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#自閉症の支援
omamenoblog · 6 months
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おまめ一年生終了
こんにちは☻おまめママです☻ 今日は一年を振り返る… てかもう1年生終わり?? あっという間過ぎて実感がまだない お正月あたりから春休みまで一瞬でした… 最後のイベント学習発表会 最後の集大成ということで 歌とセリフ合奏という結構ボリューミーなイベント 先生からは練習も前向きに参加していると聞いていたので 楽しみにしてました!! そして当日 頑張ってはいました! 自分ができることをやっていたし なにより30分ほど自分の場所から動かず参加できるなんて 入学したときには考えられなかったし ただ保護者が入ると緊張してしまったのか 当日始まってから最後までずっと下を向き続け ビデオも撮っていましたが終始高頭部のみ(笑) 私達も期待が高まっていたのもありますが… 一回ぐらいは正面向いてほしかったな まあでもしっかり参加できていたのでそこはおおいに褒めました …
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triflingdoodle · 24 days
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在日をやってると100
 最近、文章やスピーチをお願いされることがチラホラとあって、内心、「僕なんかに依頼して大丈夫なのか」と戸惑いながらもせっかくだしと引き受けては後になって後悔するというのを繰り返している。
 自分で読み返すと、語彙力も無いしなんて程度の低い感想文なんだろうと思うし、後になってあれも書けなかったこれも書けなかったと気が付いて反省することが多い。
 このブログでもシェアしたけれど、関東大震災の朝鮮人・中国人虐殺から99年目の2022年の9月1日にはGQ JAPANに「関東大震災朝鮮人虐殺事件から99年目──僕たちは差別を止める側、弱者を助ける側に回れるのか?(https://www.gqjapan.jp/culture/article/20220901-great-kanto-earthquake-massacre)」というコラムを書かせてもらった。2年経ったいまは在日クルド人をターゲットにしたヘイトスピーチがかなり危険ところまできていて社会はなかなか良い方向に進まないなと暗い気持ちになってしまう。  過去も現在も未来も、あの問題もこの問題も繋がっているというのがわかるようなのが書きたいなと思いながらなんとか書き上げて掲載してもらえたけれど、読み返すと、あのこともこのことも書けなかったし書くべきだったなと密かに反省していた。特に虐殺された中国人や社会主義者のこと。虐殺された社会主義者のことは僕の記事では完全に抜け落ちてしまっているし...。まとめて語られがちだけれど、数の多い朝鮮人の話がメインで語られる傾向があるけれど、そうなることでみえなくなっていることがある。虐殺された中国人ついてはぜひ @fukuyoken3daime さんのツイートの連投を読んでみてほしい。 (https://x.com/fukuyoken3daime/status/1830043385396342866)
 今年はいまのところ、2つのコラムを書かせてもらっている。一つは8月6日に発売された、広島から平和を希求するマガジン「TO FUTURE ZINE 2024 -ISSUE 18-」で、2023年と2024年の入管法改悪についての文章を書かせてもらった。もう一つは、先日開催された「スナック社会科横浜映画祭#2 特集:飯山由貴」の配布資料に掲載される文章。
   TO FUTURE ZINEの方はネット(https://online.recordshop-misery.com/items/88231992)で購入可能です。「スナック社会科横浜映画祭#2 特集:飯山由貴」の方ですが、公開して良いとのことなのでせっかくなので掲載しておこうと思います。作品をすでに観た人もまだ観たことない人も少しだけ違う視点をで作品を観れる文章が書けたらいいなと思いながら書いたけれど、読み返すとやっぱり上手く書けていないなと思ってしまって、あちこち手直ししたい気持ちになってしまう。でもいまそれをする時間の余裕もないのでそのままにしておきます。 
無題(スナック社会科横浜映画祭#2 特集: 飯山由貴映画祭 によせて) 
初めて飯山由貴さんの作品を観たのは、2022年10月15日、16日と京都の龍谷大学響都ホールでの「オールドロングステイ」の上映会に実行委員会の一人として参加させてもらった時だった。 
ヘイトスピーチデモのカウンター行動で知り合った友人が、 僕が入管収容の問題に関心を持ち 大阪入管に収容されている人たちや一時的に収容から解放された仮放免の状態で生活してい る人たちの支援をしていることを知っていて映画に興味があるのではと声をかけてくれた。 
入管の被収容者や仮放免者を支援するようになって、 難民、 犯罪等で在留資格を取り消され た人、 技能実習先から逃げ出すなどさまざまな理由で非正規滞在となりそれが発覚し収容され た人、ほんとうにいろいろな人と出会ってきた。 いつも支援をしながら 「特別永住」という在留 資格で生活する自分の状況と彼ら彼女らの状況を照らし合わせて考えてしまう。 
支援を始めてすぐの頃、「永住者」 が犯罪で在留資格を取り消され退去を迫られている現実に 衝撃を受けた。「日本にしか生活基盤がない人に帰れってどういうこと?」 という僕の素朴な疑 問は世間一般の日本人にはなかなか理解してもらえない。 
難民が入管に強制的に収容されているというのも衝撃だった。 「特別永住」の在日朝鮮人の 中には戦後、政治的な迫害(済州島四・三事件など)から逃れるために「密航」してきた人たちも いる。 元技能実習生の面会では彼らが戦前戦後の朝鮮人労働者の状況と重なった。 
特別永住の資格ができる狭間で在留資格を得られなかった韓国人の老夫婦の帰国の支援を したことがある。 最初は「密航」で日本に来日し、親戚を頼って生活していたが、あるとき摘発さ れて大村収容所に収容され強制送還となってしまった。 「特別永住」の資格ができたあとに観光 で来日し、在留期限が過ぎた後もオーバーステイのまま滞在しずっと大阪でひっそりと生きてた という。 僕と出会った時の夫婦の年齢は80歳前後。 病気で倒れるまで現場作業でバリバリ働 いていたけれど、 非正規滞在のため健康保険も非加入で公的支援も何も受けられず、どうにも ならないと帰国することになってしまった。 1度目の強制送還がなければもしかしたら 「特別永 住」を取得する道もあったんじゃないだろうか。 僕よりも長く (最初の来日から数えると50年 以上)、ただ働いて生きてきただけなのになぜ医療も生活保護も受けられず日本から追い出さ れないといけないのかいまだに理解ができずにいる。 
日本人と外国人の間に引かれた線、 特別永住の外国人とそれ以外の外国人の間に引かれた 線、 永住の外国人とそれ以外の外国人の間に引かれた線、 あちこちに引かれた見えない線がほ んとうに正しいのか社会に問いかけるにはどうしたらいいのか。 そういうことを日々考えてい たときにたまたま観ることになった「オールドロングステイ」は大きなヒントをくれたように感じている。  外国人登録令による日本国籍喪失とその後の参政権や社会保障からの排除、 民族教育を否定 する通達、日本国憲法の制定過程など植民地主義を根にするさまざまな問題、ハンセン病療養 施設における朝鮮人差別と格差是正運動、 帰化制度における差別、 在日朝鮮人の中の障害者差別など、 在日であり障害者であることで受ける差別の背景に広く深く迫ることで引かれた線を次々に可視化しているのが良かったし、普段はなかなか可視化されない声なき声を描くのに、安易にわかりやすくして伝えない、受け手の本気度が試されるような表現の仕方もおもしろいと思った。  その後に観たのは、戦前に都内の私立精神病院に入院していた2人の朝鮮人患者の診療日 誌のことばをモチーフに、ラッパー・詩人の FUNI の声と身体で映像化した作品「In-Mates」。 この作品は東京都の指定管理施設「東京都人権プラザ」で開催された企画展「飯山由貴 あな たの本当の家を探しにいく」 (2022年8月30日~11月30日) において上映が禁止とさ れて大きな話題となった。 (詳細は記事を参照→東京都人権部による飯山由貴 《In-Mates》上 映不許可事件は、何を問うのか https://t.co/7fk561FzCn )
上映禁止について語られることが多いこの作品。 自分自���が在日朝鮮人であり、さらには父 親がアルコール依存症で精神科病棟に強制入院となってその中で死亡していること、そして、今 現在、入管の収容施設に強制収容されている人たちや、仮放免という身分で一時的には外に出 られたものの、 就労も、 健康保険加入も、移動の自由も制限され、ほとんど何もできない生活を 強いられている人たちの支援をしていることもあって、 強く心を打つ作品となった。 患者 A、患 者Bの生きてきた環境やそれによって形成されたアイデンティティを想像すると言葉にならな い感情が湧いてきた。 
入管の被収容者や仮放免者の支援をするようになって”自由”に対する感覚が随分とかわっ た。 アクリル板の向こう側、 握手すらできないところで何ヶ月も何年も小さな部屋に閉じ込めら れている人との会話。 仮放免された瞬間の表情としばらくして就労もできず結局は自由がない 生活に苦しんでいる表情。 
「In-Mates」のエンディング、ニーナ・シモンの「I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free」は支援で出会った人たちの表情を思い出してしまいとても重かった。 
無いことにされてしまっている声、 叫びに気付き可視化していく飯山由貴さんの作品。 この先も追いかけたい。
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ari0921 · 2 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024年)7月30日(火曜日)
     通巻第8348号
JD バンスの『ヒルブリー・エレジー』がドイツで印刷禁止となった。
イーロン・マスクの長男は女性転換手術。「おかしな風潮に殺された」と嘆いた。
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1933 年、ナチスドイツはユダヤ人や左翼作家が書いた書籍をドイツ全土で焼却した。出版社に対して、増刷も禁止した。理由は「ドイツ国民の精神を堕落させるからだ」とされた。
 ドイツでは極左が出版に目を光らせ、編集者や出版社は、保守派やリバタリアン派の見解を持つ人々を危険な見解や偽情報の発信者としてブラックリスト化している。
 トランプのランニングメートとなったJD バンスのベストセラー『ヒルブリー・エレジー』がドイツで印刷禁止となった。
ウルシュタイン・ブック 出版社が『ヒルビリー・エレジー』 ドイツ語版の増刷を中止したのである。
同社は声明をだし「JDバンス氏がトランプ氏とその政治に忠誠を誓っている。出版当時、この本は米国社会の分裂を理解する上で貴重な貢献をしたが、最近は積極的に扇動的で排他的な政策を主張している」
JDバンスの『ヒルブリー・エレジー』は、アメリカで2016年に初版が出版され、2020年に映画化された。副大統領候補に指名されるや、ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストのトップに返り咲いた。日本でも翻訳が出て(光文社文庫)、大ベストセラーとなっている。
 
 ドイツでは増刷禁止となっても市場には出回り、また古本市場は健全、そのうえ多くのドイツ人は英語をよめるから、この増刷禁止は左翼の嫌がらせでしかない。
 このような左翼の出版妨害はトランスジェンダーに関する書籍を対象にもなされており、事実、日本でもKADOKAWAが妨害を受け、版元が交替する事件があった。
これは『トランスジェンダーになりたい少女達』(アベゲール・シュライヤー著。産経新聞出版)をめぐる事件だ。
 下記は拙著『悪のススメ』(ワニブックス)の253pから。
 「アメリカは少女たちがトランスジェンダーになりたいという変な流行の渦に巻き込まれている。極左や活動家がヘイトだと攻撃する理由は『トランスジェンダーの人権』であり、精神的におさない、自閉症気味の少女が狙われる。自分の精神的な不調は性別違和が原因だと思い込む。SNSが吹き込む、セラピストが煽り、場合によって教員までが同調する。
 最悪の先導者がユーチューバー、TIKTOKにおけるインフルエンサーという存在である。ネットで社会破壊、家庭破壊を狙う悪魔たちだ。
前掲書の監訳者、岩波明(医学博士)がいう
 「かつて『性同一性障害』と呼ばれた『性別違和』という現象(症状)は、自分の生物学的性別に激しい不快感、嫌悪感をもつもので、通常は就学前、あるいは小児期にこれを自覚する」。医療における問題点に六ヶ月という制限はあるものの、「殆ど横断面だけの症状で診断が可能になる」という大きな欠陥がある。少女がもし手術を受けてしまったら、その一生はどうなるのか? LGBT推進など少数派でしかないのに極左メディアが支援するため、過大な声となっている現実をわたしたちは直視する必要がある」。
 少女ではなく、イーロン・マスクの長男は女性転換手術を受けた。マスクは「おかしな風潮に殺された」と嘆いた。
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kennak · 21 days
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ちょっと前に「障害者は障害者雇用行けや」という話があった気がします。まあ障害者雇用で自立した生活を営むのはわりと難しいのですが、僕は障害者雇用と障害年金と同居している彼女の障害年金で生計を立てることができております。 上記の通り多少特殊な生活形態ではあるものの、何かの参考になるかもしれませんので、僕たちがどうやって糊口を凌いでいるか書いてみます。 家計 収入 バイト 40,000円 障害厚生年金3級 (増田) 50,000円 障害基礎年金2級 (彼女) 65,000円 計 155,000円 支出 家賃 35,000円 水道光熱費 15,000円 食費 50,000円 交通費 10,000円 通信費 10,000円 保健医療 5,000円 その他 15,000円 計 140,000円 どんぶり勘定なので正確な計算はできていませんが、めちゃくちゃ間違っているということはないと思います。 家賃がやっすいのがでかいですね。地方都市の狭いアパートに二人ひしめき合いながら生活しています。一般的な感覚ではとてもではないでしょうが暮らしていくことはできないだろうなあと思います。でもお互い適当なのと性格の相性もあってか、致命的な不自由はなく過ごせています。 食費をもうちょっと抑えられたら楽になりますね。ただ、僕も彼女も安定的に家事をするというのが大変難しいので、出来合いのものを買うことが多いです。近所の4割引スーパーに感謝です。(追記:フードシェアリングにも助けてもらっています!) 精神科への通院もありますが、自立支援医療制度のお陰でかなり安価に済ませていただいています。ありがとうございます。 労働 僕は障害者雇用のパートで週10時間程度働いています。農業のお仕事です。といっても特例子会社などではなく、慈善事業のような形で障害者雇用を進めている小さな会社です。人は少なく仕事は多く夏は暑く冬は寒いのでなかなか大変ですが、人間関係は良好です。障害者と健常者という垣根を感じることもなく、皆楽しく仕事をしています。あと同人活動的なことをやっているので多少のおこづかいが生まれます。 彼女は無職です。以前は楽器の先生をやっていたのですが、コロナで教室が閉まってからは労働収入が途絶えています。 障害 僕にはASDと躁鬱があります。ASDとは自閉症みたいなやつです。これのためか人間関係が壊滅的にダメで、今まで縁してきた皆様には不快な思いをさせてしまったかと思います。すみません。しかしこれは自覚と鍛錬があれば技術的な操作で多少ごまかすことはできるようです。今の職場ではかつてのような大きな衝突もなく働けているので、ある程度は何とかごまかすことに成功しているんじゃないかと思います(もしかしたら職場のみなさんがだいぶ我慢してくださっているだけかもしれませんが……)。 躁鬱の方はなかなかにはっちゃけています。ほっとく���知らん人に声掛けてご飯奢ったりカラオケ行ったりし出します。いやお前ASDじゃんという話もありますが、長年の功夫により身につけた健常者の擬態と、軽躁状態の特徴的な人柄が微妙なところでバランスを取れているのか、まあまあいろんな人と仲良くなることができました。今の彼女とも軽躁状態の時に付き合い始めました。しかし躁は酷くなると人間関係や預金残高を破壊しますし、後で必ず反動が来るので、極力避けねばなりません。また、薬のコントロールがあってなお安定した出力を保つのは難しいので、フルタイムの労働とかもきついです。短期間ならできなくもないかもしれませんが、決して持続可能ではありません。実際できませんでした。 彼女にはいろいろ重い障害があって、普通に生活することも難しいです。家事や種々のケアなど僕ができないなりにしています。ですが世話をする・されるの関係になってしまわないよう注意しなくてはなりません。お互いが対等であるという共通了解なしに安定した共同生活を営むのは難しいと思います。 支援 今の会社に入る前には、就労移行支援事業所というところに通っていました。これは主に障害者の社会復帰を支援するための施設で、基本的に無料で使えます。毎日決まった時間に起きて、自分で決めたプログラムに参加し、人と話すという訓練を行えます。訓練と言ってもそんな堅苦しいものではなく、簡単なグループワークをしたり、利用者さんたちとレクリエーションをしたりといった、緩いものです。僕のところは希望者でソフトボールやってました。昔野球やってたこともあり結構活躍できたので嬉しかったです。他にも、施設の職員さんと一緒にハローワークの求人を検討したり、気になる職場へ見学に行ったりできます。企業によっては体験就労ができたりもします。該当地域の障害者雇用の求人について詳しく教えてもらえますし、いろんな企業にツテがある場合もあるので、強い事業所はかなり心強いです。 一方で残念なことに、あまり利用者のためを思って事業をしているとは思えないようなところもあるらしいです。こういった事業所を引かないためにも、入所を決める前に一度見学することをお勧めします。また、障害者就業・生活支援センターというところに相談するのもいいかもしれません。これはたぶん厚生労働省がやってるもので、全国各地に設置されており、障害者支援に関する情報が集まっているらしいです。ここで優良就労移行支援事業所がないか相談してみるのも手です。僕は障害者就業生活支援センター→就労移行支援事業所→障害者雇用という流れで今の職場に辿り着きました。 まとめ 僕は障害年金を受給させていただけたり、周囲の人間関係に恵まれたり、そういったいろいろな支援と幸運が重なったお陰で何とか生活できています。しかし、様々な理由により支援の手から零れ落ちてしまった人たちもいると思います。何らかのしんどい境遇に陥ってしまった人たちへの参考になったらいいなあと思い、増田を書かせていただきました。あるいは今は健常者である人も、ふとしたきっかけで障害者になってしまうこともあるかもしれません。その時はまだ社会には頼れるものがあるんだということを思い出していただいて、何とか生き延びていってくださればと思います。最後まで読んでくださってありがとうございました。
実録!これが精神障害者の末路だ!
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tokyomariegold · 3 months
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2024/1/21〜
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1月21日 今日は何もなくなかったけれど、ここに書きたいと思うことが思いつかないくらい楽しい日だった気がする。 1日を振り返れば振り返るほど、ちょっとやっぱり悲しくてつらい?と、思ってしまいそうなので、せっかくの休日にも関わらず集まってくれた友人たちとお茶をして、tealのチョコレートやギモーヴを渡すことができて、お店を出たら雨が止んでいて、3人とも明日の平日もたまたまお休みで、お花屋さんでそれぞれお花を買って、あったかくなったらまた会おうね、と別れた。
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いつまでこうやって訳もなくお茶をすることができるのかな、と考えて少し寂しくなりながら、こう寂しくなる帰り道のために私は人と会っているのかもしれない、と思ったりもした。 修理から戻ってきたカメラで最初の現像を受け取って、なんとか何かが写っていて安心しています。
2日間ロキソニンに頼って体がへとへとなので、楽しかったと思えるうちに今日はもう終わり。 年末に買った干支みくじを思い出して開けてみるとだいきちだった! 今年は本当に大吉なのかもしれない。
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1月22日 振替休日の平日休み。 朝はヨガに行き久しぶりに暑いくらい体を動かしてすっきりした。 月曜日は美術館がお休みで、でも今はそれくらいがちょうど良く、銀座のgggへ出かけてみる。 土曜日にお仕事で障害者支援に携わっている友人と話をしてから、障害って、社会で生活する上での障害でしかなく、ただ外から言い与えられているものだな〜、と、自分にも当てはまるよな〜と、いろいろ考えている。 なので今日は移動中に水野しずの親切人間論を読んだ。 私は身体がしんどくて死にそうな時を発端に通院を始めて、そこで摂食障害と言われて、今も通院中だけれど、今となっては私のスタンダード(になってしまった)を障害と言われてしまい、症状よりそう言われてしまう構図に困ることの方が多い。よくないと言われる食行動を正そうとしていた時はあったけれど、今はその正しさを考えるのが面倒になり、とりあえずこのままやってみて、気が向いたらやり方を変えようかな、程度のところに落ち着いている。 (死なないということを大前提に。)
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銀座は外国の方が多くて、何かふと、中国の人っていつ働いてるの?という気持ちになった。こうやって観光している以外は、ふつーに働いているのだろうけれど。
gggで大原大次郎展を鑑賞。 星野源の存在を久しぶりに思い出した。塩顔?の人? そのあと資生堂の店舗でバレンタインのラインナップを眺め、本社で赤のライブラリーを鑑賞。 土日はいつも閉まっているので行けてよかった。 短時間だったけれど銀座や丸の内を巡って14時過ぎごろ帰宅。 以前は出かけたら夕方まで外にいないととにかく嫌だったけれど、最近はその日の気候や体調に合わせられるようになってきた。 水野しずの、30代女性のプレーンを選べる余裕的なことってこうゆうこと?と歳をとることのメリットを頑張って探している。
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最近全然カレーが美味しくない。 義務すぎているからか食べても味がしない。 でも今日も玉ねぎが安かったので作ってしまった。
今週はとても寒いらしいのでなるべく枯れないようにやり過ごしたい。 銀座のナチュラルローソンの店員のおじさんが八百屋さんみたいなテンションでよかった。
柔軟剤を日本製のものにかえたらとても良い!ユーザーフレンドリーなボトル仕様。適正量を使った洗濯物はふわふわ。
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gifted-blog · 4 months
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子どもの力を信じよう
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保護者支援の際にいつも伝えていることがあります。
それは、もっと子どもの力を信じて欲しいということ。
不登校、発達凸凹、HSC、過敏症などなど、色んな課題や問題を抱える我が子を心配し案じるのは親として当然だと思います。
まだ見ぬ我が子の将来に心馳せるお気持ちも分かります。
しか~し!その時間があるなら、今出来ることに取り組んだ方がいい。
多くの子ども達を見てきて思うのは、子どもってどの子も例外なく力=可能性を��めているということ。
その力=可能性はそれぞれ違ったりするけれど、神様はもれなく生まれてくる全ての命に与えてくれていると思うのです。
歩くことにチャレンジする赤ちゃんはコケてもコケても頭をぶつけて泣いてもチャレンジを続ける。
そして歩くことが出来るようになる。
自転車に乗れるようになる時だってそうだし、大人になって車の免許を取る時だってそう。何度も何度もチャレンジをする。
もちろん向き不向きはあるかもしれないけど、何でも最初から上手くいくわけではない。
子どもの時こそ、色んなチャレンジをして自分の向き不向きを探究すればいいし、チャレンジするからこそ自分の心の反応を知ることが出来、好きやワクワクを見つけることが出来るのです。
そして、た~くさん上手くいかない経験もしたほうがいいと思います。
そんな経験が多ければ多いほど適応する力が育つのです。
上手くいかなくたっていいじゃない!いい経験になったね。
失敗したっていいじゃない!こうすると失敗するって分かったね。
そんな言葉をかけれるように大人達が先ずは器を広げていきましょう。
子どもの力=可能性に蓋をせず、心配の箱に閉じ込めず、邪魔をせず、子どもの力=可能性を信じましょう。
そして、不登校だろうが、発達凸凹だろうが、様々な課題や問題があろうが今出来ることに集中です。
どの子にももれなく力がありますよ。
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reportsofawartime · 11 months
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クリス・ヘッジズ: 私はアルジャジーラのアラビア語放送のスタジオで、ガザ市からのライブ中継を見ています。ガザ北部のアルジャジーラ記者は、イスラエル軍の激しい砲撃のため、ガザ南部への避難を余儀なくされた。彼はカメラを置き忘れた。彼はガザ最大の医療複合施設であるアル・シファ病院でそれを訓練した。夜です。イスラエル軍の戦車が病院の敷地に向かって直接発砲する。水平方向に長く赤色が点滅します。病院への意図的な攻撃。意図的な戦争犯罪。重病人や幼児を含む最も無力な民間人の意図的な虐殺。その後、フィードが死んでしまいます。 私たちはモニターの前に座ります。私たちは沈黙しています。これが何を意味するかはわかっています。力がない。水がない。インターネットがない。医療用品はありません。保育器の中にいるすべての乳児は死にます。すべての透析患者は死にます。集中治療室にいる人は全員死ぬでしょう。酸素を必要とする人は皆死んでしまいます。緊急手術が必要な人は全員死亡します。そして、容赦ない爆撃で家を追われ、病院の敷地に避難してきた5万人はどうなるのか?私たちもそれに対する答えを知っています。彼らの多くも死ぬだろう。 私たちが目撃しているものを表現する言葉はありません。 5 週間にわたる恐怖の中で、これは恐怖の頂点の 1 つです。ヨーロッパの無関心は十分に悪い。米国の積極的な共謀は計り知れない。これを正当化するものは何もありません。何もない。そしてジョー・バイデンは大量虐殺の共犯者として歴史に残るだろう。彼が殺害に関与した何千人もの子供たちの幽霊が、彼の残りの人生につきまといますように。 イスラエルと米国は、世界の他の国々にぞっとするようなメッセージを送っている。ジュネーブ条約を含む国際法や人道法は無意味な紙切れです。イラクでは適用されなかった。ガザでは適用されない。私たちは爆弾とミサイルであなたの近所や都市を粉砕します。私たちはあなたの女性、子供、老人、病人を理不尽に殺害します。私たちは飢餓と感染症の蔓延を画策するために封鎖を設置します。地球の「下等な種族」であるあなたたちは問題ではありません。私たちにとってあなたは絶滅すべき害虫です。私たちはすべてを持っています。もし私たちから何かを取り上げようとしたら、私たちはあなたを殺します。そして私たちは決して責任を負いません。 私たちは自分たちの価値観のために嫌われているわけではありません。私たちが嫌われるのは価値観がないからです。ルールは他人にのみ適用されるので、私たちは嫌われます。私たちには違います。私たちが嫌われているのは、無差別虐殺を行う権利を自分たちに傲慢に主張しているからです。私たちが嫌われるのは、無情で残酷だからです。私たちが嫌われているのは、私たちが偽善者であり、民間人保護、法の支配、人道主義を語りながら、160人の子供を含む毎日数百人のガザの人々の命を奪っているからです。 イスラエルは、数百人の死者を出したガザのアル・アハリ・アラブ・キリスト教病院爆撃容疑で非難されたとき、憤りと道徳的怒りで反応した。イスラエルは、この爆撃はパレスチナ・イスラム聖戦が誤って発射したロケット弾によるものだと主張した。ハマスやイスラム聖戦の兵器庫には、病院を襲ったミサイルの巨大な爆発力を再現できたものは何もない。ガザを取材してきた私たち人間は、このイスラエルの比喩を、不気味なほど何度も聞いてきた。彼らは常にハマスとパレスチナ人の戦争犯罪を非難しているが、現在は病院がハマスの司令部であり、したがって正当な標的であると主張しようとしている。彼らは決して証拠を提供しません。イスラエル軍と政府は息をするように嘘をつきます。 アル・シファで職員が勤務する国境なき医師団は声明を発表し、患者、医師、看護師が「銃撃を受けて病院に閉じ込められている」と述べた。同団体は「イスラエル政府に対し、ガザの医療システムに対する容赦ない攻撃を中止する」よう求めた。 「過去24時間にわたり、ガザの病院は容赦ない砲撃にさらされている。 MSFスタッフが今も勤務している最大の医療施設であるアル・シファ病院複合施設は、産科部門や外来部門を含む数回の攻撃を受け、複数の死傷者を出している」と声明には記されている。 「病院周辺での敵対行為はまだ続いている。 MSFチームと数百人の患者は今もアル・シファ病院内にいる。 MSFは病院への攻撃の停止、即時停戦、医療施設、医療スタッフ、患者の保護を緊急に改めて求める。」 ガザ北部とガザ市にある他の3つの病院はイスラエル軍と戦車に包囲されており、ある医師はアルジャジーラに対し「病院に対する戦争の日」だと語った。インドネシア病院も停電したと伝えられている。国連人道問題調整事務所(OCHA)は、ガザにある36の病院のうち20病院がもはや機能していないと報告している。 イスラエルとワシントンの皮肉は息をのむほどだ。趣旨に違いはございません。ワシントンはただそれを早く終わらせたいだけだ。人道回廊?砲撃は一時停止しますか?これらはガザ北部の完全な人口削減を促進するための手段です。ラファのエジプト国境通過を許可された数台の援助トラック?広報ギミック。目標はただ一つ、殺して、殺して、殺して。速ければ速いほど良いです。バイデン当局者が話しているのは、イスラエルがガザの破壊を終えた後に何が起こるかということだけだ。彼らは、ガザ人が地区南部で避難所もなく野外で暮らし、食糧、水、医療の不足で死に至るまで、イスラエルによる虐殺は終わらないことを知っている。 イスラエルが地上侵攻する前のガザは、地球上で最も人口密度の高い場所の一つであった。北部の110万人のガザ人に南部の100万人以上のガザ人が重なったら何が起こるか想像してみてください。コレラなどの感染症が流行したときに何が起こるかを想像してみてください。飢餓の惨状を想像してみてください。何かをしなければというプレッシャーが高まります。そしてイスラエルは、パレスチナ人を国境を越えてエジプトのシナイ山脈に押し込むことを望んでいる。一度そこに行ってしまうと、彼らは決して戻ってくることはありません。イスラエルによるガザ地区の民族浄化は完了するだろう。ヨルダン川西岸の民族浄化が始まるだろう。 それがイスラエルの狂った夢だ。それを達成するために、彼らはガザを居住不可能にするでしょう。 もしあなたがガザのパレスチナ人で、武器を手に入れられたらどうするだろうか、と自問してみてください。もしイスラエルがあなたの家族を殺したら、あなたはどう反応しますか?国際法や人道法は抑圧者には適用されず、抑圧された者にのみ適用されるとわかっているのに、なぜそれを気にするのでしょうか?テロがイスラエルがコミュニケーションに使用する唯一の言語であり、明らかに理解できる唯一の言語であるなら、あなたはテロで言い返さないでしょうか? イスラエルの死の乱交はハマスを潰すことはない。ハマスというのは一つのアイデアだ。この考えは殉教者の血によって養われています。イスラエルはハマスに豊富な物資を与えている。
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manganjiiji · 1 year
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よくもさわれもしない物事共を
自分用のメモと鍵垢の友人にリプライする用のアカウント(鍵がかかっている)がさんさんたる有様である。というか、具合がいい時はあまりここに書き込むことはないので、畢竟最悪な精神状態の記録がここに残るわけだが、それにしてもこんなメモを残してるやつと友達やりたくね〜〜と思うやばい思考のられつというかもうお祭りだ。全部盛り。大体の友人はミュートしてくれていると思うが(願うが)、これを見てもまだ友達でいてくれる人達ってほんとうにすごいと思う。どこまで人間の善性を信じているんだ。別にうつ状態じゃないとか言いながらずっと死ぬことについて書いていたりするし、自分の人間関係における価値観がいかにやばいかをかなり具体的に書いている。正直見るだけで吐き気がする。なぜこんなことを投稿してしまっているのだろうと思うが、これも体調記録になるので消さない。精神疾患というものはかなり「きつい」。障害者でも、身体障害者、知的障害者は世間の中である程度システムが出来上がっており、もちろんまだ差別は残っている面は多々あるが、それでも話題に上がる。精神障害者はかなり、この点、苦しい。という話を今日友人(後輩)とした。いくら人柄や能力がよくても、週何回出勤できるのかが不安定な精神障害者よりも、週5日必ず出勤できる安定性のある身体障害者や知的障害者のほうが、採用されやすい。それは当然そうだと思う。精神障害者の多くには自殺のリスク、また多くはないが加害のリスクがあるため、雇用側としてはその見極めが難しいと思う。賃貸物件も、精神障害者であることは基本的に大家さんに伝えない。身体や知的障害ならまだいいが、精神障害者には貸せない、という大家さんは多い(不動産屋さんから聞いた感じ、この辺りではそう)。これもやはり物件内で自殺未遂や自殺をされては困るからだ。家賃滞納にもリスクがあるのかもしれないが、一番は自殺されるリスクだと思う。精神障害者(正式には精神障害者という単語はないが)の多くはそれを公にはせず、社会的な関係を築く。精神疾患により障害者手帳を持っていたり、障害年金をもらっていることは、親しい友人(というか、自分の人となりを知ってくれている人)にしか話すことはできない。もしくはかなり障害者に理解のある企業の人事部など、採用関連の方。就労支援施設を利用してスタッフの方に面接に同席していただく場合を除けば、基本的には精神障害者であることは隠して(クローズドにして)おかなければ、採用されることは難しいと思う。そういうわけで、次の面接では病気のことをなんと言おうかなあと少し考えている。持病で、ということと、病名と症状までは聞かれたら言うようにしているが、障害者であることまでは言明しない。でも、アルバイトでも入社してから結局障害者であることを私は明かしてしまう場合が多い。結局嘘をついていることに耐えきれなくなる(※嘘をついているわけではない)気持ちになるし、税控除や、障害者雇用枠になるかどうかの問題もある。一度採用してしまうと解雇するのは難しいので、騙し討ちのような感じだ。それでも私が問題なく勤務すればいいのだが、問題があると(欠勤が続くなど)本当に雇用側が可哀想だなと思う。その場合結局私は退職するのだが、採用に関わる予算や手間・人員・時間がまたかかる。そういう社会の損失を生み出しつつ、私は生きているのだなと実感しています。働かないほうが人に迷惑をかけることは少ないのではないかと思うが、残念ながら私は働いていないと生きている気がせず、容易に絶望に陥ってしまうので、どんな時も就労を目指している。
なぜか仕事の話になってしまったが、私の精神状態の不安定さがやばいという話である。人間関係(友人関係)のトラブルも、そこから始まるうつ状態による希死念慮も絶えない。これは別に私が精神疾患者だからではなく、私の人との付き合い方に問題があるからである。人との距離の取り方の異常性や、人にもとめる愛情の無限さ、飢餓感、孤独感、そういったものが常に私を取り囲んでおり、普段はそういうものを閉じ込めて蓋をして見えないようにして体面良く振舞っているのだが、調子が悪いとこの面の皮が剥がれ、あっという間に攻撃性と被害者意識の塊と化すのである。これはなんらかのパーソナリティ障害に当たるのかもしれない。そういうことを考えると絶望も深くなる。愛着障害にかかわる困難を抱えていることは確かだが、おのれの客観視をもってしても調教できない部分が自分にあることは単純な恐怖だ。なぜかというと、そういう人間にさんざん痛めつけられてきたからで、さらにそういう人間は人に嫌われることをよくわかっているから。人に嫌われるというか、「こいつはもう駄目だ。手の施しようがない」と周囲に諦められることは本当に恐ろしいと思う。怪物として世界の辺境をただむなしく這いずり回って死んでいくだけ。とても悲しいことだと思う。どうすればそうならずに済むのかは、よくわからない。なんとなくこうしておいたほうがいいかな、という勘に従って、なんとなくで進んでいる。気づいたら周りには友達が一人もいなくなっていた、という事もありうる。その恐怖はいつでも目の前にある。あまりにも怖いので、自分はできるだけ邪悪な存在ではないですよ、ということを、嘘をついてでもアピールしている、つねに。この嘘は、私にとっても相手にとっても必要なものだと思うので、罪悪感は無い。
素のままの自分を出せ、と昔、友人にすごく怒られたというか要請されたことがある。それは、素のままの自分を出しても、否定されなかった人だけができる芸当で、たぶん私のような邪悪な人間が素のままを出したら、かなり、かなり危険だし、友達はいなくなると思う。友達を失いたくない一心で頑張ってできるだけ常識のある人の振りをしているので、素のままで行動しろ、と言われると、「できません」となって固まってしまう。程度の差こそあれ、誰でもそうなのかもしれないが。生まれた時から今まで、演技をすることだけで切り抜けてきた。素のままの自分では、あまりにも邪悪すぎて人間社会からはみ出してしまうから。死ぬまで演技をする。これがかなり私の「ストレス」の多くを占めているのかもしれない。
「親にも愛されなかったのに」という、私もどこか血縁神話を信じているふしがあるのだと思う。別に親に好かれなかったからといって、他の人にも好かれないという道理はない。親は私を好きにならなかったが、親以外の人で私を好きになってくれた人は数多く居た。それでも私は親が好きで、しかし親は私をあまり好きではなかった。この片思いの感情が、私の歪みの根幹にある。好きな人に好きになってもらえないことは本当に悲しいことだが、仕方のないことで、この世の中では実に多くあることだ。
私はこの人のこと大好きだけど、この人は私のことそこまで好きじゃないんだなあと思うことはよくある。その度にずたずたになる。面白いくらいだ。でも、その人と関係を続けたいなら、私はあなたのことをそこまで大好きってわけではないですよ、とダイヤルを調節して、相手に気まずさを与えないようにする。気まずさを感じるタイプの人ではない場合はラッキーで、変わらずあなたが大好きですという態度を取り続けても許される、あまり多いことではないが。一番ラッキー大儲けなのは、自分の好きと相手からの好きが同じくらいの大きさの時である。相手からの好きのほうが大きく、私の好きが小さい場合は申し訳なく思うが、その場合は関係を消滅させたり、それ以上仲良くしたりしないようにする。変に仲良くなってから、実はあなたのことそこまで好きじゃない、となると、ダメージが深刻なのは相手のほうだ。私はこれをやられるのがいちばん食らう。すごく仲良くなったと思った相手から「いや、今はもうそんなに好きじゃない」「最初からそこまで好きじゃない」という態度を取られると、また、「やっぱり私は好きな人に好きになってもらうことはないんだ」が発動してしまい、最悪なうつ状態に陥るからである。言うまでもなく、この状態の発動の最初の相手は、母親である。でも繰り返すが、親だからといって、子供を好きになってくれる人ばかりではない。当然、私を好きになれない人間も世の中には一定数いて、母親がそこに当たってしまった。というか、母親は子供全般が好きではなかったので、私より悲惨なのは兄だった。それでも母親は私たち兄妹をよく守ってくれたと思う。好きでもないのに世話をさせられて、本当にかわいそうだったと思う。私は子供全般が好きなので、母親の気持ちは想像が難しいが、そういう人もいるのだ、というのは身をもって知っている。ただ単に興味が持てない。ただ単に味方する気になれない。人間として好きになれない。母には、残念ながら私たちを好きになる才能が生まれつきなかっただけで、母は悪くない。それはそれとして、父親には同情の余地がない。父親はわかりやすく邪悪な人間だった。私の中の邪悪は、完全に父親の遺伝子のせいであり、ということは、父親の邪悪も遺伝子のせいであるので、個人を恨むのもまた違うのかもしれない。私は運良く自分の邪悪に気づき(父親の振る舞いを見て)、それをどうにか飼い慣らすことが出来るときもある。しかし父親は、善良な父母や妹(私にとっての祖父母と叔母)に囲まれ、自分の邪悪さに気づくことができなかった。その邪悪さは40代でピークを迎え、兄や私の心を完膚無きまでに叩き潰した。子供というのは面白いほど無力だなと思った。ただ本当に、自分の根底には父親と同じ思想、同じ思考があると感じるので、父親のようにならないように、ならないようにと念じながら生きている。その試みは30年を越した今、一応の成果を見せている。と、自分では思っている。
正直こんなおもしろくない日記を書いてどうするんだ、という感じだが、まあ思ったことを全部、思った順番で喋っているのがこの日記なので、仕方がない。このように目が滑る日記を読んでくれる人はそんなにいないと思うのだが、全くいないという訳でもないようなので、今日も無駄なことを書いてしまった。私は自分の情報を開陳しすぎるきらいがある、と自分でも思うのだが、一応人に言える範囲のことしか言っていない。ので、安心して読んでください。この日記はフリー素材ですし、いつどこで話題にしていただいても構いません。本当に喋ってはいけないことというのは一応心得ていて、それらは誰にも喋っていません。これからも喋らない。だから「そんなにパーソナルな情報をお出しされても…」と戸惑われてしまう方にはこの日記は向いていないし、正直この程度のことは私にとって全然パブリックの範囲である。こんなふうにきちんと加工して、見映えよく盛り付け、冷蔵および冷凍して保存可能な形にしたもの、これは誰が読んでも大丈夫な文です。これは私が全世界に公開している私の情報です。どのように受け止めてどのように使われても全く問題ない。この程度のことはいくらでも他人に喋れる。ただし、だからと言って「あなたも情報を開陳しろ」と言っているわけではありません、決して。ここまでのことを言う私はまあまあ変わっているというか少数派だという自覚がありますし、ここまでのことを他人に知ってほしいと願うのは、幼児性の発露に他なりません。そのため、普通の人、多くの人は、自分の内情についてここまで公開しない。ただ、私は公開する、それだけの違いです。
自分のことを知ってほしいというよりは、自分の中身を整理する手立てがこれ(他人に語る形式)しかなく、また自分の中身を他人に知られても全くどうでもいいと思っている。自分で加工して見せびらかしている自分の内情などというものは、自分の外見といってもいいくらい、装飾や自己演出に過ぎない。
自分の中の邪悪を排除しようとするあまり、他人の欺瞞やごまかしや甘えの部分、偽りの部分、他人ももちろん演技をしていると知っているが、そういうものが時折許せなくなる。自分を許せるようになれば変わるのだろうか。でも、悪辣な人間にはなりたくない。
2023.10.6
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kou-f · 2 years
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小学生
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「入学の案内」が届き、
いよいよ春から小学生。
うちの子は知的な遅れはないけど軽度の自閉症。
支援学級に通えるかどうかは
3月にしかわからないらしい(かなりギリギリじゃない?)
まだ小さいから今のところ生き辛さを感じることはないようだけど、
これからどうなることやら。
好きなことを見つけて、
いい友達と出会えるといいね。
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shionafton · 2 years
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1番書きたかった中1の頃の話と障がいのこと
私の幼い頃から中学生時代までの流れ
私は軽ーい自閉症とADHDを持ってるけど、
実はほぼ生まれてから中3まで特別支援受けてたんよ。
自分でも気が付かない頃にね。それが普通って思い込んどった。
もちろん違うんですけれども。思い知ったのは中1だ。
遅いよね。めっちゃ遅いよな?
まぁそもそも俺自身がADHDだということ自体は小4の時知ったんだけども。
そんな自分でも生きていける空間が自然と作られていた。俺は親や親を取り巻く人間によって"丁寧に"つくられた道を手を繋いで歩いてたわけなんだ。
本当にそれが普通だって、当たり前だって思ってた。
中1で書いた作文の話
中1の夏、作文の宿題があった。人権作文。たくさんのジャンルからひとつ選んでそのテーマで作文書くやつ。私は親と一緒に考えた(多分これは自分1人で決めるべきものだったんだろうな)。
そん時親がね
「障がいについて書く?」
って言ってきたわけ。
正直結構書きやすいな!?って思った。
当時から作文だるいなって思ってたけど。
自分が持ってる障がいの特性、自分の置かれている境遇、自分が困ってることなどなどを下書きして文章にしていった。
話は変わるんやけど、中学入学のオリエンテーションで次生まれ変わるなら男女どっちがいい?って聞かれた。男を選んだ。当時の担任になんでって聞かれた。
女めんどいって答えたwwww
うん空気読めねぇな!!!
話を戻そうか。
作文の下書きも私一人でしたわけじゃないけれど、ほとんどの文章は自分が書いたものだった。
中1の書く文章としては幼い部分もあったのかもしれない。今の中1って頭いいよね俺の時とは全然違うね。
でも精一杯を書けたような気分だったから恥ずかしさ等はなかった。
作文の内容
あの時書いたやつの最後に、障がいがある人もない人も平穏に暮らせる世の中になったらいいなって書いたんよね。あれ当時は脳死で書いてたから何もこもってなかったんだけど
今なら本気でそう思える。
クラスメイトでADHD馬鹿にしてる奴いるけど
1番ぐさぐさきてるの俺だから。絶対に口に出さないけど。
言うのは構わん。でもネタにしないでくれ。
障"害"について
どの障がいにもあてはまることなんだけど、なんで害って書くんだ?
別に害じゃないだろ!!!
ヒューマンサービスでも障害者プランってあったけどなんで「がい」にしなかった?って思う。
海外では障がいをもって生まれた人間は天使って言われてるらしいのに……………
障害者プランいますぐレインボープランに改名した方がいいと私は思う。
すっきりした!!!
ここまで読んでくださりありがとうございました!!!!
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omamenoblog · 7 months
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おまめのメガネについて
こんにちは☻おまめママです☻ 今回はおまめの目のことについて 就学前検診でおまめの目が悪かったことが発覚!! 今はメガネっ子です きっかけは就学前検診 就学前検診で視力検査するとなんか全然答えられていない… 3歳6ヶ月検診では問題なかったし 保育園でも目については気になることはチックのことしか指摘がなかったのですが 再検査になったので そのまま直眼科へ 近所の眼科では難しいのかも… 一応近所の眼科に行ったのですが なんか問題ないとか言われて… でも心配だったし総合病院の紹介状をもらうことに 総合病院で詳しい検査 総合病院では細かく視力測定してみたけど いまいちよくわからなかったので さらに後日瞳孔を開く薬を使い検査 なぜかおまめは目薬がなかなか効かず少し開くまで時間がかかりました さて詳しく検査 瞳孔の開いた状態だと本来の視力が測れるそうです 普…
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kennak · 17 hours
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強い台風の影響で激しい雨に見舞われた8月29日。浜松市のマンション一室は静寂に包まれていた。  時刻は午後2時半過ぎ。窓際のイスには、袴田巌(88)が深く腰掛け、目を閉じてくつろいでいる。半年前から飼い始めた保護猫「ルビー」が、棚の上から巌の目の前のテーブルに飛び移った。  「ひどい雨ですね」。問いかけに、無表情の巌は「ああ」と短く答える。午後3時が近づくと、同居する姉・ひで子(91)にヒゲをそってもらい、いつも通り支援者が運転する車に乗ってドライブに出掛けた。普段と変わらない日課。「雨でも巌には関係ないから」。ひで子がつぶやく。  拘禁症――。1966年に強盗殺人容疑などで逮捕された巌は、無実を訴えながら死刑判決を受けた。2014年に釈放されるまで半世紀近く身体を拘束され、心を病み、今も意思疎通が難しい。  釈放から10年。穏やかな暮らしの中でも「異変」は随所に見られる。「猫もお金が必要だから」と言って飼い猫に千円札を渡したり、新聞を手に取って「死」という文字をじっと見つめたりすることもあった。  巌の心がむしばまれていった様子は、ひで子が自宅で保管する7000枚超の手紙から見てとれる。逮捕直後から巌が母やひで子らに宛てて、獄中から書いたものだ。  <神さま。僕は犯人ではありません>(1967年2月頃)  <私も冤罪(えんざい)ながら死刑囚><私がなんの罪を犯したというのだ>(73年11月)  1960~70年代は無実を訴える言葉が丁寧にしたためられていた。  だが、80年に死刑が確定してから変化が見られるようになる。  <悪魔は電波攻撃により(私を)傷つけようとした。しかし、私はそれらを全てブロックして笑い飛ばしたのである>(87年10月)  意味のわからない文章も書かれ、字体も崩れていった。そして95年を最後に、巌からの手紙は途絶えた。 私は無実 叫んだ手紙 袴田巌さんからの手紙を手に取る姉のひで子さん(8月29日、静岡県浜松市で)=高橋美帆撮影  〈今朝方母さんの夢を見ました 元気でした 夢のように元気でおられたら私はうれしいが お母さん 遠からず真実を立証して帰りますからね〉 袴田巌(88)の姉・ひで子(91)が今年5月、本人に代わって再審公判の最終意見陳述で読み上げたのは、弟が拘置所からの手紙にしたためた母・ともへの思いだった。  この手紙が書かれたのは、逮捕から3年が過ぎた1969年10月。ともはその1年ほど前に亡くなっていたが、巌にそれを伝えることはできなかった。ひで子は「母親と一生懸命文通していた。そんな巌に知らせるのは、さすがにかわいそうだった」と振り返る。  6人きょうだいの末っ子だった巌。家族には、方言で末っ子を意味する「おとんぼ」とも呼ばれた。母は巌を特別にかわいがった。  〈お母さんお元気ですか〉〈お母さんも苦がたえ無いですね〉〈あまり無理をしない様に〉  逮捕から数年間、巌の手紙は母宛てのものがほとんどだった。母の証人出廷が決まると、〈事件となんの関係もないのだから、自信を持って来て下さい〉と安心させようとした。  無実を信じたともは病で寝たきりになっても、息子が戻ってくると期待して「巌はダメかいね」と問いかけ続けた。その姿を見るのは、ひで子にとってもつらかったという。ともが息を引き取ったのは68年11月。静岡地裁による死刑判決の約2か月後だった。  巌が母の姿を夢に見たことを手紙で知ったきょうだいは「もう黙ってはいられない」と、返信で死を伝えた。巌はのちの手紙でこう振り返っている。  〈人生で最も悲しい時が迫るのを感じ体中一気に凍るような衝撃〉〈この事実が何かの間違いであることを神に祈った〉  死刑判決は80年に最高裁で確定した。ひで子の手元には、80年代のものを中心に巌が獄中でほぼ毎日書いた7000枚超の便箋がある。拘置所で面会した際に「何でもいいから書いて」と伝えたからだ。「巌が元気でいるという証しが欲しかった」と、ひで子は言う。  内容は事件のことにとどまらなかった。拘置所での日常、死刑確定後に入信したキリスト教への信仰、自身が打ち込んだボクシングの選手たちへのメッセージ。便箋いっぱいにつづられていた。 80年代は死刑事件で再審となった4人の死刑囚が相次ぎ無罪となった時期でもあった。面会した弁護士らから話を聞いた巌は〈今度は私の番だ〉と期待を抱いた。だが、その日はなかなか訪れない。  〈豊かな正しさと希望の夜明けは見えています。それなのに何故か脈打ち踊る確かな喜びと豊かな希望の光が迫ってこない〉  焦りが精神を病ませたのか、文面には徐々に意味のわからない言葉が増えていった。電波が攻撃してくる、悪魔がいる……。91年には手紙が途切れがちになる。「へのへのもへじでもいいから書いて」と伝えた姉の願いは届かず、差し入れを求めるはがきも95年に途絶えた。  巌は長い身柄拘束で拘禁症を患い、ひで子や支援者に支えられている。2014年3月、地裁の再審開始決定とともに釈放されたが、心神喪失状態と判断され、昨年10月からの再審公判に出廷することはなかった。26日の判決内容は、浜松市内の自宅でひで子から直接伝えられる予定だ。  巌は1967年の手紙にこう書いた。  〈神さま。僕は犯人ではありません。僕は毎日叫んでいます。此処(ここ)静岡の風に乗って、世間の人々の耳に届くことを、ただひたすらに祈って僕は叫ぶ。お母さん〉  半世紀以上にわたる、心の叫びだ。  静岡県一家4人殺害事件で、強盗殺人罪などで死刑が確定した袴田巌被告。26日に静岡地裁で言い渡される再審判決では無罪となる公算が大きい。袴田さんの人生を翻弄してきた事件と裁判を改めて振り返る。(敬称、呼称略。手紙は原文を一部補って掲載しています)  ◆静岡県一家4人殺害事件=1966年6月30日未明、静岡県清水市(現・静岡市清水区)のみそ製造会社の専務宅が全焼し、専務(当時41歳)と妻(同39歳)、次女(同17歳)と長男(同14歳)の他殺体が見つかった。袴田さんは80年に死刑が確定したが、2014年に再審開始決定が出て釈放された。再審開始は昨年3月に確定した。
獄中から無実を叫んだ手紙「遠からず帰ります」…願いは母に届かず、拘束半世紀で壊れた心(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
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iconomiccc · 2 years
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深々と燃えるような身のうちの炎と、絶好調について。
正確な日時を調べると、私が初めてtumblrでリブログしたのは2011年10月21日のようです。という事は、今月21日がきたら私がこのブログを開始してから11年がたったということになりますね。 この11年間ほぼ毎日欠かさず更新を続けていますが、今が一番楽しくて、tumblrにおける「創作」、「私の美意識の発露」ということを意識してリブログをしています。 tumblrの1日の投稿数の上限は200件です。私は調子が良いと1日の間に200件以上の素敵なpostをあっという間に見つけてくるので、すぐに上限いっぱいになってしまって、制限が解除される時間まで待たなくてはならなくなります。 この夏精神科の閉鎖病棟というとんでもないところに一ヶ月半入院していましたが、退院して仕事にも復帰して、市の担当の支援員さんや精神科の主治医や会社の上司や家族や親友、私の大切な人たちに私がつくづく語ることは、「今回、あの病院に入院して良かった」「とても辛くもあったけど、かけがえのない貴重な体験を通して、得るものがたくさんあった」ということです。 実際、今、私は、あそこで流れていた時間や過ごした時を、出会った人たちを愛おしく思い出し、「まるで竜宮城のようであったなあ」と懐かしさと切なさで胸をいっぱいにしているのです。 これはうつ病を発症して会社を辞めなくてはならなくなり、社会復帰するためにリワーク(精神障害者就労支援施設)に通っていた時にも似たような感覚を覚えたのですが、 「精神病の人たちが集まっているところ」なんて聞くと、「社会的弱者」、あるいは「近づくのも恐ろしい、何をするかわからないやばい人たち」の巣窟のように感じてさける人も多いのでしょう。 でも、私は自分が精神障害者という当事者であるからだと思いますが、 「そこ」へ入って行って、性別も年齢も経歴も色々な人たちと会話を交わし関わると、病気の原因になっている心の深い部分の傷は、私もみんなも「同じだ」、と感じ、普通に生きていると互いに曝け出す機会はそうそうないであろうその傷から生まれる弱い部分を見せ合って、互いを許し、認め、共感しあうことによって、何か「人間の一番美しい部分」に触れることができたような気がするのです。 病棟で私の隣の部屋に、私より先に入院していたおそらく40代後半の女性の患者さんがいました。 彼女はのび太くんを女の人にしたみたいな容貌で、やせっぽちでいつも膝下のズボンを履いて度のきつい眼鏡をかけていました。不安障害があり、ほんの少し目の不調があれば泣きながら「眼科の先生にいますぐ診てもらいたい」と看護師さんに訴えたり、「夜中に自室に看護師さんがきて勝手にロッカーの鍵を開けられて荷物を漁られている」と涙ながらに他の患者に相談したりするような方でした。 その方が、私が投薬の時間にとあることがきっかけでひどいうつ状態になり、ホールの椅子に体育座りして動けなくなっていた時に、そばにきて一生懸命、一時間も慰めてくれたのです。 ほんの小さなことで、健常な人から見れば異常なほどに落ち込み、傷つき、不安になってしまい、泣いたり食事がとれなくなったり体調を崩してしまったり、最悪な場合は命を絶ってしまうような病気。 同じ症状を持つものとして、「その気持ちわかるよ」「大丈夫」と、言葉を尽くして一生懸命私の肩をさすりながら慰めてくれた彼女のことが、お世辞ではなく女神か天使のように思えました。 確かに、閉鎖病棟なので「やばい状態」になっている人もいます。(だから入院しているんだしね) 廊下を一人でぶつぶつ何かと交信しながら話して歩いている人もいれば、暴れて物を壊してしまったり、部屋のドアを何時間も「助けて、ここから出して!!」と叫んで叩いている人もいました。 確かに「異常な状態」であり、怖いんだけど、そういう人たちも「病気で」そうなっているわけで、先生に診断してもらって処方箋のお薬が合えばまるで見違えるように良くなって、普通ににこやかに挨拶をして、会話を交わしたりできるようになるんです。 私としては自分が精神病の疑いがあることから目をそらして病院に行かず、治療を受けてない健常者の方がよっぽど危険なやばい人、だと思います。 私が退院してきて親友に電話でこのことを伝えた時、彼女は「芸術家というものはそのほとんどが、精神的に健常の域を超えて辛い思いをしたり、生きづらさに困窮することがある。それでもその経験を糧に彼らが作り出す「芸術」は、健常者のわたしたちに見たこともないような鮮やかな世界を見せてくれて、救いを与えてくれる。絶対に必要な人たちだよ。 いこちゃんも、そうだと思っているよ。」と言ってくれました。 そして、「元気が戻ってきたらまた創って。詩でも、絵でも、ビーズのアクセサリーでも、なんでも。私はいこちゃんのセンスが好きで、創り出すものが好きで、楽しみなんだ。だからまた、創って、見せてほしい」と言われました。 その時、 私は、私の生きている証というか、存在意義というか、弱っていた私の命の炎に、焚き付けの薪をドバッとくべてもらった気分になったのです。 彼女は大学の同級生で、もう二十年以上の付き合いがあります。私が自然を愛しながら何かを創りながら生きてきたその生き方を、愛し、尊重し、一緒に歩いてくれた人でもあります。 ありがたいことにこのtumblrでも私の創る世界を愛してくれるフォロワーの方が何人かいらして、熱いメッセージをいただくことがあります。 そんな時、今までは謙遜することが多かったのですが、今の私は自分の中の「創りたい」という炎に怯えることなく、真っ直ぐに見つめ、「そうか、燃えたいのか、では燃やそう、」と肯定し、楽しく創ることができているように思います。 何も考えずに歩いて行った先で、自分のアンテナに引っかかった美しいpostを200件精査して、アーカイブに並んだ時の形や色味の調和を見ながらリブログする。 まるで一枚の永遠に続く綺麗な布を、拾ってきた貝殻や露や花びらや骨で飾って織るような行為。 ちっとも苦ではありません。 楽しいからできている。 楽しいから続けていられるんだろうし、私が楽しく創っているから、見ている人も楽しいんだと思います。 このブログのタイトル「涙ぐむ眼」は、宮沢賢治が故郷の少年院の庭に作った花壇のタイトルです。涙を湛えた瞳の形をしたその花壇は、まつ毛や虹彩や涙丘それぞれを表すにふさわしい種類の花々で作られています(涙丘の部分は睡蓮を浮かべた小さい池になっている)。 中学の頃、友達が誕生日プレゼントに透明の小さなビーズの球を数粒、くれました。 「いこちゃんの涙みたいと思って」と言って。 私はそれからずっと、露や真珠の粒が好きです。 狂人と紙一重のところまで心を飛ばして自然と交わり、そこから詩作のインスピレーションを得ていた賢治の作った「涙ぐむ眼」と、すぐ泣くけど、泣く時は一人で泣かなければならないと思いこんで自分を許さなかった若い頃の自分を重ねて、11年前、このブログのタイトルに据えました。 今、私は今までで一番元気です。 これからも日々楽しんで此処を創っていきますので、楽しんでいただければ幸いです。
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yotchan-blog · 24 days
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2024/9/2 20:00:30現在のニュース
岸���首相、パラリンピック金メダルの2選手に祝意「心から感謝」(毎日新聞, 2024/9/2 19:58:53) 「この階級の限界の筋肉量」井上尚弥と阿部一二三、肉体の共通点とは(朝日新聞, 2024/9/2 19:56:20) すし職人や仲買人から好評「希少魚・カイワリ×南房総特産マアジ」のハイブリッド魚、来年出荷目指す([B!]読売新聞, 2024/9/2 19:54:26) 動物園の子ゾウ脱走、福岡市長「動画見て知った」 園から報告なく | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/9/2 19:54:19) 今を生きる、今を書く:どこまでが自分の内側で、どこからが外側か?=町田樹 /48 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/9/2 19:54:19) 障害者自立は収入の向上が課題…コーヒー豆やピクルス生産で工賃アップ、B型事業所「利用者の自信に」([B!]読売新聞, 2024/9/2 19:49:18) X、偽情報対策めぐり各国と対立 ブラジルは禁止命令 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/9/2 19:49:04) シベリアでの死から79年 追悼イベントで加えられた新たな男性の名 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/9/2 19:48:11) 中国の王毅外相、日本へのパンダ貸与に意欲 二階俊博氏との面会で | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/9/2 19:48:11) 計1億2000万円を二重支給・・・東京都の子育て支援「018サポート」 その原因は? 対象者に返還求める(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/9/2 19:42:31) 同性婚訴訟、福岡高裁は12月判決 原告「結婚祝福される未来を」(朝日新聞, 2024/9/2 19:41:09) 慰安婦国際シンポ詳報 ラムザイヤー教授の告発 - 月刊正論オンライン([B!]産経新聞, 2024/9/2 19:36:22) イオンシネマ松江、25年夏開業 東宝系シネコン閉鎖で - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/9/2 19:36:18) 「新しい認知症観」で社会制度の構築を 当事者が見る国の姿勢(毎日新聞, 2024/9/2 19:36:12) 仮設プレハブ校舎で始業式 地震で被災6小学校の児童集う 輪島(毎日新聞, 2024/9/2 19:36:12) 宝塚歌劇団・宙組トップの芹香斗亜さん 2025年4月に退団へ(毎日新聞, 2024/9/2 19:36:12) 辺野古移設めぐる「最後」の訴訟、二審も沖縄県敗訴 原告適格認めず(朝日新聞, 2024/9/2 19:33:46) パキスタン代表、選手そろわず初戦不戦敗 野球のU18アジア選手権(朝日新聞, 2024/9/2 19:33:46)
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upto24 · 2 months
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カメラアイ:一瞬を永遠に記憶する能力
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カメラアイとは
カメラアイとは、文字通りカメラのように、一瞬の出来事や情報を鮮明に記憶する能力のことです。まるで写真のように、見たものをそのまま脳裏に焼き付けることができるため、瞬間記憶能力とも呼ばれます。
この能力は、発達障害の一部の人々、特に自閉症スペクトラムのある人に見られることが多いと報告されています。ただし、発達障害を持つすべての人がカメラアイを持っているわけではありません。
カメラアイの特徴
視覚的な情報処理の高さ: 文字通り、視覚的な情報処理能力が非常に高いことが特徴です。
詳細な記憶: 一度見たものは、細部まで鮮やかに記憶することができます。例えば、複雑な図形や長い文章を一度見ただけで暗記してしまう、といったことも可能です。
忘れない記憶: 一度記憶した情報は、なかなか忘れることがありません。
イメージの鮮やかさ: 記憶した情報は、まるで今まさにその場面を見ているかのように鮮やかにイメージすることができます。
カメラアイのメリットとデメリット
カメラアイは、日常生活において様々なメリットをもたらす一方で、デメリットも存在します。
メリット
学習能力の高さ: 視覚的な情報処理能力が高いことから、図形や文字の学習が得意です。
記憶力の高さ: 一度学んだことは、すぐに思い出すことができるため、効率的に学習を進めることができます。
観察力の高さ: 細かな部分まで見逃さないため、観察力が非常に高いです。
デメリット
不必要な情報も記憶してしまう: 嬉しいことだけでなく、嫌な出来事や言葉なども鮮明に記憶してしまうため、心の負担になることがあります。
現実と妄想の区別がつきにくい: 記憶が非常に鮮やかであるため、現実と過去の出来事を混同してしまうことがあります。
コミュニケーションの難しさ: 視覚的な情報にばかり目が向きがちで、相手の表情や言葉の裏を読むことが苦手という場合もあります。
カメラアイを持つ人の支援
カメラアイを持つ人は、その能力を活かして様々な分野で活躍することができます。しかし、一方で、その能力ゆえに悩むことも少なくありません。
カメラアイを持つ人を支援するためには、以下の点に注意することが大切です。
個々の特性を理解する: カメラアイを持つ人の中には、得意なことや苦手なことがそれぞれ異なります。個々の特性を理解し、その人に合った支援を行うことが重要です。
強みを伸ばす: カメラアイという強みを活かせるような環境や活動を提供することで、自信を持って生活を送ることができるように支援しましょう。
苦手な部分を補う: コミュニケーションや感情表現など、苦手な部分を補うための支援も必要です。
心のケア: 不安やストレスを抱えやすい人もいるため、心のケアにも配慮が必要です。
まとめ
カメラアイは、特殊な能力であり、メリットとデメリットの両面を持ち合わせています。この能力を持つ人が、その特性を理解し、周囲の理解と協力のもと、自分らしく生活を送れるように支援することが大切です。
些細な日常
写真は一瞬で切り取られた世界の詩だ
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ari0921 · 2 months
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024年)7月19日(金曜日)
    通巻第8336号
 共和党を揺らす「プロジェクト2025」(ヘリテージ財団)
  バンス副大統領候補は「すばらしい提言だ」、トランプ「私は知らない」
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保守系最大最強のシンクタンク「ヘリテージ財団」が作成した『プロジェクト2025』は、連邦政府の解体、規模縮小を唱えている。政府機構を全般に亘って、根本的に再編し、現在の保守運動の道徳的、文化的、政治的価値観重視の提案である。
肥大化した政府、リベラルのプロを食わせるのが目的かと思われる奇怪な組織や、不思議な予算の割り当てなど民主党は好き勝手なことをやって自分たちが肥ることに専念してきた。これらは急激に大胆に改編が必要と主張する。
本文は922ページの浩瀚、全30章からなる。『リーダーシップへの使命:保守派の約束』を基調に、ヘリテージが「行政国家」と呼ぶ、「選挙で選ばれていない官僚による政策運営を立て直すべき青写真が提示されている。
官僚機構の削減、家族の価値観と個人の権利の促進、国防費の増額、「全体主義カルト」の政府からの排除など、数百の提案である。バンス副大統領候補は、ヘリテージ財団で講演したこともあり、同財団作成の「プロジェクト2025」を推進すると表明したという。
「保守派による、保守派のための議題であり、我が国を破滅の瀬戸際から救う準備ができている」(ヘリテージ財団ケビン・ロバーツ会長)
エネルギー政策、気象変動問題に関してはトランプの主張と重なる政策提言が多い。
 とくに2017年にトランプは「パリ協定」から離脱した。石炭、石油、ガスの生産を擁護し続けながら、多数の連邦環境規制を無効化または弱体化させた。
 プロジェクト2025は、連邦政府のあらゆる側面を徹底的に見直す抜本的な計画を打ち出しており、気候変動政策に重点が置かれ、こう述べている。
「自動車、油田、ガス田、発電所からの温室効果ガス汚染を抑制するための規制を破砕し、連邦政府のクリーンエネルギー計画を解体し、化石燃料の生産を促進する」
プロジェクト2025は、バイデン政権下の連邦政府に蔓延している所謂「気候狂信主義」を一掃する目的がある。IRAの廃止に加えて、バイデン政権が推進したエネルギー省融資プログラム局の閉鎖を要求している。
また国務省に対し「対外援助計画からのすべての気候変動政策の撤回」と「発展途上国における化石燃料をめぐる戦争の停止」を求め、パリ協定からの離脱も支持している。
このプロジェクトは、トランプの資源開発拡大を推奨し、「アメリカの膨大な埋蔵量の石油と天然ガスは環境問題ではなく、経済成長の活力源である」と主張している。
 ▼トランスジェンダーは軍隊からたたき出せ
 国防総省に関しては国防予算の増額、核兵器の増強、中国が台湾を侵略できないようにする効果的な防衛、欧州やアジア太平洋の同盟国との負担分担の強化を求めている。ここもトランプの主張と重なる政策である。
 トランスジェンダーの軍からの排斥は、共和党内でも合意がない。
 ヘリテージ提言はこう言う。
 「国防総省もまた、深刻な問題を抱えている。軍隊はアメリカで最も信頼される機関の一つであったが、長年にわたる継続的な悪習があり、上級将校や高官を守りながら現場の下級将校や兵士を危険にさらす二重の説明責任、無駄な支出、安全保障政策における劣悪な規律などが軍に深刻な打撃を与えている」と指摘し、「プロジェクト 2025」では、「人種に関係なく、採用、士官学校への入学、昇進が能力、実績、功績のみに基づいて行われる米国軍の文化を構想し、特定分野への入隊基準は職務のニーズに基づくべきである。医療処置を必要とする傾向の
ある人(例えば、HIV陽性や性別違和症)に対する例外は廃止されるべきだ、性別違和症の人は兵役から追放されるべきだ」 
 また「マルクス主義の教化と人種理論プログラムを排除する。マルクス主義の教化を排除するために、軍事アカデミーのコースを監査し、学術専門家の終身雇用制度を廃止する。トランスジェンダーが軍隊に入隊することは認めない。ワクチン接種を拒否したために除隊となった軍人を復職させ、階級を回復し、未払い給与を支払う」など軍の効率化が唱われた。
 トランプ自身は系列のシンクタンクをもっており、以前からヘリテージ財団とは距離を置いてきた。したがってこれらのヘリテージ財団の政策提言がただちに実行に移されるかは分からないが、共和党支持者のなかに強い影響力がある。レーガン時代、多くのレーガノミックスは、このヘリテージ財団から誕生した。
 「ヘリテージ財団」の『プロジェクト2025』(922ページ)の全文は下記でご覧になれます(無料)。
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