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#直ぐに足が攣る
baku418 · 2 years
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ナイトプール #ほぼ貸切 #夏やすみの次文字はまだ無い #気になる #直ぐに足が攣る #ウォーキング 主体 #セブンティーンアイス #燃費大魔王 #リッター56km #ja10 #スーパーカブ #何故かフィットに煽られる #半額ビールに吊られて  (たつの市新宮温水プール) https://www.instagram.com/p/ChM6dDUvudj/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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nm-senmon · 6 months
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ビルダーprt5
ビルダーは手慣れた手つきで自分のケツに腕を入れてもらうための準備を始めてる。ゴム手袋は無しで素手で入れてもらうのか好きらしい。
兄貴!腕の前にション浣入れてもらえますか?と仰向けで両足上げてケツマンがよく見えるように両手でケツを左右に広げてる。
俺は半勃ちのチンコを無理矢理入れてケツの中で放尿する。少し出たかな?って程度だけど、ビルダーは暖っけ〜!と喜んでる。
チンコを抜いてビルダーのケツマンに多めのワセリンを塗って粘度の強いローションをケツマンに突っ込んで一気に流し込む。ビルダーはその時点で気持ち良いのか、うぉ〜うぉ〜と唸ってる。
ローションも入れ終わりボトルを抜いて左手でケツタブ広げて右手の中指と薬指の2本からビルダーのプリケツマンコに入れる。
余裕!すぐに人差し指を入れ小指まで15秒も掛からず縦に4本余裕で入った。掌の半分くらいまで入れるとビルダーが、少し出し入れして慣らしてくれれば、すぐに拳行けそうっす!と言う。
俺は右手を出し入れしたり左右に回したりとビルダーのケツマンをドンドン緩くトロトロでガバガバのマンコに仕上げる。気がついたら、俺はフル勃起!ビルダーもフル勃起してる!我慢汁なのか漏らしてるのかチンコから少しずつ汁が出てる。俺はシャブりついてビルダーのチンコから出る汁を味わいながらケツマンを解す!
ある程度トロトロで柔らかいマンコになったので、再度ワセリンとローションをビルダーのケツの中に入れて、そろそろ腕入れるぞ!とビルダーに言う。
ビルダーは両手でケツを広げて、さっき中出ししてもらった精子を拳で擦り付けて孕ませてくれ!とめちゃくちゃ興奮してる。
ゆっくり拳を入れた。手首までは余裕!ビルダーは気持ちいい!を連呼してながら唸ってる。さらに、ケツの中で左右に捻ったり出し入れしたり少しずつ奥に奥に入れていく。S字手前がまた解れてないから固い。
ビルダーに気張らせてS字辺りを攻める。ビルダーはお漏らし状態。俺は勿体無いと思いケツの中に入ってる拳よりも、ビルダーが漏らしてる小便を優先して飲む。お漏らしが終わるとまたS字辺りを攻める。またお漏らしする。の繰り返し。
4.5回繰り返したら一気にS字も貫通!ビルダーは仰け反る。そこで止めてくれ!と言って唸る。俺は容赦無くS字を行ったり来たり。少しずつ速度を上げるとビルダーが、出る!出る!出る!出ちゃう!と連呼すると凄い量の精子がドバドバっと出た。
俺はすぐにビルダーのフル勃起したチンコを咥えて、精子を吸い取る。腹の上に溢れた精子も口で吸い集める。ビルダーが精子精子!俺にも精子飲ませて!ザーキスザーキスザーキス!精子!精子!と早くしろ!と言わんばかりにオネダリ!
俺はビルダーのケツから一気に腕を抜いた。ビルダーのケツは脱肛して真っ赤な腸まで見えてる。右手で脱肛したケツマンを弄りながらビルダーの口に精子を流してやる。
ビルダーの精子は俺の口を行ったり来たりしてお互い精子の味をしっかりと堪能して半分ずつくらいゴクンと飲み干した。
やっぱりビルダーの精子は美味い!ザーキスしても精子の味が無くなるくらいまで、お互いの口を吸い続けながら、俺はビルダーのケツマンに生チンコを入れた。
トロトロガバガバ肉襞がチンコに纏まり付いてマジで気持ち良い。これならもう1発出せそう。ビルダーは、待って待って!ケツマン壊れる!と言いながらも喘ぎ散らかす。
ひたすらガン掘り!ベロチューしながらビルダーをガッチリ抱きしめた状態でガンガン腰を振る。ビルダーのチンコからは我慢汁か小便か分からないけと漏らしてる。俺はそれにまた興奮して掘り倒した。
ビルダーが、俺のケツは便器なんで精子と小便出しまくってくれー!と言いながら、ケツ奥をギューっと締める。締まっても容赦無く突っ込んでを繰り返すと、ビルダーがイクイクイクイク!とケツイキして痙攣し始めた。
そろそろ種上がってきたぞ!と言うと精子くれ!精子くれ!と言い始め、俺はビルダーのケツ奥に中出しして果てた。
ビルダーは、俺が動くたびにビクン!ビクン!と反応する。ケツはマジでトロトロ過ぎて入れてるだけで気持ちいい。完全に萎えた時、ビルダーのケツマンからドロンとチンコが押し出された。
俺はビルダーに四つん這いにさせて脱肛したケツマンを舐めてやる。気張って精子出してみろ!と言うと、ビルダーは漏らしたく無いです!許してください!と半泣きで言う。それでも俺は、自分で出した精子を吸い出してザーキスしたい!と言うと、悲しそーな感じではぃ!と言う。
俺はビルダーのケツマンを舐め回す。ワセリン、ローション、小便、精子、マン汁と吸い出しでビルダーと向かい合ってザーキスする。
ゆっくり味わって、お互いベッドの上で休憩。
俺が、いつも色んな奴に中出しされ��、ション浣されて喜んでるのか?って聞くと、タイプの人が相手なら何でもOKでヤリますよ!と。兄貴の精子と小便は全部ケツに欲しいっすね!と言いながら俺のチンコにシャブりつく。萎えチンを舌でペロペロしながら、相手がヤバくてもタイプだったら全然やっちゃいます。って突然言い出した。
俺が、ポジなの?って聞くと、多分そーっすね。検査とか一切して無いので。兄貴は?と平然とした顔してる。
俺も多分そーかな。検査してないし、prepやめてるし、ちょい前に未投薬の人達と4Pして散々種付け中出しション浣飲尿したからね。と言うと、今度それに混ぜて欲しいっす!と言いだす。
ビルダーは、俺が競技してんのはマッチョやフィジークとかの奴等から精子と小便貰うためっす!ノンケでも小便や精子飲ませてくれる奴多いので!って笑顔が可愛い。
俺は、少し休んだら、一旦風呂入って水分摂ってまたヤルかー!と言った。ビルダーはヤリましょ!ヤリましょ!と自分でケツマンに指入れて喜んでる。
一緒に風呂入ってる時も小便飲んだり飲ませたり、お互いのケツに指入れたり。
結果、寝るまでにお互い5発は出した。疲れ果てて隣りの綺麗なベッドで添い寝状態。下半身筋肉痛になりそうなくらい掘った。
翌朝、ビルダーが朝勃ちギンギンで、小便漏れそうです!って起こしてきた。俺も朝勃ちバキバキ。急いで風呂場に行ってお互いに小便飲み合う。俺もビルダーも一気に全開で出してるから飲み切れず溢しながらだったけど、マジで最高の相手だった。
自宅がちょい離れてるのがる難点だけど、これからは定期的にヤル約束をしてLINEも交換した。
帰る間際に、服も着て荷物も持って部屋出る直前にも関わらず、ビルダーが、最後にこのままオナニーするんで精子飲んで欲しいっす!と言い出す。ビルダーはピチピチのジョガーパンツからデカマラ出してシゴき始めた。すぐイケるんで!って俺の肩をグッと下に押さえてチンコの前に誘導された。ビルダーはすぐに、イクイク!と言って俺の口に一気に突っ込んできた。口の中に凄い量の精子が出された。相変わらず量が多い。
ビルダーは急に命令口調で、飲むなよ!と俺を立たせて自分の出した精子を全部飲んだ。やっぱり精子美味いっす!と言いながら、今度は兄貴の番っす!と俺のスウェットをパンツごと下ろした。
当然フル勃起してるのでシゴいた。俺もすぐイキそうな感じ。ビルダーは俺の左乳首と玉を優しく触りながら、これが気持ち良いんでしょ?これされるとすぐイケるでしょ?と言われてる最中に、左手でビルダーの口を開けさせて一滴も溢さない様に射精した。ビルダーは凄い勢いでチンコに吸い付く。尿道に残った精子まで全部吸い尽くされた。
ビルダーは立ち上がり俺の精子でザーキス。全部俺が飲みたいっす!と言ってビルダーはゴクン!と俺の精子を全部飲んだ。ビルダーはまた両膝を付いて、スウェットを履かせてくれた。2人ともモッコリしたまま、しかも口は精子の味と匂いが残ったままホテルを出た。
次は二週間後会う約束して今回はお開き!
性癖が���く同じで顔も体もタイプ。手放せない相手だ!カマグラ買っておかないと。
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rosysnow · 2 months
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ずっとそばに
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 ゆっくり、夜の街に明かりが戻ってきたと感じる。居酒屋やスナックが夜遅くまで光を灯している。
 そんな通りに並ぶ、とあるバーに大学時代からよく行っている。ゲイバーじゃないけど、ママがニューハーフで、トークがなかなか愉快なのだ。そんなママを気に入って、店によく来る奴のメンツもだいたい決まっている。
 その人々の中に、いつからそのカップルがいたのかは憶えていない。自然と、名前と顔は一致するようになっていた。長身でワインレッドのメッシュを入れた男が真寿、黒髪ショートのきりっとした女が寧々だ。真寿は二十六の俺とタメくらいで、寧々はそれより年上で三十手前だろうか。
 見ている感じ、真寿は寧々の尻に敷かれている。寧々が何かしら一方的に言うと、真寿はしゅんとして謝っている。
 あんな女、俺なら嫌だな。そう思うけど、だからこそ、好きこのんで寧々とつきあう真寿は、よほど彼女が好きなのだろうと俺は思っている。
「あの子も、あんなモラハラみたいな女、やめとけばいいのに」
 その日も仕事を終えて、帰宅前にカウンターで一杯飲んでいた。すると、大学時代に同じサークルだった茅乃も顔を出し、俺の隣でカクテルを飲みはじめた。お局に対する愚痴をひと通り述べたあと、ボックス席にいる真寿と寧々を一瞥して、茅乃はそう言った。
「モラハラって」
「いつも怒られてるじゃん、あの子」
「あいつが彼女のこと好きなら、勝手なんじゃね」
「克宏も、好きな女だったらああいうのOKなの?」
「……俺は嫌だけどな」
「ほら。あーあ、真寿くんならもっといい女がいるのにさ」
 俺は静かにハイボールを飲んだあと、「それは、お前が『いい女』だと自称してるのか?」と眉を寄せた。
「悪い?」
「お前は『いい女』ではないな」
「克宏にはそれでいいけど」
「真寿くんに興味あんの?」
「私は可哀想な男が好きなの」
「可哀想って……」
「放っておけない。私が幸せにしたい」
「本人は幸せだと思うぞ」
「あれを見て、本気でそう思う?」
 真寿と寧々がいるボックス席をちらりとした。寧々は腕を組んでソファにもたれ、何か言っている。真寿はやっぱりうなだれている。会話はジャズと客の話し声に紛れている。
「絶対モラハラだわ、あれは」
 茅乃はひとりうなずき、オレンジ色のカクテルを飲んだ。「そうですか」と俺は聞き流して、スマホを手に取っていじる。
 今まで、真寿と寧々のそういう関係は、当たり前のように見ていた。でも、実は真寿は寧々に負担を感じているのだろうか。だとしたら、別れない理由が俺には分からないけど、真寿は別れたいと切り出せるタイプじゃなさそうだなとは思う。
 やがてアルコールが軆にまわり、ほどよいほてりを覚えてきた。茅乃には「あんま野暮なこと考えんなよ」と釘を刺し、俺はママに支払いをしてバーをあとにした。
 びゅうっと寒風が吹きつけてくる。十二月になって、一気に冷えこむようになった。マスクが隠れるくらい、マフラーをぐるぐるに巻いて、駅へと革靴の足を向ける。
 この通りは、パンデミック前は酔っ払いもかなりふらふらしていて、やや治安が良くない感じだった。でも、時短営業を機に閉じた店も多く、現在はそこまでうるさくない。灯っている明かりは増えたけど、活気が戻るのはまだもう少し先なのかなと思う。
 恋人もいない俺は、毎日会社で仕事をやるしかない。リモートワークも選べるけど、実家住まいの俺は、フルリモートが解除されたら、さっさと出社するようになった。リモート授業の大学生の妹に、「満員電車に乗ってきて、そのまま近づかないでよね」とか言われるが、そもそもお前がそんなふうに生意気だから家でゆっくりできねえんだよと思う。そして、これを口にしたら、両親は確実に妹の味方をするのも鬱陶しい。
 年末感が濃くなる金曜日、俺はまたバーにおもむいた。今年は土日がクリスマスなので、何となくうんざりしていた。彼女持ちの後輩は、「彼女とゆっくり過ごせるから最高ですよね」とか言って、俺は引き攣った苦笑いをするしかなかった。
「今年は久しぶりにオールのクリスマスイベントやるから、うちに来たら? 出逢いもあるかもしれないわよ」
 ママになぐさめられて、それもありかもしれないと深刻な面持ちで検討していると、からん、とドアベルが響いた。ついで、「こんばんは」と誰か店に入ってくる。
「あら、真寿くん。寧々ちゃんは?」
 俺はグラスから顔を上げ、入ってきたのが紺色のコートを羽織った真寿であることを認めた。彼は相変わらずな印象の弱気な笑みを見せると、ホールのボックス席でなく、俺のいるカウンターにやってくる。
 手にしたメニューを見つめた真寿は、吐息をついて、「とりあえず水を……」と言った。
「い��の? お水でもお金はいただくわよ」
「分かってます」
 ママは肩をすくめ、ミネラルウォーターをペットボトルごと真寿に渡した。しかし、受け取った真寿は、それに手をつけようとしない。
「何かあったの?」
 スツールがあいだにふたつあるけど、その横顔を見兼ねて、俺は声をかけてみた。はっと真寿はこちらを見る。女顔だなあと失礼ながら思っていると、「……克宏くん」と真寿はつぶやく。話すのは初めてだが、名前ぐらい把握されていても驚かない。
 真寿は視線を下げると、「あの子……」とぽつりと口を開いた。
「君の恋人ではなかったんだね」
「はい?」
「茅乃さん。ずっと、そう思ってたよ」
「………、え、茅乃と何かあったのか?」
 真寿はやっとペットボトルを開封すると、ごくんと喉仏を動かして、ミネラルウォーターを飲みこんだ。
「夕べ、茅乃さんと一緒だったんだ」
「はっ?」
「それが寧々に見つかって、怒られちゃって」
 え……と。
 何言ってんだ、こいつ。茅乃と夕べ一緒だった?
 もしや、この男、おとなしそうな顔して下半身は緩いのか。一緒だったということは、まあ、そういうことだろう。そりゃあ寧々も怒る。
 いやいや、待て。茅乃は先日、モラハラとかめんどくさいことを勝手に言っていた。
「もしかして、茅乃に無理に迫られた?」
「……まあ」
「マジか。それは……何か、あいつの友達として謝らないとな」
「いやっ、僕が流されただけで」
 そこは確かにお前も悪い。と言うのはこらえて、「真寿くんって、寧々さんとうまくいってなかったりする?」と問う。
「え? そんなことはないけど」
「じゃあ、あんまり……良くはなかったな」
 あんまりというレベルじゃないが、そう言っておく。真寿は黙りこんでしまい、ただ不安そうな顔で水を飲む。
「茅乃は、その──あいつなりに、真寿くんを心配にしてたみたいだから」
 沈黙が窮屈になった俺の言葉に、「心配?」と真寿は首をかたむける。ワインレッドのメッシュがさらりと流れる。
「真寿くんが、寧々さんにモラハラ受けてんじゃないかって」
 真寿は心底驚いた丸い目になって、「それはないよっ」と身まで乗り出してきた。
「確かに、寧々は僕のダメなところに目敏いし、よく指摘するよ。でも、それはほんとに僕が直さなきゃいけないところで」
「お、おう」
「ふたりきりになれば、寧々は僕のいいところもたくさん褒めてくれるんだ。すごく厳しいけど、すごく優しいんだよ」
「そう、なのか……」
「寧々はかっこいい。ずっと僕の憧れだった」
「ずっと?」
「うん。友達のおねえさんだったんだ、もともと。何年も、すれちがうときに挨拶するだけで。寧々からお茶に誘ってくれたときは、夢みたいに嬉しかったなあ」
 真寿は幸せそうに寧々との馴れ初めを語り、俺は臆しながらそれを聞く。
 何か、こんなに寧々にベタ惚れしていて、こいつ、本当に茅乃と寝たのか?
 そこのところを、具体的に訊けずにいたときだった。
「やっぱりここにいた」
 からん、とベルを鳴らして、店に入るなりそう言ったのは、カーキのオーバーと細いデニムを合わせた、いつも通りボーイッシュな寧々だった。
 真寿ははたと寧々を振り向き、口ごもる。
「ねえ、あんたの部屋にあたしとあの子とふたりきりにして、あんたは逃げ出すって何なの?」
 おいおい、そんな修羅場を投げてきたのかよ。ついそう思ったが、同じ男として、そんな現場は逃げたくなる気持ちも分からなくはない。
 真寿は気まずそうにうつむいているので、思わず「友達が失礼したみたいで」と俺は口をはさんだ。寧々はこちらに、長い睫毛がナイフみたいにも感じる鋭利な目を向ける。
「あの女の子の友達?」
「そうです」
「友達は選んだほうがいいわよ。で、真寿、あんたはあたしに言い訳ぐらいしたらどうなの?」
「言い訳なんて……悪いのは、僕だし」
「それで、何も説明しないのはもっとずるい。あたしがどうでもいいってことなら別だけど」
「それはないよ! 僕が好きなのは寧々だよ、絶対に。寧々のこと、大好きだよ」
「あの子にも同じことを言ったの?」
「言うわけないっ」
「じゃあ、それは、あたしにきちんと説明してほしかったな」
「……ごめん」
「あと、一緒に過ごしたくらいで、だいぶ大ごとに捕えてるみたいだけど、何もなかったならあたしは怒らないわよ」
 え? 俺は思わずぽかんとして、真寿もまばたきをする。
「あの子が言ってた、『相手にされなかったから』って」
「信じて……くれるの?」
「むしろ、信じないと思われるほうが不愉快ね」
「ご、ごめんっ。僕だったら、寧々がほかの男とふたりで過ごしたら許せないし、たぶん、何もなかったなんて信じられないから。そんなの、頭が変になると思う」
「……あたしも、頭は変になりかけたけどね」
 むすっとした感じで寧々が言うと、真寿はぱあっと笑顔になり、スツールを立ち上がって「ごめんね」と彼女を抱きしめた。「あらあら」なんてママはにっこりしているけど、俺にしたら痴話喧嘩なので、しょうもないと思いながらスマホを取り出す。
 いつのまにか、通話着信がついている。茅乃からだ。俺はいったん席を立ち、壁際で茅乃に通話をかけた。奴はワンコールで出た。
「真寿くんとひと晩過ごして、何もなかったことは聞いた」
 俺が開口で言うと、茅乃は『ありえないでしょ……』と絶望的な涙声でつぶやいた。
「だから、真寿くんはそれだけ寧々さんに惚れてんだよ」
『うー、つらいよお。私、真寿くんのこと、けっこうマジで好きだったんだよ?』
 俺は壁に背中をもたせかけ、けっこうマジで好きなのはこっちもだけどな、と思う。
 本当に、見る目がない女だ。そんなお前に恋をした俺が悪いんだろうけど。マジで、鈍感すぎる。
 俺がいつも隣にいるって気づいてくれよ。何だかんだ、ずっとそばにいるじゃないか。でも、こいつはおもしろいくらいに気づいてくれない。
 真寿と寧々は、いつも通りのホールのボックス席に移動している。寧々が何か言っても、真寿はいつになく嬉しそうだ。
 あのふたりは、ずっとお互いのそばにいるんだろうな。茅乃の泣き言を聞きながら、そんなことを思う。
 俺が茅乃とあんなふうになれるかは分からないけど、憂鬱だった週末のクリスマスは、ひとまず彼女のやけ酒につきあって過ごすことになりそうだ。
 FIN
【THANKS/診断メーカー『お題ひねり出してみた(ID:392860)』】
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nyantria · 2 years
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これはフェイスの物語である。
私の名前はフェイス、16歳で、もうすぐ17歳になります。私のことはジェラール・レニックやチャンネル7のニュースなどですでにご存知のことと思いますが、私は6ヶ月前に起こったコビッドの副作用で最初に公表された被害者の一人です。
この事件が起こる前、私は学校に通い、パートタイムの仕事をし、車の運転を学び、参加したほとんどのことにおいて成功していたのです。私は健康で、身体的にも健康で、精神的にも安定した幸せな女の子でした。副作用の話も聞いたことがなかったし、私の仕事は薬局だったので、副作用の話を聞くたびに、これはいい考えだと思いました。 結局、タスマニア州政府は、この薬がいかに安全で効果的かをしつこく宣伝していました。私は同年代の中ではいち早くロンセストンで取得しました。もっと調べておけばよかったと思います。
2021年7月24日、初めてファイザー社のCOVIDワクチンを接種しました。 私はいつものように腕が痒かったのですが、それ以外はすべて順調でした。私は2021年8月7日に2回目のファイザーCOVIDワクチンを接種しました。最初の24時間は腕の痛み以外何も感じませんでしたが、3日後に胸郭の下に10段階中9.5の刺すような痛みがあり、吐き気がして嘔吐したくなり、目が覚めてしまいました。その日のうちにかかりつけの病院に行くと、医師は盲腸の疑いがあると言い、病院に直行する必要があると言いました。
病院に着くと、血液検査、超音波検査、レントゲン検査、そして待合室で点滴を打たれ、6~7時間待たされましたが、これは違法だとわかりました。その後、鎮痛剤を大量に飲まされ、胃の病気だからもう大丈夫だと言われ、家に帰されました。私は24時間家にいて、鎮痛剤はかなり効きましたが、まだ気分が良くなかったので、母が私を病院に連れて行ってくれました。病院に着くと、前の晩に行ったことを告げ、事情を説明すると、外科医の一人が来て、私を見てくれました。そして6時間後、私のビタミンDが低いことを告げ、ビタミンDの点滴をし、ロンセストン総合病院の小児病棟に入院させました。そして、盲腸に異常がないかを調べるために、予防的に盲腸の顕微鏡手術を行うと言われました。
翌日からずっと手術を待ち、24時間水なしで絶食させられました。その夜、私は手術に入った。手術の1時間後に激痛で目を覚ますと、盲腸を切除することになり、翌日まで小児病棟に寝かされました。翌朝になると、手術は成功し、すべてが順調で、そのおかげで早く退院できたと言われました。
家に帰り、それから2週間はずっと休んでいましたが、相変わらず胸郭の下に鋭い刺すような痛みがあり、食欲もなく、あまり眠れず、手術が終わったばかりだったので、回復しているのだろうとばかり思っていました。
2週間後、手術後の検診のためにかかりつけの病院に戻りました。医師は私がポルフィリン症に苦しんでいるのではないかと心配し、血液専門医の診断を仰ぎましたが、すべて異常なしとのことでした。ループス、肥満細胞症、甲状腺など、思いつく限りの検査をしましたが、すべて異常なしでした。
その時、盲腸にも異常がないことを告げられました。虫垂炎はないと書いてあったのです。ただ、「本当は必要ない」ので取ったと言われました。
母が初めてファイザーワクチンの話をしたら、外科医が笑いながら、そんなバカなことを言うなと言った。
どうしたらいいかわからず、鎮痛剤をもらって家に帰りました。
翌日、私は全く調子が良くなかったので、母はテレヘルスに電話をかけ、起こったことをすべて説明し、そのまま病院に戻るようにと言われました。病院到着後、鎮痛剤と吐き気止めの錠剤を渡され、婦人科と小児科の医師が来てくれました。その後、2晩入院し、痛みと吐き気の治療を受け、せめて少しは休めるようにと、最終的には自宅でも発症する可能性があると言われ、家に帰されました。
それから1週間、私はまだたくさんの痛みに耐えながら薬を飲み、水分補給をし、できるだけ安静にしていましたが、痛みは治まりませんでした。そして、免疫学の教授と小児科医を紹介されました。
免疫学の教授に会ったとき、母はコビド・ワクチンのせいかと尋ねました。しかし、書面ではファイザー製薬のワクチンによるものだと断り、その代わりに、ウイルス感染後の症状だと書きました。私たちは、レニック議員と同じように病院に公式に苦情を申し立てました。教授は手紙を書き直し、報告書を訂正して、これはファイザー・ワクチンによる遅発性副作用であると言いました。
それから1週間後、痛みはもうどうにもならないところまで来ていたので、また病院へ行きました...。小児科の医師が来るまで4時間半ほどそこにいましたが、すぐに小児病棟に入院し、睡眠薬を処方されました。その日の午前2時、私は初めて経験するチックで目を覚ましました。看護師は私の母に、この映像が必要だと言って、カメラを出して撮影を始めるよう伝えました。登録医が呼ばれ、彼女は恐怖の表情を浮かべ、こんなことは見たことがないと言い、どうしたらいいかわからないと泣いていました。その間も私は激しいチック症状を起こしていました。医師は私にバリウムを投与することにしました。
翌日、目が覚めると、10kmのマラソンを終えたような気分で、そこから日中チックが始まりました。
その後、薬が変更され、3日間入院しましたが、薬以外は何も飲まずに家に帰され、依然としてチックが続いています。彼らはチックについて全く気にしていないようでした。現在もチックは止まらず、さらに悪化して毎晩起こり、1回のエピソードが4時間も続き、非常に苦痛です。
10段階中10の筋肉痛のような痛みで、体中の筋肉が引っ張られて痙攣しているような、痙攣のような、自分ではコントロールできない、やればやるほど痛くなる、だから自分を解放するしかない。12月初旬、事態が悪化したため、再び病院に戻ることになりました。トリアージの看護師は、「COVIDにならなくて本当によかった、もっとひどくなって死んでいたかもしれないからね」と言いました。
私はママと一緒に4時間待ち、パナドールを頼んだのですが、それさえももらえませんでした。その後、歯医者のような椅子のある小さな部屋に通されました。そこには上級小児科医と登録医が2人いて、そのうちの1人が私の試練を知っていました。彼は、なぜか私たちの車がどこにあるのか何度も尋ね、それから私のママを指差して「フェイスにしっかりしなさい」「これはすべて画面の見過ぎが原因なんだ」と言い続けました。その時、ママは腹が立って、私たちはそれを最終的なものとして受け入れず、うんざりして帰ってしまいました。
3週間前、ひどい痛みと吐き気に襲われ、再び病院に戻るよう言われました。輸液が必要だと言われ、行きたくなかったのですが行きました。医師は何が起こっているのかわからず、点滴はできないと言い、鎮痛剤も出すつもりはないと言われました。担当医は急用ができたので、その場を離れました。戻ってきた先生は、私を病院の奥の部屋に連れて行き、EDの私に鍼を打ってくれました痛みに耐えながら呼吸をするようにと、恩着せがましいことを言われ、文字通り痛みに泣きながら耐えるしかないのです。結局、家に帰されました。私は3日間、水さえも飲まず、何も喉を通らず、いつ吐いてしまうかわからない状態でした。氷柱で無理やり水分を補給するのが精一杯でした。それ以来、病院には行っていませんし、行きたくもありません。
10月末にメルボルン小児病院の思春期クリニックを紹介され、キャンセル待ちをしたところ、紹介状が受理されました。しかし、私の病状は雪だるま式に悪化しているため、紹介状を更新するためにGPに戻りました。雪だるま式に病状が悪化し、毎週大変なことになっています。
2022年1月28日、これまで問題にならなかった地域外であることを理由に却下されたことがわかりました。コードブラウンのせいなのかどうかはわかりませんが、GPと小児科医はこの15年間、問題なく紹介をしてくれています。今、私たちはどこか他の病院を探しています。
現在、ガラス製のコップやマグカップは、誤って投げて壊してしまわないか心配で、使うことができません。
もう運転はできないし、仕事もできないけど、良くなったら復帰できると言われたし、キャリアも積めないし、学校にも半年間行っていません。私は光と音に極端に敏感でいたりいなかったりします。一日平均20錠の薬と飲み薬、物忘れ、集中力低下、最近では突然足が崩れて担がれるようになりました。
Faith Ranson - 16歳、Pfizer COVIDワクチンによる重篤な副反応について
ディープル翻訳
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unikeni · 12 days
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Desaru 70.3 2024
ハーフアイアンマンレース@デサルー マレーシア 2024/05/19
たぶんしばらくは東南アジアでのレースはやらないだろう、ということと、2年前の雪辱をはらすべく、というつもりでデサルーでのハーフアイアンマンディスタンスに挑戦した。去年のフル以来、11か月ぶりのレース。6回目のハーフでもいろいろと学ぶことがあって、特に今回はいろいろ考えさせられた…。
決断が正しかったかどうかは、ちょっとまだ答えが出ない。たぶんダメだったと思う。つまり、体調が万全でない状態でレースをすることはやめた方がいい。それは仮に完走できたとしても、後味の悪い結果にしかならないから。終わった直後は、困難な状況でも諦めなかった自分を褒めてあげたい,という気持ちにはなったけど、それは同時に、無理をしていた、ということのあらわれであって、むしろ身体を壊す恐れがあった。
5日ほど前から食中毒の症状が出て、胃腸が全くよろしくない状態でレース本番を迎えてしまった。前日になって、ようやく(友人の)薬を飲んだり、食べ物を気遣ったりと、若干良い兆しが見えたから、いけるかな?、とさえ思ったけど、レース当日の朝も引き続き下痢、という感じで本来はやめるべきだった。脱水や消化不良の状態で、炎天下のレースは致命的なはず…。あとは、レースの週に、数日まともに食べられなかった、ことも実は大きくて、身体つきが変わったのを感じていた。今後のための学びとしては、レース前は体調管理に気をつけろ、ということだけ。その一点。あとは、棄権の決断を下す難しさを知ったかもしれない。
結果からいうと、今までのレース(特にコロナ後、トレーニングと栄養・テクニカルな知識や装備を備えていったあとのレース)の中では、不甲斐なさが顕著で、6時間28分というタイムは当初全く想定してなかった…。
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一応お腹を気遣って、フェリーの中では長袖…
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スイム 1.9km
滞在していたホテルからスタート地点まで歩いてすぐの距離だったから、5時ぐらいに朝食を食べ、5時40分ぐらいにはトランジションエリアには到着して、セッティングを開始。東南アジア特有の熱気とアスリートたちの輪の中にいると、自然とテンションがあがる。やるっきゃないな、という気分になる。
スイムは3つのカテゴリーの中では一番早いものを選択。7時10分頃にローリングスタートで出発。大体600mずつの三角形コース。波がやや高い印象で、特に2辺目を過ぎたあたりでは、かなりアップダウンが激しかった。波の振動に対処しつつ、前の人を抜かしたりしていたから、結構神経を使った気がした。水質はそんなによくないけど、水温もよく、天気がよくて、なおかつ時計回りのコースだったから、特に問題もなく、34分でスイムアウト。ワセリンを入念に塗ったから、特に擦れることもなかった。波の高さ的に、他のみんなは苦戦するのかな、と思いきや、早いタイムの出やすいコンディションだったみたい。とにかく、バイクトランジションまでの距離が長くて、息切れがひどかったのを覚えてる。T1ではアミノバイタルとバナナを半分食べて、バイクへ。カーフスリーブだけは、つけるのを取りやめちゃった。
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バイク 90km
バイク出発直後は上り坂で息が上がり、ローリングしながらの道が大体5㎞ぐらい続いて、それ以降フラットで安定したコースになっていく。追い風もあったのか、前半は時速35キロぐらい、かなりスピードが出ていたと思う。1週目を過ぎて折り返す地点(半分過ぎ)までは順調だったし、DHバーを使った乗り心地をむしろ楽しんでた。エネルギージェルも1時間30分過ぎまでは予定通り摂取していた。急に力が入らなくなったのはそのぐらいで、大幅に失速してしまった。冒頭のお腹が理由なのかもしれないけれど、その頃ぐらいから何も食べたくなくなり(羊羹を一口食べて、吐き出してた)、ももの付け根が疲労し始めてた。たぶん後者に関しては、これはDHバーを使っての練習不足が大きな原因だと思った。思い返せば、それまでの数か月の練習中、100キロを超えるライドをしていても、エアロポジションになっていた時間が実はすごく短いことに今更ながらに気づいた。シンガポールの道路は信号も曲がり角も多いから、そもそもDHバーを握っている時間って、実は5-10%ぐらいなのでは、と思うぐらい。だから、長時間その姿勢で漕いでいる感覚が新鮮で、ももがじんわり痛くなってしまったのは、それが原因だと思った(Zwift&トレイナーでの練習をもっとしてもよかったかもしれない)。
とにかく、後半は水分もなんとなく取りたくなくなり(エイドステーションのエレクトライトが変な味だった…)、ジェルの摂取プランも億劫になり、足が攣る感覚が出てきたりと、なんだかグダグダになっっていった。体調のことも考え、バイク終わった後に、リタイアしよう、という思いが高まったんだけど、それでも、レースに参加してしまった以上、なんとなく後戻りがしづらくなっていた。 パフォーマンスがうまくいかない・疲れた・不甲斐なさの言い訳として、お腹のことを利用していないか、と。考えすぎなんだけどね。タイムは3時間10分。
ラン 21km
暑い中、栄養や水分が十分に取れないとどうなるか。
結局、バイクを終えてランをスタートするものの、開始数百メートルで足の攣る感覚が始まり、1kmも走れずにストップ。冷やすものもなく、その場で文字通り停止(あとから来た人達に励まされる)。こんなに激しく攣ったの10年近く前のビンタンの時以来かもしれない。とりあえずのろのろ歩くものの、やる気が完全にうせてしまったので、その場にいたボランティアスタッフにもうやめる旨を伝えた。だけど、無性に冷たいコーラが飲みたくて、とりあえず、次のエイドステーションまでは行く、と宣言。彼は、メディカルスタッフも呼んでくれたんだけど、結局、アイシングも断って少しずつ走り始めることに。唯一痛みに効いたのは持っていた4粒の塩タブレット。最悪の時はこれを食べれば、多少はなんとかなる、と思った。
2キロ強先のエイドステーションにたどり着いて、なんとか足を冷やせたし、大好きな冷たいコーラを飲めたから、若干回復した。あとは、騙し騙しエイドステーション間を頑張って走ろう、という目標に変えて、コーラ・水・氷の3点を頼りに必死に進んでいった。多少の吐き気と、胃が何も受け付けない感覚がずっとあったから、エネルギージェルも結局取らず仕舞い。予定としては30分おきに食べる予定が、結局ラン中食べたのは1つだけだったかな。困ったのは、エイドステーション���間隔が若干広かったことと、ランコース自体が激しくアップダウンしていたこと。真ん中の10km弱ぐらいはなんとか足が機能してくれたんだけど、持っていた塩タブレットがなくなってしまった時は、もう足の攣りを治すてだてがなかったら、さすがに歩くしか方法がなかった。ももの表裏、ふくらはぎ、左右の足というように、攣る箇所ってこんなにあるんだ、っていう素直な驚き。エネルギー切れにもなっていて、本当にただたんに長い辛いランコースとしか感じなかった。唯一の救いは、カンカン照りではなったことぐらいかな。
結果、2時間31分というあまり予想してなかったタイムでフィニッシュ。とにかく終わってくれたことの方が嬉しかった。全力を出し尽くした、というのじゃなくて、あの状況でできる精いっぱいだった、という方が正しいと思う。
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まとめ
レースが終わってよかった、という気持ちはあるものの、レース中、辛いことの方が多くて、結局スッキリしない後味になっちゃったのは残念かな。こういう展開も、まあありかな。いい学びになったと思えば。
その他のロジに関しては、特に何も言うことがないぐらいスムーズだった。デサルーはシンガポールのタナメラからフェリーで行けるから、バイクをそのままで運べるのが素晴らしく良い。行きの自宅からターミナルへ、それからデサルーでもターミナルからホテルまでの往復は全部自走。金曜日の早朝に自宅を出発して、HardRockHotelで2泊。ここはバイクを洗って、乾燥させる設備もあって、とてもバイクフレンドリー。土曜日はODの友人たちを応援。たっぷり準備したり、軽く運動したり、それにくつろぐ時間がとれたのはよかった。帰りは午後3時チェックアウト、5時半のフェリーで帰路、というやや強行スケジュールだったけれども、月曜朝の仕事に間に合わせるにはそれでも良きかな。デサルーでまたレースをすることはないだろうけど、でも、70.3は(自分にはむいてないのは承知だけど)嫌いな距離ではないと思う。1年に1回はやっていきたいとは思う。次は日本か!?
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endekashi · 1 month
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平日まったり立山。
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受け身な男、えんでかしに遂に来た立山オファー。しかも平日!まったり広大なフィールドを満喫しちゃいますか〜!!
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なん��って意気揚々と乗り込んだのですが、現実というものは残酷であまり芳しくない空模様。
それでも皆様、仕事明けで遠路遥々お越しの方ばかりで睡眠時間1〜3時間でお疲れのご様子だったので、いっそ気持ちを切り替えて今日はまったりゆっくりのんびりプランで行こうって事でまずは外国人観光客でごった返す雪の大谷で観光。
すごいですね〜高いですね〜。
え?右下の日付表記?あ、これはなんか行きのバスの中でデジカメの設定弄ったら入るようになっちゃって、消せねえんすよ。誠にスンマソン。
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続いて、室堂からバスで10時オープンの天狗平山荘へラーメンツアー。いちいち時間がわかっていいでしょ?これ。
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中でガイド試験の時にお世話になりましたイワオの叔父貴とバッタリ。「おめ〜、滑ってもねえのにいきなりラーメンかよ!」と、軽く呆れられました。恐縮っす。
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ま、今日は半分休暇ツアーなもんで。早速生ビールに手を出す皆様。朝10:24分から飲み出す休日感。いいすねえ。俺は叔父貴の手前、我慢しときました。押忍。
ラーメンは相変わらず美味です。
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バスで室堂へ戻り今夜の寝床である雷鳥荘へ。雷鳥いねえかな〜なんて言ってた直後「グァ〜〜〜」と不細工な鳴き声と共に目の前に着陸してきやがりました。コンニャロ!相変わらずかわいいなおい!
今回のツアー中、マジでそこら中で遭遇したので最後の方は素通りでした。アイドルもあまり距離感近すぎると価値がなくなっちゃうぜ?
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雷鳥荘の手前に着きクリビツテンギョー。普段、蛍光黄色な硫黄が、なんか緑がかった色をしている。しかもかなり広範囲に広がってます。
宿の方に聞くと、今年は春に雪が降っていないのと、やはり地震の影響もあるかもとの事です。
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この硫黄が厄介で、シールの糊に付着するとすぐ粘着なくなってダメになっちゃうんすよ。俺も去年買ったばっかのポモカ、ダメにしちゃって今年糊張り替えました。
皆様もお気をつけて。宿の方情報によると、使用後に水洗いするとちょっとはマシだそうです。
てな訳で汚れた雪はツボ足で移動です。
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雷鳥荘でチェックインして、二時間ほど休憩。みんな仮眠してました。スッキリ目覚めたとこで近場で一本行きましょう。
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稜線は雲がかかってますが視界も良く、雨も上がり、実はそんなに悪くないコンディション。
今回の参加者の一人は昨年も立山ツアーに来ていただいてるのですが、昨年は二日間ともド濃厚なガスに包まれていたのでこれだけで彼にとってはTHE DAYってやつです。
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しかも雨のおかげで雪も走る!
イェ〜イ!
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ほんじゃ一時間ばかり登りましょうか。
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ガスが上がったり下がったりで視界があるかヒヤヒヤしましたが
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滑る時にはいい感じに抜けてくれました!
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緩んでるし走るしいい感じ♪
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結構いい感じに撮れたのにトリミングで誤魔化せない日付〜!!
画像編集ソフトで消してください。えんでかしクオリティって事で勘弁してくんろ〜。
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こんな感じで1日目終了〜。温泉とアルコールに浸って床へつきました。明日は晴れ予報。楽しみ!
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二日目!予報通りいい天気!!
しかも昨日の雨と風でいい感じにシャラってんじゃねえのこれ〜!!
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立山ならではなスケール感。気持ちいいですねえ。
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上部の硬い急斜もなんとかクリア!(ちょっと滑落した人もいたけど)
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しかし稜線に出るとガスが発生。
くーーーー!!ちょっと雲は出る予報だったのでもしかしたらと思っていたが。
帰りの時間もあるんでそんなに待てませんが少しガス待ちしましょう。
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暫く経つとちょっと抜けてきました!
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隙を狙って一本!!
面も綺麗で雪も走る気持ちいい一本でした!!
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下の沢も気持ち良さそうに見えたので滑ってみましたがすぐペタっとしてきたので程々に。
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沢の中は常時まあまあな風が吹いていたのでスノーシューにはキツい登り返しでした。
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前回、うちのツアーで両足攣った彼女は予防として漢方を投与。
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さて帰りの一本。登りの時にチェックしていた綺麗な面にドロップ。
ガスはちょっと降りたら抜けるべ〜。
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なんつって思ってたらまさかのトップトゥーボトムでガス!!
ノーウェイ!!
面は終始綺麗だっただけに悔やまれます。
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ボトムでフォトグラファーの伊藤剛君に遭遇。
カズシゲ達の撮影で対面で待っていたもののガスが抜けずに降りてきたそう。「晴れ予報すよね、どうなってんすかこれ〜」こっちが聞きてえわい!
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帰ってくる頃にはすっかり雲も抜け再びピーカンに。
まあ、あるあるですね〜。「また来られ。」って立山に言われた気がしました。
それでもまったりしたり、ガッツリ歩いて滑ったりな楽しいツアーでした。
ど平日にかかわらず外国人観光客で鮨詰めな乗り物へ乗って帰路へついたとさ。
本日もお疲れ山でした!!&おしょっ様でしたー!!
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ichinichi-okure · 2 months
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2024.3.25mon_tokyo
「雨は路上の屑を洗い流してくれる」とロバート・デニーロも言ったけれども、その夜は流し忘れがあったようだ。
 安物のスペイン産ワインとナッツをボロボロのトートバッグ(高校の時に買ったもので、ちょうど12インチのアナログ盤がピッタリ入る寸法になっている)に突っ込んで、仕事終わり帰路に着く。耳元で最大音量で鳴り響くのは、グラント・グリーン。駅のホームまで雨に濡れたブルーな街にはグリーンが似合う。ケニー・バレルなんか聴いていたら泣いちまうよ。
 と、水浸しのアスファルトに赤い花びらの散っているのが見えた。血まみれの鱗みたいだ。ちょうど仕事先でクロソイを捌いたばかりだったし、仕方がない。下品な比喩を許して欲しい。とはいえ夥しい数の花びら。意表をつかれて空を見上げると既にグリーンになりかけていた桜の木が両手を開いていた。桜だったんだ。随分と寂しい春の迎え方をしてしまった。雨の怠けた仕事ぶりに落胆する。全部流してしまったらよかったのに。
 春、まだ空気の冷たい春。ボクはイランにいた。ペルシア語と、現代詩と、哲学を学ぶ学生だった。留学とは言っても、授業はほとんどオンライン上で行われた。COVID19なんてものもあったが、イランにいたのは2022年のことだからこのウイルスが原因ではない。端的に言えば、イラン国内が混乱状態だったのだ。ボクがイランに入国する前日、路上での大規模なプロテストが報じられた。プロテストの内容は、1人の女性の死に関する体制に対する責任追求だった。北西部の街、サッケズから親戚の元を訪れていたクルド系イラン人女性が、その服装を理由に警察に勾留された後に息を引き取ったのだ。人々は彼女が拷問を受けていたとして、警察と政府に説明を求めたのだった。このプロテストはやがてイラン全土に広がり、各国のマスメディアはこの混乱を「1979年のイスラーム革命以降最大の危機」と報じることとなる。イランは、1979年に一つの転換を迎えている。新米政権を担っていた当時の国王(この時のイランははパフラヴィー朝として王が最高権限を持つ王朝体制だった)を、石油採掘による利益の独占や社会保障制度の不十分などを理由に国民が自らの身体を以って追放したのだ。その後に政権を樹立したのが、現在まで続くイスラーム共和制の体制だった。法制度はイスラーム法を下地としたものに刷新され、女性は外出にあたってヘジャーブと呼ばれる布で頭髪を隠す、臀部まで覆われる丈の長い衣類を装着するなどの服装既定が設けられた。2022年の抗議はこうした現体制のあり方に対する熱烈なアンチテーゼだったのだ。
 ただ、イランで暮らした日々の追憶の中でボクの脳裏に焼きついているのは「運動家」たちの顔ではないのだ。寧ろそれは、写真家であり、演奏家であり、医師であり、コックであり、整備士であり、詩人であり、教師である人々の顔だ。ボクが毎日ウィンストンを買いに通っていた売店の2人のおじさんの顔だ。柘榴から作ったという密造蒸溜酒の満ちたグラスを交わして、ハーフェズの死を誦む詩人の声、交差点を守る武装警官たちの去った闇夜の路上で吠える男のアルトサックス、北部、ラシュトの森の中で、七面鳥がボクの革靴を踏んづけるのを見ていたあなたの笑い声。近所のカフェのウェイトレスが、自殺したと聞いた夜。自らの生を生きることは、ただ生かされることとは必ずしも重ね合わない。生活する者たちの目に青い焔が揺れているのをボクは見た。そしてその灯は食事の時も、情事の後の「小さな死」の最中にも、消えることがなかった。
 午前1時35分、東京。スペイン産ワインはもう底をつきかけている。グラスを持つボクの右手の甲には火傷の跡が浮かんでいる。老子がいつか言っていた、博打をしてでも手を使え、と。だから、火傷跡のある右手と切り傷の左手で下手くそなギターを弾いている。イランでの生活が教えてくれたのは、生活が、日常が、闘いそのものであるということだった。闘いは、夏休みにやるものでも、有給を貰ってやるものでもない。何気なく呼吸している最中にも、常に流れる時の瞬間が闘いであり、生なのかもしれないと思う。だいたい呼吸は受動的なものだ。呼吸によってボクらの肺が直面するのは酸化という事態だ。望む望まぬに関わらず、生きるためには酸化、つまり腐敗せねばまならぬ。泥人形からボクたちを作った神様の気まぐれを恨むわけにはいかない。生の根本的矛盾。しかしこの根本的矛盾の間に、とてつもないエネルギーが生まれることがある。それは痙攣的なもので、重層的なものだ。電気信号のように、そのエネルギーは身体を踊らせる。テヘランの地下鉄で、印象的な場面に出くわした。ショートヘアーで、デニムと黒のタートルネックを着ていた1人の女性が突如として踊り出したのだ。ヘジャーブは身につけていない。音楽が鳴っていたのかすら、ボクの記憶にはない。混乱。彼女の周りにいた人々ができたのは何か恐ろしいものでも見るような表情で彼女の痙攣的な身体の動きを見つめるだけ。次の停車駅で彼女は��事もなかったかのように車両を降りて行った。その様子を語り尽くそうとて、虚しいことだった。例えピントを合わせたとしても、それは一部に過ぎない。言語活動というのは単焦点レンズと同じようにできているのだ。だから、「全体」を捉えようとするボクたちの試みはいつも失敗してしまう。それなのに、いや、だからこそボクはその美に魅了されないではいられない。
 午前2時をまわった。半地下の一室、レコードプレーヤーからはチリチリとしたクラックルノイズが微かに聞こえてくるだけで音楽は聴こえない。この時間になると外から聞こえてくるのは木々の囁きくらいだ。ボクの住んでいる部屋の周りにはこの地区で最後の原生林が細々と残っている。この木々たちも、踏んづけた桜の花びらで春の訪れを知った男のことを憐んでいるのだろう。とはいえ、日記をつけること、回想することは気に入っている。ボクが確かに経験してきたことと、いまのボクの生活を結びつけるか細い糸を見つけていくような気分だ。明日は朝から足元ではなく空を見てみよう。もっとも、朝に起きられたらの話だが。おやすみなさい。
-プロフィール- Nagi 23歳 東京 イタリアン料理人、演奏家崩れ https://www.instagram.com/moriarty___57
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indigolikeawa · 4 months
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2024年1月24日水曜日
病院の待合室にて9
人間マニュアルのマニュアル人間
 昨日の夕方、お風呂から出た所に辞めた会社の常務(たぶん常務。社長の娘)から電話があり、「送ってもらった傷病手当申請書の『発病または負傷の原因』という欄に、病院の先生が『会社でのストレス・人間関係』とお書きになっているんだけど、それだと労災になるからと協会けんぽの方から突っ返されちゃって。だから労災にするか、傷病手当申請書を書き直すか、先生と安倍さんでもう一度話し合って欲しいんよ」という風に言われてしまったため、私は今、かかりつけの心療内科に待合室の椅子に座っている。本来、通院は2週間に1回で良く、先週の木曜日にかかったばかりなので、本来は来なくて良いところを徳島県の吉野川市から香川県の高松市まで行かなくてはいけないということで、これは俄然面倒臭く、朝に割と早く起きたというのに、ふて寝に近い二度寝を敢行し、だらだら朝ごはんなんだか昼ごはんなんだかを頂きまして、のろのろと車ではるばる来たぜ高松と時刻を見ますと午後2時という有様なんであります。第三の猫候補だった黒猫はあの朝以来見ていません。
 一昨日から新しく本を読み始めたので、昨夜眠る前は眼を瞑ってその本の内容を繰り返していました。AがCに電話したのはこういう理由で、とか、Cが亡くなったあの日はいついつで、とか一章は大体こういう内容で、とかそういうことを思い出しています。なぜかと言うと、私は読んだ本の内容をすぐ忘れてしまうので、本を読んでる時はこういう風にしているのです。でもこの本もいつの間にか読むのを止めてしまうかもしれないし、読み終わったとしても大体内容を忘れてしまうので、こういうことも意味のないことなのかもしれません。完全に忘れてしまった時のためにメモも取っています。それを読み返した所で何を書いているかわからないということも良くあります。そういう時は諦めてください、と予め私のマニュアルに書いてあります。ちなみに私のマニュアルはどんどん増えていっており、普通私くらいの年齢になると、マニュアルの編集作業も一旦落ち着いて、不惑!という判子を奥付に押されたりして、保存版のような扱いを受けると思うのですが、全然そんなことはありません。分からないことばかりです。世界において確かなものなど何もないように、私自身も不確かな部分ばかりです。
 そんなよく分からない私のマニュアルにも書いてあることとして、未来よりも過去、過去よりも現在のことを考えた方が良い、ということがあります。未来のことを考えると不安になるし、過去のことを考えると後悔やフラッシュバックが私を襲ってきます。現在の、目の前のことを考えて行動すると、体の動作がスムーズに行くことが多いです。目を開ける、上半身を起こす、伸びをする、両足をベッドから下ろす、立つ、起きれた!といった具合です。ここまで小分けにするのは大分調子悪い時ですが。しかし困るのが眠る時で、ベッドに横たわる、目を瞑る…………ここから何もマニュアルが用意されていません。ただ目を瞑るということに集中することもできるのですが、長続きしません。過去の思い出などが襲いかかってきます。楽しいものなら良いのですが、とんでもないトラウマが真っ黒な視界に浮かんで来ることもあります。やめてよー痙攣しちゃう!何が浮かんで来るかはランダムで選ぶことが出来ず、辻褄の合わないことが浮かび始めると、眠りが近いということになっています。ただ、本を読んでいると、それを繰り返し繰り返し頭の中で読み返していることで、記憶のガチャガチャガチャを回さないという選択肢を選ぶことが出来ます。そういう点でも読書は有益です。まあまだ今年1冊目、しかもまだまだ途中、なんですが。
 まだ診察に呼ばれません。平日の午後だというのに、結構患者さんが多いようです。元はと言えば、この記事を書くのも、私自身のマニュアルの、病院の待ち時間をいらいらせず待つ方法、とか、時間が早く進んだように感じる方法、という項目に、私が最近書き込んだことなのでした。ひょっとしたらみんなこういうことをライフハックと呼ぶのかもしれません。私は慌てている時や、自分が不利に置かれたり、注意を集めるような立場になった時など、マニュアルを無視して行動することが多く、その度に大ダメージを受けて来ました。だからいつもマニュアルに従って行動するのを忘れてはなりません。いっそ西野カナみたいにそういう曲を書こうかと思いました。ロングシーズンくらい長くなったら嫌だなと思いますが、聞くの自分だけだし別にいいか。
 診察に呼ばれました。かかりつけの先生から、「��病の原因が会社でのストレス・人間関係と書いて、傷病手当が通らなかったことは今までに一度もない」と言われてしまいました。辞めた会社に電話。常務(この時に確認したらやっぱり常務でした。社長の娘)を呼んだら、電話に出た人から「常務はいません。どこに行ったかわかりません。折り返し電話します。いつ電話するかはわかりません」と言われ、私というダメ人間はめちゃくちゃイライラしてしまい「何ですかそれ?外出した人間がどこいったかいつ戻るかわからない?そんなことありますか?そんな人いますか?それ会社ですか?何やってるんですか?」と矢継ぎ早に問い詰め、電話に出た人がおどおどしながら「常務に連絡してみます」と返した所で、「そらそやろ」と吐き捨て電話を切り、車に向かって歩いていたら、知らない番号から電話が来て、出たら常務だった。「知らない、分からないばっかなんですよー!どういう会社?と思ってー!すごい!さすがですね!」と言い、傷病手当だけど医者がそれで通るはずだっつってますよ!と付け加えると、「また聞いてみるわ!」と言われ電話は切れてしまった。
 ひどい。全然良くなってないじゃん私。薬飲みたい。一刻も早く薬飲まなきゃ。私のマニュアルの「人間関係について」という項目の冒頭には今や、「とにかく必要以上に人と関わらない!」と大きく書いてある。イライラしちゃうのは私が悪いんだけどさ、そっちにも悪い所はあったと思うし、何より薬を飲むのは私ばっかりじゃん?それなんかずるくない?と私はいつも思っている。
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canarycradle · 4 months
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鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎
事前情報
水木という片目に傷のある男と、身長がでら高い着流しの男がいる(愛妻家らしい)
私が好きそうな男が出てくるらしい(オサダ?)
感じたこと、覚えてることだけ。まとまりはない。
出だしは正直あんまりよくわからなかった。猫娘が今風のキャラデザだったから、あ、1番新しい方の鬼太郎なんだな〜とは思った。
野沢さんの目玉親父初めて聞いたのでびびったけどそんなに違和感はなかった。
過去編。まず水木の声が生身の男っぽくていいなと思った。
そりゃあもういい声なんだけど、何というか、絶妙な「身近なところにそう」感。
等身も高すぎないし、絵柄は新しいんだけど昭和みを感じる。いい。
親父が出てきたら声が良すぎて、またその対比が良い。めちゃくちゃに異界。際立つ。ありがとうキャスティング。
電車の中の女の子が人形を持ってて、あれ冒頭のやつじゃんと思う。えっこの子…大丈夫ですか???
沙代お嬢様。木陰で立ってる。あっなんかここ二次創作で見たことある気がする。
出世するために来た水木に頬を染めるお嬢様かわええなあと思ったら急に真顔になる。何……?横溝正史感じる。
トンネルを潜る時、屋敷の敷居を跨ぐ時の足元のカットが印象的。境界を跨ぐ瞬間の演出なのかな〜。
立派な屋敷だけど斜めに写すのが気持ち悪くていい感じ。
まあ、こんな迷信深い山奥の名家で、入婿は跡は継げないわな。知ってた。タイプの違う三人姉妹。仲悪そう。横溝正史じゃん(二度目)
時麿が当主に決まって号泣してる時、左目がピクピクっと痙攣?したのが気になった。気のせいか?沙代お嬢様に向けてる目が嫌だわ〜。直前に「妻も取れずに…」って言ってたからあーこいつなんかやらかすなと思った。
被害者が片目を抉られまくってるのを見て、あー、隻眼やら片足やらは異界の住人の象徴だったなと思う。そういえば鬼太郎もゲゲ郎もそうだわね。あ、そう思うと、水木が片目に傷を負ってるのもそっちに片足踏み入れてるって暗喩なのかな。
時ちゃん可愛すぎる。ゲゲ郎に「ごめんなさい、わからない」って謝るのを見てめーちゃくちゃ賢い子じゃんと思った。わからないで、拗ねる怒る泣くみたいな大人いくらでもいる。めちゃくちゃ未来志向。めっちゃいい子。こんな村にいちゃいけねえ…
私は妻を溺愛している男が大好きなので、ゲゲ郎のおのろけだけを無限に聞いていたい。
水木とゲゲ郎が墓場で話してるシーン。ゲゲ郎がいいやつすぎてにこにこしたし、なんだったらこのシーンが1番好きだったかもしれない。ゲゲ郎のおのろけだけを無限に聞いていたい。
ゲゲ郎が裏鬼道集と戦ってるシーン、線がぬるっとしててめちゃくちゃ動いて気持ちよかった。1番好みなのは水木とゲゲ郎の墓場で酒盛りシーンだけど、ワクワクしたのはこのシーン。ゲゲ郎がなんかすごい力を発揮するんじゃなくて肉体戦闘派なのがすごく良かった。手摺で刀を受けるのかっこよすぎんか?狡い。これは嫁も惚れる。
そのあとはなんか記憶が曖昧である。
地下であの人形を見かけて、ウワあの電車に乗ってた人たちもここで亡者にされてるの…?どうやって…?とモヤモヤした。
沙代ちゃんのくだりはやっぱ横溝正史じゃん(三回目)ってなった。トンネルに置いてくればよかった…という気持ちと、置いてきたらみんな死んでたな…という気持ちで葛藤している。なんとかして幸せになれるルートはなかったんか?沙代ちゃんの肩身だけでも外に連れ出してくれ、とも思ったがそれも俺(水木)のエゴなのかもしれない。というか水木はやらなそう。
血で染まった桜がCGでゆらゆらするの、気持ち悪くてとてもシーンにあってた。なんか全体的に、逆光とか顔に照り返す赤とか青とかのライティングがめちゃくちゃ好みだった。1番���象に残ってるのは禁域の島のシーンかなあ…と思い出しながら見ていた。
水木が斧でめちゃくちゃ根っこ切ってるけど大丈夫?それ、めちゃくちゃ流血してるけど。囚われてるゲゲ郎の奥さんにダメージ行かない?と心配になるなどする。まあ、夫が止めてないし大丈夫か。
地下研究所のシーンといい、井戸の底のシーンといい、展開がやや早くて飲み込みにくい。土蔵での会話とか、墓場での酒盛りとか、川辺での幽霊族の歴史についての話とかその辺が丁寧に描かれているから余計になんか…温度差を感じる。(だから親父と水木のカップリングが人気になるのか〜)(他人事)
個人的には既婚者が絡むカップリングを好んで摂取しないのでその辺はわからない。ゲゲ郎と嫁の話が欲しい。
この辺りで、なるほど!水木はボロボロだけど、ここでMの血液製剤飲んで時貞に対抗するのか!奥さんや村の人を犠牲にしたアイテム…でも時貞を倒すためには…?!とか思っていた。違った。
時貞翁が狂骨に飲み込まれて、すり潰される時、「それ時ちゃんの身体……!!!!」って思った。内心、お願いだからビビり散らかして時ちゃんの体から離れてくれ、なんとか時ちゃんを救ってくれと願っている自分がいた。
ブレスレットが急にちゃんちゃんこになってびびる。それそんな由来だったんです?「ご先祖様…」のセリフはなんか唐突感あるなと思った。
ゲゲ郎は水木に「これがあれば大丈夫」ってちゃんちゃんこ着せてて(着せてたよね?)、水木は嫁さんに着せてあげてたのでこいつらの優しさ好き。男前。と思った。
水木はこの件の記憶無くすんですね…。何で…?ひどくない…?
いや、沙代さんにとってはこれは救いなのかも。
アナログ風漫画のエンディングがとても良かった。ちょっとよくわからなかったんだけど、記憶がない水木がゲゲ郎夫妻に出会う→一旦は逃げる→なぜか気になって戻ってくる→夫婦は死んでる→妻だけ埋葬する(何故?)→妻の亡骸から鬼太郎が生まれる の流れ…?
伏線いっぱいだし、明言しない範囲でしっかり回収してくれてて気持ちよかった。すごく好き…?と言われると難しい。別の作品追ってる人だったらもっと楽しいんだろうなと思った。昔の砂かけ婆とか一反木綿とかが出てくる時代の鬼太郎しか知らんのよ。機会があったら別の作品も読んでみたいなくらいの気持ち。
そういえば長田あれか。胡散臭い細目だったら好きと思われてるのか私?!なんかいちいち長女を庇うシーンが目について、時貞の命令で三女と番ったけど、実は長女の方に情があったのでは?という印象を受けた。知らんけど。長田が実は妻のこと愛していたみたいな話があったらそれはそれで好きです(現金)
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lienguistics · 6 months
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紺色
2023.10.12
序章
「全部お前が触れるのは青に染まってくるし、しょうがなく青色が気に入ったのか」
「なに、その馬鹿げたセリフ。同じ調子で癌の患者に他の患者を癌で感染させると言いがかりをつけるの?」
. .
「よくもこんなことがあたしに対してできたわね!」と泣き喚きながら跪いた母の姿を見たことが一生に一回しかない。父が離婚すると脅したり、母は許してほしいというように情けなく懇願したりしたことは一切ない。
さて、原因は?朝にもらったオレンジを全部食べ切ったという間抜けな嘘をついた僕のせいだった。
「どれほどお前をちゃんと育ててお世話をするように励むのがわかってたまるか!あたしはお前の栄養摂取をこんなにじっくりと考えたのに、なんてもったいない…」
世界一大切なママにこんな深刻な不幸をもたらした結果としての罪悪感をどうやって妥当に対処したらいいのか困り果てしまった十歳の僕は、密かに「ママにうそをつかない」と、手の指が攣っても何回も書こうと決心してきた。深く尊敬した存在のママを真似して、慌てている十歳の子なりに号泣する余裕があるなんて思ってもみなかった。むしろ、書き上げた文ごとに罪悪感が少しずつ和らぐようになるはずだと自分に思い込んだ。
紙の表と裏をよほど五枚に満たしたのに良心を完全にすっきりさせることができなかったのは、残念だった。
十年後、自分の人生を振り返して最高と最低の経験について父と話し合いながら、この記憶を持ち出した瞬間に、父が急に声をひそめ、打ち明けた。当時に起こったのは初めてであるどころか、まだ二歳だった僕はご飯を食べきれなかったときにも、母はブチギレたが、代わりに顔に平手打ちを食らわして、泣いたら、手の甲で逆に。
だからこそ現在の僕はみんなに言われた通りにどうしようもなく頭が悪いのか。どうせ僕のせいなんだが。
章1
母と違って父は、僕に対して手を上げたことがなく、むしろフォークとスプーンを手にしながら近ついてきた。僕の自尊心をぺろりと平らげる機会のかけらでもうずうずと待ち構えている。
十一歳ぐらいのとき、学校からの帰りしなに父が運転しながら、僕はしょっちゅう読み上げさせられ、文章ごとに通訳させられた。両方の言語を切り替えれば切り替えるほど、言葉が紛らわしくなってしまうのは当たり前だろうがしょうがないと最初に思った。正解の「怯えた」が直感的にわかったのに、実際に思わず言ってしまったのは「怯えてした」だった。
「ん?なんて言った?」
うっかりと「怯えした」とも口にしてしまった。
「は?」
「怯えった」
とっさに大声で得体の知らない名前と呼ばれた。ひとしきりにぼんやりとしてしまってから我に返ったら、本名を自分に確かめた。さっき、一体何だって聞いたのか。友達に呼ばれた「〇〇くん」や「〇〇ちゃんさん」をつける面白いあだ名を聞き慣れてきたが、まさか父は今度のも定番になるつもりなのか。
てっきり後味の悪い「クソビッチ」なんて。わざと罵ろうとしたら、どうせならよりオシャレな暴言を吐こうか。
成長するにつれて馬鹿だと徐々に暴露されていく子供を育てるのがこんな風に怖がっている両親に、三歳だったときから数学を、四歳だったときからバイリンガルに読み書きを教え始めてもらった。中学一年生になったときまでにヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」をすでに一回読み切り、再び読もうと思っていたほど没頭し、高校一年生としては微分積分学に踏み込んだところでフョードル・ドストエフスキの執筆も読み漁った。物理学に夢中になってきて授業で優れたのは理不尽ではないが、うちの疾患の家族歴と今更に病気を患っている母を考慮したら、結局大学に入って以来医学を狙うように促された。拒むに拒めなかったのは、学費を払うのが僕ではなかったから。
皮肉なことには、自分の生物学の授業のために勉強していた同時に、物理学を専攻していた友達は宿題の問題をまったく何も解くことができなかったせいで僕が手伝うどころか自分で手にかかってやるしかなかった。両親の望みや夢を叶ってあげるのと、友達の宿題や模擬試験を試してみることにより、僕の夢物語を真剣に追い求めるために自分の能力や見込みが足りるかどうか見積もるのを二つとも両立することができるだろうと思ったが、どのくらい耐えることができるのかさっぱりわからなかった。
最初の生物学の試験をギリギリと合格したのを聞いたての母から電話がかかってきた。
「もういいわよ。物理学って忘れなさい!」と言ったのに、その舌の根も乾かないうちに生物学に関しては「お前は思ってたほど頭が良くないね」とも吐き捨てた。
ということは、手術に向けたら、少なくとも手際良くなるまで訓練だけに焦点を当てることができると忠告したではないか。まあ、母にしょっちゅう称賛されている伯父さんと同じ道を辿るのをかまわないのは、母が幸せである限りにね。
それにしても、電気工学者の父が「プログラミングもちょっとでも身につけられたら将来に有益な知識になるよ。お前は言語とか文学が得意じゃないか?だとしたら、プログラミングも同じようにうまくいけそうで、単なる他の言語として考えよう」と口を挟んで、僕の夏休みは自分でパイソンに取り組む羽目になってきた。父は「問題があったら、俺に任せろ!」としょっちゅう自慢に宣言したが、Cで筋道を説明してばかりくれるのは役に立たなかった。違う言語には違う推理と違う書き方があるのは、一目瞭然だろうが、そう思ったのは僕だけだったようだ。
淡々ぼんやりとしていた僕の顔つきを瞬間に父は気づくごとに、拗ねて「もう、学びたくないなら、学ばなくてもいい。好きにして、こんな役に立つのを身につけなくて、ざまあみろ」とそっけなく吐き捨てた。そのときに、僕はくれぐれも謝罪して「楽しんでいるよ!画面を長い間見つめて、ただちょっと疲れてごめん」と父が落ち着くまで慰めた。
この訓練の目標は一体何なんだったっけ?父は自分がこれほど恵まれている知識と経験を発揮しながら、全部が僕の利益のためだと勝手に言えるように?最初は医学や生物学に集中してほしいと促すことで母と一致したが、このままで鞭打ち症にさせてしまった。
大学を卒業してからある夜に父と他愛のないお喋りを交わしながら、「代わりに物理学を専攻したとしたら、どうだろうなぁ」とのんびりと言い出したとたん、父に即座に却下された。目尻からちらっと見られた父の表情が陰ってきた。
「どうしたの?」
「知恵が足りないから、有意義な存在になれないんだ」と父がさりげなく答えた。
大学一年生だった僕は母に激しく嗜められたとき、背後から頷いていた父も口を揃えて同じことを言っていたんだ。ただ、母より静かで自惚れたかな。
「ずっと僕のことを見下してるの?」
「見下すなんてないよ。ただ、お前より俺の方にはもっと現実的に考える力量があるんだろう」と誇らしく言い切った。「何の物理学者でも考慮に入れたら、そんな天才にはお前が夢でも敵わないってこと」
「自分にはできそうだと思ったんだけど」
「そんなに優れていると自慢に思っているとしたら、なんで物理学の授業も受けたり俺が間違ってるのを証明したりしなかったのかい」と父は明らかに怒ってきて声を張り上げた。
声を震わせたのに勇気を奮い起こして「お父さんに自分の価値を認めてもらわなくてもいいよ」と僕は言い返したら、
面食らった父が僕を睨みながら「あんな図太いヤツを産んで育てたか」とぶつぶつ言った。
そう、僕は図太い。甘やかされて性格が歪んだのは母が言った通りに僕なんだ。拒否されてから就職活動に目を向けてみようと思うことにより、僕は両親の絶交の原因になった。僕にまた大学院に申し込むように言い聞かせてくれとすぐに父に促そうとしたが、拒否されるのを耐えることができなかった母は、拗ねてそれから無視することに決めた。父と僕だけの二人になってから父が相談を与えるように打って付けの機会だと思っていた。
「そんなろくでもない生物学の学士号でお前が就職活できないと何回も諭そうとしたのに、お母さんと違って、俺がはっきりとわかってきたのは、お前に何かをさせてくれるのが無駄骨を折るだけ。なんと言っても俺の警告に従わないから、この主観を理解できるようになるまで、お前が何目の面接にも落ち続けるのを傍観するしかない」と突き放すように吐き捨てた。
因果応報なのか。
「なんで本心では医者になりたくないの、お前。いつか結婚したり子供を育てたりしたいし、家族を養う必要があるんだろう?自分の将来についてもっとしっかり考えといて」
と言っても、僕がそもそもそんなことでさえ欲しかったと勝手に決め付けるのはいかにも図々しかった。
章2
両親の奨励に従って生物学に狙いをつけて学士号を得て済むだろうと思ってしまったため、単純に我慢しなければならないということではないか。なのに、なぜ夏休みや冬休みに実家に帰るごとに、僕が医者になれるという信念を裏つけるためにどんな証明を今まで溜めてきたか、と繰り返した母の尋問によほど毎朝に起こされたのか。何を答えようとしても、母の目つきで不満しかないと察して、言葉が変わるのにだいたい同じような愚かな質問の連発に耐えるしかなかった。
「先生がお前のことについてどう思うのかしら」
「順調だと思うよ。今のところ、一緒に話題や焦点を定めてから、独立で働かせてくれる上に、会議で他の人の前にうちの研究進展について発表してほしいと促してくれるし」
「ただ親切でそうしてただけじゃない。先生としてのお義理って言葉わかるの?お前ならおそらくわからないから、よく聞いてね」
「いや、もうわかったから、説明してくれる必要は別にないよ」
「黙れ」
この部分まで何回も経験したことがあるため、「言い争いになる前に、別々で五分間の休憩を取りましょうか?空気が澄んでから必ず再開しますよ…ね?」と言い聞かせようとしたが、母には納得できなかった。
かえってひっきりなしに説教をされ始めたら、ベッドから立ち上がって少しずつドアへ向かっていても、母に追いかけられた。トイレを使う必要がなくても、自分でいられる静かなところだと思ったため、廊下を隔てた浴室に入る羽目になった。だが、ドアを閉めようとして、取っ手をそっと押しながら、いきなりに抵抗の手応えを感じた瞬間、背筋がゾクゾクとした。ますますうるさくなる甲高い声を遮断するために、ドアに背中をつけてより強く押し付け返すしかなかった。カチッと閉まった音で一時的な息抜きを与えてもらったが、浴室に永遠に隠すのが無理だし、いつかドアをまた開けなければならないのをひどく意識した。しょうがなく気を張っておいた。
少なくとも、年を取るにつれて母も僕に対して手を上げるのが徐々にやんできた。今回こそ僕ではなくドアを押し付けていたんだ。このように鬱憤を晴らすのは僕の身の回り品に向けられ、趣味は交渉の対象として扱いされた。自分の意志で選んだのは当然にもっとも思い入れがあり、母もそれが良くわかっている。
楽器を練習する気がなかった日には、フルートを母に捕まえられた。母がどこかに持ち行くのを最初に目で追いたが、L型となるまでピアノの椅子を叩いていたのは僕にとって見かねたため、結局目を��らしてしまった。修繕のために店に持っていったときにも、店員さんに「このガキが練習したくなかったから、あたしはピアノの椅子をフルートで叩いてしまったほどすごく腹立てしまったの。子供を育てるなんて大変だわ。十代の反抗期特にね〜」とニヤニヤと笑いながら呑気で説明するなんて図々しかった。なんで店員さんがそれに対してただ微笑を浮かべて、何も言わなかったんだろう。
ピアノを弾くのも大好きだが、高校での文学の授業や自分の創作に集中したくなればなるほどピアノの練習の時間も徐々少なくなってしまった。
突然に「今週ちゃんと練習したの?」と母に問いかけられた。
「練習した」
「嘘つくな、お前」
「じゃあ、練習が足りなかったと言ったらどう?」
「お前にはさすがだと言い返すよ」とニヤニヤと嘲笑った。「お前のレッスンのために高額の学費を払うのに、こんなふうに無駄になってしまうなんて残念だわ」
「前に言ったことがあるけど、そんなに残念であるならば、レッスンを止めさせてくれた方がいいかもしれないじゃない」
「間抜けなこと言うな。諦めたら、先生に落胆させるよ。おばさんやおじさんは、お前の才能を少しでももらったら、どれぐらい幸せになるのがさっぱりとわかってないじゃん。本当にもったいない…」
この会話をまるで毎週繰り返すように感じた。高校を卒業して大学のために引っ越さなければならないようになったら、ようやくレッスンを止めさせてもらったが、そのときまでにピアノにはもう嫌悪感を抱くようになってしまった。
矛盾だらけに囲まれる暗い世界での綱渡りだし、進むも地獄退くも地獄なんだ、という象徴になったからだ。
章3
また世界がぼろぼろ崩壊している感じがした。ベッドから立ち上がったら、圧力のこれっぽっちでも足元に床を陥落してしまう可能性を非合理的に怯えたため、朝に幕から染み込んで天井に反射された灰色のモノクロが、昼のギラギラで眩しすぎた日光にけばけばしい鬱金色に染まれ、最後にまた紺色から真っ黒に変身するのを傍観するしかなかった。好きな色は?光と闇の間に取り持つ紺色の濃さで、もっとも放心状態になってしまいやすいかな。ただ起床が困難になったというだけでいいって?
子供がベッドの下に待ち構える化け物を怯えるのと同じように、時間が経つにつれて結局卒業するんだろう。もう少し時間を… 疲れたから。
テレビで何も見なくても耳に響いていた雑音がますます酷くなってきた。とっくに誰かの声だというわけではなかったが、様々な声は誰なのかくっきりと認められるようになるたびに泣きたくなる。どうやってあなたたちもこんなところで道に迷ってしまったのか。また、僕には何用があるのか。やるべき事が手のつけられないように一山積み上げ、どれくらい藻搔いても窒息で殺されるまで圧倒的に僕を押し潰していくのは、ただ時間の問題だ。
雑音は、脳が寄生虫に食い荒らされているむず痒い感じがした。実際に責任の重さを背負わされ、みんなに落胆させてしまう恐怖に冒され、さっさと終わらせるために欠点を責められるのを待ち焦がれるかな。
気が紛れるために音楽を聴こうとしたのに、打ち消すどころか、乱雑を募らせてしまった。
本棚から一冊をやたら取ってページをパラパラめくりながら、アイスピックで耳から耳まで通り抜ける線を描こうと思い浮かんだが、おそらく長さが足りなくて無理だろう。髪の毛をかきむしりたい。ストレスに溜まりまくるときに自分の皮膚に爪を突き立てる癖があるが、普通に肌に残る紅色の月形の窪みが夜までに薄紅に褪せていくから、気がかりなんて別に必要がない。高校生だったときと同じように剃刀でいじろうか。肌にうっすらと見える血管をなぞったりするが、今回こそ決定的に圧力をかけたら、びびったせいでただ痒くなった前回と違って、無感覚以外の何かをやがて感じ��れるようになるのか。料理するのが好きな僕は調理道具を大切に扱ってきちんと手入れしていたが、最近、台所にしばらく居る気にもなれない。落ち込んでいるときに、食欲が減ってしまっただけではなく、好きなきのこと鶏肉のドリアを作ろうとすると、間違った太ももをうっかりと刺すのを怯えている。二年以上研修室に勤めてきて、治療法を開発している。今日はどんな麻酔を使おうか。ちゃんと眠らせるために。
. .
がたんと起き上がったとき、心臓がいつ胸から飛び出してもおかしくないほど動悸が激しくなり、枕がじっとりとしたのに気づいた。ぽたぽたと垂れた涙がやむ気配もなかった。
「悪夢だったけど、結局ただの夢だけだったね」と自分に慰めようとしたが、現実とそっくりと感じた。
「そもそもあたしのことを愛してるわけ?」と母に問いかけられた僕は、「もちろん」と言い切れずに「このくそばばあなんて誰も気にしないわぁ、みんなに迷惑ばかりかけてるし、って思ってるのね、お前」と言いがかりをつけられた。
「そんなことない!」と頑張って言い出そうとしたが、「よく嘘ついてるね。幼い頃からずっとそうだわ」と嘲笑われた。
「お前を育てることで、あたしはどこで油断してたの?あたしが能う限りに愛を注いで大切に育てても、お前はこんなことになってしまったのが、あたしに死にたくさせるの」
「そんなことしないで!お願い!」と僕は声がかれてしまうまで何回も叫び返したが、無駄だった。
朝には父に電話して母のことについて尋ねてみた。いつも通りに健康で元気だと聞くと、安堵感を感じた。成人の日を祝うために、母と絶交した罪悪感にまだ冒されたようだ。
落ち着くために味噌汁をちびちび飲みながら、手にしたポカポカの温かさが全体的に身に染みてきた。水面に映し出した顔つきを見かけた瞬間、カウンセラーからの気遣いが頭の中で浮かび上がったが、耳に奥で響いていた母からの忠告ももつれ合い、歪んでしまった。味噌汁だけ飲んでは足りないのは当然だが、それ以上食べては誰にも愛されないブサイクのデブになるというのも、おもいがけずに筋の通ったことなんだ。母を喜ばせる限りに、僕はこんな愚かな規則や基準にさえひたすらに従おうとした。もう何年も経ったのに未だ同じような考え方が変わらず残っているのが、人は変わらないということをあっさりと証明するのではあるまいか。
変わらないどころか、受け継ぐ。目が母に、微笑みは父に似てる子もいるとしたら、僕の場合は癇癪が両親にそっくりなんだ。
傲慢と嫉妬を揃えたら憤怒が生み出される。年を取ったのに未だ自分の感情を整理することができないため、こんな重荷を子に背負わせる親がこんなに多くこの世に存在するのは本当に残念だ。伴侶が「衝動的、敏感、神経質、一徹短慮」などという愚痴を内緒で子にこぼすのはどんな教訓を与えてくれるのか?そう。自分が内部的にどう考えても、何よりも親の感情に同意して気の利いたことを言うことにより親を慰めて支援するのを最優先することができる。そうしたら、自分もとばっかりを食う確率が減るかもしれない。
だって、怒って鬱憤を晴らしても許されるのは親だけだった。「ねぇ、両親に八つ当たりをされたって知ってる?けど、なかなかなんとかなってきたよね、我々は」と言えるのは親限りに。子も「親にひどいことを言われたときもある」と言おうとすると「お前が恨みを抱いている権利も理由も必要もなんてないさ。世代間のトラウマをお前に引き継がないようにしてるから」と言われてしまう。
恨みを受け取ってばかりいるのは、吐き出せるところも与えてもらわず、背後に潜んでいる怒りに生じるとあっさりと納得させることができるが、正直なところで、恨みを別に抱いているわけではない。親が言った通りに、権利も理由も必要もない。絶え間なく恨みがましい言葉を受け取り続けない限りだという条件だが。
すでにちゃんと謝罪してたのにって?
一回だけ細かい何かを間違えた子を怒る親は、何回も駄々をこねて、物事を壊して、関係を絶って、勝手に中途半端に謝罪してから、何回も許される余裕があると思い込むなんて、もっとも可愛いよね。
. .
どう考えても、一人っ子として生まれたにかかわらず、末子のように注意され、まるで忘れられていた真ん中っ子かのように真剣に受け入れられず、長子のように期待を背負われた。
章4
千羽鶴と同じように、折り紙をしょっちゅうしていたが、折り鶴の代わりにちっちゃい蓮の花をいっぱい折って、揃えたら願いを叶えてもらえる代わりに死にたいと思ってしまった日を数えられるためだった。
その蓮の花が可愛いと、この上なく幸せに気づいていなかった親に言われるなんて皮肉なんだろう。
十九歳になってから、屋上まで登って、柵にもたれて立って、下を覗き込んだ。オレンジ色と紺色が混じる日没の空以外に何も見えなかった。束の間に目を瞑ってため息をついた。
もう悴んでしまったし、前向きに進んだら無痛で良いじゃないか、と思った。
自分の白い息が出ることに目を凝らして、このまま行き続けたら本当に逝ってしまうというのがわかった。だが、「今すぐ出かけないとバスを乗り遅れてしまう」と頭の中で声がぽつんと呟いた。
その日に学んだのは、死にたいわけではなかった。ただ、生きるとは、悶々とした日々を過ごすということだとしたら、生きたくはないのは当然だろう。
終章
僕は元々に、大切な両親に対して娘として不足していないと思い、幼い頃から仮面をかけさせられた。大人になるにつれ、引っ剥がしたくなったのは当然だろうが、強すぎた糊で貼り付けられた仮面を引っ剥がせば引っ剥がすほど、皮膚も剥いでいく。最後にはいかにもお化け物の顔しか残らない。
それでも、今までの大きな困難にかかわらず、現在の私はこのままで順調だろう。娘、女性、人間として。まだ生きているから。
ただ、その総称以外、私は心の奥底で本当に何者なのか。
〈次〉
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shukiiflog · 7 months
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ある画家の手記if.100 冷泉慧鶴視点 告白
このままでいさせてくれないか このままの俺じゃあだめか 誰かと誰かが関わるとき、譲歩や折衷ではなくて 劇的な変化が必要なら 必然それが訪れるまで 俺は立ち尽くす以外にどうあればいい
普段ならこの時間は部屋のステレオで曲を流してるんだが、病人に余計な音は身体にさわるかと思って控えた。 自分が根っからの低体温でそんなに熱も出さない方だからまったくの手探りだが、少ない実体験や疼痛時の具合の悪さから推し量って、あとは発熱の対処についてググってでもみるか。ネットにふれるのは好きじゃないんだがそうも言ってられん。
とりあえずキッチンではちみつレモンを作ってあっためたのをマグに入れる。トレーの上に解熱剤と普通の水も置いて、解熱剤って食後だったかと思って粥も作って添えて、寝室に持ってく。 今更ながら、トレーから食器類までガラスや透明な素材尽くしで、こころばかりにステンレス素材が混じる程度。もうモノを買うときに透明度でチョイスしちまうのは嗜好やらこだわりというより惰性に近い。 香澄は三つある寝室のうちベッド以外ほぼ何も置いてない部屋に寝かせてる。 「はいよ。粥と白湯と解熱剤とはちみつレモン。粥には余計なもんは一切入れてねえ、味気なくてまずけりゃ適当に残せよ」 苦手なもんやアレルギーがないか先に聞きゃよかったな。 はちみつレモンは前に買って渡したら普通に飲んでたから大丈夫かと思ったが、香澄の場合その辺どうだろうな。 「わぁ…かいじゅうのマグだ…!」 ベッドの上で俺が乗せた毛布に何重にも包まれた香澄が毛布の隙間から目を輝かせてる。 「最近買ったばっかだった。いいタイミングで熱出したな」 笑って言いながら別室からデカくて重たいシェーズロングを運んできて、ベッドの隣に置く。ちょうどリビングから寝室に移動させてたからこいつは破片を受けずに済んだ。 いつまでもマグと見つめあってっから「冷めるぞ」って横からつっこむ。 簪買ってやって以来、なんとなく目につくんで物を買うとき、ついコイツのグッズ買っちまってる。ポップな色合いの恐竜みてえな怪獣、プラントン。似たデザインも多いんで間違えて買わねえように公式の商標まで調べちまった。子供でも使って平気なようにかどれもガラス製品じゃねえから、逆にこの家ではこのマグは浮いてる。 スタンプは香澄に送ったら喜ぶかと思って買ったが、直人には使ってやらねえ。 「…こういうの、俺とかが使っていいんですか…?」 遠慮がちに訊かれた。これは潔癖についてか?公言してあるから遠慮せんでいいんだがな。 「潔癖症じゃねえんだ、厳密には。専門医にかかったわけでもねえし、ただ他人に迷惑かける範囲が似てるから便宜上そう触れ回ってるだけで。まったく平気なもんもタイミングもあるから、気にせず使えよ」 気にせずっつったってまるで気にかけねえわけにもいかねえだろうし、難儀な体質で悪いな。ってだけ言い添える。 どういう線引きかは俺にも分からんが、香澄が使ったあとのモンはよく洗えば捨てずに済みそうではある。 この前さんざん直人を殴った本も捨てずに済んでる。直人が寝てたベッドはマットレスとリネンと枕だけ捨てて買い換えた。 はちみつレモンをちびちび飲んでる香澄に向かって言う。 「俺はなかなか熱出したりしねえから正直対処がわからん。必要なものやして欲しいことがあったらお前から言えよ」 「でも、こうして寝かせてもらえてるだけでも楽だし、…これ以上迷惑かけられないです」 シェーズロングから上半身を起こして香澄と少し体を近づけて向き合う。 「まだお互いによく知らねえ。それでもここで養生させるって言い出した以上、その責任はとらせてくれよ。病人に頼むのも気が咎めるが、俺一人じゃ察しがつかねえことが多いから協力してくれねえか?」 安心させるように笑って言ったら香澄は素直に小さく頷いた。 「マグがよく似合ってんな」 はちみつレモンの入ったプラントン…かいじゅうのマグを手にしてる香澄に素直な感想を述べたら、嬉しそうに笑った。
持ってきたトレーはガラス製だから意識の端に留めながら香澄が食べ終わるのを待つともなしに隣で淡々とノーパソ使って仕事をこなして、食べ終えたタイミングでさっさとキッチンに引く。 「あの、俺自分で引けます」 「寝てろ寝てろ。またガラスにぶつかるぞ?」 洒落にも冗談にもならねえが、迂闊に動かねえようにさせとくのにはこう言うのがいいだろう。 香澄の寝てる寝室は、この家で唯一ガラス製品を一つも置いてない。この部屋に置いてる限り同じ事故は起きねえだろう。 俺に例の疼痛が起きたときはいまだにみっともなくあちこちに体をぶつけてねえと耐えられねえから、その時のための部屋だ。 こんなガラスばりの空間に暮らしてても、俺は自傷行為じみた発想でそうしてるわけじゃあない、…そう思いたい。
この部屋に俺が招き入れた ようやく大事にしたいと思え始めた人間に 歩み寄ろうとして …間違えたのか、俺は …昨日までの自分を綺麗に捨てて一新でもしなけりゃ誰かを大事にすることがかなわねえなんて そいつは逆だろう、変わるためにはそれまで継続した土台が必要だ この部屋からガラスだけ全部叩き出したって  俺は誰かと寄り添うために自分自身の身を削ぐような方法は一切とらない  それが 自己犠牲じみた自傷的な寄り添い方が 否定してやらなきゃいけなかった直人の眩暈を容認して俺や他人への暴力に発展させた、あいつを加害者に仕立てたのは俺だ 笑い話だな 寄り添うなんてことがどういうことか何も分かっちゃいないだろうに この部屋はなんだ ガラスを時に俺は自分でわざと割って 何がしたかった 「………」 俺を最初にガラス細工に喩えたのは中郷稔だ。 直人が似たようなことを言い出したのが奴の影響かどうかは知らねえが、意味合いや向けられ���感情は似てるようで違った。 直人はガラス細工の美しさを無邪気に称えてんだろうが、 ”美しいが無色透明な物質の屈折を見てはたして何を美しいと言ってるのか、まざまざと見える屈折そのものかもしれないな” 中郷稔があのうすら笑みで穏やかに述べたのは皮肉だ。一見美しいと持て囃される俺には 屈折しかないと。 反駁は簡単だ、屈折そのものに可視性を与えるのはガラスって物質だろう 屈折してはじめて可視性を得るにしたって、無色透明であっても、存在しないわけじゃあない、屈折する限り誰の目にも明らかなように。 ああ、嫌になってくる、こんな小理屈、言葉遊びにいちいちムキになるほど苛立つことに。
体温計を持って寝室に行ったら香澄はよく眠ってた。 部屋の間接照明の光度を静かに落としておく。 寝返りをうって少し捲れた毛布を整えてやってから、隣のシェーズロングに静かに腰掛ける。 ケータイで直人に簡単に現状と香澄の様子だけ伝えてから、返信を待たずにケータイを閉じた。 正直今回のことであいつにも情にも絶縁されてこれっきりになるかとも思ってたがそうはならなかった。 今日ばかりはリビングに座り込んでるわけにもいかねえな。どうせそんなに睡眠が必要な体質でもねえし、今夜はここで急変がないか見とくか。 いつでも車を出せるように酒類を控えて、いつも通り適当にナッツ類だけ夕飯がわりにつまむ。 レザーも毛皮も好んで着るし牛乳も飲む、ヴィーガンってわけじゃねえけど、豆とかナッツ類ばっか昔から食うから直人に「ハムスターみたい」って言われたな。 生徒からは「吸血鬼なんじゃないか」とか噂されてたのも思い出した。そっちはまあまあ的を得てんのかもな。人前で飲み食いしねえし、日焼けに弱いんで陽は避けて歩く癖がある、夜型で朝に弱いから午前の講義は持たねえようにしてる、この西洋人の血筋まる出しの色素と容姿に痩せきってて青白い肌、極めつけに外出先で不意に鏡にうつるのが嫌いとくりゃあな。鏡に関しちゃ自室でヘアケアするときなんかは気にならねえんだが。 そういうもんを生き辛く感じたのは今よりもっと若い頃だ。 もう開き直ってそれなりに俺は俺の人生を楽しめてると自負してる、勿論。こんな歳になってまで何かのせいにして言いたい不満なんてみっともなくて抱えてられるか。 これで満足だと言えるんだ、
このままでいさせてくれないか
このままの俺で
このままではまともに関われないか?
関わりたいと思えた矢先のこの事故だった
相手が望まないなら俺にはどうしようもないから、なら相手にとって安全な距離感にとどまって そこからできることを尽くそうと
それも、結局は正当化への逃げだった
香澄からもらった飴細工を間接照明越しにじっと眺めながら時間はゆっくり過ぎていった
深夜にさしかかって少し熱が上がってきたのか、苦しげに寝返りを打ちながら顔を顰める香澄の体を少し起こしてやって、意識のはっきりしてない人間にどこまでが危険か正確な判断はつかないものの、水差しで少しずつ水を飲ませながら、解熱剤を与えた。 一応喉に詰まらせずに飲み込めたのを確認してから、濡らしたタオルを香澄の額に当てておく。 もう一枚濡らしてからあっためた方のタオルで、香澄の首回りや顔の汗を拭いてすっきりさせる。 心中で身構えたほどの嫌悪感は香澄の身体への接触には湧かなかったものの、他人に触れて看病する自分ってモンがあまりにこれまでと乖離しすぎてて、その齟齬が…今更滑稽だとせせら笑うように俺の心のどこかを引き攣らせた。 足に疼痛の前兆。「……」 まずいな ガラス製品のない部屋は香澄を寝かせたここしかない 背中に腕を回して抱き上げてた香澄の体をベッドの中に綺麗に寝かせて、毛布をかけ直す。 ちゃんと眠ったのを確かめてから、音を立てないように静かに一人、壁伝いにリビングへ出る。 流石にガラス塗れのここじゃどうにもならねえな 隣の二つ目の寝室に入って床に蹲る 痛む足を抱えこんでさすったり額を擦り付けたりしながら身体を揺らして時間が過ぎるのを待つ 幼い頃からあるこの疼痛は、リウマチに似てるとかなんとか言われたものの結局なんなのか判明してない 何がなぜ痛んでるのかも 効く薬も治療法もなく治りもせず今だ 起きれば過ぎるまで耐えるしかない ストレス性だとかもよく言われたもんだが俺にストレスなんてねえしなぁ 耐えるしかなくても耐えられないほどじゃない もっと耐えられないことはいくらでもある
見通しがよけりゃよかったんだ 何もかも隠れられない 隠せない空間に居さえすれば そんな場所はどこにもないならせめて 自分で自分に用意してやるしかなかった こんな歪な形になっても それでよかったんだ俺は それが 香澄に牙を剥いた 床でのたうってた体がコート掛けを引っかけて倒して
ああ ツケがきたかと 
思う暇もなかった コート掛けがガラスのテーブルの上に倒れて
テーブルが横にあった全身鏡を割って 砕け散った大量の破片が俺の体に降り注いだ
香澄視点 続き
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natsucrow820 · 8 months
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仇夢に生きる拾遺 狩人たち
 爆ぜるように踏み込み、跳び上がる。そのすぐ下を細長い顎が地面を抉っていった。動揺はない。そうなるように誘導し、物の見事に正しく動いてくれただけ。半身を翻し、正対する。
 随分と機嫌が悪そうだ。と言って、その顔は殆どが黒く塗りつぶされているかのようだからあくまで予想でしかないが。
 禍者(まがもの)。
 人を、人のみを襲い、仇成す黒き化け物共。永くこの島国、葦宮(あしみや)を脅かし人に恐れ疎まれる存在。
 そして、我々にとっての金のなる木。
 頭を振る禍者は、今回は山犬の姿をしている。連中は決まった形を持たない。だが、人の理解が及ぶ生き物の形を必ずとって現れる。たまに下手くそな――脚や頭の数を間違えるような――奴もいるが、今回のに限って言えば、外側はそれなりに上手く取り繕っている。少なくともその輪郭は山犬そのものである。地面を抉った際に口に入ったのであろう土塊を吐き出し、体勢を低くする。来るか。刀を握る右手に力が籠もる。視線は禍者に向けたまま、頭は忙しなく思考する。身体に染み込ませた数多の剣の型。今の状況の最適解は何れか。眼前の化け物の蠢きを見ながら選択して、備える。こちらからは動かない。動いたところを、斬り捨てる。
 果たして、その瞬間は程なくして訪れた。
 跳ねるように此方へ突進してくる禍者。大きく開かれた顎から唾液が溢れ、いやに大きな牙がぎらりと月光に煌めく。両の足で地面を踏み締める。受け止めるのだ。生半可な体勢では撥ね飛ばされるのは此方である。無論、ただでは受け止めない。間合い。彼我の距離。己の切っ先の届く瞬間を、見極める。
 刹那。
 下げていた切っ先を跳ね上げ、真横へ振るう。開かれた禍者の口腔が切っ先に裂かれる。掛かる突進の圧を逃がしながら真一文字に刀を振り切れば、身体の横を禍者の残骸が転げていった。最後か。否。手の中で刀をくるりと回し、そのまま背後へ深く刺し込む。温い手応え。痙攣と、生温かい液体の感触を味わいながら抜けば、どさりと禍者が倒れる音がした。一体ではなかったらしい。背後にちらりと目をやりながら、血振るいして納刀。
 何とはなしに予感がして、一歩、横にずれる。
「ちっ」
 舌打ち。当然、自分の物ではない。同時にずたぼろになった禍者の死骸が足下に転がってきたが、驚きはなかった。それくらいはやるだろう。奴なら。
「何で避けちまうかなあ」
 至極残念だ、と言わんばかりの非難がましい声色。
「避けなきゃ怒るんだろ?」
「あんなもん避けれねえ奴と手を組む価値はねえよ、くそったれ」
 流れるような罵倒と共に奴は――帯鉄菱(おびがねひし)は目を眇めて凶悪に笑った。
 
 
   ・・・・・
 
 
 滑稽な程に大仰な村長の礼を聞きながら努めてにこやかに禍者退治の報酬を受け取る。感謝の念も、言葉も所詮は報奨金の添え物でしかなく、とどのつまり、相応の金さえ貰えればそれ以外はどうだって構わないのが正直な所である。流石にそんなことを顔に出しはしないが。
 だから隣で至極退屈だという表情をしている菱の脇腹を小突く。残念ながらそうした機微を理解するつもりのない菱については、都度一瞬の取り繕いに期待するしかない。
 折角なのでと村への滞在を勧めてくる村長の言葉をこれまた努めてやんわりと断り、村を後にする。金さえ貰えれば長居は無用だった。
「しけてんな」
「妥当だろう」
 早速ケチを付ける菱にため息。この男はなにかしら文句を吐かないと気が済まないらしい。
「わざわざあんなド田舎までこっちは行ってやってんだ。手間賃くらい色付けろってんだよ」
「わざわざド田舎まで行かないと仕事がない、の間違いだろう。相応の報酬が貰えるだけで十分だ」
「世知辛いねえ……」
 ふん、と鼻を鳴らす菱。
 まあ、菱の嘆く気持ちも正直分からなくはない。
 禍者という化け物蔓延るこの島国においては、逆に人間同士の争いは少ない。あって小競り合い程度。そうなれば俺たちのようなただ腕っ節に自信のあるだけの連中の仕事は、化け物退治くらいしかないのだ。同業者は星の数ほどいる。徒党も組まずに腐れ縁で繋がっているだけの無名の剣士に頼むような人間は、潤沢に退治屋のいる現状では悲しいかな、こちらから見付けてやらなければならないのだ。
「ま、結局は足で探すしかないな」
 だから菱も、嫌な顔はするが明確に否定はしない。なんだかんだでもう、つるみ始めてそれなりの期間になる。現状も、互いのやり方も承知はしているつもりだった。
 
 
   ・・・・・
 
 
「ああ、駄目じゃねえか」
 大仰な菱の悪態に足を止める。
 依頼人捜しに山へ分け入っている最中のことだ。この近くに村がある筈だ、と言う菱の言葉を信じてのことだったが、当の本人がくそったれ、と苦々しげに頭を掻いていた。
「見ろよ、一将(かずまさ)」
 顎がしゃくられる。その先へ視線を向けて、ああ、と思わず嘆息が漏れた。
「この村、守手(もりて)持ちか」
「こんな田舎くんだりにな」
 恐らくは村へと続いているのだろう、森の中に作られた細い道。その両脇に立ち並ぶ木々には幾枚もの札が貼られていた。秘伝の技法によって梳かれた、雨風にも強い特殊な紙の上には複雑な図柄と文字。間違いなく、超常の業を使う呪術師の物だった。
「禍者除けの札に間違いないだろうな。ここまでご苦労なこったなあ」
「呑気言うんじゃねえよ。折角ここまで来たってのに……」
 この小さな島国、葦宮には古くから呪術と呼称される業がある。時に雨を呼び、時に病を退ける、尋常を生きる者には決して成し得ぬ不可思議を成すその業は、呪術師から呪術師へ脈々と受け継がれているという。ただ、そんな謂われに反して存外に呪術師は見かけることは少なくない。剣の流派のように、分派やら何やらで数は増えているらしい――知人の呪術師から聞いた程度だが。
 ともかく、そんな現状だからか、呪術師も禍者狩りに手を出している者が多いのだ。特に、特定の村や町に拠点を置き、用心棒となる者が。守手と呼ばれる彼らは兎角、流れの禍者の狩人にとっては厄介者だ。あらかじめ呪術によって禍者の入らぬように結界を仕込み、有事とあらばお得意の呪術でもって鮮やかに禍者や時にはならず者をも退ける。守手のいる所、流れの狩人などお払い箱も良いところなのだ。
「しかしまあ、流石に食料の調達はいるしなあ。立ち寄るだけ立ち寄ろう」
「げ」
 見るからに嫌そうな顔を作る菱に同じく渋面を作ってみせる。
「てめえは呪術師のいる村に助けて貰って構わねえってのかよ」
「構わんよ、別に」
 癪だと言うだけだろうと言えば、舌打ちをして余所を向いた。図星なのだろう。苛立ちの捌け口程度だ。食料やらが尽きかけているのは事実であるし、それをどうにかするには如何に苦手に思っていようが呪術師のいるであろう村を頼る他ないのだ。禍者除けの札が所狭しと張られた道を進んでいく。
 しかし。
 歩みを進める内。
 違和を、その道に覚えた。
「菱」
「……んだよ」
「気付いているか」
「札が古いってんならとっくに気付いているよ」
 不貞腐れたような色は既に菱の表情にない。素早く周囲を見回し、目を眇める。
「どうにも、呪術師の仕業にしちゃあ、お粗末だ」
 初めは気付かなかった。
 しかし、こうして道を進み、じっくりと貼られた札を見ていけば分かる。特殊な技術で梳かれた筈の紙は黄色く変色し、物によっては裂けたり破れたりもしている。生憎と呪術に詳しくはないが、こんなに薄汚れていては効果なぞ期待出来ないのではなかろうか。菱も同じようなことを思ったのだろう。何があってもいいように、その手は腰の刀に添えられていた。
 その危惧が現実のものとなるのに、時間はそう必要なかった。
 どちらともなく刀を抜き、振るう。
 どちゃり、と足元に禍者の亡骸が転がった。
「おいおい……本当に機能してねえじゃねえかよ」
「守手の手落ち、ではなさそうだな」
 互いに顔を見合わせ、村への道を走る。
 この地に守手の結界は、既にない。
 
 
   ・・・・・
 
 
 守手のいる筈の村は、惨憺たる有様だった。
 村の家屋はどれもが大なり小なり損傷を受けていて、畑の作物は食い荒らされはしていなかったが、無意味に掘り返された跡が幾つもある。禍者は人間以外を喰らわない。ただ、暴れただけの痕跡。夥しく残る獣の足跡の合間に見付けた紙切れを摘み上げる。村を守っていた筈の札の切れっ端だった。
 当然、そこに住まう村人たちが無傷の筈もない。
 ��較的まともな家に一所に集められた人々の多数――大人の男たちが筆頭だ――は何処かに傷を負い、酷い者は俺たちが訪った時点で顔色を��くしていた。血を流し過ぎているのだ。
「で、何事だ、この有様は」
 絶望や怯え、恐れに口を噤んでしまった者には目もくれず、恐らくはこの村の長であろう一等歳上の男の前に菱は座った。下手に遠慮をしない質なのはこういう時に有用だ。
「結界はない、守手もいないじゃそりゃあ禍者の良い餌だ。その癖半端に守手の残骸ばかりがありやがる。一体何があった」
「儂らが聞きたいくらいじゃ」
 疲弊のありありと滲んだ顔を隠しもせずに村長は大きな息を吐いた。
「主らの言うように、元々は守手様が此処にはおった。じゃが、何日か前から、姿が見えなくなってしもうた。何もかも置いたままでな」 
「喰われたのか?」
「あの方は禍者には滅法強かった。一度たりとも圧倒されたことはなかった。そんなことはあり得ぬ……と思う」
「なら……成る程ねえ……」
 幾つかのやり取りを終えた後、菱は唐突に立ち上がり、こちらへ向かって目配せした。差し詰め着いて来い、だろうか。菱に従って一旦家を出る。疲れ果てた人々は追いすがりもせず、ただ黙ってこちらに視線を投げるだけだった。
「また妙なことになった村だな」
 家を出て早々素直な感想を放ってみる。守手が元々いたことで、不在の今、却って大きな混乱に繋がっているのだろう。信じていた守りが崩れる恐怖は如何ほどだろうか。そんなことを考えていると、菱はけっ、と顔を顰めてみせた。
「妙なんてもんかよ、糞が」
 視線をそれとなく巡らせて、菱は人々の集まる家から離れる。他人には聞かれたくないらしい。結局、少し距離を置いた木立の中、背を木に預けて菱は気怠げにこちらに視線を寄越した。
「面倒な場所だぜ、此処」
「面倒と来たか」
「呪術師狩りって奴だぜ、ありゃあ」
 やだやだと菱が頭を振る。
「噂にゃ聞いたことあんだろ」
「ああ、某かが全国の呪術師を消して回っているって話だったか」
 知り合いに聞いたことがある。ある日突然、力ある筈の呪術師が忽然と姿を消してしまう。争いの痕跡もなく、ただ姿だけが見えなくなる。同胞もそうやって何人か消えたと、知り合いは語っていたか。あれは禍者の仕業ではない、とも。
「おう。それでな、良いことを教えてやろう」
 木に凭れ、天を仰いで菱は大きなため息を吐く。
「あれはな、お偉いさんがやってんのよ」
「ほう」
「呑気な返事しやがって」
「とは言え、現実味がなくてなあ」
「……まあ、呪術師じゃなけりゃそうなるか」
 苦笑。菱にしては珍しい、微妙な表情だった。
「お前とも長いし、こういうのに直面するのは今後もあるだろうしゲロっちまうけどさ、俺ん家、それなりにやんごとなき家柄って奴でよ。そん中のほんの一握り、まあ俺みたく腕の良い奴よ、そういう奴に話が来る訳」
 その刀の腕でもって、世の呪術師を狩り尽くせ。
「まるで禍者と同じ扱いだな、その言い草は」
「おうよ。理由は知らねえがお偉いさんにとっちゃ一緒らしいぜ。連中は人々を禍者から守ってんのに、ひっでえ話だよなあ」
「お前が家を出た理由か?」
「あ? んなのなくっても出てってたよ。あんな辛気くせえ家、俺の肌にゃあわねえっての。ま、その話にいよいよ阿呆らしくなったってのはあるかもな」
 大欠伸。それから大きく伸びをして、菱は少し姿勢を正す。
「そんでだ。面倒ってのは、お偉いさんは呪術師も、呪術師をありがたがる連中も嫌ってるらしいことだな。そんで、此処の呪術師は狩られたてほやっほやだ」
「……この村が今まさに目を付けられているっていうことか」
「話が早くて良いねえ」
 にんまり、と口の端を吊り上げて菱が嗤う。
「お偉いさんってのは怖えぞ。何でもしちまうんだ。くそったれな手前勝手な理由で、他のもんを滅茶苦茶に出来ちまう。でかい街ならともかく、こんな小っせえ村、どうされたって誰にもばれやしねえ。そんでもって、お誂え向きにこういう、都合の悪い話を知っている跳ねっ返りもいると来た」
 どうすると思う?
 問われるまでもないだろう。菱の話が本当とするのなら、如何な理由とは言え、人の命を狩ることを躊躇わない連中が、この村の近くにいるとすれば。
 思わず、ため息が漏れた。そのくらい、許してくれても良いだろう。
「……このまま山に消えるかなあ」
「次善だな」
「最善は?」
「俺を切り捨ててお前だけとんずら」
「それをさせる玉か? お前が?」
 腐れ縁なのだ、最早。この手練れの問題児と相対することと、幾許かの秘密の共有。どちらが己に有益かなど、火を見るより明らかだというのに。呆れて呟けば、菱はげらげらと笑った。
「そうしたら一生お前に付き纏ってやるよ」
「その方が余程が面倒だな。お前の言う次善が俺には最善だ。そういう判断が出来なきゃ怒るだろう、お前さんは」
「当たり前だ、くそったれ」
 心底愉快そうに笑う菱に肩を竦めて、村とは逆方向の鬱蒼と茂る森の中に足を向ける。
 当面は、まともな寝食は期待出来ないだろう。
 それでもまあ、生き抜くことくらいは出来る筈だ。
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thedevilsteardrop · 11 months
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夜明け
願いを叶えてあげましょう。代わりにあなたはひと月のうちに、私の名前をあててごらん。
寝室から一歩出る。空気が流れたのを肌に感じて玄関に向かった。そうでなければあと三日は自堕落にゴロゴロと寝そべったまま過ごしたところだ。 特にマットも敷いていない木目を晒した玄関先の床。 「よう」 振り向いた表情は上機嫌をわかりやすく描いたような笑み。ドアが閉まるより大きな風圧を立てて上着を脱ぎ捨てる。そっけなかった冷たい床に随分上等な玄関マットが敷かれた。 この部屋に勝手に鍵を開けて入ってくるなんざこの人しかいない。 「何か食べます?」 「くれ。お前が食おうとしてたやつでいい」 「そう?」 まぁ何を食す予定だったわけでもないが。自堕落の気が変わったことにして一度買い物に出掛けることにした。 先に風呂桶を洗って湯を張っておく。玄関マットを踏まないよう床の端を歩いてリビングへ戻るとさっさと服を脱ぎ始めていたその人を抱きかかえて風呂場に放り込んだ。 「いってらっしゃい」 「…。いってくるね」 硝煙のような匂いがする。 それでもこの人はなかなか死なない。
黎。夜。世界の外側へすり抜けてくる。 渡り鳥か蝶に例えやすかろうと思う、やたらと大きな羽織の上着、あれは翅だ。けれど実際どういう人なのか全く知らない。今回初めてというわけでもなく、どういう法則性かもわからん連絡無しの突撃を僕のかましてきてはまた知らん間に去っている。知らん間じゃない時もある。僕の居ない部屋にも実は入り込んでいるのか、そこまでは調べていない。 仮の宿のようなもの、道路の凹凸のようなもの あの人はそこに不意にさし込む夜の闇みたいなもんで けど僕にとってはむしろあちらが、…。 買い物を済ませて帰ると玄関マット上着は玄関先から無くなっていた。出て行ったのかと思ったがリビングにそいつが移動していて、裸に僕の服を羽織っただけの黎さんもそこに居た。 「おかえり」 頷いて抱き上げて膝にのせる 風呂上がりのまま歩き回られちゃ水滴で跡がつく。 手を伸ばしてドライヤーを取ると温風を髪にあてた。 「ひっひ」「大人しくして」 笑って跳ねる身体を片足で囲って支えると余計に笑われた。胸元に頭が当たって服に髪が刺さってくる 乾いても濡れたように光る、くせのつきようも無さそうなほど真っ直ぐな黒髪。 ずっと艶艶していてやめ時がわからん。 ある程度あててから手でわしゃわしゃとかき混ぜたら全体温かかった。まぁいいだろう。 食事を作り始めようと廊下に置いたままにした食材を取りに立ち上がろうとした。 「なぁ」 それを止められた。 「先に」 膝の間に座った黎さんが振り向いて目を合わせてくる すぐさま唇も合わさった。 「……、」僕の前髪を両手で避けられる じっと目を合わせてくる、キスの間も目を閉じたりはしないらしい 艶艶と 煌煌と 髪よりも一層輝く両の目 眩しいな。 誘いに応えるようにして舌を絡めて 身体を隙間無く沿わせるように 両腕と手の平を使って撫でる 胸と胸が重なる、呼吸するたびにほどよく息苦しくて息が上がる 細い脚が僕の腰にがっちり纏わり付いてきた 「……    」 ��温も匂いも どちらのものかわからなくなる。
一通り終わって黎さんに彼の吐いたゲロを片付けてもらいつつ、傍らで食事の準備を始めた。 「お前もなかなか据わってる」だの言いながら上機嫌を崩さない彼は案外きちんと清掃作業を済ませてくれる。 僕ののんびりしたヤり方でどういう理屈でああなるのかわからないが、あの人は絶頂するとなると酷く痙攣に任せたような激しい呼吸と哄笑で狂ったように暴れてはその衝撃で胃液を吐き散らかす。珍しいことではなかった。都度ぶん殴られるか引っかかれるか、すわ食いちぎられそうになるのをどうにかやり過ごしてことを終えている。別パターンもある。そんなバリエーションいらねえんだがな。 「服の替え、選んで着てください」 「はいよ」 これも毎度ながら、片付ける間は全裸だ。まぁ汚れたら面倒って合理的な話。 あの反応でも悦いのは事実らしい。ちょっと楽しくなってくるほどに派手な反応で、やることなすこと。あんなけ見事に返してくれたら、嬉しみもあろうってものだ。 「できましたよ」 簡単に作ったサラダやソテーをテーブルに置いた。寝室から出てこない黎さんを呼びに行く。 こっからまた抱き合うことになるかどうかはその時の気分次第だろう。今回は、どうだかな。
黎さんと知り合ったのは 某所のオープニングセレモニーだったか。 知り合ったと言うほど正攻法でも無かった。 会場から抜け出すあの人の誘いに乗った。口実は随分と堂に入った彼の仮病、もしかしたら本当のことだったのかもしれない。車に乗せてそのままその日使っていた部屋の一つに連れ帰った。 まるきり穏やかな日常を数日間かそこら、共にした気がする 今でこそ会う度にやることヤってはゲロったりグロったりしてくあの人だけどそん時はまだそうでもなかった。至って真っ当に初対面で、それなりに円満だった。一般的には初対面で自宅まで車に同乗しすぐさま口付けて抱きしめあって寝るなんざ実現を疑われる行為らしい、と 僕の方は一応知っている、けれど数えるほどの例外も知っていた。初対面で刺されて拘束されて恋人になってくださいと言われても僕は了承しただろう。色んなことに対して、断るほどの理由を思いつかないから。 黎さんと過ごしたその期間は 随分久しぶりの感じだった、アホみてえに体調がよくなるほど、休息と補給を繰り返したのが その間 自分の呼吸を教えるみたいな巧みなキスを何度もされた いい匂いに、抱きすくめるには丁度いい体格 一人で住んでたら得られない快適な空間があの人のせいで出来上がって心底うんざりした それが嫌なのか、自分でもよくわからないけど 穏やかさってのは不穏を感じる 大抵の他人も物も安定したらぐらつき出すんだから。
最初の夜 ソファで寝そべって背に腕を回してやわくくっついたまま寝物語を聞かせた、Tom Tit Tot 悪魔の名当て
おやおや美しいお妃様。どうして泣いているのでしょう?
……話し始めたのは 名前を聞かれた時だった、「別に本名を言えってわけじゃない、呼ぶ言葉がほしかっただけだ」と彼に言われて 被せて僕が訊いて 彼も聞き返したので、寓話と違いそこには悪魔ばかり二人居た
悪魔は言う なんだそんなことですか、アサで金を紡ぐくらい 私が力になりましょう。 毎朝アサを渡してくれれば、夜には金の糸にして きっかり五かせ、さしあげましょう
「その代わり ひと月のうちに、私の名前をあててごらん」
お妃は、それを聞いてこう思いました 「ひと月もあれば、当てられるだろう」と
妃が頷いて応えると、 悪魔はアサを受け取って うれしそうに微笑みました
「もしも名前がわからなかったら、私がお前の命をもらうぞ」
……
さてひと月後、いやそんなにも経って居なかったあたりでまた現れたその人はあっさり僕の名前を呼んだ。 あろうことか連れて行ったのとは別の家にだ、どうやってだか押しかけて、鍵を勝手に開けて窓から入ってきた。面白すぎて笑いながら抱き上げて汚ったねえ服を剥いで風呂場に放り込んだのを覚えている。 以来名前で呼ばれるかと思いきや、他の呼び方をされることも多い。その中で悪意を感じたことはない。 悪意、か どうだろう、呪いかもしれない 名で縛るというのは。 悪魔も名前を当てられれば人に良いように使われて仕舞い、名当ての寓話は古今東西いくつも散らばっている どれも名付けの持つ一側面を如実に描き出している ならそうして 僕を捉える彼が、ひょっとして拠り所にでもなるだろうか 他にどんなでも縛られること、捕らえて置いて固められるあてが、あったためしもないのに、 いつまた来るかわからない 二度と来ないかもわからない 彼に、縛られるだって? それをしないために いくつも別の名を呼びかけてくれる? よ��ど拠り所の無さそうなのは彼の方だと、思う、のだろう。きっと誰もが。知り得もしないが
それからも黎さんは僕に会いに来た。
「普段と違った香りを纏わせておられる」 指摘された方を視線を上げて見る ここに居ない人のことで考え込みすぎた ボックス型に置かれたソファの隣席に座る相手へ笑顔で応える 「お嫌ですか?」 「いや。香水かな」 「何の香りだと思います」 相手が何事か答えるのを聞くとも無しに聞いて曖昧に濁す 吹き抜けの天井に螺旋した大階段 透明なエレベータ 大窓から降り注ぐ外光 ホテルの設計を頼まれた時にはよくよく使い倒すモチーフだ。そこかしこに植物を配置する隙を作って彩りを足す、実際にはほとんど色など無い空間なのに陽の光が全ての色を射し込んでくる 香りと称される体臭は黎さんが来た時の残り香かなにかだろう もう一週間ほどは風呂に入っていない、けどここらじゃそのくらいよくある話だ。毎日のようにふんだんな水を使って身を清めるなぞよほど条件を満たした河川のある地域に限られる 流れが速く、澱みを留めおかない 澄んだ河川。水辺に清めの機屋などたてる無臭の国 日本はそこまで水が豊富でもないのに、土建で工夫をしている。建築技術は生命活動から苦痛を遠ざける 次はどの家で住むのだったか、鍵を無くしてしまった スリに盗られたわけでもなく予定の飛行機から変更になって行き先が変わったからだ すぐに使えない物を持ち歩くのが苦手だった。鍵を捨てたくらいでどうなるわけでもない。 「今夜はどちらへ?」 「夜には日本へ。ここからすぐ飛行場に移動します」 「おや、残念 早いお帰りだ」 なにやら親交を深める目的の誘いを夜から昼に変更してあつらえようと提案されている、それを受けて場所を変える 断るほどのものでもない 「では車を手配しましたので、行きましょう」 はいはい。
荷物の中に紛れ込んだ知らない物も 空港まで付いてきた知らない者も マスターキーの管理がなってないホテルも 土地の境目が 全て取り払う口実をくれる、境界というのはありがたい そうでなきゃ余計なものがどこまでもくっついて いつしかこの身から抉らねば切り離せなくなったりして 癒着 痛えのも重てえのも抱えきらんよ あがいてはしんと静まった何も無い空間に逃げ出す、それが牢獄であろうと
だから偶然だった、そこに居たのは。 疲れて帰国して適当に決めた部屋。さすがに誰にも予測され得ない偶然のはずが、あの人は当然のようにふらりと入ってきた シャワーの水音も湿った浴室も カーテンのさざめきも床の軋む音も全て 一段落付いて過ぎ去った後の室内で、また一通りそれが騒いで シャツ一枚羽織った黎さんは寝室まで来ると髪が少し乾ききらずにいる僕の頭を両手で撫でた 「出迎えは無しか。寂しいね」 ちゃんと構って良い子だ、と 全く違う音を拾う 僕が居ない部屋にもあたら闖入しているのかと、けど。起き上がってこちらからも触れようと手を伸ばしたら黎さんはその手を取って身体に巻き付かせた。誘導されるがまま腰を抱く 膝に座り込んだ彼が振り返って性急に深く口付けられる、別個の存在が居るという安堵が刺激に上塗りされて 「……――、」唾液の音が響く 腹の底で灯がともるように芯が熱くなる、ここまで急に急き立てられたのは初めてのことかもしれない 荒くなった呼吸で鼻腔に吸い込んだ息 くらりと酩酊するような錯覚がする 彼の匂いが、洗い流しても確かに残っていた。それにまた安らいで また刺激がくる 股ぐらに居座った彼の腰を抱く手が、上から押さえられたまま動かせずに、服を捲り上げてむき出しになった下半身が卑猥にくねって僕の下肢を撫でてくる 僕が手を離さずに居たら彼は上から押さえるのをやめて、後ろ手に僕のズボンをくつろげてきた 「そのまましてみろ」 「……、そのまま?」 口付けを離してそれだけ言うと黎さんはベッドに両手をついた すり、と尻でそれを撫でられて抱えた腰を見下ろす 先端がもう当たって今にも入りそうな、このまま、後ろから? 慎重に手で抱えて腰を進めてみる 伏せたままの彼の背が一瞬跳ねた。両手がシーツを握り込んで皺を作る 指先で皮膚がうっすら汗ばんだ気がした 「…――は、」息を どうにか吐いて、肉を割入っていく ならしもせずに入れることなんざ無い、この時ばかりしか きついな どれだけしつこく焦らして解かしてきたかを少し思い出した これじゃ口付けることもままならないし 表情も うかがいづらい 「――――、」 このまま、というのが 体勢も全部なら、一方的に揺さぶって出して終われってことだろうか、全部お前の好きにされたいだとか擬似的な支配を好むやり方も要求されたことはある、誰しも知り得ない、愉しいのは大事なことだけど 喘ぐ声も身を捩る動作も、吐き散らかすことも無い 「……黎さん」 名前 を 思わず、呼んだ。 僕はまだ呼びかけたことが無かったかもしれない 無かったかも しれない、 全部入れてから腕を腰に回して背中から抱きしめる じっと まだ、中で馴染むまではさすがに、きつい 顔を伏せた顔に近づけて息を訊いた、 固く丸められた背と両手 食い込みそうな指を解すように片手ずつ、温めて握って
「………… やめろ」
僕が何か言う前に、黎さんがそう言った。すぐに手を離して上体を起こす 「……」 蹴り飛ばされることも考えたけど引き抜いて距離を取るまで黎さんは大人しかった。傷めるような何も覚えはないけれど一通り見て聞いて確かめておく。触れることはしなかった。特にこの後すべき処置も無さそうで、それならまぁ、ここはこの人に預けて外にでも出ようか。さっさと自分で扱いて出して ティッシュで手を拭う 咽のつかえが取れたようにほっとしてしまった 用が済んだような 「真澄」 もう離れていた意識を引き戻される 立ち上がりかけていた脚が折れてもう一度ベッドに沈む 頬を両手で包んで、口付けられた 甘やかすように 「……悪かった」 暗い寝室にその影も捉えられないまま布団を被せられて、止まる ふと片手でそれをずらした時には黎さんは居なかった 布団だと思ったそれはあの人がいつも羽織っている上着だった。
まだあの人は僕を捨ててはくれないらしい。
#ss
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kyollect · 11 months
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三階の声、二階の肉声
花吹雪だって立派なバーコード
/平岡直子『Ladies and』 
急にひとつのあかりが見えた。
「ああついた」
そうではない、
/安東次男「戦場が原」
     「見てはならないもの」ではなく「見てはならないという経験」を欲しているなら我妻俊樹を読むといい。いずれにせよ心霊写真のスタアは、私にとって──私にもし11、2歳だったころがあるとして──「そのころ」なるものが山でも風でもないとして──茨城県つくば市の通称姉さんビルと呼ばれる建物及びそこに表されていた一連の文字現象とエピソードのセットに違いない。ひとつめの注釈をここで入れさせてもらいたい。私は(19そして82の)年に生まれた。そしてそこから少なくとも10の年を足したところでX-ファイルにも、SCPにも、シャマランにも、黒沢清にも出会うに至らない(それらと今こそ出会っているとは言わない)。もっとおそろしいものは後年めぐってくる。とにかく当時は私が鼻突き合わせていた心霊の項などはるかに少なかったということだ。書店には山ほど心霊ムックが積まれていた。山ほどは言いすぎだろうか。ただしノストラダムスの大予言の成就を前にして、さらにはUFOやネッシーの息切れのなさを梃子にして、オカルトブームの活況の反映は永遠に続いていくようだった。そのような時代背景のもとで私は小遣いで最も気味悪そうな、最悪な表紙のムックを買い、子供部屋の寝台の上で鼻の頭を近づけて読んだ。心霊現象、都市伝説ばかりか、世界の拷問器具とその実用、はては帯刀していた時代の日本人が切腹しおのれの臓物を握りしめて見物していたオランダ人か誰かの顔に投げつけたなどという猟奇趣味のみの「逸話」さえ掲載されていた。総じて野蛮な本だった。それがよかった、と今現在の位置から今現在の私は記しておくべきなのだろう。子供部屋の窓側の机には青緑のゴム下敷きが敷いてあり、カッターやペンチで作業することを前提とするように白いグリッドがゴム下敷きに印刷されていた。その机と反対側の広大な田んぼを見下ろせる:すぐ結露する方角にも窓があり、だから私がいた。心霊ムックでは、巻頭近い紙面に姉さんビルの写真が飾られていたと記憶している。それが心霊写真のスタアだった。
 ふたつめの注釈のために行がえを行う(この行がえに「深刻な動機」も「事件性」もない・・・・・これは詩でないから)。心霊写真と言ってきたが、姉さんビルの写真は正確には心霊写真ではない筈だった。そもそも姉さんビルについて少し説明してみよう。手短に言うと、つくば市のあるビルの側面に「姉さん」となんとなく/はっきりと読めるような染みが走っていて:垂れていた。この文字にはひとつのエピソードが付与されていた。少年が交通事故で亡くなり、その今わの際に「姉さん」という声をもらした、というものだ(その少年には姉がいた:弟だったとこれで判断される訳だ)。このエピソードとビルの文字が結合し、ビルに姉さんという声は定着する。少年の死の直前の声が付近にあったビルの壁面に現象したという解釈でもって、この文字+挿話のセットは一個の心霊現象として受容されてきた。
 だが姉さんビルの写真は心霊写真ではない。少なくともそれは、写真の現像行為によって初めて事後的に心霊のイメージが誕生するタイプのものではない。むしろ四六時中「姉さん」という文字は確認できたのであり、写真を撮ろうが撮るまいが「姉さん」という文字は狂わない。その文字の材料は霊性を持たないただの、なんらかの、染みだ(この点について。私は染みではなく「壁面に走ったひび割れ」だと長く記憶していたようだ。染みとひび割れの違いは文字にとって大きなものだが、今��問わない)。ビルの壁に染みがあり、写真はそれを現像する。それを私がたは見ている。だがこのとき「姉さん」という文字へのあらかじめの理解(=染みがまさに姉さんという文字に見えるということ)を手にした上で当の写真への認知が起動しているのであり、そのことは少年の交通事故というエピソードの「なによりも早い」介入によっている。心霊写真ならざるこの姉さんビルの写真が、それにもかかわらず心霊写真のように機能するのはこうした一連の、文字+挿話のセットとして丸ごと受け入れていることを原因としているだろう。
 私の文字観はこうして水の底から引き上げられるというより、水の表をノイズのようにかきまわしながらうろつくことをおぼえた。ここまで述べてきた心霊写真ならざる心霊写真は、私にとってひとつの文字モデルとしていつしか定着する。「少年の最期の声」と「ビルの壁面の染み」の間には、それらが結びつけられているとしても、そうであるがゆえにいやおうない説明の飛躍がある。少年が姉さんと言って亡くなった。「そして、」または「一方で、」つくば市のあるビルの壁面に姉さんと読めなくもない染みが出現した。ここからは、姉さんという少年の声がそのままオノマトペのように浮遊しビルの壁面に乗り移ったということも、姉さんという声に代表される少年の内的情念がビルの壁面にあらためて言葉として表示されたということも、またそのほかの無数の経路をも発明することが可能だ。私は一連のこのような現象のセットを声が見えるという事態として自分に定着させている。ビルの壁面に遺された「姉さん」という染みはそのまま人間の声だ。
 声が見えるということは通常ありえない。電子音楽史における偉大な作家のひとりダフネ・オラムによる音響合成ツール「オラミクス」の手書き波形、エジソンのフォノグラフに先駆けて19世紀にレオン・スコットが発明した音の写真術というべきフォノトグラフ *1 といった装置のことを今、私は思い浮かべている。音が可視化するということはまずもって音=振動の書き取り、すなわち痕跡の記録として理解され実現されてきた。要するにある種の翻訳過程によって音声は視覚的なステイタスを得た。典型的にはそのような声の波形、声紋のテクノロジーのすべてをあたかもほとんど見捨てるようだ。私は姉さんビルの姉さんという声を見つめる。それはなにかの痕跡でもなく、表現でも、ましてや代行でもなく。読める声、描く声として写真という代理=表象(かいり=もうそう?)に鼻の頭を近づける。近づけすぎる?
いま衰へぬ、いま物を辨へぬ、いま消え行く、いま死、いま死! 死よ、汝(いまし)を愛すなり、死よ、汝より易き者はあらじ。
おさらばよ!
/北村透谷「蓬莱曲」p.163、『透谷全集』第一巻、岩波書店、1950年
 いま死も汝も音声上で「いまし」に同化する「蓬莱曲」の最後は、私のなかで姉さんビルの文字現象とどこか響き合うものだ。漬物になる野菜は漬物になる過程で人間には経験不能な「すごい世界」に入っていく(穂村弘)。声は・・・結局見えるためには文字にならなければならないのだが、あまりに長くひきつれ、垂れ下がり続けるあの壁の文字とは、声が「すごい世界」に入ったことのせめてもの、不承不承の、だがいまだ終わっていない痙攣の「痕跡」(ここでようやく正当にこの言葉を使える)であるだろう。
*1 福田裕大「フランスにみる録音技術の黎明期」、塚本昌則・鈴木雅雄編『声と文学』所収、平凡社、2017年
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unikeni · 1 year
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Cairns Ironman 2023 Race
アイアンマンレース@ケアンズ オーストラリア 2023/6/18 レース編
ケアンズでのアイアンマンレースのため、23年ぶりにオーストラリアへ。熱帯モンスーン気候帯に属するということで暑いと思いきや、冬季の快適な気温・湿度感にものすごく癒されてきた。アジアの熱に慣れている自分からすると、25度前後のレースは快適としかいいようがない。
6月15日木曜日の午後にシンガポールを出発、パース経由かつ夜行便で金曜の朝にケアンズに到着する、という謎の行程で現地入り(バイクをもって、トランジットはなるべくしない方がよいのに…)。こじんまりとした街が総出になって、アイアンマンレースを盛り上げてくれた。 前日・前々日から街中、いたるところにランナーやサイクリストがたむろし始めるのは見ていて励みになる。トランジションの場所が2か所、双方離れていることもあって、幾つかチェックインの作業を済ませなければならないんだけど、両日ともわりとリラックスできたと思う。特に金曜日の夜は、前夜一睡もできなかったために、ものすごくぐっすりと眠ることができた。金曜にウォーキングとプールでのスイム、バイクの試し乗り、土曜日に30分ジョギングをして体を暖めてた。
 今振り返っても、本当に大変なレースだったんだけど、挑戦してみてよかった。アイアンマンぐらいすごいレースだと、なんでやるのか?という動機がみんなそれぞれあるんだろうと思う。Jacques Steinberg が書いたYou Are an Ironmanという本を7-8年前に読んだんだけど、参加者は三者三様にそれぞれの思いや理由をもって、この挑戦に立ち向かうことを知った。果たして僕の動機は?,ということだけど…それと、この挑戦を達成した後に見えた景色はどんなものなのだったのだろうか?一言では言えないし、それはひとつでもないと思う。さらっと言えちゃう動機、ではなくて、むしろその大部分は”なんとなく楽しそうだから”、というふわっとした応えのような気がする。そう、一番の理由はそれで良いと思う。だから笑顔で終われたことこそが、何よりも楽しんだことの証明なんじゃないかな。
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スイム 3.8km
スイムのスタート地点はケアンズ市内(メイン会場)から車で30分ぐらい北のPalm Cove。予約した送迎バスに揺られ、朝5時半ぐらいにトランジションに到着。大体1時間半ぐらいかけてゆっくりとバイクの最終調整、ワセリン塗ったり、トイレ・着替え・準備体操をして、その後は波打ち際で試泳。そのぐらいになると徐々に明るくなってくる。素晴らしく良い天気。気温もよい具合で、むしろ僕のノースリーブのウェットスーツがちょうどいい気がしたぐらい(ほぼ9割以上は袖ありだった)。前日に試泳してなかったから、この時海に入れたのはよかった。緊張がほぐれる。
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7時40分からプロがスタートして、僕が出発したのは50分ぐらい(カテゴリー2)。ドキドキの中、ローリングスタート。水中ではぶつかったり押し合ったりもなく、わりと無難にスタートした感じ。
スイムは全体的にタイムの出やすいコンディションだったと思う。63分というのは台湾でのレースと一緒のタイム。1m1秒のペースは、やっぱり海流が味方してくれないと出ないと思ってる。今思えば、波の向きが露骨で、泳ぎやすいところとそうじゃないところがはっきりと別れるコースだった。例えば沖合に出れたら流れが弱いとか、沖に向かってる時は進みづらい、みたいに。水質はあんまり良くなくて、腕の先が見えないくらい濁ってる。恐怖心が削がれるっていう意味で、それもありかなと思った。だけどそのせいでドラフトがしずらい…あとは、右側でしか息継ぎをしない僕にとっては、反時計回りの3.8キロはやややりづらいんだけど、前方目視をこまめにしたせいか、そこまでコースを外れることなく、泳げたと思う。
ウェアに関しては、下だけちゃんと履いたトライスーツの上から、ウェットスーツを着てた。袖ありのトライスーツは腕のあたりの擦れが辛かったから(ダバオでの経験)、なるべく着たくない。あと、ウェットスーツがノースリーブだから、袖ありトライウェアが下から見えるのはかっこ悪いかなと。そういう理由もあって、トライウェアを下半分だけ着て、残りは丸めて腰の辺りに収納して泳いでた。練習でもこの方法を試して問題なかったから大丈夫だった。1周周り終わる頃にはむしろ名残惜しい、と思うほど快適で最後の1キロぐらいの直線もぐんぐん疲れ知らずで行けた。
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バイク 180km
トランジションはすごくゆっくりだった。バナナとアミノバイタル食べながら、アームカバーとか手袋つけたり。これから長い長いバイクが始まるんだと思うと若干憂鬱だったかも。バイクコース、全然予想していたのと違うじゃん…というのがバイク始まってすぐの感想。デサルーの時のようなフラットなものを想像していたのに、初っ端から続くアップダウンの連続。結構がっつりな峠もあるし。乗り始め、ということと、追い風、という条件もあって、はじめのうちにかなり勘違いのスピードが出てた。ドラフティングの反則も気になったせいか、遅めの人を意識的に抜かしたりもしてた。あの時は、体力温存のために力を少し抑えめに行くのが正解だった気がする。すごくシーニックなコースだと思うんだけど、もう気が気でなくて、ほとんど景色なんかみてない笑。早いところでは時速55㎞以上出てたみたいだし、あまりよそ見をできる状況じゃなかった。北に40㎞弱進んだところで折り返し、風向きが変わる。そこから一路、上り坂と風のダブルに悩まされてかなり体力を使ってしまった。1周目終わったあたりで(80㎞ぐらい)、もういい加減やめたくなってきたのが正直な思い。体力が最後まで持たないんじゃないか、というリアルな恐怖を感じてた。でもそうも言ってられないから、ちゃんと計画通りに栄養補給したり、下り坂でうまくスピードを捕まえたりしてなんとか体力をキープしてた。後半にかけては抜かされる一方。凸凹道が終わる150㎞地点以降は、フラットな幹線通りを一路ケアンズ市内に向けて走っていく。思っていたほど、向かい風が強くなかったこととフラットな道に救われて、最後までぎりぎり足が動いてくれたことに感謝。ラスト30㎞はほぼ泣きべそ状態で、一刻も早く終わってくれーと懇願している感じだった。この頃になると、理性的な判断が鈍ってきて、食べる物も好きな羊羹とマグオンだけになってた。幸いバイクに何事もなく180㎞走破してくれたし、足や体も特に痛みもなく、トランジション2にたどりつけた。その時はどっと安堵したのを覚えている。半分ちょっと過ぎまでは時速30㎞をキープしてたんだけど、さすがに後半はばてたね。それでも6時間10分はかなり予想していたよりも速いタイムだったから嬉しかった。
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ラン 42.195km
もちろんバイクをやってる頃は、そのあとのランのことなんて一切頭になかった。体力を温存しておく、という考えがあるわけもなく、そのままランへの準備を開始。ここでもアミノバイタルを食べ始めながら、腰ベルト、ゼッケンベルト、カーフスリーブ、キャップ、五本指ソックスを身に着けて、早速出発へ。トイレに立ち寄った(上にサングラスを便器に落とした…から水で洗ってた)時間が加味されているから、トランジ���ョンは10分とすごく長くなっている。ランを開始してすぐ、目の前を一位でゴールしたプロのBraden選手が通り過ぎていって、一気に歓声があがった。まじか、、と思った。でもおかげですごくテンションが上がった;頑張ろうって。不思議なことに、バイクの疲労感は一切感じなくて、体の痛みも何もなかった。気温と湿度も影響しているのかもしれないけど、まさに快適そのものだった。逆に、スピードが出すぎないようにすごく気を付けてた。10㎞を4周するコースだから、きっと勝負は3-4周目だろうって感じてた。逆に1-2周目はすごく快調で、いつものごとく、水・コーラ・氷をエイドステーションで調達して、快晴のウォーターフロントと公園を走ってた。30分おきにエネルギージェルもとるようにして(羊羹・マグオン・塩キャンディ・塩タブレット)、いっぺんに食べちゃうのではなくて、10分以上かけてゆっくりと接種してた。お腹を壊して立ち止まってる人も周りにちらほらいたから、それを避けようと思っての対策だった。あとやったのは、肩と首を1キロおきに回すこと(肩こり対策)、氷の入ったコップを持ちながら走って、溶けた冷たい水を膝や太ももにかけてた(足攣り対策)。30キロ以降は自然な流れでスピードが落ち込んできてた。大体6分40分ペースで走っていたと思う。もちろんスピードを持ち直すことも考えたけど、それはやめといた。日が沈んで、真っ暗な中で走る4周目でつぶれるのが怖かったから。結局、お腹も足も何も故障せずに、最後までいけそうなところまできてた。スタート地点を通過するたびに、ゴールする人たちの歓声が聞こえて、もらい泣きしていたぐらいだから、自分の時はさぞやばいだろう、と思ってた笑。沿道のお客さんの盛り上がりもよかったし、Donnaがハイタッチしてくれるおかげで、気分は最後までめげなかったのかも。そして、最後の直線入ったあたりからが、もうやばかった。笑顔と涙でハイタッチしながら最後のフィニッシュを迎えた感じ。Kenya Endo, you’re an ironman! と言われたときは心の底から嬉しかった。今でも忘れない。タオルをもらって、日本のスタッフさんに労われて、顔クシャクシャだったはず。ランのタイムは4時間17分。キロ6分ちょっとのペースだった。総合タイムは11時間50分で、12時間を切れたことは素直に驚きだった。レース終わった直後は、ゴールエリアで15分以上放心状態で、まったく動けず…でもケアンズの夜はもちろん濡れたままいるには寒すぎて、しばらくしたら、震えが止まらなくなってきてた。友人がゴールするまでの間、いったんホテルに戻って、温かいシャワーを浴びたとさ。
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まとめ
それ以降のことはもちろん夢心地。筋肉痛はひどかったけど、でも大きな達成感があったから、すごくハッピーにケアンズでの残りの時間を過ごしていた。翌日午後4時のフライトに乗るに合わせて、月曜日の午前中はバイクパッキングがメインで、あとはメタスポーツから参戦していた3人でシャンパンランチをいただいてた。無性に肉が食べたくなって、メインを二つ頼んだんだけど、分量は全くもって問題なかった。
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大会自体に関して、とてもよくオーガナイズされていて、参加してよかったと思ってる。アジアオセアニア地区のチャンピオンシップレースということで、結構強豪が多かったんじゃないかな。日本からもたくさんの人が参加していたよう。大会ホテルのシャングリラに3泊したけど、ここもまあ快適だった。朝飯はついていなかったので、スーパーに買いに行ってパン・ハム・チーズ等を適当に食べてた。
幾つか細かいことを列挙すると、Personal Needs Bagは両方とも結局使わなかった。まあ保険としてはありかなと思った。
タイミングチップは靴下の上からしめるのがおすすめかもしれない。地肌に直接結びつけていたら、擦れて終わったとき血まみれになってた…
バイクバッグ・ランバッグを前日にチェックインしないとならないのだけど、その日の夕方(レース前日)に雨が降ったので、できればビニール袋にいれるのがベストだと思った。
空港から市内までの送迎は、僕は行きは空港付属のTransfer serviceを使って30ドル(乗り合い)。帰りはUberを使って同じぐらいの値段。
ケアンズはグレートバリアリーフにも近いし、山も海も楽しめるエンターテイメントがあるようだから、次回あるとしたらもう少し長居してもいいかなと思った。
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keiesu20 · 1 year
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ODによる自殺未遂の体験談
はじめに
私は昨日、出勤途中の大きな駅のトイレで市販薬の過剰服用による自殺を図りました。経験から言えることは、「とにかく死ぬことは辛く苦しいことである」ということで、薬が効いている最中は本気で生きたいと思いました。
しかし当然、この経験をしたからといって、自殺に至った原因が解消されたわけではありませんし、私自身「死ぬことはとても辛いが、生きることも辛い」と未だに考えていることは事実です。
私がこの文章を書こうと思った理由は上記のことに関連しており、もう2度と同じ過ちを繰り返さないようにするために、そして、あの時の苦しみを思い出して自殺という選択を自らが選択しないようにするためにこの体験談を書きます。
ODをするまで
当日は久しぶりの出勤予定で、家を出てからも会社へ向かう心算でした。しかし、電車に乗った直後からこれまでと同じように身体の震えや汗、眩暈が止まらず、駅に着いた時には抜け出すように車両を飛び出ました。
会社へ向かうための乗り換えをしないといけないのにどうしても身体が動かせず、そうしている間に出勤の時間に間に合わなくなり、その時点で「死にたくはないが、今大きな事故にたまたま巻き込まれれば会社に行かなくて済むのに」と考えていました。そして、「ODなら楽に入院くらい出来るかもしれない」と考え、すぐにネットで市販薬のODについて調べました。
大きな駅だったので薬局も多く、ネットで調べた市販の風邪薬を分割して買うために4件ほどはしごをしました。(リュックの中身が風邪薬入りの紙袋でいっぱいになり、それだけで1万円ほど払った際に勿体無いなあとも考えていました。) 風邪薬の購入後は、大量の薬を飲むために2リットルの水をコンビニで購入しました。
その後、どうせ1日中過ごすなら綺麗なトイレが良いと思い、百貨店を探しましたが、朝なのでどこも開いておらず、また、そうこうしている間に会社から連絡が来ることが恐かったので、結局駅のトイレを選びました。
OD体験記(前編〜トリップ中〜)
結局ODをしようと決心してから準備を済ませ、トイレに篭るまでに約1時間かかりましたが、トイレに篭りました。そしてリュックを置き、コートをかけ、錠剤を50錠パキパキせっせと飲みました。
飲んですぐは効果が出ず、もう少し飲むべきかなとも思っていましたが、10分くらい待つかと思ったことを覚えています。その後すぐ、頭と首が痒くなり、薬が効いてるのかなと冷静に思った直後から記憶がぷっつりと途切れました。
次に目を覚まし、冷静に時計を見ようと思えたのは3時間ほど経った12:44でした(腕時計を見て、思ったより時間が経っていないな。ということと、会社は昼休憩中だから今は連絡がこないな。と安心したことを覚えています。)
この直後は、記憶が曖昧ですが、天井のタイル張りが目の前にあるように見えたり、視界が金色や真っ白に見えるようになり、「vampire survivorsみたいだな…」と思っていました。また、イヤホンで音楽を流していたのですが、その音楽が凄く遠くで、しかし爆音で音が割れているような感じで聴こえており、「間違って覚醒剤を飲んだのか!?」と思っていました。記憶が途絶える前は便器に座っていたのですが、目が覚めた時点でからはトイレの床に直接座っており、何度か吐き気を催しては平気で床に吐いたり、口から固い泡を吹いていたことも覚えています。(平気で床に吐けばいいと思っていたあたり、気が大きくなっていたのかもしれません)
この症状は3〜4時間くらい続いており、実際の体感としても以降の症状に比べて1番長く感じていました。この間は苦しみよりも、ただただトリップしているなあという実感だけがありました。
OD体験記(中編〜不快感と身体の異常の実感〜)
最後に時計を見ることが出来たのは15:44だったと記憶しています。その後も苦しみは感じず、冷静に今日が心療内科の通院日であることを思い出し、そこが開く時間もスマホで調べ、その時間ちょうどに着くには17:30くらいにトイレを出ればいいか。と考えていました。また、日本語はめちゃくちゃで短文ですが、ツイートをする余裕すらもありました。
しかし、ふと立ち上がろうと思った際に身体が凍ったように動かず、立ち上がれないことに気付きました。その直後から手足の痺れを実感しました。
床に座ったまま、音楽が途切れていたので再生するために、スマホをポケットから取り出そうと、開いたままの手で本能的にポケットを漁り、スマホを手に乗せて取り出しましたが、自分の手の皮が何重にも膨れ上がったような感覚でした。それでも現代っ子のスマホ依存は恐ろしく、電源ボタンをこれまた本能的に触っていましたが、画面は暗いままでした。スマホはバッテリーが切れただけでしたが、自分は「なぜこの機械は暗いままなんだろう?そもそもなぜこの機械を触りたいのだろう?この機械はなんなんだろう?」と思ったことを覚えています。
この頃に、急に笑い出したり何か独り言を大きな声で話したり、「会社なんか辞められるわ!」という解放感というか無敵感のようものを感じたりするようになっていました。しかし、一度ドアをノックされた際には、笑いを止め、冷静にドアノックを返したことを覚えています。
その後、ようやく立ち上がってから、初めてODの辛さを実感します。
まず、視界がぐるぐる回転していることに気付きました。直後は「回転に合わせて首を回せば楽だな」と思ったり、目を閉じたりしていましたが、数分後には猛烈な吐き気に襲われました。また、猛烈な寒さを感じたり、口が震えて歯をガチガチ鳴らしたり、両手足も痙攣していました。
その後も、視界が波打っているように見えたり、駅構内のアナウンスが爆音で聞こえたりもしており、その全てに不快感を感じていました。しかし、早くトイレを出ないといけないと感じ、何度も床に倒れては立ち上がりということを繰り返していました。
この間もとても辛かったですが、震えが足だけになり、意識が朦朧になりながらもリュックからモバイルバッテリーを取り出してスマホの充電をしたりもしました。そして、自分でも症状が軽くなったと体感し、スーツの上着とコートを羽織って初めてトイレを出たのは17:30頃だったと思います。
OD体験記(後編〜トイレからの脱出〜)
トイレを出て歩き出してすぐ、目の前の立ち小便器にも男の人がいましたが、肘や膝といった関節が曲がらず上手く歩けませんでした。右手個室トイレの扉に手をつきながら手洗い場へ歩き鏡を見ると、自分の頭はボサボサで、なによりも目がおかしい。異常なほど開いており、1秒に1〜2回白目を剥いている。こんな状態で病院に行けるわけがないと思い、すぐ個室へ引き返しました。
トイレに戻ってから改めて「自分は恐ろしい状況にある。心療内科に寄らず帰るべきか?救急車を呼ぼうか?」と考えながら、2リットルの水を何度か飲みました。しかし、猛烈な吐き気は続いており、飲むたびにすぐに嘔吐してしまいます。
その頃は不快感を感じながらも、トリップ中の頃と違い意識はハッキリとしているような状態でした。ふと、スーツに吐瀉物がかかっていることに気付き、「濡れティッシュで拭いてから出ないといけないな」と思い、リュックを漁りました。途中ハンドクリームを便器の中に落としましたが、独り言で「あー大丈夫です!ハンドクリームでよかったです!」と、なぜか会話口調で、独り言をかなり大きな声で話していました。(話した内容を覚えているのはこれだけですが、なんどか同じように話し口調で独り言を話していました)
結局リュックに濡れティッシュがないことを確認し、ふとトイレ備え付けの便座クリーナーが目に止まりました。読んでみると、トイレットペーパーに吹き付けて使用するもので、これでスーツを拭いても汚くはないしその場凌ぎにはなるか。と思い結局これで拭きました。
幸い吐瀉物はあまりかかっていなかったため、スーツを綺麗にするのに時間はかかりませんでした。その後、水を飲んでも吐き出さなくなり、時計を見ると18時でした。「そろそろ心療内科に行かないと家に帰るのが遅くなるな」と考え、2度目のトイレ脱出を図ります。やはり目は異常に開いており、関節も曲がらず、手をつきながら歩いている状況でしたが、ここで初めてトイレから出て改札を目指します。
地下鉄を使うかタクシーを使うかを考えながら歩きましたが、トイレを出て改札へ向かう経路の半分を過ぎたあたりで、視界がぐるぐる回り出します。その回転の仕方が今日1番といえるくらいで、慌ててトイレへ引��返しますが、当時の自分からするとトイレから相当歩いていたため、引き返して2〜3歩ですぐ、その場で嘔吐しました。
マスクをしていましたが、マスクはびしょびしょになり、今度はコートやズボンにも派手にかかってびしょびしょになりました。当然駅の床にも漏れてしまいましたが、一度吐いてからは吐き気がなくなり、そのまま動かない身体でトイレの個室に引き返しました。(当時の周囲の方や駅員さんごめんなさい)
本日2度目のトイレ脱出に失敗し、泣きながらマスクを便器に落としました。今度の吐瀉物は朝から何も食べず、また、それまで何度も吐いていたからか、ほとんどが水のようなものでした。しかし、コートやズボンがびしょびしょでそのままで出ると確実におかしい(歩き方や目の時点で既におかしかったけど)。泣きながらコートやズボンをトイレットペーパーで拭きますが、濡れた後は落ちません。また吐瀉物が右手のシャツの中に入っており、濡れている不快感を感じますが、そこはもう周りから見えないのでどうでもいいと感じていました。
OD体験のその後
2度目の脱出に失敗したものの、外で盛大に吐いてからは一気に不快感が消え去りました。そして、自分の身体を誰かに診てもらいたいと思い、改めて心療内科へ行くことを決心します。(ここで家に帰ったり救急車を呼ぶ選択を取らないあたり、相当思考がおかしくなっていたと思います。)
3度目の脱出を図ったのは18時半頃でした。替えのマスクがなかったためノーマスクで、しかしハンカチを持っていたので顔を洗い口を濯いでトイレを出ました。スーツは吐瀉物でびしょびしょですが、モノ自体は「ほぼ」見えていなかったと思います。結果から言うと、この3度目の脱出は成功し、ようやく半日を過ごしたトイレを後にします。
しかし、改札を出ようとカードを通すとエラーが出ます(駅構内で何時間も過ごしたからかもしれません)。窓口へ向かい駅員にカードを差し出しますが、そこで初めて呂律が回らないことに気付きます。それでも必死に平静を装い、駅員に明らかに変な目で見られながらも改札は通してもらえました。そして初めて駅を出て、タクシー乗り場へ向かいます。
呂律も回らず、歩こうにも関節が曲がらず、服装は吐瀉物でびしょびしょですが、横断歩道も渡り、見事タクシーに乗り込みます。また呂律が回らないながらも行き先を伝え、走行中は地図アプリでドライバーに場所を詳細に伝えたりもしました(運転中車内で吐かないか不安でしたが、今日はそれ以降吐くことはありませんでした。)
タクシーは10分かからない程度で心療内科に着き、クレカで支払いを済ませて心療内科へ入りました。受付にて、予約日が1週間ずれていたことも発覚しましたが、呂律が回らず、また「どうしても今日見てほしい」という訴えもあってか、何時になるか分からないが待ってほしいという条件のもと、今日中に先生に診てもらえることになりました。
結局30分ほど待っただけで呼ばれ、その頃には歩き方もややましになり、部屋へ入ると、先生に今日あったことを全て話しました(先生のことは信頼しています)先生は、「そんな中よく来てくれました。今日来てくれてよかったです。」と言い、仕事の今後についての相談や診断書の発行等を行ってくれました。ODのことも話しましたが、市販薬ならそこまで〜と思ったより薄い反応だったため、何錠飲んだかは話せず自分も「まあいけるか…」と思い、救急車を呼ぶべきか等の深い相談はしませんでした。
診察後は更に体調も回復し、近くの薬局でマスクを買って電車で自宅に帰りました。帰りの電車内では座れず、また、ODの最後の症状としてしゃっくりが止まらなくなり、その服装も相まってか周囲にジロジロ見られましたが、自分は、とにかく吐き気がなく、また、無事に家に帰れるという安心感でいっぱいでした。事前に親に「車で送ってほしい」とだけLINEを送り、最寄駅からは、親の車で家まで送ってもらいました。
さいごに
家に帰ってから親に吐いてしまったことを伝え、スーツ等を全て預けて服を着替え、顔と口を洗うとすぐに部屋のベッドに飛び込みました。
しばらくしてから親が部屋に入ってきて、そこで初めて、今日は仕事に行けなかったこと、そして、死にたくはなかったがどうにかなりたくなり、駅のトイレでODをしたことを伝えました。「馬鹿なことをするな」と言われ優しく叩かれましたが、なによりもそれを伝えた直後から罪悪感と安心感が溢れ出し、成人男性とは思えないほど泣きじゃくりました。その後は、部屋を出てほしいと伝えたのだったか、すぐに親は部屋からいなくなり、自分は泣き疲れて眠り、夜中の3時頃に目を覚ましました。(余談ですが、この時、好きなゲームであるOMORIのBGM 「Clean Slate」が脳内再生されました。)
アナウンスや人の出入りがうるさい駅のトイレで半日を過ごし、ゲロや泡を吐き、呂律が回らず身体が動かせずトイレの床で転げ回った後に、自宅の布団で寝ていると、静かで綺麗な自分の部屋で眠ることと、自分を思ってくれる人がいることの素晴らしさを改めて実感することが出来ました。
はじめに書いたように、私はこの経験があった翌日からも仕事や将来を考えると生きるのが辛いと感じています。しかし、生きることと同じように死ぬことも辛いと肌身に感じました。将来の自分も含めた今生きるのが辛いと感じている人が、この文章を読むことで「死ぬことも相当辛いことである」と感じ、同じ経験をする人が1人でも減ればと思い恥ずかしながらこの文章を公開しました。最後にこの最悪の日のことを忘れないため、その記録として、なぜか撮影していた当時の2枚の画像を添付します。
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