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#秋芳洞
a-kichi · 1 year
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Explore Limestone Caves.
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suzumetabi · 2 years
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東洋屈指の大鍾乳洞 秋芳洞とソフトクリーム(山口県美祢市 )
まだ暑い頃、山口県美祢市にある秋芳洞に行ってみた時の動画。駐車場は一番安いところで1日100円という場所があったけど、なんとなく雰囲気が良かった200円(1日)のところに決めた。秋芳洞からも近かったしね。秋芳洞については正確な情報を知ってほしいので、ホームページのリンクを貼っておくよ〜♪(秋芳洞ホームページ https://akiyoshidai-park.com/spot/akiyoshi-do.html…
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tsuntsun1221ts · 19 days
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2024.07 秋芳洞・景清洞
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衝撃的すぎる鍾乳洞、これもう世界遺産レベル
仕事で山口県に出張。めったに行く県ではないため、翌日はしっかり遊んでくる。山口県って下関のフグ以外になにがあるのか?と思っていたが、こんなすごい場所があるとは思ってもみなかった。山登りとは趣が違うが、同じ冒険的なアウトドアとして記録。
秋芳洞はカルスト台地で有名な秋吉台の地下にある。新幹線の新山口駅から車で1時間もしないで行けるため比較的近い。また周辺には他にも大正洞、景清洞と別の鍾乳洞あり、3つの鍾乳洞の入場料合わせて2500円のチケットもあり。
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秋芳洞正面入口
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洞窟内に激流
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内部は広大な空間が広がり、何百万年かけて作られた彫刻がいたるところに。
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反対側入口。とんでもない鍾乳洞だった。
また車を走らせて大正洞へ。秋芳洞を見てしまったあとだから衝撃度は下がるが、天井から落ちる水音がとても美しい、ずっと聞いていたい。黒澤明の映画のBGMに採用されたとか。また洞内池に小さいエビがたくさん泳いでいて、これもまた衝撃。なんでこんな環境に生物が生息しているんだろう?
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最後に向かったのが景清洞。秋芳洞とはまた違った方向で、ここもかなり衝撃を受けた。300円追加で入場料払うことによりヘルメット・長靴・懐中電灯を渡され、一般コースの先にある探検コースに入ることができる。
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最初の一般コースだけでも見ごたえはあるが、わりとすぐ終わる感じ。
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大変衝撃を受けたのは探検コースから。
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明かりが一切設置されておらず、懐中電灯で周囲を照らさないと真の暗黒。ガイドさんはおらず観光客も自分ひとりで、本当に怖かった。長靴はいているけど水がたくさん入ってきてあまり意味をなさない。
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スマホの設定を変えて、懐中電灯つけながら夜景モードで撮影してみる。人間よりも遥かに目がよく、当然ながらいくら夜目が効く人間でもこんなには絶対見えない。
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探検コースの終わりの看板でいま来た道を折り返す。一般コースまでたどり着き明かりが見えたところでかなり安心感あり。
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名前覚えていないが、山口で有名な瓦そばみたいな感じで、鉄板で固く焼きあげられた茶そば。香りがいい。
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最後に別府弁天池へ。なぜこんな青い色をしているのか、科学的にまだ判明していないらしい。
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青い池が流れる先はなんと赤色。これは赤い色の苔?が底に定着しているからとのこと。
新山口駅から車を借りれば手頃に廻ってこれるのでオススメ、3つの洞窟で所要時間は4-5時間か。特に秋芳洞と景清洞は山口に行く機会があったら何度でも行きたい。ただし景清洞の探検コースは暑い時期に行かないと、靴の中に入る水が冷たくて大変かも。
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yuko-a7 · 11 months
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山口旅行⑤
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2023.11.1
約20年前、なぜ旅行先に山口県を選んだかというと、アニメ・サザエさんのオープニングで、サザエさんが秋吉台を訪れているのを見て、『いつか実風景を見てみたい!』と憧れていたからなんです(笑)
今回は、夏の長さもあってか草が多い気もしましたが、すごい風景に変わりありません!
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そして地下深くには秋芳洞が。日本にもこんな不思議な場所があって、見ているのはそのごく一部かと思うとワクワクします♪
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smallflowersj · 1 year
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涼を求めて… ①
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「涼」と言えば、以前、訪れた鍾乳洞が思い浮かぶ。日本屈指の規模を誇る秋芳洞では、一年を通して17℃程度の温度のなか、1キロの観光ルートを探索できる。とにかく広くて、そのスケールの迫力に圧倒される。青や緑色などにライトアップされた鍾乳洞もいいが、ここでは、通常、白色の照明のみだ。しかし、そのほうが闇とのコントラストが際立って見えて、奥行きが感じられ、シンプルに、またダイレクトに自然の神秘や迫力が伝わってくる。そして、秋芳洞に行ったら、日本最大級のカルスト台地、秋吉台にも立ち寄りたい。約8キロ続くカルストロードは、ドライブに最適だ。広い草原の中を走り抜けるとき、ここは日本?と一瞬思ってしまう。展望台もあり、この大パノラマを目の前にすると、暑さなど吹き飛んでしまうかのようだ。
涼を求めている人に人気だ、ということで最近テレビで取り上げられていたのが、栃木県の大谷資料館だ。大谷石の地下採掘場跡は、大谷石を掘り出してできた地下空間で、30℃以上ある日でも坑内の温度は12℃程度と、上着が必要なくらいの温度だ。ライトアップされた空間は幻想的で見飽きず、巨大な神殿と表現されることもあるが、外からかすかに入ってくる光に照らされた空間もあり、それもまたとてもいい。大谷石を使った雑貨を楽しめるセレクトショップを併設したカフェもあり、私は大谷石でできたキャンドルスタンドを購入した。
この資料館とあわせて訪れたいのが、宇都宮駅から歩いて5分くらいのところに忽然と姿を現すカトリック松が峰教会だ。大谷石を使って建てられた、近代ロマネスク様式の建築物で、登録有形文化財になっている。聖堂内も美しいのだが、私はとりわけその外観が好きだ。聖堂への入口に続く左右からアプローチできる正面階段と、日本では珍しい双塔のフォルムが美しい。宇都宮駅周辺で、突然、中世ヨーロッパの小道を散策していたかのような気分にさせられる。大谷資料館を訪れた後にここに立ち寄ると、地下採掘場跡とはまた違った雰囲気の大谷石の魅力にふれられる。教会の敷地内や内部の見学も可能で、ここでは、心の「涼」を感じることができると言えるだろう。
秋芳洞、秋吉台(山口県)/ 大谷資料館、カトリック松が峰教会(栃木県)
写真は、秋芳洞。
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harawata44 · 12 days
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【マジ注意】特別天然記念物・秋芳洞の運営「せや!洞内照明をLEDにしたろ!」 → 取り返しのつかない最悪の事態に… : はちま起稿
以下転載 https://x.com/mizutamaheidi/status/1834069635609887050
秋芳洞では洞内照明をLEDに変えたってことだけで、その波長に適した藻類が繁殖して鍾乳石が緑変してるもんな… 黄金柱なんて緑柱ですよ今。
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※かつての黄金柱
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・https://x.com/Susanohahx/status/1834176485693030466
4年前に初めて行ったのでこういうもんだと思ってたんですが本来は違うんですね・・
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・https://x.com/mizutamaheidi/status/1834229318635192360
カメラの性能もあるのでは、とのリプライを頂いたので(ありがとうございます!)、参考に3年前の読売新聞の記事を貼っておきます。 ただ、私の撮影はスマホ(HUAWEI)なので、色味の違いなどはあるかもしれません💦 ・国内最大級の鍾乳洞・秋芳洞で「緑色に変色現象」…照明のLED化、藻類や細菌の繁殖進む : 読売新聞
関連:
観光客が洞窟に落としたスナック菓子で「世界が一変」、米国立公園が注意喚起 - ライブドアニュース
・https://x.com/livedoornews/status/1833477402271547476
観光客が持ち込み禁止の菓子を落とし、カビが生えたという。レンジャーたちがカビを取り除いた。微生物やカビには、洞窟内の生態系には存在しなかったものも多かったと指摘している。
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・https://x.com/Iwatekko6969/status/1833824192174928289
栄養となるものが全く存在しない洞窟内では、ウッカリ迷い込んで死んだ虫の死骸だけでも200年分とかの栄養素になり、その周囲に独自の生態系が完成してしまうと聞いた。 洞窟探検家の吉田勝次氏なんかそれを気にして、探検の際は自分がしたウンコまで持ち帰るそうな。
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kou-f · 1 year
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サファリランドへ
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秋芳洞の後は秋吉台自然動物公園サファリランドへ。
子供は洞窟よりこっちのほうが喜んでた。
親父も近くで動物を見られて大喜び。
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ライオンやら。
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子熊やら。
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シマウマやら。
貸出タブレットとGPSで
近くにいる動物の解説も聞ける。
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結構堂々と道を歩いてる(笑)
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メチャメチャ怖い顔のバスも走ってる(笑)
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レッサーパンダ。
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ヤギ。
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ミミズク。
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ゾウ。
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実際のところは動物たちに聞いてみたいとわからないけど、
少なくとも動物園の檻の中よりは生き生きとしてるように見えた。
でも気温が高すぎてみんなぐったりしてた(笑)
岩国が近いからか、Yナンバーの車もチラホラ。
結構さびれてて、連休中でも全然混んでなかった。
穴場だね。
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lgbtqromance · 1 year
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掰弯直男同事~耀哥
公司本部门里大妈大姊占多数,男同事只有小猫两三只,除了新来的小鲜肉粗壮弟外,剩下的就是两位将近50岁的大叔。而耀哥是我比较常接触的大叔。
耀哥是一个典型异男大叔,生了两个小孩,有着大叔穿衣的特质。不管穿什么衣服无论衬衫、POLO还是T恤,里面一定要穿吊嘎。大叔界似乎热爱穿吊嘎,再来就是衣服一定要扎进去。耀哥就是典型大叔,每次透过他的衣服看到里面的吊嘎是我每天的必做功课,这种若隐若现的窥伺感可以满足我的偷窥欲。耀哥的吊嘎很多元,平常都是一般的吊嘎,有时会出现让我惊喜的彩蛋。
有一次天气特���热,耀哥是个怕热的人。结果这天他的白衬衫下,因为汗湿,竟然透出江湖上少见的洞洞内衣,从正面看来,他的黑乳头若隐若现,那一天让我一直想找他洽公。我眼睛一直盯着他胸前的黑点,似乎在吸引我舔他(并没有!!)。不过耀哥是个典型异男,当然不会让我有这个机会。又有一次我一早看到耀哥,觉得他白色的衬衫下,透出奇怪的颜色,平时我跟耀哥就会讲一些五四三的,还穿插一些黄色笑话。
我装作没事的问他:今天吊嘎怪怪的。
耀哥:吊嘎欧,阿就我今天穿黑色的阿。
我当场超想笑,真是一个天然呆的大叔,应该没有人会在上班时在白衬衫下穿黑色的吊嘎吧。
又一天我发觉耀哥的衬衫底下,似乎又不一样。似乎是大挖背的健身背心,整个背部几乎只有中间有布料。
我又白目的问他:耀哥,你今天的吊嘎好像不一样。
耀哥:阿就这种的比较凉。
我心里想穿这种不如不要穿,根本没有吸汗的功能。不过也让我对这个大叔的西装裤下,到底穿什么,产生性趣。
皇天不负苦心人,今年的员工旅游,我跟耀哥同一间房。晚上一回到房间,只见耀哥放好行李,便脱下POLO杉。耀哥穿着吊嘎,在房间里整理行李。我整个眼睛发亮,耀哥吊嘎下竟然有着明显胸肌的形状,平常耀哥的衬衫是宽松的大叔版型,虽然他的手臂算粗壮,我平时也会藉故勾肩搭背的吃他豆腐,可是没想到衬衫底下竟然藏着结实的肉体。接着耀哥脱下长裤(超自然的,完全异男大叔的行迳),我又是眼睛一亮,耀哥竟然穿的是子弹内裤,还是黑色的。
平时我都在爬楼梯时默默观察他的内裤痕(哎呀!真变态的行迳),从内裤痕看来,一直以为他是穿一般的白色三角裤(EX:BVD之类的),没想到竟然是黑色子弹内裤。只见子弹内裤下包覆住耀哥的屌,似乎是一只大雕,一旁阴毛十分浓密,都露了出来。
我故作冷静,跟耀哥聊天:今天走超久的,超累。
耀哥:嘿阿,我的脚超酸。
耀哥边说还抬起脚来加强说明,我看到一个吊嘎大叔,下面只穿一件黑色子弹内裤,抬起脚来。这个动作挤压到他的大雕。我看得目不转睛。只能含糊的回答说:对…
我这时需要平复心情,因为我底下的屌已经硬了。毕竟耀哥的肉体不是每天可以那么近距离观察的,便说我要洗澡了。我在浴室里幻想着耀哥的大屌正操着我,所以先做好清理,用手指当做耀哥的大屌,尽情的操着自己。不过怕在浴室待太久,让耀哥起疑,便结束了这个想像,赶快洗澡。
我穿着内裤围着浴巾出浴室,耀哥也说要去洗澡,便进了浴室。过了一会,耀哥出来,也只围一条浴巾。上身没穿,耀哥竟然真的有厚实的胸肌,胸前的乳头又大又黑,腰部几乎没有中年人有的赘肉。耀哥大喇喇的在房间走动,我想他应该是在勾引我吧(想太多!)
耀哥:洗完澡真舒服。
我:嘿阿。
耀哥:今天走到腰酸背痛,真想有人帮我按摩一下。
我见机不可失,便说:不然我帮你按一按好了。
耀哥:不好意思啦,还要你帮忙。
我想过了这个村就没那个店了,怎么可以错过这个肌肤之亲的机会。我要耀哥趴在床上,我自己脱下浴巾只穿内裤,这时耀哥说:很骚包欧,穿这种的。
我看了一下,我忘记今天穿的是低腰小三角,前面几乎是丁字型的,只包住我的屌。
耀哥又说:阿你怎么没有什么毛。
我尴尬的说:阿现在年轻人都会修毛,比较干净。
耀哥:原来这样,我们这种老灰阿都不知道,下次我也来跟上流行修看看,不过自己修不会剪到懒叫跟懒趴(超直接的用语)?
我:有专用的剪刀,小心一点就好。
耀哥:那我也要来买一只试试。
我心想我可以帮你剪,不过怕耀哥起疑,为了等一下可以一亲芳泽我先要他趴好。我一屁股坐在他的腰上,开始帮他按摩。只见耀哥开始呻吟:足爽ㄟ,卡大力ㄟ。
一般我跟男人有肉体的接触时,这种声音也常出现。通常是他们的大屌在我的淫穴抽插时,我发出的声音。不过今天却是我在帮一个异男大叔按摩,他发出的声音。耀哥的背很结实,在我的爱抚下不断呻吟,我的手开始往下移,来到他的腰间。我在按腰时,不时的摸着他的翘臀。
耀哥的屁股也很结实。我的手又在这里多停留了一会。接着我往大腿按去,这时我默默拉开他的浴巾。耀哥似乎也觉得按大腿没有浴巾比较好按,也配合挪动身体。这时一个结实大叔全裸趴在我的面前,还是一个异男。我忍住勃起的欲望,又专心(明明是淫心)的帮耀哥按摩,我的手在耀哥的大腿与屁股间游移,不时碰到他的睾丸。
耀哥这时把腿张开调整一下姿势。耀哥的多毛屁眼完全暴露在我的眼前。我这时为了让自己移转注意力(我都要硬起来了),便跟耀哥聊天。
我:耀哥常去按摩嘛。
耀哥:蛮常的,因为我有在运动跑步,所以肌肉酸就去按。
我:阿都是找小姐齁。
耀哥:麦黑白共,我都找男的,卡有力(怎么听起来怪怪的)。
难怪耀哥对于在别人面前裸露感觉很自然。
我又问:阿你按摩都脱光光欧?
耀哥:当然阿,不然怎么按?我每次去都直接脱光,人家师父也比较好工作。
我:阿师父都穿什么阿?
耀哥:我常找的师父,一个习惯穿短裤,阿另一个我会找他油压,他都穿泳裤。
我越来越觉得耀哥找的是同志按摩吧,穿泳裤也太奇怪了。
我装傻发问:穿泳裤?也太怪了吧。
耀哥:阿我身上都是油,他骑在我身上(怎么听怎么怪)穿泳裤比较方便阿。
我:那我现在也是骑在你身上欧。
耀哥:干!!男人就只想要骑。
我又问:听说有时按摩按到爽,懒叫ㄟ起秋,是真的吗?
耀哥:哈哈哈,所以我才要找男的按摩师,不然找女的按到爽,懒叫硬了,不是很糗。大家都是男的,都知道是生理正常反应,比较没差。
我:阿如果真的硬了,那要怎么办?
耀哥:又不是真的想要相干,只是按摩的影响,一下子就消了。
我:那么没挡头,阿如果消不了??
耀哥:我是有几次很久没套,一直消不下来,起身时懒叫还硬帮帮。
我:蛤!!那样不是超丢脸,按摩师父都看到你起秋,懒叫硬帮帮的样子。
耀哥:师父说因为他帮我按摩会按到一些穴道,懒叫会硬是正常的,不会硬才要担心。
我心里想,会按到鸡巴硬的不是只有前列腺嘛(愚妇!!)。
我又问:那么大哥你是如何处理起秋的懒叫?
只见耀哥突然支呜其辞起来,我白目的一直追问,耀哥便说:阿就打出来阿。
我:在师父面前打手枪欧?!
耀哥:……
我见耀哥不答,又白目问了:还是他帮你打?!
只见耀哥闷着头不回答,我想可能真的有这回事,当下我按兵不动,想说不要让他有戒心,便又认真(人家刚刚也很认真欧)帮他按摩。我想耀哥有那么多「丰富」的按摩经验,我便开始试探。我拿出我的芦荟液(旅行也要做好保养)倒在耀哥的腰跟屁股间,只见他一阵呻吟,我将芦荟液在他腰间跟屁股开始推开,然后默默的往屁眼进攻,我装作不注意的触碰耀哥的菊花,用手指将芦荟液在屁眼周围围绕,耀哥呻吟了一声,却没有其他反应,我大胆的将食指慢慢磨蹭着耀哥的屁眼,这时耀哥突然开口:阿你也会做前列腺按摩欧?
我吓了一跳,本来以为他要骂人,没想到他竟然说出「前列腺按摩」这种字眼。
我:我是有做过拉,还蛮舒服的。
耀哥:听我的按摩师常做会减少前列腺发炎,尿尿也比较有力。
我:阿大哥你有做过吗?
耀哥:ㄟ……这……
我见耀哥又在闪烁其辞,而耀哥没有表示厌恶的样子。便开始将手指插了进去。因为有芦荟的润滑,我一下子便把食指插了进去。只听耀哥一阵呻吟。我开始来回用食指干着耀哥的屁眼。耀哥的屁眼似乎还蛮常有东西进出的样子,完全没有不适感。而且随着我的抽插,还不住的低声呻吟。我又将中指插了进去,耀哥发出舒服的喘气,完全不像屁眼第一次插进两根手指的样子。
我手指搜寻着前列腺的位子,突然耀哥骂了一声:干!
我知道我找到他的G点了,我开始按压,耀哥开始喘气呻吟,接着耀哥移动姿势,最后以跪姿翘起屁股,人趴在床上的姿势。
我看到平时衣冠楚楚的耀哥,在我面前摆出如此淫荡的姿势,根本是要人家干他的样子。这时耀哥的屌在我面前,一根粗大的鸡巴完全勃起,尿道口还有一些前列腺液。我继续用手指压着耀哥的G点,耀哥不住喘气:干,足爽ㄟ!!比师傅按的还爽。
耀哥果然不是第一次玩屁眼,原来已经被按摩师傅夺去第一次了(可恶)。
耀哥的鸡巴,淫水不断的流出。我尝试着插入第三根手指,我先拔出两根手指,只见耀哥一阵喘气,我在手指上涂满芦荟液,在他的洞口按摩。耀哥一直的喘气,我慢慢将三只手指插入,耀哥开始呻吟,我一下子便将三只手指完全干进耀哥的屁眼,耀哥的喘气声越来越急促,我见他也没什么抵抗,便开始来回插干他。耀哥随着我的插干,喘气声开始变成呻吟声:干!!足爽ㄟ……这种感觉足爽ㄟ……尬阮某相干都没那么爽。
我见耀哥似乎已经沈醉在被我指交的快感中,我开始白目的问他:耀哥,安耐伍送谋?
耀哥:干!!我第一次那么爽,师傅只会一直压,你弄得我更爽。
我的手指不只插干耀哥的屁眼,还会撑开他的屁眼,做旋转的动作。在我的开发下,耀哥的屁眼已经完全张开了。我可以用三指并拢的方式直接干进耀哥的屁眼。我想耀哥平时应该常常做这种」按摩」。
我开始用言语跟耀哥调情:耀哥,这样帮你按爽不爽,你常常这样齁?不然怎么屁眼那么松,我三根手指都插进你的洞了,你一定常常自己挖屁眼齁?
耀哥:……
我:不说我就要停手了。
我用力压着耀哥的G点,耀哥一声咒骂。
耀哥:就师傅说要天天帮前列腺按摩,这样老了尿尿才会有力,而且会增强性功能,我每次这样按,懒叫都硬帮帮……所以我洗完澡都会把屁眼洗干净,然后自己按一下。
难怪耀哥的屁眼如此干净。
不过耀哥似乎有做0的潜力。
我:蛤……每天按!!那你不是天天自己干自己的屁眼??
耀哥:什么干屁眼,我又不是同性恋,我是在做按摩。
我想这个大叔,是个老顽固。明明自己玩屁眼玩得如此开心,已经体会到肛交的乐趣却如此排斥同志。
我:可是那些同性恋也都是会干屁眼阿,跟你的行为一样阿?
耀哥:…
我:像我现在这样用手指帮你,说好听是帮你做前列腺按摩,讲白了,就是一个男人在玩另一个男人的屁眼,而且被玩的还爽歪歪。就是人家说的肛交阿!
耀哥:…
我:反正你会爽就好拉,我也不管你那么多,不过耀哥有用其它东西玩过吗?
耀哥:……
我:用其它东西插屁眼比手指更爽欧…像假阳具之类的……
耀哥:我阿不是查某ㄟ……怎么可以用假阳具插自己的屁眼…
我:不用假阳具,用其它东西阿……麦克笔干起来也很爽……
只见耀哥又不搭腔,我又白目的问:耀哥要我继续」干」你吗(我特别强调」干」这个字)?
耀哥:被你说的好像我们在相干。
我:那我就把我的手指抽出来了。
耀哥:等一下,帮我再弄一下…阿你说……用手指以外的东西……会更爽…是真的吗……
我:要试试看吗?
耀哥又不搭腔。我起身找了一下行李,找到我的防晒喷雾(户外活动记得防晒)瓶身粗度虽然稍粗,但耀哥都可以插入三只手指了,区区罐子应该没问题。我将罐子润滑后,开始插进耀哥的屁眼,只叫耀哥开始呻吟:干!足痛ㄟ!
虽然耀哥喊痛,不过罐子一下子便插了进去。我开始用罐子操着耀哥,只见耀哥开始低声喘气,似乎尝到甜头。
我:耀哥,被东西干屁眼是不是更爽…
耀哥:我没有被干……是在按摩。
我想这个大叔真不坦率,明明爽的淫水直流,还在嘴硬。我使出其他人在我身上用过的绝招,开始9浅1深的干着耀哥,不时还押着耀哥的G点,只见耀哥全身颤抖,一直低吼。鸡巴的淫水像是没关紧的水龙头,一直流出。突然耀哥骂了一声脏话:干!
只见耀哥的鸡巴竟然流出精液,随着罐子的插干,精液还一股一股的流出。耀哥已经沈醉在肛交的乐趣,被我玩到射精了。我见机不可失,伸手帮耀哥打手枪,耀哥已经失去理智,开始淫叫:干!!足爽ㄟ,卡大力ㄟ!!要射洨了。
我加速插干的速度,帮耀哥打手枪的速度也加快。不一会,耀哥的鸡巴射出一波波的洨,力道完全不输年轻人。耀哥射��后我没拔出他屁眼里的罐子,仍然继续的操他。耀哥似乎不在意,依旧让我操着他的屁眼。我用满是耀哥精液的手,爱抚着耀哥,玩弄他的乳头。乳头似乎是他的敏感带,耀哥身体抖了一下。我见状加重力道,捏着他的乳头。耀哥这时又开始呻吟。我想这个异男大叔,根本就是一个假异男,身体超敏感,被男人玩弄还那么爽。我开始舔着耀哥的背。耀哥似乎已经完全享受着我的玩弄,刚射精的鸡巴又硬了起来,真不像一个年近50的大叔。我已经无法控制自己,把耀哥翻成正面朝上,我一把便坐了上去,因为刚刚在浴室有自己玩了一会,加上有耀哥精液的润滑,耀哥的大屌一下子便全在我的淫穴里了。
耀哥一阵呻吟随即开口骂人:干!!你在干嘛?!
我:耀哥!我好想让你干,快干我。
耀哥挣扎的要推开我:干!!你快闪开!我对男人没兴趣。
我强押住耀哥,自己上下摇动,强奸着耀哥的大屌。
我:耀哥,你也很爽吧,就让我也爽一下。
耀哥挣扎的动作渐小,开始变成舒服的呻吟……
耀哥:干你娘!!比女人的穴还紧,好会吸。
我使出看家本领~毒龙钻,在耀哥身上自己转了一圈,耀哥不停呻吟:足紧ㄟ!足爽ㄟ!
接着我用九浅一深的方式,骑在耀哥的大鸡巴上。
我:干……好爽……耀哥的鸡巴好大好粗,操得我好爽。
耀哥突然用力推开我,我跌坐在床上。耀哥抽出屁眼里的罐子,把我拉下床,我以为他要动手打我,没想到他把我拉到梳妆台,又从我身后操我。我扶着梳妆台,看着镜中耀哥凶恶的表情,身下的大屌在我的淫穴进出:干!!欠人干,林杯操烂你这个烂屁眼。
耀哥这时兽性大发,完全把我当作发泄的工具。加上耀哥刚刚已经射精,耀哥操我很久完全没有要射精的迹象,我开始求饶:耀哥小力一点,我要不行了。
我的鸡巴已经被耀哥操出洨来了。
耀哥:干!小力麦爽,刚刚不是很欠干,看我干到你挨爸叫母。
我:耀哥,干我,耀哥的大懒叫操的我好爽。
耀哥:知道林杯ㄟ懒叫大只就好。
耀哥持续干我,我不停的流洨。过了一阵子,耀哥加快操我的速度,我知道耀哥要射了,便说:耀哥射给我,我想要耀哥的洨。
耀哥:射给你这个小婊子,再帮我生一个孩子。
耀哥一个挺腰,我知道他已经射在我体内。耀哥拔出鸡巴。我们基情过后,互相看着对方。一阵尴尬沈默后,耀哥拉着我进浴室,我们冲洗后,坐在房间里。耀哥先开口:今天的事…我们…
我:没关系,这没什么,我不会说出去,我想耀哥你也不会自己说出去。
耀哥:不是拉……我老婆很少跟我上床,刚刚跟你…还蛮爽的…我又不敢在外面找女人…我是想说,如果以后我……可不可以找你……
我想这大叔真不坦率,尝过我的好处又想回锅,又不敢开口。
我:如果耀哥有需要,我随时都可以让你用,不管上面的洞还是下面的洞。
耀哥:上面??
我:下次让你试试我的嘴上功夫……
耀哥:那明天早上可以试试嘛??
我:……
这个大叔也太精力旺盛了吧。
果然隔天一早,我才刚起床,耀哥便兴致勃勃的说:阿你昨天说上面的洞…阿我现在…
我见耀哥已经拉下内裤,一根生龙活虎的大屌已经在我面前。我张口含住,耀哥一声喘气,抓住我的头。我将小耀耀整只含进嘴里,用喉头挤压耀哥的龟头。
耀哥:操!!好爽!!好会吸!!我老婆都嫌脏不肯帮我吹懒叫。
我想这个男人一生都没有尝过口交的感觉吧。我便使出吹含吸舔抠的绝招一一帮耀哥服侍。只见耀哥爽到极点,竟然不像昨天一样勇猛,一下子便口爆我,全射在我嘴里。我将耀哥的洨全数吞下,当作早餐前的蛋白质补充。耀哥发泄完后说:阿……你把我的洨都吃下去欧……
我:不然多浪费……
耀哥:阿…你是同性恋吗??
我都要昏倒了,不是同性恋昨天干嘛让你操屁眼,今天还帮你吹喇叭兼口爆。 我:是拉……我就爱男人的大懒叫。
耀哥:难怪你都没结婚……
我:不讲这个,刚刚还爽吧,怎么这么没挡头。
耀哥:才不是没挡头,是…真的太爽了,才会一下子就射洨…
我:那以后常常训练就不会没挡头了。
耀哥:以后…那如果我想要的话……你……
我:昨天不是说了吗…不管上面的洞还是下面的洞,都让耀哥自由使用,阿如果耀哥的屁眼想」按摩」我也可以帮你。
耀哥:干!!林杯怎么可能被你干,不过今天晚上…我可以……
我想这个大叔是想把3天两夜的员工旅游变成打炮之旅吗。当然我是没关系。
我:阿耀哥晚上还可以欧?
耀哥:不要看林杯快50了,懒叫还是生龙活虎的。
我想是不是男人过40只剩一张嘴,我晚上再好好的验证了。
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minatokucarpet · 2 years
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  ペルシャ絨毯買取専門店 当店は東京都港区、埼玉県川越市、神奈川県横浜市を拠点に 関東全域にてペルシャ絨毯の出張買取を致します。 お引越しや模様替え、リフォームや家の解体などで使わなくなります ペルシャ絨毯、高級絨毯、ブランド絨毯、ブランドラグの買取を行っています。 また、織が良い物は絨毯ほかキリム・ギャッベも買取致します。 お住まいが遠方の方は便利な宅配買取をご利用ください。(下部参照) 当店はリビング用の絨毯から玄関用の小さな絨毯まで幅広く取り扱っております。 併せまして高級家具や高級時計、ブランド品、エルメスやクリストフル マイセン、リヤドロやラリックなどの西洋アンティーク、銀製品なども買取致します。 私どもはペルシャ絨毯買取やアンティーク買取に自信を持っております。 満足いただけますよう精いっぱいで査定させていただきます。 ぜひペルシャ絨毯買取はペルシャ絨毯買取 専門にお任せください。 Read the full article
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getrend · 9 days
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洞内照明をLEDに変更した「秋芳洞」、洞窟内の生態系が崩壊して『鍾乳石』がとんでもないことに……
洞内照明をLEDに変更した「秋芳洞」、洞窟内の生態系が崩壊して『鍾乳石』がとんでもないことに…… ・・・Pickup アナグロあんてな 洞内照明をLEDに変更した「秋芳洞」、洞窟内の生態系が崩壊して『鍾乳石』がとんでもないことに…… Source: アナグロあんてな
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wangwill66 · 3 months
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致命玩笑:死亡與復活秀
H:「完整的紀錄「致命玩笑合唱團」各團員的想法,以及之間有趣的軼事,是樂迷們最棒的精神食糧。」精神食糧是什麼?查查。空思妄想,想太多,空泛,就是李白「抽刀斷水水更流,舉杯消愁愁更愁。人生在世不稱意,明朝散發弄扁舟。」最佳寫照。人人需要精神食糧,提供人生再戰的勇氣和信心!20240624W1
網路資料:
致命玩笑:死亡與復活秀
本片為限制級影片,必需年滿18歲以上方可觀看
2013
2小時30分
限制級
7.6
播放
音樂雜誌評論音樂水準是五顆星,樂團道德水準只有一顆星!
1979年,傑斯·科爾曼在倫敦街頭排隊領救濟金時,認識鼓手保羅·弗格森,為找尋樂團的其他成員,傑斯相信保羅的建議,在公寓地板構築起魔法陣,以大量蠟燭增加其魔力,下場是徹底燒毀公寓…。所幸隨後,綽號「小子」的貝斯手-馬丁·葛洛弗、綽號「東北人」的吉他手-凱文·沃克加入,衝擊樂壇30餘年「致命玩笑合唱團」就此誕生。「致命玩笑合唱團」草創時,英國樂壇大都是充滿商業氣息的龐克樂團,唯一能被稱是龐克樂團的性手槍合唱團又瀕臨瓦解邊緣,崛起之時可謂掌握天時與地利!完整的紀錄「致命玩笑合唱團」各團員的想法,以及之間有趣的軼事,是樂迷們最棒的精神食糧。
今日片語 單字“food 食物” 是個常見詞,“thought 思想” 在日常對話中出現的頻率也很高。 這兩個詞搭配組成“food for thought”,字面直譯為“思想精神食糧”,即“引人深思的事情”。 若一件事情讓某人認真思考,引起深思,那此事則“give somebody food for thought”。
精神食糧,是一個網絡詞彙,意思是指讓人覺得精神充實,不虛度時光的東西。
中文名
精神食糧
定義
讓人覺得精神充實,不虛度時光的東西
你是否曾經在心情沮喪低落時沒有食慾?食慾的改變,與連帶的體重顯著變化,是處在憂鬱心情的人或憂鬱症患者可能會有的現象之一。
好比工作挫敗被主管貶低;失業覺得自己沒路用;親密愛人離自己遠去;重要親人過世後自己一蹶不振⋯⋯這些經驗都可能深深地將人拋向內心淵谷而爬不起來。
我們的內在生命是否存在精神食糧,供給自我價值感與平靜喜悅等養分?
給自己機會思索,原本支撐著自己心裡的某些部份是否只是暫時消失了?是不是有機會重新用另一種形式再次給自己力量。透過閱讀、旅行、人際互動、心理諮商等方式,給自己時間去尋找答案。
但是要相信:「能夠邊哭邊吃飯的人,活得下去。」(引自日本影后松隆子所主演日劇《四重奏》第三話劇中對白)
先慢慢地從好好吃飯、照顧好自己的生活起居開始。可以的話,做些自己平常喜歡的事,就是身處憂鬱低落之時能踏出的一大步。
抽刀斷水水更流,舉杯消愁愁更愁。
出自於李白的《宣州谢脁楼饯别校书叔云 / 陪侍御叔华登楼歌》
朝代:唐代
作者:李白
棄我去者,昨日之日不可留;
亂我心者,今日之日多煩憂。
長風萬里送秋雁,對此可以酣高樓。
蓬萊文章建安骨,中間小謝又清發。
俱懷逸興壯思飛,欲上青天攬明月。(覽 通:攬;明月 一作:日月)
抽刀斷水水更流,舉杯消愁愁更愁。
人生在世不稱意,明朝散發弄扁舟。
「精神食糧」指一種非物質的資料、思想,能夠對我們產生思考、理解,感動. . . 精神食糧一種是別於物質以外的必需品。
精神食糧便是這些思想的產物,它們通常的表現形式為書籍、音樂、藝術品什至「次文化」的動漫等。他們都為我們的平淡的人生帶來「色彩」。
改變教育方針,從孩子小時候灌輸知識,發掘興趣,才能真正解決問題。改變教育方針,從孩子小時候灌輸知識,發掘興趣,才能真正解決精神食糧缺乏的問題。
精神食糧
zhuyin[ㄐㄧㄥㄕㄣˊㄕˊㄌㄧㄤˊ]
pinyin[jingshenshiliang]
nourishment for the mind; intellectual food; mental food; spiritual food
什麼是精神食糧?優秀的圖書、影視劇作品,群眾喜聞樂見的文化活動等,這些都可以稱為精神食糧。就是人類為了滿足精神需求的事物。
每個人的精神糧食不是不盡相同的
有時候是一本書
有時候是一集電視劇
有時候是一首歌 一首詩
“精神”是人的意識,包括人們的思維活動和一般的心理狀態。如認識、情感、意志、信念、言行、行動和習慣等內容,凡是為此所需要的為精神食糧。精神食糧也有不好的,比如賭博對於賭鬼來說就是精神食糧,而沉醉其中有可能使人沉淪。
人的精神糧食是什麼`?
一、是家人對你的關心和愛護。
二、有朋友對你的支行。
三、呵呵,有女朋友在背後默默的支持你。
四、就是為了你的理解而努力吧。
大連話長精神頭意思解析:說明領悟能力強,洞察仔細,會見機行事。
邵雨薇精神糧食:
「有時候,我們要試著練習釋放悲傷,而不是只忙著帶著微笑拼命在人前綻放。」
「即使每天都得面對現實的打擊或困難,我還是希望大家都能偶爾花一個小時,做回孩子般的自己。」
「漸漸懂了,不用再為不安加油,把所學的一切盡情揮灑,享受舞台帶來的滿足。那個光彩,絕對是不安給不了的,而我,不會是永遠的菜鳥」
「以後一定還有什麼課題等著我,但管他的,現在比較重要,以後的卡關以後再說。」
「不要懷疑自己,沒有一條路是絕對正確的,你每一天選擇創造的故事都在為你寫下存在。」
「我們不一定最特別,但我們一定有機會得到幸福。對嗎?」
博客來介紹:
精神食糧:偉人故事陶冶靈魂 (電子書)
作者:馮志遠
語言:繁體中文
出版社:千華駐科技
出版日期:2023/06/01
內容簡介
《精神食糧:偉人故事陶冶靈魂》是一本關於世界各國偉人的故事集,透過這些傳奇人物的事蹟,讓讀者能夠感受到他們的成就與精神,並從中獲得啟發和激勵。
總而言之, 《精神食糧:偉人故事陶冶靈魂》是一本值得每個人閱讀的書籍。它不僅讓讀者瞭解到世界各地的偉人事跡,更讓讀者深刻體會到偉人們所帶給人類的不可磨滅的精神力量。此書可以幫助讀者找到內心的力量,面對挑戰和壓力,從中獲得啟示和激勵。這本書所涵蓋的偉人故事豐富而精彩,能夠激發讀者的思考和想像力,讓他們從中獲得成長和提升。
目錄
前言
愛國志士的故事
林則徐
�� 門 銷 煙
巧布尿壺陣
關天培
虎 門 浴 血
鄧世昌
黃海捐軀昭後人
陳天華
以身殉國,喚醒同胞
敲響警世鐘
張學良
青 少 年 教 育
少見的英才
西 安 事 變
左權
馬本齋
1.中國的夏伯陽
2.「黨就是我的母親」
3.設計殺敵
4.高紀莊血戰突圍
5.「馬本齋同志不死」
聶耳
人民作曲家
張自忠
軍人的楷模
戰鬥英雄的故事
李廣
蔔式
霍去病
楊繼業
戚繼光
猴子幫助抗倭
巧用竹槍刺倭寇
懲舅治軍紀
鄭成功
收復臺灣,流芳千苦
借潮趕走荷蘭兵
馮婉貞
馮婉貞智勝強敵
姆克瓦瓦
坦桑尼亞民族英雄
崔可夫
1.亂世從軍,兩度出使中國
2.為斯大林格勒勇敢戰鬥
3.得之不易的庫爾斯克之戰果
4.攻打戰爭的最終目標——柏林
革命先烈的故事
秋瑾
巾幗英雄鑒湖女俠
楊靖宇
1.精忠報國
2.戰重圍,巧妙跳出包圍圈
3.灑熱血,英勇不屈喪敵膽
劉胡蘭
少年黨員
董存瑞
「兒童團長」經歷
捨身炸碉堡的董存瑞
楊根思
特級英雄楊根思
黃繼光
用身體堵槍眼
邱少雲
烈火中永生
貞德
奧爾良少女
版權��
每個人的生命中,都需要一些精神上的支援和鼓勵,來幫助我們面對人生的挑戰和困難。而書籍,可以成為一個不錯的精神支柱,帶給我們充足的知識和啟示,甚至是力量和信心。
總體而言,本書是一本非常值得閱讀的精神食糧,特別適合那些希望從偉人故事中獲得啟發和鼓勵的人。透過閱讀這些故事,我們可以瞭解到偉人們在人生中所面臨的挑戰和困難,以及他們是如何克服這些困難、發揮潛能並最終獲得成功的。這些故事可以啟發我們對生命的信心和勇氣,讓我們更有動力地面對人生的挑戰和困難。
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numpler · 4 months
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旅の話 山口編①
3月の終わりに山口県へ行った。金曜に仕事を終え、萩行きの深夜バスに乗るために東京駅へ。八重洲の地下街の端にある、昔のパーキングエリアみたいな雰囲気のカレー屋で380円のカレーを食べ、それまで退勤中の感覚だったのが一瞬で旅の感覚に切り替わる。
19時30分、深夜バス萩エクスプレス発車。
1週間の疲れもあってか、早い時間にも関わらずすぐに寝付くことができた。
翌朝、広島の沼田PAでの休憩で起床。広島や、山口県内各都市の停留所でそれぞれバスを降りる人がいる。終点の萩に向かう頃には、車内はガラ空きになっていた。
乗車時間15時間40分、東京から1,000㎞。最終目的地の萩に到着。
レンタカーの時間まで萩市内を駆け足で散策。時間が足りなくて昼食を食べ損ねた。朝食用に買ったパンが余っていて助かった。レンタカーを借りるや、秋吉台の方向へ。これから3つの鍾乳洞を巡る。
①景清洞
平坦な横穴がトンネルのように続いている。受付の人に探検コースは水浸しだよと言われたので観光コースだけにしたが、意外と探検コースに行っている人がいる。あとでわかったが探検コースの途中までなら大丈夫だったらしい。
②大正洞
景清洞よりも入り組んでいる印象。この洞窟では、音声ガイドとして「マグシーバー」が貸与される。マグシーバーとは株式会社グローバル振興が開発した特殊放送受信機で、昭和50年から平成4年にかけて日本各地の観光地で導入された実績があるようである。世の中には知らない道具がたくさんある。
さて、洞窟を2つ巡ったところで、夕方にもなったので宿泊地へ向かう。俵山温泉へ。明治屋旅館で一泊お世話になる。
この温泉街の旅館には内湯がなく、宿泊客は皆外湯へ出向くことになる。外湯へ行きがてら街並みを散策したりして過ごす。桜が咲いていた。夕食は鹿肉と猪肉が乗ったそばを食べた。
翌日、3つ目の鍾乳洞へ。が、その前に、もう一つ気になっていたスポットへ寄り道する。
江原ウバーレ集落
石灰岩の窪地の中にある集落。全方向を山に囲まれていて流れ出る川がなく、雨が降ったら湖になってしまうのではないかと心配になる地形をしている。なのになぜ湖にならないかといえば、一番底の箇所に「吸い込み穴」があり、雨水などはそこから地中の洞窟へ流れこんでいくからだという。
人の生活空間にあった水が洞窟に流れていくというのはなんだか不思議な感じがする。
ちなみに吸い込み穴は一応フェンスがしてあるのだが周りから落ち葉とか入っちゃっており、詰まったらやっぱり湖になってしまうのではと心配になる。
次回、この旅最大の目的地・秋芳洞へ
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ecckunass-amen · 5 months
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《太阳神宫殿》part2
占卜师不会露出自己的容貌,印象中在占卜屋里的妈妈都会用金丝勾勒的面纱挡住自己的脸,只能隐约看到他优美的轮廓,以及那双勾人的眼眸,微微笑意,诱人掀开面纱吻上去。我猜这也是那些有钱人为什么愿意花上一大笔钱来让母亲预测他们虚无缥缈前途迷茫的未来,或许他们想要的仅仅是母亲偏凉的双手握住他们的手的触感罢了,我对那种肮脏下贱的念头很是熟悉。那些挺着大肚子散发着臭味的男人在母亲身上看到的是一个妖娆艳丽容貌姣好的美人,而那些趾高气扬的刻薄女人献媚的对象是一个英气逼人的漂亮男人。我厌恶这一切,我憎恨那些人在母亲身上舔过的眼神,我反感母亲不得不带着笑应付那些污秽的言语,我多希望我能挺身而出将他整个覆盖遮挡?
在日后,我会偷偷的藏在阴影中,那是我永远塌陷的道德,和破灭的理智,我躲在阴影中舔舐母亲的每一寸肌肤,吞下他的每一丝呻吟。有什么东西像泡沫一样炸开了,变成了水的尸体,有一道不知通向何处的门永远关上了,但我不在乎。此时的我拥有我最爱的人,我最思念的人,最独特的人。一切都是臆想出来的美好,我就像可怜的哈勒姆,只要与母亲相拥就能够微笑安睡在虚无的梦境中,大概是只有到死才会从幻想中醒来吧?但是在此之前,我会不顾一切的,用尽一切方法去抓住母亲的衣角,不让他离我而去。
而母亲只是隐忍,包容,将我的一切污垢吞咽,丝毫没有发现他精心护理、勾勒形状的人,在看不见的地方裂开了無法被修补的缝隙,不断生出邪恶,最终会反过来吞噬他自己。妈妈,你的灵魂飘的好远了,一直到了云上,我怎样才能抓住你?我注定成为和月亮相爱的人,葬身于断崖吗?
我第一次杀人是在九岁的时候,镌刻在血液中的野性让我难以控制住自己的力量,那个无辜的受害者是一个绿眼睛的少女,她是那么的善良又容易放下戒心。善良的人是会遭到报应的,我一直都知道,因为母亲就是最好的例子,那么那个女孩大概就是遭报应了吧。我从不觉得自己是什么好人,就连母亲也是罪恶之城出逃的罪人,所以我一定是遗传了母亲骨子里最深层的邪恶。我学习并认知着自己爪牙的锋利,是否能划开皮肤咬碎骨头。那个女孩腹部被撕裂的样子就好像一条蟑螂的尸体,生出蛆虫,白花花的一条一条覆盖在她的伤口处,钻进钻出拼命的蠕动试图汲取养分,用她的生命换取自己存活的自私鬼。
那时的我是多么年幼无知啊,忘记在她活着时就掏出她的双眼,尸体的眼睛是没有灵魂的,既没有神采也不动人,就好像劣质的塑料品,里面看不到一片叶子一株草木,更别提一片森林,那些扯断的神经倒像是剪断的电线,告诉我电影已经结束了。我在空旷的躯壳里摸索着,这是肠子,吃起来是鱿鱼一样,在断裂的切面还有一些未消化完全的流质食物,一些蔬菜纤维和玉米粒,这是子宫,如果用力捏紧就会像海绵一样挤出很多血水,然后砰的炸掉。而其他的我就不感兴趣了,只是胡乱的撕咬,留下抓痕和齿印,比起虐待这样毫无生气的肉块,我更愿意躺回母亲身边去闻他胸口若有若无的乳香。至于尸体,那就与我没有任何关系,在第二天黎明,我们就离开了那座城市。
现在想来,大概还是变成了虐待活物的怪癖,我会用没有多少重量的木锤试图去敲开一只兔子的头颅,也会抓着它的两只长耳朵把它对半撕开,或者猫啊,狗啊,什么都好,更多时候单纯想要发泄内心想要把那柔软皮毛撕裂的欲望,从毛发到皮肤连根拔起,而非注视死亡之前绝望的眼神。只有完全的,一丝不剩地发泄完全,才能在帮母亲梳理他柔顺的长发时,不弄掉任何一根发丝。
到了后来,我杀人的次数越来越多,也越来越猖狂,甚至为了不让母亲担心而匆匆赶回去,不顾自己脸上手上还粘着鲜血地穿过人群跑过街道。在见到母亲之前,我会尽量将自己洗净,而衣服上的血渍终归是会被发现,母亲肯定已经明白了,但他什么都不说,只是帮我把污渍尽力搓洗到只留下淡黄色印记,像是打翻的咖啡。但是我能嗅出来那种细微至极的,母亲的体香,就粘在上面。我的童年就好像夕阳,绚丽的晚霞,白日将尽母亲的期盼,和黑夜将至危险的张狂。
随着在我手下逝去的生命越来越多,我的罪孽也是无比深重的,越是发泄越是渴求,我内心深处的尖啸只有母亲能够安抚。我开始找寻一些更具有目标性的猎物,红发,绿眼,或者是纯洁无瑕的处女,也有戴上婚戒的情人。处女是我的仇恨与不满,情人是我的嫉妒与憎恶,她们都无法成为痴迷和狂热的替代者。我第一次将手指塞进一个女孩的下体,因为她逃窜时狼狈露出胯间的蕾丝装饰与吊带袜像极了母亲,母亲身形更偏向青涩少女,却从不愿意在自己肚脐下方点缀一个调皮的蝴蝶结。但她永远不及母亲那么优雅,她不配成为母亲的幻影。我记得我的利爪勾破了她,那种绵软如同蛞蝓一样的质感让我不禁遐想母亲触碰起来又是什么样子。鲜血是随着子宫被我扯出来的,尖叫和泪水也是被我吃进腹中的。我在她苟延残喘时就咬断了无名指——沿着���个熟悉的,被戒指勒出来的印记。我感到特别自豪,我出于爱而做了一点事情。
到头来我依然觉得无论多少杀戮,多么残忍的虐待,都无法满足我内心深处对于鲜血的渴望,我尝试着各种各样的血液,新鲜的,腐臭的,甚至是将自己每个部位划开贪婪的舔舐。我更加偏好我的鼻血,在干燥的夏季秋季,那些不知不觉中滴下,在衣服上砸出血坑。换作是母亲,她会用袖子帮我擦掉并仰起我的头,将卫生纸裹成一团塞进我的鼻孔里。但是我更喜欢让它全部流到嘴里,或是低下头把双手聚拢成一个窝,试图接满成一个血槽,再慢慢舔干净。我喜欢舌头裹着一层凝结的血膜的感觉,也喜欢使劲吹气时血珠到处喷溅的感觉。但是玩多了也腻了。反而经期的母亲似乎从头到脚都会散发着一股诱人的芳香,是能够真正满足我的美食。母亲经期不太规律,有时日期会相差很久甚至很近,或是一次持续很长的时间,再加上母亲终究是对变成“女性”的身份不太适应,总是会不小心让鲜血顺着腿流下来甚至染红裙子。我看着他染血的床单,像绽放绚烂的花,也像被强行捅破下身的处女,凄惨又挑起致命的欲望。
母亲带血的内裤我会偷偷藏起来,用舌尖品味榨取渗透进布料的每一丝腥甜,这完全就是寥若晨星,所以我将渴求的目光转向了母亲使用过的卫生棉条,那浸满母亲鲜血的棉棒就好像可口的糖果一样诱惑我,只要一挤就能挤出好多血。马戏团里大多是男性,母亲也就自己用一个废弃的纸箱来扔那些使用过的玩意,这倒方便了我去让那些被丢弃的物品再次获得价值。我捡起它们像是舔男人老二的荡妇一样含在嘴里吮吸,用口腔挤出每一滴血液,满意的吞咽下去,那是无以伦比的快感。还有一些上面挂着凝结的像肉一样的血块,我用指甲捏起放入嘴中试图碾碎它们,如同对待一颗草莓一样,在齿缝间玩弄,还有一些透明的粘液勾连着舌尖,然后囫囵咽下。只要一张口,双唇就会扯起血丝和粘液,可能来自母亲,也可能是我干涸的唾液。
我好想能够有一天亲手从母亲体内勾出它们,吸出它们,是可怜的狗在捡食母亲不要的东西。而母亲只是在训练他的忠犬,热衷于看这匹发情的公狼扑过来时鬼鬼宗宗的模样,我好希望我能够享用母亲,我在舔净手指上沾染的最后一丝经血时带上了令我浑身炽热的欲望。
大概是狼人的血统作祟,我比正常人性成熟早了不少,大概十岁多的时候,我就已经遗精了,第一次是和母亲睡在一起的,第二天母亲意味不明的对着我笑,眉眼中多了对那些男人的媚态,也许是我的幻觉。但是从那一夜之后母亲就让我分床睡了“你也需要自己的空间,你会习惯的,不能总是依赖妈妈”
我清晰的记得母亲是这么和我说的,我不知道那一夜我怎么在没有母亲的呼吸下睡着的,也是从那之后我开始学着触碰自己下体,脑中想象母亲的声音“我爱你,ste,我爱你,我的宝贝,我的小星星”。我爱你,我爱你,我爱你,我们都爱着彼此。我在一个个黎明的迎送中长大成人,然后从门缝中偷窥母亲,看他如何更衣,如何化妆,如何狂躁的掀翻桌子,如何颓废的裸着身子蹲在脏衣服堆里抽着大麻。那种堕落是我从未见过的,也是母亲不愿意在我面前表现的,我仿佛触碰到百合腐烂的根茎一般,那是一种莫名的悸动和兴奋,每次都足以让我勃起,在燥热中低声呼唤母亲,对着他毫无防备的身影偷偷射在门框的一角。就好像我无数次目光钻进母亲俯身时的衣领,贪婪的描绘安置在骨骼上微微耸立的蒙布朗塔。
我把母亲的照片摆在自己床头,早晨虔诚的亲吻,晚上亵渎的自慰,每一次失眠我都会把那张小小的照片,连同相框一起拥进怀里,给自己哼着歌,假装是母亲在哄我入眠。母亲会知道我在想他吗?还是说他比我更孤独?所以为了不让他孤独,我每天都将他擦得干干净净,摆放在桌上,甚至能印出自己的脸。
我也曾偷窥过母亲抚慰自己,和我没什么区别,但是在他张开双腿时,我窥窃到的那是不属于男性也不属于女性的器官,我见过女人的,也熟悉男人的,但是都和母亲的不同,母亲就像是用刀一层一层切割开的玫瑰,又像是一只眼睛,注视着我放在胯间的手,谴责着我的罪行,邀请着我的加入。我已经难以忍受了,想要立刻就俯身亲吻上去,就快了,就快了,只要我成为母亲的情人,一切都会属于我的。包裹在那丝绸睡裙中,母亲咬着嘴唇不想被人发现,死白的肌肤渡上红晕,甚至在高潮时夹紧双腿,留下修长指节仍插在那个隐秘的洞穴中,汁液在黑夜中闪着光,也许是滋养我生命的甘泉吧?带来死亡和狂欢的,却不曾发酵过,亮晶晶的沾满了床单,我猜是钻石洒在了上面,相比起来我手上黏浊的腥臭是那么猥琐低贱。
我大概是被多巴胺绑架了。
母亲就好像那种无花果,藏在树叶中,像是快要滴下的乳房,表面粗糙而内脏全是缤纷的花和果实,不仔细寻找是看不到他的。他看上去是完好无损的,实际上已经破了个不起眼的洞,那些蜜啊汁啊全部涌了出来,勾引着虫子爬进去,就连地底的蚂蚁都会被他吸引。他展示给人看的那一面是多么完美无缺,其实内心早已生出蛀虫,糜烂的不行,但越是这样越成熟,也越甜越可口。
血脉始终是摆在那,母亲是狼王,而我又是唯一一匹公狼,母亲理应成为我的伴侣,即使我们从不合群。我骨子里那低贱的狼人血统就是这么告诉我的,征服你的母亲。
我对母亲的痴迷已经超过了我对自己的认知,当我意识到已经为时已晚。我们在意大利停驻过冬的时候,母亲跟随Wladyslaw先生和师傅出了门,马戏团没有运营,所有人只是自己忙着自己的事情,也没有人知道他们什么时候回来,我们什么时候离开。我就像是一个弃婴,孤单的依靠着母亲的房门,它就像那第十三道门,甚至没有上锁,我不知道自己是否应该打开,但最终的我是没有经受住诱惑的。
我和母亲房间隔的很远,一道墙,或者是他的怀里,就几乎隔绝了我对这里的观察,我的目光永远是跟随母亲的,这是我第一次真正的审视母亲的房间。所有东西全部堆积在地板上,狭小,肮脏,混乱,邋遢,这些词语在母亲身上也赋予一层虚假的褒义,但在不起眼的角落里有一架钢琴,上面放着一盆仙人掌。我曾经会弹奏它,但现在我几乎从不触摸上琴键,我害怕,我害怕有人听出琴声中我对母亲炙热的爱,我对母亲的贪婪占有,我对母亲罪恶的欲念。除此之外,就是唯一整齐摆放的,是一整面墙的书籍,如同我出生的那个地方,那个名叫Leo的男人为了母亲将所有墙壁变成了书架,我仿佛置身于图书馆中,而母亲会坐在楼梯上,靠着书籍静静的发呆。
没有母亲的我像是无头苍蝇一样胡乱冲撞,只能如同筑巢的母兽一样将母亲换下的衣物堆成一堆,钻进去把自己埋起来,贪婪呼吸着属于母亲的味道。十三岁的我已经长到了母亲的肩头,母亲的衣裙在我身上还是略大了点,但并不会妨碍我偷偷套上,记住每一处皱褶的味道,然后钻进母亲的被褥中,嗅着枕头上残留的母亲发丝的芳香入睡。而趴在地上,就能看到母亲藏在床下的鞋子,包裹他曼妙足弓的鞋子,有浓浓的檀香味,亲吻鞋尖就仿佛吻在母亲的脚趾,想要全部含到嘴里舔舐,隔着丝袜,湿润他的皮肤。只要想到桌前那张椅子母亲经常坐在那里梳妆,我便虔诚的跪在一旁,轻轻枕在椅子上,仿佛幼时母亲让我枕在他的腿上,拨开我耳畔碎发,注视我沉睡的模样。我也会悄悄抬起母亲的杯子,饥渴的舔舐边缘淡淡的唇印,既是它自从母亲离开后一直没人清洗,沾染了多余的灰尘味道,而并非母亲唇齿间的香甜。我用鼻尖、用睫毛去亲吻母亲的每一件物品,打上了独属于自己的标记。就好像我拿起母亲的耳环试图带在自己的耳垂上,才发现自己没有母亲那样的一个足以容纳那根银线的洞口,于是我用力把它穿了过去,留下一个渗血的,难以愈合的痕迹。
拉开母亲的被子是会发现床单上一些随手抹上去的痕迹,我如同弥撒中的信徒,爬伏在那里,嗅着,舔着,幻想着,然后也把自己的痕迹留在了母亲的床单上。印记重合着,分不清是我的还是母亲的,这让我兴奋的不行,像狗一样吐出舌头喘息,就连尾尖也紧绷起来,下贱而又丑陋的野兽。我想把我的肮脏抹在母亲的圣洁上,他的钢琴上,鞋上,杯上,内衣上,被母亲沾在指尖,穿在足下,饮进嘴里,戴在身上。或许我才是应该被绑在绞刑架上的人,挂在墙上的花束显得我想要剥开母亲每一寸肌肤的欲望是那么可怜又恶心。我抚摸神像,手指没有渡上金,而是渡上了罪恶与灰尘。
就在那几天,我对母亲的想念超过了一切,我找到了一个红发绿眼的女孩,定为下一个目标。我只是因为她的容貌而偷偷尾随她来到了她的住处,我蹲在墙角朝手心哈气,看着空中凝结的白雾似乎幻化成母亲的样子。那是一个烘培面包的女孩,善良的她梳着两个麻花辫以为我是无家可归的报童,便偷偷从窗口递给我一个面包,夹着浓厚的奶油,问我够吃了吗。“ste吃饱了吗?”“ste够吃了吗”就好像是母亲在耳边安抚一般。那一瞬间我渴望自己回到子宫,被母亲捧在腹中,在温暖的羊水中安睡。那么面前的人就是母亲的劣等仿制品罢了,我想要在她的子宫里也待一会。我问她还有吗,她说
“如果不够吃的话明天再来。”
第二天,我把她拐骗到没有人的丛林中绑在树上,趴在地上强行掰开她双腿露出那个逼仄入口,并从头开始假装自己任然是那个幼小的胚胎,试图把自己塞进她狭窄的下腹,她赤裸的双腿因为过紧的束缚和严寒而发紫,血管清晰可见,我在她疼痛的惨叫中,混着鲜血勉强把自己脑袋塞了进去,却被胯骨挤压得难受,里面是窒息的反胃感,最终结果我们互相挣扎着逃脱,以她的肌肉和骨骼都撕裂而结束的。明明下半身已经像是烟花一样碎裂,就连肠子也流到地上被雪花粘了起来,我试图把它们从雪地中扯起,却无济于事。
那么嘴也行吧,这样想着,我试着掰开她的嘴,把自己的脑袋挤进去,可惜嘴角撕裂到耳根,骨头也掰断后,人类的食道还是没有办法把我送进子宫。这个女孩失去了她的下巴,但是这个女��还没有死,也许是冰雪冻住了她正在流逝的生命,她依然用残存的意识发出绝望的发出凄烈的哭叫声,却被声声狼嚎掩盖过去。
她到底哭什么呢?她是在共情我的哀伤吗?她完全无法理解我想要重回子宫这一原始环境的疯狂欲望!我甩掉头发上腥臭的粘液,本能的哀嚎呜咽,可它们却在我的毛发上结成点点冰霜,甚至快要冻住我的睫毛封住我的双眼。母亲啊,我永远也不能回到你的腹中,因为你一定更加脆弱更加易碎,我不愿意白雪沾上血污。我最后奸了那个女孩的尸体,仇恨一般的捣烂子宫,在群狼蜂拥而至后,绝望的奔进森林深处。回不去,回不去,回不去,我明明一直都知道。我痛苦的哭号,思念扭曲着我的心脏,疼痛抽搐我的四肢。最终,我是在母亲的衣柜里,用裙摆蒙住眼睛睡过了那个夜晚。
也正是那一夜,在她激烈的挣扎反抗中,我的手指不知磕在了那里,指甲周围一片瘀血,或许比起那个被饿狼啃食只剩下一个头颅孤零零挂在那里的女孩好得多,但是真的很疼。我原本以為那些血液很快就会消散,流回它应该在的地方,我猜是我错了,直到母亲回来,我的手肿起了一块。我扑进母亲的怀里,将鼻尖埋在母亲的颈窝,顺着耳后细细嗅着,不放过任何一丝细节,试图记住母亲身上的所有味道。但是母亲拉起我的手,问我怎么了,我不敢全部告诉他,只是说被门夹到了。于是我看着母亲跪在我面前,在烛火上把尖刀烧红,然后割破了我瘀血的地方。腐败发黑的血液一瞬间涌出来,我因为那股恶臭捂住了鼻子,但妈妈却把我的手指放入口中,轻轻吸出那些腐烂的坏血,吞了下去,接纳了我所有的污垢。当时的我,耳垂上还挂着母亲的珍珠耳饰。
我的话语总是在面对母亲的时候枯竭,在波兰时,我们停留在一片接近丛林的田野,不远处是教堂,教堂旁边是一个磨坊,风车转啊转啊,母亲喜欢趴在草地上看书,身影被风车切割成很多很多,伴随着朽木的吱呀声。我甚至不敢接近,只能在远处看着蝴蝶停到他背上,大概是怕吓跑了蝴蝶吧。地上草叶把他露出的腿扎得泛红,还有一个突兀的蚊子包。那是时光倒流的感觉,仿佛暂停在一个永远的循环中。所以我踏足教堂,虔诚的询问我对于母亲的爱是否应该藏在不会被人看见的地方,可是神爱世人,他会宽恕我,我犯下的并不是罪行,而是应该被原谅的爱。如果我推开那座教堂沉重的木门时向里窥探时,却看到神父正在强曓一个无辜的农女。
于是我走开了,关上门来到了田边,我询问一个正在田埂上采摘野菜的蓝色头巾年老妇人,我应该如何对妈妈表达爱意,妇人打量着这个口音奇怪的异乡人,然后把我带到家里,用仅剩的半碗面粉和四处借来的两个鸡蛋给我烤了一个苹果派“我还小的时候,我的母亲会给我做食物,所以我学会做饭之后,就给她烤了一个苹果派。”她混浊的双眼看着我,拼命用那破洞的裙子试图擦干净屋内唯一的盘子,佝偻的背脊让她只能弯腰叹息,我吃完派道谢后就离开了。我只有弯着腰才能挤出那道低矮的房门,大概是得学点什么吧,暗暗记下后便一直等待着一个合适的时机。
大概就是在几天后,我偷偷学会了派的做法,并偷走了一个婴儿。那个小家伙倒是什么都不知道,躺在地上直到我割开他的喉咙才开始哭泣。婴儿的血有一股奶腥臭,但是肉或许口感更好,母亲对于食物通常很挑剔,我为自己的聪颖而沾沾自喜。婴儿那么小,却也有齐全的内脏和那么多脂肪,但都是那么小,像是假的,小小的心脏在我指甲戳到的时候还在努力跳动着。我将他想象成一个可口的蛋糕,挑一块吧。尽力挑选出一些看上去不错的肉块,趁他还没断气割了下来,用拙劣的技巧做出一个歪歪扭扭的派,再三检查自己没有不小心混入指甲或者头发,如果母亲吃到一根人的手指可能会吓得尖叫,我很乐意看到那样的场面但这样也许他会再也不理我。
我看着母亲吃下了那玩意,虽然在切开的瞬间面片甚至没有熟透,里面的肉泛着血水,而底面却已经焦糊。母亲仿佛没有味觉一样,咀嚼,吞咽,笑着说好吃,我想起了同类相食,有些人听说自己吃的可能是人肉就会开始呕吐恶心,搞得人心惶惶,母亲在吃人类的尸体但是自己毫无察觉,就好像在诱惑一个纯洁无瑕的人逐渐堕落一样,吃下去吧,把所有的一切吃下去,包含着我的扭曲的爱意,全部吃下去。我看着母亲有些反胃的吞咽,只���觉一股温热涌进下腹——我无可救药的勃起了,就在餐桌下面,不为人知的秘密,我好兴奋,原来母亲愿意为了我做这么多,这么多,我好想就这么占有母亲。我看着母亲艰难的试着吃完,而我就坐在他的正对面,偷偷的噫淫着与母亲做爱,然后射在自己手中湿湿嗒嗒滴到地上,可惜母亲被恶心的食物腻上所有感官,闻不到我对他的爱。
后来几天母亲因为我闹了肚子,像是被清空了肠道一直到只有一些消化液的程度,甚至没有粪便的味道,倒像放置了一夜的死虾的味道,我忍不住听从脑海深处的声音,在一堆卫生纸中嗅出母亲的味道偷偷捡起舔了舔那浅黄色的稀液,咸咸的,还带了点类似皂角的味道,比我想象中好吃得不少。于是我再次窥窃上,如果母亲愿意包容我所有的肮脏怪癖,愿意在我面前摒弃羞耻,将它们全部注入我的嘴里,那我一定会激动得停止呼吸,用舌头一点一点帮母亲清理干净。
我就像是被抛弃的屎尿,蜷缩在那一堆污秽的垃圾中,像是翻刨食物的流浪狗,拼命找寻着带有母亲味道的纸巾,一张接连一张,放到鼻子下辨认出母亲的味道,发了疯的舔食。最后在无尽的渴求中昏睡了过去。醒来时,一些黏黏糊糊的粪便在身上结痂,引来无数的苍蝇。
大概是在很久之后,我才明白母亲想要的是一个能够听懂他说话的人。能够明白他的自言自语,他所说的每一个作家,引用的每一个词句。这才是母亲真正想要的,而非性。性和谁都可以,认识的,不认识的,甚至是你的亲生母亲,但是所谓的知己是只有一个的。那时的我刚满十四,便开始埋头到书籍中,凭借一丝天赋不断的一本接连一本的学习着,将它们整本背诵,来认定母亲所爱好的意境究竟是什么模样。
最开始的时候是难以忍受的,就好像大脑塞进太多东西,再也塞不进任何一点。无数未经我美化过的,绝望的,崩溃的回忆全部涌了上来。
我出生的房间里,Leo曾经满心欢喜,期待的布置得很美好,至少在他发现我不是他的种之后也依然那么华丽,在摇篮旁他会偶尔弹奏钢琴,悲伤,愤怒,然后离开。我认识中的他是阴郁而颓废的,有时会殴打母亲然后压抑的哭喊,像是在死亡的痛苦中挣扎。Leo将我抱在怀里喂奶,像对待宠物狗一样给我梳毛,和我抱怨对母亲的爱。母亲唇角的血迹,肿胀的眼角,甚至是折断的手指和淤青的皮肤,像是定格动画一帧一帧在我脑中播放。Leo不是因为厌倦而将母亲赶出家门的,而是母亲自己逃的,他崩溃的拉开房中所有窗帘,阳光囚禁了地上的黑暗,母亲将那个试图安抚他的男人推到阳光下,匆忙的连行李都没有收拾,从摇篮中抱起我,披上斗篷就跳出窗口。我不知道Leo的悲嚎是因为被阳光灼伤还是因为失去母亲,但我现在明白,他肯定会来,从我身边夺走母亲。
那也是我第一次崩溃,第一次无比的憎恨也无比的恐惧,我害怕的不是任何人。师傅曾经和我说,所有恐惧都是因为未知,我说因为未知会让人死亡,所以人们怕的是死亡,我连死亡都不怕我又怕什么?我害怕母亲离开,我不知道我离开母亲会怎么样……
死亡,其实也是一种未知吧。。
从那一次开始,越来越多的记忆会涌进我的脑海,有时是零散碎片,有时却是一段一段的不知是否真实发生过的故事。我的脑子出了点问题,但我不敢告诉母亲,我怕他担心我,所以我和班主说了这些事,包括一些我从未对任何人提及的隐秘,是尼莫萨恩的舌头在我皱褶的大脑皮层上舔舐,留下印记。Wladyslaw先生沉思了一会,告诉我,大概是超忆症,为了让我好受一点,他让我去试着驯养野兽,马戏团的动物都是机械的,全部听从于他的命令,但是我还是答应了,兴许他只是一片好心。
但是,太多的记忆,是会杀死一个人的。所以我决定用更多更多,去填塞即将炸裂的自己,为了母亲,我愿意承受一切,我幼稚的想着,安心的沉睡了。
Wladyslaw也有很多记忆,他活了很久,甚至像犹太人那样在二战里四处逃窜,我问他是怎么从德国人手里活下来的,他说了很多故事。我最喜欢的莫过于他被迫藏在房顶被遮挡起来的阁楼上,收留他的人是个寡妇,寡妇的丈夫也长着一个奇怪的脑袋,然后被俄国人当成怪物几枪打死了。那个寡妇很漂亮,有一对大乳房和挺翘的臀部,那些俄国人总是会以保护她的理由来,将她按倒在地板上几个人一起耸动着,比路边的野狗还令人作呕,顺便把屋子里所有能吃的物品洗劫一空。那一次是很惊险的,男人们灌了很多伏特加,醉醺醺地连讲话都变成大舌头,他们自以为是举办派对,甚至巴不得把所有女人叫来举办一个裸体舞会,一个年轻的小伙向寡妇展示他的枪试图捕获芳心,枪走火了,子弹打穿了天花板,擦着Wladyslaw的手掌边缘飞过,刮下了一块肉。
那是很惊险的,因为如果鲜血滴下的话就会引起注意,在那之前,不远处巡逻的德军听到了枪声冲了进来,看到那几顶愚蠢的毛边帽子,就端起枪朝屋里乱扫一通。俄国人死了,寡妇也死了,几个德军嘀嘀咕咕说着什么,也扒下了自己的裤子扒开寡妇尸体还热乎的腿。Wladyslaw趁这个时候偷偷从一个破洞翻到屋顶上,顺着后院梯子爬下去,不再回头地跑远了。
我为他的传奇故事而愣神,将他捧成英雄的地位,而他只是怜爱的摸摸我的头发,让我无聊的话就去和师傅学点什么来打发时间。我不明白,但还是似懂非懂的点了点头,开始跟着师傅跑来跑去。
在我第一次跟随师傅学习死灵术时,他受人委托去打捞一具河中的尸体,那是一个年轻的女孩,我问师傅“她为什么死了也这么好看?”“因为这是塞纳河”。师傅把尸体放在地上又去忙活着自己的事,我看着女孩美丽的长发被水藻困住,忍不住伸手去帮她梳理,她闭着眼睛,嘴唇微微张开,脸部却被泡的像海绵一样发白,被鱼啃噬的坑坑洼洼的,散发出一股鱼腥和腐臭。她似乎刚死不久,还像安睡一般平静,我产生了可以救活她的错觉。于是我吻上她的双唇试图吮出她肺里的水,结果那脆弱的肉瓣却顺着我的动作掉了下来,粘在我的舌头上,露出一口恶臭的烂牙。我强忍住自己胃中的反感,却看到发黄的脂肪从她破洞的嘴中流了出来,而那被水泡烂的肉,裹着我的舌头化成肉糜,滑倒我的喉咙里。
我吐了出来,把我的午餐吐了出来,混合着没有嚼碎的培根和煎蛋,那些糊状的流食,喂给这具长久没有进食的女尸,晕眩中,她似乎动了动眼睛,又动了动嘴巴,把它们全部吞下去,说“真好吃。”
也是那时,我为了让自己适应尸体,杀害过一个令人作呕的黑人妇女,她看起来那么丑陋,浑身污垢散发着臭味,却拥有一头和母亲一样的秀发。那是多么恶心的种族啊!她还抱着一个婴儿,像是下水道中没有毛的黑老鼠一样。我说,我们来玩个游戏,只要你赢了我就放过你的孩子,如果平局那就放过你。于是我在她黝黑的乳房上以刀子为棋,下了一盘井字棋,只可惜她可悲的肤色让我看不清那涌出的鲜血,我只能剮下一层皮肤来告诉她那里已经有我的棋子了,那一局是平局。所以我遵循约定放过了她,但她要付出代价,我将婴儿稚嫩的双手塞进她的嘴里防止她尖叫出声,然后割掉了她的整个头皮,剪断了她的睫毛。她疼痛的咬合却咬断了孩子的手腕。我是无比的喜悦!因为如果是妈妈,换作是妈妈,一定不会这样对我!
她的后果我不知道,但是我带走了那蓬美丽的长发。我把头皮做成了假发,戴在头上时仿佛自己变得更像母亲,可是大概是我的处理不当,那层死皮上竟然长出了肉芽,从头发缝隙中像竹笋一样钻出来,甚至还因为未完全死亡的神经蠕动抽搐着。洗不干净的发丝油腻成一缕一缕打成结,我只能将它抛弃。那一天我清洗了三个小时的头发,但无论怎样总觉得那个贱人的血污渗透在我柔顺的发丝上,是难以形容的厌恶感,如果母亲不再愿意吻我……那就都是那个贱婊子的错。我痛苦的哭泣,怨恨自己为什么没有得到与母亲相似的容貌。
最后我把原本金棕色的头发染成了母亲那样的红色,但显得那么廉价可悲。那时的我未满十四。
母亲最终对于我的发色还是满意的,他怜爱的把我鬓角发丝拨到耳后,吻了吻我的发根,说“这样的你也很漂亮。”母亲柔软的嘴唇刮红我的脸颊,像是梦境一样。他是施粥的救世主,而我只是乞求怜悯的乞丐,被他的光芒刺瞎了双眼。
在我十四岁,我收到了一个我没有想到的生日礼物,一只幼小的狼崽,班主把它装在礼物盒里放在我的桌子上,活生生的,由血肉组成的,会叛逆会死亡的,并非机械控制的幼崽。那一瞬间的我就像世界上所有十四岁男孩一样兴奋的把它拥进怀里,然后向母亲炫耀,母亲慈爱的吻了我的鼻尖又伸手去摸摸它。“给它起个名字吧”“我想要妈妈来决定”我跪在母亲面前,将头放到他的膝上像恳求母亲为我梳理发丝。母亲自然是将柔软的手指抚上我的头顶。他从我手中接过狼崽放在身边床上,说“就叫soft”柔软的,柔软的,我在母亲心中也是这样吗?我暗自高兴着,像是同耶稣钉在一起就被救赎的强盗。当时的我并不知道母亲曾经遭遇的一切,还自大的对号入座。
你想象过吃腐肉的味道吗?混合着沙子和苍蝇的卵,苦涩的血味生肉味以及腥臭味,吃起来像是嚼混着沙子的面粉,充斥鼻腔和大脑的恶臭,可能是吞入了一条下水道吧。幼时的母亲就是带着泪吃下去的,没有吐出来,全部吃下去。我想了想,如果是母亲死了,那我就把他煮烂,骨头剔的干干净净全部吃下去,但我会如饥似渴的把他的乳房或是荫茎囫囵吞下,最终把自己噎死。
多年之后我在高速路边捡了一只被车撞死的老鼠,大概比我的两只鞋加起来还大,它的眼珠挂在眼眶外面,不知道在路边的烈日下面躺了多久,黑色皮毛长出了绿色霉菌,散发出它应该有的臭味。我不由自主的把它捡起塞到嘴里,路过的人应该都以为我已经疯了吧,没有人会去在意一个疯子的做法。人们面对任何事都安慰自己说,不关我的事,不关我的事,可这就是世界的残忍,你有什么办法改变呢?就算他是一个虔诚的基督教徒也不可能像是耶稣那样吧。但是死老鼠的味道的确令人作呕,让我把午餐的三明治伴随着发绿的腐肉全部吐了出来。
14岁生日过后的那个星期,我开始思索着应该找点什么东西当作谢礼。起初我在马戏团里徘徊一圈又一圈,Claire先生蹲在消防栓上问我在找什么,我说我不知道,等着看吧。是啊,我才意识到整个马戏团甚至没有一个和我年龄相仿的人,从出生开始我也没交过什么朋友,从来没有机会像那些周末依然穿着学生制服的孩子一样成群结队在街道上跑来跑去,谈论着母亲节礼物或是哪个他们都认识的人的坏话。这正常吗?我问Claire,他说“你要是个正常人也不会跟着马戏团满世界乱跑,反正你也不合群。”是啊,我也看不起和我同龄的孩子们,他们过于幼稚并且无知,他们甚至独自活不过一个冬天,他们什么都不理解。总有人过的生活是从一开始就一帆风顺的,被亲人们喜爱,拥有一大把朋友,安稳的读书上大学,成年,结婚生子,然后死亡,他们做过的一生甚至不及我这十四年所经过的。但是总有人对他人一无所知还擅自评论,说什么这是不对的,那是正确的,假装自己很道德很专业,其实那么愚蠢。
所以我大概了解了一下马戏团中的所有人,我花了两天时间去观察他们,最后,我发现Wladyslaw的怪胎乐园,大概是还差最后一个怪胎:被人为塑造的怪胎。这里的怪胎都是天生的,命中注定带有残疾,就如同没有被雕刻过的珠宝一般,那如果把珠宝雕一雕,那就会价格翻倍。就好像他察到我需要一个有生命的伙伴,而不是像师傅一样对手套说话,我也发现了他所缺少的,我为此沾沾自喜。
我开始到附近的街道上徘徊,思考为什么总有人愿意花一大笔钱来到这里,是为了满足猎奇的欲望吗?我猜不完全是,会有一些全身奢侈品的有钱女人,从腋下的小包里抽出几千英镑,来买上哪个小丑的一夜,就好像她们觉得我们是下贱的庶民,而被我们这种肮脏的人操一夜就能感受到被玷污的快感。那她们想要什么?为什么不去随便找一匹马一头牛呢?还是喜欢在马的干草上躺着?大概是觉得她还宠幸了一个可怜的怪胎吧。我大概发现了我想要的目标——一个亚裔的蜜色皮肤女孩。她看上去像是一个印度人,独自坐在街边乞讨。而我就装作一个普通的,善良的有钱人家的小男孩,递给她一百元,说“你要来我家做客吗?”我在赌一个饥饿的人会不会愚蠢的觉得一个小孩是纯真善良的。
最终的结果是我成功了,我把她引诱到墓地里击晕,并转移到马戏团中我的私人乐园。我用了一点小手段让她无法察觉到疼痛,只能亲眼看着自己的手脚被我用链锯锯断,她不会疼,只能感受到无尽的恐惧。她的麦秆一样干瘦的双腿被我剁碎了喂狼,然后把双手缝到胯部的接口上。我把她的舌头剪断,让她也无法对任何人诉说我的暴行,然后我在她粗糙干瘪的乳房上,用两颗闪耀的宝石替代了她的乳头。伤口我是用打火机一点一点的烧合起来的,这是最快速的止血方法,还散发出烤肉的香味的确馋得我咽口水。这个手工制造的礼物就好像孩童第一次绘制的贺卡一样粗糙丑陋,但我还是把她送给了班主,并留下了自己的名字。
这个女孩被好心的收留,她每次看到缠着母亲撒娇的我都会恐惧发抖,黑色眼睛可悲的挤出几滴眼泪,却不得不用那双乞讨的手掌支撑自己,呜咽着,只引起围观她的人好奇而冷漠的惊呼和嘲弄。我几乎不会多看她一眼,也不打算再对她怎么样,她已经加入我们了不是吗?有一天,我拿了一份报纸去她旁边坐着念给她听,头条新闻大概是说一个发了疯的艺术家,把自己的丈夫杀死分尸煮成了肉汤,然后把丈夫的脑袋砍了下来做成石膏每天抱着起舞,而心脏被雕成了苹果的形状,挂在门口树枝上。女孩听得很认真,甚至为他们凄美的爱情感动到哭了起来,我很喜欢她不合时宜的怜悯心。可惜的是,大概一周后,她就死了。
从得到了soft开始,我就逐渐开始接手一些活着的动物,学习如何让他们听从我的命令,如何取悦那些观众。这里不是罗马斗兽场,但性质是一样的,只是一个见血一个不见血。从古至今人们都会用观看与自己无关的生物残杀来取乐,人类一直都是冷漠的还要装作一副善良的样子,特别是那些慈善家,今天修建一个孤儿院明天投资一个养老院,实际上谁知道呢?那些都是有钱人受的起的费用。还不如拿出点实际的,去煮一锅糠顿在地上吆喝那些流浪汉来吃。我把鞭子抽在马身上时就这么告诉它,它却告诉我说“只要你能够完全提供我吃的,不要让我做我做不到的事情,我并不会反抗,你又为什么要抽我?我只用在门口草地上吃一些苜蓿和麦秆就够了。”我想了想很有道理然后去问那头大象,大象说“我脾气都很温和,也喜欢和人类玩耍,可是你不应该无缘无故让我服从命令。”
最后我把大象关起来了,用一个房子那么大的铁笼,soft走路依然踉踉跄跄,跟着我,坐在我脚边好奇的看着大象,看着它愤怒的试图把笼子拆开却无济于事。这样的惩罚是永远不会结束的,因为大象是记仇的生物,而我只能用囚禁和鞭打让它听从命令。我以为我会就此失败,但是却看到了自己熟悉的那个身影。母亲抱着许多的水果,偷偷的递给了那个畜牲,温柔的抚摸它的鼻子让它慢慢吃,不够还有,而大象注视着他,注视着这个同我如此相似的人为什么对它那么友好。最后一个火龙果是被它用鼻子卷成碎块的,它将那块压的不成样子的果肉递到母亲手里,然后去捡食地上的碎末。母亲试图把那一半也给它却遭到了难以言喻的注视,只能全部吃掉,那头大象才满意的看着他离开。
我问soft懂不懂,它看着我,还不会说话,还是个只会呓语的婴儿,它抖抖尾巴又甩甩头,假装是回答我了。最终我只能威胁那头大象说
“如果你敢把你那拖在地上的恶心玩意碰到我妈妈,我就用���斧子把你分尸。”
同样的,我也没有办法用自己的那根玩意去触碰母亲,但我是多么渴望,我只能营造出更多更多以母亲为主角的咸湿梦境,然后射自己一床。
第一个梦境中母亲是饥渴的荡妇,染着红色的指甲油,裹着浴巾躺在我的床上慢慢套上黑色丝袜,慢慢裹住双腿的同时被她的指甲勾成一缕一缕,露出丰腴的腿肉。她揪住我的衣领跪坐在床边与我接吻,我伸手去试图抓住她的长发却什么也触碰不到,倒是有一种窒息的感觉。我被她按倒在床的边缘索取,劣质的香水味扑进我的鼻腔和大脑几乎要将我窒息。直到我们都精疲力尽,她才慢慢从我身上滑下,被子全部掉到地上,方便她踩在上面去穿衣服,背对着我扣上胸衣,而精液顺着腿根流到脚踝。她突然倒下,变成了第二个梦境。
第二个梦母亲是曾经的那个万人迷乐手,在化妆间等待着我的到来,我不知道我是谁,也许是他的秘密情人吧。他把红发高高扎成马尾,穿着肥大的衬衫和破洞牛仔裤,一只手夹着大麻对我微笑,而他的腿间却是个正在给他口的姑娘。他在姑娘那对大胸上潦草签了名哄骗她出门后便呼唤着我扑到我的怀里,说着一些类似你也想尝尝吗之类的下流话。他身上还汗涔涔的,肆意散发出荷尔蒙和多巴胺,漂亮脸蛋还有高潮后的红晕,而眼线已经被汗水冲化,变成黑色泪痕。他一直催促着我再快一点,快点结束,不要玩的太过,他一会还要上台,但终究只是狼狈的趴在桌上打翻了不知是谁的威士忌。在威士忌金橙酒液的馥郁中,进入了第三个梦境。
第三个梦里母亲就好像他一直以来的模样,是女人也是男人,他身着圣洁的白色长裙躺在朽木地板上,身下是扎人的羊绒波斯地毯,枣红衬得母亲皮肤没有血色,像是尸体。事实的确如此,当我躺在他旁边注视那双眼时没有任何生气,所以我就能肆意的吻他,抚摸他,如同对待一个人偶,搂到怀里也像是安详的沉睡,靠着我的肩随我玩弄。我把他的长裙拉起,推到肚脐上方,亲吻他的腹部,和那代表生育的妊娠纹。他的腹中有一个苹果,引诱着我伸手去摘下,所以我将手探进母亲的下体,只扯出一个血淋淋的子宫。我只能让他的尸体再次安睡,鲜血染红了裙子,让我不得不用毯子把母亲卷起,只露出调皮的脚趾,和第四个梦境。
第四个梦变成了午后的一颗树下,阳光是模糊的,蒙上了一层雾,那是一个穿着裙子的小孩坐在一把合欢木椅子上看书,够不着地面的双腿悬在半空摇晃着,红发像是瀑布一样垂到腰间。这个孩子看上去熟悉又陌生,但我知道这就是我的母亲,年幼的母亲。他的脸上还带着稚气,年幼使那张脸蛋更加模糊了性别,像是小女孩。他光着脚,略宽大的领口滑下半边,露出白皙的肩和胸脯,完全没有注意到我这一个陌生的存在。他的旁边散落着苹果和山楂,吸引来蜜蜂打转。这简直就是一副我不能观看的场景,我无法走进也无法触碰,像是要窒息一样……我晕倒了,再睁眼就是第五个第六个第七个梦境。
第五个梦里母亲是专横的君主……
第六个梦里母亲是下贱的奴隶……
……
是时候该结束这一切了。
每一次,每一次,我都会喘息着醒来,或是在臆想中自慰,想象我与母亲所做这背德的一切。我孤独绝望的舔干净自己手上的一切,想象这是母亲的味道,我所做的一切就仿佛把母亲的皮活剥下来浇上汽油并把他点燃,观看他在火球中凄烈的挣扎尖叫。我大抵还是明白我的思想是有多么令人作呕,那一瞬间似乎所有人对我的目光都变得陌生冷漠,但依然没有激起我的羞耻心和道德感。。
十四岁那年,我像是正常少年那样对性陷入了迷茫,只能试图从家庭之外的人中寻找一个母亲的替代品。一个与母亲完全不一样的人,或者一个完全相同的人,我否定了后者,因为母亲的形象在我心里已经经受了无数遍神化,变得没有人能够取代。
我猜自己只是缺少一个更加年长的人,那时我们停留在法国边境一个落后的吉普赛村庄附近,一个自称为先知的老妇人吸引我的注意。我从来不称呼她,也不和她说话,只是一步不离的跟着她,观察她在做什么。我跟了她三天 便感到了无聊,她念叨着听不懂的话用一些嚼碎的草药和锅底灰尘给人治病,或者喂养在屋里的两只山羊,每一次soft跟着我的味道找到我时都饥饿的发疯扑向它们。第三天,我问她“你的小山羊会拼字吗?”她干瘪的眼睛诧异看了我一眼“我以为你不会说话。”我跟着她一个星期,什么也没有学会,倒是每天在她的草屋里挤山羊奶下面包,新鲜的羊奶又腥又膻,但是只能将就着防止我的牙不会被干面包磕掉。她管我叫狼的孩子,甚至指使我去帮农妇们赶鸡,我会捡走鸡蛋直接吃掉,生鸡蛋的味道比熟鸡蛋好,但是缺少了向母亲撒娇要他给我剥壳的乐趣。
似乎有在哪里看到过中国的戏剧中会将鸡蛋清从床上扔出暗示射精,因为鸡蛋清也是粘腻腥臭的。于是我用避孕套装了鸡蛋清去试图骚扰母亲,猜测他会不会像见到蟑螂的小姑娘一样尖叫,结果正在看书的母亲面对晃到他眼前的这玩意只是看了我一眼呵呵笑着用手指对我比了一个下流的手势,甚至伸出舌头舔了一下,让我害羞的跑开了。依靠在门口,才意识到母亲仅仅是一个表情就让我勃起,也许母亲已经注意到了,并以调戏我这样情窦初开的小男孩为乐。简直就像街边试图拐骗少年贞操的妓女一样,我滑坐到地上,目光试图钻进母亲翘起的二郎腿之间,并把手摸索进裤裆。
有一个吉普赛女巫一直盯着我瞧,我问她是不是没见过红发的人,还是没见过狼人,她告诉我她都没见过。那个女人盯着我的眼睛似乎要把我吸进黑洞,然后说“你妈妈长得真漂亮。”我不知道她怎么看出来的,只觉得母亲令我骄傲,我也没听懂她所说的“可惜会被太阳车追上,变成月亮”她让我咬住山羊的乳房去吸出奶,我也照做了,趴在地上用舌头去够,然后把山羊的乳头咬了下来。
不久之后我告别了那个老太婆,但是临走之前她抓住了我,将我带到屋内,从老旧的木箱最底层摸出一件被虫蛀出洞的毛衣,打开之后包裹了层层布料,破烂的,廉价的,甚至还裹着几层塑料袋。最中间是一枚很小的钻戒,甚至不仔细看看不出上面还有个钻石,自然比起母亲无名指上的戒指显得凄凉了不少。她执意要递给我,“既然你要一个人走了就拿这个去换点钱吧,你别看不起我,我也没多少钱,但我也快不行了,留着也用不到。”只可惜她并不知道我过得简直比她好太多。最后我收下了那个戒指,至今还被我放在盒子里保存。
越来越多的时候,我的目光总会停留在街边路过的一些小情侣身上,跟着他们走远,却不知道在看什么,可能是有些羡慕,也有些嫉妒。我花五法郎买了一个大到滑稽的冰淇淋,递给街边看上去破破烂烂的小孩,假装自己也有什么能做的事情。
我意识到我大概是不太会维持亲密关系,所以在挪威安定下来那段时间,我试图去追求一个金发蓝眼的女孩,她看上去和母亲完全就像是相反的两个人,外向活泼,整���在电玩城和街道游荡,不少男孩偷窥她短裙和敞开的衬衫下的风光。我凭借我那套三位一体圣父圣子的歪理邪说吸引到她,她还误以为我是个什么死板的纯情书呆子,说实话大概相处了两个小时,我就发现并没有自己想象的那么喜欢她。她太过于聒噪,我甚至很多次忍无可忍想要把她的舌头割下来,但是她显然毫无自觉,还装作一副自己很有个性很酷的样子。她带我回家,让我看她装内裤的柜子,当然,我是对那些有着可爱花边和图案的内裤毫无兴趣,如果母亲穿上可能另当别论。不知不觉中,我已经只有拼命把母亲的身影和她重合才能勉强忍受下去。大概一周后,我们分手了,理由倒是很好笑,她说什么“你的母亲是女巫,我讨厌她”。
我端详着母亲的容貌,嘴唇像六月的浆果又像岩缝间的玫瑰,当用手指去摩挲柔软的面颊时,那双绿眼含带笑意,幻想是免责的,所以我就能肆意幻想。母亲也不是完美的,比如他的牙并不整齐,额头经常长出痘痘,或者是很多邋遢的恶习,但是我爱他,我喜欢看着他不完美的一切,并认为这就是完美的,我吻着他的影子。竖起耳朵听他说的每一句话,甚至贪婪到舌头在口腔碰撞的声音,以及呼吸的声音。
嫉妒和愧疚作斗争,到底谁会赢?
我猜是嫉妒,因为它已经完全将我吞噬,我嫉妒母亲身边的任何一个人,甚至是将母亲视作狼王的soft,但他还有自知之明不会为了交配权而进攻我。soft在母亲身边踱步,像被驯化一般,表示友好地向母亲扑去,啃咬他光裸的皮肤,甩起尾巴用爪子去扒他。一般这种时候我会将他拍开,自己钻进母亲怀里,趁机在他的身上舔咬,快速的吻过母亲的唇或鼻尖,或是袒露侧腹,去磨蹭母亲的头发。母亲好笑的揉揉我的头发问我在干什么,我说“我在给你捉虱子”“我还以为你要喝奶”母亲笑着,看上去无比天真,撩起衣服露出他的胸部,那条狰狞的伤口或是乳头上摇晃的银环都让我忍不住想要啃咬上去,但是我没有理由,只能红着脸撇过头生怕母亲从我眼神中读出什么。母亲是女巫,还是生活在自然中的罗姆人,光脚淌过溪流,赤裸着亲吻大地,汲取风的气息在草叶间沉睡。那是有形的阳光。
我不妨可以幻想出一副这样的场景:
他是太阳,是福泽,是恩惠,是拥抱着人们却难以被触碰的一切。他驯服野马,哺育羔羊,他舔舐毒蛇的鳞片,也任由白鸽停留在身上。
他是赤身裸体的阿波罗。他从不隐藏自己的欲望,尖叫、呻吟,淫乱而放荡,他勾起人们性欲的同时洗涤人们的心灵。正如永远不会有人去责怪他挑起了异端或毁灭了国度,因为他就是人们所需直面的欲望本身,那些战争反而充斥了其他的意味,更像是一次朝圣、一场弥撒。
他是虚空中的潘神。在思想与灵魂的征途中,缠上每一个路过的旅人。与他们交欢。
信徒们安静的聆听、注视,眼神中充满了圣洁的信仰与低劣的欲望。每一次发梢在胸口扫过,每一次指尖的颤动,他的呼吸、心跳,都编织着人们咸湿的梦境,想要亲吻他的每一寸肌肤,然后撕碎他、摧毁他。
他太过耀眼,吸引过往所有人,当他被簇拥时,他狂妄的野心与欲念是多么低贱。没有人会记起他是被放逐的神明,是安拉的处女之血。
他会褪色吗?他会枯萎吗?他会腐朽吗?
会吧,终有一天他会化为灰烬,可是在超越物质的世界中,他依然那么年轻、美丽、强大、危险。
随着我看的书越来越多,我发现我对母亲的想象也越来越贫瘠,甚至擅自用一些文学形式去象征我和母亲之间旁人无法理解的情感,而不是出自本能的我应该怎么做。知识扼死本能。我的努力方向,是使自己回到下意识里朦胧睡着的各种本能里的深处。这些深处被表面的生活和种种习俗淹没掉了。我仍能用孩子的眼睛观看事物。我回忆孩子时期我看到的大人是什么样,在鱼龙混杂的酒吧里,我看到的是色彩斑斓的方块组成了女人的裙子,包裹着臃肿的橡胶身体,涌出呕吐物和愚蠢的呆滞。男人们喜欢掏出女人的乳房,别上一朵玫瑰,把乱七八糟的酒水倒进烟斗。毕加索直到六十岁才学会如何像孩子一样画画,而我仅仅是十四岁就在恐惧自己变老,害怕自己变得苍老鄙俗。
世界不管怎样都那么荒诞,我放弃了。我对自己说,不管我是大人还是小孩都那么无理取闹。所以我选择把一切我学到的理论知识藏到脑后,只留下很多句在街边偶然听到的奇怪话。然后模仿一些书中的情节,学习一些屠夫的手法,诡谲的在婴儿头上插入一个生日蜡烛。
大概是又到了冬天的时候,母亲再次出了远门,他可能是想要享受那种独处的时光,我问母亲能不能带上我,他挑眉拒绝了我,然后坐上Wladyslaw的车就走了,当时我们在卢森堡计划停留到开春。而马戏团的所有人似乎也不打算有什么表演,只是修整着,我只能把soft关进笼子,像一个被抛弃的孩子,在街头闲逛,我的红发已经开始褪色了,看上去像是秋末的枯草,倒是和寒冷的天气无比呼应。我买了一瓶几乎有我的脑袋那么大的苹果酱回到了自己的房间,中途我看到一个不比我大几岁的男妓求我收留他“行行好吧,我可以免费陪你睡,只要你让我住一晚”我打量了他几眼,对他说“其实我才十四岁。”我做什么都可以,我不想死在街头,他是这么和我说的,所以我把他带回来了,原本的计划是让他成为我的狗粮,结果却不知道哪根筋抽了让他留了下来。我问他“你对做爱一定经验丰富吧?教教我怎么样?”他答应了,因为像我这样无知的男孩全天下多了去了。他教我怎么给男人润滑扩张,怎么注意不要把肠子勾破出血,怎么做才能让他爽到,这似乎是我第一次对着母亲以外的人勃起,也可能是他的技巧熟练。在我心里我的第一次还是献给母亲的,在那之前只不过是准备和练习罢了。
这个人对我说“月亮代表着病态、疯狂,是你想不到的一切。”我想起母亲磕完安睡的样子,平静,安心,在安眠药中流淌着,将生命殆尽。所谓的月光其实不过是藏在黑暗中的阳光,没那么耀眼,却更加温柔安静。他温柔吗?不,他是残暴的化身;他安静吗?不,他是喧闹的代表。他在疯狂中被簇拥,在无人时离去。他在老去之前痛苦的死去。
妈的,你是否见过基督教徒因为婚前不能性行为却看到自己女友裸体而发疯的样子吗?我大概就是像那样,结束后我才意识到我做了多么恶心的事,那一瞬间我仿佛一个种族歧视者,一个恐同者,一个疯子,抓起床头的餐叉挖出他的双眼,用刀子切掉了他的手指,想象着母亲躺在蛇箱里的样子。所谓的蛇箱就是字面意思,装满了蛇的玻璃缸,母亲赤身裸体躺在里面,那些蛇缠绕蔓延在他的身上,而他一动不动像是睡着了一样,任由它们在身上攀爬,那些蛇并没有严严实实缠住母亲,而是不安的躁动着,扭在一起交媾,等待母亲起身,等母亲一掀起盖子他们就狡猾的四处逃散咬伤不少人。那个人碎在了母亲的床上,我试图用手把他聚拢捧起,却不断滴滴答答淋下去,然后试图爬到我的手上钻进我的皮肤。
我不停用叉子去试图把攀附到身上的碎末划下来,就算捅破皮肤,划开脂肪,我依然感觉像是密密麻麻的虫子钻进我的每一个毛孔,无数的蚂蚁涌进我的身体,啃咬掉我的皮肤和肌肉,一丝一丝的,进入内脏,全部涌进胃里,想要我吐出来。我感觉他们钻进我的脑子,我的大脑在发痒,胃里也在发痒,肠子也在发痒。那是一种很恶心的感觉,你只能疯狂的抓挠自己,抓挠他,抓挠一切。指甲削下一条一条肉丝肉屑,到处飞溅,因为失血过多什么也看不清,把母亲的床单染成了黑色,还有很多黄色的脂肪堆在被子褶皱凹陷处,散发出一股屠宰场的味道。
第二天是师傅把血肉模糊的我从床上撕下来的,血液凝固和被子粘在一起,扯掉被子的时候同时也扯掉了好不容易凝固的伤口,再次把我身上撕出一条条痕迹,鲜血顺着我的腿如同月经一样滴在床上。而我旁边的尸体,甚至没办法被称作尸体,那块肉状物的脸整个掉了下来,没有双眼,身上的皮肤和肉都被刮下如同搓掉的泥,全部堆在床上,一只眼睛完好无损在枕头上看着我们,一只已经被我歇斯底里时踩成了一摊,粘在我的脚上等我去撕掉。相比起旁边那个让我嫌弃又恶心推开的玩意,我发现自己的愈合能力的确比人类好的太多太多。我昨晚折断的腿骨已经完好了,但旁边的人完全就是碎在了上面,我大概还明白了人类比我脆弱的太多太多。
母亲也是这么脆弱,有时候他被书页划破的手指甚至三四天之后才看不见疤痕。我被师傅按进浴缸里即将溺毙的时候是这么想的,鲜血瞬间在充满热水的浴缸里漫开,稀释成一股铁锈的味道,灌进我的鼻腔和肺里,我猜他试图把我杀了,但是他做不到,只好这样。他揪住我的头发拎起来再按下去再拎起来再按下去,直到我挣扎着快要失去呼吸才勉强放过我。最后他让我去自己打扫干净顺便想办法和母亲解释清楚,但是我知道,母亲无论如何都会原谅我。我做了错事,把母亲的床当成祭台,献祭两个肮脏的人来索取母亲的爱。
这件事母亲回来之后什么也没有说,他不傻,他看了我一眼,看破了我的内心,他最终什么也没有说,也没有理我。那两天我并不好过,每天主动拎上扫帚到母亲房间打扫也无济于事,只能看到他裹着毛毯抱着一个巨大的玩具熊蜷缩在暖炉旁边,鼻尖被冷风吹得发红也懒得起来去关窗子,我试图叫他他也不理我,而玩具熊的玻璃眼珠倒像是在嘲弄我一样对我笑。这种状态维持了半个月,母亲一句话都没有和我说,假装我是空气一样,缩在角落大量的吸毒磕药,磕嗨了就唱一首摇滚歌曲,不管问什么都不回答也不起身,从一开始就没有靠近自己的床,我才意识到我做了什么可怕的事情。母亲有洁癖,而罪大恶极的我让他从内心深处觉得那里肮脏,我不知道为什么,但是我好奇,我好奇母亲经历过的一切,我好奇母亲的所有。我去问师傅能不能教我记忆的法术,他白了我一眼,说“你先把你妈哄好了才有资格谈。”
我不知道我应该怎么做,只好扛着扫帚打开兽笼旁的地窖,里面是密密麻麻黑漆漆的,老鼠们站在对方身上试图爬出这里,没有食物的时候就撕咬对方,或者啃噬同伴发臭的尸体。我养了他们是为了喂蛇,但还要每天把剩饭剩菜的大桶扛到这里倒进去,油汁和菜叶粘了它们一身,让它们无法分辨什么是食物什么是同伴,就连同伴的骨头也啃的不剩,哪怕关上地窖再用无数东西挤压都没办法防止下面发酵出恶臭散发上来。老鼠们有时候很有趣,因为它们不想去听你说什么,只会到处冲撞,然后什么都吃。我曾经把一个瘫倒在附近的醉汉踢了下去,关上门,第二天就只剩骨头了,我用棍子戳进空洞的眼眶挑起那个头骨,相信用它做烛台能给我带来好运。结果没什么变化,现在那个头骨灯被挂在蛇箱旁边做装饰,就好像我现在孜孜不倦享受着等一只老鼠爬上边缘,它们不会立刻逃走,而是让另一个咬住自己沾满屎尿的尾巴试图在自身难保点时候还救出其他人,这可是某些善良的人都做不到的高尚品格啊!等上来一两只之后,我就用扫帚把它们捅下去,有时候它们咬住扫帚不放,就只能不得已将它们甩进蛇箱。
母亲大概是在窗口看到了这一切,不知什么时候来到了我的身边,冷漠的说,真残忍。他光着脚,只披了一件薄纱般的浴袍,在寒风中显得可怜,他甚至没有正眼看我,在我旁边蹲下用手去试图触碰那些黑老鼠。那些就连木棍都要啃咬的畜牲竟然向后躲藏,其中一只在试探几次之后爬上母亲的手,带着油渍和血污,溃烂的鼻子嗅着母亲手腕上香水味。母亲抓挠着它的头,像是对待什么宠物,它吱吱叫,似乎在告诉同伴什么事情,鼠群安分下来,目不转睛用它们的瞎眼试图知道母亲要做什么。母亲赤脚绕过地窖,最后还是掀开蛇箱上的纸板把老鼠扔了进去,嫌恶的将手上污渍往我身上一抹就离开了。鼠群再次陷入混乱,越来越多的老鼠爬了上来,我只能换成铁铲将它们劈成两半或者砸成肉末,发泄完了也只能将尸体推进那个深不见底的洞,当做他们今天的晚餐。
母亲最后淡忘了那件事,也原谅了我,再次无偿的对我好,无偿的爱着我。
母亲问我说想不想和他出去走一走,他穿上沉重的大衣,似乎也不打算多等,我随手抓了一件外套就踩着母亲的脚印出了门。母亲说,在乌托邦待久了偶尔也想去一些没那么干净的地方走走,可能因为他曾经也就是在污垢中一路攀爬求生,面对那些肮脏下贱的场面可能会更有亲切感。跨过不远处边境这里是贫民窟一样的地方,仿佛经过了战乱一样,甚至不像是现代社会。傍晚的来临一般预示着危险的出现,我怕母亲也会在我面前碎掉,所以对试图接近的人发出来自喉咙的唬叫,可怜的妇女护住他们的孩子躲藏,恐惧着眼前的狼人。“如果他们用钉耙和火把来杀死你我可什么都帮不了你。”母亲没有回头,我跟随他钻进一家脏乱的酒馆,他并不喝酒,点酒只是为了做做样子,他会在旁人无法察觉到的情况下偷偷倒掉,除非像我一样目不转睛捕捉他的每一个动作,不然是无法发现的。母亲现在看上去像是什么风流公子,搭讪着那些扭捏作态的女人们,甚至大方的请酒,我成了他不会喝酒的乖孩子朋友,被他强行带到这里接风洗尘。我第一次发现原来母亲那么健谈,也那么容易混迹人群中,而不是一只被涂污的鸟。
酒馆里出了骚乱,先是两人扭打在一起,互相拉扯头发,然后就抽出刀捅进对方腹部,再拔出时先是血随着刀撕开伤口涌了出来,紧接着就是流淌的肠子,被划断的地方还有粪便漏了出来。俩个醉鬼都看着他的血不停的流,过了好半天才慌忙的把肠子从地上捡起,有猫去舔,被他一脚踹开发出哭号般惨叫。那个人像是怀抱了一个婴儿那样把��子捧在怀里,试图把它们塞回去,却扯的伤口越来越大,如果衣服没有挡着的话说不定能看到那个几乎裂到胸膛的口子,两人在老板的咒骂声和女人的尖叫声中镇定自若的走了出去,一步,两步,那个不断滴血的人被寒风吹倒在地上,永远也爬不起来了。
我蒙起母亲的眼睛,对他说,别看。就好像幼时我们栖身在巷子尽头的墙角,不远处却有一个可怜的女人被一群男人按在地上轮奸,发出痛苦的哀嚎和求饶,她的头发被一缕一缕的抓掉,腹部被踢到出血,脸上也是青肿的。母亲就是那样温柔的把我的脑袋依在他的胸膛,捂住我的眼睛说“别看。”
不知不觉间我已经染上了嗜血的瘾,杀人的瘾,奸淫的瘾。我刚出生时也是纯真的婴儿,嚎啕的哭声被母亲分娩时的尖叫声淹没,腹部的脐带让我跟生命连接。可是日后我将女人绑起来,嘶哑的呻吟声被女人的尖叫声淹没。我只有不断杀人才能得到满足,一切都会变得完美,可以在女人的尖叫声中出生,脐带依然跟人类连接着,尚未被切断。为了洗尽自己的罪孽,我有时就去教堂的窗外趴着偷看,偷看他们唱圣歌做祷告,人们会以为我是调皮的野孩子,在胸口画着十字说着阿门也就不再管我。我就好奇的看着他们到底怎样才能救赎自己,是把罪恶变成几撮黑色的头发丝然后拔掉吗?至少是比一个人指着你说你没罪你就重获新生看上去靠谱。
更令我反感的是我的十五岁生日是在教堂里过的,在圣诞节的后一天,或许是母亲的报复,我被迫在教堂里像是什么所谓的圣子一样,既要虔诚的祷告还要为母亲的受难日而赎罪。圣水闻起来像是无数个人的洗手水,但我怎样拒绝都被掐着脖子灌了下去。那一天很难熬,把一个不需要信仰的人强行灌输信仰,是世界上最痛苦的酷刑。我迫切需要一个喘息的机会,认为只有神是世界的真理和认为人类只需要科学都是错误的偏见,因为不管再怎么样,荒诞的东西始终是荒诞的,人文主义者坚称,我们凭借知识可掌控环境、兴旺发达,这实为前所未有。为了证明这点,他们焕新了基督教一条最靠不住的保证——人人皆可获救赎。目前的这种人文主义信仰不过是这一基督教信条的世俗版本。就好像有些人总觉得读书多了就会开始胡思乱想然后变成精神病。
而母亲,而母亲不一样,母亲的存在就是对这个世间最辛辣的讽刺,最犀利的抨击,让世间一切显得多么可笑!母亲又不是基督徒,肯定不会那样死气沉沉的,出教堂的时候,我果然看到了母亲,站在一颗雪松下,身着黑衣,裙摆撩起,我才发现他站在教堂里的时候,都穿着一双红色的高跟鞋。他没有注意到我,光脚站在雪里,地上有很多浆果,他小心的将它们踩烂,轻盈地陷进雪中,染红了脚背。
我对母亲几近变态的爱慕已经人尽皆知,可是母亲还是装作糊涂的样子那样宠溺的爱着我,让我想起一些人会幻想出一个虚假的性伴侣,母亲也是虚假的。昨天有个男人在做爱时把自己的婆娘掐死了,因为他觉得那个女人是鬼变得,他把尸体分成好几块扔到街边,然后所有人都知道了他有妄想症。如果我对母亲的幻想也被人知道了他们会不会骂我是疯子,所以我对师傅说了,仔细的描述梦里母亲的娇态和淫乱,母亲本来是纯洁的干净的,却被我擅自变成了下贱的肮脏的,就连呼吸也有了勾引人的意味。师傅说我是疯子,所以教我更多不应该被人知道的法术。我问“你不怕吗,我学会这些之后会做些什么?”“你不会,你会被Carol束缚到死的那天。”我沉默了,我大概是没有成功让斯芬克斯跳下悬崖。
无论怎样我都想更进一步了解母亲,所以我开始帮他整理书籍,我帮他收拾出一个书架的位置,然后尽量把书塞进去,但还是剩了很多出来。第二天我发现书架上书的位置有改动,也许母亲连夜把它们重新整理了一遍,按照他的习惯整齐排列。书架能看出一个人的灵魂,母亲的灵魂就是翻不尽的书,渊博的学识,和永远猜不透的神秘。我尽可能让自己对于母亲的爱不与性有任何牵连,我其实是渴望自己与母亲抛弃一切外在因素而相恋的。我怮哭着,试图等待母亲用袖口帮我把眼泪擦干,但是我大概明白我长大了,也就不再拥有那些特权了,那些特权只能给予婴儿和爱人。那一天我哭累了就睡着了,缩在母亲床头,然后被母亲捡起来拍拍灰,和他自己一起塞进了被子里。
我们的第一次我不知道是如何发生的,也不知道应该如何描述,我不知道母亲愿意为了我摒弃一切道德,在听完我下流的欲望之后扒开衣服说“那就做吧。”我甚至是不敢去触碰母亲的身体的,生怕他会灼伤自己,或是分泌毒液让我迷失在这个梦里永远无法醒来。我虔诚跪在他的身边,吻着我所带给他的每一道难以复原的皱纹,从脚尖一直吻 吻到膝盖,吻进腿根。我曾经也做过下流的事情,用一个针筒拔掉针头,装满了属于我的精夜,在母亲沉睡的时候偷偷注进她的下体,多么无知的洁白的恶作剧,庆幸的是那一次母亲没有怀孕。但是这一次不一样,母亲爬伏在我的腿间娴熟的给我口,掌控整场性爱到结束。
他是来拷问我的,在我耳边吐着信子,试图知晓我是怎么去虐待那些和她容貌相似的女孩。“我把装满碎石的玻璃瓶塞进了她的逼里,然后一直踢把瓶子踢碎在里面。”“你骗人。”母亲趴在枕头上枕着自己的手臂看着我,露出惬意的微笑,似乎我们只是在讨论松饼该放多少枫糖浆。“我还挖出过她们的眼睛操那个眼眶一直操到脑子。”“你恶心死了,下次这样我就不给你口了。”“还有下次的吗?真的吗,妈妈?”母亲翻了个身背对我,假装睡去。只剩我裸着身体像没有毛的猴子不安的在一旁不知道应该说什么做什么,情绪激动的比划着看不懂的手势。
我们之间相处的很好,因为我们更近了一步,我开始学着坐到钢琴旁为母亲弹奏几首他想听的歌,他坐在我后面,背靠背,轻轻跟着旋律哼唱着。仿佛看到了山,看到了田野,看到了溪流的夜莺,我也不再隐藏自己的欲望,全部深情粘腻的揉进每一个音符,听红了母亲的耳尖。我问母亲我现在算不算他的爱人,情人也行,能不能嘴对嘴的接吻,母亲笑了,但似乎也不知道这个问题的答案,也许他甚至没有定义爱人是什么,只是凭本能对我好罢了。所以,我死皮赖脸当作母亲已经默认了。
说到底,母亲始终也是一个长不大的孩子,卸下一直以来逞强的形象,从圣母变回了曾经的嬉皮士,叼着大麻去街上和男孩们鬼混,然后还理所应当的告诉我,我应该接受他的每一面,他就是喜欢在那些颓废的人堆里混迹。更多时候母亲会钻进那些摇滚梦男孩们的小仓库,向他们吹嘘自己年轻时的故事,不少人甚至还是知道他的,看见他的时候兴奋的大喊大叫,要他给自己签名。我不知道,我无法融入他们,也没有那份狂热劲,可能是早就狂热过头了吧。有些时候母亲见我像个雕像一样呆在角落不知怎么插进话题,就会直接把我搂紧怀里在我脸上用力嘬一口,对他们炫耀我是他年轻漂亮的狼人情人。
我很享受那个过程,也享受那一夜母亲摘下了自己无名指上的婚戒套在我的无名指上,仿佛我们正在举办婚礼,母亲穿着婚纱,而我只是一具枯骨,他拉起我干涸的生命定下承诺,无论生或死,健康或疾病,贫穷或富裕,我们生生世世都将是夫妻。但这是不可能的,我做不到和母亲结婚。他说
“我用戒指换你给我念书。”
我答应了母亲,我说好,我给你念书,你想听什么我都给你念。
我和母亲度过了很多个美好的白天与黑夜,那段时间治安太平,因为我的杀人欲望已经被母亲抚慰到了最低,就连月圆之夜也只是缠绵在地毯上。白天没有事的时候我就会去书店,买很多本书回来,精致的包装,加上一些好吃的甜点,能换取母亲一个开心的吻。晚上我就和母亲躺在床上,给他朗读一些他喜欢的故事桥段,后来我发现如果我全部背下来的话还能一边说一边吻他,会逗的母亲咯咯笑,直往我怀里缩。如果夜还长或是玩到了兴头,母亲就会爽快的扯掉身上衣物催促我快一点。“我们在马克思旁边做爱会不会很淫乱?”“不会,他就是个醉酒的老头罢了”
“马克思酗杜松子酒”母亲趴在我身上在我耳边悄悄的说“如果你不相信你可以去问问腓特烈”他仿佛一头黑山羊在诱惑我成为魔鬼的俘虏,但我还是为母亲而堕落,应和着他的胡言乱语吻着他的脸。而他会摘下我的耳环戴在自己乳头上,问我好不好看,“那我要偷偷亲你一下”
在那段时间里,有一个梦困扰着我,经常一遍又一遍出现在我的脑海里,那是一对美丽的情人,穿着婚纱步入婚姻殿堂,可是每当他们开始念祷告词的时候新娘总是会碎掉,被子弹穿透脑袋,被吊灯砸的粉碎,甚至是凭空消失,然后变成一摊血肉在地上。新郎只能悲伤的用手聚拢她的尸体,给血戴上婚戒,和一摊血沫结婚。而下一对情人,就是我和我的母亲。我经常半夜被吓醒,恐惧的去母亲窗口看一眼他是否还完好无损 然后守着他直到天明,新的一天又开始了,世界依然在旋转。
我和母亲越界母子的关系维持了很长时间,我也变得逐渐自大妄为,开始侵略母亲的每一个私人空间。我的母亲是女巫,我的父亲是狼人,而我是代表罪孽出生的孩子,德国人和犹太人的混血,哦,绝配。不得不说死灵法术开始逐渐吞噬我的心智,我也开始遭了报应,只要母亲离开我身边我就会游荡在森林,把落单的孩子甩进灌木丛,像是摔打什么一样抓住他们脆弱的脚,一遍又一遍掼到地上,直到他们虚弱得睁不开眼睛,脑袋向里凹了一大块,张嘴只能吐出血沫,并因为皮肤被荨麻蛰的刺痛而抽搐。我甚至会假装要救助孩子的样子抱着他们一副担心样子穿过人群把他们扔在母亲门口。
母亲开始发怒,然后把那个可怜的小孩踢到了更远的地方。他训斥我,说我可怕,说我是疯子,他不想靠近我。每当这时我就会试着用性来牵制母亲,让他离不开我,让他相信我不会对他做那样的事,但似乎一切都是徒劳。就好像他看到我用陶瓷做了一个和他一模一样的人偶,只不过是小了很多,就那样安睡在他的枕头上时,母亲疯狂的把它摔碎,却让依附在上面的灵魂不停叫喊好疼,好疼。那一天母亲锁紧门,和师傅睡到了同一张床上,我趴在窗口看了一整夜,把自己的指甲啃的鲜血淋漓,直到黎明才不甘的离开。
拥抱和摇篮就像是性的替代品,我不再只是嘴唇紧紧地吮吸乳房,而是整个身体完整的拥有母亲的肉体,幸福的摇摆在欲望之间。我没有廉耻心,乱轮的欲望在我思想中无限膨胀,让我端详母亲的裸体,抚慰它,感觉它,拥抱它,吃掉它,甚至毁掉它。占有欲,被占有欲,消灭欲,组成了我对母亲的性欲,我只是想要母亲的一切。一个人总是贪婪的,无尽的索取他想要的东西,有了第一次就会有第二次、第三次,得寸进尺。
我开始向母亲索求着性,就好像婴儿索求乳汁一样自然,一般母亲不会拒绝,我也不会强迫,但是道德感始终还是束缚着母亲,让他经常独自陷入崩溃的状态,靠越来越多的毒品来麻痹自己,不知道在笑什么,低着头如活死人一样用脚趾搓着地毯,然后并发的狂躁,我猜母亲很好的把狂躁症遗传给我了。在他情绪激动开始打骂我的时候,我就趴在地上亲吻他的脚,我央求着母亲不要抛弃我,让我和他待在一起,哪怕是睡在床下也好,他会疲惫的告诉我,他很累。母亲并不是厌倦了性爱,而是已经开始厌倦我了,被自己的道德卷入漩涡。
一次甚至母亲刚见到我在他的房间内,连柔情的眼神都没有给我,把衣服扔到地上直接忽略我躺到了地毯上。“出去吧,我生理期。”我不明白发生了什么,我也不知道是否在母亲眼中我只是个想要缠着他交媾的畜牲,但我确确实实仅想和幼时一样多和母亲待一会。那天我是愤怒的,几乎是将母亲从地上扯起掼到床上,粗暴的扒下他的内裤用手指强奸了他,经血裹在手指上,顺着指缝到处淌,也淋了一床,我将手指舔干净后又去舔那个流血的缝隙,再次用手指试图挖出更多血液。母亲唇色苍白,扭过头不愿意多看我一眼,把自己的灵魂分离出来跑向窗外去自由了,只留下一具毫无生气的空壳任由自己的亲生骨肉奸淫。血是止不住的,眼泪一样流出来,母亲用下体哭着,诉说着,哀求着,直到床单也染红了,他没有高潮,只有我下流的射了出来,然后把卫生棉条小心翼翼的塞进母亲下体并为他更换内裤。
第二天,母亲因为我的冲动和莽撞痛经很厉害,捂着肚子哭起来,然后开始呕吐,但什么都吐不出来,只有一些粘稠的消化液和胃酸,粘在毛绒地毯上有一股子馊酸臭味。母亲绝望到像是即将被我杀死的人,尽力把自己蜷缩成一团,挤压着腹部试图让自己好受一点,我想要用自己温度略高的手去帮母亲捂一会却被毫不留情拍开。我不知道该怎么办,只能站在一边旁观,一直到母亲惨叫着尿了出来,淡黄的尿液从他腿间淅淅沥沥流下,全部粘在地毯上,看上去是那么可怜。他绝望的看着我,眼泪鼻涕口水糊了一脸,我只能耐心的去接热水,用热毛巾帮母亲擦拭,然后安抚的亲吻母亲,他的头发沾上了不知道是汗还是呕吐物,受潮粘在一起,但这些都无所谓,我愿意接受母亲的全部,所以我和他交换了一个呕吐物的吻。这也激起我心中更隐秘的黑暗。
“我来帮妈妈完全排干净吧。”“你他妈想干什么”在母亲彻底黯然的恐惧眼神中,我将他揉成一团抱在怀里,想起如果幼崽还没学会排便的话母亲会用舌头去舔舐刺激括约肌收缩,人为的话就会用棉签、毛巾,那么对于母亲的话,我的手指也是可以的吧?我不顾母亲的尖叫反抗,沾着血将手指塞进他的肠道内试图触碰到那些排泄物。那种触感很奇怪,亲手摸到那些被消化的食物残渣挤压成的条形,上面粗糙似乎还有什么颗粒,和柔软湿滑的肠道简直天差地别。我把手指再深入一点,用指甲切断了那节东西,扣着它滑出了母亲体内。我成功了,它看上去比摸起来小很多,母亲肠道似乎受经期影响,大便有些稀的粘在我的手指上和指甲缝里,我好奇的闻了闻那是什么味道,然后塞进嘴里舔干净。母亲已经接近崩溃了,却因为我刚才的刺激加上把尿一般的姿势,肠道内剩余的粪便也不受他控制的全部落在了地毯上。我回味着母亲污秽物的味道,好奇能不能辨出昨天晚餐的味道,咸咸的还带有母亲特有的体味,让我很满足。
母亲咒骂着,仇恨的看着我,已经连挣扎都没有办法,但我没敢去吻他,只好安抚的帮他全身擦干净,安顿在床上。他最后也只是让我把地毯拿出去扔了,再换一条回来,我把那些来自母亲的污秽小心翼翼卷起,藏进房间,饥渴的舔掉母亲吐出来的每一滴胃酸,尿出来的每一滴尿液,我没敢把粪便全部吃掉,甚至还刷了半个小时的牙,生怕母亲嗅出味道再也不让我亲他。我换了一条舒适的波斯地毯到母亲房里,之后母亲再也没有提过这天发生的事情。
在这次事情过后,倒是给了母亲更多厌恶我和疏远我的理由,我只好小心谨慎的观察着母亲,在他开心时讨好他,烦躁时保持一定的距离。我得出了母亲是艺术家的结论,因为母亲是高效并且性变态的精神病,我和母亲说了这件事,然后他冷漠的看着我,把弗洛伊德的书从书架上全部移开了。我试图弹钢琴或是唱歌来取悦母亲但都没有什么太明显的结果,我给他写诗,但他看完之后就揉成一团扔进垃圾桶,有时还扔不准要我自己捡起来扔进去。但母亲心情好时还是会亲吻我,拥抱我,给我分享他被我密切监视的生活,我乐于享受这一切。
或许是因为我的欲望已经堆积酿造了太久,发酵的完全变质,而变得那么过激,我察觉到母亲对我的疏远与不安,我迫切的需要一个方法让他永远的留在我身边。17岁那年,我决定打乱母亲的记忆,让他的世界只剩下我一个人,我就能完全的占有他。
那是镜子的魔法,把一只黑色的鸡脑袋砍下来,并让他在地上一直走到死去,接住没有头走动时喷出来的血浇在镜子上面,再点燃蜡烛,祭献一个活人的脑子。师傅是这么告诉我的,我也照做了,甚至耐着不安感像他所说那样在人还活着时候打开颅骨,把脑髓全部吃进,那个人不断蠕动,仿佛被钉在地上的蚯蚓,拼命挣扎着直到失去意识。可是镜子却对我说,你连自己都不爱又怎么爱别人,我不知道,我觉得我是爱母亲的。所以我看到了母亲过去发生的一切。
在我的脑海中有一个声音指引着我该怎么做,我试图把水潭搅混,让母亲模糊的记忆只勾勒出我的影子。我完全着了魔,失去了心智,冲动的对母亲胡言乱语一番之后强上了他。母亲察觉到我的不对劲,只是焦虑的忍受着,大概也猜到了一切,我把所有我不敢尝试的全部做了,我第一次弄哭了母亲。连续两个月,母亲的月经没来。
母亲变回了在Leo那里时的状态,呆滞压抑,好像被关在笼子里准备随时挣脱的鸟儿。我也不再对他索要床第之间的事,将怒气发泄给了更多的无辜女孩,很快我的柜子上摆满了一瓶瓶眼珠,目不转睛看着我,试图用怨念的目光烧死我。
我记得在那之后,我近乎狂暴的虐杀了一个女孩,她看上去是一副好学生模样,坐在公园的秋千上看书。我从她的书包内翻出来订书机,把她的眼皮撑开钉在脸上强迫她看着我,听我咒骂,为了防止她在我骂完之前晕过去,每过几分钟我就在她的手指上钉一颗订书针。等我哀怨完对母亲的爱之后,为了不然她说给别人听,我又把裁纸刀的刀片掰成小块,混着牛奶灌进她喉咙里,她绝望的咳嗽呕出血水混着牛奶染成暧昧的粉色,但是一切都无济于事了。我把她的衣服扒光,想象自己是一个木匠,把她所有笔钉到她肋骨的缝隙里,拧开末端还会变成一个自动的血龙头,向外面不停的吐着鲜血,很快就把我染成红色。她为什么非得今天死掉?我不知道,也许是看了太多书遭报应了吧。我没有挖她的眼睛,临走之前无聊的踢着笔杆全部插进了更深处,还喷着血,像被人踩了一脚的癞蛤蟆一样,我躲在附近,观赏警察面对惨绝人寰的尸体时那种愤怒的模样。“狗娘养的。”今天他们是这么形容我。
可是该怎么解释呢?我从来没有受过这些虐待,我也感受不到受害者的疼痛,我只能不断尝试着更多的虐杀方式来满足自己的视觉欲望。比如对着图书馆旧书中模糊的画像,试图将一个关节被敲碎的人编织在轮子上,后来我放弃了,因为我发现我不得不敲碎他全身的骨头才能打成结,而我敲碎他全身骨头的时候他已经断气了,就好像是一个包子,完整的外皮下面是剁碎的肉馅,我怀疑如果我现在在如热带鱼一般五彩斑斓的紫色皮肤上划一道口子,就有碎骨头和碎肉流出来。说实话那人的血抹到书上让我再还书时有了不少麻烦,管理员紧张的靠着墙,我再三解释是我流鼻血抹上后她才松了一口气,要了我五十块钱的罚金。
我开始疯狂的试图吸引母亲注意,跟踪他,恐吓他,但是母亲只是爱理不搭的看着我,也许我变成人棍回来他也不会多看我一眼,顶多问问我怎么会变成那样。我害怕我一旦沉默就会变成Leo,变成母亲想要离开的人,我害怕母亲离开我,我想永远待在他的身边。
如果有电影导演想要把我拍摄成电影,一定会觉得我的故事简直无聊透顶,无论怎么变换场景无非就是各种荒无人烟的地方,然后把一个无辜人从死人变成活人,或者就是臆想自己的母亲独自取乐。
这几个月我过得心惊胆战,我不敢告诉母亲他怀孕了的事实,我想他应该也知道自己身体又被用来孕育生命,他趴在马桶上狼狈的呕吐,疯狂的翻找食物。我看着他有些心疼,只敢在夜晚他熟睡之后偷偷吻一吻他的肚皮,试图安抚着里面我的孩子,也是我的姊妹,她会是个漂亮的小姑娘,我能看到,长着红发像母亲一样。我突然又害怕她的出世会不会让我对母亲的爱分神,非得割裂一点给她,我不愿意这样做。
在医院里,我一副要照顾怀孕的母亲的孝顺模样向护士们打听应该怎么做,这就是事实不假,那些年轻女人们咕哝着如果能嫁到我这样顾家的男人该多好,我偷走了一根喂食管。我问母亲,我能不能在他胃上凿个洞,把管子插进去,两段都在胃里的话也就不会吐了,或者不用开洞,我它放进母亲胃里,我把那些食物吸出来吃掉,再给母亲喂一点葡萄糖水,也可以有同样的效果。母亲绝望的哭,一边哭一边呕吐,惨笑着说,我以为你会想插进我的肚脐里把脂肪吸出来,这已经够变态了。“如果妈妈想的话也好啊”在我伸手去触摸他因为婴儿略微鼓起的肚脐时,母亲尖叫着退缩了。
但是吸出脂肪对我来说是一个新奇的事情,我向一个看上去脂肪很多的护士了解了喂食管用法的同时顺走了那里的乙醚,然后在没人的地下停车场将她迷晕拖进根本不会有人进去的停尸间。我在她的肚脐上开了洞,把喂食管插进去用力吸着,起初是不太顺利的,几次尝试后黄色的粘稠脂肪顺着透明管壁滑进我的嘴里,一股恶心的油苦味充斥了我的口腔。我看着那个小洞反胃得不行,草草用喂食管勒死她藏进停尸间随便一个空位就离开了。我在公园用喷泉水漱口,吐了一地,路过的人看我身上还沾满血污问我还好吗我也只是回答有人把死狗扔在我的身上,他们便继续自己的生活去了。
我对脂肪一直都有恐惧,师傅曾经带我到河岸走着,上游是焚烧尸体的地方,那些人的油脂被烧的滴出来,流到河里,在下游一层一层堆积着。师傅对我说,这就是肥皂。然后他把那些白花花的脂打捞上来,用来捣鼓奇怪的东西,而我注视河水,直到现在也不想用肥皂洗手。
在那天夜晚,他咬下邮票的一角,含在嘴里趴在椅子下看着我,我问他
“lsd是什么感觉?”
“有点苦”
“那为什么还吃”
“因为我也很痛苦,至少它能让我开心一会。”
母亲扯住我的裤脚让我蹲下,我尽可能平视他,拉住他的手
“你知道吗?ste,我每一次吃,都会很害怕,因为我的味蕾习惯了它的味道,苦,还有恶心的感觉,我需要喝很多水吃很多糖去冲淡它,但我还是会把它放进嘴里,你猜为什么?”
“为什么?”
“因为活着真的很痛苦”
母亲将我的手拉到自己脸旁,轻轻依靠着哭,泪水顺着指缝滑进手掌,滴到地上,他求我带他去海边,他求我杀了他。我开着车带他到了海边,但是没有杀他,只是任他看着窗外发呆,一边笑一边哭。
“这玩意随时可能要了我的命,我就像在赌博,赌我还能不能清醒的活过来,但是我好想死,我想在幻想的世界里迷糊的死”
“我不懂你”母亲看着我,把泪水擦在我的眼角,缓慢的张嘴,什么也说不出来。“我也不懂你。”母亲看着窗外自己的影子,灯火钻进他的头发里,迷茫,视若无物,他撕着自己嘴上的死皮,扯出了鲜血,用牙齿刮进嘴里。他打开车门头也不回走向海的深处,我只有追上去,抓住他,仿佛我才是那个溺水的人,将他拖上岸。
母亲浑身湿透了,海水顺着脸颊向下滴,一滴,一滴,和泪水一样也是咸的。他看着我微笑,绝望的微笑“你可以杀了我吗?”最后母亲一边哭,一边把我按倒在岸边亲吻,交媾,然后哭,捂着脸尖叫着哭。“杀了我,好吗?杀了我……”
“我真的好痛苦”母亲坐在草丛里,双手不安的抚摸自己的肩膀,我把外套披在他的身上,尽可能温暖他冰冷的身体。“你们都会讨厌我,离开我,总有一天会。”
“我不讨厌你,我爱你,我要把你捡起来”
“可是你不知道我在哪,我已经凋零了。”
记住了每一件事,每一个东西的我也很痛苦,我有时会记忆混乱,仿佛大脑是一个魔方,打散了重新排序,就好像母亲不能理解我的痛苦一样,我也理解不了母亲的痛苦,就算知道他曾经发生过的一切也没办法和母亲思想一模一样。我看着母亲哭,看着母亲笑,或者又哭又笑。
那段日子真的很难,我擅自给母亲加上了产后抑郁的病名,也许并不是,所以我也没敢弄一堆乱七八糟的药回来给他,我只是看着母亲,听他说一些荒诞的话。“你不想生活在一个全是我的尸体的世界”母亲用美工刀抠着他的脚趾甲,挖起来,撕掉,甚至整块的拔下来。留下渗血的方块“你觉得像不像指甲油?”他的自残倾向很严重,甚至会对着镜子,把刀顺着肚子慢慢割,一边割一边哭说他割不开。那个时候孩子已经有了个大概形状,母亲的小腹隆起,像是被强行塞入了什么一样。
“我想生活在一个没有痛苦的世界,不当人就更好了。”
“如果我把脸皮扒下来看上去还像人吗?”
在六个月的怀胎后,母亲生下了一个双头的死婴,作为礼物,他砍下她的两个脑袋剁成肉酱整齐的摆放在我的桌子上。而他就坐在桌子对面一言不发,沉默的看着我,看着我镇定的拿出橱柜里的餐具,把桌上的东西全部吃完。母亲哭了,他掀翻了桌子,绝望的看着我,在那其中一个头上踩了一脚,啪的一下就糊在了地上。而另一个只有一只眼睛,咕噜咕噜滚出门外,被野狗当成食物叼着跑了,现在的母亲已经除了我什么也不剩了。
这个可怜的死胎大概是我的报应,也可能是我每天诅咒她不要夺走母亲对我的爱,但最终我还是把她的存在归结为Leo的错。Leo是一个自私又冷酷的家伙,他给母亲安上了子宫,只允许他的孩子活着,说不定我也是他的孩子,只是他们编了很多谎言给我听而已!我不是一个会自责的人,所以就把所有错误推卸给其他人,我每一分每一秒都在酝酿我的仇恨,把这些愤怒全部发泄在一个虚假的空想体上——Leo Lawrence。他被我一遍一遍的丑化,变成了我的敌人。“乱轮的小孩本来就活不长。”母亲把烟灰抖在我的脚背上,烫出一个小泡,但我们都没动,他抱紧自己的身体低下头,仿佛我们之间隔着巨大的篝火。“妈妈,”呼唤让母亲下意识的看向我“你好美,”他厌倦的笑,男妓那样“但是这样的美不应该绽放在你的身上。”
“我希望我很美,来吧,坐过来一点。”母亲拍了拍他身边,要我靠过去,他把我的头枕在他的锁骨上,很硌人,我们靠着墙,躲在床和衣柜间的缝隙中,我在母亲怀里安睡呓语,而他吻着我的头发,如果真的有上帝那他不应该对母亲那么残忍。烟头被母亲按在自己的手背上,烙出一个丑陋的疤,现在就连火种也熄灭了,世界再一次陷入了黑暗。“你看,星星掉下来了。”
最终的我是不敢问母亲,他是否还会像曾经那样爱我,将我视为无害的婴儿,拥抱在怀里。我害怕听到那个拒绝的答案。
悲剧的欲望,我在渴望悲剧。我似乎在路过母亲的悲痛,但是已经太晚了。世界上没有什么完美的人,从来就没有过,母亲只是想要一个能够让他看起来不那么孤独的人罢了。
我计划了很久,几乎花了一年的时间,从我应该如何告别母亲再到我应该去哪里找到Leo,我应该在这段磨练中如何学会杀死一个强大的吸血鬼。我对自己的计划是满意的,我认为已经没有任何一点差错,只要我完成属于我的复仇那么母亲就只属于我一个人,我也有点什么作为来证明自己���在的价值。我给自己树立了一个目标,并不停的追赶着,如同夸父。
九月的时候我们去了洛杉矶,母亲自然是带着我回到了曾经的住处,也许是Leo动了手脚,十多年过去屋子里没有任何灰尘,所有物品整齐的摆放着,我第一次看见母亲以完全放松的姿态躺在沙发上,宛如我只是即将离开的访客,就好像Caleb第一次出现在母��的世界中那样,母亲看着我,毫不避讳地开始脱下衣物,说“进来坐吧。”
当晚,母亲再次着装打扮,当他带我去到楼下酒吧的时候还有眼尖的人惊呼着认出了他,此时我才意识到,母亲已经44岁了,却依然一副二十出头的模样,哪怕生育过三个孩子却依然拥有姣好的腰身。我平时不常见母亲穿渔网袜的样子,他穿着破洞热裤和过膝的长靴,束腰马甲外套着白色皮制风衣,腰带懒散的坠在腰间。他第一次点了酒,叫做热托蒂,然后从身边试图搭讪他的人口袋里抽出烟盒大方的拿了一支将烟盒抛回去。母亲看着向我咬了咬牙,然后叼着没点燃的烟凑近我“你一直想当个坏种,对吧?点燃它,你不会后悔的。”我的口袋里倒是有用来点蜡烛的火柴,但是对于这样魅惑的母亲不知所措,我能感觉到我的手指在发抖,屏息给母亲点燃了香烟,目光瞟到了烟嘴上的口红印。
在深夜,母亲给我披上了密不透风的黑袍并戴上面具,而他就这么只是盘起头发戴上礼帽带领我来到了一个不为人知的地方。那里正在进行什么会议,所有人身穿黑袍,在母亲开门的一瞬间看向他,然后是议论,不过两秒,他们全部起身跪拜,高呼着神明回来了。而母亲无视着他们,高傲走进最中心的祭台,侧身坐在上面,摘下帽子远远扔到我的手里。他呼唤着黑压压的人海让他们抬头,然后剥下自己一层层外壳展露那具奇妙的酮体,人群们祈祷着,尖叫着,呼唤着,无数只手伸向他,被他轻巧避开。“这是神的旨意!”我身旁的人按住我强行让我跪在地上,给母亲祭拜,慌乱中我透过离母亲最近的人脚下,看到一个快被踩踏断气的婴儿。
“鸟要挣脱出壳。蛋就是世界。人要诞于世上,就得摧毁这个世界。”鸟飞向神,神的名字叫阿布拉克萨斯。母亲是看着我说的,也是对我说的,对窥探了他的一切的我。母亲趴在桌上,对着其中一个人低语,然后那些信徒们就开始相互殴打对方,掐着对方的脖子,用镶了宝石的匕首挖出对方眼睛,用拳头砸对方的头,用指甲挠对方的脸……所有人都渴望着鲜血,又怕他们腥臭的血溅上他们的神。母亲躺在桌子上对我笑,被其他人用白纱遮起,生怕他被一点灰尘沾上。
最后的结局母亲站在祭坛上,裹着白纱起舞,他在乞求莉莉丝的拥抱,而信徒们用他们的瞎眼看着他,命人把汽油浇在自己身上,然后,点火。母亲在火光中拍响一个手鼓,伴随女人幽怨的嚎哭,他对我笑,注视着周围滚动的火光,有些人试图撕下身上着火的衣服,却扯掉一大块皮肤,他看着我,示意我,快逃。有些不甘的人试图把我也扯进火光,火舌激起野兽恐惧的本能,快逃,母亲第二次对我说,快逃,第三次,他被人抓下祭台,消失在大火中,我只能逃窜着出了森林。那一瞬间,我的内心竟然不是悲伤,而是罪恶的喜悦,如果母亲死了,我就能把他复活,然后永远的留在我的身边,我大笑着,转身观看火焰如何烧光一切,又如何慢慢熄灭。最后一粒火星消失后,我踏入了废墟。
母亲就躺在那,正中央,在黑压压的尸肉和灰烬中他白皙的皮肤如此刺眼,我曾经以为母亲多么脆弱,我错了,他晕了过去,甚至脸上没有一丝灰尘。母亲如同一只白色的乌鸦,被啄死在羽毛中,我把他抱起,慢慢离开,走出废墟的时候,曙光已经照在他的身上,有那么一瞬间,我害怕母亲变成灰烬 从我手上逃走,但阳光惊扰了母亲的梦,他睁开眼“女巫在火焰中重生。”他看上去又年轻了一点,森绿色眼睛里是傲慢与不屑,母亲从我怀中跳下,抢过了我的斗篷披在身上,责怪着我把他的帽子弄丢,自顾自走出了森林,仿佛我的拥抱只是一种占有。我只能像任何时候一样追赶他的脚步,看着母亲将自己包裹在密不透风的黑暗中,无法触碰太阳。
我们离开了洛杉矶,母亲把一个年轻狼人的照片挂在了床头,他告诉我,那是Samuel Kazler,他曾经的爱人。而现在他是个寡妇,什么也不剩,只好跟自己儿子做。母亲看着我,伸手去抓他看到的什么,却什么都抓不住,或者已经顺着缝隙溜走了,我只能试图让母亲抓住我的手指,如果会让他好受一点的话。
“你对我的爱有色差”母亲艰难的呼吸着,泪水噎住他,他的眼睛有些肿,抓起被子边缘擦掉鼻涕却擤出了血丝。我躺在母亲旁边,数着天花板上的蜘蛛丝,不知道该怎么面对母亲,反而第一次想要逃走,逃的越远越好,我想我必须要离开母亲身边。我应该如何把一个乏味的故事书写的真情实感?
我的生日前一天是圣诞夜,母亲窝在壁炉旁玩手机,而我坐在椅子上看着母亲,脚踝在冷风里被吹得起皮。屋子里没有圣诞树,因为圣诞树上有个会整点报时的机械鸟,母亲嫌它太吵就让我搬出去了,不过留了一地的礼物盒,里面有很多巧克力或者是饼干,母亲就放在自己边上抓了吃。我连说话的欲望都打不起来,思考着该怎么对母亲开口,结果他被盯毛了只是问我要不要吃饼干。我乐意与母亲喂我吃东西,然后吻我的脸颊祝我生日快乐,但我还是担心我如果擅自离开他会不会显得很自私。
我躺在雪里,把自己埋起来,淹没自己,试图当一具冰封的尸体。我被白色遮住了一切,我想,如果雪崩的人被掩埋会不会迷失,分不清上下,不停挖不停挖,只会把自己埋的更深。我害怕鬼魂踩在我身上走远,去寻找南极,但其实这里什么都没有,只有我,我应该是能明白一点母亲的孤独了。
成年之后的第二天,我就对母亲提起了我想要离开的打算,我站在雨中与母亲隔绝开,雨下到一半就变成雪,厚厚的堆积起来,让我只看到他无论多少年过去依然年轻的美丽容貌。他看着我问我是否真的决定好了,我点点头,准备离开时他跑回屋内翻找出那条幼时为我遮挡风雨的斗篷披在我的肩上。母亲也被淋湿了,雪花点缀在他的睫毛上最后给了我一个吻,却意外的留下了我。我的内心是矛盾的,拥抱着母亲像恋人一样告别,在我下定决心打算完全离开母亲的身边时,我最后一次窥探了母亲的记忆,可我大概是失去了生命的一切,那是混乱与迷茫,大过世间一切仇恨与罪孽。
在所有事情开始的时候,母亲坐在三楼空旷的钢琴房,弹奏一首悲伤的曲子,他的脑内是一个个音符,以及……每一次Leo在一个狭小的公寓里亲吻他,拥抱他,给他念书的片段,没有声音,也不是冰冷的……然后是我的生父,两人的枕边密语……我希望自己能爱,但我似乎已经失去了激情,忘记了欲望,我太关注自身了,我的人性成为自己的重负。我想逃避,想逃离,想忘却。
记忆逐渐重合时,母亲看向站在黑暗中的Leo,然后像是要扯破某种束缚一样扯开沉重的窗帘,扬起的灰尘让我咳嗽着,阳光让我睁不开眼睛。母亲的脑中是无数的哀叹,无尽的哀叹,都在焦虑的踱步,告诉他该怎么做。为什么留下?为什么爱?为什么生活?为什么逃避?为什么被束缚?所以母亲顿然醒悟,不顾一切的奔向那个男人,亲吻着,撕咬着,扬起的裙摆是墨绿的火舌,吞噬了两人。红钻的光晕反射在墙壁中央母亲肖像的脸颊上,留下了一线血痕,一线泪迹。
“marry Christmas Mr. Lawrence”这是母亲对Leo最后的低语,是只有多年后的我才能理解的低语。阳光阻隔了黑暗中的男人,让母亲抓起摇篮中的我退到窗前,阳光是灼热的,让母亲的脸红了起来,拉开窗子向外张望着,他看到了什么?是什么吸引着他?引诱着他纵身跃下?大概是自由吧。
Leo是跟着跳进阳光的,他拥护母亲,和无知的我,将自己垫在我们的身下,面向阳光,在最后一瞬间,化为灰烬得一瞬间,让母亲平静的、温柔的,随着落叶飘落在地上。最终什么也不剩,混入尘土被季风推远了。
他是没有任何抱怨和悔意的,在他的脸被阳光灼伤焦烂的时候甚至对母亲露出了一个可憎的幸福微笑,并在母亲的心脏永远的上了一个无法解开的枷锁。他说
“Je t'aime aussi.”
Leo曾经爱着母亲,然而当他想更进一步时却发现有一种死亡将至的不安。人在不安之下就会被肾上腺激素支配,从而做出一些超越自己极限的事情,整个人也极端起来。但无论如何,在他内心最深处的东西是永远也不会改变的,甚至还在拼命的散发着失去的悲伤。Leo一生都不愿成为一个悲剧人物,也不痛苦呻吟乞求幽独,这是我综合着母亲对他的所有记忆得出来的。我并不了解他,也没有真正的和他接近过,更别说窥探他身上所发生过的一切,但他却扎根在我的仇恨中。
一直以来我都可悲的笼罩在他的阴影下,悲哀的试图推翻他,代替他,期待自己能够成为打开母亲心扉的钥匙。我不方便对任何人提及我的病情,我一直都是活在自己臆想里的患者,疏远所有人,却圈定了那么特定的几个想要永远的困在自己身边。这不是我了解自己过程中唯一的答案,却是正确的事实,只是我一直用狭隘的片面的眼光去看着这一切,我所谓的美好回忆都是经历过无数美化的幻想。因为我害怕伸手去触碰现实的时候会遍体鳞伤。
我将自己定义为黑暗中的污垢,是粘在墙壁上的口香糖,以为自己就是人们的加害者。我以为自己就是一个怪物,为了复仇而生,但没有什么比这更错误得了!我所伤害的都是自己,我想伤害的也是自己,但又麻痹自己安慰自己是有一个所谓的人生目标的,我自以为是高尚的俄狄浦斯王,其实只是一个难以摆脱身上乳臭味的幼崽。我没有理性去理解他人,永远的孤独还以为是高傲的象征,只能从母亲身上不断剥夺索取。
我从未如此清醒的意识到我一直生活在自己构建出来的虚假世界里,我和母亲大概是从未逃出那个光鲜亮丽的宫殿吧。
我就像一条狗似的。最终只能伏在地上跟随Leo和母亲足迹的味道,永远的轮回在永无止尽的回忆中,被梦魇占据思想,身处未来却死于过去。一切冠冕堂皇的理由都在此破碎了。
悲剧的欲望,消散
我在你的温柔中死亡
因为未知
占有着痛苦,与背德
我试图用爱情
去亲吻,去沉醉
可是你依然
凋谢
……
这是我最后留给母亲的一首诗,夹在他没有看完的书页里,以及我亲手扒下来的,我的脸皮。我再次躺回雪中,思考着,圣诞快乐,圣诞快乐,我对自己重复了很多遍,圣诞快乐。
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jinghuablog · 5 months
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动物天堂,人间炼狱——走进澳洲的尽头(三)
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爬山回来后不久,天空便下起了大雨,豆大的雨滴足足下了一个晚上。早晨起来,雨势小很多,碰上这种天气,什么地方都不能去,只好呆在房间里打发时间,太太正忙着整理行李,我端一杯咖啡斜倚在窗前,看着窗外出神。雨还在淅淅沥沥下个不停,像是掉了线的珍珠在空中飞舞。树木像是被洗过一样,泛着绿油油的亮色,树枝在风中不停的摇曳,残枝飘落,落叶纷纷,一片萧瑟残景。秋雨纷飞,愁绪难言,以至于离开摇篮山的时候,人觉得特别的累,那种疲惫状态有如刚从天上遨游回到人间一样,懒洋洋的,无话可说。
我们下一站是塔洲首府霍巴特(Hobart),从摇篮山去霍巴特有300多公里,开车需要四个多小时。途中我们在罗斯(Ross)小镇停留了一下,在那里吃个午餐,随后便在小镇各处转了转。小镇不大,人口约300人,但它却有着200多年的历史。小镇主街的两旁种有浓荫蔽天的榆树,上百年的历史建筑随处可见,有市政厅、羊毛中心、旅舍、教堂、邮局、面包房、民居。
古色古香的小镇,幽静雅致,午后的阳光更给这里平添了不少迷人的色彩。湛蓝的天空,悠悠的白云,米色的房屋墙壁,绿色的尖屋顶,翠绿的草地,泛着清波的小河,刻有岁月沧桑的古桥,小镇就像是一幅美丽的画卷,每一笔都是那么的淡雅清新,精致细腻。据说当年宫崎骏动画大师曾在这里住了一个月,以创作他的动漫作品《魔女宅急便》。没有人在意这则传闻是否真实,但小镇的知名度因这则传言而备受追捧,却是不争的事实。
名扬内外的还有小镇面包房里烘烤的干贝派(Scallops Pie),几乎所有来这里的游客都会买来品赏一下。小镇上有二家出了名的面包房,一家是Ross Bakery,另一家叫Bakery31,他们的干贝派都做不错,个人觉得后一家更好吃些,价格倒是差不多,都在10澳元上下,据说20年前同样的派只需2澳元,价格涨了五倍之多。
小镇受欢迎的景点还有建于19世纪中叶的罗斯女子监狱工厂(Ross Female Factory)旧址,当年的建筑物都已经不复存在了,只剩下一幢监工小屋保留至今,游客进屋可以一窥当年那段凄楚的历史。罗斯桥(Ross Birdge)是小镇地标之一,这座由女囚犯人建造的古桥,完全是用砂岩石筑成的,桥身刻有精美的浮雕,经历200年的风吹雨打,依然魅力十足,是澳洲仍在使用的三座古桥之一。还有著名的罗斯十字街(罗斯四角),战争纪念碑,乔治亚风格的议会小屋,歌特复兴风格的天主教堂,维多利亚风格的罗斯酒店,这些建筑都有上百年的历史。
漫步街头,沐浴古风。徜徉河边,芳草萋萋。罗斯古镇,田园风光,优游卒岁,又复何求?作为一个外来游客有此感慨,不足为奇,我想很多人都会被这里美丽风光所感动。
令人觉得不可思议的还有天气,当我们从摇篮山出来的时候,天还下着阵雨。来到罗斯小镇,却意外的云开日出。等到我们的车开出了小镇,明媚的阳光已经洒满大地。难得有这么好的运气,我们把接下来的行程改成去惠灵顿山(Mt Wellington)。
惠灵顿山在霍巴特以西20公里的地方,它海拔1272米,是霍巴特最著名景点之一。上山的盘山公路修的很好,到处都是浓荫蔽天的大树。这时节,放下车窗,吹着山风,汽车慢悠悠的盘曲而上,自己的心情也随着山势上升而变得开心无比。山顶十分开阔,有个大停车场,从停车场岀来,沿着一条步道,可以走到断崖绝壁的地方,风景这边独好。
山顶属于海洋性极地气候,常有极端天气的出现,有时一天会有四季之分,还会碰到晴天,下雨,刮风,下雪,再晴天轮番交替的怪诞天气,所以上山一定要带上御寒的衣服。还好山顶上掣出一个室内观景屋,人们可以躲在屋内静静地观赏山下的景色。
好在山上的风景确实美丽,湛蓝的天空一望无际,朵朵白云在眼前悄无声息地飘荡,多么的轻盈,多么的温柔,不经意间投下的几块云影,在山水之间游来荡去,那些来不及阴的地方,云又过去了,不过也不用着急,另一片云马上又转了过来。
站在山顶犹如飞入了云端,真有一览众山小的气势。自己脚下是美丽的霍巴特城市风光,高楼大厦,豪屋大宅,公园绿地,跨河大桥,沙滩海湾。远方是逶迤的群山,阡陌纵横的原野,清澈的河流,浩瀚的大海。向更远的南边望去,那是通向南极大陆的南大洋,离南极大陆只有2500公里,从这个点上来说,这里不仅仅是澳洲的尽头,也可称得上是世界的尽头。
此时我的想象插上驰骋的翅膀,尽头再跨前一步就是寸草难生的蛮荒之地,是生命万物终结的开端。每个人都知道生命的尽头是死亡,可很少有人会问思想认知的尽头意味着什么?对于这个问题的不在意,让人很容易误入骄傲自满,狂妄无知的歧途,这还是避重就轻的说法,更可怕的是思想的贫瘠荒凉让闪光的理想变成腐朽,青春的笑靥变得虚假,对是非善恶麻木不仁,对良知正义漠不关心,以假充真,以丑为美,这种无异于草木的生活,是人的另外一种死亡,虽然表面看起来依然风光十足。
在霍巴特住下之后,我们开始规划接下来的行程。布鲁尼岛(Bruny Island)之行是我们的首选。虽然布鲁尼岛离开霍巴特仅一个小时的车程。但这个岛却给人一种遥远世界的感觉,不光是因为那里早在四万年前就有人类活动,还有它的侏罗纪海岸线、丰富野生动物、珍稀鸟类以及无比美丽的自然环境。当然要在一天之内领略全岛的自然风光决对不可能办到,好在还有一个办法,那就是乘坐观光快艇,去遨游这片神奇的海上世界。于是我们在网上订了第二天的出海行程。
霍巴特是一个理想的卜居之所,除了有山有水之外,还特别整洁宁静。早上出门,阳光灿烂,空气清新,眼前是一片明丽的街景。路上车辆不多,道路快捷畅通,开车40分钟便来到了凯特林(Kettering)渡轮码头,在码头上买了船票,也无需排队等候,就直接把车开上了渡船。
渡船很大,宽阔的甲板上停有六长排汽车,每排有10多辆的车都齐刷刷的停放在甲板上,在阳光下泛着明暗不一的光亮。渡船航行时非常平稳,不一会儿渡轮码头就消失在我们的视线之外,而出现在眼前的是一片青山绿水,白云缭绕的海湾风光。那景色真可用一首诗来表达,碧海万顷映朝晖,白帆如雪蔚蓝天。凭舷回望渡船处,风恬浪静海鸥翩。
渡船航行20分钟,便稳稳当当靠上了对岸。我们跟在渡轮上的其他车辆后面,犹如猛虎放柙一般的冲出码头。上了岛,徒觉神清气爽,一尘不染。岛上安静的出奇,仿佛还没有从昨晚的清梦中醒来,而我们倒像是些不识趣的闯入者。车开了没多久,渡船上下来的车全都不见了踪影,一条大道上只剩下我们俩。大自然像是特别为我们准备了一份视觉厚礼,透过路两旁种着一排排的绿树的缝隙,可以看到山丘、田畴、树林和海滩,真是美不胜收。
我们来到集合地点冒险湾(Adventure Bay),看看时间还早,先在海滩上闲闲的蹓跶走走。海滩上空无一人,显得格外的寂寥,白色的沙滩在阳光下特别耀眼,海浪轻轻拍打着海岸,几只海鸟在水上飞翔,一条木栈桥从岸边伸向水中,给单调的海滩添了一道不错的风景。一大早,在清凉的海边散步,听风声,涛声,啁啾鸟语有种不可言状的惬意。
九点半钟,陆陆续续有坐船的游客到来,大家一起聚在游轮公司大楼,听公司员工介绍整个航程,以及注意事项,他们给我们每人发一件防风防寒外衣,二片防晕船药片,还特别嘱咐海上航行气候多变,寒冷刺骨,并安排一名年轻姑娘随船讲解,一切都做的详细周到,称心如意。
印象中的布鲁尼岛非常荒野,然而只有坐在船上你才会真正体会到它的原始荒凉。快艇开出去不久,神奇壮观的粗面岩海岸地貌陆续出现在了眼前,这是世界上最大,分布最广的粗面岩石群,颜色显浅褐黄色,也有的是灰白色,这些形成于1.6亿年前的柱状岩石耸立在大海边,风化成形态各异的悬崖,其中还有南半球最高的垂直海岸悬崖,最高超过300米,这也是世界最高的海崖之一。更奇的是陡峭的石壁上竟长出一棵棵枝叶婆娑的桉树,这些长在石缝里的桉树,不畏严寒,睥睨风雨,迎风俯仰,展现出顽强的生命力。不仅海岸线的悬崖峭壁看了让人兴奋,还有各种大小不一的海蚀洞,形状不同的海蚀柱、喷水孔、海藻森林、深海洞穴,荒野的海滩、海岛,真叫人大开眼界,堪称一趟奇妙无比的侏罗纪海岸线旅行。
快艇在海上时而飞速急驶,溅起一阵阵的浪花;时而放慢速度,甚至在海上自由飘浮,随波逐流,在这一快一慢中,即能让我们感受速度带来的快感,又能使我们尽情地观赏海上奇景,拍照留影。不仅如此,船员还耐心地答疑解惑,知道大家对南大洋的野生动物都怀有极大的兴趣,快艇还特意在塔斯曼角(Tasman Head)停留很长时间,那里是海狗的乐园,成千上万只海狗躺在礁石上,懒洋洋地洒着太阳,对我们这群不速之客视而不见。在企鹅岛我们还看到许许多多"神仙企鹅",它们在小岛上的那副无忧无虑,憨态可掬的样子,冠以"神仙"二字实在是非常的传神。除了近距离看到这些珍奇动物之外,在我们船的周围还跟随着许多海豚,它们不时跃出水面,撒欢争宠,蔚为壮观。在我们的头上更有鸟群盘旋逗留,信天翁、海鹰、海燕成群地飞过来,越聚越多,结队跟着我们的快艇前进,忽上忽下,忽左忽右,竞相追逐。这片广阔的海域无疑是它们的乐园。
快艇载着我们在这片神奇的海域纵横驰骋,所向披靡,带着我们在这个海上乐园,恣意飞驰,尽情欢乐,哪管什么寒风凛冽,海浪颠簸。三小时的快艇巡游惊险刺激,一路上奇景奇遇不断,惊呼和笑声连连,忘却了时间,更忘记自己身在何处,此时此刻,这片海域只属于我们船上每一个人。
唯一遗憾的是时间过得太快,还未尽兴就戛然而止,这或许是给下次的重游留下一扇机会之窗。虽然对什么叫"尽兴"仁者见仁,智者见智,但尽兴的后面必定是索然,旅行是如此,生活也是如此。
游罢归来,我们去了附近一家养蜂农场,买了些当地产的蜂蜜产品。然后又去了一家生蚝农场饱餐一顿,那里的生蚝果真是全澳洲最好吃的。最让人心情激动的是登上有279级台阶的颈峡(The Neck),站在上面可以360度全方位观看美丽风光,一条4公里长的地峡,最窄处仅有100米,颈峡的左边是浪涛汹涌的冒险湾,右边是海面砥平的辛普森湾(Simpsons Bay),远方是绵延起伏的山峦,雄伟壮观,它是塔洲最为知名的景点之一。
霍巴特还有一个非常著名的景点就是亚瑟港历史遗址(Port Arthur Historic Site),它位于塔斯马尼亚东南一个半岛上,被联合国教科文组织列为世界遗产,这里是了解澳大利亚历史文化一个绕不过去的景点,也是我们接下来的行程。
第二天,又是一个风暧日丽的早晨。我们还是一清早出门,从霍巴特到亚瑟港有90公里,开车需要一个半小时,一路上景色唯美,仿佛是一幅幅流动的画卷。我们在山水之间,在丛林之中穿梭而行,不知不觉便来到了亚瑟港。我们先去游客中心,买了两张参观门票,门票包含港湾游轮和参观遗址。售票的姑娘告诉我们,这里的遗址包括30座历史建筑,大量的遗址和美丽的乡村景色组成,如果不是走马观花似的转一圈,至少得花三个小时以上时间。
走进亚瑟港,我就被这里如画般的景色深深的吸引,那景色堪称世外桃园般的美丽,但在这美丽的背后却隐藏着一段痛苦的过去,一段澳洲最黑暗的历史之一。
我们先去了码头,坐上游轮出游。船上的游客不多,大家三三两两的站在甲板上,要不是船上的广播介绍沿途的景观和历史,大家还以为是一趟纯碎的赏景之旅。当船来到一座绿树环绕的小岛,游船减慢了速度,广播中开始介绍这里所发生的故事。这个小岛被称之为"亡灵之岛"(The Isle of the Dead) ,弹丸之地总共有1646个坟墓,其中包括180个标有姓名的军人、看守以及他们的妻子和孩子,那些草草落葬的无名之墓都是亚瑟港监狱死去的犯人。游船返航的时侯,我心里总觉得沉甸甸的,再也无心欣赏沿途美丽的风光。
渡轮回到码头,接下来我们便去参观监狱遗址,首先印入眼帘的是被大火烧成只剩下一个空架子的四层牢房遗址,原来的一、二层里共有136个单独牢房,这里没有窗户,不见天日,关的都是些带有脚镣铁链的重刑犯人。三楼是教室、祷告室、图书室,旁边还有餐室、厨房、面包房。最上层关押着348名普通犯人,他们每天都得劳动12小时以上。
不远处还有一个少年监狱,里面一个最年轻的囚犯只有9岁。这些少年犯或许只是偷了一片面包,一个玩具,一只家禽,或者抢了别人一件衣服,一条围巾,一只钱包而被定罪,然后又以同样的原因再被抓一回,就被贴上惯犯的标签。当时的法律对惯犯处罚极为严厉,判刑之后,有的人便送来亚瑟港监狱接受劳动改造。十八、十九世纪的英国正处以工业革命的时代,贫��差距,社会不公导致小偷横行,犯罪猖獗,民不聊生。很多穷人连基本的食物都没有保障,人的本能逼的他们偷点食物以果腹,抢件衣服以蔽体,甚至是为自己家里的老人,兄弟姐妹,然而严厉的法律却让他们承担不可承受之重。
从监房的铁窗向外望去,外面的世界是多么的美好,依山傍水的英格兰田野风光,精致的花园里种满了奇花异草,一大片绿茵茵的草地一直延伸至海边,水面上波光粼粼,微波轻柔的拍着岸边,像是母亲那双温柔慈爱的双手。远山如黛,深沉博大,又像是父亲宽阔的肩膀。此情此景,怎能不勾起对家乡亲人魂牵梦绕的思念。关押在此的犯人,谁不想重获新生,回到自己亲人的身边,去尽自已做儿子、做丈夫的义务。但这道铁窗却成了他们不可逾越的鸿沟天堑。
即使能摆脱这道铁窗,外面也是天网恢恢。亚瑟港三面环海,这片海域有大量的食人鲨鱼出没,犯人游泳出逃必死无疑。通向外面只有一条陆路可走,但这条路的必经之处有一个30米宽的"鹰脖"隘口(Eaglehawk Neck),这里日夜都有重兵、恶犬把守,还有无处不在的陷阱,所以犯人要逃出生天比登天还难。自由对这些人意味着什么?我们外人无从体会,但犯人在狱中杀人以求一死,或者趁外出工作时自我了断的案例层出不穷,足以说明自由在他们心目中的份量。
很少有人有勇气去面对死亡,更多的犯人选择逃跑,可成功出逃的屈指可数。那些被抓回来的犯人除了罪加一等之外,还得附加100下的鞭刑伺候。受刑的时候,貌似医生的人员在旁观察,如果受刑人身体吃不消,则留待以后再打,有个犯人在42年间共累积1500鞭。很多犯人被折磨得患有多种疾病,包括精神病,光是1870年代,就有许多犯人在监狱里的精神病院接受治疗。
与此成鲜明对照的是生活在这里的军人、管理人员和他们的家属,这些人白天看管犯人,负责监狱管理;晚上和周末则有各种的派对、体育比赛、文艺晚会。他们过得是清风明月,对酒当歌的生活,是一种建立在地狱之上的天堂幸福。到了1840年,这里共有超过2000名囚犯和管教人员,逐渐形成了以监狱为中心的一个完整的社区,一个集采石、制砖、伐木、家具、船舶加工和制造的地区。
亚瑟港劳改营无论是在英国,还是在澳洲都是同黑暗、野蛮和毫无人性连系在一起,虽然我们在参观遗址时也听到很多士兵、医生、牧师所展现的令人动容的人性光辉的故事,但这个劳改制度却被永远钉在历史的耻辱柱上。
亚瑟港监狱在1877年被彻底关闭,1895年和1897年的二场森林大火彻底烧毁里面大部分建筑,留下尽是些断壁残垣,荒凉萧瑟的历史遗迹。然而劫难又再一次的降临,1996年4月28日,一名枪手在这里用自动步枪枪杀35名游客,重伤37人,再给亚瑟港添上一笔血淋淋的伤痛。
如今全澳共有3000多个囚犯遗址,亚瑟港的遗址无疑是最大的。这些犯人从英国、爱尔兰出发,漂洋过海六个月,来到澳洲这块处女之地,戴罪劳动,开发建设。家乡对于他们来说仅仅是个梦里相会的地方,家人也变成了生命中的一个个符号,妻离子散,家破人亡才是他们真正的切肤之痛,然而这些个体命运的跌宕起伏,却意外地成就了一个民主、自由、富裕的澳大利亚。我们在享受这种荣耀的时候,是否体会到那些令人心碎的过去?
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tangkwongwah · 10 months
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做人,能忍能讓是上策,行善積德是重點。
忍讓的人,自然多條後路;善良的人,上天自會眷顧。
讓,是品,也是德;忍,是容,也是度;善,是根,也是本。
高明的人,能忍能讓,敢於以屈求伸,洞察明朗,審時度勢,運籌帷幄;可讓的人,忠實可靠,能夠顧全大局,堅持不懈,攻艱畏難,從不退縮;心善的人,為人簡單,做事認真,不偷奸耍滑,不坑蒙拐騙,良心放在第一位,善心對待身邊人。
一切隨緣,順其自然,不強求、不抱怨,才能讓好心情常伴,凡事,量力而行,逞強不可取,放棄不可為。人活一世,草木一秋,功名利祿轉瞬即逝,金錢財富終帶不走,别把身外之物看重,唯有品行長久,才能芳名永留。
一個人最大的魅力,不是金錢多少,地位如何,而是擁有寬廣的心胸。
對長者尊敬,對幼小愛護,對朋友真誠,對伴侣忠誠,以善良為本,做正直好人。
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kou-f · 1 year
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念願の洞窟探検、秋芳洞へ。
洞窟の中はかなり涼しかった。
学生の頃、一度来たことあったけど、
こんな感じだったかな?
肝心の子供は…
怖がってほとんどの行程目を瞑ってました(笑)
何しに来たねーん!
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