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#水没への道程
crassroom · 2 years
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#点滴都市東京 #水没への道程 #path2submergence (Shinjuku Station) https://www.instagram.com/p/Co-b29VPuUn/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 2 days
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知床遊覧船の沈没事故が記憶に新しいのに、今回の浸水隠しは許されないと思います。今回の処分は当然であり、むしろ刑事責任を問われないのが軽すぎると思います。 「JR」の冠が付いたJR九州高速船ですが、JRの前身、すなわち国鉄の歴史を見ると、鉄道連絡船の悲惨な海難事故が幾つも起こっています。過去の海難事故の記憶が薄れつつあるのではないでしょうか?安全より利益を追求する風潮がないかや、内部通報窓口が機能しているかは検証が必須です。 ここで旧国鉄の安全綱領から引用します。「安全は輸送業務の最大の使命である」「安全の確保は規程の遵守及び執務の厳正から始まり不断の修練によって築き上げられる」「疑わしい時は手落ちなく考えて最も安全と認められるみちを採らなければならない」。 上記の言葉は、過去の悲惨な事故を経験した、輸送に関わる先人が残した教訓です。教訓を忘れたとき、再び大事故が起こると思います。
JR九州高速船クイーンビートル浸水隠し、国交省が「安全確保命令」と運航管理者らへの全国初の「解任命令」(読売新聞オンライン)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
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hachikenyakaiwai · 1 year
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【かいわいの時】元禄六年(1693)八月十日:井原西鶴没 (大阪市史編纂所「今日は何の日」)
西鶴は元禄6年(1693)に亡くなったが、その墓は長い間不明であった。明治20年を前後するころ誓願寺境内で発見され再興されたという。発見者についてはいくつか説があり、幸田露伴であるとも、朝日新聞記者の木崎好尚であるともいう。
(1693年)下山鶴平・北條団水、西鶴の墓を建立 墓石は位牌型の砂岩製のもので、「仙皓西鶴 元禄六癸酉年 八月十日 下山鶴平 北條団水 建」と刻まれている。この墓碑を建立した下山鶴平については、西鶴の版元ではないかといわれている。北條団水は京都生まれの文人で、橘堂、滑稽堂と号した。西鶴を慕って来阪し、西鶴の死後7年の間、鑓屋町の庵を守ったことで知られている(大阪市指定文化財)。
(1801年)太田南畝(蜀山人)、書肆山口屋の案内で西鶴の墓に参る 寺町をすぎ 誓願寺に入る、甃庵中井先生の墓あり《略》 此寺に西鶴か墓ありと書肆山口屋かいへるによりて墓はらふ下部にとふに志らず、つらつら墟墓の間を��るに一ツの石あり、仙皓西鶴とゑれり。右のかたに元禄六癸酉年八月十日としるし左の方に下山鶴平北条団水建と有り。也有翁の鶉衣にも、作文に名を得し難波の西鶴は、五十二にして世を去給ひ「秋風を見過ごしにけり末二年」といふ句を残せりとかけり。げに八月に終りぬるには折からの句成へし(太田南畝)。『葦の若葉』四月廿一日条より。句読点後付け。ママ。
(1802年)滝沢馬琴、太田南畝に紹介された田宮盧橘の案内で西鶴の墓に参る 西鶴が墓は、大坂八町目寺町誓願寺本堂西のうら手南向にあり。〈三側目中程〉七月晦日蘆橘と同道にて古墓をたづぬ。はからず西鶴が墓に謁す。寺僧もこれをしらざりし様子なり。花筒に花あり。寺の男に何ものが手向たると問ふに、無縁の墓へは寺より折/\花をたつるといふ。
棹石高サ二尺余ヨコ一尺 台石高七八寸 大字 総高サ二尺八九寸
元禄六 癸酉年八月十日 仙皓西鶴 右ノワキ 下山鶴平 北条団水 建
團水は西鶴が信友なり。西鶴没して後、團水京より來り、七年その舊廬を守れり。そのこと西鶴名殘の友といふ草紙の序に見へたり。追考 難波鶴に云。西鶴は井原氏、庵は鑓屋町にあり(滝沢馬琴)。『羇旅漫録』より。句読点後付け。(写真参照)
(1889年1月)幸田露伴、誓願寺無縁墓にある西鶴の墓を探し当て、卒塔婆を立てる 露伴は住職に供物を出して、 お墓をちゃんとしてほしいと言い、香を焚き、水を手向け、卒塔婆を立てて去るわけです。それが、明治22(1889)年の1月のこと。その卒塔婆には、「元禄の奇才子を弔ふて 九天の霞を洩れてつるの聲」と書いた(肥田晧三)。「上町台地から本をめぐる時空の旅へ」『上町台地フォーラムvol.9』2018より。
(1889年8月)尾崎紅葉、西鶴の墓を訪れ、卒塔婆を残す 紅葉も、同じ明治22年の8月に西鶴の墓を訪れ、「為松寿軒井原西鶴先生追善」と書いた卒塔婆を残した(肥田晧三)。
それではなぜ、この二人は西鶴を知ることになったのか。露伴は帝国図書館、今の国会図書館にあった西鶴の本を随分と勉強したんです。また当時、東京に淡島寒月という人がいましたが、彼は時代に先駆けて西鶴を評価し、自身でも作品を手元に持っておりました。その寒月と仲が良かったのが露伴で、彼の西鶴作品を借りて徹底して読んだわけです。紅葉も、露伴に遅れてですが、やはり淡島寒月から西鶴の作品を教えられたんです(肥田晧三)。
(1889年11月)木﨑好尚、読売新聞に「西鶴の墓」を寄稿 大阪朝日新聞の青年記者だった木﨑好尚���、後に頼山陽や田能村竹田の研究で知られるようになる人です。この人が、明治 22 年にやはり誓願寺に行くわけです。すると新しい卒塔婆が二つ西鶴の墓に立てかけてある。一つは幸田露伴、一つは尾崎紅葉。それで、大阪の青年がびっくりするんです。東京の輝かしい新進の作家二人がここに来ている!大阪の自分たちはちっともお参りせんのに、あの二人が西鶴の墓にお参りしていると。そして 明治22年11月に、東京の読売新聞に「西鶴の墓」という題で書く んです(肥田晧三)。ママ。木崎が朝日新聞に入社したのは明治26年(1893)。
(1889年11月)幸田露伴、「井原西鶴を弔ふ文」を雑誌『小文学』に発表 露伴もまた、「井原西鶴を弔ふ文」という題で、明治22年11月に雑誌『小文学』に発表します。「今や露伴幸に因あり縁ありて、茲に斯に來つて翁を吊へば、墓前の水乾き樒枯れて、鳥雀いたづらに噪ぎ塚後に苔黑み、霜凍りて屐履の跡なく、北風恨を吹て日光寒く、胸噫悲に閉ぢて言語迷ふ。噫世に功ありて世既に顧みず、翁も亦世に求むるなかるべし。翁は安きや、 翁は笑ふや、唯我一炷の香を焚き一盞の水を手向け、我志をいたし、併せて句を誦す、翁若し知るあらば魂尚饗。九天の霞を洩れてつるの聲 露伴」(肥田晧三)。
(1890年5月)尾崎紅葉、「元禄狂」を「国民新聞」に寄稿 西鶴に心酔しているということを書き、その中で、「明治二十二年八月、大阪八丁目寺町誓願寺に、 西鶴翁の墓に詣でゝ」と記し、「ででむしの石に縋りて涙かな」という句も詠んだ(肥田晧三)。
木﨑好尚を除き、全員、江戸っ子です。
(写真)「仙皓西鶴」『壬戌羇旅漫録 2巻 [3]』1802-1812(東京大学学術資産等アーカイブズポータル)より。 注記:写本 注記:目首の書名: 著作堂羇旅漫録 注記:題簽の書名: 羇旅漫録 注記:本文末に「享和二壬戌年八月廾四日筆同十一月朔日挍合畢 曲亭瀧澤觧戯記」とあり 注記:[跋]末に「享和二壬戌年冬十一月二日 著作堂馬琴再識」, 「壬申春日 曲亭主人書」とあり
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ari0921 · 7 months
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<正論>自虐教育は日本の没落を招く 
麗澤大学特別教授、元空将・織田邦男
「汚染水」「強制連行」
報道によると日本教職員組合(日教組)が開催した教育研究全国集会(教研集会)で、東京電力福島第1原発から放出される処理水を「汚染水」とした教材を使用した授業例が発表されたという。「日本の資源・エネルギーと電力」と題する中学校の授業で、原発事故や廃炉工程を取り上げた教材には「汚染水の放出を強行」と記載したという。
福島の場合、自然界にもあるトリチウム以外の放射性物質を除去した処理水である。海洋放出については、国際原子力機関が「国際的な安全基準に合致」し、人や環境への影響は「無視できる」との報告書を公表している。
原発で生じたトリチウムを含む排水の海洋放出は、中国を含む全世界の原発で恒常的に行われている。中国は「核汚染水」と呼んで日本を非難するが、外交的手段として非難しているのであり、その不合理さは当の中国が一番理解しているはずだ。日本政府は「科学的根拠に基づかない主張」と抗議している。学習指導要領は教員に対し、科学的観点での指導を求めている。だが教員はなぜ、こういう中国側に立った非科学的教育を実施するのだろう。
また小学校教員が漫画「はだしのゲン」を教材として「アジアへの侵略や強制連行」について取り上げ、広島への修学旅行の事前学習を行ったことが発表された。「はだしのゲン」は、史実かどうか未検証の行為も描かれており、教材の適切性を巡っていまだに議論が割れているものだ。そもそも歴史をこれから学ぶ児童に対し、いきなり「アジアへの侵略や強制連行」を教えることが適切な教育と言えるのか。
迷惑するのは子供たち
これであることを思い出した。約40年前、筆者は米空軍大学に留学した。その際、同じ留学生の英空軍将校に質問をしたことがある。「英国ではアヘン戦争をどのように教えているか?」と。一瞬、彼から笑みが消え、飲んでいたビールジョッキを置いて、筆者を凝視して静かに答えた。「義務教育では教えていない」。彼は続けてこう言った。「なぜ、義務教育でアヘン戦争を教える必要があるのか。義務教育での歴史教育は、子供に対し先人が示した気概を教え、国家との一体感を育成し、大英帝国のために尽くそうという志を育むのが目的だ。アヘン戦争は英国の歴史の中でも義務教育の題材としてはふさわしくない」と。これを聞いて目から鱗(うろこ)が落ちる思いがした。英国人の誇り高さの源泉はここにあるのかと。サッチャー政権が、教育の立て直しに懸命になっていた頃である。
同じ時期、米国ではレーガン大統領が米国教育の現状に危機感を抱き、教育の立て直しに躍起になっていた。彼はこう言った。「もし非友好的な外国勢力が米国に対して今日のような凡庸な教育をするように押しつけたとしたなら、それは戦闘行為に相当するとみなせるものだ」
「汚染水」教育の結果、「総理の怠慢」「首相退任してほしい。責任をとれ」といった生徒の意見がみられたそうだ。また児童が「日韓併合で連れてきて働かせる」とメモを取る様子が自慢げに発表されている。事実誤認や未検証の行為を子供たちに教育し、堂々と教研集会で発表するという屈折した心理。レーガン流に言うならば、このような教育は「戦闘行為に相当する」だろう。
迷惑するのは子供たちである。「青少年を見れば、その国の未来が見える」と言われる。こういう自虐教育がいまだに行われている現実を知り、将来を憂慮せざるを得ない。
国への誇りを失えば
戦後教育は敗戦のトラウマから「国家」や「公」より、「個」「私」を優先した。国家と歴史、民族と文化を貶(おとし)め、国歌、国旗を拒否し、祖先、両親への敬慕、師弟の礼節まで、あらゆる伝統的価値観に背を向けた。マルクス史観の影響を受け、権威、権力の否定が底流にある。
国際連盟事務次長を務めた教育者、新渡戸稲造は米国で名著「武士道」を著し、日本人の高邁(こうまい)な精神を紹介した。美術史家、岡倉天心はニューヨークで「茶の本」を出版し、日本の伝統文化について広く紹介した。かつて日本人は日本に対する誇りを持ち、強烈なアイデンティティを保持していた。海外で優れた日本の文化や伝統について紹介し、命懸けで日本のために情熱を燃やした。報道のような自虐教育が続けば、日本に誇りを持つ日本人は育たない。
欧米にこんな言葉がある。「英国人を自慢しているやつは英国人だ。ドイツの悪口を言っているやつはフランス人だ。スペインの悪口を言っているやつはスペイン人に決まっている」。かつて世界を席巻したスペインはなぜ没落したのか。子供たちに対しスペインはインカ、マヤを滅ぼした悪い国だと自虐教育を続けた結果、スペイン人から誇りが消えた。これが没落の主因だという。決して人ごとではない。(おりた くにお)
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shredderwastesnow · 8 months
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長々と「ゴーストワールド」考
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私がテリー・ツワイゴフ監督の映画「ゴーストワールド」と出会ったのは、2000年代中盤のことだった。映画館ではなく、ツタヤでDVDを借りて実家のリビングで観た。コロナ禍によってビデオ・DVDレンタル屋としてのツタヤが街から消えた今になって振り返ると、あの日からずいぶん遠くに来てしまったことを実感する。
映画冒頭、アップテンポなジャズが流れ出し、こぶしの利いた男性シンガーの声が重なる。「シャンフェケシャンフゥ」--何語だか分からないが、気分を高揚させる陽気なグルーヴ。しかし、映像はアメリカ郊外の白いマンションで、音楽の古めかしさと不釣り合いな印象を与える。
カメラはマンションの外から窓の中を捉えつつ、右へと移動する。それぞれの窓の向こうにいる住人たちが部屋でくつろいだり食事をしたりといった光景がいくつか展開された後、濃いオレンジの壁紙の部屋が映し出される。部屋の中央で、黒縁眼鏡をかけたぽっちゃりめの女の子が、黒髪のボブを振り乱して踊っている。傍らには昔ながらのレコードプレーヤー。そこから大音量で流れる「シャンフェケシャンフウ」--アメリカにおけるサブカル眼鏡女子の強烈な自己主張は、無機質な郊外の光景へのレジスタンスのようだ。
細かい台詞やキャラクターは忘れてしまっても、このシーンだけは鮮烈に頭に残っている。この映画が何を描こうとしているのか、冒頭を観ただけで分かった。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさ。そんな存在を愛おしむ監督の眼差し。
2時間弱の物語の中では、高校を卒業したものの進路が決まらない主人公イーニドが迷走に迷走を重ねる。そして、彼女が何かを成し遂げるようなラストも用意されていない。
ありがちなティーンエイジャー文化に埋没する無個性なクラスメイトや郊外の退屈な人々を馬鹿にしている割に自分自身もぱっとしないイーニドの姿は痛々しいが、十代の自分にも確かにそんな一面があったことが思い出され、いたたまれない気持ちになる。それでも、映画を見終えた私の心には温かい余韻が残った。監督が最後までイーニドに寄り添い続けていることが伝わってきたから。
2023年下旬、何の気なしに見ていたX(旧twitter)で、ゴーストワールドのリバイバル上映を知った。絶対に行かなければと思った。あの名作と、映画館で出会い直したい。 上映が始まって約1ヶ月後の2024年1月、再開発によって円山町から宮下に移転したBunkamuraル・シネマの座席で、私はイーニドたちと再開することになった。
改めて観てみると、最初に観た時の感動が蘇ったシーンもあれば、初見では気付かなかった要素が見つかったシーンもあり、希有な鑑賞体験になった。 これ以降、個人的に気になった部分を列挙してみる。
自由という試練
物語の序盤で、主人公イーニドと幼馴染みのレベッカは、揃って高校を卒業する。式が終わると、イーニドとレベッカは会場から走り出て、卒業生が被る伝統の角帽を脱ぎ、校舎に中指を突き立てる。二人とも大学には進学せず就職もしないので、これからは受けたくない授業を受ける必要もなく、大人として自分の道を選ぶことができる。スクールカースト上のポジションに惑わされることもない。
しかし、コーヒーのチェーン店で働きながら親元を離れて暮らすためアパートを探し始めるレベッカとは対照的に、イーニドは将来のビジョンを持てないまま高校の補講に通い、髪を派手な色に染めてみたり、映画館のアルバイトを一日でクビになったりしている。ルームシェアをする約束を果たす気があるのかとレベッカに問い詰められれば「自立、自立って馬鹿みたい」と滅茶苦茶な言葉を返して怒らせ、家に帰ってからベッドで泣く。イーニドは自由を満喫するどころか、自由を持て余しているように見えた。
高校生の頃は、学校の教員たちが決めたルールに従い、与えられたタスクをクリアすることが求められていた。経済的に親に頼っている分、親や家族というしがらみもある。大人の介入を避けられない年代にいるうちは、人生の問題を大人のせいにすることもそれなりに妥当だ。
しかし、高校を卒業してしまえば、もう人生の諸問題を安易に大人のせいにできない。複雑な家庭の事情に悩まされていても、「もう働ける年齢なんだから、お金を貯めて家を出ればいいんじゃない?」と言われてしまう。
自分の進路を選び、やるべきことを見極めて着実に実行することは、何をすべきなのか指示してくる人間に「やりたくない!」と反抗することよりもはるかに難しい。与えられた自由を乗りこなすだけの自分を確立できていないイーニドの戸惑いと迷走は、滑稽でありながらも、既視感があってひりひりする。
シスターフッドの曲がり角
この映画には、イーニドとレベッカのシスターフッド物語という側面もある。十代を同じ街で過ごし、お互いの恋愛事情も知り尽くしている二人が、高校卒業という節目を境に少しずつ噛み合わなくなってゆく過程が切ない。二人とも、相手を大切に思う気持ちを失ったわけでは決してない。それでも、環境の変化が二人の違いを鮮明にし、今まで通りではいられなくなる。
イーニドもレベッカも、世界をシニカルに見ている点は共通している。派手に遊んでいたクラスメイトが交通事故で身体障害を負ってから改心し、卒業式のスピーチで命の尊さを語っていたことに対して「人間そんなに簡単に変われるわけない」と陰で批判したり、卒業パーティーでも弾けたりせずぼそぼそ喋っていたりと、どこかひねくれた態度で生きている。世の中が用意する感情のフォーマットに素直に乗っからない低温な二人の間には、確かな仲間意識が見て取れた。
しかし卒業を契機に、二人の関係はぎくしゃくし始める。 イーニドは仮に卒業できたものの、落第した美術の単位を取得するため補講に出なければならない。スムーズに卒業したレベッカはカフェのチェーン店で働き始め、アルバイトではあるが社会に居場所を得る。卒業したばかりの頃はイーニドと一緒にダイナーに行き、新聞の尋ね人欄に出ていた連絡先にいたずら電話をするといった行動にも付き合っていたレベッカだったが、アルバイトも続かずルームシェアの部屋探しにも消極的なイーニドに徐々に愛想を尽かす。イーニドが中年男性シーモアとの関係を隠していたことが、さらに二人の距離を広げてしまう。
イーニドは古いレコードを集めるのが好きで、一癖あるファッションを身に纏い、多少野暮ったい部分はあるにしても自分の世界を持っている。バイト先でも、上司の指示に違和感を覚えれば分かりやすく態度で示す。表面的にはリベラルな国を装いつつ水面下では依然として差別が行われているアメリカ社会に対しても、批判的な眼差しを向けている。
しかし、それを表現した自分のアート作品が炎上した際、イーニドは作品を批判する人々に対して展示の意義を説明せず、展覧会の会場に姿を見せることすらしなかった。どんなに鋭い感性があっても、表現する者としての責任を全うする姿勢のないイーニドは、アーティストにはなれないだろう。黒縁眼鏡の媚びない「おもしれー女」ではあってもカリスマになる素質はなく、かといってマジョリティ的な価値観への転向もできないイーニドの中途半端さは、何とも残念である。
一方レベッカは、シニカルな部分もありつつ、現実と折り合いを付けて生きてゆけるキャラクターだ。店に来たイーニドに客への不満を漏らしながらも、上司に嫌味を言ってクビになったりすることはない。経済的に自立して実家を出るという目標に向かって、地に足の着いた努力ができる。
そして、レベッカは白人で、イーニドより顔が整っている。二人がパーティーに行くと、男性たちはユダヤ系のイーニドに興味を示さず、レベッカにばかり声を掛ける。 どう考えても、社会で上手くやってゆけるのはレベッカの方なのだ。
卒業を契機に、高校という環境の中ではそれほど目立たなかった二人の差が浮き彫りになる。置いて行かれた気持ちになるイーニドと、現実に向き合う意欲が感じられないイーニドに苛立つレベッカ。どちらが悪いわけでもないのに、高校の時と同じ関係ではいられない。絶交するわけではないけれど、何となく離れてゆく。
人生のフェーズに応じて深く関わる人が変わってゆくのはよくあることだし、どうにもならない。それでも、楽しかった長電話が気まずい時間に変わったり、昔だったら隠さなかったことを隠すようになる二人を見ていると、人生のほろ苦い部分を突きつけられるようで、胸が締めつけられる。
シーモア:大人になりきらないという選択肢
冴えない中年男性シーモアは、この映画におけるヒーローでありアンチヒーローだ。平日は会社員だが、休日は音楽・レコード・アンティークオタクとして自分の世界に耽溺し、友達も似たような同性のオタクばかり。せっかくライブハウスで女性が隣に座っても、音楽の蘊蓄を語って引かれる。そのくせ「運命の出会い」への憧れをこじらせている。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさを、これでもかと体現しているキャラクターだ。
イーニドとシーモアの出会いは、イーニドのいたずら電話がきっかけだった。新聞の尋ね人欄を読んでいたイーニドは、バスで少し会話をした緑のワンピースの女性にまた会いたいと呼びかける男性の投書を発見し、この気持ち悪いメッセージの発信者を見てやろうと、緑のワンピースの女性を装って電話をかける。会う約束を取り付け、待ち合わせの場所に友達と共に向かうと、呼び出されたシーモアがやって来る。
待ちぼうけを食らうシーモアを陰で笑いものにするイーニドだったが、別の日に街で偶然見かけたシーモアを尾行して、彼がレコードオタクであることを知り興味を持つようになる。シーモアのマンションで開かれたガレージセールで、イーニドはシーモアが売りに出した中古のレコードを買い、会話を交わし、徐々に距離を縮めてゆく。
シーモアが自宅でレコードオタクの集まりを開いた日、イーニドはシーモアの部屋に入る機会を得、彼のコレクションと生き様に驚嘆する。
恐らくイーニドは、シーモアという存在から、アーティストやクリエーターにはなれなくても自分らしさを手放さずに生きられると学んだ。たとえ恋愛のときめきが去ったとしても、シーモアの残像はイーニドの中に残り、社会と折り合いを付けられない彼女の行く先をささやかに照らすのではないだろうか。
(そして、シーモアの姿が、一応仕事や勉学などで社会と折り合いを付けながらも、家庭を持たず読書や映画鑑賞や執筆に明け暮れる独身中年の自分と重なる。その生き様が誰かの未来を照らしたりすることはあるのだろうか。もちろん作家として誰かの人生に言葉で貢献するのが一番の目標ではあるものの、映画を観た後、最低限シーモアになれたらいいなという気持ちになった。初見の時と感情移入するキャラクターが変わるというのは、なかなか新鮮な体験。)
矛盾を抱えたアメリカ社会への言及
最初に観た時はイーニドや一癖あるキャラクターたちが織り成す人間模様にしか目が行かなかったが、二度目の鑑賞では、画面の端々に映り込むアメリカ社会への皮肉もいくつか拾うことができた。
ライブハウスのシーンに、ブルースに影響を受けたと思われる白人のボーイズバンドが登場する。ヴォーカルは「朝から晩までcotton(綿花)を摘む毎日さ」みたいな歌を熱唱する。確かにブルースにありがちな歌詞だ。しかし、綿花を摘む労働をさせられていたのは主に黒人であり、白人は黒人をこき使う側だったはず。労働者の心の拠り所として作られたブルースという文化を、ブルジョワである白人が無神経に簒奪しているという皮肉な現実が、この短い場面にそっと描かれている。
また、イーニドとレベッカが一緒にパーティーに行くとレベッカばかりが男性に声を掛けられる件には既に触れたが、声を掛けてくる男性はほぼ白人だ。アジア系の男性や黒人男性などがレベッカをナンパすることはない。たまたま二人の住む街が白人の多い地域という設定なのかもしれないが、このようなキャスティングが決まった背景には、制度上の人種差別がなくなっても人種によるヒエラルキーが社会に残っているという監督の認識があるのではないかと感じた。
そして、個人商店がチェーン店に取って代わられ、住宅地が画一的なマンションで占められ、街が少しずつ個性を失ってゆく描写もある。レベッカが働くカフェ(ロゴがスターバックス風)やイーニドがバイトをクビになるシネコン内の飲食店は、無個性なチェーン店そのものだ。モノやサービスが画一的になり、雇用や労働のスタイルも画一的になり、マニュアル通りに動けない人間が排除される世界へのささやかな批判が、様々なシーンの片隅にそっと隠されている。
この映画は、十代の葛藤を単なる自意識の問題として片付けず、矛盾だらけで個性を受け入れない社会にも責任があると言ってくれていた。改めて、監督や制作者たちのティーンエイジャーに対する温かい眼差しを感じた。
ラストシーンをどう解釈するのか
ネタバレになるので詳細は伏せるが、この映画のラストシーンは比喩的で、どう受け止めるのが正解なのか分からない。イーニドの人生に希望の光が差すことはなく、かといって大きな絶望が訪れることもなく、自分を命がけで守ってくれた人の思い出を胸に強く生きることを誓うみたいな展開にもならない。とにかく、分かりやすいメッセージのある終わり方ではないのだ。
(映画館を出た後にエレベーターで乗り合わせた若いカップルも、やはりラストの解釈が難しいという会話をしていた。)
私自身は、このラストを、イーニドが他力本願な自分から卒業することをようやく決意したという意味に捉えている。
これまでのイーニドは、心細くなれば友人のレベッカやジョシュを呼び出し、映画の中盤以降ではシーモアにも絡んでいた。人生に行き詰まれば、誰かを頼って気を紛らわす。偶発的に何かが起こって道が開けないかな、みたいな感覚で生きているような印象だった。 しかし、物語の終盤で、一時はイーニドにとってヒーローだったシーモアが、突然遠のく。レベッカとも既に疎遠になっているイーニド。そして、不思議なラストシーン。イーニドは、私たちに背中を向けている。
イーニドは、自分を導いてくれるヒーローも、どう生きるべきか教えてくれる天使も、どこにもいないということに気付いたのではないだろうか。 人間は最終的には孤独で、自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかない。ラストシーンのイーニドからは、彼女が紆余曲折の果てに辿り着いた人生の真理が滲んでいるように思える。
そして、イーニドの後ろ姿は、スクリーンのこちら側にいる私たちに対しても「自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかないよ」と語りかけている気がする。どう生きるべきか、映画に教えて貰おうなんて思うなよ。自分で行動して、傷ついたり恥をかいたりしながら、自力で見つけるんだ。
以上が私なりの解釈だが、違う見方もあるのかもしれない。他の人の批評も検索してみたい。
おわりに
Bunkamuraル・シネマでの「ゴーストワールド」上映は明日で終わる。しかし、各地の名画座での上映はまだ続くようだ。これからも沢山の人がイーニドたちに出会うことを想像すると、自然と笑いがこみ上げる。
イーニドの冴えない青春は、観た人の心に何をもたらすのか。
これを読んで少しでも気になった方は、是非スクリーンで、ラストシーンまで見届けてください。
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逸脱
 トンネルの入り口に蔦が絡み付いている。名前が書かれたプレートはもうすぐで文字が見えなくなってしまいそうで、まるで血脈を広げるように蔦がトンネルの中へと触手を伸ばしているようだった。僕は、いずれこのトンネルごと蔦に飲み込まれてしまう景色を思い浮かべた。
 多くの通勤者にとって、このトンネルは都心の会社へとつながる道程だった。車道の横に歩道が整備され、���が通ることはほとんどなかった。僕は、このトンネルに毎朝足を踏み入れるたびに、いつもむくむくと心の中で天邪鬼が燻り始めるのを感じる。それというのも、あまりにも綺麗に、歩行者が左と右に分かれて歩いているからである。無論、それは指示されているわけでもなく、導線がひかれているわけでもない。ただ自発的に左側通行を当然のこととして、おそらく無意識のうちに自分の体を左側に寄せるように足が動くのである。その結果、長い列が糸を引くように左右に出来上がるのである。
 それはルールとして当然だろう、という声が自分の中から聞こえてくる。しかし一方で、その行列の中にいる自分を俯瞰的に見ると、違和感を覚えるのだった。あまりにも秩序だった光景のなかに、己が埋没して窒息してしまうような気持ちになった。靴が地面に当たる音がトンネルのなかに一定のリズムで響く。皆、前を向いて、その秩序を乱すまいとするかのような空気。一列の長い行列を作ってトンネルに進入する僕らは、その出口で完成形の戦力として吐き出される企業戦士だった。僕の中の天邪鬼は「お前、真ん中を歩いてみろ」と囁いてくる。しかし、そうすることが憚られるほど、その空間は秩序だっていて、隙間というものが存在しなかった。
 しかし、その秩序のなかに一ヶ所だけ、乱れが生じる場所があった。それは、トンネルのちょうど真ん中あたり。白髪で髭の伸びた男性が、地べたにダンボールを敷いて座っている場所だった。いくばくかの生活の必要なものを詰めたと思われるリュックを横に、いつも男性はじっとうずくまっていた。まるで、一定方向に流れる川の流れが岩にぶつかり、その周りだけ曲線が膨らむように、トンネルの流れは、男性の周りだけ弛緩していた。物理法則のように、男性の周りだけ膨らむ流れは、実際にところは不明だが、多くの通行者にとって男性の存在がその場所にある物のように見えていることを強調しているように見えた。
 僕は、その男性の横を通るときいつも、大勢の靴が地面を蹴る音が、彼にはどのように聞こえているのだろうかということを考えていた。その靴の音はまるで、私たちとその男性の間に一本の線を引くように、暴力的にトンネルの中を鳴り響いていたからである。僕には、その音が、仕事をするもの、しないもの、あるいは生産活動に従事するもの、しないものという、ただその一点のみに集約された区分を強迫的に私たちに突きつけている���うに感じられた。
 その男性は、あるときは全く姿を見せなくなったり、そうかと思えば、夜、仕事を終えて駅に向かって歩いていると、またそこに戻っているというような具合で生活をしていた。あるときは、どこかで拾ってきた本を読んでいたり、あるときはどこかで調達してきたおにぎりやお弁当を手に持っていたり、そしてあるときは、見知らぬ誰かが、「食べてください。困ったことがあればいつでも連絡ください」とポストイットとともに食料が置いてあることもあった。男性は姿を見かけるときはいつも、静かにそこに佇んでいた。その姿が、僕には全てを達観している仙人のように見えて、いつしか僕はその男性のことを師匠と勝手に心の中で呼ぶようになっていた。
 僕は、師匠が駅の近くで動き回っている様子を見かけたことがあった。車がビュンビュンと走り抜ける通りの反対側で、道端で体を折り曲げながら、なにやらゴミ袋のようなものを運んでいたように見えた。それは、暑い初夏の日で、師匠にも容赦なく太陽が照りつけていた。近くで見ていたわけではないのに、額から汗が吹き出して、汗で背中に服が張り付いている様子が目に浮かんだ。師匠にとってはそれが日常だったのだろう。
 次第に、師匠は僕の決まり切った毎日の生活のなかで、唯一、僕自身という水面に波紋を引き起こす存在となっていった。師匠は孤独ではないのか、師匠にとって生きるとはいかなる意味を持つものなのか、師匠はなぜ生きているのか。そうした問いが僕の中で生まれてはぐるぐると回って、次第にそれは己の中の奥深い部分へと侵入するかのように、全て自分へと問い返されるのであった。
 事件が起きたのは、ちょうどお盆を迎えようかという8月の半ばごろだった。僕がそのことを知ったのは、ネットの記事によってだった。スマホの画面上にいつも歩いているトンネルの遠景写真が載っていた。捜査員が路上で現場検証をしている様子が写っていた。未明に3人の少年によって、ホームレスの男性が襲撃され死亡。師匠のことに間違いなかった。
 僕は、翌日、あのトンネルへと足を運んだ。入り口から出口まで、規制線が張られ、警察官が立っていた。誰もいなかった。
 師匠は誰によって殺されたのか。
 僕の頭から離れなかったのは、少年たちの供述として書かれた一文だった。
「遊びみたいなもんだった。ホームレスの人たちを見下していた」
 その一文が僕にとって大きな意味を持った。なぜなら、そうした社会の空気を作り出しているのは、自分がしている仕事そのものではないかと思ったからだった。
 ホームレスは視聴率が取れる。そんな言葉を職場でしばしば耳にすることがあった。僕は、テレビでニュース番組を作る仕事していた。ニュースと言っても、ワイドショーと大差ないようなもので、常に映像にインパクトがあるものが求められた。それが高い視聴率をとる上で鉄則とされていた。ホームレスの人たちは、だから格好のネタと認識されていて、先輩たちは、その認識を疑うこともなく口にした。しかし、どれもこれも、まるで私たちとは違う生き物を興味本位で覗き見するかのような内容のものがほとんどで、それらは単なる好奇な眼差し以上のなにものでもなかった。肥大化した大衆の欲望を刺激し続けるメディアにとって、普通から逸脱した存在は、格好の捕食対象だった。それが僕のしている仕事の本質なのかもしれなかった。
 僕が日々仕事として生産しているものとはなんなのだろうか。それは果たして社会の役に立っているのであろうか。急に僕の目の前にトンネルの光景が広がった。トンネルを歩く人たちと師匠との間に大きな溝が広がっていた。その溝をせっせと掘っているのは、他でもない自分自身だった。そして、一方の溝の縁に立って、多くの群衆が師匠に溝の中に飛び込むように囃し立てていた。僕はただそれを遠巻きに眺めているだけだった。
 師匠を殺したのは誰なのか。
 僕の目の前には、いつもと変わらぬ日常がありふれていた。いつものように、スーツを着た無数の人たちが、いつものように駅のコンコースを歩いて行く。
 あのトンネルに差し掛かろうとしていた。
「お前、真ん中を歩いてみろ」
 天邪鬼が僕に囁いてくる。
 しかし僕はいつものように、体を左側に寄せて群衆の中へと引き寄せられていく。師匠がいた場所の周りは弛緩することなく、革靴がトンネルの中を響いていた。間違いなく僕もそのなかの一人だった。
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myonbl · 1 year
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2023年9月17日(日)
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<神戸文化ホール>で開催の<第47回東西落語名人選>、露の新治さん出演とあって早くからチケットを確保しておいた。ただし夜遅くなるのはいやなので昼の部だけ、東京の3人は初ライブなので来たかいがあった。近年は神戸と言っても新開地・喜楽館へ来る程度、周辺を歩いたことはないので<湊川神社>の広大さには驚かされた。次回は、ゆっくりとまちあるきを楽しみたいものだ。
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5時15分起床。
日誌書く。
洗濯。
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朝食。
洗濯物干す。
デスクまわりの片付け。
今日は神戸まで落語会、ツレアイにおにぎりを用意してもらって出発。
阪急桂駅から快速特急乗車、<京とれいん 雅楽>に初めて乗る。桂の次は淡路まで止まらない。
高速神戸で下りて会場へ、隣接する公園のベンチで🍙をいただく。
会場に入ると露の新治さんに遭遇、私は夜の部に来ると思っていたとのこと。芦屋市議の山口さんもみかけたが、グループで来ておられたので挨拶しそびれた。ツレアイは会場内で東京のNさんに会ったとのこと、金曜日から明日まで毎日新治さんを追っかけとはすごい。
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小痴楽・小遊三・小朝の東お三方は初ライブ、小痴楽はまずまず、小遊三は退屈、小朝はさすがの存在感。新治さんの<狼講釈>、五目講釈に少し改良があって、2度の中手が来る熱演。福笑は爆笑、福團治は独自の語り口では��るが、<井戸の茶碗>としては雑な運びで私には合わない。
終演後、すぐに退出する。
ツレアイは西大路七条で下車して買物へ、私は先に帰って夕飯準備。
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夕飯は鰹のたたき・茹でソーセージ・蒸し南瓜・串カツ・キュウリのぬか漬け・レタスとトマト。
録画番組視聴。
カラーで蘇る古今亭志ん生 「落語の神様」と称される古今亭志ん生の没後50年を記念し全盛期に収録された高座映像「風呂敷」をカラー化、初オンエアする。出演は五街道雲助、池波志乃、古今亭文菊。 2023年は「落語の神様」と称される昭和の大名人、古今亭志ん生の没後50年。命日の9月21日を前に、最新のAIを用いカラー化した志ん生の落語を初オンエアする。演目は、全盛期の1955年に収録された「風呂敷」。番組では、大画面で初公開された9月1日のイベントから、志ん生の孫弟子であり、今年人間国宝に認定される五街道雲助、同じく孫弟子の古今亭文菊、そして実の孫、俳優の池波志乃によるトークもお届けする。
「落語の神様」なんて、誰が言ったの?
片付け、入浴、体重は300g減。
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3つのリングは無事完成、水分は1,530ml。
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poetohno · 1 year
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第四楽章 水の旅路
「物語」
地球上の水のほとんどが塩が混ざり あるいは氷に閉ざされている
純粋な水として存在するには空に抱かれ 山に削られ 岩磐(いわいわ)の険しい旅路を行き 大地の洗礼をうけなければならない
地表に流れる水は命の源であり 様々な自然の関わりによって生み出される命の産物
水は天より降り注ぎ 山を下り 河を流れ 海に終着する水が渇き天に抱かれ空を旅する雲となるのなら風とは命の使いとも呼べないか
風は運命を垣間見せる全ての命は風に運ばれている
風の導きによって命の定めも決まるだろうか風が囚われれば世界は地獄と化し風が自由に歌えば生命もまた謳歌する
ふと目にするあの雲もまた空の彼方の海からやってきたのかもしれない雲は風に流れ 果てに行き着くだろうまた別の風は果てしなく巡っていることだろう
―海のように
果てなき海は生命の始まりの大地山は生命の終わりの果て 辿り水は生と死を巡る 水は命そのもの
雪に閉じこめられた命は春の訪れと共に花開き溶ければ寄り集まりながら小さな鼓動のように流れやがて大きなうねりとなり生命が漲る川となる
そこに命があるなら戦いがある戦いに勝利したものは生き延び敗北したものは死に絶え川を下る
その戦記には続きがある彼らの肉体は川の果ての森に続き木々に住まうものたちの糧となる森の果ての川に命を紡ぐ物語がある
「川の調べ」
雨は天より零れし海の唄 海は天を仰ぎ 天は海を抱く山を越え 草原を愛で 森の謳歌を奏で渇いた砂漠に一瞬の楽園を築く 命の交響曲を支える旋律
空が蒼いのは川を抱いているからなのか空に漂う雲は 流れる風は 天に聳える山にとって脅威にもなる水は一度流れを持ってしまえば何者をもってしても止めることはできない時に抗えないように
水は命を蘇らせる力を持つが同時に山を死に至らしめる力を秘めている峰を削り 野山を駆け下り 大地を削り 渓谷へと変貌する深く奥へと 時が覆い隠した地表が現れる時を遡るかのように
「川の宴」
川が在る所に命は宿る獲物求め命を奪う破壊者がいるなら草を求め旅するものたちの大行進がある
命を賭けた戦いが川を彩る沈黙に眠る川も一度戦いが始まれば騒然となる
一瞬のうちに命が散り 火花のように瞬き雷の閃光のように轟く
そこには思想も哲学もない剥き出しの命と真実がある
「湖の謳歌」
湖は海と隔たり生き物たちはその境界を越えることはできないそれは牢獄なのか それとも楽園なのか
湖がもし栄華を極めたとしても湖が干上がれば命は全て消えてしまう
生き残るためには他を上回る戦略によって己の道を切り開くしかない
裏切り 裏切られ 騙し 騙され 命を残すための闘いは熾烈を極める本能と理性の狭間に揺れる闘争
鏡のように澄み切った湖の下には過酷な世界がある
一の美しさをこの目に宿すためには相反する十の醜悪な世界を知らなくてはならない
「川の旅路」
川の旅は続く天空より舞降りる千の雫は木の枝から幹へと遡るように寄り集まり川の流れを描き大地をうねりながら森を横切り平野を走る
大地の鼓動が生命の躍動なら大地の雄叫びは闘いの咆哮である
闘いの先に散っていった者達が川に溺れ 川に��み川を血の色に濁らせるなら
草茂る水の流れはその汚れを払い水に清流を取り戻す
乾季と雨季に生と死が巡り歓喜と憂き命が交錯する
雨が降ることで大地の様子は一変し世界が変わる
生命の謳歌と眠りが時の巡りに合わせて変化する川は山を削り 破片を海岸まで運んでいく
そして川の旅は終わる
「海の森」
珊瑚礁は海を砂漠から森に変え多種多様な命を呼び起こすオアシス光を受け輝き 波に揺らぐ花のよう海に咲く花を愛でようと多くの命が集まり闇の海に咲く光であり 命の灯のよう海の家 大地にとっての安らぎの木
海に昆布が揺らめく場所は熱帯雨林を思わせる海を浮かびながら漂い 命は溢れ 迸り色は犇めきあいながら 絡まり合い 踊りながら波に歌う絵の具を散りばめたかのような宝石のように輝き始める足を踏み入れたものはその場所に住み着き憩いの場所を築き 新たな旅に出る時を隠れながら待つ
「海の宴」
命を育み 支える命の種命を降らせる恵みの雨植物プランクトンの恩恵を受けるために 命たちで溢れ返る
生き物たちが群れを成して訪れる命求めて海を縦横無尽に旅するものたちが春を待ち続けていた
冬に荒れ狂う波は海をかき混ぜて海に栄養を行き渡らせる命にとっては天と地を別つ温度の壁海にはある嵐は壁を破壊し 天と地を混ぜ合わせる命にとっての心臓の鼓動のよう
夏命を求める旅は続く魚は群れを成して移動を続け鳥たちは巣へと帰り 再び飛び立っていく鯨もまた旅を続けている温暖な場所から極地へと向けて旅は続いている―春を求めて太陽の方角へ
秋が来る時 嵐は再び起こる命にとって堪えなければならない長い時の前の休息と謳歌の時間集まってきていた生き物たちは散り散りになりそれぞれの場所で 冬が終わる時を待っている海さえ嵐を呼び込みながら 海をたゆみ無く巡らせながら 春の時を待っている海の流れが無ければ 命は恵みの時を受けられず翼は折れ 大地に落ちる
「富の海」
光が降り注ぎ 大地は珊瑚礁に彩られ魚が銀色に閃いて通り過ぎる揺れる虹のようなたなびく彩雲のような百花繚乱の森色の豊かさが命の豊かさを示すならこの彩りに富んだ景色が命の豊かさを現している
海の楽園は海全体のどれ程だろうか
エメラルドに光り輝きクリスタルのように透き通り波が青の群れとなり光揺れる世界
生き物に犇めき濁った世界砂漠や極寒の世界に隠された地底奥底の知られざる世界があるかもしれない
豊かさだけを見るなら確かにここは楽園であるが楽園の背後に眠る闇を誰も知らない
命踊り 光輝き それは目下に佇む闇の中に歌う星のよう
「海の彼方の闇」
知られざる宇宙のような場所
天文学者ならば星を探して眼を凝らし新たな光を見ようとし
生物学者ならば命を探して彷徨い歩き新たな生き物を見つけるだろう
深海の闇という宇宙に潜む星を探すように生き物たちは身を潜め闇の中で蠢いている
光は徐々に薄くなっていく辺りは夜のように紺に染まっていく気づけば無音の闇の中光の恩恵はここには存在しないあらゆる時間において闇は光の無い洞窟のように
微かな栄養を頼りに彼らは生きるしかない自らの力によって海を渡り海流という大地にとっての風に乗り漂う
海を浮遊する微細なプランクトンが海の世界を支えている鯨や鮫 鯱や海豚といった華やかな生き物はその表面で閃いているに過ぎない舞台に踊るアクターを支える無数の影の努力者たちのような
触れれば壊れそうなガラス細工のように揺らめき揺れる蝋燭の火は今にも消えそうな陽炎のよう今にも壊れそうな幻想的なあり方をしている
「深海の底」
海は深いだけで圧倒的な力を湛えている大気であれば気圧 全ての命の源 水を水として存在させるための力水圧の力には際限がない 科学の力で武装した鎧すら簡単に破壊する
水温は凍えるほどに冷え込み 空気は高山のように薄く やがて皆無になるこの世界は生命の存在を拒んでいるのだろうか
果てしなく深い限界の場所で生き物は蠢いている恩恵は海の表層から降り注ぐ 雨のようで 雪のような死が舞い降りる生きとし生けるもたちの肉片が塵となって落ちてくる彼らの死によってもたらされるものはこの世界では太陽の光のよう
海底に着く時この世界は月のようだ果てしない無の世界が広がっているしかしこんな所にさえも生き物は生息している
「海底火山」
海底にも火山は存在する海底とは海の底であると同時に大地の果て
大陸と大陸の鬩ぎ合いの狭間に摩擦に散る火花があるように火山が煌々と火を上げている
マグマは地脈のように奔り 地球の中心まで潜り巡り 再び地上へと吹き出す
世界とは外に開かれているのではなく内側に広大に巡っている
マグマが海底の生き物を支えている砂漠にとってのオアシスのように
海底に山脈を築き 延々と続くかのようにいつか大地が隆起し 沈没した時海底に眠る大地は海上に眼を覚ますだろうか
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nostalblue · 2 years
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門扉修繕
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当地を前オーナーから引き継いだ時には、玄関の前にはナニワイバラの乗る木製のアーチがあり、それが道路から敷地へ入る門のようになっていた。ただし扉などはなかったので、猪鹿どもが家屋周りに自由に出入り出来る状態だった。そのままではマズイので、ブラインドの壊れたブラインドパーテーションのパイプ枠と、ホームセンターで調達した一畳サイズの木製ラティスで開閉できる門扉を作った。
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2000円にも満たない木製ラティスだったが、強い台風の直撃に何度も耐えて来た。設置から5年経ち劣化も進み、補修や補強しながら何とか延命を図ってきたのだが、この師走の暴風で格子が抜けてしまった。早朝、トイレに起きた時にはまだ健在なのが見えたが、その後数時間のうちにこうなってしまったようだ。
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外れた格子はほぼもとの形を留めているので、また枠にはめ込めば使えるようにも見えるが、これが相当劣化していて引き続き使用するには躊躇する。強引に使って強風や動物の攻撃で大破し痛い目に合うよりは、潮時と考えて別の材料で作り直してしまった方がよいだろう。
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とはいえタイムリミットがあり、日没までにある程度の形にしないと夜間に動物侵入の懸念がある。この冬一番の寒波と止まない強烈な西風で手足がかじかむ中、現場で頭をフル回転させて方法を模索する。使える材料や施工時間などを考慮した結果、圃場の再整備で取り外した細目のワイヤーメッシュが有ったので、それを残ったラティスの枠に取り付けることにした。枠サイズより若干大きいが、ワイヤーの端ををうまく折り曲げて合わせることで、ビスを使わずとも固定できることになりむしろ良かった。
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流用するラティス枠も劣化が進んでいるので四隅には補強を入れておく。とはいえ補強材も解体資材の再利用なので強度的にはさほど無く、気休めみたいな物だ。壊れたらまた付けます(笑)。
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ワイヤーメッシュだけだとすり抜ける動物もいるので、最後にネットを縫い付け。緑色の防獣ネットと迷ったが、100均で買った青い防風ネットのサイズが無駄なく都合良かったのでそれを使った。実は防獣効果もこちらの方が高いのよね(裂けにくい)。心配は風圧だったが、ワイヤーメッシュとの組み合わせでも元の木格子と比較にならないぐらい風圧受けないし、扉開閉も随分と軽くなって快適になった。ラティスのような美観は無くなってしまったけれども、費用も掛けられないから機能性優先になるのは仕方ないわな~。
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番線で作った回転式ドアロックと風鈴を応用したドアベルは引き続き流用。安易に既製品を買わず、カネでなく頭を体を使って同じ機能を実現するのがこの生活の醍醐味であり日常なのよ。
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それにしてもここ数日の風は強烈で、継続して吹いている時間が長いのでいろいろと面倒事を発生してくれる。傾斜地の枯れ大木もこの風で倒壊したが、かろうじて下段の蔓ネットやその支柱から逸れたのは不幸中の幸いだ。枯れてから長いこと経ち水分が抜けているとは言え、太いのはかなりの重さがあるから移動して片付けるは容易ではない。解体できる部分は薪などに流用するとしても、そうもいかない部分は邪魔でも放置して朽ちるの待つしかないかもね。
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alaephoenicis · 2 years
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アトランティス 〜 地球の遺産
ロビン・カイザー
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オリジナル動画:https://youtu.be/GJtDJ3SAWXo
【和訳:ALAE PHOENICIS】
最新情報はTelegramチャンネルへ
アトランティス、地球の遺産。
歴史を知らない種族は、歴史を繰り返すことを余儀なくされます。
そこで、地球の歴史を少しばかり振り返って、皆さんが再び立っている場所が、人類という種の発展においてどのような位置にあるのかを知って欲しいと思うのです。
世界を揺るがすようなすべての大きな出来事、特に感情を強く揺さぶるような出来事は、地球の形態生成領域に特に強く刻み込まれます。
そして、人類の集団的記憶の深層に最も強く刻み込まれているのが、人類がかつて経験した自己破壊の物語なのです。
地球の歴史的発展全体から見れば、過去に人類が自滅したことはそれほど遠い話ではなく、この物語の一部は、伝承として現代に生きる皆さんの中に残っているほどで、例えば、ノアの方舟と大洪水の話は、過去のアトランティスの滅亡を寓意的に表現したものです。
アトランティス以前に、あなたの地球上に滅びた文明があったことは事実ですが、アトランティスの自滅物語はあなたに最も近いものであるため、地球上のすべてが再びアトランティスの崩壊直前のように見える今、アトランティスと言うテーマは感情面において最大の負荷が掛かるものでもあるのです。
皆さんの中には、当時のことを記憶している人も何人かいますが、そういう人たちこそ今、自分たちが自己破壊の歴史を演じようとしていることに気付いているのです。
時間という点では、アトランティスは大体、現在の科学者たちが氷河期と呼んでいる時期に起こりましたが、人間の内なる経験は時間的直線性に基づいて��き出すことはできず、むしろ種族の記憶の中に存在するものは、時間という質において同じ星の下にあるということなのです。
当時のアトランティスでは、一部の住民の透視能力が現在と比べ非常に発達していました。そして、アトランティス人の一部は、300年以上も前にすでに滅亡が迫っていることを察知していたのです。
地球はもともと、地上の住処を作るためのたくさんのDNAキーを有する、重要で豊かな遺伝子プールだったのです。
当時、私が滅亡の到来を予言した際には、一部のアトランティス人は、すべての植物と動物の雌雄一組ずつを箱舟に乗せることで、地球の遺伝的遺産を象徴的に表し、確保しようとしたのです。
箱舟は、万が一地球が自滅した場合に備えて、遺伝子プールを確保し、地球を再生させるためのデータ保管庫だったのです。
現在、あなたが住んでいる地球は、この遺伝子プールによって再構築されたレプリカなのです。
今日ではテクノロジーと意識を切り離してしまっていますが、アトランティスの時代には、創造的な法則に基づいた高度な意識テクノロジーがありました。
皆さんは、エネルギーや情報の貯蔵、変換、伝送のために、様々なクリスタル・テクノロジーの利用法を完成させていました。
コミュニケーションは主にテレパシーで行われましたが、非常に強力な創作言語も与えられ、それは特にアトランティスの神官によって話されていました。
アトランティス人の一部は、この創作言語と、総体的創造という意味でのクリスタル・テクノロジーと周波数テクノロジーを扱うのに必要な意識の成熟度に達していました。
しかし、当時の地球上に住んでいた別のコミュニティには、この成熟度がなかったのです。
何度も何度も戦争的な対立が起こり、高い意識テクノロジーを持つアトランティス人の一部はどんどん退却し、地球上からエネルギー的に隔離された都市を建設していきました。
しかし、戦争の最中、強力な創造テクノロジーが、それを健全に扱うだけの意識の成熟度を得ていない者たちの手に渡ってしまった。
人類は今、再びテクノロジーが利用できるようになりましたが、それを有益に利用するために必要な意識の成熟度にはほど遠い状態です。例えば、原子力です。
ここでは便宜上アトランティスと呼んでいる物理的振動空間が完全に自己崩壊する前に、大洪水と地球プレートの移動が繰り返されたため、水辺に集まっていた人口の大部分が高台の本土に逃げ込みました。アトランティス人の一部は沈没直前に地上に避難し、一部はシリウス星系に旅立ちました。
しかしその時、大半の人々は破滅の道を運命づけられました。
大半のアトランティス人たちの意識は比較的高度に発達していたにもかかわらず、自己崩壊を予測することはできず、クリスタル・シティからの預言者を信じようとはしませんでした。
沈みゆく直前、つまり数時間前になってやっと、地球上で生きているすべての者に、これから地球規模で何が起こるかがはっきり分かったのでした。
アトランティス時代、あなた方はいわゆる闇の物質からエネルギーを抽出する実験を盛んに行いました。この起源的なエネルギーを、他の振動レベルへのワームホールの助けを借りて、自分たちのために利用できるようにすることを目標としていました。
あなた方は、クリスタル・ピラミッドを使って、他の波動空間へのポータルを開き、次元間のエネルギー転送を可能にする方法を知っていたのです。
フリーエネルギー、つまりエーテルエネルギーの伝導は当時、地球上のどこでも可能でしたが、あなた方は物質レベルとは逆極性でコード化されている高次のフィールドレベルから宇宙起源のエネルギーを手に入れる可能性を探していたのですが、他の領域レベルへのポータルが開くという知識は、この知識を自分たちとその全能妄想のために使おうとする集団に渡ったのでした。
この動機は、極めて限定された共鳴圏を宇宙に生み出し、その自分本位な全能感を約束してくれていた存在を引き寄せることでした。
低い振動領域から来たエネルギーの高い存在たちは、このグループに大きな権力を提案し、この権力の再分配を通じて、誰も彼らをこの世界の王座から追い落とすことができなくなれば、地球上の戦闘的対立は一挙に終わらせることができると約束したのでした。
この一団は、当時まだ、自分たちが権力の座に就けば、あらゆる紛争をなくすことができると信じ、自分たちの行動が正しく、重要であると考えていた面もありました。こうした権力を約束してくれる存在に自分たちが悪用され、彼らが影響を及ぼそうとする地球上の計画領域に、扉を開け放ってしまうことになると、気づいていなかったのです。
クリスタル・テクノロジーの力を借りて、彼らは文字通り闇の世界へと通じるポータルを開いてしまいました。
そして、ようやく突破に成功し、ポータルが開いたと思った瞬間、地球上に黒い雲が降り、低い波動の領域から無数のエンティティがこの惑星に押し寄せ、その瞬間に惑星は倒壊してしまったのです。
自分たちのしたことに気づいた時には、すでに遅すぎました。また、彼らはポータルを再び閉じることもできませんでした。
このポータルの開封後、全体の生態系が崩れ去ってしまいました。
そして生き物の90%以上が、その転生から一挙に引き剥がされました。
現在に至るまで、人類はアトランティスで起こったことから大きなトラウマを抱えており、このトラウマを癒すために、あなたの中で今、ある程度の再演が行われているのです。
低い振動レベルへのポータルの殆どは、あなた方の文明が始まる時に再び閉じられました。
しかし、今日もなお、いくつかのポータルは開いたままであり、そこからあなたの世界に邪悪なものが侵入して来ています。
カリ・ユガを通して、アトランティス崩壊の瞬間に力の絶頂にあったアストラル勢力は、笏(しゃく)を手放さず、それによってあなたの世界全体の発展を誘導し、今日、再びハイテクによってこの振動領域へのポータルを完全に開放し、彼らの参入を許そうとしているところなのです。
権力欲から異次元へのポータルを開いたアトランティスの物語は、今日、あなた方のいわゆる「粒子加速器」に受け��がれています。
スイスのツェルンで働くプロジェクトリーダーや科学者の中には、最後の文明の滅亡につながったものを今完成させようとしている魂の集団に属している者もいます。
しかし、もしツェルンやその他のいわゆ「大型粒子加速器」によるポータルの全面開放が成功すれば、地球は再び滅亡の一途をたどることになります。
多くの魂がアトランティス崩壊直前にそうであった如く、地球上に分布、転生しており、このことによってあなた方に生じた集合的カルマが今現在、あなた方の現行の進化過程全体において、かつてなかったほど激しく自己を主張しています。
ツェルンのような大規模プロジェクトがここまで盛り上がることにまでなったのは、あなた方の自己破壊への嗜癖を映し出す鏡であり、元来の目的は癒しが求められているからなのです。
地球の遺伝子プールを利用しようとする者はまだ存在しています。なぜなら、それがすべての物理的存在領域における創造的パワーの鍵となるからです。
あなた方のDNAは巨大な宇宙の貯蔵庫であり、あなた方という種族を支配する者もまた、あなた方の遺伝子から得たすべての情報を得ることになります。
地球の遺産は膨大で、人類がこれまでにインターネット上で集めてきたデータ資料よりも多くの情報が、たった一人の人間のDNAに暗号化されているからです。
実は現在、地球全体とすべての動植物種のために、自己破壊に備えてのバックアップ、箱舟がすでに存在しています。それでも、進化の同じ地点で何度も完全にゼロにリセットすることが、創造の目的ではありません。
特定の多次元レベルで同時に起こりうる展開のラインは、2つしかないのです。
アトランティスで起こったことが再び繰り返されるのか、それとも記憶を辿ってかつてのことを思い起こし、アトランティスのトラウマを癒すことで自滅の直前に別の方向へ発展の舵を切るのか、そのどちらかです。
地球の内外から、当時のアトランティスの自滅を生き延び、地球の遺産を守り続けてきた人々や存在から、あなた方は多大な援助を受けています。
皆さんのDNAには、物質的な波動空間の正統な王者としてふさわしい、貴重な創造の秘密が暗号化されているのです。
他の種族があなたのDNAを解読するのは簡単ですが、あなたがその種族を支配者として選ばない限り、そこにコード化された創造の原理を利用することは許されないのです。
あなたが自己責任によって神から与えられた力を取り戻し、物理的な平面の創造者となるのか、それとも他のエンティティをポータルを通じて地球に引き寄せ、あなたを支配させるのか、それは今あなたの手に委ねられているということです。
あなたは自分が思っているよりも偉大な存在であり、アトランティスからの記憶はその真の偉大さをたどる手助けとなるのです。
かつてアトランティスで起こったことに関するすべての情報はあなたの中にあり、より正確にはあなたのDNAに暗号化されています。
そして、もし皆さんが人類の進化の中で輝かしいとは言えない時代と、自らの傲慢さや不遜さを直視し、そのことで引き裂かれてしまった実体験を謹んで認めるならば、種族としての自分たちがどうやって終焉の直前に舵を切るのか、知ることになるでしょう。
地球の遺産を自分の中に抱えているあなた、アトランティスの滅亡を学ぶことで、その遺産を完全に相続し、当時の破壊的な滅亡を現在の見事な移行へと転換させることができるのです。
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ryoryu-mg · 4 days
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 夏の某日。漁村の男たちはいつも通りに漁へ出る。  その中に二〇代真ん中くらいの若い男が一人。  名をイツキと言って、過疎化が進む村で自ら漁師の道を選んだ男だ。  同級生が皆県外へ就職し見栄え至上主義へと染まる中、彼は堅実に歩みを進めていた。
 両親が飛行機事故で亡くなり大学を中退したイツキは、顔なじみのオヤジどもに交じって漁師になる道を選ぶ。  彼は社会不適合者だが、海が大好きだった。  漁師というのは肉体面でも知識面でも覚える事が多く、おまけにえらく専門的で、 『陸の役立たず!』などと嫁や子供に笑われる場面が多々ある。  しかし過度な集中力と強度の知識収集癖を持つイツキにはうってつけだったらしく、今のところは上手くいっている。
 ある晩、イツキは夢を見る。  どこかの砂浜でユラユラと浅瀬に漂っていた。  温もりのある柔らかな砂を、穏やかな波が攫っていく。  手を空にかざせば浅黒く焼けた肌と入道雲のコントラストが美しく、イツキは海に包まれる心地よさを満喫していた。
 その時。ふいに臀部を何かが掠っていく。  浅瀬にしては結構な大きさだった。  イツキは姿勢を変え辺りを見回すが、景色は先ほどと変わらず沖へ流されている気配も無い。  と、何かが彼を真下から押し上げた。  まるで犬猫がじゃれつく様に、何かがその巨体を擦り付けてくる。  大方イルカや小型のクジラだろうと、イツキはそれの鼻先を撫でる。  背ビレには擦り傷が無数にあり、根本が少し欠けていた。
 しかし哺乳類にしては随分と尖った背ビレだな……などと思っていると、その近くに奇妙なモノを見る。  大きな裂傷が、胸ヒレの近くにいくつも入っていた。  まるで巨大なカギ爪で引っ掻いた様だ。  海の哺乳類は厚い脂肪を纏っているとは言え、この深さの傷を負って元気でいられるだろうか? ――致命傷だろう。
 そうこうしているうちに、謎のデカブツは首をもたげこちらを見上げてきた。  鼻先はハンチング帽のつばを肉厚にしたような形で、目は光を吸い込む真っ黒さで、口は大きくナイフの様な歯がビッシリと並んでいる。  デカい。三メートルは優に超える立派なサメだ。  齧られたら一溜りも無いだろう。  しかし奇妙な事に、イツキは特に恐れも無くサメを撫で続ける。  そもそもの話、サメからしたら人間というのはローカロリーなのだから、彼(もしくは彼女)がこうしてコミュニケーションを図るには理由があるのかもしれない――  イツキがサメの鼻や背中を優しく撫で続けると、サメは胴体をずるりと押し付け「こちらへ来い」と手招くように振り向く。  試しに背ビレに掴まると、サメはイツキを連れて広大な海を泳ぎ始めた。
 イツキは様々なものを見た。  極彩色の魚が泳ぐ珊瑚礁、朽ち果てた沈没船、巨大なクジラが回遊する氷河の下、古代文明の水中遺跡……。  実に美しい情景だった。
 そうした遊覧を終え、イツキを乗せたサメはあの砂浜へと戻る。  彼が背ビレから手を放すと、サメは名残惜しそうに身体を摺り寄せ、そのまま沖へと泳ぎ去った。
 目を覚ましたイツキは、はて奇妙な夢だと首を傾げる。  仕事で沖へ出るも、夢で見たサメの事が頭から離れない。  あまりにボケっとしているものだから、仲間の漁師らに怒鳴られる始末だ。  仕方なく、彼は夢の事を話してみた。
「はぁ~! お前そりゃア、魅入られとるな!」  イツキが聞き返すと、漁師らは古い伝承を聞かせてくれた。
 曰く、海には美しいヒトの貌を持つ異形の魚がいて、気に入った人間を水難から助けたり、時に喰らうのだそう。
「大方、昔の人間がサメやらシャチやらを怖がってそう呼んだんだろうなァ」  ひとりがそう締めると、他の漁師が口を挟む。 「言ってもよぉ、俺の先代の話じゃア人魚を招いて宴会したって話だぜ」 「あァ~、網にかかった人魚をもてなしたんだって、ウチの婆さんが……」
 その日は曇天で、魚もあまり獲れない日だった。 オヤジどもの雑談を黙って聞くイツキだったが、ふと遠くに白い尾ビレを見た。  扇の様な形はクジラのそれだろうか。  周りに幾つかの小さい黒い尾ビレが肉眼で確認できた。  彼は声を張り上げ周囲に呼びかける。  この辺りでクジラが回遊するなんて聞いた事が無い。  騒ぎを聞きつけた船長は、双眼鏡でクジラの群れを見るなり顔面蒼白で「陸へ帰る」と言いだした。
 胸騒ぎを覚え、イツキは船長に訳を聞く。 「あの白い奴はダメだ。アレはもう何隻も沈めてる」  そう言うと、船長はドタドタと船内へ引っ込んでしまった。  イツキは他の漁師と協力し、声を張り上げ撤収作業に勤しんだ。  が、イツキがふと海洋へ目をやると、どうしてかあの白黒の群れが船のすぐ近くまで迫っていた。
 船は唸りを上げて全速前進しているのに、クジラは悠々と船を取り囲む。  不意に潮吹きの音がいくつも聞こえ、白い尾ビレがゆっくり沈むのが見えた。  真っ白な巨体が垂直に、船の真下へ潜っていく。  この世の終わりの張りつめた空気の中、その場にいた全員がただ海面を見つめていた。
 次の瞬間、船体が揺れて甲板が大きく傾く。  下から突き上がる圧倒的重量に船体が悲鳴を上げ、他の漁師がぼたぼたと海へ投げ出される中、イツキは船縁にしがみつきソレを見上げた。  真っ白い大きなザトウクジラだった。  海面からそそり立つ巨体がこちらへ傾いてくる。  奴は船を見据え、こちらを押しつぶさんとしていた。  イツキは咄嗟に甲板を蹴飛ばし、船から離れようと試みた。  彼が着水する間際、木材と鋼が軋む音が辺りに響き渡る。  そして漁師たちの悲鳴を全て塗りつぶす様に、あの白い巨体が海面へ叩きつけられた。 クジラが沈むのに合わせて海水が渦を巻き、イツキは海へ引き込まれる。 息もできず、見渡すばかりの碧い海で、イツキは船だった瓦礫と共に沈んでいった。
 大抵こうして生命の危機に瀕した人間は、やれ走馬灯だの後悔だのが頭をよぎるものなのだろうが……イツキには走馬灯になる程美しい日々も、やり残した事も無い。  ただ、死を許された安堵があった。  彼が逆らう事無くただ沈んでいると、目の前にクジラではない灰色の影が現れた。  影はイツキへ問いかける。 「どうして……生きようとは、思わないのですか」
 親無しの自分が、ただ一人だけ生き残ってどうすると言うのか。  自分はこの村で、彼ら船乗りに生かされているのだ。  船を失った今、自分ひとりでは只の『陸の役立たず』ではなかろうか――。
「俺だけが生きて世界が変わるとでも?」
 そう言葉にすると、彼の口から気泡が溢れては海面へ上っていく。  どうやら彼は頭から真っ逆さまに沈んでいる様だ。  まるで身投げでもしたかの様な有様である。
「私の世界が変わるのです」
 灰色の影はそう言って、こちらへと近づいてくる。  そんなの知った事では無い、勝手にしろと、イツキは無抵抗に目を閉じた。
 漁村近くの浜辺。目覚めたイツキは訳も分からず海水を吐き散らす。  鼻や目の奥に塩気と痛みを感じながら、イツキは誰かがこちらをのぞき込んでいる事に気付いた。
 逆光で顔は見えないが、彼の頬をそっと撫でる手は柔らかくひんやりとしていた。  朦朧とした頭では掛ける言葉も見つからず、そうこうする内に人々の騒めきが聞こえてくる。  顔の見えない誰かは、イツキをそっと浜辺へ寝かせ何処かへ行ってしまった。
 イツキがどうにか身体を起こすと、彼を見つけて顔見知りの者が駆け寄ってくる。  先の騒ぎを聞きつけ救助活動に当たっているらしい。  イツキが辺りを見回すと、さざ波の合間に浅瀬から沖へと向かう傷だらけの背ビレが見えた。
 数日後、地元の新聞記事にこんな見出しが出た。
『奇跡の生還! 海の怒りに触れ海難事故となるも全員救出‼』
 そうである。あれだけの大層な事故(というか殺人まがいの出来事)にも関わらず死者が一人も出なかったのだ。  もしかして、あのクジラは漁船を縄張り荒らしのライバルと勘違いしたのでは……などと他愛のない事を考えてみる。  するとアラームが鳴り、イツキに面会の五分前だと告げた。
 イツキは船長や仲間の漁師を見舞いに、彼らの入院先へと向かった。  八床のベッドが並ぶ大部屋には船乗り達の加齢臭と強めのアルコール臭が充満していて、彼は入って早々に窓へと走る羽目になる。  窓を開け放ち入り口のドアを全開にすると、清々しい風が吹き抜けていった。  手土産の塩辛いツマミを渡しながら、イツキは今後について船長に訊ねる。  船長は彼の神妙な面持ちを「心配するな」と軽くあしらい、コッソリと耳打ちした。
「組合のモンから聞いたんだが……あの後、近くにいた船で人魚が掛ったらしい」
 曰く、『美しい女の人魚で、怪我をしていたので保護した』とのこと。  そして村の習わしに沿って彼女をもてなす宴会を開くのだが、人魚にその話をしたところ「イツキを呼んでくれ」の一点張りで困っているらしい。  イツキは二つ返事で、宴会の誘いを了承する。
 それから数週間が経ち、人魚が還る前の晩に公民館で宴会が開かれた。  参加者は主に村の漁師らで、主役たる人魚に大漁を祈って酒をガバガバと飲み干した。
 夜空が微睡み、あれだけ騒いだ漁師らが寝落ちした頃、人魚はイツキに村を案内してくれないかと頼む。  酒の飲めないイツキは自車の助手席に人魚を乗せ、ドライブへと出た。  とは言っても、村には役場と魚市場と何かの遺跡跡しか無く、どれもエンタメ性に欠ける地味な場所だった。  イツキはミニマムな田舎道を器用に走りながら、助手席に座る人魚を時折盗み見る。
 彼女は確かに人魚だ。  うるうるとした黒髪から覗く横顔はどこか日本人離れしていて、唇の色形がとてもきれいで端正な顔をしている。  そして、あばらの辺りのエラとへそ下から繋がるスリット、少しザラザラとした灰色の背中と、柔らかく冷たい真っ白なお腹が彼女を人魚たらしめていた。
 イツキは「日が昇る前に」と、彼女を浜辺へ送り届ける。  明け方のマジックアワーの下、彼は人魚を助手席から抱き起して浜辺へと座らせた。  正直な所、港から海に投げ込んでも構わないのだ。  ただ、二度と逢えないだろうと思うと妙に名残惜しくなって、イツキは人魚を���辺へ連れてきたのである。
 イツキが人魚の隣に腰かける。  人魚は彼の腕をそっと指でなぞった。  水掻きがあり、それでいてか細い女の手が、血管の浮き出た褐色肌の上を辿る様に滑っていく。 「ここ。血が出てます」  人魚の指先が触れるとヒリヒリと痛む箇所。  どうやら彼女を抱き起こす際に擦り剥いてしまったらしい。  人魚は左手の薬指を己の唇に当て、その鋭い歯で掻いた。  何をするのかと眺めるイツキの腕をそっと取り、擦り傷に血を塗り込む。  傷は跡形も無く消えてしまった。
 人魚に纏わる伝承。  その血は万能の妙薬となり、その肉は食す者に不老不死を与える――
「ねえイツキ」  人魚は彼に甘く囁く。 「私の肉を喰らいなさい」  訳が分からなかった。「どうして?」と人魚に聞き返す。  彼女は只笑って 「貴方には生きて欲しい」  と言った。
「――いや。いらない」  イツキは人魚を押しのける。  親が死んでヤケになって、そんな俺を拾ったのはここの人で、あの船乗り達なのだ。  人魚の肉など食らったら、恩も返せないまま戻れなくなるだろう。
「俺、結婚してんだ。子供もいる」  嘘だ。こんな顔で言っても説得力に欠けるだろうに、ほんとバカだよなぁ。
 人魚は驚きの表情一つ変えないまま、ぽろぽろと涙を流した。  涙はきらきらと眩しい宝玉となって、二人の足元へ落ちた。
「――分かりました」  彼女は突然、イツキの腕を握り潰した。  余りの痛みに彼が身を引くと、人魚は彼を押し倒し砂浜へと沈める。  細腕に見合わぬ剛力で首を絞められ、イツキは訳も分からずこと切れた。
 人魚はイツキの亡骸を胸に抱きしめ、声も出さずにただ彼の顔に宝玉を降らせた。 「頂きます」  人魚はイツキだった肉塊を全て平らげ、静かに海へと還った。
 どうして、上手くいかないのか。  私だって、大切なものを守りたい。  好きな人間には末永く���きていて欲しい。  ただそれだけの願いが、どうしていつも叶わないのだろう?
 人魚は深い海へと潜る。鮮やかな情景が過ぎ去り、碧く重たい暗闇が視界を塗りつぶしても尚、人魚は深みを目指し続ける。
 もう、過ぎた事だ。  あのひとは私の血肉となり、私は今もこうして生きている。  それで充分じゃないか。  また、貴方の知らない海を沢山見せてあげる。  今度は何処へ行こうか?  私の大好きなイツキ。私の、大切な――
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crassroom · 2 years
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#点滴都市東京 #水没への道程 #雨漏り #path2submergence https://www.instagram.com/p/ClHNkC9Pzhh/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 10 months
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当方、お医者さんである。国民民主党の玉木議員の医者の給与を減らせというツイートが昨今話題になっている。その理由は医療に金がかかりすぎ、成長と全体の幸福を損ねているから、らしい。ここに、手っ取り早い解決法を提案したいと思う。国民皆保険制度を廃止すれば良い。国民皆保険制度、そして高額医療制度は非効率な医療サービスのバラマキを行っている。発熱すらしていないコロナ患者に対するラゲブリオや末期肝硬変患者の貧血に対するエリスロポエチン。どうしようもなくボケちまった爺さん婆さんはあめ玉のようにアリセプトを舐めている。大正生まれのご老人に順内と血外の連中がTAVIやらEVAR,TEVARをするせいで、ピンピンコロリへの道筋が絶たれていく。一種の老人病である心アミロイドーシスという病気にタファミジスのような冗談みたいな価格の薬が投与される。PD-1阻害薬なんて薬ができたせいで森○朗が復活してしまい、東京五輪で遺憾無く老害っぷりを発揮したのは記憶に新しい。ヤニカスは年金を受け取る前に早く死んでくれるから財政的にトントンだったのであって、延命してしまえば単なる息の臭い金食い虫だ。糖尿病で腎臓をぶっ壊せば医療費がタダになる上に週3人工透析をする権利が付与される。これは米国だと週2回である。別に週2でも死にはしないのだが、政治家にとっての票田、透析病院にとってのアクティブユーザー数を維持する為に週3となった。そして今後これにレカネマブが加わる。この話を欧米の医者にすると、イかれてんなwどこからその金が出てんの?、と言われる。納税者の財布からである。日銀が円債を引き受け、円の価値を希釈させることでそれを行うこともやっている。世間のイメージとは裏腹で、日本の医療従事者の人件費はとても安い。これは一人当たり医療費支出を見れば明らかだ(4,691ドルでOECD加盟中15位/38位)。上述のような無意味なバラマキをしており、かつ失敗国家のような人口比率であるのにもかかわらず、日本の医療支出は相対的に低い。何故か?それは医療従事者の人件費が安く押さえられているからだ。米国の医者や看護師の給与水準は日本の5〜6倍くらいはある。最近は円安でそれにブーストがかかった。米国の一人あたりGDPが日本の2倍程度であるのを考慮しても、単純計算で3倍もらっていいことになる。しかも、日本は医療サービスを必要とする高齢者の割合が高く、富は高齢者に集中している。その上、日本の人口あたりの医者数は米国の二分の一強しかいない(看護師数は知らん)。自由競争が許されれば、価格はどこまで上げて良いのだろうか?社会主義的な医療制度を採用しているカナダ、オーストラリア、イギリスと比較しても日本の医療従事者の待遇は地を這うような水準だ。この差は、これら国々は費用対効果に見合う医療のみ提供する事より生まれる。そして、費用対効果という言葉は日本で最も忌み嫌われる言葉だ。医は算術ではなく、バラマキなのである。少々話が脱線するが、日本の医療は安いだけでなく、質が良い。看護師の方々の礼節は海外と比較するとびっくりする程だ。大して金を払っていない患者に対して奴隷の如くクソ丁重にもてなす(個人的にやめたほうがいいと思っている)。消化器の先生は海外ではまず不可能であろうESDなどを華麗にこなしてみせる。外科の先生はクソ面倒くさいリンパ節郭清などを毎回丁寧にやってらっしゃる(あれエビデンスあるんすか?)。心外、脳外、婦人科の先生方はキチガイじみた24hオンコールを律儀に請け負っている。ネットに出没する出羽守の方々が海外で稼げなくなってから日本に凱旋するのはまさにこれが理由である。医療が安いだけが理由であったのなら、金が腐るほどある金持ちは海外で医療を受け、そこを終の住処とするだろう。要するに国民皆保険制度は医療従事者を抑圧する制度でもあるということだ。この手の話題では、医業の独占を医者から譲り渡すべきだという議論になりがちがだが、別にそうすればいいと思う。chatGPTの言われた通りに動けば素人でも9割方正解を出せる(残り一割はとんでもなく間違う)。ただ、麻薬とか向精神薬とか抗癌剤など人を殺せる系薬剤の処方権をお譲りするのは難しいと思うし、無免許医が患者に不利益を及ぼした場合、たとえ事前の患者の同意があったとしても殺人罪やら傷害罪が適応されるべきだと思う。じゃないと麻薬密売やら自殺幇助などがはびこるだろう。血圧とか糖尿病の薬程度であれば各々自由にやればいいんじゃないかな。ここら辺も匙加減間違うと死ぬけどね。ネット上では医者が率先して寝たきり患者を量産していることとなっているが、それは嘘だ。寝たきり患者が増えることで得をするのは病院であって、医者ではない(そ��て、病院にも大した得にならない)。医者が胃瘻やら中心静脈栄養やら喉頭気管分離を行うのは、家族から「できることはやってあげてください」、或いは「昇圧剤と心マは希望しないけど、他はやってください」と言われるためである。一度そう言われてしまうと、文字通りできる限りの事をしないと訴訟や医師免許お取り潰し、場合によっては殺人罪を着せられることになる。延命を行わないことのデメリットが甚大である一方で、メリットは皆無なのだ。そんな中でも過去にALS患者を安楽死させようとした医者や、透析を中断させようとさせた医者が過去に居たが、日本人はその行為の是非を議論しようとはせず、彼らは司法やらメディアの袋叩きに逢い、無事死亡した。「寝たきり患者量産」は、国是であり、日本国民の総意なのだ。医療従事者は、低所得者や生活保護者ともっとも交流する職業のうちの一つだ。実際に相手をしてみると解るが、大抵彼らは愚かで、卑しく、救い難い。そんな人々を相手にしたくないし、彼らのために真面目に労働し納税している人々の税金を注ぎ込む際には良心が痛む。だが、そうせざるを得ない。国民皆保険制度がそうさせているのだ。国民皆保険制度を廃止することのメリットは以下の通りだチューブ老人というグロテスクな存在が激減する財政が健全化するあなたが不摂生でない場合 (現状の社会保険料 - 民間保険料) は正の値になる 老人が減るので年金・介護・福祉に支払う支出が減る。 高齢化問題が緩和される介護に使う時間と金が減るので少子化解決の道筋が開けるあなたが介護・医療関係者の場合、待遇が良くなるデメリットは以下の通りであるあなたが金のない高齢者であった場合、死ぬあなたが生保であった場合、死に近づく喫煙、肥満、2型糖尿病などプリベンタブルなリスク因子を抱えている方々の民間保険料は、恐らく高額になる上記社会的弱者を糧とする方々が困る(透析病院とか、自民、立憲、共産、社民、れいわの先生方など) 超富裕層が困る(治安が悪くなるため。社会保険料は端金であり、円安は海外の資産でヘッジすればよい。道端でジョーカーみたいなのにぶっ○されることが彼らの最も恐れることなのだ。)要するにフリーライダーが死ぬということである。ただ、想像してみてほしい。ご高齢の方々は、周囲から疎まれながら、そんなに長く生きたいだろうか?役目を終え、尊敬される老人のまま、死にたくないか?デブやアル中、ヤニカスの皆様方は、太く短い生涯を送りたくて、そういったライフスタイルを営んでいるのではないだろうか?そしてなんといっても皆さん、フリーライダーは、お嫌いでしょう??「お前もいずれは高齢者になる」と言われるが、私の経験では生産可能年齢を過ぎてからの延命は本人含め、誰も幸せにしない。病院に巣くうご老人方は醜く礼節に欠きそれでいて生産性は皆無である。家族含めた周囲は陰に陽に早く死んでほしいと考えている。そんな中貴重な医療資源を浪費し、死ぬはずであった今日を先延ばしにしているご本人は少しも幸せそうでなく、それどころか不機嫌な顔をしている。飯塚○三のような、あの顔である。医療に縋らないと生きられない時点で、生物として破綻しているのである。そんな中長く生きても、なーーーーーーーーーーーんもいいことないよ。私は、基本的には人の為になりたくて医者になった。給与や労働条件が他国に比べてイけてないのはまだ我慢できる。だが、劣悪な労働条件で滅私奉公し、それが故に国賊の様に扱われるのは納得がいかない。国民皆保険制度は医療従事者の待遇を悪化させているだけではなく、医療従事者が頑張れば頑張るほど、日本国民、および患者とその家族に不利益を及ぼすような制度設計になっている。悪いのは制度であって、医療従事者でも、患者でも、老人でもないのだ。皆保険制度は捨て去られるべきだ。レッツ、レッセフェーーーーーーーール!!!!!!!!!
(追追記致しました)(追記致しました)国民皆保険制度になくなってほしい
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lifefind-blog · 1 month
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植民地のマスコミや教科書の内容とは
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植民地のマスコミや教科書は毎年何度も一斉に「原爆投下」という言葉を使います。
地上起爆説、水上爆破説があることを知らない方は、一度チェックしてみたほうが良いと思います。「壁に焼き付いた影」で、人と壁の位置関係から、熱源の位置が解ります。地震豪雨は「自然現象」
銀行前に座っていた人のものは、陰ではなく付着物だったとのこと。こちらは壁板に焼き付いた影。爆心地から4.4km南山手町、長崎要塞司令部。
板壁のコールタールがはしごと人影を残した。
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元飛行兵本田稔さんの「当日の朝、ヒロシマ上空に居た」証言がありますね。
「1945年8月6日の朝7時45分頃、たまたま紫電改で広島上空を飛んでいたと言う。すると眼下で見た事もない爆発が起こり
一瞬にして広島の街が消えてしまったと言う・・。けれど空にはB29爆撃機エノラ・ゲイは見掛けなかった。地上で起こった爆発は凄まじく紫電改はその衝撃で500米ばかり落下したが、何とか九死に一生を得たと言う・・」
Japanese Ace Interviews: Honda Minoru (Part 2)
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今は日本は植民地で、マイナや健康保険を義務ではないが、押し付けられて、カネをむしり取られているだけですが、改憲後は、完全監視されたうえで、命と財産、人権までむしり取られます。どこにも植民地支配されていない中国よりひどい国になってしまうでしょう。
統一教会の希望通りになっています。
マイナとマイクロチップの義務化、危険なお注射の強制、徴兵制、強制労働、強制移住、居住権排除、密告社会、突然の銀行口座の凍結、没収など、基本的人権を憲法から削除すれば、想像を超えた想定外の奴隷制が可能になります。そして、それを実行する政権は、実質日本人ではない、日本人の顔をした、遠隔支配者の犬たちです。被爆者や被災者を支援すると言いながら何もしない「口だけキチタロボット」みたいな感じです。
なぜそんな大変なものを報道しないのかは、S価学会と統一教会経由で、報道機関がすべて外国に乗っ取られているからです。韓国系、中国系、ユダヤ系、米国DS系が居ます。
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https://x.com/i/status/1821510018442928487
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2006年のアヘシ訴状
「教育基本法「改正」案は、教育への国家の介入を禁じた10条を廃止し、戦前と同じ国家主義教育を復活させることを目的としています。悲惨な戦争の教訓から、教育基本法を制定したのに、その教訓を忘れ、今、日本はまた同じ道を歩もうとしています」
原告 渡辺容子(著名な小説家のようです)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
安倍裁判意見陳述書
 訴状が長くなりましたので、あとは省略し、意見陳述書をご紹介します。この後、2006年12月15日、教育基本法改悪案は強行採決されてしまいました。
平成18年(ワ)第20396号 安倍晋三等に対する損害賠償請求事件
意 見 陳 述 書
2006年12月12日
原 告   渡 辺 容 子     
 東京都杉並区(山田宏区長)は、昨年8月、安倍晋三、自民党が教育基本法第10条等に違反して政治的に介入し、採択を推進した「新しい歴史教科書をつくる会」主導の扶桑社版歴史教科書を採択しました。私はその杉並区在住の原告です。
 現在、教育基本法「改正」案が参議院で審議されています。これは「つくる会」教科書と切り離せない関係にあります。
 もとより教育基本法は戦前の国家主義的教育の反省の上に立ち、日本国憲法に基づき、その精神を教育に実現すべく制定されたものです。安倍晋三首相他国会議員には憲法遵守の義務が定められており、日本国憲法が生きている現在、その精神に基づく教育基本法を変えることは憲法違反です。
 2005年9月11日の総選挙では「郵政民営化」のみが争点とされ、教育基本法については争点とされませんでした。つまり、教育基本法「改正」について、国民はまだ意見を聞かれていないということです。総選挙の結果、多数与党が成立しましたが、それは教育基本法「改正」案を成立させてもいいという国民の意思ではないのです。世論調査で自民党支持者の過半数が「慎重審議」を求めている(日本経済新聞による)ことでもそれは明らかです。
 それにも関わらず安倍首相を初めとする政府与党は開き直り、公聴会には謝礼まで払って「やらせ」の発言をさせ、意見を言おうと挙手する参加者には意見も言わせず、国民の真意を問うこともせず、衆議院では野党の欠席の中、数の力にまかせて強行採決しました。これほど国民を愚弄したやり方があるでしょうか。これこそがまさに教育基本法第10条違反であり、国民主権をうたう憲法違反であります。
 教育基本法「改正」案は、教育への国家の介入を禁じた10条を廃止し、戦前と同じ国家主義教育を復活させることを目的としています。アジア諸国の2000万にのぼる人々を殺戮し、自国にも多大な犠牲をもたらした悲惨な戦争の教訓から、これを二度と繰り返すまいと教育基本法を制定したのに、その教訓を忘れ、今、日本はまた同じ道を歩もうとしています。
 私たちがこの裁判で提起した「つくる会」教科書は教育基本法改悪を前倒しして、戦前と同じ国家主義的教育を推進する具体的な道具です。訴状に書いたように、教育基本法「改正」と同じく、安倍晋三、自民党の政治的な介入によって推進されてきました。
 「つくる会」教科書を使っている杉並区では、教育基本法がすでに改悪されたかのような、子どもたちや教員の自由を奪い、すべてを区や教育委員会が押し付ける統制教育が行われています。そして「つくる会」教科書は「国のため」に喜んで命を捨てる子どもを作り出そうとしています。
 戦争というのは、アメリカを見ればすぐにわかるように、世界で最も強い国が他国を経済的に支配する手段であり、他国民はむろんのこと自国民の命をも虫けら以下にしか思っていない権力者が、それを商売に利用する財界人とつるみ、まさに「金もうけ」のためにやるものです。戦争のできる国になるということは、闇の中にいる人間の形をした悪魔の、そんな忌まわしい欲望のために、私たちの子どもたちが人を殺し、殺されるようになるという意味に他なりません。
 私たちは弁護士もなしに、本人訴訟で、国家権力の中枢である安倍と自民党を訴えました。もはや日本は戦争のできる国になる、そのぎりぎりの崖っぷちにいる、いいえ、もう半分落ちかかっているからです。一人の大人として何もせずにはいられないのです。私たちの子どもたち、そして将来彼らに殺される外国の子どもたちの命を守りたい一心です。そしてこの気持は私たち原告のみならず、庶民なら誰でもが持っている当たり前の感覚なのです。裁判官のみなさまには、この庶民の必死の思いを汲み取っていただきたいと思います。
 人間には「人間の尊厳と誇り」というものがあるはずです。戦前、国家権力に統制され、「戦争反対」とも言えずに「国のため」に死ねと教えられた私たちの両親、祖父母たちは、戦争が終って心の底から喜び、犠牲者の死を悼み、平和が続くことを願ってきました。自民党の大物政治家であっても、故後藤田正晴氏や故箕輪登氏、野中広務氏のように戦争体験のある方々は、戦争に対して非常に敏感かつ慎重であり、改憲などとんでもないと言っています。財界人にも一兵卒として戦争に参加し、戦争の残酷さを二度と繰り返してはいけないと説く品川正治さんのような方もいらっしゃいます。そこにどんなに巨額の利益があろうと戦争だけは絶対にやってはいけない、これが「人間の尊厳と誇り」というものです。戦争体験者である彼らの気持を受けつぎ、平和をこそ守っていかなければならないのです。
 今なら、まだ止めることができます。その力が裁判官、あなたにはあります。そして、私たち大人一人ひとりにあります。
 裁判官のみなさまは絶大な権限を持っておられます。「人間の尊厳と誇り」に基づき、あなたの良心と良識を生かした判決を出せば、その影響力は計り知れません。あなたが日本を戦争のできる国にすることを止めることができるでしょう。何千、何万という若者の命を犠牲にしないですみます。日本国憲法の成立過程を考え、憲法を遵守し、教育基本法の理念を実現する方向でこの裁判に関わってくださるよう、心からお願いいたします。 
以上
by lumokurago | 2009-08-09 20:29 | 安倍裁判
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sangokushi7 · 2 months
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劉備と孔明の対立!故郷への想いは[真逆]だった
劉備と孔明の対立!故郷への想いは[真逆]だった #劉備 #孔明 #三国志 #はじめての三国志
  世に水魚(すいぎょ)の交(まじ)わりと言われ、お互いがいないと生きてはいけない程の親密さを謳(うた)われた劉備(りゅうび)と諸葛孔明(しょかつこうめい)、私達は先入観でつい二人の人生にも似たような部分を見出してしまいますが、実は二人は故郷については、まるで正反対の道を歩んでいました。       若き日に故郷を捨てた劉備   劉備は幽州(ゆうしゅう)の生まれですが、若い頃に故郷を捨ててしまいました。生家は豪族と言えど没落し貧乏でしたが、同族の劉元起(りゅうげんき)の援助で同郷の大学者の盧植(ろしょく)の門下生として学ぶというキャンパスライフを送ります。しかし、劉備は勉強には身を入れず、衣服を飾り立てて音楽と乗馬、ドッグレースなどに熱中するようになります。   同族とはいえ親戚の金でこんな事をしているのが、いかにもボンクラ学生ですが実は、ドッグレース場や音楽会場は地元の名士や任侠(…
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shintani24 · 2 months
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2024年7月26日
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8月15日に終わった戦争などない 「平和報道は9月にシフトを」(朝日新聞)
毎年8月にメディアにあふれる風物詩的な戦争・平和報道は、半ば揶揄を込めて「8月ジャーナリズム」とも呼ばれてきた。加害性の視点の欠如や、内容の定型化も指摘されて久しい。そもそも「8月15日=終戦日」という日本の常識自体が内向きの8月ジャーナリズムの産物で、国際的には非常識であり、世界との対話を阻んでいる――。そんな刺激的な議論を世に問うたのが、佐藤卓己・上智大教授(メディア史)だ。それなら本来の終戦日はいつなのか。先の戦争が人々の「記憶」ではなく「歴史」に変わりつつあるいま、私たちはそれをどう論じていけばよいのか。8月ジャーナリズムは乗り越えられるべき過去の遺物なのか。疑問をぶつけた。
「終戦の日」は8月ジャーナリズムの産物
 ――今年も8月を迎えます。8月15日をピークとした日本メディアの戦争・平和報道「8月ジャーナリズム」は、他者の存在と降伏の事実を忘却したものだと指摘し続けてきました。
「1945年8月15日に終わった戦争は存在しないからです。日本が連合国にポツダム宣言受諾を伝えたのは8月14日ですが、15日は、どの前線でも戦闘が続いていました」
「『終戦』は相手国のある外交事項です。米戦艦ミズーリ号で降伏文書に調印した9月2日が国際法上の終戦日であり、翌3日をロシアも中国も対日戦勝日としています。交戦国ではなく、あくまでも『臣民』に向けた昭和天皇による終戦詔書の放送、いわゆる『玉音放送』があったに過ぎない日を節目としていること自体、極めて内向きの論理に基づいています」
「そもそも、千島列島や旧満州は8月15日以降もソ連軍の侵攻を受けており、終戦どころではない。放送局が破壊され物理的に『玉音』体験が困難だった沖縄も同じ。ゲリラ戦を続けていた残存在沖日本軍が降伏文書に調印したのは9月7日で、アジア各地の日本軍が降伏したのも9月2日以降です。『8.15=終戦記念日』は、沖縄や外地の邦人、南方の戦地に取り残された兵士らの記憶を捨象し、周縁化することで成立しているのです」
「8月15日が終戦日と明記されたのは1963年の閣議決定で、その正式名称『戦没者を追悼し平和を祈念する日』が決まったのは、連合国軍総司令部(GHQ)が廃止されてから30年も経った1982年です。今ではそのことを知らない人がほとんどでしょう」
「創られた記憶」に基づくエモい報道
 ――「8.15=終戦の日」という日本人の「記憶」自体、8月ジャーナリズムの産物だとも指摘しています。
「8月ジャーナリズムが確立されたのは戦後すぐではなく、多くの新聞が終戦10年特集を組んだ1955年です。この時の紙面に掲載された、玉音放送を流すラジオの前でうなだれたり泣き崩れたりする国民を写したとする新聞写真は、実は撮影日時や状況が不確かなものや、『やらせ』も含まれていました。宮城(皇居)前でひざまずく人々の姿を伝える1945年8月15日の記事も、見てきたように書かれているものの、多くは予定稿に基づくものでした」
「また日本人の多くは、あの日を『じりじり照りつける太陽の下』の出来事として記憶しています。『暮しの手帖』の花森安治は『あの日は誰でも知っているように日本じゅうがたいへんな晴天で(略)非常に暑かった』と書いています(『一億人の昭和史』第4巻)。ですが、東北は曇りだったし、北海道の一部は雨でした」
「記憶のウソは『8.15』だけではありません。8月6日も、国民的な平和反核運動の起点となるのは戦後すぐではなく、独立回復で原爆報道の統制が解かれた後、1954年の第五福竜丸事件以降です。広島市生まれの私の記憶では、被爆者への差別はかなり後々まで残っており、被爆体験は完全に自由な語りの中にあったわけではなかった。しかし、放射能雨や放射能マグロの恐怖とともに、広島と長崎という地方都市の悲劇が突如、国民的な原水禁運動の『起源』に据えられたのです」
「8月前半に集中する戦争回顧の報道をつぶさに調べてみると、いかに『創られた記憶』が多いかに、驚きます。通常の報道をする際には当たり前の真偽の検証すら不十分という点で、8月ジャーナリズムは『ジャーナリズム』の名にも値しないものが少なくありません。昨今、ネット上の『エモい』記事に対する批判が高まっていますが、伝統芸能化した8月ジャーナリズムの多くも、残念ながらそれに陥ってしまっている」
「戦後長らくメディアが作り上げた『記憶』は、引用や孫引きが繰り返されることで、国民の集合的記憶=体験として歴史化していく。それはもはや『神話』と言えます」
「8月革命論」と「記憶の55年体制」
 ――その「神話」が浸透・定着したのには、戦後の政治・思想空間が大きく作用していたようですね。
「戦後憲法に深く共感した政治学者の丸山真男は、1945年8月15日に日本が国体の呪縛から解放され、人民主権への変革が起きたとする『8月革命論』を唱えました。一方、保守派は天皇の御聖断によって戦争が終結し国体も護持されたという物語を信じてきた。これらは正反対に見えて、左右のイデオロギーが背中合わせにもたれかかる心地よい均衡であり、双方が『降伏』に目を背けることで一致した『記憶の55年体制』とも言うべきものです」
「『8.15』を境に日本に『自由なる主体』が生まれたというのは、明らかに虚妄です。丸山はそれを承知のうえでその虚妄に賭け、8月ジャーナリズム最大のイデオローグ���して戦後言論界に君臨しました」
「しかし、戦前と戦後の断絶を設定する『8.15神話』は、両者の連続性を隠蔽する効果をもたらしてきました。その意味で、8月ジャーナリズムは『戦争の記憶』ではなく、『戦後の忘却』の上に存在しているのです」
「戦前」と「戦後」の断絶史観、世界と乖離
 ――世界との対話を阻む障害となっている8月ジャーナリズムではなく「9月ジャーナリズム」を展開すべきだと提唱しています。
「私はメディア論の学者なので、報道や言論の『内容』だけでなく『効果』に関心があります。内容の真偽や善悪を問題にするジャーナリズム論に対し、効果の程度や射程を問題にするのがメディア論です」
「終戦の日に首相や天皇が反省の弁や世界平和を口にしても、靖国神社に閣僚が参拝する報道とともに伝われば、本心では反省していないと世界からは見られます」
「8.15終戦記念日は、周辺国との歴史的対話を困難にしてきました。いくら私たちが戦後の象徴たる平和憲法にコミットする姿勢を示しても、その前提となる内向きの『あしき戦前』と『良き戦後』の断絶史観は外国と共有されていない。外部の他者に開かれていない空間で、いくら自己反省を繰り返しても、対話なきゲームです。『8.15』をリセットタイムとする日本史において、『戦後』は世界史との経路を遮断され、その記憶は自閉化されています」
「本当に世界史への接続を考えるなら、7月7日(盧溝橋事件)や12月8日(真珠湾攻撃)を国家的記念日にしてもよいでしょう。でも、そんな試みはほぼありません。だったら、8月ジャーナリズムを9月にシフトし、世界標準の終戦日である2日、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約の調印日である8日、そして満州事変が勃発した18日まで、新学期の教室でも議論できるものにすべきです」
「もっと言うなら、私の提唱する9月ジャーナリズムは、8月29日から始まります。何の日かご存じですか?」
 ――……。
「日韓併合記念日です。この日を国恥日としている朝鮮半島だけでなく、戦後しばらくは日本人もみな覚えていましたが、今やすっかり忘却されています。9月1日の関東大震災後の朝鮮人虐殺も、植民地支配を背景にしたものです。戦争と平和についてさらに広く考えるなら、米同時多発テロが起きた『9.11』や、戦後70年の節目だった安保法制の成立日(9月19日)も射程に入れてもよいでしょう」
戦没者追悼と歴史的対話、記念日の分離を
 ――8月ジャーナリズムは内容的にも、被害や受難の語りに偏重してきたと言われています。
「8月6日や9日、あるいは空襲や引き揚げ、特攻や玉砕の体験は、紛れもなく悲劇の記憶です。それを前提にする限り、報道やドラマの内容が『犠牲』に偏るのは避けられない。侵略や植民地支配の加害性を見つめなくてはいけない、といくら主張しても戦災者には響かないし、この語りの傾向を変えるのは難しいでしょう。お盆の8月15日は、戦前から慰霊と供養の日としても定着していました。宗教的追悼と政治的議論を同時に行うことは、ふつうの人にはなかなかできることではない」
「だから私は、終戦の日を二つに分け、8月15日を『戦没者を追悼する日』、9月2日を『平和を祈念する日』にすべきだと訴えています。8月15日はこれまで通り死者に祈りを捧げ、9月2日は戦争責任や加害の事実に冷静に目を向け、諸外国と歴史的対話をする日にする。政教分離の観点からもそれがよいでしょう。その意味では、9月ジャーナリズムは8月ジャーナリズムの全否定の上にあるわけではなく、その内向きさと情緒性を省みたうえで、理性的で対話的な新たなジャーナリズムを構築する試みです」
歴史対立踏まえ、未来志向のジャーナリズムへ
 ――戦後生まれが人口の85%を超え、戦争の記憶の継承が課題です。「新しい戦前」というきな臭い言葉も飛び交っています。
「今は『記憶の歴史化』の潮目です。平均寿命に近い80年という時間の経過は、生存者の反証を物理的に不可能にします。そのため、『戦争の記憶』は『記憶の戦争』の中で再編されていく。それは、事実関係よりも表現の効果に人々の関心が向けられていく時代に、今後は突入するということです」
「すでに近年、終戦や戦争をめぐる『歴史のポリティクス』は過熱しています。中国は従来、靖国参拝問題などで歴史カードを切れる8月15日を重視してきましたが、日中の経済力が逆転した2010年代以降、改めて9月3日を抗日戦争勝利記念日と明確に定めました。ロシアも昨年、9月3日を『軍国主義日本に対する勝利と第2次大戦終結の日』と名称変更し、ウクライナを支援する日本を強く牽制しました。歴史戦や情報戦という不穏な言葉を使うのは適切ではないでしょうが、私たち自身が内向きな『記憶の55年体制』に閉じこもっている限り、こうした他国の功利的な歴史利用に対峙することはできません」
「情緒的で紋切り型の8月ジャーナリズムがもたらしてきたものは、現代の戦争や安全保障問題に対するイメージの貧困化です。日本人は『豊かで平和な戦後』において、米国の核の傘の下、周辺国との敵対性を無視することができました。しかし、国家利害の対立が深まるなか、現実に目を背けることは、あまりに反政治的です」
「外交とは、敵対性を討議性へと開く技術です。歴史の対立が存在することを前提に、それならどのような対話が可能なのか、私たちは模索し続ける必要がある。戦争の記憶の問題にメディアが果たす役割とは、本来そうした未来志向のものでなければならない。だからこそ、他者と向き合うための9月ジャーナリズムが必要なのです」(聞き手・石川智也)
佐藤卓己 さとう たくみ 1960年生まれ。上智大教授、京大名誉教授。専門はメディア史、大衆文化論。著書に「『キング』の時代」「言論統制」「八月十五日の神話」「輿論と世論」など。
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広島原爆の日の式典、周辺での「平和運動」を締め出しへ 公園一帯で「入場規制」、プラカードやのぼりは禁止(東京新聞)
8月6日の広島市の平和記念式典で、原爆ドーム周辺を含めた平和記念公園の全域に入場規制を広げる市の方針が波紋を広げている。メイン会場から離れたエリアも手荷物検査を受けないと入れず、プラカードやのぼりの持ち込みを禁止。安全対策を理由とするが、法的根拠はなく行きすぎた表現規制との懸念も。背景には近年の平和行政の変質も指摘される。(山田雄之、山田祐一郎)
◆物議を醸した「園内での禁止行為」
広島市は5月、平和記念式典で、入場規制エリアを昨年まで対象外だった原爆ドーム周辺を含む公園全体に広げる「安全対策」を発表した。当日午前5〜9時に入場規制し、6カ所のゲートで手荷物検査を行うとした。
広島市の平和記念公園で、松井一実広島市長(左から5人目)から説明を受けるG7首脳ら=2023年05月
これに加えて物議を醸したのが園内での禁止行為。「式典の運営に支障を来す」としてマイクや拡声器のほか、プラカードや横断幕の持ち込み、はちまきやゼッケンの着用まで禁じ、従わなければ退去を命令することがあるとした。
規制強化の理由としたのは昨年の式典の際、原爆ドーム周辺で市職員に活動家の集団が腕を組んでぶつかるなどした「衝突事案」だ。5人が暴力行為法違反の疑いで逮捕、起訴された。
松井一実市長は記者会見で「参列する市民の安全を最優先に考えての措置」と強調。「原爆ドームや供養塔の周辺で毎年、慰霊に関する行事をしている団体もあると思うが」と問われると、「今までのような集会はできなくなるかと思いますね」と淡々と応じた。
◆「核廃絶の思いを自由に伝えたいと考える人は多い」のに
被爆者たちの受け止めはさまざまだ。広島県原爆被害者団体協議会の箕牧(みまき)智之理事長(82)は「こちら特報部」の取材に「騒動を起こす人がいることも事実。犠牲者を追悼するために厳粛に式典を行いたい。規制は仕方ない」と理解を示す。一方、もう一つの県被団協の佐久間邦彦理事長(79)は「祈る場所は必要以上に制限されるべきではない。反戦や核廃絶の思いを自由に伝えたいと考える人は多い」と話した。
6月上旬、日本ジャーナリスト会議(JCJ)広島は「ゼッケンなどの着用禁止は表現の自由に抵触する。取り消すべきではないか」と市長あての質問状を出した。JCJ広島幹事の難波健治さん(76)は「そもそも式典を巡る問題は騒音だった。いつのまにか安全の問題にすり替わった」と強調する。
◆「条例は関係なく法的根拠はない」
どういうことか。会場周辺のデモで拡声器が使われたことを受け、市が2019年に参列者に行ったアンケートでは、音が聞こえたという人の約6割が「式典に悪影響がある」と回答。市議会は21年、議員提案された「市民の理解と協力の下に、厳粛の中で行う」と定めた市平和推進基本条例を賛成多数で可決した経緯がある。ただ「厳粛」の具体的な規定はなく、県弁護士会などは「市民の表現を萎縮させる」と懸念を示していた。
公園からの退去などを市民に強制できる根拠はあるのか。市の市民活動推進課の担当者は取材に対し、手荷物検査や禁止行為による退去命令について「条例は関係なく法的根拠はない」と断言。「安全な式典にするための必要最小限の規制。表現の自由を制限するとは思わず、あくまでご協力いただくもの」と述べた。プラカードなどを使って平和や核廃絶を訴えたい人については「規制終了後や公園外でしてほしい」と話した。
◆「ここまであからさまな表現の自由の制限は…」
デモの音量に対する「騒音規制」の問題だったはずが、いつの間にか目的が「安全対策」にすり替わったという今回の出来事。広島大の田村和之名誉教授(行政法)は「別の場所から大音量が発せられる可能性があり、騒音問題の解決になるのか疑問だ」と話す。
「式典が安全に行われることに異論はないが、論理の飛躍だ。差し迫った危険の発生が具体的に予見されるわけでないのに、短時間とはいえ拡声器やプラカードといった表現活動を禁止するのは言論の自由や集会の自由の制限に当たる」と憲法違反を指摘する。その上で「ここまであからさまな行政による表現の自由の制限は最近、目にしたことがない」とあきれる。
松井市長は5月の会見で、衝突事故の再発防止のため、式典会場外の区域も式典会場と位置付けて規制する考えを説明した。田村さんは「式典として使用実態がない場所は自由利用が原則であり、市長の説明は詭弁だ」と批判。都市公園法の原則に反し、正当な理由なく住民の公共施設利用を拒んではならないとする地方自治法にも違反するとした上で「屋外の平和公園で式典を行う以上、騒音は避けられない。行政が必要以上に規制すれば、異を唱える人を排除することになる」と危ぶむ。
◆広島の平和行政が変質していないか
2023年度に差し替えられる前の平和教材の「はだしのゲン」のページ
近年、広島の平和行政を巡っては平和団体が懸念を示す問題が相次いできた。広島市教委は、平和学習教材に引用掲載してきた漫画「はだしのゲン」や、1954年にビキニ環礁で米国の水爆実験で被ばくした「第五福竜丸」の記述を2023年度から削除。市民団体が実施したオンライン署名では、約半年間で削除に反対する声が5万9000筆以上寄せられた。
昨年6月には広島市の平和記念公園と、旧日本軍の真珠湾攻撃を伝える米パールハーバー国立記念公園が姉妹協定を締結。同年9月の市議会で市幹部が、米国の原爆投下の責任議論を「現時点では棚上げにする」と答弁し、被爆者団体などから批判を受けた。今年の式典を巡っても、パレスチナ自治区ガザへの攻撃を続けるイスラエルを招待する方針を表明。ウクライナ侵攻以降、招待していないロシアへの対応との違いを「二重基準」と会見で指摘された松井市長が声を荒らげて否定する場面もあった。
「根拠やプロセスを説明しないという松井市長の政治姿勢が年々、顕著となっている」と指摘するのは広島市立大の湯浅正恵教授(社会学)。「行政は法律や条例の規則に基づいて政策決定をするべきなのに、納得できる説明がない状況が続いている」。7月には突如、来年以降の式典招待国の基準も見直す考えを示した松井市長。湯浅さんは「近年にない特殊な状況」と受け止める。
◆「アメリカのご希望に沿う岸田首相、追従する広島市」
平和記念公園で記念撮影に納まるG7首脳ら=2023年5月
「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」は先進7カ国(G7)広島サミット後の昨年7月、「広島市平和行政の変質を問う声明」を発表し、現状への危機感を訴えた。
共同代表を務める森滝春子さん(85)は「広島市の平和行政の変質は、原爆被害が見えなくなることを望む米国に沿った岸田首相の政策に、市が追従していることによって起きている」と危ぶむ。「G7の広島ビジョンも米国の核の傘の下での核抑止論を肯定する内容。その場所に広島が利用された」と批判する。
今回の入場規制が原爆被害の実相を伝える上での悪影響を及ぼすのではないかと懸念する。「世界や日本から原爆被害者を悼みに来るのに、法的根拠なく入場を厳しく規制すれば、近づかない方がいいという人が出るかもしれない。被爆者が減る中、マイナスの効果しかない。それを止められないのは歯がゆい思いだ」
◆デスクメモ 前に公園内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑に足を運んだ。日本は米国の原爆の被害者だが、アジアとの関係では加害者でもある。立場の違いも含め原爆の実相を知り、犠牲者を悼み、核なき世界を願う場と思ってきた。戦後79年の夏空に「NO WAR」と掲げられる公園であってほしい。(恭)
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