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#結婚式の贈り物
m12gatsu · 6 months
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花を向け
すれ違った人たちの抱えていた花束の甘苦い香りがした。ふわっとした。坂上の大きなホテルから降りてきたであろう人たち。めいめい着飾った礼服で、肩を組んでいた。顔を赤くして、高らかに笑っていた。自分の結婚式からも1年経つ。肌荒れ、荒涼として、うなじには大きな吹き出物が芽吹いている。餞別の「はなむけ」の「はな」というのは、贈花のことではなくて、旅立つ人の乗る馬の鼻を向かう方へ向けてやることが由来らしい。春は嫌い。馬鹿だから。豚だから。毳々しいから。歯が浮くようだから。目が痒いから。
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runpenparis · 2 months
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るんぺんパリ 【RunPenParis】
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【自己紹介 2024年8月3日追記 4335文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある お兄さんいるらしいがあった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 上野城のお堀の高さ日本2位? 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる
市部という地区だったと思う 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった 小学校までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから だからそういう人には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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sanrentokei · 1 year
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両親に手作りの結婚式贈呈品を。~つながる時計~三連時計
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jupiterxlv · 2 years
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2022.2.6
義父が亡くなった。重い病気もなく、前日まで焼肉を食べて、いつも朗らかで、やさしくて。だれも、こんなにとつぜん義父をうしなうなんておもっていなかった。めずらしく早起きした夫が電話を受けて「心臓とまってるの?」と言っていた。その言葉をきいたとたんに血の気がひいて、怖くてどうしようかと思った。まさか、義父のこととは思わず、いったい誰が?まさかあの人が?とかいろいろ考えた。義母は「もう駄目だと思う」と夫に言っていたそうだけれど、様子もわからないし、朝、倒れているのをみつけて気が動転しているだけなのだと思い込もうとした。そうであってほしかった。
ほんとうに義父が死んでしまったのだと理解せざるを得なくなったとき、母に電話をして、電話をしたら我慢できなくて涙が止まらなくなった。義父とは、近くに住んでいたわけでもないし、夫と義父が頻繁に連絡をとっていたわけでもなくて、これまで数回しかあったこともなかったのに、それだからこそか、悲しかった。もっと一緒に話したかったし、いろんなところに行きたかった。
急いで夫の実家に行った。義母が「昨日に戻りたい」と言っていた。わたしもこれから先の人生でずっと、義父が亡くなるまえの夜に戻りたいとおもうのだとおもう。なんとかしたい。なんとかして義父に死なないでほしい。
母は、わたしを生んですぐに母、わたしにとっての祖母、を亡くしている。葬儀から数日たって電話したとき、「しばらくは悲しいよね。いや、ずっと悲しいよ」と言っていた。ずっと悲しいんだな、とおもった。
悲しくて悲しくて仕方がないけれど、どうしようもないことだから、仕方がないと思って生きていくしかない。死んだらまた会えるんだなと思うと、すこし気が楽になる。昔から、母は死ぬのが怖くない、おばあちゃんに会えるからと言っていて、気持ちがあまりわからなかったけれど、今ならわかる気がする。まだまだ死にたくないし、ぜったいに死なないけれど。義母と夫とたくさん旅行にいくんだ~。
このことを書くかどうかは迷ったのだけれど、気持ちを整理するためにも書くことにした。
義父のFacebookを見て、夫とえらんで父の日に贈ったルームシューズや結婚式の写真や、夫と結婚する前に義父と義母と4人でいったもんじゃ焼きの写真とか、たくさん載せていてくれてうれしかった。父の日のプレゼントとか、贈っていてほんとうによかったと思った。そしてそれを写真にとってのこしておいてくれた義父にほんとうに感謝している。
ペットシッターさんにお願いして数日家をあけていたら、ねこたちは甘えん坊になっていた。ねこはわたしが泣いていたら心配もしてくれるし、穏やかでない雰囲気には気をつかってくれるし、とても賢い生き物だと思う。わたしばかりがねこに救われている。
2022.2.14 午前0時 泣いている。
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lllusioninthehead · 1 year
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2023/04/26
式まで10日を切った。
パソコンで流すものがあり、そのチェックに向かう。式の人との打ち合わせはそれで終わり。
プレゼン資料みたいになってあまり格好良くはないけど、パワポでひとりひとりの写真と感謝の言葉を贈りたかったのだ。
散々、人の結婚式に出て思うことは参列してくれた人ひとりひとりと向き合う時間がなく、図々しい人が時間を奪っていく感じがあって、なんとなく気を使える人はモブになっていくのが嫌だなと。
ひとりひとりにスポットライトが一瞬でも当たることを望んで無理言ってそういう時間を作ってもらった。良かったかはやってみないとわからない。
このあとはGW半ばに最終フィッティングと飾り付けの荷物を運んだり。ここから体調を整えること、あとは痩せること。奥さんの園ではちらほらインフルエンザが出ており、心配していた。気をつけようと決意だけを新たにする。ほぼ、気をつけようないから。
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痩せる前の最後という触れ込みで、焼鳥を食べて軽く2軒目にいく。
奥さんは保育園のほぼ副園長みたいな立場なので、いつもマネージメントに悩んでいる。どうしたって体調崩す人やメンタルダウンする人が出てきてしまい頭を痛めてるのだ。
周りが気を使って忖度していくことが良いことだと思わはないので(忖度ってモリトモ以後なんだか公用語みたいになりましたね)、毎回自分で決断させること、それを応援する意志があることをこちらが伝え続けるしかないと思うのだけど、ナンバー2であり1ではない立場ではそれも難しいらしい。
思うに、自分で自分に毎回問いかけることができる人は強い。内省して良くなっていくし、こうなったらこうなる。こっちを選んだらこうなる。が明確にあるし少しずつでもちゃんと進んで自分が臨んだところに辿り着ける。でも、そんなことできない人が多いからこちらから何度でも問いかけなくてはならない。問題の整理と意志の確認。
マネージメントのなんたるめんどくささよ。
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困難も楽しめる人が1番強い。そういう人であれ。自分も、関わる人もすべて。
そう願わずにいられない。
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misatovan · 1 year
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ひょんなことからアマゾンプライム1年無料のチケットを貰ったので、「ヘルタースケルター」を観た。沢尻エリカさんのあの記者会見のあと妹が、「あのときすごくお腹痛かったとかじゃないかな」と言っていたのを思い出した。妹の、そういうふうな心もちで、わたしも在りたいと思う。もう10年前の映画なのだった。あと1年あるので、「名探偵コナン」のアニメでも観ようかなと思っている。
ひょんなことからスターバックスのギフトをいただいた数日後に、育休中の同期から「スタバでも行こう」と誘いがあった。同期には、退職された方から預かった贈り物を渡しに行くのだった。徒歩圏内に一軒だけあるスタバはいつも混んでいて、ふだんは横を通るだけなのだが、今日は特別なので並んだ。同期の子どもは好奇心旺盛な様子で終始機嫌良くしており、わたしは感心するばかりだ。「育児でつらいとき伴ちゃんの小説を読んでいたよ」と言うのでビックリした。育児をテーマにした小説でもなければ、おもしろおかしい話でもなく、なにが人の役に立つかわからないもんだなと思った。なにか役に立てたのだとしたら、それは書く人としては、いちばん嬉しい。役に立たなくても面白がってもらえれば、それもそれで嬉しいのだけれど。
夕方、夫が仕事を抜けてきてくれて、不妊治療の病院へ行く。体外授精の治療は、べつの病院ですることになった。病院が変わるのは不安な気もしたが、わたしに不妊治療休暇の申請を勧めてくれた元上司が、むかし通っていたという病院だったので、少しほっとする。それで子どもができてもできなくても、今年で治療はやめにしようと思っている。
地元に2人居る友人のうちひとりが結婚することになり、数年ぶりに結婚式というものに出ることになる。秋の話だ。彼女とは昨年も会ったのにそんな話は一言もしておらず、そう言ったら「そういう話にならなかったから」と返ってきた。そういうところが彼女らしく、そういうところも、好きだなと思う。
わたしのウエディングドレスは、寄付することにした。というか、今日、集荷に来てもらって、無事送り出した。3月に梱包したのに年度末で仕事のシフトがなかなか決まらなくて、部屋の、畳のところにデンと置いたままにしていた。もっと早くすれば良かったような気もするし、今で良かったような気もする。
少しだけ世界と噛み合ったような日だった。思い込みかもしれない。書きあぐねている小説は、まだできない。なにかほかにも話したいことがあった気がするけど、それは、また次のときに書こうと思う。
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alaephoenicis · 2 years
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レムリア 〜 母なる樹に抱かれた生活
ロビン・カイザー
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オリジナル動画:https://youtu.be/UMtxg1KGJXE
【和訳:ALAE PHOENICIS】
最新情報はTelegramチャンネルへ
レムリアには巨大な生命の樹があり、そこに人が住んでいた。現在でも、この母なる樹の遺跡は世界各地に残っている。レムリアの記憶が人々の心の中に残っている限り、本来の自然な生活を取り戻す希望があるのです。 ロビン・カイザーのホームページ:robinkaiser.eu
レムリアと母なる樹木での生活
その昔、地球にはまだ水が澄んでいて、土壌には豊かな栄養分が含まれ、自然の中のあらゆるものが底力をみなぎらせ、振動していた頃がありました。
当時はまだ炎には性格があり、風には声があり、自然界のものにはみな生命が宿っているのが当たり前だったのです。
火の精霊は炎を舞ってその姿を人間に見せ、風の勢いは遠くの国の物語を語ってくれた。
人間は、すべての生き物と親密な交流を持ち、すべての生き物が心の動きや感情を直感的に理解できる言葉を話すことができました。
自然界に備わる力は友人や仲間として扱われ、助けを求めたり、助言を求めたりすることができました。
人間が他の土地について何か知りたいと思ったとき、その土地の情報を素早く運んできてくれないかと風に頼みました。
そして、人生における決断を運命に問うたときは、炎の精霊に火を灯しました。
人間が全生涯を自然界の創造物に捧げているため、自然界の精霊たちは人間に好意的でした。
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二つの部族が互いに連絡を取り合いたいとき、同時に火を焚いて、その火を通してもう一方の火の中に姿を現すことができました。
この地球上のすべての炉は自然のネットワークを形成しており、ある人の意識は、ある炉を通して別の炉に現れることができるのです。そして、火の精霊の力を借りて、火の炎の中に顔や形を作ります。
人々は火を通してお互いを訪問し、風に乗って聞こえてくる声と火の中の幻影の両方を通して、お互いにメッセージを伝え合うことができたのです。
その頃、大地との対話は、現在の数倍も大きかった木々を通して行われました。
そして、人々は木々を通して深い瞑想状態に身を置くことができたのです。
人の意識が木と融合すれば、木の枝や根をすべて自分の手足のように感じ、その意識で大地に深く沈むことができました。
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自然は人間の家であり、森の中の空き地はすべて自分の家の中のようだったからです。
自然の力は、その自然な成長を通して、人間のために素晴らしい住まいを作ってくれていました。
この地球が人間に与えた最大の贈り物は、母なる樹木です。
地球は人間に、天に近い最も美しい住処を提供しようと考え、ある種の樹木を空に向かって何キロも成長させました。
この樹木は、地球が生んだ最も素晴らしいものでした。
そして、それらは生きた楽園であり、色鮮やかな花々が咲き乱れる独立した生態系でした。
一本の母なる樹には、部族が丸ごと住めるほどで、その上に台座、塚、見晴らし台、梁、小川、円周およそ3メートルもある花があり、日没時には必ず開いて燐光を放っていました。
世界は言葉に尽くせないほどの美しい色彩に染まり、生活は静かな調和と深い感銘、そして母なる自然への大きな感謝の中で営まれていました。
なんでも豊富にあるため、人間は何も植えなくても木や草の果実を食べて生きていました。
人間が必要とするものはすべて自然が与えてくれ、生活の自然な営みを阻害するものは何もありませんでした。
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人の体は細身で力強く、生命力に溢れていました。直立歩行で、足取りも軽く、優雅でした。そして、歩くというより、大地の上を踊るように飛び跳ねていました。
夕刻になると、人間も植物も生きとし生けるものすべてが調和し合い、深い静寂の中にたたずむことがありました。
風が止んでしまいました。もう葉っぱの音もしないし、人も獣も動いていません。
すると、すべての生命を包み込むような大きな静寂が訪れるのです。あれだけ活気に満ちていたのに、まるで、自然そのものが息を潜めて、ひと休みしているかのようです。
この最も神聖な時代にあって、すべての生命は互いに静かに結ばれ合っていたのです。そして、すべての生命体が母なる樹木と大地の精霊のもとに一体となっていました。
その日の時刻によって、さまざまな香りが漂っていました。
中には、一���で人を別の意識状態にしてしまうような魅惑的な香りもありました。
生命のリズムは、ある種の植物の開花によってもたらされ、その植物はその進化において動物と植物の中間に位置する生物のようなものでした。
母なる樹には、その上を移動する植物があり、常に最も日当たりの良い美しい場所に移動していました。
また、一日に一度、数時間だけ大きな花を咲かせ、その後また閉じる植物もあります。また、他の植物には脈拍や呼吸のリズムがあることも見て取れました。
ある日、ある植物が花を咲かせると、その香りが辺り一面に広がり、その香りを通じて人間の意識はその植物と一体化しました。
その花が閉じればまた、別の植物が示し合わせたかのように花を開き、人間の心を招き入れるのでした。
母なる樹は年に一度、数日間だけ花を咲かせますが、このときが自然と人間が結ばれる最高の神聖な結婚式だったのです。
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母なる樹が開花するや否や、人々を恍惚とさせる芳香が立ち込めるため、その宴の準備は長い時間をかけて行われました。
母樹の花、そして一部の植物には幻覚作用があり、その香りだけで人間の意識を大きく拡張させることができたのです。
萼(がく)から滴る露を飲み、花粉で満たされた空気は、呼吸するだけで豊かな栄養を与えてくれます。
人間の皮膚はやや硬く、革のようでありながら、ところどころに細かいクリスタル状の構造が浮き出ていて、その上に皮膚が光っているように見えます。
深い意識状態から抜け出したばかりの人たちは、文字通り、肌がクリスタルのように光り輝いていました。
植物は人々の生活の場となり、母なる樹木の中には、夜になると大きな花が開き、その中に寝そべることができるような、各人専用の植物があったりしました。
人間の意識は植物と結びついていて、疲れたときには必ず寝台植物の花びらが開くのでした。生きている花の中に横たわって眠れば、花はその人の体を優しく覆い包んでくれました。また、目が醒めると共に、花は開きました。
こうした人たちの眠りとは、意識的に夢の世界へ移行することでした。
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また当時の人々の生活の営みは大部分が睡眠中に行われていました。
人生には、夢の世界というレベルからしか叶えられないことがありました。ほかに、身体的な場面での方がもっとうまくやれものもありました。
その意味で、世界には意識が起きている間も、眠っている間も、変わりありませんでした。
人々は、睡眠中に物理的な世界に繋がるのと同じように、日中も睡眠中の世界に繋がっていたのです。
そして、彼らは夢の中の世界から、物理的な領域で多くのことを実現させました。彼らは自分の人生を夢で描き、その夢に従って自然界は急速に物質面で成長していったのです。
母なる樹は鉱物の王国と植物の王国の狭間で進化を続け、地球は母なる樹を通して生きた結晶のように空へ向かって成長していきました。
地球に宿る魂は、母なる樹の中に最も純粋な形で転生していきました。そして、地球の鉱物界から植物界へと流れるようなクリスタル状の移り変わりを形成したのです。母なる樹の幹は、大地から伸びたクリスタルのようで、頂上に向かって次第に樹らしくなっていくのでした。
反重力によって、母なる樹の幹は地中の鉱物だけでなく、大量の水を運び、樹冠の中で湧き水となり、小川や滝となって地上に流れ落ちていきました。
ある種の樹木の鼓動は、大地から何キロも上へと水を汲み上げ、樹冠の中に泡立つ湖を形成していました。
さっきも言いましたが、それぞれの木にはそれぞれの生態系があり、当時の人が住んでいた地球にはそれぞれの地球があったのです。
当時の気候は一年中安定しており、熱帯らしい暖かさで、昼夜の温度差もわずかでした。
母なる樹に生える植物は、どちらかというと動物に近かった。そして、動物はより植物に近かったのです。
そこには沢山の巨大な平野があり、非常に多様な色と形をしたキノコがたくさんありました。
いくつかのキノコは夜になると小さな提灯のように発光し、母なる樹を光の海に変えてしまいました。
当時は昆虫や鳥類もいましたが、その他の大型哺乳類はまだいなかったか、母なる樹の上で生活していた人たちには関わりのない存在だったようです。
ただ、人間の髪の毛には特別な役割があり、髪の毛もある種の生き物として、触角のような役割を果たしていました。
樹木が幹から枝を生やすように、人も頭髪を生やしました。そして、髪の毛は手や足と同じように身体の一部として何かに触れることができたのです。
また、髪は意識的に動かすことで、例えば三つ編みにすることなども出来ました。
人々は特別な日には葉や花で身を飾りましたが、伝統として我々が理解している衣服は存在しませんでした。
彼らは、高い目標を目指すことなく、母なる樹木の腕に抱かれ、最も素晴らしい自然構造の中で暮らしていたのです。
そして、彼らの存在は、大地が差し出す贈り物で深く満たされていました。
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レムリアと呼ばれるこの時代に、一体何が起きて、このような生き方が終焉を迎えたのかは、その時のあなた方の記憶に委ねるしかないでしょう。
私たちはただ、あなたの地球の最も素晴らしい創造物が完全に消滅させられた、巨大な破壊工作が行われたことを記しておきたいのです。
すでに一部の人類が乱伐を営んでいたにもかかわらず、レムリアの人々は最後まで、大自然に忠実に、平和的な生活を続けようとしました。
そうして、地球にとって最も痛ましきことは、すべての母なる樹木が計画的に伐採されていったことでした。
今でも、その痛みは地球のエネルギー領域で感じることができるのです。
母なる樹木が壊されて以来、地球上の生命はますます分離と孤立に向かって後退していきました。
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そして、一本の母樹の最初の伐採から始まったこの破壊行為のクライマックスに、今日、皆さんはたどり着いたのではないでしょうか。
けれども、あなた方の世界では、当時の楽園のような地球での状態を覆い隠し、嘘だらけの人間の起源を語る勢力があるものの、まだ母なる樹木の名残が息づいているのです。
そして、自然と深く一体と なって生きていた記憶は、一部の人々の中で未だに消えてはいません。
もちろん、現在の地球上の自然はかなり異なっていますが、レムリア時代の生き生きとした自然が当時のみなさんの意識に呼応していたように、ある意味、現在のみなさんの意識状態に呼応した小規模な自然がそこに存在しているのです。
地球上の天然の楽園が破壊されようとも、地球はまだ失われてはいません。
そして、レムリアの原初的状態の生々しい記憶が、あなたに相応しい未来を創造する力を持っているのかもしれません。
人類として別離の時代を乗り越えたとき、地球上のいくつかの木々は再び他の木々よりも大きく成長し、ガイアの精霊が自らそれらの木々に転生して、天まで成長させるのかも知れませんね。
今の地球には、このような素晴らしい生き物を育てるだけの生命力と強さがありません。しかし、地球が再生し、枯渇から回復したとき、人間は再び木の上に生きた自然の建造物を育てることができるかもしれません。
最後に、以下の写真をじっくり眺めて、レムリア時代と母なる樹木の記憶を呼び覚ましてみてください。
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これらは、のこぎりで切られた切り株です。
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かつて、あなたの地球で最も偉大で最も素晴らしい生き物でありました。
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この地球上の破壊工作は、はるか昔から始まっており、あなた方は今になってその結果を体験しているのだということに、どうか気づいてください。
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レムリアの生活形態は破壊されたとはいえ、人々の心の中に生き続けています。
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そして、それがそこに生き続け、人々の意識の中に残っている限り、地球を癒す希望も残っているのです。
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tokyomariegold · 2 years
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2022/11/26〜
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11月26日 午前の予定の前に水回りの掃除と毛布洗いを済ませた!えらい!それと、14冊の本を電子書籍化サービスへ送った! 体の回りが悪くて、常に動悸?けいれん?を感じている。 午後は幸せなクリスマスの感じ、を、見たくなったので舞浜駅で下車をしてみた。ディズニーランドの入り口まで歩いてみたり、できる限りディズニーランドへ近づいてうろうろしたけれどクリスマス感はあまり感じられなかった。ペデストリアンデッキから外れて車道脇の道を歩くと途方もなく全てが遠くて、当てもなく歩いてはいけない道だ、と気が付きUターンをした。
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お土産物屋さんに入ってもあまりクリスマス感がなかった。
好きなイラストレーターさんが、クリスマスを観るために1人ディズニーをしているSNSの投稿を見て、いいな〜、と幸せになったので、いつかお散歩ディズニーをしてみたい。 行ったことがそういえばなかったイクスピアリへ入ってみる。ショッピングモールにしては複雑で良くできている虚構がかなりディズニーランドに近く造られていてびっくりした。なので、外国風の街角にゴンチャとかスリーコインズの興醒めテナントが入っている風景がおもしろかった。後、何度巡っても、気を抜くと2階の駅直結のメインゲート広場へ辿り着いてしまってパニック。毎度、あれ?ここどこ?!となった後に、やられた!という気持ちにさせられて、ショッピングモール空間の醍醐味だな〜、と思った。
大島さんの展示が12月にあるらしい!クリスマスイブまでの会期。
今日はついに生魚を買ってみた。レンジで魚がちゃんと焼けますように(100円ショップとかの便利グッズが苦手)。
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11月27日 年賀状の宛名を書き終えた。32枚くらい。何枚か昔の住所を書いてしまった。あと旧姓の宛名にしてしまった。 職場の一期下の方と目白で待ち合わせをして自由学園明日館へ行った。待ち合わせまでに池袋から明日館、明日館から目白のルートを1人でさらった。デートの下見みたい、と思いながら、いつもキアズマでお茶をする仲間じゃない、しかも社会の人とここで会う日が来るとは…と少し緊張した。
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明日館は結婚式のため内部は見学できず、でも講堂でクリスマス手作り市みたいなのがやっていて、入ることができた。天井や扉が低くて頭をぶつける人がいそうだね、と話した。 お話ししながら、池袋のルミネや東武の地下で退職される方への贈りものを選び、キアズマでお茶をした。 映画が好きで、昔はユーロスペースへ行って気になったものを観たりしていたらしい。おすすめを聞くと“裸足で鳴らしてみせろ”という邦画を教えてくれた。私がギンレイホールでアルバイトをしていたことを伝えた後、ギンレイにも行ってくれたらしい!そこで観た“セイント・フランシス”もお薦めしてくれた。今晩予告編を観てみよう。ギンレイホールへ行ってくれたことがとても嬉しくて、当時のことを��してしまった。 それと、一人暮らしでパルシステムを注文している話を聞いて、いいな〜と思った。
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いつものキアズマに、いつも私は仲間たちに“連れてきてもらっている”感じで何年も通っていたので、ここを知らない人を連れてくる側になって、何かこそこそしてしまった。マスターと顔を合わせたくない感じ。
いろんな旅行の話や、休日に他の職員さんと遊ぶ話などを聞いて、本当に持ち前の元気さは人によりけりだ…と実感する。 私は持ち前の元気なさすぎ。でもげんきつけるひつようもかんじないし、別に落ち込んでもない。
池袋まで歩きながら、今の職場の町へ引っ越してから「東京がとっても楽しくて東京の街を歩くのが幸せに感じるようになりました」と言っているのを聞けて良かった。
別れた後、1人で電車で音楽を聴き始めた時、1人になった時の感じ、を思い出した。ここ最近、本当に1人でずっと出かけたり家にいたりしすぎていた。少し疲れたけれど誰かと(しかも新しい方)会って話して、自分にまつわるしがらみ色々を忘れてしまう時を、もう少し増やしても良いのかもしれない。帰り道に聴く音楽が、いつもよりずっと楽しかった。写真は撮れなくなる。
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11月28日 体調を気にかけてくれている方から「水分を1日2ℓはとりましょう!」とメールが入っていて、NewDaysでお湯をかってみる。お風呂も水分摂取も苦手。水が苦手。
今日は電車もバスも職場も大学もスーパーも、何か人気がない感じだった。ワールドカップだから?
昨日でギンレイホールが閉館。今日は税関150周年の日。SNSでそれくらいを楽しんで、お花を買い忘れても平気で、写真を無理に撮らなくていっか、となかっているのは、人と遊ぶ楽しさを感じているからかもしれない。うーん。
明日は雨予報なのに、また傘をどこかへ忘れてきてしまった。
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11月29日 長崎のパックツアーを予約してみた! 長崎駅からハウステンボスまで1時間半くらいかかるみたいだけど行けるかな?税関にカスタムくんはいるかな?そもそも年末まで体力保てるかな?色々不安はあるけれど楽しみで、多分今が一番楽しみ。
散歩をしていたら、黄色い葉に紫のつぶつぶの実をつける植物を見つけて、嘘みたいな風景だった。
上司から「机のカレンダー、もしかして、てらおかなつみさん?」と言われる。犬好きの上司はてらおかさんのおじいちゃん犬のファンらしい。もちろんてらおかさんのイラストも好きで、焼き印の入ったカステラも購入したと言っていた。思いがけずこうゆうどんぴしゃなお話ができて、声を少し上げて話してしまった気がする。
明日退職される方へ、日曜に買った贈りもの(虎屋の干支(うさぎ)羊羹)を渡した。思いがけず、もう一生会わないんだろうな、な人になってしまうんだな〜、と寂しい。
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11月30日 朝出勤すると、デスクにチョコレートと個包装のお菓子が置かれていた。バターサンドらしく名前(忘れてしまった)が聞いたことありそうでない外国人の人名で、これはブルボン!と思った。
今日で退職される方とお別れをした。 なんだかこの数年間は、出会いも多いけれど、お別れが多くて社会に出ると別ればかりが印象に残る。ちゃんとどれもさみしくなるし、その度に、こうゆう人生の転機を相談したりその後を共有する友人や家族が外側にいる人達がほとんどっぽくみえて、別れる人たちのそうゆう相手を想像してしまう。 別れに気がつく度に、自分が何も動けていないことに不安になるし、転機を一人でやり過ごせずにSNSに報告するのかなと思ったりする。
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12月1日 今日から12月になったと思ったら突然しっかり寒い!帰り道にイルミネーションスポットが増えて嬉しかって、もう節電とかみんな忘れようね〜という気持ち。 明後日、何もなければ参加させてもらう結婚式があって、いつまで結婚式に参加することに慣れず、服装やら髪の準備やら、あと休日が一日潰れてしまって生活が荒れる恐怖やらで、恒例的に前日に有給を取ってしまった明日。でも来年に繰り越せない有休消化に充てた。
家に帰ってやっぱり掃除をして、手放したいもの、お部屋にあるのにないことになっているものたちをまとめた!えらい!
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12月2日 平日の街へ出て、午前中の予定を済ませる。 せっかくの平日休み、そして昨日からちゃんと寒い!ということで、やっとenfoldのコートを下ろしたよ! 昼過ぎからは表参道から乃木坂まで歩き、国立新美術館で展示を観た。NHKのテレビ番組の展覧会。建築は乾さん、テキスタイルは皆川さんの展示があって嬉しい。美術館を出て、ポスターを見返すと西沢立衛の文字があり、あれ?見逃していた?となった。
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眼科でコンタクトを処方してもらった。 ペッパーくんみたいなお兄さんは今日もペッパーくん。待合室のテレビで日本がサッカーを頑張っている事を知る。その後に行ったスーパーがとても静かで、町も静かで、中華そば屋から嘘みたいに中華鍋をゆさる音ばかりが聞こえて「みんなサッカーを見ているのかな?」と思った?あと隣の人の声が高らかなのもサッカーを見ているからなのかな(うるさい)。
家に帰って明日の結婚式で着るドレスのレンタル配送を待っていると、2週間くらい受け取れていなかった鏡が届いた!ものが届いて嬉しい以上に、梱包の段ボールと緩衝材の発泡スチロールをやっつけることに手こずってマンションの共用部を発泡スチロールの粉々で汚してしまって、逃げるようにお部屋へ戻る。そしてなかなか届かないドレスのレンタルを待ち続けて今日届かなかったらどうしよう!と不安になったところで、今!届いた!
そういえば、眼科の受付でクレームを言っている人がいて、何歳になってもこうゆう怒られ方をしたら、私はその場で泣いてしまうな、と思って、受付の人が泣いているかも!と、お会計を呼ばれた時怒られていた受付の人の顔を見ることができなかった。
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touch196 · 3 days
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「白紙のような人生」
真っ白い 1枚の紙を前にしたら。
どうする?
何を感じる?
ネガティブにみれば=
何もないから不安になる、どうにか埋めなきゃと焦る、とにかくプレッシャーに感じる。
ポジティブにみれば=
何でも出来るからワクワク、好きに出来ることに喜ぶ、自由な空間に妄想が溢れる。
適当にみ��ば=
鼻くそつけてみたり、鉛筆でグリグリ汚したり、絵の具ぶちまけたり、別のものを貼り付けてみたり、どう使っても構わない。
たかが紙でしかないと放置したり。
折って空に飛ば��のも、良いかも知れない。
とにかく、白紙1枚にも、
何か引き出されるものは、
人それぞれにあって。
それが結果的に、良いとか悪いとか、
他人が判断することじゃないし。
未来の自分からみたら、何かか変わるきっかけになっていたりしたり…。
とにかく。
表現してみないと、わからない(結果もない)。
白紙=時間、
と言い換えても良いかもだけれど。。
普通の大人は、
常に1日の半分くらいは仕事や家事に従事してて。
時間の使い方をどうするか?
それをじっくり考えるヒマすら持てず、
タイム・イズ・マネーで、
大切なはずの人生の一部(可能性)を、
無意識に無駄にしているのかもしれない。
学校の時間割りのように、細かく明確に、この時間はこれ!
と、プライベートな時間にも使い道が決まっていたら、
ゆとりやリカバリー出来る余裕も、ぼーっと休んだり、寝る時間もなく、毎日が疲れちゃうよ。
と、頑張っている人は、思うとおもう。
けど、365日、考え続けるというよりは。
時々、立ち止まって、
もし、この先の人生や時間が“白紙になったら“、
自分は何をしていたいか、どう在りたいか、どんな気持ちを感じていたいのか?
理想の姿・形を考えてみることは、誰も止められないし。
家族がーとか、仕事がー、世の中(世間体)がー、平和がー……とか。
どうせ変わってしまう周りのことを考えて、変わりたい気持ちを圧し殺して、堂々巡りのなかで、
「私には今以上に望むことなんか無い」。
と、波風を立てない=安定のために、
実は自分のなかでは、
現実と理想とのギャップで心穏やかじゃない=不安がある。
そこからくるネガティブな感情が、
日に日に増長していって。。
少しのことで、
イライラしたり、クヨクヨしたり。
周りの人が自分らしい幸せにすすんでく姿(結婚・転職・進学・離婚など、その人にとっての前向きな決断)をみて、
「応援してるよ、
あなた“なら“、きっと上手くいくよ!」
とか、ポジティブな言葉を贈っていても。
内心では、その人と比べて、
私なんてどうせ…
「何も出来ないし、ろくでもない、生きてる意味がない」
とか、負のループにはまってく。
もうほぼ、私じゃん(家族いないけど)、
という話だけど。
すんごい、羨ましく思ってた。
もう若くもない自分と、
若いあの人とは状況(可能性)が違うし、
「いいの、私はここで」
て、言い聞かせて。
頑張って何年も働いてるのに、なぜかやる気が減って。
起きてる間の思考がループすることから逃げたくて、余計なことを無心でやって(テレビ垂れ流しとかゲームとか)、
時間を日々を間際らわせて。
自分の中のもやもやは解消されないまま、
毎日眠れなくて(睡眠の質が良くない)、食欲もわかなくて、
それでも仕事続けるから、ミスが増えたり、
それを挽回しなきゃとかプレッシャーが待ったなしになったり、
「無理だー」と考えながら頑張った結果。
やっぱり出来ない、自分自身を責める気持ちも膨らむ。
そして、
少しのきっかけで、積み重なっていた不満と、自分への嫌悪感で、
プッツンと、エネルギーが切れてしまう。
仕事へ行けなくなる。
真っ白に燃え尽きてしまう=限界を迎える。
一時的に休みをもらったり、
同じ職場でも働き方について交渉したり、
最悪の場合は辞めたり。
一旦、今、
自分が担っている事って、
本当に自分がやるべき仕事なのかって、主観的・客観的に考えてみたり。
今の仕事や人間関係も、全部が嫌いってわけじゃないけど、
ここがどうにも気がかりだ(会社からの期待と自分のキャパ・仕事感の差とか)、
それは自分の努力・会社の采配・相互の理解で解消出来ることなのか、
100%ではなくとも、改善や善処が見込めるのか。
もっと自分がきちんと頑張ればとか、
状況が回復すれば…、それにはどれだけ時間がかかるのか。
それを待ってまで、続ける価値が、
自分にとってあるのか?
会社にとって、それ(自分の回復・成長)を待つことと、
別の人を代わりに雇うのと、どちらにメリットがあるのか。
自分にとって、やり甲斐のある仕事って、
今のままに疑問を感じるなら、
何だったら良いんだろうとか?
ゆっくり、考える時期を敢えてもつことが、あっても良いんじゃない。
もし私に、親身になってくれる同僚や友達や家族・恋人がいたら、
真っ先に相談をするかも知れないけれど。
結果的には、私はほぼ一人で決めた。
というか、状況的に、それしかなくなった。
比喩的な意味でも、実際にも、
私の人生には、
『白紙』
が出来てしまった。
あらゆる意味でボッチだから、
考える上でのヒントは、本とかYouTubeの動画とか、
赤の他人に求めるしかないけれど。
なんかこれ、捗るかも知んないと思ったら、最初はひたすら要点メモったり。
同じ事(例えば脳科学・潜在意識・心理学的な法則とか)でも、いろんな人の切り口で、浅いもの(知識・要約)~深いもの(解説・実例・実体験・実践形式の説明)まで、インプットしてみて。
※あまりやり過ぎると、何かの商法にハマってしまうか廃人になるので…、出来るだけ。
自分にも理解・実践出来そうなレベルまで、紐解いてみて。
それを踏まえて、考えたこととか、
腑(ふ)に落ちたこととか、
ほんのちょっとでも、浮かんできたら。
なるべく、自分なりの言葉やイラストでも、目に見える形(メモ)にする。
自分の場合で捉えたら、こういうことだとか、あれが当てはまってるとか。
何かしら、あると思う。
『白紙』
だったところにも、
線が引かれ、その線が何本も重なって道が出来て。
また違った角度から、にょきにょき枝が生えてきて、
時を経て、太い幹になって、それが実は何本もある…。
自立した木達で、林が出来て。
それを人が切って、
道具やベンチ(物)、公園や家(場所)が作れたり。
そこに人が集まって、心地よいと感じたり。
そこで協力して、人の居場所を増やしたり、
そこで自由に楽しんだり。
同じように、暮らして楽しむ人がまた増えて、町になったり。
更にそれが、点…点とできて、
幾つもになって、大きな道でつながったり。
それは、もう白紙じゃなくて、
地図(意味あるもの)であったり、それが何年も書き溜められれば、歴史(ストーリー)と呼べるようになるかも知れない。
実際にやることは、
机上の空論では想像できない、難しいことや障害(内からも外からも)が、あると思うし。
だからこそ、事前に調べたり、理屈を捏ねたりしてしまうし。
こんだけインプット(準備)して、アウトプット(行動)は、これだけなんですか?
みたいな、牛歩みたいな、
日々が続くだけかもしんない。
結局、またもう1個の失敗が増えるだけかもしんない。
だからこそ、地団駄踏みながら、耐えてきた。
それを、慎重に冷静に判断できる大人になったんだ=成長、と思うことも出来るかも。
それでも、
「いやいや時代も価値観も変化していくのに、なんで同じ我慢を続ける必要あるわけ?」
て、異を唱える自分もいたりするわけで。
どっちが本来の自分かなんて、分からないけど。
でも、少なくとも、
「このままじゃダメだ」
「現状を変えたい」
「自分を成長させる道を探したい」
ていうのは、
わがままなんかじゃ、ないと思う。
自分で決めて良いし、
自分しか決められない。
考えすぎと、他人に言われたり。
普段付き合いのある(現状維持したい)人には、ガタガタうるさいな、とか嫌煙されるならば。
直接的に関わらない人の力。
場の力を借りてでも。
今の自分の問題と、向き合おうとする努力は、
無駄じゃないと思うんだ。
後悔しない「明日」を描きたい、
その想いは、誰にも否定出来ないさ。
*******
※私はちなみに、白紙にはめちゃくちゃプレッシャーを感じて、強要されると、何時間でも見つめてしまうタイプ。
かと思えば、チラシのウラや安いコピー用紙とか、
適当な紙やメモ用紙(好きなのは薄い方眼とか)が手元にあれば、
思い付いたイメージをラフ的にでも描き出したり。
消しゴムも使わず、本当に自分だけが分かれば良いくらい適当にやる。
昔に納得いくまで…、ノート(自由帳)の片面だけに、何ページも同じようなポーズと服の女の子の絵を描き続けていたことがあって。
あれはマジで、後から見たら、紙がもったいない。同じの描いてて飽きない?
とか���ツッコミ入れるけど…。
実際、そんなことがあった時、
なんか省エネ精神で、地球に優しくない“もったいない “ことするなと(家族から)罵りを受けたり。
意味ある表現にしか“白紙“は使ったらアカン。
みたいなことを子供の私は思ったのかも知れないけど。
そこで、そんなに何回もこだわるほど、自分の中の美を追求することが止められないないんだな!
「凄いね!」「 段々上達しているね!」
とか、褒めてくれる人がいたなら、
もしかしたら、とことん自分の拘りを追究出来るし、その安心感から、
他人の美意識も素直に認められる、
クリエイティブな人間に育ったかも知れないが……。。
でもまぁ、ノートにされている時点で地球の資源は使われているわけで、
むしろ、ノートを汚すことを躊躇った(ためらった)り、
新しいことを始めるなら新しいノートを使おうと新品のノートを使い始めたのに、途中で飽きて、ほぼ白紙のノートが放置されたり。
挙げ句に、断捨離の時とかに、
ちゃんとノートを最後まで使えなかった自分を恥じ・罪悪感に苛まれ(さいなまれ)・二度とそれを味わいたくない気持ちを感じながら。
埋められたページの価値は見向きもせずに、
むしろその初めのやる気が痛々しくも見えたり、
それがしかも何冊もあったりして。
昔のことですら、ちょっと自分が嫌になって。
そっと、そのノートごと捨てて、
なかったことにして、忘れて。
そんな見切り発車ばかりの自分のことを、
大人になってから他人に、
「あんたの行動は脊髄反射でしかない!」(=動機が不純すぎ、誠意がないという意味?)
と断罪されて、
なんか私悪いことしてるのかな、興味が移ることってダメなのかな?
とか、また自分の好きなことに罪悪感が乗っかって。
「あぁ、そんなに気になることや他人事に首突っ込んでたらイケナイ」のかな、
と、行動や人間関係を制限することになったり、
当時の本筋だったはずの創作関係のことにも、結局、挫折してしまったんだったなぁ。
いやもう、10年くらい昔の話になっちゃって、
今ではリアル友達(学校の同級生とか)ですら、コロナ禍なる前から絶好してるし……。
旅行とかそもそも行きたいとか、温泉つかりたいとか思ったことないし。
客観的にみたら、
「なんか人生の楽しみを損なってません?」
みたいな、振り返ればつまんない日々に思えたりね。
Tumblrも、春に桜をみたり、秋に紅葉をみたり、
そーゆータイミングで写真あげたいなーと昨年も、沿える文章を書き始めたら、
なんか長くまとまんなくなってきちゃって、一旦下書きに入れたら、そのままお蔵入り。
みたいなことも、あったよね。
結果、何年もアウトプットしてません、みたいなことになっていた。
(LINEは片手ほどの同僚とたまにやりとり。
Twitter=現X、Facebook、mixiやってません。
Instagramは基本ROM。)
まぁ、考えを外に出すのが、
しかも長文とかだと、
絶対にやるべきことだとは言えないし。
今のTumblrも、そういう用途に適してるかといえば、
始めた当初も今も、思ってはないんだけども。
自分的には、今のところ、一番やりやすくて。
・日本人はあんまり利用してないイメージ。
・コンテンツを作らない人とか、ただの構ってちゃん(私みたいなの)が少ない。 一言でいうなら「洗練された」SNSである。
・チャット的なやり取りや、DMとか、活発にコミュニケーション取るためのツールと言うよりも。
静かに投げて、それを他人も静的に受け取る。
けどハートとか一応反応もらえると、そこはかとない承認欲求が満たされたり。
記事によって反応違えば「あぁこれは刺さったのね~ 」と、いう密かな喜びもある。
・最近では、スマフォアプリのTL上で畳んでくれるのも助かる。
基本的に意図がわかりにくい上に長文になってしまうので。
改善する気はあるよ。ただ、気持ちとか行動が、ここ数年単位で停止していたっちゅーのもあってね、
そんなつまらん上に長文とか、ゴミかな?
て、なったりしてた。
・たまに、自分で過去の投稿や下書きを見返すと、涙腺崩壊するスイッチ(一種のストレス発散)として使えた。
※PCは4年以上前に壊れて、今年の年始に処分したので、そっちの昔に弄ったテンプレの見え方は崩壊してんのかなとか思っても確認できないけど。。
ここ数日は、インプットしながら、
なんかTumblrのタイトルにしたい言葉が思い付いたら、メモしていて。
なんか今日は、筆がのったというか、
つらつらタイトルから話広げてったら、
なんかいろいろ収集つかない感じに結局はなってるんだけどもさ。。
ラフがなんとかって、話に戻る?けども。。
はなから「清書をする」「完成形を作る」ことを考えない方が、
遠くに見える目標までにワンクッション出来て。
そこから、完成形のイメージを更に頭の中で膨らませて、
実際の理想を実現する「白紙」に向かって行く、意欲だけは保てる。
ような気がするよね。
小学生の時、
「自学ノート」ていうのが、
あって、結構それが好きだったんだけども。
(算数の計算問題解いたり、作文したり、なんでもオーケーな自習ノート?)
そんで、私は割りと作文系で、
先生が毎日クラスの皆のを読んで、花丸したり、一言を添えてくれたり。
しかも、卒業の時にそのノート数冊をまとめて綴じたものを渡してくれたりして。
過去の断捨離で、いろいろ捨ててきたけどさ。
そーゆーの読み返すと、
当時は持っていた「絵を描くことが好きで得意と認められていた」り、「根拠なき自信」とか「親友を大事にする」こととかを失った今の自分でも、
本当は自分ってこういう奴だったよなぁ。
って、自分の本質が見えるっていうか。
高校とか、ニート時代とか、ネット中毒になってた頃に、
「あなたの哲学は面白い」的なことを言う人もいたんだけれど、
あれは、未だに、
そんな大層でもないことを、なんか起承転結とか、実体験に基づく分析を交えて語ったりしてるだけで。
でも、ちょっと嬉しかったなあぁとか。
(実際はクソ底辺だったから、言い訳が上手いだけとも言う)
絵を描いたら「世界観が好き」とか言われることが、あった気がするけど。
基本的に1枚絵だし、漫画描く人みたくキャラ設定があったり物語が自分のなかで出来上がってるわけでもなくて。
ただ、ただ、自分の頭の中のイメージと表現したいことを諦めずに(当時はお絵描き掲示板にマウスで描いた絵を投稿していた)生みの苦しみに唸りながらも、キャンバスに描き出す。
という、えっと、
何の話だっけね。
あえてまとめるならば、
「ヒマ」の中でしか生まれ得ない、
発見できない輝きが、
人には、あるのかも知れないね。
『白紙』と思っていたけども、
もっと、意味も価値もある。
そういうことを忘れてる時は。
思い出す時間を、敢えて作るのも大事かもね。
とにかく、もう少し。
発散するとか、八つ当たりとか、
そーゆー、不毛な目的のためじゃなくて。
とりあえずは、
明日の自分のためのメモ・記録として。
自己暗示?ツールとして。
画像付きでも、無くてもいいから。
長期的にみたら、
自分以外の人が受け取っても、
理解が出来る伝え方の練習
(最高なのは、言語が違っても理解できる表現力)
みたいな。
個人としての目的達成プラス、
人語として読めるレベルの文章力が身に付いたら。
未来が少しは捗るかもしれんね。
という、ぼんやりとした…。
もう朝だ。。
ここの��こ、昼夜逆転だし、
ショートスリーパー(クロノタイプ診断はイルカ=不眠型=全体の10%)だし。
食事ってなんだっけ? て、栄養状態だし、ヤバイんだけどもね。。
ちょっと、来週は出かける用事あるし。
届いたベッド組み立てて配置できるように、部屋を片付けるから。
どのくらいの頻度になるかわからんけど。
(残りの有休1/3を切っている…)
死なない程度に、今はとりあえずここまで。
と、ある程度は期限を決めて、片付けを長期計画で進めて。
(毎日少しずつでもすれば習慣化は出来る、らしい)
ホームレスにならないように、仕事方面のことも考えないとね。。
そんなとこです。
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【撮影時期:2024年9月22日、使用機材:AQUOS sense5G SHG03】
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thetaizuru · 3 months
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エルサレム賞受賞講演「小説とヨーロッパ」1985年
ミラン クンデラ 
イスラエルで最も重要な文学賞が国際的な文学に贈られるのは、偶然の産物ではなく、長い伝統の賜物だと私は思います。実際、祖国から追放され、ナショナリズムの情熱から離された偉大なユダヤ人たちは、常に超国家的なヨーロッパ、つまり領土としてではなく文化としてのヨーロッパに並々ならぬ思いを抱いていました。もしユダヤ人たちが、ヨーロッパが悲劇的に彼らを失望させた後でさえも、ヨーロッパのコスモポリタニズムを信じ続けたとすれば、彼らの小さな祖国をようやく取り戻したイスラエルは、ヨーロッパの真の心臓であり、肉体の外側に位置する特異な心臓であると私には思えます。
エルサレムの名を冠し、偉大なる国際的ユダヤ人精神の証であるこの賞を、本日、深い感慨とともに受け取りました。私は小説家としてこの賞を受け取ります。私は作家(ライター)ではなく小説家(ノベリスト)と言いました。小説家とは、フローベールによりますと、その作品の背後に身を隠したいと思っている者のことです。作品の背後に身を隠すとは、公的人間の役を放棄するということです。昨今、これは容易なことではありません。わずかでも重要なことがあれば、マスメディアが耐え難いほどに目をぎらつかせているところへと足を踏み入れなければならなくなりますし、フローベールの教訓に反して、作品が作者のイメージの陰に隠れて消えてしまうことになります。誰も完全には逃れることのできないこのような状況において、フローベールの言葉は一種の警告のように私には思えます。つまり、小説家は公的人間の役を引き受けることで、自分の作品を危険にさらすことになるのです。作品が、その小説家の行為や声明、立場の表明などのたんなる附録とみなされてしまう危険があるのです。
さて、小説家は誰の代弁者でもないばかりか、彼自身の思想の代弁者ですらないとさえ言えます。トルストイが『アンナ カ��ーニナ』の第一稿を構想したとき、アンナは最も無愛想な女性であり、その悲劇的な結末はまったく当然のもので、正当なものでした。最終版はまったく異なっています。しかし私は、トルストイがその間に自分の道徳観を修正したとは思いません。むしろ、執筆の過程で、個人的な道徳的信念とは別の声に耳を傾けていたのだと言うべきだろうと思います。彼は、私が小説の知恵と呼びたいものに耳を傾けていたのです。真の小説家は皆、その超人間的な知恵に耳を傾けます。偉大な小説が常に作者よりも少し知的であるのはそのためなのです。自分の本よりも知的な小説家は、別の仕事に就くべきです。
しかしその知恵とは何でしょうか。小説とは何でしょうか。「人間は考え、神は笑う」という、みごとなユダヤの諺があります。この格言に触発されて、私は好んでこんなことを想像します。つまり、ある日、フランソワ ラブレーは、神が笑うのを聞き、そうしてヨーロッパの最初の偉大な小説のアイデアが生まれたのだと。小説という芸術が神の笑いのこだまとして誕生したという考えは気に入っています。
でもなぜ神は考えている人間を見て笑うのでしょうか。なぜならそれは人間が考えても、真実は人間から逃げていってしまうからであり、複数の人間が考えれば、一方の考えは他方の考えとますますへだたってしまうからであり、そして最後に、人間は自分がそうであると考えるものでは決してないからです。
中世を脱出した人間の、この根本的状況が明らかになるのは、近代の黎明期です。ドン キホーテは考え、サンチョは考えました。そして世界の真実だけでなく、彼ら自身の真実さえも彼らから逃げていきました。ヨーロッパの最初の小説家たちは、人間のそのような新しい状況を見て取り、その上に新しい芸術、すなわち小説という芸術を築き上げたのです。
フランソワ ラブレーはたくさんの新語をつくり、それらはその後フランス語や他の言語でも使われるようになりましたが、そのうちの一つが忘れられてしまったのは非常に残念です。それは「アジェラスト」という言葉です。ギリシャ語に由来する語で、「笑わぬ者」「ユーモアのセンスのない者」の意味です。ラブレーはアジェラストを憎み、恐れていました。彼は、アジェラストたちからあまりに非道な扱いを受けたため、筆を折ってしまいそうになったと不満を漏らしています。
小説家とアジェラストの和解は不可能です。アジェラストたちは神が笑うのを聞いたことがなく、真実は明瞭であり、すべての人間は同じことを考えているはずであり、そして自分たちは自分たちがそうであると考えているものであると確信しています。しかし人間が個人となったのは、まさに真実の確信と他者の満場一致の同意を失うことによってなのです。小説は個人の想像上の楽園です。そこは、アンナもカレーニンも、誰も真実を持ってはいませんが、アンナもカレーニンも、誰もが理解される権利を持っています。
『ガルガンチュアとパンタグリュエル』第三之書で、ヨーロッパが初めて目にした偉大な小説の登場人物であるパニュルジュが、次の問いに苦しめられています。結婚すべきか否か。彼は医者、予知能力者、教授、詩人、哲学者に相談し、それぞれがヒポクラテス、アリストテレス、ホメロス、ヘラクレイトス、プラトンを引用します。しかし、この書全体を占めるこの膨大で博学な研究の末、
パニュルジュはいまだに結婚すべきかどうかわかりませんし、私たち読者もわかりません。しかしその一方で、私たちは、結婚すべきかどうかわからない人という、滑稽であると同時に本質的な状況を、あらゆる角度から探ったのです。
ラブレーの博学は、デカルトの博学とは別の意味を持っています。小説の知恵は哲学のそれとは違います。小説は理論的な精神ではなく、ユーモアの精神から生まれているのです。ヨーロッパの大きな失敗のひとつは、最もヨーロッパ的な芸術である小説を理解できなかったことです。その精神も、その偉大な知識と発見の数々も、その歴史の自律性も。神の笑いに触発された芸術は、そもそも、イデオロギー的な確信に奉仕するものではなく、それに反するものなのです。それは、ギリシャ神話のペネロペのように、神学者、哲学者、学識者たちがその日に織り上げたタペストリーを、夜毎に解くのです。
最近、十八世紀を悪しざまに言う習慣が定着してしまい、こんな決まり文句に到達するようにさえなりました。ロシアの全体主義の不幸は、ヨーロッパの、とりわけ啓蒙の世紀の無神論的合理主義、理性の万能に対する信仰の産物だというものです。私はヴォルテールを強制収容所の責任者とする人々と論争する資格があるとは感じませんが、次のように言う資格ならあると感じています。すなわち、十八世紀はただルソー、ヴォルテール、ドルバックの世紀ではなく、また(とりわけ、ではないにしても!)フィールディング、スターン、ゲーテ、ラクロの世紀でもあるのだ、と。
その時代の小説の中で 私が最も好きなのは、ローレンス スターンの『トリストラム シャンディ』です。不思議な小説です。スターンは、トリストラムが懐妊した夜の描写から小説を始めますが、その話をやっと始めたところで、別のアイデアが突然彼を惹きつけ、自由連想によってそのアイデアが別のアイデアを駆り立て、さらに逸話が続き、ひとつの脱線がまた次の逸話へとつながっていきます。そしてこの本の主人公であるトリストラムは、100ページものあいだ忘れ去られてしまうのです。この贅沢な小説の構成法は、形式的なゲームに過ぎないと思われるかもしれません。しかし、芸術においては、形式は常に形式以上のものなのです。
どの小説も、好むと好まざるとにかかわらず、次の問いに何らかの答えを提示しています。すなわち、人間存在とは何か、その詩(ポエジー)はどこにあるのかという問いです。スターンの同時代人たち、たとえばフィールディングは、アクションと冒険の非凡な魅力を特に味わっていました。スターンの小説から感じられる答えは、まったく異なるものです。彼にとって詩とは、行為の中にあるのではなく、行為の中断の中にあるのです。おそらくここに、間接的な形ではあれ、小説と哲学のあいだの大いなる対話が始まったと言えます。十八世紀の合理主義はライプニッツの有名な文句「理由なく存在するものは何もない (nihil est sine ratione)」に基づいています。このような確信に刺激された科学は万物の何故を熱心に検討し、その結果、存在するものすべてが説明でき、したがって計算できると考えるようになりました。
自分の人生に何らかの意味があることを願う人間は、原因も目的もないようなどんな行いも断念することになり、あらゆる伝記はそんなふうに書かれることになります。人生は原因、結果、失敗、それに成功の明るい軌跡として現れ、人間はみずからの行為の因果関係を示す繋がりにじりじりと眼差しを注ぎ、死に向かう狂おしい走行をますます速めることになります。
世界を出来事の因果的な連続に還元することに対抗して、スターンの小説は、その形式そのものによって、詩は行為の中にあるのではなく、行為が止まったところにあるのだと断言しています。それは原因と結果のあいだを繋ぐ橋が砕け、思考が甘美で無為な自由をさ迷うところにあるのだと断言するのです。スターンの小説は、人間存在のポエジーは逸脱の中にこそあると言っているのです。それは計算できないものの中、因果関係の反対側に、理由がないままに、ライプニッツの文句の反対側にあるのだ、と。このように、ある時代の精神は、その芸術、特に小説を考慮することなく、その思想や理論的概念だけで判断することはできません。
十九世紀は機関車を発明しました。ヘーゲルは普遍的な歴史の精神そのものを把握したと確信していました。しかし、フローベールは愚かさを発見しました。私はあえて申しますが、これこそが、己の科学的理性をかくも誇りに思っていた世紀の最大の発見です。
もちろんフローベール以前にも、愚かさが存在することを疑う者はいませんでしたが、それは少し別なふうに理解され、単に知識の欠如や、教育によって正されうる欠陥だと見なされていたのです。ところがフローベールの小説では、愚かさは人間の存在と切り離すことのできないものなのであり、それは哀れなエマが日々を過ごす間、愛の床から死の床にまでつきまとい、オメーとブールニジアンという二人の死神が、一種の葬送演説のように、くだらない話を延々と続けるのです。しかし、フローベールの愚かさについてのビジョンで最も衝撃的で最もスキャンダラスなことは次のこと、すなわち愚かさは、科学、技術、近代性の進歩に道を譲ることはなく、それどころか、進歩とともに愚かさもまた進歩する!ということなのです。
フローベールは底意地の悪い情熱を傾けて、周囲の人々が自分は利口で事情に通じていると見せようとして口にする紋切り型の決まり文句を収集し、それを元に、かの有名な『紋切り型辞典』を作りました。この表題を使ってこう言いましょう。現代の愚かさとは無��ではなく、紋切り型に受け入れた考えの無思考を意味しているのだ、と。
フローベールのこの発見は、世界の未来にとって、マルクスやフロイトのもっとも衝撃的な考えよりもずっと重要です。なぜなら、階級闘争のない、あるいは精神分析のない未来を想像することはできても、紋切り型の考えの抗しがたい増大のない未来は想像できないからです。紋切り型の考えはコンピュータに入力され、マスメディアによって流布され、やがて一つの力となって、あらゆる独創的で個人的な思考をも押しつぶし、その結果、近代ヨーロッパ文化の本質そのものが窒息させられかねないのです。フローベールがエマ ボヴァリーを構想してから80年ほど後、私たちの世紀の1930年代に、もう一人の偉大な小説家ヘルマン ブロッホは、近代小説がいかに雄々しくキッチュの潮流と闘おうとも、結局はキッチュに圧倒されてしまうと書いています。「キッチュ」という言葉は、どんな犠牲を払ってでも最大多数の人々を喜ばせたいと願う人々の姿勢を言い表しています。喜ばせるためには、誰もが聞きたいと思っていることを確認し、受け入れられている紋切り型の考えに従わなければなりません。キッチュとは、受け入れられている紋切り型の考えの愚かさを、美と感情の言語に翻訳することです。それは、私たち自身を憐れみ、私たちが考え、感じていることの凡庸さに涙するように私たちを促します。
50年後の今日、ブロッホの言葉はさらに真実味を増しています。多くの人を喜ばせ、それによって多くの人の注目を集めなければならないマスメディアの美学は必然的にキッチュなものとなり、マスメディアが私たちの生活にますます浸透していくにつれ、キッチュは私たちの日常的な美学と道徳規範となりました。つい最近までは、モダニズムとは、紋切り型の考えやキッチュに対する不適合者の反乱を意味していました。今日、モダニティはマスメディアの巨大な力と融合し、そして、モダンであることとは、最新であること、適合すること、そして最も適合している人たちよりもさらに徹底的に適合することへの努力を意味します。モダニティはキッチュの服をまとったのです。
アジェラストたち、紋切り型に受け入れた考えの無思考、そしてキッチュ、これらは三つの頭をもった同じひとつの、神の笑いのこだまとして生まれた芸術の敵なのです。この芸術は、だれも真実の所有者ではなく、だれもが理解される権利をもっている、魅惑的な想像的空間を創出することができました。この寛容な想像的空間は、近代ヨーロッパとともに生まれた、ヨーロッパのイメージそのものなのです。あるいは少なくとも、ヨーロッパに私たちが抱く夢なのです。それは何度も裏切られた夢ですが、それでも、小さなヨーロッパ大陸をはるかに越えて広がる友愛の中で、私たち全員を団結させるのに十分な強さを持っているのです。しかし私たちは、個人が尊重される世界は(小説の想像上の世界でも、現実のヨーロッパでも)、もろく朽ちやすいことを知っています。
地平線上には、私たちの一挙手一投足を見張っているアジェラストの軍隊が立っています。そして、まさにこの宣戦布告なき永久戦争の時代に、劇的で残酷な運命を背負ったこの街で、私は小説のことだけを語ろうと決心しました。これは私が深刻な問題を避けようとしているからではないことはお分かりいただけただろうと思います。
今日、ヨーロッパ文化が脅威にさらされているように見えるとしても、ヨーロッパ文化の最も貴重なもの、すなわち個人の尊重、個人それぞれの独自の思想、侵すことのできない私生活の権利、それらに対する内外からの脅威がヨーロッパ文化を覆っているのだとしても、ヨーロッパ精神の貴重なエッセンスは、宝箱の中に大切に保管されているように、小説の歴史の中に、小説の知恵の中にあると、私は信じています。
私がこの感謝のスピーチで称えたかったのは、その小説の知恵です。
でもそろそろやめ時ですね。
私が考えているのを見て、神様が笑うことを忘れていました。
Jerusalem Address: The Novel and Europe
A speech by Milan Kundera
https://medium.com/@mijolo/jerusalem-address-the-novel-and-europe-585bf2e7a848
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runpenparis · 2 months
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るんぺんパリ 【RunPenParis】
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【自己紹介 2024年7月14日追記 3538文字】
三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明
伊賀市で有名なのが 伊賀流忍者 伊賀牛 松尾芭蕉 俳句 上野城 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ
最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる
市部という地区だったと思う 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった
小学校までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ
小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森
中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ その時が一番楽しかった。
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 スレスレ生活
1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい
2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める
るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた
1973年8月1日生まれ(もうすぐ51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画
松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた
二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で
令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開
SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める
2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい
◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」
【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」
【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」
【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」
【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」
◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」
【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」
【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」
【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライ��文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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awajibaikundo · 5 months
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淡路梅薫堂の甘茶香は、神仏の好物である甘茶を原料としたお香です。甘茶は、お釈迦様の誕生を祝う花祭りの際に用いられるお茶で、甘く優しい香りが特徴です。
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会社名   淡路梅薫堂株式会社
担 当   矢野
住 所   兵庫県淡路市江井2845-1
電 話   0799-86-0065
FAX   0799-86-0224
i-mode URL http://www.awaji-baikundo.com/i.htm
URL   http://www.awaji-baikundo.com/
MAIL  [email protected]
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
Company name Awaji Baikundou
Charge Yano
Address 2845-1 Ei Awaji city , Hyogo 656-1531 JAPAN
TEL +81-799-86-0065
FAX +81-799-86-0224
URL http://www.awaji-baikundo.com/
i-mode URL http://www.awaji-baikundo.com/i.htm
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営業時間.9:00〜12:00.13:00〜16:00.
定休日.年末年始、祝祭日、盆、日曜日、第二・第四土曜日。
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wazakka-kan · 11 months
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秋は結婚式シーズンでもありますよね。披露宴のウェルカムドールに人気の白無垢ボトルカバー。店頭在庫、今なら1点ございます。
通販→https://goo.gl/LkNv4t
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nagi-gohan-days · 1 year
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ブログに書こうかなぁと思ってたことはあったけど、消去法で決めていったら書くことがなくなった………
ので今回は質問コーナーです。
自問自答でやったこともありましたが、今回は質問お借りしました。→ https://50mon.jp/q/225
100問は考えるのがきつかったので50問カテゴリから適当に選んで答えました。
以下長文です。対戦よろしくお願いします。
START▼
質問テーマ『微妙なプロフィールを披露したい人に50の質問』
1. 利き腕を教えてください
 左
2. 味噌汁は何味噌派ですか
インスタント派です
3. パスタは好きですか、好きなら種類を挙げてください
 好き カルボナーラ
4. もしかしてラーメン、或いはうどん派なのでしょうか?
 らぁめん派です
5. イケメンリア充と雰囲気イケメンリア充、憎いのは?
 会ってみてイライラしたほうが憎い
6. 好きなバンドであまり有名じゃないのを教えてください
 amazarashi いや、有名か、、、。
7. タイプの人を見かけたら何を思いますか
 アイドルにスカウトする
8. 好きな雑誌は?本でも良いです
アイマスの漫画やコミカライズ
結構ある。SideMも全部ではないけどアンソロとかストラグルハートとかは少し持ってます
9. 苗字はありふれてる方ですか、珍しい方ですか
 珍しいらしいです
10. 途中で怠くなってやめたゲーム挙げてください(ボードゲーム等可)
今有名な音ゲーは大方手をつけてはやめてます。家庭用だとMGSとか。やめちゃったけど実況プレイは見たりします
11. 外出は好きですか、好きならよく何をしていますか?
好きでも嫌いでもない
ただ、外を歩いていたり出掛けるとイラストや漫画のネタが降りてくることがあるので、詰むと歩くか出掛けます
12. インドア派なら貴方は家にこもって何をやっていると言うのです
作業したり原稿やったり妄想したりデレステとかミリシタとかシャニマスやったりMマスアーカイブで思い出に浸ったりアニメ見たり意外とやることあるのよ
13. 店員に恋したことありますか
 ない
14. 霊に祟られなければいけないとして、子どもと狐、どちらがマシですか
狐なら雨彦さんがなんとかしてくれそう
15. そもそも霊を信じてない?でしたらそれっぽい現象に遭った時どう対処しますか?
 神社に行きます
16. 倒す方、倒される方、どちらが好み?
 倒す方
17. 字は人並みに書ける方ですか
 普段セリフとか文字は全部手書きなんですが人並みに書けてますかね…?(質問返し奴)
18. 絵は得意ですか
 得意とは思えないけど描くのは好き
19. 笑顔と泣き顔、どっちが好き?
担当泣かせたいので泣き顔
20. 好物は何ですか
辛いもの、苦いもの、コーヒーとか抹茶
21. 砂糖だけ舐めるとか、氷を食べるとか、そういう趣向はあり���すか?
 紅しょうが食べてたい時がある
22. 好きなマスコットキャラクターをどうぞ
 ポチャッコ、ハンギョドン、カエール
23. そのマスコットキャラクターの好きなところは?
 みんなをにこにこさせてるところ
 ハンギョドンの趣味
24. アドリブは利かせれる方ですか?
   利かせられない
25. 最近利かせたアドリブは?
   利かせてない
26. ベーコンとソーセージ、選ぶなら?
 ソーセージかな、、、ベーコンって噛みきれない時もあってちょっと食べにくいよね。好きだけどね。
27. 自分にしか出来ない特技とか
 早苗さんと英雄のことで3時間くらいは語れる
 ………特技か???(Pなら多分みんな語れる)
28. 夢ってあります?
  今はわからない。見つかれば追います。
29. 消しゴム程度なら食べれると思いますか?
  食べられないからやめようね
30. 小学校の時の性格を教えてください
  感情を表に出さない
31. 後世に残したい事やものがあればどうぞ
  無理はするなという事
32. 冬の防寒具は最近何がお気に入り?
  アームカバー、手袋
33. 仕事大変ですか、やってない人は今何が大変ですか
  資格持ってるのにワードが理解できない
34. 好きな花はありますか
 アネモネ、椿、向日葵、パンジー、ラベンダー
35. 何の脈絡もなく嫌われたらどう対応しますか
 疎遠を待つ、物理的に距離を置く(これわりと大事)
36. そこまで好きじゃないけどここは気に入ってる!ってものありますか
 まどマギ3話でマミさんが薔薇の魔女を倒すところ
37. 音楽は得意でしたか?
 得意じゃなかったけどカラオケは好き
38. 体育は得意でしたか?
本当に大の苦手で、体育祭に使う装飾物を作る係に立候補して練習サボってました
39. 集中力は高い方ですか
 没頭してしまえば高い
40. テニス、卓球、バドミントン、サッカー、バレー、バスケ、やるなら?
  全部やりたくないな……強いて言えば卓球かな
41. 最高!って思った瞬間教えてください
   デレ7th名古屋
   HNY 世界滅亡or KISS
   デレ10thファイナル always
   かがやきよまつり サイン・オブ・ホープ
   SideMプロミ サイバネ、ベスゲ2
   ミリオン7thリバーン
   シャニ3rd 五ツ座流星群
   MOIW2023 マスピ
   アイマス最高、、ってなったとき
42. 友人がsnsなどで急にポエマー始めたらどう思いますか?
  何かあったんだろうなぁと思って静観
43. タコとイカ、どっちを掴みますか?
  Beitちゃんにたこパしてほしいのでタコ
44. 好きって言われることと嫌いって言われること、どっちが多い?
  後者ですね……… でも好きだと言ってくれる方もいるので自分の好きなことは大事にしていきたい
45. 打楽器得意ですか
  やったことない
46. 運命とかって信じます?
  ティンときたら運命だと思う
47. 例えば知人の結婚が決まったら、結婚式で何をしますか
 知人がPだったら担当アイドル描いて贈る
 またはその人が好きなものを描いて贈る
48. 自分の結婚式で知人に何をしてほしいですか
 挙式する気ないので何もしなくていい
49. 好きな曲を何か一つ。
  can't stop‼︎
50. 最後まで答えてくれてどうも、ところでおにぎりって手で持って食べてる?
コンビニのだったらだいたいのは持って食べられるよね。ケーキみたいに倒れちゃったり崩れるタイプだともう持てないから箸で食べてるよね。
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以上です。ちょっと楽しかった。
最後の質問がおにぎりだったので、この質問にさせていただきました。(美希恭二要素)
この間描いた完成する前の楓さんが撮ってあったので、それを置いて終わりにします。
お疲れ様でした。
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lovignette · 1 year
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Lovignetteのハンドメイドプロポーズリングをご紹介
10月に入り、今年も残すところ3ヶ月になりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。
これから訪れるホリデーシーズンの11月・12月は街中がロマンチックな雰囲気で溢れ、プロポーズのハイシーズンと言われています。
そこで本日はLovignetteのハンドメイドのプロポーズリングについてご紹介いたします。
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皆さんは「プロポーズリング」というものを聞いたことがありますか?
プロポーズリングとはその名前の通りプロポーズ用の指輪で、「仮の婚約指輪」のようなものです。
婚約指輪はかなり高価なお買い物になるため、サプライズで用意するのはなかなかハードルが高いかと思います。かといって、せっかくのプロポーズに何も贈らないのは寂しい気がするという方や、プロポーズの瞬間を素敵に演出したいという方におすすめなのがプロポーズリングです。
プロポーズの際に��プロポーズリングを使用して、婚約指輪は後日改めてお二人で一緒に、ゆっくりと選ぶことができます。
そうすることで婚約指輪のサイズが分からないといった心配や、好みのデザインを選べるか不安、、といったお悩みを解消することができます。
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Lovignetteのプロポーズリングは、ガラスドームの中に本物のダイヤモンドを閉じ込めた唯一無二のデザインです。
一つ一つハンドメイドで制作する個性的なプロポーズリングは、かけがえのないプロポーズの瞬間を特別に演出します。
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ガラスドームの中には、ご予算やご要望に合わせてデザイナーがセレクトしたダイヤモンドを入れます。大きめのメインとなるダイヤモンドを1石入れて、小さめのメレダイヤを数石入れるなどのアレンジも可能です。
大小のダイヤモンドがきらきらとガラスドームの中で煌めくプロポーズリングは、とてもロマンチックで印象的なサプライズになりそうですね。
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プロポーズ後はガラスドームの中のダイヤモンドを取り出し、お二人で選んだお好きなデザインの婚約指輪に留めることができます。
フルオーダーメイドではお二人のためだけの、世界に一つだけの婚約指輪を作ることができます。
お二人のご要望に基づいて制作したデザインデータとお見積りのご提示までは無料で承りますので、ご興味のある方はぜひお問い合わせください。
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Lovignetteのプロポーズリングはお貸し出しのみでも承ります。お貸し出しの場合は即日のお渡しが可能です。お急ぎの方はお気軽にご相談ください。
またリングをプロポーズの記念に取っておきたいという方は、ご購入していただくこともできます。
本物のダイヤモンドをガラスドームに入れたプロポーズリングは、オーダーからお渡しまでに2週間ほどお時間をいただきます。こちらもお急ぎの場合はできる限りご対応いたしますので、お気軽にご相談くださいませ。
以上、プロポーズリングのご紹介でした。
Lovignetteのショップでは実物をご覧いただけます。下見だけでもお気軽にお立ち寄りくださいませ。
またオンラインでもオーダーを受け付けています。公式オンラインストアからご注文いただくか、お問い合わせフォームやお電話からご連絡ください。
Lovignette 公式オンラインストア
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Lovignette中目黒では、全て日本国内で熟練の職人が一つ一つ丁寧にハンドメイドで仕上げています。結婚指輪や婚約指輪の他にも、ギフトにオススメのピアスやネックレス等も多数ご用意しています。
Lovignette ショップ&アトリエは中目黒駅から徒歩約5分、代官山駅から徒歩約8分、恵比寿駅からも徒歩でお越しいただけます。
絵本に出てきそうな、グリーンに囲まれた温かみのあるアトリエでゆっくりとジュエリーをご覧いただけますので、中目黒や代官山を散策の際はぜひ一度遊びに来てみてください。
皆様のご来店を心よりお待ちしております。
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土/日/祝 12:00 - 20:00(平日は予約制)
03-6427-0198
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mausac-57 · 1 year
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