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#本牧韓国料理
kennak · 1 year
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日本から約2.5億円の〈給料と賃金〉を…  さらに注目すべきは“カジノの原資”にもなっている韓氏の収入だ。例えば13年の〈Total Income〉(収入総額)として記載されているのは約712万ドル。現在のレートで9.8億円超という莫大な金額である。そして、韓氏が当時居住していた米国以外の“海外”からの収入として、次の記載があった。 〈Salary and Wages Japan 1,858,982〉  これは米国居住者が海外での収入について二重課税を防ぐための申告欄。つまり、韓氏は13年に日本から約186万ドル、現在のレートで約2.5億円の〈給料と賃金〉を受け取っていたというわけである。 日本から“給料”が…… 「日本人信者が現地まで運んだ献金に加え、統一教会の日本本部から“給料”という形で韓氏に渡ったカネまでもポケットマネーとしてカジノの“軍資金”になっていた可能性が高いのです」(前出・教団関係者)  統一教会の日本本部に韓氏への“給料”支払いについて聞くと、「支払われたことは事実。ただし、給与ではなく報酬」などとした上で、概ねこう回答した。 「当法人の牧会者と信者に対する(1)信仰上の指導と教育、(2)原理教育、(3)信仰教材(真の父母経、平和経、天聖経等)提供、(4)牧会指導等に対する報酬として支払われた」  送金ルートの全容が解明されない限り、日本は韓氏にとって“都合のいい金庫”であり続ける。
(2ページ目)合同結婚式で日本人を含む2600人が“祝福”を…勢いづく統一教会・韓鶴子総裁「日本からの給料2.5億円」証拠文書入手 | 文春オンライン
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catonoire · 2 months
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「シン・東洋陶磁―MOCOコレクション」展
大阪市立東洋陶磁美術館で、リニューアルオープン記念特別展「シン・東洋陶磁―MOCOコレクション」を見る。惹句にあるように“オールスター・珠玉の約380件(国宝2件、重要文化財13件含む)”が揃った、なんとも贅沢な特別展である。全面的に撮影可能。無料のアプリをダウンロードすれば音声ガイドも聞ける(書き起こしもあって文字でも読める)。
また、美術館の公式サイトでは収蔵品画像オープンデータが公開されており、この展覧会に出品されている作品も参照することができる。さらに、公開されている画像は“当館への申請が必要なく、自由にダウンロード、複製、再配布することができます。例えば出版物やウェブサイトへの掲載、講演会等でのスクリーンへの投影、テレビ番組での放送、販売商品への印刷など、営利・非営利に関わらず利用が可能です”とのこと。でも、公式画像は美しいけれども展覧会の臨場感(?)が出ないので、いつもどおり自分で撮ったしょぼいスマホ写真を載せることにする。
展示は全部で13のパートに分かれており、それぞれに格好良さげなタイトルがついている。
1 「天下無敵(てんかむてき)-ザ・ベストMOCOコレクション」
この展示室では陶磁器と六田知弘の写真作品《壁の記憶》との取り合わせが楽しめる。《壁の記憶》は写真家が世界各地で撮った壁の写真のシリーズのようである。展示風景はたとえばこんな感じ。
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このようにコーディネートされており、意外性もあってなかなかよかった。上の赤い写真作品の壁はベネチア(イタリア)、下の白っぽいのはサンティアゴ・デ・コンポステーラ(スペイン)。
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展示室から展示室へと移動する途中に特別あつらえらしい展示ケースがあり、国宝の油滴天目が鎮座していた。たしかに美しいが、正直なところ自分の好みではあまりなく、油滴天目なら以前別の美術館で見た別のもの(もっと油滴が細かくて繊細に光る感じ)のほうが好みだったなあと思い出すなどした。
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2 「翡色幽玄(ひしょくゆうげん)-安宅コレクション韓国陶磁」
青磁好きにはたまらない展示室。あれもこれも全部青磁、もちろんクオリティも高い。
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3 「粉青尚白(ふんせいしょうはく)-安宅コレクション韓国陶磁」
下の写真の3点は日本では三島とか三島手と呼ばれるタイプの焼き物。三島は朝鮮半島製のほうが日本のより圧倒的に良い出来で、とても好き。
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そして次の3点は粉引の瓶。日本の茶人などの間で好まれたタイプで、たしかに良い風情である。
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4 「清廉美白(せいれんびはく)-安宅コレクション韓国陶磁」
《青花 草花文 面取瓶》。日本では「秋草手」と呼ばれる文様。面取の具合も文様も端正で美しい。
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《白磁 角杯》。遊牧民族が酒などを飲むのに用いていた角の形の杯を模したもの。王室用の白磁らしく、品がある。
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ロビーの展示ケースにあった、ルーシー・リー《青ニット線文鉢》。
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これもロビーにあった、《青花 虎鵲文 壺》。18世紀後半、朝鮮時代の作。ここに描かれた虎が美術館のキャラクターに採用されて「mocoちゃん」と呼ばれることになった。MOCOは美術館の英語名の略である。
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6 「優艶質朴(ゆうえんしつぼく)-李秉昌コレクション韓国陶磁」
《青磁象嵌 雲鶴文 椀》。象嵌技法にすぐれた一品。釉薬の貫入がまったくないのも特徴。
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《白磁鉄地 壺》。下半分はちょっと見には焼き締めのようだがそうではなく、鉄絵具を塗ったもの。16世紀朝鮮時代の作だが不思議と現代的に見え、たとえば「ルーシー・リー(あるいは誰か他の現代の陶芸家)の作品だよ」などと言われたらつい信じてしまいそうである。無理を承知で言うならこれはうちにも欲しい。
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6 「陶魂無比(とうこんむひ)-日本陶磁コレクション」
中国や朝鮮半島の優品を見てしまうと、日本の焼き物は正直かなり見劣りしてしまう。悪くないものはあるのだが、ほうっと溜め息をついたりつくづく感心しながら眺めるようなものはなかなかない(好みの問題かもしれないが)。そんな中で自分の目に留まったのはこれ。料理が映えそうなデザインで、実際に使ってみたいと思った。
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7 「陶花爛漫(とうからんまん)-李秉昌コレクション中国陶磁」
このパートに展示してある作品は、古いものだと新石器時代ごろまで遡る。中国文明の先進ぶりを目の当たりにして恐れ入る。この下の美しい白磁の杯も、さすがに紀元前とまではいかないが隋の時代(7世紀)の作。高台に釉薬が溜まって緑がかって見えるのもチャームポイント。
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8 「喜土愛楽(きどあいらく)-現代陶芸コレクション」
現代の作家の作品がロビーにいくつか並んでいた。下の写真は金子潤《2フィート・トール・ダンゴ》。ガラス張りのロビーだが、作品の背後には薄手のシェードが掛けてあった。
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9 「明器幽遠(めいきゆうえん)-安宅コレクション中国陶磁」
MOCOのヴィーナスこと《加彩 婦女俑》。自分がお目にかかるのはこれで2度目である。360度回転する展示台にお乗りあそばされている。
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こんなふうに回っておられる。
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後ろ姿のなんと優美なことか。
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《黒釉刻花 牡丹文 梅瓶》。白化粧をした上に黒釉をかけ、黒釉を削り落として文様を表現する技法(掻落し)で作���れたもの。掻落しで自分の好みに合うものはあまり多くないのだが、これは堂々とした存在感でひときわ目を引いた。
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《木葉天目 茶碗》。本物の木の葉(桑の枯葉)を焼き付けて作られた天目茶碗。加賀藩前田家伝来とのこと。
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10 「天青無窮(てんせいむきゅう)-安宅コレクション中国陶磁」
点数は少ないが、うっとり眺めてしまうようなものばかり集めた特別な室。
《青磁 水仙盆》。これは以前この美術館を訪れた際にも見たので、またお会いできましたねと声をかけたくなった。宋の時代に宮廷用の青磁を生産していた汝窯の逸品。美しいが、これよりもっと素晴らしいのがこの世に存在している(台湾の故宮博物院が持っている)というのもまたすごい。
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国宝《飛青磁 花生》。自分のスマホ写真では到底うまく色を再現できないのが残念。
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この特別な展示室では自然光による採光がなされているのが大きなポイント。青磁の微妙な色合いをよく見ることができるとされる。
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11 「皇帝万歳(こうていばんざい)-安宅コレクション中国陶磁」
中国の皇帝の身辺を彩るにふさわしい、文様が華やかだったり色鮮やかだったりする作品の多い室。
《釉裏紅 牡丹文 盤》。銅顔料が使われており、たまたま中央部の牡丹の花のところだけ赤っぽく濃いめに発色したというのがおもしろい。
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抹茶色が特徴的な《茶葉末釉 双耳方形瓶》。茶葉末釉は個人的にそれほど好きな色ではないのだが、これはとても出来が良いように見えて印象に残った。
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12 「百鼻繚乱(ひゃくびりょうらん)-沖正一郎コレクション鼻煙壺」
いわゆる嗅ぎタバコ入れが勢ぞろい。下の写真はほんの一部である。
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この虫づくしのはどこか現代的な感じがする。とてもいい。虫好きな人がこぞって欲しがるのではないか。自分も欲しい。
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13 「泥土不滅(でいどふめつ)-現代陶芸コレクション」
現代の陶芸作家の作品がいくつか展示されていた。これは星野曉《表層・深層》。
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併設のカフェには「陶片クッキー」なるメニューがある。これは注文せざるを得ない。作家がひとつずつ彩色(アイシング)を施しているというから凝っている。ふたつとも涼しげな色合いなのは、もしかして夏だから? 海や水辺をイメージしたとか? 別の季節にも行ってクッキーの色合いを確かめてみたい。なお、味のほうはいまいち口に合わなかった……惜しい。
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xf-2 · 4 years
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1989年(平成元年)7月、韓国当局に対して、 韓国の民主化運動で逮捕された在日韓国人政治犯29名の釈放を求めるという趣旨の要望書が、 当時の日本社会党、公明党、社会民主連合、無所属の議員有志133名の署名とともに韓国政府へ提出された。 日本社会党 衆議院 阿部未喜男、五十嵐広三、池端清一、石橋大吉、石橋政嗣、伊藤茂、伊藤忠治、稲葉誠一、井上泉、井上一成、井上普方、岩垂寿喜男、上田哲、上田利正、上原康助、大原亨、大出俊、緒方克陽、岡田利春、小川国彦、奥野一雄、小澤克介、加藤万吉、角田堅次郎、河上民雄、河野正、川崎寛治、川俣健二郎、木間章、上坂昇、小林恒人、左近正男、佐藤観樹、佐藤敬治、佐藤徳雄、沢田広、沢藤礼次郎、渋沢利久、嶋崎譲、清水勇、城地豊司、新村勝雄、新盛辰雄、関山信之、高沢寅男、田口健二、竹内猛、田中恒利、田邊誠、田並胤明、辻一彦、土井たか子、戸田菊雄、永井孝信、中沢健次、中西績介、中村茂、中村正男、野口幸一、野坂浩賢、馬場昇、早川勝、広瀬秀吉、細谷治通、堀昌雄、前島秀行、松前仰、水田稔、三野優美、武藤山治、村山喜一、村山富市、安田雄三、山口鶴男、山下八洲夫、山花貞夫、吉原栄治、渡部行雄 参議院 青木薪次、赤桐操、穐山篤、秋山長造、一井淳治、糸久八重子、稲村稔夫、及川一夫、大木正吾、大森昭、小川仁一、小野明、梶原敬義、粕谷照美、久保亘、久保田早苗、小山一平、佐藤三吾、志苫裕、菅野久光、鈴木和美、高杉延恵、千葉景子、対馬孝且、中村哲、野田哲、浜本万三、福間知之、渕上貞雄、松前達郎、松本英一、丸谷金保、村沢牧、本岡昭次、八百板正、安恒良一、安永英雄、矢田部理、山口哲夫、山本正和、渡辺四郎 公明党 衆議院 小川新一郎、鳥居一雄、西中清 参議院 猪熊重二、塩出啓典、和田教美 社会民主連合 衆議院 江田五月、菅直人 参議院 田英夫 無所属 衆議院 安井吉典(社会党系) 参議院 青島幸男、宇都宮徳馬、喜屋武真栄、山田耕三郎 要望書の内容 私どもは貴国における最近の民主化の発展、とりわけ相当数の政治犯が自由を享受できるようになりつつあることを多とし、さらに残された政治犯の釈放のために貴下が一層の主導権を発揮されることを期待しています。 在日関係のすべての「政治犯」とその家族が希望に満ちた報せを受け、彼らが韓国での社会生活におけるすぐれた人材として、また日韓両国民の友好のきづなとして働くことができる機会を与えて下さるよう、ここに心からお願いするものであります。 1989年 大韓民国盧泰愚大統領貴下 日本国国会議員一同 北朝鮮工作員・辛光洙について、 原敕晁さん拉致容疑の主犯として、また横田めぐみさん等の拉致の実行犯。現在は北朝鮮で英雄としての待遇。 辛容疑者、関与4人目 めぐみさんも拉致 曽我さん証言 昭和五十二年の横田めぐみさん当時(13)拉致事件について、 帰国した拉致被害者の曽我ひとみさん(46)が、実行犯の一人は北朝鮮元工作員、 辛光洙(シン・グァンス)容疑者(76)警察庁が国際手配だと 関係者に証言していたことが五日、分かった。 辛容疑者が関与、もしくは関与の疑いが浮上した被害者は四人目。 これまでの捜査や被害者の証言などから一連の拉致事件の構図がより鮮明になってきた。 政府は改めて北朝鮮側に辛容疑者らの身柄引き渡しを求める方針。 めぐみさんの翌年に拉致された曽我さんは、めぐみさんと同じ招待所で暮らし始めた。 関係者によると、招待所で二人の朝鮮語や思想教育を担当したのが辛容疑者で、 曽我さんはその際、辛容疑者から直接、「横田めぐみを連れてきたのは私だ」と聞かされたという。 警察当局もこの情報を把握している。 辛容疑者は五十五年六月、大阪市の中華料理店員、原敕晁(ただあき)さん同(43)を拉致。 原さんに成りすまし、旅券を取得したとして、平成十四年七月に警視庁が旅券法違反容疑などで 逮捕状を取り、警察庁が国際手配した。 また、地村保志さん(50)、富貴恵さん(50)夫妻が帰国後の福井県警の事情聴取に 「実行犯の一人は辛容疑者だった」と証言したことから 警察当局は国外移送目的略取容疑を視野に捜査している。 蓮池薫さん(48)、祐木子さん(49)夫妻は、警視庁が六十年三月に旅券法違反などの容疑で指名手配した 「朴」と名乗る極東地区工作員の写真を見て、実行犯の一人であることを指摘。 五十二年九月の久米裕さん同(52)拉致を指揮したのは 朝鮮労働党元幹部で工作員の金世鎬容疑者(76)だったことが判明している。 欧州で拉致された有本恵子さん同(23)ら三人の拉致には 「キム・ユーチョル」と名乗る工作員とよど号犯や妻の関与が指摘されている。 (産経新聞) - 2006年1月6日2時35分 日本の警察は2006年2月23日、国外移送目的略取と国外移送の疑いで再度逮捕状を取得、 同3月3日、重ねて辛光洙を国際指名手配し、北朝鮮に身柄の引き渡しを求めている。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%9B%E5%85%89%E6%B4%99 http://nyt.trycomp.com/hokan/0025.html
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ichinichi-okure · 4 years
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2020.9.1tue_hokkaido
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朝5時起床
娘のきのぴに叩き起こされる。 きのぴは今日、運動会の翌日でお休みだ。
昨日はきのぴの通う小学校の運動会が生憎の雨で開会宣言後すぐに中止になり、その振り替え日だった。 きのぴはピカピカの一年生。 初めての小学校の運動会で力を出し切り過ぎたのか昨夜は18時半には寝てしまった!早い! 案の定、今朝は早起きだった。汗
私と旦那さんの景くんは、昨夜はきのぴが早く寝たことをいいことに、久しぶりに映画でも見ようとずっとずっと見たかった昨年アカデミー賞を総なめにした韓国映画『パラサイト』を見てから11時過ぎに就寝。 5時に起こされたのはさすがにきつかった。
しかも映画の内容がヘビー過ぎて、ずっしりと頭を隅から隅まで、その余韻で脳裏が埋め尽くされている。 一本の映画でここまでいろんな思いが交錯する感じ久しぶり!やっぱり映画ってすごい! この作品を作った監督もすごいし、とにかく今の社会についてやら生き方について考えさせられた。ずっとパラサイトのことが頭を占める一日になりそうだ、、、。 この感じ嫌いじゃない。いや、私は観た映画に頭がもっていかれすぎるから映画を観るってこと自体が相当なエネルギーがいる。だから普段気軽に観れないのかなぁ、、、。とかぐるぐる自分の性格についても考える。
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朝ごはんは、前日に焼いた自家製天然酵母パンに自家製スモークハムとマスタードと美瑛放牧酪農場の美味しいバターをのせたパンをほうばる。 うんうん。滋味美味しい。 コ��ヒーは、静岡のゴードンコーヒーを景くんが丁寧に淹れてくれた。 ゴーちゃんのコーヒーは優しいから、カフェインに弱い私でもお腹を壊したりしない。 
きのぴはバナナココアミルクシェーキをミキサーを使って作ってくれた。素直に今日の出来は素晴らしい!って褒めてあげたら、嬉しそうにニヤニヤして、1人コーンフレークを幸せそうにむしゃむしゃ食べてる。 いや、お世辞じゃ��く本当に美味しかった。
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明日はイラストレーターのブージルちゃんが北海道旅の途中に我が家へ来るって日。 さてさて何ごはんを作るかなぁと冷蔵庫の中と野菜籠をのぞきこみ献立を考える。 メキシコ好きのブーちゃんにメキシコっぽい料理を出したいなあとか考える。
考えたメニュー 夏野菜のミートソースグラタン オアハカのアリとコーヒーの豆乳マヨネーズと蒸しとうきび うちの畑のプチトマトと胡麻油と京の素 うちの畑のじゃがいもでサミュエルポテト あ!ブージルちゃんは幼い子もいるし王道鮭おにぎりも握ろう!
と思いたったら、ガーっとミートソースやら、トマトソースやらの仕込みが始まる。
きのぴが文房具屋でノートが買いたいから、美瑛の町まで出かけたいと言い出した。 仕込みもさながら、、、美瑛町まで。 美瑛町まで車で20分かかる。 玉子がほしい、牛乳がほしい! って思ったらなんだかんだ買い出しに往復1時間はかかるから、ド田舎暮らしはなかなか大変だ。 町でざざざっと買い出しを済ませて、お昼ごはんはきのぴの希望で拓真館の近くの千代田ファームさんへ。 千代田ファームは動物とたわむれれるきのぴが大好きな牧場。うさぎや、やぎや、羊や、ロバや、馬や、牛たちと遊べる放牧ファーム。 近所にこんな場所があるのがとってもいい。
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お昼ごはんは、千代田ファームレストランで初めて放牧牛のハンバーグランチを2人でもぐもぐいただく。久しぶりの外食だ。 しかも普段あまり食べない牛のハンバーグランチ!笑!
午後は美瑛放牧酪農場にチーズ工房が出来たらしくチーズを買いに車を走らせたが、、、ちゃん調べないで行ったら定休日だった。汗。 うんうん。よくあること。涙。
きのぴが車酔いをしたから家に帰りたいと言い出したので帰ることに。
午後はゆっくりだらだらお家で過ごす。 久しぶりにだらだらできてエネルギーチャージ。 お家の中や庭の掃除をしたり、花を生け替えたり。 景くんとパラサイトの映画の中の象徴的な言葉使いや、あのときのあの行動の意味ってなんだったのかを一緒に考えたり。 やっぱりパラサイトが頭から離れない。
夕方18時に早めの夕飯。
景くんが作ってくれた台湾風花椒枝豆。うまし! 以下は私。 お揚げの卵とじ 我が家の畑で採れたとうきび・ブッシュバジル・じゃがいものかき揚げ 美瑛牛のウインナー巻きのトマトソース煮。(景くんの実家の定番料理!)肉で肉を巻くってすごい肉肉しい料理!笑 摘果メロンとほうずきのサラダ 長谷園のかまどさんの炊きたてごはん 今日の炊き具合は最高ってきのぴに褒められる。 京都の山田ファームさんの美味しいお米のおかげなのか、長谷園の土鍋のおかげなのか。 確かに我が家のお米は実にうまい。 いやはや長谷園の土鍋の破壊力たるや! 改めて素晴らしい。
夕飯中もしつこくパラサイトトーク。笑
夕飯を終わらせたら、最近エジプト塩親善大使に名乗り出てくれたママ友のまさこちゃんと今後のエジプト塩についてミーティング。
まさこちゃんと話したことをまとめると、 まず私がやるべきこと。 忘れないように、 書き留めときます。笑 美瑛塩を作ること。 キャンプ塩を作ること。 和食に合う調味料を作ること。 以上らしい。笑 ママ友からもお尻を叩かれる。 旦那さんからもいつもお尻を叩かれてる。笑。 誰かにお尻を叩かれないと動けないこの性格、、、どうにかならんかね。笑泣。
まだ目下開発途中の 辛エジプト塩、コーヒー塩もあるしなぁ、、、 なかなか先は長いなあーと思いながら、、夜はふける。
明日はブージルちゃんが遠路はるばる来てくれるし早く寝ないとなー。
今日はパラサイトパラサイトな一日だったけど明日はどんな一日になるかなぁ〜。
明日天気になーれ!
-プロフィール- たかはしよしこ(41) 今春から北海道美瑛町に移住。 道民になってまだ4か月! 料理家・調味料開発おばちゃん エジプト塩とか作って売ってます。 @yoyoyoyoshikoyoyoyo  https://egyptjio.stores.jp/
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2ttf · 12 years
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dainana-onclevania · 5 years
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2019初演 premiere
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出演:木母千尋、小菅紘史 / 獅子見琵琶、藤村昇太郎、諏訪七海 / 牧山祐大(SPAC-静岡県舞台芸術センター)
舞台監督:北方 こだち 照明:島田 雄峰(LST)、佐伯香奈(LST) 音響:平岡 希樹(現場サイド) 衣装:川口 知美(COSTUME80+) フライヤーレイアウト:橋本デザイン室
▋三重公演 2019. 7.14,15 @三重県文化会館 ▋韓国公演 2019. 7.20 @安山文化芸術の殿堂
主催:【三重公演】三重県文化会館[指定管理者:公益財団法人三重県文化振興事業団]【韓国公演】安山文化芸術の殿堂 共催:【三重公演】レディオキューブFM三重 助成:【三重公演】文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能強化推進事業)、独立行政法人日本芸術文化振興会
協力:SPAC - 静岡県舞台芸術センター 製作:合同会社 第七劇場
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関連企画---------------
▋「ワーニャ伯父さん」を読んでみよう!
チェーホフの名作「ワーニャ伯父さん」を解説付きで、みんなで読んでみませんか? ナビゲーターは第七劇場・演出家、鳴海康平。
日時:2019年6月9日(日)16:00〜18:00 会場:RIZ CAFE(三重県総合文化センター内) 料金:500円+ワンドリンクオーダー ナビゲーター:鳴海康平(第七劇場 代表 演出家)
お申し込み:お名前(ふりがな)、ご住所、お電話番号を明記の上、6月5日(水)までに、三重県文化会館または第七劇場へお申し込みください。
▶三重県文化会館 tel. 059-233-1122 / https://www.center-mie.or.jp/bunka/ (申込フォーム有) ▶第七劇場 tel. 070-1613-7711 / mail. [email protected]
▋「ワーニャ伯父さん」試演
Théâtre de Belleville 19春シーズンプログラム 「ワーニャ伯父さん」試演会
日時:7月7日(日)15:00 会場:Théâtre de Belleville(三重県津市美里町三郷2104)
※開場は30分前から
上演時間:約30分
第七劇場「ワーニャ伯父さん」の一部を本公演に先立ち、先行試演します。 ※劇場機構の違いから試演版は舞台美術や照明、音響などは本公演版と異なります。
料金:500円(ご予約不要。当日劇場にお越しください)
Théâtre de Belleville 19春シーズンプログラム情報ページ
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shintani22 · 2 years
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2022年4月14日
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サッカー日本代表 森保一監督 欧州視察中に新型コロナ陽性判定(NHKニュース)
ヨーロッパで選手の視察に当たっているサッカー日本代表の森保一監督が、新型コロナウイルスの検査で陽性と判定されました。日本サッカー協会によりますと体調に大きな問題はないということです。
日本代表の森保監督は今月1日に、カタールで行われたワールドカップの組み合わせ抽せん会に出席したあと、ヨーロッパで日本人選手の視察を行っています。
期間中はドイツ・デュッセルドルフを拠点に、ドイツのほか、オランダやベルギーなどで日本選手が出場する試合やトレーニングを視察したり、選手や所属クラブの幹部と面談したりしていました。
日本サッカー協会によりますと、森保監督は13日、滞在先のドイツでのどに違和感を覚え、抗原検査を行った結果、陽性と判定されたということです。
また、同じくヨーロッパで視察中の協会の反町康治技術委員長も14日に滞在先のスペインでのどの違和感を訴え、抗原検査で陽性と判定されたということです。
協会によりますと、2人とも体調に大きな問題はなく、療養に努めているということです。
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【米国による臨界前核実験に対する抗議文を送付】(広島県)
米国が昨年6月及び9月に臨界前核実験を実施したとの報に接したため、米国に対して抗議文を送付しました。(4月13日送付)
「最後の核実験からの日数」表示を変更 広島・原爆資料館 地球平和監視時計(RCCニュース)
アメリカが去年、臨界前核実験を2回実施していたことを受けて、原爆資料館にある「地球平和監視時計」の表示が変更されました。
原爆資料館の「地球平和監視時計」は、13日の閉館後、「最後の核実験からの日数」が、「499」から、アメリカが臨界前核実験をしたとされる日付けからの日数「209」に変更されました。
13日、アメリカが去年の6月と9月に臨界前核実験を実施していたことが明らかになり、広島市などは抗議文を送りました。
原爆資料館 滝川卓男館長
「核戦力の近代化を推進するという実態が浮き彫りになったと思う。今日の状況を考えると、非常に憂慮すべき状況であると考えている。」
地球平和監視時計の表示が変更されるのは、おととし11月にアメリカが臨界前核実験を実施して以来です。
広島・原爆慰霊碑で“座り込み” 臨界前核実験2回実施に抗議(RCCニュース 4月13日)
アメリカが去年、臨界前核実験を2回実施していたと報じられたことを受けて、広島の被爆者などが抗議の声をあげました。
平和公園では、県被団協などが臨界前核実験の実施に抗議しました。
連合広島の大野真人会長はロシアによるウクライナ侵攻に加え、明らかになったアメリカの臨界前核実験に「強い憤りと怒りを覚えずにはいられない」と述べました。このあと、原爆慰霊碑の前で抗議の座り込みをしました。
県被団協 箕牧智之理事長
「私たちが知らない間に、(臨界前)核実験が2度も行われたことに対しては広島・長崎の被爆者は怒っている。核兵器を持とう、開発しようという流れになると人類にとっては危険極まりない地球になっていくのでは。」
また、広島市の松井市長もアメリカのバイデン大統領に臨界前核実験の実施に対する抗議文を送りました。
ロシアによるウクライナ侵攻で「軍事力による暴挙は軍事力で抑え込むしかない」という考えが勢いを増す中、「被爆者らの願いに背く行為で断じて許すことはできない」としています。
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「ローソン・ポプラ」への転換店、売り上げ2割増(中国新聞)
ポプラ 5年連続の最終赤字 赤字幅は縮小(NHKニュース)
広島市のコンビニチェーン、「ポプラ」がことし2月までの1年間の決算を発表し、最終的な損益は、5億1800万円の赤字と、5年連続の最終赤字となりました。
コンビニを展開する「ポプラ」のことし2月までの1年間のグループ全体の決算は、▼売り上げが、前の年と比べて29%減って、136億2900万円、▼最終的な損益は5億1800万円の赤字で、5年連続の最終赤字となりました。
これは新型コロナの影響で来店客の減少が続いているのに加え、▼採算がとれない店舗を閉店したことや、▼一部の店舗を「ローソン・ポプラ」にブランド転換したことから、「ポプラ」の店舗数が1年前と比べて3分の2ほどに減り、売り上げが大きく減少したことによるものです。
一方、物流を見直して、店舗への商品の配送回数を減らしてコストを抑えた結果、最終赤字額の幅は縮小しました。
来年2月までの1年間の決算の見通しは、さらにコストの削減を進めるとともに、ビルやオフィス内に小型店舗を増やしていくことで最終的な損益は1億2600万円の黒字に転じると見込んでいます。
ポプラの目黒俊治社長は、「最終赤字が続いていたが、ようやく黒字に転換できるところまできた。細分化する利用者のニーズに応えることで生き残りを図っていきたい」と話していました。
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「ローソンのスイーツで女性客が増」 ポプラ 上期決算 7年ぶりの黒字(RCCニュース 10月12日)
広島市に本社を置くコンビニエンスストアのポプラは、上期の決算を発表しました。7年ぶりの黒字です。
ポプラ 目黒 俊治 社長 「やっと脱せたかな、ぐらいですね」
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ポプラによりますと、今年度上期の連結決算は、売り上げが前年比3.4パーセント増の69億円で、営業利益は200万円でした。2015年以来、7年ぶりの上期黒字となりました。
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2年目を迎えたローソン・ポプラ事業が、前期比108パーセントで好調に推移しているのが要因で、ローソンのスイーツなどの品ぞろえで女性客の来店が増えているそうです。
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病院や大学内に展開しているポプラの店舗は、新型コロナの影響で厳しい状況が続いているということで、ポプラでは「フランチャイズ化を進め、ローソン・ポプラ事業に力を入れていく」としています。
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ロシア軍、親ロ派支配「ルガンスク共和国」公開(AFPBB News)
【AFP=時事】ロシア軍は13日、ウクライナ東部の親ロシア派が独立を宣言した「ルガンスク人民共和国」を報道陣に公開した。ウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)政権は2月、同共和国の独立を承認している。
親ロシア派の指導者レオニード・パセクニク(Leonid Pasechnik)氏は、かつてウクライナ支配下にあった町シャスチャ(Shchastia)の発電所前で報道陣に対し、「ルガンスク人民共和国の領土の80~90%がウクライナの民族主義団体から解放した」と述べた。
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JR恵比寿駅から「ロシア語案内」撤去 「不快だ」客からの苦情など踏まえ判断(J-CASTニュース)
JR恵比寿駅に設置されているロシア語の案内表示が、2022年4月初旬に撤去されていたことが分かった。
JR東日本東京支社広報課は14日、J-CASTニュースの取材に、複合的な事情を踏まえての決定だと明かす。
JR恵比寿駅の西口改札内には、乗り入れている東京メトロ日比谷線の案内表示が掲示されている。
駅独自の取り組みとして日本語、英語、韓国語、ロシア語の4か国語で「中目黒」「六本木」と記していたが、広報課によれば4月7日の始発からロシア語の案内のみ無くした。J-CASTニュースが14日午前に確認すると、当該スペースには「調整中」と書かれた紙が貼られていた。
4か国語の表示は、東京五輪・パラリンピックを視野に、海外の乗客向けに設置した経緯があるという。役割を果たしたことに加え、(1)コロナ禍でインバウンド客が減少(2)六本木周辺にある駐日ロシア大使館に向かう客からの問い合わせ減少――といった事情から、案内の整理を検討していた。
その中で、昨今のウクライナ情勢を踏まえて客から「不快だ」といった旨の問い合わせが複数あり、取り下げとなった。
今後の表示については未定だとする。
JR恵比寿駅「ロシア語案内」撤去が取り止めに 15日始発から再表示へ(J-CASTニュース)
JR恵比寿駅に設置されていたロシア語の案内表示が撤去された件で、2022年4月15日から表示が再開されることが JR東日本東京支社への取材で分かった。
客のニーズ踏まえ判断
J-CASTニュースが14日夕、「JR恵比寿駅から『ロシア語案内』撤去 『不快だ』客からの苦情など踏まえ判断」と報じたのち、JR東日本東京支社広報課から連絡があり、15日の始発から再表示すると明かした。14日の終電後に作業する。
広報課は、方針転換の理由を「お客様のニーズを踏まえると、会社としては元の状態に戻すのが妥当」だと判断したと説明した。
案内の非表示をめぐっては、SNSで否定的な意見が少なくなかった。
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動画:ロシア軍潜水艦、日本海で巡航ミサイルの発射実験(AFPBB News)
【AFP】ロシア国防省は14日、ロシア軍の潜水艦が日本海で巡航ミサイルの発射実験を行ったと発表した。実験の映像も公開された。日本のウクライナ支援をめぐり、日ロ関係は緊張が高まっている。
同省によると、ロシア極東沖に展開する潜水艦「ペトロパブロフスクカムチャツキー(Petropavlovsk-Kamchatsky)」と「ウォルホフ(Volkov)」の2隻が巡航ミサイル「カリブル(Kalibr)」を海中から標的に向けて発射した。
公開された映像には、海中からミサイルが飛び出す様子や、潜水艦の乗組員がミサイル攻撃を想定した訓練を行う様子が映っていた。
日本は西側諸国の対ロ経済制裁に追随し、ウクライナ難民数百人を受け入れている。さらに、殺傷目的の武器以外の軍事関連装備品も供与した。
ロシアは先月、ウクライナ侵攻への日本の対応を理由に、日ロ間の第2次世界大戦(World War II)を公式に終結させるための平和条約交渉を打ち切ると発表した。
映像はロシア国防省が14日に公開したもの。
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【本日 (4/14)の広島県内の感染状況】(広島県)
新型コロナ 県内で1144人感染確認 1人死亡 14日発表(NHKニュース)
広島県では14日、新たに1144人が新型コロナウイルスに感染していることが確認されたと発表されました。
1日の発表は前の週の木曜日と比べて8人多く、8日連続で前の週の同じ曜日を上回っています。
感染が確認されたのは、▼広島市で486人、▼福山市で277人、▼東広島市で73人、▼尾道市で66人、▼呉市で60人、▼廿日市市で36人、▼三原市で30人、▼府中町で29人、▼三次市で17人、▼竹原市で13人、▼庄原市で10人、▼海田町で9人、▼安芸高田市で8人、▼江田島市と坂町でそれぞれ6人、▼熊野町で5人、▼府中市で4人、▼大竹市で3人、▼大崎上島町で2人、▼北広島町で1人、▼それに岡山県と福岡県から県内を訪れた3人の、あわせて1144人です。
1日の発表は、前の週の木曜日と比べて8人多く、8日連続で前の週の同じ曜日を上回っています。
一方、広島県は、4月7日に公表した1人について医療機関から発生届の取り下げがあったと明らかにしました。これで、県内での感染確認は、のべ11万1549人となりました。
また、県は、県内の医療機関に入院していた1人が死亡したと発表しました。県内で新型コロナウイルスに感染し、その後、死亡した人は456人となりました。
【国内感染】新型コロナ 52人死亡 5万5294人感染 (14日18:30)(NHKニュース)
岩手県 新型コロナ 新たに432人感染 過去最多(NHKニュース)
福島県 新型コロナ 新たに732人感染確認 過去最多(NHKニュース)
東京都 新型コロナ 7人死亡 8540人感染 先週木曜より約200人減(NHKニュース)
東京 コロナ入院患者 再び2000人超 “感染防止対策徹底を”(NHKニュース 4月15日)
東京都内では、新型コロナウイルスに感染し入院している人が徐々に増え、14日、再び2000人を超えました。第6波のピークの半数程度ですが、都は入院患者が増加すると医療への負担が増すことが懸念されるとして、感染防止対策の徹底を呼びかけています。
都内の入院患者は14日までの8日連続で増加し、14日、2000人を超えて2027人となりました。2000人を超えるのは先月28日以来です。
第6波のピークはおよそ4300人でまだ半数程度ですが、今月に入って徐々に増加しています。
病床使用率は、14日時点で27.6%で、およそ60%まで上昇した第6波のピークと比べると30ポイント以上低くなっていますが、ここ数日わずかに上昇しています。
また、オミクロン株の特性を踏まえた基準で集計した重症患者用の病床使用率は、最も高かったことし2月22日が36.3%だったのに対し、14日時点では6.8%でした。
都の専門家は、「BA.2」系統のウイルスへの置き換わりによって、感染の再拡大の危険性が高いと分析していて、都は、特に高齢者に感染が広がれば、入院患者の増加で医療への負担が増すことが懸念されるとして感染防止対策の徹底を呼びかけています。
長野県 新型コロナ 新たに868人感染確認 過去最多(NHKニュース)
大阪府 新型コロナ 11人死亡 4314人感染確認 前週比350人余減(NHKニュース)
米、公共交通機関でのマスク義務を5月3日まで延長 コロナ感染者増で(ロイター)
[13日 ロイター] - 米政権は13日、新型コロナウイルス感染対策として施行している航空機や公共交通機関、空港や駅などにおけるマスク着用義務の期限を5月3日まで延長すると発表した。国内で新型コロナ感染者数が増加していることが背景にある。
昨年2月から約14カ月間にわたり実施されているマスク着用義務は繰り返し延長され、4月18日に期限を迎えることになっていた。
米運輸保安局(TSA)は、米疾病対策センター(CDC)が米国内でオミクロン変異株の亜種「BA.2」が感染全体の85%超を占める中、感染状況を注視する方針を示していることを踏まえ、マスク着用義務を延長すると説明した。
熊本地震から6年
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英紙の指摘「日本が原発を再稼働できたら、欧州は露ガスに依存しないで済むかもしれない」(クーリエジャポン)
3月22日に起きた東京の電力危機では、日本の脆弱なエネルギー体制が露呈し、原発の再稼働を支持する声もわずかに高まった。もしそれが実現したら、世界の地政学にも影響を与えると、英経済紙「フィナンシャル・タイムズ」は分析する。
東京で停電が起きていたほうがよかったのか
3月末、ある企業幹部は、東京が電力危機によって一時的に停電していれば国益につながったかもしれないという考えを声に出した。彼は明るいレストランで、東京の電気で光り輝くスカイラインを背に座っていた。
3月16日の大地震後、東京電力管内と東北電力管内では電力が逼迫し、3月22日には電力消費削減への協力が求められた。
しかしもし東京が停電していたら、日本の抱えるエネルギーの脆弱性がはっきりと見せつけられたことだろう。厳しいことだが、世界は、第3位の経済大国の日本にエネルギーを供給する義務を負っていないのだ。
その企業幹部の主張はこうだ。もし停電が起きていれば、その非常灯だけのついた薄暗いなかで、国内政策の不備と地政学的な混乱の重なりを見せつけられ、エネルギー安全保障が見直されるきっかけに確実になっただろうと。
ロシアのウクライナ侵攻で緊迫している今、停電によって国民の支持が広がっていれば、日本は巨大な原子力発電所の再稼働を加速させることができただろう。
もしそうなれば地政学的なインパクトは非常に大きいだろうと、日本政府のエネルギー分野のアドバイザーは言う。日本は液化天然ガス(LNG)の世界2位の輸入国であるが、原発再稼働によって国内のLNG需要を減らすことができれば、その分を他国に回せる。そうすればヨーロッパのロシアへのエネルギー依存と、それによる力関係はおそらく変化し始めるだろう。
3月に停電を回避するために行われた急な対策は、国民の意���と原子力発電に対する政治的スタンスに長期的な影響を与えたのだろうか。
その朝、東京の住民は季節外れの寒さと警報に目覚めさせられた。市民が一丸となって取り組まなければ電力が不足し、午後には何百万もの家庭の電気が消えてしまうと告げられたのだ。警報によって、東京の人々は良心や公共心、携帯電話の充電やお茶を入れる必要性とのリアルタイムな戦いに駆り立てられた。
朝食の頃にはトースターを使った家族を叱りつけ、正午までにはキャンプ用のガスボトルが店から消えていた。東京電力管内の電力の使用率はオンラインで即時に示され、人々の節電努力の程度、成功と失敗の境界線が映画のように提示された。そして午後のお茶の時間は過ぎたが、幸運にも電気はついたままだった。
日本の脆弱なエネルギー供給体制が露呈
この危機を引き起こしたのは、日本のエネルギー政策における長期的な課題だ。しかし、複数の問題が同時に発生していたため、この事態は一過性かもしれないという解釈も可能ではあった。
その1週間前に発生した東北地方での非常に大きな地震により、12基の火力発電所が停止していた。そして悪天候のために太陽光発電の発電量が低下し、寒さのために多くの人が電気ストーブをつけた。
今回はニアミスで済んだものの、この電力危機をきっかけに、世論が原発再稼働を加速する方向に進むかもしれないという原発推進派による楽観的な見方がある。それは非常に大きな変化になる。
2011年の大震災と福島第一原発の事故後、日本は54基の原子炉の稼働をすべて停止した。それによって30%の発電量が失われ、輸入する化石燃料への依存度を不快なほど高くせざるを得なくなった。その後、10基の原子炉のみが稼働を再開したものの、世論は継続的に反対しており、規制も過剰に複雑なことから、より大規模な再稼働は阻まれた。
一方、東京が辛うじて停電を免れた直後の「日経新聞」の世論調査では、日本国民の半数以上が原発再稼働を支持することが、2011年以降で初めて示された。
これを大きな転換点だと見る人もいるが、この支持は一時的なものに過ぎず、原子力に対する国民の評価が低いことを指摘する人もいる。また、東京やその他の都市部と、実際に原子力発電所を抱える沿岸部の町での原発に対する姿勢は大きく異なる。
原発再稼働へ向けた政治的な勢いも弱いかもしれない。与党の自民党内でもこの問題には深い溝があり、7月の選挙において原発を争点にするにはあまりにリスクが高すぎる。
このようにさまざまな議論が起きているものの、エネルギー専門家によれば、今後も停電が起きるリスクは依然として高いようだ。ウクライナ危機によって地政学が変化する前から、日本独自のエネルギー政策によってリスクは高まっていた。
2016年の電力小売市場の自由化の副作用として大手電力会社のバックアップ発電所はすでに閉鎖しており、世界で最も地震が多い日本の総電力容量は大幅に減っている。
電力会社が、電子レンジや暖房便座、ドライヤーなどを使わないよう東京の人々に正式に依頼する数週間前、自民党のある著名議員は、とある議論のなかで日本全体が日常的に電力使用を抑制する必要があると内々に警告していた。
3月22日のように、極端な状況下で一日だけ電力の使用を抑制するのは可能かもしれない。しかし今回、それが長期的な解決策にはならないことが証明された。Leo Lewis
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yaasita · 3 years
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現金3400万円を残して孤独死した身元不明の女性、一体誰なのか(前編) 「行旅死亡人」のミステリーを追う 2022/2/20 10:00 (JST)2/20 21:28 (JST)updated© 株式会社全国新聞ネット
タグ 47リポーターズ 社会 広島県 特集ページを見る 地域再生大賞 📷 全国の地方新聞��6紙と共同通信社が、地域モデルとなる活動団体を表彰しています
📷 2020年4月、ある高齢女性が、兵庫県尼崎市のアパートでひっそりと独りで亡くなった。女性の身元が分かる遺品はなかったが、自宅の金庫には現金約3400万円が残されていた。この所持金の額は、身元不明の死者を指す「行旅死亡人」の中でも10年間で断トツのトップ。いったいこの女性はどんな人物だったのか。限られた手掛かりを頼りにミステリーを追いかけた。(共同通信=武田惇志、伊藤亜衣)▽「不思議な事件なんです」と相続財産管理人残されたアルバムにあった1枚。ほほ笑む女性 📷 昨年6月、ある官報の行旅死亡人の記事に目がとまった。「本籍・住所・氏名不明、年齢75歳ぐらい、女性、身長約133cm、中肉、右手指全て欠損、現金34,821,350円」。2020年4月26日午前9時5分ごろ、尼崎市のアパートの一室で女性の遺体は見つかった、とある。行旅死亡人は、病気や自殺などで亡くなり、名前や住所などが判明せず遺体の引き取り手がない人のことだ。遺体が発見されると、まず警察が死因や身元を調査する。事件性がなく、遺体を引き取る人がいなければ、「行旅病人および行旅死亡人取扱法」に基づき、発見された市区町村が遺体を火葬・埋葬し、遺品を管理する。その後、官報に遺体発見の日時や場所、推定年齢、身体的特徴、所持品などを掲載し、引き取り手を待つ。女性は2010年から官報の死亡記事をインターネット上に転載している「行旅死亡人データベース」で、所持金部門のランキングで1位だった。官報に掲載された「行旅死亡人」の情報 📷 尼崎市に問い合わせると、家庭裁判所の選任で遺産を管理する相続財産管理人の太田吉彦弁護士と連絡を取ることができた。「弁護士を22年やっていますが、かなり不思議な事件なんです。報道の力もお借りできるなら…」。太田弁護士は開口一番、電話口で切り出した。太田弁護士によると、女性は「田中千津子」と名乗り、1982年3月からアパートに住み続けていたが、住民票がなく、保険証や病院の診察券、親族からの手紙や電話帳なども見つからなかった。多額の現金は通帳や貴金属と一緒にダイヤル式金庫の中に収められ、遺体発見時に臨場した警察官により発見された、という。女性が遺体で見つかった当時の室内 右下は現金が入っていた金庫 📷 部屋からは「田中千津子」名義の年金手帳も見つかり、1945年9月生まれとあったことから、死亡時は75歳と推定された。死体検案書によると、死亡したのは2020年4月上旬で、死因はくも膜下出血だった。残されていた労災の書類から、94年4月、当時働いていた尼崎市内の製缶工場で、事故によって右手指を全てなくしたことが分かった。労災年金の給付が決まったが、後に自ら給付を断ったとみられ、97年ごろに打ち切られていた。住民票も95年、理由は不明だが市の職権で削除されていた。自宅に固定電話はあるが、電話をかけた履歴もなく基本料金を支払い続けている状態だった。遺品には、スナップ写真が入ったアルバムのほか、通帳、印鑑、セイコーの腕時計、米1セント硬貨1枚、京都・八坂神社のキーホルダーなどがある程度。部屋は施錠されていたが、不思議なことに鍵は見つかっていない。レシート類はなぜか近年のものはなく、80~90年代のものが数枚あるだけで、身元の特定につながるものはなかった。また、ポリ袋に包まれた韓国の千ウォン札1枚と、内側に謎の数字が羅列された星形のペンダントが見つかり、身元を調べた関係者の間では「北朝鮮の工作員絡みではないか?」といううわさも立ったという。遺品のペンダント 📷 結局、警察が調べても身元が判明せず、女性は市によって火葬された。民法の規定では、身元が判明せず一定期間を経ても相続人が確定できなければ、遺産は国庫に帰属することになっている。「今回は遺産が多額であり、もし国庫帰属後に相続人が出てきたら取り返しがつかない」として、太田弁護士は昨年3月、異例ながら探偵・調査会社に委託し、改めて身元調査を行うことにした。探偵は近所を中心に聞き込みなどをしたが、女性を知る人は見つからなかった。太田弁護士は「何らかの手がかりが多少は残されているのが普通。今回は積極的に身元を隠そうとしていたのかもしれない」と推察した。▽「田中〇〇」という名で賃貸契約関心を抱いた私たちはまず現場に足を運んだ。女性が遺体で見つかったアパート 📷 女性が40年近く住んでいた3階建てのアパートはJR尼崎駅から直線約1キロの住宅街にある。近くには商店街があり、昔ながらの個人商店や銭湯などが立ち並ぶ。大手家電量販店や商業施設、新しい高層マンションに囲まれた尼崎駅周辺とは対照的だ。アパートは1階が大家の自宅で、2、3階に計4室の部屋があり、現在は他に男性1人が住んでいる。2020年4月26日、この男性が千津子さんの郵便受けに家賃の請求書が入ったままであることを不審に思い、連絡を受けた不動産会社が警察署に通報。女性は玄関先で左側を下にして横になった状態で倒れていた。大家が顔を確認して部屋の住人であることが確定した。女性が住んでいた部屋。女性が倒れていた 📷 部屋の壁に掛けられた警報アラームは電源が入ったままで、部屋の窓に内側から棒が挟まれ、開かないようになっていたという。大家の許可を得て、女性が住んでいた2階の部屋に入ることができた。家具などはすでに片付けられていて生活感はなく、玄関扉の横に貼られた粘着テープと木製の郵便受けに書かれた「田中」という小さな文字が残されていた。呼び鈴と粘着テープの「田中」の文字 📷 玄関扉を開けると狭い玄関があり、すぐ横には小さな手洗い場が備え付けられていた。台所と奥に4畳半の和室、トイレがあるだけの質素な部屋だった。玄関扉の内側にはチェーンが2つ付いていたが、救急隊が部屋に入る際に壊したという。チェーンは自ら施したとみられる。大家の宮城ヒナさん(93)に話を伺うと、女性は月3万1500円の家賃を毎月欠かさず持って来ていたという。「そのやりとりで会うだけやったけど、上品でおとなしい方やったな」。女性はいつも腕を組んでいた印象で、宮城さんは女性に右手指がないことも知らなかった。アパートの賃貸借契約書は1982年3月に「田中〇〇」という男性名で契約されていた。勤務先を大阪市西淀川区の「富士化学紙工業」(現フジコピアン)とし、電話番号も付していた。太田弁護士によると、兵庫県警が同社に田中〇〇さんの勤務歴を照会したが、該当がなかったという。フェイスブックで同時期に働いていた元社員の男性を見つけ、名前と写真を見せて確認してもらったが、該当する同僚はいないとし、付された電話番号も当時の代表電話で電話帳にも載っていたもの、と証言した。何らかの事情で勤務していない虚偽の社名を書き込んでいたのだろうか。当時、田中〇〇さんと直接契約を交わした宮城さんの夫はすでに亡くなっており、宮城さんは「男性には一度も会ったことがなく、(女性の)独り暮らしだと思っていた」と話した。▽大事にしていたぬいぐるみ女性が遺体で見つかった当時の室内。大切にしていた犬のぬいぐるみも見える 📷 女性の部屋にはアルバムが残されていた。開いてみると、緩くカールした黒い髪が肩まである40代くらいの女性の写真がたくさん入っていた。写真の多くは、背景に写った車や新聞から、1980年代に撮影されたとみられる。女性は白いシャツにジーンズというカジュアルな日もあれば、首にファーを巻きロングコートで赤い口紅を塗った華やかな服装の日もあった。「晩年はだいぶ痩せていたが、田中さんの面影はある」と宮城さんは言う。眼鏡姿の中年男性が写った写真も多くあったが、そちらについては「見たことがない」と首を振る。アルバムには女性が白い乗用車にもたれかかった写真も収められていた。車は三菱自動車の「ギャランGTO―M2」。愛好家という男性に連絡すると、1970~71年に約1万6千台生産され、当時、若者から熱狂的人気を集めていたと���えてくれた。「購入できたのは30~40代のお金に余裕のあるおしゃれな独身者で、家族持ちは買わない」アルバムに残されていた男女の写真 📷 写真の男女はいつも同じペアで、多田神社(兵庫県川西市)や八坂神社、知恩院(京都市)など神社仏閣を2人でよく訪れていたようだ。女性が尼崎市のアパートで犬のぬいぐるみを着せ替えて遊ぶ姿も収められている。女性が亡くなった後、清掃前に撮影された自宅の写真を見ると、部屋にはベビーベッドが置かれ、その上にこの犬のぬいぐるみがあった。サン・アロー社(東京)が82年に販売を開始した「サンディ」という名で、40年近くも大切にしていたことがうかがえた。アルバムの写真はみな色あせ、最近のものとみられる写真は1枚もなかった。最も新しいとみられるのは、富山県南砺市の大牧温泉観光旅館で撮影された男性の写真で、92年7月12日と撮影年月日が唯一、印字されていた。旅館に電話で問い合わせると、当時の宿帳は残っていたものの、関西方面からの宿泊客で「田中」という名は見当たらなかった。大家の宮城さんの証言から、写真の女性は亡くなった田中千津子さんと推定されたが、確証は得られなかった。「このままでは無縁仏。女性が成仏できるように、ご親族が見つかればよいのですが」と太田弁護士はつぶやく。写真=残されていた「沖宗」の印鑑 📷 手がかりは何かないか。これまでの取材結果を整理したところ、突破口になりそうな情報が2つ出てきた。労災事故で入院した際の病院のカルテにあった「『23歳まで広島におり、3人姉妹がいた』と話していた」との記述と、「田中」姓に混じって見つかった「沖宗」姓の印鑑。「女性は広島出身で旧姓が沖宗さんでは?」。私たちは広島方面に取材の足を広げることにした。(つづく)情報提供やご意見は共同通信大阪社会部にお寄せ下さい。メールアドレス:daisha@kyod
onews.jp/ツイッター:@kyodonewsosaka
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為什麼東亞地區都吃豆腐,但只有中國人吃腐乳?
為什麼東亞地區都吃豆腐,但只有中國人吃腐乳? 撰文| 魏水華 頭圖| pixabay 由於比鄰的地緣格局和相近的文化傳統,東亞各國在飲食習慣上有著很多共性。比如用筷子、喝糧食酒、蘸醬油調味、吃辣椒醬、吃醃漬蔬菜、吃白米飯、吃狗肉……幾乎所有被中國人打上了鮮明標籤的本民族餐桌元素,都能在��鮮、韓國、日本、越南找到共鳴。腐乳,也許是唯一的例外。 這種由豆腐醃製發酵而來的小菜,廉價、鮮美、用途廣泛。同時,它還完美解決了豆製品不耐存儲運輸的問題,是中國各地最常見的小菜之一。但神奇的是,同樣對豆腐懷有熱愛的朝鮮、韓國、日本和越南,卻幾乎見不到腐乳的影子。不吃腐乳,他們各有理由,諸如“有異味”“高鹽”“不健康”,但似乎全然忘記了異味更大的日本納豆,與含鹽量同樣高的韓國泡菜。歷史上與中國有著千絲萬縷聯繫的沖繩群島,至今倒是依然流行著一種名為“豆腐糕“的食物。和腐乳一樣,它依賴發酵改良豆腐的口感。因為豆腐糕不能太鹹,所以其製作過程只能依靠酒精來控制黴菌的滋生。在加入沖繩本地烈酒“泡盛“後,大量有益菌群被殺死,這就導致豆腐糕的發酵程度不夠深,空有腐乳的質感,缺乏氨基酸為腐乳帶來的,爆炸般的鮮味。本質上,沖繩豆腐糕只是一種類似腐乳的點心,它遠遠達不到腐乳的味覺高度。究竟是怎樣的土壤,成就了酵變於腐乳之中的中餐滋味、隱藏於腐乳之外的華夏風韻、搭建於腐乳之上的漢唐美學? No.1壹製造腐乳的的原材料是豆腐,並且豆腐的含水量不能太高,需要達到一定的固形物密度。日本人發明的“絹豆腐”,是無法製造腐乳的。鹽滷,是製作腐乳的先決要素。雖然這種由氯化鉀、氯化鎂和溴化鎂等雜質構成的製鹽廢料,具有一定的化學毒性,經常被當成健康飲食的反面教材。但沒有樸素的鹽滷參與,就無法“點”出乾濕適度、軟硬合宜的豆腐。縱觀眾多歷史久遠的腐乳產地,諸如浙江紹興、廣西桂林、山東臨清、雲南楚雄、福建莆田……它們有一個共同特點,都是鹽產地或者鹽業集散中心。同時,大豆的產能也是誕生腐乳不可或缺的外部條件。這種原生於東亞大陸的植物,有著極為強大的土壤適應性和優秀的蛋白質、脂肪、澱粉比例,唯一的問題是,不好消化、不好吃。哪怕費盡心思做成豆腐、豆漿,沒有佐料的加持,都會顯得寡淡無味。這與烘烤後焦香四溢的小麥、蒸煮後散發茉莉花香的水稻無法相比。大豆單調的味道,注定只能成為配菜,而不是主食。所以,在土地平曠、土壤肥沃的地區,大豆永遠不會代替穀物成為主要農作物。只有在種不了水稻、小麥的地方,大豆才會呈現出異乎尋常的多產——因為多到吃不掉,所以各種圍繞大豆的做法與保存方法,才會應運而生。以浙江紹興為例,這座夾在寧紹平原與浙東丘陵之間的城市,一邊是稠密的人煙與浩渺的東海,為海鹽的生產、運輸創造了便利的條件;一邊是高山溪谷密布的山地,適宜種豆的山坡比適宜種稻的良田更多。圖| 腐乳稀飯,江南味道產豆、磨漿;製鹽、點鹵;發酵過程中,加鹽祛除雜菌,聞名華夏的紹興醉方,由此誕生。一切工序,都因本地物產而順理成章——早在自然地理格局形成的時代,腐乳作為區域性特產的路徑,就已註定。No.2貳淮南王劉安發明豆腐的故事固然只是傳聞,但淮河中下游地區作為豆腐和腐乳的發祥地,卻是可信的。不管是《說文》《淮南子》《禮記》等早期文獻中,多次出現了“淮菽”這個關鍵詞;還是淮南地區至今保存的大片野生大豆種群,都證明了這片土地與豆子的不解之緣。介於南北之間的氣候、巨大的年均溫差、丘陵與平原伴生的地貌,都給予了大豆良好的生長條件與漫長的灌漿週期。而淮河水道,則便捷地溝通了蘇北食鹽產區與這裡的交通,讓鹽和鹽滷的輸入、應用有了客觀條件。雖然作為四戰之地,北方游牧民族多次南下,與漢族政權在淮河流域拉鋸爭奪,以千年的時間打碎重構了這片地區的飲食習慣。但對於腐乳的熱愛,卻從未改變。在河南信陽羅山縣,人們喜歡吃一種由豬大腸、豬血、豆腐燉煮而成的羅山大腸湯,搭配當地用山茶油浸漬的羅山腐乳,這是最接地氣的開胃早餐;在安徽阜陽潁上縣,人們習慣在濃稠的麵糊中加入油鹽蔥辣,燉煮成特色小吃“辣糊子”,用鍋巴饃蘸著吃。再另附一碟本地的黃壩腐乳,所有阜陽人都會豎起拇指稱讚“地道”。在安徽淮南,大名鼎鼎的牛肉湯有兩個伴侶。大多數人都會在一碗牛肉湯之外,另搭一個油酥燒餅,但只有少數老饕才知道,不再來一塊八公山腐乳,這頓飯是不完整的。到了更下游的江蘇淮安,作為淮揚菜的發源地之一,雖然人們在正式的宴席中離不開長魚美蟹,但到了真正市井小吃的江湖里,依然有腐乳的影子。當地著名的碼頭鎮羊湯,要用羊肉羊雜熬出濃濃的白湯,舀一碗,一半是肉、一半是湯。用原湯、小蔥和腐乳打成蘸水,蘸肉喝湯,好不快活。淮河流域的這些與腐乳相關的飲食,流露出一個共同特點:作為一種重咸小食,它需要與半湯半菜的主食搭配來吃。被水稀釋了味道的湯菜因之重新煥發濃郁的風情,而原本廉價的豆製品,在一點一點地細品慢酌中,教會了人們物盡其用的道理。古老的飲食習慣,隱藏著農耕族群勤儉持家、擅於變通、敝帚自珍的民族性格。 No.3叁雖然腐乳與農耕地理呈現出高度相關性,但極具戲劇色彩的是,第一次出現關於腐乳的文獻記載,卻可能源自北方游牧文明建立的政權。在北朝成書的《洛陽伽藍記》中,記載了一種特殊的小吃:“舂豆為乳,久為酥酪”,意思是把大豆打成細泥,放上一段時間,就會變成奶酪。顯然,這是奶酪的一種替代品。它的出现,与北魏时期的技术和文化爆发有关;与鲜卑南下、更姓易服,逐渐改变草原饮食习俗有关;更与南北民族融合、生活方式趋同有关。小小腐乳,背后隐藏的,是东亚帝国在历史十字路口的走向。但这种大豆制作的“假奶酪”的缺陷也同样显著——不稳定。大豆与自带益生菌群的牛羊乳不同,它的发酵,完全依靠空气中的菌群。任何一点气温、湿度的变化,就有可能导致腐乳制作的失败。新的辅料应运而生——腐乳曲。和酒曲一样,这是一种为发酵过程搭框架的菌类孢子团块。人们在制造腐乳的过程中,选择口味最好、香气最浓的品种干燥培养,人为驯化微生物,并继续用于新的腐乳生产。腐乳曲的发明,彻底改变了腐乳的制作流程:原本豆腐胚煮熟加盐封坛,直接腌制的做法,进化成了先将腐乳曲和豆腐放在一起,促其发霉长毛,发酵到一定程度后,再加盐、酒腌制杀菌。显然,后者的发酵程度更深,也因此获得了更丰富的氨基酸。南北朝之后,先发酵、再腌制,成了腐乳的主流做法。人们还通过豆腐表面菌丝的长短颜色为腐乳分类,白色长菌丝的,称为毛霉腐乳;黄灰色短菌丝的,称为根霉腐乳。毛霉菌耐低温,发酵慢,滋味深,大多在北方地区或南方冬季的腐乳腌制中出现。山西太原人把腐乳称为“酱豆腐”,是典型的毛霉腐乳。晉菜名品“醬梅肉荷葉餅”,就是用這種醬豆腐混合切片五花肉,蒸熟後荷葉捲餅吃。小麥餅皮紮實嚼感,進一步延緩了醬豆腐的滋味釋放,讓這道菜的回味無比悠長,肉香醬香、三日繞樑。根黴菌正好相反,溫度越高、活性越強,甚至能在南方夏季近四十度的高溫環境下工作順暢。比如廣西桂林濕熱的氣候,就是誕生根霉腐乳的絕佳環境。 相比毛霉腐乳,根黴由於發酵速度太快,缺乏曼妙複雜的滋味,但其爆炸性的脂類香氣是無法比擬的。廣西荔浦芋頭扣肉,標準的做法是不加一粒鹽,純以腐乳醃製調味。芋頭的澱粉和五花肉提供了足夠豐厚的滋味,而桂林腐乳的香氣,則把這道菜的風味拔升到頂點。物無定味,適口者珍——這八個字,用在腐乳的江湖里,恰好合適。No.4肆公元14世紀,因為宋元時期發達的海上貿易,讓福建東南沿海地區,一躍成為東亞最大的商業貿易集散地。阿拉伯人、回回人、南洋人和歐洲人於此往來,經濟高度發達、文化快速融合,許多有意思的新飲食方式,也在此流行開來:比如紅曲。紅曲是一種曲霉菌,因為發酵過程中會長出玫瑰紅色的菌絲,富含天然色素而得名。今天,福州人用它釀製一种红色的米酒“”青紅酒“,並用紅色的酒糟烹燒海味、醃製魚蝦。但真正讓紅曲走出福建,流行到全國各地的,是腐乳。在加入紅曲參與發酵後,原本淺黃淺白色的腐乳,變成了迷人的玫瑰紅色。而紅曲霉菌所製造的多醣類、酒精等有機物,也與腐乳原本的風味物質混雜,出現了新的口味。很快,紅曲成了腐乳江湖里的顯學。今天幾乎所有生產腐乳的醬園裡,都會有這種腐乳的產品線。人們為它起了一個好聽而形象的名字:玫瑰腐乳。因其源自南方,被稱為“南乳”;又或許是為了區分,人們把不加紅曲的黃白色腐乳稱為“白方“,加入紅曲的稱為”紅方“。潮汕地區流行用紅方腐乳製作糕餅,工藝很複雜:先用白糖醃豬肥膘肉,使其成為晶瑩剔透的“冰肉”,切丁後與炒香的花生、芝麻、蒜蓉、南乳混合後做餡,包��類似於廣式月餅的鹼皮烘烤後,就是潮汕著名的小吃“腐乳餅”。掰開時,內餡裡淡淡的紅色是潮汕腐乳餅的最大特點。加熱後,脂肪融化的迷人肉香,與腐乳甜香混合,再配上一盅鳳凰單樅茶,這是潮汕人一天最愜意的時刻。而到了珠三角地區,南乳的用處更大。除了替代鹽和醬油,與豬五花肉燜成色澤紅亮,油香滿溢的南乳肉之外,它還能擔當羊肉煲的蘸水;還能浸漬花生後炒熟,做成南乳花生仁;研碎後與空心菜同炒,成為紅綠分明的南乳青蔬;與糯米五花肉一起包進粽葉里,化身香氣四溢的南乳粽子;或者加入燉豬蹄中,成就香滑可口的南乳豬蹄。在腐乳之都廣州,“南乳”已經不單純是一種食物,而是一個菜系的代名詞。No.5伍在南乳發明之後,中國人腐乳的想像力彷彿開了光。各種酒類、植物油、芝麻、花生、芋頭、芸豆,以及稍晚後傳入中國的辣椒,都參與到腐乳的製作中。中國腐乳的譜係由此變得無比豐富,而一些物產豐富的地方,也在這一波“腐乳大發明”中脫穎而出。比如台灣流行的,加入酒釀、芋頭粒和鹹青梅的腐乳。酒釀入菜是福建客家人的傳統,檳榔芋頭是台灣本土特產,咸青梅干泡酒則是日本人的習俗。台灣人用包容性極強的腐乳將之混搭組合,甚至還創造性地加入一些紅豆、芸豆等豆類,豐富腐乳的味覺層次。“腐乳壇裡的台式奶茶”,絕非浪得虛名。雲南楚雄的牟定油腐乳,是又一個例子。楚雄位於滇東高原到橫斷山區的過渡地帶,既有平緩的丘陵,也有雄偉的高山深谷,各種動植物在這裡繁衍生息,是名副其實的生物多樣性王國。油腐乳,顧名思義,就是用油脂浸泡調味的腐乳。其中,既混合了核桃、油茶、油橄欖等木本油料作物壓榨的植物油,又有辣椒、青花椒、金蓋、芫荽等香料,浸泡在油脂中析出的脂溶性風味物質。 最終,味道複合豐富的油脂,促成了牟定油腐乳獨特的風味;也從一個側面折射了明清之後,彩雲之南融入中華版圖的歷史浪潮。 但不管是台灣的梅子腐乳,還是雲南的油腐乳,都只能算是在“術”的層面對腐乳口味進行改良。一場真正的,從“道”的層面發起的腐乳革命,正在帝國的中心醞釀。康熙八年,安徽人王致和進京討生活。關於此人到底是科舉落第,還是紅頂徽商,江湖上眾說紛紜。但有一點是肯定的:王致和經營的醬園,做出了世界上第一罐“青方”。所謂“青方”,延續了“白方”和“紅方”的顏色分類法,指青灰色的腐乳外觀。王致和的家鄉安徽徽州地區,有著吃臭菜的習俗,當地著名食材臭鱖魚、臭豆腐、黴千張、黴豆子,都有著與青方類似的青灰色外觀。但製作青方的工藝卻與這些臭菜完全不同,黃漿水和鹽硝,兩位“新夥伴”就此粉墨登場。黃漿水其實就是製作豆腐後剩下的淺黃色的液體。其中含有大量水溶性的蛋白質和醣類,但因為極易腐敗變質,所以常常被視作廢水。鹽硝就是硝酸鈉,是一種鹽鹼地區的常見礦物,有毒性,也是強氧化劑。諾貝爾發明硝化甘油炸藥時,就用到了提純的鹽硝。製作青方的過程,說複雜不復雜,在普通腐乳製作的過程中,不停添加黃漿水和微量鹽硝。黃漿水為豆腐發酵提供更多原材料,加快菌群代謝速度;鹽硝則促使豆腐裡的有機物快速氧化,並抑制雜菌滋生。這是一步險棋,加快發酵的速度、提升發酵的烈度,能讓豆腐釋放更多氨基酸,獲得更強烈的鮮味。但其代價是菌群平衡極易失控,稍有不慎,就會讓腐乳變質。高純度的鹽硝,在此時發揮了殺菌保鮮的作用,促成了異味濃重、發酵徹底、滋味更美妙的青方的誕生。顯然,這是民智民生進步的例證、是技術發展帶來的紅利,也是經過明末亂世後,大一統國家重新步入正軌,經濟社會大發展的縮影。圖| 麻醬、青方、韭菜花,是北京涮羊肉的最強蘸水-END-老外們常常對中國腐乳充滿好奇,說它是“東方奶酪”。這個比喻,既對,也不對。從質地口味上對比,腐乳有著和奶酪相似的細膩、綿密的口感;從用途上分析,腐乳和奶酪一樣,可以作為佐餐配菜、可以用於煎煮烹炸、可以當小零食單獨食用;作為農耕社會最重要的副產品,豆製品在中國餐桌上的地位,也確實和乳製品在西餐裡的地位一樣重要。但在飲食發展的進程中,原本只是為了方便牛羊乳保存、運輸的而發明的奶酪,隨著經濟條件的躍進,和酒飲、煙草、咖啡等嗜好品一樣,實現了品級精細化,半隻腳踏進了貴族私享的大門。其階級屬性,因此得到徹底改變。腐乳的生長路徑卻完全不同,從誕生到今天,不論工藝如何精進、品類如何衍生,它始終站在中國人平凡光陰、尋常巷陌的背後,是不論性別、不論年齡、不論身份、不論收入,人人皆可享用的市井美饌。一如這個因土地書寫歷史,由人民創造歷史的古老國家。有腐乳的地方,必有水墨丹青、必有霽風朗月;愛吃腐乳的人,必是劍膽琴心,必是字正腔圓。| 黑龍江·克東腐乳|| 北京·通州腐乳||山東·臨清腐乳||山西·汾陽腐乳|| 四川·夾江腐乳|| 重慶·忠州腐乳|| 安徽·鳩江腐乳|| 浙江·紹興腐乳|| 湖南·平江腐乳||福建·南安腐乳||廣東·開平腐乳||廣西·桂林腐乳||貴州·桐梓腐乳||雲南·牟定腐乳| from 為什麼東亞地區都吃豆腐,但只有中國人吃腐乳? via KKNEWS
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「当時、ルソーを語らないやつはダメでした。僕は哲学専攻でしたから特によくルソーを読み込んだ。女の子の前でフランス革命を語るのが、一番カッコよく見えた時代です」
元中国人の評論家・石平に若い頃の話を尋ねると、そう言って笑みを浮かべた。
1962年に中国四川省で生まれた石平は、幼少期に文化大革命を経験。やがて1980年、北京大学哲学系に入学し、学内で民主化運動に熱中した過去を持つ。中国が改革開放政策に走りはじめた当時、キャンパスでは誰もがルソーを読み、国家の未来と民主主義を語るのが流行だった。
卒業後、石平は中国国内で大学講師になったが、学生に民主化運動のオルグをやりすぎて上司に睨まれ、新天地・日本に留学。神戸大学大学院で博士号を取得している。1989年に六四天安門事件が発生したときには、彼は関西地方の中国人留学生グループのなかでも相当にアクティヴに動き回った。
私は先日、彼のような天安門世代の中国人たちの「その後の人生」を追いかけた『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』(KADOAKWA)という本を刊行した。天安門事件が起きたとき、日本は平成元年。この約30年間で、かつての若者たちの人生は大きく変わったが、それはいまや「元中国人」の保守評論家となった石平も例外ではない。
石平の心のなかにある、往年の民主化青年の素顔に向き合ってみたい。中国の若者が、カネ稼ぎや就職の心配よりも国家の未来を心配していた時代の記憶に触ってみたい。そこで今回の記事では、石平にそんな過去への思いを存分に語ってもらうことにした。
この記事を読んでいる日本の大部分のネットユーザーはきっと知らない、もうひとりの石平の姿。どうぞご覧いただきたい。
革命神話が生きていた時代に
安田 いわゆる天安門世代に該当するのは、1960年代生まれの中国人。中国語で「六〇後(リョウリンホウ)」と呼ばれる人たちです。彼らの青年期後半と日本のバブル絶頂期は重複していて、中国国内のエリートがいちばん多く日本に留学していた世代でもあります。
結果、現代の「有名な在日中国人」はみんな天安門世代です。石平さんをはじめ、財界ではソフトブレーンの宋文洲氏やラオックスの羅怡文氏、芸能人では周来友氏や李小牧氏、小説家の楊逸氏など、非常に濃い面々が揃います。日本で教鞭を執る中国人大学教員も、この世代がいちばん多いでしょう。
石平 そうですね。日本にいる中国人留学生の質が高かったのは1980年代なんです。90年代前半期も、天安門事件に失望した中国のエリートが大勢日本に来ています。
安田 天安門世代は、ほかにもIT企業アリババの創業者のジャック・マー(馬雲)やバイドゥ創業者のロビン・リー、シャオミ創業者の雷軍、暴露大富豪の郭文貴など、中国財界の大物たちも数多く該当します。中国共産党の高官だと胡春華や孫政才(2017年7月失脚)もそうですね。この世代の中国人の、心の原風景みたいなものを知りたいんですが。
石平 いいでしょう。たとえば僕の場合、4歳で文革がはじまり12歳で終わった。物心ついたときはまだ、革命神話が現役だった時代です。「偉大なる中国共産党により解放された祖国は素晴らしい」「諸君は世界で最も幸せに暮らしているんだ」「日本人民やアメリカ人民は悪しき資本家の抑圧のもとで食うや食わずやの生活である」と教わりましたよ(笑)。
殺伐を越えて
安田 往年の石平少年も、胡春華少年もジャック・マー少年も、みんな毛主席の紅小兵だった。中国人民より “不幸”なアメリカ人民や日本人民を、共産主義の光で解放するのが使命だと教わってきた。
石平 ええ(苦笑)。しかし、文革で社会はメチャクチャになる。そして70年代からは、農村に送り込まれた紅衛兵の一部が無許可で都市に戻り、仕事がなくて犯罪に走るようになった。70年代の中国は貧しくて閉鎖的なだけではなく、治安も悪くて暗い時代でした。
※来日して早大大隈講堂でトークセッションをおこなったアリババ創業者、ジャック・マー。今年3月末時点で時価総額世界8位の巨大IT企業を率いる彼も1964年生まれであり、世代的には「天安門世代」だ。2018年4月25日、大隈講堂内で安田撮影
安田 そんな殺伐とした時代の後に、ようやく毛沢東が死んで雪解けがはじまる。石平さんが北京大学哲学系に入学したのはこの時期(1980年)です。どんな学生だったんですか?
石平 当時、鄧小平の新体制のもとで、毛沢東時代がある程度は否定された。そこで登場したのが、文革の悲劇を暴露する「傷痕文学」という小説ジャンルです。私は高校から大学にかけてむさぼるように読んで、強く影響を受けた。当時は娯楽が少ないので、他の同世代も似たり寄ったりだったでしょう。
僕らが子どもの頃は「素晴らしい政権の下に生まれている」と教育された。それが大人の入り口に立つ頃になって、自分たちの社会の残酷さ、恐ろしさを知る。両親や同級生からも、文革当時のひどい話をたくさん聞く。この時期にいちど、世界観を完全に壊されるんです。
安田 日本だと昭和一ケタ世代みたいな感じかもしれませんね。軍国主義教育を受けて育ったのが、戦争が終わったとたんに「真相はこうだ」「総懺悔」みたいな話を突きつけられるという。
石平 近いかもしれません。そこで80年代に大学生になった僕らの世代は、みんな一気に民主化にはしるわけです。非常に高揚感のある時代で、外国の情報も入るようになって。当時のキャンパスはそういうパラダイムのなかにあったんですよ。
安田 1989年の天安門デモだけが有名ですが、実は80年代の中国では大小の学生運動が頻発し、経済だけではなく政治の自由化も盛んに議論されていた「学生運動の時代」です。ところで、日本で学生運動が盛んだった60〜70年代には、『資本論』を読んでないやつはバカにされるみたいなのがあったそうですが。
石平 うちらもそう。当時、ルソーを語らないやつはダメでした。僕は哲学専攻でしたから特によくルソーを読み込んだ。女の子の前でフランス革命を語るのが、一番カッコよく見えた時代です(笑)。
安田 実に安保闘争っぽいなあ(笑)。ちなみに日本の60年安保のときの大学進学率は10%すこし。いっぽうで1980年の中国の当時の大学進学率は2%未満です。
地獄を見た人たち
石平 そう。当時の中国で大学に入れたのは非常に限られた人間だけでした。しかも社会主義が残っていた時代で、学費も寮費も食費もほぼいらない。われわれが民主化運動に没頭できたのは、��る意味で「中国共産党のおかげ」だったのですよね。
安田 当時の中国ですと、卒業して学士様になれば大学の講師ぐらいにはなれた。少なくとも職には決してあぶれなかった。石平さんを含めて、80年代の中国で民主化を叫んでいた若者は、非常に限られた特別な人たちだった。
石平 完全に恵まれた人たちの、温室のなかの贅沢な革命です。いまから考えると幻想に過ぎないのですが、みんなが天下国家を語り、「自分の力で中国を変える」という気負いがあった。当時の最高指導者の鄧小平は理解不能だったでしょうね。「君たちをこれだけ優遇してやったのに、なぜ逆らうんだ?」と思ったはずです。
安田 それに、みなさんから一世代上(1950年代生まれ)の人たちも腹が立ったでしょう。彼らは文革のまっただなかに青春時代を送った紅衛兵世代です。習近平みたいに幹部の子弟でも農村に送られて、地獄を見た。ろくな勉強もできなかったわけですから。
石平 その通り。習近平たちの世代から見れば、僕たちは単なる生意気な青二才にみえるのです。農村など低層のことは何も知らずにして民主主義ばかりを語っているアホどもが、という感じです。しかし彼らの世代は、毛沢東独裁政治の被害者でもあるのに、今になって独裁体制作りに躍起になっているのも、私たちから見れば摩訶不思議です。   安田 紅衛兵世代と天安門世代の仲の悪さは、『八九六四』の取材でも感じました。たとえばあるデモ学生OBに「何が不満だった?」と聞いたら、「俺は大学まで出ているのに、紅衛兵世代で小学校しか出てないやつの下で働くのがイヤだった」とか言うわけです。気持ちはわかりますが、当時の中国社会の現状から考えるとかなりの「わがまま」ですよね。
石平 われわれの運動は、失敗に終わるべくして終わったということですよ。中国がなんたるか、社会がいかなるものかも理解しないまま、理想だけを持っていた。もちろん、それでも青春時代の情熱を燃やしたことに悔いはない。命を捧げた人たちもいる。僕たちが体験した1980年代というのは、そういう時代だったんです。
安田 現在の中国からは想像もつかないような、学生運動の政治の季節ですね。
石平:そんな僕たちの時代は、1989年の天安門事件をもって終わりました。そう。あの事件ですべてが終わったんです。
愛国心は「逃げ場」だ
安田:終わった後に残ったものはなんだったんでしょうか、
石平:僕たちの世代は、自分の中にある毛沢東時代までの価値観をすべて壊しました。結果、中国共産党も人民日報も中国中央電視台(CCTV)も、あらゆる権威を信じなくなった。
いっぽうで従来の価値観を壊した結果、次はどんなことがはじまってもいいと思って、自分の頭で考えてルソーやフランス革命に接近していった。80年代を通じて、僕たちの世代を唯一まとめていたものは、民主主義という理想だったんです。
安田:しかし、それは天安門事件で壊された。
石平:はい。すると、僕たちの世代にはもはや共通点がないんです。みんなが好き勝手なことをやるようになる。なかには理想にあくまでもこだわって、理想のままで生きていく人もいないではない。でも、ニヒリズムに陥って、やがて立身出世や金儲けだけに走っていったやつも大勢出まし���。
安田:『八九六四』にも、天安門事件の理想が破れて拝金主義者になってしまった青年の話が出てきます。もとは爽やかな好青年だったのに、すっかりイジけてカネの話しかしなくなった人が。
石平:イジけ方にもいろいろあります。中国国内の愛国主義者になっていったやつらもいる。例えば、ゼロ年代前半頃から中国ではネットの掲示板にやたらに愛国的なことを書く人が出てきましたが、どうやら初期の時期のそういう連中の一部は、僕と同じ世代みたいなんです。
安田:石平さんの初期の著作(『中国「愛国攘夷」の病理』小学館文庫、2002年)で書いていた、2001年ごろに人民日報傘下のネット掲示板『強国論壇』に集まってタカ派的な発言を繰り返していた人たちですね。当時の中国で、ネットを使えた人はエリートに限定されていたはず。彼らの正体は、すくなくとも一部については天安門ニヒリズムを抱えた世代だったと。
石平:金儲けと出世に走るやつがいる。あるいは、ごく少数ですが、純粋な気持ちを内面に持って反共産党の立場を永遠に貫いていくやつもいる。でも、どっちにもなれないやつがいるんです。そんなやつの逃げ場は愛国心になる。
天安門と「反日」
安田:なるほど。天下国家を論じたい理想主義者だったのに、民主化の夢は破れた。でも、開き直ってカネ儲けをすることもヘタクソ。そんな人たちが、中国のネット黎明期の反日言説の源泉のひとつになっていったと。
石平:僕の同級生にもそんなやつがいました。1980年代は、口を開けば中国の民主化を語っていたのに、1990年代になると反日的なことばかり言うようになった(笑)。ただ、こういう連中は弁が立つし文章も上手いし、語彙力もありますから、文章を書くとずいぶん迫力のある「反日言説」ができあがる。
安田:なるほど。後年に中国でネットが普及してから出てきた憤青(中国版のネット右翼)みたいに「小日本のバカ」「中国バンザイ」と一行レスを書き残すだけならバカでもできる。でも、いびつに歪んだイデオロギーであれ、それを長文で論理的に弁じ立てていくのは、やっぱり賢い人間じゃなきゃできません。
石平:そういうこと。2001年ごろの『強国論壇』の愛国反日的な文章を眺めていると、ピンとくるときがあるんですよ。こいつは僕と同じ世代なんだろうな、って。
安田:この論理構造は、かつて80年代の北京大学で見たアジビラとそっくりだ! みたいな。
石平:そうそう(苦笑)。文章それ自体は、実にガッチリと論理を構築して書かれている。
安田:政治理論みたいな抽象的な理屈を文章にして、理路整然と論じていく能力って、近年は世代が下るほど弱まっていますよね。これは中国だけではなくて、日本でもそうですが。
石平:そうです。仕事でやっているわけでも、自分の生活上の利益とも直結していないのに、理屈をこね回して抽象的な長文を書くような人は、日本ではほとんど絶滅しているんじゃないかな。中国でも、私たちの世代が最後なんです。
安田:一昔前までは、エリートでも哲学や文学を専攻する人が多くいたので、そういう「政論」を書くことが趣味みたいな人が大勢いました。でも、ここ20〜30年は社会が変わって、エリートはITや金融みたいに実学的な学問を勉強するようになったので、そういう趣味を持つ人も減ったように思います。
石平:そう。僕たちはそういうことをやる、最後の愚かな世代といいますか。僕たちよりも若い中国人のエリートは、もっと世故に長けていて賢いでしょう。ネットに「政論」を長々と書くような、非生産的なことはしませんよ。
反日とはなんだったのか
安田:ところで、70年代〜80年代生まれの中国人のエリートは、石平さんたち天安門世代と違って学校で反日・愛国主義教育を受けているはずです。でも、彼らは日本旅行が大好きだし、無印良品みたいな現代日本っぽいライフスタイルや、日本食やジャパンコンテンツのよき消費者となっています。全然反日的じゃないですよね。
昨年、『君の名は。』の聖地巡礼のために飛騨古川にやってくる若い中国人個人旅行者を取材したんですが、彼らは実にお行儀がよくて物静かで、日本に対して健全な親しみを抱いている。正直、中国政府が天安門事件後にはじめた反日・愛国主義教育とは何だったのかと思えてきます。
石平:中国の反日・愛国主義教育は、バカが信じればそれでOKなんですよ。日本に個人旅行に来るくらい生活に余裕を持てる人は頭のいい人間だから、学校で教わるイデオロギーなんか真面目に信じない。
安田:逆説的に言えば、政府のプロパガンダを本気で信じて「反日」になるようなバカは、中国の社会は成功できないし金持ちにもなれない。
石平:そういうことです。一方で、格差の末端に追いやられた「持たざる者」は、潜在的な体制への不満分子です。そういう連中のフラストレーションを溜めず、高揚感を持たせてやるために中国政府が与えているのが、反日や愛国主義というオモチャなんですよ。
安田:中国の政府にしてみれば、社会で負け組になった「バカ」の不満がお上に向くことなく、「小日本め!」と日本を憎みながら大国意識に酔っていてくれれば天下は泰平である。
石平:そう。いっぽうで現代の中国では、金持ちや賢いやつは体制に反抗しない。だから、彼らが反日・愛国主義教育を信じてくれなくても政権の脅威にはならない。結構巧妙なんですよ。
天安門世代はなぜニッポンを愛するか
安田:日本に帰化した元中国人は少なくありませんが、石平さんは彼らののなかでも特に日本のナショナリズムに親和的で、靖国神社にも参拝しています。いっぽう、学識から考えても、ご本人と向き合ってお話をしていても、石平さんはナショナリズムを相対化して考えている人だと思うのです。
石平:もちろんですよ。日本のナショナリズムについても、例えば僕は昭和の初期の日本の戦争については基本的に批判的な立場です。ああいう全体主義的なナショナリズムは行き過ぎている。これは僕のあらゆる本で書いているんですよ。
安田:最近でも『なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか』(PHP新書、2018年)の終盤で、がっつり書かれていますよね。
石平:ええ。もっとも、戦後の日本でその問題が逆になって、国を愛したり国旗を掲げることすらタブー視されたのもいけません。戦前も戦後も、方向性は真逆ですが極端な誤りがあると思っています。
安田:とはいえ「日本人・石平」の政治的立場は、平均的な日本人と比較しても右に位置するはずでしょう。なぜでしょうか。
石平:正直なところ、僕は最後まで理想主義者なんです。要するに、なにか理想的なものの中にいないと、自分はもたない。かつての理想の枠組みは中国への愛国心にもとづいた、中国のための民主化だった。でも、それは永遠に破れてしまった。ならば当然、僕の新しい理想の枠組みは日本に置かれるんです。
安田:天安門事件で空っぽになった理想の器は、別に何かで満たされなくてはならなかった。
石平:ええ。僕は幸いにして日本に来て、長く生活してきましたが、いい体験ばかりなんです。僕は中国の古き良き文化が好きな人間ですが、それは現代中国で失われたものすらも、日本には存在している。例えば今日、ここに来て――。
安田:大阪から滋賀県までお越しいただいてすいません(注.この対談は安田の実家の寺院でおこなわれた)。
石平:いやいや。ここで寺の庭を眺めて、お茶を飲んで風の流れを感じてと。そこで私が感じるのは古き良き中国であり、それを美しく昇華させた日本の伝統文化への愛着なんです。ある意味で、僕にとっての理想の世界は日本にこそある。日本料理も大好きです。
もちろん僕も、日本が抱えている様々な問題は知らないわけじゃない。しかし、それは別の問題です。僕にとって日本は、理想的なものでなくてはならない。そうなっちゃった。ある意味において、僕が日本を愛するのは自分のためのことでもあるんです。
理想の世界を守るため
石平:そして僕は日本人としての意識を持つ。例えば靖国問題にしても、僕は昭和初期の戦争には否定的です。しかし、あの戦争で国のために命を投げ出した人は美しい。それを決断した人間はバカであっても、若くして純粋にこの国のことを思って、亡くなった方は美しい。だから僕は、自分が日本国民になった以上、彼らが眠る場所には参拝するべきだと考えている。
安田:新天地の国を愛して、精神的に一体化することを望む結果、現地では右派的とされる立場にコミットしていく心理は理解できます。例えば天安門の学生リーダーだった熊焱は、アメリカで帰化後に(従軍牧師としてですが)軍籍に入って、イラク戦争に参戦しています。かつてトランプ政権の仕掛け人だったスティーブン・バノンの幕友にも、中国民主派の在米華僑が少なからず混じっていました。
石平:僕はこの日本の伝統と文明に一体化して、人生における最後の安息を得たいと考えています。だから逆に、日本を攻撃して貶めるような言説は容認できない。なので、僕が左翼を批判するのも本気なんですよ。自分の心と精神における、最後の理想の世界を守らなくてはならない。   安田:なるほど。とはいえ私は「日本を貶める」というか、一定の適切な批判は必要かと思います。例えば中国でも、天安門のデモの学生が中国の国家体制や政治を批判したのは、別に祖国が嫌いだったからじゃない。むしろ一種の愛国心ゆえでしょう。日本においても、こういう立場からの批判は健全なものだと思うのですが。
石平:それは当然。民主主義の社会ならば、それは存在するべきです。ただ、僕は政策を批判することも賛成することも必要だと考えています。例えば安倍総理の日韓慰安婦合意は、例え他の右派の人たちがナアナアで納得していたとしても、僕はあくまでも反対して批判する。逆に改憲や安保法制の整備には賛成するんです。
******
日本にはもうすぐ、平成最後の夏が訪れようとしている。1989年に幕を開けた時代の終焉である。しかし中国もまた、この約30年間で人も社会も一変し、往年の天安門のデモに熱狂した青年たちも考え方を変えた。石平の人生遍歴もそのひとつだろう。
かつての民主化青年たちは、天安門事件で空っぽになった理想の器を何で満たしたのか。『八九六四』では、そんな彼らの後半生に密着している。社会のありかたを変えた事件が、当事者たちにもたらしたものとは。それは、結果的に日本に何を与えたのか。
平成元年に北京で起きた大事件から、中国と日本のいまが見える。
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left-stand-homerun · 4 years
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鎮安通信(1)
2021年2月11日
H
私は韓国に住んでいるのだが、ソウルではなく鎮安(ジナン)という山間地域に数年前から移り住んでいる。 レフトスタンドホームランを始めた友人たちに、何か韓国のことを書いてくれと言われて引き受けたのだが、 いざ書きはじめてみると、申し訳ないことに韓国のことになっていない。
もちろん韓国についても書くつもりだ。コロナウィルスで思うように移動できないからか、それともそもそも単に散漫な性格のせいなのかもしれないが、思いつくことが、 彼方此方のことになってしまっている。しかも内容的には多分ほとんど個人的な出会いを手掛かりにしたことになりそうである。そんなこともあるでしょうと言われれば何とも言い返せないし、人が読んで面白いものなのか正直分からない。
最も重要だがレフトの方向にちゃんと飛ぶのか心配でもある。間違えて流し打ちをしてしまわないように気をつけるが(右打ちなので)、ホームランにはなりそうにない。セイフティーバントかバスターという感じかもしれない。
ともかく、こういうことを書いているということは、後から書き足しているということだ。とりあえず書きはじめたらそうなってしまったというお断りである。例えば、先日のドイツからのレポートでタンザニアのことが書かれているのを見て、昔の記憶が蘇ってきた。韓国のことを書こうとしていたのにもかかわらず、である。
その昔、大学主催のタンザニアでのボランティア体験ツアーに参加したのだが、ツアー終了後 、里帰りを兼ねて一行に参加していたケニア出身の友人の誘いでケニアに居残った。ケニアはタンザニアの北に位置する隣国である。そして私たちの旅程もケニアの首都ナ��ロビの国際空港を経由していたからである。 確かツアーの日程は約一ヶ月で、そのあとケニアに二ヶ月ほど滞在したと思う。本来は二週間の予定が、友人の実家の村から予約の再確認ができずに帰りの便に乗れなかったのだ。結局、飛行機に乗り遅れてから数週間というもの、 ほとんどの日程を友人の兄弟姉妹(確か7、8人はゆうにいた)訪問の旅に同行して家から家へと ケニア西部(ヴィクトリア湖近辺)をひたすら車に乗って旅した 。
友人はルオ族である。族・部族というといかにも未開のような響きだがケニアで四番目に大きい民族言語グループで、いかなる意味でも未開ではない。しかし、その地域は少なくとも当時はかなり田舎だったし、ケニアの公用語である英語もスワヒリ語もあまり通じなかった。全く関係ないがオバマの父親はルオである。
携帯はもちろんのことインターネットもまだ普及していなかった。今思えば夢のような時代のことだ。夢というのは良かったという意味ではない。当然ながら個人的にはいい経験だったが、思えばあまりにも今の私たちの世界とはかけ離れていて現実にあったこととは思えないという意味だ。
そんな旅路でのこと。友人の遠縁の親戚の村を訪れた。そこでは宿泊せずお昼をご馳走になった。半農半牧であるルオの食事は、トウモロコシの粉を煮て餅状に捏ねたものが主食である。それを掌で小さくちぎってこねておかずを包んで食べる。よく出てきたおかずは、トマトとケールの炒め物だった。ご馳走にはそれに牛や羊などの家畜の肉か、おそらくヴィクトリア湖から来た淡水魚がついていた。煮干しのスープのようなものもあった。味は大まかに言ってスパイスのないインド料理という感じだ。いつも美味しく頂いた。
その日、ご馳走されたのは羊だったような記憶があるが定かではない。ともかく食後に歓談していると、村で一番の年寄りが私に会いたがっているという。案内されて彼の家に行くと、80代だろうか、見るからに古老といった雰囲気の老人が待っていた。一通り挨拶をした後、老人は友人の通訳を通じてこんなことを言った。
むかし中国人たちを見た。彼らは賢かった。建設現場で足場に登って身軽に働いていた……。
話を聞いてみると、若かりし頃、どうやら彼はイギリス軍によって北アフリカ戦線に動員されていたのだった。もちろん自分の目の前にいる若造が中国人でないことは老人も聞いて知っていただろう。思うに、遠くから客人が来たというので、会って 話したかったのかもしれない。語り合う相手もいなくなった遠く離れた場所でのことが思い出されたのだろうか。しかし、私は相手として役不足でうまく受け答えできなかった。
昨年の秋のことである。数年前まで五年ほど住んでいた隣り村の知り合いから電話がかかってきた。彼は私たちと同じく移住者だったが昨年から里長になっていた。 戸籍の翻訳をしてほしいというのだ。
やりとりはこんな具合だった。
—毎年の秋夕(チュソク)に、むかし村に住んでいた縁故のない方々をお祭り(祭祀(チェサ):儒教の法事)しただろう。覚えているか。
—はい。
—その人たちが誰だが誰もわからない。ちゃんと知ってお祭りしたいから戸籍を翻訳してくれないか。お前できるだろ。
—多分、できると思います。いいですよ。
そんなわけで全く見知らぬ数家族の戸籍を翻訳することになった。おそらく法的にいうとダメなことなのだが、 80代にもなる村の老人たちも誰だかわからない昔の村人の戸籍を調べて、どういう人たちなのかを知った上でお祭りしたいという奇特な里長さんを咎める人はまずいないだろう。そんなわけで次回はそこで見えてきたものについて書いてみようと思う。当然ながら身元は特定できないようにである。
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むかし住んでいた家
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右側がトウモロコシでできたウガリ
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となり村の秋
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雲に隠れたキリマンジャロ
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keredomo · 4 years
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『八月の光』、分厚いですよね(前半)
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 五月ですね。先日の雷鳴はどこでご覧になりましたか。美しかったですね。光で空が真っ白になるとき、私たちは諦めること以外に何かできるのでしょうか。呆然と立ち尽くすこと以外の何ができるのでしょうか。  あれは春の光でしたね。春の夜の白い光は淡くそら寒い。しかし、夏の光というのは、人に人を殺させるほどの眩い激しさを孕んでいるものです。暴力を無にしそうなほどの何かを。
 四月上旬、在宅勤務指示にともない理不尽に給与を減らされ、抵抗の意志をもってウィリアム・フォークナーの『八月の光』(原著1932)を読み始めました。加島祥造訳の新潮文庫版(1967)。本編は656ページまで。日本語とはなぜか幅をとるもので、訳書はたいてい原書の厚みの2〜3倍になるものですが、それにしても656ページかあ。長いね。  なんだか、なんだかね、「短く書かなければ読んでもらえない」圧力のもとに暮らしているとね、毎日悲しいんだ。生まれた言葉をみずから削ぎ落とさなければならないことが。肩の肉をナイフで切り落としている感覚がします。だからと言って、読んでくれと人に押し付けるのも申し訳なくてできない。誰かの時間を奪うことが憚られる。突然の吐露ですみません。  で、今日はもう一切憚らずに書こうと思います。なので、長くなります。もはや原作より長い(体感)。まあ実際は削ることのほうが書くことの本質であったりはしますが……。
 この記事は総体的に本書を論じるものではありません。『八月の光』を読んでいて気になった箇所を執拗にピックアップし、それについてうだうだ話す私的な記事です。未読の方が読まれてもおもしろいかどうかわかりません。読まれるための文章を書けなくてごめんなさい。  この記事の本編を読まなくても『八月の光』がどんな話かわかるよう、雑な人物紹介を書きます。ここだけ読んでお土産としてお持ち帰りください。
【主な登場人物】
リーナ・グローヴ:男に逃げられシングルマザー秒読みの20才。電波。
ジョー・ブラウン:クズ。生娘リーナを孕ませて逃亡。走る下半身。
ジョー・クリスマス:悲劇のヒロインを地で行く33才男性。
ジョアナ・バーデン:中年で初めて肉体の愛を知り気が狂う44才女性。
バイロン・バンチ:内面がない残念な35才男性。リーナに一目惚れ。
ゲイル・ハイタワー:町から追放された元牧師。妻は不倫のあげく自殺。
 これだけ役者が揃っていれば面白いに決まっていますね。ついでなのであらすじを新潮文庫の背から引用します。
臨月の田舎娘リーナ・グローヴが自分を置去りにした男を求めてやってきた南部の町ジェファスン。そこでは白い肌の中に黒い血が流れているという噂の中で育ち、「自分が何者かわからぬ」悲劇を生きた男ジョー・クリスマスがリンチを受けて殺される——素朴で健康な娘と、南部の因習と偏見に反逆して自滅する男を交互に描き、現代における人間の疎外と孤立を扱った象徴的な作品である。
 限られた字数でよくこんなにしっかりまとめられたものだ。私にはこんなに短くこの本を紹介することは逆立ちしたってできない。たしか新潮社の新卒入社試験では「好きな本を一冊選び、背のあらすじを書け」という課題が出ていた記憶があります。
 以上です。ご高覧ありがとうございました。残りの2万字はおまけです。
【目次】
42ページ まだ少女の妄言を笑っていられた私たち
52ページ バイロン・バンチには「内面」がないのか?
149ページ 出自が不明であることの恐怖
166ページ 孤児院、胸糞悪すぎるクリスマスの悲劇
171ページ こんなこと言われたら死んじゃう
202ページ 「野蛮人のように、犬のように」食うこと
306ページ 待ってました地獄の恋愛パート
343ページ 「あたしまだ祈る用意がないわ」依存と信仰
まだ半分かよ(ここまで372ページ)
42ページ まだ少女の妄言を笑っていられた私たち
『すくなくとも双子だわ』と彼女は唇も動かず声にもならぬ言葉で自分に言う。それから胎動は過ぎる。彼女はふたたび食べる。馬車は止らずにゆく、時間は止らずに進む。馬車は最後の丘を登りきり、彼らは煙を見る。
 一般的に、この本の主人公は二人いるとされます。その一人が、自分を孕ませて逃げた男が「私を待っているはず」と盲信し、その逃げ先もわからないまま「神��がすべてごらんになって正しいことは成就させてくれる」と信じて身重の身でありえない距離を放浪してその男を探す娘、リーナ。  先の引用は、ヒッチハイクした馬車に揺られて夜を行くリーナが、膨らみつつあるお腹をさすりながら独り言ちるセリフです。序盤のリーナの絶望的に愚かな猛進を呆れかえってハラハラしながら読んでいる頃で、リーナのように深く神だけを信じているわけではない私はまだこのセリフを滑稽だと笑っていました。  でも、実際にリーナは、見ず知らずの他人の親切と運のよさ=神のお導きを借りながら、最終的にはジョー・ブラウン(下半身)のいる町ジェファソンに辿り着きます。  「人事を尽くして天命を待つ」世界観を生きる私と「神を信じて人事を尽くす」世界観を生きるリーナにどれだけの違いがあるというのか。彼女を笑っていた私のほうが本当は愚かなのでしょう。
52ページ バイロン・バンチには「内面」がないのか?
なぜならどこで生れてどこで暮したにせよ、この男はただバッタみたいにこの国土で生きてきただけだ、と誰もみんな知っていたからだ。まるで、彼はそんな生き方をあまり長くつづけたので、いまでは彼のすべてがすっかり散らばって解体してしまったというようだ、残ったものといえばただ透き通って重さのない抜け殻、それも風のままにあちこち行方を定めず吹きとばされてゆく抜け殻といったふうだった。
 ただ真面目に暮らして流れるに逆らわずに生きる。そんな生き方を1930年代のアメリカは嘲笑しています。このバッタのように生きるバイロン・バンチという男の人生は、その後リーナに一目惚れの恋に落ちることで一変する——かのように見えてやはり「運命に付き従う」だけの生を生き続けることになるのですが、リーナの信仰の敬��さが積極的敬虔とも呼べるものだとすれば、バイロンの生き様は消極的敬虔とも言うべき代物かもしれません。  文学とは基本的に、運命(というか自然)に翻弄される人間がどうにかしてその運命と内面・自意識の葛藤に折り合いをつける様を描いているものですが、この「内面のない男」バイロン・バンチをばかにできるだけの抵抗の意志をもって生きていられる人間がこの世にどれだけいるのでしょう。
 この引用のすぐ後、バイロンが「怠け者ってのは、何一つしないでいて楽々と善人になれるってわけだなあ」と話すシーンがあります。私自身はこの男が述べるような「善」を軽蔑して生きていますが、同じようなセリフを誰かが嫌な顔で吐くのを現実で何百回と聞いてきた気がします。特に親世代の人間たちから。  でも、本当はみんな「内面」を持っているのに、それを表に出す手段を持っていないだけなのかもしれません。実際、読み進めていくと、バイロンにだって言い分もあれば意志もあるのです。バイロンが何ページにもわたって「リーナを保護したい」という望みを語る場面の情けない切実さときたら。  私がその内面を探れていない他人は、ただそれを私には示していないというだけかもしれない。「内面がない人物」という人物像の類型は2年ほど前に友人から与えられて初めて知った概念ですが(韓国映画『バーニング』が流行った頃です)、そう断じていい人物なんて本当にいるのでしょうかね。
 そういえば、リーナには一切の葛藤がありません。彼女は、何もかも神の御心のままに、と信じて粛々と行進しつづける。「内面がない」のでしょうか。信仰は内面の放棄と転嫁と言えるでしょうか。とても難しい。
149ページ 出自が不明であることの恐怖
 本書のもう一人の主人公とされるジョー・クリスマスは、作品の舞台である架空の都市ジェファソンの町に突然現れた謎の男として描かれます。寡黙でクールで残忍な雰囲気のキャラクター。この町の誰もあいつが誰なのか知らない流れ者。かっこいいですね。  あらすじに「黒い血が流れている」とありましたが、クリスマスの見た目はまるきり白人なのだそうです。だから、ミシシッピ州の人々は、彼が流浪者の白人であることを疑いません。  彼は孤児として施設で育ちました。そこで「あの子には黒人の血が混ざっている」という噂が立ち、クリスマス自身、その噂を否定しきるだけの確固たる「出自」を持っていないものですから、幼少期の無力から噂を飲み込んでしまいました。そのために、生涯にわたって「自分は黒人なのかもしれない」と苛まれ続けることになります。真偽のほどは明らかになりません。本当に、ただの噂なのです。ただの噂が彼の人生を決定するのです。  ちなみにクリスマスという名はクリスマスに孤児院に捨てられたことに由来します。何その泣かせる設定。その設定だけで白米五合食えますわ。
いわば黒い生命、黒い呼吸がその本体を融かしてしまって、だから声ばかりか動く肉体や光そのものまでが液化し、ひとつずつゆっくりまざって増大し、重たい夜と分ちがたく合体しているかのようだった。 
四方からは、そして彼の内部からさえ、黒人女たちの生殖力に満ちた声がささやきかけてきた。それはあたかも、彼やそのまわりの男という生きものすべてが、光なく熱く湿った原初の産みいだす女体の中に戻ってしまったかのようだった。(太字は原文傍点、以下同)
 フォークナーの文章力えげつないですね。実は5ページあたり1〜3文ほどフォークナーの文章力えげつねえ……と思わせる記述が出てくるのですが、全部拾うと大変なことになるので割愛します。
 「自分が何者であるか知ることができない」ということがこんなにも人間から安寧を奪い尽くし、何かを信じることを困難にするのだと、これほどはっきりと示す小説を私は初めて読みました。フィクションに登場する孤児は、「それでも人の愛を信じて生きることに決めた」みたいな明るい人物として描かれることが多い気がします。愛を表現するのに都合がいいのでしょうね。
 クリスマスはひょんなことから「北部人(ヤンキー)」として町人から敬遠されている女性ジョアナ・バーデン(冒頭でご紹介した「中年の恋」の人です)の家に食べ物を求めて忍び込んで以来、彼女との恋愛関係に沼に沈むように引き摺り込まれていくのですが、その彼女との袂別のきっかけは、彼女の信仰の強要をクリスマスが拒絶したことにありました。この凄まじい恋愛についてはまた後ほど。マジですごい2章が中盤にあります。
 (ところで「北部人」に「ヤンキー」ってルビ振るのかなり面白いんですけど、原文でどのように書かれているのか気になるところです。原書を持っている方がいらしたらぜひ教えてください。普通に「北部の人」かな。  ジョアナは黒人の支援や人権保護に取り組んでいる女性で、未だ奴隷制度の時代の香りに執着している南部の人間たちにとっては鼻つまみ者という感じ、現代日本語のヤンキーのニュアンスとはまた異なる人物像です。今だと何が近いだろ、「フェミニスト」とか?)
 クリスマスはけっしてジョアナを愛していると述べません。ずっと逃げることを考え続けている。怖いのでしょう。自分が誰であるかわからないまま誰かを正しく愛することは不可能です。それでも逆らえない。そうなれば、ただ愛の渦に巻き込まれていくだけです。  なんにもないところ、足場のないところにポンと生まれたとしたら、私は私になれただろうか。そういうことを、リアイティをもって想像させるのがクリスマスという男の存在であり、それを真実らしく書ききったフォークナーの凄味です。
166ページ 孤児院、胸糞悪すぎるクリスマスの悲劇
 第6章、クリスマスの孤児院時代の話に割かれた章は、吐き気のするような、女の性液の臭いと男の腐った口臭とに満ちています。冒頭、幼少期のトラウマは人の人生でけっして拭い去れないのだと宣告する文章から始まります。
記憶は認識力が働きだす前に早くも活動する。記憶する力は思い出す力よりも長い生命を保つのであり、認識力が疑ったときでさえ、記憶は揺がないのだ。
 捨て子であったクリスマスは幼少期を孤児院で過ごしました。第6章は、5才のクリスマスが不慮の事故でスタッフの女性の淫行を目撃してしまうシーンから始まります。性行為のあまりのグロさに身を隠していた垂れ幕のなかで嘔吐するクリスマス。かわいそうに……。  淫行を目撃された女性スタッフが逆ギレしてクリスマスに「黒人であることの罪」を着せ、孤児院から追い出すべくいろいろ手を回します。そこで彼女は「(孤児院の)番人」とかいう突如登場したよくわからない男に「アタシ悪くないもん!あいつ追い出すのに協力してよ!」と訴え、その男がOK任せろと手を貸しつつ、クリスマスを卑下するセリフが本当に耐え難い。
「わかってたのさ。どなたがあの子をあそこに置いたかはな——女の淫らな行いにたいする告示と呪い、それがあの子なんだ」
 最初この一節を読んだ時、淫行を目撃された女性スタッフを咎めるセリフなのではないかと救いを見いだしかけたのですが、その後を読み進めるとたんにクリスマスを貶めるだけのセリフだとわかって机を叩き割りそうになりました。  この、突如現れてクリスマスを追い出す役割だけを果たす「番人」の存在についてはいろんな解釈ができます。
 「さあ、言ってちょうだい。あんたがどんな目つきであの子を見ているか、あたし知ってるのよ。見てたんだから。五年間も」  「知ってるのさ」と彼は言った。「俺は悪がどんなものかを知ってるのさ。あの悪の証拠を立たせて神様の世界に歩かせたのは誰だと思う? 俺さ。神様のお顔の前に堕落の姿として歩かせたのは俺さ。」
 番人がキリスト教における悪あるいは人間の身勝手さの悪辣を具現化した存在だと読むのが一番楽なんですけど、そんな安直なことをフォークナーがするだろうか。となると、上記のセリフに鑑みるに、彼こそがクリスマスの本当の父親である可能性も出てきますね。  黒人女あるいは黒人の血が混じっているとされて迫害され卑しめられていた女を娼館かどこかで身勝手に孕ませて、しかし何らかの事情で仕方なく孤児院に孤児として引き入れた父親が、後ろめたさに耐えかねてクリスマスを葬ろうとしていたところに降って湧いたラッキーチャンス!を、実現する前の懺悔(自分が許されたいがための懺悔)ともとれます。  いずれにせよ胸糞悪すぎますね。大人になったクリスマスが密造したバーボンを頭からぶっかけてこいつらに火をつけましょうね(禁酒法時代!)。
171ページ こんなこと言われたら死んじゃう
「もし神様ご自身がこの部屋に入ってきたとしても」と彼は言った。「あんたのような女はそれを淫行のために来たものだと思うんだろうな」
 アタシ女だけどこんなこと言われたら舌噛んで死んじゃう。スゲーこと言うな。  先の節から5ページしか経っていないのにお気づきでしょうか。これは例の悪魔か父親かわからない番人が淫行の女性スタッフに放ったセリフです。お前態度ぶれっぶれやんけ。その直後には「俺に、聖なる神様に、噓をつくな」、「答えろ、イゼベル!(訳注 聖書に出る邪悪な女の名)」などの発言をかましています。自称神様やば~。完全に統合が失調していますね。
 フォークナーは明らかに、制度化大衆化俗習化した信仰に疑問を抱いていて、この小説の最初段階(55ページ)に「教会の無意味な音があたりから一度に反響してくる」といった記述があったり、ハイタワーとかいう職能がクソ無能すぎるやばい牧師を登場させたりするあたりに顕著です。  牧師ハイタワーはこの小説の主要人物の一人で(禿げ上がって肥満ぎみなぶよぶよの初老の西洋人男性を想像してください)、自己の血統つまりアイデンティティの補強のためだけに牧師として町にやってきて、自分のおじいちゃんの南北戦争英雄譚を延々と町民に聞かせたあげく結論に聖書の一節をもってきてお茶を濁すことを何年も続けてきたかなりヤバい元牧師です。彼はその自己中ゆえに妻を自殺に追い込み、町の牧師を辞めさせられます。辞めさせられたのに町を退かず、ジェファソンの町にとって有事の際の憎しみの対象になり続けます。何かあったらハイタワーのせい。
 すでに世界が神<人間になってしまったことをフォークナーは隠しません。彼がこのぶよぶよの人物を設定したのは、クリスマスの血筋によるアイデンティティの空白をより際立たせるためであると同時に、当時キリスト教の信仰が人間のエゴイズムを正当化することにばかり用いられていた状況に反吐が出る思いだったのではないかと推察できます。  だからこそ、謎の番人のことを悪魔ともみえれば神ともみえるように描いたのではないでしょうか。番人は名前を持たず、妄言だけを残して物語からあっさりと去ります。クリスマスを呪うだけの役割を果たすのです。女の淫行をこんなにも非難しながら、クリスマスの追放に加勢しようとする、不可解な行動をその場に残して。あまりにもグロテスクですね。
202ページ 「野蛮人のように、犬のように」食うこと
 クリスマスはその後、「あくまで白人として」孤児院から養父母のもとに引き取られました。厳しい養父は自分の厳しい信仰のあり方を子に叩き込もうとして虐待じみたことすらおこなう人で、養母はその痛みをケアしようとおろおろと弱々しく優しくしたがる人。クリスマスは自尊心を保つために養母の庇護欲を拒絶し続けます。親子関係に遍く見られる悲しみですね……。  養父の信じる神を信仰することを頑なに拒む幼いクリスマスに激怒し、食事を禁じることで罰を与える養父。それを見かねて養母がこっそりと食べ物を与えようとする場面があります。
「おまえが何を考えてるか知っているよ。でもこれはそうではないんだよ。これは父さんに言われて持ってきたのではないんだよ。これはあたしだけの考えでしたこと。あの人は知らないんだよ。これはね、おまえにやれとあの人に命令されて持ってきた物じゃないんだよ」。  〔中略〕  相手の見まもるなかで、彼はベッドからおり、その盆を取ると部屋の隅へ運んでゆき、盆を裏返しにして食べ物を皿ごと床にぶちまけた。
 そのとき彼はちょうど八歳だった。その晩、それから自分は何をしたか、彼は覚えてはいた、しかし自分のしたことをほんとうに記憶として確認できたのは、それから幾年もたった後のことであった。彼の行為は幾年もたった後ではっきり記憶に刻みなおされたのだが——その夜、夫人が去ってから1時間して、彼は起きあがり、ベッドからおりて部屋の隅へ行った、そして前に敷物の上にひざまずいたのとはまるで違ったひざまずき方をすると、散らばった食物へかがみこみ、両手で食べた、野蛮人のように、犬のように。
 このシーンすごくよくないですか。ここで一度泣きました。  自分が壁に投げて床にべちょべちょに積まれていった冷や飯を、残飯を、生ゴミと化した食品を、家の埃や外の土と混ぜ合わされてしまった汚物を、それでも食わずにはいられず、跪いて手で口に掻き入れるところを想像してください。  施しを受けることを頑として拒絶するプライドを持ちながら(その��ライドは出自の不確かさを埋めるほどに絶大なものでなければならない)、一方で施しを受け入れなければ生きてゆくことができないことも理解していて、「犬のようにしか」与えられたものを貪ることもできない。  クリスマスは、引き裂かれたまま生きていくしかないことを理解していて、納得することは生涯ないのだと受け入れていて、ズタズタに傷ついたまま30歳を迎えたんです。そして彼は人を殺して人に殺された。殺されるための何の大義名分もなく。  こんな悲しいことがあるでしょうか。この章の冒頭、クリスマスがこの出来事から20年経ってもこの記憶と「この日に俺は男になった」という思念に従っていることが前置きされます。「男になる」という表現をとっているけれど、自分はもう二度と誰によっても癒されえないに決まっている、という絶望を意味しているのだと思います。
306ページ 待ってました地獄の恋愛パート
 100ページほど飛びました。飛んでいるあいだは、クリスマスが少年から青年になる過程で性欲ベースの初恋をしてうっかり養父を殴り殺して女に裏切られて絶望して放浪を始めるみたいな流れです。さもありなんって感じですね。やさぐれて娼館に赴いて「俺と寝る白人の娼婦は知らない間に黒んぼに抱かれているんだ、ざまあみろ」みたいな自傷をしているシーンも。  そういえば、この人は、自分が男であること以外には何一つとして自己の拠り所を持っていないんだな。だから娼館に通うのか。そうか……。養父からの虐待のせいで信仰も持てなかったクリスマスがこうなってしまうのは仕方ない気がする。神のほうがクリスマスを拒絶したわけだから、あなたは悪くないと思う。神が悪い。
自分の白い胸が肋骨の下でますます深く息を吸いこむのを感じ、見まもりさえして、体内に黒い臭気を——黒人の黒くて不可解な思想や存在を吸いこもうと努め、同時に吐く息ごとに体内から白い血や白い思想や白い存在を追い出そうとしていた。しかしその間も絶えず彼の鼻翼は自分のものにしようとしている黒い臭いの苦しさに白っぽく張りつめ、彼の全存在はその黒い臭気に反発する肉体や拒否する精神を押えこもうと懸命にもがきつづけていた。
 娼婦との性交ひとつでここまで自己存在を問えるのだからすごい。すごい辛そう。匿名の行為ってつまりは鏡を覗きこむことに過ぎないもんね。
 で、非匿名の恋愛の到来です。地獄の恋愛パートが始まります。  養父を殺して逃走し、逃げ疲れて食べ物を強盗するために侵入した家の主人の女(ジョアナ、41才独身、見た目は30ちょい)になんとなく匿われて暮らすうちにだんだん気になっちゃって、愛する気なんかさらさらなかったのに否応なく恋愛関係に絡めとられてしまったクリスマスの独白をどうぞ。
一年たった後でさえ、入ってゆくたびに新しく、自分が女の処女を奪うために忍びこんでゆくかのように感じた。いわば暗くなるごとに彼はすでに奪ったものをもう一度奪い直さねばならぬという気持にさせられたのだ——いやそれはあるいはまだ奪ってはいなくてこれからも奪えそうにないものだったのかもしれぬ。
 いい葛藤だなあオイ!!!!!(酒場のおっさん)
 ジョアナは行く宛のないクリスマスを自宅の敷地内の小屋に住まわせています。ただし、対話もなければ同情を与え合うこともありません。  あの夜、ジョアナの家に忍びこんで台所の調理された食料を貪るクリスマスを目撃したジョアナは、「あなたが食べ物を欲しいだけなのなら、そこにいくらでもあるわ」と「静かな、やや深くて非常に冷たい声で言った」だけでした。その後もずっとそんな感じ。  「好きに食え」というのは、クリスマスが養母から受けた「食べたいでしょう? 食べていいのよ、あなたのために用意したの。さあ食べなさい、欲しいのはわかっているのよ」という屈辱的な支配と施しとは真逆のもので、クリスマスにとっては初めての救いだったのではないでしょうか。切ね〜。  でもジョアナはひたすら無関心。ご飯は用意されるけど、食卓を共にすることもなし。寝室には忍び込むばかりで求められることも特になし。クリスマスが男性性を持て余して(そこにしか自己の拠り所がないから仕方ない)初めて���ョアナの寝室に忍びこんだ際は、拒絶はされたが抵抗はされなかったそうです。やばいな。  翌日も普通に食事は用意されていて、あんな酷いことをしたのになぜ、と狼狽えるクリスマスは、「はいはい、このメシは黒んぼ用ってわけね」という謎の自虐でこの不可解を乗り切ろうとします。  もう!!!!!!!どう見てもお前の不幸の原因はお前自身だよこのクソバカ!!!!!!!!!!!!!!  いつまで悲劇のヒロインやってりゃ気が済むんだよオッサン(33)。リーナを見習え。
343ページ 「あたしまだ祈る用意がないわ」依存と信仰
 ジョアナの家に住み着くようになって、クリスマスは初めて「帰る家」を得て、ジェファソンの町で定職に就いて、安堵を己に許しかけていました。  が、ある夜、突然ジョアナが自分の出自をクリスマスに打ち明ける長話をします。その夜以来、ジョアナは「何もかも知ってくれている男」への依存を始め、クリスマスの方は「全てを掌握しきった女」として蔑ろにし始めます。  お互いにこう思い始めるともう人間関係はだめですね。相手を手に入れたと思ったらあとは壊れます。残念でした。尊重しあえないくらいなら諦めて距離を遠く保った方がいいのですが、依存が始まればそれももう難くなってしまう。心を許すことと心を明け渡すことには紙一重の差しかないから難しいです。苦しい。
彼女を眠らせずにいたのはそんなことのせいではなかった。それは闇の中から出てくる何か、大地の、夏そのものの中から出てくる何かだった。それが恐ろしくて惨めだというのも、実は直観的に、それが何も自分に害毒を与えないものだと知っていたからだ。それは彼女を占領し完全に出し抜きはするがけっして害を与えず、それどころか彼女を救って生活から恐怖を消し、平凡に、いや前よりも良い暮しをさせる何かなのだ。
 私は、ジョアナがクリスマスを受け入れたのは、食べ物を漁りにきた彼となら現実における「惨めさ」を共有できるのではないかと直観したからではないかと思います。でも、愛の依存が、温度差が、際立つ孤独が、断絶の苦しみが、恋の狂気が、癒着願望が、彼女を現実から追い出して無為な信仰へと放りこんてしまった。
ただ恐ろしいことに彼女は救われるのを欲していなかったのだ。「あたしまだ祈る用意がないわ」、目を大きく見開いて、静かに頑に、女は独り言を口にし、その間、窓からは月光が差しこんできて、部屋を冷たくて取り返しのつかぬ何か——ひどい後悔に駆りたてる何かで満たしていた。
 「あたしまだ祈る用意がないわ」というセリフ、私はすごく好きです。運命に押し倒されそうになったときに言ってみたい。  残念ながらジョアナはこんなことを言いながらすぐに神に祈り始めるのですが。なぜジョアナが信仰を保留してきたか、なぜジョアナがクリスマスを尊厳を持つ人間として扱いえたかはジョアナがクリスマスに語った長い長い独白からすべて読み取れるところですが、ここでは割愛します。  (この小説が長いのは登場人物の設定を全部書くせいです。ジョアナの過去編だけで20ページあって、過去っていうか血統の話をするので話が100年遡る。南北の因縁について書かなきゃいけないから仕方ないけど、まあ長いよね……。)
「神様、まだあたしがお祈りせねばならぬようにはしないでください。神様、もう少しだけあたしを地獄においてください。ほんのもう少しだけ」
 彼女が自分はもはや救われないとわかっていながらそれでも現実を引き止めようと神に縋ることをまったく笑えない。ここが、情念が狂気に変わる境界線ですよね。私たちは、ここを踏み越えないように日々、自分に我慢を強いていませんか。どうなっても納得できるよう、自分に都合のいい希望だけに寄りかかるのを我慢していませんか。  「もう少しだけあたしを地獄においてください」、地獄とわかっていれば、どうにか諦めもつくから。望まずにいられるから。しかし神に縋りはじめてしまえば、その歯止めはもうきかない。「神よ、なぜあなたは」が始まってしまってはもう。
 ジョアナとクリスマスの関係がぐずぐずに崩れていくことと、ジョアナが神に縋りはじめたことは綺麗に対比していて、彼女たちが終わりに抗う様に胸を痛めては、私が代わりに神を責めたいくらいの気持ちになります。
 このあと、情に絡めとられた二人の関係はだんだん取り返しのつかないものになっていき、ジョアナがクリスマスの子を流産してしまったのをきっかけに(はっきりとは書かれていないのですがそういうことでしょう)、二人は二人にとって最もよくない方向へ進んでいきます。  ジョアナが(おそらく、持てなかった子のかわりとして、あるいは関係の変化をもとめて、)クリスマスに教育を受けさせようとし始め、加えて信仰をも強制し始めたのは痛ましい姿でした。自分の伝手とお金を使ってクリスマスに大学に入り法学を学んでほしいと。私たち二人でよいほうを見ようよ、と。引け目を取り除いて、今よりよい二人になろうよ、と。  クリスマスの養子時代のトラウマを蘇らせるには十分すぎるほどです。それに、ジョアナのこの行いは、クリスマスに対して「今のあなたでは私にとって不十分だ」と突きつけることにほかなりません。クリスマス自身が望んだこともなかった学びを一方的に与えようとすることで、お前は不学の者だ、という烙印を捺したのです。  もうだめでしょう、この関係は。互いが互いにとって望ましくないことをすることしかできなくなってしまった。ジョアナも本当は、そんなことはとっくにわかっています。
女はベッドに横むきに倒れ、彼を見あげてその血の出た口から、「あたしたち二人とも死んだほうがいいらしいわ」といった。
 とても苦しい。愛というのはどんなに繊細に気をつけても必ずこうして終わってしまうのかもしれない。  二人が幸福になりたかったのかどうかはわかりません。でも、二人でいたかったから何とかして離れずにいられるよう手を尽くして、けれどその手を誤ってしまって、そうしてだめになってしまったのがあまりにもやるせない。彼らは間違えたのではなく、誤ることしかできなかったのでしょう。  ジョアナは、だめになるならばそれでも二人で、と覚悟を決めていましたが、クリスマスにはその覚悟は持てなかった。  ある夜、いよいよクリスマスはジョアナと殺し合うことになり、彼女を殺して茫然自失のまま逃走します。翌日には家も燃やしてしまう。そうして殺人の罪で追われる身となります。
それでも彼には旧式拳銃の二個の弾丸入りの薬室が見えたようであった。一つはすでに撃鉄が落ちていたがしかし不発のままであり、もう一方は撃鉄が落ちてはいなかったが落ちる準備はできていた。「あいつは俺と自分の両方を撃つ気だったのか」と彼は言った。彼は腕を引き、そして投げた。ピストルが草の茂みの中で何かに当る音が一度だけ聞えた。それからもう何の物音もしなくなった、「俺と自分の両方をな」
まだ半分かよ(ここまで372ページ)
 かなり割愛しながら書いているつもりですが、1万字書いてもまだ物語が半分しか進んでないのすごいな。本当はもっと緻密に読んでいくべき本なのでしょうが(人物の発語を「思考の流れ/現実に口にしたセリフ/脳内の会話および独白」に形式的に表現し分けてるの何だよその分類って感じだし、その書き分けもルールがあるように見えて無いのを分析しながら読むとおもしろい。案外テキトーなんだと思います)、細けえこたあいいんですよ。私はテーマについて話したいからテーマについてだけ話し続けます。
 いまWikipedia見たら「この作品の主題はおそらく孤独感である」って書いてあったけど、  待って、何? なんて?
 んなわけなくない?
 人間が孤独であることは単なる事実であってわざわざテーマにするまでもない当たり前のことです。あんなに濃厚に人物の人生を書き上げるフォークナーほどの書き手がそんな、「東京には東京タワーがあります」くらいわかりきったことをテーマに据えるわけないだろうが。孤独は主題になりえないただの事���だ。Wikipediaの筆者よ、孤独を了解しろ。  疎外感はそれはそうかもしれませんね。疎外感には普遍性はないので。クリスマスが「実存主義的人物」ってのは実存主義を読み違えておられませんか。決定論における読みや同性愛についての指摘に対しては、まあなんか、気持ちはわかるよ。テクストというのはいろんな読み方ができますよね。時代や価値観に従って色々な読み方をされるところまでがテクストの宿命。
 うん、色々な読み方があるよな。そうだよな。否定してごめん。ちょっと疲れてました。あなたはあなたの人生を好きに生きて。私は私の人生を生きます。さよなら。  はー。正直ちょっと登場人物に入れ込みすぎて書き疲れてきていましたが、Wikipediaを読んで元気になったのでもう少し続けます。Wikipediaはいいな。広場っぽい。ありがとう。募金しときます。
 というわけで後半に続きます。
(2020/05/12 10:39)
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cardamomoespeciado · 4 years
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いつも思う事だが考えが甘いのと海外、国際社会を知らなすぎる北海道観光業界。インバウンドに頼りすぎて自国の旅行者を無視したツケが今の現状、中国人旅行者、韓国人旅行者が来る前に戻っただけ、これからが本当の意味で創意工夫と旅行者が何を求めているのかを見直す時間。倒産する企業が出るのは当たり前の現実を生かして行くかが経営者の思案。
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温泉街「まるでゴーストタウン」…“ウポポイ“への期待と憂い 北海道観光の今【#コロナとどう暮らす】
8/4(火) 17:02
北海道ニュースUHB
 コロナ不況により、3700億円の損失が出ると試算される北海道の観光業。好調だった訪日外国人(インバウンド)はゼロとなり、各地に影を落としている。一方で、ポスト・コロナを見据えた動きも。4回にわたり観光に携わる北海道の人々の「今」を伝える。
 3回目はゴーストタウンと言われるほど客が激減した温泉街や、地元が復興の起爆剤と期待を寄せる政府の肝いりのアイヌ文化施設「ウポポイ」、そしてアイヌの人々の憂いに迫る。
「お祭り騒ぎ」から「ゴーストタウン」へ…外国人が消えた温泉街
 インバウンドが消え、道内の観光地は深刻な影響を受けた。北海道の空の玄関口、新千歳空港から車で1時間。国内外で人気の高い登別温泉も閑散とし、かつての賑わいが嘘のようだ。年間40万人いた外国人宿泊客はほぼゼロになった。
 「まるでゴーストタウンみたい。インバウンドが入っている時は毎日お祭りみたいな感じでしたから」(温泉街の食料品店で働く女性)
 創業52年、全館200室の温泉ホテル「登別万世閣」もインバウンド消滅の波が直撃した。宿泊予約を総括する土肥昌史部長が現状を語る。
 「外国の、特にアジア圏のお客様が増えていたので、大きな打撃になった。お客様は年間15万人で、外国人客は3割近く。約4万人減ってしまった」
15人で混雑…浴場に”AI��入” レストランは大量のシート 徹底した感染対策
登別万世閣ではAIで浴場の混雑を予測するシステムも導入した(6月)
 万世閣では感染対策を徹底し、少しでも客を呼び込もうと必死だ。その一つが大浴場の男女入口前に設置された真新しいモニターだ。
 「大体15人前後になると混雑の表示になる」(土肥部長)
 浴場の混雑を避けるため、人の出入りをセンサーで把握し、混み具合もAIで予測できるシステムを導入した。
 人が最も集まるレストランには、いたるところに飛沫(ひまつ)感染防止シートを張り、パーティションも各テーブルに置いた。しかし、落ち込みは防げない。土肥部長は自らを鼓舞するように前向きな姿勢を強調する。
 「先が見えず社員からも不安の声があるが、いずれ落ち着く」
“クマ牧場”来場者の半分インバウンド「死活問題」…損失は3億円か
 温泉街のそばにある観光名所「のぼりべつクマ牧場」も深刻だ。「の・ぼ・り・べ・つ、といえば、クマ牧場」とラップ調のテレビCMで知名度が上がったこの施設。ヒグマ約70頭を飼育していて、ヒトがヒグマに狙われる獲物になったような体験もできる。
 外国人にも人気で、年間来場者20万人の半数をインバウンドが占めていた。営業を担当する吉田廣勝さんは危機感をあらわにする。
 「非常に死活問題。年間の入園者数のウェイトの半分を占めているので」
 年間売上高の半分、3億円が消えようとしている。
北海道独自の支援策「どうみん割」… 即売り切れ続出 “焼け石に水”
 基幹産業の一つ、観光業の落ち込みに北海道の鈴木直道知事が6月9日会見し、支援策を打ち出した。
 「道内旅行商品割引、通称『どうみん割』。道内の観光需要を喚起するための旅行商品割引事業を7月から実施する」
 「どうみん割」は道民の道内旅行を後押しするのが狙いで、旅行代金から1人当たり最大1万円が割り引かれる。国の「Go To キャンペーン」が委託費をめぐり遅れる見通しがあった中、道単独で実施した。予算総額は23億円。4回に分け配分する計画で、6月28日に初回の予約が開始された。
感染者が宿泊し一時自主休業した湯の川プリンスホテル渚亭も「どうみん割」は30分で売り切れた
 感染者が宿泊し一時自主休業していた函館市の湯の川プリンスホテル渚亭でも、客を呼び戻すチャンスと期待していた。ただ、予約できたのは35組。わずか30分で売り切れた。
 「もう売れてしまった。あっという間。それほど割り当てはなかったので」(ホテル従業員)
 その後も問い合わせが殺到し、対応に追われた。こうした事態に道は新たな追加枠を設けたが、渚亭は申請を見送った。
 「(枠の)10倍以上のお客様からのお問い合わせを頂き、お断りせざるをえない状況でした。十分な準備時間の確保やお客様へのご予約の機会の提供が難しい」(ホテルのSNS)
渚亭同様30分で「どうみん割」が完売した小樽朝里クラッセホテルの客室
 同様の���ースが道内各地で相次いだ。小樽市の小樽朝里クラッセホテルの枠は70人分。渚亭と同じく30分ほどで完売した。
 「本当にあっという間だった。電話が鳴りやまず、断っている状態」
 23億円という予算では効果は限定的で、まるで焼け石に水だった。2018年、北海道胆振東部地震の際の支援策「北海道ふっこう割」は83億円で今回の3.6倍以上。ただ、国からの補助81億円が含まれていた。予算規模から、北海道の厳しい財政が浮き彫りとなった。
“ウポポイ”2か月遅れで開業…「観光と地方経済の再生に」と政府意義強調
2か月以上遅れて開業したウポポイ(北海道白老町)
 そんな中、アイヌ文化の復興と発展のためにと、国が白老町に整備した「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が開業した。北海道で初の国立博物館はコロナの影響で2度も開業が延期。2か月以上遅れてオープンした。視察した赤羽国交相は施設の意義を強調した。
 「オープンを機に観光事業、ひいては地方経済の再生につながると確信している」
ウポポイは国際社会に政府が先住民族の尊厳を尊重していると示すためにつくられた
 ウポポイはアイヌ語で「(大勢で)歌うこと」の意。東京オリンピック・パラリンピックを控え、国際社会に先住民族の尊厳を尊重しているとアピールするため、総工費200億円をかけ造られた。
 ポロト湖畔の約10ヘクタールに、民族衣装や祭りの道具など約1万点を所蔵する国立アイヌ民族博物館を建設。伝統的コタン(集落)に再現された家屋「チセ」や慰霊施設も整備し、夜にはプロジェクションマッピングショーも行われている。
「悔しさしかない」×「先祖も喜んでいる」…アイヌで分かれる施設の評価
アイヌ民族で評価が分かれているウポポイの展示
 「どこにもアイヌを大変な目に遭わせたと書いてない。何度行っても悔しさしかない」
 アイヌの有志団体「コタンの会」の清水裕二代表は憤る。強制移住やアイヌ民族独自の風習を禁じた同化政策の記述が乏しく、アイヌ民族の体験を記した展示も少ないといぶかる。
 全国各地の研究者が明治から昭和にかけ、墓所を掘り起こすなどして大学で保管していた遺骨をめぐり、コタンの会は「盗掘された」として返還を求め提訴した経緯がある。
 ウポポイの慰霊施設に約1300体が集約されているが、国の対応を疑問視。葛野次雄副代表はウポポイへ足を運ぶことをかたくなに拒む。
 「元の土地に戻すべきで、なぜ遺骨を集約しなければならないのか。慰霊施設で手を合わせるなんてできないし、ウポポイを認めることになるので、行くことすらできない」
 一方、北海道アイヌ協会の加藤忠・元理事長は施設を高く評価。コタンの会の立ち場と一線を画す。
 「過去にあったことに補償を求めるのではなく、これからどう社会にアイヌ文化を紹介していくのかが大切。日本一の施設で、先祖も喜んでいる」
 ウポポイへの評価はアイヌで見解が分かれ、深い溝を生んでいる。
感染対策で目標100万人”達成困難” 修学旅行に期待寄せる温泉街
 関係者によると、ウポポイの入場者は平日1日2000人、土日祝日で2500人。当初の目標は平日3000人、土日祝日5000人だったが、感染防止対策で事前予約制とし、入場を制限している。
 年間100万人の目標は達成困難だが、修学旅行の訪問先として予約が殺到している。全国の小中高約680校、6万6000人を受け入れる予定だ。
 ウポポイから約30キロにある登別温泉は、消えたインバウンドの代わりにと期待する。
 「秋に修学旅行客がウポポイに来る。宿泊が必要になるので、近くとなれば登別。セールスをかけている」(登別万世閣・土肥部長)
温泉街の土産店ではアイヌ文様の商品がメインに
 温泉街の土産物で一番の売れ筋は、温泉から作った入浴剤の「湯の花」だった。これからはウポポイを意識し、メインをアイヌの工芸品に変えようとしている。
 「アイヌ文様の商品や刺繍の入った商品を増やす。温泉街に宿泊していただき、商品を手に取っていただければ」(土産店従業員・今野佳代さん)
 のぼりべつクマ牧場でも、ウポポイの修学旅行客の確保を目指す。明治初期のアイヌの生活を再現した施設を前面に押し出す。ヒグマとアイヌは密接な関係があると、先代のオーナーが建てたもので、3棟ある家屋「チセ」の床は土で復元されていて、フローリング仕上げのウポポイよりリアルだ。
 「コロナで延期になっていた修学旅行が秋に移り、ウポポイを中心に旅行の行程が組まれている。近くにあるのが強み」(のぼりべつクマ牧場・吉田廣勝さん)
 ウポポイが復興の起爆剤になるのかは不透明だが、すがる思いで客を待つ。
 この記事は北海道ニュースUHBとYahoo!ニュースの連携企画です。北海道観光の現状を追うとともに、ポスト・コロナを見据え復興の道を模索します。
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yuukikimura · 4 years
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大麻は代替不可能な治療薬である! 医療大麻解禁へと政府を動かした韓国の牧師
https://cbdmednews.tokyo/2020/08/01/post-292/
大麻は代替不可能な治療薬である! 医療大麻解禁へと政府を動かした韓国の牧師
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元々は地方出身労働者のサポートなどの社会活動を行っていたガンソンソク牧師(写真)は、2017年「医療大麻合法化運動本部」を設立し、てんかんやアルツハイマー病(認知症)などの、医療用としての合法化を求めて来ました。
団体発足当時、反応はどうでしたでしょうか?
すぐに大学生や認知症を心配する80代の高齢者まで、様々な方々が運動に参加してくれました。 特に、てんかんの子供を持つ親の問い合わせが後を絶たず、 国内に40万人もいる、てんかん患者の間では、医療用大麻がてんかんに優れた効果があるというのは常識でした。
医療用大麻はどの効能を持っていますか?
鎮痛剤、精神安定剤など脳疾患に優れた効果があり、アルツハイマー病の場合、医療用大麻を服用すれば症状が好転します。 てんかんは、発作の回数が半減する研究結果が、2015年に米国てんかん学会(American Epilepsy Society)の年次総会で発表され副作用ありません。
医療用大麻合法化に興味を持つようになったきっかけは?
地方出身者支援センターで働いていた時、米袋を運んで腰を痛めてしまい、三ヶ月のリハビリが必要になりました。 病院にいる間、首や腰を負傷した人達が、アヘン系のモルヒネを使っているのを見ました。 モルヒネは中毒性が高く、その治療方法に疑問を持ち、なぜ韓国ではアヘンが許されているのに、大麻はだめなのかと考えました。 退院後、大麻関連の論文や学術資料を読み、医療大麻がいかに効果的で安全かという事を改めて知るようになりました。
医療用大麻の副作用は無いのでしょうか?
大麻はタバコのように吸うのが、最も効果が早いのですが、タバコに含まれている程度のタールがあります。その為、最近ではオイルやグミ、軟膏や錠剤など様々なタイプの物が出てきています。
幻覚症状や大麻を服用しての運転は危険だという指摘もありますが?
大麻は鎮静作用を持っていますので、風邪薬を服用して運転するのは危険だという事と、同程度だと考えています。大麻を摂取して運転する事が出来ないように法改正をすれば良いと思いますが、大麻成分は長期間、体内に留まるため、検査は困難になるでしょう。また、幻覚効果はアスピリンなど、その他の医薬品にもあります。
大麻がよりハードなドラッグへの入り口となる「ゲートウェイ理論」も強く指摘されています。
ベトナム戦争時に、ニクソン大統領が麻薬戦争を宣言���、作り上げた理論です。 当時、反戦デモ参加者は大麻を楽しんでいたので、大麻が政府から取り締まられるようになりました。 しかし、この主張には反論が既にいくつもあり、ワイン好きの人は、普通もっと良いワインを求めますが、泥酔を求めてウイスキーに手を出す人は少ないでしょう。 実際にオランダでは、大麻合法化の後、ハードドラッグ中毒者が減少しています。
これからも活動を続けていく
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ガンソンソク牧師達の活動が身を結び、2018年に韓国の医療大麻は解禁されました。しかし、法整備など様々な課題が山積みとなり、実際に患者が医療大麻を手に出来たのは2020年になってからでした。 現在も、ガンソンソク牧師達の活動は続いており、漢方医出身の政治家に働きかけを行い、てんかん、癌、パーキンソン病、アルツハイマー病などの患者が病院やホスピスでフルスペクトラムのCBDの処方を可能にするという公約を出してもらったり、民主党へ働きかけ、医療用大麻産業活性化の提案や大麻規制自由特区、大麻実証支援センターの設立、産業用大麻新素材開発センターの構築など、様々な提案をしています。
また、韓国国内で悪質なCBD業者に流通を許しているとして、2020年5月には韓国関税を職務放棄の疑いで、ソウル中央地検に告発状を提出するなどの活動も行っています。
活動は大きな実を結びつつある
ガンソンソク牧師達の活動をきっかけとし、2020年7月6日、首相特区として慶安東市の一部を「産業用大麻規制自由特区」にする事が決定されました。
34万841平米の敷地に、2021年から2年間で、合計450億ウォンを支援し、麻製品や医療用大麻(THCを除去したCBD)の生産を行うという計画になっています。
この計画では5年間で635億ウォンの経済効果と、人口増加等の地方活性化効果も見込まれています。
引用: http://www.akomnews.com/bbs/board.php?bo_table=news&wr_id=39610 http://www.biotimes.co.kr/news/articleView.html?idxno=3810 https://www.sisain.co.kr/news/articleView.html?idxno=29851
 
#認知症 #アルツハイマー #CBD #医療大麻 #カンナビノイド
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cookingarden · 4 years
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スパイク・リー監督・主演『ドゥ・ザ・ライト・シング』 (その1:物語の現場はどうなっていたか) 原題:Do The Right Thing 制作:アメリカ. 1989年. スパイク・リー監督自身が主役のムーキーを演じて1989年に制作した本作は、ほぼ完全に31年後の2020年5月25日にミネソタ州ミネアポリスで起きた、「黒人男性拘束死事件」を再現した内容になっている。31年前の映画が現在を再現するのは通常ではありえない話だが、ここに本作の重要なポイントがある。
映画はパブリック・エネミーの”Fight The Power"をBGMに、ティナ役のロージー・ペレスがボクシング・グローブをつけて踊りまくるシーンからはじまる。"Fight The Power"は本作のために作られたヒップホップ曲で、文字通り権力(The power)と闘おうとアジるものだ。 また、歌詞の冒頭にある「Another summer」は、人種問題に関係する事件がしばしば夏に起こることに関連づけたものだ。1) BGMが終わり本編がはじまるとすぐに、街の「ウィ・ラブ・ラジオ」DJダディが、「Hot!」「最高気温は37℃」「溶けるヘアスプレーは止めておけ」などと繰り返すのも、人種問題の多くが真夏に繰り返されてきたからだろう。開始からの数分に込められたこうしたメッセージは、これから同種の問題が起こることを強く示唆するものだ。 映画の進行を詳細に記録した理由 本稿を書くにあたり、はじめは物語を簡略に記述しようとした。しかし、書き進めるうちに、スパイク・リー監督がこの映画に込めたメッセージを理解するには、作品に描かれた現場をできるだけ詳しく知る必要があると思うようになった。 なぜなら、この映画の主人公は街の住民たちであり、その地域で暴動が起き一人の黒人が死に至る理由を理解するには、だれか一人の心情や行動を知るだけでは無理があると思ったからだ。本作に主人公がいないわけではない。スパイク・リー監督自身が演じるピザ配達員ムーキーが中心人物として重要な役回りを果たしている。殺害されるのは黒人ラジオ・ラヒームだ。彼を殺害したのは白人警官たちである。 しかし、暴動による人の死は、手の込んだ偽装殺人ではない。殺人の意図を持った犯人が暴動を偽装して目的人物を殺すのとは異なり、環境の変化が起点となって被害者が出る。その意味ではカミュの『異邦人』の世界に近い。主人公ムルソーは「太陽が眩しかったから」という理由でアラビア人を射殺した。 だが、『ドゥ・ザ・ライト・シング』に『異邦人』のような不条理さはない。黒人が死に至る背景には合理的な理由がある。ただし、その背景は文化や歴史のように深くて複雑だ。この不合理ではないが複雑な歴史的背景を少しでも理解するには、事件の発生にかかわる「環境の変化」、つまり刻々と変化する事件の現場を知る必要があると思った。 以上が、本稿で長々と映画の進行に沿って概要を書き留めた理由である。できるだけ現場を書き留めようとしたが、割愛した部分もある。それでも、かなり長い記述になった。 もし、すでに『ドゥ・ザ・ライト・シング』をご覧になった方は、以下の記述は読み飛ばしていただき「その2:事件の背景と本作に込めらたメッセージ」をご参照いただければ幸いである。 なお、文中で引用した会話の部分は括弧に入れ、原則として太字で示した。 はじまりを告げる真夏の微妙な平衡感覚 物語は黒人、イタリアン、ヒスパニック、コリアンなどが暮らす1989年当時のブルックリン、通称ベッドスタイを舞台に描かれる。 早朝のベッドスタイの一角に、白のリンカーン・コンチネンタルらしいクルマが横付けになる。サル親子が開店準備にやってきたのだ。店の前はゴミだらけだ。長男のピノが空き缶を蹴り上げる。彼らは街の外の人々だと思わせる。現在は治安も良くなったようだが、映画は当時のベッドスタイを、クーラーの修理にもパトカーの警備が必要な場所として描いている。背景に映る建物の外壁には "BED-STUY DO-OR-DIE" の壁画が見える。文字通り、当時のベッドスタイは生きる覚悟がいる場所だった。 映画の主人公はこの場所で生活するさまざまな人々だが、主にピザ屋「Sal's Famous Pizzeria」を経営するイタリア系アメリカ人のサルと息子二人、店の配達員ムーキー、大型ラジカセで”Fight The Power"を響かせながら歩くラジオ・ラヒーム、ムーキーの友人でサルの店に通い詰めのバギン・アウト、どもりの路上写真売りスマイリー、市長というあだ名の酔っ払いダー・メイヤー らを中心に描かれる。 住民たちは「クソ暑い!」「ゴロツキ!」「平和を!」「酔っ払いじいさん!」「愛だって?」「ママなんか、くたばれ!」などと口汚い言葉を飛ばし合う。言い合いは日常茶飯事だ。ピザ屋ではピノとビト、ムーキーが口論をはじめる。長男のピノは、ムーキーと仲がいい弟のビトが気に食わない。ビトをムーキーの前でたしなめる。 「お前は、ビト・フランゴーネだ。ビト・モハメッドじゃねえ」 「モハメッドはよしてくれ」 「悪いか」 「オレはカゲキ派じゃねえ」 白人警官が乗ったパトカーがベッドスタイの街を巡回する。行き交う白人警官と黒人の目線が、互いの薄目に憎しみを込めて描かれる。目線で結ばれた映像がスローモーションで流れる。サングラスをした警官が「クソったれ」ともらす。イタリア系、アメリカ系、アフリカ系、そして韓国系それぞれのアメリカ人が互いを罵り合う日常。しかし、ときに警官は白人と黒人のケンカを仲裁し、新品のスニーカーを踏まれた黒人は、誤って踏んだ街の白人と、なんとか折り合いを付けて生きる様子も描かれている。 その微妙なバランスを象徴するのが、ラヒームの4本の指をつなぐ指輪だ。ラヒームは右手に ”LOVE”、左手に ”HATE"のナックルリングを嵌めている。ムーキーはピザの配達途中にラヒームの指輪を褒めたことでその意味を聞かされる。 「左拳の "HATE"、これが原因で人間は殺し合う。」 「右拳の "LOVE"、この5本の指が人の魂に触れる。」 続けてラヒームは、両方の拳はいつも戦い、最後は「愛の右手のKO勝ち!」と右手を振り上げる。そして、「ムーキー、おれはお前を愛している」と言って話を終える。ラヒームのTシャツには "BED-STUY DO-OR-DIE" の文字が見える。ラヒームは真夏の陽炎に揺れながらも炎上に耐えるベッドスタイの象徴のようだ。 平衡を揺さぶる生活の疲れ 街並みを背景に、DJダディがミュージシャンの名前を読み上げる。ブルックリン出身のラッパー、ダディ・ケイン、R&Bのルーサー・ヴァンドロス、戦後ブルックリンでも活躍したジャズピアニスト、セロニアス・モンク・・・読み上げられる名前の数は60を下らない。DJは「あんたたちのおかげで、我々は毎日の暮らしに耐えている」と語りかける。偉大なミュージシャンへのリスペクトが街の人々をクールダウンに誘う。 ピザ屋でサルが長男のピノに「おれは疲れた」と漏らすシーンがある。ピノは店を売り払って引っ越そう、黒人はイヤだ、ここは猿の惑星だ。友達が笑うんだと言う。 しかしサルは、おれはここで25年やってきた。なぜそんなに憎む、おれはビザを食べた子供らが大人になるのを見てきた。お前の友達は食わしてくれるか、家賃を払ってくれるか、本当の友達がお前を笑うか、この窓から子供たちが育っていくのを見てきた、俺はそれを誇りに思うと諭す。二人が語り合うピザ屋の通り向こうには、コリアン系アメリカ人夫婦が営む雑貨店が見える。 話が終わりかけたころ、ガラス窓の向こうから写真売りのスマイリーが、キング牧師とマルコムXの写真を買ってくれと言い寄ってくる。穏健な改革派だったキング牧師、暴力は時に改革につながるというマルコムX、その二人が手を取る写真が「正しいこと」の立ち位置の難しさを象徴している。 サルは、スマイリーに向かって「働け! 仕事を探せ、消えやがれ!」と罵るピノを制し、スマイリーに2ドルを渡しその場を取り持つ。開店直後にもサルは息子らの反感のなかで、掃除を申し出たメイヤーにお金を渡していた。店が破壊された翌朝にも、サルはムーキーに、投げつけるようにだが給料を渡す。サルはこの街で唯一、お金を提供する側の人物として描かれている。だが、登場人物の多くは無職だ。 出口のない「正しいこと」 この街の人々はみなピザ屋の常連客だ。バギンは日に三回もサルの店にやってくる。しかし、「月賦で支払うか?」とからかわれたバギンはサルと言い争いをはじめる。 「壁の写真に黒人がいない、白人だらけだ」 「黒人の写真なら自分の部屋に飾れ。オレの店にはイタリア系の写真を貼る」 「客は黒人だけだ。黒人から金を取っているくせに!」 こうして罵り合ったあげく、バギンは「こんな店、ボイコットだ!」と叫んで店を出る。このときはムーキーが「お前はイカレたのか? オレが迷惑だ。」とバギンに不快感を示す。ムーキーは「黒人でいろ」というバギンの声を背に店に戻るが、サルには「二度とバギンを店に入れるな」と言われる。ムーキーはいう。 「ここは自由の国だ」 「自由だと? 自由などない、ここはオレの店だ」 サルになじられたムーキーは諦め顔で配達に向かう。その道すがら、通りでメイヤーに呼び止められ「正しいことをしろ」と声を掛けられる。アパートの階段ではスマイリーに出会い、「給料もらったら、写真を買うよ」と約束する。ムーキーの正しさは自由の行使と抑圧に挟まれたままだ。 愛と憎しみはいつも同居して戦っているというラヒーム。黒人の写真がないことに腹を立て、サルの店のボイコットに動くバギン。キング牧師とマルコムXの写真をアピールするスマイリー、黒人でいろというバギン。正しいことをしろというメイヤー。働いた分の金は渡すが自由はないというサル。この街は猿の惑星だ、街を出ようというピノ。黒人ミュージシャンを敬愛するDJダディ。そして、働く気も乏しく、働き口があったとしても収入はわずかだ。 さまざまな事情と生活の疲れに覆われた真夏の黒人街・・・こうして、陽炎に揺れるベッドスタイの街に、事件への伏線が張られていく。ここまでが『ドゥ・ザ・ライト・シング』の前半である。 平衡点をさまよう人々の熱気 ボイコットを決意したバギンは街の仲間を誘う。しかし、「なんでだ、サルが何をした? あのウマいピザをか? 頭がイカレタか、ノーだ!」「わたしたち、あのピザで育ったの」と、誰も取り合おうとしない。ムーキーにも「バカなマネはよしな」と窘められる。妹のジェイドにも、「くだらない、別のことにエネルギーを使ったら! 街のためになることをやって」と言われる始末だ。バギンの不満もまた、出口を求めてさまよいはじめる。 一方で、サルの店ではムーキーが「お前は給料に見合った働きをしていない。このままじゃクビだ」とサルから罵声をあびせられる。妹のジェイドと店で食事をしようとしていた気持ちを挫かれたムーキーは、ジェイドに妙に親切なサルに下心を感じとる。ムーキーはジェイドを店から連れ出し忠告するが、すぐに反論に会う。 「二度と店にくるな、サルはお前とヤリたがっている」 「いらぬお世話よ、私は大人。家賃も払えない兄貴のくせに!」 「いいかげんに独り立ちして!」 言い争う二人の後ろの壁には、"TAWANA TOLD THE TRUTH(タワナは真実を語った)"の落書きがある。タワナ(タワナ・ブロウリー)は本作が制作される二年前、警官を含む6人の白人男性に輪姦されたと告発した黒人女性の名前だ。だが、その後陪審院は申し立ては虚偽だと結論づけた事件として知られている。 この落書きはムーキーの気持ちにも、サルの潔白を表すようにも見え、人々の平衡が崩れはじめたことを暗示するかのようだ。ここを乗り切れば陽は陰っていく。だが、こうしてベッドスタイの午後はさらに熱を帯びていく。 このあと、配達先のティナのアパートでじゃれ合う恋人のティナとムーキーの姿は、街と人々の熱気の行方を巧みに表現している。抱きたくてたまらないというムーキーに、ティナは「暑い日にセックスはイヤ! ここは37℃あるのよ」という。それでも服を脱がせるムーキー。だが、ムーキーは冷蔵庫から氷を取ると、裸のティナに氷を滑らせてティナの身体を冷やすのだ。ここにDJの「愛する二人に冷風を届けよう」の声とともに、スローな曲が被さる。愛こそが過剰な熱気を冷やすと思わせる描写だ。 ボイコットが街と人の平衡を破る 街には、サルが気に食わない者もいる。黒人の写真がないことに不満を漏らすバギンと、ラジオの音に文句を言われたラヒームの二人だ。 夜になり二人が出会う。「あいつは、ドン・コルレオーネ気取りだ。キザったタレ目のシルベスター・スタローン。ボイコットだ!」「賛成だね。その通りだ。兄弟!」と、バギンとラヒームは意気投合する。スマイリーが通りかかり「ま、ま、まま・・・マルコムX」とからむ。キング牧師ではなくマルコムXなのは、穏健が暴力へと転じたことの暗示だろう。こうして、まず三人が真夏の平衡点を超えていく。 サルの店は閉店時刻を迎え、給料が渡されようとしていた。そのとき、常連の若者たちが店を訪れる。サルはいったん閉めた店を、ピザ4切れまでだと客を通す。給料を手にアパートに帰り、ティナとのセックスを楽しみにしていたムーキーは落胆する。そこへ、ラジオで “Fight The Power" を鳴らしながらラヒーム、バギン、スマイリーの三人がやってくる。 「音を切れ!」 「写真を掛けろ!」 「ジャングル音楽を切れ!」 「バカヤロー!」 「閉店だ、出て行け!」 「くたばれ!」 「イタリア野郎!」 あらん限りの罵声が飛び交うなか、ついにサルが護身用のバッドを握り締める。ムーキーが叫ぶ。 「サル! バットはよせ!」 「黒のチンポ吸い! くたばれ!」 その瞬間、サルのバットがラジオ目掛けて振り下ろされる。熱気はついに平衡点を超えた。爆発だ。カウンター越しにラヒームがサルに襲いかかり、居合わせた者たちの乱闘が始まる。サルとラヒームは縺れ合ったまま通りに転がり出る。 警棒で首を絞められ窒息死するラヒーム 間も無くパトカーで駆けつけた警官たちが二人を分けに入る。バギンは手錠を掛けられ、パトカーに押し込まれる。一方では、三人の警官がラヒームを羽交い締めにしてサルから引き離す。だが、警官たちは背後からラヒームの首を警棒で絞め上げたたまま緩めようとしない。 「放せ! 死んじまう!」 「やりすぎだ!」 もがきながら警官の腕を振り解こうとするラヒームの左拳に、 "HATE" のナックルリングが光る。ラヒームの足は宙に浮いたままだ。悲鳴が上がる。 「ラヒーム! ノー!」 警察に首を吊るされたラヒームの動きが止まる。息絶えたラヒームの右手に "LOVE" のリングが見える。人々が口々に怒りの声を上げはじめる。 「殺人だ。あいつらまた、黒人を殺しやがった!」 「黒人の街で、黒人が殺された」 「黒人を皆殺しにする気か?」 「もうガマンできねえ」 「ポリ公ななんか、おっ死ね」 残骸とゴミが散乱するベッドスタイの夜の街から、ラジオ・ラヒームの巨体を乗せたパトカーが走り去る。 ピザ屋に投げられた憎しみのゴミ缶 警官が去った店の前で茫然と立ち尽くすムーキー、サル、ビト、ピノ。そこへ群衆が詰め寄る。抗議の声が上がる。ラヒームの死への怒りがサルらへと向けられたのだ。一触即発の状況だ。 「ここまでにして帰れ、後悔することになるぞ」 「サル父子に責任はない」 メイヤーが懸命にとりなすが収まらない。サルらに向けて人々が叫ぶ。 「また黒人を殺しやがった」 「お前らをぶち込んでやる」 「ラジオがいけないのか」 「それで殺されたのか?」 「"写真をかけろ"と言ったから?」 その喧騒のなかサルらの表情を見入りながら、もう限界だというように頭を抱えるムーキーの姿があった。両手で顔を覆い祈るような表情を見せたあと、ムーキーはゴミ缶に向かって歩き、ゆっくりとゴミ缶を手にする。両手にゴミ缶を抱えたムーキーが店に歩み寄る。そして、 「憎しみだ!」 の叫び声とともに、ムーキーは店の大窓目掛けてゴミ缶を投げつけた。 「ガシャーン!!」 崩れ落ちるガラス。この瞬間を境に、破壊、叫び、暴力、悲鳴へが爆発する。人々が店になだれ込み、椅子、テーブル、食材、店のすべてが破壊し尽くされ、レジからは金貨が盗まれる。「何てことしやがる」「オレの店に手を出すな!」とサルが叫ぶが、破壊行為は止まらない。 怒声と破壊音が飛び交う混乱のなか、おろおろとスマイリーが店に火を放つ。燃え上がるサルの店。壁に飾られた白人たちの写真フレームが割れ、写真が燃えていく。冷静だったはずの住民も拳を振り上げ、「燃やせ! 燃やせ!」と叫び声を上げる。 やがて、群衆の一部が次はお前らだと、サルの店の向かいにあるコリアン雑貨店に向かう。しかし、「俺、白人。違う、オレ黒人。みんなと同じだ」という店主の窮余の叫びが笑いを誘い難を逃れる。その様子を茫然とながめる、イタリア系のビト、ピノ、サル。 パトカーと消防車が駆けつける。警官が家に帰れというと、ムーキーは「ここが家だ!」と叫ぶ。警官に捕まりそうな群衆の一人が、「放せ、アラバマのバーミンガムじゃねえぞ」と抗議の声を上げる。消防の高圧放水を浴びた黒人の住民たちが、次々と吹き飛ばされる。 この情景は、かつて公民権運動の中心となったバーミングハムでの運動家と警官の衝突になぞらえたものだろう。2) このときも子どもや聴衆に向けて激しい放水が行われた。「やめて! やめて!」と叫ぶ住民をメイヤーが抱きしめる。そのそばには、道路に座り込むムーキーの姿があった。燃え盛る炎に 「Fight the power!(権力と戦おう)」とナレーションが被さる。微笑みを浮かべたスマイリーが、焼け残った壁に売り物のキング牧師とマルコムXの写真をピン留めする。 翌朝に訪れる「涼しい」日常 ベッドスタイの街に翌朝が訪れ、DJダディの ”愛の言葉” が流れる。 「こちらは、"ウィ・ラブ・ラジオ"局」 「しゃべってるオレは"愛のダディ"」 「君らは仲良く暮らして行きたくないのか?」 「まぎれもない真実だよ、ルース」 そして、ラジオから「今日も猛暑だ! 起きろ」の音声が流れる。ティナの部屋の同じベッドで目を覚ますムーキーに、「父親らしくして」とティナが文句をいう。別のアパートの一室ではメイヤーが「街は無事だったか」と尋ね、「私たちもね」と答える声がする。 給料をもらいにアパートを出たムーキーが、丸焼けになった店跡で力なくたたずむサルの元へと歩みを進める。 「何だ」 「給料を払ってくれ」 「クビだ」 「ラヒームが死んだんだぜ」 「知ってる。あの野郎がボイコットを叫び。お前は黙って見てた」 「ラヒームが殺されるのもね。店には保険が下りるさ」 「これは金の問題じゃない」 「オレがこの腕で作り上げた店だ!」 「給料は給料だろ? 払ってくれ」 週給の250ドルを要求するムーキーにサルは、罵りながら100ドル紙幣を丸めては500ドルを投げつける。2枚を投げつけて返すムーキー。だが、最後にムーキーは地面に落ちた200ドルを手に子どものいるアパートに帰って行く。 ラジオからニューヨーク市長の談話を伝えるDJの音声が流れる。昨晩の騒動に関するものだ。 「原因を調査し、同様の事件の発生防止に全力を注ぐ」 「市長の我々の市長(メイヤー)からビールをおごらせよう」 「選挙が近づいているよ。選挙名簿に早く登録を」 「暑さは当分続くよ。今日の言葉は"涼しさ"」 「"涼しさ"だよ」 「愛のダディが補償する真実だよ」 「では、我らの兄弟ラヒームにこの曲をーーー」 カメラが捉える風景は焼け落ちたサルの店から、通りを歩むムーキーの姿へ、そしてゴミが散乱したままの通りを横切る白人の夫人と紳士を捉え、遠景に"BED-STY DO-OR-DIE"と記された壁面を映し出す。 このあと、穏健な改革を目指したキング牧師と、暴力は時に改革のために必要だとするマルコムXの言葉が流れ、最後に「(本作を)無意味に警官に殺された6人の黒人の家族に捧げる」との字幕が映されて映画は終わる。その筆頭に掲げられたEleanor Bumpursの殺害事件について、Wikipediaには次のように書かれている。3)
1984年10月29日、ニューヨーク市警によるエレノア・バンパーズ銃撃事件が発生した。ニューヨーク市警は市の命令を受け、ブロンクスの公営住宅からの立ち退きを執行しようとしていた。バンパーズは高齢者であるうえに、障害のあるアフリカ系アメリカ人だった。警察の援助を要請する際、住宅局の職員は、バンパーズが感情的に乱れていたこと、沸騰した煮汁を投げると脅したこと、立ち退きに抵抗してナイフを使用していたことを警察に伝えた。バンパーズがドアを開けるのを拒否したことで、警察が押し入る格闘のなか、警官の一人が警官ンパーズに発砲した12ゲージのショットガン2発が致命傷になった。 この銃撃事件は、1980年代のニューヨークで人種的緊張を煽ったいくつかの黒人の死亡事件の一つで、障害者や感情的に不安定な人への対応のまずさにより、警察内部に変化をもたらした。バンパーズを撃ったスティーブン・サリバン巡査は、第二級過失致死罪で起訴されたが、最終的には無罪となった。バンパーズの家族は市を1000万ドルの損害賠償を求めて訴え、20万ドルで和解した。
他の5人はいずれも黒人で、このうち4人は警官による発砲、あるいは逮捕後の暴力による犠牲者である。Michael Griffithは白人の暴徒により殺された。Edmund Perryは17歳の少年だった。 (その2:事件の背景と本作に込められたメッセージ)
1)例えば、1919年の夏から初秋にかけて発生した人種暴動事件を指す「赤い夏」や、1965年8月にかけてアメリカ合衆国のワッツ市(現在はロサンゼルス市に吸収)で発生した暴動事件など。 2)Wikipedia「バーミングハム運動」 https://ja.wikipedia.org/wiki/バーミングハム運動 3)Wikipedia「エレノア・バンパーズ銃撃事件」 https://en.wikipedia.org/wiki/Shooting_of_Eleanor_Bumpurs
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5.日本から韓国へのODA
問い9:日本の朝鮮から撤退後について>5. 日本から韓国へのODA
目次は こちら
5.日本から韓国へのODA
 以下に記したのは、政府開発援助(Official Development Assistance, 略称:ODA)の分野別の項目と金額です。
 これは日本の外務省の支援時期順の一覧表から、支援の狙いを分かりやすくするために支援分野別に整理したものです。
 以下のODAの中には、1965年の日韓基本条約にて日本から韓国へ支払った5億ドルは含まれていません。
 浦項製鉄へは、日韓条約に従って韓国へ支払った5億ドルの一部が、韓国政府の判断で投じられていますが、ここに記載した5項目は、それ以外に日本から新たにODAしたものおよび無償資金協力したものが含まれています。
5.1.農業・水産・牧畜などへの援助 960.43億円
1.韓国農水産振興事業     1969年06月19日     8.92億円
2.食料援助(無償)      1969年         3.96檍円
3.農水産業近代化       1970年       72.00億円
4.韓国農業総合開発事業    1974年12月26日 194.40億円
5.農業振興事業        1975年     110.00億円
6.韓国農業振興事業      1977年06月10日 126.00億円
7.韓国農業振興事業      1978年01月31日   60.00億円
8.韓国農業水産試験      1984年08月08日   33.00億円   研究設備近代化
9.韓国農業総合開発事業    1978年12月25日 140.00億円
10.韓国農業機械化事業     1987年08月18日   77.50億円  (全国農業協同組合中央会)
11.韓国酪農施設改善事業    1987年08月18日   38.75億円  (ソウル牛乳協同組合)
12.韓国肉加工施設拡充事業   1990年10月31日   17.28億円  (畜産業協同組合中央会)
13.韓国配合飼料工場建設事業  1990年10月31日   54.14億円  (畜産業協同組合中央会)
14.韓国酪農施設改善事業    1990年10月31日   24.48億円  (畜産業協同組合中央会)
  合計・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・960.43億円
5.2. 上水道施設関連 158.54檍円
1.韓国光州市上水道事業    1967年07月11日     6.05億円
2.韓国大田市上水道事業    1967年07月11日     5.90億円
3.韓国清州市上水道事業    1969年12月04日     3.24億円
4.韓国地方上水道拡張事業   1983年10月11日   78.00億円  (釜山,ソウル,晋州)
5.韓国大田市上水道拡張事業  1984年08月08日   22.00億円  (社会的サービス)
6.韓国ソウル上水道近代化事業 1984年08月08日   29.00億円
7.韓国大田上水道拡張事業   1989年08月22日   14.35億円
  合計・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・158.54億円
5.3.下水廃棄物処理施設関連 695.31億円
1.韓国都市下水処理施設建設  1980年01月18日   50.00億円  (建設部,大邱市,大田市,全州市)
2.韓国下水処理場建設事業   1983年10月11日 115.00億円  (ソウル炭川)
3.韓国下水処理場建設事業   1984年08月08日 167.00億円  (ソウル中浪)
4.韓国下水処理場建設事業   1984年08月08日   63.00億円  (釜山)
5.韓国廃棄物処理施設建設   1984年08月08日     4.00億円  (大邱市、城南市)
6.韓国下水処理場建設事業   1985年12月20日   92.60億円  (釜山長林)
7.韓国下水処理場建設事業   1985年12月20日   75.60億円  (光州)
8.韓国下水処理場建設事業   1985年12月20日   32.80億円  (春川)
9.韓国廃棄物処理施設建設事業 1987年08月18日   53.72億円  (大邱市、城南市)
10.韓国下水処理場建設事業   1988年06月22日   41.59億円  (済州・清州)
  合計・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・695.31億円
5.4.教育文化事業関連 648.89億円
1.金烏(クモ)工業高等学校用暖房及び電気設備(無償)                 1971年         1.30億円
2.金烏(クモ)工業高等学校用実験設備及び教育機材(無償)                 1972年         3.94億円
3.金烏(クモ)工業高等学校用実験設備及び教育機材(無償)                 1973年         5.63億円
4.ソウル大学校工科大学用基礎的実験機材(無償)                 1974年         5.00億円
5.ソウル大学校工科大学用実験機材(無償)                 1975年         5.00億円
6.ソウル大学校工科大学実習用実験機材(無償)                 1976年       10.00億円
7.麦類研究所の実験用装置(無償)                 1977年         1.00億円
8.韓国外国語大学日本語LLシステム(無償)                 1977年         0.17億円
9.清州大学日本語LLシステム(無償)                 1978年         0.15億円
10.韓国教育施設拡充事業    1980年01月18日 100.00億円
11.韓国教育施設拡充事業    1981年02月27日   60.00億円  (基礎科学分野)
12.韓国化学研究用・計量標準研究用資機材補強事業                 1985年12月20日   27.00億円
13.韓国教育施設拡充事業    1985年12月20日 152.00億円
14.韓国総合海洋調査船建造   1985年12月20日   41.00億円
15.韓国教育施設拡充事業    1987年08月18日 129.11億円  (文教部,国立科学館)
16.韓国教育施設拡充事業    1988年06月22年   59.20億円
17.韓国研究所施設拡充事業   1988年06月22日   26.79億円  (韓国遺伝工学,機械,電子通信,化学研究所)
18.韓国水産・商船学校練習船  1990年10月31日   21.60億円  (装備拡充事業)
  合計・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・648.89億円
5.5. 病院医療衛生関連事業 610.44億円
1.地域社会医学センター用   1977年         6.00億円   医療機材
2.地域社会医学センター用   1978年         4.00億円   医療機材
3.国医療施設拡充事業     1978年12月25日   70.00億円
4.韓国国公立医療及び     1980年01月18日   40.00億円   保健研究機関近代化事業
5.地方病院施設整備事業    1980年     130.00億円
6.韓国民間地域病院医療装備拡充1981年02月27日   60.00億円
7.韓国医療装備拡充事業    1983年10月11日   54.00億円  (ソウル大学小児病院)
8.韓国国立保健院       1984年08月08日   24.00億円   (安全性研究センター事業)
9.韓国医療施設拡充事業    1985年12月20日 123.00億円
10.韓国私立大付属病院施設拡充 1988年6月22日   56.24億円  (梨ヤ女子大学,中央大学,漢陽大学,高麗大学,東亜大学)
11.韓国医療装備拡充事業    1990年10月31日  43.20億円  (ソウル大学校病院)
  合計・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・610.44億円
5.6. 浦項製鉄関連 277.29億円
1.韓国総合製鉄事業      1971年07月16日   28.80億円  (浦項綜合製鉄株式会社)
2.韓国総合製鉄事業      1972年05月01日 107.49億円  (浦項綜合製鉄株式会社)
3.韓国総合製鉄事業      1973年01月16日   10.87億円  (浦項綜合製鉄株式会社)
4.韓国浦項総合製鉄所拡充   1974年05月22日 127.88億円
5.韓国浦項総合製鉄所拡充   1975年07月30日     2.25億円
  合計 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・277.29億円
5.7. 鉄道地下鉄道路海運など交通関連 1,305.56億円
1.韓国鉄道設備改良事業    1966年06月08日   39.60億円
2.韓国漢江鉄橋復旧事業    1966年06月17日     3.60億円
3.韓国海運振興事業      1966年07月27日   32.43億円
4.韓国鉄道設備改良事業    1967年3月23日   33.65億円
5.韓国高速道路建設事業    1968年06月26日   10.80億円
6.韓国高速道路建設事業    1969年04月14日   18.00億円
7.韓国南海橋建設事業     1969年12月04日     7.88億円
8.ソウル地下鉄建設及国鉄電化 1972年04月10日 272.40億円
9.韓国北坪港建設事業     1976年03月31日 124.20億円
10.韓国忠北線復線化事業    1976年11月26日   43.00億円
11.韓国ソウル地下鉄建設    1990年10月31日 720.00億円
  合計・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1,305.56億円
5.8. 発電送電ダムなど関連事業 767.91億円
1.韓国昭陽江ダム建設事業   1967年08月07日     3.96億円
2.韓国昭陽江ダム建設事業   1968年12月28日   46.98億円
3.韓国嶺東火力発電所建設   1969年09月01日     6.41億円
4.韓国昭陽江ダム建設事業   1970年02月04日   27.01億円
5.韓国大清多目的ダム建設   1974年12月26日 118.80億円
6.国超高圧送電線建設事業   1977年11月28日   40.00億円
7.韓国忠B多目的ダム建設   1978年01月20日 140.00億円
8.韓国陜川多目的ダム建設   1983年10月11日 204.00億円
9.住岩多目的ダム建設事業   1984年08月08日 111.00億円
10.韓国臨河多目的ダム建設   1987年08月18日   69.75億円
  合計・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・767.91億円
5.9. 企業育成支援事業関連 486.94億円
1.韓国建設機械改良事業    1966年07月20日   23.4億円
2.韓国中小企業及機械工業育成 1966年07月27日   54.00億円
3.韓国輸送及荷役機械改良   1967年06月27日     9.35億円
4.産業機械工場拡張事業    1967年07月31日   10.80億円
5.韓国中小企業及機械工業育成 1967年08月07日   26.69億円
6.輸出産業育成・中小企業振興 1971年     108.00億円
6.韓国中小企業近代化事業   1987年08月18日   77.50億円
7.韓国中小企業近代化事業   1989年08月22日   62.00億円  (国民銀行)
8.韓国中小企業近代化事業   1990年10月31日 115.20億円
  合計  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・486.94億円
5.10. 市外電話など通信施設事業 143.25億円
1.韓国市外電話拡張事業    1967年07月11日     3.60億円
2.韓国市外電話拡張事業    1968年10月30日     6.48億円
3.韓国市外電話拡張事業    1970年06月25日     5.17億円
4.韓国通信施設拡張事業    1973年4月23日   62.00億円
5.韓国通信施設拡張事業    1976年11月26日   66.00億円
  合計・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・143.25億円
5.11. その他事業 1,132.58億円+1.07億ドル
1.請求権・経済協力協定    1965年     677.28億円
2.韓国水利干拓および浚渫事業 1966年07月20日   11.88億円
3.韓国商品借款等(大韓民国政府1972年09月18日   77.00億円
4.韓国商品借款等(大韓民国政府)         77.00億円
5.韓国漢江流域洪水予警報施設 1973年07月20日     4.62億円
6.商品借款          1973年       77.00億円
7.韓国商品借款(大韓民国政府)1974年05月13日   77.00億円
8.災害緊急援助        1984年 0.24億$(57檍円)
9.韓国気象関連設備近代化事業 1984年08月08日   42.00億円
10.災害緊急援助(台風被害)  1987年 0.33億$(48億円)
11.韓国蔚山市都市開発事業   1988年06月22日   44.40億円 (鉄道部門)
12.韓国栄山江3-1地区防潮堤  1988年06月22日   44.40億円
13.災害緊急援助(洪水被害)  1989年 0.25億$(32億円)
14.災害緊急援助(洪水被害)  1990年 0.25億$(32億円)
その他事業合計・・・・・・・・1,132.58億円+1.07億$(169億円)
以上の総合計・・・・・・・・・7,187.14億円+1.07億$(169億円)
 上のODAの分野を見ると、農業・上水道・下水道・教育・医療・製鉄・鉄道・地下鉄・高速道路・多目的ダム・発電所・送電線・中小企業近代化育成・建設機械産業改善・工作機械産業改善・電話・通信など極めて多岐にわたっており、このODAによって、現在の韓国の基礎が形成されたと言えるほどです。
 以上の通り合計113項目、当時の金額で7356億円(7,187.14+169=7,356.14)のODAを、有償無償を含めて韓国を支援していました。しかし、この7356億円の2020年時点の現在価値への換算と評価は、その何倍にもなると推測されます。ただし支援時期が1965年から1990年の長期にわたっていますので、正確な倍率は計算できませんが、およそ3兆円前後になるものと推測されています。
 なお韓国の災害発生時には災害緊急援助として、
1984年(洪水被害):2400万ドル(約57檍円)
1987年(台風被害):3300万ドル(約48億円)
1989年(洪水被害):2500万ドル(約32億円)
1990年(洪水被害):2500万ドル(約32億円)
と4度に亘り、当時の金額で合計167億円相当のドルの無償支援(贈与)をしています。
 これらの多くのODA支援には、資金援助だけの場合もあったかもしれませんが、多くは技術支援が伴っていました。技術支援を成功させるには、技術資料とノウハウを持った技術者による現地指導が不可欠です。その現場では派遣された日本人技術者と韓国人技術者がお互いに信頼し合って心を一つにして一体となって活動しないと立派な支援は成立しません。
 そして、すべての分野で支援が円滑に行われてことは、日本人と韓国人が友好的に一致協力して、韓国の発展を願って誠心誠意に努力した証拠だと言えます。
 したがって、韓国も日本もこれらの113項目のODAの存在を両国の友好と一致協力のシンボルとして広く国民に知らせ、一層の友好を深める基礎にすることが望まれます。
 日本は、「122兆7,000億円+A+B+C+Ⅾ」以上の莫大な資金と人力と知恵を朝鮮の泥沼状態からの救出に投じた上に、韓国との請求権・経済協力協定によって当時の金額で8億ドルの韓国の国家予算の2.3倍もの支払を行い、更に日本人の血税から113項目の現在の韓国の基礎作りに貢献した当時の価値で7356億円(約68億ドル)のODAをしています。
 それにも拘らず、2020年現在の韓国は、各種の解決済みの問題を蒸し返して新たな対日請求を行い、不買運動などの反日活動と日本の痕跡の排除に国を挙げて取り組んでいます。
 世界の人々に、韓国の対日姿勢の是非を問う次第です。
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