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#表紙の手触り感最高
ak794itomugi · 5 months
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はやいもので年末です。黙ってタグなしで只管絵をお届けていているだけのtumblerで毎年恒例の文字の記事です 最終回のノッポさん現象かな?
今年の振り返りの時期となりました! 今年は頭からなんとリアルで仕事で成功して、私が想定してる以上にすごいラッキーな感じでした。 難病の身の私自身ですが配慮の上、仕事環境としても周囲の人とすごく仲良く、楽しく仕事させていただいていて本当に感謝感激です。 マジでこの仕事に昨年転職して本当に良かったです。 とはいえこれはリアルじゃなくてオタクとしての振り返りなので、そのあたりはほどほどに、 今年はオタクとしても本当にハッピーなことが多かったので、細かく分類した上で振り返っていきます。
■同人誌 今年出した本は表紙のギミック多めの本となりました。 全てがもこもこの顔料箔を使った本と、透明な表紙の本は一回作ってみたかったので実現できてハッピーです。 どちらも無事完売しておりますが、数的に圧倒的に人の手に届かなかったという事もなくて一安心です。
あとはオンデマンドでも、ほぼほぼトナーがテカらず、オフセットと遜色がないと言う話を聞いて、プリキュアの無配の本で試してみましたが、本当に感動ものです。 オンデマンドだからこそできるものもあるので、来年はこれを活かした本を作る予定です。
また今年でおおよその漫画在庫は全てはけました。 数年前のなどがいっぱいあったのをここらでちゃんと綺麗にしとこ!ってサークルの方針なので、最終回とかではないです。 来年は2冊すでに予定ありなので年始からもちもち作っていきます! とりあえずとても可愛い本と、可読性を維持した多層型の本の設計図を組んでいきます
あとこっちでは全く言ってなかったんですが、サークルのtumblerできました。 実はこの記事を投稿したとほぼ同時にリンクも、これまでほぼ機能してなかった告知系のタグの所に代わりに接続しちゃってます 実はここのtumblerの投稿物も一部見えるロジックにしてるので、軽く見たい人は向こうに切り替える事もできます。
作った経緯としては、今年一年でSNSの事情も不穏な影が入りつつあるのですが、いくら趣味でも金銭のやり取りが発生する活動をしている以上、 告知の場所となるSNSの所を移動する戻るを繰り返すのは混乱を招くと考え、 安定性のあるかつ、活動履歴がちゃんと残るwebサイト的な形式のものを作ろうと提案してあんな感じになりました。 サークル活動が今年で5年になる節目の年なので、ここまでくると妖怪同人趣味みたいなものですし丁度良いかと思います。
■二次もしてるジャンル関連 東方は新作でましたね。 去年から畜生のおやすみシリーズを描いてたのも含めて、ものすごく久々にピンポイントなものが来て笑いました。 新キャラは基本一年待ってからと思ってたんすけど、流石に回避ができなかったので全員何らか漫画を作成して年末を迎えてます(残無だけ公開来年ですが)
あとは以前からのpixivのまとめなどを昨年の末に見返す機会があった時、近年高カロリーな排出の仕方をしすぎているのでは?って事で、緩急をつけるために、今年からキャラメインの横型のイラストで全キャラリレーも発射しました。 見てる方はどう思ってるのかアレなんですが、改めてキャラのパーツを知る、考える重要な機会なのと、 何よりコストの低さから休まるから大変良いです。 横型終わったら縦型で続ける予定です。
今年1番触れ合ったキャラとしては畜生界のおともだちと久侘歌は今年の8割くらいの期間ずっと描いてた気がするんですが、 流石にここまでくると慣れてくるものの、新作きたので、畜生界の方はタイミングが遅れていますですが一年待機、 そして元々完結してからは久侘歌は元々原作から結びつけて考えられる、彼岸組との組み合わせメインに戻す形をとっています。 ていうか、単純にもうこの組み合わせマジで6作品くらい結構なボリュームで出してるので、流石にネタが豊富なわけではない為単純に一旦休みたいです。私がバケーションする番です。 その間にきっと各々で素敵だったりメジャーな組み合わせもできるでしょうから、皆さんはそれを楽しむのよ!
あとはプリキュアですね。私の事を前々からご存知の方だと有名なのかアレなんですが、 そもそも私はプリキュア大好きで、二次創作せずオタ活していたジャンルです。初代から全部見てるよ! たまーに描いてはいたんですが、本当にちょろっとなので、こういう場や、ファンボの雑記で度々映画みたよ!とかの形で話題に出ていた感じです。 ただ今年はなんかサークルメンバーみんなどハマりして、なんか気づいたら再集合してたので、今年は珍しく描きました。
経緯としては私はそもそもプリキュア摂取してない日がないので、ひろプリを見る前に時間があったから、まほプリ見ちゃお!ってなったのに、主宰も見よ!!!って誘ったら、ノって見た向こうが超加速でどハマりした感じです。こわい この2ヶ月後に続編の報せが来るとは露知らずで あれは私もマジでビックリしてます。本当にガチで偶然です。
そこから平日は過去作鑑賞会をサークルメンバーみんなで、休日はひろプリやオトナプリキュア みたいな、みんなも私と同じような生活してる?!?!?!って感じになってます。 サークルメンバーとは初代〜5GoGo、ドキドキ、魔法、HUG、デパ、ひろ(リアタイ)を見ました。 今はトロを見ている感じです。トロ良いよね好き
主宰とまぁ3年ほど久々に共通ジャンルで活動できるようになったので、2ジャンル継続で来年も作って行く予定です。 いよいよ昔から好きな作品を描いている状態になってます。いつか幻想水滸伝とかポップンもきたら笑うしかない奴です。 今年の5月と11月に設けた、ジャンルのまともな絵と落書きのバランス反転をさせるのは個人的な気持ちの換気にもなったし、すごく楽しかったので、これも来年2、3回実施を予定してます。
■普通の生活とかオタ活とか 原稿とか以外だとひたすらポケモンしてた気がします。 元々プリキュアメインにオタ活してたんですが今年上の項目になったんですよね、これが。 なのでプリティストアとかそれ以外ってなると、ポケモンセンターでツンベアーぬい買ったり、 レイドに潜り込んだり、DLCではしゃいだりとかとか。 他にもマッドラットデッドをやっと買ったので楽しんでたりとかちょいちょいしてます。 アニメはこれも遅れてですが王様ランキング見ました!!!!とても良い!!!!!!単行本気になってたんですが、アニメと違うと聞いたので、先にアニメを見た感じです。えがっだ こう書くと摂取量ほんと少なくて笑う
映画はゴジラ見ました!!!良!!!! オールスターズFを試写会含めて6回ほど見てたのですが、ある時一緒の日に見たら気持ちの乱高下が凄かったです あと君生きも見に行きました この時例大祭の時期からその日まで本当に仕事忙しすぎてやばかったので、開放感と共に見て すげぇ世界観じゃん(小並感)ってなりました
それから三重旅行にもいきました。 これは結構事細やかにレポをファンボックスに書いてるので、気になる方はそっちでよろしく!
みたいな感じで、6月以外は月のどっかに必ず何かイベントが挟まるような生活だったんですが、仕事に追われてました!!!! 畜ではなく楽しくやってますし、量やばい分お金はたくさん頂いてますが、こう見ると本当に仕事の記憶しかないです!!!!
急に小並感すごい項目になったな
■総括 色々ありましたが今年はいつもよりサブカルも楽しい一年になりました。 とはいえ、例年より体調不良が多い年でもあり、特に後半以降は寝込んでる日がちょいちょいあったなぁとなります。 昨年にコロナに罹って以降はかなり気をつけていたものの、寒暖差がえげつなすぎて負けました。 もはや私がどうってより地球がどうって話な気がしますが、もっとしっかり対策しないとなとなります。
来年は色々リアルが忙しいのと、背骨をやってしまったので、今年よりも低カロリーでいく予定ですが、 オタクはやめれない(人間の業)ので、のんびり楽しくしていると思います。
それではよいお年を!
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kennak · 6 months
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9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確保した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は���も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎を繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を配る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば、父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた。 前々回、前回と同じようにしばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 夜中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓が持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが到着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 酸素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ」「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に任せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい、こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもしたが その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピースサインも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば握り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなければ寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入退院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の誰も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気遣いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる手前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめんな」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親しい方々への連絡、役所への届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでいたらしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざっぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くにはコンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で盛り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形状記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困るほどの花が届き、弔問客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち、眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流���て自分でも驚いた。 「最後ぐらい泣いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと感じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点はあるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え、小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 数日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお坊さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続けます。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会が減ってきたり 悲しみが薄れたりしますが、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって私も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
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kitsuneponchan · 8 months
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小説と本と賢くないお姫様の話
 毎日夜9時更新の小説「グロリアの物語」、あと一週間弱で完結です。長かったですが覗いてくださる方どうもありがとうございます!
 これは中学生の時に書き始め大人になって完結させた作品で、私の代表作はこれ、と言う予定です。当初の文の雰囲気や書こうとしていたことをできるだけ残しながら、不自然でないように無理やりなんとか整えてあるので多少迷走はしているかもしれません。でもリアルタイム10代による小説の一面もあります。
 スタート時自分の年齢と同じ14歳の少女が主人公でした。世に出だした賢いお姫様の話にはそろそろ飽きてきたところでした。それもいいけど、賢いお姫様は大抵人生の最初に勉学以外にも生きるのに必要な愛情や教育を受けた事で得られる武器を持って生きていくのに対して、世の中には周囲からお姫様のように恵まれてると思われていながら、実際は必要な武器を持たされず世に放り出される子供が実はたくさんいます。私はそういう人に出会ってきました。私はその子供たち、そういうお姫様の話が書きたかったのです。  だからグロリアは賢くないお姫様で、泣いたり怒ったり、わからないわからないとぐずぐず悩んで味方も作れず頼っては駄目な人に依存し、まるで子供のようです。(実際10代は現代日本では子供とみなされます。お姫様は本来子供でもいいはずです)持って生まれた性質にはお姫様的なものがあるので、世間的には有利、有能とみなされて、失敗すると怒られたり、理解されず困っても助けて貰えなかったりする、そういったギャップにも苦しまねばなりません。
 だからグロリアには本を与えました。本は彼女の友達です。苦しい時も本が彼女の心を救います。これは読むべき、という有名な本でなく、現実に役に立つかわからない本ばかり読んでいたかもしれません。興味が湧いた本をブラウエンやゼクセン領主の書斎から持ってきて広げ、好きなところから読んで、いろんなことを考え、わからないところは後回しにして、絵を見ながら勝手な空想をしていました。賢くはないんです。でも多分本が彼女を作りました。
 私も子供の頃からそれと似た感じで本を読んでいました。お小遣い等は貰っておらず、お金が無くて独身時代本はあまり持っていませんでしたが、学校の図書室の床に座り込んで世界の民話全集の「メルヒェン十二ヵ月」「アラビアンナイト」等を端から読み、講談社X文庫やコバルト文庫の作品に出てきたジェイン・エアや嵐が丘、その他いろんな本を読みました。  一番衝撃を受けたのが高1の頃何気なく手に取ったベディエ『トリスタン・イズー物語』、ゲルハルト・アイク『中世英雄物語』です。私はこういう話を読みたかったのに見つからないから自分で書こうと思って小説を書き始めたので、これらを先に読んでいたら自分で小説を書くことは無かったかもしれないと当時思ったくらいです。  クラスメイトに借りた宝塚のビデオの歌詞の名詞を百科事典で調べてボルジア家や塩野七生を知って、女子パウロ会の発行した漫画でクォ・ヴァディスに出会い、親が読んでいた氷室冴子からヘッセ、ゲーテ等ドイツ文学にちょっと興味を持ち、そういった本が少しずつ私を作ってくれたようです。友達も少なくテレビにもラジオにも触れず(ネットも無く)田舎の閉鎖空間で育って世間を知らなかった私には、現代小説は感覚が違いすぎて馴染めなかったのですが、昔の外国の話には何故かわくわくしてドキドキして涙していたのが懐かしいです。
 グロリアも大人になって文章を書くかもしれません。大人になっても波乱万丈の人生が確定していますが、落ち着いたらペンをとってみて欲しい。多分お金持ちなので、紙はたくさん使えると思います。
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shredderwastesnow · 11 months
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クィアたちのZINE交換【前編】
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発端
ある6月の休日、ZINE交換会に参加した。 主催は、数人のクィアによって結成されたプロジェクト集団「陰気なクィアパーティ」。今年春から、東京と名古屋で、派手なパフォーマンスが苦手なクィアのための穏やかな集まりを開いている。
そもそも「クィア」とは何か
「クィア」は、既存の性のカテゴリーに馴染めない人を指す言葉として、最近様々なメディアで使われるようになった。 元々「クィア(queer)」は「奇妙な」「異様な」という意味の英語で、セクシュアルマイノリティたちを揶揄する蔑称として欧米で使われていた。 しかし社会運動をしていたセクシュアルマイノリティたちが、たとえ端から見れば奇妙でも自分たちはありのままで生きるという決意と共に「クィア」を自称しはじめたことで、かつてのネガティブな意味合いが薄れてゆき、現在に至っている。
「クィア」の意味するところは「セクシュアルマイノリティ」と似ているが、カバーする範囲は「クィア」の方が広い。 紙媒体やネットでこれらの言葉に触れてきた印象では、「セクシュアルマイノリティ」は、性自認・性的指向が明らかにマジョリティとは違うという自覚がある人を指している。 それに対して、「クィア」には、まだはっきり認識できていないものの、世間が想定する性のカテゴリーに今ひとつ馴染めない…と感じているような、マジョリティとマイノリティのあわいにいる人も含まれる。 また、「セクシュアルマイノリティ」には、マジョリティに理解されず、社会から疎外された存在というニュアンスがある(その他の「マイノリティ」=在日韓国人、部落民、外国人などのような)。 この言葉が使われる際は、当事者が法制度などによって不当に権利を制限され、自分らしく生きることを阻まれているという実態がセットで提示されることが多いように思う。
例えば、性自認が男性(シス男性)で恋愛対象は女性(ヘテロセクシュアル)だが、女装をしている時の方が心地よいという人がいたとする。「クロスドレッサー(異性装)」「トランスヴェスタイト」「女装家」などと呼ばれる存在だ。 特殊なセクシュアリティを持っているが故に、街中で後ろ指を指されたり馬鹿にされたりして、尊厳を傷つけられることはあるだろう。 しかし、「ホモセクシュアル」ではないので、同性婚できない日本でパートナーと結婚できずに苦しむリスクはない。 「トランスジェンダー」的な傾向はあるものの、性自認と医学的・社会的に割り当てられた性のギャップに苛まれたり、高額な性別適合手術の必要性を感じているわけではない。 このような人は、「私はセクシュアルマイノリティです」と言っていいのか戸惑いがあるのではないだろうか。 自分の辛さは、法制度と闘わなければならない人のそれに比べたら軽微なのだから、この程度でセクシュアルマイノリティを自称して生きづらさを訴えるのは行き過ぎている…と自粛してしまうことが考えられる。 しかし、男は365日ズボンで暮らすものだという既存のジェンダー観から外れているという点で、彼は間違いなく「クィア」である。「私はクィアです」と言うのは、「私はセクシュアルマイノリティです」と言うよりはるかにハードルが低い。
「クィア」は、既存の性のカテゴリーに馴染めていないが「セクシュアルマイノリティ」の括りから除外される人々もふんわりと包み込む、懐の深い言葉だ。 セクシュアリティは千差万別で、まだ解明されていないことも多く、しかも生まれてから死ぬまでに変化する可能性もあるという揺らぎを前提として生まれた概念なので、より多くの人たちの拠り所になれる。しかし、このふんわりとした性質故に、定義するのは非常に難しい。
参考:
私のクィアネスについて
私は自分が「デミロマンティック」だと思っている。要は、世間一般の人と比べて、恋愛感情が希薄だという自覚がある。
多分「デミロマンティック」は多くの人にとって聞き慣れない言葉だが、「アセクシュアル」「アロマンティック」であれば知っている人はいるのではないだろうか。 「アセクシュアル」は性的欲求を持たない人、「アセクシュアル」は恋愛感情を持たない人を指す。 (日本では「アセクシュアル」は恋愛感情も性的欲求もない人の意味で使われ、恋愛感情はあるが性的欲求のない人は「ノンセクシュアル」と呼ばれるケースもあるようなので、「アセクシュアル」の意図するところは使う人や文脈によって変わりそうだ。なお、「ノンセクシュアル」は和製英語だそうです。)
「アセクシュアル(asexual)」「アロマンティック(aromantic)」の頭に付く「a」は、英語では否定(non-、un-)の意味を持つ。「asexual」=「sexual(性的欲求のある状態)でない」、「aromantic」=「romantic(恋愛感情のある状態)でない」ということになる。 一方、「demi」は、「半分」「少し」の意味を持つ(ヨーロッパ系のカフェでエスプレッソを注文すると出てくる小さなカップ=「デミタスカップ」を想像してもらえると腑に落ちるのではないでしょうか)。つまり「デミロマンティック(demiromantic)」は、「romantic(恋愛感情のある状態)が少なめである」という意味になる。
息抜き:
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当事者の書いた文章や当事者が主人公の小説を読む限り、アセクシュアルおよびアロマンティックの人は、それぞれセックスや恋愛に対して拒否感や嫌悪感がある印象だ。 私はどちらに対してもそこまで強い拒否感はなく、恋愛の延長線上にセックスがあることにもそれほど違和感を持っていないが、いかんせん恋愛感情が起こらない。
学生時代、周囲が少女漫画を貸し借りして「○○君と△△君だったらどっちがタイプ?」「私たちもこんな恋愛したいよね~」と真剣に語り合っている中、私はそのテンションに全く付いていけず、自分はみんなと違うな……と漠然と感じていた。
勉強や就職活動や創作活動などは、将来の自分の可能性や選択肢を増やして今より自由になるための活動であるのに対し、恋愛は、相手と良い関係を作るためのしがらみや我慢を発生させる点で、人生を不自由にする活動だと思っていた。 シスヘテロ男性との恋愛の先にあるかもしれない結婚・妊娠・出産などを想像すると、積極的に恋愛するシスへテロ女性たちは、自ら進んで家父長制に取り込まれにいっているように見えてしまった(ものすごく穿った見方だという自覚はある……彼女たちは自分の意志で恋愛しているのであり、余計なお世話だとは思うけど)。
私の中にこういった思考が育まれたのは、幸せな恋愛やパートナーシップのサンプルを身近に見つけられなかったという環境的な要因に加えて、やはり先天的な要因もあると思う。 近年の脳科学では、外部からの刺激によって脳内の快楽を司る「報酬系」という神経回路が活発化し、ドーパミンが分泌されると恋愛感情が起こるとされている。多分、私の脳ではこの回路があまり活発ではなく、少女漫画という刺激では作動しないのだろう。 (ただ、脳内物質にはドーパミン以外にもセロトニン・テストステロン・エストロゲンなどがあり、これらが出ていれば何らかの感情は発生していることになるので、恋愛感情がないからといって無感動というわけではないのですが。)
参考:
社会人になってから、微妙に恋愛感情が出てきた時期もあるにはあったが、それも数年に一度ぐらいの低い頻度だった。 仕事が忙しければどうでも良くなるし、一人で行きたい場所に旅行したり、カルチャーに触れたりライブやイベントに行ったりすればそこそこ満たされてしまうので、そのうち別にいいやという気持ちになる。
そんな自分のことを、私自身は「ドライな人間」「淡泊なタイプ」だと解釈していた。 ただ、性自認と医学・生物学的な性は一致しており(シス女性)、恋愛感情が起こる場合は異性に向くため(ヘテロセクシュアル)、自分がセクシュアルマイノリティだとは思っていなかった。 しかし、日本でもセクシュアルマイノリティに関する議論が活発になり、LGBT以外のセクシュアルマイノリティやクィアについての文献や記事が広く出回るようになって、やっと「デミロマンティック」というちょうど良い表現に出会えた。
クィアを自覚した後の問題
自分がクィアだと自覚することは、こういう人間は自分だけではないと安心できる点では救いだが、自分は差別される側の人間なのだという疎外感を突きつけられる点で呪いにもなる。 過去にセクシュアリティの違いが原因で周囲から浮いてしまった経験を、差別を受けた体験として捉え直す作業は、それなりの痛みを伴う。 しかし、これを丁寧に行わなければ、自分の生きづらさを解きほぐして緩和することもできないし、この先どう生きるのが自分にとっての幸せなのかも模索できない。 また、自分が生きている日本社会がどんな人間を異端として疎外・排除しているか、あらゆるセクシュアリティが肯定されるために社会や自分自身はどうあるべきかも見えてこない。
自分の中のクィアネスに向き合うことを意識し始めてから、同じように既存の性のカテ��リーからはみ出している人がどう生きているのか知りたいと思うようになった。 コロナが沈静化したタイミングで読書会やコミュニティを定期的に検索していたところ、「陰気なクィアパーティ ZINE交換会」の告知に出会った。 クィアとして生きる実感をZINE作りという形で語り直す作業を、この機会にやってみたいと思った。
限られた時間の中で何とか内容をまとめ、A5版12ページ、6,000字強のZINEが完成した。 会場で7部を交換し、2部は手持ちのZINEがなかった人に渡した。
「陰気なクィアパーティ」の大らかさ
私は「LGBT」ではないし、「アロマンティック」「アセクシュアル」のいずれでもないので、そういった人を対象とするコミュニティへの参加には抵抗がある。 でも「クィア」を冠したコミュニティであれば、私もここにいて良さそうだと思える。
会のグラウンドルールには、このような文言がある。
陰気なクィアパーティは、セーファースペースであり、あらゆる性のあり方を持つ私たちが共にいるための空間です。 差別の構造を解体する空間であるためには、参加者全員の協力が必要です。 自身の境界と他者の境界を尊重し、全ての人が居心地良く過ごすことができる対話空間作りにご協力ください。
この宣言はとても心強い。 このような場なら、「性的指向も性自認もマジョリティと変わらないくせにマイノリティぶるな」とか、「もっと辛い立場にあるセクシュアルマイノリティに比べれば、お前のしんどさなんて取るに足りないものだ」といったような攻撃を受けるリスクは低そうだと感じた。 そして、一定の安全が担保された空間で様々なクィアたちとコミュニケーションする中で、クィアとしてどう生きるかのヒントが掴める気がした。
会場に足を運び、様々なセクシュアリティの参加者からもらったZINEを読んで、自分の想像を超えた差別や疎外感を知り、世界の見え方が少し変わった。 あの空間に、一人のクィアとして立ったからこそ見えた景色だ。 私のZINEも、誰かにとって新たな気付きをもたらすものになっていればいいなと思う。
会社を辞めようとしているタイミングでこのような場に出会うことができ、本当に感謝している。 主催者の皆様、ありがとうございます。
そして今後は、小説の執筆ペースを上げることと並行して、一人のクィアとして考えたことをもっと言葉にしたくなった。 個が尊重されるセーファースペースで、様々なクィアと対話したり励まし合ったりする時間が定期的にあったら、何かと心細いクィア人生も豊かなものになる予感がする。
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todetserrenews · 8 months
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スマホを持たない、持つことをやめた日本、世界の有名人たち
トムクルーズ、羽生結弦、オードリー・タン、本木雅弘、山瀬まみ、
新井貴浩、エルトンジョン、エド・シーラン、ジャスティン・ビーバー …
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(関連記事)
・60代、70代、高齢者の『スマホ認知症』(デジタル、インターネット認知症) 60代以上がスマホを利用することによって認知症が引き起こされる恐ろしいスマホ認知症(デジタル認知症)とは?
『スマホを手にせず心の幸せを手に入れた人たち』
現代人が縛られる薬物中毒より深刻な「スマホ中毒」の「拘束」から逃れることのできた有名人たち。
トム・クルーズ、羽生結弦、オードリー・タン、エド・シーラン、ジャスティン・ビーバー…
あらゆる世代の憧れでもある彼らが、なぜその若者たちと違いスマホを持っていないのでしょう?
彼らの「デジタル・デトックス」はいかにして成ったかを探っていきましょう。
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トム・クルーズ
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世界で最も有名なハリウッド俳優の1人。ミッションインポッシブル、トップガン、オブリビオン、コラテラル、ナイト&デイ、アウトロー、もはやこれ以上説明はいりません。
私はずっとスマートフォンも携帯電話もメールアドレスも持っていません。時計や宝石もね(笑)
テクノロジーと連絡のし合いに振り回されたくないのです。 最新の60fpsテレビも映画を正しく映すのに余計なことを増やしているだけです。
台湾のIT大臣 オードリー・タン
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世界でも目を見張る成果を出し続ける台湾のIT担当大臣の天才オードリー・タン。 台湾が新型コロナの感染者を抑え込んだこと、適格でユニークな改革、自身がトランスジェンダーであることなど異色のデジタル担当大臣として世界にその名が知られるようになりま��た。
14歳で中学校を退学し、プログラマーやハッカーとして活躍しながら、 16歳でインターネットの企業の立ち上げに参画するなど、天才的な人生を歩んできました。
 そんな最先端のテクノロジーに携わっているオードリー・タン氏は、まさかのスマホ嫌い。
私は二つ折りの電話を愛しています。“ガラケー”です
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著書『オードリー・タン 自由への手紙』 (講談社刊)の中で、 「私は二つ折りの電話を使っています。“ガラケー”ですが、何も困ることはないし、スマホのように余計なものもない。プログラミングだって可能」 「できないのは指でスクロールすることだけ(笑)」と語っています。
「スマホはメッセージ連絡を強要され、常に気にしていないといけません。
また、気軽にSNSを見れることで病的に依存し、 目を覆うような数の誹謗中傷が並ぶSNSや動画やコメント欄で心を病んでも、みんな離れられないのです。
テクノロジーに自由はなく、日常生活も時間も心も支配されてしまう」と、あえて絶対に持たないそうです。
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本木雅弘:用事があれば固定電話かFAX
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 ジャニーズ出身で、シブがき隊メンバーの俳優の本木雅弘は、携帯電話すら持っていません。 布川によると、本木は携帯電話を持っていないので、LINEをしないし、用事があるときは固定電話やFAXでやりとりしているそうです。
エド・シーラン
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すでにグラミー賞4度受賞のイギリス、全世界で超人気の若手シンガーソングライターのエド・シーラン
1月24日に公開された動画で、携帯電話との「関係悪化」により、7年前から使うのをやめたと打ち明けた。
「私は携帯電話を持ち歩いていないんだ。2016年から電話を持っていないんだよ」
と動画シリーズ『The Collector’s Edition』のホストに話し、
「携帯電話にとてもストレスを感じて、悲しくなったんだ」と説明した。
「人との接触を遮断するというより、制限しただけ」と語るシーラン。
常にテキストメッセージに返信し、すぐに応答する必要性を感じるストレス
親しい人の投稿や写真を逐一毎日いいねし、動画を何十本も再生し、感想をリアルタイムで送り合うストレス
で、2015年に行われたx(マルティプライ)ツアーの後、スマホを使うのを止めたと話した。
最近のシーランは、Emailでのコミュニケーションを好むようだ。
「数日おきに座ってノートパソコンを開いて、一度にメールだけ返信する。送信したら、パソコンを閉じる。そうすると、デジタルに圧迫されずに本来の普段の生活に戻ることができるんだ」
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携帯電話のない生活の最高な点は、自分の時間を自分のペースで邪魔されずに過ごせることだという。また、その変化によって、メンタルヘルスが改善し、全体的に「全てにおいてより良い気持ちでいられる」と話した。
2016年にシーランは、「自分の目でなく、画面を通じて世界を見ているようだ」と話し、携帯電話やメールから離れ、全てのソーシャルメディアを止めるとファンに伝えていた。
「インターネットは、それが好きな家族や友人に調べて見てもらい、良いところだけ教えてもらえばいい。
好きでもないネットを見て精神を病む必要はないんだよ。」
山瀬まみ
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新婚さんいらっしゃい!でおなじみ桂文枝と山瀬まみさん。 桂文枝師匠曰く、山瀬まみさんはガラケーだと明かしていました。 実際、以前通販番組内で自身がガラケーなのを語っておられます。
古田新太:FAXとテレカを愛用
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名脇役で数々の作品に出演する古田新太もスマホを持たず、それどころかテレカを今でも愛用しています。
古田新太さんは、その理由について 「あれほどデリカシーとプライバシーのないものはない」
「縛られるのが嫌だ」 と話されています。
以前は所属事務所にスマホを持たされていた古田新太さんでしたが、時間通りに仕事の現場に着いたのに メッセージで「大丈夫?」と確認のチェック連絡が毎回何度も来るため、 「ちゃんと時間通り来てるのになんで毎回聞いてきてやりとりしなきゃならないんだ!」 とキレて、携帯電話をゴミ袋に投げつけてしまいました。
それ以来、携帯電話は持っていないそうです。
2022年2月に『人生最高レストラン』(TBS系)に出演した際、 スマホを持ってないことを共演者から聞かれると、「連絡するときは家の電話かFAXだろ」と回答。 「家には必ず帰るし、FAXだったら見る」と主張していました。
 そんな古田が誰かに連絡したいときは、大半は公衆電話を使うか、飲み屋にある店の電話を使うのだそう。 テレカはたくさん持ってます。
羽生結弦
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説明不要のフィギュアスケートオリンピック2連覇の偉業をを成し遂げたアスリート。 輝かしい成績と実力だけでなく、その王子様のようなルックスで世界中のあらゆる女性を虜にしています。
そんな彼はなんとスマホを持っておらず、自身でSNSも一切やっていません。
以前TBS「NEWS 23」の生放送で「スマホ持ってないんで…」と明かした羽生選手。 確かにSNSなどは一切やっていませんでした。 ファンのメッセージを読むとき等はPCでスタッフを経由し、音楽等はipodで聴くので問題は無いそう。 競技引退後の現在、わずかながら動画を投稿しているチャンネルを持っていますがご自身では運営していません。
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親族もTVに出演せず、本人もほぼフィギュア以外のことを語らず、結婚相手の事も不明です。 とにかくご家族のことを含め、特定されそうな個人情報を明かさない姿勢で彼のプライベートは謎に包まれています。
広島カープ現監督 新井貴浩
インスタグラマーって何ですか?
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以前からガラケーしか持たないことで有名な新井さんこと、広島カープ監督 新井監督は現役時代(1999-2018)から一貫して今もガラケーを使い続けています。
今年放送されたNHK番組『サンデースポーツ』内でも改めてガラケーしか持っていないことに言及されました。
 番組が盛り上がる中、6監督の相関図についてのトーク中に飛び出た発言。 DeNA・三浦大輔監督と共に人気のインスタグラムを紹介された新井監督。
しかし「インスタグラマーって何ですか?」とピンとこない表情。 「私ガラケーしか持ってないので」、「事務所の方がやりとりを何か勝手に発信してくれています」
新井監督の話を受け進行役��中���安奈アナが「珍しいですね」と驚くも、「?珍しいんですか?」とまたもピンときていない様子。
さらに「LINE生まれてから1回もやったことないです」。
1年前の雑誌のインタビューでも「ガラケーが世の中にある限りガラケーでいきたいです。」とさりげなく語っていました。
座談会終了後に行われた写真撮影の最中にも、ヤクルト・高津臣吾監督らが「本当にガラケー?」と新井監督に聞きますが、「本当にガラケーだけしか持ってないです」と返され驚きの表情。
他の監督達からもガラケーで選手やスタッフとコミュニケーション取れる?監督できる?と驚きと笑いに包まれていましたが、新人1年目にして広島を堂々リーグ2位とプレーオフ・クライマックスシリーズに導きました。
クリストファー・ノーラン
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レオナルド・ディカプリオ主演の映画『インセプション』や『バットマン』シリーズ、『オッペンハイマー』など
現代を代表するメガヒット作を生み出す映画監督クリストファー・ノーランは、2023年の今もスマートフォンを持ち歩いていません。
スマホを持たないのは、テクノロジーを嫌っているからではないという。
ノーラン氏は「テクノロジーやそれによって可能になるものは素晴らしいと思っています。 問題はスマホ中毒になってしまう。つまりどれだけそちらに気が散ってしまうかです」とリポーターのインタビューで述べた。
「何かを生み出したり、脚本を書いたりすることに対して、一日中スマートフォンを使うことは役に立ちません」
ノーラン氏は2012年の映画の『ダークナイトライジング』の公開時にも、スマートフォンには興味がないとバックステージのインタビューで述べている。
「技術革新反対者、テクノロジー嫌いというわけではなく、ただ単に興味を持ったことがないんです」
「1997年にロサンゼルスに引っ越してきた時には、誰もが携帯電話を持っているわけではありませんでした。私自身はその後、持つ選択をしなかったのです」
2020年のヴァニティ・フェアのインタビューでは、時折ガラケー、つまり折り畳み式携帯を使用することはあるものの、スマートフォンは持たないと宣言しています。
「私は気が散りやすいので、暇な時間があるごとにインターネットにアクセスしたくありません」
ノーラン氏が避けているのはスマホだけではない。
ハリウッド・リポーターによると、ノーラン氏はほぼEメールも使わない。『オッペンハイマー』の出演者には脚本をアナログに手渡ししたという。
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その理由について、 「秘密主義ではなく、プライバシー。ネットには本当の秘密性はなく、人間が見て運営しているからほぼ必ず流出する」と説明している。
「色々なことに挑戦し、失敗し、可能な限り冒険好きでいるためです。自分が書いたものを読んでくれる人とその場で一緒に座って彼らの意見を聞く。
顔と顔を突き合わせる人間らしい方法によって、彼らがどう感じるのか見られるのです」
森山未來:10年以上携帯電話を持っていない
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 独特のオーラがある人気俳優の森山未來は、スマホはおろかガラケーも持っていません。 20代の頃は携帯でゲームをしていた経験があるそうですが、時間があっという間に過ぎることを「もったいない」と感じたことから、 携帯電話を持たないアナログな生活だそう。2022年11月放送の『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)で、 10年以上スマホも携帯電話も持っていない生活を明かしました。
昔はスマホを持っていたそうですが、 「めっちゃ使っていて、1日中麻雀のゲームをしていた。気がついたら日が暮れてて、あ、これあかんわと思って止めたんですよ」 と、のめり込んでしまう自身の性格が原因で、携帯を使わなくなったと、以前、トーク番組に出演された時に話されていました。
 もともと電話に出たくない、LINEなどのSNSでたとえ親しい友人や身内でも四六時中見たかどうかなど 向こうに自動でチェックされることや時間を他人に縛られるのが嫌な性格だということも、スマホを持たない理由のひとつなのだとか。
そのため、誰かに連絡するときは、固定電話や公衆電話を使っているそうです。
ジャスティン・ビーバー
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世界一といっても過言ではない若者のアイコンでスーパーアイドル、ジャスティンビーバー。 子供のころから活躍する彼は、大人気である一方、めちゃくちゃな行動や発言もありネットのSNSに振り回されめちゃくちゃでした。
それにより��ンタルヘルスに悩んだ経験もあるジャスティン。現在もスマホは持たず、代わりにネットは人に頼んで仕事の連絡を取っているそう。
さらに夜6時から昼まで自分で決してネットを使用せず、デジタルデトックスをする生活を送っていると、2022年3月『Billboard』で明かした。
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「間違いなく、友人や知人や親族と境界線を持つことを学びました。もう誰かのためにこうしなきゃ、とは思わなくなった。 『NO』と言えるようになって安定しているし、人を助けたい気持ちはもちろんあるけど、それと同時に全部はできないと学んだのさ」
セレナ・ゴメス
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インスタグラムで「いいね!」がついた写真のTOP10に8枚もランクインし、名実共にインスタの女王となったセレーナ。
しかしその結果、SNS疲れで不安症とうつ病に。
治療のためスマホどころかインターネットを一切しないデジタル・デトックスを9ヶ月間以上続けている。スマホを持たないことでSNS断ちを行った効果についてセレーナは「とてもリフレッシュできたし、きちんとした感情を再び持つことができるようになった」とコメント。ファンとつながる大事なルーツだけど、SNSに振り回されて本当の自分を見失うことの怖さを身をもって知ったみたい。
エルトン・ジョン
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有名な曲を上げるとキリがない長年活躍する超世界的有名シンガー、エルトン・ジョン。 『Jimmy Kimmel Live!』で、スマホを持っていないことについてこうコメントしたエルトン。
「私の人生は素晴らしいです。1分に2回も連絡してくる人を避けられるから」 「スマートフォンを持つことにもう耐えられませんでした。」
シェイリーン・ウッドリー
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映画『ファミリー・ツリー』や『ダイバージェント』シリーズで知られる若手女優のシェイリーン。 雑誌『The Daily Beast』で、
「自分はアナログなタイプで、折りたたみ携帯電話を愛用しています」
と話していた。 「仕事でネットは最低限使うけど、普段は折りたたみ携帯電話でやり取りしてるんです。」
サイモン・コーウェル
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世界有数の音楽プロデューサーであり、世界一の有名オーディション番組『ブリテンズ・ゴット・タレント』『The X Factor』の司会で有名なサイモン。日本の芸人も出演して勝ち上がり話題になりました。
4年以上携帯をもっていない理由について 「もうiphoneに人生を振り回されたくないんです」 「ミーティングをしたり、会話したり、夕食を取ったりしているときに、みんなスマホを見ていますが、  そちらに気持ちを支配されきちんと人と向き合えていない証拠なんだと気づいたんです」
ヴィンス・ヴォーン
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映画ジュラシックパーク・ロストワールドやウェディング・クラッシャーズで知られる著名俳優は「Digital Spy」で告白。
「携帯電話にはイライラします。みんなSNSをいじったり、メールをしている。私の周りは持つことを脅迫してきます。 彼らによって公衆電話が恐竜のように絶滅しかけています。パークのように災害時にどうするつもりなのですか? 蔓延する「スマホ強迫性障害」にはなりたくないし、私は最後まで生き残ります。必要な状況にならない限り絶対に持たないと思います」
   
スマホがなくても「全然困らない」
 スマホを持っていない人たちの言い分をみると、「全然困らない」「スマホに心のゆとりや人生の時間を奪われたくない」という答えと、確固たる信念が共通しています。
スマホがあることが当たり前になっているネット依存の人にとっては、想像すらできない生活かもしれませんが、ほんの10数年ほど前にはスマホはまだなかったもの。
スマホを持たない暮らしを送っている彼らほど、心にゆとりと安定のある幸せな生活を送っています。
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leon-write · 1 year
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 思い立って電子版で新聞をとりはじめた。一人暮らしを機にテレビを見なくなり、ニュースはYahooとかで見るようにしてたんだけど、どうにも私の見方が良くなくて、心が波立つゴシップばっか見てしまって疲れたのがたぶん一番の原因な気がする。
 情報が欲しいのに、トップニュースだけ拾うとかサジェストされるニュースばっか見てたからだろう。あとは、Twitterでトレンドを眺めるとかそういう感じで情報に触れてたのも大きいのかな。ニュースのコメント欄や、トレンドに関する色んなツイートはかなり「感情的」で尖ってるのが多くて、なんか凄くぐったりするなぁと思うようになったのが最近だった。感情的な情報じゃなくて、もっと淡々としたニュースに触れたくなった。んで、できるだけ社会情勢のことに関するニュース。芸能とかそういうのはもういいやってなってた。
 そんな時にふと、家に届いた市報を何の気なしに読んだ。いつもはパーッと表紙を眺めて終わってたのを、頭からおしりまでじっくり読んでみた。市の情報とか、求人、今後やる催し物とか今やってる空手教室とかそういうのばっかりなんだけど、なんかちょっと楽しかった。へー、こんなのやってるんだ。はー、こんな求人あるんだとか、そんな感じが新鮮だった。
 それから、選挙に立候補した人の広報も一緒に届いてたから、こっちもじっくり読んでみた。実現可能なのかはともかく、どんな政策をやろうと志してるのかをざーっと見ていくと、何となく今何が注目度が高いかとか、その立候補者が所属してる党のなんとなくのカラーがぼんやり見えて、それも面白かった。ヤバい人もいたけど( ᐛ )
 んで、ああ、なんかいいなコレって思った。もちろん世の中の全部が見えるようになった訳でもないし、わかんない言葉とか知らないワードというか、言葉としては知ってるけど具体的にどのように問題かまでは知らないことが書いてあるけど、それがなんか楽しい。別に市政も政治もそこまで興味はないんだけど、その興味ないことも意外と面白いなって思った。自分が興味を持ってない世界がそこにあるのが面白かった。
 たぶん、Yahooニュースとかそういう検索エンジン系のニュースや、Twitterのトレンドって結局は「自分が興味を持っている事柄」に関してサジェストしてくれるから、そうじゃない��が新鮮に感じたんだろうな。テレビを見なくなって、情報をネットから仕入れようってなった時、記事を選ぶのは自分だから、どうしても「自分が興味を持っている事柄」を選んでたんだろうな。意識的にも無意識的にも。たまにそれは良くないと思って他のニュースにも触れようとするんだけど、でもたぶんそれもどこかで自分の興味の近くにあるものを選んじゃうんだろうな。だから似たような情報ばっかりになって、それをさらに詳しく知ろうとすると、それに詳しい人だったりそれに強い関心を持っている人の記事やツイートに触れる機会が多くなる。
 そして、深みに行けば行くほど「それだけに関心がある」みたいな人や、それについての激しい意見なんかにも触れるようになってくる。そこまで行くとかなり「感情的」な部分が強い意見が多くなってきて、その感情に当てられて怒ったり悲しんだりし始めて、その出来事の実態もよく知らないのに感情だけ先行するようになって、それに大なり小なり振り回されて疲れてくるのかなーと。さらに、検索エンジンやTwitterなどのSNSは、その人の興味にあった情報をサジェストしてくれる。そ���によってさらに「興味」の分野に特化した情報にばっかり触れるようになっていくから、その流れからなかなか抜けられなくなる。
 それにプラスして、検索エンジンやSNSは広告が散りばめられている。酷い時は記事の間とかにヌルッと入ってて、文章を読んでいる途中に挟まっててめちゃくちゃ読みづらくなったりする。気になったことを調べようと検索エンジンに単語を入れて検索して、それでたどり着いたサイトも広告まみれで文章が変なところで飛んでて読みにくい。それが地味にストレスだったんだなーと思う。先鋭化した意見の感情に振り回され、広告に振り回され、それで疲れたんじゃないかな、と。
 そして、市報や立候補者の広報にはそれがなかったから、ただ情報が並んでるだけだったから、それが凄く新鮮に感じたんだろうなと思う。淡々と並んでる情報が、動く広告や途中に差し挟まる広告を見ることなくスルスル読める。しかも、自分が興味無いことにもたくさん触れられて、そうなんだ!って思える。それが楽しく感じた。
 それで、それに一番触れられるのはなんだろうって考えたら、新聞のような気がしたんだな。ネットニュース見てても、新聞社の出している記事は思想の偏りはそれぞれの新聞社にあれど、それでも極端に先鋭化はしてないなとぼんやり感じてた。なんていうんだろう、文章のプロが書いた文章だな、みたいな。もちろん、深く読み込めばかなり偏ってたり、尖ってたりするものもあるんだけど、少なくとも「感情的」な部分が凄く少ないなと感じた。少なくとも、ゴシップ紙系のニュース記事とか、Twitterに流れている個人の文章と比較したら格段に感情が薄くて淡々としてた。情報の偏りはあっても、過度な感情論はほとんど無かった。だから、新聞なら感情に振り回されたりしなくて済みそうだなと。しかも、情報のサジェストは無くて、全 広くいろんな記事に触れられるかもって。経済や政治や社会、文化、科学などなど幅広く。
 そんなこんなを考えて、ノリと勢いで電子版の新聞をひとつサブスクリプションしてみた。実家が取ってたということで、日経新聞。かなり経済に重きを置いた新聞なんじゃないかなーと思うけど、なんとなく、だからこそそこまで思想の左右は無さそうだなという偏見も込みで🤣
 それが土曜日のお昼頃で、そこから土曜日の夕刊〜今日の夕刊まで全部の記事に目を通してた。ぶっちゃけ政治や経済や科学その他の専門用語も知らないし、背景知識もさっぱりないから( ᐛ )?って顔してるけど、それが楽しい。なんかよくわかんないけど、そんなこと起きてるんだとか、世界ではこんな取り組みがあるんだとか、それに触れるのが面白い。色んな世界があるんだなってわかるのが楽しい(*´艸`)
 もちろん、検索エンジンのニュースサイトが悪いとか、Twitterが悪いとか、サジェスト機能が悪いとかそういうんじゃない。そういうものだと知っていながら、それにズルズルっと引き摺られてた自分とか、自分が見たいものばかり選んでた自分が問題なんだよね。ようは、素敵なテクノロジーなのに、そのテクノロジーをちゃんと使えてないこと、使いこなせる能力が自分にない、あるいは育ってないことに気づけなかったり、あるいは気づいてても自分を律せなかった私の問題。便利だから、楽だからと頼ってたらなんかそれに振り回されてただけなんだよね、私🤣 だから、テクノロジーが悪いわけじゃない。使いこなす為の訓練や勉強が私に足らなかっただけ。
 どれだけ新聞購読の習慣を続けられるかは分からない。私は飽き性だし🤣 でも、続けられたらいいなーと思う。続けて、読み続けていくうちに知識を得て、今はわかんないこともわかるようになっていって、その先でテクノロジーと仲良くしたい。今はテクノロジーくんの方が出来が良くて、私がスットコドッコイだから振り回されてるけど、もう少し知識がついて、わからないことがわかるようになってきたら、今ほど振り回されずにテクノロジーと仲良くできる気がする。それに、意見も極端に尖らずにいられるかもしれない。そうなったらいいなぁ☺️
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monthly-ambigram · 8 months
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2023-10月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「ヒーロー」です◆
今月は参加者の皆様に「ヒーロー」のお題でアンビグラムを制作していただいております。  古今東西のヒーローにまつわる逆さ文字の数々をご覧ください。
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「勇者」 回転型:peanuts氏
勇者といえばヒーローの筆頭ですね。ゲームだけではなく神話においても英雄としての勇者は数多く語られています。 全体を斜めにすることで「勇」のパーツのずれの違和感を和らげています。正統���で王道を行く作品だと思います。ペンで書いたような作字もステキです。
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「正義」 回転重畳型:いんふぃにてぃ氏
正義こそヒーローの行動原理ですね。正義の反対はまた別の正義、という言葉もあり、真実と同じような意味合いを持つ言葉かもしれません。 「正」「義」それぞれを回転重畳型にしています。「回転重畳型×2」として並べることもできましたが、縮尺を変えることで一つのアンビグラムにまとめ上げているのが作者の工夫ですね。
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「英雄」 回転型:海氏
ヒーローは日本語で「英雄」ですね。 英雄という言葉にまつわる作品はいくつか寄せられましたが、まず正統派の回転型です。字画密度の差は「厷」を中心に据えて解決、字画の角度を一定のルールに揃えることで読みやすくまとまっています。
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「必殺技」 図地反転回転型:いとうさとし氏
ヒーローならば必殺技の一つや二つ使いたいものです。 見事な「殺」を中心に読みやすい図地反転アンビグラムに仕上がっています。ドット表現がゲームにマッチしそうで、必殺技を決めるヒーローの背景で光らせたくなるデザインです。
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「自己犠牲」 図地反転型:梅氏
自己犠牲の精神はよくヒーローと共に語られますね。 こちらのデザインは「犠牲」のほうに字画の区切り線があるため完全な図地反転の関係にはなっておりません。その意味で純粋なアンビグラムではないのですが、アンビグラム的表現の一つとして面白いデザインになっており作者の工夫が光っています。
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「大活躍」 回転型:lszk氏
ヒーローならば大活躍が確約されているものなのか、大活躍したからヒーローなのか。 氏には久しぶりに作品を寄せていただきましたが、相変わらずデフォルメした形状による作品が絶妙に読めるバランスで素晴らしいです。本作では翼のような形状が万能ですね。
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「ひろいんとひいろう」 旋回型:kawahar氏
ヒーローとともによく語られるヒロインですが男女の違いだけではなく非対称性がある点は興味深いところ。 氏は多面相旋回型を得意としていますが本作でも六面相に仕上げていて感心します。鏡像と回転により文字が変化する、バランスの調整具合をご覧ください。
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「スーパーヒーロー」 回転型:lszk氏
スーパーヒーローは主にフィクションで超自然的な力を持つヒーロー。人により思い浮かべるスーパーヒーローも違うでしょう。 デザインとしては中央に力が集中していくかのよう。後半「ーロ」の部分の重ね処理を自然に見せるため「パーヒ」の部分も重ね処理をしており、文字列の配置が絶妙です。
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「英雄/色を好む」 振動型:ヨウヘイ氏
「英雄色を好む」とは「英雄は活力にあふれ何事にも精力的に活動するため女性関係も積極的で派手」という意味。英雄ならそれでも許される、というニュアンスもあります。 「英/色」の下部分の処理、「隹/好む」の対応がうまく調整されています。太い文字なので切り欠きをうまく使うことができるのですね。言葉の選択が面白いです。
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「ダークヒーロー」  回転型:mishima氏
ダークヒーローは正義の味方として描かれない主人公でアンチヒーローとも。 ダークヒーローのシルエットをロゴに取り入れていてかっこいいですね。オーラのように燃え上がる形状が文字のゲシュタルトにうまく取り入れられておりステキです。
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「剛烈/疾風」 回転共存型:兼吉共心堂氏
仮面ライダージオウに登場する「仮面ライダーゲイツ」の強化フォーム「仮面ライダーゲイツリバイブ」の二つの変身フォームが「剛烈&疾風」だそうです。 この二つの言葉の相性が良すぎますが、氏の書道風の筆致によりより自然な仕上がりになっていると思います。気持ちよい作品です。
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「響鬼」 振動型:.38氏
「仮面ライダー響鬼」より。 決して近くはない「響/鬼」の二文字の中間点をうまく探し出して仕上げられています。実際のタイトルロゴに似せたデザインなのもよいですね。
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「科学忍者隊ガッチャマン」 図地反転回転型:いとうさとし氏
1974年から放映された変身ヒーローアニメ。タツノコプロの代表作の一つです。 「科学忍者隊」「ガッチャマン」がそれぞれ図地反転回転型の作品になっています。「ガッチャマン」はカタカナで字形を崩すと読めなくなりやすいのですが、しっかり読めるようになっている配置が魔術的です。
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「僕のヒーローアカデミア」 鏡像型:ぺんぺん草氏
ヒーローと名の付く漫画といえばこれでしょう。種々メディア展開された���気作です。 本家ロゴに似せたステキな作品ですね。「僕/デミア」のハマり具合が楽しいです。本家ロゴのテイストでアンビグラム化できるかは運命的なところもあり、奇跡的な作品ともいえます。
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「秘密戦隊ゴレンジャー」 図地反転型:いとうさとし氏
所謂「スーパー戦隊もの」の第一作。集団戦隊ヒーローのフォーマットが第一作にして確立されました。 「秘/密」「戦/隊」「ゴレン/ジャー」がそれぞれ図地反転の関係です。対応付けの仕方に統一性がありながらどの文字の可読性も確保されており、さすが達人の仕事です。
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「シン・仮面ライダー/第1バッタオーグ」 回転共存型:兼吉共心堂氏
シン・仮面ライダーと、それに登場するショッカー上級構成員の対応。「第2~」でもできそうです。字画密度の差がある言葉同士を対応付けようという発想がいつもすごいと思いますし、それを作品に仕上げる力量が素晴らしいです。
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「五右ヱ門」 鏡像型:うら紙氏
安土桃山時代の盗賊の首長であった石川五右衛門、彼を創作材料とした作品は多くその中にはこの表記としたものもあります。 環状配置の作品ですが、上下左右に文字が配置される点が珍しいです。略字の「门」にしているのがぴったりですね。左に45度回転させると隈取のようにも見えてきます。
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「天下人」 鏡像型:.38氏
天下人は全国の政権を掌握した人のことで、ヒーローともダークヒーローとも見ることができそうです。 「天/下人」でシンプルな対応ながらパースをかけたようなデザインにより「天」第2画の短さと「下」の点の突き出しが自然に見えるようにしています。周りにある隠し文字もよいですね。
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「桃太郎」 回転型:オルドビス紀氏
おとぎ話のヒーローといえば桃太郎を連想する人が多そうです。 余る字画がほとんどなく仕上がっているのにも驚きですが、余った分も横画が細い様式と左上優先の法則の活用で全く気にならないですね。美しく素晴らしい作品です。
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「野茂英雄」 回転型:douse氏
「英雄」といえばこちらに発想を飛ばすのも自然。名前もさることながら野球選手としての実績もヒーローといってよいでしょう。 「野茂/英雄」がハマりすぎで気持ちよいです。作字としても最高ですね。ストレートとフォークボールを連想させるモチーフがステキです。
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「さらば一昨日殺人ライナー」 回転型:Σ氏
HACHI(米津玄師)の楽曲「パンダヒーロー」の一節。 巧みな文字組と掠れ処理の組み合わせで文字の切れ目をコントロールしています。中央の「日」を「昨」のひへんの字形と揃えているのは作字面でのこだわりですね。カッコいいです。
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「Q.17 ヒーローを右のコンテナに入れろ」 回転型:いんふぃにてぃ氏
パズルゲーム『Q』より、17問目からの引用とのこと。 180度回転型というのは解き方を示唆している、のでしょうか……? 発想の飛ばし方がさすがです。長い文字列への挑戦もよいですね。
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「痛みを知るただ1人であれ」 回転型:螺旋氏
シン・ウルトラマンの主題歌『M八七』の中の一節。映画の内容にマッチした印象的な歌詞です。 とにかく細かいところの対応をじっくり見てしまいます。特に曲線がきれいに調整されていてので見ていて気持ちよく、カッコいい作品です。
 最後に私の作品を。
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「英雄/悪役」 回転共存型:igatoxin
ヒーローと対立するものとしてヴィランが描かれますが、対極にあるものではないのかもしれません。
ヒーローがお題のアンビグラム祭、いかがでしたでしょう。皆さんの発想に触れヒーローとは何たるものかに思いを馳せ、幾重にも楽しめるものになったのではないでしょうか。お忙しい中 御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。
さて次回のお題は『ゲーム』です。ゲームから連想する語句、ゲームタイトル、ゲームキャラクター、なんでもOKです。締切は10/31、発行は11/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
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2023年 1月{フリー}   2月{TV}        3月{クイズ}        4月{健康}   5月{回文}    6月{本}               7月{神話}   8月{ジャングル} 9月{日本史}  
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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ari0921 · 10 months
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我が国の未来を見通す(77)
『強靭な国家』を造る(14)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その4)
宗像久男(元陸将)
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□はじめに
 前回、字数の関係で先送りした“論点”を先に紹
介しておきます。先日、都内某駅前の道路を歩いて
いた時、ある建物の入り口いっぱいに「軍拡より生
活 平和な未来を」と2行にわたる大きなポスター
のような看板が目に入ってきました。確かにそのよ
うな主張する政党などもありますので、政党か何か
の建物かと思って注意深くみてみますと、何と、立
派な“病院”でした(細部はあえて省略します)。
しばらくの間、「病気やけがを治し、人の命を救う
病院の玄関にふさわしいのだろうか」との疑問が頭
から離れませんでした。
最近、沖縄の与那国島では「自衛隊が来たからミサ
イル攻撃の目標になるのが怖い」と発言する住民の
声があたかも島民の大多数の考えのように報道され
たり、石垣島では「自衛隊を人口に含めるな」との
某地元紙の社説も波紋を呼びました(さすがに後日、
謝罪記事を掲載したようですが)。
現役時代から、何度もこのような主張を耳にしてき
ましたが、立場上表立った反論はできませんでした。
今はもう“失うものはない”ので、あくまで個人的
な率直な印象のみを述べておきたいと思います。
病院の看板は、「軍拡、つまり防衛力を増強すれば、
生活が苦しくなり、平和も壊れる」と言いたげなフ
レーズですが、逆に「軍拡さえしなければ、生活が
豊かになり、平和も続く」と信じ込んでいるのでし
ょうか。
言うまでなく、防衛力を増強し、自衛隊を国土の隅
々まで配置する目的は、現在の国民の生活や我が国
の平和が永遠に続くよう万全を尽くすとともに、万
が一にもそれが侵されそうな事態になった時には、
まさに“病院が病人やけが人を治す”ように、被害
を最小限にするための処置です。つまり、上記のフ
レーズは、言葉を代えれば、「病院があるから、病
人やけが人が出る」と言っていることと同じなので
す。優秀な医者の先生方の集まりである病院がなぜ
そのことに気がつかないのか、不思議でなりません。
残念なのは、このような方々は、「普段の生活や平
和がどうやって維持されているのか」などには全く
考えが及ばず、それどころか、「何も抵抗せずにし
て外国に占領されても、普段の生活や平和が維持で
きる」と勝手に思い込んでいる節があることです。
古くは欧米列国の植民地、現在でも中国の占領下に
あるチベットや新疆ウイグルで何が行なわれている
かを知れば、そのような考えは一挙に吹っ飛ぶはず
です。
関係しているマスコミ人も同様の認識なのでしょう。
「表現の自由」を盾に、「自衛隊がいなくなれば、
簡単に占領されてしまう可能性がある」ことなどに
は全く思いが至らず、“思慮が至らない”街中の声
をあたかも真っ当な意見のように報道するのだと思
います。
我が国は、戦後70年余りの間に、どうしてこのよ
うな“能天気な大人たち”を大量に輩出してしまっ
ているのでしょうか。それでも、一般の国民の皆様
には正確な情報が届かず、学校でも教えられず(た
ぶん、逆のことを教えられ)、国の防衛などについ
て考える機会も余裕もなかったと言い訳ができるこ
とでしょう。
しかし、一部のマスコミや政治家、そしてその道で
は優れた知見をお持ちの高名な有識者の中にも同じ
ような思想を持っている人がかなりおられるのはシ
ョックです。一例を挙げましょう。最近、手に取っ
て読ませていただいた1冊に『主権者を疑う』(駒
村圭吾著)があり、「主権者とは何か」を考えさせ
てくれる、私に取りましてはとても興味深い1冊で
した。
しかし、その「はしがき」には、「改憲と言う重大
なプロジェクトの前提となるような、“今そこにあ
る危機”や“忍び寄る危機”がどうしても見当たら
ない。少なくともそれらが“国民に共有される”よ
うなかたちで議論が展開されていない」として、著
者は、「憲法改正を否定しているわけではないが、
私が否定的なのは、意味不明な政治状況で改憲が提
案され、議論されることに対してである」との立場
を述べていました。
ことさら批判する気はありませんが、正直、「これ
ほど優秀な方が、またこれほど勉強しているのに、
もったいないな」との印象を持たざるを得ませんで
した。書籍を発刊するような有識者は、少なくとも
国民を誤って誘導するような言動は厳に慎むべきと
思いますが、現時点においても我が国には様々な課
題が山積しており、近未来も、遠い将来も、国内外
の情勢がますます厳しくなる可能性が大と考えます。
一方、これほどの「危機」が差し迫っていても、
“眼をふさぎ、耳を閉じ、関心を持たなければ”何
も見えません。そして、そのような自分自身を、不
勉強とも、偏っているとも、恥とも思っていないこ
とでしょう。
私が「もったいない」と考えたのは、少しでもそれ
らに気がつけば、また違った視点で「主権者」につ
いて解説できたのではないか、と考えたからでした。
このような認識の方々から導かれる結論は、せいぜ
い「今のままで何が悪いのか」でしょう。かなり多
くの政治家、マスコミ人、有識者、そして我が国の
未来などに関心もなければ考えたこともない、大多
数の国民はこのような認識で留まっているものと想
像します。そして、そのような“現実”を知ってい
るから、小室氏のような方でも“歩き出す”で止ま
ってしまったではないでしょうか。
我が国の最大の課題・問題点は、小室氏が「アノミ
ー」と表現した社会現象に代表され、かつ「権利の
み主張し、義務を果たさない国民」とか「3メート
ル以内しか関心がない若者」と揶揄されるような、
多くの日本人の「行動原理」にあると考えます。そ
れが「政局と選挙しか考えない政治家」とか、自己
主張に固守し「目立つことしか考えない言論人」な
どを生み出し、それが巡り巡って、このような現状
を“矯正”できない主要因となっていると考えます。
よって、少数の先見者が様々な形で警鐘を鳴らして
も、あるいはウクライナ戦争のような具体例をもっ
て注意喚起してもほとんど届かないのでしょう。
我が国が少なくとも現状程度の「国力」を保持し、
国際社会で「名誉する地位」を保ちながら、後世に
この日本を残すために、私たちの世代がやらなけれ
ばならないことは、「国力」の要素のどれ一つとし
て簡単なものはないと思います。どうしても「ソフ
ト・パワー」として、個々の要素を束ねて向かうべ
き方向を定める「国家戦略」のようなものが必要と
考えていた矢先でした。
偶然にも「戦略は統治を超えられない」という言葉
を見つけ(『軍事と政治 日本の選択』(細谷雄一
編)より)、再び立ち止まりました。歴史を振り返
ると、大正時代の政治家や有識者たちも当時の内外
情勢の変化などに無頓着で、主に大日本帝国憲法に
謳われている我が国の「統治機構」がこのままでよ
いのか、などには露ほども思いが至らなかったよう
ですが、それが「激動の昭和」を迎える大きな要因
にもなりました。
見方によっては、大正時代と現在は“よく似てい
る”と考えますが、最大の違いは「主権が国民にあ
る」ことでしょう。つまり、最終的には、どうして
も“統治”の主役である「主権者」の「行動原理」、
その基となる「国民の精神」に行き着くのです。
「戦略は統治を超えられない」は、改めて、「現憲
法下で我が国は未来へ立ち向かうことができるのか」
を私達に突き付けているような“重い言葉”となっ
て響いてきます。そしてその先に、大方の“能天気
な国民の精神”を、戦争や天変地異や外圧に委ねる
ことなく、“内側からの改革”として、どのように
変えていけばよいのだろうか、という命題に突き当
たるのです。
細部はいずれまた触れることにしますが、またして
も「任重く道遠し」の感を一層強くしながらも、気
を取り直して、今回以降、再定義した「国力」のそ
れぞれの要素を分解しつつ、我が国が向かうべき方
向、私たちの世代があらゆるものに優先してやるべ
きこと、やらなければならないことを微力ながら導
き出そうと思います。
▼「人口」が「国力」に及ぼす影響
「はじめに」が長くなりました。さっそく 前回取
り上げたように、「国力」の柱となる「ハード・パ
ワー」のそれぞれの要素から考えてみましょう。そ
の筆頭は「人口」です。
これについては、本メルマガの第1編で18回にわ
たり、様々な角度から割と詳しく分析し、書き綴り
ました。興味ある方は、バックナンバーをお読みい
ただきたいと思います。それにしても、最近、「少
子化対策」などを取り上げる記事や解説が目立つよ
うになりました。「少子化」などの文字自体が多く
の国民の目に触れることはとても良いことと思いま
す。
私はすでに、「少子化対策」として「“3人産んだ
ら家が建つ”くらいの超異次元の政策が必要」と主
張しましたが、マクロ経済学の専門家・小黒一正氏
も「第3子以降、1時金1000万円に」と抜本的
な対策を提案していました(産経新聞6面(7月9
日朝刊))。小黒氏は、「“既婚者にさらに一人で
も多く産んでもらう”『有配偶出生数』を引き上げ
ことに資源を集中すべき」として、そちらの方が婚
姻率などを高めることなどより“近道”としていま
す。
最近、マスコミでは「500万円の壁」が話題にな
っています。内閣府の資料では、男性の有配偶者の
年収「500万円」が“子供を持つかどうかを分け
る最低ラインになっている”とのことです。一方、
既婚男性の年収は400万円台が最多で、不足分は
共稼ぎによって「500万円の壁」を突破している
ようですが、そうなると、出産・子育てを機に仕事
を辞めざるを得ないケースも珍しくありません。
すでに、パパ育休制度の推進とか児童手当の増額な
ども「こども未来戦略方針」に盛り込まれています
が、「月額数万円を増額したことで結婚や出産に踏
み切る人は少数派だろう」と分析されていることも
事実です。その対策として、公務員やサラリーマン
など社会全体で、“子育てが終了した世代の賃上げ
は抑制してでも、若者世代の賃上げを優先する”よ
うな、思い切った給与制度の改善なども必要なので
しょう。
イマイチ盛り上がりに欠けることに危機意識を持っ
たのでしょうか、岸田首相は、「政策を気兼ねなく
活用してもらうために社会が変わらなければならな
い」として、「少子化対策国民運動」をスタートす
ることを決意したようです。
しかし、今後、この国民運動が盛り上がるかどうか
は疑問でしょう。「どうやって社会自体をかえてい
くか」の提示もなければ、「最近の支持率低下を防
止するためのその場凌ぎ」などと揶揄されているよ
うでは、首相の“発信力(本気度)”が国民に届く
可能性が低いように思えてなりません(読む限り、
関連記事も1回のみでした)。
メルマガですでに取り上げましたが、我が国は、非
嫡出子が2.3%と50%を超える���ランスや北欧
諸国などと比較してとても低いことを例示しながら、
「日本の『少子化』の原因は、『直系家族病の病』」
だ」とするような意見(『老人支配国家日本の危機』
(エマニエル・トッド著))もあります。
トッドは、「核家族」化が進んできたとはいえ、
「日本に依然として強く残っている『家族』の過剰
な重視が『非婚化』や『少子化』を生み、逆に『家
族』を消滅させてしまっ��いる」というのです。そ
の対策として、欧米のように、子育ても老人介護も
公的扶助によって「家族」の負担を軽減させる(ほ
ぼゼロにする)必要があると提言します。
これは、後に述べる日本の「文化」の問題でもある
のですが、「人口」は「経済力」と正比例の関係に
あることから、「国力」維持の“一丁目一番地”と
も言えるでしょう。その「人口」���確保するために
は、我が国の伝統的な「文化」の領域にまで踏み込
んで考える必要があるという点には私も同意です。
さて、「人口」の中の要素の「人的資源」について
これまでほとんど触れませんでした。世界に誇れる
「ものづくり」の精神や技術、及び(すでに紹介し
ましたような)無形の価値としての「インタンジブ
ルス」のようなものはすべてこの「人的資源」に包
含されると考えます。
一方で、後に詳しく述べる「教育」の実態や最近の
若い世代の価値観、そして「働き方改革」などによ
って大きな曲がり角にある雇用環境など考える時、
「将来の『人的資源』は大丈夫だろうか」との懸念
を払しょくできないことも事実です。
「少子化」になればなるほど、一人ひとりの「真の
力」が試される機会が増えることは間違いないでし
ょう。幸い、AIをはじめデジタル化やロボットの
活用など、人的資源を補完する資源が増える傾向に
ありますが、それらを有効かつ適切に使いこなすの
は何と言っても「人間」でしょうから、「人口」の
質的側面の尺度としての「人的資源」は、“その時
代時代に適合する人材をいかに多く抱えるか”に集
約されると考えます。そのような視点に立った教育
や人材育成が求められてきていますが、それぞれの
“現場”はどうなっているのでしょうか。この続き
は、「教育」のところで触れたいと思います。
「高齢化」の問題点については第1編で詳しく取り
上げましたので省略しますが、焦点は、“「少子化」
がさらに加速すれば、国が滅ぶ”との「危機意識」
を全国民が共有できるかどうか、そしてどのように
して共有するか、にかかっていると考えます。
このような発言をすると“袋叩き”に遭うような気
もしますが、かつての日本には「産めよ、増やせよ」
という時代があったのです。この後に「地に満ちよ」
と続くフレーズは旧約聖書の言葉ですが、大東亜戦
争最中の昭和16(1941)年1月22日に閣議
決定されました。いわゆる“敵国”のフレーズをそ
のまま引用して人口増加を目論んだ当時の為政者た
ちは相当先の日本まで思い描いていたことでしょう。
今では、「軍国主義の象徴的な人口政策で、個人の
権利を侵害する決定であった」旨の批判もあります
が、翌日の「朝日新聞」1面は、「日本民族悠久の
発展へ」の大見出しで本閣議決定がトップ記事で紹
介されていました。敗戦はしましたが、この「唱導」
(当時は、このように呼んでいました)のもとの国
民精神が全国津々浦々に行き渡り、終戦時の約7千
2百万人から、終戦直後のベビーブームを含めて、
現在の1億人を超える大国になるまで成長させたの
でした。
ちなみに昭和26年生まれの私は、7人兄弟の末っ
子ですが、私たちの親の世代は、終戦後の食料事情
が極端に悪い中でも、我が国の未来のために子孫を
残してきたのです。「時代が違う」と言えばそれま
でですが、戦争を体験した世代のご苦労に比べれば、
「500万円の壁」などはさほどの障壁ではないと
思ってしまいます。要は、国民がこぞって「危機意
識」を持つかどうかにあると私は考えます。
そのためには、目先の「少子化対策」とか、言葉だ
けが先行している「こども未来戦略方針」などの内
容では何とも不十分で、冒頭に述べたような、「国
の形」を問う「国家戦略」の範疇に及ぶものと考え
ます。それについてはのちほど取り上げましょう。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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retepom · 8 months
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推しが好きだと叫びたい[Vol.007]
 お久しぶりです皆さん。狂気の記事が帰ってきました(約7ヶ月ぶり7回目)。単行本17巻18巻は勿論読まれましたね?そうでなければこんな記事は開かないはずだ。そうだな??改めて今ループの活躍目覚ましく表紙にも連続起用される推し…クリード=デッカード(少尉)について語り散らしていきたいと 思うわけです。これまでの歩みはVol.001〜006をご覧ください。今までも頭おかしくなっちゃうくらい語っていますけれど、今ループの活躍は本当に…大丈夫か?となる。大きく戦争編と宇宙編に分けて話しますが長尺記事になるので連休で暇を持て余している方推奨です。
【戦争編】
ブロージャ紛争における情報量があまりにも多くて毎回毎回フォロワーさんに安否確認をされていたような気がします。それはそう。
▷No.145 IN THE WAR
ボイド=ボルクスの加入で大熱狂の中はじまる否定者戦争編。改めて振り返ると鬼の様なテンポです。今ループ初登場のホウキアタマ&傷跡一本&実は公式初登場の喫煙描写&あまりにも胸板が厚いまだ不減じゃないクリードという情報の洪水に死にかけました。ビリーとクリードの煙草の吸い方はやっぱり意図して描き分けられていると感じる。噛み癖って精神的な不安とかが影響してるって聞きますけれど実際どうなんですかね。前ループでも腕組みが多かったのでそういう警戒心の強さとか神経質さがね わかってこう ふふ
▷No.147 RUN−IN
テラーヒロイン回。この悲劇に無慈悲な一撃を食らわせるのは隊長…え!?隊長!!?ここで前ループ9巻プロフィールの“部下へのスパルタ教育”が脳裏を過る。それはそうと口元だけでも顔がいい。非道に見える判断と『情でキレた相手程読みやすい敵はいない』『戦争を終わらせるって事ぁこういう事だ』『早く帰りたきゃ心を悪魔に売れ』という台詞の畳み掛け、表情の険しさ。戦争は善悪じゃない…そういう……覚悟が……必要なんだよなァ…………どうして彼は軍人という職業を選んだのでしょうか。いつか話してくれる日が来ますか。ちなみに「不明瞭な報告はやめろ 死にてえのか」がめちゃくちゃにすきです。ずっと言ってますが言葉選びが全体的に好き。
▷No.148 三番目の犬
こちらの回は情報量的に本誌感想読んでもらっても良いかもしれない。Tumblr版以外だとprivatter版(https://privatter.net/p/9820173)もあります。クリード隊の皆さんがジブリのモブっぽくて好きですね…早くプロフィールを知りたい。ミリタリーバイクで飛び出してくる隊長の刺激が強すぎて本誌当時頭がどうにかなりそうでした。思考がワンテンポ早いという公式の出雲風子所見で涙する。優秀なんだなぁ…ハァ……しかしどの台詞をとっても部下の事…デッカード少尉という立場の開示…敬語が使える…攻めてるの髪型だけでは!?上司にしたい否定者ランキング第一位は間違い無いだろう。学歴もありそうだし免許も資格もそこそこ持ってるんだろうな…収入も安定してるんだろ……しかも顔がいい…完璧かよ…?え??UNDER最凶とまで言われたクリード=デッカード……どんな気持ちで核のボタン押してたんですか。何を感じて男子高校生殴ってたんですか。しかしまぁアレはあれで活き活きしてた気がしなくもない。そういうとこも好き………「命は減ったら戻らない」ことを知っている男が闇競売が行われている豪華客船上でマフィアをドンジャカ撃ち殺すシーンがもうすぐアニメで見られるってマジですか???興奮してきたな………
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▷No.149 You see me now?
ショーン・ダッツメイン回。主な内容についてはこちらも本誌感想を参照のこと。多分書いてたと思います。Tumblrのアーカイブ、PC版じゃないと見られないからちょっと不便なんですよね。ナメてかかった10代に反撃されて負けるノルマでもあるのかこの人はまったく…そういうところも好きです……でもここで見せる怒りの感情は最もなんだよなあ。盾の中に何人か手練れがいる、というシーン、その手練れをまとめて相手にしてるアンタは何なんだ??舌打ちしながら手榴弾も『減らない』って気付くクリード隊長ね…もうね……困るよ…弾幕張りっぱなしで投げてきてるの意味がわからないからね………そしてこの回以降上着が行方不明になります。笑う。
▷No.150 No more war!
出雲風子の功夫にも耐えうる身体!最高です。流石にイチコさんに処置してもらったぽいけれど。ホントに上着どこいったんですか?敵味方両陣営の絨毯爆撃に憤怒し、誰より『減らすための戦争』を望んでいた男。信じてついてきてくれた部下たちを思う言葉。何から何までもう…十三人一首の『戦友の悲願』『戦の理を殺めても』という謎の多かった一節を紐解いていく鍵となる彼自身の人間性が見えてきますね。そして部下を助けてくれた恩を返すと言ってくれる隊長…風子との会話もね……こんなん…ね……「風子からのプレゼント」である不殺のゴム弾。抜けない刀で木を圧し折る侍とか拳だけでどうにかしてるっぽい自分ぐらいデカい男とか更にデカい鎧武者とかに囲まれてんの改めてどうかしてるんですけれどきっちり風子の背中を押してくれるの最高なんだよな……あと今後も度々言うかもしれませんがカタカナ表記の「フウコ」呼びが好きです。単行本だとここにビフォアフが挟まります。横傷の原因は多分ビリーなんですがコレは18巻に入る内容ですね。ちなみに17巻最終の次の回では金斗雲に当然のように乗れることがわかる。
さて皆さんそろそろ18巻の準備をしてね。なんと人物紹介にいるんですよクリード=デッカード少尉が!!!
▷No.152 Gun Fight
UNDERクラスタが突然死ぬ回。焼け野原だよ。ディスクも奪われ半ば自棄を起こして戦いを挑むクリードと受けて立つビリー、最初のコピーが不減ってことは解除される条件も含めて何かしらやり取りがあったはずなのでエピソードオブブロージャは一刻も早くスピンオフしてくれ。頼みました。敵だった俺に声かけちまう甘ちゃんのビリー、という台詞めちゃくちゃ好きです。ここでしれっと横傷の追加と髪型変更が行われている理由はわからないままですが瓦礫の中でもスーツというか軍服を着る選択をしているのは何故なんだろう。これはもう前ループからずっと気になってるところですけれどね。会議っぽいシーンは着る主義なんですか?世界の終わりにも着てたね……基地では着る主義…??あとはファンを勧誘している。やっぱり中国語が堪能なんですか?何故ですか??生物としてのスペックが高すぎるのでは???
▷No.153 Fair play
「指揮官がなにベソかいてんだ!!」
「士気が減る!!引っこめろ!!」
全 部 大 好 き
いやもう…読者待望の叱ってくれる大人……こんなん……泣くな!じゃないのがなんか可愛い。引っこめろってのも可愛い。この回、戦争編の大団円なんですがディスクも吹っ飛んじまったって大口開けて笑うクリードが見られるんですよね……なんかもう色々おかしくなっちゃって笑い出す軍人トリオ大好きです………前ループでは見られなかった笑顔なんだ…………軍人が入るんだからキツイの回せって言ってくれる頼り甲斐。でも宇宙って聞いたら流石に驚くのもすき。本当に大好き………ありがとう否定者戦争編……
【宇宙編】
あらゆる面で有能であることが証明されました。この軍人 スケベなだけじゃなくエリートすぎる…推しが推されている世界線で生きていけることに感謝しながら宇宙編、行くぜ!!!
▷No.154 Select
UNION制服の着こなしが高校球児。2m超えしかできないアイコンタクトありがとうございます。突然やってくる推しのモテ期。宇宙に選抜されることが確定している頁で既に死を覚悟したのにもう新装備供給されてて気が狂いそうでした。扉絵だけじゃなかったんかい!!でも扉絵の方見ると既に『5』の数字が。この次点でⅤ席はほぼ確定事項だったんですかね。
▷No.155 お困りのようだな
ジナショ大暴れ!の回です。戦闘員として率先して危険に立ち向かう覚悟…ヒイ……という空気を塗り替えてくれてありがとうジナショ…オマケ頁で怒り狂うニコを取り押さえてるの解釈一致すぎて大喜びしました。
▷No.156 Right Stuff
「処分は?リーダー」という第一声が最高すぎて頭を抱えました。組織に属するものとしてのスタンスが1番ある…立場をわきまえた上で判断を促す言葉をあえて投げかけ『それだけのことをしてしまったんだ』という事実を二人にも暗に解からせるこの……わかりますか!?それはそうと一発一億の武器支給されて「ヒュー!」となる潜在的な茶目っ気も大好きです……ニコがシリアスな考察モノローグしているコマで仕事をやり遂げたショーン=ダッツの頭を撫でてるの隙がない大人!!会話を!!!聞かせてよ!!!
▷No.157 Save You
フィルくんの謎が紐解かれていく回。会話している間通路で見張りしてるのが本当に隙がなくて……役割を徹底して果たせる大人…殿を引き受けながらもシャッターからジーナを遠ざける判断をサッとしてるのもさ…そういうところですよ隊長!!!!
▷No.158 Don't think.Feel
通路に最後まで残って敵の様子を観察している…冷静に分析して……ディスカッションに活かす…え?かっこよすぎませんか??宇宙に来た意味がありすぎる……流石満場一致選抜男………フィルくんの活躍については本誌感想で触れてるのでよければ探して読んでみてね!!次の回で前ループの記憶を手に入れるってことは最後に共闘したのがクリードってこともわかるんだなあって思うと言いようのないエモさが駆け抜けます……
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▷No.160 Welcome to Earth
こちらも主な内容については本誌感想でどうぞ!宇宙船操縦技術をしれっと身につけてんの改めてどうかしてるな……と思いました。ギリギリの状況下で笑うタイプの男…たまんねえよ……地球に帰ってきて一番最初にすんのが喫煙なの戸塚先生の性癖に忠実な描写すぎるから頭おかしくなりそうでした。最高だわ。宇宙で「帰ったら何する」「…煙草だな」「わかる…」って話してたんか!?身体は大事にしてほしいがそれはそうとバカスカ吸ってくれ!!
【〜最新話まで】
宇宙編のあとはメイちゃん遭遇の食事シーンのあとから暫く大きな出番なく過ごしているんですけれど、学園潜入中の留守番組として何してたんだろうとか、15年スキップで誰も連れて行かなかったけれど家族とかはいるんだろうかとか、15年ぶりの部下との再会はどうだったんだろうとか、あまりにも幕間に幻覚の余地がありすぎて楽しいんですがオイオイオイオイオイおなんだその新装備品は!!!!!!!!!!(正気をセーヌ川に投げ捨てる)
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…よし。とりあえず明日の本誌前に頭の中は整理できたかな……ここまで読んでいただいてありがとうございます。これからも元気に推し活していきますので各位よろしくね!!!!そして今月10月20日はクリード=デッカードのお誕生日!!!!!みんなでお祝いしようッッッッ
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kennak · 9 months
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大手メディアがジャニーズ問題について振り返るのはやはり限界があるのか。そう思わざるを得ない出来事だった。今年4月のカウアン・オカモト氏による外国人記者クラブでの会見以降、新聞メディアの中では比較的手厚く問題を報じ続けている朝日新聞は6月29日付の朝刊第三社会面で、不定期でメディアの問題を扱う企画「Media Times(メディアタイムズ)」でジャニーズ問題とメディアの関係について特集した。ジャニー喜多川氏による性加害が野放しになってきたのは、メディアがそれを看過してきたからでもある。テレビ局だけではなく、新聞、出版にもおよぶジャニーズのメディアコントロールの手法と、いまだ強くのこる影響力に、朝日新聞元記者でガーシー被告に密着した『悪党 潜入300日 ドバイ・ガーシー一味』が話題のノンフィクション作家、伊藤喜之氏が迫る。 目次 これまでの関係には触れないアンケート「上層部は過去の関係を有耶無耶にしたい」「メディアコントロール」の手法を明らかに「ジャニーさんのことを、みんな慕っていたのよ」「親から信頼を受けて大事なお子さんを預かる」ジャニーズ副社長の信頼厚い「ベテラン記者」突然、連載が打ち切られたのはなぜか これまでの関係には触れないアンケート記事のリード文では、ジャニー喜多川氏の性加害問題について「新聞やテレビが早い段階から報じなかったことに、批判の声があがっている」と指摘し、「どこに問題があったのかを考えた」と切り口を設定していた。自社とジャニーズの関係についてある程度踏み込んでくれるのだろうと筆者は期待を膨らませた。しかし、結論から言えば、それは落胆に終わった。主な新聞社やテレビ局にアンケートを取っていたが、長年報じなかったことへの受け止めと今後の報道姿勢を問う内容であり、これまでのジャニーズ事務所との関係について回答させるものではなかった。事務所の過去の関係については問わなかった(2023年6月29日朝日新聞朝刊) (Media Times)長年報じず、新聞・テレビに批判 ジャニーズ性加害問題:朝日新聞デジタル  ジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川氏(2019年に死去)の所属タレントへの性加害問題について、新聞やテレビが早い段 www.asahi.com 朝日新聞の見解として、野村周ゼネラルエディター兼東京本社編集局長は「性加害、とりわけ男性への性加害という問題に対する認識が不足していたことなどが根底にあったと思います。ご批判は真摯に受け止めます」とメディアの責任に言及した。自主的に振り返ることもないもしていないメディアと比較すれば、一定の評価もできると言えるかもしれない。しかし、肝心な過去の対応などについての検証は一切なかった。「上層部は過去の関係を有耶無耶にしたい」こうした姿勢は「自己批判をした」と前向きな評価の声も多かった6月17日放送のTBSの報道特集でも似たようなものだった。「メディアの姿勢を含め検証します」とし、番組アナウンサーが「私たちがこの問題を取り上げてこなかった理由の1つは、テレビ局の様々な部署がジャニーズ事務所と深い関係を持っていることがあった」と指摘したものの、そうした番組制作現場での具体的な「深い関係」がどうであったかについて言及はなかった。取材した、ある新聞社の記者は「絶対に情報源がわからないようにしてください」と私に求めながら、こう指摘した。「対応があまりに中途半端でウミを出しきれていない。上層部は過去の関係については、このまま有耶無耶で終わらせた方がいいと思っているんじゃないか」この新聞社では社内の一部から自社とジャニーズの関係について踏み込んで検証すべきだという声が上がっているが、編集幹部の反応は鈍いという。「メディアコントロール」の手法を明らかに私も、この記者と同じ問題意識を持っている。ジャニーズとの関係がどのようなものであったかをつまびらかにし、過去の教訓として共有しなければ、再び同じようなことが起きかねないのではないか。ジャニーズ側がどのようにメディアの担当者、記者や編集者らと関係を築き、どのように「都合の良い」番組や記事が量産させてきたか、ジャニーズ側がメディアコントロールをどのように効かせてきたか、を明らかにする必要がある。メディアはいまだ配慮をしているかのようだ(ジャニーズ事務所ホームページより)ここまで問題化しながら、それでも既存メディアはジャニーズ側に何か配慮を重ねているようにも見える。既存メディアの中でも新聞メディアは、テレビや出版社と比較すれば、それほど濃厚な利害関係が生じにくいと思われるのだが、何か後ろめたいものがあるのだろうか。私は現場に近い記者らに取材を重ねることにした。「ジャニーさんのことを、みんな慕っていたのよ」朝日新聞には長らくジャニーズを取材してきたベテラン女性記者が複数いる。その一人が最近、こんな発言をしていたという。「ジャニーさんのことを、(所属タレントは)みんな慕っていたのよ」「告発している子は名声目当て。信用できない」ジャニー喜多川氏による所属タレントへの性加害問題について、BBCや週刊文春の報道に続いて、ジャニーズJr.だったカウアン・オカモト氏が外国人記者クラブで会見したことで、これまで黙殺してきたテレビ・新聞などの既存メディアも重い腰をあげた。そして、その報道が加熱していたときのことだった。この記者は2017年1月23日付夕刊、24日付朝刊の2日に渡って、同僚記者と連名で、ジャニー氏へのインタビュー記事を執筆している。「ショーに託す、平和の願い ジャニーズ事務所・ジャニー喜多川社長に聞く」「我が子ように育てる ジャニー喜多川社長に聞く」とそれぞれ題した記事である。事件を知ると違和感しかない(2017年1月24日の朝日新聞朝刊)前者は、ジャニー氏が作・構成・演出を手がけた舞台を紹介する。少年時代に大空襲にあった戦争体験に触れながら、「昔を生きているからこそ、平和の尊さがわかっている」とのジャニー氏の言葉を明かす。「親から信頼を受けて大事なお子さんを預かる」気になるのは、「子どもたちへの温かい視点も当時からあった」とジャニー氏のタレントとの接し方を絶賛していることだ。ジャニー氏の性加害問題については、1980年代に元所属タレントが被害を訴える手記の出版をしていた。2000年前後には、週刊文春がキャンペーン報道を展開し、被害者の証言などを詳しく報じていた。記事の内容をめぐってジャニーズ事務所が発行元の文芸春秋を訴えた裁判では、04年に「セクハラ」があったとする記述を真実と認める判決が最高裁で確定していた。ジャニーズを担当していたならその事実を知らないわけがない。にもかかわらず、記事ではそのことにはいっさい触れていない。それどころか、翌24日の朝刊では「我が子のように育てる」という見出しのもと、ジャニー氏の「親御さんから信頼を受けて大事なお子さんを預かる以上、私も命をかけて自分の子供のように教育しようとやってきた」という発言を、無批判で掲載をしている。カウアン・オカモト氏は被害を訴える記者会見で、もし大手メディアが性加害を報じていたら事務所には入らなかったか、という質問に、「知っていたら親は行かせなかっただろう」と答えていたことを思い返してしまう。ジャニーズ副社長の信頼厚い「ベテラン記者」さらに、記事が出された時期には重大な問題が孕んでいる。国民的アイドルグループのSMAPが直前の2016年12月31日に解散したタイミングだったからだ。記事では、SMAPについては後編の質問で一言触れているだけだ。ジャニー氏の回答もあくまで一般論で、SMAPについては具体的に話していない。もちろん記事の見出しにもなっていない。事務所にとってはセンシティブな話題であったとしても、読者の関心から考えても、明らかに不自然である。徹底した忖度ぶり、と指摘されても致し方ないだろう。朝日新聞の場合、週刊朝日やAERAなどの雑誌発行ではジャニーズと深い関係を築いてきた。表紙やグラビアにジャニーズのタレントを起用できれば、手堅い売り上げが見込めるからだ。ジャニー氏へのインタビュー記事を書いたベテラン記者はAERAにも一時期所属し、SMAPを勢揃いさせた特集を仕掛けるなどして、社内では「ジャニーズを任せるならこの記者」と信用を勝ち得ていたという。現在のジャニーズ副社長で長年広報責任者を務めてきた白波瀬傑氏は、このベテラン記者を連絡の窓口にしていたと多くの記者が口を揃える。他の記者が申し込んだ取材の断りがベテラン記者から「あれはダメだったみたい」などと知らされることも日常的だったという。朝日新聞社内をベテランの「ジャニ担」が仕切っていたジャニーズはメディア各社に従順な記者や編集者を抱え込むことでメディアコントロールを働かせてきた。各社によって呼び方は違うが、いわゆる「ジャニ担」だ。実際、ジャニーズは新聞のコンテンツ作りの現場にも口をはさんできた形跡がうかがえる。突然、連載が打ち切られたのはなぜか朝日新聞デジタルでは、「ジャニ担!」と呼ばれるオンライン連載があった。ジャニーズファンで知られる放送作家の山��美保子氏がジャニーズタレントの近況などについてコラム形式で連載するもので、2015年4月から始まった。しかし、2年ほどで突然打ち切りとなった。事情を知る朝日新聞記者が明かす。「ジャニーズ事務所から連載についてクレームが来たと聞いている。山田氏も渋々だったようだが、連載打ち切りに同意した」連載はすでに130回以上に達していた。にもかかわらず、なぜそのタイミングで、ジャニーズ側が苦情を伝えたのか。ちょうど朝日新聞紙上でジャニーズ事務所を退所した元SMAPメンバー3人による「新しい地図」の連載が始まっていたことと関係があるのでは、といぶかしむ声があったという。いずれにせよ、ジャニーズ側の事実上の「外部圧力」に応じる形で、朝日新聞が連載の打ち切りなども決定してしまった事例だと言える。ジャニーズと新聞社の繋がりは記事だけではない。広告出稿というビジネス面でも密接な関係を結んできた。現在公開中の『「嵐」大型企画で深まった朝日新聞とジャニーズの「広告ビジネス」』では、新聞社とジャニーズにおける広告ビジネスの事例、それが生み出す「忖度」の構造を取りあげた。
朝日新聞社内でジャニーズ報道を仕切る「ジャニ担」の影響力|SlowNews | スローニュース
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koga-kty · 1 year
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2022.11.24
オービジュが終わったから時間ができると思っていたら全然できない…なぜ……?ここから死ぬ気でやらないとまじでまずいです。
というわけでここまでの記録を…
【モチーフとして扱う植物について】
最終的にオオイヌノフグリとポインセチアにしました。余裕があればイチョウも…という感じで(果たして余裕はあるのか)。ポインセチアとイチョウは季節的に実物を観察することができるので…。オオイヌノフグリとは何ぞや?と思う方多くいらっしゃるかと思いますが、写真見てもらうと「あ〜!」となる方も多いかと思います。公園とか運動場の隅っこでよく見かけるネモフィラに似た野花ですね。植物についての詳しい概要はまた別のページに纏めようかなと思います(絶対今週中に纏めます。宣言したのでもう逃げられません)
【ボタニカルアートについて】
古代ギリシャの『薬物誌』が植物の図化の始まり。有用な薬草を見分けるために植物について調べて図化したことから始まっている。
『薬物誌』:by ペダニウス・ディオスクリデス
ボタニカルアートは基本的に1つの画面に1種類の植物を細密に描く。観賞用としてのボタニカルアートは白の水彩紙に透明水彩で描く。鉛筆などで実物を見ながら実物大で。
とのこと。最近だと色鉛筆で大人の塗り絵という感じで展開されている印象が強いです。ただ今回はデジタルでの作画になるので高山先生もおっしゃっていたように緑の表現が鬼門です。しかも展示の照明や暗さで色が表現できない可能性があるのでは…と焦っています。自分で選んだ展示方法なのでここは頑張らなければならないのですが…。また展示するときもできる限り実物大に近いものになるようにやっていこうかなと思います。
【画家について】各々についてはまた別ページに纏めます(絶対に纏める)
バシリウス・ベスラー(1561~1629)→ドイツの植物学者兼植物画家。ニュルンベルクで生まれ、薬局を経営。ドイツはアイヒシュテットの司教で植物愛好家であるヨハン・コンラートが造った庭園で栽培されていた植物を詳細に描き出版した。
『アイヒシュテット庭園植物誌』(1613):アイヒシュテット司教の庭園で管理されていた1000以上の花を銅版画で制作。葉や花弁などの表現が触手のような毒々しさを感じさせ陰影も比較的描画されている。
ゲオルク・エーレット(1708~1770)→ドイツの植物画家、植物学者、昆虫学者。ハイデルベルクで生まれ庭師の見習いとなる。イギリスへ移住し活動を始め、ヨーロッパで有名な植物画家の1人になる。対象の植物を中央に大きく描き、種の特徴や属性を明確に記した。
『クリフォート邸植物』(1738):ハールレムの南のクリフォードの屋敷にて描いた。1757年にロンドン王立協会のフェローに選出される。
ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ(1738)→南ネーデルラントに生まれたベルギーの画家、植物学者。ユリやバラなどを描いた博物画を多く残しており「バラの画家」として知られている。いくつかの植物図譜を残すが、その中でも『バラ図譜』は最高傑作と言われている。
『バラ図譜』(1817~1824):1817年から1824年にかけて全3巻に分けて出版された。169種類のバラが細密に描かれ、芸術的にも植物学的にも価値がある資料となった。
今回は一旦ここまでで…。近くを散策した感じオオイヌノフグリが見つからないので見つかるまでは写真で代用しつつ、ポインセチアは花屋さんで買います!今週末まで少しバタバタしていますが、いい加減描画を進めたい…!
皆さんも忙しいとは思いますががんばりましょう…!展示の備品申請やらなんやらも今日の17:00が締め切りなのでご注意を!
ではまた〜
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shredderwastesnow · 10 months
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クィアたちのZINE交換【後編】
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前回の記事に書いたが、ZINE交換会で、私は7冊のZINEをいただいた。 今回の後編では、それぞれを読んだ感想をまとめてみる。
※作者がセクシュアリティをどの程度オープンにしているか分からないため、ZINEの作者名は伏せています。 ※オンラインで公開・販売されているものについては、末尾にリンクを貼っています。
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■「ノンバイナリーがわからない」というテーマ詩またはエッセイ シンプルな紙面から、生きているだけで「男/女」と申告させる社会への失望が伝わってくる。これまで深く知る機会のなかった生きづらさに気付かされる。 「お兄さん」「お姉さん」と��う呼びかけも、時として相手のメンタルを削ることを学んだ。会話の端々で、知らず知らずのうちに相手を「男/女」のカテゴリーに当てはめていたかもしれない……と怖くなる。
「男/女」のあわいにいる人と同じ社会に生きているのだと、もっと意識して生活しなければと思う。 そして、無意味な性別の振り分けをなくす方向に社会を変えることも必要だ。当事者を死に追いやるレベルの苛烈なトランスヘイトが実際に起きている今、一層強く感じる。 シスジェンダーの自分には、まだまだ見えていないことがあると気付かせてもらえた一冊。
■YOGA HAMSTER STAMP ヨガのポーズを、素朴なハムスターのイラストと共に解説するZINE。 モフモフしたハムスターが、1ページごとに「チャイルドポーズ」「猫のポーズ」などを決めている。手足が短いなりに頑張っていて可愛い。
様々な研究で、クィアが精神を病む率は、そうでない人よりも高いことが分かっている。 体をほぐし、リラックスする時間を意識的に取ることも、クィアとして豊かに生きる上では大事だなと認識した。いや……いっそハムスター飼う?
■LIFE LIFE LIFE vol.3 そうだ、京都行こう 写真が趣味の6人(Gender Identityは男性寄りと思われる)が、京都で撮った作品をまとめたZINE。 作品と共に、撮影エピソードも載っている。歴史ある町並みや自然の佇まい、旅の興奮が伝わってくる。
ZINE作りに参加した6人のうち、3人は一緒に撮影旅行をしたそう。 1人では挑戦しづらい着付け体験に連れ立って行き、着物姿で街を散策しながらお互いを撮り合う。スーパーで食材を買い、airbnbの宿で一緒に料理をする。朝は古い喫茶店でモーニングを楽しみ、香り高いコーヒーを優雅に味わう。 エッセイパートで若者たちの予測不能な旅の面白さを追体験しながら、友達が家庭を持ってしまった今はこんな旅行もしづらくなった……と少し切なさもよぎる。
なお、この3人のうちの1人が、旅先で気分が落ち込んでしまったときに2人がそっとしておいてくれて嬉しかったと書いており、印象に残った。 自分が相手より優位に立っていることをアピールしたり、キャバクラなどの空間で女性にケアしてもらいながら親睦を深めたりする「ホモソーシャル」なノリではなく、お互いに褒め合ったりケアし合ったりする友情の育み方が、読んでいて気持ちよかった。 作者のクィアネスについては特に触れられていなかったが、シスへテロ男性らしさを要求されないコミュニティが、作者の精神を支えているのかもしれない。
■Q&Q スモールトークが苦手なわたしのための質問カンペZINE A6版の手に収まるサイズ感と、ポップなイラスト、ドミノピザの箱のような色使いが可愛い。 イベントで初対面の人と実のある対話ができるようにという心遣いから、各ページに「今日はどうしてこちらへ?」「今の社会に足りないものはなんだと思いますか?」などの質問が並び、読者(ユーザー?)はページを指差したりめくったりして会話を進めるという仕組み。便利!
趣味や好きなカルチャーに関する比較的軽い質問もあれば、「どんなジェンダーの相手とでも、友情は成り立つと思いますか?」「自分の力で社会は変えられると思いますか?これまでに何か変えられた経験はありますか?」など、ぱっと答えられないような深い質問もある。
後ろの方には、作者が推している海外ドラマや本などの紹介も付いていて、世界が広がる。 最近はセクシュアリティの問題を扱った作品の数が増えて嬉しい反面、作り手側に深い理解や考察のない作品は観ても傷つくだけなのでうかつに手を出せないという現実もある。 セクシュアリティについて日々真剣に考えている人から、口コミで良作を教えてもらえるのは有難い。
読んだのがイベントから帰った後だったので、作者の方と会場でこれを使って喋れたら更によかったかも。次回に期待。
★おまけ★ 「どんなジェンダーの相手とでも友情は成り立つか」について: 友達になれないと感じるジェンダーの人は思い浮かばないが、テレビに出ているゲイやトランスジェンダー(ドラァグクイーン)に時折見受けられる「自由=性的に奔放」という考え方は苦手だなと思う。 タレントの恋愛相談に「積極的にどんどん行っちゃいなさいよ!そうやって経験を積んで人は大人になるんだから~」と答えるオネエ言葉の人たちは、恋愛やセックスをしない自由という発想がなさそうなので、友達になれる気がしない。知り合い止まりにしたい。 でも、あの人たちも、テレビが作り上げたステレオタイプを演じさせられているのかもしれない……どうなんだろう。 ドラァグクイーンでも文化人寄りのヴィヴィアン佐藤さんあたりは、恋愛相談に対してもっと深みのある言葉を返すのではないかと思う。
■アセクシュアルである私がどのようにしてサトシに救われ、今回の件でどのようなことを考えたか 2022年の冬、25年もの期間にわたって放送されてきたアニメ版ポケットモンスター(以下「アニポケ」)の主人公が、次のシーズンからサトシではなくなることが発表された。 このニュースは、アニポケのオタクであり、アセクシュアルでアロマンティック傾向のある作者にとって、人生を揺るがす出来事だった。
作者は、小学校時代から自身のセクシュアリティを自覚し、友人の恋バナについてゆけず疎外感を味わってきたという。 恋愛に無頓着でありつつポケモンバトルに魂を燃やし、そのまっすぐな生き方で人々に愛されるサトシの姿は、作者にとって救いだった。 脚本を書いた人は意図していなかったかもしれないが、テレビの前でアニポケを観ていた一人の小学生は、恋愛がなくても充実した人生を送ることができるというメッセージを受け取ったのだ。
主人公の少年が戦いを通じて成長するストーリーの少年向けアニメでは、多くの場合、サイドストーリーとして恋愛が描かれる。 「るろうに剣心」「NARUTO」「鬼滅の刃」など、主人公と女性キャラクターのカップルをぱっと思い浮かべられる作品は多い。 これらの恋愛は基本的に異性愛であり、同性カップルは登場しない。ほとんどの少年向けアニメの世界観は、シスへテロ恋愛規範に基づいていると言えるだろう。 こういった状況にあって、物語に恋愛を持ち込まないアニポケは、作者にとって抵抗なく楽しめる希有な作品だった。 サトシに好意を持つ女性キャラクターが登場しても、サトシにはぴんと来ず、「そんなことよりバトルしようぜ!」という態度を取る。そして、周囲はそんなサトシを責めたり馬鹿にしたりせず、「まあサトシだからね」と受け入れる。 こういった物語に触れることで、恋愛感情の湧かない作者は、自分自身も肯定されたと感じていた。
しかし、サトシが主人公のアニポケは、もう制作されない。作者の心の支えが、一つ失われてしまうのだ。
そして作者が危惧しているのは、「NARUTO」→「BORUTO」のような続編への移行だ。 「NARUTO」の続編である「BORUTO」は、「NARUTO」の主人公うずまきナルトとヒナタの息子が主人公。 この展開によって、主人公が異性と結婚して家庭を持つ=ハッピーエンド、という原作者と制作者の世界観が鮮明になった。 もし、同じように次期アニポケの主人公がサトシの子供になってしまったら――それはつまり、制作者の中に、「バトルに熱中していた少年も、大きくなれば異性を好きになって恋愛→結婚・セックスするのが当たり前」という考え方があることを意味する。 これまでアロマンティックやアセクシュアルを肯定する存在だったサトシが、シスへテロ恋愛の模範として再定義されてしまうことを想像し、作者は何度も泣いたという。 やり場のない不安を整理すべく、このZINEが作られた。
このZINEが突きつけてくるのは、恋愛や性愛のない人生を肯定してくれる物語の少なさだ。 純文学などの中には探せばあると思うが(谷崎潤一郎「細雪」とか)、沢山の人が楽しむアニメや漫画などのポップカルチャーの中に、主人公が恋愛なしで満たされている作品を見つけるのは難しい。 2022年、主人公がアロマンティック・アセクシュアルのドラマ「恋せぬふたり」がNHKで放送され、話題を呼んだ。 このような、恋愛に縛られない幸せの形を提示できる物語が、もっと作られてほしい。 そして、私も何か書けるかな……。
https://note.com/ichijosayaka_59/n/n93046e8a589f
■2306 最悪のプライド月間を、なんとかやり過ごすZINE 1968年にアメリカで起こったクィアによる反差別運動(通称「ストーンウォールの蜂起」「ストーンウォール事件」)にちなみ、6月は「プライド月間」とされている。 今年の6月も、世界各地でセクシュアルマイノリティへの理解を深めるキャンペーンやイベントが行われた。 日本でもこうした取り組みは盛り上がりを見せたが、一方でLGBT理解増進法案が保守勢力によって骨抜きにされるなど、国や社会によるクィアへの抑圧が鮮明になるような出来事もあり、国内のクィアにとっては希望を感じづらい1ヶ月となってしまった。
このZINEには、ゲイであり鬱療養中の作者がこの6月をどう過ごし、何を考えたかが記録されている。文章の合間にゆるい漫画や犬の写真が配置されているので、深刻な内容があってもそこまで肩肘張らずに読めて有難い。
鬱によって思い通りに動かない身体。過去に受けた性被害のトラウマ。 反差別というメッセージが限りなく薄められたLGBT理解増進法案や、SNSでのトランスバッシング。 彼氏が両親の留守中に犬の世話をするため実家に帰ることになり、こっそり同行させてもらうという楽しいイベント。 彼氏が両親にカミングアウトしていないため、表向きは友人を装わなければならない現実。 彼氏と犬のユズちゃんと共に過ごした穏やかな時間。 無職である後ろめたさ。梅雨時の湿気。 その時々の作者の感情が、グラデーションになって迫ってくる。
二人と一匹の間に流れる温かい空気を感じながら、二人が堂々と一緒に暮らせないことを悔しく思う。 また、病気などの理由で一日八時間労働が難しい人が社会から零れ落ちてゆくような現状も、もっと改善できないものかと感じた。 (「Marriage for All」に署名し、選挙の時も人権意識のありそうな人に投票するようにはしているが、まだ足りないんだろうな……。) 一応、作者が欲しいものリストを公開した時に、応援を込めて1品ポチッとした。まだ足りないだろうけど。
※「はじめに」のみ公開 https://nigenige2020108.hatenadiary.jp/entry/2023/06/30/090000
■恋愛も結婚もセックスもしたくない人がいるんです アロマンティック・アセクシュアルである作者が、自身のこれまでの人生と現状、将来のビジョンをエッセイ漫画にしたZINE。
作者は30代で、性自認は女性。アロマンティック・アセクシュアルでありつつ、BLが好きで百合も読む「腐女子」。 自分が恋愛や性愛の当事者になりたくはないが、フィクションの恋愛や性愛は読者として楽しめる、ということになる。
恋愛を経ての結婚をする気はないが、何かあったときに助け合える人がいてほしい気持ちもあり、いわゆる「友情結婚」にも興味がある。 助け合うことと恋愛・血縁が分かちがたく結びついている現代社会では、恋愛感情や性欲がなかったり少なかったりすると孤立しがちだな……と改めて認識する。 「恋愛経験がない/少ない=人間的に未熟」というバイアスに苦しめられるくだりは、共感しかなかった。
平日は金融機関で働き、週末にオタ活を楽しむ作者の人生は、ちゃんと充実している。 変わるべきは、「人生には恋愛と性愛があるべき」という価値観を振りかざし、無駄なコンプレックスを味わわせる世間の側だろう。 恋愛・性愛のない豊かな人生はあり得るという希望を見せてくれる、爽やかな読後感のZINEだった。
※8/11時点でこのZINEは完売、続編は購入可能 https://hinotoya-akari.booth.pm/
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こうして感想を並べてみると、作者7人のセクシュアリティと抱えている事情が千差万別であることに、改めて驚く。 本やウェブで「LGBTQ+とは?」みたいな解説を読んだだけでは絶対に見えてこない現実と実感が、それぞれのZINEから生々しく伝わってくる。
社会がカテゴライズした性別や恋愛・性愛規範に自分を無理矢理当てはめて解釈しようとすると、どこかで無理が生じる。 クィアはそうでない人より無理���しなければならないが、自分がクィアだと明確に認識していない人も、実は無理をしていることがあるのではないかと思う。 (「性自認が男なのにメイクしたいと思うのは変かな?」「恋人との時間より友達との時間が楽しいと思う私は間違ってるのかな?」といったように。)
既存の枠組みに囚われずに自分のセクシュアリティを語ることは、社会や権力の都合によって奪われた自分の一部を取り戻し、自分の生を自分に合う形にカスタマイズする第一歩なのかもしれない。
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tokyomariegold · 1 year
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2023/3/4〜
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3月4日 休日出勤をしてオンライン採用説明会をしてきた。 でも、もう対面の就活が復活しているらしく、そういえば昨日も国際フォーラム周辺でそれっぽい人たちを見かけた。 土曜日の少し遅めの出勤時刻はいろんなことが新鮮。高校生とゴルフをしに行く人がたくさんいた。
今回もお昼にサンドウィッチを用意してくださっていて、やっぱり食べられないので返させてもらう。これってやっぱりふつーにおかしくて失礼なことなんだろうか。こうやって疑問に思うのは認知の歪み? でも許される限り甘えていこうと思う。
帰りは図書館で本を返して、何だかんだバスを使わず歩いて駅まで辿り着いてしまった。 上司から羊文学にはまっている話を聞いて、早速ダウンロード。明日のとらやに行く予定、誰かいっしょにいけやいかな〜、と思いながら梅を見ながら帰ってきた。
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上司が4月から育休に入るので、それはとても大切なことだけれど、残される不安を吐露しておいた。 でも3月で人事異動があったりね!と鬼に笑われている気分。
今は身近にいた女の子たちが、なるべく泣かないように、その場しのぎでも、写真や手紙や私が作った何かで気を紛らわせてあげられればいいいな〜〜とか考えて、朝もいつもより多く歩いた。ので、今日も足が棒。
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3月5日 最近はとにかく眠ってみようと思っている。 通勤電車でもtoeicの消費的なお勉強や、借りた本を読んだりもせず、とりあえず目をつぶっているようにしている。 それで、昨日の夜は久しぶりにレスタミンコーワを飲んで眠ってみた。 夜中に目を覚ましたときに、体を動かしながらも頭がぼーっと何も考えられず、でもそれでiPhoneを触りながら、ちーちゃんからのメッセージやZOZOTOWNのコスメで使えるポイントの情報を認知していたようで、 朝起きた時に、昔所属していた写真サークルの卒制展の情報を調べたり、ZOZOTOWNでポイントを使って切らしていたチークを買っていたりした。 でも記憶ないままネットショッピングしてるのは怖い。
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東新宿にあるギャラリーへ行く。 このギャラリーに行く時はいつも、なるべくこの周辺を歩く時間を短くしたい、と心掛けていて、でもいつもなんだか社会の闇的なものを垣間見てしまう。今日も地下のギャラリーで鑑賞中に、地上から呻き声が何度か聞こえてきていた。 自分がこのサークルに所属していたこと、忘れたことはなかったし今もそこで出会った人たちばかりと遊んでもらっているけれど、でももう所属していた時のこれといった思い出がなく、その過去は大切ではなくなっている。 ちーちゃんがおすすめしてくれていた作品が、ちょうど私が気になる作品でだった。なんとなく写真を通してしたいことが、私と重なるところがある気がした。 それで、私はその作品を見て、いつまでもこの感じを大切にしてほしい!と思ったり、そんなこと言う立場になんて絶対になりたくないじゃん!と写真展アンケート用紙の30代に丸をしたりした。
まだ暗室作業をしている、と聞けて嬉しかった。 アンケートを渡すと、私の名前を見て、印画紙や暗室用品の棚で見たことある名前です、と言ってくれた。 その後は乃木坂で下りて、東京の、この乃木坂あたりの春は、やっぱりお漬物の匂いがするな〜と思いながらとらやの食品サンプルの展示を鑑賞。 表参道で夕方予定がありその前にミモザを買う。 帰り道、イヤリングを片方落としていたことを店員さんが気付いて電話をくれた。このイヤリング何度も落としては救われたり、買い直したり復活させ続けているな。 ミモザを買ったはいいけれど、このふわふわはお部屋を汚すのでは…… と玄関で生けるしかないかしら。
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2comlog · 1 year
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週報2023-03-04
元気!?
全部ギリギリです… 一応来月のまんがタイムきららに掲載される原稿は…納品いたしました… 1か所…いや2か所「それはないだろ」のミスをやったままなので、単行本で直したいところです。 1話から単行本修正の話しするの!?!意識が低すぎる…
スロウスタート展いってきたよ!
そんな状態でもね!先週はスロウスタート展に行ってきました!たそちゃんと!
たそちゃん! 今週発売のきららキャラットにたそちゃんの漫画の二話が掲載されており、私も背景描いたりしてます!
【きららキャラット5月号】連続ゲスト第2話! たそがれ先生「推しが炎上するのでアイドルはじめます!」 自分が炎上しない最高のアイドルになる! と女装を極めた男子高校生・葵。現役アイドル・星咲さんに勧誘され芸能事務所の門をたたくも、まだ自分が実は男だと伝えてないぞ…! どうなる、葵! pic.twitter.com/rmuFfqvJ9R
— まんがタイムきらら編集部 (@mangatimekirara) March 27, 2023
炎ド背景はVドと違い、ハッチング太目にしたかったのですが、ビルの反射を好きなだけ描いてもいいぞ!といわれるとどうしても情報量を増やしてしまいがち。
…そういえばたそちゃんとの原稿のやりとりは現金だと色々とダルいので現物支給にしてもらっていて、インスタポンプフーリュー(可愛い靴)を頂きました。 これで私もインスタポンプフーリュー持ってる側の人間!
pic.twitter.com/TwnNrHZRCp
— 若鶏にこみ@きらら5月号〜連載🌿 (@tori_nico2) October 4, 2021
↑これはブーツタイプなので違いますが。 ところでインスタポンプフーリュー、みんな心の中ではインポって略してない?隠さなくてもいいですよ。 そういう���けで、ついでにお靴も受け取り、せっかくだからとその場で履いて過ごしました。渋谷の真ん中で靴を履き替える機会はなかなかないと思ったので良かったです。
というわけでスロウスタート展! うれしーーー!!10周年すべて見届けたオタクではない新参者のですが感慨深かったです。 原作本編複製原画のシーンチョイスが謎だったのでキュレーターの人に話を聞きたすぎだろとか、 脚フェチ椿野さん最高でしたとか、改めてみるとこういう絵だったんだ!?と思わされたりですとか (わかりやすいところですと、多分広告のみでしか見れなかったであろう8巻表紙の全体図とか!) 果実ちゃんデート回が待望すぎたせいで色も妄想のまま走り書きの落書きをした過去があったのですが、 そういえばこの時の妄想の色、そんなに外れてなかったんな…そういう能力がある?といらん自信を改めて抱いたり、 新参者なので、まだ雑誌追いは出来てなかった時期のカラー扉絵に感動したり… 充足感……… こういう展示会でガッツリアニメの曲流してくれるのも好感度が高い…あんまりなくない?そうでもないのかな…
先週も友人の個展に行った流れで同じような事を記してしまいましたが、額縁に入って並び、蛍光灯の光がキラキラと反射して… 日頃、とくに漫画の絵を見る時、見ている時のシチュエーションって蔑ろになりがちだよなあ…と感じさせられました。 こういう催しの中で見ると特別感がちゃいますね…よかった…とても…
震える手でノートに痕跡を残し、描きおろしのランダムアクキーを買う等をしました。Tシャツほしかった!
そんで、おなか減ったね~つって喫茶店でケチャップを食べて、ランダムアクキーで『運命』を感じ取るか~つって開封の儀をしました。 私はホンキでスはド箱推しなので、誰と『運命』があってもうれしいのですが、大昔に行ったアニスロカフェでは万年さんだったので、じゃあ並んで嬉しいのはしおんちゃんかな~とか思いつつ、 たそは千石冠の事を考えていました。あいつは栄冠二枚抜きを信じて2つ連れて帰っていました。
この手のランダム商品はその子との『運命』のアレなんでおみくじよりドキドキしますよね。 私の運命は……………………
万年大会さんでした!!!!えっ!!!!通算二回目!!!!!そう!!!!!!確かに最近描いたしね!!!ありがとね!!!!!!!
「サーチ行為はNGです」と言われつつも重さと指でギュッと触ればわかるよねと豪語し、 横に長めの質感がある袋と、縦に長めの質感がある袋を選んだたそちゃんの運命は…………………
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万年大会さんと、万年大会さんでした!!!!えっ!!!!二つも!!!!! テーブルには三連大会さんが並びました
「こっちは横に長い袋」と言っていたので「わからないよ、横たわっている万年さんかも」と言っていたら本当に横たわっている万年さんであった。万年さんらしいや……
若鶏先生とスロウスタート展行ってきた〜!!! もらったチケットがえーかむだったのでにっこり☺️あとは2人でアクキーを買ったら三連万年さんでした....... pic.twitter.com/wtQrLNfxM5
— たそがれ@キャラットゲスト掲載中🥕 (@tasogaren_212) March 22, 2023
推しでも飲むか
そんでもって折角渋谷原宿方面だし~とたそちゃんとそのまま「推し茶」のお店にも連れて行ってもらいました。 推し茶? 推し茶。
みなさんは推しを飲んだことはありますか? 私はないです。
https://oshiado.base.shop/p/00001?utm_source=linktree&utm_medium=link
色の強い茶から推しっぽい色を2色選んで、6属性に分かれた香りを調合、推しぽい香りを表現し、 推しを飲み干そうというお店です。
たそちゃんはハッキシと「アイドル推しの二人を混ぜる飲み物にするか」という感じだったのですが、 まあね~死んだ公務員を推している私は困るよね~…色とか……無いしさ… 昨今増えてきた「推し活」のソレってどうも「メンカラ」を主軸としたコンテンツが多いので、ドルオタ向けなんかな?と思っています。 アイドルでない推しを持っている人間は、推しが何かの手違いでアイドル活動することになったらサイリウム何色なんだろう…そこから考えなきゃいけない。 さすがに無理があるぞと思ったので死んだ公務員でお死活するのはあきらめて、他の自ジャンにするかと思いました。
他の自ジャン。 塩原もゆるの味、知りたくない!?
知っていくか。
なぜなら私は、なぜか「原作に描かれてない塩原もゆる情報」を知りえる人間、香りの調合くらいお手のモンよ! …というわけで塩原もゆるを調合しました。
色はもうDianaカラーにしたらいいので、下黒の上水色です。 つまり「水色ソーダ×スパイスシロップ」ってことですね。
そんで香りですよね。上記サイトにも一応記してあるのですが…
・キュート(バニラっぽい?なんかとりあえず甘い系です) ・天使(癒しのカモミール系の香り) ・パッション(オレンジとかレモンとかの柑橘フルーツっぽい) ・クール(ミント系) ・悪魔(ベリー系だったと思う) ・フェロモン(確実にローズって書いてた)
上記の6属性から0~2段階で強度を付け、グラフにしてオーダーします。 じゃあ私の思う塩原もゆるさんの「香」を発表するか。
キュート/2 天使/0 パッション/0 クール/0 悪魔/1 フェロモン/1
どうだ!!!!!!!!!!!
どうですか?皆さんの思う塩原もゆるはこのステータスではないかもしれませんが、2年作画してきた者にはこう見えました。
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美しい…黒…………!!!!! ガッツリDiana色で嬉しいですね。これもゆる茶というかDiana茶では?Dianaだったらフェロモン全開か。 あれ…うっかりもゆるがDianaにおフェロで負けたことになっちゃった…す…すまん…
紅茶は香りの味が10割だと思っているので、多分恐らく…お味の程は…バニラが一番強くてちょっとだけローズの香りとラズベリーかな…そう思っていたのだが だが。
……… 先に結論だけ申し上げますと…… 一口飲んで爆笑してしまっただろ!!!
紅茶は香りが10割ではない、5くらいじゃないかな そう、認識を改めます。 なにこの………… 苦・辛い紅茶って初めて飲みました。劇薬、そうだな。劇薬だな。
「スパイスシロップ」って確かに書いてあったけどさ!!なっ何で構築されているんだ!? やたらと人工的な苦みがあり、その奥底に何かが僅かにピリリとくるような… 香りはむしろ、添えるだけ程度で……
もゆるさんって こんな味かぁ 言われてみたら塩原もゆるが、フワフワあまあまなお紅茶ぜんとした飲み物に成れるかと言われると絶対違うな…
たそちゃんのは激ウマオレンジティーだったので、多分コレ「茶になりやすいキャラクター」と「茶にはなりにくいキャラクター」がいるな… そして塩原もゆるは確実に後者であった。
こんなにケチョンケチョンに聞こえる言い方で記してますが、正直結構中毒性があって、最終的には舌の中で和解できた感じ…どころか最後は普通においしかった気がします。 なんか表層的な塩原もゆるのお茶というか、藤見銀からみた塩原もゆるのお茶でしたね。 これがまほろ目線だったらこの味じゃなかったと思う。あいつだったら自分の妹に「フェロモン」は振らないと思う。 えっ…まさか振る?最悪…やめてくれ…
みなさんもぜひ、「推しが茶になりやすいか否か」、知りに行ってみてください!
たそちゃんとはその後、ポケモンやって、カラオケしたりしました。 さくらんぼキッスを全力で歌いました。どうして。
久しぶりにカラオケでドリンクバーというものに触れたのですが、私がミルクオレを、たそちゃんがジンジャーエールを注ぎ、 ワーワー言いながらお部屋に戻ってじゃあ飲むかつってグラスを見たら…… 不思議なんですよね、ジンジャーエールは炭酸なので泡立っているはずで、ミルクオレはノー炭酸なので泡立つはずがないのに… 完全にどちらも質感が同じ飲み物になってて… 「さすがに白い方がミルクオレで、やや黄色い方がジンジャーエールっしょ笑笑」とグビグビグビダン!して 「ジンジャーエールじゃねえやこれ」「ミルクオレじゃねえやこれ」になりました。 令和にワーッハッハッハッ麦茶だこれの話するの? でもさっきさくらんぼキッス歌ったし…
そんな事をして、ウッカリしてたら夕飯食べそこないましたが、非常に楽しく帰りました。
ベイビーわるきゅーれ2ベイビー観たよ
かわいーーー!!!!説明不要!!!!!! 1作目もそうでしたが、もう全シーンモエモエのモエ。強くて可愛い女の生活!!! とても日常描写に全力です。 なぜなら続編モノって大抵スケールがデカくなる一方だと思うのですが、コレ1作目のが死者数は多かったし敵の規模も大きかったので、本当に「生活/日常」に全力です。 生活メインなので話は全く重くはないが、ちょい死者が多めなリコリスリコイル!そういうのが好きな方はぜひ!ぜひ!
内容の話は公開直後なので控えよう!シネマロサで観てきました。 最後に「予告からもう楽しみだった映画を映画館で観るぞ!」としたのは咲阿知賀編だったので、本当に久しぶりでした。 ヒトに連れられて行くぞ!とかは割とあったのですが、それもシネコンとかだったので、こういう雰囲気の映画館ホント久しぶり… やっぱいいですね…これくらいのややこじんまりとした映画館…上映前の予告も全部わけわからん映画で… 映画館苦手側の人ではあったのですが、シネコンが不得意よりというだけなのかも…わからない…
そんでその後…人生で多分初めてモエシャン飲みました。 有楽町のシクスバイオリエンタル、毎月6のつく日はモエシャンが法外にお安いそうで… 10月には閉店してしまうのでどうにかして行きたいよねえ!とギュイと予定をねじ入れました。 シャンパンの事殆ど何もわからないのですが、ブドウの味が苦手な人間も飲めるのでそんなに身構える必要はないのだな…と思いました。 食べているモノ…というかその時の口の中の味でかなり風味が変わる酒なんやなとも思いました。 トマトパスタ食べるとすっぱい!肉の焼いたの食べるとちょっとフルーティな気がする!不思議! ごはんもおいしかったです…ごはん…の範疇ではないのですが紅茶がアホ程おいしかった。 なんだったんだろうあれ、あまり紅茶の事わからないのですが、ジュースみたいだった…
シクスバイオリエンタル、有楽町はまあまあ来る駅なので外から見かけては「雰囲気ええなあ…」と思っておりましたが、 内側入って窓から外を見るのも美しい…若干天気が雨だったのに外席全部にも蝋燭の明かりをともしており…美し…という話をし、 「トリチャンのために予約したんだからさあ」とネタで言われた(予約の作業は本当にやってもらった)ので、 「無数の人類が歩いていくのが見れる場所って良いですよね!」とホンキでモテない返しをして100の素でやっており、自分でもビビりました。 そういえば、美容院でも窓の外見てたら「この後おでかけですか」と問われ 「用事はないですが久々に外出たんで散歩くらいはしたいですね」と答えたら「だから外見てたんですね」と完全に室内犬の扱いを受けた過去もある。 外を行き交う人間を見るのが好きなのに!!ほんとに!! でも本当に窓の外の景色が良かった。天気の悪い黒い外に、水たまりの強いハイライトと蝋燭が揺らめく暖かめな色の明かりが…
そんな雰囲気の良いお店で雰囲気の良い飯を食っても居るのはオタクが二人なので、 山梨の水ってエッチですよねという話をしたりしていました。指通りが違うからさ…山梨の水って…
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igh-workspace · 1 year
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過去作品をまとめてみる
こんにちは,ighです,イフと読みます.初めてのブログで緊張しています.とりあえず今回は過去に自分が作ってきたものを簡単にまとめてみたいと思います.
~追記~
一度に投稿できる画像の枚数が30枚とのことで,高校卒業までの作品に絞ります
ざっくり回想
イラストを描いてます.最近「映像表現カッケエ…」と思い始めて2022年の夏ごろからAfterEffectsを学習.PremiereProやHoudiniに触れながらやっぱりイラスト描くのが楽しいのでイラストに逃げています.今年は頑張って映像の勉強します...それにしても寒すぎないか...マウス持ってる右手とか感覚が消えていくのがわかる...
~中学校
幼稚園の時に1回,小学校の時に2回,描いた絵が市で表彰されていたような.今考えるとすごい話です.小学校高学年から模写にはまりました.ポケモンをはじめとした任天堂キャラをはじめ,一度書き始めると時間が溶けていた記憶があります.また,当時は学級でトレーシングペーパー(透ける紙)が流行し,様々な絵が飛び交っていたように思います.中学校へあがってからは,絵を描く頻度が減った代わりに作品に触れる機会が多くなりました.「ワンピース」「ハンターハンター」「ゲゲゲの鬼太郎」「火の鳥」「はだしのゲン」「ブラックジャック」「銀河鉄道999」「日常」「めだかボックス」….特に好きだった「鋼の錬金術師」は,連載開始〇〇周年記念の展示会へ足を運ぶほどで,非常に好きな作品でした.好きなキャラはエンヴィーです.
高校
高校からイラストを描くことについて真剣に向き合うようになりました.現在イラストを描くときに使っているiPadを高校生時代に購入したこともあり,色々とデータが残っています.
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デジタルイラストを描く前にやっていた黒板アート
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ゴンさん.今見ると足が短い…
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写真からの模写.このころは絵を肉体的にではなく図面的に,相関性で見ていたような気がする(今もそう)
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「転スラ」に登場するキャラクター.初めて完成までもっていったデジタルイラスト.描くのに1カ月くらいかかった気がする
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一番下のイラストはVtuberを想定して描いたイラスト.今見てもデザインはすき
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このころ「焦茶」さんというイラストレーターを見つける.本当に好き
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高3の時に描いた油彩画.素材に引っ張られる感じがいい
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小っちゃい紙に描くのにハマる.イラストは焦茶さんを意識しているけど難しい…
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高3の春にクロッキーを真剣にやる.いろいろ試してみて「hide channel」さんがとても分かりやすかったのでオススメです.これらについてはまた後日
最後に
高校卒業までに描いたイラストをざっと紹介できたかなと思います.こうしてまとめてみると見ごたえがあります.一度整理しておきたかったので丁度良い機会になりました.
高校卒業後の作品については,Twitterのほうで閲覧が可能,また随時更新していくので,よかったら見ていってください
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C101用に描いたイラスト
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r1ok4 · 1 year
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誰といる時の自分が
[12/28(水)]
誰といる時の自分が一番好きでしょうか。
或いは、誰といる時の自分が「素の自分」と感じるでしょうか。
誰といる時の自分が一番好きか。私のこの問いに対する答えは明確に(私はここ最近「明確に」という言葉を使いすぎている気がしますが)、「1人でいる時の自分」です。1人で旅行をしたり散歩をしたり勉強をしたり写真を撮ったり料理をしたり本を読んだり掃除をしたり、文章を書いたりしているときの自分が、いっとう好きです。人といることは好きであるし、また好きな人も沢山いるのですが、だからと言ってその人といる時の自分が好きな訳ではありません。その人が好きでその人と一緒にいるのが楽しいとしても、その人と一緒にいる自分のことが好きか、というのはまた別の話です。私は、1人でいる時の自分が、自分の中で一番好きです。
人のことが好きなので、人に嫌われたり不快にさせたりしてしまっている自分に耐えられないのかもしれません。しかしそれにしてはバカスカ酒を飲みベラベラいろんなことを喋り散らかしてしまう程度には私は他人に甘えており意志が弱く頭が悪いので…
1人でいると安心です。誰を不快にさせる心配もありせん。
誰といる時の自分が「素の自分」と感じるかについては、また明日考えようと思います。
[12/29(木)]
今日が出向先の会社の最終営業日でした。12月いっぱいで離任とのことで部の皆さんに寄せ書きを頂いたのですが(デカ板1枚ではなく小さな紙に1人1枚書いてくれたものが40枚、1つのファイルに纏まっていました。管理しやすくて有難いことです)、40人もいると9ヶ月では関わりきれなかった人もそれなりに居るので、まあ多くの人は無難でありきたりな言葉を並べているのだろうと思ったのですが、いざ読んでみると意外と皆しっかりと私個人に向けた内容あるものを書いてくれていて驚きました。
そんな寄せ書きを読んでいて思ったのは、「私とあまり関わっていない人ほど私に良い印象を持ってくれているんだな」ということです。恥ずかしいので具体的なワードは控えますが、(私の親しい友人たちがこれを読んだら涙が出るほどゲラゲラ笑うんだろうな)というような畏れ多い形容詞の数々を並べて頂きました。大抵の物は遠くから見れば綺麗に見えるように、私も遠くから見た時にはそれなりに映っているようです。控えた具体的なワードは私がなりたくてなれないようなものばかりだったので、本当に皆が書いてくれているような人間になれたら良かったのになと思いつつ、私は「そんなに親しくない人と一緒にいる時の自分」の方が「好きで親しい人と一緒にいる時の自分」より好きなのではないかな、とも思いました。
もちろん親しくない人と一緒にいるより親しい人と一緒にいる方が好きだし楽ではあるのですが、その人と一緒にいる時の自分のことが好きか、というのは昨日も書いた通りまた別の話です。親しい人と一緒にいるとその安心感に気が緩み、人の悪口を言ったり、自分の話ばかりしたり、気を遣えなくなって相手を不快にさせてしまったり。家に帰ってからそんな自分を反芻して嫌になることがよくあります。好きな人のことは好きだけど、好きな人の前で気を使えなくな���自分が大きらい。よく親しい人の表現に「素を出せる人」という言葉が使われていますが、親しい人の前で気が緩んで悪口を言ったり自分の話ばかりしている自分が「素」なのだとしたら、とんだ絶望案件です。つよくやさしくおだやかな自分でいたいと思っているのに…
親しくない人の前では自分をコントロールしようという緊張感を持って自分をやれるのでいいですね。それは少し疲れることかもしれないけれど、相手に不快感を与えず自分の望む姿をある程度やれているなら、その状態の自分のことはもちろん好きです。まあその私は私であることよりも「相手にとって」を優先していて私が私である意味は薄れている(と私自身は感じる)ので、1人でいる時の自分ほどには好きではありませんが…
さて、先程も少し触れた「素」の話です。
このブログを書き始めた時の問いの二つ目は、誰といる時の自分が「素の自分」と感じるか、でした。
「素の自分でいられる相手」、なんとなく「自分のコントロールしていない部分の解放度合が高い相手」みたいな感じの意味なのかなと思っています。そうなると私も答えは結局多くの人と同じ「親しい人」とか「好きな人」になります。世の中には「どうでもいいと思っている人」とか「嫌いな人」の方が素を出せるみたいな人もいるらしいですが、私はそのタイプではありません。おそらく多くの人同様、親しく好きな人の前ではその居心地の良さに甘えて気が緩み、自分のコントロール度合いが格段に下がります。
しかし、私は「自分で自分をコントロールして自分をできるから」という理由で「親しくない人といる時の自分の方が親しい人といる時の自分より好き」なので、「素の自分でいられる相手といる時の自分が嫌い」、つまり「素の自分が嫌い」ということになります。なんということでしょう。私は自己肯定感エベレスト妖怪でありながら(私は自分のことを自己肯定感エベレスト妖怪だと思っています)、素の自分のことが嫌いだそうです。
本当に?
そこまで考えて違和感を覚えました。本当に私は素の自分のことが嫌いなのでしょうか。「1人でいる時の自分」が一番好きなのに?1人でいる時の自分なんて、一番「素」に近そうなのに?「自分をコントロールせず解放している時(素)の自分自身が嫌い」とは思えません。コントロールなんてぶん投げて感情のままに暴れたり音楽を聴いたり泥酔をしたり文章を書き殴っている自分のことがなかなか好きです。素の自分自体のことは嫌いではない。
では何が嫌いかというと、単純に「素の自分によって親しい人を不快にすること」、これに違いありません。だから1人でいる時の自分が一番好きなのでしょう。1人でいれば自分を解放しても誰に迷惑もかけないし、思いっきり自分に浸れるから。なんなら昨日もしっかりそんなことを書いてましたね。
はっきり言うと私は人と長時間一緒にいると疲れます。疲れて、自分をコントロールできなくなり、相手を不快にさせ、自己嫌悪に陥ります。でも、人のことも人と一緒にいるのも好きです。人と一緒にいることは、私にとってイベントみたいなものだから。楽しくて疲れる特別なもの。うまくいけば1人でいては絶対に味わえない極上の瞬間になります。私はそれを明確に(また明確に、です)好きだと知っている。
仕事も納まって久しぶりに(本当に久しぶりに!)1人でいる時の自分になったので、 長々とまた自分語りをしてしまいました。でもこうして定期的に自分語りをしておかないと親しい人といる時にベラベラ自分のことばかり話してしまって自己嫌悪に陥るから、こうして1人でいる時に吐き出しておかないと…
2023年は親しい人といる時も自分をコントロールし続けられるような精神力を身に付けられたら良いですね。
或いは、素を出しても親しい人たちを不快にさせないよう「素」の人間レベルを上げられたら良いのか?(でも、泥酔して悪口を捲し立てない私なんて…)
とにかく2022年お疲れ様です。
たくさん新しい人に出会えた良い年だった!
今年も「素」をぶちまけまくっている私の姿を遠くから暖かく見守ってくれたインターネットの向こうの皆様、本当にありがとうございます。インターネットの良いところは遠さにあると思います。レスポンスの義務のなさ。特定個人の時間と空間を奪わずに済むところ。そこに��年もたくさん救われました。来年もよろしくお願いします。
良いお年を〜!
(今年撮ってもらったお気に入りの写真です。飛行機の中でネイルシールを貼っている)
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