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嘘八百 なにわ夢の陣
3作目ですでにネタ切れ感。 前作までの利休、織部の茶の湯のお宝に近い、同時期の秀吉をネタにしましたが、 あまりにリアリティがないウソなのでア���ト。
ウソが面白くなるには、 扱うネタに真実味がないと、ウソも面白くない。 如何にホントの事のように観客をも騙せるかが話を面白くする。
さらに絡めてくるカリスマアーティストとその水素水ビジネスのような話、 演じるジャニーズのダメさも含めて、この一連のくだりがつまらない。 姉役の中村ゆりは良いのに残念。
それぞれの役割分担を持った取り巻き連中の見事な技で、 嘘八百な結末で面白くしたつもりでも、 そこまでの話と設定が良くないので、結果的に面白くならない。
原作があるわけではないので、 脚本家の知識範囲が狭すぎるのか、展開力のなさか、 監督の演出不足、ヘタクソな編集・・・
せっかく面白いシリーズができたと思ったのに、 扱うネタを変えていかないと、軽快な主役コンビがもったいない。
3作通して同じ監督・脚本家ですが、限界かな~
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脑洞是这样的——
七大军校举办竞技比赛,每所学校派出5名正式队员(两组双人机甲+一个单兵)和1名替补,枫丹廷这边的队长那维莱特和副队长莱欧斯利一组,林尼兄妹一组,加上新生娜维娅,菲米尼替补。
所有人都说枫丹双璧毕业后会去梅洛彼得堡要塞服役授衔。那维莱特出身于古老的贵族名门,虽然是指挥系首席,但身手丝毫不亚于战斗类专业的学生,据说他曾将好斗的至冬选手达达利亚打败,对于那场对决,那维莱特不愿意提起,只说自己是出其不意,仅仅为了维护校园纪律才出此下策。
莱欧斯利的事迹完全是另一番模样——出身于白淞镇一带的潦倒少年 ,混迹在藏污纳垢的灰河水道,青少年法庭七进七出的传奇,最后竟能爬上单兵系首席的位置,与那维莱特��肩。实习记者夏洛蒂采访过他,问他是否是���说中的“地狱犬”,莱欧说哪有七进七出那么夸张,自己只是光速认罪好好改造而已,他没能跟夏洛蒂坦白的是,自己或许是秉公无私的那维首席的唯一污点。
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这张图如果画全了,那维手里应该牵着一只三条机械腿哈士奇。遛狗路上碰见了对手,那维拦着莱欧说别冲动。忍不住加了点战损
实际打起架来却是莱欧在劝那维别激动哈哈哈哈哈
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蒙德队
【琴+凯亚=骑士团凑合队,凯亚本来的搭档迪卢克毕业了,所以新的正副队长组成搭子】
【优菈+安柏=我很看好这一队】
【+班尼特,砂糖替补】←班尼特在生存环节落单,临时加入璃月队,都不想走了
璃月队,非常冒险的全一年级队,却拥有实力恐怖的教练组
【行秋+重云】
【香菱+胡桃】
【+辛焱,唯一不是一年级的刻晴被拉来替补】
稻妻队
【绫人+托马=日本动画片里常有这种队】
【一斗+久岐忍=阿忍对不起战术性下线换替补队员来】
【+宵宫,五郎替补】←差生一斗做梦都想不到能与他网上认识的女神学习搭子一起开机甲
须弥队
【艾尔海森+卡维=分是满天星合是一团火这火有点太大了队】虽然是天才组合,艾尔海森与卡维却在第一场比赛中吵架,让枫丹轻松取胜。
【赛诺+提纳里=太靠谱了还得是你俩队】
【+柯莱,阿帽替补】←须弥秘密武器了属于是
至冬队
【潘塔罗涅+多托雷=心脏反派开派队】
【阿蕾奇诺+罗莎琳=女仆你带我走吧队】
【+达达利亚,桑多涅替补】
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)9月6日(金曜日)
通巻第8398号
プーチン、米大統領選を潰乱。「ハリスの笑顔は素晴らしい」
困惑する民主党、プーチンが支持するなんて、なんという皮肉!
*************************
モンゴル訪問を終えたプーチン・ロシア大統領は9月5日、ウラジオストックの「東方経済フォーラム」に臨んで基調演説。その後の記者団の質問に答えて「わたしはカマラ・ハリスを支持する」と「��笑いをしながら」(モスクワタイムズ、9月5日)発言した。「彼女の笑顔は素晴らしい。これは何もかもうまく行くということだ」。
プーチン大統領は米国の政治や社会問題について、ときおり嘲笑的な口調でコメントしてきた。「米国の政治体制は「腐敗している」とし、米国は他国に民主主義について(えらそうに)説教することはできない」ともコメントしてきた。
プーチンはウクライナ戦争をめぐって激しくバイデンを攻撃したが、その言外には次のアメリカ大統領はトランプがのぞましいと示唆してきた。バイデンが転けてカマラ・ハリスが正式大統領に決まっても、およそニケ月、大統領選へのコメントはなかった。
突如、次期アメリカ大統領にカマラ・ハリスが望ましいとする発言にはどのような背景があるのか?
第一に状況の攪乱である。もし米世論がプーチンを攻撃しつつ、ハリスがトランプを猛追しているとすれば、アメリカの「敵」であるロシアが、与党政権の継続を支持するという印象は、民主党支持者に強烈な疑問を抱かせるだろう。
第二にバイデン政権はウクライナに対して高性能の武器を供与しているが、長距離を飛翔するハイマースなどをロシア領内に打ち込むことは禁止してきた。バイデン政権にとってゼレンスキーがロシア領のクルスクへ侵攻したことは想定外だった。いはばアメリカの制御を離れた戦局に進んでしまった。プーチンは戦域の拡大を抑止し、ウクラ内の侵攻を「挑発行為」と発言するに留めている。
第三にアメリカの極左メディアに対しての強烈なアイロニーをぶつけたことになる。
共和党は「(敵の)プーチンが支持するハリス」というイメージ作戦を展開できるから、これこそプーチンの放ったトランプ支援の矢かもしれない。
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いきなり偉そうなことを書いて各方面から顰蹙を買いそうなんだけど、あえて言う。僕は自分の日記より面白い日記を読んだことがない。これはハッタリでもなんでもなくて、それくらいの気持ちがないと何処の馬の骨とも知れないチャリンコ屋の日記に1,500円や2,000円を出して購入してくれている方々に申し訳が立たない。ただし「自分より」と言うのには注釈が必要。『富士日記』や『ミシェル・レリス日記』みたいな別次元の傑作は対象外として、近年、雨後の筍のように量産されているリトルプレスやZINEを体裁とした日記やエッセイ群を見据えての発言と思って頂きたい。商売としての仕入れはさておき、個人的に興味があったので色々と手を伸ばして読んでみたものの、そのほとんどが「私を褒めて。私を認めて。私に居場所を与えて」というアスカ・ラングレーの咆哮をそのままなぞらえたような内容、若しくは「持たざる者同士でも手を取り合い、心で繋がっていれば大丈���」的な似非スピリチュアルなマジカル達観思想で構成されているので、正直ゲンナリした。しかもタチの悪いことに、そういうものを書いている人たち、あわよくば商業出版の機を窺っていたりするものだから、出版社や編集者の立場からしたらまさに入れ食い状態。「ビジネス万歳!」という感じでしょう。晴れて書籍化の際には口を揃えて「見つけてくれてありがとう」の大合唱。いやいやいや、ちょっと待って、あんたら結局そこにいきたかっただけやんってなりません?これまでの人生をかけて手にした「生きづらさ」の手綱をそんなにも容易く手放すんかい!と思わずツッコミを入れたくもなる。現世で個人が抱える「生きづらさ」はマジョリティに染まらぬ意思表明と表裏の関係にあった筈なのに、どっこいそうはさせないとばかりにどこからともなく湧いてくる刺客たちの誘惑にそそのかされては、呆気なく自らの意志で握手(悪手)に握手(悪手)を重ねる。ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのことだ。以前、僕もある出版社の編集長から「DJ PATSATの日記を当社で出版させてほしい」という誘いを受けたけれど、もちろん丁重にお断りした。僕は自主で作った300冊以上の読者を想定していないし、それより多くの読者に対する責任は負いかねるというような趣旨の言葉を伝えた。そもそもなぜ僕が友人(マノ製作所)の力を借りながらわざわざシルクスクリーンという手間をかけて制作しているのかを理解しようともしない。編集長は口説き文句のひとつとしてECDの『失点・イン・ザ・パーク』を引き合いに出してこられたのだけれど、いま思えばそういう発言自体が安易というか不遜だと思わざるを得ない。結局その方は僕を踏み台にしようとしていただけだったので、負け惜しみでも何でもなく、あのときの誘いに乗らなくて良かったといまも本気でそう思っている。まぁ、これは僕個人の考え方/価値観なので他者に強要するものでもなければ、共感を得たいと思っている訳でもない。逆に彼らも推して知るべしだ。誰もが商業出版に憧憬を抱いている訳ではない。昔から煽てられることが好きじゃないし、賑やかで華やかな場面がはっきりと苦手だ。だからと言��て消極的に引きこもっているつもりもなく、寧ろ積極的に小さく留まっていたいだけ。かつては各地の井の中の蛙がきちんと自分の領域、結界を守っていたのに、いつしかみんな大海を目指すようになり、やがて井の中は枯渇してしまった。当然、大海で有象無象に紛れた蛙も行き場をなくして窒息する。そのようなことがもう何年も何年も当たり前のように続いている現状に辟易している。そんな自分が小さな店をやり、作品を自主制作して販売するのは必要最低限の大切な関係を自分のそばから手離さないためである。何度も言うているように自営とは紛れもなく自衛のことであり、率先して井の中の蛙であろうとする気概そのものなのだ。自衛のためには少なからず武器も必要で、言うなれば作品は呪いの籠った呪具みたいなもの。そんな危なっかしいものを自分の意識の埒外にある不特定多数のコロニーに好んで攪拌させたりはしない。多数の読者を求め、物書きとして生計を立てたいのなら、最初から出版賞に応募し続ける。だからこそ積年の呪いを各種出版賞にぶつけ続けた結果、見事に芥川賞を射止めた市川沙央さんは本当に凄いし、めちゃくちゃにパンクな人だと思う。不謹慎な言い方に聞こえるかもしれないが、天与呪縛の逆フィジカルギフテッドというか、とにかく尋常ならざる気迫みたいなものを感じた。なぜ彼女がたびたび批判に晒されるのか理解できない。それに佐川恭一さん、初期の頃からゲスの極みとも言える作風を一切変えることなく、次々と商業誌の誌面を飾ってゆく様は痛快そのもの。タラウマラ発行の季刊ZINEに参加してくれた際もダントツにくだらない短編を寄稿してくれて、僕は膝を飛び越えて股間を強く打った。
佐川恭一による抱腹絶倒の掌編「シコティウスの受難」は『FACETIME vol.2』に掲載。
ついでにこれまた長くなるが、かつてジル・ドゥルーズが真摯に打ち鳴らした警鐘を引用する。
文学の危機についていうなら、その責任の一端はジャーナリストにあるだろうと思います。当然ながら、ジャーナリストにも本を書いた人がいる。しかし本を書くとき、ジャーナリストも新聞報道とは違う形式を用いていたわけだし、書く以上は文章化になるのがあたりまえでした。ところがその状況が変わった。本の形式を用いるのは当然自分たちの権利だし、この形式に到達するにはなにも特別な労力をはらう必要はない、そんなふうにジャーナリストが思い込むようになったからです。こうして無媒介的に、しかもみずからの身体を押しつけるかたちで、ジャーナリストが文学を征服した。そこから規格型小説の代表的形態が生まれます。たとえば『植民地のオイディプス』とでも題をつけることができるような、女性を物色したり、父親をもとめたりした体験をもとに書かれたレポーターの旅行記。そしてこの状況があらゆる作家の身にはねかえっていき、作家は自分自身と自分の作品について取材するジャーナリストになりさがる。極端な場合には、作家としてのジャーナリストと批評家としてのジャーナリストのあいだですべてが演じられ、本そのものはこの両者をつなぐ橋渡しにすぎず、ほとんど存在する必要がないものになりさがってしまうのです。本は、本以外のところでくりひろげられた活動や体験や意図や目的の報告にすぎなくなる。つまり本自体がただの記録になってしまうわけです。すると、なんらかの仕事をもっているとか、あるいはただたんに家族がある、親族に病人がいる、職場に嫌な上司がいるというだけで、どんな人でも本を産み出せるような気がしてくるし、このケースに該当する当人も、自分は本を産み出せると思い始める。誰もが家庭や職場で小説をかかえている……。文学に手を染める以上、あらゆる人に特別な探究と修練がもとめられるということを忘れているのです。そして文学には、文学でしか実現できない独自の創造的意図がある、そもそも文学が、文学とはおよそ無縁の活動や意図から直接に生まれた残滓を受けとる必要はないということを忘れているのです。こうして本は「副次化」され、マー��ティングの様相を帯びてくる。
ジル・ドゥルーズ『記号と事件 1972-1990年の対話』(河出文庫p262-263)
僕は制作の際にはいつも必ずドゥルーズのこの言葉に立ち返っては何度も確認作業を繰り返し、ようやっとリリースにこぎつける。しかしそもそもが作品化を企んでいる時点で自分まだまだやなぁと思うに至る訳で、なんとも一筋縄ではいかない。そういう意味では滝野次郎という人がインスタグラムに投稿している日記のような文章には、はじめから読まれることを意図しているにもかかわらず、本来ならば読まれることを目的とした日記からは真っ先に削除されるような状況ばかりが羅列されていて、なかなかどうして凄まじい。馴染みの飲食店で見つけたお気に入りの女性店員を執拗に観察したり、断酒を誓った直後に朝から晩まで酒浸りであったり、謎の投資で10分間で40万円を失っていたり、銀行口座と手持ちの金を合わせても1,000円に満たなかったり、それでも「俺は俺を信じる」と闇雲に自身を鼓舞していたり、そうかと思えば急に脈絡もなくひたすらに左手のハンドサインを連投していたりと、しっちゃかめっちゃか。比肩しうるは円盤/黒猫から出版された『創作』くらいか。あらゆる規範から逃れるべくして逃れ得た、いま最もスリリングな読み物であることに間違いはないが、同時に、これは断じて文学ではない……とも言い切れない不気味な何かが海の藻屑のように蠢いている。
(すでに何らかの隠喩ではないかと勘ぐったり……)
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天壌無窮の皇運を扶翼すべし
3月 14, 2017
FBに短文を投稿しようかと思ったけど、ここは一発話題の教育勅語を考察してみようか。 12の徳目が素晴らしいから教育勅語は正しいんだという論調は全く問題ないんだが、教育勅語が気に入らないと言っている人達が一番気に入らないのは 「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」 ここでしょう? ここを論じることなくしては、議論にならないわけだ。 正面突破しようか。 この一文の前にある 「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」と繋げて 「国が危機的状況に陥ったら自らを犠牲にして天皇陛下のために死ね」 と訳して、軍国主義だ〜〜〜とやるわけだ。 「一旦緩急あれば」はまさしく「国の」とは明記していないものの、確かに「危機的状況」には違いない。 「義勇公に奉じ」はもちろん「勇気を持って公の為に尽くしなさい」となる。 「以て」それにより 「天壌無窮の」天地に永遠に続く 「皇運を」後に回す 「扶翼すべし」助けなさい。 ここで皇運をどう捉えるかが問題だ。 皇=天皇陛下と捉えれば 皇運、即ち陛下の運、運命ないしは皇室の運という事になる。 ************ よく考えてみてくれ この教育勅語は 「朕おもうに我が皇祖皇宗「国」をはじむること広遠に 徳をたつること深厚なり」 皇祖:天照大神 皇宗:神武天皇以降歴代の天皇 は、遠い昔に日本国を建設され、代々その徳は深く厚いものだった。 つまり「国」を語るところから始まっている。 そして以下のように続く 我が臣民(略)億兆心を一にして代々(よよ)その美をなせるは これ我が国体の精華にして教育の淵源また実にここにそんす 日本国民は全国民心を一つにして代々その美しさを体現してきたのは、これはこの国の在り方そのものが発露したものであって、正に教育の根がそこにあるのです。 となる。 その後12の徳目が列挙されるわけだが、 なぜ国家を語るところから始まって 一旦緩急あれば、の段に突然天皇陛下お一人のことに話が変わるのか。 全体を読めば「天皇のために死ね」と解する事のおかしさが分かる。 この場合皇運とは皇国の運命と訳すべきで有り、即ち日本国の運命という事になる。 よって「緩急」とは単なる危機的状況ではなく 国家を揺るがす一大事に於いては、と訳すべきで有り、 義勇公に奉じ:その際には自らを顧みず皆のために全力を尽くし、 これ���もって 天壌無窮の:天地に永遠につづく(べき) 皇運を扶翼すべし:日本国の運命を助けよ。 となる。 陛下だけ守って国民が居なくなれば、これは国ではなくなる。 公に奉じておいて、陛下だけの運命を守れ、では辻褄が合わない。 6年前の東日本大震災のおりに自衛隊の方々は、自分たちも余震に脅かされいつまた周辺の瓦礫が崩れ自らも二次被害に遭うかも知れないという状況にありながら、必至に行方不明者の捜索を行い、一人でも多くの被災者の命を救おうとしてくれた。 もちろん先の大戦の折にも、硫黄島に向かった兵士達は自らが生きて帰って来れないことは重々承知していた。しかしながら硫黄島が獲られればそこから本土に空襲に向かう爆撃機が飛び立つことが出来る事も知っていた。だからこそ、彼らが一日でも長く抵抗することが本国の愛する家族を守ることになる。だから5日で占領出来ると考えていたアメリカに対して1ヶ月以上も粘り続ける事が出来た。 昨今日本の道徳心が低下した等と言われるが、私は、日本人の心は根底では変わっていないと思っている。 話がずれた。 ************************* 皇運=日本国の運命 を理解するためには、そもそも天皇陛下と我々臣民(国民)との関係を理解している必要がある。 仁徳天皇の民の竈の話は有名だ。 日本独自の伝統~仁徳天皇 詳しい内容は上記リンクに譲る。 臣民(国民)の竈から煙が出ていない、すなわちご飯が食べられていない事を知り、年貢の徴収をとりやめた。おかげで皇居に雨漏りがするほど貧しくなってしまった。この事を苦にした皇后陛下に対し 臣民(国民)が貧しいことは自らが貧しい 臣民(国民)が富めるときは自らも富んでいる と答えられた仁徳天皇。 そして、竈に煙が戻り充分食べられるようになった人々は、 陛下の心に答えて自ら集って皇居を治した。 という話。 この話が事実かどうかは些末な問題だ。 それ以上に1300年近く前に編纂された日本書紀に書かれたこの話が、以降1000年以上の長きにわたって日本で語り継がれ、模範とされてきた事実が重要だ。 日本に於いて天皇陛下と我々国民の関係は、互いにその幸せを願い、助け合う存在だという事。時に人はこれを親と子になぞらえて語る。 陛下は国民を「たから」とよび我々は陛下を敬う。 この陛下と国民との関係を理想として、我々はこの国を代々継承してきた。 この関係は住民を自らの富のために搾取してきたヨーロッパの王の姿とは大きく異なる。結果フランスでは革命が起こり王が処刑される。 時にそのような理想的な天皇陛下に恵まれなかったことも歴史の中にはあったかも知れない。 それは正に夫婦と同様、仲むつまじい夫婦という理想を追いかけながら、現実は夫婦喧嘩もし、日々の様々な問題を乗り越えていく。 同様に、陛下と我々国民の間も長い歴史の間に於いて理想通りに行っていない時期もあったかも知れないが、それでも理想的関係を模索しながら切磋琢磨してきた歴史なのではないだろうか。 そう考えると、現代の我々国民のありかたは、はたして理想的姿を体現出来ているのか、幾ばくかの疑問が残ることを否めない。 また話がそれた。 天皇陛下の国民への思いは今も変わらない。 国民に知ってほしい陛下の祈り 詳しくは上リンクに譲るが、陛下は元旦早朝より日本の国の平穏を願い祈りを捧げる。 また、毎日祈りを捧げてから一日を始められるそうだ。 国民の平和と繁栄を第一に思う陛下だからこそ、日米開戦に最後まで反対されたのは他でもない天皇陛下だった。 大東亜戦争開戦前の御前会議 上リンクより引用
昭和16年9月6日、日本は昭和天皇の前で御前会議を開きます。その席で昭和天皇は、「外交が主か、戦争が主か」と閣僚たちに尋ねられました。及川海相が「重点は外交にある」と答えました。すると昭和天皇は、懐から紙片を取り出され、御自らお詠みになられた。 よもの海 みなはらからと思ふ世に など波風の たちさわぐらむ四方の海は、みんな同じ人間、同じ家族であり兄弟であると思うのに、なぜ争いの波風が起こるのだろうか。そう詠まれたこの歌は、明治天皇の御製です。昭和天皇のこのお言葉に、列席した閣僚たちは、全員、ただうなだれるより言葉がなかった。しばらくの間、誰もがうつむき、言葉を発する者さえなかった。
そして終戦を決断出来なかった政府に、終戦の聖断を下したのも陛下だった。
「迫水久常の手記」(終戦時内閣書記官長)天皇の聖断で受諾した“ポツダム宣言”
上リンクより引用
そして、いまにして思えば、終戦ができたのも、一に天皇陛下の御仁徳のおかげであった。陛下の真のご信念はいつも平和にあった、ということを、私はそのときほど強く���じたことはない。戦争終結の動機も、実にそのご信念から発したものであった。
陛下は常に国と国民の平和と繁栄を望み、その為に祈っている。 だからこそ我々は陛下のため、即ちこの国のため、この国に住む家族全ての同胞の為に資力を尽くす。 これを君民一体という。 これが理解出来れば、 皇運がすなわち我々全て日本に住む国民の運命だという事が容易に理解出来るはずである。 ******************* 最後に教育勅語のそもそもの在り方を好く現していると思う末尾を語って締めくくろう。 この道は(略):即ち12の徳目 古今につうじて謬(あやま)らず:昔から今に至るまで変わらないことで 中外にほどこして悖(もと)らず:外国の人達に伝えても正しいことです。 「朕汝臣民と共に拳々服膺して みなその徳を一にせんことをこいねがう」 私は、あなた方国民と共にこの正しい道理(12の徳目)を両手で大事に抱くように大切にしします。だから我々みながこの徳を一緒に体現していくことを願ってやまないのです。 教育勅語を支配者である天皇が従属者である国民に対して、あたかも命令のように下したものであると主張する旨が如何に根拠のないものか、この最後の一文を理解すれば良く分かると思う。
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脚本家の加藤正人さんによる書き下ろし小説「碁盤斬り 柳田格之進異聞」発売決定!
このたび、映画『碁盤斬り』脚本家の加藤正人さんによる書き下ろし小説「碁盤斬り 柳田格之進異聞」(文春文庫)が3月6日(水)に発売することが決定しました。映画『碁盤斬り』は、落語の演目として長く親しまれてきた「柳田格之進」を題材に、『日本沈没』『クライマーズ・ハイ』『凪待ち』などを手掛けてきた脚本家の加藤正人さんが、3年半の月日をかけて書き上げたストーリーです。小説ならではの登場人物の細かな心情の描写はもちろん、劇中でも登場した若き日の格之進の姿をさらに掘り下げたエピソードや、映画のラストの〈その後〉も描かれているなど、作品の脚本を担当した加藤正人さんならではの内容となっています。そして、映画のティザービジュアルとして描かれた、イラストレーターのゴトウヒロシさんによる、精悍な眼差しで今にも斬りかかりそうな主人公・柳田格之進の姿が印象的な書影も公開となりました。映画とともに、小説もぜ���お楽しみください!
■加藤正人さんコメント 落語の「柳田格之進」は、囲碁を巡る人情噺である。落語のみならず、歌舞伎、文楽、講談など、古くから人々に愛されてきた物語には、日本人が愛するキャラクターが登場する。格之進もまた、魅力のある人物だ。貧しい浪人暮らしをしているが、品性があり、武士としての矜持をしっかり守り抜いている。物語に登場する他の人物も、大切な人のために自分は犠牲になっても構わないという高潔な精神を持っている。こういう人物や倫理観を描けるのが、時代劇の素晴らしさだ。日本人の心の底には、何よりも人間の品格や礼節を重んじるという道徳観が流れているはずだ。今の若い人たちにも、格之進のような人物像を受け止めてもらいたい……。そういう願いを込めてこの小説を書いた。
■書籍内容 娘の絹とふたり、江戸の貧乏長屋で暮らす柳田格之進。彼は、身に覚えのない罪をきせられた上に妻も喪い、故郷の彦根藩を追われた身だった。しかし、かねてから嗜む囲碁にはその実直な人柄が表れ、江戸で多くの知己を得る。ある日、旧知の藩士により、彦根藩での悲劇の真相を知らされた格之進と絹は、復讐を決意する。絹は仇討ち決行のために、自らが犠牲になる道を選び……。父と娘の、誇りをかけた闘いが始まる!
■書誌情報 書名:碁盤斬り 柳田格之進異聞 著者:加藤正人 発売:2024年3月6日 定価:792円(税込) ページ数:288頁 https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167921842
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吹き抜け、筒抜け、みたいな最寄駅に入る時、アキアカネがちらちら目の前を飛んでいて目で追っていたら、中くらいのオニヤンマがスーッと風になっていた。もう、この夏最後のオニヤンマかもしれないなと思った。
大学の最寄駅に着いて歩くと、日差しが熱くて降りたたみの日傘を指した。オレンジ色をした蝶々が飛んでいたと思ったら、コンクリートに止まって羽をぱたぱたさせていた。大学構内に入ると、手の入って整えられた花壇の花に同じ種類のオレンジ色の蝶々が2匹止まっていた。うつくしい日だと思った。
今日は大学のベーカリーでおいしいパンでも買おうか。美味しいんだよって君に言った。いつか連れてきたいと思う。卒業まで少ししかないけど。もうすぐ授業が始まる、話の面白い先生。高校生のとき、唯一行きたかった大学からの特別講師。これも何らかの縁だと思うし、せっかくなら楽しみたい。彼を見てると、後悔しないように、満足するように生きることを思い出す。こんな晴れた日、君のことを思って生きている。(2024-09-26 10:13)
お昼ご飯、結局おにぎりの気分で、漬けまぐろのおにぎりと好きな蒸し鶏と根菜のサラダを買った。心地いい風の中で食べたくて、外で食べる。高分子学会が開かれていて、人がたくさんいる。おやつも買った。メープル味のクリーム玄米ブラン。こうやって逐一書いていたなあと思い出す。大学1年生の頃。もう3年前になるのか。やっぱり全部忘れたくなくて、特に彼とのことを忘れてしまわないようにしたいと思う。なんだか彼とはずっと一緒にいられる実感があまりなくて、いや、一緒にいるんだけど、ずっと。なんだかよく分からないけれど、いつか訪れる寂しい時間を、描けないのに描きそうになって、泣きそうになる。昨日もマックでふと泣きそうになっていた。爽やかな秋の青空の大きな窓を背景にして、微笑んでいる君を見て、あと何回こうしていられるのだろうと思う。あと何回、こうやってふたりで遅い昼ごはんを食べるのだろうと思う。なんか泣きそうだって笑う私を君はただ優しく見つめていた。食べ終わったら、手を繋いで彼の家まで歩いた。ついこの前まで通ったことのなかった道が、特別な道になっていく。(12:56)
彼にラインを送って、動画を見ながらご飯を食べた。そういえば昨日彼がトイレをしているところを覗いて(変ですね)、その姿が武士みたいで、「武士みたい」って言った。背筋が良すぎて面白かった。剣道をやっていたからか、彼は歩き方も武士みたいな時があるし、正座をすると姿勢が良すぎるくらいに良いし、あ、今正座って変換が星座になってた。星。 彼のさっぱりした決断の仕方とか、気持ちの強さみたいなものを見ていると、本当に真っ直ぐだなあと思う。恋人のいる人に、よく、どんな人なの?と聞くけれど、私がそう聞かれたら、武士って答えればいいと思った。君がおにぎり好きなのってそういうことか。(13:28)
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機動武闘伝Gガンダム第45話「さらば師匠!マスター・アジア、暁に死す」がいかに素晴らしいかを事細かに説明したい(前編)
あらすじ・・・兄の犠牲の末、デビルガンダム(この話のラスボス)を撃破したドモン。かつてはドモンと師弟関係であったが今は対立している東方不敗マスター・アジアは、デビルガンダムを利用してある目的を果たそうとしていた。デビルガンダムが破壊されてしまったことにより絶望し、ドモンに激怒する。マスターがなぜデビルガンダムを必要としたのか。その理由が二人の拳による対話で語られる。
このシーンではドモンは向かって右側、東方不敗は左側を向いている。人間の視線は左から右に動くので、左側を向いている人物はこちら側に対して何かを語る役割であることが多い。今まで行動の真意が見えなかった東方不敗が語るのだということを意識させる構図。
いきなりバトルシーンを描くのではなく、遠景から、そしてドモンの仲間の視線を通してカメラが寄っていく。このへんも単にバトルを描くのが目的ではなく、視聴者も含めて東方不敗という人物に近づいていく(フォーカスをあてる)という意図が感じられる。非常に立体的。
ガンダムファイトの裏側で、地球の荒廃した姿を見なかったのかとドモンに問い掛ける東方不敗。ガンダムファイトはそもそも地球を離れた人類の覇権争いのために定期的に開催される代理戦争でその舞台はかつての居住地である地球。地球はガンダムファイトの舞台にされ、大会があるたびに自然も建造物も破壊され、ダメージが蓄積していく。これは1話から描写されていたことなので、長い伏線がいま回収されようとしていることが分かる。
荒廃した地球の姿を目にした東方不敗は、どんな手を使っても地球を元の姿に戻すという決意をする。ここでの東方不敗はロールとしては悪役なのだが、わかりやすい悪役のような表情はしていない。真面目に考えた末に今のロールを演じているということを真摯に描いている。
デビルガンダムはもともとアルティメットガンダムという名前で、地球再生のために作られたものだったが、バグを起こした末に自律思考した結果、人類を抹殺するべきだという判断を下した(人間がいなければ地球は荒廃しないという論理)。それに呼応した東方不敗はデビルガンダムを使って人類を抹殺しようとしていたことが明らかになる。
さっきと同じ構図だが、「人類の抹殺」と口にしているマスターは影が濃くなっている。その狂気を受け止めきれないドモンの表情(半開きの口)の演技は細かい。
ガンダムそのものにマスターの身体がオーバーラップする演出。ガンダムシリーズではパイロットがガンダムを「操作している」という演出が普通だが、Gガンダムでは「ファイターの身体の延長」という思想で描写がずっとされている。ここでのマスターは乗機であるマスターガンダムのスタイルもあって本当に大きく見える。
デビルガンダムがいれば、人間は地球にいれなくなって地球はいずれ蘇る。だから「人類など滅びてしまえ」と高笑いする東方不敗。ここまでフォーカスすることで内面を描いてきたのに対して、横顔から背景に移動することで、表情が読めなくなり、ここにきて再度真意がわからなくなってしまう(話が通じる相手ではなく、狂っているのかもしれない、という演出)。
また、東方不敗はガンダムシリーズの「人類を滅ぼそうとする悪役」の中で本当に自分の信念で人類を滅ぼそうとしている珍しいキャラクターだと思う。シャアをはじめとした他の悪役は、大体の場合自身と他者との関係性の問題を正面から認めることができず、「自分を理解しない他人など消えてしまえ」という本音を利用できる大義名分にすり替えて人類抹殺を企てる。東方不敗の人類抹殺の動機にはそういう他人との葛藤みたいなものはなく、純粋に地球を荒らしてしまった罪悪感から行動している。 根本的に悪い人ではないので、人類を滅ぼすにあたってドモンと対立すると心が揺らいだりはしているのだが、そもそもの決心の部分に迷い��なかった(迷った末の決断ではなかった)というのがガンダムシリーズの中では新しかったように思う。そういう意味では、普段から自然を慈しんだりかつての地球を懐かしむような描写が本編中にあってもよかった気がするが・・・。
ここは演出が細かい。ガンダムファイトが代理戦争であり、地球を捨てた人類のゲームだと批判するマスターに対してドモンは「むやみに人が死ぬよりはいい」と立ち向かうが、ドモンはガンダムのまま描かれ、マスターはガンダムと一体化した形で描かれる。ドモンは正論を言っているがあくまでそれはガンダムファイターとしてであって、マスターは一個の人間としてそれに反論している。主人公であるはずのドモンの正しさがゆらぐ。
���を交わす二人。そこでドモンはあることに気づく。
(こ、これは!拳から深い哀しみが伝わってくる!東方不敗の拳が……拳が泣いてる!?) 「な、何故だ!」 「うるさい!」 (俺の心に、悲しみが響く…そうだ、己の拳は、己の魂を表現するものと教えてくれたのはこの人だ!ならばこれが東方不敗の魂の響きなのか!)
東方不敗の拳から感情を読み取るドモン。ドモンの視点を通して東方不敗という人物を描写している。視聴者もまたそこに感情移入してふたたび東方不敗にフォーカスがあたっていく。
東方不敗は病に冒され、デビルガンダムのパイロットにはなれないことが明かされる。そんなことを言いつつかつての弟子と回転しながらぶつかり合っているのは意味がわからないが、これまでの流れがあるのでギャグシーンにはなっていない。シリアスなノリが続けられる限界を攻めていると思う。
長くなってきたので、続く。
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2024年9月15日(日)
三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、今月は週末が忙しいので少し変則で3週間ぶりに届けていただいた。野菜が少ないとあって、餅や干物をたっぷりと送って下さった。午後は数日前に知った<京都芸術センター>の伝統芸能ワークショップ、柳家さん喬師出演とあって急きょ予約したもの。対談の後で長講2席、たっぷりと楽しませていただいた。ご本人によると京都で落語を演じるのは3回目とのこと、その内2回に出会えたのは僥倖、良い休日であったことだ。
5時45分起床。
ツレアイは少しノンビリ。
洗濯機を回し、朝食を頂き、洗濯物を干し、珈琲を入れる。
奥川ファームから定期便届く。鶏肉が間に合わなかったとのことで、明日もう一便届くことになっている。蕎麦と干物とパンは冷凍庫、タマゴは冷蔵庫、野菜を野菜室に収納する。
東京の落友・Nさんに送る関西ローカルの落語番組、今回で78枚目となった。ただし、ナンバリングの正確さには自信が無い。スマートレターに入れて投函する。
あちこち買物に走り回った彼女、汗を拭いてから和服に着替える。
私の方は、酢タマネギとキュウリのしょうゆ漬けを仕込む。
ランチは伊勢うどん。
西大路七条から13系統乗車、京都芸術センターへと向かう。
対談の後で落語二席、まずは京都への思いを語ったマクラから「井戸の茶碗」へ。若い武士・頑固な浪人・正直者の屑屋、相変わらず人物の描き分けが素晴らしい。
仲入りで、露の新治師匠が挨拶に来られた。昨日は慌てて退出して挨拶出来なかったので、こちらからもお詫びを申し上げる。
二席目は予想通りの「幾代餅」、安定安心の出来、「江戸落語」を代表する二席を観客の心深くに届けていただいた。
帰宅後調べてみると、前回さん喬師を京都で聴いたのは2019年3月17日のことだった。
帰宅すると、「敬老の日」の配り物が届いていた。タオルとゴミ袋、実用品ばかりで助かる。
ココが暑さでバテているので、着替えを済ませた彼女と三男で点滴、やはり脱水症状が進んでいたようで、皮下に入れ辛くて大分啼いていたようだ。
豚バラと茄子の甘辛煮・炊き合わせの残りに餅巾着とソーセージ追加・レタスとトマトとキュウリのしょうゆ漬け。
録画番組視聴、日本の話芸の再放送
林家彦いち 落語「という」
初回放送日:2024年8月4日 林家彦いちさんの落語「という」をお送りします(令和6年4月14日(日)収録)【あらすじ】彦いちさん自作の創作落語▽久しぶりに里帰りしている姉が、実家住まいの妹と話しをしている場面から始まる。高校を出てからずっと東京暮らしだったから、私の知らないお父さんのエピソード教えてよ、と言われた妹は、父親の持ち物にとある会員証があって、と…
お酒が効いて睡魔到来、風呂に入らずにダウン。
歩数は届かなかったが、何とか3つのリング完成。
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today on novel bits that make me chew the scenery:
李莲花耸了耸肩,摊了摊手:“碧海青天,晴空万里,我楼后的油菜开得鲜艳,门前的杜鹃红得一塌糊涂,明日我可以出海,后日我可以上山,家中存着银子,水缸里养着金鱼,这日子有何不好?”他看着云彼丘,眼中是十分认真的诚挚,“我为何要恨你?” 云彼丘张口结舌,李莲花一本正经地看着他:“你若非要找个人恨你,李相夷恨你,但李相夷当真已经死了很久了。” 云彼丘默然。 “��你非要李相夷活回来原谅你,我可以勉强假扮他活回来过……”李莲花叹气,“他恨过你,但他现在不恨了,他觉得那些不重要。” “那些事不重要?”云彼丘轻声道,“若那些事不重要,重要的是什么?” “重要的是,以后的事……你该养好身体,好好习武,你喜欢读书,去考个功名或是娶个老婆什么的,什么都可以,什么都好。”李莲花十分欣喜地道,“如你这般聪明绝顶又英俊潇洒的翩翩佳公子,如方多病那般娶个公主什么的,岂不大好?” 云彼丘古怪地看着他,半晌道:“当今皇上只有一个公主。” “公主这东西四处都有,吐蕃的公主也是公主,苗寨的公主也是公主,你说那西南大山中许多苗寨,少说也十二三个公主……”李莲花正色道。 云彼丘长长吐出一口气,一时无话,看了李莲花一眼:“我饿了。”
#tbh like. novel!llh doesn't have as much direct interaction with many of the Plot Relevant Characters vs the drama#but boy do the scenes he *does* have with them go insanely hard on impact. each and every one. nothing but respect for 藤大 in this house#mysterious lotus casebook#莲花楼#ft. the recurring theme of yknow maybe life /is/ about the simple things after all#(context for the last line being that biqiu has effectively been on hunger strike for ???? by this point)
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中国に駐在する日本の垂たるみ秀夫大使がおよそ3年の任期を終え、日本への帰任を前に記者会見を開きました。 外務省で中国語を専門とする、いわゆる「チャイナスクール」として40年近い外交官生活の大半を中国との関係に費やすなど、キャリア官僚としては異例の経歴を歩んできた垂氏。 習近平国家主席への権力集中が進む中国で、何を目指し、何を感じたのか。離任を前に開いた記者会見の全文で迫ります。 離任の記者会見を行った垂秀夫大使とは 垂大使は、昭和60年に外務省に入り、中国語を専門とする、いわゆる「チャイナスクール」の出身として、中国・モンゴル課長や領事局長、官房長などを歴任し、およそ3年前から中国大使を務めてきました。 いわゆるキャリア外交官は、専門とする国以外に欧米先進国などへも赴任するのが通例ですが、垂氏が駐在したのは中国、香港、台湾で合わせて18年。異例の経歴です。 中国共産党の高官だけでなく、民主化を求め政権に異を唱える人たちにも人脈を築いてきた��言われ、中国政府が日本の政策を批判したときには、SNSも使ってすぐに反論するなど、異色の外交活動が注目を集めたこともありました。 その垂大使の離任に当たっての記者会見は、12月4日午後、北京の日本大使公邸で1時間あまりにわたって行われました。 以下、その全文です。 会見 (垂大使 冒頭発言) 皆さん、こんにちは。こんなにたくさんお集まりいただいて感謝いたします。離任記者会見ということで、ちょっとピンとこないですけれども、こういう機会をいただいたことに御礼申し上げたいと思っています。 中国駐在 垂秀夫大使 私は12月6日に任務を終え、この地を離れて日本に帰国することになっています。振り返れば大使の期間もさることながら、40年近い外交官生活の大半を中国関係に携わってきたという意味でそれなりの感慨はあります。 国民の税金で養っていただいたといいますか、公僕として、長年、力をためてきた知見とか経験とか人脈、これらを生かして、何とか大使の任務を、最後のご奉公をかろうじて勤めあげられたのではないかなと安堵しています。 後ほど皆さんから日中関係や中国の問題で質問があると思いますので、最初は私が大使として何をやってきたか、その時どういう気持ちでやってきたかという内容を簡単にご紹介、ご説明させていただければと思います。 私が中国大使として着任したとき、この場で記者会見が開かれました。そこで私は大使館の今後の大きな柱として2つのことを申し上げました。1つは日系企業支援、もう1つは邦人保護、邦人の安全確保でした。 まず日系企業の支援という点については、日々のいわゆるビジネストラブルへの対応、これはもちろんのことながら真剣に取り組んだつもりです。 また、中国で行うビジネスが昔に比べれば非常に難しくなっている昨今、どちらかというと互助団体的であった中国日本商会の組織改革を提案し、大きく改革していただきました。 その結果として、今年の春から日本商会は会長職が固定化されました。また、これまでの任務以外にもロービングや調査業務、発信機能、これらを非常に強化する力強い団体に変貌しつつあるところです。いいスタートを切れたのではないかと思います。 中国日本商会 本間哲朗会長(左)の記者会見 先ほど申し上げました難しい中国ビジネス、とりわけ経済安全保障という観点からも非常にいい動きではないかと思っています。 次に在留邦人の安全確保という点についてです。私は普段から同僚に対して、(大使館の)政治部にいようが経済部にいようが広報文化部にいようが、すべてが領事担当官であると。そう何度も言って常に館内の意識改革を行ってきたつもりです。 私もかつて領事局長を担当した身です。ひとつひとつの領事案件、本当に、なんというか、普通の事務処��で済ませてはいけないような非常に厚みのある案件がたくさんあるんですね。 そうしたときに、もし事件・事故が起きた時に当事者が自分の肉親であったらどうかと。自分の父親が、自分の兄弟が、自分の子どもが事件・事故に遭ったらどういう対応をするかと。常にそういうつもりで対応しようと皆で確認し合ってやってきたつもりです。 ときには涙を流すこともありました。それでも領事担当の同僚は非常によくやってくれたと思います。邦人の安全確保、邦人保護という点はわれわれの大きな柱でした。ただ、この邦人保護、在留邦人の安全確保という観点から申し上げれば、今年の3月に起きた、国家安全当局に拘束された在留邦人の方がまだこう留されているという状況につきましては、私個人としては極めてじくじたる思いです。 社員が拘束された大手製薬会社「アステラス製薬」 この2つの大きな柱に加えて、私は1つの試みを提案しました。それは何かといいますと、この大使公邸の開放です。この北京には多くの外交団がいます。その数ある外交団の中でもわが日本大使公邸は、その美しさ、あるいは格式の高さ、いずれの点においても最も優れた素晴らしい大使公邸だと自負しています。 調度品もたくさん素晴らしいものがありますし、平山郁夫画伯とか絹谷幸二画伯の絵がかけられているなど、本当に美術館、博物館のような大使公邸です。春には桜が美しく咲きますし、秋には紅葉が見事に色づきます。 北京の日本大使公邸の庭園(垂大使撮影) その美しい庭園も抱えたこの大使公邸を在留邦人に使っていただく。そういう試みでした。この公邸の建設はもちろん、維持管理は全て国民の税金で行われている。そういう観点から言えば使っていただいて当然であると。そういう出発点でした。 当初は、在留邦人の方も半信半疑のところはあったんですけれども、何度もわれわれが使ってくださいとお勧めしているうちにいろんなことで使われ、コロナの時期もありましたが、それでも私の任期中に120回を超える公邸開放、公邸の利用が行われました。 例えば企業間のMOU(基本合意書)の調印式だとか、あるいはジャズのコンサートだとか、あるいは剣道の試合だとか、あるいは某大学の同窓会だとか、もういろんな形で使われました。時には日本人学校の子どもたちを中心にこいのぼり参観、あるいはひな祭り参観、そういうことに使われたこともあります。 大使公邸で開かれた 日本の特産品などをPRするイベント(2023年3月) 普段、公邸とあまり関係がないと思われるような方々には、例えば駐在員の配偶者だとか日本人学校のPTAの方々には一般参観日も設け、対外開放する日もありました。そういう試みを行って、これまで十分に使っていただいたと思っています。この試みは非常に上手くいったのではないかと思っています。 さて、中国で仕事を行っていく上では、特に私の任期中はコロナが非常に蔓延まんえんしている時期でしたし、また、ちょうど去年は日中国交正常化50周年、今年は日中平和友好条約締結45周年というエポックメイキングなこともありましたが、時には厳しい勤務環境の中で日本ではちょっと考えられないようなことが起きることもありました。 閉鎖された武漢の海鮮市場(2020年) 例えば、去年の50周年の関係では、在留邦人の人たちが手作りで祝うために、いろんな交流事業、文化事業を準備したり用意したりしましたけれども、それを日中関係が悪いという状況の中で、コロナを理由に何度も延期されたり中止されたり、そういうことがありました。 また、われわれとしてはなかなか受け入れがたいような理由で、日本の政策を批判されるようなこともありました。そういう時、多くの日本の人たち、とりわけ中国に長く勤務しているような人たちには「中国だからしょうがない、郷に入っては郷に従わないといけない」と理不尽なことを受け入れてしまうきらいが、私はあるのではないかと思っています。 そうしたときに民間の人、それぞれの個人はなかなか言いにくいんだと思うんですね。立場上も言い難い、企業の人も言い難い。でも私は日本の大使として、しっかり主張すべきは主張する必要があるという気持ちで、必要に応じておかしいことはおかしいということを声にしてきたつもりです。 ただ、ここで大事なことは、相手に対して物申すようなときには、その基準が、私は日本の大使ですから、日本の国益、あるいは日中関係をしっかり維持し大局を守っていくためにやるということが基本であるべきだと思っています。 決して反中とか嫌中とかいう感情で批判したり物事を判断したりしてはいけないと自分を戒めてきたつもりです。私のそうしたやり方についてどう評価されるのかについては、これは私自身が決める話でもありませんし、日本の皆さん、あるいは世論が決めることでもないんだと私は思っています。私は常々歴史が決めるものだと。歴史が評価してくれると考えて仕事をしてきたつもりです。 日本では外交に関する資料は30年後には公表されることになるわけですね。その将来の、歴史家か評論家かわかりませんが、そういう人たちがどう評価するのか、判断するのかということが私にとっては一番大きな基準であると、そういうつもりでやってきました。 私は常々同僚に対して、歴史に耐えられる外交をやろうと。歴史に恥じない外交をやろうと。今、その時々を過ごすためのアリバイ作りのためだけの外交をやってはいけないと、そういうことを訴え続けてきました。同僚は皆、本当にそれに応えて非常によくやってくれたと思っています。 そういう意味においては、ちょっととんがっているかもしれませんが、そういう上司、大使を持って非常に大変だったと思いますが、私の同僚は本当によくついてきてくれて非常に良い仕事をしてくれたと思っていて感謝しかありません。 先般、サンフランシスコで岸田総理大臣と習近平国家主席との間で日中首脳会談が開かれました。一番大事な点として、日中両国は全面的に戦略的互恵関係を推進することを再確認するということが示されました。私は非常によい会談だったのではないかと思っています。 日中首脳会談(アメリカ サンフランシスコ 2023年11月) これからが実は大変だと思います。大きな方向性を示すこと、これは何とかやれました。ただそれを具体化、実現していくことが、実はある意味ではもっと大事である、そう思っています。そうした意味では、引き続き日中双方の外交当局、あるいは政府全体がともに努力して、日中関係をさらに高みに押し上げていく必要があると。建設的、安定的関係を強化していく必要があると考えています。 冒頭申し上げましたように、40年近い外交官生活において、18年間、中国大陸、香港、台湾と勤務して参りました。私なりに一生懸命やってきたつもりです。精一杯駆け抜けた外交官生活だったのではないかと今思っています。何の後悔もありません。「風光霽月」の心境です。非常に爽やかで、思い残すことは何もないと、そういう心境です。 私の第2の人生の夢は、何らかの形で写真の世界で生きていけないかなと考えています。そのことを考えると、また非常にチャレンジ精神が出てくるという意味では、風光霽月と言いながら、また気持ちが震え上がってくるところがあります。中国も、日本も、あるいは台湾も、自然の美しさや一般庶民の喜怒哀楽には何の変わりもありません。私は中国大陸で撮りためてきた写真、そして日本、台湾で撮りためてきた写真、これらを多くの日本の方に示して、共通点をしっかりと伝えていくことによって、日中関係の更なる強化をお手伝いしたいと思っています。 垂大使が撮影した中国の農村 冒頭私からのご挨拶は以上です。 質疑応答 中国に長らく携わってきた外交官として今の日中関係についてどのような感想を。また今後の日中関係はどのようにあってほしいと考えるか。 今の質問で思い起こすのは、去年、日中国交正常化50周年のときの大使館公邸での記念レセプションです。私はそのレセプションの挨拶で、こういう風に日中関係をたとえました。これまでの日中関係はジェットコースターのようだと。上がったり下がったり、良くなったり悪くなったりだと。 遊園地で遊ぶジェットコースターは楽しいでしょうが、日中関係というジェットコースターに乗っている両国民はたまったものではないと。今後はジェットコースターではなく、ゆっくりゆっくり走る普通電車がいいのではないかと。要は、日中関係はしっかりと安定的に関係を構築していくことが大事だということを申し上げたつもりです。 日中関係が安定化するためには、やはり一番大事なものは日中間の意思疎通だと思います。日中は永遠の隣人であるのはこれはもう間違いのない事実なんですね。互いに引っ越すことはできないんです。国が違う以上、それぞれ国益を背負っているという意味において、ときには立場の相違だとか摩擦だとかがあるのは正常なことだと思うんです。自然なことだと思うんです。だからそれを恐れる必要は全くないんだと思うんですね。 恐れないといけないのは日中間で意思疎通がなくなることです。摩擦や意見の相違があればあるほど、本来であれば、日中の意思疎通は強化されなければならない。そういうふうに思います。首脳間から本当に民間レベルの交流に至るまであらゆるレベルで意思疎通が行われると。そういう関係が私は望ましいし、それが安定した日中関係につながるのではないかと思っています。 邦人保護の観点から。ことし3月に男性社員が拘束され、いまだ解放されていない。大使は11月28日にみずから領事面会に臨んだ。どういう思いで、なぜこのタイミングで臨んだのか。 サンフランシスコの日中首脳会談で、岸田総理は習近平国家主席に対して、できるだけ早期の釈放を要求されています。 それを受けて、この北京の一番の最前線で働く、なおかつその責任者である私が、そのための仕事を行うということ、これは、当然、まずやらないといけないことであると言えると思います。 さらに申し上げれば、私みずからが領事面会に行く必要があるとずっと考えていました。��ろいろ事情があってそれは成し遂げられませんでした。 実は私による面会は領事面会としては8回目で、それ以前に7回領事面会が行われていました。その時、毎回、私は面会に行く同僚にメッセージを託していたんです。「われわれとしてはこの問題にしっかり取り組んでいくので気をしっかり持ってください」という趣旨のメッセージです。 今回、私が帰国することになり、やはりこのまま何もなしに本当に帰っていいのかと。私は、それは人の道ではないと。許されるのであれば直接会って帰国するという報告と、私の任期中に結果的には助けることができなかったことについてのお詫びを伝える必要があると感じていました。それが人の道であると感じていました。 また、私が行くことによって、例えば、メディアが関心を持ってくれ、日本政府としてこの問題にしっかり取り組んでいるというメッセージにもなると考えました。そして、非常に重要なことだと思いますが、この問題は決して風化させてはいけないと、忘れてはいけないと。多くの関係者の中でこの問題がだんだんと話題に上らないようになってはいけないと思っていましたので、私は自分が行くことが必要だと感じていました。 日中関係に関連した質問を。コロナが明けたあともビザの免除が回復しない状況。日本から中国を訪れる人が少ない状況になっている。今後何に期待するか。 人の往来が極めて少ない。とりわけ、日本から中国に来る人の数が極めて少ないです。いろんな理由があると思います。そもそもビザがなかなか取りにくい。昔はノービザということもありましたし。中国から日本へ行く旅行者、こちらも一番多かったときに比べればまだ半分にも達していません。ただこちらはそれでもそれなりの人が日本に行ってくれてはいます。 結果として何が起きるか。何が起こっているか、どういう影響があるかと申し上げれば、生の中国を見る機会があまりない、等身大の中国を知る機会がなく、中国に対する理解が深まらない。 上海 あるいは、万が一中国に対して誤解を持っていたとしたら、それにもかかわらずそれが増長してしまう、それが減じることもない、そういうことにも繋がってしまいます。 いずれにしろ、相互理解が深まらないということが、間違いなく起きています。昨今の日本人の対中感情の低さを表すいろいろな世論調査がありますが、それを見てもそのあたりは歴然と出ているのではないでしょうか。 広報スタイルについて。中国が発表した後に日本側が反論するという広報スタイルがあったと思う。それは垂大使から始まった形式だと思うが、この狙いは。 私どもからすれば、受け入れがたい理不尽な批判等もあったとき、あるいは申し入れがあったときには、われわれとしてあるいは私個人として、しっかり物申す必要があります。歴代の大使も同様にやられ、しっかりと反論されておられたと私は思っておりますし、信じております。 ただ、今おっしゃられたようなことが、私のやり方が特別に見えているのであれば、若干違いはあるのかもしれません。一般論で申し上げて、例えば中国側が私どもに申し入れをした時、私は必ず、あるいは歴代の大使もきっと同じだと思いますが、必ず反論する、あるいは日本側の立場を言う、日本としての申し入れを行うのです。 ところが、中国は国営の新華社通信がそれを流す場合、われわれの発言は完全に無視されるわけです。中国側の言い分しかないわけです。私はそれでいいのかと考えました。ある問題において、日本の大使が呼びつけられて、それに関する報道が中国側の一方的な主張しかこの世に出ない、それでいいのかという問題意識がありました。 ことばが悪くて申し訳ないのですが、中国が出していないのに、私どもがけんかを売る形で、われわれから直接出すということはなかったと私は信じています。中国側が出した時に、われわれが必ず反論すると。われわれも主張していることを出すということは確かに行いました。この世に中国だけの主張しかないことにならないように心がけたつもりです。 日本の(メディアの)皆さんを批判しているわけではありません。日本の皆さんは非常に立派なんです。中国側の主張も、日本側の主張も書かれるんですね。喧嘩両成敗じゃないですけど、大体、一応2つ書かれるわけです。最初の頃、私の主張がすごくちょっとしかなかった時もありましたが、だんだんと相当たくさん書いてくれるようになりました。 中国側はどんなことをしても自分たちのことしか書かないんです。それでも皆さん(日本のメディア)は書いてくれる。私はそれを信じて、中国側の主張しかないということになってはいけないと思ってやってきました。これは私の信念でやったことです。今後どうかということについては、私は申し上げる立場にありません。 大使の任期中、中国では習主席が3期目に入るという政治的に大きな動きがあった。3期目の習主席が率いる中国と日本は今後どう向き合っていくべきか。 極めて大事な、いい質問なんですが、私もまだ現役ですので、なかなか入り込めない部分もあり、答えが奥歯に物が挟まってるような言い方になるかもしれません。 中国は非常に変わってきています。どんどん変わってきています。それに応じた付き合い方、あるいは対中政策を考えていく必要があると思っています。一般論として言えば、私は首脳会談、この重要性がますます大事になっているんではないか。そういうふうに申し上げられるとこの場で言っておきたいと思います。 習主席になってから社会の統制が非常に厳しくなってきている。中国の人たちの価値観も多様化している。中国は社会統制の厳しさに耐えうるのか。また、仮に内側から変えようという動きが出てくる可能性があるかどうか、その場合日本としてサポートするようなことができるのか。 敏感な質問ですね。とても大事な質問なんですよ。いつもみたいに完オフ※だったらいくらでも喋りますが、ここは完オフではないので、そうした意味において申し上げればですね、今、言われたように、中国社会、社会統制がどんどん強くなってきているんじゃないか、それを内側から変えようとする力があるのではないか等々、そういう見方が存在していること自身、私は承知しています。そういうふうにだけ申し上げておきたいと思います。また日本がそれにどういう風に関わっていくべきなのか、あるいは関わっていくのがいいのかということについては、私はまだ現役ですので、お答えを差し控えさせていただきたいと思います。ご理解ください。 完オフ 「完全オフレコ」のことで、取材相手の名前や発言内容など一切を公表しないこと。 福島の処理水の対応をめぐり日本産の海産物の全面禁輸が続いている。この問題について今後どのように対応していくのか。 福島第一原発での処理水の放出(2023年8月) 私の見方で申し上げれば、今回の首脳会談でも2つ大事な点があったと思います。1つは、日中関係の位置付け、戦略的互恵関係を再確認すること。もう1つは、処理水の問題について。日中が、例えば専門家どうしがしっかり意見交換する。そういう形で互いにこの問題の解決に向けて知恵を出すといった方向性を確認したことだと思っています。 もちろん日本としては、今の「ALPS(アルプス)」の処理のやり方について、政府の一員として絶対的な自信を持っています。そうではありますけれども、一方で隣国の中国が別の意見を持っていることに対して、その意見、その主張は一切聞かないと、耳も貸さないというような姿勢は必ずしも適切ではないと思っています。 日中の関係当局、あるいは専門家どうしの意見交換、これを通じて、何とか着地点を見いだしていく、一刻も早く中国側の水産物の全面禁輸を解除するために努力することが大事だと思っています。 大使の在任中に最も印象に残っていること、また離任に当たって心残りなことがあれば。印象に残っている中国の指導者は。エピソードなどあれば紹介してほしい。 まず最も印象がある出来事、これはもういろんなことがありました。コロナについては、皆さんも同じように経験された方はたくさんいらっしゃると思いますが、特に去年の今頃なんかもう大混乱でしたしね。隔離生活も長かったりと、いろんなことがもう走馬灯のようにあるので、どれがと言われるとなかなか難しい。 PCR検査場に並ぶ人々(北京・2022年11月) 中国の古い友人、それから新しい友人とまた深い付き合いができたということも私にとっては極めて印象のあることでした。 あえて1つ申し上げれば、先般の日中平和友好条約締結45周年の際に中国が釣魚台迎賓館で行った記念レセプションで、私は大使としてスピーチする機会を与えていただきました。私はその中で、戦略的互恵関係、これが生み出された経緯を紹介するとともに、日中は戦略的関係の再構築が必要であると訴えました。スピーチが終わったあと、壇上から降りてきたときに、皆が座っている中で、1人、王毅中央外事弁公室主任兼外交部長が立ち上がって私のところまで迎えに来て、「大使、スピーチは良かった。素晴らしかった。ぜひ、戦略的互恵関係を再構築しよう」ということを言って、握手を求めてきたことは、とても印象のある出来事だったと思います。 日中平和友好条約45年の記念式典で垂大使に話しかける 中国 王毅外相(右・2023年10月) 何かやり残したことについてですが、私はやり残したことは、あえて言えば先ほどの邦人拘束の件です。 それ以外に申し上げれば、私は大使になってこういう大使館を作りたい、こういう気持ちで大使としての仕事をやろうと思っていたことについては、ほぼできたと思っています。もちろん、私が独りよがりにできたというよりも、私の同僚たちがしっかりついてきてくれたことが一番大きな理由です。私が思い描いていた大使館像、これをしっかり作れたと思っています。そういう意味では何ら思い残していることはないというのが私の心境です。 それから、心に残った指導者、中国側の指導者でいいですよね。これは、長い外交官生活の中でということで申し上げれば、私はやはり、あえて中国側のことを申し上げます。 日本はまだ何とか頑張ってらっしゃる方がいらっしゃる中で、本当にリスクを取って日中関係をしっかり進めていくんだとか守っていくんだという指導者が、今やそう多くないというかほとんどいない。 そんな中にあって、思い起こせば2009年。詳しいことは申し上げられませんが、2009年に、ある場で引退された曽慶紅※さんに会う機会があったんですね。そこで曽慶紅さんに、私の方から1つ質問したんです。曽慶紅さんは、中央組織部長で、いわゆる江沢民��んの側近中の側近であった方ですが、2002年4月だったと思いますが、訪日しているわけですね。 曽慶紅そう けいこう氏とは 元国家副主席。江沢民前総書記に近い実力者で、日本の政界にも幅広い人脈をもっていた。習近平氏が中国政治の表舞台に出てきた背景に、曽氏の影響力もあったといわれている。 なぜその訪日が大事だったかというと、実は当時、小泉総理の時代で、小泉総理自身が靖国神社に参拝した直後だったんです。その直後に、曽慶紅さんは日本を訪問されたんです。日本といっても大分県でした。確か私の記憶が間違いなければ武漢と大分のチャーター便を飛ばすか何かそういう話だったかと思います。 私は聞いたんです。「なぜ日本に行けたんですか。いろいろ反対とかなかったんですか」と。 曽慶紅さんは非常に満面に笑みを浮かべて、「日本には私の友人2人が待っていた。1人は野中広務さんで、1人は大分県の平松知事だ。日本の友人が待っているので、私は行かなければならないと思った。私は、2人の指導者に許可をもらった。1人が江沢民さん。もう1人が外交担当の副総理であった銭其シン【※王へんに、深のつくり】さん。2人とも喜んで行ってきなさいと言ってくれたから行きました。友人が待っていたから私は行ったんだ」と。私は本当にリスクを取ってでも日本を訪問する、日中関係を進めるという素晴らしい人だなと感じました。私にとってはとても心に残ったやり取りでした。 曽慶紅 元国家副主席(右・中国共産党大会 2022年) 改革開放で多くの日本企業が中国に来て経済交流を進めてきたが、足元では中国での事業リスクの高まりもあって対中投資意欲を大きく下げているという実情もある。中国で日本企業がおかれている状況や日中の経済関係は今後どうなっていくと考えるか。 私は2つのアプローチが大事だとつくづく思っています。1つは攻め、1つは守り。現実問題として、改革開放以降、日本経済、日本のビジネス界は中国との間の経済交流・経済往来を強化させてきました。ある統計によれば、今や中国大陸に、拠点数を入れた数字で申し上げれば、3万以上の日本の会社あるいは拠点があると。中国大陸の中で最も大きなプレゼンスを示しているのが日本企業なんです。 日本経済を考える上で中国経済を抜きに語ることはもうあり得ないと思います。もちろん、中国経済の大きなマーケット、これも非常に魅力的ですし、イノベーションやデジタル経済など、日本から見ても極めて目を見張るような動きを示していることもあります。どういうふうにして日本経済としてこれを活用していくのかというような視点は非常に大事だと思います。そうした意味では、中国との経済関係を能動的にしっかりと強化していくということはとても大切だと思っています。 日系企業の自動車工場 一方で、中国でビジネスをやっていく上で、今どんどんと難しくなっているわけです。いろんな問題も生じてきています。まず最初に中国経済そのものが、特に今年に入って、あるいは去年ぐらいから、非常に不景気である、デフレ気味の状況を示しているということもあります。それはまだ1つの経済の状況ですが、それだけではなくて、例えば、よく言われる自立自強のサプライチェーン、あるいは自国産品を優遇するような政策があります。 表面的には否定するんですが、内外差別を行っているのではないかと思われるような対応も見受けられます。業種によっては強制的な技術移転というような動きについても、われわれはいろいろ相談を受けていることも事実です。そういう経済安全保障的な側面から見ても、しっかりと守り、しっかり脇を締めて、中国経済、中国とのビジネスをやっていく必要があると。 私は両方が大事だと思っています。決して守りだけではダメだ、もちろん攻めだけでもダメで、攻めがあって守りだと考えています。 「ゼロコロナ」政策について。大使は着任から隔離を受け、終了まで全部見届けた。日本と全く違うスタイルをとった「ゼロコロナ」政策をどう総括するか。 着任のときは2週間でしたね。10日ではなくて2週間の隔離生活でしたが、総括は、私が行うのではなく本来中国政府ないしは中国共産党が行うべきものです。実際もう何度も総括していて、中国政府・中国共産党としては勝利宣言を行っているので、それに私が横から総括するっていうのは変な話かもわかりませんが、印象だけ申し上げます。 正直申し上げて、前半期は、「ゼロコロナ」、一種の真空状態を中国の中でつくる。そのために隔離を2週間だ3週間だ、地域によっては2か月要求しているところがあったわけですね。そのかわり、そこに入れば無菌状態、実験室みたいな状況をつくって。実はそれはそれでうまく回っていたのも事実なんですね。 ところがオミクロン株の流行となって、それはもう効果を発せられなかった。オミクロンの威力、伝染力がもっと強かったんですね。私は政策を変更するタイミングを逸したんではないかと個人的には思っていますね。そのタイミングは相当間違ったんじゃないかと。それが私の印象です。その結果、後半の方は極めて、世界的にもまれに見るようなロックダウン等があったり、北京では「弾窓(タンチュアン)」という経験した人でないとわからないような政策がとられたり、いろんな不可思議なことがありました。最後は大混乱の中、「ゼロコロナ」政策が取り下げられていく。全体としての評価については、私の個人的印象だけを申し上げれば、タイミングがうまくいかなかったというか、良くなかったと思っています。 弾窓タンチュアン 「ゼロコロナ」政策のもと、スマートフォンの「健康コード」と呼ばれるアプリに表示されたポップアップメッセージのこと。感染者が出た地域に行ったと認識されると、濃厚接触者でもないのに「あなたはリスクが高い地域を訪問しました」と表示される。この表示は自分では解除できず、数日間建物へ入れなくなったり公共交通機関の利用ができなくなったりする。 米中関係について。サンフランシスコで米中首脳会談が行われたが、今後も米中対立の構図は続くとみられている。今後、米中対立が深まる中で日本の役割は何か。また日本政府として現状、どのくらい日本の役割を果たせていると考えるか。 米中首脳会談(2023年11月) 日本大使としての立場で第三国どうしの関係である米中関係について、表だった評価をするのはなかなか難しく、差し控えないといけないんですけれども、一般論として申し上げます。 米中関係の安定化は、日本としては非常に希望しているところです。今回のサンフランシスコにおける米中首脳会談についてもいろいろな論調があるのも承知していますけれども、私は今回の会談を歓迎しています。 日本がどういう役割を発揮するかということについて。アメリカはわれわれの同盟国であり、日米同盟という強固な信頼関係のもとで、われわれは必要に応じて中国に対して対話を重ねながら、必要な時には中国に対して大国としての責任を果たしてもらえるように働きかける。そういうふうに考えています。 拘束された男性社員に領事面会をした判断理由として、帰国の報告と、任期中に結果として救出できなかったお詫びを伝えたいということだった。実際に伝えて先方の反応はどうだったのか。 すみません、私の発言、私の思いはお伝えした通りですが、先方の方の発言、対応等については私の立場上、紹介するのは恐縮ですが、差し控えさせていただければと思います。 (12月4日 BS国際報道2023 などで放送) 垂氏が大使として赴任する前に行ったインタビューの記事はこちら
中国・習近平体制と対峙した垂秀夫大使 ゼロコロナ 邦人拘束 日中・米中関係 離任前に何を語った? | NHK
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ヒロスエの手紙
ヒロスエのごく個人的な恋文が大衆に晒されたことがひたすらに悲しい。 有名人の個人的なことが暴力的暴露に晒されることにカタルシスを覚える者の感覚がまったくわからない。ヒロスエもまた自分と同じく人間であることを想像できない思考回路がわからない。その人が与えてくれる画面越しのきらめきを搾取するばかりで、自分の側からは相手に何の幸福ももたらし得なかった者たちが、ただただ身勝手に期待し身勝手に非難し、おのれの信じてきたものを守るためだけにひどく攻撃する。ヒロスエと自分があたかも対等であるかのように非難するくせに、ヒロスエが人間であることは認めない。その大衆のふるまいが憎い。あなたが信じるものとヒロスエが信じるものとは本来別物であって然るべきなのに、ヒロスエの倫理が自分と同じでなかったことを憎んで、好き放題叩く。あまりにも醜い。
不倫の報道があるたびに(そもそも不倫を報道することが是である社会が狂っているのだが)大衆は「婚姻制度」を揺るがす事態に動揺して、婚姻制度に反撥した個人を「死んでもよい」くらいの勢いで、思いっきり叩く。その弱さがゆえの攻撃性が私には憎くて仕方ない。婚姻制度を信じることのしょうもなさに、その思考停止に、気づく余地もなく大喜びで信仰してそれが与える正しさに淫して、そんな有様ながら自分が信じているものを信じきれていない弱さを���者への暴力という形に転化させてしまう、無恥。あまりにも愚かだ。暴力に淫する人間の無様なこと。
「愛」とか「好き」とかの、定義がさだかでないままに流布してしまった概念を扱うのが難しいのと似て、「婚姻制度」をどの程度確固たるものとして扱うかには時代による揺らぎがある。 自我を持つ同士の思想も感性も大きく異なる二者が育む複雑な関係がなす近代以降の恋愛と、国民をふやし国を強くする糧としての繁殖を目論んであつらえられた婚姻制度とは、ほんらい別物でよかったはずだ。一緒くたにしたのは、国家が戸籍管理をスムーズに運用するためだろう。さらに道徳というものを導入し、社会の規律を守れる人間だけが正しい人間であると吹聴する。こうして悪魔的に賢い人間が作り出した婚姻制度は、人権侵害という暴力を正当化する頑丈な武器となった。元来、暴力を振いたくて振いたくて仕方ない生き物である人類はみな、大喜びでその武器を振り回し、人を傷つけまくっている。大いなる権力が認めている道理に従えばおのれもまた正しいものになれるのだと信じ、その正統性を主張することで他者を嬲る暴力の快楽に、愚衆はあらがえない。
婚姻において夫婦間の愛情関係が維持されるべきだというのは、ロマンティックラブイデオロギーが強要する信仰にすぎない。その信仰を強化するための生ぬるいフィクションが未だに世に喜んで受け入れられているのを、白けた目で見ている。社会に促されるがままに家父長制という神を信仰させられている人間たちは、自身が信仰する神のありかたに反抗する者を断罪したくて仕方ない。セクシャリティの多様性には寛容な態度を示す者も、なぜか婚姻契約の反故については目の色を変えて激怒し暴力を行使しようとする。己の信仰が脅かされれば、安寧もまた脅かされるからだ。狂ったように、自分の信じる脆い倫理の埒外にある人間を傷つけようとする。
何が正しいのか、何が正しくないのか、正しさの基準点を見定めて自分自身でしかと判断するには、膨大な労力がかかる。それを全うするためには、自分が生きていて手が届く範疇よりも広い世界に眼差しを開き、その無知を恥じ、愚直に学び、知るために奔走し、知がもたらす自己否定の痛みを伴いながら異和を受け入れ、おのれの状況・環境を相対化して広い意味で客観視する必要がある。その学びを怠って、ぬるま湯に浸って生きている人間に、他者を非難する権利などないはずだろう。脊髄反射で他者を叩くことなど、少しでも知性が働けばとても出来やしないはずだ。芸能人の不倫ゴシップに沸き立つ人間が「相手も同じ人間である」「その相手は自分と異なるバックグラウンド・状況に立っている者である」と考え至るだけの想像力を欠いているのは、国家が婚姻制度を「信仰」に仕立て上げたせいだけではない。阿片のように与えられたその信仰を、一度たりとも疑わなかった者の咎でもあるはずだと言いたいのだ。
一口に婚姻といっても、個のなす一対一の関係である以上、そこに築かれる文脈は膨大なものになる。配偶者のモラルハラスメントからようやく逃げ延びた先が家族ではない他者だったのかもしれない。妊娠だけを強制される性交に苦しんでいた日々の唯一の救いが家族ではない他者だったのかもしれない。もちろん、幸せな結婚生活・家族計画もこの世にはごまんとあるだろう。しかし、それと同じように、幸せではない結婚生活・家族計画もごまんとある。 婚姻関係と家族を神聖視することは、間違いなく一つの宗教にすぎない。それがきちんとあなたに幸福をもたらしてくれているのなら、そのまま信じていてほしい。あなたが幸福であるのなら、私は何の文句もない。けれど、信仰に従った十全な幸福に浸ることが叶わず、異教徒を迫害し討伐しようとして首を刈り耳鼻を削ぎ死体を燃やすような真似だけはしてほしくない。そんなかたちでカタルシスを得たところで、結局はだれも幸福にならない。
「個人」という概念は近代、明治以降の開化政策によって西洋から日本に導入された。それまでの日本は「共同体」を重んじる社会で、たとえば村落の夜這いのシステムは本来「夜闇にまぎれて女を襲って身勝手な快楽を得るため」ではなく「試しに知り合い同士で体を重ね、もし女性側から性的な面での合意がとれればまぐわい、夫婦となりましょう」といった至極理性的なものであった。そういう伝統を明治維新によってがらりと覆した結果、かつてのシステムが機能しなくなり、人口維持ができないことを恐れ、共同体を離れた個人間の恋愛を繁殖制度に持ち込んだのはほかでもない国家だった。 初めて国際政治の場に立った日本が直面したのは、国家の「武力的」繁栄のために人口を増やす必要があるという喫緊の課題であった。明治政府も大正政府も、戦争の可能性を視野に入れて、兵となる国民を殖やすのに躍起なのだった。それで産めよ殖やせよをやっているうちに、生殖につながる恋愛感情を利用する策を講じたのがうまくいった。その成功体験を引きずってこんにちまできていて、だからLGBTQ+のことを「非生産」として認めないばかげた与党をやっているのだろう。とっくに不戦条約を掲げているはずの憲法を改めてまで戦争を望み、非生産な結婚を望まず、女を産む機械だと言って憚らない政府に反撥するのであれば、婚姻制度自体もきちんと疑うべきではないのか。なぜ陽動されていることに気づかないのか。
国家の敷いたレールに人生を捧げるかどうかは、個人がそれぞれに選べばいいと思う。ただし、自分が選んだ道を正しい道だと盲信し、他者に強要することだけは避けてほしい。あまつさえ、自分は国家に従っているがゆえに圧倒的に正しく、おのれの盲信に反した他者を叩く権利を持っているなどと前近代的なことを主張するのはやめてほしい。 それぞれの人生をそれぞれが選ぶことを容認し、選んだ道が同じではなかったことを責めることなく、自分だけの人生を謳歌してほしい。それがいわゆる本質的な多様性なのではないか。「多様性」は善性を大いにはらんだ言葉であるように見なされているが、まったくそんなことはない。信じる神が違う者同士が隣人となった時に、いかに共存するか、共存するための自治を対話によって確立できるか、そういう難しい話であるはずだ。一方的に叩き、相手の尊厳を貶めるのは対話ではなく暴力であり戦争の契機にすぎない。
ヒロスエの手紙を晒すことによる公開処刑は、日本社会の幼稚さをあまりにも無様なかたちで明らかにした。ここまで、大きな社会構造の話をしてきたけれど、最後に個人の話に焦点を戻して終わろう。 誰を責めたところで、自分の人生がよくなることなどないはずだ。無為な、鬱憤晴らしの暴力を他者に振ったところで何も変わらない。見つめるべきは他者よりもおのれではないか。おのれを見つめて、愛のありかを定めるのが、人生というものではない��か。 あなたのそれは、他者を貶めることで守れる程度の安い人生なのか?
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西岡力先生の論考です。
<正論>織田元空将の正論に申し訳ない
麗澤大学特任教授・西岡力
1月16日付「正論」で元空将の織田邦男氏が書いた「憲法に自衛隊明記が必要な理由」を読んで私は恥ずかしくてならなかった。織田氏は結論でこう書いた。
<国防という崇高な使命を果たす自衛隊を憲法に明確に位置付ける。自衛官に名誉を与えるだけでなく、国民に国防の当事者意識を持たせることになる。「13・2%」という異質性は、大いに改善されるだろう。ひいては抑止力強化に繫(つな)がり、結果として平和が守られることになる>(13・2%は「もし戦争が起こったら国のために戦うか」の問いに「はい」と答えた日本人の比率)
民間人が率先すべき論陣
自衛隊員に名誉を与えるべきというこのような論説を、命がけで国防に従事してきた元自衛官自身に書かせてはならないと私は考えてきた。われわれ民間人が率先してその論陣をはるべきだからだ。
私は平成28年8月16日付本欄(「自衛隊を憲法に明記する発議を」)でこう書いた。<自衛隊員は現在、南スーダンや尖閣諸島付近などで命がけで任務を遂行している。隊員は「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います」という宣誓をしている。彼らに報いる道は名誉を付与することだ。
最初の憲法改正発議において、自衛隊を憲法に明記することを避けながら、今後も命をかけて国のために働けと命令するのであれば、政治家はあまりに自衛隊員に失礼である。隊員に名誉を与えるため、自衛隊の存在を憲法に明記するための闘いから逃げてはならないと強く思っている>
自衛隊明記も実現していない
直前の参院選の結果、改憲に賛成する勢力が衆参両院で3分の2を超えたことを受けて書いたものだった。その約9カ月後、当時の安倍晋三首相が自衛隊を憲法に明記する改憲を提案し、自民党はそれを受け改憲案をつくった。
そもそも自衛隊の憲法明記は現行憲法の9条2項の戦力不保持条文をそのままにするという前提だ。2項がある以上、自衛隊は通常の軍隊には課せられていない様々な制約を受け続ける。そのことも自衛隊員に申し訳ないと心から思うが、戦後日本の平和ぼけの厚い壁を前にして、まず自衛隊を明記することから始めるべきだと私は8年前に本欄に書いたときに考えた。しかし、まだ憲法への自衛隊明記は実現していない。そこでしびれを切らした元空将が本欄で声を挙げられた。恥ずかしく、申し訳なくてならない。
織田氏は現在、ある大学で安全保障の講義を担当しており、その講義を受けた学生の、国のために戦うと答える比率が顕著にアップしている。その素晴らしい講義を紹介したSNSに対し、若者に命を粗末にしろと教えているなどと見当外れの批判が起きていると聞き驚いている。今現在わが国の安全が守られているのは自衛隊員が命をかけ神聖な任務を果たしているからだ。そのことを知ったら元空将の講義を批判することなど恥ずかしくてできないはずだ。
繰��返すが、自衛隊員は今この時も命をかけ、わが国を守る崇高な任務にあたっている。本当に命がけだから毎年、殉職者が出ている。私は数年前まで防衛省オピニオンリーダーを拝命し、自衛隊殉職隊員追悼式に参席していた。幼い子を残して殉職した隊員はじめ、任務で殉職された英雄が毎年いることをよく知っている。
今年前半に改憲発議を
岸田文雄首相は、自身の任期内に憲法改正を実現すると公言している。自民党は①自衛隊の明記②緊急事態対応③合区解消・地方公共団体④教育充実―の4項目の改正案を提示しているが、最初の憲法改正発議に何を盛り込むのかまだ結論を出していない。
私はここで声を大にして①を絶対に外してはならないと言いたい。国連安保理常任理事国ロシアがウクライナへの侵略戦争を起こし、残虐なテロ攻撃に対してイスラエルが自衛権を行使している。中国共産党政権は台湾への武力行使の準備を進めている。台湾有事が日本の有事ならば、現行憲法下で最初の防衛出動、自衛隊による武力行使があり得る。戦死者が出ることは避けられない。
そのことを承知の上で自衛隊員は日夜、訓練を重ねている。それなのにわが国憲法ではいまだに「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という否定文だけが書かれ、自衛隊について一言も触れていない。憲法学者の多数は自衛隊違憲論を主張し、一部の教師らが教室でそのような内容を教えてさえいる。
命がけの仕事をする彼らに報いる道は名誉を付与することだ。最初の憲法改正発議で自衛隊を憲法に明記することを避け、今後も命をかけて国のために働けと命令するのであれば、あまりに自衛隊員に失礼ではないか。まず声を挙げるべきは元自衛官ではなく、われわれ民間人だ。政治家は自衛隊明記の憲法改正発議を今年前半にぜひ実現させてほしい。国民は国民投票で通す戦いに臨む覚悟はできている。(にしおか つとむ)
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2023年 1月 耕讀關東名勝 走訪江戶遺跡
前兩個月才剛結束「步學關西古都;激安大和鑑賞」的大阪京都長輩幼童自由行,稍稍緩解了睽違三年之久,受疫情限制而無法跨境移動的苦澀情懷。
但畢竟是與家人的長輩幼兒團,一天一景點,行動都受到先天上的限制,七天的旅程,總覺得意猶未盡,我都笑著跟友人說,我是去出差當保母的,甚至還有人真誤以為我生了個小寶寶呢!(怎麼會是我生呢?要也是我未來的老婆生)
有鑑於尚有上個旅程未花完少許殘留的日幣,再加上日本觀光產業已經復甦,旅社、商家及各種景點活動都準備周全,我又再次選擇日本為這次旅程的目的地。
其實本來的首選是北海道和名古屋,由於經費有限則將就選擇飛東京先,再看要轉乘去哪裡。
把這次東京行算進去的話,剛好是我第50次出國,第7次去日本、第3次造訪東京了,撇除在澳洲打工度假和菲律賓讀書,東京將一舉耀升成我旅行逗留天數最長的城市,直接擊敗我非常喜歡的義大利佛羅倫斯,和度假耍廢聖地越南河內。
簡單交代一下我此次旅行的行程:
1/6五 搭機:朝馬轉運站 桃園機場第一航廈 樂桃航空mm860羽田機場通關 睡機場 買Tokyo Subway Ticket 48hours(1200円)無限搭乘東京地鐵/都營地鐵
1/7六 明治神宮與新宿:前往新宿放行李 明治神宮參拜 逛韓國街 鬼王神社 歌舞伎町 午餐麥當勞 新宿逛街 晚餐一蘭拉麵 睡Hotel Listel Shinjuku
1/8日 淺草晴空鐵塔:逛雷門觀音街 午餐海產料理 淺草寺參拜 逛晴空塔及周邊百貨 逛東京鐵塔 晚餐松屋 睡Hotel Listel Shinjuku
1/9一 淺草日光:淺草神谷午餐 淺草買票前往日光 逛日光周邊 泡日光當地溫泉 便利商店自製晚餐 住東武公園旅社
1/10二 日光中禪寺湖:巴士中禪寺湖賞雪 華巖瀧觀瀑 午餐華巖瀧餐食 暴風雪過境 鬼怒川溫泉散步 整頓買晚餐 住東武公園旅社
1/11三 日光世界遺產:早餐自理 世界遺產日光東照宮 日光二荒山神社 日光山輪王寺 大猷院 泡和式溫泉 住東武公園旅社
1/12四 日本友人會面:早餐自理前天晚上買好退房東武公園旅社(負評)
春日部郵局 午餐Nakau丼飯
春日部lala garden uniquelo 購衣物 蠟筆小新活動 入住淺草 阿尼中野吃烤肉 住hotel mju 旅館
1/13五 逛街日:退房 放行李 阿美橫町逛街 午餐生魚片 買大草莓 逛秋葉原 晚餐烤串燒 住成田機場
1/14六 返航:酷航酷航 TR875 午餐outlet 搭車回台中
如果有仔細看的話就會發現,別說沒有五星飯店、沒有吃到飽的大餐,還不是每天都有像樣的住宿和飲食。
其實,這就是我的風格。背包客式極簡約自由行,把硬底開銷諸如交通、住宿、飲食降到能力值的偏低,拉長旅程時間,盡情的享受當地人文、祭典、藝術以及世界遺產。
第一次的東京行我往西走,去箱根看富士山;第二次的東京行我往南走,去橫濱歷經跨年;這一次的東京行,我往北走,去日光賞雪看寺院。
這一次我在日光就待了三天,背包客棧發生了很多趣事,有機會見面分享。礙於篇幅字數限制日光的美還有德川家族的故事自己google 。
最後,我要說的是:我在明治神宮進行新年參拜、在淺草寺參加誦經法會、在日光山輪王寺領受祈福、東照宮聆聽龍鳴、華巖瀧觀瀑、中禪寺經歷暴風雪、秋葉原看正妹等,也品茗了許多地方特色美味食物和大和經典藝術創作,與友人一起共同建立交織創造浪漫美好愉悅充實豐盛的旅程回憶。
這幾天就是新年了,祝大家 : 大吉大利 事事如意 一路發財 闔家平安 富貴有餘 福壽雙全 事事如意 四季進財 五福臨門 財源廣進 恭喜發財 招財進寶 年年高升 日日見財 步步高升 成長茁壯 平安喜樂 學業進步 學業有成 身體健康 笑口常開 天天開心 持之以恆 篤志好學 學業有成 前程似錦 樂學苦思 敏銳創新 學業有成 健康快樂 快樂跟隨 健康常在 前程似錦 美夢成真 玉兔迎春 好運兔U 揚眉兔氣 奮發兔強 福兔迎祥 宏兔大展 前兔似錦 錢兔似錦 兔躍納福 福兔賀歲 兔年行大運 玉��迎春添新象 新春旺市迎玉兔 金兔祈福 闔家幸福 新春開運 鴻兔大展 Happy New Year 兔 you. 萬事如意迎新年 玉兔迎春旺全年 去年虎哩發大財 新春兔來事業展
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妈妈的奶子
作者:alcomc
第一章
我的名字叫张伟,高二。
功课一般,相貌普通,160公分的矮小身高,瘦弱的体型,像我本身这种一点儿都不起眼的男孩,在大街上随手抓一把都有,理所当然的,我只是一名青涩的处男。
自从上了高中后,身体发育的同时,我也慢慢的开始对女性这种生物起了极大的兴趣。馒头、草莓、鲍鱼......等等,这些过去认为最为平常不过的单词,对现在的我而言,却犹如盖上一层神秘的黑纱、充满了该死的诱惑力。
所以......收集AV成为我的嗜好、打手枪成为鄙人的专长、上体育课前,偷窥女同学换衣服成为俺心目中最为浪漫的大冒险。
在自怨自哀、感叹自己不幸的16年的处男生涯,直到刚刚,我才突然领悟到,其实,我简直就是受到上天眷顾的幸运儿。
因为我有一个美丽的妈妈。
我妈妈,张茹,今年38岁。
老爸在我9岁那年出车祸去世,他生前是个工作狂,留下了一笔为数可观的存款以及保险金,妈妈得以独自扶养我与另一位大我二岁的姐姐长大。
多年来,妈妈一直单身,并没有再嫁,也几乎很少见她出门约会过。
因为去年姐姐张洁高中毕业后,离家前往外省的大学念书,所以现在只剩下我与妈妈两人相依为命。(看精彩成人小说上《成人小说网》:https://crxs.me)
妈妈是个精明的女人,是指在处理工作事务上,她拿了爸爸留下来的遗产,做了几次非常成功的投资,具体上赚了多少钱我不是很清楚,但看到妈妈不用工作,光凭着每个月的利息便足以抵销我们全家的开销......我想,应该是不少吧。
在私底下日常生活中,妈妈其实是个很懒散的小迷糊,有时脑袋就像是少了几根筋似的不开窍,妈妈平时在家中的穿著举止,就好似还把我是当成数年前窝在她胸前撒娇的孩子,毫无避嫌的防备与自觉。
但也幸亏如此我才终于领悟到妈妈的魅力,她对我的信任与关爱,朝大胆一点的方面设想,或许妈妈潜意识里就想诱惑我这个儿子才打扮的那么火辣的吧。
重新打开计算机屏幕,戴上耳机,鼠标点了下PLAY键,屏幕里,小X圆那骚货依旧在男人的跨下喘息着。
我半鄙视的盯着不久以前还是我心目中的第一女神的AV女优,在我左手加快速度套弄鸡巴的同时,女人的脸,逐渐被妈妈娇美的容颜所替代。
“喔......妈妈......妈妈......啊......我爱你,妈妈!!”
手掌心中隔着卫生纸紧紧的包住龟头,一股热流喷射而出,高潮的快感如同电流般的窜游在脑神经中,空白的思维里,只剩下妈妈的笑容,以及那对作梦也会梦到的超大母乳。
下楼来到客厅。
妈妈正懒洋洋的趴躺在沙发上看着电视新闻,浑身散发着成熟的韵味。娇好的胴体,清凉的打扮,曝露出了身体绝大部分的洁白肌肤,让我一饱眼福。
玲珑有致的曲线,尤其是下身那高高股起的肥厚丰臀,端是令我的鸡巴搔痒不已,恨不得自己能肆无忌惮的狠狠蹂躏那雪白柔嫩的大屁股、尽情地将鸡巴深埋在股间的深沟里抽插。
“小伟,功课写完了啊?”
“嗯,写完了。”我心不在焉的回答,视线始终停留在妈妈的身体上。
“小伟,你先坐着看一会电视好吗?妈妈马上去帮你把菜热一热。”
妈妈似乎并没有注意到我充满色欲的非礼目光,自顾从沙发上爬起身,她胸前那对巨型美乳,一下子从娇躯的压迫下解放,令人眼花缭乱的上下左右的晃动着。
“真是可怕的弹性......”我在内心暗自赞叹着,“如果说美女的胸脯是专门对付男人的武器,那妈妈的奶子绝对是最恐怖的人间凶器!”
心中虽然偷偷幻想着千百种蹂躏妈妈胸脯的不良场景,但我口头上还是乖巧的回应妈妈:“妈妈,不用特地帮我热了啦,我吃温的菜没关系,更何况电饭锅里的饭还是热的啊。”
接着,我走上前,亲昵的拉住妈妈的手摇晃,说道:“我要妈妈喂我......”
妈妈伸手点了点我的额头,笑骂道:“好不羞人,都几岁了还跟妈妈撒娇?还不快去餐桌上等着,妈妈帮你盛饭去。”
妈妈在口头上虽然拒绝我,但看的出来,她似乎很喜欢我对她撒娇。
(上国中之后,因为怕同学耻笑我是跟在妈妈屁股后面长不大的小鬼,所以我跟妈妈之间的母子关系就渐渐疏远了不少......)
饭桌上,妈妈盛了一大碗饭,又夹了一堆如山丘的菜在我的盘里,笑咪咪地拱着手抵住下巴看我吃饭。
十五分钟过后,承受不了妈妈奇怪的目光的我,忍不住问道:“妈妈,你干嘛一直对着我笑呀?”
妈妈脸上依旧挂着微笑,答道:“没有呀,只是忽然感到很高兴,我的儿子终于长大了。”
“咦?”
“小伟,你......也到了会对女孩子......有兴趣的年纪了。”
见我脸上挂着不解的表情,妈妈语出惊人的说道。
“最近你的房间......多了一种奇怪的味道,整理你房间的时候揉成一团的卫生纸总是特别多......还有刚刚......你在你房间其实是在那个吧?”
“妈妈,那......那是因为......”得到这种晴天霹雳的答案,我脸红耳赤的不知该如何回答。
“没关系,小伟,妈妈是过来人,手......自慰在你们这年纪是很正常的。”
妈妈给了我一个理解的微笑,接着她又摆出母亲的架势说道,“小伟,可是你要记得,凡事都要有个节制,不可以自慰过度,伤了身体喔......”
妈妈的脸皮毕竟不是真的那么厚,说完这番露骨的话之后,她自己倒也是陪我一同脸红了起来。
一种尴尬的气氛忽然在我俩间传了开来,我也只能加速扒饭,尽快结束这场因为被妈妈一席没大脑的话所造成的难熬的饭局。
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青葉祐五 / ベクトル・ユーゴ
Profile
青葉 祐五 / ベクトル・ユーゴ
ミュージシャン
4月10日生まれ
東京都世田谷区出身
筆名:青葉祐五/Yugo Aoba/Yugo.A/ベクトルユーゴ
About
2003年より、シンガーソングライターとして活動開始。2010年より「ベクトル・ユーゴ」名義で、都内・横浜・名古屋などを中心に、現在に至り活動中。
2016年、1st EP「小さな日々」をリリース。
湘南工科大学イメージソング『湘南工科ラプソディ~最大公約数の恋~』作詞・作曲・歌唱担当。
2017年より、本格的に制作活動を開始。
坂道・48グループやK-POPグループや声優など数々のアーティストへの楽曲提供を行っている。
近年は絵本「ペロずきんちゃん(小学館刊行)」のテーマソング制作を手がけるなど活動の場を広げている。
Favorite
東京ヤクルトスワローズ/猫/豆柴/夏/快晴/プロ野球/競馬/麻雀/映画鑑賞/読書/コーヒー/Apple製品/都市伝説/銭湯/居酒屋/水族館/文房具屋/本屋/吉野家/東急大井町線沿線/自由が丘/尾山台/秋刀魚/ステーキ/そば/ラーメン/ドラえもん/美味しんぼ/火の鳥/古畑任三郎/深夜食堂/藤子・F・不二雄/庵野秀明/古谷実/吉本隆明/宮沢章夫/是枝裕和/沖田修一/坂元裕二/荻原浩/鈴木敏夫/リリー・フランキー/みうらじゅん/松本人志/野村克也/武豊/ディープインパクト/ドウデュース/キセキ/有村架純/深津絵里/蒼井優/黒木華
Works
【 提供作品 】
⚫︎日向坂46
青春ポップコーン(作曲・編曲/sugita.mと共作編曲)
⚫︎櫻坂46
ソニア(作曲/Kadonoと共作曲)
⚫︎AKB48
サヨナラじゃない(作曲/Toshikazu.Kと共作曲)
⚫︎STU48
雨とか涙とか(作曲/Toshikazu.Kと共作曲)
⚫︎NMB48
職員室に行くべきか?(作曲/Toshikazu.Kと共作曲)
選ばれし者たち(作曲/Kadonoと共作曲)
⚫︎NGT48
片想いのままじゃ終われない(作曲・編曲/S-TONEと共作編曲)
⚫︎GOT7
LOVE LOOP(日本語作詞/EastWest(1by1)、MAXINEと共作詞)
⚫︎CUBERS
ピンキーリング (作曲・編曲/大山聖福と共作編曲)
⚫︎THE SUPER FRUIT
ボクらの夜明け(作詞・作曲・編曲/大山聖福と共作編曲)
⚫︎世が世なら!!!
鼓動のFighters (作曲・編曲/大山聖福と共作編曲)
Winter Prince (作詞・作曲・編曲/大山聖福と共作編曲)
ウオー!サオー!(作曲・編曲/大山聖福と共作編曲)
おったまげ(作詞・作曲・編曲/大山聖福と共作編曲)
⚫︎丘みどり
阿武隈・恋慕情(作曲・編曲/青葉紘季、大山聖福と共作編曲)
⚫︎増田俊樹
hikari(作詞・作曲・編曲/杉田昌也と共作編曲)
明日はきっと(作詞/HASEGAWAと共作詞)
⚫︎平野綾
Up To Date (作詞/小林光一と共作詞)
⚫︎MaxBoys(細谷佳正+増田俊樹)
恋のキセキ(作詞・作曲/松本有加と共作詞)
ボタン(作詞・作曲)
魔法(作詞・作曲/松本有加と共作詞)
⚫︎BoysRepublic
Only Girl(作詞/戸塚慎と共作詞)
⚫︎GoGoしんGoず!(CV:Lynn、芹沢 優、鈴木みのり)
メイド in わたし♪(作詞・作曲/中島彩歌と共作詞、ツタナオヒコと共作曲)
⚫︎タイトル未定
溺れる(作詞/青葉紘季と共作詞)
⚫︎限りなく白く
白地図のコンパス(作詞・作曲・編曲/松浦はすみと共作編曲)
青空に手を叩け(作詞・作曲・編曲/大山聖福と共作編曲)
⚫︎Onephony
最高サマー!!!(作詞)
⚫︎ORIGAMI ZERO PROJECT
未完成にはつづきがある(作詞/青葉紘季と共作詞)
僕だけのFlower(作詞/青葉紘季と共作詞)
魔法の言葉(作詞/青葉紘季と共作詞)
ごめんね、両想い(作詞/青葉紘季と共作詞)
ギミギミ(作詞/青葉紘季と共作詞)
Brand New Story(作詞/青葉紘季と共作詞)
僕らはずっと友達だ(作詞)
iDOL宣言(作詞)
⚫︎EverZOne
ウイニングラン(作詞)
溺愛バニラ(作詞)
⚫︎新生おやゆびプリンセス
海鳴りDANCE(作詞・作曲/ツタナオヒコと共作曲)
⚫︎遠藤璃菜
笑っていたいんだ(作詞/青葉紘季と共作詞)
⚫︎まる子
君がいてくれたからだよ(作詞)
⚫︎Annnnnaの空
未来へ(作詞・作曲・編曲/大山聖福と共作編曲)
⚫︎神谷ちゃん
Diary(作詞・作曲・編曲/杉田昌也と共作編曲)
⚫︎田中海咲
青(作詞・作曲・編曲/大山聖福と共作詞曲編曲)
⚫︎Sayuki
恋しちゃいました。(作詞・作曲・編曲/大山聖福と共作詞曲編曲)
⚫︎うなき
愛して恋!!(作詞)
⚫︎とーま
茜(作詞・作曲・編曲/大山聖福と共作詞曲編曲)
⚫︎タオルズ
きみうた(作詞・作曲・編曲)
オレンジロード(作詞・作曲)
こいのうた(作詞)
⚫︎嶋雄大
四畳半(編曲)
⚫︎&CITY
broccoli night(編曲)
⚫︎AiRI
Hello (作詞)
風に吹かれて(作詞)
その他
⚫︎絵本「ペロずきんちゃん」(小学館刊行)公式テーマソング
ペロペロボワ〜ン(作詞・作曲・編曲/山本まもると共作詞)
ペロペロマ〜チ(作詞・作曲・編曲)
⚫︎湘南工科大学 公式イメージソング
湘南工科ラプソディ〜最大公約数の恋〜(作詞・作曲・歌唱/柴山健次と共作詞)
⚫︎ABCプロジェクトテーマソング
Happiness of CAP (作詞)
⚫︎配信アプリ Mildom テーマソング
It's a ショータイム!!!(作詞)
【 Vocal Direction 】
⚫︎CUBERS
ピンキーリング
人生Heyday
エブリデイ・アイシタイ
BOX
ゆらゆら
予感
そばかす
A Beautiful Magic
⚫︎末吉9太郎
機材席開放ってなんですか?
あたしの自名義
⚫︎THE SUPER FRUIT
ボクらの夜明け
ぼくたちバットウィール
叫べない僕らの
チグハグ(韓国語ver.)
⚫︎世が世なら!!!
鼓動のFighters
Winter Prince
ウオー!サオー!
メダチタガリアン
俺ならやれそうじゃん?
KAKURENBO
おったまげ
⚫︎まる子
君がいてくれたからだよ
⚫︎Annnnnaの空
未来へ
⚫︎神谷ちゃん
Diary
⚫︎田中海咲
青
⚫︎Sayuki
恋しちゃいました。
⚫︎うなき
愛して恋!!
⚫︎とーま
茜
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