生活のバタバタが多分落ち着いた気がする。家の近くに馴染みのスーパーマーケットがなくて悲しくてどうしようと思ったが、灯台下暗しのまいばすけっとが意外と優秀なことに気づき買い物に行っている。一通り生活できるようになったかと思えば恋人の滞在により布団と枕が必要になった。両方を寝返り中に向こうが奪うことにブチ切れていたら今度の給料日で欲しいものを買ってくれる事になった。恋人に文句を伝えられるようになって2年目になる。
2人で記念日の確認で「7月31日だったよね…?」となっている。ベッド上で、私のことどう思っている?、と聞くとこうなる。抱かれなくなって1年経とうとしている。抱かれなくなってというか、行為に飽きがきた。嘘。本当はしたいよ。遠ざかって上手く誘えず、多分向こうも、そう。
うまく眠れない日々が続く。今朝も1時間毎に目が覚めていたが6時になってカーテンをガバッと開けて無理矢理起床した。朝に囚われてる気がする。洗濯機に溜まった洗濯物を回して干して寝具も洗えるものは洗い干した。9時半くらいに落ち着くと眠気が来て身を任せて昼まで寝た。ポケモンスリープ入れようかな。寝る前のスマホも老けるからやめたいのにASMRを見ながら寝ないと眠れない。人がいたらまた違うけど。
女神に手紙を書いた。先日スライサーで利き手の親指をやってしまい、痛みが引いてきたので漸くといったところ。恋人いる前でスパッとやったのである意味よかった。止まらない血にパニックになって涙が出てたけど一緒に止めてくれて絆創膏も買ってきてくれた。(あの高いやつ)毎晩飲む錠剤を出すのに手間取っていたら開けてくれた。新生活に向けて購入したスライサー、危険なのでご注意を。話は戻るが女神とは夏終わりにデートする。帰りを気にせずに会えることがとても嬉しい。異動した際、女神からは「おかえり!ずっと待ってたよ!」と言ってくれた。
引っ越してから欠かさず湯船に浸かっている。バブの安い日に色々買いだめをしている。実家でもバブを使っているので、バブが〜と話すと恋人と間違われる。そんな私のバブはパーマをかけて寝癖でブロッコリーみたいになった写真を送ってきた。プロッコリーぺぴちゃん。またイラスト化してロック画面にする予定。
朝夕と移動は立ちっぱなしなので家くらいで編み物。いつになったらケースになるんだと思いながらもひたすら編む。本日都内のセリアに向かったら欲しい毛糸がなくて落ち込んだ(1箇所)。デニムラボの4番見つけたら教えてください。
22 notes
·
View notes
20240705 夏の暑さとは戦えない
夜勤明け
帰宅して軽くシャワーを浴び洗濯機を回して、近くのスーパーまで買い物に行く。今までは天気が良いと、洗濯を待つ間に寝落ちてしまわないよう、近くの海を見に行ったりしていた。でも夏の海辺は危険。太陽を遮るものは何も無いし足元は熱砂。必然的に夏の海に行くという選択肢は消える。
スーパーでセルフレジをしていると、近くのサービスカウンターに一人のおじさんが来た。カウンターに店員はおらず、押すとチーンと鳴る銀色の丸いベルが置いてあり、用のある方は押してください、というシステム。
おじさんが、チーンとベルを鳴らす音が聞こえる。私の横にはセルフレジを監視している店員さんが立っていた。店員さんにもそのチーンは聞こえたはずだ。しばらくしてまたチーン、チーンと聞こえた。私は気になってつい横に立っている店員さんを見る。目が合った。店員さんは特に動き無し。
そのうちにダンダンダンダン!!!とベルをぶっ叩く音とその衝撃にかろうじて鳴っている弱々しいチンチンチンチンという音が聞こえてきた。驚いて横の店員さんの顔を見る。また目が合った。店員さんはそれでも特に動かない。…え、まじ?
おじさんのブチ切れた怒鳴り声が響く。もう一度店員さんを見る。店員さんがやっと動いておじさんの所に行き、係の者を呼びますのでお待ちください、と声をかけ、戻ってきてマイクを取る。
サービスカウンターでお客様がお待ちです。と店内アナウンスが流れた。程なくしてサービスカウンターに担当が来て対応。
そんなことある?
おじさんも。店員さんも。
そもそもあのチーンがどこまで聞こえるのかって話だし。不在���するならばその旨記した札でも立てて置けばいい。他のスーパーやホームセンターでも不在のため近くの店員に声をかけろと書いてあるのをよく見かける。
おじさんも2回くらい鳴らして、店員が来る気配が無かったら見えているレジの店員に声をかけたらいい。レジの店員もカウンターが不在と気付いたら、セルフレジにひっついてなくても、おじさんに、係を呼ぶのでお待ち下さい、とひと言声をかけたらいい。
会計を済ませ、なんとも言えない気持ちでスーパーを後にした。
10 notes
·
View notes
2024年9月15日(日)
三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、今月は週末が忙しいので少し変則で3週間ぶりに届けていただいた。野菜が少ないとあって、餅や干物をたっぷりと送って下さった。午後は数日前に知った<京都芸術センター>の伝統芸能ワークショップ、柳家さん喬師出演とあって急きょ予約したもの。対談の後で長講2席、たっぷりと楽しませていただいた。ご本人によると京都で落語を演じるのは3回目とのこと、その内2回に出会えたのは僥倖、良い休日であったことだ。
5時45分起床。
ツレアイは少しノンビリ。
洗濯機を回し、朝食を頂き、洗濯物を干し、珈琲を入れる。
奥川ファームから定期便届く。鶏肉が間に合わなかったとのことで、明日もう一便届くことになっている。蕎麦と干物とパンは冷凍庫、タマゴは冷蔵庫、野菜を野菜室に収納する。
東京の落友・Nさんに送る関西ローカルの落語番組、今回で78枚目となった。ただし、ナンバリングの正確さには自信が無い。スマートレターに入れて投函する。
あちこち買物に走り回った彼女、汗を拭いてから和服に着替える。
私の方は、酢タマネギとキュウリのしょうゆ漬けを仕込む。
ランチは伊勢うどん。
西大路七条から13系統乗車、京都芸術センターへと向かう。
対談の後で落語二席、まずは京都への思いを語ったマクラから「井戸の茶碗」へ。若い武士・頑固な浪人・正直者の屑屋、相変わらず人物の描き分けが素晴らしい。
仲入りで、露の新治師匠が挨拶に来られ��。昨日は慌てて退出して挨拶出来なかったので、こちらからもお詫びを申し上げる。
二席目は予想通りの「幾代餅」、安定安心の出来、「江戸落語」を代表する二席を観客の心深くに届けていただいた。
帰宅後調べてみると、前回さん喬師を京都で聴いたのは2019年3月17日のことだった。
帰宅すると、「敬老の日」の配り物が届いていた。タオルとゴミ袋、実用品ばかりで助かる。
ココが暑さでバテているので、着替えを済ませた彼女と三男で点滴、やはり脱水症状が進んでいたようで、皮下に入れ辛くて大分啼いていたようだ。
豚バラと茄子の甘辛煮・炊き合わせの残りに餅巾着とソーセージ追加・レタスとトマトとキュウリのしょうゆ漬け。
録画番組視聴、日本の話芸の再放送
林家彦いち 落語「という」
初回放送日:2024年8月4日
林家彦いちさんの落語「という」をお送りします(令和6年4月14日(日)収録)【あらすじ】彦いちさん自作の創作落語▽久しぶりに里帰りしている姉が、実家住まいの妹と話しをしている場面から始まる。高校を出てからずっと東京暮らしだったから、私の知らないお父さんのエピソード教えてよ、と言われた妹は、父親の持ち物にとある会員証があって、と…
お酒が効いて睡魔到来、風呂に入らずにダウン。
歩数は届かなかったが、何とか3つのリング完成。
2 notes
·
View notes
2024/3/18〜
3月18日
朝の電車で大阪のホテルの予約もキャンセルした。
やっぱりへとへとが慢性化してしまっていて、よくしてもらっている職員さんから、疲れてる?大丈夫?と声をかけてもらう。
色々悲しくなっているところに、不意に人事異動の通達もあり、気持ちの持ち方が行方不明。
十分すぎる予告はあったし、待ち構えていたけれど実際に通達されると驚いてしまった。
悲しいとかではないけれどショックだった。
大阪にも行けないし、なんか職場にあまりいたくなくて明日は行くつもりでなかった出張へ出向くことにしてしまった。
お財布はやっぱりクリーニングに出しに行きたい服を入れたトートバッグに入れたままだった。
3月19日
人事異動の通達によって、今のお仕事のことで一喜一憂していた時間にも線引きがされた。
と、いってもやっぱり引き続き気になるものは気になるし、でももうあなたの考えるところではないから!と社会の側から無理やり思考をストップさせられている気もして、本当、お仕事のことで悩んだりしない方がいいな、と思った。
明日からの大阪行きを見送ったことを、大阪の友人へメッセージをしていて、全てに落ち込んでいるところで乗り換え駅にいいちこのポスターを見つける。
いいちこも春になっていた。
出張で都内に出たことで、このポスターを2連で掲示しているところに2回で会えた。
出張先ではまた今日も空回り元気な感じを、返事すらまともにできないおじさん達の中でやってきた。とっても疲れた。なんでだよ!ってたくさん思ってしまった。
出張先のまちは古紙の回収日で、年度末だからか教科書やノートがたくさん並んでいた。その内の“先輩の本棚”という本(教科書の副読本?)が気になった。
植物がいつも素敵なお屋敷は玄関横にミモザがかざられていた。
もしかしたらこの出張先にも来なくなるのかな、と思って、何もないまちに唯一ちょっと素敵なお菓子屋さんがあるのを気になっていたので帰りに何か買って帰ろうと思ったら火曜日が定休日。
クリオロという目黒とかにもお店がある洋菓子屋さん。
仕事のことや大阪行きがなくなって当てもない有休になってしまった木曜日のこととか、いろんなことを考えて職場へ戻ったところで一期下の方に遭遇。
「異動されるんですね、大丈夫かな、と思って…」とお話しして下さった。大丈夫じゃないなんてこと言ってられないと思っていたみたい。本当は大丈夫じゃなくて、そう言ってもらって少し泣きそうになった。
つみたてNISAのことを教えてもらったりと、よくしてもらっている異動先の部署の職員さんから「公私共によろしくね」と話しかけもらう。
空には月が半分くらいで、大阪旅行のお供にレンタルしたCONTAXで撮っておいた。
陸橋の上でセルフタイマーで写真も撮った。
全然楽しくなかった。
撮るたびに、先日のポートフォリオレビューで「フィルムで撮る意味って?」と言われた言葉が頭にアナウンスされてしまうようになった。
unextにたくさん面白そうな映画があって、でもリストに入れるだけで何も集中してみることができないんだろうな、と虚しくもなる。
どうしてこうなってしまったんだろう。
3月20日
今日はなるべく何もしないように気をつけた。
気をつけたけれど、毛布の洗濯や部屋の掃除や冬物のクリーニングやヨガや無印良品週間有効活用や久しぶりのカレー作りなどをした。
隣駅の目星をつけていたクリーニング屋さんへ、enfoldのコートなどを持って行った。
そしたら、また、こちらもシャッターが下りていてお休み!でもよく見渡したら道を挟んだところにもクリーニング屋さんがあり、そちらに出してみた(こっちは木曜定休とのこと)。
そのあと駅の反対側を少し歩いたら、またクリーニング屋さんを見つけた。
いつも気にしないでいたけれど、乗り換え駅の周りにはこんなにたくさんクリーニング屋さんがあったなんて。
なるべく何もしない、かつなるべく早め早めに生活のことを済ませようといつもと違う時間のスーパーでお買い物をしていたら、久しぶりにお隣さんに会ってしまった。かなり距離があったのに、見つかったし見つけてしまった。
大島さんが大阪で展示をされる情報を見つけ、やっぱり4月中の普通の土日にリベンジしたい。
普通に、普通に出かけてしまいたい。
無印良品でタッパーを買い直して久しぶりにカレーを作った。作業的には作り始めから片付けまでかなりいい感じでまとまった感じで作れたのでよかった。それと本物の生姜を買ってみた(いつもはチューブ)。
明日は起きれたら美術館へ行って、異動や退職される方へ渡したいお菓子を買って、ロッカーに入れる新しいフレグランスタグを買いたい。
夕方から天気が二転三転して窓の外が忙しそうだったけれど音楽を聴きながらカレーを作っていたのでそれどころでは無かった。
でも春みたい、と思って、窓の外の土手がもうだいぶ黄色いことに気がついた。春でした。
5 notes
·
View notes
私は、日々を言語化したい。朝日を見て太陽のあたたかさを感じ、愛猫が美味しそうにご飯を頬張る様を見ていたい。花を眺め、綺麗だと思い、散り際を感じたい。好きな音楽をかけて朝食を食べ、小説を読む。物語を心の底から楽しめる余裕が欲しい。お日様が高く照らす日には、洗濯物をベランダに干したいし、太陽が西へ傾く様を見届けていたい。時計を見ずとも夜が来ることを知りたいし、次の日の予定に縛られることなく夜を過ごしたい。私は毎夜、幸せな夢を見たい。世間知らずだと言われるだろうか。そんなことでは生きていけないと諭されるだろうか。私はそれらが自分の人生への言い訳のように感じる。老後、飽きるほど時間があると誰かに言われたことがある。若い頃は精一杯働くべきだと、誰かのために必死になれと、そう言われたこともある。そんなの私は嫌だ。その生き方は私には出来ない。ただ何となく、流れる人生に身を任せるなんて、とても出来ない。朝、起きて、慌ただしく仕事へ行き、死んだ目で業務を熟し、気づいたら日が落ちて、暗い夜をなんとなく受け止める。家に帰って、腹を満たすためだけに食事をとって、ベッドに身を投げる。私は、そんな毎日を、日々を、過ごすのは嫌だ。私は私に約束をする。自分自身が幸せで居られるように努力をする。自分を犠牲にして諦めるのはもう終わりにする。私は自分の輪郭を知っていかなければならない。身の丈に合った人生を描く。そして、この人生の幕が下りるとき、幸せだったと心から思えるように。月並みな表現ではあるけれど、笑ってこの世から去れるように。心に出来た余裕という名の隙が、いつか、大切な人の傷を癒す場所になれば良い。いつか必ず訪れる最期まで私はゆっくり歩を進めて征く。それが私の幸せであるように思う。
36 notes
·
View notes
12月28日、仕事おさめ。定時ギリギリまで会議。年始からまた仕事が大変そうだ……。今年は部署異動で業務内容がガラッと変わり、個人的に本当に仕事がしんどかった。職場の人にたくさん助けてもらったが、それでもしんどかった……。残業量は去年までより減ったから、内容と気持ちの問題だと思う。帰りに夫に電話したら「いまイカさばいてる」と言われ、元気だなと思った。イカ美味しかった。
29日、寝過ぎた。うなされた。昼ごろに起きてボーとしていたら義母がお寿司を届けてくれた。午後、夫と買い物。ふだん行かないスーパーに行く。すごい人だったが、義実家は大晦日か元日にスキヤキをするので、奮発していいお肉を買った。たのしみ。少しだけ掃除した。
30日、午前中あちこち掃除をした。12月仕事が忙しくて心に余裕がなく(定型句の言い訳)家の中が汚い気がしていた。午後から本を読むか夫と出掛けるか……と思っていたが「買い物について来てほしい」と頼まれたので義母と外出。デパートもすごい人だったが、義母の目的のものも調達し、スキヤキ用のお肉を買い足してもらうなどした。甘味屋さんでお持ち帰りして帰宅。ちょっと遊んだ感。
31日、掃除の続きを少しして、近所のスーパーなどで少し買い物。まえ住んでいた家の近くに野菜の路上販売があり、そこで野菜を買う。義姉は今年は帰省しないことにしたらしい。たのんでいたおせちを義母に送ってもらったら、お礼の電話があった。夜はお蕎麦を準備して、義母と夫と3人で年越し。
1月1日、お昼ぐらいに義母が家に来て、3人でおせちとお雑煮。そのあと少し外出。3時半ぐらいに帰宅して、思い立って冷蔵庫にあった生クリームをぶーんと泡だてて、義母にもらって冷凍していたシフォンケーキを解凍して食べた。それで、さあコーヒーを飲もうと思ったら、揺れた。体感めっちゃ揺れた。夫とふたりであわてて机の下に隠れたり、食器棚を押さえたりしていた。記憶が曖昧だがわたしは「お母さんがお母さんが」とずっと言っていて、夫は大きな揺れがおさまるとすぐ義実家の様子を見に行ってくれた。義実家は拍子抜けするほどなにも壊れてなかったらしい。わたしの住む地域は、最大震度5だったのだそうだ。ニュースをつけた。そのあとも何度も揺れて、テーブルの下に入ったり出たり入ったりしながら過ごした。
妹からすぐLINEが届く。大丈夫だよと返す。妹は帰省していたようで、両親にも伝えてくれたようで一安心。実家の方は大丈夫のようで良かった。
義母と夫とスキヤキをどうしようかと言って、結局、ごはんは食べなきゃならないんだもんねえと言い合ってときどき揺れる中カセットコンロでスキヤキを敢行した。テレビでは火事の炎がすごいことになっていて、大変なことになってしまった、と思った。義母は自宅に戻り、怖かったのでお風呂は入らずに服を着たまま寝た。
2日、フェイスブックで職場の様子がアップされているのを見たら大変なことになっていたので、昼から出勤した。復旧作業の手伝いに入るつもりで居たが、わやくちゃになっているフロアには安全確認が済むまで立ち入りもできないとのことだった。管理職の人たちだけ出勤していてわたしは居ても居なくても変わらないぐらいだったが、できる範囲で手伝って帰った。
3日から6日まで もともと出勤日だった。自分の担当業務で結構スケジュールの厳しい仕事を抱えているため、事務室待機でときどき手伝いに入るということになる。申し訳ないが、いまやらねば未来の職場に迷惑がかかるので仕方ない。勤めた。お化粧を諦めて朝と夕方楽になったが、「疲れている」「大丈夫か」と複数の人に心配される。なけなしのメイクは用を成していたのか……と謎の感心する。「すっぴんなんです」と答えている。
LINEやTwitter(エックスか)で心配のメッセージ、無事で良かったのメッセージをたくさんいただきありがたい限り。高校時代の友人から届いた年賀状に、心配していますと書いてくれていたため、ものすごく久しぶりにメールを送ったらエラーメールで返ってきた。時の流れを感じた。
7日、午後から出勤するつもりだったが、あんまり無理するともたないかなと思って休みにしてもらった。たくさん寝た。軽くだけ掃除機をして洗濯をした。午後に夫と義母と3人で買い物。途中わたしは疲れて車で休んだりしていたが、和やかな会だった。義母も喜んでいて良かった。
今日、昨日は休んだので午前中少し遅めにしてもらって出勤した。何をしていても「わたしが今進んでいる方向は果たして合っているのか?」という心持ちになるが、仕事とはそういうものだったかもしれない。阪神大震災を経験したパートさんと話す。ライフラインがあるだけ充分よと力強く言っていて、本当にそうだなと思う。仕事の愚痴を言ってしまって、ちょっと反省。
「長丁場になるから」と合言葉のように言い合って、みんなで定時に帰る。
揺れはしましたが被害は少ない地域に住んでおり、わたしは無事です。職場は大変なことになってますが同僚たちも生きて会えて本当に良かった。震源地に近いところの惨状がだんだんわかってきてニュースを見ながら心配な気持ちになっています。ちょっと落ち着いたら募金しようと思います。そんなふうです。エレカシの歌をプレイリストにして「さあ頑張ろうぜ♪」とみやじさんの声に励まされて出勤してます。
ではまた!
7 notes
·
View notes
私の祖父は今年亡くなりましたが、あなたはそれを知らないでしょう。 実際、彼はあなたがそうしないことを望んでいたのです。 レイ・ハレルは 1930 年代にカタルーチー渓谷で 8 人兄弟の末っ子として生まれ、ピューマを追い抜き、牛を山から追い落とし、借りたジープを衝突させました。そして 90 年後の 1 月 20 日、彼は音もなくこの世を去りました。 それが彼が望んでいた方法です。 墓石は見つからないでしょう。 葬儀には誰も集まりませんでした。 彼はここにいて、70年近く連れ添った妻と共有していたポーチに座っていましたが、その後、彼はいませんでした。 塵から塵へ。
一日の授業を終えて車で家に帰る途中、おばあちゃんから電話がありました。 過去 1 年間、ガンのせいで徐々に命を奪われ、その朝彼はベッドに横たわり、残りの人生はそこに留まり続けるのではないかと思われた。
「あなたのパパの死亡記事を書いてくれませんか?」 彼女は、最愛の人を失ったにもかかわらず、常に現実的な質問をした。
伝えたいことはたくさんありました。 彼は10代の頃にスクールバスを盗み、教師の車の上でバックさせたことがあった。 彼は 1950 年に陸軍とともにドイツに派遣され、そこで空家から誤って大砲を発砲したにもかかわらず、階級を上げていった。 彼は人生のほとんどをそこで働いた繊維工場で労働組合を率いていた。 しかし、彼はそのことについては決して多くを語らなかった。 彼がやろうとしたのは、ノースカロライナ州フルーツランドで小さな生活を築き、娘たちを育て、皿洗いをし、壊れたガレージのドアを直すことでした。 彼は静かに暮らすことを目指したが、その後、同じように亡くなった。
座って執筆していると、テンプレートに詳細を落とし込んでいる自分に気づきまし た 。 死亡届は、何が重要で、何が記憶され、称賛されるべきかについて特別なプレッシャーを与えるが、新聞紙に載る名前や新聞での賞には何の興味も持たず、陰で生き続けることを目指した人生について人は何を語るだろうか。マントルピース? ジムとコーラの息子であるレイ・ハレルは、じっと座って風が葉を散らすのを眺めて満足していたでしょうか? レイ・ハレル一等軍曹は、財布の中のお札を金額の高い順に並べましたか? グレースによって生き残ったレイ・ハレルは、小屋の中で正しい釘を探しながら、毎年同じ発明曲を口笛で吹き続けていました。 私は予想通りの詳細を記入して訃報を新聞社に送りましたが、それが正しくないことはわかっていました。 それは彼の生きた人生を何も捉えていませんでした。 彼が亡くなった数日後、教会の女性たちがキャセロールでテーブルを覆い、おばあちゃんが19歳以来初めて一人でベッドで寝たとき、私が戻ってきたのは、静かな生活のまったくの大胆さでした。
洗濯トラックを運転して一日を終えたレイ・ハレル。 彼の花嫁グレースは、最初の家の外で写真を撮りました。
私たちの時代の著名な人物が亡くなると、私たちのスクリーンに彼らの功績を記録した短いクリップが流れ、彼らの影響について議論するトーキングヘッドが登場します。 しかし、静かな生活は背後で音もなく流れていきます。 しかし、それらは私たちの皮膚の中にある命であり、朝食から就寝まで私たちを導いてくれます。 彼らの命が私たちを作り、世界を動かし続けているのです。
彼らは私たちが気づく前にゴミを出したり、郵便物が来ているかどうかを確認するために道路を歩いたりしています。 ビスケット生地を適切な厚さに並べる方法を教えてくれます。 春の午後、彼らは私たちの息子たちをトラクターに乗せました。 彼らは壊れたシンクを隣の人に手伝ってもらいました。 彼らは18か月の赤ちゃんを引きずり出すために川に飛び込みました。 彼らはフォークリフトに挟まれて腰を折った男性を捕まえ、そ���まま抱きかかえて死亡した。 彼らは甥が自分の名前に一銭も持っていなかったとき、彼らのポケットにお金を滑り込ませましたが、恥ずかしくてそれを認めませんでした。 彼らは洗濯をしました。 彼らは床を掃除した。 彼らは子供のように庭で遊びました。 彼らは塩味のパックを食べて、夜がなくなるまで毎晩ベッドに潜り込みました。フルーツランド・ロードから離れた土地で小さな生活を営むことは最も神聖なことだから、残されたのは生き続ける人々だけです私たちは考えることができます。
私たちの周りには、派手なアメリカの個人主義、明るい照明、そして表舞台のサイレンの呼びかけを無視して、頭を下げて両手を広げた生活があります。 私は大丈夫、ここに 部屋の端からの反応があり、その満足感はまったく破壊的です。 どうしてそれだけを望むことができますか? 世界が求めています。 持つべきものは常にもっとあります。
ノースカロライナ州フルーツランドにあるグレースが幼少期を過ごした家の外でポーズをとる新婚夫婦。 その家は、レイとグレースが一緒に家を建て、住んでいる場所の道路を挟んだ向かいに建っていました。
レイ・ハレルが持っていたのは、頼もしいトラクターと、燃えるような女性だった。 彼は正午の夕食時にコーンブレッドを一口食べ、毎晩寝る前にRCコーラを飲んでいました。 彼には子供、孫、曾孫がいて、毎年クリスマスになると家がいっぱいになりました。 それで十分でした。 「私たちは良い人生を送れました」と、最後の年に私が訪問するたびに、彼はほぼ毎回私に言いました。たとえ遠くから見ると奇妙に見えたとしても、私はそれが真実であると確信していました。 やもしものことを後悔する長いリストを残したはずだ 理論的には、クリアクリークの上空にあるこの小さな生命は、もしものこと 。 しかし、この人生こそが人生そのものであり 、 1954年に彼と私の祖母グレースが道の先にある小さな教会で結婚したときに目指したものそのものでした。
それらの訪問では、私はコーンブレッドを食べて落ち着いて話を聞きました。 時間が経つにつれて、私はこれまで知らなかった歴史を収集しました。 スクールバスが盗まれ、ジープが墜落し、牛が泥にはまってしまったことを知りました。 私は、朝鮮戦争中にドイツに駐留していたパポーが高額のトランプを獲得し、その収益を持ってヨーロッパ中を旅したことを知りました。 私は彼が繊維工場から何度も何度も解雇されたことを知りました。
"どうして?" 私は尋ねた。
「そうですね、私がイライラしていたからだと思います。」
ほとんどその通りでした。 彼は誰も聞きたくないときはノーと言い、上司たちが聞きたくないときは労働組合を結集させた。 ハーネスなしで10フィート登って自分でローラーを交換するように言われたときのように。 「私は彼らに、そんなつもりはないと言いました。」 彼らは彼を解雇し、労働組合の弁護士が介入し、彼は仕事に戻った。
「頑固なおじいちゃんだよ」とおばあちゃんは言った。
おそらくそれも正しかったのですが、世界を見て不正義と闘う物語をつなぎ合わせてみると、静かな生活は受動的な生活ではないことに気づきました。 ポーチにじっと座っていることは、世間をやり過ごすことを意味するものではありません。 彼とおばあちゃんはキャンピングカーに乗って国中を旅しました。 彼は組合の会長を務めた。 満足しているということは、盲目であるという意味ではありません。 それは、善良な戦いと利己的な戦いの違いを知ることを意味します。
「私は正しいことのために立ち上がることを信じています」と彼はトウモロコシを一口食べながら言った。 「こんなこと言うべきじゃないけど、みんな私のことが好きでした。」
"なぜ?" おばあちゃんは尋ねました。
「あなたがそんなことを聞かないといけないとは思っていませんでした。 私は良い歳をした少年だよ。」
静かな生活のための訃報 — THE BITTER SOUTHERNER
3 notes
·
View notes
2024.06.30
refaのシャワーヘッド良いらしい。
高いのは¥30000もしよる。
1番安いので¥15000くらい
カルキ、塩素を除去する機能は無いものの
ナノバブルとやらで、毛穴よりも細かい粒子の泡が
毛穴の汚れを落とすらしい。
湯船のお湯も、シルキーバスが作れる…
なんか欲しい…
周りの声では、女性は、メイク落す洗顔では
全然違う!と絶賛してた。
1番安いモデルを装着して
シルキーバスを作ってみたが、上手く行かず
どうやら、条件が色々とあるらしいが
白濁してなくても、確かにお湯が柔らかいのは分かる
シャワーは水圧が下がるので、微妙…
前のシャワーヘッドは、
オンオフの切り替えボタンがあったので
シャワーを出す時、切るとが簡単だったが
今回のヤツは、それが無いので
シャワーを止める時に、毎回、元のカランとシャワー
切り替えの所で止めなくてはならなくて
ちと不便。
ま、高いし、暫く使ってみようと思い
まだ、元に戻してない
そんな目に見えないナノバブル
おおよそ信仰宗教的だよな(笑)
そんなナ���バブル信仰。
何やら洗濯機ホースにナノバブル発生機を搭載した
物があるらしい。
長崎県を拠点とする甲高い声で社名を連呼する
某通販会社JネットTK田さんが、
誕生日月のワイにおめでとう!クーポンを
贈って来よった。
そのクーポン使えば、更に安くなる。
クーポン対象商品に、このナノバブルホース
うむむ。
乗せられてやろう!ナノバブル信仰
朝方の意識朦朧とする時間帯で、
ポチってしまいました。
正直、結果はまだ分かりませんが
期待はしてます。
ナノバブル信仰の行く末を見守り下さい
ヤラシクどうぞ!
2 notes
·
View notes
Data 501
ニックネーム コックヤマムラ
品番 900
サイズ W30 L32
着用年数 2年
リジッドで購入後、クローゼットで保管していたものを2021年秋から着用開始しました。
通勤時、休日の外出はほぼ全て着用してきました。
900のシルエットを活かし、ジャケット・ローファーにもマッチするようにしたいと考えました。
メリハリをつけつつも、わざとらしくない自然な色落ちにし、清潔感を出すことをコンセプトにしました。
そのために、心掛けたことは以下の通りです。
①裾は切れないようにくるぶしの位置に裾上げした。
②ポケットにはなるべく物を入れないようにした。
②糊落とし後21年10月から履き始めて、翌年7月まで未洗濯。その後2週間に1回ほど手洗い。
こまめに洗濯することで、膝周り等を茶変させないように注意した。
画像は2年着用した現在の状態ですが、
バナーデニムだからできる、ほどよい「点線の色落ち」となり、目標通りの1本となりました。
塗装が落ちてきたボタンもお気に入りです。
4 notes
·
View notes
20240621 23:45 今日ももう終わる
随分とのんびりだった梅雨がようやくこの辺りにもやってきた。
昨夜は地震があった。仕事中だったので夜勤の相方さんと、今揺れたよね?一瞬だったけど結構揺れたね。とぐるっと見回った。それ以降何もなかったから良かった。
日付が変わる頃から雨が降り出し、窓ガラスにあたる雨の音が大きくて、大雨を告げるアプリの通知が何度も来ていた。夜が明けてからも雨足は強いままで、ゴミ捨てに行ってくれた相方さんが 「思ったより降っててびしょ濡れになった」 と髪を拭きながら戻ってきた。
勤務が終わる頃もまだ止まず、この雨じゃ帰って洗濯しても仕方ないなと思ってさっさとシャワーを浴びて寝た。
夜勤明けは眠たくてたまらなくても2時間〜3時間も眠れたら良い方で、すぐに目が覚めてしまう。昼間は寝るべき時ではないのでそうなっているのかも。とはいえ夜寝てもそんなに変わらない。もう長い間、私の夢は長時間眠ること。だ。
今日からライブチケットの抽選予約開始。当たるかどうかも分からないけれど友人に一緒にどう?と聞いたら、いいよ!と言ってくれた。2枚で申し込んだ。当たりますように。
夜遅くに友達とサイゼに行ってペンネアラビアータを食べた。こんな時間に食事をしてたらデブになると笑いながらも完食した。家に帰ろうかと思ったけど、もうちょっとドライブしよう!となって海まで行った。朝は土砂降りだったのにすっかり晴れて、まんまるの月が明るかった。
夜の海は怖い、と友達は言ったので一人で車を降りて堤防のような所に座って海を眺める。湿った潮風が肌を撫で、海の匂いを運んでくる。まだ少し肌寒い。
車のドアが開いて、こちらを覗いていた友達が恐る恐る降りてきた。それなら、とエンジンを切って海辺まで行くことに。夜の砂浜をきゃーきゃー言いながら波打ち際まで行く。暗さと音が怖いのだと友達は言う。確かに写真に撮るとナイトモードで明るい感じになっているけれど、満月の月明かりをもってしても夜の海は暗闇が深い。
大きな闇と響くような波の音に、得体の知れない怖さを抱くことは何も持たない人間として至って普通の感覚なのかも。
満月って人恋しくなる。そう友達は言った。なんだか人恋しいなと思ったら満月だった、のか、満月だと思うから人恋しくなる、のか。月の満ち欠けや潮の満ち引きに動かされるような説明のつかない感情はきっと自分でもどうしようもない。取り扱い困難だね、と笑い合う。
季節が変われば思い出し、きれいな月夜には恋しくなる。色々にかこつけて私たちは寂しくなったり会いたくなったり。
書いている間にいつの間にか寝落ちてしまい、書きかけの日記が下書きにたまっていく。すっかり今日が昨日になった。明日だった今日は買い物に行く予定。
7 notes
·
View notes
0806
夢の中でわたしは猛烈に怒っていて、金を返せ、ふざけるなと強く抗議していた。何のお金だか、どうしてそうなったんだか、目が覚めたらさっぱりわからなくなってしまったんだけど、すごく怒っていたという余韻があった。相手は誰だったろう。わからない。二人くらいいた気がする。起きたら喉がカラカラで、すごく疲れていた。
夢の中のわたしはよく舌がまわって、かなり興奮していた。同時に、内心では冷めてもいた。こんなに怒鳴ることってそうそうないな、こういうこともあるもんだなと自分で自分に驚き、語彙や声色に感心していた。わたしってこういうことをこういうふうに言えるんだなあとびっくりしていた。
どうやらわたしは戦略的に怒りを選び取って表現していた。検討した結果実行している怒声だった。そのことに可笑しみと多少のおそろしさを感じ、そうしてやはり痛快さのようなものはあったので、心の中でちょっと反省していた。夢の中の心の中。
怒りの最中にはそうでない自分がいる。というか、内心で自分の言動につっこみを入れたり、状況を俯瞰しているつもりだったりの心理も込みで、興奮状態というものなんだろう。わたしはふだんもっとぼーっとしている。怒っているときの自分はいつもより冴えている感があり…いや冴えているようなつもりになっているだけかも。怒りによって脳がフル稼働している感。まあこれは夢の中の怒りの話なんだけど。
もう十何年前のことだけど、演劇絡みのイベントで、やると約束していたことをやってもらえずドタンバになってすっぽかされたことがあった。当初かなり壮大な物言いをしていたのでまじかよと思ったし、お金や時間や人手の面でそれなりに協力していたのでがっくりきたが、後日謝られ、おれのことは殴っていいと言われた。
それなりに長い付き合いの知り合いだったから、言われたとおり殴って許そうと思った。二つ年上の男性。他人を殴るって初めてだったかもしれない。相手はすまなさそうに、でもちょっと半笑いで、わたしに頬を差し出した。その場にはほかに三人くらいいた。
わたしは平手でぱしーんとやるつもりだったがグーで殴っていた。平手とグーパンでは振りかぶるときの動作がちがう。わたしはどの段階でグーに変えたのだろう。半笑いの表情に嗜虐心を刺激されたのだろうか。ごつっという感触があり、でも音としてはぺちんと鳴った。だからそんなに強くは殴らなかったのだと思う。ただその次の瞬間、わたしはごく自然に足も出ていて、本当にそんなつもりはぜんぜんなかったのに相手の脛を蹴り飛ばしていた。こっちのほうが強い力になったようで、そしてまさか蹴られるとは思っていなかったのだろう、相手はギャッと声を上げ、地べたに手をついた。
殴るだけじゃ気が済まないから蹴ってやろうと思ったわけではなかった。殴ってみたら自然に蹴ってもいた。拳の感触だけでは物足りなさがあり、流れるように蹴っ飛ばしていた…? わからない。わからないが、殴る→蹴るを体の動くまま、自分の体がよどみなくやった、やれたということに快感があった。
周りにいた人たちは驚き、でも笑った。もしかしたらかなりぎょっとしたのかもしれないけどその場は笑いになった。わたしは興奮していたのだろうか。殴ったことにより興奮し、体が動いてしまった? 相手が手をつかなかったらさらにもう一発やっていた?
そもそもこの件でわたしは大して怒っていなかった。でかい口をたたくやつほど行動がともなわないものだから、すっぽかされたときは「やっぱね〜」って感じだった。わたしの友人のほうがものすごく腹を立てていたし悲しんでいた。わたしよりもっと具体的な迷惑を被り、けっこう泣いていた。その仇をとってやろうというわけではなかったが、まあ間に入るならわたしなんだろうなという感じがそのときその集団にはあった。歳下のあっちゃん(わたしのこと)がいっぱつ殴ることで一区切りつけましょうやという。
で、それからどうなったんだっけ…。それなりにインパクトのあるできごとだった気もするのにいまでは夢の中みたいに遠い。というか、そこそこ親しいつきあいではあったにせよ殴る蹴るで始末をつけるって、ろくでもねえな。なんて暴力的なコミュニティだったのだろう。この日記を読んでくださっている方はドン引きしているだろうか。
いちおう言い添えておくなら、言葉でやったら泥沼になるたぐいの話ではあった。もし話し合いで始末をつけようとするなら相手の人格に言及することになり、それは双方ダメージを受け、後を引く。物理的にひっぱたいて落としどころとするのは、まあ一つの方法ではあった。ろくでもないのはまあそうだと思うけど。
8/7からZINEのフェアがあり、本を並べに行った。それぞれ手書きのPOPをつけたんだけど写真を撮り忘れて帰ってきてしまった。6月の日記に書いたいろいろの件があり、ちょっとまだ平常運転ではないのかも。店で作業をしているとき、今朝見た夢のような、へんなたかぶりのようなものがあった。
気持ちがどうにも落ち着かなくて、なんかこまごましたものを買ったら少しは楽しくなるかも?と思って雑貨屋に寄り道した。コーヒーゼリーの素と蛍光ピンクの糸と石鹸を吊るしておけるネットとタイ製の洗濯ばさみみたいなクリップを買った。ぜんぶで900円くらい。夕飯は作らず、夫と待ちあわせてラーメンを食べた。
14 notes
·
View notes
2024年9月12日(木)
在学中から高齢男子の遊び相手をつとめてくれた妙齢女子、社会人となってからも時々話し相手になってくれる。普段は京都ツアーばかりだが、今回はスペシャルとして灘五郷の酒蔵めぐり、とは言え暑さを考慮して<神戸酒心館>で見学・試飲・食事を楽しんだ。帰路は阪神百貨店の地下でイカ焼き、いったい何年ぶりだろう。京阪神の個性と奥深さ、そして美味しい食べ物・飲物を堪能して帰路についたのだ。
4時45分起床。
あれこれ。
5時45分、ツレアイ起床。
洗濯開始。
朝食は中華ソバ。
珈琲を入れる。
洗濯物を干す。
彼女の弁当を用意する。
プラゴミ、30L。
彼女を職場まで送る。
露の新治さんからメール、こんな会を知っているかと。知らなかったので、すぐに事務局に予約を入れるとすぐに返信、日曜日が楽しみだ。
阪急西院駅から梅田へ、妙齢女子との待ち合わせは10時だが、Privaceの関係で少し早めに着く。
向かった先は<神戸酒心館>、<福寿>が運営する見学と食事の施設。予約しておいたので、スタッフの説明と見学と試飲、その後12時の予約を30分前倒しして食事を頂く。
メインはソバと酒、追加で天ぷらと蛸の揚げ物、ビール(中瓶)1本+酒4合。
暑いので他の蔵の見学は断念して梅田へ戻る。
阪神梅田とくれば名物は<イカ焼き>、ここで食べるのは恐らく50年ぶりのこと。焼きそばも追加してお腹は満腹。居眠りによる(互いの)乗り越しを確認しながら帰路についた。
阪急桂駅で下車、フレスコで買い物して帰宅、荷物を置いてすぐにライフ西七条店へ、今夜はすき焼き、明日は煮魚。
セブンイレブンとAppleのキャンペーン、7月に10万円のギフトカードを買ったものに5000円の交通系ICカードがプレゼント、ラインで連絡が来たのでセブンイレブン花屋町店でチャージする。
ツレアイ帰宅、すぐに三男とココに点滴。
早めに夕飯準備、今日の報告をあれこれ。
長男から着信、昨日送ったiPhone&Watchが届いたと。大事に使ってくれれば嬉しい。
録画番組視聴、名探偵ポワロ。
第5話「カーテン~ポワロ最後の事件~」/ Curtain:Poirot's Last Caseシーズン 13, エピソード 5
スタイルズ荘は、かつて殺人事件の舞台となった場所だが、現在はラトレル夫妻が経営するゲストハウスとなっていた。ヘイスティングスは親友ポワロから招か れ、久しぶりにこの地を訪れる。ポワロとの再会を楽しみにしていたヘイスティングスだったが、出迎えたポワロは見違えるほど痩せ衰え、しかも車椅子に乗っ ており、ヘイスティングスは愕然とする。スタイルズ荘にはポワロ以外にも数名の滞在客がいた。
このシリーズもこれで最後、しばらく見ることはないだろう。
風呂の順番を待つ間に寝落ち。
さすがによく歩いた。
3 notes
·
View notes
2023/12/11〜
12月11日
昨日つけ置き洗いをした加湿器の給水タンクのキャップを捻り開ける力がなくて水を捨てられず、朝そのままで出かけた。浴室乾燥していた洗濯物も気温が下がって乾きが悪くなり3時間では乾かなくなってしまい干したまま出かけた。
この調子で毎晩毎晩掃除や片付けや、やらなくてもいいのに儀式的にやってしまうことを減らしたい。その日の感じに合わせて必要ならばやる、程度にしたい。
お昼休みに歩いていたら、向かいから坂を降りて来た自転車���方がすっころんでズボンの膝が破れてしまった。私含め近くにいた人たちは遠巻きに心配そうに、でも声をかけたりもできずにいる様子で見守っていて、本人はやっと少しずつ起き上がって、そんな時に後ろから悲観するばかりでない明るい声で「あら〜大丈夫かしら?」と声をかけてくれた年配の女性がとても救いの存在だった。
心配そうに「大丈夫ですか?!」と言われたら「大丈夫です」しか言えなそうだけれど、余裕を持った明るさで声をかけてくれたら「ズボンの膝が破けちゃった…」と、少し泣き言を答えることも許してくれそうだな、と思った。
お休みに入った上司の代わりを務めてくださる方と、まだ様子見あってお仕事をしている感じがなんだか煮え切らなくてぎくしゃくして話す度に泣きそうになっている。
12月12日
向かいのデスクの方が自分で設計した自邸が1月末に完成するお話を聞かせてもらう。写真も見せてもらって白と木が良い塩梅の素敵なお宅だった。
すごい!うらやましいとか尊敬するとか目標としたいとかそうゆう次元でなくて、なんかこれはとても嬉しいだろうな!?と率直に思ってしまい、他人のことだけれど「嬉しくないですかこれ!」と少しテンションが上がってしまった。
年が近い彼女よりお仕事でできないことが多い(と勝手に思っている)私は、時々それに落ち込んだりしていたけれど、彼女は本当に建築が好きなんだ!と嬉しくなる発見ができた。
私は建築はお仕事でしかなくて、作家さんの作品や考え方を観るのは好きだけれど自分で作りたい分野ではない切り分けはできているので、全く別の類の方としてやっと彼女を捉えることができた気がする。
お家ができたら遊びに行かせてもらうお願いもできた。
昨晩、教えていただいた大阪のギャラリー情報を確認し、ちょっと違うかな〜となっている。
今日から京都のギャラリーも少しずつみてみよう。
友人へ次会った時に渡そうとしていた京都限定のルルルンのパックと光線さんのガチャガチャをレターパックライトに詰めて送ろうとしたらポストに入らなかった。また3センチ(今回はプラスの5センチも)をオーバーしてしまった。
マスクが苦し過ぎてくらくらするのと、日中の噛み締めがひどくて顔が痛くなるので、2日間外す生活をしてみたけれど、なんとなく人と喋る時の飛沫恐怖が発生してしまい、唾が飲み込めないことがたくさんあった。また良くない症状を発症させてしまったかもしれない。
12月13日
ガスの点検の立ち会いのため午前中はお仕事をお休みをした。
そのため昨晩は出来る限りの掃除をしたり日記を更新したりとても忙しく過ごし、22時からの一食目のご飯は栄養補給でしかなくて味がしなかった。
でも朝起きて、まだ薄暗い中で大島さんの新しい読み切りの漫画を読んで二度寝をしたら、夏に展示をしたギャラリーの白濱さんと大学時代の好きな友人が夢に出てきてとても幸せだった。alt_mediumで小規模のブックフェア的なイベントを開催していて、私はそれに参加して写真集を販売したり自分の作品についてトークをしたりして、出版関係のお仕事をしている友人はたまたま仕事でこのイベントに来ていて、写真を通してお仕事でこうやって好きな方々と再会できた幸せな夢。
朝起きても、半日仕事を終えても、まだどことなく今日良かったことがあった、と思う気持ちはこの夢のおかげだと思う。
こうなると今の仕事を続けることを少し悩んでしまう。
フィルムカメラで写真を続けるためにNikonF100の修理をするべきだと、もう一度修理店を探して、インターネットで見つけた2店舗に連絡をとってみた。修理するより中古機材を買った方が安いのかな。
午後から出勤する道中、イルミネーションの準備が進められていて、夜帰宅するときちゃんと光っていた。
いつも行くスーパーの品揃えについて、私がお決まりで毎日買い続ける商品が、ある時から私が買うごとに一つずつ減ってき、最後の一つを購入した次の日からその商品の取り扱いが終わってしまうことが何回か続いていて悲しい。その中の需要と合わないものを嗜好してしまっているの?
無事でいたすぎて、年明けの有給の予定を立て始めている。
12月14日
ティカ・αが作曲、最果タヒが作詞した曲が、1月24日にリリースされる情報を知る。え?!と、なってしまう。え?!ティカ・αと最果タヒが作品を作ってしまったのですか。嬉しさや楽しみな気持ちより、もうこれまでの空虚な気持ちに近い感覚。
ティカ・αエピソードのひとつ、“愛・テキサス”のMステ動画のコメント欄が意外と愛が溢れていて(山Pファンでない人達の山Pへの評価について)、なんかよかったことをたまに思い出します。
ポストに入らなかったレターパックライトを郵便窓口でプラスに変えてもらう。差額と手数料だけ払って、使用済みだけれどライトを返却して完了した!
有言ジーザスなので朝デスクについてから始業まで年賀状の宛名を書くようにしている。でも裏面のデザインが定まりきらずにいて今年は出すのがギリギリになってしまいそう。
昨日の日記にスーパーの品揃えについて書いた矢先、いつも買っていた商品がまた取り扱い終了となってしまった様子。これまでの取り扱い終了商品履歴。ナチュラル豆腐ビヨンド、揚げなすとトマトのフリーズドライスープ、豆のサラダ、雑穀のサラダ、殻が剥いてあるゆで卵、畑生まれのまろやかソイ、サラダ豆。これ以上私に食の不自由を与えないでください。
来週もどこかでお休みを取れないか探してしまう。
2 notes
·
View notes
mes possibilites aujourd’hui.
今日のわたしの可能性。
洗濯物を片付ける。
旧宅の庭の水撒きをする。
回覧板をまわす。
気圧の乱高下のせいか、
朝から閃輝暗点、からの頭痛。
よって、スロースタート。
確かに昨夜は
唐突な嵐に雷で驚いたもの。
通帳記入をしたら、
引き落とされているはずの案件が
未処理。
代わりに何かしらの
更新手数料が
印字されたので、
あわてて入金、事なきを得た。
そんな日も、ある。
12 notes
·
View notes
231017,18のこと
朝7時50分ごろ起きる。8時20分の最寄りの電車に乗りたいのでぎりぎり。なにも準備していなかったけれど一泊なのでTシャツと下着を詰めるだけ。シャツとズボンは同じでいいでしょ。20分で支度し家を出る。コンビニでおにぎりとお茶とビールを買う。8時過ぎの中央線は通勤する人で混んでいる。新宿で乗り換えて在来線で北上。9時前には人が減ってきたので昨日買った本を読みながらビールを開ける。
9時過ぎに昨日頼んでおいた退職代行から連絡が来る。今連絡したが担当者不在とのことで折り返すとのことです、と。ありがとうございますと返して本を読む。9時40分ごろに直の上司から電話がかかってくるが着拒。不思議と酒の気分じゃなくてちびちび飲みながら本を読んで、畑に変わっていく景色を眺める。
車窓を眺めて北関東は田舎なんだなと思う。小山を通り越すときに「東京は家賃が高いでしょ、君たちも小山に住むといいよ。」と言っていた上野の餃子屋の常連のおっさんを思い出した。絶対に住めないなと思う。11時ごろに折り返しの電話が来ないから上司の連絡先を教えて欲しいと業者から連絡。さっきかかってきた番号と名前を教えると入れ違いで受理した連絡がきたとのこと。また礼を言って様々な手続きについて送られてくるのを待つ。畑と、住宅街と、山を時々眺めて本を読む。
13時ごろに新白河に着く。乗り換えのタイミングが悪く50分ほど待つ必要があるので駅中の蕎麦屋で唐揚げ入り蕎麦を食べる。唐揚げは4つ乗っていたがあまりにもまずく、2つ食べて2つ残した。食後土産物屋で赤べこのストラップを買おうか迷うがどこにでもあると思いやめる。コンビニでビールをもう1本買う。
ホームに戻ろうとすると駅員に止められる。蕎麦屋は本来お金を精算しないといけないエリアだったとのこと。謝って精算しようとするとここ数駅だけSuicaが使えないからできないらしい。かなり睨まれ語気強めに怒られたが許される。
郡山で高校生がたくさん乗ってくる。この頃には2冊持ってきた本は読み終わりそうで、景色を見ながらここで過ごす高校生活について考える。銀杏の東京では彼女が仕事をやめて郡山に帰ってたなとか考える。何度か業者から連絡がきて都度返す。
15時前に福島駅で降りる。昨日bookinig.comで目星をつけておいた宿が空いていたので予約する。やっぱりここ最近はどの宿も高い。booking.comの上級会員の割引を使って6000ほど。なにも予定を決めていないので駅の商業施設の本屋に行ってるるぶを読むが福島駅付近には本当になにもないようである。駅前広場をふらふらして併設の地図を見ると反対側に県の名産を集めたショップがあるようなので向かう。
駅の反対に行くには地下道を通る必要があるらしい。この地下道が200mくらいあって薄暗くて水滴がぽたぽた落ちていたりするからポケモンの地下道ってこんな感じだったんだろうなとか思う。壁面に広告が貼られていたが面白そうなものはなかった。名産ショップに向かう。やはり東北は日本酒が多い。買って帰ろうか迷うが荷物が重くなるのが嫌で断念。ご飯コーナーはしょうもないものしかなかった。グッツコーナーで謎のゆるキャラのキーホルダーとまた別のキャラのソフビを買う。日本酒飲み比べができそうだったがとりあえずやめておく。
また地下道で反対側に戻り、商業施設の食品売り場をチェックするがめぼしいものはなし。諦めて一旦ホテルに向かう。ホテルまでは800mほど、ぶらぶら歩くも特にめぼしいものはなし。ホテルの下にローソンがあったのでワインを買う。チェックインしたら16時過ぎだった。部屋でワインを冷やして少しゆっくりする。朝からビールしか飲んでいないことに気付いてお茶をがぶがぶ飲む。
街の散策に出かける。駅からこちら側の1km圏内をくまなく歩く。学校帰りの高校生が多い。映画館もイオンモールもブックオフもスタバもなくて、みんなどこでデートしてるんだろうなと思った(ラブホとサイゼはあったが)。本当にやることがなくて居酒屋に入る気にもなれず、駅商業施設の魚屋でパック寿司を買い、下のローソンでカップ麺を買いホテルに戻る。
ワインを飲みながら寿司を食べて、テレビを見て、カップ麺を食べた。風呂に湯を溜めて浸かりながら残った本の続きを読む。読み終わった後も幾箇所かを読み返して、のぼせる直前で上がる。お茶を飲んで、ワインを飲み直す。飲み切って少し足りなかったが買いに行くのが面倒なので11時ごろに就寝する。
7時に日の光で起きるが二度寝、8時半に起きる。30分くらいスマホを見て、だらだらしながら湯を溜める。泊まりの時はせっかくなので朝風呂をすることにしている。チェックアウトは9時半すぎ。
ローソンでビールを買って駅に向かう。駅までの道で業者からいろいろ連絡がきて返す。私鉄で15分くらい行ったところにハードオフがあるとのことなので向かう。向かいに駿河屋提携の地方でか古本屋があったので持っていた本を売った。見積もりの間ハードオフと古本屋で時間を潰す。
欲しかったアンプが20000円くらいで売られていて買おうか迷ったがあまりにも持って帰るのがしんどいので断念。キティちゃんのでかい貯金箱も迷ったがやめた。結局釣果はなし。本も1冊10円とのことで、20円もらって福島駅に戻る。戻る道にりんご畑があって、りんごの木って横に広がるんだなと思った、日照を考えて農家がコントロールしているんだろうけど。
駅に戻って商業施設で代わりの本を買う。ふらふら歩いて見つけた中華料理屋に入って麻婆麺を食べる。帰りの電車を調べるがあまり良いのがない。高速バスを見てみると15時発で3000円で帰れるとのこと。予約して昨日行った名産ショップで飲み比べをする。計1合3種類500円と格安だったので1000円6種類飲む。ある銘柄がとても美味しく買って帰ろうと思ったが飲み比べ限定とのこと。2合分ちびちびと1時間かけて飲んだ。
やることがないので昨日とは逆側を散歩する。が、昨日以上になにもなくて30分ほどで断念。イトーヨーカドーをくまなく探索したり駅内で酒を買ったりする。地元民御用達みたいなものは全然売っていなくて、東北は関東とあまり変わらないのかなと思った。九州に行った時はスーパーには知らないものがたくさん売っていて見ているのが面白かった。1時間ほどでバスの時間。乗ってちまちま酒を飲んで、SAでお土産を見たりする。でかい椎茸が売っていたから買おうか迷ったが安い訳ではなかったのでやめる。
新宿に着く。東京に着くたび帰ってきたなーと思うようになったのはいつからかわからないけれど、ちゃんと東京が自分の街になってきたんだなと思う。阿佐ヶ谷まで帰ってきて、駅内の魚屋で半額の鉄火巻きを買う。明日はいろんな手続きや物送ったりをしなくちゃな。セブンでワインを買って帰宅。ワインを飲んで鉄火を食べて、シャワーを浴びて洗濯物を回す。干した後残りを飲んで、酔っ払ってそのまま寝た。
4 notes
·
View notes