いつの間にか葉っぱが散って
北陸の方ではすごい雪が降ってて、その映像を見て昔を思い出しました。私は富山県生まれなので。
今いる京都も、雪が降るかもしれないとか。
そういえば、色づいた葉っぱもいつの間にか数枚になっていて、、、
もう今年も終わりなのですね。
はやいなー。
2023/12/22
22:54
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missing
誰かと繋がっていないと不安になる日もある
いくら歳を重ねても孤独には勝てないのか
そんな自分の煩わしさにも 。
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2023/01/20
随分と前から桜の花の塩漬けが氣になっていた。鼻から抜ける桜の香りと見た目の可愛さが、私の心を掴んで離さない。調べてみると通販で入手出来るのね。近所のスーパーでも買えてしまったりするのかな。買うものリストに書いておこ。
実は自分で漬けるしかないと思い込んでいたので、その手順を調べるつもりだったのに、まさかの完成品があるとは。
ところでフッと思った。自家製にチャレンジするとしたら、桜そのものを何処で入手するつもりだったのだろ私は。
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こんにちは
こちらではもうすぐ夏も終わりですが、まだまだ暑いです。私は毎日レモン水を飲んでいます。
今回の写真は、緑のグラデーションを綺麗に出せたら、と思いながら少しレタッチしてみました。
夏の光の中で見上げる、樹々や花などのイメージです。
では、残りの夏を楽しんでいきましょう!
読んでくれてありがとうございます。
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人生、いよいよネガティブな事柄しか思いつかないので何か書こうと思うのだが言語化することにあまり意味を見出せない。ともあれ正月が過ぎて良かった。休暇を他人がどう過ごしたか聞いたり聞かれたりする無意味なお喋りに巻き込まれたくない。夏と冬と年に2回もこういうことがあるのはうんざりする。人間に向いていないタイプの人間のことをなんて言うんだったかな。
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余韻なのよ🤦♀️
渋谷にある
TOKIO TOKYOで行われた
スリーマン対バンライブ。
『Quest For Buried Music』
5daysの3日目に参戦。
トップバッターはApes。
2番手はサバシスターズ。
今まで知らなかったバンドだったけど
どちらのライブもめちゃめちゃ楽しかった。
ほんとに楽しかったの!
そして3番手。
キレかかった蛍光灯。
鳴り響くベース。
「HYS」からはじまるEnfantsのライブ。
彼等がステージに立った瞬間
空気が変わった。
ダークで大人なそんな雰囲気。
まだ言い表したいことはたくさんあるんだけど、いい言葉が見つからない。ありきたりな言葉しか出てこなくて薄っぺらくなってしまいそうだから、言葉が見つかったら語り尽くす。
彼等のことを語るのにはもう少し時間が必要だ。まだまだ新参者だから、これからもっと彼等の音楽を聴いて「Enfants」というバンドが、「松本大」という人が一体何者なのか曲を通して、ライブを通して知っていこう。
とにかく!!
かっこ良すぎたの。もうその一言に限るの。
どの曲もめちゃめちゃ良かった。
でも1番テンション上がったのは「Driving Living Dead」からの「play」の流れがまじで叫びそうになるくらい最高すぎた。
あと、その時の照明が神すぎてかっこよかった。大さんの姿がコマ撮りみたいに見えてMVのワンシーンであってもおかしくないくらいイケメンでしたの。
大さんかっこよすぎたの!!
素敵な姿を見せていただきありがとうございますの気持ち。
このライブの数日前。
7月14日。
大さんの弾き語りライブに行った時に感じた大さんの雰囲気とは全く違う超イケメンな大さんが見れたのが��ごいギャップ感じてより好きになった。どっちの大さんも違う魅力があって最高なのには変わりない。
弾き語りライブの時、歌声を聞きながら、この声を例えるならなんだろうと考えていた。(ちゃんと聞け)
まず最初に浮かんだのが「ガーゼみたいな歌声」……いやでも待てよ。ガーゼって薄っぺらい。包み込まれるような優しい感じは表現できてるけど、この声はあんなに薄くない。ちゃんと存在感がある。となると、コットン素材のTシャツかな?……いいや、コットン素材は存在感がありすぎるし、優しさというところでちょっと違う気がする。となると……うーん
ガーゼタオルだっ!!
(ちゃんとライブに集中しろ)
存在感はありながらも、包まれた時の気持ちよさ優しい肌触り。
歌声に包まれた時の耳触りの良さ。
ずっと包まれていたいと思えるそんな優しい歌声。
鼓膜を撫でるという表現は大さんのために作られたんじゃないかと思うくらいに、その表現がよく似合っていると感じる。
弾き語りの大さんがガーゼタオルなら、Enfantsの大さんは……なんだろう。いい例えが見つからない。
荒々しい感じだけど優しいのは変わらない。あの日ステージの上に立って歌っていた大さんは弾き語りライブの時とは絶対何かが違くて。それは何なんだろう。上手い答えが見つからないな……。
話がめちゃめちゃ逸れてしまったのだけれど、私が今回書きたかったことは、
「Enfantsのライブはいいぞっ!!!」ってこと!!「大さんめちゃかっこいいから1回ライブ行ってみて!!」ってこと!!
ここまで見てくれた人ありがと!!
今度一緒にライブ行きましょ!!
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ノスタルジーをもとめて彷徨う
初めて車を手に入れた時はね、ハンドルを握ることの楽しみを知ったってのもあったんだけど、車というものがね、自分の知見を拡張してくれるものなんじゃないかなって思ってたんだ。
見たことのないものを見に行くことができる、そんな道具なんだって思ってた。
だから、何かを探し求めて、あてもなくブラブラとすることもあったし、何かのきっかけで知った興味深いものをワクワクしながら見に行くこともあったなぁ。
歳食った今も、基本的には同じなのかもしれないけど、その傾向が未知を求めることから追憶や郷愁という既知のものを求めている気がしてるんだ。
具体的に言えば、かつて数多くあった「オートレストラン」的な施設によくあった麺類やホットサンドやハンバーガーの自販機の、あのチープな味を今の僕は求めている。
あの自販機との初遭遇は、おそらく45年以上前の小学校低学年の頃だったと想う。
アレルギー性の鼻炎を患っていた僕は、毎日のように耳鼻咽喉科へ通わされていたわけだけど、その病院の近くにエンゼルという名のゲームセンター的な店があったんだ。
当時はインベーダーゲームが登場してから間もない頃で、あまりビデオゲーム数は多くなくて、食事をとったりするテーブルが半分、ビデオゲームが半分くらいで店舗の中が占められていて、奥の壁には様々な自販機があって、時々それを購入して食べている大人の様子を見ながら「どんな味がするんだろうか?」と、興味津々だったなぁ。
で、そこから10年ちょっと経って、大学受験が近づいてきた高校3年の頃になって、その自販機たちの一つと思わぬ再会をすることになるんだ。
それは千種にある河合塾の美術研究所に通っていた頃に、本館の地下にあったハンバーガーの自販機だった。
あの、ヒーターが壊れているのかわからないけれど、外箱が熱々、中のハンバーガーの表面がシナシナ、ハンバーガーの中央がまだひんやりしてるという独特な温度で味わいはチープ、数少ないメリットは値段といつでも買える(食堂の入り口にあったので食堂が閉まっていても購入できた)ことくらいだったけど、なぜか僕はこれが大好きで、そのハンバーガーを頬張りながら悪友たちと駄弁ってのをよく覚えてる。
それからまた数年が経ち、美大に落ちてデザイン系の専門学校に潜り込んだ僕は怠惰に学生時代を過ごした結果、デザインなんて全く縁のない町工場に勤めることになって、当時付き合ってた娘とも喧嘩ばかりしてたわけだけれど、その娘を実家に送って行き、国道19号を名古屋方面に向かって車を走らせて帰る頃に、自宅の近くまできて空腹を満たすために必ず立ち寄ってたオートレストランにラーメンの自販機があって、「なんであんなこと言ってしまったんだろうか」と愚痴愚痴考えながら、その自販機のラーメンの麺をズルズル啜っていたんだよなぁ。
と、この手の自販機の思い出を語りだすとキリがない。
20代半ばで一旦ハンドルを握らなくなり、そこから20年以上ハンドルを握っていなかった時期が続いていたから、再びハンドルを握るようになって驚いたんだ。
オートレストラン、ほとんど見当たらないなぁ……、て。
尾張地方だけかと思ったけど、北関東に越してきても、ほとんど見かけることがなくて流石にもうないのかな、なんて思ってたんだけど、ふと気になって探してみたら、まだいくつか残っているみたいで、その中の一つにお邪魔してきたんだけど、店主の体調不良のせいでそれらの自販機が全て売り切れ……。
仕方ないので、そこにあったワニワニパニックに悔しさと憤りを叩きつけてきたんだけど、流石にかつてのスコアは出なかった……、残念。
そんなわけで、気が向いたらそんな話を書くと思うので、期待しないで待っててね。
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向き合う心
僕はもともと人間関係には慎重な方である程度どういう人物か分かるまでは観察して一定の距離を取るようにしてます。まあそういう性分のせいか一人でいる時間が長いわけなんですよ。ただコロナ禍になってから、在宅ワークになりより人との交流が減ってしまったので、コロナ前の人との何気ない交流が大事だったんだなーと気付かされました。
一人の時間が好きといってもそれは周りに支えてくれる家族や友人・知人がいてこそ成り立つもんだなーと改めて痛感しました。
ただ一人でいる時間が長いという事は自分と向き合う時間・考える時間が長いわけです。それらの考える時間は生活のあれこれや仕事、自分のクリエイティブのことや世の中のことなど、一回の経験からの気づきを得る確率を高くしてくれました。僕の場合はですが。思考停止になって判断する事も減ったような気もします・🧐
何も気づかないで考えないで過ごした数年間。
気づきを経て考え方を改めて過ごした数年間。
あくまで僕の場合ですが後者の方が少し生活が豊かになって人並みの生活ができるようになりました(苦笑)。
なのでそこの部分に関しては一人の時間を多く持てたことは良かったなあと思ってます。※気づかなくても良い事や考えてもしょうがない事も考えたりして、生きづらくなる部分も多くあります。しかしもし前者のまま同じ数年を繰り返してしまった時の事を考えるとゾッとします。
一人の時間を多く取ってきて結局自分は何を得られたのだろう?と最近思う事があったのですが、このブログを書いてる時に少し分かったような気がします。まだ明確な答えは分からないけれど・・
まあこれからの数年間がまた勝負になってくるわけですが・・考える・気づく・行動というサイクルを早くして、昔のアホだった自分を少しでも挽回したいなぁ😅
補足としてクリエイティブに関しては気づきを経るのに節目、節目でヒントになるアドバイスをくれた先輩方がいました。それには大変感謝してます。なんだかんだで自分は運がいいというか人との巡り合わせは悪くなかったのかもしれません。
人間ちょっとしたキッカケで少しでも変わる事ができるのなら、人生をマラソンと捉えポジティブにこれからも頑張っていきたいです😎
しかし僕程度の凡人でも気づくくらいだから、頭の良い方々はもっと色々な気づきを得て考えを巡らせてるんだろうなあーとお察ししてます・・
まあ僕の場合は考え方が極端なんでもうちょっとバランス取りたいなーとは思うんですが・・
※ここに書いてる事はおじさんの独り言なので気にしなくていいです。
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2024.03.12
「自分がされて嫌なことは他人にもしない」は常日頃心がけていることの1つだと思っている。
日常の中で他人と対峙したとき、大抵は自分がどうしてもらったら嬉しいか(または嫌なのか)を心のどこかに据えている。
多分物心ついたときから誰もが頭に刷り込まれていることだと思う。
だけどふと、どうにもこうにも言葉を丸投げすることでしか片付けられない時があって、そういうときは他人のことなんか考えず、いかにして早く自分の手元にある爆弾を他人に手渡すかでしか考えられなくなる。
どうしたものか。
その時はきっと、余裕も余力もないときなんだと思う。
いくら年初めに「余裕を持つ」と一年の抱負として掲げても、それは時間をどれだけ持っているかとイコールだから、ものを両手に抱えてしまったらどうしようもない。
余力を保っていられるか?
意識の話として、心っぽい形をした、体の奥にありそうな、篭ってそうな、余力を私は鍛えたい。
自転車に乗って来たのに、帰り道は考えごとをするためにわざわざ自転車を押して歩くくらいの余力が私には欲しい。
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横浜の花咲町に咲いてた紫陽花
久しぶりに、横浜赤レンガ倉庫などに行った日、朝方は小雨が降っていました。朝ご飯は野毛あたりで食べたあと、みなとみらいに向かう途中、こんな紫陽花の集まりに遭遇して。
野毛の動物園通りと音楽通りが交わるところの、花咲町(はなさきちょう)に咲いていた紫陽花。
さっきまでの小雨の粒が葉っぱに残っています。
桜木町駅が近いので、通勤や通学で通る人が多く。
さすがに早朝なので立ち止まって紫陽花を見る人はいなかったけど。
今となれば「よそ者」の私は、カメラを構えて、ファインダー越しにしばらく見惚れてました。
花咲町は桜木町(みなとみらい)エリアで、住んでいた石川町からは少し離れているものの
時々は歩いていたというのに、ここに、こんなにたくさんの紫陽花が咲いてたなんて。
それを知ったのは、先日のことでした。
毎年梅雨には、たぶんここで咲いていたはずだけど、あの頃の私も足早にここを通り過ぎてたのかも。
そんなことを、ぼんやり振り返りながら、みなとみらいへ向かいました。
場所は、このあたりです。
その後の赤レンガ倉庫と汽車道の写真の記事↓
2023/07/04
1:46
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きっかけは家族のダイエット
私が糖尿病と診断される前の、実家に珍しく帰省した時のことだ。
何年振りかで会った弟は実家で暮らしているのだが、ダイエットをしているのだという。
聞けば20キロぐらい痩せたと。
(見た目的には以前と同じ大きなスウェットを着ていたので全くそこには気づかなかった)
かといってほぼ家に引きこもっている彼がいかに痩せたのか。
たまたま話すタイミングがあったので聞いてみたところ
「自分の性格上、外に出ることは無理。
田舎で走ってれば、どこどこの息子が走ってたとか噂がたつし、それを人伝に聞くのも嫌。
しかも夏は猛暑で走れない、冬や梅雨の時期は雨だの雪だので走れないから、天気を理由に今日はやめようってなる。
だから室内でできる筋トレ用にダンベル、有酸素運動にインドアバイクを買った。
これなら自分に言い訳して、『今日はやらない』ってならないし、そこから結局やらなくなるみたいなことにはならないでしょ」
そんな返事が返ってきた。
意外にも弟は自己分析がうまくできていたよう。
何の理由もなく長年続けてきたことをサクッと辞められる私にすると、そこまで考えたことがないが
何かを続けるには、どうしてやめてしまうのか、自分の癖を知っておくのも良いことだと思う。
ちなみに継続してたことを辞めたからと言って、悪いわけではないから続けられない自分を責めなくていい。のめり込むだけの熱がなくなった、ってだけ。人間同じことを続けるのに飽きることもよくある。
次を探せばいい。
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2023/01/21
揺らぐことのない好きを、好きだからって、その全てをまとめてごちゃごちゃにしたのが始まり。
いっぺんに詰め込み過ぎて、境界線なんてあってないようなものだったから、循環されず、濁り始めて、しまいには彷徨っていた。自分軸を見失いそうだった。
幸いなことに、違和感というサインを受け取れていたことで重症化は免れた。
“ 好き ” にピッタリの特等席を作ってあげたら、少しずつクリアになってきて居心地の好さを取り戻す。自分が満たされてゆく。らしさを表現する楽しさを取り戻す。
もうごちゃごちゃにすることはない、たぶん。もしまた同じことを繰り返したとしたら、また向き合えばいい。案外図太い私って。
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スタバで昔付き合っていた人に似ている人がいた。マスクをしているが目がよく似ている。遠くに住んでいるので"まさかな"と一瞥して本を読む。
が、ついつい視線を送ってしまい、服のセンスはちょっと違うけど、帽子は好きそう。とか、身長はちょっと違うかもな…立ってくれたら身長分かるのにな。とか。
目線は文字を追っていても、耳が声を捉えようとして感度を上げていたりして、そんな自分自身に苦い気持ちになる。
昔のことだし未練はなくて、むしろ苦い記憶には蓋をしたいし、なんなら全て忘れてしまってもいいくらい。
それなのにその苦くて古い記憶がいまだにわたしの足を鈍らせてくる。
なんでもないところに変にトリガーがあって、ずっとそれを持ち続けている。
ずっとこの先足を取られ続けたり、少なからず摩擦を感じたりするのが、なんだかとても腹立たしい。
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こんにちは
こちらは、もうすっかり秋という感じで肌寒くもなってきました。私は趣味の釣りに夢中です。楽しいです。
今回の作品は、「ふと」見あげた瞬間、というものを表現してみました。ふと見た瞬間の美しさってある気がしています。
では、寒くなってきたけれど、おいしいものもたくさんある季節なので、楽しみを見つけながら過ごしたいですね。元気に!
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2023年7月11日 ー 日本語で日常の日記。
今日から日本語で日常(毎日じゃないかも)の日記を書くことにする。書くことが正しいかどうかわからなくて、修正されるために誰かに見せるのもわからないけど練習なんかしたくて少しでも書こうって感じ。
ということで、今日は仕事が終わってからマックのアイスティーを買いに行って久しぶりにホワイ・キャッスルにも行ってポテトを買った。もっとカリカリであればよかったけどなっと思ったけどまぁ普通に美味しかった。ポテトが大好きかもしれない。
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