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#明月椀写し
kennak · 12 days
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1985年の日航ジャンボ機墜落事故から8月12日で39年になる。 当時、機体の残骸が散乱する現場で描かれた“3つのイラスト”がある。公式の事故調査報告書には記載されていない、非公式な資料のひとつで、アメリカの当局者が名刺の裏に描き、日本側に渡したものだ。 このイラストは、のちに事故原因の“核心”となるボーイング社の「修理ミス」を示唆するものだった。乗客乗員524人を乗せたジャンボ機が墜落した原因はどこにあるのか、日本の当局が特定できずにいた調査初期のころにイラストは描かれた。 藤原氏がアメリカ側から受け取ったイラスト(原本のコピー) 事故の“核心”伝えたアメリカ人 アメリカ側からイラストを受け取ったのは、当時 運輸省航空事故調査委員会の事故調査官だった藤原洋氏だ。 筆者は、藤原氏への取材の中で、名刺の裏に描かれたイラストの「原本」を見せてもらった。藤原氏は日本側の現地調査を仕切る立場にあった。機体後部の「圧力隔壁」が壊れたことに注目していたが、なぜそうなったのかまだわからない段階だった。墜落事故から10日ほど経ったある日、現場でひとりのアメリカ人に呼び止められたという。 1985年8月の事故現場 パノラマ撮影が出来ず連続写真で現場を撮影(藤原氏資料) 藤原洋・元事故調査官 「ちょっと、ちょっとという、こういう感じ。今、隔壁を一生懸命やっているけれどもこうなっているのを疑っている、と彼が言い出した」 藤原洋氏(2005年撮影) 藤原氏に声を掛けたのは、米大統領直轄の組織 NTSB=国家運輸安全委員会の調査官、ロン・シュリード氏だった。当時、アメリカはNTSB、FAA(米連邦航空局)、ボーイング社で構成する合同調査団を日本に派遣していた。 航空機の製造国であるアメリカは、ひとたび事故が起これば、今でも世界各地にこうしたチームを派遣している。シュリード氏は、その一員として御巣鷹の現場にいたのだった。 しりもち事故と“お椀型の壁”修理 墜落したボーイング747型機は、事故の7年前に大阪空港で機体後部を地面に打ち付ける「しりもち事故」を起こしていた。この時、機体後部の「圧力隔壁」が損傷し、ボーイング社の作業チームが来日して修理を行っていた。 航空機は気圧が低く酸素が薄い高度を飛ぶため、客室内は地上と同じレベルまで気圧を上げている。「圧力隔壁」は気圧が低い場所から客室を守る“お椀型の壁”のことを指す。ボーイング社による修理は、壊れた隔壁の下半分を新品と交換するものだった。 ボーイング社の修理指示書には、上と下の隔壁の間に1枚の「継ぎ板」をはさみ、2列のリベット(鋲=びょう)を打ってつなぐことが記されていた。しかし、実際には「継ぎ板」が途中で2枚にカットされていた。これによりリベットは1列しか効かず、強度は不足。金属疲労が進み隔壁破壊に至ったとされている。 シュリード氏が描いた3つのイラストは、隔壁の断面を簡潔に示していた。1枚目は「正常な隔壁」2枚目は「正しく修理された場合の隔壁」そして3枚目に、事故機の隔壁の「継ぎ板」が途中で切れていることを“点線”で表現していた。 シュリード氏が藤原氏に渡した3つのイラスト(原本のコピー) アメリカ側が修理ミスを示唆したイラスト(説明字幕を除く) 説明を聞いた藤原氏は… 藤原洋・元事故調査官 「(隔壁を)外からみていてもわからない。なんでそんなことまで知っているの?」 翌日から藤原氏は、昼食時も「隔壁」のそばに座り、残骸を眺めていたという。しかしシュリード氏が描いた「修理ミス」の痕跡はわからなかった。継ぎ目にシールが施されるなどしていたためだ。 藤原洋・元事故調査官 「我々の知らない情報を(アメリカは)持ってるんじゃないかなという感じは持ちましたがそれ以上、深くは考えなかった」 「名刺しか乾いた紙がなかった」イラスト描いた本人 筆者は、藤原氏からイラストの原本を借りアメリカへ向かった。御巣鷹の現場でイラストを描いたシュリード氏に会うためだ。シュリード氏は自身が描いたイラストと久しぶりに“再会”し、開口一番こう述べた。 シュリード・元NTSB調査官 「藤原氏にこの図を描いたことは、よく覚えています」 取材に応じたシュリード氏 2005年撮影 炎天下の事故現場、名刺の裏に描いたのには、訳があったという。 シュリード・元NTSB調査官 「あの時、名刺しか乾いた紙がなかったんです。汗でバックパックも、その中にしまっておいたノートも湿ってしまったのです。ですから、財布の中から名刺を取り出し、藤原氏の前でこの絵を描き、アメリカ調査チームが発見した内容を彼に説明したのです」 シュリード氏は、当時のアメリカ側の資料をもとに、名刺の裏に描いたイラストの根拠を説明した。 シュリード・元NTSB調査官 「チームに、金属疲労の専門家がいました。彼は、どうなれば圧力隔壁が壊れるかを試算したんです」 調査にあたってアメリカ側は、ひとつの「仮説」を打ち立てたという。7年前の「圧力隔壁」の修理が適切でなければどうなるのか。例えばリベットが1列しか効いていない場合、隔壁は何回の飛行まで耐えられるのか? シュリード氏が保存している内部資料によると、試算の結果、隔壁破壊までの推定飛行回数は「1万3000回」。この数字が当該機の修理から事故までの飛行回数と極めて近かった。この仮説をもとに、アメリカは隔壁の修理ミスを突き止めたという。 涙を流したボーイングの技術者 シュリード・元NTSB調査官 「私たちは、事故原因を特定した際に関係者全員を集め、アメリカ大使館で会議を開きました。ボーイングの技術者たちは、かなり落胆していました。実際、何が起きたかを悟った時、彼らは涙を流していました」 ひとつの「仮説」が、アメリカの結論となった。 シュリード・元NTSB調査官 「事故は、墜落した一機だけの問題で、747型機共通の問題ではありません。これを日本が公開しないことに私たちは、いらだっていました」 事故当時747型機は、全世界で600機以上運航していた。日本での墜落事故は、アメリカの象徴ともいえる航空機産業の行く末を大きく左右する問題だった。 日本側はアメリカから隔壁破壊のメカニズムを伝えられたが、それを公表するまでには至らなかった。並行して警察が捜査中だったことも影響していたとみる関係者もいる。 “トカゲの尻尾切り” 情報を公開しない日本に、苛立つアメリカ。その情報は事故から25日後、思わぬ形で表面化した。米ニューヨークタイムズは「ボーイングの修理ミスが原因か」との見出しでスクープ記事を掲載。まさにアメリカ側が日本に公表を迫った内容だった。 藤原氏はこの一報を、御巣鷹の現場で聞き、直感的にこう思ったという。 藤原洋・元事故調査官 「やったなという印象です。その意味は“トカゲの尻尾切り”と同じで、ボーイング社にしてみれば、ジャンボの747の隔壁が弱い、ウィークポイントという評価がくだり、そうすると世界中飛んでいる747を止めなければならない。こうなったら大変な事態なんで、この飛行機だけなんだよと、あとは大丈夫なんだよ、ということを言おうとしたのでは…」 747型機の構造に問題はなかったのか、事故調査官として調査途中の公表には違和感があった。ニューヨークタイムズの記事が掲載された直後、ボーイング社は「しりもち事故」の修理ミスを認める声明を出した。 氷点下196度「修理ミス」を確認 その後、日本の事故調査委員会は、機体の残骸を東京・調布飛行場の格納庫に運んで調査を続けた。藤原氏が保存している写真の中に、残骸をつなぎあわせて再現した「圧力隔壁」がある。修理ミスにより壊れた部分は、跳ね上がるようにめくれあがっていた。 1985年東京・調布飛行場で再現された圧力隔壁(藤原氏資料) 「修理ミス」を特定するためには、隔壁のシールで覆われた部分を確認する必要があった。ある調査官によると、液体窒素を隔壁にかけ氷点下196度の状態で接着剤を剥がしたという。こうして「継ぎ板」がカットされた部分を確認。残骸の精密な検査の末、日本もあのイラストが示す「修理ミス」を特定したのだった。 氷点下196度で確認された「継ぎ板」の切れ目(関係者撮影) 「事故調査」を語り継ぐ 記事に登場した藤原洋氏は、去年この世を去った。筆者が藤原氏を初めて取材したのは、日航機墜落事故から20年の2005年。その後も折に触れて、航空関係の解説をお願いしアドバイスもいただいた。後年、藤原氏は日航機事故を担当した調査官OBらとともにNPOを設立し、航空事故調査の伝承・調査官の育成などに尽力した。 1985年8月 事故調査の様子(藤原氏資料) 犠牲者520人…8月12日に起きた悲劇は、今も単独機としては世界最悪の事故だ。遺族の高齢化と同様に、あの壮絶な現場で事故調査に挑んだ元調査官たちにも高齢化の波が押し寄せている。「空の安全」を願う彼らは、日本の航空史の“語り部”でもある。 TBSテレビ報道局 松田崇裕 社会部・国土交通省記者クラブ時代に日航機事故の慰霊登山などを担当。事故から20年(2005年)と30年(2015年)には特別報道番組の制作に携わり日米の事故調査官を取材。ニューヨーク支局では「ハドソン川の奇跡」で不時着機に搭乗し救出された日本人らを取材。
日航機墜落 “事故の核心” 御巣鷹で描かれた3つのイラスト アメリカが突き止めた圧力隔壁の「修理ミス」 | TBS NEWS DIG (1ページ)
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foucault · 1 month
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店は暑気払いで20日も休んでいます。明日からまた通常通り店を開けます。ご寛恕ください。
写真は、先月末奈良へ行った際に久しぶりに訪ねた「塔の茶屋」にて。塔の茶屋は『工芸青花』17号でも特集された、「無窮亭」河瀬虎三郎ゆかりの店ですが、以前は興福寺五重塔のすぐ裏手、え、ここ、公園というか寺域だよなあ、と思うような場所にありました。会社員のころは年末になると大和文華館の裏手にある義祖父の家に滞在し、夕暮れどきに皆で訪ね、春日大社への参拝者が静かに砂利踏む音を聞きながら懐石をいただくのが楽しみだったのですが、ならまちちょっと外れたあたりに移転されてからは初。
また伺いたいな、とこのところずっと思っていたのは、昨年末、honograの小松さん @akenosora8 とお酒を飲んだことがきっかけでした。店を営むにあたって、やることは決めていないけれど、やらないことは決めている、といった話が、ロラン・バルトの「私は好きだ、私は好きでない」みたいに、好き/嫌いをつらつら書き立てる楽しさってありますよね、などという話へ移りゆき、小松さんが、『無窮亭 数寄書留 竹柏のしづく』にもやはり「スキ・キライ」が記されているから、お持ちでなければ一冊お譲りします、という流れ(……ですよね?)でご恵与いただいていたこともあり、そこに記された「キライなもの」への共感から、あらためてまた行きたいな、と思っていたのでした。
最近は海外からの旅行客が多いようで、日取りの電話をした際には、団体さんがいらっしゃっているので、お帰りになってからの時間、簡単なしつらえでよければ……とのお返事でしたが、伺うと軸は「銅燈薹銘 并序 弘仁七載歳…」で始まる、興福寺国宝館に納められている燈籠火袋羽目銘文の拓、床には薄板を敷き、土師器の壺に野の花添えて、奈良らしい様子。懐石も先付・向附・煮物椀から、すっと飛んで鉢肴・茶がゆに甘味という軽めの流れでしたが、いずれも無駄なく(まさにキライなものなく)結構、老婦人からお話なども伺いつつ御酒もいただけて、たのしい一席でした。また伺いたいです。
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shohsoku · 6 months
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4.2
旧暦二月二十四日。半月。欠けゆく下弦の月。
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朝あわただしく諸手を間違えて、長船・岡山巡りのつもりが、大阪中之島・長船巡りへ。
まあいいか。
気温はあったかく、桜はもとよりたくさんの花が咲いていた。
福田平八郎前期を逃すまいと、展示替えになるのを中心に駆け足で見てきた。
福田平八郎といえば、平たくてポップな色彩で好きだったんだけど、初期は写実を一生懸命やってからの、抽象(というわけじゃないけど)的とゆうかデザイン的とゆうか、だった。やはり、見ることが何よりの頼り、らしい。それがわかる展示で、竹の絵が特に良かった。色合いと模様。
葉っぱのグラデーションというか、たった一枚でも色がどこもちがうのを細密に描いた経験をもと、中期以降はその変化をデフォルメして表しているかも。後期行ったとき、色の変化とか規則性をもっと見てみたい。柿の葉紅葉のスケッチおもしろかった。そうだよね、あれ色すごいもんね。あと鉢の中のはまぐり、黒い器の中の桃、と、御椀的なもののなかの静物が見応えあった。やっぱ色がいいし、現実でも桃の肌の色彩と、蛤の貝の肌の色彩は、見ごたえあるわ。
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福島天満宮にお参りしたとき、落ちてた葉っぱのこの色彩よ。とてもいい。これ、楠か。楠の春の落ち葉はカラーリーフの観葉植物ばりの派手なはっぱ。
いつか描いてみたいな。
では新福島から香登へ。
12:18
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香登。
よく考えたら喉痛いし、身体火照りがちだし、風邪ぎみやんか。急遽歩いてドラッグストアへ。みたことないとこ。あとラ・ムーじゃない大黒天でラ・ムーの激安お惣菜かって栄養補給。
備前長船の地、山に抱かれた土地か。田舎じゃないか‥そりゃそうか。
刀剣博物館の映像で、刀の作り方をみた。
この手間ひまのかけ方、そりゃ文化財になるわ。国宝重文の、美術工芸品総数の多くを占めるわけだわ‥。特に平安から江戸まで、人を斬ろうが斬るまいが時代に合わせて価値を保ち続けてきたのは、この作り方が根底にあるのだな。
刃文の鑑賞は陶磁器と同じに思える。用ではなく、景色を楽しむ。でもそれは研ぎにもよる。ややこしすぎて、奥が深いな刀剣。
刀剣博物館の丁寧な説明により、刃文の匂いと沸がちょっとだけわかった。まだわからないところは多すぎるが。おもしろい。おもしろいか?でももっと深くまで行ってみよう。刀剣の女性ファンはこんな、こんなマニアックな鑑賞を楽しんでるんだろうか。まじで遠目の形だけで十分だと思ってた。
作り方を見れて、鍛えと刃文が少し理解できかけてきた。さあ、帰って寝よ。また来るわ。鍔の企画展示も面白かった。精巧な透かし彫りの鍔、刀振り回してたら割れるとは思うが‥、透かしまくりのきゃしゃなのに室町のもあった。
18:24
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geniusbeach · 2 years
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石の言葉
 名古屋を巡る車の中で、静岡に砂丘があることを友人から教わった。鳥取以外に砂丘が存在することは意外だったが、私はちょうど、ぼうっと眺めるだけで済む単調な風景を欲していたところだった。というのも、このところ雑事に追われていたせいで、精神は干された雑巾のように疲弊しきっており、何事に関しても乾いた考えしか浮かばなくなっていたからだ。友人に請うて予定を変更し、翌日足を伸ばしてみることにした。
  三月某日。朝から曇天。連休の中日であるせいか車道はしばしば滞った。昼過ぎにようやく浜名湖に着き、そばにある店で鰻を食べつつ、私は植田正治が撮影した写真を思い出していた。白い空と白い砂に二分された画面の中央に、黒い服を着た人物が立っている。現実から遊離した夢のような断片。まるでタンギーの時空にぽつんとある、マグリットのオブジェ。新しいのにどこか懐かしい、シンプルで強烈なイメージだ。そんな不思議な光景が、この先で待っているだろうか。重箱の蓋を閉め、肝吸いをすする。椀のなかにある黒い背景と白い肝のネガポジを反転すれば、近くて遠い異世界が現れるだろう。思いもよらぬ効果は、そのように簡単な操作で得られるのかもしれない。携えたカメラで何かを撮ってみよう。
 中田島砂丘は浜松の南部に位置し、遠州灘に面している。砂は、その東端が接する天竜川の上流から運ばれてくるそうだ。駐車場に車を停め、滑り止めが敷かれた小道を歩いて登って行く。林を抜けると視界が開けた。友人が声を上げる。空と、一面の砂が広がっていた。砂原へと続く急斜面を、足を取られながら興奮ぎみに降りる。すると、不意に下方から視線のようなものを感じ、私は立ち止まった。目を凝らすとそれは人でも動物でも虫でもなかった。石であった。坂の下に、じっとこちらを見つめている石があったのだ。遠ざかる友人をよそに、砂に顔を打たれながら、私はそれを見た。あたりにごろごろ転がる石とは何かが違う。風と波の果てしない響きのなかで、その石は白くきわだち、寂しそうだった。
 私たちにはどこか通じ合うものがあった。ルートを外れ、靴にざばざばと砂が入り込むのも構わず、石のもとまで無心で下って行った。拾い上げると、それは花崗岩であった。美しい卵型をしており、側面に少し平べったい部分がある。表面はチョコチップアイスを思わせる、白にわずかな黒のまだら模様。握ってみるとたしかな重みがあり、旧知の仲でもないのに、手にしっくりとなじんだ。持ったまましばらく考え、その石を散策の相棒にすることに決めた。
 石は、大人しい。しかしその性質はなかなか気難しい。浜を東へ歩いていく途上、こいつをどう扱おうかと悩んだ。ぐっと握りしめたり、持ち上げたり、掲げたり。ときに置いたり、立てたり、回したり。はたまた投げたり、落としたり、転がしたり。その全面が顔ともいえる、しかしいっさい動いてくれないカタブツをなだめすかしながら、何枚も写真を撮った。そのうち何やら、石の言葉が聞こえてくるような気がした。しかしその言葉とはいったいどんなものだろう。
 雨に濡れて。/独り。/石がゐる。/億年を蔵して。/にぶいひかりの。/もやのなかに。
 そう書いたのは詩人草野心平だが、なんでもない石について、石そのもののごとく簡潔に、そこに秘められた歴史と存在の必然性を言い表している。なおかつ映像的でもあり、事物を外部から見た限界ぎりぎりのところを巧みに描写している。とはいえ、それは石の発した言葉ではなく、あくまで人間から見た石の姿にすぎない。最終的にその主張を想像して汲み取るのは我々読者だ。詩人石原吉郎によれば、詩とは「沈黙を語るための言葉」だという。結局、我々が読めるのは「書かれた詩」でしかない。ほんとうの詩は事物と感興との沈黙の関係にあり、口にしたとたん霧消してしまうたぐいのものなのだ。ただしその意味で、カメラは言葉と同等に詩をつかみ得る道具となる。
 石の言葉の意味は石にしかわからないが、聞くことはできる。それは生成と漂着の場所にこだまする音に根ざしているはずだ。ここは砂丘。海と空と砂と風がある。それらを組み合わせて固めた言語が質量となって、いま手のなかにある。石の組成、つまりこの風土の中心に改めて石を据えてみようと思った。空へと放り投げて、あるいは、太陽と重ね合わせたシルエットに向けて、シャ��ターを切る。一連の試行錯誤の末、徐々に一個の石の多様な側面が見えてきた。浜にある無数の石の中、風紋を斜めに切る光彩と陰影の間、人の足のような流木の上、それぞれの関係性の中で石は表情を変え、異なる何か訴えかける。それは静かだが、熱のこもった対話であった。
 石のようになかなか動こうとしない私に友人はやきもきし、途中からどんどん先に進んでいった。帰りがけに走って追いついたところ、持って帰るつもりかと聞かれた。私は黙って首を振り、堆砂垣の向こうにそっと転がした。ホテルに戻ると、お気に入りを見つけたと言って、友人はポケットから小さな黒い石を取り出してみせた。彼は彼で写真を撮っていたらしい。そうしてにやりとしながら差し出されたカメラの画面には、私と石の出会いが切り取られていた。少し笑うと、名残惜しさが込み上げてきた。ふたたび永遠の海亀の卵へと還った石は、満月とともに夜を語り明かすにちがいない。ここちよい疲労に包まれてほんとうの石となった私は、夢幻のなかでその会話を聞いただろうか。
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caramelholicxx · 8 months
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1月第4週
今週もおつかれさまでした。
今週はインドアなわたしには珍しく旅行記!
1/26-27で金沢旅行に行ってきました。
地震もあり行くかどうか直前まで迷ったけど、金沢は一部を除きほぼ通常通り&観光客が激減していると聞き、また車ではなく新幹線だったこともあり行くことを決めた。
初めての北陸新幹線・初めての金沢、ぼんちゃん(재민번)とともに。
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着いて即フォーラスのもりもり寿司へ。
この日までありあまる寿司欲を必死に抑えていたので欲望のままに食べまくった。
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写真の枚数制限すべては載せられないけど、旬の寒鰤や生のずわい蟹やのどぐろ、白海老、牡丹海老などとにかく全部がおいしかった!
食後はバスに乗って兼六園。
雪が積もっていて風情があった(地元のみなさんは大変でしょうが…)広々としたお庭を見て清々しい気持ちになったな。
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ぼんちゃんも気持ちよさそう。
兼六園周辺を散策したあとは近江町市場に行ったんだけど、閉じてるお店が多かった。
今回の旅行ではひとつ九谷焼の作家さんの器がほしくて、いろいろ見て結局近江町市場エムザ口にある「うつわ かきいろ」さんで櫻井千絵さんのお椀を買った。
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ポップな柄と色合いがすごくかわいい!軽くて使いやすいのもいい!
「うつわ かきいろ」さん、若手作家さんのかわいい作品がたくさんあるしカフェ利用もできるみたいなのでおすすめ。
そのまま歩いて尾山神社。金沢は名所が比較的固まっているから回りやすい。
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神門、和漢洋折衷で素敵だった…食事をした後にまた前を通りかかったんだけど夜はライトアップされてた。
すこし休憩したあと夜は「金澤 せつ理」さんへ。
今回はここでの食事を目的にきたと言っても過言じゃないので、心から楽しみにしてた!
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これも枚数制限で写真をすべて載せることが出来なくて悔しい!
茶碗蒸しに蟹味噌のシャーベットを載せたものとなまこのみぞれ和えの前菜にはじまり、白海老のもみじ粉(明太子)和え、鰆の燻製とバイ貝のお刺身、加賀蓮根の雲丹饅頭あんかけ梅肉添え(これおいしすぎて泣きそうになった)、数の子の烏賊巻きソイとずわい蟹のお刺身、のどぐろと海老芋に白子のソーストリュフ添え、寒鰤のしゃぶしゃぶ、赤蕪ズッキーニパプリカ林檎の糠漬け、蟹と舞茸ご飯(おかわりしました)、菜の花のお味噌汁、バナナの酢橘和えやよいひめデコポンのフルーツグラタンと品数も多くてぜーんぶおいしかった!今まで生きてきた中でいちばんおいしかった食事かも!久々にお酒も飲みまくりました。
お料理はもちろんご主人の河田さんと女将さんの人柄が良くていい思い出になったなー。本当に何もかもがおいしかったです。遠いから頻繁には来られないけど、また金沢に行く機会があったら絶対訪れたい!
1日目はそんな感じで終わり、2日目はひがし茶屋街からスタート。
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いつもならきっと人でごった返してるんだろうけど、切なくなるくらいすかすかだった。
朝はひがし茶屋街で軽く済ませようと思っていたので、きんつばで有名な中田屋さんの2階にある「甘味処 和味」さんへ。
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上生とお抹茶をいただき、まったりしました。
ふらふらひがし茶屋街周辺を散策して、お店を覗いたりしたあとは歩いてそのまま尾張町に向かい、お昼に予約していた「日々魚数寄 東木」さんに行った。
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ここもすごくおいしかったなー。特に鰤大根がとってもおいしかった!載せきれなかったけど(3回目)お造りも出てます。
昼食後は駅に向かい、のんびりお土産を買って新幹線に乗って帰宅。
1泊2日だったけど割とうまく回れて、行きたいところは行けた気がする。とにかく好きなものを食べた2日間だった!
冒頭でも言ったけど、直前まで迷ったけど行って本当によかった!人も優しく、ごはんもおいしく、景色もよく大変良いところでした。
まだまだ余震が心配ではあるけど、能登や輪島など地震による被害が甚大な地域が一刻もはやく復興し、また観光客がはやく戻ることを願います。
今年は無理のない範囲でインドアから脱却することを目標にしているから、仕事が落ち着いたタイミングでほかの県にも行きたいな。
旅行から帰ってきて引き現実に戻されてるけど、楽しいことを楽しめるように今週からの繁忙期もがんばって乗り切ります。
最後に今週よく聴いてた曲
Silk Sonic - Smokin Out The Window
また来週!
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harinezutaka · 1 year
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二年前日記39(2021年9/24〜9/30)
9月24日 朝、鍼に行く。気になる副反応も特にはなかったので、ワクチン接種のことは報告しなかった。やっぱりどこか不安なところはあるし、自分の選択が間違っていたらどうしようという気持ちもある。でも今できる一番良い選択だと思うので。腰のあたりにズーンと響くのをひとつうたれた。先生の鍼はほとんど響かないので、ときどきこういうのがあるとびっくりする。帰りに、雑貨屋さんに寄りいろいろかわいいものを見た。汁椀が壊れてしまい、夫が新しいものを見つけてくれたものの、今の食卓にはしっくりこないような気がして。でも木のお腕は、だいたいめいぼく椀しか置いてなくて、ここもそうだった。夕方ごろからなんか熱っぽくて腰が痛い。これがもしかしてら副反応ってやつか。ややや、しんどいかも。晩ご飯は焼きそば。念のためにもらっていた薬を一回分飲んで早めに寝た。
9月25日 起きたらスッキリして、どこも痛くない。どうやら副反応は終了したっぽい。赤ちゃんも元気に動いている。よかったよかった。昨日しんどかった分を少しずつ取り戻す。メルカリの��品をしたら、すぐに売れた。夕方、夫と食事へ行く。6月ごろに行った実家の近くのご飯屋さんへ。今は予約なしでも大丈夫とのことだったので。前菜盛り合わせ、とん平焼き、鯛のグリル、ボンゴレ、デザートはとうもろこしのブリュレとガトーショコラ。店主さんは黙々と作っていて、お客さんは私たちだけだったので少し緊張してしまい、こちらから話しかけてみたりした。少しお疲れに見えたし、こちらも疲れてしまった。前にも思ったが、とても手が込んでいて美味しいんだけど何となく心配になってしまう料理。常連さんっぽい人がテイクアウトを取りに来ていて、その人とは楽しそうに話していた。
9月26日 朝から掃除やら何やら。お昼前にNちゃんに電話するが、忙しそうでかけ直すとのこと。午後からは夫のワクチン接種の送迎をしたり、なんやかんやで一日が終わった。Nちゃんから折り返しの電話はなく、LINEがきていた。忙しかったみたい。妊娠の報告をするととても喜んでくれた。晩ご飯はあんかけうどん、さつま揚げと野菜の煮物。最近は週末に日の出と日の入りの時間を手帳に書いているのだけど、今週はどちらも5時51分で同じで、秋分ってそういうことなんだなと思った。
9月27日 昨日、夫がだまってたらちょっと誤解されちゃうような場面で何も言わなかったのが気になって、つい口を出してしまった。朝、『子どもがうまれても夫を憎まずにすむ方法』を読んでいて、男性の遺伝子は集団を守るために同性の怒りを敏感に察知するようにできていると書いてあり、むだに戦わないようにできているのかもしれないなと思い少し反省した。午前中は『ドライブ・マイ・カー』を見に行く。とてもとても良かった。長いので大丈夫かなと思ったけど、全然平気だった。お昼はムジカフェで。ここは天井が高くてとても気持ちいい。蓮根のハンバーグ、レバーと蒟蒻の辛子マヨ和え、柿とクリームチーズのサラダ。2時から版画教室へ。前回で本刷りまで終わって、新しいものを作るのは少し難しいかなと思ったので箱作りをすることにした。カードサイズの可愛い箱。上の方から元町方面へ移動。魚屋さんで鯛と鰯の天ぷらを、うおくに商店で梅干しとごまを買う。喉がかわいたので、タリーズで少しだけ休憩して、地元のスーパーで買い物をして帰宅。トコちゃんベルトをしているとわりと元気に動ける。晩ご飯は、天ぷら(鯛、鰯)、生麩、さしみ蒟蒻(ゆず味噌、わさび醤油)、コーンスープ。タルタルソースもたっぷり作って食べた。疲れていたのか卵を3個も割ってしまった。あーあ、だ。
9月28日 一日家にいて、昼寝も長めにした。ちょっと気持ち沈みがちだったので、夕方少し歩かないといけないと思い散歩へ。体は秋モードへ変わりつつある。陽気がだんだん減ってきて、落ち着いてきていで、少し寂しい感じもする。夫は義実家へ。お義父さんが肺炎で入院していたのだけど、今週中には退院できそうな感じでよかった。夫はお義母さんと2人でもゆっくりしてくるんだなぁ。本当に実家好きだなぁ。義理の妹からマタニティ服をたくさんもらった。晩ご飯は、お茶漬け、煮卵、茄子の浅漬け。
9月29日 朝、夫は整形外科へ。私は防虫シートの交換などをする。天気がよかったので、カーペットもはがしてベランダに1時間ほど干した。全然やってなかったので気持ちよかった。昼から神戸方面へ出かける。行きたかった喫茶店に行く。コロナになってからは初めてだったが、変わらずお元気でよかった。知人の家にも行き、帰りは和食のさとで家族会議。お金のことなんかをいろいろと話した。私は一人鍋、夫は雑炊。餃子も��んだ。なんとなく街の雰囲気も明るく変わりつつある感じがした。
9月30日 後期になってよくお腹が張るようになってきて少し心配になる。痛い感じではないので問題ないのかなと思うけど、また病院で聞いてみよう。思ってたより動きづらくなってくるもんなんだな。規定通りの予定日6週前まで働くだなんて大変だな。みんなすごい。午前中にコープさんの注文をする。いっぱい商品がありすぎて面倒だな。あれもこれも欲しくなるし。自分なりのやり方を見つけないと。とりあえず今は練習と思って15個だけ頼むことにしている。足りないものは買いにいけばいいし。ご飯のあとでうとうとしていたらコープさんが来た。夕方散歩に行くと虹が出ていた。写真には撮らなかったけど、父からLINEが届いた。同じ頃に散歩してたんだな。最近、さっきのことも忘れてしまうとのことで、何を食べたか、薬を飲んだか、お通じなどのことが送られてくるLINEグループができた。共有しなくても1人ですればいいような気もするけど。まぁ、様子がわかっていいのかもしれないな。今晩の夫はいつもより元気そうだった。心が軽くなってる感じ。晩ご飯は、生姜焼き、ひじきとツナの煮物。NちゃんとLINE。子育ての先輩としていろいろアドバイスをしてくれる。こういうのを言ってもらって素直に受け取れる人と、そうでない人の差はなんなんだろうな。
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truth22 · 1 year
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Love Collection #121 The 面接 - 無料動画付き(サンプル動画)
Love Collection #121 The 面接 - 無料動画付き(サンプル動画) スタジオ: Pink Clover シリーズ: Love Collection 時間: 43分 女優: 芹沢明菜 【「おじゃましま?す!」と事務所に面接にやってきた明菜ちゃん!お名前から生年月日にと聞いてスリーサイズをうかがってみると、上から86-58-90のEカップと見た目以上にナイスな体の持ち主なんであります。でもって写真撮影をしてから、メーカーさんに自己紹介するVTRを撮りましょうと男がカメラを手に持つと、「Eカップに見えないね?着痩せするほう?」なんて言って服を脱いでもらうと、正真正銘のEカップのお椀型オッパイなのでございました。そして「じゃあ下も脱いじゃおうか!」と黒のドレスを脱いでもらいますと、ソファーの上に座って足を広げておっぴろげでカメラに撮られてしまい、自分の指でビラビラを開いて DVD・DVD販売サイト DVDセレクト DVD・DVD販売サイト DVDセレクトはDVDを細かくジャンル分け 業界最高クラスの在庫数からお選びいただけます。お支払いはクレジットカードで安心安全。
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kachoushi · 1 year
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各地句会報
花鳥誌 令和5年4月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年1月4日 立待俳句会 坊城俊樹選 特選句
年賀状投函ポスト音を吐く 世詩明 大冬木小枝の先まで空を突く 同 猫寺の低き山門虎落笛 ただし 福の神扱ひされし嫁が君 同 石清水恙の胸を濡らしつつ 輝一 阿弥陀様お顔に笑みや秋思かな 同 去年今年有縁ばかりの世なりけり 洋子 潮騒の聞こゆる壺に水仙花 同 羽根をつく確かなる音耳に老ゆ 同 時々は絵も横文字も初日記 清女 初電話友の恙を知ることに 同 暁に湯気立ち上がる冬の海 誠 大寒のポインセチアに紅のあり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月5日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
初暦いかなる日々が待ち受けん 喜代子 おさんどん合間に仰ぐ初御空 由季子 病院の灯消えぬや去年今年 同 雪掻に追はれつつ待つ帰り人 さとみ 海鳴りや岬の水仙なだれ咲く 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月7日 零の会 坊城俊樹選 特選句
あをき空うつし蓮の枯れつくす 和子 蓮枯れて底の地���を明るめる 軽象 枯はちす揺り起こすなり鐘一打 三郎 破れ蓮の黄金の茎の高さかな 炳子 枯蓮の無言の群と相対し 秋尚 弁天の膝あたたかき初雀 慶月 面差しの傾城名残青木の実 順子 男坂淑気を少し漂はせ 三郎 恵方道四方より坂の集まり来 千種 葬儀屋の注連縄なんとなく細い いづみ いかやきのにほひに梅の固くあり 要 枯蓮のやり尽くしたる眠りかな 佑天
岡田順子選 特選句
枯はちす揺り起こすなり鐘一打 三郎 鷗来よ枯蓮の幾何模様へと 俊樹 そのあとは鳶が清めて松納 いづみ 毛帽子にまつ毛の影のよく動く 和子 北吹けりもう息をせぬ蓮たちへ 俊樹 蓮枯れて水面一切の蒼穹 和子 人日の上野で売られゆくピエロ 三郎 石段に散り敷く夜半の寒椿 悠紀子 恵方道四方より坂の集まり来 千種 よろづやに味噌づけ買うて寒に入る 眞理子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月7日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
双六やころころ変る恋心 朝子 下の子が泣いて双六終りけり 孝子 短日は数が減るかもニュートリノ 勝利 歌留多とり式部小町も宙に舞ひ 孝子 小春日や生ぬるき血の全身に 睦子 骨と皮だけの手で振る賭双六 愛 京の町足踏み続く絵双六 散太郎 粛々と巨人に挑む年始 美穂 来世から賽子を振る絵双六 愛
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月9日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
双六の終着駅や江戸上り 時江 たかいたかいせがまれて解く懐手 昭子 てのひらの白きムースの初鏡 三四郎 火消壺母のま白き割烹着 昭子 木の葉髪何を聴くにも左耳 世詩明 街筋の青きネオンや月冱てる 一枝 姿見に餅花入れて呉服店 昭子 はじき出す男の子女子のよろけ独楽 時江 一盞の屠蘇に機嫌の下戸男 みす枝 初詣寺も神社も磴ばかり 信子 御降や傘を傾げてご挨拶 みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月9日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
初明かり故山の闇を払ひゆく かづを 万蕾にある待春の息吹かな 々 小寒や薄く飛び出る鉋屑 泰俊 勝独楽になると信じて紐を巻く 々 仏の前燭火ゆらすは隙間風 匠 筆箱にニトロとんぷく老の春 清女 二千五百歩小さな散歩寒に入る 天空
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
鋳鉄製スチームの音古館 宇太郎 始業の蒸気雪雲を押しあげて 美智子 溶けてなほ我にだけ見ゆる時雨虹 佐代子 失ふはその身ひとつや冬の蜂 都 寒灯下遺影に深く法華経 悦子 大木を伐られ梟去つたらし 史子 枯木立通り抜けたる昼の月 益恵
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月10日 萩花鳥会
人生の余白少なし冬の薔薇 祐子 裸木が絵になる空を展げゆく 健雄 山茶花や気は寒々と花紅く 俊文 守らねばならぬ家族や去年今年 ゆかり 一椀に一年の幸雑煮膳 陽子 故郷で一つ歳とる雑煮かな 恒雄 昼食後一枚脱いで四温かな 吉之 亡き人に届きし賀状壇供へ 明子 逆上がり笑顔満面四温晴 美惠子
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令和5年1月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
初生けを祝成人と命名す みえこ 薪焚の初風呂済ませ閉店す 令子 御降りに濡れても訪ひぬ夫の墓 同 初詣光􄽄現れて良き日かな あけみ 注連飾父の車の隅に揺れ 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月14日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
閼伽桶の家紋色濃し寒に入る 多美女 養生の大樹潤す寒の雨 百合子 勤行の稚の真似事初笑ひ 幸風 いつもならスルーすること初笑 秋尚 臘梅に鼻近づけてとしあつ師 三無 寒椿堂裏の闇明るうす 多美女 多摩堤地蔵三体春立ちぬ 教子 均しある土の膨らみ春隣 百合子 掃初の黒御影拭き年尾句碑 文英 悴んで顔を小さく洗ひけり 美枝子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月15日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
飛石を跳ね蝋梅の香に酔うて 炳子 木道の先の四阿雪女郎 幸風 その奥に紅梅の蕊凜として ます江 黒き羽根なほ黒々と寒鴉 貴薫 不器用に解けてゆきぬ寒椿 千種 入れとこそ深き落葉へ開く鉄扉 同 谷あひに弥生の名残り水仙花 炳子 椿落つ樹下に余白のまだありて 三無 木道まで香り乱れて野水仙 芙佐子 寒禽の群を拒まぬ一樹かな 久子
栗林圭魚選 特選句
山間の埋れ火のごと福寿草 斉 空昏く寒林よぎる鳥の影 芙佐子 厚き雲突き上ぐ白き冬木の芽 秋尚 福寿草労り合ひて睦み合ひ 三無 そのかみの住居跡とや蝶凍つる 炳子 水仙の香を乱しつつ通り抜け 白陶 入れとこそ深き落葉へ開く鉄扉 千種 竹林の潤み初めたる小正月 要 椿落つ樹下に余白のまだありて 三無 せせらぎのどこか寂しげ寒の水 白陶
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
若きより板に付きたる懐手 雪 北窓を塞ぎさながら蟄居の間 同 昨夜の酔ひ少し残るや初鏡 かづを 九頭竜や寒晴の綺羅流しゆく 同 除夜の鐘八つ目を確と拝し撞く 玲子 初明り心の闇を照らされし 同 一点の客観写生冬の句座 さよ子 翳す手に歴史を語る古火鉢 同 笑つても泣いても卒寿初鏡 清女 餅花の一枝華やぐ奥座敷 千代子 年賀状手描の墨の匂ひたつ 真喜栄 若水を汲むほどに増す顔のしわ 同 裸木村は大きな家ばかり 世詩明 春炬燵むかし昔しの恋敵 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月18日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
水仙や悲恋の話知りしより 啓子 堂裏の菰に守られ寒牡丹 泰俊 餅花やなにやらうれしその揺れも 令子 左義長の遥けし炎眼裏に 淳子 寅さんを追つて蛾次郎逝きし冬 清女 飾り焚く顔てらてらの氏子衆 希子 御慶のぶ一人一人に畏みて 和子 眉を一寸引きたるのみの初鏡 雪 初髪をぶつきら棒に結ぶ女 同 束の間の雪夜の恋に雪女 同 マスクして睫毛に化粧する女 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月20日 さきたま花鳥句会
凍星や夜行列車の窓あかり 月惑 葉牡丹や鋳物の町の鉄の鉢 一馬 どら猫のメタボ笑ふか嫁が君 八草 小米雪運河の小船音もなく 裕章 老木に力瘤あり春隣 紀花 竜神の供物三個の寒卵 ふゆ子 医学書で探す病名寒燈下 とし江 おごそかに雅楽流るる初詣 ふじ穂 人のなき峡の華やぐ柿すだれ 康子 小正月気の向くままの古本屋 恵美子 寒梅や万葉がなのやうに散り 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
福引の種考へてゐるところ 雪 枯れ行くは枯れ行く庭の景として 同 懐手して身も蓋も無き話 同 思ひ遣り言葉に出さぬ懐手 昭上嶋子 言ひかねてただ白息を吐くばかり 同 きさらぎや花屋はどこも濡れてをり 同 父の碑を七十余抱き山眠る 一涓 藪入りを明日に富山の薬売り 同 人日や名酒の瓶を詫びて捨つ 同 一陣の風に風花逃げ廻る 世詩明 安座して児の母となる毛糸編む 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月22日 月例会 坊城俊樹選 特選句
舞ひ上がる金子銀子や落葉掻 千種 春近し湯気立つやうな土竜塚 昌文 寒林や父子のだるまさんころんだ 慶月 紅梅のどこより早く憲兵碑 同 冬帝に囲まれてゐる小さき者 いづみ 出征を見送る母子像の冷え 昌文 青銅となりて偉人は寒天に 千種 火の雨を知る大寒の展示館 いづみ
岡田順子選 特選句
狛犬の阿形の息を白しとも 俊樹 勾玉のほどけ巴に冬の鯉 千種 ただ黒し桜ばかりの寒林は 同 ボサノバを流し半熟寒卵 慶月 石に苔泥に苔あり日脚伸ぶ 和子 息白く母子像見てひとりきり 俊樹 寒林の一木たるを旨とせり 晶文
栗林圭魚選 特選句
冬の雲弛びそめたり大鳥居 要 朽木より梅百蕾の薄明り 昌文 ボサノバを流し半熟寒卵 慶月 能舞台脇座に現るる三十三才 幸風 日向ぼこして魂は五間先 俊樹 霜柱崩れ鳥居の崩れざる 同 青銅となりて偉人は寒天に 千種
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
大枯野太古は大海だつたかも ひとみ 初景色常の神木よそよそし 美穂 椰子の実のほろほろ落ちて神の留守 孝子 緋あけ色の空へ音ひき初電車 美穂 嫁が君大黒様の手紙持ち ひとみ おんちよろちよろと声明や嫁が君 睦古賀子 歌留多取対戦するは恋敵 睦吉田子 水仙はシルクロードの香を含み ひとみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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toyao-sp · 2 years
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Love Collection 122 妖艶 美巨乳攻め 1 - 無料動画付き(サンプル動画)
Love Collection 122 妖艶 美巨乳攻�� 1 - 無料動画付き(サンプル動画) スタジオ: Pink Clover シリーズ: Love Collection 時間: 28分 女優: ささきふう香 【「おじゃましま?す!」と事務所に面接にやってきた明菜ちゃん!お名前から生年月日にと聞いてスリーサイズをうかがってみると、上から86-58-90のEカップと見た目以上にナイスな体の持ち主なんであります。でもって写真撮影をしてから、メーカーさんに自己紹介するVTRを撮りましょうと男がカメラを手に持つと、「Eカップに見えないね?着痩せするほう?」なんて言って服を脱いでもらうと、正真正銘のEカップのお椀型オッパイなのでございました。そして「じゃあ下も脱いじゃおうか!」と黒のドレスを脱いでもらいますと、ソファーの上に座って足を広げておっぴろげでカメラに撮られてしまい、自分の指でビラビラを開いて DVD・DVD販売サイト【DVD村】 DVD正規販売のDVD村です。動画ダウンロード$1.49!サンプル動画あり、ブルーレイ、DVDあり。
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jujirou · 2 years
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おはようございます‼︎ 秋田県湯沢市川連は、雨が降っております‼︎ 昨日は定番商品と修理依頼や塗り直しの、塗り仕上げ後の管理や、硬化乾燥後の仕上がった品物を、順次漆風呂から出して検品と荷造り梱包、そして予想以上に難儀していた特注品も、ようやく仕上がりまで近づき硬化乾燥中… そしてお昼過ぎからは、漆器組合の部会の打合せを夕方まで行い、帰宅後は沢胡桃酒器の水研ぎ作業を一つ一つ進め、一日が終了‼︎ そして今日は休み‼︎…ですが、続きの作業やら、その他アレヤコレヤと有りそうですが、今日も一つ一つコツコツ頑張ります‼︎ 皆様にとって今日も、良い週末と成ります様に‼︎ https://jujiro.base.ec/ #秋田県 #湯沢市 #川連 #川連漆器 #川連塗 #漆 #漆器 #寿次郎 #国指定伝統的工芸品 #伝統的工芸品 #秋田工芸 #秋田の工芸 #秋田の工芸品 #秋田クラフト #秋田の物作り #秋田の物つくり #明月椀写し #沢胡桃酒器 #沢胡桃 #樹皮ぐい呑 #樹皮花器 #コーヒートレー #特注品 #漆器のある暮らし #Kawatsura #Urushi #japanlacquerware #JapanTraditionalCrafts #KawatsuraLacquerwareTraditionalCrafts #jujiro (秋田・川連塗 寿次郎) https://www.instagram.com/p/Chva6vovwwF/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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liliyaolenyeva666 · 3 years
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📛 1379 「空手バカ一代」 #1, 2, 3。
いきなりテレビの中で 「空手バカ一代」 がはじまりました。映像がとても綺麗ですので おそらく HDリマスター版か何かかなって思います。さてさて 今回は 「焼けあとに 空手は唸った (第1話)」 というお話です。日の丸の旗が揺らめく中、昭和20年8月。実写の映像とともに アメリカ軍の艦隊に向けて特攻隊が次々と発進していく中 “米英撃滅” なハチマキをキュっと巻いて 基地から離陸した途端に故障、出撃を中止されて悔しがる ひとりの兵隊がいました。場面は変わり、日本は敗戦。どこかへ向かう ぎゅうぎゅう詰めな汽車に ふんぞり返って乗り込む軍人どもがいます。泣き叫ぶ赤ん坊を連れた母親に汽車から降りろと怒鳴る軍人に向かって 「降りる必要は無い」 と 突然に 主役の声がします。「戦争はもう終わったよ 戦争もクソも無い」 と主役。「キサマのやうな奴がいたから 日本は負けたんだ」 と 格好良さ気なセリフを連発する主役は 不意に回想をし始めるのですけれど、何と回想場面は実写映像です。そんなリアルな回想場面を終えてから、日本刀を振り翳して襲いかかってくる危なっかしい軍人どもを バッタバッタとなぎ倒します。そんな強い主役は 昭和20年秋。池袋に辿り着きます。瓦礫だらけの街を歩くと “ゾウスイ 1杯 5円” や “ピーナッツ 1袋 3円” などの出店が並んでいますけれど、そんな中、こどもがカキを盗んで逃げ出します。「カキ泥棒ーっ!」 と 行き止まりに戸惑うこどもを捕まえ、顔を何度も叩くカキ屋の主人。とそこへ 「やめろよ。殴るのを止めろって言ったんだ」 と主役。渋々帰るカキ屋の主人の次に現るるは 女性を連れた米兵ふうの男です。「おい、日本の娘に向かって何をするんだ!」 とフラストレーション溜まりまくりな主役は やるせない怒りを 側にあったドラム缶に叩きつけます。ドラム缶を凹ませるくらいに浴びせかける拳。という訳で お腹が空いたのか、屋台のゾウスイを食す主役ですけれど、お椀の中から煙草の吸い殻がふわっと浮き出てきます。煙草の吸い殻が入ったとんでもないゾウスイをこの店は出すのか!と店主に問い詰めると、アメリカの残飯で作ったゾウスイだからさぁと 妙にあっさりしている店主。さらに 主役の怒りがこみ上げます。そんな主役の苛立ちに気づいたのかどうなのか チンピラなタツ兄いは 仲間にならないかと主役を誘いますけれど、主役は迷いもせずに断ります。タツ兄いの子分が折角の兄いの誘いを断るのかよ!っとイキガリますけれど、それでも主役は断ります。そんなころ、酔っ払った進駐軍の兵隊が、カキ屋の商品を暴れてめちゃくちゃにします。やめろっ!と店主が兵隊を止めに入りますけれど、あっさり 返り討ちに遭ってしまいます。ボッコボコにされる店主。と、そこへ 主役がふらりと現れて 店主を助けます。「Hey Jap C'mon!」 何て言いながら 3人掛かりで主役に襲い掛かる卑怯な軍人たち。相手の拳や飛び蹴りをサッと避け、カウンターを浴びせる主役。と、途端に 木の板を割る実写映像がながれます。実写が明けると、乱暴された店主は いつの間にか頭に包帯を巻いていたりします。それなりの時が過ぎたのでせうか。バッタバッタと 3人の米兵を倒した主役は、店主の娘さん?から お礼にカキを貰って喜びます。空手を14の時からずっとやっていたらしい主役は、こどもの頃の自分を回想しながら 熱い稽古をしている実写映像をも回想します。少し長めです。瓦割りや 4枚重ねな木の板割りをする実写映像を ホワワワワンと回想しながらカキを齧る主役に 「アハハハ 手を噛まないでね」 なんて娘さんに言われて いっしょになって笑う主役。娘さんと別れ、ひとりになった主役は 突然に 「俺には空手があったんだ これでいきていくぞ!オレは空手でいきてくぞ!」 と、声が漏れていますけれど 心に誓います。と、そんな青春まっしぐらな主役に向かって 先ほどのアメリカ兵がジープに乗って わざわざ仕返しにやって来ました。ジープで体当たりを仕掛けて来る米兵。サッと躱しながらも 追い詰められる主役。「しまった川だ!」 と崖っぷちで危機一髪な主役に 「このままでは 轢き殺される!」 というハラハラドキドキなナレーションが流れてきます。
つづいて
テレビの中で 「空手バカ一代」 がはじまりました。今回は 「悲しい用心棒 (第2話)」 というお話です。前回、第1話を観ていて、主役の名前が分からなかったりした わたしでしたけれど、今回はじめて ナレーションのお陰で 主役の名前が “アスカケン” ということがわかりました。さてさて、前回、得意の空手で 3人のアメリカ兵を叩きのめしたアスカケンは “hey hey jap!!” なんて 笑いながらジープに乗って来た 逆恨み3人組に 轢き殺されそうになっています。逃げ惑うなかで 行き止まりにぶつかったアスカケンは 飛び蹴りでジープよりも高く舞い上がり、アメちゃんをぶちのめします。そんな光景を少しだけ離れた場所で まじまじと見ていた一行のひとりが 「あの空手は本物だって」 なんて 兄貴ふうの男と話しています。アメちゃんを倒して ほくそ笑むアスカケン。「我ながらなかなかやるじゃないか」 と自画自賛するアスカケン。「俺には空手が残っていた そうか空手か!」 と 空手バカっぷりが絶好調なアスカケンは 瓦を割る実写映像を ホワワワワンっと生み出すなか 「先生!」 と声を掛けられます。「俺のことかい?」 と 満更ではないアスカケン。「いったい何だいお前たちは?」 とアスカケン。声をかけたチンピラふうな男は 前回も登場した タツ兄いでした。「どうぞ」 と 空襲に遭わなかった奇跡的な場所、焼け残った料理屋 (料亭) を案内されるアスカケン。ロクな食べ物がない世の中で 料理屋があることを不思議がるアスカケンは お座敷に並んだ料理を見て思わず 「あっ!」 と驚きます。「盛大にやっていただきましょうかね、先生」 とタツ兄い。「世の中すべてに裏あり」 とタツ兄い。飲みっぷりのいい先生は タツ兄いから 用心棒になって欲しいと ざっくばらんにお願いされます。「想像はついていた」 と 想像力豊かな先生。「お前たちよりも強い相手なら」 用心棒になってもいいかな、なんて思っている先生は 「うーん」 と悩みながらも 「よぉし!」 と 暴れに暴れてやるらしく 用心棒を引き受けます。翌る日か それ以降の日、早速 11対1の無茶なケンカに挑むアスカケン先生。ドスや割れたビール瓶を持った相手にも怯まず、あっさりぶちのめす先生を見て 「天下無敵の大先生がついているんだ、ふっふーんだ」 と 調子に乗るタツ兄い。べつの日かどうかは分かりませんけれど、ガード下でも チンピラどもを ぶっ潰す大先生の姿が。強すぎる大先生。場面は変わり、ビリヤードを楽しんでいる 青いスーツ姿の大先生とタツ兄いに 突然に襲いかかる魔の手がっ!けれども、襲ってきたチンピラを あっさりキューで撃退するアスカケン先生。後ろにも目をつけていないと気軽にビリヤードも出来ない世の中です。そんな アスカケン大先生の大活躍により 「縄張りも近頃は騒ぎが少なくなった」 なんて言っていた タツ兄いの目の前で シマ荒らしが現れます。「ヤクザなんてどいつもこいつも大嫌いだ」 なんて言うシマ荒らし。寄ってたかって引っ叩かれたりしているシマ荒らしに 「待てっ!」 とアスカケン先生。「こいつはオレが預かろう」 とアスカケン先生。訳ありな小僧を引き取ります。「ふんっ オマエになんか感謝してないぜ!」 と 恩を仇で返すシマ荒らし小僧。やれやれと 先生は 前回、吸い殻が入っていて ひどくショックを受けた “1杯5円の ゾウスイ屋” で ゾウスイを小僧にご馳走します。小僧の名は シンイチというさうです。お代わりをしたシンイチを家に送る先生ですけれど、と、家を破壊せんと大きな木槌で 壁を叩くチンピラたちの姿とシンイチのお母さんの姿が。立ち退きを 「待ってやっていた」 らしいチンピラらは 大きな木槌で壁を壊したり、やめて!と縋るシンイチのかあちゃんを突き飛ばしたり、シンイチを殴ったりと暴れまくっていますけれど、壁を壊す男の手を チョップで叩いた大先生は 「まあまあ今日のところは黙って帰って貰おうか」 と 格好良さげな台詞とともに ゴタゴタに自ら飛び込みます。「舐めた真似を!やっちまえ!」 と ピッケルや大きな木槌で 先生に襲いかかるチンピラたちですけれど、その後の結果は一目瞭然。「覚えてやがれ!」 と ダッシュでトラックに乗り込んで逃げ出します。とりあえず チンピラの親玉のいる会社に赴く大先生は シンイチが暮らす土地に ビルを建てる計画があることや、シンイチのところに 立退料を支払っていることを知ります。親玉な社長から 御車代を受け取ったものの、悔しさのあまり 親玉な社長の “東新商事” の看板をパンチで叩き割ります。シンイチの元に戻ってみると、社長と話をしている間に シンイチの家は 跡形も無くなっていました。呆然とする先生。シンイチに 受け取ったばかりの 御車代を渡すと シンイチは それを地面に叩きつけ、踏みにじります。何も言えない大先生。両手の拳を睨みつけ 「この手でいったい何が救えると言うんだ!」 と叫びます。場面は変わり、タツ兄いと 先ほどの社長に挟まれながら キャバレーで涙しながら アスカケンは お酒を ぐいぐいっと飲んでいます。そんな中 “キザクラ会” という会に属しているっぽい ガラの悪いチンピラらが店内で暴れ捲ります。止めるタツ兄い。止まらないキザクラ会。とそこへ 「消えろ!ドタバタ騒ぎは飽き飽きしてるんだ!」 なんて言いながら アスカケン先生が登場しますけれど 「ハジキっ!」 と キザクラ会のひとりが拳銃を取り出したことに タツ兄いが慌てます。後ろを向いて 両手を上げるタツ兄とアスカケンと社長。隙を見せた キザクラ会に チャンスを最大限に活かすアスカケンは 対空時間が長めな 空中二段蹴りなどを駆使して キザクラ会を こぼれ桜に変えます。実写映像の 木の板三枚割りを披露したあと 「命に別状はないが病院に連れて行け」 と ひとの命は奪わずに ダイナミックなアクションを決める先生は シンイチのことばが 胸にぐさりと突き刺さります。リフレインする 「ヤクザの用心棒に何ができる!」 と言うシンイチのことばに 「やめろーーーっ!」 と テーブルの上で頭を抱えるアスカケンは、ただ酔い潰れているだけなのかもしれませんけれど、思春期の若者のやうに 悩みごとで頭がいっぱいです。
つづけて
テレビの中で 「空手バカ一代」 がはじまりました。今回は 「正義と力の空手道 (第3話)」 というお話です。キザクラ会を必殺の技で倒したアスカケンですけれど、どうやら気持ちが収まらないやうで、ビールを浴びるやうに ぐびぐびと飲んで、白いワイシャツをビールまみれにしています。タツ兄いに他の店で飲み直さうと誘われ、外に出たアスカケンは 「ん?」 と後ろを振り返ります。けれども、気のせいだったらしく 歩き始めます。でも 気のせいではなく、跡をつけられています。タツ兄いから 重要な話があると言われ、何者かに跡をつけられながらも タツ兄いと べつのお店に向かったアスカケンは 「こんなところに!」 立派で小洒落たお店があることに驚きます。タツ兄いから 「先生が思っているほど東京は焼け跡ばかりではない」 なんて言われたアスカケンは お酒を飲みながら 「どうせ進駐軍のお下がりだらう」 なんてことを さらりと言います。「さすが先生だ!」 と 何がさすがなのか よく分からないタツ兄い。そんなころ、キザクラ会の兄貴は 「あの野郎のトドメは俺が刺す」 と アスカケンを倒すことしか考えていません。そんなキザクラ会の企みなんて露知らず、お酒をがばがば飲みながら 「道、道か」 と笑い出す空手先生。「俺たちはな、日本は、いや俺は 道を誤った外道だぜ」 と その道を極めてしまったアスカケンは “外道の道” ということばを少しだけ気に入ります。タツ兄いから 空手の力と商売上手と金の力でビルヂングを作る計画を誘われて 「重役?」 と聞き返すアスカケン。と、そこへ ナンブの旦那が現れます。前回登場した社長さんです。「トリオでワッと外道ばかり」 と外道ということばが すっかり気に入ってしまったアスカケンは 「日本も俺も落ちるとこまで落ちたんだ」 と 酔いが回ってしまったのか自暴自棄な台詞ばかりを口にします。と、そこへ タツ兄いの子分がお店に ワッと飛び込んできます。「何っ、とうとう来やがったか」 とタツ兄い。機関銃を手にしたキザクラ会の面々が お店の入り口前で銃を乱射しています。50連発のすごい奴な機関銃が火を吹いて、タツ兄いの子分らしきチンピラを血の海に変えています。「酒だ!おい、酒をくれ!」 とアスカ先生。「弱い!もっと強いのはないのか!強い酒だ!」 とアスカ先生。「おい、いちばん強い酒はどれなんだ!」 と なかなか先生の思いが伝わらない中で、酒瓶を棚から手に取ったアスカケンは、その瓶を 投げる、燃える、燃え過ぎる、と言った具合で 店内を火の海に変えます。「今だっ!」 と窓から脱出を図る 外道トリオ。逃げる中で左腕を撃たれたアスカケン。車で逃走を図るも 撃たれた腕を痛がるアスカケン。走り出した車内で 十字砲火から身を守る方法は 酒瓶しか無かったと お店を駄目にしたことを詫びるアスカケンに 惚れ直したナンブ社長とタツ兄い。「三途の川の入り口か、ワッハッハッハ」 と ナンブが笑ったりしている中、車は停車します。痛がるアスカケン。停めた先で やくざ嫌いで貧乏人から金は取らない腕の良いヤブ医者が現れ、アスカケンとタツ兄いらを “人間のクズのやうなウジ虫” 呼ばわりします。そして、口に含んだ酒をブーっと アスカケンの腕に浴びせて さっとメスを掴んで 腕を傷つけ弾を穿り出す先生。「さあ済んだぞ」 とアスカケンの腕を包帯で ぐるぐる巻きにします。土管の上で酒を浴びながら 「くそっ!道って何だ!道って何々だよ!」 と、酒飲み先生に言われたことが引っ掛かるアスカケンは タツ兄いにも “道” って何なのかを尋ねます。何を聞かれているのかよく分からないタツ兄いは いつの間にかキザクラ会から 命を狙われていたりする アスカケンを隠れ家へ案内します。「お世話になります」 とアスカケン。そこは古本屋のやうです。山積みになった本の中で ごろ寝をするアスカケン。「寝つかれやしないや、くそーっ!」 と 今週もフラストレーションでいっぱいなアスカケン。「ん?」 とアスカケン。アスカケンから銃弾を取り除いた 先生がやって来ます。 「どれどれ」 と傷口を診る先生。「まさしくおまえの言う通りすごい回復力だ」 と先生。空手の他に回復力も物凄かったアスカケンに 「正義がない、正義がないんだよ!」 と 空手バカに やくざの下で働くことを辞めさせます。いつの間にか座布団の上で正座をして話を聞いていたアスカケンは 先生が帰ったあと、ひとり頭を抱えて 「わからん!この俺には何もかもが分からなくなった!」 と 戸惑います。そんな悩み多き先生のことを 「最後の力を振り絞って切り込みだ!」 と、アスカケンの行方を追う 諦めの悪い キザクラ会の兄貴。そんなころ、古本屋の売り物の古本の中から “宮本武蔵” を読み始めるアスカケン。最初は寝転びながら読んでいたのに 正座して読み始めるアスカケン。第六巻まで ただひたすら読み耽るアスカケン。そんな中、先生の家の入り口を破壊して 先生にビンタを浴びせ、部屋の奥にどんと突き飛ばす キザクラ会の兄貴の姿がありました。「先生、先生大変だよ!」 とタツ兄い。「出て来い!空手野郎!」 とタイミングの良いキザクラ会。古本屋から出て来たアスカケンに ドスや日本刀で襲いかかるキザクラ会のチンピラ共は 意気込みだけは凄かったものの、あっという間にアスカケンに打ちのめされます。こっそりピストルで命を狙おうとした輩も アスカケンに見破られ、あっさり撃退されます。「死にたくなかったら、とっとと消え失せろ!」 と格好良くキメるアスカケン。もうアスカケンを襲ったりしないと誓って とっとと消え去るキザクラ会。一体誰がアスカ先生の居場所をバラしたんだらうと不思議がるタツ兄いの前に 「アスカ、許してくれ!」 と アスカの腕を治した先生が 傷だらけのボロンボロンな姿で現れます。自分という人間に負けたと先生。ベッドに運ばれ横たわる先生との会話の中で “力なき正義、正義なき力” とはどういうことかを思い、噛み締めるアスカケン。突然の池袋駅の前で 「俺は生きてやる、宮本武蔵のやうに」 と 読みたての本の影響をストレートに受けながら 「そうだ、正義ある力を!」 と タツ兄いの説得も虚しく、手ぶらで改札に向かうアスカケンは 列車に乗り込みます。何線に乗ったのか “安房小湊駅"で降りたっぽいアスカケンの後ろで "アスカの山籠りの第一歩が始まったのである” と、ナレーションの声が聞こえてきました。
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📛 003 「空手バカ一代」 #1。
いきなりテレビの中で 「空手バカ一代」 がはじまりました。映像がとても綺麗ですので おそらく HDリマスター版か何かかなって思います。さてさて 今回は 「焼けあとに 空手は唸った (第1話)」 というお話です。日の丸の旗が揺らめく中、昭和20年8月。実写の映像とともに アメリカ軍の艦隊に向けて特攻隊が次々と発進していく中 "米英撃滅" なハチマキをキュっと巻いて 基地から離陸した途端に故障、出撃を中止されて悔しがる ひとりの兵隊がいました。場面は変わり、日本は敗戦。どこかへ向かう ぎゅうぎゅう詰めな汽車に ふんぞり返って乗り込む軍人どもがいます。泣き叫ぶ赤ん坊を連れた母親に汽車から降りろと怒鳴る軍人に向かって 「降りる必要は無い」 と 突然に 主役の声がします。「戦争はもう終わったよ 戦争もクソも無い」 と主役。「キサマのやうな奴がいたから 日本は負けたんだ」 と 格好良さ気なセリフを連発する主役は 不意に回想をし始めるのですけれど、何と回想場面は実写映像です。そんなリアルな回想場面を終えてから、日本刀を振り翳して襲いかかってくる危なっかしい軍人どもを バッタバッタとなぎ倒します。そんな強い主役は 昭和20年秋。池袋に辿り着きます。瓦礫だらけの街を歩くと "ゾウスイ 1杯 5円" や "ピーナッツ 1袋 3円" などの出店が並んでいますけれど、そんな中、こどもがカキを盗んで逃げ出します。「カキ泥棒ーっ!」 と 行き止まりに戸惑うこどもを捕まえ、顔を何度も叩くカキ屋の主人。とそこへ 「やめろよ。殴るのを止めろって言ったんだ」 と主役。渋々帰るカキ屋の主人の次に現るるは 女性を連れた米兵ふうの男です。「おい、日本の娘に向かって何をするんだ!」 とフラストレーション溜まりまくりな主役は やるせない怒りを 側にあったドラム缶に叩きつけます。ドラム缶を凹ませるくらいに浴びせかける拳。という訳で お腹が空いたのか、屋台のゾウスイを食す主役ですけれど、お椀の中から煙草の吸い殻がふわっと浮き出てきます。煙草の吸い殻が入ったとんでもないゾウスイをこの店は出すのか!と店主に問い詰めると、アメリカの残飯で作ったゾウスイだからさぁと 妙にあっさりしている店主。さらに 主役の怒りがこみ上げます。そんな主役の苛立ちに気づいたのかどうなのか チンピラなタツ兄いは 仲間にならないかと主役を誘いますけれど、主役は迷いもせずに断ります。タツ兄いの子分が折角の兄いの誘いを断るのかよ!っとイキガリますけれど、それでも主役は断ります。そんなころ、酔っ払った進駐軍の兵隊が、カキ屋の商品を暴れてめちゃくちゃにします。やめろっ!と店主が兵隊を止めに入りますけれど、あっさり 返り討ちに遭ってしまいます。ボッコボコにされる店主。と、そこへ 主役がふらりと現れて 店主を助けます。「Hey Jap C'mon!」 何て言いながら 3人掛かりで主役に襲い掛かる卑怯な軍人たち。相手の拳や飛び蹴りをサッと避け、カウンターを浴びせる主役。と、途端に 木の板を割る実写映像がながれます。実写が明けると、乱暴された店主は いつの間にか頭に包帯を巻いていたりします。それなりの時が過ぎたのでせうか。バッタバッタと 3人の米兵を倒した主役は、店主の娘さん?から お礼にカキを貰って喜びます。空手を14の時からずっとやっていたらしい主役は、こどもの頃の自分を回想しながら 熱い稽古をしている実写映像をも回想します。少し長めです。瓦割りや 4枚重ねな木の板割りをする実写映像を ホワワワワンと回想しながらカキを齧る主役に 「アハハハ 手を噛まないでね」 なんて娘さんに言われて いっしょになって笑う主役。娘さんと別れ、ひとりになった主役は 突然に 「俺には空手があったんだ これでいきていくぞ!オレは空手でいきてくぞ!」 と、声が漏れていますけれど 心に誓います。と、そんな青春まっしぐらな主役に向かって 先ほどのアメリカ兵がジープに乗って わざわざ仕返しにやって来ました。ジープで体当たりを仕掛けて来る米兵。サッと躱しながらも 追い詰められる主役。「しまった川だ!」 と崖っぷちで危機一髪な主役に 「このままでは 轢き殺される!」 というハラハラドキドキなナレーションが流れてきます。つづく。
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xf-2 · 5 years
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イタリアにおける新型コロナウイルス感染状況は、凄まじいばかりだ。「全土崩壊前夜」といった類の煽り気味で絶望的なニュースが飛び交う。
だが、なぜイタリアでこれほど感染が拡大したのか、といった視点が決定的に欠落しているように思える。
そこで、鄧小平が断行した対外開放、つまり「中国人の移動」という観点からイタリアを襲っている惨状の背景を考えてみたい。
おそらくイタリア社会における中国人――その大部分は対外開放以後に海外に「走出去」して飛び出して行った新華僑世代――の振る舞いを捉えることで、ヨーロッパ全体を覆いつつあるパンデミック危機の背景を知ることが出来るはずだ。
中国人がいないと米作りが成り立たない 今から7、8年ほど前になるが、香港の中国系書店で『“不死的中国人”――他們干活、掙銭、改変着意大利、因此令当地人害怕』(社会科学文献出版社 2011年)なる書籍を購入した。
地下にしっかりと根を張りながら咲き誇るタンポポの表紙に魅かれたと同時に、日本語に訳すと『“不死身の中国人”――彼らは働いて、カネを稼いで、イタリアを変えている。だから土地の人に怖がられる』となる書名が醸し出す反中・嫌中の雰囲気が気になったからだ。
それにしても不思議に思ったのは、この本が北京の出版社から刊行され、しかも香港の中国系書店に置かれている点だった。
じつは、この本は中国人が著したものではなく、2人の若いイタリア人ジャーナリストがイタリア全土を駆け巡り、イタリア社会で生きる中国人の姿を克明に綴った
『I CINESI NON MUOIONO MAI:LAVORANO,GUADAGNANO,CAMBIANO L’ITALIA E PER QUESTO CI FANNO PAURA』(R.Oriani&R.Stagliano Chiarelettere 2008)
の翻訳である。
筆者にはイタリア語が分からないので、翻訳の出来不出来は判断のしようがない。が、なにはともあれページを追ってみた。
すると、中国人のイタリア社会への逞しくも凄まじいばかりの浸透ぶりが、溢れんばかりに綴られていた。
たとえば西北部の穀倉地帯として知られるピエモンテでのこと。
1980年代末に「紅稲」と呼ばれる雑稲が突然変異のように発生し、増殖をはじめ、稲の生産を急激に低下させた。ところが紅稲は除草剤や除草機では駆除できない。やはり1本1本を人の手で丁寧に抜き取るしかない。だが、肝心の単純労働力は不足するばかり。
そこへ、農家の苦境をどこで聞きつけたのか、大量の中国人がやって来た。イタリアで半世紀以上も昔に忘れ去られてしまった田の草取りの方法のままに、彼らは横一列に並んで前進し、紅稲を抜き取っていく。
<7、8月の灼熱の太陽を受け泥に足をとられながら、手足を虫に咬まれ、腰を曲げ、全神経を紅稲に集中する。想像を超える体力と集中力、それに一定の植物学の知識が必要だ。紅稲は一本残らず抜き取らなければ正常な稲に害が及ぶ。抜くべきか残すべきかを知っておく必要がある>(同書より抜粋)
過酷な作業ながら収入は少ない。だが喜んで中国人は請け負う。
ある日、田圃で中国人が脱水症状で倒れた。彼らに「健康を考慮し、明日からは10時間以上の作業を禁ずる」と告げた翌日、雇い主が田圃に行ってみたが、誰もいない。慌てて宿舎に駆けつけると、彼らは荷物をまとめて立ち去るところだった。
「毎日10時間しか働けないなんて、時間のムダだ」と、口々に言う。雇い主は、「中国人は疲れることを知らない。気が狂っている」と呆れ返る。
かくして同書は、「中国人がいないとイタリアの米作りは成り立たなくなってしまった」と嘆く。
「中国人って1カ所には留まらない」 農業に次いで、大理石の石工、ゴミ処理工場労働者、ソファー・皮革・衣料職人、バー、レストラン、床屋、中国産品の雑貨商などが中国人に依存するようになり、中国人はミラノを「イタリアにおける中国人の首都」にして、ありとあらゆる産業を蚕食していった。
その大部分は浙江省や福建省の出身者で、多くは非合法でイタリア入りしている。教育程度は他国からの移民に比較して低く、それゆえイタリア社会に同化し難い。
苦労をものともせず、倹約に努めるという「美徳」を備えてはいるものの、それ以外に目立つことといえば博打、脱税、密輸、黒社会との繋がりなど……。どれもこれも、胸を張って誇れるビジネスではない。文化程度の低さは、勢い生きるためには手段を選ばないことに繋がる。
これがイタリアで増加一途の中国人の現実である。
イタリア人は彼らを通じて中国を知る。だが中国人は、そんなことはお構いナシだ。
子供をイタリアの学校に通わせ、イタリア人として育てようとしている両親もいることはいるが、カネ儲けに邁進しているので、学校や地域社会で偏見に晒されている子供の苦衷なんぞを推し量る余裕も意識も持ち合わせてはいない。
同書の著者が、アンナと呼ばれる20歳の美しい中国娘に「夢は?」と尋ねる。すると彼女はこう答える。
<夢! そんなもの知らないわ。中国人って1カ所には留まらないものなの。あっちがよければ、あっちに行くわ。おカネの儲かり次第ってとこね。この地に未練なんてないの。もう14年は暮らしたけど、とどのつまりは行きずりのヒトなのネ……>
この印象的なシーンで、同書は終わっている。
アンナも他の中国人と同様に「とどのつまりは行きずりのヒト」なのだろう。
だが、新型コロナウイルスが「行きずりのヒト」と共に世界中を動き回ったとするなら、イタリアのみならず人類にとっては、やはり危険過ぎるというものだ。
対外開放でカネ・ヒト・モノが流入 1975年の時点で、イタリアでは400人前後の中国系住民(旧華僑世代)が報告されているが、鄧小平が対外開放に踏み切った1978年末から7年ほどが過ぎた1986年には、1824人になっている。
以後9880人(1987年)、1万9237人(1990年)、2万2875人(1993年)へと急増していったが、彼らは新華僑世代である。1990年代半ば、新華僑はイタリア在住外国人としては6番目の人口を擁していた。
1986年から1987年の間の1年間に見られた5倍以上の増加の主な要因は、1985年1月にイタリア・中国の両国間で締結(同年3月発効)された条約によって、イタリアへの中国資本の進出が促された点にある。
人民元(カネ)と共にヒト、つまり中国人労働者が大量にイタリアに送り込まれるようになった。また中国料理・食品(モノ)への嗜好が高まったことも、中国人労働者(ヒト)の流入に拍車を掛けたはずだ。カネ・ヒト・モノが中国からイタリアに向かって流れだしたのだ。
新華僑世代も旧華僑世代と同じように、同郷・同姓・同業などの関係をテコにして「会館」と呼ばれる相互扶助組織を持つようになる。1980年代半ばから1990年代末までの10年ほどで十数個の相互扶助組織が生まれた。これこそ新華僑世代増加の明らかな証拠だろう。
商品の発送元は温州市 彼らは強固な団結力をテコに、自らの生活空間の拡大を目指す。
たとえば、2010年前後のローマの商業地区「エスクィリーノ地区」には、衣料品、靴、皮革製品などを中心に2000軒を超える店舗がひしめいていたが、その半数は中国人業者が占めていた。
現在はそれから10年ほどが過ぎているから、その数はさらに増したと考えて間違いないだろう。
彼らが扱う商品の発送元は、浙江省温州市である。温州は、遥か昔の元代(1271~1368年)から中国における日用雑貨の一大拠点として知られる。新型コロナウイルスを巡っては、2月初旬に湖北省武漢市に続いて封鎖措置を受けた。
ローマの商業地区と新型コロナウイルスによって危機的レベルにまで汚染された中国の都市がモノとヒトで日常的に結ばれていたことを考えれば、イタリアの惨状が納得できるはずだ。
友人のイギリス人は、感染拡大の背景にはイタリア人の生活様式もあると指摘する。
イタリア人はオリーブやトマトといった健康的な食生活によって、肥満の多い欧州先進国においては珍しいほどに長寿国で、高齢者が多い。周辺先進国に比べて核家族化が進んでおらず、3世代同居も珍しくない。特に高齢者には敬虔なカトリック信者が多く、教会でお椀を共有してワインを飲む習慣があるという。
であるとするなら、中国人の「移動」という極めて今日的要因がイタリアの社会的・文化的伝統という“宿主”を得たことで、被害の拡大に繋がったとも考えられる。
中国人の数は40万人超 いま手元にある『海外僑情観察 2014-2015』(《海外僑情観察》編委会編 曁南大學出版社 2015年)を参考にし、近年のイタリアにおける中国人の状況を素描しておきたい。
中国人の人口は全人口の0.49%で30万4768人(2013年1月1日現在)。これに非合法入国者を加えると、実際は40万人超ではないか。
中国系企業が集中している地方は西北部のロンバルディア(1400社)、中部のトスカーナ(1万1800社)、東北部のヴェネト(8000社)、北部から中部に広がるエミリア・ロマーニャ(6800社)であり、貿易を主にして2万5000社前後。他にアパレルや製靴関係が1万8200社、レストラン・バー・ホテルなどが1万3700社を数える。
「イタリアにおける中国人の首都」であるミラノを見ると、イタリアが2008年のリーマンショック以後、経済危機に陥ったにもかかわらず、中国系企業、殊に食品関連は急増。同市で外国からの移住者が経営する600社のうち、中国人移住者のそれは17%を占めている。
アパレル産業の中心でもある中部のプラトでは、人口20万人余のうちの3万4000人を中国人が占めている。じつに7人弱に1人だから、一大勢力だ。彼らは有名ブランドの下請けから始まり、いまや伝統的な家内工業的���ステムを駆逐し、新たなビジネス・モデルを構築しつつあるという。
2014年4月、東北部のパドヴァには中国人経営のアパレル・チェーン店「CVG」が創業し、有名なファストファッションブランドの「H&M」や「ZARA」のライバルとして急成長を見せる。イタリアにおける中国系企業の小売り最大手は「欧売集団」で、イタリア全土で34軒のスーパーマーケットを経営しているという。
――以上は飽くまでも『海外僑情観察 2014-2015』に基づいたものであるが、ここからもイタリア社会への中国人の浸透度がある程度は理解できるだろう。
AC AFP via Getty Images AC Milanのイメージ写真 「ACミラン」の経営にも中国の影 「イタリアにおける中国人の首都」ミラノの象徴といえば名門サッカーチームの「ACミラン」だが、ここの経営にも中国人が大きく関係していた。
2014-15年シーズン終了後、ACミランのオーナーだったシルヴィオ・ベルルスコーニ元首相は、タイの青年実業家「Mr.Bee」ことビー・テチャウボンとの間で売却交渉を始め、2015年5月にACミラン株の48%売却で合意した。
Mr.Beeは、タイの「康蒂集団」と『星暹日報』の両社を傘下に置くサダウット・テチャブーン氏の長男である。
サダウット・テチャブーンは華人2代目で、華字名は鄭芷蓀。父親の鄭継烈が起こした建設業を引き継ぎ、1990年代初頭から積極経営に転じ、タイ国内のみならず中国やオーストラリアでの不動産開発やホテル経営にも乗り出した。
その後、タイの老舗華字紙『星暹日報』を買収し、2013年11月には広東省政府系の「南方報業伝媒集団」からの資本参加を得て、紙面も一新。それまでの繁体字からタイの華字紙としては初の簡体字横組みとし、電子版の配信、中国版Twitter「微博」の活用なども始めた。
当然のように論調にも南方報業伝媒集団の強い影響が感じられる。『星暹日報』は、タイにおける中国メディアの“別動隊”とでも言えそうだ。
さて、アブダビの資産管理会社「ADS Securities」と中国政府幹部が資金源と伝えられていたMr.Beeだが、ACミラン買収資金に苦慮していた。そこで彼が資金援助を申し入れた相手が、「阿巴里里集団」を率いる馬雲(ジャック・マー)であった。
2016年8月、ACミランは中国企業のコンソーシアム(共同事業体)に約832億円(株式の99.93%)で売却され、2017年4月にベルルスコーニ元首相はACミラン経営から撤退した。その後、2017-18年シーズン途中で中国系オーナーの債務不履行が原因で、最終的にはアメリカのヘッジ・ファンドが新オーナーに就任した。
華僑・華人の本質は移動 こう見てくると、「アンナと呼ばれる20歳の美しい中国娘」から現在の中国を代表する企業家・資産家の馬雲まで、じつに多くの中国人がイタリアと関わりを持っていることが分かるだろう。
同時に対外開放以後に顕著になった中国人の「移動」という現象が、合法・非合法に限らず世界各地の社会に様々な影響を与えていることも確かだ。武漢から感染が始まった新型コロナウイルスもまた、その一環と考えるべきではないか。
華僑・華人研究の第一人者である陳碧笙は、中国が開放政策に踏み切った直後に『世界華僑華人簡史』(厦門大学出版社 1991年)を出版しているが、同書で彼は、帝国主義勢力が植民地開発のために奴隷以下の条件で中国人労働者を連れ出した、つまり華僑・華人は帝国主義の犠牲者だという従来からの見解を否定した。
そして、華僑・華人の本質は、
「歴史的にも現状からみても、中華民族の海外への大移動にある。北から南へ、大陸から海洋へ、経済水準の低いところから高いところへと、南宋から現代まで移動が停止することはなかった。時代を重ねるごとに数を増し、今後はさらに止むことなく移動は続く」
との考えを提示した。
この主張をイタリアのみならず今や危険水域に達しつつあるヨーロッパ、アメリカ、日本、韓国、東南アジア、さらには感染報告が比較的少ないアフリカ、南米、そしてウズベキスタン、タジクスタン、キルギスタンなど中央アジアの国々にまで重ねてみるなら、新型コロナウイルスはもちろんのこと、中国発の“未知の危機”を今後も想定する必要があるだろう。
極めて逆説的な表現ながら、いまこそ国境を閉じて富強を目指した毛沢東の“叡智”を見返す必要を痛感する。新型コロナウイルスを「毛沢東の怨念」と見做すのは、筆者の偏見だろうか。
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gallery-yaichi · 5 years
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・ ・ 今月末からの展示会のご案内となります。 写真は新作の蓋付椀_赤。 仕上げや色を掛け分けており、 杉田さんの魅力の詰まった一椀です。 ・ ・ 杉田明彦 漆器展 Akihiko Sugita Exhibition 2020.3.28.sat.-4.12.sun. 作家在廊日:28(土) close:月曜・第一火曜日 open:11-19:00 (28(土)のみ ~18:00まで) *27(金)は展示準備のため臨時休業 出品予定作品 : 椀, 皿, 鉢, 茶托, 盆,折敷, カップ, 蓋物, 茶器, 花器, 乾漆,平面作品等の一点物から定番・新作の作品まで 漆工・杉田明彦さんの作品展となります。完成までに多くの行程のある塗りの中で、層を生かした独特な質感をつくり出されています。その造形と漆の表現をご覧下さい。 Profile 1978 東京都文京区生まれ | 学習院大学文学部哲学科中退 | 手打蕎麦店での修業の後、07年に輪島へ | 塗師 赤木明登氏のもとで修業 | 2013 独立 | 2014 金沢に工房を移す | ・ ・ #yaichi #やいち #器 #うつわ #cafe #カフェ #アンティーク #antiques #古道具 #埼玉 #北本 #杉田明彦 #AkihikoSugita #漆器 #japaneselacquer (Gallery&Cafe やいち) https://www.instagram.com/p/B9nmanaHv9V/?igshid=1aly6iadgad0m
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takahashih-blog · 5 years
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<HTML> <HEAD> <TITLE>最初の働きアリが羽化してから</TITLE> </HEAD> <BODY TEXT="#000000" BGCOLOR="#FFFFFF" LINK="#2a04ff" VLINK="#ff0a11" ALINK="#FFFFFF"> <H1>最初の働きアリが羽化してから</H1> <IMG SRC="07041.jpg"><P> <TABLE BORDER=0> <TR><TD> 7月6日<BR>  朝、働きアリは3匹になっていた。穴は掘っていなかった。ベランダに出し、外界に通ずる穴を開放した。ガラスの内側に土がこびりついて中が見えにくくなっていたので、3枚目のガラスを横から入れ、元から付けていたガラスを押し出すようにして入れ替えた。横の木材が細かったので、容器全体がきしんでアリがあわてていた。働きアリのうち1匹は羽化したばかりらしく繭の上でじっとしていたが、他のアリは繭を持ち上げられるようになっていた。でも、女王アリを含め、繭をどこに集めるかとかどこに穴を掘るかとかは、1匹ごとにバラバラに仕事していた。外に通ずる穴の周りに砂糖をまき、放っておいた。<BR> <BR><HR> 7月7日<BR>  働きアリは3匹とも働いていた。女王アリは繭の上でじっとしている。穴は暗い方のガラスに沿って掘られていたが、途中らしく女王アリも繭も地面の上にある。砂糖の状態から、外にはまだ出ていないらしい。穴が小さかったかもしれない。ドクガとクロナガアリの女王アリの死骸を置いておいた。<BR> <BR><HR> 7月14日<BR>  巣の深さは5cmくらいで、幼虫がちらっと見られた。働きアリが巣の外を歩いていたが、外界には出ていなかったので、容器のふたを外した。そのままだとガラスが両脇に倒れてしまうので、洗濯ばさみでごまかした。そのうちふたの穴を広げて付け直そうと思う。<BR> <BR><HR> 7月18日<BR>  働きアリが5・6匹はいる。8mmくらいの大きめの働きアリもいる。どのアリも腹が膨れていたので、砂糖のところまでは餌取りに行ったのだろう。ガラスに土がこびりついて中が見にくかったので、反対側のガラスも換えようとしたら、土が一緒にスライドし巣がつぶれてしまった。あわてて戻したが、巣がぐちゃぐちゃになってしまった。<BR> <BR><HR> 7月20日<BR>  ガラス換えに再挑戦した。巣は原形をとどめないくらいに破壊されたが、アリは無事だった。手のひらをガラスで切った。女王アリが土の下敷きになったが、働きアリは1匹を除いて掘り起こそうとしなかった。「女王アリが下敷きになっている」などという情報は伝達できないのだろう。結局自力で這い出した。<BR> <BR><HR> 7月21日<BR>  巣の元の入り口は18日のガラス替えでふさがっていたのだが、20日のガラス替えでできた巣と外をつなぐ割れ目が、働きアリによってふさがれていた。餌はどうするのだろうか。腹が減ったらまた掘り返すのだろうか。<BR> <BR><HR> 8月5日<BR>  久しぶりに水をやった。日陰に置いてあるためか、なかなか乾かない。働きアリは5匹ほど、繭や大きい幼虫もそれくらいいた。女王アリの腹が小さいのが気になる。外に砂糖をばらまいておいた。巣のそばのクモの巣は、一応壊しておいた。捕まえたクモはベランダの外に放り出した。<BR> <BR><HR> 8月13日<BR>  1週間ぶりに山から帰ると、土が少し乾いていた。本当は容器の下を水に沈めて毛細管現象で土を湿らす予定だったが、面倒なので上から水を流した。巣に浸水するとアリが土を巣の壁のあちこちに付けて、巣の中が見えにくくなってしまう。巣から離れたところに慎重に水を注いだ。巣が容器全体に広がるまではこの方法で水をやろう。繭や幼虫は何個も見えたし、女王アリの腹もそんなに小さくなかったが、働きアリが4匹しか見えなかったのが気になる。付近のクモの巣を掃除していったら、クモの巣にかかった働きアリを1匹見つけた。<BR> <BR><HR> 8月28日<BR>  いつの間にか部屋が容器の一番底にあった。水をやっていないのに土が湿っていたので、大雨の時浸水して、慌てて掘ったのだと思う。働きアリは3匹。繭は1個。女王アリの腹は限界まで小さくなっている。1匹の働きアリが幼虫を咬んでいた。いつまでもつだろうか。一冬も越せずに終わるかもしれない。なんかいい手はないものか。<BR> <BR><HR> 9月14日<BR>  土がからからに乾いていたので、慌てて水をやる。働きアリ1匹。小さな幼虫2匹。女王アリの腹は何を食べたのか少し膨らんでいる。<BR> <BR><HR> 9月15日<BR>  玄関に落ちていたゴミムシの死骸を容器の中に入れておいた。もっと早くから餌をやっておけばよかったかもしれない。<BR> <BR><HR> 9月19日<BR>  女王アリも働きアリも消えていた。餌取りから帰らない働きアリを待てず、自ら餌取りに出掛けたと思われる。部屋の真ん中には小さな幼虫2匹がぽつんと。地表に通ずる穴は、女王アリが通れるぎりぎりの大きさに広げられていた。穴から10cmに置いたゴミムシの死骸は手が着けられていなかった。ひょっとして戻ってくるかもしれないので、幼虫が生きている間はそのままにしておく。<BR> <BR><HR> 9月23日<BR>  やはり女王アリは帰らない。幼虫はそのまま。ゴミムシにはかびが生えていた。(だから餌はむやみと容器に入れるべきではない。土が腐ってアリが病気になる。)<BR>  ここまで早く働きアリが減るとは思っていなかった。何が悪かったのだろうか。容器だろうか。餌のやり方だろうか。幼稚園の頃から何度も飼おうと試みてきたのに、未だに1年以上飼うことができない。難しいものだ。<BR> </TD></TR></TABLE> <BR><HR><ADDRESS>高橋 秀徳/[email protected]<BR> Mail:[email protected]</ADDRESS><P> </BODY> </HTML><HTML> <HEAD> <TITLE>クロオオアリとは</TITLE> </HEAD> <BODY TEXT="#000000" BGCOLOR="#FFFFFF" LINK="#2a04ff" VLINK="#ff0a11" ALINK="#FFFFFF"> <H1>クロオオアリ(アリ科・膜翅目)<ADDRESS>Camponotus japonicas Mayr</ADDRESS></H1> <IMG SRC="joouari.gif"><IMG SRC="haarimes.gif"><IMG SRC="haariosu.gif"><BR> <TABLE BORDER=0> <TR><TD>  左から、女王アリ・若い女王アリ・オスアリ。<P>  体は黒色で光沢は少ない。よく見ると褐色の剛毛が有り、特に腹部末端に多い。頭楯は円味を帯び、少し突出する。最も普通に見られるアリで、乾燥地を好み巣を作る。日本・朝鮮・中国等に広く分布する。羽蟻は5~6月に飛び出す。<P> 女王アリ 体長17mm 開張36mm<BR> オスアリ 体長10mm 開張21mm<BR> 働きアリ 体長7~13mm<BR> </TD></TR></TABLE> <BR><HR><ADDRESS>高橋 秀徳/[email protected]<BR> Mail:[email protected]</ADDRESS><P> </BODY> </HTML>
<HTML> <HEAD> <TITLE>最初の働きアリが羽化するまで</TITLE> </HEAD> <BODY TEXT="#000000" BGCOLOR="#FFFFFF" LINK="#2a04ff" VLINK="#ff0a11" ALINK="#FFFFFF"> <H1>最初の働きアリが羽化するまで</H1> <TABLE BORDER=0> <TR><TD> <A href="05250.jpg">5月25日</A><BR>  午後6時、家へ帰ろうとしていたら、目の前をクロオオアリの女王アリが歩いていた。結婚飛行を終え、羽を切って巣作りをする場所を探しているらしい。思わず捕まえてしまった。体をつままないように、両手で追い込んで手に登ってくるようにしむけた。ルーズソックスの女子高生がPHSでしゃべりながら脇を通り抜けていく。ちらちらとこちらを見るが、僕の知ったことではない。両手を合わせて空間を作り、そこに納めて家路についた。<BR>  小さな瓶に入れた。湿らせた脱脂綿を入れ、砂糖をひとかけら入れた。結婚飛行を終えた女王アリは、もう使うことのない胸の筋肉を溶かして子供を育てるが、餌を与えた方が子育てがしやすくなる。<BR>  <A href="05251.jpg">触角の掃除</A>。<A href="05252.jpg">足の掃除</A>。<A href="05253.jpg">掃除で得た体表ワックスなどを口に運ぶ</A>。<BR> <BR><HR> 5月26日<BR>  朝、まだ卵を産んでいなかった。脱脂綿の余分な水分を取り、お椀をかぶせて暗くした。夜、まだ卵を産んでいなかった。よっぽど巣のえり好みの激しい個体だと思われる。ティッシュペーパーを軽く丸め、容器に詰めた。ティッシュを適当にかみちぎって部屋を作り、産卵してくれることを願う。写真撮影はあきらめた。<BR> <BR><HR> 5月27日<BR>  夜、まだ卵を産んでいなかった。ティッシュの余分な水分が逃げるようにした。<BR> <BR><HR> 5月28日<BR>  朝、まだ卵を産んでいなかったので、8割ほど土を入れたジャム瓶に移し、薄暗いところにおいた。夜、穴を掘らずに卵(長径1.2mm、短径0.6mmのソラマメ型。白色だが、中心から少しずれたところが1ヶ所黄色くぼんやりしている。)を2個産んでいた。もとの小さな瓶に入れ、今度は脱脂綿を堅く絞って入れた。卵はつるつるでお互いくっつかないため、針の先で移すのに苦労した。アリは目が悪いので、顎から落としてしまった卵を触角でさがす様子は、落としたコンタクトをさがす人に似ている。触角の先に触れないと認識できないらしい。<BR> <BR><HR> 5月29日<BR>  朝、卵はそのまま。小さな瓶は居心地が悪いと見えて出口を探していたが、時々戻って卵をなめていた。夜、卵が3個になっていた。<BR> <BR><HR> <A href="05301.jpg">5月30日</A><BR>  朝、卵が6個になっていた。落ち着いたようなので、撮影した。夜、卵は脱脂綿の上に移されていた。<BR> <BR><HR> 5月31日<BR>  夜、脱脂綿に水を2滴落とした。アリは卵をなめるとき、顎ではなく2本の前足で押さえながらなめている。<BR> <BR><HR> <A href="06010.jpg">6月1日</A><BR>  1:50頃、ふと見たら足を踏ん張り体を軽く曲げた状態で1回けいれんした。そのまま見ていたら、腹を曲げて触角で腹の先端を探りながら口でなめ始めた。ゆっくりと白い卵が出てきて、1~2分ほどで産卵し、顎でくわえて他の卵の所へ持っていった。数えたら卵は8個だった。<BR> <BR><HR> <A href="06030.jpg">6月3日</A><BR>  夜、外泊から帰ってきたら卵が11個になっていた。しかし女王アリの様子がおかしい。じっとして動かない。よく見ると脱脂綿が乾いていた。堅く絞ったので、保水量が足りないらしい。スポイトで水を与えたら与えすぎて、女王アリは浸水と思い、土のかたまりを移動したり脱脂綿にかみついたりと慌てだした。自然状態でも雨で浸水すると、掘った土で浸水箇所をふさぐのだろう。脱脂綿に吸収し切れていない水分を吸い取ったら卵の世話に戻った。<BR> <BR><HR> <A href="06040.jpg">6月4日</A><BR>  夜、卵は12個になっていた。全体が白い卵と、1/4ほどが透明で残りが黄色い卵がある。白い卵は産卵から1,2日以内である。<BR> <BR><HR> <A href="06050.jpg">6月5日</A><BR>  夜、卵は14個になっていた。一塊りになっているので、いい加減数えるのがつらくなってきた。中学の頃に飼った記録によると、最初に産む卵の数は十数個、産卵から孵化まで約2週間であった。いくつかの卵は、先に孵化した幼虫の餌になる。だったら初めから産まなければいいのにと思うが、早く成長した個体が死んだときのためだろう。<BR> <BR><HR> <A href="06060.jpg">6月6日</A><BR>  夜、卵は15個になっていた。15個も産んだのに、腹は捕まえてきたときより大きくなっている。砂糖は本当に少ししか与えていないので、溶けた胸の筋肉の成分が腹に蓄えられているのだろう。<BR> <BR><HR> <A href="06070.jpg">6月7日</A><BR>  夜、卵は17個になっていた。今までクロオオアリは十何回も飼ったような気がするが、こんなに産んだのは初めてだと思う。女王アリは普段は卵の上に覆い被さるような格好でじっとしている。撮影の時動いているのは、カメラをセットするときの震動で驚いているからだ。毎日のように驚かして申し訳ない。<BR> <BR><HR> <A href="06080.jpg">6月8日</A><BR>  夜、卵は17個のまま。ひょっとして1個産んで1個食べたりとかしているかもしれないが、1日中見ているわけではないので分からない。高校の頃、毎日ガラスケース内のアリの巣を2時間くらい見ていたことがあった。専門書にも載っていないようなアリの性質を発見できた反面、成績ががた落ちして大変だった。今ならビデオを使って観察できるが、もうそんなことまでする気にはなれない。<BR> <BR><HR> <A href="06090.jpg">6月9日</A><BR>  夜、卵は21個になっていた。条件も悪いはずなのにこんなに産むなんて信じられない。<BR> <BR><HR> <A href="06110.jpg">6月11日</A><BR>  夜、卵は23個になっていた。脱脂綿が乾きかけていたので、水をやった。一部の卵がしなびた感じになっている。卵は水分を周りの土や空気から得るらしい。女王アリがなめるから脱脂綿が乾いても大丈夫だと思っていたが、違うようだ。経験上孵化「予定日」は12日なのだが、遅れるかもしれない。<BR> <BR><HR> <A href="06120.jpg">6月12日</A><BR>  夜、卵は21個で、2匹が孵化して体長1.5mmほどの幼虫になっていた。幼虫は白いウジ虫型で、体の中心を貫く腸が黒く見える。細くなっている頭を折り曲げているので、ぱっと見卵と同じ形だが、頭が腹から少し浮いて突起状に見えることと、卵にはない体節を手がかりに見分けた。(<A href="06121.gif">こんな形</A>)卵の殻は他の卵と一緒にあった。食べれば少しでも栄養になるだろうに。卵を移動するときは一緒に移動しているので、区別できないのかもしれない。<BR> <BR><HR> <A href="06130.jpg">6月13日</A><BR>  夜、卵は22個で、幼虫は3匹だった。幼虫のうち2匹はもう体長2mmくらいに成長していた。小さい幼虫がなぜか1匹だけ離れたところにいて女王アリに無視されていたので、針で他の卵の上に移した。ひょっとしたら余計なお節介だったかもしれない。今日の写真では、女王アリの左中足の上の方に、体が斜め右下を向き、頭を右上の方に曲げている幼虫がいます。見えるでしょうか…<BR> <BR><HR> <A href="06140.jpg">6月14日</A><BR>  夜、卵は19個で、幼虫は6匹だった。どうも、産卵から孵化までは正確に15日らしい。それから、卵と幼虫、幼虫の中でも体の大きさによって置き場所を分けて世話するようになった。1つの塊になっていたときに比べて、数えるのが楽になった。また、卵の殻は食べられているらしい。いくら探してもないので、12日に観察されたのは偶然だろう。おそらく、孵化できる状態になった卵は何らかの化学物質を出し、女王アリがそれを感知して顎で殻を破いて食べることで孵化するのだろう。自力で孵化したりする可能性もあるので、いつか観察したい。<BR> <BR><HR> <A href="06150.jpg">6月15日</A><BR>  夜、卵や幼虫の数はそのままだったが、幼虫のうち1匹が3mmほどにまで大きくなっていた。女王アリは、成虫を早く得るために、先に成長した幼虫を集中して育てるそうだ。<BR> <BR><HR> <A href="06160.jpg">6月16日</A><BR>  夜、卵や幼虫の数はそのままだったが、幼虫のうち1匹が4mmほどにまで大きくなっていた。逆に、最後に孵化した幼虫は体長1.5mmほどのまま変わっていなかった。餌をほとんどもらっていないのだと思う。ところで今までの写真を見てみたらぼんやりしてよく分からなかったので、今日はちょっと工夫してみました。今度こそ幼虫の形が分かると思います。<BR> <BR><HR> <A href="06170.jpg">6月17日</A><BR>  夜、卵は16個で、幼虫は9匹だった。一番大きい幼虫は5mmほどにまで大きくなっていた。働きアリが羽化したら、もっと大きくて外に餌取りに出られる容器に移さなければならない。設計図は頭の中に大体書いたので、早いうちに作りたい。<BR> <BR><HR> 6月19日<BR>  夜、1匹の幼虫が、底のガラスや周りに積まれた小さな幼虫を利用して繭を作っていた。幼虫の数を数えようとふたを外したら、女王アリが幼虫を移動し、作りかけの繭が壊れてしまった。今日は撮影はあきらめよう。6mm位の幼虫は他に2匹いて、その他の幼虫はみな2mm位の大きさだった。<BR> <BR><HR> <A href="06210.jpg">6月21日</A><BR>  夜、卵9個、幼虫11匹、繭3個、位かなあ。幼虫のうち、3匹が5mm位だった。繭はベージュで、頭側の方が少し太い。繭のうち1個は尾側が黒くなっていた。幼虫の間ずっとため込んでいた糞を、蛹化の際に一気に排泄したものだと思う。糞をため込むのは汚いと思うかもしれないが、羽化の後繭と一緒にまとめて捨てられるので衛生的なのである。カブトムシ幼虫の腹の先が黒いのも同じである。以前ハチ関係の本で読んだことなのだが、昆虫は先口動物なので、胚にできた最初の陥没が口や食道になるのだが、その反対側も陥没して後腸に、中胚葉性に中腸ができるそうだ。そして普通の、例えばチョウの幼虫は孵化の時点で全ての腸がつながるが、ハチの幼虫は中腸と後腸がつながらないまま孵化するそうだ。そして蛹化の際に中腸と後腸がつながり、中腸にため込まれてきた消化物が排泄されるそうだ。アリも同じだと思う。スズメバチではその排泄物があの6角形の部屋の底に押し固められて巣の強度向上に一役買っているそうだが、アリの場合は役には立っていないと思う。<BR> <BR><HR> <A href="06220.jpg">6月22日</A><BR>  夜、前日と余り変わらず。ただ、6mmほどの幼虫が1匹、頭を激しく動かしていた。繭を作っているのだと思う。早く新しい入れ物を作らねばならないが、なかなかハンズに行けない。それから更新が遅れたのは、パソコンの再インストールをやっていたからです。さっきFTPのソフトをインストールしたばかりです。<BR> <BR><HR> <A href="06230.jpg">6月23日</A><BR>  夜、前日の幼虫が1匹繭になった他は余り変わらず。女王アリの腹がなかなか小さくならないのが不思議だ。<BR> <BR><HR> <A href="06240.jpg">6月24日</A><BR>  夜、卵5個、幼虫14匹、繭5個。新しい繭ほど白い。容器の壁面に付いた水滴に土が付けられていた。水が壁からしみ出していると勘違いしているらしい。余計なストレスを避けるためにも何とかしてやりたい。今は容器をビデオデッキの上に置いているため、デッキの熱で容器の底面だけ暖まり、蒸発した水分がより温度の低い壁面やふたに結露していたのだと思う。容器の置き場所を変えてみた。<BR> <BR><HR> <A href="06260.jpg">6月26日</A><BR>  夜、繭が7個に増えていた。一番新しい繭は、中の幼虫が糸を8の字状に吐き出している様子が見えた。容器の壁面の水滴はあらかたが消えた。<BR> <BR><HR> <A href="06270.jpg">6月27日</A><BR>  夜、前日と変わらず。水を与えた。ハンズで板ガラス3枚と木材、締めて\1,921-買ってきた。でも疲れてすぐ眠ってしまったので、梱包してあるままである。そういえば、鋸を最後に使ったのは何年前だったろうか。ハンズの店員さんに頼んで切ってもらえば良かったかな。<BR> <BR><HR> <A href="06280.jpg">6月28日</A><BR>  夜、繭が9個に増えていた。幼虫が次々と大きくなっているので、これからも繭は増えそうだ。新しい容器を作った。後は接着剤が固まるのを待って、土を入れれば完成である。<BR> <BR><HR> <A href="06290.jpg">6月29日</A><BR>  朝、新しい容器の接着剤が乾いているかチェックしていたら、ガラスで指を切ってしまった。ガラスの角ってどうやって丸めるんだろうか。横浜のハンズでは「ステンドグラスを作ろう」とかいうコーナーにしか板ガラスがなかった。角の丸まったガラスは日曜大工の店で以前見かけたことがあるが、もう容器を作ってしまったので、角に気をつけながらこのままで行こうと思う。夜、繭や幼虫は前日と変わらず。働きアリが生まれたら、新しい容器に入れてベランダに出そうと思う。今までのような毎日の観察は不可能になる。本当は容器は家の中で、チューブで外界につなげて餌を外から自力で調達させるのが理想だが、親の家でそんなことはできない。かといって外界と完全に遮断して、虫の死骸を毎日拾ってくるというのはしんどい。高校の時、生き餌がいいと思って生きた虫を捕まえてやっていたときがあったが、餌の虫がかわいそうで、少ししか続かなかった。巣を外に出しておくと、今度はクモなどの外敵に食われたり他の巣のアリとの生存競争に敗れて、少ししかいない働きアリが全滅してしまうのである。だから、ベランダ周りのクモを全て捕まえて遠くに捨て、他のアリの巣にアリ用殺虫剤をまくなどすれば完璧なのだろうが、そこまで矛盾した行為は働きたくない。せいぜい家の玄関に虫の死骸が落ちていたら巣の側に持っていってやるぐらいにして、後は自然の摂理に任せるつもりだ。多分働きアリは1年ぐらいかけて全滅すると思う。そうすると女王アリ単独で餌探しに出てくるんだけど、そんなんで巣を立て直せるほど世の中甘くない。一度そういう女王アリを捕まえたことがあったが、カビに感染していたらしく、まもなく足の傷から胞子を出して死んでしまった。そんな結末は見たくはないのだが、そうなる方が普通で、でなければ地面がアリの巣だらけになってしまう。では、もしうまくいったら?...うーん、大きな容器に移したいのもやまやまなんでけど、大きな板ガラスって理不尽に高いんだよね。適当に自然に帰しちゃうのかな。<BR> <BR><HR> <A href="06300.jpg">6月30日</A><BR>  夜、卵4個、幼虫11匹、繭10個。いつの間にか女王アリの腹が、これ以上縮めないくらいにまで縮んでいた。幼虫に栄養を吸い取られたというよりは、卵巣の活動停止によると考えた方が自然だ。しかし今までも腹が縮んだり大きくなったりを繰り返したように思うので、今度はどうなのかじっくり見極めたい。<BR> <BR><HR> <A href="07010.jpg">7月1日</A><BR>  学校からの帰り道、気持ち悪くなって寄っかかった壁に大きめの昆虫の羽を認めた。さわったら、それにくっついて胸と頭が転がりでてきた。見覚えのある、クロオオアリの女王アリのそれだった。クモの巣にかかり、体液を全部吸い取られてしまったらしい。女王アリは、親の巣を出て飛び立つ間にそのほとんどがスズメやムクドリなどに食われる。その様は今年の結婚飛行の時に何時間も見てしまったので、ある意味慣れてしまっていたが、結婚飛行を終えてから巣を掘るまでも危険にさらされていることを痛感した。実際、他の巣のアリに襲われる女王アリはよく見かけてきた。転がり出てきた死骸から、トビムシがあわてて逃げていった。私はますます気持ち悪くなり、その場を立ち去った。夜、前日と余り変わらず。女王アリの腹は小さいまま。<BR> <BR><HR> 7月2日<BR>  夜、大きい幼虫が3匹になっている他は前日と余り変わらず。他の幼虫は皆1mmくらいで、繭の周りにくっついていたりする上、卵と同じ大きさなので数える気がしない。女王アリの腹が痛々しいほど小さく見える。<BR> <BR><HR> <A href="07030.jpg">7月3日</A><BR>  夜、繭が11個になっていた。繭のうち1個は透けて中の蛹が黒く見える<A href="07031.jpg">(矢印の先)</A>。明日羽化するだろう。撮影のため揺らしたら、まずその繭を持って移動するので、女王アリも羽化が近いことを認識していると思う。繭が透けるのは蛹から出る酵素のせいかと思っていたが、女王アリが唾液で溶かしているのかもしれない。それとも、単に蛹が黒くなるだけなのだろうか。<BR> <BR><HR> <A href="07040.jpg">7月4日</A><BR>  夕方、待望の働きアリが誕生した。体長6mm程の小さな働きアリである。クロオオアリの働きアリは多形で、体長7mmから13mmまで様々な大きさの働きアリが存在する。巣ができたばかりは栄養状態が悪いので、皆最小の大きさである。女王アリに付いて働いていたが、繭1個持ち上げられない状態だった。夜、卵9個、幼虫7匹、繭11個、働きアリ1匹。新しい容器に土を入れ、アリを移した。まず古い容器を冷凍庫に入れアリの動きを鈍くし、女王アリと働きアリを別の容器に移した上で、卵・幼虫・繭を新しい容器に入れた。女王アリと働きアリをさらに冷やして新しい容器に移したが、このとき冷やしすぎて働きアリがぐったりしてしまった。ひやっとしたが、しばらくしたら元に戻った。女王アリは散らばった繭や幼虫を1カ所にまとめ、土を掘り始めた。働きアリは繭の山の上に陣取って動こうとしない。どこが「働き」アリなのか。それとも羽化してすぐだからだろうか。しばらく様子を見てから外に出し、出入り口を開放しようと思う。<BR> </TD></TR></TABLE> <BR><HR><ADDRESS>高橋 秀徳/[email protected]<BR> Mail:[email protected]</ADDRESS><P> </BODY> </HTML>
<HTML> <HEAD> <TITLE>最初の働きアリが羽化してから</TITLE> </HEAD> <BODY TEXT="#000000" BGCOLOR="#FFFFFF" LINK="#2a04ff" VLINK="#ff0a11" ALINK="#FFFFFF"> <H1>最初の働きアリが羽化してから</H1> <IMG SRC="07041.jpg"><P> <TABLE BORDER=0> <TR><TD> 7月6日<BR>  朝、働きアリは3匹になっていた。穴は掘っていなかった。ベランダに出し、外界に通ずる穴を開放した。ガラスの内側に土がこびりついて中が見えにくくなっていたので、3枚目のガラスを横から入れ、元から付けていたガラスを押し出すようにして入れ替えた。横の木材が細かったので、容器全体がきしんでアリがあわてていた。働きアリのうち1匹は羽化したばかりらしく繭の上でじっとしていたが、他のアリは繭を持ち上げられるようになっていた。でも、女王アリを含め、繭をどこに集めるかとかどこに穴を掘るかとかは、1匹ごとにバラバラに仕事していた。外に通ずる穴の周りに砂糖をまき、放っておいた。<BR> <BR><HR> 7月7日<BR>  働きアリは3匹とも働いていた。女王アリは繭の上でじっとしている。穴は暗い方のガラスに沿って掘られていたが、途中らしく女王アリも繭も地面の上にある。砂糖の状態から、外にはまだ出ていないらしい。穴が小さかったかもしれない。ドクガとクロナガアリの女王アリの死骸を置いておいた。<BR> <BR><HR> 7月14日<BR>  巣の深さは5cmくらいで、幼虫がちらっと見られた。働きアリが巣の外を歩いていたが、外界には出ていなかったので、容器のふたを外した。そのままだとガラスが両脇に倒れてしまうので、洗濯ばさみでごまかした。そのうちふたの穴を広げて付け直そうと思う。<BR> <BR><HR> 7月18日<BR>  働きアリが5・6匹はいる。8mmくらいの大きめの働きアリもいる。どのアリも腹が膨れていたので、砂糖のところまでは餌取りに行ったのだろう。ガラスに土がこびりついて中が見にくかったので、反対側のガラスも換えようとしたら、土が一緒にスライドし巣がつぶれてしまった。あわてて戻したが、巣がぐちゃぐちゃになってしまった。<BR> <BR><HR> 7月20日<BR>  ガラス換えに再挑戦した。巣は原形をとどめないくらいに破壊されたが、アリは無事だった。手のひらをガラスで切った。女王アリが土の下敷きになったが、働きアリは1匹を除いて掘り起こそうとしなかった。「女王アリが下敷きになっている」などという情報は伝達できないのだろう。結局自力で這い出した。<BR> <BR><HR> 7月21日<BR>  巣の元の入り口は18日のガラス替えでふさがっていたのだが、20日のガラス替えでできた巣と外をつなぐ割れ目が、働きアリによってふさがれていた。餌はどうするのだろうか。腹が減ったらまた掘り返すのだろうか。<BR> <BR><HR> 8月5日<BR>  久しぶりに水をやった。日陰に置いてあるためか、なかなか乾かない。働きアリは5匹ほど、繭や大きい幼虫もそれくらいいた。女王アリの腹が小さいのが気になる。外に砂糖をばらまいておいた。巣のそばのクモの巣は、一応壊しておいた。捕まえたクモはベランダの外に放り出した。<BR> <BR><HR> 8月13日<BR>  1週間ぶりに山から帰ると、土が少し乾いていた。本当は容器の下を水に沈めて毛細管現象で土を湿らす予定だったが、面倒なので上から水を流した。巣に浸水するとアリが土を巣の壁のあちこちに付けて、巣の中が見えにくくなってしまう。巣から離れたところに慎重に水を注いだ。巣が容器全体に広がるまではこの方法で水をやろう。繭や幼虫は何個も見えたし、女王アリの腹もそんなに小さくなかったが、働きアリが4匹しか見えなかったのが気になる。付近のクモの巣を掃除していったら、クモの巣にかかった働きアリを1匹見つけた。<BR> <BR><HR> 8月28日<BR>  いつの間にか部屋が容器の一番底にあった。水をやっていないのに土が湿っていたので、大雨の時浸水して、慌てて掘ったのだと思う。働きアリは3匹。繭は1個。女王アリの腹は限界まで小さくなっている。1匹の働きアリが幼虫を咬んでいた。いつまでもつだろうか。一冬も越せずに終わるかもしれない。なんかいい手はないものか。<BR> <BR><HR> 9月14日<BR>  土がからからに乾いていたので、慌てて水をやる。働きアリ1匹。小さな幼虫2匹。女王アリの腹は何を食べたのか少し膨らんでいる。<BR> <BR><HR> 9月15日<BR>  玄関に落ちていたゴミムシの死骸を容器の中に入れておいた。もっと早くから餌をやっておけばよかったかもしれない。<BR> <BR><HR> 9月19日<BR>  女王アリも働きアリも消えていた。餌取りから帰らない働きアリを待てず、自ら餌取りに出掛けたと思われる。部屋の真ん中には小さな幼虫2匹がぽつんと。地表に通ずる穴は、女王アリが通れるぎりぎりの大きさに広げられていた。穴から10cmに置いたゴミムシの死骸は手が着けられていなかった。ひょっとして戻ってくるかもしれないので、幼虫が生きている間はそのままにしておく。<BR> <BR><HR> 9月23日<BR>  やはり女王アリは帰らない。幼虫はそのまま。ゴミムシにはかびが生えていた。(だから餌はむやみと容器に入れるべきではない。土が腐ってアリが病気になる。)<BR>  ここまで早く働きアリが減るとは思っていなかった。何が悪かったのだろうか。容器だろうか。餌のやり方だろうか。幼稚園の頃から何度も飼おうと試みてきたのに、未だに1年以上飼うことができない。難しいものだ。<BR> </TD></TR></TABLE> <BR><HR><ADDRESS>高橋 秀徳/[email protected]<BR> Mail:[email protected]</ADDRESS><P> </BODY> </HTML>
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ツアー6日目は、仙台から福島へ。
昨晩の仙台到着から夜から今朝にかけて何度も余震にあいました。震度1~2くらいではありますが、先週の地震の大きさがわかります。
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ホテル1階エレベーター前では福島事務局の大塚真理さんが待ち構えていて、降りてくる団員からホテルのキーを残らず回収し、名前をチェックされています。ベテランの事務局ワークの安心感です。
3号車担当としては、ホテルの前に1台しかバスが付けられないため、他の歩行者のみなさんのご迷惑にならぬよう、道路側に一列に整列し、スピーディに荷物の積み込み&乗り込みの戦術で臨みます。
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そして、スーツケースと楽器の積み込みへ。
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左からホルン三上、トランペット冨澤三男、クラリネット丹野弟、パーカッション富沢次男へと流れるようなスーツケース・リレーのカルテット���誕生し、先日の積み下ろしとは倍速のような展開に。
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大塚さんのプロ点呼で福島に向かって、早々に出発することができました。
東北自動車道路を南下していると、地震のための道路補修で片側通行止めの車線がところどころ。
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ふと窓に眼をみやると、脱線した新幹線と復旧作業中の姿が見えました。
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こういう偶然の目撃をラッキーと思って良いのか、複雑な気持ちになりました。
バスは途中、福島事務局竹田さんの家がある先週震度6だった国見サービンスエリアに停止。
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三上くんが魅力的なコーナーにいました。
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わたくしは「川俣シャモまん」をいただきました。
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全般的に桃推し傾向が見られます。
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金管の人たちは買い食いが好きなのか、レジ前で迷っているようです。
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福島県出身の大学2年同級生、ホルン千田捺月さん、トロンボーン内藤茜さんは、牛タン系の宮城県寄りの選択にした模様。旅には異国情緒が大事ですよね。
片道規制の渋滞にはあったものの、約2時間弱で今日の宿、今回も活動を支援くださっているJA共済さん経営の飯坂温泉の摺上亭大鳥でお世話になります。
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高速を飯坂出口で降りて間もなく、トロンボーンの福島県白河の海津くんが、「あ、東邦銀行がある! やっと福島に帰ってきた〜」と言ってました。そうですね、今回、岩手県、宮城県、福島県の団員の地元3県ツアーですからね。
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今日は、こちら宴会場の鳳凰の間でランチ、午後は16時まで音出し、自主練習ができます。
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今日のお弁当です。
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ともにヴァイオリンの田口弟くんの左の竹田兄くんが、スマホを持って何やら話しています。竹田くんの持っているサングラスがBluetoothでつなぐイヤホンなんだそうです。 行きしのバスでバスで福島事務局竹田さんが試したという写真をLINEで送ってもらいました。
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サングラスにマスク姿でも善良さがにじみ出る竹田さん。地震の被害でご自宅が大変なところスタッフ参加をありがとうございます。
すると、高校受験と合格発表のため2日間離脱していた、市川真名さんがお母さんと一緒に合流してくれました。
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見事、地元郡山高校に合格したとのうれしい知らせ。おめでとう!
みんなが集まったところで、今日の「主張の強い服を着ている人」を探します。
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この全体的に黒っぽい4人組に候補者を見つけました。
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今年で卒業、卒団の冨澤次男のパーカッション拓己くん。「なんだハードロックカフェかと思いがちですが、
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SAVE THE PLANET
地球を救おうです。スケールの大きさで「主張の強い服を着ている人」認定です。
さて、午後は疲れた人は休んでいいし、練習したい人は練習しても良いというフェルマータな時間です。 「休憩時間なのに休まず練習する人たち」撮れ高は豊漁でした。
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当方、廊下で業務対応していました「お仕事をする大人たち」と田嶋キャプテンから送られてきました。
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さて、練習に励む人たちがいる中、盛岡での乾燥による楽器の故障で練習できなかった人たちに朗報が届きました。福島事務局で楽器店ブリリアントを営まわれる渡辺豊さんが緊急対応でクラリネットの修理をしてくださいました。
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左からリペアのご担当と中山優貴さん、蛭田恵梨沙さん、廣野匠香さんです。東京公演前に楽器が直ってよかった!
そして、夕食。 今日の宿泊でお世話になるJA共済さんはじめ支えていただいている方々への感謝の気持ちを込めて、全員で「いただきます!」のコール担当を田嶋キャプテンに指名してもらいました。
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今年度の第7期メンバー、岩手県出身のヴァイオリン駒井心響さん、小学6年生です。
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小学生には豪華、大量過ぎやしないかと逆に心配になるお食事をいただきました。ありがとうございます。
今回の本番直前合宿からのツアーでは、男子団員の少食加減に憂慮していたのですが、ここに来て猛者が現れました。
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大学4年の同級生、ヴァイオリン伊藤拓也くんのお椀にトランペット冨澤三男の祥吾くんがご飯を盛り付けたようであります。 「残さずにたいせつに食べてよ!」と言うしかありませんね・・・。
そんなタイミングで苺がお皿に乗って出てきました。
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宮城県気仙沼市出身のパーカッション三浦瑞穂さん(大学2年)のご実家で栽培されている苺の差し入れをいただきました。
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とちおとめとあきおとめの品種について解説する瑞穂さん。 デザートタイムになって、あの山盛りご飯はどうなったかというと、
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さらに別の場所では、たくさんいただけた苺を早食い対決してみたいという男子2名がいました。ま、男のやることは・・・。
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今日の「主張の強い服を着ている人」とひと学年下のチェロの日比野慎くんが苺6個の早食い対決をするとのこと。
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美味しくいただいた夕食も「こちそうさまでした!」コールの時間。
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ともに第7期生ヴァイオリンの大田継美さん(宮城県出身、中1)とパーカッション鬼澤紘子さん(福島県出身、小6)です。
今年度は卒団する団員も多いのですが、こういうニュージェネレーションも入ってくれています。夕食コールの3人もびっくりするほど成長することを期待です。期待しなくても成長するよね。
わたくしはと言えば、ホテルのロビーに自分に似たモノを見つけました。
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明日はついに東京に向けて移動します。
東京公演のサントリーホールにお越しのみなさま、どうぞご期待ください。
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