mattiさんのご依頼でアイドル #PinkySpice さんのメンバー6名描かせていただきました😃 48mmデザイン・シール印刷入稿まで。 できるの楽しみです! 応援のいいねリツイートお願い致します😇 #蒼以みるか #大塚れな #音咲あやね #神木祐希 #花村かれん #綿雲えり #イラスト #絵 #似顔絵 #Illustrator #illustration #illustrations #ビックリマン https://www.instagram.com/p/CktIKTJvzhZ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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3月の後半は本当に慌ただしい日々が続きました。暖かい日が続き、お山の方も少し早い桜が咲いていました。春はいつでも能天気なほど明るくて綿のように優しく柔らかいです。
さて気持ちを切り替えて4月。今ごろ花粉症なのかアレルギーなのか鼻水を垂らしながら、遅くなったソラクモグループのトップ画像を選んでみました。
今回の有馬雄二郎さんの写真ですが観光船の上に浮かぶ巨大な雲には迫力があります。空や雲は世界とつながり、海もつながっている。そんなメッセージが聞こえてきそうな一枚でした。有馬雄二郎さんの写真は何よりも色が良く見ていて飽きの来ない写真です。 有馬雄二郎さんからコメントをいただきました。「私は岡山在住ですが、この写真は瀬戸内海を挟んで向かい側の高松港で撮ったものです。その日は3月に入ったにもかかわらず寒い日で、立ち寄った名勝栗林公園を散策している間は雪がチラつくほどでした。高松行きのメインの目的である川瀬巴水という版画家の展覧会で素晴らしい作品群に出会った幸せな心持ちで美術館を出ると外は入館前とは一転、青空が拡がっていたので瀬戸大橋に向かう前に高松の街をドライブしました。程なく高松港に出ると屋島上空から夕日を浴びながらぐんぐんと近づいてくる巨人のような雲が見えたので急遽車を停めて写した次第です。たまにしか海辺には行かないので 空と海それに浮かぶ船の取り合わせが新鮮に感じ、是非海も一緒にと思いながらシャッターを切りました。」とのこと。
■ソラクモグループ
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雨と無知
自分の誕生日に雨が降るの見たことない、たぶん。一眼の埃を払って、久しぶりにフィルム入れた。なんかシャッター固くなってたけど、何回か切ったらちゃんと動くようになった。ちゃんと写ってるかはわからない。ファインダー越しにビジネスホテル見上げたら、全部の窓に映っている空がめちゃくちゃ青かった。そのうちの一つの小さな窓に、水色の作業着に白いエプロンかけた掃除婦の、忙しなく動いている背中が見えた。午後から分厚い雲がかかって、透き通った冬の光がずいぶん濁ってしまった。家に帰って本棚の詩集をひっくり返して、全然読んでなかったページをでたらめに手繰ってみた。管啓次郎の数と夕方、マヤコフスキーのぼくは愛する、吉増剛造の出発。細くて頼りない思索の糸が、生まれるそばからぶちぶち寸断されつづけて、もうほどくことのできない毛球みたいんなって、綿花畑みたいんなって、頭ん中に詰まってる。ユナイテッドステイツオブポインセチア、十二月の底の方で。
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立山シャッフォー。
ちょめっす!えんでかしでやんす!!
20,21でヤングガンズと、立ヤーマンしてきたってハナシ!!
今回のメンバー。シャッフルという大学生のスノーボードサークルの創始者241マガジンでもお馴染みの241君率いるメンバー達。(ほぼOB)
ほとんどのメンバーが初立山ということで連れていき甲斐があります。
果たしてこんなキャピキャピした若手の中でおいさんはやっていけるのだろうか!?
えんでかしのアイドルも久々に登場。無数のポージングを使い分けポートレイト撮影してました。
室堂で五竜のラーメン屋、高橋家のキョーヘイに遭遇。彼も初立山なんだって。へ〜意外。
ところで皆さん、立山の霊獣、『くたべ』をご存知でしょうか?
姿を見れば疫病の難を逃れるとな。
その姿がこちら。
疫病の前にショックでどうにかなりそうです。
天気は快晴!!前回は二日間ともガスガスだったのでこの時点で、もうとってもハッピー!!
こんないい天気だとなかなか雷鳥さんには会えないかもね〜。
なんて話してたけど普通にいるし。
今日も人だかりあるとこに雷鳥あり。グワァ〜〜〜。
雷鳥荘に荷物を預け、早速行ってみよー!!
朝は程よく緩んだ走る雪で快適です!
さーて、登るゼー!!
えっさほいさ。
麓は30度に迫る夏日。そんな日の必需品、山中厄除手拭いの新色、早速売れました。
毎度あり〜。
ハイクはきちーけど素晴らしい景色が忘れさせてくれます。え?そうでもない?きついもんはきつい?
…ガンバで〜す。
ようやく小屋に到着。稜線付近は結構風があり涼しいっつーか寒いくらいでした。
もうちょい奥まで行きましょう。
なかなかスリリングな道のりです。
剱さんにワッサップ。この奥の斜面が大きく雪崩てるっていう前情報は入っていましたが、それでもどっかいいとこねえかな〜と突っ込んでみることにしました。
出だしは気持ちよくパーティーラン。
おお。確かしにこりゃでかい。つーか広い。
でも途中の緩いところでデブリは止まっていて、その下は綺麗そうだったんで特攻することにしました。
イェ〜〜〜〜イ!!
流石、若者。豪快にデカいターンをかましてくれます。
photo by 241
見ていて気持ちいいね〜。
続いての彼は、
photo by 241
飛んだー!!イキがいいね〜!!
photo by 241
基本、みんなうめえっす。
アイドルも大きい斜面を楽しんでいる模様。
みんな!薄々感づいていたかな?降りた分登らなきゃなんねーってこと!
登っていく途中から雲がどんどん押し寄せてきてあっつー間に白い闇の中。え〜またかよ〜!!
一歩先の地形がわからなかった前回に比べればまだましですが。
はぐれるとやばいんで、みんなまとまってなんとか登り切りました。
早速奴さんの登場です。グワァ〜〜〜!!
なかなか抜けなそうなんで仕方なくワラワラ、ゆっくりみんなで降りることに。ちょっと下がれば視界も回復するでしょう〜。
なんて思ってたけど全然良くならない、更に雪は悶絶ストップスノーに。
ボトム手前でやっと抜けてきました。しかしペタジーニ!!
ボトムに着くとサンセットの定番斜面だけは晴れている。
このまま終わるのもね〜。夕焼けするかわかんないけどワンチャン狙ってみる?
みんな結構疲れてた雰囲気だったけど、それでも夕陽ライドはしてみたいって事で野郎どもだけで狙う事に。そうこなくっちゃ。
ガンバでーす。後から聞いたハナシ、どんどん遠くなる雷鳥荘を見て、辛すぎていつ引き返そうか考えていたメンバーもいたそうで。
それでもなんとか全員登り切りました!
あとは抜けるのを祈るのみ!!
どうなんだ〜!?
しかし我々の祈りは届かず、これ以上待つと暗くなるという事で、断腸の思いでドロップイン。
くー!!
切ね〜〜〜!!
宿に着いた時はご覧の通り。
消化不良に終わってしまいましたが、美味い飯と温泉で復活!!
明日に期待して屁こいて寝ましょう!
二日目!!今日も快晴!!温泉でHPも全回復!!張り切って行ってみよー!!
朝一から東面はすでに結構緩んでいて、いい滑り心地。
朝のうちはまだそんなに暑くはなく快適ハイク。
峠でローカルボンドのボス、ハルさんら、横ノリおじさまグループに遭遇!!三日間天気も当たり相当楽しんでるご様子。
「ゆうちゃ〜ん。」強面とは裏腹に優しく声をかけてきたのは、元カラーで同僚だったコトリウムの中林さん。癒し系ヤクザ面コラボしますか。
天気良くてサイコー!!
(この写真は先日のものです。)
休憩しながらこれから滑る斜面を眺める。あのピークの右の肩んとこから滑りますよ〜。
あーびっくりした〜。あのピークからのラインはジェレミージョーンズの世界ですよね〜なんて話てました。
雪の無いところもある尾根道を登り、
登りきったとこで絶景を楽しみます。
綺麗ですね〜。
壮大ですね〜。
さて、そろそろ滑りましょうか。え?近くに来たら案外滑れそうだから例のピークからのラインに行きたい?241君ともう一人の若手が言ってきました。え〜。絶対硬いし普通に降りた方が気持ちいいと思うよ〜?でも彼ら引きません。ったく〜ワガママなゲストだぜ。でも嫌いじゃねえぜ。
ピークまでちょっと岩登り。
見た目は綺麗だけど硬かったらやだな〜、つーか多分硬いだろうな〜。
恐る恐るまず俺がドロップ。出だしはそれ程でも無いけど風が当たってる場所は案の定硬い。上の二人は恐らく音でわかってくれたでしょう。
続いて若手がドロップ!どうみても硬そうなとこを、いいスピードで突っ込んでガリガリガリガリー!とすげえ音出して滑り降りてきました!!
ねえ俺のさっきの滑り見てた?
転けずに降りてきたけど、ガイドとしてはヒヤヒヤしまくりです。
実は彼、今回リモート会議があっただかでバックパックの中には20万オーバーのノートパソコンが入ってるんです。おいおいおい、若いって色々すげえな。
続いて241君がドロップ。実は彼は今年のFWQアライのチャンピオン。
さっきの若手よりは安心して見ていられました。
(ここからデジカメ持って転んでレンズに汚れがついてる事をお詫び申し上げます。ごめんくさい。)
他のメンバーとも合流。普通に滑れば雪も走るし快適なラインです。
みんな無事で何より!!
さーて続きはパーティーだ!!
ヒュ〜!!!
そのまま緊張感のあるトラバース。
峠で一休み。
雷鳥荘の弁当、美味そうですねえ〜。
今の時代、どこでも仕事できますからね。
っていう捏造写真を一生懸命撮ってました。この子達、学はあるのにアホやわ〜。
嫌いじゃ無いけど。
実際Wi-Fiがないと、ただのでかいモバイルバッテリーです。
メインの斜面はペタージーニ&縦溝で、ろくなもんじゃございませんでした。
最後の斜面は楽しみたいのでマジックワックス塗りたくってドロップ!!
ヒュ〜〜〜。
下に着いた頃にモクモクとガスが。あぶね〜。ギリギリセーフ!!
てなわけで、第一回シャッフル立山ツアー。山あり、谷ありで楽しいツアーになりました!!まだまだ違うルートもあるんでまた行きましょ〜!!
若手の彼は、次回はでかい綿のパーカーはやめようぜ😉!
ほんじゃあお疲れ山でした!!&おしょっ様でしたー!!
P.S. 「黒部の太陽」で有名な破砕帯のおいしい「湧水」です。
おいしいが消されてのには何か意味があるのでしょうか。
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230311 青白い山の輪郭、ひかりだす空、前方には欠けゆく白い月、ミラーに映る大きな太陽。佐賀県の東脊振で高速を降りる。濃霧が立ちこめる田園の真ん中の道抜けて、山へ入ってゆく。長崎市へ。路面電車に乗る。美的感覚に欠けるよくない老舗に入ってしまって落ち込む。よりよりを喰らい街を歩く。兵庫と2拠点生活をするカトリック信者のおばさまと五島の教会の話。信号ですれ違った少年が抱えた大きな苺のパック。彼が通ったであろう道を辿って見つけた八百屋で同じものを買う。小さな苺がたくさん詰まったそれを持って、急坂に立ち並ぶ墓地街を抜けて高台の公園へ出る。苺を食べながら、空を舞う鳥と、夕陽で光満ちた海と街を眺める。街へ再び降りで夕食を探すが良い店が見つからず諦めたところに���れたネオン感の光る古い中華屋、常連1人と居間にいるように柔らかく居座るおばあさんとその子供らしい夫婦。皿うどんを頼むと甘くて驚く。酢をかけてちょうどよい。すっかり暗くなった道を一時間走って雲仙へ向かう。キレの良い温泉に入ってゲストハウスでそれぞれに眠る。久しぶりに1人で布団に入る夜。
/12 朝早くから普賢岳に登る。仁田峠から妙見山を通って普賢岳へ。足腰よりも呼吸器が追いつかずゆっくり進む。代謝が悪いのか、身体の熱が放出されずに中にこもって顔が熱くなる。Kは自分のペースで進んで、途中に腰掛けて本を読んでいた。昼前に下山して、海辺で定食屋が開くのを待つがなかなか開かない。移動して別な店で天ぷらをを食べる。天ぷらがあるとつい頼んでしまうが、決まっておいしく食べられるのは最初の6口ほどで、焼き魚にすればよかったと後悔する。タネトや地元の店で食材を買い込む。今日の宿は蒸し場が付いている。小浜温泉を散歩していて見つけた綿を育て、糸を紡ぎ、布を織っている人のお店で、Kがふんどしを買った。いつか店を始められたらお知らせしますと言って別れる。酒屋で五島の白ワインを買い、湧き水を汲んで宿に帰ろうとしていたら、さっきの店で何かの打ち合わせをしていた男の人とまた会って、話しながら歩く。30歳半ばになって削ぎ落とされてやりたいことがわかってきた、と言う。坂口恭平の話をする。宿に帰って魚や野菜を蒸して夕飯にする。
/13 朝ごはんに近所の魚屋で刺身を買う。野菜や餅を蒸す。宿にインターンに来ている人から味噌汁を分けてもらう。熊本でもそうだったけれど、このあたりは白味噌らしく、馴染みのない甘い味噌汁に少し戸惑う。車で南下して島原半島を一周する。南島原の原城跡、本丸から望む有明海の向こうに天草の街。数週間前には向こうからこちらを見ていた。島原で雲仙岳災害記念館を見学した。からくり装置紙芝居のような見せ物などよく出来ていて楽しめた。昨日登ったときに見た景色との実感を併せて、改めて山並みを眺める。夕暮れに諫早湾を渡って帰路に着く。
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「空」の奥深い世界へようこそ!
## 空に関する楽しい雑学とトリビア
### 1. 空の色の秘密
空が青く見える理由は、太陽光が地球の大気中で散乱されるからです。この現象を「レイリー散乱」と呼び、青い光が特に散乱されやすいため、空は青く見えるのです!朝焼けや夕焼けのオレンジ色は、太陽が低い位置にあるため、光が多くの大気を通過し、散乱が少なくなるからです。
### 2. 雲の種類
雲にはたくさんの種類があり、約10種類に分類されています。例えば、ふわふわとした綿菓子のような「積雲」や、雨をもたらす「雨雲(積乱雲)」など、それぞれが異なる特徴を持っています。雲を観察することで、その日の天気を予測することもできますよ!
### 3.…
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弥生時代
弥生時代(紀元前3~5世紀 – 3世紀)の西暦239年に、邪馬台国の女王"卑弥呼"が魏の都・洛陽に使者を送り「親魏倭王(しんぎわおう)」の称号と金印を与えられたことから、歴史書『三国志〈魏志倭人伝〉』に邪馬台国の情報が記載されました。
しかしながら、その情報量は少なく約2,000文字の一節だけです。
◆三國志×横浜市交通局|4gamer.net
「卑弥呼は約30の国からなる倭国の都として邪馬台国に住居する」という内容が記されており、近代に入って日本もそれを正式な史実として認知しました。
倭国では内乱が絶えませんでしたが、女王・卑弥呼が統治することによって治まりました。
▽『魏志倭人伝』
原文:「其國本亦以男子爲王,住七八十年,倭國亂,相攻伐歴年,乃共立一女子爲王,名曰卑彌呼。事鬼道,能惑衆,年已長大,無夫壻,有男弟佐治國。自爲王以來,少有見者,以婢千人自侍,唯有男子一人,給飲食,傳辭出入。居處宮室,樓觀,城柵嚴設,常有人持兵守衞」
翻訳:「その国、以前は男子を王としていたが、70~80年ほど過ぎて倭国は乱れ、互いが何年も戦争をする事となった。そこで各国が共同で一人の女子を王とした。名を"卑弥呼"という。卑弥呼は《鬼道》に優れ、民衆の心を掌握することができた。女王となった時すでに成人だったが夫はなく、弟が居て国を治めるのを補助した」
「鬼(き)」とは、魏では死者の霊魂や霊的存在を意味したようです。《鬼道》はシャーマニズム的な呪術という解釈の他に、当時の文献では《儒教》にそぐわない体制を表現する用法があります。このことから呪術ではなく、単に儒教的価値観ではない政治体制を意味するという解釈もあります。
《鬼道》とは、《神道》の元にもなった原始宗教《シャーマニズム》と考えられます。シャーマンと呼ばれる人物がトランス状態(興奮して自我を失った状態)に入り、神と交信をしてそのお告げによって政治をおこなうというものです。シャーマンの卑弥呼は、神の言葉を聞くことが可能であったために、女王に選ばれたと考えられます。
本来の巫女は霊を自分に乗り移らせて、霊の言葉を代わりに話すことを得意としたという記録があることから、巫女とは本来はシャーマンのことであり、そもそも巫女の語源は卑弥呼という説もあります。
『魏志倭人伝』の「年已長大」を直訳すると「すでに年老いた」になりますが、この「長大」は「すでに成人になった」という意味にもなるそうです。学習サイトを読むと、一般的に「高齢」という翻訳が多いようですが、真相はいかに……?
「邪馬台国」と「卑弥呼」という当て字について
「邪馬台国」や「卑弥呼」という字は魏側のつけた当て字ですが、『日本書紀』には「夜摩苔(ヤマト)」という表記があります。
このことから、倭人の発した「ヤマト」の発音に当て字をした結果、「邪馬台国」という邪悪な字になったのだと推測できます。
・古代中国語音の「邪馬台」:[jya-mea-də]
・唐代の漢字音「夜摩苔」:[jya-muai-də]
・邪馬台国=ヤマト
・卑弥呼=日の御子
上述の通り、実際の政治は卑弥呼の弟が担当していました。弟は卑弥呼の側近として、表に顔を出せなかった姉の卑弥呼に代わり、表に出て卑弥呼の占いの結果を言伝として民衆に伝え、政治を取り仕切っていました。
ちなみに邪馬台国の位置について意見が分かれる理由として、『魏志倭人伝』には「邪馬台国は九州から船で三日間ほど南下した場所にある」と書かれていたことが挙げられます。その記述が事実だとすると、邪馬台国は太平洋沖にあったことになります。その所為で邪馬台国=沖縄説というとんでも説も生じました。
おそらく使者の報告や記載のいずれかにミスがあったと考えられるでしょう。もしくは、帰国が遅れた理由を問われて「思いのほか遠くにあった」と虚偽の申告をしたのか。たとえば邪馬台国を訪れた魏の使者のために三日三晩ほど祝杯の宴会が繰り広げられて帰りが遅れたとか。
三国志時代は「上役からくだされた目的を果たせなければ処刑(七歩のうちに漢詩を一句書かねば処刑〈曹植の逸話〉、海の向こうのどこかにあるという亶州という国〈倭国説あり〉を発見できなければ処刑〈孫権の逸話〉、三日までに十万の矢を集められなければ処刑〈小説『三国志演義』孔明のエピソード〉が当たり前だったので、嘘も方便ということでありえなくもないと思うしだいです。
▽『魏志倭人伝』に記述された邪馬台国の統治国
「対馬(つしま)」「一支(いき)」「末盧(まつろ)」
「伊都(いと)」「投馬(とうま)」「不弥(ふみ)」
「斯馬(しま)」「巳百支(しはき)」「伊邪(いや)」
「都支(とき)」「弥奴(みな)」「好古都(ここと)」
「不呼(ふこ)」「姐奴(そな)」「対蘇(つそ)」
「呼邑(こお)」「華奴蘇奴(かなそな)」「鬼(き)」
「為吾(いご)」「鬼奴(きな)」「邪馬(やま)」
「巴利(はり)」「支惟(きい)」「烏奴(うな)」
「蘇奴(そな)」「躬臣(くし)」「奴(な)」
卑弥呼のシャーマン(呪術師・巫女)としての能力は「大衆を惑わす」と評されるほど甚大でした。
倭の女王国・邪馬台国は周辺の30余国の中で最も大きく、政治的組織の官制が整っていましたが、武力ではなく共立された権力だったので、当初の政権基盤は弱いものだったとされます。
邪馬台国の男性は刺青をして髪を結い、頭に布を巻きつけており、女性は布の真ん中に穴をあけて、そこから頭を出す服を着て、髪はうしろで束ねていました。
ちなみに南宋の儒学者"金履祥"の著書『通鑑前編』に、「日本から来た使者が『我々は呉の太伯の後裔だ』と言った。呉は亡び、その子孫が海を渡り、倭国にたどり着いた」と書かれているそうな。そういえば「呉地域の遺跡で発掘された人骨のDNAが倭人のものと一致した」という記事を数年前に読みましたが、ソースが残ってないのか追々確認いたします。確かに呉の中には刺青を掘り、魚を食べる風習もあったそうです。それは弥生人や縄文人の文化とも一致しますが、真相のほどはいかがなものでしょうか。
「倭人の始祖が太伯の末裔」という説について、日本では南北朝時代の禅僧"中巌円月"が「日本は太伯の末裔」と論じました。一方の"北畠親房"は著書『神皇正統記』にて「日本ハ呉ノ太伯ガ後也ト云」とあるのを批判し、室町時代の"一条兼良"も『日本書紀纂疏』で太伯末裔説を批判しました。江戸時代に入ってからは、儒学者"林羅山"は『神武天皇論』で神武天皇の太伯末裔説を肯定しました。イエズス会宣教師"ジョアン・ロドリゲス"の『日本教会史』では、「神武天皇は太伯の2番目の弟の"季歴"の第6代の子孫」と記しました。
明治生まれの日本史学者"千々和実"氏は、綿密な考証を経て「3世紀の倭人が対内的に王権を強化するため、また対外的に威望を挙げるために、自分たちの民族の始祖を太伯に結びつけて名乗ったのだろう」と指摘し、この「倭人自称説」を肯定しました。
ちなみに「日本の始祖が太伯の末裔」という記述を見て憤慨した"徳川光圀"が『大日本史』を編纂させたとする伝説もありますが、これは事実ではないようです。
狗奴国の台頭
晩年の卑弥呼は、敵対勢力の「狗奴国(くなこく)」との戦の渦中に亡くなりました。
狗奴国は、邪馬台国の南(熊本周辺)にある男子を国王とする勢力でした。
断髪と刺青の習慣のある漁業民の国で、邪馬台国の統治下に唯一ならず、九州(邪馬台国の周辺)以外の西日本と、東日本の北陸・東海・信州までを武力で制圧していました。
また、この狗奴国が後の古代出雲になったとも推測されます。
◆オタクくんさぁ - ピクシブ百科事典
卑弥呼の亡き後の邪馬台国でも男王が専任されましたが、統治は難航し、諸国は分裂します。
各地で反乱が起こり、卑弥呼が統治する以前の混沌とした時代に逆戻りしてしまいました。
そんな最中に当時13歳の"壹与"(とよ)が女王となり、再び倭国は平和裏に治まりました。
その壹与を女王とした邪馬台国が、その後どうなったのかは、266年の遣使以後は不明です。
いわゆる空白の4世紀にその姿をくらましたのです。
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神武東征伝説を史実と考え、九州の邪馬台国が東遷して奈良の大和王権となったとする邪馬台国東遷説をはじめ、投馬国東遷説、騎馬民族説、ネオ騎馬民族説🏇などがあるようです。もう一つは逆説的に、大和王権によって邪馬台国は滅亡した、とする見解もあります。
蛇足ですが、平和であるほど縄文時代から弥生時代(邪馬台国)までの日本や、タイ王国のように女性の社会的地位が向上し、戦乱の世になると中世ヨーロッパや中国のように男性の社会的地位が向上する傾向があるようです。
男は女が育てる。女に利用されるのが男の宿命だし、それで成長を遂げるのも男だろう。
◆『千恋*万花』(c)YUZUSOFT/JUNOS INC.(著作権ゆずソフト二次配布禁止)
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三韓征伐
三韓征伐は、西暦200年頃に応神天皇(八幡神社に祀られる第15代天皇)の母"神功皇后"が、新羅国に出兵して三韓(百済・新羅・伽耶)を服属下においたとする日本の伝承です。
百済の救援要請を受け、新羅まで出兵した大和王権軍の軍勢を見た"新羅国王"は恐れおののき「吾聞く、東に神国あり、日本といふ。また聖王あり、天皇といふ。必ずその国の神兵ならん」と言い、白旗を挙げて降伏したとされます。
神功皇后は帰国後、神託を受けて兵庫県南部に神社をいくつか創始されました。
廣田神社
兵庫県西宮市の廣田神社は、日本初の海外遠征となった三韓征伐から凱旋途中の神功皇后により創始されました。
日本最古の国史書『日本書紀』に記される兵庫県第一の旧官幣大社。
生田神社
神功皇后の凱旋に伴い創始された生田神社は、神戸市内の有名な神社の一つです。神戸市中央区の一帯は社領で、神戸(かんべ)職と呼ばれる神社に貢物を奉納する人々が多くいました。それが「神戸」という地名の語源となりました。
長田神社
三韓より神功皇后が帰路の途中、船が先に進まなくなり解決策を占ったところ「我を長田国に祀れ」と恵比寿より神託を受けて長田神社が創始されました。
神社の行事として室町時代より続く古式の県指定無形文化遺産「追儺式神事」があります。
名称が古くからの地名そのままである神社は、その土地の産土神社の可能性が高いそうです。
「三宮の生田神社」「神戸駅前の湊川神社」「長田神社」を合わせて「神戸三社」と呼びます。
▲神戸駅前「湊川神社」
高取神社
出雲大社に初参拝した三日後、高取山の麓にて撮影。
鷹がカラスを押さえつけ人質にし、数十羽のカラスの群れと対峙。周囲のカラスはガアガア鳴くだけで仲間を助けられず膠着状態。鷹の方が速く高く飛べる上に、鋭い爪とくちばしを持つので手出しできなかったのでしょう。しばらくすると鷹はカラスを開放して飛び去りました。開放されたカラスも茫然自失としながら山に帰りましたとさ。
昔々の高取山は、猛禽類の鷹がよく巣をかけたので「鷹を捕獲する場所」という意味で「鷹取山」という山名が付けられましたが、江戸時代中期に山麓地域での「鷹」の字の使用は増税対象になり、やむを得なく「高」に字を変えたようです。この増税はあくまで山麓地域だけなので、今も周辺の住宅街では「鷹」の字が使われます。
古くは神が舞い降りる「神撫山(かんなでやま)」とも呼ばれました。
高砂神社
神功皇后が三韓遠征の際に、現・出雲大社の祭神オオクニヌシの神助を得て戦を治めました。帰国の途中に高砂の地に船を寄せ、国家鎮護のためオオクニヌシを祀られたのが高砂神社のはじまりです。
豊臣秀吉は朝鮮出兵の前、三韓征伐の功績をあげた神功皇后にあやかり、この高砂神社で戦勝を祈願したと伝えられます。
▲豊臣秀吉『戦国無双4』
とよあしはら の ちいほ の あき の みずほ の くに
大和朝廷とは、出雲族と天孫族の連合政権とされます。
「豊葦原千五百秋瑞穂国」
(とよあしはら の ちいほ の あき の みずほ の くに)
上記は『記紀』における日本の美称の一つで、「豊かに葦の生い茂る原」という意味になります。他にも美称として「葦原中国(あしはらのなかつくに)」もあります。
◆豊国(九州北東部)
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◆葦原(出雲〈島根〉)
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◆千五百(長門・周防〈山口〉)
+
◆秋(安芸〈広島〉)
+
◆瑞穂(吉備〈岡山〉)
日向族(ひむかぞく)とは、日向国(宮崎)の高千穂に降臨した天孫族の血を引く部族。
日向族の数代目の族長"神武天皇"は、日向国から翁(おきな。老人)や、日本サッカー協会シンボルマークとして馴染み深い"ヤタガラス"に導かれ、東に向かい奈良盆地に到達したとされます。
それまで奈良盆地を支配していた出雲族は日向族に屈服し、以後は天皇を頂点とする大和王権が樹立されました。
当時の史料は数少なく憶測の域を出ませんが、出雲王朝の末期には王の座をめぐり二人の太子が覇権をめぐり争っていました。そこで一方が大和王権にくだり配下に収まりました。大和王権軍を味方につけられては適わないと判断したもう一方の勢力も大和王権にくだりました。こうして出雲王朝は大和王権と統合されたとのこと。
一説によると『日本神話』の"アマテラス"は邪馬台国の卑弥呼がモデル。下の弟の"スサノオ"は男王が統治した狗奴国の初代国王がモデルになったといわれます。
ここまで書けばお気付きになるかと思いますが、邪馬台国の政治を司った卑弥呼の弟が、アマテラスの上の弟"ツクヨミ"のモデルとなったとの見方があります。
広く一般的に「邪馬台国の情報は、日本側の歴史書には残っていない」とされますが、もし邪馬台国=高天原説が事実なら『日本神話』は邪馬台国をモデルに書かれたことになります。
もし、それが本当だとしたら、偏にロマンがあると言えるでしょう。
▼三種の神器
◇鏡(太陽)=邪馬台国=アマテラス≒卑弥呼
◇剣(武力)=狗奴国=スサノオ≒狗奴国王 or 難升米
◇勾玉(月影)=ツクヨミ≒卑弥呼の弟 or 天武天皇
「八咫鏡(やたのかがみ)」は、アマテラス(天照大神)の岩戸隠れの際に作られた鏡。アマテラスが岩戸を細く開けた時、この鏡でアマテラス自身を映し、興味を持たせて外に引き出すことに成功して、再び陽光がさして世は明るくなりました。今もこの八咫鏡は伊勢神宮に祀られています。
「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」は「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」とも称される剣の正式名称。スサノオが出雲で退治したヤマタノオロチの尾から出てきたとされる剣です。ヤマタノオロチ=八つの頭の蛇。「蛇」は「男」の比喩表現。つまり「八人の賊を一人で薙ぎ倒した」とは流石と言えます。
「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」は岩戸隠れの際に作られ、八咫鏡とともに榊の木に掛けられました。
古来の《神道》は《イスラム教》と同じく、《仏教》の「仏像」や、《キリスト教》の「キリスト像」のように、偶像崇拝(信仰の対象を像=イメージ化して崇拝)はされませんでした。
神社の本殿に置かれる鏡は、「向き合う自分の心をありのまま包み隠さずに写し出す」ことを意味します。
◆山手線の路線図は太極図|都市伝説
農耕民族と狩猟民族
未来に備えて貯金や貯蔵するのは《ネガティブ(悲観的)》な行動原理で、貯えずにその場ですべて発散するのが《ポジティブ(楽観的)》な行動原理とされます。
貯蔵に通じる概念は「農耕民族」より発生しました。「狩猟民族」の主食である肉は保存が利かず、腐らない内に食さないとすべて無駄になりましたが、穀物は長期保存が可能なので当初の「米」は「金」と同等の価値がありました。その弥生時代において最も米を多く保有した氏族が天皇家であり、それ故に日本の皇帝陛下となられました。
天皇は《神道》における最高責任者で、一族の氏神でもある太陽神の女神・天照大神直系の子孫とされます。現在も元号を採用し続ける国は日本のみとなりました。世界最古の王朝として、同じく今も王朝を残すヨーロッパとの外交でご活躍になられております。
▲国産米『秋田県産あきたこまち』
日本列島における縄文人と弥生人
モンゴロイドを大別すると、「古モンゴロイド」と「新モンゴロイド」に区別できます。「古モンゴロイド」は東南アジアや中国の一部、南米~北米大陸、北海道のアイヌ人、約二千年前までの日本列島に分布した縄文人が含まれ、「新モンゴロイド」はモンゴル・中国・朝鮮半島・日本列島・北米にまで渡って広く分布しております。
画像左は三万年前から日本列島に住まった顕在遺伝子の多い"縄文人"と、右は二千年前から日本列島に渡来した潜在遺伝子の多い"弥生人"のイメージ画像のようです。
▼縄文人の特徴
全体的に大振りで、背が低く体毛が濃いのが特徴。顔の輪郭は四角形で眉が太く、目はぱっちり二重まぶた。耳たぶや鼻は大きく唇は厚い。耳垢は湿っている。血液型はO型とB型が多い。
▼弥生人の特徴
全体的に細くて背が高く体毛は薄いのが特徴。顔の輪郭は面長で、眉は細く、目は一重まぶた。耳たぶや鼻は細く唇は薄い。耳垢は渇いている。血液型はA型が多い。
現代日本人は縄文人と弥生人双方の遺伝子を引き継いでおり、遺伝子の比率は地方や個人により微差がありますが、弥生人の遺伝子80%に対して、縄文人の遺伝子は20%ほど残っているとの見方もあります。
遺伝子の解析により、本州では太平洋側の都市部(東京・大阪など)、九州では北部(福岡・長崎)は弥生人の遺伝子が多く残っており、反対に本州の日本海側や東北、九州南部や沖縄は縄文人の遺伝子が多く残っている傾向がわかりました。ちなみに調査団体によっては、最も弥生人の遺伝子の濃い都道府県は奈良県という先入観の強そうな統計もあるようです。
縄文人は外見的には古モンゴロイドに近いのですが、遺伝子を解析した結果は新モンゴロイドとほぼ同じ反応を示しました。また、縄文人と同じ遺伝子(Y染色体)を持つのは、日本以外ではチベット人とアンダマン諸島の人々だけとのことです。
■日本人 - Wikipedia
日本列島に住む"日本民族"は、三種類に分けられます。
・大和民族(狭義の日本民族)
日本列島には倭(近畿地方)を中心に、蝦夷(えみし。東日本人)や、隼人(はやと。鹿児島周辺)などの集団も居住していましたが、大和王権の成立後は同化が進み、これらを合わせて大和民族と呼ぶようになりました。
・琉球民族(大和民族の支族と分類する考え方が主)
・アイヌ民族(大和民族と異なる日本列島北部の集団)
■記者会見:日本列島3人類集団の遺伝的近縁性|東京大学
国立遺伝学研究所集団遺伝研究部門と、東京大学大学院医学系研究科人類遺伝学専攻分野、東京大学大学院理学系研究科理学部を中心とする研究グループは、日本列島人(アイヌ人、琉球人、本土人)のゲノム解析により、現代日本列島人は縄文人の系統と、弥生系渡来人の混血であることを支持する結果を得ました。
日本列島人のDNA分析を行った結果、離れた地域に住む北海道のアイヌ人と沖縄の琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土人は琉球人の次にアイヌ人に近く、一方、本土人は集団としては韓国人と同じクラスターに属することも分かりました。
▲原点(起源:origin)
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古代ギリシア時代
古代ギリシャ時代は紀元前3,000年頃に興りました。これがヨーロッパ内で最も古い文明と考えられています。人種的にはインド=ヨーロッパ語族に属し、バルカン半島からギリシア本土に南下して、エーゲ海域や小アジアに進出した民族です。地中海各地に植民活動を行い、起源前8世紀からアテネなどのポリス民主政を発達させ、美術・文学・演劇・哲学・数学などの文化や学問を形成しました。
◇幾何学 - Wikipedia
十二音律の算出
紀元前6世紀――まだ五線譜や音階のなかった時代に、古代ギリシャの数学者ピタゴラスは、音程を示す器具のモノコードで音の研究を開始しました。
研究過程でモノコードを半分の長さにすると、同じ響きのさらに高い音程になることをピタゴラスは発見しました。これが「1オクターブの発見」です。音程は周波数(1秒間で何回振動するか)で決定されます。これをHz(ヘルツ)と呼びます。A(ラ)=440Hzなら秒間440回振動する音。この回数が440Hzから2倍の880Hzになれば、1オクターブ高い音程になります。同じ要領で440Hzの1オクターブ下は220Hzになります。
これで1オクターブの原理は解明されましたが、次に12音律を導き出した方法を解説します。ルート(根音)の2倍が1オクターブ上ということは、4倍は2オクターブ上の音程になります。さらにルートの3倍は、2倍と4倍の間の新たな音程が出現します。それを半分の周波数にして割り出されたのが、最も濁りの少ない和音となる「完全五度」です。
次に他の音程を導き出します。まずルートを1、1オクターブ上を2、2オクターブ上を4として、3(完全五度)を半分にすると1.5になります。
A:E=(1:1.5)x2=2:3
新しい音の導き出し方
①3倍にする
②1≦f≦2になるまで2で割る
1.5(E5)を3倍にすると4.5になり、それを2で割ると2.25になります。さらに2で割ると1.125が算出されます。これが長2度になりました。さらにこの計算を繰り返すことにより今で言うアイオニアン・スケールが大まかに算出されました。
ピタゴラスは音同士の響きと相性にも気付きました。最初の計算から割り出された三つの音程で作れる〈ルートと五度の和音〉を「完全五度」と呼び、〈長2度と五度の和音〉を「完全四度」と呼びます。これが和音においてユニゾンの次点で濁りの少ない響きです。
12音律においてルートから五度は+7の音になります。また、五度の+7は長2度です。これを繰り返し、順序を整列したのが五度圏です。
十二平均律
現代の一般的な西洋音階における「十二平均律」とは、1オクターブ(周波数880Hz〈A4〉の2倍が1オクターブ上のA5〈1760Hz〉)を12等分にした音律。
十二平均律では、1度(ユニゾン)と8度を除いて整数比率による純正な音程は得られない代わりに、ピタゴラス音律や中全音律で生じる誤差の大きな音程に妨げられることなく、全ての調で演奏が可能で、カラオケのように転調や移調が自由に行えます。
弦楽器は弓で弾くことで真価を発揮できるのでしょう。
東アジアで十二平均律が算出されたのは以外と早かったようです。明代後期の"朱載堉"(1536年 - 1611年)は、伝統的な十二律の求め方である三分損益法を否定し、1584年に『律学新説』の中で新しい方法「新法密率」を提唱しました。これが2の12乗根に基づく平均律の最初の算出例です。
ヨーロッパで平均律を2の12乗根に基づいて最初に算出したのは"シモン・ステヴィン"(1548年 - 1620年)です。彼は未完成の手稿(1605年頃)でオクターブを10000:5000として平均律を記述。
彼の平均律の理論値からの誤差は±0.43セント未満で、後に"マラン・メルセンヌ"(1588年 - 1648年)が1636年にオクターヴを2000000:1000000として平均律を記述しました。
地動説
中世ヨーロッパでは、地球を中心に天体が公転する「天動説」と、地球は平坦で端は滝という地球平面説が通説でしたが、古代ギリシャでは、すでに「地動説」と地球は球状という説が証明されていました。
北極星の高さが緯度によって違うことから、地面が北極星に対して曲がっているということが発見されました。遠くからの光を平行と見なすと、確度が違うのは「地面が曲がっている」、つまり「地球は球体である」と言うことになるわけです。
エラトステネスは、この理論に基づき、夏至の日に井戸の中まで太陽の光が届く都市アレクサンドリア南部(南中高度90度)のシエネと、それ以外で鉛直に立てた棒の影が作る角度が、これら2ヶ所の緯度の差によるものとみなし、緯度の差は7.2度=地球の周囲1/50であることを突き止めました。
当時の単位が現代ではどのくらいの距離になるか正確には分かりませんが、彼が求めた地球の全周は一説には「46,250Km」となり、実際の地球より17%ほど大きな数字となりますが、当時としては異例の大体合ってる数値でした。
▼惑星の逆行
古代ギリシャ時代から科学者を悩ましたのが惑星の逆行現象。「天体の動きは等速円運動」と信じられていましたが、惑星は稀に地球から見て逆に動くことが観測されました。これを解決するために「導円と周転円」という概念が導入されました。当時は楕円の式が発見されておらず、地動説より天動説の方が惑星の動きを精度よく予測できました。
▼年周視差
年周視差とは、地球が動くなら1年のうちで恒星の見える角度が変わること。年周視差は目視では確認できず、望遠鏡の発明が必要でした。これが天動説の大きな「観測結果」になりました。年周視差が測定できるようになるのは19世紀になってからです。
▼ケプラーの法則
「天体の動きは等速円運動」と気付いた学者が16世紀のドイツの天文学者ケプラーでした。それまでの観測結果や数学の発展により、火星の観測精度が桁違いに向上しました。
▼「それでも地球は回る」
16世紀のイタリアの学者ガリレオ・ガリレイの名文句はとにかく「地球はなぜ動くのか」という議論に決定的な答えを出したのは、17世紀のイギリスの著名な学者ニュートンの「万有引力の法則」でした。
弥生時代の景観
▲古代ギリシャ都市国家「ポリス」
▲三国志「魏延の陣」
▲弥生時代「高床式住居」
▲高知県「水車」
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>縄文時代
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秋きぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる(古今和歌集)
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稲には走り穂。暦の上では「立秋」に入りました。不思議なもので、本当にこのタイミングで空の、雲の様子が変わります。歌のとおり秋の到来は目に見えるものではありませんが、お盆明けには朝晩に肌で感じる風の涼しさに気づくはず。ゆっくりと秋蒔きの畑の準備を致しましょう。
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<お知らせ>
・ジャンボにんにくの種(りん片)(8月下旬発送)を予約受付中です。種子消毒こそしているものの、栽培期��中農薬・化学肥料不使用の種です。ヤフー支店でも予約受付中です。カード決済、コンビニ決済、各種電子決済がご利用いただけます。
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・彼岸花(曼珠沙華)、茗荷(みょうが)苗(根株)、蕗(ふき)苗(根株)、枸杞(くこ)苗木を販売中です。がんばって掘りますので、応援頂けますと幸いです。
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・ヤフー支店にて、夏~秋蒔き野菜の「自然のタネ(自然栽培種子)」、当農園昨年収穫の「実綿」を販売中です。よろしくお願い致します。
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・菊芋、アピオス(いずれも12月中旬発送)の予約受付を開始しました。猛暑に負けないよう畑に水タンクを運び、潅水を頑張っております。応援頂けますと幸いです。
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・行者にんにく精選種(9~10月発送)、秋苗(10月末~11月上旬発送)もご予約受付中です。〆切前にお急ぎくださいませ。
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メデタシ種苗本店
https://www.tane4u.com/
メデタシ種苗ヤフー店
https://store.shopping.yahoo.co.jp/itomedetashi/
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どうぞよろしくお願いいたします。
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秋空の気配
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月例会報告
2024年5月26日
坊城俊樹選 岡田順子選
於:千代田区立九段生涯学習舘
その中に学生もゐて風みどり はるか
己から抜け出す己蟬の殻 幸月
◎風見鶏茅花流しをやり過ごす 要
蜻蛉生る宮の結界越えもせず 真知子
白鳩や深き青葉の息纏ふ 伸子
手鏡の吾の顔小さし青嵐 千種
◎内濠の濁りに生るる夏の蝶 要
松羽目を湿らせてゐる椎の花 順子
薫風や学舎を映す神の池 月惑
苗運ぶ乙女の湯文字眩しかり 幸月
あめんぼの水の凹々生まれたて 順子
憲兵碑囲む紫陽花みな青し 毱子
蜻蛉生る鉄条網の空青く 和子
シテの辺にゆるされてをり黄金虫 順子
◎麦の秋ゴッホ好みの黄に満ちて 真知子
羅に熱き血潮や晶子の忌 幸月
玉砂利の敷き詰めてある蟻地獄 政江
◎羅や水の音へと褄をとる はるか
宮裏は深海の色四葩咲く 千種
勝ち馬の黒目にうつる飼育員 としゑ
神池を楽園として蜻蛉生れ はるか
◎参道を雲より白き夏帽子 月惑
杜涼し鉄扉の奥の小さき井戸 和子
短夜の兵書きし文今生へ 慶月
◎英霊が幕ふくらます大南風 毱子
神域の病葉ならば諾へり はるか
◎新緑へ高角砲は邪気を吐き 月惑
榊枯れあぢさゐの濃く揺れゐたる 和子
羅の黒アッツ島遺族夫人 慶月
更衣白対白の九段坂 月惑
緑蔭は恐ろしきかな日章旗 要
少年やリュック枕に三尺寝 和子
◎風見鶏茅花流しをやり過ごす 要
蜻蛉生る水漫々と張る朝 佑天
宮新樹上枝に綿の雲架かる 真知子
手鏡の吾の顔小さし青嵐 千種
内濠の濁りに生るる夏の蝶 要
戦友の植樹万緑静かなる 軽象
◎越後上布召す靖国の茶会なら 晶文
苗運ぶ乙女の湯文字眩しかり 幸月
護送車の静かに木下闇進む はるか
今生と永遠を繋げる風薫る 伸子
紫陽花の青が首振る憲兵碑 慶月
残り鴨鯉より速く餌を奪ふ 軽象
黄赤黒生きる遅速を桜の実 毱子
蜻蛉生る鉄条網の空青く 和子
◎羅や水の音へと褄をとる はるか
◎黒南風や俄かに騒めく神の池 月惑
◎宮裏は深海の色四葩咲く 千種
◎大君の濠を撫でたるあめんぼう 俊樹
新緑や生きる想ひの起こりけり 軽象
神池を楽園として蜻蛉生れ はるか
水馬生れて蹴散らす神の鯉 要
◎杜涼し鉄扉の奥の小さき井戸 和子
城門の若葉明るく影揺るる て津子
英霊が幕ふくらます大南風 毱子
たかんなや獣のごとき皮ぬくし 真知子
羅の黒アッツ島遺族夫人 慶月
我が輩の腕に血を吐く蚊を打てば 俊樹
緑蔭は恐ろしきかな日章旗 要
己から抜け出す己蟬の殻 幸月
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mattiさんのご依頼でアイドル #PinkySpice さんのメンバー6名描かせていただきました😃 48mmデザイン・シール印刷入稿まで。 できるの楽しみです! 応援のいいねリツイートお願い致します😇 #蒼以みるか #大塚れな #音咲あやね #神木祐希 #花村かれん #綿雲えり #イラスト #絵 #似顔絵 #Illustrator #illustration #illustrations #ビックリマン https://www.instagram.com/p/CktIDzCPNOg/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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おはようございます。7/31 水曜日の大阪、8時過ぎの空は、綿雲浮かぶ青空です。京阪神はカンカン照りで夕立なく。日本海側で雨がパラつくも午後には晴れ間が。大阪は現在既に30℃に達し、最高は38℃の酷暑予報…。今日乗り越えると明日の朝は空気サラッとしそう。今日もよい1日を。 #ohayo #sora
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リップのお話@2024/06/12
過去のリップのお話
💄2021/12/30
💄2022/03/31
💄2022/10/21
💄2023/08/24
💄2024/01/21
意外と細々と続いてきたこの手持ちリップ紹介、今回の投稿を以て最後となります……た、多分。
と言いますのも散々様々な製品を買っては失敗してきたリップ集めの最適解が出せてしまったからです。「もうこれがあれば色々買い漁る必要がない」逸品を確保できてしまったため、これまでの様な乗るか反るかの博打する必要がなくなりました。
リップモンスター、11本
上段左から03【陽炎】・04【パンプキンワイン】・09【水晶玉のマダム】
中段左から10【地底探索】・11【5:00AM】・14【憧れの日光浴】・15【綿雲33000ft】
最下段左から16【100億haの砂海】・109【6:59PM】・110【闇夜のファンファーレ】・EX-1【忍ばせイエロー】
美容垢やらコスメ垢やらの方々はPCガン無視で全色買いしたりするので、11本なんて誤差みたいなものですが。過去の投稿を見直したところ2021年の時点で持ってはいたのですが、然程良さを理解できておらず評価が高まったのはここ最近だったりします。
スウォッチは割愛いたしますが……16【100億haの砂海】のターメリック爆盛りカレー色サンドベージュ(※サンドベージュは公式HPに記載)が本当に良すぎて。イエベ秋以外誰が使うん?なカラーを定番色に据えられている事実が嬉しくて嬉しくて言葉に出来ないのでこちらに綴っています。しかし……11本のうち廃盤色が1本、限定色が2本で使い切ったら今生の別れとなるのが現時点でめちゃくちゃ辛いです、また買いたいのですが……忍ばせイエロー、ストックしなきゃ……。なお、まだ02【ピンクバナナ】と07【ラスボス】辺りを増やしたいと考えているのですが、それより先に再販分3本も買いたいです。112【真夜中の褒美】、買えなかったんだよなぁぁ……使用期限?は?何?はァ!?!?!?
このリップモンスター、発売後すぐにリップ業界を席巻したわけですが勿論持っていない人も少なからずいます。コスメ大好き人間の姉がそうだったのもまぁまぁ驚いたのですが、美容系YouTuberのマリリンが割と最近まで持っていなかったとのことでびっくりでした。いやぁ、一時期はどこ探しても売っていなかったんでね……。
……どうでもいい話は置いといて、リプモンの魅力を当方の主観100%で語りますと、まず発色がいいことがまずひとつ。めちゃくちゃシアーで何度も塗らなければまともに発色しないリップもあるのですが、リプモンは一回で見たまま発色します。最高です。
ふたつめは乾燥しないこと。リップクリームも塗っていない起き抜け状態のリップにもしっかり艶と潤いを与えてくれるのですが、これがまた長持ちするんです。縦じわにならないリップ、ラブが過ぎます。
そしてみっつめは色持ちがよいこと!!本当に落ちませんし、色移りもしません。塗った直後に唇を擦り合わさずしばし放置するとリップが定着するそうですが、私は普通にんまんまやっています。
よっつめは無味無臭であること。唇は鼻の真下なので、ここに苦手な匂いが乗っかったりするともう地獄ですわよ!!お酒はぬるめの燗がいい、リップは無臭のリプモンでいい。なぁて。
いつつめは鋭角斜めカットであること。リップが鈍角斜めカットだったり容器に対して垂直なカットだったりすると中々塗りにくくて……唇の山がうまく縁取れないのですが、リプモンは結構綺麗に山が塗れるので地味に時短コスメかもしれません。
そして最後に……上記の条件を兼ね備えた上でU2,000円で購入できるお値打ち商品であること。この機能性の高さで定番色は1,540円てのは余りにもお得ですよ(限定色でも1,760円です)!マキアージュのリップ1本のお値段で2本買えるのです。
リプモンの所有数と反比例して数を減らした、リプモン以外のリップ達です。一時期はブラウザゲームのパズルのように様々な向きで組んだ上で2段にして格納しておりましたが、リプモンの侵攻によりその数を大きく減らしました。
左端のセザンヌのラスティング リップカラーN 105は鰹の血合い色が肌にしっくり来るんですわ……もしかしたら他のブランドでも似た色があるかもしれませんが、いかんせん安いのでこちらで十分ですし、リプモンと異なりツヤ感は皆無ですがまぁまぁ色持ちするので使っています。ブラウンリップとカテゴライズされる製品の中では黄みは弱めで赤みが強いです。
その隣のCelvokeのディグニファイド リップス 25は姉からの貰い物でバキバキのパッションピンクなんですが、透け感があるので下に仕込む色によっては使えます。ただ、そうまでして使いたい理由もないのでどうするかなぁといった具合ですね。
真ん中に置かれているちふれのリップスティック Y 751は色が暗めかつ黄みのある上品な茶色なんですが、マットタイプの宿命か乾燥と色移りが気になるんですよね……乾燥からの皮剥けも少しあります。色は最高なんですけどね!!本当に!忍ばせイエローとの相性もよく、ビターチョコレートのようなこっくりしたブラウンリップが完成します(私の場合)。
右から2番目のリップはNARSのエアーマット ウルトラリップティント 317です。誕生日プレゼントとして交際相手からいただきました。SEX KITTENってどういうネーミングセンスなんだよ。かーーーなり甘い匂いがするので、食事に行く際はお勧めしません。あと私だけかもしれませんが凄まじく歯紅します……何故。液は粘度低めでサッと塗ることができ、塗って少し経つと艶が消えマットに。小さい砂粒のようなシャリシャリ感含め、使用感はセザンヌのウォータリーティントリップ マットに似ています。ティントと名がついていますが色持ちは普通ですかね……食事のあとは普通に落ちています。ただ、普段プチプラばかり使っている身としてはデパコスを手にしている事実だけでブチ上がれますので、大事に使います。
一番右はKISSME FELMEのリップライナー 02ですが、最近あまり使っていないですね……明日にでも使いますかね~。
そんな感じのリップのお話でした。なお、結局リプモン02買っちゃいました。是非もなし。
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【グルメ】軽めでお手頃な値段、朝食向きの惣菜パン
【この記事のポイント】
・河口湖最終日の朝食は前日に綿半スーパーセンターで購入しておいた惣菜パン、値段も安くカロリー控えめで健康的
2泊3日の河口湖最終日、今日は天気には期待でいない予報でしたけど、果たして富士山は見えるだろうか。
お、雲は多いけど富士山はくっきり。
3日連続で富士山が見えるなんて、ラッキーこの上なし。
朝食は、昨日行った綿半スーパーセンターで購入したパン。
確か過去にもこのゴマとクリームチーズのパンは食べたことがあるはずで、もう一品のハムチーズのちぎりパンは初めてじゃないかな。
どちらも200円もしないもの、カロリーも250Kcal未満と身体にも優しいんです。
製造している会社をみると、「有限会社…
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【生育日記】田植え3日目・最終日(あきたこまち)
↑今日は田植え最終日。あきたこまちを植えました。雲ひとつ無い田植え日和。昨日やおとといの不安定なお天気がうそのように晴れました。
↑ここが最後のあきたこまち田んぼ。ここを植えれば田植え完了です。午前中の作業を終えたので、午後からがんばるでぃー!
↑そして午後イチで作業再開!秋田駒ヶ岳を眺めながらの田植えとなりました。
↑あきたこまち苗と田んぼと秋田駒ヶ岳。
↑まだ記事にはしていませんが、超困難なマシントラブルが相次ぎ、田植えが間に合わないかもしれなくてどうなることかと思いましたが、無事田植え完了しました!いがったなや~!(秋田弁:よかったな~!)
これから毎日水管理パトロールして、稲の成長をお助けします。田植えは終わったけれど、稲作は始まったばかり。美味しいお米をお届けするため、秋田黒猫屋がんばるでぃー!
■■■おまけ■■■
↑今日の現場監督はにゃむちゃんです。だっこされて見つめ合うふたり。
↑カメラ目線いただきました。
↑いつもはばばと一緒に田んぼまで歩いてくるのだけど、今日はばばが先に出発したため置いて行かれたので、軽トラに乗せられてここまで来ました。軽トラワープしたのでご不満&不安なにゃむちゃん。だいじょぶだよ、とお膝に乗せてあげました。
↑綿毛とにゃむちゃん。
↑ばばになでなでされて、落ち着きを取り戻してきたにゃむちゃん。
↑キリッ。
↑たまにはじじのおけつにも密着24時。
↑肩乗りにゃむちゃん。
↑ここから午後作業。草刈りしているばばに密着24時なくまちゃん。お昼寝から目覚めて、ばばと一緒に歩いてついてきました。川側の田んぼはおうちから少し距離があるところなのですが、徒歩(かち)より詣でけり。肉球鍛えちゃった。
↑秋田くまヶ岳。
↑にゃむちゃんも歩いてついてきました。
↑にゃむちゃん、ばばが刈った草むらで涼む作戦。
↑ギロリ。
↑にゃむちゃん「ここ、すずしーです。」
↑くまちゃん「ここ、すずしーです。」
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四篇 上 その四
義経の自慢話を、聞くとはなしに聞いていると、いつのまにか、大雲寺に着いた。
ここは、甘酒が名物だ。
義経らは、示し合わせて、この茶屋で休んでいくようだ。
弥次郎兵衛と北八は、先を急ごうと、ここを通り過ぎていく。
弥次郎兵衛が、一首詠む。
いや高き お寺の前の 名物は これも仏に なれし甘酒
(仏に始終接して馴(な)れている尼と、熟(な)れている甘酒をかけている)
この辺りから日も傾きだして、日暮れ近くなってきたので、急いで行こうと疲れている足を速めて、たどり行く道すがら、北八が話しかけてきた。
「おい、弥次さん、なかなか、道がはかどらねえな。」
「まったくだ。おおいにくたびれた。」
北八が、考え考えながら、なお話しかける。
「昨日は、中ぐらいの宿に泊まったが、今夜は、こうしようじゃないか。
おれが、赤坂まで、先に行って、いい宿を取っておこう。
お前は、後から、ゆっくりくればいい。宿から迎えの人を出しておこう。どうだね。」
弥次郎兵衛は、思わず立ち止まって、
「おお、それがいい。しかし、宿はどうでもいいから、いい女の泊まっている所にしろ。」
「ぬかりはねえ。」
と、といいながら、北八は、駆け出して行く。
弥次郎兵衛は、その様子を見ながらゆっくり歩いていく。
まもなく、御油(ごゆ)の宿場についた頃には、あたりはすっかり暗くなってしまった。
宿場の両側より出くる、宿の泊め女は、いずれも木綿を被って、顔を白く塗っていて、しかも袖を引いてうるさいので、弥次郎兵衛は、足早にやっとのことで通り過ぎ一首詠んだ。
その顔で とめだてなさば 宿の名の 御油るされいと 逃げて行ばや
(面を被ったような真っ白い顔で、引きとめられても、この宿場の名のようにごゆるしくださいと、逃げていく。)
弥次郎兵衛は、あまりに疲れてきたので、この宿場の外れにある茶店で休むことにした。
この茶店の婆さまが話しかけてきた。
「はい、まずは、お茶、おあがりなさいませ。」
弥次郎兵衛は、お茶をすすりながら、
「すまんが、赤坂の宿場までは。あとどのくらいあるのかな。」
婆さまは、卓に手を置きながら、
「お~い、と、叫んだら聞こえるほどじゃが、お前さん一人なら、この宿場に泊まって行ったほうがいい。
このさきの松原には、悪い狐が出て、旅人がよく化かされますのじゃ。」
弥次郎兵衛は、ちょっと顔をしかめて、
「そりゃ、気が向かない話だが、ここへ泊りたくても、連れが先に行ったから仕方がない。
ええい、急いで行けば、たいした事じゃねえ。ごちそうさん。」
と、茶代を置いて、ここを出て行く。
茶屋の婆さまの言うとおり、暗いことはこの上ないほど気味が悪い。
狐になぞ、化かされるものかと、歩いていくと、はるか向こうから、狐の鳴く声が聞こえてきた。
「こん、こ~ん。」
弥次郎兵衛は、思わず立ち止まり、
「そりゃ、鳴き出したぞ。出てくるなら出てみろ。ぶち殺してやる。」
と、威勢をはって、歩いて行った。
さて、北八の方は先のほうを行っていたが、ここまできて、さっき聞いた狐が出るという話を思い出して、もしも、化かされてはつまらないと、やはり弥次郎兵衛と待ち合わせて行こうかと考えを変えて、土手に腰をかけて煙草をすいながら待っていた。
そこへ、弥次郎兵衛が、やってきた。
「おいおい、弥次さん。」
弥次郎兵衛は、声のほうをみたが、薄暗くて、よくわからない。
なんとなく、北八のようにも見える。
「おや、お前、なぜ、ここにいる。」
「いやなに、宿を取りに先に行こうかと思ったが、ここには、悪い狐がでると言うので、やっぱりいっしょに行こうかと思って待ち合わせた。」
と、北八がいうと、弥次郎兵衛は、はたと気づき、さては、こいつは北八に化けた狐だなと思い、ここで弱みを見せてはいけないと、
「くそ食らえ。そんなに、簡単に騙される俺じゃねえ。」
と、啖呵をきる。
北八は、戸惑いながらも、
「おや、お前は何を言ってるんだ。まあいい。どうだ、腹が減ってるだろう。
さっき餅を買ってきたから、食べないか。」
と、餅を差し出すと、弥次郎兵衛は、餅を見ながら、
「馬鹿いうな。馬ふんが、食えるもんか。」
「ハハハ、俺だ。北八だ。」
「何が、俺だだ。確かに北八にそっくりだ。
よく化けてるが、そんな事じゃだまされない。」
と、弥次郎兵衛が、北八に飛び掛る。
「アイタタタ。弥次さん、やめてくれ。何をする。」
「どうするかだと。勿論、打ち殺してやるのだ。」
弥次郎兵衛は、突き倒した北八の上にのり、がっちり押さえにかかる。
「痛い。痛い。」
弥次郎兵衛は、叫んでいる北八に、
「痛いか。なら、正体を現せ。」
と、尻に手を回す。
「なんだ。弥次さん。尻へ手をやってどうするんだ。」
「決っているだろう。尻尾を出させるんだ。出さなければ、こうしてやる。」
と、三尺手ぬぐいをとき、北八の手を後ろ側にまわして縛る。
北八は、痛いながらも、おかしく思い、わざと縛られていると、弥次郎兵衛が、
「さあさあ、さっさと歩け。」
と、北八を後手に縛って、後からおったてて、まもなく、赤坂の宿場に着いた。
さて、この宿場では、すでに旅館には客を泊めてしまってしまっているからだろうか、どの旅館からも女中が出てきていない。
弥次郎兵衛は、旅館からの迎いの人が出てきているんだろうと、その辺りをうろうろしていると、
「おい、弥次さん。いいかげんにこれを、解てくれよ。格好悪い。
回りの人がきょろきょろ見ているわ。」
と、北八が言う。
弥次郎兵衛は、そんな北八を無視して、
「ふん。はてさて、宿はどこだろう。迎えの人が出ていると思うんだが。」
「俺が、ここにいるのに、どうやって、先に宿を取るんだ。」
「まだ、言うか。畜生め。」
と、ぐいっと、手ぬぐいをひく。
その時、向こうから、宿屋らしい男が一人、やってきた。
「あなた方は、当宿に、お泊りのお方ではございませんか。」
弥次郎兵衛は、ほっとして、聞いた。
「お前さんは、迎いの人かい。」
「はい、左様でございます。」
弥次郎兵衛は、北八に向かって、
「それ、見たか。この化けぞこないめ。」
と、言って、北八をポカリと、杖で殴る。
「アイタタタ。何てことしやがる。」
宿屋の男は、その様子にびっくりしながら、
「で、あなた様方以外の方は、どちらにおられますかな。」
「なに、私、一人だが。」
宿屋の男は、ほっとしながら、
「いや、これは、間違えました。当方へのお泊りの方は、十人で、ございますから。」
と、足早に行き過ぎる。
弥次郎兵衛は、しかたなく、歩いていくと、ある旅館の店先で、
「もし、お泊りかな。」
と、その旅館の番頭らしき男が、駆け寄ってきて、捕まえる。
弥次郎兵衛は、
「いや、つれのものが、さきへ来たはずなのだ。」
その後ろから、北八が、
「そのつれは、俺だと言ってるのに。」
弥次郎兵衛は、疲れているし、やどの迎えのものもみつからなくて、いらいらしながら、
「ええい、まだ、化けているか。しふとい奴だ。もういいかげん尻尾を出せ。
いや待て待て、あそこに犬がいる。」
と、目に付いた野良犬を呼びつけて、北八にけしかけようとする。
「なんと、犬が来ても、平気で居るとは、よっぽどの狐か、それとも本当の北八か。」
北八は、
「何度も言ってるじゃねえか。ふざけるのも程がある。」
弥次郎兵衛は、
「ハハハ、悪い悪い。さあ、お前の所へ、泊まろう。」
と、やっと、北八の戒めを解いて旅館に泊まることにした。
「さあさあ、お入りなさいませ。それ、お湯をとってこい。
すぐに、お部屋へ案内します。」
と、宿屋の亭主がいう。北八は、
「ああ、とんでもないめにあった。」
と、足を洗う。その間に女中が二人の荷物を、座敷に運んでいく。
二人は、部屋に入ると、
「いや、北八、勘弁してくれ。俺は、本当に狐つきだと思ったんだ。」
「ふん、ばかばかしいめにあったもんだ。今だに、手首がヒリヒリする。」
弥次郎兵衛は、その様子を見ながら、
「ハハハ、しかし、待てよ。そう言っても、どうもしっくりこない。
やっぱり、化かされていいるんじゃないだろうか。どうも、落ち着かない。」
と、パンパンと手をたたき、この旅館の亭主を呼びつける。
「はい、お呼びなされましたか。」
弥次郎兵衛は、
「ちょっと、聞きたいんだが、この宿場はなんと言うところだ。」
亭主は、不思議に思いながらも、
「はい、赤坂宿でございます。」
北八は、
「弥次さん、まだうたがってるのか。ハハハ。」
と、弥次郎兵衛をみる。
「いいや、まだ、ごまかしているようだ。」
と、いいつつまゆげをぬらして、
「御亭主さん、もしかすると、ここは、墓場じゃねえか。」
この言いように、亭主はびっくりして、
「な、なにをおっしゃる。」
北八は、手を叩いて、笑っている。
「ハハハ、面白い。」
そのうち、女中がやってきて、
「お風呂の準備が出来ました。」
北八が、
「さあ、弥次さん。湯に入って、気を落ち着けるがいいよ。」
弥次郎兵衛は、ますますかたくなに、
「ちくしょうめが、肥溜めに入れようと思ってるな。その手をくうか。」
亭主は、変に思いながらも、
「いえいえ、湯は清水でございますから、奇麗です。ぜひ、おはいりください。」
と、そそくさと部屋を出て行く。
つづく。
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