#神戸震災復興記念公園
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒ��ヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処���旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛��尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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2025/1/16 20:00:34現在のニュース
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今日の現場近くのスタバ。😊 スターバックス神戸メリケンパーク店で。😊 ひさびさに来たよ~。😊 抹茶クリームフラペチーノで。☺️ 今日ゎめちゃ、混み。😳 学生たちゎ休みなんかな。🙄 暖かくなってきたような寒いような。🙂 #スターバックス #抹茶クリームフラペチーノ #メリケン波止場 #神戸メリケンパーク #神戸震災復興記念公園 #兵庫グルメ部 #至福のじかん 😊😊😊😌😌🙄 (Starbucks メリケンパーク店) https://www.instagram.com/p/CqAzdA-yScY/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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神保町の次は江戸博を訪れるべく故郷、両国へ。 折しも震災記念日だったので、まずは東京都慰霊堂にお参りをした。 毎年、3月10日と9月1日に大法要が行われているのだ。 本所一帯は関東大震災で多くの死者が出た場所である。 陸軍被服廠の跡地で広場となっていたこの横網町公園にも 地震発生後に多くの避難民が集まっていたが、 折からの強風で周囲の火災が家財道具に燃え移り、 更には巨大な火災旋風(火炎の竜巻)が発生して その場にいた3万8千人が犠牲になってしまった。 震災から7年後の昭和5 (1930) 年、 横網公園内に「震災記念堂」が完成し、 遭難死者約5万8千体の遺骨が慰霊塔に納められた。 この年は震災からの復興を記念して帝都復興祭も行われ、 人々は近代的な都市に生まれ変わった大東京に湧いたのである。 翌年には付帯施設として「復興記念館」が竣工し、 地震発生から帝都復興に至るまでの関連資料が展示された。 どちらの建物も伊東忠太と佐野利器による設計だが、 震災記念堂が鉄骨鉄筋コンクリート造の寺院風建築で、 復興記念館はスクラッチタイルに覆われたアール・デコ風意匠に 瓦屋根を載せた帝冠様式である。 大東京の輝かしい時代は束の間であった。 帝都復興から15年、空襲によってまたしても東京は焦土と化し、 震災を上回る多くの犠牲者が出た。東京への空襲は106回あって 累計の死者数は11万5千人以上に及ぶが、 3月10日の大空襲だけで10万人以上が亡くなったという。 戦後になると仮埋葬された身元不明の遺骨が慰霊塔に納められ、 震災と合わせて16万3千体の遺骨が安置される事となる。 同時に復興記念館にも戦災資料が追加された。 そして昭和26年には名称が「東京都慰霊堂」に改められている。 明治生まれの祖��が慰霊堂の事を震災記念堂と呼んでいたが、 そちらの方が耳馴染んでいたからだろう。
本堂は4年前に耐震改修工事が終わって見違えるほど綺麗になり、 伊東忠太お得意の幻獣彫刻も復元されている。 普段公開していない慰霊塔が開いていたので覗いてみると そこにもユーモラスな妖怪がいた。
ところで横網町公園の向かいには築地本願寺慈光院と そこに併設された江東学園幼稚園があるが、 こちらの歴史も震災復興に尽力した本願寺の社会活動が始まりで、 江東学園幼稚園は開設された保育園のうちの一つだった。 以前話した通り、自分は45年前の卒園生なのだが、 園舎の外観は全く変わっておらず 裏口の非常用すべり台に懐かしさを覚えた。 園児の体操着や送迎バスの配色も全く同じで、 時流に逆らっている様でもある。 その一方でかつては正統派の寺院建築だった慈光院の本堂が、 築地本願寺を意識した微妙な建築に建替えられたのは残念に思った。
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ZIGGY! #ziggy #神戸 #078神戸 #神戸震災復興記念公園 #みなとのもり公園 (みなとのもり公園)
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建築探訪 宝塚神戸編
あっというまに3月も半ばをすぎ、2週間前のことになりますが、兵庫を巡ってきました。明石の友に会いに行くのに絡めた兵庫建築探訪。
2020年1月に企画していたのが、コロナで見送りはや3年。その時の予定表を引っ張り出して再企画。20代の若かりし頃、芦屋の旧山邑家住宅を訪れるも、阪神淡路大震災からの復旧工事中で閉館中だった現在のヨドコウ迎賓館、まずはここに行きたかった。念のため数日前に電話してみたら「予約制で、たぶんもういっぱいかと、、』予約サイトを見たら満員御礼。う。しかし落ち込んでいる暇もなく前日に予定を組み替え、のぞみに���り込みました。
まずは宝塚へ向かうため新大阪下車。が、しかし、尼崎駅の車両故障で電車がとまり、人々が大移動している。未知の地での振替輸送はお手上げ状態となるも、運転手さんの導きで、次の大阪で梅田に移動して、初めての阪急電車。

西宮北口でのりかえ宝塚南口下車。線路沿いをしばらく歩くと見えた。

住宅地の中にそびえる塔。

村野藤吾設計のカトリック宝塚教会。1965年竣工。
思ったよりも大きい。

マンタのような屋根。

村野藤吾は大きな鯨に見立てていたそう。当時の手記では、“大洋を漂いつづけていた白鯨がようやく安住の地をみつけ岸辺に打ち寄せられたとでも申しましょうか”とのこと。
曲線の大きな屋根の水をうける排水塔はオブジェのよう。

中に入ってみると、木板貼りの流線型の天井に包み込まれているような空間。祭壇を挟んで左右の壁の作り方が違い、光の入り方がちがうのも印象的。

そびえ立っていた塔の下に祭壇。上に吸い込まれて行くような天井。

振り返ると、2階部分が翼を広げたように見えました。

事前にお電話していたので、上にも上がらせてもらえました。

雁行する壁の隙間から差し込む光がきれい。

反対側はハイサイドライトが続く、左右非対称。

外に出てぐるり一周。納まり切らない。

今にも動き出しそうな屋根のライン。

一度外に出たら『あなた、見学の電話くれた方でしょ』と中から出てきた婦人が『どこからきたか知らんけど、もっとゆっくり見ていきなさい、電気もつけておくから』と言ってくれたので、再び中に入ったりしながら、すみずみまでゆっくり見学。
しょっぱなから圧倒される旅の始まり。
電車に乗る前に、宝塚大劇場と音楽学校を拝む。

阪急電車に乗り、御影下車。坂の斜度がすごい。振り返ったら海が見えた。しかし目的地にたどりつかず坂をおりる。

敷地の反対側へまわったら、、ありました。豊雲記念館。建築家 清家清設計の1970年の建物。

華道小原流三世家元の小原豊雲の顕彰を目的として小原流芸術参考館として建てられ、改装を経て美術館となっていたが、2010年に閉館し、中は見られません。

うねる屋根と多孔ブロックの外壁。��から見てみたかった。

再び阪急線にのり、王子公園にて下車。
パンダがいるなら寄ればよかった、と帰ってきてから思う、王子動物公園を通りこし、

兵庫県立美術館王子分館 原田の森ギャラリー。旧兵庫県立美術館、村野藤吾の設計、こちらも1970年の建物。

日本で最初の近代美術館は神奈川県立近代美術館で、次いで二番目がこの兵庫県立近代美術館だそう��す。

ゆるやかにスロープをあがっていく。

絶妙に折れ曲がる壁と、照明のデザインと開口が美しい。


圧巻のスロープ。

トップライトとダウンライト、星がちりばめられたようなダウンライトが美しい。

当時のままという階段の手すりのディテールもすごい。

近接したお隣の建物は、横尾忠則現代美術館、こちらもみごたえありました。

村野藤吾建築に満たされたあとは、バスにのって布引で下車し、竹中大工道具館へ。道具がどう作られるか、というところまでわかる。

そしてここからふたたびバスに乗り南京町へ。びっくりすごい人。

前日に友に教えてもらった豚饅頭、普段行列には並ばない私も、長蛇の列に並びまして、

美味しかった!

ここから次の目的地まで、しばし居留地を歩く。『近代化産業遺産』のプレートがかかる建物を見ながら。通りの最後に見たこの建物がかっこよかった。

そして、本日最後のたてもの探訪、こども本の森神戸。

建築家 安藤忠雄の設計で昨年オープン。安藤忠雄自らが神戸市に寄付した図書館、ということを帰ってきてから知りました。

天井までの高い本棚がまさに本の森。

上の本は、下で手にとれるようになっています。

大きな階段とブリッジ。

平日の夕方、小さな子供達がきていました。

ダイナミックな吹抜け空間と、階段下の空間と、それぞれに居心地が良い。

閉館の時間まで、ここで、震災復興の絵本を読みました。

このあと元町に戻り、友の教えで観音屋のチーズケーキを買い、ぶらぶらしながら三宮へ。

震災の数年後に来て以来の神戸、たぶんはじめての三宮。阪急デパートの下に阪神電車の駅がある不思議。

こうして1日の予定を終え、JRに乗���て垂水へ、無事に友と合流。なんと、大阪からドラゴンボート仲間がきてくれて、久々の再会で楽しい夜でした。
けんちく探訪は、翌日、淡路島に続きます。
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散策研究会 Cadavre K 「徘徊する観察者 Vacant Lot」
散策研究会 Cadavre Kによる展覧会
「徘徊する観察者 Vacant Lot」
をTABULAEで開催いたします。
※散策研究会 Cadavre Kとは、2011年から開始された、美術家北川裕二によるプロジェクトの名称です
–
|会場|
TABULAE (墨田区向島 5-48-4)
|会期|
2018/11/24 (土) - 12/16 (日)の金土日
- 金 15:00 - 20:00
- 土、日 14:00 - 20:00
※曜日によって開場時間が異なりますのでご注意ください
オープニングレセプション
11/24(土)18:00 - 20:00
|イベント|
第5回 漂流教室 「まわり道してTABULAEに向かう」
12/8(土)14:00 - 17:00(終了時刻は前後する場合があります)
集合場所 東武スカイツリーライン/東武亀戸線 曳舟駅改札口付近
定員 5名
参加費 無料(要予約 参加申込み締切12月6日)
東武曳舟駅に集合し、3時間ほどかけて墨田区京島、向島エリアを散策しながらTABULAEに向かいます(台風・雷雨・地震・大雪など災害級の天候以外は、雨天でも決行します)。
>漂流教室について
※こちらのイベントは定員に達したためご予約の受付を終了いたしました
アーティストトーク
12/15(土)18:00 - 19:00
ゲスト 沢山遼(美術批評)
定員 15名
参加費 1000円(要予約 参加申込み締切12月14日)
美術批評家の沢山遼氏をゲストに迎え、アーティストトークを行います。ゴードン・マッタ=クラーク展図録に掲載された沢山氏の論考「都市の否定的なものたち ニューヨーク、東京、1972年」を参照しながら、都市、写真、散策と介入といったトピックについて議論します。
沢山遼 1982年生まれ。美術批評。武蔵野美術大学大学院造形研究科修士課程修了。2010年「レイバー・ワーク──カール・アンドレにおける制作の概念」で『美術手帖』第14回芸術評論募集、第一席。主な論文に「ニューマンのパラドクス」田中正之編『ニューヨーク 錯乱する都市の夢と現実(西洋近代の都市と芸術7)』竹林舎、2017年。「ウォーホルと時間」『NACT Review 国立新美術館研究紀要』第4号、2018年。「都市の否定的なものたち ニューヨーク、東京、1972年」『ゴードン・マッタ=クラーク展』(東京国立近代美術館、2018年)など。
※両イベントは予約制となっております。参加をご希望される方は、件名を「漂流教室予約」または「トーク予約」とし、①お名前②ご連絡先③希望日時④人数 をご記入の上、[email protected]までメールをお送りください。
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『徘徊する観察者 Vacant Lot』開催にあたって|散策研究会 Cadavre K
散策研究会 Cadavre Kとは、2011年3月11日の東日本大震災に強烈な衝撃を受けたアーティスト北川裕二によって、同じ2011年から開始されたプロジェクトの名称です。今回のTABULAEでの新作展が、散策研究会 Cadavre Kとしては初の個展になります。あれから8年が経ったとはいえ、むろん福島第一原子力発電所は「収束」などまったくしておらず、同じように大地も揺れ続けています。したがって今回展示される作品は、そのどれもが3.11以後に制作されたものであるとしても、 むしろ“3.11下”のそれであるといってよいでしょう。
散策研究会 Cadavre Kは、以来、痙攣するこの世界を継続的に観察・記録しつづけてきました。しかし、その観察対象は福島県や岩手・宮城県などではなく、意外にもいま私たちが立っているこの場所でありました。観察対象への姿勢は当初、何よりもまず、直立二足歩行する私たちの、この足元の地面への関心から始ったのです。そのうえに築かれたあらゆるものは幻想なのではないか。であるとするならば、幻想はいかにして自然との関係を取り結んでいるのか。対立関係にあるものどもの、相反する構造(システム)と構造(システム)が、否が応でも接せざるをえない境界線、エッジが、あるいは「構造(システム)」の回収し得ない外部的なものが、観察対象として注目されました。
ほとんどの散策は、日中のほぼ一日をかけて台地や低地をひたすら歩いて横断していくというものでした。“下町”と呼ばれる沖積低地、“山の手”と呼ばれる洪積台地、あるいは武蔵野平野、奥多摩山間地など。地形学の地形区分に従っていえば、 多摩面(T面)、下末吉面(S面)、武蔵野面(M面)、立川面(Tc面)の特徴と、それらが接する際に発生する崖線等の境界線や河川についての知識が事前に取り入れられもしました。定点観測ならぬ、歩行による動線観察が何度もくり��えされ、各地域・エリアにそれぞれ漂う特有のアトモスフィア、ムードは、散策者の心理状態の変化に影響を及ぼすことが確認されました。そうして、しだいに「東京の自然史」(貝塚爽平)が把握されていったのです。散策研究会としての散策は、これまでに123回を数えます。
また、同時に、踏み固められた地面の上に存在するあらゆるもの、すなわち植生・気象・家屋との関連全般が観察対象となり、写真に記録されていきました。散策またその写真記録は、当初、アートとしてはまったく考えられてはいなかった。むしろ、3.11の衝撃は、自然災害においてのみならず、政治的・文化的にもアートの「創造」的な「表現」による「生産」を不可能にしたように思えたからです。したがって、今回の展示においても、それへの疑いが根底にはあることを記しておきます。
地形・植生・気象・家屋の全般を観察対象にするということは、いかなる些細な事象も見落とすことなく全体を知覚・認識するということ。世界のすべてを対象にするということです。生態学的に言えば、個体のみならず、個体群、群集といった階層を異にするもの全般を、そしてまた、位階秩序の異なるそれらの影響関係をも観察・記録対象にするということでもあります。身の回りの環境や社会、つまりは生活を成り立たせているアレコレは、そのようにアレやコレやソレとして一括りにされて、記憶・記録から排除されてもきました。散策研究会が関心をもったのは、まさにそのような無数のアレやコレでありました。衝撃とは、近代化の名の下に隠蔽・排除されたものどもが、「原発震災」(石橋克彦)によって再び私たちの世界に回帰してきた、そのことにあったというわけです。
写真というメディアは、このような研究にはうってつけの道具でした。なぜなら、カメラの眼は原理的にいって、ヒトの眼と違い、“すべてのものを等価なもの”として扱うことができたからです。眼で見ていたときには見えなかったものが写真には写りこんでいたというのは、カメラのこの等価性、すなわちあらゆるものを平等なものとして、なんでも選ばず記録してしまう、このアナーキーな機能によるところのものではないでしょうか。
本展は、こうしたカメラ・写真の可能性を再び抽出しようとする試みでもあります。そこには、“すべてのものが等価なもの”として記録されている。しかし、そうであるがゆえに、その可能性���、他方で、ブレもピンボケもなく構図もしっかり撮れているにもかかわらず、“誰が、いかなる目的をもって、誰のために撮影したのか、皆目見当のつかない、まったく不明なる写真”という、実に奇妙に倒錯した(不)可能性の窓をも同時に開いてしまうのではないでしょうか。この点に、写真の機能が孕む矛盾が見てとれます。そこに提示されているのは、いわば世界の「無名性」のことにほかなりません。実現しているかどうかはさておき、このような写真の(不)可能性を本展では模索しています。
セレクトされた写真と映像は、昨年から今年にかけて撮影されたものに限られています。撮影箇所は主に武蔵野面(M面)の東端であり、区としては、中野区にあたります。中野区の同じエリア、環境をくりかえし何度も徘徊する。そのようなことはこれまでに一度も試みたことがありませんでした。
そしてこのことは、先程「武蔵野面(M面)の東端」と書きましたが、本展においては、地形的特徴への関心が次第に後方へと退き(薄らいだわけではありません)、かわって植生(主にヒト)と家屋、そして何よりも気象への関心が全体に配されてくるものへと推移してきたことと関連しています。くりかえし同じエリアをおとずれる散策スタイルは、写真の機能をより自覚的に操作しようということに、何らかの影響を与えていると感じています。
本展のコアとなる作品群は四部構成となる予定です。 ①独立した1点ものの「写真作品」 数点 ②数点の写真が組み合わされた「写真作品」 数点 ③液晶ディスプレイもしくはプロジェクターで鑑賞する「スライド作品」 ④液晶ディスプレイもしくはプロジェクターで鑑賞する「映像作品」 ①~④の作品にはシリーズとしてのメインタイトルと、各作品としてのサブタイトルが付されています。各メインタイトルは、①Survey Point (測量点) ②Photogrammetry(写真測量法) ③Voronoi Diagram(ボロノイ図) ④Skid Movie(横滑りの映画)となっています。また、参考資料として、本展の作品に関係する散策ルートを図解したパネルも展示する予定です。
また、本展覧会としてのメインタイトルとなった“Vacant Lot”ですが、これは日本語では空閑地のことです。一時的に未使用になった空き地。英語名にしたのは、“Vacant Lot”という言葉に興味をもったからです。この“Lot”には、くじ、運、運命という意味があるようで、それが一時的に空き地となった区画を指す言葉にも使用されているというのがおもしろかった。“偶々割り当てられたもの”としての空閑地。文字通りに訳せば、“空っぽの運命”です。
これは、今年国立近代美術館で回顧展が開かれたゴードン・マッタ=クラークの仕事を想起させます。カタログに掲載された美術批評家沢山遼氏の論文にマッタ=クラークの発言が引用されていて、瞠目しました。以下、孫引きですが引用させていただきます。
「グリーン通り112番地でやったアナーキテクチャーの展覧会は[…中略…]なんらかの強い形式性によって固定されることのない、固定化した建築的ヴォキャブラリーの外部にあるものについてのものだった。[…中略…]ぼくたちが考えていたのは、隠喩的なヴォイド、空隙、残余的空間、未発展的な場についてだった。[…中略…]たとえばそれは、立ち止まって靴紐を結び直すような、日常的な動作がふと遮られるような場だ。そのような場は、知覚的な重要性を帯びていると思う。なぜならそこで人は動的な空間に触れているんだ。」 (「ゴードン・マッタ=クラーク展」カタログ p.265)
つまり、“Vacant Lot”とは、この解けた靴紐のことなのかもしれません。紐が解けて固定された意味が一時的に宙吊りとなる時。場所。その瞬間はおそらく、九鬼周造のいう偶然性のごとく「現実性へスルリと滑ってくる推移のスピード」を持っているに違いない。“無”が偶然性によってもたらされるということ。環境、生活、世界への認識を深め、未来を洞察するにも、このような人と自然の接するエッジに現象するささやかな出来事に対する認識をさらに深めていく必要がありそうです。今回の展覧会がそのような世界への見方、感じ方、考え方に寄与できれば幸いです。
最後に、Cadavre KのCadavreはフランス語で、日本語では死骸のことです。したがって、Cadavre Kは、死骸キとなります。“キ”とはキタガワの“キ”のことです。3.11以後のプロジェクトにそう名付けたのは、このプロジェクトがそれまでの作品とはまったく異なることもありましたが、同時に、3.11以後、偶々生き残った=生き延びているという感覚を今も持ち続けているからにほかなりません。それは、どこか幽霊的に仮構された作者名といえるでしょう。
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散策研究会 Cadavre K
2011年から開始された、美術家北川裕二によるプロジェクト
漂流教室
第一回 霊岸島から埋立地へ (2015/milkyeast) http://ur2.link/N8ZH 第二回 河岸と下町低地(2015/milkyeast) http://urx.red/N901 第三回 山の手の<むらぎも>を巡る(2016/路地と人) https://rojitohito.exblog.jp/22767074/ 第四回 崖線上のカフカ──中野区を歩く(2017/路地と人) https://rojitohito.exblog.jp/23871177/
散策研究会 これまでの主な散策エリア
001 2011_06_11 新宿御苑 002 2011_06_18 等々力渓谷 003 2011_06_25 赤坂見附 004 2011_06_29 丸の内線・四ッ谷駅 005 2011_07_02 下末吉台 006 2011_07_06 迎賓館・明治公園 007 2011_07_09 市ヶ谷・飯田橋 008 2011_07_16 お茶の水・神田川・隅田川 009 2011_07_22 野川 010 2011_08_06 新木場 011 2011_08_11 高尾山 012 2011_08_20 隅田川・スカイツリー 013 2011_08_25 菊名・獅子ケ谷・下末吉台 014 2011_09_02 渋谷川 015 2011_09_08 皇居・日本青年館 016 2011_09_11 新宿・原発やめろデモ 017 2011_09_17 渋谷川・古川 018 2011_09_19 さようなら原発・渋谷川 019 2011_09_24 赤坂 020 2011_10_01 善福寺川 021 2011_10_07 港の見える丘公園 022 2011_10_13 山手 023 2011_10_22 宇田川跡 024 2011_11_03 御岳山・ロックガーデン 025 2011_11_09 ���鴨・田町・谷中 026 2011_11_12 神田川・小日向台 027 2011_11_17 都電荒川線・王子・荒川 028 2011_12_03 愛宕山 029 2011_12_14 上野・根津・谷中 030 2011_12_15 弘明寺 031 2011_12_21 荏原台 032 2011_12_30 立川段丘 033 2012_01_01 狭山丘陵 034 2012_01_05 三殿台遺跡 035 2012_01_12 目黒自然教育園 036 2012_01_19 明治神宮 037 2012_01_26 清瀬 038 2012_02_04 深大寺・府中 039 2012_02_08 江戸前島 040 2012_02_15 江戸前島 041 2012_02_24 浜離宮 042 2012_03_03 吉見百穴 043 2012_03_15 江東区・運河 044 2012_03_17 江東区・運河 045 2012_04_07 神楽坂 046 2012_04_14 渋谷川・明治神宮 047 2012_04_20 町田・自由民権資料館 048 2012_04_28 市ヶ谷・早稲田 049 2012_05_17 町田・自由民権資料館 050 2012_05_26 江東区・戦災センター 051 2012_06_07 全生園・滝山団地 052 2012_06_14 清瀬 053 2012_06_16 京島 054 2012_06_23 玉川上水・首相官邸前 055 2012_06_29 首相官邸前 056 2012_07_12 神田 057 2012_07_13 首相官邸前 058 2012_07_16 代々木・さよなら原発 059 2012_07_02 新富町 060 2012_08_08 六郷土手 061 2012_08_12 日野 062 2012_09_08 本郷台地 063 2012_09_15 東京湾・葛西臨海公園 064 2012_10_06 生田緑地 065 2012_11_10 青梅・横田基地 066 2012_12_01 大山 067 2013_01_12 渋谷・元麻布・六本木 068 2013_01_14 獅子ケ谷 069 2013_04_13 日本橋川 070 2013_04_27 小平・玉川上水 071 2013_05_25 赤坂・六本木 072 2013_06_06 代官山 073 2013_07_07 東京駅地下通路 074 2013_07_13 王子・吉原・スカイツリー 075 2013_07_27 多摩丘陵・百草団地他 076 2013_08_17 中央防波堤埋立地 077 2013_08_24 仙川 078 2013_08_26 谷中墓地 079 2013_10_26 渋谷・地下道 080 2013_11_09 京島 081 2013_12_28 山手 082 2014_04_24 池袋 083 2014_05_17 高田馬場・神田川・淀橋 084 2014_06_27 駒込・田端 085 2014_07_13 平林寺 086 2014_09_06 秩父 087 2015_05_16 湾岸埋立地 088 2015_07_20 白山 089 2015_11_22 深川 090 2015_12_11 武蔵五日市 091 2015_12_12 武蔵五日市・城山 092 2015_12_18 戸山公園 093 2015_12_26 板橋・赤塚 094 2016_01_06 深川・森下 095 2016_02_02 国分寺崖線 096 2016_02_26 立川段丘 097 2016_04_03 日立研究所 098 2016_05_31 水道橋・小石川・白山 099 2016_10_18 神楽坂・近美・湯島 100 2016_12_06 佐伯祐三・熊谷守一美術館 101 2016_12_13 南青山 102 2016_12_20 原宿・渋谷 103 2016_12_23 戸山公園 104 2017_04_04 野方 105 2017_04_07 江古田 106 2017_05_12 上高田 107 2017_06_09 上高田・野方 108 2017_08_15 池尻大橋 109 2017_08_17 池の上・高円寺 110 2017_08_29 桃園川 111 2017_09_15 中野区南台 112 2017_09_20 新宿住吉町 113 2017_09_22 所沢 114 2017_10_10 中野区中野台地 115 2017_10_20 野方 116 2017_10_27 新宿末吉町 117 2017_12_15 沼袋 118 2018_04_24 鷺宮 119 2018_05_29 中野区中心エリア 120 2018_06_12 野方・沼袋 121 2018_06_15 杉並・堀の内 122 2018_07_06 野方・中野区中心エリア 123 2018_09_11 野方
北川裕二
1963 東京に生まれる
主な個展
1990『形のローカリズム』 ギャラリー現(東京) 1991『A PALASITE/READY-MADE SUIT MIX』 ルナミ画廊(東京) 1992『短絡的接合体』 モリス・ギャラリー(東京) 1992『分裂機械としての身体』 ルナミ画廊(東京) 1992『暮らしの変換』 モリス・ギャラリー(東京) 1993『格子/闘争』 MARS GALLERY(東京) 1993『歴史改造パズル』 GALLERY・GEN(埼玉) 1996『What is a hole?/Make a revision of…』 SHIKI FUJIMORI GALLERY(東京) 2005『Random Open Textured』 MARU GALLERY(東京) 2006『Dust passes through the window』 GALLERY OBJECTIVE CORRELATIVE (東京)
主なグループ展
1990『Bゼミ展』 横浜市民ギャラリー(神奈川) 1992『Project for O.T』 ギャラリー・サージ(東京) 1993『In Between』 FLOATING GALLERY(東京) 1993『CONSTRUCTION IN PROCESS』 ARTIST'S MUSIUM(ウッジ、ポーランド) 1994『身体美術感』 ハラ・ミュージアム・アーク(群馬) 1995『The Age of Anxiety』 The Power Plant(トロント、カナダ) 1996『ATOPIC SITE(On Camp/Off Base)』 東京ビッグサイト(東京) 1996~98『Maniacs of Disappearance』 国立美術館(ブエノスアイレス、アルゼンチン)、Austrian Musium of Applied Arts (ウィーン、オーストリア)、その他オランダ、イタリアなど巡回 1999『第34回今日の作家展 APPROACHING REALITY』 横浜市民ギャラリー(神奈川) 2010『City Beats + Live explosions』 BankART1929(神奈川) 2015『無条件修復—UNCONDITIONAL RESTORATION』 milkyeast(東京)
散策研究会──地殻を近くで知覚する
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昨日の現場近くのスタバ。😊 スターバックス神戸メリケンパーク店で。😊 また来たよ~。😊 暖かくなってきたから。🙄 ダークモカチップフラペチーノで。☺️ ひんやりうまかったわ。😁 ほんで、疲れたわ。😥 #スターバックス #ダークモカチップフラペチーノ #メリケン波止場 #神戸メリケンパーク #神戸震災復興記念公園 #兵庫グルメ部 #至福のじかん 😊😊😊😌😌🙄 (Starbucks メリケンパーク店) https://www.instagram.com/p/CpfbULNyw7g/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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【かいわいの慰霊碑】昭和九年(1934)9月21日、室戸台風近畿地方直撃、強風・高潮などで大被害。死者・不明990人(大阪市史編纂所「今日は何の日」)。 台風は午前8時頃、大阪と神戸の間に再上陸した。再上陸時には満潮を過ぎていたがまだ潮位は高かったことと最大瞬間風速60m/sという強風により、4メートルを超える高潮が発生した。高潮に関しては、大阪港の築港路上の記録として30分の間に200cmを超える海水の流入があり、地盤沈下の影響もあり滞留した内水と押し寄せる海水の影響で、大阪城付近まで湛水したという。あまりの急な水位の上昇に避難が間に合わず、大阪湾一帯で溺死した者は1,900名以上と推定されている。暴風に関しては、学校や寺院を筆頭に、比較的大きな建築物に被害が相次いだ。特に、木造の小学校校舎では児童・教職員に多数の犠牲者を出した。 大阪市内の小学校244校と実業補習学校2校のうち、被災を免れたのは鉄筋コンクリート造り及び1928年(昭和3年)以降建築の耐震型最新式木造校舎の66校のみであった。構造的に劣る古い木造校舎を使用していた残り180校480棟全てが全壊・半壊・大破する結果となった。折悪しく最大の風速に達したのが登校時刻の午前8時前後、強風が直撃した木造校舎が一瞬にして粉砕崩壊、あるいは押し倒されるように倒壊し、中にいた児童や職員、心配して迎えに来た保護者に多数の犠牲者を出した。大阪市内の小学校内にお��る死者は合計267名(職員7名・使丁2名・児童251名・保護者7名��に達し、重軽傷者は合計1571名に上った。校外における死者18名、重軽傷者610名に対して、校舎の破壊によっていかに多くの校内死傷者を出したかが分かる。大阪城公園には死者を慰霊する塔(教育塔)が建てられている(ウィキペディア)。
(写真)「外島保養院記念碑」1997建立(邑久光明園入園者自治会) 1907(明治40)年法律第11号「癩予防ニ関スル件」にもとづいて、近畿、北陸の2府10県が協力して、現在の大阪市西淀川区中島2丁目にあたる場所に、公立のハンセン病療養所「第三区連合府県立外島保養院」(以下、「外島保養院」)(定員300人) を、隔離収容施設として1909(明治42)年4月に開設しました。外島保養院のあった場所は、現在でこそ治水が完全に行われていますが、当時は海抜ゼロメートル地帯で、療養する環境としては厳しい立地条件でした。そのため、何度か他の場所への移転計画が出されたのですが、その度に移転先の地元住民の反対があり、移転は断念せざるを得なくなりました。結局、現地での増床となり、1,000人を収容する大施設への工事がほぼ完成する1934(昭和9)年9月21日、室戸台風の直撃により、防波堤を越えて押し寄せた高波により施設が壊滅し、一瞬にして187人(入所者173人、職員3人、職員家族11人:当時の入所者597人の約3割)と施設拡張工事関係者9人の命がうばわれてしまいました。療養所が復興するめどはたたず、9月下旬より各地の療養所へ患者を委託するという窮余の策が講じられました。その後、府内の候補地が決まらず、1938(昭和13)年、岡山県邑久郡(現在は岡山県瀬戸内市)の長島に、府県立療養所光明園として再興され、1941(昭和16)年7月厚生省へ移管され、国立療養所の邑久光明園となりました。現在、外島保養院の跡地付近には、国立療養所邑久光明園入園者自治会により「らい予防法」廃止の記念事業として記念碑が1997(平成9)年に建立され、毎年9月に、関係者により犠牲者追悼行事が行われています。大阪府は過去に、国の法律に基づいてハンセン病患者の発見と強制隔離、いわゆる「無癩(らい)県運動」を実施してきました。その結果、患者、回復者、そして家族の方々に多大な苦痛と苦難をおかけすることになり、深く反省するとともに、外島保養院において室戸台風により犠牲となった方々に対し、心から追悼の意を表します(大阪府=写真も)。 場所:大阪市西淀川区中島2丁目10番地先(外島保養院跡地)
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神戸(1年越し)
ゼミ旅行の行程のおおよそが自由行動というのをいいことに、私は京都を飛び出して神戸に来ていた。友人の家に泊めてもらうためである。バスはうねうねと、とてつもない勾配の坂道をのぼる。本当によくこんなところに住もうとしたもんだ、という気持ちはやはり去年の今頃と変わらなかった。
この坂は歩いて下れる、と友人は前から言っていた。なので翌朝、下って駅まで行く。時間にすれば10分ほどだが、やはりえらい勾配だ。前を向くと浜手の街と港が地をえぐるように縦長に広がる。進むごとにガクンガクンと歩みはスピードを増していき、街へ海へ落ちていくようだった。
阪神に乗って、三宮で降りてそこから海際を目指す。歩くごとにビルが姿を消し、海際特有の色彩の薄い空が抜け始めた。道路を渡り、目の前に迫るは阪神高速3号線と浜手バイパスの並走、そこに突っ込む新交通・ポートライナーの姿だ。ちょうど下から見るとうまいこと三角形を描いている。その海側にはみなとのもり公園があり、芝生の広がるひらけた場所となっていた。阪神淡路大震災の復興記念としてかつての神戸港駅という貨物駅の跡地を活用したものだという。
そこからさらにポートライナーに沿って進んでいく。歩道橋にのぼると、コンテナ置き場やフェリーが間近に見えた。関東でここまで埠頭に近づくことができる場所は少なく、声を出して驚く。やがてポートライナーの高架が薄い水色から鮮やかな赤に変わった。とともに、横を走る道路も艶やかなアーチの中へ進んでいく。本州とポートアイランドを繋ぐ神戸大橋だ。
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機会見つけて回れるとこは回ってみようと思う。
有料記事ということなので該当部分より転載。
同協議会は昨年7月に発足。国土交通省東北地方整備局と福島、宮城、岩手、青森各県、仙台市で構成する。昨年12月から約2カ月間、震災伝承施設を募集したところ、206カ所の応募があり、まだ整備中の施設を除く192カ所を登録した。宮城県が100カ所で最も多かった。
登録にあたっては、①震災伝承②訪問しやすさ③理解しやすさ――の三つの特性で分類し、いずれも備えている施設は第3分類、①と②を備えている施設は第2分類、①のみの場合は第1分類に位置付けた。震災伝承施設を示す標章(マーク)を作り、第3分類の施設は案内標識にマークを活用できるようにする。
協議会は震災伝承施設をホームページで公表し、国内外の防災教育に役立ててもらうとともに、修学旅行や体験学習のコースに組み込んでもらうよう旅行会社に働きかけていく。また、「3・11伝承ロード」のマップ作りも進める。
今月から2次募集も開始し、9月末に追加登録する予定という。(深津弘)
県内の震災伝承施設は次の通り。
【第3分類】アクアマリンふくしま、いわき市ライブいわきミュウじあむ「3・11いわきの東日本大震災展」、いわき市地域防災交流センター久之浜・大久ふれあい館、相馬市伝承鎮魂祈念館
【第2分類】井戸沢断層、沼ノ内防災緑地、薄磯防災緑地、豊間地区東日本大震災慰霊碑、永崎防災緑地、岩間防災緑地、四倉防災緑地、豊間防災緑地(以上いわき市)、葉ノ木平震災復興記念公園(白河市)、相馬市防災備蓄倉庫、相馬港沖防波堤災害復旧事業完了祈念銘板(相馬市)、ひろの防災緑地(広野町)
【第1分類】稲荷神社、末続地区東日本大震災之碑、久ノ浜・大久地区東日本大震災追悼伝承之碑(以上いわき市)、震災記念公園(広野町)
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BGM²出演
日時
2019.4.6(土) 11:00 - 17:00
場所
みなとのもり公園(神戸震災復興記念公園) 芝生広場
料金
無料・申込不要
イベントURL
http://bgm-2.com/index.html 雨天時対応は前日正午にこちらのサイトにて発表
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EVやPHEVの「電気」を考える契機になった坂元中学校を再訪問し、電気について改めて考える【「EVスーパーセブン」で東北大震災被災地をめぐる旅・その3】
「EVスーパーセブンで元気と電気を届ける旅」、次の目的地は宮城県・亘理郡山元町にある坂元中学校。 実はここは私が震災直後、「日本自動車ジャーナリスト協会」のボランティア活動で行った場所のひとつ。坂元中は高台にあるので津波の被害を受けずに避難所になっていましたが、見覚えのある風景、校舎。当時は田んぼや畑に流された家や車がまだそのままの状態で、津波の脅威をくっきり残していましたが、現在は緑に覆われた田んぼに囲まれた長閑な風景に変身。 なぜ今回の旅でここが訪問先に加わっているのかといえば、当時、電気自動車「三菱i-MiEV」が被災地に寄付されたものの、「電気自動車なのになぜクルマから電気を取り出せないのか?」と当時の坂元中学の女性教員が言った言葉がきっかけとなり、三菱自動車では開発をはじめ「アウトランダーPHEV」には100Vのコンセントを2つ設定。また日本EVクラブも電気をもらうだけではなく、電気を与えたり、それを使ってなにかできないか?という話になったそうです。 それにしても私も思いがけず、7年後にまたこの地に来ることになるとは…。坂元中の武田義弘教頭先生の話によれば、現在、坂元中には66名の生徒が在籍しています。 その後に行ったのは、仙台空港近くの岩沼市「千年希望の丘公園」。東日本大震災の津波によって人が住めなくなった土地を活用し、沿岸部に約10㎞にもわたって6つの公園と丘が作られています。中でも「千年希望の丘相野釜公園」の広い敷地内には小高い丘が2つ。一番最初に作った避難用の丘は津波の高さより1m高い9m。階段で使われている木材は、被災した家の柱や梁を使用。ここは募金で作られたそうです。 そして2つ目の丘はさらに高い11m。災害時にはてっぺんに逃げ込むだけではなく、雨風を防げるようにカーテンのようなもので壁を作ることができます。また太陽光ソーラーシステムもあるので、携帯の充電などに電気を使用することもできます。敷地内には大きな慰霊碑と鎮魂の鐘。天皇皇后両陛下もここを訪れたとか。 また、防風林として松ではなく、背の低い木が植えられています。これまでの松は防風にはなりますが、根が弱いため津波の時に流された木が家などに刺さるなどして被害を大きくしたのだとか。そこで今回は根がしっかり張る強い木を植樹。また、ほかの木も企業などによって植樹されたもので、若々しい木々に囲まれた新しい公園ですが、非常事態には少しでも多くの命を守ってくれますようすくすく育ちますように。 そして夜はまたしても給電バーベキュー。その後、またしても「アウトランダーPHEV」で慰霊碑をライトアップしましたが、照らされた慰霊碑の姿は美しく、厳かな気持ちになりました。 お亡くなりになった方や被災した方すべてに祈りを込めて。 この後も「EVスーパーセブン」の旅は 5月22日 イオンモール名取で「仙台フォーラム」を開催/岩沼みんなの家訪問 5月23日 石巻 東日本大震災メモリアル 南浜つなぐ館/万石の里 女川本店訪問 5月24日 大川小学校跡地/南三陸防災対策庁舎/南三陸さんさん商店街/語り部プログラム訪問 5月25日 南町村崎神社商店街/気仙沼市内防潮堤訪問 5月26日 陸前高田 東日本大震災追悼施設/奇跡の一本松訪問 5月27日 恋し浜 ホタテデッキ/三陸とれたて市場訪問 5月28日 大槌町復興まちづくり情報プラザ/山田かき小屋/鎮魂と希望の鐘/震災メモリアルパーク中の浜訪問 5月29日 たろう観光ホテル/震災遺構 明戸海岸防潮堤/机浜番屋群訪問 5月30日 ひろの水産会館UNIQUE/たねいち産直ふれあい広場/種差海岸 蕪島訪問 5月31日 道の駅 みさわ 斗南藩記念観光村/大間崎訪問 ゴール と続きますが、私の旅は5月21日「千年希望が丘公園」で終了しました。 この後はまた日本EVクラブの皆さんにお任せし、またまた「フォルクスワーゲン パサートGTE」で帰路へ。途中、常磐自動車道の原発近くでは数か所、放射線量の表示がされていましたが、放射線はその日一番多い3マイクロシーベルトを示しているところも。これは風向きや風の強さなどによって常時変わるようですが、被災地の苦しみや闘いはまだまだ終わっていない、いえ、終わることが無いのかもしれません。そんな方々や地域に、少しでも寄り添えたらな、と思っています。 そして私は今、改めて「電気」について考えています。 遅かれ早かれ、いずれは電動化、自動運転へとクルマの世界は進んでいきます。震災直後は節電を誰もが意識し実行。現在でもその時ほどでは無いかもしれませんが節電への意識は高いと思います。しかし年月が経つにつれて、その気持ちは少しずつ薄れていき、昨今はますます電気社会に。省電力の製品が増えていることもありますが、経済産業省エネルギー庁のデータによると発電総量は東日本大震災以降、減少しています。 しかし、このまま電気依存でよいのでしょうか?電気自動車が増加すれば、今より使用する電力量は当然増えます。2017年の日本のエネルギーはLNG(天然ガス)が38.7%、石炭が30.4%、石油が4.1%。少しづつ太陽光発電と自然エネルギーでの発電も増えてはいますが、そのほとんどが火力発電で賄われ、その割合は81.6%にも及びます。今回行った福島には東京電力 福島第一原発、福島第二原発、南に少し離れたところに東京電力 広野火力発電所もありました。どこも海沿いにあり、広野火力発電所も津波が来たら危なそうな場所に。もちろんそれに対しての対応は取られていると思いますが。 原発の代わりに急激に増えた火力発電…。EVやPHV、FCVの普及には、太陽光発電や自然エネルギー発電などの再生エネルギー発電の増加、あるいはそれに代わる環境負荷の少ないものでの発電が急務だなと。 (吉田由美) 【関連記事】 この先はいまだ「特別な場所」。福島県楢葉町へ【「EVスーパーセブン」で東北大震災被災地をめぐる旅・その1】 https://clicccar.com/2018/06/04/596361/ 帰還困難区域を通って、EVのバッテリーを再利用を担う「4Rエナジー」の工場へ【「EVスーパーセブン」で東北大震災被災地をめぐる旅・その2】 https://clicccar.com/2018/06/04/596368/ あわせて読みたい * 帰還困難区域を通って、EVのバッテリーを再利用を担う「4Rエナジー」の工場へ【「EVスーパーセブン」で東北大震災被災地をめぐる旅・その2】 * この先はいまだ「特別な場所」。福島県楢葉町へ【「EVスーパーセブン」で東北大震災被災地をめぐる旅・その1】 * 「なぜトヨタはポルシェに勝てないのか?」~トヨタ・ガズー・レーシングWECル・マン24時間耐久レースへの挑戦 * ランボルギーニが「大人の女子会」開催!? そのねらいは? * タイヤメーカーからテクノロジーカンパニーへ。「コンチネンタル」の最新技術は「人とくるまのテクノロジー展2018」で http://dlvr.it/QW6Zpr
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