襲撃 北海道福島町 - ライブドアニュース
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阿蘇にメガソーラー次々、狙われる草原 放牧廃れ…
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1065445/
阿蘇にメガソーラー次々、狙われる草原 放牧廃れ…「景観では1円にもならない」2023/3/13
熊本県の阿蘇山を背景に、草原に大規模太陽光発電所(メガソーラー)のパネルが延々と連なっていた。
阿蘇地域は国内最大級の草原地帯。外輪山南側の山都町で、約119ヘクタール(福岡ペイペイドーム17個分)に広がるパネル約20万枚に、太陽光が照り返る。九州最大級のメガソーラーで、2022年9月に稼働し、出力約8万キロワット。九州電力川内原発1基の約1割に匹敵する規模だ。もともとは隣接する高森町の住民約30人が共同所有し、牛を放牧する「牧野」だった。
▶阿蘇の草原、30年で4分の1減少
「説明会が開かれ、売買は円満に進んだ」。共同所有者だった70代男性はこう振り返る。かつては農耕用として各戸が牛数頭を飼った。繁殖子牛を売った収入もあったが、農機具の機械化が進み、徐々に飼育されなくなった。草原を維持する野焼きも10年ほど前から行われていない。男性たちを含め合計三つの牧野組合が土地を売却した。
阿蘇周辺は、草原や火山を特徴とする「阿蘇くじゅう国立公園」に指定され、国が管理する。メガソーラー建設は本紙が確認しただけで5カ所に及ぶ。公園を避けるような近接地域や、国立公園内でも規制が緩いエリアで相次いでいた。
その一つ、外輪山の北側にある同県小国町。2月、牛がのんびりと休む牧野の斜面を登ると、山頂付近の草原で、約4万枚のパネル設置工事が進んでいた。国立公園内の「普通地域」ではあるが、届け出のみで建設できるエリアだ。
牧野の組合員の男性によると、50年ほど前は約50世帯で計200~250頭の牛を飼育していたが、今は4世帯で50頭ほどに減った。建設地は私有の採草地だったが、既に使われなくなっていたという。
「景観を守っても1円にもならない。所有者はお金が入る方になびいてしまう」。町役場を訪ねると、組合員でもある職員が関係者の心情を代弁した。
同町では、別の草原1カ所でもメガソーラーが誕生。担当者は「阿蘇が世界遺産を目指すというが、明確なルールや支援策がなければ、草原維持は困難だ。メガソーラーが一般の人から見えにくい場所にあるのが救いだ…」と漏らした。
外輪山の南側で、国立公園からわずかに外れる高森町でも2022年5月、約72ヘクタールのメガソーラーが稼働した。
「また狙われる。そっとしていてほしい。(外輪山の内側の)カルデラ内の景観だけは守りたい」。高森町関係者は嘆く。
背景には、使われなくなった牧野に目を付けた企業側のメリットが見える。草原は規制が厳しい「農地」ではなく「森林」扱いのため、要件が整えば森林法に基づく林地開発許可が出される。草原だと樹木伐採の手間が少なく効率的に開発しやすい事情もあるようだ。
大分・由布では反対運動も…迫る稼働
阿蘇から離れた大分県由布市。「大自然が真っ黒なパネルで覆われ、違和感ばかりだ」。貸別荘経営の気賀沢忠夫さん(79)はこう憤る。リゾート地の目の前に広がる草原地帯約20ヘクタールに、約2万4000枚のパネルが並ぶ。ここも、国立公園からわずかに外れる。
由布岳を背景にした丘陵の牧草地で、市も景観を売りにしてきた。しかし、12年に入会権を持つ住民たちが権利を放棄し、所有権を持つ市に売却を要望。市が売却先を公募し、東京の投資会社が購入した。
ただその後、地元で反対運動が起きた。市は売却撤回を試み、大分県は県民から異例の意見募集したが、計画は止められなかった。気賀沢さんら移住者や観光業者ら47人が運営会社を相手取り、運転差し止めを求める裁判を大分地裁に起こしている。
一方で施設はほぼ完成し、3月下旬に稼働予定。反対運動の中での稼働について市の担当者は「コメントする立場にない」と話す。
公益財団法人「阿蘇グリーンストック」(熊本県阿蘇市)の増井太樹常務理事は「観光資源にも利用される草原だが、野焼きなどの負担だけを住民が担い、利益は及ばない構造になっており、見直しが必要だ」と指摘する。(水山真人)
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廃線跡探訪 ~ 西鉄宮地岳線(14)Final
西鉄福間駅-花見駅 ~ 西郷川橋梁跡まで
国道495号から100mほど住宅地に入った場所です。線路跡はすっかり住宅地に代わってしまってます。この辺りを電車が走っていたのでしょうか。(↑ 写真の左右方向に)
↑↓「長方形に連なる住宅がせんろあとかな」
↑ 北・西鉄福間駅方向 ↓ 西郷川橋梁・花見駅方向
南町公民館横・国道495号(東向き)
↑ 西郷川に大きめの鉄橋がかかっていた場所の横には人気レストランの「ハイポー福津店」が建ってます。(上の写真の右奥)
↓海方向 ~ 国道495号はこの先を90度の急カーブです。(こちらからは右カーブ)
いつも混んでそうな「レストラン ハイポー」~ ログハウスで肉料理
海側の駐車場が線路跡
若干斜めに架かっていたようです。
↓ 国道側から西郷川橋梁・花見駅方向
西鉄宮地岳線・廃線跡探索はここまでです。宮地岳線はここからさらに西鉄新宮駅までつながっていました。西鉄新宮から先は、今は貝塚線として香椎駅まで運行中です。貝塚駅では地下鉄に乗り継いで福岡市の中心部に行くことができます。(2023.6.19)
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JASON KAHN 福岡ライブ
JASON KAHN 福岡ライブ
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JASON KAHN/山内桂/cicadelia/薄力小麦子
日時:2023年10月4日(水)open 19:00/start 19:30
料金:¥2,000+要1ドリンクオーダー
場所:IAF SHOP*
福岡市中央区薬院3-7-19 2F
TEL:090-5475-5326(佐藤)
http://iafshop.tumblr.com/
主催:
http://www.deterra8.com/
【出演】
JASON KAHN(USA)
https://jasonkahn.net/
山内桂
https://salmosax.com/
cicadelia
https://cicadelia.bandcamp.com/music
薄力小麦子
https://zassoken.bandcamp.com/music
【ジェイソン・カーン】アーティスト、ミュージシャン、ライター。チューリッヒ在住。日本では1990年代半ばから何度も演奏しているが、2014年以来の来日となる。過去には、秋山徹次、杉本拓、中村としまる、オーブ、川崎ウタ、レテ、無量塔誠二郎、中卓史、直嶋岳史、大城誠、Sachiko M、渋谷慶一郎、角田俊也、宇波拓、山本高広、山内桂、大友良英など、多くの日本人アーティストと共演している。今回のツアーでカーンは、回路の流れの中に自分の身体を置くカオス的なフィードバック・システムを使い、エレクトロニクスを駆使する。モジュラー・シンセサイザーのオープン・リードを手で掴んで回路を作ったり壊したりし、シンセサイザーをオーバーロードさせたり、瞬間的に崩壊させたりする。様々なコンタクトマイク、電磁誘導器、ミキシングボードを介したシンセサイザー自身の出力が、シンセサイザーのパラメーターを変調するために使われる。その結果、非常にダイナミックなシステムになり、しばしばコントロールが難しくなるが、アコースティック楽器のような、しかし電子楽器のような、素晴らしい表現力が可能になる。コンサート中のライブ・ラジオ・キャプチャーと、演奏スペースとその周辺で事前に録音されたフィールド・レコーディングが、各コンサートのさらなる素材となる。結局のところ、これらの公演は基本的にサイト・スペシフィックな作品であり、物理的な意味でも、そこにある音という意味でも、手元にある空間を使って即興的に行われる。音楽が即興であるだけでなく、使用される素材が演奏されるそれぞれの空間に直接関係しているため、演奏は毎回異なる。
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2022年のこと
2021年の今日、レンズが届いたことを覚えている。家の裏山で、メジロを撮影して感動したことを思い出した。
今日は朝から、探鳥会で案内してもらったルートで猛禽を見た。風が強かったので、チュウヒやミサゴがよく飛んでいた。
十二月は鎌倉旅行と友人とアフタヌーンティーにいった以外は本当にひどい月で、自分の身にも、家族の身にもろくでもないことばかり起きていたのだが、のこすところあと三日でなにも起きないだろうと思っていたら、またよくない知らせが飛び込んできた。さいごまで気を抜けない月になりそうだ。
世のひとびとが、2022年の振り返りの記事を書いている。わたしもそろそろ書こうかと思ったのが昨日。
体調が悪くて取りかかれなかったが、今日は大丈夫そう。
鳥写のこと
新しいレンズ(Canonの100-500mm)と手探りで鳥を撮りまくった一年間だった。
このレンズを持ってヒレンジャクを見ていたら、野鳥の会の人に声をかけられて(いままでは全国会員だけだったのが)三重県支部会員に入ることにもなって、再来年、探鳥会のサブリーダーを任されたり……。
バードウォッチャー憧れの島舳倉島に、30分だけだが渡ったり、山本山のおばあちゃんをこの目で見たり……。車中泊も二度した。経験をたくさん積めた年だったと思う。
鳥写の本も2冊作った。
『囀声を��いている』初めての鳥写エッセイブック。
『つばさの方へ旅をする』鳥写エッセイブック第2段。旅がメイン。
小説のこと
鳥写エッセイブックを2冊つくっているので、小説はそんなに書いていない……というか鳥の写真しか撮ってない一年だったので……
作った本&書き上げた小説は↓の2冊。
『浜辺の村でだれかと暮らせば』田舎の漁師の家に都会からの移住者がやってくるお話
『山梔の處女たち』少女小説短編集
『山梔~』は、来年の新刊じゃないのか? とも思うのだが、電子書籍版は12月刊行なので、今年の本に入れておくことにする。物理の本はまだ手元に来ていないけれど。『山梔~』に収録した「魔女の選択」、迷いながら書いて何度も何度も書き直してどうにかこうにかかたちにしたけれど、いまでも迷いと後悔が大きい。この悔しさと、力不足はやはり次の小説に任せるしかないんだろう。
書いた小説はすごく少なかったのだが、「小説を書くこと」では動きがあった一年だったようなきがする。
本を書店においてもらえることになったり、三重県のローカル情報誌『NAGI』に本を紹介してもらったり、それが縁なのか、県立図書館に『浜辺~』を収蔵してもらえたり……。
わたしの小説を書いていくなかでの大きなしるべとして「地方で文学をやっていく(小説を書いていく)」というのがある。小説を書くなら都市部へ出て行ったほうがいいとか、地元でクリエイティブなことをしていると「(都会からきた)移住者ですか」と聞かれたりとか、そもそも地方の人間が地方の言葉で何かをつくること・つくっていくことが「想像されない・透明化されている」。
「ここに生まれて・ここで生きて・ここでつくっていく」そうして「それを糧に生活していく」。今年はそれに対して「一歩進む」がたくさんあって、気づいたら思いもよらない遠いところにまで行けそうな予感もある。
書くこと、書き続けること、本をつくることを諦めなくてよかった・報われたという年だった。
来年つくることが決まっている本は、コウノトリの幻想小説だ。タイトルを「悠久のまぎわへ渡り、」とすることに決めた。
コウノトリと言えば、赤ちゃんを運んでくる(のはヨーロッパコウノトリで厳密には日本のコウノトリではないのだけれど)というイメージが強い。わたしはこの目でコウノトリを何度か見る機会にめぐまれているが、それはまだつがいを見つけていない(つがいをさがす旅をしている)個体だ。ひとりでだれともパートナーシップを結ばずにいきようと決めている人間なのに、田んぼでタニシをつついているところをみると「孤独ではないのか」と思い、またその個体数の少なさから繁殖を望んでしまう。人間のその自然へ対するまなざしの一方的さへの疑問は、『幻想生物保護官日記』を書いているときから持っているものなんだろう。いままで出会った鳥たちのことをあわせて、コウノトリという鳥をまなざす視線そのものの角度をずらせる物語を作るつもりである。
読書のこと
毎年一年で100冊以上本を読んでいるのだが、今年は100冊を超えそうにない。というのも、本を読んでいるよりも鳥を撮っている時間が長くて(小説のときもそうなんだけど)本を読む時間を減らしていた。
ものを作っていると、インプットと言えば「創作物を鑑賞すること」(小説だと)「本(小説)を読むこと」を指すように錯覚をしてしまうが、鳥を探すことも、慣れないカメラの操作をすることも、登山をすることも(木曽駒ヶ岳に登山してしまった!)、車中泊をすることも、すべてがインプットじゃないのかと最近は思っている。
とくにわたしはネイチャーライティングという表現技法を目指しているので、自然界での経験を積むことは、そのまま小説を書くことのインプットでもあると思う。
今年読んで印象に残っている本
『光や風にさえ』(八束)
『やたらめんどくさい同居人の件』(KaL)
『片喰と黄金』(北野詠一)
『平家物語 犬王の巻』(古川日出男)
『美徳と悪徳を知る紳士のためのガイドブック』(マッケンジー・リー)
『複眼人』(呉明益)
『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』(ジェレミー・マーサー)
『極北の動物誌』(ウィリアム・プルーイット)
なかでも、『光や風にさえ』、『片喰と黄金』、『美徳と悪徳を知る紳士のためのガイドブック』には、「このような表現をわたしもしたい」と思える力をもらった。人生の岐点になるような本だと思う。
そして、印象深かったのは、二十年ほどのときを経て、『指輪物語』を読み返したこと。ギムリとレゴラスの友情にはあいかわらずどきどきしたけれど、ピピンとガンダルフってこんなに仲よかったの?!とかナズグルさま……とか、大人になってからの再発見がたくさんあった。大人になって読むと、三浦しをんが指摘した「男ばかりの旅の仲」という言葉が刺さる。わたしはアルウェンやエオウィンになりたかったんじゃないんだよな……指輪の仲間になりたかったんだ、と思う。
そろそろ、女というもの、それから、民族というものを乗り越えたファンタジーが書かれる時代が来てほしいと思う。これは、『指輪物語』という優れたファンタジーを苗床に生まれるものだろうと思っているけれど。読む行為は、いつでも「次」を臨める、求められる。
そして、臨まれ、求められるものを「書く」ことだって、わたしにはできる可能性がある。
書き続けることと、読み続けることを、これからも諦めずに生きたい。
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4月22日(土)open 12-19
ピカピカ晴れ。
今日は日向はちょうどよい気候です。
いよいよ明日までとなりました、大曽根 淳 作品展「slow」。
のんびりお出かけくださいませ。
お問い合わせもありましたが、今日明日の淳さんの在廊はありません。
1人店員の店なので、なんやかんやバタバタしておりますが、気になる事や、淳さんに伝えたいことなどがありましたら、店員にお気軽にお声がけくださいね。
写真は「木の実の子」。(売約済み)
大切そうに実を抱えています。
明日の最終日もきっとバタバタなので、私は期日前投票済ませてきました。
投票ポスターが店内あちこちに貼ってあって、今回もお客さまとの色々な会話が生まれましたよ。
ちょうど窓の明かりの方を向いているように貼ったのは、森泉岳土(https://www.instagram.com/moriizumi_takehito/)さんと、惣田紗希(https://www.instagram.com/soudasaki/)さんのもの。
「未来をえらぶ」
一人一人の投票で、明るい未来をつくっていけますように。
大切なものを大切なままに、いられますように。
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多くの公務員やCAさんは取材に淡々と事実を述べている.大人としての完全な怒り方と思う.長谷川岳は彼らを全く何も分かっていない.長谷川岳には政治を行う資格がない(断定).
[B! パワハラ] 自民党・長谷川岳議員の“叱責”音声を入手「ありがとうもクソもメールもない」札幌市の職員に約30分間(TBS NEWS DIG Powered by JNN) - Yahoo!ニュース
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大人になって様々なハラスメントをする奴は、子供の時にはイジメの主導的立場であった場合がほとんど
そいつらに共通する特徴は、自分たちが酷すぎる、人間の行為とは思えないことをしているという自覚がほぼ完全にない点だ
ガキどもは暴行脅迫傷害強姦強盗そして殺人にいたるまでの行為を「ちょっとしたイジメかもしれないが面白半分でやっただけでたいしたことはない」としか感じていない 相手が死のうが自殺しようが、それは「ちょっと奴が大げさすぎる」
この根性のまま大人になると様々なハラスメント野郎になり、職場の人が鬱になろうが自殺しようが、退職しようが「無理なことを強いたことはない」「相手が深刻に捉えすぎ」「そうなる前に相談してくれたらよかったのに」 全くイジメのガキと同じ 自分に責任があるとか、自分が人に値しない禽獣のような存在だとは全く自覚していない この手の禽獣は社会から排除するしか打つ手はない
はい で、この長谷川は、その手のタイプの禽獣の典型例 こんなん、議員にしたままだと、北海道民、アホでっせ
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私たちは天刑を天啓にできるか。
東日本大震災から12年が経つ。果たして社会はよい方向に向かっているのだろうか。“心豊かな未来”をつくれているのだろうか。
東日本大震災、とくに福島の原発事故に関して、痛烈に反省したことがある。それは、暮らしの根本であるエネルギーについて、“ちゃんと”考えてこなかったことである。人類ではじめて原子爆弾を落とされたこの日本列島で、66年後、今度は自分たちがつくった仕組みで被爆し、故郷を離れざるを得ない人たちがいる。そんな時代を生きることになると誰が想像しただろうか。
“心豊かな未来”を本気でつくりたいのであれば、この現実を受けとめ、直視することからはじめたい。原爆にしろ原発にしろ、二度と故郷を被爆させないという誓いと哀切から、社会をつくりなおしたい。
なぜ、福島の原発事故を食いとめることができなかったのか。要因はさまざまあるだろう。私はその主たる原因は「日本人の身体が鈍感になっていることにある」と考えている。ここでいう「身体」とは、運動能力としての身体を指すのではない。いのちの器としての身体。環境や風土を感受するメディアとしての身体。私たちのいのちが環境や風土とつながっていることを実体験している身体。私たち人間もまた生きものであり、自然の一部であることを理解している身体。そういった意味での身体を指す。身体の鈍り、いのちと風土の関係の希薄さ...。ここに日本社会の最大の課題があるように思う。
日本国内で、農業・漁業・林業などの一次産業を生業にしている人の数は、約300万人と言われる。日本の人口1億2000万人、その約2.5%の人たちしか、私たちが暮らしている風土に直接的に関わっていない。そういう見方もできる。戦後、急激に都市化が進み、人々の多くが、山・川・海から離れていってしまった。同時に、山・川・海など風景の多くがコンクリートで固められていった。大人や子どもが川で遊んでいる景色を見ることは、都市部では極めて稀になってしまった。
嘆いてばかりはいられない。現代社会において、どのようにして身体感覚を磨き、いのちと風土の関係を深めることができるのか。学問や研究ではなく事業として社会に実装し、良質なインパクトを社会へ届けるには、どうしたらよいだろうか。そう思い、2013年3月に起業し、YAMAP(ヤマップ)という登山・アウトドアの事業をスタートした。
自然の中で遊ぶ。これに尽きると思う。ここでいう自然とは、どこか遠くの見知らぬ自然ではない。自分たちが暮らしている街の自然である。住んでいる街から見える山。街を流れる川。その川の源流の山へ行ってみて、自分たちが住んでいる街を山から見渡してみる。山と街がつながっていること。街の恵みは山の恵みに支えられていること。街を離れて山へ行けば、街とはちがう時間が山にはあること。植物を含め人間以外の生きものが山にはあふれていること。私たち人類もまた生きものの一員でしかないこと...。身近な自然の中での遊びを通じて、生きものとしての感覚を磨き、野性を培う。人間からではなく自然から学ぶ。人工知能が進み、知識のあり方が激変している今だからこそ、自然の中での学びに、人類の可能性の鍵があるように思う。
環境・風土・街を含めた地域生命圏を考えるとき、適切な範囲をどのように考えればよいか。岸由二さんが提唱する「流域」の考え方が、極めて有効であると思う。生きものたちの暮らしを支える生態系(ランドスケープ)を、山岳、丘陵を含めた流域でとらえる。流域を環境・風土・街を含めた生命圏のひとつの単位(ローカル)として位置づける。流域ごとに、山・川・海などの自然資本の価値を可視化し、食・エネルギー・教育・医療・福祉など、人間の暮らしに必要な営みを見える化し、社会をつくりなおしていく。
これはコロナを経験した人類が、ローカルに回帰している動きとも符合する。どれだけ時代が変わりテクノロジーが発展しようとも、いのちは有限であり、いのちの現場・社会の基盤はあくまでローカルであることを私たちは身をもって実感したのだと思う。グローバル経済がいかに脆弱で、不安定な仕組みで成り立っているか。海外からの物流が止まれば、食料もエネルギーも高騰し、暮らしが極めて不安定になることを、コロナで私たちは経験した。気候変動に直面している今だからこそ、自律分散型かつ循環型の社会を、流域を単位につくっていく。流域を単位とした地域生命圏の中で人々が遊び、学び、暮らしをつくっていく未来に、私は希望の光をみる。
私たちは心豊かな未来をつくっていけるだろうか。私たちは天刑を天啓にできるだろうか。私たち一人ひとりの生き方にかかっている。
▼ 参考書籍
内村鑑三『デンマルク国の話』
岸由二『生きのびるための流域思考』
宮台真司、野田智義『経営リーダーのための社会システム論』
富山和子『森は生きている』
中村桂子『科学者が人間であること』
長田弘『奇跡』
明石海人『明石海人歌集』序文
※ 2023年4月 会誌『ACADEMIA こころ豊かな未来のか・た・ちへ』の寄稿文を転載
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2023年6月11日 配役(role)から逸脱する瞬間
市川沙央の『ハンチバック』を読みたくて大学図書館と市の図書館を調べてみたけれど、文學界5月号はともに誰かに借りられているので、読めそうになかった。その話をドゥルーズ/ガタリ『千のプラトー』読書会のときにしてみたら、そのときのメンバー四人とも『ハンチバック』を読みたいらしかったので、四人で割って一人300円ずつくらい負担して文學界5月号を買うことになり、おかげで明日には読めるかもしれない���
***
小説で言えばヴァージニア・ウルフの『波』も読みたい。ここ数ヶ月くらいは脳が壊れていてほとんど小説を読めない状態だったので、『ハンチバック』と『波』をきっかけにしてまた読めるようになったらいいな。
***
ふと思い出したけれど、数日前の日記に書いたメンタルクリニックの待合室での待ち時間の間、何をすればよいのかよく分からなくて、ずっとwikipediaで「あさま山荘事件」のページを見ていた。
その中にはよく覚えている箇所が一つあって、それは2月20日。当初は人質を縛り付けて口にはハンカチを押し込んで声が出ないようにしていたものの、その姿が山岳ベース事件で縛られてリンチされた同志と重なったから坂口が独断で縄を解き、人質を交えて夕食を取ることになる。
そしてそのとき、電気ジャーでご飯が炊きあがってすぐに食べようとしたのを見て、人質が「ご飯は少しそのままにしておいた方がおいしいよ」と言う。それを聞いて犯人たちの側がしばからくご飯が蒸れるのを待ち、人質の「もういいでしょう」の言葉を聞いてから食べる、という犯人と人質の間での雑談がここにはあり、事件そのものの緊張感との不釣り合いさ。
人は何らかの役割を演じる訳だけど、その役割(role、配役)から逸脱する瞬間のようなものが、確かにある。匿名ラジオの353回で、ARuFaが「放課後過ぎて先生の性格が違うとき好き(ただの人としての先生が出ちゃっているとき)」ということを言っていたけれど、それもroleからの逸脱の瞬間で、そこには特有の美しさがあるかもしれない。与えられたもの、与えられた形式からの逸脱。
***
今日の音楽。シャフル再生で流れてきた溶けない名前の「幽霊少女は八月を殺す」は突き刺されるような音で、Pixiesの「Monkey Gone to heaven」と、いよわの「パジャミィ」と「地球の裏」も聴いた。the cabsの「花のように」。
大森靖子。脱方ハーブ、握手会、風営法、放射能。
***
マーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』を読み返している。
特に精神疾患と資本主義の間の関係、そして精神疾患の物質化の功罪について。
〈それゆえ、もし注意欠陥多動性障害(ADHD)のようなものが病理であるのなら、それは後期資本主義に特有の病理なのである。――それはハイパーメディア化された消費文化の娯楽=管理回路に接続されていることの結果なのだ〉(マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』、p70)
〈個人の内面に渦巻く精神的葛藤は犠牲者を出さずにはいられない。マラッツィは双極性障害者の増加とポスト・フォーディズムの関連性について研究しているが、ドゥルーズ=ガタリが述べるように、もし分裂症が資本主義の外縁を特徴づける症状だとすれば、双極性障害とは、資本主義の「内部」に固有の精神病だといっていいだろう〉(p93)
〈現在において支配的な存在論では、精神障害に社会的な原因を見出すあらゆる可能性が否定される。この精神障害〔にまつわる認識〕を化学・生物学化(chemico-biologization)していく潮流はもちろん、精神障害の脱政治化と厳密に相関している〉(p98)
特に3つ目の引用について考えることが多くて、まず素朴に考えれば、精神障害が科学・生物学化されること(たとえば鬱病はセロトニン濃度の低下によって、ADHDはノルアドレナリンおよびドーパミンの機能の偏りによって説明される)は悪いことではなくて、むしろ私たちにとって利益があることだったと思う。
なぜなら、精神障害を物質的に考えることによって、「心の問題」とか「甘えている」とか「努力が足りない」といった形で本人の「心」の問題にしてしまうような考え方を解体できるから(それに、問題が自分の脳の神経伝達物質にあるのだと考えられることで安心する、ということはある)。
でも、ここでマーク・フィッシャーが指摘するのは、そのような精神障害の科学・生物学化(chemico-biologization)によって資本主義が利益を得るという点。
〈全ての精神障害が神経学的な仕組みによって「発生」することは論を俟たないが、だからといってこのことはその「原因」について解明するものではない〉(p99)
〈例えば、鬱病のセロトニン濃度の低下によって引き起こされるという主張が正しいとすれば、なぜ、特定の個人においてセロトニン濃度が低下するのかが説明されなければならない。そのためには社会的・政治的な説明が求められるのである。〉(p99)
すべての精神障害が神経学的な仕組みによって「発生」することは間違いないし、(もちろん、まずはそのことについての正しい理解がないといけない)のだけど、しかし、だからといって、精神障害の原因がすべて個人の神経伝達物質のみに還元されてはいけないし、社会的・政治的な領域にその原因を求めなくてはいけない(実際、間違いなくそこにも原因は存在する)、というのがここでのマーク・フィッシャーの主張なのかな、と思う。
***
バイトに行くために夕方の梅田をうろうろしていたら、何らかのコスプレイベントがあったらしくて、ピンクと水色の二重らせんみたいな超てんちゃんの長い髪の毛と後ろ姿だけが見えて、すぐに消えてしまった。
日曜日の梅田、人が多すぎて、どのカフェを見ても埋まっているし、何だか疲れてしまう。バイト前の時間、どこかで本を読んだり文章を書いたりしようと思って安上がりにするためにマクドナルドで冷たいローストコーヒーとツイストのソフトクリームを頼んだ。260円。二階のスペースはほとんど人で埋まっていて何かの巣みたいで、マクドナルドという空間は好きだけど、ハンバーガーとポテトの匂いは資本、という感じがしてときどき嫌になる。
資本、資本、と言えば、最近、いま「オタク」と呼ばれる(もしくは呼ばれていた)人たちに対して一種の嫌悪感を持ってしまうのは、彼ら/彼女らが資本(あるいは資本主義)に対してあまりにも迎合的に見えてしまうからだと思う。
何かを推すこと、何かのファンである、ということは元々資本からは一定の独立性を持っていたはずだけど、いまではもう資本に飲み込まれてしまっている。
資本はあらゆるフロンティアを侵食し、資本の増殖の手段へと変えていく。でも、もちろん自分自身もオタク(と呼ばれるような人種/だった)わけで、その意味では同族嫌悪でもあるのかも。更に言えば、「お前は一体どうやって資本に対して抵抗しているのか」と聞かれたのなら、どんな抵抗だってできてはいないわけで、ただ泥になって眠っているだけ。夢を見ているだけ。いつも思うのは、どうして現実世界よりも、夢の中の感情の方がリアルなのだろう。
ふと、手元にある処方箋の「◆きょうのおくすり◆」と書かれた紙を読む。
〈効能効果:脳内の神経細胞の間で情報を伝える神経伝達物質を調節し、症状を改善する作用があります〉
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いつの間にか、ずいぶんと長くなってしまった。
(何人がこの日記を読んでいるのか分からないですが、もし読んでいる人がいるのなら、二枚貝は現在ドゥルーズ+ガタリ『カフカ マイナー文学のために』およびドゥルーズ『批評と臨床』を読んでいるので、もし一緒に読みたい人がいた場合、Twitter等でDMを送ってくだされば、読書会という形式でともに読みます)
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ECCジュニア田村町教室、調子乗って外に出まくっていたら、目がかゆいんですけどなんで?中村���す。
今年のGWは、お天気が心配されましたが、ここ香川では比較的好天に恵まれたのではないでしょうか。
2・3か月くらい、外出を我慢していたので、ここぞとばかりに出かけてやるぞ👊
…と意気込んでいた、休みと休みの間の平日。
バタバタとやる事を済ませながら、夕方くらいに郵便局やら銀行やらに行く用事がありました。
自転車でサクッと用事を済ませたら、なになに?
なんだか随分と日が長くなった感じ?
おまけに鼻のムズムズも感じない?
これは!!!
ということで、1時間ほどサイクリング🚴♂️
以前から、善通寺バイパスを通る度に気になっていた場所へ行ってみました。
名前も知らなかったのですが、Google Mapには当然記載されていますよ。
村上池 @ 善通寺市金蔵寺町
この辺りの多くの子どもがお世話になっているであろう、善通寺市民プールのすぐ隣のため池です。
ため池とその敷地の周囲が、ぐるっとツツジの植え込みに囲まれていて、この季節になると、美しい花たちを見る事ができます✨
実際に行ってみると、まぁ、池自体はため池ですので、そんなに水が美しいとかは、ないです。
でも、池の周囲をぐるっと遊歩道がついていて、気持ちよく歩いたりジョギングしたりできるのは間違いない👍
特に今の季節はツツジが本当に素晴らしい✨
歩き進めるにつれ、借景が飯野山、市民プールの巨大滑り台、五岳山などと変わっていくのも見物。
気合を入れて遊びに行く場所ではありませんが、普段の息抜きにちょっと立ち寄るには、素敵な場所だなと思いました😄
その昔、私がまだ幼児だったころ。
とある場所の団地に住んでいました。
団地内をコマ付き自転車で爆走するカワイイ4人組…いや、暴走幼児をやっていたらしく🙃
この季節になると、団地の間に植えられたツツジの花を摘んで密を吸いまくり・・・大人に怒られていたそうです。
↑↑ 良い子はマネしちゃだめ👎
因みに、後から知ったことですが、ツツジの中には、その蜜に毒を持つ種類もあるのだとか。
↑↑ まじで誰もマネしちゃだめ💥
GW最終盤は雨のようなので、見ないようにしていた仕事、、、ちょっとやることにします。
#花粉まだいる #サイクリング #自転車は自由だ #村上池 #ツツジ #善通寺市 #花は愛でるもの
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