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#炙り白謎肉
bontebok0 · 1 year
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【日清食品 カップヌードル ねぎ塩】を食べました😋 鶏の旨みをしっかりときかせたコク旨な味わいの鶏塩スープで、別添の炭火焼き風味鶏油(ちーゆ)で仕上げれば凝縮された鶏の旨みと炭火で焼いたような香ばしい風味が加わります。スープの味わいを引き立たせるつるみのあるしなやかな麺&具材は炙り白謎肉(炙り味付鶏ミンチ)、ねぎ、たまご、キャベツ、赤ピーマン。〔税抜き214円〕 おまけで⭐️⭐️⭐️星みっつでした🎉 ※私の独断と偏見で3段階評価させていただきました。 #カップ麺 #カップラーメン #ラーメン 動画はこちら https://youtu.be/MMUNF_spPzA #日清食品 #カップヌードル #ねぎ塩 #鶏の旨み #鶏塩スープ #炭火焼き風味鶏油 #ちーゆ #炭火で焼いたような #香ばしい風味 #炙り白謎肉 #炙り味付鶏ミンチ https://www.instagram.com/p/CpMuZaXBaSB/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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harawata44 · 1 year
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うなぎを使ってないけどリアルな「謎うなぎ」日清から登場 “謎肉”で培った大豆たんぱく加工技術を駆使 - ねとらぼ
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以下引用
 日清食品からうなぎを使わずに“うなぎの蒲焼”を再現した「プラントベースうなぎ 謎うなぎ」が登場。日清食品グループのオンラインストアで7月18日12時から1000セット限定発売されます。
 「謎うなぎ」は動物由来原料を一切使わずに本物に近い食感や見た目、風味を再現したうなぎ風の食品。日清といえばカップヌードルに入っている「謎肉」(関連記事)でも知られていますが、それらで培った「大豆たんぱく加工」の技術を駆使して見た目も食感もリアルな「謎うなぎ」を開発したとのこと。謎肉に大豆が使われていたのはこのための布石だった……?
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 粒状大豆たんぱくを使用した白身のふわっとした食感や、たれを塗って炙った焼き目などリアルなうなぎらしさにこだわりが感じられる商品。今年(2023年)5月に開発成功が発表(関連記事)されると話題を呼び、商品化の要望が多数寄せられたことから今回の限定発売が決まったとのこと。1セットに「謎うなぎ」1尾とたれと山椒のパック2つ入りで、価格は税別1500円です。
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nullak · 10 months
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インターネットでグエル先輩が持ち上げられすぎているのになんだか乗り切れてない逆張りの人を見てると俺も1期でのインターネットの手のひら返し持ち上げぶりにはムカついたな…と懐かしく思えるので良い
〆の本当にすごいと思ったこととして、キャラクターの誕生日にほぼ全部説得力があったのが謎の説得力だと思った(一人だけならそういうこともあるけど、72体並べて一つの一貫論理とは思えないのに『謎』の説得力が『うっすら』あったのがすごかった)
オタクの最前線、ジャンルレベルで何?すら統一見解がなさそうで、大コンテンツ飽和時代過ぎる(歴史の話ならアングラ→エロゲ→ラノベみたいのに納得するかはともかく、本人にそう見えてんだろという想像はつけられるというか…)
耳をすませば画像ネタ・コピペで文系の哲学が非生産どうのみたいな自虐ネタをやっていたときにも多様性を感じた(元ネタを踏まえた上で大喜利をするんじゃないのか?もろにそういう話をしているシーンだってことも知らないのか?それを踏まえてあなたがそれを書くことを面白いと感ずる流派なのか?)
巨乳は至高言説、真に受けた(おそらく自分の肉体にコンプレックスのある)女性が俺に出題を行い、クイズに答えられないために減点をかましてくるのイベントの原因になるから嫌
「『貧乳が好きな男ってロリコン以外いないですよね?』っていう質問をしてくるメンタルをいわしてる人、『奥さんを殴る習慣はおやめになられましたか?』式の【どう答えても減点される形式のYesNo疑問文】の自覚なき使い手だから困るんだよな」って弟が…
政治とか倫理とか言葉遣いとかAI絵問題とか、そういうことは適当でいいだろう、けど、何かもっと適当にしてはいけないことから極端な回避傾向を見せて回避しているんじゃないのか、違うのか?
私は誰の言いなりにもならない、己が自我の回避傾向に対しても。憎い、嫌い、キモイ、怖い、人が、それでも晒すべき恥を晒さないまま死んで本当に満足できるか?適当で適切に振る舞って。
私は投票による寡頭選出制度の反対者なので、選挙権の拡大をさも人権擁護運動の成果のように語られると本当にフラストレーションが溜まりますが…
あなたが恋愛を架空のお伽噺と解釈するのも結構ですけれど私が性的マイノリティを治癒されるべき疾患とみなすのもまた同程度には尊重されるべき態度ですよね?と思っていますし、その意味では諦めてないんですね、恥ずかしいことに
私はお前を支配するために恥を晒して、お前も私を支配するために恥を晒した、そういうものだろう、人間関係は、違うか?お前が私を尊敬?しているならそれは俺が誤魔化しているからだし、誤魔化しているままでは嫌だと思ったから、恥を晒している。終点をどこにするのかはわからない。成り行きだろう
自由意志の所在は罪の量刑に関わるんだから自由意志のある無しは決定的に重要なことでは…?
聞いたんだか思いついたんだかわからない勘ぐりでは確かにあるかもしれないけれど、そういう心理的効果が発生していることを推定すること自体は普通に合理的判断ではないかな…というふうにはおもうんだけど、非常識的な過剰な良識的行動へ別集団を導こうと試みる運動を宗教のように否定するのは
藁人形叩きの体で実際具体的な対象というかもはや具体人物を指して透明化しようとするの、逆炙り出しとでも言うべき変質攻撃言論だが、世界がこういう糾弾の仕方を求めているのだ…(変な時代)
LGBTを擁護するためにTERFに差別主義者のレッテルを貼りながらTRAと呼ばれることを拒否するものがもしいるとするならば、卑怯だろうね
インターネットで変な距離間になった異性に謝りたいと言うか、よく考えたら同性にも普通に謝りたいしすべてのことが間違いだったような気もしてくるわね
自分のことで言えば完全に『現実の男性を性対象としない女性が一番信頼できる』の価値観に完全に同化してきたな…という気持ちがある まあ目指してきたものだった気がするよ正直 良かった良かった
まあ大学教養くらいというか、新書ってだいたいそういうレベルなんですけど、普通にふーん面白と思いながら読めて、回避性に最適に生きることができる人間だと思いますよ、自分は。それで?って感じですけどね。もっとすごい人ももっと苦労してる人もいて、だから別になんともないっすね、みたいな?
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monqu1y · 3 years
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部下を管理する七つの技術   情報源 ( じょうほうげん ) の 複数化 ( ふくすうか ) と 符節照合 ( ふせつしょうごう ) で家来の 言行不一致 ( げんこうふいっち ) を見ぬいたり、 意外 ( いがい ) なテストで本心を確認したりして、 騙 ( だま ) されないように注意し、 信賞必罰 ( しんしょうひつばつ ) で家来たちをコントロールする方法
⦅洞察六兆[韓非]から続く⦆
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 「術」は、[法]の運用のしかた。王様が胸の中に仕舞い込んで臣下をコントロールするもの。  王様は、無数の部下、巨大な組織を制する権力者だが、生まれついての超能力者ではない。ひとりの人間が絶対的な権力者となるには、法(機構)の確率と運営のための術(徹底した人事管理)が必要なのだ。 〖王様が使うべき七つの[術]〗 01_臣下の行動と言葉を検証して、言行の不一致がないかを判断する  [法・術]に 長 ( た ) けた王様は、証拠のないことは取り上げず、普段食べない食事は口にしない。遠くのことはよく聴き、近くのことはよく見て、家来がどこにいようと、その落ち度は見落とさない。家来たちの言葉の食い違いを調べて、彼らの派閥をさぐり出す。さまざまな角度から家来の申告を成果とつき合わせて、食い違いを許さない。最初の言葉と後の成果を一致させる。法を基準として、言行を数多く見くらべて、家来を統率する。まぐれ当たりの成果には賞を与えず、職分を外れた行為は許さない。処刑すべき者は必ず処刑し、罪ある者は赦さない。  相手がどんな悪者でも私欲をとげさせない決意を 揺 ( ゆ ) らがせてはならない。   衛 ( えい ) の 嗣 ( し ) 公は、家来の一人を旅人にしたてて、関所を通過させた。  関所の役人は、彼をきびしく調べたが、金をやるとすぐ見逃してくれた。  その後、嗣公はその関所を通るとき、くだんの役人にこう言った。  「これこれのとき、お前の関所を旅人が通り、お前は金をもらって見逃してやったろう」。  役人は嗣公が何もかも見通していると思い、ふるえあがった。 02_罪には必ず罰を与えて、威厳を示す  何か事件が起こったとき、それによって利益を得る者があるならば、きっと、その者が仕掛けた。損害を受ける者があるならば、その人間と利害反する者が怪しいと見なければならない。  したがって、[法・術]に 長 ( た ) けた王様は、国が損害をこうむる事件が起こったら、それによって利益を得る者を調べる。家来が損害をこうむる事件が起こったら、その家来と利害の反する者をさがす。   晋 ( しん ) の 文 ( ぶん ) 公のときだった。  料理番が焼肉を文公にさし出した。  その肉に髪の毛が一筋ついていたので、文公は料理番を呼んで追及した。  「お前はこの髪の毛でわしがむせるのを望んだのか。でなければ、なぜ髪の毛をつけたのか」。  料理番は何度も地面に額をこすりつけてあやまった。  「わたしは死に価する罪三つを犯しました。包丁は砥石でよく砥いでありますので、名剣 干将 ( かんしょう ) のようによく切れます。肉はよく切れたのに、髪の毛が切れていません。これが第一の罪です。串に肉をさしたとき、髪の毛が見えませんでした。これが第二の罪です。炉の炭を真っ赤にして 炙 ( あぶ ) ったので肉は焼けたのに、髪の毛が焼けませんでした。これが第三の罪です。もしや、わたしを憎む者が、お側にいるのではないでしょうか」。  「なるほど、わかった」。  文公が側に仕える者たちを呼び出して取り調べると、はたして真犯人が見つかったので、それを処刑した。 03_功績を挙げた臣下には、然るべき 褒美 ( ほうび ) を与える  名御者の 王良 ( おうりょう ) が馬を愛するのは、走るから。  越王 勾践 ( こうせん ) が人を愛するのは、戦うから。  医者が患者の傷を吸い血を口に含むのは、金が儲かるから。  車職人が金持ちの増加を望むのは、車が売れるから。  棺桶職人が人の死を願うのは、人が死ねば棺桶が売れるから。   呉起 ( ごき ) が 魏 ( ぎ ) の将軍となって 中山 ( ちゅうざん ) (国名)を攻めたとき、できものをつくった兵士がいた。  呉起は自ら 跪 ( ひざまず ) いて、その兵士の 膿 ( うみ ) を吸った。  それを聞くと兵士の母は泣きだした。  「将軍が子供に親切にしてくださったのに、どうして泣くのですか」。  と尋ねた者に、母はこう答えた。  「呉起さまはあの子の父親のときにも、膿を吸ってくれた。父親は、その恩に死で報いた。あの子もきっと死ぬでしょう。それでわたしは泣くのです」。 04_情報は自分の目と耳で確認し、臣下の伝聞に頼らない〔符節を合わせる〕 《参伍の道》  三人を一単位としてそれぞれの意見を聴取し、五人を一組として過失に対し連帯責任を取らせる方法。王様が臣下の意見を聞き行動を見るのは、馴れ合っている者を罰し、しっかりした見解を持っている者を賞するため。邪な者や罪を犯している者を知っていながら告発しない者も、馴れ合っているとみなして罰する。  三人を単位として一つのことを相談させたときに意見が割れないのは、馴れ合っている証拠。  五人を一組として連帯責任性にすれば、一人が罪を犯した場合、他の四人は怒って必ずこれを責めるはず。四人全員が責めないようなら、他にも罪を犯した者が居るということ。  相談が始まってすぐに意見が割れれば、各人の能力の違いが分かる。ほんの過失程度の罪でも怒るようなら、他に悪事を犯している者はいない。 《四つの評価基準》  [地の利][天の時][物事の道理][人情]の四つの評価基準で各意見の符節を合わせれば、是非善悪を判別できる。  そもそも王様は、臣下の注視するところであるから、ふだんの態度を変え、親近の者を疎遠にしたり、疎遠の者を親近にするなど恩沢を改めてみても忠誠の度合いが分かる。  注意すれば臣下の持ち物、行動など、目にみえるものからも、推察しにくい点(かくれた悪事など)を見ることができる。  馴れ馴れしくなりあれこれ他人の仕事まで手を出しがちな近習たちには、謹んで本務を遂行するようにさせる。  遠くに使いするものとの関連のあるものを特に用がないのに再三呼び出して使者に何となく恐怖の念を持たせ、出先での悪事を 牽制 ( けんせい ) する。  臣下の過去を調べ上げて、その前歴を知り尽くす。  臣下を近習の地位につけて心の内側を知り、地方官などに任命してその外に対する態度を知る。  全てを承知しながら、とぼけて尋ねてみると隠れた面が分かる   謀 ( はかりごと ) を以って人を送り込み、相手の悪事や秘密を握って 侮 ( あなど ) りを退ける。  何か疑いがあるときは、使者に誉めるところをけなし、けなすところを誉めるなど、反対のことを言わせて、疑問を確かめる。  事が起こった場合、背後にあって利益を得た者を探し出して調査すると隠れた悪事が出てくることがある。   諌 ( いさ ) め 糺 ( ただ ) す官を設けて、独断権を持っている役人の専横を取り締まる。  忠誠とは言えない人間を登用して、 周 ( まわ ) りの 邪 ( よこしま ) な動きを観察する。  法が公平無私なものである 旨 ( むね ) 事細 ( ことこま ) かに説明して、仕事を 怠 ( おこたり ) りがちな者やでしゃばりがちな者を指導し、ときにはへりくだったり迎合したりして、正直か、おべっか使いか、人間を見極める。  小耳にしたことやちょっとした噂話を利用して、それとなく探りを入れると思いがけないことが分かる。  偽の情報を流して臣下を対立させれば、馴れ合いになっている仲間を解散させることができる。  ある事に精通することによって、臣下を恐れ入らせる。  極秘事項がもれそうな場合は、わざと別のことをもらして相手のねらいをそらす。  欲望、私怨、出世、保身などのために他人を陥れるような複雑で紛らわしい問題が起こったときは、同じようなでき事を参考にして詳しく調べ、罪を告白したらその理由を明ら��にし、罪を確認した上で処罰する。  時々隠密の使者を派遣して地方を巡視させ、民がまじめに働いているかどうか調べる。働いていないようなら(仲間を使って横着を決め込んでいるのであるから)、だんだん制度を改革していって、横着の元(仲間)をばらばらにする。  下部から上部へと徐々に管理体制を整えていけば、宰相は高官を取り締まり、高官は部下を取り締まり、将校は兵士を取り締まる。使節はその福祉を取り締まり、県令は配下を取り締まり、近習は左右の者を取り締まり、そして皇后は侍従の女官を取り締まるようになる。  話が間違って広がったり、大事がもれるようでは[法・術]による統治は難しい。   叔孫 ( しゅくそん ) は 魯 ( ろ ) の宰相で、実権を握り国政を思うがままに動かしていた。  その叔孫の 寵愛 ( ちょうあい ) を受けていたのが 豎牛 ( じゅぎゅう ) であり、彼も叔孫の名を使ってやりたい放題にふるまっていた。  叔孫には 壬 ( じん ) という子供がいた。  豎牛はその壬を 妬 ( ねた ) んで殺してしまおうと考えた。  そこで策をめぐらせ、あるとき、壬を連れて魯王の御殿へ遊びに行った。  そのとき、魯王は壬に 玉環 ( ぎょくかん ) を与えた。  壬はそれをうやうやしく受け取り、すぐに身につけようとせず、豎牛を通じて叔孫の許しを求めた。  ところが豎牛はその依頼を伝えもせずに、「わたしがこのことをお願いしたところ、つけてよろしいとのことです」。  と言って、壬をだた。  壬が玉環を身につけるのを見ると、豎牛は叔孫のところへ行って、こう切り出した。  「そろそろ壬さまを殿様にお目見えにお連れしてはいかがです」。  「子供だからな。まだ早すぎるだろう」。  「いえ、壬さまはもう何回かお目見えになっています。  この前も殿様から玉環を賜り、さっそく身につけていらっしゃいます」。  叔孫は壬を呼び出した。  見れば、はたして玉環を身につけているではないか。  叔孫は怒って壬を殺した。  壬には 丙 ( へい ) という兄がいた。  豎牛はその丙も妬んで、殺してしまいたいと思った。  折よく、叔孫が、丙に 鐘 ( しょう ) (楽器)をつくってやった。  鐘はできたが丙はすぐに打ち鳴らすことをつつしみ、豎牛を通じて叔孫の許しを求めた。  ところが豎牛は壬のときと同じように丙をだた。  「わたしがお願いしたところ、よろしいとのことです」。  丙は鐘を打ち鳴らした。  それを聞いた叔孫は怒った。  「わたしの許しも得ずに勝手に鐘を打ったな」。  そして丙を国外に追放した。丙は 斉 ( せい ) の国へ逃れた。  それから一年ほどたって、豎牛は丙のために叔孫にわびを入れた。  そこで叔孫は豎牛に、丙を呼び戻すように伝えた。  ところが、豎牛はそれを伝えもせずに、叔孫にこう報告した。  「お呼びしたのですが、丙さまはまだご立腹なさっているようで、帰ってこようとはなさいません」。  叔孫はかんかんに怒って、人を使って丙を殺してしまった。  こうして二人の子供が死んだのち、叔孫は病気になった。  すると豎牛は、自分だけで看病し、「叔孫さまは、人の声を聞きたくないとのことだ」と称して、誰も病室に入れなかった。  そして、叔孫に食べ物を与えず、とうとう餓死させてしまった。  こうして叔孫も死ぬと、豎牛は葬式もせずに、倉から重宝をありったけ盗み出すや、斉に逃滅してしまった。  信用する者の言葉を鵜呑みにしていて、親子もろとも殺される結果になったが、それというのも、家来の言葉を事実と照合することをしなかったからだ。   龐恭 ( ほうきょう ) は 魏 ( ぎ ) の太子に従って、 趙 ( ちょう ) の都の 邯鄲 ( かんたん ) に 人質としてやられることになった。  出発するとき、彼は魏王にこういう質問をした。  「もしも、誰かが『街に虎が出た』と言ったら、お信じになるか」。  「信じないな」。  「では、二人が『街に虎が出た』と言ったら、どうでしょう」。  「いや、信じない」。  それでは、三人が『街に虎が出た』と言ったら、どうなさいます」。  「そうなると、信じるだろうな」。  「街に虎が出ないことはわかりきったことです。それなのに、三人が同じことを言ったらお信じになる。邯鄲ははるかに遠い外国です。それだけ邯鄲のことはわかりにくいのです。その邯鄲に行く私のことを、留守中とやかく言う連中は、三人どころではありません。どうか、このことをお忘れになりませぬように」。  しかし、龐恭が邯鄲から帰国したとき、大勢の言うことを信じこんだ王様に、彼は二度とお目見えを許されなかった。   斉 ( せい ) の 宣 ( せん ) 王は 竽 ( う ) (笛の一種)を吹かせるときは、必ず三百人に合奏させた。  あるとき、 南郭 ( なんかく ) (地名または姓)の 処士 ( しょし ) (学問を修めたが、現在任官していない士のこと。処は家(民間)に 処 ( お ) るの意)が、宣王のために竽を吹きたいと言ってきた。  宣王は喜んで禄を与えた。この例にならった処士は数百人に達した。  やがて宣王が死に、 湣 ( びん ) 王が即位した。  湣王は独奏曲を聴くのが好きだった。  独奏すれば下手なのがばれるため、それらの処士はみな逃げ出してしまった。   宋 ( そう ) (殷(=商)の滅滅後、その 祭祀 ( さいし ) を継がせるためにつくられた国)の宰相は、 少庶子 ( しょうしょし ) ��官名)に市場の見回りをさせ、彼が帰ってくると、尋ねた。  「市場で何を見つけた」。  「いいえ、何も」。  「しかし、何かは見つけたろう」。  「そういえば市場の南門の外側は牛車がいっぱいになっていて、やっと通れるくらいでした」。  「よし、わしがお前にきいたことは誰にも言ってはいかんぞ」。  宰相はさっそく市場の役人を呼び出して叱りつけた。  「市場の門の外側は、牛糞でいっぱいではないか」。  役人はいつの間に、宰相がこんなことまで知っているのに驚いてしまい、以後は職務を怠らくなった。   斉 ( せい ) の 桓 ( かん ) 公が 孤竹 ( こちく ) を攻めたとき、 管仲 ( かんちゅう ) と 隰朋 ( しゅうほう ) が従軍した。  出発が春、帰りは冬になったため、景色がまったく変わってしまい、道が分からなくなった。  このとき、管仲が言った。  「ひとつ老馬に知恵を借りましょう」。  老馬の 鞍 ( くら ) をはずして先にやり、その後について行ったところ、道を見つけることができた。  山岳地帯で水がなくなったことがあった。  このとき、 隰朋 ( しゅうほう ) が言った。  「蟻塚の下に水があります。蟻は冬は山の南側に、夏は山の北側に巣をつくります。高さが3糎の蟻塚なら2㍍下に、水があります」。  蟻塚を掘ったところ、果たして水を得ることができた。   宋 ( そう ) の国のある金持ちの家で、ある日、雨のため土塀がくずれた。  子供が「このままにしておくと、泥棒が入るよ」と言い、隣家の主人も同じことを言った。  その夜泥棒が入って大金を盗まれた金持ちは、息子の 聡明 ( そうめい ) さに感心する一方、隣家の主人を疑った。 05_不可解な命令をあえて出し臣下を動揺させて試す   楚 ( そ ) の 荘王 《 しょうおう 》 は即位して三年のあいだ、命令を出さず、昼も夜も楽しみにふけり、「諫める者は死罪とする」と国中にふれを出した。   伍挙 ( ごきょ ) が諫めるために参内した。荘王は左に鄭の姫を抱き、右に越の女を抱いて、鐘と太鼓に囲まれて座っていた。  伍挙が言った、「謎かけをいたしましょう。丘の上に一羽の鳥がおります。三年の間飛びもしなければ鳴きもしません。何の鳥でございましょうか」  王が答えた、「三年も飛ばないのだ。飛べば天まで届こう。三年も鳴かぬのだ、鳴けば人々を驚かそう。伍挙よ、下がれ、わしにはわかっておる」と。  それから数ヶ月、王の 放埒 ( ほうらつ ) はますますひどくなった。そこで大夫の 蘇従 ( そしょう ) が諫めに参内した。  王が言った、「そちは命令を聞かなかったのか」  「この身が殺されることで、王様にお分かりいただければ、本望でございます」  王は放埒をやめると、政務を取り始めた。  三年間観察し続けた結果に基づいて、数百人を誅殺し、数百人を昇進させた。伍挙と蘇従に国政を任せ、楚の人々は大いに喜んだ。 06_知らないふりして質問し相手の知識や考えを観察する   韓 ( かん ) の 昭侯 ( しょうこう ) は 爪 ( つめ ) を切り、その一つを手の中に隠しておいて、「爪が一つなくなった。早く探せ」。と、そばの役人たちをせきたてた。  すると、ひとりが自分の爪を切って、「見つかりた」と、差し出した。  昭侯は、こうして役人の中からウソつきを見つけた。   子之 ( しし ) は 燕 ( えん ) の宰相であった。  あるとき、家の中に 坐 ( すわ ) ったまま、まわりの者たちをたぶらかしてこう訊いた。  「いま門から外に走っていったのは、白馬ではなかったか」。  「見えませんでした」。  と、みな答えたが、一人だけ、走って追いかけた。  帰ってくると、「白馬でした」と、報告した。  子之は、こうして役人の中から不誠実な者を見つけ出した。 07_思っているのと逆のことを言って相手の反応を見る  昔、 鄭 ( てい ) の 武 ( ぶ ) 公が 胡 ( こ ) を征伐しようとしたときの。  武公はまず自分の娘を胡の王に嫁入りさせ、機嫌をとっておいて、家来に尋ねた。  「これから、どこか国を攻めようと思うが、どの国がいいだろう?」   大夫 ( たいふ ) の 関其思 ( かんきし ) が答えた。  「胡を攻めるのがよろしいかと存じます」。  武公は怒り、「胡は親類の国ではないか、それを攻めろとは何事だ」と言い、関其思を死刑にした。  それを伝え聞いた胡の王が安心して鄭への備えを解いたので、鄭は胡を攻め取ることができた。 ⦅余談[韓非]に続く⦆
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somethingdiary · 4 years
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29th Jan
水曜日今日もまだ風邪治らず〜。
のどの痛みはだいぶひいたんだけど、鼻水が止まらない。
完全なる風邪ひき。
鼻声すぎてオワッテル。
今日の面談も申し訳ないくらい風邪ひきオバケで最悪。
今日も早く帰ろう。
あったかいもの食べようかな〜ってお昼さまよってたら、謎にお寿司してもうた。
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あらおいしそう。
100円寿司きたら、炙りトロサーモンひたすらたべちゃう。
あんまり食欲なかったから4皿でお会計。
うち3皿炙りトロサーモン。
ごちそうさまです。
最近お仕事さくさく終わる。助かる。
暇な時期の要領がわかってきた。
あと、モチベーションの保ち方も。
進歩あざす。
今日も風邪ひいた〜って言ってたら、彼がうちに来てくれるって。
まあぶっちゃけ一人にさせてくれって気持ちは昔なら多かったんだけど、今は少し心細いし、ありがとうってなる。これも進歩。
仕事終わって、ヨガいってみよう〜と思ったんだけど、なんとフルブックで入れんかった!初めてだや。
今日はいきたいって思ってたのに。
めちゃめちゃ無気力になってしまった私は、餃子の王将へ。笑
めっちゃ並んでたけど、最近野菜生活すぎてがっつりしたもの食べてなかったからにんにく食べたい欲。爆
でも、気分てきにすっごい元気になったから素晴らしい王将。
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ちょこっとメニューがあるから大好き。
三個餃子と回鍋肉とカチ割り赤ワイン。
餃子おいしくて、おかわりした。爆 最初から6個頼んどけばよかったや。
結構気持ち落ちてんだけど、ワインと餃子で元気になったうれしい。
今日はずっと「歌舞伎町シャーロック」っていうの見てました。
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シャーロックホームズ大好きだから、いろんなシャーロックシリーズみてるんだけど、さすがにこれは爆笑。
ごりごり歌舞伎町をメインにしてるんだけど、名前はシャーロック���かアイリーンとかハドソンとか使ってるけど、めっちゃ日本人感あるし、モリアーティになってるし15歳くらいで若いし!はちゃめちゃ。
シャーロックが推理落語するのよ。
落語って!こわい!笑える。
そんで結構グロいし、下衆い。
誰を対象としてるかわからん。
けど、そんな発想あるのね。って面白かったわ。
シャーロックもっかい見直そう〜っと。
彼は水曜日だから来るの遅くて夜中になったけど、私も鼻つまってるし絶不調。
マスクで対面して、おやすみ。
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a2cg · 5 years
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水と私 ・ 「池の水全部抜く」って番組が文字通り池の水を抜いて、そこに何がいるのかを調査するという内容で時々面白いなって見たりします。ふと気になるのが「池」って何だろうってことです。 ・ はっきりと説明が出来ませんが「水が貯まっているところ」かな?それでは「湖」や「沼」との違いって何だろう?と思って調べてみたら「池」は掘って人工的に作ったところで水深5m以下、「沼」は水深5m以下で泥が多く水中植物がいて、「湖」は水深5m以上で湖や沼より広いところ。でもダムなどのように人工的に作られたものも「湖」というらしく謎は深まるばかりです。 ・ 同様にビーフシチュー、ハッシュドビーフ、ハヤシライス、ビーフストロガノフの違いも明確に説明できませんが、「池、沼、湖」の違いを調べて疲れちゃったので、それはまた今度。 ・ と言う訳で本日のランチは #岡むら屋 です。 寒いので煮込み系か汁系のあったかいメニューを求めて歩いていたら #ハッシュドビーフ が期間限定メニューとしてあったので、それに惹かれて #ニュー新橋ビル へ。頼んだのは #炙りチーズのハッシュドビーフ です。 ・ カレー皿に乗った #チーズ が炙られて、ほんのり溶けているのを確認して別皿にもられた #ビーフシチュー を投入です。程よく食感を残した玉ねぎと、柔らかく煮込まれた #牛肉 の相性が抜群。味付けは、ほのかに酸味が感じるのはウスターソースとトマトが入っているのでしょうか? ・ これにチーズライスと合わせて食べると相性抜群です。目をつぶって食べれば気分は洋食屋ですが #煮玉子 #豆腐 が入っているので、そこのエリアを食べれば一気に #煮込み屋 に引き戻され、あー安くて旨いものが沢山ある新橋のリーマンでよかったと思うのでした。 ・ #新橋ランチ #新橋岡むら屋 #肉めし#肉めし岡むら屋 #ハヤシライス #ビーフストロガノフ (新橋肉めし岡むら屋) https://www.instagram.com/p/BseDlZmgMnZ/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=lp27pd913jce
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noeon · 5 years
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「女だから」は波打ち際の砂の表情のように消えていくのか
西武・そごうの元旦広告が話題になっているようだ。
パイ投げのパイを顔面にぶつけられた後であろう女性のイメージに3つのコピーが重なる。女性の右の余白には大きな文字で縦書きの、「女の時代、なんていらない?」(①)そして左下にはそれより小さな文字で、以下の文言(②)。
「女だから、強要される。 女だから、無視される。 女だから、減点される。 女であることの生きづらさが報道され、 そのたびに、「女の時代」は遠ざかる。
今年はいよいよ、時代が変わる。 本当ですか。期待していいのでしょうか。 活躍だ、進出だともてはやされるだけの 「女の時代」なら、永久にこなくていいと私たちは思う。
時代の中心に、男も女もない。 私は、私に生まれたことを讃えたい。 来るべきなのは、一人ひとりがつくる、 「私の時代」だ。 そうやって想像するだけで、ワクワクしませんか。」
そしてこの下に、再び大きな文字で、「わたしは、私。」の���ピー(③)という構成になっている。配置から見て、3つのコピーは、①→②→③の順で読まれることが想定されていると思われる。それぞれの機能は、①:テーマの提示、問いかけ/②:①で提示されたテーマの掘り下げ/③:結論、ということになるだろう。そしてそのメッセージを僕なりに解釈すれば、この広告によって伝えられるべき事柄とは、「「女」としてでなく、性別以前に個としての「私」として活躍できるような時代であるべきだ」といったものだろう。パイ投げのイメージは、十把一絡げに「女」というカテゴリの下にアイデンティティを抑圧してしまう社会の暴力性のメタファーと解釈できる。白い皿と飛び散ったパイの破片で隠された女性の顔、何かを言いかけてそこで止まったような半開きになった口は、「女」という括りで一色に塗りつぶされる女性たちの声を代弁しているものに見える。
初めに言っておくと僕も、イメージを含めたこの広告が果たしていいのかというと微妙じゃないかと思ってる。上に述べたような取り方ができるとはいえ、いかんせんそうしたメッセージが読み取られるにはかなり好意的な読解が必要であることは否めない。自分の解釈が正しいとして、塗りつぶすことのメタファーがパイ投げである必要があったのかまず謎だし、パイ投げから社会の暴力性を読み取ってくださいっていうのもなかなかハードル高いと思う。ツイッターの反応など見ていると、炎上マーケティング、話題作りといった声も多いようだ。実際このイメージはショッキングで、女性の顔にパイを投げつけるのが不快だ、というコメントに多くの反応が集まっていることからも、炎上狙いでわざわざこのイメージをぶつけたのかもしれない。まあ、こうして話題になったからこそ、僕もこうやって書いているわけだし。この不快という点も自分の共感する点で、女性のエンパワメントというメッセージを伝える広告に、女性が虐げられているイメージを用いるのが適切だと思わないし、不快感を煽るようなイメージで話題づくりを狙っているんだったらそれもさもしいと思う。
ただ、特に②で言われるようなこの広告のメッセージ自体は面白いと思ってる。というのも、自分がフェミニズムについて調べてみた中で感じた、フェミニズムという考え方が持つ広がりが表れていると感じたからだ。
女性だから点数を下げるとか給与が低くなるとか、制度上で男性優位に扱うことが悪であるということは、現代社会においてほぼコンセンサスになっていると思う。このことに関しては自分は異論も、特に意見も持ち合わせていなくて、素直にそうした理念が実践されていき、平等に向かっていけばいいと思っている。ただこういう意味でのフェミニズムっていうのは、当事者でない自分にとってはやっぱりどこまでも対岸の火事っていうか、意義深いことだとは思えど、自らのものとして引き受けるには荷が重い気がしてる。自罰的になる程コンシャスじゃないと言われれば、その通りなんだと思うけど。
そもそもはっきり言って、フェミニズムっていう言葉に、なんとなく胡散臭いイメージがあるみたいなのもあったりして。そう言った中で、昨年盛り上がりを見せたmetoo運動などによって男女平等、ダイヴァーシティ、インクルーシヴネスといった言葉が持て囃される世の中になった、あるいはなっていくという漠然とした気分があって、どこか乗りきれないような感覚を抱いている人は少なからずいるのではないか。それは例えば自分が男だからそう感じるということだけではないだろうと思う。これから更にどのような制度を作れば、平等は実現されるのか。女だからいい、悪いといった言葉を積み重ねていけば、よりフラットな時代が開けてくるのか。そこに男は関係がないのか。そもそも、平等とはなんなのだろう。僕としては西武・そごうの元旦広告はそういった時代の気分に応答したものではないかという気がしていて、そしてその問題提起は本質的なものを含むと思っている(再度、顔面パイの写真がいいのかは措くとして)。
調べてみるとわかるのが、フェミニズムという思想の変遷は非常に複雑だが、それが絶えざる自己反省と変化の産物であるという点で一貫しているということだ。上に挙げたような問いは、その始まりから現代に至るまでの変遷の中で、既に何度も問われてきた。このテキストは、平等という単純なようで一筋縄ではいかない問いに、フェミニズムがどういった答えを出してきたかを確認するために書かれた。その中で、元旦広告のメッセージがフェミニズムの問いをどのようにトレースしているかが明らかになっていくだろう。広告が時代の空気を表すものであるなら、提起された問題の先にどのような地平が開けているのかを確認することで、フェミニズムの出してきた答えがこれからの時代を生きる指針になることは十分にありうるはずだ。
第一波フェミニズム
一般に、フェミニズムの歴史を遡るとき、18世紀末にその起源を位置付けることができるとされている(*1)。1789年、バスティーユ襲撃からフランス革命へという流れの中でいわゆる『人権宣言』が採択され、全ての人に等しく人として生きる権利が存するという考え方、つまり基本的人権のアイデアが国家の基本的な要素として考えられ始める。しかし全ての人と言っても、ここで権利を享受できるのは男性に限定されていた。当時はルソーが『エミール』で描いたような、女性の存在意義を妻であり、母であることに求めるような価値観が依然として支配的だったので、労働や政治といった領域での女性の貢献は不必要とみなされていたということらしい。こうした考え方は当然女性からの反発も招き、例えばフランスではオランプ・ド・グージュは1791年に『女権宣言』(*2)を書き、女性の権利の保証を主張している。ただ、グージュのような例があったにせよ、女性をめぐる状況はすぐに変化したわけではなく、19-20世紀を通じて、政治的領域における制度上の不平等を是正するための運動が展開される。この運動の総体を第一波フェミニズムという。
第二波フェミニズム〜リベラルフェミニズム:平等とは何か
当然第一波というのは二波以降が存在したからそう言われているわけで、フェミニズムは1960年代に質的変化を経験する(ここで制度上の権利闘争としてのフェミニズムが終わったというわけではなく、新たな潮流が出てきたのだと理解されたい)。長きに渡る闘争の結果、特に欧米諸国において、20世紀前半には参政権や財産権に関する男女平等はかなりの程度実現されていた。しかし第二次大戦後に至って、より広い領域において男女の格差を是正していこうという動きが起こってく���。
第二波フェミニズムの中には、大きくリベラル・フェミニズム、マルクス主義フェミニズム、ラディカル・フェミニズムの3つの流れがあるようだ。リベラル・フェミニズムというのは、基本的には第一波フェミニズムの問題意識を踏襲していて、政治、教育、経済の領域で男女同権を目指していく運動である。現代社会においても女性だからテストの点数を下げてるみたいなことが起こってしまうわけで、制度上の平等を求めていく考え方は今でも必要性を失っていない。
だがここで今更だが、なぜ男女平等を求めなければならないのだろうか。リベラル・フェミニズムの根底にあるのは、男女に質的な差はないとする考え方である。つまり、両者に質的に差がないので同様の権利と機会を与えるべきである、というロジックになっている。この点についても、ある程度社会通念として受け容れられているのではないかと思われる。女性と男性を差別するのは良くない。従って、男女平等は漸進的に実現され、女性に開かれた領域がどんどんと拡大していってしかるべきである、となんとなく思われている。だが、男女に本質的に差が全くないというのはやはりどこか言い過ぎのような気もする。医学部の得点操作問題も、それが悪であることは明らかではあるにせよ、医師の労働状況を反映していると言われるとどこか納得してしまうところがある…。女性が妊娠、出産が可能な性であるという生物学的な事実は厳として存在するわけで、男女に差はないというのはやはり無理があるのではないか。では、女性はやはり男性と同様に社会に出て活躍することは難しい、というふうにせざるをえないのか。
こういった考え方は、乱暴に言えば、女性が社会で活躍しづらいのは、女性の側の問題のせいだ、というふうにまとめられるだろう。しかしこの状況を、社会の側のエラーだと考えることはできないだろうか。第一波〜リベラルフェミニズムは、社会を所与のものとして、その中で女性の活躍を考えるものであったといえる。だがそもそも、社会が女性を抑圧するようにできているとしたらどうだろう。こうした問いかけを行なったのが、マルクス主義フェミニズムおよびラディカル・フェミニズムであった。
マルクス主義フェミニズム、ラディカル・フェミニズム
マルクスは、労働が価値を生み出す、というところから資本主義の分析を行った。当たり前すぎて逆にわかりにくいかもしれないが、平たく言えば、働くことは、お金に換算されるような価値を生み出しているということである。労働者は、自分の労働力(労働によって価値を生み出す力)を資本家に買ってもらう。この時、労働によって生み出される価値は、常に支払われる賃金を上回る(上回らなければ、資本家は労働力を購入する意味がない)。この構造によって生み出される余りの部分、つまり剰余価値が、資本家の儲けとなるわけだ。これを労働者の側から見れば、労働によって生み出される価値を資本家に搾取されているという事になる。ここで、労働を行う主体は多くの場合男性であった(あるいは、ある)。ではマルクスのこのモデルにおいて、女性の立場はどこにあるのだろう。マルクス主義フェミニストたちは、従来考慮されていなかったこの点を厳しく突いていく。マルクスが言うような男性による労働力商品の供給は、家庭の維持(家事)および再生産(出産、育児)を前提にしている。そしてこの維持と再生産の役割は、伝統的に女性が受け持ってきた。従って、男性の労働力の源泉には常に既に女性の家事(「家事労働」)が存在していたということになる。階級社会は構造的に搾取を生み出すが、そうして搾取された労働者のストレスは家庭に反映される。従って女性は言わば、資本主義において、二重に搾取されているということになるわけだ。このような労働の形態が前提となっている社会においては、家庭以外の領域を制度上男女平等にしたところで、両者の立場における平等は実現されないだろう。
マルクス主義フェミニズムが男女の不平等の源泉を資本主義および階級社会に見たとすれば、ラディカル・フェミニズムが攻撃するのは「家父長制」である。家父長制とは、家庭内において男性である家父長に権利が集中する構造をいう。フェミニストたちはこの言葉に新たな広がりを与え、男性による女性の抑圧を可能にする、社会に組み込まれた権力構造という意味合いで用いた。ラディカル・フェミニストたちにとって、男性が女性を抑圧し、搾取するという構造は社会の中に常に既に書き込まれている。社会は権力者である男性によって作られてきたため、例えば女性の労働を拡大したところで、女性は従来の家事、育児という労働に加え別の労働を行わなければならず、二重の重荷を背負わなければならなくなるに過ぎない。ラディカル・フェミニズムの有名なスローガンに、「個人的なことは政治的である」というものがある。第一波フェミニストやリベラル・フェミニストたちは、公的領域、つまり政治あるいは経済の分野において平等が実現されることを目標にしてきたわけだが、ラディカル・フェミニズムは従来等閑視されてきた個人的な領域に切り込む。この運動が明らかにしたのは、愛や性をはじめとする私的領域に、既に男性優位の権力構造が隠されているということである。したがって、家庭や私的領域も議論の俎上に上がらなければならない。例えばドメスティック・ヴァイオレンスは家父長制を継続するために男性によって行使される暴力行為であるし、ポルノグラフィは家父長的で女性搾取的な社会通念を強化するように働く。こうして家父長的な社会規範が伝達され再生産されていく中で、性や愛という関係自体、男性への従属関係があらかじめ書き込まれたものとしてしか現れえないのである。
その他いくつかのヴァリエーション
マルクス主義フェミニズムやラディカル・フェミニズムは、男女間の格差の源泉を社会の構造それ自体に求める。ここにおいてフェミニズムは、公的領域における女性の権利拡大のみに関係する思想ではもはやなくなり、男女含めた、認識の根底からの変化を迫るものになったと言える。そして、こうした革命的な見方は様々な分野に波及していく。フェミニズムという幹から連なるその枝葉の全てを網羅することはとてもできないが、いくつかの重要な帰結を紹介しておこう。
例えば科学の分野において、「より強い客観性」という考え方が出てくる。この「強い」という言葉は、よりニュートラルな、というくらいの意味で理解されたい。科学は客観性を旨としてきたわけで、その中でより強い客観性というものがありうるのだろうか。受精という生物学的現象を例に取ろう。とある調査の結果、従来の記述ではそのほとんどが、精子が卵子の細胞壁を破り受精に至る、という書き方がされていたという。この記述は、「自然と」精子を主体/主語にしていて、言うなれば精子目線で語っているわけだ。しかし、卵子が精子によって細胞壁を破られる、というふうに、卵子の目線で書くこともまた同様に可能なはずだ。どちらが良いというのではなく、自然に精子目線で書いてしまうというそのことに、社会におけるバイアスが反映されているということは自覚されるべきだろう。より強い客観性とは、こういった検討のプロセスにより獲得されるものである。
こうしたバイアスは科学の分野だけでなく、知の他の分野にも見られる。リュス・イリガライは次のように言っている。「女性が社会的に抱える困難は、女性が、「男性的」な、女性の自分自身に対する、ほかの女性に対する関係を損ねてしまうような表象のシステムの助けを借りなければ言語にアクセスできないという事実によって、強められ、複雑化している」。例えば女性が女性について「アカデミックに」語ろうとするとき、この「アカデミック」というシステムに既に家父長制が書き込まれているなら、女性は自らを男性化することでしか女性について語れないということになる。
このように、家父長制の名残を社会から根絶するのは非常に困難であるため、ラディカル・フェミニストの中には、女性オンリーの、ヒエラルキーのない(ヒエラルキーは家父長的である)社会を作ることで、男性からの暴力が存在せず女性が考え、行動し、創造することができると主張する者も存在する。男性に関係すること自体を拒むこういった思想を、レズビアン・フェミニズムというようだ(*3)。
女の時代、なんていらない?
以上、このテキストでは、18世紀末からフェミニズムの展開を追ってきた。僕の能力の問題もあり非常に簡単かつ図式的にまとめたに過ぎないが、フェミニズムが男女の平等という一見単純な問題を非常に深く考えてきたことがわかると思う。第二波のフェミニストたちは前世紀の後半、女性の権利拡大という運動の中で従来保存されてきた「女性」という概念自体を問い直し、そこに常に既に不平等の源泉が書き込まれていないかを調査することを始めた。言うまでもなく我々は彼女たちあるいは彼らの仕事以降の時代に生きているのであり、フェミニストたちの理論的達成はある程度人口に膾炙しているのだろう。だがそれはおそらく十分とは言い難い。西武・そごうのコピーは言う。
女だから、強要される。 女だから、無視される。 女だから、減点される。 女であることの生きづらさが報道され、 そのたびに、「女の時代」は遠ざかる。
今年はいよいよ、時代が変わる。 本当ですか。期待していいのでしょうか。 活躍だ、進出だともてはやされるだけの 「女の時代」なら、永久にこなくていいと私たちは思う。
時代の中心に、男も女もない。 私は、私に生まれたことを讃えたい。 来るべきなのは、一人ひとりがつくる、 「私の時代」だ。 そうやって想像するだけで、ワクワクしませんか。
「女だから」強要され、無視され、減点される事実があるとき、対症療法を逐次試していくようなやり方しかなされない今、「女の時代」の到来に異議を挟みたくなる気持ちはよくわかる。「今年はいよいよ、時代が変わる」と言うが、求められているのは漸進的な変化ではなくて、もっと抜本的な変化なのだ。そして、あまりに楽観的に「女の時代」だ、「活躍だ、進出だ」と勝手に盛り上がってしまうような態度、言説がまかり通っているとき、本当にそれが信頼に値するのかを問い始めることには改めて意義があると思う。そうした生きづらさや、祭り上げる態度の下に、女性を対象化し、抑圧してしまうような権力構造が隠されていないだろうか。もしそうであれば、男と女という関係そのものを一度改めて捉え直すことが必要になってくるだろう。まあ広告が言うように、疑わしい「女の時代」の代わりにジェンダーから自由になった「わたしは、私」式の楽観的個人主義を置く、というのが果たして有効かは疑問だし、ちょっとナイーブに過ぎる気がするけど、一歩が踏み出そうとされていることはいいことなんじゃないかっていう気がしてる(*4)。再々度、パイの写真が効果的とは思わないけど。
1 フェミニズムの歴史はなかなか複雑で、自分が目にしたものの中で出来うる限り最大公約数的な概括を作ろうと心がけたが、荷が勝っている感は否めなかったので、間違いがあれば指摘していただけるとありがたいです。インターネットで読めるものの中では、特にこのエントリ(http://d.hatena.ne.jp/frroots/20180211/1518307385)が非常に面白くかつ分かりやすく、情報量も豊富で参考になった(論理展開とかはモロに影響されてるというかほとんど踏襲している…)。英語だとこれ(https://revisesociology.com/2016/07/11/liberal-radical-marxist-feminist-perspectives-society-sociology/)がまとまっていてわかりやすかった。
2 『人権宣言』の「人」の部分、homme(フランス語のhommeは英語のmanと同様「男/人」を表す)を「女」femmeに変えてもじっている。アネクドートとして、後に断頭台で処刑されることになるグージュであるが、翌週に発行されたプロパガンダ紙には彼女が「女性の持つ性の適性を忘れた」という罪状が載ったという(https://www.marianne.net/culture/olympe-de-gouges-une-femme-contre-la-terreur)。
3 ラディカル・フェミニズム、レズビアン・フェミニズムの議論は興味深いので少しフォローしておきたい。この(http://diglib.bis.uni-oldenburg.de/pub/unireden/ur97/kap1.pdf)テキストの記述を借りると、ラディカル・フェミニズムにとって、ほとんどの男性には、レイプや殺人を含む女性に対する暴力が内在している。そしてそういったミソジニー(女性嫌悪)は、女性を性の対象として扱うマスメディアや、肉の塊として扱うポルノグラフィによって保存され強化される。さらに、ロマンティックな愛という観念自体が、こうした暴力を内包しているのである。家父長制は、暴力とレイプの恐怖によって、女性をコントロールしようとする。男女の性的関係は常に既にこうした家父長的な権力関係の下にあるため、ほとんどあらゆるセックスは男性から女性に対するレイプとしてしかあらわれない。レズビアン・フェミニズムはこうした見方のいわば論理的帰結である。あらゆる男女関係に暴力関係が内在しており、かつ女性が男性よりも愛情深く、相互理解に開かれている性ならば、どうして男性に拘う必要があろう、というわけだ。女性のみのコミュニティは、単なる異性関係の裏返しではない。それは社会に根深く書き込まれた家父長制からの解放の試みなのである。
ラディカル・フェミニズムのこういった側面にはいくつか批判もあるようだ。一つは、女性(および男性)は一枚岩ではないというもので、フェミニズムの中でも「敵と寝る」異性愛者や、クラスやエスニシティの面でマイノリティである人たちがないがしろにされているという批判である。次に、女性のみのコミュニティという発想そのものが男女の家父長的な関係を前提としており、その意味で現状を保存するものであるという、いわば理論的な面での批判。次に、特にレズビアン・フェミニズムに対して、それが同性愛と直接のつながりはないものであるため、不当に呼称を簒奪しているという、セクシュアル・マイノリティからの批判。この中でも、一つ目の批判はわかりやすいというか、男性はこうで、女性はこう、みたいな図式というのは、結局『エミール』のやり方を女性の中の、更にマジョリティを中心に裏返したみたいなもんじゃないの、という気はしてしまう。見てきたように、ラディカル・フェミニズムは男女が同じであるということを前提しないから、こうした帰結が出てくるのは必然ということなんだろうと思うんだけど。
ついでに、自分はこのテキストを書くにあたって、あえてこういう問題含みに見える点を飛ばして構成したというところがある。それは僕の嗜好というよりもいわば戦略的な選択で、というのも、フェミニズムというなんとなく敬遠されがちな領域へのイントロダクションとなればいいというモチベーションでこれを書いたところがあるからだ。ただやはり、フェミニズムを「知的に面白いもの」として消費していいかという問題は大きい。調べていく中で、フェミニズムとは女性の権利拡大を目指す学問、という文言を目にした。フェミニズムは真理の追求である以上に、女性の、女性による、女性のための試みなのである。女性の男性に対する闘争という側面をフェミニズムは本質的に内包する。だから、ここでしてきたように、理論的な面のみを図式的に取り上げて喜ぶみたいなことは、フェミニズムの闘争の面を捨象し、男性化して無力化しているという批判は当然ありうると思う。そしてそういう批判に対して、自分にはっきり反論できる核みたいなのがあるかと言われれば、ない。自分のスタンスとしては、まあ知らないよりは知っておいたほうが、男性にとっても女性にとってもいいんじゃないか、という感じです。この点に関しては、メリットよりも、歪んで伝わることの害悪の方が大きいという見方も当然あるだろうけど、自分には自分がいま正しいと思うことしか正しいと思えないので。別様に考えられるよ、ということがあれば、ぜひ教えてもらえたら嬉しいです。
4 「わたしは、私」というコピー自体は以前から継続して使われているようで、広告のゴールはあらかじめ決まっていて、そこにジェンダーの問題をなんとなく絡めてみました、ということなのかもしれない。
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karasuya-hompo · 6 years
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RDR2:5:時が経つのが早すぎて
 プレイ時間もですけど、ゲーム内時間もです。  プレイ時間は、気がつけばもう2時間もやってるのかおい、みたいな感じ。けっこうメインクエが億劫なのですが(善人プレイしたいと尚更)、それでも手をつけるとついつい夢中になってやってます。  で、もっと困るのはゲーム内時間。「よーし、今日は町をゆっくり見てくるぞ(๑•̀ㅂ•́)و✧」と思って、朝起きて雑用して町に出掛けて、「え? もう昼過ぎ?」みたいな感じ。しかも新聞読んでたりしても時間ちゃんと経過するので、記事から目を上げるともう夜、みたいな。  おかげで、想定していた四分の一もバレンタイン案内が進んでいません。つーかそもそも見学できてないっちゅーの。
 さて、そんなアーサーですが、つい元コルムの手下、キーランに話しかけてしまいました。これでまたクエストになっちゃった(´・ω・`)  コルムについて知ってることを言え、と脅すアーサー。そこに加わるダッチとビル。なにも知らないと言いはるキーランに、プレイヤー=アーサーとしては、「こいつ短期間の手下だから、ホントになんにも情報持ってないんじゃないか?」とも思ったのですが、タマ切っちまうかと脅すと、隠れ家を知ってるとゲロしました。  俺ってアマちゃん(´・ω・`)  しかしこのゲーム、アーサーにプレイヤーの価値観を投影するような選択肢があるわけでなく、実質一本道。RPGってよりシ映画や小説の一部をインタラクティヴに楽しむタイプですね。  だから、善人プレイしようとしても本当は善人なアーサーをRPすることはできません。キーランに対する尋問も、「こいつほんとうに知らないんじゃないか?」とか言うことはできないのです。あるいは、自分が主導して、問答にイラついていきなり撃ちころころする、みたいな、レネゲイド・シェパードみたいなこともできない感じ。  ネタバレ気にしないのでネットでちらほら見てますけど、1章最後は、バレンタインの町の羊を奪うとかいうクエストらしくて。つまり、今アーサーがどんなに町の人とうまくやろうと善人プレイしたって無駄。そのときには、RPとして参加したくないとゴねることとか、やめておこうとダッチに意見することも、できないのではなく「ない」のではないかと思います。どうなのかな。  自分一人善人になろうとしても、ギャングの一員であるからには悪事に加担せざるをえない、ということで納得するしかない感じ。恩のあるダッチには逆らえない、ここを抜けても今更ギャング以外の生きかたなんて分からない、みたいな?
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 ともあれ、森の中の隠れ家に案内するというキーランを連れ、向かうジョン、ビル、アーサー。先頭のジョンがキーランと2ケツしてます。  このシーン見てて「おお」と思ったのは、馬。真ん中のビルが乗ってる馬だけ、明らかに太い! ジョンとアーサーの馬は、ちょっと小型かな。サラブレッドとかほどすらっともしてないし。けどビルの馬は、どっちかと言って農耕馬みたいなどっしりしたタイプ。品種名とかまで分かるほど馬マニアじゃありませんけど、こういうディティール、いいですねぇ。  なるほど、これは「俺はこの馬がいい」とか、性能以外でもきゃっきゃする人たちがいるわけですな。性能だとアラブだサラブレッドだノコタだと、皆さん挙げてる馬っていくらか共通しているのですが、「アーサーは体格がいいから◯◯のほうがいいが……」といった選び方してるかたも見受けます。
 ところでこの移動中会話で、「俺たちとコルム一味は違う。ダッチはコルムとは違う」とか言うと、「中にいるあんたらにはそうなのかもしれないけど、外にいる俺からはどっちも同じに見える」とキーランに言われます。  良いですな。  この後、たまたまかもしれませんがアーサーだけのカット割りになって、沈黙が挟まったのもすごく良かったです。で、もう黙れ、みたいな終わり方だったかな。  本心では否定できない。でも認めることもできない、みたいな。  個人的には、ダッチが仲間を前にしてかます演説とか見てても、”実”がないように感じます。もっともらしいこと言ってるけど、上辺だけ。ある程度は本人もそう思ってるんだろうけど、それ以上に、「こんなことを言うリーダーの俺はかっこいいだろう」みたいなものが垣間見えるというか。  もっともらしいことを言うために言っている。そんな感じがします。  リーダーにはそういうインプレッション、印象付けによる扇動・先導も必要とはいえ、語る言葉に芯がないというか、どうも気取り屋に見えてならないんですよね。  ただ、そういうものは20年も、少年の頃から育てられてきたも同然のアーサーには分からないかもしれない。頭のよろしくない脳筋にも分からないかもしれない。一度でも「こう」と思い込んでしまったら、フィルター越しになるから客観的には見れないかもしれない。好きになった相手のことは好きな部分ばかりクローズアップして見るし、嫌いになれば嫌いなところ腹の立つところばかり目につく気に障る。  少なくともアーサーは、キーランに指摘されたとき、「は? そんなわけねぇだろ。こいつ馬鹿?」と思うほど心酔もしてないし、馬鹿でもないんだなと思います。  ことに、ブラックウォーターで女を撃っただどうだという話とか、そもそも襲撃自体に賛成はしてなかったぽいこととか含めて、疑念を持つだけの冷静さはあるんでしょうな。
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 こぎちゃないおっさん四人(´・ω・`) 奥から、ジョン、キーラン、アーサー、ビル。おっさんゆーても、ジョンはけっこう若い? まだ30前くらい?  コルムがいるはずの山小屋襲撃を前に、身をひそめています。  で、「敵に気づかれないように倒せ」とビルからは投げナイフなんかももらったし、弓矢も装備してきけど……。(ナイフもらうあたりのビルとのやりとりも良かったですな。お互い噛み付き合うんだけど、そういうやりとりを楽しんでるみたいな) 「ビル、行ってくれ」  と押し付けたら、まんまと見つかって普通に銃撃戦(´・ω・`) しかもころころされちゃったのでやりなおしたら、ビルに頼むところはすっ飛ばされてました。そしてやっぱり銃撃戦。  気付かれないように4人倒すとか、どうやんだよ(´・ω・`) 木の上からエア◯◯シン?  しかも、全滅させて、山小屋行く前に死体あさろ~っと(´ω`*) と思ったら、「小屋から離れた」とゲームオーバー(≖ᾥ≖╬)  仕方ないのでまたやり直し、今度は山小屋終えてから死体あさろうとしたら、小屋の前の一人をあさった瞬間に何故か指名手配がつきましてね? 仕方なく、二人ほどあさって逃亡しました。誰に見られてたんだよ。周りには死体しかねぇだろ。
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 あーせちがらい(´・ω・`)
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 せちがらいから……金だけはラクして手に入れておくか……。  と思ったのがこのへんでした。で、例の場所へ。金塊グリッチってやつです。  時間経過が早くてゆっくり狩りとかして飯用意するには短すぎる、と感じたせいもあります。だったら狩りは狩りで楽しみのためにして、飯のこととかスーザンの小言は気にせず遊びたいなと。
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 こういう稼ぎ方をするとゲーム性が損なわれる云々、なんて意見もありますけど、なにが楽しいかなんて人それぞれ。金がないことから来るストレスがゲームをつまらなく感じさせるくらいなら、金を手に入れて楽しく遊べばいいっしょ、てのが自分の考え。  それがMMOとか、なんらかの公平さがないといけない場ならともかく、今のとこオフライ���だしね。他人にとやかく言うれる筋合いも、言う権利もないっしょ。  そういや、11月末らしいと言われているオンラインは、どうなるのかな。脱獄シーンから始まるらしい、とかリークは見たから、自キャラを作るか選ぶかして西部生活なのは間違いないように思います。  でも基本的に、ゲームでまで人間と関わりたくないので、システムによってはマルチやるよりキャンペーンでふらふらしてますね。
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 さて、キャンプに戻って飯。一人称視点で食べることもできます。けっこう具材ごろごろしてますな。具のないスープ、みたいな食い物でも不思議ではないのですが、たぶんチャールズとかがしっかり獲物ゲットしてくるのかも。あと、進めていけば釣りもできるようになるっていうし。  一通りの設備とかを開放するには、2章のクエストをやる必要もあるぽいので、善人プレイができないことは諦めて、いくらか付き合わなければなりません。  まあ、ホゼアと伝説のクマ狩りに行くのは、伝説動物とキャンプのチュートリアルだろうし、盗品商開放するクエストは、駅馬車襲撃のチュートリアルかな。ジャック坊やと釣りに行くとか。  おそらく、2章もそんな感じで、チュートリアルの続きなんだろうな。
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 ともあれ、キャンプに行くたびに「おい、アーサー」と呼びかけられるため、無視するのがなんだか心苦しいホゼアじいに話しかけました。ホゼアとのクマ狩りクエスト進めると馬屋が開放されると聞いたし、キャンプでうさぎを狩って焼くというのもあるそうで。もしかすると、それやらないかぎり拠点で自炊はできない?  上の会話、そもそもアーサーのテネシーウォーカーは、元の馬が潰れたかなにかで、雪山の鉱山町かどっかで急遽手に入れたもの。今の馬も悪くはないけど、元の馬が今でも恋しいアーサーです。
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 ホゼアは、誰のものでもないこの馬をどうするかも考えないとな……と、それならアーサーが売って金にしてもいいし、自分のものにしてもいい、みたいな流れ。それにしてもデカいなこいつ。
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 テネシーと並んでると体格差が分かります。ホゼアの馬よりもデカいしね。……黒好きだし、このまま自分のものにしちゃっおっかな~と思わないでもない(´ω`*)  ただ、この体格はたぶん農耕馬とか、あっち系? HPとスタミナはあるけど足が遅い、とかかな。いやまあテネシーが最低性能のはずなので、それよりマシなのだろうとは思いますが。うーん、悩む。  でもとりあえず、ホゼアと一緒にバレンタインの馬屋に行きます。  ホゼアはやたらこのへんに詳しいんだけど、なんでなんだ? 知った土地なのは雪山出たあたりからでも分かるけど、昔住んでたとか?  馬屋では、新しい馬を買ったり、手持ちの馬を何頭か預けておいたりできる他、馬用のアイテムもいろいろ売ってます。あれぇ、ブラシはないの?  悩んだけど、黒馬は売ることにしました。やっぱ労働馬ですね。「書類あるか? ないと安くなるぞ。けどアンタ運がいいな。丁度労働馬ほしがってる人がいるから、いい値で買い取ってやれる」とのこと。  で、買わないって選択肢はないので……
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 アメリカンスタンダードってやつにしてみよう!  見た目的にどれもどれなんだけど、安いのは小柄で、性能も微妙だし、だったらテネシーでいいやって気がしてしまったので、150$する2頭から選択。初回特典の軍馬はタダなので、これも一応購入して馬屋に預けておこうっと。  自分の馬だと、たてがみとか尻尾も選べるのですな。三つ編み尻尾は、きゃんたまがよく見えますな(๑ ิټ ิ)  まあでもきゃんたまブラブラ見続けて楽しめるほど変態ではないので、尻尾はたてがみに合わせて白の、ロングにしました。  え? サービスでブラシくれるの!? あとおやつの人参も!? やったーっ٩(ˊᗜˋ*)و
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 よーしよし、これからよろしくな(´ω`*) 挨拶代わりになでこなでこ。  新しい馬は名前もつけられたので「コージー」くんにしました。コージーにまたがり、ホゼアの案内でかなり大きな熊が出たという場所に向かいます。  道中で、「そろそろジョンを許してやれよ」と言われました。どうやらアーサーは、一年くらいギャングを抜けてた、しかも妻子を置いて行ったジョンに腹を立ててたのですな。ジャックを置いて行った、ということにはわざわざ言及してるので、一人前の大人の女性であるアビゲイルはともかく、小さな子どもを置き去りに自分だけギャング生活から抜けようとした、というのが尚許せないのかもしれません。  あれがジョンがなかったら迎え入れたかどうか、と言うと、「だからって試さなくていいぞ」、つまり、おまえが自分でやってみるなよ、とホゼア。そして、自分も昔ちょっとの間抜けてたぞ、とか話します。おまえはまだガキだったから覚えてないかもしれないがなと。そうやって、関係を取り持ったりなだめたり、ホゼアはこの一味の緩衝材なのでしょうな。素直にうなずくことはないアーサーですが、やりとりは穏やかで、ホゼアへの信頼と親愛がうかがえます。  1~2日かかる、と言っていたとおり、道中ではキャンプを準備。うさぎを狩って、そんで、
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 お肉はナイフにさして、直火で炙ってŧ‹" ŧ‹" Ψ( ’ ч ’ )シオ クレ  そして翌朝、熊を見たという湖の傍へ。ここからはウィッチャーセンスもといチャールズ直伝の謎の追跡能力で熊の痕跡を追います。  あ、しまった、ショットガンとか持ってきてない。リボルバーで、500キロはあったと語る熊と戦えるのか俺……?:( •ᾥ•):  エサを置いておびき寄せることにしてみました。しばらくしても現れないので、ホゼアがエサを見に行きます。ついていくと……
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 出た―――ッΣ( ゚д゚ |||)  自動的にデッドアイが発動したので、がんばって脳天狙って連射!!  しかし倒せるはずもなく、どうにか追い払えただけでも良しとしましょう。ふー、やれやれ。
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 ちょっと落ち込んでるホゼア。ミッションタイトルも「傷ついた自尊心に追われ」。昔はこういう熊を仕留めることもできたんだろうなぁ。しかも昔の写真見るとイケメンだしな。
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 綺麗な景色がかえって胸を痛ませるようでした(´・ω・`)ジイチャン ガンバ  ちなみにこの後アーサーの日記を見ると、―――なかなか興味深いことが書いてあります。 「俺はダッチが好きだ。親父みたいに思ってる。けどいろんな意味で、ホゼアのほうがもっと好きだ。彼は優しくて公平で、人間みがある。ダッチはそういうのとは別だ。そういやあの熊も規格外だったな」  て感じ? 翻訳ではsomething elseを「凄い」としてるのですが、この文脈で、いきなりぶつ切れでまたダッチのことを賞賛するってのは変。普通に読むなら、好きではあるけど、人間らしくて優しいホゼアとはまた別の種類の人間だ、ということではないかと。続けて「熊もまたsomething elseだった」と書いているのは、他の熊とは別物、別格だってことでしょう。  ちなみにこの前のページでは、ホゼアがちょっと元気になって良かった、雪山で途方にくれてたときには、彼も死んでしまって埋めていくことになるんじゃないかと心配だった、みたいなことも書いてます。  ……すまん、今までクエスト受けたくないからって無視してて。゚(゚´ω`゚)゚。
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 よし、次はレオポルドだ(๑•̀ㅂ•́)و✧  誰のクエストで開放されるんだったかうろ覚えですが、農場のどっかで盗品商と取引できるようになるはずで。そうじゃないといつまでたっても金塊30個、持って歩いてるだけで金にできませんのでね。  あ、でもなんのかんのでお金もちょっと貯まったし、バレンタインに行っていくつか店見学して、そんでおようふくでも買ってこようかな~(´ω`*)
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asa-ko · 7 years
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フレンド
2017.7.4
大島弓子 寺山修司 ウォルフガング・ロッツ
ここにずっといたのだった
Do not talk too much
いつしか いまはわからないも わかったになる わたしも だれかも きっと
なににでも敬意を わたしのできる限りで
たくさんの友人
わたしはずっと本などろくに 読んでなかったな
Hungry youngmen Can't be Angry youngmen
どちらがロングホリデーか
いつしかの 幼い頃のように 図書館ばかりですごしたい 絵を描くばかりですごしたい ビデオや映画ばかりで ミュージカルばかりで 演劇や 演奏会ばかりで わたしばかりですごしたい
そこで出会った大切な友人のことを 小さな夢のことを わかちあえるすこしの人たちと しずかにお茶したりするばかりで すごしたい
似合わぬことをたくさんやった わたしは人が好きだったし 人が好きだと思う
肉体は 重みと濃さをもって 立ち現れる なにを話そうと なにを笑おうと なにを持とうと 人一人と向き合う時間で 10の物語と出会える もっとかもしれない
吸い取られない交流を
バーは飲むところ 喫茶店も飲むところ 図書館は読むところ 美術館はみるところ 映画館もみるところ お店はみて買うところ 道路は進むところ ライブハウスは聴くところ 味わうだけ しずかにあいさつ それ以外は 交わさなくていい
雨音おおきく やさしげに
嵐が来ると嬉しくなった 飴をあつめて 避難した 押入れの中 机の下 吹き飛ばされぬように 嵐過ぎるのをまとう 非常事態に 喜びがなかったことがあったか
出られない保健室 出られない図書室 出られない学校 身を潜めて 見つからず
身体が大きくなって 隠れかたを忘れてしまった
ディベート プレゼン スピーチ グループワーク
終わったコンテンツ
手渡すには 長い時 手渡すだけなら 短い時
染み入る時間 だからなにも困ることがない
急ぐ対話はもうやめにしたい
鎖国したたか柳の木 外交作戦のびやかに そるそるつるものびやかに 塩の行進止まらずに
Come now follow my lead
「教育」も「政治」も なんなのかよくわからない ��をひらく 教わるだけで 治めるだけ 目的があって 向かうだ�� 謎の交流ままならぬ 新しくくるものが 更新されているに決まっている 自然の法則遺伝子見せて
ひらけばみんな しあわせの日々 守るものひとつ 大きな意思
個体としての自己が どの社会に属して どの役割をもって その社会がどの社会に属して どの役割をもって 何をして 全なる世界を良くするか
数字担当 歴史担当 言語担当 絵担当 身体担当
まずはもらうしかない者も 与える者になり 動けるように みなでそこにむかえるように
敵が紛れ込んでいて どうしようもなく複雑だ 複雑なことは簡単なこと 面倒で手間がかかるということ 敵も敵でないと思いたい 同じ構成員
Fill my fantasy
ピエロと子供 かけまわって踊って 風穴を開く わたしたちなら 彼らとも友人になれるかしら
When it was cloudy day
二度寝より 起きていた方が気持ち良い そんなことは知っている
自由とは 点的時間におけるそれぞれの ちいさな欲望に振り回されないこと 何が欲しいかわかっていること 手にするために なにものにも妨げられないこと なにものも妨げないこと
怪盗同士 お宝の在り処で会いましょう 目を光らせて 嗅ぎ分けて
挫けずすすみたい すすみかたを変えたい
あの日々に戻って 本ばかり読みたい マニキュアを塗って 髪の毛を毎日ふわふわに 魚の形をした粘土を金色に塗る 色とりどりのビーズを糸に通す 数珠玉をあの岡に採りにいく 千代紙で服をつくる 庭の花に水をやる ゴーヤはまだか そるそるつるののびやかに 小さな白い車ドライブどこか 海の見える場所 森の中 だれかひとりつれて スコーンもってお昼にする 暖かいコーヒーが 魔法瓶に入っている スモークチーズ カーテン揺れる 何百冊の本に触れるように 何百人の人も本のような距離感で 何人かのだれかと しずかな夜の過ごし方 香りを焚いて 口笛吹けねど 大事なこと 猫が通りを過ぎてゆく 鳥がとまって飛んでゆく わすれないように 辿り着きたい景色 ここだけではしかたない
映して 絵とガラス 平らにカタマリ どこかに向かえば しあわせの日々 どこかにちいさくひろがれば
discovery something brand new
もうとっくに少女じゃない 少女の見た夢わすれずに 少女は世界を救えないけど 少女の世界は世界を救う
どこへいくかなんて 知っちゃあいねえ ただもうこっちから
罪と罰 赤と黒
一粒の麦 うつせみの世は夢にすぎず 火を消すには火をもって?
炙られたり 刺されたりしない 大変に良いところ この家を愛したい
緑のカーテン カーテンになる あの日もあの日も包み込む
ことばは下手なほうが良い 粋好みが着物を崩して着るように なんでも下手なほうが良い 情景描写届かない 愛おしさにまかせて
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